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[69743]2009年4月28日
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[75438] 2010年 7月 4日(日)18:22:29【4】むっくん さん
市制施行の要件
hmtマガジン発足おめでとうございます。

市と町の違いで触れられている、市となるための要件(人口要件)をまとめてみました。以下、時系列で並べます。

M22~23市制町村制施行時
人口凡そ2万5千人以上
市制町村制理由での
今此市制を施行せんとするものは三府其外人口凡二万五千以上の市街地に在りとす。尤郡制制定の時に至て其要件を確定することある可しと雖も今内務大臣の定むる所に従て之を施行せんとす。
との文言)

? 内務省で市制施行の内規制定
人口3万人以上と規定(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による

S18 内務省での市制施行の内規改正
人口5万人以上(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による

S22.5.3 地方自治法(S22.4.17法律第67号)施行
人口3万人以上で都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項)

S23.1.1 法律第169号(S22.12.12)で地方自治法改正
人口3万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)

S29.9.20 法律第193号(S29.6.22)で地方自治法改正(政令第227号(S29.7.31)でS29.9.20施行)
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・すでに申請されている場合は従前のまま、つまり人口3万人以上でかつ連たん戸数は6割以上、かつ都市的業態人口は6割以上、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(昭和29年法律第193号附則第2項1号)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)

S33.4.5 法律第53号(S33.4.5)で地方自治法改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・S33.9.30までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(地方自治法附則第2項)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)

S38.6.8 法律第99号(S38.6.8)で地方自治法改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)
・地方自治法第8条の町村を市とする処分でS42.12.31までに申請した場合は国勢調査のかわりに当該市町村の人口に関する指定統計調査による人口によることも可(地方自治法附則第20条の3)

S40.3.29 市町村合併特例法(S40.3.29法律第6号)が成立
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)
・S42.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(地方自治法附則第20条の3)
・地方自治法第8条の町村を市とする処分でS42.12.31までに申請した場合は、国勢調査のかわりに当該市町村の人口に関する指定統計調査による人口によることも可(地方自治法附則第20条の4)

S45.3.12 法律第1号(S45.3.12)で地方自治法改正(政令第14号(S45.3.12)により法律第1号(S45.3.12)の施行期間はその施行の日より二年間)
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
S47.3.11までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(ただし人口3万人以上5万人未満の場合では、連たん戸数、都市的業態人口は7割以上を満たすこと)(地方自治法附則第20条の5)

H10.12.18 法律第145号(H10.12.18)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(市町村合併特例法第5条の2)

H12.12.6 法律第138号(H12.12.6)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・H16.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上(市町村合併特例法第2条の2)
・H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(市町村合併特例法第5条の2)

H15.7.9 法律第105号(H15.7.9)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上(市町村合併特例法第5条の2)

## 昭和40年法律第6号市町村合併特例法は同法附則第2条第1項により平成17年3月31日限りで失効。失効期日は法律第50号(H7.3.29)の改正による。

H17.4.1 (新)市町村合併特例法(H16.5.26法律第59号)が成立
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・H22.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上((新)市町村合併特例法第7条第1項)
・H22.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則のいずれかを欠いていても可((新)市町村合併特例法第7条第2項)

H22.4.1 法律第10号(H22.3.31)(PDF)でH16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H32.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則のいずれかを欠いていても可((新)市町村合併特例法第7条)


<訂正>
【3】「H16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法はH22.3.31限りで失効。」との記載を削除しました。その代わりとしてH22.4.1の改正関連を追記しました。
【4】H17.4.1の新法での例外の一つを追記。
[75351] 2010年 6月 14日(月)13:30:57むっくん さん
自治体を越える地名など
まずは自治体を越える地名から。

東近江市君ヶ畑町/犬上郡多賀町大字大君ケ畑
元には愛知郡君ヶ畑村/犬上郡大君ヶ畑村です。前者は惟喬親王が当地に幽閉されたことより君ヶ畑村と呼ばれ、後者も惟喬親王に由来する王子ケ畑より大君ヶ畑村と呼ばれました。

堺市北区八下北/堺市東区八下町

大阪市此花区西九条/大阪市西区九条・九条南
隣接はしていませんが近接はしているものです。
本来は一体でしたが西成郡九条村の真ん中に1684年に河村瑞賢が安治川を開削したことにより、川の南東側の本村の九条に対して川の北西側のことを西九条と呼びました。この際、安治川両岸にそって安治川新地の各町が町立てされて大坂三郷に編入されたことにより九条と西九条は隣接しなくなりました。
九条村の部分の大阪市編入以降は町名は様々に変わりましたが、現在の西九条は明治22年以前の川の北西側の西九条の一部であり、現在の九条・九条南は川の南東側の本村の九条の一部です。

豊中市三国/大阪市淀川区西三国・東三国・三国本町
直接関係あるのは豊中市三国/大阪市淀川区西三国・東三国で、三国本町は直接には西三国・東三国としか関係がないです。ただこれら4者は神崎川の別称である三国川と関係があるのですべてで直接関係がある言うことも可能かもしれません。
(1)豊中市三国
元は豊島郡菰江村にありました。菰江村は1889年に庄内村大字菰江となり、1939年に庄内町大字菰江となり、1955年に豊中市菰江となり、1957年に豊中市菰江本町1~2丁目となり、1973年にその一部が豊中市三国1~2丁目となりました。私は三国2丁目にあった豊島郡菰江村字三国という小字が豊中市の三国の由来であると推測します。
(2)大阪市淀川区西三国・東三国
元は西成郡蒲田村にありました。蒲田村は1889年に北中島村大字蒲田となり、1925年に大阪市の一部となったのと同時に三国町となり、その後西三国と東三国などにわかれました。大阪市淀川区HP区の町名の由来によると
昔より大字蒲田の西部の一隅に三国島という小字地名があり、それによって阪急電車宝塚線の当地最寄駅名を三国駅と定めたことに影響を受けたのに由来します。桓武天皇が長岡京造営のさいに開削した神崎川を三国川と呼称したことにもよります。冠称の「西」・「東」は町域を東西に二分した際、その西部・東部に位置したことによります。
とあり、西成郡北中島村大字蒲田に1910年に出来た三国駅の存在が、大字蒲田を消滅させたので、これは交通由来町名とも言えます。
(3)大阪市淀川区三国本町
元は西成郡宮原新家村にありました。宮原新家村は1889年に北中島村大字宮原新家となり、1925年に大阪市の一部となったのと同時に三国本町となりました。大阪市淀川区HP区の町名の由来によると
三国駅に近い商工の町として「本町」の付称を用いたことによります。
とあることよりこれは交通由来町名であり、豊中市三国とは直接は関係が無さそうです。


次は地名コレクションへの情報提供です。

>星野彼方さん
「交通由来町名」コレクションに上記の大阪市淀川区三国本町大阪市淀川区西三国大阪市淀川区東三国をいかがでしょうか。

「瀬戸」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
小江の瀬戸(乾の瀬戸)(香川県小豆郡土庄町)
参考:小豆郡誌(著・出版:香川県小豆郡役所、T10.3.29)、香川県観光交流局にぎわい創出課沖之島,沖之島へのアクセス

「猫」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
猫塚公園(福岡県宮若市)(種別:バス停)
参考:猫塚の話
またこのバス停を北側に登ると猫塚峠(福岡県宗像市/福岡県宮若市)があります。
参考:宗像市HP>むなかた電子博物館宗像市の自然環境の概況1(PDF)1コマ

>牛山牛太郎さん
「文字数逆転」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
鳴呼難儀坂(あなぎざか)(長崎県対馬市)
場所はウォッちずによります。

>かすみさん
「渓(渓谷・渓流)」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
来栖(くるす)渓谷(香川県さぬき市)
参考:香川県HP乗車定員若干名。

>EMMさん
「希少地名 (山)」コレクションに次のものはいかがでしょうか。
鳥居岬(とりいざき)(千葉県君津市/富津市)
鞍部ではない稜線部を越えていくところにあります。名称としては鳥居峠、鳥居越、鳥居乗越などがより適当ではないかと思われますが、鳥居岬というのは珍しいのではないでしょうか。
歌川(安藤)広重の冨士三十六景・上総鹿埜山は鳥居岬から書かれたのであろうと言われています。場所はウォッちずによります。


------------------------------
最後に別件です。
[75350]hmtさん
一部ですが、一致しない町もあります。例えば現在の江東区役所が置かれている東陽4丁目近辺は、明治11年布達では既に深川東平井町として記されているのですが、変遷情報では見当たりません。変遷情報には“南葛飾郡平井新田の一部”が記されています。
類似の不一致は、深川本村町・深川千田町・深川西平井町・深川古石場町など、深川の中でも東部や南部に見えます。
hmtさん御提示の現行東京府布令類纂によると、これらの町は明治24年3月の東京府令第28号で成立したとあります。ゆえに明治22年の市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府には記載されていないものと考えられます。
ただ、東京府令第22号(M20.5.4)で成立した洲崎弁天町一丁目などの記載が抜けていることも事実ですが。
#余談ですが、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の記載分に関しては当方で正誤のチェックは総て終えています。ただ、現在88さんがお忙しいようですので、これに関しての投稿は無期限延期としていますが。。。
[75292] 2010年 6月 5日(土)17:20:20【3】むっくん さん
自治体を超える地名など
自治体を超える地名の話題に乗り遅れ気味ですが。。。

私が自治体越えの地名として思いついたのは[66846]拙稿で書いた
美濃市志摩/関市東志摩
だけです。江戸時代には同一の藩政村に所属しており、1955/7/10の境界変更で二つの自治体に分かれるまで同一の自治体に所属してきました。

これだけ多く出てくると、自治体を超える地名の線引きがややこしくなりそうです。ただ、「同一の自治体に所属したことがある」ということだけを要件にするのはまずそうです。
例えばグリグリさんの挙げられた吉崎も要件を満たしません。
他にも[75280]実那川蒼さんの挙げられている草津市平井・平井町/栗東市小平井も要件を満たしません。江戸時代にはそれぞれ平井村、小平井村という別々の藩政村でして、明治の大合併ではそれぞれ笠縫村、大宝村の一部となり、昭和の大合併ではそれぞれ草津市、栗東町の一部となり、現在は草津市、栗東市の一部であるという経緯を経ていますし。


[75272]桜通り十文字さん
近江八幡市大中町・安土町大中&東近江市大中町
琵琶湖の内湖で最大級の面積を誇った大中の湖の干拓地ですね。小学校4年生用の社会科の副教材に載っていました。戦後の食料不足を背景に、1957年(昭和32年)より10年かけて稲作を目的として干拓されましたが、干拓完成後まもなくして米の減反が始まるのは皮肉としかいいようがありません。


[75282]k-aceさん
岐阜県 揖斐郡 揖斐町 1896/4/18 揖斐町 1955/4/1 揖斐郡揖斐川町
(注2)大野郡揖斐町は1889/7/1に誕生。1896/4/18に揖斐郡揖斐町に。
福岡県 筑紫郡 筑紫村 1896/2/26 筑紫村 1955/3/1 筑紫郡筑紫野町
(注6)御笠郡筑紫村は1889/4/1に誕生。1896/2/26に筑紫郡筑紫村に。
前者の郡変更は法律第86号(M29.4.20)にて1897/4/1に実施されました。後者の郡変更は法律第24号(M29.3.27)にて1896/4/1に実施されました。

あと
愛知県 愛知郡 愛知町 1904/12/10 愛知町 1921/8/22 名古屋市中区
と愛知県愛知郡愛知町の成立年月日は1904/12/10とありますが、これは1904/12/20の誤りだと思います。「市町村沿革史愛知の百年(編著:愛知県総務部地方課、出版:愛知県市長会、S43)」でも「郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)」5コマでも明37(1904).12.20町制となっています。
市区町村変遷情報の方でも御検討ください。>88さん
#1904/12/10との誤記は諸文献で見受けられますが、その嚆矢はおそらく「全国市町村名変遷総覧」で、「全国市町村名変遷総覧」が「市町村沿革史愛知の百年」の転写ミスをしたものと私は推測しています。

さて、現存の郡という縛りがないならばどうなるのでしょうか。とりあえず、三重・滋賀・京都・大阪の4府県で追記すべきものがどうなるかを調べてみました。

(1)町村の廃置分合でなくなったもの
三重県 一志郡 一志町 1955/1/15 一志町 2006/1/1 津市
三重県 阿山郡 阿山村 1954/12/20 阿山町 2004/11/1 伊賀市(阿山村は1967/12/1町制)
滋賀県 滋賀郡 滋賀村 1889/4/1 滋賀村 1932/5/10 大津市
滋賀県 坂田郡 坂田村 1942/4/1 坂田村 1955/4/1 近江町
京都府 加佐郡 加佐町 1955/4/20 加佐町 1957/5/27 舞鶴市

(2)郡の廃置分合でなくなったもの
三重県 河芸郡 河芸町 1954.10.15 河芸町 1956/9/30 河芸郡→安芸郡(河芸町は2006/1/1に津市への新設合併で消滅)
三重県 安濃郡 安濃村 1889/4/1 安濃村 1956/9/30 安濃郡→安芸郡(安濃村は1977/1/15に町制、2006/1/1に津市への新設合併で消滅)
三重府 山田郡 山田村 1889/4/1 山田村 1896/4/1 山田郡→阿山郡(山田村は1955/4/13に大山田村への新設合併で消滅)
三重府 答志郡 答志村 1889/4/1 答志村 1896/4/1 答志郡→志摩郡(答志村は1954/11/1に鳥羽市への新設合併で消滅)
大阪府 住吉郡 住吉村 1889/4/1 住吉村 1896/4/1 住吉郡→東成郡(住吉村は1925/4/1に大阪市への編入合併で消滅)
大阪府 石川郡 石川村 1889/4/1 石川村 1896/4/1 石川郡→南河内郡(石川村は1956/9/30に河南町への新設合併で消滅)
大阪府 古市郡 古市村 1889/4/1 古市村 1896/4/1 古市郡→南河内郡(古市村は1916/8/1に町制、1956/09/30に南大阪町への新設合併で消滅)
大阪府 丹南郡 丹南村 1889/4/1 丹南村 1896/4/1 丹南郡→南河内郡(丹南村は1956/9/30に美原町への新設合併で消滅)
大阪府 志紀郡 志紀村 1889/4/1 志紀村 1896/4/1 志紀郡→南河内郡(志紀村は1956/1/1に町制、1957/4/1に八尾市への編入合併で消滅)
大阪府 若江郡 若江村 1889/4/1 若江村 1896/4/1 若江郡→中河内郡(若江村は1955/1/15に河内市への新設合併で消滅)

(3)市制町村制施行時に消滅したもの
1889/3/31まで存在した京都府久世郡久世村
1881/5/7~1889/3/31に存在した京都府天田郡天田村
1887/4/28~1889/3/31に存在した大阪府河内郡河内村
1889/3/31まで存在した大阪府大鳥郡大鳥村
1889/3/31まで存在した大阪府渋川郡渋川村

(4)郡の廃止後に成立したもの
1896/3/31まで存在した朝明郡の区域に1955/4/1に成立した三重県三重郡朝明村
1897/3/31まで存在した西浅井郡の区域に1897/4/1に成立した滋賀県伊香郡西浅井村
1897/3/31まで存在した茨田郡の区域に1939/6/1に成立した大阪府北河内郡茨田町

抜けがあるかもしれませんが、三重・滋賀・京都・大阪の4府県だけでも追加するものがかなり多くなりました。これではk-aceさんが“現存の”と限定されるのも当然ですね。

訂正
【1】誤字修正。
【2】茨田町の記載を修正。[75295]伊豆之国さんの指摘により、古市町の消滅年月日を訂正。
【3】河内郡河内村を追記。
[75044] 2010年 4月 29日(木)14:01:13【3】むっくん さん
郡区町村編制法時の各府県布達(ver.2)
[74542]で書きそびれてしまいましたが、[74496]拙稿(郡区町村編制法時の各府県布達)URLリンク修正版です。
ただし本稿では[74496]拙稿のうち、郡区町村編制法施行根拠、郡区町村編制法施行により成立した区の法的根拠の一覧、そして[74496]拙稿では記載していなかった、郡区町村編制法施行に伴い郡を分割した法的根拠、さらには郡区町村編制法施行後市制町村制施行以前に分割された郡とその法的根拠の一覧を紹介します。


(1)郡区町村編制法施行根拠
郡区町村編制法は全国同一時期に施行されたわけではありませんでした。郡区町村編制法をいつ施行するかは、各府県の布達に委ねられていました。まとめますと下記のようになります。

府県名郡区町村編制法施行根拠左記公布日郡区町村編制法施行日
開拓使乙第4号布達M12.7.23M12.7.23
青森県甲第14号布達M11.10.30M11.10.30
岩手県坤第1号布達M12.1.4M12.1.4
宮城県甲第225号布達M11.10.21M11.10.21
秋田県第379番布達M11.12.23M11.12.23
山形県乙第112号布達M11.11.1M11.11.1
福島県甲第8号布達M12.1.27M12.1.27
茨城県丙第123号布達M11.12.2M11.12.2
栃木県乙第274号布達M11.11.8M11.11.8
群馬県甲第93号布達M11.12.7M11.12.7
埼玉県甲第19号布達M12.3.17M12.3.17
千葉県甲第64号布達M11.11.2M11.11.2
東京府(※)甲第49号布達(PDF)M11.11.2M11.11.2
神奈川県甲第145号布達M11.11.18M11.11.18
新潟県甲第42号布達M12.4.28M12.4.28
石川県甲第143号布達M11.12.17M11.12.17
山梨県甲第267号布達M11.12.19M11.12.19
長野県乙第4号布達M12.1.4M12.1.4
岐阜県甲第10号布達M12.2.18M12.2.18
静岡県甲第36号布達M12.3.12M12.3.12
愛知県M11.12.20?M11.12.20?
三重県甲第1号布達M12.2.5M12.2.5
滋賀県甲第32号布達M12.5.16M12.5.16
京都府第70号布達M12.3.14M12.3.14
大阪府天第22号達M12.2.10M12.2.10
堺県甲第36号布達M13.4.15M13.4.15
兵庫県甲第1号布達M12.1.8M12.1.8
和歌山県乙第6号布達M12.1.20M12.1.20
島根県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
岡山県甲第110号布達M11.9.20M11.9.20
広島県甲第137号布達M11.11.11M11.11.11
山口県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
愛媛県甲第139号布達M11.12.16M11.12.16
高知県甲第267号布達M11.12.6M12.1.1
福岡県甲第199号布達M11.10.12M11.10.12
長崎県甲第121号布達M11.10.28M11.10.28
熊本県甲第5号布達?M12.1.20?M12.1.20?
大分県改第1号布達M11.11.1M11.11.1
鹿児島県甲第9号布達M12.2.17M12.2.17
沖縄県郡区町村編制法未実施
(※)伊豆七島、太政官布告第44号(M13.10.8)で東京府管轄となった小笠原諸島には郡区町村編制法を施行せず。


(2)郡区町村編制法の施行に伴い設置された区の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い区も設置されました。郡区町村編制法による区の一覧を以下にまとめました。下記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。

府県名区名成立根拠存在期間
開拓使札幌区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
函館区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
宮城県仙台区甲第225号布達M11.10.21~M22.3.31
東京府麹町区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
神田区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
日本橋区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
京橋区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
芝区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
麻布区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
赤坂区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
四谷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
牛込区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
小石川区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
本郷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
下谷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
浅草区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
本所区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
深川区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
神奈川県横浜区甲第145号布達M11.11.18~M22.3.31
新潟県新潟区甲第42号布達M12.4.28~M22.3.31
石川県金沢区甲第143号布達M11.12.17~M22.3.31
愛知県名古屋区M11.12.20?~M22.9.30
京都府上京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
下京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
伏見区第135号布達M12.4.11~M14.1.9
大阪府東区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
南区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
西区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
北区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
堺県堺区甲第36号布達M13.4.15~M22.3.31
兵庫県神戸区甲第1号布達M12.1.8~M22.3.31
岡山県岡山区甲第110号布達M11.9.20~M22.5.31
広島県広島区甲第137号布達M11.11.11~M22.3.31
山口県赤間関区甲第1号布達M12.1.6~M22.3.31
福岡県福岡区甲第199号布達M11.10.12~M22.3.31
長崎県長崎区甲第121号布達M11.10.28~M22.3.31
熊本県熊本区甲第5号布達?M12.1.20?~M22.3.31
(注)上記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。
[74496]拙稿では架空の“鹿児島区”をも誤って書いていたのを本稿では消去しました。


(3)郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡もありました。郡区町村編制法施行時のみならずその後明治13年末までに分割・改称された郡の一覧を以下にまとめました。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
青森県甲第14号布達M11.10.30津軽郡→東津軽郡、西津軽郡、中津軽郡、南津軽郡、北津軽郡
北郡→上北郡、下北郡
岩手県坤第1号布達M12.1.4岩手郡→南岩手郡、北岩手郡
和賀郡→東和賀郡、西和賀郡
磐井郡→西磐井郡、東磐井郡
閉伊郡→西閉伊郡、南閉伊郡、東閉伊郡、中閉伊郡、北閉伊郡
九戸郡→南九戸郡、北九戸郡
秋田県第378番布達M11.12.23秋田郡→南秋田郡、北秋田郡
山形県乙第112号布達M11.11.1村山郡→南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡
田川郡→東田川郡、西田川郡
置賜郡→西置賜郡、東置賜郡、南置賜郡
福島県甲第7号布達M12.1.27会津郡→南会津郡、北会津郡
白川郡→東白川郡
白河郡→西白河郡
蒲原郡(福島県管下)→東蒲原郡
茨城県丙第123号布達M11.12.2茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡
栃木県乙第274号布達M11.11.8都賀郡→上都賀郡、下都賀郡
群馬県甲第93号布達M11.12.7群馬郡→東群馬郡、西群馬郡
勢多郡→南勢多郡、北勢多郡
甘楽郡→南甘楽郡、北甘楽郡
埼玉県甲第19号布達M12.3.17足立郡(埼玉県管下)→北足立郡
埼玉郡→北埼玉郡、南埼玉郡
葛飾郡(埼玉県管下)→北葛飾郡、中葛飾郡
千葉県甲第64号布達M11.11.2相馬郡(千葉県管下)→南相馬郡
葛飾郡(千葉県管下)→東葛飾郡
M11.11.2以降埴生郡(下総国)→下埴生郡
M11.11.2以降埴生郡(上総国)→上埴生郡
東京府甲第49号布達(PDF)M11.11.2多摩郡(東京府管下)→東多摩郡
豊島郡→南豊島郡、北豊島郡
足立郡(東京府管下)→南足立郡
葛飾郡(東京府管下)→南葛飾郡
神奈川県甲第145号布達M11.11.18多摩郡(神奈川県管下)→西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡
新潟県甲第42号布達?M12.4.28?蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡
石川県甲第143号布達M11.12.17新川郡→上新川郡、下新川郡
山梨県甲第267号布達M11.12.19山梨郡→東山梨郡、西山梨郡
八代郡→東八代郡、西八代郡
巨摩郡→南巨摩郡、中巨摩郡、北巨摩郡
都留郡→南都留郡、北都留郡
長野県乙第4号布達?M12.1.4?佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
高井郡→上高井郡、下高井郡
水内郡→上水内郡、下水内郡
筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
伊那郡→上伊那郡、下伊那郡
岐阜県甲第10号布達M12.2.18石津郡→上石津郡、下石津郡
愛知県甲第190号布達M11.12.20設楽郡→北設楽郡、南設楽郡
加茂郡→東加茂郡、西加茂郡
甲第16号布達M13.2.5春日井郡→東春日井郡、西春日井郡
三重県甲第1号布達M12.2.5牟婁郡→北牟婁郡、南牟婁郡
滋賀県甲第61号布達M13.5.29浅井郡→東浅井郡、西浅井郡
京都府第70号布達M12.3.14桑田郡→南桑田郡、北桑田郡
和歌山県乙第6号布達M12.1.20牟婁郡→東牟婁郡、西牟婁郡
乙第9号布達M12.1.20牟婁郡が東牟婁郡, 西牟婁郡に分かれたのは行政上のみ
乙第96号布達M12.5.6牟婁郡が地理上においても東牟婁郡、西牟婁郡に分かれる
愛媛県甲第139号布達M11.12.16浮穴郡→上浮穴郡、下浮穴郡
宇和郡→西宇和郡、東宇和郡、北宇和郡、南宇和郡
長崎県甲第121号布達M11.10.28彼杵郡→西彼杵郡、東彼杵郡
高来郡→北高来郡、南高来郡
松浦郡→北松浦郡、南松浦郡、東松浦郡、西松浦郡
大分県改第1号布達M11.11.1国東郡→西国東郡、東国東郡
海部郡→北海部郡、南海部郡


(4)郡区町村編制法が施行されている時に分割された郡
郡区町村編制法が施行された後、市制町村制が施行されるまでに分割された郡の一覧を以下にまとめました。ただし(3)との重複を避けるため、明治14年以降のみに限定しています。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
宮崎県太政官布告第19号M16.6.4宮崎県諸県郡→鹿児島県南諸県郡、宮崎県北諸県郡
鹿児島県勅令第7号M20.4.2伊佐郡→南伊佐郡、北伊佐郡
大隅郡→南大隅郡、北大隅郡
囎唹郡→東囎唹郡、西囎唹郡
[75043] 2010年 4月 29日(木)13:48:06むっくん さん
市制町村制施行に伴う神奈川県の町村の廃置分合の根拠規定について
[75042]で神奈川県の町村の廃置分合の注の
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
を削除したことについての仔細です。


明治22年の市制町村制の施行に際し、各府県では町村の廃置分合がありました。この根拠となる県令を各県は出したわけですが、これは以下の2つに分類されます。
(A)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけでなく廃置分合を伴わない町村名をも県令に記載した府県(e.g.山口県の県令第15号
(B)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけを県令に記載し、廃置分合を伴わない町村名は県令に記載しなかった府県(e.g.熊本県の県令第10号

神奈川県の場合ですが、神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83によると、
 かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
とあります。そして同書の続きのpp.83-108に町村の廃置分合規定である県令第九号(M22.3.9)が
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ許可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖守固
(別冊)
町村分合改称表
久良岐郡
新町村名 旧町村名
 戸太村  戸部町 平沼新田 尾張屋新田 太田村 吉田新田
(略)
と書かれています。
市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載されています。これはまさしく上述の分類での(B)のタイプになります。

次に[69698]拙稿で
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
と記載した情報源です。この情報源は、神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)pp.503-505の

-------(引用開始)-----
 ともあれ、県当局は主主の問題を残しながらも、翌八九年三月五日には「町村制施行順序」を定め、同月十一日には県令第九号を以て、町村の分合およびその改称を定め、同月三十一日付を以て実施するとした。

 新町村の誕生

 『神奈川県町村合併誌』は、この県令第九号の「町村分合改称表」が即新町村としている。しかし、これは新たに実施された町村ではなかった。実施した新町村の区画及び町村名は、同年七月十九日付『神奈川県公報』第二百六十八号に掲載された「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」に示されている。この表の町村数は東京市政調査会編『自治五十年史制度編』に掲載されている内務省統計報告の町村数と一致している。県令第九号は四月一日実施に固執する県当局の勇み足であった。
 県令第九号「町村分合改称表」による町村数と「各郡町村名大字役場位置表」によるそれとを比較すると第四十一表のようになっている。新町村数三百二十がいかに後退した数字であるかがうかがわれる。しかも、その内二八パーセント、九十一町村は二十五の町村組合に編成されていた。とくに津久井・西多摩・北多摩・足柄上・足柄下の各郡に町村組合が多くなっていた

第41表 郡別町村数
郡名町村分合改称表各郡町村名大字役場
による町村数位置表による町村数独立町村数町村組合数同町村数
久良岐郡79900
橘樹郡23232013
都筑郡1112824
西多摩郡223216416
南多摩郡20202000
北多摩郡213920319
三浦郡14151500
鎌倉郡20201525
高座郡21232300
大住郡23242400
淘綾郡44400
足柄上郡162616310
足柄下郡223221311
愛甲郡917928
津久井郡9249515
合計2423202292591
「町村分合改称表」及び「各郡町村名大字役場位置表」から作成
-------(引用終わり)-----

という記載を基にしたものでした。

神奈川県史通史4近代現代1(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、1981)では、神奈川県の町村の廃置分合規定は(B)のタイプであるにも関わらず、『市制町村制に伴う町村の廃置分合規定には(A)のタイプしかないことより神奈川県令第九号(M22.3.11付)が書き落としをしている』という誤まった理解の上に立ち、それに基いた誤った記述をしているものと考えられます。
そこで[75042]市制町村制施行時の府令県令(ver.4)では、[69698]拙稿であった神奈川県県令第9号(M22.3.9)での注釈を誤りと判断し、削除することとしました。
[75042] 2010年 4月 29日(木)13:42:28むっくん さん
市制町村制施行時の府令県令(ver.4)
[74542]で予告しました[69698]のリンク先修正版です。リンク先修正以外の変更点は[75041] を参照願います。

番号府県名市制町村制根拠左記公布日町村の廃置分合左記公布日市制町村制施行日
2青森県県令第15・16M22.2.20県告示第13M22.2.12M22.4.1
県令第14M22.2.20
県令第22M22.2.25
3岩手県県令第11・14号([75041])M22.2.16県令第12・13・15号(参考)M22.2.16M22.4.1
4宮城県県令第10・11M22.2.9県令第89M22.2.9M22.4.1
(M22.3.31実施)
県令第27M22.3.31
(M22.3.31実施)
5秋田県県令第15M22.2.15県令第15M22.2.15M22.4.1
6山形県県令第14M22.2.25県令第1718M22.3.18M22.4.1
7福島県県令甲第23M22.3.25県令甲第21M22.3.25M22.4.1
8茨城県県令甲第13M22.3.20(*1)県令甲第12M22.3.20(*1)M22.4.1
(M22.3.31実施)
9栃木県県令第16号([75041])M22.3.15県令第15M22.3.15M22.4.1
10群馬県県令第19M22.3.4M22.4.1
11埼玉県県令甲第8M22.3.23県令甲第7号(本文別冊)M22.3.23M22.4.1
12千葉県?(参考)M22.4.1
(M22.3.31実施)
13東京府府令第26M22.4.11府令第25(PDF)M22.4.11M22.5.1
14神奈川県県令第9号M22.3.11M22.4.1
(M22.3.31実施)
15新潟県県令甲第21M22.3.__県令甲第22号(本文別冊)M22.3.6M22.4.1
16富山県県令第38・39M22.3.19県令第37M22.3.19M22.4.1
17石川県県令第26・27M22.3.8県令第2328M22.3.8M22.4.1
18福井県県令第20M22.2.16県令第1819M22.2.16M22.4.1
19山梨県県令第40M22.6.26(*2)県令第41M22.6.26M22.7.1
20長野県県令第17M22.3.19県令第1819M22.3.19M22.4.1
21岐阜県県令第40M22.6.27県令第39M22.6.27M22.7.1
22静岡県県令第20M22.2.27県令第1819M22.2.26M22.4.1
(郡部M22.3.1実施)
(市部M22.4.1実施)
23愛知県県令第48M22.9.24県令第47M22.9.24M22.10.1
24三重県県令第15M22.3.1県令第12・1314M22.3.1M22.4.1
25滋賀県県令第15M22.2.19県令第13M22.2.19M22.4.1
26京都府府令第2527M22.2.23府令第26M22.2.23M22.4.1
27大阪府府令第16(PDF)M22.2.20府令第17M22.2.20M22.4.1
28兵庫県県令第25M22.2.22県令第121M21.11.22M22.4.1
県令第24M22.2.22
29奈良県県令第9号([75041])M22.3.2県令第10号(参考)M22.3.2M22.4.1
30和歌山県県令第17M22.2.22県令第15M22.2.22M22.4.1
31鳥取県県令第94号(本文[62287]別冊)M22.9.22M22.10.1
32島根県県令第19M22.3.9県令第20・2122M22.3.9M22.4.1
33岡山県県令第25M22.4.19県令第26M22.4.29M22.6.1
34広島県県令甲第21M22.3.8(*3)県令甲第22M22.3.8M22.4.1
35山口県県令第13M22.3.3県令第15M22.3.3M22.4.1
36徳島県県令第30M22.6.29M22.10.1
37香川県県令第82M22.12.28県令第84M22.12.28M23.2.15
38愛媛県県令第62M22.11.11県令第64M22.11.11M22.12.15
39高知県県令第31M22.3.4県令第30号M22._.__M22.4.1
40福岡県県令第42・43号M22.3.13県令第42・43号([62384])M22.3.13M22.4.1
41佐賀県県告示乙第3号(*4)M22.3.26未発見(参考)M22.4.1
42長崎県県令第21・22M22.3.5県令第1819M22.3.5M22.4.1
43熊本県県令第11M22.3.4県令第10M22.3.4M22.4.1
44大分県県令甲第10M22.3.2県令甲第12M22.3.2M22.4.1
45宮崎県県令第15M22.3.29県令第17M22.3.29M22.5.1
46鹿児島県県令第26号([75041])M22.3.5県令第26号M22.3.5M22.4.1

(*1)M22.3.15は裁可日。M22.3.20に県報が出て公布された。
(*2)[62809]文末考察により修正。
(*3)広島県市町村合併史(編・出版:広島県、1961)83頁の記載により修正。
(*4)佐賀県史近代(編:佐賀県史編さん委員会、発行:佐賀県、1967)には、この告示が佐賀が市制を施行した際の根拠と書かれている(原文は確認できず)。同書には他の町村の町村制施行の根拠規定については何も触れられておらず不明。
#市制町村制の施行日と異なる日に町村の廃置分合が実施された府県については、その実施日を記した。
[75041] 2010年 4月 29日(木)13:40:28【1】むっくん さん
市制町村制施行に伴う郡界改定の根拠法令(ver.2)
[74542]で書いたもののうち、市制町村制施行に伴う郡界改定の根拠法令です。[69697]拙稿のリンク先修正版です。
総ての府県までは集めきれていません。

番号府県名市制町村制根拠左記公布日施行日
6山形県県令第16号M22.3.18M22.4.1
県令第21号M22.3.18M22.4.1
7福島県県令甲第22号M22.3.25M22.4.1
9栃木県勅令第32号M22.3.13M22.3.13
11埼玉県県令甲第6号([69697]M22.3.23M22.4.1
埼玉県県令甲第10号([69697]M22.3.26M22.4.1
埼玉県県令甲第18号M22.3.30M22.3.30
12千葉県県令第17号(本稿の下部参照)M22.3.27M22.3.31
13東京府府令第24号(PDF)M22.3.30M22.3.30
19山梨県県令第42号M22.6.26M22.7.1
21岐阜県県令第38号M22.6.27M22.7.1
22静岡県県令第17号M22.2.26M22.3.1
23愛知県県令第46号M22.9.24M22.10.1
28兵庫県県令第23号M22.2.22M22.4.1
県令第34号M22.3.5M22.4.1
29奈良県県令第11号(本稿の下部参照)M22.3.2M22.4.1
30和歌山県県令第14号M22.2.22M22.4.1
35山口県県令第14号([68659]M22.3.3M22.4.1
37香川県県令第83号M22.12.28M23.2.15
38愛媛県県令第63号([73754]M22.11.11M22.12.15
43熊本県県令第9号M22.3.4M22.4.1
44大分県県令甲第11号M22.3.2M22.3.2
46鹿児島県県令第25号([69707]M22.3.5M22.4.1


上記の表の内、千葉県の県令第17号、奈良県の県令第11号については将来的に必要となりますので全文紹介します。千葉県の県令第17号の出典は千葉県史料近代篇2-1郡制(編:千葉県史編纂審議会、出版:千葉県、1986)98-99頁です。奈良県の県令第11号の出典は奈良県立図書情報館所蔵の明治22年当時の県令など記載の書物(書名は失念)です。

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千葉県令第十七号
本県千葉郡、市原郡、東葛飾郡、印旛郡、下埴生郡、南相馬郡、長柄郡、上埴生郡、山辺郡、武射郡、香取郡、海上郡、匝瑳郡、望陀郡、周准郡、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡ノ郡界中左ノ通改正シ、本月三十一日ヨリ施行ス
一 印旛郡宇那谷村ノ全部、及ヒ市原郡八幡宿ノ内千葉郡村田村内ニ孕在セル飛地ヲ千葉郡ニ編入ス
一 長柄郡山之郷村ノ内市原郡奈良村へ突入地及金剛地村内ニ孕在セル飛地ヲ市原郡ニ編入ス
一 印旛郡柏堀ノ内新田(字壱番割水神前ヲ除ク)、柏中村、下戸張村新田、根村ノ内字軽井沢新田、呼塚新田字落合ヲ東葛飾郡ニ編入ス
一 下埴生郡成木新田、南相馬郡浅間前新田、相島新田ノ内、印旛郡大森村、南相馬郡布佐町間ニ孕在セル飛地ヲ印旛郡ニ編入ス
一 印旛郡公津新田ノ全部、及ヒ江弁須村ノ内下埴生郡成田町郷部村内ニ孕在セル飛地、安食卜坑新田ノ内下埴生郡安食村内ニ孕在セル飛地ヲ下埴生郡ニ編入ス
一 印旛郡呼塚新田(字落合ヲ除ク)、根戸村新田、松ヶ崎村新田、柏堀ノ内新田ノ内字一番割水神前、新木村、下日秀村新田、中峠村、下中里村新田、箕輪村新田、大井村新田、染井入村新田、鷲ヶ谷新田、岩井村新田、泉村新田、布瀬村新田、手賀村新田、片山村新田、我孫子村新田、高野山村新田、岡発戸村新田、都部新田、都部村新田ヲ南相馬郡ニ編入ス
一 山辺郡大沢村、上埴生郡山崎村ノ全部、及ヒ市原郡板倉村、金剛地村ノ内山辺郡大沢村内ニ孕在セル飛地ヲ長柄郡ニ編入ス
一 長柄郡猿袋村ヲ上埴生郡ニ編入ス
一 武射郡本須賀村姫島村ノ全部、及ヒ松ヶ谷村ノ内本須賀村内ニ孕在セル飛地、小泉村、五木田村ノ内山辺郡白幡村内ニ孕在セル飛地、千葉郡平川村ノ内山辺郡高津戸村内ニ孕在セル飛地、市原郡板倉村ノ内山辺郡大椎村内ニ孕在セル飛地ヲ山辺郡ニ編入ス
一 山辺郡上武射田ヨリ武射郡富口村内ニ孕在セル飛地ヲ武射郡ニ編入ス
一 下埴生郡十余三村字夜番土手以東十五字ヲ香取郡ニ編入ス
一 匝瑳郡太田村ヲ海上郡ニ編入ス
一 周准郡下鳥田村ノ内望陀郡桜井村内ニ孕在セル飛地ヲ望陀郡ニ編入ス
一 望陀郡桜井村ノ内周准郡大久保村ト境界錯雑セル部分ヲ周准郡ニ編入ス
一 平郡正木村ノ内平里川ヲ隔テ、安房郡高井村ニ接スル部分ヲ安房郡ニ編入ス
一 安房郡高井村ノ内平里川ヲ隔テ、平郡正木村、府中村ニ接スル部分ヲ平郡ニ編入ス
一 朝夷郡吉浦村、太夫崎村ヲ長狭郡ニ編入ス
明治廿二年三月廿七日 千葉県知事石田英吉

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奈良県令第十一号
町村区域相定候ニ付テハ左之通郡界ヲ変更シ本年四月一日ヨリ施行ス
明治二十二年三月二日 奈良県知事 子爵 税所篤
村名旧所属郡名新所属郡名
番條村添下郡添上郡
伊豆七條村仝郡仝郡
三本松村山邊郡宇陀郡
大野村仝郡仝郡
新向淵村仝郡仝郡
古向淵村仝郡仝郡
修理枝村仝郡式上郡
新庄村仝郡添上郡
北菅田村平群郡山邊郡
南菅田村仝郡仝郡
北八木村十市郡高市郡
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次は別件ですが、以前、市制町村制の根拠の本文が示されていなかったものにつき、その本文を紹介しておきます。
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岩手県の市制町村制の根拠である県令第11号(M22.2.16)、県令第14号(M22.2.16)の文言は以下のとおりです。出典は岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)です。

県令第十一号
本年四月一日ヨリ盛岡ニ市制ヲ施行ス
明治廿二年二月十六日 岩手県知事 石井省一郎

県令第十四号
明治廿一年法律第一号町村制ハ内務大臣ノ指揮ヲ受ケ本年四月一日ヨリ施行ス
明治廿二年二月十六日 岩手県知事 石井省一郎

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栃木県の町村制の根拠である県令第16号(M22.3.15)の文言は以下のとおりです。出典は栃木県史料編近現代2(編:栃木県史編さん委員会、出版:栃木県、1977)30頁です。

県令第十六号
明治二十一年四月法律第一号町村制ヲ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
明治二十二年三月十五日 栃木県知事 横山資雄

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奈良県の町村制の根拠である県令第9号(M22.3.2)の文言は以下のとおりです。出典は上述の奈良県令第11号(M22.3.2)が掲載されていたのと同一の書物です。

奈良縣令第九号
本年四月一日ヨリ町村制ヲ施行ス
明治二十二年三月二日 奈良縣知事 子爵 税所篤
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鹿児島県の市制町村制の根拠である県令第26号(M22.3.5)の本文の文言は以下のとおりです。出典は鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)84頁に転写されている鹿児島県公報号外明治二十二年三月五日です。

県令第弐拾六号
明治二十一年四月法律第一号市制町村制ヲ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
但市町村名及其区域市役所町村役場位置別冊之ヲ定ム
明治二十二年三月五日 鹿児島県知事 渡邊千秋

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次稿では[69698](市制町村制施行時の府令県令(ver3))の修正版を記します。
変更点は次の通りです。
(1)市町村の廃置分合が市制町村制施行以前に行われた各県(宮城県・茨城県・千葉県・神奈川県・静岡県)で、廃置分合が実施された年月日を追記しました。
#千葉県の町村の廃置分合がM22.3.31であるというのは、千葉県の歴史(通史編・近現代1)(編:千葉県史料研究財団、出版:千葉県、H14.3.25)267頁の記載によります。
(2)茨城県での県令の公布日の変更をしました。M22.3.15は裁可日で、M22.3.20に県報が出て公布されたことが判明したことによります。
(3)栃木県での町村制施行根拠を追加しました。
(4)市制町村制施行時に直接関わり合いの無い東京府での町村合併の廃置分合規定2箇所を削除しました。また、東京府の町村合併の廃置分合規定である府令第25号をリンクしました。
(5)奈良県での町村制施行根拠を追加しました。また、同県での町村廃置分合規定の県令第10号の公布日を修正しました。
(6)島根県の県令第22号のリンク先を変更しました。
(7)神奈川県の町村の廃置分合規定で
(*1)実際の廃置分合は県令第9号に基づいて行われなかった。実際に行われた町村の廃置分合で出来た新町村は後の公報第268号(M22.7.19)「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」の記載の通りである。
との注を付けていましたが、おそらく誤りであると分かったので削除しました。詳細は別稿で書く予定です。
[74542] 2010年 4月 2日(金)18:23:12むっくん さん
近代デジタルライブラリリニューアルなど
[74521]k-ace さん[74528]EMM さんでは、Yahoo!地図がリニューアルされているとありました。
国立国会図書館近代デジタルライブラリも4月1日にリニューアルされて拡大縮小がマウスで出来るようになり、かなり便利になりました。またこれに伴い、書籍のURLリンク先が今までとすべて変わってしまったというのも一大出来事です。
現在は今までのURLリンクから新URLへ自動的に飛ぶようですが、念のため、[69698][69697]拙稿の修正版を今後の出来る限り早い時期に書き込むことにします。


[74529]伊豆之国さん
私も[72181] で書き込んでいました‥。
対馬を「対島」と誤記してしまう人が多いようですが、伊豆にはかつて「対島」という村がありました
[74516]拙稿の対「馬」村ではなくて対「島」村であるというのは、実は伊豆之国さんの[72181]の書込みで気付いたものです。


[74524]ペーロケさん
[74509]okiさん、[74515]紅葉橋律乃介さん、[74516][74518]むっくんさんの記事は、多分本当ですよね?
私の[74516][74518]の記事はもちろん本当です。
下閉伊郡岩泉町の参考資料が新年度になったのに伴い消えてしまったため、他の情報と併せてあわてて投稿したものです。近代デジタルライブラリのURLリンク先が変更になったのには少々参りましたが。。。

88さんに取り急ぎお願いがあります。
[74516]拙稿の下閉伊郡岩泉町のGoogleキャッシュ、Excelファイルの取り急ぎの確認をお願いします。Googleキャッシュはおそらく後数日しか見れないでしょうし、Excelファイルの方もトップページが消えていますので。
[74518] 2010年 4月 1日(木)17:34:05むっくん さん
市区町村変遷情報(西日本)
[74517]の続きです。

◎山口県
24 1905.04.01 編入 玖珂郡岩国町 玖珂郡 岩国町, 横山村

24 1905.04.01 新設 玖珂郡岩国町 玖珂郡 岩国町, 横山村
ではないでしょうか。
山口県HP内にある平成20年刊山口県統計年鑑市町村の分離合併(エクセル形式)では新設合併とあります。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)71頁でも編入合併ではないとしています。

35 1915.07.01 編入 吉敷郡山口町 吉敷郡 山口町, 下宇野令村

35 1915.07.01 新設 吉敷郡山口町 吉敷郡 山口町, 下宇野令村
ではないでしょうか。
山口県HP内にある平成20年刊山口県統計年鑑市町村の分離合併(エクセル形式)では新設合併とあります。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)72頁でも編入合併ではないとしています。

36 1915.11.01 町制 大島郡安下庄町 大島郡 安下庄村

36 1915.11.10 町制 大島郡安下庄町 大島郡 安下庄村
ではないでしょうか。
山口県HP内にある平成20年刊山口県統計年鑑市町村の分離合併(エクセル形式)ではT4(1915).11.10町制とあります。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)72頁でもT4(1915).11.10町制とあります。
また郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9.3.31)でもT4(1915).11.10町制とあります。

38 1916.06.01 分立 玖珂郡御庄村 玖珂郡 藤河村の一部

1916.06.01 分割 玖珂郡御庄村 玖珂郡 藤河村の一部
1916.06.01 分割 玖珂郡藤河村 玖珂郡 藤河村の一部
ではないでしょうか。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)72頁では
玖珂郡藤河村を廃し、大字関戸・多田・阿品・田原を藤河村、大字御庄・大谷・持国をもって御庄村とする。
とあります。
郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9.3.31)でも
玖珂郡藤河村を廃し、其の区域を以て藤河村、御庄村を置く
とあります。

75 1938.04.01 新設/町制 熊毛郡周南町 熊毛郡 光井村, 島田村, 浅江村, 三井村

75 1939.04.01 新設/町制 熊毛郡周南町 熊毛郡 光井村, 島田村, 浅江村, 三井村
ではないでしょうか。
山口県HP内にある平成20年刊山口県統計年鑑市町村の分離合併(エクセル形式)ではS14(1939).4.1新設合併とあります。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)72頁でもS14(1939).4.1新設/町制とあります。

91 1941.11.01 改称 大島郡白木村 大島郡 家室西方村

91 1941.11.03 改称 大島郡白木村 大島郡 家室西方村
ではないでしょうか。
山口県HP内にある平成20年刊山口県統計年鑑市町村の分離合併(エクセル形式)ではS16(1941).11.3改称とあります。
山口縣町村合併史(編・発行:山口県総務部地方課、1958.4.1)73頁でもS16(1941).11.3改称とあります。

◎愛媛県
愛媛県史資料編近代3(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1984)、愛媛県史資料編近代4(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1986)に県告示本文そのものの記載があり、その本文中には施行日の記載(ただし周桑郡丹原町はなかったので裁可日を施行日と推定しました)もありました。これらに記載されているものについて、市区町村変遷情報記載の情報と比較してみました。

5 1895.09.12 分立 越智郡魚島村 越智郡 弓削村の一部
根拠は愛媛県告示第133号(M28.9.19付)でM28(1895).12.1分立でした。

15 1899.05.07 分立 越智郡渦浦村 越智郡 亀山村の一部
16 1899.10.01 分立 北宇和郡御槇村 北宇和郡 清満村の一部
根拠は愛媛県告示第79号(M32.5.30付)でM32(1899).7.1分立でした。御槇村の分立の日は以前[62491]でたもっちさんが1899.7.1分立?と書かれておられますが、そのとおりでした。

27 1908.09.30 境界変更 喜多郡満穂村 喜多郡 満穂村, 伊予郡 下灘村の一部
根拠は愛媛県告示第436号(M41.9.3付)でM41(1908).10.1境界変更でした。

31 1913.12.13 町制/改称 周桑郡丹原町 周桑郡 福岡村
根拠は愛媛県告示第538号(T2.12.23付)でT2(1913).12.23町制/改称でした。

35 1917.05.01 新設 北宇和郡宇和島町 北宇和郡 宇和島町, 丸穂村
根拠は愛媛県告示第193号(T6.4.13付)でT6(1917).5.1編入でした。

77 1938.10.10 新設 北宇和郡岩松町 北宇和郡 岩松町, 高近村
根拠は愛媛県告示第606号(S13.9.6付)でS13(1938).9.10新設でした。これも以前たもっちさんが[62491]で指摘されたものですが、未反映であったようです。

◎高知県
11 1899.12.20 町制 幡多郡宿毛町 幡多郡 宿毛村
1899(M32).12.20町制ではなくて1898(M31).12.20町制ではないでしょうか。
参考:[68520]拙稿、[69559]88さん

◎長崎県
2 1898.07.01 分立 西彼杵郡小榊村 西彼杵郡 淵村の一部
1898(M31).7.1分立ではなくて1898(M31).10.1分立ではないでしょうか。
参考:[71725]拙稿、[72194]88さん

◎熊本県
28 1909.07.04 村制 八代郡郡築村 八代郡郡築新地(干拓地)
1909(M42).07.04村制ではなくて1909(M42).04.07村制ではないでしょうか。
熊本県市町村合併史(編・発行:熊本県総務部地方課、S44.3.31)463頁では
郡築村は、明治二九年(一八九六)郡制が布かれて後、郡の基本財産をつくる必要から、八代町、松高村から八千杷村にかけての海浜を新地とするため、三三年干拓工事に着手し、三七年二月九日に、潮止工事が完成して、四二年四月七日、郡築村として新設されたものである
と記載されています。

◎鹿児島県
70 1889.04.01 新設/村制 川辺郡東加世田村 川辺郡 唐「人」原村, 益山村, 宮原村, 小湊村

70 1889.04.01 新設/村制 川辺郡東加世田村 川辺郡 唐「仁」原村, 益山村, 宮原村, 小湊村
ではないでしょうか。
参考:鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)記載の県令第26号(M22.3.5)
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)81コマ

58 1889.04.01 新設/村制 西囎唹郡国分村 西囎唹郡 上小川村, 向花村, 野口村, 府中村, 新町村, 本町, 唐「人」町

58 1889.04.01 新設/村制 西囎唹郡国分村 西囎唹郡 上小川村, 向花村, 野口村, 府中村, 新町村, 本町, 唐「仁」町
ではないでしょうか。
参考:鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)記載の県令第26号(M22.3.5)
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)83コマ

20 1889.04.01 新設/村制 肝属郡東串良村 肝属郡 豊栄町, 川東村, 柏原町, 新川西村, 唐「人」町, 川西村, 岩弘村, 池ノ原村

20 1889.04.01 新設/村制 肝属郡東串良村 肝属郡 豊栄町, 川東村, 柏原町, 新川西村, 唐「仁」町, 川西村, 岩弘村, 池ノ原村
ではないでしょうか。
参考:鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)記載の県令第26号(M22.3.5)
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)83コマ

21 1897.04.01 郡設置 大島郡 大島郡 川辺郡の一部 の区域をもって大島郡を設置

21 1897.04.01 郡変更 大島郡 大島郡 大島郡, 川辺郡の一部(中之島, 宝島, 悪石島, 口之島, 平島, 臥蛇島, 黒島, 竹島, 硫黄島, 諏訪瀬島)
ではないでしょうか。
参考:法律第55号(M29.3.30)

13 1908.04.01 新設/村制 大島郡名瀬村 大島郡 金久村, 伊津部村, 仲勝村, 有屋村, 浦上村, 大熊村, 朝仁村, 小宿村, 知名瀬村, 根「頼」部村, 有良村, 蘆花部村, 小湊村, 名瀬勝村, 伊津部勝村, 朝戸村, 西仲勝村
は正しくは
13 1908.04.01 新設/村制 大島郡名瀬村 大島郡 金久村, 伊津部村, 仲勝村, 有屋村, 浦上村, 大熊村, 朝仁村, 小宿村, 知名瀬村, 根「瀬」部村, 有良村, 蘆花部村, 小湊村, 名瀬勝村, 伊津部勝村, 朝戸村, 西仲勝村
でした。これは[64956]拙稿において、私が県令第41号(M41.3.20)を転載ミスをしたものでした。

以上多数になりましたがよろしくお願いします。

最後に呉市となった根拠は
内務省告示第六十三号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ依リ広島県安芸郡呉町ヲ市制施行地ニ指定シ明治三十五年十月一日ヨリ市制ヲ施行ス
明治三十五年九月一日 内務大臣男爵内野忠勝
です。
[74517] 2010年 4月 1日(木)17:33:37むっくん さん
市区町村変遷情報(近畿)
[74516]の続きです。

◎大阪府
1 1890.04.01 新設 志紀郡道明寺村 志紀郡 道明寺村, 沢田村

1 1890.03.31 新設 志紀郡道明寺村 志紀郡 道明寺村, 沢田村
ではないでしょうか。根拠は大阪府令第27号(M23.3.31)(PDF)1コマで、1890.3.31新設です。

4 1894.10.25 分立 住吉郡長居村 住吉郡 依羅村の一部

4 1894.10.29 分立 住吉郡長居村 住吉郡 依羅村の一部
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第219号(M27.10.29)(PDF)1コマで、1894.10.29分立です。
#1894.10.25は裁可日です。

5 1894.11.10 新設 大鳥郡上神谷村 大鳥郡 中上神村, 南上神村

5 1894.11.12 新設 大鳥郡上神谷村 大鳥郡 中上神村, 南上神村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第225号(M27.11.12)(PDF)1コマで、1894.11.12新設です。
#1894.11.10は裁可日です。

15 1896.08.08 町制 南河内郡富田林町 南河内郡 富田林村

15 1896.08.10 町制 南河内郡富田林町 南河内郡 富田林村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第222号(M29.8.10)(PDF)1コマで、1896.8.10町制です。
#1896.08.08は裁可日です。

21 1897.04.01 編入 西成郡津守村 西成郡 津守村, 川南村の一部

21 1897.04.01 改称 西成郡津守村 西成郡 川南村の一部
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第186号(M29.7.11)(PDF)3コマです。

23 1898.10.14 町制 三島郡茨木町 三島郡 茨木村
24 1898.10.14 町制 三島郡高槻町 三島郡 高槻村

23 1898.10.15 町制 三島郡茨木町 三島郡 茨木村
24 1898.10.15 町制 三島郡高槻町 三島郡 高槻村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第198号(M31.10.15)(PDF)1コマで、1898.10.15町制です。
#1898.10.14は裁可日です。

25 1899.03.30 改称 南河内郡川西村 南河内郡 廿山村

25 1899.03.31 改称 南河内郡川西村 南河内郡 廿山村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第69号(M32.3.31)(PDF)52コマで、1898.3.31改称です。
#1899.03.30は裁可日です(公報も1899.3.30付けですが、発行はその翌日の1898.3.31)。

43 1913.05.01 新設 中河内郡三本木村 南河内郡 太田村, 中河内郡 三本木村

43 1913.05.01 編入 中河内郡三本木村 南河内郡 太田村, 中河内郡 三本木村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第105号(T2.4.21)(PDF)9コマで、1913.5.1編入です。

72 1925.04.01 編入 大阪市 大阪市, 西成郡 川北村, 千船町, 稗島町, 歌島村, 鷺洲町, 伝法町, 福村, 中津町, 豊崎町, 神津町, 西中島町, 北中島「町」, 新庄村, 豊里村, 大道村, 中島村, 今宮町, 玉出町, 粉浜村, 津守村, 東成郡 城北村, 榎本村, 清水村, 古市「町」, 榎並町, 鯰江町, 城東村, 神路村, 小路村, 鶴橋町, 中本町, 生野村, 北百済村, 平野郷町, 南百済村, 喜連村, 天王寺村, 住吉村, 田辺町, 長居村, 依羅村, 敷津村, 安立町, 墨江村

72 1925.04.01 編入 大阪市 大阪市, 西成郡 伝法町, 鷺洲町, 中津町, 豊崎町, 今宮町, 玉出町, 粉浜村, 津守村, 西中島町, 豊里村, 大道村, 新庄村, 中島村, 北中島「村」, 神津町, 歌島村, 千船町, 稗島町, 福村, 川北村, 東成郡 天王寺村, 生野村, 鶴橋町, 中本町, 神路村, 小路村, 城東村, 榎本村, 鯰江町, 榎並町, 城北村, 古市「村」, 清水村, 平野郷町, 喜連村, 北百済村, 南百済村, 田辺町, 依羅村, 長居村, 墨江村, 住吉村, 安立町, 敷津村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第50号(T14.2.26)(PDF)1コマです。

68 1925.04.01 区設置 北区,西区から此花区が分区
69 1925.04.01 区設置 西区から港区が分区
70 1925.04.01 区設置 東区, 南区から天王寺区が分区
71 1925.04.01 区設置 南区から浪速区が分区

1925.03.31 境界変更 北区 北区, 西区の一部
1925.03.31 境界変更 西区 西区, 北区の一部
1925.03.31 境界変更 南区 南区, 東区の一部
1925.04.01 区設置  北区,西区から此花区が分区
1925.04.01 区設置  西区から港区が分区
1925.04.01 区設置  南区から天王寺区が分区
1925.04.01 区設置  南区から浪速区が分区
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第110号(T14.3.30)及び大阪府告示第111号(T14.3.31)(共に大阪府公報号外大正十四年三月三十日(PDF)1コマ)です。
#1925.03.31の境界変更は本来的には収録対象外であると思われますが、1925.04.01の区の再編と実質的に同一に扱われるべきものと思われますので記載しています。

97 1932.10.01 区設置 港区から大正区が分区
98 1932.10.01 区設置 東成区から旭区が分区

97 1932.10.01 区設置 港区を廃し新たに港区, 大正区 を設置
98 1932.10.01 区設置 東成区を廃し新たに東成区, 旭区 を設置
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第634号の2(S7.9.20)(PDF)1コマです。


145 1943.04.01 区設置 北区,旭区から都島区が分区
146 1943.04.01 区設置 西淀川区,此花区から福島区が分区
147 1943.04.01 区設置 東淀川区,西淀川区から大淀区が分区
148 1943.04.01 区設置 東成区から生野区が分区
149 1943.04.01 区設置 旭区から城東区が分区
150 1943.04.01 区設置 住吉区から阿倍野区,東住吉区が分区

1943.03.31 境界変更 北区   北区, 東淀川区の一部, 旭区の一部
1943.03.31 境界変更 此花区  此花区, 西淀川区の一部
1943.03.31 境界変更 東区   東区, 南区の一部, 東成区の一部, 旭区の一部
1943.03.31 境界変更 天王寺区 天王寺区, 東区の一部, 東成区の一部, 住吉区の一部
1943.03.31 境界変更 浪速区  浪速区, 西区の一部, 西成区の一部
1943.03.31 境界変更 西淀川区 西淀川区, 北区の一部, 此花区の一部
1943.03.31 境界変更 東淀川区 東淀川区, 北区の一部
1943.03.31 境界変更 東成区  東成区, 東区の一部
1943.04.01 区設置 北区, 此花区を廃し北区の一部, 此花区の一部を以て新たに北区 を設置
1943.04.01 区設置 北区を廃し北区の一部 を以て新たに都島区 を設置
1943.04.01 区設置 此花区, 北区を廃し此花区の一部, 北区の一部を以て新たに福島区 を設置
1943.04.01 区設置 此花区を廃し此花区の一部を以て新たに此花区 を設置
1943.04.01 区設置 西区, 港区を廃し西区, 港区の一部を以て新たに西区 を設置
1943.04.01 区設置 港区を廃し港区の一部を以て新たに港区 を設置
1943.04.01 区設置 天王寺区, 南区, 浪速区を廃し天王寺区の一部, 南区の一部, 浪速区の一部を以て新たに天王寺区 を設置
1943.04.01 区設置 南区, 天王寺区, 浪速区を廃し南区の一部, 天王寺区の一部, 浪速区の一部を以て新たに南区 を設置
1943.04.01 区設置 浪速区, 南区, 天王寺区を廃し浪速区の一部, 南区の一部, 天王寺区の一部を以て新たに南区 を設置
1943.04.01 区設置 東淀川区, 西淀川区を廃し東淀川区の一部, 西淀川区の一部を以て新たに大淀区 を設置
1943.04.01 区設置 西淀川区を廃し西淀川区の一部を以て新たに西淀川区 を設置
1943.04.01 区設置 東淀川区, 西淀川区を廃し東淀川区の一部, 西淀川区の一部を以て新たに東淀川区 を設置
1943.04.01 区設置 東成区, 旭区を廃し東成区の一部, 旭区の一部を以て新たに東成区 を設置
1943.04.01 区設置 東成区, 住吉区を廃し東成区の一部, 住吉区の一部を以て新たに生野区 を設置
1943.04.01 区設置 旭区を廃し旭区の一部を以て新たに旭区 を設置
1943.04.01 区設置 旭区, 東成区を廃し旭区の一部, 東成区の一部を以て新たに城東区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 東成区を廃し住吉区の一部, 東成区の一部を以て新たに阿倍野区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 西成区を廃し住吉区の一部, 西成区の一部を以て新たに住吉区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 東成区を廃し住吉区の一部, 東成区の一部を以て新たに東住吉区 を設置
1943.04.01 区設置 西成区, 住吉区を廃し西成区の一部, 住吉区の一部を以て新たに西成区 を設置
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第13号(S18.1.8)及び大阪府告示第14号(S18.1.8)(各々大阪府公報号外昭和十八年一月八日(PDF)の1コマ、2コマ)です。
#1943.03.31の境界変更は本来的には収録対象外であると思われますが、1943.04.01の区の再編と実質的に同一に扱われるべきものと思われますので記載しています。


◎和歌山県
1 1894.05.01 町制 那賀郡粉河町 那賀郡 粉河村
1894(M27).5.1町制ではなくて1894(M27).5.10町制ではないでしょうか。
橋本市史・近現代資料I(編:橋本市史編さん委員会、出版:橋本市、H13.3.31)231頁には
和歌山県告示第六十六号
明治廿三年法律第七十七号に依り、自今那賀郡粉河村を粉河町とし、伊都郡橋本村を橋本町とす
明治二十七年五月十日 和歌山県知事 沖 守固
とあります。

またこの和歌山県告示第66号(M27.5.10付)に基づき
1894.05.10 町制 伊都郡橋本町 伊都郡 橋本村
も追加することになります。

47 1942.03.20 新設/市制 田辺市 西牟婁郡 田辺町, 下芳養村
1942(S17).3.20新設/市制ではなくて1942(S17).5.20新設/市制ではないでしょうか。
田辺市例規集では
内務省告示第346号(S17.5.18)
市制第3条及町村制第3条に依り昭和17年5月20日より和歌山県西牟婁郡田辺町及下芳養村を廃し其の区域を以て田辺市を置く。
とあります。

次稿に続きます。
[74516] 2010年 4月 1日(木)17:33:04むっくん さん
市区町村変遷情報(東日本)
>88さん
市区町村変遷情報で誤りと思える場所がありましたので報告します。

◎北海道
446 1947.02.11 市制 網走市 網走郡 網走町の一部
447 1947.02.11 分立 網走郡東藻琴村 網走郡 網走町の一部

446 1947.02.11 分割/市制 網走市 網走郡 網走町(北部)
447 1947.02.11 分割/村制 網走郡東藻琴村 網走郡 網走町(南部)
ではないでしょうか。
網走市例規集では
○市制施行に関する件
昭和22年2月8日
内務省告示第26号
市制第3条及び町村制第3条の規定により、昭和22年2月11日より、北海道網走郡網走町を廃し、その町村道網走郡網走町藻琴、東藻琴線と植民区画藻琴原野南15号道路(以下植民区画藻琴原野の名称を省略し、単に号線のみを以て表示する。)との交叉点を起点とし、西は同道路を西南方に進み、更にこれを延長して網走郡女満別村との境界に至る。東は、右起点より南15号道路を東北方に進んで藻琴川との交叉点に達し、同川を遡って南16号道路の延長線との交叉点に達し、同所より南16号道路を東北方に進んで東3線道路に至り、同道路を北西方に進んで南11号道路に至り、同道路を西北方に進んで東3線道路に達し、同道路を北方に進んで南9号道路に至り、同道路を東南方に進んで東15線道路に達し、同道路を南方に進んで南11号道路に達し、同道路を東南方に進んで東12線道路に至り、同道路を南東方に進んで東25号道路に至り、同道路を西南方に進んで東10線道路と東9線道路との中間分水嶺に達し、同所より南方に分水嶺を辿って三角標高244.8米を経て藻琴原野山園殖民区画境道路に至り、同殖民区画境道路を、北東方に辿って斜里郡小清水村との境界に至る。以北を以て網走市、以南を以て東藻琴村を置く。
とあります。

◎青森県
2 1895.__.__ 境界変更 南津軽郡竹館村 南津軽郡 竹館村, 尾崎村の一部
この境界変更は1895(M28).1.22ではないでしょうか。
青森県市町村合併誌(編・出版:青森県総務部地方課、1961)1073頁ではM28(1895).1.22境界変更となっていました。

◎岩手県
11 1923.08.01 町制 下閉伊郡岩泉町 下閉伊郡 岩泉村

11 1922.08.01 町制 下閉伊郡岩泉町 下閉伊郡 岩泉村
ではないでしょうか。
岩泉町HP(今まであったPDFのGoogleキャッシュ)では
岩泉村は大正11年8月1日町制を敷き
とあり、岩手県統計書第36冊大正11年第4編(編著:岩手県、T13.9.15)でも大正11(1922)年末では既に岩泉町となっています。
また、岩手県HP市町村地域変遷(エクセルファイル)でもT11(1922).8.1町制となっています。

◎茨城県
11 1896.05.20 分立 久慈郡高倉村 久慈郡 天下野村の一部

11 1896.05.28 分立 久慈郡高倉村 久慈郡 天下野村の一部
ではないでしょうか。
根拠は県告示第129号(M29.5.28)(PDF)で、M29(1896).5.28分立です。

13 1899.04.01 郡変更 稲敷郡金江津村 千葉県 香取郡 金江津村

13 1899.04.01 郡変更/境界変更 稲敷郡金江津村 千葉県 香取郡 金江津村, 印旛郡 豊住村の一部(大字田川)
ではないでしょうか。
参考:法律第4号(M32.2.8)

1938.06.01 境界変更 新治郡土浦町 新治郡 土浦町, 藤澤村の一部(大字虫掛)
が抜けているのではないでしょうか。根拠は県告示第270号(S13.5.31)(PDF)6コマでS13(1938).6.1境界変更です。

41 1947.04.15 編入 北相馬郡取手町 北相馬郡 取手町, 井野村
1947(S22).4.15編入ではなくて1947(S22).3.15編入ではないでしょうか。
根拠は県告示第76号(S22.3.13)(PDF)1コマで、S22(1947).3.15編入です。

◎栃木県
5 1893.04.01 分立 足利郡山前村 足利郡 坂西村の一部
6 1893.05.01 分立 上都賀郡板荷村 上都賀郡 板来村の一部
7 1893.06.01 改称 足利郡三重村 足利郡 坂西村
8 1893.06.01 改称 上都賀郡小来川村 上都賀郡 板来村
9 1893.06.01 分立 足利郡葉鹿村 足利郡 小俣村の一部
10 1893.06.19 分立 塩谷郡三依村 塩谷郡 藤原村の一部

1893.03.18 分割 上都賀郡板荷村 上都賀郡 板来村の一部
1893.03.18 分割 上都賀郡小来川村 上都賀郡 板来村の一部
1893.03.18 分立 塩谷郡三依村 塩谷郡 藤原村の一部
1893.03.18 分立 足利郡葉鹿村 足利郡 小俣村の一部
1893.03.18 分割 足利郡山前村 足利郡 坂西村の一部
1893.03.18 分割 足利郡三重村 足利郡 坂西村の一部
ではないでしょうか。
栃木県史史料編近現代2(編:栃木県史編さん委員会、出版:栃木県、1977)63頁では根拠となる県告示第42号が

告示第四十二号
上都賀郡板来村、塩谷郡藤原村、足利郡小俣村、同郡坂西村ヲ町村制第四条ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ後記ノ通分割ス
明治二十六年三月十八日 栃木県知事 折田平内
新置村名区域
上都賀郡板荷村上都賀郡板来村ノ内大字板荷
同郡小来川村同郡同村ノ内大字小来川
塩谷郡藤原村塩谷郡藤原村ノ内大字藤原、高徳、小佐越、柄倉、大原、滝、高原、川治
同郡三依村同郡同村ノ内大字中三依、上三依、五十里、独鈷沢、芹沢、横川
足利郡小俣村足利郡小俣村ノ内大字小俣
同郡葉鹿村同郡同村ノ内大字葉鹿
同郡山前村同郡坂西村ノ内大字山下、大前
同郡三重村同郡同村ノ内大字今福、大岩、五十部
と記載されています。

◎千葉県
1899.04.01 境界変更 香取郡 東大戸村 香取郡 東大戸村, 本新島村の一部(大字川尻、大字大戸新田)
が抜けているのではないでしょうか。根拠は法律第4号(M32.2.8)です。

◎静岡県
164 1955.04.01 編入 伊東市 伊東市, 田方郡 宇佐美村, 対「馬」村

164 1955.04.01 編入 伊東市 伊東市, 田方郡 宇佐美村, 対「島」村
ではないでしょうか。
伊東市例規集では
○市村の廃置分合について
昭和30年3月29日
総理府告示第603号
地方自治法第7条第1項の規定により、静岡県田方郡宇佐美村及び対島村を廃し、その区域を伊東市に編入する旨、静岡県知事から届出があつた。右の廃置分合は、昭和30年4月1日からその効力を生ずるものとする。
とあります。

◎愛知県
123 村制 海東郡大井村 海東郡 大井村

123 村制 海東郡大井村 海東郡 「犬」井村
ではないでしょうか。
これは以前[72828]拙稿で書きましたが、[73379]88さんで
確かに、「大井」ではなく「犬井」と読めます(印刷の汚れ等ではなさそうです)。しかし、当該地は海部郡佐屋町を経て、現在では愛西市大井町のようであり、「犬井」から「大井」と変わるのは少し考えにくいのではないか、と考えます。よって、県令の印刷誤りと判断し(他の文献は誤りの連鎖)、そのままとしました。
と未採用となった件です。
海東郡村邑全図(犬井村)天保国絵図(尾張国)愛知県下町村名覧(編著:鈴木盛公、出版:豊文閣、M12.7.25)、郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治13年)、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、愛知県告示第90号(M20.7.8)といずれも「犬」井村となっており、県令の印刷誤りではなさそうです。
平凡社の地名事典の「犬井村」の項目では明治20年ごろから大井村となる、とあり、角川の地名辞典の「犬井村」の項目では明治初年に大井村となる、とありますが。。。

68 1895.02.25 新設 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋村, 豊橋町

68 1895.02.25 編入 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋村, 豊橋町
ではないでしょうか。
愛知県告示第20号(M28(1895).2.25付)では「廃し」との文言が無いため、合併方式は編入であるものと考えられます。
#かつて[69559]88さんで一度日付を修正していただいたのですが、合併方式については[68520]拙稿を書いた時点では見落としていていました。

◎三重県
23 1899.02.02 町制 北牟婁郡引本町 北牟婁郡 引本村
1899.02.02町制ではなくて1899.02.21町制ではないでしょうか。
三重県生活・文化部文化振興室県史編さんグループが作成した引本町(北牟婁郡引本町)では
32年2月21日に長島町とともに町制を施行
とあります。
このトップページには、
1984年以降、『三重県史』30巻36冊の編さん作業を行っています。編さんの過程で収集した様々な資料やそこからわかってきたこと、これまであまり知られていなかった歴史、みなさんから寄せられた質問に対する回答などを小冊子やリーフレットにまとめてきました。その内容をホームページで公開していますので、ごらんください。
とあり、情報源としての正確性も高いと考えられます。
また、郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)では、北牟婁郡引本村&北牟婁郡長島村の町制は共に1899.02.09許可とあり、引本村の町制施行が1899.02.21であることと整合的です。

次稿に続きます。
[74496] 2010年 3月 30日(火)18:16:35【1】むっくん さん
郡区町村編制法時の各府県布達
hmtさんによる区制度の変遷の連載がなされています。

そこでの主題の一つである郡区町村編制法(M11.7.22太政官布告第17号)について、見てみることにします。

(1)序論
郡区町村編制法(M11.7.22太政官布告第17号)の条文を見ますと
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第二条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニヨル
第四条 三府五港其他人民輻輳ノ地ハ別ニ一区ト為シ、其広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス
となっています。
ただ、郡区町村編制法の第一条と第四条には実は矛盾があります。
北海道(当時は開拓使)の函館は第一条に従えば「府県」の内にはないため郡区町村編制法の施行地域となりません。しかし第四条に従えば「五港」ではあるため郡区町村編制法の施行地域となります。

当時の開拓使長官は以下の文面でこの矛盾を政府に照会しました。
今般第十七号を以郡区町村編制法御布告相成候処誤御布告の当使管内に不及は法令是組織上及施行順序府県への御達面に杭て判然たる義に有之候■共右御布告■にては全国一般制定之義を布告せられたるものに相見候然るに其編制法第一条中に府県の下郡区町村とすとあり同第四条中五港云々の文字あり第一条に就て之を観しは■編制法は府県に限り候事にて北海道に不及ものの如しと雖も箱館は即五港の一なれば第四条に拠るときは又誤道に不及ものと為し難し一御布告中前後矛盾せるを以て其孰に拠るべきを的知致兼疑惑を生じ且今般発令の三御布告は全て北海道に不及も悉皆実践難致事にも無之当使行政の都合に依り追々■御布告の主旨を採り管内に適度に施行致度見込の分も有之に付右■詳悉承知致置度候間及御質問候条至急御報示相成候儀致度此段及御照会候也
明治十一年七月二十七日 開拓長官黒田清隆
法制局長官伊藤博文殿
これに対して
七月廿七日付御質問本年第捨七号布告郡区町村編制法は其御管内にも及ぶや不及やの義承知致し候抑も此法律は府県のみに止り北海道及び琉球小笠原島等には不及は無論則て第一条府県の下云々の明文にて判然に有之第四条に五港と掲げたるはA竟土地柄を示す為め例を掲げたる義に有之候且末項追し該布告の主旨を採り管内へ適度に施行致度云々の義は当局に限て■明するの限に無之候
右及御回答候也
明治十一年八月十九日
A・・・華のくさかんむりを田と換えた文字
■・・・文字が不鮮明のため読み取れなかったところ
(出典:『単行書・行政説明録三坤(副本)・府県官職制・郡区町村編法・府県会規則』)
との回答がありました。この応答からも公布当初は本州・四国・九州など江戸時代以来の六十余国のみが対象であったことが分かります。
北海道が郡区町村編制法の対象となったのは、三新法のうちで比較的実現が容易な郡区町村編制法を施行するように太政官へ願い出たことによります。
函館市史(デジタル版)では
 この3新法は、開拓使から太政官へ提出された「郡区編制ノ儀伺」に「(三新法)ハ府県下ノミニシテ未タ当使管内ニ及サレサルノ処」(「区入費改正書類外書類品々」道文蔵)とあるように府県に対して出されたもので、開拓使管下の北海道は除外されていたが、開拓使でもその内容の検討を公布早々から開始しており、実施が容易な郡区町村編制法の実施を太政官へ願い出ることとなった。この決定は11年10月12日、札幌本庁において行われた。黒田長官が札幌に来ており、函館支庁主任官の時任権大書記官も「郡区編制ノ儀伺」の素案をかかえて札幌にいた。10月23日、太政官へこの伺書を提出、12月2日、「伺ノ趣聞届候事」(「郡区改正書類」道文蔵)と指令があり郡区町村編制法の開拓使管下実施は許可された。
 この後、具体的な区画割の検討が続けられ、12年7月23日、乙第4号布達をもって「明治十一年七月第十七号布告郡区編制法ニ拠リ当使管内ノ大小区相廃シ更ニ郡区町村別冊ノ通リ編制候条此旨布達候事」と郡区町村編制法の適用が布達された。
と説明されています。
こういった経緯で北海道には郡区町村編制法が施行されたため、郡区町村編制法の施行に伴い新設された区や分割された郡を全国規模で紹介している太政官第22号布告(M13.5.5)には北海道の札幌区と函館区の記載が無いのでした。

(2)各府県の郡区町村編制法施行根拠
さて本題です。
郡区町村編制法は全国同一時期に施行されたわけではありませんでした。郡区町村編制法をいつ施行するかは、各府県の布達に委ねられていました。まとめますと下記のようになります。

府県名郡区町村編制法施行根拠左記公布日・郡区町村編制法施行日
開拓使乙第4号布達M12.7.23
青森県甲第14号布達M11.10.30
岩手県坤第1号布達M12.1.4
宮城県甲第225号布達M11.10.21
秋田県第379番布達M11.12.23
山形県乙第112号布達M11.11.1
福島県甲第8号布達M12.1.27
茨城県丙第123号布達M11.12.2
栃木県乙第274号布達M11.11.8
群馬県甲第93号布達M11.12.7
埼玉県甲第19号布達M12.3.17
千葉県甲第64号布達M11.11.2
東京府(※)甲第49号布達(PDF)M11.11.2
神奈川県甲第145号布達M11.11.18
新潟県甲第42号布達M12.4.28
石川県甲第143号布達M11.12.17
山梨県甲第267号布達M11.12.19
長野県乙第4号布達M12.1.4
岐阜県甲第10号布達M12.2.18
静岡県甲第36号布達M12.3.12
愛知県M11.12.20?
三重県甲第1号布達M12.2.5
滋賀県甲第32号布達M12.5.16
京都府第70号布達M12.3.14
大阪府天第22号達M12.2.10
堺県甲第36号布達M13.4.15
兵庫県甲第1号布達M12.1.8
和歌山県乙第6号布達M12.1.20
島根県甲第1号布達M12.1.6
岡山県甲第110号布達M11.9.20
広島県甲第137号布達M11.11.11
山口県甲第1号布達M12.1.6
愛媛県甲第139号布達M11.12.16
高知県甲第15号布達M12.1.18
福岡県甲第199号布達M11.10.12
長崎県甲第121号布達M11.10.28
熊本県甲第5号布達?M12.1.20?
大分県改第1号布達M11.11.1
鹿児島県甲第9号布達M12.2.17
沖縄県郡区町村編制法未実施
(※)伊豆七島、太政官布告第44号(M13.10.8)で東京府管轄となった小笠原諸島には郡区町村編制法を施行せず。

日本で郡区町村編制法が最初に施行されたのは岡山県(M11.9.20施行)でした。そして最後に施行されたのは堺県(M13.4.15施行)でした。郡区町村編制法が日本全国に施行されるまでに一年半以上の年月が必要となったことが分かります。

(3)郡区町村編制法の施行に伴い設置された区の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い区も設置されました。郡区町村編制法による区の一覧を以下にまとめました。下記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。

府県名区名成立根拠存在期間
開拓使札幌区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
函館区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
宮城県仙台区甲第225号布達M11.10.21~M22.3.31
東京府麹町区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
神田区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
日本橋区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
京橋区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
芝区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
麻布区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
赤坂区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
四谷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
牛込区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
小石川区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
本郷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
下谷区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
浅草区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
本所区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
深川区甲第49号布達(PDF)M11.11.2~M22.4.30
神奈川県横浜区甲第145号布達M11.11.18~M22.3.31
新潟県新潟区甲第42号布達M12.4.28~M22.3.31
石川県金沢区甲第143号布達M11.12.17~M22.3.31
愛知県名古屋区M11.12.20?~M22.9.30
京都府上京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
下京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
伏見区第135号布達M12.4.11~M14.1.9
大阪府東区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
南区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
西区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
北区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
堺県堺区甲第36号布達M13.4.15~M22.3.31
兵庫県神戸区甲第1号布達M12.1.8~M22.3.31
岡山県岡山区甲第110号布達M11.9.20~M22.5.31
広島県広島区甲第137号布達M11.11.11~M22.3.31
山口県赤間関区甲第1号布達M12.1.6~M22.3.31
福岡県福岡区甲第199号布達M11.10.12~M22.3.31
長崎県長崎区甲第121号布達M11.10.28~M22.3.31
熊本県熊本区甲第5号布達?M12.1.20?~M22.3.31
鹿児島県鹿児島区M12.2.17?~M22.3.31

(注)この表では、各府県が郡区町村編制法を公布したことを以て区が設置されたこととしています。府県によっては区役所・郡役所の設置が別の布達で、郡区町村編制法の布達よりも後の日付で出されているところもあり、実際に区役所が存在した期間は別のところもあります。
例えば京都府の上京区は、京都府第70号布達でM12.3.14に成立しましたが、実際に上京区役所が出来たのはM12.4.10の京都府第133号布達によってです。

区の一覧を見ますと、伏見区は特異な区とも言えます。
郡区町村編制法が実施されてしばらくたってから区となった唯一の区であり、太政官布告第1号(M14.1.10)により郡区町村編制法の下で唯一廃された区でもあるからです。


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#上述の『単行書・行政説明録三坤(副本)・府県官職制・郡区町村編法・府県会規則』は国立公文書館デジタルライブラリで郡区町村編制法をキーワードとして検索すると、
第一号 開 郡区町村編制法開拓使管内ニ及フヤ否ノ件
という件名で出てきました。
[74359] 2010年 3月 15日(月)15:09:09【1】むっくん さん
地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(改)
落書き帳のかつての議論によれば、地方自治法施行以降は、全市町村の廃置分合の法的根拠は総理府告示であろうとされています。[55225]88さんの
地方自治法は何度も改正を重ねていますが、当該条文は制定当初から変更はない、ということを確認いたしました。
というように。

しかしながら各市町村の例規集によると、市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠は、地方自治法施行後数年間は総理府告示ではなく各府県の告示としています。過去の落書き帳での議論が正しいとするならばこれらは誤りとなります。しかし各自治体がそろいもそろって誤った法的根拠を例規集に記載していることは、現実問題としてやはり考えにくいのではないでしょうか。
そこで市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠を考えてみることにしました。

あらかじめ、お断りです。一度[74182][74183]拙稿で記したのですが、読みにくい上に誤りでもありました。本稿はその修正です。

さて本論です。
地方自治法が施行される直前の市制町村制の時代より時代を下って法的根拠を順に見ていきます。

まず、地方自治法が施行される直前です。
市の廃置分合にあっては関係ある市長村会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(市制第3条第1項(S18.3.20法律第80号とS21.9.27法律第28号で改正後))。但し府県の境界変更に関係ある場合は関係ある市長村会及び府県参事会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(市制第4条ノ2第1項(S18.3.20法律第80号による改正で追加された条項。ただしS21.9.27法律第28号で改正された後))。
市の改称については府県知事の許可が必要でした。(市制第7条第1項)
市の境界変更に関しては関係ある市長村会の議決を経て、内務大臣の許可を得て府県知事が定めることになっていました(市制第4条第1項(S18.3.20法律第80号とS21.9.27法律第28号で改正後))。
町村の廃置分合・境界変更に関しては関係ある市長村会の議決を経て、内務大臣の許可を得て府県知事が定めることになっていました(町村制第3条第1項第3項(S18.3.20法律第81号とS21.9.27法律第29号で改正後))。そして、町村の廃置分合で市の廃置分合を伴うものは、関係ある市長村会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(町村制第3条第5項の規定に基き、市制第3条第1項を適用)。但し府県の境界変更に関係ある場合はで関係ある市長村会及び府県参事会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(町村制第3条第3項(S18.3.20法律第81号による改正で追加された条項。ただしS21.9.27法律第29号で改正後))。
町村の改称及び町→村への変更及び村→町への変更については府県知事の許可が必要でした(町村制第5条(T15.6.24法律第75号で改正後))。
さてこれらの具体的根拠です。
市の新設・廃止を伴う市町村の廃置分合の法的根拠は、内務省告示でした。
郡の存置の法的根拠は、法律や勅令でした。
市の改称の法的根拠は、市の条例でした。
市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠は、都庁府県の告示でした。
町村の改称の法的根拠は、町村の条例でした。
(注:市制町村制の関連法文は文末に記載しています。)

次に当初の地方自治法(S22.4.17法律第67号)(PDF)を見てみます。
第七條 市の廃置分合又はこれに伴う町村の廃置分合若しくは市町村の境界変更をしようとするときは、関係市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
2 町村の廃置分合又は市町村の境界変更をしようとするときは、都道府縣知事は、関係市町村の議決を経、内務大臣の許可を得てこれを定める。所属未定地を市町村の区域に編入しようとするときも、また、同様とする。
3 都道府縣の境界にわたつて市町村の境界の変更をしようとするときは、関係普通地方公共團体の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
4 前三項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、第一項及び第二項の場合においては都道府縣知事、前項の場合においては内務大臣がこれを定める。
5 前項の協議については、関係市町村の議会の議決を経なければならない。
当初の地方自治法(S22.4.17法律第67号)は、市制(S21.9.27法律第28号で改正後)と町村制(S21.9.27法律第29号で改正後)と大枠で同じようです。
市制、町村制、道府県制、東京都制、地方官官制という5つの法律・勅令を日本国憲法の施行に何とか間に合わせる形で急いで作成されたもので当然といえば当然なのかもしれません。
法的根拠については特に記載がないので、従前と同じと考えられます。

しかしながら、急いで作成されたため若干の問題点もあり、S22.12.22法律第169号地方自治法の一部を改正する法律(PDF)による地方自治法の改正が行われました。この改正での町村の廃置分合に関するところは、以下のように改正されました。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
附則
第一条  この法律は、昭和二十三年一月一日から、これを施行する。
この改正により市町村の廃置分合・境界変更については関係市町村の申請(申請にはおのおのの市町村議会の議決を要する。)に基き、都道府県知事が当該都道府県知事の議会の議決を経て定めることになりました。この点は現在の地方自治法第7条第1項と同じとなりました。
法的根拠については特に記載がないので、従前と同じと考えられます。地方自治法第7条第5項は法律の文言に従えば、国も告示するようになったという単なる周知規定であるものと考えられます。

法的根拠が同じになったのは昭和27年8月の地方自治法改正によってではないでしょうか。
S27.8.15法律第306号地方自治法の一部を改正する法律(PDF)で第七條の廃置分合に関係する箇所は以下のように変わりました。
第七條 6 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
7 第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
法律の文言に従えば、このときに初めて市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合に関しても総理府告示が法的根拠となったことになります。
地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)245頁でも、この時の法改正について
(9)市町村の廃置分合又は境界変更は内閣総理大臣の告示によって効力を生ずるものとした。地方団体の区域の変更と国政の運営との間にそごなからしめようとするものである。
と解説しており、昭和27年8月の地方自治法改正により初めて総理府告示が市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合に関しても法的根拠となったことを示しています。

そしてこの改正はS27.8.15政令第344号地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(PDF)
 内閣は地方自治法の一部を改正する法律(昭和27年法律第306号)附則第一項の規定に基き、この政令を制定する。
 地方自治法の一部を改正する法律は、昭和27年9月1日より施行する
内閣総理大臣 吉田茂
により昭和27年9月1日より施行されました。

以上より、市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、昭和27年9月1日からと考えられます。

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以下は地方自治法施行直前の市制及び町村制の関連法文です。
M44.4.7法律第68号市制
第三條 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市長村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
2 (略)
第四條 市ノ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市長村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ市ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
第七條 市ノ名称ヲ変更セムトスルトキハ市ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
2 (略)

M44.4.7法律第69号町村制
第三條 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市長村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
3 第一項ノ場合ニ於テ市ノ廃置分合ヲ伴フトキハ市制第三條ノ規定ニ依ル
第五條 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 (略)
(注:第3条第3項はS18法律第81号の改正で第3條第5項となりました)

T15.6.24法律第75号
町村制中左ノ通改正ス
(略)
第五條 町村ノ名称ヲ変更セムトスルトキ、村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為サムトスルトキ又ハ町村役場ノ位置ヲ定メ之ヲ変更セムトスルトキハ町村ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
(略)
附則
本令中議員選挙ニ関スル規定ハ次ノ総選挙ヨリ、其ノ他ノ規定ハ大正十五年七月一日ヨリ之ヲ施行ス

S18.3.20法律第80号
市制中左ノ通改正ス
(略)
第三條第一項中「及府県参事会」ヲ削リ同條第二項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削ル
第四條第一項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削ル
第四條ノ二 府県ノ境界変更ニ渉リテ市ノ境界ノ変更ヲ為サントスルトキハ関係アル市長村会及ビ府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
2(略)
(略)

S18.3.20法律第81号
町村制中左ノ通改正ス
第三條第一項及第二項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削リ同條第二項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ
3 府県ノ境界変更ニ渉リテ町村ノ境界ノ変更ヲ為サントスルトキハ関係アル市長村会及ビ府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
4(略)
(略)
法律第80号(S18.3.20)と法律第81号(S18.3.20)は勅令第180号(S18.3.25)でS18.5.26に施行されました。

S21.9.27法律第28号
市制の一部を次のやうに改正する。
第三條、第四條第一項、第四條ノ二中「意見ヲ徴シ」を「議決ヲ経」に改める。
(略)

S21.9.27法律第29号
町村制の一部を次のやうに改正する。
第三條第一項乃至第四條中「意見ヲ徴シ」を「議決ヲ経」に改める。
(略)
法律第28号(S21.9.27)と法律第29号(S21.9.27)は勅令第466号(S21.10.4)でS21.10.5に施行されました。
[74212] 2010年 2月 24日(水)17:54:48むっくん さん
御礼
[74198]にまんさん
S22年法の附則第2条と施行令の附則第2条は本件の検討に当たっては、無関係
とはまさしくその通りでした。別の法令に頭が行き過ぎており、難しく考えすぎていました。
単に法第7条の変遷を追うだけで、良かったようです。
このことを踏まえ、もう一度考え直してみます。

遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
[74184] 2010年 2月 19日(金)18:29:51むっくん さん
Re:連合戸長役場が置かれた行政区の名称について
[74083]YTさん
これらの連合村の呼称について、色々不明な点が多い状況です。現在「~村外×ヶ村連合」、あるいは「~市街」という呼称で統一しておりますが、これらが本当に正しい名称なのか確信が持てません。
郡区町村編制法が施行されていた時代の宮崎県の政府宛ての文書で、この呼称について触れられていました。
その文書では「◎◎村△△村××村◆◆村連合」と総ての町村の名称を書くことが正しい呼称である旨の記載がありました。
「◎◎村外3ヶ村連合」という書き方でも正しいかどうかについては私には分かりませんが、当時もこのように記載される場合もなくはなかったようです。この場合の◎◎村とは連合戸長役場が置かれたところとなるようです。

次に「~市街」です。
郡区町村編制法が施行されていた時、各府県よりある一定の地域を「~市街」や「~準市街」と名付ける布達が出されています。
しかし、これは警察の管轄のために使われたものと私は理解しており、正しい行政区の名称というものではないと思います。こちらについてはあまり自信がありません。
[74183] 2010年 2月 19日(金)16:01:34【1】むっくん さん
地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(その2)
[74182]の続きです。

まずは昭和27年の地方自治法改正に絡む法令の紹介です。
-------------------
地方自治法の一部を改正する法律(PDFファイル、8.3MB)(昭和27年法律第306号)(S27.8.15)
(略)
 第二條第三項の次に次の二項を加える。
  第二項の事務の中で法律又はこれに基づく政令の定めるところにより都道府県が処理しなければならないものは、この法律又はこれに基く政令に規定のあるものの外、別表第一の通りである。
  第二項の事務の中で法律又はこれに基づく政令の定めるところにより市町村が処理しなければならないものは、この法律又はこれに基く政令に規定のあるものの外、別表第二の通りである。
 第二條第五項の次に次の三項を加える。
  地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づいて、これを解釈し、及び運用するようにしなければならない。なお、特別地方公共団体に関する法令の規定は、この法律に定める特別地方公共団体の特性にも照応するように、これを解釈し、及び運用しなければならない。
  地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。
  地方公共団体は、常にその組織及び運営の合理化に努めるとともに、他の地方公共団体に協力を求めてその規模の適正化を図らなければならない。
 第三條に次の二項を加える。
  都道府県知事は、前項の規定による報告があつたときは、直ちにその旨を内閣総理大臣に通知しなければならない。
  前項の規定による通知を受けたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
(略)
 第六條第二項中「所属未定地」を「従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域又は所属未定地」に改める。
 第七條第一項中「これを定め、」を「これを定め、直ちにその旨を」に改め、同項の次に次の一項を加える。
  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ内閣総理大臣に協議しなければならない。
 第七條第三項中「前二項」を「第一項及び前項」に改め、同條第四項中「前三項」を「第一項及び第三項及び前項」に改め、同條第五項中「第二項」を「第三項」に、「告示」を「告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知」に改め、同條に次の一項を加える。
  第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
 第七條の次に次の一條を加える。
第七條の二 法律で別に定めるものを除く外、従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域を都道府県又は市町村の区域に編入する必要があると認めるときは、内閣がこれを定める。この場合において、利害関係があると認められる都道府県又は市町村があるときは、予めその意見を聴かなければならない。
2 前項の意見については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
3 第一項の規定による処分があつたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。前條第七項の規定は、この場合にこれを準用する。
 第八條第三項中「若しくは市を町村とする処分又は」を「又は市を町村とする処分は第七條第一項、第二項及び第五項乃至第七項の例により」に、「若しくは町を村とする処分は前條第一項、第四項及び第五項の例により」を「又は町を村とする処分は同條第一項及び第五項乃至第七項の例により、」に改める。
 第八條の次に次の一條を加える。
第八條の二 都道府県知事は、市町村が第二條第十五項の規定によりその規模の適正化を図るのを援助するため、市町村の廃置分合又は市町村の境界変更の計画を定め、これを関係市町村に勧告することができる。
2 前項の計画を定め又はこれを変更しようとするときは、都道府県知事は、関係市町村、当該都道府県の議会、当該都道府県の区域内の市町村の議会又は長の連合組織その他の関係のある機関及び学識経験を有する者等の意見を聴かなければならない。
3 前項の関係市町村の意見については、当該市町村の議会の議決を経なければならない。
4 都道府県知事は、第一項の規定により勧告をしたときは、直ちにその旨を公表するとともに、内閣総理大臣に報告しなければならない。
5 内閣総理大臣は、前項の規定による報告を受けたときは、国の関係行政機関の長に対し直ちにその旨を通知するものとする。
6 第一項の規定による勧告に基く市町村の廃置分合又は市町村の境界変更については、国の関係行政機関は、これを促進するため必要な措置を講じなければならない。
(略)
附則
1 この法律は、公布の日から起算して三月をこえない期間内において政令で定める日から施行する。
(略)
4 この法律施行の際改正前の地方自治法第七条第一項若しくは第二項の規定により既になされている市町村の境界の変更に関する処分、改正前の地方自治法第八条第三項の規定により既になされている町村を市とし、若しくは市を町村とする処分若しくは村を町とし、若しくは町を村とする処分又はこれらの処分の効力については、改正後の地方自治法第七条第二項及び第七項並びに第八条第三項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
5 改正前の地方自治法第九条の規定に基き提起されている訴訟又は事件で、この法律施行の際現に裁判所に係属しているものについては、改正後の地方自治法第九条、第九条の二及び第二百五十五条の二の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
(略)
11 この法律施行の際地方自治法第二百五十九条第一項又は第三項の規定により既になされている郡の区域をあらたに画し、若しくは廃止し、又は郡の区域を変更する処分の効力については、改正後の地方自治法第二百五十九条第四項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
(略)
16 前五項に規定するものを除く外、改正後の地方自治法の特別区に関する規定の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。
(略)
20 この法律の施行のため必要な事項は、政令で定める。
-------------------
そしてこの昭和27年法律第306号(S27.8.15)の施行日を定める政令では
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地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(PDFファイル)(昭和27年政令第344号)(S27.8.15)
 内閣は地方自治法の一部を改正する法律(昭和27年法律第306号)附則第一項の規定に基き、この政令を制定する。
 地方自治法の一部を改正する法律は、昭和27年9月1日より施行する
内閣総理大臣 吉田茂
-------------------
とあります。

昭和27年法律第306号が、町村の廃置分合についての法的根拠として考えられるのには以下の理由があります。
(1)市制町村制下でも町村の廃置分合には内務省の許可が必要であり、国は町村の合併を把握していたのに、昭和23年1月1日~同年3月31日までの廃置分合・境界変更の記載が国の官報に掲載されていないこと
(2)地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)附則第二條第二項についての改正がないこと
(3)昭和27年法律第306号による地方自治法の改正で、
第七條第一項中「これを定め、」を「これを定め、直ちにその旨を」に改め、同項の次に次の一項を加える。
  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ内閣総理大臣に協議しなければならない。
という条文の一項を加え、さらに附則で
4 この法律施行の際改正前の地方自治法第七条第一項若しくは第二項の規定により既になされている市町村の境界の変更に関する処分、改正前の地方自治法第八条第三項の規定により既になされている町村を市とし、若しくは市を町村とする処分若しくは村を町とし、若しくは町を村とする処分又はこれらの処分の効力については、改正後の地方自治法第七条第二項及び第七項並びに第八条第三項の規定にかかわらず、なお、従前の例による。
という一文があることです。
(1)は、単に国の官報による告示が例示に過ぎず法的効果を及ぼさないため、官報に記載がないものとも考えられます。そして(2)については昭和27年法律第306号まではいっさいの言及がなく、(3)の昭和27年法律第306号の法改正で初めて、町村の廃置分合等に対し国の官報による告示が法的効力を及ぼすようになったとも考えられます。なによりも昭和27年法律第306号附則4号で明示されているのが大きいです。

以上より、昭和27(1952)年9月1日になって初めて、町村の廃置分合(但し分合で市となったところは除く)についての法的根拠が国の官報に記載された告示によることになったと考えます。

単に条文の文言だけをざっと見てきただけですのでいまいち自信がありません。皆様のご意見をいただければ幸いです。


余談1
市の廃止や新設に絡む市町村の廃置分合の法的根拠は、国の官報での告示です。これは市制町村制の時代から何の変わりもありません。

余談2
あと残るは、町村の市への編入合併の法的根拠です。これも町村の廃置分合(但し分合で市となったところは除く)と同様に考えて良いのでしょうか。私には良く分かりません。
仮に同じように考えてよいのならば、例えば奈良県添上郡大安寺村,東市村,生駒郡平城村の奈良市への編入年月日は、S26.5.28付け総理府告示第183号に記載のS26.4.1ではなくて、S26.3.15付け奈良県告示第97号,奈良県告示第98号,奈良県告示第99号に記載のS26.3.15となりますが。。。
参考:[65628]拙稿、[65812]88さん
[74182] 2010年 2月 19日(金)16:01:23【1】むっくん さん
地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(その1)
現在は町村の廃置分合においても、総務省告示が法的根拠となります([55225]88さん)。果たしてこれはいつまで遡るのでしょうか。
本稿では町村の廃置分合の法的根拠について考えます。但し議論の簡略化のため、町村の分合で市となったところは除きます。

まず、地方自治法施行直前の廃置分合の法的根拠を見てみます。
市の廃止や新設に絡む市町村の廃置分合の法的根拠は、内務省告示でした。
郡の存置の法的根拠は、法律や勅令でした。
市の廃止や新設に絡まない市町村の廃置分合の法的根拠は、都庁府県の告示等でした。(地方官官制(大正15年勅令第147号)の規定に拠ります)

その後、地方自治法(昭和22年法律第67号)(S22.4.17)がS22.5.3に施行されることになり、市制(明治44年法律第68号)と町村制(明治44年法律第69号)は廃止され、地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)により、市制町村制施行令(大正15年勅令第201号)(T15.6.24)及び地方官官制 (大正15年勅令第147号)(T15.6.4)は廃止されました。
廃置分合に絡むところの抜粋をします。
-------------------
地方自治法(PDFファイル、51.9MB)(昭和22年法律第67号)(S22.4.17)
第三條 地方公共團体の名称は、従來の名称による。
2 都道府縣の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める。
3 都道府縣及び特別市以外の地方公共團体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定のあるものを除く外、條例でこれを定めなければならない。
第六條 都道府縣の廃置分合又は境界変更をしようとするときは、法律でこれを定める。
2 都道府縣の境界にわたつて市町村の設置又は境界の変更があつたときは、都道府縣の境界も、また、自ら変更する。所属未定地を市町村の区域に編入したときも、また、同様とする。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係地方公共團体が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、内務大臣がこれを定める。但し、法律に特別の定があるときは、この限りでない。
4 前項の協議については、関係地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
第七條 市の廃置分合又はこれに伴う町村の廃置分合若しくは市町村の境界変更をしようとするときは、関係市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
2 町村の廃置分合又は市町村の境界変更をしようとするときは、都道府縣知事は、関係市町村の議決を経、内務大臣の許可を得てこれを定める。所属未定地を市町村の区域に編入しようとするときも、また、同様とする。
3 都道府縣の境界にわたつて市町村の境界の変更をしようとするときは、関係普通地方公共團体の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
4 前三項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、第一項及び第二項の場合においては都道府縣知事、前項の場合においては内務大臣がこれを定める。
5 前項の協議については、関係市町村の議会の議決を経なければならない。
第八條 市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共團体は、人口五万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村はその議会の議決を経て、都道府縣知事の許可を受けなければならない。

附則
第一条 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。
第二条 東京都制、道府県制、市制及び町村制は、これを廃止する。但し、東京都制第百八十九条乃至第百九十一条及び第百九十八条の規定は、なお、その効力を有する。
-------------------
地方自治法施行令(PDFファイル、71.3MB)(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)
附則
第二條(略)
2東京都官制、北海道庁官制、地方官官制、都庁府縣等臨時職員等設置制及び地方世話部官制は、これを廃止する。但し、地方自治法附則において準用され又はよることとされている範囲内においては、なおその効力を有する。
-------------------
地方自治法第七條第二項によりますと、町村の廃置分合について法的責任を持つのが都道府縣知事とあります。そして、地方自治法施行令附則第二條第二項の規定と併せて考えますと、地方自治法施行直後での町村の廃置分合についての根拠法令とは、都道府県が出した告示ないしは県令等となることが分かります。
確かに昭和22年(地方自治法施行以降)の官報では、市制町村制の時代と同様に、市の廃置分合に関係するもののみが掲載されており、町村の廃置分合のみのものは掲載されていません。。

かつて[74096]拙稿で、S22.7.1北河内郡四條畷村→北河内郡四條畷町の参考法令として大阪府公報昭和22年6月25日第2883号(PDF)に記載されている
大阪府告示第三百十五號
昭和二十二年七月一日から北河内郡四條畷村を町とする件昭和二十二年六月二十四日許可した。
昭和二十二年六月二十五日 大阪府知事 赤間文三
を挙げました。上記地方自治法と照らし合わると、実は大阪府告示第三百十五號は単なる参考法令ではなく、町制施行の根拠法令だったということになります。


ではいつより町村の廃置分合についての法的根拠が官報に掲載されている総務省告示(or自治省告示or総理府告示or総理庁告示)になったのでしょうか。
まずは、地方自治法第七條第二項が現行と同趣旨に修正された時期をまず探してみました。すると下記の法律で現在と同趣旨に変更されたようです。
-------------------
地方自治法の一部を改正する法律(PDFファイル、24.6MB)(昭和22年法律第169号)(S22.12.22)
(略)
 第二條第二項中、「普通地方公共團体に属する事務」を「普通地方公共團体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で國の事務に属しないもの」に改める。
 第三條第三項中「これを定め」の下に「、都道府縣知事の許可を得」を加える。
 第六條第三項中、「その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、内務大臣がこれを定める。」を削る。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
第八條 市となるべき普通地方公共團体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
一 人口三万以上を有すること。
二 当該普通地方公共團体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
三 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
四 前各号に定めるものの外、当該都道府縣の條例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共團体は、当該都道府縣の條例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし若しくは市を町村とする処分又は村を町とし若しくは町を村とする処分は前條第一項、第四項及び第五項の例によりこれを行うものとする。
(略)
附則
第一条  この法律は、昭和二十三年一月一日から、これを施行する。但し、第二十六条及び第二十七条の改正規定並びに附則第四条は昭和二十二年十二月二十日から、全国選挙管理委員会に関する規定は公布の日から、これを施行する。
(略)
第六条  この法律の施行に関し必要な規定は、政令でこれを定める。
-------------------
上記法改正により、昭和23年1月1日の廃置分合より町村の廃置分合も国の官報で告示されることになりました。
しかしながら、昭和23年1月1日~同年3月31日までの廃置分合・境界変更について、国の官報で記されていません。これは前述の地方自治法施行令(昭和22年政令第16号)(S22.5.3)附則第二條第二項の規定によるものと考えられ、昭和23年4月1日よりは国の官報による告示が全市町村の廃置分合・境界変更の法的根拠となったものとも推測されます。

しかしながら私は、この解釈を支持しません。私は、法改正によっても町村の廃置分合の法的根拠については従前どおりの都道府県の告示によるものであり、国の官報による告示が法的根拠となったのは昭和27年法律第306号の地方自治法改正によるものと考えています。

次稿に続きます。
[74096] 2010年 2月 3日(水)22:54:25むっくん さん
続・四條畷の根拠法令
[74082][74086]hmtさん
[74087]88さん

大阪府公文書館所蔵資料検索システムから関連する法令を拾ってみました。

S7.4.1北河内郡甲可村→北河内郡四條畷村の根拠法令は大阪府公報昭和7年3月2日第564号(PDF)に記載されている
大阪府告示第百三十號
大阪府北河内郡甲可村ヲ昭和七年四月一日ヨリ北河内郡四條畷村ト改称ス
昭和七年三月二日 大阪府知事 斎藤宗宜
です。

また、S22.7.1北河内郡四條畷村→北河内郡四條畷町の参考法令としては大阪府公報昭和22年6月25日第2883号(PDF)に記載されている
大阪府告示第三百十五號
昭和二十二年七月一日から北河内郡四條畷村を町とする件昭和二十二年六月二十四日許可した。
昭和二十二年六月二十五日 大阪府知事 赤間文三
が挙げられます。

前者は根拠法令ですが、後者は地方自治法が日本国憲法施行の日(S22.5.3)から施行されているので、あくまでも参考としかなりません。
[74090] 2010年 2月 2日(火)18:33:50むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)高知県&徳島県&岡山県&岐阜県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)高知県徳島県岡山県岐阜県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

◎高知県
132 新設/村制 長岡郡西豊永村 長岡郡 粟生村, 梶ヶ内村, 寺内村, 西久保村, 安野々村, 川戸村, 連火村, 桃原村, 中屋村, 庵谷村, 黒石村, 柳野村, 大砂子村, 永淵村, 船戸村, 大久保村, 奥「太」田村

132 新設/村制 長岡郡西豊永村 長岡郡 粟生村, 梶ヶ内村, 寺内村, 西久保村, 安野々村, 川戸村, 連火村, 桃原村, 中屋村, 庵谷村, 黒石村, 柳野村, 大砂子村, 永淵村, 船戸村, 大久保村, 奥「大」田村
ではないでしょうか。
高知県市町村改称一覧明治22年4月(編著:片桐仲蔵、出版:開成舎、M22.4.13)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では奥「大」田村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも奥「大」田村です。
現在は高知県長岡郡大豊町奥大田です。

◎徳島県
1 新設/市制 徳島市 名東郡 「徳島」徳島町, 「徳島」塀裏町, 「徳島」中通町, 「徳島」通町, 「徳島」内魚町, 「徳島」八百屋町, 「徳島」紙屋町, 「徳島」西横町, 「徳島」寺島町, 「徳島」出来島町, 「徳島」福島本町, 「徳島」福島町, 「徳島」福島郷町, 「徳島」大工島村, 「徳島」安宅村, 「徳島」住吉島村, 「徳島」助任町, 「徳島」前川村, 「徳島」下助任村, 「徳島」常三島村, 「徳島」助任西村, 「徳島」東新町, 「徳島」西新町, 「徳島」富田町, 「徳島」桶屋町, 「徳島」新魚町, 「徳島」船場町, 「徳島」「籠」屋町, 「徳島」古物町, 「徳島」大工町, 「徳島」北山路町, 「徳島」寺町, 「徳島」富田裏町, 「徳島」二軒屋町, 「徳島」佐古村, 「徳島」佐古町, 「徳島」南佐古村

1 新設/市制 徳島市 名東郡 徳島町, 塀裏町, 中通町, 通町, 内魚町, 八百屋町, 紙屋町, 西横町, 寺島町, 出来島町, 福島本町, 福島町, 福島郷町, 大工島村, 安宅村, 住吉島村, 助任町, 前川村, 下助任村, 常三島村, 助任西村, 東新町, 西新町, 富田町, 桶屋町, 新魚町, 船場町, 「籃」屋町, 古物町, 大工町, 北山路町, 寺町, 富田裏町, 二軒屋町, 佐古村, 佐古町, 南佐古村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上記の通りとなっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも「籃」屋町です。ただし総ての町及びその周囲の村(佐古村、前川村、常三島村、安宅村、大工島村、末広新田村、沖洲浦村、住吉島村、大岡浦村、蔵木村)に総称たる「徳島」が小さく書かれていますが。。。

8 新設/村制 阿波郡八幡村 阿波郡 粟島村, 八幡「村」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部

8 新設/村制 阿波郡八幡村 阿波郡 粟島村, 八幡「町」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では八幡「町」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも八幡「町」です。

37 新設/村制 三好郡箸蔵村 三好郡 「洲」津村, 西山村

37 新設/村制 三好郡箸蔵村 三好郡 「州」津村, 西山村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「州」津村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも「州」津村です。
現在は三好市池田町州津です。

60 新設/村制 那賀郡長生村 那賀郡 上「新」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村

60 新設/村制 那賀郡長生村 那賀郡 上「荒」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上「荒」井村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも上「荒」井村です。
現在の阿南市長生町上荒井楠ノ前に相当するものと思われます。

80 新設/村制 板野郡大津村 板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「永」村, 矢倉野村

80 新設/村制 板野郡大津村 板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「長」村, 矢倉野村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では徳「長」村です。
しかし地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在では徳「永」村となっています。
現在は鳴門市大津町徳長です。

105 新設/「村」制 美馬郡脇町 美馬郡 脇町, 猪尻村, 北庄村

105 新設/「町」制 美馬郡脇町 美馬郡 脇町, 猪尻村, 北庄村
ではないでしょうか。
参考:県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

◎岡山県
181 新設/村制 勝北郡豊並村 勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 「高殿村」, 関本村, 小坂村, 馬桑村

181 新設/村制 勝北郡豊並村 勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 関本村, 小坂村, 馬桑村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「高殿村」はありません。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「高殿村」はありません。

272 新設/村制 西西条郡泉村 西西条郡 箱村, 西屋村, 「坂手小原分」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村

272 新設/村制 西西条郡泉村 西西条郡 箱村, 西屋村, 「杉村」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「杉村」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「杉村」です。

277 新設/村制 西西条郡芳野村 西西条郡 布原村, 「古川村東分」, 「古川村西分」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村

277 新設/村制 西西条郡芳野村 西西条郡 布原村, 「古川村」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「古川村」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「古川村」です。

282 新設/町制 西北条郡津山町 西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「村」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町

282 新設/町制 西北条郡津山町 西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「町」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも宮脇「町」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも宮脇「町」です。

◎岐阜県
96 村制 安八郡高橋村 安八郡 高橋村
は#128との関係上
96 村制 安八郡高橋村 安八郡 高橋村(本体;字代官町東、新地前、狐堀、村西、堤際ノ内新規川西を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第39号(M22.6.27)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

395 村制 吉城郡阿曽布村 吉城郡 「阿曽布村」
404 町制 吉城郡船津町 吉城郡 「船津村」
405 村制 吉城郡袖川村 吉城郡 「袖川村」

395 村制 吉城郡阿曽布村 吉城郡 「神岡村の一部」
404 町制 吉城郡船津町 吉城郡 「神岡村の一部」
405 村制 吉城郡袖川村 吉城郡 「神岡村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第39号(M22.6.27)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

以上多数になりましたが、よろしくお願いします。
[74062] 2010年 1月 27日(水)19:49:52【2】むっくん さん
市制町村制施行時(愛媛県)の補足&長崎県下県郡厳原町の成立日
[74052]88さん
[73754][73755][73756] むっくん さん 市制町村制施行時(愛媛県) への対応は、準備中です。
もっとも、[74035] 拙稿の 「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」とあわせて対応予定です。
とのことですので、[73754][73755][73756]拙稿(市制町村制施行時(愛媛県))の補足をしておきたいと思います。

[73753]拙稿では
「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法としては、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))(第1冊第2冊)を使うのが良いのかもしれません。
と書きながら、[73754][73755][73756]拙稿では愛媛県市町要覧を用いて本体か否かの判断をしています。

そこで愛媛県市町要覧(PDF)に従うか、新旧対照市町村一覧に従うかで表記に差異がある場所が一箇所ありますので以下に挙げておきます。

愛媛県市町要覧の記載に従えば、
203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦(本体;字本浦)
193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部「(字栗野浦)」
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部「(字向灘浦)」
となり、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))の記載に従えば、
203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦「の一部(字本浦)」
193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部「(字栗野浦)」
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部「(字向灘浦)」
となります。
[73756]では#203の表記を間違えていますので、ここで訂正しておきます。

さて二者で食い違いが生じました。

まず愛媛県市町要覧ですが、これはおそらく人口という視点で本体か否かを決めているものと考えられます。
明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を記した内務省告示第34号(M23.10.6)では、八幡浜町4226人、神山村3889人、矢野崎村3886人となっています。
そして面積はおそらく
字本浦の面積)<(字栗野浦の面積)≒(字向灘浦の面積)
となります。
八幡浜浦全体の1/3にも満たない区域(字本浦)だけで、他の村々と合併して成立した神山村(字栗野浦が所属)、矢野崎村(字向灘浦が所属)の人口を上回っているため、字本浦を八幡浜浦の中心としたものと考えられます。

次に新旧対照市町村一覧の記載というのは、おそらく人口という視点と面積という視点の二つの視点を加味して、本体か否かを決めているものと考えられます。
人口からすると字本浦が中心であることは疑いがないが、面積が明らかに他の2字より小さいことより、どこが本体かということを決められないとしているのでしょう。
新旧対照市町村一覧の記載からは、一応は、三分割もしくはそれに類するものと読み取れます。

この一事例からも本体か否かを決めるのかを決める基準が大切となりそうです。人口という視点のみなのか、面積という視点のみなのか、それとも二つの視点を加味してなのか・・・。

最後にもう一箇所訂正です。
[73754]拙稿で記載している#72は正しくは
72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村(本体;一部地区を除く), 「和気郡古三津村飛地」
です。

--------------------------
[74052]88さん
[73960]YTさん
2 1908.04.01 新設/村制 下県郡厳原「村」 下県郡 「厳原」桟原町, 「厳原」宮谷町, 「厳原」天道茂町, 「厳原」中村町, 「厳原」今屋敷町, 「厳原」田淵町, 「厳原」大手橋町, 「厳原」日吉町, 「厳原」国分町, 「厳原」久田道町, 厳原村, 南室村, 小浦村, 曲村, 久田村
11 1919.04.01 町制 下県郡厳原町 下県郡 厳原村

2 1908.04.01 新設/村制 下県郡厳原「町」 下県郡 桟原町, 宮谷町, 天道茂町, 中村町, 今屋敷町, 田淵町, 大手橋町, 日吉町, 国分町, 久田道町, 厳原村, 南室村, 小浦村, 曲村, 久田村
ではないでしょうか。

まず、[73960]YTさんが挙げられておられる日本帝国人口静態統計大正2年(編著・出版:内閣統計局、T5.3.16)ではT2(1913).12.31厳原町、日本帝国人口静態統計大正7年(編著・出版:国勢院、T9.12.28)ではT7(1918).12.31厳原町、となっています。

次に当時の他の資料を見てみました。
明治41(1908)年末の「市町村別現住人口」を示した官報(M42.10.30)・・・M41(1908).12.31厳原町
長崎県統計書明治41年(編著・出版:長崎県、M44.3.31)・・・M41(1908).12.31厳原町
長崎県統計書明治44年(編著・出版:長崎県、T2.3.20)・・・M44(1911).12.31厳原町
長崎県統計書大正元年(編著・出版:長崎県、T3.3.31)・・・T元(1912).12.31厳原町
となっています。
これらと併せますと、日本帝国人口静態統計では正しく記載されていると考えた方がよさそうです。
ではいつ厳原町となったかですが、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)では厳原町はM41(1908).4.1に廃置分合で成立したとあります。
とりあえずは対馬に沖縄県及島嶼町村制が成立したM41(1908).4.1の時点で厳原町となったものとして良いのではないでしょうか。

また、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)では厳原町成立以前の厳原各町には「厳原」との総称なしで記載されています。
明治36(1903)年末の「市町村別現住人口」を表した官報(M37.12.12)でも厳原各町には「厳原」との総称なしで記載されていること、長崎県統計書明治35-36年(編著・出版:長崎県、M38.12.11)で対馬島庁の所在地が単に宮谷町となっていることからも、厳原町成立以前の厳原各町には「厳原」との総称がないものとしてよいものと考えられます。
[73951] 2010年 1月 16日(土)14:31:34むっくん さん
十番勝負
問一:安来市

なるほど。盲点でした。
[73929] 2010年 1月 15日(金)12:23:08むっくん さん
十番勝負
問五:田村市
問十:三条市
[73904] 2010年 1月 14日(木)15:14:17むっくん さん
十番勝負
ふ~っ。やっと参戦できました。

問二:遠野市
問三:大府市
問四:雲仙市
問六:相模原市
問七:国東市
問九:菊川市
[73756] 2010年 1月 7日(木)23:38:14【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県(その3)
[73755]の続きです。

172 新設/町制 新居郡西条町 新居郡 大師町, 本町, 東町, 栄町, 明屋敷村

172 新設/町制 新居郡西条町 新居郡 「西条」大師町, 「西条」本町, 「西条」東町, 「西条」栄町, 明屋敷村
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)285コマ

203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦

203 町制 西宇和郡八幡浜町 西宇和郡 八幡浜浦「の一部(本体;字本浦)」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)294コマ

193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部

193 新設/村制 西宇和郡神山村 西宇和郡 矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部「(字栗野浦)」
205 新設/村制 西宇和郡矢野崎村 西宇和郡 大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部「(字向浦)」
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)294コマ295コマ

212 新設/村制 東宇和郡玉津村 東宇和郡 法華津浦, 深浦, 白浦

212 新設/村制 東宇和郡玉津村 東宇和郡 法華津浦, 深浦, 白浦(本体;飛地を除く), 「北宇和郡河内村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)297コマ

233 新設/村制 南宇和郡内海村 南宇和郡 内海浦, 柏村, 「須之川村」, 「深泥村」, 「平山村」, 「防城内川村」

233 新設/村制 南宇和郡内海村 南宇和郡 内海浦, 柏村
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)300コマ

236 新設/村制 風早郡河野村 風早郡 別府村, 宮内村, 善応寺村, 横谷村, 閏谷村, 九川村, 常保「面」村, 佐古村, 高山村, 牛谷村, 大河内村, 中須賀村, 片山村, 夏目村

236 新設/村制 風早郡河野村 風早郡 別府村, 宮内村, 善応寺村, 横谷村, 閏谷村, 九川村, 常保「免」村, 佐古村, 高山村, 牛谷村, 大河内村, 中須賀村, 片山村, 夏目村
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)280コマ

243 新設/村制 風早郡難波村 風早郡 下難波村, 中通村, 上難波村, 庄村
246 新設/村制 風早郡立岩村 風早郡 才之原村, 瀧本村, 猪木村, 猿川村, 中村, 米之野村, 庄布村, 儀式村, 小山田村, 猿川原村, 尾儀原村, 萩原村

243 新設/村制 風早郡難波村 風早郡 下難波村, 中通村, 上難波村, 庄村(本体;飛地を除く)
246 新設/村制 風早郡立岩村 風早郡 才之原村, 瀧本村, 猪木村, 猿川村, 中村, 米之野村, 庄布村, 儀式村, 小山田村, 猿川原村, 尾儀原村, 萩原村, 「庄村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

250 新設/町制 北宇和郡宇和島町 北宇和郡 龍華前通, 一宮下町, 鋸町, 大工町, 愛宕町, 笹町, 大石町, 賀古町, 鎌原通, 中町, 大榎通, 追手通, 丸ノ内, 堀端通, 広小路通, 桜町, 富沢町, 御徒町, 佐伯町, 薬研堀通, 元結掛, 神田川原通, 本町, 裡町, 樽屋町, 堅新町, 北町, 龍光院前通, 向新町, 恵美須町, 船大工町, 須賀通, 横新町, 袋町

250 新設/町制 北宇和郡宇和島町 北宇和郡 「宇和島」龍華前通, 「宇和島」一宮下町, 「宇和島」鋸町, 「宇和島」大工町, 「宇和島」愛宕町, 「宇和島」笹町, 「宇和島」大石町, 「宇和島」古町, 「宇和島」鎌原通, 「宇和島」中町, 「宇和島」大榎通, 「宇和島」追手通, 「宇和島」丸ノ内, 「宇和島」堀端通, 「宇和島」広小路通, 「宇和島」桜町, 「宇和島」富沢町, 「宇和島」御徒町, 「宇和島」佐伯町, 「宇和島」薬研堀通, 「宇和島」元結掛, 「宇和島」神田川原通, 「宇和島」本町, 「宇和島」裡町, 「宇和島」樽屋町, 「宇和島」堅新町, 「宇和島」北町, 「宇和島」龍光院前通, 「宇和島」向新町, 「宇和島」恵美須町, 「宇和島」船大工町, 「宇和島」須賀通, 「宇和島」横新町, 「宇和島」袋町
と各町には総称の「宇和島」が付くのではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)297コマ

251 新設/村制 北宇和郡奥南村 北宇和郡 奥浦, 南君浦

251 新設/村制 北宇和郡奥南村 北宇和郡 奥浦, 南君浦(本体;飛地を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)297コマ

255 新設/村制 北宇和郡喜佐方村 北宇和郡 沖浦, 河内村
278 新設/村制 北宇和郡立間尻村 北宇和郡 立間尻浦, 鶴間浦, 浅川浦

255 新設/村制 北宇和郡喜佐方村 北宇和郡 沖浦(本体;飛地を除く), 河内村(本体;飛地を除く), 「南君浦飛地」, 「東宇和郡白浦飛地」
278 新設/村制 北宇和郡立間尻村 北宇和郡 立間尻浦, 鶴間浦, 浅川浦, 「沖浦飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)298コマ

274 村制 北宇和郡北灘村 北宇和郡 「上」灘浦

274 村制 北宇和郡北灘村 北宇和郡 「北」灘浦
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)299コマ

283 新設/村制 野間郡小西村 野間郡 山之内村, 脇村, 星浦村, 別府村
284 新設/村制 野間郡大井村 野間郡 新町村, 大井浜村, 宮脇村, 九王村, 紺原村
285 新設/村制 野間郡乃万村 野間郡 宅間村, 延喜村, 野間村, 神宮村, 矢田村, 山路村, 阿方村

283 新設/村制 野間郡小西村 野間郡 山之内村, 脇村, 星浦村, 別府村, 「九王村飛地」
284 新設/村制 野間郡大井村 野間郡 新町村, 大井浜村, 宮脇村, 九王村(本体;飛地を除く), 紺原村(本体;飛地を除く), 「宅間村飛地」
285 新設/村制 野間郡乃万村 野間郡 宅間村(本体;飛地を除く), 延喜村, 野間村, 神宮村, 矢田村, 山路村, 阿方村, 「紺原村飛地」, 「九王村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)285コマ

292 新設/村制 和気郡御幸村 和気郡 祝谷村, 山越村, 姫原村
295 新設/村制 和気郡潮見村 和気郡 吉藤村, 谷村, 大内平田村, 志津川村, 姫原村飛地
289 新設/村制 和気郡久枝村 和気郡 久万村, 西長戸村, 東長戸村, 安城寺村, 高木村

292 新設/村制 和気郡御幸村 和気郡 祝谷村, 山越村, 姫原村(本体;飛地を除く), 「東長戸村飛地」, 「吉藤村飛地」
295 新設/村制 和気郡潮見村 和気郡 吉藤村(本体;飛地を除く), 谷村, 大内平田村, 志津川村, 姫原村飛地
289 新設/村制 和気郡久枝村 和気郡 久万村, 西長戸村, 東長戸村(本体;飛地を除く), 安城寺村, 高木村, 「姫原村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)281コマ

291 新設/村制 和気郡古三津村 和気郡 古三津村, 新浜村の一部, 温泉郡 山西村の一部
294 新設/村制 和気郡新浜村 和気郡 新浜村, 古三津村の一部

291 新設/村制 和気郡古三津村 和気郡 古三津村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」, 新浜村の一部, 温泉郡 山西村の一部
294 新設/村制 和気郡新浜村 和気郡 新浜村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」, 古三津村の一部
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)281コマ

293 新設/町制 和気郡三津浜町 和気郡 三津梅田町, 三津通町, 三津桂町, 三津久宝町, 三津心齋町, 三津広町, 三津柳町, 三津住吉町, 三津新町, 三津桜町, 三津藤井町, 三津三穂町, 三津須先町, 三津栄町, 新浜村「の一部」

293 新設/町制 和気郡三津浜町 和気郡 三津梅田町, 三津通町, 三津桂町, 三津久宝町, 三津心齋町, 三津広町, 三津柳町, 三津住吉町, 三津新町, 三津桜町, 三津藤井町, 三津三穂町, 三津須先町, 三津栄町, 新浜村「飛地」, 「古三津村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

以上多数になりましたがよろしくお願いします。
[73755] 2010年 1月 7日(木)23:38:06むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県(その2)
[73754]の続きです。

81 村制 下浮穴郡出淵村 下浮穴郡 出淵村「の一部」

81 村制 下浮穴郡出淵村 下浮穴郡 出淵村(本体;一部地区を除く)
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)291コマ

89 新設/村制 喜多郡宇和川村 喜多郡 名荷谷村, 中居谷村, 宇和川村
107 村制 喜多郡蔵川村 喜多郡 蔵川村

89 新設/村制 喜多郡宇和川村 喜多郡 名荷谷村, 中居谷村, 宇和川村(本体;飛地を除く)
107 「新設/」村制 喜多郡蔵川村 喜多郡 蔵川村, 「宇和川村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)293コマ

90 新設/村制 喜多郡奥南村 喜多郡 川崎村, 宮谷村, 植松村, 橡谷村, 中津村, 横山村
98 新設/村制 喜多郡御祓村 喜多郡 北表村, 只海村
100 村制 喜多郡山鳥坂村 喜多郡 山鳥坂村

90 新設/村制 喜多郡奥南村 喜多郡 川崎村, 宮谷村, 植松村, 橡谷村, 中津村, 横山村(本体;飛地を除く)
98 新設/村制 喜多郡御祓村 喜多郡 北表村(本体;飛地を除く), 只海村(本体;飛地を除く)
100 「新設/」村制 喜多郡山鳥坂村 喜多郡 山鳥坂村, 「宇和川村飛地」, 「横山村飛地」, 「北表村飛地」, 「只海村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)293コマ

101 新設/村制 喜多郡柴村 喜多郡 柴村, 下須戒村の一部

101 新設/村制 喜多郡柴村 喜多郡 柴村, 下須戒村の一部「(字山組)」
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)294コマ

106 新設/村制 喜多郡相生村 喜多郡 穂積村, 下須戒村の一部, 上老松村

106 新設/村制 喜多郡相生村 喜多郡 穂積村, 下須戒村の一部「(字本村組)」, 上老松村(本体;一部地区を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)294コマ

109 新設/町制 喜多郡大洲町 喜多郡 大洲大洲町, 柚木村「の一部」
118 新設/村制 喜多郡南久米村 喜多郡 北只村, 松尾村, 梅川村, 長谷村, 久保村, 正信村, 稲積村, 野佐来村, 黒木村, 柚木村の一部

109 新設/町制 喜多郡大洲町 喜多郡 大洲大洲町, 柚木村(本体;字旭町尾坂組池田組ノ内川西)
118 新設/村制 喜多郡南久米村 喜多郡 北只村, 松尾村, 梅川村, 長谷村, 久保村, 正信村, 稲積村, 野佐来村, 黒木村, 柚木村の一部「(字富士組亀山組池田組ノ内川東)」
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)292コマ

121 新設/村制 喜多郡満穂村 喜多郡 袋口村, 論田村, 河内村
123 新設/村制 喜多郡立川村 喜多郡 立山村, 河中村

121 新設/村制 喜多郡満穂村 喜多郡 袋口村, 論田村, 河内村(本体;飛地を除く), 「立山村飛地」
123 新設/村制 喜多郡立川村 喜多郡 立山村(本体;飛地を除く), 河中村, 「河内村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)293コマ

124 新設/村制 久米郡久米村 久米郡 高井村, 窪田村, 来住村, 鷹子村, 南久米村, 北久米村, 福音寺村, 南土居村の一部
126 新設/村制 久米郡石井村 久米郡 今在家村, 井門村, 北土居村, 越智村, 居相村, 古川村, 東石井村, 星岡村, 天山村, 西石井村, 朝生田村, 和泉村, 南土居村「の一部」

124 新設/村制 久米郡久米村 久米郡 高井村, 窪田村, 来住村, 鷹子村, 南久米村, 北久米村, 福音寺村「(本体;飛地を除く)」, 南土居村の一部「(字上組)」
126 新設/村制 久米郡石井村 久米郡 今在家村, 井門村, 北土居村, 越智村, 居相村, 古川村, 東石井村, 星岡村, 天山村, 西石井村, 朝生田村, 和泉村, 「福音寺村飛地」, 南土居村「(本体;字下組)」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

130 新設/村制 桑村郡国安村 桑村郡 高田村, 国安村, 新市村, 桑村
131 村制 桑村郡三芳村 桑村郡 三芳村

130 新設/村制 桑村郡国安村 桑村郡 高田村, 国安村, 新市村, 桑村, 「三芳村飛地」
131 村制 桑村郡三芳村 桑村郡 三芳村(本体;飛地を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)287コマ

129 新設/村制 桑村郡吉岡村 桑村郡 上市村, 広岡村, 石延村, 新町村, 安用出作村, 安用村
134 新設/村制 桑村郡徳田村 桑村郡 徳能村, 徳能出作村, 古田村, 田瀧村, 高知村, 安用村

129 新設/村制 桑村郡吉岡村 桑村郡 上市村, 広岡村, 石延村, 新町村, 安用出作村, 安用村(本体;飛地及び一部地区を除く), 「高知村飛地」
134 新設/村制 桑村郡徳田村 桑村郡 徳能村, 徳能出作村, 古田村, 田瀧村, 高知村(本体;飛地を除く), 安用村「の一部(飛地及び一部地区)」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)288コマ

139 新設/村制 周布郡小松村 周布郡 南川村, 北川村, 新屋敷村「の一部」, 玉之江村の一部

139 新設/村制 周布郡小松村 周布郡 南川村, 北川村, 新屋敷村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」, 玉之江村の一部「(飛地及び一部地区)」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)286コマ

136 新設/村制 周布郡吉井村 周布郡 石田村, 今在家村, 広江村, 新屋敷村の一部, 玉之江村「の一部」
138 新設/村制 周布郡周布村 周布郡 吉田村, 周布村「の一部」, 三津屋村の一部
142 新設/村制 周布郡多賀村 周布郡 北條村, 三津屋村「の一部」, 周布村の一部
144 新設/村制 周布郡田野村 周布郡 長野村, 田野村上方, 北田野村, 高松村, 川根村
145 新設/村制 周布郡福岡村 周布郡 久妙寺村, 今井村, 丹原村, 池田村, 願蓮寺村

136 新設/村制 周布郡吉井村 周布郡 石田村, 今在家村, 広江村, 新屋敷村の一部「(飛地及び一部地区)」, 玉之江村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」
138 新設/村制 周布郡周布村 周布郡 吉田村, 「北條村飛地」, 周布村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」, 三津屋村の一部
142 新設/村制 周布郡多賀村 周布郡 北條村(本体;飛地を除く), 三津屋村「(本体;一部地区を除く)」, 周布村の一部「(飛地及び一部地区)」
144 新設/村制 周布郡田野村 周布郡 長野村, 田野村上方, 北田野村, 高松村, 川根村(本体;飛地を除く)
145 新設/村制 周布郡福岡村 周布郡 久妙寺村, 今井村, 丹原村, 池田村, 願蓮寺村, 「川根村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)287コマ

140 新設/村制 周布郡石根村 周布郡 妙口村, 大頭村, 大郷村, 安井村, 明穂村の一部
143 新設/村制 周布郡中川村 周布郡 湯屋口村, 志川村, 寺尾村, 来見村, 石経村, 関屋村, 明穂村の一部

140 新設/村制 周布郡石根村 周布郡 妙口村, 大頭村, 大郷村, 安井村, 明穂村の一部「(本村)」
143 新設/村制 周布郡中川村 周布郡 湯屋口村, 志川村, 寺尾村, 来見村, 石経村, 関屋村, 明穂村の一部「(字安養寺)」
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)286コマ287コマ

146 新設/村制 上浮穴郡久万町村 上浮穴郡 上野尻村, 下野尻村, 久万町村
158 新設/村制 上浮穴郡明神村 上浮穴郡 東明神村, 西明神村, 入野村

146 新設/村制 上浮穴郡久万町村 上浮穴郡 上野尻村, 下野尻村, 久万町村「(本体;飛地及び一部地区を除く)」, 「入野村飛地」
158 新設/村制 上浮穴郡明神村 上浮穴郡 東明神村, 西明神村, 入野村(本体;飛地を除く), 「久万町村の一部(飛地及び一部地区)」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)289コマ

165 新設/村制 新居郡玉津村 新居郡 朔日市村, 下島山村, 「永易村」, 「流田村」, 船屋村, 新田村

165 新設/村制 新居郡玉津村 新居郡 朔日市村, 下島山村, 「玉津村」, 船屋村, 新田村(本体;飛地を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)285コマ

171 新設/村制 新居郡神拝村 新居郡 神拝村, 喜多川村, 樋之口村, 古川村

171 新設/村制 新居郡神拝村 新居郡 神拝村, 喜多川村, 樋之口村, 古川村, 「新田村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)286コマ

次稿へ続きます。
[73754] 2010年 1月 7日(木)23:37:58むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県(その1)
[73753]の続きです。

まずは資料の紹介です。

一つ目は郡界変更を記した愛媛県令第63号(M22.11.11)です。出典は愛媛県史資料編近代2(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1984)415頁です。
愛媛県令第63号
内務大臣ニ具申シ其裁可ヲ得、県下久米郡下浮穴郡伊豫郡喜多郡ノ経界ヲ左ノ通変更シ本年12月15日ヨリ之ヲ施行ス
明治22年11月11日 愛媛県知事 白根専一
下浮穴郡南方村 同郡吉久村
右久米郡に編入ス
下浮穴郡鵜崎村 同郡両澤村 同郡上唐川村
右伊豫郡に編入ス
喜多郡中山村
右下浮穴郡に編入ス

二つ目は町村の廃置分合を記した県令第64号(M22.11.11)です。
本論に入る前に注意を一つ記しておきます。
愛媛県の県令第64号は、愛知県の県令第47号と同様に、廃置分合と、廃置分合の後に旧村を大字として残すということを一つの県令でまとめて記載しています。
例えば県令第64号280コマの一番始めに記載されている立岩村を構成する「才之原村ノ内庄村飛地」とは、合併前は庄村飛地、合併後は才之原村という大字の一部となる、ということを意味します。
#これが分からずに、かつての私は約一日苦しんだのでした。

そして本体か否かの基準は平成19年度版愛媛県市町要覧第2部資料編1.市町の変遷(2)市町村変遷一覧(PDF)によりました。

また、本稿では数筆程度のところを一部地域として、本体部分だけのところも(本体;飛地及び一部地区を除く)といった形体で記載しています。また一部地域でも一つの字の範囲全部以上の箇所にも(字○○)という形で注釈を入れています。


それでは市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県で誤りと思えるところがありましたので以下に報告します。

8 新設/村制 伊予郡南山崎村 伊予郡 鵜崎村, 両沢村, 上唐川村, 下唐川村, 大平村
83 新設/村制 下浮穴郡中山村 下浮穴郡 中山村, 出淵村の一部
127 新設/村制 久米郡川上村 久米郡 北方村, 松瀬川村, 南方村, 吉久村

8 「郡変更」/新設/村制 伊予郡南山崎村 「下浮穴郡」 鵜崎村, 両沢村, 上唐川村, 「伊予郡」 下唐川村, 大平村
83 「郡変更」/新設/村制 下浮穴郡中山村 「喜多郡」 中山村, 「下浮穴郡」 出淵村の一部
127 「郡変更」/新設/村制 久米郡川上村 久米郡 北方村, 松瀬川村, 「下浮穴郡」 南方村, 吉久村
ではないでしょうか。
参考:県令第63号(M22.11.11)本稿冒頭部参照

1 新設/市制 松山市 温泉郡 東雲町, 喜与町, 北歩行町, 中歩行町, 南歩行町, 鮒屋町, 御宝町, 玉川町, 北京町, 南京町, 北八坂町, 南八坂町, 永木町, 唐人町一丁目, 唐人町二丁目, 唐人町三丁目, 北夷子町, 南夷子町, 河原町, 立花町, 堀内町, 豊坂町一丁目, 豊坂町二丁目, 柳井町, 榎町, 小唐人町一丁目, 小唐人町二丁目, 小唐人町三丁目, 湊町一丁目, 湊町二丁目, 湊町三丁目, 湊町四丁目, 千船町, 一番町, 二番町, 三番町, 弁天町, 久保町, 春日町の一部, 南堀端町, 新玉町, 花園町一丁目, 花園町二丁目, 西町, 末広町一丁目, 末広町二丁目, 本町一丁目, 本町二丁目, 本町三丁目, 本町四丁目, 本町五丁目, 出淵町一丁目, 出淵町二丁目, 江戸町, 西堀端町, 宮古町, 紙屋町, 萱町一丁目, 萱町二丁目, 萱町三丁目, 萱町四丁目, 萱町五丁目, 萱町六丁目, 萱町七丁目, 松前町一丁目, 松前町二丁目, 松前町三丁目, 松前町四丁目, 松前町五丁目, 魚町一丁目, 魚町二丁目, 魚町三丁目, 魚町四丁目, 魚町五丁目, 鍛冶屋町, 常盤町, 三津口町, 府中町一丁目, 府中町二丁目, 府中町三丁目, 府中町四丁目, 木屋町一丁目, 木屋町二丁目, 木屋町三丁目, 木屋町四丁目, 木屋町五丁目, 清水町, 道後町, 傘屋町, 新町一丁目, 新町二丁目, 鉄砲町, 水口町, 杉谷町, 弓町, 矢矧町, 琢町, 三春町, 通町, 一万町「の一部」, 中村の一部, 味酒村の一部, 立花村の一部, 持田村の一部

1 新設/市制 松山市 温泉郡 「松山」東雲町, 「松山」喜与町, 「松山」北歩行町, 「松山」中歩行町, 「松山」南歩行町, 「松山」鮒屋町, 「松山」御宝町, 「松山」玉川町, 「松山」北京町, 「松山」南京町, 「松山」北八坂町, 「松山」南八坂町, 「松山」永木町, 「松山」唐人町一丁目, 「松山」唐人町二丁目, 「松山」唐人町三丁目, 「松山」北夷子町, 「松山」南夷子町, 「松山」河原町, 「松山」立花町, 「松山」堀内町, 「松山」豊坂町一丁目, 「松山」豊坂町二丁目, 「松山」柳井町, 「松山」榎町, 「松山」小唐人町一丁目, 「松山」小唐人町二丁目, 「松山」小唐人町三丁目, 「松山」湊町一丁目, 「松山」湊町二丁目, 「松山」湊町三丁目, 「松山」湊町四丁目, 「松山」千船町, 「松山」一番町, 「松山」二番町, 「松山」三番町, 「松山」弁天町, 「松山」久保町, 「松山」春日町の一部(本体;一部地区を除く), 「松山」南堀端町, 「松山」新玉町, 「松山」花園町一丁目, 「松山」花園町二丁目, 「松山」西町, 「松山」末広町一丁目, 「松山」末広町二丁目, 「松山」本町一丁目, 「松山」本町二丁目, 「松山」本町三丁目, 「松山」本町四丁目, 「松山」本町五丁目, 「松山」出淵町一丁目, 「松山」出淵町二丁目, 「松山」江戸町, 「松山」西堀端町, 「松山」宮古町, 「松山」紙屋町, 「松山」萱町一丁目, 「松山」萱町二丁目, 「松山」萱町三丁目, 「松山」萱町四丁目, 「松山」萱町五丁目, 「松山」萱町六丁目, 「松山」萱町七丁目, 「松山」松前町一丁目, 「松山」松前町二丁目, 「松山」松前町三丁目, 「松山」松前町四丁目, 「松山」松前町五丁目, 「松山」魚町一丁目, 「松山」魚町二丁目, 「松山」魚町三丁目, 「松山」魚町四丁目, 「松山」魚町五丁目, 「松山」鍛冶屋町, 「松山」常盤町, 「松山」三津口町, 「松山」府中町一丁目, 「松山」府中町二丁目, 「松山」府中町三丁目, 「松山」府中町四丁目, 「松山」木屋町一丁目, 「松山」木屋町二丁目, 「松山」木屋町三丁目, 「松山」木屋町四丁目, 「松山」木屋町五丁目, 「松山」清水町, 「松山」道後町, 「松山」傘屋町, 「松山」新町一丁目, 「松山」新町二丁目, 「松山」鉄砲町, 「松山」水口町, 「松山」杉谷町, 「松山」弓町, 「松山」矢矧町, 「松山」琢町, 「松山」三春町, 「松山」通町, 「松山」一万町(本体;一部地区を除く), 中村の一部, 味酒村の一部, 立花村の一部, 持田村の一部
と各町には総称の「松山」が付くのではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)277コマによると総称たる松山が付きます。

前述の松山市との関係上、
70 新設/村制 温泉郡道後村 温泉郡 石手村, 一万町の一部, 持田村「の一部」, 一万村, 道後村「の一部」
73 新設/村制 温泉郡雄群村 温泉郡 小栗村, 藤原村, 竹原村, 土居田村, 針田村, 春日町の一部
でも
70 新設/村制 温泉郡道後村 温泉郡 石手村, 「松山」一万町の一部, 持田村(本体;一部地区を除く), 一万村, 道後村(本体;一部地区を除く)
73 新設/村制 温泉郡雄群村 温泉郡 小栗村, 藤原村, 竹原村, 土居田村, 針田村, 「松山」春日町の一部
となるものと考えられます。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

4 新設/村制 伊予郡郡中村 伊予郡 米湊「町」, 上吾川村, 郡中「灘」町の一部, 下吾川村, 南黒田村の一部
5 新設/町制 伊予郡郡中町 伊予郡 郡中灘町「の一部」, 郡中湊町

4 新設/村制 伊予郡郡中村 伊予郡 米湊「村」(本体;一部地区を除く), 上吾川村, 郡中「湊」町の一部, 下吾川村「の一部」, 南黒田村の一部
5 新設/町制 伊予郡郡中町 伊予郡 郡中灘町, 郡中湊町(本体;一部地区を除く), 「米湊村の一部」, 「下吾川村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)291コマ
292コマの郡中村とは、愛媛県史資料編近代2(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1984)によりますと、郡中町と書くべきところを誤記していることになっています。

2 新設/村制 伊予郡岡田村 伊予郡 西古泉村, 恵久美村, 大間村, 北河原村, 昌農内村, 上高柳村, 西高柳村
6 新設/村制 伊予郡松前村 伊予郡 北黒田村, 浜村, 筒井村, 南黒田村「の一部」
9 新設/村制 伊予郡北伊予村 伊予郡 横田村, 徳丸村, 出作村, 中河原村, 鶴吉村, 永田村, 大溝村, 東古泉村, 神崎村

2 新設/村制 伊予郡岡田村 伊予郡 西古泉村(本体;飛地を除く), 恵久美村(本体;飛地を除く), 大間村, 北河原村, 昌農内村, 上高柳村, 西高柳村, 「永田村飛地」
6 新設/村制 伊予郡松前村 伊予郡 北黒田村, 浜村(本体;飛地を除く), 筒井村, 「下吾川村飛地」, 「東古泉村飛地」, 「西古泉村飛地」, 南黒田村(本体;一部地区を除く)
9 新設/村制 伊予郡北伊予村 伊予郡 横田村, 徳丸村, 出作村, 中河原村, 鶴吉村, 永田村(本体;飛地を除く), 大溝村, 東古泉村(本体;飛地を除く), 神崎村, 「恵久美村飛地」, 「浜村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)292コマ

37 新設/村制 越智郡下朝倉村 越智郡 朝倉下村, 朝倉南村, 朝倉北村, 古谷村, 山口村

37 新設/村制 越智郡下朝倉村 越智郡 朝倉下村, 朝倉南村, 朝倉北村, 古谷村, 山口村, 「町谷村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

48 新設/町制 越智郡今治町 越智郡 室屋町, 米屋町, 本町, 北新町, 風早町, 新町, 中浜町, 片原町

48 新設/町制 越智郡今治町 越智郡 「今治」室屋町, 「今治」米屋町, 「今治」本町, 「今治」北新町, 「今治」風早町, 「今治」新町, 「今治」中浜町, 「今治」片原町, 「今治村」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)283コマ

49 新設/村制 越智郡桜井村 越智郡 孫兵衛作村, 長沢村, 桜井村, 旦村, 国分村, 古国分村, 登畑村, 宮崎村

49 新設/村制 越智郡桜井村 越智郡 孫兵衛作村, 長沢村, 桜井村, 旦村, 国分村, 古国分村, 登畑村(本体;飛地を除く), 宮崎村(本体;一部地区を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

51 新設/村制 越智郡瀬戸崎村 越智郡 瀬戸村, 甘崎村
54 新設/村制 越智郡盛口村 越智郡 井口村, 盛村
55 新設/村制 越智郡西伯方村 越智郡 叶浦村, 伊方村, 北浦村
58 新設/村制 越智郡東伯方村 越智郡 有津村, 木浦村

51 新設/村制 越智郡瀬戸崎村 越智郡 瀬戸村, 甘崎村(本体;飛地を除く)
54 新設/村制 越智郡盛口村 越智郡 井口村, 盛村, 「甘崎村飛地」
55 新設/村制 越智郡西伯方村 越智郡 叶浦村(本体;飛地を除く), 伊方村, 北浦村(本体;飛地を除く), 「有津村飛地」, 「木浦村飛地」
58 新設/村制 越智郡東伯方村 越智郡 有津村(本体;飛地を除く), 木浦村(本体;飛地を除く), 「北浦村飛地」, 「叶浦村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)284コマ

62 新設/村制 越智郡富田村 越智郡 東村, 喜田村, 上神宮村, 徳久村, 松木村, 高市村, 町谷村

62 新設/村制 越智郡富田村 越智郡 東村, 喜田村, 上神宮村, 徳久村, 松木村, 高市村, 町谷村(本体;飛地を除く), 「登畑村飛地」, 「宮崎村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)283コマ

67 新設/村制 温泉郡素鵞村 温泉郡 小坂村, 中村「の一部」, 枝松村, 立花村「の一部」
68 新設/村制 温泉郡朝美村 温泉郡 南江戸村, 辻村, 沢村, 衣山村, 味酒村「の一部」

67 新設/村制 温泉郡素鵞村 温泉郡 小坂村, 中村(本体;一部地区を除く), 枝松村, 立花村(本体;一部地区を除く)
68 新設/村制 温泉郡朝美村 温泉郡 南江戸村, 辻村, 沢村, 衣山村, 味酒村(本体;一部地区を除く)
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村「の一部」

72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村(本体;飛地を除く), 「和気郡古三津村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

次稿へ続きます。
[73753] 2010年 1月 7日(木)23:37:47【4】むっくん さん
Re:市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について
[73436][73497]88さん
市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について、以下に私見を書きたいと思います。

市区町村変遷情報においては、市制町村制施行時もそれ以外のときも、各村の「本体」がどのように合併したのかが分かることが最も重要なのではないかというのが私の考えです。
とするならば、A村が市制町村制施行に際し複数の村(B村,C村,D村)に分かれたのであるならば、A村の本体がB村,C村,D村のいずれに行ったのかが一目で分かることがまず必要だと思います。そのため、
(1)「本体」と記載するか否か
ということに関しては勿論Yesで深江村(本体)などと表記した方が利便性が高いと思います。
もちろん一つの村の各字ごとに分かれる2分割や3分割や4分割がなされたためにどの部分が本体かが判断できない場合もあると思います。
その場合、例えば愛媛県(市制町村制施行時)の#124久米郡久米村のところでは、「南土居村の一部(字上組)」とでも表記すればよいのではないでしょうか。

そして「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法としては、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))(第1冊第2冊)を使うのが良いのかもしれません。
明らかに本体とわかる部分には「○○村の一部」に相当する「○○村ノ内」との記載がありません。そして、どの部分が本体かが判断できない場合では複数箇所に「○○村ノ内」との記載となっています。
また本来は「一部」区域が存在するので「○○村ノ内」と書くべきところでも省略されている箇所もあります。これはおそらくかなり小さな区域なのではないかと推測します。
飛地については「飛地」全体である時は「○○村飛地」と記載されているようですが、東京府のように飛地でも一部区域にとどまる場合は「○○村ノ内」という表記になっているようです。
私が今まで見てきた範囲(少なくとも西日本の各府県)では上記のような編集方針であると私は推察します。

(2)「飛地」「飛錯地」の違いは何か。他の例で、これ以外の表現はないか。
大阪府では府令には記されていませんが「共有地」「錯雑地」という表現があります。(詳細は後述)
また徳島県では「飛入地」「差込地」という表現があります。(参考:県令第30号(M22.6.29))

(3)飛地ではないが他村に組み込まれる場合は「一部」でよいか。
に関しては「一部」でよいと思います。
またこれに関連してですが、飛地ではない一部地区及び飛地を含むところも「一部及び飛地」ではなくて「一部」とした方が「本体」の変遷を主とする立場からは分かりやすいのではないかと思います。
例えば愛媛県(市制町村制施行時)の#139周布郡小松村のところでは、「玉之江村の一部及び飛地」ではなくて「玉之江村の一部」との記載となります。
#ただし[73754][73755][73756]では県令第64号との照合の便宜を考え、「一部地域及び飛地」という表現にしています。

(3)(6)飛地か、飛地ではないか、はどのような方法で確認するのか。
飛地か飛地ではないかを、一々調べるのは実際上無理があると思います。
そこで主要部分の変遷に比して重要性が落ちることに鑑み、県令に記載があるところのみを市区町村変遷情報に記載すれば充分なのではないでしょうか。

最後に
兵庫県・和歌山県の例はほんの一部ですので、他府県の検証を含めて、表現方法の統一化などの検討が必要です。
ですが、一例として大阪府の市制町村制施行時の状況を紹介します。
大阪府史第七巻(編:大阪府史編集専門委員会、出版:大阪府、1989)には附図「市制町村制施行直前行政区画図(明治22.3.31)」があり、ここでは大阪府の市制町村制施行前(M22.3.31)と市制町村制施行直後の区域が記載されています。
ここでは例えば、(ア)唐崎村三島江村共有地、(イ)佐井寺村飛地、(ウ)千林村今市村錯雑地、といった共有地や飛地や錯雑地が記載されています。
しかし(ア)は唐崎村(本体)や三島江村(本体)と共に島上郡三箇牧村となり、(イ)は佐井寺村(本体)と共に島下郡千里村となり、(ウ)は千林村(本体)今市村(本体)と共に東成郡古市村となりました。そして(ア)(イ)(ウ)の類例もいずれもその本体の村々と共に同一村を構成することになりました。
ところが合併根拠の府令第17号では記載されていません。
これは、同一村を構成することになったために記載する実益がなくなり、意図的に省略されたものと推測されます。
このような事例をも念頭においておく必要もあります。

・余談1
本筋からずれますが、三重県のように自治体名ではない区域が根拠たる県令に書かれている場合があります(拙稿[70709]参照)。この場合をどのようにするかです。

・余談2
入会地は、薪炭用などの山林や、カヤなどを植えた草刈場ですから、面積は町村本体に比すると小さいでしょう。
大きさという観点でみますと、大阪府島上郡大冠村の一部となった“辻子村外2村錯雑地”は辻子村(本体)よりも面積は大きくなっています。同じようなことが「入会地」の場合についてもあるかもしれず、入会地の面積は町村本体に比すると小さい、とは必ずしも言えないかもしれません。

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さて、色々述べてきました。
議論を発展させるには、実例を交えてみるのもいいのかもしれません。
というわけで、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・愛媛県でどうなるかを見てみました。修正依頼(実はこちらが主だったりする)もついでに行いつつですが。。。

次稿に続きます。

【1】「飛地」「飛錯地」以外の表記法について追記
【2】誤字修正
【3】「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法について追記
【4】誤字修正
[73684] 2010年 1月 5日(火)18:42:36【1】むっくん さん
福岡区「東小性町」「西小性町」
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

[73615]88さん
明治前期における「東小性町」「西小性町」or「東小姓町」「西小姓町」についての情報提供です。

郡区町村編制法施行にあたり郡区分画を定めた福岡県甲第199号布達(M11.10.12)で福岡区に所属することになったのは「東小性町」「西小性町」と記載されています。

郡区町村一覧(編著:内務省地理局、M14.3.)でもM12.12.の時点で「東小性町」「西小性町」と記載されています。([73680]hmtさん)

地方行政区画便覧(編著:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.の時点で「東小性町」「西小性町」と記載されています。

福岡県統計書明治21年(著・出版:福岡県、M22)でも福岡市を構成する町は「東小性町」「西小性町」と記載されています。

以上明治前期の資料4点では「東小性町」「西小性町」でした。

#一応私も原稿を準備していたのですが、[73680]hmtさんによる詳細な分析記事の投稿がありましたので、情報提供のみとさせていただきました。
[73224] 2009年 12月 7日(月)00:03:26むっくん さん
岡山十番勝負
問八:松山市

今までメダルに縁が無かったのでどきどきしています。
[72930] 2009年 11月 22日(日)22:35:33むっくん さん
桜トンネルさん三番勝負
[72908]桜トンネルさん
問一だけですが、よろしくお願いいたします。
問一 滋賀県:13

P.S.遅くなりましたが、落書き帳開設10周年おめでとうございます。>グリグリさん
[72858] 2009年 11月 16日(月)15:58:45【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・福岡県(その2)
[72857]の続きです。

151 新設/村制 山本郡善導寺村 山本郡 常持村, 蜷川村, 合楽村
153 新設/村制 山本郡大橋村 山本郡 木塚村, 与田村, 飯田村

151 新設/村制 山本郡善導寺村 山本郡 「木塚村, 与田村, 飯田村」
153 新設/村制 山本郡大橋村 山本郡 「常持村, 蜷川村, 合楽村」
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

155 新設/村制 山門郡沖端村 山門郡 筑紫村の一部, 稲荷村, 沖端町, 矢留村, 矢留町

155 新設/村制 山門郡沖端村 山門郡 筑紫村の一部, 稲荷「町」, 沖端町, 矢留村, 矢留町
ではないでしょうか。
福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)37頁)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では稲荷「町」, 沖端町となっています。
しかし新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では稲荷「町」, 沖端「村」となっていますが。。。
ちなみに地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では稲荷「町」, 沖端町となっています。

157 新設/村制 山門郡宮内村 山門郡 江曲村, 藤吉村, 今古賀村, 下百丁村, 蒲船津村, 正行村, 高畑村

157 新設/村制 山門郡宮「ノ」内村 山門郡 江曲村, 藤吉村, 今古賀村, 下百丁村, 蒲船津村, 正行村, 高畑村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑
後年の各種資料(e.g.日本帝国人口統計)でも宮「ノ」内村となっています。
これに伴い
47 1907.03.20 新設 山門郡三橋村 山門郡 川北村, 川辺村, 宮内村, 垂見村

47 1907.03.20 新設 山門郡三橋村 山門郡 川北村, 川辺村, 宮「ノ」内村, 垂見村
と変わることになります。

165 新設/村制 山門郡川沿村 山門郡 高柳村, 東津留村, 浜田村, 泰仙寺村, 河内村

165 新設/村制 山門郡「河」沿村 山門郡 高柳村, 東津留村, 浜田村, 泰仙寺村, 河内村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑
これに伴い
45 1907.01.01 新設 山門郡瀬高町 山門郡 緑村の一部, 瀬高町, 本郷村, 小川村, 川沿村

45 1907.01.01 新設 山門郡瀬高町 山門郡 緑村の一部, 瀬高町, 本郷村, 小川村, 「河」沿村
と変わることになります。
#明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(M23.10.6)福岡県統計書明治22年福岡県統計書明治23年では「河沼村」と記載されていますが、この後の年度の「市町村現住人口」を表した内務省告示及び福岡県統計書では一貫して「河沿村」と記載されていること、そして「市町村現住人口」を表した内務省告示の最後にある明治○○年市町村の廃置分合に河沼村→河沿村との改称が記載されていないことより、これらは単なる誤記と判断しました。

169 新設/村制 山門郡竹海村 山門郡 海津村, 竹飯村
は#115との関係上
169 新設/村制 山門郡竹海村 山門郡 海津村, 竹飯村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

226 新設/村制 上妻郡上広川村 上妻郡 水原村, 吉常村, 六田村, 長延村
は#218との関係上
226 新設/村制 上妻郡上広川村 上妻郡 水原村「の一部」, 吉常村, 六田村, 長延村
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

242 新設/村制 上妻郡矢部村 上妻郡 矢部村, 「上」矢部村

242 新設/村制 上妻郡矢部村 上妻郡 矢部村, 「北」矢部村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

276 新設/村制 早良郡内野村 早良郡 石釜村, 西村, 曲淵村, 内野村, 飯場村

276 新設/村制 早良郡内野村 早良郡 石釜村, 西村, 曲淵村, 内野村, 「怡土郡」 飯場村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

282 新設/村制 糟屋郡「沖」原村 糟屋郡 仲原村, 原町村, 阿恵村, 柚須村, 酒殿村

282 新設/村制 糟屋郡「仲」原村 糟屋郡 仲原村, 原町村, 阿恵村, 柚須村, 酒殿村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

308 新設/村制 竹野郡柴刈村 竹野郡 恵利村, 八幡村, 朝森村, 菅原村
は#96との関係上
308 新設/村制 竹野郡柴刈村 竹野郡 恵利村, 八幡村「の一部」, 朝森村, 菅原村
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

316 新設/村制 仲津郡今元村 仲津郡 皆見村, 下原村, 有久村, 徳政村, 徳永村, 綾野村, 草場村, 田中村, 袋迫村, 国作村, 惣社村
327 新設/村制 仲津郡祓郷村 仲津郡 金屋村, 今井村, 真菰村, 津留村, 沓尾村, 元永村の一部

316 新設/村制 仲津郡今元村 仲津郡 「金屋村, 今井村, 真菰村, 津留村, 沓尾村, 元永村の一部」
327 新設/村制 仲津郡祓郷村 仲津郡 「皆見村, 下原村, 有久村, 徳政村, 徳永村, 綾野村, 草場村, 田中村, 袋迫村, 国作村, 惣社村」
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

321 新設/村制 仲津郡泉村 仲津郡 羽根木村, 竹田村, 小犬丸村, 崎野村, 長江村, 福富村, 福原村, 竹並村, 柳井田村, 平島村, 寺畔村の一部, 矢留村の一部
は#317との関係上
321 新設/村制 仲津郡泉村 仲津郡 羽根木村, 竹田村, 小犬丸村, 崎野村, 長江村, 福富村「の一部」, 福原村「の一部」, 竹並村, 柳井田村, 平島村, 寺畔村の一部, 矢留村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

336 新設/村制 田川郡上野村 田川郡 赤池村, 上野村, 市場村
は#20との関係上
336 新設/村制 田川郡上野村 田川郡 赤池村, 上野村, 市場村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

373 新設/村制 夜須郡三根村 夜須郡 曽根田村, 三牟田村, 櫛木村, 三「ヶ」山村, 桑曲村, 三並村, 畑島村, 長者町村

373 新設/村制 夜須郡三根村 夜須郡 曽根田村, 三牟田村, 櫛木村, 三「箇」山村, 桑曲村, 三並村, 畑島村, 長者町村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑
#これにつきましては、M22当時の資料は一致していますが、文字の揺らぎがあるかもしれません。

375 新設/村制 夜須郡上秋月村 夜須郡 上秋月村, 日向石村, 江川村, 山見村, 田代村

375 新設/村制 夜須郡上秋月村 夜須郡 上秋月村, 日向石村, 江川村, 「下座郡」 山見村, 田代村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

以上多数になりましたがよろしくお願いします。
[72857] 2009年 11月 16日(月)15:58:38【3】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・福岡県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)福岡県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)福岡県令第42号(M22.3.13)
#『福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)』27-28頁によります。28頁には市制施行により福岡市となった従来の福岡区の町村名、及び市制施行により久留米市となった従来の御井郡両替町外28町の町名を記載し、27頁には市制施行により福岡市及び久留米市となった従来の福岡区の町村名及び従来の御井郡両替町外28町の町名以外の区域を掲載しています。これは実質的に福岡県の市制施行地域の廃置分合を記した福岡県令第42号に相当していることより、本稿では福岡県令第42号として書き表します。
(2)福岡県令第43号(M22.3.13)(明治22年4月1日に行われた町村分合の根拠)
#福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)30-39頁によります
(3)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(5)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(7)内務省告示第34号(M23.10.6)
#明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表しており明治22年末の市町村名を記載。
(8)旧高旧領取調帳
#明治2年(1869)頃の村名を掲載しています([57484]okiさん)。歴史民俗博物館のデータベースの検索結果によります。
(9)福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)
#明治22年に福岡市及び久留米市となった町村名が記載されています。
(10)市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)(公文類聚(太政官の公文書をまとめた公式文書)より)
(11)福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)

(1)から(6)は総てにおいて参照し、(7)~(11)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(4)のみを記載しました。

それでは紹介です。


2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性村, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性村, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺村, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 「博多」中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路「町」, 上店屋町, (略), 小金町, 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 鳥飼村の一部

2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性「町」, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性「町」, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺「町」, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路, 上店屋町, (略), 小金町, 「那珂郡」 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 「早良郡」 鳥飼村の一部
ではないでしょうか。
「村」ではなくて「町」、「町」ではなくて「村」である箇所は、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)に共通です。
「博多」については、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)については「博多」中島町と記載されています。しかし当事者の福岡県が発行した「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)には単に中島町とあります。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)の福岡市及び久留米市の各町村名を見てみると、最初に「福岡」「久留米」と総称があります。そして「博多」中島町と書かれているところより後の町村名は総て福岡区の博多と呼ばれた各町村名であるようです。「福岡」「久留米」だけでなく「博多」もこれ以降が博多に所属する各町村であるとの符号であると判断すれば、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁に記載の(実質的に)福岡県令第42号と整合することになります。福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)を見ると、「福岡」天神丁,「博多」中島町と「福岡」「博多」の総称がついていますし。。。
私としては、当事者の福岡県が発行したものには中島町と書かれていることを以て、「博多」中島町ではなくて中島町であると考えますが、最終的な取り扱いについては88さんの判断に委ねます。


5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 緑山畑村, 小伏村, 乙野村

5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 「縁」山畑村, 小伏村, 乙野村
ではないでしょうか。
福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)31頁)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では「縁」山畑村とあります。
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では文字が潰れていて「緑」山畑村であるか「縁」山畑村の判別が付きません。。
参考までに旧高旧領取調帳でも「縁」山畑村となっています。なお地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では緑山畑村となっていますが。
現在は福岡県宮若市縁山畑です。

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永谷村, 新延村

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永「ヶ」谷村, 新延村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小嶺村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小「峯」村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「宮市村」, 「仲津郡」 大橋村

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「仲津郡」 「宮市村」, 大橋村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では仲津郡 宮市村となっています。
しかし、福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)38頁)では仲津郡 宮市村はありますが、大橋村の記述が抜けています。ただし市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)22コマや前述の書物と比較すると書き落としと考えた方がよさそうです。
また、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では行橋「村」となっていますが、これは単なる誤記であると推測します。明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(M23.10.6)では、明治22年12月31日現在で行橋町となっていますし。。。
ちなみに地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも仲津郡 宮市村, 大橋村となっています。

82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村
は#71との関係上
82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村, 守部村の一部, 富多村の一部
は#96との関係上
88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村「の一部」, 守部村の一部, 富多村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村, 足穂村
は#89との関係上
92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村「の一部」, 足穂村
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「竹野郡」 「中川村の一部」, 八幡村の一部

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「中川村の一部」, 「竹野郡」 八幡村の一部
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 「山須村」, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村, 寺福童村, 小郡町, 大板井村, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
は#99及び#113との関係上
110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村「の一部」, 寺福童村, 小郡町, 大板井村「の一部」, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村
は#127との関係上
116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村「の一部」
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村, 西青木村, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
は#134との関係上
138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村「の一部」, 西青木村「の一部」, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 「白口村の一部」

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「白口村の一部」, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 「下」牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

次稿へ続く。
[72855] 2009年 11月 16日(月)12:18:54むっくん さん
塩釜口駅
[72847]伊豆之国さん
名古屋市地下鉄鶴舞線の「塩釜口」駅。駅名は付近の地名から来ているようですが、この「塩釜」がかつて「塩竈・鹽竈」と書かれたことがあるかどうか、由来が気になります。
所在地の名古屋市天白区塩釜口一丁目から名付けられた塩釜口駅。
名古屋市HPの天白区の町名の由来では
●塩釜口一・二丁目(しおがまぐち)
塩釜神社への参詣口として塩釜口の呼称が定着していたことから名付けられました。
と付近の地名の由来が書かれています。

さて現在は安産祈願ということで名古屋市内では知られている塩竈神社ですが、その由来としては
東北鎮護・陸奥国一ノ宮として崇敬を集める、宮城県塩竈市の旧国幣中社「鹽竈神社」より弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が御分霊を賜りましたのが始まりとされております。
とあり、海岸線よりかなり内陸部にあるこの地に鹽竈があったということではなさそうです。

#愛知郡「天白村」豪農の山田善兵衛とありますが、天白村の成立は明治39(1906年)5月10日。おそらく、正しくは八事村もしくは植田村なのでしょうが、名古屋市HPでも間違っているのでこれは仕方が無いのかな。。。
[72829] 2009年 11月 12日(木)18:24:37【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛知県(その2)
[72828]の続きです。

250 新設/村制 丹羽郡小折村 丹羽郡 小折村, 「布袋野村」, 五明村, 曽本村

250 新設/村制 丹羽郡小折村 丹羽郡 小折村, 五明村, 曽本村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)
#これは前述#151の福島新田or天白の事例と同じです。

271 新設/村制 知多郡阿久比村 知多郡 椋岡村, 矢高村, 植大村

271 新設/村制 知多郡阿久比村 知多郡 「阿久比村」, 椋岡村, 矢高村, 植大村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

297 新設/村制 知多郡上阿久比村 知多郡 卯「坂」村, 草木村, 白沢村

297 新設/村制 知多郡上阿久比村 知多郡 卯「阪」村, 草木村, 白沢村
ではないでしょうか。
以前の熊本県の事例[71724]と異なり、今回の事例(卯阪村)は愛知県告示第101号(M17.8.11)での分割で成立してのものですから表記の揺るぎとは一概に言えないと考えられます。そして成立時の根拠愛知県告示第101号(M17.8.11)では卯「阪」村と表記されています。
また、県令第47号(M22.9.24)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、愛知県管内新旧市町村分合改称録(編著:大橋美澄、出版:渡辺篤、M22.9.)では卯「阪」村となっています。
#しかしながら後に出た大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では卯坂村となっていますが。。。

303 村制 知多郡生路村 知多郡 生路村
306 村制 知多郡石浜村 知多郡 石浜村

303 村制 知多郡生路村 知多郡 生浜村「の一部」
306 村制 知多郡石浜村 知多郡 「生浜村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

359 新設/村制 中島郡三輪村 中島郡 宮「池」花池村, 戸塚村

359 新設/村制 中島郡三輪村 中島郡 宮「地」花池村, 戸塚村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

375 新設/村制 中島郡祖父江村 中島郡 下祖父江村, 三十町村

375 新設/村制 中島郡祖父江村 中島郡 下祖父江村, 三「拾」町村
ではないでしょうか。
県令第47号(M22.9.24)、愛知県管内新旧市町村分合改称録(編著:大橋美澄、出版:渡辺篤、M22.9.)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では三「拾」町村となっています。
また勅令第34号(M20.7.13)で岐阜県中島郡から愛知県中島郡へと管轄替えとなった時も三「拾」町村とあります。
ただし新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では三十町村となっていますが。。。

393 新設/村制 中島郡六輪村 中島郡 塩川村, 城西村, 下起村, 娶振新田村, 勝幡新田村, 塩川新田村

393 村制 中島郡六輪村 中島郡 六輪村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

410 新設/村制 東加茂郡豊栄村 東加茂郡 大楠村, 簗山村, 提立村, 椿木村, 歌石村, 大田村, 茅原村, 羽明村, 大津村, 二口村, 下屋敷村, 所石村, 杉ノ木村, 仁王村, 正作村, 宮口村, 真垣内村, 篠平村, 日明村, 下平村, 岩谷村

410 新設/村制 東加茂郡豊栄村 東加茂郡 大楠村, 簗山村, 提立村, 椿木村, 歌石村, 大田村, 茅原村, 羽明村, 大津村, 二口村, 下屋敷村, 所石村, 杉ノ木村, 仁王村, 正作村, 「東」宮口村, 真垣内村, 「南」篠平村, 日明村, 下平村, 岩谷村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

428 新設/村制 東春日井郡小野村 東春日井郡 松河戸村, 下条村, 中切村, 下津尾村

428 新設/村制 東春日井郡小野村 東春日井郡 松河戸村, 下条村, 「上」中切村, 下津尾村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

443 新設/村制 東春日井郡二城村 東春日井郡 大永寺村, 大森垣「内」村, 金屋坊村, 川村, 守山村

443 新設/村制 東春日井郡二城村 東春日井郡 大永寺村, 大森垣「外」村, 金屋坊村, 川村, 守山村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

504 村制 幡豆郡幡豆村 幡豆郡 「幡豆村」

504 新設/村制 幡豆郡幡豆村 幡豆郡 「西幡豆村」, 「鳥羽村」, 「寺部村」
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

507 新設/村制 幡豆郡平坂村 幡豆郡 平坂村, 楠村, 西小「柳」新田, 小栗新田

507 新設/村制 幡豆郡平坂村 幡豆郡 平坂村, 楠村, 西小「梛」新田, 小栗新田
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

561 新設/村制 碧海郡畝部村 碧海郡 中切村, 「上宗定村」, 「下宗定村」, 川端村, 上中島村, 阿弥陀堂村, 国江村, 配津村

561 新設/村制 碧海郡畝部村 碧海郡 中切村, 「宗定村」, 川端村, 上中島村, 阿弥陀堂村, 国江村, 配津村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

569 新設/村制 碧海郡竹村 碧海郡 竹村, 大林村, 西田新「田」

569 新設/村制 碧海郡竹村 碧海郡 竹村, 大林村, 西田新「郷」
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

570 新設/村制 碧海郡中郷村 碧海郡 富永村, 桑子村, 新堀村, 小望村, 「館」出村, 坂戸村, 島村, 池端村, 西牧内村

570 新設/村制 碧海郡中郷村 碧海郡 富永村, 桑子村, 新堀村, 小望村, 「舘」出村, 坂戸村, 島村, 池端村, 西牧内村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

630 新設/村制 北設楽郡田口村 北設楽郡 田口村, 八「ツ」橋村, 荒尾村, 和市村, 小松村, 長江村, 清崎村

630 新設/村制 北設楽郡田口村 北設楽郡 田口村, 八橋村, 荒尾村, 和市村, 小松村, 長江村, 清崎村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)
(7)~(9)、そして(10)の地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも八橋村となっています。

以上多数になりましたがよろしくお願いします。
[72828] 2009年 11月 12日(木)18:23:48【2】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛知県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛知県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前に参照した資料の紹介です。
(1)県令第46号(M22.9.24)(愛知県布達全書第2冊前編(編著:高島文吉、出版:山田良弼、M23.2.15)に記載)
#郡変更を記載。
(2)県令第47号(M22.9.24)(愛知県布達全書第2冊前編(編著:高島文吉、出版:山田良弼、M23.2.15)に記載)
#町村合併及び大字変更を記載。
(3)愛知県管内新旧市町村分合改称録(編著:大橋美澄、出版:渡辺篤、M22.9.)(編著:大橋美澄、出版:渡辺篤、M22.9.25)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(5)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(7)天保国絵図(尾張国、三河国)
(8)旧高旧領取調帳データベース(廃藩置県直前)
(9)尾三両国村名取調簿(明治7年の愛知県の内務省への提出文書)
#『明治前期全国村名小字調査書第二巻(著:内務省地理局編纂物刊、出版:ゆまに書房、昭和61年)』に収録
(10)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)(明治19年1月現在の町村名を記載)
(11)市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M23.6.)(公文類聚より)
(1)~(9)は総てにおいて参照し、(10)(11)は適宜参照しました。

以下、本文中での参照資料としては簡略化のため原則として(1)(2)のみを記載しました。
なお、「ヶ」の有無や、「後」と「后」の違い、「之」と「ノ」の違いという表記の揺らぎの類は原則として省きました。ただ、明治22年以前当時の資料がほぼ一致し、それ以前の(7)(8)(9)等とも明らかに整合している場合は例外的に記しています。

それでは紹介です。

30 新設/村制 愛知郡猪子石村 愛知郡 猪子石村, 藤森村, 猪子石原村
35 新設/村制 愛知郡鍋屋上野村 愛知郡 千種村の一部, 鍋屋上野村
43 新設/村制 愛知郡豊明村 愛知郡 沓掛新田, 大沢村, 東阿野村, 栄村
199 新設/村制 西春日井郡金城村 西春日井郡 東志賀村, 西志賀村, 田幡村, 児玉村, 北押切村, 上名古屋村の一部
211 新設/村制 西春日井郡杉村 西春日井郡 杉村, 上名古屋村の一部
330 新設/村制 知多郡名和村 知多郡 名和村, 愛知郡 南柴田新田
608 新設/村制 宝飯郡前芝村 宝飯郡 日色野村, 前芝村, 梅藪村
52 新設/村制 渥美郡吉田方村 渥美郡 東豊田村, 西豊田村, 青野村
632 新設/村制 北設楽郡武節村 北設楽郡 武節町村, 川手村, 桑原村, 御所貝津村, 黒田村, 小田木村, 富永村

30 「郡変更」/新設/村制 愛知郡猪子石村 愛知郡 猪子石村, 藤森村, 「東春日井郡」 猪子石原村
35 「郡変更」/新設/村制 愛知郡鍋屋上野村 愛知郡 千種村の一部, 「西春日井郡」 鍋屋上野村
43 「郡変更」新設/村制 愛知郡豊明村 愛知郡 沓掛新田, 大沢村, 「知多郡」 東阿野村, 栄村
199 「郡変更」/新設/村制 西春日井郡金城村 西春日井郡 東志賀村, 西志賀村, 田幡村, 児玉村, 「愛知郡」 北押切村, 上名古屋村の一部
211 「郡変更」/新設/村制 西春日井郡杉村 西春日井郡 杉村, 「愛知郡」 上名古屋村の一部
330 「郡変更」/新設/村制 知多郡名和村 知多郡 名和村, 愛知郡 南柴田新田
608 「郡変更」/新設/村制 宝飯郡前芝村 宝飯郡 日色野村, 前芝村, 梅藪村, 「渥美郡 青野村の一部」
52 新設/村制 渥美郡吉田方村 渥美郡 東豊田村, 西豊田村, 青野村「の一部」
632 「郡変更」/新設/村制 北設楽郡武節村 北設楽郡 武節町村, 川手村, 桑原村, 御所貝津村, 黒田村, 小田木村, 「東加茂郡」 富永村
ではないでしょうか。
参考:県令第46号(M22.9.24)、市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)30コマ

75 新設/町制 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋船町, (中略), 豊橋吉屋町, 「豊橋宮下町」, 「豊橋川毛町」, 「豊橋八幡町」, 「豊橋袋町」, 「豊橋土手町」, 「豊橋東町」

75 新設/町制 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋船町, (中略), 豊橋吉屋町
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)
#余談ですが豊橋宮下町, 豊橋川毛町, 豊橋八幡町, 豊橋袋町, 豊橋土手町, 豊橋東町は愛知県布達甲第63号(M19.7.19)で豊橋八町の一部となっています。

95 新設/村制 海西郡両国村 海西郡 富島新田, 富島付新田, 富崎新田, 加稲新田, 加稲山新田, 加稲九郎治新田, 三好新田, 稲荷崎付新田, 稲荷崎新田, 加稲付新田, 境新田, 狐地新田, 稲吉新田, 稲狐新田, 三稲新田, 三稲外繰出新田, 「大谷新田」

95 新設/村制 海西郡両国村 海西郡 富島新田, 富島付新田, 富崎新田, 加稲新田, 加稲山新田, 加稲九郎治新田, 三好新田, 稲荷崎付新田, 稲荷崎新田, 加稲付新田, 境新田, 狐地新田, 稲吉新田, 稲狐新田, 三稲新田, 三稲外繰出新田
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

100 新設/村制 海東郡越治村 海東郡 椿市村, 下切村, 越津村, 百島村, 牛田村, 宇治村の一部
は#126との関係上
100 新設/村制 海東郡越治村 海東郡 椿市村, 下切村「の一部」, 越津村, 百島村, 牛田村, 宇治村の一部
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

119 新設/村制 海東郡赤星村 海東郡 千音寺村, 新家村, 「松下村」, 正治村

119 新設/村制 海東郡赤星村 海東郡 千音寺村, 新家村, 正治村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)
#これは後述#151の福島新田or天白の事例と同じです。

123 村制 海東郡大井村 海東郡 大井村

123 村制 海東郡大井村 海東郡 「犬」井村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

126 新設/町制 海東郡津島町 海東郡 津島「町」, 向島村, 中地村, 諸桑村の一部, 宇治村の一部, 中一色村の一部, 下切村の一部

126 新設/町制 海東郡津島町 海東郡 津島「村」, 向島村, 中地村, 諸桑村の一部, 宇治村の一部, 中一色村の一部, 下切村の一部
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

143 新設/村制 額田郡河合村 額田郡 才「熊」村, 須淵村, 岩戸村, 生平村, 茅原沢村, 蓬生村, 古部村, 切越村, 秦梨村

143 新設/村制 額田郡河合村 額田郡 才「栗」村, 須淵村, 岩戸村, 生平村, 茅原沢村, 蓬生村, 古部村, 切越村, 秦梨村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)

151 新設/村制 額田郡三島村 額田郡 上六名村, 六名村, 明大寺村, 「天白」, 「久后」崎村

151 新設/村制 額田郡三島村 額田郡 上六名村, 六名村, 明大寺村, 「福島新田」, 久「後」崎村
ではないでしょうか。
(A)天白ではなくて福島新田とすべき事由
以前「天白」の件について議論がされており、そこでも根拠である県令第47号(M22.9.24)
三島村(上六名) 上六名村 六名村 明大寺村 天白(福島新田) 久后崎村
が示されています。
多くの府県の市制町村制施行時の場合では、廃置分合の県令と、廃置分合の後に旧村を大字として残すという県令を区別しています。しかし愛知県のこの県令第47号の場合、廃置分合と、廃置分合の後に旧村を大字として残すということを一つの県令でまとめて記載しています。このために三島村となった後に、旧・福島新田の区域を天白という大字に変えると読むところを、他府県の時と同じ感覚で読んで誤って解釈しているものと思われます。何より私のように
151 新設/村制 額田郡三島村 額田郡 上六名村, 六名村, 明大寺村, 「福島新田」, 久后崎村
であると解さないと市区町村変遷情報では
43 新設/村制 愛知郡豊明村 愛知郡 沓掛新田, 大沢村, 東阿野村, 栄村
と記載されている愛知郡豊明村のところでの
豊明村(前後) 沓掛新田 前後(大澤村ノ内改称) 間米(同上) 東阿野村 栄村
との記載が意味不明となってしまいます。

(B)久后崎村ではなくて久後崎村と書くほうが適切である事由
さきほどの県令では久后崎村と書かれていますが、久後崎村と書くほうが適切であるものと私は考えます。
その理由の一つ目はA3.漢字の近現代史にあるように「后」と「後」は異体字であり、「坂」と「阪」同様に当時は区別されていないと考えられることです。当時の公文書、例えば広島県の県令甲第4号(M19.8.10)でも
(前略)
第一条 県令は郡区役所到達日数の「后」七日を以て施行の期限とす其到達日数左の如し
(後略)
と、現在の感覚では「後」と書くのが適当であるところを「后」と表記しています。
そしてもう一つの理由として、久後崎村とは、M11.12.28に国崎町(岡崎の城下の1町)と久後村が合併し、その合成地名として久後崎村となったものであることです。久後村は上記(7)~(9)のいずれでも久後村と記載されていて文字の揺らぎはありません。
後に発行された三河国額田郡誌(編:額田郡教育会、出版:額田郡、T13.3.20)においても、37コマにM11.12.28に国崎町と久後村が合併して久後崎村が成立し、38コマに三島村を構成する村は久後崎村であると表記されています。

201 新設/村制 西春日井郡熊之庄村 西春日井郡 熊「ノ」庄村, 薬師寺村

201 新設/村制 西春日井郡熊之庄村 西春日井郡 熊「之」庄村, 薬師寺村
ではないでしょうか。
参考:県令第47号(M22.9.24)
また、(7)(8)(9)のいずれでも熊「之」庄村となっています。

次稿へ続く。
[72817] 2009年 11月 11日(水)18:31:05むっくん さん
Re:あなたは確信派? 積極派?
[72811]油天神山さん
私も興味深く読ませていただきました。ただ、二点訂正させてください。

むっくん 100 34 3.40
とありますが、正しくは

むっくん 100 35 3.50

です。また、これに伴い最初の3回を除いた
むっくん 75 15 2.00
も正しくは

むっくん 75 16 2.13

となります。
私の手持ちのデータと比較してみますと、どうやら第二十一回(問八)で既出の米子市([68136])を答えたことがグリグリさんの採点から抜けていたようでして。。。
[72782] 2009年 11月 7日(土)16:52:46【1】むっくん さん
第二十四回十番勝負感想
十番勝負の感想を書かせて頂きます。順番は解答順です。

問七:中核市に指定された市(過去の指定も含む)
どこもそこそこの規模の市だなと見ていて、大津市([72324])で共通項に気付きました。高知市で解答。

問八:東○○駅がある市(○○は市名)
岸和田市([72317])、萩市(問題)で、もしかしたらと思い、既出解やお題の市を見て共通項に気付きました。
とりあえず思いついた向日市で解答。

問四:読みの最後の文字を取ると別の市になる市
第二ヒントで分かり、山県市を解答。

問一:市役所の住所が1-1-1
第二ヒントで分かり、五條市を解答。
[72552]拙稿で70市ではないかと書いたのですが、浦添市を数え落としていました。ちなみに[72552]拙稿で書いた某市とは伊万里市。

問十:幕末10万石以上の藩があった市(十万石格は除く)
どんどん解答が出てくるのは総て城下町。高島市が×なのは、城がないからかと思うもそれだと明石市が該当しない市として挙げられているのが良く分からない。第二ヒント解答[72579]で初めておおよその共通項が分かりました。
小学生の時に覚えた石高の上位の藩より、尾張62万石の名古屋市をとりあえず解答しました。この[72601]が私の携帯からの初書込み。

問九:「く」ではじまる市に隣接する市(架橋隣接も含む)
第一ヒント解答の「大野市はぐだから」が何のことやらさっぱり。大野市は「ぐ」だから、だったのですね。第二ヒント解答[72579]が出て初めて共通項に気付きました。そこで都城市を解答。この手の問題は本当に携帯で調べるのが大変。

問五:市の花に菊(○○菊も含む)を制定している市
現在進行中のことだと思っていたのでヒントが出て初めて考え始めた問題。しかし第一ヒントでは何のことやらさっぱり。第二ヒントの解答[72579]で初めて共通項に気付き、関市を解答。

問六:市制施行または新設合併後、6回以上編入合併した市
第一ヒント解答の高岡市はリセットから合併がらみとは分かりましたが、線引きが?。第二ヒントも[72780]okiさん同様「九州も管内」と解いてしまい、さらに混乱してしまいました。第三ヒントでやっと分かり、やむなく県庁所在地の盛岡市を解答。

問二:女子大学(四年制)のキャンパスがある市
この共通項は問三で一度考えたものだったのですが、第三ヒントを見て問二だったのか、とがっくり。大阪市を解答。

問三:「農業高等学校」がある市
第三ヒントを「巨泉Winkも」と解いてしまい、第一ヒント解答「玖珠町も該当」及び第二ヒント解答「帰農傾向」と、大橋巨泉&Winkが何の関係があるのだろうと、真剣に考えてしまうということもやってしまいました(爆)。
第三ヒントの解答「専門教育」が出たことにより長浜市と解答出来ましたが、よく考えればグリグリさんが「巨泉Winkも」「巨泉もウインク」なるヒントを出すはずもありません。


今回も前回同様何とか全問答えることができましたが、ヒント頼みからの脱却は難しいようで。。。
グリグリさん、今回も有難うございました。
[72673] 2009年 11月 1日(日)10:32:01むっくん さん
十番勝負
問三:長浜市
[72635] 2009年 10月 31日(土)14:56:00むっくん さん
十番勝負
問二:大阪市
[72621] 2009年 10月 31日(土)11:29:05むっくん さん
十番勝負
問六:盛岡市
[72619] 2009年 10月 31日(土)11:12:53むっくん さん
十番勝負
問五:関市
[72616] 2009年 10月 31日(土)10:46:07むっくん さん
十番勝負
問九:都城市
[72601] 2009年 10月 30日(金)23:55:01むっくん さん
十番勝負
問十:名古屋市
[72552] 2009年 10月 29日(木)18:33:31むっくん さん
十番勝負
問一:五條市

想定解数を71市とされていますが、正しくは70市なのではないでしょうか。某市を答えようとして気付きました。
とあるHPでは71市となっているんですけれどね。
[72547] 2009年 10月 29日(木)15:21:40むっくん さん
十番勝負
問四:山県市
[72363] 2009年 10月 23日(金)15:54:09むっくん さん
十番勝負
問八:向日市
[72361] 2009年 10月 23日(金)10:43:28むっくん さん
十番勝負
問七:高知市
[72214] 2009年 10月 19日(月)12:57:34【1】むっくん さん
旧市制第六十条による区
[72205]hmtさん
市制町村制(明治21年法律第1号)市制第六十条第一項
凡市は処務便宜の為め市参事会の意見を以て之を数区に分ち毎区区長及其代理者各1名を置くことを得 区長及其代理者は名誉職とす(以下略)
により区を設置したところとしては、名古屋市以外では金沢市や仙台市も挙げられます。


例えば金沢市の場合は、石川縣史第四巻(著・出版、石川県、S6.3.31)の147頁に
金澤市は明治二十二年七月九日行政の便宜上、全市を十三區に分ちしが、その時の制は即ち左の如し
(以下略)
と記載されています。また時代が下った明治26~27年では、金沢市街統計表(著・出版、金沢市、M27.8.11)によると、金沢市の区の数は7に減少しています。

仙台市でも大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)を見ると、市内の各町が50の区に分けられているのが確認できます。
[72190] 2009年 10月 15日(木)16:20:52【1】むっくん さん
百夜月
[72189]hmtさん

重箱の隅をつつくようですが、
KK53 大和紀伊 M32 瀞峡【旧熊野川町百夜月】
での【旧熊野川町百夜月】は【旧紀和町百夜月】(もしくは【旧熊野川町九重】)の誤りでは無いでしょうか。

天保国絵図・紀伊国の牟婁郡の所では、九重村,九重村之内・花井村,花井村之内・百夜月村との記載があります。

廃藩置県の後、明治4年11月の度会県の成立時に、北山川左岸の花井村の部分(ただし花井村でも小名・西の峯は右岸のため九重村所属となり、九重村でも小名・百夜月は左岸のため花井村所属となった)が度会県所属の花井村として独立したとあります。
(参考:『日本歴史地名大系 三重県の地名』『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(平凡社))

その後、花井村は明治の大合併で上川村の一部となり、昭和の大合併で紀和町の一部となり、現在は熊野市の一部となっています。


熊野の説話によりますと、百夜月は
現在でも対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重(くじゅう)から渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落
とのことなので、対岸の旧熊野川町九重にバス停の百夜月(マピオンシンプル地図)があるのでしょうね。


#【1】[72196]hmtさんの御指摘により石夜河村を百夜月村へと訂正
[72104] 2009年 10月 1日(木)12:59:51むっくん さん
名古屋市の区設置の根拠
かつて[63657]拙稿、[63761][65266]88さんにて、名古屋市の区設置の法的根拠について少々議論がありました。[65266]では88さんが
明治41年の名古屋市告示を確認できれば、もう少し詳細がわかると思うのですが
と書かれておられます。

さて、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに先ほど追加されました名古屋市例規類集(著・出版:名古屋市役所,T2.4.30)に名古屋市告示第18号(M41.3.12)が記載されていましたので紹介します。
市制第六十条に依り事務処弁の為め其筋の許可を得たるを以て明治四十一年四月一日より本市を四区に分け各区に区役所を置く其区の名称位置及区域左の如し
(略)

ということで、名古屋市の区設置の根拠は市制町村制(明治21年法律第1号)の市制第六十条となるようです。

参考までに市制町村制(明治21年法律第1号)より市制第六十条を引用しておきます。
第六十条 凡市は処務便宜の為め市参事会の意見を以て之を数区に分け毎区長及其代理者各一名を置くことを得(略)
2(略)
3(略)
[71982] 2009年 9月 17日(木)18:12:00むっくん さん
おいでん
[71981]inakanomozartさん
「じゃん、だら、りん」は、静岡よりも三河弁の特長を指しているのではないでしょうか?
三河地方での方言「じゃん、だら、りん」。
例えば「りん」は「見りん」などと使うわけですが、ただ一つ例外が。「来りん」とは言わず「おいでん」と使います。何故かはよくは知りませんが。
[71865] 2009年 9月 4日(金)22:53:10むっくん さん
ラーメン屋の隣接
[71860]みかちゅうさん
ラーメン屋の隣接もあるかもしれません。
コンビニの隣接の事例は知りませんが、ラーメン屋の隣接ならば京都市左京区のラーメン激戦区『一乗寺』のここにあります。
東側の角が『天天有』でその西隣が『ラーメン荘 夢を語れ』です。
[71817] 2009年 8月 29日(土)22:18:16むっくん さん
Googleマップ
ITmediaニュースによりますと、Googleマップの海外地名がカタカナ表記されることになったとのこと。

Googleマップを利用するにあたり、語学に疎い私にとっては朗報となりそうです。
[71726] 2009年 8月 19日(水)17:49:22むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)佐賀県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)佐賀県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)佐賀県統計書明治22-23年度(著:佐賀県内務部第一課、出版:佐賀県、M26.5.19)
#明治22年調べ。おそらく市制町村制施行時の廃置分合そのままであると考えられる。
(2)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12(香川・愛媛県の部分はM23.6))
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(3)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(4)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。

(1)から(4)は総てにおいて参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(1)のみを記載しました。

それでは本論です。

9 新設/村制 杵島郡山口村 杵島郡 山口村の一部, 八町村

9 新設/村制 杵島郡山口村 杵島郡 山口村の一部, 八「丁」村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)23コマ22コマの小城郡南多久村で、杵島郡山口村の一部の記載があるので、山口村の一部との記載で間違いは無いです。

18 新設/村制 杵島郡東川登村 杵島郡 永野村, 内田村, 袴野村

18 新設/村制 杵島郡東川登村 杵島郡 永野村, 袴野村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では永野村, 袴野村となっています。
ただし佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)では永埜村, 袴埜村となっていますが。。。

35 新設/村制 佐賀郡春日村 佐賀郡 尼寺村, 北村, 久池井村

35 新設/村制 佐賀郡春日村 佐賀郡 尼寺村, 久池井村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

37 新設/村制 佐賀郡松梅村 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 鹿路村の一部

37 新設/村制 佐賀郡松梅村 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 「神埼郡」 鹿路「山」の一部
ではないでしょうか。
佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)では「神埼村 鹿路山の内字名尾」となっていますが、これはおそらく「神埼郡 鹿路山の内字名尾」と書くべきところの誤りでしょう。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 神埼郡 鹿路「山」の一部となっています。

46 新設/村制 佐賀郡東与賀村 佐賀郡 下古賀村, 「立野村」, 「実久村」, 飯盛村, 田中村

46 新設/村制 佐賀郡東与賀村 佐賀郡 下古賀村, 飯盛村, 田中村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

71 新設/村制 神埼郡三瀬村 神埼郡 三瀬村, 藤原村, 杠村

71 新設/村制 神埼郡三瀬村 神埼郡 三瀬「山」, 藤原「山」, 杠「山」
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

77 新設/村制 神埼郡脊振村 神埼郡 広滝村, 腹巻村, 鹿路村の一部

77 新設/村制 神埼郡脊振村 神埼郡 広滝「山」, 腹巻「山」, 鹿路「山」の一部
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)21コマ
#上述の#37との関係上、鹿路「山」の一部との記載となります。

100 新設/村制 東松浦郡厳木村 東松浦郡 厳木村, 広瀬村, 浦川内村, 中島村, 牧瀬村, 瀬戸木場村, 波瀬村, 笂木村, 岩屋村, 本山村, 天川村, 広川村, 鳥越村, 平之村, 星領村の一部

100 新設/村制 東松浦郡厳木村 東松浦郡 厳木村, 広瀬村, 浦川内村, 中島村, 牧瀬村, 瀬戸木場村, 波瀬村, 「箞」木村, 岩屋村, 本山村, 天川村, 広川村, 鳥越村, 平之村, 星領村の一部
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)22コマ
読みはうつぼ木で、当地には箞木小学校があります。
#112東松浦郡浜崎村で星領村の一部との記載がある関係上、#100東松浦郡厳木村においても星領村の一部との記載のままとなります(22コマ)。

101 新設/村制 東松浦郡呼子村 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 加部島, 小川島

101 新設/村制 東松浦郡呼子村 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 「殿ノ浦」, 加部島, 小川島
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

103 新設/村制 東松浦郡七山村 東松浦郡 滝川村, 木浦村, 仁部村, 荒川村, 馬川村, 池原村, 藤川村, 城木村

103 新設/村制 東松浦郡七山村 東松浦郡 滝川村, 木浦村, 仁部村, 荒川村, 馬川村, 池原村, 藤川村, 「白」木村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

133 新設/村制 養父郡轟木村 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 「今泉村」, 「高田村」, 鳥栖村

133 新設/村制 養父郡轟木村 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)
[71725] 2009年 8月 19日(水)17:48:13【1】むっくん さん
市区町村変遷情報・長崎県
>88さん
市区町村変遷情報(長崎県)に誤りと思えるところがありましたので報告します。

○市制町村制施行時
1 新設/市制 長崎市 長崎区, 長崎区 上筑後町, (中略), 古河町

1 編入/新設/市制 長崎市 長崎区, 長崎区 上筑後町, (中略), 古河町, 西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部
ではないのでしょうか。長崎県令第18号(M22.3.5)で上長崎村の一部と下長崎村の一部がM22.4.1に長崎区に編入された上で市制が施行されているため、編入/新設/市制という種別にしましたが、これで適切であるかは分かりませんが・・・。
これに伴い、
12 村制 西彼杵郡下長崎村 西彼杵郡 下長崎村
30 村制 西彼杵郡上長崎村 西彼杵郡 上長崎村

12 村制 西彼杵郡下長崎村 西彼杵郡 下長崎村の一部
30 村制 西彼杵郡上長崎村 西彼杵郡 上長崎村の一部
へと変更することになります。

31 新設/村制 西彼杵郡深堀村 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村

31 新設/村制 西彼杵郡深堀村 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
ではないでしょうか。
参考:長崎県令第19号(M22.3.5)

116 新設/村制 南松浦郡魚目村 南松浦郡 北魚目村, 曽根村

116 新設/村制 南松浦郡北魚目村 南松浦郡 北魚目村, 曽根村
ではないでしょうか。
参考:長崎県令第19号(M22.3.5)


--------------
○市制町村制施行時以外
4 1898.10.01 編入 長崎市 長崎市, 西彼杵郡 下長崎村, 戸町村, 上長崎村の一部, 淵村の一部
5 1898.10.01 編入 西彼杵郡浦上山里村 西彼杵郡 浦上山里村, 淵村の一部
2 1898.07.01 分立 西彼杵郡小榊村 西彼杵郡 淵村の一部

4 1898.10.01 編入 長崎市 長崎市, 西彼杵郡 下長崎村, 戸町村, 淵村の一部
5 1898.10.01 編入 西彼杵郡浦上山里村 西彼杵郡 浦上山里村, 淵村の一部
2 1898.10.01 改称 西彼杵郡小榊村 西彼杵郡 淵村
ではないでしょうか。
参考:県告示第129号(M31.7.22)
#長崎市に編入された上長崎村の一部は藩政村単位ではないものと考えられます。
[71724] 2009年 8月 19日(水)17:47:00【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)熊本県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)熊本県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前に資料の紹介です。

(1)熊本県令第9号(M22.3.4)(現行熊本県令達類纂上巻明治26年7月刊(編著:熊本県知事官房、出版:熊本県、M26.11.18)に記載)
#市制町村制施行時の郡変更を記載。
(2)熊本県令第10号(M22.3.4)(現行熊本県令達類纂上巻明治26年7月刊(編著:熊本県知事官房、出版:熊本県、M26.11.18)に記載)
#明治22年4月1日に行われた町村分合の根拠。
(3)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(5)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(7)熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)
#明治12年現在の町村名を記載。


(1)から(5)は総てにおいて参照し、(6)(7)は適宜参照しました。

以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(2)のみを記載しました。
なお、「陳」と「陣」の違い、「坂」と「阪」の違いという表記の揺らぎの類は原則として省きました。ただし明治22年当時の資料が一致しているものや(6)(7)でも一致しているものは例外的に記載しました。

それでは紹介です。

28 村制 葦北郡吉尾村 葦北郡 吉尾村

28 新設/村制 葦北郡吉尾村 葦北郡 大岩村, 黒岩村, 上原村, 海路村, 吉尾村, 箙瀬村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

38 村制 葦北郡百済来村 葦北郡 百済来村

38 新設/村制 葦北郡百済来村 葦北郡 小川内村, 久多良木村, 田上村, 鶴喰村, 川岳村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

60 新設/町制 下益城郡小川町 下益城郡 小川町, 西小川村, 南小川村, 東小川村

60 新設/町制 下益城郡小川町 下益城郡 小川町, 西「北」小川村, 南小川村, 東小川村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

71 新設/村制 下益城郡豊田村 下益城郡 塚原村, 鰐瀬村, 沈目村, 陣内村, 藤山村, 阿高村

71 新設/村制 下益城郡豊田村 下益城郡 塚原村, 鰐瀬村, 沈目村, 「東阿高村」, 陣内村, 藤山村, 阿高村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

72 新設/村制 下益城郡豊福村 下益城郡 豊福村, 内田村, 「中間村」, 「西仲間村」, 竹崎村, 西下郷村

72 新設/村制 下益城郡豊福村 下益城郡 豊福村, 内田村, 「両仲間村」, 竹崎村, 西下郷村
ではないでしょうか。
まず、熊本県令第10号(M22.3.4)では「中間村」, 「西仲間村」ではなくて「西仲間村」のみとなっています。
しかし新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では「中間村」, 「西仲間村」ではなくて「両仲間村」のみとなっています。
さてどちらが正しいかですが、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では「両仲間村」、「中間村」の両方がありますが、「中間村」は一つしかなく、これは#73豊野村の一部となった「中間村」ではないかと推測できます。
以上より「中間村」, 「西仲間村」ではなくて、私は「両仲間村」であると推測するのですがいかがでしょうか。

84 新設/村制 菊池郡迫間村 菊池郡 豊間村, 西迫間村, 市野瀬村, 重味村

84 新設/村制 菊池郡迫間村 菊池郡 豊間村, 西迫間村, 市野瀬村, 「大平村」, 重味村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

138 新設/村制 玉名郡大野村 玉名郡 中土村, 下前原村, 中土村, 大野下村

138 新設/村制 玉名郡大野村 玉名郡 「野口」村, 下前原村, 中土村, 大野下村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

145 新設/村制 玉名郡八嘉村 玉名郡 寺田村, 大倉村, 向津留村, 中阪門田村, 南阪門田村, 北阪門田村, 青野村, 田崎村

145 新設/村制 玉名郡八嘉村 玉名郡 寺田村, 大倉村, 向津留村, 中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村, 青野村, 田崎村
ではないでしょうか。
まず熊本県令第10号(M22.3.4)では、現在記載されているように中阪門田村, 南阪門田村, 北阪門田村となっています。
しかし、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっています。
過去に遡りますと、旧高旧領取調帳データベースでも中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっており、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)では中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村であり、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっています。
現在、玉名市中坂門田、玉名市南坂門田、玉名市北坂門田です。

これは以前88さんが[56275][66349]で書かれたことと関連するのですが、単なる表記の揺らぎの一つではないでしょうか。
「坂」という文字は「首が転げ落ちて(刎ねられ)土にかえる」という不吉な意味合いを持つため武家階級では嫌われ、全国至るところで「坂」の代わりに「阪」という文字が積極的に使用されました。期間としては幕末から昭和初期にかけてで、そのピークは明治10年代後半から明治20年代前半にかけてです。
ここ熊本県玉名郡八嘉村もその一例に過ぎないのではないでしょうか。
私は中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村とした方が良いと考えますがいかがでしょうか。

169 新設/村制 合志郡北合志村 合志郡 新明村, 井坂村, 小原村, 麓村

169 新設/村制 合志郡北合志村 合志郡 新明村, 「伊」坂村, 小原村, 麓村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)
また、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)より明治12年現在や、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「伊」坂村となっています。

178 新設/村制 山鹿郡千田村 山鹿郡 千田村, 持松村

178 新設/村制 山鹿郡千田村 山鹿郡 千田村, 持松村, 広村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

189 新設/村制 山本郡吉松村 山本郡 豊田村, 大井村, 今藤村, 平井村, 船島村, 伊知坊村

189 新設/村制 山本郡吉松村 山本郡 豊田村, 大井村, 「亀甲村」, 今藤村, 平井村, 船島村, 伊知坊村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

190 新設/村制 山本郡桜井村 山本郡 舞尾村, 滴水村, 「下滴水村」, 平野村, 荻迫村, 投刀塚村, 鐙田村

190 新設/村制 山本郡桜井村 山本郡 舞尾村, 滴水村, 平野村, 荻迫村, 投刀塚村, 鐙田村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

220 新設/村制 上益城郡白糸村 上益城郡 白石村, 津留村, 目丸村, 菅村, 新小村, 犬飼村, 長原村, 田吉村

220 新設/村制 上益城郡白糸村 上益城郡 白「藤」村, 津留村, 目丸村, 菅村, 新小村, 犬飼村, 長原村, 田吉村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

234 新設/村制 託麻郡元三村 託麻郡 元三村, 飽田郡 野田村

234 郡変更/新設/村制 託麻郡元三村 託麻郡 元三村, 飽田郡 野田村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第9号(M22.3.4)、熊本県令第10号(M22.3.4)

237 新設/村制 託麻郡春竹村 託麻郡 春竹村, 八王子村

237 新設/村制 託麻郡春竹村 託麻郡 春竹村, 八王「寺」村
ではないでしょうか。
熊本県令第10号(M22.3.4)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では八王「寺」村となっています。
また、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)より明治12年現在や、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも八王「寺」村となっています。現在は熊本市八王寺町です。
後に出版された大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)や大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では八王子村となっていますが。。。。


(おまけ)
#66 中郡村のところにあるスペースを削除した方が見映えが良くなるのではないでしょうか。
[71644] 2009年 8月 13日(木)00:06:56【5】むっくん さん
問十について
問十の合併特例法についてですが、稲沢市の合併協議会HPで上手くまとめられています。

合併特例法第6条第1項、同条第2項、第7条第1項のいずれかに該当するか否かが鍵となります。

ややこしいところは
合併後、最初の一般選挙においても、関係市町村の協議により合併特例法の定数特例(編入合併特例定数)によることができる
というところでしょうか。
飽くまでも「できる」ということに過ぎませんから、合併後の最初の選挙において合併特例法第6条もしくは第7条に該当しなくなることもあります。該当しなくなった市については当然のことながら本問の答の候補からは外れます。

とりあえずご参考まで。
[71623] 2009年 8月 12日(水)00:47:08【3】むっくん さん
第二十三回十番勝負感想
十番勝負の感想を書かせて頂きます。順番は問題順です。

問一:複数の衆議院小選挙区がある市
衆議院解散記念?とあったので衆議院関連のものをIssieさんHPで探したら問一が見事ビンゴでした。未答県の徳島県より美馬市を解答。

問二:JRの鉄道路線名と同名の市(○○線・○○本線)
金メダルの中央市で迷宮に入り込んでしまいました。アナグラム第二ヒントが出て気付く始末。それにしても不覚の一言に尽きます。時刻表を見て最初に目に入った高山線から高山市を解答。

問三:第91回全国高校野球選手権大会出場校の所在市
これは、保留が続出したことから何気なく高校野球かもと思い調べたらビンゴでした。その数日後のことですが、たまたま仮眠後にテレビ(KBS京都)で高校野球の京都府地区大会を見たところ、9回裏に2点を入れ逆転勝ちした龍谷大学付属平安高校の監督インタビューをやっていました。そこであわててPCを立ち上げ、京都市を答えたのでした。朝日新聞や京都新聞のサイト上に京都府の代表校が掲載される数分前のことでした。
この行動が[71136]U-4さんでの一言につながったのだと思われますが。。。

問四:同音異字の都道府県市区町村郡がある市
アナグラム第一ヒントで分かりましたが、未答県(高知県)の市を答えようとするあまり確認を怠って四万十市と先走った解答をしてしまいました。数をしっかり数えないといけないですね。
再度の解答で同じ高知県の市である香南市を解答。

問五:平成の大合併以降、人口が5万人以上増加した市
(同一市名の単純比較:2000年国勢調査人口と2008年10月1日推計人口比較)
2000年国勢調査人口と2005年国勢調査人口の単純比較だと思っていました。なるほど、この共通項だからこそ、誰も鳥取市を答えないわけですね。鳥取市の誤答後、鹿児島市を解答したときには共通項に気付いていませんでした。
問題の市を答えたり既出の市を答えたりはするまい、と考えていましたが、今回も本問で問題の市の横浜市を答えてしまいました。がくっ。

問六:スイカの収穫がある市(農水省H18年出荷統計による)
スイカかもとは思いはしましたが、アナグラム第二ヒントが出るまでは確信出来ませんでした。黒部スイカというスイカがあるので、黒部市と答えて×。
では出荷量かと思いましたが、どうやって調べたらいいのか分かりません。愛知県で数市が正解となっていたので、愛知県で一番の産地であろうと思われる田原市を答えました。共通項が出て初めて線引きが分かり、田原市は愛知県で一番の産地であることも分かりました。

問七:47都道府県の人口密度に各々一番近い市
脱帽の一言につきます。同種の問題で視点を変えるというグリグリさん好みの問題ですね。
第三ヒント直後にたつの市と解答して○となりましたが、誤答の名古屋市は何故選択したのか今では思い出せません。

問八:夜景100選がある市
第二ヒントの「火薬」から花火が頭から離れず、なかなか共通項にたどり着きませんでした。アナグラム第三ヒントが出てようやく気付き、越前市を解答。

問九:複数の村に隣接する市
共通項に気付いたのは実那川蒼さんの伊賀市[71193]にて。この答がなければもう少し苦しんだかもしれません。八代市を解答。

問十:市議会議員定数に合併特例法が適用されている市
かつて、合併協議会のHPよりこれ関連を少々調べたことがあります。
しかし合併協議会のHP及び市の例規集のみを情報源とすると、例えばむつ市の場合、選挙区が地方自治法第91条5項の規定によるのか、市町村の合併の特例に関する法律第7条4項5項の規定によるのかが分かりません。前者ですと市議会議員選挙は地方自治法に基づいて行われるのに対して、後者では市議会議員選挙は市町村の合併の特例に関する法律に基づいて行われることになります。

今回の問十では本問の共通項を一瞥して思いつきはしたものも、確かどちらか(地方自治法or市町村の合併の特例に関する法律)を調査する手段がない市(e.g.むつ市)もあったよな、選挙関連のことが問一でも問題となっているから違うかもと少々迷います。そして稲沢市が翌日の一回目の採点[71004]で○とされたということが決め手となりやはり違う共通項を思いついたものと判断しました。

第四ヒント「市議」が出て、稲沢市が○ではなくなった([71467])ことと相まってようやく当初の共通項で良かったのだと気付きました。
答えるにあたっては、市区町村変遷情報から近時の合併を抽出し、その中よりさらにザ・選挙で市町村の合併の特例に関する法律にからみそうなもの(地方自治法第91条1項の条例による定数を越える市、地方自治法第91条2項の法定数を越える市、若しくは増員選挙を行っている市、若しくは全市一区でなく選挙区ごとに分かれている市)を抽出しました。後の二つは特別法である市町村の合併の特例に関する法律に関わらない可能性があるため、答には安全策として、地方自治法第91条2項の法定数より多い一関市を選びました。

この問題は、全国市議会議長会のHPに行き着かないと答えられません。あと、想定解数は40市ではなくて39市ではないでしょうか。>[71608]グリグリさん。


今回も前回同様何とか全問答えることができました。有難うございました。
[71511] 2009年 8月 8日(土)06:51:56むっくん さん
十番勝負
問七:たつの市
[71509] 2009年 8月 8日(土)06:09:46むっくん さん
十番勝負
問七:名古屋市
[71502] 2009年 8月 8日(土)00:04:07むっくん さん
十番勝負
問十:一関市
[71478] 2009年 8月 7日(金)13:43:08むっくん さん
大島支庁
でるでるさんへ

市区町村変遷情報・東京都
170 1992.04.01 改称 大島支庁新島村 大島支庁 新島本村

170 1992.04.01 改称 新島村 新島本村
と大島支庁を省いた方が良いのではないでしょうか。
大島支庁とはもともとは勅令第94号(M33.3.31)でM33.4.1に設置された大島島庁に由来するもので、勅令第217号(T15.6.24)でT15.7.1より大島島庁は大島支庁となりました。

同様の来歴を持つものとして、島根県隠岐の隠岐支庁、長崎県対馬の対馬支庁(2005年より対馬地方局)、鹿児島県大島郡の大島支庁などがあります。例えば市区町村変遷情報・鹿児島県で、鹿児島県大島郡での廃置分合の記載を見てみますと
216 2006.03.20 新設 奄美市 名瀬市, 大島郡 住用村, 笠利町
と記載されており、「大島支庁」との記載はありません。
[71471] 2009年 8月 7日(金)12:09:43むっくん さん
十番勝負
問六:田原市
[71469] 2009年 8月 7日(金)11:31:36むっくん さん
十番勝負
問五:鹿児島市
[71452] 2009年 8月 7日(金)00:06:07むっくん さん
十番勝負
問五(再答):鳥取市

再答理由:問題を答えたため
[71446] 2009年 8月 6日(木)23:35:05むっくん さん
十番勝負
問五:横浜市
[71409] 2009年 8月 5日(水)22:45:24むっくん さん
十番勝負
問八:越前市
[71408] 2009年 8月 5日(水)22:37:51【1】むっくん さん
富来での資料提供
富来についての議論を楽しく拝見しています。
さて、議論の一助となるべく、私からも資料の提供をします。

まず明治期の石川県の町村名については石川県史第四巻(編・出版:石川県、S6.3.31)に記載があります。

牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高田村
の7村が合併して明治22年4月1日に成立した富来村の範囲に限定するならば、

明治5年11月の町村名は、牛下、生神、領家七海、七海(以上、能登国第七区(羽咋郡)一番組の一部)、地頭町、領家町、町本江、高田(以上、能登国第七区(羽咋郡)二番組の一部)です。
明治9年末に実施された区画でも、牛下、生神、領家七海、七海、地頭町、領家町、町本江、高田(以上、いずれも能登国第八大区(羽咋郡)小二区の一部)
明治17年6月の改定町村区画でも、牛下、生神、領家七海、七海、地頭町、領家町、町本江、高田(以上、いずれも羽咋郡地頭町村戸長役場所属の村の一部)
明治20年5月に町本江村は地頭町村に編入

となっています。
また明治5年11月の町村名としているのは、M5.11.17に白山麓18ヶ村が足羽県から石川県能美郡へ編入([68512])されたことを反映させるために便宜上その年月での町村名としたかの記載があります。ということは、おそらく廃藩置県当時の町村名は白山麓18ヶ村がないことを除くと明治5年11月の町村名と一致するものと考えられます。
つまりは明治22年に成立した富来村の範囲において、廃藩置県直後から明治22年3月31日までの変化は町本江村の編入の一点だけであるものと考えられます。

その他の資料では
加賀能登越中市村区分一覧表(編著・出版:小島致将、M10.4.)・・・明治9年末の記載に同じです。
石川県下町村名集(編著・出版:小沢重三郎、M10.6.)・・・明治9年末の記載に同じです。
改正石川県下市村名藪・能登国(編著:桜井外次郎、出版:三友堂、明15.11.)M14.1現在・・・牛下、生神、領家七海、七海、地頭町村、領家町、町本江、高田(町本江村は12コマに記載)で明治9年末の記載に同じです。


次に、近代デジタルライブラリー所蔵書物に羽咋郡誌(編・出版:石川県羽咋郡役所、M42.9.5)という書物があります。今回の議論に関係しそうなところのみをピックアップします。
31コマでは、羽咋郡では太閤検地の後、3郷10荘5保3院が村切りによって231村(及び61垣内)に分けられたこと、そして富木院での村名は、
七海 地頭町 高田 小室 廣地 江添 大西 貝田 田中 和田 今田 八幡 八幡座主 給分 中泉 相坂 里本江 草江 稲敷 大鳥居 栢木 大福寺 酒見 相神 中濱 領家町 外ニ無家町本江 飯室
と記載されています。
32コマでは[71198]okiさん御紹介の「能登名跡志」よりとした上で3郷10荘5保3院が4郷(押水郷、邑知郷、志賀郷、富来郷)に再編されたとあります。そして富来郷の項目では
富来郷は旧の富木院・藤懸郷・熊野方郷・釶打郷・稗造荘を併称す
と記載されています。
35コマでは
富来は富来郷唯一の名邑なり市街は富来川を以て地頭町・領家町の二に分たれ元は二者を合せて富来駅と称へ富来町村といへり
と書かれています。


--------------
余談ですが、私は過去に明治の大合併で成立した町村名の由来を、西日本のいくつかの府県で調べたことがあります。

調べた府県に限定すると、明治の大合併で成立した町村名の由来は、
(A)故事来歴が著しいもの
(B)大村の名をとったもの
(C)古昔の郷名(もしくは庄名)をとったもの
(D)河川名等によるもの
(E)旧村名を参互折衷したもの
(F)郡名をとったもの
(G)社寺名をとったもの
(H)地勢その他によるもの
の8つに大まかに分類できました。

そして(A)(B)(C)(D)もしくはその複合形態が由来の多数を占め、最も多いのが何らかの形で郷名(もしくは庄名)が介在する形態です。つまりは(C)、(B)と(C)の折衷、(C)かつ(D)というものでした。

ではでは、今後の議論を楽しみにしています。


【1】富来周辺→石川県 と修正
[71332] 2009年 8月 3日(月)10:33:41むっくん さん
十番勝負
問九:八代市
[71307] 2009年 8月 2日(日)22:55:58むっくん さん
十番勝負
問六:黒部市
[71298] 2009年 8月 2日(日)22:29:45むっくん さん
十番勝負
問二:高山市
[71294] 2009年 8月 2日(日)18:57:12むっくん さん
十番勝負
私も今度こそ・・・。

問四:香南市
[71265] 2009年 8月 2日(日)09:34:25むっくん さん
十番勝負
問四:四万十市
[71106] 2009年 7月 27日(月)14:32:59むっくん さん
十番勝負
問三:京都市
[70993] 2009年 7月 26日(日)02:46:56むっくん さん
十番勝負
問一:美馬市
[70928] 2009年 7月 24日(金)20:07:07【2】むっくん さん
隣接など
[70909]くるりさん
似た様なケースって平塚市以外にもあるのでしょうかねぇ。
最初に思いついたのは文京区立第七中学校と筑波大学附属中学校。Yahoo!地図だといまいち位置関係が分かりにくいので筑波大学附属中学校HPのアクセスマップも。
思いついたはいいものも、前者が公立で後者が国立なので、反則ですね。

京都市内だと朱雀第二小学校と朱雀第六小学校を思いつきます。
これも[70922]ペーロケさんの挙げられた事例と同様に
JRも跨ぐため点隣接と言うには微妙
ということになるのでしょうね。無論、JRの嵯峨野線(正確には前身の京都鉄道)が建設される明治30年以前ならば点隣接と言い切れたのかもしれませんが。

戦前にまで遡ると、京都市のここで、道路を挟んで小学校同士が隣接していたそうです。西側の現在の錦林小学校の建っているところが男子が通う小学校(錦林小学校)で、東側の現在は錦林小学校の運動場となっているところが女子が通う小学校(第二錦林小学校)であったとか。
戦後にこれら2つの小学校が合併して錦林小学校となりました。
そのため錦林小学校、第三錦林小学校第四錦林小学校はあるのに、第二錦林小学校はないということになったようです。
#正確には第二錦林小学校は戦後の合併以前に現在の近衛中学校の敷地へと移転したため、戦後まで2つの小学校が向かい合っていたわけではありません。


あと別件ですが、もう一件。
[70893]hmt さん
1906年の愛知県海東郡(1913海部郡)南陽村(現・名古屋市港区)[51607]は更に先輩。由来は知りません。
名古屋市港区HPによると
明治39年(1906)、福田村・福屋村・茶屋村の三村を合併するに当たり、尾張部の南端に位置し、伊勢湾に臨み比較的暖かさを感じさせるので、「南の陽(ひなた)」の意で「南陽村」と名付けられた。
とのこと。
[70905] 2009年 7月 21日(火)21:55:11【2】むっくん さん
Re:88さん将来構想&M30(1890).4.1付けの町村合併及び郡廃置
[70814][70815]88さん

岐阜県の修正作業お疲れ様です。
#実は[63716]拙稿での真意は大野郡の美濃国と飛騨国の記載を除くと、今回の修正作業の結果を意図したものでした。

さて本題に。
(1)A→B
(2)A・B
(3)A/B
(4)A:A
まず(3)(4)は88さんが市区町村変遷情報の記載にあたりこだわっておられる点なのですが、見る側としては(4)の、
津久井郡藤野町を相模原市に編入する
津久井郡城山町を相模原市に編入する
を分けることにあまり意義を見出せないので、詳細欄での対応にした方が良いのではないかと思いました。
次に(1)と(2)の分離ですが、今まで(1)と(2)の分離がないことをやや不満に思っていたこともあり歓迎です。

さて、こういうことは実際に試みてみないと問題点はあまり見つかりません。というわけで、大阪府で市制町村制施行以降地方自治法施行以前の分(M23~S22)を試みてみました。

その結果ですが、1928.4.1の泉南郡春木町の成立のみが(1)となり、1942.4.1の泉大津市の成立のみが(2)となり、(3)は多数あり、(4)は一つもありませんでした。
そして1915.11.10の西成郡玉出町の成立は、根拠たる府告示が見つからなかったため(1)であるのか(2)であるのか判りませんでした。

これらの変更にあたり問題となるのは、どれだけ根拠たる法令を入手できるのかということになるのではないでしょうか。特に(1)と(2)の分離をするには必要となります。
地方自治法施行後であるならば88さんの場合は情報を入手できるため困難はあまり生じないのでしょうが、地方自治法施行以前の場合、根拠の県告示や県令にどれだけあたれるのかは現状では未知数ですね。。。

個人的には、根拠法令を集めた後に現状から変更するのが現実的対処法かなとも思います。


[70820]hmtさん
郡が単なる地域呼称にすぎない存在になっている現在でさえも、「郡変更」は入力されています。例:安代町、稲武町。
これとのバランスを考えれば、「郡制」が施行されていた時代の町村についての所属郡変更は、「郡設置」との情報の重複など気にせずに、すべて入力しておくのが順当でしょう。
これは確かに正論であり、私も出来たらそのようにすべきなのかなと思います。
しかしながら、この入力を総てするというのには問題もあります。

1897.4.1の岐阜県の郡変更以外の箇所で、郡の変更に伴うところでの町村についての記載がないところは次の通りです。

1893.4.1での神奈川県 西多摩郡, 南多摩郡, 北多摩郡の東京府への移管に伴うもの
1896.4.1での84郡の新設に伴うもの
1897.4.1での31郡の新設に伴うもの
1898.10.1での5郡の新設に伴うもの
1899.4.1での5郡の新設に伴うもの
1900.4.1での10郡の新設に伴うもの
1913.7.1での1郡の新設に伴うもの
1923.4.1での1郡の新設に伴うもの
1956.9.30での1郡の新設に伴うもの
1968.5.1での1郡の新設に伴うもの
1969.4.1での1郡の新設に伴うもの
1972.4.1での1郡の新設に伴うもの

hmtさんの提案に従うならば、上記(ただし郡制が存在した1923年以前に限ることになるのでしょうか)の郡移管・郡新設に伴う総ての町村の記述をも、市区町村変遷情報に記載することになります。

例えば、岡山県では1900.4.1の10郡新設に伴う町村についての記載をすることにすると、1900.4.1には257町村(阿賀郡10、英田郡9、下道郡14、賀陽郡18、吉野郡10、久米南条郡11、久米北条郡13、窪屋郡11、御野郡9、勝南郡10、勝北郡13、真島郡21、西西条郡13、西北条郡5、赤坂郡15、大庭郡10、津高郡22、哲多郡9、都宇郡11、東南条郡4、東北条郡8、磐梨郡11)の追加記載が必要となります。
数が少ないのならば特に問題も無いのでしょうが、ここまで多いと果たして全部記載する必要があるのか甚だ疑問に感じます。少なくとも私には、例えばM22.4.1の他県の市制町村制施行時の情報を新たに入力することよりも優先順位が明らかに劣後するように思えます。
市区町村変遷情報・岡山県(市制町村制施行以降)で記載されているのは345項目に過ぎません。


では記載しないままでよいかと問われると、例えば1896.4.1の福島県での
15 1896.04.01 郡設置 石城郡 石城郡 菊多郡, 磐前郡, 磐城郡, 楢葉郡の一部 の区域をもって石城郡を設置
16 1896.04.01 郡設置 双葉郡 双葉郡 標葉郡, 楢葉郡の一部 の区域をもって双葉郡を設置
で、楢葉郡の各村が1896.4.1に石城郡、双葉郡いずれの郡の所属になったかを記載することに関してはある程度の実益があり、何らかの記載が必要だと思います。


以上の事を解決する選択肢としては、
(A)市制町村制施行時のように別途ページに独立させる
(B)詳細欄において対処をする
(C)重要度が低いことより、M22.4.1の他県の市制町村制施行時の情報入力を優先させる
(D)入力しない(つまりは無視)
の4通りが考えられます。

私見ですが、
「郡設置」との情報の重複など気にせずに、すべて入力しておくのが順当
であるとは言え、139郡(郡制廃止後も含めると144郡)もの「郡設置」に伴う町村についての所属郡変更をすべて記載するのは、多すぎて非現実的であるように思えます。
現実的には(C)もしくは(D)の2択となるのでしょう。


さて現時点で、郡変更からみでとりあえず修正が望まれるのは下記4箇所であると私は考えます。
以下の修正をお願いします。>88さん

兵庫県
12 1896.04.01 編入 神戸市 神戸市, 武庫郡 湊村, 林田村, 須磨村の一部

12 1896.04.01 編入 神戸市 神戸市, 「八部郡」 湊村, 林田村, 須磨村の一部
へ。

和歌山県
2 1896.04.01 町制 海草郡日方町 海草郡 日方村

2 1896.04.01 町制/郡変更 海草郡日方町 「名草郡」 日方村
へ。

岡山県
43 1900.04.01 編入 苫田郡津山町 苫田郡 津山町, 津山東町

43 1900.04.01 編入/郡変更 苫田郡津山町 「西北条郡」 津山町, 「東南条郡」 津山東町
へ。

広島県
32 1898.10.01 町制 比婆郡庄原町 比婆郡 庄原村

32 1898.10.01 町制/郡変更 比婆郡庄原町 「三上郡」 庄原村
へ。
[70896] 2009年 7月 20日(月)16:54:30【2】むっくん さん
「影」もしくは「陰」と付く自治体
[70881]チャッピーさん
[70882]k-aceさん

「影」もしくは「陰」と付く自治体を江戸時代(天保年間以降)まで遡って調べてみました。
ただし、私の作成したデータベース(下記10府県のみ)の範囲のみですが。。。

◎福井県
(1)坂井郡松陰浦・・・藩政村。M22.4.1に同郡鷹巣村の一部となり消滅。
(2)坂井郡国影村・・・藩政村。M22.4.1に同郡蘆原村の一部となり消滅。
(3)敦賀郡御影堂町(当時は敦賀県)・・・江戸期は港町・敦賀を構成する1町。M7に神楽町と改称して消滅。
(4)足羽郡福井松影町・・・M7に福井城下の5町が合併して成立(成立時は松影町)。M17に福井松影町と改称し、M22.4.1に福井市の一部となり消滅。

◎岐阜県
(5)郡上郡陰地村・・・藩政村。M30.4.1に同郡牛道村の一部となり消滅。([70882]k-ace さん)
(6)大野郡(飛騨国)日影村(当時は筑摩県)・・・藩政村。M8.1.__に同郡丹生川村の一部となり消滅。
(7)益田郡日影村(当時は筑摩県)・・・藩政村。M8.6.__に同郡高根村の一部となり消滅。
(8)各務郡影野新田・・・藩政村。M22.7.1に同郡那加村の一部となり消滅。

◎愛知県
(9)額田郡日影村・・・藩政村。M8.10.20に丸塚村を合併。M22.10.1に同郡奥殿村の一部となり消滅。

◎三重県
(10)桑名郡松陰新田・・・藩政村。M22.4.1に同郡伊曽島村の一部となり消滅。
(11)飯野郡陰陽村・・・明治初期に同郡豊原村から分立するが、M7.3.__に再び同郡豊原村の一部となり消滅。

◎滋賀県
「影」もしくは「陰」と付く自治体は幕末以降は存在しない。

◎京都府
(12)下京区御影町
(13)下京区御影堂前町
(14)下京区御影堂町
(15)上京区松陰町
(12)~(14)の下京区の3町は江戸期からの京都・下京の町です。(15)の上京区松陰町は元は御用邸だったところが、M7.5.__に京都・上京に編入されて松陰町と名乗ったところです。(12)~(15)の町は総てM22.4.1に京都市の一部となり消滅。
(16)加佐郡松陰町・・・旧・田邊城下の一部地域を以てM10前半に成立。M22.4.1に同郡舞鶴町の一部となり消滅。
(17)与謝郡島影村・・・天保国絵図では粟田枝郷・島影村と記載されているが、明治2年の旧国旧高取調では単に島影村と記載。M22.4.1に同郡粟田村の一部となり消滅。

◎大阪府
「影」もしくは「陰」と付く自治体は幕末以降は存在しない。

◎兵庫県
(18)兎原郡御影村・・・藩政村。M22.4.1の合併時でも石屋村、郡家村、東明村と合併して同郡御影町として存続(M29.4.1に兎原郡から武庫郡へと郡変更)。S25.4.1に神戸市に編入されて消滅。
(19)美嚢郡神影村・・・M12頃に2村合併で成立。M22.4.1に同郡上淡河村の一部となり消滅。
(20)七美郡日影村・・・藩政村。M22.4.1に同郡兎塚村の一部となり消滅。
(21)明石郡松陰村・・・藩政村。M22.4.1に同郡大久保村の一部となり消滅。
(22)明石郡松陰新田村・・・藩政村。M22.4.1に同郡大久保村の一部となり消滅。
(23)印南郡陰山新村・・・藩政村。M11.12.に同郡磐村の一部となり消滅。
(24)神東郡御陰村・・・M10頃に6村合併で成立。M22.4.1に同郡豊富村の一部となり消滅。
(25)城崎郡上陰村・・・藩政村。M22.4.1に同郡五荘村の一部となり消滅。
(26)城崎郡下陰村・・・藩政村。M22.4.1に同郡五荘村の一部となり消滅。
(27)城崎郡中陰村・・・明治初期に同郡下陰村より分立。M22.4.1に同郡五荘村の一部となり消滅。

◎奈良県
(28)添上郡陰陽町・・・江戸期の奈良205町の1町。M22.4.1に同郡奈良町の一部となり消滅。
(29)宇智郡山陰村・・・藩政村。天保国絵図では山影村と書かれているがM22頃には山陰村と記載されている。M22.4.1に同郡阪合部村の一部となり消滅。
(30)吉野郡陰地村・・・藩政村。M22.4.1に同郡宗檜村の一部となり消滅。

◎和歌山県
(31)和歌山区山陰丁・・・江戸期の和歌山城下町の1町で当時は名草郡に所属(M12.1.20より和歌山区に所属)。M22.4.1に和歌山市の一部となり消滅。
(32)日高郡見影村・・・藩政村。M22.4.1に同郡切目川村の一部となり消滅。

10府県のみですが、結構あるものですね。
[70786] 2009年 7月 11日(土)10:01:12むっくん さん
富来
横からですが。

[70779]千本桜 さん
明治22年に町村制下の富来村が発足したわけですが、そのとき何村と何村が合併して富来村が発足したのか。
県令第23号(M22.3.8)によれば、
牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高山村
の7村が合併して富来村が発足しました。
参照:[69698]拙稿

そして何という名の大字を設置したのかということです。
こちらの方は資料がないので何とも言えません。
ただ、石川県統計書大正3年(編・出版:石川県、T5.3.30)では大正3年末での富来村の字数が7で、その名称は牛下、生神、領家、七海、地頭町、領家町、高山となっています。
市制町村制施行時の県令での旧町村の順番と、後の府県統計書の町村における字の順番は同じことが大半より、

旧村名字名
牛下村牛下
生神村生神
領家七海村領家
七海村七海
地頭町村地頭町
領家町村領家町
高山村高山

という関係ではないかと推測しましたが、[70778]EMMさんの
富来村ができた後に領家七海が七海に合併されたこと
ということからは違う可能性の方が大でしょうか。。。
[70768] 2009年 7月 9日(木)21:24:11【1】むっくん さん
葛城
[70765]白桃さんの
「いわまはいまはかさま」(岩間は今は笠間)
に対抗して?、奈良県で。

葛城村→葛上村→御所市

ですから葛城(旧・葛城村)は葛城(葛城市)の区域にはない。

このような事例は他にあるのでしょうか。
[70749] 2009年 7月 7日(火)16:18:24むっくん さん
市大と私大
[70748]JOUTOUさん
市立と私立
両者を区別しなければならない時は、前者を「いちりつ」後者を「わたくしりつ」と呼びますが、そうでない時は両者とも「しりつ」と呼びます。ちなみに子供の時は高校野球の影響でしょうか、前者を「いちりつ」、後者を「しりつ」と呼んでいました。


JOUTOUさんのお題「市立と私立」から私もさらに脱線。

さて、私のお題「市大と私大」を皆さんは何と読みますでしょうか。
私は前者は「いちだい」と呼び、後者は「しだい」と読みます。

ところが場所が変わり名古屋ですと、前者も後者も「しだい」。そして名古屋で「しだい」と言うと、一般には「市大」、つまり名古屋市立大学を指す事にかつての私は軽い衝撃を覚えたのでした。「しだい」=「私立大学」ではないのかと。。。
[70710] 2009年 7月 4日(土)08:49:06【1】むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の記載にあたって(その2)
[70709]の続きです。

(3)市制町村制施行に伴う合併の日付に関連して
明治22~23年に市制町村制が実施された45府県の内、42府県では市制町村制施行と同時に区町村の廃置分合も行っていますが、そうではないところがあります。

宮城県と千葉県では市制町村制施行の前日のM22.3.31に廃置分合&郡界変更を行っています。そして静岡県では静岡市のみが市制町村制施行当日のM22.4.1に、それ以外の町村はそれより一ヶ月前のM22.3.1に廃置分合&郡界変更を行っています。

市制町村制施行と同日付で全県で廃置分合&郡界変更が行われなかったため、宮城県仙台市と静岡県静岡市では市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の記載に困ることになります。

(a)仙台市の場合
宮城県における廃置分合規定は、県令第8号(M22.2.9)、県令第9号(M22.2.9)及び県令第27号(M22.3.31)です。
ここで問題となるのが仙台市です。
1 新設/市制 仙台市 仙台区
と記載できれば何の問題もないのですが、他のところ(名古屋市や福岡市など)との関係上
1 新設/市制 仙台市 仙台区、仙台区○○町、(略)
と記すことになります。以前から仙台区に所属した町の記載は特に問題ないのですが、市制町村制が施行される前日に合併したところ(宮城郡荒巻村の一部、小田原村の一部、南目村の一部、南小泉村の一部)をどのように表記すればよいのか、私には分かりません。

(b)静岡市の場合
静岡県における廃置分合規定は、静岡市に関係するものは県令第18号(M22.2.26)、静岡市以外に関係するものは県令第17号(M22.2.26)及び県令第19号(M22.2.26)です。
このうち、県令第18号に記載されているのは安部郡&有渡郡に所在する静岡124町と、有渡郡川邊村の一部区域ですが、県令第18号での記載内容からすると、有渡郡川邊村の区域はせいぜい数筆程度であり、有渡郡川邊村はM22.3.1の時点でおそらく消滅していると考えるのが自然であると考えられます。
とすると、
1 新設/市制 静岡市 安部郡○○町, (略), □□町, 有渡郡△△町, (略), ××町, 川邊村の一部
とは記載できないでしょう。果たしてどのように記載するのが適当なのかが、私には分かりません。


(4)石川県の市町村の廃置分合の根拠
ここでは以前[68521]拙稿で書いた石川県の市町村の廃置分合の根拠を
誤:県令第23号(M22.3.8)
正:県令第2328号(M22.3.8)
と結論づけた経緯を記します。

まず石川県統計書明治21年(著・出版:石川県、M23.2.15)によりますと、M21.12.31現在の警察区画で、江沼郡大聖寺警察署管轄の町数は60、能美郡小松警察署管轄の町数は31、石川郡松任警察署管轄の町数は23、鳳至郡輪島警察署管轄の町数は4となっています。19コマでは江沼郡役所の所在地が大聖寺八間道、能美郡の所在地が小松小馬出町、石川郡役所の所在地が松任東一番町、鳳至郡の所在地が輪島河合町となっています。

次に石川県統計書明治22年(著・出版:石川県、M24.2.18)によりますと、M22.12.31現在の警察区画で、江沼郡大聖寺警察署管轄の町数は1、能美郡小松警察署管轄の町数は2、石川郡松任警察署管轄の町数は1、鳳至郡輪島警察署管轄の町数は1となっています。177コマでは江沼郡役所の所在地が大聖寺町字八間道、能美郡の所在地が小松町字小馬出町、石川郡役所の所在地が松任町字東一番町、鳳至郡の所在地が輪島町字河合町となっています。

これらを比較すると、石川県の市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠規定を県令第23号(M22.3.8)だけであるとすると説明することができません。
県令第23号(M22.3.8)のみならず県令第28号(M22.3.8)も根拠とすることで初めて、明治22年4月1日に成立した「江沼郡大聖寺町」、「能美郡小松町」、「石川郡松任町」、「金沢市」、「鳳至郡輪島町」の1市4町の廃置分合の過程を説明することが出来るようになります。


(5)資料の誤りについて

(a)福井県
福井市の成立に伴う廃置分合規定は県令第18号(M22.2.16)で、[69698]拙稿では福井県現行諸令達(編著:福井県内務部第一課、出版:福井県、M25.5.17)に記載されているものを紹介しています。ここでは福井市を構成することになる町数は87、村数は1となっています。
しかしこれは他の資料と食い違います。例えば内閣が作成した公文類聚には市制町村制施行に伴う市制施行地及び郡界変更の経緯が「市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス」(2府42県、東京府は別途まとめている)でまとめられており(注1)、それが国立公文書館にてPDFファイル(15.1MB)として公開されています(前稿[70709]の(2)で紹介済み)。その6コマには福井市を構成することになったのは越前国足羽郡福井86ヶ町、仝國仝郡石場畑方と記載されています。この福井86ヶ町とは地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)に記載されている町数や新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)などの記載と一致します。
この食い違いの1町とは「福井江戸中町」で、福井県現行諸令達以外では一切見ることが出来ません。これは「福井江戸上町」「福井江戸下町」があるから誤って「福井江戸中町」も書いたものであろうと推察します。
(注1):あくまでも市制町村制施行に関連しての市制施行地及び郡界変更の経緯のまとめであり、市制町村制施行と同日付ではないことに注意が必要。例えば宮城県や千葉県や静岡市(前稿[70709]参照)、そして栃木県&大分県の郡変更などは同日付ではありません。

(b)大阪府
大阪府の大阪市・堺市以外の郡部の廃置分合規定は府令第17号(M22.2.20)で[69698]拙稿では大阪府郡部町村名(編著・出版:吉田常三郎、M22.5.)を紹介しています。
しかし、この資料には誤りもあり、大阪府統計書(明治22年)(著:大阪府内務部第一課、出版:大阪府、M23.12.25)と比較して使う方がよいものと考えられます。

今後の参考となることを願い、あらかじめ完全な誤りの箇所を抜粋してみました。ただし「坂」or「阪」、「川」or「河」といった漢字表記の揺らぎについては原則記していません。

まずは大阪府郡部町村名(編著・出版:吉田常三郎、M22.5.)の誤りの箇所です。
・成立したのが西成郡手船村となっていますが、正しくは西成郡千船村です。
・東成郡天王寺村を構成する村の一つが東成郡阿武野村となっていますが、正しくは東成郡阿部野村です。
・島下郡車作村は島下郡石川村の一部となったと記載されていますが、正しくは島下郡見山村の一部となりました。
・島下郡玉櫛村を構成する村の一つとして島下郡水尾と記載されていますが、正しくは島下郡水尾村です。
・島下郡鳥飼村を構成する村の一つとして島下郡鳥飼八防と記載されていますが、正しくは島下郡鳥飼八防村です。
・大鳥郡向井村を構成する村の一つとして大鳥郡西万屋新田村と記載されていますが、正しくは大鳥郡西万屋新田です。

次は大阪府統計書(明治22年)(著:大阪府内務部第一課、出版:大阪府、M23.12.25)の誤りの箇所です。
・錦部郡天野村を構成する村の一つとして錦部郡天野村と記載されていますが、正しくは錦部郡天野山です。

(c)和歌山県
和歌山県に市制町村制が施行された時の廃置分合規定は拙稿[69697][69698]で示したとおりですが、正誤表が完全には反映されていません。
当時のオリジナルの県令が、国立公文書館よりPDFファイル(2.7MB)で公開されています。このPDFファイルの最後のコマに正誤表が記載されています。
#なおこのPDFでは、和歌山県の郡界変更を示した県令第14号(M22.2.22付)([69697]で紹介済み)、和歌山県の廃置分合規定である県令第15号(M22.2.22付)([69698]で紹介済み)、和歌山県に市制町村制が施行されることを示す県令第17号(M22.2.22付)([69698]で紹介済み)、それに伴う市役所町村役場位置を示す県令第20号(M22.2.27付)及び県令第15号の正誤表が記載されています。


以上が今後の市区町村変遷情報の記載にプラスとなることがあれば幸いです。
[70709] 2009年 7月 4日(土)08:48:54【1】むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の記載にあたって(その1)
現在、市区町村変遷情報の入力作業は明治の大合併を遡っています。
明治22~23年に市制町村制が施行された45府県のうち、既に19府県の入力作業が完了しており、現在20府県目の入力作業が行われています。

今後、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)を記載するにあたって、判断に苦慮させられるところや資料の食い違いで苦慮することがあります。後の記載時になって初めて、「どのように記載するのが適当なのか」と苦慮することは避けた方が良いと思いますので、先に紹介することにします。


(1)自治体名ではない区域が根拠たる県令に書かれている場合
この事例としては三重県飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村、阿拝郡上野町、同郡小田村が挙げられます。

(a)飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村の場合
まず県令第13号(M22.3.1)で飯高郡松阪町において記載されている松阪町作地というのは自治体名ではありません。ではこれは何なのかと言えば、おそらく松阪市街地にありながら松阪の各町の区域に含まれない、いわば附属している農地であると考えられます。
#市街地の各町に附属している農地というのはかつて滋賀県の長浜にもありましたが、こちらの方は明治14年に編入合併で消滅。

しかし自治体名ではなくても、「松阪町作地」の区域はおそらく松阪の市街各町の一部とはなっていないから県令では別途記載されているのでしょう。しかしながら「松阪町作地」を記載しないとすると、廃置分合の前後でその区域が異なるというおかしなことになるため、自治体名でなくても市区町村変遷情報に記載する必要があります。

次に港村においては県令第13号(M22.3.1)では「松阪市街地ノ内 字本町ノ内 反別二反三畝拾八歩、松阪市街地ノ内 字西町ノ内 反別五反八畝五歩」とあります。しかしながら松阪市街地は自治体名ではありませんので、松阪本町の一部,松阪西町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
同様に松江村においての「松阪市街地ノ内 字川井町ノ内 反別三反歩」も松阪川井町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)

(b)阿拝郡上野町、同郡小田村の場合
県令第13号(M22.3.1)によると上野町では「上野市街地ノ内 字坂居町 同 字寿町 同 字宮ノ腰 同 字幸町 同 字新地ノ内 反別一町六反六畝十七歩五合四夕 同 字新屋敷ノ内 反別三畝四歩六合二夕」とあり、小田村では「上野市街地ノ内 字上之平 同 字西之平 同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕 同 字新屋敷ノ内 反別一町八反二十三歩四合六夕 同 字新地ノ内 反別四反三畝三歩三合一夕」とあります。

この議論を始める前に上野市街地とされた区域はどこなのかを特定する必要があります。
まず、戦国時代に筒井高次が上野に来る以前からあった集落が上野村です。
そして、江戸時代は地子免除の上野城下町と、上野城下町に近接した上野村にある街道筋の町(農人町)が出来ます。上野城下町と農人町は江戸時代においては別のものとして取り扱われていました。
そして明治になって上野市街地と上野村とを分けたとき、上野村にある街道筋の町も上野市街地に含まれることとなり、上野村の範囲は筒井高次が上野に来る以前からの上野村の範囲に限定されることになります。ここで上野市街地は、上野城下町に加えて、近隣の村の村に点在する町の部分(農人町)を飛地として持つことになりました。無論、上野市街地とは、自治体としての名称ではありません。
#ちなみに明治5年の区制の時の資料では上野市街地との文字はなく上野町と記されています。そして、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)でも上野市街地との文字はなく上野35町が記載されています。


ところで上野市街地と上野村とを分けるのとほぼ時期を一にした明治3年、上野に大水害が起こりました。
このとき低地に住んでいた人が移住したことで飛地が発生し、この痕跡が県令第13号(M22.3.1)で見て取れます。
さて、県令第13号(M22.3.1)で上野市街地ノ内とされている箇所を見ていきます。
まず「字坂居町」及び「字幸町」とは上野35町の1町である幸坂町の住民が移住したところです。「字坂居町」及び「字幸町」は地籍が「字坂居町」及び「字幸町」ではあるものの、住んでいる人は幸坂町の人々ということになります。
同様に「字寿町」は上野35町の1町である馬苦労町の住民が移住したところ、「字宮ノ腰」は上野35町の1町である万町の字地であったところ、「字新屋敷」「字新地」は上野35町の1町である小田村の住民が移住したところです。

さて市区町村変遷情報で如何に記載するかです。
例えば「上野市街地ノ内 字寿町」というのは、明治3年の洪水で被害にあった「上野馬苦労町」の人々の移住先で、元は上野城の西外堀であったところです。
一般的には江戸時代には、各藩が設定しない限り、城に○○町という名称はありませんでしたので、廃藩置県時には基本的には城の区域は自治体の空白地域となります。それが明治になってから、○○町という名称をつけることで、自治体の空白地域が解消されることになりました。
#城の区域と同様に、城下町の大きな寺の領域も自治体の空白地域でした。

ところが上野の場合は、例えば字寿町と土地に名称を付けたにもかかわらず、住んでいる人が別の馬苦労町の人々であったために、「上野市街地ノ内 字寿町」がおそらく自治体である「上野寿町」となれなかったという事情があります。そして「上野市街地ノ内 字寿町」は上野35町の区域でも周辺の村の区域でもありません。
県令第13号(M22.3.1)で「上野市街地ノ内 字寿町」というようなものをわざわざ記載したというのは、上野市街地には上野35町の区域に含まれず、かつ当然ながら周辺の村にも含まれない区域(e.g.「上野市街地ノ内 字寿町」など)があることの証左とも言えます。

さてこれをどのように記載するのが適当かですが、自治体ではないからといって「上野市街地ノ内 字○○」を記載しないというのは先ほどの「松阪町作地」と同じく不都合な点が出てきますので、採用できません。とはいっても、「上野市街地ノ内 字○○(一部)」という記載はいかがなものかとも思われます。
そこで、この5年後に小田村から城南村が分立した三重県告示第17号(M27.2.13)を参考にして記載するのが良いのではないでしょうか。この県告示第17号では「上野市街地ノ内 字○○」を「元上野町 字○○」と記載しています。

ということは、上野町及び小田村での記載において、「上野市街地ノ内 字○○」とは「上野町(一部)」と記載するのが、一番無難であると考えられます。ただし小田村にある「同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕」というのは先ほどの松阪の事例から考えるに「上野万町(一部)」と記載するのが適切であると考えられます。

参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)、上野市史(編・出版:上野市、1961)


(c)以上の複雑な箇所をまとめますと次のようになります。
飯高郡松阪町では、松阪町作地も記載する。後述の飯高郡港村及び飯高郡松江村との整合性より、松阪本町,松阪西町、松阪川井町、の3町では「の一部」の記載もする。
飯高郡港村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪本町の一部,松阪西町の一部と記載する。
飯高郡松江村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪川井町の一部と記載する。
阿拝郡上野町では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部と記載する。後述の阿拝郡小田村との整合性より、上野万町では「の一部」の記載もする。
阿拝郡小田村では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部、上野万町の一部と記載する。


(2)枝郷が根拠たる県令に書かれている場合
江戸時代においては、郷帳に○○村枝郷△△村という形態で記載されているものは、例え枝郷であっても公的には一つの自治体としてみなされていました。
こういった自治体は明治5年の区制施行と同時に(遅くとも明治7年頃までには)各府県で大半がなくなったのですが、唯一三重県においては市制町村制施行時まで残ったところが2箇所(津市、安濃郡新町)ありました。

(a)津市
津市は安濃郡の
津56町、伊予町、的場、津興村、津興村ノ内・船頭町、津興村ノ内・上弁財町、津興村ノ内・柳山、津興村ノ内・阿漕町、津興村ノ内・下弁財町、岩田村、岩田村ノ内・岩田町、岩田村ノ内・宮ノ前、岩田村ノ内・佐伯町、岩田村ノ内・弓屋敷、岩田村ノ内・立合町、岩田村ノ内・西裏、岩田村ノ内・久留島、岩田村ノ内・野崎垣内、岩田村ノ内・元築造、岩田村ノ内・出口、岩田村ノ内・弓ノ町、岩田村ノ内・山中、岩田村ノ内・綿内、八幡町、藤枝町、栄町、下部田村の一部、下部田村ノ内・余慶町、乙部村の一部、塔世村の一部、古河村の一部、藤方村の一部
が合併して成立しました。この中で例えば、「津興村ノ内・船頭町」というのは津興村と別個独立した自治体ではあるが、その町の地籍は津興村にあるということになります。
自治体か否かを重視する市区町村変遷情報では「津興村」とは別個に「津興村ノ内・船頭町」を記載する必要があります。

ではその記載方法です。
単に“船頭町”と記載する、“船頭町”と記載した上で詳細情報に“津興村ノ内”と記載する、単に“津興村ノ内・船頭町”と記載する、という3つの方法が考えられます。とは言え、最後の“津興村ノ内・船頭町”と記載するという以外の選択肢は実はありません。

といいますのも、今後市区町村変遷情報はさらに年度を遡ることになるのでしょう。そして明治14年頃まで記載することになったとします。この時、例えば当時の兵庫県神戸区には、“橘通三丁目”、“坂本村ノ内・橘通三丁目”が隣接して存在しています。この記載を問題なく行うためにはM22.4.1の段階で、“津興村ノ内・船頭町”と記載しておかなければなりません。
#なお、上述の津56町に含まれる鷹匠町、西ノ口出屋敷、西裏、馬場、榎ノ下の各町はかつては地籍が塔世村にある枝郷の自治体でしたが、明治17年の連合戸長役場の管轄資料によればこの当時は既に独立した町となっていました。


(b)安濃郡新町
安濃郡新町は古河村、刑部村、古河村/刑部村ノ内・八町、神納村、南河路村の1町4村が合併して成立しました。


参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、県令第12号(M22.3.1)、県令第13号(M22.3.1)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)(248-251コマ)、津市史第4巻(著:梅原三千、西田重嗣、出版:津市役所、1965)27,28,43-45頁、市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)


#私は市制町村制施行時に枝郷がからむ事例というのを上述の2例(津市、安濃郡新町)以外には知りません。

次稿に続きます。
[70687] 2009年 7月 1日(水)23:49:41むっくん さん
茅の輪くぐり&お千度の儀
[70669]EMM さん
むっくんさんが触れている「夏越祓」も同じ行事ですが、「大祓」とか「夏越祓」という名ではなく、とにもかくにも「茅の輪くぐり」の日なんですよね。
はい、確かにそうでした。夏越祓(茅の輪くぐり)とでも書くべきで、肝心のところ(茅の輪くぐり)が抜けていました。
「夏越祓」での「茅の輪くぐり」は、京都においても、行われていない神社も少なくありませんでしたが、ここ10年でかなりの神社で復活してきています。
また京都では「茅の輪くぐり」にあたり、「水無月の 夏越の祓 する人は 千年の命 延ぶといふなり」という歌を唱えながら執り行う神社、唱えないで執り行う神社の2通りがあります。
参考:マリアの京都*フォト日記


さて本日7月1日は、京都では1ヶ月に及ぶ祇園祭の始まりの日であります。
今年も八坂神社で「お千度の儀」が無事執り行われたとの報道があり、いよいよ夏本番だな、という気持ちにさせられます。
[70668] 2009年 6月 30日(火)21:37:29【1】むっくん さん
水無月
本日は6月30日。1年もはや半年を過ぎようとしています。
京都では本日、夏越祓(なごしのはらえ)という、1月から6月までの半年間の罪や穢れを払い、残り半年を無事に過ごせるようにと祈願する神事が、各神社で執り行われました。

とは言っても現在ではどちらかと言えば、6月30日とは京菓子の「水無月」を食べて暑気を払い邪気を取り払う日であるという意識の方が強いです。

「水無月」の源流を遡りますと、旧暦の6月1日に宮中で、冬の間に氷室に保存しておいた氷を切り出して、口にして暑気を払う(疫病除け)行事に行き着きます。
それがその後、宮中では氷室の氷のかわりに氷餅や凍餅という、氷の形をした餅を贈る習慣が生まれました。
さらにその後、宮中外の庶民にも伝わり、氷に見立てた白ういろうを三角に切り(三角に切るのは氷のかけらに見立てているという意味を持つ)、その上に小豆(悪魔払いの意味を持つ)をのせた水無月を食べることで、暑気払い&邪気除けになるとされました。
参考:京都捜索隊

以前氷室関連のこととして、[42735]EMMさんで
金沢では旧暦の6月1日に近い7月1日が現在でも「氷室の日」と呼ばれ、氷室饅頭を食する日
とありましたが、本家・京都でも氷室由来の行事は未だ脈々と受け継がれています。
[70574] 2009年 6月 22日(月)22:42:37むっくん さん
尼崎
[70571]hmtさんで「○が△」という形の地名を
タイプ1 「が」の部分を書かない漢語風の表記「○△」
タイプ2 ○と△とが「が」で連結していることを示すため、両者の間に小さな「ヶ」を挿入した「○ヶ△」
タイプ3 大きな「ケ」を挿入した「○ケ△」
と三つに分類されています。

さてこれを見て思いついたのが尼崎。「尼ヶ崎」と「尼崎」の間で揺らぎを見せています。

天保国絵図(摂津国)(編:江戸幕府、天保9(1838)年)を見てみますと、城の名前は「尼ヶ崎城」であり、その城下町は「尼崎町」となっています。
明治に入ってすぐに作成された旧高旧領取調帳(編:明治政府)では「尼ヶ崎村」(国立歴史民俗博物館作成の旧高旧領取調帳データーベースによる)とあります。
明治7年に兵庫県が作成し内務省に提出した兵庫県管下各区並村名取調書では「尼ヶ崎○○町」となっています。
その後郡区町村一覧(編著:内務省地理局、M14.3)ではM13の時点で「尼ヶ崎町」、兵庫県統計概表明治14年(著:兵庫県庶務課、M18.8.)ではM14.12.31の時点で「尼崎町」、地方行政区画便覧(編著:内務省地理局、M20.10)ではM19.1.の時点で「尼ヶ崎町」となっています。
M22.4.1に市制町村制が兵庫県に施行された時には、県令第24号(M22.2.22)にて近隣の別所村, 竹谷新田村, 大洲村, 大崎村, 西難波村の一部と合併して「尼ヶ崎町」として発足しました。

明治22年の市制町村制施行以降では、兵庫県の統計資料では明治23年までが一貫して「尼ヶ崎町」で明治20年代後半以降からは一貫して「尼崎町」となっていました。ところが国の作成した資料では尼崎市の一部となって消滅するまで当然「尼ヶ崎町」となっており、相違があります。

ではその後です。尼崎市が成立した時の根拠法令の内務省令第15号(T5.3.29)を見てみますと
明治44年法律第68号市制第3条及同年法律第69号町村制第3条に依り大正5年4月1日より兵庫県川辺郡尼ヶ崎町を廃し其の区域と同郡立花村の内大字東難波村及西難波村の区域とを以て尼崎市を置く
とあります。ということは、「尼ヶ崎町」から「尼崎市」となったことが分かります。


さて、上述の揺らぎをどのように見るかですが、これに関し「南部再生」の28号に、
江戸時代には「尼崎」「尼ヶ崎」「尼カ崎」といった表記が混用されますが、明治22年(1889)の町発足時に「尼ヶ崎町」と定められ、続いて大正5年(1916)の市制施行時には、古来公式文書や戸籍簿のうえで「尼崎」という表記が基本だったという理屈を町側が申し立てて認められ、「尼崎市」となりました。
と尼崎市史を基にしたと考えられる記述がありました。この記述からすると、少なくとも自治体名については、本来的には誤記であったにせよ公式に「尼ヶ崎町」として用いられていた時期があり、「尼ヶ崎町」から「尼崎市」になったということが言えそうです。
ただ、地名の尼崎の記述形式については、尼崎市では
尼崎市のHPでは,歴史コーナーの中で古い時代も含めて「ヶ」のない「尼崎」で統一しています。([64928]Issieさん)
という立場を取っています。無論尼崎市の立場では「古来公式文書や戸籍簿のうえで「尼崎」という表記が基本だった」とする以上、尼崎市HPでの記述形式を統一する方法は納得できるところです。


さて上述に関連して市区町村変遷情報(兵庫県)を見てみます。現在は
41 1916.04.01 新設/市制 尼崎市 川辺郡 尼崎町, 立花村の一部
と記載されていますが、法的な観点からは
41 1916.04.01 新設/市制 尼崎市 川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部
と書くのが正しいようです。>88さん
[70557] 2009年 6月 21日(日)00:02:30むっくん さん
エラーメッセージ
[70550]オーナー グリグリさん
まず、エラーメッセージで要した時間ですが、その後再度同一キーワードで検索した時とほぼ同一の時間であったと思います。実際に該当しないキーワードを指定した時に比して明らかに短かったと記憶しています。

複数のキーワードを区切る空白ではなくキーワードを指定するカラムの先頭や末尾に意図せずに挿入してしまう空白
この空白を入れた可能性はおそらくないのではないかと思います。
#随分前のことであり、完全にうろ覚えとなっています。申し訳ありません。

ただこのエラーメッセージが出た週は、私のPCのブラウザ(Opera)の挙動がおかしかったこともあり、原因が閲覧者たる私の方にあることも考えられ、同一の症状が再現するかということ自体に現状では疑問符が付きます。
つきましては、こちらの方で同一エラーが再現した時に再度対策をお願いしたい、と考えていますがいかがでしょうか。
[70469] 2009年 6月 12日(金)19:29:57【1】むっくん さん
夜久野3村
[70463]k-aceさん

2ヶ月後に夜久野町と上夜久野村が合併するにもかかわらず、なぜ大油子・小倉地区は夜久野町から上夜久野村に編入されたんでしょうか?
一言で言えば、紛糾した3村の合併論争を、新市町村建設促進法(昭和31年法律第164号)に基づき、知事が裁定して何とか1町への合併にこぎつけた結果ということになるのでしょうか。

時系列で見てみますと、3村を1町へといきなり合併することが出来ませんでした。そのため3村を2町村にするというクッションを置いてから(境界変更はこれに付随するもの)、改めて2町村を1町へと合併させたということのようです。

昭和の大合併では、多くのところで新制中学の設置箇所をめぐって紛糾しましたが、夜久野3村もその例外ではなかったようです。

詳しいことは京都府HPの京都府内の市町村の歴史(PDF)6-7コマ、44コマの説明に譲るとします。

なお、境界変更の期日は市区町村変遷履歴情報に記載されている1958年11月1日でよいものと思われます。
[70299] 2009年 5月 26日(火)21:44:07むっくん さん
平成教育学院でのクイズ
[70291]ガソリンさん

文字情報だけではすぐに閃かなかったので、平成教育学院のHPでのオリジナルの問題を見たところ、答はなんとか導き出せました。
大学2年生の時にサークルの新歓合宿で出題者として出題したこともある(お題の市は異なります)のに、なぜすぐに解けないのでしょうか。
[70258] 2009年 5月 22日(金)15:01:31むっくん さん
北海道に存在した広大な村
[70233]k-aceさん

一級町村制、二級町村制が施行された後に限定しないのならば、明治30年7月の北海道庁告示第142号で成立した石狩国空知郡富良野村もありますね。その範囲としては、
南は胆振日高両国に接す、北は石狩国上川郡に界す、東は十勝国に界す、西は石狩国上川郡界より発する「ナエ」川を下り空知川に落合ひ同川を遡りて「モシリケシユオマナイ」川を遡り歌志内村及夕張郡に界す
とあります。今で言う富良野市(600.97km2)、空知郡上富良野町(237.18km2)、中富良野町(108.70km2)、南富良野町(665.52km2)の区域で、総計1612.37km2にもなります。

北海道って一度分立した自治体が再度合併するケースもありますが、分立したままのところもあります。戦前に広大な村があったのはなぜなんだろう?(未開拓地が多かったから?)
これはまさしくその通りなのではないでしょうか。
明治に入ってからの北海道での市区町村の成立順を見てみます。

(1)ある未開の地域に和人の集落が一つ出来ます。集落が継続的に形成されさらに発展することまで確認されたりすると、その周辺の広大な地域も含めて一つの村として北海道庁告示で公示されます。
北海道庁令第1号(M23.1.15)で成立した石狩国空知郡瀧川村(現:深川市の一部、滝川市)や、先に挙げた石狩国空知郡富良野村(現:富良野市、空知郡上富良野町、中富良野町、南富良野町)などがこの例にあたります。

(2)次に、村として成立しているところで別の未開の地域が新たに開墾されます。成立した別の集落とその周辺地域を以てして、別の村を作るのが適当とされれば別の村が分立して成立するのでしょう。
明治26年12月の北海道庁令第45号で月寒村より分立して成立した石狩国札幌郡広島村(現:北広島市)、明治32年5月の北海道庁告示第142号で石狩国樺戸郡月形村より分立して成立した石狩国樺戸郡浦臼村(現:樺戸郡浦臼町)などがこの例にあたります。

(3)そしてその後、北海道一級町村制や二級町村制が施行されます。

(4)(3)の一級町村制や二級町村制に際し、一級町村制や二級町村制を施行する地としてふさわしくないとして分立を余儀なくされるところもあります。
北海道庁告示第207号(M33.6.7)で石狩国空知郡岩見沢村(現:岩見沢市の一部)よりM33.7.1付けで分立を余儀なくされた石狩国空知郡北村(現:岩見沢市の一部)がこの一例です。

(5)とは言え、中には北海道一級町村制や二級町村制が施行された後に開発が進行したため(3)と(2)の時間的順序が逆になるところもあります。

ここで注目したいのは(1)で、特に比較的早くに1村として成立したところでは、1郡1村ないしはそれに近い形で村が成立したところも珍しくはありません。このため広大な面積を持つ村というのも出来たのではないでしょうか。
先に挙げた石狩国空知郡富良野村というのはまさしく1郡1村です。


[70240]hmtさん
河西郡大正村 は 1915年に3村合併で成立。市区町村変遷情報にも、本別村で記した[67007]の(7)にも記されていませんが、つかんぼやんと北海道年表 によると、大正村も二級町村指定。
これを読んで、[67007]で私が書き落としをしたのかと思いました。
改めて読み返しましたが、河西郡大正村を構成することになった3村(上帯広村,幸震村,売買村)には、内務省令第7号(M35.3.13)でM35(1902).4.1に二級町村指定されたことは書いており、書き落としではなくて一安心です。
では、なぜ内務省告示に記載が無いかといいますと、北海道二級町村制(勅令第37号)(M35.2.22)では
第六十五條 二級町村ト爲ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
と二級町村ト爲ス「地」とあります。
複数の二級村が合併したとしても、合併で成立する村の区域は二級村の指定を受けている「地」であるから、その「地」に新たに成立する村は当然に二級村でなる、ということに他ならないという論理なのでしょう。
ということで、現在の市区町村変遷情報の記載には当然何の問題もありません。
[70219] 2009年 5月 19日(火)02:38:03【2】むっくん さん
Re:「検索条件に合う記事は見つかりませんでした」
[70212]オーナーグリグリさん
(1) 現在も同様の現象は再現しますか?
再現しません。というより[70210]拙稿で書いたように
上記(1)(2)の操作は交互に平行して頻繁に行う
という作業をしていた時に生じていますので、より正確には、再現のさせようがないというのが実状です。

とは言え、この現象には先週だけで4回出会っています。
出会ったときのより詳細な検索条件ですが、書き込み者を「88」と指定しキーワードを「むっくん」と指定した時に1回、書き込み者を「むっくん」と指定しキーワードを「88」と指定した時に1回、書き込み者を「88」と指定しキーワードを「愛知」と指定した時に1回、書き込み者を「88」と指定しキーワードを「愛媛」と指定した時に1回
検索条件に合う記事は見つかりませんでした
なるエラーメッセージに出会っています。
いずれの場合でも検索による表示件数を5件としていました。

山野さんとMasAkaさんの詳細な報告を読むに付け、それら事例とはおそらく別物ではないかと思われます。

(訂正)
【2】表示件数の訂正
[70210] 2009年 5月 18日(月)06:25:50むっくん さん
業務連絡
グリグリさんへ

以下のような不可思議な症状?に遭遇していますのでお知らせします。

手順
(1)新規書き込みをするにあたり、プレビュー画面ですぐに書き込まず「まずプレビューで確認する」で数回書き込み内容を修正する。
(2)「これですぐに書き込む」をクリックして新規書き込みを終わらせる前に、新規タブで落書き帳の過去記事の記事検索をする。
(3)時々
検索条件に合う記事は見つかりませんでした
とのエラーメッセージが出る。
(4)エラーメッセージが出たタブを閉じる。
(5)別途新規タブを立ち上げ(2)と同一キーワードで記事検索を行う。今度は先ほどとは異なり、(3)のエラーメッセージが出ることなく、記事検索が通常の作動をして、欲していた記事が見つかる。

市区町村変遷情報がらみの新規書き込みをする時には、上記(1)(2)の操作は交互に平行して頻繁に行うのですが、以前は(3)のエラーメッセージが出ることはありませんでした。
#なお、私がこの不可解な症状?に初めて遭遇したのは、早くとも今月の10日だったと記憶しています。
#このエラーを確認した時の当方の環境はWinXP(SP3)/Opera9.63です。

[70202]山野さんと同一の不可思議な症状?なのかもしれませんが・・・。
[70115] 2009年 5月 14日(木)01:56:31【1】むっくん さん
最長所要時間を要する路線バスの経路など
[70107]EMMさん
国鉄バス名金急行線
過去に遡れば、この路線がおそらく高速道路を使わない一般乗合路線バスとしての最長所要時間を要するものなのでしょうが、現在ではどこなのでしょうか。

私が思いつくのは奈良交通の
新宮駅前(和歌山県新宮市)~熊野本宮(和歌山県田辺市)~十津川温泉(奈良県十津川村)~五条駅(奈良県五條市)~近鉄八木駅(奈良県橿原市)
の路線で所要時間は6時間30分になります。

この新宮駅前(和歌山県新宮市)~近鉄八木駅(奈良県橿原市)の路線バスには、過去には新宮駅前(和歌山県新宮市)~熊野市駅前(三重県熊野市)~河合(奈良県上北山村)~大和上市駅(奈良県吉野町)~近鉄八木駅(奈良県橿原市)という別の経路の路線もありましたが、現在では廃止されています(参考12)。現存していればこちらが最長時間だったのかもしれません。
なお、ぺとぺとさんが[48753]で挙げられていた
新宮駅前(和歌山県新宮市)~熊野市駅前(三重県熊野市)経由~河合(奈良県上北山村)
新宮駅前(和歌山県新宮市)~熊野市駅前(三重県熊野市)経由~池原(奈良県下北山村)
という2路線はこの区間運転便でしたが、奈良交通HPによると2006年9月末に廃止されたことで現存しなくなりました。


[70113]伊豆之国さん
大津駅から県内のみの経由で一番遠い駅は大津京駅(この駅には特急が止まるので、隣の唐崎駅か?)
大津京駅に停車する特急は他の滋賀県内の駅に停まらないので問題はないのですが、新快速が大津京駅に停まり唐崎駅に停まらないため、大津駅から県内のみの経由で一番遠い駅は隣の唐崎駅となります。

大津駅~大津京駅
本旨からはずれますが、公共交通機関を使い、県外に出ない方法で最も早くつくのは2駅間を直通するバスだと思います。所要時間は18分で、膳所で京阪/JRの乗換えをするよりは若干早いのではないかと思われます。
とは言え、ママチャリを利用すると所要時間は15分もあれば充分だったりしますが。
#余談ですが、大津京駅の1階出口から皇子山駅は200m強ですが、通常はこの間の道路にある信号に引っかかりますので、この待ち時間を期待値として加えますと、大津京駅から皇子山駅までの平均所要時間は4分弱といったところでしょうか。

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[70109]hmtさん
70000件達成記念記事の書き込みを興味深く拝見しております。
むっくんさん[48851]は、2006年のデビューで、長文の12位、文字数RKの17位
とありますが、私の文字数RKは17位ではなくて18位ですので修正をお願いします。
[69986] 2009年 5月 8日(金)22:00:53【4】むっくん さん
栃木県下都賀郡谷中村
[69977]hmtさん
合併に必要な谷中村議会の議決が行われないままの強制廃村という異例の手続き
私が廃村と言われて思い浮かぶのは、岐阜県の徳山村や福井県の西谷村などの事例です。しかしこれらの事例は、強制廃村という手段で行われたものではないため、参考とはなりそうもありません。


まず強制廃村の端緒は明治35~36年の第二次鉱毒調査委員会による報告書のようです。
(藤岡町HP>藤岡町の歴史谷中村記録からよみがえる姿5.合併から現在へ(1)~合併決定と買収~
これで政府の指導下の元、強制廃村の路を歩むことになります。

その後の経緯ですが、「谷中村滅亡史」(著:荒畑寒村、出版:岩波文庫、1999、原著は1907年8月発行)によりますと、当時の栃木県知事が
町村合併の件に付諮問
                   下都賀郡谷中村
下都賀郡谷中村は瀦水池設計に必要上其土地家屋等大半を買収し、村民を他に移住せしめるため、将来独立して法律上の義務を負担するの資格無きに至れると認むるにより、谷中村を廃して其区域を藤岡町に合併せんとす。
但本月十六日迄に意見答申すべし。
明治三十九年四月十四日     栃木県知事  白仁武
と諮問したようです。
谷中村の合併は町村制第42条の「急施を要する場合」でもないのに関わらず、この諮問が強引になされました。
その後、前掲「谷中村滅亡史」によると、この議題は4月15日に否決されたようです。

当時の町村の廃置分合について、権限を握っているのは知事(ひいては内務大臣)であり、町村の議決をも覆せました。
先に書いた栃木県知事からの諮問でも、谷中村の合併は町村制第4条3項の「公益上の必要あるとき」にあたるとみなされていましたから、当時の栃木県知事が地方官官制(明治38年勅令第140号)第6条及び町村制第119条に基づいて、谷中村を強制的に編入合併へと追い込んだものと私は推察します。


この後、前掲の谷中村記録からよみがえる姿5.合併から現在へ(1)~合併決定と買収~では
明治39年(1906)5月、栃木県は「告示第176号」で谷中村を廃し藤岡町へ合併する告示(こくじ)を行い、7月、谷中村は実質的になくなりました。
と書かれています。

ちなみにこの合併に付き、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)では、明治39(1906)年7月1日に実施されたとあり、Wikipediaでは
5月11日、栃木県は7月1日をもって谷中村を藤岡町に編入すると発表。
7月1日、管掌村長の鈴木は、栃木県に、谷中村は藤岡町に編入したと報告。谷中村は強制廃村となる。
と書かれています。
これらの記載は、上述の藤岡町HPの記載と特に矛盾はありません。
以上より、強制的に谷中村を藤岡町へ編入合併した件は、1906(M39)年5月11日付けの県告示第176号により1906(M39)年7月1日に実施されたものと推察されます。

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関連条文

市制町村制(明治21年法律第1号)
町村制第4条 町村の廃置分合を要するときは関係ある市町村会及郡参事会の意見を聞き府県参事会之を議決し内務大臣の許可を受く可し
2(略)
3 町村の資力法律上の義務を負担するに堪へす又は公益上の必要あるときは関係者の異議に拘はらす町村を合併し又は其境界を変更することある可し
4(略)
町村制第42条 町村会は会議の必要ある毎に議長之を招集す若し議員四分の一以上の請求あるときは必す之を招集す可し其招集並会議の事件を告知するは急施を要する場合を除くの外少くも開会の三日前たる可し但町村会の議決を以て予め会議日を定むるも妨けなし
町村制第119条 町村の行政は第一次に於て郡長之を監督し第二次に於て府県知事之を監督し第三次に於て内務大臣之を監督す(略)

地方官官制(明治38年勅令第140号)
第6条 知事は内務大臣の指揮監督を承け各省の主務に付ては各省大臣の指揮監督を承け法律命令を執行し部内の行政事務を管理す


(訂正)
【1】誤字訂正
【2】根拠条文を変更
【3】表現を一部変更
【4】町村制第123条の言及を削除
[69931] 2009年 5月 4日(月)19:51:56むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)大分県(その2)
[69930]の続きです。

211 新設/村制 南海部郡下入津村 南海部郡 竹野浦, 河内, 西野浦

211 新設/村制 南海部郡下入津村 南海部郡 「竹野浦河内」, 西野浦
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では竹野浦, 河内となっています。
しかし、大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では「竹野浦河内」となっています。
また、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも「竹野浦河内」となっています。
以上より、単に現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)が誤記載しただけなのではないでしょうか。


231 新設/村制 南海部郡明治村 南海部郡 庄木村, 大坂本村, 尺間村

231 新設/村制 南海部郡明治村 南海部郡 「床」木村, 大坂本村, 尺間村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では庄木村となっています。
しかし、大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では「床」木村となっています。
また、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも「床」木村となっています。
また、大分県統計書大正5年第1編(著・出版:大分県知事官房、大7.3.31)では大正5年12月31日には、明治村の区域にある大字は「床」木です。
以上より、単に現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)が誤記載しただけなのではないでしょうか。


246 新設/村制 日田郡中川村 日田郡 湯山村, 「大鳥村」, 「柚野木村」, 赤岩村, 桜竹村, 女子畑村

246 新設/村制 日田郡中川村 日田郡 湯山村, 「合田村」, 赤岩村, 桜竹村, 女子畑村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


255 新設/村制 北海部郡下ノ江村 北海部郡 下ノ江村, 「黒岩村」, 田井村, 大野村

255 新設/村制 北海部郡下ノ江村 北海部郡 下ノ江村, 田井村, 大野村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


261 新設/村制 北海部郡佐賀村 北海部郡 久原村, 上野村, 細村

261 新設/村制 北海部郡佐「加」村 北海部郡 久原村, 上野村, 細村
迫村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では佐賀村となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)では佐「加」村とあります。
明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(明23.10.6)でも佐「加」村とあります。
大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)の上部欄外には
25年10月告示第66号を以て佐加村の加を賀と改む
とあります。
明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第29号(明25.7.15)では明治24(1891)年末は佐加村で、明治25(1892)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第37号(明26.7.27)では明治25(1892)年末は佐賀村となっています。内務省告示第37号(明26.7.27)の明治25(1892)年中の廃置分合の所に明治25年に佐加村を佐賀村としたことが記載されています。なお、市区町村変遷情報では
1 1892.10.28 改称 北海部郡佐賀村 北海部郡 佐加村
と既にその旨記載されています。


263 村制 北海部郡四浦村 北海部郡 四浦
280 村制 北海部郡保戸島村 北海部郡 保戸島

新設/村制 北海部郡四保戸村 北海部郡 四浦村, 保戸島
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では四浦村, 保戸島村となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)では四保戸村となっています。
明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(明23.10.6)でも四保戸村とあります。
大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)の上部欄外には
25年10月告示第66号を以て四保戸村を四浦村と改称し保戸島を割きて別に保戸島村を置く
とあります。
明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第29号(明25.7.15)では明治24(1891)年末は四保戸村で、明治25(1892)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第37号(明26.7.27)では明治25(1892)年末は2村に分かれています。内務省告示第37号(明26.7.27)の明治25(1892)年中の廃置分合の所に明治25年に四保戸村から保戸島村を分立し、その後と四浦村と改称したことが記載されています。ゆえに、市区町村変遷情報では上記の変更に加えて
1892.10.__ 分立 北海部郡保戸島村 北海部郡 四保戸村の一部
1892.10.__ 改称 北海部郡四浦村 北海部郡 四保戸村
を追記することになります。以前の記載では1892.10.28でしたが。


273 新設/村制 北海部郡川添村 北海部郡 宮河内村, 広内村

273 新設/村制 北海部郡川添村 北海部郡 宮河内村, 広内村, 種具村, 迫村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


277 新設/村制 北海部郡津組村 北海部郡 八戸村, 津久見村, 津久見浦, 千恕村

277 新設/村制 北海部郡津組村 北海部郡 八戸村, 津久見村, 津久見浦, 千「怒」村
ではないでしょうか。
大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)では不鮮明でよく分かりませんが、現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)の各種資料では千「怒」村となっています。
また旧高旧領取調帳データベースでも豊後国海部郡千「怒」村となっています。

以上多数になりましたがよろしくお願いします。
[69930] 2009年 5月 4日(月)19:51:42むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)大分県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)大分県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)現行類集大分県官令全書第3帙 (編:浜田至誠、出版:八風堂、明26.7.17)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年3月末までの廃置分合も反映させたもの。([62863][69698]拙稿の表に記載のもの)
(2)大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)
#市制町村制施行時の廃置分合をそのまま記載。
(3)大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)
#市制町村制施行時の廃置分合をそのまま記載している。欄外に明治40年3月末までの廃置分合を注釈を付け加えてある。
(4)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)
#市制町村制施行時の廃置分合をそのまま記載。
(5)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(7)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載しています。
(8)大分県統計書大正5年第1編(著・出版:大分県知事官房、大7.3.31)
#大正5年末の町村大字一覧。
(9)明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(明23.10.6)
(10)明治23(1890)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第30号(明24.7.8)
(11)明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第29号(明25.7.15)
(12)明治25(1892)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第37号(明26.7.27)
(13)明治26(1893)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第95号(明27.7.25)

(1)~(4)は総てにおいて参照し、(5)~(13)は適宜参照しました。

以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(2)のみを記載しました。なお(1)は[62863][69698]拙稿の表で紹介したものですが、明治26年3月末までの廃置分合が反映されているため、明治22年の市制町村制施行時の記載としては誤りとなっているところもあります。

それでは紹介です。


9 新設/町制 宇佐郡四日市町 宇佐郡 四日市村, 城井村, 吉松村, 石田村, 葛原村

9 新設/「村」制 宇佐郡四日市「村」 宇佐郡 四日市村, 城井村, 吉松村, 石田村, 葛原村
ではないでしょうか。
まず現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では四日市町となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)では四日市「村」となっています。
明治23(1890)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第30号(明24.7.8)では明治23(1890)年末は四日市村ですが、明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第29号(明25.7.15)では明治24(1891)年末には四日市町と村から町に変わっています。内務省告示第29号(明25.7.15)の明治24(1891)年中の廃置分合の所に明治24年に四日市村から四日市町と改称したことが記載されています。ゆえに上記の変更に加えて、市区町村変遷情報では以前は記載があった
1891.__.__ 町制 宇佐郡四日市町 宇佐郡 四日市村
と追記することになります。以前の記載では1891.11.2町制でしたが。。。


12 新設/町制 宇佐郡長洲町 宇佐郡 長洲村, 金屋村

12 新設/「村」制 宇佐郡長洲「村」 宇佐郡 長洲村, 金屋村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では長洲町となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)では長洲「村」となっています。
大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)の上部欄外には
24年5月11日長洲村を長洲町と改称す
とあります。
明治23(1890)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第30号(明24.7.8)では明治23(1890)年末は長洲村ですが、明治24(1891)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第29号(明25.7.15)では明治24(1891)年末は長洲町と村から町に変わっています。内務省告示第29号(明25.7.15)の明治24(1891)年中の廃置分合の所に明治24年に長洲村から長洲町と改称したことが記載されています。ゆえに、市区町村変遷情報では以前は記載があった
1891.05.11 町制 宇佐郡長洲町 宇佐郡 長洲村
と追記することになります。以前の記載では1891.5.24町制でしたが。。。


62 新設/村制 西国東郡河内村 西国東郡 小田原村, 森村
79 新設/町制 西国東郡来縄町 西国東郡 来縄村, 界村, 「佐野村」

62 新設/村制 西国東郡河内村 西国東郡 小田原村, 森村, 「佐野村」
79 新設/「村」制 西国東郡来縄「村」 西国東郡 来縄村, 界村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では来縄町であり、かつ佐野村は来縄町の一部となっています。
しかし大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では来縄「村」であり、かつ佐野村は来縄「村」の一部となっています。
大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)でも佐野村は来縄「村」の一部となっています。
また明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(明23.10.6)でも来縄「村」とあります。
また、大分県統計書大正5年第1編(著・出版:大分県知事官房、大7.3.31)では大正5年12月31日には、佐野は河内村の区域にあり、高田町(来縄「村」は1907年に高田町の一部となる)にありません。


97 町制 速見郡浜脇町 速見郡 浜脇村
98 町制 速見郡別府町 速見郡 別府村

97 村制 速見郡浜脇村 速見郡 浜脇村
98 村制 速見郡別府村 速見郡 別府村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では浜脇町、別府町となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)では浜脇村、別府村とあります。
明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(明23.10.6)でも浜脇「村」、別府「村」とあります。
大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)の上部欄外には
26年4月告示第41号を以て浜脇村を浜脇町とし別府村を別府町と改称す
とあります。
明治25(1892)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第37号(明26.7.27)では明治25(1892)年末は浜脇「村」、別府「村」で、明治26(1893)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第95号(明27.7.25)では明治26(1893)年末は浜脇町、別府町となっています。内務省告示第95号(明27.7.25)の明治26(1893)年中の廃置分合の所に明治26年に浜脇村を浜脇町とし別府村を別府町としたことが記載されています。
ゆえに上記の変更に加えて以前の記載にあった、
1893.04.__ 町制 速見郡浜脇町 速見郡 浜脇村
1893.04.__ 町制 速見郡別府町 速見郡 別府村
を追記することになります。以前の記載では1893.4.11町制でしたが。。。


125 新設/村制 大分郡東稙田村 大分郡 光吉村, 宮崎村, 田尻村, 岡川村, 鴛野村, 旦野原村, 寒田村, 高城村

125 新設/村制 大分郡東稙田村 大分郡 光吉村, 宮崎村, 田尻村, 岡川村, 鴛野村, 旦野原村, 寒田村, 高「瀬」村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


150 新設/村制 大野郡新田村 大野郡 西泉村, 小田村, 本城村, 久田村

150 新設/村制 大野郡新田村 大野郡 「玉田」村, 小田村, 本城村, 久田村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


166 新設/村制 大野郡野津市村 大野郡 野口村, 都原村, 老松村, 原村, 宮原村

166 新設/村制 大野郡野津市村 大野郡 「野津市村」, 都原村, 老松村, 原村, 宮原村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


176 新設/村制 直入郡松本村 直入郡 穴井迫村, 君ヶ園村, 渡瀬村, 向山田村

176 新設/村制 直入郡松本村 直入郡 穴井迫村, 君ヶ園村, 渡瀬村, 「岩瀬村」, 向山田村
ではないでしょうか。
参考:大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)


192 新設/村制 東国東郡国崎村 東国東郡 川原村, 北江村, 田深村, 安国寺村, 鶴川村, 「小原村」

192 新設/村制 東国東郡国崎村 東国東郡 川原村, 北江村, 田深村, 安国寺村, 鶴川村
ではないでしょうか。
確かに現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)では小原村は国崎村の一部となっています。
しかし大分県管内町村一覧并里程表(著:春山荘平、出版:甲斐書房、明22.4)、大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、明42.3.25)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では「小原村」の記載はありません。
小原村とは#193で単独村制をした小原村であり、単に現行類集大分県官令全書第3帙 (編・出版:浜田至誠、明26.7.17)で重複記載しただけなのではないでしょうか。

次稿へ続く。
[69917] 2009年 5月 4日(月)00:50:58むっくん さん
第二十二回十番勝負感想
十番勝負の感想を、正答順に書かせて頂きます。

問三:「岡」か「山」の文字 郡山市で○
「政令指定都市岡山市誕生記念」と書かれていて、何かこれに関連するものがあるだろう、と既に出た解答を見ていて、山が多いな、そして残りは岡か、という感じで気付きました。

問五:読みの最初と最後の文字で他の市名 大野市で○
深夜特急さんの尼崎市[69507]を見て、ふと安芸市を思いつきました。他の答を見て共通項の正しさを確認後、未正答県の福井県より大野市を答えました。

問一:複数の都道府県に隣接 いなべ市で○
解答の生駒市、高島市、甲賀市で隣接系とは気付きましたが、なぜか答えるのに二の足を踏んでしまいました。第一ヒントによって背中を押されてから答えました。

問六:はさまコレクション   さくら市で×、小山市で○
第一ヒントをあなぐらむへるぱぁ(笑)に掛けたら、すぐに共通項に気付きました。
はい、[69600]日本人さんと同じ手順です。
それにしても既出の市を答えることは何とかなくしたいものです。

問十:海から概ね500m未満 焼津市で○
第一ヒント提示後に、まず「埋立地にある市役所がある市」を共通項として調べるも、千葉市が×で方向が若干ずれていることに気付きました。
次に海岸線に近い市役所と方向転換してすぐに常滑市を思いつきました。しかし中部国際空港が出来たことで海岸が埋め立てられたこともあり、千葉市との関係上自信が持てませんでした。そこで日本最北端の市である稚内市より北から順に、オホーツク海、太平洋に沿ってしらみつぶしに調べました。誤答を避けるために、正誤の判断を辛めにしていたため、10都道県も調べることになってしまいました。

問七:4月に市長選挙 上天草市で×、湯沢市で○
第一ヒントを見て「投票」という単語に気付き、グリグリさんと同サイトから表を作成して答えました。適当に表を作成しなければ、誤答をせずに済んだものを・・・。

問四:都道府県の人口密度に一番近い 上天草市で○
第一ヒント提示後、既出の答をExcelに都道府県順に並べて、共通項に気付きました。問七で不正解となった上天草市を選択。
安来市を「あき」市と誤読して高知県の市と誤解し、都留市を東京都の市と誤解していたら共通項に辿り着くわけはないですよね(爆)。

問九:「桜」の文字がつく郵便局 寝屋川市で×、行田市で○
第一ヒントから住所に「桜」がある市を答えましたが×。第二ヒントの後、定番の郵便局に気付いて脱力しました。

問八:2005年国勢調査で前回調査より人口が3,000人以上減少 寝屋川市で○
第二ヒントの「国勢調査」を見て、国勢調査で記入する項目を調べたりと若干の遠回りはしましたが、すぐに本命のページを見つけられました。問九で誤答した寝屋川市を選択しました。

問二:鉄道が通っていない 栗東市で×、沖縄市で○
この問題は完答者の中ではどうやら私一人が非常にもがき苦しんだようで。
第二ヒントを苦心して何とか「鉄道がない」と気付いた後で、第一ヒントを「モノレールないよ」と、沖縄県に約6年前に出来たモノレールは除外なんだなと読んで検索スタート。
ここ1ヶ月は朝3時起きをしていている関係で、探している最中は凄まじく眠かったのですが、気力を振り絞って残り2市を北からしらみつぶしに探しました。そして、何とか見つかった1市が沖縄市でした。私の直前に答えられた中島悟さんが宜野湾市を選択されていたので、何とか滑り込めました。

今回は解の数も多く、何とか第十九回以来全問答えることができました。有難うございました。
[69889] 2009年 5月 3日(日)15:02:24むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)宮崎県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)宮崎県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)収録の宮崎県令第17号
(2)現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)収録の宮崎県令第17号([69698]の表に記載)
(3)現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)収録の宮崎県令第17号([62863]の表に記載)
(4)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12(香川・愛媛県の部分は明23.6)))
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(5)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(7)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。

#上記のうち(1)(2)(3)は形式が同じですが、(1)は完全に発行当時のものと同じもののようです。


それでは本論です。

2 1889.04.01 新設/町制 宮崎郡宮崎町 宮崎郡 上別府村, 上野町, 川原町, 江平町, 松山町, 瀬頭村

2 1889.04.01 新設/町制 宮崎郡宮崎町 宮崎郡 上別府村, 上野町, 川原町, 江平町, 「北那珂郡」 松山町, 瀬頭村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では北那珂郡 松山町, 瀬頭村となっています。
また地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも北那珂郡 松山町, 瀬頭村となっています。

現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)ではすべて宮崎郡となっていますが、これは書き落としであると推察します。


14 1889.04.01 新設/村制 児湯郡上穂北村 児湯郡 南方村, 穂北村, 調殿町, 童子丸村

14 1889.04.01 新設/村制 児湯郡上穂北村 児湯郡 南方村, 穂北村, 調殿「村」, 童子丸村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも穂北村、調殿村となっています。
また地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも穂北村、調殿村となっています。

#なお現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)では穂北「町」、調殿「村」となっており、現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では穂北「町」、調殿「町」となっていますが、これらは写し間違えであると推察します。


20 1889.04.01 新設/村制 児湯郡東米良村 児湯郡 銀鏡村, 上揚村, 八重村, 中尾町, 尾八重村, 中之又村

20 1889.04.01 新設/村制 児湯郡東米良村 児湯郡 銀鏡村, 上揚村, 八重村, 中尾「村」, 尾八重村, 中之又村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも中尾村となっています。
また、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも中尾村となっています。

現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では中尾町となっていますが、これは写し間違えであると推察します。


48 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡東海村 東臼杵郡 第武村, 粟野名村, 稲葉崎村, 祝子村, 川島村

48 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡東海村 東臼杵郡 「大」武村, 粟野名村, 稲葉崎村, 祝子村, 川島村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、のいずれでも大武村となっています。

現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では第武村となっていますが、これは写し間違えであると推察します。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では大武町となっており、延岡市統計書(平成20年版)01総説・自然(PDF)4コマでも大武町となっています。
大武「村」or大武「町」については、とりあえず県令の通り大武「村」と判断しましたが。。。


50 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南浦村 東臼杵郡 浦尻村, 須怒江村, 熊野江村, 島津浦村

50 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南浦村 東臼杵郡 浦尻村, 須怒江村, 熊野江村, 島「野」浦村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも島野浦村となっています。
また地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも島野浦村となっています。宮崎県統計書明治21年度の第一一 島嶼ノ位置及圍面積の島野浦の所在地も島野浦村となっています。
さらには延岡市統計書(平成20年版)01総説・自然(PDF)4コマでも島野浦村となっていますが。。。

#なお、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では島津浦村となっていますが。。。


61 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡倉岡村 宮崎郡 堤内村, 東諸県郡 金崎村, 糸原村, 柳瀬町, 有田村, 吉野村

61 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡倉岡村 宮崎郡 堤内村, 金崎村, 「東諸県郡」 糸原村, 柳瀬町, 有田村, 吉野村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも金崎村のところには「同」と記載されています。
また地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも金崎村は宮崎郡となっています。


64 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡本庄村 東諸県郡 須志田村, 北本庄村, 森永村, 竹田村, 「宮崎郡」 「宮王丸村」, 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 本庄南村

64 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡本庄村 東諸県郡 須志田村, 北本庄村, 森永村, 竹田村, 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 「南」本庄村, 「宮崎郡」 「宮王丸村」
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも南本庄村と記載されており、十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 南本庄村のところには宮崎郡を示す「同」とは記載されていません。
また、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 「南」本庄村となっています。

現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では宮崎郡 宮王丸村、東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 本庄「南」村と前掲の書物とは一箇所表記が異なっています。ただ旧村が本南庄村であるのに、役所位置が南本庄村となっており、これは明らかな写し間違えであると考えられます。



次は判断に迷う箇所ですが、一応記載しておきます。

51 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南郷村 東臼杵郡 上渡川村, 中渡川村, 鬼神野「川」村, 神門村, 水清谷村

51 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南郷村 東臼杵郡 上渡川村, 中渡川村, 鬼神野村, 神門村, 水清谷村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも鬼神野村となっています。
また地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも鬼神野村となっています。
美郷町HP内PDF2コマでも鬼神野村となっています。

しかしながら、宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)のいずれでも鬼神野川村となっています。

#これはおそらく鬼神野村であると私は考えていますが、現段階ではとりあえず保留としておいて、現状の鬼神野川村のままにしておく方が無難かなとも考えます。


以上多数になりましたがよろしくお願いします。
[69752] 2009年 4月 29日(水)00:51:46むっくん さん
第二十二回十番勝負
問二:沖縄市
[69743] 2009年 4月 28日(火)23:51:38むっくん さん
第二十二回十番勝負
問八:寝屋川市


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