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国土の面積

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記事数=23件/更新日:2015年4月22日

わが国土の面積は、明治15年(1882)に内閣統計局によって初めて公表され、人口統計に次ぐ古い歴史を持っています。
昭和35年(1960)からは国土地理院が、「全国都道府県市区町村別面積調」として毎年公表しており、「都道府県市区町村」でも、都道府県プロフィールや市区町村プロフィールに 「面積調」に基く値が掲載されています。
このような、明治以来の面積調に関する記事を集めてみました。

平成26年(2014)の面積から、計測の基礎となる地図が電子国土基本図に変更され、全国の面積がリセットされました。
関連記事を含めて特集「国土の面積2 面積調2014」を分割しました。

★推奨します★(元祖いいね)

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[66993]2008年10月12日
hmt
[66996]2008年10月12日
YT
[66997]2008年10月12日
YT
[66998]2008年10月12日
YT
[67042]2008年10月16日
hmt
[67044]2008年10月17日
YT
[67048]2008年10月17日
hmt
[67056]2008年10月18日
hmt
[67057]2008年10月18日
hmt
[67072]2008年10月20日
hmt
[67073]2008年10月20日
hmt
[67221]2008年11月8日
hmt
[67240]2008年11月9日
hmt
[67248]2008年11月10日
hmt
[67267]2008年11月13日
hmt
[67271]2008年11月14日
hmt
[67279]2008年11月15日
hmt
[67286]2008年11月16日
hmt
[67310]2008年11月19日
hmt
[67313]2008年11月20日
hmt
[87373]2015年3月8日
hmt
[87405]2015年3月17日
hmt
[87450]2015年4月4日
hmt

[66993] 2008年 10月 12日(日)12:52:25hmt さん
国土面積統計の変遷(1) 内務省地理局の時代には伊能忠敬の測量結果に依存
[66937] オーナー グリグリさん
都道府県市区町村の面積データを更新いたしました。

この機会に、国土面積統計の変遷を探ってみました。
最初の手がかりは、国土地理院プレスリリース です。
国土面積の公表は、明治15年(1882)に内閣統計局によって初めて実施され、人口統計と並ぶ古い歴史を持っています。昭和35年(1960)からは国土地理院が、『全国都道府県市区町村別面積調』として毎年公表しています。


「有史以前」の人口統計 において、明治23年(市制・町村制が実施された翌年)10月に、39市・15859町村 の前年末現住人口データが、内務省告示34号 で発表されたことを記しました。
手始めに 2匹目の泥鰌狙いで法令全書を調査しましたが、成果なし。そもそもイロハ順索引に「面積」がない!
日本法令索引とその明治前期編で「面積」や「統計」を検索した結果も、めぼしい成果なし。

今度は、統計局HPを見ます。トップ>日本統計年鑑>第1章 国土・気象>解説 に進むと
面積
国土交通省国土地理院が昭和30年以来毎年10月1日現在で取りまとめている「全国都道府県市区町村別面積調」による。
との記載。これは“昭和35年以来”の誤記でしょうが、それ以前のことはわかりません。

そこで 「明治 面積」で統計局HP内検索をかけると、前記のページと同じ表題だが内容は別のページ がヒットし、その中に資料解説がありました。
「日本帝国統計年鑑」
この年鑑は,明治15年(1882)に第1回「統計年鑑」として刊行され,59回まで継続したが,戦争のため一時中断しその後,昭和24年(1949)から「日本統計年鑑」として毎年刊行されており,今日に至っている。【引用者注:平成20年第57回】

この“明治15年”第1回「統計年鑑」が、国土面積を公表した最初の資料と思われます。
そこで近代デジタルライブラリーを探すと、明治時代のものはないが、大正元年~15年の15冊が収録されていました。

この大正時代の資料と統計局HPの記載をベースに、国土面積統計の変遷史を組み立ててみました。

最初は、内務省地理局による国土面積統計

明治15年の統計年鑑に掲載された最初の国土面積を直接確認することはまだできていませんが、30年後の 日本帝国第三十一統計年鑑(大正元年) に掲載された「周囲及面積」のうち、内地の部分 38万2415km2 とほぼ同じであろうと推測します。
【法定停電のため近代デジタルライブラリーは13日18時まで使えません】

土地属島数本地面積+属島面積=合計(方里)(km2)
本州165.514492.21+78.91=14571.12224737.258.77
四国74.51151.24+29.43=1180.6718210.04.76
九州1502311.86+305.68=2617.5440371.610.56
北海道本地135056.78+27.09=5083.8778410.920.50
千島31島1011.49=1011.4915600.74.08
佐渡56.33=56.33868.80.23
隠岐121.88+0.01=21.89337.60.09
淡路136.55+0.14=36.69565.90.15
壱岐18.55+0.08=8.63133.10.03
対馬543.95+0.77=44.72689.70.18
琉球55島156.91=156.912420.10.63
小笠原20島4.5=4.569.40.02
合計41224352.25+442.11=24794.36382415.1100.00
説明
表中載する所の数は…文政年間伊能忠敬著す所の実測録及大図(3万6千分1)を本とし算出し、未測のものは他の諸図に拠り其大概を補ふ。但し伊豆相模武蔵安房上総の五箇国は内務省元地理局の実測に拠り…

官制が慌しく変動した明治初期から地理司や測量司はありましたが、明治7年(1874)に 内務省地理寮 が発足(1877地理局)。
この役所で全国大三角測量が開始されましたが、成果が利用できたのは南関東のみ。ほぼ全国をカバーする測量結果は、伊能忠敬の実測録頼りの状態であったことが、上記の説明文からわかります。

余談ですが、上記の面積表において、本州と四国の属島数に端数があったことにお気づきでしょうか?
説明文より
属島の数に端数あるは一島にして両地に属するものあるに由る 即ち本州と四国の間にある石島是なり
2県にまたがる島 の中で唯一の有人島・石島 でした。
[66996] 2008年 10月 12日(日)15:08:16YT さん
面積の国土面積統計
[66993] hmtさん

以前近代以前の日本の人口統計の全国国別人口表の方に明治15年の統計年鑑記載の面積を載せました。一応現物からコピーをとったもの(6頁~11頁、「面積国別」)から作成していますが、現物では各旧国毎に本地と属島別に面積が集計されています。ただ明治22年ぐらいまで統計年鑑をめくりましたが、国別面積は、明治15年のものしか確認できていません。

以下は5頁目「面積及周囲」に記載のものです(周囲、百分率は省略)。
土地属島ノ数面積
本地属島合計
方里方里方里
本地89314,494.4976.2014,570.69
佐渡556.330.0156.34
隠岐3121.880.1722.05
淡路236.550.1836.73
四国2331,151.2430.181,181.42
九州5692,311.86308.912,620.77
壱岐178.550.268.81
対馬8143.950.3844.33
琉球五十五島-156.91-156.91
北海道本地165,056.7850.925,107.70
千島三十島-986.23-986.23
小笠原十七島-4.65-4.65
総計1,84724,329.42467.2124,796.63

府県別の面積は明治15年版には記載されておらず、明治16年版以降はコンスタントに記載されているようです。
[66997] 2008年 10月 12日(日)15:22:20YT さん
追記
すみません。
[66993]の「面積及周囲」は項目としては5頁~6頁です。脚注だけ次の頁になっていました。

「表中所載ノ諸数ハ伊能忠敬ノ大国三万六千分ノ一ヲ本トシテ算出シ其遠測ニ係ルモノ及未測ノモノハ他ヲ諸国ニ拠リ其大概ヲ算出シテ之ヲ又島嶼ハ周囲及一町以上ノ者ヲ載ス
次表(面積国別のこと)モ亦之ニ同ジ」

とのことです。

1方里が何平方キロメートルなのか悩みますが・・・
メートル法基準なら15.4234711 km2ですが、こことかだと15.3664 km2で換算していますし。
[66998] 2008年 10月 12日(日)16:32:31YT さん
明治5年?明治8年の府県別面積
いやあ、調べればもっと古いデータが存在するものですね。
さっき大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。人口の方は明治5年の府県別本籍人口と一致します。

第一回統計表

ただ旧国別面積は不明ですし、北海道が除外されています。

[66996]で述べた明治15年の統計年鑑ですが、北海道本地と千島三十島に関しては、旧国別面積が示されておりません。というわけで北海道の旧国別面積のデータは入手できておりません(郡の面積を足せば概算できますが)。

他の史料では、[66954]のリンク先の『日本地誌提要』(明治7年,人口は明治6年1月1日調)にせよ『共武政表』(明治8年(データの年次は主に明治6年頃)、12年(版は明治11年、人口は明治12年1月1日調)、13年(版は明治12年、人口は明治13年1月1日調)、14年(版は明治13年、人口は明治14年1月1日調))にせよ、東西南北の幅は書いてあっても面積は測定していないようです。

それにしても属島の数が[66993][66996]でなんでこんなに違うんでしょう?

大隈重信文書、自分は詳しい経緯を知りませんが、貴重な一級史料のようですね。
[67042] 2008年 10月 16日(木)23:06:51hmt さん
国土面積統計の変遷(2) 明治8年 第1回統計表 の謎
[66998] YT さん
大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。

リンク先からView Openすると、84コマの大きなpdf文書が現れました。なんと!左縦書きですね。
(4コマ)明治8年5月 統計寮
総例 昨年中我寮に於て作為せし諸表を蒐輯して1冊とし之を第1回統計表とす

[66993]を書いた時は、統計院(明治18年12月統計局)による「第一統計年鑑」(明治15年)が最初の公表だと思っていましたが、それよりも前に統計寮による資料があったのですね。

(9コマ)第13 庁位置戸口面積表【説明】
戸数人口は明治5年戸籍表に拠ると雖も社寺は原書に従て之を除き庁の位置は6年末の査定に従ふ…
面積は仮に耕地山野の両反別(5年の調査に係る)を以て推算表出す
(48、49コマ)第13 庁位置戸口面積表【本表】
東京府、京都府、大坂府の3府に続いて、茨城県、磐前県、石川県、岩手県、浜松県、…広島県とイロハ順で60県。
総計面積 3,478,490町17087、戸数 6,886,994、人員 31,912,264となっています。

明治15年統計院の面積算出は“伊能忠敬ノ大国三万六千分ノ一ヲ本トシテ算出シ”[66997]と、現在の面積調と同じく地図に基づいて測定する方法でしたが、こちらは“耕地山野の両反別”調査に基づくというから、いわば「検地方式」のようです。

面積には、“(明治)5年の調査”を使っていますが、他の項目では明治6~7年のデータもあり、府県別は明治8年という発行の時期を反映したものとなっています。
具体的な例で説明すると、明治5年の“耕地山野の両反別”調査の際に存在した(第一次)香川県は消滅しており、讃岐の値は、阿波・淡路と共に名東県に含まれています。

[66998]で指摘されているように、当時は開拓使が管轄していた 北海道 が除外されています。
もちろん、千島も含まれていません(千島樺太交換条約[43845]は第1回統計表の発行と同じ明治8年5月)。
沖縄は、明治5年に琉球王国を廃止して設置した琉球藩の時代。明治12年3月の琉球処分[9303]より前で、これも除外。
そして、もう一つ除外されていたのが小笠原。幕末の回収後に始まった日本統治も、生麦事件の影響で早々と撤退。明治8年は、ようやく明治丸を派遣して再度小笠原領有の動きを始めた時期でした。[26683]

第1回統計表の面積単位に使われた「町」は、1町=10反=100畝(せ)=3000歩です。
1歩(1坪)は1間四方で、メートル法ならば33分の60mの2乗ですから、約3.3058m2。地価について“3.3平方メートルあたり○○円”という表現は今でも使われています。
律令時代には、長さの単位「町」と関連した「1町四方の面積」すなわち3600歩でしたが、中世以後3000歩に変化。

[67006]同様に、事実上現在と同じメートル法換算が通用すると考えると、面積の1町=0.009917355…km2(約1ヘクタール)。
63府県総計 347万8490町17を換算すると 3万4497.4 km2

アレレ!?
北海道などが除外されているにしても、この面積は明らかに小さすぎます。
明治15年統計年鑑面積[66996] から北海道千島琉球小笠原を除いた 18541.14方里、つまり 285968.74km2の 12%しかありません。
区域の変化のなさそうないくつかの県を選んで、県の面積も比較してみましたが、いずれも9~13%程度であり、何か共通の問題がありそうですが、解決の糸口は見えず謎のまま。

どこかで一桁間違えた? まさかね。
[67044] 2008年 10月 17日(金)01:35:13YT さん
山野の面積
[67042] hmtさん

よく読むと、面積が1万町を越える県は栃木県、千葉県、愛知県、白川県だけですし、その値も86ページから始まる「第十二 戸口反別比較表第二」の耕地と山野を足しただけのようです。開拓使、琉球藩と初めとして、大阪府、奈良県、宮城県、岩手県、秋田県、石川県、鳥取県、島根県、広島県、山口県、鹿児島県などの山野の面積が不明です。

「*ノ表記アルハ山野ナキノ県ナリ 然レドモ其実山野ナキニアラズ即チ第十二表ニ言フガ如シ」だそうですので、単に統計が揃っていないだけのようです。

大体、耕地345万9978.5706町に対して山野が30万8857.3102町のはずがありませんね。山野の面積が確定したのがいつなのかは気になりますが。
[67048] 2008年 10月 17日(金)13:58:43【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(2.1) 租税寮の面積調査では「網走番外地」は対象外
明治8年第1回統計表に記された63府県の面積総計は、僅かに 347万8490町= 3万4497.4 km2でした[67042]

[67044] YT さん
単に統計が揃っていないだけのようです。
大体、耕地345万9978.5706町に対して山野が30万8857.3102町のはずがありませんね。

例えば石川県の面積が僅かに1574町(15.6km2)となっており、山野面積だけでは説明できない統計の不備があるようです。
しかし、この統計の更に根本的な問題は、これが「国土面積」を対象とした調査でなかった点にあるようです。

統計表を読み直しているうちに、次の記載に行き当たりました。
(7/84コマ)第12 戸口反別比較表【説明】戸口反別は明治5年租税寮の調査に原き 人口の数は同年戸籍寮の表に拠る

“租税寮の調査”--そうか、これは民有地の地租を対象にした調査だったのか。してみると、官有地は対象外かも…

44~47コマ 第12 戸口反別比較表(明治5年租税寮、明治6年地理寮調査)の一部(合計とkm2換算値を追加)
耕地山野合計(町)(km2)
明治5年開拓使
明治5年総計3250921156698340761933795
明治6年開拓使1407140714
明治6年総計3450079308857375893637279

殆んどが官有地だった北海道は、面積調査の対象外であったことがわかります。
他の府県についても、山野のみならず、耕地を含めた官有地が含まれておらず、「国土面積」ではなかったと思われます。

[66993]の最初に掲げた国土地理院のプレスリリースが、“国土面積の公表は、明治15年(1882)に内閣統計局によって初めて実施され”となっていたことにも納得。

[67042]で「検地方式」と書きましたが、地積の積算によって日本の面積を求めることはできないことは既に言及していました。
[66539]hmt
地積を積算すれば、市区町村の面積、ひいては「日本の面積」が算出できるだろう…と思うのは、誤った考えなのですね。
個々の地積の不正確さもさることながら、「登記のない土地」(「無番地」)が存在するわけです。[48795] 88 さん

今回のような形で実例が登場することは、全く予測していませんでした。

【1】
統計の不備の例示を変更。更に記せば、熊谷県の耕地と山野面積(明治5年、44コマ)を合計すると160206町ですが、48コマでは60206町となっている(新潟県についても同様)など、明らかな誤記もあります。
[67056] 2008年 10月 18日(土)21:23:00hmt さん
国土面積統計の変遷(3) 陸地測量部の時代
明治8年の統計寮時代[67042][67048]の面積は国土全体でなかったようなので、また明治10年代に戻り、[66993]の続きを記します。
この時代に 内務省地理局の仕事は、参謀本部陸地測量部に引き継がれ、全国測量と基本図の作成が行なわれ、その成果に基づいて道府県面積・市町村面積も求められました。

最初に 組織のこと。
近代国家の歩みを始めた明治政府には、測地・地図つくりの仕事をする部門が、前回記した内務省地理局のほかに、もう一つありました。
それは、軍事作戦を遂行する土地の情報を知る必要のある陸軍でした。
現実に西南戦争を経験し、その後も内乱の危険に直面していた陸軍が、短期間に作り上げた迅速測図[44237][65097]のことは、これまでに何回も話題にしました。人口がらみで話題になった共武政表や徴発物件表[63483]も、同じく作戦目的の資料でした。

民政と軍事作戦と目的は違うものの、地図作りに使う測地技術は共通です。
地理局と参謀本部は技術や成果を共有していたようですが、明治17年(1884)6月の太政官達により、測量事業は陸軍に一本化されることになりました[44653]内務省所属大三角測量事務ヲ参謀本部ニ引渡

参謀本部測量局は 明治21年(1888)に陸地測量部になり、1945年まではこの組織による日本の地図作りが進められます。
1885年に2万分の1で作成が開始された正式測図ですが、1890年には5万分の1が基本図になり、1924年に内地全域の測量が完成しました。
参謀本部陸地測量部の所管になった面積データの調製も、当然これに歩調を合わせて進められました。

[66993]で 大正元年(1912)の統計年鑑に掲載された国土面積表を引用しました。
リンクを開いた方はお気づきでしょうが、日本全体の「周囲及面積」に続いて「道府県面積」の表があります。
そして道府県面積データは、「周囲及面積」で説明された内務省地理局による面積と併記して、“参謀本部に於て調製したる面積”が記されています。
後者の説明文を読むと、明治31年に参謀本部で実測図と輯製20万分1図を本として調製したものを最初として、それ以後逐次実測結果を盛り込んでいったことがわかります。

大正10年(1921)12月刊行の「日本帝国第四十統計年鑑」になると、北海道・鹿児島・沖縄の3地域を除く全国測量ができあがり、府県別面積データは、ようやく伊能忠敬から脱却した参謀本部の値を単独で表示できる段階になりました。

そして、全国5万分1地形図完成後の大正15年(1926)に刊行された 第四十五回日本帝国統計年鑑 に至り、上記3地域の面積も参謀本部実測地に改められ、47道府県面積合計は 24718.849方里= 38万1250.45km2という値(大正14年10月1日現在)が得られました。

大正2年統計年鑑の値に比べて 1165km2の減少。道府県別に見ると数百km2以上の増減も数県あり、特に北海道面積の減少 5733km2が目立ちます。面積の測定はなかなか難しいようです。
[67057] 2008年 10月 18日(土)21:28:48hmt さん
国土面積統計の変遷(4) 道府県面積など
明治15年(1882)の第一統計年鑑には「面積国別」はあっても、府県別面積がなかったのですが、その翌年の「第二統計年鑑」になると、「府県及開拓使 郡区町村(数) 並 面積」(明治14年12月調)が掲載されています([66996] YTさん)。

東京府から沖縄県までの3府38県に続いて開拓使札幌本庁・函館支庁・根室支庁まで総計 37区 796郡 11870町 58260村で、総面積 24794.51方里。

この総面積は、当然のことながら[66996]掲載と同じ形式の「周囲及面積」の表の総計面積と一致します。
[66998] YT さんで
それにしても属島の数が[66993][66996]でなんでこんなに違うんでしょう?
と指摘された件に関連し、この第二統計年鑑の「周囲及面積」表を見ると、属島の数を含めて大正元年年鑑[66993]の値とほぼ一致しています(千島・小笠原と北海道属島の面積は[66996]の値)。

ついでに、大正時代の統計年鑑の府県別面積に使われた府県の順番を記しておきます。

大正元年(1912)と2年に使われた順番は、5区 + 沖縄県・北海道。
本州中区(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 長野 山梨 静岡 愛知 三重 岐阜 滋賀 福井 石川 富山)
本州北区(新潟 福島 宮城 山形 秋田 岩手 青森)
本州西区(京都 大阪 奈良 和歌山 兵庫 岡山 広島 山口 島根 鳥取)
四国区(徳島 香川 愛媛 高知)
九州区(長崎 佐賀 福岡 熊本 大分 宮崎 鹿児島)
沖縄県 北海道

大正3年から、第1回国勢調査が行なわれた大正9年(1920)までの統計年鑑では、北海道 + 9区 + 沖縄県という北から南への区分による配列が使われました。
北海道
東北区(青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島)
関東区(茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川)
北陸区(新潟 富山 石川 福井)
東山区(長野 岐阜 滋賀)
東海区(山梨 静岡 愛知 三重)
近畿区(京都 兵庫 大阪 奈良 和歌山)
中国区(鳥取 島根 岡山 広島 山口)
四国区(徳島 香川 愛媛 高知)
九州区(大分 福岡 佐賀 長崎 熊本 宮崎 鹿児島)
沖縄県

現在の都道府県コード順に近いものになっていますが、東山区・東海区は現在の配列と異なります。
近畿区では、大阪府と兵庫県とが逆転。兵庫県の方が大阪府よりも北にあるから?
九州区は、四国区に最も近い大分県から始まっており、これも現在と相違。

[34038] Issie さん
現在「公共団体コード」で行われている都道府県の配列は,少なくとも1920年の第1回国勢調査以来,その報告書で用いられているものです。

国勢調査報告書を機会に、上記の区分を「8地方区分」ごとに修正して、現在の順番になったのでしょうか。
なお、統計年鑑における面積データの配列は、大正10年(1921)刊行のものから面積順に変っています。

それはさておき
第32~第35統計年鑑(大正2~5年)には「郡面積」の表があります。
当然、「市面積」も欲しいところですが、
市は本調査以後其の境域に変更あるのみならず其の後新設の市も亦少なからずして共に前述の事情に依り其の面積を知り難きにより市の面積は総て之を省略せり
と、お手上げ気味です(大正5年統計年鑑)。

それでも、陸地測量部は 5万分1地形図に基づいて測定したデータを、「昭和10年全国市町村別面積調」として発表。
これが、“20世紀前半以前における唯一の市町村面積に関する資料”とのことです(統計局HPの 資料解説 による)。
[67072] 2008年 10月 20日(月)19:37:32hmt さん
国土面積統計の変遷(5) 昭和24年に復刊した日本統計年鑑 そのデータはまだ戦前
明治15年に始まった「日本帝国統計年鑑」は、大東亜戦争中に第59回で中断しました。
総理庁統計局により復刊したのは、OCCUPIED JAPAN時代の昭和24年(1949)です。

再出発した第1回「日本統計年鑑」ですが、「周囲及面積」は(昭和15年)とあるように、まだ戦前のデータを使って編修したものです。[66993] [66996]と同様に、面積の部分を引用。
--------------------------------------------------------------------------------------
参謀本部陸地測量部の5万分の1の地形図上における昭和15年1月26日の調査を基礎として算出した。陸地の外満干両潮界間の面積1/2及び湖水・潟湖の面積も含む。…
地名属島数面積(方粁)千分比
全国3340369859.511000.00
北海道8678561.27212.41
本州1364230448.30623.07
四国47118771.4550.75
九州141942078.49113.77
註A)次の未確定地域(11719.1)を含む。(面積 方粁)【簡略化した地名で記載し、面積省略】
 a)国後郡……占守郡(千島)と歯舞諸島 b)竹島 c)鹿児島県大島郡
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この昭和24年日本統計年鑑に記載された北海道の面積 7万8561km2 については疑問があります。
上記の数値は、昭和10年統計年鑑の8万8775 km2から1万0214 km2少なくなっています。
これは北海道のうち、敗戦によって施政権を失った地域の面積約10300 km2とほぼ対応しています。

その地域とは、まさに上記の註A)a)に記された“未確定地域”である、国後、色丹、紗那、択捉、蕊取、得撫、新知、占守の8郡と歯舞諸島なのですが、註には“次の未確定地域を含む”と記されています。これはおかしい。

参考までに、上記地域を面積と共に列挙しておきます。
島名1935面積1992面積
歯舞群島花咲郡歯舞村101.6099.94
色丹島色丹郡色丹村255.12253.33
国後島国後郡泊村・留夜別村1500.041498.83
択捉島3139.003184.04
紗那郡紗那村959.5
択捉郡留別村1429.7
蕊取郡蕊取村749.7
北方四島合計4995.765036.14

「歯舞群島」は、根室半島の先端部にあった根室国花咲郡歯舞村(現・根室市)の飛び地。主な島は5つあり、合計面積は旧歯舞村の面積165 km2のうち100km2を占めます。
従来は「歯舞諸島」の名が知られていましたが、今年の3月から「歯舞群島」を公式名とすることになりました。発表
…と、島群コレクションのコメントを入れようかと思いましたが、集録対象外でした。

色丹島は、元は同じく根室国花咲郡に属していましたが、明治19年に千島国に所属変更。[66996]で千島三十島となっていたのが、[66993]になると千島31島になっていたのは、このためでした。
その「千島国」は、明治2年 に国後・択捉・振別(1923年択捉郡に編入)・紗那・蕊取の5郡で設置。

北海道の未確定地域の途中ですが、長くなったので記事を分けます。
[67073] 2008年 10月 20日(月)19:50:52hmt さん
国土面積統計の変遷(6) 昭和24年に復刊した日本統計年鑑 戦争で失った地域
(承前)
昭和24年当時、北海道の「未確定地域」には、更に以下の3郡がありました。

得撫島など得撫郡1468.6
新知島など新知郡540.7
占守島など占守郡3310.1
千島列島合計5319.6

これは、明治8年の千島樺太両島交換条約によって得た地域で、条約 には「千島群島 クリールアイランズ」と書いてあります。
そして、翌明治9年 千島国に編入 されています。
開拓使管下クリル諸島自今千島国に併せ得撫新知占守の三郡を被置候條此旨布告候事

ところで、日本統計年鑑が復刊した昭和24年から3年後の1952年、サンフランシスコ平和条約第2条で、日本は「千島列島」の領有権を放棄しました。
この「千島列島」は、「千島国」や「千島31島」全体ではなく、明治8年に得た「クリル諸島」、つまり“得撫・新知・占守の三郡”を指すものと解釈されています。

北方領土のことはこのくらいにして、
昭和24年の国土面積 36万9860 km2は、戦前の昭和10年の値に比べて 1万2686 km2減少しています。
最も大口の減少は上記の北海道 1万0214 km2ですが、それに次ぐものは、面積リストから県の名ごと丸々消えてしまった沖縄県で 2386km2。そして小笠原諸島を失った東京都の 103 m2減少。

昭和24年というと、1953年のクリスマスプレゼントだった奄美復帰より前(更に言えばトカラ復帰1952よりも前)ですから、鹿児島県大島郡にはごく一部(上三島)を除いて日本の施政権が及んでいませんでした。しかし、昭和24年統計年鑑註A)c)に記されているように、鹿児島県大島郡(1289km2)は、上記の国土面積に含まれています。この取扱はちょっと不統一。

日本統計年鑑昭和24年版を出典とする都道府県別面積は、帝国書院「中学校社会科地図帳」1950年版[25914] にも出ていました。この地図帳では、沖縄・小笠原・奄美の範囲をカバーする地図はなく、完全に無視。北海道を見ると、真っ白なクナシリと水晶島の手前に国境線。

日本統計年鑑昭和24年版の「周囲及面積」には、「旧領土及未確定地域」もありました。参考までに、その面積(昭和13年末調)を掲げます。

合計   305,546.27(km2)
千島   10,213.77
樺太   36,090.30
小笠原  102.94
朝鮮   220,791.81
琉球    2,386.24
台湾本島 35,834.35
澎湖島   126.86
関東州   3,462.45
南洋群島 2,148.80
[67221] 2008年 11月 8日(土)22:30:56【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (7) 地理調査所から国土地理院へ、そして面積データの公表
中断していた「国土面積統計の変遷」シリーズを再開します。関係記事

明治初期に統計寮による集計データがありました。しかしここで使われた租税寮の調査は、民有地のみが対象と思われる上にデータの不備もありそうで、国土面積統計と言えるものでありませんでした。

明治政府が国土全体の面積統計を公表したのは明治15年であり、「日本帝国統計年鑑」に記載されています。
その最初のデータは、主として伊能大図に基づいて内務省地理局が測定した値でした。
明治17年以降、参謀本部(陸地測量部)に一本化された国土の測量・基本地形図の作成事業に伴なって、明治実測図による面積が集計されてきました。

1882年から1941年まで発行され、戦争で中断した日本帝国統計年鑑は、戦後の1949年に「日本統計年鑑」の名で復刊しましたが、最初は戦前のデータを使ったものでした。
統計年鑑のタイトルは、ずっと「日本帝国…」だったものが、1937年の第56回から「大日本帝国…」に改題され、戦後は「日本…」と変遷しています。
「大日本帝国憲法」発布は1889年でしたが、年鑑のタイトルが「大日本帝国…」に変更されたのは、ずっと後のことでした。

戦後の地図つくりの歴史は、その任にあたる組織の変更から始まりました。
すなわち 1945年の敗戦による陸軍解体に伴なって、陸軍参謀本部陸地測量部の業務は、内務省(建設院1948を経て建設省) 地理調査所 に移され、更に1960年には、現在の 国土地理院 という名称になりました。
国土地理院は、駒沢練兵場跡地内の目黒区側にありましたが、1979年に筑波研究学園都市に移転しました。
世田谷区側の池尻には、現在も防衛省技術研究本部があります。

既報[67072]のように、1949年に総理庁統計局による戦後第1回の 日本統計年鑑 が発行されましたが、この段階では、まだ地理調査所による新しい面積データは使われていません。
国土地理院HPの 国土面積公表値の推移 によると、戦後の国土面積の公表は、昭和25年(1950)からとなっています。

政府(統計部門・測地部門)による公表は、当然のことながら冊子(印刷物)によるものでしたが、現在は電子媒体による公表も行なわれ、過去のデータもある程度知ることができます。

国土地理院HPで知ることができる全国の面積は、上記のように1950年以来の値です。
都道府県市区町村別面積調 は平成14年(2002)以来の値があります。

一方、統計局HP掲載の 日本の長期統計系列第1章 の中には「1- 7 国土総面積(明治元年~平成16年)」という表があります。
「1-11 都道府県別面積(大正9年~平成12年)」もあります。

日本の国土総面積の推移を、国土地理院HPと統計局HPによって比較してみると、昭和47年(1972)以降の数値は一致していますが、それより前は一致しません。
次の記事で、この違いを探ります。
[67240] 2008年 11月 9日(日)21:51:27【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(8) 国土地理院面積データと長期統計面積データの違いを探る
日本の国土面積は国土地理院が測定していますが、国土地理院の公表値統計局の長期統計 における国土総面積 とが一致するのは、沖縄が復帰した昭和47年(1972)以降です[67221]

一例として、平和条約発効から3年後の 昭和30年(1955)の国土面積を示すと、統計局の長期統計値は 377,002km2となっています。
この値は国土地理院(地理調査所)の公表した 369,660.74km2よりも 7,341km2も大きな値です。
この違いを探ってみました。

実は、この2つの面積統計値、少し性格が異なるのです。
国土地理院の公表値は、地理調査所であった時代を含めて、公表当時の「ナマ」の数値と思われますが、統計局HP掲載の値は、長期統計という見地から、後でかなり「加工した」数値を用いているようです。

同じ統計局のデータでも公表時の印刷物、すなわち「第7回日本統計年鑑(昭和30・31年)」の冒頭には次のように記され、369,665.37km2となっています。完全には一致していませんが、国土地理院HPの昭和30年と近い面積です。
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この表は、他の諸表との関連的利用の見地から、現に行政権のおよんでいる地域のみについての数字を示す。【以下、簡略化して引用】小笠原群島、琉球諸島、歯舞群島および色丹島ならびにいまだ帰属が確定していない千島列島・国後島・択捉島・南樺太は便宜上含まれていない。
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# サンフランシスコ平和条約で既に放棄した千島列島・南樺太に、まだ言及しています。

要するに、統計局の方針は次のように理解されます。
昭和30年当時は、実態に合わせて、わが国の行政権が及んでいなかった外周地域を除外した面積で公表していた。
しかし、現在は、小笠原と琉球だけでなく、北方四島を含む外周地域すべての面積をも1945年に遡及して含めるようにしている。

# この記事では、琉球・小笠原・北方四島・竹島の総称を仮に「外周地域」と呼んでおきます。
類似の用語としては、1946年にSCAPIN-677によって日本の統治から外された際に用いられた「特定外周領域」[56190]という言葉がありました。こちらは、奄美群島も含み、一時的ですが伊豆諸島も対象になっていました[24269]

遡及はしませんが、国土地理院の面積データも、小笠原が復帰した昭和43年(1968)から外周地域を含むように改められました。
昭和25年~平成17年の国土面積公表値の推移 を見ると、昭和43年には前年より 7,531.82km2増加し、備考に“小笠原諸島、琉球諸島(硫黄鳥島除く)、北方四島、竹島追加”と記されています。

この年(1968)の 埋立面積 は 43.45 km2、従って追加された外周地域の面積は 7488.37 km2であり、その内訳は次の通りです。
小笠原諸島は 昭和43年現在の5万分1地形図により測定した 106.14 km2。未返還の琉球諸島 2386.24 km2[67073] と 北方四島合計 4995.76 km2[67072] とは 戦前(1935)の値を使用。竹島は 国有財産台帳上の 0.23km2。これが 1968年当時の数値でした。

外周地域の面積については、統計局HPでも、“一部の地域の基礎面積”として説明されています。
こちらは、北方四島・竹島・小笠原については上記国土地理院と同じですが、沖縄だけは 2239.22 km2と、異なる数値になっており、外周地域を総計すると 7341.35 km2になります。まさに最初に注目した国土地理院の公表値と統計局長期統計との差です。

これまでの検討から、面積に相違が生じたポイントは沖縄にあることがわかります。
沖縄の面積は、昭和46年復帰の前年に 4.36km2埋立があったにもかかわらず、復帰の昭和47年に再測定したら、古い面積より 145.26km2少なかったことが判明しました。更に、昭和44年より前のデータには、硫黄鳥島[28741](2.60 km2)が未算入でした。
従って、戦前から用いられていた沖縄の面積 2386.24 km2は、これら3点の修正を考慮した結果、実は 2239.22 km2が正しかったものと考えられます。
長期統計に遡及して用いられた面積は、このように後になってから「加工して作られた」数値だったわけです。

細部の検証になりましたが、これでようやく国土地理院の発表した測定値と、統計局HPの長期統計で使われた面積との整合性がとれました。

なお、上記の説明で使われた面積データは「過去の値」です。北方四島の面積は、1992年の再測定により 5036.14 km2に修正[67072]。小笠原諸島は 1988年に改測と西之島新島[56162]の加算が行なわれた結果 104.41 km2となっています。
[67248] 2008年 11月 10日(月)21:42:10【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (9) 面積データの現状
統計局HP(第1章2 統計対象) にあるように、昭和34年以前に用いられた「昭和10年全国市町村別面積調」[67057]の国土面積は、陸地測量部が5万分1地形図に基づいて測定したデータで、陸海の境界を満干両潮界の2分の1とし、湖沼面積も含めたものでした。

昭和35年(1960)以降は、国土地理院が毎年10月1日現在で 「全国都道府県市区町村別面積調」を公表 することとなりました。

1987年までの面積は戦前に引き続き5万分1地形図ベースの面積でしたが、2万5千分1地形図が全国整備完了し(1983)、昭和63年(1988)からは、面積データも2万5千分1地形図ベースに改められました。

国土面積公表値の推移 を見ると、昭和63年の国土面積は37万7719.76km2と、前年に比べて115.48km2減少しています。
ベースとなる地形図が変り、陸海の境界が満潮界に改められたことは、面積の測定値を根本から変えるものであり、面積データは1988年にリセットされたものと理解されます。

これより後は、昭和63年10月1日時点の市区町村別面積値を基礎とし、1年ごとの変更を加減した面積が公表されています。
(1)市区町村界の異動による関係市区町村の増減面積
(2)「新たに生じた土地」の確認が済み,都道府県公報に告示された市区町村別の埋立地又は干拓地の面積
(3) 関係市区町村長の確認により2万5千分の1地形図に表示する境界に修正が行われた場合,これに基づき,国土地理院で再測定して得た関係市区町村の増減面積

面積調トップページ の下の方には、要約すると次のような基準が記されています。
2万5千分1地形図の海岸線(満潮時)。河川及び湖沼は陸域に含める。河口周辺は、海岸線の自然な形状に従って両岸先端を直線で結ぶ。
行政界の一部が地形図上に表示されていない場合:「境界未定」と記載し合計面積を掲載。「全国市町村要覧」の面積に*を付し、参考値として記載。

毎年10月1日現在のデータは、翌年2月1日頃に公表され、冊子も販売されます。国土地理院HPでは 4月1日現在の速報値 も発表されています。

もちろん、統計局の 日本統計年鑑 にも国土面積は集録されます。
「1 - 1 国土構成島数,面積及び周囲」を開いてみると、[66996](明治15年)[66993](大正元年)[67072](昭和24年)と同様のスタイルの「国土構成島数、面積及び周囲」が現れます。現在掲載されている面積は平成18年10月1日となっています。
島数と面積データを示しておきます(周囲データは省略)。

地域構成島数面積割合本島面積
全国6852377,923100.00362,190
北海道50983,456220.877,984
本州3194   a)231,105   a)61.15227,963
四国626   a)18,790   a)4.9718,299
九州216042,17811.1636,738
沖縄3632,2750.601,207
a)地域の境界にまたがる境界未定の面積(118km2)を除く。

注記a)の本州・四国にまたがる境界未定とは何処か?と地図で見ると、石島/井島 の西海岸付近に僅かな境界未定部分があるために、岡山県玉野市と香川県香川郡直島町の全域(合計面積118km2)が宙に浮くことになっているのでした。

本州と四国の島の数が[66993]のように端数がついていない理由は、両地域にまたがる島が偶数(石島/井島、大槌島、瓢箪島、鳶小島の4島)であるためです。統計年鑑が用いた海上保安庁の資料で2県にまたがる島とされたのは7島であり、上記4島に甲島、二子島(2島)を加えれば[15404]で紹介された数字と合います。取揚島は見落とされています。

ついでに、全国の島の数 6852 に言及した 過去記事 を紹介しておきます。
[67267] 2008年 11月 13日(木)18:32:01【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(10) 境界未定地・統計局の面積データ
前報[67248]で 本州と四国にまたがる境界未定地 が登場しました。
このような境界未定地の面積は 驚くほどの大きさです。都県にまたがる境界未定地だけでも、2002年におけるその合計面積が 1万km2近くありましたが、2003~04年は 1万1千km2、そして 2005年以降は 約1万4千km2となっています。

阿蘇山から久住山にかけての地域を一例として、その実態を調べてみます。2002年には熊本県内に 435.75 km2、そして熊本・大分県境に 717.35 km2の境界未定地が存在しました。ところが 2005年の町村合併の結果、境界未定地域面積は新自治体全体に拡大して両者が融合、1559.44 km2の巨大な境界未定地になりました。その後一部の境界が確定したようで、2007年には県境の境界未定地は 886.00 km2に縮小したものの、熊本県内に 673.44 km2が復活。合計面積は不変。

市町村合併により境界未定が解消するケース[26634] [26672] もあるのですが、例えば境界未定地を抱えていた大分県久住町が合併すると、未確定の面積は 新しい竹田市全体に拡大し、上記のような結果になりました。
同様の仕組みで、富山市を取り込んだ 富山・長野県境の飛騨山脈に2,391 km2、鶴岡市を取り込んだ 山形・新潟県境の朝日山地に1,941 km2など 巨大な境界未定地域が出現しています。

【ここでお断りを追加】
以下の記載には、統計局HPにあるエクセルの表を直接にリンクした箇所があり、ダウンロード問い合わせ画面が出ます。
環境が整っていない方のためには、無料の閲覧ソフトがあります。[61440]をご覧ください。

第五十七回日本統計年鑑の都道府県面積xls を見ると、“各都道府県の面積には,都道府県にまたがる境界未定地域(14,547km2)を含んでいない” という注釈があり、平成18年10月1日の 富山県の面積は 2046 km2となっています。これは普通に使われる面積 4,247.40 km2の半分以下で[66902]、いささか実態からかけ離れた数値であると思われます。

ここで統計局による地方自治体面積データ登場したのを機会に、統計局が「境界未定」の問題をどのように扱っているか調べてみます。

このHPの面積データ更新にからみ、境界未定地の推定面積が話題になった 2003年の記事 を見ると、[21645] ゆうさん が統計局の推定値について最初に言及しています。

統計局が境界未定地の面積を推定するのは「国勢調査報告」の人口密度計算に用いるためです[22576]
2000年国勢調査の面積データは[22796]で紹介されていますが、現在はリンク切れ。

2005年のデータは、平成17年国勢調査 統計表一覧 から「男女・年齢・配偶関係,世帯の構成,住居の状態など(第1次基本集計)」の「都道府県結果」の「+」マークをクリックしてデータリストを開き、所望の県の「報告書掲載表」を開けば エクセル(xls)の表が現れます。例えば 富山県xlsの面積は4,247.39km2で、注2) に “(県境)の境界未定のため,総務省統計局において推定”と記されています。

5年ごとの国勢調査推定面積値は、統計局の 長期統計xls にも使われています。

当然のことながら、国勢調査報告は5年ごとしかないため、前記のように、日本統計年鑑では 境界未定地を除外した面積 2046 km2(平成18年)になっています。

境界未定地がもたらす問題を要約してみます。
一部の自治体には境界未定地があり、そのため「面積調」ですべての市町村面積確定値を記載することができません。
境界未定地は、これを明らかにして合計の区域の面積を出しておくというのが国土地理院の方針。
統計局の統計年報もこれに近い立場で、2つの県にまたがる境界未定地は県の面積から除外。
同じ統計局でも国勢調査となると、市町村別人口密度を計算するために、境界未定地の面積を按分した推定面積を必要としました。国勢調査報告(市区町村別あり)と長期統計(都道府県別のみ)に掲載。

もっと深刻な問題として、地方交付税算定にからむ問題がありす。
市町村間の境界が未定、即 市町村の面積判定不能ということになると、地方交付税の面積基準算定分(2,334,000円/km2)を失ってしまう。
これでは、山間部に境界未定地をかかえる市町村はたまりません。そこで「参考値」の登場になります。以下次回。
[67271] 2008年 11月 14日(金)13:50:47hmt さん
国土面積統計の変遷 (11) 地方交付税・全国市町村要覧
境界に一部でも未定部分のある自治体については、国土地理院としては、確定面積の出しようがありません。
しかし、このような自治体についても、単独の面積データが必要になることはあります。
その一例が統計で、統計局は、5年ごとの国勢調査で、人口密度を計算するために推定を必要としました。

しかし、地方自治体の面積は、誰よりも地方自治体自身にとり、身近な数値であることは言うまでもありません。
特に切実なのは、地方団体の面積が地方交付税算定の根拠の一つになることです。これに関しては[9293][9391] ぷりぷりさん の記事で紹介されています。
地方交付税法 第12条2項と5項別表第二【数字は下記のように改定】
------------------------------------------
地方行政に要する経費のうち個別算定経費以外のものの測定単位は、道府県又は市町村ごとに、人口及び面積とする。
道府県 人口1人につき11,860円、面積1km2につき1,130,000円
市町村 人口1人につき22,600円、面積1km2につき2,334,000円
------------------------------------------
面積については、第12条3項で“国土地理院において公表した最近の当該地方団体の面積”と記され、境界未定地の取扱いについては何も触れていません。

既に言及されているように、境界未定地のある自治体について国土地理院の「面積調」で公表されている面積は、1都22県については境界未定地を除いた面積であり、市町村については“境界未定”と記入されて数値がありません。
いずれの場合も「参考値」の記載があり、“総務省自治行政局発行「平成19年全国市町村要覧」の面積”とされています。

実務としては、「参考値」も法第12条3項で規定された公表面積であるという解釈をとり、これが地方交付税の計算に使われていると思います。どうやら、法律上“地方団体の面積”を公表する責任のある国土地理院は、境界未定地の面積配分を総務省自治行政局に「丸投げ」しているようです。

そして「全国市町村要覧」の凡例に記された収録事項の出所によると、[22560] オーナー グリグリ さんの記事にあるように、
境界未定の市区町村の面積値については、都道府県に照会
とあるので、結局のところ境界未定地の面積を各市町村に按分したのは、実質的には都道府県であろうと思われます。

ところで、「面積調」 に記された“総務省自治行政局発行「平成19年全国市町村要覧」”という政府刊行物。第一法規が発行している 「全国市町村要覧 (平成19年版)」 との関係が気になります。
後者の編者は「市町村自治研究会」[50649]となっており、平成20年版では「市町村要覧編集委員会」ですが、第一法規の「要覧」を開いてみても、その編者と総務省自治行政局との関係がわかりません。

国立国会図書館の蔵書で「全国市町村要覧」を検索すると、昭和38年から昭和60年版まで自治省行政局振興課。昭和56年版には出版社=自治省行政局振興課のものと、出版社=第一法規出版(自治省行政局振興課編集)のものとがあります。
もっと新しい版がないという謎はさておき、他の図書館のデータ(一致せず)とも合わせて考えると、どうやら昔は自治省が自ら刊行・市販していたが、後に市販品は第一法規出版(第一法規)の発行になり、編集者も 国の機関でないが役所の中にある[22796] 「市町村自治研究会」 に変化したように思われます。
# 「面積調」の記載から、民間が介在しない刊行物も(少なくとも政府の内部には)現存すると思われます。

なお、平成14~15年の「面積調」では「参考欄」に要覧による数値と市町村による数値とが併記されており[22796]、自治体がそれぞれ独自の方法により公表した面積を合計しても、国土地理院の計測値と合わないことを断っています。

「面積調」において「参考値」という名が現れるのは平成16年からであり、平成18年からは面積異動があった市区町村については、境界未定地域の合計値と合致するよう参考値を調整している旨の記載があります。
[67279] 2008年 11月 15日(土)19:01:35hmt さん
国土面積統計の変遷 (12) 十和田湖の秋田・青森県境確定
[66535] オーナー グリグリさん
十和田湖の境界も確定する見込みなので、これを記念して(?)十和田湖近辺の秋田県での一泊オフ会を考えました。

秋田県鹿角郡小坂町と青森県十和田市とにかかる十和田湖の境界が確定し、青森県知事が、昨日(11月14日)総務大臣に届け出たとのニュースが入りました。総務大臣告示による効力発生は本年12月下旬の見込みとか。

東奥日報2008年11月14日
本県(青森県)と秋田県にまたがる十和田湖の県境問題で、本県は十四日、境界決定が同日確定したことを文書で総務大臣あてに届け出た。順調に進めば総務大臣が十二月下旬に官報告示し、正式に県境として認められる。

秋田さきがけ2008年10月15日 によると、行なわれた手続きは次の通りです。
県境決定事務を管理する三村青森県知事が関係市町議会に意見を聴き、小坂町議会は、両市町の決定に異議がないことを10月10日に議決。十和田市議会も14日に議決。同日境界決定書が交付されました。
かくして異議申し立て期間(30日)を経た11月14日に上記の届け出がなされました。

告示は年内に行なわれるとしても、国土地理院が2009年2月1日頃に発表すると思われる「平成20年全国都道府県市区町村別面積調」(10月1日現在)には間に合いません。
地方交付税増額が1年遅れるのはやむをえないとして、「都道府県市区町村」の面積データの修正も、同様に遅れるのでしょうか?
市町村の廃置分合と違い、面積調の数値の足し算で処理するわけにゆかないので、仕方がないか。

参考までに、琵琶湖水面の境界確定スケジュールも示しておきます。県政eしんぶん による。
滋賀県および関係市町で合意文書締結 2007年5月16日
滋賀県が境界を決定、関係市町へ決定書を交付 2007年7月23日
滋賀県知事から総務大臣への届出 2007年8月24日
総務大臣告示(効力の発生) 2007年9月28日
国土地理院が平成19年全国都道府県市区町村別面積調を公表 2008年1月31日
オーナー グリグリさんが面積データを更新 2008年10月5日[66937]
[67286] 2008年 11月 16日(日)17:26:51【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(13) 境界未定・所属未定・帰属未定
2003年の面積データ記事 を見ていたら、「境界未定」・「所属未定」・「帰属未定」と3種類の言葉が使われていることに気がつきました。
国土地理院の「面積調」における用例を参照しながら、これらの用語について考察しておきます。

まず「境界未定」とは、陸地内に引かれるべき自治体境界線(の一部)の位置が、双方の主張の相違などによりこれを確定することができず、従って自治体の 形状も面積も 共に確定し難い状態であると考えます。

しかし、陸水部の 水面の境界 のみが「境界未定」である場合は、「面積調」は例えば次のように記し、実質的には水涯線を境界とみなしているようです。
霞ヶ浦は、水面が境界未定のため、沿接する次の市町村の面積には含まれません。(9市町村を列挙)

これに該当する事例は、然別湖・風蓮湖・十和田湖・八郎潟調整池の一部・霞ヶ浦・北浦・荒川河口部の一部・本栖湖・浜名湖・阿蘇海・児島湖です。(東郷池は合併により境界未定水面でなくなった。)

2006年面積調までは琵琶湖もこの仲間でしたが、水面の境界線が確定した2007年から、沿岸14市町村のうち11市町村の面積から「境界未定」の表記が消え、従来の参考値に水面の面積が加えられた新しい「平成19年面積」が記されています[66635]。守山・野洲・米原の3市は陸上の境界未定が残りました。

十和田湖も2009年面積調の基準時点までには、北岸御鼻部山との間の陸地(国有林)を含めて、「境界確定」[67279]となるでしょう。

陸部の境界線を確定することができない場合、「面積調」では、市町村面積欄に“境界未定”と記し、参考値欄には便宜上の概算数値を記載しています。
これに該当するケースが多数あることは、既に記しました。

島嶼や埋立地の「所属未定」は、「境界未定」とは区別して使われています。
こちらは、形状も面積も水涯線により確定できます。しかし、文字通り、どの市町村に所属するか定められていない地域です。
つまり現状は市町村については「無所属」ということになります。

平成19年面積調で「所属未定」とされているのは、4箇所あります。
1 東京湾の中央防波堤内側埋立地と中央防波堤外側廃棄物処理場。通称 「中防」
2 鳥島・ベヨネース列岩・須美寿島・孀婦岩。勝手に「南方四島」[22460]と命名。
3 名古屋港口埋立地 名古屋港湾事務所 によると、「ポートアイランド」の第3期までの広さは2.57km2に拡大。具体的な使用計画は未定。
4 鹿児島県鷹島(甑島南方)と 更に13kmほど南の 鹿児島県津倉瀬(宇治群島北東方)

[22560] オーナー グリグリさんが帰属未定地として挙げた6箇所(東京都を2とする)のうち、三重県の島嶼と沖縄県の埋立地は、面積調において(所属未定でなく)境界未定と記されているので除いてあります。

[22560]でご質問を受けた際は理解不足で、[22569]は的確な回答でなかったかもしれませんが、現在は「境界未定」は陸地内境界線の不確定、「所属未定」は(境界線に関係しない)島ぐるみの無所属と区別して考えています。

南方四島が「わが国で唯一」であるのは、東京都(八丈支庁)直轄であることが明確に規定されている点でしょう。
東京都組織規程別表四(第三十四条関係)
東京都八丈支庁 (所管区域)八丈町及び青ケ島村の区域並びに鳥島、須美寿島及びベヨネイス列岩
# おやおや。孀婦岩[19728][19806] が無視されて、南方三島になっていますね。

市町村に所属しないで放置されている無人島という点で、南方四島と最も類似した存在は、鹿児島県の鷹島と津倉瀬[22678] でしょう。沖ノ鳥島や尖閣列島のような国境警備の話題にもならず、日本中で最も忘れられた島?

東京港の「中防」は環境事業用地として活用中。北の江東区と結ぶトンネルには都営バス「波01」系統も運行。西の大田区ともトンネルで結ばれています。当面は都の直轄になっているが、将来の所属は決めかねている状態?
名古屋港の「ポートアイランド」も、将来は何かに利用されるでしょうが、現在のところ工事関係者以外は立入禁止。釣り人の侵入はあるようです。

「帰属未定」という言葉は、面積調では使われていません。所属未定とほぼ同じ意味でしょうが、本来はどこかの市区町村に帰属すべきものだが、ペンディングであるというニュアンスが強く感じられます。その典型的な例が東京港の「中防」です。
[67310] 2008年 11月 19日(水)13:53:38hmt さん
国土面積統計の変遷(14) 「都道府県市区町村」の面積データ
このHP「都道府県市区町村」における面積データの変遷に触れておきます。
過去記事を参照して、私が参入するずっと前の、「神代」の頃からの変遷を記します。間違っていたらごめんなさい。

「面積」が最初に話題になったのは、国勢社の「県勢」で、2001年1月のことでした[103] [104]
HP上の面積データの存在を確認できるは、2001年3月の[205]です。“データを更新しました。全国の市 面積ランキング”
東洋経済の都市データパック[317]を使っており、まだ「市」だけが対象になっていたと思われます。

2001年12月になると、国土地理院の「全国都道府県市区町村別面積調」(以下「面積調」と略す)が初登場し、境界未定地の問題が提起されます[611]
当時公表されていた(平成12年?)「面積調」には、現在のような「参考値」の記載がなく、境界未定のままになっている市町村が多いため、グリグリさんも困惑されていたようです。
これに対してM.K.さん[622] から、「全国市町村要覧」(第一法規)においては“境界未定の市区町村の面積値については、都道府県にも照会の上、便宜上の概算数値を( )書きで記載し、…”いう処理が行なわれていることが紹介されました。

その結果、グリグリさんは“未確定自治体に関しては、「全国市町村要覧」のデータを使う”[639]ことになり、間もなく 町村データが追加されました[704]

これで境界未定問題は 「要覧」(第一法規の「全国市町村要覧」、以下同じ)による ことで決着したのですが、「要覧」は印刷物なので、【デジタルの】市町村面積データが望まれています[633]。“CSVでもテキストでもいいのですが、データが欲しいのです。入力の手間を省くために欲しいのです。”[636]

この入力問題はなかなか解決せず、翌2003年にもSOSを発信[8915] [16249] [16450]
結局、2003年8月になり TNさんから協力の申し出がありました[19164] [19424]
最近の更新に至るまで、TNさんは 面積データの更新に 継続して協力されているようです[66937]

同じ頃に、[19686] せかさん から新たな情報が提供されました。
すなわち、前年の「要覧」の数値(市町村面積が境界未定の場合について「参考」欄に掲載されている数値)に、「面積調」の「増加面積」を加えれば、次年の「要覧」の数値を推定できるという手法です。
現存している 平成14年面積調 においては、境界未定の市町村については「参考(要覧による)」という欄があるので、この記事に示された方法の価値が理解しにくいのですが、どうやら平成14年面積調の最初のversionには「参考」欄がなかったので、このようなテクニックが有効であったようです。

用語が混乱するので整理しておきます。
「面積調」の中で“要覧による”と「括弧」なしで使われている“要覧”は、“総務省自治行政局発行の全国市町村要覧”[67271]のことです。
境界未定市区町村の面積に関する“便宜上の概算数値”は、最初に総務省の“要覧”に記載され、これが同年10月1日の国土地理院「面積調」における「参考値」として利用されて 翌年2月1日頃に公表され、更に11月1日頃に発行される第一法規の「要覧」に「市区町村の面積」として掲載されるという順序になります。
第一法規の「要覧」は、総務省の“要覧”よりも1年遅れの数値なのでした。

なお、3003年に、オーナー グリグリさんは、一度は統計局の面積推定値に傾いたようですが[22782]、最終的には [22945]で総務省自治行政局の推定値(「全国市町村要覧」の値)を選んでいます。
これは、国土地理院の「面積調」との整合性もあり、5年ごとでなく毎年更新されるデータである点からも妥当な結論であったと思われます。

現在の 都道府県の基本データ には、次のように記され、「要覧」でなく「面積調」の方に基づいています。「都道府県別市区町村一覧」のページも同様です。
面積は、2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」によります(単位:平方km)。

1年遅れの「要覧」に代り、同じデータを早く、しかもデジタルデータで得られる「面積調」ベースに変ったことは当然の成り行きでしょう。
[67313] 2008年 11月 20日(木)13:40:35【1】hmt さん
国土面積統計の変遷(15) 「面積調」と「都道府県市区町村」の面積データの違い
「都道府県市区町村」の面積データは、東洋経済の「都市データパック」(市の面積)に始まり、第一法規の「全国市町村要覧」によって境界未定を含む全市町村に拡大しました。そして、現在は国土地理院のHPに公表される「全国都道府県市区町村別面積調」に基づいていることを前回記しました。

では、「都道府県市区町村」の面積データは、「面積調」の引き写しなのかというと、もちろんそうではありません。

実例を一つ挙げておきます。新潟県村上市の面積は、国土地理院HPに記された 「平成19年10月1日面積調」 によれば142.12km2であるのに対して、「都道府県別市区町村一覧(新潟県)」 では1,174.24 km2と大きく異なっています。
言うまでもなく、これは2008年4月1日の1市2町2村合併により 新設された村上市 になった結果です。

「面積調」には、(旧)村上市と山北町の「平成19年面積」が掲載されていますが、荒川町・神林村・朝日村の該当欄は“境界未定”で、参考値欄に「*」の付いた「便宜上の概算数値」が記されています。1,174.24 km2は、これら1市1町の「平成19年面積」と1町2村の「参考値」との合計です。

…ということで、境界未定の市区町村については、「面積調」の「平成19年面積」欄が使えないために「参考値」欄の数値を採用し、更にその後の廃置分合による修正を加えた自治体面積であることを明らかにしておいた方が、このHPの読者を惑わせることがないのではないと思います。

提案:「都道府県の基本データ」及び「都道府県別市区町村一覧」において、表の下に記す文の一部を次のように修正されてはいかがでしょうか。

面積は、2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」に基づきます(単位:平方km)。
境界未定地がある自治体の面積は「参考値」を用い、自治体の廃置分合による変更はその都度修正を加えた面積です。
# この件は、既に [66948]で記した提案ですが、あえてもう一度書かせていただきました。

「都道府県市区町村」と「面積調」の面積データとの違いは、北方領土関係にもあります。
[1173]によると、オーナー グリグリさんも迷われた結果のようですが、“北海道については実体に合わせたかったという思い”により、北方四島の面積を除外しています。
北方四島の人口は(日本の居住者でないから当然に?)除外しているので、こちらとの整合性を考えれば、妥当な選択のようでもあります。
# 記事から察するに、2002年3月当時は現在と異なり、全国の面積には北方四島を含めていたのでしょうか。

この点は、主義・主張とかいうことでなく、“実体に合わせた”選択です。「都道府県の基本データ」と 「都道府県別市区町村一覧・北海道」 でも、既にその旨の断り書きがあり、不明確な点はないと思います。

# 北方四島は除外なのに、竹島0.23km2[67240]は島根県と全国の面積に含まれています。不統一?

面積データというと、事実を単純に並べただけと思いがちですが、面積の測定には地図の整備が前提であり、伊能忠敬 以来多くの先人が測地の現場で流した汗がありました。
30万km2に及ぶ旧領土[67073]を失った戦後、国土地理院から公表される面積データに小笠原・沖縄を欠いた時代もありました。現在は北方四島・竹島を含めた面積が公表されていますが、人口データの調査対象範囲とは一致していません。
国土地理院の「面積調」は、現在では総務省による「参考値」を含めてデジタルデータで公表され、このHPのデータの基礎に利用されています。しかし、かつては境界未定の自治体について問題があり、グリグリさんを悩ませていました。

これで 「国土面積統計の変遷」シリーズ を終ります。
[87373] 2015年 3月 8日(日)12:01:18【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (16) 2014/10/1以降の面積データは リセットされました
[87371] MasAka さん 平成26年全国都道府県市区町村別面積調
今回から計測方法を大きく変更したことが影響
(中略)前年との面積に増減があった自治体が多数出ているようです。

平成26年計測方法変更により、全国の面積データは昭和63年(1988)以来26年ぶりにリセットされました。参照
そのためか、今回発表の成果は 例年のような 前年との対比形式踏襲を避け、平成26年単独で示しています。

今回の発表は、都道府県市区町村サイト内の面積データすべてに影響が及びます。
オーナーグリグリさんのお手数をかけることになりますが、よろしくお願いします。

hmtとしては、とりあえず都道府県面積について、平成25年との増減を調べました。
最も目立ったのは、北海道の減少 -33.26km2 と、長崎県の増加 +26.44km2 です。
以下 愛知県 +7.24km2、福岡県 +6.98km2、増加4km2以上が兵庫県、熊本県、沖縄県、増加3km2以上が大阪府。
減少3km2以上は岩手県、宮城県で、三重県がこれに続いていました。

北海道の大幅減少という結果を見て、思い出した過去記事があります。
[86284] 右左府さん
これにより、択捉島含め北方領土の島々の面積にも変更がしょうじるのでしょうか。
[86293] hmt
【JAXAの陸域観測技術衛星「だいち」の撮影画像により】改測された地形図に基づく北方領土の島々の面積が、平成26年面積調として(中略)発表されることを期待しています。

例年に比べて ひと月余遅れた発表でしたが、択捉島・国後島・色丹島の6村プラス根室市の面積を合計して比較すると、平成26年の値は平成25年の値よりも34.46km2減少しており、上記北海道の減少値とほぼ一致しました。

長崎県については、市町村別に比較したところ、諫早市が +20.56km2、雲仙市が +7.35km2でした。
面積調には増加した面積のある場所についての手掛りはありませんでした。諫早湾干拓事業や雲仙普賢岳噴火の影響が地形図に反映されていなかった分を修正したのか? とも思いましたが、この大きな数字はうまく説明できません。

そう言えば、目立った増減を記録した県の顔ぶれを見ていると、中部国際空港、北九州空港、神戸空港、東日本大震災などとの関連が推測されるのですが、これも果して当たっているでしょうか。
[87405] 2015年 3月 17日(火)20:01:31hmt さん
国土面積統計の変遷 (17)都道府県別面積の歴史 (明治16年から大正9年)
先日(2015/3/6)発表された平成26年全国都道府県市区町村別面積調[87371]は、測地技術の進歩による結果を取り入れた 26年ぶりの大修正でした。

前年との間で面積の増減のあったデータは多数あるのですが、その中には全く異なる原因による変動が混在しています。
北方領土改測に基づく 北海道面積の減少事例[87373]、諫早湾干拓地をカウントした 長崎県面積の増加事例[87374]
[87387]で言及された陸前高田市の松原も、測地衛星画像に基づいて岩手県面積減少にカウントされている可能性があります。
残念ながら、発表されたデータだけでは、これらを分離して考察することはできません。

最初に、面積データの26年ぶりの大修正と書きましたが、その前の大修正は何時なのか?
そもそも、面積データは どこまで遡ることができるのか?

近代国家としての日本が国土面積を公表した最初に資料は、明治15年(1882)の『第一回日本帝国統計年鑑』[66993]であると思われます。[66996] YT さんが、そこに記載された「面積及周囲」を紹介し、国別面積の存在にも触れています。府県別面積は明治16年版以降とのこと。

この面積データの根拠は[76997]に追記されたように、原則として
伊能忠敬の大図 [三万六千分の一] を本として算出
したものです。翌年の統計年鑑からは、内務省地理局の実測値も用いられたことが記されています。
伊豆相模武蔵安房上総の五ヶ国は内務省地理局の実測を用ゆ

私がアクセスできる次に古い資料は、大正元年12月刊行の 『日本帝国第三十一統計年鑑』の14コマ で、ここに「道府県面積」の表があります。
3府43県の順番は現在と違いますが、2種類の面積が方里単位で記されています。
一つは第二回に記された「伊能大図+地理局」ですが、もう一つの面積は「参謀本部に於て調製したる面積」です。

この明治31年に始まった「参謀本部の面積」こそが、現在の「国土地理院の面積」の原型となるものです。
但し大正元年の表の脚注に記されているように改訂中であり、面積の決定版になっていません。

面積データは地図に基づいて測るわけですから、参謀本部によって遂行されつつあった 測地>五万分一地形図作成 事業と深い関係にあります。五万分一地形図は大正5年(1916)に全国整備が完了したとあるので、これに基礎を置く面積データも、大正年間には だいたい整備されたと思われます。

大正11年刊行の統計年鑑では 既に伊能大図に基づく面積は姿を消して「参謀本部の面積」に一本化されています。しかし、北海道、鹿児島県、沖縄県のみは未訂正で、明治31年当時の実測面積であると注記されています。

その次の 第四十二統計年鑑 に至り、「府県別面積」表の脚注から「3道県未訂正」の記載がなくなりました。タイトルの後に「大正九年十月一日」と記されています。
つまり、第一回国勢調査の行なわれた日から、「府県別面積」も完全に新版になったものと理解されます。

五万分一地形図作成事業の成果をふまえた「大正九年版の府県別面積」なのですが、この表には少し問題があります。
面積の単位が「方里」なのですね。そのあたりの事情を少々記しておきます。

実は日本のメートル条約加盟は かなり早い方で、加盟手続が行なわれたのは1885年でした。
翌 明治19年4/20には勅令無号『メートル条約』 が公布され、1890年には副原器が日本に到着しました。 
もっとも、明治24年(1891)に制定された 『度量衡法』 は尺と貫をメートル原器に基いて定義したもので、間接的なメートル法に留まっていました。
国内単位をメートル法に改める 度量衡法の改正は 大正10年 (1921)でした。

このようなわけで、統計年鑑に記された府県別面積は従来の年鑑を踏襲した「方里」単位だったのですが、大正九年から新たに始まった国勢調査報告書では、もちろん km2(方キロ)単位になっています。
大正九年国勢調査統計表 の表2が「面積及人口-府県」となっています。
[87450] 2015年 4月 4日(土)15:39:55【1】hmt さん
国土面積統計の変遷 (18)戦後の埋立による 都道府県面積順位レースの展開
2015/3/6に国土地理院から発表された平成26年面積調は 計測方法と基礎となる地図の変更を伴うものであり、面積データの変化は全国の自治体に及ぶものでした。
集計方法でも四捨五入の処理法が変り、当サイトの面積データ更新プログラム見直しが必要になったとのことです[87424]

このように面積調の前提条件が変っているので、平成26年と前年との数値を比較することは、それ自体に疑問があります。国土地理院の発表が対比形式を避けた理由も その点にあると思いますが、おおまかな要因を知る目的で、都道府県面積の差を計算しました。その結果、北海道(-33.26km2)、長崎県(+26.44km2)など 10道府県で 3km2以上という大きな差がありました[87373]
最大の差があった北海道(-33.26km2)は、観測衛星を用いて改測された北方領土面積が主要因子であるという予想を裏付けるものでした。長崎県の大幅な増加は予想外でしたが、諫早湾干拓の調整池を国土に編入した結果として解釈することができました[87437]

今回の面積調は、都道府県や市区町村の面積に関して、久しぶりに多くの「数値変動」をもたらすものでした。[87435][87436]

しかし 都道府県ランキング の中でも「面積順位」に限れば、その変動はありません。
諫早湾埋立をした37位長崎県は 21世紀になってから 40km2も面積を増して 36位徳島県との差をかなり詰めましたが 順位逆転には至りませんでした。
平成16年(2004)面積調で愛知県と千葉県の順位が入れ替わって以来、「都道府県面積順位」は10年間不変のままです。

実は過去に遡ると都道府県面積順位でも かなり変動があります。その変動要因を解析できたら面白いと思いました。
手始めは面積の数値集め。近年の数値だけなら国土地理院の面積調が定番ですが、境界未定地について「参考値」の初出は平成16年(2004)なので[67271]、10年ほどしか遡れません。

今回の目的に最も適していたのは、統計局の 長期統計でした。目次の第1章に国土・気象 があり、1-11表で都道府県別面積のエクセルファイルをダウンロードできます。原資料名「国勢調査」とあるように、大正9年以来・原則5年間隔のデータです。

もっと古い時代の資料は統計年鑑があり、府県別面積については明治16年まで遡れます[87405]
しかし、ベースになる5万分の1地形図を 全国的に利用できる前の時代の面積データは、伊能図との二本立て記載など[87405] まだ旧時代を引きずっていた跡が窺われます。

今回の調査では、面積データとしてはkm2単位・5年間隔で揃っている長期統計1-11表を使うことにしました。
面積自体はこれでOKですが、変動要因を考察する資料は なかなか探しにくく、福井県面積の謎など全く解けていません。
とりあえず、判り易い埋立面積が影響したと思われる都道府県面積順位レースの展開を眺めます。

愛知県と千葉県だけについて言えば、元々面積が近く(5000km2余)、戦後盛んに埋立地が作られたという共通点があります。
hmtの頭の中の地図で距離や面積を比較する「物差し」になっている千葉県の面積[76231]
千葉港のあゆみ で見るように、戦後に発足した東京湾岸の整備によって千葉県の面積は 1960年からの20年間で108km2も増加し、5100km2を越えました。
千葉県の急ピッチな拡大は、面積順位レースでも同期間に73km2増えた愛知県を追い越し、1975年に27位を獲得。しかし、1990年以降は 愛知県が面積増加を続けたのに 千葉県の伸びは止り、前記のように愛知県が再逆転しています。

都道府県面積順位レースでよく知られているのは、最下位が大阪府から香川県に変った事実です。
“最小面積は大阪府” という かつての常識が覆されたのが、1988年【26年前の面積リセット】を含む5年の間でした。
1950年からの40年間で大阪府の面積増69.2km2。香川県も1945年からの40年間に23.4km2面積増と意外に健闘。
しかし[68680]で記したように、1985-1990の5年間に7km2も減少していたのですね。
やはり、埋立面積で大阪府に差を付けられただけでなく、陸海の境界が満潮界に改められ、入浜式塩田(の跡地)などが「海」になった影響があるようです。

同じく1950年からの40年間で比較すると、戦前に民間事業として開始された児島湾干拓[67436]が 戦後の国営事業として引き継がれた岡山県が+52km2で、ほぼ増減のなかった高知県を抜いて17位を獲得しました。これも1990年。

元々の面積が近かったため、埋立面積の差で順位逆転したペアをもう1組。
山口県は1960年からの50年間で+40.85 km2、茨城県は+7.8km2。23位をかけた順位逆転は1975年でした。

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