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[65315]2008年5月30日
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[75187] 2010年 5月 25日(火)20:45:53【1】ニジェガロージェッツ さん
大阪都20区の区割り構想
今日の産経新聞朝刊に,“大阪維新の会の「大阪都」構想”と題して,20区の区割り案の地図が出ていました。大阪市24区を8特別区に,堺市7区を3特別区に,周辺9市を9特別区に再編して20特別区を設置する構想ですが,以下に紹介させていただきます。区割りだけでは面白味がないので,かなり適当ですが区名も勝手に考えてみました。

区割り人口面積人口密度テキトーにつけた区名
(大阪市)中央区,北区,都島区,旭区378,67331.5611998.51上方区
(大阪市)福島区,此花区,西区,港区293,61234.148600.23西区
(大阪市)西淀川区,淀川区,東淀川区446,18340.1211121.21淀川区
豊中市388,54436.3810680.15豊中区
吹田市355,08336.119833.37吹田区
摂津市83,71114.885625.74摂津区
守口市146,63212.7311518.62守口区
門真市128,32812.2810450.16門真区
(大阪市)東成区,城東区,鶴見区355,43421.1316821.30東成区
大東市125,51818.276870.17大東区
東大阪市505,415 61.818176.91東大阪区
(大阪市)平野区,生野区334,80423.6814138.68平野区
八尾市271,49041.716508.99八尾区
松原市124,59716.667478.81松原区
(堺市)北区,東区,美原区279,96039.307123.66大泉区
(堺市)中区,南区277,04558.384745.55泉北区
(堺市)堺区,西区280,84852.315368.92堺区
(大阪市)住吉区,東住吉区289,83519.0915182.56住吉区
(大阪市)住之江区,大正区,浪速区257,62434.577452.24浪花区
(大阪市)西成区,天王寺区,阿倍野区305,53518.1416843.16天王寺区
大阪20特別区合計5,628,871623.259031.48
1特別区あたりの平均281,44431.16
(人口,面積ともに2009年10月1日のもので,今日現在の市区町村一覧(大阪府)に掲載のデータを用いています)

実際に地図で見ると,どうも大阪市内の区割り案が難儀な様子が伺え,特に浪速区,大正区,住之江区の合区は歪に感じます。この区は大阪市域8特別区では最低人口で,何となくですが,どこにも引っ付け難かったのをまとめてしまったような印象さえ受けます。このように大阪市内都心部では無理をして合区しているのに対し,一方で周辺9市はそのままの形で特別区に移行させているので,北東部に人口規模の小さな区(摂津,守口,門真,大東)がかたまっているのが特徴です。

こうなると,パズル感覚で合区の組み合わせ案を別に考えてみたくなりました。また稿を改めます。
[75138] 2010年 5月 19日(水)12:19:42【1】ニジェガロージェッツ さん
標高など
[75137] futsunoおじ さん
市の最高点
神戸市 六甲山 931m 東灘区,北区

もちろん,行ったことがあります。六甲最高峰の震災前の標高が931.13m,震災後には931.25mと,地震による隆起で12センチ標高が高くなりました。
以前は一般人の立ち入ることが出来ないところでしたが[69053],今では自由に行けるようになりました。

ちなみに,住んでいる長田区の最高点は高取山山頂で328.8m,三日前の朝にも登りました。

東京都区部 愛宕山 26m 港区愛宕1
新宿方面に標高40mを超える山があったと記憶していたので,新宿区のサイトを調べると,区内最高地点として都立戸山公園内箱根山の標高44.6mと記されています。新宿区のあらまし
小生は関東には土地勘がないので,この地点が区部の最高点かどうか判断できませんが,詳しい方はフォロー下さい。


さて,「思います」について,[75128] JOUTOU さん,フォロー有難うございました。

商談後の“考えさせてもらいます”という表現は、日本人の感覚で大概は「上司と相談のため保留」という意味になると推測します
関西で「考えさせてもらいま」と言えば,おおよそ断り文句です。(人にもよるでしょうが)
そうとも知らず「あの件,考えてもらいましたか?」と聞けば,もう断って済んだ話なので「何のことや?」と怪訝な顔をされます。
「断る!」とキッパリと言い切ってしまえば角が立つので,これからの付き合いも含めて取引関係を円滑に進める商文化とでも言いましょうか。こういう文化のない地域の人からみると,ただの嘘つきに思えて不可解かもしれません。

いつも一言多い御仁に「一言多いぞ」と苦言を呈するときに,自らも軽い笑いのニュアンスで一言多く言い,それによって,相手の一言多いことをやんわりと許す,これも関西風ですが,こういう文化のない地域の人の反応は,じゃこたろさんの言葉を借りれば
他者に対して「一言多い」といいながら、ご自身が一言多い書き込みをする。しかもそれボケつっこみという形にしてうやむやにする。しかしそれも関西流とういうものと解釈してふれないこととしました。
となります。誤解を与えないためにも,関西人同士の会話に限定したほうが良いのかも。

「思います」については,これも日本の文化でしょうか。Issieさんの言葉を借りれば,
自分の感覚と違うものが横行して,もどかしく感じることもあるのですが
テレビを見ていても「~したいと思います」の連発で,それが婉曲表現であっても,意思の表明であっても,あまりに続くとこれが耳障りで,ついテレビに向かって「思います言うな!」とか「思うだけでやめとけ!」と叫んでしまうのですが,テレビという機械に向かって文句をいうのは老化現象のひとつらしいので,傍に居る人にはこれこそ耳障りですね。

【1】40mを越える を 40mを超える に訂正など。いつも訂正が多くて恥ずかしい・・・
[75126] 2010年 5月 17日(月)10:38:55【3】ニジェガロージェッツ さん
思う
[75125] MasAka さん,レス有難うございます。

日本語の「思う」には多種多様な用法があり,使う場合には非常に使いやすい言葉です。
「思う」にはいろいろな意味があるからこそ便利に使えてしまうので、私も話し言葉ではかなり多用してしまいます
確かにその通りですが,私の場合はだからこそ,その使用を極力控えています。
使うのは使いやすいのだけれども,聴き手,読み手にとっては,いちいち「思います」の用法を判定しなければならず,「参加したいと思います」のように,その判断が難しい場合もあります。話し手,書き手には便利でも聴き手,読み手の側に負担をかける言葉であり,最近の私の場合は,「推測します」「感じます」のような言葉に出来る限り意識して置き換えています。

子供(「子ども」ではない)の頃はあまり経験しないでしょうが,社会に出ると上司や顧客から「『思う』では困るんだよ」と突っ込まれた経験は誰にでもあることと思います(←推測)。
もちろん,言っている当方はあやふやな憶測で「思います」と言っているのではなく,考察の根拠ある結論としての「思う」だったり,ある場合には確固たる意思の表明の「思う」,また丁寧な言葉使いで「思います」と付け足したりしているのですが,相手はそこまで汲み取って解釈してくれるかといえばそうではなく,逆に「思う」という言葉に不安を感じて懸念を表明されているということでしょう。

「頑張りたいと思います」「感謝したいと思います」「謝罪したいと思います」は決意・決心の意味にとらえるべきで、推測や願望という意味でとらえるのは誤りだということになります。
引用した部分の前半には同意できますが,後半は同意できません。
確かに,インタビューで高校球児やゴルフの石川さんが「これからも頑張りたいと思います」と言えば,それは決意や決心を表明していると解釈できます。そのように捉えるべきです。
しかし,私のような中途半端な人間が「頑張りたいと思います」と言っても,取り敢えず(その場では)そう言っておこうという,逃げ口上が見え隠れします。その場合,願望という意味で捉えるのは誤りだとまでは言い切れません。

感謝や謝罪の場合については,素直に「感謝(謝罪)します」と言い切ったほうが相手に伝わります。意思の表明で「思います」を付けたにしても,それが余計で,折角の意思表明が薄れてしまいます。
場合によっては「個人的には謝罪したいのだけれども,本当に謝罪してしまうといろいろ関係者がうるさいんだよ。だから今の時点では謝罪はしないぞ」という意味で「謝罪したいと思います」と言っているのかもしれません。

では,「参加したいと思います」はどうでしょうか。
決意や決心を表明して「参加するぞ」と言っているようにも,「参加したいのだけれども,まだ日程などの調整もあり思案中です」と言っているようにも,どちらにも聞こえます。
これを聞かされた幹事さんは,「はて,この人は来るのだろうか?」と人数のカウントに困ってしまいます。
決意の表明で「参加したいと思います」と言っている人に,「まだ思案中ですよね? 早く出欠を決めてください」と言えば,相手はむかつくでしょう。しかし,幹事としては尋ねないわけにはいかず,気まずい雰囲気になってしまいます。

読者は文章を瞬間的に全部読むわけではなく
ほとんど瞬間的に全部読めてしまう場合にも使われています。
「それでは解答したいと思います。 ○○市」

ただ,いずれにしましても,「思います」の多用が,文法的に間違っているわけではないので,人それぞれ,自由に使えばよいことです。
誤解してもらいたくないのは,ここで他人が「思います」と書くことを非難しているのではなく,「ニジェはこう考えている」と表明しているに過ぎません。書くのも自由,冒頭に「思います」で始めている記事を読み飛ばすのも,これまた自由です。
[75122] 2010年 5月 16日(日)20:01:48【2】ニジェガロージェッツ さん
奇妙な日本語
地理には無関係の話題にて申し訳ございません。
この掲示板でもしばしば(というより頻繁に)見受けられる表現で,以前より違和感ありありで気になって仕方が無かったのですが,ほとんどの人は気にもしていないようで,問題提起というほどのものではありませんが,書かせていただきます。もちろん,特定の個人を非難する意図は持ち合わせていません。

その1
(書き込みの冒頭に)
書きたいと思います
発表したいと思います

もうすでに書き終えて,プレビューで確認して,書き込みボタンをクリックするんでしょう。
どうして「したいと思います」なのでしょうか。

世の中にはこの表現が氾濫していて,どこもかしこも「~したいと思います」のオンパレードです。
確かに,「○○を×日に始めたいと思います」など,「×日に始めたいのだけれども,皆さんよろしいでしょうか」という意味合いで用いられるのであれば,確認の意味合いを含んでいる表現で納得できます。
しかし,自分のことで,「頑張りたいと思います」「感謝したいと思います」「謝罪したいと思います」は,なぜスッキリと「頑張ります」「感謝します」「謝罪します」と言わないのか。
スポーツで活躍した選手(特に若手)が「頑張りたいと思います」と言っているのを毎日のように耳にしますが,十分に頑張った結果良い成績に結びついているのですから,「思います」が余分に感じます。将来頑張れないような状況の発生に保険を掛けているのでしょうか。
選挙で当選して,選挙事務所でバンザイしながら「支援者の皆様に感謝したいと思います」とは,その大勢の支援者を正に目の前にして「思っているだけかい」と突っ込みたくなります。
「謝罪したいと思います」と言われても,もし私が被害者ならば謝っていただいた気分になりません。「したい」という願望を「思います」と推測されたところで,「それならさっさと謝罪を済ませてくれ」と言いたくなります。

その2
子ども

5年前に[42057]で書いたことがありますが,「子供」という表記は子が大人のお供のような印象を与えるので差別語だと捕らえる人々がいるようで,「子ども」と書くのが好ましいのだとか。
しかし,「子供」は「大人」と同じく,漢字二文字で書かれるもので,その一方をかなで書くのは好ましくないのでは。少なくとも「大人」は一字をかなで書かない(書けない)ものです。「子供」または「こども」が本来の表記では。

また「子ども」と書くと「ども」が複数形に見えてしまう。
「私ども」とか「我々男どもは~」など,自分のサイドを謙譲しての表現ならば,複数形語尾「ども」に問題はないが,他人に対して言う場合は「虫けらども」とか「貧乏人ども」とか多分に侮蔑的に使われる。ならば「子ども」は子を見下して「ガキども」と言う複数形で,これこそ差別語である。


「思います」にしろ,「子ども」にしろ,何気なく使っている表現だとは承知しています。見たところ特に攻撃的な表現ではなく,むしろ柔らかい表現に感じられそうです。
どのように表現しようと個人の自由で,私にはどうのこうのという権限はありません。ただ,何気なく使われている表現だからこそ,敢えてこのような見方もあるのだぞと,書き込みさせていただきました。
[74463] 2010年 3月 27日(土)23:37:42【1】ニジェガロージェッツ さん
ソフガワニ港
[74459] Issie さん
「浦塩」は日本限定。「ウラジオ」と言っても,恐らくロシア語では何の意味もなさないでしょう。

逆にロシア語の略称と日本での略称が一致しているものに,間宮海峡に面する港湾都市「ソフガワニ」があります。
正式名称はソヴィエツカヤ・ガヴァニ(ソビエツカヤ ガワニ とも)で,ロシア語では Советская Гавань
(英転字でSovetskaya Gavan')
ロシア語での略称は Сов. Гавань(英字でSov. Gavan') ,形容詞「ソビエトの」を冠する地名はソ連各地にあり,これを一般には Сов. と略していましたが,おそらく日本語での略称もこれをカナに置き換えて「ソフ」としたものと推察します。
#実際のロシア語での発音では Sov の後が G なので[ソヴ] と濁るのだが,Sov を単独の単語のように語末で濁らない[ソフ]となっている細かなブレはこの際置いといて。

なお,ソヴィエツカヤ・ガヴァニの「ガヴァニ」は港湾を意味し,「ソビエト」が付いているから如何にもソ連時代に開発された港のように感じられ,実際にその通りなのだけれども,帝政ロシア時代の名称は「インペラートルスカヤ・ガヴァニ」。その当時は本格的な築港はまだだったろうから「皇帝の港」というより,「皇帝の入江」といったところだろうか。
[74441] 2010年 3月 26日(金)00:09:23ニジェガロージェッツ さん
(あまり気乗りはしませんが)関西での略称
[74439] 小松原ラガー さん
モトコー(本当は「モト」の部分は漢字かな?)は別にしても、関西の場合は、「むさこ」、「のくち」、「もとはち」などのような略称はあまり市民権を得ていないような・・・。気のせいかな?

小生の子供の頃に「天六ガス爆発事故」などありましたが,大阪には「天六」(天神橋筋六丁目)や「上六」(上本町六丁目),「谷四」(谷町四丁目)など一般に広く使われている略称は多くあります。
翻って,私たちの住む神戸でも,「モトコー」(元町高架下)以外に,「ポーアイ」(ポートアイランド)とか,「西鈴」(西鈴蘭台),「北鈴」(北鈴蘭台)などは使いませんか?
[74381] 2010年 3月 20日(土)14:30:36ニジェガロージェッツ さん
神戸市16区
タイトルのふざけた本題に入る前にレスを一つ。

[74360] 油天神山 さん
要はMapionの改訂を待っているうちにズルズルと更新が滞ってしまったのですね。
やはりそうでしたか。私も[74332]で地図をリンクするのに油天神山さんのコレクションに合わせてMapionで探したのですが,地図情報が古いままになっていたので,Yahooの地図で代用しました。それでコレクションへの登録を見送っておられるのかなと薄々感じていました。
ただ,それを明確に記しておられた[72948]は見逃してしまっており,大変失礼致しました。


さて,ここから本題。
最近神戸の街情報を当たっているうちに,神戸市の区が次のように16もあるページを複数目にしました。
神戸市 (灘区 葺合区 神戸区 湊東区 湊区 湊西区 林田区 須磨区 兵庫区 生田区 長田区 垂水区 東灘区 北区 中央区 西区)
(例えば,こことか,こことか,こことか)

これはねぇ,地元では絶対にやらない間違いですから,どこかの一覧のようなものを張り付けての結果だと推測するのですが,もしかしたら,昔に廃止された区を現存するかのようにズラズラ並べて悦に浸っているニジェのような変態が居るのかもしれません。
ただ,本当にこんな区割りをしたらどうなるのか,いろいろ連想していると面白くなり,つい遊んでしまいました。

16の区から成るパラレルワールドの神戸市は,現行世界と同じように周辺の町村を編入していきましたが,区政だけが狂っています。次のような変遷を辿りました。

昭和6年9月1日 神戸市に区設置。灘区,葺合区,神戸区,湊東区,湊区,湊西区,林田区,須磨区の8区
そして早くもその翌月,湊西区の衛生組合から兵庫区への改称の陳情が寄せられる。ここまでは現行世界でも同じ。並行世界ではこの対応から狂いが生じる。

昭和8年1月1日 湊西区より旧兵庫津地区を兵庫区として分区。9区制に。

昭和16年4月1日の明石郡垂水町の須磨区への編入を皮切りに,昭和33年2月1日の美嚢郡淡河町の編入まで神戸市域は西,北,東の3方向に拡張するがそれも同じ,但し北神各町村の編入先は兵庫区ではなく湊区へ。

昭和20年5月1日 神戸区より旧生田宮村,北野村,中宮村,花熊村,宇治野村の範囲を生田区として分区し,林田区のうち旧長田村,池田村,須磨区のうち旧西代村の範囲に長田区を新設する。11区制に。

昭和21年11月1日 須磨区より垂水区を分区。12区制に。
昭和25年4月1日 東部新市域に東灘区を新設。13区制に。
昭和47年5月1日 埋立て中のポートアイランドを港島として神戸区に編入
昭和47年6月1日 湊区,灘区,東灘区にまたがる六甲山上を六甲山町とし,灘区に移管。
昭和48年8月1日 湊区より北神地域を北区として分区。14区制に。
昭和52年6月1日 垂水区名谷団地を須磨区に移管
昭和55年5月1日 北区に摩耶山町を新設し,灘区に移管
昭和55年12月1日 ポートアイランドを中央区として神戸区より分区。15区制に。
昭和58年8月1日 垂水区より西神地域を西区として分区。16区制に。
昭和60年2月1日 垂水区より総合運動公園,流通業務団地を須磨区に移管
平成4年5月20日 西区,垂水区,須磨区間の境界変更

こうして,現行の変遷に出来る限り合わせながらも,分区を連発すると16区の頭数は揃う。
そうなると,その人口規模が気になってくるので,平成17年国勢調査の町丁別人口をもとに各区の人口を計算してみた。

神戸市1,525,393
16区
東灘区206,037
灘区128,050
葺合区59,503
中央区14,423
神戸区4,802
生田区29,210
湊東区23,016
兵庫区14,399
湊西区35,872
湊区30,571
北区225,945
長田区73,707
林田区43,455
須磨区170,037
垂水区222,729
西区243,637

あ~あ,あり得ん!
[74332] 2010年 3月 13日(土)18:05:09ニジェガロージェッツ さん
外来語由来町名の新設
油天神山 さんへ
2007年10月に岐阜県各務原市で起立し,外来語由来町名に登録されているテクノプラザ1~2丁目ですが,今月3~4丁目が追加となっているのが財団法人国土地理協会の地名変更情報に掲載されています。

また,コレクションに登録されている町名で一番新しいものが2008年10月に起立した滋賀県湖南市サイドタウン1~4丁目でしたので,その後の新設町がないか過去の変更情報を見たところ,3件ありましたのでお知らせします。

2009年3月起立
富山県高岡市グリーンパーク 地図
#近くにあるオフィスパークは既に登録済み

2009年5月起立
宮城県黒川郡大和町テクノヒルズ 地図

2009年8月起立
広島県三原市須波ハイツ1~4丁目 地図


個人的には北海道に「オホーツク」を名乗る町名でもあれば,ロシア語なので間違いなく外来語由来なのですが,今のところなさそうです。
[73515] 2010年 1月 1日(金)15:43:41ニジェガロージェッツ さん
初日の出
平成二十二年 明けましておめでとうございます

今朝,夜明け前の薄暗い山道を登り,神戸市長田区の高取山頂(標高328.8m)にある高取神社に参拝してきました。西空は分厚い雲に覆われていたものの,幸い日の出の南東方向は雲が切れておりましたが,西風が強く,雲が流れて来ました。
気温マイナス3度の山頂で待つこと半時間,日の出の時刻に遅れること15分で雲の上に出たご来光を拝むことが出来ました。
長田区の人口は減少続きですが,山頂は初日の出を拝む人々でごった返していました。神戸っ子の1年はこうして始まります。

さて,今日の朝刊には厚生労働省が昨日公表した平成21年人口動態統計の年間推計についての記事が出ており,それによると日本在住の日本人人口は7万5千人の自然減だとか。小生のような子孫を残さない(残せない)不埒者が増えれば人口増加は望めませんが,これも時代の流れでしょう。

一方,1993年ごろをピークに人口減少を向かえた“先進国”ロシアでは,ここ数年のうちに減少幅が大幅に縮小してきました。
ロシア連邦の人口減少数の推移(含,外国人)
年間人口増減(人)うち,自然増減社会増減
2003年-795,445-888,526+93,081
2004年-693,986-792,925+98,939
2005年-720,668-846,558+125,890
2006年-532,583-687,066+154,483
2007年-212,130-470,323+258,193
2008年-104,859-362,008+257,149
この調子で行けば,もしかしたら昨2009年の1年間は人口増に転じていたかもと思えるほどです。2007年,2008年の社会増はロシアの好況によるところが大きいと推測できますが,昨年は世界同時不況の影響がどうであったか。
翻って昨日厚労省発表の日本のデータは出生と死亡による自然減のみのもので,社会増減や外国人人口は扱われていないので,日本国の全人口ではそれほどの減少はなかったかもしれませんが,人口減少幅が縮小したロシア連邦との対比は今後の日本の人口推移を占う上でも面白いかも知れません。

[73506] 白桃 さん
南砺(ママ)言っても
国勢調査の年であります。
こちらも,2002年以来8年振りの国勢調査が楽しみです。
[73484] 2009年 12月 31日(木)14:42:27【1】ニジェガロージェッツ さん
Re:見やすい表示
[73481] inakanomozart さん
神戸市や茨木市の住居表示の街区表示板(街区符号を記載した縦型のもの)が街区の建物の壁や塀ではなく、電柱や外灯などの柱につけてあるものが多いのが目に付きました。

こちらも思いつきの反応にて失礼いたします。
住居表示の街区表示板については私も興味のあるところですが,その設置場所についてはあまり気に留めていませんでした。
面白い視点のご紹介ありがとうございます。
ただ,神戸のどの辺りでお見かけになったのか分かりませんが,震災の影響があるかも知れません。
建物そのものがなくなっている(なくなっていた)とか,復興過程で仮設などを頻繁に建て替えたとかの事情を抱えた街区が非常に多く,その場合は電柱くらいしか恒久的な設置場所がないように推察します。
いずれにせよ,私の考察ではなく,被災と復興過程の実感からくる単なる思いつきですが。

またウォーキングのときには設置場所を注視して歩くようにします。
[73479] 2009年 12月 31日(木)13:28:08【3】ニジェガロージェッツ さん
大晦日の落書き
いよいよ今年も残すところ半日を切りました。石島・岡山オフ会をはじめ,今年も落書き帳の皆様には大変お世話になりました。
有難うございます。

昨年の平成二十年はウォーキングと山歩きで18kgの減量を記録しましたが,今年はそれほどではなく,一方で落書き帳の書き込みにも貢献できず,自分のホームページさえも稀に更新する程度と,何とも無気力な一年でした。
ウォーキングでは,今年の4月30日から札幌ウォーキングに参加しています。最初は札幌市内を巡り,次に北海道1周を終えて,米大陸に飛ばされました。246日目の今日現在はソルトレイクシティー辺りをうろついています。
メタボが気になる皆様,チャレンジされてはいかがですか?結構楽しめますよ。

とはいえ,無理な山歩きや早朝のジョギングが祟り,年末になって足首を痛めてしまい,昨年4月8日から続いた連続1万歩越えの記録が629日で途絶えてしまいました。札幌ウォーキングの月間ランキングでは20位以内につけていましたが,一気に50位ぐらいまで落ちています。来年は一から仕切り直しです。

さて,レスを少々。

[73321] hmt さん
ニジェガロージェッツさん ゆかりの ニジニノヴゴロド[8116] 生まれの作家 マクシム・ゴーリキーも ペンネームで、1932年から1990年までの間、ゴーリキー市が存在しました。

懐かしの第二の故郷へのご言及,ついつい反応させていただきます。
現地ニジニ・ノヴゴロドでの「ゴーリキー」名称は結構残っています。確かにゴーリキー州ゴーリキー市は改称されましたが,鉄道ターミナル駅はゴーリキー・モスコフスキー駅のままで,市のシンボル企業“GAZ”ことゴーリキー自動車工場ゴーリキー鉄道などなど。もちろん,市内にはマクシム・ゴーリキー通りマクシム・ゴーリキー広場も健在です。

なお,ロシアにおける現存するペンネーム由来の都市名としては,
キーロフ州キーロフ市(セルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフ=本名コストリコフ/政治家,革命家),人口464,069人
ヴォルゴグラード州セラフィモヴィチ市(アレクサンドル・セラフィモヴィチ・セラフィモヴィチ=本名ポポフ/小説家),人口9,471人
があります。
(名前は名・父称・姓の順。本名は姓のみを記した。人口は2009年1月1日現在)

[73367] ペーロケ さん
せっかくなんで児島湖締め切り堤防周辺にニジェさんを案内したいと思い、岡南飛行場経由で向かいました。
その折はお世話になりました。
途中通過した岡山市浦安の地図上の印象が,千葉県の浦安と似ていたので,地名由来で何か共通点でもあるのかと話題になりましたね。
それにしても,岡山市内の交差点の地名標識が小さくて分かりにくかったですね。「地元の人間だけに分かれば良い」と言わんばかりで,(岡山の人には悪いけど)まだまだ一地方都市だなと感じました。

余談ですが,標識としては91年に新潟市内でよく見かけた新潟の「潟」の字を「さんずいに写」で書かれたものが多く新鮮に感じました。「潟」の字は書き難いですからね。地元では自然と略してしまうのでしょうか。
ただし,中国語での「さんずいに写」は全く別の字「瀉」を表し,その意味するところが決して好印象を与えないので,中国との関わりが深くなった今日では「さんずいに写」を書かないようにしていると聞きます。
[73393] 2009年 12月 25日(金)01:11:13ニジェガロージェッツ さん
JR最多画数駅?
[73391] 大龍エクスプレス さん
問題:jrの駅名で、一番総画数が多い駅はどこでしょう?

うちの近所にも一駅。
須磨海浜公園(山陽本線・JR神戸線)64画

他に
上越国際スキー場前(上越線)も64画か。さて,JR最多画数駅はどこに?
[73356] 2009年 12月 20日(日)00:30:36【1】ニジェガロージェッツ さん
第六回公式オフ会への御礼
第六回公式オフ会閉幕から早くもひと月が経とうとしていますが,未だにその余韻に浸っています。困ったものです。
時系列で言えば石島(井島)探検を終えた[72971]に続く形となりますが,第六回公式オフ会についての御礼かたがた,オフ本会を振り返えらせて頂きます。

当日の昼,石島を後にして宇野港に到着後,ペーロケさんのお車に同乗させていただきオフ会会場の苫田温泉「乃利武」へ向かいました。後続にはあっちゃんさんを乗せたfutsunoおじさん車が続き,途中,児島湖締切堤防経由で岡南飛行場を見学しました。隣県とはいえ,私には行く機会のなかった所だけに貴重な経験でした。ペーロケさんには深く感謝申し上げます。

飛行場で時間を取った分,乃利武へは少し遅れての到着です。グリグリさん,いっちゃんさんが受付で向かえてくれましたが,グリグリさんによれば当初は誰だか分からなかったとのこと。余程過去のオフ会でのニジェの印象が薄かったのかと思いきや,JOUTOUさんのお言葉を借りれば「もっとも変貌を遂げた男」
同室には最年長のhmtさん,第四回福岡オフ会幹事かぱぷうさん,石島探検隊長88さん,そして初参加のソーナンスさんと錚々たる面々。残る室長は皆勤の方とのことで誰だろう?と思いきや,何とグリグリ御大。見事な部屋割りにはただただ脱帽です。([73154] いっちゃんさん)

配られたのが今川焼さんの「クイズ ここはどこ?」。高砂などひと目で分かる市もいくつかあったがこれには大苦戦。参考に手持ちのソ連製世界地図帳の日本のページを見るものの分かる訳なし。

一次会を前に大浴場へ。これがまた迷路の連続。斜行エレベータで7階から3階へ「上がった」り,訳の分からない構造。とはいえ,浴場で石島の雨で冷えた汗を流し気分爽快に。さすがは温泉です。大変良いお湯でした。
一風呂浴びて体重を量ると68kg,2年前の福岡オフ当時とでは23kgの減。(500ml飲料に換算して46本分か。大袈裟な表現)
大浴場をあとにして,参加者が一同に会した一次会場「ニュー桃太郎」では石島ツアー行状記の発表の大役がありましたが,探検隊一同のご協力のもと良い報告が出来,これでひとまず「お役御免」。88隊長をはじめ,石島(井島)探検隊のメンバーの皆様には改めて感謝。
お題変って一次会「クイズ ここはどこ?」の答えあわせでは結局6問の正解。景品「地図中心 北極特集」をゲット。

二次会は喫煙可能な309号室,通称「不良部屋」にて全員集合。らるふさんの「日本のバルト海」を筆頭に秀作「ヘンテコ地図」の謎解きに夢中に。
続いて談笑の中で始まった岡山十番勝負では景品にイタリアの地図をゲット。今回のオフ会も地図三昧になりました。

ところで今回の幹事役のいっちゃんさんは裏方の準備に徹しておられたようで,酒類の飲めない小生に何度もコーラを持ってきて頂くなど,本当に畏れ多いことでした。そのときは雑談に夢中で,今にして何か手伝えることがあったのではと,後悔しております。次回こそいっちゃんさんにも楽しみの輪の中に入っていただくよう,気を配らなければなりません。

夜中1時30分ごろ散会,そして就寝。翌朝6時過ぎには目覚め,朝の大浴場から朝食会場へ。朝食の後はスナフキんさんの部屋でデジタル地図の実データ展示にお邪魔し,地図製作のご苦労の極々一端を垣間見たようで,いつも見て楽しむばかりの地図の裏側には,製作者の苦心が一杯詰まっている現実を知り勉強になりました。とはいえ,私などは「見てるだけ」の門外漢ですから,一枚の地図を見て製作者の「手抜き」や完成図の「粗」などは一生かかっても見抜けないことだと認識しました。

さて,いよいよ散会となり,次回での再会を誓いつつ旅館を後にして行きと同じくペーロケさんのお車で岡山駅へ。
ふと万歩計を見ると既に1843歩も歩いている。あの旅館,一体どういう構造しているんだと一同爆笑。

ああ,楽しかったオフ会も過ぎ去ること1ヶ月。今回のオフ会開催に尽力されたグリグリさん,いっちゃんさんをはじめ,ご参加された皆様,そして無念の参加断念にもかかわらずヨーグルトの差し入れを下さった中島悟さんにはこの場を借りて深く感謝を申し上げます。
次回も参加できるといいなあと願いつつ,次に皆さんにお会いする時に福岡オフ会に現れた過去の「ニジェガロージェッツ」が再登場するようでは,私としては健康の破綻を意味しています。どちらのニジェが現れるか,楽しみにしておいて下さい。
[73241] 2009年 12月 9日(水)00:22:07ニジェガロージェッツ さん
オフ会関連レス
[73211] 88 さん
石島(井島)訪問 事前準備手配編
隊長を差し置いて石島/井島探検記を記し恐縮しておりましたが,読み応えのある事前準備手配編を有難うございました。
石島/井島探検メンバーの中には,ペーロケさんのようにケータイGPSを持ち込んでいたり,それぞれの楽しみもあって,様々な印象があったことと存じます。
それもこれも,88さんの綿密な準備があってのことでした。改めて感謝しております。

[73218][73229] グリグリ さん
岡山十番勝負@オフ会二次会
どなたがどれを正解したかよく覚えていないんですよね。
問三を正解したのは小生でした。これは即効で解かりました。
実は瞬時に浮かんだのは2都市で,広島市以外の“それ(共通項)”は昭和18年に設置され,現在でも鐘路区と龍山区の間に存在していますが,当時は「市」ではなく,2年後には外国領土になりましたから,こちらではなかろうと,残り解の広島市を回答しました。

[72966] グリグリ さん
岡山オフ会、私の周辺での話題はもっぱら十番勝負でしたが、それにしても、ちょっと入れ込み過ぎで大丈夫かなぁと思われる方が何人もいて
入れ込み過ぎなのは結構ですが,その中の一人が
「十番勝負の話をしてるんだから,関係のない話をするやつは出て行け!」
と,明らかにこちらを向いて怒鳴りました。
泥酔した上での発言かと察しますが,同じ部屋とはいえ,こちらも決して真隣りで騒いでいた訳でもなく,全く別の話題の輪を形成していましたので,正直なところ一瞬カチンときました。
親しき仲にも礼儀ありですよ,酔っぱらいさん!(覚えてないかも知らんけど)

[73137] 白桃 さん
カタカナの「ニ」ではなく漢数字の「二」
そう返してきますか(笑)
それはさておき
秀秋死後に生まれた「羽柴秀行」という側室の子がおり、叔父の木下勝俊(備中足守藩主)に預けられたとのこと
やはり何らかの形で秀秋の子孫は続いていた可能性があったのですね。ご教示有難うございました。
じゃごたろさんの書き込み[73067]もあり,どこまでが創作かを確認したかったので,不躾とは思いましたが質問させていただきました。
[73118] 2009年 11月 30日(月)09:50:44【1】ニジェガロージェッツ さん
なりすましにご注意を(笑)
雪だるま式メタボに丸刈と髭がトレードマークのニジェガロージェッツ(別名チャーリー・チャップマン)です。
第六回岡山オフ会は盛況のうちに終えたようで,ご同慶の至りです。
小生は極貧生活が続き,昨年に続き,今回も参加を見送りました。ところが,岡山には隠密の偽ニジェ[72972]が現れて一騒動起こしたらしく,わたくしのもとに抗議メールが寄せられて困っています。
石島? どこにあるんですか,そんな島。

[73112] MasAka さん
ニジェさんの顔だけは2年前の福岡オフの時と全然違っていて最初戸惑いました(大変失礼ですが)。
一次会場で貴殿の隣りに陣取っていたhennaおっさんは私ではありませんので,どうぞ御気になさらないよう。

[72972] 白桃 さん
小松帯刀 小松原ラガー 祖父は小早川秀秋
小早川秀秋は二十歳そこそこの若くして亡くなっていましたが,孫がいたんですか!
まあ,子さえ作っておけば後の時代に孫が出来てもおかしくないのですが,本当ですか?

[72956] かすみ さん
ニジェさんの嘘にはだまされません。
はて? 何のことでしょう?
[72974] 2009年 11月 28日(土)07:36:15ニジェガロージェッツ さん
上空からの写真
[72973] 笠津前浜 さん
あれは大槌島だったのか…。ハテどれが石島だったのだろう…。

ウィキペディアの直島諸島のページにある空撮写真が分かりやすく,臨場感があります。
岡山県側の石島と,香川県側の井島との植生状況の違いもくっきり。
[72971] 2009年 11月 28日(土)00:09:30【1】ニジェガロージェッツ さん
石島探検(後編) 県境到達
我々探検隊9名を乗せた「アルバトロス」は高速で海上をぶっ飛ばし直島諸島の合い間を抜け,石島港へ到着した![72921]
(気分はもう,完全に川口浩です)

石島集落はひっそりと時代に取り残されたような佇まいで,今にも雨が降り出しそうな曇天の中,寂しく私たちを迎え入れてくれました。
さて,感傷に浸っている間はなく,石島滞在に与えられた時間は正味2時間。
予定通り,まずは集落を西へ抜け,南西方向に伸びる「旧送電線管理道」を進みます。事前に地図を(何度も)作成したことから,島の地形と送電線の位置関係はしっかりと頭に入力済みです。そして実際に島に入ると,事前に地図上で変更が確認された送電線が,旧送電線と新送電線の両方が存在していました。新旧の鉄塔の位置もだいたい予想通りです。
いつの間にか,私は列の先頭を歩き,突撃役「捨て駒のニジェ」になり,88隊長は全体を纏める役に回っていました。仮に道が途絶えていても,9人も居るのだから,道を造りながら進めば良いなどと大きな気分です。
集落から後背地に伸びる徒歩道も幾つか発見しましたが,「おかやま全県統合型GIS」地図上に描かれている徒歩道を選び,忠実に辿ります。懸念されていた池は,沢筋に沿って開かれた田畑が耕作放棄地となっており,そこに水溜め場のような状態で幾つか存在していました。徒歩道はその脇を通っており,歩行の支障はありません。勾配は緩く道筋もしっかりしており,楽々と南へ進みます。
集落から歩くこと20分足らずで早くもに出ました。今まで歩いた「岡山県石島」は豊かな森に覆われた地でしたが,峠から南に見える光景は岩肌が所どころ露出した荒れた「香川県井島」の画でした。ついに県境到達を確信しました。([72923]EMMさん)
四国4県には経県のないでるでるさんにとってはここが初めて訪れる「四国」となりました。

県境到達を確認した後,「県境尾根」を西へ向かいました。次に目指すは県境上を西へ開けた「展望岩」からの瀬戸内の絶景ポイント[72627]hmtさん)です。そして約5分ほどでその場所に到達しました。
切り立った岩肌が露出したスリル満点の尾根の先端にあり,瀬戸内の島々が見渡せる絶景がそこにはありました。
歓声が沸きました。大の大人が大はしゃぎです。
「こんなとこで滑り落ちたらアカンで,(両県警の)管轄でもめるで」
「そっちの心配かい!」

88探検隊長が「岡山県」「香川県」と印字されたプラカートと,県境具現用にビニール紐を用意しており,いよいよ全員で県境を跨いで記念撮影です。

この頃には,そろそろ雨がポツリポツリと降り始めていたので,絶景を満喫しながらしばし食事休憩。小生とfutsunoおじさんはそこから少し西へと探索しましたが,あとは下り道が続くばかりとなり引き返し,20分ほどで「展望岩」を退散,全員で次の目的地,井島の最高峰「石島山」標高156mを目指し,県境縦走路を東へ進みました。
この道はあまり整備されたものではなく,人の通った形跡も稀なのか,先頭を行く突撃役の小生は蜘蛛の巣との戦いでした。尾根筋の急な露岩を登るようなところもあり,山歩きに慣れていないメンバーにはちょっと抵抗があったかも知れません。島の頂上に到達すると東の豊島方面の景色が確認できましたが,不気味な巨大な獣糞もあり,小雨とはいえ雨も降ってきました。そのまま島の東側へ縦走するのも良いのですが,先には尾根がまだ長々と続き,ここは安全策を取り,引き返すことにしました。
滑る岩肌を下るのは要注意ですが,ひとりの転倒もなく無事に通過。「送電線管理道」に戻り,そのまま石島集落へと戻りました。
休憩時間も入れて合計1時間半の行程で,歩数は10000歩を数えていました。

以上が石島(井島)探検の顛末です。
探検は大成功に終わりました。

今回の石島(井島)ツアーを企画から手配まで一手に引き受けてくださった88さんをはじめ,参加メンバーの皆様,本当に楽しい探検でした。そして,当日は石島行きが叶わなかったにもかかわらず,様々な情報ご提供やご支援をくださったメーリングリストおよび「落書き帳」の皆様,有難うございました。
最近の小生は毎週日曜日に神戸背山の山歩きをしているので,「突撃役」として少しでも先の状況を把握するために気忙しくハイペースで歩いていましたが,それにも合わせてついて来てもらう格好になってしまい,申し訳なくも感じております。
天候さえ良ければもっと凄い快感が味わえたのかとも思いますが,今回の行程でも十分素晴らしい体験になりました。

島を後にする時,集落の飼い犬がなついてきました。
「また来るからね~」とワンちゃんに別れを告げ,「アルバトロス」に乗船。

「ホンマにまた来るンかい!」
[72970] 2009年 11月 27日(金)21:51:39【1】ニジェガロージェッツ さん
石島探検(前編) 事前調査
探検隊長の88さんからもご報告があるかと察しますが,石島への誘い[72840]を書き込んだ小生からも石島(井島)探検の始末記を綴らせていただきます。

岡山オフ会に際して,有志により石島(井島)ツアーを敢行することとなり,ここ「落書き帳」にも石島関連の記事で賑わいました。
それにつれて参加表明メンバーも増え,当初3名の参加で練り始めた企画がいつしか6名に,当日には9名に膨れ上がり,石島の全人口の1割にも及ぶ「大探検隊」となりました。
石島に渡るには定期便がなく,決してお安くない海上タクシー([70899]星野彼方さん)を宇野港からチャーターすることになるのですが,人数で割ると随分と「お手頃価格」となり,大きな難関がひとつ消えました。

石島(井島)の最大の魅力はそこに岡山香川県境が存在することであり,この島に渡る限り,島の北部にある東西に伸びる尾根上に引かれた県境に到達するのが,探検隊に課せられた最低限のノルマとなります。
[70899]星野彼方さん
島には県境を跨げるような所はないそうです。行ける範囲はすべて岡山県で、香川県側に通じる道はない。
88さんも電話での事前調査にて島民から
県境は子供のころに山に登ったが、何十年も前で、よく覚えていない。
地元民はわざわざは登らない。
途中までは道はあるが、その先は道はなかったと思うし、
ため池(らしきもの)は砂防ダムで、そこからは上がるのは無理だろう。
西側へ回って行けばよいのでないか。
と聞かれていました。
確かに,国土地理院のウォッちず2万5千分の1地形図を見ても県境に通じる徒歩道の存在は記されていません。しかし,この地図には石島(井島)を南北に貫く送電線が島の南北尾根に沿って描かれています。これがあると言うことは,送電線や鉄塔などの設置物を保守,点検するための管理道の存在が推測できます。
また,私は石島の載っている古い昭和55年発行の2万5千分の1地形図「豊島」を所有しており,これには送電線とそれに並行して伸びる管理道らしき徒歩道が図示されていました。但し,送電線の位置が今とは違っており,南北の尾根よりは西寄りの,海岸線に近いところを通っていました。
そこで,今あるウォッちずの地形図を標高に沿って色を塗って島の雰囲気を出し,送電線鉄塔の場所を推測し,さらに昭和55年の旧送電線の位置と,その管理道と思しき旧道の位置を書き加えた地図を作成し,オフ会のメーリングリストに流しました。(11月16日)
当日の探検のポイントとして
1) 旧道を辿ることが可能か?
2) 旧道の痕跡がない場合,現在の送電線の管理道は存在するか?
3) 島民の話として88さんが聞かれた「西側へ回われ」とは,送電線の管理道のことか?

グリグリさんをはじめ今川焼さんや,地図のご専門のスナフキんさんからも地図を読図していただきましたが,皆さんの考察をお聞きしているうちに,旧道上に出現した池さえ越えられれば,何とか県境へと辿り着けそうだと楽観視するようになって来ました。こういう情報や交換意見を広く共有できるメーリングリストの「威力」と,メンバーのキャラクターの「魅力」には改めて感服です。

また,らるふさんからは玉野市のサイト内の胸上小学校石島分校のページにリンクのある「おかやま全県統合型GIS」の石島の詳しい地図が提示され,これにははっきりと県境へ通じる徒歩道の存在が「件の旧送電線管理道」と同じ沢筋に描かれています。この地図も探検用に加工してメーリングリストに流しました。([72898]グリグリさん)

さて,前日には88探検隊長との連絡で,上陸後は沢筋を緩やかに登る旧送電線管理道を辿ることを確認し,石島探検当日の朝を迎えました。
岡山方面へ向かう乗り換え駅の兵庫県相生駅で星野彼方さん,でるでるさんと,宇野への乗り換え駅の茶屋町駅であっちゃんさんと合流し,宇野駅ではそれぞれの車などで先に到着していた88探検隊長,futsunoおじさん,YASUさん,EMMさん,ペーロケさんと合流し,海上タクシー「アルバトロス」に乗船し,正午を過ぎていよいよ石島へと出港です。
[72840] 2009年 11月 14日(土)10:41:12ニジェガロージェッツ さん
石島,そして井島へ
いよいよ,第六回公式オフ会まであと1週間を残すばかりとなりました。
さて,[72627]hmtさんよりアナウンスがあったように,オフ会の当日に“0次会”とも言うべき,石島ツアーを敢行することとなりました。

実際,個人的に行くとなれば,[70899]星野彼方さんが丁寧に調べてくださったように,非常に困難な所です。
今回は「半地元」の88さんの企画のもと,現在のところ小生を含めて6名の参加が見込まれています。
[70899]星野彼方さんの記事にあるように,アクセスは10人乗りの水上タクシーをチャーターしますから,あと4人の空席がございます。
島の北端にある岡山県石島集落に上陸した後,県境を目指し南下,徒歩で県境を越えて香川県井島へ入りますが,今のところ道が地図上で確認できず,「探検」の要素も加わります。
本州,四国,九州以外の島で県境を越えるというのが地理好きの関心をそそりますが,写真[72627]hmtさん)のような瀬戸内の絶景を満喫できるのも大きな魅力です。

現時点での企画では,鉄道経由では10:53岡山駅発「マリンライナー23号」で茶屋町駅乗換えで宇野駅に11:35分に到着し,車での参加予定者と合流する案が有力です。集合時間がお昼前と結構遅めで,これなら(特に関西や広島など近県の人には)気軽に参加できるのではないかと察します。
石島(井島)島内には,約2時間半ほどの滞在が予定され,15時ごろには宇野を後にして,公式オフ本会へと向かいます。

まだオフ会参加をご検討の方は是非,石島へと足を伸ばしてみませんか?
泊り掛けのオフ会への参加は無理でも,日帰りの石島だけなら行けそうだという方のご参加も歓迎です。
オフ会のメーリングリストに登録をお待ちしております。
[72130] 2009年 10月 3日(土)19:04:14ニジェガロージェッツ さん
改善を望む
[72129]
爆弾投下
記事の内容については私も常々感じていたことであり,「よくぞ言って下さった!」と感謝申し上げたいところですが,「爆弾投下」というタイトルは,「手の届かないところから」または「衆人より高い位置から」ものを言っている印象を強く受け,極めて不快です。
[72076] 2009年 9月 27日(日)08:49:09【1】ニジェガロージェッツ さん
総人口と総石高のバランス
[72075]を投稿したあと,よくよく考えてみれば,1石=1人分の1年間の消費量([39982]中島悟さん)ですから,人口と石高が大体同じ様な数であれば,バランスが取れているということでした。

[72071] hmt さん
入間県(現在の埼玉県の西半分)は、人口41万人、石高約40万石でした。当時は1人が1年に1石を食べていたとすると、この県ではほぼバランスがとれていたことになります。

幕末期の人口と石高は[67156]YTさんの記事によれば,人口26,907,625人に対して石高30,435,170石でした。
返還前の沖縄を含む昭和45(1970)年の国勢調査によると104,665,171人に対して[72075]では93,427,000石(米だけの石高)ですから,こちらも釣り合いが取れています。
日本人の食生活が変わったとはいえ,2008年人口127,931,339人(都道府県の基本データ)に対して58,093,000石では,「まかない率」45.4%でちょっと怖い数字です。ニュースなどでは米の自給率は100%と言われていますが・・・。
[72075] 2009年 9月 27日(日)00:26:25【1】ニジェガロージェッツ さん
最盛期石高
[72066] oki さん
[72071] hmt さん
個人的な思いつきによる,お遊びにお付き合いいただき,恐縮です。
[72052]については,それを書きながらも,あまりにもふざけた記事になり,okiさんをはじめ過去記事を引用させていただいた諸兄にも失礼な気がして,少しばかり恥ずかしく感じておりました。
単純に米の生産高を150で割ると言う,極めて低レベルのデータ処理ですが,やってみたところ結構面白い結果が出てきたので投稿させていただいたのですが,[72066]okiさんには幕末の石高を現在の都道府県の区画にあわせて算定の上(かなりの手間であったと推測します),分析していただきました。
また[72071]hmtさんからもご考察とフォローを加えていただきました。
深く感謝申し上げます。

1石 = 150kg という換算式が,精白工程の歩合の考慮を含め,どこまで正しいものかは,残念ですが,私には証明の術を持たないので,ここは本当に「お遊び」と割り切って信用するしかありません。ですが,たまにはこういうデータ遊びも楽しいもので,息抜きには持って来いです。
和歌山県の07年米石高が24万9千石とは,紀州徳川藩56万石に比べて少ない気がしたのですが,紀伊国が今の三重県南部(東紀州地域)を含むばかりか,紀州徳川藩は更に北の伊勢国南部まで領有していたので納得。[72066]okiさんのデータには和歌山県の幕末石高は40万8千石とあり,和歌山県といえば稲作以外にも柑橘類や梅が名産で知られ,水産まで含めば捕鯨さえも無視できない数値かとも推測します。

[72060] JOUTOU さん
引越しお疲れ様です。我が家も震災以降,避難生活から再建だ,再開発の立ち退きだ,仮設だ,・・の近所での細かな引越しを毎年のようにやらされました。「細かな引越し」とは言え,家財の持ち運びに程度の差は無く,まあ,身の回りの整理にはなりましたが
人口1200万人余も有しながら小大名にも及ばない“旗本”東京都民ですが・・・(笑)
[39973]kenさんの「1万石=1000人」説から逆算すると,東京1億2千万石?

[72066] oki さん
ところで皆さんは、普段どの地域の米を食べられてますか。
私は元々北海道の「キララ397」が好みですが,最近はスーパーで安く売られている播但淡3国に摂丹2国の一部,備作の極々々一部を加えた地域で収穫された米が結構おいしく,日々味わっております。(ストレートに「兵庫米」とか「兵庫129万石」と表記しようものなら,播州,特に姫路周辺の住民から激烈なる敵意を買いそう)

幕末(1870年頃)から2007年までおよそ140年の間に、全国の石高は7割増加
「米食離れ」とか「減反政策」とか,大体の察しはついていたのですが,水稲の生産量のピークは40年以上前の過去にあります。具体的には昭和42年の1426万トンです。農林水産基本データ集
小生が中学校の社会科の授業で使っていた当時の帝国書院地図帳の巻末に,ピーク時に近い昭和44(1969)年の都道府県別水陸稲の生産量が載っていました。[72052]と同様に石高を計算し,平成19(2007)年の米の石高と比較してみます。分かっているとはいえ,結構ショッキングなデータです。
都道府県収穫高(t)69年石高(万石)07年石高(万石)石高増減増減率%
全国14,014,0009342.75809.3-3533.4-37.82
北海道933,800622.5402.1-220.4-35.40
青森489,400326.3199.4-126.9-38.88
岩手468,300312.2206.3-105.9-33.91
宮城605,400403.6272.0-131.6-32.61
秋田638,700425.8366.3-59.5-13.97
山形574,300382.9279.7-103.2-26.95
福島546,000364.0296.8-67.2-18.46
茨城501,900334.6269.3-65.3-19.51
栃木453,600302.4240.5-61.9-20.48
群馬173,200115.560.0-55.5-48.04
埼玉288,600192.4116.8-75.6-39.29
千葉396,900264.6219.1-45.5-17.21
東京11,6007.70.5-7.2-93.27
神奈川47,90031.910.7-21.2-66.39
新潟868,000578.7433.7-144.9-25.05
富山353,300235.5141.0-94.5-40.14
石川241,600161.191.3-69.7-43.29
福井222,300148.293.9-54.3-36.66
山梨56,50037.719.9-17.8-47.26
長野381,500254.3149.6-104.7-41.18
岐阜242,200161.579.8-81.7-50.58
静岡190,300126.962.1-64.8-51.08
愛知296,600197.7106.7-91.0-46.02
三重269,700179.8104.2-75.6-42.05
滋賀290,500193.7117.1-76.6-39.55
京都133,30088.954.5-34.3-38.63
大阪70,00046.720.5-26.2-56.14
兵庫342,700228.5129.3-99.1-43.39
奈良98,30065.533.1-32.5-49.54
和歌山82,70055.124.9-30.2-54.78
鳥取137,80091.944.7-47.2-51.38
島根219,800146.564.2-82.3-56.19
岡山333,400222.3116.1-106.2-47.78
広島301,800201.292.4-108.8-54.08
山口273,500182.377.5-104.9-57.51
徳島111,70074.544.3-30.1-40.47
香川154,500103.049.4-53.6-52.04
愛媛173,300115.552.5-63.1-54.59
高知131,80087.941.4-46.5-52.88
福岡447,900298.6129.3-169.3-56.69
佐賀277,600185.194.4-90.7-48.99
長崎124,20082.845.9-36.9-44.52
熊本380,600253.7140.2-113.5-44.75
大分232,500155.085.1-69.9-45.08
宮崎194,400129.652.1-77.5-59.83
鹿児島238,100158.777.1-81.6-51.41
沖縄10,9007.31.9-5.3-73.58

何これ?と言うような,恐ろしい数字が並んでいます。関が原で敗れた西軍諸大名家も愕然とするほどの大減俸です。幕末の日本一国分が吹っ飛んでいます。あまり米を食べなくなった日本人が最大の原因でしょうが,ちょっと考えさせられる数字です。ねぇ,G民党さん。

訂正【1】
全国の1969年収穫高(t)は上記表の47都道府県を合計すると14,012,900tになりますが,データの出所である帝国書院「中学校社会科地図」-昭和48年発行- には全国計14,014千tと記されていましたので訂正しました。石高以右の全国値も同様に修正しておきました。
[72052] 2009年 9月 23日(水)22:27:56ニジェガロージェッツ さん
石高
「石高」
良く聞く言葉です。
時代劇,特に「戦国もの」を見ていると必ずと言ってよいほど出てきます。
一方,ここ「落書き帳」では,YTさん[67156]幕末の国別の石高に対する興味深いデータが提示されるなど,江戸期の藩政期のものが論議の主体でしょうか。
石高と言えば「米の収穫量」とのイメージがありますが,米だけではなく,畑作や水産業,宅地までも米の生産量に換算して算定された,その地の「経済力」を総合的に表したものだとの説明がありました。

[58062] oki さん
石高の基礎となるのは水田、畑地、宅地の面積で、この面積に石盛と呼ばれる単位当たり収量(1反当たり1石など)を乗じ、これらを総計して石高が決定されます。
(中略)
重要なのは宅地も石高に組み入れられることで、結果として農耕収穫のない漁村、港町、宿場町などにも村高が付されます

そして,幕末から明治初期にかけての日本全国の総石高は約3000万石強だったと教えて頂きました。
[67156]YTさん
30,435,170
[58109]okiさん
31017135 府県概表(東京・有隣堂)

では,具体的に1石とはどの程度の量か。この解説には
[39982] 中島悟 さん
米1石は茶碗1000杯にして1人分の1年間の消費量。
と解説いただき,また都市人口との関係も指摘されていました。
[10633]ken さん
幕末の都市人口は石高と強い比例関係があります。
[39973]ken さん
1万石=1000人、というあたり、証明できると面白いのですが。
との仮説もありました。

何だか他人の記事をつなぎ合わせたものになってしまいましたが,つまり私は門外漢で,石高に関しての知識も無ければ,特別のデータも持ち合わせていない訳で・・・。
ただ,「戦国もの」のテレビドラマなどを見て,手持ちの日本史の資料を調べると,当時の越後が39万石,佐渡が2万石(太閤検地)で,一方で巷では今の米どころ新潟県の石高は600万石だと聞くと,毎日ご飯を食べながら今の日本の石高はどのぐらいかと常々気になっていました。

「石高とは米の収穫量だけではない」と分かりつつも,今の時代の米の収穫量を石高に換算すると,どの程度になるのか,実際に計算してみました。
政府統計の総合窓口には平成19年産作物統計の一覧があり,水陸稲計の都道府県別の収穫量を知ることができます。
それによると,平成19年の米の収穫量は871万4千トンで,1石=150kg相当で換算すると,5809万石になりました。
お遊びで都道府県別の「米だけの石高」も算出してみました。時代劇で「蝦夷400万石」と言えば大問題ですが,今の状況は時代劇とはまったく違います。個人的には北海道の「キララ397」が気に入っています。
都道府県米の収穫量(t)米だけの石高(万石)
全国8,714,0005,809.3
北海道603,200402.1
青森299,100199.4
岩手309,500206.3
宮城408,000272.0
秋田549,500366.3
山形419,500279.7
福島445,200296.8
茨城404,000269.3
栃木360,700240.5
群馬90,00060.0
埼玉175,200116.8
千葉328,600219.1
東京7810.5
神奈川16,10010.7
新潟650,600433.7
富山211,500141.0
石川137,00091.3
福井140,80093.9
山梨29,80019.9
長野224,400149.6
岐阜119,70079.8
静岡93,10062.1
愛知160,100106.7
三重156,300104.2
滋賀175,600117.1
京都81,80054.5
大阪30,70020.5
兵庫194,000129.3
奈良49,60033.1
和歌山37,40024.9
鳥取67,00044.7
島根96,30064.2
岡山174,100116.1
広島138,60092.4
山口116,20077.5
徳島66,50044.3
香川74,10049.4
愛媛78,70052.5
高知62,10041.4
福岡194,000129.3
佐賀141,60094.4
長崎68,90045.9
熊本210,300140.2
大分127,70085.1
宮崎78,10052.1
鹿児島115,70077.1
沖縄2,8801.9

繰り返しになりますが,1石=150kg で計算しました。
参考サイト「山代慶長一揆」,石高とは より
[71999] 2009年 9月 19日(土)22:34:37ニジェガロージェッツ さん
震災により上層階撤去
[71994] Issie さん
「…68年の十勝沖地震で3階部分が倒壊し、2階建てとして使用されたきた」
さらっと書いているけれど,すごい話ですね。

震災を経験している身としては・・・神戸っ子なら誰でも知っている(?)ことで,特にすごくもない感じますが,どこでもありそうな「天晴れ」な例というところでしょうか。

拙稿[54365]にも書きましたが,8階建だった神戸市役所2号館は6階部分が倒壊し,5階建てとして使用されています。写真
[71967] 2009年 9月 16日(水)00:14:22【1】ニジェガロージェッツ さん
オフ会とニックネーム関連
いよいよ岡山オフ会に向けてメーリングリストの開設など,雰囲気が出てきました。昨年は涙を飲んでの不参加でしたので,今年は楽しみにしています。
ところで,今回の岡山開催決定は岡山市の政令指定都市移行記念([69188]グリグリさん)でした。だとすれば,開催地の苫田温泉は「岡山県岡山市北区」と表記するようにご留意下さい(笑)

さて,実に5年ぶり(38833記事ぶり)に登場になった[71954]えっすさん,1年ぶりの登場で大学生宣言の[71952]あっちゃんさん,
おかえりなさい!

そういえば,ご両人ともかつてはオフ会を楽しみにしておられたと記憶しています。
(当時は大阪在住だった)えっすさん[19397],(現在は京都在住の)あっちゃんさん[10129][11668],今年は岡山です。いかがですが。若いご両名のご参加の実現を期待しております。あっちゃんさんはまだ未成年かと推察しますが,「酒が飲めないからダメだ」などは無関係で気にする必要はありません。おっさんでも小生は酒が一滴も飲めません。

そういえば,[70808]油天神山さんの記事に
関西プチオフ会をぜひやりましょう!
とありました。こちらも「関西ご帰還記念」など機会があれば是非。
最近はめっきり書き込みに貢献できていない小生まで名を挙げていただき恐縮しております >油天神山さん

[71938] おがちゃん さん
ニックネームご変更,私は積極的に支持します。
また,今まで「日本人」と言う,重いニックネームを背負い,その名に恥じずよく頑張ってこられたことは多くの方々が敬服していることと推察します。
2年前の拙稿[61343]を変更の理由の背景に挙げられていますが,あれは単なる数字遊びですから,お気になさらないで下さい。ただ,その後に続いた[61426]は底意地悪く感じられたかも知れません。
しかしながら,「日本人」と言う重いニックネームであったが故に,「落書き帳」デビュー以来のおがちゃんさんの驚異的なご成長もあったのかなと,肯定的に捕らえることも出来ましょう。これからは,肩の荷を降ろしてご活躍いただければと願います。

ニックネームご変更については私自身も考えたことがあります。
小生のデビュー当時はロシアのニジニ・ノヴゴロドという,神戸と同じ位の規模の街より帰国してまだ数年,その気分も抜けておらず,また女房(当時)がニジェガロートカ(露:нижегородка 「ニジニノヴゴロドっ子」の女性単数形)だったこともあり,ニジェガロージェッツ(露:нижегородец 「ニジニノヴゴロドっ子」の男性単数形)と名乗ったのですが,その後は状況が一変し,今ではニジニは縁のない遠い存在になってしまいました。
しかし「落書き帳」ではいつの頃からか親しみをこめて(??)「ニジェさん」と呼んで下さる方もおられ,オフ会では皆さんそのように呼んで下さっています。(実際には“нижегородец”の発音が難しいだけかもしれませんが)
「ニックネームのニックネーム」を頂戴したことで,幸せ者だと感謝しています。
私としては,変更願いこそ出してはいませんが,ニックネームは新しく「ニジェ」に変更した気分でいます。本当に変更すると,小生のメインである過去記事のタイトルバーが
ニジェ[ニジェガロージェッツ] さん
となり,非常に長ったらしくなります。これは避けたいところです。
因みにニジェ(ниже)とは,ロシア語で「低い」(низкий)の比較級で,「より低い」転じて「より低級,下劣」などの意味も含まれ,個人的にあまりにも的を射た表現で大層気に入っています。
正式な変更願いこそ出しませんが,これからも「ニジェ」でお願い致します。

【1】記事リンク訂正
[71128] 2009年 7月 28日(火)09:59:33ニジェガロージェッツ さん
Re: 真意
ご無沙汰しています。オフ会関連など,いろいろレスしなければならないところですが,最近は無気力でいけません。

「落書き帳」とも付き合いが長くなってくると,気に入らない表現や憤慨したくなる書き込みに出会うケースの一度や二度は,誰にでもあることと察します。かといって,いちいち噛み付くことはなくやり過ごすというのが大人の対応でしょう。
私事ですが,このような場合は,すぐには書き込みをせず,背山登山に出かけて,ひと山登って汗をかき,頭を冷やすことにしています。自分の好きな物しか置いていない自室にこもって書き込みをしていると,どうしても視野が狭くなりがちで,思い込みや偏見から相手に対して詰問調の書き込みになってしまっては恥ずかしい限りです。行き交うハイカーと「おはようございます!」と挨拶を交わして爽快な山の空気と自然に触れると,書き込みかけた反論レスなどがいちいち馬鹿らしくなり,相手にする必要なしと無視を決め込むことができます。

そんな小生ですが(今日も朝から一汗かいたところですが),これはいかがなものかと書き込みさせていただきます。

[71110][71123] 熊虎 さん
あの文脈での「ここは日本だぞ!」では、中国風の地名を付けることへの反感と取れます
私には,そのように感じられませんでした。
単純に「蘇陽峡」という地名が漢語風であることを強調している表現に感じました。
第一,チャッピーさんが中華人民共和国に対して抵抗なり悪感情なりを持っているというのも熊虎さんの推測でしかありません。「誤解を招きかねない表現」だと一方的に指摘したうえで,勝手に感情を邪推するのはいただけません。
仮に「誤解を招きかねない表現」であったとしても,オーナーのグリグリさんからも[69131]にあるように,
記事を読む場合は「懐の深さ」を最大限発揮して柔らかく受け止めてください。
と,常日頃から再三にわたって同様の趣旨の発言を重ねておられます。

港に人工島を築き「ポートアイランド」という地名を与えたのに対し,他から「ここは日本だぞ!」とつっ込まれても,確かに好い気はしないだろうが,いちいち額面通りに捉えてカリカリ来る神戸市民は少ないのではと推測します。まあ「それもそうだね」と笑ってやり過ごすぐらいのことでしょう。

[71110]だけなら「毎度のこと」とスルーしていました。大目にみて「誤解を招きかねない表現への警笛を鳴らした書き込み」と善意に解釈することもできましたが,真意を問う[71123]まで書かれると,行き過ぎの対応に感じます。
[70421] 2009年 6月 7日(日)20:14:34ニジェガロージェッツ さん
パラムシル島
お久しぶりです。気象通報の話題が出てくると,黙っているわけには参りません。

[70401] Issie さん
聴いてて「おやっ?」と思ったのが,「セベロクリリスク」。
自分のページ で確認したら,旧日本名は“幌筵島”の「柏原」。私が毎晩聴いていた30年ほど前は「パラムシル島」の名で“定例通報地点”の「マツワ島」に対する代替地点とされていたように記憶しています。

確かに,2001年12月3日までのNHKラジオ気象通報では,マツワ島の代替地点としてパラムシル島がありました。
同じ千島列島ではウルップ島の代替地点としてシムシル島がありましたが,いずれの地点も1997年頃を最後に「入電ナシ」が続き,定例地点と代替地点のどちらも入電の無い場合には両地点を続けて「入電ナシ」と読み上げていたので,「ウルップ島,シムシル島,マツワ島,パラムシル島からは入電なし」を1日3回,2001年12月3日の地点改訂まで5年間連続となると,5000回ほど毎回同じことを放送していたという珍記録になります。

2001年12月の地点改訂では,拙稿[28888]にもあるとおり,永らく入電の途絶えた上記の千島4地点(代替地点を含む)を削除して,新たに定例地点をパラムシル島北部の都市「セベロクリリスク」とし,その代替地点をカムチャツカ半島の南端に近い「オゼルナヤ」に変更し,結果1地点の減少となるため,新たに「南鳥島」の追加となりました。

つまり,旧来の「パラムシル島」と,現在の「セベロクリリスク」は全くの別地点であり,国際式通報式 "synop" の地点番号で言えば「パラムシル島」は32217番でパラムシル島南部の千倉岳付近の温祢古丹海峡沿岸部に,「セベロクリリスク」は32215番でパラムシル島北部の柏原で幌筵海峡沿岸に位置しています。

ところで,(ものすごくマニアックですが)ラジオ短波の気象通報(日本時間09時のデータで12時20分から15分間の放送。船舶の報告と漁業気象との間にコマーシャルが入る)がかつて存在していたことをご存知ですか。
ここでは「パラムシル島」は定例地点の一つでしたが,「ホロムシロ」と読まれていました。


追記:
[70399] hmt さん
[70310] hmt さん 「伊能図」について
書いた本人が忘れているような,過去記事のフォローまで有難うございます。
常に多くの過去記事にさり気無くスポットを当ててくださり,詳細に論理を展開されていくお姿には本当に頭が下がります。
[69277] 2009年 4月 18日(土)11:29:23ニジェガロージェッツ さん
"Ш" или "С"? (「シャー」それとも「エス」?)
[69233] Issie さん
はじめから シャー だったのでは。

否定するわけではありませんが,俄かに賛同もできません。
この理屈だと,北海道にあるアイヌ語起源の知名でさえ,ロシア語で表記する場合は日本語名を気にすることはなく,たとえば積丹は Шакотан, 知床は Ширетоко との表記に なってしまうかも知れません。公式(測地および地図作成連邦局など)の表記では,日本語発音に沿って積丹は Сякотан, 知床は Сиретоко と書かれています。
アイヌの土地であったのを(他国の領土を経ず)直接ロシア帝国領に組み入れた北・中千島とはちがい,北海道色丹島の場合は1945年まではロシア(ソ連)の支配が及んだことはありません。(彼の国では占領後,都合のよい歴史を捻出して,色丹も「ロシア固有の領土」だなどと宣っているのは置いといて)

もっとも外国の地名など,自国の言語表記では正確には表せないのは当たり前のことで,巷では実際には積丹や知床でも Ш で書かれているものも散見されるのは致しかたありません。Ш(シャー)にしろ С(エス)にしろ,どちらを使うかはその人の感性でもあり,少なくとも間違いではありませんので。

ところで,ロシア語の地名位置検索サイトВсе города Российской Федерации(見る場合は文字化けするので,エンコードを「キリル言語-windows」に設定)には, Сахалин(サハリン)の Ш を引くと,Шакотан(シャコタン)も Ширетоко(シレトコ)も出てきます。北海道ではなく樺太の地名です。現行のロシア地名だけでなく日本時代の地名が出てくるのは面白い所です。

[69271] Issie さん
1889年に明治政府が「千島国」を設置した
数字の打ち間違いと推察しますが,これでは1875年のサンクトペテルブルク条約(千島樺太交換条約)の後になってしまいますから,1869年の間違いでしょう。[67072]hmtさんの記事にも明治2(1869)年の文書がリンクされています。

[69269] 紅葉橋律乃介 さん
「瑤」という名前を付けた方に伺ってください(笑)。
ご存知のとおり,「伺う」は自分の動作に対する謙譲語です。“「瑤」という名前を付けた方”を立てている表現とすればおかしくないかもしれませんが,他人(興田小さん)に対して「伺ってください(笑)」とは,瞬間的に違和感を覚えます。

私も勢いでポカをやらかすことがしばしばですから,過去ログを見れば大概の間違いが見つかるでしょう。特に敬語については二重敬語などを頻繁にやらかしています。実生活でも「各位様」など恥ずかしくなることの連続です。元々「ものを書く」ということに縁の薄かった小生ですが,ここ「落書き帳」に出会ってからは,かなり勉強になりました。
[69234] 2009年 4月 15日(水)00:41:17ニジェガロージェッツ さん
念のため
[69233] Issie さん
(一応,私もロシア語の知識はあるので念のため。)
存じ上げております。
ロシア製の同じ地図帳もお持ちだったとも記憶しておりますが,出先の携帯からの書き込みでは,地図の確認が出来なかったことと推測します。
ただ, たとえIssieさんへのレスの形をとっているとしても,掲示板に書く以上はロシア語の知識のない閲覧者にも分かるように説明するのを心掛けております。貴殿にはちょっとしつこいレスになって恐縮ですが,一応,こちらも念のため。
[69232] 2009年 4月 14日(火)23:04:33ニジェガロージェッツ さん
遅きに失した纏めレス
子供の頃から変なニジェは,小学校の国語の授業で初めて「温故知新」という四字熟語に接した瞬間,中千島の地図が脳裏に浮かんで離れませんでした。(オッサンになった今でも温祢古丹島と新知島を連想します)
そんな小生には,一般の北方領土の認知度の低さが信じられません。

横レスながら,ひとつだけ。
[69221] Issie さん
シコタン島 はロシア語でも「シコタン」(ローマ字に転写すると Sikotan )。
色丹島はロシア語では остров Шикотан ですから,これをローマ字に転字すると ostrov Shikotan です。
Sikotan だと Сикотан でなければなりません。
ロシア語アルファベットのローマ字翻字は,使用する機関や通信する相手国言語により数種ありますが,ロシア文字の「С:エス」は「S」に,「Ш:シャー」は「Sh」に対応するのが一般です。
日本語の「し」をロシア語で表す場合は「ши(=shi)」ではなく「си(=si)」と書きます。このことから,あくまでも推測ですが,1945年まではロシア(ソ連)でも Сикотан と表記していたのを,占領を機に Шикотан に改称したのかも知れません。

さて,タイトルの通りの遅きに失した纏めレスにて恐縮ですが,諸々。

[68464] ペーロケ さん
「大きな街区番号」について
岩国市南岩国町2丁目も欠番があるものの、江別市美晴台と同じく、112番まであります。
情報ありがとうございます。南岩国町2丁目には欠番(42,43,44,45,66)がある分,江別市美晴台の次点の感はありますが,取り敢えずの暫定最高街区番号です。
また,同じ岩国市内の牛野谷町3丁目、平田3丁目、室の木町4丁目などリンクしていただいた地図からは,画一的な市街地ではなく,複雑な地形状況のもとで,ある所は自然な市街地拡大,またある所は虫食い開発のような所も含めて,旧来の地名と境界を尊重して一つの丁目にまとめて住居表示したような感じを受けました。

[68478] inakanomozart さん
「十」の読み方について
関東経済産業局でいっとじゅっけんという月刊広報誌を発行しています。
情報ありがとうございます。リンクしていただいた広報誌のタイトル,「十県」は「じっけん」だとする文部科学省の国語審議会も閉口では?
もっとも、国の機関は他の省庁のいうことなどあまり関心を示さず、常用漢字音訓表など眼中にないのかもしれませんが・・・(笑)
案外,そんなところかと納得できる話です。

[69190] 白桃 さん
拙HPについてさりげないコメント,恐れ入ります。まだまだ工夫不足にもかかわらず,ページ数だけが結構多くなってしまい,今更なにかしようという根気が失せつつあります。ところで拙稿[69159]にて自分のホームページ運営を「遊び半分でやっている」と書いてしまいましたが,これは大きな間違いで,実際は「混じりっけなしの純粋100%遊び」です。
そんなこんなで,これからは「白桃市町村人口研究所」に期待です。

[69204] YT さん
今のスピードでは、おそらく完成に1年間かかります。
それだけのデータを1年で纏める見積もりとは,かなりのハイペースではと察しております。仮に作業をされるとして,時間をかけても無理のなきように。実際,1年などあっと言う間です。

[69188] グリグリ さん
「第六回公式オフ会」について「岡山案」「首都圏案」の二案どちらでも万難を排して駆けつける所存です。今から楽しみにしております。
[69165] 2009年 4月 9日(木)00:39:53ニジェガロージェッツ さん
デザイン変更など
[69139] オーナー グリグリ さん
サイトデザインの変更構想ご苦労様です。(案外,結構楽しんでおられるのでは?)
当初は背景色を明るくする変更を念頭に構想されていたものが,最終的には背景色はそのままでフォントサイズとページ幅の変更に落ち着きそうで,現在のデザインが概ね好評であることを考慮されてのご決断かと推察します。
グリグリさんのご本心ではもっとドラスチックに変更して,あっ!と驚かせるようなデザインにしたかったのかもと邪推しているところです。前回2003年のリニューアルの時の変更にはびっくりしました。
なお,2003年正月のリニューアル直前の落書き帳がInternet Archiveに保存されています。
http:// の後に www.glin.org/prefect/pforum/ を入れて検索すると,「Aug 19, 2002」「Nov 18, 2002」「Dec 31, 2002」が出てきます。 但し,背景色はもっと黒っぽい単色に近かったように記憶しています。
#保存された「落書き帳」へ直接リンクしたかったのですが,アドレスに http:// が2つ重なるためか,うまくいきません

ところで,拙[68908]にて,当時のオーナーのニックネームを「管理人グリグリ」さんと間違えて表記してしまいましたが,正しくは「グリグリ(管理人)」さんでした。オーナーのニックネームを間違えるとは記憶も曖昧なもので,申し訳ございませんでした。
#ニックネームを間違えるな,と拙[68947]にて偉そうなことを言っておきながらドツボでございます。

さて,ご提示くださった
サイトの背景色とフォントサイズについて(最終案)
「サンプル800小」に一票を投じます。
最初は「サンプル可変小」が理想的と感じましたが,表形式の簡易入力機能との関連では表示幅固定は捨てられないと考えます。可変の場合,モニターの表示幅を小さくして見る場合には表が崩れてしまう懸念があります。今後のことだけなら兎も角,過去ログも変更対象ですから切実です。また,[69157]futsunoおじさんは逆に,大きな表示幅を前提にした表作成へのご懸念も書かれていましたが,これも確かに言えることです。また,futsunoおじさんの検証によると
(800pixでは現状より約1文字減る。)
とのことであれば,ちょっと半端ですが820~830pixelぐらいが結構妥当なところかも知れません。
900pixelだと,うちのPCのように全体の1024pixel幅から「お気に入り」表示で左端が削られると,確実にオーバーしてしまいます。
以上,勝手なことばかり書き綴り,申し訳ございません。古いPCを使っている者の一意見としてお流し下さい。


[69131] グリグリ さん
書込訂正機能と書込みスタイルの件
[68873]つきましては,出すぎた真似にて恐縮です。
既に治まった件につき,[68873]を投稿するに至った個々の経緯については差し控えますが,書込訂正機能の利用法については,それほどの懸念は持っていませんでした。(本件とは別の話ですが)むしろ以前より問題に感じているのは記事削除の方です。

記事を書く場合は「相手への配慮」を最大限に発揮してください。
との願いですが・・・
相手に対して苦言のつもりで“きつい書き込み”をして,(相手が目にしたと思われる)数時間後にそれを削除する行為を見かけることがあります。書き込みの内容そのものについては概ね正論を述べている場合がほとんどですが,相手への配慮を感じさせる文言は不足していると感じることがしばしばです。
相手に対して「キズ」を残さない記事削除こそが配慮であるとの考えもあるかもしれませんが,掲示板上での文字は削除されても相手の心にはしっかりと「キズ」が残り,多くの閲覧者の記憶にも残ります。むしろ傍目には,言いたいことを言ってそれを削除するなど,無責任な行為に思えてなりません。これでは,せっかく(勇気を出して)述べられた“正論”も台無しになってしまいます。
もっとも,読む側も
「懐の深さ」を最大限発揮して柔らかく受け止めてください。
と鷹揚にならなければなりませんが,このあたりの「苦言」と「配慮」のバランスは実に難しいものです。
[69159] 2009年 4月 8日(水)01:41:30【1】ニジェガロージェッツ さん
データ系書き込み (自戒も込めて・・その2)
[69144] YT さん
日頃よりYTさんの妥協を許さない正確な人口データを楽しく拝見しておりました。あまり目にすることの無い江戸期や明治期などの過去のデータを発掘し収集するだけでなく,合計値などで数値の整合性を検証する作業,一筋縄ではいかない大変な作業であることが容易に想像できました。また,当時とは「行政区画」の定義そのものも変わっており,データひとつひとつに地理的な検証や考察も要求され,ここまで来ると個人の趣味というよりは,完成の暁には国家的な価値さえあるのではと感じておりました。

個々のデータ書き込みについては,拝見するだけでコメントは控えておりましたが,グリグリさんからの[69135]
皆さんのご意見をお願いします
を受けて,常日頃YTさんの「データ系書き込み」に接して感じたことをお伝えしたく(今更ながらですが,興味深いデータへの御礼も兼ねて)はじめてのレスを書かせていただきます。

率直な感想としては,先に述べたように国家的な価値さえありそうな貴重なデータを,たとえ人気サイトとはいえ,他人(グリグリさん一個人)の掲示板の過去ログに埋もれさせてしまって,何と「もったいない」ことを・・・という点がひとつ。
それに加えて,データの膨大さから,その発表の場として掲示板に投稿を重ねるのでは,やはり場違いであると感じておりました。

私は,折角の貴重なデータには,それに応じた「土俵」を用意してこそ,価値が出てくると確信しています。
それには,ご自身でサイトを立ち上げるのが一番ではないだろうかと考えます。
Wikipediaの編集方法はどうなっているのか小生は部外者なので存じ上げませんが,それなりのルールがあるものと推察します。一方で自分自身がサイトを運営する場合は,自分の好きなように,最もデータが効果的に提示できると思われる方法で,いかようにも自由に工夫が出来ます。
今では各プロバイダーが用意している無料で運営できるホームページの容量も結構大きく,特に写真画像などを多用しなければ十分活用できるかと推測します。もし,積極的にデータを集めて,それを公表しようとお考えでしたら,是非チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

実は,(ここに出入りされているほとんどの方は知っていることですが)これは小生自身がアドバイスを受けたことでもあります。
今から思い出しても恥ずかしい話ですが,6年前の2003年春まで小生は日本に近いロシアの極東地域とシベリア地域限定で,地理状況と都市の人口データを手探りで集めて「落書き帳」に発表していたことがありました。それが完了したときに頂いたアドバイスで,今でも忘れられないのが
[16077] 2003 年 5 月 28 日 (水) 21:31:09【1】 ken さん
ニジェガロージェッツさんお疲れ様でした
と,[17815] 2003 年 7 月 5 日 (土) 06:10:59 グリグリ さん
ふぉろ~ ふぉろ~ XVII
でした。結果,今では自分でロシアの人口データサイトを立ち上げて6年近く経ちました。
もちろん,YTさんが探求分析されているデータと,小生が遊び半分でやっていることでは,その性質が違うことは理解しているつもりです。ですが,kenさんとグリグリさんより6年前に頂戴したメッセージが,YTさんにも何かの一助になるのではと察します。

あまり自分のページへリンクするのは気が引けるのですが,過去の「落書き帳」拙稿(恥ずかしい悪例)との比較の例として提示しておきます(内容的にはほとんど変わりません)。ご参考まで。
[9178] サハリン州
拙HPより サハリン州

これからもYTさんのご活躍を期待しております。
[69053] 2009年 3月 29日(日)23:11:37ニジェガロージェッツ さん
六甲の米軍基地
今日の神戸は晴天に冷たい風が心地よく,絶好の山登り日和でした。いつもは神戸の背山を歩くのですが,JRで灘駅まで行き,今日はちょっと東へ遠出して六甲山へ。
摩耶山の南東に突き出す山寺尾根は「摩耶最強」と言われる急峻な登り道で,神戸市発行の六甲全山マップにも記載が無く,どおりでハイカーの少ない登山道でした。麓の長峰堰堤から山上の掬星台まで55分と,休むことなく快調に登りましたが,ただ一人,ジャック・バウアー似の西洋人が体力任せにもの凄い勢いで通り抜けて行きました。何か見てはいけないものを見たような。(笑)
摩耶山掬星台からは六甲全山縦走コースを東へ進み,凌雲台を経由し六甲最高峰へ行き,南へ下山し,住吉川上流に沿った「住吉道」を下り,JRの住吉駅まで歩き通しました。

凌雲台へは拙稿[68456]以来2か月ぶりの訪問です。2か月前には
「回る十国展望台」の跡地は工事中のハゲ山で立入禁止
でしたが,今では跡地の整備工事は完了しており,展望広場として開放されていました。ですがここからも神戸方面の見晴らしは「六甲ガーデンテラス」のカフェの建物が邪魔でした。

六甲最高峰(標高931m)には1985年以来24年ぶりの訪問となりました。学生時代には趣味の六甲登山で頻繁に足を運んだ六甲最高峰でしたが,最高峰山頂は米軍に占領されており,両耳形の「ミッキーマウス」と呼んでいた巨大な米軍基地のパラボラアンテナが特徴的でした。我々が言う「最高峰」とは,基地外に設置された最高峰を示す石碑の立つ「仮の頂上」です。今日もそこを目指しました。
ところが,最高峰に近づくにつれ見慣れた威圧するかのようなミッキーマウスの形が違っていることに気が付きました。しかし,まあ見る角度によって違っているのだろうと軽く考えていたところ,最高峰に到着してみると,あまりの変化にただただ「唖然」。

米軍基地が・・・・無い!!!

神戸市の標高最高地点でありながらも,決して立つことの許されなかった六甲最高峰頂上。そこに,あまりにも呆気なく立っている。頂上でハイカーや最高峰近くの茶屋で米軍基地について尋ねると,「とうの昔の震災前」には撤去されたとのこと。今ある頂上よりちょっと下に建っているアンテナは震災後に設置された自衛隊の通信施設だそうな。

帰宅後,ネットで検索すると米軍基地は1992年に撤去され,六甲最高峰頂上は神戸市に返還されたようです。
「六甲山 米軍」で検索すると結構面白いページが多くヒットします。
「神戸市に返還」といっても,山頂が米軍に占拠されたのは終戦直後で,当時あそこは神戸市域ではなかったですがね。まあ,細かいことはさて置き,初めての最高峰登頂に感動しつつ,時代の流れと自分の無知をしみじみと思い知り・・(笑)
[68947] 2009年 3月 21日(土)10:01:06【2】ニジェガロージェッツ さん
地理
[68938] 高崎ダルマ さん
はじめまして。
「地理」とはどのようなテーマかちょっと分かりづらいのですが,人それぞれによって,その捉え方は様々で,これほど掴みどころのないテーマは少ないのではと感じています。
小生は「地理」という学問を専攻したことはなく,学科として「地理」を学んだのは高校1年生での授業が最後でした。私自身,サブタイトルに「地理雑学」などと称したサイトを立ち上げて運営していますが,あんなものが地理と呼べるのかどうか正直に言って自信はありません。
ここ「落書き帳」でも地名さえ書かれていればそれが「地理ネタ」と言えるのか,とか,いろいろ感じることはあります。
ですが,学問としての「地理」はせておき,私のような,この分野では門外漢にもかかわらず単に「地理好き」と称するものにとっては,地理とは極論すれば「この地球上何でもあり」のように解釈しています。
地理の本筋から若干ずれていても,鉄道を含む交通,おもしろ地名,こんなところへ行って来たという話題,市町村合併などの行政,各地の歴史,気候,建築学科で勉強する都市計画学さえも,広く捉えれば「地理」と関連性はないでしょうか。

大半が鉄道の話題。そのほかも地理とは関係ない内容が多い
確かに。ただこれは,たまたま直近にブルートレインの引退や阪神なんば線の開業など,世間のニュースで鉄道絡みの出来事が続き,それがここでも話題として取り上げられて盛り上がったという側面もあります。ただ,そんな中で「駅名に連続する地名」の話題が続いてしまったことは,タイミング的に鉄道に興味のない方にはまずかったような気もします。
とはいえ,ここは掲示板です。そのようなことは気にせず,ご自身の関心のある地理の話題をどんどん書き込みしていけば良いのです。きっと反応されるかたがいらっしゃることでしょう。

[68943] オーナー グリグリ さん
はじめてご訪問される方のお名前を間違えてはいけません。貴兄の時代に流通していた五十円じゃないんだから。
[68908] 2009年 3月 20日(金)21:29:23【1】ニジェガロージェッツ さん
背景色
若干,過去を振り返りつつ・・・

[68895] オーナー グリグリ さん
現在の状態にリニューアルされたのは2003年1月(予告[6844],開始[7285][7296],完了[7910])のことでしたか。早いものでもう丸6年経ちましたが,現在の背景色については
[7303] 松戸 さん(当時)
掲示板もなんだか爽やかな感じで良いです☆
[7337] 蘭丸 さん
それにしても、この明るく清涼感溢れる色使い、グリグリさんのセンスには敬服いたします。
などなど,好評でした。それまでは背景色は限りなく黒に近い濃紺,文字は白であったように記憶しています。以前はページの幅もちょっと狭めであったような気がします。
私も今の落ち着いた色合いが大層気に入っており,「都道府県市区町村」にアクセスしてこの背景色を見ると,我が家に帰ってきたような気分になります。
さて,当時のリニューアルのきっかけにも,
[7285] 管理人グリグリ さん(当時)
(1) より見易くするため(最近年のせいか画面の文字が見辛くなってきました)
がありました。
かくいう小生も,当時のグリグリさんの歳に近くなり,今のところ生活に不都合はありませんが徐々に老眼を意識するようになりました。これが6~7年後となると,はっきりと「老眼です」といってしまうようになるかも知れません。その時には今の背景色がどう見えるのかは想像できないのですが,現時点の小生の目には変更の必要性を感じません。

変更の[68895]にて提示していただいたサンプルから,小生の個人的好みを述べさせていただければ,30%から50%くらいの明るさUPが見やすくて良いのではと感じます。
あまり背景を白っぽくしてしまうと,逆に目がチカチカして,読んでいて疲れそうな気がします。背景を白く,フォントを大きくというのも考えられますが,フォントを大きくするとレイアウト(特に表形式の書き込み)が崩れてしまい,不細工な気がします。
明るさのUPより,例えば背景色そのものを変える手もあるでしょうが,それも今以上のものとなると,ちょっと想像がつきません。

以上,「意見」というより,個人的な好みばかりですが,どうでしょうか。
[68873] 2009年 3月 19日(木)00:48:13ニジェガロージェッツ さん
スタイルの問題か?
ここ数日,自分の運営するサイトの人口データ更新作業に没頭しています。
それに伴って,2008年1月1日までの1年間にロシア全土で行われた市町村行政単位の変更状況も合わせて整理しているのですが,これが奇妙。2005~06年に各地で行われた町の村への格下げなどの多くを撤回し,また元に戻しています。
何でも05~06年の変更は法令に沿ったものであったのだが,ロシア語の略称で“ОКАТО”と呼ばれる,直訳すると「全ロシア行政区画分類」への変更が受理されていなかったとかいう,訳の分からないものでした。
その中で,2005年に町から村へ格下げとなったサハ共和国アルダン地区の2町(ボリショイ・ニムヌィル町,ウィルルィマフ町:拙稿[9741]に記述あり)が復活しています。ですが,両町の2008年1月1日現在の人口はともに0人。無人です。
まったく,ロシア人のやることは分からん!


さて,こちらにはデータにうるさい御仁達が控えておられるので,小生の出る幕はなかろうと見守っておりましたが,お気付きでないのか,スルーされているのか・・・
勘違いか読み違いの類かと推測しますが,いずれにしろ,33年と76年を間違えてはいけません。
[68850] 山野 さん
大分県で県人口が76年振りに120万人割れ
リンクを出されておられる大分合同新聞の記事によれば,1976年以来33年振りに120万人割れです。
何気なく落書き帳を読んでいて,[68850]を見て「へえ~」と思ったものの,76年前と言えば昭和8年。まだ日本人の人口そのものが現在とは比較にならないほど少なく,朝鮮などの外地にも多くの日本人が移住していた時代です。大分県はそんな時代の人口にまで減少しているのかと素朴に疑問に感じ,リンクされている記事を読み,山野さんの間違いに気づいた次第です。1976年ならば昭和51年。これなら納得です。


話は変わって,[68848] 紅葉橋律乃介さんの指摘が物議を醸していますが,その後の流れの「書き込みスタイル」云々は,論点がずれているように感じます。確かに[68848]の最後の2行の書き方は,熊虎さんへの礼を失したもの言いにも感じられなくもないですが,加筆訂正機能の利用については厳しいことを書かれているようには思えません。
整理するため二つの文を提示します。

A文
誤字や勘違いの訂正・削除を、30時間以内に限り、本人に例外的に認めているもので、大幅な加筆修正を認めているものではありません。

B文 #実際にガイドライン(8)に書かれている文章ですが,『 』はニジェの挿入です
誤字や勘違い『など』の訂正・削除を、30時間以内に限り、本人に例外的に認めているもので、『混乱を招くような大幅な』加筆修正を認めているものではありません。

このA文とB文の違いをどのように受け取られるでしょうか。
私には両文の意味するところは,ほとんど同じものだと考えます。本来はA文で良いところを,これでは味気なく,B文の『』で括った部分は掲示板の運営上若干の幅を持たせたものと推測します。グリグリさんの懐の深さのようなものを感じます。

ところが,中にはB文で『』で括った部分を都合の良いように解釈して,日常的に加筆訂正機能の利用を前提に書き込みをされる方がいる。それが時間的な競争のようなものに使われるとしたら,やはりそれは行き過ぎでしょう。私にはこれを「スタイル」の問題だとは感じられず,
結局のところ、多様なスタイルを許さない方も少なくはないように思えます。
と結論づけされてしまうと,それは違うのではないかと,むしろ掲示板のモラルなりエチケットのような問題ではないかと考える次第です。
たまたま[68859]小松原ラガーさんの記事に
いろんなスタイルがあってもよいのではないでしょうか
と書かれていますが,ここでの「スタイル」とは,[68856]熊虎さんの「ニュースサイトだけにした方がいいんじゃないでしょうか」という極論に対してのものであり,加筆訂正機能の利用法までのことを仰っているようには感じられません。

[68856] 熊虎 さん
合併情報以外に書き込む話題が少ない私にとって、これは深刻な問題です。
私にとっては人口関連や地元神戸関連の話題しかありませんが,人口については白桃さんを筆頭に諸先生方がおられ,その上,神戸は落書き帳常連の密集地域の一つです。ゆえに小生の出番はほとんどありません。ですが自分にとっては,他人が書き込んでくれることを「手間が省ける」と喜んでおり,また40年以上住んでいる神戸について自分と違った見解が述べられたりすると新鮮な喜びを感じています。
[68456] 2009年 1月 25日(日)22:25:16ニジェガロージェッツ さん
回る十国展望台 など
[68432][68440] Issie さん
「十丁目」の読みについて,古代の日本語まで遡った詳細な解説ありがとうございます。

表記と現実の発音,そして個々人の「思い込み」が一致しないことは幾らでもあることです。
あるいは,「標準語」では「正しい」はずの読み方と地元での理解とがズレていることも。

確かに。小生も(40年近くも前のことだけど)小学校では十個は「じっこ」と読むように習ったかもしれません。ですが全く記憶になく,また十丁目については,生活圏内に「十丁目」のある町が数多あり,いずれも「じゅっちょうめ」と発音されているので,完全に何の疑問もなくそのように「思い込んで」いました。
とはいえ,そうと知った限りは「区コレクション」の「十区」については放置できず,「じゅっく」ではなく「じっく」である論拠についてはIssieさんのように理路整然とは説明できないまでも,訂正を急ぎました。
早速に理論的な裏づけをしていただき,深謝いたします。

[68434] 敷守ほむら さん
まだ検討中のようですが、「十区」を「じゅっく」と読んでも正しくなる日は近いようです。
現在審議中の「新常用漢字表」に関する試案に「十」の読み方に「ジュッ」を加えるとのことですが,正に言葉は刻々と変化しているなと感じました。それにしても,拙稿[68427]の前日のニュースとは,何ともタイムリーな。

[68438] inakanomozart さん
現在では「じゅっ・・」と発音することも容認されているようで、現在はそういう読み方をするアナの方が主流となっているようです。
何か変な楽しみ方ですが,次の衆議院選挙が待ち遠しい限りです。

[68441] 小松原ラガー さん
今は六甲ガーデンテラスとなっているこの場所、昔は「十国展望台」なるものがありました
正確には「回る十国展望台(まわるじっこくてんぼうだい)」でしたね。床が回る構造になっていて,腰を下ろしたまま360度の展望を楽しめる施設でした。ですが,小松原ラガーさんの記事を見るまでそれが廃止になっていたとは露とも知りませんでした。神戸の名所がだんだんと少なくなっていくようで寂しい限りです。80年代には「六甲全山縦走大会」だけでなく,毎週のように六甲登山をしていましたから,回る十国展望台のあった六甲山上の凌雲台地区は馴染みのある懐かしい場所です。
小生は昨夏以来,日曜日には「神戸背山」登山が習慣になっていますが,敢えて「六甲登山」とは言っていないのは,同じ六甲山系には違いがないですが,歩くエリアが六甲山上からは西に偏っているためで,そのニュアンスの違いは地元の方には理解できることと察します。
ですが,今日は凌雲台が懐かしくなり,回る十国展望台の跡地なども見てみたかったので,六甲登山をしてまいりました。
JRの六甲道駅より鶴甲―油コブシ登山道を経て凌雲台まで,休憩なしで歩き続けてちょうど2時間,歩数で12070歩でした。
途中の油コブシについては,6年前にも[11426]に書いたように,東から神戸市街を見おろす展望が良く,あの時は夜景についてのレスにて暗くなってから上るのは脇道も多く遭難の危険もあるかのような記事にしていましたが,明るいうちでは登山道も整備がされており,一般向けの上りやすいお勧めのハイキングコースです。油コブシを過ぎたあたりからは,昨日今日の寒波の影響で雪道と化していました。雪道を歩いていると,初めて雪道を歩き続けたモスクワが懐かしい。

さて,凌雲台に着くと余りの変貌振りに唖然でした。「凌雲荘」というこの地区のシンボル的な宿泊施設があったのですが,それが跡影もなく,「凌雲荘」の跡地は「六甲ガーデンテラス」に代わっていました。「回る十国展望台」の跡地は工事中のハゲ山で立入禁止に。以前からあったジンギスカンパレスやビューパレスが健在なのと,近くの無線中継所の施設が,かつてここが「凌雲台遊園地」と呼ばれた所だと物語っていましたが,いやいや残念。
この一帯からの展望は,阪神間や大阪方面に開けており,神戸方面は「六甲ガーデンテラス」の諸施設に隠れて展望が良くありません。「六甲ガーデンテラス」の中ほどに「見晴らしの塔」という,高さ11mの展望塔が建っています。確かに塔上からは神戸や明石海峡・淡路方面が見えますが,それでも,「六甲ガーデンテラス」のカフェの建物が邪魔。
一番の展望ポイントは,そのカフェの内部のテラスからの眺めで,ここからだと神戸方面も抜群の展望でしたが,カフェに入らないと駄目で,商魂逞しいと言うか,まあ,ラズベリーココアは美味しかったですけど。笑)
ところで,「回る十国展望台」の「十国」の中身は何だろうかと検索してみると,「山城、大和、摂津、河内、和泉、紀伊、丹波、播磨、淡路、阿波」だとのこと。
しかし,いくら視界が良い日にでも阿波国は淡路島の諭鶴羽山地に隠れて見えづらいのでは。逆に播磨灘の向こうに小豆島が見えるはずで,小豆島なら讃岐(古くは備前―[2474]たけもとさん)に取って替えるべきかと。
2002年11月に廃止となった「回る十国展望台」については,当時の神戸新聞の記事が残っていました。

凌雲台からの帰路は,住吉方面に下りるハイキングコース「石切道」を通り,ここも雪道が続いていましたが,滑る危険は下山時のほうが大きく,このような所では登山靴を履くなど,しっかりした足ごしらえが必要です。
東灘区の市街に下りた後は,[68402]小松原ラガーさんの記事にあった昨年11月に新住居表示で町名が付いた御影郡家,御影を歩いてきました。

御影町御影、御影町郡家、御影町石屋とありますが、地図では表示されていない御影町西平野と合わせて昨年11月に町名変更をしております。
新調された住居表示板が新鮮でした。東灘区では,住吉川以西のJR線と阪急線に挟まれた区域が新住居表示未実施地域として残され,住吉部分では昭和60年に「住吉本町」が起立し,最後まで残された部分が今回の「御影郡家」「御影」の起立で決算されました。
郡家は残り,石屋についても石屋川の名や,「御影石町」の名に名残が残りました。
ですが西平野は消滅しました。元々西平野は御影町には属さず,西隣の六甲村の一部でした。1929年に六甲村が神戸市に編入された際,西平野は六甲から分かれて御影町に編入されました。そんなところが既存の「御影山手」に加え,新たに起立した町名「御影」に完全に吸収となりました。
東灘区の徹底した地名整理については,拙稿[15018] にも書きましたが,もう少し柔軟な町名の付け方がなかったものかと感じます。今回は「郡家」が残っただけまだマシな方ですか。
西平野の灘区との境界に「ケジメ」という字がありました。近藤マッチが「♪け~じ~め~」と歌っていたのを聞いたとき,石屋川に沿った街並を連想したのは,もう昔話になってしまいました。
[68427] 2009年 1月 22日(木)22:42:49【1】ニジェガロージェッツ さん
2題(大きな街区符号,「十丁目」を何と読む)
今更になって,今年の初書き込みになってしまいました。
小雪がちらほらと舞う神戸・高取山頂より初日の出を拝んでから(とはいえ,当日は日の昇る紀伊半島上に厚い雲があり,初日の出そのものは見えず)もう22日も経ったとは・・・。
いつもながらの亀レスにて,大変恐縮です。

[67811] 油天神山 さん
「町名の○○台」の編集作業中に見つけました。江別市見晴台は大台を突破して、112番街区まであります。
さあ、最大値は果たしてどこに?
ついに「桁外れ」の登場ですね。北海道の雄大さというか何と言うか・・・
大きな街区番号が出現するのは,東京の滝野川や神戸の荒田町のような,下町で路地の多い所をイメージしていたのですが,江別市見晴台は整然としているようでも近くに市役所もあり,市街地としては結構古いのかも知れません。本来ならば幾つかの丁目に分割するのでしょうが,この辺りで新住居表示されている各町は丁目を設けていないところも特徴的です。南隣の新栄台も95番まであり,規格外れの規模に感じます。
見晴台112番を超えるのはさすがに探すのは難しいでしょう。


話は変わって,今朝のテレビで漢字の読み方が話題になっていて,ほとんどの人が間違う例として「十個」が挙げられていました。「じゅっこ」ではなく,正しくは「じっこ」とのこと。
十個が「じっこ」ならば,十匹は「じっぴき」,十階は「じっかい」・・・
では十丁目は「じっちょうめ」か? ・・んなアホな・・と思っていたら,どうやら本当に「じっちょうめ」が正しい読みのようです。
手持ちの広辞苑(ちょっと古い昭和58年版だが)で「じゅっ」の項目を見ても「十」で始まる単語は収録されておらず,一方「じっ」の項目では,十戒,十界,十干・・・(以下,列挙していくとキリがないので省略)と続きます。
もちろん,数量として「じっちょう」「じっく」「じっし」と言おうが,「じゅっちょう」「じゅっく」「じゅっし」と言おうが,要は「十町」「十区」「十市」と分かれば良い事であって,一方が正しく,他方が間違いだと言い切る性質のものではないのでしょう。
しかし,固有名詞として箱根の十国峠に「JUKKOKU TOGE」の立て札があるような所は,「じゅっこくとうげ」と読むべきでしょうか。
「十丁目」の場合は,街区符号のような番号ではなく,「○○十丁目」で一つの地名であるとすれば,固有名詞の一部と考えられます。固有名詞である以上,仮に長田区若松町十丁目は「じっちょうめ」で,南隣の長田区大橋町十丁目では「じゅっちょうめ」という変則例も有り得るかも知れません。実際にはそのようなことはなく,またそのようなことに拘る人もいないでしょう。
とはいえ,日本語として「正しい読み方」の基準がそうなっているのであれば,たとえ固有名詞でもことわりのない場合は「十丁目」は「じっちょうめ」,「十区」は「じっく」が,より正しい読み方と推測します。
とりあえず,小生が編集した「区」コレクションの項目にある「十区」の読みは「じっく」に統一し,修正しておきました。
[67799] 2008年 12月 31日(水)19:46:51【1】ニジェガロージェッツ さん
Re:大きな街区符号
[67793] inakanomozart さん
早速,静岡の街区情報ありがとうございます。

全国的にはもっと大きな街区符号があるのでしょうか?
ちょっと東京の地図を見たところ,荒川区や北区では各丁目が凄過ぎる一帯があります。70番街区など当たり前のように存在しています。
特に北区滝野川一丁目には,93番街区が存在しています。他にも三丁目88番,六丁目86番街区と,滝野川恐るべしです。

【1】「号」を「番」に訂正
[67792] 2008年 12月 31日(水)15:23:36ニジェガロージェッツ さん
大晦日の落書き
ついに2008年も大晦日を迎えました。
今年は20数年振りに神戸の背山登山を復活させた1年になりました。先月[67311]にて,背山の兵庫区鵯越駅の外れにて「湊西区」の石碑を大量に発見しましたが,先日の日曜日には「神戸區」と「葺合區」の石碑を大量に発見しました。場所は中央区神戸港地方(旧神戸市神戸区)と中央区葺合町(旧神戸市葺合区)と北区山田町下谷上(旧武庫郡山田村)の境界をなす標高475.6mの高雄山頂一帯です。ここもハイキング用の地図には載っているものの,通常のハイキングコースから外れた,ほとんど立ち入る者のいない,山道としては荒れ果てた所です。

こんなことばかりして,兵庫県から「動かざること山の如し」ではありませんが,一昨日現在の今年の経験値は,見事に5点でした。ところが,年末になり悪友連中から「年忘れに鶴橋(大阪市天王寺区,生野区)のホルモン屋に集まるから出てこいや!」との誘いを受け,急遽大阪へ行くことになり,結局は8点に。
出来るだけ金を使いたくないので交通費をケチることにして,自宅から徒歩で1時間を費やし阪神本線元町駅へ。西大阪線の終点西九条で降りて鶴橋まで(所要1時間半)歩きました。片道290円で鶴橋に到着です。とはいえ,阪神「西大阪線」に乗るのはおそらく生涯最後になるでしょう。帰路も鶴橋から谷町筋を経て梅田まで歩きました。
此花区西九条から西区九条の間には安治川が流れ,道路は続いていませんが,古びた同じビルが両岸に建っており,ビルのエレベータを降りると川底を貫く昭和19年開通の歩行者用の「安治川トンネル」があり,こういうモノがそのまま生きているところが大阪下町の良さです。
九条の商店街を抜け,堀江,周防町,上本町筋を経由して鶴橋までの散策ですが,九条や千代崎にはやたらとオリックス・バッファローズのポスターが目に付きました。知識としてはオリックス球団が本拠地を大阪に移したことは知っていましたが,感情的には神戸の球団とのイメージを未だに持っており,大阪の球団となった事実をまざまざと見せ付けられると,ちょっとショックでした。ホルモン屋で話題にすると,
・ ニジェ「オリックスが大阪に取られてしもた」
・ 大阪人「オリックスが近鉄騙して乗っ取ったんやんけ」
・ ニジェ「そのオリックスを大阪が神戸から奪い取ったんやんけ」
・ 大阪人「それはオリックスが悪い。(大阪と神戸の)共通の敵はオリックスや!」
何か言い負かされたような(笑)

さて,歩いて実感したのは(新住居表示実施地域での)大阪の「丁目割」の長さです。丁目割りについては以前にも話題になっていましたが,一辺100mほどの長さで丁目割されている神戸の下町出身[60826]の小生には,例えば西区南堀江四丁目の一辺は500mもあり,歩いていて「まだ四丁目か」と,どうも馴染めませんでした。ニュータウンや工業地帯は別にして,細い路地が縦横に入り組む昔ながらの旧市街地に於いて丁目割が広いとなると,当然ながら街区番号も大きな数字が出現する訳で,大阪の地図を見ると街区30号を越える丁がざらにあります。
一体,日本の(新住居表示実施地域での)街区番号の最高番号はどれくらいなのでしょうか。
[42223]inakanomozartさんの記事には,
街区番号の付番をやや変則的にしてまで、「4番街区」を公園や公共施設のみの街区に当てたりするなどは、常とう手段としてよく使われていますね。「42番街区」が欠番になる例も多いようです。
のようなものや,大阪市のように符号にしてしまうような変則的な例もありますが,大きい番号が出現する条件としては,先ほどの繰り返しになりますが
1)丁目割が広い
2)細い路地が入り組み,街割りが細かい
の2つに尽きるでしょうか。
丁目割が狭いと言った神戸にも例外はありまして,兵庫区荒田町三丁目には83番街区が存在します。


最後に反応が遅くなり恐縮ですが,地図関連のレスを少し。

[67367] まかいの さん
今回はソウルの本屋で入手した見所満載の韓国10万分の1道路地図を持ち寄りたかったのですが、これも来年に持越しです。
これは楽しみです! 次のオフ会を鶴首しております。

[67422] 笠津前浜 さん
…引き込まれています(^_^; すっかり捉われてしまいました。
[67445] ペーロケ さん
私もハマってしまいました。
喜んでいただいたようで光栄です。小生は昔の「区」に拘っていますので,今では完全に変化してしまった大都市の地図を中心に見ています。4区制時代の名古屋市など興味は尽きません。
[67345] 2008年 11月 23日(日)21:59:10ニジェガロージェッツ さん
嗚呼!オフ会
湯瀬温泉での第五回公式オフ会,今頃は宴もたけなわでしょうか。大盛会が目に見えるようです。
小生も第二回神戸オフ会以降の連続出席を目指していましたが,今回は不況の影響をもろに受け,家族にも貧乏生活を強いている以上,ひとり東北旅行に出掛けるなど論外のことで,断腸の思いで参加を断念しました。
嗚呼!皆に会いたかったなあ...,持ち寄りの面白い地図が見たかったなあ...,JOUTOUさんと軍人将棋がしたかったなあ...,白桃さんの...,などなど,不参加を決意した悔いしか残りません。
ご参加の皆さん!楽しい思いをして,風邪などひいてきたら承知しませんよ!
こんな思いをするなら,生保の契約者貸付でも利用(要するに借金)して,周囲の顰蹙など無視して行くべきだったなあ。

まあ,とはいえ,毎年開催されるオフ会ですから,また来年以降のお楽しみにということで。
皆様からのオフ会報告をやっかみ半分,もとい!,楽しみにお待ちしております。

ということで,今日もひとり寂しく神戸背山を朝からやけ歩きで40000歩です。
[67311] 2008年 11月 19日(水)22:33:39【1】ニジェガロージェッツ さん
湊西区石碑
ご無沙汰にて恐縮です。
最近は「メタボ対策」で早寝早起きを心掛け,早朝からのウォーキングが日課となりました。[67154]futsunoおじさんの記事にもありますが,わが兵庫県は男女とも全国第2位の歩行数とのこと。データによると兵庫県男子の平均は1日8281歩で,予想外によく歩いているとの印象を受けました。手前味噌にて恐縮ですが,小生の場合は拙稿[66862]にちょっと書いたように休日の神戸背山ハイキングも加わり,1日平均歩数は8月以来20000歩を越え,先月は22754歩,今月は19日までの平均で24487歩です。その「成果」もあって,目標の体重20kg減量達成まであと4kgです。

さて,本題に入る前に一つ訂正がございます。
拙稿[66896]にて,
衆目監視
と書いてしまいましたが,これは間違いです。正しくは「衆目環視」または「衆人環視」です。
間違った日本語はよろしくありません。謹んでお詫び申し上げます。

ここからが本題。
先日,神戸背山の長田区(旧神戸市林田区)・兵庫区(旧神戸市湊区)・北区(旧武庫郡山田村)の境付近のハイキングコースからちょっと外れた山中を探策していると,この辺りに「神戸市界」と書かれた石碑を見つけました。拙稿[66862]に書いた黒岩尾根の標高606mピークの旧神戸市葺合区と旧武庫郡山田村の境界にある標石と同じものです。ただ,これらは神戸市発行の登山地図「六甲全山縦走マップ」にもしっかりと記載されているもので,特に驚くほどのものではありません。
ところが,びっくりしたのは今回見つけた「神戸市界」,つまり当時の神戸市湊区と武庫郡山田村の境界付近一帯に,この境界標石よりちょっと小さめの古い石碑があちらこちらに点在しており,いずれもその天部に「湊西区」と彫られていたことです。これらは随分と古い石碑で,かなり朽ち果てており,天に書かれた「湊西区」(因みに『區』ではなく,当時としては略字の『区』です)以外は,何が書かれているか判読不能でした。

この石碑“群”がある一帯は,湊区と山田村の境界であって,湊西区ではありません。当時の湊西区の北限は現在の兵庫区中部の会下山町と東山町までで,湊川町以北は湊区です。湊西区は兵庫区の前身とはいえ,現在の兵庫区とは全く違います。「日文研」の所蔵地図データベース内に収録されている,實地踏測神戸市街全圖(昭和10年)を見れば戦前の兵庫区の範囲(緑色)が分かりますが,これが湊西区の範囲です。
・・・・・日文研さんの所蔵地図の数々を見ていると,ついつい夜更かしの世界に引き込まれそうですが,そこは我慢我慢!

この「湊西区」は1931年9月1日に神戸市が行政区(8区)を設置したものの一つですが,早くも1933年1月1日に「兵庫区」と改称されてしまい,存在期間は僅か1年4ヶ月です。
とはいえ,神戸市が行政区を設ける以前にも「区」という組織は存在しました。行政区ではないために区役所はなく,また住所にも書かれませんでしたが,神戸市域を地理的に区分しており,地図にも区名が書かれていました。
#参考:神戸市地圖 付西灘村(大正13年) なお,地図や統計には「部」と表記されているものもあります。
「ながたの歴史」(長田区役所 1977年発行)によると,1896年の林田村(+須磨村内の池田村)の編入による「林田区の成立」の項目に,これら「区」については「区会」と述べられており,主に共有財産の管理にあたるものであり,また学校区を兼ねており学校運営に任じなければならなかったと説明されています。
林田区は共有財産を有していない区であったのに対し,湊西区には共有財産が存在していたそうですから,この湊区と山田村境界付近の一連の石碑がある山林は,湊西区の「区有財産」であったのかも知れません。
刻々と変化する市街地にあっては失われていくこのような無名の過去の遺産が,山中では突如現われるなど,神戸背山はちょっとしたミステリーゾーンです。
[66896] 2008年 10月 1日(水)09:02:06【1】ニジェガロージェッツ さん
メール利用の問題を提起する
[66893] 2008 年 10 月 1 日 (水) 00:32:21 熊虎 さん
鳴子こけしさんに対するアドバイス,大筋では小生も同意見ですが,ひとつだけ納得できない部分があります。

直接メールで質問をぶつけてみてはいかがでしょう。
これはどうでしょう。いささか行き過ぎたアドバイスではありませんか?
確かに,EMMさんはメールアドレスを公開されています。しかしながら,EMMさんご自身が「これ以上のことは落書き帳に書かずにメールでお願いします」とおっしゃるのであれば問題ないですが,そうでない場合は迷惑になりませんか?
もちろん,直接メールで気になっている疑問を相手にぶつけることは,相互に理解を深め,早期に結論がでることもありましょう。ですが,「落書き帳」に書かない分,(メールという衆目監視のない)見えない部分で,更に的外れな,いや,攻撃的な内容になったりする可能性だってあるわけです。
その場合は,真面目なEMMさんには更なる手数や苦痛をかけることになります。

はっきり申し上げて,仮に「私(ニジェ)へ」でしたら,お断り申し上げます。
「落書き帳に書けない内容であれば,ろくなものではない。」というのが,いままでの経験上,率直な感想です。
私の場合は「落書き帳」ではメールアドレスを公開していません。ですが,自分が運営するサイトには,サイト管理人(ニジェ)への連絡用にメールへのリンクを貼り付けていますから,ニジェへメールを送ることは可能です。
ですが,あくまで自分のサイトに対する「ご意見,お問い合わせ用」のものであり,(拙サイトには無関係の)落書き帳の議論の延長上で利用されると,あまりうれしいものではありません。

ここで延々と埒の明かない返答を続けているのも、傍から見ていて正直見苦しい
というのは,(本当に悩んでいるかもしれない)鳴子こけしさん,EMMさんに対しても失礼な気もします。
ご両名のここでのやりとりはコレクション編集について,示唆に富んだ有益なものに感じ,「見苦しい」どころか,私は何度も読み返しています。
[66862] 2008年 9月 24日(水)22:33:23ニジェガロージェッツ さん
稜線規制
神戸は震災(平成7年1月17日)から数えて今日で5000日目を迎えました。
「え! もうそんなに?」と言うのが率直な感想ですが,被災後の生活は一向に好転しません。というより,被災直後の方が,将来の復興など,夢のある生活をしていたような気がします。

さて,神戸についての話題を少々。

[66805] 小松原ラガー さん
景観条例
神戸の特徴である六甲山脈(神戸背山)の海からの景観を保護するために建物の高さを規制する,具体的には兵庫区の北にある菊水山(標高459m―山頂は北区)から灘区西端の摩耶山(標高702m)までの稜線が「ポーアイしおさい公園」から見えるように,云わば「稜線規制」ですが,これだと生田・葺合の市街地のほとんどが規制の範囲に掛かる一方で,西隣の兵庫区,東隣の灘区の市街地は範囲外になります。
そのうちリンク切れになるでしょうが,神戸新聞のニュースに起点からの景観の画像が出ています。ご参考まで。
小松原ラガーさんは記事の最後に東灘区の御影に建設の47階をリンクされていますが,今回の景観条例には全く無関係ですのでご安心の程。

ところが,引っ掛かりそうな計画がひとつ。
三ノ宮駅の東に近接する,葺合の旭通4丁目に54階建ての再開発ビルが計画されています。神戸市のサイトにも旭通4丁目地区第一種市街地再開発事業のページが公開されています。現場を見ると現在は広大な更地となっており,一部にこれを利用して駐車場が営業していたり,一部では「雲井遺跡」なる遺跡調査が行われており,再開発用地全域で遺跡調査が平成21年9月頃まで予定されており,ビルの建設作業はそれ以降になることでしょう。建物の高さは176mだそうですから,三宮で160m以上が規制となれば,もろに「稜線規制」に抵触します。
ただ,三宮からやや東にずれている分だけ,背景の稜線は,より標高の高い摩耶山に近くなり,微妙なところです。

そこで,実際に25000分の1の地形図に線を引いて確かめてみました。
景観の起点を「ポーアイしおさい公園」の北端に取ると,そこから旭通4丁目の再開発計画地区までは2.7kmです。その延長上の背景の稜線は「布引ハーブ園」のある世継山(標高417m)から摩耶山に至る尾根にあり,ちょうど六甲全山縦走路の「稲妻坂」の途中に当たります。ここでポーアイの起点からの距離は5.6km―標高は450mです。更に「ポーアイしおさい公園」からだと稲妻坂よりもっと奥にある,(地蔵谷の北側に聳える)「黒岩尾根」が見えるはずです。旭通4丁目の背後では,ちょうど黒岩尾根の途中の標高606mのピークにあたり(ここには昔の神戸市境界標石があります),距離は6.45kmです。
そこで,基点の公園を標高0m,旭通4丁目標高20mと仮定して
「稲妻坂」を守れば 196m
「黒岩尾根」を守れば 233m
の高さまで建設可能となります。
さて,再開発計画がどのように進むかが楽しみです。

話は変わって,小生個人的なことですが,最近の休みの日は神戸背山歩きに興じています。昨日はJR元町駅を出発して→再度公園→黒岩尾根→摩耶山→六甲山上→アイスロード→鶴甲→JR六甲道まで歩いてきました。先週は新長田→高取山→菊水山→鍋蓋山→再度公園→JR元町,2週間前はJR元町→大竜寺→市が原→稲妻坂→天狗道→摩耶山→新神戸など,このように毎週違う好きなコースで気軽に登山道を選べる,しかもそれらが都心に近接したところにある神戸という街のロケーションの贅沢さが地元ながら嬉しくなります。
6月頃から背山歩きを始めましたが,この3ヶ月の間に体重の1割を削ぎ落としました(笑
[65940] 2008年 8月 5日(火)23:28:28ニジェガロージェッツ さん
Re:グーグルマップのストリートビュー
[65938] オーナー グリグリ さん
これは凄い!
もう形容する言葉もないくらいです。うちの家というか店もモロに映っています。店の前に止めている自転車までもはっきりと。
こんなの公開して,ソ連が攻めてきたらどうするのだろうか・・・
[65937] 2008年 8月 5日(火)21:53:27ニジェガロージェッツ さん
宝塚
宝塚の「塚」の字が話題になっていますが,落書き帳では5年前にもspecial-weekさんが[14857]にて話題にされていました。
小生も[15608]にて反応しておりました。どちらもアーカイブ愛ヒメと書く訳 ―地名は当用漢字を超える―にも収録していただいております。

宝塚市の場合は,「塚」の字に「丶のある塚」を正式なものとしていました。震災の数年前の平成2~3年ごろだったかと記憶していますが,神戸新聞に宝塚の「塚」の字を話題とする記事があり,宝塚市役所としては「丶のある塚」を正しい字体とする見解が述べられていました。ただし,市民が「丶のない塚」を使用するのも間違いとはしない旨の付記がありました。

当時知人に宝塚市民がおり,彼が住所に「丶のある塚」を書いていたのを見たので尋ねてみると,「書く『塚』の字を見れば,本物の宝塚の人間かどうかが判る」と言っていました。落書き帳でも,地元のだいてんさんが[56558]にて
塩竈の「竈」すら表示できるんですから、いろいろ表示できるようにしておいてもらいたいものですがねえ。
特に宝塚市民としては、切実な願いです(笑)
とおっしゃっておられることから,やはり宝塚では『塚』の字には「丶」を書くのに,ひとかたならぬ拘りがあるのでは,と感じた次第です。

ところが,[65930]Issieさんの記事には,
市民はともかく,少なくとも“宝塚市役所”では「丶のない塚」を“公式”の表記としているものと思われます。
とあり,私が一昔以上前に読んだ神戸新聞の記事とは正反対の考察を述べられています。
市民のネット利用に便宜を図って公開している「戸籍関係証明交付申請書」のpdfファイルだけからでは結論付けるのは無理があるようにも感じますが,神戸新聞の記事が書かれた(ネット利用など一般ではなかった)時代からは市長も変わっており,広報(になるのかな?)の担当者も変わっていることでしょう。
時代背景や自治体の担当者が変わることで,注意しないと気づかないような「塚」の字程度では,その表記についての公式見解が変わることがあるのかもしれません。
(地方自治や,その法的な事柄には全く疎いもので・・・)


話は変わって,うちの近所に神戸市長田区腕塚町なる町名があります。
「塚」の字が気になったので,その1丁目から10丁目までを歩いてみました(ヒマかい!)
神戸市が電柱などに設置している縦長の大きな町名街区表示板には全て「丶のある塚」でした。また各戸の表札脇などに設置している小さな住居表示板にまで「丶のある塚」を書く拘りようです。
腕塚町一帯は平成7年の震災で壊滅的被害をうけたところですから,これらの表示板は震災後の新しいものです。「塚」の字が「丶のない塚」として常用漢字に加わった昭和56年以降のものであることは疑いありません。神戸市も何かこだわりがあるのか(笑
こうなると,長田区大塚町や兵庫区塚本通,中央区割塚通,旗塚通,東灘区御影塚町も行って見てこんとアカンかな?
[65891] 2008年 7月 29日(火)20:51:39【1】ニジェガロージェッツ さん
神戸の気象
[65883] 小松原ラガー さん
自宅から程遠くない川では鉄砲水による死亡事故が発生した模様。

酷暑続きの中,街の整備され開放された小川でひと時の水浴びに興じる子供たちと引率の大人たちを襲った,突然の雷雨による予想外の鉄砲水による惨事。胸が痛み,言葉もありません。
事故発生後,ニュースで頻繁に報じられている通り,この川は灘区の都賀川で,以前に落書き帳でも話題になったことがありました。([49081] 小松原ラガーさん)

都賀川は摩耶山の東側に切り込む谷間の杣谷(そまたに)を源流とし,阪急線を北に越えたあたりで六甲川を合わせ,灘区の真ん中をほぼ一直線に南の大阪湾へ流れています。灘区内市街地の西端部は青谷川へ,東端部は石屋川へ排水しますから,都賀川の排水域は旧灘区(六甲山町新設による兵庫区・東灘区の六甲山域の灘区編入-昭和47年6月-以前の区域)の六甲山域および市街地中央部ということになり,面積は20平方キロに満たないものです。

ここで神戸(旧市街地=六甲山脈南麓)の地形による気象条件が問題になります。
#以下に語る内容は,具体的な気象データに裏付けられたものではなく,長年神戸に住み続けての雑感ですが,一口に「神戸では」と言っても西と東では随分違うと感じる話です。

神戸旧市街地(東灘区から須磨区までの大阪湾岸の6区,要するに垂水区と西区と北区の除く残り全部,この話題の場合は須磨アルプス以北の須磨区北須磨も除外対象ですが,東の芦屋市や西宮市の一部を加えても良い)の背後には急峻な六甲山脈が壁のように聳えています。ここに南から湿った空気が吹き込むと,六甲山脈の「壁」に当たり地形性上昇気流となり雲を発生させて,しばしば激しい降雨を伴う場合があります。
ですが,同じ神戸旧市街地とはいえ,その東部(灘区,東灘区,芦屋市など)と西部(須磨区,長田区)とでは随分状況が違っています。第一,山の高さが違います。灘区・東灘区では700~900m級の山々が続くのに対し,須磨区・長田区ではその3分の1程度の200~300m級に留まっています。更に東部では六甲山脈の稜線が途切れることなくつながっているのに対し,西部では長田区の丸山市街地や須磨区の妙法寺川のような切れ目が目立ちます。
つまり,東神戸で上昇気流による乱雲が発生しても,西神戸では空気の抜け目があるために雲は発生せず,東は雨でも西は晴天といったことが珍しくありません。
また,神戸の冬の風物詩でもある「六甲颪」も西神戸では馴染みがありません。

昨日の雷雨の場合は神戸に限定した局地的なものではなく,北陸から近畿地方にかけての全体的な前線の活動によるものですが,それでも小生の住む長田区では,曇り空が掛かってから激しい降雨まではしばしの時間差があり,降雨時間も量も東部のそれに比べれば少なめだったのではないかと感じています。

夏季の局地的な降雨には,特に東神戸の場合は要注意ですが,かくいう私も,仮に同じ都賀川で川辺の涼を楽しんでいたとしたら,あれ程の急激な鉄砲水の来襲はすぐには予測できず,積乱雲の出現から即避難の対応が出来たかどうかは,甚だ疑問です。
今の段階では尚早ですが,犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りするしかありません。
[65753] 2008年 7月 13日(日)22:29:14【2】ニジェガロージェッツ さん
バイカル湖の汚染源
お久しぶりです。しばらく留守にしている間に,書いた本人が忘れているような古い記事や,うちのフォトアルバムにリンクを張っていただき,何やら嬉しい様やら恥ずかしいようやら・・・ 有難うございました。

さて,バイカル湖の汚染について話題になっているようですが,その直接の汚染源として名が挙がっているのは,湖南岸のイルクーツク州バイカリスク市(人口15,210―2007.01.01現在,以下同じ)にある「バイカル紙パルプコンビナート БЦБК」(写真)があります。シベリア鉄道のサイトで見つけたこの写真(古いかも知れませんが)からは,結構お盛んな印象を受けます。今年5月22日付けロシアDV-NEWSの記事(ロシア語)の見出しには「5月20日,イルクーツク州調停裁判所は『ロシア自然監視団』の『バイカル紙パルプコンビナート』に対する,無許可での水使用稼動よるバイカル湖の環境損害への補償金としての40億4千万ルーブルの支払い要求に対する訴訟の審議を,6月17日まで延期する」とありますから,地元でも環境被害の甚大さが指摘されているようです。
更に,そのコンビナートだけではなく,バイカル湖に流入する最大河川でブリャート共和国とモンゴルを流域に抱えるセレンガ川の汚染も湖の汚染原因です。湖岸の河口から約50キロのところにあるブリャート共和国セレンギンスク町(人口15,687)にも紙パルプ工場があり,更に河口から約130キロにはブリャート共和国の首都ウラン=ウデ市(人口342,980)があり,この都市の存在もバイカル湖の主要汚染源の一つです。

イルクーツク州の州都イルクーツク市(人口575,869)は,今川焼さんが[65751]にておっしゃるように,バイカル湖からは「川下」になりますから,この都市の排水の影響は直接湖の汚染にはなりそうもありませんが,それでもイルクーツクからの大気汚染は当然バイカル湖の水質に影響します。今川焼さんが大阪と琵琶湖の距離でイルクーツクとバイカル湖をご説明されているのに倣うと,詳しいデータは持ち合わせていませんが,阪神工業地帯の大気汚染がどれほど琵琶湖の水質に影響するか,そして京阪神大都市圏とイルクーツク都市圏の人口差,琵琶湖とバイカル湖の水量差を考慮すると,まあどれほどのものになるのか。
[65328] 2008年 5月 30日(金)22:03:56ニジェガロージェッツ さん
句読点の設定
[65316] 般若堂そんぴん さん
日本語入力メソッドの環境設定で変更するのではないか,と思います.
[65323] Issie さん
MS-IME でも,(中略) ATOK でも「プロパティ」画面で句読点の組み合わせを変更することができます。読点(、)とコンマ(,),句点(。)とピリオード(.)で,都合4つの組み合わせが選択できます。

「うっわー,できた,できた !!!」
いいおっさんが年甲斐もなく,無邪気に喜びはしゃいでいます。何たって6年前のIssieさんの[3402]を見て以来,ずっと引っかかっていましたから。
設定の変更など,多分に面倒くさい作業だと思っていたところ,MS-IMEに関して句読点を「、」「。」以外のものにしたいと題したページに詳しく(しかも至って簡単)設定方法が書かれていました。
[65320]hmtさんより,「公用文作成の要領」についての歴史的経緯の検証を頂きました。いつもながら,大変勉強になります。
さすがに,リンクしてくださった文化庁のサイトも読点コンマ(,)と句点マル(。)の組み合わせで書かれています。

以前は横書きに於いても日本語の伝統的な読点テン(、)と句点マル(。)の組み合わせを何の疑いもなく正しい表記と思っており,一方で読点コンマ(,)との組み合わせで書かれている出版物を見たとき,「これ日本語とちゃうやんけ。どこの出版社や」と無知にもくさしていた頃もありましたが,実際に横書きした印刷物やウエブを見たとき,多分に好みの問題で,小生の主観ですが,どうもこのほうが文章が締まって読みやすく感じます。
情報有難うございました。
[65315] 2008年 5月 30日(金)10:12:37ニジェガロージェッツ さん
レス2題
[65310] 白桃 さん
Issie さんって、文章区切るの「、」ではなく「,」ですよね。

この件については、Issieさんご自身より[3402]にて、
一応ね,これは「公文書作成の要領」(1952年4月4日付)に従っています。つまりここでは,左横書き文書の“読点”は「コンマ」,“句点”は「まる」で表記することになっているのです。
と、実に明快にご説明されています。
もう6年も前の記事で、白桃さんのデビュー以前ですが、この記事は小生にとっては新鮮な情報で、今でも記憶に残っています。この読点をコンマにする書式に賛同して、それを倣おうとしたのですがどうも巧くいきません。キーボードの設定を変える必要があるのか、今でもそのままにして書いています。


[65053] ペーロケ さん
「岡」についてのレス、有難うございます。今行われている常用漢字表の見直しでは、「岡」が常用漢字に追加されるのは確定のようですが、小生は既存の「丘」との違いにこだわります。
ところでこの件は5年も前に小生自身が[15608]にて同じようなことを書いていることが判明しました。(恥)
岡山市の政令市入りなど、最近はどうも「岡」の字を見ることが多かったので気になっていたのですが、同じことの繰り返しになりちょっと恥ずかしく感じているところです。


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