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[66567] 2008年 9月 1日(月)19:32:27千本桜 さん
鹽竈神社
[66515]鳴子こけし さん
鹽竈なんて表記見たことありません。いったい何がためにこんな事になっているのでしょうか。

鳴子こけしさんが目にされた道路標識を私は見ていないので何とも言えない立場ではありますが、鹽竈市街← →塩竈市街って有り得ないと思うのです。ただ、塩釜では固有名詞を「鹽竈神社」、「塩竈市役所」、「塩釜警察署」のように書き分けていますから、「左折←鹽竈神社、直進↑塩釜警察署、右折→塩竈市役所」のように「塩釜」の文字を書き分けた道路標識があってもおかしくないとは思います。もちろん、実際にそのような標識が存在するか否かは別問題です。ずいぶん前に、仕事上で「塩釜」の文字を書き分けるように指示された物件があったのですが、どの施設が「塩釜」で、どの施設が「塩竈」だったのか忘れてしまいました。この頃、忘れるのが早くなりました。でも、嫌なこともすぐ忘れてしまうから気楽なものよ。
[66056] 2008年 8月 16日(土)15:05:30千本桜 さん
郵便直営店
[66055]みかちゅうさん
郵便局の検索ページでは

ちょっと違った角度からの郵便局に関する話題で失礼します。北海道では遠軽、美幌、中標津、余市、倶知安、江差など、それなりに大きな後背人口を抱えた町には郵便直営店(支店)が置いてあります。でも、なぜか日高支庁管内には一つもありません。日高地方には8万人ほどが住んでいますから、静内または浦河あたりに郵便直営店(支店)があって然るべきと思うのですが、そうならなかったのには何か訳でもあるのでしょうか。日高地方は異常に大きな郵便直営店(支店)空白地帯です。
[65597] 2008年 6月 23日(月)06:51:56千本桜 さん
ああそれなのに
[65569] 2008 年 6 月 21 日 (土) 20:55:48【3】faithさん

大河原町大字大谷(かつては…ですが、これで合っているでしょうか)にある「大河原駅」の存在がどれほど影響しているのか、私には分からないですが、大都市圏では、駅名がいつのまにか周囲の地名を置き換えている例が非常に多く見られます。
大河原駅前周辺は昭和31年以降、「大字」の字句を省いて大河原町大谷と呼ばれています。でも、大谷の後ろには小字が続いて大河原町大谷字末広などと呼ばれていますから、大谷は今でも大字です。それはさておき、地名にとって「大河原駅」の存在がどれほど大きいかとなると、かなり大きな存在になっていると思います。その意味では大河原駅前を「大河原」と呼んでも違和感はありません。でも、字(あざ)の観点からすれば、やはりそこは「大河原」ではありません。そこで、大河原町の状況を念頭において地名を大きく4種類に分類してみました。(その他の分類方法もあるとは思いますが。)
1・字名(土地と密接に関係する)
2・住居表示による町名(建物・居住地・街区と密接に関係する)
3・行政区名(集落コミュニティ・住民生活と密接に関係する)
4・地理的な市街地名(あぁ・・・う、うまく形容できません)
以上の4種に分けて考えないと整合性がつかなくなります。

2・の住居表示による町名ですが、たぶんfaithさんはこの住居表示の実施区域にお住まいなのではないでしょうか。例に挙げられた中央林間、相模大野、旗の台もみな住居表示で生まれた地名ですよね。ところが、大河原町ではまだ住居表示を取り入れていないのです。基本的には、税金を取るために画された字と地番を住所として使っているわけです。住居表示を実施すれば良いのでしょうが、合併(まだ未定ですが)を目前に控えてそれを実施するのは、時間的にも資金的にも無理です。ですから大河原町の字名問題を考える場合は、住居表示を実施して新たな町丁を画する考えは除外しなければなりません。

3・の行政区名ですが、当地方では大概の集落が複数の小字に跨っていますから、町は小字界とは別の境界線で集落を括っています。それを行政区と呼んでいます。字が土地を区画したものであるのに対し、行政区は生活コミュニティとしての集落区分ですから、住民生活に深く係わってきます。住民は大字名・小字名より、行政区名を使用する機会が多いかもしれません。では、字名をやめて行政区名を住所に用いれば良いかというと、そういうわけにもまいりません。行政区には番地がないから住所の役目を果たせません。

4・の地理的な市街地名ですが、何と言い表せば良いのか迷ってしまいますが、人にはここからここまでの区域を「大河原」と言う地名で呼び合えば通じ合えるだろうというキャッチ能力があると思うのです。それは字や行政区と異なって、明瞭な境界線を持たない感覚的な区画です。このように感覚的な捉え方をすると、大河原と大谷は一体となって大河原市街地を形成していますから、大谷の地を大河原と呼ぶのも違和感はありません。ですが、市街地が一体化したから大谷を大河原に統合して消滅させようなどど、普通の自治体は考えません。藩政村を継承した大字Aが、同じように藩政村を継承した大字Bの領域を指して、そこはBじゃない。Aのものだ。なんて恥ずかしくて言えません。礼儀と言うものがありますからね。それなのに、先の合併協は大谷を大河原に改めるとしました。なぜ、他の自治体では起こらないことが起きてしまうのか。字の失策を重ねて来たからだと私は思います。

たとえば、古川(現:大崎市)の市街地などは稲葉、大柿、古川、中里という4つの藩政村に跨って町場が形成されました。市街地の中で大字稲葉、大字大柿、大字古川、大字中里が交わっていたのです。しかし、市街地が一体化していることを理由に大字を統合して大字古川に一本化しようとはしませんでした。それが普通のやり方ではないでしょうか。もちろん、今では古川市街地も住居表示に切り替わりましたから大字は消滅しています。もし、大河原町がどうしても大谷を消滅させたいなら、住居表示を実施する時にやるべきです。住居表示を実施するわけでもないのに、大字たる大谷を大河原に統合して大字界をいじくりまわすのは、地域の履歴を複雑にするだけで百害あって一利なし。♪ああそれなのに それなに ねえ おこるのは おこるのは あたりまえでしょう♪って、古賀政男作曲なんですって。
[65553] 2008年 6月 19日(木)22:14:24千本桜 さん
字(あざ)施策の失敗
[65473] 2008 年 6 月 10 日 (火) 01:17:14【1】白桃さん
「大河原駅がある大谷地区を『大河原』という名前にしよう。」などという無粋な話が持ち上がっていることが不思議です。また、「東かがわ市三本松と街区が連担している旧誉水村大字川東の「當雀」地区の名を三本松に吸収しちまェ。」という話は三本松側からも川東・當雀側からも出てこないのに、金ヶ瀬字丑越、金ヶ瀬字富田を大河原字丑越、大河原字富田に何で変えようとするの???

このことを説明しょうとすると文言だけでは無理です。地図、系統図などのフリップを多用し、他の市町村の事例を交えながら3時間びっしりと喋り続けなければなりません。とても辛いです。でも、誰かが訴え続けなければ町は気が付きません。町は何に気付かなければならないのか。字(あざ)の施策が失敗だったことに気付かなければならないのです。町は過去に二度の失策をしています。そしていま、合併がらみで三度目の失策を犯す可能性が非常に高いのです。

一度目の失策は昭和31年に大字大河原を廃止し、その区域の小字を大字なしの小字にしたことです。地番が大字起番の地域や住居表示実施済みの地域に住んでいる方には分り難い話でしょう。また、大字なしは他にも沢山あるよと言う人もいるかもしれません。でもちょっと違います。宮城県でも大字なしの区域を持つ(持っていた)市町村は、亘理、岩沼、塩釜、岩出山その他がありますが、それらは藩政村が単独で町村制下の町になったから大字が要らないのです。ところが、大河原町は複数の藩政村が合併して町村制下の町になりました。ですから、当初は大字大河原があったのです。ところが、昭和31年に金ヶ瀬村と合併する際、ある種の思想が頭をもたげて来たようです。市町村名と大字名は別物なのに、どちらの名称も大河原なものだから、ごっちゃにしてしまったのですね。大字大河原は大河原町の本流であり主体である。だから、大河原町の名称があれば大字大河原は不要である。大河原町とは大字大河原を指すのであるという思想です。大字大河原が本流なら他の大字は支流で、大字大河原が主体なら他の大字は隷属です。そこに地域差別の種が蒔かれました。当時の担当者がどのように考えていたのか、もう分らないことですが、こんな大字の取扱いをしたのは、宮城県で白石市と大河原町だけです。角田市や村田町では自治体名と同名の大字名を今も継続させています。

その後、二つ目の失策を施しました。その失策は昭和40年代から今日まで何度も繰り返されています。大河原町は住居表示を実施せずに町名地番整理で処理しています。町名地番整理そのものを悪いとは思いませんが、町名地番整理が実施されると大字名を外して大字なしの字にしてしまいます。これが、大字地域内での差別を生みます。たとえば、(大字)大谷字高田と(大字)大谷字砂田の区域を地番整理して高砂町にしました。住所は大河原町大谷字高砂町ではなく、大河原町字高砂町になります。でも、地番整理から外れた区域は従前どおり大字名を付して大河原町大谷字西原前と書かなければなりません。大河原町では自治体名+字名は新しくて進んだ地区。自治体名+大字名+小字名は古くて遅れた地区と見る住民が多いのです。大字名を付すのが嫌な住民は、大谷を外して自治体名+字名の簡便な住所にしてくれと要望します。本当は住所の表記形式に問題があるのに、いつしか大谷と言う地名が嫌われ者になってしまいました。金ヶ瀬字丑越を大河原字丑越にするという案も同じ理由からです。今でも時々、丑越地区の住民から金ヶ瀬を外して欲しいと要望があるそうです。トップが言うのですから間違いありません。他の町でも町名地番整理をしていますが、大字名を外すことはしません。例えば、角田市角田字町尻ほかを区画整理して豊町という字にしました。住所は大字の角田を付したまま、角田市角田字豊町になります。地域内で住所形式上の差別はありません。

三つ目の失策。それは平成17年に破談解散した合併協議会が結審した字名の取扱いです。この問題はまだ終わっていません。合併協議が再開されて、この結審事項がそのまま生かされたらそれこそ大変です。基本的に、大字大河原の本流主義、主体主義丸出しの安直な字名取扱いだからです。住民は大谷、金ヶ瀬を嫌がっているんだな。それなら大谷、金ヶ瀬の代わりに大河原を付してやろう。これなら住民は喜ぶだろう。そして、大谷は消滅に追いやられ、金ヶ瀬は削り取られる。金ヶ瀬の区域を、そこは大河原だと平気で言う。こんな馬鹿げた話がありますか。単に名称が変わるだけではないのです。大字の境界線が変わるのです。それによって地域変化が引起されます。その変化が地域の将来にとってプラスになれば良いのですが、そうでないから大変なのです。ここはやはり山口百恵さんに登場願って♪「絶体絶命」を唄ってほしい。♪さぁさぁさぁさぁ”はっきりカタをつけてよ”やってられないわ♪。そういう心境です。それにしても山口百恵さんは不思議な歌手ですね。この歌を吹き込んだのは二十歳そこそこだと思いますが、なんだか三十路女が唄っているように聞こえます。声質のせいだと思いますが、嫌いじゃありません。
[65312] 2008年 5月 30日(金)07:22:55千本桜 さん
柴田3町合併、字(あざ)
[65294] 2008 年 5 月 29 日 (木) 05:14:33 揖斐の山 さん
確かこの枠組みは角田市が抜けて頓挫したのでは。
2005年に柴田町・村田町・大河原町合併協議会が破談解散した後に浮上してきたのが、角田・大河原・村田・柴田による1市3町合併構想です。この構想は角田市が抜けて不発に終わりました。2市7町合併構想と言うのは、それとは別物で仙南地域の全市町を対象にした合併構想です。合併すれば面積は約1,550平方キロメートル、人口およそ19万の大きな市になります。合併に興味のある地域住民の多くが「いつかは仙南全体が合併するだろうね」と言いながら、それがいつなのか誰も明らかにしない夢想花のようなものです。

[65296] 2008 年 5 月 29 日 (木) 09:14:56inakanomozart さん
したがって「字」という言葉は、よほどの山奥の人家もまれな地域で使うものだと思っていました。(語弊があったらごめんなさい。)
いえいえ、構いません。清水に住んでいる従姉弟に「いまでも字なんてあるの?イヤね・・・」と言われたことがあります。私の周辺に住んでいる人たちも「字」には抵抗があって、特に「大字」の字句は嫌われ者です。私も「大字」や「字」の字句が入る住所は長くて嫌なのですが、時々、これは便利と思うこともあります。例えば、白石市白川犬卒都婆小松方頭5と書くと、どこで区切ったらいいのか苦しくなりますが、白石市(旧村)白川(大字)犬卒都婆(字)小松方頭5と書くと地域が鮮明に見えてきたりします。「大字」や「字」を「の」に置き換えて、白石市の白川の犬卒都婆の小松方頭の5と読めば、何だか楽しい地誌の勉強になったような気もします。
[65279] 2008年 5月 28日(水)06:53:11千本桜 さん
町名地番整理、地番の起番など
[65276]88さん
88さんもお忙しいでしょうに、質問の一つ一つに丁寧にお答えを戴き感謝しております。多謝。
法務局に足を運ぶことは滅多にありませんでしたが、住居表示および町名地番整理の新旧対照表を無料閲覧するために、たま~に出向くようになりました。

この旧図などの写し(いずれかの地番を特定する必要あり)を正式に請求すると、確かに500円必要で、法務局の証明印がつきます。しかし、法務局にもよりますが、コインコピー機を備え付けてあり、
この方法がとれると助かります。コインコピー機の有無は憶えていませんが、近日中に法務局を再訪してみます。

町名地番整理
法務局の新旧対照表にも「町名地番整理」と書いてあり、「字名地番整理」とは書いていませんでした。ただ、個人的な慣れでしょうが、町名よりも字名がしっくりするんですよね。もしかすると、小字必須地帯に住むゆえの感覚かも知れません。町名という感覚がありません。でも、これからは「町名地番整理」という用語を使うことにしてみます。

「一村通シ番付ニスル」か、又は「大村ニテ地形ノ都合ニヨリ『幾箇ニ区別シ別段ニ番付スル』モ実地紛糺ナキ様処分スヘキ事」と、村単位を主としているように読めます。
なるほど、なるほど。ありがとうございます。このことに興味がありました。短いコメントですみません。時間が来てしまいました。これから直ぐに出かけなければなりません。
[65215] 2008年 5月 22日(木)08:32:49【1】千本桜 さん
町名地番整理
[65115]88さん
地番がないため不動産登記簿は存在しませんが、地図(不動産登記法第14条による地図等)の上では存在しています。

88さん、丁寧なご回答ありがとうございました。それで昨日、法務局に行って参りました。地図閲覧一件につき500円だそうで、閲覧するのを躊躇してしまいました。何箇所も閲覧したかったので、10万円ぐらい用意していかないとだめみたいです。単に地図上の地名を見たいだけなんですと話しましたら、備え付けの住宅地図を見てくださいと言われました。そんな訳で、知りたい箇所の地名を住宅地図から探してみたのですが、やはり釈然とせず未確認に終わりました。収穫を得られずに空戻りするのもなんですから、町名地番整理による字名と地番の新旧対照表(これは閲覧無料)をチェックしてきました。

町名地番整理といえば、隣接する角田、大河原両自治体の字(あざ)に対する方針の違いに興味を抱いておりました。両自治体とも基本的には、自治体名+大字名+小字名+番地で住所を表わす小字必須の地域です。角田市の町名地番整理で最も新しいのは豊町だと思いますが、ここは(大字)角田字町尻や(大字)梶賀字一里壇に跨る区域を土地区画整理して誕生した新しい字(あざ)です。大部分が(大字)角田の領域で、(大字)梶賀の領域は僅かです。新しく誕生した豊町の住所は角田市角田字豊町で、(大字)角田を冠しています。これに対し、大河原町で最も新しい町名地番整理区域の南平は、(大字)金ヶ瀬字下川原など複数の小字(すべて金ヶ瀬の領域)に跨る区域を土地区画整理して生まれた字(あざ)ですが、新しく誕生した字の住所は大河原町字南平で、(大字)金ヶ瀬が省かれています。ここでもう一度88さんにお願いがございます。自分の考えを再確認したいので次の点をお尋ねいたします。
1・私としては、「町名地番整理」より「字名地番整理」の方がしっくりするのですが、「字名地番整理」という用語でも通用するのでしょうか。
2・町名地番整理時に大字名を温存するか省略するかについては、国の方針・指導がなくて市町村の判断に委ねられているのでしょうか。
3・住居表示とは異なり、町名地番整理の場合は住所と登記簿の字番地は一致するんでしたよね・・・?。

ついでにもう一つ。小字必須の地域に住む者の素朴な疑問です。大字単位に地番を付す地域は、いつからそのようになったのか。これについては、明治22年市制町村制発足と同時に大字起番を採用した地域もあると思って良いのでしょうか。何か良く分らないのですが、小字必須が当たり前の地域に住んでいる者の観点からすると、場所特定を簡易にするために後になって大字起番が考えられたのであり、最初はどこも小字必須が一般的だったのではないかなどど考えているのですが、どうも分りません。

脱字一文字挿入
[65107] 2008年 5月 13日(火)06:52:10千本桜 さん
土地登記簿
おはようございます。
初歩的なことが分からず恥ずかしいのですが、ちょっと教えてください。
国有地のため、○○町大字△△字××の区域に無番地があったとします。
○○町は大字制を廃止し、「○○町大字△△字××」を「○○町字××」にしたとします。
住居表示導入によって大字区域が無くなるのではなく、単なる大字廃止です。
この場合、登記簿はどのようになるのでしょうか。

1・○○町大字△△字××のままである。
2・○○町字××に変更される。
3・無番地だから登記簿に記載されない?。
[65089] 2008年 5月 11日(日)22:03:26千本桜 さん
原町の人口急増の理由
[65064]白桃さん
下の約30年の間に、原町の人口急増の理由がよくわからないのです。

大雑把な数値ですが、相馬地域3大都市の人口です。
都市1889年1920年
中村5,6008,000
小高4,2466,200
原町2,6008,700
1889年には中村、小高よりも人口の少なかった原町村ですが、1920年には相馬地域最大の人口を抱える町に発展しています。人口急増の切っ掛けは、1898年の常磐線開通にともなう機関庫の設置に中村町(現相馬市)が反対したため、機関庫・車掌区が原町に設置されたことにあります。ちょうどこの頃、養蚕業が急速に普及し、明治末期から大正期にかけては製糸・織物の工場が進出する新興都市になっていました。
ここから先は想像で書きます。機関庫・車掌区は偶然に原町に転がり込んできたのだろうか。何か違うような気がする。そのころ既に、相馬地域は原町に中心性の集積を求めて胎動していたのではないか。そんな気がしてならないのです。相馬藩の古い本拠地・小高は平地が狭い上に地域の南に寄り過ぎている。相馬藩の居城地・中村は地域の北に寄り過ぎている。この都市配置では新しい時代にそぐわない。地域の中央部に位置し、しかも広い平地にある原町は、♪花の舞台の幕が開く~、と米倉ますみの♪「俺の出番はきっと来る」を唄いながら、この時を待っていたのではないか。そんな気がしてならないのです。ちなみに、相馬藩が北寄りの中村に城を構えたのは伊達藩を意識してのことだそうです。歴史のことは苦手ですが、相馬藩は伊達藩を恐れていたのでしょうね。ところで、南相馬市より北相馬郡が南なのは な~んでかフラメンコ、オレッ!。
[65031] 2008年 5月 8日(木)23:39:27千本桜 さん
原町
[65019]白桃さん
(旧)原町市(現:南相馬市)のように、存在感の薄い、得体のしれない街にスゴ~く興味をそそられる
後背人口約20万、DID人口2万強の都市にしては、確かに存在感が薄いですね。地方生活圏の中心都市ですから、もっとアピールするものがあってよいと思いますが、イメージがぼんやりしています。「原」も「町」もありふれた字面ですし、地域名の相馬はライバルの中村が使っているし、そんなこんなが災い?しているのでしょうか。それに、鉄道・国道の分岐点になっていないことも原因の一つかなと思います。国道網図を見る限りでは、物足りない都市に感じますよね。この原町の中心商店街は、同規模都市(同規模自治体ではない)のそれに比べ、ぼんやりして間延びした感じに見えます。では、それに代わって国道6号沿道の郊外商業地が賑わっているかと言うと、そうでもないから不思議です。むしろ、都市規模としては下位に位置する相馬(中村)の郊外商業地の方が賑わっているように感じます。とは言うものの、相双生活圏最大の都市が原町であることはまちがいありません。
「存在感」という語句は、安易に使用しない方が良いと思います。
最近よく耳にするのでは、スポーツ選手の「結果が出せなくて残念です」という言葉。まだ私には馴染まない言葉です。
[64945] 2008年 5月 2日(金)13:34:26【1】千本桜 さん
字(あざ)
[51483]YSKさん
太田市の場合は地番は「大字」単位に付番されています。「1番地」は大字の中に1つしか存在しません。したがって、わざわざ「字」を住所に書かなくとも場所は特定されます。
古い書き込みを引っ張り出して済みません。私が住んでいる地域は「小字」単位に付番されているのですが、YSKさんの地域が「大字」単位に付番されるようになったのはいつの頃でしょうか。ご負担をお掛けしますが、是非知りたい状況にあります。

[64930]牛山牛太郎さん
何故なんでしょうか?検索すると「船迫字新千代ノ川」で出ますが、どうなんでしょう?
前の合併協議会は既に解散していますが、あの合併協が結審した町名・字名取扱事項の中で「字新千代ノ川」の扱いがずーっと気になっていました。例えば、柴田市になると大字船岡字七作は柴田市船岡字七作になります。大字船迫字土平は柴田市船迫字土平です。ところが、字新千代ノ川だけは自治体名に字が直結して柴田市字新千代ノ川になります。原案立案者がそのような扱いをした理由も分かっているのですが、それが結果として良い事なのか疑問に感じています。いま、そのことに深く言及する余裕がない状態にあります。O町の字問題で手がいっぱいなんです。正念場です。

[64931]白桃さん
香川県東かがわ市の三本松も、大内町と合併することとなった「昭和の大合併」前までは、
ちょっとお尋ねします。かつての三本松町も小字ごとに番地が振られ、三本松町大字三本松字○○1番地または三本松町字○○1番地のような住所表記になっていたと思います。ところが今では小字なしで三本松1番地ですよね。いつ大字単位の付番に切り替わったか憶えていらっしゃいますか。ぎりぎりのところでリアルタイムで憶えていらっしゃるような気がするのですが・・・。

[64933]小松原ラガーさん
いつの頃からか「立花」の字が使われるようになり、その頃からの地名・名称は「立花」が使われているのかと思います。
(中略)
昔の「字XXX」という住所表記の時代には「立花」という表記は存在したのだろうか・・・。
1889年に上之島、栗山、大西、三反田、尾浜、七松、水堂、西難波、東難波、塚口、東富松の11村が合併して立花村が誕生しました。合併で消滅した村は立花村の大字として引き継がれています。住所は自治体名+大字名+小字名で構成されていた筈ですから、下記のように表わされていたものと思われます。
自治体名大字名小字名
立花村大字上之島字○○
立花村大字栗山字○○
立花村大字大西字○○
立花村大字三反田字○○
立花村大字尾浜字○○
立花村大字七松字○○
立花村大字水堂字○○
立花村大字西難波字○○
立花村大字東難波字○○
立花村大字塚口字○○
立花村大字東富松字○○
「立花」は自治体名であり、大字としての「立花」はありませんでした。また、小字にあたる字○○の中に「立花」という地名があったかどうかは資料がないので分かりません。たぶん字立花は存在しなかったと思いますが、定かではありません。
あと、もう一つ。面白いことに、立花小学校、立花西小学校、立花南小学校、立花北小学校、ならびに立花中学校ともに立花町にも西立花町にもないのですよね。
立花村の心臓部は村役場が所在した大字栗山とその周辺だったのではないかと推察します。ですから「立花」の名を冠する施設はその区域に多かったものと思われます。立花小学校(栗山)、立花南小学校(三反田)、立花北小学校(栗山)、立花中学校(上之島)などです。翻って立花駅周辺の立花町や西立花町に目をやれば、昭和10年ころまでそこは一面田畑の広がる土地でした。
JRより南側は古くからの町であり、北側はあとから開けた(といってもずいぶん前のことなのでしょうが)ということでしょうか。
これに関しては、尼崎市のHPに詳しい記述があります。東海道本線立花駅北側の立花町と南側の七松町は同時期に宅地開発されたようです。

脱字一文字挿入
[64914] 2008年 4月 29日(火)10:01:03千本桜 さん
商業統計調査結果と宮城県南部の現況
平成19年6月に実施された商業統計調査結果が発表されましたので、宮城県南部4市9町の年間小売販売額ランキング表を作ってみました。小規模な自治体がどんぐりの背比べをしている地味な地域ですが、それなりに都市間競争の火花を散らしたりもします。現在のところ、強い吸引力をもって商業の核となっているのは名取市と大河原町のようです。それは、人口1人当たりの販売額に表れています。不気味なのは名取市です。本当は下表に示した数値以上に凄いことになっているはずです。前回調査(平成16年)と比べた従業者数は、白石市マイナス15%、柴田町マイナス9.8%、角田市マイナス1.5%。そのようななか、名取市は41.7%の急上昇です。現在、名取市ではダイナミックに大型店の出店が続いています。オープンしたばかりの店舗については、従業者数をカウントできても年間販売額が跳ね返ってこない。調査時期がそのようなタイミングだったのではなかったかと思います。ですから、今現在では名取市の販売額はもっと増加し、人口当たりの販売額も大河原町に迫る勢いではないかと推測しています。地味で目立たない地域ですが、白石、角田、岩沼が商業の中心核だった明治大正時代に比べ、ずいぶん変化したものです。

順位=年間小売販売額を基準にしたランキング
販売額=平成19年6月1日現在の年間小売販売額(単位は百万円)
市町人口=平成19年10月1日現在の推計人口
1人当たり=年間小売販売額を人口で除した数値(単位は万円)

順位市町名販売額市町人口1人当たり
名取市88,20169,346127
岩沼市39,50944,45689
大河原町39,49923,631167
白石市35,97838,68893
柴田町34,30239,55387
亘理町27,53935,18178
角田市24,73132,62476
蔵王町12,66413,12696
村田町10,34512,44783
10丸森町7,76516,22948
11山元町7,34417,20043
12川崎町5,24310,26551
13七ヶ宿町6361,81835
[64907] 2008年 4月 28日(月)03:09:23千本桜 さん
加西、富士見、柴田
[64501]k-aceさん
玉丘町(富合村→加西町→加西市)に「北条」営業所があるのには違和感ありますが、「加西」営業所等に営業所名を変えるほうが混乱が大きいのでしょうか。
この場合、混乱は起きないと思います。私が玉丘町あたりに営業所をオープンするときは、北条営業所ではなく加西営業所にさせていただきます。(♪みんな夢の中)
ところで、この加西本町という交差点名表記ですが、地元の人は本当に加西本町と呼んでますか?。私は違和感を覚えます。ここはやはり、北条本町ではないかと・・・。

[64785]YSKさん
町名・字名の取り扱いでは同村の名称を「富士見町」として残し、その下に字名を付ける方向。
芳賀村は「芳賀」の名称を消滅させて前橋市に合併しましたが、富士見村は「富士見」を残すんですね。現在の富士見村田島は前橋市富士見町田島になるわけですが、もし、何らかの理由で字名の前に「富士見」の名称を付すことができなかったとします。その場合、YSKさんなら、どのようになさいますか。
1・字の前に残せない場合は、「富士見」の名称を残すことをあきらめる。
2・特定の字の名称を「富士見」に改称する。
3・字の一部を分割して(字を一つ増やして)、そこに「富士見」の名称を付す。
唐突な質問で申し訳ありません。不意にこんな質問をされても困りますよね。パスして下さっても構いません。ちなみに、私は苦渋しながらも安全を狙って1を選びます。2と3を選択するのは、その場所に「富士見」と呼ばれる集落があった場合です。でも、富士見村には富士見と呼ばれる集落がないから無理ですね。

牛山牛太郎さん
柴田町字新千代ノ川の場所をご存じないですか。名称から推測すると、大字船迫字千代ノ川から分立した新しい字で、人口0人の農地ではないかと思われます。柴田町の住所は、住居表示実施区域であれば柴田町○○一丁目。それ以外は柴田町大字○○字○○で表わされますが、新千代ノ川だけは柴田町の後に大字なしで字新千代ノ川になるようなんです。この種の住所形式は大河原町では沢山見かけますが、柴田町では非常に珍しいと思います。ここ一ヶ所だけかも知れません。なにか訳でもあるのでしょうか。
船岡のこの場所を走行中に、「直進↑船岡・大河原」、「右折→柴田」の道路案内板を見て、思わず後ずさりしてしまいました。本当に車をバックさせて案内板に見入ってしまったのです。右折の柴田ってどこなんだろうと、あれこれ推測にふけった訳です。柴田の上に国道4号マークも記載されているので、この場所を指しているのは分るのですが、柴田町船岡で「あっちに進めば柴田ですよ」と言われてもねぇ・・・。
[64905] 2008年 4月 28日(月)00:19:06【1】千本桜 さん
あなたならどうする?愛媛町の選択
つまらない作り話だけど、聞いて下さいますか。私が生まれて育ったところはどこにもあるような海辺の小さな港のある町です。名前を愛媛町と言います。明治22年に愛媛、香川、徳島、高知の4村が合併してできた町です。合併して消滅した旧村は、大字愛媛、大字香川、大字徳島、大字高知として愛媛町に引き継がれました。ところが昭和31年、愛媛町は町名と同名の大字は不要として大字愛媛を廃止します。廃止された大字愛媛の小字は大字なしの字(あざ)になりました。後に、これとは別の理由で大字香川と大字高知の一部にも大字なしの字が発生します。大字香川の区域では昭和45年ごろから次々に土地区画整理事業が進められ、今も進行中です。区画整理が済んだ区域は字名地番整理が実施されて新しい字になります。愛媛町はこのような字には大字を付さない方針ですから、大字香川に属さない大字なしの字が広く分布するようになりました。同じように大字高知でも字名地番整理が実施され、大字高知の区域内には大字高知から分立した大字なしの字が散らばっています。文言ではお伝えできないほど複雑に字界が入り組んでいます。
愛媛町は広島町、岡山町と合併して西日本市になる予定です。3町は住所の表記形式を新市名+大字名+小字名+番地にすることで合意していますから、西日本市愛媛町大字○○字○○にはできません。でも、愛媛町は消滅する町名への愛惜深く、その名をどこかに残そうと考えました。どこに「愛媛」の名を残そうとしたと思いますか。愛媛町は町内すべての大字なしの字の前に大字愛媛を付すことで「愛媛」の名を残そうとしました。大字香川や大字高知から発生した大字なしの字も、みな大字愛媛の小字だというのです。その結果、大字高知の区域に大字愛媛の飛地が散らばる複雑な境界になりました。その複雑な境界を解消すべく、大字高知を大字愛媛に統合して消滅させることにしました。藩政村を継承した大字がこのような状況に追い込まれて消滅する例は珍しいと思います。大字高知はとんだとばっちりを受けたものです。大字高知を大字愛媛に統合することで新たな問題が生まれました。大字高知の三崎も大字愛媛の三崎も、どちらも大字愛媛字三崎になって区別が付かなくなりました。そこで、愛媛町は「愛媛高知」という名の大字を新設し、大字高知の三崎を大字愛媛高知字三崎にすることで大字愛媛字三崎との同名回避を図りました。それにしても大字愛媛高知は変な大字です。属する小字は三崎だけですから小字の総称としての体をなしません。このように大字の体をなさない大字が新設された例を私は知りません。
ごめんなさいよ。こんなつまらない作り話を聞かせちゃって。でも、これは愛媛町だけの問題ではなさそうです。自治体名+大字名+小字名の表記形式と、自治体名+字名の表記形式が入り組んだ地域なら、どこでも起こりうる可能性があることだと思います。そこで皆様にお願いがございます。大字高知のように藩政村を継承した大字が、昭和の大合併以降に他の大字に統合されて消滅した例。および大字愛媛高知のように一つの小字のためだけに新しい大字が設置された例。以上の例をご存知でしたなら教えていただけないでしょうか。でも、この作り話は解りにくかったでしょう。たぶん、これは文言より図形で伝えるべき事柄なのです。そこで、あなたならどうする?愛媛町の選択と題し、事の成り行きを地図に表わしてみました。

一箇所、誤字訂正しました。
[64186] 2008年 4月 1日(火)08:10:29千本桜 さん
仙南3町合併、船岡城址公園と一目千本桜、う暗いなクイズ、寒川
[63924]揖斐の山さん
宮城県の仙南3町地区に於いて合併協設置に向け住民有志が申請書を知事宛に提出しました。
署名集めがスタートし、周りが俄然あわただしくなってきました。

[64020]千本桜
館山は360度のパノラマを楽しめる自然が造った展望山です。ところが、柴田町は柴田町側だけが見えるように見晴らし整備し、反対側は見えなくても良いだろうと言わんばかりに藪で覆って目隠ししています。
ついに、その藪の一部が切り払われ、館山(船岡城址公園)からの素晴らしい眺望が戻ってきました。頂上に上り詰めると、残雪の白い蔵王連峰がドーンと目に飛び込んできます。眼下には船岡市街に加えて大河原市街も見渡せるようになり、それまで藪に覆われて見ることができなかった大河原側の一目千本桜も見落とせるようになりました。柴田町に感謝します。でも、やっぱり自治体意識が見晴らし整備を邪魔している点はまだまだあります。眺望に優れた館山に真価を発揮させるには、三町合併して行政の垣根を取り払うしかなさそうです。頂上から景色を眺めていたオジサンに「見晴らしが良くなりましたね」と話しかけました。オジサンは「遅まきながらやっと・・・」と言いました。同感!同感!。遅まきながら、以前より眺望度をアップした今年の館山(船岡城址公園)に、皆さん、どうぞ花見に来てください。

[64129]いっちゃんさん
・大河原~船岡にかけて車窓に見えた白石川のほとりに立ち並ぶ桜の木々・・・参りました。蕾が膨らむタイミングを計っているといった感じでしたが、これらが咲きほころんだときにはものすごいのでしょうね。
そうですよ、本当にものすごいのです。私がこの桜並木をすごいと思うようになるには、一つのきっかけがありました。あれは四十年近くも前の春のこと。桜が満開の朝でした。いつものように友達と駄弁りながら仙台行きの電車に揺られていました。普段なら、主な駅の到着時刻を知らせて終わる車内アナウンスですが、あの日の車掌は違っていました。突然、窓から見える桜並木の説明を始めたのです。車内は一瞬静まり、やがて微かな笑いとどよめきに変わりました。私と友達も顔を見合わせ、はぁ?と驚いて笑いあいました。通勤通学客にとって、この桜並木は特筆するほどのものではない日常のもの。この程度の桜並木は日本全国どこにでもあるだろうと思っていたものですから、車掌のアナウンスが突拍子もなく感じられておかしかったのです。その日を境に、一目千本桜に寄せる私の思いが変わりました。桜並木を美しいと感じる心を抑えられずにアナウンスしてしまった車掌の感性に、私の心も揺り動かされたようです。

[64142]白桃さん
町村名を抹消して「人格」なき郡で止めるなど何事ぞ、と、文句を言っても仕方ありませんが、ともかく♪私はガマンできな~い~。
私もガマンできな~い!。それが伊具郡丸森町のように一郡一町の場合であれば尚更です。
1.私の職場のエライ様は海外出張中で、当然、部屋の電気は消えております。どこの国に行ってるのでしょう?
(ヒント)部屋に入った私、思わず「うっ、暗いな・・・」
和寒(わっ、さむ・・・)。ハイレベルなクイズにハリコフってしまいました。ウクライナ。
2.首都にはホテルが少なく「民宿」が多い国は?
(ノーヒント)
その国の首都と姉妹都市関係にある仙台市民が訪れた際、確かに「みんすく」に泊まったそうです。ところで、白ロシアの「白」って何なんでしょうか。

[64144]Issieさん
現在「高座郡」に唯一残る 寒川町 は,どちらの類型に属するのでしょうか。
Issieさんのことですから、既にご自身の答えをお持ちの上で書かれているのでしょうが、敢えて反応いたします。と申しますのは、かれこれ十数年前に寒川町域全般を徒歩で見て回った事があるからです。その時の印象を基にすれば、藤沢、茅ヶ崎型ではなく、やはり相模原・大和・綾瀬・座間・海老名型に分類すべきだろうと思います。歴史的には旧一之宮村に小規模な町場らしきものがあったのでしょうが、都市というには力不足ではなかったでしょうか。それに、旧一之宮村が肥大化して現在の寒川町があるようには思えないのです。寒川駅から町役場、そして寒川神社へと歩きながら、私は軽いストレスを感じていました。どうも、民家、空地、商店、農地、工場などが混在する空間にストレスを感じてしまう性分のようです。どーんと一本、明確な商店街とかビジネス街があってほしいと思うのですが、寒川にはそれがなかった。寒川で記憶に残ったことは、想像以上に大規模工場が多かったこと、農業用ビニールハウスが随分目に付いたことです。ところで、相模一の宮寒川神社が位置するのは旧宮山村ですが、その南隣の村が一之宮村と呼ばれているのは何故でしょう。一之宮が門前町だとすると、神社と門前町の間隔が離れすぎているように見えるのですが・・・。倉見にも行きましたが、どのような順路で歩いたか思い出せなくなってしまいました。
[64020] 2008年 3月 15日(土)12:55:44千本桜 さん
観光行政
釜臥山から見下ろす むつ市の夜景は美しく、その形状から夜のアゲハチョウと呼ばれています。左の羽は大湊、右の羽は田名部です。上空から見下ろす大河原、船岡も左右対称の羽を広げた蝶のように美しいものです。標高136メートルの館山を胴体に、同じ規模の市街地が左右に広がる不思議な構図をしています。館山は大河原、船岡の市街地だけでなく、角田盆地、村田盆地、そして秀麗な蔵王連峰を見渡せる自然の展望台で、観光里山として優れた資質を持った山です。でも、この山はNHK大河ドラマ「樅の木は残った」の放映を機に変わってしまいました。柴田町は山に資料館を建て、リフトカーを建設し、平和観音像を建立して観光開発に励みましたが、大切なものを忘れているように思えてなりません。そもそも、館山は360度のパノラマを楽しめる自然が造った展望山です。ところが、柴田町は柴田町側だけが見えるように見晴らし整備し、反対側は見えなくても良いだろうと言わんばかりに藪で覆って目隠ししています。この藪は行政が造った意地悪な壁です。せっかく山の頂上まで登って来てくれた観光客に360度の展望を提供せず、180度だけ見せて悦に入ってる感覚は正にナンセンス。観光事業者としてのサービス精神に欠けるのであります。3町合併したなら早くこの意地悪な壁を取り払い、館山から眺める360度のパノラマを取り戻したいと願っております。
[63998] 2008年 3月 12日(水)23:33:33千本桜 さん
一目千本桜ナビゲーション
[63970]白桃さん
なんか明るいな!と思ったら駅のポスターが桜色一色。弘前、北上、角館、三春などにまじって「船岡」という字が目に入りました。完全な間違いではないと思いますが、これじゃ大河原の立場はどうなるの・・・。
[63975]まかいのさん
大河原町と柴田町のどちらか一方を選ぶわけにもいかなさそうなので、「船岡」表記で落ち着いたのでしょうか。
[63976]熊虎さん
ツアー名に「白石千本桜」が入っています。行程を見ると「白石川堤の千本桜」になっていて、

南東北を代表する桜の名所といえば「船岡城址公園」と「白石川一目千本桜」ですが、この二つは隣接しているので一括して扱われる場合が多いようです。二つの場所を一つの地名で表わすと船岡か大河原か、はたまた白石かという、よだれが出そうな究極の地理的判断を迫られて昨夜は眠れませんでした。得意の我田引水の術を使いたいのですが、なぜか今夜は理性が邪魔して使えません。客観的に見て、一目千本桜に船岡城址公園が加わると船岡に分があると言わざるをえないようです。ただし、一目千本桜単独だと大河原に脚光を浴びせたい。もちろん大河原・船岡の連記でも良いのですが、一つに絞ればやはり大河原でしょう。理由は次の点にあります。
1・一目千本桜は白石川の土手に延々8キロも続く桜並木ですが、ざっと見て大河原町域に5キロメートル。柴田町域(船岡)に3.5キロメートルの配分です。
2・一目千本桜が今日あるのは、大正時代に大河原町出身の高山氏が苗木を寄贈したのが始まりです。
3・しばた桜まつり船岡城址公園を会場として行われ、おおがわら桜まつりは一目千本桜と銘打って白石川堤を会場に行われてきた経緯があります。
以上の点で一目千本桜は大河原に分があるのですが、花見客には行政界など関係ありませんね。ですから境界など取り払って大河原町金ヶ瀬のここから柴田町東船迫のここまで、てくてく8キロ歩いてみましょう。8キロも歩くのは苦手という人のためにハイライト区間3キロコースを紹介いたします。起点は大河原駅、船岡駅どちらでも良いのですが、ここでは大河原駅を起点にします。大河原駅を出ると徒歩3分でおおがわら桜まつり会場に着きます。河川敷には沢山の出店が並んで無料休憩所やトイレも仮設され、なぜか郵便局まで設けられています。最近人気のお花見遊覧船もここから出航します。お花見宴会には最適な場所ですが、ここで飲み食いだけして帰っちゃだめですよ。一目千本桜は桜並木の下を歩かなきゃ。直ぐそこの末広歩道橋に行ってみましょう。この橋は少し揺れたりするのですが、中央に立てば両岸の桜並木を見渡せるビュースポットです。あ、橋の下を遊覧船が行きます。韮神堰は一目千本桜随一の景勝地です。白い水しぶきを立てて流れる白石川、咲き乱れる桜並木の遠くには白い残雪の蔵王が見えます。錦絵!、そんな言葉が浮かんできます。このフォトジェニックな風景を収めにカメラマンが朝早くから集まってきます。右手に萩の月の工場が見えると大河原町ともお別れで柴田町に入ります。行く手に赤い水門が見えてきました。この辺りで地形が大きく変化します。北の韮神丘陵と南の館山丘陵が迫り、狭隘になった平地部を国道4号、白石川、東北本線、旧国道が束になって走って行きます。向こうから電車がきました。仙台発白石行の電車でしょうか。お花見サービスで徐行運転をしています。手を伸ばせば桜並木が届きそうな電車の窓から乗客が手を振れば、土手の花見客も手を振りかえす春のポエム。川端揚水場の辺りも大木の桜が多いところです。永年の風雪に耐えた老木たちは風格に満ちた樹姿をしてボリューム感あふれる満開桜になります。行く手に美しいアーチを描いたさくら歩道橋が見えてきました。行ってみましょう。この橋は一目千本桜と船岡城址公園の桜を一挙に見渡せる新名所です。船岡城址公園の館山は麓から頂上まで桜色に染まり、さくら歩道橋の花見客はため息まじりの歓声をあげています。そろそろ3キロメートルの桜散歩も終わりです。さくら歩道橋から徒歩2分で船岡駅の裏口に到着です。また来てくださいね。
[63991] 2008年 3月 12日(水)07:20:23【2】千本桜 さん
柴田郡南部3町合併構想
[63976]熊虎さん
大河原・柴田・村田3町の合併構想は、私が初めて市町村合併に関心を持った、92年4月22日の朝日新聞記事で紹介されていたもので、それだけ古くから話があるわけですが、常に村田町が足を引っ張ってきました。
先の合併協議が破綻してから僅かの年数しか経っていませんが、状況が大きく変わってまいりました。先の協議破談は大河原町の住民投票で反対が賛成を上回ったためとされていますが、それは上っ面の現象に過ぎません。合併破談の根源は、柴田、村田両町長が合併に乗り気ではなかったことにあります。ところが現在、村田町では前町長に代わって合併推進派の新町長が就任しています。これで、合併推進町長が大河原町長、村田町長の二人になり、乗り気でない町長は柴田町長の一人だけになりました。また、住民の動きについてですが、一般住民はまだまだ無関心のようです。でも、一部の住民有志たちが動き出しています。今度こその思いでおります。それにしても、合併に乗り気でないS町長。S町は単独市制ができる町だと豪語して世に出ましたが、減少が始まったS町の人口が5万人を超えるのをいつと踏んでいるのかな。世の中の人口推移を勉強せい!、と言いたい気持ちです。

変換ミスなどを訂正しました
[63981] 2008年 3月 10日(月)23:28:47千本桜 さん
村のままで消滅した大都市。加美石村。筑紫野市。
[63867]白桃さん
東讃5大都市?
引田駅4,315人、松原村2,402人、三本松村2,737人、津田駅5,083人、志度駅5,579人
仙南6大都市?
白石駅3,313人、金ヶ瀬駅1,063人、大河原駅1447人、村田村1,200人、舩岡村1,181人、角田本郷3,105人
白桃さんが挙げられた1875年(明治8年)共武政表による東讃5大都市および仙南6大都市の中で、町制を経験せずに村制のままで消滅した所が一つだけあります。それはどこでしょう。松原村は改称して白鳥本町になりましたから該当しません。すると、残るのは金ヶ瀬駅しかありませね。明治8年共武政表に記載された金ヶ瀬駅とは、当時の平村に形成された宿駅名のことです。明治8年当時には丸森、川崎、槻木などを差し置いて大河原、船岡と大差ない人口を抱えていた大都市!金ヶ瀬は、なぜかその後の発展が停滞。昭和33年には大河原町に吸収合併される始末。それだけなら、まだ我慢できます。しかし、合併して50年経つ今日、旧金ヶ瀬村の一部を指して、「そこは金ヶ瀬ではない。大河原だ。」と言われても、何のことやらチンプンカンプン。痛みも感ぜず、のほほんとしているのであります。大河原町という自治体に属することと、大河原という大字に属することは異質なことなのに、その違いが分らず、のほほんとしているのであります。平和でいいね(自虐)。合併して自治権を失うと、伝承力まで失うものなのか。児島人による児島人の英才教育を受けたhiroroじゃけぇさんが羨ましい。

[63922]okiさん
本来「賀」美石であったものの、「加」美石と書かれるのが普通になり、消滅時には、公式にも「加」美石が使用されていたのではないか、と思われます。あくまで推測ですので、間違っているかもしれませんが。
賀美石村か加美石村か。これは本当に謎です。加美石村だと思いたいのですが、小学校や駐在所が賀美石を名乗っているのが、どうしても引っ掛かります。そこで、国土地理院へ行って旧版5万分の1地形図を閲覧してきました。その結果報告です。加(賀)美石村が誕生したのは明治22年です。加(賀)美石村が登場する最も古い地形図は明治34年測図のものですが、これには加美石と記載されていました。大正3年鉄補、大正14年鉄補、昭和5年鉄補、昭和19年部修、昭和26年応修の地形図がありましたが、いずれも加美石と記載されています。こうなると、やはり加美石村が正しいと受け止めざるを得ません。それでもやっぱり、賀美石幼稚園、賀美石地区公民館など、地区内の施設がすべからく賀美石を用いているのが不思議でなりません。

[63958]かぱぷうさん
朝倉街道駅周辺が山口村であったことに対して驚きを隠せずにいます。
その周辺が二日市の一部に思えてしまうのは市街地の発展の過程からして仕方ないかもしれませんが、もうひとつは住所表記の形式にも原因があるのでしょう。かばぷうさんの辺りでは、明治から昭和にかけて存在した村名を省略して自治体名+大字名(藩政村名)+番地で表わすのが一般的なのですね。例えば、筑紫野市+山口+55番地のように。短くて良いですね。でも、宮城県白石市などでは自治体名+明治から昭和の村名+大字名(藩村名)+小字名+番地で表わすのが普通です。白石市+白川+津田+稗田+55番地のようになります。この方式ですと属していた旧村名を忘れることはありませんが、長くて書くのが面倒。ところで、どうして二日市の武蔵でもないのに、山口の立明寺に「むさしケ丘」なる団地ができちゃったんですか。現地を知らない私などは、「むさしケ丘」って「武蔵」の一画かなと思ってしまいますけど・・・。
[63914] 2008年 3月 3日(月)06:26:28千本桜 さん
宮城県の人口最小町
[63867]白桃さん
高松市の繁華街が三本松に出現したような新鮮な感じでした。確かに、町レベルでは全国でもまれに見る都会っぽい街区だったのではないかと今でも自慢したい気持ちでいっぱいです。
三本松に遅れること30年~40年。白桃さんが南新町の町並みに感じたものと同じものを、私はいま大河原バイパスの景観に感じております。

[63912]okiさん
興味深く人口データを拝見いたしました。ただ、宮城県の人口最小町の欄に福島県岩瀬郡鏡石町が記載されているのが気になりました。素晴らしい一覧表ですので、書込み訂正が可能なうちに訂正して戴けるとありがたいです。
[63895] 2008年 3月 2日(日)08:30:06千本桜 さん
何でも有田
たぶん、地理は総合学なんでしょう。
[63848] 2008年 2月 29日(金)05:25:05千本桜 さん
職安再編、三本松、国道
2月26日の新聞に「職安17ヶ所廃止」の記事が載っていました。全国で17の職安が廃止される予定だそうです。宮城県内の職安は廃止対象になっていませんが、白石職安は降格して大河原職安の出張所になるとのことです。また一つ、仙南の都市間関係を見る思いがします。顔を残して臓器がえぐり取られる「代表都市白石」と、臓器は活発化すれど名もなく顔もない「中心都市大河原」の関係です。下に平成16年10月1日現在の職安別管内人口を集計してみました。
職安名管内人口
仙台1,265,517人
石巻219,632人
古川216,660人
塩釜200,530人
大河原135,674人
気仙沼95,375人
88,254人
築館79,135人
白石54,215人
白石職安の管内人口は約5万人と少なく、大河原職安までは14キロの近さです。このような状況ですと出張所への降格は避けられないのかもしれません。市町村の再編が進み、国県の出先機関の再編が進み、そして地域における核都市の再編も進んでいるように感じます。ちなみに、宮城県内には上記職安の他に大和、青葉の2職安出張所があります。

Yahoo!地図情報で大縮尺の航空写真が見れる地域が拡大しています。東かがわ市三本松南新町の航空写真を見てショックを受けています。この街区は三本松高校の移転跡地に昭和44年に誕生した商店街だそうですが、その都会っぷりな町並みに驚いています。街区内は明らかに民家とは異なるビルらしき建物で埋め尽くされているではありませんか。昭和44年当時の三本松を宮城県に当てはめれば、涌谷、若柳、中新田などと同等規模の都市ではなかったかと推測するのですが、涌谷、若柳、中新田にはこんな都会っぽい街区はありませんでした。もちろん、これは垂直写真ですからビルの高さが判りません。ビルに見えても実は2階~4階建ての低層ビルで、街なかを歩けばそれほど迫力は無いのかも知れません。しかし、どうしてこの場所にこのような新商店街が造られるようになったのか、それが興味です。旧中心街から商店が移転してきたそうですが、当時すでに商人たちは旧中心街に商業地としての先行不安を感じ取っていたのでしょうか。いずれにしても、当時の三本松は大胆な事業を成し遂げたものだと感じました。三本松で不思議に思うことがもう一つあります。推測ですが、高徳線が開通した当時の三本松は、線路の南側よりも北側、つまり旧中心街が栄えていたのではないでしょうか。それなのに、どうして駅は北側に背を向けて南側に造られたのか?不思議です。線路のルートをもう少し南にずらして、駅舎をもっと東寄りに設置することもできたのではないかと、勝手に想像しています。

国道が話題になっていますが、宮城県南を走る国道ですと4号をヨンゴウセン、6号をロクゴウセン、286号をニーパーロクと呼ぶ人が多いようです。113号はヒャクジュウサンゴウでしょうか。でも349号は何と呼ばれているのか分かりません。そもそも、それが349号であることを知らないで走っている人が多いのでしょう。399号に至っては、それが宮城県内を走っていることさえ知らない人が多いようです。私事ですが、ずいぶん昔に当時の建設省の人から、国道には「線」を付けないでくれと言われ、それ以来、国道には「線」を付さずに4号、6号、113号と書くようにしています。でもラジオ道路交通情報のオネエさんは4号線、6号線と言っていますね。それから、国道がらみでもう一つ。どうして、仙台トヨペット株式会社大河原バイパス店 とかミスタードーナツ大河原バイパスショップのように「バイパス」という字句を入れたがるのでしょうね。仙台トヨペットもミスドも大河原に1店舗しかないのだから大河原店や大河原ショップで良いと思うのだけれど、バイパスという字句(言葉)には何か人を惹き付ける魅力があるのでしょうか。私も時おり意図的にバイパスという用語を使いますが、長ったらしくなるから基本的には使いたくありません。スペースの少ない小さな地図に、むりむり「国道4号線大河原バイパス」などと書いてあるのを見ると、これは「国道4号」でいいっちゃなや~と思うのです。町内を何種類もの国道4号が走っている訳ではないのですから。
[63791] 2008年 2月 23日(土)08:33:13【1】千本桜 さん
スーパータウン日記
宮城県をいくつかの広域ブロックに分けて集会を開くとします。その集会が特殊産業などに偏るものでなく一般的なものの場合は、気仙沼、登米(佐沼)、栗原(築館)、大崎(古川)、石巻、仙台、大河原の七ヶ所に会場が設けられるケースが多いようです。四つに絞れば大崎(古川)、石巻、仙台、大河原になる公算が高く、三つに絞ればほぼ間違いなく大崎(古川)、石巻、仙台が会場に選ばれるでしょう。ところが、蔵王おろしがピープー吹きぬける某日の集会は異色でした。なんと、会場は大崎、石巻、大河原の三会場!。県南および仙台周辺の人は大河原に集まってくれという訳です。こうして最大会場になった大河原には数百人の人々が集まり、とある会合が行われました。昼食時に弁当をいただきながら先輩の某氏にそっと耳打ちする。「こういう状況を見ていると私は大河原ってスーパータウンだと感じるんですよ」。先輩某氏も「うん」と深くうなずきました。また一人、スーパータウン大河原を実感した人が増えたようです。それにしてもこのスーパータウンはいつまでスーパータウンのままでいるつもりなのか。つがる市や八幡平市より遥かにシティだというのに・・・。再び動き出した大河原、村田、柴田の三町合併はどんなふうに進んで行くのだろう。

訳あって、会場は大崎(古川)、石巻、大河原の三会場!を、会場は大崎、石巻、大河原の三会場!に訂正。
[63668] 2008年 2月 7日(木)00:24:21千本桜 さん
市区町村変遷情報
でるでるさん、88さん、市区町村変遷情報のまとめ ご苦労様です。都道府県別一覧の宮城県を見ていて一ヶ所 気になりましたのでご連絡いたします。
1928年、角田町、館山村の一部が境界変更とありますが、藩政村だった館山村は1889年に周辺村と合併して館矢間村になりました。ですから、1928年の出来事ですと正しくは、角田町と館矢間村による境界変更と言うことになるのではないでしょうか。
ついでに、もう一ヶ所 気になる箇所がありますので お尋ねします。これは、正しいとか間違っているとかではなく、以前より私自身が判断に迷っている事柄についての質問です。市区町村変遷情報「宮城県」によると、1954年、宮崎村と加美石村が合併して宮崎町を新設とあります。この加美石村ですが、本当に この表記で良いのだろうか?。本当は賀美石村ではないのだろうかと考えながら結論を出せないでいるのであります。角川日本地名大辞典によると、賀美石村は明治22年~昭和29年の自治体名で、孫沢、米泉など9村が合併して成立。昭和29年宮崎村と合併、宮崎町成立に伴い村名は解消とあります。つまり、宮崎町成立直前まで賀美石村だったことになります。ところが同辞典の宮崎町孫沢の項目を読むと、昭和29年の成立直前までは加美石村孫沢だったと書いてあります。一つの辞典の中で賀美石になったり加美石になったりしていますが、う~~ん、本当は どっちなのだろう。まさか、表記は賀でも加でもどっちでも良いということはありませんよね。
[63525] 2008年 1月 22日(火)00:42:26千本桜 さん
地名意識
地区の組合の旅行計画を立てるために秋保温泉の三軒のホテルパンフレットを取り寄せました。ホテル名は伏せますが、旅行業者なら直ぐ判る著名なホテルです。一つは、伝統と格式で秋保温泉に君臨する大ホテル「S」。もう一つは、宿泊収容人員1,000人規模の大施設をもって「S」と張り合うホテル「M」。そして、「S」や「M」より小規模でリーズナブルなホテル「H」の三軒です。頭文字がS、M、Hだからといって、深く考えないで下さい。たまたま、そうなっただけです。できますなら、深く考えて頂きたいのは次に記す事柄についてです。三つのホテルは三者三様に住所を下記のように表しています。
ホテル「S」の表し方→仙台市太白区秋保町湯元
ホテル「M」の表し方→仙台市太白区秋保町湯元字薬師102
ホテル「H」の表し方→仙台市太白区秋保町湯元33-1
ホテル「S」の正式住所は仙台市太白区秋保町湯元字薬師28ですが、表示は大字(湯元)でストップして小字と番地(薬師28)を省略しています。ホテル「M」は何も省略しないで大字小字番地(湯元字薬師102)まで書いています。ホテル「H」の正式住所は仙台市太白区秋保町湯元字除33-1ですが、小字(除)だけ省略して番地は大字に直結(湯元33-1)させています。引っ掛かるのはホテル「H」の表し方です。33という番地は「除」と言う名の小字を細分して発生した番号ですから双方は連動しています。どんな理由があるのか存じませんが、「除」という小字を省きたいなら番地の「33-1」も同時に省いてほしいものです。ホテル「S」のように表して良いのです。湯本に33-1をくっつけても何の意味もないでしょう。また、番地の「33-1」に意味を持たせたいなら面倒がらずホテル「M」のように小字まで書き表すのが当然だと思います。当然な表し方をしない理由は定かではありませんが、根本的には地名や地域に対して無頓着だからだと思います。もし、地名や地域に敏感なら湯元33-1と表すことはしないだろうと思います。なぜなら、湯元には湯元字除33の他に湯元字釜土33、湯元字寺田原33、湯元字湯向33など多数の33番地があります。それらの住民全部が小字名を書くのを嫌がって省略したなら湯元33があちこちに出現して場所の特定ができなくなります。ホテル「H」だけが小字名を省略して良いはずがありません。ちなみに、ホテル「H」から2キロ離れた所に秋保森林スポーツ公園という施設があります。こちらの住所は仙台市太白区秋保町湯元字青木33-1です。スポーツ公園の関係者が面倒がって字青木を省略すると住所はホテル「H」と全く同じ仙台市太白区秋保町湯元33-1になります。[62847]でも長野県小布施を取り上げて似たようなことを書きまして申し訳ないのですが、私はこのような個々の問題より、底辺にある住民の地名や地域に対する無頓着さ、無関心さが怖いのです。合併に反対する訳ではありませんが、無関心でいるうちに急げ急げで合併をせかされ、審議されたのかどうかも分からないうちに字名変更が結審される怖さ。地域の過去へ遡ることが困難になるほどの大胆な字界と字名の変更を行われようとしているのに、ほとんど関心を示さない住民の無頓着さを怖がっているのです。

[63503]千本桜
たぶんこれには気仙沼村に隣接する鹿折、新月、松岩各村の人口が含まれているはずです。もしかすると階上村も含まれているかもしれません。
上記は現状の地理感覚から推測して書いたものですが、これを歴史的背景を重視して推測すると少々異なった意見が考えられます。角川日本地名大辞典によると、その昔、気仙沼、赤岩、新城、月立、鹿折、唐桑、小原木は一つの村だったそうです。それが寛永19年の仙台藩惣検地を受け七邑各村が独立したとあります。寛永19年に独立した村々を明治8年の統計で一村と見なしたかどうか見当がつきませんが、もし、その時の七村を明治8年共武政表の気仙沼村と考えても人口的には大きな違いがありません。これを明治8年の村名に直して記述すると、「たぶんこれには気仙沼村に隣接する鹿折、新月、唐桑各村および松岩村の赤岩地区の人口が含まれているはずです。」になります。でも、どちらが的を得ているかは全く分かりません。そもそも明治8年当時は角田本郷、白石本郷、気仙沼本郷と呼ばれていたはずなのに、共武政表では角田本郷、白石駅、気仙沼村と書いてあります。どのように受け止めたら良いのやら。それから、明治8年の共武政表には陸前国の古川が見当たらず、どうしたものかと思いきや、大柿村2,327人、稲葉村1,330人で載っていました。古川の町場は古川、大柿、稲葉、中里各村に跨がって形成されていたと思うのですが、遠江国の新居宿、浜名村は合体した一つの町(港)と見なされ、古川はばらばらの村として扱われているのも何か変ですね。
[63503] 2008年 1月 20日(日)10:48:49千本桜 さん
共武政表の気仙沼、石巻、涌谷、金ヶ瀬など
明治8年の共武政表によると陸前国で仙台に次ぐ人口は気仙沼村の11,377人。信じ難い数字です。たぶんこれには気仙沼村に隣接する鹿折、新月、松岩各村の人口が含まれているはずです。もしかすると階上村も含まれているかもしれません。根拠は明治15年頃の人口が気仙沼村4,523人、鹿折村2,239人、新月村2,721人、松岩村2,549人だからです。明治8年当時、気仙沼村と周辺村の町並みが連担状況にあったとは考えられず、なのにどうして周辺村を含めた人口になっているのか不思議です。

気仙沼村と相反する扱いになっているのが石巻村です。明治8年の共武政表には石巻村としての人口記載は無く、石巻村ノ内「港駅」5,121人となっています。でも、当時のことを思えば石巻はもっと大きな都市であったはずで、同表に記載された門脇村ノ内「港」2,605人と連担市街を形成し、さらに北上川対岸の湊村2,599人とも一体感のある都市を形成していたと思われます。これを併せると石巻の人口は実質10,000人以上になりますから、仙台に次ぐ陸前第二の都市だったことは間違いありません。

石巻と同じような扱いをされたのが涌谷村です。明治8年の共武政表には涌谷村1,510人、馬場谷地村4,994人と別々に記してあります。涌谷村は涌谷城があった村で、馬場谷地村は江合川を挟んで涌谷城の対岸に発達した宿駅および城下町です。思うに、江合川で間断されるとはいうものの両村の町場は一体化していたはずで、新居宿と浜名村(その他)が連担町屋を理由に人口が合算されるなら、馬場谷地、涌谷両村の人口も合算して6,0509人と扱われても良かったのではないかと思う次第です。この馬場谷地と涌谷の関係は面白いというか少々複雑で、明治22年に馬場谷地村は単独で町制施行し涌谷町を名乗りました。そして、旧来の涌谷村は上郡村、下郡村と合併して元涌谷村になりました。こうして見ると涌谷は大きな町でしたね。今では逆転してしまいましたが、私が初めて涌谷の中心街(旧馬場谷地村)を見た時は大河原よりしっかりした都市に思えたものです。それから、馬場谷地という地名ですが今ではほとんど通用しません。涌谷出身の人に「馬場谷地出身だね」といったら、「馬場谷地って何のことよ」というような顔をされたことがあります。

明治8年の共武政表に記載された中からマイナーな感じの邑を挙げれば、陸前国の南部では金ヶ瀬駅が筆頭ではないかと思われます。金ヶ瀬は平村の内に形成された宿駅ですから家屋は連担していますし、国土地理院の地形図で見ると結構大きな町場に見えるのですが都市と呼べるほどのものではありません。在が狭いから流入人口が少ないのです。地形図を眺めて同規模に見える東北地方の町場の中では、もっとも静寂さを保っていた町並みのはずです。でも、近頃は郊外型大規模店ができて静寂な町並みを車がどんどん走るようになりました。この、村名「平」と宿駅名「金ヶ瀬」のように村名と宿駅名が異なる場合、昔の人は村名よりも宿駅名を強く意識していたのではないかと思えてならないのです。
[63423] 2008年 1月 15日(火)08:20:22千本桜 さん
Re:外海浦
[63420]白桃さん
伊予国宇和郡外海浦は6,280人と「強烈」な数字。当時、伊予では松山(26,424)、宇和島(15,396)、今治港(12,177)に次いで堂々4位なんです。
想像して楽しんでいるだけですから真偽のほどは当てにしないでください。外海浦が堂々4位につけているのは、単純に考えて面積が広いからだと思います。もっと適切に言えば面積の広さではなく、漁村が発生するに可能な海岸線が長いから、と言った方が良いでしょうか。想像だけで申し訳ないのですが、当時は松山、宇和島、今治港をはじめ、三津港、大洲、八幡浜港なども面積が狭かったのではないでしょうか。ところが外海浦の範囲は広域で、直線距離にして東西18キロメートルはくだらなかったと思われます。それがリアス式海岸なものだから、入り組んで入り組んで海岸線は何十キロメートルもの長さを有することになります。その長い海岸線のあちこちに幾つもの小漁村が発生しました。外海浦の人口6,280人は、それら小漁村の合算人口だと思います。ですから、宇和島や今治のように大きな町並みを持った集落があったわけではないと思います。
それにしても、外海浦に限らずこのような大漁村であっても、後に都市に成長していく事例はごく少数です。漁村内部の経済構造、生活様式や周辺部とのかかわりに起因するものだとは思いますが、
統計上は大漁村に見えても、その実態は長い区間にわたって小漁村が点在していただけと思われます。ですから行政的には大漁村かもしれませんが、集落的には小漁村だったのでしょう。外海浦の集落がすべて小漁村にとどまっているのは、山がちで平坦地の少ない地形のせいではないでしょうか。成長したくてもできなかったのでしょう。港の近代化や大型化に適合できなかったと考えます。これに似た統計上の大漁村は肥前、肥後にも出てくると思いますよ。そして、宮城県にも良く似た状況の村が幾つかありました。平坦地が少ないリアス式海岸、長い長い海岸線、統計上は大漁村だが実態は小漁村集落といえば、十五浜村(現在は石巻市の一部)と唐桑村(現在は気仙沼市の一部)でしょう。今をときめくスーパータウン大河原の人口が6,125人だった大正9年に、十五浜村は8,519人、唐桑村は7,217人でした。だからといって十五浜村、唐桑村に大河原のような都市集落が存在していたわけではありません。※外海浦のことを知りもしないで想像で書いています。間違っていたらごめんなさい。
[62890]の「緑のインク」って梓みちよさんでしょうか?。♪メランコリーだなんて、ずいぶん古いのをご存知なんですね。
[63280] 2008年 1月 8日(火)23:35:42【2】千本桜 さん
浜名港はやはり現在の新居町かも知れない
[63273]hmtさん
遠江国敷知郡「浜名港」と呼ばれたのは、今切湊・新居宿のようです。
浜名港は新居ではないことを前提に宇布見と考えましたが、どうやら新居こそが浜名港のように思えてきました。古い地形図を探しているうちに浜名湖に面した主要市街地の発展過程が見てとれるHPを見つけました。明治8年当時の市街地が見れたら良いのですが、有りませんので明治23年の市街地を見てみます。これによると新居の市街が最も大きくて都市らしい形をしています。三ヶ日雄踏(宇布見)舞阪は新居に比べて小ぶりで、静岡、浜松駅、沼津駅、島田駅に次ぐ人口を有していたとは考えにくい形の町並みです。また、現在の鷲津駅付近に至っては人家の少ない寂しい所だったようです。新居の市街地は北部の新居宿と南部の浜名村の町並みが合体してできているように見えます。いつの頃から両者の町並みが連続状態になったか定かではありませんが、ひょっとして明治8年の浜名港6,438人は新居宿と浜名村の合算人口ではないかと思えてきました。と申しますのは、新居宿単独の人口なら「新居宿」と記せば良いわけで、それを敢えて「浜名港」と記すのは「新居宿」以外の区域をも含んでいたからではないかと思うのです。明治19年の人口は、4,082人の新居宿と1,733人の浜名村を併せて5,815人です。明治8年の6,438人に近い数字です。私は今、想像を楽しんでいる訳でして、間違っていたら笑って許して下さい。
東海道鉄道の浜松以西が開通した明治21年の翌年ですが、馬郡(舞阪)-鷲津間に新居町駅(1915年開業)が設けられていないことが示すように、新居宿の拠点性は既に失われていたのでしょう。
明治21年の鉄道開通時に浜松、舞阪、鷲津に駅が設置されて新居に設置されなかったのは地形要因によるものではないでしょうか。明治23年の地形図から判断すれば、どう見ても舞阪、鷲津より新居が上位都市です。鷲津には町並みすら存在しない状態でした。しかし新居には駅を設置する適地が無かった。それゆえに出遅れたのだと思います。新居町駅は大正4年に設置されましたが、それは浜名湖を埋め立ててこそ可能になったことで、明治21年の開通時には埋め立ててまで駅を設置することができなかったのでしょう。明治23年と大正6年の地形図を見比べて、そのようなことを考えました。これも想像ですから事実誤認があったら笑って許して下さい。こうして鉄道(東海道本線)と浜名湖沿岸市街地の係わりを眺めていると、損したのは新居で、得したのは鷲津のように思えてきました。鷲津は未訪地ですが、Yahoo!地図情報の航空写真で見る鷲津駅前は水田ばかりだった鉄道開通前に比べて随分都市化したものですね。

【訂正1】新居駅を新居町駅に訂正しました。
【訂正2】明治23年、大正6年、平成2年の三時代における浜名湖沿岸の市街地を見てとれるHPを貼りましたが、どうもリンク不可のHPのようです。「浜名湖展覧会パンフおねがい」と打ち込んで検索すると「浜名湖」というHPが出ますので、そこから入ってください。細江、三ヶ日、入出、鷲津、新居、舞阪、雄踏、村櫛、佐鳴湖の市街地の変化を見ることができます。
[63024] 2008年 1月 3日(木)03:57:09【2】千本桜 さん
浜名港
[63001]白桃さん
「浜名港」とはいったい、今のどこなんでしょうか?
浜松市雄踏町宇布見は考えられないでしょうか。明治時代の市街地を塗りつぶした簡略な地図を見たことがあります。それによると浜名湖周辺では宇布見村の市街地が一番大きかったような記憶があります。また、1954アメリカ製地図では、浜名湖に面した集落で市街地として描かれているのは新居と宇布見だけです。いま、昭和56年発行の国土地理院50,000分の1地形図を見ています。この地形図には宇布見の市街地(ハッチ表示された家屋密集地)が舞阪、新居、鷲津、三ヶ日、気賀よりも大きく描かれています。でも、周辺部への家屋分布の波及があまり見られず、鷲津、新居、舞阪に比べて発展が停滞しているような雰囲気が感じ取れます(念のために、現在のことではなく昭和56年の地形図を見ての印象です)。

こうして、市街地という観点から推察すると、浜名港とは宇布見のことではないだろうかとも思えるのですが、確信は全くありません。たぶん違っている可能性の方が大きいかもしれません。ですが、共武政表には浜名港の物産は「鰻○」とあります。○の部分が潰れていて読めないのですが、私としては鰻から連想するのは奥浜名ではなく、雄踏(宇布見)、舞阪、新居あたり。舞阪でもなく新居でもないとすると、浜名港は宇布見(雄踏)かな?と・・・。

でも、鰻だけで人口数千人の港町が成立するとは思えません。宇布見が人口6,438人の浜名港であるためには、他に何らかの都市機能を集積しなければ成り立たないことだと思います。そんなこんな考えているうちに、
宇布見から入野を経て菅原町の河岸に至る川沿いは明治の一時期、蒸気船によって東海道の大動脈の役割を果たしました。
と書いてあるHPにぶつかりました。そうか、宇布見は船運で浜松と結ばれていたのか。その時代と共武政表(明治8年)の時代が合致していれば、宇布見=浜名港も有り得る話になります。そして東海道本線の開通により宇布見の都市役割は短期間で終焉し人口減少に進んで行ったと勝手なストーリーまで考えましたが、想像、空想、妄想ですから当てにしないでください。夢は夜ひらくというか、妄想は夜さえるようですが、間違っていても「みんな夢の中」の♪高田恭子です。ところで、今夜は某温泉の高級ホテルに泊まって赤いチャンチャンコを着せられます。ついに来たか。

昭和56年発行の国土地理院25,000分の1地形図を昭和56年発行の国土地理院50,000分の1地形図に訂正しました。
[62847] 2007年 12月 15日(土)11:58:48千本桜 さん
住所を簡略的に書く場合は周辺地区にも気配りが欲しい
感じたことや思うことを伝えるのは難しく、大原町大字山田字川中18番地という架空の地名を例にした[62833]は、かえって物事を解り難くしてしまったかなと悩んでおります。もう一度書かせてください。今度は端的に書きます。小布施町大字小布施808の「808」は、大字小布施を対象にして振り分けられた番地であり、小布施町に対して振られたものではないはずです。ですから、大字小布施を省くなら808も省かれて然るべきだと考えます。小布施堂さんは大字名を省いて長野県小布施町808と書いていますが、その808が余計なのです。小布施堂さんほどの有名店ですから、簡略するなら長野県小布施町「小布施堂」で十分に通じるでしょう。でも、どうしても番地まで記載したいのなら、番地と連結している大字名をないがしろにしないで長野県小布施町大字小布施808「小布施堂」と書いて欲しいものだと私は思います。もし、大字都住808も大字名を省いて長野県小布施町808と書いたなら、同じ住所が二ヶ所あることになって紛らわしくなります。
[62833] 2007年 12月 14日(金)00:14:42千本桜 さん
名邑、住所、楽雁、しおがま
[62828]hmtさん
岩手県や福島県では、市街の体裁で区別することなく、名邑はすべて第一表に記載してしまったのかもしれません。
どうも そのようでした。凡例の存在に気が付かず、区分の根拠に疑問を感じていましたが これで納得しました。ありがとうございました。ところで「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」ですが、こういうのが大好きで興味深く見させていただいているのですが、どのような目的で「市街の体裁を為さゝる名邑」と「為したる名邑」に分類したのか気になっております。単に地理的な意味合いからなのか、それとも何らかの形で行政に反映させようとしていたのか・・・・そのへんのところが分かりません。

[62829]hmtさん
土地台帳や住民基本台帳に記された「正式の住所」にこだわる必要はないと思います。
小布施町大字小布施808を略して小布施町808と記すのは省略しすぎと感じるのは、私自身がそれに似た環境の中で暮らしているからです。実地名で書くと生々しくなるので架空の地名で書きますが、私は大原町大字山田字川中18番地に住んでいます。大字山田には字川中の他に字芋畑、字町などの小字が50ほどあって、それぞれに18番地があります。ですから、小字を省いて大原町大字山田18番地と書けば、該当する場所が50あることになります。だから小字名までしっかり書くことになります。ところが、ある特定の小字の人たちは時に自分の所属する小字を省いて大原町山田18と書いたりします。その特定の小字とは字町です。字町は大字山田の中にあって町場を形成する中心地区ですから、大原町山田18と書いてあれば大原町大字山田字町18番地のことだなと薄々推測はつくのですが、私にすれば字町だけが大字山田ではないだろう。字川中だって字芋畑だって大字山田の中だろうという気持ちになるのです。この字町と言う名の小字ですが、当地方にはいくつもあって、主な所では角田市角田字町、村田町大字村田字町などがあります。いずれも古い時代に形成された町場で、現在の市や町の中心街にあたる区域です。たぶん、村田町大字村田字町18番地は村田町村田18で郵便物が着くでしょう。もしかすると村田町18でも配達されるかもしれません。でも、もしも私が村田町大字村田字町18番地の住人だとしたなら、小字を省いて村田町大字村田18とは書かないし、ましてや大字までも省いて村田町18と書くことは思いもつかないことでしょう。それは、正式な住所にこだわるからではなく、字町だけが大字村田ではないだろう。大字村田だけが村田町ではないだろうという思いがあるからです。大字村田の小字は字町だけだろうという感覚で村田町大字村田18と書くことや、村田町の大字は大字村田だけだろうという感覚で村田町18と書くことが嫌いなだけです。

住所よりも大きく 「楽雁」 と記されていませんでしたか?
そうです、そうです。「楽雁」と書いてありました。その楽雁は味も気に入っていますが、箱の絵柄も気に入っています。小布施は未踏の地ですが、箱を見ているだけで小布施のイメージが湧いてくるような良いデザインでした。落雁を嫌いな人が多いようですが、私は結構好きなんです。特に小布施の「楽雁」と仙台の「しおがま」ですね。この「しおがま」ですが、いくつかの製造元があって「しほがま」とか「志ほがま」の名で売っていますが、「しおがま」であることに変わりはないわけでして、特定の製造元の商品名ではなさそうです。「しおがま」って、全国的に有名な御菓子なんでしょうか。
[62825] 2007年 12月 12日(水)23:59:39千本桜 さん
市街の体裁をなしたる名邑
[62822]白桃さん
しかし、大河原や太田が「市街の体裁をなさざる名邑」とありますが、誰が判断したのでしょう?

たぶん、占師の仕業でしょう。「市街及び市街の体裁をなしたる名邑」と「市街の体裁をなさざる名邑」の線引きが県によってまちまちのようです。宮城県の大河原、吉岡、中新田などが「市街の体裁をなさざる名邑」で、岩手県の毋体、津谷川、小白浜や福島県の小浜、針道、福良が「市街及び市街の体裁をなしたる名邑」だなんて、いくら時代が違うと言えどもあんまりですわ~。

このような比較の場合、いつも気になるのは長野県佐久地方の臼田、野沢、中込、岩村田、小諸の関係ですが、当時は岩村田の人口が最大だったようですね。
[62811] 2007年 12月 12日(水)08:31:28千本桜 さん
この合併枠組みも立ち消えか
[53573]
角田市、大河原町、村田町、柴田町の一市三町合併を目指す議員連盟「県南中核都市実現の会」が、合併について話し合う任意の協議機関の設置を要請することを決めたそうです。

どうやら、K市の議員さん方が離脱したとかで、この枠組みでの合併も立ち消えになりそうな気配です。それにS町の町長さんは単独での町づくりを目指しているようですし、O町民もさっぱり盛り上がっていません。みんな疲れちゃったのでしょうか。
[62798] 2007年 12月 11日(火)08:03:41千本桜 さん
直系思想
先日、仙台のデパ地下で長野県小布施町名物の落雁を買いました。パッケージには御菓子屋さんの住所が長野県小布施町808と書いてあります。自治体名の後に、いきなり番地!。簡潔で素晴らしい住所と思いたいのですが、やっぱり受け入れ難し。小布施町808だと、小布施町大字都住808なのか小布施町大字小布施808なのか、それとも小布施町大字飯田808なのか判らないですよね。それなのに小布施町808と表記する気持ちが私には受け入れ難いのです。この御菓子屋さんは大字小布施にあるのですが、有名な御菓子屋さんですから詳しい住所を書かなくても事が足りるのでしょう。しかし、大字都住や大字飯田と違って大字小布施は小布施町の直系であり主体である。だから、小布施町808と書けば小布施町大字小布施808を指すという感覚が無意識のうちに培われていはしないか。もしそうだとしたら、一歩さがって周辺の他の大字のことも考えて欲しい。小布施町大字都住808は小布施町大字都住808と書かなければならないのに、小布施町大字小布施808は小布施町808と書いて済まされるのは変である。でも、この御菓子屋さんの落雁はとても美味しい。数年前に とある落書き帳メンバーの方からいただいて以来、私の好物になっています。
[62752] 2007年 12月 2日(日)09:33:06【1】千本桜 さん
浮上する大河原と沈下する加治木
宮城県仙南地域の大河原町と鹿児島県姶良地域の加治木町は圏域内での立場が似ている町です。類似点は次のとおりです。

1・ 古くから広域行政の中心地で多数の役所が集まっている。奇しくも仙南圏、姶良圏ともに人口はおよそ20万人前後である。
2・ 圏域の中心都市だが圏域の最大自治体ではない。大河原町は白石市、柴田町、角田市に継ぐ4番目の規模。加治木町は国分市、姶良町、隼人町に継ぐ4番目の規模の自治体で推移してきた。奇しくも共に4番目規模の自治体というのも不思議な縁である。(国分、隼人は現在霧島市)
3・ 共に人口2万3千で、行政的には市に至らない町のままである。
4・ 大河原町に隣接する柴田町も加治木町に隣接する姶良町も郡名を町名に採用し、まるで地域の中心都市であったかのような錯覚を起こさせる。
5・ 大河原町は隣接する柴田町の人口急増で相対的衰退現象に陥った時期があり、加治木町は隣接する姶良町の人口急増で今も相対的衰退現象に陥っている。

以上の類似性を持った大河原町と加治木町ですが、2007年10月1日現在の推計人口を見ると、両者を取り巻く環境の違いが決定的になったように見受けられるのです。大きな違いは、かつて町として東北最大人口を誇った柴田町が2年連続で人口減少をきたし、それによって大河原町が対柴田町との相対的衰退状況から脱出したことが明らかになったことにあります。柴田、大河原両町の人口推移は下記の通りです。
自治体名1980年1985年1990年1995年2000年2005年2006年2007年
柴田町32,106人35,416人37,315人38,749人39,485人39,809人39,781人39,553人
大河原町19,332人20,305人20,901人21,995人22,767人23,335人23,444人23,631人
一方、加治木町は相対的人口減少ばかりか絶対的人口減少が続いて、対姶良町との相対的衰退現象が止まりません。姶良、加治木両町の人口推移は下記のとおりです。
自治体名1980年1985年1990年1995年2000年2005年2006年2007年
姶良町32,085人35,278人37,154人40,652人42,969人44,671人44,965人44,970人
加治木町22,524人23,264人23,834人23,577人23,332人22,908人22,843人22,633人
幾つかの類似点で結ばれた大河原と加治木ですが次第に明暗がはっきりしてきたようです。ちなみに、仙南圏における大河原町の人口占有率は1980年の10.3%から2007年には12.5%に上昇。姶良圏における加治木町の人口占有率は1980年の12.6%から2007年には10.6%に下降しています。

訂正機能で「4番規模」を「4番目の規模」に訂正。最下部に「人口占有率」に関する数値を追加書込みしました。
[62686] 2007年 11月 27日(火)08:29:10千本桜 さん
昼夜間人口比率と中心性
都市の中心性を知るための尺度として、昼夜間人口比率を用いることは本当に適切なのだろうか、という疑問を持ち続けています。2005年国勢調査による宮城県仙南地域2市7町の夜間人口に対する昼間人口比率は下記のとおりです。

自治体名昼間人口比率
七ヶ宿町101.9%
角田市100.8%
村田町98.7%
白石市98.7%
蔵王町96.4%
大河原町95.9%
柴田町91.8%
川崎町89.0%
丸森町87.3%
たぶん、地域住民が感じている中心性とは合致していない筈です。ズレが生じるのは、通勤通学者数はカウントされても、通院や買物で行き交う人の数は昼間人口にカウントされないからでしょう。ちなみに、宮城県で最も昼間人口比率が高いのは県央部に位置する大衡村の132.1%。大規模な工業団地がある村です。でも、私は現状の大衡村の景観に中心性を感じません。
[62581] 2007年 11月 20日(火)07:00:28千本桜 さん
知名度
[62538]白桃さん
卓球選手の四元奈生美さんが歩く街道てくてく旅日光・奥州街道編は今朝、スーパータウンからの中継でした。
テレビ中継されることは大分以前から知らされていたのですが、当日になって すとんと忘れてしまい、見逃してしまいました。とても残念です。スーパータウンとは言うものの、目だった観光スポットの無い町ですからテレビに映る機会が少ないのですが、来る12月15日に開運なんでも鑑定団の「なんでも鑑定団in柴田・大河原・村田」が放映される予定です。これは、この9月に仙南芸術文化センターにおいて収録したものです。でも、地域によっては放映日が異なるかも知れません。

[62545]N-Hさん
小字名があると、和泉町の中でも「ああ、あのへんか」というイメージは沸くということはありますね
私の住んでいる地域では周辺市町も含めて概ね、自治体名+大字名+小字名+番地が基本形です。未確認ですが、番地は小字単位に1番から振られているようです。ですから、基本的には大字も小字も省略できません。ここのところが横浜市の和泉町と異なるところです。大字と、その大字に包含される小字の知名度には大きな差異があると私は感じているのですが、和泉町のように小字名を省略しても通じる地域においては、その差異はなおさら大きくなるのではないでしょうか。和泉町周辺の人は和泉町を知っていても、和泉町内の小字に関しては ほとんど知らないのが実情ではないかと思うのです。地名の知名度が気になるのは、インパクトのある地名を取捨選択して地図に送り込みたいという職業柄もありますが、それ以前に、持って生まれた私の性癖のようです。
[62536] 2007年 11月 16日(金)00:52:12千本桜 さん
横浜市泉区和泉町
[62519]スピカさん
この和泉町ですが、46の小字と1箇所の小字なしからなっています。番地でいえば、1番地の字天王森から7705番地の字越後林まで

スピカさんの上記書込みを拝見して思うことが二つあります。一つは、和泉町を一つのブロックとして通し番号の番地が振ってあるなら、小字名が無くても住所の特定はできると思うのですが、和泉町字地蔵原3421番(某マンション住所)のように小字が記載されているのは何故でしょう。3421番は和泉町に一つしかないとすれば和泉町3421番で通じるし、そのような表記の方が簡便で合理的に思えるのですが・・・。

もう一つは、住所ではなく集落としての和泉町を考えた場合のことです。私が住んでいる町には、住所としての大字小字とは別に行政区と呼ばれる地域(集落)区分があり、行政区を単位として きめ細かな行政サービスが行われています。行政区の境界と名称は、大字または小字と合致するものもあれば、そうでないものもあります。和泉町は5万人近い人が住んでいますから、地域を細区分しないと行政サービスが行き届かないのではないかと思われますが、どのような細区分がなされていますか。
[62454] 2007年 11月 10日(土)12:49:38千本桜 さん
商都
十数年前は人口当たりのパチンコ台数が日本一。そして、数年前までは東日本最大の百円ショップ所在地。そんな輝かしい記録を持つスーパータウン大河原。今では周辺市町に大規模パチンコ店が進出して日本一の座は過去のものになり、百円ショップも規模縮小を経て撤退に至っておりますが(それでも、町内には百円ショップが3店舗営業中)、今度は東北最大級のバイキングレストランがオープンしました。それで、早速見て参りました。ん、やっぱり大きい。商圏人口19万とは言うものの、さほど吸引力が強くない大河原で、この大きさの店舗を維持できるのか不安になりますが、地の利を評価されての出店とあらば、不安3、嬉しさ7の割合かな。地域がじりじりと変動して行くのを実感しています。
[62243] 2007年 10月 26日(金)22:49:01千本桜 さん
Re:一桁の疑問
[62240]ニジェガロージェッツさん
相模原市 140,516,349万円 703,717人 200万円 が正しいのではないでしょうか。

ご指摘ありがとうございました。一桁まちがえていましたので、[62230]の1,997万円を200万円に訂正しました。
[62230] 2007年 10月 26日(金)07:04:54【1】千本桜 さん
工業都市
[62216]Issieさん
あ,今度,日金工に続いてセントラル自動車が撤退して,橋本駅南側の大山工業団地にまたも広い空き地ができるのでしたね。
いや,これは産業面で相模原市の政令指定都市化へ大きなブレーキになるのではないかと思うのですが。

相模原市の嘆きをよそに、セントラル自動車の移転先に決定した宮城県は待望の夢が叶って熱く盛り上がっています。一昨日の地元新聞は一面トップにこの話題を取上げ、さらに3、10、11、24面にも関連記事を掲載し、昨日のトップニュースもこの話題でした。そして今朝の朝刊にもこの話題が載っているという状況です。なにしろ1,200人の従業員を引き連れて、本社もろとも人口5,500人の大衡村に引っ越してくるのですから、大衡村では百年に一度の大ニュースです。そこで、セントラル自動車の移転先に決まった宮城県大衡村、本社および本社工場が撤退する相模原市、ヘソの無い相模原市のヘソを担う町田市、宮城県南部で地味な都市間競争を展開する角田市、柴田町、白石市、大河原町の製造品出荷額等をまとめてみました。出荷額は2005年、人口は2006年10月1日推計人口、人口当たりは出荷額等を人口で除したものです。相模原市の数値は旧城山町、藤野町を含みます。

市町村名出荷額等人口人口当り
大衡村6,766,555万円5,587人1,211万円
相模原市140,516,349万円703,717人200万円
町田市7,665,724万円409,272人19万円
角田市14,612,586万円32,968人443万円
柴田町14,313,736万円39,781人360万円
白石市12,088,193万円39,121人309万円
大河原町1,274,532万円23,444人54万円
こうしてみると、相模原市の工業都市ぶりが際立って町田市の脆弱が目に付きます。この数値からだけだと、町田って活気の無い都市に思えてしまいますが、実際は違いますよね。宮城県南部で角田、柴田、白石が激しく競り合う中、蚊帳の外に置かれたように大河原町の工業数値は脆弱です。それなのに、白石市民や角田市民の目には大河原にばかり何でも集まって、白石、角田には何も無いように見えるらしいのです。人は街を見て「何も無い」とか「何でも有り」とか言いますが、このときの「何」とは何を指しているのでしょうね。たぶん、工業工場というものは「何」の中に入らないのでしょうね。

相模原市の人口当たり出荷額1,997万円を200万円に訂正しました。
[61949] 2007年 10月 15日(月)01:07:05千本桜 さん
理屈と実践
[61898]faithさん

一口に地名決定と言っても様々なケースが考えられるのに、「決定権は住民にあるべき」という一つの方法だけを主張するfaithさんの意見に無理を感じています。現状の社会では自治体名および住居表示実施に向けた町名決定に住民一人一人が参画できたとしても、大字統合や大字分割など住所表記形式に変化を及ぼしそうな地名決定に対してまで、「決定権は住民にあるべき」と主張するのはいかがなものかと考えます。地名に関心を持たない住民にまで負担が掛かりすぎるからです。一般住民に負担を掛けずに済む、もっとより良い方法もあるのではないでしょうか。ましてや
「まずいものが見えても」住民に最終決定権を与えるのが正しいと私は本当に考えます。
という発言は受け入れ難いものです。この理屈は実践に向かないと思います。私は実践できない理屈を相手に議論を交わすのを好みません。[61815]で既にfaithさんが
以上、意見の一致を見るような気がしないですが、こういう考えもあります、ということで書かせて頂きました。
と書かれていることですし、私もこの件の書き込みはこれで終わりに致します。
[61889] 2007年 10月 13日(土)19:16:35千本桜 さん
文章を読む
[61874]般若堂そんぴんさん
faithさん([61815])の原文には,行政側が啓蒙するとは記されていません.

faithさんは[61815]で次のように書いています。
そこで、この地名はこのように残した方が良いものだから、という啓蒙はなされても良いと思います。ただ、後者の立場を強制するのは、現代では無理がありますね、と申し上げているのです。
このfaithさんの文には主語がありませんね。主語のない文を読むには、読み手が文脈から主語を察知することになります。文脈からして主語は「行政」と判断しました。その手がかりの一つは、faithさんの次の文章にあります。
住民に意思を問うにあたって、合理的な案があるなら、それを示せばよいことです。その説得力が十分あればそれが選ばれるでしょうし、それが選ばれないということは、合理的だと住民が思わなかったか、それ以外に他の案を選好する、もっと強い理由があったということになります。
ここでもやはり主語がありません。ストレートに常識で考えれば、この文の主語は「行政」です。faithさんは、合理的な案があるなら行政がそれを示せばよいと言っているのです。般若堂そんぴんさんは他に何か考えられますか。


[61874]般若堂そんぴんさん
また,行政側が「常に」でたらめである,とも記されていません.

faithさんは[61815]で、次のように書いています。
自分たちの住む地域の名前をそうでたらめに付けるはずもありません。(どちらかというと、「でたらめ」に近い名前は、行政の側から出ているような気がします。)
それを受けて、私は[61867]
faithさんは、住民よりも行政側が「でたらめ」に近い名前を付ける可能性があるとお思いなのでしょう。それなのに、行政側からの啓蒙があっても良いというのは理解できません。
と、返したのです。しかし、それをご覧になった般若堂そんぴんさんの書き込みでは
また,行政側が「常に」でたらめである,とも記されていません.
となっています。faithさんも私も、行政側が「常に」でたらめであるとは書いていないのに、そのフレーズ、どこから出てきたのでしょう。般若堂そんぴんさんの胸中に内在しているフレーズの吐露だったりして。

私は、話題が地理本題から逸れてしまって、語彙・文章の追求・糾弾に走るのを好みませんので、ほどほどにお願いします。
[61867] 2007年 10月 13日(土)02:35:12千本桜 さん
一口に地名決定と言うけれど
[61815]faithさん

私は[61799]
人はよく、合併しても旧町村名を残して欲しいと言います。それでいながら、長い住所は嫌だと言います。これは非常に矛盾したことですね。現在、和渕小学校が立地している場所の自治体変遷を見てみましょう。小字が佐沼川、藩政期に和渕村、明治22年から前谷地村、昭和30年から河南町、平成17年からは石巻市です。これをすべて継承すると石巻市河南前谷地和渕字佐沼川になります。長いですね。住所を書くのが辛くなります。何かを捨て、何かを残して住所表記を決定しなければなりません。これが完成して初めて地名決定が完了します。石巻市は藩政村の和渕を残し、和渕小学校の住所を石巻市和渕字佐沼川としました。小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。
と書きました。それに対してfaithさんから
自治体名を地名に残したい、だけど日常使うので、長い地名は嫌だ、と思うのはそんなに愚かなことでしょうか。
という文章になって返ってくるとは思いもしませんでした。合併しても旧町村名を残して欲しい。だけど長い住所は嫌だと言うのは矛盾していますね、と私は書いたのです。どこに「愚かだ」と書きましたか。人は誰でも発想の初期段階では矛盾を孕んだ考えをするものです。私だって旧町村名を残したい気持ちは同じです。しかし、何かを捨てなければならないと知ったとき、どの地名から消して行くのが最良かを考えます。例にした和渕小学校の住所の場合、石巻市河南前谷地和渕字佐沼川では長すぎるので河南と前谷地を外しました。その根拠は、歴史地名を残すことに主眼が置かれているのではありません。無駄な地番変更をしなくて済むだろうか。同名小字が発生しないだろうか。周辺大字との整合性が保てるだろうか。そのようなことを考えながら不要な地名を消した結果、藩政村の和渕が残ったのです。石巻市河南前谷地和渕字佐沼川を簡略なものにするためにはどうすれば良いか、faithさんも一緒に考えてみませんか。勿論、強制はしません。ただ、このようなことを繰り返し試行錯誤しているうちに、地域ってこのようになっているんだ、地名の仕組みってこうなっているんだということが見えてきたりします。私ごとき者がfaithさんに対して進言することではないと承知していますが許しください。しかし、問題はここからです。
faithさんは、[61815]
千本桜さんから見れば、正しい決定が常に行われるものではないと思います。でも、自分たちの住む地域の名前をそうでたらめに付けるはずもありません。(どちらかというと、「でたらめ」に近い名前は、行政の側から出ているような気がします。)
と書いておられます。それなのに
そこで、この地名はこのように残した方が良いものだから、という啓蒙はなされても良いと思います。ただ、後者の立場を強制するのは、現代では無理がありますね、と申し上げているのです。(それが「歴史的地名の継承を強制することはできない」ということです)
とも、書いておられます。筋が通っていませんね。faithさんは、住民よりも行政側が「でたらめ」に近い名前を付ける可能性があるとお思いなのでしょう。それなのに、行政側からの啓蒙があっても良いというのは理解できません。決定権を住民の手にしたいのなら、啓蒙活動は住民自身で行うのが道理でしょう。言いにくいことですが、この件に関するfaithさんの書き込みからは、「決定権は住民にあるべき」という権利意識だけが見えてきて、それに伴う義務と責任の所在が見えてこないのです。先ごろの大合併ブームの折、関係市町村のいたるところに賛成派・反対派入り乱れての立看板を見たはずです。意思を同じくする住民同士が会費を払って勉強会を行い、看板を設置し、説明会を開いて啓蒙活動に励んだのです。地名決定権は住民にあるべきとおっしゃるなら、啓蒙活動の労苦はもとより、義務と責任も付いてくることを自覚しなければならないと私は思います。

[61852]faithさん
古代、中世に遡るような地名を保存することについてはfaith も基本的には賛成です。ただし、[61815] にも書いた通り、それだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことではないと思っているところが特に千本桜さんとの違いでしょう。
おやおや、びっくり。私の書き込みの、どこをどう読めば、そのような結果に導かれるのですか。これでは、まるで私が古代、中世の地名保存主義者だと誤解されてしまうではありませんか。念のために、私自身のHPに記載してある一節を引用します。
私は、住居表示による地名変更と大字組替えによる地名変更は全くの別物と考えます。例えば、住居表示が実施されて金ヶ瀬字丑越が「丑越一丁目」に変更されると、金ヶ瀬にも大河原にも属さない独立した大字になります。このような場合、前向きに自由な発想で新たな地名を命名しても構わないと私個人は考えます。平成一丁目、さくら一丁目、さらにはカタカナ地名のハッピータウン一丁目でも良いではありませんか。
以上のように書いています。例えば、大字六本木、大字三本木、大字一本木に跨る原野を土地区画整理して住所表示を実施するとします。そこは面積の狭い小字が入組み、これといった代表的小字が存在しません。その区域全体を一括して表わす総称地名も存在しません。このような場合、古い地名を引継ぐことなどできないではありませんか。そのような場合も藩政村名や大字名を継承するのが最良だ、などと思ったことは一度もありません。ひょっとして、faithさんは地名決定権とはいいながら、自治体名のことだけ念頭において議論に臨まれているのではないですか。大字や小字にそれほど意を払っていないようにお見受け致しました。私は[61653]
一口に地名の変更といっても様々なケースが考えられます。[61551]は大字界の移動を伴った大字名の変更を念頭において書いています。
と書きました。大字をメインに議論しているのですから、大字や藩政村という用語が頻発するのは当然です。それをもって古代、中世に遡るような地名を保存するだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことであると考えている人間に思われては心外です。

[61852]faithさん
一方千本桜さんは「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。
いろいろな読み方があるのですね。どうしてfaithさんは、「決定すべき」のように「べき」で括ってしまうのでしょうか。私は歴史原則に立って決定す「べき」だなんて考えていませんよ。それに、私は[61799]
設問の仕方にもよりますが、行政が住民アンケートを実施するのは良いことですから否定はしません。しかし、その結果を咀嚼しないで丸呑みするのは無責任だと思います。
と書いているのに、「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はないと言われているように読めます。」って、どういうことですか。
[61799] 2007年 10月 10日(水)07:47:49千本桜 さん
Re: 地名の決定権
[61756]faithさん

そのような歴史的な地名の継承を、現在の住民に強制できるのか、といえば、手続き的には明らかに現代の社会ではNo です。
何と答えたら良いのやら、そのような論理で地名を考えたことがないんですよ。自分が生まれる前から地域があり、地名があり、その地域や地名を当然のものとして育ったものですから、地名の継承を強制されているという感覚が私にはありません。

まずい決定がなされる可能性があっても、住民に最終決定権を与えるべきと思うのがfaith なのに対して、
faithさん、本当にそう思うのですか?。もし、その行く先に "まずい" ものが見えたなら、誰かが「ストップ!」と声を上げるのが筋だと私は思うのです。それからもう一つ。「住民に最終決定権を与えるべき」とおっしゃいますが、それは住民が責任を負うことを前提にしなければ成り立ちません。理想じゃなくて現実を見た場合、責任を持って地名と取り組める住民は極めて少数です。みんな忙しいのです。そして何より、地名に関心が薄いのです。そのような一般住民に責任を負わせるのは酷です。一般住民の関心の薄さは、住民に向かってfaithさんが突撃体当たりインタビューをしてみれば直ぐに判明することです。

自分のことだけでなく、広く地域全体を見ることのできる人が決めるべきとお考えなのが千本桜さんであるわけでしょう。
設問の仕方にもよりますが、行政が住民アンケートを実施するのは良いことですから否定はしません。しかし、その結果を咀嚼しないで丸呑みするのは無責任だと思います。先にも述べましたが、一般住民は常日頃から地名のことを考えているわけではありません。各人が理想的な地名のあるべき姿を構築しているわけでもありません。そのような人たちがアンケート用紙を目の前にしたとき、何を根拠に地名の選択をすればよいのでしょうか。単に語感字面の好みでしょうか。仮に、そのようにして地名を選んだとしても次の課題が待っています。住所表示形式の決定です。これが一般住民の頭に構築できていないのです。人はよく、合併しても旧町村名を残して欲しいと言います。それでいながら、長い住所は嫌だと言います。これは非常に矛盾したことですね。現在、和渕小学校が立地している場所の自治体変遷を見てみましょう。小字が佐沼川、藩政期に和渕村、明治22年から前谷地村、昭和30年から河南町、平成17年からは石巻市です。これをすべて継承すると石巻市河南前谷地和渕字佐沼川になります。長いですね。住所を書くのが辛くなります。何かを捨て、何かを残して住所表記を決定しなければなりません。これが完成して初めて地名決定が完了します。石巻市は藩政村の和渕を残し、和渕小学校の住所を石巻市和渕字佐沼川としました。小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。ですから、ここはやはり市町村議会、審議会、行政に踏ん張ってもらわないと。でも時々、審議会って笊になるから困るんですね。

「大内町」の地名を残したいというのは、藩政村の地名がどうあれ、自然なことと思います。
近隣諸国と統合して日本が消滅するとします。どこかの都市を「日本」という都市名に変更し、日本という国が存在したことを後世に残そうという動きが芽生えました。その動きに賛同した八戸市が市名を日本市に改称しました。これをもって、日本の名を残せて良かったねと喜べるでしょうか。どこでもいいから名前さえ残せば日本という国が存在したことの証明になると言うものではありません。ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって、ふさわしくない場所にその名を残すと、何百年後、何千年後に歴史を紐解く妨げになりかねません。大内町大字松崎の一部を大字大内に改称したのも、その類に思えるのです。

大川郡大内町松崎という地名を工業団地が名乗っていたこと自体もおかしいということになります。
済みません。ちょっと理解できません。松崎に位置するのだから松崎で良いと思いますが・・・。

これまで知られていた土地Aに隣接していた土地が、いつのまにかAと呼ばれるようになり、やがてAといえば後の方の土地を指すようになった、などという例はいくらでもあったと思われます。
だからといって、それが最良な出来事だったとは思えません。これから新たに地域と地名を構築していく際に、そのような事例を参照しても意味を成さないと思います。
[61653] 2007年 10月 8日(月)03:43:59千本桜 さん
どのような人の意見だったら「正しい」のかについて
[61557]faithさん
どのような人の意見だったら「正しい」のですか。

早速の反論、ありがとうございます。一口に地名の変更といっても様々なケースが考えられます。[61551]は大字界の移動を伴った大字名の変更を念頭において書いています。大字は特定の大字だけが単体で世の中に存在しているのではなく、周辺の大字と係わりを持ちながら今日に至っています。結論を言えば、大字界と大字名の変更を望むなら、その結果、周辺大字との係わりがどのように変化するかを知った上で要望するのが望ましいのです。

たとえ話を書くと言葉尻を捕まえて反論される恐れがあるので心配なのですが、faithさんなら物の本質を見てくださると思うので、敢えて たとえ話を書きます。大字六本木、大字三本木、大字一本木が一緒になって銀座町を形成していたとします。六本木は銀座町の中心部に位置し、都市化が進み役場や何やらがあって良いイメージを持たれています。川向の三本木はもともと農村でしたが、都市化する六本木の余波を受けて区域内のあちこちに住宅団地が出現し、都市と農村が混在するようになりました。山懐の奥に位置する一本木は都市化と無縁の山村です。昔からの住民は、自然地形で区分された三つの大字区分を当然のものとして受け入れてきました。

ところがです。三本木に点在する新興住宅団地の住民の間に、自分の住んでいる区域だけでいいから三本木を六本木に改称してくれという声があがりました。住んでいる団地は六本木のように都市的なのに、住所が三本木だと田舎に見られて嫌だと言うのです。行政はそれを受けて要望のあった区域を六本木に改めました。さあ、faithさん。これによって銀座町の地図がどのように変わるのかを想像してください。もともとは自然地形によって明確に区分されていた大字なのに、川向の大字三本木の中に大字六本木が飛んできて、飛地のように点在することになるのですよ。これでは良いはずがありませんね。果たして、住民はそうなることを知った上で要望したのかどうか、とても重要なことです。そして、もっと重要なのは、そのような要望を行政がよく審議した上で変更に臨んだか否かです。

大字三本木の中に飛地状態の大字六本木が幾つも出現すると知って、関係者はこれは まずいと思い始めました。そうだ!妙案がある。飛地状態をなくすには、大字六本木と大字三本木を統合して大字銀座に改称すればいい。こうして、銀座町は大字六本木、大字三本木、大字一本木を、大字銀座、大字一本木の二区分に変えることにしました。ちょっと待って!。誰かが口を挿みました。そうなると、住所は銀座町大字一本木字○○、銀座町大字銀座字○○になるんだね。だったら大字銀座は要らないでしょう。銀座を二度も連ねるのは意味がないよね。そうだ、そうだ、その方が合理的だと、満場一致で決議されました。こうして銀座町は、銀座町大字一本木字○○と書かなければならない区域と、銀座町字○○とだけ書いて済む区域に分かれてしまいました。

これを見て驚いたのは大字一本木の住民です。六本木地区と三本木地区は住所が短くなったのに、なぜ一本木地区だけ長いんだ。しかも古臭い大字の二文字を冠したままだなんて差別じゃないか。明治以来今日まで六本木、三本木、一本木は歴史を共有してきたじゃないか。それなのに、なぜ地名変更発案者は我々の地区のことを考えてくれないんだ。こんな大字一本木住民の思いもどこ吹く風。地名変更を要望した人たちは、自分の住所に田舎臭いイメージの大字三本木を書かずに済むと喜び、周辺地区に及ぼした影響など意に介しません。このような形で大字をいじられると、次世代に地域の歴史を伝えるのが難しくなります。

以上は たとえ話ですが、まんざら根も葉もない創り話ではありません。これに似た話を私は目の当たりにしています。大字の領域と名称変更は少なからず周辺大字にも影響を及ぼします。地名変更を要望する住民に、周辺地域のことも考えた上で要望してくれと言っても難しいでしょう。往々にして住民は自分のことだけ考えて要望するものです。だから住民は要望してはいけないとは言いません。問題は、それを関係者がどのように審議し結論をくだすかです。最後になりましたが、faithさんのご質問、どのような人の意見だったら「正しい」のですか、にお答えします。それは、自分のことだけでなく、広く地域全体を見ることのできる人の意見だと、私は思います。
[61551] 2007年 10月 7日(日)16:41:05【1】千本桜 さん
道路案内板および大字変更問題
[61540]ペーロケ さん
交差点の交通量が多いとの事。ひょっとしたら、あふれる右折車両を短い青信号時間の中ではとても捌き切れないために、意図的に分散させようとしているのかもしれません。
現地の様子からすると上記の理由は考えにくいのですが、
「予算が余っていたから付けてみた」ってやつでしょうか?
という理由は、無きにしも非ずと薄々感じています。なぜ、このような考えを抱くかというと、案内板の建て替え、書き直しが多すぎるからです。吟味して設置すれば直さなくて済むのに、無駄なことをしているなと感じます。何年前か忘れましたが、白石市の国道4号で「→南蔵王」と表示された案内板を見て、「これは まずい」と直感したことがあります。南蔵王という地名が広域すぎて、的を絞り込めないからです。案の定、現在は「→鎌先温泉」に書き換えられています。書き換えに要した費用はどれほどなのか知りませんが、当初に地名選択を吟味すれば出費しないで済んだ費用です。

[61541]じゃごたろさん
それまでは矢印のみだった青看板にいつの間にか県道番号を示すヘキサのパッチがあてられたり
そのとおりです。例の、直進「福島・仙台」、右折「大河原・角田」にも県道番号が付してありました。昨日たまたま知人と道路標識の話になったのですが、「6号線の相馬から亘理までの区間は、どの交差点も左折すると至・角田だなや」と話していました。どこを通っても至・角田なら案内表示は要らないべ、ということなんです。その打開策として、
1・行先地名は市町村名至上主義を改める。
2・経由地を表示する。
3・道路番号を表示する。
などが考えられます。そのような理由からして、県道番号が表示され始めたのはありがたいことです。しかし、例の案内板で最初に目に飛び込んできたのは行先地名であり、走行中に道路番号まで判読するのは困難かもしれません。

[61545]88さん
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
全く以って同感です。反感を喰らうことを覚悟で書けば、転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。

訂正機能で助詞を1字訂正
[61522] 2007年 10月 6日(土)09:33:50千本桜 さん
無ければ困るが 有ればあったで困るもの
県道を走行して北白川駅前を通過しました。白石川を渡ると直ぐ国道4号にぶつかります。この交差点はT字路で、左折「福島・白石」、右折「仙台・大河原」の案内標識があります。まわりは田舎の風景ですが、朝夕の通勤時間帯は交通量が多く、結構な数の車輌が右折して大河原方面に流れ込みます。日本各地どこにでもある普通の光景で、案内標識の行先地名も妥当な表示です。ここで、大河原方面に向かう人の大多数は、この道を通ることを頭に入れて欲しいのです。

一週間ほど前の出来事です。県道を走り北白川駅前を通ってこの地点に差し掛かったところ、新しい案内板が目に飛び込んできました。そこに表示された直進「福島・仙台」、右折「大河原・角田」を見て、思わず急ブレーキを踏んでしまいました。なに!、大河原方面へ行く人は、ここで右折しろと言うのか。いやだ!。対向車が来たら擦れ違えないような悪路を通って大河原などに行くものか。確かに、この道は大河原に到達しないわけではありません。しかし、この道を通る必然性のある人は、大河原は大河原でも、その一画の大谷地区に向かう人だけです。それに対して「大河原」と表示するのは、混乱を生んで迷惑です。

でも、この道はれっきとした県道(主要地方道)なんですね。県道だから案内標識を設置したい。そして、指針に従えば行先地名は「大河原」になる。設置者は当然のことをしたのでしょうが、事務的で現地のシミュレーションが足りません。私は思うのですが、一口に国県道とは言っても、長距離移動に利用されているものばかりとは限りません。まるで市町村道のように短距離移動の役割しか果たしていない国県道もあります。この性格の違う二者に対して、同じ指針による行先地名を表示していることに問題があるのです。案内板設置指針から見えるものは、万人共用の地名は市町村名であり、集落名は万人向きでないから排除するという馬鹿げた地理観です。それは長距離移動用の国県道に適しても、短距離移動用の国県道には適さないことに気づくべきです。
[61511] 2007年 10月 5日(金)06:49:41千本桜 さん
大字の改称
[61492]スピカさん
新治村が横浜市に編入された当時、新治村役場が置かれたのは大字中山で、編入後は港北区役所新治出張所となって行政機能を残しました。
新治村という自治体が存在したこと後世に伝えるためなら、役場所在地の大字中山を大字新治に改称するのが常識的ですよね。でも、それをしないで大字榎下を大字新治にしたのは何故か。あれこれ推理していたら、本当は榎下を消したかったのではないかという疑念が生じてきました。ヒントはスピカさんの次の書込みにあります。
この編入と同日に鎌倉郡川上村も編入し、こちらも大字後山田を川上町に置き換えていますが、こちらも後山田に拠点性はなく、川上川の最上流部と云う意味合いだけで、無理矢理藩政村の地名を抹消している感も否めません。
地形図で大字後山田の場所を確認しました。確かに、川上村の中枢部ではなかったようです。消え行く村名を継承するにふさわしい大字とは思えません。それなのに、何故このような改称が行われたのだろう。つらつら思うに、榎下の「下」、後山田の「後」を嫌っての改称ではなかったか。上猿山の「猿」は「去る」に通じるから上山に改称したという土地柄ですから、有り得なくもない話です。どうも、当時の横浜には語感・字面に鋭敏すぎる人がいて、地域の史実を曲げてしまったような気がします。

大山街道の宿場は下鶴間宿(大和市)-国分宿(大和市)では…?
あれ!、大塚って宿場じゃなかったの?。よく調べないで先入観で書いたので間違えたようです。ところで、国分宿って、海老名の国分のことですか?。
[61498] 2007年 10月 3日(水)21:36:45【1】千本桜 さん
大山街道大塚宿
昭和45年国勢調査では、海老名町大字柏ヶ谷と綾瀬町大字寺尾にそれぞれ人口集中地区(市街地または都市地域と解釈)が設定されていました。行政体が異なるので別々の人口集中地区として扱われていますが、両者はぴったりくっついていて、見た目は一つの市街地になっています。当時、私はこの一塊の市街地に「大塚」という任意の地名を振っておりました。5万分の1地形図では、海老名町大字柏ヶ谷のこのあたりに大塚、綾瀬町大字寺尾のこのあたりにも大塚という集落名が記載され、さらには、ここに大塚本町駅があり、大和市のここには相模大塚駅があることからして、このエリアの通称は大塚だろうと判断したからです。いま、この判断の正否を再検討中ですが、2.5万分の1地形図(ウォッちず)で確認したところ、現地の経年変化が激しくて、大塚本町駅は無くなり、大塚という地名の記載も無くなっています。でも、やっぱり30数年前は大塚という地名が日常的に使われていたような気がするので、ここは大塚に決定したい。もし、この判断が正しいなら、大塚という地名は凄い地名だなと思います。江戸時代から今日まで一度も自治体名に用いられたこともなく、したがって大字名になったこともないのに、大字柏ヶ谷(海老名町)、大字寺尾(綾瀬町)、大字上草柳(大和市)の一部を大塚という地名に染めていたことになります。もしかすると、大字栗原(座間町)の大山街道に面したこのあたりも大塚という通称名で認識されていた可能性もありますね。すると、四つの大字に跨っていたことになります。宮城県では、こんなの見たことがありません。あえて類似例を挙げるなら、岩沼市大字押分大字早股に跨って形成された小さな町場の通称名・三軒茶屋があります。通称三軒茶屋の区域はぼんやりしていて私には線引きできませんが、大字押分、大字早股と同等クラスの汎用性があると見ています。大塚も境界線はぼんやりしていても、周辺大字と同等またはそれ以上の汎用性があったのではないかなどと、地形図を見ながら考えました。♪一服しながらぼんやり地図をみているのが あたしは好きなのさ カモメよ カモメよ 淋しかないか~~~。あらあら、なんでここで、ちあきなおみさんが♪「かもめの街」を唄いだすの。彼女は歌が上手い。彼女の歌を聴いていると、ものすごくデフォルメしてあるのに無理なく目に飛び込んでくる上質な地図を見る思いがします。
【注】文中の海老名町、綾瀬町、大和市、座間町は昭和45年当時の呼称です。また、大字柏ヶ谷、大字寺尾、大字上草柳、大字栗原、大字押分、大字早股に関しては、実際の表記方が大字柏ヶ谷であれ、柏ヶ谷であれ、柏ヶ谷町であれ、実態が大字であることに変わりがないのを理由に、すべて大字を付しています。その方が地域を理解しやすいと思うからです。
[61420] 2007年 9月 30日(日)20:47:34千本桜 さん
新治、中魚落郷
[61386]スピカさん
榎下 →新治町
横浜市の消えた大字200、拝読いたしました。大字って面白いでしょう。たぶん、スピカさんと私では大字に興味を持った動機が違うし、突き刺さっている角度も異なっているとは思いますが、大字を知ることによって地域の謎が解けて行くような快感を味わっているであろうスピカさんが目に浮かんできます。ところで、一つお尋ねしたいのですが、藩政村の十日市場、榎下、久保、台、中山、寺山、上猿山、下猿山、鴨居、本郷、上菅田、新井新田から成り立つ新治村は、横浜市に合併するに際し、消え行く新治の村名を榎下の地に託して榎下を新治と改めました。
このような村名継承方法は私の住んでいる地域にもありました。藩政村の新寺から成る金ヶ瀬村は、大河原町との合併に際し、消え行く金ヶ瀬村の名を平に託して平を金ヶ瀬に改めました。その代償として平の地名が消えました。このことを思うとき、平には平の地名が消えることへの抵抗感が。堤、新寺には金ヶ瀬の名を継承できないことへの抵抗感がなかったかと あれこれ思いがめぐります。結論をいえば、抵抗感は少なかったろうと思います。なぜなら、そもそも金ヶ瀬村の名は藩政・平村の区域に形成された金ヶ瀬宿という町場名に由来していたこと。さらに、金ヶ瀬村における平の人口、経済活動比重が高かったことが理由です。つまり、消え行く村名を継承するにふさわしい場所が継承したから、抵抗感は少ないだろうと判断するわけです。そのような観点に立つと、榎下が新治の名を継承したのは妥当だったのだろうか?と疑問を感じてしまうのです。
横浜の地誌には無知ですが、ここに昭和40年代の5万分の1地形図があります。それを見ながら、藩政・榎下村の地が新治村の名を継承するにふさわしい場所だったのかを判断しようとしているのですが、どうも、榎下が新治村の中枢機能を蓄積していた場所には見えないのです。新治の名を託す場所は中山でも寺山でも台村でも良かったのではないか。それなのに榎下がターゲットにされたのは なぜ?。

[61410]白桃さん
第5位の中魚落郷って今のどこかわかる方いますか?
知りませんでした。調べたところ、勝浦のライバルの大原だったんですね。中魚落村が単独で大原町になったようでが、単独改名町制すると、旧村名(この場合は藩政中魚落村)が忘れ去られてしまうケースが多いようです。宮城県では藩政村の小堤村が単独町制して亘理町に、今村が単独町制して吉岡町になっていますが、周辺の藩政村名(現在の大字名)を知ってはいても、小堤、今村の名を知る人は絶滅に近い状況になりました。小堤=亘理だから、亘理を用いれば小堤を用いなくなるわけで、忘れ去られるのは当然ですね。中魚落郷もその類なんでしょう。その点、三本松=大内ではないから、三本松は今も生き続けているのですね。ところで、明治19年末千葉県都市人口ランキング14傑に館山が入っていないのが意外でしたが、おもらししたんじゃないですよね。たぶん、あそこはあの当時、市街地が複数の自治体に跨っていたでしょうから、自治体ごとに集計すると各々の人口は少なかったと解釈してよござんすか。
[61342] 2007年 9月 27日(木)21:53:07【1】千本桜 さん
北仙台、東仙台、南仙台、ついでに大泉
[61288]YSKさん
仙台エリアでは「北仙台」は住所地名ではないものの北仙台駅周辺を指す呼称としてほぼ定着した感がありますね。ふと、「東仙台」や「南仙台」はどうなのだろうと思ってしまいました。

【北仙台】
私の頭に仙台市内の地名が擦り込まれたのは大々的な住居表示が実施される以前のことで、北仙台駅前あたりは荒巻字○○と書かれていた時代です。でも、あそこは街の雰囲気からして他の荒巻地区とは一線を画していますから、荒巻と呼ばずに北仙台と呼び合った方が通じやすかったのでしょう。北仙台という呼称が場所を指す地名として擦り込まれた要因に仙台市電の北仙台行があります。あれは確か、北仙台駅行ではなく北仙台行だったはず。駅を付さない北仙台に接しているうち、いつしか通称地名として私の中に定着したようです。北仙台の仙台浅草に行って来いとは言われましたが、荒巻の仙台浅草に行って来いと言われた記憶はありません。その一帯が住居表示で昭和町と呼ばれるようになった現在でも、昭和町の北警察署ではなく北仙台の北警察署なんですよね。感覚的には・・・。

【東仙台】
現在、東仙台駅前は住居表示で東仙台○丁目になりましたが、以前から○丁目が付かない東仙台という地名がありました。苦竹字安養寺上を割いて昭和7年に東仙台としたものです。でも、それは藩政村を継承した燕沢や小鶴と異なり、インパクトの弱い地名でした。同年に東北本線東仙台駅が設置されましたが、どうやら地名の方が先にあったようです。東仙台と言う呼称は東仙台駅付近を指すのか、それとも東仙台○丁目を指すのかについてですが、あいにく私にとって東仙台付近は馴染みが薄く、何と答えたら良いのやら・・・。でも、岩切や小松島に住む知人たちは東仙台という呼称を多用しますね。彼らが「東仙台あたりでは・・・」などと話すとき、念頭にあるのは駅名「東仙台」なのか街区名「東仙台」なのか図りかねながらも適当に話をあわせてしまうのですが、それでいて支障なく意思が通じてしまうから不思議。

【南仙台】
南仙台という駅名はあっても、南仙台という地名は存在しないと言うのが私の持論なんですが、どうやら新しい波には逆らえず、呑み込まれてしまいそうなんです。若い人たちは南仙台駅が陸前中田駅と呼ばれていたことを知らないし、柳生、中田、袋原、四郎丸の総称が中田であることを知らない人も増えてきました。新しく市街化された西中田・柳生地区の新住民たちは、地域の総称を南仙台だと思っている節があります。私、密かに聞取り調査をするのが趣味なんです。柳生から来た人に「南仙台に住んでるんだって?」と問いかけると、ホイホイ話に乗ってきます。柳生は南仙台と言う地名で括られる地域の一員だと思っている証拠です。

【ついでに群馬県大泉町】
昭和45年の国勢調査による大泉町の人口集中地区(市街地)についてですが、当時、私はこの市街地を任意で小泉と呼んでいました。ところがよく見ると、この市街地は核心部が旧小泉町にあるものの、結構大きな比重で旧大川村の区域にも広がっているのですね。こうなると、小泉という名称は不都合ではないか。小泉大川にしようか、それとも大泉にしようか迷った末に、今では大泉という任意名称にしています。でも、小泉町と大川村が合併して合成地名の大泉町が発足したのは昭和32年です。それから13年後の昭和45年に、果たして大泉なる行政体名が地名に転化していただろうかという疑問が残ります。こういうことは捉えどころがなくて難しいですよね。ですから聞き流して下さってよいのですが、何故そんなことが気になるのかと言うと、このようなもの(群馬県の都市地域)をまとめるためでした。
[61287] 2007年 9月 24日(月)00:38:57千本桜 さん
熊谷市の籠原
[61272]白桃さん
「新浦安」は、単に漠然と新浦安駅周辺を指すにとどまらず、「街」の総称として確固たる「地名」になっているような気がします。

たぶん、美浜、入船は勿論のこと、富岡、今川、明海、日の出あたりは全部「新浦安」という通称で括られるのではないでしょうか。もしかすると、市役所あたりも「新浦安」で括ってしまう人もいるかもしれませんね。明確な境界線で区分された美浜や入船という住所地名があるのに、境界線を持たない曖昧な「新浦安」が何故汎用されるのかについて考えるは あしたのこころだー にするとして、埼玉県熊谷市の新堀・拾六間に飛びます。

この新堀・拾六間地区には昭和45年当時、すでに人口集中地区(広い意味で市街地)が形成されていました。この市街地を指して何と呼べば良いのだろう。新堀とか拾六間では、しっくりしないのです。一度も行ったことのない場所なのに しっくりしないと言い切るのも変な話ですが、何となく そういう臭いを感じるのであります。たぶん、この辺りの人は このエリアを[籠原]と呼んでいるように思うのです。「籠原」は、単に高崎線の籠原駅を指すにとどまらず、「街」の総称として確固たる「地名」になっているのではないでしょうか。
[61194] 2007年 9月 17日(月)01:05:18【2】千本桜 さん
東かがわ市の大字
[61175]88さん
試行品は、藩政村(≒大字)と現在の町・大字名との対比をも目的としています(究極の目標は、この表を全国に展開することですが)。

試行品を拝見させていただきました。これを全国展開するとなると かなりの労力を費やさなければなりません。老婆心ながら、88さん大丈夫なの?と考えてしまいます。でも、これが完成すれば勿論のこと、たとえ未完に終わろうとも、費やした熱意はきっと88さんの宝になるはずです。

ところで、試行品によると東かがわ市の大字は34ですが、実際は35の大字があるようです。何が増えた(抜けてた)かと言うと、大字大内です。私もいま気が付いたばかりです。よその地域の、いま気が付いたばかりの事柄を思いつきで書くのは危険ですが、それを承知で書き込みたくなってしまいました。単に大字の名称を拾い集めるだけなら、「あ、大内という大字があるのね」で済まされるでしょう。しかし、大字名というものが一定の区域に対して与えられた名称であることを思えば、ここに位置する、この区域に大内という大字名を与えるのはいかがなものかと考えてしまいます。こちらのHPには
この会社は香川県大川郡大内町松崎の工業団地にあり、他の地区とは独立していることから、せめて、工業団地だけでも大内の町名を残そうと社長さんが署名運動を行い、工業団地の町名は大内として残ることになったということです。大内町長と話し合いの結果、団地の所在地は「大川郡大内町松崎」から「東かがわ市大内」となるそうです。工業団地の敷地内だけが大内となり、それ以外の旧松崎地区はそのまま松崎として残ります。限定された範囲とはいえ、心配していた「大内」が残ったことを知り、よろこびにたえません。関係者方々のご努力に敬意を表します。
と、書いてあります。でも、私はこの地名継承方法を喜べません。そもそも、引田町も白鳥町も旧町名は捨てると言っているのですから、大内町も捨てるべきなのです。そうしないとバランスがとれません。とは言うものの、引田町、白鳥町には藩政時代からの引田、白鳥という集落があって、その名が大字名として新市に引継がれます。ところが、大内町には大内という集落がありませんから、大内という地名は完全消滅してしまいます。この事態を大内町民に立って捉えると、引田町、白鳥町の名は残るのだから、大内町の名も残して欲しい、と言うことになるのでしょう。そこで、地名変更決定権を持つ方々にお願いしたいのは、住民に対して地域の履歴(生い立ち)を徹底して説得して欲しいと言うことです。東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。あれは、藩政村の引田、白鳥の意味なんだよ。大内町には藩政村の大内はないでしょう。だから、東かがわ市に引継ぐ大内という地名はないんだよと、なぜ説き伏せない。東かがわ市35大字のうち34は藩政村を継承したものです。そこに一つだけ現行町名(今となっては旧町名ですが)の大内が紛れ込んでいることに私は強い違和感を覚えます。もし、百歩も千歩も譲って どうしても大内の地名を残すとしても、あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものかと、大内を知らない よそ者の私は思ってしまうのです。この大内の問題は、底辺に地名侵蝕で取り上げたことと同じものが流れているように感じます。それは、一般住民は藩政村名と現行町名の係わりを知らないでいること。そして、もしかすると地名決定権を持つ人たちも知らないでいるか、知っていても そのことに重要性を感じないでいることです。

書き込み訂正機能を使って訂正します。
東かがわ市に引継がれる引田、白鳥は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。を、東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。に訂正しました。
[61160] 2007年 9月 15日(土)08:29:15【2】千本桜 さん
消されかかった大字
[61157]スピカさん
千本桜さんの言っていた「消えた大字」沢山ありますね。
だいぶ前の書込みに反応して戴いて感謝しております。実は、この問題が今も頭の中で大きな比重を占めています。私は、大字名と その大字名で括られた領域の存亡に危機感をいだいているのです。「消えた大字」は私の身近なところにも幾つかあります。その消え方(消され方)を分類すると次のようになります。

【1・市町村名と大字名が同名のために昭和の合併時に当該大字だけが消されたケース】
例としては白石市の大字白石本郷、大河原町の大字大河原、丸森町の大字丸森がありますが、同様例は全国各地に見られることでしょう。これは、本来なら大河原町大字大河原字下川原○○番地と書くべきところを、面倒だから大字を外して大河原町字下川原○○番地と書いていいよと言うことです。一見、合理的です。しかし、他の大字地区は大字を外さずに、大河原町大字大谷字下川原○○番地と書きなさいと言うのですから理不尽です。

【2・市町村が大字制を廃止したため、自治体内の大字が同時に全部消滅したケース】
例として七ヶ宿町があります。七ヶ宿町(当時の七ヶ宿村)は明治22年に五つの大字を設置して発足しました。大字渡瀬大字関大字滑津大字峠田大字湯原です。以後、合併を経験しないで今日に至っています。ところが、私の知らないでいるうちに、いつの間にか全ての大字が廃止されていました。町役場に理由を聞こうかとも思いましたが、まだ問い合わせていません。推測ですが、大字制廃止は七ヶ宿ダム建設と絡んでいたのではないかと思います。大字渡瀬地区の集落がダム湖に沈んで住人がいなくなるからです。それを契機に大字廃止に走ったのではないかと考えます。ただし、湖底に沈んだ渡瀬を除く旧大字の関、滑津、峠田、湯原という地名は、それぞれの大字の中心的町並みに当たる小区域を指す小字として現在に引継がれています。

【3・大字の全域が住居表示区域に移行したため、大字が消滅したケース】
このような例は宮城県南部の自治体にはありませんが、都市化が進んだ大都市圏には多々あるのではないでしょうか。

消えた大字に関しては、消された理由が大事だと思うのです。それで上記の書き込みをした訳ですが、上記の例に当てはまらない別の理由(私からすれば全く理不尽な理由)で消されかかった大字があります。消されかかったと言うのは、町の合併が破綻したために字名変更が実施されないで終わったからです。しかし、いつか合併が現実になったとき、この理不尽な「大字名とその大字名が指し示す領域の変更」が、地域の履歴を無視して実施されはしないかと恐れているのです。このことに関しては何度も落書き帳に書かせていただきましたので更なる書き込みはしませんが、この地名侵蝕を読んでいただけたら幸いです。この前、京都の甥(大学生)に地名侵蝕を読ませたのです。どうだった?と聞いたら、難しすぎて理解できなかったと言われました(笑)。ガクッときましたが、たぶんよその地域を理解するのは難しいのかもしれません。

大字を大字名に一箇所訂正しました。
中川原を下川原に訂正しました。
[61107] 2007年 9月 9日(日)18:10:57【2】千本桜 さん
八幡、宮代
[61071]の「八幡と八幡宿」に関する件ですが、本題は
八幡宿駅前、五所、八幡海岸通をひっくるめて呼ぶ場合、「八幡」と「八幡宿」ではどちらが通りが良いかということなんです。
という部分にあります。このような質問を投げかけさせていただいた底辺には昭和45年の人口集中地区があります。人口集中地区(広い意味での市街地あるいは都市地域)は一つの市区町村内に複数設定されることもあります。総務省はこれを人口の多い順にI、II、III、IVの符号で表わしますが、符合では場所を特定できにくいので適宜な地名に置き換えたいと私は思うのです。そんな考えで各々の人口集中地区に任意の地名を振って遊んだのは昭和49年のことでした。あれから30余年を経た今、あのとき選んだ任意の地名が適切であったかどうかを検証中なのです。当時、市原市には五つの人口集中地区があり、I は概ね八幡市街地に相当する区域、II は辰巳台住宅団地、III は五井市街地、IV は姉崎市街地でした。それで私は、市原市I の人口集中地区名を「八幡」にしょうか「八幡宿」にしょうか迷った末に、「八幡」に決定した経緯があります。しかし、イトーヨーカドー八幡宿店(現在は閉店)のように「八幡宿」を冠した店舗名があるのを見るにつけ、通称地名としては「八幡宿」も捨てたものではないぞと思い悩むのであります。そのような悩みが30数年間も頭に居座っているなんて、そろそろ終わりにしたい。エ~~ィ、やっぱり「八幡」に決定!。

昭和45年国勢調査と同47年事業所統計調査を利用した八幡vs五井vs姉崎ミニ考察。
人口集中地区名人口集中地区人口換算人口自立率
八幡23,012人18,392人80%
五井8,179人15,592人191%
姉崎6,510人9,760人150%
人口集中地区名「八幡」とは、連続市街地となった市原市I と千葉市V の人口集中地区を併せた区域で、八幡を中心にして東は千葉市の浜野・村田から西は五井地区の五井海岸にかけて途切れなく続く町並みを指す任意地名です。一方、「五井」は五井駅周辺に古くからあった五井市街を指し、「姉崎」も姉ヶ崎駅周辺に展開する町並みを指します。人口集中地区人口は八幡が飛びぬけて多く、五井と姉崎はこじんまりした規模の市街地でした。でも、これをもって都市の大きさや賑わいを判断するのは早計で、重要になるのは各々の区域内の産業構造でしょう。昭和47年事業所統計調査人口集中地区編から金融・保険・卸売・小売業を抽出し、各々の区域内で従事する従業者数を算出して人口に換算すると、八幡18,392人、五井15,592人、姉崎9,760人になります。私はこの数字が都市の規模を表わしていると感じます。しかし、都市の規模と都市景観は合致するとは限りません。住民が感じている中心性や賑わいを知るために、もう一つの計算を加えます。換算人口(機能人口)を人口集中地区人口(常住人口)で除して自立率を算出すると、五井191%、姉崎150%、八幡80%という結果になりました。191%の高い数値となった五井は中心性の高い都市、80%の低数値となった八幡は中心性の弱い都市と見ることができます。23,012人が住んでいるのに、その80%にあたる18,392人分の都市役割しか果たせず、およそ5,000人分が他都市へ流出している八幡。8,179人しか住んでいないのに、その191%にあたる15,592人分の都市役割を果たして、およそ7,000人分が周辺集落から流入してくる五井。両者の中心街を比べれば、ほぼ間違いなく八幡より五井が都市的で賑やかなはずです。五井も八幡も見ていないのに、占い師みたいなことを書いて申し訳ありませんね。でも大体にして都市地理好きというのは、占い師、ほらふき、行商人、物乞い、旅芸人と大した差は無いと思うのですよ。同じ人間ですから。

[61078]でるでるさん
「百間と宮代」に関する情報、ありがとうございました。この質問も上記「八幡と八幡宿」と全く同じ観点から投げかけさせていただいたものです。昭和45年国勢調査では杉戸町にも宮代町にも人口集中地区が設定されていました。でも、この二つの人口集中地区(市街地)はピッタリくっついていて、行政界が無ければどう見ても一つの人口集中地区(市街地)に見えてしまうわけです。当時、私は杉戸町と宮代町の人口集中地区を一つにくくり、「杉戸」という任意の地名を付していました。現在、その地名の付し方が妥当か否かを検証中なのですが、そんな中で「杉戸・宮代」または「杉戸・百間」と表わした方が良いのではないかという考えが頭をもたげてきたのです。それで結論ですが、自分としては杉戸、宮代両町に跨る市街地をまとめて一個の都市地域とみなし、それを「杉戸・宮代」と呼ぶことにしたいと思います。今も根強く残る柴田町船岡とちがって、どうも百間という地名と、その百間が指し示す領域の概念は早い時期に風化してしまったように思えてならないからです。

人口集中地区人口(常住人口)を換算人口(機能人口)で除してを、換算人口(機能人口)を人口集中地区人口(常住人口)で除してに訂正しました。
[61071] 2007年 9月 6日(木)21:44:16【1】千本桜 さん
「八幡と八幡宿」および「百間と宮代」の関係
ちょっとお尋ねします。千葉県には市川市八幡と市原市八幡があります。土地勘がないので想像するだけですが、たぶん地元の人は市川の八幡を「本八幡」、市原の八幡を「八幡宿」と呼び分けているのだろうと思います。もしそうだとすると、本八幡や八幡宿は単に駅名にとどまらず、通称地名としても汎用されていることが考えられます。そこでお尋ねしますが、八幡宿という通称地名で呼び表わすことのできる地域範囲はどこからどこまでなのでしょう。たぶん八幡宿駅前付近は八幡宿で通じるでしょうが、五所八幡海岸通も通称八幡宿の範疇にあるのでしょうか。質問が回りくどくなってしまいましたが、早い話が八幡宿駅前、五所、八幡海岸通をひっくるめて呼ぶ場合、「八幡」と「八幡宿」ではどちらが通りが良いかということなんです。

埼玉県宮代町についてお尋ねします。宮城県柴田町は船岡町と槻木町が合併してできた町ですが、合併50年を経た現在も旧町名が頑張っていて、船岡、槻木が非常に通りが良いわけです。町の中枢機能が集まる地区を指すときも、柴田と呼ぶより船岡と呼んだ方が通じます。そこで、宮代町についてお尋ねします。宮代町も百間村と須賀村の合併から50年以上経過しました。でも、今も旧村名が頑張っているとは思えないのです。宮代町は一度も訪問したことがありませんから想像するだけですが、特に中心市街地に当たる「百間」は「宮代」という呼び名に取って代わられたのではないかと感じています。ただ何となくそんな臭いを感じるのであって、当たっているか外れているかは分りません。そこでお尋ねします。旧百間村に形成されたこの市街地は、昭和40~50年代当時において近隣市町の人から「百間」と呼ばれていたか、それとも「宮代」と呼ばれていたか。どちらの呼び名の方が通りが良かったか知りたいのです。変な質問で申し訳ありません。どなたも答えてくださらないような嫌な予感がするのですが、たぶんその時は幸手出身の なきらさんや久喜在住の でるでるさんが登場して教えてくださるような期待もいだいております。
[60951] 2007年 9月 1日(土)09:02:19千本桜 さん
都市の重心移動とDID(人口集中地区)の空虚
路線価だけで都市の重心点を特定するのは少々味気ないので、これに景観上の都市らしさを加味してみます。つまり景観と路線価を掻き混ぜて自分なりに各都市の重心点を探し出すのです。そのような目で宮城県内の都市を見た場合、この30年ほどの間に石巻の重心は中央二丁目周辺から石巻駅周辺へ直線500メートル程度移動。古川(現・大崎市)も七日町周辺から古川駅方面へ600メートルほど移動しています。この二都市は路線価、景観ともに完全に重心移動してしまったようです。気仙沼は最高路線価が八日町・南町周辺から本郷・南郷周辺へ1,500メートルほど移動しましたが、景観的にはまだ八日町・南町が重心点の面目を保っているように感じられます。以上三都市の重心移動はDID(人口集中地区=都市地域)の中で繰り広げられている現象です。

しかし、佐沼(現・登米市)の場合は少し状況が異なります。佐沼の重心も一市八日町通りから中江に700メートル移動しました。平成19年分の最高路線価も中江にあり、景観的にも中江を中心街だと感じる人は多いはずです。ところが、中江は平成17年国勢調査結果でも人口集中地区(都市地域)から外れているんですよね。都市の重心点が都市地域に含まれないという空虚な現象が起きています。もう、人口集中地区をもって都市地域とするのは実情にそぐわない社会になったのでしょう。このような社会変化を思えば、実情に合った都市地域を明らかにするために統計上の新たな地域単位を画定すべきだと思うのですが、国にはその考えがあるのでしょうか。こういうことを質問してもホイ来た!と教えてくださる方は少ないと思うのですが、黛ジュンだって♪夕月の中で、「♪おしえてほしいの 都市の重心が都市から離れたわけを みるものの統計が むなしく見えるの~」って唄ってたじゃないですか?。お!、黛ジュンって都市地理学が好きだったんだね!!(汗)。
[60874] 2007年 8月 28日(火)21:48:44千本桜 さん
京都、仙台
[60769]Issieさん
そして何より,やっと最近100年間に京都市街が大きく“西”に拡大して京都盆地(葛野盆地)を埋め尽くしてしまったために,江戸時代以来の京都の中心が「東に片寄って」見えるのかもしれません。
いつも懇切丁寧に詳細な説明をしていただき、ありがたく思っております。Issieさんの説明による京都市街地変遷の歴史背景を踏まえた上で、ではなぜ京都のヘソが西に移動せずに四条河原町周辺に止まっているのかを考えてみました。これから書くことは京都在住の方が読めばあまりに陳腐または大間違いの類かもしれませんが、さほど京都と係わりのない私にとって新たな京都を発見した思いでいるのです。間違っているかもしれませんが書きます。地図は一般的にJR線を目立たせ、私鉄は目立たない描き方をします。地下鉄はなおさら目立たない表示をしますから、よそ者にはその存在さえ気付かない場合があります。この前の京都タウンウォッチングでも鴨川の東に京阪四条駅があるのは分りましたが、地下鉄のため地上に駅舎がなくて存在感が薄かった。京阪四条駅を利用するのはどの地域に住む人で、どれほどの利用客がいるのか考えてもみなかった。でも今つらつら思うに、この京阪電鉄三条駅、四条駅、五条駅の存在こそが四条河原町周辺を京都の中心たらしめ、その地位に繋ぎとめている最大の要因ではないかと思えてきたのです。たぶん枚方や八幡の人にとって京都の玄関は京都駅ではなく三条、四条、五条駅なのでしょう。また大津市民にも同じことが言えそうです。大津市民が京都に行く時に利用するのはJRと京阪電鉄のどちらを利用する率が高いのでしょうか?。なんだか今までの京都に対するイメージが崩れていくようでワクワクする。もし京阪電鉄で京都に流入してくる人よりも、山陰線や京福電鉄で京都に流入する人の数が多いなら、京都のヘソはもう少し西へ移動していただろうと思うのです。ちょっと見ると京都市街の東寄りに見える四条河原町一帯も、実はかなりの数に上るであろう京阪電鉄利用者にとっては東寄りじゃなくて正面なんだ。そんなふうに思えてきました。

[60859]YSKさん
東番丁、北番丁
東○番丁、北○番丁に混じって裏五番丁という変り種もありました。住居表示前は丸光デパート(現・さくら野デパート)の住所が仙台市裏五番丁。丸光デパートは青葉通りに面しているイメージが強いのですが、発祥時点は電車通に面したこの場所だけが店舗でした。つまり、中心点を落としたその場所が裏五番丁です。裏四番丁や裏六番丁は聞いたことがありません。裏五番丁だけです。不思議なのは国分町です。仙台では武士が居住するのは「丁=ちょう」で、片平丁(かたひらちょう)や名懸丁(なかけちょう)と呼ばれていました。町民が住むのは「町=まち」で、南染師町(みなみそめしまち)や二日町(ふつかまち)と呼ばれていました。自信がないけど、その筈でしたよね。ああそれなのになんでみんな国分町だけ「こくぶんちょう」と呼ぶの?。

[60866]きまぐれさん
ほぼ誤差なく私の年齢を推定できます。
たぶん、きまぐれさんは原節子さんに年上の女を感じ、新珠三千代さんや久我美子さんを妹のようにいじらしく感じた世代。つまり高峰秀子さんや京マチ子さんと同年齢かとお察し申し上げます。これを呼んで甘酸っぱい青春がよみがえったなら当たりですね。でも、違っていたならごめんなさい。
[60759] 2007年 8月 24日(金)21:54:23【1】千本桜 さん
クイズ京都編の答えと京都の感想
[60720]リトルさん
[60722]きまぐれさん
[60726]小松原ラガーさん

【A:泉涌寺】 天皇家の菩提寺だけあって凛として厳な雰囲気があります。知名度が低く観光客も少ないのが気になりますが、そのような世俗的なことには迎合しない方針なのでしょうか。

【B:智積院】 この寺の東大路に面した白壁の長い塀を見るたび、京都にいるんだなと実感します。どうやらこの近くには若かりし日の小松原ラガーさん、なると金時さんが胸はずませた何かがあるようで・・・。

【C:京都国立博物館】 道路から建物の外観を見ただけ。この近くの耳塚は何度か車で通ったことがあります。怖い話です。

【D:三十三間堂】 朱色の塀の隙間からお堂を覗き見しただけ。夏の日差しの中で朱色が鮮やかでした。

【E:清水寺】 鳥辺野墓地を通りましたが、みな灰褐色の墓石なんですね。私の地方は黒色です。

【F:高台寺】 境内には入らず、茶店でかき氷を食べただけ。

【G:知恩院】 やはり、この寺の三門の大きさには圧倒されます。

【H:花見小路】 場外馬券場のためだと思いますが、あちこちに警備員が立っていました。花見小路の町並みにあの服装は似合いません。できればハッピでも着ていて欲しいのですが、警備員の服装は警察の指導の下にあるから無理なんでしょうね。

【I:建仁時】 境内には入らず、脇をかすめただけで裏通りの散策を楽しみました。

【J:鴨川】 たしか、南こうせつが唄うのは♪「加茂の流れに」だったような・・・。鴨、加茂、賀茂。京都らしく感じるのはどれでしょう。個人的には さらりとした加茂が好きですが。

【K:四条河原町】 京都盆地に広がる市街地だけを見渡すと、四条堀川四条烏丸が中心であって当然のように思えるのですが、現実の機能的中心は1,000メートルも東に寄った四条河原町。京都のヘソって東に寄り過ぎではありませんか。東に広がる山科や滋賀県の人口が、西に広がる丹波・丹後の人口より多いから重心が東に傾いたのでしょうか。それとも、そういう大局的なことではなく、単に高島屋が立地したとか、歓楽街の祇園が近いとか、京阪四条駅が近くにあるとかが原因なのでしょうか。

【L:新京極】 一本西側の寺町通と新京極を比較しながら歩いたのですが、短時間の観察ではその違いが分らず、同じような商店街に見えてしまいました。この二つの商店街に店舗構成や通行人の質的な差異はあるのでしょうか。

【M:錦市場】 小錦が二人手を繋いで歩いたら、他の人は歩くスペースが無くなるような道幅ですね。

【N:高瀬川】 流れる水は澄んでいましたが、川底に空き缶が捨てられているのは残念。木屋町通が風俗的な歓楽街だからこんなふうになるのでしょうか。

【O:先斗町】 この道は始めて通りましたが、京都にはいろいろなバリエーションの盛り場・町並みがあるのだなと痛感しました。

【おまけ・京都の不思議】 この場所が本町。なぜこの場所が京都の本町なのか分らない。頭に大字らしきものが付いて祇園本町とか深草本町と言うなら理解もできますが、ずばり本町って、まるで京都市街の ど真ん中にあるような地名ですね。
[60710] 2007年 8月 22日(水)08:32:04千本桜 さん
クイズここはどこでしょう・京都編
伏せてあるA~Oに当てはまるものをお答えください

久しぶりに京都を歩く。スタートは東山の「A・○○寺」。この寺はかなり格式の高い寺院です。なにしろ皇室の菩提寺だそうで、単に御寺(みてら)と言えばこの寺を指すのだそうです。総門から山門まで400メートルはあろうか。御寺の風格が漂う長い参道が続きます。この寺には雲龍院など九つの塔頭(たっちゅう=山内寺院)が点在する。その中から、北の谷筋に位置する善能寺、来迎院、今熊野観音寺を訪ねます。薄暗い木立の中を石段づたいに下りるとそこは善能寺。住職は住んでおらず、門扉は閉じられているが体を横にするとすり抜けられる隙間が空いている。これは「好奇心を抑えられない人はそっとお入りください」のサインかもしれない。そう思って境内に滑り込む。あぁ、なんと妖しく静かな空間。そこには廃れた美を放つ荒れかけた庭園があった。こんな立派な庭園が無造作に転がっているところに京都の奥深さを感じる。沢の向かいは大石内蔵助ゆかりの来迎院。生い茂る木々に覆われたこの寺は、訪ねる人も少ない隠れ家の雰囲気がある。それにしてもこの谷底一帯は不気味なほど静かで、夜に一人で来る気にはなれない。緑の樹林の奥に赤い橋が見え隠れする。あの赤い橋はどこへ続くのだろう。その妖しさに引き込まれ、来迎院脇の細い道を進む。ムムッ、蜘蛛の巣が顔に絡む。気分は夏の夜のサスペンスドラマ「京都妖怪夜話・今熊野に棲む800歳の美女」の世界。主演は樋口可南子か宮沢りえにお願いしたい。赤い橋は今熊野観音寺へ続く橋だった。今熊野観音寺は市街地からそう遠くないのに、眺める景色は深山に入り込んだように緑です。秋にはきっと艶やかな紅葉に染まるのでしょう。

今熊野観音寺から東大路に出てバスに乗り、東山七条で下車。この辺りには観光スポットが集まっています。国宝の障壁画と名勝の庭園で有名な真言宗智山派総本山「B・○○院」は東大路に面しているのでとにかく目立つ。その長い長い白壁の塀を見ていたら頭の中で渚ゆう子が♪「京都の恋」を唄いだす。「白い京都に雨が降る~」。白い京都って何のことでしょう。ひょっとしてこの寺の白壁塀のことか?。七条通に折れると「C・○○国立博物館」。その向かいは修学旅行で訪れた人も多いはずの蓮華王院本堂「D・○○○間堂」。他にも妙法院、養源院など見所いっぱい。中まで拝観すると日が暮れるので塀や門から覗き見するだけにしました。一日乗り放題のバス券を使って東山七条から五条坂へ。駐車場が分らずウロウロ運転しているのは岡山ナンバー。それをせきたててクラクションを鳴らすのが京都ナンバー。信号無視で横断歩道に突っ込んでくるのは大分ナンバー。私にとって非日常のナンバーが次々やってくる。それを見るだけで気分はすでにハイテンション。五条坂は人も車もいっぱいで大混雑でした。

五条坂バス停から鳥辺野墓地を通って「E・○○寺」へ上る。たぶんこの寺は京都最大の観光スポットだろう。なにしろ京都で20年間連続トップの訪問者数を維持しているらしく、この日も大勢の人が舞台から京の町を眺めていました。子安塔、音羽の滝を巡った帰りは、土産物屋が並ぶ三年坂、二年坂へと下りる。素人の女性らしき二人が舞妓姿で三年坂を歩いている。危ないな、慣れない"ぽっくり"なんか履いて。ここで転んだら三年以内に死ぬんだぞ。二年坂を過ぎ霊山観音の前を通って「F・○○寺」へ。ここは北政所ねねが秀吉の菩提を弔うために建立した寺で、通称ねね寺と呼ばれているそうです。暑い。陽は高く昇ってジリジリ照りつける。茶店で抹茶かき氷を戴く。この辺りはたくさんの観光客が歩いているのに、拝観料を払って境内に入る人は意外と少ない。そうか、みんな町歩きを楽しんでいるのだな。ねねの道を歩いていると石塀小路の看板が目についた。石塀小路って何だろう。誘われてふらふら入り込む。そこは表向き上品な民家に見えて、実は料亭や旅館、スナックを営む家屋が並ぶ路だった。一見さんでもいいのかな?。でも敷居が高そう。円山公園に着いたら木陰で休もう。その方が気楽でいいや。円山公園で一休みして浄土宗総本山「G・○○院」へ向かう。まず飛び込んできたのは国宝の三門。この寺では山門を三門と書きます。日本一の大きな山門だそうで堂々としている。除夜の鐘で有名な大鐘も日本最大。とにかく大きなお寺です。銀閣寺まで行きたいけれど時間的に無理みたい。円山公園に戻って八坂神社から東大路に出た。

八坂神社前の東大路と四条通が交わる所が祇園交差点。どこからどこまでが祇園なのか分りませんが、とにかく祇園の町を歩くことにします。祇園を東西に走るメインストリートは四条通。ふと浅草を思い出す町並みです。カンカン照りの真昼は暑くてたまりません。スターバックスで涼みましたがこの手の店は苦手です。第一、長ったらしいカタカナメニューなど理解できません。「ナントカカントカフラペチーノ」ってどんなものか判らないけど、そのフラペチーノとやらを一つ注文。今度はどのサイズにするか聞いてきた。そんな難しいこと俺に聞くな。すると事情を察した店員さんが、大きさの異なるコップをポン、ポン、ポンと手際よく目の前に四つ並べて見せた。ウム、これなら判る。それにしても見事な手さばき。まるで賭場で壺ふる姐さんみたい。祇園を南北に走る「H・○○小路」は伝統的建造物群保存地区で趣きのあるお茶屋が並ぶ。南の突き当たりには日本最古の禅寺「I・○○寺」が構えて風情が漂うのに、なぜか途中に場外馬券場があるのは場違いな感じがする。裏道や横丁をぐるぐる歩いて、六波羅蜜寺やしっとりした花街の宮川町まできてしまった。「J・○川」の河原を歩いて四条通へ戻ろう。団栗橋の下で涼みながら、川の中で釣りをしている人や四条大橋を行き交う人を眺めていると盛岡を思い出す。清らかな川と橋のある町。京都と盛岡は似ています。

四条大橋を渡って祇園をあとにする。目指すは高島屋と阪急が店を構える京都の中心「K・○条○原町」。さすがに大都会の中心部だけあってとても賑やか。四条通を200メートルほど西に進むとオーバーアーケード商店街の「L・新○○」だ。みやげ物店が並ぶこの商店街は懐かしい!。40数年前の記憶がググッとよみがえってくる。三条通付近の旅館街に宿泊し、この商店街でみやげを買うのは今でも修学旅行生の定番なのだろうか。一本西側の寺町通も似たような感じの商店街で賑やか。ついでに京都の台所「M・○市場」まで足を伸ばす。次は夜の盛り場へ行くぞ。まだ陽は高くて明るいが河原町通を横切って木屋町通へ。木屋町通は森鴎外の小説で知られる「N・○瀬川」に沿う盛り場ですが現代風な町並み。この通りの東に並行するのが花街「O・先○町」。こちらは木屋町通とは打って変わって和田弘とマヒナスターズ♪「お座敷小唄」の世界。ところでこの歌は「京都○○町に降る雪も雪に変わりはないじゃなし」と唄うけど、「変わりはないじゃなし」って変わりが有るのか無いのか意味不明。あ~~、どうでもいいけど暑い。京都の夏は暑すぎます。そろそろ○川の川風に吹かれて帰ろうか。
[60709] 2007年 8月 22日(水)08:29:39千本桜 さん
路線価説明の御礼
[60547]88 さん
路線価決定の仕組みについて詳しく説明していただきましてありがとうございました。それなのに今年の夏もあれやこれやありまして御礼の返事が遅れてしまいましたことをお詫び申し上げます。

子供の頃は年に一度、地元新聞に税務署管内(ただし東北地方のみ)の最高路線価が掲載され、それを見るのが好きでした。それ以上の情報は入ってきませんから、そんなものだろうと思っていました。ところが後年になって図書館で路線価図(ただし宮城県のみ)を閲覧するようになり、細部の道路まで緻密に評価されているのを見て感嘆するのであります。さらに近年、インターネットで全国の路線価図を閲覧できるようになり、感嘆と同時に地域間のズレらしき現象に気が付き疑問をいだき始めたわけです。以上が路線価に対する私の進化!?の過程です。
ズレらしき現象の発生については88さんが説明してくださいましたように
大河原の駅前通と鴨島の裏通りが同じ評価額であるのは、そもそも同一市場であるとは考えられない(代替性が認められない)ので、たまたま同じ数字になっただけでしょう。
が、原因だとは思います。同一市場なら何らかの調整が加えられたであろうと思います。いずれにしましても現状では、路線価をもって広域間の都市規模・活況度合を比較するのは避けるべきですね。もともとの目的が違うのでしょうから。
[60529] 2007年 8月 9日(木)08:30:24千本桜 さん
路線価の謎
この書込みに関しては合併前の旧市町名を用います。その方が分りやすいからです。平成19年分の路線価が8月1日に公表されました。岩手県北上市で最も高額なのは駅前の大通りで1平米あたり105,000円。中心商店街の本通りは77,000円。郊外の裏通りが25,000円。こうして一つの都市の路線価を追いかけていくと、そのリアルさに なるほどなるほどと納得させられてしまうのである。近隣都市間の比較もリアルである。北上市の最高評価額が105,000円なら水沢市は95,000円。一関市は90,000円。花巻市は88,000円。熾烈な都市間競争を展開する4都市の現況がリアルに伝わってきて、ごもっともごもっともと言いたくなる。これは他の圏域内都市間についても言える。両毛地域では太田市、足利市、桐生市、佐野市の順で高く、その評価は やはりごもっともである。ところが、岩手と両毛を比較すると評価の妥当性が揺らぎ、さらに四国の町が加わると評価が信じられなくなるから不思議だ。岩手県の4市、両毛地域の4市、四国の4町をごちゃ混ぜにしてランキングしてみます。

順位都市最高路線価
四国 伊野町110,000円
岩手 北上市105,000円
四国 鴨島町100,000円
四国 土佐山田町96,000円
岩手 水沢市95,000円
四国 池田町93,000円
岩手 一関市90,000円
岩手 花巻市88,000円
両毛 太田市79,000円
10両毛 足利市78,000円
11両毛 桐生市72,000円
12両毛 佐野市67,000円

地価評価の専門的なところは分りませんが、このランキングは地理的に見て妥当な評価とは思えないのです。四国は山がちで平地が少ないから地価が高いとか、両毛は車社会で郊外化が進んでいるからと言うご意見もありますが、それだけでは済まないものを内蔵しているのではないだろうか。だって、スーパータウン大河原町の一等地・駅前通りとマピオンにも描かれていない鴨島町の三等地・裏通りの袋小路が同額の49,000円だなんて、あんまりですわ~~(涙)。どなたか、大河原の駅前通と鴨島の裏通りが同じ評価額であることの妥当性を、バカな私に分かりやすく説明してくださる方はいらっしゃいませんか。私には、どこかの段階で地価評価の指針と運用にズレをきたしているようにしか思えないのです。

それにしてもグリグリさんの落書き帳はいろいろな機能が付いていて書きやすい。
[59749] 2007年 7月 12日(木)21:43:28千本桜 さん
横浜物語
[59361]きまぐれさん
「恐山では横浜市よりも隣の横浜町のほうが有名ですよ」
思わない方向に話がとんで、またまた悪文が露見してしまいました。陳謝、陳謝。
悪文だなんてとんでもございません。きまぐれさんの文章はわかりやすいです。[59336]に対する[59359]は、きまぐれさんが下北半島の横浜町を敢えて伏しておられるのを知った上で、勝手に別の話題にとばしただけですのでご容赦ください。ところで、[59748]の宇曾里山は宇曽利山の変換ミスですね。実は私、宇曽利山という地名が好きなんです。漢字で書いても、音で聞いても不思議なイメージを湧かせてくれるから好きなんです。それから、宇霊羅山羅賀も好きです。

[59359]Issieさん
「伊勢佐木町」ですね。
うっかり変換ミスに気づきませんで横浜伊勢崎町になってしまいました。ところで、かれこれ十数年前になりますが伊勢佐木町を歩いたことがあります。既にその頃は伊勢佐木町も斜陽傾向にあったようで、盛り上がりと言うか熱気と言うか、商店街としての迫力が思いのほか(例えば仙台の東一番丁と比較して)弱いように感じたものでした。そこで、夜の盛り場も見ようと思い吉田町から野毛のあたりを歩いたのですが、やはり思いのほか迫力が感じられませんでした。街の表情は曜日や時間帯にも左右されるので一概には言えませんが、大都会横浜を代表する盛り場が"野毛"って本当なんだろうか?、横浜随一の盛り場はもっと別の場所にあるのではなかろうかと疑問に感じながら歩いたものです。札幌なら すすきの、仙台なら国分町、福岡なら中洲と言うように盛り場の答えが返ってきますが、横浜はやはり野毛なんでしょうか。今でも釈然としません。
[59701] 2007年 7月 10日(火)01:06:00【1】千本桜 さん
国道457号の案内板
■国道457号の目標地名について考える
国道457号線上に位置する重要地・主要地は起点一関市と終点白石市、それに加美町だけです。国土交通省は設置基準を守るように呼びかけていますから、国道457号の行先案内は「↑白石」、「↑加美」、「↑一関」の三つに絞られ、他の地名を表示しなくなる可能性があります。もう既に仙台市芋沢のこのT字路では国道457号進行方向に「加美」を表示しています。以前はこのあたりの行先名は「根白石」だったはずですが、根白石ばかりか大和町をも通り越して加美を表示しているのには驚きました。大和町を意識せずに加美町を意識して走るドライバーは全体の何割に当たるのでしょうか。今に蔵王山麓のこのあたりにも真っ直ぐ進めば「↑加美」ですよ、と表示されたらどうしよう。それはマニュアルに沿った正しい表示なのですが、ドライバーに強い違和感と戸惑いを感じさせる表示でもあります。

■国道457号の目標地に関する設置基準と実際の運用例
平成19年3月末時点の基準地・重要地・主要地一覧表から判断すると、国道457号の進行方向案内板に表示できる目標地は一関、加美、白石の三ヶ所だけです。この三つで国道457号の行き先を案内するのは無理です。では、実際にはどのような地名が表示されているのか確認してみましょう。白石市内の国道4号を北に向かって走っています。地点Aにさしかかると直進は国道4号「↑仙台 大河原」、左折は国道457号「←蔵王」の案内板が見えてきました。しょっぱなから「蔵王」という基準外の行先名が出てきます。左折して国道457号の案内板に表示された進行方向の行先名を確認しながら走ります。その結果、地点Bでは「蔵王」、地点Cでは「蔵王エコーライン」、地点Dでは「蔵王エコーライン」、地点Eでは「遠刈田温泉」、地点Fでは「遠刈田温泉」、地点Gでは「山形 エコーライン」、地点Hでは「山形 青根」、地点Iでは「仙台 山形」、地点Jでは「仙台 川崎町内」、地点Kでは「仙台」、地点Lでは「秋保 本砂金」、地点Mでは「秋保」、地点Nでは「山形 二口」、地点Oでは「山形」、地点Pでは「仙台市街 愛子」、地点Qでは「愛子駅」、地点Rでは「折立 落合駅」、地点Sでは「泉中央 折立」、地点Tでは「小角 折立」、地点Uでは「小角」、地点Vでは「加美 赤坂」、地点Wでは「宮床 小角」、地点Xでは「加美 小角」、地点Yでは「泉中央 小角」、地点Zでは「加美 小角」でした。基準無視のオンパレードですが、これを責めることはできません。基準が実情に合わないのです。

■国道457号の役目について考える
国道457号は岩手県一関市と宮城県白石市を結ぶ補助国道(県管理国道)で延長は約170キロメートルあります。しかし国道4号を利用すると一関から白石までは140キロ足らずで到達します。なので国道457号を走って一関から白石に行く人はいません。それに国道457号線上には大きな都市がありません。しいて挙げれば加美町中新田大和町吉岡ですが、中新田から白石へは途中から国道4号を走った方が早く着くし、吉岡から一関へは最初から国道4号を走った方が早く着きます。つまり国道457号は重要な都市と都市を結ぶ役目をしていないし、さりとて沿線に重要な港湾、空港、観光地があるわけでもありません。いったい国道457号の役目は何なんでしょう。これはあくまで推測ですが、国道457号は国道4号が不測の事態に陥ったときに補佐するバイパスの役目を負うことを名目上の理由として国道に昇格したのではないかと考えるのです。その考えに至る理由の一つは大衡村でのルート形状です。国道4号にくっつきそうでくっつかない。くっつけるとバイパスにならないから合流させないのではないでしょうか。

■国道457号の突き抜ける力について考える
北に向かう国道4号は白石市で国道113号と交差します。この付近の車輌交通量(日中12時間)は国道113号が約4,000台、国道4号が約15,000台です。国道4号はおよそ4倍の交通量をもって国道113号を突き抜けます。その後も何本かの国県道と交差し合流しながら北上しますが、いずれも圧倒的な交通量の差をもってそれらの道路を突き抜けて行きます。仙台市苦竹で国道45号と交差します。非常に大きな交通結束集散点ですが、ここでも国道4号は約60,000台の交通量をもって約30,000台の国道45号を突き抜けます。国道4号は他の道路に飲み込まれることなく太い流れの本流として地域を貫いているのです。このような物の見方をした場合、国道457号は地域を貫通する本流とは言いがたく、時には交差する県道が本流で、国道457号はその支流の様相を見せることさえあります。南下して白石に向かう国道457号は仙台市太白区秋保町長袋秋保温泉に向かう県道を分岐します。さて、この交差点で本流はどちらに向かうでしょう。この先、秋保温泉に向かう県道の日中12時間交通量は約4,000台、国道457号は約1,000台になります。この交通量の差からすれば本流は県道で、国道457号は県道の支流です。国道457号は蔵王町遠刈田温泉でも同じ状況に陥ります。本流は約6,000台の交通量で東進する県道で、約3,000台で南下する国道457号はその支流の様相を呈しています。国道457号は細切れの県道を繋ぎ合わせただけの国道ですから突き抜ける力が弱いのです。だから遠くまで到達できません。一関の人はこの道が加美、白石に到達することを意識していないでしょう。

[59593]千本桜
この道路を直進して南に進むと○○に到達しますということで、三つの目標地名が表示してありました。一つは山形、もう一つは作並でした。ではもう一つはどこでしょう。次の中から選んでください。
1・愛子駅 2・陸前落合駅 3・仙台宮城IC 4・仙台 5・県庁市役所 6・松島 7・秋保温泉 8・川崎 9・白石 10・福島
このクイズにお答えくださいました皆様、ありがとうございました。答えは「白石」ですが、不正解でも気になさる必要はありません。

[59593]日本人 さん
1番の 愛子駅 だと自分は思いますがどうでしょう。
良い感覚をしていると思います。今でもあると思いますが数年前、確か仙台市泉区根白石あたりで国道457号を南に進むと「愛子」と書かれた案内板を見たことがあります。このあたりでは愛子駅(または愛子)を表示するのが自然と思われます。ただし「↑山形 作並 愛子駅」だと西方向ばかりになりますから、作並を外して「↑山形 愛子駅 県庁市役所」とする案も考えられますね。このあたりでは県庁市役所を中心とする仙台市街地を目指して走行している人が一番多いのですから。

[59597]じゃごたろ さん
案内標識ネタを多く出している、私に対する挑戦状でしょうか(笑)???
挑戦なんて滅相もございません。間違いなく じゃごたろさんの体力勝です。ですが、地名選択は私にとって茂原 本納なので八女られない登米られない。茂原を「もっぱら」と読むところがミソです。
国道48号で仙台市街地を通過してどこに行くかというと、「松島」ではなかろうか、と。
「松島」を狙ってくるとはなかなかのテクニシャンです。西進の「山形 作並」に対するバランスを重視してきましたね。直江津における「←富山 新潟→」の感覚でしょうか。でも、ここは「県庁市役所」あたりでストップした方が良いかと・・・。

[59598]KAZ-D さん
8の川崎ではないでしょうか。単に457号線上の主要地だからという安直な意見です。
「川崎」は有力な候補だと思います。でも主要地に認定されていないので表示できません。もっと主要地のレベルを下げて愛子駅(または愛子)、秋保町長袋、川崎、青根温泉、遠刈田温泉あたりも認定しないと国道457号の行く先は案内できないと思うのです。ちなみに、問題の仙台市芋沢から川崎に行く場合は途中から県道に入りA地点B地点を通ると早く到達できます。

[59599]YSK さん
同国道の南の終点である「9・白石」であると思うのですが、「山形」が表記されているので「10・福島」の可能性も捨てきれないですね・・・。
そうなんです。「白石」と表示してありました。これを目の当たりにした時の私の驚きようは、敢えてここに書かなくても理解(共鳴?)していただけるものと思います。
ちなみに、私なら「秋保温泉」か「県庁市役所」、離れてもせいぜい「川崎」くらいまででしょうか。
私もそう思います。国道とは言うものの県道みたいな道路ですから、この程度の距離感覚で捉えるのが妥当でしょう。距離感覚と言うより地域感覚で捉えると言うべきでしょうか。遠近だけでなく雑多なものの積み重なりが決め手になりますからね。

[59602]小松原ラガー さん
「私なら」3.の仙台宮城IC。理由は山形とは反対方向でとりあえずドライバーにとっての目標点になりそうなところだから、としておきましょう。あとは、オーソドックスなのかうけを狙ってなのかよくわかりませんが、国道を道なりに進んだ先ということで8.の川崎、9.の白石。白石だったら4号線経由でも行けるので、オッズ的には川崎を少し上げて、
山形とは反対方向の目標点を選びたくなる気持ちはよく分ります。その場合は「県庁市役所」を表示するのが妥当なようです。国道48号を例にとると愛子のこの地点で最初の「↑県庁市役所 西道路」が登場し、それ以後はここもここも「↑県庁市役所 西道路」で押してきます。それを思えば問題の芋沢の案内板に「県庁市役所」を表示しても容認できる時代になったなと感じるのです。また主要地に認定されているか否かを不問に判断するなら、「川崎」を表示したくなるのはオーソドックスで正常な感覚だと思います。

[59606]花笠カセ鳥 さん
この地点の少し北側仙台市小角にも同じ看板があったはずです。ここの看板も、「白石」だったと記憶しています。ですから、ここも「白石」だと思います。
「白石」で正解です。小角あたりでも「白石」が表示してありましたか。まだ私はそれを見ていないのですが、事前知識なしでそれを見たらハゲ頭の毛が逆立ってしまうほど驚いたかもしれません。まさかとは思いますが、加美町あたりにも「↑白石」があったらどうしょう。マニュアルに盲従するとそれも起こり得るかもしれませんね。

[59643]桜トンネルさん
解答は9の「白石」ということでよろしくお願いします。
心の中を読まれてしまったようで恥ずかしい。確かに「白石」と書いてありました。現在の案内板設置基準に従えば「↑山形 作並 白石」と表示して正しいのです。でも私は非常に違和感を覚えます。制度上の国道457号は一関を発して白石に到達しますが、実際に国道457号づたいに白石へ行く人は皆無でしょう。管理者は国道457号の先に白石を意識しても、利用者はその先に白石があることを意識していないのです。管理者側と利用者側には意識の乖離があります。ちなみに、仙台市芋沢から白石へはC地点D地点E地点F地点を経由するのが一般的だと思います。ただし、お金があるのに時間がない人は高速道路を利用します。

[59645]リトルさん
6・松島、一見、観光者にも親切な地名ですが、逆に、北上して県道(35)を使って「泉中央」「岩切」を通って行けるのでパス。
よって、5・県庁市役所と思います。
仙台市芋沢を南下した国道457号は向きを西に変えて山形方向に進みます。まるで仙台市街に向かわせたくないようなルート形状です。もし、国道457号が国道4号のバイパス的役割を負っているという私の推理が当たっているなら、仙台市街に向かわせたくないという推察も成り立つわけです。しかし、そのような行政の思惑とは裏腹にドライバーはどんどん仙台市街へ進んで行きます。現在、案内板は「↑山形 作並 白石」を表示していますが、作並と白石を消去し、愛子駅と県庁市役所を挿入して「↑山形 愛子駅 県庁市役所」とした方が良いのではないかと私は思います。
[59700] 2007年 7月 10日(火)01:04:52千本桜 さん
またまた案内板について
[59443]稲生さん
沼津○○㎞
島田○○㎞
興津駅○㎞
と、三段書きでした。私としては、「島田」という地名にちょっと躊躇しましたが、同じ市内である「静岡」が使えないのなら、こんなものかな。と感じました。
情報ありがとうございました。稲生さんの書込みに[58862]じゃごたろさん、[58969]淡水魚さん、[59093]くはさん、[59418]じゃごたろさんの書込みを重ねあわせると国道52号の行先案内板の状況が見えてきました。ただ一つ腑に落ちないのは、平成19年3月末時点の基準地・重要地・主要地一覧表に記載されていない「興津駅」が実際には直進目標地として案内板に表示してあり、基準と運用に矛盾が見られることです。そのことについて くはさんは
そこで思ったのですが、実は「興津駅」は既に主要地になっているのではないでしょうか?
と述べておられます。くはさんは過去にも行先案内板に関して的を得た発言をしておられるので、くはさんのご意見を尊重したいと思うのですが やはり払拭しきれないものが残ります。なぜなら、国道457号の案内板などは基準無視のオンパレードだからです。沿線には主要地に該当するものがありませんから、基準に沿わない地名を表示するしかないのが実情です。
[59593] 2007年 7月 2日(月)20:35:58千本桜 さん
行先地名当てクイズ
クイズです。国道457号を北から南に向かって走っています。この地点(仙台市芋沢)で、最近になって設置されたと思われる行先案内板を見かけました。この道路を直進して南に進むと○○に到達しますということで、三つの目標地名が表示してありました。一つは山形、もう一つは作並でした。ではもう一つはどこでしょう。次の中から選んでください。
1・愛子駅 2・陸前落合駅 3・仙台宮城IC 4・仙台 5・県庁市役所 6・松島 7・秋保温泉 8・川崎 9・白石 10・福島
これはクイズですが当たり外れは気にしません。もし自分が案内板を設置する立場になったら、これを表示したいと思うものを選んでもらえたら嬉しいです。
[59472] 2007年 6月 27日(水)22:50:20【1】千本桜 さん
宮城県南部で静かに進行する合併構想
宮城県は仙南地域全体(二市七町)での合併枠組みを提示していますが、それとは別に一市三町による合併構想も静かに進行しています。一市三町とは角田市、大河原町、柴田町、村田町。この枠組みは、大河原町にある みやぎ県南中核病院を運営する保健医療組合と同じ構成で、合併すると人口は10万を超えます。秋には県主催で合併の意義を考えるシンポジウムが開かれる可能性も大きいことから、一気に加熱するかもしれません。この枠組みの地理的特徴は人口集中地区が三地区もあることです。簡単に言えば、大きな市街地が三つもあるということです。これが合併にどのように作用するのか、いまは怖くて書けません。正常な地域感覚と、正常な将来構想をもって合併を進めてもらいたいと願うだけです。ところで、この合併構想を報道する地元新聞は「合併が実現すれば、人口十万超の都市となる。」と報道しています。個人的なポリシーですが、「都市となる」ではなく「市となる」と書いて欲しかった。

書込訂正機能を用いて追加書き込みします。
行政上の市を都市とする見方もあるのは存じておりますが、合併によって周辺町村の村落までが市域に取り込まれ、都市地域よりも村落地域の比重が高い市が増えています。この現実を思えば「市=都市」の図式は成り立たなくなってきています。たしか栗原市が成立する見込みになった時にも「宮城県第三の都市が誕生する」的な報道のされ方でしたが、「第三の市」あるいは「第三の自治体」でいいじゃないかと思ったものでした。福島市内の とあるラウンジで福島の地元新聞を読んでいたとき、田村市の発足を新しい「市」が誕生すると報じ、「都市」が誕生するとは報じていなかったことに胸をなでおろしたものでした。市を都市と見るのを嫌がるのは私の個人的信念ですので、他の方々に無理強いするものではありません。
[59436] 2007年 6月 26日(火)01:27:54千本桜 さん
荒川沖、案内板
[59373]geoさん
茨城県の土浦市に『荒川沖』という地名がありますが,これもその類なのでしょうか。
荒川沖荒川本郷から見て沖(田畑・原野の遠く開けたところ)に位置するから荒川沖という地名になったのでしょう。ああ、やっぱりここにも沖新田という字名がありますね。推測ですが、沖地名は少なからず新田開発と係わりがあるのではないでしょうか。宮城県では沖という文字を含む地名を所々で見かけますが、私にとって一番近場の沖は柴田町の通称・四日市場沖です。大字四日市場の集落を大区分すると、丘陵の際に家屋が分布する通称・山根地区と水田地帯に家屋が分布する通称・沖地区になるのではなかったでしょうか。ですよね、牛山牛太郎さん。おや、ここにも後新田という小字があります。やっぱり沖と新田開発は関連がありそうですね。

[59418]じゃごたろさん
私が書いたことで論議となった「↑興津駅」ですが、先週末に富士五湖方面行く際に国道52号を使用したところ、身延町内では「↑南部」でした。
ですよね。案内板設置指針に従えば身延町内では「↑静岡 南部」になります。結構、マニュアルどおりになっているものですね。ですが、マニュアルどおりになっているとすれば新たな疑問が生じてきます。身延、南部を走行して芝川町域を抜けると静岡市ですが、静岡市域には 「直進すると静岡に行きます」 という案内板を設置できません。マニュアルを遵守するとそうなります。それを前提として穴原地区に行先案内板を設置するなら、直進「↑静岡 興津駅」という表示はできなくなります。穴原は静岡市街地まで30キロも離れた山間集落ですが、行政上は静岡市だから穴原は「静岡」で、その場所に「↑静岡」と表示するのはおかしいだろうと言う論理なわけです。その論理、わからないわけではないけれど何かが変です。それはともかく、穴原あたりではどうなるの?。単独で「↑興津駅」では弱すぎるし、併記して「↑浜松 興津駅」ということになるのかな。淡水魚さん、何と表示してあったか思い出していただけませんか。じゃごたろさん、静岡方面に行かれることがありましたならリポートお願いします。
[59359] 2007年 6月 23日(土)08:46:34【1】千本桜 さん
添&沖、東京はどこまで、ネーゼ、マイナー対決、シミュレーション仙台
[59291]じゃごたろさん
この「添」や「沖」というのは、「東」「西」「南」「北」のようにそれを含めて「○○添」「○○沖」全体が地名(字名)なのか、「添」や「沖」が単なる修飾で「○○」の部分だけが地名(字名)なのかがいまいち判然としません。
[59343]88さん
「添」「沖」。ニュアンスから見ても、これは「地先」と同じような使い方なのではないか、と考えるわけですが、いかかでしょうか。
それは長野市大字南長野字石堂東沖の「沖」や長野市大字富竹字道添の「添」を指しているのでしょうか。そうだとすると「沖」や「添」を含めて一つの字名になるのだと思います。宮城県内では登米市石越南郷字西門沖や白石市大平森合字森合沖のように「沖」を含む字名、美里町字塩釜添や大河原町堤字道添のように「添」を含む字名が所々に分布しています。地名由来に無関心なので詳しいことは分りませんが、「沖」を含む字名は平坦な水田地帯でよく見かけます。水田地帯では内陸なのに「沖」「浦」「浜」が付く字名が結構あります。

[59336]きまぐれさん
ここでは「横須賀から来ました」との答が正答です。
横須賀なら「東京から来ました」でも許される範疇ですね。下北半島あたりでは横浜も横須賀もみんなまとめて東京で通せそうな気がします。昔のことですが、香港で東京から来たと言う人と食事をしたことがあります。私は仙台から来ましたと自己紹介しました。実際は仙台市民ではないけれど、これは許される範疇です。後で分ったことですが、東京から来たと言うその人は実は埼玉の熊谷に住んでいるらしいのです。日本人同士の自己紹介で、普通なら熊谷の人は「東京から来ました」とは言わないような気がするのですが、どんなもんでしょう。居住地がどのあたりまでなら「東京から来ました」が許されるのでしょうか。

[59353]伊豆之国さん
宮本武蔵にはコガネーゼ!!
とにかく、ネーゼを付ければ良いのですね。
岩手県金ヶ崎町は自動車関連産業で景気が良いけどカネガネーゼ。
用賀の東京インターにはヨーガネーゼ。
駒ヶ根で将棋をしたいがコマガネーゼ。
阿久根市民はアクネーゼ←意味不明。
京都の貴船はキブネーゼ←まったくもって意味不明。
呉の人は何もクレネーゼ。
秋田県三種町は市になりたいけれど人口がミタネーゼ。

[59358]ぺとぺとさん
個人的には以下のようなマイナーな対決も興味深いです
(1)「二本松」と「三本松」 : 三本松に軍配をあげないと村八分にされそうで。
(2)「綾瀬」(神奈川)と「綾瀬」(足立区) : 優劣つけがたしと言うか、はっきり言えばどちらも優をつけがたし。
(3)「伊勢崎」と「伊勢原」 : 自信満々の伊勢崎は伊勢原に目もやらず、しきりに横浜伊勢崎町を挑発しているもよう。
(4)「那珂川」と「那珂川」 : 片方の那珂川からは茨城県の、もう一方の那珂川からは博多の成分が検出されドーピング違反。
(5)「陸前高田」と「大和高田」と「安芸高田」と「豊後高田」: 千昌夫さんのお陰で陸前高田も健闘するが大和高田の風格勝ち。
(6)「富士見」と「ふじみ野」 :既存の富士見市の隣で、堂々と似通った市名を名乗れるふじみ野の鈍感力勝ち。
(7)「江南」と「香南」 :どちらも中国揚子江流域あたりの小都市みたいなネーミングですが江南に軍配。
(8)「士別」と「標津」 : 印象的な文字の標津は手ごわいが、上川の士別市と十勝の士別町がペアを組めば標津に勝てるかも。
(9)「中郡二宮町」と「芳賀郡二宮町」 : 中郡二宮町に軍配を上げないと村八分にされそうで。

シミュレーション仙台
国道4号の直進目標地として表示できる宮城県の基準地・重要地・主要地は、仙台、白石、大河原、岩沼、長町、県庁市役所、苦竹、大崎、栗原だけのようです(泉中央を表示できるのか疑問はのこりますが)。そこで、これらの地名を使って案内板表示のシミュレーションをしてみましょう。
車は仙台を目指して福島県国見町の国道4号を走っています。案内板は直進「↑仙台 白石」を表示しています。
福島県を過ぎて宮城県に入ってきました。ここは白石市中心街までまだまだ遠いのですが行政上は白石市域です。なので直進「↑仙台 白石」を表示できません。案内板は直進「↑仙台 大河原」に変わりました。
車は白石市、蔵王町を過ぎて大河原町域に進入してきました。案内板は直進「↑仙台 岩沼」に変わりました。
車は大河原町、村田町、柴田町域を走り抜けて岩沼市域に進入してきました。案内板は直進「↑大崎 仙台」に変わりました。大崎とは以前の古川のことです。名取市域に入っても直進「↑大崎 仙台」の表示が続きます。
ところが、名取市飯野坂のY字路で案内板は難しい局面を迎えます。直進すると盛岡方面に到達する国道4号仙台バイパス。左折すると仙台中心街に到達する まちなかを走る国道4号。どちらも国道4号で、どちらも仙台に到達できます。実際この地点の案内板表示がどうであったか あまりに日常的過ぎて憶えていませんが、マニュアルに沿えば直進「↑大崎 苦竹」、左折「←県庁市役所 長町」になるはずです。ここはまだ名取市域ですから本来なら直進「↑仙台」が使えるはずですが、どちらに向かっても仙台なので直進「↑仙台」は控えたいところです。その代替として活きてくるのが「↑苦竹」「←長町」です。
直進して仙台バイパスを北上してみましょう。名取市を過ぎて仙台市域を走行しています。案内板は直進「↑大崎 苦竹」を表示しています。もし、目標地を三ヶ所併記してあるなら「↑盛岡 大崎 苦竹」になるはずです。国道4号と45号の交点・苦竹(にがたけ)を過ぎると、案内板は直進「↑盛岡 大崎」または直進「↑栗原 大崎」に変わります。
これはあくまでも基準に従うと「こうなる」を書いたもので、実際に表示されているものとは多少異なる所があります。マニュアル通りなら白石市域、蔵王町域での直進表示は「↑仙台 大河原」ですが、ひよわな大河原は白石市域に登場するものの、蔵王町に進入すると早々と降板して「↑仙台 岩沼」に取って代わられています。このへんは適宜臨機応変にということで問題視するほどのことはありません。
[59306] 2007年 6月 21日(木)06:39:07千本桜 さん
下津井人、地図屋、籾、動植物名
[59122]hiroroじゃけぇさん
「児島人の、児島人による、児島人のための英才教育」のおかげです
地形的に味野とは一線を画するであろう下津井には、「下津井人の、下津井人による、下津井人のための英才教育」は存在しないのでしょうか。あっても良さそうに思いますけど。

[59185]スナフキんさん
地図屋に必須な特技・資格って、取り立てて何もない割に従事者が少ないのは専門的すぎるからなんでしょうかねぇ…?
[59218]リトルさん
先日、地図屋の集まりで、ある人が「測量士という資格は「持ってる=就職出来る」では無く、持っているのは最低条件で「何が出来る?」やからなあ。」と言っていました。
お二方のご意見が割れていますが、どちらも本当のことですね。地図屋は地図屋でも、作る地図内容が異なっているのでしょう。地図は測量、調査、図化、編集、製図、製版、印刷などの工程を経て世に出回りますが、それを一貫して行う人(会社)はなく、みんな作業を分担していますね。大別すれば、測量して測量図を作る人と、測量図を編集して編集図を作る人になります。地図製作には測量士や地図製図士といった資格がありますが、測量図に携わる人は補助作業者を別として資格保有が問われるでしょう。もちろん、編集図を作る人も資格があれば好都合ですが、もっと別の要素も要求されることになるでしょう。つまり、地理の知識とそれを図形として具現化するセンスです。フィギアスケートに例えれば、測量図は規定演技(今でも規定演技ってあるのかな?)で編集図は自由演技みたいなものです。一般の人が目にする地図はほとんどが編集図で、道路地図、分県地図、観光地図、社会科地図帳など多岐にわたります。それらはその都度測量して作るものではなく、国土地理院地形図などから編集して作られます。スナフキんさんが「地図屋に必須な特技・資格って、取り立てて何もない」とおっしゃるのは、スナフキんさんご自身が資格では解決できないもっと重要な知識やセンスを求められる立場に身を置かれているからなのでしょう。また、「従事者が少ないのは専門的すぎるからなんでしょうかねぇ…?」に関しては、単に需要が少ないから従事者が少ないだけだと思います。地図は世の中にたくさん出回っていますが、原版一つあれば何万枚、何十万枚も印刷できる訳ですから、原版作成の需要を基準に考えると従事者をそれほど必要としてはいないのでしょう。

[59215]じゃごたろさん [59220]リトルさん [59224]EMMさん [59228]淡水魚さん [59235]88さん [59236]オーナー グリグリさん
地目、レンコンなどに関するご意見ありがとうございました。やはりタケノコ栽培の竹林は畑なんですね。新たな発見です。我家の段々畑は地目は畑のままですが荒れ放題。現状は原野といったところです。

[59278]YSKさん
稲と米、飯の区別もはっきりとイメージできる層というのも存外多くないのかもしれませんね・・・。
厳密に言うと稲、籾、米、飯の区別になるのではないでしょうか。籾(もみ)をイメージできる層が急スピードで減少してしまったようです。今では我家も米は作るものでなく買うものになり、昔は身近にあった籾を見かけることもなくなりました。稲を脱穀して籾。籾を籾摺りして米。米を炊飯して飯になりますね。私は籾と米は区別すべきものと思っています。また麦秋ですが、麦秋の字句から瞬間的に連想するのは、あの美人女優の誉れ高き原節子さん主演の映画「麦秋」です。でも、実生活の中にあった麦秋の想い出は麦刈りです。麦刈りそのものより、麦刈りをしている大人たちの汗ですね。今ごろの季節になると、その汗の臭いが湿気を含んだ空気とともに甦ってきます。麦刈りは麦穂の棘で肌がヒリヒリしてしんどい作業でしたが、その棘を何と言ったか思い出すのに半日かかりました。使わないと忘れるものですね。そうそう、「ノゲ」と言っていました。麦刈りはノゲがチクチク刺さるので嫌でしたが、麦畑には大きな茶色い毛虫がいることも嫌でした。間違ってその毛虫をつかんでしまったらゾッとして鳥肌が立ちます。鳥肌が立つとは、そういう時に使う言葉ですよね。でも近ごろは、「素晴らしくて感激しました。鳥肌が立っちゃいました」なんて言うんですね。変なの。

[59282]futsunoおじさん
新潟では(漢字が難しいためか)カタカナ表記が普通のようです。
動植物名はカタカナ表記する決まりがあるからでしょう。国土地理院地形図にも天然記念物の名称は「平伏沼モリアオガエル繁殖地」、「小原のヒダリマキガヤ」のように表記されます。でも、モリアオガエルとかヒダリマキガヤと書いてあると何のことだか一瞬とまどいますね。
[59213] 2007年 6月 18日(月)07:36:08千本桜 さん
蓮、竹の子、陸稲と地目の関係
ちょっとお尋ねします。レンコン採取が目的かどうか存じませんが、この辺りでも蓮が生えている沼、池、ため池をみかけます。たぶん、登記上の地目は「池沼」、「ため池」になるのだと思います。これが明らかにレンコン採取が目的だとなれば、地目は「田」または「畑」になるのでしょうか。また、竹の子採取を目的とする竹林の地目は「畑」?、水稲を陸稲に替えたら地目も「田」から「畑」に変更しなければならないのか、などなど分らないことが色々あります。
追伸。調理されたレンコンを食べているとき、ハスを食べているという認識はありませんが、これは地域性なのでしょうか。
[59194] 2007年 6月 17日(日)08:25:08【1】千本桜 さん
大型家電店オープン、シミュレーション静岡、母都市と衛星都市の関係
[59016]牛山牛太郎さん
ここら辺りは、私は「東根」で済ませております。
何で、阿武隈川を渡った対岸の小字地名にしたのでしょうか?謎です。
社員の中に、「坂津田」出身の方がいらっしゃるとか・・・。
[59128]じゃごたろさん
その店の関係者、例えば店長なんかにゆかりのある地で、どうしてもその地名を入れたい、なんて思惑があった、などとかんぐってみました。。。
たぶん、Y電機O店の折込チラシ作成には地元の人は係わっていないのではないかと推察します。遠く離れた地域(あてずっぽうで言えば、たとえば群馬や東京)の、しかも地理に関心の薄い人たちによって作られているような気がします。ついでですが、坂津田は角田市の大字です。

[59142]牛山牛太郎さん
木曜日(14日)に入った広告からは、「坂津田」は消えておりました。
やはり不自然だったのでしょうね。誰かが指摘したのでしょうか。いや、もしや・・・。
私も見ました。第2弾のチラシには「至・坂津田」が消えていました。それで15日オープン当日、さっそくヤマダ電機大河原店に行ってきました。文句を言いに行ったのではありませんよ。どんな賑わいぶりかを見に行ったのです。案の定、駐車場は既に満杯で国道4号は渋滞気味でした。国道に停車しては危ないから次の駐車場へ進め、と係員が棒を振っています。すると20メートル先で別の会社の係員が、こっちへこっちへと棒を振っています。みんなその駐車場に吸い込まれて行くのですが、そこってヤマダ電機のライバルのデンコードーの駐車場なんですよね。デンコードーは敵に塩を送る気か?と思いきやさにあらず、他店のオープン価格には負けない!をスローガンに紅白の幕を張って便乗売出し中だったのです。なのに、その紅白幕が白黒幕にフラッシュバックして見えたのはなぜだろう。

[59168]きまぐれさん
それならば、「至R349」 と表示した方が遥かに集客効果があるのにね。
一つの案としてそういう考えも浮かんできますね。ですが、国道349号がどの辺を走っている道路なのかを知っている人って、以外に少ないんじゃないかと思います。たとえば、国道349号を走行中のドライバーに「この道路は何号線ですか?」と質問したなら、何割の人が即答できるだろう。一桁二桁国道と三桁国道の間には大きな認知度の差があるように思えます。

[59093]くはさん
大崎市の一部となった旧鳴子町の国道47号においても、かつては「↑仙台 古川」と案内できていたのが、市内となった古川が使えなくなった結果、なんと今は「↑仙台 一関」とされてしまいました。47号の行き先である仙台ならともかく、4号に曲がった遙か先の一関とは。
面積の広い自治体は、どこもこれと同じ問題を抱えることになりますね。規定に盲従すると静岡市の場合は次のようになります。ドライバーは静岡のまちを目指して沼津市内の国道1号を走っています。案内板は「↑静岡 富士」を表示しています。富士市内に進んできました。案内板は「↑島田 静岡」に変わりました。富士川町を過ぎて旧蒲原町に差し掛かりました。案内板は「↑浜松 島田」を表示しています。
【ドライバー】ギクッ!。「↑静岡」がない。静岡はどっちです。もう通り過ぎちゃったかな?。
【案内板】ここが静岡です。
【ドライバー】ちがうよ、静岡のまちはこんな感じじゃない。静岡はどっちです。「↑静岡」と書いてくれ。
【案内板】静岡の「まち」って、何のことだか意味がわかりません。
【ドライバー】蒲原や興津や清水の人は、静岡のまちを指して静岡と呼んでいるだろう。
【案内板】それは当事者だけに通じる曖昧な用法でしょう。静岡市は全域が静岡であって、特定の地区だけを静岡と表す住所はありません。あっちへ進むと静岡ですよという案内板を静岡市域に設置したら、おかしなことになるでしょ。だから蒲原や興津や清水には「↑静岡」が表示できないんです。私はマニュアル通りの案内板ですが、なにか変なことがありますか?
【ドライバー】ウゥ~~~~~ん。不親切な案内板だな。「↑静岡」と表示できないなら、「↑静岡市街」とか「↑静岡県庁」とか「↑静岡駅」とか、代替案がありそうなものだが、それもないのか。

[59118]白桃さん
柴田町が減少していることを考えると、大河原の227人増は注目に値します。白桃都市人口研究所では既に「健闘の域、対馬」を脱し、自立した都市に近づいているのではないかと見ております。
その証の一つがこの土地区画整理事業ではないでしょうか。M町の土地区画整理事業ですが、その場所はM町というよりO町と言ったほうが分りやすい場所です。宣伝文句は、映画館(東宝7)も併設する「シーズンウォークフォルテ」は徒歩圏内。ショッピングに自在に動けるポジションなど、まるでO町を宣伝しているようなものです。さらに、O駅、O警察署、ミスタードーナツO店など16点の写真を掲載して利便性をアピールしていますが、16点のうち13点はO町に所在する施設です。この現象に母都市と衛星都市の関係を見る思いがするのですが、地方の小さな町では禁句なんでしょう。地理って窮屈。いやいや、窮屈なのは行政界ですね。
[59146] 2007年 6月 16日(土)08:33:46千本桜 さん
地域を代弁できる代表性のある地名を送り込みたい
[59132]じゃごたろさん

もし、北仙台あたりにお店を開いたと仮定して、泉や仙台駅前まで地図に描いたとします。その時に南に向かう道路に「至・大河原」と書き込みたくなりますか?

書いてみたい遊び心はありますが、いざとなると理性に制御されて書けなくなります(笑)。では、どこを到達地に選ぶかですが、これは商圏エリアの設定次第で変化させたいと思います。そのお店が半径4~5キロの近隣住人だけを相手にするなら「至・長町」、「至・名取」もありえますが、じゃごたろさんが知りたいのはもっと広域でしょう。その場合は「至・岩沼」、「至・白石」、「至・福島」の中から一つを選びます。もし、併記が許されるなら「至・岩沼.福島」も選択肢に取り入れます。また、北仙台の店が実は全国に知れ渡る観光スポットで地図はその宣伝用だとしたなら、南に向かう道路には視野を広げて「至・東京」と書くでしょう。その場合、北に向かっては「至・盛岡」、「至・青森」のどちらかにしたいと思います。

文中に白石、福島、東京など幾つかの地名を書きましたが、これらは自治体を指しているのではありません。至・白石市ではなく至・白石です。「至・白石」を見た人が白石駅前をイメージすればそこが白石。白石市街地をイメージすればそこが白石。行政上の白石市をイメージすればそこが白石です。解釈は三者三様で、互いの解釈に多少のズレがあっても大きな問題にはならないでしょう。地図の到達地名とはそのようなものだと私は思っています。ところが、近年の道路案内板は三者三様の解釈を避けたいために表示地名の数を制限し、なるべく市町村名以外は表示させない方針をとっていますね。設置基準を読むとそのように解釈することもできます。その結果、左折「←福井」、直進「↑福井」、右折「→福井」など無意味な看板も出現したらしいです。基準を設けて表示地名の標準化を図り、通行の制御をしたい趣旨は理解できますが、その運用にあたっては地域ごとの特殊性に配慮して欲しいと願うのです。

話が脇道に逸れてしまいましたが、本筋に戻します。なぜ「至・大河原」と書かないか。それは、宮城県南部での中心性を強めつつある大河原ですが、いまだ白石、岩沼に勝る代表性を備えていないからです。一般的な圏域では中心都市が代表都市になります。例えば置賜圏における米沢。なんだかんだぼろくそに言われても、圏内に向けては中心性を保ち続け、圏外に向かっては圏域を代表して立ち上がる力を持っているではありませんか(最近少々お疲れ気味ですが)。ところが大河原には圏域全体を背負って立ち上がる代表性が培われていないのです。代表性の強い都市は当該都市と一緒にその後背地域までまとめて伝える力を有しますが、代表性の弱い都市は当該都市のことだけ伝えて終わります。それは目に見えない微妙な風のようなものですが・・・・。両毛地域などもこのような問題を抱えた地域ではないですか。
[59082] 2007年 6月 13日(水)22:00:57【1】千本桜 さん
興津で「↑静岡」はありですか
[59068]ペーロケさん
私がもし標識設計担当者なら、地名ではなく「↑国道1号」としたいですね。
横レスで失礼します。これは良案だと思います。しかし、これをどの位置に表示するかが問題ですね。国道52号が国道1号に交わる50キロ手前に表示して効果を発揮するか。10キロ手前ならどうか。それとも500メートル手前ならどうなのかなどなど。案内板の目標地名は案内板の設置位置と切離せない関係にありますから・・・。

そこで私も、自分がもし担当者ならこうするだろうという具体案を考えてみました。ただし条件があります。1・案内板はすべて新設する。2・直進方向に対して二つの目標地を併記する。3・私情を捨てて設置基準に合致した目標地名を表示する。条件は以上の3点です。しかし、現状では基準地・重要地・主要地の何れにも該当しない「興津駅」が直進目標地として表示されるなど設置基準に不備がある。そこで、前もって「興津」を主要地に認定しておく。「興津駅」ではなく「興津」とするのがささやかな願いです。このようにして定められた基準地・重要地・主要地のみが直進目標地の対象になります。

国道52号を南下するにしたがい、表示内容を次のように変化させたいと考えます。韮崎市域では「↑静岡 南アルプス」。南アルプス市~増穂町域では「↑静岡 鰍沢」。鰍沢町域では「↑静岡 身延」。身延町域では「↑静岡 南部」。南部町~静岡市清水区谷津町までは「↑静岡 興津」。静岡市清水区谷津町~静岡市清水区興津中町までは[↑浜松 静岡]または「↑浜松 沼津」。国道1号との合流点では、左折「←沼津」または「←沼津 富士」。右折「→浜松」または「→浜松 島田」。基準に従えば、たぶんこのようになるのではないでしょうか。問題は、どの地点まで「↑静岡」の表示が許されるかでしょうね。清水市街で「↑静岡」が許されないのですから、同じ静岡市内の興津でも「↑静岡」は許されないことになるのでしょうか。
[59069] 2007年 6月 13日(水)12:59:47千本桜 さん
地図の到達名およびストレス発散レス
[59016]牛山牛太郎さん
急いで地図帳を見ること約30秒。あったあった。ここですかー!
でしょう!。あそこに付される到達名は、第一候補「至角田」。第二候補「至角田・亘理」。三、四がなくて第五候補に「至亘理」。それ以外は効力無しのただの文字で終わってしまうと思うのです。

[59057]白桃さん
意味無しストレス発散レスです。軽く受けてください。
その旅人は、風にふるえてまで草原を歩き続ける「理由」があったのでしょうか?
「♪理由(わけ)」ですか。それは落書き帳の中条きよしさんに聞いてください。

♪無法松の一生(度胸千両入り)を着メロにしているヒトも少なからずおります。(多分、初めての添乗が玄界灘方面だったのかもしれませんが、個人的にはヤヤ趣味が良くないように思います。)
落書き帳の村田英雄さんは、♪無法松の一生(度胸千両入り)を着メロどころかカラオケの十八番にしているのですが、ものすごく趣味が良くないように思いますヨネヤマサン。

「♪いい日旅立ち」はどっち方面の旅行を触発したのでしょうか・・・。山口県や三浦半島ではない、と思いますが・・・
重茂半島でしょう。しらけるほどハイレベルな解答ですね。
[59062] 2007年 6月 13日(水)07:02:05千本桜 さん
行先案内板
[59030]じゃごたろさん
これまでの何度かあった標識に関するやりとりの中で、他の皆さんとは全然違っているなあ、とは自認しています。
私も「他の皆さん」の中の一人なのでしょうが、私にはじゃごたろさんの考えが全然違っているようには思えません。そのようにご自身を特別視なさらなくても良いと思います。
直接行き着く「岡谷」よりも、そちらに行けば中央道に出て「名古屋」や「東京」方面に行くことができる、という方が重要だということです。
というご意見も、
私は別に「興津」をないがしろにしているというわけではなく、道路標識に関しては「ピンポイントで正しい到着地」を示すものというよりも、あくまでも上記の用な目的で設置されているもの、と見なしています。
というご意見も、行先案内板にとっては当然のことであり、じゃごたろさんだけが考えていることではないと思います。
[58987] 2007年 6月 11日(月)08:53:07【1】千本桜 さん
松島、興津、坂津田
[58941]ふかみさん
○宮城県東松島市
 松島とは、「島の名前(島々の総称)」なのか、それとも「地域名」なのか?
【行政の見地から】
すでに江戸期には現在の松島海岸駅周辺が松島村と呼ばれ、行政区画名として永年の歴史をもっています。さらに、明治22年には周辺の高城本郷(現在の松島町の機能的中心集落)などと合併して新たな松島村(現在は松島町)になりましたが、その区域は普段、海を意識しない人たちが居住する内陸部にも及んでいます。
【自然地形の見地から】
海岸部と内陸部を隔てるように横たわる丘陵は松島丘陵と呼ばれ、島部および海岸部以外にも松島の名が用いられています。
【観光の見地から】
松島観光の拠点または主要スポットにあたる観光桟橋、瑞厳寺などは島部以外の場所に位置しています。また、「県立自然公園松島」の区域範囲は島部以外の地域も含んでいます。

以上のことから、「松島」は地域名なのだろうと私は思っています。かといって、現在の東松島市が以前から「松島」という概念でくくられる区域に属していたかとなると、答えはノーです。東松島市は鳴瀬川を挟んで状況が異なります。鳴瀬川西部は「奥松島」と呼ばれ観光面で松島との繋がりが深く、生活面でも松島、塩釜、仙台を向いた地域ですが、鳴瀬川東部は石巻との繋がりが深い地域です。したがって、東松島市の市役所所在地となっている旧矢本町には、石巻運転免許センター、石巻西高校、石巻港インターチェンジなど、「石巻」を冠した施設が存在します。

[58969]淡水魚さん
海に近くなってからは、「興津駅」も出てきました。
「駅」が付されているのには少々戸惑いを覚えますが、これなら、あまり違和感はないですね。山梨県を通過して旧清水市域に進入し、国道1号に近づくにしたがって興津の地名が受け入れられるようになります。また、国道52号の直進到達名になれなかった「沼津」の名は、1号と52号の合流交差点、または合流点の数百メートル手前になって初めて登場するのではないでしょうか。

牛山牛太郎さん
昨日の朝刊の折込チラシごらんになりましたか?。あと5日でオープンを知らせるY電機O店のチラシです。そのチラシは仙南地域全域に配布されるでしょうに、案内図の到達地名がなんともヘンテコ。役に立たない到達地名が掲載されていますから、ご覧になると笑えますよ。それは「至・坂津田」。坂津田って仙南住人の何パーセントが知っているのだろう。広範囲の地域から集客しようとするには、あまりにも小さな地名です。

書込訂正一ヶ所
高城本郷(現在の松島町の機能的集落)を高城本郷(現在の松島町の機能的中心集落)に訂正しました
[58918] 2007年 6月 9日(土)00:40:52千本桜 さん
行先案内板および草津市VS草津町
[58888]inakanomozartさん
ただ、現在の興津を冠する5つの町名が、住居表示される際の一般的・安易な手段である「興津一丁目」~「興津五丁目」であったならどうだったのかとも考えてしまいました。
正解か不正解かも分らない私の書込みにお付き合いさせてしまい、申し訳なく思っています。たぶん、この場合は「興津」と表示される可能性もあると思います。理由は・・・
【条件1】興津一丁目(仮想)のような街区・町丁名を、国道の、しかも直進方向の行先地名に採用している。
【条件2】案内板の設置位置と表示してある行先地が数十キロ離れている。
以上二つの条件を満たしているのは、しいて挙げるなら東京の「↑日本橋」くらいでしょうか。ずいぶん離れた地点から直進「↑日本橋」が登場していたように憶えています。それぐらいしか思い浮かびません。でも、【条件2】を無視して【条件1】を満たすだけの案内板なら、仙台市内にも存在します。国道4号に設置された「↑長町」、国道48号に設置された「↑本町」などです。この場合の長町は住居表示の長町一丁目~長町八丁目を指し、本町は本町一丁目~本町三丁目を指しているのでしょう。このことを考えると、「興津一丁目」~「興津五丁目」をまとめて「興津」とすることも有り得るのではないかと思えるわけです。「興津中町」や「興津本町」をひっくるめて「興津」とできないのに、「興津一丁目」や「興津五丁目」をひっくるめて「興津」とできるのは理屈に合いませんが、現状ではこれが通っているのではないかと思うのです。以上、あくまでも私の推測です。

[58911]じゃごたろさん
道路の案内標識は通行の制御をするためのものであると私は思ってますので、
そうでしたか。私はまた、行先案内板に関しては通行の誘導をするためのものであると思っていました。

[58908]k-ace さん
で、秋田県湯沢市と新潟県南魚沼郡湯沢町ってどちらのほうが知名度が高いのでしょうか
に対し、[58912]日本人さんの回答
新幹線の影響で新潟の湯沢町のほうが高いと思います。
やはりそうですか。私も、「湯沢」と聞くと越後湯沢を思い浮かべてしまう度合が高いです。では、次の組合わせですと知名度が高いのはどちらの方でしょう。
滋賀県草津市と群馬県草津町
宮城県白石市と青森県黒石市
石川県七尾市と大阪府八尾市
[58885] 2007年 6月 7日(木)06:57:03千本桜 さん
興津という場所がないからでは?
[58862]inakanomozartさん
このような歴史を背負った興津地区は、同じ清水区のなかの「江尻」などよりも地域の独自性が強く残り、「興津」は単に清水区の一町名という以上の存在感のある地名です。
興津は清水市に合併してから町場ができたのではなく、既に独自の町場があった上で清水市と合併したものですから、永く地域的独立感を保ち続けられたような気がします。勿論、清水市中心街とは地形的に分断感があるのも大きな要因になっていたとは思いますが・・・。

私は、道路の案内標識などへの地名の採用基準には全く不案内なのですが、「興津」の採用はその位置と地名の存在感からして、地元民としは違和感のないものではないかと思われます。
確かに、半径15キロ程度の狭域では「興津」が違和感なく通用すると思います。しかし、[58862]で じゃごたろさんが言われているように、 山梨県身延町や南部町あたりで「↑興津駅」の案内板を見たら違和感を覚えるはずです。40~50キロも離れた場所に「↑興津駅」と掲げるには、興津のネームバリューでは力不足だと思います。さりとて、興津に代わる地名が他にあるかとなると、あの区間はこれといった地名がないんですよね。ですから、もしも私がお上の御達しなどクソ喰らえの自由人で案内板の管理者だったなら、財政難の折ですし、「↑静岡 興津駅」に書き換えたりせず「↑静岡 清水」と書かれた古い案内板をそのまま設置しておきます。その方が、国のため、ドライバーのためになるような気がします。

「興津」でなく「興津駅」としたのは、興津が自治体名ではないからなのでしょうか?
これが最大の謎ですよね。でも、一緒に謎解きしてみませんか。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。案内板管理者は「↑静岡 清水」を修正するにあたり、なぜ「↑静岡 興津」ではなく「↑静岡 興津駅」としたのか。私には一つだけ思い当たるふしがあります。たぶん、案内板管理者は、ぼんやりした概念的区域名がお嫌いなのです。できるなら明確なくくりを持った地名、つまり市町村名及び字・町丁名を用いたいと考えているのだと思います。だから「興津」はだめなのです。inakanomozartさんの頭の中にも私の頭の中にも、「興津」という地名とその地域範囲の概念がありますよね。でも、市町村名及び字・町丁名至上主義の人には「興津」という地名は存在しないのです。あるのは「興津東町」、「興津井上町」、「興津清見寺町」、「興津中町」、「興津本町」であって、決して「興津」ではありません。私たちが普段呼び交わす「興津」は、ぼんやりして的を得ない通称地名に過ぎないと扱われているのでしょう。哀しいですね。だから「↑静岡 興津」と表示することはできない。ならば「↑静岡 興津中町」と表示できるかとなると、これまたしっくりこない。その結果の産物が「↑静岡 興津駅」ということになるのではないですか。

[58879]般若堂そんぴんさん
東かがわ市の写真にある「ぶどう餅」に反応してしまいました.これって,「地理好き」失格でしょうか……
いえいえ、地方色溢れる名物談義も地理のうちです。でもこれって、どなたかに「ぶどう餅」を要求しているようなものですね。私なども、三本松名物の巴堂ぶどう餅が送られてきたらどうしょう、お返しは「萩の月」でいいだろうかなどと考えてますが、般若堂そんぴんさんは「ぶどう餅」のお返しを何になさいますか。米沢名物って。
[58866] 2007年 6月 6日(水)00:47:19【1】千本桜 さん
神戸、三本松、道路案内板の到達地名
[58855]なると金時さん
神戸阪急はJR神戸駅前のハーバーランドにあります。(1992年~)
三宮にも、というより昔は三宮にあったんですが、今はありません。
[58863]小松原ラガーさん
・ハーバーランドという繁華街にあるにもかかわらず、ハーバーランド自体の客足がいまいち。(割算の分子が少ない)
・かつ、元々神戸阪急自体がかなり余裕を持った作りになっている。(割算の分母が大きい)
三宮じゃなかったんですね。神戸と言えば三宮と、短絡的に思い込んでいました。

[58856]白桃さん
津田にしろ、三本松にしろ旧国道沿い(バス通り)に商店街があったわけではなく、ちょっとした漁港ということもあってか、海岸に近いところに商店街が形成されました。
言われてみれば、そうですよね。当地では今も江戸期の奥州街道をメインストリートにしている町が多く、アーケード商店街に成り得るのは旧街道か駅前通だろうという観念が強かったものですから、津田の町並写真を見たときは、この辺の町とは雰囲気が違うぞと感じたものです。でも、確かにあの写真は三本松の底力を伝えていますね。商店街に3階建ての建物があるんですね(笑)。たぶん、以前は大河原よりも三本松の方が繁華な商都だったのではないでしょうか。その名残が感じられました。このレベルの町並みにとっては、2階建てか3階建てかは重要なんです。ところで本日、三本松、津田の詳細な地図を見ようと書店に行きました。某出版社のページ物香川県図。全体は3万分の1ですが、重要な自治体の中心部は1万5千分の1に拡大して別ページに掲載してありました。その自治体とは、高松市、丸亀市、坂出市、観音寺市、善通寺市、さぬき市、東かがわ市、内海町、土庄町、多度津町、宇多津町、琴平町です。高松は特別ですから数ページにわたって拡大図が掲載され、丸亀、坂出が各1ページ。観音寺、善通寺、内海町、土庄町、多度津町、宇多津町、琴平町が各2分の1ページ。さぬき市、東かがわ市が各4分の1ページ割り当てられていました。でも、東かがわ市と銘打って掲載されていたのは白鳥市街です。なんで三本松市街を載せないんだ!。市役所が所在するかしないかで、こんなに変わるなんて。私が立腹してもしょうがないけど、市街図なんだから大きくて重要な市街地を載せればいいんですよ。市役所の位置は二の次でいいだろうに。

[58858]リトルさん
「三本松・津田のアーケード街」の写真見せて頂きました。
もしかして勘違いされていると困るので・・・。あの写真は私が撮影したものではなく、偶然見つけたよそ様のHPを貼り付けただけなんです。でも、あのHP制作者は精力的に各地の写真を撮られていますね。私は写真が不得手で精力的でもありませんが、見よう見まねでこんなHPを作っています。スーパータウン大河原

[58862]じゃごたろさん
身延町辺りから青看板の行き先が「↑静岡・興津駅」というのほとんど。最初は「興津駅」をあまり意識せずに、身延線の山梨県内のどこかの駅だろう、という認識で走っていたのですが、しばらく進んでも「興津駅」は出てきます。また中には「興津駅」のパッチを当てたものありました。そこでようやく気が付きました。多分かつてパッチの下は「清水」だったのでしょう。
もし、以前は直進「↑静岡・清水」であったとしたなら、今もそのままで良いだろうにと私は思うのですが、自治体名を全ての基準と考える人たちにすれば、「清水」は静岡市に合併して消滅した清水市を意味する地名だから、もはやこの世には存在しない。だから清水を表記してはならない、と言うことになるのでしょう。清水という名称が地域名、市街地名、集落名、場地名として社会の中で通用するなら、生かしておいても良いだろうと思うのですが、今日の道路案内板は基準化・標準化の名のもとにそれを許してはくれません。しかし、清水の代わりに興津駅を表記するのも変ですね。国道の案内板に直進到達名として表記できる地名を載せた基準地・重要地・主要地一覧表には興津駅がありません。道路案内板の設置基準に沿って国道52号の到達地名を表示すると、韮崎市内では「↑静岡 南アルプス」、南アルプス市~増穂町間では「↑静岡 鰍沢」、鰍沢町~中富町間では「↑静岡 身延」、身延町内では「↑静岡 南部」、南部町~芝川町では「↑静岡」になり、興津駅の出る幕はないはずです。清水を消したいあまりに興津駅を表記したとすると、ちょっと問題ではないですか。基準化・標準化を悪いとはいいませんが、そのことによって使用できる地名が狭められ、画一化・単純化して行く先に国民総地理音痴化が待っていなければ良いけれど、と思ったりもします。

書込訂正機能を使い、「南部町~富士川町」を「南部町~芝川町」に訂正しました
[58854] 2007年 6月 5日(火)07:08:35千本桜 さん
三本松・津田のアーケード街と阪急百貨店神戸
[17155]白桃さん
白桃の知る限りでは岡山県久世町、京都府峰山町のアーケードは印象的です。最近全国的に少なくなっているようですね。さぬき市津田にはまだ残っているはずです。
上記の書き込みを見た時から今日まで4年間ずぅーーーーっと、三本松、津田のアーケードってどんなんだろうと想像しながら生きてきました。それが、今さっき偶然にも三本松、津田のアーケードを見つけてしまいました。三本松のアーケード商店街津田のアーケード商店街。三本松は町並み及びアーケードとも想像していたものに近いのですが、津田のアーケード商店街は想像が外れました。津田の街の規模は、「やっぱりね」と言う感じでしたが、オーバーアーケード(全天蓋アーケード)になっているとは思いませんでした。でも、質感は「やっぱりね」という感じかな。津田のアーケード商店街に関して質問です。以前にも書きましたが、東北地方の都市は概してアーケードが少ないです。津田クラスの街でアーケードがあるのは山形県河北町の谷地だけでしょう。もっと大きな都市、たとえば大河原、岩沼、角田などにもアーケードはありません。津田のアーケード商店街を見ていて思うのは、この街路って津田のメインストリートなのかな?、それとも脇道なのかな?ということです。メインストリートにしては道が細すぎるようだし、バス通りでもない脇道だとするとどうしてその街路が商店街に発展したのだろうなどと、おもいはグリグリめぐります。できますなら、ヤフー地図などに、津田および三本松のアーケード商店街の位置を落として貰えませんか。お願いします。

[58831]ぺとぺとさん
阪急神戸、18年度売上高14,441百万円 、1平方m当434千円。この数字に一瞬ドキッとしました。三宮駅前という立地場所を考慮すると、かなり経済効率が低いのではないでしょうか。神戸の阪急デパートは行ったことがないのであくまで想像ですが、かなりガラガラというか、良く言えばゆとりある店舗なのでしょうね。でも、三宮という濃密な経済効率が求められる場所で、1平方m当434千円だけとは。その数字が創りだす風景、景観、情景、光景と言ったものが、いまひとつ想像できません。丹波地方や但馬地方のショッピングセンターの数字なら納得できるのですが、三宮だとちょっと・・・・・。
[58806] 2007年 6月 2日(土)22:22:23千本桜 さん
愛しき日々
リトルさん
お元気そうで何よりです。当方、相変わらずです。仕事はアナログからデジタルに変わったのに、いまだに処分しきれないライトテーブルが10台ほど、アトリエの場所ふさぎをしています。二度と使うことはないであろう錆びた製図道具、捨てたくても原価償却していないから捨てられない焼付機、現像機などに囲まれてパソコンたたいています。どうしてこんな短期間に世の中が目まぐるしく変わってしまったんでしょう。そこで、堀内孝雄「愛しき日々」。♪もう少し 時がゆるやかであったなら・・・。これからもよろしくお願い致します。

[58763]YASUさん
スーパーは日常の延長でしたが、デパートは「ハレ」の場だったように感じます。
そうですね。日常では見れないものが見れたりして。テレビでしか見ることのできなかった若き日のいしだあゆみさんや山本リンダちゃんを目の当たりにしたのも仙台のデパートでした。内緒ですが、いしだあゆみさんは私より少しだけ年上で、山本リンダちゃんはちょっと年下です。

[58784]geoさん
越谷市って「イトーヨーカドー」ありますよね? ひょっとして「イトーヨーカドー」は百貨店じゃない!?
そうなんです。百貨店ではないと思いますが、福島や仙台(泉区)のイトーヨーカドーを見ていると、百貨店と遜色ないように感じますね。

[58792]牛山牛太郎さん
それから、昨日[58770]で紹介させていただいた米軍の地図ですが、追加情報です。
こちらに、1945-46年の各都市の地図がありました。1/12500の都市地図です。
妙に詳しいところもあったり、雑なところもあったりと、これまた面白いです。
確かに、雑だったり面白かったりです。Tomanoを読めばトマノですよね。トマノって聞いたことがないな、どこだろうと思ってTomanoをクリックしたら岡山県の玉野が出てきました。

[58793]白桃さん
考えるフリをイグレシアス。
おや、ナタリーじゃないか。どうしたの?。(せっかく フリを君が登場したのに、誰も王寺ないと申し訳ないので飯能市益田。)

[58794]かぱぷうさん
恥ずかしいので、かばぷうさんにだけ聞こえるようにヒソヒソ話です。私、かばぷうさんの書き込みを見るまでの○十年間、高島屋の本店は東京日本橋だと思っていました。違ったのね。

[58797]白桃さん
あのブラブラしたもの(注:渡島半島のことだと思います)
と言うことは、房総半島もブラブラでしょうか。しかし大きすぎますね。私はお断りします。伊豆半島もブラブラで、しかも良い形をしていますが、やはり大きすぎるのでお断りします。高知県土佐清水市の所に小さくブラブラしている足摺半島なら引き受けても良いですよ。5万分の1地形図図式規定にそって複製製図をする場合、2、3日間で描き上げることのできる半島って、そんなところなんです。
[58773] 2007年 6月 1日(金)06:58:33千本桜 さん
地図
[58762]白桃さん
ちょっと気になっていたのですが、落書き帳の皆様はフリーハンドで日本地図を一気に描けと言われたら、
1.どこから描き始めますか?
略図は苦手なんですよね。たぶん、北海道渡島半島の恵山岬から描き始まり、積丹、宗谷、知床と、時計回りに進みそう。

2.描き込む島は(本州、北海道、九州、四国以外)?
優先度というか、何気なく描いてしまう度合が高いのは、佐渡、沖縄、淡路の順。

3.描き込む湖は?
何気なく描いてしまう度合が高いのは、琵琶湖、十和田湖、猪苗代湖、田沢湖、サロマ湖の順。

4.伊能忠敬ばりにうまく描ける自信の地域は?
♪そんなとこなどある筈ないわ いじめないでね~

5.どうしても形やバランスがくずれる苦手の地域は?
崩れっぱなしですが、とくに長崎県。なんなの、あのごちゃごちゃした半島は。

質問されませんでしたが、聞いてくれます?。日本全図を前提にした場合、どうしても記載したい都市名の優先度は、東京、大阪、札幌、福岡、名古屋、仙台、広島、那覇、横浜、京都、新潟、金沢、神戸、高松、鹿児島、青森の順かな。でも、この順序はその都度ころころ変わります。

[58770]牛山牛太郎さん
1954年にアメリカが製作した、1/250000の日本地図があります。
ざっと東北地方を急いで見させていただきました。昭和20年代の地図ですよね。人口稠密地(市街地)を表わしている黄色の区域。変ですよね。塩釜と多賀城が連続市街地で現されていますが、あの当時の多賀城はまだまだ田舎のはずでした。三沢、久慈、古川、白石、上山、相馬中村、原町、二本松、須賀川、湯本、小名浜などに市街地表示がなくて、なぜか加茂(現・鶴岡市域の港町)が市街地として現されているのが、何とも不思議。
[58760] 2007年 5月 31日(木)21:21:08千本桜 さん
百貨店
2007年3月末現在、百貨店協会に加盟しているのは94社264店舗だそうです。この店舗数には、三本松や大河原にある三越のようなサテライトショップは含まれません。人口が多いのに百貨店のない自治体に「喝!」、人口が少ないのに百貨店のある自治体に「あっぱれ!」をあげたいと思います。

(人口は2006年10月1日の推計人口です)
「喝!」人口「あっぱれ!」人口
市川市468,113人長野県山形村8,274人
尼崎市461,903人岐阜県瑞穂市50,341人
吹田市354,060人長野県諏訪市53,032人
いわき市352,360人埼玉県日高市54,397人
越谷市316,737人東京都武蔵村山市67,383人
でも、山形村、瑞穂市、日高市、武蔵村山市の百貨店は支店でして、本店は別の都市に所在しているわけです。その点を考慮すると、「あっぱれ!」をあげるのはどうかな?と思えてきます。私が本当に「あっぱれ!」をあげたいのは、地元ハエヌキの百貨店が今も頑張っている小都市です。地元ハエヌキの百貨店が今も頑張る三大小都市といえば、「マルカンデパート」の花巻市、「タカヤナギデパート」の大仙(大曲)市、「まるみつデパート」の諏訪市でしょう。なお、「喝!」を入れられた尼崎市ですが、今秋「阪神デパート」がオープンするそうです。そうなると、春日井市が繰り上げで「喝!」を入れられることになります。


[58740]リトルさん
確かに「水利権」は強い様ですね。

そのようです。また、水利権とは別のことですが、稲作で手間ひま掛かるのが田圃への水引きです。田圃に水を張るのは子供の役目でしたが(勿論、大人もしましたが)、用水堀の水量が少ないとなかなか水が溜まりません。田圃に水を張るのは、永くて辛い忍耐の時間でした。自称「都会派?」の私が、どうして田圃の水引きや、田の草取りや、稲刈りを経験しているかだなんて、過ぎた昔の身の上なんて聞きっこなしよお客さん。
[58572] 2007年 5月 19日(土)21:52:52千本桜 さん
横浜市の人口が400万人を超える可能性の有無
[58526]日本人さん
横浜市の人口は4000000人いきますか。東京のベットタウンですが、日本は人口が減っています。去年神奈川県は大阪府の人口を超えました。なので増加気味ですがどうでしょう。誰か教えていただければありがたいのですが。

横浜市の人口は過去10年間に約28万人増加しました。平均すれば1年間に2万8千人増えたことになります。この調子で行くと、いつか横浜市の人口は400万人に達するかも知れない。そんな期待が湧いてきますね。でも、横浜市の人口が400万に達する日が来るか来ないかは、誰も明言できないことなのです。それだけ、将来の人口を推計するのは難しいということです。

9年前に某新聞は、統計情報研究センターの将来人口推計の発表を受けて次のような記事を掲載しています。仙台市の人口は1995年の国勢調査で全国12位の97万人だが、30年後の2025年には111万人に膨らんで8位に躍り出る。13大都市の中で2025年の人口が1995年の国勢調査値を上回るのは札幌、福岡、仙台だけ。2015年から2025年に札幌、福岡もピークを迎え頭打ちになるが、仙台は一貫して増加する。そのような記事内容でした。しかし現在、統計情報研究センターの予測は見事に外れて仙台の人口増加は鈍化しています。過去の人口推移や出生率だけでなく、総合的な社会情勢の変化も考慮した上で人口推移を予測するとなると、専門機関でも困難なことだと思われます。

将来、横浜市の人口が400万に達するかどうかを推測するのは難しいことですが、推測することを無駄だとは言いません。考えるのが楽しいなら、あれこれ当たってみることです。例えば、面積と人口の関係、つまり人口密度の点から横浜市を観察してみてはいかがでしょう。この場合の面積とは、居住に適さない水面や山地を除いた可住地面積のことです。横浜市の可住地面積は約400平方キロで、そこに約360万人が住んでいますから、可住地人口密度は1平方キロあたり約9千人になります。現在でも高密度ですが、市人口が400万人になると可住地人口密度は1平方キロあたり約1万人で、かなりの高密度になります。東京都23区および大阪市以外で可住地人口密度が1万人を超す市は多くありません。1万人を超す市で直ぐに思い浮かぶのは蕨市、武蔵野市、西東京市、守口市などですが、それらは東京、大阪の都心から至近距離に位置する純粋ベッドタウンでしょう。少し都心から離れた市では、可住地人口密度が1万人を超すことが難しくなります。例えば市川市、草加市などは1万人に達しません。そのことから推察すれば、横浜市が人口400万を超えて可住地人口密度が1平方キロあたり約1万人以上になるのは難しいと思います。以上は、あくまでも横浜を東京のベッドタウンと見なした場合の考えです。しかし、横浜にはベッドタウンだけでは済まされない機能が集積していますね。横浜が東京のベッドタウンとしてではなく、独自の都市として中心性を高めたとき、人口が400万人を超すことも有り得るかとは思います。
[58266] 2007年 5月 3日(木)09:11:48千本桜 さん
草津温泉
[58229]白桃さん
で、桜の名勝としての客観的?評価はどうかというと、結論として
川沿いの桜並木としては
1着:白石川の一目千本桜(大河原)

客観的な判断により、白石川堤の一目千本桜が1着に選ばれてとても嬉しいです。勝因は連なる大木のボリューム感でしょうか。2着:桧木内川堤(角館)クビ差は、白石川堤一目千本桜に比べると桜木が少し小ぶりでしょう。私、あの角館の桜並木の土手で野宿したことがあるんです。いろんな人が参加している落書き帳ですから、野宿愛好者は他にもいると思うのですが、隠れてないで名乗り出て。

[58242]かすみさん
ずっと気ままな一人旅ばかりしていたんで、たまには人任せもいいなと楽しみにしてますが

先月末に人任せな旅をして草津温泉に行ってきました。でも、やっぱり人任せな旅は後悔することが多々ありです。以前、私の流儀は、1・コースは自分で組み立てる。2・同じ道を通らないように回遊コースを組む。3・道路地図だけでなく地形図・地勢図も持参する。4・バイパスを通過するだけでなく中心街に侵入する。5・路地裏を覗き込む。などでしたが、このごろは面倒になり人任せな旅ばかりです。まして、同行者がいると自分の思い通りにはできません。草津に行ったときも、運転者が往復同じ道路を走行したので勿体ないことをしました。直ぐそこに前橋の中心商店街があるのに、商店街の中に進入してくれとも言えず、じりじりしながら横目で通過するのって精神的に良くないです。渋川、中之条も市街地をパスしてバイパスをすいすい。非常~~に残念。でも、帰り道にはとうとう我慢ができず、「左に入って!」と言って中之条市街地を走行させました。なんで市街地の旧道を走らせるのか、同行者は誰も私の心理を知らないでしょう。

草津温泉は初めてでしたが、久しぶりに温泉街の雰囲気を味わえて良かったです。飯坂温泉や鳴子温泉など東北の温泉街が失ってしまった「街の賑わい」が草津にはありました。湯畑と西の河原露天風呂を結ぶ通りなどは観光客で溢れていました。事前知識なしで行ったものですから、どうしてこんなに温泉街の中を人が歩いているのだろうと不思議に思いましたが、やがて何となく気がつきました。草津は動線が上手くできているのですね。というか、西の河原公園、湯畑、バスターミナル、公衆浴場などが徒歩圏内に上手い具合に点在しています。しかも、旧温泉街を取り囲むように今風のリゾート施設ができていて、両者は遊離しておらず一体となっているように感じました。とある温泉地などは、旧温泉街と今風リゾート地が一体感を持たずに遊離して、相乗効果を生めないでいるのを見ているものですから、その点で草津は良くできた温泉場だなと感じました。もっとも、たった数時間だけ歩いてみた感想ですから、誤解していることもあろうかとは思います。惜しむらくは、地形図・地勢図を持参しなかったことです。それがあれば、もっと詳しく草津が理解できたのに。

[58253]桜トンネルさん
C市は人口21022人で、人口密度は124.16人です。A市と隣接している2市のうちの1市です。アレがあることでも有名です。
アレって、股のぞきするアレのことでしょうか。
[58237] 2007年 5月 1日(火)20:35:14【2】千本桜 さん
Re:夜行バス
[58215]役チャンさん
この夜行バスの運転手は途中で交代するのでしょうか。

交代要員なしに運転手1人で仙台東京間を走ります。休憩は松川パーキングエリアに1回停車しただけです。仙台と東京を結ぶこのバスは長距離夜行バスの古参株で、40年(明確な年数は忘れました)ほど前から私は利用しています。あの頃は東北自動車道がありませんでしたから現在とは状況が異なりますが、運転手が2人乗務し、郡山市の磐梯ドライブインと西那須野町の西那須野ドライブイン(たしか、この2ドライブインだった筈ですが記憶がおぼろ)で休憩しながら国道4号を走行していました。

私が乗車した長距離バスも、現在流行の格安長距離バスも、同じ物のように見えるのですが、実は異なるのだそうです。私が乗ったのは定期路線バスで、乗降する場所を停留所と呼びます。しかし、他社の格安長距離バス(全ての格安バスが該当するか否かは不明)は募集ツアーの形態をとり、乗降場所を停留所と呼ばずに集合場所と呼ぶのだそうです。これはパーキングエリアで休憩中に運転手さんに教えてもらった話です。事実と違っていたらごめんなさい。

追伸
「郡山市の磐梯ドライブインと西那須野町の西那須野ドライブイン」と書きましたが、二本松市辺りにあった安達太良ドライブインとか言う名前のドライブインと西那須野ドライブインだったかも知れません。ドライブイン・・・。どこか郷愁を誘う言葉になりました。
[58191] 2007年 4月 28日(土)21:59:40千本桜 さん
地域間格差
六本木ヒルズ、丸ビル、東京ミッドタウン、新丸の内ビルディング。変貌する東京を見ていると、地方との格差拡大を感じます。地方もまた地方で、域内都市間格差が拡大しているように思えます。仙南地域では、大型家電量販店が3店も集まる大河原町へ更なる家電量販店の進出が決定し、新店舗を建築中です。そのような中、白石市唯一の大型家電量販店が閉店撤退しています。これで、仙南地域の人口3万人台の都市(柴田町、白石市、角田市)から大型家電量販店が無くなりました。10キロ前後の距離で商圏競合都市が分布する仙南地域では、後背地を含めても人口5万人前後にしかならない都市は家電量販店にとって出店の旨みがない都市ということになるのでしょう。巨視的に見れば、この仙南地域も経済主義の中で仙台との間に格差が広がり、地域全体が置き去りにされる可能性は否定できません。これに関して、コワ~イ話を一つ。たぶん、怖がっているのは私だけで、他には誰も怖がらないと思うのですが・・・。

今年2月。夜行バスで東京へ。このバスは仙台広瀬通が始発で、仙台駅前、長町(以上仙台市)、岩沼、大河原、白石、福島に停車して東京に向かいます。大多数は仙台市内から乗車しますから、他はおまけで停車するようなものです。23時27分、まだ街明かりの点る大河原駅前に東京行のバスが滑り込んでくる。いつもこのシーンに出くわすと、ささやかながらスーパータウンの都会性を感じるのです。この程度のことで都会性を感じるなんて、安っぽい精神構造だなと思うのですが、本当だからしょうがない。混んでいなければいいな。イビキをかく人がいなければいいなと思いながら、すでに消灯している暗い車内の座席に腰をおろす。車内はとても静かで一安心。次の停車は白石駅前だが誰も乗り込んでこない。やけに静かだ。後を振り向いてギョッ!とした。誰もいない。乗客は私以外に誰もいないのである。♪これっきり、これっきり、もうこれっきりですか~。山口百恵の横須賀ストーリーがリフレインする。はい。乗客は私一人っきりだったんです。怖いですね~。怖いと思いませんか。このような乗車率では、やがてこのバス路線が廃止され、岩沼、大河原、白石から夜行バスで東京に行くことができなくなるのではないだろうか。そして、ほんの僅かでも地域の自立が妨げられはしないか。それを思うと怖くなるのです。その後、福島駅前で1人が乗車し、乗客2人だけの長距離夜行バスは東北自動車道をひた走るのでした。

結局、このバスに仙台から乗車した人は0人だったのですが、なぜ仙台から誰も乗らなかったのか。それは、このバス会社が途中停車しないで仙台から東京へ直行する夜行便も出すようになったからだと考えられます。途中停車しないから、遅く発車して早く到着します。しかも、途中停車するバスは仙台東京間6,210円で、直行便は3,900円です。これでは仙台の乗客は直行便に流れます。このバス会社が直行便を走らせるようになったのは、同業他社との競合に打ち勝つためです。岩沼、大河原、白石などの小都市に停車していては勝てないのです。たぶん、バス会社にとって岩沼、大河原、白石のバス停留所はお荷物でしょう。夜行バスで東京に行きたい人は、一旦仙台に出て、そこから乗車して下さいと言いたい気持ちでいっぱいでしょう。でも、地域にとって東京行のバス停留所はお荷物ではありません。たとえ利用客が一日一人だけのバス停でも、そういう些細な物の複合が地域や都市(村落もそうです)を形作っているのだと思います。
[58160] 2007年 4月 26日(木)02:35:44千本桜 さん
山笑う
[58153]小松原ラガーさん
「カレーに生卵」もひょっとして関西ローカルでしょうか。

地域差があるとは知りませんでしたが、徹夜仕事になりそうな時にはカレーに生卵を落とします。頑張れそうな気がするから。

[58154]にまんさん
「新緑」と言われたときに、どんな色を思い浮かべますか?
「鮮やかな濃い緑」でしょうか。それとも「爽やかな淡い緑」でしょうか。

新緑でイメージするのは、やはり「爽やかな淡い緑」の方です。「鮮やかな濃い緑」ですと、蝉が鳴いていそうな深緑の夏のイメージになります。これから当地は良い季節を迎えますよ。「山笑う」と言いますが、木々の葉が本当の色になる前に、白っぽい緑や、白っぽい黄緑や、白っぽい桃色のパステルカラーになって周囲の山を染めてくれます。まるで山が喜んで笑っているように見えてきます。ちなみに、「山がぁ~~泣く」と唄いだすのは森進一さんの♪「北の蛍」ですが、情景描写が難しすぎて唄えません。
[58136] 2007年 4月 23日(月)23:09:05千本桜 さん
たまには観光地理談義
[58126]白桃さん
昨日は幕張メッセに「旅フェア」を見に行きました。全国各地の自治体がブースを出しておりましたが、人口減少に悩む道県、市町村が目についたのは気のせい?

同感です。観光に活路を託したくなる自治体の気持ちは分かるのですが、その宣伝方法に首を傾げたくなる自治体もあります。これはあくまでも私の主観ですが、駅名に「温泉」の二文字を入れたがる自治体と、ちゃんとした漢字地名を持ちながらポスターに平仮名で地名を表わしたがる自治体です。

そのどちらも実行しているのが山形県上山市。この現象を見て上山市の市勢衰退を感じます。あくまでも私の主観ですから、上山市の人は気になさらないで下さい。どうして「上山駅」を「かみのやま温泉駅」に改名したのでしょうか。小規模とは言え、上山ほどの町なら温泉以外の機能も備えて町が成り立っていたはずです。温泉の二文字に惑わされて他の機能を捨てちゃったのかな。以前にも書いた記憶がありますが、市勢が衰えていない天童市は「天童駅」を「てんどう温泉駅」に改名したりしません。

この前と言ってもだいぶ前ですが、白石蔵王駅で「かみのやま温泉」と書かれたポスターを見ました。なんで「上山温泉」じゃなく「かみのやま温泉」なのか。一体、上山市は誰に「おもねて」いるのだろう。「トランクス 弱くなるほど 派手になり」と言います。中身を鍛えないで派手なトランクスを穿いても問題解決にはならないように、中身が変わらないなら「上山」から「かみのやま」に書き換えても衰退は防げない。
[58114] 2007年 4月 22日(日)08:32:09千本桜 さん
村名に勝る宿駅名
[58097]ケン(地理好き)さん
宮城県のことですが、明治の大合併時に藩政村名ではなく宿駅名を大字にしたところが一部ありました。(槻木・涌谷・吉岡・金ケ瀬・中田・長町など)

宮城県関係の話題でケン(地理好き)さんにレスを戴けてとても嬉しいです。以前からそうなのですが、ケン(地理好き)さんの書込みを読むと何故かほっとします。ところで、少しだけ訂正させていただいて良いでしょうか。「宿駅名を大字にした」とありますが、それは「宿駅名を町村名にした」が正解ですよね。村として扱われていないが、天保国絵図に記載された宿駅名および港町名のうち、明治22年の町村制施行時に町村名に出世(採択)したものを列記します。

平村の金ヶ瀬宿(現行大河原町)。明治22年、平村など三村が合併。平村の宿駅名を以って金ヶ瀬村とし、平は金ヶ瀬村大字平になる。
入間野村の槻木宿(現行柴田町)。明治22年、入間野村など十村が合併。入間野村の宿駅名を以って槻木村とし、入間野は槻木村大字入間野になる。
前川村の川崎宿(現行川崎町)。明治22年、前川村など五村が合併。前川村の宿駅名を以って川崎村とし、前川は川崎村大字前川になる。
山寺村の山下宿(現行山元町)。明治22年、山寺村など七村が合併。山寺村の宿駅名を以って山下村とし、山寺は山下村大字山寺になる。
高須賀村の荒浜(現行亘理町)。明治22年、高須賀村が単独で町村制下の村を施行。端郷荒浜の港名を以って荒浜村とし、高須賀は荒浜村の字?になる。
前田村の中田宿(現行仙台市)。明治22年、前田村など四村が合併。前田村の宿駅名を以って中田村とし、前田は中田村大字前田になる。
南目村の原町宿(現行仙台市)。明治22年、南目村など三村が合併。南目村の宿駅名を以って原町とし、南目は原町大字南目になる。
今村の吉岡宿(現行大和町)。明治22年、今村が単独で町村制下の町を施行。今村の宿駅名を以って吉岡町とし、今村は大字に継承されることなく消滅。
千石村の松山宿(現行大崎市)。明治22年、千石村など五村が合併。千石村の宿駅名を以って松山村とし、千石は松山村大字千石になる。
馬場谷地村の涌谷宿(現行涌谷町)。明治22年、馬場谷地村が単独で町村制下の町を施行。馬場谷地村の宿駅名を以って涌谷町とし、馬場谷地は大字に継承されることなく消滅。
北方村の佐沼宿(現行登米市)。明治22年、北方村のうち字本郷村が分離し町村制下の町を施行。宿駅名を以って佐沼町になる。
相野谷村の飯野川宿(現行石巻市)。明治22年、相野谷村など六村が合併。相野谷村の宿駅名を以って飯野川村とし、相野谷は飯野川村大字相野谷になる。
根岸村の渡波宿(現行石巻市)。明治22年、根岸村など三村が合併。根岸村の宿駅名を以って渡波町とし、根岸は渡波町大字根岸になる。

もともとは平村の中に金ヶ瀬が、入間野村の中に槻木が存在していたのですが、明治の合併により、金ヶ瀬村の中に平が、槻木村の中に入間野が存在することになってしまいました。
[58095] 2007年 4月 21日(土)09:07:13【2】千本桜 さん
天保国絵図
[57484]でokiさんが紹介して下さいました天保国絵図を興味深く見ておりました。忙しくて全部を見たわけではありませんが、滋賀県と宮城県を見比べての感想を書きます。

まず第一に、藩政村の数の密度が大きく異なることに驚きました。近江盆地には多数の藩政村が立村しているだろうと思ってはいましたが、やはり驚きです。この村数の違いが後世の大字数の違いになり、現在の地域区分の違いに繋がっているものと思います。宮城県では概ね、天保国絵図に描かれた村が現在の大字に継承され、地域区分の基本になっているケースが多いのですが、近江盆地の場合はどうなのでしょうか?。地域があんなに小面積の村に細分されていると、都市化を待たずして、村落形態のまま隣村同士の集落がくっつきあうことが考えられます。そうなると現在では、藩政村が構築していた地域枠組みが崩れ、新たな枠組みに生まれ変わっている可能性が高くなるのではないかと考える次第です。このことは、地形図から家屋分布(集落形態)を読み取ったり、大字界図を見れば分ることでしょうが、それをしないで近江盆地をぼんやりイメージしながら書いています。

第二に、陸奥国(仙台領)では村名と宿駅名が異なるものについて、「馬場谷地村之内涌谷宿」のように宿駅名が記されているのですが、他国の天保国絵図では見かけないようです。全国を見たわけでないので違っているかも知れませんが、これは何か訳があるのでしょうか。この宿駅名に関しては理解できないことが一つあります。多くの宿駅は村名と同名なのに、なぜか村名と異なる宿駅がある点です。今宿村の野上宿笹谷宿のように同一村内に複数の宿駅が設置された場合や、山寺村の山下宿のように位置的に親集落から離れた場所にあるなら、村名と宿駅名が異なるのも理解できます。しかし、現代の感覚で考えると、どう見てもその場所が親村そのものの位置、あるいは直ぐ間近ではないかと思われるのに、村名と宿駅名が異なる場合が多々あるのです。それに該当する宮城県内の主な宿駅は、現在登米市の寺池村之内登米宿、現在涌谷町の馬場谷地村之内涌谷宿、現在大和町の今村之内吉岡宿、現在石巻市の相野谷村之内飯野川宿、現在仙台市の前田村之内中田宿、現在柴田町の入間野村之内槻木宿、現在大河原町の平村之内金ヶ瀬宿、現在角田市の尾山村之内金津宿などです。

以上、親集落そのものの位置に設置されたと思われるのに、村名と宿駅名が異なるものを八例挙げました。裏を返せば、それらは私にとって親集落の位置を確認できないものにも通じます。親集落を確認できない理由は、親集落が既に消滅している(無人になっている)。そもそも家屋分布がまばらで親集落らしきものが存在しない。親集落が宿駅集落に飲み込まれている。あるいは私の地域の捉え方の感覚が狂っているなどなど、さまざま考えられます。でも、不思議でなりません。岩沼郷(村)に設置されたから岩沼宿、築館村に設置されたから築館宿だろうに、どうして入間野村に設置されて槻木宿になるのか。なぜ入間野宿ではだめだったのか。書物には槻木宿の地名由来は書いてあります。でも、入間野宿ではだめだった理由が書いてありません。

[58093]hiroroじゃけぇさん
さて、最後に問題。「おえん」とは一体どういう意味でしょう?
男を狂わす女のこと。刺青をしてそうな・・・。ちがいますか~。もちろん宮城県では通じません。岡山限定です。

岩沼本郷を岩沼郷に、相谷地村を相野谷村に訂正しました。
[58085] 2007年 4月 19日(木)23:47:34千本桜 さん
会津若松
福島県の地元新聞に「若松市長選挙後半戦入り」と書いてあるのを見て、ひとりニンマリほくそえむ。ほらね、若松市長選挙と書いてあるでしょう。会津市長選挙とは書いていない。もはや古い人間の仲間になったらしい私には、会津若松の略称は「若松」である。ところが近頃、会津若松を「会津」と略す人が増えているように感じてならない。もっとも、厳密に言えば、古い人間だから若松と呼び、新しい人間だから会津と呼ぶわけではない。私の知人の営業マンなどは30年、40年前から会津を用いて若松を用いない。「会津から喜多方へ行って」などと平気で話すのである。まるで喜多方は会津じゃないみたい。それを言うなら、「若松から喜多方へ行って」だろう。

あれれ・・・。書いていて、どうでもいいような話題を取りあげているように思えて、寒くなってきました。少しでも熱くなりたい。では問題です。会津若松市の略称が「若松」から「会津」に変化しつつある(ように私には思える)のに、陸前高田市は「高田」から「陸前」に変化しないのは何故。やっぱり寒い・・・。
[58048] 2007年 4月 16日(月)20:19:16千本桜 さん
♪黒の舟唄
[58007]白桃さん
一目千本桜が今市、有名じゃないのが不思議です。
ここは役所と商業の町でして、工業と観光は弱いんです。なにしろ、スーパータウンなのにホテルが無いんですから。でも、有名じゃないだけに、初めて満開の一目千本桜を目の当たりにした人の感動は大きいようです。私、一目千本桜を見て感激している人の声を聞くのが好きなんです。聞耳を立てているつもりは無いのですが、自然に耳がキャッチしてしまうようです。昨年だったかな?、一昨年だったかな?、こんな会話を耳にしました。定年を迎え、やっと自由な時間が持てるようになったと思しき夫婦らしき花見客の会話です。

女:こんなにいい所だと思わなかった。これから毎年ここに来ようね。
男:うん、いい所だ。
女:ほんとだよ、毎年ね。
男:うん。
女:死ぬまで毎年来ようね。
男:・・・無言・・・。
女:死ぬまで一緒に。
男:・・・だんまり・・・。
女:死ぬまでずっと、ほんとだよ。

テンションが上がりっぱなしの女と、下降して行く男。男と女の間には深くて暗い河があるようです。
[57997] 2007年 4月 15日(日)00:56:30千本桜 さん
ただいま一目千本桜は満開です
昨日(土曜日)、一目千本桜は満開になりました。異常気象のせいか、まだ蕾が残っている一方で、散り始める花びらもあるという不順な咲き方です。桜まつりでの個人的な楽しみは、ナンバープレート観察と突撃インタビューです。車のナンバーは観察しようと思わなくても、自然に目が行ってしまうようです。宮城ナンバー以外では福島、山形、岩手ナンバーが多く、習志野、横浜ナンバーあたりも常連さんです。初めてのことですが、那須ナンバーも見かけました。突撃インタビューも楽しく、なぜか皆さん、「凄い、凄い。これは凄い桜だ。」とほめてくださいます。昨日撮影しました写真を4枚だけですが私のHPに掲載しました。
[57935] 2007年 4月 11日(水)21:33:37千本桜 さん
♪白いギターにかえたのは、何か訳でもあるのでしょうか
[57908]yamada さん

白石川堤の桜は一分咲きでした。
今年は暖冬で桜の開花も早いかと思われていたのですが、ここにきて気温があまり上がりません。今朝も吉永小百合&和田弘とマヒナ・スターズでした。そんな訳で本日現在でも二分咲き程度です。たぶん今度の土日は最高の花見時になりそうで、他県ナンバー車がいっぱい来そうな気がします。

桜とは無関係ですが本日、大河原の百円ショップ駐車場に淡路福浦と大書きしたトラックが入ってきました。国道4号沿線なので色々な地方の車を見かけますが、淡路島の車を見るのは非常に珍しい。それで、てっきり神戸ナンバーだろうと思ってプレートに目をやれば、なぜか三重ナンバーでした。何か訳でもあるのでしょうか。詮索しないことにします。

その百円ショップの隣は大河原で最も人気のある洋風焼肉レストラン。この焼肉レストランの店舗網は登別店、大河原店、伊達店の三店舗体制。北海道、宮城県、福島県に店舗を配置するなんて、地理的にバランスを欠いていると思いませんか。ところが、伊達店とは福島県の伊達市ではなく北海道の伊達市だったんです。こうなると、ますます不可解。普通なら登別店、伊達店と来れば、間に入るのは室蘭店じゃないですか。それなのに、どうして登別店、大河原店、伊達店なのか。何か訳でもあるのでしょうか。詮索しないことにしますが、やはり室蘭より大河原の方が有望なのでしょうか。

とある塗装会社。営業車は2、3台しか保有していないはずなのに、7号車と書いた軽トラックが停まっている。7号車と書いたのは何か訳でもあるのでしょうか。♪この頃とても気になるの・・・。

藩政時代から継承されてきた大谷を大河原に変えようとしたのは、何か訳でもあるのでしょうか。今でもとても気になるの。これは大いに詮索しましょう。根底にあるものを詮索しなければならないのです。
[57846] 2007年 4月 7日(土)20:35:26千本桜 さん
♪中村雅俊「ふれあい」
[57501]熊虎さん
3月11日から13日まで南東北を旅してきました。
死にもの狂いの繁忙期がやっと終わりました。熊虎さんが御来大くださいました時は繁忙の最中でして、あまり御持て成しもできずに申し訳ございませんでした。本来ならボトルキープ(ヘネシー!・うっそ~)してあるクラブにお連れするところでしたが日曜日は休店でして、普通のカラオケボックスにグレードダウンせざるを得ませんでした。熊虎さんの替歌メドレーは聴き応えがありましたよ。seahawkさん、般若堂そんぴんさんにもお会いになられたとか。まだ寒い時分でしたが、東北の落書帳メンバーの温かさに触れて戴けたのではないでしょうか。宮城県では三月で「くり電」が廃止になり、仙台空港鉄道仙台空港線が運行を開始しました。
[56883] 2007年 2月 16日(金)21:06:29千本桜 さん
道路案内板に表示する地名
[56751]くは さん
国道24号・25号・165号・166号・169号の絡みを見ると、5市の必然性が見えてきます。

道路案内板の設置基準に関しては古い東北地方版を所持していますが、新しい物も作られていたんですね。くはさんご紹介の基準地・重要地・主要地一覧表は大変参考になりました。こういうのを見るのが好きなんです。私が[56767]で、「違和感を覚えるのは奈良盆地内に重要地が5市もあることです」と書いたのは、一つには、ぱっと見て重要地扱いされた市の数がよその地域に比べて奈良盆地に多いこと。もう一つは、重要地となる条件の地方生活圏中心都市は奈良県に五條市しかないのに、奈良、大和郡山、天理、橿原、大和高田まで重要地扱いされていることの不思議からです。県都・奈良は別格として、大和郡山、天理、橿原、大和高田は主要地扱いでも良いだろうと思ったのですが、道路の絡みを考えると特別扱いで重要地とされた可能性もありますね。
それから、この一覧表を見て思うのは、たぶん県名と区別するためだと思いますが、岩手町や栃木市は「岩手町」「栃木市」と表記されるのに、どうして山梨市や沖縄市は「山梨」「沖縄」なんだろうという疑問。それから、旧国名と区別するためだと思いますが、阿波市、土佐市、伊予市などは「阿波市」「土佐市」「伊予市」と表記されるのに、加賀市、美作市、筑後市などは「加賀」「美作」「筑後」と表記される不思議。そして、「市」「町」を付す例が四国に多いことへの疑問。三好市、吉野川市、東かがわ市、さぬき市、綾川町、東温市、久万高原町、西予市、四国中央市、仁淀川町などがその例です。三好や東かがわに「市」を付す必要があるのかな?。むしろ山梨県南アルプス市や熊本県阿蘇市に「市」を付した方が良いだろうと思うのですが、「南アルプス」「阿蘇」と表記するそうです。
[56848] 2007年 2月 14日(水)06:54:11【1】千本桜 さん
長久手へそのない鯵ヶ沢
[56783]ぺとぺと さん
私が以前居住していた「ある町」がランクインしていてビックリ
大井町ですね。あの周辺では松田が中心なんでしょうけど、市町村を地域単位として集計すると松田が陥没して大井が浮上するから困ります。名古屋近郊の長久手町なども自治体単位で集計すると大きな町になるのですが、名古屋居住経験のある友人に「長久手はどうなの」と聞くと、「長久手って、どこ」と変な答えが返ってきます。つまり、「長久手」と言われても核心地区がないので標的が定まらず、何と答えたら良いのか返答に困ると言うことでしょう。長久手にはヘソがない→長くてヘソがないのは鯵ヶ沢。青森県鯵ヶ沢町は長々と町並みが続いているけれどヘソが無いのだそうです。そんなことが何かに書いてありました。鯵ヶ沢といえば鰍沢。鯵ヶ沢も鰍沢も小地域の小中心地ですが、どちらも現代型発展には不向きな地形の中に位置しているようです。鰍沢から連想するのが松田。この二つ、似ている点がありますね。町並みの背後は市街地拡張に不向きな山地で、目の前に広がる市街地拡張可能な平地はよその自治体。鰍沢も松田も、市町村界という見えない壁に行く手を阻まれているようで、辛い。

書込み追加。
不親切な書き込みをしてしまいました。松田とは神奈川県松田町、鰍沢とは山梨県鰍沢町のことです。


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