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faithさんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[87353]2015年3月1日
faith
[86325]2014年8月24日
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[86321]2014年8月23日
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[83470]2013年5月11日
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[83130]2013年4月17日
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[83120]2013年4月15日
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[83114]2013年4月14日
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[81473]2012年8月15日
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[81459]2012年8月15日
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[81258]2012年8月5日
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[81257]2012年8月5日
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[80080]2012年1月12日
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[80031]2012年1月9日
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[78814]2011年7月24日
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[78809]2011年7月23日
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[77388]2011年1月10日
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[75466]2010年7月10日
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[74812]2010年4月10日
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[70911]2009年7月22日
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[70895]2009年7月20日
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[68925]2009年3月20日
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[67244]2008年11月10日
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[65702]2008年7月8日
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[65606]2008年6月25日
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[65569]2008年6月21日
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[65426]2008年6月7日
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[64881]2008年4月23日
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[64805]2008年4月19日
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[64804]2008年4月19日
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[62962]2007年12月29日
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[62379]2007年11月4日
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[62278]2007年10月28日
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[62130]2007年10月21日
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[61951]2007年10月15日
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[61944]2007年10月14日
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[61898]2007年10月14日
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[61892]2007年10月13日
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[61852]2007年10月12日
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[61828]2007年10月11日
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[61816]2007年10月10日
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[61815]2007年10月10日
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[61756]2007年10月9日
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[61557]2007年10月7日
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[61543]2007年10月7日
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[61508]2007年10月4日
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[61482]2007年10月3日
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[61477]2007年10月3日
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[61472]2007年10月2日
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[61454]2007年10月2日
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[61414]2007年9月30日
faith

[87353] 2015年 3月 1日(日)17:00:30faith さん
府県の名前
ご無沙汰しております。

[87340] 山野 さん
「県名変更して「近江県」にしてみては?」
滋賀郡にある役所だから「滋賀県」ということだったはずですが、やはり「滋賀」が県全体を指す名称と認知されているのでしょうね。
地方政治家の無邪気な発言ということでそんなに目くじらを立てる必要もないのでしょうが…

政治家といえば、四国の合併でできたある市の市名決定に関する、前市長氏の子供じみたコメントに、ひどく不愉快になったことはあります。
やはり地名は今の世代が勝手にいじって良いものではないな、とつくづく感じる今日この頃です。
[86325] 2014年 8月 24日(日)13:09:40【1】faith さん
Re^2:意外な場所に意外な地銀が
[86322]白桃 さん
こちらこそ、貴重な資料のご紹介をありがとうございます。
大内銀行は三本松発祥の銀行だったのですね。
現在でもかなり残っていると感じる、三本松の志度に対するムラムラッとした対抗意識が町史からも読み取れます。(笑)
確かに、
三本松には明治十一年興民社が開設されて組合制金融が早くから商人金融の不備を補っていたので、銀行の出現が志度に先を譲ったのであろう。
など、読む方からは唐突に思えるぐらいに志度が意識されているようです。

大内銀行は、三本松が手袋経済時代もなお東讃地方の経済の中心地の位置を保持できたのは、この銀行が立地して歴史を作ったたまものである。
大内銀行が三本松の経済発展に果たした役割についても言及されていますね。
ところで、「手袋経済」(この言葉自体初めて目にしましたが)に、私も自動二輪用のグローブを東かがわ市所在のメーカーから何度か購入して貢献しております(笑)

本筋とはずれますが、それにしても、[86321]でもご紹介したてくてく近代建築に出ている東かがわ市内の旧支店、良い感じの建物です。

[86323] hmt さん
広島県に四国銀行【本店は高知市】の店があることも意外でしたが、その建物は予想外に立派なものでした。
広島市内に中四国に本拠を置く各行の支店があるのは分かりますが、確かに大竹は(失礼ながら)意外ですね。
四国銀行のあゆみにも
(昭和)5年 3月(株)高陽銀行を合併 (資本金1,229万5千円)
とあるだけでした。前身の大竹貯蓄銀行が高知に移転することになった経緯は調査できていません。
同行が、今日でも支店や出張所を大竹市に有するだけでなく、(広島銀行等をさしおいて)大竹市の指定金融機関に指定されているところ、大竹市にとっても「地元の銀行」という意識があるのでしょうね。

※誤字訂正 (1か所)
[86321] 2014年 8月 23日(土)16:26:37【3】faith さん
中国銀行三本松支店
[86217] ぺとぺと さん
[86221] 白桃 さん

ご無沙汰しております。

三本松に中国銀行があるのは、平塚に静岡銀行やスルガ銀行や静岡中央銀行の支店があるのと同じような理由のように思いますが、実際のところどうなのでしょう。

平塚に各銀行の支店がある経緯について、横浜銀行の店舗の歴史(PDF)
には以下のようにあります。
平塚の特徴は、近隣地区に本店を置く銀行が多くの支店を設置した点にある。秦野銀行、国府津銀行(小田原実業銀行を経て明和銀行となる)が、それぞれ平塚支店を設置したほか、すでに藤沢・厚木に出店するなど、神奈川県内への進出に積極的だった駿河銀行(現・スルガ銀行)も、45 年に平塚支店を開設している。
なお、秦野、明和の両行は上記資料にもあるように、1941年に横浜興信銀行(現横浜銀行)に合流します。
要するにスルガ銀行の平塚支店はスルガ銀行自ら開設したようです。(他の静岡県の2行についてもそうだと思われますが、調査ができていません)

一方、岡山に本店のある中国銀行が三本松に支店を開設したわけではなく、香川県の大内銀行によって開設された支店が、1931年の香川銀行の中国銀行による買収によって、中国銀行の支店となったという流れのようです。(参考:てくてく近代建築)
注: ここに出てくる香川銀行は、現在の香川銀行とは無関係です。

さらに言いますと、大内銀行についての詳しい資料はないものの、行名からは、現在の東かがわ市と重なる、旧大内郡に本拠があった可能性が高いです。
とすれば、まさに現在の東かがわ市にあたる地域を地元とする銀行が、地元に支店を開いているだけ、ということになります。

以上、三本松の重要性についてとやかく申し上げるつもりはありませんが、ご参考まで。

その他参考
地方金融史研究会「日本地方金融史」,日本経済新聞社
銀行変遷史データベース

※誤字・脱字訂正:「岡山に支店のある」→「岡山に本店がある」「三本松支店を開設したわけではなく」→「三本松に支店を開設したわけではなく」
※※香川銀行について注を追加
※※※参考のリストの記法を改めた
[83470] 2013年 5月 11日(土)16:34:28【1】faith さん
設置者の異なる本校と分校?
[83349] ペーロケ さん
[83344] グリグリさん
本校と分校で管理団体が異なるケースって他にもあるんでしょうか。

少し乗り遅れて、また趣旨もずれてしまいますが、[25340] で記載したような、昭和中期に一定期間存在した奈良学芸大学 医学進学課程 とかはどうでしょう。。(ただし、[25340]にもあるように、進学先が保障されているものではなかったようです)
医学進学課程と(進学対象の)医学部が異なる大学にあった例はいくつかありますので(たとえば東京医科歯科大学)、
双方の設置主体が異なる例はもっと出せるかも知れませんが、調査できていません。
話が元の話題とさらに離れていきますが、旧学制の青年学校教員養成所には、師範学校に併設の形で開設されたものがあります(たとえば京都)。
このような場合、師範学校が官立に移行した1943年から、青年学校教員養成所も官立に移行する(青年師範学校となる)1944年の間は、設置者が異なるまま同じ校地で並立したことになります。
このような学校の移管に伴う例は、これも他にもありそうですね。

※余計な文言を削除
[83130] 2013年 4月 17日(水)21:52:48faith さん
またまた大阪難波駅
[83122] hmt さん

境界の共同使用駅の事例を挙げると、三岐鉄道三岐線が乗り入れる「近鉄富田駅」は いかがでしょうか。

三岐鉄道のことをとやかく言うわけではないのですが、個人的には、挙げられている例は、大阪ミナミと神戸を直結する大手私鉄の新線の終点が他社の名前を関するのとは何か違うような気がします。
三岐鉄道の例は、かつての能勢電鉄の「川西国鉄前」に近いような気がしました。(千葉には大手私鉄の「国鉄千葉駅前」もありましたが…)
ただ、個人的な違和感のようなので、faith の説明(釈明?)をお読み頂いても、その接続駅が「近鉄難波」であっても違和感はないと言われるのでしたら、私もこの話題に拘るわけでもありません。単なる雑談なので…

2面3線のこの地下駅は、新たに西側から乗り入れる阪神電車を終着駅として受け入れ、折り返すだけの余力はないものと推察します。つまり、阪神線から入ってくる電車は、すべて近鉄線に直通運転するものとして計画され、建設されていると思われます。

折り返しのための設備やキャパシティがあることは、その駅を終点とする(すなわちその駅「行き」の)列車があることの必要条件でもないのでは? 名鉄名古屋駅という例がありますよね。
[83120] 2013年 4月 15日(月)23:27:49faith さん
再び大阪難波駅
[83116] hmt さん
[83114] みかちゅう さん

全体に書き方がまずく、前提も共有できていなかったため、良いたいことがうまく伝えられませんでした。
みかちゅうさんが言われる例は存じていますし、関西でも山陽姫路-阪神梅田間の「直通特急」などでは同じような掲示がみられます。
ただ、大阪難波駅は、このような例と状況は異なり、境界の共同使用駅です。京急に乗り入れる京成の車両が京急久里浜行きを掲げる(これは当然のことと思われます)のと意味が違うと思いますがどうでしょうか。
共有できていなかった前提というのは、大阪難波駅の位置です。
難波駅は、南海やJRの難波駅(元祖の南海はともかく、JRの難波駅には違和感を禁じえませんが、それはともかく)地下鉄千日前線や御堂筋線のなんば駅と同位置にある駅と理解されていると思います。しかも乗り入れてきたのは近鉄が後です。
そこに、長年の計画が実現し、乗り入れてきた阪神の電車にまで、近鉄難波行きを名乗らせるのは、私には無理があるように思えてなりません。

近鉄は確かに駅に「近鉄」を駅名に冠する傾向があります。
ただ、これは駅の場所とあまり関係がないようにも思われます。難波駅の隣の駅は、千日前線の日本橋と同じ場所にありますが、近鉄日本橋駅となっています。(むしろ、システム的な理由で、大阪地下鉄など - もしかしたら東京の地下鉄?との同名駅を回避しようとしているのかとも思われますが、鶴橋駅には「近鉄」がついておらず謎です。)
[83114] 2013年 4月 14日(日)16:10:58faith さん
近鉄難波駅
[83102] hmt さん

…というわけで、阪神から 「大阪難波」への駅名改称 を提案されたら、近鉄もこれに同意。こんないきさつでしょうか。

交渉の経過については私には分からないのですが、ご存知のとおり、もともとの駅名は「難波」ではなく「近鉄難波」なので(ホームの駅名表示も、駅ビルの表示もそうなっていた)、改名はいずれにしろ必然のものだったのではないでしょうか。(さすがに阪神の電車が「近鉄難波行き」は不自然と思われます。)
話は少しずれますが、「神戸~」「大阪~」のような案内は他地域から来られる方を主に念頭においている、というのはきっとそうだと思う一方、「京阪神」と呼ばれつつも、三都市および近隣都市の住民同士はそれほどお互いの地理を把握しているわけではないと思われます。
(相手都市に就職や進学したり、親しい者が住んでいるなどの事情がなければ)観光で訪れる程度ではないでしょうか。自分の話になりますが、大阪市の近隣に育ちましたが、神戸の元町を歩いたのは、そういう事情ができた社会人になってからでした。
[81473] 2012年 8月 15日(水)12:06:32faith さん
元祖(?)円形校舎
[81469] hmt さん

昭和30 (1955)年 ○日本建築界最初の高層円型校舎を完成。空中写真説明「周囲に高層ビルはない」。
(略)
この建物が全国的な評判になって、1955年前後の流行になったものと推察します。
「高層」ではありませんが「円形」校舎としては時期的には、富士見の円形校舎
が少し先んじており、こちらもそれなりに報道に取り上げられたようです。
ご指摘のように、文化服装学院の影響力はあったと思われますが、明らかに同時期に平行して計画・設計が進められたと思われる、この2校を含む複数の先行例が流行につながったのではないでしょうか。
[81459] 2012年 8月 15日(水)00:42:19faith さん
丸い建築物
[81458] BEAN さん
[81436] オーナー グリグリさん
[81431] Issieさん
[81418] hmtさん
[81305] 菊人形さん

円形校舎は各地で見かけますが、これについて考えたことがありませんでした。
私が見知っている例についてちょっと調べてみました。

清風中学校・高等学校
の円形校舎は、沿革|学校概要|清風学園によると、
昭和32年 3月 4階建校舎落成(現、円形校舎)
と確かにIssie さんご指摘の時期に建築されていますね。

個人の方のサイトに大阪芸術大学短期大学部(旧浪速短期大学)の円形校舎が紹介されています。こちらも学校案内>短期大学部のあゆみ : 大阪芸術大学短期大学部によると
昭和34(1959)年 矢田に円形学舎竣工。短大及び学院本部移転
とやはり時期的にはこのあたりです。

校舎ではありませんが、こういうところに、10年以上前に宿泊したことがあります。公式資料での確認は取れていませんが、建築年はやや下って1973年のようです。(近年、改装で相当手が入っているようです)
1976年に大阪マルビルが建てられているので、このあたりに再び流行があったのかも知れません。(のろのろ書いていたらBEANさんに先を越されてしまいました)

ただ、施設の目的や規模(=半径) にもよりますが、円形断面の建物は矩形断面に比べて使い勝手が良いと思えず、一種の「流行」で終わっているのではないでしょうか。(でなければ、円形校舎の建築がその後続いていても良いはず)
[81258] 2012年 8月 5日(日)18:49:07faith さん
国別のメダルランキング表
[81210] hmt さん
国別メダルランキング表の作成禁止ルール(根拠条文は未発見)があるとは 知りませんでした。
もう見つけられたかも知れませんが、
OLYMPIC CHARTER IN FORCE AS FROM 8 JULY 2011
には以下のようにあります。
57 Roll of Honour
The IOC and the OCOG shall not draw up any global ranking per country.
ご紹介の「オリンピック憲章を読んでみよう」から受ける印象とは違い、IOC や OCOG(The Organising Committees for the Olympic Games; 組織委員会)が作らないと言っているだけで、他人に「作るな」と言っているわけではないですね。
下記のWall Street Journal の記事によれば、1924年からある規定だそうです。
Who's on First in Medals Race?
That wording was inserted into the charter in 1924 after organizers in some cities began ranking countries.
[81257] 2012年 8月 5日(日)18:15:55【1】faith さん
豆腐の名産地♪
いろいろなことがあり、ご無沙汰しておりました。
[81251] EMM さん
[81242] 白桃さん
[81244] オーナー グリグリさん
豆腐スレッドの皆さん

豆腐が名物ってほとんど聞いたことないですね。
もちろんここで議論されている豆腐ではないですが、胡麻豆腐(高野山他)とかジーマミー豆腐(沖縄)などは名物として認知されていると思われます。
「本来」の豆腐という意味では、
[81247] 油天神山 さん
かくて日本中どこでも豆腐を作ることができ、そしてできた豆腐は日持ちせず、しかも崩れやすいので近所にしか流通しない、という構造ができ上がる訳です。
に同意です。
おいしいパン屋が小麦の原産地とは無関係に立地しているのと同じく、豆腐のおいしい店とされるところも全国にありますよね。

※改行の入り方がおかしかったので訂正。句読点追加。(内容変更なし)
[80080] 2012年 1月 12日(木)01:26:49【1】faith さん
京浜東北線のホーム
[80049] JOUTOU さん

日中の快速(京浜東北)と各駅停車(山手)への乗り換えの便宜を図るといった意味では、ホームが隣合わせでない品川駅では不便なため、隣接駅(現在は田町)に停車させるといった意味なのではないかと思います。

なるほど。そこまでは読み取っておりませんでした。ありがとうございます。
東海道新幹線から品川で下車することが多いのですが、おっしゃるようにこの駅では山手線・京浜東北線が線路別の複々線なので少し不自由に感じています。(山手線、京浜東北線のどちらのホームで待ってもすぐに電車は来るわけですが。)
これもお書きのように、田町では方向別複々線になるのですが、現在の交差位置は新駅予定地の北側にあたるようですね。ただ用地もあるのでこのあたりはなんとでもなるでしょうし、新駅も方向別のホームが作られることでしょう。

※出だしの表現を修正。
[80031] 2012年 1月 9日(月)17:42:10faith さん
新駅
今さらですが今年初めての書き込みになります。今年もよろしくお願い致します。

[80026] Issie さん
[79961] hmtさん
[80022] グリグリ さん
[80024] 白桃 さん

私も芝浦に一票なのですが、Issieさんも言われるような新たな名称がつけられる可能性はおおいにあると思います。(例えば東北線の「さいたま新都心」駅が「吉舗町」駅と名づけられる可能性がどれだけあったかと考えると。)

おそらく 日中の快速も停車する というメッセージを伝えているのでしょう。

私には単に京浜東北線の駅(ホーム)もできる、と言っているだけに読めました。首都圏の方が見ると、そのようなニュアンスを感じとれるものなのでしょうか。
[78814] 2011年 7月 24日(日)01:14:43faith さん
Re:控えから
[78810] 紅葉橋律乃介 さん
ありがとうございました。
現在問題になっていることの全面的な答えになっていると思ったわけではなくて、町村制をきっかけに町長→村長に変わったのか?という部分に対してだけ、いずれにしても町村制の前の職名は「戸長」では?と書いたつもりだったのですが…

日野宿本陣 - 新選組のふるさと日野 - 日野市観光協会が正しいとすれば、
それまで明治になってから神奈川県に属していた他の多摩郡の村々と一緒に東京府に移管され、それまでの名前も「日野宿」から「日野町」に変わったです。この時、佐藤俊正(彦五郎)は初代の町長になっています。
ということなので、これと
[78806] MI さん
[78812] hmt さん
を参考にすれば、戸長(郡区町村編制法)→村長(町村制)→町長(東京府移管後)ということになる?
[78809] 2011年 7月 23日(土)12:13:46faith さん
戸長
[78808] むっくん さん
[78798] hmt さん

日野宿「宿長?」の公式職名は、町長から村長に変わったのでしょうか?【町村制52条では「町村長」なので、区別することは無意味かもしれませんが。】

もしかして趣旨を誤解しているかも知れませんが、郡区町村編制法時代は
第6条 毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク又数町村ニ一員ヲ置クコトヲ得
と同法にある通り、町でも村でも戸長が職名なのでは?

※「日野宿戸長」という表記もネット上ではいくらでも拾えましたが、一次資料にはリーチできていません。

そんな単純な話をされているのではない!というのであればすみません。
[77388] 2011年 1月 10日(月)17:53:17faith さん
業平橋
[77124] Issie さん
東武伊勢崎線の「業平橋」駅が,例のものの完成・開業にあわせて2012年から「とうきょうスカイツリー」駅に改称するのだとか。
何かもったいない気が。

同感です。100年も続いた駅名をもっと大切にできないものでしょうか。営業上の配慮だとしても、せめて「業平橋(東京…)」とか。
### そもそも駅名改称案ではなぜか「東京」がかな書きなのも気に入りません。

遅くなりましたが、今年もどうかよろしくお願い致します。
[75466] 2010年 7月 10日(土)10:20:57faith さん
資格審査委員会より
[75452] 2010 年 7 月 7 日 (水) 19:40:25 EMM さん
[75448] 白桃さん

Beijing
中国語には有声子音がないので中国選手は原則的に出場資格はなしとします。

…というか、そういう原語での発音じゃなくて、日本語表記でどうなるか、ですよね。
ギザも原語では定冠詞がこの場合付いています(この地名は普通名詞なつめやしに由来するという説があるそうです)が、日本語表記で判断すれば良いように思いました。
[74812] 2010年 4月 10日(土)10:45:52faith さん
羽田-関空線
[74502] hiroroじゃけぇ さん

ご無沙汰しています。移行から1年が経過して、政令指定都市・岡山市もかなりなじんできた感じですね。

伊丹便の利便が高いとはいえ、仮にでも日本の2大都市圏を結ぶ便です。こうでもしないと増便できないというのは、やはり関西の航空行政を象徴しているのかとがっかりしてしまいました。
私自身はそれほど航空事情に詳しいわけではありませんが、伊丹-成田線から類推すると、国際線乗り継ぎ便が主な需要でしょう。関東には成田空港があるのだから、関東から関空に乗り継ぎでくる人がそれほど多くないのは航空行政がさほど非合理ではないことを示しているのではないでしょうか。
東京と大阪の都市間移動ということであれば、ご存知のように、普通は羽田-伊丹を利用するか新幹線でしょう。
[70911] 2009年 7月 22日(水)00:32:51faith さん
「江」と「河」
[70907]Issie さん

何となく“北”の方が「河」で,“南”の方が「江」であるようにも思えるけれど,必ずしもそうでないのは,東北部の中朝国境や中ソ,…もとい,中ロ国境の 鴨緑江,図們江(朝鮮側では豆満江),烏蘇里江,黒竜江 で明らか。逆に,長江下流部に網目のように広がる支流にも「河」と呼ばれるものが多くあるようです。さらに現在でも「水」と呼ばれるものもたくさんある模様。
とすると,本家中国でもこれらの語尾の使い分けに明確な“法則”はないのでしょう。

残念ながら、根拠となる論文には十分触れられていませんが、故橋本萬太郎氏の「現代博言学」では、ご指摘の中国大陸における「江」と「河」の分布について図示しつつ、以下のような記載されております。
「江」という漢字によってあらわされることばが、南アジア諸語と、また「河」という字によってあらわされることばが、アルタイ語とむすびつけられそうなことは、いまでは、ほぼうたがいないようにおもわれる。
(同書370ページ)
すなわち、両者とも、中国語に取り入れられた、異なった非漢語的要素に由来するという考察です。(ここだけ読むと唐突なようですが、同書では、中国語の「方言」の成立について、漢語が他の言語に覆いかぶさった結果であることを説明しており、これは実際に、現在では有力な見方となっているようです。)
続いて、同書では、日本語と「さわ」と「たに」について、元々は異なる言語における同意語が、日本語に組み入れられた結果、意味が分化したものではないかという考察を行っております。

以上、先刻ご承知の内容のような気もしますが、ご参考まで。
[70895] 2009年 7月 20日(月)16:15:42faith さん
市名と同名の高校
ご無沙汰しております。話題につられて、特に新しい情報もありませんが、出て来ました。

[70889] 今川焼 さん
過去の大阪市立高校の記事
当人も忘れかけていましたが、大阪市立高校が枚方市にある事情は、リンク先の記事からたどれる、[53123]faithに書かれていました。

[70888] ぺとぺと さん
単なる偶然か甲子園出場校や全国高校駅伝の常連校が多いですね。
もう一つの類型として、公立の中等学校に先行して設立された私立中学校がありますね。このようなものは現在も、いわゆる進学校として機能しているようです。(挙げて頂いた中で、いくつかはそのような分類にあてはまりそうです)

少し違いますが、都道府県名をそのまま名乗るケースもあります。府県庁所在の市名が、府県名と同じ場合は、今話題にしているケースと判断がつきにくいです。
例:三重高等学校
[68925] 2009年 3月 20日(金)23:39:27faith さん
サイトデザイン、阪神近鉄相互乗り入れの件
[68916] オーナー グリグリさん
ご無沙汰しております。いつもありがとうございます。
私も背景色については[68906] かぱぷうさん[68908] ニジェガロージェッツ さんとほぼ同意見(変更する必要はない)です。提示頂いたサンプルではせいぜい明るくするとしても30-50%ぐらいじゃないかと思いました。
それ以上だと慣れの問題かも知れませんが、目に優しくないと感じました。

テキストサイズは、可能であれば可変の方がありがたいと思います。
そろそろ老眼の域に差し掛かりつつある身としては、(一般論として)目が疲れているときなど、ディスプレイ上の細かい漢字を読むのがしんどくなることもあります。
今のところこのサイトでそれを感じることはないですがいずれは…

[68901] EMM さん
[68900] 桜通り十文字さん
[68899] 般若堂そんぴんさん
南海の乗り入れの可能性についてはEMM さんの言われる通りですね。阪神相手ではありませんが、南海が標準軌であれば、堺筋線も違った形となったでしょう。
関西の鉄道交通としては「神戸は梅田から行くところ」という固定観念が覆されたのは画期的と個人的に感じています。

###かつては西九条からの西大阪特急も走っていましたが。
[67244] 2008年 11月 10日(月)02:35:23【1】faith さん
飛び地の定義
ご無沙汰しております。飛び地の定義スレッドの皆様:

陸地でつながっているのか水面でつながっているのかを問わず、
・行政区画が連結(任意の2点を結ぶ曲線を、行政区画内のみを通るようにひける)であれば飛び地なし、
・そうでなければ飛び地あり、
と判断し、
「どれが飛び地か」を決める必要であれば、人口が最も多い連結領域以外をそう呼ぶ、というのはどうでしょうか。

何か私が知らないことがあるのかも知れませんが…
ただ、「飛び地」という概念自体は、もともと定義を与えずとも、何となく使われている単語なので、どのような定義を行っても、限界的な事例では見解が分かれるのは致し方ないのかなと思います。

※誤字訂正
[65702] 2008年 7月 8日(火)03:46:55faith さん
山形県営球場
[65701] MasAka さん
山形県は今年行われたので33年ぶりの開催となったわけですね。
私は野球に詳しくないので、勘違いしているのかも知れませんが、山形県営球場という名称はプロ野球がらみで聞くような気がしますし、wikipedia で山形県野球場を調べても、公式戦は近年に到るまでたびたび行われてきているように読めます。
wikipedia をすべて信用して良いと思っているわけではありませんが、一度ご確認されると良いかと思います。
[65606] 2008年 6月 25日(水)00:21:51【2】faith さん
中央林間, 大河原町, etc.
[65589] 伊豆之国 さん
中央林間は元は下鶴間でしたね‥
訂正ありがとうございます。

別の話題ですが、これだけ広域に人口移動があるはずの今でも(「都道」はどうなのか分かりませんが;というより相対的なものだから基準があるとすれば「都」?)、府県ごとに目立つ苗字があるのが面白いです。

[65597] 千本桜 さん
大河原(町)の状況について解説頂きありがとうございます。
1・字名(土地と密接に関係する)
2・住居表示による町名(建物・居住地・街区と密接に関係する)
3・行政区名(集落コミュニティ・住民生活と密接に関係する)
4・地理的な市街地名(あぁ・・・う、うまく形容できません)
以上の4種に分けて考えないと整合性がつかなくなります。
確かに地名を議論するときにはこの4つのどれについて議論しているのかを明確にしなくてはなりません。
といいつつ、1を3になるべく残すには、ということを極端に押し進めて、いささか無茶苦茶ではありますが、(行政区画名に対応する部分を含む)地名は純粋なラベルとして、行政区画(ここで言われている「行政区」とは違いますが)との対応はそれとは別の方法でつけましょうというのが[65569] faithでした。
おわかりと思いますが、大河原町の問題の解決とかには繋がらない、単なる空論です。(斬新な発想だろうと思っていたら、[9758] YSK さんが、もっと常識的なレベルで提案されていたのを発見しましたが。)
4. は、関西で「梅田に行ってきた」というようなものですね。
faithさんはこの住居表示の実施区域にお住まいなのではないでしょうか。
仰る通りです。
ところで、
ですから大河原町の字名問題を考える場合は、住居表示を実施して新たな町丁を画する考えは除外しなければなりません。
お書きになっているものを読むと、昭和31年の金ヶ瀬村との合併前の地名表記に戻すのが理想的な解決法のような気がしてしまいますが…
(あるいは、そこから「大字」と(小字を示す)「字」という文字列だけ省略を許すとか)
でも、「整合性がないから戻します」では賛成が得られそうもない(特に今の「大河原町字高砂町」の住民など)でしょうね。

[65604] 大龍エクスプレス さん
(東京都の23特別区は1自治体扱い)
この注釈と表からおっしゃる意味は分かりましたよ。

※「これだけ移動が」→「広域に人口移動が」、余計な改行を削除、[65604]大龍エクスプレスさんへの言及を追加。
※※余計な改行を削除。住居表示地域に関する引用を追加(それに伴いレスを簡略化。)「昭和31年以前に」→「昭和31年の金ヶ瀬村との合併前の地名表記に」
[65569] 2008年 6月 21日(土)20:55:48【3】faith さん
若干の変節?と思考実験
[65491] hiroroじゃけぇ さん
[65490]inakanomozart さん


私も、方角名を付けるのが望ましい、と思っているのではなくて、古くから伝わる地名で、その地域・他地域の住民が納得できるものがあれば、それがベストと思います。
[65331] N-H さんの
「保土ヶ谷区」
なんて、少なくとも江戸初期の「程ヶ谷宿」に遡り、現在の保土ヶ谷区に含まれる村の1つであった「由緒正しき」、いわば王道です。
ところで、
その地域・他地域の住民が納得できるもの
と書きましたが、これと「由緒正しき」(整合性があるということも含みます)地名はしばしば両立しないことも[65553]千本桜さん、[65473]白桃さんがお書きになっているものを読むとことさらに痛感されます。
この大河原町の事例に、大河原町大字大谷(かつては…ですが、これで合っているでしょうか)にある「大河原駅」の存在がどれほど影響しているのか、私には分からないですが、大都市圏では、駅名がいつのまにか周囲の地名を置き換えている例が非常に多く見られます。

上鶴間→中央林間
上鶴間、鵜野森→相模大野
旗ヶ岡→旗の台 (駅名もかつては旗ヶ岡駅であったが、統合に伴って改名されたもの)
等々。
(あまり正確でないところもあるかも知れませんが、言いたいことは伝わると思います)

こうしてみると、大都市圏では、電鉄会社が地名を決めるのに最も大きな役割を果たしてきたと言ってもおかしくないです。

ところで、また全くの空論と言われてしまいそうですが(実際、単なる思考実験ですが)行政区分と地名は不可分という前提でこれまで地名は変化してきましたが、本当に「不可分」のものなのでしょうか。
たとえば複数の市町村を自治体としては統合して1つにするが、行政が及ぶ範囲の地名はこれまでと変えない、ということはできなかったものでしょうか。
例えば、堺市と美原町は(異なる企業が持ち株会社の下で経営統合するように)自治体としては統合するが、住民はこれまで通り、堺市の地名はこれまで通り堺市…で、美原町の地名はこれまで通り美原町…で、ということも可能と思います。(だからどうした、と言われても困りますが、そういう世の中もあり得たのではないか、という独り言としてご理解ください。)

最初からこうしていれば、極端な話、藩政期の地名(村名)のまま、21世紀の日本人が生活することもできたかも知れません。

※「方角を」→「方角名を」
※※「かつては…ですが、」を「これで合っているでしょうか」の前に追加
  2つ目の「由緒正しき」の後に「(整合性があるということも含みます)」を追加
  その後の「名前」を「地名」に変更
※^3 誤字訂正
[65426] 2008年 6月 7日(土)02:59:27【1】faith さん
区名について
[65370] hiroroじゃけぇ さん他
    岡山市の区名スレッド? の皆様

個人的な感覚もあって難しいのですが、その区が、もともと一つの自治体に含まれていた、というのでもなければ、方角が選ばれるのは極めて自然だと思います。
その区の一区域が全国的に有名だったとしても、他の地域の住民からすれば、その名前で代表されたいとは限らないでしょう。
それに、住所が長くなるのが最低限に抑えられるのも方角(+中)を用いるメリットです。

さらに言えば、個人的には、「えらい人」が集まって、新たな地名を考えて下さるよりは、方角名の方がよほど好きだし、むしろ親しみが持てますが、これはまあ人によって違うのでしょうね。

[64810] geo さん
遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。
市立高校には商業高校が多いな
かつて存在した私立の商業高校は多くが普通高校に転換(通常改名も伴う)されており、これによって商業高校は相対的に、公立に多く残っているということは言えると思います。(これでは市立に多く残った理由については説明できていませんね。)

※選ばれるのが自然→選ばれるのは自然、[64810] geo さんへの謝辞、コメントを追加。
[64881] 2008年 4月 23日(水)23:30:29faith さん
市役所は北区にあり
[64875] まがみ さん
市役所は北区にあり
そりゃあ中之島だから北区ですね。ひどい間違いでした。まあ結論は正しいということで(笑)。

[64876] hiroroじゃけぇ さん

…ということですが、まあ言いたいことは伝わったと思います。
[64805] 2008年 4月 19日(土)09:36:26【1】faith さん
市立高校
[64090] geo さん
 そこで,他の全都道府県も調べてみたところ,このような結果が出ました(xlsファイル,表中の人口はH18.10.1の推計人口,高校数は平成19年度現在)。本当だとここに表を挙げるべきでしょうが,全てのデータを載せると大変長い物になってしまうのでこのようにしました。ご了承ください。
はじめまして。お若いのに、渋いところに興味を持たれていますね(笑)。
貴重なデータをありがとうございます。これって1つ1つ、調査されたのでしょうか。

市町村立、あるいは複数の市町村による学校組合立に端を発する中等レベルの学校(旧制中学校、実業学校、高等女学校またはそれに相当するもの)は、現在府県に移管されたものを含むと、さらに多数となります。地域の教育ニーズに密着した、農学校や女学校に端を発するものも多いようですね。
なお、ご存知かと思いますが、埼玉県では、国に移管された例(筑波大学附属坂戸高等学校)もあります。

※意味が取りにくい後半に加筆
[64804] 2008年 4月 19日(土)09:07:08【1】faith さん
「中央」の区名
[64717] hiroroじゃけぇ さん
市役所があるのが「北区」、市役所がなく中心市街地からも外れている場所が「中区」になるということです。確かに、市役所が「中区」にないと不自然な感は否めません。
いろいろあってご無沙汰しておりました。

上記を読んで、大阪市では1989年に旧東区と旧南区が合併して中央区ができるまで、市役所や府庁は東区にあったのを思い出しました。企業の本社や支社も旧東区に多く立地していました。あるいは堺市役所は中区ではなく、堺区にあるという例もあります。

いずれもあまり直裁な例ではない(たとえば、市名を冠した区があれば「中区」以上に中心性がある地域で当然という議論は当然あるでしょうし)のですが、単純に「中区」や「中央区」が中心性を持つ、というよりは、ある種の深みがあるような気もします。
(少しはずれますが、東京都で、国の中央官庁が多く立地するのは中央区ではなくて、千代田区でしたね。)

※誤字訂正
[62962] 2007年 12月 29日(土)02:48:34【1】faith さん
制限速度
[62957] 星野彼方 さん
[62954] JOUTOU さん
日本国内で制限速度100km/h以上で走行できる道路はなかったんじゃなかったのかなぁ?

第二東名と第二名神は120km/hだったような140km/hだったような、警察と国土交通省でもめていたような、とにかく制限速度が100km/hを超えていたと記憶してますが、どうでしたっけ?
ご存じの上で言われているのかとも思いますが、道路での最高速度の上限は道路ごとに決まっているのではなく、道路交通法施行令 二十七条(高速自動車道本線車道の場合)第十一条(それ以外の場合)で定められています。
現在はそれぞれ、100km/h, 60km/h となっているため、JOUTOU さんも言われる通り、これを超える道路は国内では現状あり得ないと思われます。
道路交通法 第二十二条には
車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない。
とありますが、これは
政令で定める最高速度>= 道路標識等により指定される最高速度
というのが前提と思われます。
ただし、今後新しく開通する高速自動車道で100km/h を超える制限速度にするとすれば、政令を改正して、これまで100km/h制限であるために特に制限標識がなかったところに新たに制限標識を整備するよりは、新しい自動車道だけ(140km/h などの)制限標識を出す方が簡単かも知れません。

※第一センテンスの誤りを訂正。異なる発言の引用を区別するため間にスペースを入れた。最終センテンス「新しい道路」→「新しい自動車道」
[62379] 2007年 11月 4日(日)14:57:04faith さん
北海道及び府県
[62377] hmt さん
もっと前に遡ると、明治35年の 司法省令第4号 では、
監獄費ヨリ北海道地方費及府県ニ償還スヘキ費額
というように、「北海道地方費」と「府県」とを書き分けていますから、日露戦争頃が分かれ目でしょうか。
明治34年(1901年)の北海道会法(法律第2号)、北海道地方費法(法律第3号)によって、(島としての)北海道全体をカバーする自治体が初めてできたわけで、それまでは道と府県を並列する必要がほとんどなかったということではないでしょうか。
実際、この両方の法律には、府県に関する法律(のいくつか)を適用するという趣旨の条文が含まれています。
すなわち、「北海道及び府県」という言葉が使われるようになるきっかけはここにあると考えます。(実際にその表現が現れたのはhmtさんが言われるあたりなのでしょうが)
[62278] 2007年 10月 28日(日)12:12:37【4】faith さん
Interpark, 学校由来町名コレクション
[62267] Issie さん
[62238] k-ace さん
[62263] YASU さん
別にカタカナだから絶対に排除されるべきだとは思わないし,既存の複数の町・大字にまたがって生まれた“新しい市街地”を代表するにふさわしい名前であるならば,新しい地名として何が悪いことがあるだろうかと
私も基本的に同意見です。新しい地名をつけるということ自体が揶揄されがちですが…

そもそも英単語として「正しい」んでしょうかね?
Issie さんもおそらくお考えのように、正しくないと思います。「公園間」という意味で"interpark"が使えたとしても、形容詞になってしまい、名詞に転用しても意味的に合っていないし、英語で"interchange" を略すとしたらI/Cが普通かと。
ただ、社名や固有名詞として、"Interpark" を付けるのはありでしょう。

[62272] ぺとぺと さん
もうチェック済みかも知れませんが、2.または3. の例として
堺市学園町 (大阪府立大学が所在)
奈良市学園前/南 (帝塚山学園が所在)
松山市文京町 (愛媛大学、松山大学が所在)
があります。

※ 一部"InterPark"となっていた表記を"Interpark" に訂正。
※^2 松山市文京町の例を追加
※^3 「3.の例として」→「2.または3.の例として」
※^4 「形容詞になってしまいますし」→「形容詞になってしまい、名詞に転用しても意味的に合っていないし」
[62130] 2007年 10月 21日(日)01:44:16faith さん
木の葉丼
[62109] suikotei さん
[62100] 油天神山さん
[62053] ペーロケさん
木の葉丼、そういえば食べたことありますが、[62100] 油天神山さんも書かれているように、外食等で積極的に選ばれる食べ物でもないような気がします。
内容を積極的に表現する「カツ丼」とか「親子丼」などに比べて名称もいかにも消極的ですし、内容も(うまく言えませんが)何となく手近な材料で無難にまとめましたという消極的な感じがします。(「木の葉丼の名店」というのも聞かないし…)

「木の葉」が何を指しているのかについても、油天神山 さんも書かれる通り、いくつかの説がありはっきりしません。
三つ葉が入っていたような気がします。
これは親子丼などにも入っていたりしますよね?

今回のお話で、「関西の食べ物」とされていることを初めて知りました。
実はきつね丼というもの自体、知りませんでしたが、なかなかおいしそうですね。
[61951] 2007年 10月 15日(月)02:02:02【2】faith さん
もし南海鉄道が国有化されていたら, etc.
[61876] hmt さん
大変読み応えのある大作をお疲れ様です。[61073] Issie さんを受けた、自然発生的な記事と思っていましたが、鉄道の日の記念企画にもなりましたね。

初期には比較的自由に民間にも鉄道敷設に参画させてきた明治政府が、途中から幹線を官営とする方針に転換し、相対的に整備された非官営セクターを吸収しつつ、システムを作り上げた過程は、(多少強引ですが)明治政府の教育政策にも通じるものがあるように思いました。

明治から阪和間の輸送を担ってきたのは南海鉄道であって,なぜかその南海が国有化されなかったにもかかわらず
ご存じの通り、南海山手線となってから、阪和電気鉄道にあたる部分がピンポイント式に戦時買収されるという経緯を辿っていますね。
仮に阪和電気鉄道の開通前に南海が国有化され、南海本線(以下「南海線」)が国鉄の幹線となっていたとしたら、省線と南海線をつなぐ、天王寺-天下茶屋間は重要路線として整備されたと想像されます。(現実にはエアポケットのような存在のまま、廃止されてしまいましたが)
一方、もしそうなっていたら、阪和電気鉄道は省線との連絡を義務付けられることもなかったわけで、どこにターミナルを求めたでしょうか。谷町筋地下を北上(現在の大阪市営地下鉄谷町線のルート)して、新京阪の天神橋駅(現在の大阪市営地下鉄「天神橋筋六丁目」駅)に連絡するという選択もあり得たかも知れません。(経営状態から言って現実性を欠いているようですが)
という風に、「もし…だったら…」といろいろと想像を膨らませるのも鉄道の一つの楽しみ方ですね。
まだ 近代NDL の存在を知らず、別の本から探してきたことを思うと、便利になったものです。
これは良い情報です。私はこれまで法令全書をその都度図書館でコピーしていましたのですが、便利になりますね。(とはいえ、現状では紙の方が見やすいと言わざるを得ないですが)

[61949] 千本桜 さん
お付き合い頂きありがとうございました。

※ 最後から2つ目のセンテンスを削除。
※※ 法律全書についての言及を追加。
[61944] 2007年 10月 14日(日)23:32:52faith さん
富士スピードウエイ
[61937] 伊豆之国 さん
芥川の小説と豆相人車鉄道のつながりなど、大変興味深く読みました。
現在、小山町には「富士スピードウェイ」があり、先日「F1」レースが開かれましたが、これが小山町の商業・経済にどれだけ寄与したか、前記の「支線転落前夜」の状況に重ね合わせると、甚だ疑問に思われますが、いかがでしょうか。
この一節はやや唐突に感じました。富士スピードウエイも、そこで開かれるF1レースも、地元の発展を主目的にしているわけでもない、単なる商業的施設や商業的イベントです。
それとも、「支線転落前夜」の状況と重ね合わせると、何か見えてくるのでしょうか。
[61898] 2007年 10月 14日(日)04:22:24【3】faith さん
一口に地名決定と言うけれど
[61867] 千本桜 さん
どこに「愚かだ」と書きましたか。
これは私の読み間違いでした。「非常に矛盾したことですね」という書き方から、批判的な意図があるのかと思いました。失礼しました。
筋が通っていませんね。
この件については、[61892] にも書いた通り、特に矛盾はありません。また、(あくまで)仮に啓蒙の主体を行政側に限ったとしても、[61890]般若堂そんぴん さんが書かれているように、常に行政の側は「でたらめ」とも限らないので矛盾はないと思います。
この点、特にややこしい点はないと思われ、実は[61889]千本桜さんの再反論の方が理解できませんでした。
言いにくいことですが、この件に関するfaithさんの書き込みからは、「決定権は住民にあるべき」という権利意識だけが見えてきて、それに伴う義務と責任の所在が見えてこないのです。
簡単に言えば、「その通り」です。地名の決定について、住民の権利は制度化できても、それに伴う責任や義務をどう制度化して良いのかfaith には分かっていません。(そのような「責任や義務」を定めることができたとすれば、それは地名の決定にあたって何を重視すべきかについての何らかの立場が前提になっているように思われます。)
私の書き込みの、どこをどう読めば、そのような結果に導かれるのですか。
確かに
古代、中世に遡るような地名を保存することについてはfaith も基本的には賛成です。
ただし、[61815] にも書いた通り、それだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことではないと思っているところが特に千本桜さんとの違いでしょう。
というのは粗雑に過ぎました。
しかし、
一方千本桜さんは「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。
は突飛な受取り方ではないと思います。
以下のように書いておられますよね。
[61799] 千本桜 さん
小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。ですから、ここはやはり市町村議会、審議会、行政に踏ん張ってもらわないと。
ここからfaithが判断したのは、「(少なくとも)小字を抱えた地域については、最良解があり、その場合は、一般住民に決定権を持たせるべきではない」と千本桜さんはお考えだということです。(私にはそうとしか読めませんが、違いますか?)
で、これは後からのご発言ですが、
[61867] 千本桜 さん
このような場合、古い地名を引継ぐことなどできないではありませんか。そのような場合も藩政村名や大字名を継承するのが最良だ、などと思ったことは一度もありません。
ということから、そのような「最良解」が存在しないところでは、その限りではないというようなご意見に見えます。
ここまでくると、
[61852]faith
一方千本桜さんは「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。
については、「歴史原則に立って決定すべき」には確かに表現の行きすぎはありましたが、大きく間違っているわけではないと思われます。
どうしてfaithさんは、「決定すべき」のように「べき」で括ってしまうのでしょうか。
むしろ、千本桜さんの書き込みやご紹介のHPを拝見して、強く感じるのは地名はこうある「べき」というお考えです。
[61194] 千本桜 さん
そもそも、引田町も白鳥町も旧町名は捨てると言っているのですから、大内町も捨てるべきなのです。
とも書かれていますね。では逆におたずねしますが、「べき」という主張をしていると指摘されると何か心外なのですか? 何らかの主張をなさっているのですから当然そうなると思うのですが。
いずれにしろ、大字、小字についてはもっと勉強していきたいと思います。

ところで、[61815] faith
ではどこだったら「日本」という名前を継承してよいのですか。
については、どうなりましたでしょうか。

※ 誤字訂正。「簡単に言えば~」からのパラグラフに加筆。
※※ 誤字訂正。表記修正。
※^3 「古代、中世に遡るような地名~」という書き込みについての言及を追加
[61892] 2007年 10月 13日(土)22:18:05faith さん
中継ぎ(でもありませんが)
[61890] 般若堂そんぴんさん
[61889] 千本桜さん
[61874] 般若堂そんぴんさん
[61867] 千本桜さん

「啓蒙」については般若堂そんぴんさんの解釈と近いことを意図していました。啓蒙は誰が行うかについて特に問題にしていたわけではないので、「啓蒙」する主体は書いていません。

千本桜さんのご意見について読み違いをしているとのご指摘があったので、もう一回ご指摘の個所について読み直してから、改めてレスしたいと思います。

ところで、顔の見えないコミュニケーションの難しさが実感される今日この頃ですが、私がレスしたことで、千本桜さんのお気を悪くされるようなことになっているでしょうか。
もちろん、他人の意図を読み落としていることはあると思いますが、
私の書き込みの、どこをどう読めば、そのような結果に導かれるのですか。
とか言わず、「あなたの解釈は違う。私はここにこう書いている。」と具体的に書いて頂ければ十分ではないでしょうか。
無用にとげとげしくならないよう、私も気を付けたいと思います。
[61852] 2007年 10月 12日(金)13:35:53【1】faith さん
地名の決定権, etc.
[61846]音無鈴鹿 さん
丁寧な追加説明をありがとうございます。当方、不愉快な思いなど全くしておりません。
純粋に、ご意図を確認したかっただけです。

[61851] らるふ さん
この一行がそこに書き添えられていたからです。
この程度のことにあえて「不快感」を表明されるのはよくよくのことと私には思われました。

[61847] 88 さん
議論の整理をありがとうございます。
(1) 「どういう地名をつけるべきか」
お考えは理解できたと思います。古代、中世に遡るような地名を保存することについてはfaith も基本的には賛成です。
ただし、[61815] にも書いた通り、それだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことではないと思っているところが特に千本桜さんとの違いでしょう。
(2) 「誰が、どのような過程による意思決定を経て地名をつけるか」
についても、(1)に関する意見の違いから来ているものと思います。
「他にも考慮すべき要素があり、したがってもっとも利害関係がある住民に最終決定権を委ねるべき」と考えるのがfaith です。
一方千本桜さんは
「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。(88さんも同じ立場と思ってよろしいでしょうか。)

ただ、これは批判でも何でもないのですが、
ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって
とお書きになっているところなどを拝見すると、千本桜さんとfaith とでは社会のあり方についての理念がかなり違うようにも感じます。
(少し話がそれるので[61815]には結局書かなかったのですが、これだとルーマニアという国名も正しくないということになりそうですね。)

※「個人的には」→「基本的には」など
[61828] 2007年 10月 11日(木)05:51:43faith さん
依頼事項
[61827] 音無鈴鹿 さん
 十番勝負もまた落書き帳においては、重要なお祭りであるわけです。つきましては、祭礼に伴う交通規制にはなにとぞご協力くださいますようお願い致したく存じます。
例え話は読んでいて楽しいですが、それほど重要な依頼であれば、もう少し正確にどうしろと言われているのかお教え頂けないでしょうか。
もしかして十番勝負中は、関係のない書き込みは自粛するように、ということでしょうか。
[61816] 2007年 10月 10日(水)23:37:01【1】faith さん
北和, etc.
[61754] リトル さん
追加調査をありがとうございます。
確かに行政上に決めた全県の区割りがあるのかも知れませんね。
ただ、「地名」の様に住民側の生活に密着した感覚では、それとは別に奈良盆地の区分を指すようです。
私も実は奈良県の北和と呼ばれる地域に比較的長い間居住していたのですが、北和、中和(地理的な意味での)、南和という言葉を日常では聞いたことがなく、行政用語だと思っていました。
奈良在住の歴史に詳しい人に、訊いて来ましたので、参考までに。
なかなか参考になりました。おそらくもともとは奈良盆地についての言葉だったのでしょう。

中学サッカーの資料では、南和に吉野郡も含まれていたので、盆地内の区分とはいえないと思いますが、確かにこの手の区分だと、規模などもそろえるために調整していてもおかしくありませんね。
一度、奈良版のTVなどの天気予報がどうなっているのか、見たくなりました。
そうですね。現在、簡単に見られる状況にはないですが、私も人に聞くなりして調べてみます。あと、新聞の地域面などにもそういう言葉が使われているかも知れません。

※余計な改行を削除
[61815] 2007年 10月 10日(水)23:16:00faith さん
地名の決定権
[61799] 千本桜 さん
何と答えたら良いのやら、そのような論理で地名を考えたことがないんですよ。自分が生まれる前から地域があり、地名があり、その地域や地名を当然のものとして育ったものですから、地名の継承を強制されているという感覚が私にはありません。
自分たちの住んでいる自治体が合併でなくなるなど、新たに地名を与える契機があって発生することだと思います。そういう契機がなければ、そんなことを考えないのは当然のことです。(これについては後述)
faithさん、本当にそう思うのですか?。もし、その行く先に "まずい" ものが見えたなら、誰かが「ストップ!」と声を上げるのが筋だと私は思うのです。それからもう一つ。「住民に最終決定権を与えるべき」とおっしゃいますが、それは住民が責任を負うことを前提にしなければ成り立ちません。理想じゃなくて現実を見た場合、責任を持って地名と取り組める住民は極めて少数です。みんな忙しいのです。そして何より、地名に関心が薄いのです。そのような一般住民に責任を負わせるのは酷です。
はい。「まずいものが見えても」住民に最終決定権を与えるのが正しいと私は本当に考えます。
この問題は実は地名だけではありません。関心の薄い住民だって含まれているでしょう。それでも、住民の意思を問う以外に、誰もが認めうる、手続き的な根拠がないでしょう、ということです。

呆れられているようですが、1つお考えになって下さい。
今回の「藩政村の地名を継承すべき」というのは、「自分たちの住んでいた自治体の名前を地名に残したい」という意見に比べて、万人にとって「正しい」のですか。
いずれも、地名を決定するのにあたっての、1つの立場でしかないように思えます。
だから、いずれを採用するかについては住民に決めさせるしかないでしょう、と申し上げているのです。
千本桜さんから見れば、正しい決定が常に行われるものではないと思います。でも、自分たちの住む地域の名前をそうでたらめに付けるはずもありません。(どちらかというと、「でたらめ」に近い名前は、行政の側から出ているような気がします。)

自治体名を地名に残したい、だけど日常使うので、長い地名は嫌だ、
と思うのはそんなに愚かなことでしょうか。
人間として自然なことではないでしょうか。私だってそう考えるでしょう。
そこで、この地名はこのように残した方が良いものだから、という啓蒙はなされても良いと思います。ただ、後者の立場を強制するのは、現代では無理がありますね、と申し上げているのです。(それが「歴史的地名の継承を強制することはできない」ということです)
石巻市は藩政村の和渕を残し、和渕小学校の住所を石巻市和渕字佐沼川としました。小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。
「こんがらがって」の意味が分かりません。住民に意思を問うにあたって、合理的な案があるなら、それを示せばよいことです。その説得力が十分あればそれが選ばれるでしょうし、それが選ばれないということは、合理的だと住民が思わなかったか、それ以外に他の案を選好する、もっと強い理由があったということになります。
「こんがらがって」どころか、当たり前のことが起きるだけと思うのですが。
その動きに賛同した八戸市が市名を日本市に改称しました。これをもって、日本の名を残せて良かったねと喜べるでしょうか。どこでもいいから名前さえ残せば日本という国が存在したことの証明になると言うものではありません。ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって、ふさわしくない場所にその名を残すと、何百年後、何千年後に歴史を紐解く妨げになりかねません。大内町大字松崎の一部を大字大内に改称したのも、その類に思えるのです。
ではどこだったら「日本」という名前を継承してよいのですか。(まさか橿原市ではないですよね(笑)。)日本である以上、八戸市も京都市も同じだけの権利はあると思います。
済みません。ちょっと理解できません。松崎に位置するのだから松崎で良いと思いますが・・・。
工業団地が大内という名前を継承するのが正しくないのであれば、もともと工業団地が「大内町」と呼ばれる地域に含まれているのも間違いということになるのじゃないかと思いました。
(対偶ももちろん正しいと思います。)
だからといって、それが最良な出来事だったとは思えません。これから新たに地域と地名を構築していく際に、そのような事例を参照しても意味を成さないと思います。
これは私にとっては本質的なことと思います。
地名はこれまでも変わってきたはずです。文字による記録がなされる前からもそうですし、それからも自然に発生したり、なまったり、新しく成立した権力によって命名されたりといろいろです。
それなのに、なぜある時期に成立した地名に基づかない決定は間違いとされてしまい、住民はそのような決定ができないから、といって意思決定から排除されてしまうのでしょうか。

以上、意見の一致を見るような気がしないですが、こういう考えもあります、ということで書かせて頂きました。
[61756] 2007年 10月 9日(火)13:47:24faith さん
地名の決定権
[61653] 千本桜 さん
早速の丁寧な回答をありがとうございます。
大字界と大字名の変更を望むなら、その結果、周辺大字との係わりがどのように変化するかを知った上で要望するのが望ましいのです。
自体は、私は賛成ですし、そもそもそのような変更自体、むやみに行うべきではないと考えます。
ただし、そのような歴史的な地名の継承を、現在の住民に強制できるのか、といえば、手続き的には明らかに現代の社会ではNo です。それが、ここで問題にされているような事例を生んでいるわけでしょう。

意見が分かれるのはおそらくここからで、
たとえ、上記の見地からいって、まずい決定がなされる可能性があっても、住民に最終決定権を与えるべきと思うのがfaith なのに対して、そうではなく、
自分のことだけでなく、広く地域全体を見ることのできる人
が決めるべきとお考えなのが千本桜 さんであるわけでしょう。

[61194] 千本桜 さんが取り上げられている実例については
東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。あれは、藩政村の引田、白鳥の意味なんだよ。大内町には藩政村の大内はないでしょう。だから、東かがわ市に引継ぐ大内という地名はないんだよ
という考え方と
引田町、白鳥町の名は残るのだから、大内町の名も残して欲しい
という考え方のいずれを優先するかは、やはり住民に最終決定権が与えられるべきことと思います。(東かがわ市になる前は「大内町」だった地域に暮らしていた人たちが「大内町」の地名を残したいというのは、藩政村の地名がどうあれ、自然なことと思います。)

もし、百歩も千歩も譲って どうしても大内の地名を残すとしても、あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものか
ということを言うのであれば、そもそも
大川郡大内町松崎
という地名を工業団地が名乗っていたこと自体もおかしいということになります。
推測の域を出ないのですが、地名が記録されるようになる前には、
これまで知られていた土地Aに隣接していた土地が、いつのまにかAと呼ばれるようになり、やがてAといえば後の方の土地を指すようになった、
などという例はいくらでもあったと思われます。
藩政期の地名を可能な限り保存して、それを基準に地名を決定するという考え方も1つの考え方と思いますが、現在の住民が、現在の状況(この例では、東かがわ市になる前の状況)を基準にして新しい地名を考えるのは自然なことであり、それを「誤りである」と決めつけることはできないと考えます。

最後に。暢気なことを言うなと叱られそうですが、このようにして(不本意な事例を含みつつも)地名が変わっていくから、[61175]88さん
試行品は、藩政村(≒大字)と現在の町・大字名との対比をも目的としています(究極の目標は、この表を全国に展開することですが)。
のような地理的な趣味も成り立つのではないかとも思いますがどうでしょう(笑)。
[61557] 2007年 10月 7日(日)19:13:06【1】faith さん
地名の決定権
[61551] 千本桜さん
[61545] 88 さん
転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。
心情的には理解できますし、昔から伝わる地名を理由もなく変えて欲しくないと私も個人的に思っていますが、ここまでくると、(不穏当な言葉かも知れませんが)「選民意識」というものに近く、私には受け入れにくいものを感じます。
どのような人の意見だったら「正しい」のですか。

地元の人だったら嫌がるだろうなと思う名称が、(おそらく他地域にお住いの方から)無邪気に提案されているのを見たこともあります。
もちろん、地名の歴史についての啓蒙はなされるべきですが、地名については、その地域で実際に生活して、納税して、地名の影響を直接に受ける、当の住民たちに最終決定権があると私は考えます。
それに、1000年前の地名だったら正しく、今の人が自然と思う名前より優先されるべき、というのも、考えておられるほど、万人に通用するロジックではないように思います。
いつの時代も、人々は自然と思う名前で周囲の土地を呼んできたはずです。狭い範囲の地名がいつの間にか広い範囲に転用されることなどいくらでもあったでしょうし、いつのまにか範囲がずれていることだってあったはずです。似たことが、少々違った形ではありますが、現代に起きているということではないでしょうか。

###こういう意見の方がこの掲示板では勇気が要りそうですが(笑)

矛盾と思われるかも知れませんが、[61545] 88 さんの
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
自体は、深い洞察を含んでいるように思われ、一概に否定するわけではありません。

※第1センテンスの表現を少し改めた。「いつの時代も…」以下を追加。[61545]への言及を追加。
[61543] 2007年 10月 7日(日)02:47:45【3】faith さん
島嶼部の旧富士銀行支店
[61400] ぺとぺと さん
[61375] KK さん
旧富士銀行の支店について、同行発行の「富士銀行の百年」(以下「百年史」)にて調べることができたので報告します。
百年史には以下のようにあります。
築地支店大島出張所 大島町元町四丁目
昭25・7 築地支店大島派出所を設置 昭31・9 大島出張所として開店
浜松町支店八丈島出張所 八丈島八丈町三根
昭39・11 芝浦支店八丈島出張所として開店 昭45・3 浜松町支店八丈島出張所
富士銀行の1998年版ディスクロージャー資料INFORMATION2--組織・ネットワーク(PDF/300KB)
にある大島特別出張所、八丈島特別出張所とは住所が一致していますので、これが富士銀行ではこの時点まで引き継がれていたものと思われます。

なお、八丈島出張所については現在のもの(八丈町大賀郷)と住所が異なっています。
富士銀行の2000年版ディスクロージャー資料DATA FILE Part 1(PDF/233KB)では、住所は表示されていませんが、
町役場前
とあり、このあたりで移転したようです。
三宅島の方の出張所については百年史では記述が見当たりませんでした。

八丈島出張所が新設された背景については、百年史には以下のようにあります。
こうした情勢(faith注:都市周辺部の発展を指す)をふまえて、大蔵省の店舗行政はさらに弾力的になった。三十七年度からは普通支店、三十八年度からは出張所の新設を認めることになった。このあと四十年の不況によって四十一年度に店舗行政は抑制に転ずるが、それまでの四年間に当行は次の支店と出張所の認可を受け出店した。
(中略)三十九年に小金井、小松川、経堂、府中、成増、金山橋の六支店と、東京中央市場内、八丈島の二出張所(略)

なお、
出張所(三宅島)と、特別出張所(大島、八丈島)の違い
については私も良く分かりませんでした。
他行でも、出張所、特別出張所が双方存在するところがあります。母店が本店であるか支店であるかに関連しているというわけでもなさそうですし、他行の例ですが、特別出張所だから母店が存在しないというものでもなさそうです。
三菱東京UFJ銀行 東松原特別出張所
東京三菱UFJ銀行がわずか5店だけ特別出張所を残しているところを見ると、行政的には意味のある区別なのでしょうか。

※「なお、八丈島出張所については…異なっています。」を追加
※※「最後まで」→「この時点まで」
※^3 誤字、脱字訂正。最後の引用部分を縮小。
[61508] 2007年 10月 4日(木)23:03:48【1】faith さん
奈良電&金沢
[61500] 2007 年 10 月 3 日 (水) 22:47:28 KK さん
近鉄に吸収された奈良電が京都線になったのは、
単純に、近鉄にはすでに奈良線があったから、
ではないでしょうか?
[61482]にも書いたように当時の事情は分からないのですが、おっしゃるようにすでに「奈良線」がある以上、旧奈良電の路線が「奈良線」と命名されるはずもありません。
[61482]では、そういう当時の社内的な事情についてではなくて、命名法としては近鉄京都線も、旧国鉄奈良線も、近鉄、旧国鉄それぞれの路線名の命名システム内では整合性が取れているのではないでしょうか、ということを言いたかったのでした。


[61485] むっくん さん
[61496] だんな さん
まさかここまでの学都であったとは。認識を新たにした次第です。
私も実は驚きました。正直に書きますと、最初は「金沢って学都?それは戦前のことじゃないの?」と思いつつ、一応現状を調べてみたら実は今でも「とっても学都」でした、恐れ入りました、というところです。
こういう特色を持った有力な地方都市があるのはとても好ましいですね。

※誤記訂正(「近鉄奈良線」→「近鉄京都線」)
[61482] 2007年 10月 3日(水)02:12:25faith さん
JR奈良線と近鉄京都線
[61479] みかちゅう さん
京都~奈良をほぼ並行しているJR奈良線と近鉄京都線の路線名の違いはなんとなく面白く感じます。
[61475]にまんさん
この話題の発端となった「京奈」ですが、往来の中心となる京都と奈良を結ぶ鉄道がJRは「奈良線」、近鉄は「京都線」
当時(近鉄による奈良電吸収時)の事情など分からないのですが、いずれも、既存の幹線からの枝線という発想での命名法ではないでしょうか。
JR東日本で、中央線から枝分かれして青梅に向かう路線が青梅線であるのと同じように、東海道本線から枝分かれして奈良に向かう(「日本国有鉄道線路名称」では奈良線は関西線に所属していましたが、京都発が下りなのでそのような発想も的外れではないはず)路線が「奈良線」。
一方近鉄からみれば、既存の奈良線から枝分かれして、京都に向かうのが「京都線」。(実際、大阪-京都の特急が走っていた時代もありました)これだと同社の橿原線(旧畝傍線)などの命名法とも符合しますが、どんなものでしょうか。
[61477] 2007年 10月 3日(水)00:12:30【3】faith さん
京奈の今後をかきまぜるレス
[61475] にまんさん他京奈スレッドの皆様
かなり性格の違うものが混在している感じがしたので、私なりに整理してみました。
面白い分析ですね。個人的には
2 隣接型
隣接するAとBを総称又は境界地域の呼称としての性格を持つもの。

3 中間点型
離れたAとBの間にある地域を総称する性格を持つもの。
の区別がやや微妙な気がしました。
ここで挙げられている2つの地名を合成するパターンでは、2つが都市名の場合と、都道府県名の場合がありますね。
「阪神」は明らかに前者のパターンです。一方「京奈」については、形からはどちらとも断定できません。
この場合、都市名とすればにまんさんが言われる「中間点」型になりますが、都道府県とすれば「隣接型」となります。
都道府県を地名として用いるという風習が広まった現在では、どちらもあり得ますし、個々の話し手は由来自体意識していないかも知れません。
(2つの地名の組み合わせではありませんが、「京阪奈丘陵」に現われる「京」「阪」「奈」については、府県と思っている人が多いのではないでしょうか。)
一方、「阪和」について考えてみますと、「名阪」と同じく、道路や鉄道のような長さのあるもの(にまんさんの言われる「二次元型」)に使われるのが普通のように思います。
天王寺から和歌山に向かう鉄道路線は(京阪電鉄が設立にかかわっているからというわけではありませんが)大阪市と和歌山市を結ぶから「阪和」だと考えられます。一方、「阪和自動車道」の「阪」「和」は、この道路が松原JCTを起点、みなべIC(基本計画では最終的にはすさみIC)を終点としているところからは、府県名のようにも思われますが、他の道路と組み合わせれば、大阪市と和歌山市を結んでいると言えないこともなく、どちらというのも難しいような気もします。
(ところで、「阪神」と同じような使い方で、泉佐野市などを「阪和」地域と言ったりはあまりしませんね。)

以上、単にかきまぜているだけですね(笑)。

※「第二阪和道」を「阪和自動車道」に変え、見解についての説明も詳しくした。
※※「『阪和自動車道』など」→「阪和自動車道」。このセンテンスの表現を少し変更。
※^3 「みなべIC」の後の()を追加
[61472] 2007年 10月 2日(火)22:56:17【1】faith さん
学都?軍都?
[61466] だんな さん
金沢の中心にあり、街のシンボルである金沢城から前田家が去った後、陸軍第九師団や第七連隊が置かれていたことが軍都のイメージを形成し、敗戦後は金沢大学丸の内キャンパスがあったことから学都のイメージが形成されていったものと思われます。
金沢の「学都」としての特色は、戦前も強かったのではないでしょうか。戦前はナンバースクールの旧制高校(四高)、旧制医大(金沢医大)、金沢工業専門学校、およびすでに戦中ですが、1944年に設置された金沢高等師範学校と、官立の高等教育機関をこれだけ揃えた地方都市は多くはなかったと思います。
各都道府県に最低一校は国立大学が設置されるようになり、一方、石川県に存在していた官立の高等教育機関が新制大学一校に統合された戦後は、国立の高等教育機関についていえば、金沢の特色はむしろ薄れているのではないでしょうか。
とはいえ、
金沢世界都市構想 第2次基本計画 第1章 III 教育分野 3.学術都市の集積効果の活用(PDF)には
石川県は、都道府県人口あたりの高等教育機関の学校数が全国2位、教員数が全国3位であり、人口あたりの学生数は全国6位となっています。
とあります。
石川県=金沢市ではありませんが、このことから、金沢には依然「学都」としての実体があるといえそうです。その一方では、だんなさんが言われる金沢大学の存在ももちろん重要とは思いますが、むしろそれ以外の学校の存在が大きく寄与していることもうかがわれます。

※誤記訂正
[61454] 2007年 10月 2日(火)00:20:37【3】faith さん
北和、中和、南和など
[61412] リトル さん
奈良の知人に「京奈」を聞いたついでに聞いたのですが、広い奈良盆地は、「北和」「中和」「南和」「西和」と言い分けているらしいですね。
実はこれを見て「え?」と思いました。「南和」って「南大和」の略で、奈良県南部を指すと思っていました。「北和」「中和」も含め、奈良県の区分であって、奈良盆地の区分ではないと思います。
ご参考
南和広域連合
2007 年 奈良県中学校サッカー4地域選抜大会(PDF)
「東和」は、少なくとも「北和」「中和」「南和」よりは使われない表現だと思われます。南北に長い奈良県の形状が影響しているためからでしょうか?
生駒郡、北葛城郡の7町の、結局流れた合併構想では、新市の名前を「西和市」としていました。確かに、「西和」と言うとすれば、このあたりでしょう。
ご参考
西和消防組合

※誤字訂正
※※脱字訂正、逆に余計な文字を削除
※^3 「6町」→「7町」
[61414] 2007年 9月 30日(日)18:23:41faith さん
町村の都市銀行支店, etc.
[61397] ドラえもん さん
繰り返したのは失礼かと思われますが
状況はどうあれ、他の方の発言を「見苦しい」と言う必要はないです。(経緯を考えればなおさらのことです。)

自己中ということは、結局2人だけのでは無く自分だけの世界ってことなんですか??
ドラえもんさんも言われている通り、そんなことはどちらでも良いことです。私は、
[61391]かすみ さんが書かれている、
ランキングはダメでランキングが含まれていなければいいですか?という短絡的な話ではないです。
が、[61393] を見る限り、理解されていないので、口を挟んだだけです。

この件は、これぐらいにして…

[61400] ぺとぺと さん
ただ一方で、都市銀行は合併を繰り返す中で、近接する支店を中心に大規模な統廃合を断行してきた経緯があり、その中で残存している支店は当該銀行が相応の「重要拠点」と判断していると推測できるのではないか、という思いもありました。
ご指摘のようなことは私も考えておりました。
ただ、ご存じのように、かつての「護送船団方式」銀行行政の下では、支店の新設は厳しく規制されていました。このような状況では、吸収した、あるいは前身の金融機関が開設した支店は「既得権」であり、収益に基づいて個々の支店を閉店する動きは取りにくかったと思われます。
90年代以降、銀行行政はかなり変化したので、今では状況は異なると思われます。実際、銀行の支店が閉店する例も良く見かけるようになってきましたので、言われているような考え方も成り立つと思われます。
ただし、上に書いたような「護送船団方式」銀行行政の結果として各行の支店網が形成されてきたことも事実であり、歴史的な分析も依然必要と考えます。

主に旧埼玉銀行の支店で構成される「埼玉りそな銀行」を一緒に語ることに違和感
そうですね。ご指摘の旧埼玉以外にも、特に旧三和、旧東海、旧神戸は、有力な地方銀行から発展したものなので、特定地域では地方銀行としての色彩が強く感じられます。(他の都市銀行も大半は中小の銀行や金融機関を吸収してきているので、多かれ少なかれそのような色彩を持っているのですが。)


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