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[64681] 2008年 4月 13日(日)17:34:52北の住人 さん
雑文
地理と全然関係ないですが、[64626] MasAkaさんの「煮詰まる」についての記事を読んでの感想です。この言葉、私も辞書にない意味で使うことが多いですね。自分で使っていながら言うのもなんですが、誤用でしょうね。そのうち、誤用の慣用として認められるかもしれませんが。これと似たような状態(切羽詰った状態、にっちもさっちも行かなくなった状態、問題が同時に大量に発生しお手上げの状態)になったとき、上司への言い訳として、「てんぱる(てんぱってます)」という言い方もします。これも本来の意味から離れた使い方だと思いますが、私の周辺ではそれなりに聞きます。
「少ない(少い)」「ひらがな(ひらかな)」は、教科書上ではなく日常の使用では、どちらでも許容範囲かなと思います。(単に私が無頓着なのかもしれませんが、両方とも気になりません。)

ところで、地名コレクション編集長のEMMさんへ、新コレクションの提案です。「々」コレクションというのがありますが、「記号を使った地名」コレクションはどうでしょうか。例えば「〆」が使われている地名がいくつかありました。(本来なら、いいだしっぺが行うのが、とある業界のしきたりではあるのですが、私のネット環境では何年かかるか分からないので、提案のみとさせて頂きました。)
[63684] 2008年 2月 9日(土)16:43:17【2】北の住人 さん
元紋別の元
[63643] ぺとぺと さん
[63649] 星野彼方 さん
紋別市の地名「元紋別」は駅名由来のようですが、その駅名は地名「元紋別」が由来かもしれません。

明治24年発行「北海道蝦夷語地名解」(永田方正著)によると、紋別郡海岸部の地名に「モペッ」があり「今人元紋別ト呼ブ藻別村ノ元名」と書かれています。この「藻別村」は「藻鼈村」のことで、藻鼈川河口付近は、俗称かもしれませんが「元紋別」と呼ばれていたようです。

一方、「元紋別駅」は大正10年に藻鼈川の右岸、「紋別町大字藻鼈村」の地に開駅しました(平成元年廃止)。駅名は、明治期から使われていた「元紋別」を採用したのではないかと考えられます。
字名としての「元紋別」がいつから存在したのか分かりませんが、昭和26年「北海道市町村行政区画便覧」には、「紋別町大字藻鼈村」の字名に「元紋別」が記載されています。その後、昭和34年に「紋別市大字紋別村」「紋別市大字藻鼈村」のそれぞれ一部が「紋別市元紋別」になったわけです。
[63401] 2008年 1月 14日(月)20:47:09【1】北の住人 さん
道国府県郡区の分合廃置と廃使置県
道府県の順序に関して[62911]の「官等表」に続き、こんな文書を見つけました。おそらく公文書だと思いますが、実物(引用元は「公文録 太政官」)は確認していません。北海道の「廃使置県(この語句は開拓使に対する太政官の令達に使われています)」に関して、札幌市史に書かれていた記述で、下の文は明治11年7月の政府の元老院に対する指令です。
市史では、「廃使置県」は明治15年2月8日の太政大臣・内務卿連署により行われ、元老院の議定に付さなかったのは急を要するので例外としたのではないか、となっています。ちなみに、これ以前にも北海道には、「廃藩置県」による「県」は存在していました。

「上奏ノ議道国府県郡区ノ分合廃置及名称ノ変更ハ、其院ノ議定ニ付セラルヘキ事」
[63261] 2008年 1月 7日(月)20:00:58【1】北の住人 さん
県境
記事検索で見当らなかったので初出だと思いますが、今日、本屋で「県境の謎」とかいう本に出会いました。カバーには「四国には愛媛と高知しかなかった」なんていう文句が書いてあります。目次を見たところ、廃藩置県から県境未定地の話題まで新旧いろいろ、手ごろな値段なので買ってもよし、図書館で借りてもよしの本だと思います
[62911] 2007年 12月 22日(土)20:27:55【2】北の住人 さん
「道府県」という呼称の順序
[62849] オーナー グリグリさん
明治の北海道(開拓使時代)についての本を読んでいたら、ある表に出会いました。各所の役職を抜き出すと次のようになります。

官等表(明治5年「法令全書」より抜粋)
一等二等三等四等五等
兵部省大輔少輔大丞少丞
陸軍大将中将少将大佐
開拓使長官次官判官権判官
知事権知事参事
権令
(三等以上は勅任、四等から七等は奏任)

各長の順は、開拓使長官>府知事>県令となり、開拓使を「道」とみなすと、「道府県」の順となります。

なお、開拓使長官は大臣級で、内閣(当時もそう呼んだ?)の一員に並ぶ階級にあたるという文章を読んだ記憶もあります。
時代は下り明治17年のことですが、県から○○さんに送られた感謝状(ある本に掲載の写真)に、こんなのがありました。

札幌県石狩国札幌区白石村 ○○○○
・・・・・・・・奇特ニ候事
明治十七年三月十日
札幌県令従五位勲四等 調所広丈
[62719] 2007年 11月 29日(木)22:52:19北の住人 さん
美泉定山さんの戸籍
[62696] [62697] hmtさんへ。
私の[62678]は説明不足でした。問題の戸籍は明治19年式戸籍とほぼ同じです。写真の戸籍を横書きで表すと次のようになっています(かなり苦しい表現になってますが、文字で表すのは無理があるようです)。なお、この戸籍は全体が斜線で抹消されています。

<第一欄:住所と身分>
 ここには「本籍」という字句はなく「北海道札幌郡平岸村~」となっており、右下に身分が記入されてます。前戸主の記入はありません。
<第二欄:戸主>
 下段、「戸主」は「美泉定山」(「美」は異字体)で、「定山」には抹消線が引かれています(※注1)。左側、生年月日は「文化一二年~」です(実際には文化2年が正しいとされている)。
 上段、登記事項は「明治十一年十一月山中ニ入行衛不知」「明治廿七年一二月萬八十???除籍?(※注2)」です。
<第三欄:妻>
 下段に「妻」と書かれ、「養母」と修正されています(※注3)。また名前の右欄に「亡美泉定山妻」と追記されています(※注3)。
<第四欄:養子>
 下段に「養子」と書かれ、「戸主」と修正されています(※注3)。また名前の右欄に「亡定山養子」と追記されています(※注3)。
 上段、登記事項は、「~平岸村○○○○亡三男入籍」(※注4)、「明治参?年○月○日家督相続~」(※注5)となっています。

注記については次のとおりです。
※注1:私は、この本での「除籍」の意味について「戸籍を除票とする」と思っていたんですが、ここでは「線を引いて戸籍から抹消する」ということのようでした。
※注2:これが「定山」の除籍の日のようです。「明治十一年~」とは明かに記入者が異なっています。
※注3:これらの修正・追記は、文字の様子から「明治3?年(注5)に行われたのではないかと思います。
※注4:養子となったのが何時かは不明です。注2の「明治十一年~」と記入者は同じだと思います。
※注5:「明治参?年」の「?」は「壱」だか「七」だかよく分かりません。ということで、[62678]で、問題のある書き方「明治3?年」となってしまったのでした。戸籍全体の抹消はこの時だと思います。

北海道読売に「北海道と岡山の懸け橋 定山坊」の著者のことが書かれていますが、明治18年の戸籍調査時に、定山さんが死んでいては困る関係者がいたという推理になっています。

私は親の代から読売新聞なんですが、この手の郷土史的な記事(コラム)がよく掲載されています。ただ、記者さんも忙しいようで、深くは調べていないのか、ツッコミたくなることが多いんです。北海道読売にも、1つツッコミを入れて見ましょう。
「定山の前に温泉に小屋を建てた」云々から以降については、私の調査ではこうなります。

「明治35年頃の札幌周辺村の調査史料に、サッポロ開墾の祖である、早山清太郎翁からの聞き取りが載っている。早山翁の話では、温泉は早山翁が始めたもので、定山に請われ一代限りで貸す契約をしたということである。また、当時の長官が温泉の名を定山に聞いたところ、名が無いということなので、長官が定山渓と付けた、と話している。もっとも、この時の早山翁は高齢であり記憶をたどりながらの話と考えられ、またこの史料には早山翁の聞き取り部分が2ヵ所あり、今後の史料の分析が待たれる。」
[62678] 2007年 11月 26日(月)21:04:08北の住人 さん
明治18年の北海道の戸籍はこうなっている!?
あっさりとしたタイトルにしたかったんですが、新聞のテレビ欄のようになってしまいました、タイトル考えるのも難しいです。明治の本籍地記載に関するレスです。([62667]hmtさん、[62633]たもっちさん)

戸籍の収集は資金と時間がかかるので、ただで調べられる図書館に行って、とある本を借りてきました。その結果は「明治18年?の北海道の戸籍本籍地に『国』と『県』は記載されていない?」です。?マークが2つあるのがミソですが。

札幌の奥座敷に定山渓という温泉場がありますが、ここは「定山(戸籍名は美泉定山、みいずみ じょうざん)」というお坊さんにちなんで名付けられたといわれています。この定山さんの戸籍(除籍)の写真が「北海道と岡山の懸け橋 定山坊」(著者、合田一道)という本に載ってます。本文の内容はこんな感じです。

・開拓使が明治10年に戸籍調査をしたが、間違いが多かった。
・札幌県は明治16年から村役場戸籍係を動員して各戸の調査を行った。
・明治18年、定山の妻のもとに戸籍係がやってきて調査を行い、戸籍を作成した。

問題の戸籍ですが、掲載されている写真では、戸籍(除籍)の本籍地が「北海道札幌郡平岸村~」となっており、「石狩国」「札幌県」の記入は、加除も含めありません。

というわけで「明治18年の北海道の戸籍本籍地に『国』と『県』は記載されていない」と結論付けたいのですが、ちょっとした問題があるのです。この写真、よく見ると戸籍の編成日が書かれていない。さらに、本文では「明治27年に除籍」と書かれているのに、写真では「明治3?年」の家督相続について記載されており、除籍日との関係がおかしい。というわけで、?マークが2つ付いた結果になってしまったのでした。
多分、本文、写真とも信用できると思いますが、郷土史誌の掲載写真や地図に裏切られた経験のある私としては、一時資料でないものは全面的に信頼はしていないので、この結論を付けるには、自分の家系の戸籍を地道に集めるしかないようです。

この先は、単なるひとり言です。富山県(明治4年富山県成立・新川県と改称・同9年石川県に合併・同16年現在の富山県成立)のような場合の戸籍は、その都度本籍地が書き換えられたのだろうか。樺太の戸籍について、過去記事のどこかに出ていたような、いなかったような。
[62631] 2007年 11月 24日(土)06:52:14北の住人 さん
明治の戸籍法の本籍地に「国」は記載されていた?
とあることを調べに、戸籍を追っているのですが、明治41年届出の戸籍まで到達しました。何を調べようとしているのか、それは、明治15年から19年の、いわゆる北海道「三県一局時代」には、本籍地に「県」が記載されていたのか、ということです。私の予想は「記載されていない」(「県」は単に、国の政策上の区分けであり、戸籍の本籍地には影響を及ぼさなかった)ですが、今の所、その時代までたどりついていません。

記事のタイトルですが、[62613]hmtさんの記事によると、漱石の送籍地が「北海道後志国岩内郡~」となっており、「後志国」が含まれています。これが本籍地として記載されているのどうか、私の疑問となっているのです。

手元の明治41年届出戸籍では、本籍地が「北海道札幌区○○」で「石狩国」は入っていません。この戸籍の他の記載事項から考えると、おそらく、この戸籍以前の物にも「石狩国」は入っていないのでは、と想像しているわけです。同様に、北海道以外の県についても「国」は入っていないのではと思いますが、どうでしょう。(明治41年戸籍には、明治32年に他県から嫁いできた女性が入籍していますが「国」はありません。)

デジタルライブラリーを読めば、あるいは過去記事に当れば解決するのかも知れませんが、私のネット環境では苦しいものがあり、さらに古い戸籍を取り寄せようとしているのですが、現在、保存期間の壁に当っている所、苦しい状態になってます。まあ、親は2人いるので、別ルートを追っているのですが、そちらは本籍地が札幌でなく、取得に難儀しています。
[62556] 2007年 11月 18日(日)06:13:59北の住人 さん
内地について、および関東~関西の地方区分について
「内地」といっても幾つか意味があるようで、「北海道から見た本州以南」を指す言葉として、今だに周囲の高年令者(私は含まず)の間で使われています。「内地」の正式なというか第一義の意味としては、憲法や通常の法律が及ぶ領土を指し、それ以外の領土を「外地」というようです。その意味で、北海道がいつ「内地」となったのか考えてしまいますが。
「樺太沿革・行政史」を読んでいると「樺太の内地編入」という項目があり([62539]hmtさんの後段の記事をご覧下さい)、明治期には北海道と樺太は経済的にも人的にもかなりの交流があったのに、「樺太」は「外地」であったのかと思ったのでした。(私は戦争を知らない子供なもんで)

さて、線引きというか区分けというか、受持ち地区を作りなおすことは、顧客数を一定にするために私の上司達が毎年、頭を悩ましていることですが(一定にしたはずでも、一年経つと結構差がでる、そうすると仕事量と成績に影響が)、それ以上に政令市の行政区割りや、道州制の地域割りは大変な作業ではないかと思うわけです。
落書き帳でもたびたび、○○県はどこの地方に入るのか、といった話題がでていますが、昭和18年勅令第548号「地方行政協議会令」と、昭和20年勅令第350号「地方総監府官制」の地域区分を比較すると微妙な差があります。両勅令の区分けはこんな風になっています。(新潟県、長野県、福井県に移動があります。)

「地方行政協議会令」の「地方区分」
・関東地方(協議会を附署する都庁府県は東京都)
 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県
・東海地方(協議会を附署する都庁府県は愛知県)
 岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
・北陸地方(協議会を附署する都庁府県は新潟県)
 新潟県、富山県、石川県、福井県、長野県
・近畿地方(協議会を附署する都庁府県は大阪府)
 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県

「地方総監府官制」の「管轄区域」
・関東信越地方(地方総監府の位置は東京都)
 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、新潟県、長野県
・東海北陸地方(地方総監府の位置は名古屋市)
 岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、富山県、石川県
・近畿地方(地方総監府の位置は大阪市)
 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、福井県
[62501] 2007年 11月 13日(火)06:29:43北の住人 さん
カラトの島から樺太庁へ
突然ですが、樺太に関する、にわかメモです。古書・古地図は原典を確認していないので、実際にはどうなっているのかは分かりません。

●其一 カラフトの呼称の変遷
・哈喇土(の酋長云々) 松前藩の文書? 文明17年(1485年)
・カラトノ島  『正保御国絵図』 正保2年(1645年)?
・からふと島  『元禄御国絵図』 元禄13年(1700年)
・からと島  『松前島郷帳』 享保2年(1717年)
・唐太  『蝦夷拾遺』本文挿入の地図 佐藤玄六郎行信 天明6年(1786年)
・カラフト島  『絵図面方角道規地名控』 寛政3年(1791年)
・唐太島  『蝦夷巡覧筆記』 寛政9年(1797年)
・北蝦夷  『東韃地方紀行』巻頭の地図 間宮林蔵 文化7年(1810年) 
・カラフト  『北蝦夷図説(別名、北夷分界余話、銅柱余録)』間宮林蔵 安政2年(1885年) (「蝦夷地」との混同を避けるため、公称の「北蝦夷」を使わず「カラフト」を使用)

これを見ると、当初は「カラト」と呼ばれたのが「カラフト」に変化したのではないかと思います。
 
ところで、全国樺太連盟のサイト内樺太の名前の由来[62450]ニジェガロージェッツ さんの記事をご覧ください)のURLを見ると「kabaren」の文字があり、連盟の略称として「樺」を「かば」と読んでいるようです。実際、「樺太」の読みとして「かばふと」も書いている辞書もありました。

●其二 樺太地名解
全国樺太連盟が昭和53年に発行している「樺太沿革・行政史」には、「樺太」の語源として、9説紹介されています。この他にも2説(アイヌ語辞書で有名なバチェラー氏の説と、この辞書をもとに考案されたと思われる説)があります。
仮説「地名の語源の数は、その地の面積が大きいほど増える」の1つの例となるでしょう。なお、この仮説の関数式は、そのうち(遅くとも100年以内に)発表したいと思います。

ちなみに「樺太沿革・行政史」では「カバフト」は誤称としています。

●其三 カラフトの当て字
「樺太沿革・行政史」によると、「カラフト」について次のような表記があるそうです。
 哈喇土・加良不止・加羅不登・穀太・嘉楽?土・哈良敷登・加良布止

以上、仮名的当て字が多いですが、江戸時代を通じ一般的なものは「唐太」です。一時的に「北蝦夷」が使われますが、幕末からまた「カラフト」と称され、「柄太」「柯太」が多く使われ、明治2年以降は「樺太」に定まりました。
「樺太」については、「樺が多いから」という松浦武四郎の意見が採られたようです。

今思い付いたんですが、哈喇土はトカラ列島の「トカラ」と通じるものがあるような、そんな気がする、冬の朝です。(明日から、札幌は雪ですよ)

●其四 カラフトの別称
「北蝦夷」も別称ですが、他にもいろいろあるようです。以下「樺太沿革・行政史」から
 奥蝦夷・初島・クエ(クヱ、苦夷、庫葉、庫頁)・流鬼圍(ラヱルリ=クエ)・サガレン(撒甲連、薩哈嗹)・ヱレウテ=ボウセ・徳楞※山(デレンガサン)[※は「口」偏に「戛」]・タライカイ・シルン=モシリ

●其五 樺太庁について
「都庁府県」の「庁」には、北海道庁のほか「樺太庁」も入っているようです。昭和18年勅令第548号「地方行政協議会令」([62373]雪の字さんの記事をご覧ください)のほか、昭和20年勅令第350号「地方総監府官制」でも「都庁府県」の表現があり、「北海地方総監府」の管轄区域が「北海道」「樺太」になっています。
[62386] 2007年 11月 4日(日)21:42:36北の住人 さん
北海-道
「都道府県」「道府県」という語の使用時期ではなく、北海道という地域を単に「道」と表現したのはいつ頃からかということについてです。
手元にある明治20年代の本(明治24年発行、永田方正「蝦夷語地名解」など)には「当道」「本道」という表現がみられ、明治30年2月発行の「札幌沿革史」(札幌史学会著)の序文には「自明治二年、始定置道之制、以札幌為庁治」という表現があります。
明治2年の松浦武四郎「北海道々国郡名撰定上書」で「道名之儀申上候書付」として幾つかの名称を武四郎が考え、その後「北海道」の名が制定されたわけで、公式ではないかもしれませんが、道内ではその頃から「道」という略称を用いていたのではと思います。

なお、「札幌沿革史」を著した「札幌史学会」の会長は新渡戸稲造であり、「札幌沿革史」編集の中心人物は永田方正です。
[61116] 2007年 9月 9日(日)23:30:48【1】北の住人 さん
地図記号
[61098] N-H さん
[61106] スナフキん さん
[61114] ぺとぺと さん
「地図記号400」という、日本地図センター発行の本というか冊子があるんですが、お持ちの方も多いかと思います。そこには、明治期の迅速図式・仮製図式から現在の地形図(平成14年2.5万分の1地形図)図式まで、地図記号のほとんどが記されています。水車、風車、レンガ・陶磁器製造所(焼き窯)、米倉など時代を感じさせるものの他、火薬庫、電信局など過去の記号となったものから、風力発電用風車、老人ホームといった最新のものまで載っており、見るに楽しい本です。
さて、これによると、電報電話局同様、銀行記号は過去の物となったようです。(なお、1万分の1地形図には、銀行記号が使用されています。)
過去の物となった記号の中には公的機関である税関、検察庁(官公署にまとめられた?)などがあります。一方、民間機関である病院、学校や博物館は記号として存在しています。

郵便局はどうなるのかですが、私的には、郵便局をかなり利用しているので記されていると便利なんですが、普段は地形図じゃなく道路地図(主要なポスト記号があればなお良い)を使っているので、地形図に郵便局記号が無くてもよいかなと思います。最近の札幌市街の地形図を見てみると、郵便局ばかり目に付き、記号の中では学校、病院と並んで多く、図上、郵便局記号は多くてちょっとうるさいな、と感じました。

[61123] Issieさん、ありがとうございました。銀行記号の部分を加筆し、併せて地形図図式に関する部分を修正しました。)
[61011] 2007年 9月 2日(日)23:09:24北の住人 さん
つれづれ
諸行無常、ゆく川の流れは絶えずして、月日は百代の過客、つい最近書き込んだと思っているうちに、記事番号は数百番も過ぎ、まさに光陰矢の如し、速くて反応できずにおりました。
ということで、引用の記事番号は省略しますが、心に映りゆく事をそこはかとなく書いてみようと、こんなわけです。

3週間ほど前、地名の現代表記と歴史的表記の対比に付いて書きました。感覚的に東北、関東地方が多いのかなと思っていましたが、そうでもないようで、西日本にもかなりの例がありました。例えば
 姫路-日女道丘(ひめじがおか)
 高知-河中山(こうちやま)・高智山
 熊本-隈本

北海道の「別」「内」(アイヌ語地名を味わう)ですが、他の漢字を充てた例もあります。単語活用を考えると、発音上、「ベツ」は[pet,ペッ]か[peci,ペ・チ]、「ナイ」は[nay,ナイ]か[naye,ナ・イェ]となり、漢字表記で「別」の他に「瞥」「鼈」「淵」など、「内」の他に「苗」「奈井江」「前」「納」などが当てられているようです。道東に「幸福」という地名がありますが、これは「札内川」に関係する地名「幸震(さつない)」が起源とされており、ここでの「震(ない)」も、川の「ナイ」が由来となっています。
「別」「内」を使った地名は、東北にもかなり存在する様です。青森県東南部に流れる「馬淵川」の「苫米地」なんていうのは、由来は判りませんが興味ある例です。

「ベツ」「ナイ」のほか、北海道の地名で、語尾に多く出現するのは、アイヌ語地名の特性から[-p:-pe,プ:ブ:ペ:ベ][-usi,ウシ][-oro,オロ][-ru,ル][-r,ラ:リ:ル:レ:ロ]が多いようです。「名寄」は[nay-oro]という説もあり、連音のため「ナイ」が見掛け上なくなり、「名寄」の字が充てられています。同じ変化ではないですが「ベツ」には「標津(シベツ)」というように、漢字表記に「ベツ」が隠れている例もあります。(各地名の由来に付いては一例であり、一般に、アイヌ語地名の由来には複数の説があります。)

「名寄」と同じように、語尾が「ロ」で終わる「帯広」ですが、ここに北海道の開拓使本庁が置かれたとしたら、道内最大の都市となっていたでしょう。ただ、米作が盛んになって豆など見向きもされず、今のような帯広発の美味しいお菓子が食べられなくなったとしたら、私や私の家族としては残念なことになってました。
札幌ですが、本庁にならなかったとしても、かなり広い扇状地に乗っかっている割には、大河の氾濫からも逃れられ、水利も良く、住むには適していると考えられるので、何かの産業が発達すれば、数十万人都市にはなっていると思います。
明治期の書物に、「50年後の札幌」を予想して書いた文章があったんですが、現在手元を捜索中。見つかったら、こそっと紹介します。

そんな札幌に住んでいる、“北の住人”ですが、数年間の経県値はもちろん「5」、しかも、6月までは支庁外どころか市外にも出ていません。こんな人は結構いるんじゃないでしょうか。市内のみで活動したのは、人数から計算するとウチでは83%です。ただ、私の宿泊地は、日付を超えたススキノを除くと、勤務先を含め市内4区です。(ウチのボンズ達は3区で宿泊)
こんな私も、7月には、北広島市、恵庭市、千歳市と一気に滞在した市が増えました。8月には宿泊地が市外にも拡大。ニセコ周辺に行ったわけですが、そこで貴重な体験をしました。クマの手と足を同時に持ったのです。触ったとか、握手したとかではなく、同時に持った(クマの手と足の全重量が私の手に掛かった)というのがミソなんですが。
[60605] 2007年 8月 14日(火)01:23:20【1】北の住人 さん
明日香フォーラム
私の情報源は新聞なんですが、時間を含め経済的理由で、一紙読むのが精一杯。テレビは子供番組、ラジオは野球(ほとんど日ハム)で、ネットは諸般の都合により微々たるもの。そんなわけで、情報に偏りがあるわけですが、最近の読売新聞によると、「明日香村まるごと博物館フォーラム」なるものが札幌で開催されるとか。いくつか関連記事を読んでると、こんな話があったわけです。
・「蝦夷」は「毛人」とも書き、蘇我蝦夷の他に、小野妹子や佐伯氏も「毛人」を名乗っていた。
・日本書紀によると、蝦夷や粛慎・隼人・多禰島・覩貸羅などの人々が飛鳥に来ていた。

そんな記事の中に、齶田(秋田)、渟代(能代)という地名が出てきたので、同様の例をちょっと辞典で調べてみました。選んだ地名は、同列にしていいのか不明なものもありますが、判らないので独断と偏見によります。

 現在の表記       歴史的な表記     ちょっと一言
漢字読みその1その2その3
秋田あきた齶田飽田「齶田」は「あぎだ」、「飽田」は「あくだ」 
栃木とちぎ橡木
大阪おおさか大坂小坂「小坂」は「おざか」
奈良なら寧楽平城
札幌さっぽろ札*察*作発呂記号「*」は「糸偏に晃」。他に「沙津保呂」等。かなでは「しやつほろ」等
函館はこだて箱館
水戸みと水門
名古屋なごや那古野名護屋明治3年表記を名古屋に
岩代いわしろ磐代石背「石背」は「いわせ」または「いわしろ」
武蔵むさし无邪志胸刺「无邪志」は「むざし」、「胸刺」は「むさし」。无邪志国・胸刺国他が武蔵国に
山城やましろ山背山代延暦13年に山城と改められた

他にもいろいろあるようですが、このような表は、ネットのどこかに潜んでいるものなのでしょうか。
[60524] 2007年 8月 8日(水)23:58:13北の住人 さん
水の流れに身をまかせ
新千歳空港([60424]オーナーグリグリさんの、問四解説中「想定解の空港で複数市にまたがっている」空港の1つ)に、今日、親戚の見送りを兼ねて遊びに行ったんですが、滑走路上で中央分水嶺が横断しているそうです。

雨の日、離着陸中の機内から目を凝らしてよく見ると、滑走路上のとある地点で、水が太平洋側(南側)と日本海側(北側)に別れて流れているのが、気分的に、なんとなく、見えるかもしれません。(このことを知ったのは去年のこと、ここ数年飛行機に乗ったことがないのでなんとも言えませんが、まあ、機上から確認することは無理でしょう。)
[60401] 2007年 8月 4日(土)00:06:18北の住人 さん
古典コテン(SFではないです)
最近、字が沢山書かれている本を読むのが辛くなってきたので、マンガに走っているわけですが、なかなかよいです。「東海道中膝栗毛」や「平家物語」などなどが、あっという間に読めてしまうので。
「東海道中膝栗毛」は笑いながら読んだのですが、これらの本、地名が沢山出てくるわけです。東海道など街道筋の宿場や邑・村は、土地の人ならすぐ判るのでしょうけど、生まれてこの方、北の都、札幌以外に住んだことがない者としては、位置がよく分らず、この点、難儀してます。
さて、この次は「奥の細道」にしようか「吾妻鏡」にしようか、北の台地とはいえど暑い夏、こんな読書もありですよね。
[59632] 2007年 7月 4日(水)23:31:01北の住人 さん
瓶壜罎
[59612][59622] きまぐれ さん
近頃お目に掛っていないんですが、首から肩にかけての形が微妙に異なっている、そんな記憶もあります。この話、うたげかなんかの折に使ってみようかなと。最近、隣席との雑談、昔話が多くなってきてるんですよね。子供の頃は家の近くに水田があり、自分でも、たらいで稲を育てたりしてました。脱穀機はありましたが、自家用の米の精米はどうしていたんだか記憶にないです。

家にガラスビンがないか探してみたんですが、コーヒーとジャムのビンくらいしか見当りませんでした。醤油も油もプラスチック製の物で、しかも小型。今時の台所はこんな感じですか。
札幌では、ビンは缶と一緒にリサイクル(ゴミ)の日に出してます。今でもビンを店に返還してるという話は、私の近所ではあまり聞いたことないですが、単に店に持っていくのが面倒とかそんなことかもしれません。牛乳ビンは、飲んだその場(店やその他の娯楽施設)で返してます。私の生活力、どんどん少なくなってきているので、家人に聞いてみようとしたんですが、もう寝ていました。
子供の頃(30年前)の換金額はコーラ10円、ビール5円だったと記憶してるんですが、違うかもしれません。父が空けた一升瓶のその後はどうなっていたのか、果実酒が入っていたり、こくわ(猿梨のことのようですが「こくわ」と言ってました)が詰まっていたり、鮭の“せわた”であるメフン(辞書によると別の魚によるものや、別称もある様子)で一杯だったり、空き瓶の一部は容器として、いろんな事に使われていたようです。
[59605] 2007年 7月 3日(火)00:30:48北の住人 さん
酒呑
流れからすると既に終了した話ですが。私の小学校入学前の頃なので、かれこれ30年以上も前のこと、一升瓶を持って近くの牧場に牛乳を買いに行くのが、私のお使いでした(初めてのお使いだったかどうかは記憶の彼方)。当時、一升瓶には醤油や油も入っていましたが、今でも同じでしょう。私と違い、父が酒呑なのも、あの時と変わっていないことの1つです。私も変わらず牛乳呑ですが。

さて、私にとって懐かしい地名を[59567] hmtさんの記事中に見つけました。最近、自分の過去記事を全て読み返したことがありますが、たいそう恥かしい記事が続出していましたので、心新たに書いてみます。なお、地形図上、「酒呑」は「サチノミ」と呼ぶようです。(以下は、『日本歴史』2004年1月号、塚本学氏の「文字による地名の変改メモ」に拠ります。)

豊田市「幸海(こうかい)町」は、江戸期の「シャチノミ」という村であり、『愛知県史資料編』復刻の「正保国絵図」には「サチノミ」と記されているそうです。これに「酒呑」という漢字を充て、公式表記・村名となっていくのですが、明治に入り「酒呑学校」ができます。その後「幸海」の字を案出し学校名としたのが明治9年。この「幸海(サチノミ)学校」が「幸海(コウカイ)学校」と変化し、ついには「幸海(こうかい)町」となった、とこういう話です。
[58923] 2007年 6月 9日(土)06:30:02北の住人 さん
Re:五時から暇つぶし。
[58919] 牛山牛太郎 さん
これ、面白いですね。で、自身どっかで経験したことあると考えていたら、OCRソフトで文書を変換したときに出てくる漢字に近いものがあったです。
[58298] 2007年 5月 4日(金)06:46:28北の住人 さん
マイタケ
今は昔、舞茸(秋、キノコを楽しもう)の話題に参加したことがありましたが、アイヌ民俗に関する本に、「舞茸を見つけたら、その場所で踊る」という慣習が一部にあった、ということを見つけましたので紹介します。

この話は、知里真志保「アイヌ宗教成立の史的背景」(昭和30年発行の昭和28年日本人類学会・日本民族学協会連合大会第8回記事、なお、この論文は北海道出版企画センター昭和61年発行の著作集『和人は舟を食う』に採録」に掲載されているものです。
概要は次のとおりです。(知里氏の他の著作集と照らし合わせながら書き込んだので、上記論文に追加したものがあります。)

・マイタケは「iso-karus イソカルシ」または「yuk-karus ユクカルシ」と呼ばれ、「熊きのこ」の意である。
・マイタケを見つけた場合の風習・習慣には、熊を捕獲する時と同様の行動を取ることが多い。
・美幌、屈斜路、塘路地方の方言ではマイタケを「maytake マイタケ(日本語由来)」と呼び、大多数はこれを本来のアイヌ語と思っている。
・北見の美幌では、マイタケを見つけた場合、男達は熊を取った時のように周囲を踏舞し、女達は歌い踊った。
・釧路の塘路でも、マイタケを見つけた場合、踊りの風習があった。
[58143] 2007年 4月 24日(火)22:12:21北の住人 さん
郡区町村編制法は?
読み落しがあったかもしれませんが、市区町村変遷情報についてです。現在、地方自治法以前の「市制」「町村制」等まで遡っていますが、それ以前は、「藩政村」となってしまうのでしょうか。私がよく制度を理解していないこともありますが、「郡区町村編制法」「大区小区制」をどの様に表現するのか期待していたのですが、これらの話題が無いので、私の認識不足なのかと思いまして書き込んで見ました。
[56919] 2007年 2月 20日(火)23:01:49北の住人 さん
地理と関係ないですが
都市部でも産科不足という新聞記事を目にしましたが、うちの上のぼんずは、総合病院で生まれたというのに、その後産科がなくなりました。しかも、この春には小児科までも廃止に。入院や救急で何度もお世話になっていたのに、他の病院を探さないと。彼は幼稚園も最後の園児となりそうで、何となく寂しいものがあります。

下のぼんずは、別の病院で生まれたんですが、当初の病院で対応できず救急車で総合病院に搬送され、そこで即日生まれました。上のぼんずの時もそうだったんですが、リスクの大きい出産だったので、産科と小児科の連携がなかったらどうなっていたことか。札幌でもこんな感じなので、医療機関が不足している所はかなり困っているのではないかと。
[55699] 2006年 12月 27日(水)22:49:48北の住人 さん
郡区町村編制法
でるでるさん、88さん、市区町村変遷情報お疲れ様です。眺めていると時間が経つので、余り近づかないようにしています。時代が徐々に遡ってきているので、もう少し待てば解決しているのかもしれませんが、ちょっとした質問があります。

「変更種別の詳細説明」の「区制」ですが、「郡区町村編制法」の「区制」を対象とするなら、「区」の他に「町村」も「郡区町村編制法」による「町村制」として位置付ける必要があると思いますが、どうでしょうか。
「郡区町村編制法」や「大小区制」「戸長制」まで遡ると「自治体」とは言えるかは疑問なので「町村制」という語で表現してよいかはわかりませんが。

また、「郡区町村編制法」と「北海道区制」を同列にして良いものでしょうか。
「郡区町村編制法」の「区」は、「市制」「町村制」以前のものであり、北海道にもこれにあたる「区」があります。一方、「北海道区制」は地方自治法以前の「市制」に対応すると考えられ、「一・二級町村制」と並ぶものであり、「区」ですが「郡区町村編制法」の「区」とは異なる「区」です。

角川の地名大辞典と比べると日付が微妙に異なっているのが何点かありました。告示などの資料にあたることができないので、そのうちに。
[55562] 2006年 12月 17日(日)05:08:47北の住人 さん
駄洒落を言うのは誰じゃ
[55548] 油天神山 さん
自分の書いたの読み返すと「三拍」とするところを「三泊」としていました。よほど旅に飢えていたんでしょうか。11月25日の書込みから状況変わっていません。計画は出るのですが、諸般の事情により実行には至らないです。計画といっても登別か洞爺湖ですが。我が家では1っ匹、いや1人が飛行機代ただになるので、沖縄やハワイに行く話を彼の母親がよくしていますが、そのうち彼も1人前に席を占有する事になるので、この話題も我が家からなくなることでしょう。彼の兄の時もそうだったです。

「でっかいどう、北海道」今でも目にしたりします。ツーリングなんかで使われているんじゃないでしょうか。私自身「でっかいどう!北海道!」と叫んだ事やそんな人を見た事は無いですが、心の中には持っています。このコピー、別の意味で押さえておく必要があり、北海道旅行中のガス欠、飯欠、金欠には注意しましょう。ライダーは獣の恐怖と戦いながら何10キロも山道を押しつづけることになりますから。飯欠も特に夜間は金がありながら何時間も満たされないということになります。飲み物の自販機さえなく、飢えと乾きに耐え忍ばねばなりません。

似たようなコピーに「バリバリ夕張」というのがありましたが、とんと聞かれなくなりました。石炭の歴史村と遊園地にはいつか入ろうと思っていたのですが叶わぬ夢となりそうです。実は、行った事はあるんですが、高くてやめました。遊園地なら岩見沢の方が近いし入るだけなら安いですから、もっぱらそちらの方になってました。今思えばあの時入っていたら話の種になっていたのにと。札幌近郊の遊園地といえばルスツリゾートですが、近頃は「山は友達、ルスツ高原」という懐かしいコマーシャルが流れています。

同種のコピーとして「室蘭、もどらん」という、Iターン・Uターン関連の中吊り広告を見た事あります。多分「もどらん」は「もどらぬ」ではなく「もどらむ」という意味なんでしょう。市ではないですが、札幌の区で「手稲っていいね」なんてのも長く使われている様です。

他にないかと頭をひねったのですが、出てくるのはこんなのばかり。
「稚内?わかんない!」「根室で眠ろ」「岩内なんて言わないで」「函館だってね」「北区に帰宅」「清田に来よった」
[55348] 2006年 11月 25日(土)23:15:29北の住人 さん
旅歌
[55342]の「旅の空から」は「人生の空から」でした。「人生」と書いて「たび」と読む、大きいですねこの人は、デビュー曲は「旅立ち」、旅が好きなんですね。もっと大きいのは中島みゆきの「時代」、旅人が生まれ変わってしまうんですから。輪廻転生そのものは松任谷由美にあります。
ところで、帰省は旅なんでしょうか旅行なんでしょうか。帰省に近いですが、夫の実家に行くのがユーミンの「ルージュの伝言」。一人複雑な気持ちで列車に乗っているところは旅のようでもあります。「列車」というのが松任谷由美的なのか、単に三拍なので、メロディー上「汽車」じゃなく「列車」(電車も三泊)にしたのか。踏切が出てくるので新幹線では無いようです。関係ないですが「瞳を閉じて」はどこかの校歌だというのを聞いた事あります。
汽車なのはイルカの「なごり雪」。列車を待つ、とはあまり言わないですが、電車を待つならありですね。当時は、やはり電車より汽車なんでしょう。「ルージュの伝言」と年代的には同じでは。
「岬めぐり」はバスですが、「心の旅」と同じ頃でしょうか。さすがに汽車で岬巡りは無理ですか。

我が家は今年は旅をしていませんね。経県値は5です。札幌以外に行ったのも小樽、江別、石狩の3市のみでいずれも宿泊無し。町村は通過もしませんでした。まあ、札幌には定山渓があるんで他に行かなくても済むんですが。実家(札幌)ではちょっとした収穫祭もできますし。都会も田舎も温泉も海(温泉の死海プール)も山も札幌で経験できるので他に行く必要ないですよ…………あぁ、どっか行きたい。
[55342] 2006年 11月 25日(土)20:58:40北の住人 さん
歌レス
「心の旅」はチューリップより吉田栄作がリアル(発表時に聞いたという意味)ですね。私はチューリップ世代なのかもしれませんが「心の旅」より「虹とスニーカーの頃」の方がリアルな印象です。
私は遅れていたんでしょうか、アリスもリアルなのは「冬の稲妻」あたりからで、「遠くで汽笛を聞きながら」はその曲何となく聞いた事がある、といった感じでした(歌えますが)。
北の住人としては、やはり松山千春。聞きながら育ってますから。「旅の空から」なんていうのがあります。
(歌手やタイトルは調べずに書いてるので間違ってるかもしれません。その時は宴会のノリで突っ込んでください。)
[55025] 2006年 11月 6日(月)22:04:53北の住人 さん
和食
私は洋食より和食が好きですが、食べ物の話しではありません。「和食」と書いて「わじき」と読む駅があると知り、熟語と違う読みの駅なんだなぁ、と思ったので書きこんだ次第です。この駅の隣りの県である徳島県には、鷲敷町和食(多分、わじきちょうわじき)という、明日香村飛鳥に似た地名も、かつてあったようです。
[54204] 2006年 9月 26日(火)23:46:03北の住人 さん
バスレス
[54184] 成都さん
[54188] ぺとぺとさん
[54195] みかちゅう さん
日本海るもい号は高速道路を通らないので、都市間高速バスのページに入ってないんじゃないでしょうか。(このページの地図には該当する線が書かれているようですが)
車両はいわゆる観光バスと同じ型だと思います。なお、路線バスのページにある札幌市内便の一部にも観光バス型の車輌が走っていると思います。
小樽方面(積丹や倶知安)についてですが、都市間高速バスといっても札幌市内の路線バスと同じように乗車でき、運行本数も多いので私はよく使ってます。停まる停留所の数が少なく、速く快適に移動できるんですよね。市内便より小樽便に乗る方が多いです。たまに来るJRバス(小樽便は中央バスと共同運行)の車輌は座席間がゆったりとして特に快適です。

十勝方面の「×線」という停留所ですが、同じような事を思った人がいたようで、バスマガジンとかいう雑誌の創刊号あたりに、「1線」から「??線」までの停留所の写真が載ってます。確か、50線くらいあったと思います。(この本、絵本代わりに子供にやってしまい、家のどっかにあるんですが、見つかりませんでした。表紙は北海道中央バスの札幌市内便の車輌がでっかく載ってます。)

では、明日も1位通過を祈って寝ることにします。
[54064] 2006年 9月 19日(火)22:57:30北の住人 さん
官報
[54042] むっくん さん
[54060] 88 さん
官報は雑誌や新聞と同じ出版物と考えられますから、原稿誤りと校正誤りが付き物です。(官報で訂正記事を読んだことはあったか?なかったか?定かでないですが。)
当時の標記を確認するのに良い資料としては、役場が発行する書類(表彰状とか許可証とか、上級官庁あての書類とかその逆の書類とか)や戸籍なんかが考えられます。
新しい郷土史でも、それらの書類が写真で掲載されていることがあるので、案外簡単に見つける事ができるかもしれません。めったに出てきませんが、戸籍が載ってたらほぼ確実でしょう。
(で、複数の標記があったりしたら、ますます深みにはまったりします。)
[54063] 2006年 9月 19日(火)22:28:30北の住人 さん
ギネスよりサッポロ
[54045] ジャスティンK さん
私、ギネスブックを読んだことが無いので、いま現在、どんな事が書かれているのかわかりませんが、昭和62年の旭川冬まつりの雪像「ガリバー夢の城」が世界一の大雪像に認定されたという話があります。

ギネス的に札幌の自慢になるかどうか(もっとも、酒の上の話だからなんでも自慢にして良い?)、世界で一番長い映画シリーズである「男はつらいよ」のロケ地の1つが札幌というのはどうでしょう。

数年前の札幌の話ですが、市内の雪だるまの数でギネスに載ろうとかいう企画があったので、我が家も3つ作りましたが、確かギネスの対象にはならなかったという記憶があります。(私の記憶、間違えてるかも)

ギネスブックと関係ありませんが、たまたま昨日読んでいた本に、麦酒会社3社合同の話が。明治の話ですけど。当時の大手5社は、合同した札幌(サッポロ)・大阪(アサヒ)・日本(エビス)とジャパンブルワリー(キリン)・丸三(カブト)だそうです。
[53991] 2006年 9月 16日(土)11:41:17北の住人 さん
百交差点
私は既に飽きてしまいました。暗算が難しい歳になったので挫折したと言った方が合ってますが。で、交差点ではないですが、こんなのも見つけました。管内の国道番号の和が100の倍数です。
500 福岡県添田町

やってて感じたのは重複部分の多さですね。道内各市の国道本数を数えてみたのですが、地図上では札幌市の9本が最多で、他を離していると思いましたが、重複を調べてみると釧路市や網走市も9本でした。
[53977] 2006年 9月 15日(金)22:46:51北の住人 さん
昔の事は良くわかりません
[53936] 88 さん
石狩市を構成する郡について、実はまだ問題があり、当初の郡域が良くわからないのです。[53882]は、明治29年地形図での郡域を元にしており、それが当初の郡域と一致するのかは不明のままなんです。

[53970] むっくん さん
私は外野として一連の記事を読んでいますが、「新修大津市史」「滋賀県市町村沿革史」は下阪本村と坂本村が大津市に合併したあとに書かれたものではないでしょうか?明治発行の地形図のほかに、両村が存在した時代の資料で確認したい所です。正誤の判断はそれを待っても遅くは無いのでは?(地形図にも、これ合ってるの?と感じるのがあるんですよね。特に古いのは)
[53968] 2006年 9月 14日(木)22:40:00北の住人 さん
北海道地方費
手元の本を読んで見たところ、北海道地方費の設定は、明治31年から39年まで北海道長官だった園田安賢が、明治34年の北海道10年計画の中で発案したようです。
開拓使以来国費のみで進めていた北海道開発を、国費と地方費に区分し、また、国費を行政費と拓殖費に分け、地方費については北海道会を設けて自治権を認めようという案です。それまでは全て国庫に入っていた税収の一部を、府県の地方費に相当するものとして分離させたわけです。
一見、自治を望む道民の期待にこたえたような感じですが、実は人口増に伴って増大していく地方費相当分を別に設ける事で、将来の国費の負担を浮かし、その分を拓殖費に充てようとする思惑もあったようです。道会の設立で自治を得た形になりましたが、議決事項は地方費の収支に関してのみで財産処分は行えず、実際の執行は北海道庁(国)が行っていたわけです。
[53953] 2006年 9月 13日(水)22:25:06北の住人 さん
地方自治法以前の北海道
難しい話なので、近寄らない様にしていましたが、こんな感じではないでしょうか。
中央の官庁である「北海道庁」(地方自治団体ではなく、長は知事より権限の強い長官)が北海道の事務を行い、地方自治の仕組みとして「北海道会」という議会(府県会より権限が弱い)があった。また、「北海道地方費」は「府県費」と同じ性格である歳出入(地方税等地方の収入で賄う)を指しており、「北海道会」の議決事項であった。例えば、道路や高校を作る場合、「北海道会」の議決により決定し、「北海道庁」が「北海道地方費」から支出する、といった仕組みになっていたのではないかと考えられます。(hmtさんが詳しく書かれていますが、私はあまり調べていませんです。)

なお、例の素敵な道路のサイトによると、「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」という表現が使われていたようです。
[53894] 2006年 9月 10日(日)21:33:20北の住人 さん
三つ巴?三すくみ?
[53861] オーナー グリグリ さん
秋田県大仙市・協和上淀川? の交差点ですが、13と46も重複してるかもしれません。地図の雰囲気からは、交差点の北側が13と46、南側が13と341、東側が46と341だと思います。
[53883] 2006年 9月 9日(土)22:58:20北の住人 さん
政令指定都市について
どなたかが既に書かれていたと思いますが、指定都市は他都市と比較する規定では無く、自治についての特例ではないでしょうか。過去記事に委譲事務の一覧があったと思いますが、県の事務には広域的なもののほか、一定以上の人口規模が必要なものがあり、人口の多い都市では自らそれができるわけです。指定都市だからといって、地方に権限が委譲されるわけではなく、都道府県と市との関係での委譲です。住んでる人から見れば、安全で住み良い街なら、指定都市でもそうでなくても良いわけで、住民としては都道府県と市町村との関係を意識しなくとも生活することはできます。

指定都市が効率的かというと、規模の点からは県のほうが効率的ではないでしょうか。少数精鋭という言葉がありますが、指定都市になる事で組織が肥大化し、小回りが効かなくなる恐れもあります。
一方、人員や財政が大きくなれば、やりたい事、力を入れるべき所に集中的に投資する事ができるのでしょう。投資対象はそれぞれの市によって異なると考えられ、より広域的な事を考えねばならない県より、住民の意思を反映させることができると思います。
[53882] 2006年 9月 9日(土)21:40:24北の住人 さん
石狩市域は4郡か
[53492]後段で石狩郡・札幌郡間の境界変更の可能性について書きましたが、北海道庁告示に次のが見つかりました。
明治三十二年十二月十四日 告示 第三百九号
石狩国札幌郡石狩郡境界ノ内札幌郡下手稲村山口村及石狩郡樽川村ニ連絡セル郡界ヲ今般内務大臣ノ許可ヲ経テ左ノ通リ変更ス 但境界図ハ札幌支庁ニ備置ク
発寒川ト追分川ノ落合ヨリ追分川ヲ溯リ殖民区画第三線道路ニ沿ヒ西北運河ニ至リ更ニ西南ニ折レテ新川ニ出テ「オタナイ」川ニ達スルヲ以テ郡界トス
この告示の「西北運河ニ至リ」までは、現在の札幌市・石狩市境界と同じです。明治29年地形図・明治43年地形図の郡界の違いと合わせて考えると、石狩郡・札幌郡間で郡域の交換があったようです。

ということで、石狩市域は石狩郡・厚田郡・浜益郡・札幌郡の4郡になりました。また、[53585]で札幌市は「実際には小樽郡だけ」としましたが、札幌郡・小樽郡・石狩郡の3郡でした。
[53799] 2006年 9月 3日(日)23:02:45北の住人 さん
続、百交差点
参考記録ですが、ここは道でしょう?重複区間が合っていればですが。 新潟県三条市須頃3丁目 700=8+289+403
[53798] 2006年 9月 3日(日)22:38:53北の住人 さん
百交差点
参考記録ですが既出でしょうか? 秋田県大仙市協和上淀川 400=13+46+341
しかし、皆さんこの手の問題はどのようにして探しているんでしょう。私的には、地図を見ながら1つずつ潰していくのが、早くて確実じゃないかと思うんですが。(見落としもでてきますが)
[53775] 2006年 9月 2日(土)13:05:51北の住人 さん
クイ図の解答
問一:鳥栖市
あえて小縮尺でいってみました。

問二:水戸市
この問題は探すのが大変なので、あきらめです。

クイ図の感想ですが、どの地図を使うのかと、縮尺をどうするかですね。私のネット環境ではブロ-ドバンド用地図の表示に時間がかかり過ぎ、解答された方のリンク先を見るのを止めたのがあります。縮尺は大縮尺の方が良いですが、そのものずばりの建物が表示されると解くのが簡単になりそうです。
[53585] 2006年 8月 23日(水)22:52:33北の住人 さん
境界争議
自治法上、市町村の境界に争いがある場合は知事の出番でしたっけ。勉強した事ありますが、すっかり忘れてます。

[53544] 88 さん 
[53571][53572] EMM さん
郡の範囲の検証作業お疲れ様です。境界変更は調べるの大変で、奥深いものがあります。市町村の合併が絡んでいたら、しかも古いものなら困難な作業になります。私もあれこれ考えながら、紅葉橋律乃介さんの感想同様、細かいことになってしまったなぁ、どうしようか、と思ったのでした。(石狩市については、地図上では結論出ていたりしてましたが根拠が無かったので、その後の2本の告示で確信に至ったわけです。)

クイズからは離れますが、単純に札幌市の境界変更・廃置分合をたどると、高島郡・忍路郡・小樽郡・石狩郡・千歳郡の5郡が絡む可能性もありうるので、正確な作業は大変なわけです。(実際には小樽郡だけ)
 「小樽市→札幌市」で「高島郡・忍路郡・小樽郡」
 「江別村・江別町→白石村、江別市→札幌市」で「石狩郡・空知郡」
 「広島村→豊平町、広島村→札幌市」で「千歳郡」
地図を見れば感覚的にはわかるんですけど、細かい部分は明治に遡るものもあり、また、「石狩市・小樽市」のように町字名変更も考えると、境界変更の調査は容易でないです。

「石狩市・小樽市」の境界変更の場合、仮に「小樽郡銭函町」というのが存在し、「石狩町→銭函町」で郡界が変更したのち、再度、「小樽郡銭函町」の一部が石狩町に編入すれば、現在の石狩市には小樽郡(もとは石狩郡)を含めた4郡が存在するという事になるのでしょう。
[53492] 2006年 8月 19日(土)09:29:06北の住人 さん
石狩市・小樽市
[53458] 88 さん
あっという間に該当する告示が2本も出てくるなんて、小樽市・石狩町の境界変更について、書き込んで良かったです。
手元に変更以前の地形図がいくつかあるんですが、この告示で小樽郡から石狩市に入った区域はないとほぼ確信しました。小樽市銭函5丁目は、石狩町大字樽川村から名を変えた区域で間違いないと思います。(明治の地図については少し疑ってますが、昭和42年の地図ならOKでしょう。)
昭和50年の境界変更ですが、市町村便覧などで、小樽市から石狩町への編入もあるような雰囲気になってたりしますが、告示を読むと石狩町→小樽市のみのようですね。

細かい話になりますが、この告示にでてくる字名で気付いたことです。
・分部越、分部義(「義」の字を当てているのは初めて見ました)…アイヌ語地名の「フンベムイ」由来(鯨に関係?)。「フンベムイ」は「花畔村」に存在したという記述もあり、明治期には「花畔村」→「樽川村」となった区域もあるかも。「花畔村」は明治4年、「樽川村」は明治15年の成立なんで分村の可能性も。
・小樽内川、オタネナイ、樽川 …アイヌ語地名の「オタルナイ(オタナイ)」由来で、「小樽内」に「オタネ」とルビが振られた地図もあり、「オタネ浜」の通称も。「オタネさん」がいたからという説もあったりなかったり。
不思議なのは「字樽川」。「大字樽川村」には字無しの区域があるのに、なぜここに「字樽川」の小字があるのか、他村と境界変更があったのかも?

さて、次の字名が問題なんですが、ひょっとしたら札幌郡から石狩市域に移った区域があるかもしれません。これを調べるのはかなり難しそうですが。
・軽川、白川 …下手稲村・山口村(現在の札幌市手稲区の大部分)に同字名が存在。「軽川」は手稲町中心部の旧字名で、「手稲駅」は昭和27年に「軽川駅」から改称。明治29年の地形図では、下手稲村の村域の一部が、現在の石狩市域にかかっており、「字軽川」は「下手稲村」→「樽川村」の境界変更でできた可能性も。ただし、明治43年の地形図では今と同じ境界なので、明治29年のは誤記かもしれません。また、「軽川」は広域名かもしれないです。

ちなみに、下手稲村域の変遷は次のとおりです。
 発寒村→手稲村→下手稲村→(山口村分村)→手稲村→手稲町→札幌市→札幌市西区→札幌市手稲区
[53457] 2006年 8月 17日(木)22:31:06【2】北の住人 さん
盆地の名
[53448] huzisan さん
奈良市の奈良と考えます。次の文を読んでしまったからですが。
「地名の標準化についてPDF」([53057]hmt さん)の5ページ目(本文では52ページ)、「第3図 主要自然地域名称図」宗谷岬の上方に次の文があります。
*地域を示す固有的な部分の称呼は、次の基準にしたがう。
1 長年にわたり、全国的な規模において習慣的に使用され、それが広く通念となっているものについては、その名称にしたがう。(例 奥羽山脈 関東平野)。
2 山地にあってはその主峰の名をとる(例 真昼山地 両白山地)。
3 平地にあってはその主邑の名をとる(例 大阪平野 山形盆地)。
4 以上の基準による名称が適切であると認めがたい場合にかぎり、国名・郡名、またはそれらの複合名、その他の地域名をもって示すものとする(例 石見高原 魚沼丘陵 筑肥山地 九十九里平野)。
文字が潰れているので、カッコ内の(例)は私の推測によって書きました。第1項に該当しない場合、第3項によると盆地は主邑の名なので、奈良盆地は奈良市の奈良となるわけです。(上の文には「県名」がありませんが「その他の地域名」に入るんでしょうか。)
[53452] 2006年 8月 17日(木)20:36:24北の住人 さん
小樽市大字樽川村
[53442] 88 さん
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ
この境界変更区域、地番の確認はしていませんが、もともと石狩町(石狩郡)だったと考えられます。この区域の変遷は次のようになると思います。
 樽川村→花川村→石狩町→小樽市→石狩町→石狩市

現在の小樽市銭函4丁目、銭函5丁目は町名改正によるもので、以前は小樽市大字樽川村。さらに、昭和50年4月15日の境界変更前は、石狩町大字樽川村の一部になるはずです。この樽川村は、石狩国と後志国の境界である、オタナイ川(小樽内川)の右岸(石狩国側)に位置しているために名付けられたと考えられ、石狩町の古い字名として「大字樽川村字小樽内川」が存在するようです。

昭和50年の小樽市への編入、石狩湾新港の建設が絡んでいるようです。新港ができると小樽港へ入港する船舶が減りますから。
[53428] 2006年 8月 16日(水)23:13:22北の住人 さん
4つ以上の郡からできた市
[53355] オーナー グリグリさん
問八の未解答のうち「石狩市」について。「石狩郡」「厚田郡」「浜益郡」は明らかですが、もう一つを探しているところです。候補としては「小樽郡」と「札幌郡」。
小樽郡成立時の石狩郡、札幌郡との郡界は「オタナイ川(小樽内川、今の清川と考えられる)」で、その後、小樽郡は小樽市域に含まれました。小樽市と石狩町で境界変更がありましたが、現在の石狩市域に小樽郡は存在しないと思います。
札幌郡については、明治の地図を見ると、札幌郡と石狩郡の間で境界変更があったような感じもします。
いずれも地図だけでは確かでなく、資料に当ろうかと思っているところです。
[53373] 2006年 8月 14日(月)22:19:19北の住人 さん
レベルの違い
[53370] 千本桜 さん
水準測量の体験をしたことは無いのですが、三角測量の標高とは高さの精度が違うんですね。家の近くの基準点情報を調べたところ、三角点の標高の最小単位は1cm、水準点は0.1mmと2桁の違いでした。水準測量の測定にかかる経費も結構違うんでしょうね。(たとえば、札幌市西区にある、一等三角点「琴似山」の標高は311.07m、基準水準点「82番」の標高は80.9888m)

札幌周辺の三角点を見ていたら、点名ですが「団子山(標高7.22m)」「砂山(標高11.22m)」というのがありました。もっとも、地形図に名称は載ってないので、山としては未公認というか業界限定ですが。

最近、札幌の山が1つ増えました。モエレ山というのが隆起、ではなく造成され、めでたく地形図にも採用されたようです。この山のすぐ北に「プレイマウンテン」というのもあるのですが(こちらの方が歴史が古い)、国土地理院に申請していないのか、地形図には載ってません。ここにはビーチもあり、公園全体が彫刻家イサム・ノグチ氏の設計によるものです。
[53356] 2006年 8月 13日(日)21:33:27【1】北の住人 さん
山の高さ
[53194] みやこ♂ さん
高さといえばこんな例が。札幌の南西に「無意根山」というのがあるんですが、地形図の三角点標高は1,460.5mです。でも、最高点は1,464m。私はこの山に登りかけ、雨のため引き返した事があるんですが、木々の中の最高点より、視界の良い三角点の方が、山頂としての雰囲気があるそうです。

みやこ♂さん提示の「日本の山岳標高一覧 -1003山-」を調べようと検索してみたところ、国土地理院のこのページが当然のようにトップに。で、ここから「都道府県別山岳標高」などに行ってみると、「無意根山」と同様な例が結構ありました。調査概要(PDF)を読むと、山の最高点が三角点や標高点ではない場合があり、地形図で調べるのには限界があるということですね。(高さの基準が水準点で、三角点は位置を表しているのだと思いますが、山の標高に水準点を使わないのは対象・用途の違いからでしょうか。)

ちなみに、ここの「都道府県の最高地点」では、大阪府の最高地点(最高峰)を金剛山としているようです。
[53337] 2006年 8月 13日(日)07:31:59北の住人 さん
第十二回十番勝負 感想
今回はじめての参加です。正答が大方出た後で、ヒントも出ているのに難しかったです。
問四■一桁・二桁国道(旧一級国道)の始点・終点がある
×江別市→○室蘭市:初日の解答は眠たい状態だったので、単に旧一級国道で解答。よく考えたらこれでは多すぎですね。該当市は北海道に多いので、すぐ見つかりました。
問七■環境省の快水浴場百選がある
○にかほ市:これはすぐに一覧表を見つけましたが、残っている市を探すのに一苦労。ひらがな3文字の市が目に付き、未答市だったのでこちらを解答。
問八■複数の郡(4つ以上)からできた市
×江別市→×豊岡市→×足利市→○石巻市:問四同様、単に複数の郡からできた市で解答しましたが、良くヒントを見ると「郡、郡、郡、郡」。境界変更を含むかどうかわからず「小樽市」で解答するのを迷い、ネットで検索した表では「豊岡市(城崎郡・美含郡・気多郡・出石郡)」が該当しそうだったので解答するも×。しかも、私が見ている表では1郡のみの市が正答になっているのに、4郡ありそうな市が誤答のリストに存在。両毛地方に多いということから、あてずっぽうで「足利市」。次の日、アーカイブ複数の郡にまたがる市、複数の市を生んだ郡を探して正答にたどりつきました。
問九■世帯数が1万未満(2005年国勢調査速報値)
○豊後高田市:残りの市を探すのが大変でしたが、人口が少ない市と照らし合わせながら、文字数の多い市が目に付いたのでこれを解答。
問十■問一から問九の問題になっている
×津市→×野田市:今回参加したきっかけはこの問題で、クローズが予定通りだったら十番勝負の解答はできませんでした。なにやら不穏な動きがあるこの問題、残りが1市になってから、なんだろうと調べてみたわけで、実はこの問題が上の4問より先に解けたのでした。参加者がもういないだろうと思って遊んでいたら、想定解終了してました。
[53317] 2006年 8月 12日(土)17:35:21北の住人 さん
お礼
問八、EMMさんのヒントで助かりました。ありがとうございます。
[53306]、早起きは三文の得ではなく、早起きは一問の得でした。ことわざの使い方としては合ってるんでしょうが、三文なんて失礼でした。「溺れる者は藁をもつかむ」なんてことを大事な取引先に言ったりすると、「俺は藁か」と返されるので、皆さん注意しましょう。
[53306] 2006年 8月 12日(土)05:58:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:石巻市

早起きは三文の得、になるでしょうか。EMMさんの記事を参考に調べましたが、出かける時間になりました。
[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。
[51723] 2006年 6月 11日(日)22:16:30北の住人 さん
頓別を考える
[51689][51710] R62号1さん
[51699][51711] YSK さん
良く分りませんが、鉄道(天北線、興浜北線)の開業との関連もあるかもしれません。特に「浜頓別」と「頓別」の関係には。
「上・中・下頓別」は殖民区画が広がるにつれ、単に「頓別」では範囲が広くなったので字を作ったとも考えられますが、天北線の駅名と字名のどちらが先か調べる必要があると思います。
「小頓別」については、私なら位置的に「奥頓別」と付けたいですが、なぜで「小」なんでしょうか。仮に「ポントンベツ(小さいトンベツ)」という川があったとしたら、その意訳で「小頓別」にしたということも考えられます。

「トー・ウン・ペッ(沼・に入る・川)」についてはツッコミたい事が多いですが、長くなるのでいつかまた。

明治の頓別村には、砂金ブームで入植者以外に一攫千金を狙う者も多数入ったそうです。その後、枝幸村の一部になり、大正期に再度、頓別村が成立してます。また、水害により市街が「頓別」から「浜頓別」に移ったという歴史もあるようです。中頓別には鍾乳洞がありますが、中の様子は全く記憶に残ってません。
[51722] 2006年 6月 11日(日)22:15:07北の住人 さん
知床は白いところ
[51583] みやこ♂ さん
北方四島の20万図をざっと見ましたが発見できませんでした。樺太にあったという話もあり、古地図に「シレトコ」がでてきます。知床半島の知床を含め、古くは「しろい所」「白所」となっている場合が多いようです。「知床」の漢字が当てられたのは、安政5年(1858年?)松浦武四郎「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」の「志礼登古誌」が、文久3年(1863年?)には「知床日誌」として出されているので、その間となるでしょうか。
「知床斜里」という駅がありますが、かつて室蘭本線に「知床」駅が存在しました。今は「萩野」になってます。礼文にも知床があります。
[51651] 2006年 6月 4日(日)15:19:47【1】北の住人 さん
ニトヌプリ
web上の便利な事典の話題が出てましたが、功罪半ばですね。この事典は簡単に訂正できることが出版物と比較した場合の利点なんですが、引用した翌日に中身が変わっているとかあったりして。ソースが同じなら、複数のサイトに同じ情報が有ってもおかしくないし。間違ったまま他のサイトに引用されたら、元が直っていても訂正不能のコピー情報が氾濫するんでしょうね。ネットの情報は、その辺のことを分って使うには便利なんですが、信頼度の点で小中学生向けではなさそうです。
一方、ネットより信頼できそうな出版物は、訂正するのが困難なのが欠点ですね。図書館にある本なんか信用してしまいますが、すべてに正誤表が付いているわけでもないですし。絶版になっているものは訂正自体もないですから。

かなり前から温めていたものなんですが、良い機会なので、信頼できそうな出版物のことについて。私も地名大辞典をよく利用するんですが、独自に調査したんではなく単なる引用に終わっていることも残念ながらあるんです。なかには引用元に手を加えているんではないかと思われる事も。

ニセコには「ニトヌプリ」という山があるんですが、「ニドムヌプリで森のある山の意」というような説明がされていることが多いです。これは、地名大辞典を引用しているんだと思うんですが、この辞典では「アイヌ語小辞典」からの引用となってます。この説明、山に森があるのは普通だろうと突っ込みたいですが、この辺の山は高い木の生えていない場所も多いので「森のある山」も考えられます。ただし、引用元が確かでありません。「アイヌ語小辞典」という本が何なのか分りませんが、知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」のことが頭に浮かびました。
そこで、「地名アイヌ語小辞典」を見ましたが「ニトヌプリ」の項は見当らないんですよね。関連する項目もざっと見たんですが、「ニトヌプリ」「ニドムヌプリ」を見つけることはできませんでした。ただし、「ニトム」という項はあります。
 ni‐tum, -u  にトム(にートム) 森;林
 (注:「に」が平仮名なのは、そこにアクセントがあることを示している。「ト」は「ド」ではなく「ト」に半濁点、日本語にない「tu」の音をそう表現。「ム」は小文字、閉音節の子音を小文字にしている。地名大辞典でも「ム」は小文字にしている)

そこで考えたことが、執筆者は「地名アイヌ語小辞典」を見て「ニトヌプリ」の音に近いものを探し意味付けをしたんではないかと。あるいは、別の文献に書いてあるものを「アイヌ語小辞典」からの引用として掲載したのではないかと。更に、「トに半濁点」を「ド」に変えたんではないかと。「アイヌ語小辞典」なるものが他にもあるかもしれないので断定はできず、現在、この「アイヌ語小辞典」を捜索中です。
北海道の山の本のことについても続けようと思ったんですが、前置きが長くなったんでいずれまた。
[51424] 2006年 5月 21日(日)21:45:53北の住人 さん
シレトコはどのあたり?
[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行-知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌-志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ-今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。
[51334] 2006年 5月 14日(日)22:37:13北の住人 さん
ウイーヌプリ 追加
[51319] みやこ♂ さん
こちらの図をご覧下さい。松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」知床半島です。
今の「ウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」、「知床岳」=「チヤラセホロノホリ」、「羅臼岳」=「チヤチヤノホリ」となるようです。

なお、札幌には「焼山」というのが2つありますが、いずれも火山ではなく、山火事が頻発したことからの命名です。同様な事があったとしたら、「ウフィヌプリ」についても、火山でない場合もあると思います。
[51330] 2006年 5月 14日(日)11:34:00北の住人 さん
ウイーヌプリ
[51319] みやこ♂ さん
まず、松浦武四郎『知床日誌』の引用による「知床岳」=「ウフイノホリ」についてですが、他の松浦武四郎の図を見ると、「知床岳」=「ウフイノホリ」ではないようです。私は『知床日誌』を見ていないので断定できませんが、松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」からは、「現在のウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」だと考えられます。

「ウフイノホリ」には「火山」という意味もあるようで、これは私の創作ですが、こんなやり取りがあったとすると、火山であればどの山にも「ウフイノホリ」という名が付きそうです。
 旅行者:「あの山は何ていうの?」
 通訳:「あの山は何ですか?」
 住人:「ウフィヌプリ(火山)だよ」
 通訳:「ウフイノホリだそうです」 

ちなみに、この知床の「ウイーヌプリ」は複数の名を持っていた様で、「ウイノホリ」「ウフイノホリ」「シレトコノホリ」「シレトコ山」「ウーイヌプリ」が報告されています。
また、「知床岳」については「チヤアセホロ山」に同定されており、これが正しいとすると幕末以前には「チヤラセノホリ」「チヤラセホロノホリ」と呼ばれた可能性があります。(アイヌ語地名研究4「消えてしまったアイヌ語の山名」、アイヌ語地名研究5「明治の地図に記された北海道の山名」より)

「和+ア合作の名前」については、「ニトヌプリ」がそうではないかと私は睨んでいます。ニセコの山は明治以降に名付けたと思われるものが多いです。確証はありませんが、「ニセコアンヌプリ」「イワオヌプリ」「チセヌプリ」「ニトヌプリ」は新しく付けられたんではないかと調査中です。「モイワ山」「ワイスホルン」は明治以降の命名です。
「イワオヌプリ」については、この名が付いた山を個別に検証する必要があると思います。幕末以前から「イワオヌプリ」となっているものもあるので。(「イワオ」「硫黄」の起源が日本語なのかアイヌ語なのかということを別に考える必要ありますが)

「ラウス(ラウシ)」は諸説(少なくとも3説)ありますので、アイヌ語を話せない私には、よくわかりません。「内臓」というのは、単なるアイヌ語辞書からの引用のような気がします。(「アイヌ語地名」というものの中には、辞書から引いただけのようなものが多いです。)
[51307] 2006年 5月 13日(土)10:42:25【1】北の住人 さん
ヌプリコレクションについて
愛比売命 さん
[51296] みやこ♂ さん

北海道の山名ですが、明治以降にアイヌ語を借りて後からつけられたものがあります。また、意味もいくつかの説があるので、閲覧する人が誤解をされないよう配慮する事が必要です。アイヌ語の意味については、定説になっているのもありますが、すべて「?」付きにするか、すべての説を併記するのがベターかと思っています。(すべての説を調査するのは不可能ですが。)

「ノホリ」については、「ノポリ」「ノボリ」も含め幕末以前には一般的な記述だったと考えられます。
「ウフイ」については「ウイ」「ウーイ」「ヲフイ」などの表記もあるようです。

このコレクションですが、現在の地図上で「~ヌプリ」となっているものと考えてますが、幕末以前の山名調査によると、「ノホリ」等も含めて数えると200を越えるということになります。
[51142] 2006年 5月 3日(水)09:20:02北の住人 さん
端午の節句
皆さん、べこ餅というものを知っていますか?この季節に食べるものなんですが、北海道・東北の地域限定品だということを、最近知りました。全国的なものかと思ってました。よく考えれば、べこは方言ですね。
子供の日には鯉のぼりですが、幟(いくさの時に使うような縦長のもの)を門に立てるという風習?もあるようですね。鯉のぼりのカタログに載ってました。
[50692] 2006年 4月 11日(火)21:11:43北の住人 さん
Re:「下総」の読み方
[50664] てへへ さん
発音が書いてある別の辞書を見たところ、「シモーサ」となってました。私は「シモ」と「フサ」の2つの言葉がつながった語だと思っていたんですが、「シモーサ」という1つの言葉だったんですね。
なお、オ段の長音は原則、「おう」と書いて「オー」と読むということです。ということは、「ou」とローマ字で書くと「オウ」と誤って読んでしまうことになりそうです。

ちなみにこの辞書で「遠江」を引いたところ、現代かなづかいは「とおとうみ」で、歴史的仮名づかいは「とほたふみ」、発音は「トートーミ」でした。
日本語はむづかしい、でなく、むずかしい。
[50637] 2006年 4月 10日(月)06:38:22北の住人 さん
Re:Re: 「下総」の読み方
[50588] ありがたきさん
[50602] 紫魔法師 さん
読み方の変化は、手元の辞書ではこうなってます。(括弧の中は旧仮名遣い)
上総 かみつふさ→かむづうさ→かずさ(かづさ)
下総 しもつふさ→しもうさ(しもふさ)
 (「しもつさ」の古称もある)

私は「下総=しもふさ Shimohusa」と読んでいたんですが、辞書によると「しもうさ Shimousa」になるんですね。「もう」と長音で読むのか、「も」+「う」と二音なのかは分りません。旧仮名遣いからみると長音になり、「しもーさ Shimohsa Shimosa」の読みもあるということですか。
[49821] 2006年 3月 13日(月)06:33:08北の住人 さん
Trapa japonica
[49802] 般若堂そんぴん さん
そうでしたか。付加部分も含めて学名と思ってました。
(生物は出席してただけなんで、といい訳。担任は生物だったんですけどね。先生ごめんなさい。)
[49797] 2006年 3月 11日(土)21:54:21北の住人 さん
[49716] hmt さん
[49725] スナフキん さん
別寒辺牛湿原は容易に到達できない地のようで、近くをかすめたことありますが、知床とはまた違った秘境のようです。奥地では水上を歩くのは困難ですから、いにしえの民は丸太舟を使って行き来していたのでしょう。松浦武四郎も河口からやや入った小休所を訪れています。

[49684]の「菱の実の群生地」という私の日本語はちょっと変でした。「菱の実がたくさんあるところ」か「菱の群生地」ですね。(「ベカンベ」=「菱の実」ですが、「ベカンベ」=「菱」となるかは分りません)
「ヒシ」は東アジア特産らしく、学名では「Trapa japonica Flerov」となってました。
[49684] 2006年 3月 5日(日)21:38:20【1】北の住人 さん
菱の実
[49600] hmt さん
NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。
「水の上を行き来した場所」は「ベカンベクシ」説からの引用だと思います。アイヌ語で「ベカンベクシ(pe-kam-pe-kus-i か?)=水上を通行した場所」となるのかは分りませんが、「菱があると思って水上を行ったが菱はなかった」というエピソードで「ベカンベクシ」の説明がされています。「ベカンベクシ」という言葉がアイヌ語上成り立つのかという、シロート的な疑問はありますが。
「菱がなかった」という意味なら「ベカンベなし(pekampe nashi)」も面白いかなと思ったりします。(だからシロートはコワイ!←このフレーズ、そのうち説明します。)

一方、「ベカンベウシ(pekampe-us-i)」説では「菱の実の群生地」。菱の実は食料であり、その群生地を指しているという訳です。
別寒辺牛の西側、塘路湖が「ベカンベ」の名産地とされています。名産地への道のりとして別寒辺牛川水系が存在したのなら、別の解釈も成り立つのではと、シロート的な発想が湧いてきました。
(以上、永田方正「北海道蝦夷語地名解」、更科源蔵「アイヌ語地名解」、山田秀三「北海道の地名」を読みながら)
[49582] 2006年 3月 1日(水)22:45:44北の住人 さん
訂正します
恥ずかしながら幽霊地名を作ってしまいました。[49546]で「帆越」を「ポコシ」としてましたが、「ポクシ(pok-us-i)」でした。記事訂正しました。これだからシロートはコワイ!
なお、「ポコイ」は「pok-o-i」となります。
[49546] 2006年 2月 28日(火)22:41:18【1】北の住人 さん
室蘭の焼鳥は豚です
[49521] ぺとぺと さん
室蘭市の母恋(ぼこい)は「ホッキ貝がたくさんあるところ」という意味のアイヌ語「ポク・オイ」が由来だそうで
最近疑問を抱いてる事の1つが、この「ポコイ=北寄の群生する所」説。定説に挑戦するには根拠が薄いですが、北寄がたくさんいたような地形には思えないんです。
北寄の産地としては苫小牧から鵡川にかけての海岸線が有名で、いかにも北寄がいそうな遠浅の砂浜海岸。一方の母恋は、南側は断崖絶壁、北側は、埋立てられており明治以前の状態が分らなくなってますが、遠浅とは言うには無理がありそうな地形。ここに北寄がいるのかもしれませんが、地名化する程の場所だったのか疑わしいんです。私は「蔭の処」説も捨て難いと思ってます。
似たような地名としてせたな町(旧大成町)に「帆越(ホゴシ)」があります。「ポクシ=崖下のところ」という説が有力のようですが、「母恋」も崖下という意味では似たような感じです。
[49418] 2006年 2月 23日(木)22:32:29北の住人 さん
♪胸騒ぎ残し月???
[49364] 千本桜 さん
では、私は逆の線で未来の話を。判じ物の好きな役人が昔々「ちょっけ」に「猫手」の漢字を充てたこの場所、そのうち素直な子供達が「ねこて」と言い始め、小学校の運動会では一輪車を使った「ねこリレー」、藁筵を背負った「ねこ競争」で盛りあがり、いつしか猫も杓子も「ねこて」と言う始末。とうとう200年後には改名され、もみじ饅頭のノウハウを取り入れ「ねこて饅頭」を売り出したり、猫にゃん棒が再々リバイバル。その様子を見ていた「猫島」の他の皆さん、猫手にあやかり「猫足」「猫耳」「猫目」地名が出現。猫地名コレクションをもとに全国大猫サミットが開催され、更には熊地名と合わせたパンダサミットも出現・・・なんて事を続けていると怒られそうなので、この辺で。「猫島」の皆さん、他意はないです。妄言多謝
 
[49370] 今川焼 さん
新日鐵は昭和45年でしたか。これ、調べようと思ったんですが、手を抜いてそのままアップしてしまいました。富士製鉄の時代に、橋や建物に「富士」の名称が付き、そのまま地名化したものの様です。社宅は払下げのはずなのに、手元の道路地図には「社宅十字街」のバス停名も。

ここでちょっと懺悔の部屋。この地名の由来は確実だとは思いますが、実は私は引用した文献を素直には信用していないのです。今までの書込みでかなり使っており重宝してるんですが、内心は本当に合っているのか?と思いながら書込んでいるわけです。ひょっとして間違ってるのでは、ということを出してしまうのは無責任なんですが。
この本に限らず良く使う地名本は、記述の引用方法に不信があったり、孫引き・曾孫引きになりがちなので、なるべく原典に当りたいんですが限界もあり、原典にも不信を抱くというひねくれ者で、間違いがないか探したり異説創作を楽しんでいたりするわけです。
地名の由来は、千本桜さんの書込みにあるようにいくつもの答えがあり、本にはその内の1つあるいは幾つかが書かれているんだ、というように捕らえています。特に古い文献にはその後に発見された説が載ってませんので。

[49409] N-H さん
N-Hさんの書き込みの事ではなく、参考資料となっている事典全般の感想です。私はこれも素直に信用しないものの1つになってます。とりあえずの調査には便利なんで結構使うんですが、疑っていたりもします。何となく、裏を取らねば、と思ったりするんですよね。裏取るの大変ですが。
[49335] 2006年 2月 19日(日)22:05:33【1】北の住人 さん
北海道の富士と吉原など
[49322] 今川焼 さん
「企業由来町名」コレクション ぺとぺと さん
「登別市富士町」は、昭和17年の日本製鉄(戦後富士製鉄と改称)社宅建設地で、昭和43年に土地・建物を社員に払下げたとなってます。富士製鉄従業員の住宅地が由来のようですが、地名が設定されたのは昭和49年とかなり後です。(角川日本地名大辞典から)

「富士」の付くものとして、「斜里町富士」がありました。大正7年に富士製紙が農場を設置した場所で、戦後、富士製紙の農地は全面開放されたとなってます。地名が設定されたのは昭和28年。

コレクション中「釧路市新富士町」の由来となった富士製紙、昭和44年の新町設定により、製紙工場の位置する町名が「新富士町」から「鳥取南」に変更という経緯があります。この「鳥取南」は2丁目はあるが1丁目が見当たらないという妙な場所。「新富士町」は駅名先行のようで、開駅が大正12年、地名は昭和7年。「新富士駅」は東海道新幹線にも同名駅が。

[49303] の「白老町北吉原」は、駅名が「きたよしはら」で、地名は「きたよしわら」の様子。なお、富士市の吉原駅は「よしわら」で駅名を比べると微妙に違いが。
コレクションを眺めると、富士製紙と大昭和製紙は現在の日本製紙ということで、釧路市・白老町とも今は日本製紙。「北吉原」の由来となった「吉原」の隣駅が「富士」とは奇遇。

コレクション外ですがこんな例も。「栗沢町万字曙町」など「万字」地名の元となったのは「万字炭鉱」で、鉱区を所有していた朝吹氏の家紋が「卍」であったことから。ここを北炭が開発し、町名設定後の一時期には「万字炭鉱株式会社」というのも存在した様子。
[49303] 2006年 2月 18日(土)16:24:48北の住人 さん
つれずれレス
[49125] いっちゃん さん
日本にもトリノが結構あるんですね。札幌にはオリンピックに因んだ名称として、五輪大橋、五輪小橋の他、オリンピック道路と呼ばれる通りも。この道路、オリンピックから30年以上経っており、今でも一般にそう呼ばれているかは?で、しかも複数の路線がある様子。
ウオッちずで「五輪」を検索した所結構ヒットしましたが、オリンピックに関係するのは多分、札幌と長野の「五輪大橋」ではないかと。それにしてもスノボクロスは興奮しました。

[49131] YSK さん
アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」は、条例も含めた法令とそれに関する行政実例をメインに採用するのはどうでしょう。私の書込みが幾つか入っていますが、北海道の場合という例を出しただけで、「何か?」の答えではなく、このような個別事例を外すことで記事数を抑えることができます。

[49207] 千本桜 さん
辞書によると、古くは人の手のこと自体「ちょっかい」とも言っていたようです。しかし、なんでこれが地名になったんでしょう。誰かが何かにちょっかいをかけた伝説からなのか?猫の手を借りたい事が起こったのか?猫島に関係あるのか?地名とは不思議なものです。先日は八郎潟の近くで「昼寝」という地名を見つけました。
「猫手」は意味と漢字が一致しているようですが、[49096] の「嫌侶」は当て字。でも、なんでこんな字にしたのか。命名者はその時友達か細君と喧嘩でもしていたんではないかと勘繰ってしまいます。もう一方の「貴老路」と比べるとあまりにも差が。

[49218] Issie さん
北海道にも「本町」いくつかあるようですが、「ほんちょう」「ほんまち」「もとちょう」「もとまち」といろいろです。なかには当初「ほんまち」で今「ほんちょう」とか、「もとまち」だけど「ほんちょう」とも呼ぶというのもある様子。(角川日本地名大辞典から)

[49245] ぺとぺと さん
採用条件には当てはまらないですが、こんな例もあります。(過去記事検索するとかなり前に既出でした。)
白老町「北吉原」には大昭和製紙白老工場がありますが、本社のある富士市「吉原」(当時は吉原市?)から命名されたようです。同じ昭和40年に駅名と地名ができましたが、どちらが先かは調べていません。(駅は11月1日開駅)

[49295] YSK さん
仙台の例ですが、歴史的町名復活も、新町設定(名称は別にして)も、街が変化していると言う点では同じ事ではないのかと感じました。古い地名の復活は良い事なのかどうなのか、私の中では整理できてません。伝統地名を残すという事は大切な事ですが、町名復活というのは、全く過去と同一の状態に戻るわけではないと思います。指す範囲が違ったり、復活しない地名が生じたり、時代によって町名が異なる場合はどの時代のものを採用するのかなど問題もあるのではと思います。区画整理による新町設定と同様、過去の町名を使って新たに町を作るということであれば、都市作りの1つとしての町名復活ではないかと考えます。
[49127] 2006年 2月 11日(土)21:48:57北の住人 さん
創成川と鴨々川
[49050] N-H さん
子供たちの遊び場である鴨々川は、創成川上流の一部ですが、私の感覚では創成川と別物です。鴨々川で遊んでいる時に、ここは創成川だ、との意識はありませんでした。
謎の部分はありますが、明治期の状態では、鴨々川は豊平川分流である自然河川に手を加えたもので再度豊平川に合流しており、もともとは胆振川の一部という話もあります。創成川は、その胆振川から農業用水として取水した人工河川で、鴨々川分流といった感じです。

創成川と名付けられる前は「大友堀」「寺尾堀」など堀の名で呼んでいたり、「新川」と呼んでいたようで、この水路に架かっている橋の名「創成橋」から「創成川」と付けられたようです。この川はどんどん北側に伸びて行き、最終的に当時の石狩川に接続され現在の姿になっています。
[49114] 2006年 2月 11日(土)10:38:47北の住人 さん
嫌侶
[49102] でるでる さん
私の[49096]で「嫌侶(キロロ)」の「侶」の字が間違っていましたので、修正しました。失礼いたしました。
(「嫌呂」となっている地図があったのでと言い訳。その系統の地図で縮尺が違うのは「嫌侶」でした。)
[49096] 2006年 2月 10日(金)22:44:30【1】北の住人 さん
ルシヤとキロロ
[49075] EMM さん
[49078] みやこ♂ さん
松浦武四郎の「ルシヤ」ですが、なんと発音したのかは?です。「ル・シ・ヤ」かもしれませんし「ル・シャ」かもしれません。語頭がラ行なのに「ヲルシヤ」とはならなかった様で。
現物を見たわけじゃないので、位置を確定できませんが、前後の地名から判断して、斜里側を「るうしや」と書いた古地図や、羅臼側を「ルサ」と書いた古地図があるようです。

ルシヤと似た感じで、山を挟んで両側に同じ地名がある(あった)のは、浦幌町と本別町の境界付近のこの辺り、浦幌町「貴老路(キロロ)」と本別町「嫌侶(キロロ)」。嫌侶はちょっと前の地図にはあるんですが、最近の地図からは消えてしまったようです。
[49070] 2006年 2月 8日(水)23:39:41北の住人 さん
北海道支庁図
[49063] 紅葉橋律乃介 さん
以前から範囲が気になっていた「○○郡他○郡役所」なんですが、この図を見ると良くわかります。まさに支庁の原型ですね。形の変化が面白いです。
[49065] 2006年 2月 8日(水)21:01:44北の住人 さん
ルサ川とルシャ川
[49047] みやこ♂ さん
アイヌ語では「sa」と「sya」の区別がありませんので、このような語があったとしたら、「ルサ」も「ルシャ」も同じものです。
「ルサ」あるいは「ルシャ」の、実際のアイヌ語の地名が何だったのかわかりませんが、松浦武四郎の図には両方とも「ルシヤ」となってます。
これは私的な解釈ですが「海のほうに行く道」というような感じになると思います。この川を遡れば半島の反対側に出る、という意味があったのかもしれません。この行程は、古くから羅臼側と斜里側を結ぶ要路だったようで、松浦武四郎も記しています。
[49036] 2006年 2月 7日(火)21:18:43【1】北の住人 さん
Re:意外と判らない素朴な質問
[49020] 定義くん さん
市町村については、こちらが良いのであげておきます。

「市」になる要件について-地方自治法・都道府県の条例から-
[48983] 2006年 2月 4日(土)22:15:03北の住人 さん
Re:北斗市のカントリーサイン
[48973] ぺとぺと さん
新聞の受け売りですが、ぺとぺとさんの書込みのとおり、「新函館駅」が旧大野町に設置されるためで、旧上磯町のサインだった「トラピスト修道院」とを合わせたデザインのようです。また、これは私の想像ですが、背景にある山のうちの1つは「設計山」だと思います。読みは「モッケやま」なんですが、この地方の測量の基礎となったという話もあります。(この話の詳細は未確認)
なお、旧大野町のデザインに入っていた「稲」は、北海道水田発祥の地からきてます。(「稲」と一緒になっている「温泉」については良く分りません。)
[48821] 2006年 1月 29日(日)11:49:03北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その5)
[48818] の続き。この機会に北海道の地名をいろいろ見てみましたが、最後に本題と言うか、実はこれが書きたかったので書いちゃいます。

「字美唄及茶志内」
これ、奈井江町の字名なんですが、最初は「字美唄」と「字茶志内」のことか?と思ったのですが、一続きで字名(びばいおよびちゃしない)でした。接続詞のついた字名というわけで、珍しいのでは。奈井江町には「字茶志内」もありました。さらには「字茶志内美唄」も、こちらは「及」はついてません。地名というものは奥が深い。(「字美唄及茶志内」は美唄市にもあるとのこと。)
なお、「字茶志内」は、明治25年告示で「字チヤシユナイ」が設定され、明治33年告示で漢字名に変更されてますが、屯田兵村域には漢字が適用されなかったのか「字チャシュナイ」が現在(昭和61年時点)もあります。(「角川日本地名大辞典」から)

もう1つ。標茶町に「字標茶開運橋向」という地名があるんですが、もとは「字開運橋向」。架け替えで橋の名が「開運橋」から「標茶開運橋」になったために、字名も改称したとのこと。

おまけ。「栗山町中央」はもと「栗山町字栗山」でそれ以前は「角田村字栗山町」。一方、「角田村字角田」が「栗山町字角田」に変更。まるで漢字パズルの様。
[48820] 2006年 1月 29日(日)11:37:09【1】北の住人 さん
兵庫県的市町村?(アーカイブズ提案)
何気なく地図を見ていたら、仙台市が兵庫県に似ていることに気付き、北海道では八雲町が最近該当するようになったなと思い、「都道府県 分断 市町村」で過去記事を検索すると話題になってました。
記事数少ないですが、まだ関連記事があるかもしれません。パズル的な話題としてアーカイブズにどうでしょう。タイトルは深く考えてません。村で該当するのがあるのかは不明ですが。
兵庫県的市町村

(私の一連の書込みに全角と半角の"「"が混在していることが分りました。オーナーグリグリさん、お手数をおかけ致します。)
[48818] 2006年 1月 29日(日)09:48:03【1】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その4)
[48808] の続き。自治体が成立した時点でどうなっていたかも調べてみました。成立時点とは市制(町制、村制)施行時点とし、改称した自治体は改称時点(「南幌町」については名称が「なんぽろちょう」になった時点)です。自治体により、明治期だったり昭和40年代だったりで比較の意味があるのか不明ではありますが。分類は[48797]と同じで、「参考」は[48797]の合計の数値(昭和61年時点)です。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計参考
(1)町のみ800821
(2)大字のみ3338449
(3)字のみ910415128109
(4)町と大字20022
(5)町と字630944
(6)大字と字25071
(7)町と大字と字01015
(8)その他21011321

この他、成立時点以降に変化があり、現在とは異なる状態だった自治体もあります。小樽市は当初「町」のみだったのが、合併などで「大字」「字(大字無し)」ができ、その後それらを廃止し「町」のみとなっています。(函館市、帯広市なども合併などで変化があった。)
[48808] 2006年 1月 28日(土)22:21:58北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その3)
[48797]の続き。道内の自治体には「条丁目」「線号」の区画も多く存在します。これらが「町」「字」の何にあたるかを調べてみました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

「条丁目」「条」
分類合計 市町村の例
1115026 旭川市、音更町、白糠町
18110 北見市、浦幌町、中札内村
地区1001 美唄市

「条丁目」には方角を冠した、「北○条西○丁目」(芦別市など)、「西○条北○丁目」(中標津町など)、「北○条○丁目」(足寄町など)、「西○条○丁目」(津別町など)のほか、地名を冠した例(「岩見沢市大和○条○丁目」など)も多く、「1条1丁目」の存在しない例(「札幌市南区藤野」など)もあります。

「線号」「線」「号」については旭川市と、鷹栖町・広尾町・南幌町など11町村が確認できました。
旭川市は「町」(「西神楽○線○号」)と「字」(「字近文○線○号」)があります。また、地名「近文」については、「町」である「近文町」も存在します。
鷹栖町・東川町・新篠津村などほとんどの町村は「線号」の区画には「字」がないと考えられ、「行政区」などを設定しています。
広尾町には「字茂寄基線」「字茂寄1号」など地名を冠した「字」があります。
[48797] 2006年 1月 28日(土)14:58:14北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その2)
[48785]の続き。自治体名「○○市(町・村、札幌市は「区」)」の後が「町」なのか「字」なのかにより分けてみました。これも判断に迷う部分があり独断で分類しました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計 市町村の例
(1)町のみ147021 札幌市、足寄町、歌登町
(2)大字のみ0549 浜中町、礼文町、厚田村
(3)字のみ29017109 紋別市、浦河町、島牧村
(4)町と大字2002 稚内市、留萌市
(5)町と字1034044 旭川市、帯広市、広島町
(6)大字と字0101 小平町
(7)町と大字と字0505 厚岸町、斜里町、石狩町
(8)その他414321 美唄市、南幌町、月形町

(1)全域が「町」で構成されている市町村の数。町名が全て「○○町」である自治体(伊達市など)もあるが数は少ない。無住地域に「○○町」としている例(「函館市寅沢町」など)もある。
(2)全域が「大字」で構成されている市町村の数
(3)全域が「字」で構成されている市町村の数。「大字○○字××」は対象外。上砂川町には「字上砂川」と「字上砂川町」が存在。同様の例は奈井江町にもある。「○○町字○○」のように同じ名称が繰り返される例も多い(「小清水町字小清水」など)
(4)留萌市には「礼受町」「大字礼受村」というように、「町名」と「大字名」が同じものがある
(5)帯広市など「字」が1つで残りが「町」の自治体がある
(6)「大字」は「小平町大字鬼鹿」のみで、通称小字?と考えられるものに「港町」などがある
(7)当初から「町と大字と字」だったのは釧路町のみ。厚岸町・斜里町・石狩町は当初「大字」のみだったが、その後「町」と大字無しの「字」を編成。
(8)全域あるいは一部地域に「行政区」などの名称で地名の項目が立てられている自治体。全域字無し(鷹栖町など)もあるが、ほとんどは「町」あるいは「字」が存在する。


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