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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[95625]2018年3月31日
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[95621]2018年3月30日
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[95606]2018年3月26日
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[95597]2018年3月25日
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[95590]2018年3月24日
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[95570]2018年3月21日
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[95569]2018年3月21日
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[95529]2018年3月11日
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[95514]2018年3月5日
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[95492]2018年2月26日
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[95491]2018年2月26日
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[95483]2018年2月25日
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[95482]2018年2月25日
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[95394]2018年2月5日
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[95384]2018年2月4日
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[94766]2017年12月25日
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[94765]2017年12月25日
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[94731]2017年12月19日
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[94724]2017年12月18日
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[94696]2017年12月11日
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[94623]2017年11月29日
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[94622]2017年11月29日
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[94606]2017年11月27日
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[94467]2017年11月17日
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[94188]2017年11月11日
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[94174]2017年11月10日
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[94107]2017年10月30日
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[94096]2017年10月28日
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[94065]2017年10月23日
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[94063]2017年10月23日
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[94000]2017年10月14日
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[93971]2017年10月9日
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[93945]2017年10月4日
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[93942]2017年10月3日
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[93936]2017年10月2日
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[90128]2016年3月28日
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[90096]2016年3月22日
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[90053]2016年3月8日
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[86751]2014年12月5日
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[86631]2014年11月7日
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[95625] 2018年 3月 31日(土)21:52:23ekinenpyou さん
境界変更の分類についてなど
大字領域の解釈や変遷については北海道も特殊ですが、藩政村から大字へ変わった地域でも伝統を軽視した?結果
(大字自体が)消滅したり、領域が形骸化してしまう点については皆様ご存知の通りです。

上記の端的な一例はメンバー千本桜さんのホームページ(地理と地域)
大河原町の住所と大字の考察で詳しい解説がなされております。

境界変更の分類については議論が尽きないと思いますので、大まかに掲載・非掲載を分けてデータを
作成しておくという案で取りあえず良いのではないかと思います。
(できる限りデータ化しておきたいということですが、例えば[93900]むっくんさんの
大阪市の区設置に関するご意見も将来的には漏らさず忠実にデータ化するという認識で良いのでしょうか?)

別件で、[94787]むっくんさんの「若年首長の判明率想定(都道府県別)」などを拝見して、
類似の調査?をされている方がいらっしゃるようでレファ協に下記のような質疑応答がありました。

過去に行われた市町村長選挙の日付全てを調べたい
昭和40-50年代の地方選挙の候補者名・年齢などを調べたい

都道府県の「年鑑」「議会史」などで判明しなかった分を「選挙の記録」などで調べるという方法については
[94695]むっくんさん・[92936]Nさんなどで示されているので、ネットで見られるものはかなり広範囲に確認が
終えていると思いますが、紙ベースの資料にまで調査対象を広げるのは大変そうですね。
(当選者の氏名&年齢だけでも全国規模でわかるものがあれば良いですが期待は薄いかも・・・)

以下、少し長い余談

[95609]うっかりじゅうべえさんの
現:北九州市小倉南区大字田代・八幡東区大字田代について、素朴な疑問を1点

藩政村の頃、筑前国遠賀郡大蔵村(字?田代)は豊前国企救郡田代村と
別の地域であったという点はおっしゃる通りかもしれないのですが、
企救郡田代村の町村制施行以降の沿革を一部要約すると

M22.4.1企救郡西谷村大字?田代→S16.4.1小倉市→S29.4.1田代の一部を八幡に分割(以下略)

以上の通りで、この例はルールにもありますが
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
ということにもなるのではないかと思われるのですが、いかがでしょう?
(八幡市側に編入された場所の地名が田代だったかは未確認ですが)

参考・企救郡誌(S6)の町村大字略誌名所旧跡(西谷村)大日本郡分地図(福岡県)
S29.4.1の部分編入前は小倉(右中ほど)八幡(右下隅)双方の市に田代があったらしい。
(恐らく小倉は大字田代・右上だったと思いますが、八幡は大字大蔵字田代・左下)
[95621] 2018年 3月 30日(金)21:18:22ekinenpyou さん
可住地面積・メンバー紹介記事お礼について
しばしば過去ログにも登場している可住地面積について
e-Statの大幅リニューアルでサイトが重くなった?とかいう愚痴はともかくとして
こちらから市区町村別データ(Excel)をダウンロードできます。

こちらで任意の市区町村を選択し、次に表示項目選択のデータ種別で指標データを選ぶと
可住地面積1km2当たり人口密度も簡単に見られる。

データの中からごく一部を抜粋してみます(左が総面積で右が可住地面積)
静岡市葵区 1,073.76→145.37・浜松市天竜区 943.84→90.44・札幌市南区 657.48→113.48

上記のようなケースでは当然ながら人口密度が大幅に上昇し
同一市内の区ごとの比較などに参考として役立つことでしょう。
(住もうと思えば、林野にも住めないこともないという考えはとりあえずさておき)

しかしながら、ルール上は林野・湖沼に分類されなければ可住地ということになりますから、
そのまま人口密度を計算すると稀に他の区域との比較に適さないケースもあります(以下のような例)
北九州市戸畑区 16.61→16.05

その理由については過去ログに鋭い考察がなされた書込みがありますので、一部を再掲させていただきます。

[88737]かぱぷうさん
戸畑区の人口は現在5万8千人と大きく減らしましが、それでも面積が16.61km2と狭いので3537人/km2の人口密度を有します。そして、その狭い区面積の半分近くは製鉄所の敷地が占めているのでその分を除くと7000人/km2近い人口密度を有することとなるのです。


こうした市域で人口密度比較などを行う際には注意を要します。
(迂闊にデータの取り扱いを誤れば、地域に詳しい識者の方には地域のことをよく理解していない旨お見通し)

以上、少し遅れましたが、かぱぷうさんへの当方メンバー紹介文の
お礼もかねて投稿させていただきます、年度末のお忙しい中ご対応ありがとうございました。
初心者の方にとっては何だか古臭くてとっつきにくい・詳しい方にとっては既知の内容ばかりと
イマイチな投稿が目立ちますが、その点はご容赦ください。
[95606] 2018年 3月 26日(月)22:11:36ekinenpyou さん
Re:松蔭神社(←ココにも誤字があります。)など
[95599]伊豆之国さん

当方の簡単なクイズ?にお付き合いいただきありがとうございます、
タイトルもさることながら見事な模範回答です。(確かに佐賀県にも・・・)
答については皆様おわかりだと思うので今回は省略としてクイズを終了します。
(万一わからないという方はコメントいただければ対応しますが)

話がかなり飛びますが、上記だけですと少々書込みの資料価値が乏しいので1件小ネタを追記しておきます、
色丹島(北方領土)の読みですが古くから「シコタン」ということでよろしいようです。

色丹はアイヌ語で「大ナル」「最モ良キ」「真ノ」村または場所の意味
古くは志古丹・支古丹とも書かれた(訛りで「シセコタン」島としている資料もあるらしい)
一方で斜古丹「シャコタン」は島北東部の地名(同名の集落や近隣に斜古丹崎・斜古丹山などがある)で
これが島(近隣小島含む)の村名になりS8.10.1に色丹村へ改称(左側上部の村名変更)

参考・色丹村勢一斑 昭和12年版 (画像2枚目島内全図、3枚目右端沿革)
大日本地名辞書 続編(色丹、左下から次ページへ続く、同書のM19千島国ヘ編入はM18の誤記と思われる)
太政官布告 第1号根室県下「シコタン」島千島国ヘ編入

※Wikipediaにおける下記箇所は事実かどうか少々疑問
色丹島
古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。
島の名称で「斜古丹」は疑問

色丹村
M17.7.11から斜古丹村が存在していたように記述されているが成立はM20.5.23と思われる
(M18.1.6色丹郡成立の段階でもまだ村ではない)
北海道庁布令全書. 明治20年1-6月(左端)・M20.6.7官報(雑事欄)(左上の新村設置)
[95597] 2018年 3月 25日(日)17:46:52ekinenpyou さん
地名などの誤記誤植について
特急マガジン5期5色(誤記誤植)のお話を読んだついでに
正誤字新辞典(S5)という辞典を元ネタとして1件投稿しておきます。

※当然ながら文言で古いものがありますが、中高生以上の方はある程度理解できると推測
誤用とされている例でも現在は定着しているものもあり(例・慣用読みなど)、
年代による(判断)基準の違いとか共通点が見られる部分などをご覧になっていただければ一興

その1・PCなどの普及で(近年は)あまり見られなくなった誤記
飛騨国(弾ではない)新潟県(瀉ではない)

飛弾さんという名字の方はそれなりにいらっしゃるらしい(出典名字由来net)

その2・誤記だった可能性があるが現在では正誤の判断が難しいもの
鍛冶と鍜治
本来は上記の組み合わせだったようだが、双方とも良く似て紛らわしい字だった影響か
「鍛治」という地名表記もそれなりに見られる。

参考・鍛治町(Wikipedia)

※文字が見づらい方は適宜漢字拡大表示ツールなどを活用してみてください。

以下余談(簡単すぎるクイズなので答えなくても全く問題なし)
実は拙稿[95491]で示した都内地形図の説明ページにも誤記が含まれていましたが、それはどの部分でしょうか?
一応ヒントを記しておきます。
「誤記の方は漢字単独で市名になる」
[95590] 2018年 3月 24日(土)14:44:41ekinenpyou さん
Re:槐戸・市区町村変遷情報の境界変更について
[95579]グリグリさん
お忙しい所、拙稿[95569]の掲載対応ありがとうございました。
(現地名が具体的に示せなかったので参考程度という意味あいで投稿しましたが、十分満足のゆく内容だと思います)

[95577]むっくんさん・[95583]グリグリさん
回答ありがとうございます、収録基準ついての説明(見解)についてはおおむね理解できました。

以下、少し長くなりますが当方の所感などを述べます。
境界変更についてはある程度(規模の大小などによって)分類され、
それを選択表示させることができれば閲覧者にとっても有益なのですが
(2) 境界変更(大)まで 実質的に「藩政村」の変遷を記載

上記を満たしているか分類(判別)する過程において少々手間がかかるケースがあり、
各人により見解(解釈)が異なる可能性もあると感じております、
具体例として[93775][93776]むっくんさんの投稿から2件を選んで例に示します。

1.新潟県
# 1921(T10).11.20 境界変更 南蒲原郡三条町 南蒲原郡 三条町, 大島村の一部(大字島田)

上記が抜けているというご意見について
大島村(※大字島田)は既存7大字とは少々異なるもの(新設大字?)である可能性があり
これを実質的に「藩政村」の変遷と解釈してよいのかどうかについては
各人により見解が異なる可能性があると考えます。
※後年の地形図だと川の対岸、三条町側に「島田」とあるのでその付近?

参考
新潟県市町村名全書. 明治42年12月改正(右端の大島村)・南蒲原郡史(T4)(右ページ中ほど大島村)
南蒲原郡全図(M29.5)(左上付近)・5万地形図(三条・S6修正)(スタンフォード大学サイト内、地図右上)

2.北海道
#67 1916(T5).4.1 新設/町制 常呂郡野付牛町 常呂郡野付牛村, 「常呂村の一部」
「」の箇所は境界変更により編入されており、かつ大字単位ではないので掲載除外すべきであるというご意見について

町制同日の境界変更は常呂村大字少牛村・手師学村の各々一部を編入したもので、
編入前後の地図を比較すると、編入後は町の北東部で境界が大きく拡張しているように思われる。
(常呂村大字太茶苗村のあたりに達している)
実態として※大字少牛村の領域の大半は野付牛に編入された可能性があり、
これを概ね大字単位の境界変更ではないと解釈してよいかについても判断が分かれる可能性があると考えます。

※常呂村に残った大字少牛村についてはかなり領域が狭かった可能性があり、翌月T5.5に早くも廃止されている模様(大字手師学村は残った)

参考
野付牛町勢一斑 大正5年(画像3枚目右下・6・7枚目)・網走支庁管内明細図(T7)(画像3枚目の真ん中付近)
北海道行政区画. 昭和2年5月30日現在(右端の常呂村)
[95570] 2018年 3月 21日(水)10:06:21ekinenpyou さん
Re:自治体越えの地名(板橋区舟渡/川口市舟戸町)
本件少し長くなるので、別投稿としました

[95554]特急とりあたまさん
東京都板橋区舟渡/埼玉県川口市舟渡町


[95556]hmtさんで既にコメントがありますが、
川口市の方は舟戸町(ふなとちょう・渡→戸)で住居表示実施による新しい町名なので
板橋区舟渡(ふなど)とは「たまたま読み方が似ているだけの地名」ということになるのかもしれません。

※Wikipediaの舟戸町 (川口市)にも同様記載あり、面積は広いですが人口はゼロらしいです。

また板橋区舟渡の由来ですが
Wikipediaの舟渡 (板橋区)に地名の由来が記載されており似たような記述が他所にもあるので
恐らくだいたいあっていると思いますが、一応古い資料も確かめてみました。
北豊島郡誌の左ページ(蓮沼村の小名)に確かに「舟渡」の記載があります。

次に、変遷情報への境界変更の収録基準については
[95557]むっくんさんにて細かな説明がなされておりますので、
当方からは2件の境界変更について官報掲載内容へのリンクを示しておきます。

1926(T15).10.1 横曽根村の一部(大字浮間)→岩淵町(町村境界変更・左下から次ページへ続く)
1950(S25).4.1 戸田町の一部(大字上戸田の一部)→板橋区(総理府告示第58号・左ページ中央上部)

なお、以下は個人的な見解ですが(変遷情報の)収録から漏れる境界変更の中には
(自治体なり地域の)沿革を要約したレベルの資料でも掲載されるものがあり、
例えば板橋区の区勢概要にはS25.4.1に戸田町の一部を編入し舟渡3丁目とした旨が記載されています。
(リンク先からダウンロードできるPDF15コマ参照)

ですので、例えば市の変遷が現状変遷情報とは別コンテンツに分かれているので、
そちら側にのみ掲載対象としてみるとか※国分寺市と府中市の境界変更などのように
何らかの形で埋没させず活用されることを期待したいと思います。

※告示は府中市例規参照

当方メンバー登録からまだ日が浅く細かなやり取りまでは把握していませんが、
現状は変遷情報に「(3-a) 境界変更(小)まで(人口異動あり)」に該当するものが残っていたら表示されているが、
本来は収録(表示)対象にすべきではないという認識で良いのでしょうか?
[95569] 2018年 3月 21日(水)10:02:05【1】ekinenpyou さん
現在の東京23区内に存在した「槐」(さいかち)
「槐」の字を使って(さいかち)と読む地名ですが、
現在の都区内エリアには少なくとも3箇所存在していたようです、
1つは[95551]伊豆之国さんで既に示されていますが、残り2つを示します。

2.千束村字槐戸(現:台東区)
Wikipediaの台東区の町名にも記載あり
読み典拠は官報(M16.11.9)右ページ中ほど、布達・東京府甲第61号・北豊島郡千束村槐戸浅草区ヘ編入

3.志村大字西台字槐戸(現:板橋区)
北豊島郡誌の右ページ、大字西台に属する小字より
読み典拠は同上の右ページ西台村の小名より
(年代が異なるため、槐土など多少の表記ゆれがありますがサイカチは共通の読みと推測)

以上のような例があることから、他にも都区内にあるかもしれません
収録については既に消滅していると思いますのでご自由にどうぞ。
(ログに残っていれば十分というレベル)

※官報日付誤記訂正(M16.1.9→11.9)
[95529] 2018年 3月 11日(日)10:09:13ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その3)など
[95517]むっくんさん
詳細なまとめ報告ありがとうございます、ネットでは得難い知識を得られる貴重な書き込みです。
本件はあまり知られていない部分であり、もしかすると地方自治百年史などの
専門書でも細かくは書かれていないかもしれません。

[95525]hmtさん
自治年鑑1948のデータは有用な情報が含まれている反面、国勢調査や変遷情報と矛盾する点もあるようです。
まるごと信用することはできない。そのように評価しました。

同感です、組合町村については各資料の記述に少々頼りないところがあるようですね。

例えばWikipedia(町村組合)にある
三重県 雲林院村・河内村組合(1889年~1956年)共同で組合役場を設置

ですが、終了年1956(S31)については[95517]むっくんさんの書込みの他
伊勢年鑑(S17)という資料でも村長・役場とも別々であることがわかりますから再考の必要があろうかと思われます。

※古くは役場を統合し組合村だった点は正しいようです
参考・新旧対照市町村一覧(M28)(左中ほど)
改正新旧対照市町村一覧(T2)(右上)では既に役場が別々なのでかなり早い段階で組合解消?

本件はそもそも若年で当選した首長の一覧から派生した話題なので
(最後まで残った役場事務組合については)具体的にどの町村であるか示す資料が見つかり
それが想定の範囲外であった場合にこちらへ報告するという形でよろしいのではないかと思われます。
[95514] 2018年 3月 5日(月)21:37:26ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その2)
少々遅れてしまいましたが、本件コメントします

[95493]むっくんさん
役場事務組合についての解説ありがとうございます、S18の法改正で確かに132条に但書が追加されておりますね。
129条で一部・全部の事務組合区別があるという点は把握できていたのですが
132条についてはあまり詳しく見ていませんでした。
拙稿[95492]
旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭
は少々不適切な説明だったかもしれません・・・

最後まで残った役場事務組合が後免町・野田村ではないという点も了解です、ひっかけ問題?に誤答したようです。
一応高知県統計書(S34年の市町村職員数)でも確認

以下に、少々長文ですが役場事務組合について特徴などを簡単にまとめておきます。
(不確実な箇所が含まれていると思うので間違いなどがあればご指摘ください)

1.対象となっていた自治体や組織の仕組みなどについて

対象自治体は(一部事務組合と異なり)町村のみだったと思われます。(市は対象外)
出典:広域行政のあり方4コマ・参議院会議録情報地方行政委員会第8号(S28.7.13)にも下記記述あり

役場事務組合につきましては、地方自治法に組合というところの規定がございまして、その中の二百八十四条の第三項というところに、町村にのみ認められる組合として規定がございます。


2.Wikipedia(町村組合)以外でネット公開されている組合町村名や数などがわかる資料について

組合町村名については自治年鑑(1948年版)(町村長の氏名)
組合町村名が少々わかりづらい箇所があり(福島県など)補完としてこちらなども参照のこと
※旧法施行期間のものはこちら(S16)など(組合町村を明示)

数がわかる資料は例えばこちらにS27.11.10現在?の組合町村数が掲載されていることを確認

旧法施行期間刊行の内務省統計報告では町村会・組合会などの数(S17.12.15現在?)も記載されていますが
右側中央解説に組合会は町村制129条2項に拠って町村全部の事務を共同処理するため設置したものとあるので、
表に計上されているものは全部事務組合における組合会の数を示しているように思われる。
(一部事務組合の組合会もあるはずだが未計上?)

※町村会・組合会の数は実態と異なる可能性あり(和歌山・福井など)過去の同じ表とも比較してみた方が良い。
町村・役場数も誤りがある可能性があって、両者で集計日付が異なるため厳密な比較はやや難しいかもしれません。

上記資料を総合的に参照するとある程度は役場事務組合だった町村名を絞り込めると思うのですが、
肝心の「最後の一つは?」という答えはS34.10.1以前に消滅している町村がほとんどでよくわかりませんでした。
(従来から存在していたものでは無く新しく作られた組合だった可能性もあり?)
[95492] 2018年 2月 26日(月)21:42:25ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史
本件、それほど詳しくありませんが少し調べてみたので手短にコメントしておきます。

[95477]むっくんさんで紹介されていた参考資料に記載のある
第29次地方制度調査会答申ですがポイントをまとめたPDFがあって2コマ左上に
現行事務の共同処理の仕組みと運用についての概要が図でわかりやすくまとめられておりました。
これによるとかつての全部事務組合・役場事務組合は特別地方公共団体の一種だったようです。

その首長職はどのような形(肩書きなど)になるのかは
[95469]むっくんさんで既に解説があるのですが高知県誌で組合町村だった後免町・野田村を見てみると
人物の箇所(左端)には町長1名のみが記載されておりました。

※細かいですが地方自治法は日本国憲法施行のS22.5.3施行のはずなので[95458]むっくんさんで記載のある
蓑田 高さんがS22.4.-就任で正しければ恐らくぎりぎり旧法施行期間内にも中田・碇石村組合の村長?を
務めていたと推測、旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭ですが旧法人の首長職消滅というルールは
地方自治法とだいたい同じだった模様

[95484]hmtさん
1959年まで残った役場事務組合の名は不明
むっくんさんから別途コメントがあるかもしれませんが
前述の後免町・野田村がS31.10.15の時点では唯一残った全部事務組合ということなので
(裏付けは取っていませんが)両町村が最終的には役場事務組合になって?
S34.10.1の合併で南国市となり全組合町村が消滅したのかもしれません。
[95491] 2018年 2月 26日(月)21:18:59ekinenpyou さん
Re:特急マガジン寄稿への感謝
[95485]特急とりあたまさん

拙稿をマガジン登録していただきありがとうございます、テーマに沿った書込みが少ないということですが、
例えば特急とりあたまさんご自身でテーマに沿った書込みを投稿し
そちらをマガジン登録してみてもよろしいかと思います。
(毎回とは限りませんが、[95486]伊豆之国さんのような追加のレスがある場合もあります)

地名表記のズレについては既存のコンテンツ
(例えばアーカイブスの呼称が複数ある地名~地名呼称の多様性~)などとの共通点もあるかもしれませんが
全てが同一内容というわけではありませんから、テーマに沿った書込みについては
(必要以上に短期間で沢山投稿するとかでなければ)差し支えは無いものと思われます。

[92797]山野さんで模範的な例が示されていますが、
例えば駅名と近隣地名が微妙に異なるものを掲示板過去ログなどから参照すると
JRの三ノ宮(三宮)・智頭(駅名は「ちず」町名は「ちづ」)
ネットの住所データや地図類を探せば他にも阿佐ケ谷(阿佐谷)など
色々と見つかると思いますのでお時間のある時にでも探してみてください。

以下、余談
表記ゆれでしばしば登場する「ヶ」の字ですが昔の地形図を見ると
何かの地図記号と勘違いするくらい文字が非常に小さく控えめに書かれているものがありました。
(そのように書くよう決められていた???)
四谷(地図左下の千駄ヶ谷)荻窪(地図真ん中下の阿佐ヶ谷)
出典:外邦図デジタルアーカイブ(東北大学附属図書館/理学部地理学教室)
「千駄谷」「阿佐谷」と見間違えてしまいそうですね・・・
[95483] 2018年 2月 25日(日)14:52:22ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その2)
その1の続きですが、やや長文なので投稿を分けます。
拙稿[95482]末で述べた例で代表的なものとしては
[89901]hmtさんでも触れられていた大阪「Osaka」があります。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、国土地理院が作成する地図などにおける地名のローマ字表記には
S29内閣告示1号におおむね従ったルール(H16施行)が存在しています。

その内容は[91476]MasAkaさんの書込みでも紹介されている「地名のローマ字表記」という
PDF9~11コマでおおむね確認できますが、注目すべき点は11コマの左下(4)で「Osaka」を例示する際に
「のばす音(長音)を表す記号は省略することを原則とする」という
S29内閣告示1号に明記の無いルールを追加している点です。

上記ルールの前身となるものが20年ほど前のS59から既に存在しており、
こちらも「地図におけるローマ字表記の問題点」というPDF6~11コマで内容をおおむね確認可能です、
H16施行のものとルールは似通っていますが、9コマ下部(4)に長音記号省略のルールが無いので
(S29内閣告示1号に忠実に従った)「O^(文字上に長音符号)saka」「OOSAKA」という表記が例示されています。

前述箇所における新旧ルールの主な相違点は長音省略を原則とした結果「Osaka」を許容範囲内とした点であるとも
考えられますが、ルールに従っていた「OOSAKA」の例示も無くなっており
こちらはかなり見慣れない表現だったので「Osaka」へ差替えたかったという意図も隠されているかもしれません。

なお、もう一つのルール範囲内表記である長音符号つきの「O^saka」は
PCでの入力方法があまり知られていない影響かネット上のテキスト文書としてはそれほど多く見かけませんが
S29内閣告示1号の前身だった「国語ノローマ字綴方統一ノ件」(S12.9.21内閣訓令第3号)
(現代仮名遣いの本文はこちら参照)で例示されている(ただし長音符号はマクロン:文字上に横棒)他、
AMS(旧米国陸軍地図局)の作成した地図の(L775 Southern Honshu 5万図・Osaka Ko)
テキサス大学図書館のデジタルアーカイブ(日本地図)内などにもこの表記が採用されており、
長音を表示する必要があるときの例に引続き示されたままになっています。
(Unicodeも一応設定されいるので、国際的にもそれなりに認知度があり
滅多に見かけない表記というわけではないという解釈?らしい)
[95482] 2018年 2月 25日(日)14:44:12ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その1)
特急マガジンに関連トピック(地名表記のズレ)がありますので、
(初歩的な内容で恐縮ですが)当方からも少し書き込んでおきます。

今日では日本国内での東京の(ローマ字)表記は「Tokyo」で定着していますが、
かつてはドイツ語などと同じ「Tokio」という表記が長期に渡り国刊行の統計資料でも用いられていました。
(大日本)帝国統計摘要、第2回(M21)53回(S14)など参照
京都(現:kyoto)はkioto・兵庫(現:hyogo)はhiogo

現在のローマ字のつづり方に関するルールについては
[89901]hmtさんにて解説されていらっしゃるので省略しますが
「Tokio」という表記は現在では(ルールに従っていないため?)あまり
(日本国内では)見かける機会は多くないと思われます。

しかしながら現在でも「Tokio」が日本国内で用いられている例があり、
その理由が日本語ローマ字表記における外国人への「配慮」についてというPDF8コマに記されていました、
明治前半の英字書籍?でも「Tokio」としているものがあります。
The Japan Directory 1884(M17)

以上の点はWikipedia(ローマ字表記の例外)にも一部解説がありますが、ルールに従っていないと思われる表記が
従っているものより定着している例もあるので、次の投稿で例示したいと思います。
[95394] 2018年 2月 5日(月)21:14:55ekinenpyou さん
岡山県備前市福浦について(補足)
連日投稿になりますが肝心の現:備前市福浦について拙稿[95384]ではあまり書かなかったので補足しておきます。

岡山県では字区域の名称変更について告示を行っているらしく、
同市成立時期のH17年告示214号(2コマ下段)にて備前市(大字)福浦の存在が確認できました、
ただし単なる「福浦」ではなく他と足並みをそろえる形で「日生町福浦」になっています。
(これが正式名称のような気もしますが、公報誤りなどの可能性もあり)
合併時の案内には一切無いので、限られた領域にのみ残る特殊な大字であることは間違いないでしょうか。

したがって、大字福浦の残部再編については岡山県公報に該当する告示があれば詳細がわかるかもしれません、
昭和期など過去のものについては岡山県立図書館に所蔵があるようです。

[95386]Takashiさん
素早いご指摘ありがとうございます、日生町寒河・寺山が異なる地番区域である点、了解しました。
当方の迂闊な推測で誤りを書き込んでしまい申し訳ございません
※地図サイトで地番が網羅されていない点は(サイトに)明記されており当然ながら理解しています。

余談ですが重複地番が例外的に付番されたケースもあるようです。(いわゆる「山地番・耕地番」
近年、不都合が生じるケースが多くなったため(約150年の時を経て?)解消を行っているとのこと
実施地域の詳細はこちらをご覧ください。
[95384] 2018年 2月 4日(日)10:50:24ekinenpyou さん
日生町大字福浦の境界変更について
[95311]そらみつさん・[95312]Takashiさん・[95314]hmtさん
などから始まった、一連のやり取りにおける当方の推測などをコメントしておきます。

そもそも旧:日生町(福河村)大字福浦の寺山地区にあった字「東山ハナ」が
現在は備前市日生町寒河に存在しているというリンク先記載の典拠は何によっているのでしょう?
ネットの地図サイトなどでは容易に事実確認ができないような気がします。

明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・

という疑問はさておき、取りあえず日生町寒河にあるという前提で考えると、
日生町大字福浦のうち岡山県側へ残った箇所の再編(鹿久居島東部の大字日生への編入や大字寺山の新設?)は
S38の境界変更後、比較的早期に実施されているような気もします。

なお、日生町寒河寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
再編時に?地番整理なども実施した結果、
寺山地区の大字福浦字「東山ハナ」が大字寒河の字になったのかもしれませんね。

また、この地域の沿革については福河村(Wikipedia)などにも記述がありますが、
若干事実と異なると思われる点もあるので
参考として和気郡誌(M42)での記述箇所について、下記にリンクを示しておきます。

島嶼(日生諸島についての解説・取揚島の分属についても記載あり)
町村沿革(日生村・福河村)
[94766] 2017年 12月 25日(月)20:40:47ekinenpyou さん
Re:東京35区時代の地形図事情
分割連続投稿ですが本件別途補足しておきます。

[94736]hmtさん
2.5万図については、需要の中心であることを考慮し、既に編集作業の終っていた合併前の原図を利用した「二色刷り」を採用し、35区発足から1ヶ月というスピード作業により発行することを実現した。

1万図については、正規の編集作業により、時期としては遅れた。それでも戦時中に発行できた。

5万図をどうするか? とにかく2.5万図の作業を優先させてから考えた。
既に時代遅れということもあり、未修正のまま約2年遅れの1934年に発行した。
上記は恐らくおっしゃる通りだと思われます、なお東京西南部(5万地形図)については拙稿[94765]で紹介した
第二次大戦前後の日本の地図事情の第二次大戦直後の地形図(4~5コマ)に76-7-9(S23.10.30発行)
で加刷修正されている点が記されていました。(それまではS7測量の旧版を流用したようです)

東京西南部(2.5万地形図)については戦後初の76-7-1-4(S22.7.30発行)から既に(右上地図枠外に)
大田区・世田谷区などの記載があります。

なお、余談になりますが1万図は戦災復興都市計画図というものがあります。
S22.5月(3月15日の35→22区再編後・練馬区発足は8月)発行とありますが※S12測量地形図をベースとして
S20.8・9撮影の空中写真から地物を反映し戦後間もない東京35区時代末期の実態を示しており、
こちらも都市計画図のため?地理院図歴には載っていません

この地域で戦後S30年代まで新しい1万図が作られていないのはこうしたものが存在していた影響でしょうか?

※世田谷(part42)を見ると代田連絡線と思われるものがはっきり描かれており
鉄道などは結構厳密に補入されている模様
[94765] 2017年 12月 25日(月)20:38:37ekinenpyou さん
昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況など
長文の書込みで恐縮ですが拙稿[94731]で予告していた投稿です、
既にご存知の方も多いと思いますが、おさらいということで要点をまとめておきます。

タイトル年代の地形図発行状況ですが太平洋戦争開戦の少し前までは※秘図とされた地域を除くと
特に制限なく販売されていました。
参考:陸地測量部発行地図目録S6.9現在発行・発売について

※秘図地域とは?
例えば発行地図区域一覧図で北海道北端(宗谷岬周辺)は海岸線が点線表示になっており、
地図の存在が明示されていないがこちらのサイト一覧表(北海道地方)を見ると、
上から3番目のリンク声問近傍(軍事極秘)に実在していることがわかる。

一覧図の詳しい見方は備考(下部)参照(ただし秘図地域は恐らくS19.10のものでS6.9現在と同じではない点注意)

なお、※スタンフォード大学のサイトで公開されているものは秘図地域も一部含まれており、
宗谷岬の地図は右上に軍事極秘と明記
(この地図にも「一般の需要に供する為め」云々という表記がありますが、仮製版の
各地図共通でテンプレート化された文章が残っているだけ?と推測されます)

※5万図以外にもオンラインで閲覧できる地図が多数ありますので、関心のある方は各自検索してご覧ください。
参考:国立国会図書館サイト
米・スタンフォード大学図書館、デジタル化した地図へのリンク機能を持つ索引図をオンラインで公開
検索結果(日本地図)同左(陸地測量部)1:25,000地形図(5万図に無いエリアを一部補完可能)

秘図地域についての見直しなどは随時あったと思いますが、
とりわけ大きな制約がかかったのはS16.10.15官報広告(左上)で示された「発行地図中一部発売停止」です。
(1万&2.5万図全部と5万図の一部について特別な場合を除き一般販売停止)

しかし太平洋戦争開戦後も(太平洋)沿岸の一部地域などで修正測量が秘密裏に行われ
終戦のS20には(当該地域の)集成1:50,000地形図(欠が多い)も作成されています。
(これらは公式刊行図という扱いではない影響か地理院図歴には載っていません)

以上、下記に前掲サイト以外で参考としたPDFで(比較的短めの)主なものをいくつか示しておきます。
(部分的に内容重複するものあり)

地図一覧図について―陸地測量部~地理調査所発行地図の索引類―
陸地測量部発行地図を中心として見た昭和前期の地図事情とその地図見本
幻の昭和19年地図一覧図―陸地測量部内邦地図成果の総大成としの総大成として―
第二次世界大戦中に日本が作った地図第二次大戦前後の日本の地図事情

国土地理院サイト
企画展「戦後復興を支えた地図と測量」で公開されているPDF(データ1データ2データ3など)
[94731] 2017年 12月 19日(火)20:54:00ekinenpyou さん
Re:陸地測量部1万分の1地形図
[94730]hmtさん
戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されている


[94724]拙稿で「地理院サイトでは見れません」と書きましたが、これは説明が不適切で
旧1万分1地形図を選ぶと画像はやや不鮮明ですが外邦図デジタルアーカイブと同じものなどが一応閲覧可能です。

昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況などについては
より具体的に実態が解説された資料(PDF)がありますので、そちらの紹介などもかねて後日再度コメントします、
今しばらくお待ちください。
[94724] 2017年 12月 18日(月)20:57:39ekinenpyou さん
Re:Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94719]hmtさん
[94720]Takashiさん
本件、補足コメントします。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?
地理院サイトでは見れませんが陸地測量部作成の1:10,000地図を外邦図デジタルアーカイブで閲覧できます。

→インデクス・マップ検索(左から2番目)→エリア(日本)&縮尺系統(1:10,000)で表示ボタンを押せば
リストが出てきます。(S7.10東京市編入区域はおおむね見れるはず)

例えば世田谷の地図(S12修正測量)はこちらです(拡大可能でかなり鮮明に見れます)
※S11.10の砧・千歳両村の世田谷区編入も反映済みの模様(二子の地図などを参照のこと)

軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。
これは当方も同感です、S12修正測量地図右上には「一般の需要に供する為め」と記載があり、
なおかつ二子の地図(左下)にはS14.5.30発行(定価金13銭)とあります。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたかを
具体的に示さないようにしている※のはS9.4.30発行の1:25,000地形図も同じため、
昭和一桁の後半から意図的な情報統制が行われたと考えられなくもないですが・・・

※詳しくは今昔マップなどでご確認ください、
S6.6.30発行の1:25,000地形図・東京西南部にはちゃんと書かれています。
[94696] 2017年 12月 11日(月)21:04:43ekinenpyou さん
Re:新潟市の住居表示
[94691]敷守ほむらさん
当分は市が主導して住居表示することはないだろうなと思いました。仕事が増えるのが面倒なんでしょうね(笑)
「仕事」を「コスト」に置き換えるとより導入に消極的な理由が鮮明に・・・以下少々本題からそれますが

最近、公益財団法人・国土地理協会というところが地名変更情報を掲載しているのを見つけたのですが
こちらは比較的有名なので過去ログでも、時折登場しているようです。
ただし、少々の漏れがある点も留意しておいた方が良いと思います。(下記のような事例です)

1)岡山市南区灘崎地域の住所表記変更
→2010(H22).3.22住所表示から灘崎町がなくなる2010年3月の変更に明示なし
2)盛岡市玉山区の住所表記の変更について
→2016(H28).4.1住所表示から玉山区がなくなり
玉山区永井、玉山区馬場は玉山永井、玉山馬場へ大字名が変更となるが2016年4月の変更に明示なし

※念の為いずれも前後の数か月分もチェックしたが掲載は無い模様

こうした漏れ・抜けなどが生じ得る可能性を考慮しているかどうかは?ですが、
国土地理協会ではあわせて郵便番号の変更についても履歴を掲載しています。

岡山市の例は2010年3月分、盛岡市の例は2016年2月分で郵便番号の地名変更があった点だけは
把握できるようになっています。

なお、過去ログ(キーワード検索結果)の[89997]ぺとぺとさん[90000]hmtさんで
触れられている愛西市平和町の成立→消滅ような例はかなり特異で、
郵便番号の変更履歴を調べてもその変遷を的確に把握することができません。

愛西市平和町の郵便番号496-8020は2007(H19).1に後追いで新設された状態で現在もそのまま残っているためです。
(新設が後追いになった関係で削除も漏れているのかもしれませんが正確な理由はよくわかりません)

いずれにしても、新しい地名へ変更された経緯や詳細は自治体のサイトなどを見なければなりませんが、
その都度チェックするのは限界があるので、横断的に住所変更情報をまとめた
住所データ・郵便番号データの日本基盤データベースなどもあわせて見ています(例えば新潟県で抽出も可能)、
ただし、(住所変更実施から)掲載されるまで(おおよそ1年半程度の)タイムラグがあるので、
もし他にも良さそうな地名変更情報掲載サイトなどがあればお教えいただければ幸いです。
[94623] 2017年 11月 29日(水)20:48:35ekinenpyou さん
地図サイトに新しい地名が反映されるタイミングは?
分割連続投稿になりますが、素人っぽい疑問を一つ書き込みます。
(回答についてはもし詳しい方がいらっしゃればということで構いません、
過去ログに似た質問があるかもしれませんが・・・)

地図サイトによって表現にバラエティがある点が話題になっていますが、
従来の地名が変更されるなどして新しい地名になった場合はどういったタイミングで反映されるのでしょう?

例えば東京都新宿区の本塩町は今年の9.19から四谷本塩町になりましたが
この書込みをしている時点ではまだ新しい町名を反映している地図サイトはほぼ皆無のように思われます。

翌年実施予定の千代田区三崎町、猿楽町の町名変更などと一緒にしてある時点(年度末など)で
まとめて地図サイトが一斉に足並みを揃えて更新しているのでしょうか?

なお、郵便番号検索では既に四谷本塩町平成28年度版郵便番号簿の変更案内(5コマ)にも
変更した旨が記載されています。
(単なる表記ゆれっぽいものも変更されており、正しいものは厳密には一つだけという考え方らしい?)
[94622] 2017年 11月 29日(水)20:38:18ekinenpyou さん
Re:飛び地
[94608]そらみつさん
国勢調査の小地域集計を見ようとしたんですが、スマホだと文字化け
マップDe統計(ページ下の方)というアプリも用意されているようです(小地域集計のデータも見れそうですが)。

以下、余談です

拙稿[94606]で書いた砺波市花島の構成元になった村は3つあったらしくその成立時には村の境界変更が
行われたということになるようです。(種田村大字高儀新村字花島が主な構成要素)
変遷情報に似た形式で書くと以下のような感じでしょうか

T2 境界変更 東礪波郡 五鹿屋村 ← 同郡 種田村の一部, 野尻村の一部

他村の地域を一部編入した結果、大字に相当するものが新設増加しており(既存の大字が別の自治体へ
丸ごと移動したわけではないのですが)大字単位に準じる規模の境界変更であったと考えられます。

本件は実施月日が不詳で官報広告にも掲載がみあたらず、そらみつさんの書込みが無ければ
調べなかったと思うので思わぬ収穫でした、個人的には廃置分合履歴の一つとして記憶しておきたいと思います。
[94606] 2017年 11月 27日(月)21:23:28ekinenpyou さん
Re:気になる住所(砺波市の飛地)
[94567]そらみつさん
気になる住所を見つけました。
富山県砺波市高堀
上記について少し調べてみたのでコメントします
まず、落書き帳メンバー倉田昆布さんのサイト内の富山県ではmapion表記に倣っています。
また、こちらのブログ(ケース136)では「南砺市高堀にある砺波市花島の飛び地」とありました。

さて、ここから本題です
[94568]Takashiさん
砺波市高堀という住所はおそらくない

[94589]にまんさん
南砺市のGISでは、そもそも、飛び地が存在していない形で市境が書かれています。
お二人のコメント他も踏まえると、当方も飛び地とは言い難い(花島の一部)という説を有力視しています。
平成の大合併前の旧砺波市史資料編5(集落)の273~275コマ「花島」を見てみましたが、
274コマ下部「現況」の図で砺波市側の花島と福野町(南砺市)側の(mapionでの)飛び地は同じ区画として描かれており
(極めて軽微な分断なので同じにしているだけかもしれませんが)
275コマ「小字と小地名」でも「高堀」という字名・地名について言及がありません。
高堀は明治の町村制施行以前から存在していた歴とした村名(大字)で
そうした字名が花島にあれば何かしら説明があってもおかしくない気がします。

しかしながら、[94591]EMMさんで
それぞれのデータ制作者は何らかの根拠があってそのように表現しているはずなんですよね
とあるので、大正初期に当時の五鹿屋村(後の砺波町→市)に花島が成立した際に未整理の飛び地が
残りそこに「高堀」という字名がつけられた可能性も否定できませんので
真相の究明には花島成立当時の字名一覧や現状のブルーマップなどを調べてみる必要がありそうです。
[94467] 2017年 11月 17日(金)20:24:45ekinenpyou さん
Re:変遷情報について
[94407]グリグリさん
お忙しい所コメントありがとうございます。

一応Excelファイルは当方HPでダウンロードできるようになっており、
改変・再配布などについて特に制約はありません。
ただし変遷情報とは当然ながら作りが異なっており、理解しにくい点が少なからずあると思われます。
(もしご覧になりたい方がいらっしゃればご自由にどうぞ、ファイルの置き場所がわからないという
書込みがもしあれば別途リンクを追記します)

なお、私事で恐縮ですが最近「国有鉄道・JRの駅所在地変遷履歴」という
当方HPコンテンツ作成の過程で上記の廃置分合関係ファイルを参照したのですが、
(誤りなどが明白で)差替えたい箇所がいくつか見つかったので、
(最終更新から3年ほど経っていることもあり)この機会に少しリメイクをしても良いかなと考えています。

その際にはこちらの掲示板過去ログなどの一部内容も再度まとめて拝見し、
(以前作成した際にも参考になる箇所がいくつかあったので)
必要に応じて反映できればなおよいと思い、お知らせもかねて書き込ませていただきました。

本件は特に急いでいるというわけではないので、時間をかけてゆっくり取り組む予定です。
メンバー間で共有・更新に値するクオリティの成果物ができればベストですが、
関心のある方に(必要に応じて)参照してもらうという程度の物でも十分だと思います。
[94188] 2017年 11月 11日(土)17:54:00ekinenpyou さん
Re:沖縄県での明治合併
昨日の続きを投稿します。

[94126]hmtさん
下記の5県で市制町村制施行に先立って行なわれた統合[78760]。これは例外的な事例と思っていました。
宮城県(区への境界変更を含む)、茨城県、千葉県、神奈川県 明治22年3月31日(新制度施行の前日)
静岡県(町村) 明治22年3月1日(新制度施行の1ヶ月前)
上記の他、高知県も同様の措置が行われたはずです。(参考:[85122]むっくんさん)

また、[84174][84179]にて記載のある
糸満町を設置した明治41年沖縄県令第22号
ですが、明治三十五年・三十六年の村の分合配置区域字名について(4コマ左下)
原文の写しと思われるものが掲載されており、それによると確かに
M41.3.31施行で旧村の名称は全て字で統一されています。

沖縄県についても、宮城・茨城・千葉・神奈川・静岡各県について示されている「市制町村制施行直前の廃置分合等」と同様の「一面真っ赤リスト」が作成されるのが理想だろうと思います。
将来的には変遷履歴情報に反映されれば好ましいのでしょうが、
現状はお一人で更新対応されていらっしゃるようなので限界はあるものと思われます。

なお、廃置分合関係の履歴情報については当方自身で簡単にまとめたものを(Excelファイルで)別途作ってあり、
疑問点などが生じた際には変遷履歴情報の記述などと都度比較しています。
これにより変遷履歴情報で未反映だったり事実と異なっている箇所なども比較的容易に確認が可能となっています。

以下は希望するメンバーの方がもし複数いらっしゃればという前提での仮の案になりますが、
廃置分合関係の履歴情報を電子データで(変遷履歴情報とは別に)作成&共有しておき、
当面はそちらも(メンバー有志で)更新してゆくという形を検討してみてはいかがでしょうか?

本格的な検索などを備えたシステムを構築するのは少々手間がかかりますが
単一Excelファイル程度のものであればそれほど作成&更新は煩わしくないはずです。
(やる気があれば)明治の市制・町村制施行前に遡って(部分的に分かる範囲で)作っても良いでしょう。
[94174] 2017年 11月 10日(金)21:27:19ekinenpyou さん
Re:明治18年 葱畑?に作られた 大阪ミナミの鉄道ターミナル
予定していたコメントを投稿します

[94082]hmtさん
西成郡難波村の大阪市編入は明治30年。変遷情報を見ると「西区に編入」となっています。難波新地の南区とは異なる区になったのでしょうか?
本件はWikipediaの西成郡もそのような記述ですが、当時の官報の記述とは明らかに矛盾しています、
[65293]むっくんさんにて模範解答が示されているようです。

「大阪駅」の所在地であった曽根崎村
クイズの補足ありがとうございます、こちらも[79553]むっくんさんで記載がありますが仰る通りです。

なお当時の地図(内務省発行)がこちらのサイト様に掲載されており
停車場敷地(右上付近)はおおむね同村内に含まれていたと思われます。
(大阪府統計書の記載とも合致)

上記地図に難波駅は描かれていません(左上隅が六番町と難波村付近)ので、
M18末頃の大阪(右下にM19.1地理局とあり)と推測されます、
ちょうど地方行政区画便覧(M19.1現在)と足並みを揃える形で地図も作られた※ようです。
PDF(3コマ右側の大阪実測全図)参照

難波駅開業後10年ほどたった第一次市域拡張前の大阪市明細地図(M28)では
湊町(現在のJR難波)駅※との対比も(大雑把ではありますが)拡大すると確認できます。

※市制施行後ほどなくM22.5.14開業、こちらはM32.2.28官報で所在地が大阪市南区難波(右側2段目の大阪鉄道)
なので恐らく市域拡張前は西成郡難波村が所在地だったと推測していますが未確認
(市内の湊町も若干含まれている?)

以上、[94126]についてのコメントもまとめて投稿しようか迷いましたが
例によって長くなりそうなので後日投稿いたします。
[94107] 2017年 10月 30日(月)20:15:48ekinenpyou さん
Re:沖縄県島尻郡伊平屋村の分村
[94036]hmtさん
コメントをいただいた件、いくつか回答します。

町村制施行時の変遷情報には旧村名が記されていません。
神奈川県などいくつかの県で行なわれたのと同様に、制度変更に先んじて直前の合併を行ない、その後で 新制度を施行するという2段階の処置が行なわれたのでしょうか?
従来は旧村名が記されていたようですが[69110][69541]むっくんさんの記事などを参考とした上で、
「旧村はM41.1.1に従来の間切・島が村へ名称を変えた際に字となり消滅しているため、
M41.4.1に合併は行われず」という認識のもと記載しない形で修正が行われたようです。

また、伊平屋村分村についての詳細な解説ありがとうございます。
「伊是名村が伊平屋村から分立(分離)した」という表現は実態にそぐわないという点が良く理解できました。

伊是名村(Wikipedia)を見てみると、変遷情報と同様の記述になっており
恐らく出典元資料の書き方に依拠していると思われます。

それにしても、1908年の沖縄県及島嶼町村制施行で名乗ったのが、何故「伊平屋村」だったのか? など疑問は残ります。歴史的価値から伊平屋が上位だったのでしょうか。
M29の郡設置で伊平屋(諸島)だったので、(伊平屋が)そのまま村名になったということだと推測されます。
(沖縄県土地整理法(第二十五条・右側中央)でも間切に準ずるものとして伊平屋島と記載あり)

伊平屋村と伊是名村との違いの問題でなくて共通の問題ですが、沖縄県の北部にありながら「島尻郡」に帰属している
沖縄案内(島尻郡)によると地理的に他郡に近い離島の村も島尻郡に含めた理由として
那覇港を中心とする交通(舟運)の関係で郡役所が那覇にあった点を挙げています。

なお、現在の伊平屋・伊是名両村は北部広域市町村圏事務組合に所属しており、
例えば※小選挙区(区割)は名護市や国頭郡と同一区で、
学校で使う教科書も島尻採択地区と同じだったものが近年国頭採択地区に変更されました、
実態は国頭郡の近隣自治体と同様の扱いになっているようです。

※落書き帳メンバーIssieさんのサイト内に詳細な記述あり

少し長くなりましたので[94082]に関するコメントは後日投稿します。
[94096] 2017年 10月 28日(土)18:13:38ekinenpyou さん
掲示板の使い方や敬語表現について
私自身もあまり良くできた人間ではないのでコメントできる立場ではないかもしれませんが、
予定していた投稿の前に[94071]特急とりあたまさんの書込に関して少し所感を述べます。

「万人ウケする」ネタが少ないと感じました。クイズももうすぐ店じまいをして、「みんながわかる」記事を書くことに気をつけたいと思います。
ネガティブな内容で恐縮ですが、「万人ウケする・みんながわかる」記事を書いたとしても
掲示板で多くの方から反応(レス)を得るのは恐らく簡単ではありません、
一方でローカル・マニア向けの記事でもそれなりにレスがつくものもあります。

レスを返すかどうかは書込内容や個人の考え方・都合などにより様々です、
例えば特急とりあたまさんが別の方の書込みにどのように対応しているかなどの
過去発言もレスを返すのが妥当かどうかを判断する要素の一つになっているでしょう。

書込へのレスに関する考え方は[94073]山野さんとおおむね同じ考えの方が多いのではないかと思われます、
(当方は自身の書込にレスがあればなるべく返すようにしていますが)特に返答を期待しているわけではありません。

以下、余談ですが・・・[94066]グリグリさんで指摘があったご拝読くださいをGoogleなどで検索すると
[94033]で特急とりあたまさんが誤用してしまった原因の一端を垣間見ることができます、
敬語表現について必要以上にとがめるのは少々気が引けますので、このあたりで所感を終えたいと思います。
[94065] 2017年 10月 23日(月)21:18:43ekinenpyou さん
Re:一文字地名あいうえお
[94018]グリグリさん
コンテンツ拝見しました、「小字にも対象拡大」ということですが一音地名の一音小字でも
該当が無いので残りの部分を埋めるのはちょっと難しいかもしれませんね。

地図サイトに記載されない小字を探してこちらのサイト様で
(地名データブック→高知県内の字一覧)を少しだけ見てみたのですが・・・以下略

余談ですが長野県小諸市丁のようなものは現在も大字?で残っているものは珍しいのかもしれませんが、
高知県吾川郡いの町上八川丁下八川丁などと同じ類のものと考えられなくも無さそうです。

[93959]うっかりじゅうべえさん
なるべく同じ漢字、同じ読みがない地名
ということでしたら、福井県敦賀市手(一音地名の一音大字に記載あり)あたりでも良いかもしませんね、ただし
なるべく読みが長い地名
ではなくなってしまいますが・・・

なお漢字・読みともに一文字の地名(落書き帳アーカイブズ)を見てみると甲乙丙などの「十干小字」や
石川県などの「かな(カナ)小字」は小字レベルだと多数存在していると思われるので、
どうしても無い場合は仕方ないですが、町名・大字・字の全てでユニークそうな地名という点も優先考慮して
選定してみるというのは如何でしょうか?もしくは小字から選定したものはその点を明示しておくとか・・・
[94063] 2017年 10月 23日(月)20:14:50ekinenpyou さん
鉄道国有法で買収されなかった南海鉄道、クイズの答え
予定していた投稿が諸事情で少々遅れまして恐れ入ります。
[93949]hmtさん
マガジン(鉄道特集号)を拝読しました、その中で
[61109]hmtさん
新聞記事によると、原案は 17社買収 だったものが、提出直前に 32社 に改められたとか。
既に記したとおり、貴族院の修正で 15社 が削除されて 17社 に戻り、南海鉄道は買収を免れました。
上記経緯について当方で少し補足させていただきます、貴族院における32→17社買収の修正過程は
帝国議会会議録検索システム鉄道国有法案外一件特別委員会(M39.3.20~26)で流れを把握することが可能です。

全部読むと長いので要点をまとめると、まず政府側は8コマ左上隅あたりの質疑応答で鉄道国有法第一条の
但シ一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道ハ此ノ限ニ在ラス
にあてはまるものとして10社を示しましたが、この時点では川越・東武・中越・南海・中国(5社)は
含まれていませんでした。

ところが後日示された修正案は(10社に5社を加えた)17社買収案に回帰しており、この点について先日質問を行った
曾我 祐準は「従来10社を地方の鉄道としていたはずだが、それより多くなっている」という点を
政府側に確認しています(4コマ下部付近)
10社を削る中途半端な修正が煩わしく元の案に戻しただけなのかもしれませんが、
法案が反対否決されるのを防ぎたかったという政府側の譲歩があったのかもしれません。

その後貴族院→衆議院で順次修正案が可決され法案が成立に至っています。
(本会議M39.3.27などに詳細な記載がありますが非常に長いので省略、要約はこちらなどを参照してください)

なお、当初は南海鉄道が紀和鉄道(同社を吸収した関西鉄道は後に鉄道国有法で買収された)を
買収予定だったという話は(wikipediaにも記載があり)比較的知られていますが
開通五十年(南海鉄道)わが社の国有問題によると大正期にも国有買収計画があったそうで、
度重なる買収の可能性があったがその都度幸運にも?免れたという事になるようです。

以上、前置きが長くなりましたが拙稿[93971]のクイズの答えについては
【A】(明治)22【B】(南海)難波駅ということになります。
(当時の地図などを調べると他にもあるのかもしれませんが細かくは見ていません)

[83142]hmtさんによると、難波村はM30.4.1市域拡張まで市外である旨記載がありますが、
開通五十年(南海鉄道)当時の難波界隈によると難波駅構内予定地として六番町と難波村の土地が買収されたらしく、
M22.4.1市制施行の時点で所在地に大阪市内(難波新地六番町)が含まれていると判断しました。

※参考:難波駅の所在地はM32.2.28官報大阪市南区難波新地六番町(右下の南海鉄道)
難波新地六番町は地方行政区画便覧(M19.1現在、真ん中付近)で大阪南区

地理関係と異なる分野の長文失礼しました。
[94036]hmtさんの書込みに関しては、日を改めて補足コメントいたします。
[94000] 2017年 10月 14日(土)14:13:52ekinenpyou さん
Re:分属・分裂の使用事例 そして トカラのこと など
予定していた投稿の前に拙稿[93971]の件、少々補足します。

[93977]hmtさん
「地所幾分を裂き」の使用例として示していただいた富山県の事例は、「一部を分けて」という程度の意味で使われており、「分裂」が「分割」を意味することまでは示していないと思われます。
コメントありがとうございました、当方も同一見解です。

拙稿[93971]
「裂」は「割」と類似の意味だったのかもしれません。
ですが、「裂キ」「割キ」双方が「一部を分けて」という意味で併用されているという事実を
書いたつもりだったのですが、説明不足でうまく伝わらなかったようで恐縮です。

大村町や富山県の事例が「分立」である点や「分割」との違いについては理解しているはずです。(多分・・・)
例えば、福島県の事例(上段真ん中からやや左)では(文面は「分割」という表記で統一されていますが)
伊達郡 立木村を「分割」し※立子山村・青木村を新設、
小手村の一部から小島村が「分立」・・・以下略と解釈しています。

※原文は立子山村を立木村としているが誤記?官報の二十六年末市町村現住人口表(真ん中付近)は立子山村

なお「分割」ですが、新設自治体名に従来と同じものが継続して使用された場合
「分立」と区別し難く混同されるケースがあるので注意を要します、
例えば、1939(S14).7.1 分立 島尻郡 伊是名村 島尻郡 伊平屋村の一部
官報広告(左下隅)の記載通りならば「分立」よりも「分割」が妥当でしょうか、
類似例は他にもあると思われますから慌てて修正する必要は全くありませんが・・・
[93971] 2017年 10月 9日(月)22:12:39【1】ekinenpyou さん
簡単なクイズ、明治時代の変遷記録についてなど
あまり問題を作るのは得意ではないのですが、ご挨拶を返していただいた
お礼という事で今回のみ若い方向け?で簡単なクイズを1問だけ出題しておきます。
([93748]白桃さん他のご指摘もあるため、以後クイズ投稿は慎みたいと思いますが)

問題:【A】【B】にあてはまる適当な語句をお考えください
===============================================
現在の大阪市内には多くの鉄道駅がありますが※、市制が施行された
明治【A】年4月1日時点で、市内に存在していた(開業済みの)駅は【B】だった。
===============================================

※若干古いですが、近年どの程度の駅数があるかなどはこちらが参考になります。

ヒントはありませんが掲示板の過去ログをご覧になられている方でしたら解答は比較的容易に出せると思います。
【B】の駅は大阪市に市制が施行された当時のエリア(境域)内でお答えください。
[93849]むっくんさんで示していただいた境界付近にあったもの(自治体越えの鉄道駅)でも可とします。

なお、関連する内容(クイズではありません)で後日次回の投稿を予定しておりますので
解答者無しでも全く問題ありません。

以下、書き込みへのコメントです。
[93947]hmtさん
早速のコメントありがとうございました。

「分属」とは、実質的に複数の「編入」を意味しているものと理解することができます。
中略
私の関心がそそられたのは、「分裂」という言葉が使われていたことでした。

「分属」「分裂」ともにあまり見かけない表現ですが確認してみたところ、明治期に少し使用例が見つかりました。

「分属」(上段真ん中:茨城県那珂郡 六箇新田を廃止して中根村外四箇村に編入)
「分裂」(3コマ右側:長崎県東彼杵郡 大村の一部から大村町を新設)

この他、右上隅の雑事:合村及改称
地所幾分ヲ裂キ
とありますので「裂」は「割」と類似の意味だったのかもしれません。

また縮小再置ではないのですが、実態として従来の境域を縮小し分立したものに
戦後の三島村・十島村(鹿児島県)の例がありますが、特殊な経緯※のため
廃置分合も慣用的な手続きとはならず、境界変更などで一村が成立するという特異なものでした。

1952(S27).2.10
境界変更/改称 大島郡 三島村 大島郡 十島村の一部
村制 大島郡 十島村 大島郡 十島村の一部

※ご存知の方も多いと思いますが詳細は
トカラ・十島村の「格差」と地域の政治(15コマ下部あたり)をご参照ください

少し話が逸れるのですが、三島村は地方選挙への関心が高く投票率が極めて高いということでした。

※URLを直接記載せずテキストリンクへ訂正、以後原則テキストリンクを使用するようにします。
[93945] 2017年 10月 4日(水)21:13:53ekinenpyou さん
【続】地理関連サイトの紹介など
度々連投で恐縮です
本日も冒頭で地理関連サイトの紹介を1件させていただきます。

Geoshapeリポジトリ:サイト内に歴史的行政区域データセットというページ(今年できた模様)があって
市区町村境界の歴史的変遷を地理院地図に表示させるなどが可能です。
(ベータ版とありますが特に支障なく使えました)

続きまして、掲示板書込みへのコメントです。

[93887]山野さん
JR北海道の駅廃止、3年連続ですね。(またもや、根室線です)
来年度のダイヤ改正を以って、羽帯駅の廃止が決まりました。
拝見しました、地元の同意もあってのことだと思いますのでやむを得ないのでしょうね。

余談になりますが北海道旅客鉄道・極端にご利用の少ない駅(平成28年3月26日現在)
路線図上で赤丸の駅のいくつかは既に旅客営業を終えていますが
ある意味有名な?室蘭線の小幌駅は緑丸の駅になっていました。

下記のような観光事業などを行って良好な結果が出ているということなのでしょうか、
http://www.town.toyoura.hokkaido.jp/hotnews/detail/00002331.html
その将来について明るい兆しが見えてきたということなのかもしれませんね。

[93925][93933]Takashiさん
市内における位置や方角にちなんだ区名(東、西、南、北、中央、中)が多くの市で使われており
参考になります、六大都市(東京を含む横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)で
全共通の区名が無い点に気が付きました。
(北区の5つが最大?横浜は北が含まれるのは港北区のみ)

複数の市で用いられている区名を使用されている都市の多い順に並べますと
区名でのリストをTakashiさんが作って下さったので、漢字1字ずつでも調べてみました。
http://uub.jp/zat/shichosonmoji.cgi?SEKU=1&B=%8D%C5%90V

似たような結果になるのは当然として、市区町村名の文字頻度分析の上位にある「田」「大」「山」あたりは
「見」「緑」などよりも下位になるようです。
なお漢字の「緑」が使われている市町村は現在は無く政令区のみです
(政令区は)比較的近年の設置のものが多いですが「ひらがな」を使った区名はまだありません。

[93944]グリグリさん
歴史地理学会ですが、有名な日本地理学会さんと似た名前なのですが別のもののようです。
http://hist-geo.jp/histricalgeo/enkaku.htm
人によって嗜好は様々なので関心があるものを選んで読んでみるという形で十分かと思います。

熊本県の市町村合併史はかなり「通好み」な内容になっていますね、
今後も見ごたえのあるサイトなどを見つけたらこちらで時々紹介してみます。
(メンバーの方の中には、既に知っているという方もいらっしゃると
思いますがその点はご容赦ください)

以上、長くなってしまいましたが一連のコメントをご挨拶も兼ねて書き込ませていただきます、
地理関連の知識については浅学ゆえお役にたてるかどうかはわかりませんが、
今後も(必要に応じて)書込みを行いたいと思います。
[93942] 2017年 10月 3日(火)21:30:12【1】ekinenpyou さん
地理関連サイトの紹介など
連日の投稿で恐縮です
本日は1件地理関連サイトの紹介をさせていただきます。
こちらの参考情報や近年の掲示板過去ログは
事前に簡単に確認していますが、万一重複の際はご容赦ください。

歴史地理学会のサイト内にアーカイブ事業というページがあり
地理関連の過去の出版物が多岐ジャンルに渡ってPDFで公開されています。
高度な知識が必要とされるものも多いかもしれませんが、
資料価値が高く読みごたえのあるものも含まれているようです。

以下、掲示板書込みへのコメントの続きです。

[93802]hmtさん
告示文を探したのですが、1903/10/3の官報には見出すことができませんでした。
青森県サイト探索も不成功。
1903(M36).10.3青森県告示第308号ですが下記(右下)にて確認できます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788180/114
官報は同月8日に掲載(右上隅)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949390/8

確かに従来の木造町はいったん廃止されているようです。

[93859]hmtさん
郡区町村一覧には「フリガナ」がありましたが不明瞭でした。河陽は カヤウ? 河陰は カミナミ?
[93862]グリグリさん
[93863]hmtさん
上記一連の書込みで補足を1点させていただきます、熊本県市町村合併史PDFの200ページ(コマ)で
「下野村の分村」についての記述がありますが、河陽村「カワキタ」とルビが振られています。
(このような読み方は珍しく、恐らく原典に近い形で写したものと思われます)

上記は難読なため、現在に至るまでに「キタ→ヨウ」「ミナミ→イン」という
一般的な読み方に変化したのかもしれません。

※過去ログと重複する内容があり若干削除・訂正させていただきました
[93936] 2017年 10月 2日(月)21:25:01ekinenpyou さん
メンバー登録のご挨拶など
都道府県市区町村
落書き帳 メンバーの皆様

はじめまして、ekinenpyou(駅年表:えきねんぴょう)と申します、
鉄道・地理関連の調査研究などを趣味としております。
このたび管理人のグリグリさんより事前にご承諾をいただきメンバー登録をさせていただきました、
以後よろしくお願いいたします。

早速なのですが掲示板の書込に関してコメントさせていただきます。

[93819]むっくんさん
「市区町村変遷情報」修正案としての書込みですが当方も関連分野の調査に少々関心があり、
時折参考にさせていただいております。

ご指摘の「千駄谷→千駄ヶ谷」ですが、確かに鉄道の駅名などは「千駄ヶ谷」で
町村の名称も正しくは「千駄ヶ谷」だったのかもしれないと感じました。

しかしながら、例えば地元の小学校は「千駄谷」と現在称すようで(同校HPなど参照)、
明治10年ころの資料では「千駄谷」「千駄ヶ谷」「千田谷?」と学校名表記は様々です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809837/5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809838/5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764082/23

「千駄ヶ谷」と「千駄谷」という表記はかなり古くから共存していて
どちらでも良いという考え方だったのかもしれませんね。
自治体名についても町村制施行から数年たった明治20年代後半の資料によって表記が分かれています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937070/25
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762146/4

また、関連して少し古い書込みになるのですが
[92894]白桃さん
今日検索していて気が付いたことがあります。
「千駄ヶ谷町」が出てきません。それもそのはず、「千駄谷町」になっているのです。


検索の使い方についてそれほど詳しいわけではありませんが
自治体名称「千駄ヶ谷」で検索する際に、揺らぎ文字
「ヶ ケ が」を区別する →「ヶ ケ」を区別しない に変更して検索すると
「千駄谷」としてですが変遷推移は追えるようです。

自治体名称は年代や資料によって表記に一貫性が欠けるケースも
少なくないのでどれが妥当なのか判断に迷うこともしばしばですが、
変遷情報検索ではこうしたケースでも融通が利くようにした機能を備えており、
折角なので色々試してみるのも良いかなと感じました。

以上、他にもコメントさせていただきたいのですが、一度に全て書くと大変長くなってしまうので
近日中に何回かに分けて(連投になってしまい恐縮ですが)書き込ませていただきます。
[90128] 2016年 3月 28日(月)18:31:36ekinenpyou さん
人口異動を伴う境界変更一覧など(追記)
度々で恐縮ですが下記コメントさせていただきます

[90104]オーナー グリグリ様
組替人口が確定報告で変わるとも思えないので、「ほぼ確定版」

組替人口は確定でしょうね、差異はこちらに書かれたように稲沢市と清須市の人口異動が相互かどうか、
差引異動人口無しの境界変更が存在するか否かという点ぐらいでしょうか

国勢調査の最終報告ですが、ごく稀に下記の通り事実と相違もあるので
今回はどのように書かれるのでしょう?

稀な例)H21.4.1仙台市と多賀城市の境界変更
多賀城市の一部(28人)を仙台市泉区に編入
多賀城市に隣接しない泉区?!組替人口は宮城野区が正しく増えているのですが・・・

なお今後も「サイトを更新したのでご覧ください」といった周知目的の書込は
国勢調査確定値反映時など、不定期にこの場をお借りして行いたいと思いますが、
今回のように説明が長く、読む方が限られる内容は関心のあるオーナー様と1対1
もしくは他に見たい方がいればその方も加え、少数名のメールでのやりとりが適切かと考えています。

こちらはスレッド表示タイプの掲示板ではないので閲覧する方の邪魔にならぬよう
使い分けたいと思いますが、いかがでしょうか?ご意見をお聞かせください。
(他にもいくつか疑問にお答えできるのですが、長くなるので書込は控えています)

[90107]YT様
分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要

小地域データは1995(H07)年までネットでデータ公開されているようなので、
当方サイトの上九一色村分割編入先(甲府市&富士河口湖町)組替人口は
1990年以前の人口で按分推計を使っています。

同様の問題が区設置組替でもありますが、例えば按分推計による組替人口と
札幌市統計書の小地域データの合計値による信憑性の高い組替人口を比べると
当然ですが相違が非常に大きな箇所が(古い年代は特に)出てしまうので、
当方サイトでのデータ公開は見合わせました。

組替人口の正確さを厳密に追求するのは個人の趣味レベルだと
どこかで妥協点を見出さなければならないと感じております。

こちらの表で空欄となっている2000年組替人口を完璧に埋めるのは
小地域データありきで当該市の地域名に詳しくてもそれなりの労力が必要でしょうし、
より古い年代(1990年以前)に遡ると、恐らく紙媒体の複写などに加えて
膨大なデータの電子化&分析も必要となりますので・・・

長文失礼いたしました
[90096] 2016年 3月 22日(火)18:13:53ekinenpyou さん
人口異動を伴う境界変更一覧など
[90077]オーナー グリグリ様

改めて当サイトをご紹介いただきありがとうございます、
無料HPなので広告表示がうっとおしいとか、表示が重いなど見づらい点もあるのですが、
[90053]の書込は事前に許可を得ており有害サイトへの誘導などの意図は全くないので、
(その点を気にしていた方もいると思いますが)安心してご覧いただければと思います。

まだまだ改善余地がありますので、より多くの方からコメントをいただければ幸いです。
(H27時点の地図に北陸新幹線が金沢まで表示されてないとか、一行程度の些細な内容で構いません)

[90092]人口異動を伴う境界変更一覧について、コメントします。

柏崎市と柿崎町の境界変更について
[90087]でYT様が既に見解を述べていらっしゃいますが
柏崎市例規集の自治省告示本文(写し)より法的にはH1.4.1実施と考えて支障無いと思われます。

また稲沢市と清須市のように、異動人口についての県告示が何度か変化したり
最終的に国勢調査の組替人口と一致しないまま(告示されず?)という例も結構あるような気がします。

正確な異動人口明細は国勢調査の最終報告まで待たされることも多いようですから
先日メールでお送りしたものは、「ほぼ確定版」という程度にお考えください。

例1)H22.12.1町田市と相模原市の境界変更
H23東京都告示473号
↓その後再告示
H23東京都告示1659号

例2)H24.4.1熊本市の区の設置に伴う人口
H24熊本県告示621号(p2下方)
その後再告示なし?

国勢調査速報値の組替人口は
熊本市統計書(H24)の区別、校区別、年齢階級別人口(平成22年)記載データなどと同じ

長文失礼いたしました
[90053] 2016年 3月 8日(火)20:11:48ekinenpyou さん
平成27(2015)年国勢調査の人口速報集計公表について
鉄道旅客輸送統計【懐古編】サイト管理人のekinenpyouと申します。

当方サイトは零細で発信力が乏しく、ほとんどご存知の方はいらっしゃらないと思いますので
非常に多くの方が閲覧されているこの場をお借りして下記のご案内させていただきます。
書込みにあたり、管理人様へ確認を取りましてHP紹介(周知)であれば問題なしとの
お答えをいただいておりますが、不快に思われるようでしたら適宜読み飛ばしていただければと思います。

タイトルの件ですが、当方サイトコンテンツにも公表値を反映させましたので、
もし興味を持っていただけるようでしたらご覧ください。
日本の市区町村人口推移グラフ(1920~2015現境域組替)

同上・日本地図

レスポンスやデザインなどで見づらい点もあると思いますが、何かのお役にたてれば幸いです。
ご意見・ご感想などございましたらレスをいただければと思います(今後の参考といたします。)

なお先日2010.10.2~2015.10.1までの境界変更における人口異動明細をサイト管理人(グリグリ)様宛
メールでご提供させていただいたのですが、ご希望の方が別途いらっしゃればエクセルファイルを
提供しますので(可能であれば当方宛メールにて)お知らせください。
[86751] 2014年 12月 5日(金)18:31:21ekinenpyou さん
Re4:市区町村変遷履歴情報の更新について
[86677][86724]
むっくん様・グリグリ様

色々とご教示いただきましてありがとうございます。

少し内容が重複しますが、[86677]にて例示していただいた市制町村制施行以降の(C)(D)年代の廃置分合に関する
官報の広告・告示についてはこちらのような経過をたどっている影響か都道府県告示などと比べてみると
掲載されていないものや齟齬があるものもかなりありますね。

なお、S12の春木町の新設についてですがこれは官報の誤植(右下部正誤参照)でした。
(確認漏れで気が付かず失礼しました、これを探すのに手間取り、リプライが遅れてしまい恐れ入ります)

上記のような懸念点があったため、当初は訂正リストをまず提示してから指摘事項の有無を確認し、
その後修正を行っていただくという段取りも提案させていただいていたのですが、今回は修正が先になりました。
結果として指摘はごく少数に留まりましたが、都道府県告示などと比較チェックできた部分はあまり多くないと思われるので、
この他にも若干修正すべきでないものを変えてしまったものがあるかもしれませんね。
当然ですが、[86724]の再修正については適切で支障はありません。

本件に関心のある方はあまりいらっしゃらないと思いますので、質疑応答は以上で完了とさせていただきます。
以降、掲示板の都度確認は行いませんが、廃置分合関連などで気になる点がございましたら、
メール(Twitter)などで当方宛へお問い合わせいただければ、分かる範囲で回答致します。

短い間ではありましたが、ありがとうございました。
[86631] 2014年 11月 7日(金)08:07:55ekinenpyou さん
Re:市区町村変遷履歴情報の更新について
こちらでの書き込みは初めてになりますが、市区町村変遷履歴情報訂正リストの提供者です。

[86602] [86617] グリグリ様

修正内容を確認いたしました、特に問題はございません。
お忙しい中、ご対応いただき誠にありがとうございました。

なお、法的根拠のやや乏しい部分に関しては不確定要素があるため
いましばらくの間は関連するご意見などが無いかどうか、掲示板の方を確認させていただきます。

この間、訂正内容などに関する疑問・不明点があるようでしたら、当方でも回答を行います。
(初心者ゆえ、あまり詳しくないのでわかる範囲での回答となりますが・・・)

以上、短い間ではありますが、よろしくお願いいたします。


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