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[42553]2005年6月24日
北の住人

[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。
[51723] 2006年 6月 11日(日)22:16:30北の住人 さん
頓別を考える
[51689][51710] R62号1さん
[51699][51711] YSK さん
良く分りませんが、鉄道(天北線、興浜北線)の開業との関連もあるかもしれません。特に「浜頓別」と「頓別」の関係には。
「上・中・下頓別」は殖民区画が広がるにつれ、単に「頓別」では範囲が広くなったので字を作ったとも考えられますが、天北線の駅名と字名のどちらが先か調べる必要があると思います。
「小頓別」については、私なら位置的に「奥頓別」と付けたいですが、なぜで「小」なんでしょうか。仮に「ポントンベツ(小さいトンベツ)」という川があったとしたら、その意訳で「小頓別」にしたということも考えられます。

「トー・ウン・ペッ(沼・に入る・川)」についてはツッコミたい事が多いですが、長くなるのでいつかまた。

明治の頓別村には、砂金ブームで入植者以外に一攫千金を狙う者も多数入ったそうです。その後、枝幸村の一部になり、大正期に再度、頓別村が成立してます。また、水害により市街が「頓別」から「浜頓別」に移ったという歴史もあるようです。中頓別には鍾乳洞がありますが、中の様子は全く記憶に残ってません。
[51722] 2006年 6月 11日(日)22:15:07北の住人 さん
知床は白いところ
[51583] みやこ♂ さん
北方四島の20万図をざっと見ましたが発見できませんでした。樺太にあったという話もあり、古地図に「シレトコ」がでてきます。知床半島の知床を含め、古くは「しろい所」「白所」となっている場合が多いようです。「知床」の漢字が当てられたのは、安政5年(1858年?)松浦武四郎「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」の「志礼登古誌」が、文久3年(1863年?)には「知床日誌」として出されているので、その間となるでしょうか。
「知床斜里」という駅がありますが、かつて室蘭本線に「知床」駅が存在しました。今は「萩野」になってます。礼文にも知床があります。
[51651] 2006年 6月 4日(日)15:19:47【1】北の住人 さん
ニトヌプリ
web上の便利な事典の話題が出てましたが、功罪半ばですね。この事典は簡単に訂正できることが出版物と比較した場合の利点なんですが、引用した翌日に中身が変わっているとかあったりして。ソースが同じなら、複数のサイトに同じ情報が有ってもおかしくないし。間違ったまま他のサイトに引用されたら、元が直っていても訂正不能のコピー情報が氾濫するんでしょうね。ネットの情報は、その辺のことを分って使うには便利なんですが、信頼度の点で小中学生向けではなさそうです。
一方、ネットより信頼できそうな出版物は、訂正するのが困難なのが欠点ですね。図書館にある本なんか信用してしまいますが、すべてに正誤表が付いているわけでもないですし。絶版になっているものは訂正自体もないですから。

かなり前から温めていたものなんですが、良い機会なので、信頼できそうな出版物のことについて。私も地名大辞典をよく利用するんですが、独自に調査したんではなく単なる引用に終わっていることも残念ながらあるんです。なかには引用元に手を加えているんではないかと思われる事も。

ニセコには「ニトヌプリ」という山があるんですが、「ニドムヌプリで森のある山の意」というような説明がされていることが多いです。これは、地名大辞典を引用しているんだと思うんですが、この辞典では「アイヌ語小辞典」からの引用となってます。この説明、山に森があるのは普通だろうと突っ込みたいですが、この辺の山は高い木の生えていない場所も多いので「森のある山」も考えられます。ただし、引用元が確かでありません。「アイヌ語小辞典」という本が何なのか分りませんが、知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」のことが頭に浮かびました。
そこで、「地名アイヌ語小辞典」を見ましたが「ニトヌプリ」の項は見当らないんですよね。関連する項目もざっと見たんですが、「ニトヌプリ」「ニドムヌプリ」を見つけることはできませんでした。ただし、「ニトム」という項はあります。
 ni‐tum, -u  にトム(にートム) 森;林
 (注:「に」が平仮名なのは、そこにアクセントがあることを示している。「ト」は「ド」ではなく「ト」に半濁点、日本語にない「tu」の音をそう表現。「ム」は小文字、閉音節の子音を小文字にしている。地名大辞典でも「ム」は小文字にしている)

そこで考えたことが、執筆者は「地名アイヌ語小辞典」を見て「ニトヌプリ」の音に近いものを探し意味付けをしたんではないかと。あるいは、別の文献に書いてあるものを「アイヌ語小辞典」からの引用として掲載したのではないかと。更に、「トに半濁点」を「ド」に変えたんではないかと。「アイヌ語小辞典」なるものが他にもあるかもしれないので断定はできず、現在、この「アイヌ語小辞典」を捜索中です。
北海道の山の本のことについても続けようと思ったんですが、前置きが長くなったんでいずれまた。
[51424] 2006年 5月 21日(日)21:45:53北の住人 さん
シレトコはどのあたり?
[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行-知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌-志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ-今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。
[51334] 2006年 5月 14日(日)22:37:13北の住人 さん
ウイーヌプリ 追加
[51319] みやこ♂ さん
こちらの図をご覧下さい。松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」知床半島です。
今の「ウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」、「知床岳」=「チヤラセホロノホリ」、「羅臼岳」=「チヤチヤノホリ」となるようです。

なお、札幌には「焼山」というのが2つありますが、いずれも火山ではなく、山火事が頻発したことからの命名です。同様な事があったとしたら、「ウフィヌプリ」についても、火山でない場合もあると思います。
[51330] 2006年 5月 14日(日)11:34:00北の住人 さん
ウイーヌプリ
[51319] みやこ♂ さん
まず、松浦武四郎『知床日誌』の引用による「知床岳」=「ウフイノホリ」についてですが、他の松浦武四郎の図を見ると、「知床岳」=「ウフイノホリ」ではないようです。私は『知床日誌』を見ていないので断定できませんが、松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」からは、「現在のウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」だと考えられます。

「ウフイノホリ」には「火山」という意味もあるようで、これは私の創作ですが、こんなやり取りがあったとすると、火山であればどの山にも「ウフイノホリ」という名が付きそうです。
 旅行者:「あの山は何ていうの?」
 通訳:「あの山は何ですか?」
 住人:「ウフィヌプリ(火山)だよ」
 通訳:「ウフイノホリだそうです」 

ちなみに、この知床の「ウイーヌプリ」は複数の名を持っていた様で、「ウイノホリ」「ウフイノホリ」「シレトコノホリ」「シレトコ山」「ウーイヌプリ」が報告されています。
また、「知床岳」については「チヤアセホロ山」に同定されており、これが正しいとすると幕末以前には「チヤラセノホリ」「チヤラセホロノホリ」と呼ばれた可能性があります。(アイヌ語地名研究4「消えてしまったアイヌ語の山名」、アイヌ語地名研究5「明治の地図に記された北海道の山名」より)

「和+ア合作の名前」については、「ニトヌプリ」がそうではないかと私は睨んでいます。ニセコの山は明治以降に名付けたと思われるものが多いです。確証はありませんが、「ニセコアンヌプリ」「イワオヌプリ」「チセヌプリ」「ニトヌプリ」は新しく付けられたんではないかと調査中です。「モイワ山」「ワイスホルン」は明治以降の命名です。
「イワオヌプリ」については、この名が付いた山を個別に検証する必要があると思います。幕末以前から「イワオヌプリ」となっているものもあるので。(「イワオ」「硫黄」の起源が日本語なのかアイヌ語なのかということを別に考える必要ありますが)

「ラウス(ラウシ)」は諸説(少なくとも3説)ありますので、アイヌ語を話せない私には、よくわかりません。「内臓」というのは、単なるアイヌ語辞書からの引用のような気がします。(「アイヌ語地名」というものの中には、辞書から引いただけのようなものが多いです。)
[51307] 2006年 5月 13日(土)10:42:25【1】北の住人 さん
ヌプリコレクションについて
愛比売命 さん
[51296] みやこ♂ さん

北海道の山名ですが、明治以降にアイヌ語を借りて後からつけられたものがあります。また、意味もいくつかの説があるので、閲覧する人が誤解をされないよう配慮する事が必要です。アイヌ語の意味については、定説になっているのもありますが、すべて「?」付きにするか、すべての説を併記するのがベターかと思っています。(すべての説を調査するのは不可能ですが。)

「ノホリ」については、「ノポリ」「ノボリ」も含め幕末以前には一般的な記述だったと考えられます。
「ウフイ」については「ウイ」「ウーイ」「ヲフイ」などの表記もあるようです。

このコレクションですが、現在の地図上で「~ヌプリ」となっているものと考えてますが、幕末以前の山名調査によると、「ノホリ」等も含めて数えると200を越えるということになります。
[51142] 2006年 5月 3日(水)09:20:02北の住人 さん
端午の節句
皆さん、べこ餅というものを知っていますか?この季節に食べるものなんですが、北海道・東北の地域限定品だということを、最近知りました。全国的なものかと思ってました。よく考えれば、べこは方言ですね。
子供の日には鯉のぼりですが、幟(いくさの時に使うような縦長のもの)を門に立てるという風習?もあるようですね。鯉のぼりのカタログに載ってました。
[50692] 2006年 4月 11日(火)21:11:43北の住人 さん
Re:「下総」の読み方
[50664] てへへ さん
発音が書いてある別の辞書を見たところ、「シモーサ」となってました。私は「シモ」と「フサ」の2つの言葉がつながった語だと思っていたんですが、「シモーサ」という1つの言葉だったんですね。
なお、オ段の長音は原則、「おう」と書いて「オー」と読むということです。ということは、「ou」とローマ字で書くと「オウ」と誤って読んでしまうことになりそうです。

ちなみにこの辞書で「遠江」を引いたところ、現代かなづかいは「とおとうみ」で、歴史的仮名づかいは「とほたふみ」、発音は「トートーミ」でした。
日本語はむづかしい、でなく、むずかしい。
[50637] 2006年 4月 10日(月)06:38:22北の住人 さん
Re:Re: 「下総」の読み方
[50588] ありがたきさん
[50602] 紫魔法師 さん
読み方の変化は、手元の辞書ではこうなってます。(括弧の中は旧仮名遣い)
上総 かみつふさ→かむづうさ→かずさ(かづさ)
下総 しもつふさ→しもうさ(しもふさ)
 (「しもつさ」の古称もある)

私は「下総=しもふさ Shimohusa」と読んでいたんですが、辞書によると「しもうさ Shimousa」になるんですね。「もう」と長音で読むのか、「も」+「う」と二音なのかは分りません。旧仮名遣いからみると長音になり、「しもーさ Shimohsa Shimosa」の読みもあるということですか。
[49821] 2006年 3月 13日(月)06:33:08北の住人 さん
Trapa japonica
[49802] 般若堂そんぴん さん
そうでしたか。付加部分も含めて学名と思ってました。
(生物は出席してただけなんで、といい訳。担任は生物だったんですけどね。先生ごめんなさい。)
[49797] 2006年 3月 11日(土)21:54:21北の住人 さん
[49716] hmt さん
[49725] スナフキん さん
別寒辺牛湿原は容易に到達できない地のようで、近くをかすめたことありますが、知床とはまた違った秘境のようです。奥地では水上を歩くのは困難ですから、いにしえの民は丸太舟を使って行き来していたのでしょう。松浦武四郎も河口からやや入った小休所を訪れています。

[49684]の「菱の実の群生地」という私の日本語はちょっと変でした。「菱の実がたくさんあるところ」か「菱の群生地」ですね。(「ベカンベ」=「菱の実」ですが、「ベカンベ」=「菱」となるかは分りません)
「ヒシ」は東アジア特産らしく、学名では「Trapa japonica Flerov」となってました。
[49684] 2006年 3月 5日(日)21:38:20【1】北の住人 さん
菱の実
[49600] hmt さん
NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。
「水の上を行き来した場所」は「ベカンベクシ」説からの引用だと思います。アイヌ語で「ベカンベクシ(pe-kam-pe-kus-i か?)=水上を通行した場所」となるのかは分りませんが、「菱があると思って水上を行ったが菱はなかった」というエピソードで「ベカンベクシ」の説明がされています。「ベカンベクシ」という言葉がアイヌ語上成り立つのかという、シロート的な疑問はありますが。
「菱がなかった」という意味なら「ベカンベなし(pekampe nashi)」も面白いかなと思ったりします。(だからシロートはコワイ!←このフレーズ、そのうち説明します。)

一方、「ベカンベウシ(pekampe-us-i)」説では「菱の実の群生地」。菱の実は食料であり、その群生地を指しているという訳です。
別寒辺牛の西側、塘路湖が「ベカンベ」の名産地とされています。名産地への道のりとして別寒辺牛川水系が存在したのなら、別の解釈も成り立つのではと、シロート的な発想が湧いてきました。
(以上、永田方正「北海道蝦夷語地名解」、更科源蔵「アイヌ語地名解」、山田秀三「北海道の地名」を読みながら)
[49582] 2006年 3月 1日(水)22:45:44北の住人 さん
訂正します
恥ずかしながら幽霊地名を作ってしまいました。[49546]で「帆越」を「ポコシ」としてましたが、「ポクシ(pok-us-i)」でした。記事訂正しました。これだからシロートはコワイ!
なお、「ポコイ」は「pok-o-i」となります。
[49546] 2006年 2月 28日(火)22:41:18【1】北の住人 さん
室蘭の焼鳥は豚です
[49521] ぺとぺと さん
室蘭市の母恋(ぼこい)は「ホッキ貝がたくさんあるところ」という意味のアイヌ語「ポク・オイ」が由来だそうで
最近疑問を抱いてる事の1つが、この「ポコイ=北寄の群生する所」説。定説に挑戦するには根拠が薄いですが、北寄がたくさんいたような地形には思えないんです。
北寄の産地としては苫小牧から鵡川にかけての海岸線が有名で、いかにも北寄がいそうな遠浅の砂浜海岸。一方の母恋は、南側は断崖絶壁、北側は、埋立てられており明治以前の状態が分らなくなってますが、遠浅とは言うには無理がありそうな地形。ここに北寄がいるのかもしれませんが、地名化する程の場所だったのか疑わしいんです。私は「蔭の処」説も捨て難いと思ってます。
似たような地名としてせたな町(旧大成町)に「帆越(ホゴシ)」があります。「ポクシ=崖下のところ」という説が有力のようですが、「母恋」も崖下という意味では似たような感じです。
[49418] 2006年 2月 23日(木)22:32:29北の住人 さん
♪胸騒ぎ残し月???
[49364] 千本桜 さん
では、私は逆の線で未来の話を。判じ物の好きな役人が昔々「ちょっけ」に「猫手」の漢字を充てたこの場所、そのうち素直な子供達が「ねこて」と言い始め、小学校の運動会では一輪車を使った「ねこリレー」、藁筵を背負った「ねこ競争」で盛りあがり、いつしか猫も杓子も「ねこて」と言う始末。とうとう200年後には改名され、もみじ饅頭のノウハウを取り入れ「ねこて饅頭」を売り出したり、猫にゃん棒が再々リバイバル。その様子を見ていた「猫島」の他の皆さん、猫手にあやかり「猫足」「猫耳」「猫目」地名が出現。猫地名コレクションをもとに全国大猫サミットが開催され、更には熊地名と合わせたパンダサミットも出現・・・なんて事を続けていると怒られそうなので、この辺で。「猫島」の皆さん、他意はないです。妄言多謝
 
[49370] 今川焼 さん
新日鐵は昭和45年でしたか。これ、調べようと思ったんですが、手を抜いてそのままアップしてしまいました。富士製鉄の時代に、橋や建物に「富士」の名称が付き、そのまま地名化したものの様です。社宅は払下げのはずなのに、手元の道路地図には「社宅十字街」のバス停名も。

ここでちょっと懺悔の部屋。この地名の由来は確実だとは思いますが、実は私は引用した文献を素直には信用していないのです。今までの書込みでかなり使っており重宝してるんですが、内心は本当に合っているのか?と思いながら書込んでいるわけです。ひょっとして間違ってるのでは、ということを出してしまうのは無責任なんですが。
この本に限らず良く使う地名本は、記述の引用方法に不信があったり、孫引き・曾孫引きになりがちなので、なるべく原典に当りたいんですが限界もあり、原典にも不信を抱くというひねくれ者で、間違いがないか探したり異説創作を楽しんでいたりするわけです。
地名の由来は、千本桜さんの書込みにあるようにいくつもの答えがあり、本にはその内の1つあるいは幾つかが書かれているんだ、というように捕らえています。特に古い文献にはその後に発見された説が載ってませんので。

[49409] N-H さん
N-Hさんの書き込みの事ではなく、参考資料となっている事典全般の感想です。私はこれも素直に信用しないものの1つになってます。とりあえずの調査には便利なんで結構使うんですが、疑っていたりもします。何となく、裏を取らねば、と思ったりするんですよね。裏取るの大変ですが。
[49335] 2006年 2月 19日(日)22:05:33【1】北の住人 さん
北海道の富士と吉原など
[49322] 今川焼 さん
「企業由来町名」コレクション ぺとぺと さん
「登別市富士町」は、昭和17年の日本製鉄(戦後富士製鉄と改称)社宅建設地で、昭和43年に土地・建物を社員に払下げたとなってます。富士製鉄従業員の住宅地が由来のようですが、地名が設定されたのは昭和49年とかなり後です。(角川日本地名大辞典から)

「富士」の付くものとして、「斜里町富士」がありました。大正7年に富士製紙が農場を設置した場所で、戦後、富士製紙の農地は全面開放されたとなってます。地名が設定されたのは昭和28年。

コレクション中「釧路市新富士町」の由来となった富士製紙、昭和44年の新町設定により、製紙工場の位置する町名が「新富士町」から「鳥取南」に変更という経緯があります。この「鳥取南」は2丁目はあるが1丁目が見当たらないという妙な場所。「新富士町」は駅名先行のようで、開駅が大正12年、地名は昭和7年。「新富士駅」は東海道新幹線にも同名駅が。

[49303] の「白老町北吉原」は、駅名が「きたよしはら」で、地名は「きたよしわら」の様子。なお、富士市の吉原駅は「よしわら」で駅名を比べると微妙に違いが。
コレクションを眺めると、富士製紙と大昭和製紙は現在の日本製紙ということで、釧路市・白老町とも今は日本製紙。「北吉原」の由来となった「吉原」の隣駅が「富士」とは奇遇。

コレクション外ですがこんな例も。「栗沢町万字曙町」など「万字」地名の元となったのは「万字炭鉱」で、鉱区を所有していた朝吹氏の家紋が「卍」であったことから。ここを北炭が開発し、町名設定後の一時期には「万字炭鉱株式会社」というのも存在した様子。
[49303] 2006年 2月 18日(土)16:24:48北の住人 さん
つれずれレス
[49125] いっちゃん さん
日本にもトリノが結構あるんですね。札幌にはオリンピックに因んだ名称として、五輪大橋、五輪小橋の他、オリンピック道路と呼ばれる通りも。この道路、オリンピックから30年以上経っており、今でも一般にそう呼ばれているかは?で、しかも複数の路線がある様子。
ウオッちずで「五輪」を検索した所結構ヒットしましたが、オリンピックに関係するのは多分、札幌と長野の「五輪大橋」ではないかと。それにしてもスノボクロスは興奮しました。

[49131] YSK さん
アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」は、条例も含めた法令とそれに関する行政実例をメインに採用するのはどうでしょう。私の書込みが幾つか入っていますが、北海道の場合という例を出しただけで、「何か?」の答えではなく、このような個別事例を外すことで記事数を抑えることができます。

[49207] 千本桜 さん
辞書によると、古くは人の手のこと自体「ちょっかい」とも言っていたようです。しかし、なんでこれが地名になったんでしょう。誰かが何かにちょっかいをかけた伝説からなのか?猫の手を借りたい事が起こったのか?猫島に関係あるのか?地名とは不思議なものです。先日は八郎潟の近くで「昼寝」という地名を見つけました。
「猫手」は意味と漢字が一致しているようですが、[49096] の「嫌侶」は当て字。でも、なんでこんな字にしたのか。命名者はその時友達か細君と喧嘩でもしていたんではないかと勘繰ってしまいます。もう一方の「貴老路」と比べるとあまりにも差が。

[49218] Issie さん
北海道にも「本町」いくつかあるようですが、「ほんちょう」「ほんまち」「もとちょう」「もとまち」といろいろです。なかには当初「ほんまち」で今「ほんちょう」とか、「もとまち」だけど「ほんちょう」とも呼ぶというのもある様子。(角川日本地名大辞典から)

[49245] ぺとぺと さん
採用条件には当てはまらないですが、こんな例もあります。(過去記事検索するとかなり前に既出でした。)
白老町「北吉原」には大昭和製紙白老工場がありますが、本社のある富士市「吉原」(当時は吉原市?)から命名されたようです。同じ昭和40年に駅名と地名ができましたが、どちらが先かは調べていません。(駅は11月1日開駅)

[49295] YSK さん
仙台の例ですが、歴史的町名復活も、新町設定(名称は別にして)も、街が変化していると言う点では同じ事ではないのかと感じました。古い地名の復活は良い事なのかどうなのか、私の中では整理できてません。伝統地名を残すという事は大切な事ですが、町名復活というのは、全く過去と同一の状態に戻るわけではないと思います。指す範囲が違ったり、復活しない地名が生じたり、時代によって町名が異なる場合はどの時代のものを採用するのかなど問題もあるのではと思います。区画整理による新町設定と同様、過去の町名を使って新たに町を作るということであれば、都市作りの1つとしての町名復活ではないかと考えます。
[49127] 2006年 2月 11日(土)21:48:57北の住人 さん
創成川と鴨々川
[49050] N-H さん
子供たちの遊び場である鴨々川は、創成川上流の一部ですが、私の感覚では創成川と別物です。鴨々川で遊んでいる時に、ここは創成川だ、との意識はありませんでした。
謎の部分はありますが、明治期の状態では、鴨々川は豊平川分流である自然河川に手を加えたもので再度豊平川に合流しており、もともとは胆振川の一部という話もあります。創成川は、その胆振川から農業用水として取水した人工河川で、鴨々川分流といった感じです。

創成川と名付けられる前は「大友堀」「寺尾堀」など堀の名で呼んでいたり、「新川」と呼んでいたようで、この水路に架かっている橋の名「創成橋」から「創成川」と付けられたようです。この川はどんどん北側に伸びて行き、最終的に当時の石狩川に接続され現在の姿になっています。
[49114] 2006年 2月 11日(土)10:38:47北の住人 さん
嫌侶
[49102] でるでる さん
私の[49096]で「嫌侶(キロロ)」の「侶」の字が間違っていましたので、修正しました。失礼いたしました。
(「嫌呂」となっている地図があったのでと言い訳。その系統の地図で縮尺が違うのは「嫌侶」でした。)
[49096] 2006年 2月 10日(金)22:44:30【1】北の住人 さん
ルシヤとキロロ
[49075] EMM さん
[49078] みやこ♂ さん
松浦武四郎の「ルシヤ」ですが、なんと発音したのかは?です。「ル・シ・ヤ」かもしれませんし「ル・シャ」かもしれません。語頭がラ行なのに「ヲルシヤ」とはならなかった様で。
現物を見たわけじゃないので、位置を確定できませんが、前後の地名から判断して、斜里側を「るうしや」と書いた古地図や、羅臼側を「ルサ」と書いた古地図があるようです。

ルシヤと似た感じで、山を挟んで両側に同じ地名がある(あった)のは、浦幌町と本別町の境界付近のこの辺り、浦幌町「貴老路(キロロ)」と本別町「嫌侶(キロロ)」。嫌侶はちょっと前の地図にはあるんですが、最近の地図からは消えてしまったようです。
[49070] 2006年 2月 8日(水)23:39:41北の住人 さん
北海道支庁図
[49063] 紅葉橋律乃介 さん
以前から範囲が気になっていた「○○郡他○郡役所」なんですが、この図を見ると良くわかります。まさに支庁の原型ですね。形の変化が面白いです。
[49065] 2006年 2月 8日(水)21:01:44北の住人 さん
ルサ川とルシャ川
[49047] みやこ♂ さん
アイヌ語では「sa」と「sya」の区別がありませんので、このような語があったとしたら、「ルサ」も「ルシャ」も同じものです。
「ルサ」あるいは「ルシャ」の、実際のアイヌ語の地名が何だったのかわかりませんが、松浦武四郎の図には両方とも「ルシヤ」となってます。
これは私的な解釈ですが「海のほうに行く道」というような感じになると思います。この川を遡れば半島の反対側に出る、という意味があったのかもしれません。この行程は、古くから羅臼側と斜里側を結ぶ要路だったようで、松浦武四郎も記しています。
[49036] 2006年 2月 7日(火)21:18:43【1】北の住人 さん
Re:意外と判らない素朴な質問
[49020] 定義くん さん
市町村については、こちらが良いのであげておきます。

「市」になる要件について-地方自治法・都道府県の条例から-
[48983] 2006年 2月 4日(土)22:15:03北の住人 さん
Re:北斗市のカントリーサイン
[48973] ぺとぺと さん
新聞の受け売りですが、ぺとぺとさんの書込みのとおり、「新函館駅」が旧大野町に設置されるためで、旧上磯町のサインだった「トラピスト修道院」とを合わせたデザインのようです。また、これは私の想像ですが、背景にある山のうちの1つは「設計山」だと思います。読みは「モッケやま」なんですが、この地方の測量の基礎となったという話もあります。(この話の詳細は未確認)
なお、旧大野町のデザインに入っていた「稲」は、北海道水田発祥の地からきてます。(「稲」と一緒になっている「温泉」については良く分りません。)
[48821] 2006年 1月 29日(日)11:49:03北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その5)
[48818] の続き。この機会に北海道の地名をいろいろ見てみましたが、最後に本題と言うか、実はこれが書きたかったので書いちゃいます。

「字美唄及茶志内」
これ、奈井江町の字名なんですが、最初は「字美唄」と「字茶志内」のことか?と思ったのですが、一続きで字名(びばいおよびちゃしない)でした。接続詞のついた字名というわけで、珍しいのでは。奈井江町には「字茶志内」もありました。さらには「字茶志内美唄」も、こちらは「及」はついてません。地名というものは奥が深い。(「字美唄及茶志内」は美唄市にもあるとのこと。)
なお、「字茶志内」は、明治25年告示で「字チヤシユナイ」が設定され、明治33年告示で漢字名に変更されてますが、屯田兵村域には漢字が適用されなかったのか「字チャシュナイ」が現在(昭和61年時点)もあります。(「角川日本地名大辞典」から)

もう1つ。標茶町に「字標茶開運橋向」という地名があるんですが、もとは「字開運橋向」。架け替えで橋の名が「開運橋」から「標茶開運橋」になったために、字名も改称したとのこと。

おまけ。「栗山町中央」はもと「栗山町字栗山」でそれ以前は「角田村字栗山町」。一方、「角田村字角田」が「栗山町字角田」に変更。まるで漢字パズルの様。
[48820] 2006年 1月 29日(日)11:37:09【1】北の住人 さん
兵庫県的市町村?(アーカイブズ提案)
何気なく地図を見ていたら、仙台市が兵庫県に似ていることに気付き、北海道では八雲町が最近該当するようになったなと思い、「都道府県 分断 市町村」で過去記事を検索すると話題になってました。
記事数少ないですが、まだ関連記事があるかもしれません。パズル的な話題としてアーカイブズにどうでしょう。タイトルは深く考えてません。村で該当するのがあるのかは不明ですが。
兵庫県的市町村

(私の一連の書込みに全角と半角の"「"が混在していることが分りました。オーナーグリグリさん、お手数をおかけ致します。)
[48818] 2006年 1月 29日(日)09:48:03【1】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その4)
[48808] の続き。自治体が成立した時点でどうなっていたかも調べてみました。成立時点とは市制(町制、村制)施行時点とし、改称した自治体は改称時点(「南幌町」については名称が「なんぽろちょう」になった時点)です。自治体により、明治期だったり昭和40年代だったりで比較の意味があるのか不明ではありますが。分類は[48797]と同じで、「参考」は[48797]の合計の数値(昭和61年時点)です。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計参考
(1)町のみ800821
(2)大字のみ3338449
(3)字のみ910415128109
(4)町と大字20022
(5)町と字630944
(6)大字と字25071
(7)町と大字と字01015
(8)その他21011321

この他、成立時点以降に変化があり、現在とは異なる状態だった自治体もあります。小樽市は当初「町」のみだったのが、合併などで「大字」「字(大字無し)」ができ、その後それらを廃止し「町」のみとなっています。(函館市、帯広市なども合併などで変化があった。)
[48808] 2006年 1月 28日(土)22:21:58北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その3)
[48797]の続き。道内の自治体には「条丁目」「線号」の区画も多く存在します。これらが「町」「字」の何にあたるかを調べてみました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

「条丁目」「条」
分類合計 市町村の例
1115026 旭川市、音更町、白糠町
18110 北見市、浦幌町、中札内村
地区1001 美唄市

「条丁目」には方角を冠した、「北○条西○丁目」(芦別市など)、「西○条北○丁目」(中標津町など)、「北○条○丁目」(足寄町など)、「西○条○丁目」(津別町など)のほか、地名を冠した例(「岩見沢市大和○条○丁目」など)も多く、「1条1丁目」の存在しない例(「札幌市南区藤野」など)もあります。

「線号」「線」「号」については旭川市と、鷹栖町・広尾町・南幌町など11町村が確認できました。
旭川市は「町」(「西神楽○線○号」)と「字」(「字近文○線○号」)があります。また、地名「近文」については、「町」である「近文町」も存在します。
鷹栖町・東川町・新篠津村などほとんどの町村は「線号」の区画には「字」がないと考えられ、「行政区」などを設定しています。
広尾町には「字茂寄基線」「字茂寄1号」など地名を冠した「字」があります。
[48797] 2006年 1月 28日(土)14:58:14北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その2)
[48785]の続き。自治体名「○○市(町・村、札幌市は「区」)」の後が「町」なのか「字」なのかにより分けてみました。これも判断に迷う部分があり独断で分類しました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計 市町村の例
(1)町のみ147021 札幌市、足寄町、歌登町
(2)大字のみ0549 浜中町、礼文町、厚田村
(3)字のみ29017109 紋別市、浦河町、島牧村
(4)町と大字2002 稚内市、留萌市
(5)町と字1034044 旭川市、帯広市、広島町
(6)大字と字0101 小平町
(7)町と大字と字0505 厚岸町、斜里町、石狩町
(8)その他414321 美唄市、南幌町、月形町

(1)全域が「町」で構成されている市町村の数。町名が全て「○○町」である自治体(伊達市など)もあるが数は少ない。無住地域に「○○町」としている例(「函館市寅沢町」など)もある。
(2)全域が「大字」で構成されている市町村の数
(3)全域が「字」で構成されている市町村の数。「大字○○字××」は対象外。上砂川町には「字上砂川」と「字上砂川町」が存在。同様の例は奈井江町にもある。「○○町字○○」のように同じ名称が繰り返される例も多い(「小清水町字小清水」など)
(4)留萌市には「礼受町」「大字礼受村」というように、「町名」と「大字名」が同じものがある
(5)帯広市など「字」が1つで残りが「町」の自治体がある
(6)「大字」は「小平町大字鬼鹿」のみで、通称小字?と考えられるものに「港町」などがある
(7)当初から「町と大字と字」だったのは釧路町のみ。厚岸町・斜里町・石狩町は当初「大字」のみだったが、その後「町」と大字無しの「字」を編成。
(8)全域あるいは一部地域に「行政区」などの名称で地名の項目が立てられている自治体。全域字無し(鷹栖町など)もあるが、ほとんどは「町」あるいは「字」が存在する。
[48785] 2006年 1月 27日(金)22:26:21【2】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その1)
昭和61年と、いささか内容は古いですが、北海道の市町村が「町」「字」をどのように使っているか調べてみました。資料は「角川日本地名大辞典」です。判断に迷う部分もありましたが、その辺は独断と偏見で分類しました。

まず、「町」「大字」「字」を使っている市町村のそれぞれの数です。
分類合計 「町」「字」の例
(1)町2948077 札幌市北区篠路町拓北
(2)大字211417 羽幌町大字焼尻
(3)字1513620171 帯広市字緑ヶ丘
(4)字無し0325 東川町
(5)その他414321 月形町月浜(地区名)
(6)町で「○○村」1001 旭川市東旭川町上兵村
(7)「大字○○町」0606 厚岸町大字湾月町
(8)「大字○○村」27413 石狩町大字樽川村
(9)「字○○町」341549 洞爺村字洞爺町

(1)記述が「町名」となっている地名がある市町村の数。通称は含めず。例は「篠路町拓北」が町名
(2)記述が「大字名」となっている地名がある市町村の数。「町」「村」の付かない大字(7,8参照)は例のほか、「羽幌町大字天売」「小平町大字鬼鹿」を確認
(3)記述が「行政字名」となっている地名がある市町村の数。「大字○○字××」の「字」は計数外
(4)全域に字が無い場合(東川町など)と、一部字がない場合(東藻琴村など)がある
(5)「行政区」や「地区」などとなっているもの。字無し(月形町?)、あるいは字が存在する(美唄市?)可能性もある。「字」が錯綜している市町村が「地区」を設定している可能性あるが、市町村により内容が異なり、正直なところ、実態不明。「東川町」のように「字」設定無しの場合、「地区」で項目が立てられている。
(6)「町」のうち、「○○村」で終わるものがある市町村の数。「東旭川町上兵村」が町名。これと「東旭川町下兵村」の2例を確認
(7)「大字」のうち、「○○町」で終わるものがある市町村の数。「大字」の下に「字」が存在すると考えられる例「石狩町大字八幡町(字高岡?)」があるが、「字」が無い場合も多いと思われる
(8)「大字」のうち、「○○村」で終わるものがある市町村の数。「大字」の下に「字」が存在すると考えられる例「斜里町大字遠音別村字ウトロ」のほか、通称字名?では「増毛町大字別苅村字谷地町」というように村の下に町がくる例がある
(9)「字」のうち、「○○町」で終わるか「○○町」が冠せられているものがある市町村の数。この例は多数見受けられる。特に「字本町」というのが多い。(歌志内市、森町、大滝村他)
[48682] 2006年 1月 24日(火)01:32:00【1】北の住人 さん
成長しました
[48638] いっちゃん さん
私も共通一時世代なので、この名が最初に浮かびます。

センター試験の地理Bを解いてみました。北海道が設問の1つだったこともあるのか、去年より良かったです。年は取ってもまだまだ成長している様です。記憶力は衰えているのですが、日常何気なく接している情報がどこかに残っている様で。私の情報源は新聞とこの落書き帳なんで、高校生の皆さん、落書き帳と合わせて新聞を読むことが良いように思えますよ。(去年も同じ事書いてるようなので、この点成長していない。)
ただし、この手の問題は北海道に住んでいる強みというのか、他の場所に住んでいる皆さんと差がつくように思えます。特にホタテやイカなんかは、スーパーのチラシなど日常生活に入っていますので。他県の細かい産地を問われたら私にはお手上げです。もっとも、会話の考察とグラフを読む能力も試しているのでしょうが。
製造業の収入の設問は、今の日本を考えさせられました。物価の地域格差もあり、表から単純に判断できないことですが、食品関係の厳しい現状をあらためて認識。私自身、何かを作るような仕事をしているわけではありませんが、物を作ることの大切さを家の子供達にも教えねばと感じた次第です。
[48559] 2006年 1月 19日(木)23:18:06北の住人 さん
Re:市町村の区域内の「町」と「字」(1)現行法と昔の法令
[48552] hmt さん
大区小区制時代の明治9年に 内務省が定めた「地所名称区別細目」
こんなふうに町、字が定義されていたわけですか、勉強になります。このあとも続きがありそうですが、一連の記事をあらためて読んでみると、興味深い内容続いています。(私の記事番号まで入っているのは恥ずかしかったですが。)

明治期の北海道庁告示などを調べたところ次のようなものがありました。(漢字体、仮名は原文と異なります。)

明治14年10月25日開拓使函館支庁第42号達(郡区役所戸長役場宛)
 各地に唱ふる字の義は其地固有の名称にして往古より伝来のもの甚多く土地争訟の審判歴史の考証地誌の編纂には最も要用なるものに付漫に改称変更不致様可心得旨公達相成候条此旨相達候事

明治33年5月4日訓令第32号(支庁区役所戸長役場宛)
 従来公称する区町村内土地の字名は容易に改称変更すべきものにあらざるも已むを得ざる事由ありて其改称変更を必要とし又新開地等にて新に字名の設定を要するときは事由を詳具し図面を添附北海道庁長官に具申すべし但町村に属するものは支庁長を経由し支庁長は意見を副申すべし

明治14年頃は、北海道の開拓が進み新しい村や地名がどんどん作られ、何か混乱や問題が生じたために達せられたのではないかと思います。このような状況が、明治16年、函館県が永田方正に命じて地名の調査に当らせる事になった背景の一つかもしれません。後に調査の範囲が全道に渡り「北海道蝦夷語地名解」が出版されています。
明治33年は一級町村制施行の年で、前年に区制が施行されています。
[48525] 2006年 1月 18日(水)22:13:08北の住人 さん
字に町のララバイ
[48501] スナフキん さん
例をあげていただき、ありがとうございます。これらの例は想定外でした。
何か歴史がありそうなんで、調べてみようかと思ってます。北海道だけなのかは分りませんが、正式な「字名」よりも「通称名」「地区名」のほうが慣用されている感じの自治体もあるので、部・区・自治会・町内会などの区域が絡んでいるのかもしれません。

留萌市は特に「大字留萌村」の地域が良くわからないです。市の中心部にも「大字留萌村」があるはずですが、道路地図には通称の町名が書かれています。正式な「字」より通称の「町」が一般的に使われるのではないかと考えています。

去年、石狩市やせたな町で「○○区」というものが誕生しました。最近流行っているのか、伊達市にも「大滝区」が誕生する様子です。

(タイトルは新聞広告に載っていた曲名から)
[48426] 2006年 1月 15日(日)23:49:14北の住人 さん
町大字
[48391] Issie さん
「地方自治法」でも「住居表示に関する法律」でも「不動産登記法」でも,「大字」という用語はなくてすべて「字」が使用されています。
前2者では「町」と「字」が等価で使用されていますから,この「字」は“いわゆる「大字」”を意味しているように思います。
「町」「字」に定義が無い前提での話です。「町」「字」は単なる行政区画の例示と考えると、「町」と「字」の関係が等価でない場合も想定されるんではないでしょうか。行政区画の大小関係が3段階になった場合、「町」「大字」「字」の順に並べようとする自治体もあるのではと考えます。[48147](ひー さん)の例「名古屋市中川区富田町大字新家字永割」のように。
(「富田町」が地方自治法第260条の「町」なのかどうか確認する必要ありますが。)
[48388] 2006年 1月 15日(日)11:17:19北の住人 さん
町字
[48373] Issie さん
「地方自治法」「不動産登記法」に関しての説明ありがとうございます。
「町」「字」は“所与のもの”というのは、私もそうなのだろうと思います。[41581] (88 さん)の行政実例(昭和23年8月9日)を見ると、「いわゆる字」という表現があり、明確な定義が無いことを示唆している様に思えます。

地方自治法第260条では条例事項としていないので、「町」「字」を調べるのは難しいですが、知事への届けが必要なので、過去の都道府県公報などで調査が可能かと思います。ただ、これかなり大変で、私は過去の字名変更を図書館で調べたことありますが、該当年の公報をマイクロフィルムで検索する作業は非常に時間がかかり疲れました。(調べに関係無い部分を読んだりして時間かかったのですが。)
札幌市の場合は、以前は北海道庁告示でしたが最近は市の告示で公表されています。ネットでも公開されていたんですが、なぜか去年から、沿革情報は見れますが、町名自体は登載中止となってました。
[48349] 2006年 1月 14日(土)13:20:17北の住人 さん
町字三題
私も興味あるので参加を。
[48333] 88 さん
地方自治法と、不動産登記法が(おそらく)「町」「字」定義が異なり
手元に地方自治法がないので分りませんが、「町若しくは字の区域」の「町」「字」は法律上定義されているのでしょうか。「地方自治の本旨」とかいう概念がありますが、自治体の区域内のことである「町」「字」は、自治体に任されていると思うので「町」「字」を使おうと使うまいと「大字」を入れよう入れまいと基本的に自由では?自治体にはそれぞれ沿革があるので、「町」「字」に関する統一した概念は無く、いわば「従前の例」みたいなものだと思います。ただし、その変更過程を公にするために第260条があるのではないでしょうか。

[48313] スナフキん さん
大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)
北海道にもそのような例があるでしょうか。面倒でなければ2、3教えてください。
境界変更などで新たに自治体の区域となった部分が、従前の「大字」と同じ名称だった場合、この例に該当する様に思えるんですが。

北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されている
次のような場合が考えられます。
・もともと「字」しかなかった自治体に合併などで「大字」のある区域ができた。意識上は「字」の区域と「大字」の区域は同列ではないかと思います。
・「町」と「字」が混在している。「町」を「大字」に相当するランクとみた場合、「町」と「字」が同列であればこのように記されるのではないかと思います。
・昭和10年前後、かなりの自治体が「大字」廃止「字」設定を行っており、「大字」を「字」に変更してますが、ランクとしては「大字」のまま今に至った。
(手元に昭和26年の北海道市町村行政区画便覧がありますが、区画の欄は同じ枠に「大字」は太字、「町」「字」は通常の字体で書かれています。)
[47571] 2005年 12月 21日(水)22:37:16北の住人 さん
源氏
[47560] 笠津前浜 さん
「前九年」「後三年」というのは、古い地形図に古戦場の記号が付いていそうな名です。記号の対象とする時代としては古過ぎかもしれませんが。
この記号が付いてる場所で一番古いのと新しいのはどの時代なんだろうかとふと疑問が。こんな事を調べるのは不可能だと思いますが。

歴史に疎いので、この戦いについて調べたみたところ、源氏と大いに関係があるんですね。9年、3年というのは実際の経過年数ではない様で。ちょっと時代が異なりますが、最近終了した義経がらみでひとつ。(録画したままで、番組は見てませんでした。)

文化4(1807)年の「東蝦夷地屏風」(秦檍麿作成)には「判官義経霊廟」というのが記載されているということです。場所は分りませんが、沙流川か鵡川の辺り。屏風にある前後の地名は、「ムカワ河上休所」「ユウバリノボリ」、この次が霊廟で、「シノタイ」「サルモンベツ会所」と続きます。「シノタイ」は「門別町富浜」に当ります。
門別町の隣、平取町には義経神社があり、このすぐ近くに、俗にUFO基地と呼ばれる場所があるんですが、最近行った事ないので現状不明です。(源氏とは関係ないですが。)
[47532] 2005年 12月 19日(月)23:35:11【1】北の住人 さん
経県値
やっと経県値を確定できました。61点ですが、多分、数年以上は変化ないと思います。

認市度も数年間は変化ないので、私的には、村の経験値アップで行くしかないかと。そこで、たもっちさんのシートを使い、村の値を計算してみたところ、宿泊7村、訪問15村、通過12村で85ポイントとなりました。
北海道にはスキー、温泉など宿泊したい村がまだあるので、今後も点数は稼げそうです。(長野県の村数には及びませんが。)

ちなみに、たもっちさんのシートで計算した北海道の率は62%になりました。他は多分10%以下でしょう。(thanks to tamotchi san)
[47498] 2005年 12月 18日(日)02:50:39北の住人 さん
流氷とけて、春風ふいて
[47462] まかいの さん
この曲、宗谷岬ではいつでも流れているような気がしますが、私の頭の中だけでしょうか。
流氷はオホーツク海沿岸の冬の風物詩ですが、一面氷のイメージとは違って、私の見たのは白い塊が散在し、白船来襲といった感じでした。もっとも、目的はオホーツクの魚介類でしたが。

宿泊費を安くするため、サロマ湖のネイパルクッピー常呂という青少年施設に泊ったんですが、利用目的書を出さないといけないので星空観察にしました。ちょうど彗星が出現していた時期で、近くの露天風呂に行く途中、車から見ただけですが。記憶が正しければ部分日食の日でもあったと思います。

冬の道東、道北に行くのは大変なので、流氷見たことのない北海道人が多いというのはわかります。
[47459] 2005年 12月 17日(土)01:14:40北の住人 さん
経県値
概算で60ほどの私、地図を見つつ、あれこれ思い出しながら数えた訳ですが、夜行や新幹線で通過した県は、飛行機で見た未踏県より、印象的には低いなと感じてます。通過県で印象的だったのは富士山を見た事だけで、他の県は未踏県と大差ないです。それよりも、上空から地図を手に見た県の方が、地図と同じだ!という感動が強かったです。もっとも、見ただけで何も経験はしていないですが。

経験ということで印象的だったのは、回転寿しのネタでした。名も知らない魚だか貝だかを頼むのはどんなのが出るのかとワクワクしました。郷土料理も食べましたが、回転寿しの方が印象強いです。

私の住む北海道、どんな事を経験すれば北海道値がアップするかを考えてみました。
・雪(吹雪の中を歩く、数日間連続除雪をする、カマクラを作る、粉雪のスキー)
 冬の通勤は辛いです。昔は傘など差さなかったですが、今は普通になりました
・ジンギスカン(ジンギスカン鍋で丸い成形肉を食べる)
 最近の我が家ではこんな食べ方はせず、焼肉と同じ状態になってます
・すき焼き、しゃぶしゃぶ
 豚のすき焼き、羊・豚のしゃぶしゃぶ
・北の魚(鮭、鰊、ほっけ、ししゃもなど)を食べる
 地物より輸入物の方が多いですが。鮭やハタハタの飯鮨(いずし)も乙
・野生動物(鹿、狐、鶴、鮭などに遭遇)
 個人的にはエゾリスが北海道的かと。熊に遭遇したら逆にポイントダウン
・牧畜(牛、馬、羊)
 牧場も観光的になってきました。子供の頃は牛乳を買いに近くの牧場へ
・炭鉱跡
 かつての北海道の産業、ずり山(ぼた山)を見て昔をしのぶ
・アイヌ文化
 観光的ではありますが、伝統文化に触れる経験も各所でできます
・自然地形
 広大な湿原・台地が北海道的かと
・村落地形
 直線的で広い区画割は、札幌など都市の区画割とはまた違った風景です
[47362] 2005年 12月 13日(火)20:28:53【1】北の住人 さん
鬼みっけ
と思ったら、まだ「鬼」コレはなかったんですね。

最近、カシミール3Dを導入し、いろんな場所の風景を眺めているんですが、話題の高千穂鉄道付近を見ていたら、高千穂町に「鬼切畑(オギリバタ)」というのを見つけました。天岩戸神社の山を挟んで反対側(西方)です。それで、地名コレクションにあるのかと思いチェックしてみたんですが、まだ早かったですね。
東方の北方町・北川町界には「鬼の目山」も。

「古祖母山」というのも面白いですね(高千穂町北部の大分県界)。「コソボ」と言うのかと思ったら、「フルソボ」でした。かなり前、本屋で立ち読みした地図本に、外国にある日本地名(読みが日本の地名とほぼ同じ)を集めたのがあったのを思い出しました。
北方町には「比叡山」というのがあります。行く年来る年で中継された事はないでしょうが。

延岡市には「行縢山(ムカバキヤマ)」なんてのもあります。「行縢」なんて言葉初めて知りましたが、伝統的な言葉なんですね。延岡市と広島県府中市には「行縢町」がありますが、職業地名(武士由来?)にも思えます。

カシミール3Dの話題はほとんど出てないようですが、今これで遊んでます。3000円弱の投資は少し迷いましたが、面白いです。家から見える山や、郷土史などに出ている見立て地名をシミュレーションしているんですが、おやっ?と思うような結果がでたりで、この方面にも使えます。

以上、つれづれなるままに。
[47216] 2005年 12月 7日(水)21:13:58北の住人 さん
鹿に煎餅あげました
皆もすなる経県値といふものを、我もしてみむとて計算しようとしましたが、記憶の壁に当ってます。10年前なら覚えているんですが、それ以前のことは少ない経県なのに、どこを通ってどこに泊ったのやら。もっとも、私の値は皆さんの平均値の半分以下なので、思い出したとしても大した点数にはなりませんが。

私の場合、中学、高校の修学旅行が点数に貢献してます。特に高校は、行きは東京経由、帰りは日本海経由で、青森と東京は乗り換えで降りてますが、あとは通過です。多分、泊った所は京都で2泊。それと奈良の散策(鹿フン音頭とか言うのが流行っていた頃だったような気が?)。前後は寝台でした(北斗星なんてありません)。これだけで私の経県値の半分は行ってます。飛行機を使う今では、さすがにこんな高校ないと思いますが、20数年前の札幌周辺高校では似たようなものだったと思います。
[47191] 2005年 12月 6日(火)22:59:57北の住人 さん
県境越えとはどんな感じ?
北海道にいると県境なんてありませんから、それを越えるという経験はほとんどありませんが、それを「支庁界」としてみた場合はほとんど意識せずに通過しています。函館や稚内、網走、根室に行く時はそこの支庁に行くんではなく、そこの街に行くという感覚です。旨いものに近づいているとも言えますが。

車の場合ですが、イベントとして大きいのは「峠」を通過する時ですね。「峠」も「支庁界」の事が多いですが、隣の支庁に向かっているという感覚は私にはないです。運転している事もありますが、「峠」を越すというのは一仕事です。
狩勝や石北は正に越えるといった感じです。茶屋によって一休みしたくなります。日勝の場合はトンネルなんで、単に通過しているといった感じに近いです。休憩せずに通過する事多いです。日勝よりもその前の区間である、穂別日高間の方が興奮します。
中山は微妙ですね。越えると言う点では他と同じですが、札幌から出る時は立ち寄る一方、札幌に帰る時は通過が多いです。上下線の施設の違いもありますが。

夜行で青函トンネルを抜けた事ありますが、「県境越えだ」という感慨はなかったように思います。お腹の中が満足になり寝るだけで、他に意識が回らなかったこともありますが。
本州で県境を超えた経験は少ないですが、富山から岐阜に車で向かった時は県境に圧倒されました。何度も「岐阜県」「富山県」が繰り返され、貴重な体験をさせてもらいました。
三陸海岸を車で走った事もありますが、景色に気を奪われ、県境通過の思い出は残ってません。
[47188] 2005年 12月 6日(火)21:23:22北の住人 さん
Re:関門にならない関門
[47161] にまん さん
原氏の算出では、山口(16)は、広島(23)・岡山(25)に比べ係数が高い(隣県との壁が低い)のですが、次のような特徴があるようです。(カッコ内の数字は係数順位、福岡は13位)

広島・岡山は中国山地を越えて隣県に行くローカル線があるが、山口にはない。
山口の隣接区間4つのうち、半分の2区間の駅が山陽本線主要駅の岩国・下関で、広島、門司・小倉方面への列車数が多い。

(なお、例として湯河原・熱海間を挙げていますが、県境駅双方に停車する列車なら特急も本数に算入しています。算入対象列車については[47122]もご覧下さい。)
[47122] 2005年 12月 4日(日)07:50:28北の住人 さん
Re:隣接係数-兵庫の場合は
[47093] 北区へ帰宅 さん
原氏も似たような指摘をしています。上位の千葉(茨城方向)、埼玉(群馬方向)でも隣接県による格差はあり、大阪の場合は、和歌山方向の本数が少なく、奈良方向と比較し、生駒山地より和泉山脈の壁が高いと考察しています。
さらに、阪神間は快速、急行が多く、県境駅に停まらない列車があるため、各駅停車の多い東京圏との差が出ているとしています。(係数計算時、県境駅に停車しない列車は除いている。新幹線も含めていない。)
また、鳥取と島根は中国山地の区間で列車本数が少ないため係数が低いが、鳥取島根間のみでみれば列車本数は多く、山陰2県間の壁より北陸3県間の壁が高いとしています。

なお、隣接県との区間数が少ない(鉄道での移動方法が少ない)県は石川・愛媛の2区間、福井・高知・長崎の3区間であり、区間数が多いのは東京(39)・神奈川(24)・大阪(19)・埼玉(18)です。
[47091] 2005年 12月 3日(土)21:32:30北の住人 さん
鉄道から見た「隣県の壁」
県境についての話題を読み、昔、蔵王に行った時に、県境云々とかいう書き込みをまのあたりにし、少しばかりショックを受け、いきさつを調べようとした事があったのを思い出しました。

さて、タイトルは講談社の雑誌「本」に連載の、原武史氏「鉄道ひとつばなし」、2004年10月号掲載分のものです。(最近も連載されているかは不明)
原氏はこの中で、隣県への地下鉄を含む鉄道区間数と列車本数から「隣接係数」というものを算出し、隣県への行き来のしやすさ、隣県とのつながりの強さともいうような「隣県の壁」の高低をランク付けしています。
(係数の基本的な算出方法は、列車本数を区間数で割った値であり、県境駅から隣県の県境駅に行く列車が1日平均何本あるかを表し、係数が高いほど壁が低い。北海道と沖縄は除く。)

係数の上位は、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、奈良、京都、兵庫、滋賀、愛知であり、特に首都圏での移動では県境の壁という意識は薄いのではないでしょうか。
係数の下位は下から順に、秋田、青森、宮崎、山形、新潟、鹿児島、岩手、島根、高知、徳島となっており、これらの県の県境に住んでいる人にとって、隣県に行くことが不便というか、生活圏にないと言ったらよいのか、隣県への高い壁があるというわけです。
[46386] 2005年 11月 1日(火)20:12:41【1】北の住人 さん
北海道の国
[46338] デスクトップ鉄 さん
「北海道鉄道敷設法」の提案時には「国」が使われていなかったという話、そこで、こんなことが起こったのではないかと想像してみました。
「奈与呂というのはどこだ。聞いたことないよ。」
「地図によると天塩国のこの辺だね。」
「それじゃ、分り易いように国も入れてくれ。」
この1896(明治29)年頃の名寄には、村がまだできていなかったようです。

道路はどうなっているのかと思い、 日本の道で古い法令類をあたってみると、内務省告示「國道表」で、北海道以外にも「○○国」が大正4年まで使われていました。

鉄道も道路も地図が絡んでいるので、地形図はどうなのか調べた所、昭和30年代頃まで「国」の境界線があり、欄外の行政区画の説明で「国」が使われています。「道路」については大正までですが、地図上「国」という概念は、昭和にも残っていた様です。
[46300] 2005年 10月 30日(日)10:13:05北の住人 さん
北海道の国+佐渡国・淡路国
[46273] Issie さん
北海道に全国と同様な「道・国・郡」を設置することで、諸外国に対し日本の領土だと主張できるということですね。
国内向け(移住者向け)の理由もあると考えたんですが、理由としては弱いですか。文書を通達するにも宛先に「国」がないと不都合だったり、どこの生まれだと聞かれて「国」が無いと困るとか。松前藩の時代は国郡を設置していないのだから、そこに住んでいる人や新たに移住してくる人々は、北海道に「国」が無いことを意識はしていなかったのかもしれませんが。
明治期の文書に、同一文書中、北海道は「○○国」となっているのに本州は「○○県」となっているのがあるのも妙な所です。

[46255]中、1922(大正11)年改正の「鉄道敷設法」で「国」を使っているのは北海道のみとしましたが、他にもありましたので追加訂正します。佐渡国と淡路国が「県」を使わずに「国」で表現しています。
[46265] 2005年 10月 28日(金)23:19:41北の住人 さん
北海道の国名
[46261] デスクトップ鉄 さん
本土で、集落名が国名に出世したのは、紀伊だけだと思いますが、さすがに明治になって制定された北海道では、多くの集落名が国名に採用されたのですね。
国名に採用されたのは「集落」名というよりも「領域」名と言った方が良いと思います。[46207] の「商場」「場所」は集落というよりも、漁場・交易などを行う一定の範囲を指しています。交易は鮭・鱒が中心だったので、その範囲はある川の河口から海岸線一帯で、隣の場所の境界までだったわけです。また、定住していたわけではないので、当初は集落というものが無かったと思います。
石狩・天塩・十勝・釧路については、「国」の範囲を設定するのに「川」を使っていると考えられます。これらの川は、比較的規模の大きな「場所」の名となっており、その河口が現在の都市名となっています。「川」名が先か「集落」「領域」名が先かということが問題となりますが、集落は後からできたものであり、「川」名が先のようです。

北海道に「国」を置いた理由は勉強不足で良く分りません。開拓殖民上の理由や対外的に必要だったのではないかと今の所考えていますが。
[46255] 2005年 10月 28日(金)14:18:51北の住人 さん
北海道の国
[46207] の追加
1897(明治30)年の郡役所廃止、支庁設置で行政区画としての意義を失った北海道の「国」(詳しくは[46203] Issie さんの説明をご覧下さい)ですが、郵政と鉄道には位置を示すために残った様です。
郵政関係は調べていませんが、手元に鉄道関係の資料があったので紹介します。

支庁設置前である1896(明治29)年の「北海道鉄道敷設法」で北海道の場所を表すのに「国」を用いていますが、1922(大正11)年改正の「鉄道敷設法」でも「国」を使って場所を表現しています。この法律はその後幾度か追加があり、1953(昭和28)年の時点でも、「国」を使っているようです。1961(昭和36)年の追加では「国」は使ってないようです。(法律の原文は読んでません。)

なお、1862(明治25)年公布の「鉄道敷設法」は本州、四国、九州が対象なんですが、ここに出ている地名は「国」を用いず「府」「県」を使っています。1922(大正11)年改正の「鉄道敷設法」でも同じで、「国」を使っているのは北海道のみのようです。
[46250] 2005年 10月 28日(金)11:46:04北の住人 さん
北広島
[45562]北広島調査の続き
地元の「北ひろしま郷土史研究会」という団体が出している本を数冊読んでみましたが、地名「北広島」についての話題は見つけることができませんでした。で、こんな話やあんな話を。

エピソード1 明治期の村設定時に、当時の北海道長官が開村の功労者である和田郁次郎の姓から「和田村」と命名したが、本人が固辞し出身地由来の「広島村」となった。

エピソード2 開村当時に飛来した丹頂鶴を明治天皇に献上。しばらく宮中(皇居のことか?)で飼われていた。当時は、丹頂鶴が石狩平野にも棲息していた様子。 

エピソード3 義経の宝が北広島の山中にある!大正期以降、何人かが探索しているがいまだに見つかっていないようです。義経伝説、北海道の海岸部にいくつかありますが、札幌の隣町にも義経が現れていたとは知りませんでした。私も、そのうち地図を入手してお宝でも探そうかと。最近の雑誌に埋蔵金探知機を譲りますなんてのを見ましたが、そんなに高くはないようで、宝が見つかったら十分元が取れます。

鉄道関係の資料に「鉄道敷設法」(大正11年改正)というのがあったので、北広島の辺りを確認しましたが、計画線では村の名称「広島」を使っていました。ただし、胆振国広島となっているのが妙なんですが。当時の計画では、現石勝線は広島から追分方面に分岐してます。というよりも、白石―広島―追分の路線で、分岐は広島―苫小牧という表現ですが。(現千歳線の開業は大正15年)
[46207] 2005年 10月 26日(水)23:41:00北の住人 さん
北海道の国名設定
[46127] デスクトップ鉄 さん
[46176] オーナー グリグリさん
[46203] Issie さん
北海道大学附属図書館資料の閲覧サイトにこんなのがあります。
明治2年の国名ノ儀ニ付申上候書付北海道々国郡名撰定上書郡名之儀ニ付申上候書付(いずれも松浦武四郎)
私には訳すのが難しいですが、「国名ノ儀ニ付申上候書付」の冒頭数ページに北海道に国を置く必要性などが書かれており、68州に匹敵し広大である、壱岐・対馬なども68州の内に入っている、諸外国の侵略を食止める必要もある、というような内容のようです、多分。

また、国の範囲と命名についての説明もあります。釧路、根室、石狩、天塩、十勝については、多分、その地方の中心であった江戸期の「商場」「場所」(交易場のようなもの、名称の元はアイヌ地名)を採用し、漢字を当てている様です。分らない漢字があったり解像度が低いので詳しく読んでませんが、内容は、「北海道の支庁名の由来」の通りだと思います。

角川日本地名大辞典によると、釧路市、根室市、石狩市、天塩町の命名も、もとをたどれば「場所」名から来ているようです。北見市は「北見地方(網走支庁管内の通称、由来は北見国?)」から、日高町は「日高山脈(由来は日高国?)」から取ったようですね。
[45562] 2005年 10月 10日(月)15:56:57北の住人 さん
北広島
[44907] 北広島調査の続き
広島町で出している資料をいくつか調べた所、’84年広島町勢要覧に
 『国鉄の駅や道営団地などの名称として用いられている「北広島」は、広島町の俗称として使われており、本来は広島県と北海道の広島町を区別する意味から、そう呼ばれ始まったものです』
との記述を見つけました。ただ、広島村時代のを含め、他の年度の要覧を5、6冊見ましたが、このように記載されているのはこの年度だけでした。’84年は昭和59年であり、北海道大百科事典(昭和56年)の影響を受けているかもしれません。

「広島町を北広島市とする事についての申請書」(市制施行の前年度に作成されたと思われます)に、市名選定の理由が次のように載ってます。
『「広島」という名称は、明治26年12月月寒村から分離独立するに当たり、村の中心である東部地区へ入植し、開拓に功労のあった和田郁次郎ら団体移住者の出身地である広島県の名を採り、新村名として「広島村」と名付けられたことによります。その後、昭和43年の町制施行により、「広島町」として継承されてきました。
 このように「広島」の名称は、歴史的にも極めて意義深いものがあります。このことから、まず「広島」を選定することにしました。
 次に、他市の名称との混乱を避けるため、北海道の「北」を「広島」の上に冠し、「北広島」としました。
 現在のJR駅は、大正15年8月に北海道旅客鉄道株式会社が札幌-沼の端を開通させるに当たり、広島県の「広島駅」と区別するため「北広島駅」とした経緯があり、又、北海道立高校の校名や各企業、事業所の本支店名に「北広島」という名称が広く使用され定着していると言えます。』

この文の冒頭にあるように、村の中心(字広島)は「東部地区」と呼ばれています。広島村は南北で分けるのではなく、東西で分けるのがいくつかの資料を読んだ上での印象です。この点からも、入植地の北部を北広島と呼んだのかが疑問となるわけです。
「北広島」の地名、おそらく、道立北広島団地ができ流入する人口が増え、特に広島町以外の人との会話の中で一般化されたのではないでしょうか。
他にも資料文献ありましたので、多分、調査はまだ続きます。余談ですが、現在の「北広島インター」は、開設当時は「大曲インター」と呼ばれていました。
[45113] 2005年 9月 24日(土)07:15:03北の住人 さん
きのこのこのこ
[45091] じゃごたろ さん
[45098] eiji_t さん
「舞茸」、私の辞書では、その形が「舞っているような観を呈する」とあります。今昔物語には、他に、平茸にあたって死んだ人(藤の木に生えていたのを食べたようですが、藤は北海道では自生していない?)と食べてもあたらない人の話、藤原の陳忠という信濃の守が谷底に転落する途中の木に平茸を見つけ採れるだけ採ったが、採れなかった残りを惜しんだという話もあります。

天然ものではありませんが、舞茸は我が家でも、味噌汁の具としては「なめこ」と肩を並べています。「しじみ」は「あさり」にその座を奪われました。洋食にも使える他、安いのが原因のようです。
私の幼少のかすかな記憶では、おそらく家の周辺の林にあった「ぼりぼり」「らくよう」なるキノコを食していたのですが、いまではそのようなキノコを見ることは無くなりました。
道の駅などで最近良く見かけるのは「カバノアナタケ」ですが、北海道だけの現象でしょうか。

一昨日の新聞によると、札幌には「藻岩山きのこ観察会」という団体があり、キノコの採取、鑑定を定期的に行っているとか。住宅地近くである、藻岩山、旭山公園で、ある日の採取したキノコは2時間で100種類近く。欧米では高級食材であるものが自生しているという話も。
[45088] 2005年 9月 22日(木)21:08:18北の住人 さん
○△市○△町
地名コレクション「字名の“村”」や第八回全国の市・十番勝負「問七」共通項によると全国には「○○市○○」や「××町××」という、自治体名を反復した地名が多いようです。そこで疑問なのですが、海外の地名にはそのような例が多いのかということです。このようなことを調べるには、日本では郵便番号簿や地図サイトですが、海外の地名が出ているサイトで、私のような日本人(中卒程度の英語力)が見ても理解できるようなものはあるのでしょうか。

愛比売命さんへ
調べ物をしていたら、「字名の“村”」に該当するものを見つけました。
「八代市鏡町鏡村(かがみまちかがみむら)」
ここは、「鏡町」が「八代市」と合併した後も同じ地名として残ったようです。
一方、合併前に「鏡町鏡町」というのがありましたが、「八代市鏡町鏡」となったようです。この外、郵便番号簿によると熊本県には他に6ヵ所ありました。
なお、コレクション中の「熊本県宮原町(宮原村)」は合併により「氷川町」となった模様で、郵便番号簿から 「宮原村」は無くなっていました。

妖しいキノコの話ですが、舞茸というのは、雅な時代にはどうだったのでしょうか。今昔物語に、食べると踊り出すキノコを舞茸と呼ぶようになったが、今の舞茸を食べても必ずしもそうならない、という話があるようですが、現代のとは別物でしょうか。
[45043] 2005年 9月 20日(火)21:20:49北の住人 さん
狩太村
[45037] 元倶知安人 さん
角川日本地名大辞典によると、狩太村の昭和12年字名編成前に次の字があったようです。
「真狩太」「真狩別太」「別太」「別太奥」

狩太村は真狩村から分村しているので、分村前に「真狩村字真狩別太」が存在した可能性があります。それ以前の「虻田村字真狩別太」の存在も考えられます。ただ、当時の真狩村には合併経験が無いため「大字真狩村」は考えにくいです。
「真狩別太村」というように「村」を付けた表示はあるかもしれません。例えになるかは分りませんが、明治期の新聞記事で、月寒村輪厚の移民開墾地(広島開墾地)を「輪津村」と記載しているのがあるようです。
[44938] 2005年 9月 17日(土)05:11:37北の住人 さん
東が西に
[44932] たもっち さん
回文地名コレクションお疲れ様です。これいいですね、読みながら思わず笑ってしまいました。「東の東」があれば「西西」もある。「前前」があれば「後前後」もある。ということで、「東の西」や「西東」、「前後」や「後ろ前」なんていうのもあるかもしれませんね。「山田谷田山」は、山なのか谷なのかどっちなんだと突っ込みたくなります。(落書き帳本文で「山田谷山田」になってます。)
山名や川名は、山があっての地名なのか、地名があっての山なのかどっちが先なのか。(山の麓だから山本でその山が山本山?)

回文と関係ありませんが、東の西で思いついたので。札幌の西区に「西町」という地名がありますが、元は「手稲東」さらにその前は「手稲町字東」であり、西区分区時に「東」が「西」に替わったという変わった経歴を持つ町なのです。
[44907] 2005年 9月 15日(木)22:12:06北の住人 さん
北広島
オーナー グリグリさんへ。
北広島市に関することで、気になっていることがあります。
市町村雑学の高田市ってどこにあるの?と落書き帳アーカイブズの地名・北広島と市名・北広島の関係の次の部分です。
北広島市は広島県民の入植地としての広島町が市制施行時に広島県の広島市との同名回避で命名されたというのが一般的ですが、元々北広島という地名もありました。これは、北広島と呼ばれていた入植地の北部が中心部となったためで、千歳線の駅名も最初から北広島で「きたひろ」の略称で呼ばれていたそうです。
私は隣の市に住んでますが、これを読んでちょっと妙な感じがしました。そこで、私なりに調べていますが、今の所、「元々北広島という地名はない」「入植地の北部が北広島と呼ばれていたことはない」という状態です。

「地名」の定義が難しいですが、俗称ということであれば、駅周辺に「北広島」と呼ばれる地域が存在した様です。ただし、「元々」というほど古くはない様で、多分、昭和40年以降と思われます。
明治期の入植地は、「広島開墾地」と呼称しています。入植当時は駅はできておらず、戸長役場などのある中心地は、現在の駅の北東ですが、入植地の北部というより中央部と言った方が良さそうです。

以下、調査した範囲で述べます。
「北広島駅」周辺の字名としては、「広島村史」(昭和35年)、「広島町の歩み」(昭和47年)によると、広島村成立後は「中ノ沢」でその後「広島」と改正されています。(改正時の旧字名は「中央中ノ沢」か?)
「角川日本地名大辞典」によると、明治期の「広島開墾地」の下に小字「中ノ沢」があったようです。

「北広島」の記載例ですが、「広島村史」では「北広島駅」「北広島陸軍通信所」「北広島集乳所」「北広島線(国鉄バス路線)」「札幌保線区北広島線路班(国鉄)」「北広島教会(キリスト教)」があります。
「日本歴史地名大系 北海道の地名」では「広島村史」の引用として、「北広島郵便局」となってますが、「広島村史」の記述は「広島郵便局」です。
「広島町の歩み」では、「道営北広島団地」「北広島市街地」「北広島ライオンズクラブ」「広島村酪農協同組合北広島支部」「北広島ボウリング場」などがあります。これらの「北広島」は駅名に由来しているのではないかと思います。「北広島市街地」ですが、これは、既存市街地に対して「道営北広島団地」の部分を呼んだもののようです。(団地は駅の南西部に位置)

地名関連の辞典類で調べたところ次の様になっています。
「70年代から北部の西の里や中心地区の北広島に,大規模住宅団地が次々と建設された。」(日本地名地図館、小学館、平成14年)
「千歳線の駅ができたが,山陽本線の広島があるので北広島駅と呼ぶことにした。どこでもそうであるが,今では駅付近の繁華街の辺は,北広島と呼ばれている。」(北海道の地名、北海道新聞社、昭和59年)
「鉄道駅名が、山陽線の広島とまぎれないように北広島とされたためか、このごろでは地名としても北広島と呼ばれている。」(北海道大百科事典、北海道新聞社、昭和56年)
このうち、「日本地名地図館」は北広島市施行後の発行であるので、「北広島」という地名が施行以前からあったかは不明であり、市名をそのまま載せた可能性もあります。
「北海道の地名」と「北海道大百科事典」の引用部分は執筆者が同一(「北海道の地名」の著者である山田秀三氏)で、「北広島」は俗称と考えられます。

以上ですが、市町村雑学と落書き帳アーカイブズの該当部分にしっくり合う記述が出てきませんでした。さらに、調査を進めています。
[44906] 2005年 9月 15日(木)22:10:03北の住人 さん
久遠
[44896]紅葉橋律乃介さん
せたな町公式ホームページ内「行政・その他」→「住民基本台帳・戸籍」→「住所表示のポイント」 では久遠郡の読みは「くどう」で、さらに「住所表示新旧対照表」(PDFファイル)では、「せたな町大成区久遠○○番地○」の「久遠」の読みとして「くどう」となっています。
ちなみに、私はいままで「くどお」だと思ってました。
[44548] 2005年 8月 29日(月)23:27:59【2】北の住人 さん
リング
突然ですが、「川辺川」です。何が川辺川かというと、ダム建設に関する夕刊記事を読んでいたら、「山本山」に似てるなと思った訳です。こんな時にはウオッちずということで、「山本山」を探してみたら、2ヵ所もありました。

ロータリー続いている様なので、私も1つ。小樽市の桜ロータリーです。

ロータリーじゃないですが、変わった形のものを見つけました。と、思ったところ、過去記事にもあったです。[17984]
ワイングラス型漁港
[44359] 2005年 8月 20日(土)17:28:09北の住人 さん
職業由来町名
[44262] 笠津前浜 さん
「博労、馬喰」情報と「流通センター」について。

「ばくろう(伯楽、博労、馬喰、馬口労)」は、「伯楽、はくらく」が変化したもので、「牛馬の鑑定人」「牛馬の仲買人」という意味のようです。「ウオッちず」では次のも引っ掛かりました。
馬喰前ばくろうまえ福島県田村市
馬喰内ばくろううち福島県安達郡大玉村
新馬喰町しんばくろまち長野県長野市

「ばくろう」絡みかは分りませんが、「伯楽」「白楽」もありました。
西ノ京伯楽町にしのきょうはくらくちょう京都市中京区
白楽はくらく横浜市神奈川区
白楽町ばくろちょう岡山県倉敷市

「流通センター」は職業名由来コレクションとして微妙な状態ですが、消えたわけではないようなので、探してみました。札幌の「流通センター」は、札幌貨物ターミナル駅(開設時の名称は新札幌駅)に面し、物流の拠点として整備された経緯があります。(この経緯では職業由来としては無理がありました。採用されなくとも構わないです。)
流通センターりゅうつうせんたー札幌市白石区、岩手県北上市、
山形市、栃木県鹿沼市、
新潟市、富山県射水郡小杉町、
岐阜県羽島郡柳津町、静岡市葵区
流通センター北りゅうつうせんたーきた盛岡市
流通センター南りゅうつうせんたーみなみ岩手県紫波郡矢巾町
流通センター水戸田りゅうつうせんたーみとだ富山県射水郡大門町
山口町阪神流通センターやまぐちちょうはんしんりゅうつうせんたー兵庫県西宮市
山口県流通センターやまぐちけんりゅうつうせんたー山口市、山口県吉敷郡小郡町

この他「流通」が付くものも、ついでに探してみました。
流通りゅうつう北海道千歳市、新潟市
流通町りゅうつうちょう鳥取県米子市
流通平りゅうつうだいら宮城県黒川郡大和町
流通団地りゅうつうだんち北海道旭川市、北海道滝川市、
埼玉県越谷市、熊本市
流通元町りゅうつうもとまち静岡県浜松市
緒立流通おたてりゅうつう新潟市
的場流通まとばりゅうつう新潟市
志和流通しわりゅうつう広島県東広島市
大分流通業務団地おおいたりゅうつうぎょうむだんち大分市
川内町平石流通団地かわうちちょうひらいしりゅうつうだんち徳島市
[44357] 2005年 8月 20日(土)17:11:49北の住人 さん
サッポロの由来は難しい
オーナー グリグリ さんへ
市区町村雑学の比布町って何て読む?で、札幌市の名前の由来欄が「サッポロッペ」になってます。念の為、手元の本にあたってみましたが、「サッポロペッ」ではないでしょうか。その上の「オウコッペ」からつられたのでは?
[44243] 2005年 8月 17日(水)20:56:06北の住人 さん
職業由来町名
[44151] 笠津前浜 さん
私からは「屯田」について。「屯田」には複数の意味があるようですが、ここでは、明治期に北海道の開拓と警備のために設けられた「屯田兵」由来のものを集めました。なお、「屯田兵」の職業は「農業」+「兵士」となるかと思います。
また、地名の区切り、細分をどうするか迷いましたが、冠称と「町」を付け、名称が異なるものは別に立てたため、細かくなりすぎたかもしれません。
町名読み所在自治体備考
屯田(○条○丁目)とんでん(○じょう○ちょうめ)札幌市北区ウ・郵
屯田町とんでんちょう札幌市北区ウ・郵
屯田町西とんでんちょうにし滝川市ウ・郵
野幌屯田町のっぽろとんでんちょう江別市ウ・郵
屯田市街地とんでんしがいち上湧別町ウ(郵では屯田市街)
とん田東町とんでんひがしまち北見市ウ・郵
とん田西町とんでんにしまち北見市ウ・郵

この他、「屯田兵」関係には「兵村」地名があります。
町名読み所在自治体備考
東旭川町上兵村ひがしあさひかわちょうかみへいそん旭川市ウ・郵
東旭川町下兵村ひがしあさひかわちょうしもへいそん旭川市ウ・郵
北兵村きたへいそん上湧別町ウ・郵
南兵村みなみへいそん上湧別町ウ・郵
北剣淵兵村きたけんぶちへいそん剣淵町
南剣淵兵村みなみけんぶちへいそん剣淵町

※剣淵町については、「Yahoo!地域情報の郵便番号検索」の字名によりました。(「郵便番号簿」には地区名は掲載されているが、字名が載っていなかったため。)

なお、「屯田兵」由来ではないと思いますが、「its-moGuide」で次のような地名を見つけました。
 山形県寒河江市幸生トンデン
古代の「屯田」に関するものかどうかは、調べていないので分りません。

ところで、ここにアップして良かったのでしょうか。
[44181] 2005年 8月 15日(月)21:01:55北の住人 さん
三角点名と山名との食い違い
[44175] [44177] みやこ♂ さん
三角点名と山頂名との違いには、そういうことが隠されていたのでしたか。
前に、そのサイトで札幌市の三角点、水準点を見ていたところ、山の名前と違う三角点があったので不思議に思っていましたが、みやこ♂ さんの書込みを読み、異なっていることもあるのだということが分りました。なぜ、その名が付いたのかについては、今後調べていかねば。自分の宿題がまた1つできました。

ところで、現在は「点の記」閲覧が申請制になっていたんですね。以前、見たときは申請なしで、PDFファイルを見ることができたと思います。
[44067] 2005年 8月 12日(金)02:43:13北の住人 さん
最寄駅
[44050] [44052]優ちゃん さん
私、正解でしたか。余計なことを書いたから×かと思いました。(経験者は語る。字が汚く読めないと言う理由で0点になったことも。それがきっかけでペン字を習いました。いまだに汚いですけど。)
[44012] の大うなぎ、調べてみると、食べたら不味い、というか食べるとまずいことになるようで、罪を犯すところでした。天然記念物だったとは。

山の「最寄駅」、難しいです。「最寄駅」を手元の辞書を参考に解釈してみると「そこから一番近い駅」あるいは「そこから近くて便利な駅」になりそうですが、山の場合の「そこ」とは山頂なのか「登山口」なのか、はたまた、登山口に一番近い「バス停」なのか、それも行程によって違ってきますので。

羊蹄山、私は車で行ったんですが、真狩側から登りました。宿泊施設があることと、海側の景色を期待してです。この登山口の最寄駅はニセコとなりましょうか。登頂後、倶知安側に下りるとしたら、最寄駅は「比羅夫」(山頂から一番近い駅)になるんでしょう。真の最寄駅はどっちなのか、今日もまた眠れない夜が。
羊蹄山は9月に登ったのですが、寒かったです。景色も期待した割にはという感じでした。羊蹄山の近くに尻別岳がありますが、こちらの方が洞爺湖も近くに見え印象が強いです。

駅の無い市町村の最寄駅というのも眠れない夜にどうでしょう。石狩市の最寄駅、「増毛」という人がいても不思議ではない?「留萌」もあり?ちなみに、私のところは「宮の沢」駅になります。(これらを石狩市の最寄駅というのは無理がありそうですね。こういう駅を一言でなんと表現したら良いのか、また眠れなくなりそう。)
[44015] 2005年 8月 9日(火)21:38:43北の住人 さん
無題
[43994] EMM さん
ありがとうございます。コレクション成立の一連の流れを見ると「職人さんなどの同業者が集まってできた町」という感じなので、私のは対象外のようです。

[44000] JOUTOU さん
かなり周ってますね。これにジェットコースターの走行距離も加わるんでしょうか。私にはもうそんな体力はないです。

[44006] hmt さん [44011] matsu さん
北海道にもいくつか「裏」地名があります。似たような意味ですが、「通りの裏」の場合と「繁華街の裏」の場合があるようです。
[44012] 2005年 8月 9日(火)20:59:14北の住人 さん
夏休み企画 優ちゃん同じ特徴を持つ町クイズ 第7回 回答
[44002]優ちゃんさん
私も参加します。
徳島県海部郡海部町 はどうでしょう。だめかな?
「大うなぎ水族館」行って見たい、食べてみたい。
[43992] 2005年 8月 9日(火)06:18:34北の住人 さん
札幌、相変わらず暑いです
[43952] 紅葉橋瑤知朗 さん
Hマックでは見つからなかったです。レジの人に虫対策品売場を聞き探してみたのですが、バックヤードの人に聞けば良かったのかも。Sッポロ薬局には行きませんでした。ゴキブリには遭わないのが一番です。昨日の夜は久しぶりに蚊と戦闘を交えました。
苗穂の場所は、JR苗穂工場も含めどう表現するか悩みましたが、最初に入力した苗穂駅で書いてみました。

[43954] いっちゃん さん
夏の東京に4日間滞在した事がありますが、太陽は攻撃的で日陰も暑かったです。東京には住むことができないと思ったものでした。私も札幌の日陰は涼しいと思います。
サンクスは、その昔セイコーマートから分かれたという記憶があります。最寄のセイコーマートがある日サンクスになってました。「すぐそこサンクス」ということでたくさんあるのでしょうか。実際、良く行く所がサンクスです。

[43989] 笠津前浜さん
職業由来でふと浮かびました。「町」というより「村」ですが、「屯田」は職業地名の仲間に入れてもらえるでしょうか。あと、農業関係という事で新開、新田というのはどうでしょう。こちらは土木事業ということになるかもしれませんが。趣旨から離れてしまいそうですが、「テクノパーク」「流通センター」というのは新しすぎますか。
[43942] 2005年 8月 7日(日)18:56:04北の住人 さん
北海道限定品
[43889] Issie さん
そうでしたか、了解しました。
気象情報上、屈斜路湖周辺の区分は必要のように思えます。

[43890] キュッキュ さん
旭山動物園いいですね。洞爺湖にもライオンがいる、というかあるんです、温泉街の西はずれの公園に。グルっと湖畔を一周していろんな彫刻が置かれているので、時間があればそれらを楽しむのも良いです。ライオンは札幌方面から来ると目立つ場所にあるので、それに乗って記念写真という人も多いのでは。

[43898] 小松原ラガー さん
いつもガイド見てみました。苗穂の該当個所、不思議な模様になってます。南側に「北3条東15」の表示ありますが、以前は「北3条東14」の一部でした。いつのまにか町名設定されていたんですね。

ここで、突然ですが、ゴキブリの話です。
札幌のゴキブリ対策品事情について、薬局3店、スーパー2店、DIY2店(いずれもチェーン店)を調べました。
その結果、何らかの対策品が置いてあったのが、薬局2店、スーパー1店、DIY1店でした。このいずれの店にもホウ酸団子がありました。他の製品では、家型捕獲器が2店(薬局とDIY)、そのうちのDIY店には円盤型捕獲器とスプレーも扱ってました。家型捕獲器には玄関マットが装備されているものがありました。足を綺麗にしてから入るとくっつくそうです。

対策品が置いてなかった3店についてですが、薬局は女性用品(化粧品、サプリなど女性用日用品)中心の店で、私のような中年男性の入店は稀と思われる店。スーパーは食料品中心の小規模店。DIY店は前記の店より大きな店なのに、なぜ扱っていないのかは良く分りません。この店、蚊対策用品のフェアをやっており、メーカーのビデオが流れていたのですが、その中では家型ゴキブリ捕獲器の宣伝をしていました。家型の復活版とかなんとか言ってました。

ついでにNTTタウンページも調べたところ、広告にムシの種類を入れている害虫駆除業者は10業者で、そのうち7業者に「ゴキブリ」表示があり、ムシの1番目が「ゴキブリ」なのは3業者でした。

ゴキブリではないですが、店舗調査で北海道限定品を発見しました。北海道限定のネズミ取り用粘着材なるもので、関東メーカーの品物ですが、北海道の気候に合わせた仕様とのことです。
[43888] 2005年 8月 5日(金)22:54:51【1】北の住人 さん
札幌も暑いです
[43786] 小松原ラガー さん
肥薩線大畑(おこば)駅は、1か月ほど前の読売新聞日曜版「駅」(WEB上にもサイトあり)で知りました。 何かと何かがあるのは日本でここだけというようなことが書いてありましたが、なんだったかは? 多分、ループとスイッチバックだったと思います。
鉄道関係の円型で思いついたのは、転車台。小樽・交通記念館(ここには2台)と札幌・苗穂駅にあるのですが、マピオンなどの地図上では、いまいちインパクトありませんでした。

[43827] 白桃 さん
岡山を代表する絵で思いついたのは「もみじまんじゅう」ですが、広島でしたっけ。きび団子が正解? ご提示のサイトで確認してきます。

[43845] hmt さん [43873] みやこ♂ さん
「榎本武揚」 さん、私は「たけあき」さんでした。

[43847] たまねぎ さん
北海道に住んでる者としてレスをしたいんですが、すっかり固くなってしまった私の頭では質問の意味が分りませんでした。できればもう少し詳しく。

[43854] 紅葉橋瑤知朗 さん [43864] 愛比売命 さん
ゴキブリ対策品、札幌では売ってます。これについては、もう少し実施調査を行い、後ほどリポートします。

[43859] うるう さん
手元の旅の広告(札幌版)によると、「東北四大夏祭り」として、「青森ねぶた」「秋田竿灯」「山形花笠」「仙台七夕」が挙げられています。

[43861] たもっち さん
立体視、私は応用地質を専攻したのですが、交差法しかできませんでした。周りのみんなが盛りあがっている中、逆図形しか見られず、1人淋しい思いをしたものです。3Dの本なら平行法できるんですが。
もう30年近く前の話ですが、ユーミンのLPに立体視メガネ(赤と青のセロファンを張ったもの)と立体視用写真が付いてました。
[43828] 2005年 8月 2日(火)20:14:27北の住人 さん
リング
札幌にある輪状のものを追加。車道ではありませんが、白石区菊水の歩道橋。どうですか、丸いでしょう。ツノがあるのはご愛嬌という事で。(この手の歩道橋は、他にもたくさんありそうですが。)
なお、マップファンやマピオンでは歩道橋が出てませんでした。

[43798] スナフキん さん
細川たかしの隣村、留寿都にはジェット浪越さんの像があります。私の記憶が正しければ「指圧の心は母心~」との語りの後、豪快に笑ってくれます。残念ながら指圧はしてくれませんが。
余市の宇宙記念館には行かなかったのですか。次回はぜひ寄ってみてください。宇宙体験の後は、近くのウイスキー工場で地球帰還の祝杯というのはどうでしょう。
スープカレーは札幌発祥という説がありますが、今は全国的なものなんでしょうか?北海道発といえば、ジンギスカンも東京では流行っているそうですが、日本では東京が最初という説もあるようです。辞書を見たら季語が冬ですが、ほぼ1年中食べており、野外で食べる事が多いので、夏のものという感覚です。

数ヶ月前に大阪湾岸(大正区周辺)の地形図を雑誌で見たんですが、ちょっとした衝撃でした。両岸でクルリと回る橋、いくつもある渡船、人工的な護岸の島など、地図の範囲は狭かったですが、大阪は水の街なんだとの印象を受けました。

[43809] JOUTOU さん
もう旅立ちの日になりましたか。月日の経つのは早いものです。旭山動物園は混雑していると思いますが、寄る価値があります。私も久しぶりにカピバラ君たちに会いに行きたくなりました。(カピバラは7日一般開放という事で、残念ながらJOUTOUさんは1日違いになってしまいますが。)
札幌は今雨ですが、金曜日には天気が回復しそうです。楽しい道内巡りを。

[43812] かぱぷう さん
札幌にもゴキブリいます。ただし、私が見たのは、本州のような巨大なものではなく、チャバネゴキブリと言うんでしょうか、1センチほどの小型のものです。いるところには大量にいます。とあるアパートで、足の踏み場も無いような、百匹を遥かに越える現場を見た事あります。 これ本当の話。
[43785] 2005年 7月 31日(日)21:53:17北の住人 さん
回る道
今は昔となった感はありますが、札幌周辺の環状道路を2つ。
1つ目は、厚別区と清田区にまたがる、上野幌里塚循環通。この縮尺の地図では滑らかさがよく分りませんが、緩いコーナーが続く一周3キロほどの長方形型周回路。環状路の中には、テレビに登場し全国的?にも有名になったフランス菓子店があります。
余談ですが、里塚の「塚」は、以前は点のある「塚」だったのですが、何時の間にか、点のない「塚」が使われているようです。コンピュータの字体が原因となったのでしょうか。最近、PCフォント変更の新聞記事で、自治体名の「葛」の字が話題となってました。

2つ目は北広島市大曲光の円形路。ここは行った事がないので現状は分りません。

環状路ではありませんが、上から見たらループしているという事で2つ。
最初は小樽市の朝里大橋。かなり良さげな丸さです。
次は室蘭市の白鳥大橋。上下線が別の橋なので、複雑な形状してます。地図で見ると、カクカクしてますね。

[43779] 紅葉橋瑤知朗 さん
大泉洋さんは活躍していますね。もともと演劇の人だったと思いますが、今はテレビ、ラジオ、映画と忙しそうです。ナックスの皆さんを含め、北海道では今までにないタイプのタレントではないでしょうか(タレントという言葉ふさわしいか分りませんが)。ただ、私は初期の「どうでしょう」や鈴井氏の番組を見たくらいで、最近のテレビは見ていませんが。
市町村名について、私も、北海道の市町村を小学校で覚えさせられた記憶はないです。支庁単位でもなかったかと思います。小学校時代の記憶自体が薄れていることはありますが。小学校で覚えているのは、漢字と九九とホームズくらいなものなので。
[43761] 2005年 7月 31日(日)11:12:54北の住人 さん
北海道の有名人
皆さんが挙げられていた有名人について北海道人として感想を。漏れがあるかもしれませんが、今まで挙がっていた人々は次の通りでした。

松山千春 [43188] いっちゃん さん
吉田美和 [43193] 太白 さん、[43214] かすみ さん
細川たかし [43380] 百折不撓 さん
渡辺淳一 [43202] オーナー グリグリ さん
クラーク博士 [43207] EMM さん
加藤大 [43428]打吹 さん

歌手が3人ですが、私の世代(40才)では3人ともありです。中島みゆきや安全地帯も候補になるでしょう。松山千春や細川たかしの出身地は、観光地ともなってます。

全国的な知名度としては渡辺淳一でしょうが、作家としてあげたいのは有島武郎です。有島武郎に関係する碑や記念館が道央に点在しています。渡辺淳一文学館が札幌にありますが、生地は砂川市の近くの町です。
北海道出身ではないですが、宇野千代が札幌新婚生活時代に、作家へのきっかけとなる作品を発表してます。

クラーク博士は、滞在が数か月と短く(時計台ができる前に帰国)、その足跡も札幌周辺ですが、農学校生などその後の多くの人々に影響を与えました。北海道の小学校では社会で習うはずで、みんなが知っている地域の偉人の1人です。(ひょっとして札幌周辺だけかも?)
北海道開拓期の長官や次官の皆さんは政府の偉い人々が多く、北海道を去った後も活躍されている様です。

加藤大さんは知りませんでした。

おらが町の有名人というと○○記念館というのが建てられる事がありますが、北海道では横綱の皆さんの記念館もあったと思います。(北の海記念館しか思い出せませんが)
道東には漫画の美術館があり、道内関係ではモンキーパンチが展示されていた記憶があります。他に、おおば比呂司(札幌)やアンパンマン(富良野)も北海道で待ってます。アンパンマンは北海道関係かは不明ですが、その近くには倉本聰のドラマのロケ地があります。ドラマは見ていませんが何回か行った事あります。

私が挙げたい有名人は、毛利衛さんですが、今では歴史的出来事になりつつありますか。

[43753] いっちゃん さん 
立命館慶祥の前身は札幌経済高校。他にもここ十数年に改名している高校があり、高校野球の記事を見ながら、前はなんだっけ?ということがあります。
[43054] 2005年 7月 16日(土)07:18:52北の住人 さん
YSK さんへ
札幌でもビアガーデンの声が聞こえ始め、夏になってきました。外回りは暑くてぐったりです。いろんなことがあり、疲れもたまってきてます。
そんな時は、しばらく休む、好きな事をする、です。
[42911] 2005年 7月 8日(金)23:58:10北の住人 さん
北海道の市町村境界未定地
既にどなたかが行っているかもしれませんが、いわゆる平成の合併後に北海道の境界未定地がどうなるのかを調べて見ました。

結果としては、「遠軽町」と「生田原町」の境界が解決という事です。(「解決」の表現がふさわしいのか分りませんが。)
そのほか、「早来町」と「苫小牧市」の未定地が「安平町」と「苫小牧市」に、「忠類村」と「更別村」の未定地が「幕別町」と「更別村」に変更といったところでした。

(境界未定地は「全国市町村要覧」、合併後の新市町村は「生まれる地名、消える地名」(今尾恵介)の巻末全リストから)
[42811] 2005年 7月 4日(月)22:50:06北の住人 さん
北海道町村制度史
[42338] 紅葉橋瑤知朗 さん
遅レスですが、「北海道町村制度史の研究」(1985 鈴江英一)という本をパラパラと読んでいる所です。広い北海道、制度の適用も様々で、戸長といっても、地域により機能に差があったようです。「北海道区制」「北海道一級町村制」「北海道二級町村制」についても公布が明治30年で、その後32年に「北海道区制」改正施行、33年に「北海道一級町村制」改正施行、35年に「北海道二級町村制」改正施行といった具合でした。この本、自治制度史、都市・村落史の参考文献が多く掲載されているので、その点でも役立ちそうです。
次のようなデータが載っていたので、参考までに。

区町村数推移(上段・新撰北海道史、下段・道庁統計書等)
年次区(市)数1級町村数2級町村数
1912(大正元)341146
341129
1921(大正10)677210
674152
1926(昭和元)6(市)109214
6(市)106156

役場数推移(北海道庁統計書、北海道市町村行政区画便覧)
年次区役所数1級町村役場数2級町村役場数戸長役場数
1887(明治20)101
1897(明治30)140
1902(明治35)31748131
1907(明治40)33210566
1912(明治45)34112055
1916(大正5)45114038
1921(大正10)67415025  
(2級町村には組合町村役場があるので実数はこれを上回る、戸長役場管内の町村数も同様)
[42671] 2005年 6月 29日(水)22:20:49北の住人 さん
字名の“村”と石狩川水系の市町村数
郷土史機関誌(札幌の歴史)を見ていたら、「福島県西白河郡西郷村大字米字米村(よねむら)」というのがありました。昭和61年の機関誌なので、今もその住所があるか分りませんが、幕末期に「米村」は村名だったようです。

ちなみに、この「米村」、早山清太郎という札幌の開拓期に重要な役割を果たした人の出身地ですが、書物によっては「八木村」出身との記述も複数あるそうです。これは、「米」という字を「八」と「木」の2字に読み間違えた所から生じたのではないかという話です。

似たような話ですが、「早山」の読みは「そうやま」ですが、「さやま」となっている文献もある様で、ある人名録のサ行(旧仮名遣いでは「さうやま」になるのでサ行か?)にあったことから生じたのではないかというような話もありました。

話は変わって、河川の話が出ていますが、石狩川水系流域の市町村数を数えようと思って道路地図を見、途中で挫折したことがあります。答えは48市町村なのですが、これは最近の北海道の広報誌からの数字です。ちなみに、天塩川水系は13市町村。(いずれも北海道遺産の記事から)
なお、利根川にも挑戦しようと思いましたが、道路地図ではよく分らず止めました。支流の鬼怒川でも結構な市町村数の様で。
[42582] 2005年 6月 26日(日)11:03:45北の住人 さん
北海道の郡名案
北海道大学附属図書館の北方資料データベースで、明治2年 (1869)の松浦武四郎「郡名之儀ニ付申上候書付」の写本が読めます。
北海道の郡名とその語源に興味のある方には面白いと思います。
ちなみにこの中では、札幌の語源は「サツテクホロ」としており(22ページ)、簡単に書くと、「乾いた所」といったような説明がされています。
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A010310000000.html
[42553] 2005年 6月 24日(金)23:56:58北の住人 さん
「アイヌ語>和語」辞典と「アイヌ語>英語」辞典
[42549] みやこ♂ さん
「アイヌ語>英語」辞典はバチラーさんのものの事と思いますが、この本のことを、たとえが悪いですがぼろくそに言っている古典的な本を持っています。バチラーさんのみならず、永田方正などいろんな研究者に対して、結構きつい事言ってますが、読んでて面白い本です。

最近仕入れた知識ですが、「アイヌ語>和語」だったか「アイヌ語<和語」だったか忘れましたが、事典と言うより語彙集(地名以外も収録)で、弘化5年(1848年)のものがあるそうです。

ちなみに、コムケ湖、何も無い所でした。いかにもオホーツク海的な風景です。
サンゴソウは別の湖で見たことありますが、時期を外さないように注意が必要です。


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