都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
ニジェガロージェッツさんの記事が30件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[42980]2005年7月13日
ニジェガロージェッツ
[42913]2005年7月9日
ニジェガロージェッツ
[42899]2005年7月8日
ニジェガロージェッツ
[42841]2005年7月6日
ニジェガロージェッツ
[42682]2005年6月30日
ニジェガロージェッツ
[42057]2005年6月8日
ニジェガロージェッツ
[41818]2005年6月1日
ニジェガロージェッツ
[41681]2005年5月28日
ニジェガロージェッツ
[41649]2005年5月27日
ニジェガロージェッツ
[41400]2005年5月20日
ニジェガロージェッツ
[41231]2005年5月16日
ニジェガロージェッツ
[41191]2005年5月14日
ニジェガロージェッツ
[41184]2005年5月14日
ニジェガロージェッツ
[40497]2005年5月2日
ニジェガロージェッツ
[40324]2005年4月27日
ニジェガロージェッツ
[40321]2005年4月27日
ニジェガロージェッツ
[40230]2005年4月24日
ニジェガロージェッツ
[40083]2005年4月19日
ニジェガロージェッツ
[39667]2005年4月11日
ニジェガロージェッツ
[37398]2005年2月2日
ニジェガロージェッツ
[36808]2005年1月16日
ニジェガロージェッツ
[35132]2004年11月16日
ニジェガロージェッツ
[35082]2004年11月14日
ニジェガロージェッツ
[34902]2004年11月7日
ニジェガロージェッツ
[34879]2004年11月7日
ニジェガロージェッツ
[34818]2004年11月4日
ニジェガロージェッツ
[34769]2004年11月3日
ニジェガロージェッツ
[34767]2004年11月3日
ニジェガロージェッツ
[34756]2004年11月3日
ニジェガロージェッツ
[34746]2004年11月3日
ニジェガロージェッツ

[42980] 2005年 7月 13日(水)00:01:48ニジェガロージェッツ さん
神戸市兵庫区に残る「幽霊村」
[42975] 星野彼方 さん
宣言通り、土曜日に踏切の確認をしました。久しぶりに西明石~新大阪間で快速電車前面かぶりつきを堪能いたしました。

確認作業お疲れ様でした。大変な作業だったようで頭が下がります。
実は小生も、この日曜日に「山ヶ坪第一踏切」の現場を確認して参りました。[42899]を投稿した際に、旧知の場所であるにも拘らず、
地図上で松風町4丁目と5丁目の境にあるここだと思います。
と、敢えて確証を持っていない様に表現を濁していましたが、これは現地周辺ではJR鷹取工場の廃止や、新駅設置計画などの影響で、若干状況が変わっているかも知れないと思ったからです。
改めて実際に見てみると、踏切には「山ヶ坪一」と書かれており、昔と同じ歩行者用の踏切ですが、以前はこの踏切を横断する長さ(踏切の反対側までの距離)は、山陽本線だけでなく鷹取工場への引込線も跨いでいたので、かなり長く、実際には二段構えの踏切になっていました。
今ではこの「二段構え」のうち、北側(鷹取工場への引込線)の踏切は撤去されており、今の踏切名が「山ヶ坪第一」となっていることから、もしかしたら撤去された北半分の踏切は「山ヶ坪第二」だったかも知れないです。あくまで小生の推測ですが。

田辺村、森村に続いて打出村も登場し、村踏切三兄弟というかんじです。
踏切名では今でも「村」が残っているのは面白いですね。
話をたもっちさんの[42833]「字名の“村”」コレクションに戻しますが、Yahooの郵便番号検索を見ると神戸市の旧市街地の兵庫区には、「東尻池村」と「御崎村」が大字名として残っています。どちらも旧林田区の範囲ですが、一部の国有地や鉄道敷地の一角が、昔のまま町名改正されずに残ってしまったようです。
「村」は付きませんが、同様の例として同じ兵庫区に「吉田新田」と「兵庫運河」が地図にも載らない「幽霊住所地名」として存在しており、地元の「神戸の町名」にうるさい人々の間では結構有名な話です。

神戸市兵庫区東尻池村と御崎村。愛比売命さん、どないですか??
[42913] 2005年 7月 9日(土)00:39:32ニジェガロージェッツ さん
「市区町村プロフィール」にある「施行日」欄より神戸市の区
「市区町村プロフィール」にある「施行日」についてのそれぞれの見解が話題になっていますが、小生もこのページの存在を知った3年前より気になっていることがあります。

それは地元神戸市の区の「施行日欄」にある日付ですが、ここに問題の箇所を引用すると

兵庫区1931.9.1
長田区1931.9.1
となっています。
これは、はっきり言ってしまえば「間違い」です。

神戸市に区政が実施され、当時の市域に区を設けたのは1931(昭和6)年9月1日ですが、当時の区は東から順に、灘区、葺合区、神戸区、湊東区、湊区、湊西区、林田区、須磨区の8区です。

つまり、この時点では兵庫区も長田区も存在していません。

神戸市に兵庫区が出来たのは、1933(昭和8)年1月1日。これは、当時の湊西区を単純に改名しただけでした。
一方、長田区の成立は1945(昭和20)年5月1日。林田区の大部分(一部が兵庫区と須磨区に移管)と須磨区の一部(おおよそ旧西代村の範囲)を合せての誕生でした。

但し、この「間違い」に気付きながらも、敢えて今日まで黙殺していたのは、小生なりに作成者であるグリグリさんの見解を尊重したからに他なりません。

つまり、グリグリさんほどしっかりとした考察をお持ちのお方が、敢えてこのような「間違い」を犯したのではなく、現在ある兵庫区と長田区の基となる行政組織は、1931年9月1日にそれぞれ湊西区と林田区という形で存在したとご理解なされた上で、両区の「施行日」欄に1931.9.1と打ったのだと小生は感じたからです。

ホームページの運営、特にデータを網羅的に並べるのには、データを解釈する上で、管理人の統一された見解というものが不可欠だと思います。
一方で、市町村制度が始まって以来、明治から平成の今日まで全国津々浦々で行われた合併などの行政組織の再編は、それぞれ複雑な地元の諸事情が絡み合い、それらを個人ホームページのデータに反映するには、実際問題として不可能です。
例えば、クリちゃんさんから[42876]にて静岡市の場合についての疑問を提示されていますが、ではIssieさんよりご紹介のあった[1346]姫路の場合、1946年に周辺の飾磨市・広畑町・網干町・大津村・勝原村・余部村・白浜町と対等合併した旧・姫路市の場合も施行日が1889.4.1では「間違い」となります。

このようなケースは静岡と姫路の場合だけではなく、それこそ全国各地にあります。
それを全国の行政組織の施行日データを網羅する際に、「間違い」なく反映出来るかと問えば、先ほど「実際問題として不可能です」と申し上げましたが、仮に出来るとしても、検証作業だけでも膨大となり、また解釈の尺度を考えても各地の複雑な事象を、A市の場合は「吸収合併」、B市の場合は「対等合併」などと個人の立場で判断せざるを得ず、実際問題として小生はそこまで管理人さんに負担を掛けるべきではないと考えます。

本当に好きでなければ出来ないでしょうが、全国の諸データを網羅するホームページの運営の難しさは、理屈抜きでやってみないと分からないですよ。
[42899] 2005年 7月 8日(金)02:16:30ニジェガロージェッツ さん
踏切レス
[42859][42882] 星野彼方 さん
田辺村踏切の位置の確認有難うございます。

拙稿[42841]にある
明治18(1885)年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、東海道本線の北に位置する田辺村集落より南へ伸びるかなりはっきりとした街路が、東海道本線を横切っています。
という箇所と、お教え頂いた踏切の位置を住吉川との距離で比べたところ、ほぼ一致しました。

[42855] 2005 年 7 月 6 日 (水) 12:59:05 たもっち さん
田辺村の中心部へ向かう道との交点だから田辺村踏切というのだと考えれば、これ以上ない明快な説明になると思います。
との仮説が、裏付けられた格好ですね。


[42883] 小松原ラガー さん
ただそこから先は三宮はおろか恐らく鷹取~須磨間(須磨駅の手前)までなかったかと思います。
JR線で三ノ宮以西で初めての踏切、言い換えれば(和田岬線を除く)山陽本線最東の踏切は、 鷹取~須磨間のほぼ中間、須磨区松風町にあります。地図上で松風町4丁目と5丁目の境にあるここだと思います。(近いうちに現地確認しておきます)

東西に細長い神戸の旧市街地を貫く東海道・山陽本線には、もともと至る所に踏切があり、事故も日常茶飯事だったと聞きます。神戸市民の悲願だった高架工事は大正15年8月に始まり、東海道本線灘駅から山陽本線鷹取駅までの高架が完成したのは昭和6年10月のことで、ようやく当時の神戸市街地部分から踏切が無くなりました。余談ですが、高架化以前の三ノ宮駅は現在の元町駅のところにありました。

#小松原ラガーさん、星野彼方さんと「神戸組」が増えましたね。喜ばしい限りです。これからも宜しくお願い致します。
遅くなりましたがご挨拶まで。
[42841] 2005年 7月 6日(水)00:01:29【1】ニジェガロージェッツ さん
東灘区本山町田辺
[42833] たもっち さん
神戸市東灘区本山にあった田辺村についてですが、明治22(1889)年まで存在した村名です。
東灘区役所が昭和51年に発行した「東灘区25年」という冊子によれば、昭和46(1971)年6月1日と昭和48(1973)年6月1日に田辺の市街地部分に新住居表示が実施され、現在「本山町田辺」という地名は山域のみに残存していますが、もともとは現在の本山中町4丁目、本山北町3丁目と6丁目、岡本1丁目と5丁目のそれぞれ各一部に跨っていました。丁度、JR摂津本山駅、阪急岡本駅の東側に隣接する南北に細長い地域です。
市町村制度が始まった明治22年に周辺の田中、野寄、岡本、小路、北畑、中野、森を合せた8か村で菟原郡本山村を形成し、明治29(1896)年の菟原郡廃止で武庫郡本山村となり、昭和25(1950)年10月の本山・本庄2村の東灘区編入まで「本山村大字田辺」でした。

JR神戸線田辺村踏切
東海道本線の大阪―神戸間の旅客営業運転開始が明治7(1874)年のことで、まぎれもなく「田辺村」を鉄道が走っていました。
当時この場所での踏切の有無は存じませんが、明治18(1885)年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、東海道本線の北に位置する田辺村集落より南へ伸びるかなりはっきりとした街路が、東海道本線を横切っています。
おそらくその名残が今でも踏切名として残っているのでしょう。

本題から逸れますが、本山町田辺の国勢調査人口データを提示しておきます。
言うまでもありませんが、1975年以降は人口が激減しているのは、新住居表示実施に伴い市街地部分が除外されたためです。
世帯数人口
19504461,934
19554571,941
19605552,187
19655762,087
19706282,024
19751336
19801762
19851965
19901760
19952173
20002163

【訂正】人口データを追加
[42682] 2005年 6月 30日(木)01:07:37ニジェガロージェッツ さん
非常にどうでも良い地名推理
[42667] 白桃さん 備中高松と四国高松
[42673] 打吹さん 仙台と川内

地名を利用した面白いトラベルミステリーのお話、有難うございます。
私が印象に残っている・・というか忘れられないものに、テレビドラマの「十津川警部シリーズ」の一つ、「シベリア鉄道殺人事件」があります。
東京・新宿での殺人事件の背景に、日本の商社の裏組織が関与するロシアの核兵器技術の中東某国への密輸計画があるとにらんだ十津川警部は、組織を追ってウラジオストク発のシベリア鉄道に乗り、沿線各地で様々な攻防を繰り広げ、ロシア人核技術者グループの密出国を阻止しようとする物語でした。

西村京太郎氏の原作では、物語が完結するのは旧ソ連・ポーランド国境にあるベラルーシのブレスト駅でしたが、テレビドラマでは、ソ連解体と時代の変化もあって、結末のロケーションが全く異なっていました。

テレビ版では、犯行グループは偽造パスポートでモスクワ近郊の目立たない空港から第三国に出国するものと断定し、犯行グループの一人に揺さぶりを掛けてその出国日時を聞き出そうとしたところ、事前に裏切りを察知したロシアン・マフィアに狙撃されて、ターゲットは「22日2時に・・・」とだけ言い残して絶命。

しかし、2時に出国する飛行機はどこにも無く、時間が解っていながらも場所が特定できずに苛立つ捜査陣は、やがてターゲットが言い残したのは「22日2時に・・・」ではなく、「22日、ニジニ・・・」言ったのではと気付き、犯行グループが全員、ニジニ・ノヴゴロドの飛行場で御用となる結末でした。
[42057] 2005年 6月 8日(水)00:11:00【1】ニジェガロージェッツ さん
裏富士、裏六甲、子供
「裏日本」という呼称についての見解が話題になっていますが、YSKさんが[42038]にて主張された一般論
(1)「裏日本」はマイナーな地域ではないのはもちろんのこと、そもそもマイナスイメージによって命名されたものではないこと。
(2)「裏」ということば自体がそもそもマイナスイメージを内包するものではなかったこと。
に賛同します。

この議論から思い出したことがひとつ。

[27622]愛比売命 さん
富士山なども気になるところですって書いたら、山梨の人に怒られそうですが。「甲斐から見る富士山が一番だ」と、某大河ドラマでも出たような気がします。

はい、間違いなく出ていました。
1988年放送のNHK大河ドラマ「武田信玄」でのひとコマでした。
今川義元治下の駿河国にて、今川義元、北条氏康、武田信玄が会合し、「三国同盟」が結ばれる場面でしたが、駿河からの富士の眺めを自慢する義元に対し、氏康は「近すぎていかん」と言い、更に義元が信玄に対して、「甲斐から眺める裏富士もさぞ美しかろう・・・」などと話題を振ったところ、
「わが甲斐では誰一人として『裏富士』などと呼ぶものは居らん。それもそのはず、駿河から見る富士は尻丸出しでござる。」
と言って反論し、一同大笑いとなるシーンでした。

これは、おそらく現代の感覚で「裏」がマイナスのイメージを前提としての脚本でしょうか。


ところで、[27622]愛比売命さんの記事にもありますが、神戸の六甲山では南斜面(神戸市街地側斜面)を「表六甲」、北斜面(北区側斜面)を「裏六甲」と呼んでいます。
実際に六甲有料道路にて、「表六甲ドライブウエイ」「裏六甲ドライブウエイ」が存在します。もちろん、この場合「裏」にネガティブな意味合いは全くありません。
但し、私見ながらこの「裏六甲」については、六甲山域の範囲で呼ばれていることで、それ以外の、例えば北区の住宅地について「裏六甲に住んでいる」とは一般には言われていないと思います。

[31428]みやこ♂[みやこ] さん
兵庫県 地獄谷 じごくだに 「裏六甲」でいいのかしらん?
はい、まさしく裏六甲です。上級者向けコースですが、地獄谷西尾根、地獄谷(沢登り)、地獄谷東尾根ともにハイキングコースです。小生も学生時代(20年以上前)にはよく歩いたコースです。


[42053]愛比売命 さん
あからさまに差別を助長することや誰が見ても卑猥な言葉などは絶対にしてはいけませんが、それに少しでもつながる可能性のある言葉までもを「全否定」って、なんだか腫れ物でも触るかのようで味気ないですね。この過剰なバッシングのおかげで、話せる語彙が少なくなって、日本語が薄っぺらな言葉になってしまわないか心配です。

全く同感です。
極端な例に当たるかも知れませんが、「子供」という表記さえ、差別的な表現として教育現場では用いることが問題視されるようです。
「子供」の「供」の字は、「お供」の字で、神仏のお供えや大人の付属物のような印象を与えることから、子供への人権侵害にあたるという解釈から、「子ども」と表記することが望ましいのだそうです。
しかし、これこそ的外れな解釈で、「子ども」という訳のわからないかな混じり表記の強制こそ「過剰なバッシング」以外の何物でもないと思います。
#「供」の字は小学校の高学年で習う漢字だそうで、この字を習うまでは「子ども」と書かざるを得ないのは仕方ないことかもしれませんが・・・。


【記事訂正】
記事検索すると「子ども」と表記されている皆様が意外に多く、「落書き帳」にて無用の議論を起こすことを避けるため、一部文章を変更しました。
[41818] 2005年 6月 1日(水)23:32:18ニジェガロージェッツ さん
旧淡路町の飛び地と再合併
[41812] ケン(地理好き) さん
昭和の大合併により一度は一緒になり、後に分町し、平成の大合併で再度合流した例として、兵庫県には淡路市の例があります。

[5211]拙稿、[39331]逆太郎 さん、[39392]EMMさんからの記事に、旧淡路町からの東浦町の分町に際し生じた淡路町の飛び地問題も含めて詳述されています。ご参考まで。

ところで、旧飛び地の郵便番号は

大字本体(東浦町)飛び地(淡路町)現在(淡路市)
釜口656-2334656-2371656-2334
仮屋656-2331656-2361656-2331
楠本656-2301656-2341656-2301
久留麻656-2311656-2351656-2311

となっていました。旧淡路町は656-2400がベース、旧東浦町656-2300がベースとなっていたので、東浦町内に点在した飛び地はいずれも東浦町の656-23ですが、末尾二桁で本体と区別されていたのが興味深いところです。
再合併による淡路市(旧淡路、東浦、津名、一宮、北淡の5町)の成立により飛び地は解消され、結果旧飛び地の郵便番号も無くなったようです。
[41681] 2005年 5月 28日(土)11:05:48ニジェガロージェッツ さん
Re:遠距離恋愛の経験もありますが
[41674] いっちゃん さん
ちなみにタイトルの距離は直線で約885キロでした。
この計測は、市役所経度緯度情報 都市間直線距離・方位角自動計算 いちごねっとを利用しました。結構面白いですよ。

これは結構使えます! 面白い情報ありがとうございました。

注意として、「北緯東経地域に使用できます 楕円回転体定義を除いた都市間の直線距離計算です」とありますが、この計算法は、地球を全周40000キロの球体として仮定しているようですね。(地球の裏側との距離を測ると計算結果が20000キロと出ました)
実際の地球では赤道の全周が40075.161キロ、子午線の全周が40008.006キロですから、地球の裏側との距離を計測したとしても、この程度であれば誤差の範囲でしょう。
なお、南緯や西経の地域でも、マイナスで入力すると計算可能のようです。

ちなみに小生のタイトルの距離は直線で約6932キロでした。
[41649] 2005年 5月 27日(金)01:43:41ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎、再び
[41633] hmt さん
岡山県が、漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から取揚島を除外させた
という趣旨の記事は、既に県境の島であった取揚島の「岡山県部分」に関することです。

拙稿[41400]への詳細かつ丁寧なフォロー有難うございます。
少々言葉足らずで、でるでるさん[41610]に若干の誤解を生じたかも知れなかったのですが、仰るとおり、昭和38年の岡山県日生町福浦地区の兵庫県移管に際して取揚島が除外されたのは、島の「岡山県部分」に関してのことを述べたに過ぎません。

[41400]のタイトルに「取揚島の謎」とした「謎」については、そもそもこの島に「兵庫県部分」が存在するか否かの1点に尽きます。
もともと、播磨・備前2国の海上の境界として、本土側の岬である綱崎突端(福浦地区東端)と取揚島とが目印にされていたのは容易に想像がつきます。そして両国の国境がそのまま兵庫・岡山2県の県境として引き継がれた・・・。
この島が県境である以上、島は両県により折半されたと見るのがごく自然ですが、果たして如何なのか?
仮に海上の境界線は取揚島の中心線を通るとしても、島そのものは面積0.01km2の無人島です。
このような「境界石」としての目印以外の役割がありそうも無い島を、敢えて両国(両県)で折半する必要が生じたのか否か。
もしかしたら、県境上の島として地図上でもそのように描かれているのだけれども、島そのものの帰属は岡山県として認識されていたのかも知れない。

そこで気になるのが、第四管区海上保安本部の一覧表にて2県にまたがる島に数えられなかったことや、角川書店「日本地名大辞典」の兵庫県版(地名編、地誌編)に取揚島に関する記事が無いことです。
海上保安本部の一覧表からこの島が欠落しているのについては、小生もhmtさんと同じく、単なる数え落しだとも感じましたが、「日本地名大辞典」の岡山県版のみに記載があることが興味深いところです。
実は小生も同様の角川書店「兵庫県地名大辞典」を持っています。「落書き帳」に兵庫県についての記事を投稿する際には、必ず裏づけのためにこれを参照しています。
(#冷蔵庫の裏に子猫が入らないように障害物としてのみ、この分厚い大辞典を利用している訳ではありません・・・笑)
[41400]を投稿した際に調べましたが、やはりこれにも取揚島に関する記事が無く、この島に「兵庫県部分」の存在の確証が得られなかったものですから、「兵庫県部分」をぼかした記事として投稿しました。

角川:日本地名大辞典の岡山県を見ると、(中略)地誌編には、行政区域としての岡山県日生町福浦が、“兵庫県赤穂市の南方海上にある取揚島の一部に残り、県境をなす。”と記されて

はっきりと「一部」と書かれているところから見ると、「兵庫県部分」の存在が疑うべくも無いようですが・・・。
[41400] 2005年 5月 20日(金)01:50:50ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎
[41370] hmt さん
表自体に含まれていない赤穂付近の「取揚島」(兵庫・岡山県境)を含めて、「2県にまたがる島」は8つということになります。

[15470] KMKZ さん
取揚島は、兵庫・岡山の県境になりますから、海上保安庁の島の一覧表で、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっているのは記載漏れでしょうか。これでは7島という数も信用していいのか悩みます。本当は6島しかないのかも。

[41356]でるでるさんよりアナウンスのありました、地名コレクション「2県にまたがる島」拝見致しました。
兵庫県赤穂市の沖合いに浮かぶ小さな無人島「取揚島」ですが、地図上では確かに兵庫・岡山県境が赤穂市福浦地区の海面で大きく東に迫り出し、取揚島を分断しており、「2県にまたがる島」と言えます。
このことは、でるでるさんが[15406]にて『日本の島ガイド~シマダス』(財)日本離島センター刊、より調べられた結果にも反映されています。
一方で、KMKZさんが[15470]にて海上保安庁の島の一覧表より調べられた結果、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっていることについては、この島が岡山県にのみ属していると解釈できます。

この島はもともと岡山県に属していた福浦地区のもので、この地区(旧・岡山県和気郡福河村)が一旦は1955年に岡山県日生町に編入されたものの、生活圏の関係から、後の1963年に兵庫県赤穂市に編入された際に、その編入区域からは除外されています

原因は、この地区の兵庫県への越境編入を岡山県側が容易には認めず、結果的には陸上部分は渋々兵庫県への移管に同意するものの、漁業権の絡む海上部分の移管は頑として認めず、兵庫県側がそれで妥協したことによるものです。

このことは、2002年10月に奈良県桜井市での第3回市町村合併講演会「兵庫県の事例に見る市町村合併の課題」にて、「昭和の大合併の遺恨」として、詳しく経緯が述べられています。
これによれば、このイレギュラーな妥協の結果、取揚島の鼻先に赤穂火力発電所を建設した際、その排水を目の前の海に流せず、わざわざ6キロも先までパイプラインを敷設して、赤穂御崎の東まで迂回した排水設備を造るなどの苦労話として語られています。


【追記】でるでるさんへ
Поздравляю Дэрудэру-сан с 28-ым днём рождения !!!
[41231] 2005年 5月 16日(月)01:09:16ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮です
[40391] 太白 さん
[40341] 愛比売命さん発掘の神戸市北区山田町下谷上の西端に点在する、須磨区白川の飛び地群について
これは、[19771] ニジェガロージェッツ さんが
地元の詳細図ぐらいしか図示している地図を存知ません。
とされていた飛び地ですね
はい、間違いなくそれです。
この地域はもともとが山林地帯ですが、谷間に点在する耕作地が須磨区白川の集落住民の土地だからということで、須磨区白川の一部としたようです。愛比売命さん発掘の地図と比べて80年代に見た「地元の詳細図」には、さらに多くの細かな飛び地が点在していた記憶があります。当時はハイキング好きの小生も白川から北区藍那へ抜けるコースとして良く歩いたものです。
現在では阪神高速7号北神戸線が走り、付近の環境は一変していますが、飛び地(耕作地)の大部分は健在だと思います。


[40441] 白桃 さん
国勢調査人口学部 ふぁいん博士 東京都豊島区 ニジェガロージェッツ客員教授特講あり
ぎゃ!御指名が。以前に[20184]で「国務大臣(大規模災害等担当)」に指名されて以来ですが、今度は国勢調査人口学部ですか。
小生がこだわっている国勢調査とは、2002年10月9日に某国で行われたものです。その様なものであれば何時でも東京都豊島区まで出向きたいのはやまやまなのですが、あいにく慢性的に貧乏で、神戸市長田区からの交通費の支給お願い出来ますでしょうか?
恐らく、そのような経費は出ないと推測します故、参考資料として都市人口ランキングと、行政区画別人口をお送りしますので、あとは学部で適当にやって下さい。(笑)


[41200] YSK さん
2003年の両毛オフ会時に、古河にちょっと入ったときのことですね。
あの時はお世話になりました。拙稿[41184]にて茨城県にかすったことだけを「感謝!」と書きましたが、それまで空白県だった群馬県に宿泊したのも、足尾町をはじめ栃木県を歩いたのも、みなYSKさんのご案内の下でした。
多謝!
#ところで、あの時写した写真フィルムはまだカメラの中です。そろそろ現像しないと色褪せそう(汗)


[41218] hmt さん
この記事を見て、約10年間東京府民であったことを思い出しました。
そこで、[41180]を、“東京都(東京府)”と修正いたします(笑)。
やはりそうでしたか!
いつも深い歴史考察とご体験に裏づけされたのhmtさんの記事の数々、楽しみに拝読しております。
特に大東京についての貴稿は、以前に「落書き帳」のとあるメンバーより頂戴した「東京都35区区分地図帳」と見比べながら楽しんでおりました。
小生も戦前の神戸など、昔の都市景観について興味があるのですが、所詮知識としての戦前でしかありません。
知識の乏しい小生からレスをお付けすることは畏れ多くて出来ないとは思いますが、それでも、またの拝読の機会を楽しみにしております。
[41191] 2005年 5月 14日(土)23:04:10ニジェガロージェッツ さん
じゃごたろさんへ
じゃごたろさん、貴殿への初めて(恐らく?)のレスにて訂正依頼で恐縮ですが

[41124] じゃごたろ さん
※ がんす横丁ままさん[41136]、更級14さん[41146]、紅葉橋瑤知朗[41152]、音無鈴鹿さん[41165]さん、中島悟さん[41174]、たもっちさん[41177]、てへへさん[41178]、hmtさん[41180]、ニジェガロージェッツさん[41184]の修正済み。

早速の修正ご苦労様です。
但し、小生の項目が155点 (1,31,8,0,2,4)とありますが、これは修正前の拙稿[41184]にて、愛知県が「泊った」と「歩いた」の双方に重複していたのを受けて再計算して頂いたようですが、愛知県への宿泊経験はなく、京都府の間違いでした。申し訳ありません。
正しくは158点(1,31,9,0,2,4)です。
[41184] 2005年 5月 14日(土)21:11:34【3】ニジェガロージェッツ さん
遅れ馳せながら経県値
2002年当時の過去ログ7300番台で、「行ったことがある都道府県の数」、続いて「宿泊経験のある都道府県の数」が話題になった際、小生も詳細レスしたのですが、思うに詳細過ぎたために個人情報の公開に繋がってしまったのではないかと感じ、その後もどうしても気になって、今年になってから、もう時効だからいいかと、グリグリさんに当該拙稿を削除をお煩わせした経緯がありました。
経県値という話題の中で、同様のレスについては、実のところ他人のを見ているだけで自らの公表をためらっていました。

しかし、ここに来て予想以上に多くのメンバーが積極的に経県値を公表される中、ひとり意地を張って話題の中に入らないのもメンバーとして大人げがないようにも感じるようになり、お遊びのひとつと割り切るのであれば問題はないとの結論から、遅れ馳せながら経県値なるものの算出をしてみました。

◎ 住んだ・・兵庫
○ 泊った・・北海道、青森、秋田、山形、群馬、埼玉、千葉、東京、長野、石川、富山、福井、岐阜、京都、三重、和歌山、大阪、岡山、鳥取、島根、広島、山口、香川、高知、愛媛、福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎
● 歩いた・・・ 岩手、宮城、栃木、神奈川、新潟、愛知、滋賀、奈良、徳島
△ 降りた・・・ 「降りただけ」というのは該当なし
▲ 通過した・・・ 静岡、茨城(YSKさんに感謝!)
× かすったことも無い・・・ 福島、山梨、鹿児島、沖縄

以上、5×1 + 4×31 + 3×9 + 2×0 + 1×2 = 158点でした。

ところで採点方法については色々と議論あるようですが、小生もこの採点方法がシンプルで宜しいと考えます。
但し、別の見地から敢えて提案をいくつか述べさせていただければ、

【提案1】
現在のところ、理論上の最高点は 5×47=235点 となりますが、例えば戦前の樺太に住んだことのある方はどうなるのでしょうか?
そこで、旧大日本帝国をリアルタイムで経験したことのある人には、樺太庁や黄海道や新竹州や南洋庁など、当時の帝国行政区画をすべて含め、理論上の最高点を 5×71=355点 とする。但し、東京府と東京都は同一のものとして扱う。

#因みに小生は帝国の解体の十数年後に生まれているので、該当しません。

【提案2】
更に過去を遡り、明治時代をリアルタイムで経験した人には、廃藩置県後の一時期に存在した旧県も文字通り「経県」したと認める。
つまり現在では存在しない、堺県や筑摩県や根室県などの経県を認めるというものです。最高点は???

【提案3】
国境の概念を取り除き、他国の行政区画のうち、日本の都道府県に等しいと思われる州や道などをいちいち数える。これは各国の地方自治行政により、例えば中華人民共和国については、それを省単位にするか、省の下部組織にあたる県や地区にするかは難しいですが、遊びと割り切って省単位とする。

#因みに小生は
◎ 住んだ・・ニジニノヴゴロド州
○ 泊った・・サハリン州、ハバロフスク地方、沿海地方、イルクーツク州、タタルスタン共和国、サマーラ州、ヤロスラヴリ州、モスクワ市
△ 降りた・・モスクワ州
▲ 通過した・・ウラジーミル州、イヴァノヴォ州、チュヴァシ共和国、ウドムルト共和国、キーロフ州
が加わり、5×1 + 4×8 + 3×0 + 2×1 + 1×5 = 44点の加点となり、合計202点
[40497] 2005年 5月 2日(月)01:49:00ニジェガロージェッツ さん
スバールバル諸島
[40347] hmt さん
スバールバル諸島についての詳細レス有難うございます。本当に勉強になります。
また、スバルバール(スピッツベルゲン)旅行記のウエブサイトをお教え頂き感謝です。
拙稿[40324]にリンクした英文のページと同じウエブサイトでしたが、小生恥ずかしながら日本語がメインのサイトとは気付きませんでした。
作者はきちんと日の丸付で Japanese version と書いて下さっていたにも関わらずです。(滝汗)
ロシア語の検索サイトから辿り着いたので、日本発とは思いも寄りませんでした。話題になったドメイン国名コードからして[jp]にもかかわらず・・・です。

ところでこの旅行記にある、ロシア人居留地バレンツブルク訪問のコーナーに、1950~1990年にかけての現地説明パネルを紹介しておられるページがあるのですが、その中で「中央下部左の説明文」(港湾設備)にあるロシア文のみ邦訳されていませんが、こういうのを見ると訳したくなります。
以下に訳しておきます。

「鉱山は大陸との定期連絡航路を有しています。
航行は5月から10月(を含む)まで運行されています。1981年の航行の初めまでに貨物旅客用桟橋は改築されました。」

#本文で唯一不明なのが“С БОЛЬШОЙ ЗЕМЛЕЙ”の部分。一般に「СООБЩЕНИЕ С +名詞(地名)の造格形」で、「~との連絡」の意味になり、“БОЛЬШАЯ ЗЕМЛЯ”が文字どおり「ボリシャヤ ゼムリャ」という地名の可能性もありますが、小生個人の独断で「大陸」としましたことをお含み下さい。
また、本文には“ВКЛЮЧИТЕЛЬЮ”とありますが、これは“ВКЛЮЧИТЕЛЬНО”の間違いでしょう。
数や期間を示す語の後ろに置いて用いる副詞で、「~を含めて」という意味です。
[40324] 2005年 4月 27日(水)23:45:55ニジェガロージェッツ さん
スピッツ・ベルゲン島のロシア人居留地
[40317] hmtさん
スバールバル諸島は、これまで話題にした島々とは異なり、とても大きな島です。
(中略)
とはいうものの、かつて盛んだった炭鉱がさびれて、総人口は3000人を切っています。

sjドメインから、スバールバル諸島についてのご紹介、興味深く拝読しました。
ドメインネタとの関連はありませんが、ここはノルウェー領にもかかわらず、ロシアとの一種の共同統治領と化しているところがあります。
スバールバル諸島の主島、スピッツ・ベルゲンにあるバレンツブルクという炭鉱の街ですが、ここの住民の多くはロシア人です。
このことは、随分前のことですが日本のテレビでも紹介されており、ご記憶の方も居られると察します。北方領土問題に触れて、仮に主権を日本に返還しても、バレンツブルクをモデルに、街ごとロシア人の自治を認めてみてはどうかというテーマでの取材でした。

1990~98年のスバールバル人口統計によれば、1990年には全人口3,544人のうち、実に2,407人がロシア(ソ連)人が占めていました。
それが、1998年にはロシア人人口は半減し1,149人にまで減少し、それが島全体の人口減少に繋がっているようです。
[40321] 2005年 4月 27日(水)23:20:48ニジェガロージェッツ さん
感謝レス 2題
それぞれ別件ですが
[39681] ふぁいんさん、[40239] グリグリさん、[40282] hmtさん、 お喜びいただけて光栄です。

拙稿[40083]にて、古いメンバー紹介文をリンクしたのですが、今ではお目にかかれないメンバーの紹介もあったりして、ご都合が悪かったかも知れないと、若干ですが後で気になっていました。[40239]グリグリさんより、レスが頂けてホッとしているところです。(汗

ご紹介頂いた「都道府県のデータ」のリンク先に全国の市 人口ランキングというのがありますが、初めてこのサイトに出会ったときの感動が蘇ってきました。本当に懐かしいです。


[40278] なきらさん

小生のことまでご心配いただいて恐縮です。今では小生自身は全く乗る機会のない路線でしたので、無事です。
ただ、新卒の頃に勤めていた会社が国鉄伊丹駅のすぐ近くだったので、当時の同僚や知人が乗合わせていないのかが心配です。
小生がいた頃は、国鉄(当時)の福知山線は電化されておらず、北伊丹駅から通勤していた同僚は1時間に1本しか列車が運行していないなどと言って、退社時間を伊丹駅の時刻表に合わしていたように記憶しております。
それが今では数分に1本の割合で走行しているとか、詳しいことは解りませんが、無理があるのも当然のような気がしてなりません。
無念にも事故に犠牲になられました皆様に、深い哀悼の意を表したく存じます。
[40230] 2005年 4月 24日(日)15:29:28ニジェガロージェッツ さん
国名コード [su]
[40207] hmt さん
「su」を見ると、旧ソビエト連合(中略)
使い続けていれば、ソ連時代のドメインもまだ生き残っているのですかね。

結構お目にかかります。
例えば
ケメロヴォ州の公式サイト とか、
ノヴォシビルスク市の雇用センターのサイト
などがそれです。

変わったところでは、モスクワ州ドレズナ市のサイト は、[sk]となっており、何かな? と思えば、スロバキアの国名コード。
どうしてでしょうか??
[40083] 2005年 4月 19日(火)22:25:23ニジェガロージェッツ さん
祝☆ 40000書き込み突破
ついに「落書き帳」40000書き込み突破が現実のものとなりました。遅れ馳せながら謹んでお祝い申し上げます。

小生はと言えば、最近では拝読ばかりでご無沙汰をかさねております。その間、続々と個性豊かな新メンバーが加わり、更なる活況を呈している現状はご同慶の至りです。

続々と誕生するメンバーご紹介を、一流のペンさばきで2年近くも執筆されているまがみさんと太白さんのお二方には、ご紹介いただいた一人としても深く感謝申し上げます。既にUPされている方々の原稿まで、細かな更新を成されているご様子で、本当に頭が下がります。

地理ネタ以外で恐縮ですが、40000書き込みを節目に少し過去を振り返ると、このメンバー紹介という面白い企画が突如出現したのは、2002年10月27日[4187]のことです。
当初はオーナーグリグリさんによるメンバー紹介文でしたが、2003年1月20日より雑魚さんのご担当になり[7967]、その後、8月17日よりまがみさん[19093]のご執筆になり、更に11月3日より太白さん[21688]が加わり、現在に至っています。

新たにメンバーになられた皆様には、過去のグリグリさんや雑魚(後の深海魚)さんによるメンバー紹介はご覧になられなかったと思います。
それぞれ切り口が全く違い、今になって読み返すと結構面白いのですが、実はNPOによるWebアーカイブサイトには、過去の記録が残っていたりします。[19242]を見るとグリグリさんはこのサイトがあまりお好きではないようですが、過去のメンバー紹介文に興味のある人はご一読の程。

グリグリさん御執筆の紹介文 2002年12月1日現在

雑魚さん御執筆の紹介文 2003年4月12日現在
[39667] 2005年 4月 11日(月)22:48:19ニジェガロージェッツ さん
江戸期の国別人口
[39658] ふぁいん さん
この都市は昔はどうだったんだろうか?って更なる欲望が延々と駆り立てられるのです。
現在私は、明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口が一番知りたいのです・・・・

外国のサイトで有効数字100人単位ではありますが、世界各国の過去人口を扱っているPOPULATION STATISTICSというサイトがあります。
この中でJAPANの項目を見ると、過去の都市人口では、ごく一部ですが1872-明治5年、1877-明治10年のものがあります。
#ふぁいんさんは恐らくご存知かと推察するのですが、まだご存知でない人々には何かのご参考までに

個人的に興味深いのは、江戸期の国別人口
ここには、1721-享保6年、1846-弘化3年、1872-明治5年の3つの国別人口が出ています。
資料の信憑性については、私自身はこれを確かめるには至らないので、皆様の卓越した視点でご賢察頂ければと思いますが、面白いデータだと思います。
[37398] 2005年 2月 2日(水)22:13:38ニジェガロージェッツ さん
能美市とシェレホフ市は姉妹都市か?
昨日合併で誕生した石川県能美市についてですが、旧・根上町が1976年9月28日にロシア(当時はソ連)イルクーツク州シャレホフ市との間で調印された姉妹都市(ロシア語では“Города - побратимы”「兄弟都市」)がどうなったのか、実際に市役所に電話をかけて聴いてみました。
議会では能美市がシェレホフ市との姉妹都市関係を継続するとの決定がなされているとの由。但し、まだ両市の間での調印はなされていないとのことでした。

人口ではシェレホフ市が47,520人(2002年10月9日、全ロシア国勢調査により)に対し、旧根上町が15,845人(2004年10月1日推計)と約3分の1だったのが、能美市になると46,614人(同)とほぼ互角になります。
[36808] 2005年 1月 16日(日)21:55:04ニジェガロージェッツ さん
10年目の1・17を前に
地元で阪神淡路大震災に被災した一人として被災直後に写した写真を基に、今から2年前、再び復興途上にある神戸市長田区の新長田界隈を、同じカメラアングルで写して廻りました。
そのことを「震災から8年の神戸・新長田界隈」と題して4回に渡り、こちらの「落書き帳」に投稿させて頂きましたが、その後の2年の間に現地では再開発の進捗に伴い、街並みも変わってきました。
2年前の2003年初旬当時の街の様子は、現地をご案内する機会があった両毛人さんのwebサイトに詳しく紹介されています

その後2年間の再開発と復興による人口の変化については、今年の国勢調査を待たなければなりませんが、10年目の1・17を迎えるにあたり、一足早く住民基本台帳人口のデータをご紹介させて頂きます。
#1990年と1995年の人口データは国勢調査結果。以外のものは住民基本台帳人口(含、外国人登録人口)より算出。但し、国勢調査と住民基本台帳とでは人口の捉え方が違うため、単純比較は出来ませんが、人口の流れの様子は垣間見ることは出来ると考えます。
復興率%は
(最新2004年末人口-被災後1995年人口)÷(被災前1990年人口-被災後1995年人口)×100 
で計算しています。単純な人口データからのみの算出で、実際の復興状況とは異なります。

【新長田駅南地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7642]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計3,7971,6962,9563,53587.5
日吉町1~2丁目209155410417485.2
若松町3~4丁目56337743785142.2
若松町6~7丁目168843519-77.4
大橋町3~7丁目1,105741537735-1.6
腕塚町5~6丁目1351690703523.9
久保町5~6丁目6912398330514.6
二葉町5~6丁目92643945857127.1
2年前(2003年1月当時)と比べ、震災で全焼した大正筋商店街(腕塚、久保、二葉の各町5・6丁目)の再開発、復興に見られるように、国道2号線以南で再開発ビルの完成が成りました。
現在は、国道2号線北側の大橋町5~7丁目で再開発ビル群の新築工事が進められています。
若松町6~7丁目では人口が減り続けていますが、これは再開発の立ち退きによるもので、ここでは未だ再開発ビルの着工には至っていません。

【鷹取東地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7653]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計2,2744111,5851,59163.3
日吉町5~6丁目6758149150070.5
若松町10~11丁目65711649047366.0
大橋町10丁目122538110068.1
野田町4丁目23210412513927.3
海運町2~3丁目5885739837960.6
震災で一面が焼け野原となった地区ですが、2年前も時点で既に住宅の再建がほぼ建ち揃っており、その後は大きな変化はありません。この地区は土地区画整理による低層住宅の建設が主で、前出の「新長田駅南」の一部の町に見られるような、高層再開発ビルへの入居による劇的な人口増は見られません。

【新長田駅北地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7675]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計7,7573,1594,9885,67854.8
川西通1~5丁目1,15337962060228.8
細田町1~7丁目94247171570549.7
神楽町1~6丁目81841469270973.0
松野通1~4丁目1,6259019709466.2
水笠通1~6丁目2,0446021,1141,61370.1
御屋敷通1~2丁目48412639343486.0
御屋敷通4~6丁目69126648467896.9
2年前には空き地が目立っていた地区ですが、その後、土地区画の整備が成り、新築住宅が建設されつつあり、空き地も当時に比べると少なくなりました。それでもまだ、地区全体としては建ち揃っていません。

【御蔵菅原地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7803]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計2,6107621,3391,37233.0
菅原通3~4丁目67018326326416.6
御蔵通3~4丁目69812828428828.1
菅原通5~7丁目41829229630711.9
御蔵通5~7丁目82415949651353.2
2年前の時点で建築を終えた所が多く、街の様子は見た目には大きな変化はありません。

取り敢えずの過去ログの補足を兼ねた現地からの報告ということで、長文書込み失礼しました。>グリグリさん
[35132] 2004年 11月 16日(火)22:17:25ニジェガロージェッツ さん
11月1日の神戸市の推計人口が震災前人口推計値を越える
拙稿[34879]の冒頭に若干触れておりましたが、11月1日の神戸市推計人口が震災前の推計人口最高値(1995年1月1日、1,520,365人)をはじめて上回りました。
1995年1月17日発生の震災により激減に見回れた神戸市人口が、推計人口で最低を記録したのが1996年4月1日の1,415,720人でした。
(1998年10月の被災地人口調査結果により、1995年10月の国勢調査人口まで遡っての修正値によれば同日の人口は1,423,096人ですが、この人口値も修正値の中では最低。なお本稿では、96年4月という時点が、前年の国勢調査に近いことから、修正前のデータで話を進めます。)
回復まで「10年はかかる話」と言われた神戸市人口は、予想通り9年10か月を要したことになります。

以下に区別人口データを提示します。

1995年1月1996年4月人口差2004年11月人口差(95.1との)人口差(96.4との)
東灘区191,716155,605-36,111203,55011,83447,945
灘区124,53895,253-29,285127,0392,50131,786
中央区111,195102,153-9,042114,7363,54112,583
兵庫区117,55897,313-20,245107,414-10,14410,101
長田区129,97893,413-36,565104,077-25,90110,664
須磨区188,949174,532-14,417172,115-16,834-2,417
(6区計)863,934718,269-145,665828,931-35,003110,662
垂水区237,735239,0311,296223,584-14,151-15,447
北区217,166232,24015,074225,6448,478-6,596
西区201,530226,18024,650242,42240,89216,242
(3区計)656,431697,45141,020691,65035,219-5,801
神戸市1,520,3651,415,720-104,6451,520,581216104,861

震災直前の95年1月と、震災後の96年4月推計人口を比べると、震災により六甲山脈南麓の旧市街地6区(東灘区から須磨区)では、合計145,665人の人口減を記録する一方、被害の比較的軽かった郊外3区では、仮設住宅の建設などにより41,020人の人口増となっており、神戸市域がはっきりと2分されることを示しています。
更に04年11月人口を見ると、その後の復興過程では、一様に被災した6区でも東部3区(東灘、灘、中央)で確実な復興を歩んでいる一方で、西部3区(兵庫、長田、須磨)では復興の遅れが人口データにはっきりと出てきました。
須磨区では96年4月人口より更に人口が減少していますが、これは被災した須磨区南部の本区での復興の遅れと共に、被災を免れた区北部の北須磨ニュータウンでの―言葉は悪いですが―「オールドタウン化」による人口流出の結果によるものです。
この「オールドタウン化」の現象は、垂水区、北区でも見られます。
復興の過程で、仮設住宅の解散撤去(1999年まで)により、西区や北区での人口減少要因はありましたが、新規開発による住宅建設が進む西区では、依然(衰えたとはいえ)人口増加が進んでいます。

なお、近年の神戸市の人口動向では、郊外住宅地での人口増加は低迷、または減少し転じ、特に垂水区や北須磨での人口減少が目立ちます。一方でマンション建設が好調な都心から東(東部3区)での人口増加が目立っています。
但し、市全体では自然増加および社会増加ともに縮小傾向にあり、近い将来、人口減少都市になるのではと思います。個人的には3~4年後の153万人~154万人あたりがピークではないかと感じています。

その後は(災害が無いにも拘らず人口144万人から13年間で131万人にまで減少した)ニジニノヴゴロド市と同じ道を辿りそうに思えてなりません。
[35082] 2004年 11月 14日(日)15:20:30ニジェガロージェッツ さん
記事訂正 アーカイブ「樺太(サハリン)・千島列島ATLAS」収録分
前稿[34902]での訂正箇所ユジノ=サハリンスク市の拡大(1995年)を中心としたもので、重複するテーマになりますが、元記事が別稿ということもあり、個別に訂正を出させて頂きます。

[2593] 【樺太の市町、戦後の推移】
ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は地図記号によればそれぞれ5千人以上の人口を有しているようですが、独立町ではなくユジノサハリンスク市に付随する町として、ユ市の人口に含まれていると考えられます。

補足: ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は1995年にユジノ=サハリンスク市に編入されました。

[2683] 【戦後、樺太・千島に成立した「市」】
レソゴルスク市については1990年代に一挙に「村」まで降格となり、レソゴルスコエと改称されています。

補足: ウグレゴルスク地区レソグルスク市の村組織「レソゴルスコエ村」への改組は1993年です。

[2714] 【樺太、千島、北方四島のロシアにおける行政区画】
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村のうち川上線沿線
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)豊北村(川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)、ベレズニャキ(富岡)

訂正:
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)、ベレズニャキ(富岡)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)

[10885] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 豊原支庁編】
(豊原郡豊北村の項目)
富岡 ベレズニャキ アニワ地区
深雪 スタロルースコエ アニワ地区

訂正:
富岡 ベレズニャキ ユジノ=サハリンスク市
深雪 スタロルースコエ ユジノ=サハリンスク市

[11247] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 本斗支庁・真岡支庁編】
(本斗郡本斗町の項目)
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク市?

訂正:
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク地区

#なお拙ホームページにサハリン州の都市人口データおよび2002年全露国勢調査によるサハリン州の行政区画別人口を設けておりますので、ご興味をお持ちの方はご参照いただければ幸いです。
[34902] 2004年 11月 7日(日)17:03:19ニジェガロージェッツ さん
記事訂正 アーカイブ「ロシア極東地方ATLAS」収録分
拙稿[33555]にて触れておりましたが、アーカイブに採用していただいた記事のうち、当時は資料不足から憶測で書いていた部分の中で、修正の必要のある箇所の訂正を順次させて頂きたく存じます。
(アーカイブに採用されていない過去ログに埋もれている拙稿の修正については、申し訳ありませんが略させて頂きます)

訂正箇所の多くは、都市(ロシアでは市および町-都市型集落)を地図上から拾う作業にて、地図上に明記されているものの都市人口データのない都市集落について、村行政組織への改組(「村への降格」では、言葉が不適切)によるものか、単なるデータ漏れによるものかの判断が付かず、表に列挙したことによるものでしたが、今では詳細が解りましたので、訂正させて頂きます。

[8619] 【日本海の対岸 ロシア・沿海地方 】
ボリショイ・カーメニ市 1992年(市制施行年)
訂正: ボリショイ・カーメニ市 1989年(市制施行年)

[8720] 【日本の2倍の広さ ロシア・ハバロフスク地方】
都市・集落 7市、28町
訂正: 都市・集落 7市、24町
次の4町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。(括弧内)は改組年。
ヴェルフネブレインスキー地区スレードヌイ・ウルガル町、ソグダ町、 コムソモリスク地区ピヴァニ町(1996年)
アムールスク地区ボロニ町(1999年)

[9125] 【日本と同じ面積に北九州市の人口が住む アムール州】
都市・集落 9市、27町
訂正: 都市・集落 9市、24町(2000年1月1日現在)

次の3町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。
トゥインダ地区ソロヴィヨフスク町、十月地区ヴァルヴァロフカ町(1996年)
マザノフスキー地区マイスキー町(1997年)

*更に2001年には、スコヴォロジノ地区タフタムィグダ町、ネヴェル町、タルダン町が村組織に改組され、2002年10月国勢調査時点では、アムール州の都市数は9市21町となっています。

[9178] 【樺太・千島・北方四島を含む サハリン州】
1990年代中頃までウグレゴルスク地区にレソゴルスク市(旧・名好町北名好、1947年市制。1992年人口1,400人)が存在していましたが、現在は「レソゴルスコエ村」に格下げされています。
補足: ウグレゴルスク地区レソグルスク市の村組織「レソゴルスコエ村」への改組は1993年です。

ユジノサハリンスク市の北にルゴヴォエ町(旧・豊北村草野)、ノヴォアレクサンドロフスク町(旧・豊北村小沼)が、ネヴェリスク市の北にヤスノモルスキー町(旧・本斗町阿幸)の3町が確認できますが、州の公表する30町には見当たらず人口データもないため、それぞれ両市域の一部に含まれると推測します。
訂正: アニワ地区ルゴヴォエ町、ノヴォアレクサンドロフスク町は1995年にユジノサハリンスク市に編入されました。また、ネヴェリスク地区ヤスノモルスキー町は、1998年に村組織に改組されました。

[9299] 【秘密のベールに包まれていた カムチャツカ州】
都市・集落 4市、9町
訂正: 都市・集落 4市、8町(2000年1月1日現在、コリャーク自治管区を含む)
ミリコヴォ地区アトラソヴォ町は1997年に村組織に改組されました。
*更に2000年には、ペトロパヴロフスク=カムチャツキー市行政区内のモホヴァヤ町が廃止され、2002年10月国勢調査時点では、カムチャツカ州の都市数は4市7町となっています。

[9430] 【恐怖の収容所街道「コリマ」 マガダン州】
都市・集落 2市、31町
訂正: 都市・集落 2市、28町
次の3町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。
ハスィンスキー地区ミャキト町(1994年)
ススマン地区ネクシカン町、ブルカンジヤ町(1997年)

なお、拙稿[9430]では、マガダン州の行政区画を6地区(ラヨン)+3地区(オークルク)としており、これについて憶測で若干補足説明を加えておりますが、2002年10月国勢調査では同州の行政区画は8地区(ラヨン)およびマガダン市となっています。
これについての沿革は1999年までは、「8地区(ラヨン)およびマガダン市」であったものの、2000年にオラ地区、及びハスィンスキー地区が廃止され、それに代わりマガダン市を拡大しアラミル、オラ、ハスィンスキーの3地区(オークルク)が創設されたものの、2002年にはこのマガダン市3地区(オークルク)が廃止され、元のオラ地区、ハスィンスキー地区(ラヨン)を復活させています。
#何とも結果的に無意味な行政区画変遷

[9493] 【ロシア最東端 チュコト自治管区】
都市・集落 3市、15町
訂正: 都市・集落 3市、14町(2000年1月1日現在)
アナディリ地区マルコヴォ町は1998年に村組織に改組されていました。

*更に、ベリンゴフスキー地区ナゴールヌイ町は2000年に隣接するベリンゴフスキー町に編入され、2002年10月国勢調査時点では、チュコト自治管区の都市数は3市13町となっています。

[9740] 【ロシア最大のサハ共和国 (1)】
都市・集落 13市、65町
訂正: 都市・集落 13市、60町(2000年1月1日現在)
[9741]の町一覧のうち、次の5町は2000年1月時点では村組織に改組または廃止されていました。
ヤナ川口地区クラル町、ヴラソヴォ町、テンケリ町(1998年廃止)
ブルンスキー地区ブイコフスキー町、ハンガラススキー地区ベスチャフ町(1999年村組織に改組)

*更に2001年には、アルダン地区チャグダ町、オイミャコン地区サルィラフ町、オリチャン町が村組織に改組、ヴェルホヤンスク地区ラゾ町およびアルダン地区カンクンスキー町が廃止され、2002年10月国勢調査時点では、サハ共和国の都市数は13市55町となっています。
[34879] 2004年 11月 7日(日)00:28:53ニジェガロージェッツ さん
地図を描く楽しさ
昨日の産経新聞によると、11月1日の神戸市推計人口が震災直前の最高値である1995年1月1日推計、1,520,365人を初めて200人ほど上回る見通しだとか。約10年で、ようやく震災前人口を回復した形になりました。
とはいえ、現神戸市民の4人に1人は、震災後に生まれた子供達や、被災地外からの転入による、「神戸の震災を知らない神戸市民」という結果も出ているそうです。

[34857] M.K. さん
1ピクセルずつの作業だったですか! どうりで、細部にまでこだわりの美しさが行き渡っているはずです。冗談ごとではなく、なんだか涙が出てきそうです。

勿体無いお言葉、身が縮む思いです。1ピクセルずつの作業といっても、海岸線と州界線だけの地図で、大したことはないのですが、その後、同じ要領で今の2倍の縮尺のロシア地図を東西2面で作成を始めましたが、これが結構辛気臭い作業で、なかなか捗りません。
今年春頃に東端のカムチャツカから初めて、今はまだイルクーツク辺りをごちゃごちゃやっています。
メインテーマの人口データ整理の合間の作業とはいえ、これではいつ完成することやら、先は長いです。

[34794]でGさんが紹介下さっている、稚拙さんの図解!市町村合併も、見ていて解り易くて飽きが来ない大作ですね。

趣味の地図造り、孤独で辛気臭い作業ですが、(本職の軒下提灯さんには遠く及びませんが)出来上がったときの達成感は何とも言えません。
[34818] 2004年 11月 4日(木)23:59:59【1】ニジェガロージェッツ さん
レス2題 (久しぶりのアーカイブ推奨、斉斉哈爾)
両毛人さんがアーカイブにお纏めになった、むじながいりさん、M.K.さん御作成の秀作地図の数々、早速推奨させて頂きました。
私もロシア連邦の地図を1ピクセルずつ打って作成した経緯があるだけに、両先生のご苦労が解ります。本当に面白い貴重な地図の数々、有難うございます。これからも勉強させて頂きます。

[34786]般若堂そんぴん さん
ウェード式ローマ字とキリル文字表記との対応が記してあります.それによれば「…n」は「…нь」,「…ng」は「…н」です.

レス有難うございます。
道理で中国の都市で「…нь」で終わる都市名が多いとおもっていました。これで納得しました。

おや?……と思ったのが斉斉哈爾です.ピンインでは Qiqiha'er(通常は Qiqihar)チチハルですが,キリル文字では Чицикар チツィカル(?).漢民族の言葉ではなく満州語由来なのでしょうね.

斉斉哈爾について、ЧицикарをЯndexで検索しましたが、ヒットしませんでした。改めてソ連製の世界地図帳で見ると、Цицикар と表記されていました。
ロシア語の発音辞典にも載っており、それによると「ツィツィカーる」(「る」は巻き舌音)と書かれていました。
このあたりのぶれは、結局ロシア文字では正確に原音を再現できない事を物語っているのでしょうね。
[34769] 2004年 11月 3日(水)17:18:41ニジェガロージェッツ さん
お詫び
オーナーグリグリさんの[34745]記事削除について、掲示板オーナーからのちょっとした対応への疑問から出した拙稿[34746]がもとで、結果的に掲示板の雰囲気を乱したことを率直にお詫び申し上げます。

[34764]軒下提灯さん、[34765]般若堂そんぴんさん、お気遣い有難うごさいました。また、あんどれさんにも無内容な個人攻撃の書き込みがあり、お気分害されたことと察します。

一連の騒動は、事情を知らずに書き込んだ拙稿[34746]が元になったことは否めません。
私としてはこれら拙稿を自己削除する意思はありませんが、オーナーとして、グリグリさんが削除妥当とご判断されるのであれば、それでも結構でございます。

これ以上「板汚し」が続くのは本意ではありませんので、私からはこれで幕とさせて頂きたく思います。
お目汚し、失礼致しました。
[34767] 2004年 11月 3日(水)16:43:35ニジェガロージェッツ さん
日本地名のロシア語表記
[34742] 般若堂そんぴん さん
ロシア語のように「軟音」という要素が加わるとまた異なるようです

日本の地名や人名のような固有名詞で、例えば「新板橋」や「健一さん」の場合、それをそのままロシア文字に転字すると、
Синитабаси、Кэнити-сан、となりますが、これでは「シニタバシ」「ケニチさん」と読まれてしまいます。
ところがロシア文字33のうちには、ь は軟音記号(ミャーフキー・ズナーク)、ъ は硬音記号(トヴョールドゥイ・ズナーク) と呼ばれるもので、文字というより記号と言っても差し支えのないものが2文字あります。(よく似た文字なので、文字が小さいと区別がつき難く混同しそうですが、もしご興味ある方は、拙HPにロシア文字の一覧表を設けておりますので、ご参照下さい)
前者は子音を発音する際、舌の後部を上に持ち上げて発音するロシア語(だけではないかも知れませんが)独特のもので、日本語のカナ表記にする場合には「ィ」に近いことから、前の子音と合せて「キ、シ、チ、ニ、・・・」等と表記することが多いようです。
一方、硬音記号の ъ は、別名「分離記号」とも呼ばれるもので、子音の後に続く母音との間に挿入して、子音と母音が同時に発音されないことを表すものです。
このことから、「新板橋」を正確に表記するには、Синъитабаси 、また「健一さん」の場合はКэнъити-сан とすれば、「シンイタバシ」「ケンイチさん」と読んでくれる筈です。

ところで、話は変わりますが、「ン」が n か m かの議論がありますが、ロシア語の場合、ヘボン式と同じように、「しんこうべ(新神戸)」の「ん」と、「なんば(難波)」の「ん」は明確に н と м で区別されています。
新神戸の「ん」場合は、上唇と下唇は離れた「н」つまり n の音、一方の難波の「ん」の場合は唇をしっかりと一文字に閉じた「м」とまり m の音だからです。ロシア滞在中に日本語クラスのお手伝いのようなことをしましたが、そのときロシアの学生に聞くと、やはり二つの「ん」は全く違った音に聞こえるようでした。
[34756] 2004年 11月 3日(水)11:06:48ニジェガロージェッツ さん
Re:^4:記事削除のお知らせ
[34749] 佐賀県 さん
私は関連書き込みの内容を削除前に見たのですが、書き込みの中で複数のニックネームを用いて書き込んでいることを公言していましたので、誰が見ても「いつもと違うニックネームで書き込んでいる」と分かる内容でしたよ。

[34750] N-H さん
複数ハンドル使用もそうですが、削除された書き込みは内容的にも本落書き帳、あるいは地理の話題に直接関係のない事項(他のサイトへの書き込み誘導など)でしたので、はたからみておりますと「楽屋落ち」的な印象を持ちました。

フォロー有難うございます。削除前の記事を読めなかったので、事情がわかりませんでしたが、これで34711,34712,34714の削除については納得しました。
ただ[34746]で私の申し上げたかった事は、関連記事34713の削除について、他に対処の仕方があったのではと感じたものですが、元記事に複数のニックネームを用いて書き込んでいることを公言していたというのであれば、明らかに削除対象であり、これに対する34713も、それを知ってレスを付けたということで、削除止む無しといったところでしょうか。

私としては、事情を知らずによこから口を挟むのは自分でも無作法なことと思いましたが、最近の「落書き帳」では、問題記事への言及や引用があったばかりに「とばっちりで削除される記事」が多いようにも感じています。特に[34749]で佐賀県さんがご体験を述べられたような
ただ、無関係の部分まで一括削除だったので、書き込み内容を保存していない私は、再度無関係の部分を書き込むのに手間取りましたが
というような悲劇は、オーナーさんにその気があれば発生しないことだと感じました。例えばオーナーさんご自身が[4171]で述べられているような、「無敵機能」は今では機能しないのでしょうか。
また、何か問題があった時にはオーナーさんから確認の私信メールが送られてきますが、メールでレス記事を書かれた方に引用部分の自己削除なりを依頼できないものでしょうか。

もちろん、こういった細かなフォローは、ご多忙なグリグリさんには負担の多いことであることは存じております。
ただ、レス記事を書かれた方も貴重な時間を割き、内容を吟味した上で面白い記事を投稿されていると察しますので、傍目に分らないような同一投稿者によるニックネームの複数使用記事の削除に関連して「とばっちりで削除される」記事については、今でも「無敵機能」が生きている事を願うばかりです。
[34746] 2004年 11月 3日(水)03:24:09ニジェガロージェッツ さん
Re: 記事削除のお知らせ
[34745] オーナー グリグリ さん
また、34713 についても 34711 を直接引用する書き込みのため合わせて削除いたしました

該当記事に何が書いてあったかは、削除済みのため、私には経緯を窺い知ることはできません。
ただ、貴掲示板の運営について口を挟むつもりはありませんが、これはいかがなものでしょうか。
社会通念上許容されないような語句や、他人に対する誹謗中傷などの文言は、読者にも明らかに削除対象となるのは必至のことで、投稿者としてレスをつける際、そういった記事を引用する書き込みを控えることは可能です。

しかし、複数のニックネームを用いている書き込みであるか否かは、掲示板管理者でしか解る事ではなく、一読者としてはそこまで留意することは現実には不可能です。

レスをつける際に、こういったことで削除のとばっちりを喰らわせるのは、オーナーさんとして、他の対処の仕方はありえないのでしょうか?


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示