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[104085] 2022年 3月 18日(金)19:07:41千本桜 さん
震度
[104083] オーナー グリグリさん
震度分布に特異な点がありそうです。仙台市は震度5弱ですが、取り囲むように、登米市、蔵王町、国見町、相馬市、南相馬市が震度6強。
私も震度には少し違和感を覚えます。蔵王町が震度6強で白石市が震度5強でしたが、実際は逆じゃないかと。震度計が置かれた場所の地盤などに左右されるのでしょうが、蔵王町は昨年2月の地震でも震度6強を観測。周辺の市町に比べると高い数値でした。震度に関しては知識がないので、これ以上のことは言えませんが、今回の地震はとにかく強い地震で、3・11と同程度に感じました。いろいろ破損。パソコンも床に落下し、モニターにひび割れ模様や虹色の変な模様が浮かび上がっていますが、なんとか使えそうです。
話はそれますが、17日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、昨夜の地震に関し、コメンテーターの玉川徹氏は「白石市の隣にうちの実家がありまして、今朝、実家の両親に聞いたんですけど、『東日本大震災に匹敵するぐらいの揺れだった』と、コメントしていました。実家ってどこ?と気になりますね。また、3年前には、台風19号で阿武隈川が氾濫した際に「僕の実家って宮城県で氾濫した阿武隈川の近くなんですね」と、話していました。「白石市の隣」とか、「阿武隈川の近く」とは言うが、なぞなぞみたいに市町村名は明かさない。明かさない理由はいろいろあるとお察し申し上げますが、もし「知名度の低い小さな町」だから、明かしても通じないと思っているのであれば、玉川さん弱腰だよ。あの町は、国や県の出先機関の設置序列からすれば、明治以来今日までずっと、仙台、古川、石巻に次ぐ県下4番目の拠点都市なんだ。もう、みなさんは玉川氏の実家が何という町にあるか、おわかりですね。
[104059] 2022年 3月 9日(水)20:11:53千本桜 さん
Re:不急なぞなぞ
「まち」と読まれたら、ソノ県のアノ町は大変困ったことになってしまっていたのです。
あまりにも面白いので涙が出ました。見ていないので想像ですが、たぶん、◯子ちゃんもピン子ちゃんとの別れのシーンでは涙していたような。
[104022] 2022年 2月 28日(月)19:29:45千本桜 さん
hmtさん、やすらかに
hmtさんに初めてお会いしたのは、上野での非公式オフ会でしたから、かれこれ20年近く前になるのですね。歳月の過ぎるのが早すぎます。晩年のhmtさんにとっては、落書き帳に書き込んでいる時が、一番に楽しく幸せな時間ではなかったかと、勝手ながら想像しておりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
[103942] 2022年 2月 12日(土)10:39:12千本桜 さん
Re:開かずの金庫を開けろ
[103941] 伊豆之国さん
TV番組で「開かずの金庫を開けろ」というのがあり、千本桜さんのお膝元・大河原町の旧家・佐藤家の豪勢な屋敷の内部の風景と、中に残っていた開かずの金庫ならぬ「開かずの箪笥」を開けろ、というシーンがありました。
情報をありがとうございました。ただし、こちらでは、まだ放映されておらず、事情通に問い合わせたところ、放映は2週間くらい後になるのではないかとのことでした。ちなみに、この佐藤家住宅は大河原町で唯一の国登録有形文化財で、主屋・店蔵・表門及び外塀など10件が文化財として登録されています。
[103937] 2022年 2月 9日(水)23:18:13千本桜 さん
栃木夕暮れ散歩がらみ
[103933] 伊豆之国さん
▲第四ヒント…神奈川県寒川町
第四ヒントまで頂いたからには知らんぷりはできません。もう昔の話ですが、寒川町全域を歩いて調べる機会があり、寒川神社にも行きました。で、出題に対して1市だけ回答します。それは、ひらがなで書くと「いっくしなね」という意味不明になってしまう地名があり、その場所にお目当の神社が鎮座する市ではないでしょうか。

[103935] あきごんさん
しかも五條から御所は峠越えでしょうか。(風の森峠?)
峠を越えたのは確かですが、その当時は峠名を意識していませんでした。ただ、御所の田舎あたりを走っているとき、いい雰囲気だなと感じ、「まほろば」という言葉がひらめいたのを憶えています。
興福寺で野宿とは…。
野宿したのが興福寺境内の中か外か忘れましたが、いずれにしても奈良公園の一角で、五重の塔が見える場所でした。あの頃は世の中が安全で、あまり心配せずに野宿ができたので、尾道の千光寺公園や広島の平和公園でも寝袋を敷いて寝ました。今の世の中の方が物騒なようです。
[103932] 2022年 2月 8日(火)20:35:35千本桜 さん
クイズここはどこでしょうの解答
[103905]で出題した、クイズ ここはどこでしょうの解答です。
皆さん、お付き合い頂きましてありがとうございました。正解は栃木市でした。伏せ字を解いた地図は、こちら→ 栃木 夕暮れ散歩 に掲載しています。

[103906] ぺとぺとさん
「至◾️沼」と「至◾️生」を頼りに数秒で察しがついてしまいました(と思い込んでいます)。
まさか「至◾️沼」と「至◾️生」から足がつくとは思ってもいませんでした。やはり、ぺとぺとさんは凄いと思いました。「至◾️◾️宮」も入れようかと思いましたが、バレバレなのでやめました。地図の中で到達地名は軽く見られがちですが、実は私、到達地名の選択が大好きなんです。

[103907] 今川焼さん
地図を見る前にヒント3でわかってしまったんですが…
「吾一とマロニエ」でわかってしまいましたか。最初は「吾一」だけにしようと思いましたが、これだと俳優の山田吾一さんを起想するメンバーがいないとも限らない。そうなると永遠に解答に辿り着けず、無駄な時間を過ごさせてしまう。そう思って「マロニエ」を追加したのですが、これが甘かったですね。これも私の優しさのせいですね(笑)

[103908] あきごんさん
ちなみに私が寄り道した場所は、ヒント1の県を本拠とした某有力大名の邸宅があった元国府の都市
天満宮やマツダ工場のある都市へ飛んでしまいましたか。寄り道させて済みませんでした。確かに「市街地の規模は山口市>A市>萩市」と言われたら、あの都市に着目するのは正当ですね。ところで畿内ですが、京都市内の他は不案内なんです。奈良県ですと五條→御所→田原本を自転車で走って、奈良の興福寺で野宿したことはありますが、今では記憶がぼやけて‥‥

[103909][75054] 白桃さん
立派なデパートにビックリ。巴波川にはちっちゃいけれどたくさんの鯉のぼり
福田屋デパートと巴波川の鯉のぼり。12年前に栃木で同じ風景を見ていたんですね。白桃さんも今月でいよいよ〇〇歳の大台かな。山田吾一派、長生きしようね。

[103910] オーナー グリグリさん
私にとっては、地図は読むものではなく、眺めるもののようです。それにしても皆さんの瞬発力は素晴らしいですね。
皆さんの瞬発力には私も驚いています。難問なのに解けてしまう。これも落書き帳のおかげでしょう。落書き帳に参加しているうちに、知らず知らず皆さんの腕(頭)が磨かれているようです。

[103912] 伊豆之国さん
絢爛豪華な山車が繰り出す秋祭り…30数年前、この市を初めて訪れた時に見物した思い出が。
伊豆之国さんは旅の経験が豊富なので、羨ましく思っています。私は、栃木の山車会館に展示してある山車は見ていますが、山車を引回す秋祭りは見ていないので、いつかは見てみたいと思っています。
[103905] 2022年 2月 1日(火)06:32:43千本桜 さん
クイズ ここはどこでしょう
A市の市街地を描いた地図を1枚掲載します。市名がバレないように伏せ字を多用しています。さて、ここはどこでしょう! A市の名称をお答えください。

たぶん難問だと思いますのでヒントを3つ
ヒント1:市街地の規模は山口市>A市>萩市
ヒント2:三波春夫の大利根無情「佐原囃子が聴こえてくらァー」
ヒント3:吾一とマロニエ

クイズ ここはどこでしょう 出題地図
[103878] 2022年 1月 20日(木)15:17:36千本桜 さん
世帯分離による世帯数の増加
同じ敷地または同じ屋根の下で暮らしながら、介護費用軽減その他の目的で世帯を分離する家庭が増えています。我が家の近隣およそ130数戸のうち、約10%は2世帯同居で、中には3世帯同居の家庭もあります。そのような訳で、目視で数えた戸数は130数戸なのに住民基本台帳の世帯数は150世帯ほどになります。世帯分離しても人は移動しませんから人口増減はありません。ただ世帯数が増えるだけです。
[103288] 2021年 12月 17日(金)06:29:38千本桜 さん
佐久の草笛
[103265] 千本桜
草笛光子さんは老いてますますゴージャスになりましたが、小諸はしぼんでしまいました。なぜ小諸の話題に草笛光子か?などと野暮なことは聞かないで。
と書きましたが、読み手に理解してもらえないような気がしたので補足します。
小諸で思い浮かぶのは島崎藤村「千曲川旅情の歌」です。その中に「暮れ行けば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛」が出てきます。この佐久は、小諸を含む佐久地方のことだと解釈しています。なので、小諸と聞くと草笛を連想する癖があります。草笛といえば、80歳を過ぎて(もうすぐ90歳になりますが)ますますゴージャスさに磨きがかかる女優の草笛光子さんを思い浮かべます。ゴージャスから連想するのは、佐久市(佐久平駅周辺)に出現した商業集積ゾーン。商圏人口20数万をかかえた賑わいぶりです。その影響をもろに受けた小諸はしぼんでしまいました。それを見ていると岩村田と小諸の都市間競争の凄まじさを感じます。
[103265] 2021年 12月 8日(水)06:29:52千本桜 さん
Re:DIDが消滅した市・町
[103264] 白桃さん
無くなって欲しくなかったDIDですが、特に小諸には…
同感です。草笛光子さんは老いてますますゴージャスになりましたが、小諸はしぼんでしまいました。なぜ小諸の話題に草笛光子か?などと野暮なことは聞かないで。小諸は見た目の景観とDID人口が乖離していますね。
[103256] 2021年 12月 3日(金)19:28:34千本桜 さん
2020年国勢調査の人口集中地区人口を見て思うこと
[103255] 白桃さん
2020年国勢調査の人口集中地区人口を閲覧することができました。ありがとうございました。
仙南地域は町が強くて市が弱いのが特徴。人口集中地区人口は予想していた通り、柴田町と大河原町が増加し、白石市と角田市が減少しています。しかし、増減幅は予想より小幅でした。
かわいそうなのは気仙沼。あの大都会気仙沼市(三陸地方では大都会の1つ)の人口集中地区人口が、たったの5,790人。嘘でしょうという感じ。人口集中地区人口を基にして都市の大きさを量るのは止めようかと思う気持ちが強くなります。問題は基本単位区の設定の仕方にあるのではないでしょうか。
大仙市(大曲)と薩摩川内市(川内)の人口集中地区人口も受け入れがたい。境界地図がまだ公表されていないので、はっきりしたことは分かりませんが、大曲は1つの市街地に見えるのに2つの人口集中地区に分離され、、川内も2つに分離されています。大曲は川幅100m足らずの丸子川を境に、川内は川幅200mちょっとの川内川を境に l と ll に分離されたものと推測します(予想が間違っていたらごめんなさい)。
この程度の川幅で人口集中地区が分離され、細切れにされると困惑します。都市の規模が見えなくなるように思います。静岡市の人口集中地区などは川幅600mの安倍川にも分断されることなく、丸子や用宗あたりまで伸びています。和歌山市も同じです。市街地を川幅500mの紀ノ川が横断していますが、人口集中地区は分離されません。
もし、静岡市や和歌山市と同じ考えで人口集中地区を設定するなら、幅200mちょっとの海峡で隔てられた尾道と向島の人口集中地区を1つに統合したい。結局なんだかんだ言っても、国と私では人口集中地区に求めるものが異なるので、埒があかないことなのでしょう。
[103254] 2021年 12月 2日(木)17:36:59千本桜 さん
2020年国勢調査の人口集中地区人口
[103248] 白桃さん
DID人口は公表されており、消滅したDIDもわかるのですが、境界地図が出来るのが来年三月予定ということで、新たに形成されたDIDが何処なのか不明なので、困っております。
2020年国勢調査におけるDID人口はすでに公表されているのでしょうか。境界地図はともかくとして、取り敢えず各DIDの人口だけでもと思い検索しているのですが、たどり着けません。どこを見れば分かりますか。教えてください。
DIDについては、どう見ても市街地が拡大しているのに人口が減ってしまったり、どう見ても1つの市街地なのに複数のDIDに分割されてしまうこともあるので、予測ができません。泣くか笑うかは人口を見てからにします。
[103239] 2021年 11月 28日(日)03:17:35千本桜 さん
クイズここはどこでしょうの解答
[103222] クイズここはどこでしょうの解答は角田市です。

[103223] 白桃さん
白桃さんにとって仙南は第2(第3かな?)の故郷。バレないように伏せ字を使いましたが、すぐに見破られてしまったようです。角田を観察して思うのは「どこか、マイペースな感じがする町だな」ということ。あくまでも主観ですが‥‥

[103224] デスクトップ鉄さん
東北本線のルートから外れて遅れをとった角田は、阿武隈急行に熱い思いを抱いているようです。駅舎が立派でデザインが斬新。東西自由通路も宇宙への旅立ちを思わせるようなデザイン。売店のお姐さんも「宇宙をイメージして造った」と言っていました。

[103225] あきごんさん
七十七銀行と仙台銀行。おっしゃる通り七十七銀行は老舗で、宮城県では圧倒的に影響力の強い銀行です。でも、知らない人だと「仙台」の名につられて仙台銀行の方が大きな銀行と思うかもしれません。他県から転居してきた人ですが、やはり「かくだ」を「かくた」と発音していました。

[103227] 今川焼さん
多分その街に対する愛なんだと思いますが
嬉しいお言葉ありがとうございます。自分でも、これは愛かもしれないと思うことがあります。商店街は華やかに表したいという思いが根底にあるようです。地図を描いていると、これは戦いかもしれないと思ったりもします。角田の地図を描く場合は、自分より角田市民の方が角田を知っていることを念頭に置きながら、良い意味で角田市民に戦いを挑んでいます。

クイズここはどこでしょうの伏せ字を解いた解答は、街並み写真 角田をご覧ください。
[103222] 2021年 11月 18日(木)23:30:13【1】千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
地図を見て答えるクイズです。

とある市の市街地を描いた地図を6枚掲載します。この市は農業都市にして工業都市。米の産出額は圏内の他市町を引き離してダントツ1位。工業出荷額も周辺市町に競り勝って1位。しかし商業は振るわず、小売販売額は圏内4位と低迷している。
城下町から発展した市街地は、コンパクトで使い勝手が良さそう。■■駅は、乗客が少ない割には駅舎が立派でデザインも前衛的。駅の南方に位置する台■公園は市民の憩いの場で、特徴のある建造物が空に向かってそびえ立っている。城跡付近の立町は文教地区で、小学校・中学校・高等学校が立地するほか、田■ホールや図書館が入居する市民センターも置かれている。
本町・仲町・天■町は江戸時代からの商人町で、東■■交差点が街のヘソに当たる。しかし、商業機能が郊外に転出して街は寂しくなった。現在、商業活動は国道■■■号沿道に移行し、ホーマック周辺には商店が建ち並び、日用品の買い物に不便はない。しかし、家電・衣料などの買回品店がなく、高次な購買は他市町へ依存しているのが実情です。
最後に、市街地の東部を流れる■■■川の地図を掲載します。川の右岸にはスポーツ施設を一堂に集めた■■中央公園がある。スポーツと健康を推進する、この市ならではの立派な公園です。

市名がバレないように、地図にも伏せ字を多用しています。さて、ここはどこでしょう! 地図を見て(読んで)市名をお答えください。 クイズここはどこでしょう出題地図

1字、伏せ字に訂正
[102329] 2021年 9月 11日(土)18:23:59千本桜 さん
観光地理学・地誌学へのレス、ありがとうございました。
[102326] スカンデルベクの鷲さん
私は観光地理学というのを間違って解釈していました。観光地理学→観光業界→旅行斡旋業→添乗員とイメージを膨らませ、観光地理学を学んだ人は、ホテルや旅行斡旋業に就職するのだろうと思っていたのです。しかし、それだと観光専門学校の方が手っ取り早くて有効ですね。あぁ恥ずかしい勘違いでした。
むしろ、観光地理学は観光地の地域住民に必要な学問であると思いました
よく分かります。特に、行政(県や市区町村)にとっては重要な気がします。

[102327] 白桃さん
気迫がこもったレス、ありがとうございます。
少し話は逸れてしまいますが、よく見かけるものとして、「わが町の概要」などと題したA4判1ページにも満たない短文があります。私にとってはこれも地誌なのですが、とある地方のとある町の概要を見て、「何じゃい、これは!」と思ったことがあります。
「A町の特徴」と題した文面には、「自然が豊か」「祭りが盛ん」というフレーズが何度も出てくるのです。A4判弱なのに4回ほど出てくる。しかし、その地方全体を見渡せば、どの自治体もそれなりに自然が豊かで、それなりに祭りが盛んです。ですから、主語のA町をB市、C町に置き換えても通用してしまいます。これではA町の特徴を記述したことにはならない。もっと突っ込めば、A町は都市化の波を受け、その地方では1・2位を争う景観変化の激しい町で、伝統文化が消えつつある町です。それでも「自然が豊か」「祭りが盛ん」と書くのは、そういう地域が良い地域だという観念があるからでしょう。
「A町の特徴」を読んで思ったことは、どうして他の地域や市町村と比較しないのだろうということです。比較することを嫌う人もいますが、地理の分野で地域を比較することは、悪ではなく善だと思っています。比較地理学があるくらいですから‥‥。

[102328] オーナー グリグリさん
これからも自由な発想で自分が好きなことができればいいなと思っています。
「都道府県市区町村」とはいうものの、多方面にわたる地理情報が書き込まれるサイトですから、運営にもご苦労があると思います。グリグリさんの凄いのは、それら多方面の書き込みに対して、こまめにレスをつけて対処していることです。そう簡単にできることではありません。これからも「自分が好きなこと」を中心に据え、健康に気をつけられ、サイト運営を続けてくださることをお願いいたします。
[102325] 2021年 9月 9日(木)18:28:48千本桜 さん
観光地理学と地誌学
「歴史好きなんですね」と言われることがある。それに対して「いいえ、地理好きなんです」と言うと、相手は困った顔をする。どうやら「地理」は漠然としていて、どう解釈したら良いのか解らない様子である。そこで「地理の中でも、特に地誌が好きなんです」と言おうものなら、そこで会話は途切れてしまう。「地誌って何じゃい」と、つまらなそうな顔をされるのがオチである。「地誌」は面白いだろうに、どうしてこうもマイナー扱いされるのか不思議である。
ある時、団体旅行で素晴らしい添乗員に当たったことがあります。段取り上手・接客上手・盛り上げ上手で、バックマージンが入る旅館・食堂・観光施設についての知識は見事に合格点。しかし、何かが足りないのです。バックマージンが入らない観光施設や自然景観、地域の成り立ちなどについては無頓着で、質問しても応えてくれないのです。
私の若い頃は「観光地理学」なる分野はなかったように記憶していますが、今はあるようです。どんな学問なのか分かりませんが、「観光地理学」では「地誌学」を教えないのでしょうか、どうなんでしょう。書いているうちに「学」という字にイライラしてきました。もつと俗っぽく言えば、添乗員にとって、行く先々の地誌の知識が必要かどうかです。どのようにまとめたら良いか解らなくなってきました。どなたか手助けを!
[102291] 2021年 8月 29日(日)06:37:30千本桜 さん
ありがたきさん、うーめんの解説、うめ〜んだな!
[102290] ありがたきさん
そうめんとうーめんの違い、なのですが、実はこのジャンルが大得意ですので、皆様には是非ともスッキリしていただきたいと思います。

お久しぶりです。そしてなにより、お元気そうで安心しました。「そうめんとうーめんの違い」の解説、ものすごくスッキリしました。ありがたきさんは、このジャンルだけでなく色々な分野に精通しておられるので、ときどき書き込みしてくださることを期待しています。
[102279] 2021年 8月 27日(金)06:32:29千本桜 さん
クイズここはどこでしょうの解答
[102276] あきごんさん
クイズここはどこでしょう、正解です。しかも、出題者の野望まで読み取ってしまうとは‥‥。

正解文は以下になります。

 A(白石)は、B(うーめん)の町、C(こけし)の町。そして、水の音が聴こえる城下町。国道と県道が四方八方に伸び、高速道路のインターチェンジがあり、新幹線の駅もある。こうした交通網に恵まれながらも、人口減少が止まらない。某雑誌は、A(白石)を「人よりC(こけし)の方が多い?」と揶揄している。
 かつて、A(白石)駅はD(蔵王)国定公園へ向かう観光客などで賑わう特急停車駅だった。しかし、現在は普通列車だけが停車する通勤通学駅になって、華やかさがなくなりました。A(白石)駅前通りは、長年に亘ってE(大河原)税務署管内の最高路線価を保持し、地域一番の都市の貫禄を発揮してきたが、平成30年度以降は最高路線価をE(大河原)町に明け渡している。
 A(白石)の現況は明らかに衰退都市だが、知名度と品格は衰えない。復元されたA(白石)城、鯉が泳ぐ堀割、緑の庭木に覆われた屋敷町。耳をすませば堀割を流れる水の音が聴こえる。よく見ると、周辺市町の街並みとは一味違う。あまり目立たないが、凛とした品格を垣間見ることができる。この都市はどこでしょう。答えは白石でした。

西日本には古くて味のある街並みが多いようですが、当地方には古い街並みが少ないのです。特にE町。あの町は明治から現在まで、地方行政のセンターを担って来た、いわばミニ県庁所在地みたいなものですが、古いものは残っていない。そもそも街並み景観に関心が少ないようです。それに比べると、白石は古いものを保存したり、街並み景観を大切にしているように感じます。大勢の観光客で賑わう街並みではありませんが、ぶらり街並み散歩におすすめの街です。そのような白石を236枚の写真に収めた「街並み写真 白石」を公開しました。よろしかったらご覧ください。そして「うーめん」を食べに来てください。「こけし」たちが待っています。
街並み写真 白石

あきごんさんの所の「三輪そうめん」は有名なので、もちろん食べたことはあります。白石うーめんは短いのはわかりますが、私は味音痴で「三輪そうめん」と「白石うーめん」の味の違いが、よくわからないのです。白石うーめんを食べたことのある白桃さんに解説をお願いしたのですが、いかがでしょうか。
[102273] 2021年 8月 25日(水)06:31:26【1】千本桜 さん
クイズ ここはどこでしょう
クイズ ここはどこでしょう

 Aは、Bの町、Cの町。そして、水の音が聴こえる城下町。国道と県道が四方八方に伸び、高速道路のインターチェンジがあり、新幹線の駅もある。こうした交通網に恵まれながらも、人口減少が止まらない。某雑誌は、Aを「人よりCの方が多い?」と揶揄している。

 かつて、A駅はD国定公園へ向かう観光客などで賑わう特急停車駅だった。しかし、現在は普通列車だけが停車する通勤通学駅になって、華やかさがなくなりました。A駅前通りは、長年に亘ってE税務署管内の最高路線価を保持し、地域一番の都市の貫禄を発揮してきたが、平成30年度以降は最高路線価をE町に明け渡している。

 Aの現況は明らかに衰退都市だが、知名度と品格は衰えない。復元されたA城、鯉が泳ぐ堀割、緑の庭木に覆われた屋敷町。耳をすませば堀割を流れる水の音が聴こえる。よく見ると、周辺市町の街並みとは一味違う。あまり目立たないが、凛とした品格を垣間見ることができるこの都市はどこでしょう。

ヒント
A=漢字2文字の都市名
B=ひらがな4文字の名産食品名
C=ひらがな3文字の伝統工芸品
D=漢字2文字の山岳名
E=漢字3文字の都市名
[102260] 2021年 8月 23日(月)07:39:19千本桜 さん
はりぼて準名邑
[99315] 白桃さん
「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」という字句から連想するのは、町場の規模です。それが白桃さんの意図に叶っているかどうかは分からないのですが、私にはそのように映るのです。そうした場合、町場だけで構成された町村と、周辺の農村集落を多く含んだ町村との間に、溝を感じてしまうのです。
例えば、準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。でも、これを言うと、全国各地に同様事例があるので、面倒臭くなりそうですが‥‥。
白桃さんの体力が戻って来たので安心して、少し難問を投げかけてみました。
[102157] 2021年 7月 7日(水)05:31:15千本桜 さん
ごぼう抜き
昭和の大合併の時もそうでしたが、特に平成の大合併以来、市区町村を単位とする人口統計に味気なさを感じるようになりました。とは言っても、2020年国勢調査の市区町村人口速報値が公表されましたのに、これに関する書き込みがないのは少し残念。そこで、人口をネタに軽いクイズを1問。ほんとに軽いクイズなので、がっかりしないでください。
以下に、2015年国勢調査人口が大河原町より上回っていた11市を書き出します。ところが、2020年国勢調査ではそれらの11市をごぼう抜きにして大河原町が上位に立ちました。ごぼう抜きにされた市の中で、1市だけ名称を伏せて「A市」としておきました。さて「A市」とはどこでしょう。

2015年順位2015年市町名2015年人口2020年順位2020年市町名2020年人口
1位美祢市26,159人1位大河原町23,575人
2位大月市25,419人2位A市23,488人
3位にかほ市25,324人3位にかほ市23,455人
4位上野原市24,805人4位美祢市23,267人
5位A市24,801人5位江津市22,979人
6位飛騨市24,696人6位上野原市22,677人
7位村山市24,684人7位飛騨市22,556人
8位江津市24,468人8位村山市22,537人
9位江田島市24,339人9位大月市22,525人
10位養父市24,288人10位勝山市22,180人
11位勝山市24,125人11位養父市22,137人
12位大河原町23,798人12位江田島市21,937人
[101489] 2021年 3月 29日(月)11:39:56千本桜 さん
大日本國東山道陸奥州驛路圖や仙台藩の商業統制
[101486] ekinenpyouさん

(表記ルール明細は)必要であれば調べてみますが、
国絵図の図式規定を知りたいと思っていますが、私は検索が下手でお目当のものに辿り着けません。国絵図読解事典なるものがあることには辿り着きましたが、本年2月に発行されたばかりで県の図書館にも置いていないようです。ekinenpyouさんに大きな負担がかからない範囲で調べることができましたら是非お願いします。

大日本國東山道陸奥州驛路圖という資料に金ヶ瀬宿※10丁24間とあり、(計測距離と)極めて近い値になっているようです。(この距離が当時の東西木戸間距離?)
こちらのブログに詳細解説がありますが、(増補行程記のように)タッチの異なる写し?と思われる2点が存在しいずれもネット閲覧できます。(金ヶ瀬宿が描かれている箇所を示しておきます) 筑波大学附属図書館の日本國東山道陸奥州驛路圖 3・青森県立図書館の大日本国東山道陸奥州駅路図(20コマ)
東山道陸奥州駅路図は3種とも初めて目にしました。吉田初三郎の鳥瞰図を思い起こさせる素晴らしい鳥瞰図だと思います。初めて見るものなので新たな疑問が湧いてきたりして、かなり面白いです。疑問の1つは、白石驛と金ヶ瀬驛の間にある「宮驛」を「大宮驛」と記していることです。別の資料では「刈田宮」と表記しているのを目にしたことがありますが「大宮」という表記は初めてです。本当に「大宮驛」と称していたかは疑問ですが、新鮮な驚きであるのは確かです。このような目する機会の少ない資料をリンクしてくださるekinenpyouさんと、その場を提供してくださっているグリグリさんにリスペクト申し上げます。

[72228]千本桜 さんを拝読すると(金ヶ瀬には)大河原のように市日記載が見あたらないことから
商業活動許可は出ていない(広義の)町場(に準ずる)領域だったということになるのでしょうか。
※例えば(金ヶ瀬より戸数の少ない)槻木は市日記載あり?
だいぶ以前の書き込みにも目を通して頂きありがとうございます。その記事は「宮城県史 第6章 農民支配と商業統制」を基にして書きました。仙台領南部で商業活動が許された町場は藩政中期において、岩沼・亘理・村田・角田・川崎・金津・金山・船岡・丸森・大河原・白石の11町だったようです。また、後に槻木も加わり、さらなる後に金ヶ瀬にも市が立ったと、何かの本に書いてあったように記憶しているのですが、曖昧な記憶で文献名も忘れてしまいました。金ヶ瀬は褌町で細長い町場を形成していましたが、在に当たる村落が少なくて中心性に欠けていました。
少し余談になりますが、地理用語・歴史用語・社会用語で「宿・驛・町・街・まち・マチ・市街」という言葉をどのように解釈し、どのように使い分けしたら良いのやら迷うことがありますね。金ヶ瀬を表す場合も、東山道陸奥州駅路図は接尾辞に驛を用いて金ヶ瀬驛とし、安永風土記は町を用いて金ヶ瀬町としています。
[101480] 2021年 3月 22日(月)00:59:21千本桜 さん
Re:白色の日記念・クイズ2題
[101468] 伊豆之国さん
【問A】:岐阜県白川町、佐賀県白石町(想定解数:5町、該当しない町:千葉県白子町)
一見したとき答えはアソコかな?と気がついたのですが、ヒントを見ているうちに訳が分からなくなりました。なぜ白石市、白馬村、旧白鳥町が該当して、白山市、白川村が該当しないのか皆目見当がつきません。でも、こんな夜遅くまで悩んでいてもしょうがないから誤答覚悟で答えます。答えは和歌山県白浜町。間違っていたらかなり恥ずかしいけれど‥‥。
[101479] 2021年 3月 21日(日)23:52:02千本桜 さん
正保・天保国絵図は宿駅と村をどのように表記したか
[101449] ekinenpyou さん
正保・天保国絵図などいろいろ調査していただきましてありがとうございます。多謝!
国絵図から読み取れる柴田郡内の宿駅は11宿ですが、もう1宿、船岡宿というのがあります。船岡は要害(城下町)として知られていますが、奥州街道から外れているため宿駅としての認知度は低いようです。しかし柴田町史 通史編1は次のように書いています。
宿駅という言葉は一般に町場とほとんど同義語として用いられる。舟岡は幹線街道である奥州街道からはそれるが、枝分かれした脇往還亘理道の宿駅という一面も有していた
そこで、船岡宿を含めた柴田郡内の12宿駅が正保・天保国絵図ではどのように表記されていたかを一覧表にしてみました。

宿駅名藩政村名正保国絵図に表記された名称天保国絵図に表記された名称M22町村制現行自治体
金ヶ瀬宿平村金ヶ瀬宿と平村がある平村があり平村之内金ヶ瀬宿もある金ヶ瀬村大河原町
大河原宿大河原村大河原宿があり大河原村がない大河原村があり大河原宿がない大河原町大河原町
船迫宿船迫村船迫宿があり船迫村がない船迫村があり船迫宿がない槻木村柴田町
槻木宿入間野村入間野宿と記され槻木宿がない入間野村があり入間野村之内槻木村もある槻木村柴田町
船岡宿船岡村船岡村があり船岡宿がない船岡村があり船岡宿がない船岡村柴田町
村田宿村田郷村田宿があり村田郷がない村田郷があり村田宿がない村田村村田町
菅生宿菅生村菅生村があり菅生宿がない菅生村宿とある富岡村村田町
碁石宿支倉村支倉村と支倉村之内碁石村がある支倉村があり支倉村之内碁石宿もある富岡村川崎町
小野宿小野村小野宿があり小野村がない小野村があり小野宿がない川崎村川崎町
川崎宿前川村前川村と前川ノ内川崎宿がある前川村があり前川村ノ内川崎宿もある川崎村川崎町
野上宿今宿村今宿と記され野上宿と今宿村がない今宿村があり今宿村之内野上宿もある川崎村川崎町
笹谷宿今宿村今宿ノ内笹谷宿があり今宿村がない今宿村があり今宿村之内笹谷宿もある川崎村川崎町
宿駅と村は別物だと思うのですが、国絵図は宿駅と村を同一視しているように感じました。図式規定が付されておらず作者の意図が分かりませんが、例えば正保国絵図には大河原宿があって大河原村はありません。対して天保国絵図には大河原村があって大河原宿がありません。大河原宿を記載しても大河原村を記載しなければ、宿場の有無は伝わっても村全体を表したことにはならないし、大河原村を記載しても大河原宿を記載しなければ、街道にとって重要施設であるはずの宿場の有無が伝わらないと考えます。なので宿駅名と村名の双方を表記すれば良いと思うのですが、各国藩によって村の面積が異なるから全藩統一した表現は難しいのでしょう。例えば駿河国の藤枝宿は八つの村に跨っていたそうです。ざっと見たところ藤枝宿を構成していた8村あわせても、平村や大河原村1村の面積と同じくらいに見えました。

次に少し話が変わりますが、(享保の新町成立以降)金ヶ瀬宿の所属地名変遷を以下のように推測しました。
年代地名
~明治初期柴田郡平村(刈田郡には跨らず)
明治初期~同郡同村字町※
M22町村制施行同郡金ヶ瀬村大字平字町
そして昭和31年、大河原町と合併して現在の柴田郡大河原町金ヶ瀬字町になりました。地名の変遷にはドラマを感じます。宮村の金ヶ瀬宿は洪水で壊滅し平村に移転してきました。当初は平村の一角に金ヶ瀬宿があるという感覚だったでしょう。しかし宿場に新町が増設されて平村の村落部と金ヶ瀬宿の町場人口が逆転。平より金ヶ瀬の方が多用される地名になったと推測されます。明治22年、平村・堤村・新寺村が合併。新村名は平村になるかと思いきやさにあらず。平村の町場名をもって金ヶ瀬村になり、平村は金ヶ瀬村の大字平になりました。平村の金ヶ瀬から金ヶ瀬村の平へ立場が逆転。平村は金ヶ瀬宿に庇を貸して母屋を取られたようなものです。現行大河原町誕生の際に、消滅する金ヶ瀬村の名を継承させるために大字平を金ヶ瀬に改めました。その煽りを食らって消滅に追い込まれた平が不憫です。

※現在の小字(公称)地名「字町」はM6地租改正の頃に成立?
(小字「字町」の成立過程については調べきれませんでした、江戸時代から既に存在?)
「明治6年(1873)柴田郡金ヶ瀬村大字平字町戸割図」とあり、この時点で既に成立していた模様
(ただし金ヶ瀬村は当時まだ無いので、正確には柴田郡平村?)
地租改正にあたっては字の範囲を確定し字限図も作られたでしょうから、明治6年には「町」という名の字があったと推測しますが、江戸時代となると?です。字町戸割図は町の民俗資料収蔵室にあるようなので問い合わせたところ、本年2月の福島県沖地震で被害を受けたようで、現在は入室できない状態です。

旧小野村の場合、釜房ダムの完成で地形がだいぶ変わったところもありますがこのあたり?
現在の小字地名「字町」は藩政時代集落名として使われたもの(いわゆる通称地名)に由来?
宮城県内には仙台市七北田字町、村田町大字村田字町、大河原町金ヶ瀬字町など、「町」という名の小字が随所にあり、川崎町大字小野字町もその中の一つです。この「町」という小字は、概ね藩政時代の宿場町の区域と重なります。
[101472] 2021年 3月 16日(火)19:43:47千本桜 さん
あれから10年、クイズここはどこでしょうの解答
[101464] 伊豆之国 さん
[101466] ekinenpyou さん
[101467] hmt さん

[101463] あれから10年、クイズここはどこでしょうにお付き合いくださいましてありがとうございました。みなさま、正解です。
答えは、A=宮城県、B=名取市、C=閖上地区、D=福島県、E=相馬市、F=松川浦、G=山元町、H=中浜小学校でした。

まず、宮城県名取市の閖上地区へ。名取市は震災で甚大な被害を被ったが、この10年間に人口を5,000人以上も増加させた稀有な市である。市内には隣県からも集客する巨大なショッピングモールがあり、福岡・那覇はもとより、ソウル・台北などの海外都市とも空路で結ばれている。しかし、海沿いの閖上地区は10年前に津波にのまれて壊滅した。閖上地区は一級河川名取川の河口に発達した港町で、人口集中地区を形成していたこともある大きな市街地だったが、今は更地状態の宅地が強風に煽られて土けむりを上げている。

次に、南下して福島県相馬市の松川浦に向かう。松川浦は風光明媚で松川浦県立自然公園に指定されている。松川浦を訪れるのは、震災の爪痕を観察するためだが、同時に美味しい昼飯を食うためでもある。穴子丼が食べたくて、お目当の食堂に到着したが、あいにく定休日。予定を変更し、落書き帳でおなじみの白桃さんを案内したことがある食堂へ。今は入院中で美味しいものも食べられないでいるだろうに、自分だけが美味しいものを食べて申し訳ないと思いつつ天丼を食す。

最後に、北上して宮城県山元町の中浜小学校へ向かう。山元町は昭和時代に山下村と坂元村が合併してできた町で、特産品は、いちご、りんご、ホッキ貝である。入り組んだリアス海岸が津波被害に遭うのは想像できるが、単調な海岸線のこの町が津波に襲われるとは思いもしなかった。山元町の人口は、この10年間に5,000人近く減少し、減少率は29.3%である。内陸部の集落は助かったが、海岸部の集落は全滅した。中浜集落もその1つである。集落の家屋は無くなっているが、ぽつんとひとつ、中浜小学校の校舎が残されている。山元町震災遺構中浜小学校だ。
[101463] 2021年 3月 11日(木)22:15:12千本桜 さん
あれから10年、クイズここはどこでしょう。
今日は東日本大震災から10年、各地で追悼式などが行われたようです。密になるのを避け、昨日のうちに被災地3ヶ所を巡ってきました。A〜Hの名称をお答えください。

まず、A県B市のC地区へ。B市は震災で甚大な被害を被ったが、この10年間に人口を5,000人以上も増加させた稀有な市である。市内には隣県からも集客する巨大なショッピングモールがあり、福岡・那覇はもとより、ソウル・台北などの海外都市とも空路で結ばれている。しかし、海沿いのC地区は10年前に津波にのまれて壊滅した。C地区は一級河川B川の河口に発達した港町で、人口集中地区を形成していたこともある大きな市街地だったが、今は更地状態の宅地が強風に煽られて土けむりを上げている。とりあえず、B川の河畔に建つ震災復興伝承館へ入館。小さな伝承館だが、震災前のC地区の街並みを再現したジオラマが置いてある。メインストリートには銀行があり、いろいろな店が並んでいたのが分かる。生活感が感じれれる手作りジオラマを見て退館すると、目の前には商店もなければ一般家屋もない乾燥したメインストリートが走っていた。そんなメインストリートにカメラを向ける私を、同行者は少し苛立ちながら見ている。今回の同行者は学力は優秀だが地理的なことには興味がないようだ。何しろ、相馬を「あいば」と読んだ人である。まだ16歳頃の若い時だったが「あいば」はないだろうと思った。すぐそこがC漁港だから見に行こうと言うと、「漁港なんて、どこも同じだべ」と言う。そんな言葉を無視して強引に車を漁港に横付けする。晴天の中、C漁港の風景は震災など無かったかのように明るい色をしていた。

次に、南下してD県E市のF浦に向かう。F浦は風光明媚でF浦県立自然公園に指定されている。F浦を訪れるのは、震災の爪痕を観察するためだが、同時に美味しい昼飯を食うためでもある。穴子丼が食べたくて、お目当の食堂に到着したが、あいにく定休日。予定を変更し、落書き帳でおなじみの白桃さんを案内したことがある食堂へ。今は入院中で美味しいものも食べられないでいるだろうに、自分だけが美味しいものを食べて申し訳ないと思いつつ天丼を食す。F浦に来るとドライブしたくなる道路がある。天橋立よりも長い砂州の上を走る道路である。右にF浦、左に太平洋を望みながら走るのは爽快である。もっと先に丹下左膳の碑があるから見に行こうと言うと、地理的なことに興味のない同行者は「丹下左膳の碑を見て何になる」とか「どこまで行っても同じ風景だべ」と、のたまう。確かに丹下左膳の碑を見たからといって、いまさら人生どうなるわけではないが、見ないで過ぎるのが勿体ないと私は思うのである。それじゃ鵜ノ尾埼灯台を見に行こうと、同行者を促して小高い丘の階段坂道を登る。たいした距離でもないのに息がきれる。しかし、青空を背景にした白い灯台と広い海を見て、ホッと安心の溜息をつく。まるで、10年前の津波など無かったような美しい風景だった。

最後に、北上してA県G町のH小学校へ向かう。G町は昭和時代に◯下村と坂◯村が合併してできた町で、特産品は、いちご、りんご、ホッキ貝である。入り組んだリアス海岸が津波被害に遭うのは想像できるが、単調な海岸線のこの町が津波に襲われるとは思いもしなかった。G町の人口は、この10年間に5,000人近く減少し、減少率は29.3%である。内陸部の集落は助かったが、海岸部の集落は全滅した。H集落もその1つである。集落の家屋は無くなっているが、ぽつんとひとつ、H小学校の校舎が残されている。G町震災遺構H小学校だ。入館料は400円。ガイドに誘導されながら内部を見学。津波に襲われた当時のままだから廃墟状態である。1階、2階と進み、いよいよ屋上の屋根裏倉庫に入る。震災当日、ここに避難した児童や住民たち90人の命を守った屋根裏倉庫である。床はコンクリートの打ちっ放しで床板などは無い。10年前のあの夜は寒かった。懐中電灯2つだけの闇の中、津波の恐怖と寒さの中にいた児童たちを思うと涙が出る。屋根裏倉庫を抜け出し、屋上から外の景色を眺める。家屋を無くした集落跡地には道路だけが延びているが、ここに人々の生活があったことを思うとやるせない。

被災地見学をする際は、ガイドさんに説明して頂くことをおすすめします。
[101430] 2021年 2月 28日(日)20:10:19千本桜 さん
武奥増補行程記
[101417] ekinenpyouさん
刈田郡→武奥増補行程記(千本桜 さんサイト内で、寛延4年(1751)の道中図「増補行程記」とあるものと同じ?)
上記ekinenpyouさんの書き込みに対し、[101428] で「同じものですね」と答えましたが、異なるものであることに気がつきました。[101428]の書き込みは「異なるものですね」に訂正しておきました。惑わせてしまい申し訳ありませんでした。作者は同じ清水秋全となっていますが絵や文字のタッチが違うところをみると、武奥増補行程記は誰かが模写したのでしょうか? 調べてみたのですが詳しいことは解りませんでした。
[101428] 2021年 2月 27日(土)19:30:10【2】千本桜 さん
Re:奥羽街道の金ヶ瀬宿は複数郡に跨っていた?
[101417] ekinenpyou さん
金ヶ瀬宿の「家向き俗説」を(個人的に裏付け調査もしながら)ようやく読破しました。この俗説は各所で引用されており、(観光などで)現地を訪れた方も(その説で)納得してしまっているようですね。
お付き合いいただいてありがとうございます。金ヶ瀬宿の「家向き俗説」は長文ですから、読破するのが大変だったでしょう。感謝申し上げます。町内外を問わず、この俗説に興味をもたれる人を大歓迎です。
街道歩きや宿場めぐりの愛好家が、たまにこの街にやってきます。角川地名大辞典や町史などで、あらかじめ勉強してくる人も多いようですが、辞典や市町村史に誤りがあっても、それを見破るのは難しいですね。また、古文書には嘘が含まれていることもあるようで、200年前のフェイク「椿井文書」のような例もありますから要注意です。

柴田郡誌(M36)より、所属する郡に関する記事を引用します。
金ヶ瀬の市街は藩政の頃は凡中央より二分して柴田刈田の両郡に分属し東方は柴田郡平村と称し西方は刈田郡金ヶ瀬驛と称したり
これは疑わしい記述です。金ヶ瀬市街(金ヶ瀬宿)は、柴田・刈田両郡に分属していたのではなく、片倉家・伊達家に分属していたのです。そして、平村の中に形成された市街が金ヶ瀬驛ですから、「東方は柴田郡平村と称し西方は刈田郡金ヶ瀬驛と称したり」という記述も、地理的にしっくりしない表現です。柴田郡誌(M36)は、刈田郡の白石城を居城とする片倉家の飛び地は、柴田郡にあっても、どこにあっても、刈田郡として扱われたかのような書き方をしていますが、そんな事実はないはずです。そこで、同じように片倉家の領地で飛び地の広淵村(旧桃生郡広淵村、現石巻市広淵)を調べて見ました。

角川地名大辞典から広淵村を引用すると
広淵村:江戸期から明治22年の村名。桃生郡深谷代官区26村の中心で代官所が置かれ、明治期は21年まで郡役所が置かれていた。寛永5年、片倉小十郎重長が広淵谷地・ぼためき谷地などを拝領、片倉谷地・白石谷地などと呼ばれた。
と書いてありますが、刈田郡として扱われていたとは書いてありません。

また、平凡社日本歴史地名大系から広淵村を引用すると
白石城城主片倉小十郎重長が当村谷地など18ヶ所を知行地として給与され、片倉重久ら家臣の二、三男30人余を移住、開墾させて新田に居住させた。新田町は片倉小十郎家中町とも称された。
と書いてありますが、刈田郡に属していたとは書いてありません。

以上のことを金ヶ瀬宿に当てはめると、片倉家の領地である刈田郡宮村の金ヶ瀬宿が洪水で壊滅し、伊達藩から柴田郡平村の一画を知行され、そこに金ヶ瀬宿を移転させた。しかし、移転したのは金ヶ瀬宿であり、刈田郡宮村が移転した訳ではない。従って、柴田郡平村に形成された金ヶ瀬宿を指して刈田郡金ヶ瀬驛と表記するのは間違いだと思います。

しかし、大河原町史には次のことが書いてあります。新町が増設された享保年間の文書に基づいているようです。要約すると
金ヶ瀬宿の本町は柴田郡平村の地には違いないが、片倉家の知行所であるから刈田支配が当然である。ところが新町は藩の直轄地であるから、年貢は藩の蔵に直接納入することになる。また、百姓からの諸願もこれまでどうり柴田代官所へ差し出すように、ただ町内に発生する諸事件の取締については、片倉家の支配を受けよという扱い方である。こうして新町は貢租関係諸願は柴田扱いにて藩庁へ、治安その他取り締まりは刈田扱いと二重構造になったのである。
以上のことから、金ヶ瀬宿を二分していたのは柴田郡と刈田郡ではなく、現代で言う税務署や裁判所の管轄境であることが分かります。ですから、片倉支配・大河原代官所・藩庁直轄扱い・白石代官所扱いと書けば良いのに、郡名を用いて刈田支配・柴田代官所・柴田扱い・刈田扱いと書いたことで、柴田・刈田両郡に二分されているような誤解が生じたのではないか。柴田郡誌(M36)の記述は、そうした誤解の上にたって書かれた可能性が高いと思います。

なお、柴田郡誌(M36)には「(明治)維新の際(刈田郡)金ヶ瀬駅を平村に合併し柴田郡に編入」という記述もありますが
この記述も柴田郡誌(M36)の誤解でしょう。もともと金ヶ瀬駅は柴田郡平村の一部でしたから、維新の際に編入された訳ではありません。維新の際に片倉支配が解かれたことを書きたかったのかもしれません。

郡境が存在したという記述自体も不適切(誤り?)だったのかもしれません。
金ヶ瀬宿を二分していたのは郡境ではなく、片倉家と伊達家の領域境ですから、不適切だと思います。

刈田郡の飛び地?が柴田郡の宿内に存在し、それが「金ヶ瀬駅」だったという可能性もゼロではありませんが・・・
たぶん、それはゼロだと思います。片倉家=刈田郡ではないのに、「片倉家の飛び地」を「刈田郡の飛び地」と言い表したことから生じた誤報でしょう。金ヶ瀬本町は片倉家の飛び地ですが、刈田郡の飛び地ではないと考えます。

柴田郡→日本分国図(仙台領)(正保国絵図摸写図?平村とは別々)・天保国絵図陸奥国仙台(こちらは平村之内)
村や宿(町場)を三つに分類してみます。町場を持たない村、村名と同名の町場を持つ村、村名と異名の町場を持つ村の三つです。町場を持たない村は「堤村」「新寺村」のように村名だけの表記で済みます。村名と同名の町場を持つ村については、町場名を採択して「大河原宿」「船迫宿」と表記し、村名の「大河原村」「船迫村」を省略しているようです。問題は村名と異名の町場を持つ村です。「平村」と「金ヶ瀬宿」、「前田村」と「中田宿」のように村名と宿名を併記しているものもあれば、入間野村の槻木宿を「入間野宿」、小堤村の亘理宿を「小堤宿」と表記したりしています。これは、単純に村名と町場名の混用とみるべきか、それとも、厳密な規定に基づいているのか私には解りません。参考までに、村の中の町場[47401]

刈田郡→武奥増補行程記(千本桜 さんサイト内で、寛延4年(1751)の道中図「増補行程記」とあるものと同じ?)
異なるものですね。武奥増補行程記は金ヶ瀬に刈田郡と註記していますが、柴田郡とするのが正しいと思います。百歩譲って、刈田郡宮村から移転した金ヶ瀬本町に対してのみ刈田郡を註記するなら、分からないわけではありません。しかし、絵図は新町を含めた金ヶ瀬全体を描いています。金ヶ瀬全体を刈田郡とするのは間違いだと思います。増補行程記の絵図はデフォルメが激しくて、山と川の位置関係が明らかに間違っている場所もあります。

現在の小学校近郊にある古い建物として光澤山 明増寺(浄土真宗本願寺派)というお寺があり嘉禄2(1226)年創建とのことで、位置が変わっていなければ(寛永の)金ヶ瀬宿移転前から存在していたことになります。
(寺院関係者の方は)この俗説についてどのような見解を持っているのでしょうか・・・
明増寺は昔、田んぼの中(現在の中学校のところ)にありましたが、明治23年に現在地(小学校のところ)へ移転しています。寺院・神社の関係者も俗説を史実と信じているのが現実です。

1字訂正 「平村」と「金ヶ瀬村」を「平村」と「金ヶ瀬宿」に訂正しました
[101425] 2021年 2月 25日(木)14:41:54千本桜 さん
白桃クイズに挑戦
[101422] オーナー グリグリさん
【市人口ミステリー:消えた63,738人の謎】by 白桃
思わず「くそ〜〜〜!」と叫びたくなるほど素晴らしい出題です。クイズ東大王やQさま!!に取り上げて欲しい。
白桃さん、その看護師は男か女か知りませんが、下の名前を「としみ」または「あきら」と言いませんでしたか。消えた63,738人のうち、何割かは天神や中洲で働いているのでしょうね。

[101420] 未開人さん
問題2に関しては視点が難しいかとは思います。(因みにこれを調べている途中に岐阜県庁の情報を見つけました)
問題2 日本の都道府県庁のうち、茨城県庁と石川県庁のみに共通する特徴を答えよ。
茨城県庁で瞬時にひらめいたのは、中心街から離れた郊外に位置しているということです。ということは「ある特定の区域から外れた場所にある県庁」で、その「特定の区域」とは、白桃さんの好物のアレですね。確かに特殊な視点かもしれませんが面白いと思います。

[101417] ekinenpyouさん
金ヶ瀬宿について書こうと思っていましたら、「くそ〜〜〜!」と叫びたくなるほど素晴らしい白桃さんのクイズをみて、そちらを先にさせていただきました。金ヶ瀬宿については、間違いのないように、じっくり考えておこたえします。
[101411] 2021年 2月 21日(日)20:07:09千本桜 さん
「本山町街」ってなに? 「日光市街」ってどこ?
[101408] 駿河の民 さん
私は本山町に訪れたことがありますが、嶺北の中心地となっており、大きな高校や病院があったことが記憶に残っています。

私は昔々、大豊町の国道32号を自転車で走ったことはありますが、本山町には行ったことがありません。そこで、ストリートビューで模擬ドライブしてみました。出発点は大豊町高須の国道32号と439号の交差点付近。道路案内板は、直進32号「高松・三好市」、左折439号「本山」と標示しています。左折して439号を本山へ向かいます。

やがて大豊町域を過ぎて本山町域に進入。439号は本山の市街地を迂回するバイパスですが、バイパスと旧道の分岐点に、右折439号「田井」、直進「本山町街」の道路案内板がありました。直進すると本山の市街地(町場・街並み)に到達するのは理解できるのですが、「本山町街」という標記に違和感を感じました。「本山市街」と表示するのが正しいと思うのですが、皆さんは「本山町街」の標記をどのように思われますか。「町街」って、なに?

高知県の案内板は、町村部に「市街」を用いないのかなと思い、いの町を調べてみました。すると、国道33号枝川ICの所に、直進「松山・佐川」、左折「四万十市」、右折「いの町市街」の案内板がありました。町であっても「市街」と標記してあります。しかし「いの町市街」の「町」は不要でしょう。「いの市街」で良いだろうに、と思いました。個人的感覚が許されるなら「伊野市街」にしたいところです。

次に富山県南砺市を観察します。南砺市には福光・井波・福岡・城端の市街地があります。国道304号を北進し、福光駅前の交差点に近づいてきました。案内板には、直進「金沢・砺波」、右折「福光駅」、左折「福光市街」と書いてありますが、「南砺市街」とは書いていません。次に、福野を目指して県道20号を走ります。福野の町場入口に近づくと、左折「高岡・砺波」、直進「福野市街」の案内板がありました。あぁ良かった。「南砺市街」なんて書いてあったら頭にくるところだった。ついでに井波も観察しましたが、やはり「井波市街」と書いてあります。市街地名を標示するときは、市町村名にとらわれなくても良いというのが、私の考えです。

ついでに、日光市の国道119号をJR日光駅に向かって西へ走ります。すると、121号との交差点を過ぎたところに、直進「日光の社寺11km・日光市街3km」の案内板が。日光駅は10km先なのに、「日光市街3km」は変ですね。もう、おわかりの方もいるでしょうが、「日光市街」とは今市の市街を指しているのです。すると、日光駅前から神橋にかけて広がる旧日光市の市街地は日光市街地ではないことになります。私の感覚では、旧今市市の市街地は「今市市街」と書き、旧日光市の市街地を「日光市街」と書いて欲しかったと思います。
[101391] 2021年 2月 9日(火)17:47:22千本桜 さん
伊予石城駅
[101384] ekinenpyou さん
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください

旧国名の定義次第ですが、奈良時代に短期間だけ存在した石城国がOKなら、伊予石城駅も該当しますね。
[101350] 2021年 1月 26日(火)19:45:24千本桜 さん
びびらずに定説を覆す
[101339] オーナー グリグリさん
家向き俗説、拝読しました。徹底した検証が説得力があり、たいへん興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
お読みいただきまして、こちらこそありがとうございました。城下町や東海道・中山道の宿場町と違って、金ヶ瀬宿の場合は資料や痕跡があまり残っておらず、少し苦労しました。定説を覆すのですから、ぬかりがあってはならないと、20数年かけて調査しました。(笑
[101332] 2021年 1月 22日(金)22:29:30千本桜 さん
金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
金ヶ瀬(かながせ)は奥州街道に発達した宿場町で、本町と新町から成る。本町は白石の片倉家、新町は仙台の伊達家の領地である。町の長さは、およそ1,100メートル。途切れのない一連の町並みだが、町の中央を境に家向きが一変する不思議な町だ。この町には、誰もが信じて疑わない俗説がある。本町と新町は互いに反目し、背中合わせに家を建てたと言うのだ。本町は片倉様の白石城へ、新町は伊達様の仙台城へ向かって玄関・縁側を配置したと言うのだから面白い。この俗説は、大河原町史や角川日本地名大辞典にも史実として記述され、今では動かぬ定説となっている。だが、その真相はいかに!
 定説を覆すのは難しい。下手をすると変人扱いされかねない。しかし、定説といえども間違いは間違い、嘘は嘘である。金ヶ瀬宿の「家向き俗説」に関する調査レポートを作成しましたが、図版を多用しているため落書き帳に書き込めませんので、ここに貼らせて頂きます。 金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
 たとえ権威のある地誌でも、間違いはあるということです。

白桃さん、快復を祈ってますよ。
[100873] 2020年 12月 6日(日)07:52:58千本桜 さん
古川と北上
[100867] 白桃さん
神風※「そうですね。玄人好みの好取組です。地力では古川だと思うのですが、北上は付け人の江釣子の力も借りており、全く予想できません。」

付け人ですか〜 言い得て妙!
江釣子が北上に一途な付け人だとすると、古川の付け人たる三本木は時々隠れて仙台へ浮気する、そんな感じでしょうか。鹿島台などは古川と別部屋だと思っている節があるから、大崎部屋をまとめるのは大変でしょう。
古川と北上は優劣付け難い成長都市で、独自の都市圏を形成しながら市街地を拡大してきましたが、微妙な違いを感じます。古川が下位の力士と対戦して勝ち星を増やしてきたのに対し、北上は花巻や水沢といった上位力士と戦って現在の地位を勝ち取った。そこに北上のダイナミックさを感じます。いずれにしても2020年国勢調査の発表が待ち遠しいですね。
[100866] 2020年 12月 2日(水)06:42:29千本桜 さん
「平成の大合併」なかりせば。古川VS北上を希望
[100865] 白桃さん

「平成の大合併」なかりせば。
東北地方における2つの成長都市、旧古川市と旧北上市の推移を対比したいので、ご協力お願いします。
1・旧古川市VS旧北上市
2・「旧古川と旧三本木を併せた古川」VS「旧北上と旧江釣子を併せた北上」
3・現大崎市VS現北上市
以上、3種類を[100865]の書き込みと同じパターンでお願いします。
[100855] 2020年 11月 24日(火)06:22:17千本桜 さん
Re:消えゆく「商業高校」
[100854] 白桃さん
アレ、もう一つ何処だっけ???(笑)

ソレ、スーパータウン大河原のことでしょう。
県立高校が2校ある少し珍しい町ですが、令和5年度には大河原商業高校と柴田農林高校が統合するので1校になる予定です。
新高校名を募集しているとは聞いていませんが、募集するとなれば皆さん、「千本桜高等学校」で1票投じてくださいますようお願いします。
[100101] 2020年 8月 14日(金)17:04:43千本桜 さん
花巻は総合都市
[100078] 白桃さん
花巻を「温泉都市」というのもヘンですね。では、花巻を何の街と呼べば良いのでしょうか?

昭和時代に育まれたイメージですが、花巻はコンパクトな市街地(DID)に商業機能がぎゅっと詰まった濃密な商業都市のイメージがあります。中心街の上町・吹張町・鍛治町はアーケード街でデパートが2店あり、黒沢尻(現在の北上市)からも集客していました。さらに工業も盛んで交通の要衝、そして地域文化の発信基地でもありましたから、複合都市または多機能都市と呼ぶべきでしょうか。以上は私の主観ですが、客観的にはどのように評価されていたか。昭和60年発行の角川日本地名大辞典岩手県には「県央の中核総合都市」と書いてあります。なるほど「総合都市」か。大正・昭和の花巻を的確に言い表わしていると思います。

角川地名大辞典は、中・南部の内陸都市を次のように評価しています。南から順に、一関市は「県南の雄都」、水沢市は「県下第一の穀倉地帯」、北上市は「内陸部の工業都市」、花巻市は「県央の中核総合都市」です。水沢市だけ異なる目線で書かれていますが、他と合わせるなら「県南最大の商業都市」と書くのが良いのでは?

東北本線に沿って一列に並ぶ一関・水沢・北上・花巻の団子4兄弟は、私にとって昔も今もパワースポットです。この4都市を思うと力が湧いてくるのです。仙台や盛岡に呑み込まれまいとする自立心。そして一関は両磐の、水沢は胆江の、北上は和賀の、花巻は稗貫の中心都市としての強い自負心がある。地域に深く根を張った姿は地方小都市の鑑のような存在です。

性格も規模も似通った団子4兄弟。力関係が微妙に揺れながらも均衡を保ってきましたが、この均衡を破ったのが北上です。昭和の頃は一関・水沢・花巻の下位に置かれた北上が大躍進。今では中・南部の最大都市に成長し、その煽りで花巻の影が薄くなりました。昭和40年代と現在の都市の大きさを見比べてみましょう。自治体やDIDの大きさではありません。概ね市街地に相当する区域に集積した都市産業から弾き出した都市の大きさです。こういうのは細かい数値を出しても意味が無いので、大まかに出します。

昭和40年代の都市の大きさ/最大都市水沢を100とした場合、花巻95、一関90、北上60
現在の都市の大きさ/最大都市北上を100とした場合、水沢69、一関66、花巻65

一関・水沢・花巻は常に優劣つけがたい同規模都市ですが、北上が大変貌を遂げました。大正・昭和の頃は一関・水沢・花巻が親分で北上が子分。しかし今では北上が親分で一関・水沢・花巻が子分になってしまいました。都市に感情は無いけれど、そこに思いを寄せる人には感情があります。花巻に思いを寄せる人には無念の思いがあるのではないでしょうか。
[100066] 2020年 8月 6日(木)06:40:58千本桜 さん
Re:案外健闘している温泉地に関する問題
[100065] 白桃さん
D市は、案外盲点かもしれません。東海地方の市で、市域には4つの温泉街があります。その4つは、もともと別の町にありました。
確かに盲点だと思います。あの大県では最大の温泉場なのでしょうが、私の住んでる地方ではかなり知名度が低いです。ひらがなで書くと濁音が2つあるので語感がゴツいですね。
[100053] 2020年 8月 1日(土)22:10:05千本桜 さん
メッシュ統計で遊ぶ 〜金融・保険業の集積〜
地域メッシュ統計を用いて、宮城県南部の中心・拠点となる都市を探ってみました。
基礎となるデータは、平成28年経済センサスから抽出した金融業・保険業の従業者数です。金融業・保険業に的をしぼったのは、都市の中心性・拠点性は金融業・保険業の集積に端的に現れるのではないかと考えるからです。
対象地域は、仙台市以南の全市町です。自治体人口の多い順に並べると、名取市(79,141人)、岩沼市(44,378人)、柴田町(38,728人)、亘理町(32,884人)、白石市(32,863人)、角田市(28,154人)、大河原町(23,683人)、丸森町(12,481人)、山元町(11,757人)、蔵王町(11,449人)、村田町(10,601人)、川崎町(8,478人)、七ヶ宿町(1,254人)になります(令和2年7月1日推計人口)。この地域には335,851人が住んでいますが、風格のある中心都市がないのが特徴です。

集計は次の手順で行いました。
1・宮城県南部の地図に3次メッシュ(1kmメッシュ)を掛けます。
2・平成28年経済センサスを基に、個々の3次メッシュに金融業・保険業の従業者数を記入します。
3・辺が接していることを条件に、従業者数1人以上のメッシュを連結し、金融業・保険業集積地域を画定します。
4・金融業・保険業集積地域を都市とします。
5・各都市に従事する従業者数を算出します。
6・各都市に名称を付します。
6・各都市の中心地点にマークを付します。中心地点の特定は各種要素を基に判断しました。

上記集計の結果、宮城県南部で金融業・保険業の従業者数が最も多いのは大河原で、名取・岩沼・白石・角田と続くのが解りました。ただし、この大河原には柴田町船岡の市街地も含まれています。大河原市街の端と船岡市街の端は至近距離にあるため、同じメッシュに覆われます。しかし、人家の無い丘陵で隔てられた2つの市街地を1つにまとめて良いものか、引っ掛かります。そこで、参考までに大河原と船岡に分割してみました。その結果、大河原299人、船岡108人となりました。
また、辺は接していないが角だけ接したメッシュも取り込んで集計すると、船岡、名取、岩沼の数値が少し増えます。これを「緩めの集計」としてカッコ書きで記載しました。

都市名金融保険従業者数緩めの集計中心地点摘要
大河原407人(416人)ここ大河原町の中心市街地
※大河原299人(299人)ここ大河原町の中心市街地
※船岡108人(117人)ここ柴田町の中心市街地
名取400人(429人)ここ名取市の中心市街地
岩沼298人(302人)ここ岩沼市の中心市街地
白石243人(243人)ここ白石市の中心市街地
角田202人(202人)ここ角田市の中心市街地
亘理83人(83人)ここ亘理町の中心市街地
永野41人(41人)ここ蔵王町の中心市街地
村田26人(26人)ここ村田町の中心市街地
丸森23人(23人)ここ丸森町の中心市街地
川崎21人(21人)ここ川崎町の中心市街地
山下20人(20人)ここ山元町の中心市街地
槻木18人(18人)ここ柴田町の副次市街地

1kmメッシュの性格上、船岡市街を巻き込んでトップに立った大河原ですが、明治初期の警察署設置を振り返れば、これも納得できる結果なのです。明治初期、宮城県は仙台、古川、石巻、大河原に警察署を設置しました。その時の大河原署は、今回取り上げた宮城県南部の全域を管轄していました。
[100032] 2020年 7月 26日(日)20:12:24千本桜 さん
日本の大都市トップテン
[100031] mg さん
解説ありがとうございました。
中心地の推定方法には書き込みたいこともあるのですが急遽予定を変更し、mgさん作成の2015年連担DIDと私が作成した1970年連担DIDを見比べながら、45年の時の流れと都市の盛衰に思いを馳せたいと思います。題して、日本の大都市トップテン。
mgさんの(西神戸)と(川越)は外しました。なぜ外したかはお分かりですよね。お察しください(笑)。また、mgさんの「阪神」は「大阪」と表記させてください。その上で2015年と1970年を見比べると、順位の変動はあるものの、1位から10位までの顔ぶれは同じです。

都市名2015年連担DID人口1970年連担DID人口連担DID人口増加数連担DID人口増加率
東京29,185,222人15,787,678人13,397,544人84.86%
大阪10,566,568人8,904,319人1,662,249人18.67%
名古屋3,402,687人1,893,961人1,508,726人79.66%
福岡1,994,305人771,654人1,222,651人158.45%
札幌1,970,696人802,751人1,167,945人145.49%
京都1,811,936人1,194,984人616,952人51.63%
広島1,087,579人623,983人463,596人74.30%
仙台1,066,096人448,135人617,961人137.90%
北九州833,027人857,409人-24,382人-2.84%
熊本656,931人346,885人310,046人89.38%

東京の膨張が凄いですね。大阪との規模は開く一方です。広域中枢都市の福岡、札幌、仙台の増加率は驚異的ですが、広島が少し疲れたのかな? 人口減の北九州には何と声をかけたらいいのやら言葉が見つかりません。10位の熊本は地味ながら底力を発揮しています。我こそは熊本のライバルと思っているであろう那覇、静岡、新潟、鹿児島、金沢、浜松、岡山の皆さん、トップテン入を目指して頑張りましょう。
[100029] 2020年 7月 25日(土)21:54:18千本桜 さん
推定中心地の位置
[100023]ekinenpyou さん
教えて頂きまして、エクセルへの変換と左揃え・右揃えができました。ありがとうございました。エクセルは使い慣れていないので勉強のためと思い、ソートしたりセルの幅を広げてみたり、あれこれ試しているうちに、今度は文字が変な書体に変わってしまい、慌てています。元の書体に戻す方法が解らず悪戦苦闘中ですが、いろいろ操作していくうちに覚えるでしょう。
ところで、[100021]
「推定中心地」という項目がありますが、これは当該DIDを覆うメッシュの中で最も小売販売額の多い4次メッシュを指し、その4次メッシュの中央部に自動的?にポイントマークが付されているようにお見受けしましたが、このような受け止め方でよろしいですか。
と書きましたが、あれは完全に私の思い違いでした。四次メッシュのデータを持ち合わせていないので何とも言えないのですが、どうも四次メッシュの交点にポイントマークが付されているようです。白石、角田、大河原、柴田などもekinenpyouさんご指摘の成田2と同じく、交点にマークが付されているようです。やはり詳細はmgさんの解説待ちですね。mgさん、お忙しいでしょうが宜しくお願いいたします。
[100021] 2020年 7月 24日(金)21:38:34千本桜 さん
Re:連担 DID 別統計
[100013] mg さん
連担 DID 別統計を拝見させて頂きました。多くの時間を費やされたことと思います。「苦しくもあり楽しくもあり」そのような時間を過ごされたのではないでしょうか。ありがとうございました。まだ全部に目を通した訳ではありませんが、表組を見て思ったことで、一つお願いがあります。DID名や推定中心地名の文字を左寄せに、人口や中心地規模の数字を右寄せにして頂けないでしょうか。その方が見やすくなり、mg さんが苦労して作った統計表が生きてくると思います。それから、「推定中心地」という項目がありますが、これは当該DIDを覆うメッシュの中で最も小売販売額の多い4次メッシュを指し、その4次メッシュの中央部に自動的?にポイントマークが付されているようにお見受けしましたが、このような受け止め方でよろしいですか。
[100002] 2020年 7月 19日(日)22:46:53【1】千本桜 さん
グリグリさん10万番達成おめでとうございます。およびRe:都市を表す統計
[100000] グリグリさん
100000達成おめでとうございます。素晴らしいサイトを運営していただき、心より感謝申し上げます。私が初めて書き込まさせていただいてから17年が経ちますが、その間にずいぶん勉強させて頂きました。このサイトがなかったら、知らないまま一生を終えていただろうと思えることがたくさんあります。今後とも勉強させて頂きたいので、グリグリさんが健康で活躍されることを心よりお祈りしております。


[99990] mg さん
mgさんは、すでに相当な域に達しておられると感じました。私としては、ただただ賛同するのみです。今では「都市を表す統計」がいろいろ公表されて便利になりましたが、昭和30年代ごろは市町村単位の常住人口ぐらいしか目にすることができませんでした。それで、5年に一度の国勢調査が終わると、地元新聞紙に県内市町村の人口集計結果が掲載されるのですが、それが楽しみで切り抜いて保管したりしたものでした。市町村の人口増減がどのように推移するのか気になって、次回の国勢調査結果を見るまでは「死んでなるものか」と、子供心に思ったものです。
私にとって「都市を表す統計」への関心は、次のように移り変わりました。

第一段階:市町村を単位とする統計。
昔はこれしかなかったので仕方がありません。しかし、格となる集落(町場)を複数かかえる自治体や、面積の異なる自治体を一緒くたにして、その人口の多寡で「都市の大きさ」をイメージすることにフラストレーションを感じていました。

第二段階:DIDを単位とする統計。
市町村単位の統計にフラストレーションを感じていた私は、ある時、古びた町役場の片隅で「昭和35年国勢調査結果報告書DID人口集中地区人口」を見つけたのです。高校生の時でしたが、「何て素晴らしい統計なんだ!」と、衝撃が走りました。しかし、それなりに都市的であるはずの角田市にはDIDがなく、角田よりも都市的とは思えない名取市閖上地区にDIDがあることや、栗原郡北部の中心を担う栗駒町岩ヶ崎にはDIDがなく、岩ヶ崎の都市機能に依存する鴬沢町細倉地区にDIDがあることに違和感を感じました。

第三段階:DIDと事業所統計をリンクさせた統計。
あれは昭和49年のことです。仙台の官報販売所で総理府統計局発行「昭和47年事業所統計調査報告 別巻 人口集中地区 国勢統計区編」に出くわしたのです。それには個々のDIDごとに産業別の事業所数や従業者数が記載してあります。これを基にデータを加工すれば自分の知りたい「都市の大きさ」に辿り着けると感じ、昇天しそうな感激を憶えたものです。水原弘♪「君こそわが命……あなたをほんとはさがしてた〜君こそ命 君こそ命 わが命」。そんな感じで今も私の宝物です。

第四段階:メッシュ統計。
三十数年前、縁あって地形図にグリッド(メッシュ)を引く仕事をしたことがあります。メッシュ統計図の走りの頃ですが、メッシュ統計の出現は、これまた昇天ものの感激でした。「市町村」という「地理的に矛盾を孕んだ地域区分」から解き放された思いがしたのです。と言う訳で現在、私の興味の的はメッシュ統計です。

いろいろ書き込みましたが、ここで気分転換。メッシュ統計を用いて、フィクションの世界で遊びましょう。
題して、「市」に殴り込みを掛ける「町」 〜大河原町&中標津町〜

まず、平成27年国勢調査時に人口2万3千〜4千人を数えた市に登場してもらいます。人口23,035の美唄市から24,805人の上野原市までの10市です。彼らは「市」だから「町」よりも都市的でイメージが良いはずだと思っています。養父市は大河原町のことを関宮町や大屋町のような山間の田舎だと思っています。主産業は、こけし製造。町には信号機が1つだけ。話す言葉はズーズー弁。「町」と言う接尾辞にまどわされ、マイナスイメージを膨らませているようです。大河原が但馬の中心地・豊岡のような大都会であることを知る由もありません。また、江田島市は中標津町を原野の中の一軒家だと思っています。産業は牛の放牧だけ。話す言葉はロシア語。スーパーの「ゆめタウン江田島」や「ダイソー」が自慢の江田島は、中標津をコンビニもない田舎だと思っています。やはり、「町」と言う接尾辞にまどわされ、マイナスイメージを膨らませているようです。中標津が根室を凌ぐ大都会に成長したことを知る由もありません。でも、養父市や江田島市に罪はありません。国土を市部と郡部に色分けし、「市」になるとイメージがアップするなどどホラを吹き、暗に郡部にマイナスイメージを植え付けてきた国の罪です。

それでは、平成27年国勢調査時に人口2万3千〜4千人を数えた市に大河原・中標津両町を加え、人口順に縦一列に並べます。
行政人口:平成27年国勢調査、 DID人口:平成27年国勢調査、 年間小売販売額:平成26年商業統計メッシュデータ
※年間小売販売額は、販売額1億円以上の3次メッシュを小売集積メッシュと定め、辺が接していることを条件に小売集積メッシュを繋ぎ合わせて算出しました。

自治体名行政人口DID人口小売販売額
上野原市24,805人7,974人1,027,234万円
御坊市24,801人6,224人3,505,329万円
飛騨市24,695人5,400人942,757万円
村山市24,684人7,275人1,694,253万円
江津市24,468人-1,569,254万円
江田島市24,339人-533,281万円
養父市24,288人-1,255,646万円
勝山市24,125人9,936人1,414,846万円
大河原町23,798人16,263人7,098,824万円
中標津町23,774人9,663人5,564,309万円
紋別市23,109人15,822人2,440,407万円
美唄市23,035人10,663人1,659,662万円

「市じゃないのに、何で大河原町と中標津町をリストアップしたんだ」と、勝山市や紋別市がクレームをつけてきましたが、大河原町&中標津町は動じません。行政上は「町」であっても、小さな「市」よりも都市的であることを知っているからです。行政人口はほぼ同じですが、DID人口で大河原町&中標津町が頭角を現します。大河原町DIDは並みいる「市」のDIDをなぎ倒してトップに立ちます。中標津町DIDも紋別市、美唄市、勝山市を除く「市」のDIDをなぎ倒します。DIDを形成しない江津市、江田島市、養父市は、この状況に顔面蒼白。早々とリングから立ち去ってしまいました。

さらに、大河原小売集積ゾーン&中標津小売集積ゾーンの都市力は年間小売販売額で爆発します。大河原小売集積ゾーンは710億円、中標津町小売集積ゾーンは556億円。広域行政圏の中心都市を自負する御坊市、紋別市は「町」に負けてなるものかと必死に防衛するも、力およばず判定負け。他の「市」は言うまでもなくノックアウトされ、ロッカールームの端っこで泣いています。今まで「市」は「町」よりも都市的でイメージが良いと言われてきたが、それは幻だったのか。おお神よ、脆弱な「市」を救いたまえ。遠くからアリスの♪「チャンピオン」が聞こえてきます。

※大河原小売集積ゾーンは互角の力を持つ大河原町と柴田町に跨がっています。両町の市街地はメガネの形をしていて、ブリッジの部分で町並みが途切れます。なので、別々の都市に見えるのですが、メッシュ統計のように少し巨視的に捉えると1個の都市地域にまとめられてしまう。メガネの形をした大河原小売集積ゾーンをブリッジの所で分断し、ブリッジ部を柴田分に含めた上で大河原分と柴田分に分割すると、大河原分357億円、柴田分353億円で拮抗する。しかし、大河原と柴田には性格の違いがあります。柴田は食品スーパーなどの最寄品が充実し、大河原は家電などの買回品が充実している。当然、買回品の店舗が多く集まる大河原の方が広域商圏を形成することになります。
結局、DIDにしてもメッシュ統計にしても、地図や各種資料と照らし合わせながら使用することが肝要なのでしょう。

誤字を1文字訂正しました
[99991] 2020年 7月 17日(金)06:41:34千本桜 さん
都市の大きさ
[99990] mg さん
都市の規模や特定の地点の都会度を表す統計というのは何なのでしょうか?

はじめまして、千本桜です。
mgさんの目の向けどころが私と非常に似ているので嬉しくなり、思わず書き込んでしまいました。ただ、これからすぐに出かけるので、また後で書くことにします。DIDや商業統計については白桃さんも関心を持っておられるので、mgさんの仲間が増えて行くといいですね。
[99788] 2020年 5月 18日(月)20:34:18千本桜 さん
Re:名邑三世代.その22(新潟県・中編)
[99786] 白桃さん
これを見て、アソコが入ってない、どうして?と思われる方がいれば私は嬉しいのです。

荒い海を六日も漕いで
[99403] 2020年 4月 29日(水)07:55:00千本桜 さん
一目千本桜
年ごとに知名度が高まっている白石川堤一目千本桜ですが、今年はコロナウイルス蔓延防止のため、大河原・柴田両町は桜まつりを中止し、駐車場を閉鎖しました。4月8日頃に満開となりましたが、今はもう葉桜です。本来なら心浮き立つ春ですが、今年は重苦しい気持ちです。ゴールデンウィークですが外出を控えられ、ネットでお花見を楽しみましょう。風雪に耐え抜いた老木たちが、残雪の蔵王を背景に、圧倒的なボリューム感をもって咲き誇る一目千本桜の写真を大量にアップしました。今年撮影したものです。一目千本桜写真集2020
[99277] 2020年 3月 20日(金)08:14:32千本桜 さん
なぞなぞにはなぞなぞで
[99276] 白桃さん

どこの町長さんでっしゃろ?

かわいそうに、その町の町長は4度も叩かれているらしい。
[99184] 2020年 2月 17日(月)06:41:52千本桜 さん
ベッドタウンならぬペットタウン
私がまだシワもなく、髪の毛もフサフサ(実際はバリカンの坊主頭)していた小学生のころ、ベッドタウンや衛星都市と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは春日井市でした。ところで、沖縄県の北谷町。あれはベッドタウンなのでしょうか。行ったこともなく、知り合いもいない町ですが、イメージとしては新型のベッドタウンで、言うなれば「ペットタウン」のような気がしてなりません。bedベッドじゃなくてpetペットです。なぜペットタウンと感じるのか、書けば長くなるので止めておきますが、従来型のベッドタウンでは括りきれないような、そんなイメージでとらえています。
[99181] 2020年 2月 16日(日)21:49:50千本桜 さん
Re:広域都市圏主都市への通勤通学者数最多自治体と通勤通学度最大自治体
[99180] 白桃さん
よく考えれば意外なことではないのだけれど、一瞬意外に感じたのは、大阪市への通勤通学度最大自治体が王寺町だったことです。都市としては不名誉かも。王寺町のことは詳しく知りませんが、市に至らない町なのに、駅周辺の景観はかなり都市的で、その点ではスーパータウンの仲間だと思います。しかし、なぜか商業販売額や製造品出荷額が少ないですね。白桃さんは王寺町の中心性や拠点性をどのように評価なさいますか。
[99087] 2020年 1月 17日(金)21:40:06千本桜 さん
Re:大ムコウ(合併ウォッチャー)を唸らせる市は?
[99084] 白桃さん
宮崎県の、あの市と見間違えそうな……
町村制施行時に町になったということは、郡の中心町だったのでしょうが、そういうイメージが湧かないのは、大都市に近すぎるせいでしょうか。拠点性を感じませんね。その町を歩いたことはないけど。
[98772] 2019年 12月 29日(日)07:26:20千本桜 さん
大河原市
[98771] 白桃さん
宮城県推計人口(令和元年12月1日現在)についてでは、11月中に一番増加したのは【大河原市】になっています。訂正されないうちに、写真にでもとっておきますか…。

県内1位の人口増加はスーパータウン。これは昨夜、宮城県推計人口をチェックしていて気がつきました。しかも、ミス入力とは言え「大河原市」に昇格させていただいて非常に嬉しい! さらに、令和2年1月号「広報おおがわら」に掲載された町長の新年あいさつは「小さな町でも大きな役割を果たすスーパータウンとして、今後とも期待に応えてまいる所存です」というもので、これまた非常にに嬉しい! 「小さな町でも大きな役割を果たすスーパータウン」って、どこかで聞いたことがあるような文句だけど、千本桜の想いを町長が代弁してくれているんだね。たぶん当初は胡散臭いと思われていたであろう「スーパータウン」ですが、徐々に世間に認められつつあるようです。事実、市が2つあるのに、行政の中心も大河原町、商業の中心も大河原町、最高路線価も大河原町。このような地域に住んでいると、自治体を市と町に区別することが意味をなさなくなってしまうのです。
 
[98567] 2019年 11月 10日(日)09:57:56千本桜 さん
クイズここはどこでしょうの解答
[98555] 白桃さん
[98559] 伊豆之国さん
[98560] 稚拙さん
[98561] 駿河の民さん
クイズにおつきあいいただきましてありがとうございました。

[98554] クイズここはどこでしょうの解答です。
A焼津、B駿河湾、C静岡市、D富士山、E伊豆半島、F牧ノ原台地、G藤枝市、H焼津小泉八雲記念館

先月末、港町A市を急ぎ足で見てきました。ここはどこでしょう、A~Hに該当する名称を答えてください。

ここは港町A焼津市の町外れ。親不知を思わせる断崖の上に建つホテルのラウンジ。窓の外には雄大なB駿河湾が広がる。左端に県都C静岡市の市街地が少しだけ顔を出し、背後には10月末なのに既に冠雪したD富士山が浮かんでいる。右手に向かって長く横たわるのは、歌謡曲や映画の舞台となったE伊豆半島だ。

このホテルの従業員は良く教育されていて感じがいい。女性従業員(ベテラン風のお姐さん)にホテルの規模や施設を質問したところ、作業の手を休めて熱心に応えてくれた。このようなことを質問する客は滅多にいないはずなのに、「待ってました」とばかりに自信溢れる接客だった。ベテラン風のお姐さん、「ついてらっしゃい!」と言って説明しながら歩き出す。「はい、はい」とついて行く私。ロビー、ラウンジ、ビュッフェ、その他のパブリック施設を案内され、ホテル西側のテラスに立ち寄った。

西側のテラスからはA焼津市の市街地が見渡せる。見かけの街の大きさは、木更津より小さく館山より大きく感じた。「背後に見えるあの丘陵はお茶の栽培で有名なF牧ノ原台地ですよ」と解説してくれるお姐さん、まるで地理のティーチャーみたい。この日は訳あって、高層階の広々とした特別な部屋へ宿泊。オーシャンビュー、テレビが2台、明らかにゴージャスでワンクラス上のおもてなしである。夕食は和食会席特選料理。お造りは、本まぐろ、鉢まぐろ、真鯛に鰹叩き。港町ならではの活きのよさで美味しかった。

翌日、A焼津駅の南口まで送ってもらい、ここで同行者とさよなら。ここから先は、ひとり旅の町歩き。駅前通りのアーケード商店街を見て「嘘だろ…」と拍子抜けする。A焼津市の中心商店街なのに人の姿がない。そのうち現れるだろうと観察していたが3、4人現れてすぐ消えた。あゝ このけだるさは何だ。駅前の観光案内所に駆け込む。「A焼津市の町歩きをしたいので教えてください。見たいのはこの町を代表する商店街とこの町のヘソです」と告げると、案内所の職員さん、私の希望を的確に察知したようで、地図に記しをしてくれたくれた。

観光案内所で自転車を借り、もらった地図を頼りに駅前通り商店街を港方向へ走る。やっぱり人がいない。次に南へ折れて、昔の中心商店街だった昭和通りへ進入。アーケードを取り払い、道路をカラー舗装して景観整備をしているが、やっぱり人がいない。買い物客は県都C静岡市へ流出しているのか、それとも至近距離で隣接する同規模都市のG藤枝市に喰われているのか、気になるところである。未確認だが、A焼津市とG藤枝市を結ぶ県道沿いに張り付いた郊外型店舗へ流れている可能性が高いと感じるのだが、どうだろう。

商店街めぐりのあとは、案内所で教えてもらったH小泉八雲記念館へ。明治の文学者H小泉八雲の名を冠した記念館である。入館料は無料。記帳して拝観する。H小泉八雲が書いた怖い怪談は子供のころに知ったが、その人となりを知ったのは今回が初めてである。A焼津市とH小泉八雲の関わりも初めて知った。ヨーロッパで生まれて日本で死ぬ。H小泉八雲の波瀾万丈を知るにつれ、気持ちが重く沈んできた。あの時代に、いくつもの国を放浪した人生。理解するのは難しい。気がつけば午後2時を回っている。遅い昼食の海鮮丼を喰ってA焼津市をあとにした。
[98558] 2019年 11月 6日(水)19:59:04千本桜 さん
クイズここはどこでしょうのヒント
[98554] 千本桜
クイズここはどこでしょうのヒントです。
A市は、太平洋に面していて日本有数の漁港を抱えています。
A市は、県都C市に隣接していますが地形的に丘陵で分断されています。
F台地には、空港があります。
H記念館は、中国地方のとある県の県庁所在市にもあります。
[98554] 2019年 11月 6日(水)02:03:48千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
先月末、港町A市を急ぎ足で見てきました。ここはどこでしょう、A~Hに該当する名称を答えてください。

ここは港町A市の町外れ。親不知を思わせる断崖の上に建つホテルのラウンジ。窓の外には雄大なB湾が広がる。左端に県都C市の市街地が少しだけ顔を出し、背後には10月末なのに既に冠雪したD山が浮かんでいる。右手に向かって長く横たわるのは、歌謡曲や映画の舞台となったE半島だ。

このホテルの従業員は良く教育されていて感じがいい。女性従業員(ベテラン風のお姐さん)にホテルの規模や施設を質問したところ、作業の手を休めて熱心に応えてくれた。このようなことを質問する客は滅多にいないはずなのに、「待ってました」とばかりに自信溢れる接客だった。ベテラン風のお姐さん、「ついてらっしゃい!」と言って説明しながら歩き出す。「はい、はい」とついて行く私。ロビー、ラウンジ、ビュッフェ、その他のパブリック施設を案内され、ホテル西側のテラスに立ち寄った。

西側のテラスからはA市の市街地が見渡せる。見かけの街の大きさは、木更津より小さく館山より大きく感じた。「背後に見えるあの丘陵は◯◯の栽培で有名なF台地ですよ」と解説してくれるお姐さん、まるで地理のティーチャーみたい。この日は訳あって、高層階の広々とした特別な部屋へ宿泊。オーシャンビュー、テレビが2台、明らかにゴージャスでワンクラス上のおもてなしである。夕食は和食会席特選料理。お造りは、本まぐろ、鉢まぐろ、真鯛に鰹叩き。港町ならではの活きのよさで美味しかった。

翌日、A駅の南口まで送ってもらい、ここで同行者とさよなら。ここから先は、ひとり旅の町歩き。駅前通りのアーケード商店街を見て「嘘だろ…」と拍子抜けする。A市の中心商店街なのに人の姿がない。そのうち現れるだろうと観察していたが3、4人現れてすぐ消えた。あゝ このけだるさは何だ。駅前の観光案内所に駆け込む。「A市の町歩きをしたいので教えてください。見たいのはこの町を代表する商店街とこの町のヘソです」と告げると、案内所の職員さん、私の希望を的確に察知したようで、地図に記しをしてくれたくれた。

観光案内所で自転車を借り、もらった地図を頼りに駅前通り商店街を港方向へ走る。やっぱり人がいない。次に南へ折れて、昔の中心商店街だった昭和通りへ進入。アーケードを取り払い、道路をカラー舗装して景観整備をしているが、やっぱり人がいない。買い物客は県都C市へ流出しているのか、それとも至近距離で隣接する同規模都市のG市に喰われているのか、気になるところである。未確認だが、A市とG市を結ぶ県道沿いに張り付いた郊外型店舗へ流れている可能性が高いと感じるのだが、どうだろう。

商店街めぐりのあとは、案内所で教えてもらったH記念館へ。明治の文学者Hの名を冠した記念館である。入館料は無料。記帳して拝観する。Hが書いた怖い怪談は子供のころに知ったが、その人となりを知ったのは今回が初めてである。A市とHの関わりも初めて知った。ヨーロッパで生まれて日本で死ぬ。Hの波瀾万丈を知るにつれ、気持ちが重く沈んできた。あの時代に、いくつもの国を放浪した人生。理解するのは難しい。気がつけば午後2時を回っている。遅い昼食の海鮮丼を喰ってA市をあとにした。
[98514] 2019年 9月 25日(水)11:44:34【1】千本桜 さん
Re:佐渡の中心はどこ?
[98513] シノレパシクソさん
今年の11月2日に「佐渡警察署」が真野に新設されるとのこと
情報ありがとうございます。佐渡旅行は旧両津市からタクシーで旧新穂村、旧畑野町、旧真野町を経由して旧小木町へ向かいました。途中、畑野を過ぎた当たりで田圃の中に新しい建物が見え、「警察署」の文字がちらっと読めたような気がしたのですが、こんな所に警察署があるはずもなく、今のは「まぼろし?」と思っているうち、一瞬にして通り過ぎてしまったのです。あれは、やはり新警察署だったのですね。新佐渡警察署の場所はここですが、「なぜ、こんな所に警察署が?」と思うような場所です。土地が簡単に入手できたこともあるのでしょうが、旧市町村間の綱引きがあったのかもしれません。できれば、市役所や消防本部とアクセスしやすい場所に建てて欲しかったと、よそ者ですが思います。

佐渡の中心はどこ?
佐渡市の人口重心は旧金井町の領域にありますが、旧佐和田町、旧真野町、旧畑野町、旧新穂村の境界付近の水田地帯の中です。人口が増加していた時代なら、そのあたりに新市街地を造成できたのでしょうが、人口減少の激しい佐渡市で、それは無理でしょう。やはり、佐渡市の機能的な中心は佐和田・金井ラインかなと思います。

現在は島全体が佐渡市になりましたが、ここに至るまでには、合併したら自町に市役所を設置するよう佐和田町が求め、合併が流れた経緯があるそうな…。そりゃ、そうですよね。佐和田に市役所を置かれたら、両津が黙っていないでしょう。合併しても、旧市町村間の住民感情は消えるはずもなく、難しい問題ですね。
[98512] 2019年 9月 23日(月)20:25:26【1】千本桜 さん
クイズにご回答いただきありがとうございます
[98500] シノレパシクソ さん
遠回りしつつも半日かけて解けました
青春時代の貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。
A市17,394某漫画の主人公
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の「両津勘吉」ですね。
B町3,858矢作
おぎやはぎですか~。思わず目尻が下がり、口元が緩んでしまいました。ご名答です。
C町7,278北陸の県庁所在地を合わせた感じ
これはちょっと残念。これだと、連想するのは♪「他人の関係」の金井克子さんになります。
D町10,343九州・近畿・東北の県名で書ける
長野県の市名(佐久)、町名(長和)、村名(宮田)から1字ずつ貰って書くこともできます。
E町9,669五十音順では相当早い
現在、あいうえお順で一番早い市は相生市、遅い市は蕨市、一番早い町村は愛川町、遅い町村は輪之内町でしょうか。

[98502] 伊豆之国 さん
A市…この市名と同じ苗字の漫画の主人公が居るのは、その昔「下総国葛飾郡亀無村」と呼ばれていたところ。
亀無村では縁起が良くないから亀有村に変更したそうですが、地名って結構いいかげん。
C町…この町には江戸時代に建立された、重要文化財の五重塔があります。
妙宣寺の五重塔ですね。ほかにも真野御陵など史跡が多い町ですが、今回は町の中央付近にある尾畑酒造だけ見学。
E町…天気予報でこの地方の代表地点は、現在もA市ではなくてこのE町。
そういうこともあり、相川の知名度は高いですね。佐渡で最初に憶えたのが両津市、二番目が相川町でした。佐和田町はその後。

[98504] とりぴー さん
C町:西の国にいる某アスリートの方が、こんな名前の方と入籍されていたかと
柴崎岳選手と入籍した真野恵里菜さんですね。どうして、あんな可愛い恵里菜ちゃんが、なぜなんだ!
D町:濁らないんですね
そうなんです。ところが、現地の人が「だ」と濁るので、私も旅行中は「さわだ」で通しました。
E町:同じ読みの町が関東の県に現存していますよね
そこは、キンキンの愛川欽也さんを思い起こさせる町ですね。ケロンパ元気でいるのかな。

[98505] デスクトップ鉄 さん
「この町(E町)は、地域の玄関口A市と商業の中心地D町を抑えて、広域行政の中心地となっているのだ」
が気になっています。江戸時代はともかく、現在も広域行政の中心地なのでしょうか。
管轄エリアとその拠点について考えるのは面白い。宮城県仙南地域は大河原町への一極集中型ですが、新潟県佐渡地域は相川、佐和田、両津さらには金井も参入して多極分散型です。その中から1つ選ぶとすると、法務局と税務署および県の地域振興局が置かれた相川が、かろうじて広域行政のセンターを保守しているように思えるのですが、不安定な立場にあるのは確かです。公共施設は、管内各地から平等にアクセスできることが重要ですから、西に偏りすぎた相川は広域行政センターとしては不適切であるのも確かです。たぶん、佐渡の役所は次第に金井・佐和田エリアに集約され、相川から消えて行くのでしょう。文章の問題ですが、現在の相川を「広域行政の中心地」と表現したのは、ちょっと不適切だったようです。例えば「相川は現在も広域行政センターの一翼を担っている」と表現した方が適切だったようですね。訂正します。下に、主な広域公共機関とその所在地を書き出します。
国:新潟地方検察庁 佐渡支部 佐和田
国:新潟地方法務局 佐渡支局 相川
国:関東信越国税局 佐渡税務署 相川
国:新潟労働局 公共職業安定所 両津
国:新潟労働局 佐渡労働基準監督署 両津
国:自衛隊新潟地方協力本部 佐渡駐在員事務所 金井
国:地裁佐渡支部 家裁佐渡支部 佐渡簡易裁判所 佐和田
県:佐渡西警察署 相川
県:佐渡東警察署 両津
県:佐渡地域振興局 相川
県:佐渡地域振興局 企画振興部 相川
県:佐渡地域振興局 県税部 相川
県:佐渡地域振興局 健康福祉環境部 相川
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 農政庁舎 金井
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 農地庁舎 新穂
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 水産庁舎 両津
県:佐渡地域振興局 地域整備部 相川
県:佐渡地域振興局 地域整備部 港湾空港庁舎 両津
市:佐渡市役所 金井
市:佐渡市消防本部 中央消防署 佐和田
市:佐渡市消防本部 両津消防署 両津
市:佐渡市消防本部 相川消防署 相川
市:佐渡市消防本部 南佐渡消防署 羽茂

[98508] 白桃 さん
千本桜さんの「とある地域」の衰退ぶりは、他地域と比較すると良く分かります。
人口推移を表組にしていただき、ありがとうございます。表組にすると、確かに分かりやすいですね。今回の佐渡旅行で知ったのは、両津も相川も人口激減で空き家が多いはずなのに、建物を壊さないことです。更地にすると税金が上がるため壊さないのだとか。大河原では建物を壊して駐車場にしたり更地にするので、中心街が歯抜け状態でみっともない町並みになっています。古い建物を壊すのが良いか悪いか分かりませんが、旅行者の勝手な目からすると、歯抜け状態の町並みより、古くなった建物でもいいから軒が連なっている町並みの方が良い。両津や相川の建物密度の濃い昭和レトロ満載の町並みは良かったですよ。それから、おせっかいかもしれませんが、機会があったら宿根来へどうぞ。観光客のいない時期、時間を狙って行けば非日常の世界へ入り込めます。

[98509] YASU さん
この地域、私の好物が存在せず(某有名観光地内にはその構造物が存在しているかも?)
YASUさんの好物は鉄?だったでしょうか。佐渡金山に向かう途中の道路の右側にトロッコ?の走った跡があり、トンネルなどもありました。
A市:私が小学生の頃愛読してましたが、最近まで連載が続いてました
私が小学生の頃愛読したのは「赤胴鈴之助」とか「鉄人28号」だったような…
B町:ひらがなで書くと中央線の駅名の一部
窪んでいる所ですね。
C町:東京の某市と元姉妹都市
真野町に国分寺跡があるから、国分寺市と姉妹都市でしょう。
D町:正式名は濁らないようですが…
ところが、タクシー運転手は「さわだ」と濁っていました。たぶん、地元では「た」と「だ」を気にしていない? 小生、ほんの少し佐和田には自信があったのです。佐和田の市街地は昔の河原田町であることを知っていました。そこで、タクシー運転手に河原田の現状を聞こうと思い「かわらだは…」と投げかけました。すると「かわはらだは…」と返って来ました。何十年もの間「かわらだ」だと思っていたものが「かわはらだ」だったと知り、自信はもろくも崩れたのであります。地名の読みって難しい。
E町:七瀬
相川七瀬さんですね。「七」」といえば、相川町には七浦海岸という風景の良い海岸線があります。そのなかの春日崎という所に、宿泊したホテル大佐渡があります。
[98511] 2019年 9月 23日(月)19:31:21千本桜 さん
クイズ「ここはどこでしょう」の解答
[98498] 千本桜
クイズここはどこでしょうの解答です。
A市=両津市、B町=小木町、C町=真野町、D町=佐和田町、E町=相川町でした。

両津市は佐渡の玄関口にして唯一の市である。平成27年の人口はおよそ1万3千人。昭和35年の約2万9千に比べて半分以下に減少しているのだ。かつてはDIDを形成していたが今は消滅している。人口の推移からするとボロボロの衰退都市だが、そこは「腐っても鯛」。中心街の景観に限れば、スーパータウン大河原より都会的に見える。長さ600mに及ぶアーケード商店街があり、その西側に並行する街路は飲食店街になっている。だが、両津市には大河原町にあるようなロードサイド店が建ち並ぶエリアはなく、新たな宅地開発もされていないようである。郊外に向かって拡大して行く活力が感じられないのだ。

両津市をあとにして佐渡の最南端、小木町へ。航路で新潟港と結ばれた両津港が表玄関なら、直江津港と結ばれた小木港は裏玄関かな。小木の町場から2kmほど南の風光明媚な矢島経島でグラグラ揺れるタライ舟に乗ったり、迷路のような路地に高密度で家屋が軒を寄せ合う宿根来の集落を見て回ったりした。宿根来のミステリアスで圧迫感のある景観はたまらなく魅力的。もっとじっくり時間をかけて見学したかった。だが、私はこの集落には住めないだろう。見た目の印象だが、古い因習の縛りが強そうで、苦しくなるような気がする。

小木町の次は真野湾に面した真野町へ。日本酒「真野鶴」の尾畑酒造を見学。ある年齢層のオジさんたちには、真野響子さんや真野あずささんを連想させる町だが、彼女たちと真野町は関係がなさそうである。また、真野御陵の名で知られる順徳天皇火葬塚など史跡の多い町でもあるが、御陵は四十数年前に見ているので今回はパス。

次は佐和田町である。佐和田町は古くから佐渡の商業中心地だったが、近年ますますその様相を深めている。ヤマダ電機、ケーズデンキ、モスバーガー、ミスド、紳士服の青山など一通り揃っている。日曜日には佐渡の各地から買い物客がやってくる。両津市民も買物のために佐和田町にやってくる。市から町へ買い物客が流れる現象は、宮城県の仙南地域と似ている。市と町の役割が逆転しているのだ。市制町村制など糞食らえである。

佐和田町から相川町に到着。海沿いのホテルにチェックイン。ホテルの名はホテル大佐渡。一応、佐渡ではラグジュアリーなハイクラスホテルである。窓辺にもたれて沈む夕日を眺めたあとはディナー。見つめ合う二人の瞳…といきたいのだが、窓ガラスに映っているのは自分の顔。少しもロマンチックじゃない。相川町は佐渡金山で知られた観光の町であるが、寂れ方が尋常じゃない。昭和35年の人口は1万9千人。それが今ではたった6千人ぐらい。それなのに、佐渡の玄関口「両津市」と商業の中心地「佐和田町」を抑えて、佐渡広域行政のセンターとなっているのだ。

翌朝5時半、まだ薄暗さが残るなか、レンタサイクルで朝食前の観光に出発。右は山、左は海で、わずかな平地に古ぼけた町並みが細長く伸びている。だが、埋め立て地に造成されたとおぼしき市街地を見て驚いた。税務署や法務局が入居する国の合同庁舎、県の地域振興局、警察署などのビルが建ち並んでいるではないか。限られた範囲の一角ではあるが、この景観はまさにシティである。人口6千人ほどの小さな町で、しかも地域の中央ではなく西に偏りすぎた辺境の町に、国の税務署や県の振興局が置かれているのは不思議である。でも、歴史を知れば納得できる。金山で栄えた相川町はかつて、人口5万とも10万とも云われた華やかな時代があったのだ。
[98498] 2019年 9月 20日(金)06:28:35千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
急ぎ足で「とある地域」へ1泊2日の旅をしてきました。この地域は、平成の大合併で全市町村が合併し、現在は◯◯市になっています。そこでクイズです。下記の文に登場するA~Eを、合併前の旧市町名でお答えください。

A市はこの地域の玄関口にして唯一の市である。人口は知っているが哀しすぎて書けない。昭和35年に比べて半分以下に減少しているのだ。かつてはDIDを形成していたが今は消滅している。人口の推移からするとボロボロの衰退都市だが、そこは「腐っても鯛」。商店街にはアーケードがあり、西側に並行する街路には飲食店が張り付いている。中心街の景観に限れば、スーパータウン大河原より都会的に見える。だが、この市には、大河原にあるようなロードサイド店の建ち並ぶショッピングゾーンがないに等しい。郊外に向かって拡大して行く活力が感じられないのだ。

A市をあとに、この地域最南端のB町へ。A市が表玄関なら、B町は裏玄関かな。グラグラ揺れる舟に乗ったり、迷路のような路地に高密度で家屋が軒を寄せ合う不思議な集落を見て回ったりした。この集落のミステリアスで圧迫感のある景観はたまらなく魅力的。だが、私はこの集落には住めないだろう。見た目の印象だが、古い因習に縛られて苦しくなるような気がする。

B町の次はC町で酒蔵見学。ある年齢層のオジさんたちには「響子さん」や「あずささん」を連想させる町だが、昔の天皇の火葬塚があるので有名。火葬塚は四十数年前に見ているので今回はパス。

次はD町である。D町は古くからこの地域の商業中心地だったが、近年ますますその様相を深めている。ヤマダ電機、ケーズデンキ、モスバーガー、ミスド、紳士服の青山など一通り揃っている。日曜日には地域の各地から買い物客がやってくる。A市の市民も、このD町で買物をする。市から町へ買い物客が流れる現象は、宮城県の仙南地域と似ている。市と町の役割が逆転しているのだ。市制町村制など糞食らえである。

D町からE町へ向い、海沿いのホテルにチェックイン。一応、この地域ではラグジュアリーなハイクラスホテルである。窓辺にもたれて沈む夕日を眺めたあとはディナー。見つめ合う二人の瞳…といきたいのだが、窓ガラスに映っているのは自分の顔。少しもロマンチックじゃない。このE町は観光の町であるが、寂れ方が尋常じゃない。昭和35年の人口は1万9千人。それが今ではたった6千人ぐらい。でも、この町は、地域の玄関口A市と商業の中心地D町を抑えて、広域行政の中心地となっているのだ。

翌朝5時半、まだ薄暗さが残るなか、レンタサイクルで朝食前の観光に出発。右は山、左は海で、わずかな平地に古ぼけた町並みが細長く伸びている。だが、埋め立て地に造成されたとおぼしき市街地を見て驚いた。税務署や法務局が入居する国の合同庁舎、県の地域振興局、警察署などのビルが建ち並んでいるではないか。限られた範囲の一角ではあるが、この景観はまさにシティである。人口6千人ほどの小さな町で、しかも地域の中央ではなく西に偏りすぎた辺境の町に、国の税務署や県の振興局が置かれているのは不思議である。でも、歴史を知れば納得できる。このE町はかって、人口5万とも10万とも云われた華やかな時代があったのだ。
[97672] 2019年 5月 2日(木)14:11:27千本桜 さん
紫郡丘陵&小郡三国丘
[97667] 白桃さん

蛇足:♪教~えて欲しいの涙のワケを、は、由紀さんではなく、黛ジュンの「夕月」(1968年)の出だしです。
なぜ黛ジュンの曲がレコード大賞になったのか、それこそ、♪教~えて欲しいの、受賞のワケを~ 
想像力を働かせて勝手に推測するお遊びです。フィクションなので軽く流してください。1967年、黛ジュンは♪「恋のハレルヤ」のヒットでアイドル歌手に躍り出た。波に乗るジュンちゃん、勢い余って女王・美空ひばりに戦いを挑んだのだ。女王が発売するはずの♪「真赤な太陽」を、ジュンちゃんも発売すべくレコードプレスまでやってしまった。これが女王の逆鱗に触れ、ジュンちゃんの♪「真赤な太陽」は発売できずに、もみ消された。当時31歳の女王がミニスカートで歌うより、20歳のジュンちゃんがミニスカートで歌う♪「真赤な太陽」を聞きたいという声も多かったが、お蔵入りとなった。楽屋の片隅で一人泣くジュンちゃん。付けまつげは剥がれ落ち、アイシャドウで黒くなった涙が頬を伝う。まるでホラー顔のジュンちゃん。だが、波に乗った勢いは、どうにも止まらない。リンダにだって止められない。翌年、♪「天使の誘惑」と♪「夕月」が立て続けに大ヒット。ポップスなのに、演歌みたいにコロコロとコブシが入る不思議なビブラートで審査員を麻痺させ、レコード大賞を勝ち取ったのだ。しかし、それでもなお♪「真赤な太陽」がもみ消された悔しさは消えない。そして翌年、止めときゃいいのに女王を挑発するかのように♪「不思議な太陽」を発売。なんですか、このイントロ。♪「真赤な太陽」を彷彿させるじゃありませんか。そうだ、ジュンちゃんは♪「ハチのムサシ」になったのだ。ハチのムサシは向こう見ず、真赤に燃えてるお日様に試合をいどんで負けたのさ。その年、♪「雲にのりたい」を歌いながら空の彼方へ吸い込まれ、黛ジュンは私の視界から消えていったのです。

適当に名付けた【紫郡丘陵】は、こちらになります。
地図を拡大すればお判りいただけると思いますが、1.のエリアです。もっとも、国土地理院のDIDを表す地図は、必ずしも正確ではないことから断定するワケにはいきませんが、少なくとも小郡市の(三国が丘)は入りません。当該地域(三国が丘)に対しては、【小郡三国丘】というDID名を付けております。
私だったら「紫郡丘陵」は「筑紫・三国西部」、【小郡三国丘】は「三国」と命名します。
[97649] 2019年 4月 23日(火)19:19:10千本桜 さん
一目千本桜
[97623] 白桃さん
今年の白石川堤一目千本桜の観桜は、花見酒プラス雪見酒になってしまい、大反省の白桃です。
今年の一目千本桜は桜隠しの雪で固まってしまったのか、散りそうで散らずに満開のまましぶとく咲き続けていました。そんなこともあって、今年のお花見屋形船の乗船客は3,711人で過去最高でした。それにしても、1日違いでグリグリさんも一目千本桜見物に御出でになっていたとは奇遇です。

[97629] オーナー グリグリさん
船岡城址公園からの眺望、白石川堤防沿いの重厚な桜並木、ちょうど満開で天気も良く、素晴らしいの一言です。柴田町の千桜橋周辺は良く整備されていて気持ちが良かったです。また、大河原町の韮神堰から眺める雪化粧の蔵王連峰は、川面の逆さ蔵王と千本桜が絶妙でした。
おほめいただき嬉しいです、ありがとうございます。それまで、東北本線の線路で分断されて往来できなかった船岡城址公園と白石川堤一目千本桜が2015年、千桜橋の完成で直結し、往来できるようになりました。起伏に富んで眺望の良い船岡城址公園の桜と、平坦な土手の道に連なる重厚でダイナミックな一目千本桜を回遊できるようになり、心底喜んでいます。ただ、満開時とタイミングが合わず、葉桜になった雨の日に観光バスから降りてくる花見客を見かけると、心苦しくなってしまいます。できるなら、全国のみなさんに晴れた日の満開の桜を見て頂きたい。そんな思いを込めて一目千本桜写真集をアップしました。蔵王おろしの風雪に耐えた老木、大木たちの荘厳で量感あふれる一目千本桜をご覧ください。
[97612] 2019年 4月 4日(木)20:43:57千本桜 さん
隠れ都会
[97595] 白桃さん
「都会」の四条件をクリアしている東北の「隠れ都会」とは?

北上市でしょう。花巻、水沢より一回り小さかった黒沢尻が、昭和の合併で黒沢尻市を名乗らず、北上市を名乗って大成功。ネーミングの成功例かと思います。
[97565] 2019年 3月 7日(木)17:38:11千本桜 さん
都市の大きさ
[97561] 白桃さん
全日本DIDランキング(フライ級)を拝見しました。市制施行に至らない大河原が、あの格式高い新宮や、高い知名度を持つ留萌、根室といった都市と肩を並べている。一見、嘘のようだが嘘じゃない。DID人口だけでは真の都市の大きさが見えてこないので、「小売業集積地区小売販売額」のランキングを作って都市の大きさを比較することにします。対象となるのは、白桃さんがフライ級に掲示した大竹から札内までの11都市に中標津、船岡を加えた13都市です。

まず、都市地域の定義ですが、年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士が互いに連接し(角が接していれば連接とみなす)、その連担メッシュの合計年間小売販売額が200億円を超える地域を指して都市地域とします。この条件に従うと、大竹は岩国と、大井松田は小田原と、札内は帯広と連結しているので独立した都市地域とは認められず、嘉手納(読谷を含む)は年間小売販売額が200億円未満なので、都市地域の条件を満たしていません。その結果、人口集中地区を形成し、商業機能が集積し、独立性を保ちながら地域の中心都市となっているであろう9都市(北海道の留萌、名寄、紋別、中標津、根室、宮城県の大河原、船岡、新潟県の加茂、和歌山県の新宮)が生き残りました。

上記の9都市に関してA、B、2つのデータを準備しました。
Aは「昭和45年国勢調査報告 別巻わが国の人口集中地区」と「昭和47年事業所統計調査報告 別巻人口集中地区国勢統計区編」を基礎資料にして、人口集中地区内に所在する事業所の中から金融保険業と卸売小売業を抽出し、その従業者数を人口に換算した数値です。 今から50年ほど前のデータですが、結構いい線で当時の都市の大きさを表わしていると思います。
Bは「平成26年商業統計メッシュデータ」を基礎資料にして、年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士が互いに連接し(角が接していれば連接とみなす)、その連担メッシュの合計年間小売販売額を人口に換算した数値です。ですから、例えば大河原船岡71,442人とあるのは、そこに71,442人が住んでいるのではなく、71,442人分の都市の働きをしているということです。


順位都市名A・昭和40年代   順位都市名B・平成26年
1位新宮50,504人1位大河原船岡71,442人
2位留萌38,032人(大河原)35,920人
3位根室32,800人(船岡)35,522人
4位名寄32,664人2位中標津55,999人
5位紋別25,270人3位新宮34,673人
6位加茂24,688人4位根室31,309人
7位大河原13,424人5位名寄27,842人
8位中標津13,376人6位留萌25,577人
9位船岡7,592人7位紋別25,198人
8位加茂20,339人

「A・昭和40年代」のランキングは、中高齢者の方々の頭の中に染み付いている「都市の大きさ」の序列そのものではないでしょうか。当時の新宮は大きな都市で、市制施行に至らない大河原、中標津、船岡(柴田町)から見れば、全く異なる階層の都市だったはずです。それが「B・平成26年」のランキングでは、大河原、中標津、船岡(柴田町)の下位になり、都市の盛衰の激しさが感じられます。「B・平成26年」の1位は大河原船岡で、3次メッシュでは大河原町と柴田町の商業ゾーンが連接していますから、1つの都市として扱います。でも、これを分離してみると大河原町の分が35,920人、柴田町(船岡)の分が35,522人となり、全く互角の2町が連担都市地域を形成しているのが見えてきます。大河原船岡と中標津の共通点は、行政上は町なのに、近隣の市を凌ぐ活況を呈して市町逆転現象を引き起こしていることです。昭和30年代の頃、根室に強力なライバル出現と騒がれた中標津は、今では根室を凌ぐ商業都市に発展し、大河原船岡は白石市、角田市から買い物客を集める商業都市に成長しています。それにしても、新宮、留萌、根室の衰退はどうしたことでしょう。特に新宮の凋落ぶりは数字を見ていて辛いものがあります。
[97530] 2019年 2月 12日(火)01:38:06千本桜 さん
愛子さん
[97522] スカンデルベクの鷲さん
仙台市青葉区2DIDは折立・西花苑といった旧仙台市地域まで連続している
仙台に居住している身としては、誰も仙台市青葉区2DID地域を"宮城町"と呼ばないことが違和感の原因になっていると思います。個人的には"愛子"という地名がちょうど仙台市青葉区2DIDを表すにはしっくりきます。
[97523] 白桃さん
当該DIDは、2010年に「宮城落合」と「愛子」が合体したものですが、とりあえず「宮城町」にしておいただけなので、ピッタリくる名があればそれに変更したいです。
[97524] 伊豆之国 さん
ここは「準・ご当地」と言うことで、"Supertown"の住人に命名していただきましょう。
藩政時代の上愛子村と下愛子村をあわせて通称「愛子」です。落合は下愛子村の一部ですから、愛子駅から陸前落合駅一帯に広がるDIDを愛子と命名しても落合の住民は納得するでしょう。しかし、折立(西花苑を含む)地区の住民は違和感を覚えるでしょうね。元来、折立は茂庭村の一部で、愛子とは異なる村に属していました。なので、「愛子・折立」の連称も考えられますが、連称を多用するのもどうかと思います。DIDに占める折立の人口割合が20%以上なら連称。それ以下なら単独で愛子かな。たぶん、折立(西花苑を含む)のDID人口は3千人程度かと推測します。やはり「愛子」でいきましょう。もちろん、人口割合が20%基準というのは流動的で、種々の条件が加味されて変動します。

[97524] 伊豆之国 さん
場所が吉岡地区の入り口と言った位置にあり、町役場や警察・消防などの官公署や、量販店などが立ち並ぶ地域(実はこの一帯は中心市街から外れた地区にある)を通過したときの印象は、失礼ながら「単なる農村地帯の町」ぐらいといった感じで、少し先には全国チェーンのホテルもあったのですが、「果たしてそんな場所で泊まりに来る人がどれだけいるのかねぇ」と、車の中で仲間と話し合っていたりもしたのでした。
現在では、その一帯が吉岡の機能中心エリアで、昔からの中心街は寂れています。あのホテルは吉岡に必要でしょう。トヨタ関連の工場があって、人の出入りも多く、宮城県では景気の良いホットゾーンですから。

佐沼(迫町→登米市)がそんなにすごい町だったのか、と言うのも意外でした。
佐沼を見ていると、「DIDは都市地域である」という考えに矛盾を感じます。佐沼は積極的に土地区画整理事業を行い、新市街地(中江地区など)を造成して来ました。商業施設や市役所などは新市街地に立地し、今ではそこが中心街ですが、人口密度が低いせいか、DID区域には組み込まれていません。DIDに組み込まれているのは、都市機能が逃げ出してしまった旧市街地です。人口密度4,000人以上という設定が、現在の世の中に合わなくなっているようです。
[97529] 2019年 2月 11日(月)23:02:09千本桜 さん
東北DID、階級別人口チャンピオン
[97515] 白桃さん
A~Fの東北DIDチャンピョンを当ててください。

フライ級は行政人口3万未満の市町で、DID人口チャンピオンは、スーパータウン大河原
バンタム級は行政人口3万以上5万未満の市で、DID人口チャンピオンは、竹駒イナリ岩沼
フェザー級は行政人口5万以上8万未満の市で、DID人口チャンピオンは、エアポート名取
ライト級は行政人口8万以上15万未満の市で、DID人口チャンピオンは、白虎隊会津若松
ウエルター級は行政人口15万以上30万未満の市で、DID人口チャンピオンは、りんご村青森
ミドル級は行政人口30万以上?万未満の市で、DID人口チャンピオンは、わんこそば盛岡
行政人口が無いはずの中央台南(いわき市)がフライ級なのは、中央台地区全体で人口が1万2千程度だから。
また、行政人口が30万に達しない盛岡がミドル級なのは、DIDが連担する滝沢市の人口を加算しているから。
[97161] 2018年 12月 25日(火)08:25:59千本桜 さん
Re:地味で渋いDID
[97148] [97158] 白桃さん
以下のB欄にある、地味だけどちょっと渋い?5つのDID(名称は白桃が勝手につけた)には、ある共通点があります。その共通点とは何でしょうか?

該当するDIDには新しく市街化された三河上郷、瀬野川中野の名があり、該当しないDIDには古くから市街地が形成された飯坂、妹尾の名があります。そのことから、何となく方向は見えていましたが、かなり複雑な要素が絡んだ問題ですね。たぶん、酒の席でこんなクイズを出したら興ざめですが、落書き帳だからこそのハイレベル?なウルトラクイズのようです。
答はこんなことだろうと推察しています。
1・昭和35年国調ではDIDを形成していない。厳密に言うと旧町時代にはDIDを形成していない。
2・既存DIDを有している市町と合併して現行の市に組み込まれた。
3・当該DIDはすべて現行の市に移行した後に形成された。
以上のように考えましたが、私はいまだ東広島市「高屋高美丘」の件が理解できていませんが、ここで降参。
[97157] 2018年 12月 24日(月)08:19:32千本桜 さん
東広島市のDID
[97148] 白桃さん
この共通点を正解するのは、かなり難しいと思います。共通点を厳密にするため、該当しないDIDを挙げますと、飯坂DID(福島市)、妹尾DID(岡山市)、賀茂西条DID・八本松DID(東広島市)があります。

該当しないDIDに東広島市の西条DID・八本松DIDが入って、高美が丘DIDが入らないのは何故ですか? これが分からなくて足踏み状態です。
[97151] 2018年 12月 21日(金)19:38:43千本桜 さん
広島市の瀬野川中野
[97148] 白桃さん
瀬野川中野

広島県旧瀬野川町の4大字(上瀬野・下瀬野・中野・畑賀)に跨がるDIDの名称は「瀬野川」がふさわしいと感じました。瀬野川は中野を含む旧町名。中野は瀬野川に包含される地区名。当該DIDに占める中野の比重は大きいのですが、瀬野川があれば中野はなくても意味は通じると思った次第です。中野を表記することで、上瀬野から畑賀にかけて広がっているDIDの実態が見えなくなるような、そんな気がする夕日の波止場。間違っていたらごめん。
[97138] 2018年 12月 17日(月)21:48:07千本桜 さん
Re:和田(玖須美)と川奈など
[97137] ekinenpyouさん
「今昔マップ」や「鉄道停車場一覧」など、見させて頂きました。ありがとうございました。DIDに占める大字別の人口までネットで調べることができるんですね。便利な世の中になりましたが、私などは検索の仕方が分からなくて付いてゆけません。昔ながらに国土地理院図を読図して、DIDに占める人口割合を玖須美元和田30%、川奈70%と推測しましたが、大きなズレがなくてホッとしています。
[97134] 2018年 12月 17日(月)01:06:29千本桜 さん
豊田市南部のDID
[97128] k_itoさん
たとえば豊田市南部の若林駅を中心とするDIDは駅名をとるなら「若林」ですが、若林駅が代表するにはおこがましいエリアまで連坦しており、私なら「高岡」と名付けます。

私なりに、そのDID区域の名称を考えてみました。私は地図がないと前へ進めない質なので、グーグル地図をプリントしたものと国土地理院の地形図を用意しました。その地図に大字に相当する町界と町名を書き込み、DID区域をオーバーラップさせます。いちいち地形図に境界線を手書きするのは無駄な行為に見えますが、その作業をして行く中で、未知の世界である豊田市南部へ気持ちが入って行きます。当該地域では昭和43年に大字が廃止され、新しい町名に変更されたようですね。若林駅周辺のDIDは竹町、住吉町、竹元町、吉原町、花園町など、概ね10の町に跨がっているようです。10の地名を連称するわけにはいきません。自己基準ですが、許せるのは3地名までです(それでも難しい場合がある)。いったい、地元ではこの地域を何と言う名で呼び合っているのだろう。少しでも地元の人の感覚に近づきたい。そこで、豊田市の町名一覧を参照しました。すると、当該DIDは「高岡」と言う地区にすっぽり収まっていることが分かりました。これなら、「高岡」と言う名で言い表わせる。そんな思いを抱きつつ、私もこのDIDを「高岡」と名付けます。
しかし、問題が1つ発生。このDIDを「高岡」とすると、同じ高岡地区にあるこちらのDIDを何と呼ぶかです。先約があるので「高岡」は使えず、別の名で呼ばなくてはなりません。大島町と西岡町に跨がっているようです。しかも、ガップリヨツに組み合っていますから、どちらも譲れません。ここはやはり「大島・西岡」または「大島町・西岡町」の連称で行こうかなと思っています。
[97133] 2018年 12月 16日(日)23:20:28千本桜 さん
函南村にできた伊豆仁田駅
[97126] 伊豆之国 さん
そこでやはり気になったのが、なぜ函南村にできた駿豆線の駅が「伊豆仁田」になったのか、と言うこと。

駅が開設された当時の「村名・大字名・駅名」を一覧にしました。駿豆線の駅名は基本的に大字名が由来のようです。ですから、函南駅にはならず伊豆仁田駅になったのだと思います。
明治22年の町村制施行により、中郷村、函南村、韮山村、田中村、北狩野村が誕生。

明治31年、中郷村、大字大場に、大場駅が開設。
大正10年、函南村、大字仁田に、伊豆仁田駅が開設。
明治31年、韮山村、大字原木に、原木駅が開設。
明治33年、韮山村、大字四日町に、北条駅が開設。大正8年、韮山駅に改称。
明治31年、韮山村、大字南条に、南条駅が開設。大正8年、伊豆長岡駅に改称。
明治32年、田中村、大字田京に、田京駅が開設。
明治32年、田中村、大字大仁に、大仁駅が開設。
大正13年、北狩野村、大字牧之郷に、牧之郷駅が開設。
大正13年、北狩野村、大字柏久保に、修善寺駅が開設。

開設年はウィキペディアによりましたが、伊豆仁田駅の開設が大正10年とも11年ともあり、どちらが本当なのか私には分かりません。また、田京駅の開設はウィキペディアで明治32年、角川地名大辞典で明治38年とあり、これもどちらが本当なのかは分かりません。

因に、伊豆仁田駅より遅く開設された牧之郷駅ですが、当時は大字牧之郷に北狩野村役場がありましたから、村名に由来して「北狩野駅」でも良かったはずですが、やはり大字名に由来して「牧之郷駅」になっています。
[97124] 2018年 12月 15日(土)20:13:34【1】千本桜 さん
観光経県値【秋田県】
グリグリさん

なぜ、全都道府県を同一に5区分しなければならないのか、よく理解できないのですが、ここはグリグリさんの「都道府県市区町村」。均一に5区分することがグリグリさんの美意識であり、悦びなのでしょう。そんなことを思いながら、観光経県値「秋田県」をいじくって遊んでみました。

1・「能代・男鹿ブロック」の上小阿仁村を「大館・鹿角ブロック」へ編入する。
上小阿仁村の観光スポットは、五城目町から北秋田市へ抜ける国道285号に面した「道の駅かみこあに」だけと言っても過言でない状況ですが、地理的にも行政的に五城目町より北秋田市との結びつきが深いので、北秋田市と同じブロックに含めたい。

2・「秋田・大仙ブロック」の秋田市を「能代・男鹿ブロック」へ編入し、「能代・男鹿」のブロック名を「秋田・男鹿」に変更する。
男鹿市へ行くのには秋田市を経由することが多く、秋田市と男鹿市を抱き合わせた旅行コース設定が多々考えられます。一方、大仙市・仙北市へは、盛岡や横手を経由することが可能なので、秋田市と抱き合わせない旅行コースも設定できます。秋田市を必要としているのは大仙市・仙北市より男鹿市ではないでしょうか。なので、秋田市と男鹿市を一緒のブロックにしてやりたい。ブロック名から削除された能代がかわいそうですが、ここは観光がテーマと言うことで、涙を飲んで切り捨てごめん。

3・「横手・湯沢ブロック」の美郷町を「秋田・大仙ブロック」へ編入し、「秋田・大仙」のブロック名を「大仙・仙北」に変更する。
美郷町は仙北地方に属しているので、大仙市、仙北市と同じブロックに所属させたい。秋田市を男鹿ブロックへ放出するため、観光ボリュームは減少しますが、角館の桜まつりや大曲の花火大会の集客力は県内指折で、他のブロックと比較しても観光客数は見劣りしない。

それから、あれ?と思ったことを1つ…。連記する場合は「吉永小百合・松原智恵子」のように、主役が先になると思うのですが、「栗原・大崎」、「糸魚川・上越」、「名張・伊賀」、「大牟田・久留米」、「直方・飯塚」などは順序が逆ではないかと思いました。
[97112] 2018年 12月 14日(金)12:59:07【1】千本桜 さん
伊東市IIのDID名
[97091] 伊豆之国さん
こちらも「川奈」で十分、そのほうが簡潔でわかりやすいでしょう。「川奈」は伊豆急の駅名にもありますが、それ以上にゴルフ場の知名度は絶大で、ゴルフをたしなむ人たちにとってはある種の「憧れ」の土地でしょう。わざわざそれ自体が連名地名であり、よその人には全くなじみがない「玖須美元和田」をくっつけて、一時期の銀行名のような、言いにくい長い名前にすることもないと思うのですが。

川奈玖須美元和田に跨がるDIDの命名は、やはり難しいと感じます。観光案内図なら駅の有無や知名度を重視して「川奈」とすることもできますが、これは都市的地域を表したDID図ですから、別の判断基準が必要だと思います。私は川奈と玖須美元和田の人口比率や主従関係の有無を重視したいと考えました。

まず、伊東市のHPで平成27年国勢調査地域別人口を見ると、川奈地区7,023、玖須美元和田5,152とありますが、そのうちDID内に何人住んでいるかまでは分かりません。そこで、国土地理院図を見て人口を推測します。大雑把ですが、伊東市IIのDID人口7,639のうち70%が川奈、30%が玖須美元和田と推測しました。川奈の比率が高いのですが、30%を占める玖須美元和田を無視すことはできません。因に、広島県府中市と福山市新市も連担DIDを形成していますが、比率は府中DID75%、新市DID25%です。この場合、私は25%を占める新市を無視することができずに「府中・新市」と連記するでしょう。

次に、川奈は玖須美元和田を包括できるか、玖須美元和田は川奈に従属できるか、両者の主従関係の有無を考えます。明治20年、竹之内村と和田村が合併して玖須美村となる。明治22年、玖須美など6村が合併して伊東村が成立。この時、旧玖須美村は伊東村の大字玖須美となるのが一般的ですが、そうはならず旧旧村の名も継承し、そこに「元」を冠して大字玖須美元竹之内、大字玖須美元和田となった。昭和48年、伊東市街地を領域とする大字玖須美元竹之内は銀座元町音無町となって消滅。同じく昭和48年、大字玖須美元和田の一部(伊東市街地部)が渚町大原1~3丁目となって玖須美元和田から分離。残された丘陵地帯が玖須美元和田として現在に至っている。つまり、玖須美元和田は明治22年伊東村発足当時から「伊東」の古参メンバーですが、川奈を含む小室村が「伊東」のメンバーとなったのは昭和22年のことである。この来歴からして、玖須美元和田と川奈の間には「別の地域」という意識の壁が残っているように感じられます。

伊東市のHP大字別人口を見ると、市域を宇佐美地区、旧市内、小室地区、対島地区の4つに区分し、玖須美元和田を旧市内へ、川奈を小室地区へ属させているのが分かります。このことから判断して、玖須美元和田と川奈は異なる地域という考えが定着していると考えられます。このような状況を踏まえ、伊東市IIDIDは「川奈・玖須美元和田」の連称が適切ではないかと考えました。
[97109] 2018年 12月 13日(木)20:47:21千本桜 さん
三島市南部のDID
[97091] 伊豆之国さん
「中郷」なる呼び名は私には初耳、とっくに消えた昔の村名を持ち出すのはどうか、と思うのですが。
中郷村は、明治22年に長伏、梅名、大場など16村が合併して誕生し、昭和29年に三島市に編入されて消滅しました。しかし、自治体の中郷村が消えても、「中郷」は公民館、小学校、中学校、交番などの名称として今も使われています。三島市では市域を北上、旧市街、錦田、中郷の4地区に区分しています。これは「中郷」がまだ生きている証でしょう。

想像力を働かせて、次ぎのシーンを創作しました。
9月某日、老人福祉センターを会場に中郷地区の敬老大会が開催された。会場には長伏、梅名、大場など旧中郷村の各地から老人が集まり、昔話に花を咲かせていた。いよいよ来賓の市長祝辞。市長は職務多忙でお疲れ気味。10分遅れで滑り込み、焦りまくって、つい失態をおかしてしまった。「中郷の皆さんおめでとう」と言うべきところを、「大場の皆さんおめでとう」と言ってしまったのだ。老人たちは耳を疑い、会場は静まり返って凍りつく。やがて、大場以外の老人たちからブーイングが沸き起こる。なんで大場の人にだけ「おめでとう」なんだ! ここには梅名・多呂・ 北沢・中島・八反畑・鶴喰・新谷・青木・ 玉川・堀ノ内・平田・松本・ 長伏・御園・ 安久の人たちもいるんだぞ! 失態に気づいた市長の首筋を冷汗が流れていた。

こんなことにならないように、三島市IIのDID名は「大場」でなく「中郷」にしたいと思いました。DIDに限らず、区域に名称を付すときは、命名される側が納得できるかどうかを大切にしたいと思います。もちろん、プライベートなものは命名者が納得すればそれで良いのですが…。

[97107] 伊豆之国さん
この函南町内で唯一でもあるこの人口集中地域を、「町内で唯一だから」と言うことで、果たして町名を取って「函南」と言い切っていいのかどうか、と言うと、町内での位置関係も含め、「やはりいまいちしっくりしない、引っかかるものがある」と言うのが正直なところ、と言うことだったのでした。
お気持ちは分かります。その原因の1つは、「函南」と言う名の大字(近世村)がないので、どこが「函南」なのか的が定まらない。しかも、町の機能中心地から離れたところに函南駅があって紛らわしい。さらに、箱根(別名:函嶺)の南に由来する「函南」と言う、取って付けたような町名も災い?しているのではないでしょうか。

大場駅を含む旧中郷村の地域と、当時の函南村に属していた仁田・間宮などの地域がその当時から連続した集落を形成していたのかどうかは知りませんが、中郷村が「昭和の大合併」で函南と合併せず三島市との合併を取ったのは、やはり三島とのつながりを取った、と言うことなのでしょうか。
私も分からないので、古い時代の地形図を見てみました。明治27年測量の地形図では、間宮、大場、中島、梅名の集落が繋がっているように見えます。中郷村が誕生したときは梅名に村役場が置かれました。
[97105] 2018年 12月 12日(水)17:52:00千本桜 さん
函南町のDID
[97091] 伊豆之国 さん
「函南」と言うと、やはり東海道線の「函南」駅の周辺、と言うイメージです。
中略
伊豆仁田駅周辺を中心とする函南町内のDID名称を「函南」とするのは実態にそぐわず、無理があるのではないかと思います。

伊豆の国さんの考えに反しますが、人それぞれと思って気にしないで読んでください。確かに駅は重要ですが、函南駅は駅名であって地名ではありません。函南駅周辺をもって「函南」と比定すると、他は何なの?「函南」ではないの?になってしまいます。函南町やその周辺の人々は函南町全域を「函南」と思っているので、函南駅から離れた伊豆仁田駅周辺のDIDを「函南DID」と命名しても少しも違和感がありません。

私は次ぎの思考を経た結果、伊豆仁田駅周辺のDIDを「函南DID」と呼ぶことにしました。
函南町のHPによると、平成30年11月末の大字別人口は、平井6,837、柏谷5,595、仁田5,358、間宮4,895(以下省略)の順で拮抗し、互いに譲れぬ互角の関係となっています。駅があると言う理由で「仁田DID」としたなら、仁田以外の大字が「ここは仁田じゃないぞ」と反発しそうな力関係を感じます。見方を変えれば、DID全域を背負って立つほどの傑出した大字がなく、全体をまとめる力があるのは現行町名の「函南」だけで、他に言い換えができない。そんな雰囲気が漂っています。

仁田には駅もあり、かつては町役場もありましたから、多少は他の大字より優位な立場だったかもしれません。でも、実態はどうでしょう。函南町は、函南町の他に伊豆の国市、熱海市などを商圏とする商業都市ですから、たくさんの物販店、飲食店が進出しています。しかし、その多くは仁田ではなく間宮、塚本に立地しています。このことから、現代における函南町の中心は仁田ではなく間宮ではないかと考えました。ピンポイントで指し示すなら、らーめんブッチャー函南店前交差点あたりが地域の中心機能を担い、多くの人が行き交う場所になっているのだろうと推測しました。地元の人は間宮や塚本を「仁田」とは呼ばない。では、どんな地名で呼び合っているのでしょう。

函南町のDIDに立地する店舗の店名を調べてみました。すると、殆どが店名に「函南」を冠しているのが分かりました。スルガ銀行函南支店、JA函南支店、ユニクロ函南店、BOOKOFF函南店、TSUTAYA函南店、静岡トヨタ函南店、しまむら函南店、その他ずらり店名に「函南」を用いています。これは、この一帯が「函南」と言う呼び名で認識されている証でしょう。余談ですが、大河原町役場の斜め向かいに某新聞社の通信部があります。その通信部の名称は、なんと白石通信部。これは立川駅前に八王子店を構えるようなもので超違和感。もし、塚本に立地するTSUTAYA函南店がTSUTAYA仁田店を名乗ったなら受け入れられないでしょう。「函南店」だから受け入れられるのです。

国土地理院図で函南町を見ていると「新幹線」という面白い地名に遭遇します。でも、これは住所には用いられない「区」の名称で、住所は大字の「上沢」を用います。その隣に、これまたぎょっとする「函南」なる地名が記載されています。これもまた「区」の名称で、住所は大字の「平井」を用います。この場所に函南区が設置された経緯は分かりませんが、函南駅との関連性は感じられません。また、区は土地に付された大字名とは異なる性質のものですから、今回のDID命名には影響しないものと考えています。
[97074] 2018年 12月 6日(木)20:34:50千本桜 さん
Re:地元のDIDの命名
[97062] 駿河の民さん
蛇足ですが、韮山から伊豆長岡へのDIDについては「韮山」がいいと思います。
イメージ的には長岡も「韮山」なんですよね…
伊豆長岡駅を含む狩野川右岸は旧韮山町の領域ですから、DID名に韮山の名は入れたいものです。しかし、旧伊豆長岡町の領域も「韮山」の名で表すのは如何なものかと思うのですが…
その辺の感覚的な捉え方は、伊豆地方に馴染みの薄い私より、地元の駿河の民さんの感覚を尊重したいと思います。なので、「イメージ的には長岡も『韮山』なんですよね…」のところを、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。
[97056] 2018年 12月 3日(月)21:36:00千本桜 さん
Re:伊豆がらみのDIDの名称
[97053] 白桃さん

伊豆がらみのDID名について、私なら下記ようにします。
沼津市、三島市、長泉町、清水町、裾野市に跨がって連担するDID名は「沼津・三島」とします。
「駿豆」だと広域すぎて、的が定まらなくなるので都市名をもって命名したい。沼津単独ではなく「沼津・三島」と連称するのは、両者の都市としての力関係(DID内に集積する都市機能など)が沼津100:三島50程度ではないかと推測するからです。この程度の差だと、沼津の名をもって三島を代弁できない可能性があります。よって、三島の名も必要と考えます。長泉、清水、裾野に関しては「沼津・三島」がそれらを代弁できると思いますので、連称しなくても良いと考えます。

函南町と三島市に跨がって連担するDID名は「函南・中郷」とします。
函南町のDIDは「函南仁田」とせずに「函南」としたいと思います。このDIDは概ね6つの近世村(塚本、間宮、大土肥、仁田、平井、柏谷)に跨がっています。これらの村は明治の合併で函南村を名乗り、すでに129年が経っています。なので「函南」はこれら旧村の総称として定着していますが、「仁田」には総称能力はないと考えます。なので「仁田」を加えて「函南仁田」と表すと弊害が起きる可能性があります。たとえば、この柏谷地区に立って「ここは仁田」ですかと問えば、「違います」と答が返ってくるはずです。また、三島市の大場駅付近に展開するDID名は「大場」とせずに「中郷」とします。このDIDは概ね7つの近世村に跨がっています。これらの村は明治の合併で中郷村を名乗り、「中郷」はこれら旧村の総称として機能しましたが、「大場」には総称能力はないと考えます。現在「中郷」は住所地名から消えていますが、小学校、中学校、公民館などの名称に「中郷」が冠称されています。そのことから判断して、大場駅周辺のDID名は「中郷」がふさわしいかと思います。

伊豆の国市IのDID名は「長岡・韮山」とします。
DIDに占める韮山の比重を考えると、捨てたり伊豆長岡に包含するより、韮山を連称した方が適切だと考えます。

伊東市IIのDID名はグラグラ迷った末に「川奈・玖須美元和田」にするつもりですが、それでも迷う。
このDIDは2つの大字(川奈・玖須美元和田)に跨がっていますが、DID名を「川奈」とした場合、「川奈」は「玖須美元和田」を代弁できるのだろうかという疑問がわきます。なので連称にしたいと思うのですが、問題は大字「玖須美元和田」の来歴の複雑さと名称の長さです。来歴の記述は省きますが、他の大字と違ってどこか不安定さが残る大字です。住民は住所を書くとき「玖須美元和田」と書くでしょう。しかし、日常会話の中でも「玖須美元和田」が用いられるのだろうか? そんな疑問が堂々巡りしています。

いろいろ勝手に書きましたが、DIDの命名は創作活動ですから、いろいろな案があっても良いと思います。異論を唱えたために、白桃さんの創作活動に迷いを生じさせたら、ごめんなさい。気にしないで励んでください。
それから、もう1つ。難問と思われるのは、岐阜市から一宮市にかけて県を跨いで連担するDIDです。まさか「濃尾」なんて命名しませんよね。 
[97042] 2018年 11月 27日(火)22:41:20千本桜 さん
DIDの命名
[97041] 白桃さん
DIDには数字ではなく、地理ごころを以って命名しましょう。
すこぶる同感ですが、これは大変な作業になりますね。無味乾燥なローマ数字を地名に置き換えて、DIDに命を吹き込む作業ですから有意義なことです。「那須塩原市 IのDID人口は減少し、IIのDID人口は増加している」とローマ数字で表すよりよりも、「黒磯のDID人口は減少し、西那須野のDID人口は増加している」と地名で表した方が分かりやすいです。しかし、昭和35年から平成27年まで、全部のDIDに対して命名するとなると難問山積みで、たぶん白桃さんの白髪が増えそうな気がします。
例えば平成27年だけを取り上げても
1・どう見ても1つの市街地なのに、統計上はIとIIに分離されてしまた気仙沼市のDID。このDIDを何と命名するか。非常に苦し~い。
2・焼津市と藤枝市伊予市と松前町などのように同規模のDIDが連担する場合、仮に連称するとして、焼津が先か藤枝が先か、ちょっと苦しみを味わうことになる。
3・奈良県の斑鳩町、三郷町、王寺町、河合町、上牧町に跨がって連担するDID。このDIDを何と命名するか。難問で頭を抱え込むでしょう。
プレッシャーをかけてしまったようですが、白桃さんも地理(地誌)好きの性で、一心不乱に取り組んでいることと思います。作業完了したらアイビー東京でも歌いましょうか。
[97039] 2018年 11月 26日(月)20:40:01千本桜 さん
蔵王
[97026] 伊豆之国さん

以前にも話題になった「蔵王山」の読み方論争ですが…
毎日、蔵王の山並みを眺めて暮らしています。「蔵王に雪が積もったな」とか「雲に隠れて蔵王が見えないな」などと、無意識のうちに蔵王に目が行っているようです。この場合は、蔵王山(ざおうざん)でもなく、蔵王山(ざおうさん)でもありません。あくまでも蔵王(ざおう)です。普段は意識しませんが、問われれば私は「山」を付さない「蔵王」派なのかも知れません。でも地図に「蔵王山」と書いてあれば、それを「ざおうざん」と読みます。「ざおうさん」と読んだことは一度もありません。

「地名の清濁論議」は、過去にも何度か話題になっていますが
地元住民は「角田市」のことを「かくだ」と発音します。でも、よそから来た人の中には「かくた」と発音する人もいて違和感を感じます。「角田」を「かくた」と発音する人は地元民でないことが一発で分かります。でも「村田町」のことは地元民も他県の人も「むらた」と発音します。「むらだ」と発音する人は、ズーズー弁の訛が残るお年寄りだけです。なので私は長い間、長野県佐久市の「岩村田」を「いわむらた」と読んでいました。「いわむらだ」だと知ったのは後になってのことです。「大河原町」は正式には「おおがわら」ですが、町民の中には「おおかわら」と発音する人も結構います。でも、この「大河原町」は地の利に恵まれているためか、のほほんとしています。「おおがわら」でも「おおかわら」でも、どっちでも認めてしまう変なおおらかさがあります。

地の利に恵まれた大河原は、宮城県南部の商業と行政の中心都市ですが、のほほんとしていて、中心都市であることの自覚が弱い町です。そこで思い余った千本桜は、落書き帳の[20259]で「スーパータウン」について書き込みました。もう、15年も前のことなのですね。なつかしや。当初は町の人からも白い目で見られていたようですが、近年、変化が現れてきました。「スーパータウン大河原」が認知されて来たのです。町長が「スーパータウン大河原」をパクリ始めたのです。「パクリ」はあまり良い言葉ではないので真面目に「オマージュ」としましょう。これが町長のオマージュです。すつかり「スーパータウン大河原」が気に入ったようで、町長コラムの中で「本町は仙南の中心に位置し、その中心性・拠点性・利便性を存分に発揮し、面積は小さくても大きな役割を果す『スーパータウン』と呼ばれています。」と書いているではありませんか。
さしつかえなければ、伊豆之国さんにおかれましても、どこかのほほんとしていて外部に向かって発信する力の弱い大河原町のために、「スーパータウン大河原」と「一目千本桜」を全国に向けて拡散して下さいますようお願い申し上げます。
[97025] 2018年 11月 24日(土)12:36:15千本桜 さん
腰越と鎌倉は連担で、大磯と国府は非連担です。
[97024] 白桃さん
腰越と鎌倉が連担しているというのなら、大磯と国府も「連担」と認めても良いのじゃないかと思うのですが、別のDIDになっていますね。

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます。
それに対して大磯町は、大磯と国府の間に境界線の途切れがあり、連担していないことがが判読できます。なので、大磯は「大東京DID」に組み込まれ、国府は二宮町、南足柄市の人口集中地区とともに、言うなれば「大小田原DID」に組み込まれます。

このように、DIDに関しては疑問というか不可思議な点が多々あります。
同感です。昔は都市部と村落部の境界が判断しやすかったのですが、いまではグレーゾーンが広がって、どこまでが都市部で、どこからが村落部なのか、判断が難しくなりました。

ともかく、2015年時点では、大磯町内において大東京DIDは途切れ、国府DID以西は小田原DIDと「連担」ということにしておきましょう。
それで良いと思います。私も同じ考えです。
[97022] 2018年 11月 23日(金)08:25:12千本桜 さん
鎌倉DID
[97019] 白桃さん
大船と腰越は繋がっているものの、鎌倉はギリギリ繋がっていないように思えるのですが…。

これからクロスカントリーなので取りあえず、急ぎ書き込みです。
稲村ケ崎と坂ノ下の海岸を走る国道134号がDID。沿道には人家も無いのに、なぜかDIDです。
[96483] 2018年 9月 16日(日)10:13:29千本桜 さん
Re:島のDID
[96482] 白桃さん

今、長野県にさしかかったところなんですが、ここも結構複雑で面白い県であります。が、複雑なだけに少々疲れますので、本日は気分転換のため、単純な島のDIDに言及することにします。
長野県は疲れますね。特に佐久市。でも、佐久市を避けてDIDは語れない。岩村田、野沢・中込、臼田に加え、北中込や佐久平まで参入して、自治体内での地区間競争が激しいようです。小諸市の商業をぼろぼろにしてしまった佐久市。これを、どのように捌いてくださるか楽しみです。

表で唯一、島名とDID所在地名を隠しているAを推理してください。一番意外なところかも?
Aは八丈島(八丈町)で、三根地区と大賀郷地区に跨がって広がる市街地ではないでしょうか。島嶼部の人口集中地区は、最大の沖縄県石垣市から最小の山口県橘町まで、どれも港を中心に、海にへばりついて展開しています。しかし、八丈町だけは雰囲気が異なりますね。なぜか海にべったりではない。主産業が漁業や海運業でなかったからと解釈してよろしいのでしょうか。ずいぶん昔のことですが、八丈島の地形が絵になりそうなので、ちぎり絵で地図を描いたことを思い出しました。
[96448] 2018年 9月 1日(土)07:50:09千本桜 さん
船迫(ふなばさま)はなぜ「ふなばさん」と発音されるのか
[96445] 白桃さん
旧町の名前を明らかにしていないのは、勿体ぶっているわけでも、クイズにしたいわけでもありません。
クイズにしたいわけではないとおっしゃいますが、どうもクイズっぽいので挑戦します。
SuperA町=大河原町、旧B町=船岡町、旧C町=槻木町、旧D町=宮内町、旧E町=赤湯町、旧F町=飯坂町
これで正解でしょう。ただし、旧B町(船岡)の数値には旧C町(槻木)の船迫地区の人口が含まれています。船迫は藩政期から明治22年まで船迫村、明治22年から昭和31年まで槻木町大字船迫、昭和31年以降は柴田町大字船迫を名乗っていました。しかし、東半分は槻木の市街地に近く、西半分は船岡の市街地に近いため、昭和43年に西半分を大字船迫から分離し、大字本船迫として船岡管内に組み込みました。

ところで、「船迫」は「ふなばさま」と読むのですが、昔の人は「ふなばさん」と発音していました。私の同級生は今でも「ふなばさん」と発音します。なぜ「ま」が「ん」になるのか不思議です。ほかにも地元では、成田(なりた)を「なんだ」、上町(かみまち)を「かんまち」と発音します。このように「ま」「り」「み」などが「ん」になるのは全国的なものかもしれませんが、なぜなのか不思議でなりません。
[96432] 2018年 8月 23日(木)20:40:19【1】千本桜 さん
55年間DIDを形成する町
[96429] 白桃さん
2015年国勢調査まで途切れることなくDIDが存在しているのは、岩内ではなく浦河である。

昭和の大合併と平成の大合併で都市らしからぬ自治体が「市」を名乗るようになりました。そのようななか、いまだに「町」を名乗っているけれど、1960年国勢調査から2015年国勢調査まで途切れることなくDIDが存在しているの下記の32町に敢闘賞を差し上げてください。

八雲、倶知安、岩内、余市、栗山、遠軽、美幌、新ひだか、大河原、大洗、大泉、小川、大磯、二宮、松田、真鶴、湯河原、下諏訪、笠松、武豊、忠岡、王寺、湯浅、海田、坂、多度津、松前、水巻、芦屋、苅田、志免、門川。

見直しをした結果、亘理、琴平、須恵を削除し、大泉を追加しました。
[96400] 2018年 8月 19日(日)01:21:51千本桜 さん
Re:夏休み旅行記クイズ
[96394] シノレパシクソさん
楽しい旅をされて良かったですね。クイズに挑戦します。

A市の中心、A駅へ。県庁所在地であるこの市は観光名所が多く、
A:格安バスツァーでA市を観光した時のことです。A市の中心街に差し掛かると、同乗のオバサマたちが「仙台より大きな町ね」と、言い始めたのです。私にはそのように見えなかったのですが、そのように見える人たちもいる。そういうレベルの都市ですね。
やはりB(施設名)が有名ですよね。三本の指に入る○○ですが、
B:高松や熊本も名乗り出て5本の指にしてくれとか、鹿児島も便乗して指6本にしてくれと主張するかも。
Cは市内の至るところで使われており、それだけで高級さを感じられます。
C:高級すぎて緊迫した雰囲気が感じられます。
D藩主、
D:その名は、まり子。
E家のすごさを感じました。
E:その家系を継いだ御方の旧別邸が鎌倉の長谷にあります。今はとある施設になっていて有料で観覧できます。
すぐそばにあるAF美術館(市名+F)に行こうとしたのですが、
F:伊東市には、それより一世紀さかのぼったものがあります。
市内を流れる大きなG川を渡ってすぐ、
G:その川の畔に、ゆう子さんと温子さんがいました。どちらがお好みですか。
渡ってすぐ、H(観光地名)に。
H:京都祇園の花見小路みたいな所ですね。山形市には昭和レトロな花小路という裏寂れた盛場があります。
I県
I:この県と同名の町が福島県にあります。
J市の中心駅を通過するのには驚きでした。
J:その駅に「谷」を付すとユーミン。
最初の停車駅はK市のK駅。
K:人口で県下第二の座をJ市に奪われてコマっているようですが落胆しないで。実質第二の都市はK市です。分かっている人は分かっているんです。
県境を超えてL県
L:なんとなく裕福そうな県名ですね。
M市の駅
M:あわや「金津」と答えそうになりました。
駅前にはNが置かれていました。
N:その置物は、動いたり吠えたりするようです。
ローカル線のOに乗り換え、
O:大きなお寺まで鉄道が走っていた頃の話です。自転車旅行で京善駅近くの小さな社に野宿しました。当時の日記には7月8日(火)雨、朝食インスタントラーメン、昼食なし、夕食インスタントラーメン、アイスキャンデー20円と書いてあります。インスタントラーメンは飯ごうで煮て食べます。さらに、その大きなお寺に関しては「無料駐車場が無いのは、ずるい」と記録しています。細かいことは忘れてしまいましたが、あの大きなお寺さん、無銭状態で自転車旅行している私から自転車駐車代を取ったのだろうか。自動車でもないのに。また、京善集落に関しては「機織り(家内工業)が盛ん」と書いてあります。いま読み返してみると「へぇ~、そうだったのか」と懐かしくなります。
終点のP駅へ。
P:その駅がある市と同名の町が岡山県にもありましたが、平成の大合併で消滅しています。

シノレパシクソさんへ質問
問題文には「M駅からローカル線のOに乗り換え」とありますが、これは「L駅からローカル線のOに乗り換え」の誤りではないでしょうか。
[96357] 2018年 8月 5日(日)08:15:39千本桜 さん
クイズに挑戦
[96354] ekinenpyouさん
クイズに挑戦
越前高田(JR九頭竜線)
こんな感じの回答でいいですか?


[96355] 伊豆之国さん
この県で最古参のE市
ローカル私鉄が分岐するH市
地名の字面や発音したときの音の響きから、その土地をイメージするのが好きです。どことなく洗練された音の響きを持つE市に対し、なんだかゴチゴチガチガチの響きを持つH市ですが、どちらも好きな市名です。

旧J町にある駅で下車
その駅舎はコンクリート造りでないといいのだが。

M町の駅で対向列車と待ち合わせ
若い頃に読んだ紀行文によると、その町の町並みは「どこがヘソだか分からない」のだそうです。海と山とに挟まれて細長く伸びる町並みですが、どこがヘソだか分かりましたか?

右手に干拓地に広がる稲穂の波を眺めつつ、R市の駅へ。
その駅に着いた頃は疲れて果てて、旅も飽きたことでしょう。
[96314] 2018年 7月 20日(金)21:10:55千本桜 さん
クイズに回答いただきありがとうございます
[96301] 白桃さん
白桃さんは水沢から「水沢アキ」を連想されたようですが、私は群馬県水沢観音の門前で食べた「水沢うどん」が浮かんできます。

[96303] pタウンさん
それはあの出来事以前に海側に行ったものであって、ここで挙げてあるような内陸の都市は全く行ったことが無いのです…
あの出来事以前に岩手県の海岸風景を見ておいて良かったですね。あの長い距離に亘って美しい風景が連続する様子は圧巻でしたが、あの出来事でどうなってしまったのだろう。風景の傷が癒えたなら、いつかまた陸中海岸へ行ってみたいと思います。

[96304] hmt さん
hmt誕生当時の首相ですが、その出身地は知りませんでした。
三つの記念館を見学して感じたのですが、水沢の三偉人の中では斎藤実の知名度が一番低いようです。しかし斎藤実記念館は、暗殺されたときの弾痕が残る鏡台や、血痕の付いた衣服なども展示してあり、胸にずしりと来るものがあります。

[96305] シノレパシクソさん
ところで、現在○○を含んでいる市の中でDIDがあるのは在来線の〇〇駅周辺だけですね。
そのとおりです。現在、奥州市のDIDは水沢の市街地だけです。しかし、第一回DID調査の昭和35年には、江刺市の岩谷堂にも人口5,015のDIDがありました。

川の対岸に新幹線の駅もありますがDIDとは無縁です。もっとも、この辺りは○○の領域ではなく、○○の半分程度の人口を擁す「お隣さん」の領域な気がしますが。
いいえ、新幹線水沢江刺駅は江刺市ではなく水沢市の領域です。水沢市は昭和29年、胆沢郡の1町3村(水沢町、姉体村、佐倉河村、真城村)と、江刺郡の2村(羽田村、黒石村)が合併して誕生しましたが、水沢江刺駅は旧羽田村の領域に設置されています。また、旧姉体村は大谷翔平の出身地です。

商業都市として発展し、県南内陸部の流通の中核を担っていたそうです。
県南内陸部では一関、水沢、北上、花巻が優劣つけがたい都市間競争を展開しています。昭和40年代の都市規模を個人的手法で算出したものがあります。それによると、水沢を100とした場合、花巻95、一関90、北上60となります。北上は水沢や花巻の陰に隠れて少し小ぶりの都市でしたが、その後、急速に成長。今では北上が一番大きな都市になっているようです。しかし、岩手県の行政機構を見ると、一関地区、北上地区、花巻地区を包含する県南広域振興局は水沢に置かれているので、今も水沢がかろうじて第二県都の座を保持していると言えなくもない状況です。
[96313] 2018年 7月 20日(金)21:01:08千本桜 さん
クイズ「ここはどこでしょう」の答は水沢です
[96299] クイズ「ここはどこでしょう」の答えは「水沢」で、Aは高野長英、Bは後藤新平、Cは斎藤実でした。
 
 江戸時代後期の蘭学者 高野長英、その甥の子で後に東京市長となる後藤新平、そして後藤新平の1つ年下で後に内閣総理大臣となる斎藤実の足跡を訪ねて岩手県の水沢へ行ってきました。幕末から維新にかけて偉人を輩出した水沢は、出雲より小さいが浜田、益田より大きな市街地を形成しています。まず高野長英記念館へ。記念館は中心街の南に広がる水沢公園の一角にある。春は花見客でにぎわう水沢公園も今は季節外れで人の気配もなく小雨がぱらついている。まるで時間が止まったように静かだ。記念館には観光スポットの華やかさはなく、あくまでも記念館の趣である。開国を説いて弾圧されて死亡した高野長英の生涯を、学芸員が熱心に説明してくれた。記念館見学後は同じ公園内に鎮座する駒形神社に参拝して街へ出る。
 水沢の中心街は江戸期に宿場が置かれた奥州街道沿いの町並みと駅前通りだが、今回の旅の目的地はその西側に広がる旧武家町にある。駒形神社から北へ500メートルほど歩いて高野長英旧宅へ。ここは高野長英が幼少のころ過ごした旧宅で国指定史跡になっている。ただし個人宅のため屋内は非公開。そのすぐ隣にも国指定重要文化財の武家屋敷 高橋家が建っているが、こちらも個人宅のため非公開。さらに北へ500メートルほど歩いて後藤新平記念館へ到着。周辺には市役所、県の合同庁舎、裁判所などが立地している。この記念館も観光施設の雰囲気はなく、あくまでも記念館の佇まいである。ここの学芸員もすばらしい学芸員で、手の付けられないガキ大将 後藤新平の生涯と功績を、柔らかな口調で丁寧に説明してくれた。後藤新平は医師、長官、総裁、大臣、市長、学長などの肩書きを持つが、スケールの大きな計画を立てる都市計画家でもあった。
 後藤新平記念館から北へ200メートルほど進むと江戸時代後期の地理学者 箕作省吾の誕生地跡ある。この箕作省吾が著した書物は吉田松陰にも影響を与えたに違いない。腹が空いてきたので昼食。後藤新平記念館から徒歩3分の割烹料理店に入店。畳敷きに椅子テーブルを置いた個室へ案内される。この年齢になると畳に直に座るのが苦痛なので、椅子テーブルは大変ありがたい。釜飯ランチセットを注文。ご飯は水沢の特産品 南部鉄器で作った釜の中に入っている。品のある落ちついた部屋で食事をしながら、水沢に蓄積された奥の深さや層の厚みを改めて感じた。
 昼食を済ませ、吉小路吉(きちこうじ)へ進入。この吉小路こそ、偉人を輩出した水沢の神髄である。まず、今は武家住宅資料館として公開されている内田家旧宅へ。その斜め向かいは後藤新平の生家で、茅葺屋根の主屋が一般に公開されている。そこから徒歩1分の所には、昭和に内閣官房長官や副総裁を歴任した明治生まれの政治家・椎名悦三郎の生家跡がある。ちなみに、椎名悦三郎は後藤新平の甥にあたる。さらに、そこから徒歩1分で後藤新平の大叔父にあたる高野長英の生誕地に着く。高野長英生誕地は公園として整備されている。こんな狭いエリアに、江戸後期から昭和にかけての歴史が濃密に詰まっている魅力的な吉小路であるが、これだけでは終わらない。
 高野長英生誕地から徒歩3分。吉小路のどん詰まりに、内閣総理大臣となった斎藤実の生家と斎藤実記念館がある。小雨の中、記念館はひっそりしていて、ほかに入館者はいない。こちらの学芸員も熱心で、斎藤実の温厚な人柄や、凶弾に撃たれて散った彼の人生を丁寧に説明してくれた。ちなみに、斎藤実は後藤新平の1つ年下で、子供の頃、温厚な斎藤実はガキ大将の後藤新平にいじめられていたそうです。それほど大きな都市でもないのに幾人もの偉人を輩出した水沢は、萩ほどのインパクトはないにせよ、もっと世に知られてよい都市だと思います。
 もう一人つけくわえると、総理大臣になれそうでなれないままに失速した感じがする小沢一郎も水沢の小・中学校出身で、水沢の市街地に事務所を構える水沢の人。なんとも政治家と縁の深い都市です。
[96302] 2018年 7月 15日(日)20:36:17千本桜 さん
ここはどこでしょう ヒント
[96299]のクイズ「ここはどこでしょう」は、すこし難しかったでしょうか。白桃さんはクイズが解けているようですが、まだ正解は発表しないでおきます。萩は幕末維新の戦争で勝った方の藩ですが、この都市は負けた方の藩に属しています。負けて賊軍と蔑まれた藩から、A、B、Cやその他の偉人が生まれているのが何とも面白いではありませんか。この都市は一見すると南部藩(盛岡藩)に位置しているように見えますが、南部藩(盛岡藩)ではありません。もっと、みなさんに知ってもらいたい都市なので、クイズの回答をお待ちしています。

[96301] 白桃 さん
某女優の写真集を見てコーフン(恥)したことを思い出します。
その気持ち、理解できます。彼女、若いときは可愛かったですからね。でも、下の名前が「うどん」だって、知ってました? 上の名前を言うと答えになるから伏せておきますが。
[96299] 2018年 7月 14日(土)20:56:09千本桜 さん
ここはどこでしょう
 江戸時代後期の蘭学者A、その甥の子で後に大都市の市長となるB、そしてBの1つ年下で後に内閣総理大臣となるCの足跡を訪ねて、とある都市へ行ってきました。幕末から維新にかけて偉人を輩出したこの都市は、出雲より小さいが浜田、益田より大きな市街地を形成しています。まず、蘭学者Aの名を冠したA記念館へ。A記念館は中心街の南に広がる公園の一角にある。春は花見客でにぎわう公園も今は季節外れで人の気配もなく小雨がぱらついている。まるで時間が止まったように静かだ。A記念館は観光スポットの華やかさはなく、あくまでも記念館の趣である。開国を説いて弾圧されて死亡した蘭学者Aの生涯を、学芸員が熱心に説明してくれた。A記念館見学後は同じ公園内に鎮座する大きな神社に参拝して街へ出る。
 この都市の中心街は、江戸期に宿場が置かれた街道沿いの町並みと駅前通りだが、今回の旅の目的地はその西側に広がる旧武家町にある。神社から北へ500メートルほど歩いてA旧宅へ。ここはAが幼少のころ過ごした旧宅で国指定史跡になっている。ただし、個人宅のため屋内は非公開。そのすぐ隣にも国指定重要文化財の武家屋敷が建っているが、こちらも某家の個人宅のため非公開。さらに北へ500メートルほど歩き、Aの甥の子であるBの名を冠したB記念館へ到着。周辺には市役所、県の合同庁舎、裁判所などが立地している。B記念館も観光施設の雰囲気はなく、あくまでも記念館の佇まいである。ここの学芸員もすばらしい学芸員で、手の付けられないガキ大将Bの生涯と功績を、柔らかな口調で丁寧に説明してくれた。このBは医師、長官、総裁、大臣、市長、学長などの肩書きを持つが、スケールの大きな計画を立てる都市計画家でもあった。
 B記念館から北へ200メートルほど進むと江戸時代後期の地理学者の誕生地跡ある。この地理学者が著した書物は吉田松陰にも影響を与えたに違いない。腹が空いてきたので昼食。B記念館から徒歩3分の割烹料理店に入店。畳敷きに椅子テーブルを置いた個室へ案内される。この年齢になると畳に直に座るのが苦痛なので、椅子テーブルは大変ありがたい。メニューはちょっと変わったものを注文。ご飯はこの都市の特産品で作った器の中に入っている。品のある床の間がある落ちついた部屋で食事をしながら、この都市に蓄積された奥の深さや層の厚みを改めて感じた。
 昼食を済ませ、とある小路へ進入。この小路こそ、偉人を輩出したこの都市の真骨頂である。まず、今は資料館として公開されている某武家屋敷へ。その斜め向かいはBの生家で、茅葺屋根の主屋が一般に公開されている。そこから徒歩1分の所に、昭和に内閣官房長官や副総裁を歴任した明治生まれの某政治家の生家跡がある。ちなみに、この某政治家はBの甥にあたる。さらに、そこから徒歩1分でBの大叔父にあたるAの生誕地に着く。A生誕地は公園として整備されている。こんな狭いエリアに、江戸後期から昭和にかけての歴史が濃密に詰まっている魅力的な小路であるが、これだけでは終わらない。
 A生誕地から徒歩3分。この小路のどん詰まりに、内閣総理大臣となったCの生家とCの名を冠したC記念館がある。小雨の中、記念館はひっそりしていて、ほかに入館者はいない。こちらの学芸員も熱心で、Cの温厚な人柄や、凶弾に撃たれて散ったCの人生を丁寧に説明してくれた。ちなみに、CはBの1つ年下で、子供の頃、温厚なCはガキ大将のBにいじめられていたそうです。それほど大きな都市でもないのに、これほどまでに偉人を輩出した不思議な都市はどこでしょう。
[96298] 2018年 7月 14日(土)20:24:46千本桜 さん
路線価クイズの解答
[96258]白桃 さん

路線価クイズにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。白桃さん、正解です。大河原税務署管内における最高路線価は長年に亘り白石市の白石駅前通りでしたが、平成30年度、ついに大河原町の国道4号通りに変わりました。いまや、大河原は白桃さんにとって三本松、岡山、浦安に次ぐ第4の故郷といったところでしょうか。つきましては、ぜひ大河原町へふるさと納税を!
[96256] 2018年 7月 4日(水)19:47:23【1】千本桜 さん
路線価クイズ
国税局発表の2018年分路線価によると、A県の南部に位置するB市、C市など2市7町を管轄するD税務署管内では27年ぶりに最高路線価の所在地が変わり、それまで路線価トップを保持してきたB市の「駅前通り」を抜いて、D町の「国道4号通り」がトップに躍り出た。だが、D町も安穏としてはいられない。管内で最大の人口を有するE町がトップの座を狙っているからだ。2市2町が中心都市の座をめぐって火花を散らすなか、2市の市勢は弱まり、DID人口も小売販売額も2町の下位に甘んじている。C市に至ってはリングの外に弾き出されてギブアップ状態。ついに、平成28年度を最後に路線価図からも姿を消している。市は町村より都市的であるという考えは、この地域には当てはまらない。
A~Eに当てはまる名称をお答えください。

年度別、2市2町の路線価最高価格

都市名平成30年度平成29年度平成28年度平成27年度平成26年度平成25年度平成24年度
B市32,00033,00033,00034,00036,00037,00040,000
C市--22,00022,00023,00024,00025,000
D町33,00032,00032,00032,00033,00035,00036,000
E町31,00031,00031,00031,00031,00031,00032,000

訂正
「年度」は誤りで「年分」が正しい。例:平成30年度(誤)→平成30年分(正)
[96159] 2018年 5月 31日(木)19:56:20【1】千本桜 さん
盛岡市に略奪される北上市・花巻市
来月、日帰りで北上市の「みちのく民俗村」と花巻市の「宮沢賢治記念館」に行きます。
それなのに、旅行会社から届いた旅程表のタイトルは、なんと!「新緑の岩手路:盛岡市名所めぐり日帰り旅」。
「みちのく民俗村」と「宮沢賢治記念館」が盛岡市だなんて、なんでこうなるの? いい加減にせい!旅行会社。
[95643] 2018年 4月 3日(火)07:26:07千本桜 さん
ひょっとして、A市は静岡県の某市と姉妹都市?
[95642] シノレパシクソさん

A市といえば、C市・D市に次ぐC県第三の都市。
シノレパシクソさんは、あそこへ行ってきたのですね。A市の見た目の街の大きさは、東北地方で言うなら八戸・弘前より小さく、大崎・北上・大館より大きい。つまり、会津若松・石巻・酒田・鶴岡・米沢などと似た感じの大きさではないでしょうか。

川に架かった橋をJ(鉄道名)の列車が渡っている様子と、輝く川の水面とが合わさった光景はとても綺麗でした。
その列車の終点は◯◯温泉ですね。◯◯温泉は新婚旅行で行きました。あの頃はまだ、A市の近くに井原西鶴の作品を連想させる名の市があって、その市の某集落は杏の花の真っ盛りでした。
[95424] 2018年 2月 12日(月)13:49:35千本桜 さん
Re:北海道廃線マップ
[95422] 特急とりあたま さん
北海道廃線マップなんてものがありました。見やすいですね。
…あれ?僕が作ったやつだ。(それも数分前に)作るのは結構大変でしたよー。ミス等ありましたら向こうにコメントしてください。
「ミス等ありましたら向こうにコメントしてください」とありますが、あえてこちらに書かせていただきます。特急とりあたまさんの北海道廃線マップは空想地図なんですか? しかし、[95421] 伊豆之国さんの書き込みに対するレスであることから判断すると、空想で描いたものではなく、日経新聞の記事を基に図化した地図と思われます。しかし、ところどころに間違いが見受けられます。たとえば、根室や斜里あたりが「維持に最大限努める」として重要視されているのに対し、室蘭や帯広あたりは「維持に努める」と軽くあしらわれているって変でしょう。そのほかにも、ところどころ変な所があります。ですから、ごめん! もう一度、日経新聞の記事を読み直し、正しく分析して地図作りに励まれることをおすすめします。アタックチャ~ンス!ですよ、特急とりあたまさん。地図作りは、テクニックよりも調査・編集が大事と思いたい。
[95326] 2018年 1月 23日(火)22:01:08千本桜 さん
謎メッシュの謎が解けました
[95277] [95313] 千本桜

平成26年商業統計メッシュデータの「誤記らしき個所」について経済産業省へ問い合わせしたところ、さっそく回答を頂きましたのでお知らせします。

問い合わせ内容
1:3次メッシュコード59415045(つまり岩手県滝沢市鵜飼沼森)周辺は森林地帯で商業が立地していないのに、事業所数177、年間販売額3,814,423万円、売り場面積31,622m2と記載されている。何かの間違いかと思いますので確認してください。
2:3次メッシュコード59415045に記載された「事業所数177、年間販売額3,814,423万円、売り場面積31,622m2」は滝沢市全体の事業所数、年間販売額、売り場面積と酷似している。何かの間違いかと思いますので確認してください。
3:滝沢市に関わるメッシュは3次メッシュコード59415045以外すべて空白で数値の記載がない。つまり、滝沢市の小売業は鵜飼沼森の山の中の1キロ四方の中に集約されていて、市役所周辺などには商店がないことになる。これは何かの間違いかと思いますので確認してください。

以上の問い合わせに対し、さっそく丁寧な回答を頂きました。それによると「滝沢市に関するデータは正しく表せていませんでした」とのことです。つまり間違い、不完全だったわけです。研究者が基礎データとして活用するであろうデータが間違っていては信憑性がなくなりますから、非常に困ります。でも、私は遊びで、しかも無料でデータを使っているのですから、これ以上、経済産業省のデータ作成担当者をたたくつもりはありません。昔、ネットでメッシュ統計を見ることができなかった頃は、コピーを申請してデータを入手しましたが、2万5千分の1地形図1図幅(つまり2次メッシュ)のデータが1枚100円だったような。2万5千分の1地形図は全国で4,419面。全部で441,900円。これが無料なのだからありがたいものです。
[95313] 2018年 1月 22日(月)18:27:19千本桜 さん
メッシュ統計で遊ぼう
[95279] にまん さん
ざっと見たところ、滝沢市土沢にある「いわて生協事業本部」が怪しいですね。
情報をありがとうございます。それで、さっそく「いわて生協のHP」を開いてみました。すると「供給額386億2,433万円」と書いてあります。この金額は2次メッシュ姥屋敷の中の「3次メッシュコード59415045」に記載されている「年間販売額381億4,423万円」と似たような金額です。これで問題は解決かと思いましたが、事業所数の177が納得できません。そこで、あれこれ調べていると、滝沢市全体の数値と「3次メッシュコード59415045」の数値が似ていることに気づきました。平成26年商業統計における滝沢市の速報、確報および3次メッシュコード59415045の値を下に並べてみます。「3次メッシュコード59415045」では長たらしいので、「謎のメッシュ」とします。

種別事業所数 年間小売販売額 売場面
滝沢市全体の速報値178 38,108百万円 不明
滝沢市全体の確報値179 38,177百万円 31,679平方m
謎のメッシュ177 38,144百万円 31,622平方m

滝沢市全体の速報値、確報値と謎メッシュの数値はびっくりするほど似ているでしょう。このあたりに謎をとく鍵がありそうです。やはり「3次メッシュコード59415045」の数値は間違いかも。そんな気がしてなりません。


[95279] 白桃 さん
[95277] 「クイズここはどこでしょう」におつきあいくださいまして、ありがとうございました。A~Jの答えは下記の通りです。
A:盛岡 B:郡山 C:秋田 D:いわき E:会津若松 F:鶴岡 G:北上 H:須賀川 I:能代 J:一関

地域メッシュから都市の範囲を決めるに当り、2種類の定義を設定してみました。標準設定(辺が接していることが条件)とゆるめ設定(角が接していることが条件)です。でも、どちらも一長一短ありです。標準設定では水沢、大館、十和田などが過小評価され、ゆるめ設定では山形.天童、福島.伊達、岩沼.亘理などが過大評価気味です。

標準設定(辺が接していることが条件):年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士の辺が互いに連接して、年間小売販売額が100億円を超える地域を商業集積地域とみなす。
仙台13,996、盛岡3,950、郡山3,769、山形.天童3,697、福島3,388、秋田2,945、青森2,739、いわき2,732、八戸2,150、弘前2,001、石巻1,567、会津若松1,526、鶴岡1,056、酒田1,006、米沢900、北上897、古川879、大河原.柴田710、五所川原.つがる707、白河.西郷701、須賀川667、横手617、花巻591、能代586、水沢567、大館566、大曲552、気仙沼547、本荘541、一関534、登米530、むつ488、寒河江.中山485、宮古462、原町450、十和田445、勿来436、新庄429、大船渡386、不明(滝沢?)381、二本松.安達369、喜多方.塩川360、東根351、相馬334、岩沼331、愛子322、築館303、三沢295、南陽294、長井286、利府282、久慈275、釜石262、黒石262、二戸232、遠野230、御所野228、白石224、湯沢214、尾花沢.大石田208、船引206、本宮205、上山201、大和194、角田192、前沢187、鷹巣187、江刺177、村山169、亘理168、下田166、会津坂下163、棚倉161、角館158、十文字157、中新田153、三川148、矢吹147、西根145、涌谷143、船越141、紫波140、川俣135、千厩134、鹿角132、野辺地130、金ヶ崎127、石川125、河北123、上川沿.扇田123、小牛田121、若柳113、田島109、浪岡106、平賀104、流通センター100

ゆるめ設定(角が接していることが条件):年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士の角が互いに連接して、年間小売販売額が100億円を超える地域を商業集積地域とみなす。
仙台14,677、盛岡4,004、山形.天童3,921、郡山3,785、福島.伊達3,604、秋田3,186、青森2,797、いわき2,750、八戸2,167、弘前2,135、会津若松1,567、石巻1,567、北上.花巻1,495、鶴岡1,072、酒田1,035、米沢900、古川886、水沢.江刺802、須賀川.鏡石749、横手.平鹿711、白河.西郷710、大河原.柴田710、五所川原.つがる707、大館689、一関.平泉629、大曲597、能代589、登米569、東根.村山567、気仙沼547、本荘541、岩沼.亘理530、十和田528、むつ507、寒河江.中山490、宮古489、原町482、勿来439、新庄438、大船渡394、不明(滝沢?)381、二本松.安達374、喜多方.塩川370、相馬366、本宮.大玉359、築館303、黒石.尾上302、三沢295、南陽294、湯沢289、長井286、久慈278、白石275、釜石262、二戸238、遠野230、船越.天王219、尾花沢.大石田208、船引206、十文字.増田205、大和194、角田192、前沢187、鷹巣187、紫波171、下田166、角館166、会津坂下163、棚倉161、涌谷158、中新田153、川俣.飯野150、西根148、三川148、矢吹147、鹿角140、千厩134、野辺地130、金ヶ崎129、石川125、若柳.石越123、河北123、小牛田121、三戸.南部115、田島111、浪岡106、猪苗代100、流通センター100

少し苦めのコーヒーを飲みながら、こんなふうに独自の基準で都市の規模を算出しては昔の規模と比べてみるのが好きなんですよ。

ざっと見て、50年前より規模が縮小または相対的ランキングが低下たように感じられる都市:秋田、青森、酒田、大館、気仙沼、宮古、三沢、釜石、黒石、白石、湯沢、鷹巣、村山、涌谷、川俣、鹿角、若柳

ざっと見て、50年前より規模が拡大または相対的ランキングが上昇したように感じられる都市:仙台、盛岡、郡山、山形、天童、福島、北上、古川、大河原、柴田、須賀川、登米、東根、愛子、利府、御所野、船引、下田、三川、流通センター
[95277] 2018年 1月 17日(水)18:31:04千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
市町村単位ではなく、地域メッシュ統計から弾き出した東北地方の小売販売額ランキング。
例えば「仙台」は、北は富谷市、南は名取市、東は塩竈市を含む商業集積地域を指しますが、圧倒的に仙台の比重が大きいため、都市名は母都市のみを表記し「仙台」とします。また「福島」も伊達市の保原・伊達地区を含みますが、保原・伊達地区の比重が小さいため、「福島」と表記します。しかし「山形」「石巻」「大河原」「五所川原」「白河」については、母都市と連担して商業集積地を形成する天童、矢本、柴田、津軽、西郷の比重も大きいので、「山形・天童」「石巻・東松島(矢本)」「大河原・柴田」「五所川原・つがる」「白河・西郷」と連記します。異色は、やはり「大河原・柴田」です。市に至らない町なのに花巻・大館・気仙沼などを牛蒡抜きして18位にランクイン。日本の市制町村制って、子供だましじゃないかと思うこともあります。

順位都市名年間小売販売額(億円)
1仙台13,996
2A3,950
3B3,769
4山形・天童3,697
5福島3,388
6C2,945
7青森2,739
8D2,732
9八戸2,150
10弘前2,001
11石巻・東松島(矢本)1,567
12E1,526
13F1,056
14酒田1,006
15米沢900
16G897
17大崎(古川)879
18大河原・柴田710
19五所川原・つがる707
20白河・西郷701
21H667
22横手617
23花巻591
24I586
25奥州(水沢)567
26大館566
27大仙(大曲)552
28気仙沼547
29由利本荘(本荘)541
30J534

上のランキング表は、平成26年商業統計メッシュデータを基に選出した東北地方の商業集積地域と、その年間小売販売額を表しています。商業集積地域は千本桜が独自の基準で設定したもので、小売販売額1億円以上の第2次メッシュが互いに隣接し、小売販売額が100億円以上となる地域を指します。ここでの隣接とは、隣り合うメッシュの辺と辺が接していることで、角が接していても辺が接しないものは除きます。東北地方では、販売額139,961億円の仙台をはじめ、100億円を少し超す程度の青森市浪岡、栗原市若柳、南会津町田島まで、96の商業集積地域が確認できました。ただし、腑に落ちないメッシュが1つあります。1次メッシュ盛岡に属する2次メッシュ姥屋敷のデータです。事業所数177、年間販売額3,814,423万円、売場面積31,622m2とありますが、この販売額は登別市、鴨川市、西脇市、大川市の販売額に匹敵します。しかし、こんな山のなかに、そのような都市は存在しないし、イオンモールのような巨大商業施設も見当たりません。それで、2次メッシュ姥屋敷のデータは誤入力ではないかと考えるのですが、みなさんはどのように思われますか。

話が本題から逸れてしまいましたが、クイズに入ります。ランキング表のA・B・C・D・E・F・G・H・I・Jに当てはまる都市名を下から選んで答えてください。
十和田、盛岡、北上、一関、釜石、栗原、能代、秋田、鶴岡、新庄、郡山、会津若松、須賀川、いわき、東かがわ
[94790] 2017年 12月 30日(土)22:26:21千本桜 さん
仙南圏2市7町の人口増加率
この1年を振り返り、推計人口を基に宮城県仙南圏2市7町の人口増加率を算出してみました。
大河原町のみ人口増加で、ほかは全部人口減少でした。
ただし大河原町の場合、人口が増加するにつれて昼夜間人口比率が低下するという経緯を辿っています。

増加率順位市町名平成29年1月1日平成29年12月1日人口増加数人口増加率
大河原町23,68623,717310.13%
柴田町39,42539,146-279-0.71%
蔵王町12,11712,020-97-0.80%
角田市29,79929,434-365-1.22%
白石市34,78434,352-432-1.24%
村田町11,35111,177-174-1.53%
川崎町8,9508,784-166-1.85%
丸森町13,66213,357-305-2.23%
七ヶ宿町1,4261,361-65-4.56%
[94629] 2017年 11月 30日(木)13:14:42【1】千本桜 さん
Re:各市にある銀行
[94626] 桜通り十文字さん

大船渡市の銀行(岩手銀行、東北銀行、北日本銀行)が、ほろげでいるようです。ちなみに、大船渡市出身の新沼謙治は、芸能界で一番に壁塗りが上手なんだそうです。

「桜通十文字さん」を 「桜通り十文字さん」に訂正しました。失礼しました。
[94609] 2017年 11月 28日(火)06:31:07千本桜 さん
問七に関して
久々に十番勝負に挑んでみました。おもしろかったです。
問七の解答は、第一ヒント「開始時から想定解は16市減少しました」が手がかりになりました。


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