[59223] ほいほい さん
国土地理院が硫黄島の呼称を「いおうとう」に変更したそうです。
小笠原諸島地名事典 を参照しつつ、「硫黄島」の読み方の変遷を考察します。
最初は、イギリスの船乗りが「Sulphur Island」と名付け、幕府も「硫黄島」(おそらく「いおうじま」)と呼んだとのこと。
正式の命名は、
明治24年9月9日勅令第190号 で、
東京府管下小笠原島南西沖(中略)に散在する3島嶼を小笠原島の所属とし其中央に在るものを硫黄島と(中略)称す
となっています。この勅令では読み方は明示されていませんが、「いおうじま」とルビをつけた新聞もあった由。
日本の大部分の島名では「島」を訓読みするので、初代の呼称は「いおうじま」だったと考えるのが自然でしょう。
旧海軍水路部がこの付近の海図を作製した年代はわかりませんが、アメリカ軍が「Iwo Jima」と呼んだのは、海図に記されたローマ字表記に基づくものとされます。
入植者が定着するようになったのは20世紀に入った1904年で、大戦前には人口が1000人以上という賑わいを見せ、1940年には「硫黄島村」も誕生しました
[56162]。
この現地開拓者たちの間では「いおうとう」の呼び名が定着し、学校名や会社名もそのように呼んだということで(硫黄島同窓会)、村の名もそのように呼ばれたと思われます。
つまり、19世紀の「いおうじま」から、20世紀には(陸地の呼称は)2代目の「いおうとう」へと変りました。
硫黄島は、B29の基地があったテニアン島(マリアナ諸島)などに比べるとずっと小さな島であり、大規模な空軍基地はできませんが、摺鉢山以外は平坦であり、謂わばマリアナ諸島と日本との間にある貴重な「不沈空母」です。日本側にとっては哨戒・迎撃・マリアナ米軍基地の攻撃、長距離爆撃の米軍側にはB29不時着地の確保と、双方にとり軍事的価値がありました。
大戦末期になると、この島の確保を狙う米軍に対する守備隊が増強され、日本陸海軍だけでも2万人になりました。
この陸海軍も、現地住民と同じく「いおうとう」を使ったということで、
[56190]で記した
当時の大本営発表では「いおうとう」でした。(中略)軍隊方言のせいでしょうか?
の最初の部分は正しく、後の推測は外れていたようです。
「Iwo Jima」に対す猛攻撃を加えた米軍に敗れた「いおうとう」の守備隊が玉砕したのは1945年3月。
米軍による占領→米国の信託統治領(1952)を経て日本復帰(1968)。復帰直後の地形図では「いおうとう」だったものが、「標準地名集」
[53057]の1981年版では3代目の呼称「いおうじま」に変更されたとのことです。
[59277] Issie さん
新聞報道によると,「いおうとう」が「いおうじま」になってしまったのには「占領軍」が絡んでいるそうですね。
確かに、
日刊スポーツ には、
明治時代から一部で「いおうじま」と呼ばれていたが、戦中から米軍などがこう呼んだことから、政府の関係省庁などに定着したとの説が強い。
と書いてありました。
しかし、占領時代がずっと過去のものになった時代の「標準地名集」での変更は、占領軍絡みよりも、海上保安庁水路部の
海図 (たぶん明治時代から一貫して「いおうじま」)と国土地理院の地形図とを整合させた結果 と見る方が妥当な解釈ではないでしょうか。
1980年頃から陸の呼び名も海に合わせて「いおうじま」に変りましたが、世間の注目は集めませんでした。
ところが、映画のおかげで突然「いおうじま」が話題になります(2006年)。
これが、寝ていた子を起こすことになり、小笠原村にいる硫黄島旧住民を中心に「いおうとう」だという声が沸き起こったのだと思われます。
国土地理院の発表 でも、“地元で旧島民が「いおうとう」と呼んでいた背景”に基づく、小笠原村からの修正要望に応じたものとされています。
# 小笠原村の管内ですが、現在は一般住民不在。海上自衛隊基地。
かくして、陸では4代目の呼称として「いおうとう」が復活。
海図も、明治以来の「いおうじま」から「いおうとう」へと変更。
「居住地名」は「地名調書」に拠るが、「自然地名」は必ずしも地元の小笠原村の作成した「地名調書」の通りにはならない
[56419]という状態を続けていたのですが、この度は地元の要望を容れて、「いおうとう」に戻したというのは、何か格別の事情もあったのか?とも思われます。
以上、硫黄島の読み方の変遷史を綴ってみました。
おまけ
[59270] スピカ さん
鹿児島県三島村を構成する3島の1つを「硫黄島」と言い、こちらは「いおうじま」と読むそうです。
南九州の縄文早期文化を壊滅させた、6300年前の大噴火
[24108]の跡を残す鬼界カルデラ の北縁・鹿児島県三島村の硫黄島(鬼界ヶ島)
[56250] は、火山の名としては、
「薩摩硫黄島」 と呼ばれます。
[23902]のNo.102
1934年(昭和9年)から翌年にかけて、この火山で海底噴火があり、形成された岩礁は「昭和硫黄島」を形成しています。
同様に小さな岩礁ですが、地名コレクション収録の安永諸島
[40149](桜島火山)の中にも、
小さな硫黄島 があります。これも「いおうじま」。
沖縄県久米島町の「硫黄鳥島」の所属に関する記事
[28741]もあります。