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[52978]2006年8月3日
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[52775]2006年7月30日
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[52447]2006年7月19日
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[51582]2006年6月1日
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[50474]2006年4月6日
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[61482] 2007年 10月 3日(水)02:12:25faith さん
JR奈良線と近鉄京都線
[61479] みかちゅう さん
京都~奈良をほぼ並行しているJR奈良線と近鉄京都線の路線名の違いはなんとなく面白く感じます。
[61475]にまんさん
この話題の発端となった「京奈」ですが、往来の中心となる京都と奈良を結ぶ鉄道がJRは「奈良線」、近鉄は「京都線」
当時(近鉄による奈良電吸収時)の事情など分からないのですが、いずれも、既存の幹線からの枝線という発想での命名法ではないでしょうか。
JR東日本で、中央線から枝分かれして青梅に向かう路線が青梅線であるのと同じように、東海道本線から枝分かれして奈良に向かう(「日本国有鉄道線路名称」では奈良線は関西線に所属していましたが、京都発が下りなのでそのような発想も的外れではないはず)路線が「奈良線」。
一方近鉄からみれば、既存の奈良線から枝分かれして、京都に向かうのが「京都線」。(実際、大阪-京都の特急が走っていた時代もありました)これだと同社の橿原線(旧畝傍線)などの命名法とも符合しますが、どんなものでしょうか。
[61477] 2007年 10月 3日(水)00:12:30【3】faith さん
京奈の今後をかきまぜるレス
[61475] にまんさん他京奈スレッドの皆様
かなり性格の違うものが混在している感じがしたので、私なりに整理してみました。
面白い分析ですね。個人的には
2 隣接型
隣接するAとBを総称又は境界地域の呼称としての性格を持つもの。

3 中間点型
離れたAとBの間にある地域を総称する性格を持つもの。
の区別がやや微妙な気がしました。
ここで挙げられている2つの地名を合成するパターンでは、2つが都市名の場合と、都道府県名の場合がありますね。
「阪神」は明らかに前者のパターンです。一方「京奈」については、形からはどちらとも断定できません。
この場合、都市名とすればにまんさんが言われる「中間点」型になりますが、都道府県とすれば「隣接型」となります。
都道府県を地名として用いるという風習が広まった現在では、どちらもあり得ますし、個々の話し手は由来自体意識していないかも知れません。
(2つの地名の組み合わせではありませんが、「京阪奈丘陵」に現われる「京」「阪」「奈」については、府県と思っている人が多いのではないでしょうか。)
一方、「阪和」について考えてみますと、「名阪」と同じく、道路や鉄道のような長さのあるもの(にまんさんの言われる「二次元型」)に使われるのが普通のように思います。
天王寺から和歌山に向かう鉄道路線は(京阪電鉄が設立にかかわっているからというわけではありませんが)大阪市と和歌山市を結ぶから「阪和」だと考えられます。一方、「阪和自動車道」の「阪」「和」は、この道路が松原JCTを起点、みなべIC(基本計画では最終的にはすさみIC)を終点としているところからは、府県名のようにも思われますが、他の道路と組み合わせれば、大阪市と和歌山市を結んでいると言えないこともなく、どちらというのも難しいような気もします。
(ところで、「阪神」と同じような使い方で、泉佐野市などを「阪和」地域と言ったりはあまりしませんね。)

以上、単にかきまぜているだけですね(笑)。

※「第二阪和道」を「阪和自動車道」に変え、見解についての説明も詳しくした。
※※「『阪和自動車道』など」→「阪和自動車道」。このセンテンスの表現を少し変更。
※^3 「みなべIC」の後の()を追加
[61472] 2007年 10月 2日(火)22:56:17【1】faith さん
学都?軍都?
[61466] だんな さん
金沢の中心にあり、街のシンボルである金沢城から前田家が去った後、陸軍第九師団や第七連隊が置かれていたことが軍都のイメージを形成し、敗戦後は金沢大学丸の内キャンパスがあったことから学都のイメージが形成されていったものと思われます。
金沢の「学都」としての特色は、戦前も強かったのではないでしょうか。戦前はナンバースクールの旧制高校(四高)、旧制医大(金沢医大)、金沢工業専門学校、およびすでに戦中ですが、1944年に設置された金沢高等師範学校と、官立の高等教育機関をこれだけ揃えた地方都市は多くはなかったと思います。
各都道府県に最低一校は国立大学が設置されるようになり、一方、石川県に存在していた官立の高等教育機関が新制大学一校に統合された戦後は、国立の高等教育機関についていえば、金沢の特色はむしろ薄れているのではないでしょうか。
とはいえ、
金沢世界都市構想 第2次基本計画 第1章 III 教育分野 3.学術都市の集積効果の活用(PDF)には
石川県は、都道府県人口あたりの高等教育機関の学校数が全国2位、教員数が全国3位であり、人口あたりの学生数は全国6位となっています。
とあります。
石川県=金沢市ではありませんが、このことから、金沢には依然「学都」としての実体があるといえそうです。その一方では、だんなさんが言われる金沢大学の存在ももちろん重要とは思いますが、むしろそれ以外の学校の存在が大きく寄与していることもうかがわれます。

※誤記訂正
[61454] 2007年 10月 2日(火)00:20:37【3】faith さん
北和、中和、南和など
[61412] リトル さん
奈良の知人に「京奈」を聞いたついでに聞いたのですが、広い奈良盆地は、「北和」「中和」「南和」「西和」と言い分けているらしいですね。
実はこれを見て「え?」と思いました。「南和」って「南大和」の略で、奈良県南部を指すと思っていました。「北和」「中和」も含め、奈良県の区分であって、奈良盆地の区分ではないと思います。
ご参考
南和広域連合
2007 年 奈良県中学校サッカー4地域選抜大会(PDF)
「東和」は、少なくとも「北和」「中和」「南和」よりは使われない表現だと思われます。南北に長い奈良県の形状が影響しているためからでしょうか?
生駒郡、北葛城郡の7町の、結局流れた合併構想では、新市の名前を「西和市」としていました。確かに、「西和」と言うとすれば、このあたりでしょう。
ご参考
西和消防組合

※誤字訂正
※※脱字訂正、逆に余計な文字を削除
※^3 「6町」→「7町」
[61414] 2007年 9月 30日(日)18:23:41faith さん
町村の都市銀行支店, etc.
[61397] ドラえもん さん
繰り返したのは失礼かと思われますが
状況はどうあれ、他の方の発言を「見苦しい」と言う必要はないです。(経緯を考えればなおさらのことです。)

自己中ということは、結局2人だけのでは無く自分だけの世界ってことなんですか??
ドラえもんさんも言われている通り、そんなことはどちらでも良いことです。私は、
[61391]かすみ さんが書かれている、
ランキングはダメでランキングが含まれていなければいいですか?という短絡的な話ではないです。
が、[61393] を見る限り、理解されていないので、口を挟んだだけです。

この件は、これぐらいにして…

[61400] ぺとぺと さん
ただ一方で、都市銀行は合併を繰り返す中で、近接する支店を中心に大規模な統廃合を断行してきた経緯があり、その中で残存している支店は当該銀行が相応の「重要拠点」と判断していると推測できるのではないか、という思いもありました。
ご指摘のようなことは私も考えておりました。
ただ、ご存じのように、かつての「護送船団方式」銀行行政の下では、支店の新設は厳しく規制されていました。このような状況では、吸収した、あるいは前身の金融機関が開設した支店は「既得権」であり、収益に基づいて個々の支店を閉店する動きは取りにくかったと思われます。
90年代以降、銀行行政はかなり変化したので、今では状況は異なると思われます。実際、銀行の支店が閉店する例も良く見かけるようになってきましたので、言われているような考え方も成り立つと思われます。
ただし、上に書いたような「護送船団方式」銀行行政の結果として各行の支店網が形成されてきたことも事実であり、歴史的な分析も依然必要と考えます。

主に旧埼玉銀行の支店で構成される「埼玉りそな銀行」を一緒に語ることに違和感
そうですね。ご指摘の旧埼玉以外にも、特に旧三和、旧東海、旧神戸は、有力な地方銀行から発展したものなので、特定地域では地方銀行としての色彩が強く感じられます。(他の都市銀行も大半は中小の銀行や金融機関を吸収してきているので、多かれ少なかれそのような色彩を持っているのですが。)
[61394] 2007年 9月 30日(日)03:20:57【7】faith さん
話題
[61393]ドラえもん さん

少し優しくない書き方になりますが、ご容赦ください。

いろいろな話題が地理には関係していると思うけれど、(書き込み)ランキングとかは明らかにそれとは関係のない、落書き帳そのものに関する事象ですよね。
何かの拍子に、これまで人が気づいていないような面白い事実を指摘する程度であれば、好意的に受け取られることもあるかも知れませんが、ランキングそのものを延々と話題にしたり、それ自体を目的とした書き込みをされていれば、苦々しく思われても仕方ないと思います。

今、思ったんですが、今までの書き込み文字数ランキングの話題については、2人だけの世界に入っていたんじゃないかと思います。そこが生けないんですよね?ここは皆に伝える掲示板ですから、皆が入り込める話題しようかと思います。(ここも理解できていなかったら御免です。
それよりも、第一の理由は上に書いたように、地理的事象と関係がないからです。

誰がドラえもんさんにレスしているかというような話題も、上記の観点ではランキングの話題と変わらないと思います。

もちろん、★たまには★余興としてそういうものがあっても良いと思いますが、それであれば、なおさら、他人が読んでも興味が持てるように書くことが求められると考えます。
それなりの工夫や表現力が要るのではないでしょうか。そうでなければ、他の参加者にとっては何の興味もなく、地理的事象とも関係のない、単なる自己中心的な書き込みで、書き込んだ当人だけがはしゃいでいるだけの結果に終わります。

以上、一参加者としては、僭越な(=出過ぎた)書き込みになりましたが、ご参考になれば幸いです。(自戒も込めて)

P.S. かすみさんの謙遜を真に受けて繰り返すのは失礼です。

※てにをは修正。「余興として」の前に「たまには」を挿入。
※※「地理的事象でもない」→「地理的事象とも関係のない」
※^3 脱字訂正。等号を半角に。
※^4 最初の「ランキング」の前に「(書き込み)」を補った。
※^5 「はしゃいでいる」の前に「書き込んだ当人だけが」を挿入。「たまには」を強調。「いる」→「要る」
※^6 最初のセンテンスの表現を変更。
※^7 訂正ではありませんが、P.S. の部分。「真に受けて」では、元の方が不誠実にも受け取られてしまい、不適切な表現でした。本来であれば「肯定するかのように」とすべきところですが、なるべく伝わりやすい表現にしたかったことをご理解ください。
[61384] 2007年 9月 29日(土)17:51:56faith さん
大和王寺支店
[61297] 伊豆之国 さん
このとき駅の近くに「さくら銀行」があったのにはちょっとびっくりしました。「町」なのに大銀行の支店があるとは意外でした。ちなみに支店名は「大和王寺支店」です。東京・北区の王子にも支店があるので区別するため「大和」をつけたのでしょうか。「三井住友銀行」になった今でもあるようです。
大和王寺支店の件、太陽神戸銀行大和王寺支店まで遡ることができることは「奈良県商工名鑑」(書名はやや不確かですが)で確認できましたが、太陽神戸銀行の行史にあたることができず、それ以上調査できずにいました。
個人の方のホームページによると、元は、神戸銀行の王寺支店であり、合併により「王寺支店」から「大和王寺支店」となったとのことです。現存しない銀行の店舗一覧
1969年に出版された「王寺町史」には、王寺町の銀行としては南都銀行王寺支店しか記載されていないので、神戸銀行末期に開設されたのでしょう。
ということで、この支店については「大銀行」が開設した支店と言ってよさそうです。
[61372] 2007年 9月 29日(土)11:40:10【3】faith さん
町村の都市銀行支店
[61364]ぺとぺとさん他
ちなみに上記都市銀行の支店・出張所(貸付専門店舗や無人店舗を除く)がある「町村」は意外に少なく、以下12町村しかありません。愛知県と関西に集中しているのは、前身の東海銀行、大和銀行の名残りでしょう。
さらに細かく言うと、
奈良県大淀町 りそな 吉野支店
は、旧大和銀行の支店ではなく、2006年1月にりそな銀行に合併された旧奈良銀行(第二地銀)の支店です。この合併の結果として、りそな銀行は奈良県下に多くの支店を持つことになりました。

ちなみに、都市銀行といっても、他銀行を吸収してきた、あるいは自身が地元の有力銀行に由来するという経緯から、特定の地域に限っては、他地域だったら出店しないようなところにも支店が置かれているのが普通です。(旧東京銀行や旧日本勧業銀行のように、特殊銀行に由来するものは例外でした。なお、旧北海道拓殖銀行も、[53577] hmtさんが解説されているように、戦前は同名の特殊銀行でしたが、その性格上、北海道の支店網が充実していました。)

結局何が言いたいのかといえば、都市銀行の支店といっても地方銀行(あるいは地域性の高いその他の金融機関)の支店に由来するものが数多くあり、旧財閥系銀行が自身で開いた支店、旧特殊銀行に由来する支店、吸収された他銀行の支店などの出自を区別せずに、都市銀行(あるいは[61297]伊豆の国さんの言われるような「大銀行」)の支店の立地を論じることに、あまり意義を感じないということです。([61364]ぺとぺとさんは似たことを意識されているようですが)

さらに余談ですが、そもそも現状では都市銀行というカテゴリー自体崩壊しつつありますが、もともと都市銀行と地方銀行の違いは法律的なものではなく、行政上の扱いおよび業界団体の違いでした。(旧埼玉銀行は、地方銀行協会から脱退して、1969年に都市銀行の仲間入りをしました)

※旧北海道拓殖銀行に関して、他発言へのリンクを追加
※^2 最後から2つ目のセンテンスに加筆
※^3 同上。および宛先に「他」を追加
[61328] 2007年 9月 27日(木)00:42:53faith さん
王寺町、京奈バイパス
[61300] ドラえもん さん
[61297]伊豆之国 さん
王寺町は北葛城郡・生駒郡の中心地という感じでしょうか。(王寺町自体は北葛城郡(市も含めたら、北葛城郡の中心は大和高田市、生駒郡の中心は生駒市でも有りますけどね。それでも王寺町はそんなには劣っていないでしょう。
こういう「王寺町は○○郡の中心である」というような抽象的なことで銀行の出店が決まっているわけではなくて、王寺駅を利用する人口(「駅勢人口」とも言うのか)が大きいから、と言う方が適切でしょう。

[61313] ソーナンス さん
それはやはり京都と奈良の結びつきの弱さがあるのではないかと思います。
結論には賛成で、本論とは関係ないのですが、
近鉄京都線に乗車すれば分ると思いますが、京都の都市圏の南端は城陽市辺りまでで、
それから奈良市内に至るまではぶっちゃけ田舎ですし。
は言いすぎでは? 高の原あたりからは住宅地が続く印象があります。
皆様がご指摘の通り、「京奈」という言葉の頻度は高くないのですが、「京奈バイパス」(だけ?)は比較的定着した言い方だと思います。
[61061] 2007年 9月 5日(水)23:00:17【4】faith さん
JNRとJR
[61032] みかちゅう さん
過去には電電公社と国鉄が民営化されました。民営化すれば競争によってサービスが向上するというのは本当なのでしょうか。
JRも競争が起こりにくいせいか、あまりサービスがよくなったようには感じませんね。都市部では昔よりは緩和されたのにしろ相変わらずひどい通勤ラッシュという感じです。
国鉄時代を直接ご存じない、お若い世代とお見受けします。(違ったらすみません。)
私の経験では、国鉄時代は、職員の態度など、あまり接客業という感じがしないところでした。それに比べると今のJRは接客業になったな、という印象です。

民営化したからといって、簡単に線増できるというものでもないので、通勤ラッシュの根本的な解決には結びつきにくいですが、たとえば、国鉄時代には手を付けられていなかった新幹線の速度向上は、多くの国民に恩恵をもたらしていると思います。

良いことばかりではないでしょうが、トータルでみれば、鉄道が威力を発揮する地域・分野では、国鉄時代よりは確実に便利になっているのではないでしょうか。

※ 字句修正
※^2 全体的に表現を修正
※^3 「通勤ラッシュの解決」→「通勤ラッシュの根本的な解決」
※^4 句読点が落ちていたのを訂正
[60992] 2007年 9月 2日(日)16:45:16faith さん
市駅リスト
[60990] 日本人 さん
市駅ってどのくらいあるのでしょうか。
3年前なので、状況も少し変わっているかも知れませんが、[27150] ペーロケさんが調査されていますのでご参考まで。
[60988]ドラえもんさんご指摘の「上野市」など、元の自治体が消滅しているものがありますね。
[60989] 2007年 9月 2日(日)16:16:36faith さん
誤解があることを踏まえるとは?
[60987] 伊豆之国 さん
「築港八幡町」の場合は、この地名の由来を知らない人には「八幡神社があったからでは」と誤解されると思われます。このことを踏まえたうえで、行政当局はことを急ぐのではなく、周りの意見をよく聞いた上で慎重に進めるべきだと思います。
素朴な疑問なのですが、「このこと」をどう踏まえるべきと言われているのでしょうか。
「『八幡製鉄』由来ではなく『八幡神社』由来と誤解している人が多いから、「築港八幡町」という地名を変えるのは慎重になるべきである」ということでしょうか。
だとしたらそのロジックはfaith には残念ながらよく理解できません。
[60986] 2007年 9月 2日(日)14:40:42【2】faith さん
播磨町駅
[60982] ドラえもん さん
 1位 播磨町 33600人
播磨町は人口の伸びは停滞気味で
そういえば山陽電鉄に「播磨町駅」がありますが、「町」を取ると「播磨」という広域的な地名(旧国名)になってしまうので、仮に市制施行することにでもなれば山陽電鉄唯一の「市駅」が誕生しそうですね。
「飾磨」も本来はかなり広い領域を指す地名だったようですが、こちらは駅設置以降の変化といえば「電鉄」が取れた程度で、「飾磨市駅」だったりしたことはないようです。

※余計な改行を削除。最後のセンテンスに加筆
※^2 誤字訂正
[60976] 2007年 9月 2日(日)03:03:55【4】faith さん
嘉義中と嘉義農林の所在地
[60975] ペーロケ さん
但し、両校とも当時から移転がなかったらの前提ですが
嘉義中の方は嘉中校樹なるものが70年前から
古早嘉中人的記憶裏,大約七十年前一☆雨豆小樹苗在此落根,一直伴隨著本校成長
キャンパスにあるようなので、当時から移転はしていないと思われます。(中国語が得意な方であればもう少し良い根拠を引き出せると思います)

☆は、JIS X 0208 の範囲外の文字です。

一方、嘉義農林の方は、1938年に現在の嘉義大学の民生キャンパスに移転しているようで、それまでは現在の嘉義高商があるところだったようです。
創立於1919年(大正八年),校名為「台灣公立嘉義農林學校」,校址在嘉義市山仔頂地區,也就是國立嘉義高商現址;1921年(大正十年)改名為「台南州立嘉義農林學校」,1928年(昭和三年)成立嘉義農林棒球隊,1931年(昭和六年)揚威甲子園;1938年(昭和十三年)校址遷至嘉義市西區民生南路,也就是國立嘉義大學民生校區現址。
参考國立嘉義大學- 台灣棒球維基館

ちなみに、上記サイトの國立嘉義高級中學の項には
創立於1924年(大正十三年),校名為「台南州立嘉義中學校」,1937年(昭和十二年)首度進軍甲子園,為最南端的甲子園出場校。
とありました。すなわち最南端は「嘉義中」ということです。
このことは、ペーロケ さんがリンクされた地図に含まれている、嘉義高商と嘉義高中の位置関係からも裏付けられますね。(現在の校地で見ると200mぐらいの差ですが)

※最終センテンスを入れ替え、結論を追加。
※^2 さらに最終センテンス(地図への言及)を追加
※^3 誤字訂正、リンク追加
※^4 「現在の嘉義高商のあった」→「現在の嘉義高商がある」
[60972] 2007年 9月 2日(日)01:55:22【2】faith さん
國立嘉義高級中學
[60971] ペーロケ さん
旧制嘉義中の位置はともかく、現在はどの名前の学校になっているのかさえ不明。
國立嘉義高級中學のようです。
上記サイトには、中国語、英語でそれぞれ
本校創立於1924年(大正13年),時値日治時代,校名為「臺南州立嘉義中學校」
The school, founded in 1924, was first named Tainan Prefectural Chiayi High School, Taiwan during Japanese rule of Taiwan.
とあります。

1文字、JIS X 0208の範囲で表現できない文字があり、対応する(と思われる)日本語の文字「値」に変えています。

※最終センテンスの脱字訂正、漢数字をアラビア数字に変更
※^2 「学」を繁字体に統一
[60967] 2007年 9月 1日(土)23:15:21【3】faith さん
ハンドルネームの件
ハンドルネーム(ニックネーム)の件で法的問題を指摘されている方もおられますが、他人の行為について法的問題を指摘される以上は、根拠をはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。(きつい言い方をすれば、他人の意見の結論の便乗に過ぎないものもあるように思います。)

一方、法的問題を離れた、特定のハンドルネームが良いか悪いかという議論は、結局は主観的な思い入れの表明の域を出ておらず、年代や背景の違いを超えて説得力を持つのは難しそうです。

キャラクタ名と同じハンドルネームを付けることを禁止している掲示板(コミュニティ)も多くあるようですが、多くの場合は参加者にそのようなキャラクタ名をハンドルネームにしたい動機があり(たとえば特定のアニメの愛好者の集まる掲示板であるなど)、そのため独占や重複、および混乱(参加者を指しているのか、元のキャラクタを指しているのかが不明確になることによる)を避けるためという根拠のようであり、この掲示板に直接適用できるものではないと思われます。

この件、オーナーグリグリさんは特に問題視されておらず、またそうすべき明確な根拠も出ていないことでもあり、参加者側で特定の参加者のハンドルネームについて議論するのはもう止しませんか。

※一部文言を修正、用語を統一
※^2 特定の発言へのリンクを削除
※^3 誤記訂正
[60884] 2007年 8月 28日(火)23:47:31faith さん
Re:「周知表示の保護」
[60882] 88 さん
周知表示に対するこのような侵害は、企業のみならず、個人が、企業若しくは企業グループの周知表示を使用し、前記のような関係が存在するという一般人の誤解を招く場合にも生じ得るものであり、不正競争防止法は、周知表示の保護という観点から、このような個人の行為をも防止しようとしていると解されるからである。
別に専門家というわけでもなく、望んでおられるようなコメントにはなっていませんが、
このロジックでは不正競争防止法を根拠に「ドラえもん」というペンネームを地理関係の掲示板で使用することを差し止める理由にはならないと思われます。
藤子プロや小学館と関係があるという誤解が一般人に生じるとは考えられないので。

不正競争防止法にいう「不正競争」のどれにもあてはまらないと思いますが…
[60809] 2007年 8月 26日(日)15:20:31faith さん
Re:それは
[60810] ドラえもん さん

※[60809] は連絡が目的なので予告してあった通り消しました。

敢えて「その言葉は良くないと気づいています。」といわなくても理解されているのかなって思われるかと思ったからです。後、「調べて結論が出なかったという」言葉を言わなかった場合も同じ理由になります。
そういうことは、書かなければ、相手に伝わらないと思われます。
ドラえもんさんもそうだと思いますが、参加者の皆さんは他にすることがあり、その空いた時間に、(広い意味での)地理関係の内容について議論を楽しむため、この掲示板に来ています。ドラえもんさんの意図について考えるために集まってきているわけではないですよね。
だからそんなところまで時間を割いてまで想像してはくれません。そういうものですよ。
[60694] 2007年 8月 21日(火)00:48:03【2】faith さん
政令指定都市という制度の意義について
[60683] hiroroじゃけぇ さん
[60674] 熊虎 さん

政令指定都市になりたい地方都市の事情などを読んでいると、(すでにアーカイブにもなっている議論ですが)政令指定都市という制度の意義について考えさせられます。

ここしばらく(2010年まで?)は、政令指定都市に移行して大きな権限があたえられるかどうかは、期限までに周囲との合併に成功するかにかかっているといっても良い状況です。
静岡市に都道府県と同格の権限を与えて、熊本市や岡山市と大きく差をつける根拠は何でしょうか。手頃な合併相手を見つけることができただけでなぜ大きな権限が与えられるのでしょうか。

横浜市や大阪市から堺市や浜松市まで、現在の政令指定都市には、都市規模からいっても、機能からいっても、かなり幅のあります。市町村合併を促進するための「餌」ともなっている以上仕方がないですが、本当は人口70-80万人で一線を引くよりは、その上も下もいろいろな都市の規模や機能に応じて、柔軟に権限や機構を与えることが考えられるべきと思います。

とはいえ、こういう制度が現にあり、それが「大都市クラブ」のように見えないでもない現状では、後少しで移行できそうなところがそれを追求するのは何の不思議もありません。

大都市周辺の地域では、いくつかの市が合併するだけで、簡単に70-80万人を上回る人口を擁する市が計算の上ではできあがるところはいくらでもあるでしょう。
ただ、そのような地域の、特に比較的新しい住民は、生活環境や交通環境の向上には関心を持っても、住んでいる都市が「政令指定都市」というブランドを手に入れることにはあまり関心を持たないのではないでしょうか。「誤報」の例として出ていた西宮市周辺はそのような例だと思われます。

ところで、「区」の大きさとしては人口20-30万人が多いということは、このあたりが行政区画の大きさとして適切なサイズなのかも知れません。
そういえば大前研一氏がかつて、「現在の地方自治体は見直し、全国一律に、一定の人口規模の区画に分けるのが効率が良い」と発言されていたことが思い出されます。(そのアイデアの適否は別として)そのときもこれぐらいの人口規模を想定されていたと思います。(うろ覚えです。)

ご存じかとは思いますが、最近では通信制の大学院などもありますので、ご興味あれば調べて見られては?

※少し加筆。言及先に[60674]を追加。※^2 余計な語句を削除
[60667] 2007年 8月 19日(日)00:44:23【1】faith さん
近畿日本○○
[60652] 伊豆之国 さん
「近畿日本○○」という駅名を一斉に「近鉄○○」に変えたのは、もちろん「近鉄」の名が浸透したのもありましょうが、「近畿日本日本橋」の出現を避けるためというのも一つの理由だったのではないかと思いますが、どうでしょうか。
近鉄の社内事情は分からないのですが、万博を機会に、"kinky" と同じ発音となり英語国民に奇妙な印象を与えかねない「近畿」から始まる駅名を変更したというのもあるかも知れません。(推測です)
また、おっしゃるように「近鉄」という通称が浸透しただけでなく、正式社名が「近畿日本鉄道」であることを知っている人が減りつつあったことも関係あるのではないでしょうか。(これも推測)
「日本橋」駅に「近鉄」を冠した理由自体不明ですが、並行する地下鉄千日前線の「日本橋」駅と区別するという程度の意味しかなさそうに見えます。

※第2センテンスを[60652]を踏まえていることを明確にするよう加筆。
[60665] 2007年 8月 18日(土)23:47:30【3】faith さん
政令指定都市の価値
[60650] 白桃 さん
[60648] hiroroじゃけぇ さん
例えば、静岡市。「パルコ」の進出は「政令指定都市」移行が条件であったことがわかります。そして、浜松市。「大丸」は人口100万人程度の商圏を持つ都市に今後も展開していくと発表しています。「政令指定都市」がブランドとして一人歩きしている感も否めませんが、多くの商業施設を呼び込みたい地方都市にとって、すがりたくなるようなブランドであることは確かでしょう。
小売業の情勢に詳しいわけではなく、何か見落としていたらお教え頂きたいのですが、これには少し疑問があります。
パルコ、さいたま市の「浦和パルコ」概要と全199店の出店テナントを発表
には
政令指定都市を中心とした都市部への出店戦略を成長の柱の一つとして据えております。
とありますが、よく読めば、パルコが興味があるのは、政令指定都市という「ブランド」ではなく、商圏人口であることが分かります。静岡市が政令指定都市に移行しなくても、商圏人口が十分と判断すれば出店したでしょう。(そのようなことが実際に起きているのかどうかも知りませんが、「政令指定都市」をパルコが静岡市で強調しているとしたら、一種のリップサービスでしょう。)
もし、行政側が「政令指定都市」というブランドが商業施設を呼び込めると思っているとしたら、その方が感覚がずれているように思います。(「政令指定都市」になってもそれによって商圏人口が増えるとは考えられません。)
特に今日では企業は余計な土地資産を持ちたがらないので、政令指定都市移行による、不動産の値上がりが仮にあったとしても、それも理由にならないと思われます。

(hiroroじゃけぇさんも以前書かれていたような)岡山市の交通の結節点としての存在や、宅地開発の余地の大きさなどを考えれば、小売業は今後も進出してくると思います。(逆に、行政が引きとめても、撤退するときは撤退します)
行政が寄与できるとしたら、もっと実質的な、「出店しやすい」環境づくりでしょう。(大型小売店舗の進出が地元にとって本当に良いことなのかどうかは別として)

※()内の「政令指定都市になっても…」の一文を追加。最後の2つのセンテンスに加筆。
※^2 加筆でリンクが消えてしまったので訂正
※^3「政令指定都市に指定されなくても」→「政令指定都市に移行しなくても」「静岡」→「静岡市」
[60642] 2007年 8月 17日(金)12:18:12【3】faith さん
Re: 岡山市はマンションの建設ラッシュ?
[60640] 白桃 さん
[60636] hiroroじゃけぇ さん
まぁ、現在岡山市はマンションの建設ラッシュですから、
これが、気になります。どのあたり(地区)なんでしょうか、お教えいただければ幸いです。
どれほど網羅的なものなのかは、現地にいない私には分かりませんが、たとえば下記が参考になるでしょうか。(意図的にURLはそのまま表示しています)
http://shinchiku.homes.co.jp/search/bukken/sk-3/pref-33/addr1-33201.html
全てではないにせよ、何割かは市外からの転入者の住居となると思われます。

「人口○万人を超えた→すわ、政令指定都市」という岡山市の姿勢には、その「鼻息の荒さ」とでも言うものに、個人的には多少違和感を感じないでもないですが、「県南100万都市構想」以来の宿願であることを思い起こすと、岡山市の関係者の喜びは理解できます。
広島市が政令指定都市に移行した時(1980年)の岡山市長のコメントに、「我々も人口50万人を超えたら政令指定都市を目指す」というのがあったのも思い出されます。

※余計な改行を削除
※^2 最終センテンスを追加。最終から2つ目のセンテンス(加筆前は最終)に加筆。
※^3 最終から2つ目のセンテンスの先頭の「なお」を削除
[60587] 2007年 8月 13日(月)01:27:02【3】faith さん
校名についての思いつき
[60571] Issie さん
[60556] 白桃 さん
八代東、掛川西、尼崎北、磐田南など、東西南北は高校所在地名(市名)の後に付くのが一般的ですが
例によって思いつきなのですが、この理由を考えてみました。
学校名とは、単に地名を表しているのではなく、その地域の学校という意味があったというのがこの命名感覚に関係していないでしょうか。

たとえば、明治18年1月の「大阪府和泉国大鳥郡公立小学校表」(「堺市教育100年のあゆみ」に所収)に出てくる小学校は全て村名と同じ校名を持っています。)

校名学校所在地
八田寺小学校大鳥郡八田寺村
深井小学校同郡深井村
土師小学校同郡土師村
土師新田小学校同郡土師新田
梅村小学校同郡梅村
船堂小学校同郡船堂村

※土師は「はぜ」と読みます。
土師新田には村が付きません。(このあたりの制度については実は良く知りません)

また、旧制中学校では、明治28年に開校した大阪府第二尋常中学校が明治34年より「大阪府堺中学校」を名乗ったように、多くの場合、学校はその地域に1つしかない、英語であれば定冠詞を冠して("the (middle) school"と)呼ばれるべきものであり、校名は地域名となるのが普通でした。
これが、複数の同一種の学校が同一自治体に存在するのが当然になった後年もまず地域名がきてその後に方角や番号(第一、第二, etc.)で区別するという命名を自然に受け入れる素地となった、というのはどんなものでしょうか。

※, ※^2推測に基づく一文を削除
※^3 誤字訂正、「冠して」の後の()を追加
[60554] 2007年 8月 11日(土)16:13:34【3】faith さん
相似文字の基準というか
[60553] きまぐれ さん
国の字は、囗(国構え)に玉であって、口(くち)に玉ではありません。
私も、このアイデア(「市の中の市」を探す遊び)が出てきたときに、どこまでを同じ形にして良いのか(例えば「座」は本当に「庄」に人を2つ入れたものなのか?)について多少気にならないでもありませんでした。
が、[60553] きまぐれさんのようなルールで認められる・認められないを論じるとすれば、部首として名前があるものは、部首名が同じかどうかによってパーツとして認められないこともあるが、名前がないものには制限が付かないという、はなはだ興を殺ぐ結果となり、この遊び自体、成り立たないのでは?

というかそんなに厳密でなくても良いのでは?遊びだし…と考えるのはきっとfaith がいい加減なせいでしょう(笑)。

※「このアイデア」の後に()で説明を付加、余計な改行を削除
※※誤字訂正
※^3 論旨を明確にするために加筆
[60506] 2007年 8月 8日(水)00:42:24【1】faith さん
名張市についていろいろ
[60490] 伊豆之国 さん
名張といえばやっぱり「赤目四十八滝」ですね。
無知なfaith の悲しさで、赤目四十八滝が名張市にあることは全く気がついておりませんでした(笑)。
私も10年以上前に赤目四十八滝を歩き通したことがあります。(関西ではメジャーなハイキングコースですね。)
団子も知りませんでしたが、「オオサンショウウオ」でも有名と聞きます。

[60473] 白桃 さん
大阪まできっと連絡船と急行「鷲羽」を乗り継いで行き、鶴橋から近鉄に乗ったのだと思います。
宇高連絡船も、「鷲羽」も今は失われた時代の象徴のような感じですね。私は「わしゅうざん」より前に「わしゅうやま」を覚えました。(プロ野球は見なくても、相撲は熱心に見ている小中学生時代でした)
確かに「桔梗が丘」という駅があり、「ま、なんと風流な・・・」という気持ちになったことを覚えています。
wikipedia の名張市の項にも
「桔梗が丘」「つつじが丘」をはじめ、花の名を冠する地名が目立つことが特徴である。
とあります。桔梗が丘の由来については[60470] ぺとぺと さんが解説なさっていますが、あまりありふれた名前でもありませんね。(「桜が丘」などと比較して)

[60470] ぺとぺと さん
意外かも知れませんが、近鉄が桔梗が丘住宅地の分譲を開始したのは、駅開業からわずか2ヵ月後の1964年12月とかなり古いのです(近鉄不動産の沿革参照)。
確かに意外です。私は、南海高野線の「林間田園都市」駅と、開業時期、駅の性格(私鉄系デベロッパーによる大規模な宅地開発に伴って開業、短期間で大半の列車が停車する駅に成長, etc.)とも似たものを考えていました。

[60469] YSK さん
宿場町を基礎とした中心市街地であるようですが、郊外地域における大規模住宅団地等の開発の中、昔ながらの佇まいを残す名張の市街地の様子が想起されます。
同じものを見られても、faith より鋭い考察をなさったろうと思います。
今読むと、faithもいろいろと考察しながら街歩きをしたかのようですが、実際にはバイクですすすっと通り過ぎた感じでした(笑)。
べとべとさんも書かれていますが、名張市は、私の仕事関係の知り合いだけでも、何人か住んでいるほどの、大阪圏ではメジャーな住宅都市になりつつあります。

先日より道州制が話題になっていましたが、皆様も御存じの通り、名張市を含む三重県西部は、都道府県の再編成があれば、まず最初に候補に挙げられる内の1つと思われます。

※誤字、脱字訂正
[60501] 2007年 8月 7日(火)23:09:09faith さん
もう少し冷静になっていただけないでしょうか。
[60477] オーナー グリグリさん

YSKさんに悪意があったとはもちろん思えず、また、何度も謝罪なさっています。
グリグリさんもいささか冷静を欠いていらっしゃるように思えます。この件、もう幕引きというわけにはいかないでしょうか。
[60464] 2007年 8月 6日(月)21:26:45faith さん
我田引水
[60456] 矢作川太郎 さん
[60438] 白桃さん
区割りが好きなヒトには道州制は魅力的なテーマだと思いますが、事なかれ主義あるいは我田引水的なものがマカリ通ったらたまったものではありません。
恣意的な州都レースには飽き飽きしています。

私も似た印象を持っていますが、考えてみれば、州都に名乗りをあげているところで、我田引水的でないところなんてありませんよね(笑)。そんなところばかりではないかも知れませんが、個人的にはブロック内の二番手・三番手都市が筆頭都市と拮抗し、あわよくば逆転を図るための切り札になっているような感さえします。

多少の再編成はあっても良いと思いますが、100年以上続いて、日本人の生活に浸透している現在の(都道)府県の枠組みを効率的に運営して、かつ都道府県間のスムーズな連携を図ることで、道州制が可能にするとされていることの多くは可能になるのではないかと今は思っています。
[60453] 2007年 8月 6日(月)01:09:19【1】faith さん
名張市というところ
YSKさんのような本格的な調査ではもちろんありませんが(そのような訓練もありませんが)、最近思い立って、特に理由もなく奈良県道80号線を経由して名張市に行って見ました。
近鉄特急で素通りすることは何度もあったのですが、名張市に降り立ったのは初めてです。

名張というと、大阪の新しい住宅地というイメージがあるのですが、行ってみて感じたのは、「本来の名張はそんなに新しい街じゃないのね」という(当然の)ことでした。
近鉄の名張駅を中心としたエリアには、銀行の支店や商店が並んでいますが、休日でも人通りが少なく(自動車交通量は多いですが)、よくありそうな、観光地でもない地方小都市の駅前通りという感じで、やや活気を欠きます。
一方新しい住宅地というイメージは、お隣の桔梗が丘駅には感じられます。こちらには東口に近鉄百貨店などもあります。ただ、反対側の西口は、駅のすぐ前に住宅街が広がっており(今では名阪特急もいくらか停車するようになり、住民にとっては非常に便利ではありますが)、やや計画性を欠くように思いました。

私は、桔梗が丘駅は近年の近鉄による宅地造成に伴って開業した駅だと思いこんでいたのですが、帰ってから調べてみたところ、1964年から存在する駅だったのですね。(支線の廃止の代替として設けられたとのこと)
桔梗が丘駅から伊賀市(旧上野市)に向かう国道368号線沿いには、緑が広がっていたりして、宅地供給の余力はまだかなりありそうです。(ただし、一時は人口が急増していた名張市ですが、近年は頭打ちとのこと)

※表記の不統一を訂正
[60330] 2007年 7月 29日(日)02:32:17【2】faith さん
校名変更
[60325] k-ace さん

青藍泰斗だけでなく、校名変更や高校の統合でどこにあるのか分からない高校や元の何高校か分からない高校が続出です。
新しい校名についてはコメントしませんが、100年近く続いた校名をねえ… もったいない話です。

最近の高校名の変更や統合による新校名は、所在地よりも学校名に(かっこう)いいイメージ(ブランド)をもってもらい、入学してもらいたいという高校側の意図(私立、公立問わず)のうちの一つとも見えるような気がするのですが…。

こういう場合、地名は「大阪」などすでに記号化したもの以外、あまり使われませんね。

高校名が「市立咲くやこの花高校」なのには驚いた。
古今和歌集が出典ということは知りませんでしたが、おそらく大阪の多くの人は、この校名から、1990年の「花の万博」の「咲くやこの花館」を連想するのではないでしょうか。

なお、この夏の富山県の代表校である桜井高校の所在地が分からなかったのは、ただ単に私の勉強不足です(汗)。
これは地鉄の駅で知ってました。…と書こうとして今確認したら、あれ?電鉄桜井って、もうないの?
15年以上前に「電鉄黒部」になってたのですね。

※改行を一部削除
※※校名変更の実例に関する言及を削除
[59635] 2007年 7月 5日(木)01:41:26【1】faith さん
駅名改称論
[59631] 伊豆之国 さん

他の方も似たことを書かれていますが、この問題については、「何に重きを置くか」でいろいろな意見が言えることで、誰もを納得させるような力を持った、一般的な結論は出ないでしょう。
また、駅の性格によっても違うと思います。
たとえば、(例の2駅とは違いますが)広い地域からきた多くの乗客の乗換駅であれば、これまでの駅名との継続性が多くの場合重視されることでしょう。
例の2駅についても、「受験生が間違って降りる」ことの防止可能性を論拠にするのであれば、改称すべきという主張もできますし、駅名への地域住民の愛着や、改称にまつわるコストを論拠にするのであれば、改称すべきではない、という主張もできます。
いずれが論理的に正しいというものではないと思います。

※「防止を論拠に」→「防止可能性を論拠に」
[59528] 2007年 6月 30日(土)16:19:36faith さん
普通の公立小学校の校名がその地区の地名の由来になった例
[59523] MasAka さん
普通の公立小学校の校名がその地区の地名の由来になった例

公式の地名ではなく、通りの名称(京都市では地名のように使われることもありますが)ですが、京都市立紫明小学校も、校名が先行しているようです。
[59406] 2007年 6月 24日(日)17:07:21【1】faith さん
岡山は西と東がぶつかりあう地域
[59386] hiroroじゃけぇ さん
多くの企業が岡山で足止めを食らう中、中四国や九州に店舗網を拡大できた点は素晴らしいのではないでしょうか。実際、関西発の企業で岡山止まりには、「ニノミヤ」や「イズミヤ」などがありますし。かの「イトーヨーカ堂」でさえ、岡山店から福山店まで時間が少々かかりました

広島県まで行くと、広島や、さらに西からの企業が相当の勢力をなしており、たやすく進出できないということではないでしょうか。
家電では広島発祥のデオデオ(旧ダイイチ)や九州発祥のベスト電器があり、スーパーでは広島発祥のイズミや松山発祥のフジがありと、消費者が接する企業の顔ぶれも関西とは明らかに違います。(ダイエーは4店ほどありましたが、最近いずれも閉店しました)
距離的にも関西の続きとして進出できる限界が岡山ということかと。その代わり、上記の「西」発祥の企業も岡山県に進出しており、ちょうど両者がぶつかりあう地域となっています。(フジは岡山県にはありませんが)

ここでいう「フジ」はこれです

※イズミに関する言及を追加。
[59283] 2007年 6月 20日(水)00:56:07【2】faith さん
くろがね,etc.
[59189] 中島悟さん
[59181] Issieさん
[59179] じゃごたろさん

書きながら、そういえば銅は赤いなあと思ってたのですが、あかがねという言葉があったのですね。あをがねに至っては、考えたこともなかったのですが、確かに写真でみると鉛は青いです。
個々の単語の造語力が生きていたころのやまとことばには、世界をあっさりと表現する独特の趣がありますね。

古代の日本人は,黄色を独立した色彩としては区別せずに,赤の範囲に含めて把握していた。色名としての「黄」が確立するのは平安時代に入ってからのことらしい。
「黄色」という言葉で現代日本語では表現される範囲も「あか」で表現していたのですね。
(もっとも被験者が使用する言語にかかわらず色自体は識別可能という実験もあるので、区別が付かなかったのではないと思いますが)

「くろがね」といえば?という謎かけを身近な同世代の人間に試してみましたが、「デスク」もロボットアニメも出てきませんでした。
「デスク」の方のメーカーは今も健在のようです。
くろがね工作所

[59264] 油天神山さん他

広島では、「レンコンの天ぷら」が「ハスの天ぷら」と呼ばれていました。大きな葉を揚げた、それまで食べたことのないようなものが出てくるのかと期待した記憶があります。
もっとも、大阪育ちである、油天神山さんの奥様も「ハスの天ぷら」を使われていたとの由([59209])。私自身は関西でその言い方を聞いた記憶がないのですが、個人差もあるのかも知れません。

※「言語にかかわらず」→「被験者が使用する言語にかかわらず」「区別可能」→「識別可能」に表現を修正
※※"?"を"?"(半角)に変更
[59175] 2007年 6月 16日(土)19:24:45【3】faith さん
色の表現
[59143] Issie さん
したがって,日本語の極めて根源的なレベルにおける“色”の表現は極めて貧弱

古いラテン語でも、「青」を表す単語が実は存在せず、「ペルシャの」という形容詞("persus") で代用していたという話を思い出します。
少し時代が下がった"blavus"(フランス語の"bleu" もこれに由来)はゲルマン起源ですし、スペイン語やイタリア語の青("azul", "arurro")はペルシャ語に由来します。
フランスに Co^te d'Azur と呼ばれる地域がありますが、「青い海岸」ですね。(と何とか地理ネタに)

「茶色」のように、その色を持つものの名称で、色の名前に代えるパターンは多いですね。日本語では「金色」「銀色」「灰色」「山吹色」「肌色」(最後のは"PC"とは言えませんが)などいくつも挙げられますし、ラテン語の"persus" が青を指すのも、ペルシャ産の顔料から来たものらしいとのことなので、似たパターンといえそうです。
(この項「ロマンス語の話」(大学書林)を参考にしています)

根源的な色と思われている単語も、実は何か物の名称から端を発していることがあるのかも知れません。

金や銀は大和ことばでは「こがね」「しろがね」ですが、「こがね」については「こがねいろ」「こがねむし」など、多少の造語力を発揮していた痕跡が残っていますね。「しろがね」についてはスキーの歌に出てくるぐらいで、他に使われる場面や単語を作っている例を私は知りません。
鉄は「くろがね」ですが、私の世代では「くろがね」といえば、おそらく「デスク」と返ってくるものと思います(笑)。ロボットアニメの主題歌を思い出す人もいるかな。

誰ですか?「四輪駆動」とか言ってるのは。

※後半(「金や銀は…」以降)を追加。
※※「くろがね」の用例を加筆。
※^3 ラテン語に「古い」を付けた。
[58984] 2007年 6月 11日(月)01:44:51【1】faith さん
バスの町
[58883] みかちゅう さん
[58867] 敷守ほむらさん

オムニバスタウンという言葉自体、知りませんでした。(結局は「バスの町」ということですね)
ただ、このような「称号」を持っていてもいなくても、バスを便利にしようという考えは多くの都市にあるようで、

・料金均一(低廉)の、観光客も考慮した循環バス

みたいなものは良く見かけます。(例えば仙台とか鳥取とか)。

首都圏や関西圏では、事業者共通のICカードが路線バスで利用できるようになってきたので、乗客からすれば、いつも使っているICカードでバスに乗れることになりますね。
初めてのところにバスで行くときなど、最終的に料金がいくらになるかが目的地の直前まで分からず、小銭の用意がストレスになったりしますので、(バス事業者にとっては、当初は費用はかかりますが)、ICカードの導入は、乗客確保という意味ではプラスだろうと思っています。どうなることでしょうか。

※誤字・脱字訂正
[57870] 2007年 4月 8日(日)03:30:58【1】faith さん
いろいろレス
しばらく書き込みが途絶えていました。返すべきレスが返せておらずすみませんでした。

[57096] ぐりゅん さん
小学校付属?幼稚園
情報ありがとうございました。私は、このような「付属」というのは、教員を養成する機能を持つ教育機関に付属していることを表すのかと思っていましたが、そうでもない例も多くあるようですね。
設置者が同じ学校法人であることを表示しているにすぎないケース。(他にも多数例あり)
土浦日本大学高等学校付属幼稚園

教えて頂いたような、公立学校の場合、そのような表示を行う理由もないわけですが、小学校区ごとに幼稚園を配置して、初等教育の一部を受け持たせるという狙いを持っているところもあるようです。
久御山町:幼稚園

[57089]N-H さん
看板
文字の氾濫が嫌いというのではないのですが…
例えば、2~3階建てのビルの上に、1階分以上の高さで突き出た「○っぱえびせん」(特定企業がどうというのではなく)という看板などを醜悪と感じ、撤去すれば良いのにと思っています。(中小都市ほど、建物が小さくなるためなのか、目立ちます)

[57127] むっくん さん
字体の入れ替えについては、手を入れるべきでないところに手を入れたという感があります。

※誤字、脱字訂正
[57084] 2007年 2月 28日(水)02:04:20【5】faith さん
葛城市、韓国の鉄道の旅
遅い上にあまり本質的なことではありませんが

[56589] Issie さん
[56587] 今川焼 さん
「高等教育機関のない市」:葛城市
「“高等”学校」という呼称にだまされがちなのですが,教育行政や教育学の世界では現行の「高等学校」(←今さら「“新制”高校」もないですね)は,「後期中等教育課程」に分類されます。
「学校教育法第一条に定められた学校(一条校)は幼稚園、小学校、中学校以外に存在しない市」とでも書くと正確ですね。
ところで、名称だけの問題だと思いますが、ここには、市立小学校の附属幼稚園なるものがあります。
磐城小学校附属幼稚園

ちなみに、これはWindows Vista の入ったPCで書いているのですが、葛城市の「葛」が正字体で表示されています(下の部分がL+人)。正しい市名は「葛」の下の部分がヒである略字体なので(こういう書き方をしても訳が分かりませんが)、これから多少混乱の種となりそうですね。

ただ、「JIS X 0213:2004で正しく市名の字体が表現できない市」というのも葛城市をユニークに特定する条件となるかも知れません。(調べてません)

[57082] むっくん さん
[56991] 熊虎 さん

私も、ソウルから、東大邸を通って慶州まで鉄道で旅したことはあります。もう10年近く前なので、KTXはなく、ソウルから東大邸まではセマウル号でした。大陸らしい低いホームやアナウンスの前の、日本だったらジングルが流れるところで、行進曲が流れるところなど、細かいところに日韓の違いを感じました。

※韓国の鉄道の話を追加。それに伴ってタイトル変更。
※※「しか存在しない」→「以外に存在しない」(舌足らずなので修正) 「JISX」→「JIS X」(誤記を訂正)
※^3-5「となっています」→「で表示されています」(意味をより明確にするために修正)
[57080] 2007年 2月 28日(水)01:11:31【2】faith さん
半鐘なるもの3
[57076] YSK さん
私の居住する地区にも火の見櫓があり、半鐘が吊るされています。

そうですか。火の見櫓も私が住んだことのあるところでは見ないですね。
[57079] EMMさんの、茨城県のバス停に関する報告は実に興味深いですね。確かに私の住んだところでは、消防は消防署の人が行うことになっていて、地域の消防組織などはありませんでした。

少し話は違うのですが、谷内六郎さんの絵で、「お医者さんの赤いランプ」というのがあり、昔は赤い電球が開業医の家には付きものだったことを知ったことがあります。(今も少しは残っているようです。)
数十年前は普通に存在して、今は失われつつある物は多いのでしょうね。

ところで、話はまた飛びますが、奈良市では平城京遷都1300年記念事業ということで、大工事が行われています。特に、JR奈良駅近辺は、鉄道高架化をはじめとする様々な工事が進行中で、ひどく「散らかって」おり、遷都1300年となる2010年までに収拾が付くのか心配になるほどでした。
いつも思うのですが、日本の街って、建物の上方や前方に突き出た大きな看板が多いですよね。あれをなくすだけでも、景観は改善すると思われます。

特殊事情があった影響です。
了解しました。かなりの書き込みを消さなくてはならなかったのですね。ぐりぐりさんの苦労が偲ばれます。

※誤字訂正
※※表現訂正。[57079] EMMさんへの言及を追加。
[57075] 2007年 2月 27日(火)23:32:55faith さん
半鐘なるもの2
[57047] 油天神山 さん
地域性があるようなものではないと思いますね。
[57065] hmt さん
京の鐘楼 を見ると、竜安寺半鐘・金福寺半鐘が出ています。小型の梵鐘ですね。
神戸の「青木祭礼だんじり」のようなお祭の鳴り物としての半鐘も存在するようです。
ありがとうございました。関東ではポピュラーであるが、関西では知られていないのか?という私の想定は全く外れていたようですね。
大阪市消防局(消防の活動 消防の歴史 消防器具)というのも見つけました。ただ、まだ多く実用に供せられている地域とそうでない地域はあるのかも知れません。

銅鐸文化圏の関西こそ半鐘の故郷かもしれない
関西の出でありながら、半鐘という言葉さえ知らなかったfaith には
半鐘はいけないよ、おジャンになるから
という高尚なタイトルも理解できませんでした。情けないことです。

話は変わりますが、hmt さんの[57065]からのリンクは、index.html#xxxxx とあるべきところが57000.html#xxxx となっていて、引用発言に跳べないようですが、書き込み環境によってリンクのつき方が違うのでしょうか。(いずれ57000.html となるので問題は解消しそうですが)
[57033] 2007年 2月 25日(日)23:01:56faith さん
半鐘なるもの
ご無沙汰しております。
最近「半鐘」の盗難のニュースがいくつか報道されていますが、「半鐘」って地方によってはよく見かけるものなのでしょうか。関西ではあまり見ないような気がします。
というか、faith の無知と言われればそれまでですが、今回の事件まで実は「半鐘」という言葉さえ知りませんでした。
報道されている事件も茨城県・栃木県の例ばかりなので、もしかして関東では誰でもが知っているようなものなのか?とも思いましたが、実際はどうなのでしょう。
[55982] 2007年 1月 7日(日)01:12:39faith さん
道路特定財源
今年もよろしくお願いいたします。
[55675] 役チャン さん他「鉄道と道路」スレッドの皆様

自分から話題を出しておきながら、その後別のことで忙しくなってしまい、反応が遅れました。
その間に話題が発展して終わって?しまっているかも知れませんが、まとまりのない私見を。
ヨーロッパは鉄道の上下分離が進み、インフラは道路などと同じ公共財という考えのもとで国や地方自治体の経費負担による保守作業がきちんと行われています。これにより鉄道と道路との競争が、ある程度公平な条件のもとで行われることになります。
道路も、鉄道も同じように公が負担するというのであれば一定の公平性があると私も思いますが、道路特定財源で鉄道を整備するということが公平といえるかどうかは個人的には怪しいと思います。
道路特定財源を他に回すということについては議論はずっとあったと記憶しています。特に旧国鉄の債務を解消するのに用いるべきだという議論もありました。
今もそのような主張はなされることがあるようです。
政府・与党の道路特定財源の見直しについて(談話)
これが実現しなかったひとつの理由には、国鉄の債務を自動車ユーザーが負担することが「公平」ではない、と考えられたこともあるでしょう。

わが国では、道路特定財源の余剰分の一般財源化の議論があるものの、それを鉄道のインフラにまわすという議論が起きません。その理由はいくつか考えられますが、根本的なことはわが国が自動車工業国だからだと思いますが、いかがでしょうか。
 私は、これは当を得ないと思います。旧大蔵省は道路特定財源の一般財源化を望んできましたといわれます。
 それが実現しなかったのは、「道路族」と呼ばれる政治家の抵抗に直接の原因があるとは思いますが、彼らも全くの不正義を自己の利得のために主張しているというわけでもなく、ガソリン税などの自動車関連の税金が道路を整備するために使われるという「受益者負担の原則」にはそれなりの説得力があるのも事実です。
 有権者の多くが自動車ユーザーかその家族です。彼らが自動車税やガソリン税を自分が使うわけでもない遠い地方の鉄道の整備や補助に用いることを望んでいるか、問わなくても答えはあきらかでしょう。「道路整備に使わないんだったら税金を下げてほしい」というのが多くの自動車ユーザーの感覚だと思います。
 ただし、その地域の鉄道交通(たとえば、小田急の複々線化に、東京都(あるいはその一部)で徴収されたガソリン税を充てるとか、そういう切り口であればある程度の説得力も持ちえるでしょう。
 結局、一般の自動車ユーザーが納得できる形での使用方法を提示できなかったことが、これまで道路特定財源の公共交通整備への活用が実現しなかったことの大きな要因だと思うのですが、どんなものでしょうか。
[55673] 2006年 12月 25日(月)03:57:11【3】faith さん
新車の投入、道路と鉄道
[55671]hiroroじゃけぇ さん
[55661]小松原ラガー さん

個人的な趣味でいえば、国鉄時代からの車両がいろいろと手が入りながら使い続けられるということには肯定的です。資源の有効利用という意味もありますし、実際に結果をみてもなかなか悪くないと思っています。(103系のいわゆる「N40」とか)
(JR東日本で次々に投入される特急用車両のデザインを見るにつけ、このように30年、40年使われうるものなのか多少疑問が残ります)

とはいえ、利用する立場からいえば、新車に如くものはなく、hiroroじゃけぇさんが残念に思われるのは分かります。ただ、小松原ラガーさんも指摘されていたように、JR東日本とは経営状況も異なりますので、仕方ない面もあるのかと。(実際、「くろしお」でも381系が未だに主力のようです)

鉄道と道路の対抗ですが、いろいろな考え方はあるでしょうが、

[35267] 紫魔法師[あんどれ] さん
[35264] Issieさん
[35252] faith
[35250] sutekinaおじさん

などでも論じられているように、貨物に限ってもいまさら「鉄道」にモーダルシフトすることが現実的でないところまできており、道路整備自体はすすめざるを得ないのではないかと思います。
それに、ヒト・モノによらず、輸送需要の多くの部分を柔軟性の高い道路交通がまかなっていることで、人々が恩恵を受けている面は確実にあると思います。
(例えば、宅配便など、幹線もトラックでまかなっていなければあれほど便利なものにはならなかったでしょうし、列車を頻発させるほどの需要がない区間でも、バスであれば頻度を確保することができます)

結論を手短に言えば、「やくも」のリニューアルに期待しましょう、ということになりますか(笑)。
実は、関西の、特に大阪近辺からだと山陰に行くには智頭急行や播但線経由が多く、個人的にはあまり利用機会がないのですが。(ただし趣味的な理由で(伯備線ではありませんが)今はなき急行「砂丘」に乗車したことは何度かあります。)

※(伯備線ではありませんが)を追加
※※誤字訂正
※※※「近いことを言われていた」→「指摘されていた」、発言者名誤り訂正
[55643] 2006年 12月 23日(土)03:09:18【1】faith さん
ペーターゼン式
[55641] 小松原ラガー さん
それと大阪市で16年ぶり(延伸は除く?)の地下鉄の新線である8号線(今里筋線)ですが、こんな記事で叩かれています。確かに梅田も難波も通らないこと
大阪市営地下鉄の路線網のように、都心部は碁盤の目で、郊外に近づくと八方に広がるタイプをペーターゼン(Petersen)式というらしいですが、都心部をもともと通らない今里筋に地下鉄を引くにあたっても、この類型を比較的忠実に踏襲していますね。
分かりやすいのは良いと思います。
一方、東京に仕事で行って地下鉄で移動するときは、乗り換え案内サイトでも使わないとどう行くのが効率的なのか分からなかったりします。

どうでも良い個人的な趣味ですが、東京の地下鉄では、主要道路に沿って南北に走る都営浅草線に(標準軌ということもあり)親しみを感じてしまいます。

※誤字訂正
[55559] 2006年 12月 17日(日)02:29:14faith さん
堺市のLRT
[55537] 小松原ラガー さん他
堺市も尼崎市と似て、市内を縦断(横断)する鉄道が複数あり、それらを横断的(縦断的)に結ぶ公共交通機関がやや弱い
確かに、堺市の南北方向の交通は、大阪府南部、和歌山県と大阪市を結ぶ交通軸にあるため、鉄道路線だけでも阪堺線の他に、南海電鉄南海線、同高野線、JR阪和線と充実しています。
一方、東西方向の公共交通機関というとバスになり、堺駅と堺東駅との間の「シャトルバス」があるものの、南北方向に比べると弱体です。
ただし、これが東西方向の交通需要に見合ったものであるとも言えます。「シャトルバス」をLRT化したところで採算が取れるのか、多少ともこの地域になじみがある私は、素朴に疑問を持ってしまいます。

と書いたところで、いきなり採算性を無視した話ですが、堺市の計画でもなぜか無視されている(ような)のが、阪和線の堺市駅との連絡ですね。
[55402] 2006年 11月 30日(木)23:46:52faith さん
ぬれ煎餅
[55305] futsunoおじ さん
前社長が1億以上横領したとかで、資金不足で車両検査ができず、運行に支障がでるということです。
 そういう事情があったとは知りませんでした。
 私は銚電の「ぬれ煎餅」は知らないのですが、新潟県の「I 製菓」のものは近くのスーパーで手に入るので時々食べます。 大手の「K製菓」でも同類のものを出してますし、他にも製造している所は結構あるようですね。 でも、銚電が「元祖」ということでしょうか。
 銚子にはぬれ煎餅のメーカーが他にもあるようですので、「銚電」が元祖ではないかも知れません。銚子名物とのことですが、発祥の地も銚子なのでしょうか。
 実は、この記事を読むまでぬれ煎餅なるものを知りませんでした。早速(新潟の米菓メーカーの製品を)近所で買ってみました。私自身は悪くないなと思いましたが、友人に食べさせると「しけった煎餅みたい」とのことでした。というぐらい関西ではなじみのない食べ物ですね。
[55400] 2006年 11月 30日(木)23:27:47【1】faith さん
Time to Take the Keys Away?
[55390] N-H さん他
開発途上国でしたら、まあ元々あまり自宅から動かず、家族も大家族ということなのでしょうけど、たとえばアメリカなどはどうしてるんでしょうね。
都市部以外では老人だけの家族ってのは少ないんでしょうか。
 アメリカでは年老いた親(あるいは祖父母)にいつまで運転を許すかというのはそれなりに重要な問題らしく、タイトルのような記事や議論はネット上でもいくつも見つけることができます。
 かの国では、運転できる(自分で動ける)ということに精神的な意味を見出している老人が多いとも聞きます。

[55294] かぱぷう さんを始めとする「北部九州」スレッドの皆様
私の不用意な言葉遣いから、充実した議論になり(笑)、驚いています。皆さんの議論は参考になりました。

※最後のセンテンスを追加
[55287] 2006年 11月 22日(水)02:10:37faith さん
北部九州
[55239] 有明つばめ さん
少なくとも、大牟田市民から見れば下関市に親近感が湧くことはまずないです。
かといって、下関市と福岡市や北九州市との結びつきを否定するわけではありません。
というか、そもそも「北部九州」の定義からして曖昧なところがありますが‥‥。
すみません。「北九州市」を最初は考えたのですが、そこまで限定しなくても…と思って「北部九州」と見慣れない用語をでっちあげてしまいました。
まあ「北九州市およびその周辺」とでも読み替えてやって下さい。

私が望むのは、都道府県合併というよりは都道府県再編ですね。
私も、合併と平行して、「線の引きなおし」も行えば良いと思います。例えば(あくまでも例です)福井県と富山県が合併する際に、福井県南部は滋賀県に合併するとか。

全然関係ないですが、銚子電気鉄道が、「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。ぬれ煎餅を買ってください」と呼びかけています。
[55230] 2006年 11月 18日(土)14:52:05【6】faith さん
Re:道州制の区割り
[55056]みかちゅう さん
せっかく都道府県の枠組みを越えた道州制の議論をするのですから、従来の都道府県の枠にとらわれない区割りはできないものでしょうか。
[55215] ryo さん
県単位」でのブロックまとめにしか考えられていないのはおかしなことです。
現状の枠を外すことも考えてこそ、道州制の意義が深まってくるように思います。

この意見に賛成です。同じ府県内でも、地域によって他府県との結びつき方も、その相手も異なるのは当然で、現在の府県の枠組みを前提にしてしまうと、異論が数多く出ることでしょう。
ただし、他地方との結びつきが強い、ということで分離していくと、最終的には吸引力の強い大都市を中心とした円を欠き取った残りのようないびつな「州」ができてしまいますが…

[55224] 有明つばめ さん
大牟田市の例は遠い地域の人間には気が付きにくい例ですね。
[55094]のN-H さんの
岡山と香川の結びつき以上に山口と福岡の結びつきは強いのでは?
という意見に関しては、そうなのかな?という感じですし。
これも県単位で言い切ることに無理があるのかな、と感じています。
下関市と北部九州であれば、岡山市と高松市と同じような緊密な結びつきがあってもおかしくないし、逆に岩国市は広島圏の都市であって北部九州との結びつきはほとんどありません。岡山県でも、津山市が、高松市と同じ生活圏に属するとは言いがたいと思います。
したがって、例えば「岡山市と高松市は一体の生活圏」→「岡山県と香川県は切り離せない」→「四国と中国は一体に」というのは実は2段階の飛躍があるわけですね。(hiroroじゃけぇさんの持論を殊更にあげつらっているのではなく、一例です)
[55094] N-H さんも似たことをすでに指摘されています。

[55188] ペーロケ さんの
逆に言えば、近隣と全く交流がない地域の方が珍しいと言えます。しかし、道州制は、ネットワーク間に強引に線を引いて分断する作業、とも言えます。
に結局は帰着してしまいますし、その分断が、人々の生活や経済活動を阻害するものであれば、そのような「道州制」は有害なものでしかないと思います。

もちろん、そのような問題が少ない都道府県同士の組み合わせもあることでしょうし、都道府県の境界を越えた人々の流動や経済活動は普通に行われています。
そのように考えていると、[55130] 役チャン さんの言われるように、都道府県合併から始めるので良いのではないかという気がしてきました。もっといえば、「(道州制はやめてしまって)都道府県合併だけで良いのでは?」という気もしています。強制力はありませんが、ある程度の効率化は図れますし、ネットワークの分断も少なくて済むと思います。

※最後の段落に加筆、「2段階の飛躍」の後の()に「殊更に」を挿入
※※さらに加筆
※^3 「位置によって」→「地域によって」「切り取った」→「欠き取った」
※^4 [55094] N-H さんへの言及を追加。改行を削除(1箇所)
※^5 「同じことをすでに」→「似たことをすでに」
※^6 「都道府県合併だけで」の前の()を追加。「必ずと言っていいほど異論が出ます」→「異論が数多く出ることでしょう」
[55184] 2006年 11月 16日(木)00:11:27faith さん
米沢九湯
[55183] 般若堂そんぴん さん
もし米沢にいらっしゃるのでしたら,是非,声をお掛け下さい.時間が許せば,運転手ぐらい
そんな畏れ多い…
でも、暖かいお言葉、ありがとうございます。私、「米沢ファン(笑)」なので般若堂そんぴんさんの書き込みを参考にさせて頂いております。

因みに,米沢市民で「米沢八湯」に親しんでいる人はあまりいないのではないか,と思います.「米沢九湯」の方が一般的のようです.
笠松鉱泉は知りませんでした。「鉱泉」というと、つげ義春氏の旅日記を想起します。
[55177] 2006年 11月 15日(水)21:53:45faith さん
米沢八湯
[55175] 般若堂そんぴん さん
[54517] かすみさん

米沢八湯という言い方は知らなかったのですが、そのうちの二湯(姥湯・新高湯)には入ったことがあります。
他の「六湯」も含めて、もっと頻繁に行きたいところです。前にも書きましたが、米沢やその近くの方が羨ましいです。
[55173] 2006年 11月 15日(水)20:30:03【5】faith さん
色々な分かれ方があってもいいと思います
[55163] hiroroじゃけぇ さん
私は、「結びつきを強める」ために同じ州にすることはありだと思います。「結びつきを強めたい」地域同士が、同じ州になったことで更に交流が進むとなれば、それはまた良いことではないでしょうか。
一般論として、地域同士が同じ州に属したいと思っているのであれば、同じ州に入れば良いように思います。重要なのは当の住民がどう思っているかですね。
たとえば[55133] hiroroじゃけぇ さん
今、このようにして結びつきを高めようとしている4県を分離してしまうのも、なかなか納得できないものがあります。
ですが、この4県の県民はどう思っているのかが知りたいところですね。

[55133]hiroroじゃけぇ さんの
中四国が一緒になるからといって、必ずしも流動が活発になるとは思っていません。また、「マリンやくも」の失敗から考えれば、もっと交流しやすい環境でないとならないのも理解できます。だからこそ、新たな挑戦としてのブロックであってもいいと思います。
などを見ていて、先にも書いたとおり、まず「中国四国で1州をなすべき」という結論ありきで話をされているように見えるのが気になり、いろいろと口を挟んでしまいました。
私自身は「中国と四国が1州となるべきでない」とまで思っているわけではありません。当事者(どこかの知事とかではなく、各県の県民)が望んでいるようになればそれで良いと思っています。
ただし、道州制を都市間競争の切り札にする思惑が一部の都市にあるとすれば、個人的には気に入りません。道州制は、特定の都市や地域のために導入されるわけではないと思いますので。

再び[55163] hiroroじゃけぇ さん
faith さんの引用からすれば、基本的に受験地は決められていると捉えてもよいのではないでしょうか。例の家庭教師の先生の話は5年前のことですが、「全員四国で受けるから、試験はやりやすかった」とも言ってました。
結果的に同じことですが、高松市の方が広島市より近いからそこに出願しているだけのように思いますが…
下記によれば(単なる掲示板の情報ですが)どこで受けるのも可能なようです。
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/doctor/1108262255/13-16

※一部表現修正
※※同上
※※※余計な改行を削除。漢数字をアラビア数字に修正(各1箇所)
※^4 誤字訂正
※^5 「嫌悪感」を少しやわらかい表現に変更
[55156] 2006年 11月 14日(火)21:43:03【1】faith さん
医師国家試験、中国四国厚生局
[55146] faith
受験者の居住地域と受験地の関係については分かりませんでしたが、お話の通りとすれば、岡山県が四国ブロックに入っていることに多少の意外さは感じるものの、岡山県の受験者にとっては広島県より香川県で受験した方が便利だろうと判断されてそうなっているのであれば、柔軟な措置という気がします。
これについては、[55146] に追記したように、事実誤認の可能性が高そうです。
少し調べてみると、試験地は居住地とは無関係に選択できそうです。中国四国厚生局:国家試験のお知らせ
には
試験地『広島県』(管理栄養士は『岡山県』)での受験を希望する場合は、中国四国厚生局から願書等記載要領を取寄せて、受験申込をしていただくことになります。
願書等記載要領の請求方法
その他の試験地での受験を希望される場合は、管轄する厚生局に申込をしていただくようになります。
要するに、どの試験会場で受験するかは各受験者の裁量に任されているということのようです。
hiroroじゃけぇさんの家庭教師をなさっていた方が言われていたのは、(制度や試験地が現状と同じだったとすれば)「岡山の医学生の多くは、医師国家試験を(広島ではなく)高松会場で受験している」ということだったのではないでしょうか。

一方、上でも分かるように、厚生労働省には中国四国厚生局という組織があり、hiroroじゃけぇさん式に?中国地方と四国地方を一体化しています。(ただし、四国地方には支局を置いているようです。)

※誤字訂正
[55146] 2006年 11月 14日(火)06:17:27【7】faith さん
境界を引く
[55133] hiroroじゃけぇ さん
逆に高等裁判所は、今後の一般市民の参加を促すために、これこそアクセスしやすいところに設置するのがよいと思います。
なるほど高等裁判所はそうですね。(ただそうなると、現在地でもアクセスが悪いというほどでもなく、そのままで良いということになってしまうかも知れませんが…)

さらに、鳥取-岡山-香川-高知というつながりでは「三海ライン」とういものがありまして、高速道路で米子から高知に到達できるようになってから、4県による交流活動が行われています。
今、このようにして結びつきを高めようとしている4県を分離してしまうのも、なかなか納得できないものがあります。
これまでだって「州」という裏づけがなくても4県がそのような交流をしてきたわけですから、中国地方と四国地方が同じ州になってもならなくても、そのような交流は今後も続くことでしょう。
結局、行政区画と実際の経済活動や人々の流動とは別だということだと思います。

もっと交流しやすい環境でないとならない
「結びつきが強いから」同じ州にするというのは分かりますが、「結びつきを強める」ことを目的として、そのために同じ州にするというのでは話が逆でしょう。
(そういうので良ければ、たとえば、鳥取県や徳島県は阪神地域との結びつきをさらに強める「ため」に「近畿州」に編入すべきだという議論だって成り立つわけです。)

さらにいえば、違う州に属する地域間の交流を阻害するような道州制では、経済活動にたちまち支障をきたしてしまいます。

### 「中国地方・四国地方を1つの州にすべき」という結論が先にあるということはないでしょうか。

以前、岡山大学の医学部にいた家庭教師の先生が、「国家医師試験で、岡山は四国4県と同じブロックだ」と言っていました。このような歪みも、道州制導入後は解消されるのでしょうか

厚生労働省:医師国家試験によれば
試験地 北海道、宮城県、東京都、新潟県、愛知県、石川県、大阪府、広島県、香川県、福岡県、熊本県及び沖縄県
ということです。
受験者の居住地域と受験地の関係については分かりませんでしたが、お話の通りとすれば、岡山県が四国ブロックに入っていることに多少の意外さは感じるものの、岡山県の受験者にとっては広島県より香川県で受験した方が便利だろうと判断されてそうなっているのであれば、柔軟な措置という気がします。(それの何が「歪んで」いるのでしょうか。)

→後に、現状では事実誤認を含んでいる可能性が高いことが判明。(別発言にて記載)

道州制が導入されても、「公的試験の会場は『州』に1箇所だけでなければならない」とか「会場は『州都』に置かなくてはならない」というものでもないでしょうし、「州」の境界や「州都」の位置とは無関係に、総合的にもっとも望ましいように試験地の配置をすればよいと思われます。
むしろ、「州」の境界や「州都」が社会のすみずみに登場するといろいろな面で不都合が出てくるということをこの例は暗示しているのではないでしょうか。

※少し加筆。第1段落を削除
※※一部のセンテンスの順序を入れ替え。誤字訂正
※※※一部のセンテンスを削除
※^4-5 分かりやすいように言葉を補った
※^6 「さらにいえば…」のセンテンスを追加
※^7 「後に、現状では事実誤認を…」の注記を追加
[55127] 2006年 11月 13日(月)00:36:37【2】faith さん
アルビレックス、米菓
[55124] 逆太郎 さん
種目は違いますが、これだけ似たような名前があるとややこしいような気もしますが・・・
あえて「新潟」統一ブランドとしているのでしょう。
[55084] futsunoおじ さんが言われている北信越BCリーグなる独立の野球リーグが立ち上がろうとしていることはごく最近知りました。
米国で"the Big Four"(野球/アメフト/バスケットボール/アイスホッケー)があるように、日本でも野球/サッカー/バスケットのフランチャイズが各地域に置かれる時代がくるのでしょうか。

あまり関係ないですが、サッカーのアルビレックスのスポンサーとなっている、亀田製菓は所在地の新潟県の亀田町(現在新潟市に編入)に由来するのですね。米菓は今でも主産地は新潟県ということ(他にも有名な米菓メーカーが所在)、考えてみれば原材料の調達にはこの方が合理的ですね。

米菓というだけで、新潟とは関係ありませんが、鶯ボールって全国的に知られているお菓子だと思っていました。wikipedia の植垣製菓(製造元)の項を見ると
東日本や東北ではあまり知られていない。
とのことです。割と好きなんですが、関西以外ではあまり知られていませんか。
以前に回転焼(今川焼)の名称の分布が話題になったことがあるのを覚えていますが(今調べて見たところ、[21712]今川焼さん以降。ただしその前にも一旦話題になっていた模様)、この手のメーカー製のお菓子の地域分布、お菓子メーカーの勢力分布もそれなりに面白そうな話題ですね。(過去に話題になっていたらごめんなさい)

※誤字訂正、回転焼に関する話題の発言番号へのリンクを追加
※※その後の話題の盛り上がりも考慮して言及する発言番号を付け替え
[55088] 2006年 11月 12日(日)02:22:40【8】faith さん
州都、島根県と広島県の結びつき
[55083] hiroroじゃけぇ さん他
その良い例が島根県。松江からならば広島でも良いのに、岡山を経由するのが最も便利であること。それならば、いっそのこと大阪に行こうよとなってしまうのです。
そうでもないんじゃないでしょうか。
実際の統計を見てみると、島根県から広島県への流動は対岡山県、対大阪府を合わせたものの4倍となっています。国土交通省:交通機関別都道府県間流動表(年間)平成12年 (「全機関」のシートをご覧下さい。)しかもこの5年前と比べると、少なくとも島根県に対しては、広島県が持つ吸引力は相対的にも、絶対的にも大きくなっています。
島根県側も、広島県との繋がりが強いことを自覚しているようです。広島・島根の交流状況
こう見てくると、
ここは民主主義の考え方で、3対2で岡山の方がアクセスしやすい。
というのは怪しいと思います。(岡山県にそれほどアクセスしやすいのであれば、島根県の結びつきにおいて、広島県とここまで差がつかないでしょう。もちろん、ここで挙げた統計は都市間の流動の統計ではありませんが、大体の傾向はつかめると思います。)

つまり、人が集まらないと、経済を発展させることは大変困難なのです。
理想主義的な意見ですが、今更、人やモノやハコモノを引っ張ってくるような「州都」は作られるべきではないと思います。もちろん、一般市民が現在県庁で行えているような手続きは今まで通り各県で(あるいはネットによって各家庭で)行えるようにすべきで、一般市民が訪れる必要のあるような「州都」を今から建設すること自体、間違いだと思います。
所在地も既存の大都市ではなく、[55064] じゃごたろ さんが書かれているように三次市や庄原市(faith が他の例を出すとすれば高梁市)に、最小限の行政官庁と州議会(もしあれば)と高等裁判所ぐらいがあるような、静かで小さな州都で良いんじゃないかと思ってます。関西だと、京阪奈丘陵とか。
要するに、州都がどこであろうと、都市間の競争にも人々の生活にも影響しないようなものであるべきというのが私の意見です。

※誤字訂正
※※誤字訂正
※※※誤字訂正
※※※※最後のセンテンスを追加。語句を入れ替え。
※※※※※「もちろん、ここで挙げた統計は…」のセンテンスを追加
※x6/7 一部のセンテンスを論旨に関係ないと判断して削除。
[55060] 2006年 11月 11日(土)04:01:31【1】faith さん
「州都」
[55057] hiroroじゃけぇ さん

注:全ての中心地が一致するわけではないが、一致するのが望ましい
個人的な意見ですが、「州都」というものが、その「州」の全ての意味での中心都市となるべきものであれば、そんなものは岡山市にも広島市にも、中・四国のどこにも置かない方が良いと思います。
複数の極がある、というのは良いことです。経済発展というのであれば、そのような分散型の地域構造を保った形での発展を考えるべきであって、経済を発展させるためには1つの極以外は衰退しても良いというのであれば、経済発展って誰のためなの?と思ってしまうのは私だけでしょうか。

※後半を加筆
[55059] 2006年 11月 11日(土)03:39:01【4】faith さん
プロスポーツとしてのバスケットボール
実は1年前なのでニュースでもありませんが、日本でもプロのバスケットボールリーグである、bjリーグがスタートしており、今月から2年目のシーズンが開幕しました。
設立の経緯から、これまで日本のバスケットボールを統括していた協会とは折り合いが悪いようです。そのせいで、bjリーグの所属選手はオリンピックの日本代表からは締め出されたりされている状況を聞くにつけ、バスケットボールには門外漢ですが、bjリーグを応援したい気持ちになってきました。
もう一つ応援したくなる要素は、これまでプロスポーツに縁が遠かった富山県や香川県に本拠地を置くチームが加わっていることです。
今のところ、以下の8チームから構成されています。

チーム本拠地
仙台89ERS宮城県仙台市
新潟アルビレックスBB新潟県新潟市
富山グラウジーズ富山県富山市
埼玉ブロンコス埼玉県
東京アパッチ東京都
大阪エヴェッサ大阪府大阪市
高松ファイブアローズ香川県高松市
大分ヒートデビルズ大分県別府市

地方都市でもプロスポーツの市場が十分存在するということは、サッカーの新潟アルビレックスが実証したと言われています。(ところで、「新潟アルビレックス」という名称を持ったスポーツチームはいくつかありますが、資本関係はない緩やかな結びつきのようです。)
今度は新潟市よりもさらに都市規模が小さい高松市や富山市ですが、どのようなものでしょうか。

※表現を一部修正
※※チームのリストに1チーム抜けていたので追加
※※※脱字修正
[54551] 2006年 10月 23日(月)04:29:25faith さん
小型自動車競走法に残る6大都市
というほど大層なものではありませんが、この、オートレースなどを司る法律の第三条には
以下のようにあります。
(小型自動車競走の施行)
第三条  都道府県並びに京都市、大阪市、横浜市、神戸市、名古屋市、都のすべての特別区の組織する組合及びその区域内に小型自動車競走場が存在する市町村(以下「小型自動車競走施行者」という。)は、その議会の議決を経て、この法律により、小型自動車競走を行うことができる。
2  小型自動車競走施行者以外の者は、勝車投票券その他これに類似するものを発売して、小型自動車競走を行つてはならない。
ということで、都道府県以外に、オートレース開催のための「組合」を組織できるのは旧6大都市だけなのですね。もっともオートレース場があれば、そのほかの市町村でも(組合は組織できなくても)開催はできるわけで、結局どれほどの効力のある条文なのかは分かりませんが…
実際、現在オートレースを行なっているのは、いずれも旧6大都市以外のところですね。

宝くじ(当せん金付証票法)についてはどうか見てみましたが、こちらは
(都道府県等の当せん金付証票の発売)
第四条  都道府県並びに地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項 の指定都市及び地方財政法 (昭和二十三年法律第百九号)第三十二条 の規定により戦災による財政上の特別の必要を勘案して総務大臣が指定する市(以下これらの市を特定市という。)は…
ということで、都道府県政令指定都市であればどこでも、一応認められてはいるようです。(「戦災による…」は当然今では該当するところはないでしょう)
[54132] 2006年 9月 23日(土)00:28:07faith さん
名残 ~ 「立なし」公立高校、「県あり」私立高校
[54123]ezekiel さん
名残や痕跡の糸を辿ろうとする時に、
学校が基本的に文部省管轄になって、いわゆる“戦前の官立学校”
のイメージが出来上がる前の貌を浮き彫りにすることが第一歩では
ないかなあ~と考えた故です。明治19年以前(正確には明治17~8年
以前)の官立という言葉は、そういうニュアンスでの”あいまい”
だったのですが、私の言葉足らずだったようで
私が書いたようなことはとっくにご承知の上でのご発言だったのですね。
こちらこそ失礼しました。
確かに諸学校令以前には文部省以外が所管していた高等教育機関が多いですね。一方、当然かも知れませんが、この時期の府県立の学校の方が後の時期より独自性が強いと思います。
いずれにしろ、この時期の教育史に興味を持たれるとは、渋いというか、奥が深いですね。
[54106] 2006年 9月 21日(木)23:35:11【3】faith さん
「立なし」公立高校、「県あり」私立高校
[54099] ezekiel さん
でも創立が明治19年以前の学校では、官立という
表現でもあいまいですね。
この時期でも府県立、官立とも特にあいまい性はないと思いますよ。府県立、官立の師範学校や専門学校もすでにありました。(専門学校を規定する法律は、1903年(明治36年)の専門学校令を待たなくてはなりませんが)
 日本の教育に関してはもちろん昭和23年が大きな転換点ですが、
明治19年は、ひょっとしたらそれ以上の大きな意味があるのかな
あ~と。
おっしゃる通り、1886年(明治19年)は、森有礼文相が、「小学校令」「中学校令」「師範学校令」「帝国大学令」を出して、第二次大戦まで続く、学校制度の基を作った年です。この年以降をこれまでの「学制期」「教育令期」に対して「(第一次)学校令期」と呼ぶほどの、日本教育史上重要なできごとでした。

###でもなぜ明治19年の話に?


※「官立の専門学校や専門学校」の前に「府県立、」を追加
※※誤字訂正
※※※最後のセンテンスを2文に分離してにをは修正
[54084] 2006年 9月 20日(水)23:53:52faith さん
立あり、立なし 学校名
[54043] ezekiel さん
[54033] ぺとぺと さん

情報ありがとうございました。
戦前の旧制中等学校では“県名を県を含めて冠する"スタイル(県立の場合には「立なし」)
が、結構多かったのかなあ~
そのようです。ただ、「戦前」と言っても、[53908]にも書いたように、府県立中学校が一斉に改称されたりもしています。
推測ですが、(尋常)中学校は、当初は府県に設置が一校義務付けられ、当初は私立の中学校は認めていなかったため、「○○県中学校」で足りたのでしょう。(最後まで私立は認めていなかった(尋常)師範学校は、結局官立移管まで○○県師範学校であり、「立」は入りませんでした。)
山口県桜ヶ丘高等学校(周南市)
北海道栄高校(室蘭市)
香川県大手前高等学校(丸亀市)
香川県大手前高松高等学校(高松市)
広島県新庄高校
ここで挙げられた例については、[15834] 紅葉橋律乃介さんが紹介されている事情が関係していそうな北海道以外は、○○県がなければ、所在地が紛らわしいということが関係あるのかも知れませんね。
[54031] 2006年 9月 18日(月)00:04:47【2】faith さん
ひかりとのぞみ
[53980] ぐりゅん さん
[53853] 桜トンネル さん
をはじめとする「ひかりとのぞみ」スレッドの皆様

すっかり乗り遅れましたが、楽しく拝見していました。
[53958] グリグリさん
「あおば」ってもうないんですね...
[53941] YASU さん
JR東日本の例に倣い(近距離型(なすの、たにがわ)、遠距離型(やまびこ、とき)のように)、会社間にまたがるものは「のぞみ」、自社内運転は「ひかり」という定義にすれば
東北新幹線、上越新幹線も、開業したときは、東海道・山陽新幹線と同じ、
タイプ上越東北
速達あさひやまびこ
各駅停車ときあおば
という区分でした。(種別としてはみな特急ですが)
これが、東京への近距離速達列車(通勤列車など)としての機能(いわば「関東新幹線」としての使われ方)が比重を増す中で、東海道・山陽新幹線の列車愛称とは異なる発展を遂げたということではないでしょうか。
一方、吸引力が強い都市が相対的に均等に並ぶ東海道新幹線(およびその延長としての山陽新幹線)では、近距離型と遠距離形に分ける意義は相対的に小さく、当初のパターンを進化させた、速達型、各駅停車型、および近年のひかりのような「中間型」となっているのでしょう。

※誤字、脱字訂正
※※東北新幹線、上越新幹線の機能に関する表現を変更
[54028] 2006年 9月 17日(日)23:32:17faith さん
北海道の県道
[53965] じゃごたろ さん

関西でも風が強くなってきました。西の方では大きな損害が出ているようで気になります。
この場合の「県道」とは、そこまで深い意味がないものと思います。
ちょっと大仰なことを書いてしまったかも知れません。
ここで問題となるのは、すでに「府」というものがあるにもかかわらず、「縣道」という分類しかないことです。
このあたり、ある意味少し「いいかげん」ですよね。「(表現は)不正確だが、言いたいことは分かる」と学生時代に数学の先生に言われていたことを思い出します。
「戦前は島の名前に過ぎなかった」と言われている「北海道」が学校の設置主体になり得るように読める件と言い、かつての「北海道」(この例はそれだけではありませんが)の法令上での扱われ方は結構微妙なところがありますね。
[54026] 2006年 9月 17日(日)23:12:38faith さん
県名を冠する私立高校について
[54010] ezekielさん
[53981] 逆太郎さん 他

結構あるものですね。あと、
[22968] faith
[17261] まるちゃんさん
[17221] 委員長殿
などでも取り上げられている山口県鴻城高等学校などもそうですね。
このような名称を自ら私立学校が選択する理由は個人的には良く分からないところがあります。
兵庫県播磨高等学校の沿革によれば、ezekielさんもおっしゃるように、戦中に「兵庫県播磨女子商業学校」と改称したのが始めのようですが、「播磨女子商業学校」だけでも兵庫県の学校というのは明らかですし、県名を冠することにどういう意味があったのでしょうか。
[53956] 2006年 9月 14日(木)00:18:48【5】faith さん
まだまだ北海道地方費(&たくぎん)
[53950] hmt さん
また、「北海道地方費令」(勅令第18号)では、次のように記されています。
第1条 北海道地方費に関する行政は、北海道庁長官これを担任す。
第2条 北海道庁長官は、北海道地方費の行政に関し、その職権に属する事務の一部を部下の官吏または区町村吏員に委任し、または区町村吏員をして補助執行せしむることを得。
これこそ私が求めていた説明ですね。ありがとうございます。

(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
の部分には、いささか疑問を感じます。
というか、ここまでくると、これが「諸悪の根源」という感じさえします(笑)。
「北海道地方費」は、本来の意味は予算上の名目であるが、法令の条文では、「府県」のような「地方公共団体」としても解釈できるような文脈で使われることがあった用語、とぐらいに思っておいた方が良いような気さえします。
(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
はむしろ、当時の法令の条文を今見ると、このようにも解釈しうる、ということであって、当時の人々の実感からはおそらくかけ離れているのではないかと想像します。

“同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。”の「一応は」の部分にご注目ください。
こんなことを書くと負け惜しみみたいですが(笑)、hmtさんはご存知で書いておられるのだとは思っていました。
ただ、[53577]のように書かれると、「1997年に破綻した北海道拓殖銀行は、戦前に存在した北海道拓殖銀行とは同名であるが無関係なのだな」と誤解する人もいるのでは?と思いました。
(ちょうど、北海道拓殖銀行に吸収された戦前の北海道銀行と、1951年に設立された北海道銀行のように)

たまたま戦後の体制変換期となった50年後の昭和25年に、日本勧業銀行などと共に準拠法が廃止され、「銀行法」による普通銀行に転換しました。
補足しますと、日本興業銀行のように、普通銀行ではない、債券発行銀行となる道もありましたが、すでに債券発行を中止しており、資金の大半を預金に仰いでいた拓銀は普通銀行に転換することを選択したとのことです。(参考文献 「日本地方金融史」日本経済新聞社)

[53953] 北の住人 さん
「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」
これも不思議ですね。こういう表現しか取れない理由があったのでしょうか。当時の北海道を「縣」と表現するのは、政府にとっては、(府県なみの)自治権の要求を促進しかねない、避けたいことのように思えるのですが。

※北海道地方費について加筆
※※「假定縣道」などへの言及を追加
※※※参照発言番号が間違っていたので修正
※※※※拓銀関連の言及の真意について表現修正
※※※※※「北海道地方費」という用語についての解釈の表現を修正
[53955] 2006年 9月 13日(水)23:43:06faith さん
立が付かない校名
[53909] ひぃ さん
ちなみに長野県の公立高校も「長野県立」ではなくて「長野県○○高校」ですね。
情報ありがとうございます。
宮城県、長野県、北海道が、道県立の高等学校の校名に「立」が入らないようですね。
さらに「市町村立」でも「北海道~高等学校」なので、設立主体は正式名称からは分からないのが特徴です。
戦後一旦は他の多くの府県と同じように~立をつけていたのを1950年に一斉に改称しています。(このあたりの事情については[15834] 紅葉橋律乃介さんが解説されています。)
[53908] 2006年 9月 11日(月)02:58:01faith さん
県→県立
[53907]faith
中学校や師範学校の校名には「立」が入らないなど、校名に「立」が入らない公立学校は中等教育あるいはそれ以降ではむしろ普通でした。
師範学校は官立移管まで「○○県師範学校」というような校名だったようですが、府県立の中学校の校名には1901年に(ざっとみたところ)多くの府県で一斉に「立」が入っていますね。(宮城県も同様)
「中学校令施行規則」の改正が関係あるのでしょうか。
[53907] 2006年 9月 11日(月)02:15:33【5】faith さん
「北海道地方費」について
[53601][53577]hmtさん
「北海道庁」と呼ばれたことは聞いていましたが、「北海道地方費」という地方自治体があったとは初耳であり、かつ意外でした。
でも、やっぱりおかしいな…というのが、率直な気持ちです。
詳細なご解説をありがとうございました。
実は私も、「北海道地方費」が今の「北海道」と同じように使われていたとは思っていません。(もしそんな使われ方をしていたら、「北海道地方費」という用語自体、「東京府」と同じように今でももっと知られていて良いはずです。)
どちらかというと「意外でしょ?」という驚きを皆様と共有したかったというところもあります。

その性格は府県とやや異なり、経費支弁団体としての性格が強かった。
そのくだりは私も読んでいましたが、実はこの文章の意味が良く分からなかったのです。
職員などの実体を持たない、予算上の区分ということなのか?それとも経費支弁「団体」なのだから、やはり「団体」、すなわち、職員を持つような「組織」なのか?

要するに、2面性を備えた組織「北海道庁」の中で、国の機関としてフロンティア開拓を進めるための費用が「北海道拓殖費」、そして、開拓をした結果として民政の段階に移り、本州以南の府県に準じた地方団体としての統治を行なうための費用が「北海道地方費」です。
なるほど、そういう観点で
ご紹介頂いた
北海道拓殖費に関する昭和二十二年度予算編成上の措置
を読むと、「北海道地方費」は、予算上の区分のようにも、読めますね。

府県は明治の初期から存在するものであって、(hmtさんもご指摘の通り)地方三新法の制定後は、府県は中央政府に属する地方官庁でありながら、地方自治団体でもあるという二面性を次第に帯びるようになりました。このことには概念的困難はありません。一方、「三県を廃止して北海道庁を置く」という1886年(明治19年)1月26日の布告まで存在しなかった、地方官庁「北海道庁」はそのまま1946年まで存続し、一方地方自治団体(経費支弁団体)としては(「北海道地方費法」以降)「北海道地方費」と呼ばれたという構造が、hmtさんのご解説で少し背景はクリアにはなりつつも、どうもfaith にはつかめていないところがあります。

「立」の字を使わないと言えば
そういえば、公立学校の校名に「○○立」と付けるのはいつごろから広まったのでしょうか。
例えば明治初期に石川県が設立した高等教育機関は「石川県専門学校」「石川県医学校」と呼ばれていましたし、他の府県でも中学校や師範学校の校名には「立」が入らないなど、校名に「立」が入らない公立学校は中等教育あるいはそれ以降ではむしろ普通でした。設置が府県に義務づけられていたことが関係あるのでしょうか。
今でも宮城県立の高等学校の校名には「立」は入っていませんね。
簡単な観察では「市」が設立したものには、「立」が入っていたことが比較的多いように思われます。

戦後、普通銀行として営業し、1997年に銀行破綻のさきがけとなった同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。
言われていることを誤解しているかも知れませんが、「北海道拓殖銀行」という特殊銀行が戦後普通銀行に転換した、という意味で「同じ銀行」と言えるのではないかと思います。(日本勧業銀行や横浜正金銀行(東京銀行)のように)

※より文意が明確になるように「戦後まで」を「1946年まで」と訂正
※※公立学校の校名についての記述の表現を修正
※※※その他表現を修正
※※※※公立学校の校名についての記述の表現をより簡潔にした
※※※※※公立学校の校名についての記述にさらに手を入れた
[53902] 2006年 9月 11日(月)01:06:02faith さん
きざみうどん, etc.
[53877] むっくん さん
「きざみうどん」は大阪では一般的なメニューですが京都では珍しいと思います(単に私が知らないだけ?)。
え?そうなんですか。個人的にはきざみうどんはとても好きです。だしにほどよくからんだ細切りのおあげとからむ麺が… あぁ食べたい。

[53869]小松原ラガー さん
もっと要件を緩和して、地方のそれなりの都市がジャンジャンと自治というか、権限強化が出来るようにしたら、今よりも地方が活性化するのではないでしょうか。
自治体の権限強化(地方政府が中央の許可なしにやれることを増やす)も良いですが、地方の活性化のためには、企業や個人の自由度を高めることが重要なのではないかという気がしています。
多くの企業の実質上の本社が東京に移っている理由の1つに、監督官庁など、中央政府との連携の必要性が挙げられます。
かつて繊維業界団体の多くは大阪にありましたが、旧通産省が、対米折衝の関連で半ば強制的に東京に移転させたという話を思い出します。(1960年代の話であって、戦前、戦中の話ではありません。念のため)

[53884] 白桃さん
[53865] 油天神山さん
[53846] YSKさん
[53645] みやこ♂さん
[53476] k-aceさん
[53475] 88さん
[53474] 稲生さん
[53463] 般若堂そんぴん さん

あらためてお気遣いありがとうございます。こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
[53845] 2006年 9月 6日(水)22:56:34【2】faith さん
ご連絡
白桃さんをはじめ、お気を遣わせてしまった皆様、申し訳ありませんでした。
書き込みしたくなることは当然予想できたので、落書き帳を覗くことも自分に禁じており、お返事すべき書き込みにも反応できませんでした。

[53462]の「書き込みを今後は行わない」宣言は過剰反応のようなので、取り下げます。
今後ともよろしくお願い致します。
(新企画もあるようですし、)しばらくはキャッチアップに努めます。

[53846]YSKさん
あちらでのYSKさんのコメントを見てこちらを見に来る気になれました。お気遣いありがとうございました。あちら同様、こちらでもよろしくお願いします。

※未来へのコメントを追加
※※表現修正
[53462] 2006年 8月 17日(木)23:54:38faith さん
いわゆる「地理的事象」とは殆ど関係ない書き込みばかり
[53459] 白桃 さん
いわゆる「地理的事象」とは殆ど関係ない書き込みばかりのように思えますが、どうお考えなのでしょうか?
お答えいただければ幸いです。
私としては、地理的事象と関係のない書き込みをしているつもりはありませんし、これまでと違った書き込みをしているつもりもありませんでした。
率直に言って、なぜ私が「今」名指しで、「どう考えているのか答えろ」と言われるのか、戸惑っています。(他の方が出された話題を発展させているものも多いわけで、「なぜ私に?」と思います)
地域に結びついた学校史も、地方自治制度史もアーカイブにもなっているぐらいなのに、掲示板の趣旨と関係がないと言われるのは納得がいきません。
これでお答えになっているでしょうか。

とはいえ、私がどう考えようと、他の参加者を不愉快に思わせてまで書き込みを続けようとは思いませんし、その権利もありません。
が、自分の興味や(わずかな)知識のある事柄以外についての書き込みを行うことにも意義を感じないので、そういうことでしたら、今後は書き込みを遠慮いたします。

[53441] については本当に答えを知りたいと思っていたのですが、この掲示板の趣旨には合わないのであれば、皆様無視してください。

皆様、これまでお世話になりました。
この掲示板での議論は楽しかったし、ためになりました。ありがとうございました。
[53456] 2006年 8月 17日(木)22:18:08【4】faith さん
Re:謎が謎を呼ぶ
[53439] 油天神山 さん
大阪人にかなり普遍的に存在する「太閤さんにあやかりたい」という願望の発露ですかねえ。
そういうのって普遍的に存在するのでしょうか(笑)。私には分かりませんが…
ただ、それでは説明が付かないのが、大東校舎の存在はもともと期限付きとされていたことです。
「十周年記念誌」より
大阪府下の中学校卒業者数の急増・急減の時期を目前に控えて、昭和53年7月以来大阪府と大阪府私立中学校高等学校連合会との間で積極的に進められてきた「大阪府公私立高等学校連絡協議会」の第6回協議会(昭和54年9月)の同意に基づき、公私共に従来の高校進学率の維持を基本とした上で、私学は昭和58、59年度の高校進学者に対して積極的に受け入れの努力を行うと共に、府はその条件整備に対する助成に努力をすること等が申し合わされた。私中高連は、私学各校に対して募集定員増等の措置をとるように要請した。
これを受けた学校法人大阪産業大学並びに大阪産業大学高等学校は、(中略)城東区古市の大阪産業大学高等学校校地では在籍者数を増やすことはできないと判断し、比較的校地に余裕のあった大東市の大阪産業大学キャンパス内に新築校舎を立てて分校を開設して、この要請を受け入れることを決定した。(中略)
申請書の生徒募集計画の欄には、昭和64年度以降の募集はゼロであることが明記されており、大東校舎の認可が急増期の間だけの臨時の設置認可であることが分かる。
それなのに、なぜ、母体とも異なる五七の桐という校章が当時から用意されていたのでしょうか。
実は関係者は期限付きのつもりはもとよりなく、学園拡大のチャンスと捉えて大東校舎を作ったのかも知れません。
あるいは、この学校法人は桐の紋章を当時は、他でも用いていたのかも知れません。いずれにしろ真相は不明です。

[53455] 千本桜 さん
大阪桐蔭高校の場所を考えると、その方がピッタリだと思います。
コメントしづらいのですが、新設の私立学校の校歌としては「河内平野」よりは「大和平野」が好まれそうな気はします。

※余計なスペースを削除。[53455] 千本桜 さんに対するコメントを追加。
※※「十周年記念誌」引用部分の文字遣いを原文に合わせた。「建てて」→「立てて」他
※※※同上
※※※※同上
[53441] 2006年 8月 17日(木)05:29:41【2】faith さん
北海道庁と北海道地方費
現在の北海道は、戦前(正確には昭和21年まで)地方官庁としては「北海道庁」と呼ばれ、地方自治体としては「北海道地方費」と呼ばれたと言います。

現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。(誤りでしたらご教示下さい)
衆議院会議録情報 第006回国会 建設委員会 第6号に、
北海道地方費道札幌稚内線は、北海道の中央部より北海道の北に通ずる、すなわち道北に通ずる陸路唯一の交通路でありまして、その利用度は文化の交流発達に従い、逐次高率を示しておりまして、特に終戰後は進駐軍の視察、あるいは連絡上本路線を利用することが非常に多くなつて参りました。
とあります。

一方、よく知られているように、学校を初めとする、現在の「北海道立」の施設は、旧制度下では「北海道庁立」でした。
この使い分けはどうなっているのでしょうか。

また、旧制度下では、「北海道とは単なる島の名前に過ぎなかった」という記述を異なる箇所で何度か目にしたことがあります(出所は同じ可能性もあります)が、
高等学校令(大正7年勅令第389号) では、
第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス
と、「地方費」も「庁」も付かない「北海道」が「府県」と並んで出てきています。
中等学校令(昭和18年勅令第36号)に至っては、
第三条 北海道及府県ハ中学校、高等女学校及実業学校ヲ設置スベシ
2 文部大臣ハ北海道及府県ニ対シ中等学校ノ増設、拡張及整理ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得
3 前二項ノ中等学校ノ経費ハ北海道地方費又ハ府県ノ負担トス
と、同じ条文の中で、「地方費」が付いた「北海道」と何も付かない「北海道」が混在しています。(中野文庫の誤りかとも思いましたが、文部科学省の「学制百年史」の中等学校令(抄)を見ても同様です。)

これは、「北海道地方費」と「北海道庁」の使い分けが、勅令を起草するような者でも混乱するぐらい微妙なものだったのか、それとも混乱しているようで、実は厳密な使い分けが行われているのか、どちらでしょうか。

「北海道はなぜ「北海」と略さないの?-都道府県に違いはあるのか-」のようなアーカイブや、
都道府県の沿革
事典 昭和戦前期の日本―制度と実態
を当たっても、結局分かりませんでした。
お詳しい方、お教え頂ければ幸いです。

※リンクが正しく張られていないのを修正
※※第2センテンスの先頭の「ところが、」を削除。他の箇所に接続詞を補った。
[53437] 2006年 8月 17日(木)01:00:32【1】faith さん
大阪府下の市立高校
[53435] faith
兵庫県下の市には市立高校が多いような気がしますね。
たとえば、大阪府下の市で同じようなリストを作ると、以下のようになります。
大阪府下の市立高校のリスト(大阪市立は除く*)

設置した市校名同名の府立高校の存在
堺市商業
堺市工業
堺市第二商業
堺市第二工業
岸和田市産業
東大阪市日新

また、堺の4校のうち、校名に「第二」が付く学校は、「第二」が付かない学校の定時制課程が独立したものであり、同じ敷地にあります。
これを考えると、堺市立の高校は実質的には2校と考えても良いと思います。

*枚方市の大阪市立高校([53123]faith 他)はリストに入れるべきかどうか迷わないでもないです。

※脱字修正
[53435] 2006年 8月 17日(木)00:28:03faith さん
兵庫県下の市立高校、大阪桐蔭の桐
[53423] 小松原ラガー さん
[53422] なると金時 さん
直接ここで問題になっていることではありませんが、兵庫県下の市には市立高校が多いような気がしますね。
必然的な結果かも知れませんが、芦屋、尼崎、伊丹、西宮と、県立と市立で同じ校名を持っているところが多いのも目に付きます。
もっとも市立芦屋は廃校が決まっているようです。
市立芦屋高校 平成19年3月末廃校決まる

兵庫県下の市立高校のリスト(神戸市立は除く)
設置した市校名同名の県立高校の存在
芦屋市芦屋
尼崎市尼崎
尼崎市尼崎東
尼崎市城内
尼崎市尼崎産業
尼崎市尼崎工業
西宮市西宮
西宮市西宮東
伊丹市伊丹
明石市明石商業
姫路市琴丘
姫路市姫路
姫路市飾磨

[53413] 油天神山 さん
桐蔭の「桐」って豊臣家の家紋「五三の桐」から来てたの?
先に紹介した「十周年記念誌」でも、校名の由来を探せませんでした。(どこかに載っていたのかも知れません)
ただし、大阪産業大学付属高等学校から独立する前の同校大東校舎時代に、大東校舎独自の保護者会を結成する際、
当時の副理事長大西利治先生に命名をお願いして、五七の桐の校章から桐の文字を採って「桐友会」という名称を頂戴した。
とあります。桐はここに端を発しているのだと思います。
「五七の桐」自体知らなかったのですが、調べてみると、確かに五七の桐になっているようです。
ということで、なぜ大東校舎が五七の桐の校章を最初から使っていたのかということになりますが、これが分かりません。
大阪産業大学付属中学校・高等学校
では五七の桐の校章は使われていないようでした。
先にも書いた通り、この大阪桐蔭という学校は沿革とか由来を説明することにはそれほど興味がなさそうです。
なお、名前が似ているだけで、系列関係はないようですが、横浜の桐蔭学園の方は五三の桐です。
学校法人 桐蔭学園
[53410] 2006年 8月 16日(水)03:55:55【1】faith さん
学校のイメージと自治体のイメージ
[53409] hiroroじゃけぇ さん
このように、大学があるなしという観点がその市町村のイメージに影響しているという実態があるのです。
おっしゃりたいことは分かったように思います。
[53362] hiroroじゃけぇ さんが書かれた
一般的な「偏差値表」がその大学のある自治体のイメージに、少なからず影響を与えている
は、より広い層に適用しやすいように書き換えれば
「大学自体が持つイメージが、その大学と結びつけて考えられる自治体のイメージに、少なからず影響を与えている」
ということになるでしょうか。
偏差値表を廊下に掲示している高校
のような環境では。「大学自体の持つイメージ」≒入学難易度ということになるのでしょうし、そのような環境にいない人間にとっては、自らが受験生だった時代のイメージだったり、報道から作られたイメージだったり、身近な卒業生から受けた印象だったりするのでしょう。
「その大学と結びつけて考えられている自治体」というのは、多くの場合、その大学のキャンパスが存在していると皆が思っている地域と言って良いと思います。
特定の学校を例に出すのは気が引けますが、関西学院大学といえば、関西でも多くの人は西宮市または阪神間の地域と結びつけることでしょう。
しかし、三田市またはその周辺の住民であれば、三田市と結びつけるかも知れません。
いずれにしろ、このケースでは、明らかに西宮市ないし三田市のイメージに対する影響はポジティブだと思います。
ただ、このような有力私学でなくても、特殊な事情がない限り、大学が存在すること自体が、多くの人にとってはやはりポジティブなイメージファクターであって、
Aという自治体に3つの大学があるとし、1つが上の方に掲載され、2つが下の方に掲載されている。このような場合、数の多い方に引きずられてしまうという現象が起こるのです。
というほど入学難易度に影響されるのは、hiroroじゃけぇ さんもほのめかしておられるように、受験生あるいは、受験生だったころから日が浅い人々に特有の現象、という気もします。

以上、あまり考えたことがなかったので的外れのことを書いているかも知れませんが、いずれにしろ、学校のイメージと、その学校と結びつけて考えられる自治体のイメージの関係は面白い問題だと個人的に感じます。

※過去の発言に入っていない表現については引用機能を用いないことにした
[53406] 2006年 8月 16日(水)00:21:41【7】faith さん
大手前という学校(大阪市編)
香川県にもあることがわかっており(私立の香川県大手前中・高等学校(丸亀市)、およびその系列校である、香川県大手前高松中・高等学校(高松市))、おそらく全国を探せばもっとあると思いますが、ここでは大阪市にて「大手前」と名乗る・あるいはかつて名乗った学校および学校法人について書きます。

1. 大阪府立大手前高等学校
1886年(明治19年)、大阪府師範学校から独立した大阪府女学校は翌年、大阪府立高等女学校と改称します。(1899年(明治32年)の高等女学校令の公布・施行より前のことです。)
以後、所在地移転、移管(府→市→府)による改称を経て、1923年(大正12年)大阪府立大手前高等女学校となります。
その後、1948年(昭和23年)大阪府立大手前高等学校となり、今日に至ります。

2.財団法人 大手前学園
1888年(明治21年)に小学校を開設した大阪偕行社、およびその後を継いだ錦城育英会が戦後解散を命ぜられ、学校の存続のために、学校名を全面的に改称する必要があり、選んだ名称が、「大手前学園」でした。
1947年(昭和22年)4月、これまでの小学校は「大手門学園小学部」、新設の中学校は「大手前学園中学部」という名称で開学しました。
ところが、
昭和22年11月、校名を「追手門学院」と改称。隣接の70余年の歴史を持つ府立大手前高等学校と類似しており、混同をさけるため、府の勧告もあり、校名を変更した。
(「追手門学院小学校 百年志」(漢字遣いはこれで原題通り))
府立の中等学校が「大手前」を名乗ったのは、上に書いた通り、1923年(大正12年)のことなのですが、前身の大阪府師範学校自体は1874年(明治7年)の「教員伝習所」までは遡れそうなので、1947年(昭和22年)の時点で
70余年の歴史を持つ
と言えないこともありません。(実は大阪府師範学校の後進である大阪教育大学は1873年(明治6年)の官立大阪師範学校設立から沿革を始めていますが、これは少し無理があると思います。)
大手前高女はこの時点ではまだ新制に移行していませんが、名称は決定していたのでしょう。
新校名の由来ですが、
学校所在地の旧町名追手通(大手町と明治5年に変更)の追手が大阪城正門である追手門に由来することから、追手門学院となった。名付け親は中田守雄理事長である。なお、昭和23年5月許可を得た。
とのことです。

3. 追手門学院大手前中学校・高等学校
1967年(昭和42年)に、追手門学院が茨木市に中学校、高等学校を開設した際に、それまで存在した中学部・高等学部(中学校、高等学校に相当)に「大手前学舎」と付けて区別しました。
以後、大手門学院中学校・高等学校大手前学舎(1971年(昭和46年))
大手門学院大手前中学校・高等学校(1980年(昭和55年))と改称されて今日に至ります。

4. 学校法人 大手前学園
1946年(昭和21年)、現在の大阪市中央区大手前に大手前文化学院が開設されます。1951年(昭和26年)同地に短期大学が、1966年(昭和41年)西宮市に4年制大学が開学します。
いつから学校法人自体が「大手前学園」を名乗っているかは不明です。
なお、同学園のサイトには
大阪城大手前周辺(大阪市中央区京橋前之町偕行社跡)に学園の前身「大手前文化学院」を創設
とありますが、偕行社は疎開はしていたけれども移転はしておらず、偕行社との関連も含めて詳細は不明です。
短大はその後、伊丹市に移転しており、現在、大阪市中央区大手前には、同学園設置の専門学校である大手前栄養学院、大手前製菓学院が存在します。
大阪府立の中等学校との名称の類似については、現追手門学院とは異なり、各種学校扱いだったため問題にされなかったのでしょうか。

※タイトル「大阪編」→「大阪市編」 そのほか第1センテンスの表現を少し変更
※※「府立の中等学校が『大手前』を名乗ったのは…」で始まる1センテンスを少し修正。第1センテンスに出てくる学校名に注釈を入れた。
※※※変更履歴の表現を修正
※※※※見出しの校名を、「大手前」を含む最終(現存の場合は最新)の校名・法人名に統一
※※※※※「、」と「・」の使い分けを統一。「当時は各種学校扱いだった」の意味を明確にするために少し書き換えた。
※※※※※※「1947年(昭和22年)の時点で」を挿入、西暦、年号の併記を徹底。(面倒なので次回からは併記はやめようと思います。)
※※※※※※※大阪教育大学の沿革に関するセンテンスの意味を明確にするために西暦、年号を追加
[53398] 2006年 8月 15日(火)21:50:39【2】faith さん
いろいろ書きましたが
[53362] hiroroじゃけぇ さん
記憶の怪しい所は、先に復習しておく様にしているのですが・・・。思い込みというのは恐ろしいものです
具体的な事実の誤りのこともありますが、[53333]にもfaith が
それぞれの昇格時期は、2つの異種の教育機関の社会的機能や取り巻く情勢によって決まっていることで、岡山と広島の重要性の比較にはあまり関係がないことです。
と書いたように、断片的な事実を、教育制度史の中に位置づける作業をせずに、都合の良いように解釈するのでは、あまり有意義なことにはならないと思っています。
そういう思いがあったのですが、今見ると何だか牽制するような書き込みになってしまっていました。それに、[53362]を読ませて頂いたところ、余計な心配をしていたようです。
ただ、一般的な「偏差値表」がその大学のある自治体のイメージに、少なからず影響を与えていることには認めざるを得ない
少数の有名な例はあるのかも知れませんが、一般的に、市町村のイメージに結びつくところまで行っているのでしょうか。
最近の、特に私立大学では、これまでの郊外展開の流れ以外に、職業人に対する教育を見据えた都心回帰の流れ(上の年齢層の取り込み)や、新たに系列校を充実させるための展開(下の年齢層の取り込み)もあり、キャンパスの所在地が複雑です。特に関心を持っていなければ、一般人には把握しにくいところもあります。
そういうことも、教育史を探求することで発見できると思います。そのため、「大学コンソーシアム京都」のような単位互換制度の広がり(「環琵琶湖単位互換」「大学コンソーシアム岡山」)は、新たな時代を象徴しているような気がしています。
これは頼もしいですね。faith はえらそうなことを書きましたが、今後のことよりは、昔の話が得意です。(当初は、まだ多くの人と興味が共有できそうな、大学史(旧制専門学校史)を中心に書き込みをして来ましたが、だんだん興味が新制高等学校史(旧制中等学校史)に移り、今や小・中学校史に…)
いずれにしろ、よろしくお願いします。

※「(特に関西私立大学で)新たに系列校を…」の括弧内を削除
※※[53333]の書き込みに対する補足の部分の表現を修正
[53395] 2006年 8月 15日(火)18:43:36【1】faith さん
大阪桐蔭高校の校歌
[53281] 油天神山 さん
大阪桐蔭高校歌の歌詞
二番以降の歌詞
以下同校の「十周年記念誌」に載っていました。3番まであります。
---
1.
大和平野に そびえ立つ
生駒の峯の 松風が
古代のロマン 今もなお
とわに伝える 山麓に
吾が学び舎の 桐蔭高
蛍雪競う 若人の
研磨のおたけび 来り聴け

2.
行手を阻む ものあらば
吾が手に破邪の 剣あり
知徳を磨き 英知とし
技を鍛えて 糧とする
吾が学び舎の 桐蔭は
この世の栄枯盛衰に
変らじ理想の 旗印

3.
豊家二代の 歩みをば
浪速の都 水鏡
淀の川面の 天守閣
今も輝く 桐の紋
徴を誇る 桐蔭高
靴音高く 進むれば
文化と平和の鐘が鳴る
---
記念誌では、ところどころにルビがふってありますが、却って分かりにくいので省略しました。
豊家は「ほうけ」です。私は知らなかったのですが、豊臣家のことをこのようにも呼ぶみたいですね。
「研磨のおたけび」を始め、個人的にはやや違和感を感じる表現もありますが、まあ前にも書いたように「ご愛嬌」ということで。

※表記を原文にあわせて修正 「来たり聴け」→「来り聴け」 「変わらじ」→「変らじ」
[53333] 2006年 8月 13日(日)03:50:27【5】faith さん
Re:アーカイブスからこれだ!と拾う
[53332] hiroroじゃけぇ さん

西より東の「帝大」の開設が早いのは、東の開発を進める目的があった
帝国大学のような、多大の資源を要する大学は、当初は東京に一校開設・維持するのが明治政府には精一杯だったと思われます。
2校目は京都に、そして仙台、福岡と相次いで開設した政府は、比較的バランスを考慮して配置していたと個人的に思います。
北海道、京城、台北の3校の設立目的には、その土地の開発と結びついたものがあったと想像できますが、東日本を西日本に優先する意図は私には見えません。
(特殊なものを除き、「高等教育機関は、東京にまず一校設置する」というのは明治政府の一貫した方針ですが、これは東日本の開発を目的にしたわけではなく、首都に置くのがいろいろな面で有利だからでしょう。)

「岡山医大」の設立(1922年)が「広島理大」(1929年)よりも早いのです。
広島文理科大学のことでしたら、「広島理大」と略されることは決してありません。
医学専門学校と高等師範学校はそれぞれ別の背景と目的があって設立されている教育機関です。
それぞれの昇格(分かりますか)時期は、2つの異種の教育機関の社会的機能や取り巻く情勢によって決まっていることで、岡山と広島の重要性の比較にはあまり関係がないことです。

現存する特定の学校の優劣比較につながるような話題についてはコメントを避けたいと思います。

いずれにしろ、教育史に興味を持って頂けるのは大歓迎です。

教育史分科会より
(雑魚委員長、hmt委員、まるちゃん委員、深夜特急委員、faith…)

追記
実際、「京都大学」が「大阪大学」よりも先に「帝大」に昇格している
京都帝国大学は前身校を持っていないので、何かが昇格してできた大学ではありません。
大阪帝国大学は、すでに大学令に拠って立つ大学であった教育機関が母体になって設立されたものであり、これを「昇格」というのも(意味は分かりますが)多少論議を呼ぶ表現と思います。

※最初のセンテンスを修正
※※「医科大学と文理科大学は」→「医学専門学校と高等師範学校は」と修正
※※※(特殊なものを除き、…)を追加。
※※※※「追記」を入れた。
※※※※※昇格時期の比較に関するコメントを分かりやすく書き換えた。
[53222] 2006年 8月 9日(水)23:57:12【3】faith さん
地蔵盆@大阪
[53217] たもっち さん
[53218] k-ace さん
[53221] いっちゃん さん
僕は、お盆と言えば、8月しかないものと思っていました。7月にもやるところがあることを知識として得たのはごく最近だと思います。京都に限らず関西全般そうだと思いますが、いかがでしょうか?>関西勢の皆さん。
大阪組ですが、まったくおっしゃる通りです。
「東京ではお盆は7月」(合ってます?)と成人してから聞いてすごく驚きました。
ところで、僕は京都に来て、初めて「地蔵盆」という言葉を聞いたように思いますが、よその方は「地蔵盆」ってご存知ですか?京都では極めて当たり前な習慣のようなのですが・・・。
これも大阪でもやってますよ。ただ、古くからの住民が多く住む地域では年中行事として普通に行われていますが、新住民が多い地域では、行わないところも多いと思います。

※タイトルから etc. を削除(etc. に相当する部分がないので)
※※レス先を修正(追加)

[53206] グリグリさん
お気を遣わせてすみません。
[53193] 2006年 8月 9日(水)02:34:40faith さん
甲可村の四條畷村への改称
しばらく前に[52747] Issie さん他で話題になっていた「四條畷」について。
図書館で、「四條畷市史」を見ていると、1932年に甲可村が四條畷村に改称された経緯について、(断片的で、正確な引用でなくて申しわけないのですが)軍国主義的な時代背景から、「楠正行顕彰」の風潮が高まったことが原因と書いてありました。
ということは、
[52777]faith
自治体としての四條畷の「範囲」が決まる前には、大東市域に作った学校に「四條畷」を冠しても不自然ではなかったということでしょう。
については、(これ自体は正しいかも知れませんが)、四條畷高等女学校は、こうした時代背景による命名である可能性もあります。
「甲可」自体は、奈良時代に遡る(河内国讃良(ささら)郡甲可郷)古い地名のようです。
明治になってからあのような神社が造られて、歴史上の一人物が崇められるようなことがなければ、このあたりは今は「甲可(こうか)市」だったりしたかも知れません。
[53191] 2006年 8月 9日(水)02:08:19【1】faith さん
校歌の山
[53179] 油天神山 さん他
実際は平野部の東端近く、生駒山麓と言っても良さそうなところです。ここから生駒の峯(これは「生駒山」「生駒山地」のどちらに解しても構わないと思いますが)を仰ぎ見ると、大阪平野には背を向ける形になります。
そこまで考えて作られた校歌なのかどうかは分かりませんが、理屈からは確かにそうですね。ただ、「生駒」と共起しやすかったのが「大和」だったということも大きいと思います。
それに、うまく言えませんが、「大阪平野」だとあまり詩語としては相応しくないような。
「大阪平野は、関東平野に比べて面積は狭小であるが、それでも巨大な人口が集積している。」というような文脈の方が似つかわしい単語のような気がします。(個人的な感覚ですが)
話が逸れますが、大阪の学校の校歌には、生駒山と大阪湾(歌詞にするなら「茅渟の海」ですか)を対にする表現が多いような気がしています。一度調べてみたいと思っています。
校歌の山 大阪
というページ(他の府県もあり)
にリストされています。(それにしても世の中にはいろいろなページがあるものですね。)
「大阪湾」の方は分かりませんが、これを見ていると、ご指摘通り、大阪の学校の校歌には生駒山は結構出てくるようです。
(話題の大阪桐蔭がリストされていないなど、完全なものではなさそうですが、なかなか楽しいです。)金剛山や六甲山も多そうですね。

※ページの感想を補充
[53165] 2006年 8月 8日(火)01:07:58【1】faith さん
「大和平野」にそびえ立つ
[53145] 星野彼方 さん
大阪桐蔭高校の校歌
でもなんで「大和平野」なのでしょう?昔奈良県にあったのが移転したのかな?
「大和平野」にそびえ立つというのは「生駒の峯」にかかっていて、「大阪桐蔭」にかかっているわけではないので、問題はないのでは?学校の所在地と矛盾があるとまでは思いませんが…
「生駒山は大和平野にそびえ立っているのか?」「そもそも平野というのは山がそびえ立っていないところを言うのでは?」というような根源的な疑問もあるかも知れませんが、この程度の現実からの乖離は校歌というものの性格から言ってご愛嬌でしょう。

この学校はサイトに沿革とか記載しないんですね。faith的には、校歌のことより、このことが不満です(笑)。
新しい割には、重厚というか「近代建築」という感じの校舎ですね。ちょっと通って見たかった気もします。
大阪桐蔭中学校・高等学校

校歌と現実との乖離といえば、共学校でこれは良いのでしょうか。外部の人間がとやかく言うことではありませんが…
日本大学山形中学校・高等学校

※日本大学山形中学校・高等学校に関するコメントを追加
[53123] 2006年 8月 7日(月)00:04:52【1】faith さん
大阪市立中学校
[52917] faith
当時枚方市に旧制中学校がなかったことが、大阪市立の中学校を枚方市に設置した背景にあると思われます。
これに関して、「枚方市史 第四巻」をあたったところ、大阪市立中学校が枚方市に移転した事情は以下のようなものでした。

- 枚方町(当時)は、旧郡役所所在地でありながら、中等以上の公立諸学校を持たない府下唯一の市町村であった。
- そこで枚方町は府立第十六中学校の誘致を図ったが、成功しなかった。(豊能郡池田町に決定。現府立池田高等学校)
- このような状況下、此花区の市立酉島工業学校内の仮校舎にて開校した大阪市立中学校の移転新築が行われるに際し、上記第十六中学校の候補地であった同町中振の土地をもって枚方町が大阪市と懇談し、誘致を行った。
- これは成功し、1943年に同校は枚方町の上記の土地に移転した。これが現在の枚方市域では最初の旧制中学校となった。
- 大阪市立中学校は、5年制の中学校として発足したが、後に7年制高等学校に発展させる構想であった。しかし戦後の教育改革のため、結局実現しなかった。

[52978] faith にもあるように、帝塚山学院(学園)も奈良の地に7年制高等学校を作ろうと当初は考えたのですが、結局は「法令上の制約があり、文部省の指示で」(「帝塚山学園五十年史」)中学校を開校しています。「法令上の制約」というのが良く分からないのですが(私立の7年制高等学校は当時他に存在しました)、認可が下りそうになかったということは確実に読み取れるので、[52978] のように書きました。
なお、1918年の高等学校令では公・私立の高等学校を認めましたが
第二条 高等学校ハ官立、公立又ハ私立トス
第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス
としていましたので、大阪市が高等学校を設立するには確かに法令上の障害があったことになります。
(同じく大阪市立の、大阪商科大学の設立(1928年)にあたっては、公立大学の設置者を同様に府県に限っていた大学令が先立って改正されています。)

いずれにしろ、1941年には、戦時体制下で、高等教育機関の修業年限の短縮が始まっていたわけで、戦争遂行に役立ちそうにない、「計画外の」高等学校の設立が認可されにくい状況であったことは想像に難くないです。

※大阪商科大学の設立に関するセンテンスを読みやすいように修正
[53085] 2006年 8月 6日(日)01:47:35【1】faith さん
学園前&北上高地
[53070] ぺとぺと さん
学園前ブランド醸成に一役買ったのが、あえて特急の停車駅にしたことではないでしょうか。
そう思います。でも、快速急行と2駅しか停車駅が変わらない(快速急行は特急の停車駅+日本橋・新大宮に停車)のを見ると、快速急行に特別料金を徴収する座席指定車両を併結する形にした方が合理的では?という「川島本」の主張に賛成したくならないこともないですが。

北上高地・北上山地についても皆さんの書き込みからいろいろと学ぶところがありました。ありがとうございます。
個人的には北上「高地」という明るい響きの方が北上「山地」より好きです。「ポラーノの広場」などの明るい賢治作品にはこの方が相応しいような気がします。(単なる印象で思いつきを書きちらしているだけなので、文学やこの地域の風土にお詳しい方、気を悪くなさらないで下さい)

北上高地を横断する鉄道路線にJR山田線がありますが、夜に乗車すると、灯りがあるのは駅だけで、駅と駅の間は深閑とした夜闇を走ります。数年前に一度乗車したきりですが、今思い返しても風情があります。(特に大きな街から遠ざかる方向の、盛岡からの乗車が良いと思います)夏休みの旅行の行き先にお悩みの方、いかがでしょうか。
ただし、北上高地を横断する列車は一日に4往復しかないため、「夜に乗車」で列車は1本に限定されてしまい、しかもその日の最終列車です。

※「夜の列車」を他とあわせて「夜に乗車」に変更
[53055] 2006年 8月 5日(土)18:35:24faith さん
学園前
[53042] 油天神山 さん
なんだか自分の後頭部を鏡に映して見ようとしているような
面白い表現ですね。

「学園前」という地名が、その由来となる大学とは無関係に、独自の地位を築き上げるに至った
そのようですね。ひとつには「学園」という言葉が、単独では日常語でないことも関係していると思います。これが「学校前キャンパス」とか、「大学前キャンパス」だったら、もっと奇妙な感じがすることでしょう。
「学園前駅」なんてどこにでもありそうで、実は全国で3駅しかないようですね。(「○○学園(前)」だったらもっとありそうですが)
最初にこの「強引」とも言える名前で駅を開業したことは、無償で広い土地を提供したこととあわせて、近鉄の先見の明を物語るものと私は思います。
[53020] 2006年 8月 4日(金)22:43:48【4】faith さん
学園前になりそこねた金剛
[52978] faith
大阪狭山市
環境の良い住宅都市としての存在を保とうとしている大阪狭山市ですが、実は惜しいところで、「学園前」になり損ねています。
(ここで言う「学園前」とは近鉄奈良線の「学園前駅」を中心とした一帯です。阪奈間の高級住宅街とされています。)

奈良市の学園前とは、帝塚山学園があるからこの名があるわけですが、帝塚山学園はもともとは大阪の住吉で、幼稚園、小学校、高等女学校を経営していた帝塚山学院(「学園」ではない)が、7年制の旧制高等学校を設置しようとしたところからはじまっています。また、将来的には学院全体をそこに移転する可能性をも考えていたようです。(「帝塚山学園五十年史」)
そのため、数万坪の土地を探し、まずは南海高野線の金剛を考えたのですが、手をつくしても、数千坪しか確保できませんでした。そこに、近鉄から、将来、総合学園に発展させることを条件に8万坪もの土地を無償提供する申し出がありました。そのおかげで1941年に開設をみたのが奈良市の(旧制)帝塚山中学校でした。(高等学校は文部省に許可されそうになく、中学校として開設されました)このときに設立されたのが帝塚山「学園」です。

戦後の1966年に、大阪の帝塚山「学院」が、女子大学(現在は共学)の帝塚山学院大学を大阪狭山市に開校したので、大阪狭山市と帝塚山学院の縁は今でもあるわけですが、あのとき、南海電鉄が協力していれば、今頃は大阪狭山市の金剛駅一帯は今の近鉄の学園前のような存在となっていたのではないか、と考えるのは自然でしょう。南海電鉄も惜しいことをしたものです。

ところで、関西でも多くの人に「帝塚山という学校は大阪にも奈良にもあるんだな」と理解されていると思いますが、上記のような経緯で奈良の「学園」が大阪の「学院」から分かれたもので、関連はあるが、別法人です。
大阪の「学院」自身が、1983年に堺市に男子校である泉ヶ丘中・高等学校を開校し(これも現在は共学)、学院の(中学校レベル以上の)共学化のきっかけとなりました。

※一部表現修正
※※最後のセンテンスを追加
※※※「住吉の『学院』」を「大阪の『学院』」に変更(分かりやすくするため)
※※※※帝塚山学園の設立に関する1センテンス追加
[53016] 2006年 8月 4日(金)22:02:02faith さん
何千字も必要となるような説明
[53010] huzisan さん
しかし皆さん方のお書き込みを拝見していると、何千字も必要となるような説明は実はご理解頂けないであろうと危惧します。というのも少し伏線的にだした根拠さえ殆ど理解されていないからです。

私は、この書き込みと、これまでの書き込み(根拠にもならない断片的なエピソードを書いては、すぐ関係のない話に持ち込む)を読ませて頂いて、
「この方は他人を説得するだけの根拠を持っておらず、もったいぶっているだけである」
と判断致しました。
[52979] 2006年 8月 3日(木)23:13:36【1】faith さん
香具山村
[52976] 北の住人 さん
この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
桜井市の歴史
によると、
1956/9/1
大福村、香久山村を廃止し、桜井町に編入合併を行い、同日市制を施行。
とのことです。

※リンクが正しく張れていなかったのを修正
[52978] 2006年 8月 3日(木)23:09:12【2】faith さん
大阪狭山市
[52972] 逆太郎 さん
首都圏や関西圏のベッドタウンで人口の集積があるにもかかわらずパチンコ屋がない例として思い当たるのは大阪府交野市ですが、他はどうなのでしょう・・・
[16784]faith でも触れていますが、大阪狭山市がそうですね。
大阪狭山市パチンコ遊技場等及びゲームセンターの建築の規制に関する条例
によって、規制されています。
そのためか、堺市との境界(のもちろん堺市側)に大規模な店舗が建っており、大阪狭山市からの需要をも充たしているように見えます。
ちなみに、大阪狭山市内には警察署はなく、こちらも堺市美原区にある、黒山警察署が管轄しています。

ところで、JTB時刻表を見てみると、大阪狭山市の代表駅は「大阪狭山市」駅なんですね。実際市役所の最寄駅なんだそうです。駅の規模で選ぶと、間違いなく金剛駅なんですが。[51833] まがみ さんが書かれているように、特急停車駅でもありますし。(大阪狭山市駅には急行すら停車しない)

※「堺市との境界」のあとに「のもちろん堺市側」を追加
※「堺市に結構依存している」のくだりを削除
※※リンクが正しく張れていなかったのを修正
[52917] 2006年 8月 2日(水)01:13:32【3】faith さん
塩竈市立第三中学校, etc.
今さらですが、この掲示板はなかなか奥が深くて、「多賀城市にある塩竈市立第三中学校」について投稿しようと思ってたら実は1年以上前に[40975] 逆太郎 さん他で話題になっていました。

創立直後は、塩竈市内の第三小学校に併設されていたわけで、
塩竈市立第三中学校
塩竈市内に置くのが決定的に不都合だったということではなさそうです。(塩竈市立の中学校だから当然ですね(笑))

「創立直後は、小学校に併設」という話が出ましたが、この沿革は大抵の公立中学校に共通しています。
新制中学校は、身近な割には、成立にはかなり困難があったようです。新制中学校が他の新制学校と決定的に違ったのは、前身となるべき、対応する旧制の教育機関がなかったことです。
(例えば、新制高等学校には、対応する旧制の教育機関として、中学校、高等女学校、実業学校がすでに存在したので、ここから移行すればよかったわけです)
また、新制中学校は義務教育とされたため、短期間に一定年齢層の児童を(基本的には)全員収容する教育機関を作らなくてはなりませんでした。そのため、市町村の負担は相当なものがあったとのことです。
多くの公立中学校では、開校に建設が間に合わず、小学校に「間借り」して開校しました。

この話の発端である大阪市立高校([13211] まがみ さん)については未だに資料に当たっていませんが、当時枚方市に旧制中学校がなかったことが、大阪市立の中学校を枚方市に設置した背景にあると思われます。

[17058] 委員長殿の
私立の該当校は高槻しか見つかりませんでした
に対しても、[17082] 深夜特急[北大阪急行] さんが充実した補足をつけておられますね。

ところで、
[52850] らるふ さん
大和盆地=(マイナスかっこいい)の十乗
結局(かっこいい)の十乗と等しいんですが…(わざと?)

※新制中学校に旧制の対応する学校がないことに関して説明を補った。
※※「小学校に併設」された理由について1センテンス補った。
※※※出だしに「今さらですが、」を補った。
[52870] 2006年 8月 1日(火)01:45:13faith さん
奈良平野, etc.
[52855] Issie さん
[52850] らるふ さん他

正しいかどうかとは別に関係ありませんが、奈良や大和は「平野」とはあまり共起しない表現ですね。(関西での日常生活では。)
「奈良平野」と言えば、「奈良盆地だろう」という声が返ってきそう。そういう私の感覚からすると「大和平野」のヒット数が意外に多いです。

広大な盆地に平野を感じる
そういえば、小学生のときに北上山地と教わった地域を、高度は高いが、それほど急峻ではないという理由で今では北上高地と呼ぶことが多くなったと読んだことがあります。(実際にそういう地図も見るように思います)
「海だべかど おらおもたればやつぱり光る山だだぢやい」とうたった宮沢賢治は北上高地に「平野」に近いものを感じていたのでしょうか。
[52777] 2006年 7月 30日(日)01:15:54【3】faith さん
四條畷
[52747] Issie さん
「四條畷」は本来,現・四條畷市域だけではなく,隣接する大東市域にまたがる地名であったのではないかと思います。
http://www.city.shijonawate.lg.jp/h130101/s05/kikaku/s05h160601/082401.pdf
によれば、
「四條畷」が自治体名として用いられるようになったのは、甲可村が四條畷村と改称した1932年ですね。
これより前の1926年には現在の大東市域に四條畷高等女学校(現 四條畷学園高等学校)が設立されています。自治体としての四條畷の「範囲」が決まる前には、大東市域に作った学校に「四條畷」を冠しても不自然ではなかったということでしょう。
これもIssieさんの仮説を裏付けていますね。伊勢市と伊勢の関係みたいなものでしょうか。

一方四條畷警察署も大東市にありますが、こちらも自治体としての四條畷より古くから「四條畷」を署名に用いていますが(1900年に「枚方警察署四条畷分署」として設置)、1978年の移転までは四條畷市市域に存在したとのことです。

※誤字訂正(余計な文字削除)
※※このあたりに→大東市域に
※※※最後のセンテンスに加筆
[52775] 2006年 7月 30日(日)00:42:57【2】faith さん
道州制、新区名
[52752] ハル さん
そして、ほとんどの都道府県で賛成していますね。
そうでしたっけ?
道州制 導入結論先送り
などを見ていると、慎重論も多いようです。県内の都市に州都を持ってくる目論見がある(と疑われる)ところなどは積極的だったりするようですが。

[52750] futsunoおじ さん
興味深いのは、秋葉区を新津区へ変更を求めている旧・新津市側に反対している、旧・小須戸町にある高校の名称が「新津南高校」であったりですね。
今から考えると、区の名称を「堺」と「美原」以外は位置を示す無機的なものにした堺市方式は無難でしたね。

※最後から2つ目のセンテンスを削除
※最後のセンテンスの表現を修正
[52547] 2006年 7月 22日(土)16:02:23【2】faith さん
jugo de naranja
[52542] 般若堂そんぴん さん
[52540] Issieさん 他
orange の語源はサンスクリットにあるようです。
"naranga"(ナーランガ)ですね.
そういえばスペイン語で、"orange" (名詞、形容詞とも)のことを"naranja" (ナランハ)というのですが、「何だか"orange" と似ているような似ていないような…」と思っていた疑問が解決しました。ありがとうございます。
下記には、なぜ"orange" の先頭が "o-" になったかなどの解説があります。(古いWebster 辞書の電子化のようです)

http://machaut.uchicago.edu/cgi-bin/WEBSTER.page.sh?page=1008

(追記)ブラウザによっては、orange の項にā という表記が頻出すると思いますが、長音記号の付いたaのことです。
(参考)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B3

ところで,aurantium の aur- というのは,金(元素記号:Au)と関係があるのかな。
あるようですが、個人のページでしか言及されているところが見つかりませんでした。
でも以下のページは"Japanese and Korean orenji" まで言及していたり、面白いです。(Etymology の項)

http://www.uni-graz.at/~katzer/engl/Citr_sin.html

ちなみに、ここにあるような、"naranga" はさらにDravidian 起源の可能性があるという記述はスペイン語の語源辞典でも見たことがあります。

※誤記訂正
※※ā の説明を追加
[52447] 2006年 7月 19日(水)22:08:40faith さん
不動岡高校
[51935] 白桃 さん
[51932] YSK さん
[51923]でるでるさん
[51906]ぺとぺとさん

今さら書き込むほどではないのですが、個人的には、(旧制の)私立中学校が府県に移管されているのはかなりめずらしいパターンだと思います。
(旧制)専門学校や大学では、いくつか例がありますが…
同校のホームページ
http://www.fudooka-h.ed.jp/history/h_frame.html
の記述からも、経営が苦しかったことが移管の背景にあったことが伺われます。
それにしても、1889年の最初の中学校令公布以前(1886年)から存在するというのは確かにかなりの名門ですね。
[51665] 2006年 6月 6日(火)00:44:24【2】faith さん
特急停車, etc.
なじみのある話題だなと思ったら一年ほど前に話題にしていましたね。[39117] に書いた通り、乗降客数と周辺駅の配線から言って特に不思議とも思ってませんでしたが…
利用されている方からは不思議なことなのでしょうか。
(単に「岡本に停めて、なぜ私が利用する駅に停めないんだ?」と言った程度の話でしょうか?)
そういえば、(阪神間はこれに入りませんが)近頃の関西私鉄では、かつて「都市間ノンストップ」であった特急の途中駅停車が普通になっていますね。阪急京都線、京阪本線、近鉄京都線(丹波橋を京奈間の途中駅と見なしての話ですが)が挙げられます。
南海の空港特急で、速達タイプの「ラピートα」が停車駅の多いβにほとんど置き換えられているのも似た現象ですね。速達と利便性の両方を追うのを断念せざるを得ないのでしょう。

wikipedia の件ですが、私は具体的な事実を述べたもの(例:「○○が何年に設置された」)については、100%でないものの、比較的信用できるものと思っています。が、「何かがこうなった理由」というような記述は、wikipedia でなくても、ソースのない、結論だけ書かれている場合、信用すべきではないでしょう。

※誤字訂正 神奈川県の人口が大阪府を超えたことについての差しさわりのありそうな感想を削除
※「事実を述べたもの」を「具体的な事実を述べたもの」に訂正
[51582] 2006年 6月 1日(木)04:06:40faith さん
堺市堺区百舌鳥夕雲町
ご無沙汰しております。

[50590] miki さんなど見ていて気づいたのですが、

http://uub.jp/nam/gyakuten.html
で、
百舌鳥夕雲町が堺市北区となってますが、堺市の「百舌鳥○○町」のうち、百舌鳥夕雲町だけは阪和線西側であるためか、堺区に含まれます。(私も最近気づいたのですが…)

###堺市の地図を見ていて大阪府立大学が堺区に(も)ある理由を思い出すのに少し時間がかかりました。
[50474] 2006年 4月 6日(木)00:39:39faith さん
堺登場
[49868] YSK さん
堺もいずれこの並びに挿入されることになるのでしょうか。
Yahoo! JAPANに早速登場していました。


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