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[58143] 2007年 4月 24日(火)22:12:21北の住人 さん
郡区町村編制法は?
読み落しがあったかもしれませんが、市区町村変遷情報についてです。現在、地方自治法以前の「市制」「町村制」等まで遡っていますが、それ以前は、「藩政村」となってしまうのでしょうか。私がよく制度を理解していないこともありますが、「郡区町村編制法」「大区小区制」をどの様に表現するのか期待していたのですが、これらの話題が無いので、私の認識不足なのかと思いまして書き込んで見ました。
[56919] 2007年 2月 20日(火)23:01:49北の住人 さん
地理と関係ないですが
都市部でも産科不足という新聞記事を目にしましたが、うちの上のぼんずは、総合病院で生まれたというのに、その後産科がなくなりました。しかも、この春には小児科までも廃止に。入院や救急で何度もお世話になっていたのに、他の病院を探さないと。彼は幼稚園も最後の園児となりそうで、何となく寂しいものがあります。

下のぼんずは、別の病院で生まれたんですが、当初の病院で対応できず救急車で総合病院に搬送され、そこで即日生まれました。上のぼんずの時もそうだったんですが、リスクの大きい出産だったので、産科と小児科の連携がなかったらどうなっていたことか。札幌でもこんな感じなので、医療機関が不足している所はかなり困っているのではないかと。
[55699] 2006年 12月 27日(水)22:49:48北の住人 さん
郡区町村編制法
でるでるさん、88さん、市区町村変遷情報お疲れ様です。眺めていると時間が経つので、余り近づかないようにしています。時代が徐々に遡ってきているので、もう少し待てば解決しているのかもしれませんが、ちょっとした質問があります。

「変更種別の詳細説明」の「区制」ですが、「郡区町村編制法」の「区制」を対象とするなら、「区」の他に「町村」も「郡区町村編制法」による「町村制」として位置付ける必要があると思いますが、どうでしょうか。
「郡区町村編制法」や「大小区制」「戸長制」まで遡ると「自治体」とは言えるかは疑問なので「町村制」という語で表現してよいかはわかりませんが。

また、「郡区町村編制法」と「北海道区制」を同列にして良いものでしょうか。
「郡区町村編制法」の「区」は、「市制」「町村制」以前のものであり、北海道にもこれにあたる「区」があります。一方、「北海道区制」は地方自治法以前の「市制」に対応すると考えられ、「一・二級町村制」と並ぶものであり、「区」ですが「郡区町村編制法」の「区」とは異なる「区」です。

角川の地名大辞典と比べると日付が微妙に異なっているのが何点かありました。告示などの資料にあたることができないので、そのうちに。
[55562] 2006年 12月 17日(日)05:08:47北の住人 さん
駄洒落を言うのは誰じゃ
[55548] 油天神山 さん
自分の書いたの読み返すと「三拍」とするところを「三泊」としていました。よほど旅に飢えていたんでしょうか。11月25日の書込みから状況変わっていません。計画は出るのですが、諸般の事情により実行には至らないです。計画といっても登別か洞爺湖ですが。我が家では1っ匹、いや1人が飛行機代ただになるので、沖縄やハワイに行く話を彼の母親がよくしていますが、そのうち彼も1人前に席を占有する事になるので、この話題も我が家からなくなることでしょう。彼の兄の時もそうだったです。

「でっかいどう、北海道」今でも目にしたりします。ツーリングなんかで使われているんじゃないでしょうか。私自身「でっかいどう!北海道!」と叫んだ事やそんな人を見た事は無いですが、心の中には持っています。このコピー、別の意味で押さえておく必要があり、北海道旅行中のガス欠、飯欠、金欠には注意しましょう。ライダーは獣の恐怖と戦いながら何10キロも山道を押しつづけることになりますから。飯欠も特に夜間は金がありながら何時間も満たされないということになります。飲み物の自販機さえなく、飢えと乾きに耐え忍ばねばなりません。

似たようなコピーに「バリバリ夕張」というのがありましたが、とんと聞かれなくなりました。石炭の歴史村と遊園地にはいつか入ろうと思っていたのですが叶わぬ夢となりそうです。実は、行った事はあるんですが、高くてやめました。遊園地なら岩見沢の方が近いし入るだけなら安いですから、もっぱらそちらの方になってました。今思えばあの時入っていたら話の種になっていたのにと。札幌近郊の遊園地といえばルスツリゾートですが、近頃は「山は友達、ルスツ高原」という懐かしいコマーシャルが流れています。

同種のコピーとして「室蘭、もどらん」という、Iターン・Uターン関連の中吊り広告を見た事あります。多分「もどらん」は「もどらぬ」ではなく「もどらむ」という意味なんでしょう。市ではないですが、札幌の区で「手稲っていいね」なんてのも長く使われている様です。

他にないかと頭をひねったのですが、出てくるのはこんなのばかり。
「稚内?わかんない!」「根室で眠ろ」「岩内なんて言わないで」「函館だってね」「北区に帰宅」「清田に来よった」
[55348] 2006年 11月 25日(土)23:15:29北の住人 さん
旅歌
[55342]の「旅の空から」は「人生の空から」でした。「人生」と書いて「たび」と読む、大きいですねこの人は、デビュー曲は「旅立ち」、旅が好きなんですね。もっと大きいのは中島みゆきの「時代」、旅人が生まれ変わってしまうんですから。輪廻転生そのものは松任谷由美にあります。
ところで、帰省は旅なんでしょうか旅行なんでしょうか。帰省に近いですが、夫の実家に行くのがユーミンの「ルージュの伝言」。一人複雑な気持ちで列車に乗っているところは旅のようでもあります。「列車」というのが松任谷由美的なのか、単に三拍なので、メロディー上「汽車」じゃなく「列車」(電車も三泊)にしたのか。踏切が出てくるので新幹線では無いようです。関係ないですが「瞳を閉じて」はどこかの校歌だというのを聞いた事あります。
汽車なのはイルカの「なごり雪」。列車を待つ、とはあまり言わないですが、電車を待つならありですね。当時は、やはり電車より汽車なんでしょう。「ルージュの伝言」と年代的には同じでは。
「岬めぐり」はバスですが、「心の旅」と同じ頃でしょうか。さすがに汽車で岬巡りは無理ですか。

我が家は今年は旅をしていませんね。経県値は5です。札幌以外に行ったのも小樽、江別、石狩の3市のみでいずれも宿泊無し。町村は通過もしませんでした。まあ、札幌には定山渓があるんで他に行かなくても済むんですが。実家(札幌)ではちょっとした収穫祭もできますし。都会も田舎も温泉も海(温泉の死海プール)も山も札幌で経験できるので他に行く必要ないですよ…………あぁ、どっか行きたい。
[55342] 2006年 11月 25日(土)20:58:40北の住人 さん
歌レス
「心の旅」はチューリップより吉田栄作がリアル(発表時に聞いたという意味)ですね。私はチューリップ世代なのかもしれませんが「心の旅」より「虹とスニーカーの頃」の方がリアルな印象です。
私は遅れていたんでしょうか、アリスもリアルなのは「冬の稲妻」あたりからで、「遠くで汽笛を聞きながら」はその曲何となく聞いた事がある、といった感じでした(歌えますが)。
北の住人としては、やはり松山千春。聞きながら育ってますから。「旅の空から」なんていうのがあります。
(歌手やタイトルは調べずに書いてるので間違ってるかもしれません。その時は宴会のノリで突っ込んでください。)
[55025] 2006年 11月 6日(月)22:04:53北の住人 さん
和食
私は洋食より和食が好きですが、食べ物の話しではありません。「和食」と書いて「わじき」と読む駅があると知り、熟語と違う読みの駅なんだなぁ、と思ったので書きこんだ次第です。この駅の隣りの県である徳島県には、鷲敷町和食(多分、わじきちょうわじき)という、明日香村飛鳥に似た地名も、かつてあったようです。
[54204] 2006年 9月 26日(火)23:46:03北の住人 さん
バスレス
[54184] 成都さん
[54188] ぺとぺとさん
[54195] みかちゅう さん
日本海るもい号は高速道路を通らないので、都市間高速バスのページに入ってないんじゃないでしょうか。(このページの地図には該当する線が書かれているようですが)
車両はいわゆる観光バスと同じ型だと思います。なお、路線バスのページにある札幌市内便の一部にも観光バス型の車輌が走っていると思います。
小樽方面(積丹や倶知安)についてですが、都市間高速バスといっても札幌市内の路線バスと同じように乗車でき、運行本数も多いので私はよく使ってます。停まる停留所の数が少なく、速く快適に移動できるんですよね。市内便より小樽便に乗る方が多いです。たまに来るJRバス(小樽便は中央バスと共同運行)の車輌は座席間がゆったりとして特に快適です。

十勝方面の「×線」という停留所ですが、同じような事を思った人がいたようで、バスマガジンとかいう雑誌の創刊号あたりに、「1線」から「??線」までの停留所の写真が載ってます。確か、50線くらいあったと思います。(この本、絵本代わりに子供にやってしまい、家のどっかにあるんですが、見つかりませんでした。表紙は北海道中央バスの札幌市内便の車輌がでっかく載ってます。)

では、明日も1位通過を祈って寝ることにします。
[54064] 2006年 9月 19日(火)22:57:30北の住人 さん
官報
[54042] むっくん さん
[54060] 88 さん
官報は雑誌や新聞と同じ出版物と考えられますから、原稿誤りと校正誤りが付き物です。(官報で訂正記事を読んだことはあったか?なかったか?定かでないですが。)
当時の標記を確認するのに良い資料としては、役場が発行する書類(表彰状とか許可証とか、上級官庁あての書類とかその逆の書類とか)や戸籍なんかが考えられます。
新しい郷土史でも、それらの書類が写真で掲載されていることがあるので、案外簡単に見つける事ができるかもしれません。めったに出てきませんが、戸籍が載ってたらほぼ確実でしょう。
(で、複数の標記があったりしたら、ますます深みにはまったりします。)
[54063] 2006年 9月 19日(火)22:28:30北の住人 さん
ギネスよりサッポロ
[54045] ジャスティンK さん
私、ギネスブックを読んだことが無いので、いま現在、どんな事が書かれているのかわかりませんが、昭和62年の旭川冬まつりの雪像「ガリバー夢の城」が世界一の大雪像に認定されたという話があります。

ギネス的に札幌の自慢になるかどうか(もっとも、酒の上の話だからなんでも自慢にして良い?)、世界で一番長い映画シリーズである「男はつらいよ」のロケ地の1つが札幌というのはどうでしょう。

数年前の札幌の話ですが、市内の雪だるまの数でギネスに載ろうとかいう企画があったので、我が家も3つ作りましたが、確かギネスの対象にはならなかったという記憶があります。(私の記憶、間違えてるかも)

ギネスブックと関係ありませんが、たまたま昨日読んでいた本に、麦酒会社3社合同の話が。明治の話ですけど。当時の大手5社は、合同した札幌(サッポロ)・大阪(アサヒ)・日本(エビス)とジャパンブルワリー(キリン)・丸三(カブト)だそうです。
[53991] 2006年 9月 16日(土)11:41:17北の住人 さん
百交差点
私は既に飽きてしまいました。暗算が難しい歳になったので挫折したと言った方が合ってますが。で、交差点ではないですが、こんなのも見つけました。管内の国道番号の和が100の倍数です。
500 福岡県添田町

やってて感じたのは重複部分の多さですね。道内各市の国道本数を数えてみたのですが、地図上では札幌市の9本が最多で、他を離していると思いましたが、重複を調べてみると釧路市や網走市も9本でした。
[53977] 2006年 9月 15日(金)22:46:51北の住人 さん
昔の事は良くわかりません
[53936] 88 さん
石狩市を構成する郡について、実はまだ問題があり、当初の郡域が良くわからないのです。[53882]は、明治29年地形図での郡域を元にしており、それが当初の郡域と一致するのかは不明のままなんです。

[53970] むっくん さん
私は外野として一連の記事を読んでいますが、「新修大津市史」「滋賀県市町村沿革史」は下阪本村と坂本村が大津市に合併したあとに書かれたものではないでしょうか?明治発行の地形図のほかに、両村が存在した時代の資料で確認したい所です。正誤の判断はそれを待っても遅くは無いのでは?(地形図にも、これ合ってるの?と感じるのがあるんですよね。特に古いのは)
[53968] 2006年 9月 14日(木)22:40:00北の住人 さん
北海道地方費
手元の本を読んで見たところ、北海道地方費の設定は、明治31年から39年まで北海道長官だった園田安賢が、明治34年の北海道10年計画の中で発案したようです。
開拓使以来国費のみで進めていた北海道開発を、国費と地方費に区分し、また、国費を行政費と拓殖費に分け、地方費については北海道会を設けて自治権を認めようという案です。それまでは全て国庫に入っていた税収の一部を、府県の地方費に相当するものとして分離させたわけです。
一見、自治を望む道民の期待にこたえたような感じですが、実は人口増に伴って増大していく地方費相当分を別に設ける事で、将来の国費の負担を浮かし、その分を拓殖費に充てようとする思惑もあったようです。道会の設立で自治を得た形になりましたが、議決事項は地方費の収支に関してのみで財産処分は行えず、実際の執行は北海道庁(国)が行っていたわけです。
[53953] 2006年 9月 13日(水)22:25:06北の住人 さん
地方自治法以前の北海道
難しい話なので、近寄らない様にしていましたが、こんな感じではないでしょうか。
中央の官庁である「北海道庁」(地方自治団体ではなく、長は知事より権限の強い長官)が北海道の事務を行い、地方自治の仕組みとして「北海道会」という議会(府県会より権限が弱い)があった。また、「北海道地方費」は「府県費」と同じ性格である歳出入(地方税等地方の収入で賄う)を指しており、「北海道会」の議決事項であった。例えば、道路や高校を作る場合、「北海道会」の議決により決定し、「北海道庁」が「北海道地方費」から支出する、といった仕組みになっていたのではないかと考えられます。(hmtさんが詳しく書かれていますが、私はあまり調べていませんです。)

なお、例の素敵な道路のサイトによると、「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」という表現が使われていたようです。
[53894] 2006年 9月 10日(日)21:33:20北の住人 さん
三つ巴?三すくみ?
[53861] オーナー グリグリ さん
秋田県大仙市・協和上淀川? の交差点ですが、13と46も重複してるかもしれません。地図の雰囲気からは、交差点の北側が13と46、南側が13と341、東側が46と341だと思います。
[53883] 2006年 9月 9日(土)22:58:20北の住人 さん
政令指定都市について
どなたかが既に書かれていたと思いますが、指定都市は他都市と比較する規定では無く、自治についての特例ではないでしょうか。過去記事に委譲事務の一覧があったと思いますが、県の事務には広域的なもののほか、一定以上の人口規模が必要なものがあり、人口の多い都市では自らそれができるわけです。指定都市だからといって、地方に権限が委譲されるわけではなく、都道府県と市との関係での委譲です。住んでる人から見れば、安全で住み良い街なら、指定都市でもそうでなくても良いわけで、住民としては都道府県と市町村との関係を意識しなくとも生活することはできます。

指定都市が効率的かというと、規模の点からは県のほうが効率的ではないでしょうか。少数精鋭という言葉がありますが、指定都市になる事で組織が肥大化し、小回りが効かなくなる恐れもあります。
一方、人員や財政が大きくなれば、やりたい事、力を入れるべき所に集中的に投資する事ができるのでしょう。投資対象はそれぞれの市によって異なると考えられ、より広域的な事を考えねばならない県より、住民の意思を反映させることができると思います。
[53882] 2006年 9月 9日(土)21:40:24北の住人 さん
石狩市域は4郡か
[53492]後段で石狩郡・札幌郡間の境界変更の可能性について書きましたが、北海道庁告示に次のが見つかりました。
明治三十二年十二月十四日 告示 第三百九号
石狩国札幌郡石狩郡境界ノ内札幌郡下手稲村山口村及石狩郡樽川村ニ連絡セル郡界ヲ今般内務大臣ノ許可ヲ経テ左ノ通リ変更ス 但境界図ハ札幌支庁ニ備置ク
発寒川ト追分川ノ落合ヨリ追分川ヲ溯リ殖民区画第三線道路ニ沿ヒ西北運河ニ至リ更ニ西南ニ折レテ新川ニ出テ「オタナイ」川ニ達スルヲ以テ郡界トス
この告示の「西北運河ニ至リ」までは、現在の札幌市・石狩市境界と同じです。明治29年地形図・明治43年地形図の郡界の違いと合わせて考えると、石狩郡・札幌郡間で郡域の交換があったようです。

ということで、石狩市域は石狩郡・厚田郡・浜益郡・札幌郡の4郡になりました。また、[53585]で札幌市は「実際には小樽郡だけ」としましたが、札幌郡・小樽郡・石狩郡の3郡でした。
[53799] 2006年 9月 3日(日)23:02:45北の住人 さん
続、百交差点
参考記録ですが、ここは道でしょう?重複区間が合っていればですが。 新潟県三条市須頃3丁目 700=8+289+403
[53798] 2006年 9月 3日(日)22:38:53北の住人 さん
百交差点
参考記録ですが既出でしょうか? 秋田県大仙市協和上淀川 400=13+46+341
しかし、皆さんこの手の問題はどのようにして探しているんでしょう。私的には、地図を見ながら1つずつ潰していくのが、早くて確実じゃないかと思うんですが。(見落としもでてきますが)
[53775] 2006年 9月 2日(土)13:05:51北の住人 さん
クイ図の解答
問一:鳥栖市
あえて小縮尺でいってみました。

問二:水戸市
この問題は探すのが大変なので、あきらめです。

クイ図の感想ですが、どの地図を使うのかと、縮尺をどうするかですね。私のネット環境ではブロ-ドバンド用地図の表示に時間がかかり過ぎ、解答された方のリンク先を見るのを止めたのがあります。縮尺は大縮尺の方が良いですが、そのものずばりの建物が表示されると解くのが簡単になりそうです。
[53585] 2006年 8月 23日(水)22:52:33北の住人 さん
境界争議
自治法上、市町村の境界に争いがある場合は知事の出番でしたっけ。勉強した事ありますが、すっかり忘れてます。

[53544] 88 さん 
[53571][53572] EMM さん
郡の範囲の検証作業お疲れ様です。境界変更は調べるの大変で、奥深いものがあります。市町村の合併が絡んでいたら、しかも古いものなら困難な作業になります。私もあれこれ考えながら、紅葉橋律乃介さんの感想同様、細かいことになってしまったなぁ、どうしようか、と思ったのでした。(石狩市については、地図上では結論出ていたりしてましたが根拠が無かったので、その後の2本の告示で確信に至ったわけです。)

クイズからは離れますが、単純に札幌市の境界変更・廃置分合をたどると、高島郡・忍路郡・小樽郡・石狩郡・千歳郡の5郡が絡む可能性もありうるので、正確な作業は大変なわけです。(実際には小樽郡だけ)
 「小樽市→札幌市」で「高島郡・忍路郡・小樽郡」
 「江別村・江別町→白石村、江別市→札幌市」で「石狩郡・空知郡」
 「広島村→豊平町、広島村→札幌市」で「千歳郡」
地図を見れば感覚的にはわかるんですけど、細かい部分は明治に遡るものもあり、また、「石狩市・小樽市」のように町字名変更も考えると、境界変更の調査は容易でないです。

「石狩市・小樽市」の境界変更の場合、仮に「小樽郡銭函町」というのが存在し、「石狩町→銭函町」で郡界が変更したのち、再度、「小樽郡銭函町」の一部が石狩町に編入すれば、現在の石狩市には小樽郡(もとは石狩郡)を含めた4郡が存在するという事になるのでしょう。
[53492] 2006年 8月 19日(土)09:29:06北の住人 さん
石狩市・小樽市
[53458] 88 さん
あっという間に該当する告示が2本も出てくるなんて、小樽市・石狩町の境界変更について、書き込んで良かったです。
手元に変更以前の地形図がいくつかあるんですが、この告示で小樽郡から石狩市に入った区域はないとほぼ確信しました。小樽市銭函5丁目は、石狩町大字樽川村から名を変えた区域で間違いないと思います。(明治の地図については少し疑ってますが、昭和42年の地図ならOKでしょう。)
昭和50年の境界変更ですが、市町村便覧などで、小樽市から石狩町への編入もあるような雰囲気になってたりしますが、告示を読むと石狩町→小樽市のみのようですね。

細かい話になりますが、この告示にでてくる字名で気付いたことです。
・分部越、分部義(「義」の字を当てているのは初めて見ました)…アイヌ語地名の「フンベムイ」由来(鯨に関係?)。「フンベムイ」は「花畔村」に存在したという記述もあり、明治期には「花畔村」→「樽川村」となった区域もあるかも。「花畔村」は明治4年、「樽川村」は明治15年の成立なんで分村の可能性も。
・小樽内川、オタネナイ、樽川 …アイヌ語地名の「オタルナイ(オタナイ)」由来で、「小樽内」に「オタネ」とルビが振られた地図もあり、「オタネ浜」の通称も。「オタネさん」がいたからという説もあったりなかったり。
不思議なのは「字樽川」。「大字樽川村」には字無しの区域があるのに、なぜここに「字樽川」の小字があるのか、他村と境界変更があったのかも?

さて、次の字名が問題なんですが、ひょっとしたら札幌郡から石狩市域に移った区域があるかもしれません。これを調べるのはかなり難しそうですが。
・軽川、白川 …下手稲村・山口村(現在の札幌市手稲区の大部分)に同字名が存在。「軽川」は手稲町中心部の旧字名で、「手稲駅」は昭和27年に「軽川駅」から改称。明治29年の地形図では、下手稲村の村域の一部が、現在の石狩市域にかかっており、「字軽川」は「下手稲村」→「樽川村」の境界変更でできた可能性も。ただし、明治43年の地形図では今と同じ境界なので、明治29年のは誤記かもしれません。また、「軽川」は広域名かもしれないです。

ちなみに、下手稲村域の変遷は次のとおりです。
 発寒村→手稲村→下手稲村→(山口村分村)→手稲村→手稲町→札幌市→札幌市西区→札幌市手稲区
[53457] 2006年 8月 17日(木)22:31:06【2】北の住人 さん
盆地の名
[53448] huzisan さん
奈良市の奈良と考えます。次の文を読んでしまったからですが。
「地名の標準化についてPDF」([53057]hmt さん)の5ページ目(本文では52ページ)、「第3図 主要自然地域名称図」宗谷岬の上方に次の文があります。
*地域を示す固有的な部分の称呼は、次の基準にしたがう。
1 長年にわたり、全国的な規模において習慣的に使用され、それが広く通念となっているものについては、その名称にしたがう。(例 奥羽山脈 関東平野)。
2 山地にあってはその主峰の名をとる(例 真昼山地 両白山地)。
3 平地にあってはその主邑の名をとる(例 大阪平野 山形盆地)。
4 以上の基準による名称が適切であると認めがたい場合にかぎり、国名・郡名、またはそれらの複合名、その他の地域名をもって示すものとする(例 石見高原 魚沼丘陵 筑肥山地 九十九里平野)。
文字が潰れているので、カッコ内の(例)は私の推測によって書きました。第1項に該当しない場合、第3項によると盆地は主邑の名なので、奈良盆地は奈良市の奈良となるわけです。(上の文には「県名」がありませんが「その他の地域名」に入るんでしょうか。)
[53452] 2006年 8月 17日(木)20:36:24北の住人 さん
小樽市大字樽川村
[53442] 88 さん
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ
この境界変更区域、地番の確認はしていませんが、もともと石狩町(石狩郡)だったと考えられます。この区域の変遷は次のようになると思います。
 樽川村→花川村→石狩町→小樽市→石狩町→石狩市

現在の小樽市銭函4丁目、銭函5丁目は町名改正によるもので、以前は小樽市大字樽川村。さらに、昭和50年4月15日の境界変更前は、石狩町大字樽川村の一部になるはずです。この樽川村は、石狩国と後志国の境界である、オタナイ川(小樽内川)の右岸(石狩国側)に位置しているために名付けられたと考えられ、石狩町の古い字名として「大字樽川村字小樽内川」が存在するようです。

昭和50年の小樽市への編入、石狩湾新港の建設が絡んでいるようです。新港ができると小樽港へ入港する船舶が減りますから。
[53428] 2006年 8月 16日(水)23:13:22北の住人 さん
4つ以上の郡からできた市
[53355] オーナー グリグリさん
問八の未解答のうち「石狩市」について。「石狩郡」「厚田郡」「浜益郡」は明らかですが、もう一つを探しているところです。候補としては「小樽郡」と「札幌郡」。
小樽郡成立時の石狩郡、札幌郡との郡界は「オタナイ川(小樽内川、今の清川と考えられる)」で、その後、小樽郡は小樽市域に含まれました。小樽市と石狩町で境界変更がありましたが、現在の石狩市域に小樽郡は存在しないと思います。
札幌郡については、明治の地図を見ると、札幌郡と石狩郡の間で境界変更があったような感じもします。
いずれも地図だけでは確かでなく、資料に当ろうかと思っているところです。
[53373] 2006年 8月 14日(月)22:19:19北の住人 さん
レベルの違い
[53370] 千本桜 さん
水準測量の体験をしたことは無いのですが、三角測量の標高とは高さの精度が違うんですね。家の近くの基準点情報を調べたところ、三角点の標高の最小単位は1cm、水準点は0.1mmと2桁の違いでした。水準測量の測定にかかる経費も結構違うんでしょうね。(たとえば、札幌市西区にある、一等三角点「琴似山」の標高は311.07m、基準水準点「82番」の標高は80.9888m)

札幌周辺の三角点を見ていたら、点名ですが「団子山(標高7.22m)」「砂山(標高11.22m)」というのがありました。もっとも、地形図に名称は載ってないので、山としては未公認というか業界限定ですが。

最近、札幌の山が1つ増えました。モエレ山というのが隆起、ではなく造成され、めでたく地形図にも採用されたようです。この山のすぐ北に「プレイマウンテン」というのもあるのですが(こちらの方が歴史が古い)、国土地理院に申請していないのか、地形図には載ってません。ここにはビーチもあり、公園全体が彫刻家イサム・ノグチ氏の設計によるものです。
[53356] 2006年 8月 13日(日)21:33:27【1】北の住人 さん
山の高さ
[53194] みやこ♂ さん
高さといえばこんな例が。札幌の南西に「無意根山」というのがあるんですが、地形図の三角点標高は1,460.5mです。でも、最高点は1,464m。私はこの山に登りかけ、雨のため引き返した事があるんですが、木々の中の最高点より、視界の良い三角点の方が、山頂としての雰囲気があるそうです。

みやこ♂さん提示の「日本の山岳標高一覧 -1003山-」を調べようと検索してみたところ、国土地理院のこのページが当然のようにトップに。で、ここから「都道府県別山岳標高」などに行ってみると、「無意根山」と同様な例が結構ありました。調査概要(PDF)を読むと、山の最高点が三角点や標高点ではない場合があり、地形図で調べるのには限界があるということですね。(高さの基準が水準点で、三角点は位置を表しているのだと思いますが、山の標高に水準点を使わないのは対象・用途の違いからでしょうか。)

ちなみに、ここの「都道府県の最高地点」では、大阪府の最高地点(最高峰)を金剛山としているようです。
[53337] 2006年 8月 13日(日)07:31:59北の住人 さん
第十二回十番勝負 感想
今回はじめての参加です。正答が大方出た後で、ヒントも出ているのに難しかったです。
問四■一桁・二桁国道(旧一級国道)の始点・終点がある
×江別市→○室蘭市:初日の解答は眠たい状態だったので、単に旧一級国道で解答。よく考えたらこれでは多すぎですね。該当市は北海道に多いので、すぐ見つかりました。
問七■環境省の快水浴場百選がある
○にかほ市:これはすぐに一覧表を見つけましたが、残っている市を探すのに一苦労。ひらがな3文字の市が目に付き、未答市だったのでこちらを解答。
問八■複数の郡(4つ以上)からできた市
×江別市→×豊岡市→×足利市→○石巻市:問四同様、単に複数の郡からできた市で解答しましたが、良くヒントを見ると「郡、郡、郡、郡」。境界変更を含むかどうかわからず「小樽市」で解答するのを迷い、ネットで検索した表では「豊岡市(城崎郡・美含郡・気多郡・出石郡)」が該当しそうだったので解答するも×。しかも、私が見ている表では1郡のみの市が正答になっているのに、4郡ありそうな市が誤答のリストに存在。両毛地方に多いということから、あてずっぽうで「足利市」。次の日、アーカイブ複数の郡にまたがる市、複数の市を生んだ郡を探して正答にたどりつきました。
問九■世帯数が1万未満(2005年国勢調査速報値)
○豊後高田市:残りの市を探すのが大変でしたが、人口が少ない市と照らし合わせながら、文字数の多い市が目に付いたのでこれを解答。
問十■問一から問九の問題になっている
×津市→×野田市:今回参加したきっかけはこの問題で、クローズが予定通りだったら十番勝負の解答はできませんでした。なにやら不穏な動きがあるこの問題、残りが1市になってから、なんだろうと調べてみたわけで、実はこの問題が上の4問より先に解けたのでした。参加者がもういないだろうと思って遊んでいたら、想定解終了してました。
[53317] 2006年 8月 12日(土)17:35:21北の住人 さん
お礼
問八、EMMさんのヒントで助かりました。ありがとうございます。
[53306]、早起きは三文の得ではなく、早起きは一問の得でした。ことわざの使い方としては合ってるんでしょうが、三文なんて失礼でした。「溺れる者は藁をもつかむ」なんてことを大事な取引先に言ったりすると、「俺は藁か」と返されるので、皆さん注意しましょう。
[53306] 2006年 8月 12日(土)05:58:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:石巻市

早起きは三文の得、になるでしょうか。EMMさんの記事を参考に調べましたが、出かける時間になりました。
[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。
[51723] 2006年 6月 11日(日)22:16:30北の住人 さん
頓別を考える
[51689][51710] R62号1さん
[51699][51711] YSK さん
良く分りませんが、鉄道(天北線、興浜北線)の開業との関連もあるかもしれません。特に「浜頓別」と「頓別」の関係には。
「上・中・下頓別」は殖民区画が広がるにつれ、単に「頓別」では範囲が広くなったので字を作ったとも考えられますが、天北線の駅名と字名のどちらが先か調べる必要があると思います。
「小頓別」については、私なら位置的に「奥頓別」と付けたいですが、なぜで「小」なんでしょうか。仮に「ポントンベツ(小さいトンベツ)」という川があったとしたら、その意訳で「小頓別」にしたということも考えられます。

「トー・ウン・ペッ(沼・に入る・川)」についてはツッコミたい事が多いですが、長くなるのでいつかまた。

明治の頓別村には、砂金ブームで入植者以外に一攫千金を狙う者も多数入ったそうです。その後、枝幸村の一部になり、大正期に再度、頓別村が成立してます。また、水害により市街が「頓別」から「浜頓別」に移ったという歴史もあるようです。中頓別には鍾乳洞がありますが、中の様子は全く記憶に残ってません。
[51722] 2006年 6月 11日(日)22:15:07北の住人 さん
知床は白いところ
[51583] みやこ♂ さん
北方四島の20万図をざっと見ましたが発見できませんでした。樺太にあったという話もあり、古地図に「シレトコ」がでてきます。知床半島の知床を含め、古くは「しろい所」「白所」となっている場合が多いようです。「知床」の漢字が当てられたのは、安政5年(1858年?)松浦武四郎「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」の「志礼登古誌」が、文久3年(1863年?)には「知床日誌」として出されているので、その間となるでしょうか。
「知床斜里」という駅がありますが、かつて室蘭本線に「知床」駅が存在しました。今は「萩野」になってます。礼文にも知床があります。
[51651] 2006年 6月 4日(日)15:19:47【1】北の住人 さん
ニトヌプリ
web上の便利な事典の話題が出てましたが、功罪半ばですね。この事典は簡単に訂正できることが出版物と比較した場合の利点なんですが、引用した翌日に中身が変わっているとかあったりして。ソースが同じなら、複数のサイトに同じ情報が有ってもおかしくないし。間違ったまま他のサイトに引用されたら、元が直っていても訂正不能のコピー情報が氾濫するんでしょうね。ネットの情報は、その辺のことを分って使うには便利なんですが、信頼度の点で小中学生向けではなさそうです。
一方、ネットより信頼できそうな出版物は、訂正するのが困難なのが欠点ですね。図書館にある本なんか信用してしまいますが、すべてに正誤表が付いているわけでもないですし。絶版になっているものは訂正自体もないですから。

かなり前から温めていたものなんですが、良い機会なので、信頼できそうな出版物のことについて。私も地名大辞典をよく利用するんですが、独自に調査したんではなく単なる引用に終わっていることも残念ながらあるんです。なかには引用元に手を加えているんではないかと思われる事も。

ニセコには「ニトヌプリ」という山があるんですが、「ニドムヌプリで森のある山の意」というような説明がされていることが多いです。これは、地名大辞典を引用しているんだと思うんですが、この辞典では「アイヌ語小辞典」からの引用となってます。この説明、山に森があるのは普通だろうと突っ込みたいですが、この辺の山は高い木の生えていない場所も多いので「森のある山」も考えられます。ただし、引用元が確かでありません。「アイヌ語小辞典」という本が何なのか分りませんが、知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」のことが頭に浮かびました。
そこで、「地名アイヌ語小辞典」を見ましたが「ニトヌプリ」の項は見当らないんですよね。関連する項目もざっと見たんですが、「ニトヌプリ」「ニドムヌプリ」を見つけることはできませんでした。ただし、「ニトム」という項はあります。
 ni‐tum, -u  にトム(にートム) 森;林
 (注:「に」が平仮名なのは、そこにアクセントがあることを示している。「ト」は「ド」ではなく「ト」に半濁点、日本語にない「tu」の音をそう表現。「ム」は小文字、閉音節の子音を小文字にしている。地名大辞典でも「ム」は小文字にしている)

そこで考えたことが、執筆者は「地名アイヌ語小辞典」を見て「ニトヌプリ」の音に近いものを探し意味付けをしたんではないかと。あるいは、別の文献に書いてあるものを「アイヌ語小辞典」からの引用として掲載したのではないかと。更に、「トに半濁点」を「ド」に変えたんではないかと。「アイヌ語小辞典」なるものが他にもあるかもしれないので断定はできず、現在、この「アイヌ語小辞典」を捜索中です。
北海道の山の本のことについても続けようと思ったんですが、前置きが長くなったんでいずれまた。
[51424] 2006年 5月 21日(日)21:45:53北の住人 さん
シレトコはどのあたり?
[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行-知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌-志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ-今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。
[51334] 2006年 5月 14日(日)22:37:13北の住人 さん
ウイーヌプリ 追加
[51319] みやこ♂ さん
こちらの図をご覧下さい。松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」知床半島です。
今の「ウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」、「知床岳」=「チヤラセホロノホリ」、「羅臼岳」=「チヤチヤノホリ」となるようです。

なお、札幌には「焼山」というのが2つありますが、いずれも火山ではなく、山火事が頻発したことからの命名です。同様な事があったとしたら、「ウフィヌプリ」についても、火山でない場合もあると思います。
[51330] 2006年 5月 14日(日)11:34:00北の住人 さん
ウイーヌプリ
[51319] みやこ♂ さん
まず、松浦武四郎『知床日誌』の引用による「知床岳」=「ウフイノホリ」についてですが、他の松浦武四郎の図を見ると、「知床岳」=「ウフイノホリ」ではないようです。私は『知床日誌』を見ていないので断定できませんが、松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」からは、「現在のウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」だと考えられます。

「ウフイノホリ」には「火山」という意味もあるようで、これは私の創作ですが、こんなやり取りがあったとすると、火山であればどの山にも「ウフイノホリ」という名が付きそうです。
 旅行者:「あの山は何ていうの?」
 通訳:「あの山は何ですか?」
 住人:「ウフィヌプリ(火山)だよ」
 通訳:「ウフイノホリだそうです」 

ちなみに、この知床の「ウイーヌプリ」は複数の名を持っていた様で、「ウイノホリ」「ウフイノホリ」「シレトコノホリ」「シレトコ山」「ウーイヌプリ」が報告されています。
また、「知床岳」については「チヤアセホロ山」に同定されており、これが正しいとすると幕末以前には「チヤラセノホリ」「チヤラセホロノホリ」と呼ばれた可能性があります。(アイヌ語地名研究4「消えてしまったアイヌ語の山名」、アイヌ語地名研究5「明治の地図に記された北海道の山名」より)

「和+ア合作の名前」については、「ニトヌプリ」がそうではないかと私は睨んでいます。ニセコの山は明治以降に名付けたと思われるものが多いです。確証はありませんが、「ニセコアンヌプリ」「イワオヌプリ」「チセヌプリ」「ニトヌプリ」は新しく付けられたんではないかと調査中です。「モイワ山」「ワイスホルン」は明治以降の命名です。
「イワオヌプリ」については、この名が付いた山を個別に検証する必要があると思います。幕末以前から「イワオヌプリ」となっているものもあるので。(「イワオ」「硫黄」の起源が日本語なのかアイヌ語なのかということを別に考える必要ありますが)

「ラウス(ラウシ)」は諸説(少なくとも3説)ありますので、アイヌ語を話せない私には、よくわかりません。「内臓」というのは、単なるアイヌ語辞書からの引用のような気がします。(「アイヌ語地名」というものの中には、辞書から引いただけのようなものが多いです。)
[51307] 2006年 5月 13日(土)10:42:25【1】北の住人 さん
ヌプリコレクションについて
愛比売命 さん
[51296] みやこ♂ さん

北海道の山名ですが、明治以降にアイヌ語を借りて後からつけられたものがあります。また、意味もいくつかの説があるので、閲覧する人が誤解をされないよう配慮する事が必要です。アイヌ語の意味については、定説になっているのもありますが、すべて「?」付きにするか、すべての説を併記するのがベターかと思っています。(すべての説を調査するのは不可能ですが。)

「ノホリ」については、「ノポリ」「ノボリ」も含め幕末以前には一般的な記述だったと考えられます。
「ウフイ」については「ウイ」「ウーイ」「ヲフイ」などの表記もあるようです。

このコレクションですが、現在の地図上で「~ヌプリ」となっているものと考えてますが、幕末以前の山名調査によると、「ノホリ」等も含めて数えると200を越えるということになります。
[51142] 2006年 5月 3日(水)09:20:02北の住人 さん
端午の節句
皆さん、べこ餅というものを知っていますか?この季節に食べるものなんですが、北海道・東北の地域限定品だということを、最近知りました。全国的なものかと思ってました。よく考えれば、べこは方言ですね。
子供の日には鯉のぼりですが、幟(いくさの時に使うような縦長のもの)を門に立てるという風習?もあるようですね。鯉のぼりのカタログに載ってました。
[50692] 2006年 4月 11日(火)21:11:43北の住人 さん
Re:「下総」の読み方
[50664] てへへ さん
発音が書いてある別の辞書を見たところ、「シモーサ」となってました。私は「シモ」と「フサ」の2つの言葉がつながった語だと思っていたんですが、「シモーサ」という1つの言葉だったんですね。
なお、オ段の長音は原則、「おう」と書いて「オー」と読むということです。ということは、「ou」とローマ字で書くと「オウ」と誤って読んでしまうことになりそうです。

ちなみにこの辞書で「遠江」を引いたところ、現代かなづかいは「とおとうみ」で、歴史的仮名づかいは「とほたふみ」、発音は「トートーミ」でした。
日本語はむづかしい、でなく、むずかしい。
[50637] 2006年 4月 10日(月)06:38:22北の住人 さん
Re:Re: 「下総」の読み方
[50588] ありがたきさん
[50602] 紫魔法師 さん
読み方の変化は、手元の辞書ではこうなってます。(括弧の中は旧仮名遣い)
上総 かみつふさ→かむづうさ→かずさ(かづさ)
下総 しもつふさ→しもうさ(しもふさ)
 (「しもつさ」の古称もある)

私は「下総=しもふさ Shimohusa」と読んでいたんですが、辞書によると「しもうさ Shimousa」になるんですね。「もう」と長音で読むのか、「も」+「う」と二音なのかは分りません。旧仮名遣いからみると長音になり、「しもーさ Shimohsa Shimosa」の読みもあるということですか。
[49821] 2006年 3月 13日(月)06:33:08北の住人 さん
Trapa japonica
[49802] 般若堂そんぴん さん
そうでしたか。付加部分も含めて学名と思ってました。
(生物は出席してただけなんで、といい訳。担任は生物だったんですけどね。先生ごめんなさい。)
[49797] 2006年 3月 11日(土)21:54:21北の住人 さん
[49716] hmt さん
[49725] スナフキん さん
別寒辺牛湿原は容易に到達できない地のようで、近くをかすめたことありますが、知床とはまた違った秘境のようです。奥地では水上を歩くのは困難ですから、いにしえの民は丸太舟を使って行き来していたのでしょう。松浦武四郎も河口からやや入った小休所を訪れています。

[49684]の「菱の実の群生地」という私の日本語はちょっと変でした。「菱の実がたくさんあるところ」か「菱の群生地」ですね。(「ベカンベ」=「菱の実」ですが、「ベカンベ」=「菱」となるかは分りません)
「ヒシ」は東アジア特産らしく、学名では「Trapa japonica Flerov」となってました。
[49684] 2006年 3月 5日(日)21:38:20【1】北の住人 さん
菱の実
[49600] hmt さん
NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。
「水の上を行き来した場所」は「ベカンベクシ」説からの引用だと思います。アイヌ語で「ベカンベクシ(pe-kam-pe-kus-i か?)=水上を通行した場所」となるのかは分りませんが、「菱があると思って水上を行ったが菱はなかった」というエピソードで「ベカンベクシ」の説明がされています。「ベカンベクシ」という言葉がアイヌ語上成り立つのかという、シロート的な疑問はありますが。
「菱がなかった」という意味なら「ベカンベなし(pekampe nashi)」も面白いかなと思ったりします。(だからシロートはコワイ!←このフレーズ、そのうち説明します。)

一方、「ベカンベウシ(pekampe-us-i)」説では「菱の実の群生地」。菱の実は食料であり、その群生地を指しているという訳です。
別寒辺牛の西側、塘路湖が「ベカンベ」の名産地とされています。名産地への道のりとして別寒辺牛川水系が存在したのなら、別の解釈も成り立つのではと、シロート的な発想が湧いてきました。
(以上、永田方正「北海道蝦夷語地名解」、更科源蔵「アイヌ語地名解」、山田秀三「北海道の地名」を読みながら)
[49582] 2006年 3月 1日(水)22:45:44北の住人 さん
訂正します
恥ずかしながら幽霊地名を作ってしまいました。[49546]で「帆越」を「ポコシ」としてましたが、「ポクシ(pok-us-i)」でした。記事訂正しました。これだからシロートはコワイ!
なお、「ポコイ」は「pok-o-i」となります。
[49546] 2006年 2月 28日(火)22:41:18【1】北の住人 さん
室蘭の焼鳥は豚です
[49521] ぺとぺと さん
室蘭市の母恋(ぼこい)は「ホッキ貝がたくさんあるところ」という意味のアイヌ語「ポク・オイ」が由来だそうで
最近疑問を抱いてる事の1つが、この「ポコイ=北寄の群生する所」説。定説に挑戦するには根拠が薄いですが、北寄がたくさんいたような地形には思えないんです。
北寄の産地としては苫小牧から鵡川にかけての海岸線が有名で、いかにも北寄がいそうな遠浅の砂浜海岸。一方の母恋は、南側は断崖絶壁、北側は、埋立てられており明治以前の状態が分らなくなってますが、遠浅とは言うには無理がありそうな地形。ここに北寄がいるのかもしれませんが、地名化する程の場所だったのか疑わしいんです。私は「蔭の処」説も捨て難いと思ってます。
似たような地名としてせたな町(旧大成町)に「帆越(ホゴシ)」があります。「ポクシ=崖下のところ」という説が有力のようですが、「母恋」も崖下という意味では似たような感じです。
[49418] 2006年 2月 23日(木)22:32:29北の住人 さん
♪胸騒ぎ残し月???
[49364] 千本桜 さん
では、私は逆の線で未来の話を。判じ物の好きな役人が昔々「ちょっけ」に「猫手」の漢字を充てたこの場所、そのうち素直な子供達が「ねこて」と言い始め、小学校の運動会では一輪車を使った「ねこリレー」、藁筵を背負った「ねこ競争」で盛りあがり、いつしか猫も杓子も「ねこて」と言う始末。とうとう200年後には改名され、もみじ饅頭のノウハウを取り入れ「ねこて饅頭」を売り出したり、猫にゃん棒が再々リバイバル。その様子を見ていた「猫島」の他の皆さん、猫手にあやかり「猫足」「猫耳」「猫目」地名が出現。猫地名コレクションをもとに全国大猫サミットが開催され、更には熊地名と合わせたパンダサミットも出現・・・なんて事を続けていると怒られそうなので、この辺で。「猫島」の皆さん、他意はないです。妄言多謝
 
[49370] 今川焼 さん
新日鐵は昭和45年でしたか。これ、調べようと思ったんですが、手を抜いてそのままアップしてしまいました。富士製鉄の時代に、橋や建物に「富士」の名称が付き、そのまま地名化したものの様です。社宅は払下げのはずなのに、手元の道路地図には「社宅十字街」のバス停名も。

ここでちょっと懺悔の部屋。この地名の由来は確実だとは思いますが、実は私は引用した文献を素直には信用していないのです。今までの書込みでかなり使っており重宝してるんですが、内心は本当に合っているのか?と思いながら書込んでいるわけです。ひょっとして間違ってるのでは、ということを出してしまうのは無責任なんですが。
この本に限らず良く使う地名本は、記述の引用方法に不信があったり、孫引き・曾孫引きになりがちなので、なるべく原典に当りたいんですが限界もあり、原典にも不信を抱くというひねくれ者で、間違いがないか探したり異説創作を楽しんでいたりするわけです。
地名の由来は、千本桜さんの書込みにあるようにいくつもの答えがあり、本にはその内の1つあるいは幾つかが書かれているんだ、というように捕らえています。特に古い文献にはその後に発見された説が載ってませんので。

[49409] N-H さん
N-Hさんの書き込みの事ではなく、参考資料となっている事典全般の感想です。私はこれも素直に信用しないものの1つになってます。とりあえずの調査には便利なんで結構使うんですが、疑っていたりもします。何となく、裏を取らねば、と思ったりするんですよね。裏取るの大変ですが。
[49335] 2006年 2月 19日(日)22:05:33【1】北の住人 さん
北海道の富士と吉原など
[49322] 今川焼 さん
「企業由来町名」コレクション ぺとぺと さん
「登別市富士町」は、昭和17年の日本製鉄(戦後富士製鉄と改称)社宅建設地で、昭和43年に土地・建物を社員に払下げたとなってます。富士製鉄従業員の住宅地が由来のようですが、地名が設定されたのは昭和49年とかなり後です。(角川日本地名大辞典から)

「富士」の付くものとして、「斜里町富士」がありました。大正7年に富士製紙が農場を設置した場所で、戦後、富士製紙の農地は全面開放されたとなってます。地名が設定されたのは昭和28年。

コレクション中「釧路市新富士町」の由来となった富士製紙、昭和44年の新町設定により、製紙工場の位置する町名が「新富士町」から「鳥取南」に変更という経緯があります。この「鳥取南」は2丁目はあるが1丁目が見当たらないという妙な場所。「新富士町」は駅名先行のようで、開駅が大正12年、地名は昭和7年。「新富士駅」は東海道新幹線にも同名駅が。

[49303] の「白老町北吉原」は、駅名が「きたよしはら」で、地名は「きたよしわら」の様子。なお、富士市の吉原駅は「よしわら」で駅名を比べると微妙に違いが。
コレクションを眺めると、富士製紙と大昭和製紙は現在の日本製紙ということで、釧路市・白老町とも今は日本製紙。「北吉原」の由来となった「吉原」の隣駅が「富士」とは奇遇。

コレクション外ですがこんな例も。「栗沢町万字曙町」など「万字」地名の元となったのは「万字炭鉱」で、鉱区を所有していた朝吹氏の家紋が「卍」であったことから。ここを北炭が開発し、町名設定後の一時期には「万字炭鉱株式会社」というのも存在した様子。
[49303] 2006年 2月 18日(土)16:24:48北の住人 さん
つれずれレス
[49125] いっちゃん さん
日本にもトリノが結構あるんですね。札幌にはオリンピックに因んだ名称として、五輪大橋、五輪小橋の他、オリンピック道路と呼ばれる通りも。この道路、オリンピックから30年以上経っており、今でも一般にそう呼ばれているかは?で、しかも複数の路線がある様子。
ウオッちずで「五輪」を検索した所結構ヒットしましたが、オリンピックに関係するのは多分、札幌と長野の「五輪大橋」ではないかと。それにしてもスノボクロスは興奮しました。

[49131] YSK さん
アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」は、条例も含めた法令とそれに関する行政実例をメインに採用するのはどうでしょう。私の書込みが幾つか入っていますが、北海道の場合という例を出しただけで、「何か?」の答えではなく、このような個別事例を外すことで記事数を抑えることができます。

[49207] 千本桜 さん
辞書によると、古くは人の手のこと自体「ちょっかい」とも言っていたようです。しかし、なんでこれが地名になったんでしょう。誰かが何かにちょっかいをかけた伝説からなのか?猫の手を借りたい事が起こったのか?猫島に関係あるのか?地名とは不思議なものです。先日は八郎潟の近くで「昼寝」という地名を見つけました。
「猫手」は意味と漢字が一致しているようですが、[49096] の「嫌侶」は当て字。でも、なんでこんな字にしたのか。命名者はその時友達か細君と喧嘩でもしていたんではないかと勘繰ってしまいます。もう一方の「貴老路」と比べるとあまりにも差が。

[49218] Issie さん
北海道にも「本町」いくつかあるようですが、「ほんちょう」「ほんまち」「もとちょう」「もとまち」といろいろです。なかには当初「ほんまち」で今「ほんちょう」とか、「もとまち」だけど「ほんちょう」とも呼ぶというのもある様子。(角川日本地名大辞典から)

[49245] ぺとぺと さん
採用条件には当てはまらないですが、こんな例もあります。(過去記事検索するとかなり前に既出でした。)
白老町「北吉原」には大昭和製紙白老工場がありますが、本社のある富士市「吉原」(当時は吉原市?)から命名されたようです。同じ昭和40年に駅名と地名ができましたが、どちらが先かは調べていません。(駅は11月1日開駅)

[49295] YSK さん
仙台の例ですが、歴史的町名復活も、新町設定(名称は別にして)も、街が変化していると言う点では同じ事ではないのかと感じました。古い地名の復活は良い事なのかどうなのか、私の中では整理できてません。伝統地名を残すという事は大切な事ですが、町名復活というのは、全く過去と同一の状態に戻るわけではないと思います。指す範囲が違ったり、復活しない地名が生じたり、時代によって町名が異なる場合はどの時代のものを採用するのかなど問題もあるのではと思います。区画整理による新町設定と同様、過去の町名を使って新たに町を作るということであれば、都市作りの1つとしての町名復活ではないかと考えます。
[49127] 2006年 2月 11日(土)21:48:57北の住人 さん
創成川と鴨々川
[49050] N-H さん
子供たちの遊び場である鴨々川は、創成川上流の一部ですが、私の感覚では創成川と別物です。鴨々川で遊んでいる時に、ここは創成川だ、との意識はありませんでした。
謎の部分はありますが、明治期の状態では、鴨々川は豊平川分流である自然河川に手を加えたもので再度豊平川に合流しており、もともとは胆振川の一部という話もあります。創成川は、その胆振川から農業用水として取水した人工河川で、鴨々川分流といった感じです。

創成川と名付けられる前は「大友堀」「寺尾堀」など堀の名で呼んでいたり、「新川」と呼んでいたようで、この水路に架かっている橋の名「創成橋」から「創成川」と付けられたようです。この川はどんどん北側に伸びて行き、最終的に当時の石狩川に接続され現在の姿になっています。
[49114] 2006年 2月 11日(土)10:38:47北の住人 さん
嫌侶
[49102] でるでる さん
私の[49096]で「嫌侶(キロロ)」の「侶」の字が間違っていましたので、修正しました。失礼いたしました。
(「嫌呂」となっている地図があったのでと言い訳。その系統の地図で縮尺が違うのは「嫌侶」でした。)
[49096] 2006年 2月 10日(金)22:44:30【1】北の住人 さん
ルシヤとキロロ
[49075] EMM さん
[49078] みやこ♂ さん
松浦武四郎の「ルシヤ」ですが、なんと発音したのかは?です。「ル・シ・ヤ」かもしれませんし「ル・シャ」かもしれません。語頭がラ行なのに「ヲルシヤ」とはならなかった様で。
現物を見たわけじゃないので、位置を確定できませんが、前後の地名から判断して、斜里側を「るうしや」と書いた古地図や、羅臼側を「ルサ」と書いた古地図があるようです。

ルシヤと似た感じで、山を挟んで両側に同じ地名がある(あった)のは、浦幌町と本別町の境界付近のこの辺り、浦幌町「貴老路(キロロ)」と本別町「嫌侶(キロロ)」。嫌侶はちょっと前の地図にはあるんですが、最近の地図からは消えてしまったようです。
[49070] 2006年 2月 8日(水)23:39:41北の住人 さん
北海道支庁図
[49063] 紅葉橋律乃介 さん
以前から範囲が気になっていた「○○郡他○郡役所」なんですが、この図を見ると良くわかります。まさに支庁の原型ですね。形の変化が面白いです。
[49065] 2006年 2月 8日(水)21:01:44北の住人 さん
ルサ川とルシャ川
[49047] みやこ♂ さん
アイヌ語では「sa」と「sya」の区別がありませんので、このような語があったとしたら、「ルサ」も「ルシャ」も同じものです。
「ルサ」あるいは「ルシャ」の、実際のアイヌ語の地名が何だったのかわかりませんが、松浦武四郎の図には両方とも「ルシヤ」となってます。
これは私的な解釈ですが「海のほうに行く道」というような感じになると思います。この川を遡れば半島の反対側に出る、という意味があったのかもしれません。この行程は、古くから羅臼側と斜里側を結ぶ要路だったようで、松浦武四郎も記しています。
[49036] 2006年 2月 7日(火)21:18:43【1】北の住人 さん
Re:意外と判らない素朴な質問
[49020] 定義くん さん
市町村については、こちらが良いのであげておきます。

「市」になる要件について-地方自治法・都道府県の条例から-
[48983] 2006年 2月 4日(土)22:15:03北の住人 さん
Re:北斗市のカントリーサイン
[48973] ぺとぺと さん
新聞の受け売りですが、ぺとぺとさんの書込みのとおり、「新函館駅」が旧大野町に設置されるためで、旧上磯町のサインだった「トラピスト修道院」とを合わせたデザインのようです。また、これは私の想像ですが、背景にある山のうちの1つは「設計山」だと思います。読みは「モッケやま」なんですが、この地方の測量の基礎となったという話もあります。(この話の詳細は未確認)
なお、旧大野町のデザインに入っていた「稲」は、北海道水田発祥の地からきてます。(「稲」と一緒になっている「温泉」については良く分りません。)
[48821] 2006年 1月 29日(日)11:49:03北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その5)
[48818] の続き。この機会に北海道の地名をいろいろ見てみましたが、最後に本題と言うか、実はこれが書きたかったので書いちゃいます。

「字美唄及茶志内」
これ、奈井江町の字名なんですが、最初は「字美唄」と「字茶志内」のことか?と思ったのですが、一続きで字名(びばいおよびちゃしない)でした。接続詞のついた字名というわけで、珍しいのでは。奈井江町には「字茶志内」もありました。さらには「字茶志内美唄」も、こちらは「及」はついてません。地名というものは奥が深い。(「字美唄及茶志内」は美唄市にもあるとのこと。)
なお、「字茶志内」は、明治25年告示で「字チヤシユナイ」が設定され、明治33年告示で漢字名に変更されてますが、屯田兵村域には漢字が適用されなかったのか「字チャシュナイ」が現在(昭和61年時点)もあります。(「角川日本地名大辞典」から)

もう1つ。標茶町に「字標茶開運橋向」という地名があるんですが、もとは「字開運橋向」。架け替えで橋の名が「開運橋」から「標茶開運橋」になったために、字名も改称したとのこと。

おまけ。「栗山町中央」はもと「栗山町字栗山」でそれ以前は「角田村字栗山町」。一方、「角田村字角田」が「栗山町字角田」に変更。まるで漢字パズルの様。
[48820] 2006年 1月 29日(日)11:37:09【1】北の住人 さん
兵庫県的市町村?(アーカイブズ提案)
何気なく地図を見ていたら、仙台市が兵庫県に似ていることに気付き、北海道では八雲町が最近該当するようになったなと思い、「都道府県 分断 市町村」で過去記事を検索すると話題になってました。
記事数少ないですが、まだ関連記事があるかもしれません。パズル的な話題としてアーカイブズにどうでしょう。タイトルは深く考えてません。村で該当するのがあるのかは不明ですが。
兵庫県的市町村

(私の一連の書込みに全角と半角の"「"が混在していることが分りました。オーナーグリグリさん、お手数をおかけ致します。)
[48818] 2006年 1月 29日(日)09:48:03【1】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その4)
[48808] の続き。自治体が成立した時点でどうなっていたかも調べてみました。成立時点とは市制(町制、村制)施行時点とし、改称した自治体は改称時点(「南幌町」については名称が「なんぽろちょう」になった時点)です。自治体により、明治期だったり昭和40年代だったりで比較の意味があるのか不明ではありますが。分類は[48797]と同じで、「参考」は[48797]の合計の数値(昭和61年時点)です。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計参考
(1)町のみ800821
(2)大字のみ3338449
(3)字のみ910415128109
(4)町と大字20022
(5)町と字630944
(6)大字と字25071
(7)町と大字と字01015
(8)その他21011321

この他、成立時点以降に変化があり、現在とは異なる状態だった自治体もあります。小樽市は当初「町」のみだったのが、合併などで「大字」「字(大字無し)」ができ、その後それらを廃止し「町」のみとなっています。(函館市、帯広市なども合併などで変化があった。)
[48808] 2006年 1月 28日(土)22:21:58北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その3)
[48797]の続き。道内の自治体には「条丁目」「線号」の区画も多く存在します。これらが「町」「字」の何にあたるかを調べてみました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

「条丁目」「条」
分類合計 市町村の例
1115026 旭川市、音更町、白糠町
18110 北見市、浦幌町、中札内村
地区1001 美唄市

「条丁目」には方角を冠した、「北○条西○丁目」(芦別市など)、「西○条北○丁目」(中標津町など)、「北○条○丁目」(足寄町など)、「西○条○丁目」(津別町など)のほか、地名を冠した例(「岩見沢市大和○条○丁目」など)も多く、「1条1丁目」の存在しない例(「札幌市南区藤野」など)もあります。

「線号」「線」「号」については旭川市と、鷹栖町・広尾町・南幌町など11町村が確認できました。
旭川市は「町」(「西神楽○線○号」)と「字」(「字近文○線○号」)があります。また、地名「近文」については、「町」である「近文町」も存在します。
鷹栖町・東川町・新篠津村などほとんどの町村は「線号」の区画には「字」がないと考えられ、「行政区」などを設定しています。
広尾町には「字茂寄基線」「字茂寄1号」など地名を冠した「字」があります。
[48797] 2006年 1月 28日(土)14:58:14北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その2)
[48785]の続き。自治体名「○○市(町・村、札幌市は「区」)」の後が「町」なのか「字」なのかにより分けてみました。これも判断に迷う部分があり独断で分類しました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計 市町村の例
(1)町のみ147021 札幌市、足寄町、歌登町
(2)大字のみ0549 浜中町、礼文町、厚田村
(3)字のみ29017109 紋別市、浦河町、島牧村
(4)町と大字2002 稚内市、留萌市
(5)町と字1034044 旭川市、帯広市、広島町
(6)大字と字0101 小平町
(7)町と大字と字0505 厚岸町、斜里町、石狩町
(8)その他414321 美唄市、南幌町、月形町

(1)全域が「町」で構成されている市町村の数。町名が全て「○○町」である自治体(伊達市など)もあるが数は少ない。無住地域に「○○町」としている例(「函館市寅沢町」など)もある。
(2)全域が「大字」で構成されている市町村の数
(3)全域が「字」で構成されている市町村の数。「大字○○字××」は対象外。上砂川町には「字上砂川」と「字上砂川町」が存在。同様の例は奈井江町にもある。「○○町字○○」のように同じ名称が繰り返される例も多い(「小清水町字小清水」など)
(4)留萌市には「礼受町」「大字礼受村」というように、「町名」と「大字名」が同じものがある
(5)帯広市など「字」が1つで残りが「町」の自治体がある
(6)「大字」は「小平町大字鬼鹿」のみで、通称小字?と考えられるものに「港町」などがある
(7)当初から「町と大字と字」だったのは釧路町のみ。厚岸町・斜里町・石狩町は当初「大字」のみだったが、その後「町」と大字無しの「字」を編成。
(8)全域あるいは一部地域に「行政区」などの名称で地名の項目が立てられている自治体。全域字無し(鷹栖町など)もあるが、ほとんどは「町」あるいは「字」が存在する。
[48785] 2006年 1月 27日(金)22:26:21【2】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その1)
昭和61年と、いささか内容は古いですが、北海道の市町村が「町」「字」をどのように使っているか調べてみました。資料は「角川日本地名大辞典」です。判断に迷う部分もありましたが、その辺は独断と偏見で分類しました。

まず、「町」「大字」「字」を使っている市町村のそれぞれの数です。
分類合計 「町」「字」の例
(1)町2948077 札幌市北区篠路町拓北
(2)大字211417 羽幌町大字焼尻
(3)字1513620171 帯広市字緑ヶ丘
(4)字無し0325 東川町
(5)その他414321 月形町月浜(地区名)
(6)町で「○○村」1001 旭川市東旭川町上兵村
(7)「大字○○町」0606 厚岸町大字湾月町
(8)「大字○○村」27413 石狩町大字樽川村
(9)「字○○町」341549 洞爺村字洞爺町

(1)記述が「町名」となっている地名がある市町村の数。通称は含めず。例は「篠路町拓北」が町名
(2)記述が「大字名」となっている地名がある市町村の数。「町」「村」の付かない大字(7,8参照)は例のほか、「羽幌町大字天売」「小平町大字鬼鹿」を確認
(3)記述が「行政字名」となっている地名がある市町村の数。「大字○○字××」の「字」は計数外
(4)全域に字が無い場合(東川町など)と、一部字がない場合(東藻琴村など)がある
(5)「行政区」や「地区」などとなっているもの。字無し(月形町?)、あるいは字が存在する(美唄市?)可能性もある。「字」が錯綜している市町村が「地区」を設定している可能性あるが、市町村により内容が異なり、正直なところ、実態不明。「東川町」のように「字」設定無しの場合、「地区」で項目が立てられている。
(6)「町」のうち、「○○村」で終わるものがある市町村の数。「東旭川町上兵村」が町名。これと「東旭川町下兵村」の2例を確認
(7)「大字」のうち、「○○町」で終わるものがある市町村の数。「大字」の下に「字」が存在すると考えられる例「石狩町大字八幡町(字高岡?)」があるが、「字」が無い場合も多いと思われる
(8)「大字」のうち、「○○村」で終わるものがある市町村の数。「大字」の下に「字」が存在すると考えられる例「斜里町大字遠音別村字ウトロ」のほか、通称字名?では「増毛町大字別苅村字谷地町」というように村の下に町がくる例がある
(9)「字」のうち、「○○町」で終わるか「○○町」が冠せられているものがある市町村の数。この例は多数見受けられる。特に「字本町」というのが多い。(歌志内市、森町、大滝村他)
[48682] 2006年 1月 24日(火)01:32:00【1】北の住人 さん
成長しました
[48638] いっちゃん さん
私も共通一時世代なので、この名が最初に浮かびます。

センター試験の地理Bを解いてみました。北海道が設問の1つだったこともあるのか、去年より良かったです。年は取ってもまだまだ成長している様です。記憶力は衰えているのですが、日常何気なく接している情報がどこかに残っている様で。私の情報源は新聞とこの落書き帳なんで、高校生の皆さん、落書き帳と合わせて新聞を読むことが良いように思えますよ。(去年も同じ事書いてるようなので、この点成長していない。)
ただし、この手の問題は北海道に住んでいる強みというのか、他の場所に住んでいる皆さんと差がつくように思えます。特にホタテやイカなんかは、スーパーのチラシなど日常生活に入っていますので。他県の細かい産地を問われたら私にはお手上げです。もっとも、会話の考察とグラフを読む能力も試しているのでしょうが。
製造業の収入の設問は、今の日本を考えさせられました。物価の地域格差もあり、表から単純に判断できないことですが、食品関係の厳しい現状をあらためて認識。私自身、何かを作るような仕事をしているわけではありませんが、物を作ることの大切さを家の子供達にも教えねばと感じた次第です。
[48559] 2006年 1月 19日(木)23:18:06北の住人 さん
Re:市町村の区域内の「町」と「字」(1)現行法と昔の法令
[48552] hmt さん
大区小区制時代の明治9年に 内務省が定めた「地所名称区別細目」
こんなふうに町、字が定義されていたわけですか、勉強になります。このあとも続きがありそうですが、一連の記事をあらためて読んでみると、興味深い内容続いています。(私の記事番号まで入っているのは恥ずかしかったですが。)

明治期の北海道庁告示などを調べたところ次のようなものがありました。(漢字体、仮名は原文と異なります。)

明治14年10月25日開拓使函館支庁第42号達(郡区役所戸長役場宛)
 各地に唱ふる字の義は其地固有の名称にして往古より伝来のもの甚多く土地争訟の審判歴史の考証地誌の編纂には最も要用なるものに付漫に改称変更不致様可心得旨公達相成候条此旨相達候事

明治33年5月4日訓令第32号(支庁区役所戸長役場宛)
 従来公称する区町村内土地の字名は容易に改称変更すべきものにあらざるも已むを得ざる事由ありて其改称変更を必要とし又新開地等にて新に字名の設定を要するときは事由を詳具し図面を添附北海道庁長官に具申すべし但町村に属するものは支庁長を経由し支庁長は意見を副申すべし

明治14年頃は、北海道の開拓が進み新しい村や地名がどんどん作られ、何か混乱や問題が生じたために達せられたのではないかと思います。このような状況が、明治16年、函館県が永田方正に命じて地名の調査に当らせる事になった背景の一つかもしれません。後に調査の範囲が全道に渡り「北海道蝦夷語地名解」が出版されています。
明治33年は一級町村制施行の年で、前年に区制が施行されています。
[48525] 2006年 1月 18日(水)22:13:08北の住人 さん
字に町のララバイ
[48501] スナフキん さん
例をあげていただき、ありがとうございます。これらの例は想定外でした。
何か歴史がありそうなんで、調べてみようかと思ってます。北海道だけなのかは分りませんが、正式な「字名」よりも「通称名」「地区名」のほうが慣用されている感じの自治体もあるので、部・区・自治会・町内会などの区域が絡んでいるのかもしれません。

留萌市は特に「大字留萌村」の地域が良くわからないです。市の中心部にも「大字留萌村」があるはずですが、道路地図には通称の町名が書かれています。正式な「字」より通称の「町」が一般的に使われるのではないかと考えています。

去年、石狩市やせたな町で「○○区」というものが誕生しました。最近流行っているのか、伊達市にも「大滝区」が誕生する様子です。

(タイトルは新聞広告に載っていた曲名から)
[48426] 2006年 1月 15日(日)23:49:14北の住人 さん
町大字
[48391] Issie さん
「地方自治法」でも「住居表示に関する法律」でも「不動産登記法」でも,「大字」という用語はなくてすべて「字」が使用されています。
前2者では「町」と「字」が等価で使用されていますから,この「字」は“いわゆる「大字」”を意味しているように思います。
「町」「字」に定義が無い前提での話です。「町」「字」は単なる行政区画の例示と考えると、「町」と「字」の関係が等価でない場合も想定されるんではないでしょうか。行政区画の大小関係が3段階になった場合、「町」「大字」「字」の順に並べようとする自治体もあるのではと考えます。[48147](ひー さん)の例「名古屋市中川区富田町大字新家字永割」のように。
(「富田町」が地方自治法第260条の「町」なのかどうか確認する必要ありますが。)
[48388] 2006年 1月 15日(日)11:17:19北の住人 さん
町字
[48373] Issie さん
「地方自治法」「不動産登記法」に関しての説明ありがとうございます。
「町」「字」は“所与のもの”というのは、私もそうなのだろうと思います。[41581] (88 さん)の行政実例(昭和23年8月9日)を見ると、「いわゆる字」という表現があり、明確な定義が無いことを示唆している様に思えます。

地方自治法第260条では条例事項としていないので、「町」「字」を調べるのは難しいですが、知事への届けが必要なので、過去の都道府県公報などで調査が可能かと思います。ただ、これかなり大変で、私は過去の字名変更を図書館で調べたことありますが、該当年の公報をマイクロフィルムで検索する作業は非常に時間がかかり疲れました。(調べに関係無い部分を読んだりして時間かかったのですが。)
札幌市の場合は、以前は北海道庁告示でしたが最近は市の告示で公表されています。ネットでも公開されていたんですが、なぜか去年から、沿革情報は見れますが、町名自体は登載中止となってました。
[48349] 2006年 1月 14日(土)13:20:17北の住人 さん
町字三題
私も興味あるので参加を。
[48333] 88 さん
地方自治法と、不動産登記法が(おそらく)「町」「字」定義が異なり
手元に地方自治法がないので分りませんが、「町若しくは字の区域」の「町」「字」は法律上定義されているのでしょうか。「地方自治の本旨」とかいう概念がありますが、自治体の区域内のことである「町」「字」は、自治体に任されていると思うので「町」「字」を使おうと使うまいと「大字」を入れよう入れまいと基本的に自由では?自治体にはそれぞれ沿革があるので、「町」「字」に関する統一した概念は無く、いわば「従前の例」みたいなものだと思います。ただし、その変更過程を公にするために第260条があるのではないでしょうか。

[48313] スナフキん さん
大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)
北海道にもそのような例があるでしょうか。面倒でなければ2、3教えてください。
境界変更などで新たに自治体の区域となった部分が、従前の「大字」と同じ名称だった場合、この例に該当する様に思えるんですが。

北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されている
次のような場合が考えられます。
・もともと「字」しかなかった自治体に合併などで「大字」のある区域ができた。意識上は「字」の区域と「大字」の区域は同列ではないかと思います。
・「町」と「字」が混在している。「町」を「大字」に相当するランクとみた場合、「町」と「字」が同列であればこのように記されるのではないかと思います。
・昭和10年前後、かなりの自治体が「大字」廃止「字」設定を行っており、「大字」を「字」に変更してますが、ランクとしては「大字」のまま今に至った。
(手元に昭和26年の北海道市町村行政区画便覧がありますが、区画の欄は同じ枠に「大字」は太字、「町」「字」は通常の字体で書かれています。)
[47571] 2005年 12月 21日(水)22:37:16北の住人 さん
源氏
[47560] 笠津前浜 さん
「前九年」「後三年」というのは、古い地形図に古戦場の記号が付いていそうな名です。記号の対象とする時代としては古過ぎかもしれませんが。
この記号が付いてる場所で一番古いのと新しいのはどの時代なんだろうかとふと疑問が。こんな事を調べるのは不可能だと思いますが。

歴史に疎いので、この戦いについて調べたみたところ、源氏と大いに関係があるんですね。9年、3年というのは実際の経過年数ではない様で。ちょっと時代が異なりますが、最近終了した義経がらみでひとつ。(録画したままで、番組は見てませんでした。)

文化4(1807)年の「東蝦夷地屏風」(秦檍麿作成)には「判官義経霊廟」というのが記載されているということです。場所は分りませんが、沙流川か鵡川の辺り。屏風にある前後の地名は、「ムカワ河上休所」「ユウバリノボリ」、この次が霊廟で、「シノタイ」「サルモンベツ会所」と続きます。「シノタイ」は「門別町富浜」に当ります。
門別町の隣、平取町には義経神社があり、このすぐ近くに、俗にUFO基地と呼ばれる場所があるんですが、最近行った事ないので現状不明です。(源氏とは関係ないですが。)
[47532] 2005年 12月 19日(月)23:35:11【1】北の住人 さん
経県値
やっと経県値を確定できました。61点ですが、多分、数年以上は変化ないと思います。

認市度も数年間は変化ないので、私的には、村の経験値アップで行くしかないかと。そこで、たもっちさんのシートを使い、村の値を計算してみたところ、宿泊7村、訪問15村、通過12村で85ポイントとなりました。
北海道にはスキー、温泉など宿泊したい村がまだあるので、今後も点数は稼げそうです。(長野県の村数には及びませんが。)

ちなみに、たもっちさんのシートで計算した北海道の率は62%になりました。他は多分10%以下でしょう。(thanks to tamotchi san)
[47498] 2005年 12月 18日(日)02:50:39北の住人 さん
流氷とけて、春風ふいて
[47462] まかいの さん
この曲、宗谷岬ではいつでも流れているような気がしますが、私の頭の中だけでしょうか。
流氷はオホーツク海沿岸の冬の風物詩ですが、一面氷のイメージとは違って、私の見たのは白い塊が散在し、白船来襲といった感じでした。もっとも、目的はオホーツクの魚介類でしたが。

宿泊費を安くするため、サロマ湖のネイパルクッピー常呂という青少年施設に泊ったんですが、利用目的書を出さないといけないので星空観察にしました。ちょうど彗星が出現していた時期で、近くの露天風呂に行く途中、車から見ただけですが。記憶が正しければ部分日食の日でもあったと思います。

冬の道東、道北に行くのは大変なので、流氷見たことのない北海道人が多いというのはわかります。
[47459] 2005年 12月 17日(土)01:14:40北の住人 さん
経県値
概算で60ほどの私、地図を見つつ、あれこれ思い出しながら数えた訳ですが、夜行や新幹線で通過した県は、飛行機で見た未踏県より、印象的には低いなと感じてます。通過県で印象的だったのは富士山を見た事だけで、他の県は未踏県と大差ないです。それよりも、上空から地図を手に見た県の方が、地図と同じだ!という感動が強かったです。もっとも、見ただけで何も経験はしていないですが。

経験ということで印象的だったのは、回転寿しのネタでした。名も知らない魚だか貝だかを頼むのはどんなのが出るのかとワクワクしました。郷土料理も食べましたが、回転寿しの方が印象強いです。

私の住む北海道、どんな事を経験すれば北海道値がアップするかを考えてみました。
・雪(吹雪の中を歩く、数日間連続除雪をする、カマクラを作る、粉雪のスキー)
 冬の通勤は辛いです。昔は傘など差さなかったですが、今は普通になりました
・ジンギスカン(ジンギスカン鍋で丸い成形肉を食べる)
 最近の我が家ではこんな食べ方はせず、焼肉と同じ状態になってます
・すき焼き、しゃぶしゃぶ
 豚のすき焼き、羊・豚のしゃぶしゃぶ
・北の魚(鮭、鰊、ほっけ、ししゃもなど)を食べる
 地物より輸入物の方が多いですが。鮭やハタハタの飯鮨(いずし)も乙
・野生動物(鹿、狐、鶴、鮭などに遭遇)
 個人的にはエゾリスが北海道的かと。熊に遭遇したら逆にポイントダウン
・牧畜(牛、馬、羊)
 牧場も観光的になってきました。子供の頃は牛乳を買いに近くの牧場へ
・炭鉱跡
 かつての北海道の産業、ずり山(ぼた山)を見て昔をしのぶ
・アイヌ文化
 観光的ではありますが、伝統文化に触れる経験も各所でできます
・自然地形
 広大な湿原・台地が北海道的かと
・村落地形
 直線的で広い区画割は、札幌など都市の区画割とはまた違った風景です
[47362] 2005年 12月 13日(火)20:28:53【1】北の住人 さん
鬼みっけ
と思ったら、まだ「鬼」コレはなかったんですね。

最近、カシミール3Dを導入し、いろんな場所の風景を眺めているんですが、話題の高千穂鉄道付近を見ていたら、高千穂町に「鬼切畑(オギリバタ)」というのを見つけました。天岩戸神社の山を挟んで反対側(西方)です。それで、地名コレクションにあるのかと思いチェックしてみたんですが、まだ早かったですね。
東方の北方町・北川町界には「鬼の目山」も。

「古祖母山」というのも面白いですね(高千穂町北部の大分県界)。「コソボ」と言うのかと思ったら、「フルソボ」でした。かなり前、本屋で立ち読みした地図本に、外国にある日本地名(読みが日本の地名とほぼ同じ)を集めたのがあったのを思い出しました。
北方町には「比叡山」というのがあります。行く年来る年で中継された事はないでしょうが。

延岡市には「行縢山(ムカバキヤマ)」なんてのもあります。「行縢」なんて言葉初めて知りましたが、伝統的な言葉なんですね。延岡市と広島県府中市には「行縢町」がありますが、職業地名(武士由来?)にも思えます。

カシミール3Dの話題はほとんど出てないようですが、今これで遊んでます。3000円弱の投資は少し迷いましたが、面白いです。家から見える山や、郷土史などに出ている見立て地名をシミュレーションしているんですが、おやっ?と思うような結果がでたりで、この方面にも使えます。

以上、つれづれなるままに。
[47216] 2005年 12月 7日(水)21:13:58北の住人 さん
鹿に煎餅あげました
皆もすなる経県値といふものを、我もしてみむとて計算しようとしましたが、記憶の壁に当ってます。10年前なら覚えているんですが、それ以前のことは少ない経県なのに、どこを通ってどこに泊ったのやら。もっとも、私の値は皆さんの平均値の半分以下なので、思い出したとしても大した点数にはなりませんが。

私の場合、中学、高校の修学旅行が点数に貢献してます。特に高校は、行きは東京経由、帰りは日本海経由で、青森と東京は乗り換えで降りてますが、あとは通過です。多分、泊った所は京都で2泊。それと奈良の散策(鹿フン音頭とか言うのが流行っていた頃だったような気が?)。前後は寝台でした(北斗星なんてありません)。これだけで私の経県値の半分は行ってます。飛行機を使う今では、さすがにこんな高校ないと思いますが、20数年前の札幌周辺高校では似たようなものだったと思います。
[47191] 2005年 12月 6日(火)22:59:57北の住人 さん
県境越えとはどんな感じ?
北海道にいると県境なんてありませんから、それを越えるという経験はほとんどありませんが、それを「支庁界」としてみた場合はほとんど意識せずに通過しています。函館や稚内、網走、根室に行く時はそこの支庁に行くんではなく、そこの街に行くという感覚です。旨いものに近づいているとも言えますが。

車の場合ですが、イベントとして大きいのは「峠」を通過する時ですね。「峠」も「支庁界」の事が多いですが、隣の支庁に向かっているという感覚は私にはないです。運転している事もありますが、「峠」を越すというのは一仕事です。
狩勝や石北は正に越えるといった感じです。茶屋によって一休みしたくなります。日勝の場合はトンネルなんで、単に通過しているといった感じに近いです。休憩せずに通過する事多いです。日勝よりもその前の区間である、穂別日高間の方が興奮します。
中山は微妙ですね。越えると言う点では他と同じですが、札幌から出る時は立ち寄る一方、札幌に帰る時は通過が多いです。上下線の施設の違いもありますが。

夜行で青函トンネルを抜けた事ありますが、「県境越えだ」という感慨はなかったように思います。お腹の中が満足になり寝るだけで、他に意識が回らなかったこともありますが。
本州で県境を超えた経験は少ないですが、富山から岐阜に車で向かった時は県境に圧倒されました。何度も「岐阜県」「富山県」が繰り返され、貴重な体験をさせてもらいました。
三陸海岸を車で走った事もありますが、景色に気を奪われ、県境通過の思い出は残ってません。
[47188] 2005年 12月 6日(火)21:23:22北の住人 さん
Re:関門にならない関門
[47161] にまん さん
原氏の算出では、山口(16)は、広島(23)・岡山(25)に比べ係数が高い(隣県との壁が低い)のですが、次のような特徴があるようです。(カッコ内の数字は係数順位、福岡は13位)

広島・岡山は中国山地を越えて隣県に行くローカル線があるが、山口にはない。
山口の隣接区間4つのうち、半分の2区間の駅が山陽本線主要駅の岩国・下関で、広島、門司・小倉方面への列車数が多い。

(なお、例として湯河原・熱海間を挙げていますが、県境駅双方に停車する列車なら特急も本数に算入しています。算入対象列車については[47122]もご覧下さい。)
[47122] 2005年 12月 4日(日)07:50:28北の住人 さん
Re:隣接係数-兵庫の場合は
[47093] 北区へ帰宅 さん
原氏も似たような指摘をしています。上位の千葉(茨城方向)、埼玉(群馬方向)でも隣接県による格差はあり、大阪の場合は、和歌山方向の本数が少なく、奈良方向と比較し、生駒山地より和泉山脈の壁が高いと考察しています。
さらに、阪神間は快速、急行が多く、県境駅に停まらない列車があるため、各駅停車の多い東京圏との差が出ているとしています。(係数計算時、県境駅に停車しない列車は除いている。新幹線も含めていない。)
また、鳥取と島根は中国山地の区間で列車本数が少ないため係数が低いが、鳥取島根間のみでみれば列車本数は多く、山陰2県間の壁より北陸3県間の壁が高いとしています。

なお、隣接県との区間数が少ない(鉄道での移動方法が少ない)県は石川・愛媛の2区間、福井・高知・長崎の3区間であり、区間数が多いのは東京(39)・神奈川(24)・大阪(19)・埼玉(18)です。
[47091] 2005年 12月 3日(土)21:32:30北の住人 さん
鉄道から見た「隣県の壁」
県境についての話題を読み、昔、蔵王に行った時に、県境云々とかいう書き込みをまのあたりにし、少しばかりショックを受け、いきさつを調べようとした事があったのを思い出しました。

さて、タイトルは講談社の雑誌「本」に連載の、原武史氏「鉄道ひとつばなし」、2004年10月号掲載分のものです。(最近も連載されているかは不明)
原氏はこの中で、隣県への地下鉄を含む鉄道区間数と列車本数から「隣接係数」というものを算出し、隣県への行き来のしやすさ、隣県とのつながりの強さともいうような「隣県の壁」の高低をランク付けしています。
(係数の基本的な算出方法は、列車本数を区間数で割った値であり、県境駅から隣県の県境駅に行く列車が1日平均何本あるかを表し、係数が高いほど壁が低い。北海道と沖縄は除く。)

係数の上位は、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、奈良、京都、兵庫、滋賀、愛知であり、特に首都圏での移動では県境の壁という意識は薄いのではないでしょうか。
係数の下位は下から順に、秋田、青森、宮崎、山形、新潟、鹿児島、岩手、島根、高知、徳島となっており、これらの県の県境に住んでいる人にとって、隣県に行くことが不便というか、生活圏にないと言ったらよいのか、隣県への高い壁があるというわけです。
[46386] 2005年 11月 1日(火)20:12:41【1】北の住人 さん
北海道の国
[46338] デスクトップ鉄 さん
「北海道鉄道敷設法」の提案時には「国」が使われていなかったという話、そこで、こんなことが起こったのではないかと想像してみました。
「奈与呂というのはどこだ。聞いたことないよ。」
「地図によると天塩国のこの辺だね。」
「それじゃ、分り易いように国も入れてくれ。」
この1896(明治29)年頃の名寄には、村がまだできていなかったようです。

道路はどうなっているのかと思い、 日本の道で古い法令類をあたってみると、内務省告示「國道表」で、北海道以外にも「○○国」が大正4年まで使われていました。

鉄道も道路も地図が絡んでいるので、地形図はどうなのか調べた所、昭和30年代頃まで「国」の境界線があり、欄外の行政区画の説明で「国」が使われています。「道路」については大正までですが、地図上「国」という概念は、昭和にも残っていた様です。
[46300] 2005年 10月 30日(日)10:13:05北の住人 さん
北海道の国+佐渡国・淡路国
[46273] Issie さん
北海道に全国と同様な「道・国・郡」を設置することで、諸外国に対し日本の領土だと主張できるということですね。
国内向け(移住者向け)の理由もあると考えたんですが、理由としては弱いですか。文書を通達するにも宛先に「国」がないと不都合だったり、どこの生まれだと聞かれて「国」が無いと困るとか。松前藩の時代は国郡を設置していないのだから、そこに住んでいる人や新たに移住してくる人々は、北海道に「国」が無いことを意識はしていなかったのかもしれませんが。
明治期の文書に、同一文書中、北海道は「○○国」となっているのに本州は「○○県」となっているのがあるのも妙な所です。

[46255]中、1922(大正11)年改正の「鉄道敷設法」で「国」を使っているのは北海道のみとしましたが、他にもありましたので追加訂正します。佐渡国と淡路国が「県」を使わずに「国」で表現しています。
[46265] 2005年 10月 28日(金)23:19:41北の住人 さん
北海道の国名
[46261] デスクトップ鉄 さん
本土で、集落名が国名に出世したのは、紀伊だけだと思いますが、さすがに明治になって制定された北海道では、多くの集落名が国名に採用されたのですね。
国名に採用されたのは「集落」名というよりも「領域」名と言った方が良いと思います。[46207] の「商場」「場所」は集落というよりも、漁場・交易などを行う一定の範囲を指しています。交易は鮭・鱒が中心だったので、その範囲はある川の河口から海岸線一帯で、隣の場所の境界までだったわけです。また、定住していたわけではないので、当初は集落というものが無かったと思います。
石狩・天塩・十勝・釧路については、「国」の範囲を設定するのに「川」を使っていると考えられます。これらの川は、比較的規模の大きな「場所」の名となっており、その河口が現在の都市名となっています。「川」名が先か「集落」「領域」名が先かということが問題となりますが、集落は後からできたものであり、「川」名が先のようです。

北海道に「国」を置いた理由は勉強不足で良く分りません。開拓殖民上の理由や対外的に必要だったのではないかと今の所考えていますが。


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