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伊豆之国さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[89037]2015年11月7日
伊豆之国
[89003]2015年11月2日
伊豆之国
[88891]2015年10月13日
伊豆之国
[88885]2015年10月12日
伊豆之国
[88846]2015年10月4日
伊豆之国
[88822]2015年9月25日
伊豆之国
[88791]2015年9月14日
伊豆之国
[88786]2015年9月12日
伊豆之国
[88756]2015年9月5日
伊豆之国
[88697]2015年8月20日
伊豆之国
[88652]2015年8月15日
伊豆之国
[88513]2015年8月1日
伊豆之国
[88440]2015年7月31日
伊豆之国
[88435]2015年7月30日
伊豆之国
[88420]2015年7月30日
伊豆之国
[88388]2015年7月29日
伊豆之国
[88341]2015年7月27日
伊豆之国
[88339]2015年7月27日
伊豆之国
[88319]2015年7月26日
伊豆之国
[88312]2015年7月26日
伊豆之国
[88308]2015年7月26日
伊豆之国
[88213]2015年7月20日
伊豆之国
[88188]2015年7月19日
伊豆之国
[88159]2015年7月19日
伊豆之国
[88078]2015年7月12日
伊豆之国
[88030]2015年7月5日
伊豆之国
[87963]2015年6月27日
伊豆之国
[87952]2015年6月25日
伊豆之国
[87914]2015年6月12日
伊豆之国
[87892]2015年6月6日
伊豆之国
[87858]2015年5月23日
伊豆之国
[87769]2015年5月15日
伊豆之国
[87757]2015年5月14日
伊豆之国
[87727]2015年5月11日
伊豆之国
[87689]2015年5月6日
伊豆之国
[87640]2015年5月2日
伊豆之国
[87590]2015年4月26日
伊豆之国
[87584]2015年4月26日
伊豆之国
[87545]2015年4月25日
伊豆之国
[87476]2015年4月18日
伊豆之国
[87472]2015年4月15日
伊豆之国
[87452]2015年4月5日
伊豆之国
[87432]2015年3月29日
伊豆之国
[87399]2015年3月15日
伊豆之国
[87388]2015年3月14日
伊豆之国
[87372]2015年3月7日
伊豆之国
[87301]2015年2月15日
伊豆之国
[87275]2015年2月11日
伊豆之国
[87263]2015年2月8日
伊豆之国
[87248]2015年2月1日
伊豆之国

[89037] 2015年 11月 7日(土)15:58:11【1】伊豆之国 さん
五番勝負
問一:東京都府中市/東京都稲城市

【※解答部分には手をつけず追記】
こういった場合では、このような丁寧な表現にしてよいのでしょうか?
[89003] 2015年 11月 2日(月)12:00:04伊豆之国 さん
五番勝負
…いやぁ、「まだ十番勝負より易しい」なんてとんでもない!今回は「参加賞狙い」で尾張賀茂…

問三:愛知県南知多町

「秋休み」にはここまでたどり着けませんでした。
[88891] 2015年 10月 13日(火)22:27:23伊豆之国 さん
三分坂
[88886] あきすて さん
ずいぶんと久しぶりですね…

さて、
3分の読みは、十進だと"さんぶ(sambu)"、六十進だと"さんぷん(sampun)"と変化するところに面白く感じてます
この「分」の読みに関連して、以前から度々引用させていただいている「江戸の坂 東京の坂」(横関英一氏著・昭和45年初版…[83731])という本の中に、「三分坂と江戸銭値」と題して、東京・赤坂にある「三分坂」の読み方と、江戸時代の金銭価値に関する記事が紹介されていました。
この記事によると、「江戸名所図会」や、明治末期に東京市により編纂された「東京案内」などの地誌でいずれも「三分坂」に「さんぶざか」と読み仮名を振り、「東京案内」では「急坂なのでここを通るときに車力賃三分を割り増しした」といった説明文が付けられています。しかし、横関氏は「三分坂」を「さんぶざか」と読むのは明らかに誤りだと断定し、その根拠として「江戸時代に『三ぶ』と言えば金一両の4分の3にもなり、(この本が出版された当時では)2万円に相当する大金で」、「近道するためにたかがこのくらいの坂を上るくらいでそんなにお金を取られることなど絶対にありえない」として、「『三分』は「さんぶ」ではなくて『さんぷん』と読むべきであり」、「『三ぷん』とは『銀一匁の10分の3』」、つまり「分(ふん)」とは
(3)重さの単位。一匁の十分の一。0.38グラム
([88888] オーナー グリグリ さん)のことで、「金一両を銀60匁として、『銀三分』は20文に相当し、(出版当時では)せいぜい100円程度に過ぎない」とし、その後に江戸末期の諸物価との比較や、「もし『三ぶ坂』が正しいとしたらどういうことになるのか」といったくだりがかかれ、また江戸時代に著された書物をいくつか紹介し、いずれも「三分」に「さんぷん」と読み仮名を付けていること、「三分ン坂」「銀三分」と表現して「金三ぶ」と間違えないように親切に書いている例があることなどいくつか例証を挙げ、最後に文化年間に詠まれた

 秤目に積もりて見れば銀世界 三分坂に足らぬ初雪

という狂歌を紹介して、常識から見ても「三分坂」は「さんぷんざか」でなくてはならないと「ダメ押し」を加えています。

…「初雪」といえば、もう北海道では平地でも初雪の便りがちらほらという時季になって来ましたが、一昨日、「富士山で初冠雪が観測された」というニュースがありました。3週間ほど前、三保の松原から見た富士山は、山頂にも雪がなくて黒々とした印象でしたが([88822])、今朝の出勤途中の電車の窓から見えた富士山は、すっかり雪化粧していました…。
[88885] 2015年 10月 12日(月)20:10:38伊豆之国 さん
実質「市」
[88883] 白桃 さん
「町」から「昇格」した三つの自治体はさて、どこ(石川)、どこ(徳島)、どこ(長崎)でしょうか?


その町とは…
石川県:今頃がまさに「旬」の果物が前に付くと、初夏の花に変身します。
徳島県:「色名&植物名」の字が付きます。
長崎県:名古屋市某区とは「姉妹都市」(?)です。

…いかがでしょうか?

滋賀の12
滋賀県で唯一「市の地位を剥奪される」市は、「天下分け目の関ケ原」のお隣、新幹線が停まる市ですね…。

♯遅くなりましたが、
[88860] N さん
[88862] かぱぷう さん
ご当地ならではの情報をいただき、ありがとうございました。
[88846] 2015年 10月 4日(日)21:12:10伊豆之国 さん
西鉄福岡市内線
昨日の某公共放送の「中洲産業大学教授・森田一義氏」の番組で、「福岡と鉄道~発展を支えた天神の市電・西鉄大牟田線・新幹線」と題して、福岡市の鉄道の話が放映され、番組ではその森田氏が故郷・福岡に「帰郷」し、「2本の市電が敷かれ、更に西鉄電車のターミナルにもなったことで急発展した『天神』」「市電の線路跡の面影が残っている場所」「かつて大牟田線で活躍し、今は廃車解体を待つ電車(最近まで宮地岳線→貝塚線で走っていた『313型』)」「通勤新幹線・博多南線」などの映像が出てきました。
番組の中では、「博多駅が現在の位置に移ったのは昭和30年代になってからで、その当時はまだ田園地帯の真っ只中だった」という話も出ていました。「博多駅は移転した」ということは、その昔どこかで見た記憶はあったのですが、それが本当のことだった、ということがここで初めてわかったのでした。

…福岡市内線の全廃は、昭和54年。私が初めて九州、そして福岡市を訪れたのはその9年後だったので、もうその頃には「市電」の面影はほとんどありませんでした。
私も頻繁に出入りしている「鉄」系ブログから、廃止直前の福岡市内線の写真と記事をリンクしておきます。その1,その2,その3

>ご当地「福岡熱愛」のかぱぷう さん、遠慮なく反応をどうぞ…。
[88822] 2015年 9月 25日(金)20:47:21伊豆之国 さん
白金週間道中記【戦国市盗り合戦戦術大研究 & 南セントレア市訪問】
先の「白金(※)週間」の後半、21日から2泊3日の東海地方遠征から無事帰還。「谷間」の2日間は「完全休養日」に充てます。

今回の道中は、先の十番勝負「戦国市盗り合戦」で、序盤の戦術失敗から支離滅裂になってしまったことを受け、「戦国市盗り合戦・必勝戦術大研究(というにはあまりにも大袈裟ですが…笑)」と銘打って、東海4県を回ってきたのでした。
「戦国の合戦」と言えば、何と言っても「天下分け目の関ケ原」。と言うことで、まずは新幹線と東海道線を乗り継いで関ケ原へ。関ケ原町は、町を挙げて「町丸ごと古戦場」のイベントが今まさに開催中。駅前で案内地図をもらい、今は小公園になっている、徳川家康の最終陣地跡を見てから、町立資料館で事前知識を仕入れ、古戦場歩き。時間と体力の制約もあり、平地部を中心に要所を回ることに。こうした要所には石碑が建ち、道案内の標識も整備されていて、道に迷うことは余りありませんでした。田園の真ん中にある「決戦の地」と伝えられる場所を見てから、小高い山の上に築かれた石田三成の陣地跡に。展望台では、各軍の陣地の配置が描かれた地図を指差しながら、小早川秀秋に扮した女性ガイドが丁寧に説明。「よく言われるように序盤は西軍が優勢、陣地の配置でも高台に構えた西軍のほうが、平地に構えた者が多かった東軍よりも戦う上でも圧倒的に有利。海外の軍事研究家も、『これでなぜ西軍が負けたのか不思議』だと言う」「秀秋が寝返った真相と、毛利は動かなかったのではなく動けなかった」「西軍には『豊臣家への恩義』で参戦した人が多く、総大将の三成には内心嫌悪感を持っていた者も多くて、『日和見』で東軍に内通していた武将が多かったのも敗因の一つらしい」等々、中には既に知っていたこともあったものの、結構面白くて聞き入ったのでした。それから合戦開始の場所などを回った後、「関ケ原合戦」とは直接関係ないものの、「鈴鹿」「愛発」([87452],[87455] hmt さん)と共に古代の「三関」の一つに数えられた「不破関」跡の資料館へ。この「不破関」が飛鳥時代の「壬申の乱」に関係していたことは、初めて知りました。
それから2駅戻って大垣に。「時間があれば」と思っていた大垣城は結局パス、存廃問題が浮上しているらしい養老鉄道([87991] 山野 さん)に乗り換え。近鉄時代に養老から桑名まで乗ったとき以来、30数年ぶり。多度駅で降り、「木曽三川公園」([82265] hmt さん)に向かう予定だったのですが、バスはおろかタクシーもない!駅前の商店案内の地図にあったタクシー会社は、廃業していたのでした。桑名(旧市街)のタクシー会社に電話しても、どこも出払っていて、いつ来るかわからない…。「ご当地のN さんから情報を仕入れておくべきだった…」と唇を噛む。そこで頭を切り替え、「多度大社があるではないか!」と神社まで歩くことに。しかしこれが結構な距離。バスもあるとわかったのですが、バス停を見るとこの時間帯にはなく、歩いて行くうちに疲労感も増し、参拝を終えて駅に戻ったときには、40分間隔という電車の出発間際だったのでした。桑名からは、近鉄と名鉄を乗り継いで、初日の宿がある半田市へ。これで未踏市を1つ減らしたことになりました。

翌朝は、半田市内を回ることに。童話作家・新美南吉の記念館が最寄り駅から遠く、泊まったホテルも駅から遠かったため、まずタクシーで、運河沿いに立ち並ぶ蔵を行きがけに眺めてから、その記念館へ。その道筋には南吉の生家も公開されていました。それから赤煉瓦の元ビール工場でタクシーから降り、内部を見学。その後は町並み歩き。紺屋海道を通り、うら寂れた感じが色濃いJR半田駅前に保存されているSLを見て、名鉄知多半田駅へ。ところで、半田の街を歩いていると、「榊原」さんが非常に多いことに気づきます。「お名前博士」として知られた佐久間英氏の本を見て既に知っていたことでしたが、佐久間氏によると「市内南部の成岩の城主だった榊原氏が善政の誉れ高く、『榊原』の姓を名乗る人が増えた」とのことで、現在でも成岩地区では人口の10数%、旧半田地区でも1割近くが「榊原さん」、というようです。ちなみに新美南吉の「新美」さんも半田市に多い苗字で、市内トップ4に入るメジャーな苗字になっています。
5年前に行けなかった南知多方面([76354])を目指して、知多半田駅から名鉄で、終点の河和駅まで乗り、連絡バスで港に出て、高速船で日間賀島へ。東側の港で船を下りて島に入ると、島の特産らしい「蛸」のモニュメントが歓迎も、とにかくいきなりびっくり、恐るべき観光客の人波が…。名古屋方面から手ごろな日帰り行楽コースとあってか、真夏並みの暑さも手伝って、まさに芋を洗うような大混雑になったのでした。棚田のような地形の狭い土地、迷路のような細い路地に民家が立ち並ぶ風景は、まさに親父の田舎・西伊豆町の田子([83026])の町並みを思い起こす光景。けれどもその迷路のような町並みで、目的の場所に行くのに何度も道に迷い、地図を見てもどう行ったらよいのかわからず悪戦苦闘。ようやく見えたのが島の東端近くの神社。それから何とかいくつかの寺院にお参り、素朴な漁村風景に、「ここが『南セントレア市』にならなくてよかったなぁ」と思ったのでした。それから島の中央近くにある資料館を見て、西側にあるもう一つの港へ。当初の計画では、島への行きか帰りかどちらかで知多半島の南端、師崎の港までバスに乗る予定にしていたのですが、島の大混雑と、道に迷って時間を費やしたこともあり、道路も渋滞しているかもしれない、と諦めて、行きと同じ高速船で河和に戻ることに。港にも乗船待ちの大行列、臨時便まで出る混雑振りだったのでした。
河和からは名鉄で、2日目の宿を取った岡崎へ向かうことに。台湾にも同名の駅があると言う「富貴」駅([85241])で特急に乗り換え、更に神宮前で豊橋方面に乗り換えたのですが、「中京競馬場前」でいったん下車。もちろん「ほとんど無関心」の競馬ではなく、目指したのはすぐ駅の南側にある「桶狭間古戦場伝承地」の小公園。「桶狭間」の地名は名古屋市側にあるのですが、この「伝承地」の所在地は豊明市。現在、豊明市には「桶狭間」の地名はないようですが、この公園には、昭和16年に立てられた史跡指定の標柱や、江戸時代の文化年間に立てられた石碑もあり、「桶狭間」の地名はもっと広い地域をさしていたような感じがします。今では一帯には住宅地が広がっていて、往時を想像するのも難しいのですが、名古屋市側にも「古戦場公園」があり、あるいは名古屋市と豊明市の間で「本家争い」があったような気もするのですが、過去ログを見てもそのような記事は見当たらず、果たして真相はどうなのでしょうか?
桶狭間を後にして、再び名鉄電車に。岡崎の宿がJR岡崎駅のすぐ近くにあるため、鈍行しか止まらない「岡崎公園前」で降り、隣接する「中岡崎」駅から愛知環状鉄道で岡崎駅へ。駅が中心市街から遠く、しかもホテルは「裏口」の西口側で、駅前は閑散。チェックインの後、夕食の店を探しに「表口」の東側に出たのですが、こちらにもまとまった商店街もなく、西口とは大して変わらず。気に入った店を探すのには結構苦労したのでした。

最終日となった3日目の朝は、いよいよ戦国の世を最後に制した徳川家康の生まれ故郷・岡崎の市街地に出ます。「愛環」で中岡崎に戻り、まず岡崎城址へ。岡崎の街は「家康公400年」のイベントが展開中で大いに盛り上がっているところ。天守閣は明治の初めに取り壊され、現在のは昭和34年に再建されたもの。最上階の展望台からは岡崎の街が一望。名鉄と愛環の電車が走る姿も手に取るように見えました。園内には、家康の一生と、それ以前の松平氏・三河武将をテーマにした「家康館」もあり、館内では「決闘・関ケ原」のシーンの映像も見られ、まさに2日前の「復習」をしたのでした。それから「八丁味噌」の蔵を見学。「日吉丸・矢作橋の出会い」の絵が描かれた古いラベルも展示されていて、岡崎が「豊臣秀吉にもゆかりがある」土地であることも再認識したのでした。岡崎公園前駅に出て、名鉄で次の東岡崎駅へ。駅の周辺に繁華街が広がり、繁栄度でもJR岡崎駅とは雲泥の差。バスの発着も多く、やはり[82935] でk_ito さんがおっしゃる通り
地元の感覚としては、市全体に対する強い求心力を持つ「代表駅」はやはり東岡崎駅なのではないかな、と思います。東岡崎駅は、鉄道路線こそ名古屋本線しかありませんが、名鉄バスの主要ターミナルとしての地位はいまだ健在です。城跡と市役所に近い、市の中心繁華街が東岡崎駅付近であることも間違いありません。
(岡崎駅は)市の規模からみれば「僻地」と言ってもいいぐらいの立地だった
ということで、「岡崎市の中心駅(代表駅)は、やはり名鉄東岡崎駅が適切」だということがはっきり認識できたのでした。
東岡崎駅からはバスで、松平家・徳川家の菩提寺「大樹寺」へ。山門からは、岡崎城が一直線に見通せ、このライン上では展望を妨げる高層ビルの建設も遠慮するようにしているとのことで、「東京の富士見名所」として名高かった西日暮里の富士見坂からとうとう富士山が見えなくなった([83670])ことを思うと、「眺望も大切な風景遺産」ということを改めて考えさせられたのでした。
東岡崎駅に戻って、再び名鉄で豊橋へ。実は帰りのほうは新幹線の切符を買っておらず、鈍行乗り継ぎでどこかで道草しようと当初から考えていたのですが、結局決めたのは、11年前の「浜名湖花博」の帰りに寄ったときに悪天候で散々な目に遭った「三保の松原」(→こちらのブログに投稿)。豊橋に着いたときに既に15時を回っており、静岡までは新幹線に。しかし窓口で前の人との応対に手間取っていて、もちろん口にこそ出さなかったものの、これには大いに腹立つ乗り。新幹線のホームにたどり着いたのは発車の1分前。次の「こだま」は40分後、まさにぎりぎりで間に合ったのでした。そうしたことで、昼飯抜きのまま我慢。「こだま」には車内販売がなくなっていたのでした。静岡駅で小ぶりな駅弁「鯛めし」を買ったものの、清水までは10分ほど、しかも長椅子式ではとても余裕なし。清水駅で降りてバスへ。途中、左手の車窓から、雲の上からまだ雪がない頭を出した富士山が見えて、「これは行ける!」と期待が膨らむ。三保の松原へは、最寄のバス停から結構遠かったのを覚えていたのと、日没の時間も迫っていたので、「松原入り口」のバス停を降りると早足気味に松原の方角へ一直線。そして海岸に出ると、夕暮れの松原越しに富士山の雄姿が!11年越しの「リベンジ」に見事成功したのでした。
清水駅に戻り、再び東海道線に。またも長椅子式でしたが、とうとう空腹が我慢できず、車中で先に買ってきた弁当を「遅い昼食」でほおばる「猛者」ぶり?を発揮。終点の熱海で乗り換えて、「戦国市盗り合戦迷走の原点」小田原で下車。小ぶりな弁当ではとても空腹を満たせず、わずか2時間経ったばかりなのにもう夜食。駅ビル内の老舗の魚料理店に入ると、メニューに「大名海鮮丼(?)」を発見。ここまで来てまたも「戦国」にこだわりを見せるとは…。小田急に乗り換え、我が家に戻ったのは23時を回ろうという時刻でした。

…結局、「戦国市盗り合戦対策」とは言いながら、何だか大して収穫もなかったような結末になったのでした。

(※)タイトルの「白金」は「しろかね・しろがね」と読んで、「やまと言葉」で”Silver”のことです。東京・港区「白金」には”Platinum Street”があるようですが、本当は”Silver”ですので勘違いしてはいけませんねぇ…。

♯今回の書き込みで、通算書き込み字数が60万字の大台越えとなったようです…。
[88791] 2015年 9月 14日(月)21:43:37伊豆之国 さん
めでためでたの若松様よ(若い市長)
>オーナー グリグリ さんへ

昨日投開票が行われた山形市長選挙で、佐藤孝弘氏が初当選しました。
山形市HP

新聞記事などによると、佐藤氏は39歳とありますが、生年月日がわかりません(というより、時間がなくて調べるのが億劫…)。
生年月日、任期の初日を確認の上、該当するのであれば早速登録していただきたく、お願いいたします。
[88786] 2015年 9月 12日(土)18:28:54伊豆之国 さん
山田さん、山田駅
「山田」という地名、「全都道府県に存在する地名」の話題で賑わっていますが、私もこの話題に乗ることにします。

「山田」という苗字も、地名と同様、全国的に広く分布しているメジャーな苗字です。全国に約84万人、全国で12番目に多い苗字となっています。こちらから、姓を「山田」と入力して分布状況を調べてみると、一番多いのは愛知県で、電話帳の登録件数(近年では携帯電話の普及などにより、都市部を中心に減少傾向にありますが)は1万5千件余り。以下、東京・神奈川・北海道・大阪・静岡の順となっています。県別ランキングでは、トップに立つ県はありませんが、岐阜県で県内3位に入り全国最高位。福井と愛知で4位、富山・石川・滋賀の各県で5位、このほか静岡・京都・大阪・兵庫・鳥取・徳島でトップ10に入り、中部から関西にかけて比較的多く見られるようです。逆に、最も県ランクが低いのは高知県で109位ですが、それ以外の46都道府県ではすべて100位以内に入っており、東北と九州南部は若干少ないようですが、本土と全く苗字構成が異なる沖縄でも、60位台に入っていて、「割とよく見かける苗字」と言えそうです。

「山田」を含む鉄道駅は、こちらによると、16駅ありました。

駅名路線名所在地備考
山田京王高尾線東京都八王子市
山田長良川鉄道岐阜県郡上市
山田阪急千里線・大阪モノレール大阪府吹田市
山田上口参宮線三重県伊勢市
山田川近鉄京都線京都府精華町ホームの半分は木津川市にかかっている
山田西町土讃線高知県香美市
宇治山田近鉄山田線三重県伊勢市
越中山田城端線富山県南砺市
小山田釜石線岩手県花巻市
上総山田小湊鉄道千葉県市原市
紀伊山田和歌山線和歌山県橋本市
北山田横浜市地下鉄グリーンライン横浜市都筑区
北山田久大本線大分県玖珠町
土佐山田土讃線高知県香美市
東山田横浜市地下鉄グリーンライン横浜市都筑区
陸中山田山田線岩手県山田町震災で運休中

横浜市地下鉄にある「東山田」「北山田」は、なぜか「やまた」と濁りません。
陸中山田駅がある、震災で長期運休中のJR山田線の釜石~宮古間は、復旧後は三陸鉄道に移管されることが決まっています([88782] hmt さん)。

♯「全国にある普遍的地名」というと、中村・山口・上田・新田といったところも考えられそうですが。いずれも沖縄にも苗字としてはある程度存在しており、あるいは小字クラスなら見つかるかもしれません。市街地の「本町」「中町」「新町」などは、沖縄にはなさそうな気がしますが…。
[88756] 2015年 9月 5日(土)16:28:23伊豆之国 さん
初めての経県(私もやってみます)
少し乗り遅れ気味ですが、「初めてその県に入った(通過した)場所」、私もやってみます…。

都道府県自治体名(カッコ内は当時)経路
北海道函館市青函連絡船
青森三戸郡三戸町東北本線(現「いわて銀河鉄道」)
岩手一関市(西磐井郡花泉町)東北本線
宮城白石市東北本線
秋田鹿角郡小坂町路線バス(弘前方面から十和田湖へ?)
山形山形市仙山線
福島白河市東北本線
茨城取手市(北相馬郡取手町)ツアーの観光バス(潮来・鹿島・犬吠埼めぐり)
栃木栃木市(下都賀郡藤岡町)東武日光線
群馬邑楽郡板倉町東武日光線
埼玉所沢市「多摩湖(現・西武遊園地)」駅から西武園に徒歩で県境越え※1
千葉松戸市常磐線
東京世田谷区出生地(区内の産婦人科)
神奈川川崎市川崎区(川崎市)東海道本線※2
新潟南魚沼郡湯沢町上越線※3
富山下新川郡朝日町北陸本線(現「あいの風とやま鉄道」)
石川加賀市北陸本線
福井敦賀市北陸本線
山梨上野原市(北都留郡上野原町)中央本線
長野木曽郡南木曽町(※4)路線バス(馬籠~妻籠)※3,※4
岐阜羽島市東海道新幹線
静岡熱海市東海道本線
愛知豊橋市東海道新幹線
三重桑名市(桑名郡長島町)近鉄名古屋線
滋賀米原市(坂田郡山東町)東海道新幹線
京都京都市山科区(京都市東山区)東海道新幹線
大阪三島郡島本町東海道本線
兵庫尼崎市山陽新幹線
奈良宇陀市(宇陀郡室生村)近鉄大阪線
和歌山橋本市和歌山線
鳥取八頭郡智頭町因美線
島根安来市山陰本線
岡山備前市山陽新幹線
広島福山市山陽本線
山口玖珂郡和木町山陽本線
徳島三好市(三好郡西祖谷山村)土讃線
香川坂出市瀬戸大橋線
愛媛今治市(越智郡大三島町)石崎汽船(現・尾道市の旧瀬戸田町より?)[68910]
高知四万十市(幡多郡西土佐村)予土線[84609]
福岡北九州市門司区山陽新幹線※5
佐賀三養基郡基山町甘木鉄道※6
長崎南島原市(南高来郡口之津町)島鉄フェリー(天草より)[64417]
熊本阿蘇郡南小国町やまなみハイウェイ
大分中津市日豊本線
宮崎都城市日豊本線
鹿児島出水市九州新幹線
沖縄那覇市那覇空港

…ざっとこんな具合ですが、何しろ○十年前のことだったので、はっきり記憶が残っていない箇所がいくつかあるのです。それらとあわせて、他に説明が必要そうな県には「※」印を付けて以下に示しておきます。

※1:自分がはっきり覚えているのはこの記憶だが、母が昔「清瀬市の病院に叔母の見舞いに連れて行ったことがある」といっていたのを聞いた記憶がある。幼少時代のことなのですっかり記憶が抜けているが、もしそうであれば西武池袋線に乗ったはずで、ここでわずかにかすっている新座市(当時は北足立郡新座町)が「埼玉県初経県」ということになる
※2:小田急で向ヶ丘遊園(川崎市多摩区)に行ったのが先かも知れない。いずれにせよ、政令都市施行前の川崎市であることは間違いない
※3:2度目の北陸方面に行ったときの夜行列車の経由は、たぶん上越線廻りだったと思うのだが、もしかしたら信越線廻りだったかも知れない。それだと新潟県の初経県は妙高市(旧妙高高原町)、長野県の初経県は軽井沢町ということになる
※4:当時の県境だと、長野県に最初に入ったのは、中津川駅からバスで行った馬籠(現・岐阜県中津川市の旧山口村)。現在の県境に当てはめると南木曽町が初経県ということになる(※3の夜行列車が上越線経由であれば)。
※5:門司区内は全て関門トンネルの中、地上に出たのは小倉北区
※6:行きは西鉄に乗ったので佐賀県内はかすらず。甘木からの帰りに基山に出てJRに乗り換えた

♯「初宿泊、初訪問」([88744] デスクトップ鉄 さん、[88749] いろずー さん)も一気ににやってみようと思ったのですが、記憶をたどっているうたにこれが意外に難物、ということになりそうで…。行った場所、泊まった場所の記憶はピンポイントで押さえているものの、そこまでの道中の記憶は昔のことになればなるほどあやふやになって…。こちらは暇があったらついでにやってみようか、という程度に…。

さて、この記事を書いているうちに、お粗末ながら私自身の「市の経県値(認市度)」の誤りがまたも見つかってしまいました…。[69052]で竹田市を「×」としたのですが、20数年前に「やまなみハイウェイ」で九州を縦断したとき、ここで現・竹田市の旧久住町をわずかに通過していることに気づきました…。したがって、竹田市は「▲」に訂正します。

…これまた丸亀市レスですが…
[88369] 山野 さん
JR北海道は、留萌~増毛間の16.7km区間について来秋を目処に廃止する方針
この区間が廃止になると、北海道の「主」とも言うべきある動物が、道内の駅からいなくなります。それは何でしょうか?
▲ヒント…伊勢市、赤磐市、丸亀市、北九州市、熊本市にいます。←もう答えが出ちゃってる!
…「半家」(予土線・高知県四万十市)から「増毛」行きの「育毛切符」も、間もなく買えなくなるのですね…。

♯今夜の「アド街ック天国」は、その昔「下総国葛飾郡亀無村」と呼ばれていた地域だそうで…。
[88697] 2015年 8月 20日(木)23:20:42伊豆之国 さん
観光都市の経県値
もう答えが出てしまった後ですが、私もやって見ます。

No.県名連想など経県
1静岡早咲きの梅と美術館も有名4
2三重水族館と島巡り3
3静岡黒船、水仙、御用邸3
4静岡電話は41263
5静岡浄蓮の滝、天城越え4
6岐阜「ジョーロ」も「金の付く駅」もあります4
7栃木「鬼」の付く駅が複数あります4
8千葉昔、「○○アイランド」がありました3 
9三重5年前のW杯優勝国に関係あり3
10千葉鯛の浦、仁右衛門島4
11沖縄カンムリワシ0
12大分特急「○○○○の森」1
13石川県境越え地名、特急停車駅争いで「喧嘩両成敗」4
14大分別大マラソン、明豊高校3
15熊本県内で本物の「熊」がいるのはここだけらしい3
16岐阜朝市、奥○○慕情4
17鹿児島Issie さんとは直接無関係?3
18静岡頼朝&政子、反射炉は世界遺産に4
19佐賀お茶は有名ブランドです1
合計58

[88695] N さん
亀山市は旧・関町の関ロッジ(中略)今年3月に閉館したと知って、何とも言えない気分になりました
実は私も今から○十年前、学生時代の気ままな一人旅でこの「関ロッジ」に泊まったことがありました。それまで何回か使った近鉄ではなく、旧国鉄に「冷遇」され、ひなびたローカル線に甘んじて久しい関西線経由で奈良方面へ入ってみよう、という動機からだったのでした。宿は町外れの高台の、既に薄汚れたような感じで、あまり人も入ってなく、今はもうとうの昔に廃業していたと思っていました。関の町並みもまだ世に広く知られる前だった頃で、かすかな記憶は残っているのですが…。
ちなみに、私が4分の1だけこの県の血を引く三重県([86351])内で、宿泊経験があるのは、亀山市の他、津市(旧久居市の榊原温泉)・松阪市([86351])・鈴鹿市(鈴鹿サーキットのホテル)・名張市(赤目温泉)・菰野町(湯ノ山温泉)の5市1町です。
[88652] 2015年 8月 15日(土)18:57:47【2】伊豆之国 さん
第41回十番勝負を振り返って~Strawberry Fields Forever~
いつもの通り、十番勝負の感想文です。
今回は「戦国市盗り合戦」開始後の初回とあって、戦術の選択に苦闘し、最後は支離滅裂という結果になってしまいました([88513])が、何とかエラーなしでゴールすることはできました…。では、解答できた順に。

問一~小田原提灯ぶら下げて~
「自転車競走」だということは、いくらこの方面にはほとんど興味なし([84027])といえども、お題とそれまで出てきた答えから見てわからぬはずはなかった。「ご当地」と両天秤に掛けて、全市解答まで残り6市まで迫っていた隣県から、蒲鉾で名高い城下町を取ったが、その「小田原評定」が後になって禍根を残し、戦術の混乱をきたす要因となってしまった…([88213])。

問三~Strawberry Fields Forever~
お題の仙台・諏訪・芦屋と、いっちゃん さん([88169])の「雨乞いの神様が鎮座し、豆腐でも名高い、我が家の近所からもよく見える霊山がある」市から、共通項が閃いた。「花咲徳栄」と館山は、「合併前の市域にあった町村が該当していた」。「女城主がいた」という共通項だ、と。つい最近「世界遺産」に登録されることになった反射炉のある、頼朝と政子ゆかりの市に「女城主」が誕生していることは、[83152] 山野 さんの記事で知っていた。これで「ご当地」関係の市では通算18回目にして初めてのメダル「銀」獲得。でも、その直後に恐れていたことが([88213])…。

問八~君は心の妻だから~
ここまで出てきた市から、どうも「全体が低地にある市」だ、と見当がつく。広大な平野が広がっている府県から探し、茨城県を見ると、「敵討ち」できる市が見つかった。
♯この問の共通項は、「市域の(標高)最高点が50m」未満」。第一ヒントの解で、「ある数値以下である」とありますが、「該当しない市」はいずれも最高地点が50mちょうど(小数点2桁以下四捨五入でそのようになっている可能性もありますが、そこまでは踏み込まないこととします)なので、「50m以下」だと50mちょうども含むことになるので、矛盾します。第一ヒントは「ある数値未満である」とすべきではなかったでしょうか。

…ヒント前にわかったのは、この3問だけ。「揺り戻し」は結構強かったようでした…。

問十~七つの星も呼んでいる~
[88319]
あの市が思考回路を遮断していました
「あの市」とは、宮古島市。後述する問九もそうだが、沖縄の市とか「鉄なし」市がお題にあるととたんに戦闘意欲がしぼんでくるのはいつもの悪い癖。ある程度以上の人口規模のある市が並んでいるので何かのランキング関連かとも思ったが手がかりなし。ようやく第一ヒントから「移り住むべき所」、少し前に話題となっていた「地方移住」だと。「虎の巻」はすぐ見つかったが、お気に入りの市があまりなく、結局3回目となったが、旅の思い出も深い北の玄関の港町に。

問五~お酒はぬるめの燗がいい~
やはりヒントから、「測り方が変わった」。やはり少し前に話題になった、「測定方法」も絡んだ面積増減。落書き帳の記事にあったのもすぐ見つかった。2回正答県だが、答えたのは同じ市(しかも同じ回)だった県から、ベテラン女性演歌歌手のお膝元。

問二~小夜の中山、夜泣き石~
お題の市を眺めていると、お隣の市に共通する文字や読みで終わるものが多いようなので、そちらかとも思ったが、答えの出方を見ると違い、振り出しに。「一番多い種」と解けて、前回の七番勝負・問四の共通項だった「市の鳥が鶯」だとわかって、思わず「やられた~」。結局、静岡県の未解答市減らしに。山内一豊ゆかりの城下町を。

問九~高き屋に登りて見れば煙立つ~
問十のお題とは最後の1市が違うだけだが、やはりその「鉄なし」鹿屋市が思考回路を遮断。第一ヒントは解けず、第二ヒントで「領主不在」…まさに「市盗り合戦」オリジナル問題だ!と。関西からの解答が少ないので、博識を誇る落書き帳の大御所にもゆかりの、「引越しセンター」の市を取ったが、後になって、戦術面を考えると「フロンターレ」にしたほうがよかったかなぁ、と…。

問四~Day Dream Believer~
第一ヒントは「今回で四回目」とすぐ解けたが、
過去の出題回数とかメダル該当回数とか、あらぬ方向に走ってしまった
のは、なると金時 さん([88622])と全く同じ。第二ヒントも、「いじめ」の文字が見えてきたりして何だ?と思ったが、「じめじめしている」ということが浮かんできて、「そういえば、『湿地』の問題は過去3回出ていたな」と気づく。前回(第21回・問八)でも答えた日光が残っていた。後から追っかけてきた人がいたので、結果的にこの選択が正解だった。

問六~三島は近年開けたる 豆相線路の分かれ道~
第二ヒントまできて、どうやら「無投票」ではないか、と。市長会のHPを開いて過去の結果を開く。去年のもOKだったので、ご当地で唯一2回正答だった、「鰻」と「湧き水」でも有名らしい、東海道五十三次の宿場町。

問七~お化けは死なない、試験も何にもない~
第一ヒントは皆さん方と同じく全くわからず。第二ヒントをといて、「問題番号にヒントあり」。そして第一ヒントの答えが「この市には『あるもの』がない」と出て、しばらくしてから「『セブンイレブン』がない市」ではないか、と。そのHPから「店舗検索」を開いて、「沖縄と鳥取にはまだ店を出していない」「島根県の店の分布が不思議」…。それまで出てきた答えも、まさに「店がない」地域だとぴったり合う。最後に残った1回正答県から、鬼太郎の故郷に。これでやっとノーミス完答となりました。…「個人情報」ですが、実は本職ではその「セブンイレブン」のいくつかの店の「図面作成のお手伝い」をやっている。それなのに気づかなかったとは、不覚、情けない…。

♭今回の選曲は…
問一:これは説明不要。
問三:この市の特産物にちなんで。([85599],[64043])。
問八:この市とは全然関係ない駄洒落([77019] 白桃 さん)。「下妻物語」という映画もありましたが…
問十:「○○の女」の2番の歌詞より。「星」はどこかの豪華列車ではなくて、引退に追い込まれた「北斗星」([86767]のほう。
問五:やはりこの市にはこの人の歌でしょう。
問二:鉄道唱歌・東海道の24番に歌われた、市域の東端にある悲しい伝説を残す東海道の難所(掛川市HPより)。
問九:仁徳天皇にまつわるエピソードの歌。
問四:東照宮の「三猿」と、いったん閉鎖したものの復活することになった「猿軍団」にちなんで"The Monkees"([84435])。
問六:こちらも鉄道唱歌・東海道から。16番の歌い出し([71778] hmt さん)。115年も昔、当時の三島駅は今の御殿場線下土狩駅。
問七:鬼太郎の故郷にちなんで。
♭全体にレトロ調になって…。

…終わって見れば、次回からの戦術もどうやら少し見えてきたようで…
[88513] 2015年 8月 1日(土)18:47:26伊豆之国 さん
十番勝負「市盗り合戦」雑感
やっぱり、「攻める」ことよりも「守る」ほうが難しいですねぇ…。
終盤戦はもはや戦術は支離滅裂([88420])、領地防衛に必死かと思えば最後は「鬼太郎屋敷」([88440]) で涼味&恐怖感を楽しんで、ようやくゴール。会津帰りの道中で「早籠」を止めて小休憩しただけ([79262],[79328])の「一夜城主」の座を分散派の総大将に「結弦」ことになったのは痛くもかゆくもないのですが、「本丸」韮山城の防御に総力を使い果たして「銀杯」をせしめたとたん、「小田原評定」の失敗から「ハトヤ」の入浴中に相模灘から急襲に遭ったのはまことに痛い…。

さて、議論を呼んでいる「市盗り合戦での入門コースの扱い」ですが、やはり一般コースとは別に「入門コース版のランキング・一覧表」を作成するのが現実的な扱いではないか、と考えています。この点では、[88493]のk-ace さんの意見が私の考えに最も近いでしょう。プロ野球には、「フレッシュオールスター」(以前は「ジュニアオールスター」といっていたように記憶しています)というのがあり、主に二軍戦を活躍の舞台としている若手選手に限定した「二軍版・オールスター」の試合が毎年行われています(今年は残念ながら会場となっていた倉敷が天候不順で中止になってしまいましたが)。男子の蹴球では、年齢制限がある五輪は「W杯のジュニア版」といった扱いになっています。どちらも「ジュニア」から飛躍して大選手になった人も多数います。
「入門バージョン」を作るとなると、またいくつか問題も出てきます。一般コースの「憂さ晴らし?」で入門コースにも参入した人はどうするのか。これについては、このようにしたらどうか、と考えています。

a) その回において、一般コースを先に1問でも正答した場合、入門コースで獲得したその回の「石高」は反映されない(メダルを取った場合でも。ただし、入門コースの通算正答数、メダル獲得数には加算する)
b) 最初に入門コースから参入した場合でも、一般コースの合計正答数が一定数(例えば50以上)に達した場合、「入門コースは卒業した」とみなし、獲得した「石高」「領地」は全て返上する(「入門コース版の名誉領主」として認定する。通算正答数、メダルの記録はa)と同様に残る)
c) a),b)により、その回までの「入門コース版・領主」を決定する

…いかがでしょうか?

それと、せっかく「各県別領主地図」を作成しているのですから、「県別の領主」も制定されてはいかがでしょうか。「市」単位の基準を「県」バージョンに当てはめると、必要石高が大きすぎる場合もあり、県によって総人口に対する市部が占める人口比率も異なります。それに、市の人口にかかわりなく、その市を正答すれば一律に「1問=1万石」(メダルによる「加増」は含まず)となります。そこで、次のように考えているのですが…。

1) 「県の領主」となるための必要石高(単位・万石)は、その県の市の数の計以上とする(ex.石川県=11,埼玉県=40)
2) その県の全部の市を正答していなくても、メダルによる「加増」と「お手つき」による「減俸」とを差し引きした合計石高がその県の必要石高以上になっていればよい
3) 領主決定ルールは、「市」の場合と同様とする

…「メダル」などを加味しない県別リストは、既に[87222] でデスクトップ鉄 さんが作成されています。この数字だけを見ても「県の領主」が誰か一目瞭然、という県もいくつかあるのはもうお分かりでしょうが、かなりな激戦になっている県もありそうです。私自身、「静岡県の領主」すなわち「駿河・遠江・伊豆三国の統括領主」の地位を虎視眈々と狙っていて([88030])、しかも今の領主と思しき人物があの「岐阜城下の大喧嘩」以降姿をくらませているとあって、その隙に一気に攻略をと思っているところですが…。
[88440] 2015年 7月 31日(金)00:12:48伊豆之国 さん
十番勝負
問七:境港市

お化けは死なない…
[88435] 2015年 7月 30日(木)23:29:46伊豆之国 さん
十番勝負
問六:三島市
[88420] 2015年 7月 30日(木)22:02:58伊豆之国 さん
十番勝負
問四:日光市

こちらも「今回で四回目」。
もはや戦術は破綻しています…
[88388] 2015年 7月 29日(水)22:06:29伊豆之国 さん
十番勝負
問九:堺市

第二ヒントも難しい…
[88341] 2015年 7月 27日(月)10:29:56伊豆之国 さん
十番勝負
問二:掛川市

全然違う方向でした。
[88339] 2015年 7月 27日(月)09:46:58伊豆之国 さん
十番勝負
有休を取って、自宅から。

問五:八代市
[88319] 2015年 7月 26日(日)22:53:42伊豆之国 さん
十番勝負
伊豆の仇を、富士山ではなくて筑波山麓でとりあえず果たして、いつ落城するかもわからぬ「一夜城」を築きましたが…
ヒントも難解、まず一つだけ。

問十:函館市

あの市が思考回路を遮断していました…
[88312] 2015年 7月 26日(日)20:40:35伊豆之国 さん
Navy Curry
[88309] k-ace さん
松戸市から初の甲子園
八王子市の次点は何市になったんでしょうか

それは、おそらく…

1) ○○カレーが名物
2) 松戸市にも同じ地名がある
3) スカンデルベクの鷲 さんの故郷では、この市名と同じ苗字は大変メジャーな苗字

この各項にあてはまる市だと思うのですが、いかがでしょうか?


♯ようやく3問目に手がつきましたが、後は結局ヒント待ちに。それと、この暑さのせいなのか、目の古傷([76074])が再発、視界が何やら鬱陶しくなって、PCの画面を見るのもつらい
[88308] 2015年 7月 26日(日)12:48:00伊豆之国 さん
十番勝負
問八:下妻市
[88213] 2015年 7月 20日(月)22:37:26伊豆之国 さん
Break Time
「韮山城に危急」の報([88028])を聞きつけて、本拠・田子小松城([66751])から急遽防衛戦に駆けつけ、何とか死守を果たしてご褒美に「銀杯」を頂いたものの、その直後、恐れていた相模灘から津波が襲来、伊東の館は守護神のイルカ([75016])共々押し流され、もろこしが原の妖怪([88060])の手に再び陥落。堂ヶ島の洞窟([83026])は「江ノ島の岩屋とつながっている」というらしい、という当地の伝説を失念していたとは…。初戦の選択は「凶」と出てしまったのでした([88159])…。攻めるだけならあまり考えなくてよかったのに、「守り」も考えなきゃ阿寒と鳴門、不慣れな上に各地に「一夜城主」の如き小領地をもらっている「分散派」にとっては、やっぱり厳しい現実が待ち受けていたのでした…。残る8問もいまだに手がかりが掴めない…。猛暑で体力も消耗、この銚子ではヒントが出るまで「待ち」になりそうな雲行きに…。でもまだ諦めるのは早い。攻守所を変えて、曽我の里から小田原提灯を手に、「富士の裾野の巻き狩り」で「リベンジ」を果たすまで…。
[88188] 2015年 7月 19日(日)22:26:42伊豆之国 さん
十番勝負
領地喪失を覚悟で、一世一代の大勝負に出ます…(大袈裟!)。

問三:伊豆の国市


問二はすぐ近くまで来ていたように見えたのですが、どうも振り出しに戻ってしまったようです…
[88159] 2015年 7月 19日(日)09:00:23伊豆之国 さん
十番勝負
問一:小田原市

今回は出遅れました。
果たしてこの選択が吉と出るか、凶と出るか?
[88078] 2015年 7月 12日(日)18:21:29伊豆之国 さん
TOP3入れ替わり
[88069] 白桃 さんからのクイズ、私もいくつか推測してみます…

◎北海道
「恋の町」「はるばる来たぜ」と並んで「道内経済の三本柱」といわれた運河の町は、「逢いたい気持ちがままならぬ」ままずるずる凋落。代わって「旭日」の勢いで伸びてきたのは、当時はほとんど無名だったあの動物園…(もっともこちらも人口は既に峠を越していますが)。

◎静岡県
「鰻」と「安倍川餅」の激烈な首位争いに続き、「ヌマズ(飲まず)食わず」で果敢に決闘を挑んだ「準ご当地」をきわどいところで退けた「次郎長一家」は、徳川家にひれ伏して?解散。その「準ご当地」をもかわして、製紙工場の煙で富士山も霞む、「かぐや姫伝説」でも名高いらしいあの町がいつの間にか上がってきたとは、かの萬葉歌人も、水鳥の羽音に驚いて逃げた平家もビックリ!!

◎群馬県
「横浜銀行の支店がある」3市のうち、「偽・富士山」がある、鋸屋根の工場の織物の町が脱落、代わって「焼きそば」でも名高い、既に引退されたアーカイブス編集長のお膝元が…


[88068] オーナー グリグリ さん
既に不参加を決めているので、自分にはもう関係ないことですが…
氷見プレミアム付き宿泊券
ほぼすべての氷見市内の宿泊施設で使えます
使える宿リストを見ると、旅行雑誌などでもよく紹介され、JTBその他の旅行会社のパンフレットやHPにもたいてい載っているここ(宿泊経験あり)などのように入っていないところもあるようなので、「非加盟(未登録)のホテル・旅館・民宿などは対象外」ということでよろしいのでしょうか?

>EEMさんへ
??
…至急訂正をお願いいたします。
[88030] 2015年 7月 5日(日)21:21:21伊豆之国 さん
分散派のたわごと & ベルマーレ
「戦国市盗り合戦」なる新企画が公表されて以来、「十番勝負の戦術」に頭を悩ませているところですが([87399])、「分散派」に属する私としては、「領地防衛」にこれまで以上に苦闘を強いられることになりそうだと頭を抱えていたところ、タイムリーな話題が出てきて、新しい楽しみ方ができたみたいで、いっちゃん さん([87997],[88019])、今川焼 さん([87998])とはまさに同感です…。既に全都道府県1市以上正答を5年前に([76050])達成している「分散派」の私が、以前から秘かに狙っていたのが、ルーツの県である「静岡県全市正答」の野望。こちらを見ると、静岡県全24市中、16市で正答しており、残すは8市。神奈川県(19市中、残り6市)ももどうやら「射程圏内」、とりあえず来るべき「第50回記念大会」までの目標に掲げておきます…。

[88011] ぺとぺと さん
平塚では昨日から初夏の到来を告げる「たなばたまつり」が開催されています(中略)私も本日夕方頃に足を運ぶ予定でおります
私もまた今年も足を運びましたが、天気予報が芳しくないこともあり、早めに我が家を出て昼頃に到着。その後雨が激しくなり始めたこともあって、いつもよりも早く切り上げ、3時半頃に出たので、すれ違いになったようです…
(4日)21時からにテレビ東京で放送される「出没!アド街ック天国」で10年ぶりに平塚が取り上げられるようです
私もこの番組を見ていました。
この中でも紹介されていた、タンメンの店。この店には毎年のように食べに行っていて、今では「これを味わわなくては七夕を見に行った気がしない」というほどになっているのですが、独特の味こそ変わらないものの、2年前に店が綺麗に建て替えられていて、以前のような雑然とした店内の雰囲気が失われてしまったのが少々残念です…。
メイン会場となっている大通り。お世辞ながらあまり人も入っていないような、まさに「昭和」といった雰囲気の古く薄暗い店構えの老舗?も結構見られるのですが、「空家」が出てもチェーン店が入ったりしているようで、「シャッター通り」にはなってなさそうなのが、まだまだ救われるように思えるのですが。その大通りの中ほどにあって、店の前で「ベルマーレ」の応援グッズなどを売っていたのが、平塚信用金庫の本店。以前、相模原に行ったとき、その平塚信金の支店があったのが不思議でした。信金の店舗リストを見ると、店舗の分布が不思議な形になっています。隣接する茅ヶ崎市にも大磯町にも店舗がない(茅ヶ崎は「湘南信金」のエリア。大磯には「中南信金」の本店がある)一方、相模原市に3店、大和市に2店など、離れた場所に支店が存在していることです。これについて信金の沿革を開いてみたのですが、この辺の事情は見ただけではよくわからないようです…。
ベルマーレで思い出したのが、いよいよ明日が「宿命の決戦」という「なでしこ」の話。平塚の町を歩くと、町中に「なでしこ」の文字が溢れていることに気づきます。「市民の花」は「なでしこ」。市の海岸寄りには市立「なでしこ小学校」があり、近くには「撫子原」という町名も。その町内には「なでしこ歯科」が…地図)。私立「なでしこ幼稚園」も市内にあります。もらった団扇を見ると、裏に「平塚なでしこライオンズクラブ」の文字が…。

[88016] 白桃 さん
これはまさに「意地悪クイズ」でしたね。
自分で頭の中で考えていた通りでした。
[87963] 2015年 6月 27日(土)15:02:12伊豆之国 さん
県別・Top3、私もこの話題に…
都道府県別に人口トップ3の市を当てろ、という問題、私が○十年昔に習った頃とは、大合併やらニュータウン開発やらで大激変、今いきなり答えろ、といわれたらもう無理だという県がほとんどということになりそうです…。

私が小学生だった頃、京王線には、休日になると新宿から多摩動物公園まで臨時直通急行が運行され、何度も両親に連れられて行った動物園に行くときの楽しみにしていました。でも、競馬が開催されるときには、その急行が府中競馬正門前行きに変更され、それには子供心に大いに腹立つ乗り。それ以来競馬に対しては時折激しい憎悪を抱くようにさえなったのでした。今でも京王線では唯一、「競馬場線」だけは、全く用もないのでまだ一度も乗ったことがないのです。私にとって「(東京都)府中」というと、何よりも「多磨霊園」なのでした([74987])。「武豊」という騎手の名前はもちろん知ってはいますが、この字を見るとまず思い浮かべるのはやはり「JR武豊線」「愛知県武豊町」のほう(実はこちらにも行ったことはないのですが)…

さて、本題の「トップ3」ですが、都内の「市」、3位は「多磨霊園」か「深大寺そば&味の素スタジアム」か、お隣同士でどちらが上だったか、いまだによく迷ってしまいます。「区」のほう、生まれ故郷に次ぐのは、そのお隣の「羽田空港と田園調布がある」区で長らく変わらなかったのですが、いつの間にか「大根」で有名だったあの区に抜かれていたとは…。

[87962] 白桃 さん
神奈川の市ダービー
16 シナガワマンナ 品川
(以下略)
そんなわけで競馬には疎い私ですが、本当の順位は…
16ハルカアヤセ綾瀬同名の駅は「遥か」遠く
17トンボズシ逗子その昔、バラエティショーにもよく出ていたのを記憶していますが…
18トモカズミウラ三浦もちろん「大根」役者ではありません
19キンタローアシガラ南足柄字数オーバーで「南」はカット
「市」に限定すると上のようになりますが、「町村」もOKならば、18位には「ジンジャーサムカワ」が入って以下1つずつ下へ。南足柄の「次点」は、先日大往生を遂げた「キンキンアイカワ」…。
♯ダービーって、牝馬はNGだったっけ?

[87959] N さん
[87961] オーナー グリグリ さん
四日市市、津市、松阪市、桑名市、伊勢市。どうだ! 残念、おしい^^;
3番目はサーキットで名高い、「時刻表の代表駅が不適切」な市(実は私が三重県内で初めて訪問&宿泊した市。一時は県庁所在地を抑えて2位だった時期も)ですね。「焼き蛤」が「赤福」よりいつの間にか上に来ていたのには、いまだに違和感が…
[87952] 2015年 6月 25日(木)22:57:23伊豆之国 さん
北関東県境錯綜地帯
今晩のTV番組の中で、5年前のオフ会でも話題になり、多くの参加メンバーの方々も実地踏査された「北関東県境錯綜地帯」(第7回オフ会記録)の話題が出ていました。…この辺りでは、巷でいろいろと話題になっている「バトル」とは無縁だとか…。終わった後でチャンネルを回すと、十番勝負「戦国市盗り合戦」でわずか5万石?しかもらっていないのに、なぜか「名誉領主」扱い?になっているらしい([87441] 白桃 さん)、祖母の故郷でもある埼玉県最古参の市が出ていました。でも、先日の火事で焼けた「菓子屋横丁」が気がかりですが…。

[87947] 白桃 さん
三重県の某市にしばらく滞在し、その市名がついたゼンソクにかかりました
路線も車両のサイズも「ミニ」の、現在日本中で最も「若い」鉄道会社がある市ですね?。そして、この市を通る別の私鉄では、十和田市では3年前に聞けなくなった「あの音」がまだ聞けるのですね…。(ヒント…[83652],[78445])
[87914] 2015年 6月 12日(金)00:02:01伊豆之国 さん
電話番号から見る「阪神」
「明石は『阪神』か『播磨』か?」という話題で、ご当地ゆかりの方々をも巻き込んで大論争になっているようですが、「落書き帳」の初期を賑わせていた話題「電話の市外局番」では、「阪神」とはどの辺りを指すのか、ということを調べてみたくなって…

NTT西日本のHPなどから、兵庫県南東部の各市町の電話の市外局番・MAを見ると、次のようになっていました。

MA市外局番県内の該当地域
大阪06尼崎市
池田072(旧0727)伊丹市、川西市、猪名川町、宝塚市の一部(雲雀丘花屋敷地区など)
西宮0798西宮市(大半)、宝塚市の一部(仁川地区など)
0797宝塚市(大半)、芦屋市、西宮市の一部(名塩地区など)
神戸078神戸市、明石市、播磨町南東部、加古川市土山地区、西宮市山口地区
加古川079(旧0794)加古川市(大半)、高砂市(大半)、稲美町、播磨町北西部

…ざっとこんな具合で、明石市はその全域が神戸市と同一MA・同一市外局番になっていて、お互いに市内局番からかけられる区域になっており、「電話局番」という面から見れば、明らかに「阪神」地域に入っていることが読み取れ、その西隣、わずか10km2にも満たない狭い播磨町を真っ二つに割って([45564] 逆太郎 さん)、加古川MAより西側が「播磨」ということになりそうです。ただ、私が記憶しているところでは、昭和50年頃までは、神戸市も明石市も市内全域が同一市外局番ではなく、神戸市北区の山間部、美嚢郡であった北区淡河(おうご)地区([80188],[87902] k-aceさん)などには「0780x」という市外局番の地域が複数あって、自動通話にもなっていないことを示す「◎」印がついていたこと、また現・西区(当時は垂水区の一部)の伊川谷地区も「0789」という市外局番だったこと、明石市でも西部の二見地区は「07894」(?)という市外局番になっていたことを当時の電話帳で見ているので、あるいはまだこれらの地区は「阪神」に同化されていなかったのかもしれませんが。一方、尼崎市が「府県境越え」で大阪市と同じ「06」区域だというのは、やはり「阪神工業地帯」などで大阪とのつながりが強かったせいなのでしょうか。

♯今夜のTVを見ていたら、白桃 さんの故郷が画面に登場し、伝統の地場産業「手袋作り」が抱える苦悩と、それを乗り越える手段についての話題が出ていました…。
私は、栗林公園には二昔ほど前に行ったことがあります。偕楽園、兼六園ももちろん見たことがありますが、岡山の後楽園はまだ見たことがありません…(岡山市内では、吉備津神社・吉備津彦神社・足守と回ったのですが、旧市内は素通り…)。
[87892] 2015年 6月 6日(土)13:28:09【1】伊豆之国 さん
落書き帳参入8周年前祝
早いもので、私がこの落書き帳に初書き込みをして以来、明後日で満8年ということになりました。そこで、「前祝」といったら自分でも変ですが、いくつかのレスと、気になった話題とを。

[87885] 白桃 さん
ある漢字が入った市はすべて、その字からイメージするのとは逆に、人口がどんどん減っていき、とっくに3万人を割っております。果たしてその漢字とは???
そのうちの1つは、以前「意外な場所にある地方銀行」が話題になった市で、この県にある球団に最近まで所属していた選手の苗字と同じ名の市でしょうか?

[87887] オーナー グリグリ さん
方角文字(東西南北)の入った自治体が一つもない都道府県はどこでしょう
[87888] 桜通り十文字 さん
この県は4つあった方角市町村がすべて消滅したのですね
「この県」で最後に残っていた方角の付く町は、"Gold Station"がある町ですね。

…「東南西北」が出たからには、ついでに麻雀で「白発中」も行きましょう(笑)。
「発」の付く自治体は新発田市だけ、「白」は6市7町3村([82976] hmt さん、[83002])、「中」は10市14町6村2特別区(こちら)。新発田市がある新潟県は、他に「役」が付くのは「南」の1市1町だけ。その一方、「発」以外の6つがそろっている道県があるようなのです。さて、どことどこでしょうか?

【追記】
新潟県には、「平成の大合併」前までは、潟東村・西山町・西川町・川西町・山北町・白根市・中条町・中之島町・中之口村・中郷村があったので、当時からあった新発田市・津南町とあわせて、全国で唯一、「東南西北白発中」が全てそろっていたのですね…。

ところで、今日はここにもゆかりがあるという年頃の娘どもの、毎年恒例の「お祭り」があるようですが(私は大して関心もないので、いつものようにその「裏」の旅番組を見ることにします)、その向こうを張って?、あの「パロディ風」銭湯([86351])もある、このところ再び「休業」された?らしい古参メンバーのお膝元から、こちらも「パロディ風」の人気投票を実施する、という広告がネット記事に出ていました。題して、「TKD(=東海道)57・総選挙」。
こちらのHPによると
6月2日(火)より宿場町人気投票「TKD(とうかいどう)57総選挙‼」を開催します‼
東海道には57の宿場がありますが、その中で最も人気がある宿場がどこか知っていますか??
そんな疑問を解消するべく、東海道の57の宿場を対象に宿場町の人気投票を開催します!!
草津宿街道交流館と史跡草津宿本陣以外にも、郵政博物館(東京都)、東海道かわさき宿交流館(神奈川県)、東海道町民生活歴史館・志田邸(静岡県)、豊橋市二川宿本陣資料館(愛知県)、亀山市歴史博物館(三重県)の東海道沿いの5ヶ所の施設でも投票していただけます。また、このホームページでも投票を受け付けておりますので、トップページから専用のページへアクセスしていただき、ご投票ください。
投票受付は各施設、ホームページとも6月2日(火)から始まりますので、是非ご参加ください。
・投票期間 平成27年度6月2日(火)~6月30日(火)
…あれ?東海道は「五十三次」のはずでは?と誰しも疑問に思うところですが、果たしてその答えが、その古参メンバーの書き込みにありました。
東海道を五十三次としない考え方もあります。五十三次ほど有名ではありませんが、現在の大津市と京都市山科区の境にある髭茶屋追分で分岐し、京を迂回して伏見からほぼ現在の京阪本線のルートに沿って大坂まで行く東海道五十七次というものもありました。これに従うと、問三の想定解に八幡市、枚方市、寝屋川市、守口市、大阪市の5市が加わることになります
([81797] 実那川蒼 さん)
ということで、京都の手前で分岐して淀川の南東側に沿って大阪までの間にあった、伏見・淀・枚方・守口の4宿を加えた57宿を投票対象としているようです。
[87858] 2015年 5月 23日(土)21:47:23【2】伊豆之国 さん
第3回Pair City七番勝負を振り返って~伊東に行くならハトヤ、電話は4126~
今回の感想文も、前回(第2回)や先の第40回十番勝負と同じスタイルで。

問五~伊東に行くならハトヤ、電話は4126~
最初にわかったのがこちら。「ご当地」を含むペアを探して見つかった。全国最ミニ市とのペア。

問一~ここは鹿児島、旅路の果てよ~
「旬」の話題で新幹線とまず思っていたが、みかちゅう さんの「横浜市/広島市」([87550])で「高速バス」に目が行ってしまって迷路に。新横浜発の列車があるとは知らなかった。わざわざ時刻表(ミニ版ですが)を買ってきて、本当にあることがわかった。NGの組み合わせから、「毎日運転している列車」と見る。3年前の夏の旅路([81852])を思い出し、確実なところから。共通項が「(クイズ開始日の)4月25日に運行している列車」だったとは意外だった。結果的に安全側だったが。

問七~清水港の名物は~
「船」関係であることがわかる。旅客船の定期航路の出発・到着港の組み合わせと読む。答えを見つけるために照らし合わせたのは「日本旅客船協会」のHP。前回の十番勝負で静岡県の市を答えられなかったので、問五に続いてやはり「伊豆」絡み。伊豆市の土肥から、清水港へのルートが見つかる。運航ルート図にはお題でNGの沼津~戸田~土肥のルートもあったが、既に運航停止になった([87829] オーナー グリグリ さん)とは知らなかった(現在は不定期の団体貸切船・チャーター船として運航しているようです(戸田運送船(株)のHPより))。NGの理由は「同じ市内の港に途中で立ち寄っている」からだと思っていた。昔は親父の田舎・西伊豆町の堂ヶ島まで通じていたのだったが…([75051])。それにしても、定期船の航路、知らないうちにこんなに減っていたとは…。「しまなみ海道」の開通で瀬戸内の航路もだいぶ整理されたのでしょう。沖縄本島から宮古島・石垣島への定期客船がなくなったのは、[74152] Issie さんの記事で知りましたが、「旅客船協会」のHPを見ると、今も再開されていないようです。

問三~都をば霞と共に立ちしかど~
割と近所の市同士のペアが並んでいたので、まず「道」関係かと思ったが違った。地図を見ているうちに「間に村を挟んでつながっている」と気づく。お題の三重県ペアがNice!だった。村が全滅している県なのに、お隣の県の山の中の「村の連鎖」で見事につながっていたのでした…。まだまだ続く東北支援で。後になって、[65565] Pachi さんの書き込み
那須山麓による白河地方と会津地方との隔絶が明確だと言う事でしょうか
西白河郡西郷村は南会津郡下郷町とは隣接していますが、ここまで明確な数値で境界線が引かれるとは思いませんでした
をふと思い出しました…。

…ここまで奇数問ばかり4問、ノーヒントでわかったのですが、偶数の3問は手がかりがつかめなかったり、後一歩まできていながら詰められなかったりと、[87640]で書いたような愚痴も…。ヒントが出て、まずそのうちの2問が。

問二~日本で最初の富岡製糸~
「隣接市同士の人口差」ということまでは薄々気づいていたが。上限と下限があるとか、順位とかも考えていて詰め切れなかった。地元の「若大将」が顔を見せていなかったのでこちらで頂き。8年前の夏に行ったときは暑かったな~([60538])。

問六~秋田名物、八森ハタハタ~
ヒントとこれまでの答えから、「面積の足し算」だとわかる。またまた「ご当地」の市とぴったりうまくいったペアが見つかった。

問四~一はやっぱり富士の山~
皆さん方と同じく、やはり最後まで苦闘した難問だった。第二ヒントまで出てもさっぱりわからず。ようやく第三ヒントで「市の鳥が同じ」組み合わせだとわかる。お題といくつかの既出解から、市のホームページを開いて照らし合わせ。いくつか調べて、近所の市と、前回の十番勝負で答えた「大御所」のお膝元の組み合わせを。

♭今回の選曲は…
問五:子供の頃に耳にたこができるほど聞かされたあの名CM。本当に久しぶりにTVで流れていたのを見て、思わず…。
問一:歌詞に日本海側の港町が出てこなかったので、賞を取りそこなったとの噂。
問七:エスパルス、今年も厳しい戦いが続いています…
問三:秋風ぞ吹く白河の関、ですが、この歌を詠んだ能因法師は、本当は白河の関には行ったことがなかったとか。…雨情の伊豆大島、藤村の渥美半島と同じだったのですね…([72181])。
問二:「上毛カルタ」の「に」の札([17754] YSK さん)。
問六:秋田音頭の歌い出し。
問四:童謡「背比べ」の歌詞には、富士山が出てきます。その日は5月5日だったのですが、書き込みのボタンを押したのは日付が変わってからになってしまったので、「六日の菖蒲」に…。

♯今日のTV番組から。毎週のように見ている旅番組で、3年前のオフ会でご一行様が訪れていた「木曽三川公園」([82265] hmt さん)が出ていました。島崎藤村が行かなかった渥美半島も(私は17年前に訪れています)。そして、問七で答えた清水~土肥のフェリーまで出てきて…。そのあとの番組では、江東区「清澄白河」。「白河」の町名は、「寛政の改革」で名高い白河藩主・松平定信公の墓所があることにちなんでいるそうです(江東区の地名由来)。

[87776] k-ace さん
日本一長距離を走るという高速バス路線「Lions Express」が本日【5月16日】出発分で運行休止となります
3年前の長旅([81852])の思い出、しっかり胸に残しておきます…。
[87769] 2015年 5月 15日(金)22:52:52伊豆之国 さん
Re2:東京都を通過する列車
[87758] デスクトップ鉄 さん
「日比谷線経由の東武・東急直通」は、メトロ日比谷線の車両が1964年当初は日吉・北越谷間に、2013年の中目黒打ち切り直前は菊名・東武動物公園間に運転され、東京都を通過してていたという意味で書きました
東武の車両が東急線内を、東急の車両が東武線内を運転していたという意味ではありません
…ややこしいことですが、これは「実際に直通運転していた」のではなくて「車両の運用」ということなのでしょうか?
確かに「東横線~日比谷線~伊勢崎線」を直通する列車は結局運行されることはなかったようで、東急の車両(7000系など)が東武線内を、東武の車両(2000系など)が東急線内を走ることは見られなかったようですが、(営団→メトロの)日比谷線車両は東急にも東武にも乗り入れ運用されていたので、例えば、日比谷線の同じ編成の車両が「日吉→北千住→中目黒→東武動物公園」というコースで運用されていた、という意味に解釈するということでしょうか?

現在の上野東京ライン経由で、1961年3月から68年9月まで「湘南日光」が日光・伊東間に運転されていました
それと、かつて平(現・いわき)から伊豆急下田(伊東?)まで、現在の「上野東京ライン」の前身に当たるルートを利用して、常磐線と東海道線を直通する「常磐伊豆」という臨時急行が、昭和40年頃に運行されていたことを覚えています。このルートを使用して、我孫子発着の臨時「踊り子」が運行されているようです。
また、千葉駅から秋葉原・新宿を経由して東武日光までの臨時「日光」号も運行されているようです。
[87757] 2015年 5月 14日(木)21:46:32伊豆之国 さん
Re:東京都を通過する列車
[87750] デスクトップ鉄 さん
地下鉄による相互乗り入れは、京成・京急直通以前の1964年8月29日に日比谷線経由の東武・東急直通が開始されましたが、2013年3月の五社直通で中目黒で打ち切りとなりました
日比谷線との相互乗り入れは、当初から東武からは中目黒まで、東急からは北千住までで、3線を直通する列車は元々なかったはずですが(こちら)。…ところで、信濃路へと流れていった元日比谷線の電車(3000系)は、屋代線([77584]Issie さん)無き今、まだ残っているのでしょうか?
[87727] 2015年 5月 11日(月)00:07:12【1】伊豆之国 さん
ようやく一息つきましたが…
伊豆の国市の「韮山反射炉」が「世界遺産」に登録「秒読み」だそうで…

今回の七番勝負。「お家芸」の領域だったのに決定的に出遅れたり、すぐ近くまで来ていたのに詰めが甘かったり、と予想以上に苦闘。一桁順位に入ったのは一つもなく、最終着順も18位と、前回よりも大幅ダウン。それでもようやくミスもなく終わって、しばらくは高見(k-ace のさん故郷で一番多い苗字…[65508])の見物…。

ところで、いつものように「鉄」系の動画を見ているうちに、リンクをたどって行くと「落書き帳」でも取り上げられた話題に関係する動画がいくつか見つかりました…。(UPされた時期が数年前で、少し古くなっているデータもありますが)

明治22年の都市人口ランキング…「白桃市町村人口研究所」データを見るまでもなく、明治以降の都市の栄枯盛衰が…。
北日本都市ランキング…北海道・東北+新潟が対象。その1からその5まであり、「その5」がトップ20でした。
各県代表駅を東京の駅と比べてみた…茨城・千葉・滋賀は意外な駅が1位だったとは…。愛媛のトップはやはりあの駅であることは、ご当地ゆかりの方のおっしゃる通り。埼玉・兵庫なども「時刻表の市代表駅」がやはり不適切であることは一目瞭然…。
【追加】
東京近郊・乗降人員の少ない駅…東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県にある駅(路面電車は除く)で、近隣の駅に比べて相対的に利用者数が非常に少ない駅をリストアップしたもの。ターミナル駅の隣にある「鈍行」しか停まらないような駅などが多く見られます。あくまで「都心への通勤圏内にある駅」に限定されているようで、例えば房総半島の先端部とか、箱根登山などは対象外のようです。以前に話題になった京成「大佐倉」駅([66746] オーナー グリグリ さん)も画面に登場してきました。

>いろずー さん
十番勝負
前回の私と同じミス([85349] 白桃 さんのご指摘まで気づかず)をしていますね…。
[87689] 2015年 5月 6日(水)00:25:25伊豆之国 さん
七番勝負
問四:富士見市・日野市
[87640] 2015年 5月 2日(土)10:29:59伊豆之国 さん
七番勝負
今回は奇数よりも偶数の問題が難しいみたいで、「偶」の音も出ませんでしたが、やっと…

問二:安中市/富岡市
問六:秋田市・伊豆の国市

問四は意味がどうもよくわかりません…
[87590] 2015年 4月 26日(日)23:47:28伊豆之国 さん
七番勝負
問三:会津若松市・白河市
[87584] 2015年 4月 26日(日)21:33:38伊豆之国 さん
七番勝負
問一:福岡市/鹿児島市
問七:静岡市・伊豆市
[87545] 2015年 4月 25日(土)22:22:05伊豆之国 さん
七番勝負
問五:伊東市・歌志内市
[87476] 2015年 4月 18日(土)21:08:41伊豆之国 さん
旅番組を見て気になったこと
番組内容に露骨に横槍を入れるつもりはありませんが…。TVの旅番組を見て気づいた、明白な誤り2題。

<その1>
一昨日の「ケンミンSHOW」。「埼玉県各地の知られざる名物うどん」の話題が出ていましたが、番組の中で、消滅からもう14年も過ぎた「大宮市」の文字が何度も画面に…。

<その2>
今晩の「高速バス乗り継ぎ旅」。ナレーターが「松山駅」と何度も言っていましたが、この映像を見ると、どう見ても「松山市駅」ですね…。それに、駅周辺の繁栄度が全然違いますし([82932][82963] ペーロケ さん,[82961])。
[87472] 2015年 4月 15日(水)23:52:26伊豆之国 さん
治部里の森だより
金沢名物の治部煮、ではなくて「ジブリの森」の三鷹より。

[87467] オーナー グリグリ さん
○三鷹市長
現職の清原慶子市長は立候補せず。元副市長の河村孝氏と元市議の岩田康男氏が立候補を表明。女性市長は存続せず
…のはずだったのですが、後継候補に予定していた男性新人が急病に倒れたため、清原氏が急遽4選に向けて出馬することとなったようです。

三鷹市長選(十九日告示、二十六日投開票)に出馬表明していた新人で前副市長の河村孝氏(61)が、十三日に脳疾患を発症したため出馬を取りやめ、引退表明していた現職の清原慶子氏(63)が十四日、急きょ四選を目指し出馬を決めた(中略)河村氏は集中治療室(ICU)に入院中で十四日は面会できず(中略)選挙直前の急病とあって、代わりの候補となるのは「三期で終わるのが意外だった」(関係者)とみられていた現職の清原氏以外、いなかったといえる
(東京新聞より)ということで、選挙戦は清原氏と、元市議の男性新人との一騎打ちということになりそうです。
選挙結果が出ましたら、「女性市長の一覧表」の更新をお願いいたします。
[87452] 2015年 4月 5日(日)22:33:31伊豆之国 さん
愛発越え
選抜高校野球は、福井県の敦賀気比高校が北陸勢として初めての全国制覇を果たしましたが、
[87447] ペーロケ さん
疋田超え
現在の敦賀市疋田付近と思われる場所に、今から1300年近く前の奈良時代、「愛発(あらち)関」という関所が設けられていました。この「越前国愛発関」は、伊勢国の「鈴鹿」、美濃国の「不破」と共に当時の「三関」の一つに数えられ、畿内から北陸方面へ向かう街道の防御上の重要地点として機能されていました。しかし、平安時代の初めに他の2ヶ所と共に廃止され、その後再び「三関」が復活した際には、「愛発」に代わって、平安京のすぐ近くに「逢坂関」が設けられることになり、「愛発関」はその後復活することなく消えて行きました([14561] まがみ さん)。「鈴鹿関」と「不破関」は、関所がなくなってからもそれぞれ「関(町)」「関ケ原」の地名を残し、また後世には東海道、中山道の重要な通過点として機能していたのに対し、「愛発関」の記憶は時とともに忘却の彼方に去って行き、かつて関所があった場所も今でははっきりわからなくなっているようなのです。明治22年の町村制施行で、疋田など12村の合併によって愛発村が発足するのですが、統合前の村名に「愛発」というのはなく、おそらく江戸後期までには「愛発」の地名は既に消失していたような気がします。その愛発村も、昭和30年に敦賀市に編入されてその名が消え、現在は市内の町名・大字としても残っていないようです。

さて、この「愛発関」にまつわる話として、渡辺久雄氏著「忘れられた日本史」(昭和45年初版、[72732])の中で、「関所と間道」という一節で取り上げられています。この記事では、この「愛発関」が絡んだ奈良時代の大事件「恵美押勝の乱」の顛末と、当時の近江・越前国境を挟む地域の交通路と地形の関係、それに直接「愛発関」とは関係ないものの、やはり近江から越前へと落ち延びて行った源義経と新田義貞の脱走ルートと、後世の「北国街道」との関係などが書かれており、最後の部分では「愛発関はどこにあったのか」という考察と実地踏査のことが書かれていました。
この本によると、奈良時代頃には、畿内と北陸を結ぶ幹線ルートとして、大津からほぼ現在の国道161号線に沿うルートで、旧マキノ町から県境を越え、疋田を経て敦賀に向かう「西近江路」がメインとされ、陸路よりも、むしろ大津から船で琵琶湖を縦断して海津(旧マキノ町)で再び上陸するほうが多用されたこと、「愛発関」を突破して越前に逃れようとした押勝が朝廷軍の防戦にあって退却を余儀なくされ、結局湖上と陸路とを右往左往した末に捕らえられて最期を遂げたことが書かれており、また「義経と義貞の脱走ルート」に関係する部分では、江戸時代の1815(文化12)年に書かれた「越前国名蹟考」という本に記されていた地図に示されていた、当時の主要街道や「裏街道」など、必要な箇所を写した地図が出ており、現在北陸トンネルが貫通している「木の芽峠」越えの道と、戦国時代に柴田勝家によって開かれたと伝えられる北国街道、それ以前に「西近江路」に次ぐ正規の街道として存在したといわれる塩津街道、やはり北国街道前からあったといわれる高時川沿いの大回りルート(現在の滋賀県道285号に相当)などと、さらにこれらの道筋がいずれも断層に沿った構造谷に沿っており、こうした地形を利用して道が開かれたのではないかとの推測も書かれていました。
最後にある「愛発関の位置の推測」では、当時運行されていた、海津方面から県境越えのバスに乗って、近江・越前の境界線上にある、その名も「国境(くにざかい)」という場所でバスを降りて敦賀方面へと、「西近江路」に当たる国道161号線を下って歩いたときの「道中記」が書かれ、「国境から疋田の間までは、両側に山が迫って関所を置くのに適した土地が見当たらず、結局「西近江路」と、現在の国道8号のルートに当たる「塩津街道」、それに後の「北国街道」から「椿坂峠」の手前で分かれて西へ向かう道が落ち合う、現在の「疋田」付近こそが「愛発関」が置かれた場所にふさわしい、と締めくくっています。
現在の疋田地区には、「愛発公民館」が建っています。

…落書き帳の過去記事から「愛発」を検索すると、8件ありました。しかし、そのうち7件までが2003(平成15)年までの古い書き込みであり、しかも「愛発関」そのものや、関所を越える街道について具体的に書かれた記事は見つからないようでした。最新である[85668] (白桃 さん)の書き込みも、「麻雀地名」ネタとして取り上げられているだけでした。

「近江・越前国境を越える交通路」というと、北陸本線のルートと、その変遷について書かれた過去ログのほうは、いくつか見つかりました。福井県の旧越前国内で「嶺北」と「嶺南」とを分ける「木の芽峠越え」の箇所は、昭和37年の北陸トンネル開通により、それまでの山越えルートより距離・勾配ともに大きく緩和されたのですが([61344] hmt さん)、滋賀・福井県境を越える箇所、木之本(駅名は「木ノ本」)~敦賀間のルートも、それと相前後して付け替えられ、昭和41年までに現在の線形が完成しています([49460] Issie さん)。旧ルートである「柳ヶ瀬越え」の区間は、木ノ本から椿坂峠の手前までは北国街道(現在の国道365号線)に沿い、旧余呉町内の「椿坂峠」の手前で北国街道と分かれ、県境を「柳ヶ瀬トンネル」で抜けて敦賀市域に入り、疋田の先で現在のルートに合流していたのですが、急勾配が連続する山岳路線で、当時のSL列車も峠越えの急坂に難渋し、特に「柳ヶ瀬トンネル」はその中も急な上り坂になっていて、列車がしばしば立ち往生し、機関士が「失神」して窒息死するといった事故も起こり、「魔の路線」として名高かったそうです。そのため、早くから路線付け替えの計画もあったようですが、実現したのは戦後になってからで、その経過は[49460]にある通りでした。旧ルートが路線切り替えと同時に廃線となった北陸トンネルの前後と違って、「柳ヶ瀬越え」のほうは旧線もしばらく残されていたのですが、当初は単線で開業した新ルートが、登り坂になっている上り線をループ線による別線複線化の工事により、旧線は複線化の完成前の昭和39年までに全廃となっています。路線跡は国鉄バスの専用道路となり、柳ヶ瀬トンネルもバス道路として使われていたのですが、それも現在では県境越えの区間は廃止され([48920] むっくん さん)、残った部分はそれぞれコミュニティバスが細々と運行されているという状況になっているようです。敦賀から上り線に乗ると、ループ線から見える敦賀湾の水面が、周囲の状況をよく知らない乗客からは、一瞬「もう琵琶湖が見えるのか」と錯覚させるように見えるのは、ちょっとした話題になっていました([84479],[84485] 白桃 さん、[84484] NTJ会長 さん)。

…先日、青函トンネルの中で列車の床下から煙が発生し、乗客全員が近くの「竜飛海底」駅(既に駅としては廃業)まで歩き、そこから隣接する「青函トンネル記念館」の地中ケーブルカーを使って地上に避難した、という事故がありました。これを聞いてとっさに思い出したのが、昭和47年に北陸トンネルの中で起きた列車火災。食堂車から火が出て、多数の死者が出た大惨事でした。この事故がきっかけとなって、食堂車が国鉄~JRから次々と消えて行ったのはよく知られているのですが、ついにJRの定期列車から絶滅してしまった「ブルートレイン」の衰退も、あるいはこの「北陸トンネル事故」がその遠因の一つとなったようにも思えるような気がするのですが…。
[87432] 2015年 3月 29日(日)14:50:18伊豆之国 さん
Wood River & White Town
[87422] hmt さん
どうやら「紀川」から「紀ノ川」になった後、最近では「紀の川」の表記が使われるようになったようです
過去記事検索で「紀ノ川」と「紀の川」の両方を同時に含む記事を検索したところ、全部で8件。意外にも?最も古い記事が、私が[76738]で書き込んだ「妹背山」の話題。書物からの引用記事で、和歌の中では「紀の川」、その解説文などには「紀ノ川」と書かれていたという、半ば偶然性によるものでした。そして、8件のうち5件が「紀の川市にはなくて和歌山市にある紀ノ川駅」の記事で、そのうち私の[85544] など4件が、「第2回ペアシティ七番勝負・問四」の共通項に関する記事でした。「木曽三川・宝暦治水工事」([82282])で引用した、昭和44年初版の「南紀の旅・伊勢志摩」(松本清張・樋口清之両氏著)という新書本には、「紀の川」という項目があり、文中の表記も、「紀の川」に統一されていました。
「○ノ△/○の△」という表記の「揺れ」は、「丸の内」「江ノ島」など相当な数に上り、「きのかわ」のように地元でも表記が混乱している例もかなり多そうです。川崎市の「みぞのくち」のように、駅名の表記がJR「武蔵溝ノ口」、私鉄「溝の口」と異なり、更に地名の正式表記はどちらも入らない「溝口」というように、「三本立て」になっているといった例も見られます。
hmt さんが[87422] でリンクされている「国民学校・初等科地理」のページをめくってみると、「霞浦(かすみがうら)」「関原(せきがはら)」「駒岳(こまがたけ)」というように、「○が△」という地名でも、「ヶ・ケ・が」のいずれも入らない表記に統一されているようです。その当時は、「公式表記」とは違っていても、「国定教科書」ではこのような表現に統一していたのでしょうか。蛇足ですが、宮城県「しおがま」の表記が「塩竈」でも「鹽竈」でもなく「塩釜」になっており、この教科書が発行された昭和18年の時点では既に「塩竈」が公式の統一表記となっていたはずですが(塩竈市HP)、こうした「表記の揺れ」には、そんなご時勢の中でも案外緩やかだったのでしょうか。

ところで、[87388] で出したクイズ
【問】南房総市、白山市、南アルプス市、北杜市、東かがわ市…さて、この各市の共通項は何でしょうか?
ですが、
[87400] 白桃 さん
[87388]伊豆之国さんのクイズのキーワードは■に入る漢字だと感じます。
   自
   ↓
紅→■→金
   ↓
   桃
…まさにその通りです。
[87391] 白桃 さん
郡上市で金メダル
[87397] オーナー グリグリ さん
「沼田市」で銀メダル
いずれもご名答でした!!
この共通項、「縛り」も入れて長々と説明すると本物の十番勝負になってしまうので、後は皆さんで考えていただきましょう。
[87399] 2015年 3月 15日(日)16:47:01伊豆之国 さん
第40回十番勝負を振り返って~牛に引かれて善光寺参り~
もうすっかり忘れられた頃になってしまいましたが、今頃になってようやく十番勝負の感想文を書き込む暇ができました…。スタイルは[86710]と同様に。

問四~祇園精舎の鐘の声~
「鉄」か「道」か、ある一本の「筋」に沿って並んでいる。総社市を山陽新幹線がわずかにかすっていることに気づく。最初に選ぼうとした市が直前に答えられていたので、今年の(3年前も)大河ドラマにもゆかりの、時折適切なアドバイスをいただいている中堅メンバーのお膝元に。

問九~敷島の大和心を人問はば~
4番目の読みが「か」か「が」のどちらか。拾ってみるとちょうど40市だった。昨夏の道中でいろいろとお世話になった、超ブランド牛でも名高い、豪商と国学者ゆかりの、甲子園準優勝校の地元([86335])に。

問十~箱根八里の半次郎~
同音異字の市町村がある。過去問に類題がいくつかあり、NGの市との「境界線」の違いが微妙な「綾」だった。余りにも単純すぎるようなので、何かの別海だったのかとも思ったりした。箱根駅伝の「山登り」で超人的な記録を達成した「三代目・山の神」の出身地が、何と可住地率100%のこの市であることがスポーツ新聞に書いてあった。

…ここまでの3問は、最初の答合わせが出る前に、一気に。

問一~味は椎茸、可愛や苺~
濁音が含まれている市で人口上位。地元の市が入っていたので、これで7度目。

問六~東は宇治の翠巒を~
「○○市」駅がある市。問九からの流れで。その道中の最終目的地、日本国中の神々の総元締めの地。

問八~象潟の雨に西施がねぶの花~
「金」の字が付く駅がある。奥の細道ゆかりの地を。後になってみて、「やはり、これはいつかは出る問題だろう」と…。

問二~牛に引かれて善光寺参り~
問一と同じく濁音を含む市で、こちらは面積の広い順。「そば県」の県都がそんなに広くなっていたとは、今更ながら…。

問三~想い出酒に酔うばかり~
人口が少なく過疎地域にある市が並んでいたので、最初は「過疎地域指定」かと思ったが違っていた。人口密度のランキングを見ると当たっていた。よく見ると濁音が入らない市ばかり。お気に入りの市があまり残ってなく、結局2回目だったが、新潟県の市を答えたのは随分久しぶりのような…。

問七~富士の高嶺に雪は降りける~
共通項がさっぱり浮かばず、「苦しいときの地図頼み」で、お題とこれまで出てきた市を片っ端から当たってみたら、いずれも「『三』の字が付く町村と隣接」というのに気づいた。第37回の問五と同様、「またも『外し』か…」([83509] みかちゅう さん)と唸る。隣県にある該当する市がまだ出ていない。博学を誇る落書き帳の大御所のお膝元を。

…このところの難度UPが目立ってきたことへの「揺り戻し」なのか、皆さん方がおっしゃるように今回は打って変わって平易で素直な問題が多く、解答のペースの速さに引きずられる形にもなって、ここまでノーヒントで9問。今まで2番目の速いペースでしたが、残る問五がどうしてもわからず、第30回に続く2度目のノーヒント完答は成らず…。

問五~来たぞ、我らがウルトラマン~
第一ヒントから、「施行日ではない」。そこで「雑学」から調べて、ようやく「市の誕生日が3月31日」であることが…。「こちらは『時季外し』…」と。「東北支援」で福島県から。
…この市名を書いた瞬間、少年時代の正義のヒーローの主題歌が脳裏から離れなくなって…。

♭今回の選曲は…
問四:第2回「七番勝負」と同様。壇ノ浦の海に消えて行った平家一門を偲んで。
問九:この地で生涯の長い時期を過ごした、本居宣長の代表的な和歌。
問十:この市と直接無関係ですが、箱根駅伝で大記録を樹立した神野選手の快挙を称えて。
問一:今では「幻の名産」になっているであろう、かつての農村時代の特産物を歌いこんだ「町田音頭」の5番の歌詞より。
問六:三重高校の校歌の歌い出しに出てくる、神々しいお伊勢さんの森([86336] いろずー さん)。
問八:往年の景勝地を詠んだ芭蕉の名句。
問二:これは説明の必要はないでしょう。
問三:この地出身で、若くして世を去った演歌歌手の地元だそうですが([68934] Issie さん)、私はさっぱり知らないので、代わりに同じファーストネームの、同じく越後出身の誰でも知っている大物のほうの名曲を。
問七:この市と直接には関係はないのですが、市名の由来でもある富士山を詠んだ萬葉の名歌の、改作されていない「元歌」のほうを。
問五:「ウルトラマン」を初め「特撮・怪獣映画」で名高い円谷英二監督は、この須賀川市出身。…「円谷」さんといえば、東京五輪で銅メダル、次のメキシコを目前にして「もう走れません」と自殺した悲劇のランナー・円谷幸吉選手も同郷でした。

♯前に書いたとおり、今回は難度が大幅Downしたこともあって解答のペースが速く、メダル争いには絡めませんでしたが、半数以上の6問で「入賞」を果たし、まずまずの結果だったと思います。また、今回は静岡県からの解答がありませんでしたが、これは第32回以来8大会ぶりでした。

…さて、今回は「鉄」系2問の考察文を長々と書いているうちに、「戦国十番勝負・市盗り合戦」なる新企画が登場して、今後の戦術に影響してきそうです。今までのペースを守るか、作戦を練り直すか。まだ方針は固まっていません…。

さて、
[87387] オーナー グリグリ さん
北陸新幹線開業記念クイズ
「村」限定バージョンでやってみました。まず、同一県内だけでできる組み合わせから。
(原村、白馬村、王滝村、大鹿村)
(阿智村、朝日村、木島平村)
(平谷村、中川村、小谷村)
(渡嘉敷村、今帰仁村)
あと、
(上北山村、東吉野村、北山村、黒滝村)←3番目が惜しい!!
(嬬恋村、猿払村、喬木村)
(南阿蘇村、水上村、筑北村)
(栄村、生坂村、葛尾村)
(高山村(群馬)、曽爾村、大潟村、昭和村(群馬))
(中島村、明日香村、上野村)
(小菅村、野田村、利島村)
(鶴居村、丹波山村、小笠原村)
(鶴居村、丹波山村、西米良村)
…このパターンだと、どうしても不可能なものがありますね。

それから、
(佐倉市、さくら市、桜区)
は反則でしょうか?

[87388]のクイズの答えは、後ほど。
[87388] 2015年 3月 14日(土)10:21:47伊豆之国 さん
祝!北陸新幹線開業記念・十番勝負異聞
本日、北陸新幹線・長野~金沢間が開業しましたが、これに伴い、「十番勝負」のいくつかの過去問について、想定解に変化が生じたものがあります。

■第37回・問五「『三』の字がつくJR駅がある」→長野市にある信越本線の「三才」駅が「しなの鉄道」に移管されるため、長野市が該当しなくなります。
■第27回・問五「JRの駅が13以上ある」→並行する各在来線の移管により、上越市・糸魚川市・富山市が該当しなくなります。なお、青森市と八戸市は、平成22年12月4日の東北新幹線青森延伸に伴う東北本線八戸以遠の「青い森鉄道」移管により、既に該当しなくなっています(青森市のJR駅は現在12駅なので、「惜しいところで該当しない市」になっています)。震災の被害により、気仙沼線と大船渡線の一部が不通になったままになっている気仙沼市も、第40回の問八や、「五番勝負」第3回の問四でも物議を醸した「代行バス」を「鉄道とはみなさない」と定義すれば、「該当しない市」ということになります。また、宮古市は、昨年3月の岩泉線の廃止後も、市内に14のJR駅が残っていたのですが、やはり震災で運休中の山田線の海側の区間が復旧後は三陸鉄道に移管されることが決まったため([86828] スカンデルベクの鷲 さん、[87385] じゃごたろ さん)、「磯鶏」「津軽石」の両駅がJRから外れ、「該当しない市」になることが決定的になっています。
■第25回・問一「『温泉』の付くJR駅がある」→北陸新幹線「黒部宇奈月温泉」駅の開業により、黒部市が該当する市に加わります。一方、前項の通り東北本線八戸以遠の移管によって「浅虫温泉」駅がJRの駅ではなくなっているため([76969])、青森市は既に該当しなくなっており、想定解の数は出題当時と差し引き同数となっています。
■第21回・問三「『新+市名』駅がある」→北陸新幹線「新高岡」駅の開業により高岡市が該当します。また「黒部宇奈月温泉」駅に隣接して富山地方鉄道本線に「新黒部」駅が既に2月26日に先行開業しているため(「北陸の駅」より)、黒部市も該当する市になっています。一方、その富山地方鉄道市内線にある「新富山」駅(路面電車の停留所)が「富山トヨペット本社前」と改称され(富山地鉄HP関連記事)、富山市は該当しなくなります。このほか、平成23年3月12日の九州新幹線の全通(あの大震災の翌日だったため、全然話題にならなかった…)により、大牟田・鳥栖・玉名の各市が既に該当する市に加わっています。
♯北陸新幹線に「上越妙高」駅ができましたが、この駅名、以前に話題になったことがある「市名+市名=駅名」になっているのですね…(駅の所在地は上越市)。

…ところで、今日はもう一つ別の意味で「特別な日」です。そこで、これにちなんだ「一番勝負」風のクイズを。
【問】南房総市、白山市、南アルプス市、北杜市、東かがわ市…さて、この各市の共通項は何でしょうか?
[87372] 2015年 3月 7日(土)14:50:08伊豆之国 さん
Re:駅名と人名
[87360] 白桃 さん
「ウメナイ(梅内)産婦人科」を発見したときは、笑うに笑えませんでした
「お名前博士」として知られた佐久間英氏の本の中に、こんな笑い話のような記事があったのを思い出しました…。
「この歯医者さん、痛い!」
…看板を見ると、「板井歯科医院」
佐久間氏によると、これはどうやら実在の話らしいです…。
「板井」さんは、全国に8千人以上もあり、その3割以上が大分県に集中しています。「おお痛」県の「痛い歯医者さん」、本当にいたら、洒落にもならない怖そうな顔を思い浮かべそうですが、実は案外優しい方だったりして…(これは勝手な想像です)。

もう一丁…[87367] 白桃 さん
城東氏は今、出羽国(仙北・上山)上野国(高崎・沼田)武蔵国(秩父・桶川)薩摩国(日置)計35万石の領主
高崎市のお隣、幕末になってようやく十万石の大台を回復したものの、既に廃藩置県はもう目の前に迫ってきていた「悲運の大名」松平大和守家([72830] hmt さん)の城下町には、そのメンバーと同名の駅がありますね…。
他に「現役」のメンバー(紹介文が書かれている方)と同名の駅を探したら、ここ(又はここ)とここがありました…。
[87301] 2015年 2月 15日(日)23:12:34【1】伊豆之国 さん
戦国市盗り合戦・雑感
「戦国~江戸期にかけての時代に対しての関心が最も高い」というだけあって、今回立ち上げられた新企画「十番勝負・戦国市盗り合戦」にはまさに興味津々、現時点で武蔵国小山田城(町田市)・伊豆国韮山城(伊豆の国市)等、6カ国12城の主・領国における石高34万石の「大名」ということになっている「自称・落書き帳界の知恵伊豆」こと伊豆之国でございます。

さて、このほど武蔵国の住人・デスクトップ鉄 殿による迅速なる集計の結果、各大名?の石高・領地・領民数の「番付」が出来上がりましたので、早速拝見させていただきました。獲得した領地の分布状況については、デスクトップ鉄 殿、それに讃岐国の人で現在は下総国在住の重鎮・白桃 殿がご感想を述べられておりますが、私として一つ雑感を述べさせていただきます。

まず、「石高番付」を見ると、首位の桜トンネル 殿を初め、上位にはずらり「西軍」のつわものどもがずらり顔を並べていることに気づきます。十傑の中で「東軍」に属すると見られるのは、いっちゃん 殿(下野国の人、武蔵国在住)と、生国こそ摂津国であるものの、現在は相模国に本拠を構え、獲得領地の傾向からもその相模国で圧倒的な強みを見せていることから今は「東軍」と見られる、ぺとぺと 殿の2名だけ。20傑まで広げても、やはり「西軍」が優位であることには変わりはなく、領国数や領民数の上位を見ても似た傾向にあって、「関ケ原合戦」とは逆の状況になっているのが面白いところです。
(※東西の区分けは、まず関ケ原を中心として、北陸道5カ国(越後・佐渡を除く)と畿内・南海道以西、それと東山道のうち近江、東海道のうち伊賀を「西」、以東を「東」とし、各「武将」の領地獲得傾向と居住歴、郷土愛などを基に判断しました。)

「領国獲得状況」を見ると、やはり多数の領民を抱える大都市の「領主」がまだ決まっていないのは必然でしょうか。新興の「成り上がり」で江戸の昔には「影も形もなかった」札幌とか横浜はともかく、盛岡城、青葉城、久保田城(秋田市)、宇都宮城、岩槻城(さいたま市)、松代城(長野市)、駿府城、浜松城、名古屋城、伏見城(京都市)、大坂城、熊本城、府内城(大分市)、鶴丸城(鹿児島市)…意外な?ところではわずか3万石?の松江城も「城主不在」が続いています。一方、その「城主不在」の中で最も「大物」の大坂城は、深夜特急 殿が「あと6万石」でリーチを掛けており、殿の「浪速激愛」の強さから見ても、「初代・大坂城主」の地位を獲得するものも「時間の問題」であるような気がします。

さて、吾輩ですが、先にも書いたように、6カ国・12の領地を得ていることになっていますが、自分自身、「十番勝負」では「分散派」と目されているように([87230] デスクトップ鉄 殿)、同じ城(市)を何度も繰り返して指名することが少なく、地元・町田市の7回のほかは、最大で3回まで。そんな中で、ルーツの地である「伊豆国」からは、6城(市)のうち、韮山城・山中城(三島市)・伊東氏の館、それに実在しない「天守閣もどき」の見世物「熱海城」の4城を押さえているのですが、まだ修禅寺(伊豆市)と下田城が残っています…。中でも下田城は「領主狙い」にも届いていない状態で、ライバルは強力とあって「難攻不落」の様相。領主に納まっているところにしても、伊東に行くなら○○○の入浴中を狙って隣国から「妖怪・曽我兄弟」が討ち入りしてきそうで気が抜けない…(伊東市観光協会HPより)。やっぱり「伊豆の武将」というと、どうしても「戦国」よりも「源平・鎌倉」のほうが「伊東」ゆかりが深くなりますねぇ。
当家の母方にゆかりの、武蔵国川越城主「松平大和守」([72830] hmt 殿)の名を得ているのは、3度指名してそのうちの最後での「銀賞」が効いている、といった状況。中には合戦の「取り決め」によって「名目だけの一夜城主?」になっているところもいくつあって、こうしたところは「にわか城主」としていずれ「明け渡し」になることは必至であろうということで、全く執着はしていません。「城主狙い」ということになっている「青葉城」は、十番勝負で唯一の「金賞」(それも「取り直し」)に輝いたのが効いている、というだけで、本気で「白鳥」、じゃなくて「城盗り」に攻め込むことなどは毛頭考えておりません(笑)…。

「戦国市盗り合戦」の話題はこれくらいにして…(ここからはいつもの文体に戻します)
[87282],[87284],[87289] ニジェガロージェッツ さん
[87283],[87285] ペーロケ さん
[87290] オーナー グリグリ さん
神戸&西宮の
一里山
論争ですが、これを見て「あれ?どこかで見たような…」と思っていたら、[87263]で書き込んでいた「忍城下」行田駅付近の地図を見ると、駅の北側に「壱里山町」という地名がありました。摂津の「一里山」の由来について、「一里塚に関係するのでは」([87284])という説 が出ていましたが、行田の「壱里山」を見ると、現在「中山道」と呼ばれている国道17号線(隣町の「押上町」との境目)が通っています。しかし、本来の中山道(旧道)はわずかの差で行田市域を通過しておらず(旧中山道地図([82759]),[82767])、「中山道の一里塚」説は成立せず、「忍城からの道のりが一里」も考えられますが、旧中山道から忍城下への街道「行田道」の分岐点は吹上(鴻巣市)にあったとのことなので、この街道の沿道ではないのでこちらにも該当しないと見られます。はたしてこの「壱里山」の由来はどこにあるのでしょうか? ちなみに「壱里山」という地名は、この一帯の合併前の旧村「太井村」が昭和30年に行田市と熊谷市・吹上町(→鴻巣市)とに3分割して合併したときの大字にはなく、明治の町村制施行時の旧村名にもないので、おそらく北側にある「門井村→太井村大字門井」の小字か何かであったのが、南側の「清水町」・北側の「押上町」と共に、行田市の町名として独立したものと思われます。
[87275] 2015年 2月 11日(水)12:25:32【1】伊豆之国 さん
自治体越え地名(伊勢国)
建国記念の日にちなんで、というわけでもありませんが、今日は神々の故郷・伊勢国より。昨夏の遠征でいろいろとお世話になった(新春の十番勝負でも)、「大和心」を説いた国学の大家・本居宣長ゆかりの地より、これまで未登録と見られる「自治体越え地名」が見つかりました。

津市木造町/松阪市嬉野川原木造町

「木造町」はいずれも「こつくりちょう」と読むようです。
津市側に比べ、松阪市側は狭い範囲に限られているので、おそらく間を流れている雲出川の流路が変わったことによって対岸に取り残された地域のような感じがします。

>オーナー グリグリ さんへ
大阪市([86857])、横浜市([86858])の区境越え地名もお忘れなく。

♯十番勝負の感想文も、忘れないうちに書くことにします…。
[87263] 2015年 2月 8日(日)14:57:18【2】伊豆之国 さん
City Station~第40回十番勝負・問六について(vol.3)
ところで、市名と同じ「○○」駅と「○○市」が共に存在している市が、次の14市あります。この各市について、「どちらが市の『代表駅(中心駅)』にふさわしいか?」ということを、比較してみました。なお、乗車客数は原則として最新(年度、wikiより)の数値とし、★印は乗降客数(乗車客数は単純にその半数と見て差し支えないものとみなします)を示します。今回は、この乗客数の値を基にして、その中からいくつかの市について比較・考察をしてみることにしました。

○○駅乗車客数○○市駅乗車客数備考
和歌山(JR)19,179('12)和歌山市(JR)3,088('11)★
(和歌山電鉄)5,016('11)★(南海)17,569('13)★
16,924('12)堺市11,851('12)市内で乗客数最多の駅は「堺東」駅(29,202人('12))
<[82931]の数値は乗降客数だったため、訂正>
佐野(JR)3,542('13)佐野市764('12)★
(東武)1,495('11)
足利3,471('13)足利市6,810('12)★
川越(JR)37,754('13)川越市34,702('10)★本川越駅(西武):47,138('11)★
(東武)60,739('11)
行田6,962('13)行田市898('13)
刈谷(JR)29,915('12)刈谷市4,895('07)★
(名鉄)22,635('12)★
鈴鹿220('10)鈴鹿市1,799('12)市内で乗客数最多の駅は「白子」駅(7,510人('12))
守口8,019('13)守口市22,106('11)
高槻63,289('13)高槻市33,961('12)
茨木45,194('13)茨木市34,936('12)
倉敷18,478('12)倉敷市2,089('09)
松山7,373('13)松山市27,175('10)[82932] ペーロケ さん
摂津2,252('12)摂津市4,636('12)市内で乗客数最多の駅は「千里丘」駅(18,410人('12))

「○○」駅と「○○市」駅が並存している市の中には、駅名の変遷その他に複雑な経緯があるものがいくつかあります。[82961]で書き込んでいた松山市は、その代表例ですが、その松山市と同様、「お上の威光」で半ば強引に駅名を変えさせられた私鉄の駅に、「行田市」駅があります。「行田市」駅は、大正10年(1921)に「北武鉄道」の「行田」駅として、当時の「忍町」内に開業。駅名が「行田」になったのは、当時足袋の産地として知られていた「行田」の名を採用したのでしょうか([5052] でるでる さん)。「北武鉄道」はその翌年に秩父鉄道に合併し、現在に至っています。一方、国鉄高崎線は、合併で広くなった市域の、まさに「端っこを掠めて通る」形になったことから、この部分に駅を設置しようという地元の要望を受けて、昭和41年に新駅が開業したのですが、この駅がそれまでの秩父鉄道の駅名を「強奪」して「行田」駅を名乗り、それまでの「行田」駅はその1ヶ月前に現在の「行田市」駅となったのです([27175] むじながいり さん)。現在の両駅の利用状況を比較して見ると、市域の端っこにあって市街の中心から遠い「行田」駅のほうが、「忍城跡」や市街地の中心に近い「行田市」駅の8倍近い利用者数があり、これは私にもやや予想外でした。私は、その行田市を一昨年の夏に訪れたのですが([84083])、行田市の駅前は意外なほど閑散としており、駅前には土産物店もなく商店街にも思ったほど活気が見られず、市内を走るバスの本数も少なく稲荷山古墳の資料館まで猛暑の中を歩かされるなど、隣の熊谷駅から1両だけのディーゼル車が走っていたあの超ローカル線「東武熊谷線」([84083])に沿ったルートを通っている妻沼方面へのバスが予想以上に繁盛していたのと比べると、その落差に驚いたものでした。「行田」駅と「行田市」駅の大差は、通勤通学客の利用が多い幹線と、ローカル私鉄との差もやはり大きいのでしょうが、「行田市の玄関としてふさわしい駅(代表駅・中心駅)はどちらがふさわしいか?」と言った場合、利用者数で圧倒的に大差をつけているとはいえ、文字通り半島のように突き出した市域の端っこにあって、駅前には電器メーカーの大工場が広い敷地を構え、どちらにも少し歩けばそれぞれ熊谷市と鴻巣市の市域に入り、その両市の住民の利用もかなりの数に上ると見られる「行田」駅を、果たして「行田市の代表駅」としてよいのか、という疑問が沸いてきそうな気がしますが、かといって中心市街に近い「行田市」駅にしても、現状を見ると「代表駅」とするにはいささか心もとないように思えます。

同じ埼玉県の、最古参の市である川越市の場合は、かなり複雑な経緯をたどっています。(川越町→)川越市の中心部で最も古く開業したのは、現在の西武新宿線の「本川越」駅で、明治28年(1895)に「川越鉄道」の「川越」駅として誕生しています。その次に古いのが、大宮との間を結んでいた「川越電気鉄道」という名の路面電車の終点として、明治39年(1906)に開業した「川越久保町」(この辺り…wikiより)という駅です。この「川越電鉄」は、後に「(旧)西武鉄道」の路線となって「西武大宮線」と呼ばれていましたが、昭和15年(1940)の国鉄川越線の開業でまともに影響を受け、翌年に廃線となっています([61836] hmt さん)。一方、東武東上線の「川越市」駅が、「東上鉄道」の「川越町」駅として開業したのが大正3年(1914)の5月。そして、意外にも最も遅く開業したのが、現在の「川越」駅。同じ路線の「川越町」駅に遅れること1年弱、翌4年の4月に「川越西町」駅として開業しています。国鉄川越線の開業はさらに遅く、既に戦時体制に入ってきていた昭和15年。東北線と東海道線を、都心を通らずに迂回する路線として急遽建設が決まったとされ、沿線に航空士官学校(現在の自衛隊入間基地)ができたこともあって、軍事路線として重要な意味があったとされているようです。現在の「川越駅」は、その川越線が東上線と交わる位置にあった「川越西町」駅に同居する形で開業し、東上線の駅名も同時に「川越」と改称、それまであった西武新宿線の「”元祖”川越」駅は、その駅名を取り上げられ、現在の駅名「本川越」に改称させられています。したがって、「市」駅のほうではありませんが、川越の場合も、松山や行田と同様、「お上の権勢」によって「それまでの私鉄の駅名を国鉄が強奪した」と言えるのでしょう([41513] hmt さん)。

西武大宮線の廃線跡歩き(平成14年)
旧川越久保町駅の廃屋(昭和42年。その後ほどなくして取り壊されたようです)
昭和31年の川越駅・川越線etc

埼京線の開通と同時に、ようやく全線電化された川越線は、このときに事実上川越駅を境に運転系統が東西に分断され、東側の大宮~川越間は埼京線、さらには現在では「りんかい線」とも直通運行され、西武新宿線、東武東上線に続く、「大江戸」と「小江戸」を結ぶ「第三のルート」が出来上がりました。この埼京線の直通運転も加わって、川越駅の利便性はさらに高まり、現在では川越駅が、乗り換え客数を考慮に入れても、利用者数で他の2駅を圧倒し、名実ともに川越市の中心駅(代表駅)の地位を確立したと言えそうです。これに対し、西側の川越~高麗川間は、八高線の南側との直通運転に変わり、現在に至っています。士官学校の最寄り駅であり、皇族方のために貴賓室が設けられていた武蔵高萩駅の駅舎も、改築により惜しくも取り壊されてしまいました([70706] スナフキん さん)。川越・川越市・本川越の3駅は、徒歩でもそれぞれせいぜい十数分という距離にあり、以前から駅の統合の話が浮かんでは消える、というようですが、おそらく商店街の反対なども根強く、実現の可能性は低そうです。
川越には、私もこれまで何回か訪れていますが([81983])、川越の象徴とも言える「土蔵の町並み」を初め、中心市街や川越城跡・喜多院などにもいずれもその「元祖・川越駅」である西武本川越駅のほうがずっと近く、現在の「川越」駅はかつて「場末」であったことが読み取れるようです。ところで、現・川越駅がかつて名乗っていた「川越西町」という駅名。この駅は「川越市」「本川越」の両駅のいずれから見ても経度ではわずかに東にあり(地図)、「品川駅の南にある北品川駅」に似た状況になっていました。現在、川越駅の近くに「西町」という町名はなく、その後の住居表示などによる町名の整理統合により消滅したと思われます。その「川越西町」の駅名の消滅と同時に、国鉄川越線に「西川越」という駅が開業して、現在も同じ駅名で営業しています。
なお蛇足ですが、伊勢電鉄(現在の近鉄名古屋線の前身→記事集)にも、かつて「川越」という駅がありました。当時の三重郡川越村(現・川越町)内で、昭和4年の四日市~桑名間の延長開通と同時に開業しましたが、戦時中に隣の「富洲原」駅との統合により廃駅、現在はその「富洲原」駅が移転・改築して「川越富洲原」駅になっています。駅の開業時には既に西武線に「川越」駅がありましたが、私鉄同士でお互いに遠方であり、混乱の恐れも少ないため問題にされなかったのでしょう。

守口市の場合も複雑です。京阪「守口市」駅は、明治43年(1910)の路線開業と同時に「守口」駅として開業し、市制(昭和21年)から25年後に現在の「守口市」駅に改称し、現在に至っています。一方、大阪市営地下鉄谷町線の「守口」駅は、路線の延伸によって昭和52年(1977)に開業した駅ですが、実はかつて大阪市電に「守口」という駅(停留所)がありました。昭和6年(1931)に都島方面から延長開業して市外に「越境」し、当初は「守口町」と名乗り、戦時中に「町」を取って「守口」と改称していますが、京阪の「守口市」駅もまだ「守口」駅で、場所はすぐ近くですが、それぞれ別の場所に同名の「守口」駅があった形になっていて、これは今でも関西ではよくあるケースになっていたのでした。「守口」駅があった市電の路線は、昭和44年3月末限りで廃線となったのですが、これは市電で最後まで残っていた路線の一つでした。その2年後に京阪の「守口」駅が「守口市」と改称し、「守口」という駅名が消えていたのですが、さらにその6年後になって今度は地下鉄の駅として駅名が復活したのでした。現在、駅の利用者数は、「守口市」駅が「守口」駅の3倍近くに達しており、それぞれの路線の現状、経緯やその性格から見ても、「守口市」駅が市の玄関としてふさわしい(代表駅、中心駅)ことには異論はないと思われます。

鈴鹿市の場合も、「鈴鹿」の駅名は、「初代」は現在の関西本線「河曲」駅が名乗っており、現在の「伊勢鉄道」の鈴鹿駅は、駅名も社名もともに「二代目」ですが、どちらも利用客数は少なく「市の玄関」としての役目を果たしておらず、市役所もある神戸地区にある近鉄「鈴鹿市」駅が一応「市の代表駅」と言うことになっているようですが、関西線のルートから外れ、「初代・伊勢鉄道」→伊勢電鉄でも支線の駅に甘んじることになった([86355])こともあり、現在では鈴鹿サーキットの最寄り駅として特急も多数停車する、近鉄名古屋線の本線上にある「白子」駅が市内で利用者の多い駅となっています。
足利市は、JR「足利」駅のほうが、足利学校や鑁阿寺などがある市街の中心に近いのですが、渡良瀬川の対岸にある東武伊勢崎線の「足利市」駅が、東武の特急で浅草から一本で行けるので、利用者数では互角になっています。ただ、「市の代表駅」としては、やはり市街に近い「足利」駅のほうが適切でしょうか。松山市については、[82963] のペーロケ さんの認識がまさにその通りでしょう。和歌山駅・和歌山市駅と駅名・路線の変遷に関しては、[75010]で書き込み、その記事で過去の記事にもレスしているので、ここでは割愛することとします。

…ということで、「○○」駅と「○○市」駅の両方がある14市において、「どちらが市の代表駅(中心駅)」としてふさわしいか、と言うことを私なりに判断すると、次のようになると思われます。

「○○」駅和歌山、足利、佐野、川越、刈谷、高槻、茨木、倉敷
「○○市」駅守口、松山
どちらでもない堺(堺東駅)、鈴鹿(白子駅)、摂津(千里丘駅)
行田市については、文中に書いた理由により、判断が難しかったのでとりあえず保留としました。

こうして見ると、「○○」駅のほうが中心駅として優位に立っている駅のほうが多いというのは、やはり「○○市」駅のほうが後発である(国鉄の駅と区別するために「○○町」と名づけた駅が、市制施行により「○○市」駅に改称するなど)ことが多く、国鉄の駅のほうが(開業当時は市街の外れであっても)幹線にあることなどで既に「市の玄関」としての地位を確保していた市が多かったことからでしょうか。

かつて「○○」駅と「○○市」駅が共にあった市には、「美濃市」もありました([27173] 実那川蒼 さん])。
1999年に廃止された、名鉄美濃町線の終点は「美濃駅」でした。それに隣接する長良川鉄道(旧・国鉄越美南線)の駅は「美濃市駅」ですが、美濃市の市制施行前はそれぞれ「新美濃町駅」と「美濃町駅」でした。なぜか、名鉄美濃町線の線名は美濃市が市制施行し、一部廃止になって美濃市に行かなくなってもそのまま残されています。
その美濃町線も、当時まだ残っていた区間も含めて全て廃線となった今は、「美濃市」駅が名実共に市の代表駅となったということでしょうか。

♯以上、ここまで長々と書きましたが、とりあえず今回のシリーズはこれで締めくくりとします。
何かありましたら、文章の訂正・追加、あるいは新たに記事を書き込むことにします。
[87248] 2015年 2月 1日(日)23:22:57伊豆之国 さん
City Station~第40回十番勝負・問六について(vol.2)
今日は、前回[87207]の書き込みで約束した続編、まず「○○市駅への改称時期」と「改称前の旧駅名との関係」について書き込むことにします。
前回のリストを見ると、開業当初から「○○市」という駅は3駅だけ(ほかに開業時に「仮の駅」のような形で短期間存在した「岡山市」駅と、やはり開業当初の短い時期だけ現駅名と同じ駅名を名乗っていた「堺市」を加えると5駅)で、市名誕生と同時かそれ以降に改称した駅がほとんどです。そしてその中でも「市名誕生日」と同日に駅名を「○○市」に変えた、というのは意外に少なく、「市名誕生日」より後れて駅名を改称したケースが圧倒的に多くなっています。特に国鉄・JRには皆無(長良川鉄道に転換された越美南線の美濃市駅を含む)で、「即日改称」組は全て私鉄の駅です。
その「○○市」に改称した現存37駅について、それ以前の駅名がどのような名称だったかを見てみると、次のようになります。

タイプ旧駅名総数市名
A)「○○」5行田、交野、寝屋川、守口、松山
B)「○○町」10伊那、佐野、足利、野田、川越、刈谷、八幡、高槻、茨木、美濃
C)その他で現市名(またはその一部)を含む名称6土岐、大田、枚方、門真、倉敷、大阪狭山
D)全く違う名称16出雲(※)、伊予、伊勢、熊野、山梨、長門、日向、堺、西脇、和光、入間、都留、豊田、鈴鹿、狭山、東大和

この表の中で(※)印を付した、「出雲今市」から改称した「出雲市」は、形式的には「C」ですが、実質的には「D」タイプと思われるのでこちらに計上することとしました。「松山市」([82932][82963] ペーロケ さん,[82961])と「行田市」は、いずれもずっと後れて開業した国鉄が、それまであった私鉄の「○○」駅の名を「強奪」したため、やむなく「○○市」駅と改称されたケースです(この2市については、後で詳述します)。また、「○○」駅から「○○市」駅に改称した駅は、その「特殊事情」がある「松山市」と「行田市」以外は全て京阪電鉄にあり、ある意味で「京阪独特のポリシー」があるのでしょうか。
また、「市名誕生日」から「○○市」駅への改称までの「時間差」を調べると、次のようになりました(前記の「特殊事情」2市は除外)。

タイプ駅名改称までの日数総数市名
A)即日7佐野、野田、川越、和光、八幡、高槻、茨木
B)1年以内5伊那、入間、豊田、寝屋川、美濃
C)1年超~3年以内4伊予、刈谷、枚方、大阪狭山
D)3年超~10年以内7伊勢、熊野、山梨、長門、足利、交野、東大和
E)10年超~12出雲、日向、堺、土岐、大田、西脇、都留、鈴鹿、門真、守口、倉敷、狭山

こうして見ると、市名誕生日から10年以上を経過してようやく「○○市」駅になった、という駅が意外に多く、その中には市名と直接関係ない従前の駅名から市名に合わせて「○○市」駅に改称したものが6例(出雲市を含む)もあり、やはり「それまでなじんできた駅名を変える、ということには抵抗も多い」ということも読み取れそうです。「○○町」から「○○市」になっても駅名をすぐに「○○市」に変えず、しばらくの間「○○町」駅のままだった、というのも4市ありました。一方、「野村」から駅名を変えた「西脇市」駅は、同日に「西脇」駅があった鍛冶屋線が廃線となって、新たに市の玄関となった駅を市名に合わせて改称したということでしょうか(この辺の事情は、ご当地の近所の方が詳しいかもしれませんが…)。

♯前回書き忘れましたが、「消滅した○○市駅」には、名古屋市との合併で消滅した「先代・守山市」にあった、名鉄瀬戸線の「守山市」という駅もありました。昭和21年(1946)にそれまでの「二十軒家」駅から「守山町」駅となり、29年6月1日の市制の翌年2月に「守山市」駅となって、38年(1963)年2月の名古屋市への編入後もしばらく「守山市」の駅名はそのままでしたが、市名消滅から3年余りも経った41年3月になって現在の「守山自衛隊前」に改称されています。現駅名の由来である守山駐屯地は、戦前の陸軍歩兵33連隊がその前身に当たります。守山区内には、JR中央本線の「新守山」駅(名古屋市編入の翌年、昭和39年4月に開業)、「鉄道とは認められない」と思われる名古屋ガイドウェイバス([80185],[85670],[87169])には「守山」という停留所?(平成13(2001)年開業)もあります。なお、滋賀県の「二代目」守山市にあるJR東海道本線の「守山」駅は、明治45(1912)年の開業で、当初から現在まで駅名は変わっていません。

…まだまだ長くなりそうなので、その続きは次回に書き込むことにしました。


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