都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
みやこ♂さんの記事が50件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[36937]2005年1月20日
みやこ♂
[36935]2005年1月20日
みやこ♂
[36934]2005年1月20日
みやこ♂
[36873]2005年1月18日
みやこ♂
[36868]2005年1月18日
みやこ♂
[36867]2005年1月18日
みやこ♂
[36856]2005年1月18日
みやこ♂
[36841]2005年1月17日
みやこ♂
[36773]2005年1月15日
みやこ♂
[36772]2005年1月15日
みやこ♂
[36763]2005年1月14日
みやこ♂
[36753]2005年1月14日
みやこ♂
[36748]2005年1月14日
みやこ♂
[36697]2005年1月12日
みやこ♂
[36660]2005年1月10日
みやこ♂
[36658]2005年1月10日
みやこ♂
[36211]2004年12月30日
みやこ♂
[36179]2004年12月29日
みやこ♂
[35944]2004年12月22日
みやこ♂
[35932]2004年12月21日
みやこ♂
[35890]2004年12月20日
みやこ♂
[35790]2004年12月16日
みやこ♂
[35761]2004年12月14日
みやこ♂
[35760]2004年12月14日
みやこ♂
[35689]2004年12月12日
みやこ♂
[35688]2004年12月12日
みやこ♂
[35644]2004年12月10日
みやこ♂
[35551]2004年12月5日
みやこ♂
[35530]2004年12月4日
みやこ♂
[35529]2004年12月4日
みやこ♂
[35495]2004年12月2日
みやこ♂
[35492]2004年12月2日
みやこ♂
[35491]2004年12月2日
みやこ♂
[35443]2004年12月1日
みやこ♂
[35416]2004年11月29日
みやこ♂
[35415]2004年11月29日
みやこ♂
[35373]2004年11月27日
みやこ♂
[35372]2004年11月27日
みやこ♂
[35254]2004年11月23日
みやこ♂
[35120]2004年11月16日
みやこ♂
[35047]2004年11月13日
みやこ♂
[35045]2004年11月13日
みやこ♂
[35000]2004年11月10日
みやこ♂
[34978]2004年11月9日
みやこ♂
[34823]2004年11月5日
みやこ♂
[34822]2004年11月5日
みやこ♂
[34821]2004年11月5日
みやこ♂
[34705]2004年11月2日
みやこ♂
[34696]2004年11月1日
みやこ♂
[34695]2004年11月1日
みやこ♂

[36937] 2005年 1月 20日(木)21:41:45みやこ♂[みやこ] さん
れすぽんす 2題
●ルート50号・レス
[36875] いっちゃん さん 「拡大両毛ネタ」
モチロン,不肖わたくしの出身校は旧制第四中学でゴンス。ただ我が母校,ご承知でしょうけれど,こんど中高一貫の共学校になっちゃうんですよね。わたくし,錚々たるメンバーからなる「ルート50号(最近聞きませんね)」の面汚し,ではありますが,何か置いて行かれるようでちょっと寂しい。でもね,○さんの「足利学校(Gさん紹介記事)」と,○っちゃん さん の「“宇都宮高校の本家[22974]”」に挟まれた「サコー([25226]文末)」としては,仕方ないのでしょうねぇ。“いい大学”を目指す人は,みんな越境入学しちゃいますもんね。
わたくしは成績劣悪で,同期生で組織した「裏口入学三羽ガラス」のウチの1羽だったものですから,通学も裏口(東口)から出入りしてたもんです。先日行ったら裏口へ続く路地が,野良猫が通るくらいの獣道になっちゃってましてね,裏口入学は無くなったんだと,安心しました(冗談ですからねっ!?)。終戦直後,昭和天皇が佐野への巡幸の際,この道を通って校庭に入られた,と知ったのはずっとあとの話,です。

●地獄谷コレクション・レス
[36889] なかなか さん
「地獄谷 所在地;滋賀県永源寺町」と「地獄谷温泉 所在地;熊本県小国町」の2点ご紹介ありがとうございます。前者はフリーパスさせちゃいましょう。でも後者はちょっと悩ましいですよね。微妙なニュアンスの違いですが「場所の名前」ではなく「温泉の名前」という感じ,でしょうか。これ,ちょっと保留にさせてください。しかし,速やかに切り返してくださるあたり,まるで最初から用意されていたみたい。色々悩まず,最初から素直にお返事した方がよかったです。

ところで、みやこさんのことを私は勝手に女性だと思い込んでいましたが
どうもすいません。バリバリの♂です。最初の書き込みでニョーボ話を書いていますし,[26836]でも再度告白していたのですが,そんなもんイチイチ気になさるハズもなく・・・。とっても不親切な名前ですよね。やっぱ,改名しようかな,何にしよう・・・。

最初の書き込みといえば,それは2004 年 1 月 20 日のことでした。ちょうど一年経ったんですね。おかげさまで楽しい時間を過ごさせて頂いております。「4つ以上の市町村が一点で交わる場所探し」「七差路探し」「市町村合併パラパラまんが」・・・色々な夢が叶いました。ありがたいことです。オーナーさんはじめみなさま,これからもどうぞ宜しくおつきあいのほどを・・・。
[36935] 2005年 1月 20日(木)20:40:48みやこ♂[みやこ] さん
上毛三山:佐野から見える山
[36880] sutekinaおじ さん 「さんさんさん ・ ・ 山」
もし両毛地域から見えるとしたならば「両毛三山」でもいいのでは?(文意をくみとり,省略記述 文責:みやこ)
いつもお世話になっております。
栃木県内の両毛地域で上毛三山が見えるのは,田沼や足利などの山の稜線を除けば,渡良瀬川流域に限定されます。特に佐野の街からでは大小山(山の頂上付近に「大」と「小」の文字看板が掛けてあるんですよ)が南に出っ張っているために,妙義・榛名は全く見えません。赤城も山の天辺だけです。足利の渡良瀬川北岸もほぼ同様だと思います。
これが渡良瀬川のそばまで行くと,一気に広がるんですね。お天気次第ですが妙義・榛名もよく見えます。しかし,それはコレらの山を知っていれば,の話。しっかり意識するにはあまりに遠く小さいので「あぁ,あの特徴的な山の名前は何だろう」とは普通,考えません。西のスカイラインで一番目立つのは浅間山でしょう。この季節,あたかも富士山と見まごうばかりの格好良さです。
したがって「栃木県内の両毛地域からは“ほぼ”見えない」のです。「山がある場所も見える場所も上州に限られる」なら,「両毛三山」と言うのはつらいですよね。いや無論,武州であるところの本庄市や深谷市あたりからよく見えることは承知しておりますが。

ちなみに佐野の南の方でどんな山が見えるかというと,まず遠く南にそびえているのは富士山。その右にはピークの判然としない関東山地が並び,それに重なるように見える銀嶺は八ヶ岳でしょう。その右には西上州の荒船山,浅間山,妙義山。それから榛名山の榛名富士,その辺に(草津)白根山。さらに巡って赤城山,袈裟丸山,皇海山,(日光)白根山,男体山,女峰山,唐沢山,三毳山,筑波山・・・と来て富士山に戻るわけです。唐沢山に登れば,冬の晴れた日には新宿の高層ビル群,ちょっと離れて池袋のサンシャイン60も見えます。東京タワーはどうだったかな。
で,最後に強引に地理ネタに持ってくると,佐野から見える都道府県は,栃木県はモチロンとして,静岡(ええっ?),山梨,埼玉,長野,群馬,茨城,東京(え?)ってことですか。もしも丹沢(神奈川)が見えていたらシメたものなんですが。
[36934] 2005年 1月 20日(木)20:38:23みやこ♂[みやこ] さん
北海道の三山:三山レス
地名コレクションの表で「現在検証中」と表示してある知床三山ですが,確定させるのはどうも無理みたいです。「羅臼岳・硫黄岳・知床岳をそういう」と聞いた(読んだ)覚えがあるのですが(地図リンク)。ネット検索では,「知床三山の羅臼岳・斜里岳・雌阿寒岳」と出る始末。百歩(いや365歩)譲って斜里岳は許そう!すごく格好いい山だし(それでも遠音別岳や海別岳の立場がないよなぁ・・・)。それだって,雌阿寒岳はアカンですよ。阿寒は知床とは言えないっす(地図リンク)。いや,呑気なもんだなぁ。どうしてもこの3つをまとめたきゃ「道東三山」でしょうね(←と,書いて念のため検索したらビンゴでした.ラッキーです.)。
他にも「知床三山」と題した写真も出てきました。こっちは「羅臼岳・三ツ峰・サシルイ岳」と山座同定いたします。かなり恣意的で小粒な三山ですね,編集子としてはとても納得いきません。まぁそんなこんなで結局,望んだ答えは見つからずじまいでした。

大雪山・トムラウシ山・十勝岳の「深田百名山トリオ」にも何かありそうですけど見つかりませんでした。強いて言えば「北海道脊梁三山」とか。←これがネット検索にかかるようになってそのうち流布されたりして(大雪山系三山:旭岳・十勝岳・富良野岳 というのは1件ヒット。でも間に挟まったトムラウシを除外しているのが全く解せません)。


[36881] EMM さん  [36880] sutekinaおじさん
「雄山」、「大汝山」、「富士ノ折立」・・・・・・「立山三峰」
採用です。だってソレ,使ってましたもん。改めて調べておりませんでしたが,おかげさまで助かりました。EMM さん はちょっと不安がっていらっしゃいますが,編集子がそういうのだから採用ですとも!(オーナーさん,わがまま通してごめんなさい・・・)

[36883] 牛山牛太郎 さん
文字三山(もんじさんざん)・・・・・栗原郡栗駒町、一迫町。
大土ヶ森(580.3m)・中の森(610m)・櫃ヶ森(615.9m)です。
[36902] 昆布in さん
房総三山(千葉) 鹿野山(353m)、清澄山(377m)、鋸山(329m)
富山三山(千葉) 富山(350m)、御殿山(364m)、伊予ヶ岳(337m)
三峰三山(埼玉・東京) 妙法ヶ岳(1329m)、白岩山(1921m)、雲取岳(2017m)
多良三山(佐賀・長崎) 経ヶ岳(1076m)、五家原岳(1057m)、多良岳(996m)
ぞくぞく追加,ありがとうございます。牛山牛太郎 さん,昆布in さん,いつもいつもお世話になってます!
[36873] 2005年 1月 18日(火)23:18:58みやこ♂[みやこ] さん
古い話題で恐縮ですが「七差路」で一息。
ちょっと前の話になりますが,「ロータリー」について書き込ませて頂きました。で,「そういや,軽井沢に“ロータリー”というところがあったなぁ」と思い出しましてね,地図を見てみたんです。そうしましたら,ありました。旧軽ロータリーです。なんでこれを“ロータリー”というのかはわかりませんけれど。
で,話はそれだけで終わらなかったンですよ。その南にこんなものを見つけました。軽井沢東雲交差点です。ううむ,ちょっと苦しいけど充分に「“一転収束型の”七差路」です。アーカイブス「街の中の迷路 -差路の考察-」には未収録のようなんですが,初出でしょうか?であるならば,わたくしの発見した初めての七差路ということになり,長年の夢がまた一つ叶ったことになるのですが。
[26797][26826])の前例もあることだし,ひたすら低姿勢なワタシ・・・。
[36868] 2005年 1月 18日(火)20:04:53みやこ♂[みやこ] さん
地名コレクション・レス
[36858] EMM さん
かわりに白山三峰は如何でしょう?白山の3つの頂、御前峰、剣ヶ峰、大汝峰の事です。
あ,これ「とっても美味」です。早速いただくことにしますネ。パクパク。

[36823] 淡水魚 さん
三山のバトルと言うと、古典で習った「香具山は 畝傍を愛しと 耳成と(以下略)」を思い出します。「畝傍を愛(お)し」と読むか「畝傍雄々し」と読むかによって男女が逆転するのですが、教科書では畝傍山が女性でした。
確かに畝傍山は女性だったような気がします。そうかぁ,そんなお話もあったのですか。日本の神々は全く,愛すべき存在ですなぁ!ちなみにオラが方では男体山と女峰山の夫婦は1男2女をもうけておりまして,長男:太郎山(たろうさん),長女:大真名子山(おおまなごさん),次女:小真名子山(こまなごさん),となっております。次男に小太郎 さん もとい,小太郎山(このへん)を入れる説もあります(真名子とは「愛児」のことだそうで.それにこの名前ですが,雨月物語には怖いマナゴさんがでてきますネ.)。
末っ子の小真名子山は甘えん坊で「兄さん,兄さん(標高2,323m)」といつも呼びかけているのでありますが,片やその長男はグレてしまい,現在服役中です(標高2,368m:兄さん牢屋)。あ,むろん冗談です・・・。

[36742] なかなか さん 「地獄谷?」
地名コレクションに記載されていない「地獄谷」を発見しました。場所は東京大田区の大森駅前です。
お返事が遅れました。こっ,これわ・・・かなり無理目ではないでしょうか・・・(-_-;)。面白いのは全くもって事実ですが・・・。例えば栃木県大田原市の飲み屋街,通称「親不孝通り」みたいなもので。スミマセンが見送らせていただいていいですか?

どうも,連続で長々と失礼しました。昨日「バンナ寺」を娘たちと散歩してきたみやこでした(収穫は,イチョウの落ち葉3枚.)。
[36867] 2005年 1月 18日(火)20:02:56みやこ♂[みやこ] さん
RE:「さんさん三山」
[36804] sutekinaおじ さん 「さんさん三山」
あ,標題が「さんざん」に見えた・・・ という余談はおいといてっと。ふと気づいたら,皆様のご協力によりコレクション数が丁度100なんですね。増えましたねぇ。ニッチ狙撃のコレクターとしては,びっくりです。
今なら丁度「日本100三名山」です(なんだそりゃ)。狙ったわけではありませんヨ・・・。どうも仰せのとおり「三山ブーム」とやらが来ているのかもしれませんね!???

「日本三霊山」については、「立山」に換えて「御嶽山」との説もあるようです。
なるほど。御嶽山は今でも講を持つくらい,現役の霊山でしたっけ。入らないわけがない,ですよねぇ。でもコレを入れると立山が外れてしまう・・・(別に自分が三山自体を決めるわけでないのに色々考えちゃう私.)。そりゃ惜しいなぁ。
あくまでもわたくしの個人的な印象ですが,富士山を外して「立山・白山・御嶽山」が三霊山にふさわしいような気がします。いやなに,富士山が嫌いで外そうとしているワケではありません。富士山,大好きです。山登りのとき,ビルの高層階にのぼったとき,ドライブしていて遠くの山がよく見えたとき・・・。どこに行ってもまず富士山を捜すのがわたくしの性ですもの。それくらい好きです。ただ,富士山は唯一の存在だと思うんですよね。「不二」とも書きますしね。唯一にして多数(富士山コレクションの数の多さよ!)というあたりがその偉大さを如実に表しているような気がいたします(ここで「じゃぁ,私はどぉなるのぉ~」との恐山さんからのツッコミあり・・・)。
てなわけで注記いたします。

「白根三山」よりは「白峰三山」の方が好きですね・・・
わたくしは「根」も「峰」もそうは違わないと思っていますので,実のところ,それほどこだわっていませんでした。ただ確かにこの両者の表記,「白峰」の方がいいですね。白根だと「日光白根」か「草津白根」の方がピーンと来ますものね。直しましょう!

「荒川三山」の「東岳」は単独の場合「悪沢岳」が使われますので、そちらを主にしたらどうでしょう。
ご主旨はわかりますが,あくまでも「三山コレクション」では東岳で行きたいとおもいます(わたくしの個人的な好みが「東岳」なのは事実です.)。ご承知のとおり「荒川三山」は,「荒川二山」の方がふさわしい,としか思えないような山容です(地図リンク)。どのようないきさつでこれが三山になったのか知るべくもありませんが,想像するに,このなか唯一の三角点があるピーク,「中岳」がまずあって,それを凌駕する「東岳」とのセットが先に成立し,次いで南ア主稜線を縦走する登山道が近くを通る西端のピークが「前岳」として加わった・・・というストーリーでしょうか(三山コレクションにも書いたように,前岳・中岳には固有の「○○河内岳」という名称もあることですし.)。
ですので一つひとつの山について扱うときには「悪沢岳」とし,三山として扱うときには「東岳」とするのがいいのかなぁ~と感じている次第です。とはいえ[24406]の「日本の3000m峰」では,槍ヶ岳に次ぐ本邦第7位の高峰として「東岳」を掲げ,しかも前岳・中岳を両方とも3000m峰にカウントしている,というダブルスタンダードなんですが。今見返すと,今回の書き込みの方が自分の気持ちを正しく表していると思います。

検索で「両毛三山」がかなりの件数ありました。これは「上毛三山」の別名でしょうか?
検索の結果,「両毛三山」が「上毛三山(上州三山・上野三山・群馬三山)」のことを指しているのはほぼ間違いないようです。
わたくしの考える上毛三山の「最大かつ素晴らしい特徴」は,一つひとつ“独立したその立派な山体”が,「全て上州の範囲内で完結している」ということです(たしかそもそも,それこそが上毛三山の由来だったハズ.)。3つとも,あれだけの立派な山容では,普通なら県境にかかるでしょう(ある人曰く「赤城山のマッスは富士山,御嶽山に次いで本邦第3位」だそうです.)。とにかく「両」毛といっているのに下野国にかかっていないのは全くおかしい。ですからこれは,明白な錯誤だと判定するところです(おっと偉そう)。おそらくは「じょうもう」と「りょうもう」で音が似ていることからの誤解なのでしょう。
里から大きく見える,ということも大変重要です。山のマッス自体でしたら「上州武尊岳」や「至仏山」が絡んでもいいはずなのに(武尊は丸ごと,至仏もかなりの部分が群馬県.)そうならないのは,ひとえに群馬県の中央部から見えないことによるでしょう。上毛三山は,実に象徴的な「里から見た三山」の姿だと思います(あれ?「燧ヶ岳」「至仏山」「平ヶ岳(または武尊岳)」で「尾瀬三山」っていいませんでしたっけ?)。
一方で高山での三山の典型は,「白峰三山」や「鳳凰三山」「荒川三山」のように稜線上に並んだピークを指すものでしょうが,こちらは実際にそこに登ってこその,三山のような気がします。人間の見る場所が対象にかなり近いンですね。両者とも同じ「山岳の三山」ですが,だいぶ性格を異にしているような気がしますね(だいぶ話が飛びました.)。

番外にでも熊野三山を置いたらいかがでしょう。
そうですね,神社仏閣系を早く追加したいと考えています。「湖東三山」も満を持して待機してるし([29411] 今川焼 さん)。やるなら早いウチですよね・・・(まさか「関東の三大師」も!?手元には,まだ5個ほどしかありません.トホホ・・・)。
[36856] 2005年 1月 18日(火)02:08:12みやこ♂[みやこ] さん
彦間川界隈
[36846] さんにこふ さん
わぁ,同郷の方ですか。こりゃまた世間は狭いもので。いや[36772]では失礼いたしました。もうちょっとだけ「飛駒町」とした理由を書きますね。

安蘇郡の中でも,彦間川の流域はかつて足利荘だったそうで([25581]では「安蘇郡赤見町(中世のころは足利荘)」と,[29539]には「旧飛駒村を含む彦間川流域は,中世のころは足利荘でした。旗川の西が足利荘,東が佐野荘だそうです」と書きました),そういった意味で「赤見町・新合村・飛駒村」の3村を見ると“ヒコマ”がキーワードとして浮上したワケです。そして単純に河川名の“彦間”を採るのではなく,いささか神話じみたお話のある“飛駒”を選択した,というわけなんです。

何といっても,地名コレクション(盆地コレクション)にも収録されている「飛駒盆地」,わたくし大好きなんですよ。まさに桃源郷の趣がありますよね。変な店もあって,何だか仙人が住んでいる感じ。

それから[36768] むじながいり さんの「幻の栃木県に所属する自治体名募集」に対し [36772]では欲張って足利郡・安蘇郡の町村を埋めてしまいましたが,どうぞお気になさらず,どんどん新名称をご提案ください。「新・旗川村」,「新・坂西町」など,みんな結構強引です。他の方からどんなものが出るか,とても楽しみです。

てなわけで,同じ「佐野人」ということで,これからもどうぞよろしくお願い致します。
[36841] 2005年 1月 17日(月)20:13:23みやこ♂[みやこ] さん
いっけね
[36819] むじながいり さん  [36834] いっちゃん さん
そうでした。せっかくだからもっと自由な発想で遊ばねば。ついリアリティーを第一に考えてしまったもんで・・・。というわけで,既出の仮想市町村名(例えばわたくし提案の「佐野市」とか)に「“ちょっと待ったぁ”コールもアリ」ですよね。
[36773] 2005年 1月 15日(土)10:24:05みやこ♂[みやこ] さん
昭和10年の市町村(東西南北)
ちょっと機会がありまして,昭和10年発行の分県地図を引っ張り出し,目を通してみました。この地図には各県ごとに市町村の一覧表が付属しているので,今では消滅してしまった市町村名が続々出てきて,実に楽しめます。「どっかに“佐野村”ってないかなぁ~」とページをめくっていたのですが,ふと気づくといつの間にか「東西南北」が組になった村名を捜していました。全部に目を通したわけではありませんので甚だ中途半端ですが,以下,気のついた5例を示します。

山形県飽海郡 東平田村・西平田村・南平田村・北平田村・中平田村(東西南北+中ヒラタ村)
埼玉県比企郡 東吉見村・西吉見村・南吉見村・北吉見村(東西南北のヨシミ村)
広島県豊田郡 東生口村・西生口村・南生口村・北生口村(東西南北のイクチ村)
佐賀県小城郡 東多久村・西多久村・南多久村・北多久村・多久村(東西南北+なしタク村)
宮崎県東臼杵郡 東郷村・西郷村・南郷村・北郷村(東西南北のゴウ村:ちなみに同県南那珂郡にも西を除く3つの郷村が…)

別になんだというわけではありませんが,ちょっと面白いと思ったので書いてみました。

ところで,栃木県インターチェンジバトル(?)ですが,乗り遅れてしまいました・・・・・。せっかく[36713] 軒下提灯 さん に振っていただいたのに・・・シクシク。
[36772] 2005年 1月 15日(土)10:14:59【1】みやこ♂[みやこ] さん
ボクも~~!
[36768]むじながいりさん 「幻の栃木県に所属する自治体名募集」
地元ゆえ,わたくしも行かせて頂きます。

まず,市名記載のない5つの黄色は,各々現行名でいいと思います。宇都宮,足利,栃木,佐野,鹿沼ですね。本当は佐野は「安蘇市」というプランもありますが,この時点では既に佐野市として出発していますから,順当なところでしょう。

次は足利郡。最初に足利市北方の「北郷村+名草村」です。これも元の鞘に戻して「北郷村」でしょう。さらに,足利市西方のかたまり。やっぱりここは「坂西町」ではないでしょうか。かつて坂西村やら坂西町やら存在した区域ですから。富田村+吾妻村は,中央を貫流する旗川に敬意を払って「旗川村」。旧安蘇郡にあった旗川村の復活です。

安蘇郡に移って,葛生町の南の細長い町は,これまた現行「田沼町」でしょうか。その西は・・・現・佐野市の赤見町と彦間川流域の2村ですから「飛駒町」ではいかが。最大集落は赤見で,そこには名水百選にも選ばれた出流原弁天池もありますが,あまりにピンポイントすぎるでしょう。那須町(芦野町+那須村+伊王野村)のように1町2村の合併で,町が新町名を名乗れなかったケース,という形になります(赤見在住の方,ごめんなさい)。

あとは全県に目を移すと,今市町,大田原町は順当なところ。藤原町,栗山村,三依村の1町2村は鬼怒川温泉もあることだし,「鬼怒川町」とか。それとも一時流行ったように,「鬼怒川温泉町」とか。現実味がありますよね・・・。
※文末訂正
[36763] 2005年 1月 14日(金)23:37:00みやこ♂[みやこ] さん
ご協力感謝いたします!
[36747] 淡水魚 さん 「沼津アルプス」
記事のご紹介ありがとうございました。早速コレクションページからリンクを張りました。
[36759] 今川焼 さん 「各地の三山です」
わわわ!いきなりこんなにも!!すごいですねぇ!がんばってついて行きますので,どうぞよろしく!
[36753] 2005年 1月 14日(金)19:01:32【1】みやこ♂[みやこ] さん
がっかりしないで・・・(*^_^*)
[36752] 両毛人 さん 剣ヶ峰コレクションの11番,剣ヶ蜂は,国土地理院の地図上でも「蜂(ハチ)」なんです。
※表題を書き換えました。
[36748] 2005年 1月 14日(金)17:44:17みやこ♂[みやこ] さん
三山コレクション,ただいま大募集中!
[36711] [36741] 牛山牛太郎 さん
毎度ありがとうございます。「大熊三山,米良三山」ですね。早速追加します。それから「日本三彦山」も追加します。何たってそれよりマイナーな「三白根」も収録済みですから。
それと「白根三山」は「白峰三山」とも言うそうです。
そうでした。これも記事に注記したいとおもいます。読みは両方「しらねさんざん」で良かったと思います。

[36719] じゃごたろ さん
いつもお世話になってます。
岩手山と早池峰山が姫神山をめぐって戦う・・・
まるで我が方の「男体山vs.赤城山の,女峰山争奪戦」みたいなお話ですね。わたくしは,ウチの方の神話の根っこは,足尾を含む日光地域を上野国にするか下野国にするかでモメたことの名残,とにらんでおります・・・(全くの当てずっぽうですが)。
(岩手山の)別名の「巌鷲(がんじゅ)山」とは、残雪が鷲の様に見えるということから由来するそうなのですが、「雪形コレクション」にいかがですか
あ,気づきませんでした。「巌鷲」は岩手山の山容を鷲に見立てて,そのうえで「岩手」を漢風に気取って「がんじゅ」と読んだ名前と認識していました・・・。どれどれ,ネットで検索してみると・・・(岩手山,雪形っと)・・・おお,写真まで出てきました!しかも別の雪形まで。ではすぐに対応させていただきます。そういや雪形コレクション,山名からの地図リンクが未着手でしたっけ・・・。
以上、みやこさんには言わずもがなな説明かもしれませんが
いえいえ,そんなことはありません。わたくし,東北と西日本の山が非常に弱くて,例えば岩手県の山って,まだ一つも登っていないんですよ。強いて言えば八幡平をドライヴしたくらいで。とても助かる情報です。ありがとうございます。それとやはり「岩手遠野三山」とはまどろっこしいですね,「遠野三山」に直しましょう。いやこれ実は,最初っからリスト入りしてまして・・・。だって元ネタからの流用ですから・・・。
「北信五山」・・・気が向いたら番外ということでいかがでしょうか
「北信五山」,いかにも仲良し五姉妹か,ゴレンジャーか,という感じでいいですよね。一つ一つの山が,しっかり自己主張する個性的な山であることも魅力の一つです。今回の三山コレクション立ち上げに際し,全面的に参考とさせて頂いた,あかほり@岡崎 さんの全国三山巡りにも紹介されています。「番外編」,大いに食指を動かされますネ。近い将来,是非取り組みたいと思います。

[36723] なかなか さん
津江三山・和泉三山・丹沢三山・三浦三山
早速どうもありがとうございます。しかも一挙に4点も!当然リスト入りです。そうでしたか,丹沢三山というのもありましたか。お示しくださった三山を拝見しますと,なるほど,確かに。またよろしくお願いします。


その他,自前で調査した結果「薩摩三山(霧島岳・開聞岳・大ノ柄岳)」「鹿児島三山(霧島岳・開聞岳・桜島山)」「球磨三山(白髪山・市房山・仰烏帽子山)」「尾之間三山(割石岳・耳岳・モッチョム岳)」も見つけました。中にはネット検索で1件しかヒットしなかったものもありますが,それは改めて注記いたします。
それから,早く神社仏閣系の三山にも取り組みたいですね,なんたってグリグリさんのページは「山系」じゃないんですから。

番外といえば,「三岳」というのも。屋久島の,宮之浦岳・永田岳・黒味岳の3つです。え?なんで番外なのかって・・・?ご存じの方も多いでしょうが,それは秘密です・・・。なんちゃって。ご想像ください・・・。
第一ヒント 「愛子さま」
第二ヒント 「みたけ」と読みます。
第三ヒント 軒下提灯 さんの「居酒屋/藤乃」には,きっと備えてあるに違いない???
[36697] 2005年 1月 12日(水)01:22:18みやこ♂[みやこ] さん
地名コレクション3題 と ロータリーレス
先ほど「三山コレクション」を立ち上げてみました。まだまだ作成途中ですが,早いウチからみなさまにご覧頂きたいと思いまして。それから「アルプスコレクション」「雪形コレクション」も 山登りのネタ探し人 さんの情報([36407] [36426])から追加してみました。これも暫定的な訂正ですが,おいおい直していきます。これからも,ご意見,情報提供など宜しくお願いいたします。

[36664]猫使い さん,[36668]みかちゅう さん(「湖水の島コレクション」落成おめでとうございます&ありがとうございます.),[36669]むじながいり さん ロータリーご紹介頂きありがとうございました。少し本腰を入れて集めてみようかな。世界的に有名なロータリーといえば,[26427] で 太白 さん ご紹介のパリ凱旋門 でしょうね(←リンク先を元書き込みから拝借)。何度でも好きなだけ,ぐるぐる回れるそうで・・・(そりゃそうだ)。オランダに遊びに行って,それからパリまで車で出かけた友人は,凱旋門の周りを3回まわったと自慢してました(じゃぁ,ワン!と吠えなくてはいけませんよね!!)。いいもん,いつかボクだって行くから!
[36660] 2005年 1月 10日(月)23:41:37みやこ♂[みやこ] さん
「アルプス・雪形コレクション」
[36407] [36426] 山登りのネタ探し人 さん
アルプスコレクションに「宇都宮アルプス」「房州アルプス」「相州アルプス」「東温アルプス」の4点,雪形コレクションに「白馬」を1点,ご紹介くださりありがとうございました。わたくし,その辺のコレクションの編集子をいたしております“みやこ”と申します。
ご紹介頂いたモノにつきまして,ネット検索で確認させて頂きました。4つのアルプスはある程度の認知がなされているようですので,早速コレクションに加えさせていただきます。
ただ,雪形の「白馬」については,樹木の伐採跡が起源のようですね。人為的要素によるものなので,とっても判断に迷ってしまいます。しかし,どうやらワザとではないようなので,折角ですからコレクションに加えましょうか。無論「意図的な伐採による造景は雪形ではない」という立場に今も変わりはないことを改めて宣言するものです。
といいますわけで,これからもドシドシお教えくださいませ。お待ちしています。
[36658] 2005年 1月 10日(月)23:33:05みやこ♂[みやこ] さん
沖縄道路雑感2題
みなさま,お久しぶりです。本年もよろしくおつきあいくださいませ。
ところで,わたくし正月早々「機上の人」となりまして,「浦安三山」を見下ろしながら「富士」を遠望しつつ,「日本アルプス」やら「御嶽山」やらを眼下に,一路「最西端の県」へ行ってきました。

石川市から南下するドライヴがてら,国道329号の「↑沖縄」という道路標識も見てきましたヨ。もちろん「どこに行こうと沖縄だろうに!」というツッコミも忘れずに。ところが同行者曰く「“沖縄”っていう町があるんでしょ」と全く動ぜず。あ~あ,つまんないの。しかしふと考えてみれば,沖縄は島国ならぬ島県だから「↑沖縄」という道路標識は沖縄県内でしか見られないわけで・・・。何ともパラドキシカルなお話です。

それと既出かもしれませんが,こういう道路の報告も。嘉手納のロータリーです。周辺の道路の付け方からしてロータリーの後付けかと思いましたが,「道の駅嘉手納」にあった資料館の写真によると,道路が先みたいです。
ロータリーという仕組みは車社会の産物でしょうから,徒歩に頼ることしかなかった我が国では珍しいものではないでしょうか。なのでわたくしは,通りかかるととても気になります。(ここでいう「車社会」とは馬車時代を含みます。信号機などのエレクトロニクスや交通誘導員も不要なので,誠に理にかなった構造と申せましょう。でもちょっと車が多いと直ぐに渋滞するし,慣れも必要なので,今となっては普通の信号機付き交差点の方が安全でしょうケド。)
あと,どんなところにロータリーがあったっけかなぁ・・・(“駅前のロータリー”はズルだよなぁ・・・)。あれ?「北海道旭川市のロータリー」と,「栃木県宇都宮市のロータリー」しかパッと出ないぞ。おかしいなぁ,「気になる」んじゃなかった?しかも,後者は丸じゃなくて四角だがね。でも宇都宮じゃ「江曽島のロータリー」っつって有名なんですけどね。
[36211] 2004年 12月 30日(木)10:05:47みやこ♂[みやこ] さん
いいと思うんですが。
[36202] いっちゃん さん 「え゛っ」
いいんですかねぇ・・・???
編集子としては,載せたいですねぇ。実のところ「浦安三山」とは呼んでおりませんでしたが,わたくしも以前から「あの三山」は気になっておりましたし。
オーナーさんはじめ,皆さんから拒否反応が出なければ,こういうのを載せても面白いのでは,と思って,[36179]は書き込んだものです。あ,それと「地名コレクション・見学者機能」の営業も兼ねまして。
もし,お名前が出るのがお嫌なら,そこだけでも直しますが・・・。
[36179] 2004年 12月 29日(水)03:52:24みやこ♂[みやこ] さん
地名コレクション
すっかり風邪をひいて喉をやられ,声が「ダンシングオールナイト」状態です。トホホ。

トミ さんの「○本○コレクション」
まだ作成中とのことですし,既に収集済みの案件だとは思いますが,自分のコレクションをシコシコしてるのにも疲れたので,ちょっと横から失礼いたします。栃木県の「○本○」からちょっと思いついたものを2つだけ。
七本桜 今市市にあります。日光杉並木街道(R.119)の交差点名にもなっています。たしか杉並木に7本の桜が混じっていたことに由来するのだと記憶しています。
三本松 日光市,戦場ヶ原のド真ん中にある地名です。かつて,3本の天然カラマツが立っていたことに由来します。明治のころ,戦場ヶ原にまだまともな道がないころ,よい目印になっていたのだそうです。今は枯れてしまいましたけれども。

「三山コレクション」
ただいま鋭意編集中です。噂の“あの三山”もまだリストに入っています。どんな具合かは,地名コレクションの「見学者」機能でお確かめになってみてください・・・。
[35944] 2004年 12月 22日(水)00:51:47みやこ♂[みやこ] さん
すっかり大阪夏の陣,外堀は埋められてしまったようで・・・
[35911] 今川焼 さん [35917] sutekinaおじ さん 「三山コレクション」
ええと,やっぱりワタクシがやってもよろしいようですね。といいますか,下手な落語家の謎掛けみたいなもので,最初からオチはわかっていたような・・・。はいっ!!思いっ切り張り切ってやらせていただきますよ!どんどん情報をお寄せください。検索用キーワードは「三山」ということで。
さて,「全国三山巡り」では,神社仏閣系(熊野三山など)が除いてありますが,将来的には,我らが「都道府県市区町村版」ではそれらも含めて収集してみたいものですね(しかし,それにつけても時間が欲しい・・・・・)。
[35932] 2004年 12月 21日(火)19:04:42みやこ♂[みやこ] さん
Dreams come true!!
[35922] いっちゃん さんの書き込みにもありましたが,むじながいり さんのHP(つかんぼやと)に「!完全版!栃木県市町村合併パラパラまんが」が公開されています。栃木県内の,明治22年以降全ての市町村合併がビジュアルに楽しめます。これは圧巻です!
で,それをご覧になりつつ以下の駄文をお読み頂くと,ぐっと楽しみも増すのではないか,と思います(営業,営業っと)。

[35373] 栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年):その1 名称編
[35416] 栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年):その2 合併事例編
[35443] 栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年):その3 分立/分割編
[35491] 栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年):その4 改称事例編
[35495] 栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年):その5 その他雑記類編

是非,むじながいり さんには全都道府県制覇を目指して頂きたいなぁ!外野が言うのは簡単ですけど・・・スミマセン・・・。
(むじながいり さんは「つかんぼやと」で“みやこ”に過分なお言葉を掛けてくださっていますが,わたくしは資料をご提供申し上げただけ,ですので念のため。)
[35890] 2004年 12月 20日(月)00:44:00【3】みやこ♂[みやこ] さん
「三山コレクション」など
愛比売命 さん ,そして皆さんへ
[35760]にてご紹介した,「全国三山巡り」のHPのオーナーさんが,三山リストの利用を快諾してくださいました。手元のその他データなども絡ませて,楽しいリストができそうな感じです。編集長,「三山コレ」の立ち上げ準備をお願い致します。って,そもそもわたくしが担当でよかったのかしらん?どなたかワレこそは!という方はいらっしゃいますか???
(ふと気が付くと[35760]は,わたくしの200回目の書き込みだったようです。いつの間にか,もうそんなになりました。これからもどうぞよろしくお願い致します。)
※書込訂正機能使用  文末メッセージ削除 やら 言い回しとか。トホホです。
[35790] 2004年 12月 16日(木)01:12:56みやこ♂[みやこ] さん
赤城山の最高峰は黒檜山・・・
[35786] 烏川碧碧 さん
というのは、限定的な話と言うことで。
あ,はい。承知致しております。すみません,筆が足りずに。たぶん全世界的に有名であろう“赤城おろし”に対して,程度の具合こそわかりませんが,少なくとも「榛名おろしには空白地帯があった」ということが書きたかったのでした。失礼しました。
[35761] 2004年 12月 14日(火)22:01:37みやこ♂[みやこ] さん
パタリロ・ド・マリネール8世(関係なし)
[35696] EMM さん  まさか,このHPで魔夜峰央の「パタリロ!」に会えるとは・・・。ええ,記憶にありますよ,「峰」が「方」だったことまでも!ワタクシの持っていた単行本はNo.30位まで,全部初版本でした。えっへん(自慢)。
で,続きはやっぱり「・・・草木も眠る丑三つ時・・・」ですよね。

[35722] 烏川碧碧 さん [35755] 稚拙 さん 「re:rere おろし」
ははぁ,前橋・高崎方面でもやっぱり赤城おろしなのですか。市街地から見ると赤城山は東北になるような気がして,それゆえ季節風の方向とは異なるから「赤城おろし」じゃ何か変だと思っていたのですが。しかも「榛名おろしとは聞かない」という新情報まで。
空っ風の根っこはまだまだ深そうですねぇ。
[35760] 2004年 12月 14日(火)21:59:49みやこ♂[みやこ] さん
こりゃまた編集員かな?
[35693] 今川焼 さん, [35714] sutekinaおじ さん
「三山コレクション」ですか。ええ,とっても興味があります。ただどうなんでしょう,例えば「気まぐれ山歩全国三山巡り」を見ると,こりゃすごい,この方は既に66個も集めていらっしゃいます。不肖“みやこ”の知らない三山も,あたりまえですがてんこ盛りです。しかも,そのほとんど全てに根拠が記されているのですから,これは鉄壁ですね。
「各ページ、リンクフリーですが、文章、写真の転載についてはご連絡下さい。」とありますので,ちょっと転載の相談をしてみましょうか。グリグリさん,よろしいでしょうか?
[35689] 2004年 12月 12日(日)02:47:37みやこ♂[みやこ] さん
京都東山三十六峰
今川焼さん,「数字地形名コレクション」に立候補であります。単独の地名ではありませんのでちょっとイレギュラーですが,「京都東山三十六峰」などどうでしょうか?

第一峰 比叡山(ひえいざん)から始まって,北から順に,第二峰・第三峰と続くそうです。試しにこれを列挙すれば,比叡山以下,御生山(みあれやま),赤山(せきざん),修学院山(しゅうがくいんやま),葉山(はやま),一乗寺山(いちじょうじやま),茶山(ちゃやま),瓜生山(うりゅうやま),北白川山(きたしらかわやま),月待山(つきまちやま),如意ヶ岳(にょいがだけ),吉田山(よしだやま),紫雲山(しうんざん),善気山(ぜんきざん),椿ヶ峰(つばきがみね),若王子山(にゃくおうじやま),南禅寺山(なんぜんじやま),大日山(だいにちやま),神明山(しんめいやま),粟田山(あわたやま),華頂山(かちょうざん),円山(まるやま),長楽寺山(ちょうらくじやま),双林寺山(そうりんじやま),東大谷山(ひがしおおたにやま),高台寺山(こうだいじやま),霊山(りょうぜん),鳥辺山(とりべやま),清水山(きよみずやま),清閑寺山(せいかんじやま),阿弥陀ヶ峰(あみだがみね),今熊野山(いまくまのやま),泉山(せんざん),恵日山(えにちさん),光明峰(こうみょうほう),稲荷山(いなりやま)となるそうです。

だがしかし・・・ううむ,じっくり東山の写真を眺めてみても,「板東男」のワタクシには三十六峰なんて全くわからないぞ。比叡山と如意ヶ岳くらいしか高まりが見えない。でも,京都に住んでる人にはちゃんと判るのだそうだから,みやこびとの風流ここに極まれり???
[35688] 2004年 12月 12日(日)02:28:14みやこ♂[みやこ] さん
「おろし」と「ノマ」
[35653] NTJ会長 さん, [35665] 今川焼 さん,[35666] sutekinaおじ さん
「おろし関係レス」頂戴しましてありがとうございました。「筑波おろし」に「比叡おろし」は「さもありなん」という感じですが,「八ヶ岳おろし」というのはちょっとビックリです。ただ,ビックリする理由が自分でもわかりませんけど。
単体の山名ではなく,連山名称になっているからでしょうか。例えば「男体おろし」を「日光おろし」というような感触なのかなぁ。そういや「単体の山名」といえば,富士山に「おろし」はあるのでしょうかね?何かイメージが湧きませんけれども。

さて「々」についてです。ワタクシにはその形から「ノ」+「マ」で「ノマ」と呼んでいる業界がある,という記憶があります。たしか「活字拾い屋さん」か「出版業界」だったような気がしますが・・・。
[35644] 2004年 12月 10日(金)00:46:18みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の颪
いよいよ颪(おろし)の季節がやって参りますネ!!颪といえば落書き帳アーカイブスで六甲おろしに赤城おろし -各地の“局地風”-がまとめられていますが,まだまだ出そうですよね。といいますわけで,栃木県の颪話をご披露します。
例えば我が栃木県には,一般的に3つの颪があって,北から那須颪,男体颪,赤城颪,です。(高原山からの風を“高原颪”とは,ちょいと聞きませんです.)ワタクシは生活の中で,これら3つとも体験しておりますので,以下にその特徴を書いてみましょう!

風の強さは何といっても赤城颪です。風の冷たさは,那須颪。男体颪はその中間,という感じですね(えっ?それだけ?)。
県央,県北で「いやぁ,今日の風は強いなぁ」といわれても,佐野で赤城颪を知る我が身には「そよ風」です。なんといっても「空っ風」,強いことはもちろんのこと,舞い上がる砂塵の凄さと顔面にぶち当たる砂粒の痛さは,そうそう凌駕できるものではござんせん。確かに那須颪は骨に凍みるほど冷たいですけどね。

子供の頃のお話しです。当時ワタクシは,いまどきのような「ダウンの防寒着」など持っているハズもなく,室内,屋外ともに「綿入り半天」がメインの防寒着でした。これって身ごろのヒモを結んだところで,胸に吹き込む冷気を遮断できるわけがなく,非常に効率の悪い「防寒着」だったのでありまするが,ま,みんなそうだったですからね・・・。袖のあたりをハナでテカテカにして・・・。
で,西風を背に受けて,鼻水垂らしながら,川の土手についた坂道を自転車で登ったんですよ。その時ふと思って,片手で半天の裾をつかんで広げてみたんですね,ヨットの帆のように。そうしましたらあ~ら不思議,ペダルを漕がないのに,勝手に坂道を上がって行くじゃ,あ~りませんか。子供心にも「空っ風」の強さを実感したのでした(カカア天下を実感するのは,ずっと後のことになります.)。
いくら体重の軽い子供とはいえ,坂道をのぼらせるほどの強風など,そうは吹かないでしょう!(そういや真西の友人宅に遊びに行くときは,「方違え」宜しく,一回,南西や西北に向かってから目指したものです。ソレぐらい強かった.)それにしても佐野でさえこんなに強いのだから,本場上州では一体どんなことになるのでせうね。

で,前橋市出身・在住の友人に聞くと,前橋でも冬の季節風を「赤城颪」というのだそうですね。「えっ?それって国境稜線の谷川岳の方から吹くから,“谷川颪”ってゆうんぢゃねんけ?」とカマかけても,「いやあ,赤城颪っていうなぁ」と,彼はいいます。もっとも,そのまた友人は「谷川颪って使うよ」と言っていますが。実際のところはどうなのでしょうね。それにソモソモ「浅間颪」や「榛名颪」(既出:[9175][17054]両毛人 さん)だってあるし・・・。はてさてハテナ?
[35551] 2004年 12月 5日(日)00:58:00みやこ♂[みやこ] さん
おひさしぶり~~
[35549] 愛比売命 さん  「さて寝よう」と思ってページを見たら・・・「待ってました!!!」これからもよろしくです。
[35530] 2004年 12月 4日(土)15:27:14みやこ♂[みやこ] さん
3つの世界  (オランダの版画家の作品名より)
[35506] 軒下提灯 さん レス頂戴しまして誠にありがとうございます。考えれば考えるほど,この3つは怪しいことだらけです。

かつての東山道,江戸期の例幣使街道が,京側から天明(佐野)・堀米・犬伏と,この3つの町を縦貫しており,このうち天明と犬伏が宿場でした。特に犬伏宿は,例幣使街道中最大の宿場町だったのだそうです(例幣使街道は,現在の群馬県高崎市あたりから,太田市を通って佐野市(当時は天明宿),栃木市を抜け,鹿沼市に至る道です.)。堀米は,というと犬伏宿の加宿(予備の宿,みたいなもの)で,宿としては独立していないようでした。

佐野から犬伏まで1里もなく,元々家並みが連坦していた可能性もあります。江戸期の街道絵図を見たときの記憶では,沿道にほとんど山林や農地はなく,家が描かれてあったような記憶がありますし,明治40年代初期の1/5万図を見ても,すでに佐野から犬伏まで繋がっており,一連の市街地として描かれています。

今の目で見ると,佐野こそが中心で,特に犬伏などは「町はずれ」のイメージがありますが,かつての記憶は土地区画に残されており,住宅地図を見ると旧街道に面した土地は,細長い短冊状に切り分けられていて(間口4間,奥行き30間,というイメージ)まるで町場のそれです。一方で佐野は碁盤の目に区画されており,それが小京都の由来でもあるのでしょうが,この両者,だいぶ地図上でのイメージは異なります。何か,町の役割に違いがあったような気がするのですがよくわかりません。

で,堀米町なのですが,これがまた中途半端なんです。旧・堀米町役場位置 1/8000をみると,いかにも佐野に食いついた位置にあります。

結局,何で3町連立したかは全くわかりません。当時の,「町とする基準」が知りたいところです。そもそも当時からそんなに一体化していたのなら,最初から1つの町として発足したっていいでしょうに。
ある人曰く,「堀米町があんな形をしているのは江戸期の彦根藩の影響による」とのこと。「あんな形」をうまく説明できなくて申し訳ありませんが,「それもヒントかもしれない」と考えている今日この頃,そのうちご報告できるかもしれません。ちなみに廃藩置県直後の彦根県の分庁は,堀米町にあったそうです。
[35529] 2004年 12月 4日(土)15:20:23みやこ♂[みやこ] さん
もしや佐野市のなかりせば・・・
[35475] 両毛人 さん 「常陸太田市の合併に思う」
そう言えば、両毛地域の佐野市も先んじて市制施行したので接頭辞などがつかずに今の名前を名乗ることができた町の1つですね。もし泉佐野市のほうが先に「佐野市」を名乗っていたら現佐野市はどんな名前になっていたのでしょうか。
そうなんですよ。子供のころ「大阪の佐野町で市制施行の動きがあり,なんとしてもそれに先んじて市制を施行すべく頑張り,結果数日違いで先に市になったのでスンナリ佐野市を名乗れた」という話を聞きました。実はワタクシ,つい最近までソレを信じていたのですが,どうやら間違いだったみたいですね。あちらの市制は昭和23年ですから5年もあいてます。それとも実際は同時期に進めていたものの,戦争末期~終戦直後の混乱が実際以上に両者の市制施行日を広げたのでしょうか。
そもそも,泉佐野市の市制施行日を調べていたときに,Issie さんのHPとグリグリさんのこのページにたどり着いたんでしたっけ。

両毛人さんの妄想に(嬉々として勝手に)おつきあいしますと,近代における安蘇郡の中心地は佐野町以外の何モノでもないですから,他の町名(たとえば犬伏町,堀米町)を市名にすることはないと思います。それは旧佐野町民はおろか,周辺町村民も納得しなかったでしょうね。
また,旧国名を冠するにしても,本県関係の市名ではそのような事例がないのでよくわかりません。駅名では「野州大沢」「野州平塚」だのありますけど。それにそもそも佐野界隈の人々に「野州」の自覚があるかどうか怪しいもんです(笑)。
廃藩置県直後の県名は「佐野県」でしたが(泉佐野市はどうなんだろ),それは現佐野市の南半分。堀米町を中心とする北の方は「彦根県(の飛び地)」でした。井伊家の領地だったものですから。まさか「彦根市」ってわけにも行かないしなぁ。
何と言っても元県庁所在地の栃木市が東に控えてますもの,「栃木佐野市」はないですよね,「やい,栃木か佐野かハッキリしろぃ!」と言われそうです。すると「東佐野市」?ちょっと気取って「板東佐野市」?文字をいじって「嵯野市」?・・・いずれも昭和18年のセンスじゃなさそうですね。
山名や川名から採ろうにも,「秋山川」は葛生の奥の旧氷室村の「秋山」が由来だし,唐沢山も三毳山も佐野だけの山じゃないし。
やっぱり「安蘇市」が妥当なところですね。他にちょっと思いつかないです。かなり,頭が固いようで・・・。
[35495] 2004年 12月 2日(木)22:13:51みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年): その5 その他雑記類編
[35491]の続き(最終回)です。

●M22当時,県内全域ほぼ「村一色」だったわけですが,町同士が隣接しているケースがわずかながらありました。
安蘇郡佐野町,堀米町,犬伏町,田沼町,葛生町(こんな狭いところでなんと5町の隣接!)
上都賀郡足尾町,日光町,今市町(3町)
那須郡黒羽町,川西町(2町)  の3件です。

●また,現在の市域にM22当時の「町」を複数持つ市は
佐野市(佐野町,堀米町,犬伏町の3町,「新・佐野市」はこれに田沼町,葛生町が加わって5町),大田原市(大田原町,佐久山町の2町)の2市だけという珍しさ。宇都宮,足利,小山,栃木(人口順)といったお歴々も,そのころは「村」の中にポツン,と存在していた「町」なのでありました。
ちなみに現在の「町」では唯一,黒羽町も2町(黒羽町・川西町)内包しています。この両町の中心街は那珂川を挟んで隣接しており,まさに「那須郡のブダベスト」であります。
○こうして見ますと,町が異様に多かった,安蘇郡の特異性が浮かび上がってきそうです(一番町が多かった郡は,意外にも那須郡)。それにしても,このように昔から町として存在してきた割に,この地域はその都度の合併であまり揉めていない,というのもちょっと意外な気がします。
夢想するにこの地域,見事に盲腸線である「東武佐野線」が南北に貫いていますから,あるいはそのおかげで地縁・血縁が強く,その影響なのかもしれません(住んでいるのによく分からない私)。

●さらに,現在の市域に町がなかった(村しかなかった)市は・・・
矢板市(3.5村),黒磯市(3村)の2例。つまり栃木県において村が市になったのはこの両者だけ,ということになります(もちろん合併事例は除いて)。
特にM22当時,矢板を含む塩谷郡での唯一の町は,現時点で郡域内唯一の市である矢板ではなく,氏家町なのでありました。氏家町はH17年に「さくら市」になります。

●最後まで「町」がなかった郡は,梁田郡です。明治29年に廃止され足利郡に編入されるまで,とうとう最後まで村しかありませんでした(その後同郡域には足利郡御厨町が成立しています.)。

●昭和29年の鹿沼市大合併(1市8村)は,東西南北地名のそろい踏みでした。
東:東大芦村 西:西大芦村 南:南押原村 北:北押原村,北犬飼村(対の「南犬飼村」は現在壬生町になっています.)

●市制施行は13件(さくら市含む),町制施行は34件ありました。成立の際,合併を伴ったケースは,
市の部 : 佐野市,日光市,今市市,小山市,大田原市,さくら市
 【13件中6件(他の市のうち真岡市,矢板市,黒磯市の3市は町時代に合併を経験しています.)でした】
町の部 : なし(つまり,村時代に合併を済ませたか,隣接市町に呑み込まれたか,単独町制を敷いたか)
となって,顕著な差が見られました。

以上,浅薄な知識しかないワタクシが,「栃木県市町村合併パラパラまんが」作りを契機に「好き」を頼りとばかり無勝手流にまとめてみました。未熟者ゆえの,多くの間違いが含まれているとは思いますが,そこはそれ,笑ってお許しください。
長々と失礼いたしました・・・。

参考資料 : Issie さん のHP,角川日本地名百科事典,国史大辞典,I先輩の卒業論文,昭和の大合併の記録書類 など
[35492] 2004年 12月 2日(木)18:03:20みやこ♂[みやこ] さん
ついつい,封印を解いてしまいました・・・
[35448] いっちゃん さん
いっちゃん さん へのお話かけ,「追っかけ」にしては案外少なかったです。同県人ということ,博覧強記でいらっしゃることから一方的に“お慕い申し上げ”ておったのですが,「いっちゃん学園」を創立されたころには,門外漢のワタクシにとって,すっかり手の届かない「雲上人」になられてしまい・・・。

もひとつ[35447] いっちゃん さん
最も意外だったのは、やはり地元ということもあり「栃木-新潟」です。(中略)真ん中に尾瀬を挟んで登山道があるので、おそらく歩いた方が早いかと思われます。
おお,歩きましたよ。うん,ちょうど1日行程ではないでしょうか?晩秋仕様のフル装備で尾瀬沼から鬼怒沼までで1日かかりましたから,その分西にスライドするとそんな感じです。

[35442] sutekinaおじ さん
3.もう一度、その日の目的地も、帰る日も決めないで、山の上を歩き廻ってみたい。(それが出来る体力もほしい。)
あぁ・・・全く同感,ワタクシもそうなんです。「その日」を夢見て,お互いがんばりましょう!実はワタクシ,今の会社に就職が決まらなければ「山小屋のオヤジ」になるはずだったのです。経済的には就職して正解でしたが,その分「夢」は置いてきてしまったんですね・・・。
[35491] 2004年 12月 2日(木)17:57:37みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年): その4 改称事例編
[35443]の続きです。

●新称採用や改称が実施されたケースは全部で22件(分立・分割を除く)で,既存の市が合併に際して改称するのは,「那須塩原市」の1件のみ。市制施行に際し,その名称を構成自治体名によらず新称採用とするのは「さくら市」1件のみ,です。

●単独の村が町制施行時に改称したのは,馬頭町(武茂村),小川町(那珂村),国分寺小金井町(国分寺村)の3町(括弧内が旧村名,以下同じ)です。また村から分立して町制を敷いた2町([35443]石橋町,黒磯町)も同類でしょう。すなわち,町制施行34件中5件が新称を採用しており,残る29件は,「村」を「町」に置き換えただけ,となります。

●町村の区域が変わらないまま改称したケースは,町が1件で村が3件です。
唯一の町名改称事例は,国分寺町(国分寺小金井町)です。旧町名にある「小金井」は,明治22年以前の村名であり,同町の役場の所在地でもあったとのこと。現在はJR東北本線の駅名として著名ですね。始発/終着の便も多いです。
村では以下の3つ。
明治村(多功村),粕尾村(賀蘇尾村),武茂村(西武茂村)
いずれも明治中期の事例です。

●また,隣接町との合併で村がなくなったケースのうち,
祖母井町と2村の合併で芳賀町,久下田町と2村の合併で二宮町,葉鹿・小俣両町と1村の合併で坂西町,阿久津町と1村の合併で高根沢町,の4件は既存の町名によらず,新称を名乗っています。
ほかに,那須町成立の際は芦野町と2村の合併でありましたが,唯一の“町”であった芦野の名前は用いられず,村の名前を採って“那須町”となったケースもありました。

●村同士合併して,そのまま村であったケースは全部で12件ですが,「岩舟村(岩舟村+小野寺村+静和村)」と「西方村(西方村+真名子村)」のケースを除き,その他の10件すべてが新称を採用していました。
市貝村(市羽村+小貝村),南那須村(下江川村+荒川村),美田村(豊田村+中村+穂積村),上河内村(羽黒村+絹島村),河内村(田原村+古里村),都賀村(赤津村+家中村),南河内村(吉田村+薬師寺村),桑絹村(桑村+絹村),大平村(富山村+水代村+瑞穂村),塩谷村(玉生村+船生村+大宮村)です。
合成村名が「市貝」「桑絹」の2件,郡名由来が「南那須」「上河内」「河内」「都賀」「南河内」「塩谷」の6件ですネ。やはり勢力が拮抗していると,どこかの村名をそのまま町名に,ってしづらいのでしょうね。

もう一回続く・・・
[35443] 2004年 12月 1日(水)02:23:40みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年): その3 分立/分割編
[35416]の続きです。
栃木県の「合併を伴わない」分立(分割)事例件数は,全部で7つ。

●分立(分割)したケース
1 明治24年,下都賀郡姿村から,石橋町が分立(姿村は存続)
2 明治26年,足利郡坂西村が,三重村/山前村に分割(坂西村は消滅)
3 明治26年,上都賀郡板来村が,板荷村/小来川村に分割(板来村は消滅)
4 明治26年,塩谷郡藤原村から,三依村が分立(藤原村は存続)
5 明治26年,足利郡小俣村から,葉鹿村が分立(小俣村は存続)
6 明治45年,那須郡東那須野村から,黒磯町が分立(東那須野村は存続)
7 大正11年,足利郡北郷村から,名草村分立(北郷村は存続)

このうち,村から分かれたのに,分立した方が町になったケースは,「1」と「6」の2例あって,後に両町とも,分立した相手を併呑し返しています。
また7例中6例は,現在では同一市町村になって“元の鞘”に収まっていますが,唯一「ケース3:旧・板来村」だけは,今でも日光市・今市市に分かれたままです。
全体に明治中期(町村制施行後数年)がほとんどですが,例外が2ケースあります。このうち「ケース6:黒磯町分立」は,鉄道駅開設に伴う急速な発展によるものでしょう。元々の黒磯地名は,駅からだいぶ離れたところだそうです。何といっても何もない原野の真ん中に駅が作られた,といいますから。
それゆえ,「ケース7:名草村分立」の異様な遅さが目を引きます。30余年もの宿願が叶った,ということなのでしょうか。だいぶ特異な事例です。

他の市町村と合併する際に2つに分かれたケースもあります。
●分割合併事例
1 昭和29年,塩谷郡熟田村が,氏家町と北高根沢村(当時)とに分割合併
2 昭和29年,河内郡篠井村が,宇都宮市と今市市とに分割合併
3 昭和29年,那須郡野崎村が,大田原市と塩谷郡矢板町とに分割合併
(4 昭和35年,群馬県山田郡矢場川村の一部を足利市にお迎え)

ついでに郡界を越えた合併についても記します。
●越郡合併(市は,中心地が町時代に所属していた郡にあると見なしています)
1 昭和29年,上都賀郡今市町と合併した,河内郡豊岡村(このとき今市市市制)
2 昭和29年,宇都宮市(河内郡域)と合併した,芳賀郡清原村
3 昭和29年,今市市(上都賀郡域)と合併した,河内郡大沢村
4 昭和29年,今市市(上都賀郡域)と合併した,河内郡篠井村(北部のみ,南部は宇都宮市へ)
5 昭和29年,塩谷郡矢板町と合併した,那須郡野崎村(南部のみ,北部は大田原市へ)
6 昭和30年,佐野市(安蘇郡域)と合併した,足利郡吾妻村
7 昭和30年,塩谷郡喜連川町と合併した,那須郡上江川村
(8 昭和34年,群馬県桐生市と合併した,足利郡菱村)
9 昭和35年,足利市と合併した,群馬県山田郡矢場川村(の一部)

こうしてみますと,昭和の大合併は「分割合併」「越郡合併」何でもあり,だったんですねぇ。
【今回の書き込みには,「いかにも専門用語然とした単語」がいっぱい出てきますが,雰囲気で使い分けています。専門家の諸兄にはお見苦しいかと思いますが,お許しくださいますよう・・・】
[35416] 2004年 11月 29日(月)23:20:01【1】みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年): その2 合併事例編
では[35373]の続きをば・・・。

● 市町村数の推移
町村制が始まった明治22年4月1日当時は171町村でしたが,最多は,大正11年に足利郡名草村が北郷村から分立してから昭和18年に佐野市が合併・成立するまでの177市町村でした。この約20年間には,栃木市が成立したり7村が町制を敷いたりしています。なお,全体数が100を切ったのは,昭和30年1月の,上都賀郡の1町3村(粟野町)と安蘇郡の1町2村(葛生町)の2件の合併のときで,現在では49市町村です(12市35町2村)。「さくら市」ができるころには,44市町村(13市29町2村)となります。

新旧比較は下表のとおりです(市は市制施行直前の所属郡に含めています.)。
明治22年の町村数平成17年の市町村数
郡  名備 考
足利郡昭和37年10月1日消滅
梁田郡 昭和29年4月1日廃止,足利郡へ
安蘇郡1015平成17年2月28日“消滅”予定
下都賀郡313510県内最多の町村からなる郡
上都賀郡1620
河内郡2122
芳賀郡1720
塩谷郡1415残る村は栗山村→日光市他と合併計画あり
那須郡2632残る村は湯津上村→大田原市と合併計画あり
25146171132944

● 明治期以降に郡が消滅したケース
明治11年「都賀郡」上・下に分割
明治22年3月「寒川郡」廃止,下都賀郡へ(市制・町村制施行前)
昭和29年4月「梁田郡」廃止,足利郡へ移籍
昭和37年10月「足利郡」消滅,全域「足利市」となる(旧郡構成町村のうち吾妻村は佐野市と,菱村は群馬県桐生市と合併)
平成17年2月 全域「佐野市」へ,「安蘇郡」消滅(予定)

● 最初の合併事例
明治39年に下都賀郡谷中村が廃村となり,その区域が同郡藤岡町に編入されたとき。

● (今のところ)最後の合併事例
昭和40年9月に下都賀郡桑絹町が小山市と合併したとき。約40年前のことです。

● 明治22年以降,一回も市町村合併を経験していない市町村
塩谷郡栗山村
下都賀郡足尾町
那須郡湯津上村
  以上の御三家は町・村の変更もありません。
下都賀郡野木町(町制施行)
下都賀郡国分寺町(町制施行・名称変更) 名称は「国分寺村→国分寺小金井町→国分寺町」と2回変わっていますが,町村合併はありません。
那須郡小川町(町制施行・名称変更) 昭和30年に大字谷田を烏山町から受けていますが,区域の変更と見なすべきでしょう。M22当時は那珂村と名乗っていました。那珂村,なかむら・・・あれ?中村と読みは一緒ですねぇ。[35373]の「同名町村」で書いた「界村と境村との関係」と一緒でした,オソマツ。
  以下,ちょっと反則ものを2点。
塩谷郡藤原町(町制施行) ただし三依村を一回分立させています。分村した同士が後に合併し,町制を敷きました。
下都賀郡石橋町(町制施行) ただしこれもM22当時の姿村から石橋町が一旦分立しています。後に元通りに合併。

●初めての複数町村合併は,昭和18年の佐野市成立時の6町村合併でした。今風の広域合併の走り?でしょう。
なお,一度の合併町村数が最多のケースは,昭和29年の鹿沼市で,9市村(1市+8村)でした。このうち板荷村は板来村を分割してできた村なので「M22当時の町村数」では8.5町村とでもいいましょうか。

●一番たくさんの,“M22当時の町村からなっている市町村”は新・佐野市の16町村でした。以下,第5位まで記します。
新・佐野市16町村(5町・11村)現・佐野市は8町村(3町5村)です。
足利市13.5町村(1町・12.5村)梁田・足利の2郡を呑み込んでいます。
←0.5は矢場川村のぶん(12/1追加,忘れてました)
宇都宮市10.5町村(1町・9.5村)←0.5は篠井村の南半分のぶん
小山市10町村(1町・9村)
鹿沼市9.5町村(1町・8.5村)←0.5は板来村を割った板荷村のぶん 上の大合併の後,南摩村を加えたため

次回は分割・分立編の予定です・・・。
[35415] 2004年 11月 29日(月)23:01:20みやこ♂[みやこ] さん
新佐野レス
[35369] 両毛人さんへ
佐野市になっても,「田沼」も「葛生」も残るんですね,何よりです。「安蘇」はやっぱり難しいな。
協議会のHPには小中学校の名前も出ていますね。ほとんど変わらないので,何よりです。田沼町の東中,西中もワレワレは元々「田東中(たとうちゅう)」とか「田沼西中」とか呼んでいましたから,違和感はありません。田沼の方(かた)もオッケーじゃないでしょうか。
ところで今,「佐野」という地名について色々考えているところなんです。新・佐野市発足の2月28日までには,何とかまとめたいなぁ,と思っています。
[35373] 2004年 11月 27日(土)04:01:57みやこ♂[みやこ] さん
栃木県の市町村合併(明治22年~平成17年): その1 名称編
かねて白状しましたとおり,現在「栃木県版市町村合併パラパラまんが」を作成中です。
あらかた完成しましたが,それに先立ち年表を作ってみたんです。改めて栃木県の市町村合併を見返してみると,(ワタクシなりに)たくさんの興味深いことがありました。

本年表は明治22年4月1日を始期とし,合併・分立・市制・町制・改称などの「イベント(と命名)」ごとに1日単位「ステージ(と命名)」で作成しました。但し細かい境界変更は「イベント」としてカウントしておりません。終期は,まだ実現しておりませんが官報告示の済んでいる,那須塩原市,新・佐野市,さくら市まで,としています。
なお「イベント」総数は144件で,「ステージ」総数(これが当座,パラパラまんがの総枚数になります.)は99件です(双方とも資料の読み方によって,幾分かは差がでます)。

何より,本年表作成にあたっては Issie さん のHPを大変参考にさせて頂きました。イベントの拾い出しが一番面倒だったりするので大変助かりました。勝手に使って誠に申し訳ありませんが,厚く御礼申し上げます。

では,以下に記させて頂きます。

名前の長い/短い市町村
 長い名前 6文字1件 「下都賀郡“国分寺小金井”町」
 短い名前 1文字9件 「那須郡“境”村」「塩谷郡“泉”村」「芳賀郡“中”村」「下都賀郡“中”村」「下都賀郡“姿”村」「下都賀郡“桑”村」「下都賀郡“絹”村」「安蘇郡“界”村」「足利郡“菱”村」

同じ名前
1 下都賀郡中村←→芳賀郡中村 (郡以外は完全一致,明治22年~昭和29年まで併存)
2 芳賀郡山前村←→足利郡山前村 (明治26年~昭和29年まで併存)
3 那須郡境村←→安蘇郡界村 (読みだけは一致するが表記は異なる)
4 足利郡坂西村←→足利郡坂西町 (町と村以外は一致,ただし[16778] Issie さん,[25759] みやこ にもあるように,時期も場所も異なる)
5 那須郡武茂村←→那須郡武茂村 (郡も含めて完全一致,ただし時期も場所も異なる)
【5について 明治22年当時の武茂村は,明治24年5月の町制施行とともに馬頭町となり,その後明治28年4月にお隣の西武茂村が武茂村と改名しました.「武茂(むも)」は,南北朝期より伝わる由緒正しき地名,とのことです.】

方位のつく市町村名
 北   塩谷郡北高根沢村 上都賀郡北犬飼村 上都賀郡北押原村 足利郡北郷村
 東   那須郡東那須野村 上都賀郡東大芦村
 南   芳賀郡南高根沢村 下都賀郡南犬飼村 上都賀郡南押原村 上都賀郡南摩村
 西   那須郡西那須野村 上都賀郡西大芦村
 その他の西   那須郡川西町 那須郡西武茂村 足利郡坂西村/坂西町 上都賀郡西方村
 上   那須郡上江川村
 下   那須郡下江川村
したがって,南北・東西・上下の“組”村名は,高根沢村,犬飼村,押原村,那須野村,大芦村,江川村の6組であり,このうち高根沢,犬飼村の2組は所属郡が異なっています。
接していないのも1組(那須野村)あり,後の市町村合併で一緒の市町村になっていない例も3組(高根沢村・犬飼村・江川村)あります(那須塩原市成立を見込む)。

以下,「市町村数推移」「合併・分立事例」などは稿を改めて・・・(いつになるかな・・・)
[35372] 2004年 11月 27日(土)02:58:05みやこ♂[みやこ] さん
ソッソッソックラテスかプラトンか・・・
[35255] オーナー グリグリ さん よくよく考えましたが,ご厚情に甘えまして「御嶽山・御岳山コレクション」を発進したいと思います。あんまり“売れそうもない”コレクションですけど,どうぞ宜しくお願いいたします。と,いいますわけで近日“発信”予定です。
[35254] 2004年 11月 23日(火)04:05:55みやこ♂[みやこ] さん
深夜便にて・・・
[35222] オーナー さん 「地名コレクション管理作業」
「四十八滝」「御嶽山・御岳山」「文字数逆転」については、とりあえず事前登録し正式にコレクションリリースできるようにはしましたが、コレクション名、あるいはそもそも、コレクションとして独立することがどうかというご意見があればどうぞ。
う~ん,弱りました。「そもそも」以下は私宛のメッセージのようにも・・・。正直に申し上げて「御嶽山・御岳山」は一発芸のノリだったので,立ち上げ準備までしていただくとは恐縮です。本当に申し訳なく思います。本当にいいのでしょうか?オーナー さんが「まぁ,地名コレのコレクションという側面もあるし,いいんじゃない?」という程度のお考えでしたらありがたいのですが。自分でまいた種とはいえ,とても迷っています。

[35239] G さん 「須花トンネル」
懐かしいお題でございます。しかも,【 】内のちょい書きだったのに,よくぞお目に止めてくださいました。
そうですか,「明治」もご健在でしたか。「たしか通行できないハズだなぁ」とは思っておりましたが,まだ残っているとは何よりです。トンネルに限らず,三代そろい踏みの施設とはかなり珍しい事例かもしれません。

あの書きこみでは,トンネルの両側に同じく「須花」という地名があることにもふれましたっけ。「何か」を挟んで両側に同じ地名がある,というのも面白いですよね。以下,ちょっと思いつくものだけ。

はさみ名称はさまれた物はさむ物Aはさむ物B
1須花須花トンネル(須花峠)足利市名草中町須花安蘇郡田沼町大字下彦間字須花
2加蘇山神社と「おざく」のセット石裂山(おざくさん)鹿沼市上久我 石裂(おざく)上都賀郡粟野町大字入粟野 尾ざく(たしかこっちは賀蘇山神社)
3水越川水越峠大阪府の水越川奈良県の水越川
4朝日村朝日連峰山形県東田川郡朝日村新潟県岩船郡朝日村
5yam(n)ada-gun渡良瀬川群馬県山田郡栃木県梁田郡(現存せず)
[35120] 2004年 11月 16日(火)02:08:03みやこ♂[みやこ] さん
冬が間近に迫って参りました・・・
このたびの新潟県中越地震につきましては,被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして一日も早く日常を取り戻されんことを祈ります。
さて,自然ダム湖の決壊が心配されておりますが,その災害の凄さをなかなかイメージしきれない方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は栃木県は今から300年ほど前に,まさに「そういうこと」があり,今でもその爪痕が明瞭に残っているのです。
それは1683年の日光大地震でできた「五十里湖」であり,40年後の決壊によって生じた竜王峡です。首都近郊にお住まいの方なら,鬼怒川温泉を御存知でしょう。あの,彫刻刀で岩盤をえぐったような景観は,自然ダムの決壊で生まれたものなのです。その濁流は今市はおろか宇都宮近郊にまで達し,約1000名の死者を出したといいます。
元々「毛野川」と呼ばれていたこの川が「鬼の怒る川,鬼怒川」と呼ばれるようになったのは,この事件によるものだと思いたくもなります。いずれにいたしましても,決して軽視できない事態でありましょう。現場の技術者諸賢の奮闘を期待してやみません。

さて話は替わって,日光ネタにぴょんと飛びつきます。[35114] 今川焼 さん「四十八滝 ~数字地形名コレクションから~」
日光四十八滝などは、華厳の滝をはじめ奥日光の諸滝を含めた総称なのだそうで、はたしてどの程度使われているのか定かではありませんが。
お説のとおり,「たくさんの滝」を総称して「日光四十八滝」と呼んでいます。本当に48の滝がある,というわけではないようですが「(どこの世界にもあるように)一応これが48滝だ!」というのもあるように聞いています。
例えば随想社からは『日光四十八滝を歩く』という本が出ておりますし,華厳の滝付近に建っている「日光自然博物館」には48滝の地図と写真が飾ってあったように記憶しています。

おわび
多くの方にレスを頂いた「最下位ことば」ですが,[35077]で miki さん が記されているとおり,「差別的」な連想を生じかねない,ちょっとデリケートなお話だったですね,申し訳ありませんでした。「ゲラ」というのが単純にウチの周辺でしか聞かない言葉だったので,つい皆さんに伺ってしまったのです。ごめんなさい。
お国ことばが「第一位」ではなくて「最下位」に残っている,ということ自体,そういう言葉の証拠なのかも知れません。
[35047] 2004年 11月 13日(土)08:29:09みやこ♂[みやこ] さん
千葉のナンバリング地名
おはようございます。今日の北関東は秋晴れのいい天気です。

千葉のナンバリング地名については,その話を知ったとき,むかし豊四季に友人が住んでいたこともあって,「へええ,そういうことだったのか」と思ったものです。

以下,今尾恵介さんの「地名の謎」から。
明治維新で職を失った多くの下級武士のために古くから小金・佐倉の牧と呼ばれた台地を開墾していった。そしてその順番に「初富,二和,三咲,豊四季,五香,六実,七栄,八街,九美上,十倉,十余一,十余二,十余三」とナンバリングした。「東京新田」と呼ばれたこの事業は結局失敗したようだ。(意味を変えない程度に省略)
“4”の豊四季だけパターンを違えた,ということではないでしょうか。「本に書いてあるからといってそのまま鵜呑みにはできない」というのは当たり前のことですが,さすがに著者が今尾恵介さんですから,信じてもいいのではないか,と思いました。
[35045] 2004年 11月 13日(土)01:08:24みやこ♂[みやこ] さん
最下位ことば
[34981] EMM さん
石川県では「ゲベ」。「ゲット」とか「ゲットクソ」とか「ドベ」とか言うのも聞いたことがありますが、やっぱり「ゲベ」が一番耳にしました。
[34993] 佐賀県 さん
佐賀では「ドベ」ですかね。「ドンポ」や「ドンポツ」も聞いたことがあるような気が…。
関西方面の知人が「ベベ」「ベベッタ」と言っていたような記憶があります。
[34996] かすみ さん
わたしは「ベベ」か「ベベタ」を使います。周りでは「ベッタ」、「ドベタ」、「ドンジリ」、「ドンケツ」も聞きますが
[35008] 般若堂そんぴん さん
お,これは「ゲッペ」に発音が似ていますね.

結構集まりました。みなさん,ありがとうございます。「ドベ(ドンベ)」「ドンケツ」「ドンジリ」などは,ワタクシにも馴染みのあることばです。全国かなり普遍的なのかな?それとも「佐賀」と「佐野」で共通している言葉だとすれば,京を中心とした環状伝搬かも?
ところで,こうして並べてみて気づいたのですが,「ド(ドン)」を「超ド(弩)級」「ド演歌」などと使われる接頭語として考えてみれば,「ドンケツ」「ドンジリ」などは「ド」+「おしり」と分解できそうです。おしりが最後尾なのは論を待たないでしょう。
そうであれば,「ド」は明治末期から大正初期にかけて生まれた言葉であるはずだから,(英国戦艦ドレットノートの竣工は1906年)まだ生まれて100年程度しかたっていないかもしれません。あくまでも仮定の話ですが。

佐野の「ゲラ」に似ているのはEMM さんご紹介の石川県「ゲベ」でしょうか。「ドベ」に続いてこれも「ベ」ですね。どうやら「ベ・ペ・ヘ」に何か秘密がありそうです。むむむ?なんだか,お話がどんどん下がっていきそうなので,このへんで。
・・・それにしても「ゲラ」って一体何なのだろう・・・

トコロデ・・・
期せずして35000番を踏んでしまいました。しかもワタクシ的には珍しい1行書き込みで。あたかも狙ったもののごとし・・・。
実は,そんな大それた行動ではなくて,書き込みボタンを押したら新ページになって,「祝!記事番号35000達成」とでてしまったのでした。「しまったぁ!キャンセルしよ!」「だがまてよ,そうすると欠番になりゃしないか?」「うう,恥ずかしい・・・でもしょうがない」という感じですか,いやはや,失礼いたしました。
[35000] 2004年 11月 10日(水)19:23:30みやこ♂[みやこ] さん
お化けも集まる
「神様」ではありませんが,栃木県の岩舟町にある「岩舟山」には,年に一度,全国のお化けが集まってくるそうですよ。
[34978] 2004年 11月 9日(火)23:37:06【2】みやこ♂[みやこ] さん
お礼と近況報告
[34907] 般若堂そんぴん さん 大変貴重なレスポンスをありがとうございました。
「け」「げ」は「お尻系」の雰囲気があるのかなぁ,というのが私の感想です。「ドッケ・ゲッペは,おそらく現在ではほとんど用いられない」とのことですが,「ゲラ」も同様です。かなり淋しいです。そういえば,地名コレクションの影響か,「どっけ」と聞きますと,山のてっぺんの「ドッケ」を連想しますねぇ。

地名コレクション「雪形」について
最後に残った福島県分を記載して,リストアップは終了しました。あとは山の名前に地図リンクなどを,と思っています。なお,文献資料に出てこない栃木県分については,(こっそり)ワタクシの集めたものをリスト化しています。
同「三国」について
牛山牛太郎さんの情報による「三郡」地名を追加しました。このコレクションには不確定要素がかなり紛れていると思いますので,これからも皆様の情報をお待ちしています。よろしくお願いします。
栃木県市町村合併パラパラまんがについて
近未来・県のすがた~ビジュアル市町村合併地図~の楽しさに触発されて,どうにも我慢ができなくなり,とうとう栃木県版パラパラマンガ作成に着手してしまいました。
ワタクシは「パソコンお絵かき」ができないので,エクセル表を使ったギザギザマップにて作成しております。まず昭和の大合併前夜,1953年10月1日を試作し,現在はそれを元にした,出発点の1889年4月1日を作成中です。この約60年間にはほとんど町村合併はないようなので,とても楽です。最初の図面ができたなら,それを順々にいじって,何とか現在にまでたどり着きたいですね。郡界とかも入れようかな?最初に仕込んでおかないと,後ではとても直せませんから,よく考えないと。
ところで,[24209]「一万枚のパラパラマンガ」は「地理系パラパラまんが好き」にはたまらないCDなんですよ・・・(営業する義理など全くありませんが,ぜひにこの楽しみを分かち合いたいので・・・スミマセン)。

変な言葉を訂正(紅葉橋瑤知朗 さん ご配慮感謝)
[34823] 2004年 11月 5日(金)02:11:34【1】みやこ♂[みやこ] さん
re:山頂の話
[34820] sutekinaおじ さん  先刻ご承知のこととは存じますが,ちょいと失礼します。
お上のお墨付き「日本の山岳標高1003」から「山頂のとらえ方」の定義について書き出します。
(ちなみにこの1003という数字,「千に三つしか本当のことを言わない“センミツ”」に引っかけているそうです。つまり「眉に唾して読めよ」という謎かけだと思うのですが・・・)
「山頂のとらえ方」
山の頂上は,山体を構成する岩石圏の最高地点とする。樹木などの生物圏に属するものは,山体の一部とは考えず,また人工的建造物も山体の一部とは見なさない。岩石圏としては,基盤岩石とその風化生成物,火山灰など天然自然の現象で堆積した未固結物質を含む
となっており,また
雪氷など固体水圏が常時山頂部に存在する場合には,その上に人間が立った場合に足の潜った位置の標高をもってその山の標高とする
としているようです。たしかこれって世界的な取り決めのハズ。

つまり,重々ご承知のとおり「ケルンは人工的構造物」ゆえに山岳標高ではないと。それに後半部分ですが,日本には「固体水圏が常時山頂部に存在する」山はないので心配ご無用,しかし外国では・・・。普通に考えれば積雪量や体重,足の大きさ(設置圧)によっても山の高さが変わってしまうことになるハズですよね。

というわけで,きっと「正しい楽しみ方」というのは,一応ひととおり承知の上で,「ちくしょ~,何であと1m足りないんだよぉ!石積んで来ちゃうぞぉ」と,飲めないお酒を片手にクダを巻く,今の“みやこ状態”を言うのでしょう。そうだ,そうに違いない。ウィ~,ヒック。

今晩は,いっぱい書き込みしちゃった。みなさんどうもすみません・・・おやすみなさい・・・

あ,そうだ,槍ヶ岳の三角点標柱(点名「鎗ヶ嶽」)は現在「亡失につき成果使用不能」となっています。国土地理院のHPに出てました。※最後の文,追加・・・
[34822] 2004年 11月 5日(金)01:29:46みやこ♂[みやこ] さん
歌うじゃんけん,ハマとゲラ
以前から皆さんに伺ってみたかったお話がございましてね,過去にだいぶ盛り上がった話題なのですが。当時,ワタクシはこの「サロンぐりぐり」を窓の外から覗いている小僧だったもので・・・。蒸し返してどうもすみません。

じゃんけんのかけ声,歌うように「じゃんけぇ~わぁ ちょぉ~きぃ,ぽんぽわぁ~えい!」というの,ご存知ですか?“ちょぉ~きぃ”のところで,実際にチョキをだして,最後の“えい”のところでグー・チョキ・パーで勝負します。実にのんびりとしたものです。
このかけ声は,ついぞヨソの地域では聞くことができないものでした。佐野のあたりだけのジャンケンかけ声なのでしょうか。それとも?? (今どきの佐野の子供は,「最初はグー」ですと.ううむ,地域言語崩壊の足音がヒタヒタと・・・.)

●クイズ●
それからみなさん,「ハマ」とか「ゲラッピ」とかわかりますかぁ?どうも,栃木県南の,しかも特定地域のみでの言葉のようなんです。かつて葛生や足利の友人に聞いたら,「そんな言葉使わねぇ~」とのことでした。それともその友人だけなのかな?????
●ヒント●
【ハマ】「ミニカーのハマが取れた」,とか「じデんしゃのハマがパンクしちった」とか使います。
【ゲラ】「危うくゲラになりかかった」とか「どおせ,おめぁ,ゲラッピだんべ(訳:どちらにしてもあなたは「ゲラッピ」でしょうね)」とか使います。



●答え●
【ハマ】  「車輪(タイヤ)」のことです。
【ゲラ】  「一番最後の順位」のことデス。
みなさん,聞いたことありましたか?
[34821] 2004年 11月 5日(金)01:15:28みやこ♂[みやこ] さん
やっぱり同好の士,ということですよね
アーカイブズ「近未来・県のすがた~ビジュアル市町村合併地図~」の反響はすごいですね。たった一日,瞬く間に推奨20件ですよ!新記録です。すごい,すごい。みんなお好きなんですねぇ!ええ,ワタクシも大好きですとも!僭越ながら,早速推奨させていただきました。
[34705] 2004年 11月 2日(火)02:47:46みやこ♂[みやこ] さん
「剣岳レス」と,地名コレクション「御嶽/御岳山」篇“今度こそ番外編だぁ!”
[34702] うらうら さん 「剱岳の三角点と標高」
はじめまして あっ,そうか。本家本元,国土地理院にあたるべきでした。まったく,抜けた話だこと。ご教示ありがとうございました。今度筑波へ行って,「点の記」閲覧してこようっと。

さて,全国の「御嶽山」と「御岳山」を「ウォッちず」で捜してみました。そうしたら,計21個。とっても手頃です(御岳/御嶽だと99個,ダブり含む)。早速リスト化しました。「岳」も「嶽」も同じ字として使われますから,一緒くたで問題はないでしょう。
【ニッチを捜してエッチらオッチら・・・あらら,それにしても表が間延びしちゃったゾォ?】

名称読み標高所在
御嶽山みたけやま483宮城県
御嶽山みたけやま164宮城県
御嶽山みたけさん318秋田県
御嶽山みたけさん751秋田県
御岳山おんたけさん162栃木県
御岳山おんたけさん409群馬県
御嶽山みたけやま343埼玉県
御岳山おんたけさん1081埼玉県
御嶽山おんたけさん341千葉県
御岳山みたけさん929東京都
御岳山みたけやま241新潟県
御岳山おたけやま548福井県
御嶽山おんたけさん3067岐阜県
御岳山おんたけさん125岐阜県
御岳山おんたけさん131愛知県
御岳山みたけやま664愛知県
御岳山みだけやま295島根県
御嶽山みたけさん320岡山県
御岳山みたきさん438愛媛県
御岳山おたけやま243佐賀県
御嶽山おんだけやま568大分県
[34696] 2004年 11月 1日(月)20:44:15みやこ♂[みやこ] さん
おっ,出ましたネ
[34649] このHP大好き さん「剱岳の標高は2999m」
そうでしたか,3000m切ってた・・・。素直に「残念」です。モチロン標高になんて何の意味もないのは承知の上です。でもここは素直に,めいっぱい残念がることといたしましょう。「残念!!三千メーター斬り!」(←そのまんまやないですか)
ちょっとネットで検索してみたのですが,どこも単なる「2999m」で,小数点以下が出てきません。と,いうことは2999mとは三角点自体の数字ではなく,「最高標高点」の高さとみてよいのだと思います(あ~あ,これで確定しちゃったんだなぁ・・・・・・)。大体にしてまことしやかに「本当は,ある」と言われているものって,「本当は,ない」のが多いですよね。山岳標高で言えば水晶岳も3000mなかったし。
[34695] 2004年 11月 1日(月)20:42:43みやこ♂[みやこ] さん
本邦初の国立公園
[34551] 地球人 さん
日光を国立公園へという話から、国立公園の制度が出来たけど、最初の指定は、瀬戸内海、雲仙・天草、霧島の3ヶ所という記憶が強く残っているのですが・・・。
こんばんは レスくださいましてありがとうございました。それにしても,日光が口火を切ったお話をよくご存知ですね。「日光ヲ帝国公園ニ為スノ請願(うろ覚え)」ですね。ワタクシこれが,そんなに有名ではない,と思っておりました。そもそも国立公園史自体マイナーだし。
日本で最初の国立公園「15ヶ所説」というのは所詮,冗談なんです。台湾の国立公園は,設定計画自体が全く別の流れだったのですから。でも,これらの公園が,「昭和9年から11年までの本土での設定」に続く昭和12年に成立したことを考えると,戦前指定の15ヶ所を「第1期」としてひとまとめにしたくなるのも人情でございませう。

さて,昭和9年の最初の指定が3ヶ所というのは事実ですし,ゆえに「日本の最初の国立公園は瀬戸内海・雲仙・霧島の3つ」と,よくいわれます。たぶん,世間の常識でもそうなっているのでしょう。ちょっと気の利いた表現でも「昭和9年に8つの国立公園が・・・」という程度で,特に昭和11年組の4つは,不当に軽い扱いを受けています(だって富士山を含む「富士箱根国立公園」が「最初の国立公園でない」ということになるわけですから.常識で考えても,そりゃおかしい)!!

昭和9~11年の12ヶ所の国立公園は,ずっと一緒に同一歩調で調査・検討が行われてきたものですが,実はそれを3回に分けて指定したのは「“純粋に”事務手続き上の都合」であったことが,最近明らかになりました。昭和7年の指定選考委員会(本当はもっと難しい名称)の議事録の発見が,それです。これをみると,中心人物であった本多静六博士がかなり強く「全箇所一斉の指定」にこだわっていたことがわかります。
しかし事務方の「各公園に差がないことはちゃんと宣伝するから・・・」という発言で押し切られ,準備のできたところから,数回に分けて指定することになりました。このころはまだ,「半年程度で一気に全箇所指定にこぎ着ける予定」としていたので,本多博士も渋々納得したようです(実際には2年近くもかかってしまいましたが)。
【昭和2年に内務省が出した「国立公園」というパンフレットには「我が国の世界的な風景」として,富士山,日光,上高地,十和田,阿蘇の5つが例示されているということです.あぁ,これらはみな,「最初の」指定から漏れているものばかりですねぇ・・・.】

ですから,瀬戸内海・雲仙・霧島の3つを「日本で初めての国立公園」とするには定義があいまいで,「初めて国立公園に指定告示されたもの」とまで絞り込む必要があろうかと思います。そして「最初の国立公園」には12箇所全部が該当する,というのがワタクシの本当の考えです。むろん「そうすれば日光も富士山も“最初の”国立公園だぁ」という色気はさておいて,のお話しです・・・。
環境省の職員の方も,12箇所を同列で扱うことは,あまり意識していないようです。今年,ちょうど70周年なのでソレに関する記述もちょっと見かけるのですが,今ひとつはっきり書いておりませんから。

[34555] 夜鳴き寿司屋 さん
日本の国立公園は「地域性の公園」ですから,土地が国のものでないので強い権限に基づいた統一的行動がとれないのが,最大の弱点なのだそうです(最大地主である国有林は「国」ぢゃないかと思っても,省庁が違うので,何かと大変なんだそうで・・・)。
いくらみんなが「自然大好き,風景を守ろう」と言っていても,「おみやげ,いっぱい買ってね」と,大きく目立つ看板を立てて風景を台無しにしてしまう人もいますから,そういう事態を招かないためにも各種規制が生じることになり,環境省職員のみなさんは,その仕事に忙殺されるわけです。
特に技術系の方は,現場で活躍することを夢見てレンジャーになったのに,デスクワークの許認可ばかりで,それが嫌で退職された方も何人もいらっしゃいます。お気の毒です。
かくして,ある環境省レンジャーの言うことにゃ,「北海道や沖縄の現場行きは栄転・霞ヶ関の本省勤めは左遷」なんだとか・・・。

長々と失礼しました。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示