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ekinenpyouさんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[96962]2018年10月30日
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[96961]2018年10月30日
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[96944]2018年10月21日
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[96941]2018年10月21日
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[96410]2018年8月20日
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[96397]2018年8月18日
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[96378]2018年8月11日
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[96377]2018年8月11日
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[96358]2018年8月5日
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[96354]2018年8月4日
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[96225]2018年6月22日
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[95747]2018年5月6日
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[95746]2018年5月6日
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[95737]2018年4月30日
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[95733]2018年4月29日
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[95727]2018年4月27日
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[95706]2018年4月21日
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[95705]2018年4月21日
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[95691]2018年4月16日
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[95669]2018年4月9日
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[95661]2018年4月8日
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[95659]2018年4月7日
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[95625]2018年3月31日
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[95621]2018年3月30日
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[95606]2018年3月26日
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[95597]2018年3月25日
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[95590]2018年3月24日
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[95570]2018年3月21日
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[95569]2018年3月21日
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[95529]2018年3月11日
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[95514]2018年3月5日
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[95492]2018年2月26日
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[95491]2018年2月26日
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[95483]2018年2月25日
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[95482]2018年2月25日
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[95394]2018年2月5日
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[95384]2018年2月4日
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[94766]2017年12月25日
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[94765]2017年12月25日
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[94731]2017年12月19日
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[94724]2017年12月18日
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[94696]2017年12月11日
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[96962] 2018年 10月 30日(火)18:56:17ekinenpyou さん
Re:新規雑学「市区町村名の画数」リリース
連続投稿にて失礼いたします、以下おまけの小ネタです。

[96956]グリグリさん
梼原町以外で同様の事例はあるでしょうか。


多くの方はご存知だと思いますが、字体を少し変えただけでわざわざ改称告示が出たのは珍しい?ので
類似例?を下記に示します。

埼玉県蓮田市
奈良県都祁村

なお「蓮」は康煕字典(右端)だと画数が更に・・・
【参考】表外漢字字体表
[96961] 2018年 10月 30日(火)18:49:50ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について【続編その1】
拙稿[96941]の続きです。

【有人島の面積・国調人口などを調べる方法】
統計局ホームページ-統計FAQ 01A-Q04 日本の島の面積[85802]hmtさんでも紹介されていますが、
離島統計年報というものがあります。(国土交通省の資料出典にも採用)

なお、[85802]hmtさんで
最新版には当然2010年国勢調査結果も反映されているはずなのですが、掲載対象になっている「離島」は「離島振興法」など関係4法で指定された合計305島に限られています。


とありますが、2016離島統計年報利用の手引き(19コマ)を見てみると、実は法対象外離島のうち未指定離島や
指定を解除された有人島についても(附表という別の表に)面積・国調人口は掲載されておりますので、
(データが全く無い)未掲載の有人島はおおよそ30程度になります。(2015離島統計年報など過去のものも同じ)

【離島統計年報掲載の面積データに関する注意点】
前述2016離島統計年報利用の手引き(11&19コマ)には
面積は,国土交通省国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調(平成27年10月1日)等に基づく数値である。


とあるのですが、例えば網地島(宮城県石巻市)はH27.10.1面積調(105コマ)が6.49km2であるのに対し
前述国土交通省の資料(2016離島統計年報準拠)では6.80km2で、これはH25.10.1面積調(127コマ)と同じです。
[87373]hmtさんにあるH26.10.1の面積データリセットなど、
新しいデータが反映されていないと思われる?箇所があるようです。

以上を踏まえますと、(面積調に無い)1km2以下の島面積についても同様の傾向があると思われますので
[96946]グリグリさんで示された下記データは少し古い年代の?面積なのかもしれません。
・大飛島(岡山県笠岡市)86人/1.05km2
・六島(岡山県笠岡市)80人/1.02km2
・小宝島(鹿児島県十島村)54人/1.00km2


少し追跡調査をしてみたところ、
小宝島はH25.10.1面積調(134コマ)では1.00km2、H26.10.1面積調(109コマ)未掲載
【参考】十島村役場公式サイト(小宝島概要)では0.98km2(2017年12月9日時点のページでは1.00km2だった)

大飛島・六島はH16.10.1面積調(184コマ)で既に未掲載
【参考】しまっぷ岡山県では

※面積は、六管区本部が独自に計算した、あくまでも参考値です。

とありますが、大飛島0.97km2・六島0.91km2でした。

以上、長くなってしまったので人口データに関する補足説明などは後日続編その2を別途投稿したいと思います。
(実は謎々の答えがまだ残されており面積関連の解説も兼ねます)
[96944] 2018年 10月 21日(日)18:56:19ekinenpyou さん
Re:永田町の富士見坂など
同日複数分割投稿にて失礼いたします。
[96931][96934]hmtさん・[96933]MIさん
あまり詳しくありませんが、少しだけ・・・

千代田区の坂(3)~平河町・麹町方面 には 地図リンク もつけられていますが、説明文を見ると【標識なし】と記されています。

都区内坂道の標識設置状況については区によって対応に差があるようです。(下記参考)
はまだより・坂道
東京における坂道の標識

話を永田町の富士見坂に戻すと、この坂は 赤坂見附と三宅坂との間に位置するわけですが、明治16-17年の五千分一図には、まだ姿を見せていません。

東京の坂道に関する参考文献から明治20年代前半の資料東京地理沿革誌(M23.4)を見てみると
(現在のものと同じ坂かどうかはわかりませんが)ページ左側にそれらしき坂名の記載・解説がありました。
[96941] 2018年 10月 21日(日)12:19:14ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について
[96929]拙稿にて離島航路について記しましたので、過去ログと重複する部分も多々ありますが、
あらためて日本の島(有人島)について簡単にまとめておきます。

【主要な有人島への交通手段などをまとめたサイト(少々情報が古いですが)】
日本の島 主な有人島について 交通 アクセス 案内
(上記サイト様の案内ではWeb公開は2019.3末までとのこと)

【有人島の数・一覧を調べる方法】
どのような基準で島とするか、有人・無人の判定については
日本の海と島(hmtマガジン)などでも過去にしばしば取り上げられていますが
一応、島の数は毎年度ごと?分類された内訳が国土交通省から公表されています。
(少し古いですが)新たな指定基準に基づく離島振興対策実施地域の見直しについて(2コマ)
H25.4.1現在(有人島418・無人島6,429の計6,847・本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除く)

このうち、[96903]hmtさんで紹介されている離島振興対策実施地域の254島に加え、
法対象外離島113島のうち未指定離島22島の一覧については
指定離島・未指定離島一覧(PDF)と同一と思われます。
※未指定離島一覧に23島ありますが沖島(滋賀県近江八幡市)が追加されている(22+1島)

なお、(法対象外離島113島のうち)架橋等91島の一覧を国土交通省で示した資料は
残念ながら見つからなかったのですが
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々が前述254島&22+1島と恐らく共通しており、
(沖島を除くと)ちょうど418島あるようなので、(残りの)架橋等91島についてもほぼ把握可能と思われます。

※島名をクリックするとH22国調人口と面積もおおむね記載、ただし(架橋等91島については)
国土交通省で示されたものと全く同一内容であるという保証は無いのでご了承ください。

一例として、[86248]hmtさんで示された高島(徳島県鳴門市)の記載が無く、
沖縄県の離島関係資料(各年)の島しょ一覧(面積0.01km2以上、PDF9コマ)などに記載が無いと思われる
瀬長島(豊見城市)が含まれており、恐らくこの手の分野でメジャーな日本離島センターの各種出版物などを
参考に推測しているのかもしれません。

H25.4.1以降現在までの(有人島・無人島数の)変化は恐らくごくわずかで下記の通り(無人島が3増加)
H30.4.1現在(有人島416・無人島6,832)
※(離島振興対策実施地域追加で)沖島を有人島数に含めるので415+1島(ただし離島合計には含めず6,847のまま)

【恒例?蛇足の謎々】
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々のうち
平成29年全国都道府県市区町村別面積調付録・島面積(面積1km2以上)に記載が無いと思われる島があるが、
はたしてどの島でしょう?(当然ですが答えは面積1km2以上に限る、答えは多分後日投稿にて示します)
[96929] 2018年 10月 12日(金)19:04:22ekinenpyou さん
Re:突然の航路休止に驚く中通島など
[96903]hmtさん・[96904]Takashiさん
続報の一部は既にご存知の方も多いかもしれませんが
五島産業汽船の一部航路、九州商船が再開検討 (日本経済新聞10/9)
五島産業汽船元従業員が新会社設立(NCC長崎文化放送10/11)
とのことです。

(五島産業汽船の)長崎~鯛ノ浦航路は年間12万人の利用があり、黒字を確保していたようですが、
経営破綻の主要因になってしまった佐世保~有川航路は過去に美咲海送という別事業者もH25.5末限りで休止、
(競合のため赤字に対する補助などが無かった?と思われますので)色々と運営が難しい性格の航路のようです。

【参考】
九州離島航路経営改善ガイド(国土交通省 九州運輸局、少し古いですが要点は理解可能)
美咲海送「第三十八フェリー美咲」に乗船してみる(H25.5末限り休止間際の貴重な?乗船リポート)

[96926]グリグリさんの投稿がございましたので、
十番勝負前に予告していた投稿保留分は次週あたりから(状況に応じ)再開を予定しておりますが、
(気が変わって)別の新規内容で投稿するかもしれません、くどいのは承知の上ですが最後に以下やや長めの蛇足

[96916]伊豆之国さん
…ところで「重箱の隅」ですが、[96879] オーナー グリグリさん
28 中央市 昭和町(常永駅/JR身延線) 市川山郷町(甲斐上野駅/JR身延線)
「市川三郷町」ですね…。


上記の類は他にも気がついた方がいらっしゃると思いますのでそのままスルーでも全く問題ないと思いましたが、
一応記事の正確性を高める?という目的で(別の例も)ログに残しておきます。

まず、下記をどのように訂正すべきかは(こちらの皆様であれば容易にわかると思うので)説明を省略します。
20 成田市 酒々井町(酒々井駅/JR成田線) 神埼町(下総神崎駅/JR成田線)
21 香取市 神埼町(下総神崎駅/JR成田線) 東庄町(笹川駅/JR成田線)


46 伊予市 松崎町(伊予横田駅/JR予讃線) 内子町(伊予立川駅/JR予讃線)


また、下記も厳密には不適切です
4 青森市 七戸町(七戸十和田駅/東北新幹線) 今別町(奥津軽いまべつ駅/東北新幹線)


奥津軽いまべつ駅の所属路線は東北新幹線ではない
(時刻表などで用いられる東北・北海道新幹線などであれば許容範囲?)

[96879] の42で海田市駅をJR呉線としているがこの点は許容範囲とした
(ただし45では多度津駅をJR土讃線ではなく予讃線と記載しているので所属路線の考慮はしていると推測)

(誤表記の)原因については出典元のデータ?がそのように記されているのか、定かではありませんが
とりわけ自治体名の記載については(地理系サイトなので)なるべく正確を期したいところです。
([96880]にもあるように単に当日ご多忙だっただけと推測されますが・・・)
[96923] 2018年 10月 9日(火)19:18:30ekinenpyou さん
Re:第四十九回 災害復興祈念 全国の市十番勝負(問十:想定解一覧)など
本来の十番勝負の楽しみ方とは異なり恐縮ですが、[96879]グリグリさんの作成されたリスト
■ある町の駅からその市の駅(1駅以上)だけを通り別の町の駅への各駅停車の直通列車がある市
(想定解数:62市?)

調査確認した想定解のリストです。該当する市の駅(1駅以上)は省略しています。最初の「町(駅名/路線名)」欄には、直通列車の一例として乗換案内リンクを付けました。網走市は「上り」、八戸市は「平日」、田辺市は「下り」、鳥取市山陰本線ルートは「上り」にのみ直通列車があります。「▲」は災害により十番勝負開始日には運休中で、「◆」は同一町の例です。大崎市、長井市、成田市、半田市、鳥取市、丸亀市、直方市、飯塚市には、ルートが2つあります。
を今一度確認し、(不足分を)補完してみました。(駅名クリックで時刻表表示)

1.JR因美線
鳥取市 智頭町(智頭)と八頭町(河原)

【備考】平成30年7月豪雨で全線不通になったが8月中に復旧

2.▲平成筑豊鉄道田川伊田
田川市(田川伊田を経由) 香春町(勾金)と福智町(上金田)

【備考】平成30年7月豪雨で田川線が一部不通となっている

3.◆近鉄京都線
木津川市(木津川台) 両隣駅が精華町(新祝園山田川)

【おまけ】偶然かH27以降の比較的最近の廃線区間に下記の例(◆含む)が存在していた
留萌本線、H28.12.5一部廃線(留萌~増毛)
留萌市 沼田町(恵比島)と増毛町(阿分)

三江線、H30.4.1廃線
広島県三次市(伊賀和志) 両隣駅が島根県邑南町(宇都井と口羽)

(古くは苫小牧市なども条件を満たしており)過去の分を挙げると(色々な面で)きりがないので
これ以上は省略させていただきます。

※◆は[96913]k_itoさんで既に示された樽見鉄道の本巣市(神海) 両隣駅が揖斐川町(谷汲口と高科)を除く

平日・土休日の運転列車相違や災害による不通区間についてはチェックに
不備があるかもしれない点ご容赦ください。
(本稿は比較的短時間で作成したためおかしな点などあるかもしれません、
ご指摘いただければ後日訂正コメントなどで対応します)
[96486] 2018年 9月 16日(日)19:00:05【1】ekinenpyou さん
Re:気象庁が名称を定めた地震など
十番勝負(開始直前予告)以降の投稿となってしまい恐縮ですが・・・以下の件、少し補足しておきます。

[96471]グリグリさん
顕著な災害を起こした自然現象の名称の付け方基準等については、こちらのページに説明があり

Wikipediaでも言及されていますが、リンク先には
平成30年7月9日
とあることから、最近公表(変更)されたもののようで従来はこちらの内容(基準)だったようです。
(平成30年7月1日時点アーカイブより)

従来の気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象一覧には人的被害が大きかった
平成26年の御嶽山噴火平成25年の台風第26号による暴風・大雨※などが
含まれないケースがあり、命名基準の見直し(改訂?)を行ったものと推測されます。

※当然ながら例示したもの以外にも含まれなかったものが多数あります、詳細は下記などをご確認ください
災害をもたらした気象事例
日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降)過去の地震津波災害過去に発生した火山災害
(従来の基準も平成16年3月15日に示されたもので、それ以前は異なっていたと思われる。)

以上、予定していた投稿が他にも数件ありますがそちらに関しましては日を改めて行います。

【以下、追記】
気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象の一覧について、恐らく1956(S31).7.1の
気象庁昇格後に命名したものという解釈になっていると思われます。

洞爺丸台風(Wikipedia)より
気象庁は1958年9月26日に東日本に上陸して伊豆半島狩野川流域に大水害を起こした昭和33年台風第22号を同年11月に「狩野川台風」と命名したことに伴い、1954年の台風第15号についても遡って「洞爺丸台風」と命名した。


デジタル台風(資料室)
「平成27年9月関東・東北豪雨」現在の命名基準は平成16年に相次いだ災害の直前から(饒村曜)(Yahoo!ニュース)
にも同様の記述あり
[96452] 2018年 9月 2日(日)10:19:44ekinenpyou さん
Re:台東区はお台場の東?など
以下、先週投稿予定でしたが諸事情により遅れました。

[96430]hmtさん

台東区の由来については東京の地名の由来 東京23区辞典では以下のように記されておりました。
(引用箇所・台東の由来は落書き帳で使用できない文字を置き換えるなど、一部変更してあります)

東京新聞が募集した区名案には上野・下町・太平・隅田・浅谷などなどあったが、これといったものがなく、『康煕字典』にある「台東(たいとう)」という熟語に「日出る処、衆人が集まって栄える場所」の語義があり、また「台」に"悦ぶ"の意があり、上野山つまり下谷区に当て、「東」には"春"の義があって浅草区を指すと解釈、これを区名に選定した。区名にこれほど理屈を踏まえた名前はない。

以上を踏まえ「台」と「臺」について、戦前(大正末期)の漢和辞典での掲載箇所を以下に示します。
「台」(右側)・「臺」(右側)

「臺」は高台、「台」は先述の引用箇所通りの意味も含まれている点がわかりますので、
台東区の「台」は双方の字(「台」と「臺」)を由来とすると解釈しても良さそうです。
(なお康煕字典で瑞祥地名とありますが、その掲載については
中国語の理解力が乏しく、どの箇所かは特定できませんでした)

台東区について言うと、既に当用漢字表は1946/11/26に公布されているのですが、これが新字体になる「当用漢字字体表」の告示は1949/4/28ですから、「臺東区」で告示されていると推察します。
昭和22年東京都告示第127号の本文(原文)は未確認ですが、参考として官報広告(S22.4.2)(右上)が確認できました。

大正末期の漢和辞典で既に「台」を「臺」の略字として用いるとの記載があるのと
当用漢字字体表を告示する前の当用漢字表(左中段の左端)でも
同様の扱い(至部の「臺」に簡易字体として記載)なので恐らく誤りではありませんが、
多くの字は旧字体なのでちょっと違和感があります。

[96414]白桃さん

自治体人口推移のまとめは非常にわかりやすく参考になります。いわき市の郷土資料については
いわき市立図書館 郷土資料のページに色々とネット閲覧可能なものが存在していますね。

余談ですが、S28.10.10に小名浜町(のちの磐城市)へ編入された鹿島村のうち
3大字(三沢・松久須根・上矢田)はS29.3.29に湯本町(のちの常磐市)へ編入されて
常磐を冠した町名になっているようです。(地図はこちら、上矢田と下矢田は元々は同一村内)

※当時の新聞いわき民報 昭和29年 3月・3月31日第2411号(PDF2~3コマ)などに磐城・常磐市誕生時の記事あり

同市(S41合併前含む)の長期時系列人口推移について、(あまり役に立つかはわかりませんが)
当方でも少し調べてみましたので別投稿で示したいと思います、少々お待ちください。
[96437] 2018年 8月 25日(土)12:21:39ekinenpyou さん
Re: 中国語の読みと台東区など
今週はコメントを差し上げたい投稿が多いため、分割投稿を予定しております。

[96424]シノレパシクソさん
拙稿[96423]は当方も先日同じようなミスをしてしまったという点(自身の反省など)を述べたまでで
シノレパシクソさんは特に気にする必要は無いと思います。

[96394]の夏休み旅行記クイズは面白かったです。
(自身で[96354]のような投稿をしていたこともあり、[96403]伊豆之国さんと同様の対応をしました)
福井県内の鉄道廃線跡などについては鉄道友の会福井支部サイト内(県内廃線跡探訪)が詳しいですね。

なお、[96424]で※あわら市のDID人口(平成27年国勢調査)をお答えになられていますが、
金津は古くからの市街で[95544]白桃さん・[53714]千本桜さんの投稿中にも登場します。
DID人口数(5,038人)は確率的に極めてまれな事象が発生した数字だったので驚きました。

地理院地図で確認すると前回調査時と若干領域が異なるようです。(従って、人口密度は異なります)

[96425]鳴子こけしさん
詳細な解説ありがとうございました、段階的にきちんと理解できているか少しおさらいしてみます。
「北京」「釜山」はどちらも「ぱ行」で始まりますが、ラテン文字ではそれぞれ「Beijing」「Busan」とBで始まるのは、こういう事情に依るものなのですね。


上記は無気→有声の転写例だと思うのですが、有気→無声の転写例としては
四川省巴中市の平昌(Píngchāng)県があてはまる。
韓国の江原道平昌(Pyeongchang)郡も同じ?(韓国語の知識はほぼ皆無なので自信なし、間違っていたらすみません)

[96427]faithさん
台の発音ですが、Jigen.netでは3種類示されており、
[96417]伊豆之国さんで
「台」と「臺」は、本来はそれぞれ別の字で、どちらも中国に古くからある漢字です。
とありましたので、(懲りずに?)少し追跡調査をしてみたところ、
こちらのサイト様(ブログ)で興味深い解説を見つけました。

参考・藤堂明保(Wikipedia)
※研究者によって(漢字の)解釈が異なる点もあるのでご注意ください(詳細下記サイト様も参照)
【基本?】漢和辞典アレコレ 辞典によって何が違うのか

以上、詳しい方にとってはあまり役に立つ投稿内容ではないかもしれませんが、もう少し続きます(多分)・・・
[96423] 2018年 8月 22日(水)19:20:37ekinenpyou さん
Re^3:台東区の読み方など
[96413]faithさん
ということで、解説できるような学殖は持ち合わせませんが、手元にあった「新字源」(最近出た改訂新版)を見ても、漢音、呉音とも「タイ」であり、「ダイ」は慣用音(多くは日本で誤読等で発生したもの)とされています。
実際、「台」の後漢時代(1-2世紀)の発音は[tʰə]のようなものだったとのことで(Schuessler, "ABC Etymological Dictionary of Old Chinese") 「ダイ」を中国音に求めるのは難しそうです。
色々と参考になります、確かに台地台本などおっしゃる通りですね。

[96417]伊豆之国 さん
「北[石番]磨」の文字については、6年余り前にも話題になったことがありましたね。
フォローありがとうございます、その付近の過去ログを参照して
無事[80204]紅葉橋律乃介さんのご名答にたどりつきました、疑問解決です。
[80408]グリグリさんのご対応以降は恐らく「北磻磨」と書いても問題無いようです。

[96416]シノレパシクソさん
なお、人口はサイト内のデータランキング(2018.4.1)を基準にします。
[96419]白桃さんでは
2018.4.1の人口って本サイト内にありますか?
とありますが、当方は別の疑問も抱きました、この場合の人口とは
【市】人口ランキング(推計人口と国勢調査人口)の「2015年10月1日の国勢調査人口」だと考えていましたが
【市】人口・面積・人口密度ランキングの「2017年10月1日の推計人口」だったのですね。
(ランキングデータに人口のランキングが複数箇所あり迷いました)

当方もつい先日似たようなミスをしてしまいましたが、書いた本人は正しく伝わっていると思い込んでいるので、
詳しい方に(誤解を招く表現である旨)ご指摘を受けるまで全然気が付かないことがあります・・・
[96411] 2018年 8月 20日(月)19:15:20ekinenpyou さん
Re:大相撲幕内優勝力士都道府県ランキングなど
連続で失礼いたします、以下長くなったため投稿を分けました。

[96404] うっかりじゅうべえ さん

出身地については[96398]紅葉橋律乃介さんでも
現在でもあくまでも各力士がそこを届け出れば“出身地”とされています。自分だけではなく、親や祖父母のいる場所でも良いわけです。
以上のようにコメントをいただいている通り、不確定要素が多く琉王関のような例もありますね。
(沖縄出身とはせず、奄美出身で届け出ることもできた?)
いずれにしても拙稿[96397]ほど不適切ではないと思いますし、
[96408]グリグリさんにあるコメント(示されたご提案)を当方も支持します。

[96398]紅葉橋律乃介さん

まだ出身地を記載した表は作っていないんですが、今後優勝者の出身地も載せる予定です。その際は、ぜひご来場くだされば幸いです。

お言葉をいただきありがとうございます、実は(大相撲星取表の掲示板)で拝見した際、
難解な問い合わせに対してもすらすらと見事にお答えになっていたので(一般の方と比べて)
知識レベルの「格が違う」と感じましたので言及してみた次第です。
大相撲星取表のリンク集にも相応のコメントがありますね)
コンテンツの作成内容云々に関しましてはご自身のやりたい事を最優先でよいと思います。
(時折拝見させていただきます)

=以下、素人の素朴な疑問=(前述の内容とは全く関係ありません)
稀勢の里関と同い年の※北はり磨関の「はり」は何故「こちら」の字を使っているのでしょう???
役に立つかは不明ですが康煕字典でのリンクはこちら(右側中ほど)です。

※注・北播磨地域のご出身ではありません
(今週は中国語や大相撲に関する当方の知識の無さを見事に露呈してしまいました・・・)
[96410] 2018年 8月 20日(月)18:49:24ekinenpyou さん
Re:台東区の読み方
[96405] faith さん
「ピンイン」というのは、アルファベットと声調記号を用いて中国語の発音を表記する方法のこと
上記の点はだいたい理解できていたはずだったのですが、
「ピンインではこう表記する」とは言えても、「ピンインではこう発音する」は表現としては奇妙に聞こえてしまいますし、「ダァィ」ではもちろんピンインの表記になっていません。
ご指摘の件はおっしゃる通りです、当方の投稿内容は明らかに
「ピンイン(発音記号)ではダァィと発音する」という摩訶不思議な表現で書かれており、非常に不適切でした。

拙稿[96397]
中国語(ピンイン)では呆という字を「ダァィ」と発音するらしいです。
は、ご指摘いただいた通りの内容
中国語(普通話)では・・・
もしくは
中国語では呆という字を「ダァィ」と発音するらしいです。(カタカナ読みは目安、ピンインではdāiと表記)
などに置き換えれば良いでしょうか(普通話では・・・ということも明示した方が尚良い?)

呆は「保」の古字としての使用例があるようです。
「呆」の音読みは「保」と関連があるのではないかと推測されます。
ご教授いただきありがとうございます、そのように推測しても良いかもしれませんね、
参考資料として康煕字典でのリンクも示しておきます。
(左真ん中)・(右真ん中付近)

と、ここまで書いておきながら恐縮ですが、言及されている、呆(や保、某)の中国語発音が、台東区の「台」(ちなみに、ピンイン表記ではtái)の清濁にどう関係しているのか、実は私には読み取れませんでした。何か見落としているのかも知れませんが、教えて頂いてよいでしょうか。
上記については全く無関係です、faithさんの見落としは一切ありません。
(蛇足とはいえ推敲不足で)理解しがたい文章を書いてしまった点、申し訳ございませんでした。

」・・・国内の地名では「ダイ」と読むものが非常に多い(特に地名の最初の字にある場合はほぼ「ダイ」)が
中国語の発音(目安)はカタカナ読みで「タァィ」
対して
」・・・国内では「タイ」という音読みだが、中国語の発音(目安)はカタカナ読みで「ダァィ」
(国内で主流として使われている音読みホウ・ボウは発音上では関連性が乏しい)

※発音のカタカナ読みはあくまで目安なので、リンク先で音声を再生して各自ご確認ください
(中国語を公用語として使用している地域全てで同様の発音かどうかは未確認のため不明)

上記のようなことを(蛇足で)書こうとしたのですが、脈絡の無いおかしな文章になってしまいました、
(関連知識が乏しく)まだ不自然な点などあるかもしれません、(もしあれば)遠慮なくご指摘ください。
[96397] 2018年 8月 18日(土)12:45:14【1】ekinenpyou さん
Re:大相撲幕内優勝力士都道府県ランキングなど
[96392]うっかりじゅうべえさん・[96393]hmtさん

出身地という言葉の意味に幅があるので解釈が難しいですね。
例えば稀勢の里関の来歴・入門まで(Wikipedia)では
出身地が牛久市とされているのは、部屋入門時の住所地が牛久市であったことによるものである。
とあります。

朝潮関(3代)について
[87226]JOUTOUさんでは、hmtさんと同じく徳之島出身というご見解のようです。
(Wikipediaの横綱一覧も同様、現在の薩摩川内市出身の横綱は16代横綱の初代西ノ海嘉治郎
この手(角界)の話題はメンバー紅葉橋律乃介さんのサイトが大変お詳しいでしょうか、
銀河大角力協会の資料群は圧巻ですね。

純粋な地理に関する書込みが少々乏しくなってしまったので下記余談を、
東京都の台東区の読み方についてYahoo!知恵袋によると
上野の高台の「台」と、上野の東側にある下谷と浅草の下町を連想する「東」を組合わせ、「台東」という地名となり、それを区名とするようになったそうですが、それを考えると「だいとう」でいいはずなのですが、なぜか「たいとう」 と読みます。


とのことですが、台東区(Wikipediaの名称由来)も見てみると
読み方は都、区で発行する出版物のふりがな等で見られるように公式には「たいとうく」だが初期はそれほど強く統一されておらず現在でも昭和初期生まれくらいの高齢者は地元の台東区民も含め多くの場合「だいとうく」と読んでいる。
とも書かれていたので、当時の資料国勢調査(昭和25年)を見てみると
15都道府県郡市区町村別人口(12千葉県~16富山県)の4コマで
「Daito-ku」と書かれているのは、単なる誤表記ではなかったのかもしれないと思いました。
(S30以降のものは当方の知る限りでは「Taito-ku」となっています)

=以下蛇足=
※台東区の読みについては台湾の台東県台東市などの影響があるのかどうかは定かではありませんが、
中国語(ピンイン)ではという字を「ダァィ」と発音するらしいです。(「パァォ」「モォゥ」

Yahoo!知恵袋にも「呆」は発音上では音読み「ボウ」との関連性は乏しいとありました、
「タイ」という音読みもあるようですが、あまり使用例として見かけないような気もします。

※以下、見落としのため追記訂正
台東区の読みについて補足(出典は前述の台東区Wikipediaの名称由来)
都知事の案により下谷区台東小学校にて既に採用されていた「台東」の語を用い「台東区」を区名とした。
下谷区史(左端)に同校のものと思われる沿革が記されており
明治期に「私立渡辺尋常小学校」が買収され「台東尋常小学校」へ改称された事実は確認できたものの、
「台東」の由来については明記されていませんでした。(同校は平成17年度末で廃校?・台東区サイト内)
[96378] 2018年 8月 11日(土)09:39:55ekinenpyou さん
Re:茨城県の編入合併など
連続で失礼いたします、以下も予定していた投稿ですが、長くなったので分けました。

[96351]白桃さん
どうして茨城県はこうまでも編入合併が多いのか
上記はおっしゃる通りかもしれません、市の変遷(茨城県)を見ると戦前から市だった
水戸・日立・土浦では戦後(地方自治法の下では)一貫して編入合併のみを行っております。
(日立・土浦の最初の市制は旧法下の手続き上、新設合併という形になったと思われます。)

少し(というかかなり)話題が変わりますが、このうち日立市関連について

[81186]白桃さん
「共武政表」に関して言えば、貴重な人口統計資料であることには違いないのですが、正確性や統一性に欠けております。男と女を合計しても総計に合致しない邑もかなりあり、人口統計だけは几帳面な白桃は、この“アバウト感”に酔いしれております。
ま、正確性を期待すること自体、無理な話なのでしょうが・・・
上記の御見解が示されておりますが、ちょうど良い具体例がありますので
各資料から人口を(多賀郡内にあったもののうち一部)抜粋したものを年代順に示します。
(空欄はデータなし、若干入力ミスや漏れなどがあるかもしれません)

【旧・日立&助川町のグループ】
村名(M22村名)M6頃M8M12M13M14M19.12.31
宮田村(日立村)9841421421731,135
滑川村(〃)832113139161
助川村(高鈴村)1,3341,3146966991,4441,461
会瀬村(〃)1,7031,0521,0251,1861,189

【旧・多賀町のグループ】
村名(M22町村名)M6頃M8M12M13M14M19.12.31
諏訪村(鮎川村)503240
油縄子村(〃)362247249261
成沢村(〃)476
河原子村(河原子町)1,7164401,6674421,928
金沢村(国分村)755
大久保村(〃)1,1641,279
下孫村(〃)390151373152
水木村(坂上村)9358241,0311,0311,098
森山村(〃)196200213214
大沼村(〃)382327383384

出典はM6頃常陸多賀郡史・M8共武政表・M12共武政表・M13共武政表・M14共武政表
M19.12.31市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第二乙表)(第三乙表)(本籍人口)

【参考】官報のM22年末現住人口(左上)は
日立村2,291・高鈴村2,874・鮎川村1,908・河原子町2,057・国分村2,844・坂上村1,776

※共武政表は何らか疑問と思われる数値や掲載漏れと思われる箇所が多数あり、
新しいものほど実態に近いデータかというと、そうとも言えないので要注意
(人口輻輳地を示しただけで、村全体の人口ではないという注記は見当たらず)
常陸多賀郡史の会瀬村(1,703人)も疑問(戸数241などから推測すると1,000人程度が妥当?)

なお日立市の沿革については[45357][45394][45417]eiji_tさんで解説がなされており大変参考になります、
(多賀町のような人口の多い自治体も含め法的手続きは編入で済ませていますが)
実際すんなり合併とはいかなかったようですね。
[96377] 2018年 8月 11日(土)09:22:45ekinenpyou さん
Re:越前下関
[96362]MIさん
越前下関
正解です、Wikipediaでは北陸本線(年表・廃駅)にも記載があるのと、
設置などが官報に告示された国有鉄道の駅だったのでヒントは特に出しませんでした。

難易度は少し高めでしたが[96145]伊豆之国さん・[73231]hmtさんの温泉駅に関する
投稿内容などは専門家レベルですから、相応の謎々を用意してみました。
しかしながら、わずか数日で全回答が揃ってしまい、
あらためてこちらの皆様の知識レベルの高さを実感した次第です。

読み方は「しものせき」でも「しもせき」でもなく、「しもぜき」でした。
良い点に注目していただきました、以下本筋として投稿予定だった(かなり地味な?)余談を少々・・・
この駅が存在したとされる坂井郡大関村(大字下関)=現在の坂井市坂井町下関近傍?ですが
「関」は「ぜき」と濁る読み方で現在は定着しているようです。
(少し西にあるえちぜん鉄道三国芦原線の駅も「おおぜき」)

M22福井県令19号(M22.2.16)などを見ると
読みについては(法的には)成立時から「おおぜき」だったようですが、
市町村大字読方名彙(左上2段目)日本地名大辞典(右下)では「せき」と濁りません
(いずれも書き間違いではないような気がします)

そこで、坂井郡誌(左端)を見てみると中世の頃は関郷(上関・下関の2村)という郷で、
郡区町村一覧(左下)も「しもせき」と書いてあるようにも見えるので、
かつては「せき」と濁らず読む方が一般的だったのかもしれないと推測してみました。

合併により偶然?「大関」(由来は大味・関から、坂井郡誌(右端)参照)という村の名前になって
「おおぜき」という読みが主流となり、大字の読み方へも影響を及ぼしたのかもしれませんね。

実は「おおせき」と読むのが正しかったが、県令で読みを誤記され?
それが定着した可能性も・・・(恐らく読み改称の告示などは出ていないでしょう)
一方、現役駅の越後下関(岩船郡関川村大字下関)は明治の大合併で関村→関谷村→現村名という経過を
たどった影響か読みも「しもせき」です。(駅の開業時は関谷村大字下関、偶然か双方で上関も隣接区域にある)
[96358] 2018年 8月 5日(日)12:38:07ekinenpyou さん
Re:道中記クイズなど
予定投稿は少し先延ばしにして、簡単にコメントしておきます。

[96355] 伊豆之国 さん

当方の投稿から短時間で「番外編」クイズの一部をお考えになったのでしょうか?
さすがとしか言いようが無いので珍しく?【Q2】に挑戦してみましょう。

【Q2】S25・30は国勢調査人口が1万5千人を越えていましたね、町の所属郡名も・・・以下略

拙稿[96354]の謎々は先日のYahoo!ニュースなどを見て適当に思いついたものです、
経過については都道府県市区町村サイト内のこちらにも随時まとめられています、
同ニュースサイトでは言及がありませんが市名変更についての最終報告・PDF6コマの3では

JR篠山口駅、舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICは、市の玄関口として重要な施設であり、市の名称と一致させ「丹波篠山駅」「丹波篠山インター」に改称するよう取り組んでいく。

とありました。

意外にも?[96355] 伊豆之国 さん・[96356]白桃 さん・[96357]千本桜 さんから正解を投稿していただき
あっという間に残り回答が1つになってしまいました(回答を投稿していただいたお三方、ありがとうございます)、
ただし3つの回答が先に出てくることは想定の通りでして(回答が)3つだけだったという出題ミスではありません。
(=越前大野は当然カウントしません)
ということで、残り回答1件については(正解の方がいらっしゃらなければ)次回の投稿で示したいと思います。
[96354] 2018年 8月 4日(土)10:08:19ekinenpyou さん
Re:暑いぞ 江川崎・ニックネーム変更など
[96333]hmtさん

四万十川の中流域、旧幡多郡西土佐村・江川崎は 内陸の盆地で、涼しい海風が届きにくい地形のようです。
気温とは別の暑さ指数という指標では(熊谷で41.1度を記録した)7/23の14:00現在ランキング
偶然トップが江川崎でした。
指標の正確性については11地点の実測値と829地点の実況推定値とあるので、
参考程度にお考えいただければと思いますが、こうした数値が高い状態で継続する地点は
かなり蒸し暑いのかもしれません。

アメダス設置環境
上記に関してはAMeDAS探しの旅というサイト様があり、探訪記録がまとめられておりました。
気象台等も含めますと、恐らく国内では南鳥島気象観測所以外は自力で到達できるのでしょうか???

[96337]駿河の民[特急とりあたま]さん

古来よりの国名を新しいニックネームに採用されたとのこと、例えば
鉄道の駅名が改称されレトロな?国名を新たに冠したものとしては武生新→越前武生(福井県越前市)、
船小屋→筑後船小屋(福岡県筑後市)あたりをご存知の方も多いでしょう。

こうした駅は、国名を除いた部分が知名度の高い地名も多いので
所在地となっている都道府県以外で市名になっている(いた)ものも結構あります。

例えば駿河や伊豆の場合は
駿河小山→栃木県小山市、駿河徳山→山口県徳山市(現・周南市)
伊豆大川→福岡県大川市、伊豆長岡→新潟県長岡市

といった感じです、そこで上記を踏まえ簡単な謎々のようなものを考えてみます。

武生市のあった「越前」を冠した駅(改称前・廃駅など過去にあったもの含む)で
国名を除くと市名になっている(いた)ものを4つ(福井県内の市は除く)お答えください

※漢字が同じであれば読み方は異なっていても構いません、
回答例については回答者の有無に関わらず後日予定の投稿に簡単に記しますのでご安心ください。
(4つ全部答えられる方がもしいらっしゃった場合省略するかもしれませんが・・・)
[96297] 2018年 7月 14日(土)09:47:50ekinenpyou さん
Re:~寺町(後藤寺、一時埋もれた大字相当の地名)など
下記の件、他の詳しい方からも別途コメントがあるかもしれませんが当方からも補足しておきます。

[96284] 白桃さん
[96292] 伊豆之国 さん
後藤寺 ? 1907年 1943年 30,640 (1940年) 田川市
これだけはどうにも手がかりが見つけられませんでした。現在、田川市内には「後藤寺」という寺院も、また現在の町名・大字にもなく、「後藤寺町」成立以前の旧町村名にもないので、田川市のHPからも、市内を通っている平成筑豊鉄道のHPを見ても、「後藤寺」の名がどこから出てきたのか調べ切れず、「お手上げ」状態でした。

「後藤寺」という寺院まで存在していたかどうかは定かではありませんが
後藤寺町という町名の由来については比較的容易に調査可能です。

Wikipedia(田川郡)にもありますが
町村制施行約2年前の※明治20年に宮尾村・後藤寺村が合併し奈良村となり
これが町村制施行時に弓削田村(後の後藤寺町)の大字奈良になっています。
(すなわち奈良村という名称では約2年ほどしか存在しなかったということになります)

福岡県史資料. 第3輯(右上の2)ではM20.8合併、
官報雑事(M20.7.14)(右側真ん中付近)にもそれを裏付ける記述があります。
(官報雑事(M20.11.12)左上にも同趣旨の記載あり、近隣の弓削田&川宮の両村も同時期に合併と推測)

なお、鉄道の後藤寺駅は(M40.4.1後藤寺町への改称前)路線開通と同時にM29.2.5開業(右下)で
当時の所在は弓削田村(大字)奈良(左側下中ほど)でした。

また、その他参考として後藤寺町革新之実蹟(T5)より藩政村の頃の後藤寺村?に関する記述を一部抜粋要約すると
「家屋わずか十数戸」といった意味あいの記述(意味がちょっと違うかもしれませんが・・・)が
あるのでこれも実態通りだったかどうか別資料で裏付けを取ってみました。

福岡県史資料第2輯(明治11年戸数・人口)(左下)戸数34・人口207
同上(明治17年戸数・人口)(左上)戸数37・人口191
共武政表・明治十三年(下)「人口一百以上輻輳地」(右上)
地名(後藤寺村ノ内、字町)戸数26・人口142(いずれも本籍?)とあります。
(余談ですが寺院は空欄なのでもしかすると無かった???)

共武政表は恐らく同村内一部字の人口を抽出したものと推測されるので、
明治10年代の後藤寺村の人口はだいたい200人程度で横ばい状態だったのではないかと思われます。
(町村制施行後の弓削田村→後藤寺町の人口推移については[88705]白桃さんで
解説があるので説明を省略します)
[96225] 2018年 6月 22日(金)22:21:07ekinenpyou さん
Re:地図情報の更新など
少し前の話題になりますが相模鉄道(現在のJR相模線)の件など、コメントしておきます。

[96192]hmtさん
1955年発行の 76-11-4-4「資修」で処理された可能性もあるのではないか?


「資修」とあるので断言はできませんが、1931(S6)年に延伸開業した厚木~橋本の
2.5万地形図への反映時期については恐らくご推察の通りかと思われます。
今昔マップ on the web(1944~1954年)を見るとS29修正の「原町田」には相模線が描かれております。
(西隣図郭はS24資修「上溝」)

5万地形図「八王子」にはもう少し早い時期から描かれていたかもしれません。
地形図ではありませんが、S7発行・7万5千分の1地質図「八王子」で既に橋本から南下する鉄路が確認できます。
(ラスターデータの左をクリックすると拡大画像確認可能)

[96190]稚拙さん
2018年6月6日現在、以下のネット地図にはまだ三江線が掲載されております。


2018.4.1実施からまだ2ヶ月半ほど経過という時点では各地図サイトで実態反映が
完了していない部分があるのはやむを得ないのでしょう、線路ではありませんが
とある新幹線の駅付近の住所表記は例えば以下の通りでした。

地理院地図マピオン

なお駅の住所を記した事業者サイト様のページでは稀に下記のような少々懐かしい?
住所表記もまだ見られます。

静和駅の所在地・下都賀郡岩舟町大字静和2143
直江駅の現住所・島根県簸川郡斐川町大字上直江1100番地

また、[8505]まがみさん・[12723]ゆうさんにて紹介され『交通由来町名』地名コレクションにも記載されている
御所市の国鉄御所駅前通りですが、最近はJR御所駅前通りとした方が良いらしく?
最近郵便番号の住所も変更されました。
(通称地名ですから、国鉄御所駅前通りでも支障は無いかもしれませんが・・・)

参考
郵便番号変更-2018年4月(最下段の住所変更)
(旧)国鉄御所駅前通り
[95747] 2018年 5月 6日(日)12:57:09ekinenpyou さん
Re:駅名に合わせて自治体名を変えた?(静岡県の場合)
例によって長くなったので投稿を分けました。
[95739]伊豆之国さん

少々補足しますと駅開業時の読みは気賀(国有鉄道)が「きが」鉄道省告示第54号(真ん中下段)(S13.3.24官報)、
気賀(後の遠鉄)は「けが」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T4.1.12官報)
富士根も「ふじね」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T2.7.26官報)で恐らく間違いないでしょう。

鉄道停車場一覧大正6年3月31日現在「けが(Kega)」「ふじね(Fujine)」

気賀については町名読み改称と国有鉄道の駅開業時期が近いのは偶然かもしれませんが、
富士根の場合、村名が「フジネ」という読みに変わってしまったのは
駅名の影響が少なからずあったと考えても不自然ではありません。
(開業時読みが「フジモト」にならなかったのは名前のつけ間違いという説も推理通り?)

なお、[44059][87304]hmtさんなどでも少し取り上げられていますが、
郵便局の改称履歴には関連していると思われる告示があるので示しておきます。

気賀郵便局の読み改称(ケガ→キガ)
逓信省告示第2884号(右下最下段)(S12.9.21実施、同年7.8の町名読み改称に連動と推測)

富士根郵便局の読み改称(フジモト→フジネ)
郵政省告示第72号(真ん中最上段)(S26.4.1実施、この頃「フジネ」という読み方が定着してきたため改称?)

正規の読み方と地元で通っている読み方が違っていて

例えば[44059]hmtさんで触れられている南毛利「なんもうり」郵便局やしばしば過去ログに登場する
勢多郡北橘村「Hokkitu」は、恐らく告示などで示された正規の?読み方があまり馴染まなかったなどの理由から
地元で通っている読みが表記された例だと思われます。
(告示などで示された読み方で表記しなければならないというルールは無いので訂正の必要も無かった?)

参考・南毛利郵便局の読み方について、逓信省告示第752号(右下)(S3.4.1設置)では
[80315]MIさんにもあるM22県令の村名読みと同じ「ミナミモリ」でした。(その後は恐らく変化なし?)
また、北橘村はM22県令で「キタタチバナ」とあり、その影響で?設置当初は地元で通っている読み方を
参考に命名されたと思われる郵便取扱所の読み方がS12に改称されています。
北橘郵便取扱所の読み改称(ホクキツ→キタタチバナ)
逓信省告示第315号(右下付近)(S12.2.11実施)

以上のように、郵便局名の改称については単なる名前のつけ間違いなどを訂正する目的で改称したと思われる
例もあるのですが、※読み方の(極めて軽微な)変化も改称として多数告示されており、中には自治体名改称の
告示がなされたケースで未知のものが若干あるかもしれません。(実際になされたかどうかは断定できませんが)

※一例を示すと、越後上田郵便局の読み改称(ウヘダ→ウエダ)
逓信省告示第1120号(真ん中最上段)(S9.5.11実施)、現代仮名遣いやローマ字表記だと同じだが改称扱い
[95746] 2018年 5月 6日(日)12:15:10ekinenpyou さん
明治10年代の人口や名邑を示した地図類についてなど
本件は拙稿[95706]で投稿を検討していたものです、
あまり過去ログでは登場していないものを2系統に分け紹介しておきます。

その1・内務省地理局の刊行物

大日本府県分轄図(M14)
[77578]中島悟さんで少しだけ紹介あり
監修の塚本 明毅日本地誌提要の著者の一人です。
地図の符号中に「名邑」とあり、おおむね郡区役所ごとの町村・戸口数などが記載されています。

同図の前身として大日本府県管轄図(M12)もあります(記載内容は上記と類似)
参考・内務省地理局『東京実測全図』について(2コマ)

その2・陸軍参謀局の刊行物
大日本全図(M10)

都邑を人口の大小に応じて階級記号で表現した地図です、この方式に似た表現は
M12に参謀本部で作成された軍管図でも継承されています。

参考・明治12年の郡別経済地図作成について(9コマ)
※人口データはPDF10コマ(右下)にもあるように戸長役場や郡役所で所持していた
資料を元にしているようです。(冊子としては共武政表に一部データが掲載)

なお、拙稿からのリンクで示したものはいずれも少し見づらい点がありますが、
M12作成の軍管図以外は国立公文書館でカラー高精細画像も入手できるようです。
(地図名でネット検索すると許諾を取って一部画像転載されているものがいくつかありました)

[95743]白桃さん、[95744]hmtさん

お問い合わせの件、グリグリさんも類似の回答を示すと思いますが
まず東茨城郡大貫村は廃置分合を行っていません→県令甲第十二号(左端)

また同郡常磐村はM22.3.31廃止→新設ではないという解釈で記載を省略したということなのだと思います。
つまり、常磐村(微)はあっても(本)は明記されておりません。
(これでよいかは議論の余地あり、詳細欄に記載しておくなどすれば尚良い?)

以下、似たような例
千葉県望陀郡神納村
町村制施行時の領域は厳密には神納村(曽根村・高柳村への飛地を除く)です。
神納村(微)は中郷村巖根村の変更対象自治体名/変更内容には明記されています。

参考・新旧対照市町村一覧の東茨城郡および望陀郡(両村とも旧町村名明記なし)
[95737] 2018年 4月 30日(月)23:07:00ekinenpyou さん
Re:変遷情報関連の課題についてなど
例によって少し長いのですが連日投稿にて失礼します、
過去ログを読んでのコメントをいくつか付け足しておきます。

[95721]グリグリさん
私は、市制町村制施行前の町村にまで分割の概念を適用する必要はないと考えています。例えば、北海道の岩見沢村が1900(M33).7.1に村制施行した際には、それまでの行政村である岩見沢村の一部が対象になっています。残りについては岩見沢村から分離し行政村の北村として存続し、北村は1919(T8).4.1に北村として村制施行しています。この流れで前者を「分割/村制」とするのは少し違和感があります(町村制施行後であれば「分立」に相当します)。

本件は[79349]むっくんさんでM33北海道庁告示第207号へのリンクが示されており、
告示内容(下部の真ん中付近)から岩見沢村の廃止は伴っていないと思われますので、
分割にはあたらず分立という認識は当方も同じです。

[95715]グリグリさん
なお、紹介記事では「市レベルでも東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ全国第5位の大都市」と書かれており、金沢が名古屋を上回っていた時期もあったと思うのですが、私の記憶違いかもしれません。
こちらは[67091]YTさんで詳細な解説がなされていました。

現在の国勢調査データのように領域を正規化した視点からの人口変遷

1873(M6)年の府県別人口(T9.10.1境域組替)データが一応存在するので
2017(H29)年との対比もかねて下記に人口密度・順位も併記して示します。
(統計手法などが異なるため単純に比較するのは本来適切ではありません、ご注意ください)

都道府県H29人口順位人口密度順位M6人口(組替)順位人口密度順位
北海道5,320,523867.8547122,684471.3947
青森県1,278,45031132.5441437,0714145.3845
岩手県1,254,8073282.1546556,1863436.5146
宮城県2,322,02414318.8619575,2253078.9436
秋田県995,3803885.5345580,2862949.4943
山形県1,101,45235118.1442640,3222568.8140
福島県1,882,66621136.5840726,6552152.7342
再掲小計(北海道・東北)14,155,30297.383,638,42923.41
茨城県2,896,67511475.0812825,75816135.3721
栃木県1,961,96318306.1722510,4543979.1635
群馬県1,958,40919307.8221526,9323783.4433
埼玉県7,307,57951,924.194862,86013226.866
千葉県6,255,87661,212.9461,034,7366203.748
東京都(府)13,742,90616,263.9711,086,7185507.242
神奈川県9,161,13923,791.603533,54135226.885
再掲小計(関東)43,284,5471,334.585,380,999166.90
新潟県2,266,12115180.08341,444,5551114.8427
富山県1,055,89337248.5925621,36227145.9514
石川県1,147,44734274.1123666,75024158.8412
福井県778,32943185.7431528,68436131.5823
山梨県823,58042184.4432363,4004381.5834
長野県2,076,01716153.0838925,6711168.2841
岐阜県2,010,69817189.3130763,1382072.9438
静岡県3,673,40110472.3213900,25512115.8626
愛知県7,526,91141,455.0651,215,9133240.534
再掲小計(中部)21,358,397319.707,429,728111.98
三重県1,798,88622311.5320780,97418136.9617
滋賀県1,412,95626351.7115574,01331141.7016
京都府2,599,31313563.5710787,07117172.6610
大阪府8,831,64234,635.6921,008,4158556.021
兵庫県5,502,9877655.0481,310,5052155.5113
奈良県1,348,25730365.2914422,71842113.3328
和歌山県944,32040199.8729558,64333118.0425
再掲小計(近畿)22,438,361677.375,442,339164.84
鳥取県565,23347161.1737356,34245102.1230
島根県684,66846102.0643630,4372695.2631
岡山県1,908,44720268.2524950,64010135.4420
広島県2,830,06912333.75171,131,1394134.0822
山口県1,381,58427226.0228829,62014136.4019
徳島県743,35644179.2635589,02328142.4415
香川県967,64039515.5911565,16032306.253
愛媛県1,363,90728240.2826780,23419136.9118
高知県713,46545100.4344526,1603874.2337
再掲小計(中国・四国)11,158,369219.986,358,755126.13
福岡県5,110,33891,024.8371,028,1557208.137
佐賀県823,62041337.4616479,34640196.169
長崎県1,353,55029327.6718667,19923162.0911
熊本県1,765,51823238.2827951,4609127.9224
大分県1,151,85333181.6633684,82622110.0129
宮崎県1,088,13636140.6739359,5214446.4644
鹿児島県1,624,80124176.8636826,7881591.0432
沖縄県1,443,80225632.979166,7894669.8739
再掲小計(九州・沖縄)14,361,618322.655,164,084116.39

H29人口&人口密度の出典は【都道府県】人口・面積・人口密度ランキングです。
(したがって北海道の面積には北方地域5,003.05km2が含まれていません)

M6人口(組替)は過去の都道府県の人口一覧(Wikipedia)
1920(大正9)年10月1日の庁府県境域による庁府県別人口・M6.1.1現住人口(甲種)を活用させていただきました。
※沖縄県の人口については実態とは恐らく倍近く差があるのですが、そのまま掲載しております(参考[72124]YTさん)

また、M6人口(組替)の人口密度については
1920年(大正9年)の国勢調査の際に陸軍省参謀本部陸地測量部によって公表された都道府県別面積(Wikipedia)
用いて計算しています。このため北海道については北方地域に加えて得撫・新知・占守郡の5,319.61km2も含まれます。(参考[67073]hmtさん)

上記面積についてはM6当時の実態値とは当然ながら異なりますが、
[87405]hmtさんにもありますように信頼に足るデータが示されるようになったのが
国勢調査記述編大正9年の府県別面積(前述出典はこの面積データ)あたりからになっておりますので
止むを得ずこのような対応とさせていただきました。

なお面積データについては明治期初頭から一応統計などに示されているのですが
その取扱いについては注意を要する点が多々あります、
詳細は国土の面積(hmtマガジン)にておおむね解説されている通りですが、
必要があれば別途補足させていただくかもしれません。
[95733] 2018年 4月 29日(日)22:34:05ekinenpyou さん
Re:変遷情報の変更種別についてなど
[95731]グリグリさんで
「新設」の法的意味に基づく見直しが必要というご意見など、私も掘り下げてみたいところでしたので、変更種別についてはこの際、徹底的に整理してみたいと思います。


とありますので、当方からも少し長くなりますが補足コメントしておきます。
(分割の定義見直し提案に関する内容も含む)

まず廃置分合とは?というPDFでは(廃置分合を)4形態「分割」「分立」「合体」「編入」に分類しています。

なお
「廃置分合」は、地方公共団体の法人格の発生、消滅を伴った市町村の区域の変更
ともありますので、[95729]むっくんさんで挙げられている
新設:一の市町村を廃止しその区域をもって新たな一の市町村を置く、もしくは新たに一の自治体を置く
も該当するものと思われます(「合体」とは定義が異なり別のものです)

[95732]むっくんさんなどにもある通り地方自治法施行後は
新たに一の自治体を置く
のみに限られており該当例が極稀なため?PDFでは明記されていません、
また旧法でも「一の市町村を廃止 → 一の町村を置く」という実例は皆無だったと思われますので

新設:一の町村を廃止しその区域をもって新たな一の市を置く、もしくは新たに一の自治体を置く
などと定義してもそれほど支障は無いように思われます。

また、法人格が新たに生じたところですが恐らく鹿児島県大島郡十島村も該当し
静岡県敷知郡三方原村M22.3.1付で三方原から三方原村へ改称と思われる県令がある一方で

三方原に村名を付したのが明治十三年

とする資料もあるので(県令の内容が正しかったかどうかなどは)議論の余地があるかもしれません。
出典・浜松市史静岡県浜名郡誌. 上巻
地方行政区画便覧(M19.1現在)では1村として計上(真ん中付近)

次にPDFで「分割」の定義を見てみると、[95730]むっくんさん(1)分割で示されている3例のうち
(a)A町を廃して大字Bを以てB町を置き、大字Cを以てC町を置く。
上記のみが定義と完全一致していることがわかります、市区町村変遷情報 変遷種別での定義も同様に
分割 ある市町村を廃止し、その区域を分けて二以上の市町村を置くこと

ですから

○分合村及村役場位置変更
新潟県北魚沼郡高根村を廃し大字横根を入広瀬村へ合併し大字高倉を以て更に高倉(たかくら)村を新設せり此段公告す
明治二十六年四月 新潟県

上記のような例は(新設村が一つのみとの解釈で)「分割」を使わず
1893(M26).4.7 分立 北魚沼郡 高倉村 北魚沼郡 高根村の一部(大字高倉)
1893(M26).4.7 編入 北魚沼郡 入広瀬村 北魚沼郡 入広瀬村, 高根村の一部(大字横根)
と表現することになったのではないかと思われます。

以下余談
上記の他「合併」という表現で「合体(新設)」「編入」の判断に迷うケースもあると思うので、
ある程度の種別相違は(調査が不可能であれば)やむを得ない(許容範囲)とも考えます。
例:八戸町と長者村の合併
○町村合併
三戸郡八戸町に同郡長者村を合併し来る四月一日より施行す
明治三十四年三月 青森県
「合体(新設)」としているが「編入」だった可能性もゼロではない?
[95727] 2018年 4月 27日(金)22:53:37ekinenpyou さん
Re:読み仮名を変えた市町村
[95707]MIさん

リストにあるものは市区町村変遷情報にも収録されていますが、
広島県佐伯郡佐伯町の「さえきちょう」から「さいきちょう」への改称が示されていたので
ついでに別の疑わしい類似例を一件示しておきます。

Wikipediaの佐伯市(近現代の沿革)
大正5.7に佐伯町が読みを「さえき」から「さいき」へ変更(出典「佐伯市史」)とあります。

また、引佐郡気賀町の「けがちょう」から「きがちょう」への改称(S12.7.8)について、
静岡県市町村の変遷(ページ中ほどのPDF:3,570KB)の廃置分合一覧(9コマ)では記載が無く、
(同PDF64コマに一応改称の旨、書かれていますが)県告示番号は不明です。

上記のように読みを改称したものは資料によって詳細が省かれるケースがあるので注意を要します、
例えばWikipediaの富士郡富士根村(ふじねむら)は同PDF30コマで実は「フジネ」ではなく
「フジモト」村と記載されています、参考として年代ごと資料での読みをいくつか示しておきます。

静岡県自治区便覧 : 一名・新市町村区域名称及戸長役場位置改正表(M22.3) → フジ子(ネ)
新旧対照市町村一覧一五版(M28) → ふじもと(左記はいわゆる難読の類でありM22.3のフジ子(ネ)は誤りだった?)
現行静岡県令規全集第1綴(M45) → フジモト(町は村の誤り)
市町村大字読方名彙(T14) → フジモト
日本地名大辞典第1巻(S12~13) → Huzimoto・同左第6巻 → フジモト
全國市町村便攬(S24) → フジモト
都道府県郡市区町村別人口-昭和25年(国勢調査)(ページ下部、22静岡県~27大阪府のPDF) → Fujine

告示されずひっそりと変わったとか(それで良かったのかどうかは?ですが)、
実は読み方が変わっていないのが事実という可能性もありますが、
(読み改称が)告示されていれば収録漏れとなります。

こうした読み方がいつの間にか変わった(定まらない?)ものは
[80314]hmtさん・[80315]MIさんなどでも挙げられていますが
他にもそれなりに存在していますので、ログに残す必要がもしあれば今後も投稿したいと思います。
[95706] 2018年 4月 21日(土)22:34:01【1】ekinenpyou さん
Re:明治19年末の都市人口について
少し長くなったので投稿を分けます。

[95699][95701]YTさん
見ごたえのある分析投稿ありがとうございます、このうち福岡区(福岡・博多)の現住人口ですが
当方の個人的な見解(推測など)を述べておきます。
まず、[95699]YTさんで示された資料二点

資料1・日本帝国民籍戸口表M19.12.31調各地方庁及各郡区役所管内戸口表(1-a)
各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例(1-b)、各地方一万人以上市街戸口表(1-c)
資料2・市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第一乙表)

上記に加えて
資料3・福岡県統計書M19の裁判区画(現住戸数・人口)(3-a)、郡区の戸数再掲市街(3-b)
資料4・福岡市誌(現住戸数・人員)

以上の資料群におけるM19.12.31調の現住人口や戸数などを下記に示します。
()内は資料の略号で、明らかな誤記や簡単な計算で訂正・補完できる部分などで若干変更した箇所あり。

資料公称町村数現住人口現住戸数戸数1あたり
略号1福岡区(計)2福岡3博多1福岡区(計)2福岡3博多1福岡区2福岡3博多
1-a48,4868,3905.78
1-b15545,298
1-c42,6178,3905.08
15542,61719,66322,9548,3903,8264,5645.085.145.03
3-a15548,9908,3905.84
3-b48,99221,73627,2568,3903,8264,5645.845.685.97
48,9908,3903,8264,5645.84

戸数の示されているものは全て8,390とあるので恐らく同じ戸籍表を原典として使っているような気もしますが、
現住人口は異なっており計算過程で(人口出入表の記載事項をどう解釈するかなどで?)相違があったようです。
(特定のエリア人口が欠落した可能性もあり市制施行後ほどない町村別人口も見てみたのですが、はっきりとした原因は
良くわかりませんでした。)

なお、現住人口については資料(1-b)を除くと4万人台前半・後半に大別されますが
資料4の時系列推移を見ると何となくどちらの信憑性が高いか想像がつきそうです。
(4万人台前半だとM18~20の間で少々違和感あり)

※本稿では細かく触れていませんが福岡市誌には本籍人口なども掲載されておりますので
必要に応じて参照してください。
明治前半の都邑・人口などについては、もう少し補足したいので後日別内容を投稿するかもしれません・・・
【表のレイアウトなどを微修正しました(4/22)】
[95705] 2018年 4月 21日(土)21:41:14ekinenpyou さん
Re:市制・町村制施行前の都邑人口ランキング(その7)など
[95692]MIさん

度々のフォローありがとうございます、都道府県の過去の告示を全て把握するのは困難でして、
例えば読み仮名を変えただけのものなどは官報に掲載されていないものも多いと思うので
未知の事実がまだ隠されていそうですね。

素朴な疑問ですが「山本郡森岳村」は本当に藩政村の頃から一貫して「森岳」という表記だったのでしょうか?
以下のような資料もあるのですが・・・
秋田県学事年報(M19年)(左側十三秋田県達132号)
地方行政区画便覧(右側)
郵便区画町村便覧M25.4現在
大日本地名辞書

[95694]白桃さん
「記載なし」に何らかの意図が感じられるところもありますが、四日市、豊橋などは、単なる「記載モレ」のような気がします。


同感です、統計年鑑の人口千人以上の都邑数では現住人口一万人以上の市街の表に「記載なし」の都邑も
人口一万人以上として把握されているようなのですが、恐らく市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第一乙表)に倣って
「市街ノ体裁ヲナシタル名邑」だが「市街」とは異なるという解釈にしているのでしょうか。

また、「市街」の定義は当然ながら資料によって様々で各人見解の相違も生じやすかったと思われます、
例えば内務省令第3号戸籍表改正(M19.5.6)の左上で市街は「現住人口一万人以上の地」という記載があり、
秋田県統計書(M19)(左側)では「再掲の市街は名称の如何を問わず人口五千以上群居の地」とあります。
人口再掲もその基準に倣っています)

※統計年鑑の現住人口一万人以上の市街の表
[95699]YTさんで資料2として示された各地方一万人以上市街戸口表から
金石(9,110人)を除外したものになっています。
[95691] 2018年 4月 16日(月)21:23:22ekinenpyou さん
Re:変遷情報更新関連など
[95674]白桃さん

拙稿[95661]タイトルに関するご指摘の件は全くもってその通りであり例として下のように記すべきでした、
申し訳ございません。
市制・町村制施行以前(M21年以前)の市街(都邑)人口


なお「市制・町村制施行前の都邑人口ランキング」一連投稿の初回([95536]白桃さん)冒頭で
名称 現住人口 --- 市制・町村制施行後の自治体名変遷
仙台 91,709 仙台市
としていますが、現住戸数は14,093で1戸あたりの現住人口が人口1万人以上の市街としてはかなり大きな値に
なりますので、(現住人口か戸数のいずれかに)不自然なデータが記載されている点が疑われます。
拙稿[95661]からのリンク先資料の他、帝国第七統計年鑑にもデータが示されておりますので、
それらも踏まえて数値が妥当かどうかの考察が加わるとデータの資料価値や説得力がより高まるかと思います。

[95673]MIさん、[95675]むっくんさん
フォロー&回答ありがとうございます、大変参考になりました。
地方自治法施行以降で、S27.8.31までに改称が為されたものは、官報に掲載されていません。
そのようですね、例えば1923(T12).4.1新設の新冠郡 新冠村告示(左下)は二級町村制施行地指定を
周知するための単なる事実告知で、法的根拠として村名改称などの道告示が存在していたのでしょう。
国勢調査報告(T14)(左下)には告示で把握できない(高江村)→新冠村も記載されています。

[95676]グリグリさん
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【岡山県】では日付が1948(S23).11.__のまま
上記の修正確認しました、ご対応ありがとうございます。
変更自治体名欄への経過名追記の件についてはほぼメンバーの方で把握している限りの情報が示されており、
あとはグリグリさんのご判断で方針を決めていただく、ということになりそうですね。

[95663]MIさんで示された一覧はとりわけ資料価値が高いと思いますので、
市区町村変遷情報への反映可否に関わらず何らかの形で有効活用されることを期待したいと思います。

また、[95666]の分割定義見直しについて当方からは特段意見は無いのですがあえて申し上げますと、
新設、編入において、市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法として、「~の一部」の表記ではなく、「(本)・(微)」の表記を使っている場合があります。

上記を分割とする場合(とりわけ市制町村制施行の際の廃置分合で)対象数が膨大になるので、作業負荷がかなり
大きくなりそうなので少々心配です、無理のない範囲で方針を決めて作業を進めていただければと思います。
[95669] 2018年 4月 9日(月)22:32:02ekinenpyou さん
廃置分合の当日のみ存在した自治体名について、など
度々連日の投稿になりますが、[95665]グリグリさんで
私の考え方はこれまでも繰り返し表明していますが、一部の確定ができない(=全部を統一できない)という理由で、貴重なデータを放棄したり全部を諦めるというのは間違っていると考えてます。不明な部分は「不明」とすることも重要です(不明も情報です)。その上で、少しずつ情報の精度を上げていくというアプローチが大事だと考えています。


ということですので、今後は当方からもできる限り関連情報などを書き込んでログに残しておきたいと思います。
タイトルの件についての一覧はおおむね[95663]MIさんで示されていますが、
ついでに官報告示・掲載が無かったと思われるものなどを参考として挙げておきます。

1.1947(S22).10.15 町制/改称 肝属郡 吾平町 肝属郡 姶良村
官報告示・掲載なし?国勢調査報告は姶良村→吾平町、(吾平村)についての明記典拠を示す必要あり?

2.1952(S27).6.1 町制/改称 安芸郡 倉橋町 安芸郡 倉橋島村
官報で村を町とする処分(広島県安芸郡倉橋島村を倉橋町とする)と告示されたが
国勢調査報告は詳細欄(経過等)の通り倉橋島村→(倉橋島町)→倉橋町

3.1962(S37).1.1 改称/町制 安芸郡 下蒲刈町 安芸郡 下蒲刈島村
官報で村の名称変更(安芸郡下蒲刈島村を下蒲刈村)村を町とする処分(安芸郡下蒲刈村を下蒲刈町)と告示
国勢調査報告も詳細欄(経過等)の通り下蒲刈島村→(下蒲刈村)→下蒲刈町

4.1948(S23).10.20 町制 和気郡 英保町 和気郡 英保村1948(S23).11.1 改称 和気郡 吉永町 和気郡 英保町
リンク先関連記事集にもある通り国勢調査報告の町制即日改称と備前市例規にある10.20町制→11.1改称で相違あり、
英保町→吉永町は官報告示・掲載なし?(岡山県告示がわかれば)明記典拠として示すべき?

[95664]グリグリさんにて改称日設定の対応が行われていますが
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【岡山県】では日付が1948(S23).11.__のまま

5.1951(S26).4.1 町制 栗原郡 藤里町 栗原郡 藤里村1951(S26).4.2 改称 栗原郡 瀬峰町 栗原郡 藤里町
実施から1年ほど経って村を町とする処分(宮城県栗原郡藤里町)と告示(真ん中付近の84号)、藤里町→瀬峰町の改称は
官報告示・掲載なし?国勢調査報告ではS26.4.1同日改称で藤里村→(藤里町)→瀬峰町としている。

以上のような感じですが、まだ漏れ・抜けなどあると思いますので必要に応じて(足りない分などを)
補足・追記していただければと思います。

[95666]グリグリさん
おっしゃることはだいたい理解できました、要は廃止された自治体の領域が複数に分かれた場合に
分割という表記に揃えたいということでよろしいですか?

1893(M26).4.7 分立 北魚沼郡 高倉村 北魚沼郡 高根村の一部→(分立を分割に)
1893(M26).4.7 編入 北魚沼郡 入広瀬村 北魚沼郡 入広瀬村, 高根村の一部→(編入を分割/編入に)

[95667]山野さん
「植木村」は、何時から「入間郡」になったんですか?
鋭いご指摘です、自治体名が空欄なので郡変更の履歴は検索結果から漏れていますが
[90582]でその理由が書かれています、現状の仕様とのことです。
[95661] 2018年 4月 8日(日)09:01:10ekinenpyou さん
市制・町村制施行(M21年)以前の市街(都邑)人口
連日の投稿にて失礼します。

M19.12.31調の人口は※市街名邑及町村二百戸以上戸口表に詳しく掲載されていますが、
これ以降の現住人口一万人以上の一部市街人口推移も日本帝国人口静態統計(M41.12.31調)に記載されています。

※一応巻末に正誤表がありますが、これ以外にも活字のミスがある模様(表合計値が無いようなので検算不可)、
また[67796]YTさんで
明治21年以前の統計を見て困るのは、どこからどこまでが単一の都市とみなされるのかでしょう。

とある通り、念の為当該データを人口数として示す際には(可能な範囲で)
後年のデータと比較確認した方が良いかもしれません。

なお上記の他、M10年代の市街人口は文部省年報にも掲載されていますが
[81192]YTさんで
これらが本籍人口なのか、現住人口なのか、あるいは年始/年末調のいずれかなのか、等々、色々データに問題があるので、公式の人口データとみなしていいのか微妙な状況です。せめて一言どこかに人口データの典拠や方法論についての言及があればいいのすが・・・

以上のような疑問が記されておりますので、少し長くなりますがどのような性格のデータかについて
補足しておきます。(人口推移は[81875][81876]YTさんで既に示されています、過去ログでは[81883]YTさんが
関連投稿としては最後?)

レファ協に明治14年の1月以降の明治14年の都道府県人口統計が見たい。という質疑応答があり、
リンク先のPDF(明治期を中心にみた日本の人口統計資料について・7コマ最下部以降)で
推論が示されていました、その通りかどうか当時の別資料でも調べてみます。

第三大学区滋賀県第五年報. 明治10年
左端に学齢人口に関する解説が記されています、断言はできませんがM10から似通ったルールだったと思われます。
(出入寄留者をどう差引しているとかまではわかりませんが、
三重県学事表簿取調心得註釈(M19)の左端から次ページにも詳しい記述あり)

また、文部省年報での都邑人口掲載は明治18年までですがこれ以降も
地方レベルの統計では人口数が記載されているものがあります。

参考・※三重県学事年報明治21年度明治22年度
(市制・町村制施行前後で右側表の内容が変化しているがおおむね同じ)

※同年報明治19年のデータ内務省の統計で示された現住人口とは一致せず別のものらしい
帝国第五統計年鑑(M17)にも同様の表があり、表の末尾に学区区割の変遷により都邑人口が増加した
箇所がある旨記載あり。(市街境域は文部省独自解釈?)

以上のように、こちらも一貫性が保たれていないと思われる箇所があるので、
(とりわけ明治21年以前については)人口推移の実態把握は困難だと感じております。
[95659] 2018年 4月 7日(土)12:07:53ekinenpyou さん
Re:変更自治体名欄への経過名追記についてなど
[95649]グリグリさん
瞬間の市

上記の類似例は官報に国レベルで告示された範囲内であれば抽出が比較的容易であることは確かです、
しかし[81869]むっくんさん(6)で示されている佐野町→(佐野市)→泉佐野市などのように
国レベルの告示で確認が不可能なものもあります。

境界変更掲載基準の際にも議論になりましたが、厳密に全てを網羅するのは不可能に近いので考え方によっては
全国的な、明治期に至るまでの統一的な基準による資料収集の見込みはおそらくない

ということになるかもしれません・・・もっとも境界変更とは性質の異なるものなので、[95638]で提案されている
官報に国レベルで告示され(呉町のように)明記された場合に限り(当日のみ存在した)自治体名として
認めるという考え方もありますので、他の方のご意見なども総合して方針を決定していただければと思います。

[95656]うっかりじゅうべえさん
当方の疑問に対し、丁寧な回答ありがとうございました。
今でいう「境界変更」に該当するものだったようです。

おっしゃる通りです、告示は市の境界変更(小倉市の一部を八幡市に編入)
市区町村変遷情報では恐らく境界変更(非表示)になります。

また[95609]下記ご対応ですが履歴などが把握できるので非常に優れた案だと思います。
過去にお寄せいただいた情報の中で、住居表示等の実施により、
現在は地図上確認できなくなっているデータが何件か存在しています。
消してしまうのはもったいないと思い、参考情報として最下部に移動させていただくことにしました。


例えば[86792]倉田昆布さんで報告のあった
■宮城県

宮内 みやうち 多賀城市宮内/仙台市宮城野区宮内 1丁目を市境が分断
町前,☆,☆,☆ まちまえ 多賀城市町前/仙台市宮城野区町前 1丁目を市境が分断
中野,☆,☆,☆ なかの 仙台市宮城野区中野/多賀城市中野


上記3か所は2013年7月1日の境界変更によるもの。

仙台市宮城野区町前一丁目・宮内一丁目などかなり短期間だけ存在したものもあるようですね、
一応関連する条例の改正や告示などを一部示します。
参考
仙台市条例第二十七号(H25.7.1施行)(町前一丁目・宮内一丁目成立)

仙台市条例第五十五号(H26.11.1施行)(同消滅)

仙台市告示第438号(H26.10.16)仙台市告示第461号(H26.11.1実施)
[95625] 2018年 3月 31日(土)21:52:23ekinenpyou さん
境界変更の分類についてなど
大字領域の解釈や変遷については北海道も特殊ですが、藩政村から大字へ変わった地域でも伝統を軽視した?結果
(大字自体が)消滅したり、領域が形骸化してしまう点については皆様ご存知の通りです。

上記の端的な一例はメンバー千本桜さんのホームページ(地理と地域)
大河原町の住所と大字の考察で詳しい解説がなされております。

境界変更の分類については議論が尽きないと思いますので、大まかに掲載・非掲載を分けてデータを
作成しておくという案で取りあえず良いのではないかと思います。
(できる限りデータ化しておきたいということですが、例えば[93900]むっくんさんの
大阪市の区設置に関するご意見も将来的には漏らさず忠実にデータ化するという認識で良いのでしょうか?)

別件で、[94787]むっくんさんの「若年首長の判明率想定(都道府県別)」などを拝見して、
類似の調査?をされている方がいらっしゃるようでレファ協に下記のような質疑応答がありました。

過去に行われた市町村長選挙の日付全てを調べたい
昭和40-50年代の地方選挙の候補者名・年齢などを調べたい

都道府県の「年鑑」「議会史」などで判明しなかった分を「選挙の記録」などで調べるという方法については
[94695]むっくんさん・[92936]Nさんなどで示されているので、ネットで見られるものはかなり広範囲に確認が
終えていると思いますが、紙ベースの資料にまで調査対象を広げるのは大変そうですね。
(当選者の氏名&年齢だけでも全国規模でわかるものがあれば良いですが期待は薄いかも・・・)

以下、少し長い余談

[95609]うっかりじゅうべえさんの
現:北九州市小倉南区大字田代・八幡東区大字田代について、素朴な疑問を1点

藩政村の頃、筑前国遠賀郡大蔵村(字?田代)は豊前国企救郡田代村と
別の地域であったという点はおっしゃる通りかもしれないのですが、
企救郡田代村の町村制施行以降の沿革を一部要約すると

M22.4.1企救郡西谷村大字?田代→S16.4.1小倉市→S29.4.1田代の一部を八幡に分割(以下略)

以上の通りで、この例はルールにもありますが
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
ということにもなるのではないかと思われるのですが、いかがでしょう?
(八幡市側に編入された場所の地名が田代だったかは未確認ですが)

参考・企救郡誌(S6)の町村大字略誌名所旧跡(西谷村)大日本郡分地図(福岡県)
S29.4.1の部分編入前は小倉(右中ほど)八幡(右下隅)双方の市に田代があったらしい。
(恐らく小倉は大字田代・右上だったと思いますが、八幡は大字大蔵字田代・左下)
[95621] 2018年 3月 30日(金)21:18:22ekinenpyou さん
可住地面積・メンバー紹介記事お礼について
しばしば過去ログにも登場している可住地面積について
e-Statの大幅リニューアルでサイトが重くなった?とかいう愚痴はともかくとして
こちらから市区町村別データ(Excel)をダウンロードできます。

こちらで任意の市区町村を選択し、次に表示項目選択のデータ種別で指標データを選ぶと
可住地面積1km2当たり人口密度も簡単に見られる。

データの中からごく一部を抜粋してみます(左が総面積で右が可住地面積)
静岡市葵区 1,073.76→145.37・浜松市天竜区 943.84→90.44・札幌市南区 657.48→113.48

上記のようなケースでは当然ながら人口密度が大幅に上昇し
同一市内の区ごとの比較などに参考として役立つことでしょう。
(住もうと思えば、林野にも住めないこともないという考えはとりあえずさておき)

しかしながら、ルール上は林野・湖沼に分類されなければ可住地ということになりますから、
そのまま人口密度を計算すると稀に他の区域との比較に適さないケースもあります(以下のような例)
北九州市戸畑区 16.61→16.05

その理由については過去ログに鋭い考察がなされた書込みがありますので、一部を再掲させていただきます。

[88737]かぱぷうさん
戸畑区の人口は現在5万8千人と大きく減らしましが、それでも面積が16.61km2と狭いので3537人/km2の人口密度を有します。そして、その狭い区面積の半分近くは製鉄所の敷地が占めているのでその分を除くと7000人/km2近い人口密度を有することとなるのです。


こうした市域で人口密度比較などを行う際には注意を要します。
(迂闊にデータの取り扱いを誤れば、地域に詳しい識者の方には地域のことをよく理解していない旨お見通し)

以上、少し遅れましたが、かぱぷうさんへの当方メンバー紹介文の
お礼もかねて投稿させていただきます、年度末のお忙しい中ご対応ありがとうございました。
初心者の方にとっては何だか古臭くてとっつきにくい・詳しい方にとっては既知の内容ばかりと
イマイチな投稿が目立ちますが、その点はご容赦ください。
[95606] 2018年 3月 26日(月)22:11:36ekinenpyou さん
Re:松蔭神社(←ココにも誤字があります。)など
[95599]伊豆之国さん

当方の簡単なクイズ?にお付き合いいただきありがとうございます、
タイトルもさることながら見事な模範回答です。(確かに佐賀県にも・・・)
答については皆様おわかりだと思うので今回は省略としてクイズを終了します。
(万一わからないという方はコメントいただければ対応しますが)

話がかなり飛びますが、上記だけですと少々書込みの資料価値が乏しいので1件小ネタを追記しておきます、
色丹島(北方領土)の読みですが古くから「シコタン」ということでよろしいようです。

色丹はアイヌ語で「大ナル」「最モ良キ」「真ノ」村または場所の意味
古くは志古丹・支古丹とも書かれた(訛りで「シセコタン」島としている資料もあるらしい)
一方で斜古丹「シャコタン」は島北東部の地名(同名の集落や近隣に斜古丹崎・斜古丹山などがある)で
これが島(近隣小島含む)の村名になりS8.10.1に色丹村へ改称(左側上部の村名変更)

参考・色丹村勢一斑 昭和12年版 (画像2枚目島内全図、3枚目右端沿革)
大日本地名辞書 続編(色丹、左下から次ページへ続く、同書のM19千島国ヘ編入はM18の誤記と思われる)
太政官布告 第1号根室県下「シコタン」島千島国ヘ編入

※Wikipediaにおける下記箇所は事実かどうか少々疑問
色丹島
古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。
島の名称で「斜古丹」は疑問

色丹村
M17.7.11から斜古丹村が存在していたように記述されているが成立はM20.5.23と思われる
(M18.1.6色丹郡成立の段階でもまだ村ではない)
北海道庁布令全書. 明治20年1-6月(左端)・M20.6.7官報(雑事欄)(左上の新村設置)
[95597] 2018年 3月 25日(日)17:46:52ekinenpyou さん
地名などの誤記誤植について
特急マガジン5期5色(誤記誤植)のお話を読んだついでに
正誤字新辞典(S5)という辞典を元ネタとして1件投稿しておきます。

※当然ながら文言で古いものがありますが、中高生以上の方はある程度理解できると推測
誤用とされている例でも現在は定着しているものもあり(例・慣用読みなど)、
年代による(判断)基準の違いとか共通点が見られる部分などをご覧になっていただければ一興

その1・PCなどの普及で(近年は)あまり見られなくなった誤記
飛騨国(弾ではない)新潟県(瀉ではない)

飛弾さんという名字の方はそれなりにいらっしゃるらしい(出典名字由来net)

その2・誤記だった可能性があるが現在では正誤の判断が難しいもの
鍛冶と鍜治
本来は上記の組み合わせだったようだが、双方とも良く似て紛らわしい字だった影響か
「鍛治」という地名表記もそれなりに見られる。

参考・鍛治町(Wikipedia)

※文字が見づらい方は適宜漢字拡大表示ツールなどを活用してみてください。

以下余談(簡単すぎるクイズなので答えなくても全く問題なし)
実は拙稿[95491]で示した都内地形図の説明ページにも誤記が含まれていましたが、それはどの部分でしょうか?
一応ヒントを記しておきます。
「誤記の方は漢字単独で市名になる」
[95590] 2018年 3月 24日(土)14:44:41ekinenpyou さん
Re:槐戸・市区町村変遷情報の境界変更について
[95579]グリグリさん
お忙しい所、拙稿[95569]の掲載対応ありがとうございました。
(現地名が具体的に示せなかったので参考程度という意味あいで投稿しましたが、十分満足のゆく内容だと思います)

[95577]むっくんさん・[95583]グリグリさん
回答ありがとうございます、収録基準ついての説明(見解)についてはおおむね理解できました。

以下、少し長くなりますが当方の所感などを述べます。
境界変更についてはある程度(規模の大小などによって)分類され、
それを選択表示させることができれば閲覧者にとっても有益なのですが
(2) 境界変更(大)まで 実質的に「藩政村」の変遷を記載

上記を満たしているか分類(判別)する過程において少々手間がかかるケースがあり、
各人により見解(解釈)が異なる可能性もあると感じております、
具体例として[93775][93776]むっくんさんの投稿から2件を選んで例に示します。

1.新潟県
# 1921(T10).11.20 境界変更 南蒲原郡三条町 南蒲原郡 三条町, 大島村の一部(大字島田)

上記が抜けているというご意見について
大島村(※大字島田)は既存7大字とは少々異なるもの(新設大字?)である可能性があり
これを実質的に「藩政村」の変遷と解釈してよいのかどうかについては
各人により見解が異なる可能性があると考えます。
※後年の地形図だと川の対岸、三条町側に「島田」とあるのでその付近?

参考
新潟県市町村名全書. 明治42年12月改正(右端の大島村)・南蒲原郡史(T4)(右ページ中ほど大島村)
南蒲原郡全図(M29.5)(左上付近)・5万地形図(三条・S6修正)(スタンフォード大学サイト内、地図右上)

2.北海道
#67 1916(T5).4.1 新設/町制 常呂郡野付牛町 常呂郡野付牛村, 「常呂村の一部」
「」の箇所は境界変更により編入されており、かつ大字単位ではないので掲載除外すべきであるというご意見について

町制同日の境界変更は常呂村大字少牛村・手師学村の各々一部を編入したもので、
編入前後の地図を比較すると、編入後は町の北東部で境界が大きく拡張しているように思われる。
(常呂村大字太茶苗村のあたりに達している)
実態として※大字少牛村の領域の大半は野付牛に編入された可能性があり、
これを概ね大字単位の境界変更ではないと解釈してよいかについても判断が分かれる可能性があると考えます。

※常呂村に残った大字少牛村についてはかなり領域が狭かった可能性があり、翌月T5.5に早くも廃止されている模様(大字手師学村は残った)

参考
野付牛町勢一斑 大正5年(画像3枚目右下・6・7枚目)・網走支庁管内明細図(T7)(画像3枚目の真ん中付近)
北海道行政区画. 昭和2年5月30日現在(右端の常呂村)
[95570] 2018年 3月 21日(水)10:06:21ekinenpyou さん
Re:自治体越えの地名(板橋区舟渡/川口市舟戸町)
本件少し長くなるので、別投稿としました

[95554]特急とりあたまさん
東京都板橋区舟渡/埼玉県川口市舟渡町


[95556]hmtさんで既にコメントがありますが、
川口市の方は舟戸町(ふなとちょう・渡→戸)で住居表示実施による新しい町名なので
板橋区舟渡(ふなど)とは「たまたま読み方が似ているだけの地名」ということになるのかもしれません。

※Wikipediaの舟戸町 (川口市)にも同様記載あり、面積は広いですが人口はゼロらしいです。

また板橋区舟渡の由来ですが
Wikipediaの舟渡 (板橋区)に地名の由来が記載されており似たような記述が他所にもあるので
恐らくだいたいあっていると思いますが、一応古い資料も確かめてみました。
北豊島郡誌の左ページ(蓮沼村の小名)に確かに「舟渡」の記載があります。

次に、変遷情報への境界変更の収録基準については
[95557]むっくんさんにて細かな説明がなされておりますので、
当方からは2件の境界変更について官報掲載内容へのリンクを示しておきます。

1926(T15).10.1 横曽根村の一部(大字浮間)→岩淵町(町村境界変更・左下から次ページへ続く)
1950(S25).4.1 戸田町の一部(大字上戸田の一部)→板橋区(総理府告示第58号・左ページ中央上部)

なお、以下は個人的な見解ですが(変遷情報の)収録から漏れる境界変更の中には
(自治体なり地域の)沿革を要約したレベルの資料でも掲載されるものがあり、
例えば板橋区の区勢概要にはS25.4.1に戸田町の一部を編入し舟渡3丁目とした旨が記載されています。
(リンク先からダウンロードできるPDF15コマ参照)

ですので、例えば市の変遷が現状変遷情報とは別コンテンツに分かれているので、
そちら側にのみ掲載対象としてみるとか※国分寺市と府中市の境界変更などのように
何らかの形で埋没させず活用されることを期待したいと思います。

※告示は府中市例規参照

当方メンバー登録からまだ日が浅く細かなやり取りまでは把握していませんが、
現状は変遷情報に「(3-a) 境界変更(小)まで(人口異動あり)」に該当するものが残っていたら表示されているが、
本来は収録(表示)対象にすべきではないという認識で良いのでしょうか?
[95569] 2018年 3月 21日(水)10:02:05【1】ekinenpyou さん
現在の東京23区内に存在した「槐」(さいかち)
「槐」の字を使って(さいかち)と読む地名ですが、
現在の都区内エリアには少なくとも3箇所存在していたようです、
1つは[95551]伊豆之国さんで既に示されていますが、残り2つを示します。

2.千束村字槐戸(現:台東区)
Wikipediaの台東区の町名にも記載あり
読み典拠は官報(M16.11.9)右ページ中ほど、布達・東京府甲第61号・北豊島郡千束村槐戸浅草区ヘ編入

3.志村大字西台字槐戸(現:板橋区)
北豊島郡誌の右ページ、大字西台に属する小字より
読み典拠は同上の右ページ西台村の小名より
(年代が異なるため、槐土など多少の表記ゆれがありますがサイカチは共通の読みと推測)

以上のような例があることから、他にも都区内にあるかもしれません
収録については既に消滅していると思いますのでご自由にどうぞ。
(ログに残っていれば十分というレベル)

※官報日付誤記訂正(M16.1.9→11.9)
[95529] 2018年 3月 11日(日)10:09:13ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その3)など
[95517]むっくんさん
詳細なまとめ報告ありがとうございます、ネットでは得難い知識を得られる貴重な書き込みです。
本件はあまり知られていない部分であり、もしかすると地方自治百年史などの
専門書でも細かくは書かれていないかもしれません。

[95525]hmtさん
自治年鑑1948のデータは有用な情報が含まれている反面、国勢調査や変遷情報と矛盾する点もあるようです。
まるごと信用することはできない。そのように評価しました。

同感です、組合町村については各資料の記述に少々頼りないところがあるようですね。

例えばWikipedia(町村組合)にある
三重県 雲林院村・河内村組合(1889年~1956年)共同で組合役場を設置

ですが、終了年1956(S31)については[95517]むっくんさんの書込みの他
伊勢年鑑(S17)という資料でも村長・役場とも別々であることがわかりますから再考の必要があろうかと思われます。

※古くは役場を統合し組合村だった点は正しいようです
参考・新旧対照市町村一覧(M28)(左中ほど)
改正新旧対照市町村一覧(T2)(右上)では既に役場が別々なのでかなり早い段階で組合解消?

本件はそもそも若年で当選した首長の一覧から派生した話題なので
(最後まで残った役場事務組合については)具体的にどの町村であるか示す資料が見つかり
それが想定の範囲外であった場合にこちらへ報告するという形でよろしいのではないかと思われます。
[95514] 2018年 3月 5日(月)21:37:26ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その2)
少々遅れてしまいましたが、本件コメントします

[95493]むっくんさん
役場事務組合についての解説ありがとうございます、S18の法改正で確かに132条に但書が追加されておりますね。
129条で一部・全部の事務組合区別があるという点は把握できていたのですが
132条についてはあまり詳しく見ていませんでした。
拙稿[95492]
旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭
は少々不適切な説明だったかもしれません・・・

最後まで残った役場事務組合が後免町・野田村ではないという点も了解です、ひっかけ問題?に誤答したようです。
一応高知県統計書(S34年の市町村職員数)でも確認

以下に、少々長文ですが役場事務組合について特徴などを簡単にまとめておきます。
(不確実な箇所が含まれていると思うので間違いなどがあればご指摘ください)

1.対象となっていた自治体や組織の仕組みなどについて

対象自治体は(一部事務組合と異なり)町村のみだったと思われます。(市は対象外)
出典:広域行政のあり方4コマ・参議院会議録情報地方行政委員会第8号(S28.7.13)にも下記記述あり

役場事務組合につきましては、地方自治法に組合というところの規定がございまして、その中の二百八十四条の第三項というところに、町村にのみ認められる組合として規定がございます。


2.Wikipedia(町村組合)以外でネット公開されている組合町村名や数などがわかる資料について

組合町村名については自治年鑑(1948年版)(町村長の氏名)
組合町村名が少々わかりづらい箇所があり(福島県など)補完としてこちらなども参照のこと
※旧法施行期間のものはこちら(S16)など(組合町村を明示)

数がわかる資料は例えばこちらにS27.11.10現在?の組合町村数が掲載されていることを確認

旧法施行期間刊行の内務省統計報告では町村会・組合会などの数(S17.12.15現在?)も記載されていますが
右側中央解説に組合会は町村制129条2項に拠って町村全部の事務を共同処理するため設置したものとあるので、
表に計上されているものは全部事務組合における組合会の数を示しているように思われる。
(一部事務組合の組合会もあるはずだが未計上?)

※町村会・組合会の数は実態と異なる可能性あり(和歌山・福井など)過去の同じ表とも比較してみた方が良い。
町村・役場数も誤りがある可能性があって、両者で集計日付が異なるため厳密な比較はやや難しいかもしれません。

上記資料を総合的に参照するとある程度は役場事務組合だった町村名を絞り込めると思うのですが、
肝心の「最後の一つは?」という答えはS34.10.1以前に消滅している町村がほとんどでよくわかりませんでした。
(従来から存在していたものでは無く新しく作られた組合だった可能性もあり?)
[95492] 2018年 2月 26日(月)21:42:25ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史
本件、それほど詳しくありませんが少し調べてみたので手短にコメントしておきます。

[95477]むっくんさんで紹介されていた参考資料に記載のある
第29次地方制度調査会答申ですがポイントをまとめたPDFがあって2コマ左上に
現行事務の共同処理の仕組みと運用についての概要が図でわかりやすくまとめられておりました。
これによるとかつての全部事務組合・役場事務組合は特別地方公共団体の一種だったようです。

その首長職はどのような形(肩書きなど)になるのかは
[95469]むっくんさんで既に解説があるのですが高知県誌で組合町村だった後免町・野田村を見てみると
人物の箇所(左端)には町長1名のみが記載されておりました。

※細かいですが地方自治法は日本国憲法施行のS22.5.3施行のはずなので[95458]むっくんさんで記載のある
蓑田 高さんがS22.4.-就任で正しければ恐らくぎりぎり旧法施行期間内にも中田・碇石村組合の村長?を
務めていたと推測、旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭ですが旧法人の首長職消滅というルールは
地方自治法とだいたい同じだった模様

[95484]hmtさん
1959年まで残った役場事務組合の名は不明
むっくんさんから別途コメントがあるかもしれませんが
前述の後免町・野田村がS31.10.15の時点では唯一残った全部事務組合ということなので
(裏付けは取っていませんが)両町村が最終的には役場事務組合になって?
S34.10.1の合併で南国市となり全組合町村が消滅したのかもしれません。
[95491] 2018年 2月 26日(月)21:18:59ekinenpyou さん
Re:特急マガジン寄稿への感謝
[95485]特急とりあたまさん

拙稿をマガジン登録していただきありがとうございます、テーマに沿った書込みが少ないということですが、
例えば特急とりあたまさんご自身でテーマに沿った書込みを投稿し
そちらをマガジン登録してみてもよろしいかと思います。
(毎回とは限りませんが、[95486]伊豆之国さんのような追加のレスがある場合もあります)

地名表記のズレについては既存のコンテンツ
(例えばアーカイブスの呼称が複数ある地名~地名呼称の多様性~)などとの共通点もあるかもしれませんが
全てが同一内容というわけではありませんから、テーマに沿った書込みについては
(必要以上に短期間で沢山投稿するとかでなければ)差し支えは無いものと思われます。

[92797]山野さんで模範的な例が示されていますが、
例えば駅名と近隣地名が微妙に異なるものを掲示板過去ログなどから参照すると
JRの三ノ宮(三宮)・智頭(駅名は「ちず」町名は「ちづ」)
ネットの住所データや地図類を探せば他にも阿佐ケ谷(阿佐谷)など
色々と見つかると思いますのでお時間のある時にでも探してみてください。

以下、余談
表記ゆれでしばしば登場する「ヶ」の字ですが昔の地形図を見ると
何かの地図記号と勘違いするくらい文字が非常に小さく控えめに書かれているものがありました。
(そのように書くよう決められていた???)
四谷(地図左下の千駄ヶ谷)荻窪(地図真ん中下の阿佐ヶ谷)
出典:外邦図デジタルアーカイブ(東北大学附属図書館/理学部地理学教室)
「千駄谷」「阿佐谷」と見間違えてしまいそうですね・・・
[95483] 2018年 2月 25日(日)14:52:22ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その2)
その1の続きですが、やや長文なので投稿を分けます。
拙稿[95482]末で述べた例で代表的なものとしては
[89901]hmtさんでも触れられていた大阪「Osaka」があります。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、国土地理院が作成する地図などにおける地名のローマ字表記には
S29内閣告示1号におおむね従ったルール(H16施行)が存在しています。

その内容は[91476]MasAkaさんの書込みでも紹介されている「地名のローマ字表記」という
PDF9~11コマでおおむね確認できますが、注目すべき点は11コマの左下(4)で「Osaka」を例示する際に
「のばす音(長音)を表す記号は省略することを原則とする」という
S29内閣告示1号に明記の無いルールを追加している点です。

上記ルールの前身となるものが20年ほど前のS59から既に存在しており、
こちらも「地図におけるローマ字表記の問題点」というPDF6~11コマで内容をおおむね確認可能です、
H16施行のものとルールは似通っていますが、9コマ下部(4)に長音記号省略のルールが無いので
(S29内閣告示1号に忠実に従った)「O^(文字上に長音符号)saka」「OOSAKA」という表記が例示されています。

前述箇所における新旧ルールの主な相違点は長音省略を原則とした結果「Osaka」を許容範囲内とした点であるとも
考えられますが、ルールに従っていた「OOSAKA」の例示も無くなっており
こちらはかなり見慣れない表現だったので「Osaka」へ差替えたかったという意図も隠されているかもしれません。

なお、もう一つのルール範囲内表記である長音符号つきの「O^saka」は
PCでの入力方法があまり知られていない影響かネット上のテキスト文書としてはそれほど多く見かけませんが
S29内閣告示1号の前身だった「国語ノローマ字綴方統一ノ件」(S12.9.21内閣訓令第3号)
(現代仮名遣いの本文はこちら参照)で例示されている(ただし長音符号はマクロン:文字上に横棒)他、
AMS(旧米国陸軍地図局)の作成した地図の(L775 Southern Honshu 5万図・Osaka Ko)
テキサス大学図書館のデジタルアーカイブ(日本地図)内などにもこの表記が採用されており、
長音を表示する必要があるときの例に引続き示されたままになっています。
(Unicodeも一応設定されいるので、国際的にもそれなりに認知度があり
滅多に見かけない表記というわけではないという解釈?らしい)
[95482] 2018年 2月 25日(日)14:44:12ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その1)
特急マガジンに関連トピック(地名表記のズレ)がありますので、
(初歩的な内容で恐縮ですが)当方からも少し書き込んでおきます。

今日では日本国内での東京の(ローマ字)表記は「Tokyo」で定着していますが、
かつてはドイツ語などと同じ「Tokio」という表記が長期に渡り国刊行の統計資料でも用いられていました。
(大日本)帝国統計摘要、第2回(M21)53回(S14)など参照
京都(現:kyoto)はkioto・兵庫(現:hyogo)はhiogo

現在のローマ字のつづり方に関するルールについては
[89901]hmtさんにて解説されていらっしゃるので省略しますが
「Tokio」という表記は現在では(ルールに従っていないため?)あまり
(日本国内では)見かける機会は多くないと思われます。

しかしながら現在でも「Tokio」が日本国内で用いられている例があり、
その理由が日本語ローマ字表記における外国人への「配慮」についてというPDF8コマに記されていました、
明治前半の英字書籍?でも「Tokio」としているものがあります。
The Japan Directory 1884(M17)

以上の点はWikipedia(ローマ字表記の例外)にも一部解説がありますが、ルールに従っていないと思われる表記が
従っているものより定着している例もあるので、次の投稿で例示したいと思います。
[95394] 2018年 2月 5日(月)21:14:55ekinenpyou さん
岡山県備前市福浦について(補足)
連日投稿になりますが肝心の現:備前市福浦について拙稿[95384]ではあまり書かなかったので補足しておきます。

岡山県では字区域の名称変更について告示を行っているらしく、
同市成立時期のH17年告示214号(2コマ下段)にて備前市(大字)福浦の存在が確認できました、
ただし単なる「福浦」ではなく他と足並みをそろえる形で「日生町福浦」になっています。
(これが正式名称のような気もしますが、公報誤りなどの可能性もあり)
合併時の案内には一切無いので、限られた領域にのみ残る特殊な大字であることは間違いないでしょうか。

したがって、大字福浦の残部再編については岡山県公報に該当する告示があれば詳細がわかるかもしれません、
昭和期など過去のものについては岡山県立図書館に所蔵があるようです。

[95386]Takashiさん
素早いご指摘ありがとうございます、日生町寒河・寺山が異なる地番区域である点、了解しました。
当方の迂闊な推測で誤りを書き込んでしまい申し訳ございません
※地図サイトで地番が網羅されていない点は(サイトに)明記されており当然ながら理解しています。

余談ですが重複地番が例外的に付番されたケースもあるようです。(いわゆる「山地番・耕地番」
近年、不都合が生じるケースが多くなったため(約150年の時を経て?)解消を行っているとのこと
実施地域の詳細はこちらをご覧ください。
[95384] 2018年 2月 4日(日)10:50:24ekinenpyou さん
日生町大字福浦の境界変更について
[95311]そらみつさん・[95312]Takashiさん・[95314]hmtさん
などから始まった、一連のやり取りにおける当方の推測などをコメントしておきます。

そもそも旧:日生町(福河村)大字福浦の寺山地区にあった字「東山ハナ」が
現在は備前市日生町寒河に存在しているというリンク先記載の典拠は何によっているのでしょう?
ネットの地図サイトなどでは容易に事実確認ができないような気がします。

明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・

という疑問はさておき、取りあえず日生町寒河にあるという前提で考えると、
日生町大字福浦のうち岡山県側へ残った箇所の再編(鹿久居島東部の大字日生への編入や大字寺山の新設?)は
S38の境界変更後、比較的早期に実施されているような気もします。

なお、日生町寒河寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
再編時に?地番整理なども実施した結果、
寺山地区の大字福浦字「東山ハナ」が大字寒河の字になったのかもしれませんね。

また、この地域の沿革については福河村(Wikipedia)などにも記述がありますが、
若干事実と異なると思われる点もあるので
参考として和気郡誌(M42)での記述箇所について、下記にリンクを示しておきます。

島嶼(日生諸島についての解説・取揚島の分属についても記載あり)
町村沿革(日生村・福河村)
[94766] 2017年 12月 25日(月)20:40:47ekinenpyou さん
Re:東京35区時代の地形図事情
分割連続投稿ですが本件別途補足しておきます。

[94736]hmtさん
2.5万図については、需要の中心であることを考慮し、既に編集作業の終っていた合併前の原図を利用した「二色刷り」を採用し、35区発足から1ヶ月というスピード作業により発行することを実現した。

1万図については、正規の編集作業により、時期としては遅れた。それでも戦時中に発行できた。

5万図をどうするか? とにかく2.5万図の作業を優先させてから考えた。
既に時代遅れということもあり、未修正のまま約2年遅れの1934年に発行した。
上記は恐らくおっしゃる通りだと思われます、なお東京西南部(5万地形図)については拙稿[94765]で紹介した
第二次大戦前後の日本の地図事情の第二次大戦直後の地形図(4~5コマ)に76-7-9(S23.10.30発行)
で加刷修正されている点が記されていました。(それまではS7測量の旧版を流用したようです)

東京西南部(2.5万地形図)については戦後初の76-7-1-4(S22.7.30発行)から既に(右上地図枠外に)
大田区・世田谷区などの記載があります。

なお、余談になりますが1万図は戦災復興都市計画図というものがあります。
S22.5月(3月15日の35→22区再編後・練馬区発足は8月)発行とありますが※S12測量地形図をベースとして
S20.8・9撮影の空中写真から地物を反映し戦後間もない東京35区時代末期の実態を示しており、
こちらも都市計画図のため?地理院図歴には載っていません

この地域で戦後S30年代まで新しい1万図が作られていないのはこうしたものが存在していた影響でしょうか?

※世田谷(part42)を見ると代田連絡線と思われるものがはっきり描かれており
鉄道などは結構厳密に補入されている模様
[94765] 2017年 12月 25日(月)20:38:37ekinenpyou さん
昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況など
長文の書込みで恐縮ですが拙稿[94731]で予告していた投稿です、
既にご存知の方も多いと思いますが、おさらいということで要点をまとめておきます。

タイトル年代の地形図発行状況ですが太平洋戦争開戦の少し前までは※秘図とされた地域を除くと
特に制限なく販売されていました。
参考:陸地測量部発行地図目録S6.9現在発行・発売について

※秘図地域とは?
例えば発行地図区域一覧図で北海道北端(宗谷岬周辺)は海岸線が点線表示になっており、
地図の存在が明示されていないがこちらのサイト一覧表(北海道地方)を見ると、
上から3番目のリンク声問近傍(軍事極秘)に実在していることがわかる。

一覧図の詳しい見方は備考(下部)参照(ただし秘図地域は恐らくS19.10のものでS6.9現在と同じではない点注意)

なお、※スタンフォード大学のサイトで公開されているものは秘図地域も一部含まれており、
宗谷岬の地図は右上に軍事極秘と明記
(この地図にも「一般の需要に供する為め」云々という表記がありますが、仮製版の
各地図共通でテンプレート化された文章が残っているだけ?と推測されます)

※5万図以外にもオンラインで閲覧できる地図が多数ありますので、関心のある方は各自検索してご覧ください。
参考:国立国会図書館サイト
米・スタンフォード大学図書館、デジタル化した地図へのリンク機能を持つ索引図をオンラインで公開
検索結果(日本地図)同左(陸地測量部)1:25,000地形図(5万図に無いエリアを一部補完可能)

秘図地域についての見直しなどは随時あったと思いますが、
とりわけ大きな制約がかかったのはS16.10.15官報広告(左上)で示された「発行地図中一部発売停止」です。
(1万&2.5万図全部と5万図の一部について特別な場合を除き一般販売停止)

しかし太平洋戦争開戦後も(太平洋)沿岸の一部地域などで修正測量が秘密裏に行われ
終戦のS20には(当該地域の)集成1:50,000地形図(欠が多い)も作成されています。
(これらは公式刊行図という扱いではない影響か地理院図歴には載っていません)

以上、下記に前掲サイト以外で参考としたPDFで(比較的短めの)主なものをいくつか示しておきます。
(部分的に内容重複するものあり)

地図一覧図について―陸地測量部~地理調査所発行地図の索引類―
陸地測量部発行地図を中心として見た昭和前期の地図事情とその地図見本
幻の昭和19年地図一覧図―陸地測量部内邦地図成果の総大成としの総大成として―
第二次世界大戦中に日本が作った地図第二次大戦前後の日本の地図事情

国土地理院サイト
企画展「戦後復興を支えた地図と測量」で公開されているPDF(データ1データ2データ3など)
[94731] 2017年 12月 19日(火)20:54:00ekinenpyou さん
Re:陸地測量部1万分の1地形図
[94730]hmtさん
戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されている


[94724]拙稿で「地理院サイトでは見れません」と書きましたが、これは説明が不適切で
旧1万分1地形図を選ぶと画像はやや不鮮明ですが外邦図デジタルアーカイブと同じものなどが一応閲覧可能です。

昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況などについては
より具体的に実態が解説された資料(PDF)がありますので、そちらの紹介などもかねて後日再度コメントします、
今しばらくお待ちください。
[94724] 2017年 12月 18日(月)20:57:39ekinenpyou さん
Re:Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94719]hmtさん
[94720]Takashiさん
本件、補足コメントします。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?
地理院サイトでは見れませんが陸地測量部作成の1:10,000地図を外邦図デジタルアーカイブで閲覧できます。

→インデクス・マップ検索(左から2番目)→エリア(日本)&縮尺系統(1:10,000)で表示ボタンを押せば
リストが出てきます。(S7.10東京市編入区域はおおむね見れるはず)

例えば世田谷の地図(S12修正測量)はこちらです(拡大可能でかなり鮮明に見れます)
※S11.10の砧・千歳両村の世田谷区編入も反映済みの模様(二子の地図などを参照のこと)

軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。
これは当方も同感です、S12修正測量地図右上には「一般の需要に供する為め」と記載があり、
なおかつ二子の地図(左下)にはS14.5.30発行(定価金13銭)とあります。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたかを
具体的に示さないようにしている※のはS9.4.30発行の1:25,000地形図も同じため、
昭和一桁の後半から意図的な情報統制が行われたと考えられなくもないですが・・・

※詳しくは今昔マップなどでご確認ください、
S6.6.30発行の1:25,000地形図・東京西南部にはちゃんと書かれています。
[94696] 2017年 12月 11日(月)21:04:43ekinenpyou さん
Re:新潟市の住居表示
[94691]敷守ほむらさん
当分は市が主導して住居表示することはないだろうなと思いました。仕事が増えるのが面倒なんでしょうね(笑)
「仕事」を「コスト」に置き換えるとより導入に消極的な理由が鮮明に・・・以下少々本題からそれますが

最近、公益財団法人・国土地理協会というところが地名変更情報を掲載しているのを見つけたのですが
こちらは比較的有名なので過去ログでも、時折登場しているようです。
ただし、少々の漏れがある点も留意しておいた方が良いと思います。(下記のような事例です)

1)岡山市南区灘崎地域の住所表記変更
→2010(H22).3.22住所表示から灘崎町がなくなる2010年3月の変更に明示なし
2)盛岡市玉山区の住所表記の変更について
→2016(H28).4.1住所表示から玉山区がなくなり
玉山区永井、玉山区馬場は玉山永井、玉山馬場へ大字名が変更となるが2016年4月の変更に明示なし

※念の為いずれも前後の数か月分もチェックしたが掲載は無い模様

こうした漏れ・抜けなどが生じ得る可能性を考慮しているかどうかは?ですが、
国土地理協会ではあわせて郵便番号の変更についても履歴を掲載しています。

岡山市の例は2010年3月分、盛岡市の例は2016年2月分で郵便番号の地名変更があった点だけは
把握できるようになっています。

なお、過去ログ(キーワード検索結果)の[89997]ぺとぺとさん[90000]hmtさんで
触れられている愛西市平和町の成立→消滅ような例はかなり特異で、
郵便番号の変更履歴を調べてもその変遷を的確に把握することができません。

愛西市平和町の郵便番号496-8020は2007(H19).1に後追いで新設された状態で現在もそのまま残っているためです。
(新設が後追いになった関係で削除も漏れているのかもしれませんが正確な理由はよくわかりません)

いずれにしても、新しい地名へ変更された経緯や詳細は自治体のサイトなどを見なければなりませんが、
その都度チェックするのは限界があるので、横断的に住所変更情報をまとめた
住所データ・郵便番号データの日本基盤データベースなどもあわせて見ています(例えば新潟県で抽出も可能)、
ただし、(住所変更実施から)掲載されるまで(おおよそ1年半程度の)タイムラグがあるので、
もし他にも良さそうな地名変更情報掲載サイトなどがあればお教えいただければ幸いです。


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