2015/3/6に国土地理院から発表された平成26年面積調は
計測方法と基礎となる地図の変更を伴うものであり、面積データの変化は全国の自治体に及ぶものでした。
集計方法でも四捨五入の処理法が変り、当サイトの面積データ更新プログラム見直しが必要になったとのことです
[87424]。
このように面積調の前提条件が変っているので、平成26年と前年との数値を比較することは、それ自体に疑問があります。国土地理院の発表が対比形式を避けた理由も その点にあると思いますが、おおまかな要因を知る目的で、都道府県面積の差を計算しました。その結果、北海道(-33.26km2)、長崎県(+26.44km2)など 10道府県で 3km2以上という大きな差がありました
[87373]。
最大の差があった北海道(-33.26km2)は、観測衛星を用いて改測された北方領土面積が主要因子であるという予想を裏付けるものでした。長崎県の大幅な増加は予想外でしたが、諫早湾干拓の調整池を国土に編入した結果として解釈することができました
[87437]。
今回の面積調は、都道府県や市区町村の面積に関して、久しぶりに多くの「数値変動」をもたらすものでした。
[87435][87436]
しかし
都道府県ランキング の中でも「面積順位」に限れば、その変動はありません。
諫早湾埋立をした37位長崎県は 21世紀になってから 40km2も面積を増して 36位徳島県との差をかなり詰めましたが 順位逆転には至りませんでした。
平成16年(2004)面積調で愛知県と千葉県の順位が入れ替わって以来、「都道府県面積順位」は10年間不変のままです。
実は過去に遡ると都道府県面積順位でも かなり変動があります。その変動要因を解析できたら面白いと思いました。
手始めは面積の数値集め。近年の数値だけなら国土地理院の面積調が定番ですが、境界未定地について「参考値」の初出は平成16年(2004)なので
[67271]、10年ほどしか遡れません。
今回の目的に最も適していたのは、統計局の
長期統計でした。目次の第1章に
国土・気象 があり、1-11表で都道府県別面積のエクセルファイルをダウンロードできます。原資料名「国勢調査」とあるように、大正9年以来・原則5年間隔のデータです。
もっと古い時代の資料は統計年鑑があり、府県別面積については明治16年まで遡れます
[87405]。
しかし、ベースになる5万分の1地形図を 全国的に利用できる前の時代の面積データは、伊能図との二本立て記載など
[87405] まだ旧時代を引きずっていた跡が窺われます。
今回の調査では、面積データとしてはkm2単位・5年間隔で揃っている長期統計1-11表を使うことにしました。
面積自体はこれでOKですが、変動要因を考察する資料は なかなか探しにくく、福井県面積の謎など全く解けていません。
とりあえず、判り易い埋立面積が影響したと思われる都道府県面積順位レースの展開を眺めます。
愛知県と千葉県だけについて言えば、元々面積が近く(5000km2余)、戦後盛んに埋立地が作られたという共通点があります。
hmtの頭の中の地図で距離や面積を比較する「物差し」になっている千葉県の面積
[76231]。
千葉港のあゆみ で見るように、戦後に発足した東京湾岸の整備によって千葉県の面積は 1960年からの20年間で108km2も増加し、5100km2を越えました。
千葉県の急ピッチな拡大は、面積順位レースでも同期間に73km2増えた愛知県を追い越し、1975年に27位を獲得。しかし、1990年以降は 愛知県が面積増加を続けたのに 千葉県の伸びは止り、前記のように愛知県が再逆転しています。
都道府県面積順位レースでよく知られているのは、最下位が大阪府から香川県に変った事実です。
“最小面積は大阪府” という かつての常識が覆されたのが、1988年【26年前の面積リセット】を含む5年の間でした。
1950年からの40年間で大阪府の面積増69.2km2。香川県も1945年からの40年間に23.4km2面積増と意外に健闘。
しかし
[68680]で記したように、1985-1990の5年間に7km2も減少していたのですね。
やはり、埋立面積で大阪府に差を付けられただけでなく、陸海の境界が満潮界に改められ、入浜式塩田(の跡地)などが「海」になった影響があるようです。
同じく1950年からの40年間で比較すると、戦前に民間事業として開始された児島湾干拓
[67436]が 戦後の国営事業として引き継がれた岡山県が+52km2で、ほぼ増減のなかった高知県を抜いて17位を獲得しました。これも1990年。
元々の面積が近かったため、埋立面積の差で順位逆転したペアをもう1組。
山口県は1960年からの50年間で+40.85 km2、茨城県は+7.8km2。23位をかけた順位逆転は1975年でした。