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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[105242]2022年8月6日
YT
[105165]2022年7月30日
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[104913]2022年7月8日
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[104836]2022年6月17日
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[104158]2022年4月16日
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[104019]2022年2月28日
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[103922]2022年2月4日
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[103921]2022年2月3日
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[103913]2022年2月2日
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[103887]2022年1月22日
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[103852]2022年1月17日
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[103711]2022年1月10日
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[99297]2020年3月26日
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[99289]2020年3月23日
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[99264]2020年3月17日
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[99136]2020年1月30日
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[99134]2020年1月30日
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[99132]2020年1月30日
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[99130]2020年1月28日
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[98131]2019年7月21日
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[98110]2019年7月14日
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[97583]2019年3月22日
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[97521]2019年2月9日
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[97520]2019年2月9日
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[97514]2019年2月4日
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[97511]2019年2月2日
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[97507]2019年1月29日
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[97502]2019年1月27日
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[97499]2019年1月25日
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[97046]2018年11月28日
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[97037]2018年11月26日
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[97027]2018年11月24日
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[95701]2018年4月20日
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[95699]2018年4月20日
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[95377]2018年2月3日
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[95367]2018年2月2日
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[93042]2017年7月28日
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[93041]2017年7月28日
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[93031]2017年7月26日
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[91228]2016年8月17日
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[90107]2016年3月25日
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[90087]2016年3月18日
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[88602]2015年8月9日
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[87941]2015年6月21日
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[87464]2015年4月12日
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[87463]2015年4月12日
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[87449]2015年4月3日
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[87439]2015年3月31日
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[86844]2014年12月28日
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[86490]2014年10月26日
YT

[105242] 2022年 8月 6日(土)12:05:32【2】訂正年月日
【1】2022年 8月 6日(土)12:24:44
【2】2022年 8月 6日(土)16:23:07
YT さん
明治23年の人口1万人以上の市区町村別人口まとめと今後の予定
[104836]で書いた予定通り、総務省統計局図書館所蔵の『戸籍表』を元に明治23年12月31日付の日本全国の市区町村別人口をまとめ終えました。

[103711]で書きましたように、総務省統計局図書館所蔵の『町村別戸口表』を使って明治22年12月31日付の市区町村別現住人口を再計算し、一応は作業が終わりましたが・・・色々検証するべき問題点が見つかりましたので、とりあえず公開の方は明治23年12月31日付のデータの方をまとめからにします。

ただ、明治23年度の現住人口をまとめたものの、これをそのまま公表するのは幾つか問題点が残りました。

1. 東京府伊豆七島・小笠原島に関しては、細かい町村別人口の情報が欠落しています。まあこれは大勢には影響は出ません。7年ほど前に自分は徴発物件一覧表掲載の明治23年の大字別人口をまとめようとして頓挫しましたが([87941][88602]等)、伊豆七島分の町村別レベルの人口に関しては[88602]のリンクがまだ生きていますので、そちらを参考にして下さい。

2. 虫食いのため、いくつかの町村の出寄留の囚人及懲治人、陸海軍在営艦者が得られず、現住人口が算出できない(特に愛知県):まあ官報による現住人口に相当するものを、隠岐、対馬、吐噶喇、大島、沖縄、北海道に拡大することはできました。

3. 『戸籍表』原本の閲覧ができなくなりました。

総務省統計局図書館所蔵の『戸籍表』はマイクロフイルム化されていてコピーを取ることは可能です。しかしながらこのマイクロフイルムの作成者の意識が低かったのか、冊子体のままコピーを取ったせいか、多くの頁で内側に入り込んだ数行が読めなくなっています。さらに白黒のため、朱で入れられた重ね文字が判別できません。そこで原本を閲覧することで、これらを修正することが可能となります、ところが総務省統計局の図書館に関し、工事が開始してしまい、原本閲覧ができなくなりました。

令和4年5月30日から総務省第二庁舎耐震改修工事対応のため、利用できる図書は開架式の書架(閲覧室)にある図書、電子資料、マイクロフィルムとマイクロフィッシュ、調査区関係資料のみになります。御不便をおかけして申し訳ございませんが、御了承願います。

まとめるにあたり、内側が読めないところからデータを入力し、1か月に一度ほど統計局図書館で該当箇所をチェックする、という作業をしておりましたが、6月以降は古資料の閲覧が不可となり、原本による『戸籍表』の最終チェックができなくなりました。工事が終わるのは5年後とのことですが、さすがにそこまで待つ訳にはいかないので、不完全な形として今月中に自分がまとめた明治23年12月31日の現住人口の再計算結果の表(官報掲載相当および日本帝国民籍戸口表掲載相当)を公表する予定にします。

とりあえず以下に人口1万人以上の市区町村の人口の比較をまとめます。比較対象は官報掲載の現住人口、『明治二十三年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』(残念ながら明治22、23年版はオンラインで閲覧できない:明治24年版は閲覧可能)収録の「各地方郡市戸口表」(「市」と「区」の現住人口が比較可能)と「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口、そして『日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」掲載の現住人口です。

なお明治22年版の『町村別戸口表』では沖縄県の間切に関し、
備考 本県ハ郡ノ設ケ無 之ニ付各間切島ヲ郡ニ該当製表ス
との脚注があったので、明治22年の間切に関しては郡市と同等とみなし、[104158]では他町村出入寄留の加除を行わずに間切の現住人口の算出を行いましたが、明治23年版以降の沖縄県統計書では現住人口の算出に他町村出入寄留の加除を行っており、よって明治23年の間切に関しては町村と同等とみなし、他町村出入寄留の加除を行いました。

以下比較結果ですが、明治22年版([104836][104158])と異なり、官報でも明治23年版の『日本帝国民籍戸口表』でもおおむね正確に現住人口が算出されています。一部の計算間違いは、監獄の無籍在監人、囚人、懲治人の加算忘れ、加算間違いに起因するものが主です。弘前市のケースでは『戸籍表』原本に弘前市内の他町村出入寄留の数字が掲載されてしまっており、これを使って計算したか、その後の朱書きの訂正(同市内の町丁間の出入寄留は無視してゼロとするべき)を考慮して算出したかの違いです。一方明治41年版の『日本帝国人口静態統計』では後から「戸口表」を使って人口1万人以上の都市の現住人口を算出したとありますが(正に自分が行っているのと同じ方法)、比較的間違いが多いです。

市区町村府県庁旧国本籍人口現住人口(官報)再計算値現住人口再計算値備考
東京市東京府武蔵国820,0131,141,9911,141,9911,155,2901,155,290
荏原郡品川町東京府武蔵国12,89717,27117,27117,21417,214
南足立郡千住町東京府武蔵国11,79114,52014,52014,50314,503
京都市京都府山城国259,600288,867288,867289,588289,588
紀伊郡伏見町京都府山城国16,16716,94716,94717,24617,246
堺市大阪府和泉国42,82545,52045,52045,56345,563
大阪市大阪府摂津国328,930337,605337,605473,541473,541
西成郡難波村大阪府摂津国24,54726,50026,50026,40526,405
西成郡曽根崎村大阪府摂津国10,70611,26011,26011,22011,220
東成郡天王寺村大阪府摂津国13,66714,29714,29714,22614,226
東成郡東平野町大阪府摂津国10,41612,04312,04312,00912,009
三浦郡横須賀町神奈川県相模国9,92114,77114,77118,19418,194
三浦郡浦賀町神奈川県相模国13,04913,41213,41213,78313,783
足柄下郡小田原町神奈川県相模国15,29214,04314,04314,03114,031
横浜市神奈川県武蔵国66,711128,195128,195127,987127,987
久良岐郡戸太村神奈川県武蔵国6,63010,47210,47211,29611,296
橘樹郡神奈川町神奈川県武蔵国13,61115,92115,92115,89715,897
南多摩郡八王子町神奈川県武蔵国14,35822,14822,14822,16422,164
神戸市兵庫県摂津国92,986136,223136,223136,968136,968
武庫郡西宮町兵庫県摂津国11,70313,14613,14613,07913,079
川辺郡尼ヶ崎町兵庫県摂津国13,55513,51813,51813,47413,474
姫路市兵庫県播磨国24,61225,76825,76827,12027,120
明石郡明石町兵庫県播磨国19,34020,21220,21220,17120,171
長崎市長崎県肥前国38,66157,61257,61258,14258,142
東彼杵郡佐世保村長崎県肥前国4,8108,9528,95210,19710,197「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
南高来郡西有家村長崎県肥前国10,56310,53010,53010,47210,472
新潟市新潟県越後国44,54546,47546,47547,01947,019
北蒲原郡新発田町新潟県越後国11,54411,16211,16212,62612,626
中頸城郡高田町新潟県越後国20,51120,39920,39920,38120,381
雑太郡相川町新潟県佐渡国12,10712,55312,55312,59212,592
入間郡川越町埼玉県武蔵国16,72817,94517,94518,03218,032
大里郡熊谷町埼玉県武蔵国8,48011,19511,19511,32611,326
千葉郡千葉町千葉県下総国14,64322,76522,76523,50823,508
東葛飾郡船橋町千葉県下総国11,54011,84311,84311,82211,822
香取郡佐原町千葉県下総国10,45411,28911,28911,27211,272
海上郡本銚子町千葉県下総国16,83315,31815,31815,29215,292
結城郡結城町茨城県下総国9,38310,15310,15310,13910,139
水戸市茨城県常陸国23,58625,91525,91526,60926,609
那珂郡湊町茨城県常陸国10,75211,53711,53711,51511,515
新治郡石岡町茨城県常陸国9,34610,59910,59910,58210,582
新治郡土浦町茨城県常陸国8,72510,46410,46410,75610,756
東群馬郡前橋町群馬県上野国21,80531,40931,40932,12932,129
西郡馬郡高崎町群馬県上野国18,06624,26624,26625,98125,981
山田郡桐生町群馬県上野国12,77217,01317,01316,98916,989
河内郡宇都宮町栃木県下野国24,06930,12030,13230,83130,831官報掲載の現住人口は河内郡宇都宮町の栃木県監獄署の無籍在監人12を栃木監獄支署がある下都賀郡栃木町に加算
上都賀郡足尾町栃木県下野国1,96411,89511,89511,89211,892
都賀郡栃木町栃木県下野国16,12620,58120,56920,54920,549官報掲載の現住人口は河内郡宇都宮町の栃木県監獄署の無籍在監人12を栃木監獄支署がある下都賀郡栃木町に加算
安蘇郡田沼町栃木県下野国10,81410,59110,59110,57810,578
足利郡足利町栃木県下野国12,72515,06915,06915,04715,047
添上郡奈良町奈良県大和国21,95224,00524,00524,20924,209
添下郡郡山町奈良県大和国13,31012,79612,79612,77012,770
吉野郡十津川村奈良県大和国10,46210,40810,40810,39910,399
阿拝郡上野町三重県伊賀国12,65313,00513,00513,06713,067
津市三重県伊勢国22,63426,16826,16826,86626,866
桑名郡桑名町三重県伊勢国15,68718,65218,65218,62718,627
三重郡四日市町三重県伊勢国13,99118,19318,19318,31218,312
飯高郡松阪町三重県伊勢国11,02413,17413,17413,13813,138
度会郡宇治山田町三重県伊勢国24,89127,70827,70828,03628,036
名古屋市愛知県尾張国136,118165,343165,343170,433170,433
愛知郡熱田町愛知県尾張国17,98918,37218,37218,35118,351
中島郡一宮町愛知県尾張国10,78111,34011,34011,32311,323
海東郡津島町愛知県尾張国10,95111,17811,17811,15311,153
額田郡岡崎町愛知県三河国12,94015,95915,95916,25616,256
渥美郡豊橋町愛知県三河国8,93612,82012,82014,26814,268
敷知郡浜松町静岡県遠江国13,25014,10914,10914,33314,333
静岡市静岡県駿河国39,61938,32738,32738,24638,246
駿東郡沼津町静岡県駿河国11,32010,54110,54110,61810,618
有渡郡長田村静岡県駿河国10,61610,37010,37010,35310,353
甲府市山梨県甲斐国22,85431,67131,67132,05232,052
南巨摩郡増穂村山梨県甲斐国10,20410,13910,13910,11610,116
滋賀郡大津町滋賀県近江国24,23729,65629,65631,12731,127
犬上郡彦根町滋賀県近江国19,68619,98019,98020,06320,063
岐阜市岐阜県美濃国19,78628,59028,59029,46229,462
安八郡大垣町岐阜県美濃国18,30619,78419,78419,78619,786
大野郡高山町岐阜県飛騨国16,06515,52515,52515,54315,543
小県郡上田町長野県信濃国14,58918,12318,12318,32418,324
下伊那郡飯田町長野県信濃国11,63812,84112,84112,93312,933
東筑摩郡松本町長野県信濃国22,29626,00226,00226,18726,187
上水内郡長野町長野県信濃国18,93125,41525,41525,84725,847
仙台市宮城県陸前国60,67860,98460,98466,31066,310
牡鹿郡石巻町宮城県陸前国16,75917,22417,22417,18417,184
西白川郡白河町福島県磐城国10,24611,27711,27711,37311,373
信夫郡福島町福島県岩代国10,66117,71317,71317,68717,687
北会津郡若松町福島県岩代国27,67324,20824,20824,35224,352
盛岡市岩手県陸中国32,18831,92531,92531,86831,868
弘前市青森県陸奥国31,43130,38730,38730,31630,323「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計掲載の現住人口30,316は修正前の他町村出寄留477,他町村入寄留470を加除
30,32330,323「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口は問題なし
東津軽郡青森町青森県陸奥国18,21118,99718,99720,39920,399
三戸郡八戸町青森県陸奥国10,97410,90510,90510,88910,889
山形市山形県羽前国26,96328,67528,67529,08129,081
米沢市山形県羽前国29,95828,91428,91428,94428,944
最上郡新庄町山形県羽前国11,54711,13211,13211,12511,125
西田川郡鶴岡町山形県羽前国20,29219,51519,51519,51919,519
飽海郡酒田町山形県羽後国20,45521,04021,04021,03021,030
秋田市秋田県羽後国29,45828,70328,70329,17529,175
南秋田郡土崎港町秋田県羽後国11,86911,76911,76911,75411,754
山本郡能代港町秋田県羽後国11,27511,45411,45411,42811,428
平鹿郡横手町秋田県羽後国11,40811,19311,19311,18111,181
福井市福井県越前国40,75339,94839,94840,15940,159
坂井郡三国町福井県越前国10,14810,46110,46110,43410,434
南条郡武生町福井県越前国13,62914,33714,33714,30314,303
敦賀郡敦賀町福井県越前国14,39815,04415,04414,98514,985
金沢市石川県加賀国99,95493,51793,51794,66694,666
能美郡小松町石川県加賀国12,29013,14713,14713,45113,451
鹿島郡七尾町石川県能登国10,42610,82010,82010,85110,851
鳳至郡輪島町石川県能登国10,13010,06610,06610,02110,021
富山市富山県越中国57,84258,25258,25258,58558,585
高岡市富山県越中国29,13129,61429,61429,55429,554
上新川郡滑川町富山県越中国10,64710,43110,43110,42210,422
下新川郡魚津町富山県越中国13,28513,23013,23013,20613,206
射水郡新湊町富山県越中国17,22217,08417,08417,05017,050
射水郡氷見町富山県越中国11,67311,63711,63711,60211,602
鳥取市鳥取県因幡国29,44528,10128,10128,52528,525
会見郡米子町鳥取県伯耆国12,18513,42013,42013,57413,574
松江市島根県出雲国35,49435,32435,32435,56535,565
西北条郡津山町岡山県美作国11,07211,89111,89112,18012,180
岡山市岡山県備前国33,56245,17945,17945,87145,871
御調郡尾道町広島県備後国16,63917,63117,63117,90017,900
深津郡福山町広島県備後国15,97615,53515,53515,46515,465
広島市広島県安芸国82,55786,02486,02491,00091,000
安芸郡仁保島村広島県安芸国15,06015,12115,12115,06015,060
安芸郡江田島村広島県安芸国10,55011,16211,16211,45211,452
安芸郡瀬戸島村広島県安芸国10,61510,24510,24510,23410,234
安芸郡倉橋島村広島県安芸国13,33012,85812,85812,82412,824
安芸郡蒲刈島村広島県安芸国11,47211,20811,20811,17811,178日本帝国人口静態統計は掲載せず
賀茂郡広村広島県安芸国13,51613,21113,21113,17813,178
大島郡家室西方村山口県周防国11,16410,73110,73110,71510,715
都濃郡徳山村山口県周防国12,21212,14912,14912,11312,113
佐波郡三田尻村山口県周防国10,05510,17210,17210,11910,119
吉敷郡山口町山口県周防国11,35614,34814,34814,26814,268
赤間関市山口県長門国26,53130,43330,43330,78730,787
阿武郡萩町山口県長門国23,18120,26920,26919,92319,923
和歌山市和歌山県紀伊国55,45755,51155,51156,04956,049
有田郡湯浅村和歌山県紀伊国10,54810,24210,24210,20010,200
東牟婁郡新宮町和歌山県紀伊国10,44111,02011,02010,99010,990
徳島市徳島県阿波国60,77160,12460,12461,16761,167
勝浦郡小松島村徳島県阿波国12,61712,58212,58212,51712,517
板野郡撫養町徳島県阿波国18,53118,24818,24818,15118,151
高松市香川県讃岐国33,86333,72433,73534,61634,616官報掲載の現住人口は高松市の香川県監獄署本署の無籍在監人11を加算せず;「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は問題なし
33,35734,616「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口は高松市の香川県監獄署本署の囚人1,058,懲治人1を香川郡に加算
阿野郡坂出町香川県讃岐国9,94810,36010,36010,34310,343
那珂郡丸亀町香川県讃岐国17,73518,48818,48820,05220,052
豊田郡観音寺町香川県讃岐国12,81512,79912,79912,74812,748
松山市愛媛県伊予国30,28233,19233,19234,56334,563
越智郡今治町愛媛県伊予国13,10913,56913,56913,52713,527
北宇和郡宇和島町愛媛県伊予国12,48111,99511,99512,12112,121
高知市高知県土佐国26,38931,15731,15732,04232,042
福岡市福岡県筑前国47,84351,86451,86453,79253,792
久留米市福岡県筑後国23,98025,22425,22425,38025,380
三潴郡大川町福岡県筑後国9,54410,14810,14810,11610,116
三池郡大牟田町福岡県筑後国7,42510,20710,20710,18211,686「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は三池郡大牟田町の三池集治仮留監の囚人1,504を加算せず
企救郡小倉町福岡県豊前国13,62414,93314,93316,54416,544
下毛郡中津町大分県豊前国12,01312,77012,77012,88312,883
大分郡大分町大分県豊後国8,25210,69510,69511,35911,359
北海部郡臼杵町大分県豊後国10,73410,08710,08710,03410,034
佐賀市佐賀県肥前国26,01726,41126,41126,75826,758
熊本市熊本県肥後国43,36349,62349,62354,35754,357
葦北郡水俣村熊本県肥後国12,50612,74412,74412,72512,725
北諸県郡都城町宮崎県日向国11,41211,88611,88611,76811,781「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は北諸県郡都城町の都城監獄支署の無籍在監人1,囚人12を加算せず
西諸県郡小林村宮崎県日向国10,35210,82710,82710,79610,796
南諸県郡志布志村鹿児島県日向国16,82217,08217,08217,00517,005
姶良郡加治木村鹿児島県大隅国11,22211,36011,36011,25711,257
南大隅郡垂水村鹿児島県大隅国13,44113,31213,31213,28613,286
東囎唹郡末吉村鹿児島県大隅国10,61010,63810,63810,62010,620
熊毛郡北種子村鹿児島県大隅国10,41010,79710,79710,86910,869
鹿児島市鹿児島県薩摩国56,62657,00157,00156,64356,643
鹿児島郡伊敷村鹿児島県薩摩国15,41414,61714,61714,53314,533
鹿児島郡吉野村鹿児島県薩摩国10,77110,43810,43810,34810,348
谿山郡谷山村鹿児島県薩摩国25,08524,51324,51324,38124,381
給黎郡知覧村鹿児島県薩摩国14,88914,93414,93414,89114,891
給黎郡喜入村鹿児島県薩摩国10,2089,9099,9099,8519,851日本帝国人口静態統計は掲載せず
指宿郡揖宿村鹿児島県薩摩国14,75714,71714,71714,68814,688
頴娃郡頴娃村鹿児島県薩摩国19,82919,90419,90419,86819,868
川辺郡川辺村鹿児島県薩摩国14,20013,84713,84713,80713,807
川辺郡加世田村鹿児島県薩摩国14,04313,73313,73313,68813,688
川辺郡東加世田村鹿児島県薩摩国11,75511,57411,57411,55911,559
川辺郡西加世田村鹿児島県薩摩国13,74413,68213,68213,65913,659
川辺郡東南方村鹿児島県薩摩国19,33919,28619,28619,23119,231
川辺郡西南方村鹿児島県薩摩国10,65710,59710,59710,58110,581
日置郡串木野村鹿児島県薩摩国18,17018,09818,09818,05918,059
日置郡東市来村鹿児島県薩摩国11,90011,61011,61011,58611,586
阿多郡伊作村鹿児島県薩摩国15,16814,67814,67814,63514,635
高城郡水引村鹿児島県薩摩国9,94010,14110,14110,11510,115
出水郡上出水村鹿児島県薩摩国11,03111,77111,77111,75111,751
出水郡阿久根村鹿児島県薩摩国14,94115,01615,01614,98714,987
那覇沖縄県琉球国38,98642,26442,25042,250「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
首里沖縄県琉球国25,72025,49525,60425,604「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
小禄間切沖縄県琉球国13,00212,91213,07513,112「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は計算間違いか
大里間切沖縄県琉球国11,31811,34711,33711,337「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
浦添間切沖縄県琉球国10,0709,8399,839「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計は掲載せず
西原間切沖縄県琉球国13,03812,91112,98812,988「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
中城間切沖縄県琉球国15,77615,53215,53215,532「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
読谷山間切沖縄県琉球国11,39711,35511,35311,353「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
美里間切沖縄県琉球国12,12812,12712,12412,124「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
具志川間切沖縄県琉球国13,51213,50413,50413,504「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
名護間切沖縄県琉球国9,98610,43310,432「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計は掲載せず
今歸仁間切沖縄県琉球国10,70310,70510,80010,700「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は計算間違いか
本部間切沖縄県琉球国14,68214,75714,757「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計は掲載せず
本部村(本部間切+伊江島)沖縄県琉球国19,57319,69619,69419,694「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計では伊江島を含めて本部村として掲載
平良間切沖縄県琉球国9,96610,05110,04410,044「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
砂川間切沖縄県琉球国14,18514,38214,387「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」,日本帝国人口静態統計は掲載せず
砂川村(砂川間切+多良間島)沖縄県琉球国17,30717,51017,49517,505「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計では多良間島を含めて砂川村として掲載;日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は計算間違いか
函館区北海道庁渡島国35,19955,24855,67755,677
松前郡福山市街北海道庁渡島国10,70911,31311,29011,291「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は福山分署の囚人1を加算せず
檜山郡江差市街北海道庁渡島国9,81020,54214,62014,626「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず;日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は江差分署の囚人6を加算せず
小樽郡・高島郡小樽市街北海道庁後志国12,53921,39521,38321,383「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」は掲載せず
札幌区北海道庁石狩国11,70424,33824,32724,327

【誤字等幾つか追加訂正】
[105165] 2022年 7月 30日(土)10:38:11YT さん
薩摩藩出身者と越後では村の規模に関する常識が異なった?
[105152] 未開人さん

ところで新潟県で1901年に大合併が行われたのはなぜなのでしょうか。岐阜県に比べると合併が不十分だった印象はないのですが、人口が多かったことが影響しているのでしょうか。

新潟県の明治から平成の合併に係る各市町村の系譜に掲載されている「第1章 新潟県における市町村合併の変遷」、および井戸庄三「明治22年 新町村名の研究」(地理学評論 49 (5), 285-299 (1976))によると、柏田盛文知事の独断だそうです。

当時、全国には江戸時代の自然発生的な町村の延長である町村が7万以上、新潟県には約4,500もあった。この小さな単位から、戸籍や小学校などの事務を処理できる300~500戸を標準として、全国一律の町村合併を進めることとした。計画が明らかになると県下全域は騒然となった。当時の町村は生活習慣、水利、産業など住民生活に密着しており、住民の意思を無視するようなケースには強硬な反対があった。それでも政府はこれを断行し、その結果、新潟県の市町村数は明治22年末には、5分の1以下の800余りに減少した。

これが明治の大合併である

しかし、新潟県下では規模が小さく財政的にも脆弱な町村がまだ多く残っていた。当時は全国の町村平均戸数が583戸に対し、新潟県は351戸に過ぎなかった。明治30年に伝染病予防に関する事務と費用負担が町村に義務づけられ、赤痢の大流行などによる衛生費の大膨張(明治31年には明治28年の13倍)や教育費の負担増などによって町村の財政は逼迫していく中で、明治34年2月、柏田新潟県知事は町村合併の実施を明らかにした。県の示した合併案に反対の町村会は80%にも達したが、県はこれを強行し、同年11月には町村数は816から456に減少した。

ただしこの第二次大合併を実施した柏田盛文知事は、外城制度を有する薩摩藩出身です。郷、外城規模で町村を制定し、1万人規模の村が当たり前に存在した鹿児島県の実情を知っている人からすると、新潟県の町村規模は許しがたいほど小さなものだったのでしょう。

明治34年8月28日付の新潟県知事柏田盛文より内務大臣内海忠勝あて「県下町村合 併之件禀請」によると

本県下町村の総数八百十有八、内戸数三百に満たざるもの実に四百五十余カ村の多を占む。其余の町村亦皆概して規模狭少、随って資力薄弱にして其為すべき事を挙ぐるに苦み殆んど独立の実を保つに堪え難しと認むるもの多し。
(中略)
惟くに県下今日の計は深く町村の実情に鑑み、断然小町村を合併し大に其資力を充実し、自治の根底を鞏固ならしめ、以って経営の完成を期す

なお柏田盛文知事は、翌明治35年に発覚した、教科書採択に関する全国規模の贈収賄事件「教科書疑獄事件」に関連して政治的にも失脚します。柏田盛文は新潟県の前に茨城県の知事でしたが、その元茨城県師範学校校長で教科書出版の「普及舎」社長でもあった山田禎三郎が、鉄道内に手帳を忘れたことにより事件が発覚します。摘発された関係者としては、新潟・宮城・栃木・島根・宮崎の各県知事や県会議長・府県書記官・視学官・視学、郡視学、師範学校長・同教諭や高等師範学校教諭、中学校長・女学校長などが含まれ、ほとんどの府県から逮捕者を出すという大疑獄となりました。予審に付された者は152名に上り、有罪者は100名を超え、追徴金も7万円に達しました。柏田盛文も有罪となり、以降政界に復帰することはありませんでした。

余談ですがこの事件発覚の原因となった山田禎三郎という人物、直後に仕事で英国に逃げていたため、逮捕を免れます。後に衆議院に出馬し当選しますが、事業失敗により辞職し、株券偽造で投獄されます。さらに1907年には中ノ鳥島を発見したと主張し、リン鉱石ネタで日本政府を騙すという、この落書き帳の別の話題もリンクするとんでもない詐欺師だったりします([65212])。
[104913] 2022年 7月 8日(金)13:54:23YT さん
「春狩国」の存在はかなり怪しい
[104908] 零参弐八さん

令制国時代に目黒にあったとされる春狩国のことを知ってる人はいませんか?

確かにネット上で検索すると、目黒にあったという「春狩国」に言及するサイトが複数ありますが、どれもここ10年以内に記述されたものばかりです。また自分はJapanKnowledge(『角川日本地名大辞典』、『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』などを含む)にアクセスして全文検索できるのですが、一つとして関東地方の地名としての「春狩」「はるかり」が引っ掛かりませんでした。国立国会図書館デジタルアーカイブで『東京府史』や『埼玉県史』の武蔵国の黎明期部分を読んでも、「知々夫」(チチブ)や「无邪志」 (ムサシ/ムザシ)、「 胸刺 」(ムサシ/ムネサシ)の考察はあっても、一つとして「春狩」(ハルカリ)に言及している文献は見つかりませんでした。『目黒町誌』/『郷土目黒』はオンラインでは閲覧できませんが、項目だけなら目黒資料のページで検索できます。「无邪志国造」という項目はあるのに「春狩」はないです。CiNiiの論文検索でも一つとして「春狩」「はるかり」が引っ掛かりませんでした。

さらに元ソースまでは未確認ですが、twitter検索で目黒出身のミュージシャンの作り話という情報も出てきたので、これ以上は調べる気になれませんでした。

そもそも「目黒」に関連して「春狩国」が言及されているようですが、「目黒」/「馬畔」/「めぐろ」/「めくろ」という地名自体、『吾妻鏡』や『承久軍物語』に登場する「目黒」という武家の姓より遡ることができません。よって「寺社などに伝わった中世以降の古文書に、何等かの形で目黒と春狩を結びつける文献が新発見された」とかじゃない限り、これまで一般的に出版されている学術書に話が全く出てこないことを説明できませんので、この時点でかなり怪しい話と考えるべきです。北奥県([79597] [79620]参照)のように中央に情報が残らない可能性も否定はできませんが、新発見の旧国名なら然るべき論文として発表されているはずであり、むしろ近年発表の日本語論文なら容易にCiNiiなどの検索に引っかかるはずであり、まあ現時点では信じない方がよいと思います。
[104836] 2022年 6月 17日(金)11:24:58【1】訂正年月日
【1】2022年 6月 17日(金)17:41:38
YT さん
明治22年の市区町村別人口まとめ(後半)
[103711]で書きましたように、総務省統計局図書館所蔵の『町村別戸口表』を使って明治22年12月31日付の市区町村別現住人口を再計算し、一応は作業が終わりましたが・・・色々検証するべき問題点が見つかりましたので、とりあえず公開の方は明治23年12月31日付のデータの方をまとめからにします。

まず[104158]の訂正

市区町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
北蒲原郡新発田町11,21310,89410,95611,22610,89410,875「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他郡市出寄留623、他郡市入寄留529を加除せず、また本籍人口11,213(男5,689、女5,524)が異なる; [出]陸海軍在営艦者19を修正

[104158]では陸軍第二師団歩兵第十六連隊1,520を北蒲原郡新発田町に加えてしまいましたが、その後『陸軍省第三回統計年報』(明治22年12月31日付の情報が載っている版はオンラインで公開されておらず、某大学某図書館のマイクロフイルム版で確認しました)を閲覧したところ、この時は北蒲原郡新発田本村に陸軍第二師団歩兵第十六連隊の兵営があったことが判明したので、日本帝国民籍戸口表基準での再計算した現住人口を12,395から10,875に訂正します。

続いて宮城県~宮崎県の残りです(宮城県、島根県、佐賀県などは前と重複しますが、説明文にも一部変更入れましたので再掲します)。

市区町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
仙台市66,35086,50590,23166,35086,50491,796「各地方郡市戸口表」、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は仙台市榴ヶ岡在営の陸軍第二師団歩兵第四連隊1,565を宮城郡に加算、また官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
牡鹿郡石巻町16,52816,94416,97416,52816,94416,920「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留150、他町村入寄留96を加除せず
西白河郡白河町10,06511,02410,91610,06511,02411,121「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留100、他町村入寄留305を加除せず
信夫郡福島町10,42316,96516,62910,42316,96516,939「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留126、他町村入寄留436を加除せず
北会津郡若松町27,45921,32521,58427,45921,32521,380「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留753、他町村入寄留549を加除せず
盛岡市32,11731,23931,15332,11731,23931,153
弘前市31,61530,56030,48731,61530,56030,487
東津軽郡青森町17,55320,00619,48417,55320,00620,280「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留100、他町村入寄留889、陸軍第二師団歩兵第五連隊1,055を加除せず、また残差7は計算間違いか(詳細不明)
三戸郡八戸町10,73210,63310,56810,73210,63310,602「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留172、他町村入寄留215、八戸監獄の囚人8を加除せず、また残差9は計算間違いか(詳細不明)
山形市26,70328,45529,01926,70328,45529,019
米沢市30,23429,62029,59130,23429,62029,591
最上郡新庄町11,56511,28911,27711,56511,28911,276「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
西田川郡鶴岡町20,41719,63019,56220,41719,63019,562
飽海郡酒田町20,41420,97320,91820,41420,97320,918
秋田市29,49329,06929,56829,49329,06929,568
南秋田郡土崎港町11,80611,70811,68811,80611,70811,699「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
山本郡能代港町11,14211,42711,26911,14211,42711,395「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留18、他町村入寄留144を加除せず
平鹿郡横手町11,23411,08810,96711,23410,96711,076「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留85、他町村入寄留193を加除せず、また残差1は計算間違いか(詳細不明)
福井市40,96140,63140,84940,96140,63140,849
坂井郡三国町10,15610,43210,40910,15610,43210,409
南条郡武生町13,41414,18814,17513,41414,18814,175
敦賀郡敦賀町14,24714,65914,60614,24714,65914,606
金沢市100,72994,40794,257100,72994,40795,812「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口94,257は金沢市在営の陸軍第三師団歩兵第七連隊1,555を加算せず
能美郡小松町12,03012,68312,70312,03012,68712,964「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留29、他町村入寄留290を加除せず、また官報掲載の現住人口は小松監獄の無籍在監人4を加算せず
鹿島郡七尾町10,36910,78710,54610,36910,78710,827「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留24、他町村入寄留305を加除せず
鳳至郡輪島町10,12610,12610,08610,12610,12610,113「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留18、他町村入寄留45を加除せず
富山市57,27757,85758,15957,27757,85758,159
高岡市28,57628,98628,92828,57628,98628,928
上新川郡滑川町10,50110,21410,19510,50110,21410,205「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留11、他町村入寄留21を加除せず
下新川郡魚津町13,10513,12313,03013,10513,12313,089「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留52、他町村入寄留111を加除せず
射水郡新湊町17,13517,06817,03417,13517,06817,041「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
射水郡氷見町11,47011,38111,38811,47011,38111,357「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
鳥取市29,39527,94228,39629,39527,94228,396
会見郡米子町12,05313,37313,30412,05313,37313,497「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留82、他町村入寄留275を加除せず
松江市35,65835,70135,93435,65835,70135,934
西北条郡津山町11,03611,62711,90311,03611,62711,870「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
岡山市33,56347,72448,33333,56347,72448,333
御調郡尾道町16,94218,13418,47316,94218,13418,427「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留480、他町村入寄留434を加除せず
深津郡福山町15,77415,10814,90015,77415,10815,040「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留480、他町村入寄留434を加除せず
広島市81,91783,89688,82081,91783,89688,820
安芸郡仁保島村14,98814,37014,28314,98814,37014,314「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留22、他町村入寄留53を加除せず
安芸郡江田島村10,30010,92510,86510,30010,92510,908「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留43を加算せず
安芸郡瀬戸島村10,48310,32510,34110,48310,32510,312「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留39、他町村入寄留10を加除せず
安芸郡倉橋島村13,20212,71812,69613,20212,71812,688「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留29、他町村入寄留21を加除せず
安芸郡蒲刈島村11,43811,22611,19511,43811,22611,204「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留1、他町村入寄留10を加除せず
賀茂郡広村13,36713,08913,06113,36713,08913,058「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留41を加除せず
大島郡家室西方村11,08910,71310,70311,08910,71310,703
都濃郡徳山村12,20012,10712,05512,20012,10712,055
佐波郡三田尻村9,98110,20910,1429,97510,20910,136「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は町村別戸籍表掲載の本籍人口と異なる本籍人口9,981(男5,068、女4,913)で算出
吉敷郡山口町11,42514,18313,65311,42514,18314,117「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留41を加除せず
阿武郡萩町23,38920,14619,80423,38920,14619,804
赤間関市26,55629,91429,91926,55629,91429,919
和歌山市56,07656,20256,71356,07656,20256,713
有田郡湯浅村10,55810,32410,28810,55810,32410,288
東牟婁郡新宮町10,25010,64810,62410,25010,64810,624
勝浦郡小松島村12,52612,72112,49212,52612,72112,665「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
板野郡撫養町18,57418,32918,25918,57418,32918,259
徳島市60,86160,14461,10760,86160,14461,107
香川郡[高松城下]32,18332,08132,63532,18332,877日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は高松城下60町のものと推定されるが、高松監獄の囚人及懲治人816を加算せず、また差分-20は計算間違いか(詳細不明)
阿野郡坂出村9,78910,17610,0669,78910,17610,154「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留13、他町村入寄留101を加除せず
那珂郡[丸亀城下]16,49618,29515,67216,49618,254日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は丸亀城下27町及び中府村・地方村のものと推定されるが、差分-41は計算間違いか(詳細不明)
豊田郡観音寺村11,53811,49311,41811,53811,49311,455「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留38、他町村入寄留75を加除せず
松山市30,09432,88232,73830,09432,88234,297「各地方郡市戸口表」「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は松山市堀内町在営の陸軍第五師団歩兵第二十二連隊1,559を温泉郡に加算
越智郡今治町13,19913,73413,16113,19913,73413,691「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留149、他町村入寄留679を加除せず
北宇和郡宇和島町12,64211,74211,96812,64211,74211,880「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留542、他町村入寄留454を加除せず
高知市26,72631,52932,24126,72631,52932,241
福岡市47,77051,05053,01447,77051,05053,014
三池郡大牟田町9,61211,1077,0299,61211,065「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は三池集治仮留監の無籍在監人42を加算せず
久留米市23,93724,70324,85923,93724,70324,859
企救郡小倉町13,58914,44916,09913,58914,44916,099
下毛郡中津町12,01312,58312,69212,01312,58312,692
大分郡大分町8,17410,80411,1688,17410,80411,383「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留28、他町村入寄留243を加除せず
北海部郡臼杵町10,73710,13910,10110,73710,13910,091「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
佐賀市25,50626,05526,40125,50626,05526,401
熊本市43,17648,58752,83343,17648,58753,172「各地方郡市戸口表」、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は熊本市宮内町在営の陸軍第六師団工兵第六大隊(または熊本市古京町在営の陸軍第六師団輜重兵第六大隊)339を託麻郡に加算
葦北郡水俣村12,36112,53812,51612,36112,53812,513「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
北諸県郡都城町11,22711,77611,58711,22711,77611,686「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留92、他町村入寄留191を加除せず
西諸県郡小林村10,10710,63910,63910,10710,63910,618「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留60、他町村入寄留39を加除せず

香川県の高松、丸亀の現住人口は『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」によりますが、これに記載されている人口の範囲がどこまでなのか、さっぱり不明なので、日本帝国民籍戸口表基準での再計算の範囲を出すにせよ、ある程度近い数字になるように想像で範囲を指定するしかありませんでした。

改めて現時点で解決できない問題点としては

1.東京府伊豆七島、小笠原島の町村別人口の情報が完全に欠落している(明治23年版に関しても、大島、三宅島、八丈島、小笠原島内の町村の情報は欠落している)。
2.千葉県印旛郡の入寄留の内、入寄留の陸海軍在営艦者1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できない(明治23年に関しては[103921]に示すように分配済)。
3.茨城県東茨城郡の出寄留の内、出寄留の囚人及懲治人に関する部分が虫食いのために判別できない箇所があり、一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の現住人口を正確に算出できない。
【4】.北海道庁釧路郡に所属する町村(真砂町、米町、洲崎町、幣舞町、浦見町、釧路村、桂恋村、鳥取村、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村)に関し、郡全体での他町村出寄留は4人となっているものの、町村別の他町村出寄留が空欄となっており、これらの町村のいくつかの現住人口を正確に算出できない。

この内、2に関連する入寄留の陸海軍在営艦者に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方人口出入表」の方に府県別の集計があり、最終的に『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方郡市戸口表」の現住人口との差分から郡市別の入寄留の陸海軍在営艦者にまではたどり着けます。ところが、この情報と『陸軍省第三回統計年報』と比較したところ、いろいろおかしい点が出てきます。

まず、明治23年版に関しては、[103921]に示すように陸軍・海軍の在営艦者が全て分配されていますが、明治22年版に関しては、色々比較したところ、そもそも海軍の在営艦者が全て通常の入寄留として処理されており、実際に入寄留の陸海軍在営艦者として扱われているのは陸軍分のみです。

改めて明治22年の入寄留の陸海軍在営艦者を郡市区別で分配すると以下のようになります。残念ながら『陸軍省第三回統計年報』には、各部隊の総人員や階級別人員の情報は載っていても、実際に兵営に住んでいる兵員の情報が載っていないので、人口を分割することができません。また新しく発足した憲兵隊の場所の情報など、一部必要な情報が欠落しています。

府県郡区市[入]陸海軍在営艦者推定町村備考
東京府東京市麹町区5,608東京市麹町区代官町陸軍近衛歩兵第一第二連隊
東京市麹町区代官町陸軍近衛歩兵砲兵連隊
東京市麹町区代官町陸軍近衛軍楽隊
東京市麹町区外桜田町陸軍近衛歩兵第三第四連隊
東京市麹町区八代洲町陸軍近衛騎兵大隊
東京市麹町区八代洲町陸軍第一師団騎兵第一大隊
東京市麹町区永楽町一丁目陸軍第一師団輜重兵第一大隊
東京市麹町区内山下町二丁目陸軍第一師団騎兵第一大隊第三中隊
東京市麹町区有楽町二丁目陸軍軍楽基本隊
東京府東京市芝区3?東京憲兵隊?
東京府東京市麻布区1,413東京市麻布区新竜土町陸軍第一師団歩兵第三連隊
東京府東京市赤坂区1,502東京市赤坂区赤坂檜町陸軍第一師団歩兵第一連隊
東京府東京市牛込区2,036東京市牛込区市谷本村町陸軍第一師団砲兵第一連隊
東京府東京市下谷区3東京市下谷区下谷車坂町?東京憲兵隊?
東京府北豊島郡512北豊島郡岩淵町陸軍近衛工兵中隊
北豊島郡岩淵町陸軍第一師団工兵第一大隊
京都府紀伊郡337紀伊郡伏見町陸軍第五師団工兵第四大隊
大阪府大阪市南区4?大阪憲兵隊?
大阪府大阪市東区4,020大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第廿連隊第三大隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第八連隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第廿連隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団砲兵第四連隊
大阪市東区大手前ノ町陸軍第四師団輜重兵第四大隊
大阪府西成郡112東成郡清堀村陸軍第四師団騎兵第四大隊
清堀村が東成郡に移管されたことを無視し、誤って西成郡に加算してしまったと思われる
神奈川県三浦郡156三浦郡浦賀町陸軍要塞砲兵幹部練習所
兵庫県飾東郡1,568姫路市姫路本町陸軍第四師団歩兵第十連隊
姫路市の発足を無視し、誤って飾東郡に加算してしまったと思われる
長崎県長崎市16長崎市大黒町陸軍第六師団長崎分遺砲兵隊
長崎県下県郡187下県郡厳原村陸軍第六師団対馬警備隊
新潟県北蒲原郡1,520北蒲原郡新発田本村陸軍第二師団歩兵第十六連隊
千葉県東葛飾郡1,301東葛飾郡市川町国府堂陸軍教導団
千葉県印旛郡1,713印旛郡佐倉町佐倉城陸軍第一師団歩兵第二連隊
印旛郡志津村下志津原陸軍砲兵射的学校
群馬県西群馬郡1,478西郡馬郡高崎町陸軍第一師団歩兵第十五連隊
愛知県名古屋市4,319名古屋市南外堀町陸軍第三師団歩兵第六連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団砲兵第十九連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団砲兵第三連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団工兵第三大隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団輜重兵第三大隊
愛知県渥美郡1,543渥美郡豊橋町陸軍第三師団歩兵第七連隊
滋賀県滋賀郡1,507滋賀郡大津町別所村陸軍第四師団歩兵第九連隊
宮城県仙台市2,715仙台市榴ヶ岡陸軍第二師団歩兵第四連隊
仙台市川内陸軍第二師団歩兵第十七連隊
仙台市川内陸軍第二師団砲兵第二連隊
仙台市川内陸軍第五師団工兵第二大隊
仙台市川内陸軍第二師団輜重兵第二大隊
宮城県宮城郡1,565?仙台市榴ヶ岡の陸軍第二師団歩兵第四連隊を宮城郡に誤って加算か?
青森県東津軽郡1,055東津軽郡筒井村陸軍第二師団歩兵第五連隊
石川県金沢市1,555金沢市大手町陸軍第三師団歩兵第七連隊
広島県広島市4,346広島市基町陸軍第五師団歩兵第十一連隊
広島市基町陸軍第五師団歩兵第廿一連隊
広島市基町陸軍第五師団砲兵第五連隊
広島市基町陸軍第五師団輜重兵第五大隊
広島市白鳥北町陸軍第五師団工兵第五大隊
香川県那珂郡1,598那珂郡丸亀(丸亀一番丁~五番丁)陸軍第五師団歩兵第十二連隊
愛媛県松山市1,559松山市堀内町陸軍第五師団歩兵第廿二連隊
福岡県福岡市1,527福岡市福岡城陸軍第六師団歩兵第廿四連隊
福岡県企救郡1,503企救郡小倉町陸軍第六師団兵兵第十四連隊
熊本県熊本市3,665熊本市二之丸町陸軍第六師団歩兵第十三連隊
熊本市二之丸町陸軍第六師団砲兵第六連隊
熊本市山崎町陸軍第六師団歩兵第廿三連隊
熊本市山崎町陸軍第六師団歩兵第廿三連隊第三大隊
熊本市山崎町陸軍第六師団騎兵第六大隊第一中隊
熊本市宮内町陸軍第六師団工兵第六大隊
熊本市古京町陸軍第六師団輜重兵第六大隊
熊本県託麻郡339?熊本市内の宮内町の陸軍第六師団工兵第六大隊か古京町の輜重兵第六大隊を託麻郡に誤って加算か?
沖縄県首里120首里当蔵村陸軍第六師団沖縄分遺歩兵隊
北海道庁亀田郡520亀田郡亀田町陸軍第二師団歩兵第五連隊第三大隊

ここでなぜか仙台市、熊本市で一部の入寄留の陸海軍在営艦者が、わざわざ近隣の郡に分割されている理由が不明です。

仙台市に関しては、明治18年時点で宮城郡南目村(のちに宮城郡原町)と仙台区榴ヶ岡(のちに仙台市)に渡って兵営が造営されていたことが確認できる陸軍第二師団歩兵第四連隊の分の取り扱いの問題と推測されますが(参考:『陸軍省第十一年報』)、熊本市/熊本区分に関しては、託麻郡内には兵営官舎がなく、小銃射的場ぐらいしか確認できず(参考:『陸軍省第十一年報』、何をどう間違えたらこうなるのかさっぱり分かりません。

というわけで、千葉県印旛郡の入寄留の陸海軍在営艦者を含め、明治22年12月31日付の現住人口に関しては、もう少し調査する必要があります。

【訂正】釧路郡の町村の他町村出寄留が空欄となっており、いくつかの町村の現住人口が正確に算出できていない可能性があることを【4】として追記
[104158] 2022年 4月 16日(土)12:01:04【4】訂正年月日
【1】2022年 4月 16日(土)12:11:34
【2】2022年 4月 16日(土)12:23:19
【3】2022年 4月 16日(土)12:38:28
【4】2022年 4月 17日(日)15:39:42
YT さん
明治22年の市区町村別人口まとめ(前半を終えて)
[103711]で書きましたように、総務省統計局図書館所蔵の『町村別戸口表』を使って明治22年12月31日付の市区町村別現住人口を再計算しておりますが、4月に入って全く手が付けらないほど忙しい状況になってしまっています。

現時点で集計を終えたのは、当時の府県順でいうところの東京府から宮城県、沖縄県、北海道、および特殊な離島を含む県(島根県、鹿児島県)までで、宮城県を除く東北、新潟県を除く北陸、島根県を除く中国、南海、長崎県と鹿児島県を除く九州などがまだ残っております。現時点でどうしても解決できない問題として残っているのは、

1.東京府伊豆七島、小笠原島の町村別人口の情報が完全に欠落している。

逆に島根県隠岐、長崎県壱岐・対馬、鹿児島県吐噶喇・奄美、沖縄県、北海道庁に関してはすべて情報が揃い、「官報掲載の現住人口」に相当するものもすべて補うことができました。

2.千葉県印旛郡の入寄留の内、「[入]陸海軍在営艦者」1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できません(明治23年に関しては[103921]に示すように分配済)。


3.茨城県東茨城郡の出寄留の内、「[出]囚人及懲治人」に関する部分が虫食いのために判別できない箇所があり、一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の現住人口を正確に算出できません。

なお「官報掲載の現住人口」と『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」や「各地方郡市戸口表」などに掲載されいてる、「民籍戸口表掲載の現住人口」(仮称)との間には、以下の式が成立します。

・官報掲載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人

・民籍戸口表掲載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]陸海軍在営艦者-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

・民籍戸口表掲載の現住人口=官報掲載の現住人口-[出]陸海軍在営艦者-[出]囚人及懲治人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

『町村別戸口表』に載っているデータは、本籍人口、[出]外国行、[出]他府県出寄留、[出]他郡区出寄留、[出]他町村出寄留、[出]陸海軍在営艦者、[出]囚人及懲治人、[出]失踪、[入]他府県入寄留、[入]他郡区入寄留、[入]他町村入寄留です。

[入]無籍在監人、[入]有籍囚人及懲治人に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方在監有籍者及無籍者人口表」の方に監獄別集計があります。

[入]陸海軍在営艦者に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方人口出入表」の方に府県別の集計があるばかりで、最終的には『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方郡市戸口表」の現住人口との差分から郡市別の[入]有籍囚人及懲治人にまではたどり着けます。明治23年に関しては[103921]に示したようにリストが存在します。

官報掲載の現住人口に関しては、離島や沖縄県と北海道を除き、すべて官報に市町村別人口が掲載されており、そのため『町村別戸口表』掲載の[出]外国行、[出]他府県出寄留、[出]他郡区出寄留、[出]他町村出寄留、[出]失踪、[入]他府県入寄留、[入]他郡区入寄留、[入]他町村入寄留、[入]無籍在監人などに虫食いの判別不能箇所があっても、官報掲載の現住人口と郡別の各項目の集計を駆使することで、誤った箇所や虫食いの箇所を補うことができます。

一方民籍戸口表掲載の現住人口に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」や「各地方郡市戸口表」からわかるのは1万人以上の都市、郡市別人口までで、1万人未満の都市に関しては集計がありあませんので、[出]陸海軍在営艦者と[出]囚人及懲治人に関しては虫食いがあった場合、官報掲載の現住人口から復元することができません。

また[入]陸海軍在営艦者に関しては現時点で町村別人口への分配を記した史料を入手できていませんので、同一郡内に複数の軍の施設があり、いずれも現住人口1万人未満であれば、郡別人口からさらに町村別へ現住人口を分配することができません。


とりあえず、明治22年の現住人口として広く出回っている数値にかなりの計算間違いがあったので、本籍人口、官報掲載の現住人口、日本帝国民籍戸口表の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等(香川県、沖縄県、北海道に関しては『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」により数字を補った)に掲載の現住人口の3種類について、新たに『町村別戸口表』掲載の本籍人口、『町村別戸口表』から再計算した官報掲載基準の現住人口、日本帝国民籍戸口表基準で再計算した現住人口について、数値が正しかった分も含めて以下にまとめてみます。

【注意:まだ手を付けていない東北や西日本の府県の都市については再計算比較をしておりませんので、下の表はまだ完璧ではありません。】

市町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
東京市817,2081,378,1321,389,684817,2081,378,1321,389,684
荏原郡品川町12,58617,22117,10812,58617,22117,166「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留102を加除せず
南足立郡千住町11,58414,02214,01011,58414,02214,010
京都市256,452279,165279,792256,452279,165279,792
紀伊郡伏見町16,34917,19717,50316,34917,19717,508「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留39、他町村入寄留44を加除せず
堺市42,95947,88348,16542,95947,88348,165
大阪市327,682473,417476,271327,682473,417476,271
西成郡難波村23,74125,70125,61723,74125,70125,617
西成郡曽根崎村10,55711,19111,16110,55711,19111,161
東成郡天王寺村13,52914,75414,69913,52914,75414,673「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留83、他町村入寄留57を加除せず
東成郡東平野町10,18612,28112,10210,18612,28112,249「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留28、他町村入寄留175を加除せず
三浦郡横須賀町17,08617,17124,3669,80617,17117,086「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は本来の現住人口を本籍人口17,086(男8,474、女8,612)として重複算出
三浦郡浦賀町13,01613,54613,62513,01613,54613,625
足柄下郡小田原町15,14813,85613,84515,14813,85613,845
横浜市65,372122,143121,98565,372122,143121,985
久良岐郡戸太村10,32310,33915,2536,15610,33911,086「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は本来の現住人口を本籍人口10,323(男5,238、女5,085)として重複算出
橘樹郡神奈川町13,50315,88215,38213,50315,88215,859「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
南多摩郡八王子町13,99821,72121,55513,99821,72121,754「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
神戸市89,363134,901135,63989,363134,901135,639
武庫郡西宮町11,60511,28611,22911,60511,28611,229
川辺郡尼ヶ崎町13,65613,62413,58013,65613,62413,592「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は修正前の他郡市出寄留86、他郡市入寄留102で算出
姫路市24,52925,54227,05524,52925,54227,055「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口25,487は姫路市姫路本町在営の陸軍第四師団歩兵第十連隊1,568を飾東郡に加算
明石郡明石町19,27019,79019,81919,27019,79019,819
長崎市39,03454,63555,06339,03454,63555,063
南高来郡西有家村10,54410,50110,45410,54410,50110,454
新潟市43,91145,86146,35343,91145,86446,353官報掲載の現住人口は新潟監獄の無籍在監人3を加算せず
北蒲原郡新発田町11,21310,89410,95611,22610,89412,395「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他郡市出寄留623、他郡市入寄留529、陸軍第二師団歩兵第十六連隊1,520を加除せず、また本籍人口11,213(男5,689、女5,524)が異なる
中頸城郡高田町20,20420,12220,19120,20420,12220,091「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
雑太郡相川町12,11313,21313,24912,11313,21313,234「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留38、他町村入寄留23を加除せず
入間郡川越町16,64818,65117,98816,64818,65118,766「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留258、他町村入寄留1,036を加除せず
大里郡熊谷町8,37810,71410,5718,37810,71410,780「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留213、他町村入寄留422を加除せず
千葉郡千葉町14,40821,59922,25914,40821,59922,259
東葛飾郡船橋町11,41911,63911,62611,41911,63911,626
香取郡佐原町10,39711,49511,48110,39711,49511,481
海上郡本銚子町16,98815,58715,55616,98815,58715,556
結城郡結城町9,24310,28310,2719,24310,28310,271
水戸市23,20325,08825,59123,20325,08825,591
那珂郡湊町10,64011,24110,57310,64011,24111,229「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
新治郡石岡町9,22510,49810,4809,22510,49810,480
新治郡土浦町8,78610,61010,7548,78610,61010,825「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留115を加除せず
東群馬郡前橋町21,38727,51228,11521,38727,51228,115
西群馬郡高崎町17,93823,99324,18217,93823,99325,660「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は陸軍第一師団歩兵第十五連隊1,478を加算せず
山田郡桐生町12,56317,59317,50412,56317,59317,557「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留193、他町村入寄留246を加除せず
河内郡宇都宮町23,62929,42430,69823,62929,42430,060「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は修正前の他郡市出寄留383、他町村出寄留152、他郡市入寄留2225、他町村入寄留1138で算出
上都賀郡足尾町1,90111,86911,8151,90111,86911,862「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留47を加算せず
下都賀郡栃木町15,85119,07319,05515,85119,07319,055
安蘇郡田沼町10,68810,67710,66110,68810,67710,661
足利郡足利町12,16113,93513,92412,16113,93513,924
添上郡奈良町22,00524,27424,45922,00524,27424,459
添下郡郡山町13,33512,82812,80413,33512,82812,804
阿拝郡上野町12,53112,92012,94112,53112,92012,941
津市22,49523,51628,15622,49527,62928,156官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
桑名郡桑名町15,69317,91217,89015,69317,91217,890
三重郡四日市町13,77817,38417,53113,77817,38417,531
飯高郡松阪町11,04113,07013,04011,04113,07013,040
度会郡宇治山田町24,64827,12227,36524,64827,12227,365
名古屋市135,126157,505162,767135,126157,505162,767
愛知郡熱田町17,89718,31018,27617,89718,31018,276
中島郡一宮町10,56710,85510,84010,56710,85510,840
海東郡津島町11,34611,62011,59411,34611,62011,594
額田郡岡崎町12,92515,78516,03412,92515,78516,034
渥美郡豊橋町8,79412,37913,9118,79412,37913,911
敷知郡浜松町13,16313,63013,85713,16313,63013,857
静岡市39,26137,72437,66439,26137,72437,664
駿東郡沼津町11,26610,23010,30011,26610,23010,302「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
有渡郡長田村10,47210,24110,21810,47210,24110,218
甲府市22,62230,76331,13522,62230,76331,135
南巨摩郡増穂村10,10710,07510,06710,10710,07510,067
滋賀郡大津町24,44430,92029,94124,44430,92032,365「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留157、他町村入寄留1,074、陸軍第四師団歩兵第九連隊1,507を加除せず
犬上郡彦根町19,73717,92817,56819,73717,92817,973「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留446、他町村入寄留851を加除せず
岐阜市19,19026,23327,08919,19026,23327,089
安八郡大垣町19,32820,10321,64018,23420,10320,063「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口19,328(男10,281、女9,047)が異なる
大野郡高山町15,38515,42614,77516,02315,42615,426「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口15,385(男7,632、女7,753)が異なる
小県郡上田町14,31517,03317,24214,31517,03617,196「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留829、他町村入寄留783を加除せず、また官報掲載の現住人口は上田監獄の無籍在監人3を加算せず
下伊那郡飯田町11,45812,48512,54411,45812,48712,544官報掲載の現住人口は飯田監獄の無籍在監人2を加算せず
東筑摩郡松本町25,69125,77329,31922,27225,77425,958「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口25,691(男13,199、女12,492)が異なり、官報掲載の現住人口は松本監獄の無籍在監人1を加算せず
上水内郡長野町22,90126,34528,98018,57326,35226,810「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口22,901(男10,565、女12,336)が異なり、官報掲載の現住人口は長野監獄の無籍在監人7を加算せず
仙台市66,35086,50590,23166,35086,50491,796「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口は仙台市榴ヶ岡在営の陸軍第二師団歩兵第四連隊1,565を宮城郡に加算、また官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
牡鹿郡石巻町16,52816,94416,97416,52816,94416,920「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留150、他町村入寄留96を加除せず
松江市35,65835,70135,93435,65835,70135,934
佐賀市25,50626,05526,40125,50626,05526,401
南諸県郡志布志村16,64316,83916,76416,64316,83916,764
姶良郡加治木村11,08911,18311,10811,08911,18311,108
東囎唹郡末吉村10,44810,53610,52210,44810,53610,522
南大隅郡垂水村13,40713,28413,25213,40713,28413,252
熊毛郡北種子村10,26110,48610,52710,26110,48610,527
鹿児島市57,16257,75057,46557,16257,75057,465
鹿児島郡伊敷村15,32414,58614,51215,32414,58614,512
鹿児島郡吉野村10,62710,40110,30610,62710,40110,306
谿山郡谷山村24,87924,37724,24824,87924,37724,248
給黎郡知覧村14,79114,82414,79314,79114,82414,793
給黎郡喜入村10,1379,8409,78410,1379,8409,784
揖宿郡指宿村14,59514,54814,51714,59514,54814,517
頴娃郡頴娃村19,45419,52819,50019,45419,52819,500
川辺郡川辺村14,04613,71313,68214,04613,71313,682
川辺郡加世田村13,86413,56313,52613,86413,56313,526
川辺郡東加世田村11,65211,47311,44811,65211,47311,448
川辺郡西加世田村13,62813,57313,54713,62813,57313,547
川辺郡東南方村19,01519,05619,00719,01519,05619,007
川辺郡西南方村10,56710,50910,49910,56710,50910,499
日置郡串木野村18,12117,98417,94018,12117,98417,940
日置郡東市来村11,77511,54911,52211,77511,54911,522
阿多郡伊作村15,01714,54814,50715,01714,54814,507
高城郡水引村9,89910,07110,0919,89910,07110,126「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留35を加算せず
出水郡上出水村10,95711,64911,61810,95711,64911,618
出水郡阿久根村14,78414,85214,81414,78414,85214,814
那覇40,21235,94740,22040,212
首里26,20526,44926,10226,205
島尻小禄間切12,10811,85711,92012,108
島尻大里間切10,55210,65110,55210,552
中頭西原間切11,80411,99011,80611,804
中頭中城間切14,85715,08314,85914,857
中頭読谷山間切10,47310,55010,47610,473
中頭美里間切10,85410,86110,85410,854
中頭具志川間切11,22011,22411,22811,228日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は計算間違いか(出入を反転?)
国頭本部間切11,93911,88511,93911,939
国頭今歸仁間切10,49410,43410,49710,494
宮古島砂川間切13,79413,66613,79413,794
函館区33,82152,90933,82152,97952,909
松前郡[福山市街三十四箇町]12,03111,06312,04712,031
檜山郡[江差市街二十六箇町]13,7989,77213,89913,886日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は他町村出寄留109、他町村入寄留190、江差分署の囚人7を加除せず
小樽郡[小樽市街二十九箇町]12,6297,81912,61412,606日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は他町村出寄留508、他町村入寄留485を加除せず
札幌区10,02916,87610,02916,87716,876

官報掲載の現住人口が基本間違いが少ないのですが、たまに無籍在監人の追加を忘れていることがあります。あと、府県別に担当者が違うみたいで、岐阜県に関しては例外的に計算間違いが多かったです。

一方の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口は間違いだらけ!特に神奈川県横須賀町の計算間違いは意図的な水増しを疑ってしまいます。

【用語等を追加修正】
[104019] 2022年 2月 28日(月)04:04:19【1】訂正年月日
【1】2022年 2月 28日(月)11:26:53
YT さん
哀悼
hmtさんのご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。

土曜日の内に訃報に気付きましたが、土日なので子供が寝ている間に仕事をするという、個人的に超絶忙しい状況に追い込まれており、なかなか追悼文を書けずにおりました。

hmtさんとの話題の共有は様々ありましたが、とりわけ過去の人口情報の書き込みには頻繁に反応を頂きました。今取り掛かっている明治22年、23年の人口の入力作業も忙しくて滞っており、hmtさんに完成版を見せることができず残念です。

ところで私の本職は実のところ実験化学なのですが、ここに来てhmtさんの本職も化学(そういえば大阪の化学会社に就職したというのを書いていたような記憶が・・・[100051])ということで、とんでもない接点がありました。私はオフ会には一度も参加したことはありませが、専門が近かったとなると、是非ともお会いして話をしたかったです。

またhmtさんは2003年7月に70歳、亡くなった時には88歳だったということは、私の父の3歳上で、小学生の時に教育制度が新制に替わった世代ですね。私の父も専門は完全に理系ですが、とにかく教養を大事にする人で、今でもアマオケに参加して練習をする傍ら、歴史の本を読むという、専門に囚われない広い知識と教養を貪欲に求め続けています。私が専門で理系を選び、趣味で歴史関係にはまっているのは完全に両親の影響ですが、専門外のことまで妥協せずに色々調べ尽くす、hmtさんなどのこの世代の教養人の姿勢は、今後も見習いたいです。

【訂正】教育制度が変わったのは父が小学6年、hmtさんが中学3年の時で、私の父の場合は中学から新制度になりましたが、hmtさん自身は旧制中学で卒業した世代でしょうか?この辺数年の違いで差が出るので、リアルタイムに経験しないと分かりません。
[103922] 2022年 2月 4日(金)19:45:50【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 4日(金)20:23:30
【2】2022年 2月 4日(金)20:35:32
YT さん
自己解決と新たな現住人口算出処理の間違いの発見
[103921]の西成郡の兵営に関連して新たな知見が得られたのと共に、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」における現住人口算出処理の間違いを見つけてしまいました。

まず『日本民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」と『町村別戸口表』『戸籍表』を突き合わせることにより、大阪府における[入]陸海軍在営艦者の数値は以下の変遷としてまとめられます。

郡区明治22年明治23年明治23年当時の在営隊
大阪市東区4,0203,970歩兵第八連隊・歩兵第二十連隊・砲兵第四連隊・輜重兵第四大隊・軍楽隊・大阪憲兵隊
大阪市南区40
大阪市西区0173騎兵第四大隊
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年と明治23年で兵営人員に変化はほとんどありません。それ以前の明治20年の段階では、すべての兵営は大阪市東区法円坂、大阪市東区大手前にありましたが、この段階では大阪憲兵隊、騎兵大隊の兵営の記載がありません。調べたところ、大阪憲兵隊(それ以前は東京の憲兵隊の分遣隊扱い)と騎兵第四大隊が大阪府内に発足したのは明治22年。この内大阪憲兵隊に関しては、明治22年に大阪分遣憲兵大隊が大阪憲兵隊へと昇格したことによる名称変更で、その司令部が大阪市南区順慶町に置かれており、明治22年の南区の4人は大阪憲兵隊の在営人員そのものと思われます。

次に騎兵隊について改めて調べたところ、騎兵大隊自体が設置されたのは明治21年のことで(明治21年2月28日の官報)、発足当初は大阪に設置されませでした。第四師団配属となる騎兵第四大隊の場合は、まず東京で訓練され、その後明治22年11月28日にようやく大阪へ移転となったようです。そして遂に明治22年12月6日の官報に以下の文章を見つけました。

○騎兵中隊移転 第四師団騎兵第四大隊第一中隊ハ去月二十八日大阪府東成郡清堀村新築騎兵営ヘ移転セリ(陸軍省)

ん?西成郡ではなくて東成郡?これはどういうこと?

一応明治22年の西成郡と東成郡の出寄留情報は以下の通りです。西成郡川崎村には堀川監獄分署があり、無籍在監人13名と囚人及徴治人3,101人が居住していましたが、その分を除しても差分として112名の陸海軍在営艦者がいることが分かります。一方の東成郡の方は町村戸口表の出入寄留情報だけで現住人口が計算可能で、監獄も兵営地も所在者がゼロです。

出入寄留等西成郡東成郡
本籍人口139,21064,043
[出]外国行1713
[出]他府県出寄留2,406667
[出]他郡市出寄留3,0801,307
[出]他町村出寄留1,297414
[出]陸海軍在営艦者14668
[出]囚人及徴治人273158
[出]失踪2,2641,516
[入]他府県入寄留14,1035,514
[入]他郡市入寄留6,7073,408
[入]他町村入寄留1,297414
[入]無籍在監人130
[入]有籍囚人及徴治人3,1010
[入]陸海軍在営艦者1120
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)155,06069,236


調べたところ、町村制施行以前は、清堀村は西成郡所属でしたが、明治22年4月1日に清堀村単独で町村制を施行した際、西成郡から東成郡へと所属が変更されたことが判明しました。明治20年の『陸軍省統計年報』を調べたところ、この段階で「陸軍所用見込地」として西成郡清堀村字小橋山・宰相山12115坪を取得しており、この土地が2年後の騎兵営地となったわけです。

よって私の出した結論としては、明治22年12月31日時点で西成郡に加算された兵員112名は、陸軍第四師団騎兵第四大隊第一中隊であって、東成郡堀成村に兵営していたが、「各地方郡市戸口表」の担当者が堀成村は西成郡所轄のままと勘違いして、うっかり西成郡の現住人口に加算してしまったのだろうということです。

「各地方郡市戸口表」における東成郡/西成郡という誤りは、姫路市/飾東郡の誤りに続いて2つ目となります。

なお当初西成区の兵営地として自分が考えていた天保砲台ですが、明治21年には天保山砲台周辺の土地は民間の遊園地となっていますので、明治21年中に軍用地から民間の土地になったと思われます。

【追記】『大阪府全志』の記述により、清堀村内の小字名を「小構山」から「小橋山」に改訂。
[103921] 2022年 2月 3日(木)21:00:45【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 3日(木)23:20:55
【2】2022年 2月 4日(金)12:37:59
YT さん
明治23年の陸海軍在営艦者のまとめと、明治22年における陸海軍在営艦者の所在地の問題
[103852]
2.明治22年に関しては入寄留側の陸海軍在営艦者の統計が記載されていません(明治23年に関しては駐屯地毎の陸海軍の統計が存在する)。ただ府県別データは『日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」に掲載されていますので、郡市別データと監獄の統計からの加除により、ある程度は推測できます。
と書きましたが、実際には明治22年と明治23年で異なることが多く、大阪府と兵庫県で陸海軍在営艦者の所在地をはっきりとは断定できない問題が発生しました。そこで比較のためにまず以下に、明治23年の戸口表記載の情報から、明治23年末における「陸海軍在営者」62,494人の情報をまとめます。

府県区町村等人員区分
東京府麹町区代官町1,160陸軍近衛歩兵第一連隊
東京府麹町区代官町1,155陸軍近衛歩兵第二連隊
東京府麹町区代官町362陸軍近衛歩兵砲兵連隊
東京府麹町区代官町45陸軍近衛歩兵軍楽隊
東京府麹町区大手町10陸軍東京憲兵隊
東京府(下谷区下谷車坂町)
東京府麹町区元衛町62陸軍乗馬学校
東京府麹町区元衛町12陸軍蹄鉄学舎
東京府麹町区外桜田町999陸軍近衛歩兵第三連隊
東京府麹町区外桜田町997陸軍近衛歩兵第四連隊
東京府麹町区飯田町115陸軍砲兵工科学舎
東京府京橋区築地四丁目8海軍大学校
東京府京橋区築地四丁目33海軍主計学校
東京府芝区芝公園地6海軍水路部
東京府芝区芝赤羽町3海軍造兵廠
東京府芝区品川港354海軍高千穂
東京府芝区品川港333海軍扶桑
東京府芝区品川港307海軍浪速
東京府芝区品川港188海軍高雄
東京府芝区品川港210海軍葛城
東京府芝区品川港202海軍大和
東京府芝区品川港237海軍筑波
東京府芝区品川港54海軍鳳翔
東京府芝区品川港101海軍磐城
東京府麻布区新竜土町1,420陸軍第一師団歩兵第三連隊
東京府赤坂区赤坂檜町1,458陸軍第一師団歩兵第一連隊
東京府赤坂区溜池葵町1海軍参謀部
東京府四谷区千駄ヶ谷村328陸軍第一師団輜重兵第一大隊
東京府牛込区市谷本村町596陸軍第一師団砲兵第一連隊
東京府牛込区市谷本村町377陸軍士官学校
東京府牛込区市谷本村町246陸軍幼年学校
東京府牛込区下戸塚町917陸軍戸山学校
東京府荏原郡目黒村264陸軍近衛騎兵大隊
東京府荏原郡目黒村340陸軍第一師団騎兵第一大隊
東京府北豊島郡岩淵町160陸軍近衛工兵中隊
東京府北豊島郡岩淵町351陸軍第一師団工兵第一大隊
東京府南豊島郡大久保村24陸軍軍楽学舎
京都府紀伊郡伏見町350陸軍第五師団工兵第四大隊
大阪府大阪市西区173陸軍第四師団騎兵第四大隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第八連隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第二十連隊
大阪府大阪市東区612陸軍第四師団砲兵第四連隊
大阪府大阪市東区323陸軍第四師団輜重兵第四大隊
大阪府大阪市東区37陸軍第四師団軍楽隊
大阪府大阪市東区4陸軍大阪憲兵隊
神奈川県三浦郡浦郷村長浦159海軍横須賀水雷隊
神奈川県三浦郡横須賀町278海軍横須賀鎮守府
神奈川県三浦郡横須賀町1,399海軍横須賀鎮守府海兵団
神奈川県三浦郡横須賀町310海軍龍驤
神奈川県三浦郡横須賀町156海軍八重山
神奈川県三浦郡横須賀町382海軍武蔵
神奈川県三浦郡横須賀町200海軍迅鯨
神奈川県三浦郡横須賀町145海軍天城
神奈川県三浦郡横須賀町183海軍干珠
神奈川県三浦郡横須賀町130海軍愛宕
神奈川県三浦郡横須賀町21海軍筑紫
神奈川県三浦郡横須賀町105海軍赤城
神奈川県三浦郡横須賀町185海軍海門
神奈川県三浦郡浦賀町37陸軍要塞砲兵幹部練習所
神奈川県三浦郡浦賀町414陸軍要塞砲兵第一連隊
神奈川県橘樹郡神奈川町1陸軍神奈川砲台分遣
兵庫県神戸市90海軍麻耶
兵庫県姫路市1,423陸軍第四師団歩兵第十連隊
長崎県長崎市1陸軍長崎砲台分遣
長崎県長崎市88海軍満珠
長崎県長崎市94海軍鳥海
長崎県東彼杵郡佐世保村96海軍佐世保鎮守府
長崎県東彼杵郡佐世保村1,030海軍佐世保鎮守府海兵団
長崎県東彼杵郡佐世保村35海軍佐世保水雷隊
長崎県東彼杵郡佐世保村104海軍日進
長崎県下県郡厳原村201陸軍対馬警備隊
長崎県下県郡竹敷村152海軍春日
新潟県北蒲原郡新発田町1,481陸軍第二師団歩兵第十六連隊
千葉県東葛飾郡市川町1,259陸軍教導団
千葉県印旛郡佐倉町1,474陸軍第一師団歩兵第二連隊
千葉県印旛郡志津村150陸軍砲兵射的学校
群馬県西郡馬郡高崎町1,495陸軍第一師団歩兵第十五連隊
愛知県名古屋市1,463陸軍第三師団歩兵第六連隊
愛知県名古屋市1,479陸軍第三師団砲兵第十九連隊
愛知県名古屋市622陸軍第三師団砲兵第三連隊
愛知県名古屋市352陸軍第三師団工兵第三大隊
愛知県名古屋市321陸軍第三師団輜重兵第三大隊
愛知県名古屋市3陸軍愛知憲兵隊
愛知県渥美郡豊橋町1,464陸軍第三師団歩兵第七連隊
滋賀県滋賀郡大津町1,557陸軍第四師団歩兵第九連隊
宮城県仙台市榴ヶ岡1,487陸軍第二師団歩兵第四連隊
宮城県仙台市川内1,472陸軍第二師団歩兵第十七連隊
宮城県仙台市川内108陸軍第二師団騎兵第二大隊
宮城県仙台市川内597陸軍第二師団砲兵第二連隊
宮城県仙台市川内343陸軍第五師団工兵第五大隊
宮城県仙台市川内333陸軍第二師団輜重兵第二大隊
宮城県仙台市川内3陸軍宮城憲兵隊
青森県東津軽郡青森町1,023陸軍第二師団歩兵第五連隊
石川県金沢市1,471陸軍第三師団歩兵第七連隊
広島県広島市1,431陸軍第五師団歩兵第十一連隊
広島県広島市1,484陸軍第五師団歩兵第二十一連隊
広島県広島市106陸軍第五師団騎兵第五大隊
広島県広島市589陸軍第五師団砲兵第五連隊
広島県広島市344陸軍第五師団工兵第五大隊
広島県広島市330陸軍第五師団輜重兵第五大隊
広島県広島市3陸軍広島憲兵隊
広島県広島市宇品41海軍館山
広島県広島市宇品35海軍石川
広島県安芸郡江田島村120海軍兵学校
広島県安芸郡江田島村181海軍天龍
広島県安芸郡宮原村101海軍呉鎮守府
広島県(安芸郡和庄村)
広島県(安芸郡荘山田村)
広島県安芸郡宮原村1,443海軍呉鎮守府海兵団
山口県赤馬関市396陸軍要塞砲兵第四連隊
香川県那珂郡丸亀町1,456陸軍第五師団歩兵第十二連隊
愛媛県松山市1,494陸軍第五師団歩兵第二十二連隊
福岡県企救郡小倉町1,494陸軍第六師団歩兵第十四連隊
福岡県福岡市1,429陸軍第六師団歩兵第二十四連隊
熊本県熊本市1,480陸軍第六師団歩兵第十三連隊
熊本県熊本市1,162陸軍第六師団歩兵第二十三連隊
熊本県熊本市177陸軍第六師団騎兵第六大隊
熊本県熊本市615陸軍第六師団砲兵第六連隊
熊本県熊本市361陸軍第六師団工兵第六大隊
熊本県熊本市357陸軍第六師団輜重兵第六大隊
熊本県熊本市3熊本憲兵隊
沖縄県首里125陸軍第六師団歩兵第二十三連隊第八中隊
北海道庁函館区493陸軍第二師団歩兵第五連隊分遺隊
日本国内合計53,194陸軍
日本国内合計9,300海軍
外国行英国129海軍千代田
外国行外国航海中243海軍金剛
外国行外国航海中263海軍天龍
外国行合計635海軍

日清戦争前夜とはいえ、兵営・艦隊に居住する兵員が6万人って案外少ないように感じました。また東京湾の艦隊は「武蔵国品川」に停泊していますが、人口統計上はすべて東京府芝区として扱われています。また呉鎮守府101名の在営地として宮原村、和庄村、荘山田村、東京憲兵隊10名の在営地として麹町区大手町、下谷区車坂町の地名が列挙されていますが、統計上はそれぞれすべて宮原村、麹町区に集計されているようです。

それはさておき、明治22年末における「陸海軍在営者」の所在地を同定しようとして『町村別戸口表』の寄留情報と突き合わせたところ、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、明治22年末における兵庫県内の「陸海軍在営者」1568人はすべて飾東郡で計上されていることが分かりました。

本籍人口51,586
[出]外国行1
[出]他府県出寄留337
[出]他郡市出寄留855
[出]他町村出寄留108
[出]陸海軍在営艦者80
[出]囚人及徴治人59
[出]失踪1,093
[入]他府県入寄留82
[入]他郡市入寄留311
[入]他町村入寄留108
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者1,568
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)51,122

一方『町村別戸口表』には姫路市など一部市の情報が欠けておりますが、『兵庫県統計書』記載の出入寄留情報と官報掲載の現住人口の情報とを比較することで、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、監獄や兵営の人口が姫路市の現住人口に入っていないことが確認できます。

本籍人口24,529
[出]外国行・他府県郡市出寄留・失踪3,645
[出]陸海軍在営艦者・囚人及懲収人55
[入]他府県郡市入寄留4,653
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者0
官報掲載の現住人口25,542
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)25,487
現住人口(「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載)27,055

ところが同じ『日本帝国民籍戸口表』でも「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の方では姫路市の現住人口は27,055人となっており、あからさまに軍人1,568人が姫路市の方に計上されています。

なお明治23年の段階では、陸軍第四師団歩兵第十連隊1,423人はすべて姫路市となっております。一方陸軍省統計年報によると、明治20年の段階で大阪鎮台歩兵第十連隊の兵営所在地は「播磨国飾東郡姫路」となっています。一応飾東郡播磨津須賀(17331坪)にも砲台がありますが、ここに1000人規模の兵営を置いたとは思えず、考えられるのは、「各地方郡市戸口表」の作成者が明治22年成立の姫路市を無視し、うっかり「飾東郡姫路」として飾東郡に陸軍第四師団歩兵第十連隊の人口を加算してしまったということでしょう。そうなってくると現住人口算出の上で間違いだらけの「各地方郡市戸口表」([103852][103913]を参照)が、姫路市に関しては正しい処理をしたことになります。

次に明治22年末の大阪市内の現住人口から、[入]陸海軍在営艦者4,136の分布を割りだしたところ、明治23年末とは異なり、大阪市西区には兵員はおらず、大阪市南区と西成郡内に兵員がいることが判明しました【表修正】。

郡区明治22年明治23年
大阪市東区4,0203,970
大阪市南区40
大阪市西区0173
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年末当時、大阪府南区順慶町に大阪憲兵隊の屯所が置かれていたそうなので、南区の4人は大阪憲兵隊で間違いありません。一方問題なのが西成郡の112名です。大阪四区は10年以上郡から分離しており、明治22年発足の姫路市のように所属郡をそのまま間違えたとは思えません。とりあえず西成郡内で該当しそうなものを探すと、明治20年の段階では西成郡八幡屋新田に天保山砲台(22801坪)が存在します。明治22年当時、砲兵分遺隊として100名程度がこの地に在営していた可能性はあります。ただ明治19年の段階ですと、陸軍省年報によると目標山(=天保砲台)の砲兵分遺衛兵は10名にすぎません。それよりも前だと天王寺の茶臼山にも陸軍関連施設があったようですが、明治20年段階ではその施設は存在しません。海軍だと112名はちょっとした艦船の規模ですが、少なくとも明治22年前後に大阪府内に海軍施設があったようには見えませし、艦船が停泊する軍港もありません。それ以外に陸軍・海軍関連施設が見つからないので、とりあえず112名は大阪府西成郡の天保山砲台にいたと仮定します。

ただここで天保山砲台の所在地を、陸軍省年報や陸軍省統計年報は「西成郡天保町」とせずに「西成郡八幡屋新田」としている点が気になります。八幡屋新田は天保町に隣接する地区で、明治22年以降川南村の大字となります。よって現時点では112名を西成郡川南村の現住人口としてカウントすることにしておりますが、これが正しい見解なのかさっぱり分かりません。明治22年版の陸軍省統計年報を閲覧できたらなら、多少情報が増えるかも知れませんが、現時点ではすぐに閲覧できません。

【漢字色々修正】自分は別に軍隊に造詣が深いわけではないので、艦船の字にまだ間違っている箇所があるかも知れませんが御容赦下さい。
[103913] 2022年 2月 2日(水)00:02:15YT さん
130年以上前の計算間違い発覚
[103910] オーナー グリグリさん

明治初期の市区町村の人口データがある程度纏まったら、ぜひ当サイトにも掲載させてください。

ありがとうございます。そのつもりで頑張ります。

ところで[103852]で指摘した、『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の横須賀町と戸太村の本籍人口、現住人口がおかしい件ですが、あっさり解決しました。

まず横須賀町についてですが、戸籍表の本籍人口9,806人から正しく現住人口を計算すると、

9,806-(8+142+56+437+77+8+140)+(7,118+515+515)=17,086

ん? これは「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している横須賀町の本籍人口と等しい。つまり

本籍人口9,806→現住人口17,086 が正しい処理であり、それを再び本籍人口に代入して

本籍人口17,086→現住人口24,366

という二重処理をしてしまったという、とんでもない計算間違いを犯していたということになります。すでに明治22年の横須賀町の人口として24,366人(全国49位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には全国77位相当の17,086人。

戸太村についてですが、こちらも戸籍表などから正しく現住人口を計算すると

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37)=10,323

これに戸籍表に載っていない情報である、無籍在監人11人、有籍囚人及懲治人752人を加えることで、正しい現住人口が求まります。

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37+11+752+0)= 11,086

そう、見ればわかりますが、監獄の人員を加える前の現住人口は、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している戸太村の本籍人口と等しい。つまり


本籍人口9,806→現住人口11,086 が正しい処理であり、現住人口の計算の過程で出てくる10,323(監獄人口を加算する前)を再び本籍人口に代入して

本籍人口10,323→現住人口15,253

という二重処理をしてしまったという、こちらも同様の計算間違いを犯していたということになります。

こちらもすでに明治22年の戸太村の人口として15,253人(全国86位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には1万人強の村(全国147位相当)だったことになります。

このように、まさかの130年以上前の人口算出の計算間違いが明らかとなりました。これは表作成者のミスなのか、故意の改ざんなのかは分かりません。
[103887] 2022年 1月 22日(土)12:51:05【2】訂正年月日
【1】2022年 1月 22日(土)12:52:54
【2】2022年 1月 22日(土)14:29:11
YT さん
明治22年、明治23年の北海道の市街地の現住人口の計算結果の比較
[103852]に関連した記事です。

明治22年~明治30年の間の都市人口に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」(明治22年、明治23年に関しては、残念ながらオンラインで閲覧できない)が知られておりますが、掲載されているのは現住1万人以上の市町村のみです。また函館区と札幌区を除く北海道・沖縄・その他島嶼部の町村などは市制・町村制施行前ですので行政が細かく分かれたままでしたが、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)の方で現住人口1万人以上として一部集計されています。ただ、肝心の市街地の区分は行政上の連合戸長役場等を考慮せず、「~町」という呼称を持つものを適当に集めて計算されており、表に載るかどうかは編集した人の恣意に依存しています。1万人未満に関しては官報に現住人口が掲載されておりますが、こちらも北海道、沖縄、島嶼部の町村については現住人口が割愛されています。

一方総務省統計図書館には「戸籍表 北海道之部 明治19年~28年」という資料がありますが、この資料には明治22年~明治28年の間に関して北海道の各区町村別の本籍人口、出入寄留の詳細が載っておりますので、これを使えば北海道の区町村別現住人口を補完することができるはずです。そこでとりあえず北海道について『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)掲載の明治22年末と明治23年末の本籍人口・現住人口を比較してみました。

都市札幌区(M22)札幌区(M23)函館区(M22)函館区(M23)小樽(M22)小樽(M23)福山(M22)福山(M23)江差(M22)江差(M23)
本籍人口10,02911,70433,82135,1997,81912,53911,06310,7099,7729,810
[出]外国行12812010300
[出]他府県出寄留78434175471615278613681917
[出]他郡市区出寄留1,4256523,7763,945297823535795263272
[出]他町村出寄留00005081,6089497109154
[出]陸海軍在営艦者003230221012126
[出]囚人及懲治人11113834610121186
[出]失踪3181922913666710121715894133
[入]他府県入寄留7,28310,74521,64322,6064,2438,8081,3391,1083,6444,235
[入]他郡市区入寄留2,1033,0762,3442,4821,0911,822429450778886
[入]他町村入寄留00004851,54575167190277
[入]無籍在監人0000000000
[入]有籍囚人及懲治人0000006176
[入]陸海軍在営艦者000493000000
現住人口116,87624,32752,90955,67712,60621,38312,03111,29113,88614,626
現住人口216,87624,32752,90955,67712,62921,44612,05011,22113,80514,503
人口静態統計掲載の現住人口16,87624,32752,90955,67712,62921,38312,03111,29013,79814,620
現住人口3(官報掲載の現住人口に相当)16,88724,33852,97955,24812,61421,39512,04711,31313,89914,632


※小樽は明治22年末と明治23年末では市街地とされている範囲が異なる。明治22年末の小樽は小樽郡量徳町外二十八町のみで計算されており、高島郡内色内町外五町は含まれない。明治23年末の小樽は小樽郡量徳町外三十四町で計算されており、高島郡内色内町外五町を含むが、明治23年新設の小樽郡沙崎町は人口0人ということで戸籍表に記載なし。行政上は小樽郡と高島郡の町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であったが、市街地としては実務上の行政区部を無視して計算されている。
※明治22年末・23年末の福山は松前郡役場直轄町(河原町外三十三町)で計算されており、行政区分と一致している。
※明治22年末・23年末の江差は檜山郡中歌町外二十五町で計算されている。行政上は檜山郡五勝手村を含む檜山郡中歌町外二十六町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であり、市街地としては実務上の行政区分を無視して計算されている。
※現住人口1:他町村出入寄留(同一郡内の異なる町村間での転居)を含め、本籍人口から全ての出入寄留を考慮して計算。本来であれば町村別現住人口はこの方法で計算するのが妥当。
※現住人口2:他町村出入寄留を無視して計算。函館区、札幌区はこの計算で問題なし。
※現住人口3:囚人及懲治人(但し本籍人口に含まれない無籍在監人は考慮する)、陸海軍在営艦者に関する出入寄留を計算に入れない(外国行と失踪は考慮する)。官報掲載の現住人口に相当。

明治22年末は陸軍在営520人が亀田郡(おそらく五稜郭のある亀田村)で集計されているのに対し、明治23年末では陸軍在営493人(第二師団歩兵第五連隊函館分遣隊)がすべて函館区で集計されている点に関しては疑問が若干残りますが、とりあえず函館区・札幌区は同一区内に他町村が存在しないので、他町村出入寄留自体が0となっており、現住人口1=現住人口2=公式の現住人口が成立しています。

一方で小樽市街地は、明治22年末と明治23年末でその範囲が異なる点にも問題があることながら、明治22年末では他町村出入寄留を加除せずに計算、明治23年末では他町村出入寄留を含めて計算と、年度によって計算方法が異なります。

福山は明治22年末、明治23年末ともに他町村出入寄留を加除して計算しておりますが、明治23年末では福山分署(松前郡新荒町)の囚人1人を加えていません(明治22年は囚人6人を加えている)。

江差に関しては、明治22年末は他町村出入寄留の加除を行わなわなかったのに対し、明治23年末は他町村出入寄留の加除を行っています。しかしながらどちらも江差分署(檜山郡豊部内町)の囚人7人または6人を加えていません。

このように概ね明治23年末以降の郡市区未満の行政の現住人口は、同一郡内での他町村出入寄留を含めて計算する方法が確立したのに対し、明治22年末に関しては他町村出入寄留を入れたり入れなかったりといい加減です。さらにほぼ誤差範囲とはいえ、囚人等の人口の加算を忘れているケースがあったりします。

まあ北海道の市街地の現住人口に関しては20年後の再計算だから囚人のカウント忘れは仕方ないかも知れませんが、明治22年分に関しては『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の段階で、他町村出入寄留の加除の規則がいい加減という問題を抱えています。

【誤字修正】【~記載→~掲載】
[103852] 2022年 1月 17日(月)18:39:56【1】訂正年月日
【1】2022年 1月 17日(月)19:13:17
YT さん
明治22年(1889年)の現住人口の再計算、早くも頓挫
長文失礼します。ただ以下の情報は、何名かの方には非常に興味深い情報だと思いますので。

[103711]で明治22年の市区町村別人口を見直すと書きましたが、早々に『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区町戸口表」と「各地方郡市戸口表」、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)記載の甲種現住人口の数字が非常にいい加減な計算の上になりたっていることがわかり、行き詰っています。

見直そうと思ったきっかけは、総務省統計図書館所蔵の戸籍表に町村別の外国行、陸海軍在営艦者、囚人及懲治人、失踪等の統計が存在することを見出したからです。これにより、[82295]でも触れていた

さらに「官報による現住人口」を『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口に計算し直すためには、各市町村別で、【外国行・在監行・軍務行・失踪などの出寄留の統計】が必要ですが、自分が知る限りそのような統計は公表されていないので、現状では「官報による現住人口」から人口を修正する術がありません。

という問題が解決し、[68620][68621]のリストを増やすことが可能になるわけです!

しかしながら、いざ計算してみると・・・

1.京都市や神戸市、姫路市、金沢市、その他多くの市、伊豆・小笠原に関してはデータを欠いています。なお『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の「各地方現住一万人以上市区町戸口表」と「各地方郡市戸口表」とで、姫路市(27,055, 25,487)・金沢市(94,257, 95,812)の人口が異なる点が以前より気になってきましたが、両者の差は入寄留側の陸海軍在営艦者(兵庫県: 1,568; 石川県: 1,555)と一致することに改めて気付きました。しかしながら現住人口自体は、姫路市に関しては「各地方現住一万人以上市区町戸口表」の方が1568人多く、金沢市に関しては「各地方郡市戸口表」の方が1555人多い?この段階でなんかいい加減な処理をしている疑惑が出てきました。

2.明治22年に関しては入寄留側の陸海軍在営艦者の統計が記載されていません(明治23年に関しては駐屯地毎の陸海軍の統計が存在する)。ただ府県別データは『日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」に掲載されていますので、郡市別データと監獄の統計からの加除により、ある程度は推測できます。

3.町村の現住人口を計算するにあたり、他町村出入寄留の処理がいい加減!

とりあえず1万人以上の人口を有する東京府・京都府・大阪府・神奈川県の町村で検証しました。[入]無籍在監人、[入]有籍囚人及懲治人は『日本帝国民籍戸口表』「各地方在監有籍者及無籍者人口表」により、[入]陸海軍在営艦者は「各地方人口出入表」等からの推定値です。

その結果官報記載の現住人口は以下の計算式で計算していることがわかりました。

官報記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人

また明治23年以降の日本帝国民籍戸口表記載の現住人口は以下の計算式で計算していることがわかりました。

民籍戸口表記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]囚人及懲治人-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

【外国行・失踪・無籍在監人】のデータは官報記載の現住人口に織り込み済みであることが判明し、あとは出ていく側の【有籍の囚人及懲治人と陸海軍在営艦者の人口】を減じ、これに各監獄の有籍囚人及懲治人と駐屯地等の陸海軍在営艦者を加えれば、現住人口が求まることになります。しかしながら実際に計算してみると、明治22年に関しては民籍戸口表記載の現】住人口の計算方法がいい加減で、とりあえず半数ぐらいは以下のように他町村出入寄留が計算から除外されているケースが混ざっていることがわかりました。

民籍戸口表記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]囚人及懲治人-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

A. 他町村出入寄留の加除が行われているケース
町村千住町難波村曽根崎村浦賀町小田原町
本籍人口11,58423,74110,55713,01615,148
[出]外国行020210
[出]他府県出寄留1711,179170163876
[出]他郡区出寄留7381,292197640538
[出]他町村出寄留571563344181
[出]陸海軍在営艦者32086520
[出]囚人及懲治人96422127
[出]失踪1131,25914246170
[入]他府県入寄留1,9663,958872959196
[入]他郡区入寄留1,5091,579231542150
[入]他町村入寄留423117332137
[入]無籍在監人00000
[入]有籍囚人及懲治人000016
[入]陸海軍在営艦者0001560
官報記載の現住人口14,02225,70111,19113,54613,856
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口14,01025,61711,16113,62513,845

B. 他町村出入寄留の加除が行われていないケース
町村品川町伏見町東平野町天王寺村
本籍人口12,58616,34910,18613,529
[出]外国行3180
[出]他府県出寄留32325312991
[出]他郡区出寄留297343228202
[出]他町村出寄留44393883
[出]陸海軍在営艦者46121213
[出]囚人及懲治人9142068
[出]失踪212202350989
[入]他府県入寄留4,0487571,6141,441
[入]他郡区入寄留1,3648851,0491,092
[入]他町村入寄留1024417557
[入]無籍在監人0000
[入]有籍囚人及懲治人0000
[入]陸海軍在営艦者033700
官報記載の現住人口17,22117,19712,28114,754
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口17,10817,50312,10214,699

同じ府県でもこんな具合に異なる現住人口の計算方法が混在しています・・・

C. 他町村出入寄留の加除が行われているが、元となる本籍人口から異なるケース
町村横須賀町戸太村
本籍人口(日本帝国民籍戸口表)17,08610,323
本籍人口(戸籍表)9,8066,156
[出]外国行85
[出]他府県出寄留142102
[出]他郡区出寄留56232
[出]他町村出寄留43737
[出]陸海軍在営艦者774
[出]囚人及懲治人81
[出]失踪14089
[入]他府県入寄留7,1183,108
[入]他郡区入寄留5151,492
[入]他町村入寄留51537
[入]無籍在監人011
[入]有籍囚人及懲治人0752
[入]陸海軍在営艦者00
官報記載の現住人口17,17110,339
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口24,36615,253

官報による現住人口は戸籍表の本籍人口からの計算と一致します。『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区町戸口表」記載の現住人口は、『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区町戸口表」記載の本籍人口から戸籍表の出入寄留の加除を行うことで一応同じ数字が求まりますが・・・翌年の現住人口と比較する限り、「各地方現住一万人以上市区町戸口表」の本籍人口・現住人口の方がおかしい。

なお横須賀監獄は横須賀町ではなくて豊島村に存在することを確認しています(明治22年と明治23年のデータで検証済み)。逆に横浜監獄は横浜市ではなくて戸太村にありました。明治23年には横須賀町に3,494人の海軍関係者がいますが、明治22年は陸海軍併せて神奈川県内156人、すべて三浦郡内で、浦賀町の156人で計算が合いますので、明治22年の横須賀町内の[入]陸海軍在営艦者は0人と推測しました。

D. なんか知らないが数字が一致しない・・・
町村神奈川町八王子町
本籍人口13,50313,998
[出]外国行51
[出]他府県出寄留403160
[出]他郡区出寄留1,02996
[出]他町村出寄留152606
[出]陸海軍在営艦者131
[出]囚人及懲治人104
[出]失踪20362
[入]他府県入寄留2,6223,121
[入]他郡区入寄留1,3314,283
[入]他町村入寄留2181,243
[入]無籍在監人02
[入]有籍囚人及懲治人038
[入]陸海軍在営艦者00
官報記載の現住人口15,88221,721
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口15,38221,555

八王子町に関しては、官報掲載の現住人口が1人(計算値は21,722人)ずれており、また現住人口が計算値(21,755)と200人ずれていますが、これらは印刷ミスがそのまま残ってしまったのではないかと推測します。神奈川町に関しては官報記載の現住人口は無問題ですが、『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口と計算値(15,859)ではそれなりに大きなずれが生じており、その原因は不明です。監獄や駐屯地があれば、むしろ現住人口は官報掲載の現住人口よりも増えるはずなのに減ってますので、監獄や駐屯地の見落としではありません。

このほか・・・『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)に示された北海道の人口の内、江差に関しては、他町村出入寄留の計算を除外したほか、江差分署の有籍囚人及懲治人7人を計算に入れていないが、福山では他町村出入寄留のみならず、ちゃんと福山分署の有籍囚人及懲治人6人を計算に入れている。函館区はちゃんと監獄、駐屯地の人口が加味されている。

というわけで、明治22年の統計は市制施行後の最初の人口統計として非常に重要なのですが、世間で知られている肝心の明治22年の現住人口の計算がいい加減という問題が様々見つかりました。数字自体はむしろ官報掲載の現住人口の方が計算方法が安定していてそれなりに信頼できます。すでに明治22年の現住人口は集計結果がいろいろ引用されており、今更現住人口の計算が結構間違っていたと指摘しても仕方ないし、正直計算し直す気力がなくなりつつあります。現状ではデータがよりしっかり残っていて、徴発物件一覧表に大字別人口まで残っている明治23年(1890年)ベースの方からまとめることになるかも知れません。

【】の部分の言い回しを微修正(有籍の囚人及懲治人の出入寄留は官報掲載の現住人口では無視)
[103711] 2022年 1月 10日(月)20:46:21YT さん
久々の投稿と今後の予定
何というか、色々なことが重なって、こちらのサイトから遠ざかってしまっているYTです。遠ざかってしまった原因としては

1.二人目の子供も生まれ、休日がすっかり子供のための時間になってしまったこと(これが一番大きい)
休日は朝から晩まで一緒に遊び、寝かせつけるとそのまま一緒に寝てしまう・・・ある意味休日を健康的に過ごすことになって、これはこれでいいのでしょうけど、調べものをする上では弊害となっています。

2.雑務の増加
自分は某大学で研究職を務めていますが、微妙に地位が中間管理職的なものとなり、雑務も増えてしまいました。拘束時間が増えることにより、勝手に専門外の調べものをする時間が減ってしまいました。

3.コロナの影響
某大学には豊富な古文書・図書があるのですが、コロナによって特に文系学部の図書室は事前予約を必要とするため、思い立った時に調べものというのができない状況となってしまいました。コロナが収束したと思いきや、この状況は3年目以降も続きそうです。

と、こういう状況が続いてしまっていますが、総務省統計図書館所蔵の戸籍表を元に、明治22年および明治23年の詳しい市区町村別本籍人口、現住人口(官報ベースと日本帝国民籍戸口表ベース)の再計算を今年中に行うことを目標に何とか頑張ります。
[99297] 2020年 3月 26日(木)02:16:20【6】YT さん
足柄郡
[99296] じゃごたろ さん

それは神奈川県の「足柄上郡」「足柄下郡」です。普通「上○○郡」「下○○郡」とか「北○○郡」「南○○郡」となるのが普通ですが、なぜここだけは「上足柄郡」「下足柄郡」とならずに、「足柄上郡」「足柄下郡」となったんでしょうかね?


明治維新の頃であれば、大和国には葛上(かつらぎのかみ→かつじょう)郡・葛下(かつらぎのしも→かつげ)郡、城上(しきのかみ→しきじょう)郡・城下(しきのしも→しきげ)郡、添上(そふのかみ→そえかみ)郡・添下(そふのしも→そえしも)郡、摂津国には島上郡(しまのかみ→しまかみ)、島下(しまのしも→しましも)郡、駿河国には長上(ながのかみ→ながかみ)郡・長下(ながのしも)郡(中世に消滅)があり、また古代には河内に堅上(かたかみ)郡・堅下(かたしも)郡(→大県郡)がありましたので、さほど珍しい名称ではないと思います(特に畿内と東海では一般的?)。ただ、足柄郡の例を除き、明治30年頃までに他はすべて合併等で消滅してしまったので、たまたま足柄上郡・足柄下郡の例が残ってしまったです。

一応『日本歴史地名体系』から解説を引用すると、奈良時代においては足上郡(あしのかみぐん)・足下郡(あしのしもぐん)が存在し、「足上郡」に関しては「続日本紀」霊亀元年(西暦715年)3月25日の条、「足下郡」に関しては正倉院文書の相模国封戸租交易帳(天平7年(西暦735年))にまで用例が遡るそうです。また倭名類聚抄では「足上」と書いて「足辛乃加美(あしがらのかみ)」と訓読させている例がみられることから、足柄上郡・足柄下郡の呼称も古代に遡り、郡名の起源は足下郡に属する郷の足柄「阿之加良(あしのがら)」に由来すると考えられます。「古事記」によると「足柄之坂本」でヤマトタケルが白い鹿に出会い、「常陸風土記」にも「足柄の岳坂」の記述があることから、「足柄」という地名は郡設置以前から存在し、「足柄郡」という呼称も地域名としては存在したが、郡としては最初から二分割されていたようです。

ただ様々な荘園の分割によりいつしか郡が意識されなくなり、平安後期の「更科日記」には「西富郡」という郡名が登場し、さらに後北条氏支配下の戦国時代の相模国は西郡(にしごおり=足柄上郡+足柄下郡に相当)・中郡・東郡・三浦郡・小坂郡(鎌倉郡)の五郡に再編され、「足柄(上・下)郡」は長らく記録から途絶えます。後に江戸時代の正保郷帳編纂の頃になって「足柄上郡」「足柄下郡」の古代に遡る(といっても完全には同じではない)地域区分が復活し、現在に至る、とのことだそうです。

【追記:江戸幕府による古代郡名の復活について】実のところ、郡というものは古代から脈々と伝わったわけではなく、荘園制度によって一度古代の郡域が乱され、そして幾つもの異なる郡へと再編されてしまっているケースが多いのです。江戸幕府は、郷帳・国絵図作成や朱印状の発給を通じて日本の国土を支配する過程で、国→郡→村という階層構造の把握と再編を行い、延喜式・倭名類聚抄に記された古代の郡名と郡域の復活を図りました。その修正の最大のものが寛文4年(1664年)の寛文印知で、正保郷帳記載の郡名や郡域がかなり訂正されています。しかしながら乱れた郡制を完全に正すことは不可能で、郡名を変えず領・庄名をもって郡名に変えざるを得なかったり、郡名を誤ったりと、色々なことが起こっています。例えば安芸国では寛文4年(1664年)古郡名復古の幕命により、安南郡を安芸郡、安北郡を高宮郡、佐東郡を沼田郡、佐西郡を佐伯郡と改めましたが、延喜式・倭名類聚抄や中世の郡域と異なり、豊田郡内の古沼田郡、高田郡内の古高宮郡とは全く違う地域となってしまい、民間ではなお従来の郡名も通用したという、古郡名復古の誤用が起こりました。

なお寛永17年~18年(1640年~1641年)の小田原領検地帳では「西郡」表記、正保年間(1645年~1648年)に作成された相模国の正保国絵図の写本とされる「慶安年間写 相模国国絵図」では「足柄上郡・足柄下郡」表記、万治元年~3年(1658年~1661年)の小田原領検地帳では「足柄上郡・足柄下郡」表記となっており、「足柄上郡・足柄下郡」の復古は正保の頃と思われます。ただし小田原藩領内の検地帳以外の行政文書では「小田原領西筋・中筋・東筋」という区分の方が一般的だったようです。
[99289] 2020年 3月 23日(月)13:29:08【1】YT さん
広島県 甲第137号布達はM.11.11.11.ではなくてM.11.11.1では?
[99259] むっくん さん
[99285] ekinenpyou さん

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)

戦後改訂された版の『広島県史』調べてみましたが、『広島県史 近代現代資料編I』(1974年)の393~394頁によると
八〇 郡区編制 明治一一・一一・一
               〔「広島県報」〕
 県甲第百三十七号
 今般第十七号公布ニ依り、従前之大小区ヲ廃シ別冊之通郡区編制所轄相定メ候条、此旨布達候事
  明治十一年十一月一日
    広島県令藤井勉三代理
           広島県少書記官 平山 靖彦

    郡区編制

|沼田郡 郡役所位置 沼田郡 南下安村
|高宮郡
  但元ト(二・七)大区ヲ所轄ス

 安芸郡 同     海田市
  但元ト三大区ヲ所轄ス

 佐伯郡 同     廿日市
  但元ト四大区並第一大区庚午新開ヲ所轄ス

 山県郡 同     加計村

 高田郡 同     吉田村

 賀茂郡 同     四日市

 豊田郡 同     忠海村

 御調郡 同     尾道

|深津郡 同     深津郡 福山
|沼隈郡

|安那郡
|品治郡 同     芦田郡 府中市村
|芦田郡

|甲奴郡
|世羅郡 同     世羅郡 甲山町
|三谿郡

|三次郡 同     三次郡 上里村
|恵蘇郡

|奴可郡 同     奴可郡 西城町
|三上郡

 神石郡 同     小畑村

 広島区 区役所位置 広島大手筋一丁目
  但元ト一大区(庚午新開ヲ除クノ外)ヲ所轄ス


また『広島県史年表(明治) 明治元年(1868)~明治45 年(1912)』(pdf)(24コマ目)

1878 明治11 戊寅

11- 1大区小区を廃し広島区と22 の郡を置き,15 の郡区役所を置く〔甲137〕。
11- 1広島県,新設の郡区庁の事務分課を庶務・勧業・租税・勧学・出納の5 掛と定める。177
11- 1町村戸長選挙規則制定〔甲138〕。
11- 1福山支庁廃止〔甲144〕。
11- 1区長・学区取締・医務取締・浦役人を廃止〔丙201〕。
11- 1広島左官町の瀬川浅吉,本覚寺の上隣りへ四階楼を新築し,飲食店を開店〔広島新聞10.5〕。

少なくとも『広島県史』(1972年~1984年版)の方では、明治11年11月11日絡みの法令や記述を確認できませんでした。『広島県史』の活字化の過程で元史料(「広島県報」)の記述を写し間違えた可能性は否定できませんが、[99285]でekinenpyouさんが見つけた戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。

【誤字訂正】
[99264] 2020年 3月 17日(火)16:48:20【6】YT さん
長野県のM12.1.4布達は乙第1号布達
[99259] むっくんさん
郡区町村編制法時の各府県布達の状況を詳しくまとめて頂き、ありがとうございます。
読んでいて所々「?」の箇所があったので、その辺についてこちらで調べさせて頂きました。

1.熊本県の郡区

熊本県 甲第5号布達? M12.1.20? M12.1.20?

熊本県 熊本区 甲第5号布達? M12.1.20?~M22.3.31


新熊本市史 史料編 第六巻 近代I』(1997年)の243~247頁収録の「39 〔郡区町村編成〕(抄) 明治12.1.20 布達便覧」により、甲第5号布達、M12.1.20共に間違いないと思います。以下、細かい町丁村名については(中略)と省略して引用しますと:

甲第五号
 今般太政官第十七号布告ニ拠り、従前ノ大小区画ヲ廃シ郡区トナシ、郡区ノ分割及郡区役所ノ位置別冊ノ通相定候条、此旨布達候事。
  明治十二年一月二十日    熊本県令 富岡敬明

熊本区
 役所ヲ飽田郡新町三丁目ニ置キ熊本区役所ト称ス。
  所轄町百十八 内丸印中二ヶ所当時陸軍省所轄、一ヶ所県庁敷地
 細工町一丁目 細工町二丁目 細工町三丁目
(中略)
 新屋敷町 白川町
飽田郡 詫摩郡
 役所ヲ飽田郡春日村ニ置キ飽田詫摩郡役所ト称ス。
  所轄町三 村百三十九(注:明治十二年一月二十五日甲第二十九号二つにより、「村百三十九」を「村百四十」と正誤。)
 上立田村 下立田村 弓削村
(中略)
以下詫摩郡
 本山村 平田村 高江村
(中略)
 鹿帰瀬村 戸島村
     <以下他郡は略>


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが、明治12年1月20日甲第5号布達には郡区の設置と郡区役場の設置がすべて含まれていたことがわかるかと思います。

2.茨城県の郡区

茨城県 丙第123号布達? M11.12.2 茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡


なぜ「?」を残したのか分かりませんが、リンク先の通りM11.12.2の丙第123号布達で間違いないと思います。一応『茨城県史料 = 近代政治社会編 II』(1976年)の76~77頁から「一八 郡役所設置位置」の「丙第百弐拾三号」を引用しますと:

 丙第百弐拾三号
本年太政官第拾七号公布ニ依リ従前ノ大小区画ヲ廃シ郡治分画及郡役所位置左ノ通相定候条此旨布達候事
  明治十一年十二月二日     茨城県令 野村維章
  郡治分画
 常陸国東茨城郡  東茨城郡役所  東茨城郡水戸
 常陸国西茨城郡  西茨城郡役所  西茨城郡笠間町
 常陸国那珂郡   那珂郡役所   那珂郡菅谷村
 常陸国久慈郡   久慈郡役所   久慈郡太田村
 常陸国多賀郡   多賀郡役所   多賀郡高萩村
 常陸国真壁郡   真壁郡役所   真壁郡下館
 常陸国鹿島郡   鹿島郡役所   鹿島郡鉾田村
 常陸国行方郡   行方郡役所   行方郡麻生村
 常陸国新治郡   新治郡役所   新治郡土浦町
 常陸国筑波郡   筑波郡役所   筑波郡谷田部町
 常陸国信太郡   信太
             郡役所  信太郡江戸崎村
 常陸国河内郡   河内
 下総国西葛飾郡  西葛飾
             郡役所  猿島郡境町
 下総国猿島郡   猿島
 下総国結城郡   結城
 下総国岡田郡   岡田郡役所   豊田郡本宗道村
 下総国豊田郡   豊田
 下総国北相馬郡  北相馬郡役所  北相馬郡取手宿
     〔茨城県布達〕


3.新潟県の郡区

新潟県 甲第42号布達? M12.4.28? 蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡

新潟県市町村合併誌 上巻』(1962年)の157頁収録の「甲第四十二號」により、甲第42号布達、M12.4.28共に間違いないと思います。以下、「甲第四十二號」と「甲第四十三號」を引用しますと:

 甲第四十二號
 昨十一年太政官第十七號公布ニ依リ従前ノ大小区ヲ廃シ郡区名称区域別冊之通相定候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝


 甲第四十三號
 今般郡区制定候ニ付郡区役所位置左ノ通リ相定候左番地並開庁日限等追テ相達候迄ハ旧大小区ノ事務従前ノ通都テ旧正副区長ニ於テ取扱候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝
    新潟区     新潟西堀通六番町
    北蒲原郡    新発田町
    中蒲原郡    新津町
    西蒲原郡    巻村
    南蒲原郡    三条町
    三島郡     与板町
    古志郡     長岡町
    北魚沼郡    小千谷町
    南魚沼郡    六日町村
    中魚沼郡    十日町村
    刈羽郡     柏崎町
    東頸城郡    安塚村
    中頸城郡    高田町
    西頸城郡    糸魚川町
    岩船郡     村上町
    雑太郡     
    加茂郡     相川町
    羽茂郡     


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。

1879  明治12.4.9  郡区改正によって、蒲原郡を4郡、魚沼・頸城郡を各3郡、岩船郡、刈羽郡、三島郡、佐渡3郡に分け、新潟に区制を敷く。これにより大区小区制廃止される((6)619)
1879  明治12.4.28  初代郡区長として16人が任命される((6)619)。


ここで「(6)619」というのは同じ新潟県史の通史編6巻の619頁を指しますが、通史編には叙述的な一般通史が記載されているだけで、詳しい日付や典拠までは示されていません。

さらに『新潟県のあゆみ : 概説』(1990年)の方の年表では:
1879  明治12.4.9  郡区改正、1区17郡となる。大区小区制廃止

新潟県百年史 下巻』(1969年)の方の年表では:
明治12(一八七九)  4-9  郡区改正、蒲原郡を四郡に、魚沼・頸城郡を各三郡に分け、新潟に区制を布く。これにより大区小区制廃止(新潟市史)。

ここでM12.4.9というのが古い方の『新潟市史 上下巻』(1934年;1973年に複製版)を典拠としていることが示されましたが(新しい方の『新潟市史』(1990年~)の方では新潟区の成立日を確認できなかった)、これ以上調べる気力が無くなったので放置します【追記2:調べました】。とりあえず『新潟県市町村合併誌』ではM12.4.9の出来事について何も触れていないので、何かしら間違った日付が残ってしまったと思われます。また元々新潟県の郡の区分の方は、あらかじめ事前に決められているものなので、その時の布告を誤って判断してしまった可能性もあります。

4.長野県の郡区


長野県 乙第4号布達? M12.1.4? 佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
 高井郡→上高井郡、下高井郡
 水内郡→上水内郡、下水内郡
 筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
 安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
 伊那郡→上伊那郡、下伊那郡


長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』(1982年)の27~29頁収録の「一四 明治十二年一月 県令十六郡名称並郡役所位置・所属・町村等制定達」により、「乙第4号布達」ではなくて「乙第1号布達」が正しいと思われます。以下山林反別の情報を(中略)と省略して引用しますと:

乙第一号
 明治十一年第十七号公布ニ依リ、郡町村ヲ編制シ、郡ノ名称及郡役所ノ位置、所属町村別冊ノ通相定候条、此是布達候事
 但 郡役所仮位置ノ箇所ハ、位置未定ノ義ト可相心得事
  明治十二年一月四日     長野県令 楢崎寛直

 (別冊)
 「明治十二年乙第壱号布達
  編制郡町村
     長野県」
南佐久郡     郡役所位置 臼田村
(中略)
北佐久郡     郡役所位置 岩村田町
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
諏訪郡     郡役所位置 上諏訪村
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
上伊那郡     郡役所位置 伊那村
(中略)
下伊那郡     郡役所位置 飯田町
(中略)
西筑摩郡     郡役所位置 福島村
(中略)
東筑摩郡     郡役所位置 北深志町
(中略)
南安曇郡     郡役所位置 豊科村
(中略)
北安曇郡     郡役所位置 大町村
(中略)
更級郡     郡役所位置 塩崎村ノ内篠ノ井駅
(中略)
埴科郡     郡役所位置 屋代町
(中略)
上高井郡     郡役所位置 須坂町
(中略)
下高井郡     郡役所位置 中野町
(中略)
上水内郡     郡役所位置 長野町
(中略)
下水内郡     郡役所位置 飯山町
(中略)
     (『乙号布達綴 明治十二年』 長野市 長野県庁所蔵)


【追記】なお長野県の場合、郡の分割の方は既に明治11年12月10日付で長野県令楢崎寛直が内務卿伊藤博文に宛てた『内務省宛県令十六郡設置認可伺』(庶第486号)の方に詳しい予定が示され、明治11年12月21日付で内務卿伊藤博文が「書面伺之通聞届候事」として印を押したとしています(『長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』に収録の史料で、典拠は(『公文編冊 官省指令 一 職務之部 知事官房外 明治十一年』長野市 長野県庁所蔵)としている)。つまりあらかじめ県の方で郡区の分割を決定して内務省に提出し、内務省から返事を貰い、改めて布達を出して郡区の分割を正式に公布するという手続きが存在したことになります。よって新潟県の場合は、郡の分割がこれらよりも前に実施されたと誤解するような文書の混入で、明治12年4月9日実施という誤った情報が一部で採択されたものと思われます。

【追記2】『新潟市史 上巻』の608頁に以下の文章があるのを確認しました。

 明治十二年四月九日、郡区改正あり、県下を新潟区・北・中・西・南蒲原郡・三島・古志郡・北・南・中魚沼郡・刈羽郡・東・中・西・頸城郡・岩船郡・佐渡三郡(雑太・加茂・羽茂)の一区十七郡に割ち新潟一円寄居・白山外新田を新潟区となし、新潟町会所を新潟区役所と改め、市中を二百四十一町一村と定めたり。


とあり、どこにも布達等の情報がありません。さらに612頁には

 明治十二年郡区改正に際し、西島屋野島を出来島新田に復帰せしめ、寄居白山外新田を合して、新潟区新潟町と称し、新潟町会所を新潟区役所と改め、四月三十日を以て、改正による処務を開始せり。


とあり、郡区が成立したとされるM12.4.9の日付も、布告のあったM.12.4.28の日付もなく、新潟区自体の都合による業務開始の日時が掲載されているだけです。よって、M12.4.9は根拠の乏しい数字ということで無視して良いでしょう。

【追記3~6】誤字修正、及び新潟県の甲第四十三號布告の文章修正
[99136] 2020年 1月 30日(木)10:47:26YT さん
99134の訂正
[99135] 白桃さん

ということから、「1947年国調時の境域に組み替えた1940年(昭和15年)国調時の小田原の人口」は55,005ということなのでしょうが、なぜ
昭和10年の国勢調査時の酒匂村の人口7,004人中、3,167人分(45.2%)
となっているのか、つまり、「昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口7,376人中・・・」になっていないのか?。
厚かましいお願いで恐縮ですが、この点、おわかりになれば教えてください。

すみません。内容を十分に検証せずに[99134]を投稿してしまいました。正しくは

「昭和15年(1940年)10月1日の国調時の酒匂村の人口7,376人中、3,167人分(42.9%)が小田原市に入った」

ということになります。
[99134] 2020年 1月 30日(木)04:08:59【1】YT さん
酒匂村の人口の約半分
[99133] 白桃さん

お願い
小田原が1940年(昭和15年)に市制施行した際に、【酒匂村の一部】がくっついていますが、それが何人だったかお判りになる方がおられましたらお教えください。


『昭和25年 国勢調査報告 都道府県編 第7巻 その14 神奈川県』収録の「第1表 面積、人口及び人口密度―市・町・村 (大正9年~昭和25年)」の脚注によると、【昭和10年→】昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口【7,004→】7,376人中、3,167人分(【45.2%→】42.9%)が小田原市に入ったようです。

105) 昭和15.2.11. 足柄下郡足柄村を足柄町とする。((15,188) 備考 昭和5 (13,580)、大正14 (12,868)、大正9 (11,945))
115) 昭和15.12.20. 足柄下郡小田原町 (27,860)、足柄町 (16,807)、大窪村 (4,688)、早川村 (2,483) 及び酒匂村の一部 (3,167) をもって小田原市 (計 55,005) を設置。


昭和10昭和5大正14大正9
(備考)小田原町27,74326,10225,33023,014
足柄町105) 参
大窪村4,4463,6443,6663,301
早川村2,4132,2012,2802,296

120) 昭和 17.4.1. 足柄下郡酒匂村を酒匂町とする。((7,376) 備考 昭和10 (7,004) 昭和5 (6,530)、大正14 (6,480)、大正9 (5,536))

【訂正】【】の部分を修正しました。
[99132] 2020年 1月 30日(木)00:33:10【1】YT さん
1944年2月22日人口調査における市部人口について新たな資料
日本占領関係資料の存在を [99122] ekinenpyou さんによって教えてもらいましたので、自分でも色々1944年人口調査の資料を漁ってみたところ、「米国戦略爆撃調査団文書(RG243」に分類されている「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」にまとめられている1944年2月22日現在の「市」の人口が、1977年出版の『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』記載の「市」の人口と異なることに気付きました。

『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』では、第2表に「都道府県、市町村及び男女別人口」がまとまっていますが(但し東京都に関しては集計後の原表が、1977年の出版までに何者かによって持ち去られてしまったため、1954年末~1955年始頃の境域で集計されてしまっている([98110]参照))、一部の市町村に関しては「報告もれ等を補正した人口」として、欄外に1,000人単位で修正人口が掲載されています。しかしながら「米国戦略爆撃調査団文書」に収録されていた「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」の人口は、大垣市を除き概ね『集計結果摘要』記載の人口を上回っていました。以下両者の人口と差分をまとめます。

A人口: 『集計結果摘要』記載人口
A'人口: 『集計結果摘要』記載の「報告もれ等を補正した人口」
B人口: 「米国戦略爆撃調査団文書」「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」記載人口

市区都府県庁A人口A'人口B人口差分(B-A)
札幌市北海道庁225,842225,981139
旭川市北海道庁92,12092,221101
小樽市北海道庁151,905152,148243
函館市北海道庁196,680197,351671
室蘭市北海道庁124,034124,04915
釧路市北海道庁58,92858,96234
帯広市北海道庁38,03938,06627
北見市北海道庁32,20432,2040
夕張市北海道庁75,01075,0100
岩見沢市北海道庁35,34835,3502
弘前市青森県51,03451,0395
青森市青森県100,077100,09316
八戸市青森県77,90977,9145
盛岡市岩手県90,38490,494110
釜石市岩手県41,25541,2550
宮古市岩手県34,73134,7310
仙台市宮城県261,117264,000264,2773,160
石巻市宮城県35,08735,0870
塩竈市宮城県32,12832,1280
秋田市秋田県97,36197,875514
能代市秋田県39,97539,9750
山形市山形県79,18479,20622
米沢市山形県46,82746,8314
鶴岡市山形県35,19235,1953
酒田市山形県39,18539,1905
福島市福島県47,45647,46610
若松市福島県46,74446,7495
郡山市福島県58,27958,2845
平市福島県28,73128,75625
水戸市茨城県66,08266,0820
日立市茨城県84,69984,6990
土浦市茨城県40,31245,00045,1604,848
宇都宮市栃木県90,14590,788643
足利市栃木県47,71547,7150
栃木市栃木県30,56930,854285
佐野市栃木県42,33442,3340
前橋市群馬県85,00885,386378
高崎市群馬県71,03071,04313
桐生市群馬県77,20577,2050
伊勢崎市群馬県40,45840,4580
川越市埼玉県38,45438,873419
熊谷市埼玉県52,20952,26657
川口市埼玉県99,45099,4500
浦和市埼玉県79,98780,161174
大宮市埼玉県69,93870,771833
千葉市千葉県110,130110,995865
銚子市千葉県62,90262,9020
市川市千葉県69,71169,7110
船橋市千葉県60,76260,7620
館山市千葉県31,07431,349275
木更津市千葉県31,55535,00035,2363,681
松戸市千葉県37,01137,0110
特別区東京都6,558,1616,577,62019,459
八王子市東京都77,47877,694216
立川市東京都51,62455,1443,520
横浜市神奈川県1,019,4661,035,0001,034,74015,274
横須賀市神奈川県298,132334,000333,50535,373
川崎市神奈川県380,919381,458539
平塚市神奈川県47,34650,00050,2192,873
鎌倉市神奈川県43,14843,1568
藤沢市神奈川県52,99254,6641,672
小田原市神奈川県57,51457,751237
新潟市新潟県177,289177,767478
長岡市新潟県67,12167,13918
高田市新潟県29,48229,4842
三条市新潟県36,45336,4530
柏崎市新潟県30,98230,9820
富山市富山県160,537160,58144
高岡市富山県112,818112,8257
金沢市石川県193,560193,812252
七尾市石川県31,26231,2653
小松市石川県52,20652,690484
福井市福井県99,47799,50629
敦賀市福井県30,54430,5440
甲府市山梨県105,001105,528527
長野市長野県77,66978,118449
松本市長野県70,24770,687440
上田市長野県34,52834,5379
岡谷市長野県34,08934,14556
飯田市長野県27,43727,4403
諏訪市長野県29,81629,8193
岐阜市岐阜県174,676175,655979
大垣市岐阜県56,99756,990-7
高山市岐阜県34,41334,4218
多治見市岐阜県30,67530,6750
静岡市静岡県211,666212,151485
浜松市静岡県162,754162,81662
沼津市静岡県57,33258,154822
清水市静岡県77,56577,5650
熱海市静岡県27,39827,40911
三島市静岡県35,83335,8330
富士宮市静岡県32,52532,5250
名古屋市愛知県1,344,1001,349,0001,349,2255,125
豊橋市愛知県141,220141,23515
岡崎市愛知県80,07380,443370
一宮市愛知県66,38066,3800
瀬戸市愛知県39,29239,461169
半田市愛知県60,72160,7210
春日井市愛知県38,40643,00043,2644,858
豊川市愛知県46,81675,00074,86928,053
津市三重県74,39375,6501,257
四日市市三重県114,250116,000116,3792,129
宇治山田市三重県64,79264,80715
松阪市三重県34,17534,1750
桑名市三重県42,92142,9210
上野市三重県31,32931,3290
鈴鹿市三重県55,05960,00059,5104,451
大津市滋賀県65,99566,662667
彦根市滋賀県39,69939,7034
長浜市滋賀県39,18639,1860
京都市京都府964,466965,399933
福知山市京都府30,67630,6760
舞鶴市京都府103,698121,000120,97517,277
大阪市大阪府2,833,3442,843,0002,842,9549,610
堺市大阪府217,939221,000220,8142,875
岸和田市大阪府77,71577,7150
豊中市大阪府43,98543,9850
布施市大阪府132,402132,537135
池田市大阪府36,07336,0730
吹田市大阪府63,92863,9280
泉大津市大阪府26,64126,6410
高槻市大阪府30,58430,5840
貝塚市大阪府40,96940,9690
神戸市兵庫県918,032919,1411,109
姫路市兵庫県102,359103,7331,374
尼崎市兵庫県270,073270,0730
明石市兵庫県78,58578,5850
西宮市兵庫県127,457127,4570
洲本市兵庫県27,59627,60711
飾磨市兵庫県36,68536,6850
芦屋市兵庫県37,76237,7620
伊丹市兵庫県40,70840,7080
相生市兵庫県33,52536,00036,0692,544
奈良市奈良県60,21560,727512
和歌山市和歌山県205,396205,505109
新宮市和歌山県29,71729,7170
海南市和歌山県27,16127,1610
田辺市和歌山県30,73530,78348
鳥取市鳥取県45,44945,4490
米子市鳥取県46,99447,03036
松江市島根県54,28254,791509
浜田市島根県31,48531,4927
出雲市島根県36,26936,2690
岡山市岡山県160,902162,0001,098
倉敷市岡山県38,63138,842211
津山市岡山県39,03739,05518
玉野市岡山県45,02045,134114
広島市広島県336,483343,000343,0346,551
呉市広島県293,632339,000339,27845,646
三原市広島県42,05242,0520
尾道市広島県48,36548,864499
福山市広島県57,49057,4900
下関市山口県206,961207,142181
宇部市山口県124,109124,309200
山口市山口県37,03737,11780
萩市山口県30,96030,9600
徳山市山口県42,16943,4521,283
防府市山口県59,20259,776574
下松市山口県38,16438,1640
岩国市山口県53,67255,1771,505
小野田市山口県51,27651,2760
光市山口県35,36250,00050,44615,084
徳島市徳島県116,734117,218484
高松市香川県107,202107,23735
丸亀市香川県25,67725,69114
坂出市香川県30,47530,4750
松山市愛媛県120,091120,636545
今治市愛媛県54,34154,3509
宇和島市愛媛県51,30651,32014
八幡浜市愛媛県30,69030,6900
新居浜市愛媛県51,60551,6050
西条市愛媛県35,13835,273135
高知市高知県136,699137,103404
福岡市福岡県324,499325,9251,426
若松市福岡県87,97689,7811,805
八幡市福岡県252,662252,6620
戸畑市福岡県82,73182,7310
直方市福岡県42,91942,9190
飯塚市福岡県44,76444,78521
久留米市福岡県92,02092,565545
大牟田市福岡県179,574179,5740
小倉市福岡県184,230192,000192,3688,138
門司市福岡県135,482135,4919
田川市福岡県67,48667,4860
佐賀市佐賀県49,17949,479300
唐津市佐賀県38,88338,8830
長崎市長崎県270,113272,000272,3122,199
佐世保市長崎県241,239265,000265,21823,979
島原市長崎県29,78529,7850
諫早市長崎県45,60748,00047,6432,036
大村市長崎県54,21866,00065,89111,673
熊本市熊本県211,011211,691680
八代市熊本県38,64538,6494
人吉市熊本県32,77232,7720
荒尾市熊本県44,31044,560250
大分市大分県80,00381,7871,784
別府市大分県67,26667,2693
中津市大分県41,09341,10411
日田市大分県36,33736,3370
佐伯市大分県32,96433,176212
宮崎市宮崎県79,32380,164841
都城市宮崎県59,57559,5750
延岡市宮崎県72,56672,5715
鹿児島市鹿児島県189,991190,925934
川内市鹿児島県33,85533,8550
鹿屋市鹿児島県52,14652,1460
那覇市沖縄県66,36366,3630
首里市沖縄県17,96417,9640
豊原市樺太庁42,15142,1510

【註】『集計結果摘要』には東京都武蔵野市(54,249)・三鷹市(36,943)・青梅市(26,927)・府中市(30,003)・昭島市(21,088)の人口の記載があるが、これらは1944年当時は存在しない。また豊原市の人口については[98110]を参照。

以上より「米国戦略爆撃調査団文書」でまとめられた市の人口は、『集計結果摘要』で「報告もれ等を補正した人口」とされているものに近く、調査をまとめた原表に1人単位でさらなる報告漏れ等の補正を加えたものが、「米国戦略爆撃調査団文書」のRG243 55a(4)(d)記載人口で、2000人以上の人口補正が合った場合のみ、「報告もれ等を補正した人口」として『集計結果摘要』の欄外に概数が記載されたと思われます(1977年段階で原表が失われた東京都を除く)。となると、『集計結果摘要』は補正人口に関する情報を大分切り捨てて活字化したことになります。

【追記】なお、日本全国での補正人口については[82202] にまとめた通りで、日本全国で+392,607人、都道府県別では広島県の+67,383人、神奈川県の+64,619人、長崎県の+46,344人、愛知県の+39,545人、東京都の+32,532人などの修正が加えられており、空襲等により一部集計結果が焼失してしまったことに対する補正と思われます。
[99130] 2020年 1月 28日(火)23:08:26YT さん
国勢調査報告書の情報の劣化?
DIDの集計を途中で放置して1年近く過ぎてしまい、ひさびさの書き込みです。

[99122] ekinenpyou さん

上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。

ご紹介ありがとうございます。ただ特別区部の問題は一部解決しても、以下のように多摩地区や島嶼部では分離できない人口情報が残ってしまっています(このほか人口異動を伴う境界変更が色々ありますが、練馬区が分離していなかったりするところから、多分そこまでは考慮されていません)。

集計調査摘要記載の市町村名1944.2.22銃後人口合併年月日1944.2.22当時の市町村
青梅市26,927(1951.4.1)西多摩郡青梅町・霞村・調布村
府中市30,003(1954.4.1)北多摩郡府中町・西府村・多磨村
昭島市21,088(1954.5.1)北多摩郡昭和町・拝島村
南多摩郡町田町19,481(1954.4.1)南多摩郡南村・町田町
三宅村2,615(1946.10.1)神着村・伊豆村・伊ヶ谷村
八丈村6,453(1954.10.1)三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???

題名から察するに、冊子体の『平成27年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方で、「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」(792頁~801頁)と「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」(802頁)のことだと思います。この内「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。

年月日移動地域
平成22.12.1神奈川県相模原市の一部(9世帯23人)を町田市に編入
平成22.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)
平成25.12.1神奈川県相模原市の一部(4世帯6人)を町田市に編入
平成26.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)

また、「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」の方は、熊本市の区の設置以外、基本的に人口の異動を伴う境界変更の情報が皆無です。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併の内容合併、市・町制施行後の状況市区町村コード
岩手県2014.1.1岩手郡滝沢村市制滝沢市03216
2011.9.26東磐井郡藤沢町一関市へ編入一関市(同郡消滅)03209
栃木県2014.4.5下都賀郡岩舟町栃木市へ編入栃木市09203
2011.10.1上都賀郡西方町栃木県へ編入栃木市(同郡消滅)09203
埼玉県2012.10.1南埼玉郡白岡町市制白岡市11246
2011.10.11鳩ケ谷市川口市へ編入川口市11203
千葉県2013.1.1山武郡大網白里町市制大網白里市12239
石川県2011.11.11石川郡野々市町市制野々市市(同郡消滅)17212
愛知県2012.1.4愛知郡長久手町市制長久手市23238
2011.4.1幡豆郡一色町・吉良町・幡豆町西尾市へ編入西尾市(同郡消滅)23213
島根県2011.10.1簸川郡斐川町出雲市へ編入出雲市(同郡消滅)32203
2011.8.1八東郡東出雲町松江市へ編入松江市(同郡消滅)32201
熊本県2012.4.1熊本市政令指定都市熊本市43100
2012.4.1中央区43101
2012.4.1東区43102
2012.4.1西区43103
2012.4.1南区43104
2012.4.1北区43105

総務省統計局の方針が変わったのでしょうか?どうみても境界変更の情報が足りていません!

念のため平成22年度版の「参考6 廃置分合・境界変更・名称一覧」の「(2) 市区町村の境界変更一覧 (平成17年10月2日~平成22年10月1日)」が印刷されている冊子体を確認したところ、『平成22年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方に収録されていました。しかしながら今回の平成27年度版では、市区町村の境界変更一覧は1巻に収録されていません。このほか、1巻の内には都道府県ごとに面積や人口集中地区の変更の情報はまとまっていますが、どこからどうみても境界変更の情報が、都道府県単位の場合しか掲載されていません。『人口等基本集計結果』で各都道府県の項目も調べましたが、やはり面積の変更とDIDの変更の情報は載っていても、稲沢市と清須市、貝塚市と泉南郡熊取町、高岡郡中土佐町と四万十町の間の人口異動を伴う境界変更についての情報は全く掲載されていませんでした。

これについては総務省統計局に問い合わせた方が良い案件かも知れません。
[98131] 2019年 7月 21日(日)15:49:46【1】YT さん
北海道の道名について
先日NHKで放送の「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を見ました。面白かったのですが、途中の時代描写が駆け足で、もう少し3回ぐらいに分割してじっくりとしたドラマ映像化をして欲しかったと思いました。一方で無駄にフィクション描写を増やすくらいなら、ドキュメンタリー番組として作り直して欲しい気もします。

[98123] hmt さん

この資料には、蝦夷地全体を指す「北加伊道」など6つの地名候補は示されていないようです。


いしかり市民カレッジの「第1回「明治維新と北海道~蝦夷地から北海道へ」」に詳しい経緯が載っていますが、北海道の6つの地名候補については、松浦武四郎が明治2年(1869年)旧暦7月17日付で上申した「蝦夷地道名之儀勘弁申上候書付」に掲載されているようです。残念ながら原本の写しは、北海学園大学が北駕文庫として所蔵しており、オンラインで全貌を閲覧できませんが、「北加伊道」部分の意見書については、いしかり市民カレッジのサイトで閲覧ができます。

・「北加伊道」の項には、江戸中期の尾張国の医師・伊藤信民が出版した『参考熱田大神縁起』(文化8年(1811)の「頭書」を引、「加伊」の字を使った理由を、「夷人自呼其国加伊。加伊蓋其地名。其地名加伊、其人鬚長故用蝦夷字。...」と、「夷人」が自らの「国」を「加伊」と呼んでいたから、と記している。
*文久2年(1862)に出版した『天塩日誌』安政4年(1857)6月27日の部分に、現在の音威子府の辺りでアイヌの長老アエトモから「カイとは此国に産れし者の事」という話を聞いた、という話題を紹介している。

⇒武四郎としては、「北加伊道」に、「北のアイヌ民族が暮らす大地」という意味を込めた、と考えられる。

この内、松浦武四郎著『天塩日誌』『参考熱田大神縁起』の該当箇所]は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。

『天塩日誌』には松浦武四郎が音威子府の地に住む長老アエトモから聞いた話として、以下の文章が確認できます。

北蝦夷にてアイノ(蝦夷人の通称)をカイナーと呼しが此山中に来り見るに同じくカイナーと呼けり。・・・右にて考る時は此国はカイと言やらん


ただ、いしかり市民カレッジの講座の解説によると

(1) 実は、「北海道」は既定路線であった?
・水戸藩主徳川斉昭著『北方未来考』に「松前蝦夷、西ハカラフト、東ハシコタン等、北ハ千島カンサツカ迄ヲ北海道と定、新二国名御附二相成」とある。
・新政府役人であった井上石見と三澤揆一郎が慶応4年(1868)に提出した意見書に「蝦夷二嶋の儀は...北海一道を置かせられて至当の御儀と存じ奉り候、是迄、五畿七道の内、北海道の名目がこれ無きは、祖宗の深意、今日を待たせられ候にもこれ有るべきか」とあって、武四郎の提案以前、政府内部では既に道名として「北海道」が候補に上がっていた。
⇒五畿七道に照らせば、「北海道」は、ある意味、自然な名付けとも言える。
(2)決定過程の資料が確認できない。


とあり、本当に松浦武四郎が「ほっかいどう」を決めたのか、単に空気を読んで「ほっかいどう」を提案した形にしたのかは、はっきりしないところがあるようです。いずれにせよ、旧国名や郡名はほぼ松浦武四郎が提案した通りに採用されたようです。

【誤字等の修正】
[98110] 2019年 7月 14日(日)00:23:50YT さん
昭和19年2月22日における、樺太庁の銃後の市町村別現在人口
[97521]を書き込んだ後、仕事が忙しくなって、DIDの再チェックの作業が止まってしまってもう5ヶ月ぐらい経ってしまいました。こういうのは勢いがないと難しいですね。

それはさておき2ヶ月ほど前、人口集中地区関係の調べものをするために新宿区にある総務省第二庁舎にある総務省統計図書館に行った際、長年懸念事案であった、昭和19年人口調査における東京都の人口問題[82202][82278][85612][85625][85700]に関し、「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化したものをDVD化したものが、総務省図書館にあることに気付き、閲覧しました。

その結果・・・全国の都道府県、市町村の男女別人口表が見事に収録されていることが分かったのですが、肝心の東京都の部分の3頁分が欠落していましました。表には判子で通し番号がなされているので、丁度東京都の市町村別人口の表だけ作成後に紛失してしまったと断定できます。つまり1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。

こちらの方は残念な結果でしたが、それとは別に樺太の市町村別人口の表が収録されていることを発見しました。

というわけで、10年前[70223]

樺太の昭和15年調国勢調査人口、昭和19年2月22日調人口調査人口について市町村・大字別人口を調べましたが、どうも総人口(昭和15年10月1日現在人口41万4891人、昭和19年2月22日調現在人口39万1825人)以外の統計は、これまで公表されないという結論に達しました。

と書きましたが、今回新たに昭和19年2月22日調人口調査人口の結果が存在することが分かりました。16年前にニジェガロージェッツさんが、1920年から1935年までの国勢調査時の樺太の大字別人口をまとめられましたが([10790][10885][11105][11247][11285][11305])、今回紹介する1944年2月22日人口調査における市町村別人口は、書籍で公開されていない新しい情報の追加となると思います。

ただ(1) 残念ながら大字別人口の表はない (2) 原表に読めない箇所がある、という問題があります。特に読めない問題は深刻です。多分マイクロフィルム化した際に白黒データとなってしまったため、原表の折れやかすれや汚れが全部一緒の濃淡となってしまったのでしょう。今の技術でならグレースケールで処理できそうなものですが、そこは残念です。特に好仁村と海馬村の部分が読解不能(丁度そこで原表が二つ折りになって保存されていたと推測される)なのですが、何とか総数からの減算で、表の人口を埋めました。

地域総数備考
樺太庁計206,764184,756391,520
(樺太庁計追記)3032305
(追記修正後の樺太庁計人口)207,067184,758391,825
市部計20,95820,90941,867
(市部計追記)2822284
(追記修正後の市部計人口)21,24020,91142,151
郡部計185,806163,847349,653
(郡部計追記)21021
(追記修正後の郡部計人口)185,827163,847349,674
豊原市20,95820,90941,867
(豊原市追記)2822284
(追記修正後の豊原市人口)21,24020,91142,151
豊原支庁48,89845,03393,931
 豊北村2,1081,7743,882
 川上村3,3512,6135,964
 落合町15,36213,38028,742
 栄浜村1,6231,8413,464
 白縫村2,5602,0374,597
 大泊町11,70011,35923,059
 千歳村1,1541,2052,359
 深海村7698091,578
 長浜村1,9791,6153,594
 遠淵村1,0531,0362,089
 知床村1,0971,1422,239
 富内村1,1611,0962,257
 留多加町3,2783,6356,913
 三郷村1,4001,1792,579
 能登呂村303312615
真岡支庁46,39744,58890,985
(真岡支庁追記)21021
(追記修正後の真岡支庁人口)46,41844,58891,006
 本斗町5,6135,67011,283
 内幌町6,1595,24911,408
 好仁村2,8532,3235,176女数読解不能、総数は51*0か51*6
 海馬村297320617男数と総数読解不能、女数320か325か326
 真岡町10,22410,39520,619
 (真岡町追記)21021
 (追記修正後の真岡町人口)10,24510,39520,640
 広地村2,3412,3994,740
 蘭泊村2,9893,0806,069
 清水村2,3811,9084,289
 小能登呂村1,8921,6873,579
 野田町3,4973,4966,993
 泊居町5,1445,23510,379
 名寄村1,4761,5353,011
 久春内村1,5311,2912,822
恵須取支庁55,86344,829100,692
 珍内町6,7555,66112,416
 鵜城村2,3071,8484,155
 恵須取町18,80917,15935,968
 塔路町15,44611,02526,471
 名好町9,0256,79315,818
 西柵丹村3,5212,3435,864
敷香支庁34,64829,39764,045
 元泊村2,6002,3664,966
 帆寄村9836921,675
 知取町7,5937,47715,070女数477→7477に訂正
 敷香村16,79313,81330,606
 内路村2,9252,4885,413
 泊岸村3,2032,0775,280
 散江村5514841,035

上で(追記)と書いたのは、原表に数字が追加で書き込まれている箇所です。おそらく刑務所等に収監された在監人の人数と思われますが(『昭和17年 樺太要覧』によると、豊原市と真岡町に刑務所があって、受刑者合計401人)、これを合計した数字を仮に(追記修正後の人口)として上にまとめました(原表にはこの数字は掲載されていない)。よって[82278]
もっとも豊原市の人口が

男 女 男女合計
20,958 20,909 41,867

となっており、[82202]の樺太市部の人口42,151人と矛盾します。
に関しては、疑問が解決しました。

なお国立公文書館の方には「昭和15年・国勢調査結果原表・第14表(三重県~樺太)」なるものが存在するので、もしかしたらこちらも請求すれば、昭和15年10月1日における樺太庁の市町村別、大字別人口の情報が得られるかも知れません。
[97583] 2019年 3月 22日(金)10:24:37YT さん
Googleマップとゼンリンの契約解除
1ヶ月ほど前から仕事が再び忙しくなり、DIDの再チェックの作業が止まってしまっています。

[97574][97577] ekinenpyou さん
遅ればせながら、分かり易い時系列地図を作成して頂きありがとうございます。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

手元の『平成27年 我が国の人口集中地区 人口集中地区別人口・境界図』のコピーでは、そもそも松本市DID1の人口は138,658人、面積は30.02 km2と印刷されています。よって国土数値情報ダウンロードサービスの誤入力が原因ですね。

「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・

[97521]に示すように、5万人/km2を超えるDIDは過去に10箇所程度しかありません。時間があれば全部検証しますが、例えば一番人口密度が高い、昭和40年の久留米町IのDIDの当時の人口集中地区について、地図から大雑把に面積を求めてみると、大体0.7 km × 0.2 kmの長方形で、総面積は0.14 km2と推定されます。よって、人口密度は8,705/0.14 ≒ 62,179前後となります。人口密度が5万人を切るには、面積が0.1741 km2以上あることが必用ですが、一応該当DIDは0.75 km × 0.22 km = 0.165 km2の長方形にすっぽり入る感じなので、実際に人口密度が5万人を超えたDIDは過去に存在したことは間違いないと思います。

それとは別に、気になったニュースがあります。

「Googleマップが劣化した」 不満の声が相次ぐ ゼンリンとの契約解除で日本地図データを自社製に変更か

なんでもGoogleマップとゼンリンの契約解除により、Googleマップのデータがカーナビの代用品とするには心もとないことになりそうとのこと。それよりも、ここのサイトでのGoogleマップの使用に多少なりとも影響が出るかも知れません。
[97521] 2019年 2月 9日(土)17:54:56【3】YT さん
人口密度5万人/km2以上の人口集中地区の共通点といえば…
[97508] 白桃さん

2.DID人口5,059人の方は、世界的に見ても人口密度が超高かったのです。また、DIDエリア内には世界遺産に登録されているものがあります。

該当人口集中地区は昭和35年において唯一人口密度が5万人/km2を超えていました。しかしながら昭和40年にはこれを上回る、人口密度87,050人/km2という人口集中地区が、現在の東京都東久留米市上の原1丁目~2丁目(東久留米団地)にありました(久留米町第1人口集中地区)。

人口密度5万人/km2を超えた人口集中地区をまとめますと、以下の通りです。

コード上位区分DIDs人口面積人口密度調査年
13-031東京都北多摩郡久留米町I8,7050.187,050昭和40年
22201静岡県静岡市II7,3940.173,940昭和55年
11329埼玉県入間郡日高町5,9230.159,230昭和50年
11219埼玉県上尾市VI5,6350.156,350昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,3260.153,260昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,2010.152,010昭和55年
11221埼玉県草加市II5,1350.151,350昭和50年
42-012長崎県西彼杵郡高島町II5,0590.150,590昭和35年
27207大阪府高槻市V5,0020.150,020昭和50年

【昭和35年と昭和40年は自治体コード導入前なので、国勢調査報告書記載の通し番号を仮に載せてます。】

これらの共通点といえば・・・要するに面積0.1 km2の人口集中地区です。人口集中地区は人口5,000人以上と定義されていますので、0.1 km2の人口集中地区は即人口密度5万人以上となります。また人口集中地区の面積が小数点以下第2位までとなって以降は人口密度5万人以上の人口集中地区はなくなりました。「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが、まあこういう結果となりました。
[97520] 2019年 2月 9日(土)17:32:26【1】YT さん
昭和60年人口集中地区の泉大津市の面積データ
[97507]で昭和55年の人口集中地区の面積データについて、表に記載されていない小数点以下第2位の数字までが人口密度、面積総計の算出に使われているケースをまとめましたが、同様に昭和60年の人口集中地区についても、該当する人口集中地区をまとめました。その結果、

(4)全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

に該当しない地域であるはずの、大阪府泉大津市についても、なぜか小数点以下第2位までの数字が使われていたことを見出しました。

まず、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和60年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に以下にまとめます。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は面積1で、記載されている人口密度は人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に実際に使われている数字は、小数点以下第2位までの数字です。

コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国73,344,12110,570.710,570.716,938.46,938.40.0
11000埼玉県4,204,944553.6553.577,595.67,596.0-0.4
11220与野市71,5978.38.288,626.18,647.0-20.9
11223蕨市70,4085.15.0913,805.513,832.6-27.1
11226鳩ヶ谷市55,4246.26.208,939.48,939.40.0
13000東京都11,483,075994.7994.7311,544.311,543.90.4
13100特別区部連合8,354,615597.9597.8913,973.313,973.5-0.2
13101千代田区50,49311.511.524,390.74,383.17.6
13102中央区79,97310.110.057,918.17,957.5-39.4
13103港区194,59120.019.999,729.69,734.4-4.8
13104新宿区332,72218.018.0418,484.618,443.641.0
13105文京区195,87611.411.4417,182.117,122.060.1
13106台東区176,80410.010.0017,680.417,680.40.0
13107墨田区229,98613.813.8216,665.716,641.524.2
13108江東区388,92736.936.8910,540.010,542.9-2.9
13109品川区357,73220.920.9117,116.417,108.28.2
13110目黒区269,16614.414.4118,692.118,679.113.0
13111大田区662,81449.449.4213,417.313,411.95.4
13112世田谷区811,30458.858.8113,797.713,795.32.4
13113渋谷区242,44215.115.1116,055.816,045.110.7
13114中野区335,93615.715.7321,397.221,356.440.8
13115杉並区539,84233.533.5416,114.716,095.519.2
13116豊島区278,45513.013.0121,419.621,403.216.4
13117北区367,57920.620.5517,843.617,887.1-43.5
13118荒川区190,06110.310.3418,452.518,381.171.4
13119板橋区505,55631.931.9015,848.215,848.20.0
13120練馬区587,88747.047.0012,508.212,508.20.0
13121足立区622,64053.353.2511,681.811,692.8-11.0
13122葛飾区419,01733.933.9012,360.412,360.40.0
13123江戸川区514,81248.348.2610,658.610,667.5-8.9
13203武蔵野市138,78311.011.0312,616.612,582.334.3
13204三鷹市166,25216.816.839,896.09,878.317.7
13208調布市191,07121.821.798,764.78,768.7-4.0
13210小金井市104,64211.411.359,179.19,219.6-40.5
13211小平市158,67320.920.857,592.07,610.2-18.2
13214国分寺市95,46711.411.408,374.38,374.30.0
13216田無市71,3316.96.8910,337.810,352.8-15.0
13217保谷市91,5688.88.7710,405.510,441.0-35.5
13219狛江市73,7846.26.1511,900.611,997.4-96.8
13222東久留米市110,07913.012.988,467.68,480.7-13.1
14000神奈川県6,622,947835.2835.187,929.87,930.0-0.2
14100横浜市連合2,673,495289.3289.269,241.39,242.5-1.2
14101鶴見区237,08332.632.567,272.57,281.4-8.9
14103西区78,8586.36.2712,517.112,577.0-59.9
14104中区118,27419.119.126,192.46,185.96.5
14105南区191,57812.512.5115,326.215,314.012.2
14130川崎市連合1,056,101117.1117.129,018.89,017.31.5
14131川崎区193,95432.932.945,895.35,888.17.2
14132幸区137,30610.110.0613,594.713,648.7-54.0
14133中原区183,45514.614.5812,565.412,582.6-17.2
14134高津区152,72616.116.149,486.19,462.623.5
23000愛知県4,336,549714.2714.186,071.96,072.1-0.2
23100名古屋市連合2,008,458253.5253.477,922.97,923.8-0.9
23101千種区163,76218.618.558,804.48,828.1-23.7
23102東区71,5067.77.709,286.59,286.50.0
23103北区175,82717.617.629,990.29,978.811.4
23104西区143,11717.117.108,369.48,369.40.0
23105中村区153,12616.316.319,394.29,388.55.7
23106中区67,2789.59.527,081.97,067.014.9
20107昭和区108,43410.910.929,948.19,929.918.2
23108瑞穂区115,12211.411.3610,098.410,134.0-35.6
23109熱田区65,0218.18.138,027.37,997.729.6
23112南区162,96818.618.568,761.78,780.6-18.9
23341西琵琶島町17,8623.23.215,581.95,564.517.4
26000京都府2,055,488231.6231.598,875.28,875.5-0.3
26100京都市連合1,332,038124.2124.1910,724.910,725.8-0.9
26102上京区92,8977.07.0113,271.013,252.118.9
26104中京区100,0157.27.2413,891.013,814.276.8
26106下京区78,7446.76.7411,752.811,683.169.7
27000大阪府8,127,754824.2824.219,861.49,861.30.1
27100大阪市連合2,635,604211.8211.8412,443.812,441.52.3
27101北区44,5015.55.548,091.18,032.758.4
27102都島区91,9255.95.8615,580.515,686.9-106.4
27103福島区57,4974.74.6812,233.412,285.7-52.3
27104此花区68,98711.111.086,215.06,226.3-11.3
27105東区27,5855.95.924,675.44,659.615.8
27106西区58,1575.35.2710,973.011,035.5-62.5
27107港区92,0338.38.2611,088.311,142.0-53.7
27108大正区82,3309.29.158,948.98,997.8-48.9
27109天王寺区55,9394.74.6811,901.911,952.8-50.9
27110南区34,8073.02.9611,602.311,759.1-156.8
27111浪速区49,0743.83.8312,914.212,813.1101.1
27112大淀区46,7844.54.5110,396.410,373.423.0
27113西淀川区92,41113.113.127,054.37,043.510.8
27114東淀川区170,83113.213.1512,941.712,991.0-49.3
27123淀川区159,98112.712.7112,596.912,587.09.9
27115東成区83,8974.54.5118,643.818,602.441.4
27116生野区162,0588.28.2419,763.219,667.296.0
27117旭区110,1476.16.1118,056.918,027.329.6
27118城東区157,4668.58.4718,525.418,591.0-65.6
27124鶴見区89,3368.18.1011,029.111,029.10.0
27119阿倍野区112,4346.16.0618,431.818,553.5-121.7
27120住吉区162,3529.29.1617,647.017,724.0-77.0
27125住之江区135,92319.319.277,042.67,053.6-11.0
27121東住吉区149,3319.79.6815,394.915,426.8-31.9
27122西成区144,2607.47.4219,494.619,442.052.6
27203豊中市413,21336.636.6011,290.011,290.00.0
27205吹田市348,94836.636.609,534.19,534.10.0
27206泉大津市67,72311.511.475,889.05,904.4-15.4
27209守口市159,40013.113.1312,167.912,140.127.8
27223門真市140,59012.212.2111,523.811,514.39.5
27226藤井寺市65,2528.78.707,500.27,500.20.0
27341忠岡町17,2233.63.564,784.24,837.9-53.7
28000兵庫県3,786,168478.9478.877,906.07,906.5-0.5
28202尼崎市509,11549.549.4710,285.210,291.4-6.2
34000広島県1,650,227269.3269.346,127.86,126.90.9
34100広島市連合781,291103.8103.847,526.97,524.02.9
34101中区135,88314.714.749,243.79,218.725.0
40000福岡県2,988,378478.3478.346,247.96,247.40.5
40130福岡市連合1,033,018127.9127.948,076.88,074.22.6
40133中央区140,70714.814.849,507.29,481.625.6

さて、問題となるのが泉大津市の人口集中地区ですが、[97502]でも書いたように、昭和55年の面積の数字が、昭和60年版でいつの間にか修正されてしまったという曰くつきの人口集中地区です。昭和60年版の『我が国の人口集中地区』に記載の数字をまとめると以下の通りです。

DID人口(S55)人口(S60)増減率(%)面積(S55)面積(S60)人口密度人口%(S55)人口%(S60)面積%(S55)面積%(S60)
206 泉大津市67,43567,7232880.411.011.55,904.499.9100.097.199.5

まず人口集中地区の人口密度5,904.4人/km2から人口集中地区の面積を計算すると、67,723÷5,904.4≒11.46992 km2、つまり面積としては11.47 km2が人口密度の算出に使われています。なお昭和60年の国勢調査報告書記載の泉大津市全域の人口と面積はそれぞれ67,723人、11.53 km2です。よって人口集中地区が占める割合は人口では67,723/67,755≒0.99953、面積では11.47/11.53≒0.99480、つまり%の小数点以下第2位で四捨五入すると100.0%、99.5%となり、『我が国の人口集中地区』の記載とも一致し、全域に占める人口集中地区の割合は、人口の方では全域ではないにも関わらず「100.0%」表記になってしまうのです。なお11.5km2で人口密度を小数点以下第1位まで算出すると5,889.0人/km2となるので、『我が国の人口集中地区』では泉大津市に限り、原則を破って少雨数点以下第2位までの数字を面積の算出に使ったという事実が判明しました。

なお平成2年版の『我が国の人口集中地区』をチェックすると・・・なぜか昭和60年における泉大津市の人口集中地区が全域に占める面積の割合が勝手に100.0%に修正されています。11.47 km2では99.5%、11.5 km2では99.7%となってしまうので、100.0%に該当するのは11.53 km2以外考えられません。ところが人口の方は67,723人のまま修正されていません。

DID人口(H02)人口(S60)増減率(%)面積(H02)面積(S60)人口密度人口%(H02)人口%(S60)面積%(H02)面積%(S60)
206 泉大津市67,03567,723-668.0-1.011.711.55729.5100.0100.0100.0100.0

仮に11.53 km2に後から修正されたとすると、面積が+0.06 km2となり、四捨五入後の大阪府の面積は824.3 km2となっていまいます・・・が、平成2年版以降に記載の昭和60年の大阪府の人口集中地区面積は824.2 km2のままです。よって平成2年版の『我が国の人口集中地区』が、昭和60年における泉大津市の人口集中地区の面積が全域に占める割合に関して誤植をしてしまったと考えるのが妥当です。

まあ泉大津市のケースは、人口集中地区の人口が全域に占める割合が四捨五入の結果100.0%になるという例外的な事態に至った結果、面積の方でも特殊な処理をしたのかも知れませんが、このような特殊例がほかにも出てくるかも知れません。
[97514] 2019年 2月 4日(月)23:22:58【1】YT さん
昭和40年の大阪市連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区について
[97513] ekinenpyou さん

[97511]での投稿に関し、色々誤った点を指摘して頂き、大変申し訳ありません。先週の土曜日の昼にまとめた際、その辺のチェックを怠っていました。

参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

これも昭和55年版で数値を入力していて、昭和45年・昭和50年版で数字が異なることを完全に見落としていました。今調べ直したら、昭和45年版、昭和50年版ともに昭和40年の大阪府のDID数が62、全国が1003となっており、昭和55年版で再修正が行われたようです。

改めて昭和35年と昭和40年のDID数をまとめると以下の通りです。

都道府県S40年版S45・S50年版S55年版以降
全国 (S35)970888891
全国 (S40)108610031002
東京都 (S35)492424
東京都 (S40)563333
神奈川県 (S35)443636
神奈川県 (S40)524343
愛知県 (S35)574646
愛知県 (S40)695656
京都府 (S35)211313
京都府 (S40)261818
大阪府 (S35)634242
大阪府 (S40)826261
兵庫県 (S35)403434
兵庫県 (S40)423636
福岡県 (S35)514851
福岡県 (S40)464242

今となっては大阪市内のどのDIDが、昭和45年、昭和50年版で想定された、昭和40年の連合人口集中地区から抜けてしまったのか不明です。昭和40年の人口集中地区地図を見ると、大阪市を構成する22区の第1となる人口集中地区(城東区I、東住吉区I、およびその他20区の人口集中地区)が明白に連担しており、連担していないのは城東区IIと東住吉区II(八尾市を介して実際には市外から連担している)、東住吉区III、東住吉区IVでした。よってDID数に関しては82-22+1=61となる、昭和55年版以降の数字が正しいです。

【題名等訂正】
[97511] 2019年 2月 2日(土)17:31:03【1】YT さん
昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
もう少しまとまってから投稿しようと思いましたが、[97510]で白桃さんが「連合人口集中地区」について投稿されたので、改めて表題の件について問題点等を投稿します。

昭和35年の国勢調査で人口集中地区が設置された際、当初同一政令都市(東京都特別区部を含む)で連担していても、区が異なれば異なる人口集中地区が設定されていました。しかしながら昭和45年の国勢調査で編纂された『わが国の人口集中地区』では、「連合人口集中地区」が新たに設置されました。その際、過去の人口集中地区の数についても、

連合人口集中地区は、1人口集中地区として数えた。


との修正が加わり、東京都・神奈川県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県の昭和35年と昭和40年度の人口集中地区数に変更が遡って加えられました。というわけで昭和35年版の『わが国の人口集中地区』、昭和40年度版の『わが国の人口集中地区』と、昭和45年度版以降の『わが国の人口集中地区』を比較すれば、過去の連合人口集中地区を構成する区の数が分かります。

都道府県S35(S35/S40版)S35(S40/S45版)S35(差)S35(S55-H27版)S40(S40版)S35(差)S40(S45-H27版)S40(差)
全国97088882891791086100284
東京都4924252425563323
神奈川県4436836852439
愛知県5746114611695613
京都府2113813826188
大阪府6342214221826121
兵庫県4034634642366
福岡県5148351046424

実のところ、昭和45年以降に再集計された、昭和35年と昭和40年の連合人口集中地区を構成する区の情報は、「わが国/我が国の人口集中地区」シリーズに記載されておりません。しかしながら、上の人口集中地区数の情報と、昭和35年、昭和40年の人口集中地区の地図を比べることにより、以下のように昭和35年、昭和40年の連合人口集中地区の構成が判明します。

昭和35年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,108,157466.617,377.126千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,足立区III,足立区IV,葛飾区,江戸川区
横浜市連合1,015,01087.611,586.99鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,磯子区,金沢区II,港北区I
名古屋市連合1,446,705128.711,240.912千種区,東区,北区,西区,中村区I,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区
京都市連合1,137,51578.314,527.79北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区,右京区,伏見区I
大阪市連合2,973,635186.515,944.422北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合944,39750.518,700.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区
(北九州市連合)696,13466.810,421.24八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市


昭和40年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,762,034507.717,258.324千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,341,258117.511,415.010鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区IV
名古屋市連合1,650,018146.211,286.014千種区I,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区,守山区
京都市連合1,157,39977.214,992.29北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区I,伏見区I
大阪市連合3,089,450191.216,158.222北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区I,西成区
神戸市連合992,08754.518,203.47東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合867,88795.69,078.35門司区,小倉区,若松区,八幡市I,戸畑区

さて、上で問題となるのが昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」です。昭和45年版の『わが国の人口集中地区』で過去に遡って人口集中地区が設置された際、北九州市に関しては、昭和35年の人口集中地区が設置された市町村数の項目に

昭和38年に北九州市となった若松市,八幡市,戸畑市,小倉市及び門司市はまとめて1市として数えた。


という脚注が入り、更に福岡県の人口集中地区数も51から48へと、3つ減っています。よって北九州市成立前にも関わらず、北九州市連合集中地区が過去に遡って設置され、集計されたことになります。具体的に当時の地図を見ると、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区が連担しており、若松市は分離していることから、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区に北九州市連合人口集中地区が設置されたことになるかと思います。ところが昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』以降では、上の脚注が消え、さらに福岡県の昭和35年の人口集中地区数が、再び51に戻っています。以上をまとめると

(1) 昭和35年の国勢調査時には、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区は連担していた。
(2) 昭和45年の国勢調査時に「連合集中地区」という概念が導入された際、昭和35年の八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区に関し、「北九州市連合人口集中地区」という集計がなされた。
(3) 昭和55年の国勢調査時になって、北九州市成立以前にまで「北九州市連合人口集中地区」を設置するのは変だという話になったのか、昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」はなかったことになった。

こういう流れがあったと思われます。よって現在において過去の連合人口集中地区を議論する場合、昭和35年の連合人口集中地区は、特別区部・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市のいわゆる六大都市にのみ、後から設置され、昭和40年の連合人口集中地区は北九州市を含めた七大都市に、後から設置されたとする解釈が正しいと思われます。

さて、昭和45年度から導入された『連合人口集中地区』ですが、昭和45年、昭和50年度版では連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区にはアスタリスク(*)がつけられたものの、連合人口集中地区としての人口、面積の集計がなされておらず、連合人口集中地区としての集計がなされたのは昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』からです。念のため昭和45年度、昭和50年度版の連合人口集中地区の集計を行ったところ、昭和50年の横浜市連合人口集中地区におかしな点を見出しました。

昭和45年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,793,123549.316,007.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,809,305192.09,423.513鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,瀬谷区
名古屋市連合1,771,396182.99,685.118千種区I,東区,北区,西区,中村区,中区,昭和区I,昭和区IV,瑞穂区,熱田区,中川区I,中川区II,港区I,港区II,港区III,南区,守山区,緑区I
京都市連合1,194,98490.013,277.69北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区,伏見区I
大阪市連合2,969,242202.914,634.022北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合972,76561.015,947.07東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合857,409110.17,787.55門司区,小倉区I,若松区,八幡市I,戸畑区

昭和50年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
札幌市連合966,057112.18,617.88中央区,北区I,東区I,白石区I,豊平区I,豊平区II,南区I.西区I
特別区部連合8,643,033576.914,981.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合(修正前)2,106,371227.09,279.214鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V
横浜市連合(修正後)2,195,811239.59,168.315鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V,瀬谷区
川崎市連合947,293102.89,214.95川崎区,幸区,中原区,高津区I,多摩区I
名古屋市連合1,903,057221.08,611.121千種区,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区I,港区II,南区,守山区I,守山区II,緑区,名東区I,名東区II,天白区I,天白区III
京都市連合1,194,276100.611,871.510北区,上京区,左京区,中京区,東山区II,下京区,南区I,南区II,右京区,伏見区I
大阪市連合2,778,268206.213,473.726北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区,淀川区,鶴見区,住之江区,平野区
神戸市連合908,74367.613,442.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区I
北九州市連合880,031127.76,891.47門司区,若松区,戸畑区,小倉北区,小倉南区I,八幡東区,八幡西区
福岡市連合852,862104.08,200.65東区,博多区,中央区,南区,西区I

上の表は基本的に*印のついた人口集中地区のみを合算して算出した値なのですが、これを人口集中地区の地図と比較すると、昭和50年の横浜市におかしな点がありました。

昭和50年(1975年)の横浜市瀬谷区周辺の人口集中地区地図(背景の地図は現在のもので、上に昭和50年の人口数中地区のShapeFileを張り付けたもの)をこちらにアップロードしましたが、昭和50年の横浜市瀬谷区の人口集中地区はどうみても隣接する旭区の人口集中地区と連担しているにも関わらず、『我が国の人口集中地区』の表では連合人口集中地区に含まれていません(アスタリスク(*)の表記がない)。瀬谷区は昭和45年の段階でがっつり長い接線を通じて旭区と連担しており(さらに前の昭和40年の戸塚区第4人口集中地区~保土ケ谷区の時代から連担している)、これが別個の人口集中地区されることが変なのです。

また昭和50年の神奈川県の人口集中地区の数の集計は52とあるのに対し、連合集中地区を構成する人口集中郁を全部別個の人口集中地区として数えた場合、その合計は70となります。川崎市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が5、横浜市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が14とすると、連合人口集中地区を1個として数えた場合の神奈川県人口集中地区の数は70-4-13=53となり、合計が合いません。この52という数字は平成27年度版の『我が国の人口集中地区』でも取り消されずに採用されている数字です。

以上から、昭和50年度版の『我が国の人口集中地区』において、「正誤表」からは記載が漏れてしまったものの、昭和50年の横浜市連合人口集中地区は実際には横浜市瀬谷区人口集中地区を含むものとして集計するのが正しく、瀬谷区の項目から誤ってアスタリスク(*)が欠落してしまったと判断しました。

なお、昭和35年~昭和45年の連合人口集中地区に関しては、wikipediaの「人口集中地区」の項目で誰かが(私ではありません)集計した結果が載っております。ここに記載の数値はほぼ私の集計と同じで、昭和35年の北九州市連合人口集中地区は設置しない点も同じですが、昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用しています。

【リンク等を修正】
[97507] 2019年 1月 29日(火)23:52:17【1】YT さん
昭和55年人口集中地区の面積データの、表に記載されていない小数点以下第2位の数字について
[97506] ekinenpyou さん

どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

御指摘ありがとうございます。手軽に直接リンクできるサイトで、まあ1ヶ月程度保存されていれば良いかぐらいの気持ちで使ったのですが、最後に作成したファイル以外全部消えてしまうとは思いませんでした。まあソフトの使い方の練習も兼ねていたので、重要な箇所に関してはいずれファイルを作成し直すと思います。

それはさておき[97502]で少し触れました、昭和55年の『我が国の人口集中地区』に記載の面積について検討した内容を以下まとめます。

人口集中地区の定義まわりは大体2回の調査ごとに細かい改訂が行われおり、昭和35年の回では1年前の調査で人口集中地区を設定していたのに対し、昭和45年の回からは1年前の調査で人口集中地区を設定することを止め([80928]参照)、準人口集中地区と連合人口集中地区の概念が導入され、さらに昭和55年の回からは面積に関して大きな改訂がなされました。

実のところ昭和55年の[『我が国の人口集中地区』]に記載されている面積の説明は、ほぼ昭和50年の『我が国の人口集中地区』に記載されている面積の説明と同じで:

2 面積
(1) 人口集中地区の面積は,原則として,人口集中地区境界原図に基づき,建設省国土地理院発行の5万分の1地形図を基図として作成した人口集中地区面積測定図によりプラニメーターを使用して測定した。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によった。
(2) 人口集中地区に含まれる河川の面積の中に含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。
(3) 全国,都道府県及び市区町村の全域面積は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によっている。同書では,各面積を小数点以下第2位まで掲載しているが,本書では小数点以下第2位を四捨五入した数値を用いているため,必ずしも個々の数値を合算して得た数値と総数とは一致しない。

これに対して昭和60年版の『我が国の人口集中地区』から、以下の定義が加わりました。

(4) 全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

つまり人口集中地区の面積は小数点以下第1位までしか示されないが、昭和60年版からは、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの数字が載っている「全国都道府県市区町村別面積調」を使うようになったということになります。

しかしながら昭和55年度版の人口密度の数字を詳しく見ると、既に昭和55年度版から、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの面積の数字を使って面積を算出していることが分かります。例えば昭和55年度の国勢調査で設定されている人口集中地区の人口と面積、人口密度は、それぞれ69,934,854人、10,014.7 km2、6,983.3人/km2(改訂後の数字、[97502]参照)と記載されていますが、69,934,854人を10,014.7 km2で割って得られる数字は6,983.22...人/km2となり、四捨五入しても6,083.3人/km2になりません。仮に計算に用いた面積が小数点以下第2位で離散したデータであると仮定するなら、10,014.66~10,014.74 km2の範囲では人口密度は6,083.2人/km2となり、人口密度に一致する面積は10,014.65 km2以外ありえないことになります。

以下、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和55年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に示します。なお小数点以下第2位の数字がゼロの場合、人口密度に差はなくなりますが、昭和55年当時全域が人口集中地区であると設定された行政地区を示すため、表に残します。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は、人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に使われた数字は、小数点以下第2位までであることが分かります。


コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国(改訂前)69,934,85410,015.610,015.556,982.66,982.60.0
00000全国(改訂後)69,934,85410,014.710,014.656,983.26,983.3-0.1
11000埼玉県3,781,440513.9513.877,358.37,358.7-0.4
11220与野市72,3268.38.288,714.08,735.0-21.0
11223蕨市70,8765.15.0913,897.313,924.6-27.3
11226鳩ヶ谷市55,9506.26.209,024.29,024.20.0
13000東京都(改訂前)11,294,147979.5979.4811,530.511,530.8-0.3
13000東京都(改訂後)11,294,147979.4979.3811,531.711,531.9-0.2
13100特別区部連合8,351,893591.9591.9414,110.314,109.40.9
13101千代田区54,80111.511.524,765.34,757.08.3
13102中央区82,70010.110.058,188.18,228.9-40.8
13103港区201,25719.519.4810,320.910,331.5-10.6
13104新宿区343,92818.018.0419,107.119,064.742.4
13105文京区202,35111.411.4417,750.117,688.062.1
13106台東区186,04810.010.0018,604.818,604.80.0
13107墨田区232,79613.813.8216,869.316,844.924.4
13108江東区362,27036.236.2410,007.59,996.411.1
13109品川区346,24720.520.5416,890.116,857.232.9
13110目黒区273,79114.414.4119,013.319,000.113.2
13111大田区661,14748.248.2013,716.713,716.70.0
13112世田谷区797,29258.858.8113,559.413,557.12.3
13113渋谷区247,03515.115.1116,359.916,349.110.8
13114中野区345,73315.715.7322,021.221,979.242.0
13115杉並区542,44933.533.5416,192.516,173.219.3
13116豊島区288,62613.013.0122,202.022,184.917.1
13117北区387,45820.620.5518,808.618,854.4-45.8
13118荒川区198,12610.310.3419,235.519,161.174.4
13119板橋区498,26631.931.9015,619.615,619.60.0
13120練馬区564,15647.047.0012,003.312,003.30.0
13121足立区619,96153.353.2511,631.511,642.5-11.0
13122葛飾区420,18733.933.9012,394.912,394.90.0
13123江戸川区495,23145.145.0610,980.710,990.5-9.8
13203武蔵野市136,91011.011.0312,446.412,412.533.9
13204三鷹市164,52616.816.839,793.29,775.817.4
13208調布市180,54821.821.798,282.08,285.8-3.8
13210小金井市102,45611.411.358,987.49,027.0-39.6
13211小平市154,61020.920.857,397.67,415.3-17.7
13214国分寺市91,01011.411.407,983.37,983.30.0
13216田無市66,9766.96.899,706.79,720.8-14.1
13217保谷市91,2598.88.7710,370.310,405.8-35.5
13219狛江市70,8366.26.1511,425.211,518.0-92.8
13222東久留米市106,55613.012.988,196.68,209.2-12.6
14000神奈川県6,109,371799.3799.297,643.47,643.5-0.1
14100横浜市連合2,419,231271.8271.808,900.88,900.80.0
14101鶴見区231,47731.531.507,348.57,348.50.0
14103西区80,5396.36.2712,784.012,845.1-61.1
14104中区121,47618.418.406,602.06,602.00.0
14105南区192,02012.512.5115,361.615,349.312.3
14130川崎市連合1,000,863113.8113.818,794.98,794.20.7
14131川崎区199,14832.532.476,127.66,133.3-5.7
14132幸区138,58510.110.0613,721.313,775.8-54.5
14133中原区185,28314.614.5812,690.612,708.0-17.4
23000愛知県4,146,376684.6684.596,056.66,056.7-0.1
23100名古屋市連合1,979,558247.4247.388,001.48,002.1-0.7
23101千種区166,83718.618.598,969.78,974.6-4.9
23102東区70,0467.77.689,096.99,120.6-23.7
23103北区179,26617.617.6110,185.610,179.85.8
23105中村区163,97816.316.3110,060.010,053.86.2
23106中区66,5629.59.527,006.56,991.814.7
20107昭和区112,91210.910.9210,358.910,339.919.0
23108瑞穂区120,67911.411.3610,585.910,623.2-37.3
23109熱田区65,5538.18.138,093.08,063.129.9
23112南区163,76818.618.568,804.78,823.7-19.0
23341西琵琶島町18,5333.23.215,791.65,773.518.1
26000京都府1,994,322224.2224.198,895.38,895.7-0.4
26100京都市連合1,347,797123.9123.8910,878.110,879.0-0.9
26102上京区99,2627.07.0114,180.314,160.120.2
26104中京区105,9217.27.2414,711.314,630.081.3
26106下京区86,8216.76.7412,958.412,881.576.9
27000大阪府(改訂前)7,957,380805.7805.709,876.49,876.40.0
27000大阪府(改訂後)7,957,380804.9804.909,886.29,886.20.0
27100大阪市連合2,647,484209.7209.7112,625.112,624.50.6
27101北区43,7415.55.547,952.97,895.557.4
27102都島区83,5845.95.8614,166.814,263.5-96.7
27103福島区60,1014.74.6812,787.412,842.1-54.7
27104此花区73,38611.010.976,671.56,689.7-18.2
27105東区27,1095.95.924,594.74,579.215.5
27106西区53,6955.35.2710,131.110,188.8-57.7
27107港区96,4168.38.2611,616.411,672.6-56.2
27108大正区84,0419.29.159,134.99,184.8-49.9
27109天王寺区55,2774.74.6811,761.111,811.3-50.2
27110南区36,9823.02.9612,327.312,493.9-166.6
27111浪速区50,1043.83.8313,185.313,082.0103.3
27112大淀区44,2284.54.519,828.49,806.721.7
27113西淀川区90,69113.113.126,923.06,912.410.6
27114東淀川区165,37013.213.1512,528.012,575.7-47.7
27123淀川区154,26912.712.7112,147.212,137.69.6
27115東成区89,1384.54.5119,808.419,764.543.9
27116生野区173,7838.28.2421,193.021,090.2102.8
27117旭区114,1826.16.1118,718.418,687.730.7
27118城東区157,1458.58.4718,487.618,553.1-65.5
27124鶴見区88,6878.18.1010,949.010,949.00.0
27119阿倍野区117,5276.16.0619,266.719,393.9-127.2
27120住吉区166,7989.29.1618,130.218,209.4-79.2
27125住之江区115,22717.317.256,660.56,679.8-19.3
27121東住吉区156,9999.79.6816,185.516,218.9-33.4
27122西成区150,8207.47.4220,381.120,326.155.0
27203豊中市403,17436.636.6011,015.711,015.70.0
27205吹田市332,41836.636.609,082.59,082.50.0
27209守口市165,63013.113.1312,643.512,614.628.9
27341忠岡町18,0533.63.565,014.75,071.1-56.4
28000兵庫県3,686,192460.7460.718,001.38,001.10.2
28202尼崎市523,65049.149.1110,665.010,662.82.2
28000広島県1,551,718245.7245.746,315.56,314.51.0
34100広島市連合698,84990.290.247,747.87,744.33.5
34101中区138,48614.714.749,420.89,395.325.5
40000福岡県2,857,791461.5461.486,192.46,192.7-0.3
40130福岡市連合966,247125.2125.187,717.67,718.9-1.3
40133中央区123,61413.113.089,436.29,450.6-14.4

注目するべき点は世田谷区のデータで、事実上人口最大の行政区である世田谷区の面積が、表の数字と計算に用いた数字が0.01 km2違うことにより、人口密度で2.3人/km2の差が出ています。つまり、小数点以下第1位まで示されている人口密度の数字で人口を割ることにより、人口密度の算出に用いた面積が仮に小数点以下第3位で離散したデータだったとしても正確な面積を算出することが可能ということになります。

実のところ平成12年以降の人口集中地区のデータはエクセル形式で既に入手済みなのですが、平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していないという問題を確認しており、これが何を意味しているのか、後々検討が必用となります。
[97502] 2019年 1月 27日(日)01:14:37【1】YT さん
昭和45年の国勢調査における人口集中地区面積の改訂について 追記
[97499] で疑問点として挙げた以下の点ですが、自己解決しました。

昭和45年の『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。


昭和50年の『わが国の人口集中地区』の方で、長崎県西彼杵郡高島町の昭和45年の人口集中地区の面積が、1.2 km2から1.0 km2に改訂されていました。よって改訂後の総面積は「6,444.1 km2」で正しいことになります。

昭和55年の『わが国の人口集中地区』に記載の、昭和55年の人口集中地区総面積と昭和60年の『わが国の人口集中地区』記載の昭和55年の人口集中地区総面積でも、0.9 km2の違いがあったのですが、こちらも昭和60年版でしれっと大阪府泉大津市の昭和55年の人口集中地区面積が11.8 km2から11.0 km2に改訂されていました。

もう一か所の0.1 km2の改訂は東京都東村山市です。昭和55年版では、東村山市人口集中地区人口が東村山市の総人口(123,798人)の99.4%に相当する118,679人なのに対し、東村山市人口集中地区面積は東村山市の総面積(16.58 km2)の100%に相当する16.6 km2となっていました。昭和55年以降、人口集中地区設定区域が行政全域と一致する場合、面積の情報は行政域面積として採用されている下二桁までの数字を使う(即ち118,679/16.58 ≒ 7,158.0 人/km2)とされていましたが、実際に表に載っていた人口密度は118,679/16.6 ≒ 7,149.3 人/km2の方でした。

まあこの時点で色々矛盾があってもやもやしていたのですが(何故人口集中地区設定の人口が行政域全域じゃないのに、面積の方は行政域全域以上になる?)、これが昭和60年版では遡って総面積の99.5%に相当する16.5 km2に改訂されていました。

いずれにせよ、「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。

【東村山市の詳細を追加】
[97499] 2019年 1月 25日(金)23:31:52【3】YT さん
初期の人口集中地区のデータの疑問点
[97021] 他 白桃さん
[97025] 他 千本桜さん
[97032] 他 ekinenpyou さん

数か月前から人口集中地区について話題になっていましたが、[97021][97032]で白桃さんやekinenpyouさんに国土数値情報ダウンロードサービスを紹介して頂いたことにより、自分は総ての人口集中地区のシェープファイルを入手することができました。ただ、シェープファイルを地図上に表示する方法が分からず、とりあえずフリーのSuperMap Viewer2008やQGIS3.44を導入しましたが、まだ使いこなすには至っていません。

それはさておき折角なので、改めて過去に調べた人口集中地区の連担について、人口・面積と変遷の情報をエクセルファイルにまとめ直すことにしました。とはいえ、過去の国勢調査のデータ自体は総務庁のサイトからダウンロードできますが、昭和や平成初期の報告書はpdf化された画像ファイルのままですので、数値を改めて入力し直す必要があります。現在、人口密度の計算で数値をチェックしながら1960年~1975年までの4回分を入力し終えましたが、結婚して子供が生まれてからというもの、深夜に作業するだけの気力が残らず、入力作業も相当時間がかかりそうです。今回は、[97037]でも指摘しました、

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。


について、昭和35年と昭和40年のケースで、問題点を指摘した地図画像ファイルを作成しましたので、それについて投稿します。また昭和45年以前のケースで国勢調査報告書自体に誤りがるという事例が複数見つかりましたので、それについてもまとめます。なお今日になってQGIS3.44で地図上にシェープファイルを表示させる方法が分かりましたが…SuperMap Viewerで作成したシェープファイル由来のみの画像を今回は用います。

昭和35年(1960年)の国勢調査で初めて人口集中地区が設置されましたが、同一自治体内で連続しているようにしか見えないのに、わざわざ別個の人口集中地区とされてしまっている例が全国で多数散見します。例えば『わが国の人口集中地区』収録の地図では、広島市Iと広島市IIはどうみても同一自治体内で連担してますが、人口集中地区としては別にされています。その同じ広島県の呉市Iと呉市IIまわりのシェープファイルをこちら(外部アップローダ)に示しますが、『わが国の人口集中地区』に表示された地図にせよ、今回のシェープファイルにせよ、一点で接しているように見えます。同様のことが福岡市Iと福岡市IIIの連担(外部アップローダ)でも言えます。

一方、昭和40年の松原市Iと羽曳野市IIIの方に関しては、『わが国の人口集中地区』収録の地図では、羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)に示すように、それぞれが一点で接しているようにみえます。ところがシェープファイルの方では、こちら(外部アップローダ)に示すように、接していません。(なお某所に投稿した昭和40年の阪神地区に取り込まれている「松原市I(河内天美)」は、「松原市II」の間違いであることが判明しました。)

『わが国の人口集中地区』収録の地図では、分かりにくいのですが、該当箇所は日本で5番目に大きい古墳である大塚山古墳(雄略天皇陵墓参考地)の北側で、近鉄南大阪線の北側の道路で接しているように見えます。先程地図を読み込ませることに成功したQGIS3.44で、該当する昭和40年の大阪府のファイルを読み込んだところ、どうも松原市Iのシェープファイルの座標が西方向にずれているのではないかという気がします。

【追記:QGIS3.44の使い方が分かって来たので、現在の地図に昭和40年の大阪府松原市I~羽曳野市III周辺の人口集中地区のシェープファイルを載せた画像を作成してみました(外部アップローダ)。『わが国の人口集中地区』収録の地図の羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)が正しいとすると、松原市Iから大塚山古墳の北側の方まで伸びているはずの人口集中地区が、シェープファイルを作成した際に誤ってカットされてしまったことになります。】

以上のほか、昭和40年の『国勢調査報告 第1巻 人口総数』では、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市I、昭和35年の北海道の美唄市I→昭和40年の美唄市II、となっているのに対し、昭和40年の『わが国の人口集中地区』では美唄市I→昭和40年の美唄市I、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市IIとなっています。地図等との比較から美唄市の人口集中地区は番号が入れ替わっていたとするのが正しいことが分かります。ならば『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』の方が正しいのかといえば、そんなことはなく、『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』では昭和35年の京都府宇治市II→昭和40根の宇治市II、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIIとなっているのに対し、『我が国の人口集中地区』の方では、昭和35年の宇治市II→昭和40年の宇治市III、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIとなっており、こちらに関しては『我が国の人口集中地区』の情報の方が正そうです。複数の図書館で昭和40年の『我が国の人口集中地区』の中身を確認しましたが、残念ながら正誤表の存在が確認できませんでした。

さらに昭和40年の『わが国の人口集中地区』では、関西のデータを中心に、昭和35年の人口集中地区が昭和40年になって分割されたのか、昭和35年の人口集中地区が昭和40年の人口集中地区Iに成長し、一方で別に昭和40年の人口集中地区IIが形成されたのか、表記法の統一が中途半端が故の曖昧表記が生じており、人口集中地区の地図の情報からの再チェックが必用そうです。

次の昭和45年の『わが国の人口集中地区』からは正誤表が存在し、割と重要な訂正がなされております。人口密度の訂正や面積・人口の割合と増加率の訂正を除くと、重要な訂正は以下の点です。

表側表頭
209 相模原市I面積 (km2) 昭和45年19.213.2
209 相模原市I面積 (km2) 昭和40年16) 8.317) 5.1
209 相模原市II面積 (km2) 昭和45年13.219.2
209 相模原市II面積 (km2) 昭和40年17) 5.116) 8.3
222 羽曳野市I人口 昭和40年12) 882114) 6823
222 羽曳野市I面積 (km2) 昭和40年12) 1.114) 0.7
222 羽曳野市II人口 昭和40年13) 337812) 8821
222 羽曳野市II面積 (km2) 昭和40年13) 0.712) 1.1
222 羽曳野市III人口 昭和40年14) 682313) 3378
222 羽曳野市III面積 (km2) 昭和40年14) 0.713) 0.7

また

東京都青梅市の人口集中地区面積および神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積は、再測定の結果、つぎのように訂正する。
・東京都青梅市の人口集中地区面積 ― (旧) 3.8 km2 (新) 5.8 km2
・神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積 ― (旧) 10.0 km2 (新) 15.3 km2

昭和45年の[『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の人口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。

なお昭和55年以降、全域が人口集中地区となった自治体に関しては小数点以下第2位までの面積(km2)が使われるようになりますし、平成17年以降だと、小数点以下第2位までの面積の数字を足しても合計が合わない(小数点以下第2位よりも細かい数字を用いている?)という状況となっています。

初期の連合人口集中地区の数値に関しては別の機会にまとめます。

【訂正1:後半の丸め誤差の説明を訂正】
【訂正2:松原市I~羽曳野市IIIの人口集中地区の分布示す画像ファイルを追加でアップロード】
【訂正3:その他誤字訂正】
[97046] 2018年 11月 28日(水)23:46:19【1】YT さん
DID上の隠れ大都市:明石と川越
すみません。[97027]で、

(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)
と書きましたが、リンク先に示すように2015年現在も、柳瀬川を境とするDIDの途切れは健在で、富士見市~ふじみ野市~川越市~狭山市~入間市~飯能市と続く、DID上の隠れ大都市川越は今なお健在のようでした。

明石~垂水と阪神を結ぶラインも、山の方の妙法寺付近で分離したままのようです。

【地理院地図へのリンクの方法を修正】
[97037] 2018年 11月 26日(月)18:18:24【1】YT さん
DIDが点で接している場合の判断
[97019] 白桃さん
[97025] 千本桜さん
[97032] ekinenpyou さん

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

先程図書館で歴代の「我が国の人口集中地区」収録の地図を閲覧してようやく意味がわかりました。平成27年度版の収録の地図の方では「鎌倉海浜公園」という文字の上の方にDIDが設置されているようですが、該当する箇所には公園はなく、道路そのものがDIDとして設置されているようですね。

ekinenpyou さんも分析されていますが、1960年(S35),1965年(S40)には、該当する道路周辺にはDIDはなく、1970年(S45)には腰越方面に向けて太い帯状のDIDが設置され、1975年(S50)~1990年(H2)は腰越と鎌倉中心部が太いDIDで接続されていたが、1995年(H7)から突然、鎌倉市内のDIDの設置が地形にそったきめ細かなものに変更となり、それと同時に坂ノ下は一本の道だけでDIDが繋がる状態となり、現在に至るようです。まあ理不尽といえば理不尽ですが、国勢調査の地区ごとの担当の裁量によるところが大きいのか、あるいは市街化調整区域の設置が絡んでいるのか、その辺の事情は分かりません。

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。単に地図の解像度が悪いだけで、別のローマ数字が降られているは、「本当は両者は接していないから」という解釈も成立しますが、そうなってくると、異なるDIDについて地図から「接している」と判断して加算した場合、それが本当に接しているの?という疑問も生じ得ることになります。手元にDIDのチェックをした時のメモがないので記憶が曖昧ですが、確か1960年~2005年までの間で、10箇所近く悩むようなシチュエーションがあったように記憶しています。

【追記】あと、「我が国の人口集中地区」付録の地図では、それぞれの地図でタイトルに示されるメインとなる市区町村について、DIDが実線と実線内の赤枠で囲われて示され、周辺のDIDは斜線の赤枠で示されることで、複数のDIDが接していたり、近くに存在することを察することができるのですが、確か周辺のDIDの記入漏れがそこそこあったと思います。
[97027] 2018年 11月 24日(土)17:51:15YT さん
DID人口の合算について
最近仕事と私生活がリアルに忙しくて、余りこちらに書き込む余裕がなかったのですが、DID人口の話題が出ているのでひさびさに書き込みます。

[97019]白桃 さん

[69204][80928]にも書きましたけど、その昔1960年~2000年の間について、地図の上で連続したDIDを足した人口を算出し、某所に投稿したことがあります。その後の2005年分を含め、図書館で『我が国の人口集中地区』の地図を確認しながら国勢調査報告書のコピーに連続の有無を総てメモっておりましたが。それらのメモは実家に置いて来てしまっており、現在すぐに確認はできません。今日白桃さんの投稿に気付き、そういえば『我が国の人口集中地区』では鎌倉周辺はどういう変遷となっているのかしらん?と思って昼間に仕事場から数分の距離にある某図書館に行きましたが、今日は休館日で確認できませんでした。

なお鎌倉に関して言えば、1970年以前は藤沢I~茅ヶ崎I~鎌倉II(腰越)と、鎌倉I~逗子~戸塚区II(笠間)~葉山が独立しており、藤沢や鎌倉まで京浜に飲み込まれたのは1975年以後のようです。その一方で、2000年の段階では阪神と京都、阪神と明石~垂水、京浜と川越などが分離するなど、色々合算に悩むところもあります(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)。2000年の例だと、定規を使って地図を測った結果、以下のDIDが分離しているとする自作のテキストファイルメモが手元に残っていました。

我孫子市I(京浜地区)~取手市I 約1.2 km (利根川対岸)
志木市(京浜地区)~富士見市I(富士見地区) 約50 m (接するのは時間の問題?)
大井町I(川越地区)~大井町II(富士見地区) 約30 m (接するのは時間の問題?)
鶴ヶ島市II(川越地区)~鶴ヶ島市I(坂戸地区) 約50 m (過去に接しているケースあり)
所沢市I(京浜地区)~所沢市II(川越地区) 約500 m
上尾市(京浜地区)~蓮田市 約300 m
袖ヶ浦市I(京浜地区)~木更津市I 約920 m
大磯町I(京浜地区)~大磯町II(小田原地区) 約80 m (接するのは時間の問題?)
岩倉市(名古屋地区)~一宮市I(岐阜地区) 約2.3 km
岩倉市(名古屋地区)~江南市 約860 m
扶桑町(犬山地区)~江南市 約110 m
春日井市I(名古屋地区)~春日井市II(高蔵寺地区) 約170 m
東海市(名古屋地区)~大府市I 約740 m
刈谷市I(刈谷地区)~大府市I 約900 m
安城市(安城地区)~知立市I(刈谷地区) 約120 m
大津市I~大津市II(草津地区) 約160 m (瀬田川対岸; 過去に接しているケースあり)
大津市VII(京都地区)~大津市I 約1.7 km
八幡市(阪神地区)~島本町(京都地区) 約640 m (淀川対岸)
高槻市I(阪神地区)~高槻市II(京都地区) 約280 m
堺市I(阪神地区)~堺市II(光明池地区) 約100 m (接するのは時間の問題?)
神戸市須磨区II(阪神地区)~神戸市垂水区I(明石地区) 約1.2 km
神戸市須磨区II(阪神地区)~須磨区I(妙法寺桃山台地区) 約50 m (崖あり)
神戸市垂水区I(明石地区)~垂水区II(妙法寺桃山台地区) 約60 m (第二神明道越し)
北九州市門司区~下関市I 約400 m (門司区側は関門橋の中途までDID設定)
北九州市小倉南区I(北九州地区)~北九州市小倉南区II 約30 m (過去に接しているケースあり)
北九州市小倉南区II~北九州市小倉南区III 約400 m
苅田町~北九州市小倉南区III 約50 m (過去に接しているケースあり)

[81009]にも書きましたが、一番の問題点は水面調査区を介して隣接している場合、その水面調査区の設置場所を調べる術が自分にはわからない点です。

例えば北九州市の場合、1960年と1965年は、若松地区と他の北九州市の諸地区は分離していましたが、1970年には橋を介して一個の巨大なDIDとなります。ところが1975年~1985年には橋の上のDIDの設置がなくなり、両者は再び分離します・・・が、「連合人口集中地区」として連結する扱いとなっています。

1960年
696,134人/66.8km2八幡市I/小倉市/門司市/戸畑市 (全国5位)
75,721人/7.5km2若松市I

1965年
787,849人/84.2km2北九州市[八幡区I/小倉区/門司区/戸畑区] (全国5位)
80,038人/11.4km2北九州市若松区

1970年
857,409人/110.1km2北九州市[八幡区I/小倉区I/門司区/戸畑区/若松区] (全国5位)

1975年
922,081人/134.3km2北九州地区 [福岡県] (全国7位)
【1】843,382人/121.5km2北九州市[小倉北区/八幡西区/門司区/八幡東区/戸畑区/小倉南区I]
/中間市/水巻町 [福岡県]
【2】78,699人/12.8km2北九州市若松区 [福岡県]

水面調査区や準人口集中地区を含め、その詳細を調べる方法が分からないのがもどかしいです。
[95701] 2018年 4月 20日(金)01:21:54【4】YT さん
明治19年末の都市人口について(2)
[95699]の続きです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
大津滋賀18,95023,16723,1679118,95023,167
彦根滋賀20,01018,57718,5779220,01018,577
岐阜岐阜1618,87523,37723,3775518,87523,377
大垣岐阜14,72516,33916,3394914,72516,339
高山岐阜15,53415,26715,267115,53415,267
船津岐阜110,19010,166
上田長野1414,17315,17215,172314,17315,172
飯田長野10,79611,67211,672210,79611,672
松本長野1114,53817,47817,478214,53817,478
長野長野1316,23818,22218,222416,23818,222
仙台宮城58,50362,1963258,47161,70961,70930258,47191,709
石巻宮城15,93216,61816,618415,93216,618
若松福島22,17718,00418,0048222,17718,004
盛岡岩手329,75130,16630,166629,75130,166
青森青森115,00714,92014,9201815,00714,920
弘前青森130,00028,17028,1708930,00028,170
八戸青森110,57610,52010,5204010,57610,520
山形山形725,49526,97126,9713125,49526,971
新庄山形10,73810,54610,546510,73810,546
酒田山形20,32621,00421,0046020,32621,004
鶴岡山形20,13219,66619,6664020,13219,666
米沢山形29,63829,20329,20312929,63829,203
秋田秋田829,29129,22529,22516329,29129,225
能代秋田10,81610,73710,7372510,81610,737
福井福井138,84037,37637,3768638,84037,376
武生福井12,31013,07413,0742512,31013,074
敦賀福井11,52011,87811,8782411,52011,878
金沢石川102,28196,727102,28197,65397,653535102,28197,653
小松石川811,45011,72111,7213111,45011,721
金石石川10,0529,1104110,0529,110
富山富山453,45153,55653,5569653,45153,556
魚津富山11,44511,54011,5403011,44511,540
高岡富山17,47417,97417,9747917,47417,974
氷見富山2310,65610,595
新湊富山15,77815,76215,762815,77815,762
鳥取鳥取1729,94128,27528,2757029,94128,275
米子鳥取911,61011,86011,8603311,61011,860
松江島根233,33633,38133,3813333,33633,381
岡山岡山33,11837,8541533,10332,98932,9898333,10332,989
玉島岡山414,25616,325
津山岡山314,32914,58214,5824214,32914,582
広島広島78,92986,4051278,91781,91481,91411178,91781,914
蒲刈広島111,21611,253
倉橋広島113,19312,781
瀬戸広島110,36410,271
広島310,67511,160
広島113,34713,377
仁保島広島114,64314,766
尾道広島16,16217,30717,307416,16217,307
福山広島15,67814,66314,6632915,67814,663
徳山山口111,56511,511
山口山口1810,97311,44711,4474110,97311,447
山口23,87721,20621,2063823,87721,206
赤間関山口29,10533,448529,10030,82530,8252629,10030,825
和歌山和歌山55,56256,490455,55854,86854,86840055,55854,868
徳島徳島1458,85357,45657,4563858,85357,456
撫養徳島17,64517,07517,0751117,64517,075
高松愛媛38,41437,69837,6986438,41437,698
松山愛媛1828,67529,48729,48710028,67529,487
宇和島愛媛112,10011,70511,7053312,10011,705
丸亀愛媛15,32416,14916,1492515,32416,149
観音寺愛媛10,84610,68510,685110,84610,685
今治愛媛13,13513,10113,101913,13513,101
高知高知1426,85030,98730,9874926,85030,987
福岡区福岡45,82148,4862243,11842,61742,61715543,11842,617
福岡福岡5419,60619,663
博多福岡10123,51222,954
久留米福岡320,61120,90720,9072920,61120,907
柳川福岡12,71412,35012,3502512,71411,594
小倉福岡710,17311,59411,5944510,17312,350
大分大分512,32114,31514,315412,32114,315
臼杵大分11,88711,37011,370511,88711,370
中津大分315,52615,51815,5186615,52615,518
佐賀佐賀724,28024,65724,6572424,28024,657
熊本熊本41,19746,6413841,15944,38444,38413841,15944,384
八代熊本419,72410,069
都城宮崎69,56410,118
延岡宮崎914,14613,578
鹿児島鹿児島548,77845,09745,0974848,77845,097
那覇沖縄35,63439,03123,79827,19327,193623,79827,193
首里沖縄25,75225,58725,75225,58725,5871525,75225,587
札幌北海道6,86016,4336,86015,04115,0411486,86015,041
小樽北海道15,882338,03415,807
函館北海道29,60943,55029,60945,47745,4774429,60945,477
江差北海道9,53711,61511,615269,53711,615
福山北海道11,06510,18710,1873411,06510,187

※資料1における東京十五区、京都二区、大阪四区の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における福岡区(福岡+博多)の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における高岡(本文で17,464)と佐賀(本文で24,180)の本籍人口に関しては巻末に数値の訂正あり。

本籍人口に関しては、資料2と資料4は全くの同一ですが、資料1とは微妙に異なります。これは資料1においては無籍在監人の人数を本籍人口に加えているのに対し、資料2と資料4は加えていないことによります。本籍人口の全国集計値としては、無籍在監人を在監の地にて有籍の本籍人口に加えるのが正しいはずですが、資料2・資料4の都市人口資料では加えていないことになります。

無籍在監人の補正を考慮しなくても、福岡区と那覇の本籍人口は、資料1と資料2・資料4では異なります。この内那覇に関しては明白な理由があり、資料1の那覇には、泊村を含む那覇のほか、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島が含まれるのに対し、資料2・資料4の那覇は、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島の本籍人口が除外されているせいで間違いないと思われます。一方で福岡に関しては、無籍在監人22人を考慮したとしても、資料1の福岡区の本籍人口は資料2・資料4の本籍人口よりも2681人、現住人口で5847人も多いと言う結果となっています。ここからは想像なのですが、現住人口はさておいて本籍人口の違いについては、おそらく行政上の「福岡区」に含まれる福岡荒戸村、福岡伊崎浦などの「村」の人口が、都市人口としての福岡の人口から除外されてしまったためと考えております。【と1時間前に投稿した時には考えましたが、以下徴発物件一覧表などとの比較により、単に福岡区の本籍・現住人口の算出に誤りが生じただけではないかと考えを改めました。】

【【以下追加情報】なお『明治二十年 徴発物件一覧表』では福岡区は154町1村で構成されているとあり、資料4の公称町村数155と比較するとこの解釈は微妙ではあります。

戸長役場所在地町数村数現住人口
天神町236,592
本町136,435
南湊町714,752
西町104,289
川口町275,839
櫛田前町277,013
下対馬小路246,651
大浜町二丁目236,153
福岡区全域154147,724
福岡地区53122,068
博多地区10125,656

『日本帝国民籍戸口表』の「第十四 各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例」では、区部人口を見る限り「各地方一万人以上市街戸口」に相当する本籍人口(つまり無籍在監人を本籍人口に含まない)・現住人口が採用されていますが、福岡県内の区としては町村数155、本籍人口45,799人、現住人口45,298人が採用されています。本籍人口・現住人口ともに「各地方一万人以上市街戸口」採用の人口よりも2681人多い数字となってるのに対し、町村数は同じままです。どうも「各地方一万人以上市街戸口」や『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』では、福岡地区に関し誤った集計をしてしまい、一部本籍人口を欠落させてしまった状態で寄留人口の加除を行ったのではないかと思われます。】

次に現住人口に関してですが、資料2・資料3・資料4ではほぼ同じ数字であり、同じ基準で現住人口が算出されたと考えられます。一方で資料1の現住人口とは大分数字が異なります。『自明治十七年至明治三十六年 道府県現住人口』の解説によると、明治18年1月1日調~明治19年12月31日調の現住人口は
但此の現住人口は道府県の本籍人口を本とし、之に出入寄留者を加除せしのみならず、更に逃亡失踪者を除きて算出したるものなり。
とあり、明治20年12月31日調以降は
道府県の本籍人人口に出入寄留者及逃亡失踪者を加除せしのみならず、陸外軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者及外国行の者を加除して算出したるものなり。
とありますが、これは道府県の現住人口算出に関する部分です。無籍在監人の件でもそうですが、資料1の方がより詳しく数字の訂正が行われているはずですが、その割には現住人口は資料1>資料2の傾向があります。これも自分の想像ですが、おそらく資料1の郡区レベルでは、無籍在監人の加算と逃亡失踪者の除外のほか、有籍在監人や兵員などの加除まで行っているため、都市部では人口が増える傾向にあるのに対し、資料2・資料3・資料4では、無籍有籍在監人を含め、これらの加除を行わず、出入寄留者の補正のみを行っているためではないかと考えております。

『明治二十年徴発物件一覧表』による戸長役場連合管轄域の人口との比較に関しては、時間がある時に改めてまとめたいと思います。
[95699] 2018年 4月 20日(金)00:48:25YT さん
明治19年末の都市人口について(1)
[88602]で『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の一部府県の大字別人口についてまとめましたが、家族が増えてからというものほとんど家で調べる時間がなくなり、北海道・沖縄県の調査を追加した時点で放置状態となってしまいました。今回白桃 さんが明治19年末の都邑人口ランキングを作成され、それについてekinenpyou さんがコメントされているのを見て、改めて明治19年末の都市人口についてまとめておこうと思います。

『日本帝国民籍戸口表』などでは明治19年末の版から現住人口1万人以上の都市の人口を『 各地方一万人以上市街戸口』としてまとめ、これが『日本帝国人口静態統計』へと引き継がれています。実は古厩忠夫著『裏日本 : 近代日本を問いなおす』の中で、明治19年末の現住人口が誤って「明治9年」の都市人口として取り上げられてしまったため、今でもこの明治19年末の現住人口が、明治9年の都市人口と誤解された情報がネット上に漂っています。

[95694] 白桃 さん

また、Aには1万人以上として記載されているが、Bには記載されていない都邑は以下の通りです。
難波(26,112)、玉島(16,325)、小樽(15,807)、延岡(13,578)
広 (13,377)、倉橋(12,781)、天王寺(12,304)、四日市(11,939)
徳山(11,511)、蒲刈(11,253)、呉 (11,160)、福島※(11,132)
豊橋(10,904)、村上(10,805)、平戸(10,775)、氷見(10,595)
熊谷(10,461)、土浦(10,295)、瀬戸※※(10,271)、船津(10,166)
都城(10,118)、八代(10,069)

実は「第三乙表」の方に、肥前国南高来郡西有家村(10,012)と安芸国安芸郡仁保島(14,766)が掲載されています。

こうやってみると、「記載なし」に何らかの意図が感じられるところもありますが、四日市、豊橋などは、単なる「記載モレ」のような気がします。

四日市と豊橋が記載漏れしてしまった理由は、本籍人口が1万人未満であったためと思われます。もちろんこれだけが原因ではありませんが。

さて、現時点で私が把握している明治19年12月調の都市人口資料としては、以下のものがあります。

●資料1 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第二 各地方庁及各郡区役所管内戸口表」
都市人口ではありませんが、「区」の本籍人口、現住人口が利用可能です。
●資料2 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第十五 各地方一万人以上市街戸口」
本籍人口と現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料3 『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「第十一表 人口一万以上ノ市町村現住人口(自明治十九年末至同四十一年末)」
現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料4 『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』
●資料5 『明治二十年徴発物件一覧表』(クレス出版『明治徴発物件表集成』収録)
こちらはオンラインで閲覧できませんが、[87941]でも紹介しましたように、戸長役場所在地別人口が掲載されています。今回こちらの数字は表にはまとめませんが、徴発物件一覧表記載の数字と比較することにより、どうも『民籍戸口表』・『日本帝国民籍戸口表』・『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』などが採用した都市人口では、行政上の戸長役場の領域を無視し、「~町」と称される町場のみを足した数字が優先されているらしいことが分かりました。ただし例外は沢山あり、一貫した規則はそこにはありません。

以下、4つの資料(『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』から2種類、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』)を基に、明治19年12月31日調の本籍人口・現住人口をまとめてみます。なお無籍在監人の人数は 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第五 各地方在監有籍者及無籍者人口表」により、公称町村数は資料4『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載のものです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
東京東京754,6961,227,49438754,6581,121,8831,121,8831,338754,6581,121,883
麹町区東京25,92358,9413
神田区東京87,270123,241
日本橋区東京74,408153,996
京橋区東京71,790173,03126
芝区東京69,749113,002
麻布区東京24,91940,814
赤坂区東京18,54728,237
四谷区東京20,37930,733
牛込区東京29,88146,7999
小石川区東京26,70040,841
本郷区東京46,25762,205
下谷区東京52,54478,464
浅草区東京96,473119,042
本所区東京61,51185,870
深川区東京48,34572,278
品川東京11,72515,87415,874611,72515,874
千住東京11,22312,50612,506711,22312,506
京都京都236,882254,5098236,874245,675245,6751,681236,874245,675
上京区京都105,734113,9298
下京区京都131,148140,580
伏見京都19,77119,83119,83121919,77119,831
大阪大阪299,162396,6208299,154361,694361,694518299,154361,694
西区大阪90,132112,419
南区大阪93,615124,707
東区大阪64,79794,607
北区大阪50,61864,8878
大阪43,18145,992143,18044,01544,01519543,18044,015
難波大阪118,40926,112
福島大阪210,21011,132
天王寺大阪112,00212,304
岸和田大阪13,08412,36612,3661013,08412,366
奈良大阪22,22022,66622,66615222,22022,666
郡山大阪13,25312,83412,8344513,25312,834
横浜神奈川60,573106,5441360,56089,54589,5458360,56089,545
神奈川神奈川10,45611,34511,345210,45611,345
八王子神奈川112,48515,77515,7751912,48515,775
横須賀神奈川106,94013,25113,251166,94013,251
小田原神奈川2514,41914,00914,009514,41914,009
神戸兵庫65,26697,140465,26280,44680,44612565,26280,446
西宮兵庫11,57311,93211,9322411,57311,932
尼ヶ崎兵庫13,06412,74212,742513,06412,742
明石兵庫18,56118,58718,5871418,56118,587
姫路兵庫622,80222,67722,6779622,80222,677
長崎長崎34,26144,044234,25938,22938,2298734,25938,229
島原長崎18,33717,59317,593318,33717,593
平戸長崎2210,23910,775
西有家長崎110,03510,012
新潟新潟41,05742,9781141,04640,77840,77823541,04640,778
新発田新潟10,87310,52710,527210,87310,527
長岡新潟17,09816,15216,1524217,09816,152
高田新潟524,99224,57124,5719524,99224,511
村上新潟211,73210,805
相川新潟11,64510,70410,7047411,64510,704
川越埼玉715,26614,18414,184615,26614,184
熊谷埼玉128,16010,461
千葉千葉1311,42318,20418,204311,42318,204
船橋千葉10,41110,41910,419310,41110,419
銚子千葉26,12425,76625,766626,12425,766
水戸茨城1618,62119,01019,010218,62119,010
土浦茨城118,74810,295
前橋群馬213,95516,58516,5853013,95516,585
高崎群馬618,26420,31220,3124318,26420,212
宇都宮栃木1917,17820,47520,4755717,17820,475
足利栃木12,50114,63214,632112,50114,632
桑名三重15,30715,20415,2045215,30715,204
四日市三重269,61711,939
三重1413,69415,88415,8845613,69415,884
松坂三重10,72911,95811,9581210,72911,958
山田三重420,32821,22321,2232220,32821,223
上野三重12,63512,78512,7853512,63512,785
名古屋愛知126,790143,56911126,779131,492131,492274126,779131,492
熱田愛知16,78716,39016,3901616,78716,390
岡崎愛知11,01212,74212,7422511,01212,742
豊橋愛知238,55910,904
浜松静岡1312,82312,14112,1413212,82312,141
静岡静岡1837,76736,83836,83812437,76736,838
沼津静岡11,67710,37110,371411,67710,371
甲府山梨2114,06418,41118,4113714,06418,411
[95377] 2018年 2月 3日(土)23:18:18【3】YT さん
寺山について追記
[95369] Takashi さん

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。


すみません、こちらが勘違いしておりました。寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。以下1995年当時の日生町に関して1995年の国勢調査報告書に登録されている町丁字までを示すと(大字大多府・大字寺山には下位区分なし)以下の通りで、取揚島の大字福浦については、人口調査の対象外となっています。【追記:国勢調査報告書では大字寒河の下の町丁も記載数が少ないので、追加で全部示すことにしました。「中日生」という地名が大字寒河と大字日生に跨っていますが、東山ハナという小字は掲載されていません。】

世帯数人口総数1995年当時の日生町の町丁字
2,9979,169総数
1,7044,965大字日生
74231 大字日生峠小路北部
59137 大字日生東小路北部
65197 大字日生四軒屋東部
141431 大字日生日陽奥南東部
152438 大字日生栄町西部
106309 大字日生宮奥北部
3389 大字日生中小路東部
65294 大字日生脇の上北部
78238 大字日生三軒屋東南部
119348 大字日生三軒屋北奥北部
223652 大字日生三軒屋西南東部
65174 大字日生後小路北部
50133 大字日生南の一
127358 大字日生南の二西部
571156 大字日生湾戸北部
102264 大字日生頭島西の谷南部,大西東部
91286 大字日生頭島,外輪,北浦
1545 大字日生鹿久居島
2051 大字日生鴻島
32134 大字日生中西生西部
1,2234,037大字寒河
171553 大字寒河中日生東部
39464 大字寒河梅灘南部
65171 大字寒河梶谷東部
123415 大字寒河西浜山北東部
109404 大字寒河西,西中,川内
99358 大字寒河大西西部
131458 大字寒河中,北,宮の下の一部
159547 大字寒河東,名切,宮の下の一部
73209 大字寒河東奥福浦峠
154458 大字寒河深谷西北部
62154大字大多府
813大字寺山

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?『日生町誌』96頁によると。

 この間、昭和三十五年度から同三十七年度にかけて、岡山県および日生町では、福浦地区住民の福祉向上のため、海岸堤防の改良、林道の開設、簡易水道の建設、診療所の新設など約一億三千万円(うち町費五千二百万円)にのぼる諸種の事業を進めて、いわば引きとめ工作を行なった。このため福浦地区の一部住民の間には、「日生町がこんなに力を入れてくれるのに、無理矢理に越県合併しなくてもよいではないのか」との声もあったといわれる。
 しかし、分町派では、消防団、婦人会、青年団などの組織を日生町から分離したり、町が建設した簡易水道に加入せず、私設水道をつくるなどの対抗策をとるなどして、分町実現への根強い運動をつづけた。


現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

一方鹿久居島の鵜ノ石鼻にある鵜石鼻灯台に関し、ネット上で「岡山県備前市日生町大字福浦字」となっております。少なくとも『日生町誌』が作成された1972年までには鹿久居島の全域が大字日生となってますので、「大字福浦」というのは多分灯台が初点灯された1964年3月30日当時の情報なのでしょう。鹿久居島を分割していた3つの大字が総て日生に統一された時期は、これ以上は絞り込めません。

最後に取揚島の件ですが、例えばwikipediaなんかだと

・1963年(昭和38年)9月1日 - 福浦地区(寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ越県分離となる。
 ・この越県分離に伴って、取揚島(日生諸島に属する無人島)の島内に岡山県・兵庫県の県境が設定された。


とありますが、これに関しては、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図の段階で取揚島の上に県境が描かれているので誤りです。既に過去に紹介されていますが、『日本歴史地名大系』の「日生諸島」の項目によると

古来より好漁場であるばかりでなく、海上交通の風待地にあたる。鹿久居島周辺では、近世初頭から漁業争論が起こっている。大多府島は岡山藩の船番所として島の歴史が始まった。頭島は一九世紀前半から日生村からの移住が進み、現在はくまなく開墾されている。取揚島は「撮要録」の元禄二年(一六八九)の記事によれば、島の西南部が、備前和気郡福浦(ふくうら)村(現赤穂市)構、北東部が播磨赤穂郡真木(まき)村(現同上)構となっていた。笹草が生えていたが、両村とも海上一里も離れていたため、草刈を行っていなかった。「古今見聞雑記」(正宗文庫)によると、正保三年(一六四六)岡山藩と赤穂藩双方の役人の立会いのもとに二分され、慶安二年(一六四九)には岡山藩の郡奉行河村平太兵衛、郡目付永田三郎左衛門が出張して、国境に塚が築造された。


何か肝心のところで『日本歴史地名大系』も、島の西南部を「現赤穂市」と書き間違えておりますが、江戸時代から備前国和気郡と播磨国赤穂郡、岡山藩と赤穂藩、続いて岡山県と兵庫県の県境となったわけです。

【追記】国立公文書館デジタルアーカイブの天保国絵図の備前国や、播磨国を見たところ、見事に「とりあけ嶋」に国境が描かれていますね。
[95367] 2018年 2月 2日(金)18:35:23【5】YT さん
大字福浦の所轄について
[95361] そらみつ さん
[95364] Takashi さん
[95365] N さん

横からすみません。そらみつさんが疑問に思われていることは、旧大字福浦の内、どのような経緯で寺山地区(字二本松、東山鼻、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥)が現在の地図において、大字寒河の所轄となり、鹿久居島の全域が大字日生の所轄となり、取揚島だけが大字福浦に残ったかということだと思います。一連の書き込みを見て、先程『日生町誌』(1972年)を閲覧して来ましたが、

・福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


数年にわたる漁業権問題や地域感情の対立など、詳しい編入の経緯についての記述はありますが、肝心の大字の変遷についての記述はありません。

・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


この点も後述するように、余り記載がありません。ただいくつか興味深い点が見つかりましたのでまとめます。

まず明治の大合併において

日生村=大字日生+大字大多府
福河村=大字寒河+大字福浦

となったわけですが、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図を見ればわかる様に、鹿久居島の中に村境があり、島全体の西の一部が日生町で、残りが福河村となっております。具体的には後述するように、島の総面積10 km2弱の内、約4 km2が昭和初期には日生町所轄で、残りの6 km2が福河村所轄です。『日生町誌』16頁の鹿久居島の記述によると

(3) 鹿久居島 日生本土から八百メートルの南にあって周囲二十八キロ、面積九八五・五ヘクタール、世帯数十五、人口六十人、岡山県下では最大の島で、国有林になっている。むかしは無人島で、日生、寒河、福浦の三村に属し鹿の野生地として有名で、旧藩時代の狩猟地であった。


一方25頁以降の「第二編 地誌」の解説では

 日生町は日生、大多府、寒河、福浦(寺山)の四つの大字から成っている。
(1) 大字日生 日生本土ど大多府を除く諸島を合わせた区域を総称して大字日生という。

つまり鹿久居島はもともと日生、寒河、福浦に分割されており、越境合併の1963年当時も鹿久居島の一部に大字福浦が設置されていた。ところが『日生町誌』が書かれた1972年までには鹿久居島の全域が大字日生の所属となっていたということになります。具体的に『昭和十年 全国市町村別面積調』や国勢調査時の面積の時系列をまとめると

西暦1935年1950年1955年1960年1965年1970年
日生町13.2512.8642.4142.4135.0135.01
福河村30.0030.00

日生町と福河村の面積の合計が合併後に0.45 km2ほど減るなど、若干数値が異なりますが、まあその辺は測定誤差の範囲でしょう。1963年に赤穂市へ異動となった土地は7.4 km2で、日生町に留まった旧福河村の土地は22.5 km2前後となります。

ところが『日生町誌』の3~4頁の大字別面積によると

大字面積(km2)
日生17.8
寒河16.1
大多府0.4
福浦(寺山)0.7

日生+大多府が18.2 km2、寒河+福浦が16. 8km2となり、6 km2弱の土地が旧日生町側に異動したことになります。10 km2の広さのある鹿久居島の東部分がいつの間にか大字日生の所轄となったことの証左となります。

次に寺山地区についてですが、『日生町誌』33頁によると

(4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者あg多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山鼻 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑


向ヒ田ノ奥が一つの字となっておりますが、昭和38年自治省告示第106号に登場する「字」が総て寺山地区のものだということが分かります。それよりも問題なのは、『日生町誌』は本土の方の字は事細かく書いておりますが、鹿久居島や取揚島に所属する小字についてはなんら記載がありません。

以上をまとめると

1963年以前、日生町大字福浦は取揚島の一部・鹿久居島の一部・本州側の地域を含んでいたが、越境合併の結果、取揚島の一部・鹿久居島の一部・内陸の寺山地区が日生町大字福浦に留まった。
1963年~1972年 いつの間にか、鹿久居島の内の大字福浦、大字寒河の所轄が大字日生の所轄へと変更になる。
1972年~現在 いつの間にか、寺山地区が大字寒河の所轄となるが、取揚島の西南部だけが大字福浦の所轄のまま留まる。

こんな感じでしょうか?

越境合併に関連する漁業権の設置された地域などに関しては『赤穂市史 第三巻』(1985年)の629頁に詳しい地図が掲載されています。

【追記】
[95366] Takashi さん

・福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
・福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?


これについては具体的な記載がありません。当時の住民、とりわけ漁業関係者の利益面と感情的な対立について詳しいことは書かれていますが、執筆者はある意味土地を赤穂市に奪われた側の住民ですし、越境合併からわずか10年程度に執筆されていますので。

【誤記修正】大字➡寒河
【リンク修正】
[93042] 2017年 7月 28日(金)12:50:26【3】YT さん
桶狭間村を巡る不幸な合併の歴史
『有松町史』(1956年)に、桶狭間村に関する詳しい合併の経緯が載っていましたので、以下紹介します。

「維新後の村政」
(中略)
 一方、桶狭間村では、戸数八四戸の小村であったために、共和村と合併することになった。明治一一年の町村制施行にさいして、愛知県では、独立して一村を組織運営する実力をもたない村を対象に、町村合併に努力したのである。桶狭間村は共和村との合併に強く反対の意向を示したが、拒否することはできなかった。しかし、合併はしてみても、遠隔地で地理的に不便であり、住民の人情もとかくおりあいが悪く、明治一四年には分村して独立してしまった。

「有松町と桶狭間村の合併」
 明治二一年四月には、市制および町村制が発布されて、ここに地方自治制度はまったく確立整備された。これによって市町村の法人格や条例制定権が法認されるとともに、その権限についても制度的に整備されたのである。同時に、この新法の適用をうける実力のない町村が整理されることになり、市町村の合併が強行された。桶狭間村はふたたび共和村と合併した。しかし、村では従来の経験からあくまでも反対の意向を示し、つぎの三カ条の理由をあげた。

 一、桶狭間は歴史上著名な村落で、いまこれを消滅し大字となるのは、村民一般のしのぶにたえざること
 二、本村は地価三三、一八〇円余、公民権者六〇名余あって、独立の経営をするのにさしつかえないこと
 三、さきに共和村と合併のさい、共和村より議員の多数を出し、しかも多数を誇って横暴をきわめ、自村の利益のみをはかり、本村はつねに多数に制せられていた。また共和村にいたる道路が遠く往復に不便であったから、すでに明治一一年に合併したが両村の間柄が悪く、同一四年に分離したような状態であり、たとえ今回合併してもとうてい将来の和合は望みえないこと、

 以上をもって再三県庁に嘆願したが、容易に許可とならなかった。そこで明治二二年一〇月に、隣村の有松村と町村制一一六条による組合組織設定を出願した。その理由はつぎの三カ条であった。

 一、桶狭間村と共和村と合併するときは道路が遠く不便であるが、有松村と組合組織を設定するときは道路の便がよいこと
 二、有松村は商業をもってその名をあらわし、桶狭間村は歴史上その名をあらわしているから、いずれもいまこれを大字とすることは、両村民とも希望しないところであり、両村とも独立して組合組織を設けたいこと
 三、有松村と桶狭間村は、むかしから氏神を同一にしていたから、いまなお祭礼は合祭しているので、自然に人情・習慣・生計の度を同一にしているが、共和村とはこれに反していること

 この嘆願もなかなかいれられず、桶狭間村の反対運動がつづいた。その間、村の財政は極度に疲弊していたが、また独立村としての資金を備える必要にもせまられた。同村の相羽家より二、〇〇〇円の公債寄附をうけ、全村民は頼母子報徳講をつくって救済を講じ、一方つてを求めて他村から借金し、かろうじて村を維持する状態をつづけていた。
 桶狭間村は、あくまでも共和村との合併に反対したが、やはり独立村として維持していくことには困難があり、また県庁の認めるところではなかった。そこで同村では、共和村よりも種々の点で関係の深い有松町(有松村は明治二五年九月に町制を施行した)との合併を望むにいたった。有松の側でも、しきりに桶狭間との合併を希望しており、たとえば明治二四年には、有松村臨時村会は共和村大字桶狭間との合併を、もっとも有益なこととして、満場一致で賛成した。共和村もついにこれに同意し、明治二六年五月に三者連名で町村組換嘆願書を提出した。これは県庁の認可を得て、同年一一月には知多郡長から合併許可の通達があった。
 有松町と桶狭間との合併は、むしろ自然の勢いであった。両者の由来においても、すでに述べたように、慶長年間に桶狭間村から分住して有松村を開発したのであり、当時は有松は桶狭間村の一支郷だったわけで、その根源を一にしている。したがって住民も慶事弔裁など社交上いっさいにおいて、あたかも同一町村の住民のような親密な関係にあった。ことに桶狭間の氏神である神明社は、かつて有松の氏神でもあったし、祭典も同じくしていたので、風俗習慣のうえで共通のものがあった。また、村民の生活上でも合併を希望する理由があった。桶狭間村民の大部分は、有松紋の下請仕事を不可欠の副業としており、有松紋の下職には多数の桶狭間村民が従事していた。また有松では耕地が少ないから、農業面では桶狭間に依存し、桶狭間の農業はその肥料に多数の藍粕を用いて、相互に助けあっていたのである。合併当時の有松町は、耕地面積は二五町歩に満たず、戸数三三〇戸、人口一、二五〇人であり、桶狭間は耕地面積八一町余で、戸数九七戸・人口四八〇人であった。桶狭間を合併した有松町は、ここに当時としてはほぼ適切な規模をもち得るにいたったのである。


以上の説明からは、明治22年~明治26年の間、桶狭間の住民は独立村として共和村とは異なる運営をしていたものの、愛知県や他の町村(有松町を含む)から公式に認められた立場は、「共和村大字桶狭間」に過ぎなかったことが読み取れます。また当事者の関わっている『有松町史』に、明治25年合併の記載がないので、1889年(明治22年)10月1日の再合併が正しく、明治1892年(明治25年)9月13日の合併は間違いでしょう。なお、1892年(明治25年)9月13日という日付は、有松町が町制を施行した日付と完全に一致します。つまり、有松町の施行日を誤って共和村と桶狭間村の合併日と勘違いして、種々の本が記載してしまった可能性が高いということになります。

というわけで、[93041]

あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。


は取り消します。実際には最後まで独立採算を通して共和村と対立していたようですし。


【訂正】:「共和村大字桶狭間村」から「共和村大字桶狭間」に修正
【訂正】:その他の誤字修正多数
[93041] 2017年 7月 28日(金)10:39:52【7】YT さん
愛知県の町村合併について補足
[93031]の捕捉です。『一色町誌』(1970年)によると

この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。

とありましたが、そもそも家屋税は住民が県に納める地方税であり、町村の財政とは関係がないはずです。そこで色々調べたところ『愛知県史 通史編7 近代2』(2017年)に郡役場の収入源として「各町村分賦税」というものがあったとの記載がありました。すなわち国は国税を、府県は府県税を、市町村は市町村税を徴収したのに対し、郡役場は独自の税収がなく、郡内の町村からの分賦金で予算を賄っていたのです。そして愛知県の場合、各町村における前年度の直接国税、府県税の徴収額を元に分賦金を算出し、所属する町村の予算から徴収していたのです。つまり、住民の国と県への納税額が少ないほど、郡役場に納めなければならない分賦金の額も減るので、少しでも郡役場に納める分賦税を減らすために、家屋税等の税率が下がる「村」になることを選択した・・・という世知辛い事情があったようです。

[93040] 通りすがり さん

[64769] で88 さんが触れられていますが、

(4)知多郡共和村(現在の大府市)について

(a) M22(1889).9.24付け愛知県令第47号によると、M22(1889).10.1付けで、従前の知多郡共和村,桶狭間村の2村が合併して知多郡共和村が発足(愛知県における市制町村制実施による村制施行)
(b) 「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」では、M22(1889).10.1付けで、従来の知多郡共和村,桶狭間村の2村がそれぞれ単独で市制町村制実施による村制施行、その後M25(1892).9.13にこの2村が合併して知多郡共和村が発足

愛知県令ではM22.10.1付となっているのに対し、他ではすべてM25.9.13付となっています。ただし、例えば官報による明治22年12月31日付の現住人口では、知多郡桶狭間村のエントリーはありませんので、どちらかというと愛知県令の方が正しいと思われます。

愛知県に関しては、明治の種々の合併の際に色々問題が起こったことが『愛知県史』に書かれており、例えば合併後も旧村がそれぞれ独自に役所を保持し、全く合併の実態とは程遠かったとか、地租の不平等感から旧町と旧村の間に対立が生じたりだとか、明治末の大合併後も全体の町村の2割に問題があったとのことです。

【追記】この掲示板でも過去に何度か触れられていますが、愛知県の場合、実際には町村合併が行われた訳でもないのに、大字レベルでの何かしらの統合が、種々の本に合併記載されてしまっているケースが多数あるようです。また愛知県幡豆郡のケースを調べた際、間違って知多郡横須賀町の『横須賀町史』(1969年)を調べたところ、町村合併後も個々の旧町村に「区長」が置かれ続けたことが記載されており、合併後も地域分立が続いた実体が伺えます。【あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。】【追記:M25(1892).9.13は有松村の町制施行の日付であり、しかも共和村大字桶狭間は有松町に編入するまで共和村の中で独立採算の運営を続けていたことも分かったので、左の文は誤りでした。】

参考までに『明治24年 徴発物件一覧表』では、愛知県知多郡共和村の明治23年(1890年)12月31日付の陸軍調査現住人口は以下のように記載されています。

市町村・大字名家屋 戸数人口 男人口 女
大字 共和318692694
大字 桶狭間125230269
共和村 計443922963

【追記2】共和村と桶狭間村の合併の経緯については『有松町史』(1956年)に詳しく載っていましたので、項を改めて記述します。いずれにせよ、M25(1892).9.13は間違いと思われます。
[93031] 2017年 7月 26日(水)21:11:42【1】YT さん
愛知県幡豆郡における町村大合併時の町→村への変更は、財政負担軽減のため
公私共に忙しく、中々書き込めない状況が続いていましたが、久々に投稿します。

[92993][92996] 通りすがり さん
[92995][93020] hmt さん
[93006] オーナー グリグリ さん

1906年5月1日付の愛知県幡豆郡における合併の際の町から村への「降格」についてですが、実際にこれら3町村の地方史を閲覧した方が事情が分かるのではないかと思い、以下の三冊の本に目を通しました。

『幡豆郡横須賀村誌』 (1924年)
『一色町誌』 (1970年)
『平坂町誌稿』 (1988年)

この内『平坂町誌稿』はほぼ地方史資料集のような感じで、この時期について全く触れられていません。また、『幡豆郡横須賀村誌』の方では、町制→村制という事実のみが触れられているのみです。一方、『一色町誌』においては、「第3編 行財政 第1章 地方自治の発展 第2節 町村制の施行 3 一色町の誕生」(231頁-232頁)に具体的な理由が書かれれていたので以下紹介します。

 前項にのべたように,憲法制定後の国家の行政指導は,短期間に全国の町村を約5分の1に減らすという大規模な町村合併を遂行した。一色地区においても,明治初年42か村が22か村になり,さらに6か村となった。その後,明治25年(1892)5月13日,一色村が単独で一色町を名乗り当地区は1町5か村となった。やがて日清,日露の両戦争を経て,日本の資本主義が益々発展の一途をたどる一方,地方財政は義務教育6年制の実施,地方産業施設の拡充,保健衛生行政の充実などで経費が膨張し,地方行政機関の財政負担はいっそう過重になった。そのため愛知県では,その負担軽減を町村合併による規模の拡大で,財政の基盤を固めようとして,明治38年(1905)訓令を発した。この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。
当時役場の記録では,
  第四八号
 本村ハ一色村トアルヲ一色町ト改メントス
     大正十二年二月二十八日提出
     幡豆郡一色村長徳倉廣吉
    大正十二年二月二十八日 可決ス
とあり,10月1日は町制施行の月日といえる。

というわけで、『一色町誌』の記述によると、町制か村制かで愛知県に納める地方税に差があり、税負担を軽減するためあえて村を名乗ったということになります。

町村制制定においては、町と村との間に制度上の差はなく、呼称は慣習に従う程度のことしか定められていなかったわけですが、愛知県においては少なくとも明治39年当時、地方税において町と村に差が設けられており、そのために少なくとも愛知県幡豆郡一色町では合併後に一色村への「降格」が行われたということとなります。

ただ、この「県が賦課する家屋税その他課税率」の具体的な内容というか、法的根拠の方ですが、国立国会図書館のデジタルコレクションで「現行愛知県令訓類集」等を見ましても、自分には見つけられませんでした。例えば明治28年の『愛知県々税課目課額並諸規則』では家屋税は市にのみかけられており、

家屋税 市 乗率個数百個ニ付 金拾六銭

とあります。

『愛知県史 第4巻』によると(以下一部新字体、現代仮名遣いに改訂)、

 独立県税として最初に述ぶべきは家屋税である。これは明治十五年の郡区部会規則に依り初めて設けられたもので、後二十三年の府県制制定の結果、府県は市部と郡部とを問わず、均しく戸数割に代え本税を賦課し得る事となった。然るに三十二年の改正府県制に於いて家屋税に関する規定が削除されると共に、同年勅令二七六号にて府県の全部又は一部の地に於ける家屋に対し、家屋税を賦課する事が許されたので、本県も三十五年度より郡部一部の町村に対し、十個に付三銭一厘の割合にてこれを賦課した。その後大正十年の勅令第四二二号府県税戸数割規則に於いて家屋税及びその附加税を戸数割及びその附加税の代替税たる事を明示したが、同十五年三月の法律第二十四号「地方税ニ関スル法律」により、家屋税及びその附加税を一般的地方税として創設する事となった。然し実施の円滑を期する為めにしばらく市町村に配賦してこれが徴収をなす事としたのである。


これだけ読んでも町と村の間に差を設けたことなどは読み取れませんが、『一色町誌』の記述が正しいのなら、愛知県幡豆郡における「郡部一部の町村」=「町制を敷いた地区のみ」ということになります。

なお余談ですが、地方史を調べる前に当時の新聞記事のデータベースを調べたことがあったのですが、1906年4月から7月にかけて、「愛知県下町村合併問題」に関する便宜を図ったことによる収賄事件が発生し、愛知県参事会員5人が逮捕され、有罪となる事件が発生しております。この収賄事件に対する報復として、村への降格が行われたのかと邪推したのですが、どうも違ったようです。

【誤字修正】
[91228] 2016年 8月 17日(水)18:49:09YT さん
私個人の受験事情2
[91218] ぺとぺと さん
[91222] みかちゅう さん
[91223] Takashi さん

最近忙しくて書き込んでおりませんでしたが、余りにも自分に身近だった話題が展開されているので、出張先の国外のホテルから書き込みます。

まず、私個人の特殊事情についてとして
・1973年生まれのいわゆる第2次ベビーブーム世代であること

私も同い年です。生まれは埼玉県浦和市ですが、すぐに神奈川県川崎市麻生区に引っ越しました。

私には兄がおりますが、普通に公立中学に通い、川崎市全域を学区とする公立高校に進学し、大学受験をしました。ところが私の場合は中学受験をした方が良いという話となりました。というのは、小学生の頃の私は誰がどうみても運動神経ゼロで、体育の成績も五段階評価で「一」か「二」で、それより上を取ったことはありません。なお当時の川崎市立小学校は完全な相対評価で、クラスに必ず「一」の評価の人と「五」の評価の人がそれぞれ2名ずついました。ですがこの方式は時代によっても異なるもののようで、若い学生に「自分は小学校の頃、体育の成績だけは五段階評価で一か二だった」と話題を振ると、「体育の授業中に何か問題行動を起こしていたんですか?」という返事が返って来たりするんですよね…。現在は問題行動を起こすとかでない限り、「一」の評価を得ることはないようです。しかしながら同い年の別の県出身者の人も、五段階評価で「一」を取るのはよほどのことだったと言っていましたから、地域によっても評価方法は異なるようです。

当時の神奈川県は、アテストなる試験が中学二年であり、それと内申点と入試で合否が判定されるのですが、川崎市内を学区とする某公立高校の場合、中学時代の体育の成績が2倍で計算されるので、体育が苦手な子供には不利でした。そこで私は中学受験した方が良いという話となり、都内の某国立大学附属と、都内の某私立中高一貫校を受験しました。某国立大学附属の方はくじ引きで落ち(当時は倍率50倍で、くじで1/7に減らし、受験で1/7に減らしていた)、中学から都内の私立中高一貫校へ通うということとなりました。結局中学以降の教育は総て都内で受け、仕事場も海外にいた時期を除きずっと都内という、神奈川都民の人生を歩んでおります。

なお自分の記憶では、自分が通っていた公立小学校のクラスメート40人弱の内、1/3の10数名が中学受験をし、実際に合格したのは自分を含めて5人でした(約13%)。現在の受験事情については全く知りませんが、[91226]を見る限り、思ったほど私立偏重が助長されて来たわけでもなさそうです。私立志向が強まって行く一方で少子化もあり、底辺の方の私立学校の経営が色々悪化しているという話も聞きます。自分も父親となったので他人事ではなくなりましたが、教育問題と経済問題、人口問題、学校経営などを絡めて色々と考察できそうですね。
[90107] 2016年 3月 25日(金)00:18:20【1】YT さん
西八代郡上九一色村の扱いについて 【追記あり】
[90077][90092]オーナー グリグリさん

作成されました表を見て、一点気になった点があります。それは2006年3月1日付で甲府市と南都留郡富士河口湖町に分割された、西八代郡上九一色村の扱いについてです。

自分もかつて[82005]の中で、

上九一色村については「市区町村の変更情報」として別項目で扱われ、「分村:梯・古関」が甲府市に編入、「分村:富士ケ峰・本栖・精進」が南都留郡富士河口湖町に編入と記載されておりました。

と書いてしまいましたが、2000年以前の国勢調査報告書に記載されている「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧」では、これらの情報は一括して同一の表で扱われており、上九一色村の一件も、人口異動を伴う境界変更データとして扱った方が良いと思います。

一応国勢調査報告書の方では、

参考6 廃置分合・境界変更・名称変更一覧(pdfファイル)

で閲覧可能です。内容は以下の3つを含み:

(1) 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成22年10月1日)
(2) 市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)
(3) 市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)

上九一色村の分割については(3)の「市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)」の項にまとめられています。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併等の内容合併,市・町制施行後の状況市区町村コード
山梨県2006.3.1東八代郡中道町,西八代郡上九一色村(分村:梯・古関)甲府市へ編入甲府市(コウフシ)19201
2006.3.1西八代郡上九一色村(分村:富士ケ峰・本栖・精進)南都留郡富士河口湖町へ編入富士河口湖町(フジカワグチコマチ)19430

2005年の国勢調査報告書以降、市区町村の変更情報一覧が独立し、これに関わる異動した人口の詳細が省かれるようになってしまったので、具体的な数字も国勢調査報告書と照らし合わせて計算する必要が出て来てしまいますが。

【追記】すみません。上九一色村については、国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替の方では言及がありましたね。

ただ上九一色村のような分割のケースに関しても、今回作成した人口異動を伴う境界変更一覧に追加した方が良いと思います。合併の場合は、過去のそれぞれの境界内の人口を単純に足せば、現在の境界内の人口との比較による人口増加率等の算出が可能ですが、分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要となり、その点で小規模な地域の移動による境界変更と同じとなります。
[90087] 2016年 3月 18日(金)03:28:43YT さん
柏崎市~柏崎町の間の境域変更
[90077] オーナー グリグリさん

久々に投稿します。

3.[81966] 柏崎市と柿崎町の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。ところが、平成3年面積調 p.81(pdf)によると、異動年月日が「平成3年(1991年)10月1日」となっています。告示は「1989.3.29自治省告示第58号」であり、この日付からは「1989.4.1」が妥当に見えます。また、平成2年(1990年)国勢調査にある昭和60年(1985年)組替人口と昭和60年(1985年)国勢調査確定人口に差があり、この境界変更による人口異動数と一致していますので、やはり「1989.4.1」が妥当に見えるのですが、面積調の異動年月日を単なる間違いだとするのも変です(平成3年の面積調に書かれていることから)。ちなみに、平成元年、平成2年の面積調にはこの境界変更の記述はありません。これはいったいどういうことでしょう。どなたかご教示いただければ。


一応国勢調査報告書の「付表5 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (昭和60年10月2日~平成2年10月1日)」では、以下のように記述されています。

年月日異動地域昭和60年人口
205 柏崎市86,198
1985.10.1旧柏崎市 (205)86,020
1989.4.1旧中頸城郡柿崎町の一部(541*)178

年月日異動地域昭和60年人口
541 中頸城郡柿崎町13,294
1985.10.1旧中頸城郡柿崎町 (541)13,472
1989.4.1旧柿崎町の一部が柏崎市へ (541* to 205)-178

また「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (平成2年10月2日~平成7年10月1日)」で1990年以降の境域変更を確認しましたが、人口の異動を問う/問わないに関係なく、1990.10.2~1995.10.1の間での柏崎市・柏崎町の境域変更の記載はありません。


4.[81966] 新発田市と加治川村の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。平成2年面積調 p.83(pdf)によると、異動年月日が「平成2年(1990年)9月21日」となっています。告示も「1990.8.23自治省告示第129号」となっており、異動年月日は9月21日が妥当な気がします。ちなみに、面積調の同じページに、異動年月日が1989.4.1の加治川村と紫雲寺町の境界変更の記述があり、こちらとの取り違えではないかと推察しますが、YTさん、いかがでしょうか。なお、国勢調査の組替人口には影響はありません。


すみません。「1990.4.1」が正しく、「新発田市」の方は人口や自治体コードから言っても「北蒲原郡紫雲寺町(15309)」との書き間違いです。25人の人口の異動は北蒲原郡紫雲寺町との間で起こったことです。
[88602] 2015年 8月 9日(日)21:21:13【2】YT さん
徴発物件一覧表記載の3府4県の明治22年、明治23年末の現住人口
2ヶ月ぶりに投稿します。

以前[87941]で徴発物件一覧表記載の明治22年(1889年)12月31日、明治23年(1890年)12月31日の現住人口を、日本帝国民籍戸口表記載の本籍・現住人口、官報記載の現住人口(明治22年末, 明治23年末)と共にまとめるすることにしたと書きましたが、東京府・京都府・大阪府・神奈川県・兵庫県・長崎県・新潟県とまとめている内に、行数が15,000を超えてしまいましたので、現時点での集計状況をまとめました。以下のサイトから、LHAで圧縮された「3fu4ken.lzh」をダウンロードできます。ファイルサイズは約1Mbで、中にエクセルファイル「3fu4ken.xls」(約3.6 Mb)が入っています。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/882/3fu4ken.LZH

また『明治二十四年 徴発物件一覧表』(データは明治23年末)の内、東京府を含む10ページを
こちら】
にアップロードしました(約7Mb,pdf形式)。ファイル名に日本語全角フォントを入れたところ、リンクのURLが長くなってしまいました。


前の投稿でも書きましたように、『明治二十四年 徴発物件一覧表』の特徴は、

(1) 大字別人口の記載がある。ただし、京都府・大阪府・神奈川県・長崎県・新潟県の場合は「(大字)~」と記載されているのに対し、東京府の場合は「(元)~」、兵庫県の場合は(大字)や(元)の記載なしにそのまま元町村名が記載されているようです。

(2) 北海道・沖縄・伊豆諸島・小笠原・隠岐・対馬・奄美・沖縄県の町村制未施行の町村別人口の記載がある。ただし小笠原の父島・母島内の村別人口の記載はなく、残念ながらトカラ列島の十村の人口の記載が欠落しているようです。

(3) 町村制施行前の連合戸長役場、町村制施行後の町村組合役場の所在地が分かる。ただし現状では他の史料との比較ができないため、役場移転の情報を他でチェックすることはできません。

明治22年末・明治23年末の府県別町村数に関しては、『県治事務 市町村及町村組合』の方に集計があります。今回「3fu4ken.xls」でまとめた町村数と比較したところ、京都府・大阪府・長崎県は町村数が一致しました。また兵庫県に関しては、油良村→幸世村の改称を明治22年中とカウントすることにより、「村制のまま改称」の数字が一致しました。ところが東京府と新潟県に関しては、微妙に町村数が異なる箇所があります。以下に数字をまとめますが、どうも東京府に関しては伊豆・小笠原の町村制施行前の町村数のカウントに問題があること、新潟県に関しては、石地町村・北大瀁村をめぐる問題([68959]のMIさんの調査結果参照)のほか、町村組合の解消等にからめて数字に問題が発生しているようです。

府県庁郡市町村制施行の町村役場数(M22)町村制未施行の役場数(M22)町村組合数(M22)町村制施行の町村数(M22)町村制未施行の町村数(M22)町村制施行の町村役場数(M23)町村制未施行の役場数(M23)町村組合数(M23)町村制施行の町村数(M23)町村制未施行の町村数(M23)町村増減町村役場増減町制施行村制のまま改称
東京府荏原郡19191919
東京府東多摩郡6666
東京府南豊島郡8888
東京府北豊島郡19191919
東京府南足立郡9999
東京府南葛飾郡242424241
東京府伊豆七島24242424
東京府小笠原島18584
東京府不一致0-20-70-60-7-40
東京府合計85238525852385251
新潟県北蒲原郡767676762
新潟県中蒲原郡666666661
新潟県西蒲原郡79797979
新潟県南蒲原郡543575535811
新潟県東蒲原郡12121212
新潟県三島郡43434343
新潟県古志郡51515151
新潟県北魚沼郡3213432134
新潟県南魚沼郡38547394471
新潟県中魚沼郡3535373722
新潟県刈羽郡68371692711
新潟県東頸城郡33333333
新潟県中頸城郡76767676
新潟県西頸城郡3713837138
新潟県岩船郡39393939
新潟県雑太郡20202020
新潟県加茂郡2112421124
新潟県羽茂郡14141414
新潟県不一致000-3200-311
新潟県合計79414815796148183214

なお「3fu4ken.xls」の市郡の配列は、『明治二十三年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の各地方郡市戸口表に従い、各郡内の町村・大字の配列は、『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従っています。大字名等はほぼ『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従い、漢字の方は問答無用で新字体に書き換えた箇所が多々あります。また「明治二十四年徴発物件一覧表サンプル.pdf」を見ていただければわかるように、印刷が悪い箇所が多いため、町村別人口から大字別人口を除して数字をチェックするなどの、「不一致」の項目を作っています。このほか人口のおかしな点をチェックするため、日本帝国民籍戸口表記載の現住人口(内務省調査現住人口)、官報記載の現住人口、徴発物件一覧表記載の現住人口(陸軍省調査現住人口)との差もチェックしています。

日本帝国民籍戸口表の現住人口の数字が合計と一致しないのは、[82296]で説明したようにデフォルトのことです。また、例えば『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の現住人口に関し合計と各大字別人口が一致しなかった場合、あるいは『明治二十三年 徴発物件一覧表』記載の現住人口と明治22年12月31日調の官報記載の現住人口との比較の結果、項目がずれていることが明らかな場合などには、一部人口を修正しています。とは言っても、大字と町村の人口のどちらかが間違っているか微妙な場合などは、そのまま修正せずに掲載しています。

官報と徴発物件一覧表の人口を比較した結果、明らかに数字にズレがあった場合、最小限の修正はしていますが、官報であっても、摂津国菟原郡の明治22年の町村別人口は明らかに間違っていますが(人口と町村の対応等)、修正しておりません。

また筑波大学村井研究室の歴史地理統計データとの比較もしておりますが、幾つか歴史地理統計データの入力間違いも見つけております。

総ての町村において大字別人口が記載されているわけではありませんが、最終的に表は大体7万行を超え、xlsx形式でないと対応できないことになるかも知れません。現在大体入力作業の20%~25%が終わったことになります。

【アップロードしたpdfファイルへのリンクURLが長くなり見難くなっていたので、テキストリンク機能で修正】
[87941] 2015年 6月 21日(日)17:30:32【1】YT さん
明治23年、明治24年の徴発物件一覧表について
久々に投稿します。

以前[81075]で「明治期の徴発物件一覧表」について少し紹介しましたが、改めて一橋大学経済研究所附属日本経済統計情報センター編『明治徴発物件表集成』を調べたところ、「明治二十四年 徴発物件一覧表」に凄まじい量の人口データが含まれていることを発見しました。

明治30年以前に陸軍省がまとめた一連の統計書は、近代デジタルライブラリーで閲覧可能な明治8年~明治14年の『共武政表』を含め、以下の通りです。

書誌実際の統計調査日時人口情報その他(郡・戸長役場連合等を構成する町村の名称を伺い知るもの)
明治八年共武政表(巻1-4巻5-8)明治5年~8年旧国郡別人口、人口一千名以上輻輳地人口
明治十一年共武政表明治12年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十二年共武政表()明治13年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十三年共武政表()明治14年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十六年徴発物件一覧表明治16年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十七年徴発物件一覧表明治17年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十八年徴発物件一覧表明治18年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十九年徴発物件一覧表明治19年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治二十年徴発物件一覧表明治19年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十一年徴発物件一覧表明治20年12月31日調人口データなし戸長役場所在地別戸数・戸坪数
明治二十二年徴発物件一覧表明治21年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十三年徴発物件一覧表明治22年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治二十四年徴発物件一覧表明治23年12月31日調市区町村大字別人口戸坪数
明治二十六年徴発物件一覧表明治25年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治三十年徴発物件一覧表明治29年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数

明治31年以降は『徴発物件表』と名前を替え、『明治三十四年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治三十六年徴発物件表』、『明治三十八年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治四十年徴発物件表』が出版されており、この内明治36年版以外は近代デジタルライブラリーで閲覧できるようです。また明治34年~大正元年には簡易版の『陸軍徴発物件表要覧』が出版されており、例えば近代デジタルライブラリーで閲覧可能なのは、明治34年版明治38年版明治44年版)のようです。

国勢調査開始前の人口データの内、最も標準的なのは内務省が出版し続けたもので、明治5年~明治9年調の『日本全国戸籍表』、明治10年~明治11年調の『日本全国戸口表』(ただしここまでは旧国・府藩県庁別人口のデータしか掲載されていない)、明治12年調の『日本全国郡区分人口表』、明治13年~明治19年始調の『日本全国民籍戸口表』(全部近代デジタルライブラリーで閲覧可能)、明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』(残念ながら明治20年~明治23年調版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないが、『国勢調査以前日本人口統計集成』に収録)、明治31年以降5年毎の『日本帝国人口静態統計』(明治31年版は『日本帝国人口統計』で、明治36年調版明治41年調版大正2年調版大正7年調版など総て近代デジタルライブラリーで閲覧可能)があります。明治12年1月1日調の『日本全国郡区分人口表』以降、郡区別人口が掲載され続け、明治31年以降は町村別人口(ただし明治31年、明治36年の沖縄・奄美・小笠原などは間切や連合戸長役場管轄毎の集計人口に限られたりする)が掲載されています。また明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』には、人口1万人以上の都市人口が掲載されています([68620][68621]参照)が、個々の町村別人口までは掲載されていません。

一方で官報には、明治22年末調以降、毎年現住人口が公表されています。こちらですと明治30年以前も町村別人口を揃えることができますが、残念ながら町村制が施行されていない北海道・沖縄・その他島嶼部(伊豆・小笠原・隠岐・対馬・トカラ列島・奄美群島)に関しては町村別人口のデータが掲載されていません(例外として、町村制の導入が翌年に遅れた香川県に関しては、明治22年調でも現住人口が掲載されてます)。また内務省公表の現住人口と官報掲載の現住人口は数値が完全には一致しませんが、これは官報掲載の人口が本籍人口に対して出入寄留者を加減して求めているのに対し、内務省公表の現住人口は、さらに逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者を加除して計算しているからです。ただし明治30年以前の内務省公表の現住人口の場合、郡区別人口を合算しても、府県別人口と一致しないという問題があり、同一府県内の人口移動に伴う出入寄留者の人口を、合計からわざわざ除外するという作業を行っていたせいのようです(この辺の事情については[82296]で詳しく考察しました)。

官報と内務省公表の人口データですら一致しないので、『徴発物件一覧表』のデータはそれほど価値がないと思っていました。ところが改めて明治23年版の徴発物件一覧表(データは明治22年12月31日調のもの)を閲覧し直したところ、なんと北海道、沖縄、対馬、隠岐、伊豆、小笠原、奄美に関して、人口データが掲載されていることに気付きました。人口データは組合や戸長役場連合を作っているところは、役場毎に集計されており、町村別人口は完璧にはなりませんが、逆に連合戸長役場・組合町村役場の所在地が分かります。さらに明治24年版(データは明治23年12月31日調のもの)では、組合や戸長役場連合を作っているところに関しても総て町村別人口が掲載されており、さらに町村に関しては大字別人口まで載っていました。『明治二十四年徴発物件一覧表』のデータに関しては以前[63483]でokiさんが紹介されていますが、筑波大学村井研究室の歴史地理統計データのサイトで入力されたデータの一部をダウンロードすることが可能です。しかしながらこちらのサイトに掲載されているデータは北海道、沖縄県、奄美などのデータを欠いており、入力が完成しておりません。さらにオリジナルのデータは大字別にまとめられていますが、その辺も省略されています。

というわけで現在、町村制が導入された頃である明治22年末・明治23年末調市町村・大字別現住人口の全体像を概観するため、現在この二年間の『日本全国民籍戸口表』、『官報』、『徴発物件一覧表』の本籍人口・現住人口をまとめているところです。ただ残念ながら明治23年版、明治24年版の『徴発物件一覧表』はともにトカラ列島の人口データが欠落しており、また幾つかの北海道の町村別人口の情報が抜けており、完全な表にはどうしてもならないようです。また市や大きい町の下の町丁は「大字」とは呼ばないのか、町丁別人口のデータもありません。

元々徴発物件一覧表のデータを閲覧し直すきっかけは、昭和10年より前の面積データを探すためでしたが、こちらの方は地租の対象となる総段別や町村別戸坪数の情報ぐらいしか入手できませんでした。その時点で存在した町村名のチェックには町村別戸坪数の情報が使えるかも知れませんが。

【訂正・追記:標題の数字を半角に修正。なお大字別人口ですが、多くの府県では「大字~」などという項目が作られていますが、残念ながら東京府などは「元~村」という項目が作られ、必ずしもすべての府県で大字別人口が揃っているわけでもなさそうです。】
[87464] 2015年 4月 12日(日)16:35:22【2】YT さん
昭和5年国勢調査時の面積にみられる丸め誤差
市町村別面積の最初の基礎となる資料が、『昭和十年 全国市町村別面積調』であることは言うまでもありません。ただし注意しなければならないのは、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積は昭和10年3月31日における面積であり、その後の6ヶ月間の合併・境域変更等により、国勢調査実施の昭和10年10月1日の面積とは異なる可能性があることです。ただ、幸いなことに『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』記載の郡市別面積の方は、面積がちゃんと組み替えられております。例えば岐阜市の面積は、『昭和十年 全国市町村別面積調』では37.8 km2、『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』では44.51 km2と、半年間の境域変更を配慮して修正されております。

一方昭和5年の国勢調査時の郡市別面積の方は、『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』の方に小数点以下第三位まで、km2単位で記載されております。大正9年~平成22年の郡部・市部の面積については、平成22年の国勢調査報告書の方にも記載がありますが、それによると。

調査の年西暦全国面積市部面積郡部面積
昭和10年1935年382,545.425,094.53377,450.89
昭和5年1930年382,264.912,950.65379,314.26
大正14年1925年381,810.062,181.50379,628.57
大正9年1920年381,808.041,375.36380,432.69

大正9年、大正14年の郡部別面積と市部面積を合計しても、全国面積と一致しません。これは一種の丸め誤差なのですが、これには複雑な事情がからみ、時間があれば別記事でまとめます。一方昭和5年の面積については丸め誤差が発生していないようにみえます。しかしながら昭和5年の都道府県別面積(エクセルファイル)で、都道府県別面積を合計すると382,264.93 km2になってしまいますが、全国の面積合計382,264.91 km2よりも0.02 km2多くなってしまっております。実際47都道府県で[87439]の計算をしてみると、予想される丸め誤差は0.01*√(47/6/π) ≒ 0.016 となり、予想通りの誤差が出ていることなります。このような誤差が生じてしまう原因は、小数点以下第三位と小数点以下第二位の間の四捨五入に伴う丸め誤差にあります。

以下三種類の資料(A) 『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第三位, km2), (B) 『昭和25年国勢調査報告 第七巻 都道府県編』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第二位, km2; 但し秋田県の郡部面積は昭和30年以降の国勢調査報告書で修正し、沖縄県の面積も昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加), (C) 『昭和25年国勢調査報告 第一巻 人口総数』「第9表 地方及び都道府県の10年毎面積及び人口密度―大正9年~昭和25年」記載の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2; 但し沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加)を比較し、それぞれの数字の差を記載すると以下の通りです。

都道府県A合計A市部A郡部B合計B市部B郡部C合計A-B合計A-B市部A-B郡部A-C合計B-C合計
全国382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.91-0.003-0.0050.002-0.0030.00
単純合計382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.93-0.003-0.0050.002-0.023-0.02
北海道88,775.036242.92088,532.11688,775.04242.9288,532.1288,775.04-0.0040.000-0.004-0.0040.00
青森県9,630.92473.7249,557.2009,630.9273.729,557.209,630.920.0040.0040.0000.0040.00
岩手県15,235.30649.72515,185.58115,235.3149.7315,185.5815,235.31-0.004-0.0050.001-0.0040.00
宮城県7,273.75453.1187,220.6367,273.7553.127,220.637,273.750.004-0.0020.0060.0040.00
秋田県11,663.86113.07911,650.78211,663.8613.0811,650.7811,663.860.001-0.0010.0020.0010.00
山形県9,325.75754.2759,271.4829,325.7654.289,271.489,325.76-0.003-0.0050.002-0.0030.00
福島県13,781.61334.19413,747.41913,781.6134.1913,747.4213,781.610.0030.004-0.0010.0030.00
茨城県6,092.2566.1696,086.0876,092.266.176,086.096,092.26-0.004-0.001-0.003-0.0040.00
栃木県6,436.58525.8506,410.7356,436.5925.856,410.746,436.59-0.0050.000-0.005-0.0050.00
群馬県6,335.82351.5926,284.2316,335.8251.596,284.236,335.820.0030.0020.0010.0030.00
埼玉県3,801.43913.3263,788.1133,801.4413.333,788.113,801.44-0.001-0.0040.003-0.0010.00
千葉県5,078.81012.3235,066.4875,078.8112.325,066.495,078.810.0000.003-0.0030.0000.00
東京都2,144.78788.5302,056.2572,144.7988.532,056.262,144.79-0.0030.000-0.003-0.0030.00
神奈川県2,353.484181.5812,171.9032,353.48181.582,171.902,353.480.0040.0010.0030.0040.00
新潟県12,578.64344.05012,534.59312,578.6444.0512,534.5912,578.640.0030.0000.0030.0030.00
富山県4,257.41927.5324,229.8874,257.4227.534,229.894,257.42-0.0010.002-0.003-0.0010.00
石川県4,197.51318.6164,178.8974,197.5118.624,178.894,197.510.003-0.0040.0070.0030.00
福井県4,017.9694.6734,013.2964,017.974.674,013.304,017.97-0.0010.003-0.004-0.0010.00
山梨県4,465.8668.2674,457.5994,465.878.274,457.604,465.87-0.004-0.003-0.001-0.0040.00
長野県13,604.18170.57813,533.60313,604.1870.5813,533.6013,604.180.001-0.0020.0030.0010.00
岐阜県10,494.70114.59110,480.11010,494.7014.5910,480.1110,494.700.0010.0010.0000.0010.00
静岡県7,769.91289.9037,680.0097,769.9189.907,680.017,769.910.0020.003-0.0010.0020.00
愛知県5,081.142250.7104,830.4325,081.14250.714,830.435,081.140.0020.0000.0020.0020.00
三重県5,765.34189.6115,675.7305,765.3489.615,675.735,765.340.0010.0010.0000.0010.00
滋賀県4,050.92921.9484,028.9814,050.9321.954,028.984,050.93-0.001-0.0020.001-0.0010.00
京都府4,623.19663.3134,559.8834,623.2063.314,559.894,623.20-0.0040.003-0.007-0.0040.00
大阪府1,812.631204.9321,607.6991,812.63204.931,607.701,812.630.0010.002-0.0010.0010.00
兵庫県8,321.875115.1678,206.7088,321.88115.178,206.718,321.88-0.005-0.003-0.002-0.0050.00
奈良県3,688.60029.7983,658.8023,688.6029.803,658.803,688.600.000-0.0020.0020.0000.00
和歌山県4,723.42317.6754,705.7484,723.4217.684,705.744,723.420.003-0.0050.0080.0030.00
鳥取県3,489.48113.8803,475.6013,489.4813.883,475.603,489.480.0010.0000.0010.0010.00
島根県6,618.0425.4916,612.5516,618.045.496,612.556,618.040.0020.0010.0010.0020.00
岡山県7,046.47582.3466,964.1297,046.4782.346,964.137,046.480.0050.006-0.001-0.005-0.01
広島県8,436.517128.1548,308.3638,436.52128.158,308.378,436.52-0.0030.004-0.007-0.0030.00
山口県6,082.10896.6905,985.4186,082.1196.695,985.426,082.11-0.0020.000-0.002-0.0020.00
徳島県4,143.22119.3104,123.9114,143.2219.314,123.914,143.220.0010.0000.0010.0010.00
香川県1,858.73022.0401,836.6901,858.7322.041,836.691,858.730.0000.0000.0000.0000.00
愛媛県5,667.10869.8375,597.2715,667.1169.845,597.275,667.11-0.002-0.0030.001-0.0020.00
高知県7,103.62029.0277,074.5937,103.6229.037,074.597,103.620.000-0.0030.0030.0000.00
福岡県4,939.646229.6264,710.0204,939.65229.634,710.024,939.65-0.004-0.0040.000-0.0040.00
佐賀県2,443.8979.1312,434.7662,443.909.132,434.772,443.90-0.0030.001-0.004-0.0030.00
長崎県4,075.77791.9023,983.8754,075.7891.903,983.884,075.78-0.0030.002-0.005-0.0030.00
熊本県7,437.72337.4487,400.2757,437.7237.457,400.277,437.720.003-0.0020.0050.0030.00
大分県6,333.88058.0856,275.7956,333.8758.086,275.796,333.880.0100.0050.0050.000-0.01
宮崎県7,738.29564.5787,673.7177,738.3064.587,673.727,738.30-0.005-0.002-0.003-0.0050.00
鹿児島県9,081.32313.7739,067.5509,081.3213.779,067.559,081.320.0030.0030.0000.0030.00
沖縄県2,386.2887.5572,378.7312,386.297.562,378.732,386.29-0.002-0.0030.001-0.0020.00

昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の都道府県別面積(資料(C))に関しては、単純に昭和5年の国勢調査時の面積(資料(A))を小数点以下第三位で四捨五入をしたため、合計と全国の間に丸め誤差が発生したことが判ります。ところが昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の郡部・市部別面積(資料(B))に関しては、昭和5年の国勢調査時の郡部・市部別面積(資料(A))を単純には四捨五入せずに、郡部面積、市部面積の合計が一致するように、端数を操作しており、結果、岡山県と大分県では都道府県別面積が却って四捨五入した値とずれるが、全国合計では一致するように数値が操作されております。大分県と岡山県に関し、異なる昭和5年の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2)を載せているのは昭和25年の国勢調査報告書だけではなく、その後も二種類の異なる面積が国勢調査報告書に記載され続けています。

そもそも昭和5年の国勢調査報告書記載の面積(資料(A))が、市部・郡部・合計ともに丸め誤差が全くない時点で数字上おかしいのですが、下三桁を下二桁に四捨五入する際、実際には四捨五入以外の恣意的な操作により、合計が一致するように調整していたことが判るかと思います。

【文章の一部を不自然なのでカットし修正】
[87463] 2015年 4月 12日(日)15:16:44【6】YT さん
戦前の国勢調査時の面積の記載について:大正9年、大正14年国勢調査時の面積の数字に関する重大な問題点
以前、戦前の国勢調査報告書における市区町村別面積について[84575]でまとめましたが、一部修正して改めて掲載します。

報告書都道庁府県別面積支庁・郡市別面積市区町村別面積記載の桁数原資料
大正9年国勢調査○【km2・方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査記述編』
○【方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』
△【方里】△【方里】×小数点以下第一位~第三桁『大正九年 国勢調査報告 府県の部』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』
大正14年国勢調査○【km2】××小数点以下第三位『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』
昭和5年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第三位『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』
昭和10年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第二位『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』
昭和15年国勢調査×××なし
昭和19年人口調査×××なし
昭和20年人口調査×××なし
昭和21年人口調査×××なし
昭和22年臨時国勢調査×××なし
昭和25年国勢調査○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』
昭和30年国勢調査報告○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』 ほか

以上のほか、大正9年~昭和22年の各都道府県の郡部合計、市部合計の面積は、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』や、それ以降の国勢調査報告書の府県の部などに、小数点以下第二位までkm2単位で記載されています。

[84575]で、
大正9年の国勢調査報告には、庁府県別の面積しかありません。
と書いてしまいましたが、その後、大正9年の国勢調査報告書の『府県の部』を手に取ってみましたところ、市郡別面積が方里単位でまとまっていたことに気付きました。しかしながら府県によっては、小数点以下第一位だったり、小数点以下第三位だったりと一定ではありませし、一部の府県では面積の記述が欠落しています。さらに『記述編』記載の都道府県別面積(方里)と、『府県の部』記載の面積(方里)が一致しない府県が多々存在するという問題が見受けられます。

その後、国立公文書館に『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』という資料があることを知り、喜んで閲覧しました。これにより大正9年国勢調査時の全国の郡市別面積(ただし北海道は支庁別)データが小数点以下第三位で揃いました。しかしながら困ったことに、国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』、『記述編』の三点の面積が全部異なる府県が存在することも明らかになりました。

更に『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致しますが、郡部合計・市部合計の面積は国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』とも異なり、国勢調査とその関連文献だけで3種類の異なるデータ(内、郡市別面積の詳細が記載されているのが2種類、合計だけ記載されているのが1種類)が存在することが明らかとなりました。

このほか、戦前の人口問題研究会がまとめた『日本人口密度図』(1934年)という本に大正9年、14年、昭和5年の郡市別面積がまとまっていますが、こちらは昭和5年の面積を大正9年、大正14年に遡及させて計算しており、大正9年、大正14年に関しては全く別系統の面積の数字となっております。

さらに石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』(1924年)という本があり、地方統計書や地図からの独自計算により、陸軍参謀本部公式の数字を訂正したりしているのですが、これも完全に別系統の面積の数字ということになります。

以上、大正9年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値?)
『大正九年 国勢調査報告 府県の部』不完全不完全系統1a' (上の速報値を極一部修正したもので、こちらの方が速報値の可能性あり)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;上の速報値を大幅に修正したもの)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)
『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統3 (独自集計)

大正14年の面積でも同様の問題があり、まず同じ国勢調査でも、『全国結果表』と『記述編』では数字が異なり、『全国結果表』記載の面積に1方里=(216/55)^2 方粁(km2)≒ 15.4234711 km2として変換しても、『記述編』の面積と一致しません。これについてこちらの『記述編』の説明によると
内地ノ面積ハ河川及湖沼ヲ含ム總面積ニシテ陸地測量部ノ調査ニ係ルモノナリ。而シテ此ノ面積ハ最新ノ改調又ハ修正測図ニ依リタルヲ以テ既ニ公表ノ第二巻全国結果表ニ掲ゲタルモノト必ズシモ符合セズ。
とあり、『全国結果表』の面積は速報値ということなります。

なお国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』記載の郡市別面積は、完全に『全国結果表』記載の郡市別面積と一致しました。一方で『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致するものの、郡部合計・市部合計の面積(それぞれ2,181.50km2, 379,628.57 km2;沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の数字で加算)は『記述編』(それぞれ 2,181.264 km2, 379,628.798 km2)と若干異なります。もっともその違いは0.23 km2~0.24 km2とごく僅かで、一府県の修正が入った程度ということになります。このことから大正14年の郡市別面積は、郡市別の詳細な数字の残っている1種類と、合計値だけ判明している修正された1種類の、合計2種類の系統があることになります。

これとは別に石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』にも大正14年の郡市別面積の記載がありますが、数字が異なります。

以上、大正14年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値)
『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (上に同じ)
『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』小数点以下第二位(km2)なし系統1b(上の速報値を修正したものだが、全国の郡部・市部面積合計値のみ記載)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;『記述編』記載の全国合計との差は微細)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)


さらに今や近代デジタルライブラリーで種々の地方統計書の閲覧が可能ですが、これらの数字が異なる郡市別面積について、地方統計書で数字を補正しようと試みました。しかしながら残念なことに地方統計書は府県によって数字に統一がなく、場合によっては税金の対象となる土地総段別の面積のみしか情報がないところが多いようです。地方統計書に関しては、府県によっては参考になる場合があるものの、上の表から除外しました。

というわけで、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積については、郡市別面積ですらまともに公式のデータ、すなわち陸軍参謀本部陸地測量部が公表したとされる面積すら揃えることができないという状況です。

【少数→小数に修正】【大正14年の国勢調査の『記述編』・『全国結果表』の説明が反転していたので大幅修正し、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積について資料系統の説明を一部修正】
[87449] 2015年 4月 3日(金)18:47:54【1】YT さん
正規分布とのズレについて
[87448] オーナー グリグリさん
都道府県別の面積の丸め誤差をまとめて頂きありがとうございます。

以上の結果によると、全国の合計値の誤差(n=1921)が、0.25km2 となっていますが、[87439]における誤差(n=2000)の平均値 0.10km2 から大きく外れています。どこかに落とし穴があるのでしょうかねぇ。


|m| = a√{n/(6π)} = 0.1009... ≒ 0.10 km2 (n = 1921, a = 0.01)

は、蓄積された丸め誤差の平均(期待値)の絶対値です。蓄積された丸め誤差の標準偏差自体は

σ = a√(n/12) = 0.1265... ≒ 0.13 km2 (n = 1921, a = 0.01)

です。連続一様分布(アーウィン・ホール分布)に関しては、英語版のwikipediaに分かりやすい図と式がありました。を見ればわかるように、n ~ 8ぐらいで十分正規分布近似が可能となります。また説明にはvariance (分散, σ^2) = n/12 とありますが、この場合0から1までの連続一様分布を足した場合の分散であり、0~1とは限らない範囲0 ~ a(n回足せば、0 ~ naの範囲となる)であれば、分散σ^2 = a^2*n/12となり、標準偏差σは分散σ^2の平方根となるσ = a√(n/12)と表現されることになります。

全国の市区町村等別面積の合計と全国の面積との差である+0.25 km2は、一応±2σの範囲に収まり(正確には+0.245~+0.255の範囲を考慮すると、1.936σ~2.015σとなりますが)、受験でおなじみの偏差値であらわすのなら、偏差値69.8に相当する(正確には偏差値69.36~70.15の範囲)ので、多少丸め誤差の蓄積が予想よりも多めですが、一応許容範囲ではあると思われます。

[87439]のモデル表で言えば、丸め誤差が全く生じない確率(±0.005以下)は3%に過ぎない。
しかしながら生じる丸め誤差で一番確率が高いのは、±0.01 km2で、約6%の確率。
±0.10 km2の誤差が生じる確率は約5%程度だが、±0.10 km2以内に誤差が収まる確率は58%。±0.10 km2よりも誤差が大きくなる可能性は42%。
±0.25 km2の誤差が生じる確率はわずか1%だが、±0.25km2よりも誤差が大きく出る確率も、まだ5%あるという感じです。

都道府県別の[87448]のデータを使って、それぞれの実際の丸め誤差を、標本数から予測される標準偏差で割り、ズレを計算してみると:

ズレ都道府数割合(%)正規分布から期待される割合(%)
±3σ以上00.00.3
±2~3σ714.94.3
±1~2σ1123.427.2
±1σ以内2961.768.3

2σから3σまでずれる県が7県と、若干多いようです。ただし±3σ以上ずれている県はありません。具体的には以下の7県です。

都道府県誤差m, km2標本数n予測される標準偏差σ, km2ズレ
群馬県+0.05350.0171+2.93σ
富山県+0.03150.0112+2.68σ
佐賀県+0.03200.0129+2.32σ
新潟県-0.04370.0176-2.28σ
沖縄県+0.04420.0187+2.14σ
鹿児島県-0.04450.0194-2.07σ
埼玉県+0.05720.0245+2.04σ

こうやって並べてみると、確かに群馬県の誤差は大きいと言えます。また二番目の富山県などは、市町村数がたった15なのに、+0.03 km2も誤差が出ています。これらはありえないほど大きい誤差が出ていると言うほどではないが、やはり何かしら恣意的な原因もあるという可能性も否定できませんし、これだけのデータだけでは何とも言えません。あるいは四捨五入の際に、切り捨てというプロセスが混入してしまっている可能性もあるかもしれません。

群馬県・埼玉県については、[87423]でhmt さんが、m2単位のデータがあったことを指摘されていますが、もしかしたら具体的にどの辺が四捨五入の処理で問題になっているのか、あるいは単なる偶然なのか指摘できるかもしれません。

【±3σ以上の正規分布における割合を0.3%に修正、その他文章の一部を修正】
[87439] 2015年 3月 31日(火)23:39:06【4】YT さん
四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差についての統計学的考察
最近面積の改訂の話題が出ているので、久々に投稿します。

本来であれば面積は連続値であり、四捨五入に伴う丸め誤差が蓄積される結果、個々の自治体の面積の合計と国土の面積はズレて当たり前です。しかしながら2013年以前の国勢調査記載の面積の数字や陸軍参謀本部の調査による面積の数字においては、そのような丸め誤差が全くなく、市区町村別の面積の合計と、市郡別、都道府県別、国土の面積が完全に一致します (合衆国統治の琉球・沖縄の面積や1945年・1947年の面積などは、公式の数字で色々ズレがあるのですが、まあこれは除外して考えます)。平成26年の面積の改訂により、むしろ正しい面積の表記になったわけですが、チェックがし辛いという別の問題も出たわけですね。

面積の合計に伴う丸め誤差について、以前自分も[85659]で大雑把に見積もりましたが、

小数点以下第3位で四捨五入しているとすると、本当の面積のデータは±0.005 km2の範囲に存在し、四捨五入後の値との誤差の絶対値の平均は0.0025 km2となります。

ここの部分でズボラな結論で誤差を見積もったのですが、数学的な誤りがありました。そこで改めて四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差について見積もり直してみました。一応高校卒業レベルの微積・確率統計の知識で理解できる内容だと思います。

今、平均値m = 0で、±a/2の間に収まる連続一様分布を仮定します。∫f1(x)dx = 1になるように確率密度関数f1(x)を規格化すると、

|x| ≦ a/2: f1(x) = 1/a
|x| > a/2: f1(x) = 0 ...(1)

と表現できます。確率密度関数f1(x)の分散(σ1)^2は、[85659]で示したように(a/4)^2では誤りであり、ちゃんと積分により計算すると、

(σ1)^2 = ∫(x - m)^2*f1(x)dx (但し -∞ < x < +∞)
= 1/a ∫x^2dx (式(1)を代入, 但し -a/2 ≦ x ≦ a/2)
= a^2/12 ...(2)

さて、f1(x)同士を2つ足し合わせた時の確率密度関数f2(x)は、

|x| ≦ a: f2(x) = (a - |x|)/a^2
|x| > a: f2(x) = 0 ...(3)

分散(σ2)^2は
(σ2)^2 = ∫(x - m)^2*f2(x)dx (但し -∞ <x < +∞)
= 2/a^2 ∫ -x^3 + ax^2 dx (式(3)を代入, 但し 0 ≦ x ≦ a)
= a^2/6 (= 2*(σ1)^2) ...(4)

さらに3個、4個、…n個と、この確率密度関数を足し合わせていくと、確率密度関数fn(x)は、パスカルの三角形の組み合わせで継ぎ合わさったような、カクカクの複雑な多次多項式となります(アーウィン=ホール Irwin-Hall 分布)。ただしnが十分大きければ、確率密度関数は正規分布に近似できます。ここで分散(σn)^2は、個々の分散(σ1)^2の和なので、

(σn)^2 = n*a^2/12 ...(5)

となるはずです。実際n = 2の時も成立することを、式(4)で確認しました。

2013年以前の市町村別面積も小数第三位で四捨五入されており、±0.005 km2の誤差を含むはずです。よってn = 約2000の市区町村等の面積の合計であれば、a = 0.01 km2なので、(5)式に代入することにより、真の面積との間の丸め誤差の標準偏差は

σn = √(2000 × 0.01^2/12) ≒ 0.12909944 (km2)

になり、また丸め誤差の誤差分布も、σ ≒ 0.129 km2の正規分布に近似できることになるはずです。2000の自治体を合計した結果、小数点以下第2位まで一致する確率、すなわち± 0.005 km2の間に面積が入る確率は、標準正規分布のZ ≒ ±0.038729833 (≒ 0.005/0.12909944)の間に入る確率です。この範囲に入る割合は、エクセルのNORM関数を使って計算すると約3.0894%と求められます。つまり、2010年頃の約2000の市町村別等の面積の合計が、日本全国の面積の合計に一致する確率はわずか3%程度で、本当に面積が純粋な四捨五入だけで求めているのであれば「ありえない」確率ということになります。

また実数からどの程度ずれが生じてしまうかですが、平均が0、標準偏差がσとなるような正規分布の確率密度関数f(x)は、次のように表現できます。

f(x) = 1/√(2πσ^2) * exp {-x^2/(2σ^2)}...(6)

よってズレの平均値mは 0 ≦ x < +∞ の範囲のみを考えると、

m+ = ∫xf(x)dx (但し 0 ≦ x < +∞)
= 1/√(2πσ^2) ∫ x exp {-x^2/(2σ^2)} dx (式(6)を代入) ...(7)

ここでt = x^2/(2σ^2), x dx = σ^2 dt ...(8)と置いて(7)式に代入すると

m+ = σ/√(2π) ∫exp(-t) dt
= σ/√(2π)[exp{-x^2/(2σ^2)}] (但し 0 ≦ x < +∞)
= σ/√(2π) ... (9)

同じように負側の平均を積分で求めると、m- = -σ/√(2π) となり、合計m = m+ + m- = 0で平均はゼロになってしまいます。元々平均がゼロになる確率密度関数を選んでますので当たり前のことです。しかしながら、我々にとって正にズレようが負にズレようが、ズレていることには変わりなく、重要なのはズレxの絶対値の平均|m| = |m+| + |m-|です。よって

|m| = |m+| + |m-| = σ√(2/π) ...(10)

ここでσ = σn とすると、式(5)より

|m| = a √{n/(6π)} ...(11)

n = 2000, a = 0.01とすると、

|m| ≒ 0.10300645

というわけで、2000の自治体の面積の合計した際に生じる丸め誤差の平均を見積もっても、せいぜい±0.10 km2程度という結論がでます。

エクセルのNORM関数を使って、もう少し詳しくモデル計算(n = 2000)をしますと以下の通りです。

面積のズレ(km2)実数との差(km2)割合(%)割合の累積(%)標準偏差の累積σ(面積のズレの絶対値)×(割合)の累積(km2)
±0.00±0.000~0.0053.0893.0890.03870.00000
±0.01±0.005~0.0156.1609.2500.11620.00062
±0.02±0.015~0.0256.10515.3550.19360.00184
±0.03±0.025~0.0356.01421.3690.27110.00364
±0.04±0.035~0.0455.88927.2590.34860.00600
±0.05±0.045~0.0555.73332.9910.42600.00886
±0.06±0.055~0.0655.54738.5380.50350.01219
±0.07±0.065~0.0755.33543.8720.58090.01593
±0.08±0.075~0.0855.10048.9720.65840.02001
±0.09±0.085~0.0954.84653.8190.73590.02437
±0.10±0.095~0.1054.57858.3970.81330.02895
±0.11±0.105~0.1154.29962.6960.89080.03367
±0.12±0.115~0.1254.01266.7080.96820.03849
±0.13±0.125~0.1353.72270.4301.04570.04333
±0.14±0.135~0.1453.43373.8631.12320.04813
±0.15±0.145~0.1553.14777.0101.20060.05285
±0.16±0.155~0.1652.86879.8781.27810.05744
±0.17±0.165~0.1752.59882.4761.35550.06186
±0.18±0.175~0.1852.33984.8141.43300.06607
±0.19±0.185~0.1952.09386.9071.51050.07005
±0.20±0.195~0.2051.86288.7701.58790.07377
±0.21±0.205~0.2151.64790.4161.66540.07723
±0.22±0.215~0.2251.44891.8641.74280.08041
±0.23±0.225~0.2351.26593.1291.82030.08332
±0.24±0.235~0.2451.09994.2271.89780.08596
±0.25±0.245~0.2550.94895.1761.97520.08833
±0.26±0.255~0.2650.81495.9902.05270.09045
±0.27±0.265~0.2750.69496.6842.13010.09232
±0.28±0.275~0.2850.58997.2732.20760.09397
±0.29±0.285~0.2950.49697.7692.28510.09541
±0.30±0.295~0.3050.41698.1852.36250.09666
±0.31±0.305~0.3150.34698.5312.44000.09773
±0.32±0.315~0.3250.28798.8182.51740.09865
±0.33±0.325~0.3350.23699.0542.59490.09943
±0.34±0.335~0.3450.19399.2472.67240.10008
±0.35±0.345~0.3550.15799.4042.74980.10063
±0.36±0.355~0.3650.12799.5312.82730.10109
±0.37±0.365~0.3750.10299.6322.90470.10146
±0.38±0.375~0.3850.08199.7142.98220.10177
±0.39±0.385~0.3950.06599.7783.05970.10203
±0.40±0.395~0.4050.05199.8293.13710.10223
±0.41±0.405~0.4150.04099.8693.21460.10239
±0.42±0.415~0.4250.03199.9013.29200.10252
±0.43±0.425~0.4350.02499.9253.36950.10263
±0.44±0.435~0.4450.01999.9433.44700.10271
±0.45±0.445~0.4550.01499.9583.52440.10277
±0.46±0.455~0.4650.01199.9683.60190.10282
±0.47±0.465~0.4750.00899.9773.67930.10286
±0.48±0.475~0.4850.00699.9833.75680.10289
±0.49±0.485~0.4950.00599.9873.83430.10291
±0.50±0.495~0.5050.00399.9913.91170.10293

ズレが±0.00の割合と±0.01の割合では後者の方が倍近くになりますが、これは四捨五入して±0.01になる範囲が四捨五入して±0.00になる範囲の倍存在するからで、ここから値が大きくなるほど割合自体は減ります。50%の確率でズレは約±0.6745σ ≒ ±0.087 km2の間に入り、標準偏差 ±1σ ≒ ±0.129 km2の範囲に収まる確率は約68.27%となりますが、ズレの値にそれぞれの予想される割合を乗じて合計することで求まる、ズレの絶対値の平均はσ√(2/π) ≒ 0.7979σ ≒ 0.103 km2に収束します。

このようにちゃんと計算すると、モデル(小数点以下第三位で四捨五入し、2000個合計した場合)における丸め誤差の標準偏差σ = a√(n/12)≒ 0.13 km2 と、絶対値のみを考慮した場合の丸め誤差の平均値|m| = σ√(2/π) ≒ 0.10 km2 は一致しません。まあ[85659]で見積もった

2000前後の自治体でこの誤差を合算すると、二項分布を考えれば全国の面積合計で√2000 × 0.0025 ≒ 0.11 km2程度の丸め誤差は出て当たり前のはずですが、

の数字ともそんなに違わない値となりましたが、より正しい議論をすると以上のようになります。

以上をまとめると、小数点以下第三位で四捨五入した面積を約2000ほど足した場合、真の値との間に0.01 km2の誤差すら生じない確率はほとんどありえない(約3%程度)が、実際のズレは平均すると±0.10 km2程度ということになります。市区町村とその他未確定地域が合計約1万2000あった昭和10年の国勢調査であれば、丸め誤差の絶対値は平均0.25 km2にまで拡大します。1950年から2010年までの国勢調査報告書に記載の面積においては、総ての市区町村と未確定地域の面積の合計が全国・都道府県・郡市別面積と小数点以下第二位まで完全に一致しており、いささかの丸め誤差も存在しません。つまり2013年以前の面積調では、合計が一致するように端数を適当に処理し、実数とは異なる面積を公表していたことになります。
【追加修正:表に色々数字を追記し、説明文を修正】
[86844] 2014年 12月 28日(日)23:22:42YT さん
メンバー紹介について
[86808] オーナーグリグルさん
[86815] かぱぷうさん

最近生活環境が大いに変わり、落書き帳に余り書き込めておりませんYTです。というか、プライベートの方で非常に目出度いことがあったのですが、その結果として深夜にネットを閲覧したり書き込んだりするようなことができなくなったのです。

というわけで、[86806]のじゃごたろさんの書き込みと同様、私のメンバー紹介のところの、
書き込みの時間は深夜帯が多く、
文章作成中に睡魔が襲ってこないかを心配する向きもあるが、
睡眠の誘惑に打ち勝っている模様。

という部分が事実とは異なる状況になりつつあるので(まあ、数字や長文、歴史系の話題が多い傾向は続くでしょうが)、できれば深夜の書き込み云々の部分は適当にカットして頂くようお願いします。再び深夜に書き込むようになっていたら、それはプライベートが元に戻った時でしょう…

というわけで、オーナーグリグリ様、今後は書き込み頻度や情報の更新速度が相当遅くなるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
[86490] 2014年 10月 26日(日)01:08:25【1】YT さん
アボガドロ数について
[86482] hmt さん

「N=6022垓1417京9千兆個の粒子を1モルとして纏めて扱う」


ちょっと地理の話題から脱線しますが、この手の基礎物理定数はCODATA (Committee on Data for Science and Technology; 科学技術データ委員会)が定期的(4年毎)に改訂するものです。hmt さんが書かれたアボガドロ数
NA = 6.02214179(30) × 10^23 mol^-1
は、2006年のCODATAの推奨値で、最新の2010年のCODATA推奨値によるアボガドロ数は、
NA = 6.02214129(27) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は4.4 × 10^-8)
となっております。

また2010 CODATAには間に合いませんでしたが、ケイ素の単結晶の解析(Andreas, B. et al. Phys. Rev. Lett. 2011, 106, 30801; Metrologia 2011, 48, S1)により、
NA = 6.02214082(18) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は3.0 × 10^-8; なおPRLの論文では NA = 6.02214078(18) × 10^23 mol^-1となっていた)
という実験結果が得られております。2014年のCODATAの第24回会議は来月11月上旬にニューデリーで開催される予定であり、その際にアボガドロ数の改訂が行われることになると思います。なおCODATAの会議は、1996年に日本の筑波で開催されたこともあるようです。

ところで上のアボガドロ数は、ケイ素の単結晶の解析実験により得ら得れた数字ですが、これはSI基本単位である「キログラム」や「モル」の再定義と直結する、極めて重要な問題を含んでおり、1ヶ月後には「定義値」になるかも知れません。

SI単位系といえば、長さがメートル(m)、質量がキログラム(kg)、時間が秒(s)、電流が(A)、温度が(K)、物質量がモル(mol)、光度がカンデラ(cd)ですが、この中で一番正確な定義がなされているのが、セシウム原子時計によって定義されている「秒」です。ただ原子時計に用いられるセシウム核種に混ざる不純物により、2.5 × 10^-11程度の相対的な誤差が出る可能性があり、将来的には定義に用いられる原子時計の核種が変わる可能性があります。

SI単位系ではおそらく一番馴染みが深いのが「メートル」でしょうが、現在はメートル原器ではなく、真空中の光速度による定義に変わっています。「真空中で「1秒」の299792458分の1の時間に光が進む行程の長さ」と定義文にあるように、長さの基本単位「メートル」は時間の基本単位である「秒」により定義されており、相対誤差(10^-10)も、時間の誤差よりも大きくなります。

「アンペア」と「カンデラ」の定義には「メートル」、「キログラム」(キログラムの定義については後述)、「秒」が、「モル」の定義にはアボガドロ数を介して「キログラム」が関わってきますので、これらの単位系の相対誤差は「メートル」、「キログラム」、「秒」よりも悪いものとなります。

温度の「ケルビン」は、「水の三重点の熱力学温度の 273.16分の1」という定義がなされていますが、そもそも温度というのは視覚的な測定が難しいため、建前上の定義と実用の間に大きな差があります。一応温度に関しては、測定温度範囲毎に膨張率の異なる金属を組み合わせるなどして測定するような、実用のための補正方法が別に決められていますが、室温付近でも10^-5程度の相対誤差は当たり前のように出ます。

さて、質量の単位である「キログラム」ですが、未だに「国際キログラム原器の質量」という、200年以上前の定義が使われています。各国に配られたキログラム原器を、0.1 μg単位(原器に対する誤差は10^-10)まで正確に計ることができる特殊な天秤で量ることで質量を校正するわけですが、キログラム原器とその複製品を比べると、200年間で±2σ ~ ±50μg程度 (相対誤差は10^-8のオーダー)のばらつきが出ていることが判っています。それにも関わらずキログラム原器が使われて来た理由は、これでも実用に問題無かったからですが、10年程前よりキログラム原器に替わる新しい定義として、(1) ワット天秤を用いたプランク定数による定義 と、(2) ケイ素単結晶を用いたアボガドロ数による定義 などが議論されるようになりました。現在プランク定数もアボガドロ数も、4.4 × 10^-8程度まで相対誤差が小さくなっており、これはキログラム原器に由来する質量の誤差が原因と考えられています。どちらをキログラムの定義に使うにせよ、プランク定数やアボガドロ数を定義値にすることにより、将来的に質量の潜在的な測定誤差が減ることが期待されるわけです。現状ではプランク定数による定義の方が優勢で、アボガドロ数はキログラムの定義には用いられない見通しになって来ましたが、モルの定義にはアボガドロ数が使われることになります。また電子素量により電流のアンペアの定義を、ボルツマン定数により温度のケルビンの定義を変えることも考えられており、来月11月の中旬にフランスのヴェルサイユ宮殿で開催される第25回国際度量衡総会により、「キログラム」、「モル」、「アンペア」、「ケルビン」の定義が変わるかも知れません。

なお国際度量衡総会の方は、フランスの外務大臣が議長を、フランスの科学アカデミー会長が司会進行を務め、必ずSI原器も保存されているセーヴル近辺で開催されることになっているようです。


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