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hmtさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90274]2016年4月12日
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[90189]2016年4月9日
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[90183]2016年4月8日
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[90178]2016年4月7日
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[90173]2016年4月4日
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[90171]2016年4月4日
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[90167]2016年4月3日
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[90148]2016年3月31日
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[90145]2016年3月30日
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[90136]2016年3月29日
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[90105]2016年3月24日
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[90100]2016年3月23日
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[90093]2016年3月21日
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[90091]2016年3月20日
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[90083]2016年3月17日
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[90076]2016年3月15日
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[90071]2016年3月14日
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[90064]2016年3月12日
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[90057]2016年3月9日
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[90056]2016年3月9日
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[90043]2016年3月5日
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[90042]2016年3月5日
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[90033]2016年3月2日
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[90029]2016年3月1日
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[90023]2016年2月29日
hmt
[90008]2016年2月25日
hmt
[90002]2016年2月20日
hmt
[90000]2016年2月20日
hmt
[89994]2016年2月17日
hmt
[89991]2016年2月15日
hmt

[90274] 2016年 4月 12日(火)17:36:31【2】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (14)東海4県
前回迄の地域自治区一覧表は hmtマガジンに収録しました。

岐阜県、静岡県、愛知県では 地域自治区設置が 市町村合併と同日でなく、遅れてなされた事例が目立ちました。
これを考慮して、市町村の合併日と地域自治区設置日とを区別して記載することができるように、表の形式を少し変えました。

最も極端な例は2005/10/1に合併のあった新城市で、7年半後の2013年度に地域自治区が発足しました。
しかも設定された10地域自治区の大部分は、1955~56年の昭和合併以前の町村を領域としているようです。

関心のある方は、表の中の新城市という文字をクリックしたページに現れる地域自治区概念図を眺めてください。
平成合併だけでなく、昭和合併前の地域区分が根強く残っている姿が見えてきます。
赤は昭和合併により新城町(1958/11/1新城市)を作った町村です。青は同じ頃に鳳来町になりました。

歴史上有名な地名を伝えた「長篠村」は 昭和合併で消滅しましたが、鳳来中部地域自治区の字名にはその名残が見えます。
赤の新城市、青の鳳来町、緑の作手村が合体したのが 平成合併でした。
地域自治区のおかげで、[84057]以来久しぶりに この付近の地理を復習することになりました。

コード市町村 種別地域自治区の名称現状合併日/設置日設置期限変更・満了記事
21201岐阜市合2006/1/1
【Tcj】柳津町消滅設2006/1/12016/3/31満了
21202大垣市合2006/3/27
【Tcj】上石津町消滅設2006/3/272011/3/31満了
【Tcj】墨俣町消滅設2006/3/272011/3/31満了
21210恵那市合2004/10/25
【Cj】注1 旧市域8区存続設2007/4/1無期限
【Cj】注2 新市域5区存続設2005/1/25無期限
22202浜松市注3合2005/7/1[87944]
【Cj】注4 最初の12Cj消滅設2005/7/12007/3/317行政区化
22130浜松市@政令【Cj】注5消滅2007/3/314区のCj廃止
【Cj】注6 3区の12Cj消滅設2007/4/12012/3/313区の12Cj廃止
23211豊田市合2005/4/1
【Cj】注7 旧市域6区存続設2006/4/1無期限
【Cj】注8 新市域6区存続設2005/10/1無期限
23221新城市合2005/10/1
【Cj】注9 旧市域5区存続設2013/4/1無期限
【Cj】注10 新市域5区存続設2013/4/1無期限
24543北牟婁郡紀北町合2005/10/11
【Tcj】紀伊長島区消滅設2005/10/11 2016/3/31 満了[87200]
【Tcj】海山区消滅設2005/10/11 2016/3/31 満了[87200]

注1 恵那市新設時1954/4/1に合併した8町村ごと:大井Cj, 長島Cj, 東野Cj, 三郷Cj, 武並Cj, 笠置Cj, 中野方Cj, 飯地Cj
注2 2004/10/25恵那市と合併した5町村ごと:岩村Cj, 山岡Cj, 明智Cj, 串原Cj, 上矢作Cj

注3 浜松市の地域自治区制度について
注4 2005/7/1浜松市への編入合併時に、旧3市8町1村ごとに12の地域自治区設置(条例H17-40):浜松Cj, 浜北Cj, 舞阪Cj, 雄踏Cj, 細江Cj, 引佐Cj, 三ケ日Cj, 天竜Cj, 春野Cj, 佐久間Cj, 水窪Cj, 龍山Cj
注5 2007/4/1政令指定都市移行時:中区、東区、南区、浜北区の範囲では地域自治区廃止
注6 政令指定都市移行の平成19年度から5年間は 3行政区に12地域自治区が存在:浜松西Cj, 舞阪Cj, 雄踏Cj (以上西区)、浜松北Cj, 細江Cj, 引佐Cj, 三ケ日Cj(以上北区)、天竜Cj, 春野Cj, 佐久間Cj, 水窪Cj, 龍山Cj(以上天龍区)。

注7 挙母と1956~70年に編入した旧5町村、合計6地域:挙母Cj, 高橋Cj, 上郷Cj, 高岡Cj, 猿投Cj, 松平Cj
注8 2005/4/1豊田市に編入した6町村の地域ごと:藤岡Cj, 小原Cj, 足助Cj, 下山Cj, 旭Cj, 稲武Cj

注9 1955/4/15新城町新設合併時の旧5町村ごと:新城Cj, 千郷Cj, 東郷Cj, 舟着Cj, 八名Cj
注10 2005/10/1新城市と新設合併した鳳来町の4地域と作手村:鳳来中部Cj, 鳳来南部Cj, 鳳来北西部Cj, 鳳来東部Cj, 作手Cj
[90189] 2016年 4月 9日(土)13:02:43【4】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (13)甲信
[90183]北陸 に続く「甲信」つまり山梨県と長野県の地域自治区ですが、甲州市の事情が詳らかでありません。【追記参照】
毎年更新されている総務省一覧表の過年度分を調べてみると、平成23年度までは 塩山・勝沼・大和の3地域自治区(地方自治法に基づく一般制度【Cj】)が記載されていますが、平成24年度以降は記載がありません。

合併協定書の4/28コマには 地域自治組織として 地域協議会(仮称)と地域総合局(仮称)とを設け、その内容については合併時までに定めるとあります。
約半年後の合併協議会では「甲州市地域自治区設置条例(案)」が 承認されており、甲州市発足後に条例で地域自治区を設置する方向で進んでいたと理解できます。
しかし、現在の甲州市例規集を見ても それらしき条例は 見当たりません。

前記総務省一覧表からは、平成23年度までに地域自治区が廃止されたように推測されますが、その事実を裏付ける積極的な証拠は見出していません。
甲州市サイト内を検索しても、合併後に 地域自治区が存在していたことを示す痕跡は未発見です。

【追記】
[90192] _ さん から甲州市議会の会議録と広報による地域自治区廃止の情報をいただき、有難うございました。
議会広報p.6-7。この議決により3地域自治区は平成20年度から廃止されたものと判断し、下記の表を修正しました。【追記終】

松本市では、平成合併で編入した5村のうち、四賀村だけ地域自治区が設置されませんでした。
飯田市と伊那市は、平成に編入した新市域が特例自治区【Tcj】になった後、旧市域にも一般制度自治区【Cj】が設定され、更に【Tcj】設置期間後の移行により 全地区が【Cj】になるという同じパターンです。

コード市町村種別名称現状設置日設置期限変更・満了記事
19213甲州市【Cj】塩山Cj消滅2005/11/12008年度から廃止
19213甲州市【Cj】勝沼Cj消滅
19213甲州市【Cj】大和Cj消滅
20202松本市【Tcj】奈川消滅2005/4/12015/3/31満了
20202松本市【Tcj】安曇消滅2005/4/12015/3/31満了
20202松本市【Tcj】梓川消滅2005/4/12015/3/31満了
20202松本市【Tcj】波田消滅2010/3/312015/3/31満了
20205飯田市【Tcj】上村移行2005/10/12011/3/31【Cj】に移行
20205飯田市【Cj】上村存続2011/4/1無期限おまけ注4
20205飯田市【Tcj】南信濃移行2005/10/12011/3/31【Cj】に移行
20205飯田市【Cj】南信濃存続2011/4/1無期限おまけ注4
20205飯田市【Cj】注1の18区存続2007/4/1無期限
20209伊那市【Tcj】高遠町移行2006/3/312016/3/31【Cj】に移行 注3
20209伊那市【Cj】高遠町存続2016/4/1無期限
20209伊那市【Tcj】長谷移行2006/3/312016/3/31【Cj】に移行 注3
20209伊那市【Cj】長谷存続2016/4/1無期限
20209伊那市【Cj】注2の7区存続2006/10/1無期限

注1 飯田市18区:橋北Cj, 橋南Cj, 羽場Cj, 丸山Cj, 東野Cj, 座光寺Cj, 松尾Cj, 下久堅Cj, 上久堅Cj, 千代Cj, 龍江Cj, 竜丘Cj, 川路Cj, 三穂Cj, 山本Cj, 伊賀良Cj, 鼎Cj, 上郷Cj 条例

注2 伊那市の7区:伊那Cj, 富県Cj, 美篶【みすず】Cj, 手良Cj, 東春近Cj, 西箕輪Cj, 西春近Cj  条例

注3 平成27年12月伊那市議会で伊那市地域自治区条例が改正され、設置期間が満了する高遠町と長谷も【Cj】に移行することが決りました。議案書 31/60コマ。
参考:伊那市長あいさつ   平成28年度から全地区が同種の地域自治区となる
例規集【市民生活>地域振興】に収録されている伊那市地域自治区条例は未対応。

注4 地域自治区とは無関係ですが、2005年に飯田市に編入された上村と南信濃村とは「遠山郷」と呼ばれた秘境なので、この機会に過去記事[8967]を紹介しておきます。上村の下栗集落は「天と地の境界」と言われる高所集落だそうです。[39557][39656]
[90183] 2016年 4月 8日(金)15:10:01hmt さん
地域自治区 合併特例区 (12)北陸4県
[90178]関東に続いて 北陸4県の地域自治区です。

地域自治区の具体的な紹介としては初期の記事である上越市の事例[33723]では、2005年に合併した13町村が合併特例地域自治区【Tcj】13区として発足しました。協議書に記された設置期間は5年間でした。
柿崎など13の旧町村名は 「地域自治区名」として上越市の住所表示に残ることになりましたが、このままでは設置期限内という制約を受けることになり、不安定な立場に置かれています。
そこで、先手を打って2008年度から一般制度の地域自治区【Cj】へと、種別を変更することにしました。協議事項を変更する条例H17-39
これにより、柿崎区など旧町村名を使った区名は 期限に制約されることなく住所表示に残ることになりました。

更に1年半後の2009年10月からは、旧上越市の区域【遡れば高田市と直江津市】にも 新たに15の地域自治区(一般制度)【Cj】が設置されました。上越市地域自治区設置条例H20-1。高田区・直江津区など15の地域自治区名は住居表示に使われません。
同一市内・同一種別の地域自治区でありながら、新市域13区と旧市域15区とでは住所に関する扱いが異なり、 「区」コレクションでも 後者は対象外になっています。

上越市の地域自治区(13+15)は無期限で存続していますが、北陸のその他3市の地域自治区はすべて合併特例【Tcj】であり、2014年度末から2015年度末にかけて存続期間が満了しています。

コード市町村種別名称現状設置日設置期限変更・満了記事
15205柏崎市【Tcj】高柳町消滅2005/5/12015/3/31住所表記は変りません
15205柏崎市【Tcj】西山町消滅2005/5/12015/3/31
15222上越市【Tcj】注1 新市域13区移行2005/1/12008/3/31【Cj】に移行
15222上越市【Cj】存続2008/4/1無期限[33723][87358]
15222上越市【Cj】注2 旧市域15区存続2009/10/1無期限 [75709][87358] 注3
17206加賀市【Tcj】山中温泉消滅2005/10/12015/9/30満了
18210坂井市【Tcj】三国町消滅2006/3/202016/3/31満了
18210坂井市【Tcj】丸岡町消滅2006/3/202016/3/31満了
18210坂井市【Tcj】春江町消滅2006/3/202016/3/31満了
18210坂井市【Tcj】坂井町消滅2006/3/202016/3/31満了

注1 上越市の新市域13区:【東頸城郡域の】安塚区、浦川原区、大島区、牧区、【中頸城郡域の】柿崎区、大潟区、頸城区、吉川区、中郷区、板倉区、清里区、三和区、【西頸城郡域の】名立区
注2 上越市の旧市域15区:【すべて中頸城郡域の】高田区、新道区、金谷区、春日区、諏訪区、津有区、三郷区、和田区、高士区、直江津区、有田区、八千浦区、保倉区、北諏訪区、桑取・谷浜区
注3 合併前上越市の地域自治区 メリット制度案(区域図あり)
[90178] 2016年 4月 7日(木)12:24:53hmt さん
地域自治区 合併特例区 (11)関東の地域自治区は 2014年度限りで全廃
[90173] 東北6県に続き、関東7都県の地域自治組織を列挙します。…と言っても、該当対象は4市のみです。
政令指定都市になる相模原市津久井地区の4自治区は、2009年度末に消滅して緑区の一部になりました。
香取市の4自治区が、合併協議で定めた5年後の見直しにより消滅したのは、2010年度末のことでした。
4年かけて5町を合併した栃木市。設置期間は5年から1年未満まであったが、2014年度末には揃って満了。
沼田市の2自治区も2014年度末には設置期間満了。
これで関東の地域自治区は、すべて消滅しました。
種別略号:【Cj】地域自治区(一般制度)、【Tcj】地域自治区(合併特例)

コード市町村種別名称現状合併日設置期限変更・満了記事
09203栃木市【Tcj】大平町消滅2010/3/292015/3/312015年度から新制度 注1
09203栃木市【Tcj】藤岡町消滅2010/3/292015/3/31
09203栃木市【Tcj】都賀町消滅2010/3/292015/3/31
09203栃木市【Tcj】西方町消滅2011/10/12015/3/31
09203栃木市【Tcj】岩舟町消滅2014/4/52015/3/31↑ 設置から1年未満で消滅
10206沼田市【Tcj】白沢町消滅2005/2/132015/3/31注2
10206沼田市【Tcj】利根町消滅2005/2/132015/3/31
12236香取市【Cj】佐原区消滅2006/3/275年後の見直し 注3条例注4で廃止
12236香取市【Cj】山田区消滅2006/3/27
12236香取市【Cj】栗源区消滅2006/3/27
12236香取市【Cj】小見川区消滅2006/3/27
14150相模原市【Tcj】津久井町消滅2006/3/202010/3/311年短縮→緑区の一部
14150相模原市【Tcj】相模湖町消滅2006/3/202010/3/31
14150相模原市【Tcj】城山町消滅2007/3/112010/3/31
14150相模原市【Tcj】藤野町消滅2007/3/112010/3/31

注1 住居表示は変わらない
注2 地域自治区の設置期間満了に伴い字の名称変更【住居表示は変わらない】
注3  地域自治区の設置協議【4/30コマ】5年を目安に制度を評価して見直し
注4  香取市地域自治区の設置に関する条例を廃止する条例
[90173] 2016年 4月 4日(月)16:28:01【3】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (10)東北6県の地域自治組織
[90167]北海道に続き、東北6県の地域自治組織を列挙します。
県ごとの【存続+消滅】件数は、青森県【1+1】岩手県【9+8】宮城県【2+0】秋田県【17+8】山形県【0+0】福島県【7+7】合計【36+24】です。

種別略号:【Cj】地域自治区(一般制度)、【Tcj】地域自治区(合併特例)、【Gt】合併特例区

南相馬市の3区設置について:手続的には新市発足前なので合併特例法の規定による【Tcj】であり、総務省一覧表にもそのように収録されています(7/7コマ)。
しかし、既に[90071]で言及しているように 地域自治区の設置期間は協議書に定められておらず、地域自治区の実質は一般制度による【Cj】と異なるものでないと思われます。

協議書を読み返すと、冒頭に「合併特例法の規定により、下記のとおり定める。」という手続記載があり、それに続いて次のように地域自治区の設置根拠法が一般制度であることが記されていました。
地方自治法第202条の4第1項の規定に基づき、…及び原町市の区域ごとに地方自治区を設置する。

コード市町村種別名称現状合併日設置期限変更・満了記事
02201青森市【Tcj】浪岡存続2005/4/12021/3/31延長
02203八戸市【Tcj】南郷区消滅2005/3/312015/3/31満了[87199]
03201盛岡市【Tcj】玉山区消滅2006/1/102016/3/31満了[90015]
03202宮古市【Cj】注1(3区)存続2005/6/6無期限
03202宮古市【Cj】川井Cj存続2010/1/1無期限
03209一関市【Tcj】注2(6区)消滅2005/9/202008/3/31満了
03209一関市【Tcj】藤沢町消滅2011/9/262013/3/31満了
03215奥州市【Tcj】水沢区存続2006/2/202018/3/31延長[90056]
03215奥州市【Tcj】江刺区存続2006/2/202018/3/31
03215奥州市【Tcj】前沢区存続2006/2/202018/3/31
03215奥州市【Tcj】胆沢区存続2006/2/202018/3/31
03215奥州市【Tcj】衣川区存続2006/2/202018/3/31
04205気仙沼市【Tcj】唐桑町消滅2006/3/312016/3/31満了
04205気仙沼市【Tcj】本吉町消滅2006/3/312016/3/31
05202能代市【Tcj】二ツ井町存続2006/3/212021/3/31延長
05203横手市【Cj】横手区消滅2005/10/1[48804] 注9
05203横手市【Tcj】注3(7区)消滅2010/3/31注10
05210由利本荘市【Cj】注4(8区)存続2005/3/22無期限
05212大仙市【Cj】注5(8区)存続2005/3/22無期限
07205白河市【Tcj】注6(3区)消滅2005/11/72016/3/31満了 注11
07208喜多方市【Gt】注7(4区)消滅2006/1/42011/1/3満了
07212南相馬市【Tcj】原町区存続2006/1/1無期限
07212南相馬市【Tcj】小高区存続2006/1/1無期限
07212南相馬市【Tcj】鹿島区存続2006/1/1無期限
07368南会津町【Cj】注8(4区)存続2006/3/20無期限

注1 宮古市の地域自治区名称:宮古Cj, 田老Cj, 新里Cj
注2 一関市の地域自治区名称:花泉町, 大東町, 千厩町, 東山町, 室根村, 川崎村
注3 横手市の地域自治区名称:増田町, 平鹿町, 雄物川町, 大森町, 十文字町, 山内, 大雄
注4 由利本荘市の地域自治区名称:本庄Cj, 矢島Cj, 岩城Cj, 由利Cj, 西目Cj, 鳥海Cj, 東由利Cj, 大内Cj
注5 大仙市の地域自治区名称:大曲Cj, 神岡Cj, 西仙北Cj,中仙Cj, 協和Cj, 南外Cj, 仙北Cj, 太田Cj
注6 白河市の地域自治区名称:表郷, 大信, 東
注7 喜多方市の合併特例区名称:熱塩加納町, 塩川町, 山都町, 高郷町
注8 南会津町の地域自治区名称:田島Cj, 舘岩Cj, 伊南Cj, 南郷Cj
注9 注3の7地域自治区Tcj終了に伴い、横手旧市街のCjも廃止されたと思われる。
注10 地域自治区終了後も住所表示に増田町等を冠することに変更なし 市報よこて2010/3/15 p.5
注11 地域自治区廃止に伴い庁舎を支所とする議案をH28/3定例会に提出
[90171] 2016年 4月 4日(月)14:46:04hmt さん
畝傍
偶々見た 新聞記事。神武天皇没後2600年にあたり、天皇陛下が橿原市の[神武天皇山陵に参拝。

そこで思い出したのが子供の頃です。新学期が始まって間もない4月3日は「神武天皇祭」の休みでした。
同じく神武天皇ゆかりの「2月11日」は 今でも祝日ですが、さすがに4月3日を覚えていたのは皇室だけ。

言うまでもなく、「当時の日付」ではなく、グレゴリオ暦換算ルール[21976][49112]を適用した結果です。
今年、グレゴリオ暦の2016年は、神武天皇紀元2676年に相当します。
日付の点では戸惑うかもしれませんが、2600年後の命日に至るまで、子孫の墓参りを受ける神武天皇。
127歳で橿原宮で崩御した「イワレヒコ」は、世にも稀なる待遇を受けている人物と言えるでしょう。

このお墓について。その名は 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)。
橿原市役所の近くには桜井線の畝傍駅があり、近鉄では八木西口駅の一つ南に畝傍御陵前駅もあります。

日本書紀に記された山稜。Panchoによると、元禄時代に神武天皇陵探しが行われた際には 四条村の塚山とされました。
しかし 幕末になって現在地に変更され、文久の修復が行なわれたとのことです。
明治20年頃に明治政府が立派なものに作り変え、更に大正時代に現在の円墳に作り変えるなど、近代に大幅に手が加えられた「古墳」であるようです。

「畝傍」(うねび)という名は、大和三山[36823]の一つとして知られ、1928年から1956年までは自治体名にも使われていました。奈良県高市郡畝傍町は、昭和合併で八木町や今井町と合併して橿原市になりました。
落書き帳で検索すると、高校名としても かなり登場しています。

「うねうね」という言葉にも使われている、畑の中の線状の高まり。
昔は常用されていた「畝」や「畦」という言葉も縁遠くなり、「畝傍」も難読地名になりつつあるのかな。 
そんなことを考えた次第です。
[90167] 2016年 4月 3日(日)11:36:08hmt さん
地域自治区 合併特例区 (9)北海道の地域自治組織
[90165] ピーくん さん
今後の地域自治区の動向はhmt さんにお任せします。よろしくお願いします。

今後のことはさておき、[90056]で予告した準備中の記事だけは 完成させておくべきでした。

毎度のことですが、平成大合併の後始末的な地域自治組織は3種類あり、[87357]で略号を付して説明しました。
そのうち、「合併特例区」【Gt】は法人格を有し、旧町村存続に最も近い形を残したものでしたが、設置期間が5年以下に限定され、既にすべてが消滅しています。

「合併特例法・合併新法に基づく地域自治区」【Tcj】。いわゆる「地域自治区の合併特例」で、現時点が協議で定められた設置期間の満了時期に該当する事例が多く、その動向が最も注目されています。

「地方自治法に基づく地方自治区」【Cj】。いわゆる「一般制度としての地域自治区」は、設置期間に定めがないのが普通です。制度自体は平成合併を機に設けられたものですが、その区域は、上越市や新城市の例に見るように、「平成合併直前の自治体」に制約されていないものもあります。

合併特例により【Tcj】として発足した地域自治区が、設置期間満了を待たずに【Cj】に移行し、同一の市内でありながら、住所表記方式の異なる2種類の地域自治区が共存することになった事例(上越市)もあります。

概論は[90071]でも補足したので この程度にして、平成合併で設けられた地域自治組織を洗い出してみましょう。

「◯◯区」という名を持つ事例もありながら、「市区町村変遷情報」の対象外に置かれている地域自治組織。
落書き帳内に単発的な情報はありますが、まとまった情報の形でサイト内に残しておきたいという気があります。
…とは言うものの、一度に全部はできないので、先ずは北海道から。人口・面積は 2010年国勢調査です。

コード市町村種別名称現状人口面積設置日設置期限変更存続期間など
01220士別市【Gt】朝日町消滅1547522.012006/3/312011/3/30解散5年 合併は2005年
01221名寄市【Gt】風連町消滅4548220.612006/3/272011/3/27解散5年
01233伊達市【Tcj】大滝区存続1533274.032006/3/12026/3/31延長20年余
01235石狩市【Tcj】厚田区存続2217292.842005/10/12021/3/31延長15年6月
01235石狩市【Tcj】浜益区存続1655311.152005/10/12021/3/31延長15年6月
01371せたな町【Gt】大成区移行1966133.902005/9/12010/3/31【Cj】4年7月
【Cj】大成区存続2010/4/1無期限
01371せたな町【Gt】瀬棚区移行2225125.622005/9/12010/3/31【Cj】4年7月
【Cj】瀬棚区存続2010/4/1無期限
01371せたな町【Gt】北檜山区移行5399379.032005/9/12010/3/31【Cj】4年7月
【Cj】北檜山区存続2010/4/1無期限
01514枝幸町【Tcj】歌登1973606.512006/3/202016/3/1910年?
01586むかわ町【Cj】鵡川Cj存続6373166.432006/3/27無期限
01586むかわ町【Cj】穂別Cj 存続3373546.482006/3/27無期限
01610新ひだか町【Tcj】三石4554346.222006/3/312016/3/3010年?

表にまとめたように、合併特例区【Gt】5件のうち、2件は5年経過後に解散して消滅しました。
せたな町の3件は 2010年に 一般制度地域自治区【Cj】に移行し、無期限存続中です。

むかわ町の地域自治区2件は 合併を機に設定されたものですが、合併期日は地域自治区制度発足の直前(2006/3/27)です。
合併特例法に基づき旧自治体の協議により地域自治区を設ける制度[90071]は 利用されていません。
町のサイトには、「合併とともに むかわ町地域自治区の設置等に関する条例 を制定し」とあり、地方自治法に基づく無期限の一般制度地域自治区【Cj】として誕生したと思われるのですが、むかわ町例規集に この条例を見出すことができません。不思議です。
…というわけで、残念ながら その正体を確認するに至っていないのですが、総務省一覧表でも「地域自治区(地方自治法に基づくもの)に収録されています。

それより問題なのは、この3月で設置期限が到来する特例地域自治区【Tcj】5件です。
先ず 石狩市の厚田区・浜益区は、昨年7月に平成32年度まで5年の延長。資料の3/3。

次の伊達市大滝区は、平成37年度まで約10年の延長案を示して市民の意見募集。意見交換会では大滝区振興基金の残高が1億5千万円程度あり、「合併時から行ってきた基金対象事業を16年度以降続けても10年間は持つ」との発言が室蘭民報で報じられていました。
決定が遅れていましたが、昨年12月の伊達市議会で原案が可決されており、合併特例の地域自治区【Tcj】としては 前例のない長期(20年以上)に及ぶことになりました。

最後に、枝幸町歌登と新ひだか町三石。いずれも 2016年3月に設置期限が到来したはずですが、延長又は一般制度への移行の動きが聞こえていません。
何も処置せずに自然消滅と推測されますが、前記総務省一覧表(7/7コマ)はH27/4/1現在のままでした。
合併項目の 19 では、「設置期間満了後に地域自治区を設置しない場合、「歌登」を大字名とする字名改正を行う」としていますが、その動きも見えません。表の中に記した現状「?」は、このあたりの情報不足を示したものです。
[90148] 2016年 3月 31日(木)13:02:43hmt さん
中国山地の奥で 小さな県境変更があった 三井野原
大きな人口移動を伴う境界変更と題したシリーズの中に、ちょこっと忍ばせた 小さな県境変更 のお話です。
近畿以東が大部分を占める[90145] の一覧表。その末尾に広島県八鉾村から島根県八川村への境界変更が記されています。中国山地の山奥で、面積異動も人口異動もミニサイズ。

2011年 [79523]の表では 40件中の2番に記されていたのですが、村名を聞いて実感の浮かぶ地名ではなく、放置していました。今回のシリーズで国勢調査「参考6」を見た機会に 調べる気になりました。

変遷情報で追いかけると、島根県仁多郡八川村→1957斐上町→1958横田町→2005奥出雲町。
松江オフ会2013の後で訪れた地[84520]に近いことを知りました。県境ということなので 地図で木次線沿いを南下すると、島根県最後の駅が三井野原。この名ならばスキー場として知られています。
落書き帳では 付近の奥出雲おろちループや 出雲坂根スイッチバックも話題になっていました。

三井野原スキー場の沿革を調べたら、香川県からの入植者2代目という人の昔話がありました。
この時の住所は広島県、行政サービスは島根県から、という矛盾があり、昭和32年に三井野原も島根県になったんですよ。
昭和24年にスキー場は開設されました。スキー場を作ったのは、三井野原に駅がほしかったから。そして、冬季期間の収入を確保したかったからです。昭和26年に、高松宮殿下が来られた事により、三井野原は一躍有名となりました。

県境変更の年は昭和28年の記憶違いでしょう。三井野原駅の正式開業は記念写真にあるように昭和33年ですが、仮乗降場開設はスキー場と同じ昭和24年ですから、この点はOKです。
国勢調査では1955年の八川村面積61.14km2が記録されていますが、1950年がありません。
変更前は昭和10年面積調を用いると60.13km2。県境変更による面積差は1.01km2とごく僅かです。
県が変ったのは 開拓地やスキー場のあった 字「三井野」の一部だけ に限られていたと思われます。

参考までに、広島県側の比婆郡八鉾村(大部分)はS29/3/31の合併で西城町の一部になり、平成合併の結果、庄原市の一部になっています。
余談ですが、「比婆」という地名から連想するのは、イザナミノミコトが葬られたという比婆山。
そして、広島県に住んでいた1970年頃に話題になった未確認動物「ヒバゴン」です。
[90145] 2016年 3月 30日(水)19:17:43【2】hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (3)県境の事例
人数では[90105]の5000人以上に及ばないものが大部分ですが、hmtが ずっと注目して 落書き帳に書き続けてきた 県境変更の事例中には、かなりの人口異動を伴うものもあります。

大正9年以来の「都道府県間の境界変更」は、[90107]で紹介されているように 国勢調査の一覧表 参考6 に集められています。
今回は、その中から人口異動を伴うものを抽出し、面積異動や関係過去記事、変遷情報収録状況と共に示すことを試みました。

県境変更に伴う面積異動の値については、栃木県「入飛駒」のように過去記事[79559]に記した例もありますが、ほとんど未調査でした。栃木県菱村や京都府樫田村のように「村ごと」の場合は、変更前の1955年国勢調査に村の面積があるので容易に知ることができます。
2005年に県境変更した長野県山口村の場合は、国土地理院の2004年面積調の値が使えます。

では、分村のケースで面積を知るには? 
1958年に境界変更により分村し、翌日岐阜県白鳥町に編入した 福井県大野郡石徹白(いとしろ)村を例に 計算で求めてみます。

一部を福井県に残すために 前日実施した境界変更(分村)による面積異動を計算します。
1955年当時 (178.22+128.29=)306.51km2であった穴馬2村の面積が、1960年和泉村332.26km2となっていることから、福井県に残留した面積は 25.75 km2であったことが判ります。
越県合併の相手方・岐阜県郡上郡白鳥町の面積は、石徹白村併合により22.39から110.78へと88.39 km2増加しています。
合計114.14 km2は、1955年の石徹白村面積103.07km2と少し合いませんが、岐阜県に越県合併した面積が大部分であることは知れます。人口異動も1297人で、昭和30年国勢調査人口1402人の大部分です。

1955/4/1に岐阜県恵那郡三濃村から愛知県東加茂郡旭村に越境した事例の面積異動も、同様の計算で求められると思ったのですが、1950年国勢調査は人口だけであり、面積がなかったので1955年面積との比較ができません。
現在の地図で見ると豊田市浅谷町(あざかいちょう)を主とし、須渕町の部分もあるので、豊田市の町別面積人口表から両町の面積を加えて、越境合併した面積は 5.59km2と見積りました。

2010年 前小屋の県境手直しにおいては、面積調でも交換した面積異動の差0.83km2迄しかわからなかったのですが、変遷情報の詳細には深谷市への編入119.6haという値が記録されていました。

こんな具合に、いろいろなデータから面積異動の値を求めて作ったのが、下の表です。
面積異動の値が不明や、計算不一致で信頼できない結果となった地域も含まれています。ご容赦下さい。
境川を挟む領地の交換について:人口異動は国勢調査の実数(4件合計61人)が示されていますが、面積異動は「無人地帯と併せてほぼ0」の差額で発表されており、面積異動の実態は不詳です。

都道府県境に関係する人口異動を伴う市町村変遷情報(大正9年国勢調査以降)【注】

関係自治体(数字は県code)地域名*日付人口異動(人)面積異動km2記事変遷情報
08新郷村→11川辺村伊賀袋1930/7/1 144?[78789]境界変更
08河内村→12栄町利根川1956/1/1930.71[79523]の6番未収録
09田沼町→10桐生市入飛駒1968/4/15575.65[54264] [79523]の17番[81913]未収録
09菱村→10桐生市菱村1959/1/1572421.90[2878][14592]編入
09足利市←10矢場川村矢場川1960/7/131313.66[2878][14616] [79523]の9番境界変更
10太田市→11深谷市前小屋2010/3/11391.20[79438][79661] 境界変更
11元狭山村→13瑞穂町元狭山1958/10/1521303.53[4049] [54264] 編入
11戸田町→13板橋区舟渡1950/4/1289 [65713] 未収録
11横曽根村→13岩淵町岩淵1926/10/1412 [65713] 境界変更
13町田市→14相模原市境川1999/12/13[79523]の32番未収録
13町田市←14相模原市境川2004/12/142[79661] [79523]の35番未収録
13町田市←14相模原市境川2007/12/110[79523]の38番未収録
13町田市←14大和市境川1985/2/16[79523]の28番未収録
18石徹白村→21白鳥町石徹白1958/10/15129788.39[31291][54264]編入
20神坂村→21中津川市神坂村1958/10/15143236.53[25925][54264] 編入
20山口村→21中津川市山口村2005/2/13204024.67[46924][54264] 編入
21三濃村→23旭村浅谷*1955/4/118055.59[46981][54264] [79523]の5番境界変更
26亀岡市→27東能勢村牧・寺田*1958/4/13868.08[79559] [79523]の8番境界変更
26樫田村→27高槻市樫田村1958/4/188918.00[31152][54264] 編入
33日生町→28赤穂市福浦1963/9/116407.50[41400][46914] [79523]の11番境界変更
34八鉾村→32八川村三井野原*1953/12/1571.01[90148][79523]の2番未収録

* 地域名のうち、従来使っていた三濃村などの旧町村名は 現在ではあまり使われなくなっていました。
これを今回改め、現在の地図でも見ることのできる 浅谷(あざかい)、牧・寺田、三井野原にしました。

【注】
1 この表よりも前の明治時代には、特別法による県境変更が行なわれました。[85062]の前半は特別法による事例です。後半は県境にある自治体の境界変更による事例で、この記事の表の旧版と言えるでしょう。
2 この表の21件のうち、人口異動最大の菱村を始めとする6件が「編入」として変遷情報に収録されていました。いずれも元の自治体の消滅を伴うもの、すなわち廃置分合の1種としての編入です。
変遷情報に「境界変更」として収録された7件の大部分は自治体の領域が変るだけで消滅しないものですが、矢場川村と三濃村のケースは分村によって消滅しました(廃置分合)。
変遷情報未収録の8件は主として比較的小規模の境界変更ですが、入飛駒だけは未収録で残されていることを不自然と感じさせるほどの規模です。
[90136] 2016年 3月 29日(火)12:12:46hmt さん
明治39年 愛知県における町村再編成
[90129] 白桃さん
町から村へ移行する例はあまりないのですが、愛知県幡豆郡ではタイトルに記入した日に、平坂、一色、横須賀の3町がそれぞれ他村との合併により「村」に格下げ?になっています。(中略)
なぜ愛知県幡豆郡にこのような事例が集中しているのか不思議ですが・・・

町が他の村と合併して「村を新設する」のは格下げなのか?
村と町との違い については、hmtマガジンに過去記事を収録しています。
農漁村である村と「商民ノ市街ヲナス」町との違いはある。しかし、多少の違いは無視して 町村制という同じ制度を適用することにした。明治21年の「市制町村制理由」は、このように説いているようです。

だから 呼称が町であろうが 村であろうが、「格」の上下などない筈です。
しかし、現実の事例 を目にすると、やはり気になります。

1889 幡豆郡平坂村→1893 平坂町→1906新設/村制 平坂村→1924 平坂町
1889 幡豆郡一色村→1892 一色町→1906新設/村制 一色村→1923 一色町
1889 幡豆郡横須賀村→1892 横須賀町→1906新設/村制 横須賀村→1955新設 吉良町

1906年というのは 幡豆郡に限らず 愛知県の各地で大規模な町村再編成が行なわれた年だったのですね。
変遷情報を見ると、同年中に 170件もの処分が行なわれています。
問いかけに対する答えにはなっていないのかもしれませんが、幡豆郡における“格下げ?”3件も、この大規模な町村再編成の中で起こったハプニングであったように思われます。

町と近隣の村々とが合併して新たな自治体となる場合、町場の絶対的規模は不変でも 自治体内での相対的な割合は低下します。
現行法に基づく県条例で求められている要件、例えば「中心市街地の戸数が五割以上」と同様のルールが当時も存在したか否かはさておき、合併によって新設される自治体が、全体としては「農漁村的な印象」を強める結果となることは否定できないと思われます。

合併は人口の絶対数を増やすが、同時に市街地的な印象が希釈され、「農漁村的」になってしまいます。
1906年愛知県幡豆郡の3事例は、この仕組を素直に受け止めた結果だったのではないでしょうか。

参考までに、平成合併では 宮城県加美郡の3町を併せた場合の連たん戸数割合が 条例で定められた「五割以上」に届かなくなる事態が発生しました。
結果的には、条例に附則の特例が設けられて解決しています。

「明治大合併」という言葉。
これは、明治22年 町村制施行直前に行なわれた合併 を指すのが普通ですが、岐阜県のように明治30年になってから「郡と町村とをひっくるめた再編成」[70814][70820]として行なわれた地域もあります。
そして、今回の愛知県の事例により 日露戦争後の1906年に「2度目の明治大合併」があった地域もあったことを、改めて認識しました。
これほど大規模ではないにしても、明治末期になってからの合併事例は 他の県にもありました。

関連して『中島茂:明治期愛知県の市町村再編について』という文献を紹介しておきます。
その中には、1889年と1906年の愛知県行政区画図も示されています。
[90105] 2016年 3月 24日(木)19:05:47hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (2)埼玉県入間郡東金子村 改め 西武町
[90100]を書いているうちに西武池袋線入間市【豊岡町から改称1967】と飯能の間、仏子(ぶし)・元加治という駅が続くあたりに「西武町」という自治体があったことを思い出しました。[12847][55648]

タイトルに記した関係市町村の変遷情報を もっと詳しく書くと 次のようになります。
1889/4/1(明治合併、町村制) 高麗郡(野田村+仏子村→)元加治村、飯能町、入間郡東金子村、豊岡町など成立
1896/4/1(郡再編) 入間郡・高麗郡など→入間郡【以下、郡名省略】
1943/4/1(戦時合併) 飯能町、元加治村など→飯能町新設
1954/1/1(市制) 飯能町→飯能市
1954/4/1(境界変更) 飯能市の一部【旧・元加治村の区域】が東金子村に編入
1954/4/1(町制) 東金子村→東金子町
1954/4/1(名称変更) 東金子町→西武町
1956/9/30(昭和合併最終日) 豊岡町、西武町の一部【旧旧・東金子村の区域】など→武蔵町新設
1966/11/1(改称/市制) 武蔵町→入間市
1967/4/1(編入) 西武町【旧・元加治村の区域が残っていた】→入間市に編入

複雑な変遷ですが、ポイントになる1954/4/1の境界変更に注目し、国勢調査記録によって人口異動を調べます。
[81919]には統計局からの情報が紹介されています。1954年のデータは昭和30年国勢調査です。
左端の昭和30年から統計表一覧を開き、末尾の13に掲載された「付表2…境界変更…一覧表」を見ると、注釈と県別データで合計4ファイルになっていることがわかります。これが右端の「PDF1,PDF2,PDF3,PDF4」に対応するので 埼玉県のデータは「PDF2」にあると判ります。これを開いてみると「55ah02b.pdf」というファイルで、飯能市は25/32コマに掲載されています。
29.4.1 (境)  一部の地域が入間郡東金子村へ   昭和25年人口 △5155
これで、昭和25年に飯能市として数えた人口は、境界変更により5155人減ったことが知れます。

念の為に人数の増加を東金子村のデータで確認したいところですが、昭和30年国勢調査時には既に消滅しています。そこで次コマの西武町を見ると
29.4.1 (名)  入間郡東金子町 34)が西武町になる   昭和25年人口 8627
注記の 34)【28コマ】には、東金子村イ) が東金子町になったこと、続くイ)の4行目には「飯能市の一部(5155)が東金子村に編入」が記されています。

S25の人口3472人だった【面積5.80km2の】東金子村には、【面積は4.78km2とやや小さいが、人口は1.5倍近い】旧・元加治村の区域の人口5155人が S29の境界変更により加わり、8627人【西武町境域のS25人口】になりました。
なお、面積は戦前唯一のデータである 『昭和十年全国市町村別面積調』 の値です。

このシリーズのタイトル「大きな人口異動を伴う境界変更」の極端な事例のように思われます。
[90100] 2016年 3月 23日(水)19:57:11hmt さん
大きな人口異動を伴う境界変更 (1)入間市と狭山市
「人口異動を伴う境界変更」のリリース[90092]ありがとうございます。人口のからむ境界変更に関する過去記事を検索してみたら、2012年9月[81821]から10月にかけて急増した時期があったのですね。
その頃から始まった YTさんによる情報提供も、今回の形で結実に至ったことをお祝いいたします。

このサイトにおける境界変更の取り扱いについては、それより前から 変遷情報との関連で問題にされていました。2007年の[56539]あたりが、代表的な記事と言えるでしょう。

それはさておき、人口異動と言っても、その数は 1桁と2桁が大部分です。今回示された1980年以降の国勢調査で該当するとされた77組の中で人口異動の値が100人以上になる組み合わせは僅か14組でした。
その中で突出して多かったのが、1983/4/1 入間市と狭山市との境界変更で生じた数百人の人口異動でした。

狭山市の増加887と入間市の減少877の差 10人の行方もさることながら、それ以上に「境界が変更された場所」が気になります。

数百人もの異動にもかかわらず 市区町村変遷情報からは無視されているので、自治省告示で地名を確認しました。
狭山市に編入する区域は「入間市大字黒須」の一部でした。
入間市に編入する区域の中には、「狭山市入間川字飛地」という地名もありました。

現在の地図では入間市駅の北側にある「黒須」の方が目立ちますが、線路沿いに池袋方に約2km進んだ入間基地南端付近にも大字黒須が残っています。
黒須は扇町屋と共に豊岡町の市街地を形成した地名のようです。参考:黒須銀行

航空自衛隊入間基地の前身は米軍のジョンソン基地です。
戦前にあったのは 陸軍航空士官学校(修武台)ですが、現在の入間市である豊岡町黒須で開校後に、敷地が入間川町【現在の狭山市】側に拡張され、現在では本部所在地も狭山市になっているものと思われます。[87268]参照

入間市の基地跡地利用に関する年譜には、昭和57年に「ジョンソン基地跡地内行政境界変更案」について入間・狭山両市が合意し、翌年実施されたとあります。
異動した数百人の人口は、入間基地内宿舎の住民たちであったと理解できます。
[90093] 2016年 3月 21日(月)19:17:26hmt さん
県条例の都市的施設要件(2)広島県府中町をめぐる動き
[90091]の続編ですが、広島県安芸郡府中町が「市」になる要件を整えることができるか否か。
そのポイントに触れるのは こちらの記事です。
この記事を先に書いてから、現在の条例にある「高校の数」に関する記事を書くべきだったかもしれません。

[90089] ピーくん さん
【中国新聞】紙面からです。
和多利町長は「町議会と連携し準備を重ねた上で、条例見直しへ向け県と協議したい」とした。一方で「混乱する事態は避けたい」とも述べた。

都市的施設要件を定めた「条例見直し」で思い出すのは岩手県です。
滝沢村が「市」になるためのハードルになっていた当時の岩手県条例には
1 地方事務所、税務署、公共職業安定所等の官公署が、5以上設けられていること。
などの9項目が定められていました。全文は [40484]百折不撓 さん

平成合併時代の[3217]では、滝沢村は単独市制施行も視野に入れ、岩手県に対し県条例の見直しを打診したものの、盛岡市との合併を歓迎していた県側は慎重な姿勢と報じられていました。
しかし、合併の嵐をくぐり抜けた後になると、岩手県の態度も変りました。滝沢村が2012年の岩手県議会6月定例会での条例改正を要望[79744]した結果、9月定例会で条例改正案が可決。[81981]
改正後の条例は、高等学校から病院までの5項目になっています。

広島県のケースも、関係者の「やる気」があるならば、理論的には同様の手続きで改正可能です。

現実には、町長発言にある「混乱する事態は避けたい」がポイントでしょう。

過去の経過は当サイトの 成立しなかった合併情報 広島市, 安芸郡府中町 にまとめられていますが、広島市サイト内の 府中町との経緯も参照して補足します。
和多利町長は 2000年5月初当選。7月の町議会で次の答弁。
広島市との合併については、住民が決めることですが、4分の3以上の賛成が一つの目安と見ており、私としては、自主自立の町づくりを進めたいと思います。
2001年6月議会での答弁
29年前に広島市にお誘いをいただいたが、町民の合意が得られず、その後の町長選挙等での反応も、合意を得られない状況は、ご承知のことと思います。このような状況下で町政を続けることは、活力の減退やキリンビール跡地の再整備への貢献等を考えると、遅まきながらも都市行政にすべきと判断しているところです。従って、とりあえずは単独市制をしていということです。

2002年には合併問題を問う住民投票条例が可決され、6月に実施。その結果、広島市との合併賛成49.9%を[1811]が伝えています。他の選択肢は単独市制が 28.5%、そのまま町でいるが 21.6%。

2003年3月の住民請求に基づき 12月には広島市との法定合併協議会が設置されたが、府中町は合併に慎重で協議は進展せず。2004年5月には 和多利町長が再選され、12月には合併を断念して協議会を解散しました。

今回の新聞記事によると、府中町としては 条例見直しによる市制への道 も探るようです。

安芸郡府中町が広島市に囲まれて41年 。水道などのインフラ設備を広島市に依存しているだけでなく、「衛星都市」という言葉も不適切に感じられるほど広島市の中に入り込んでいます。「ローマ市に囲まれているバチカン・シティ」とは事情が違うにしても、「市に囲まれた市」は落書き帳としては見逃せません。

その実現に必要な条例改正を審議するのが 広島県議会。その動向は如何に。
今後も、ピーくん さん による広島県からの情報が伝えられることを期待しています。
[90091] 2016年 3月 20日(日)23:00:45hmt さん
県条例の都市的施設要件
[90089] ピーくん さん
【中国新聞】紙面からです。
ただ県条例は「高校などが3校以上ある」ことなどを要件とし、【府中】町はクリアしていない。

地方自治法第八条第1項で定められた市となるべき自治体の要件。その第四号で求めているのは、
「当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。」です。

府中町の動向については ずっと前から落書き帳でさんざん話題になっており、アーカイブズもありますが、「高校の数」が問題になったのは初めてですね。

そこで、広島県条例【昭和23年条例第28号】 を確認してみました。
二、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校が、三以上設けられていること。
中等教育学校とは中学校のことではなく、いわゆる中高一貫校のことです。

確かに高校が3校以上を求めていますが、これって 地方自治法の求めている人口5万よりも、ずっと厳しい条件ではないでしょうか?
この条件を満たしている市は、全国的に見てどの程度の人口がある市なのか気になりました。

他県の条例にも高等学校設置に関する類似の規定はありますが、「3校以上」の県は知りません。
参考までに、平成合併終了後に単独市制のあった県を列挙しておきます。

石川県条例(S29-1)[14790]:高等学校及び公私立の図書館、博物館、公会堂又は公園等の文化施設の大部分が設けられていること。
千葉県条例(S23-24):高等学校が設けられていること。
埼玉県条例(S23-13):高等学校が設けられていること若しくは設けられる計画が確定していること又は当該普通地方公共団体に隣接する市町村に二以上の高等学校が設けられていること。
愛知県条例(S23-2):高等学校が相当数設けられていること。
岩手県条例(S23-7):高等学校が設けられていること。
[90083] 2016年 3月 17日(木)20:01:10hmt さん
公文所(くもんじょ)→公所(ぐぞ)→久所(ぐぞ)
[90079] グリグリ さん
「ABCの旅」はGの付く地名と言うことで、神奈川県足柄上郡中井町久所でした。「久所(ぐぞ=GUZO)」です。
相模原市にも同じ読みの久所がある(中略)相模原市中央区にある水郷田名の別名(旧名)だったようです。

同じ相模国ですが、武蔵国との境界である境川の西岸に「公所(ぐぞ)」という集落がありました。
現在でも大和市公所会館があり、大和市下鶴間504-1と書いてあるところから、住所表記に使われていない「(大字)下鶴間(字)公所(ぐぞ)」が現在でも残っているものと推察します。
地図を見ると、「下鶴間」が 駅名由来の「つきみ野」や「中央林間」に侵食され、分散しながらも残存している様子がわかります。
中央林間という不思議な地名[34571]が、昔は「(大字)下鶴間(字)公所新開」であったことは、[46290]で記しました。

それはさておき、「久所」という地名は小田原市にもあります。
久所の始まりには、秦野市立上小学校北側にも 久所(ぐぞ)があると記されています。
読みの違う千葉県館山市「久所(ぐじょう)」や、大分市「久所(くじょ)」は別とすると、相模だけに4ヶ所の「久所(ぐぞ)」。

「公所(ぐぞ)」も、地理院地図の検索でヒットする平塚市と厚木市を加えて3ヶ所。
全国で7ヶ所の「GUZO」が すべて相模国にあることは、偶然ではないようです。

相模原市田名の地名の水郷田名の説明文より。
昔、久所に公文所(くもんじょ)といって、今の市役所のようなものがあり、『文』の字を省略して公所と呼んでいたという。その後(中略)同音であったので久所と称したと言われる。

公文所は公文書管理の役所として古代・中世に使われた名ですが、有名なのは鎌倉幕府が 1184年に大江広元を別当として設置した公文所。これは、もちろん鎌倉にあったのでしょうが、各地の支所も公所と呼ばれており、それに由来する「GUZO」が、お膝元の相模国に地名として残っているのでしょう。

蛇足
西相模の災害地名?
中井町 久所(ぐぞ)クゾ、地崩れる場所。
という記載がありましたが、このように根拠の怪しい 「地名怪説」もあるので、ご注意を。
[90076] 2016年 3月 15日(火)18:03:45hmt さん
Re:合併アーカイブ
[90074] _ さん
総務省市町村課が「合併デジタルアーカイブ」というものを提供しています。

10年も前の2006年、平成合併最盛期に開設されており、2011年にはグリグリさんの紹介記事[79464]もあったサイトを、これまで失念していたとは…

それはさておき、さっそく利用した成果が得られたので、御礼と共に ご報告します。

兵庫県多可町の「地域自治区の設置に関する協議書(案)」
協議会の状況によると、地域自治区設置は 2004/12/16の第19回合併協議会で承認されたとのことです。
「この協議は、告示の日から施行する。」という附則が付いていました。【告示日:2005/7/7】

同じ協議会で決った合併期日2005/11/1よりも前ですから、当然 合併特例法に基づく手続ですが、リンクした協議書(案)では 「地域自治区を設置する期間」 を定めていません。
「合併関係市町村の協議で定める期間に限り」という法律 に違反しているように見えること、[90071]で記した南相馬市や香美町と同様です。

兵庫県香美町についても、第16回合併協議会会議資料の27/40に「地域自治区の設置に関する協議書(案)」がありました。その内容は [90071]で記した書類【リンク不調】と同じです。
[90071] 2016年 3月 14日(月)16:08:52【1】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (8)地域自治区制度について再び
平成合併の産物であり、平成合併の後始末という面を持つ「地域自治区」。
平成合併最盛期から10年経過という節目に始めたこのシリーズ。その1年後の現在、設置期限が近づく合併特例地域自治区【Tcj】の動向を伝えがてら、奥州市・奄美市と個別事例の話題を取り上げてきました。

その次には、地域自治区全体の動きを示すリストを提示しようと考えていました。
しかし、地域自治区制度自体に難解の部分があり、先ずこの記事を書いて、理解を深めることにしました。
このシリーズの第2回に記した一通りの説明で不足していた見解を補い、別のアプローチにしました。

「地域自治区」という名は、地方自治法の平成16年改正案で現れました。落書き帳での初出は [27999] でるでる さんの「合併関連3法案」という記事です。
しかし、引用文からも明らかなように、 地方自治法の条文に書かれているのは
市町村長の権限に属する事務を分掌させ、及び地域の住民の意見を反映させつつこれを処理させるため
であり、「合併」とか「旧市町村」とかいう言葉は直接には現れません。
いわゆる「一般制度としての地域自治区」と呼ばれる所以です。

2004年2月に合併協定が調印された南相馬市の事例で考えてみましょう。
地方自治法の規定では、合併と同時に地域自治区を発足させることができません。
「市町村は、…条例で、…地域自治区を設けることができる。」となっていますが、南相馬市は未発足であり、条例の定めようがないためです。

そこで必要になるのが、同時に成立した「地域自治区の合併特例」という規定です。こちらは、
地方自治法の【条例制定を求めている】規定にかかわらず、…協議で定める期間に限り、…地域自治区を設けることができる。
となっています。

合併(2006/1/1)前年の2005/2/28に定められた 協議書 をリンクしておきます。協議事項1によると、地域自治区は地方自治法に基づくものですが、そのように定めた根拠が合併特例法の規定によるものであることが、前文に記されています。
合併特例法が求めている「協議で定める期間」について明確な記載がなく、協議事項5(2)には「区長の設置期間は10年」とあります。
南相馬市の文書 p.3の地域自治区>設置期間 には、「設置の期間は定めません」とありました。
これで良いのでしょうか?

「地域自治区の合併特例」を用いるという点では、奥州市の合併も同じことですが、こちらの合併協議書の記載は もっと単純明快です。実際、このような事例が大多数です。
第1条 合併特例法…の規定に基づき、…を目的に、合併前の水沢市【以下列挙】…に地域自治区を設置する
第3条 自治区の設置期間は、合併の日から平成28年3月31までとする。

兵庫県美方郡香美町の場合。例規集中には合併協定書が見当たらぬものの、美方町・村岡町・香住町合併協議第63号として「地域自治区の取扱いについて」H16/9/20提出の書類がありました。
【修正】テキストリンク不調につき、URLを直接記します。
http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1117450319031/html/common/other/4aaf32e8017.pdf

それには、「地方自治法第202条の4第1項及び市町村の合併の特例に関する法律【旧・合併特例法】第5条の5第2項の規定に基づき、合併前の美方町、村岡町及び香住町の区域ごとに地域自治区を設置する。」と2法を併記しています。
書き方は南相馬市と少し違いますが、合併前なので、当然のことながら「合併特例」を利用した地域自治区。
しかし、添付された全9条からなる協議書には、地域自治区の設置期間についての定めが見当たりません。
合併特例法が求めている設置期間を無視したまま10年を経過しつつある事例は、南相馬市の他にもあるようです。

同じ兵庫県で多可郡3町が合併した多可町。こちらは多可町のサイトに関係書類が見当らないので、WARPで合併協議会のページを探したが、こちらもダメでした。
【修正】合併に特化した総務省のアーカイブ[90074]には、WARPから漏れていた合併協議会サイトも保存されていました[90076]

参考:総務省の一覧表 現在はH27/4/1現在が示されていますが、そのうちにH28/4/1現在に更新されるでしょう。
設置期間の定めが見当たらない(と思われる)南相馬市、香美町、多可町の各地域自治区。いずれも最終コマ(7/7)にある「地域自治区(合併特例法等に基づくもの)の設置状況」の表に記載されています。
[90064] 2016年 3月 12日(土)13:15:33【1】hmt さん
「政令区」という呼び名
[90062] グリグリ さん
「都道府県隣接関係一覧」を最初に拝見した際には、隣接都道府県欄が長文の表示でした。
ポップアップへの修正希望を下書きに記した後で 本題を書いていたら、この記事のアップ前 既に 見易い形 に改められていました。ありがとうございます。

気になった部分は、表の下に記された注釈に使われた「政令区」という言葉でした。

「政令市」にしても正式の略称ではないが、よく知られている「政令指定都市」の略称であろうことは推察でき、許容範囲と考えています。
# 法令上の正式名は、政令のタイトルに使われていた “地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市” であり、地方自治法に記された その略称は “指定都市” なのでしょう。参考

ところが、「政令指定都市の区」は 地方自治法第252条の20を根拠として 指定都市の条例で設けられます。
では「政令区」ではなく「条例区」なのか?
これも あまり適切でないようで、現実に使われていません。

「特別区」と対比して使われている言葉は「行政区」のようです。 大阪市横浜市相模原市
しかし、「行政区」という言葉には、政令指定都市以外での 使用例もあります。

参考までに、落書き帳内に存在する多数の「政令区」使用例は、大部分が グリグリさんによるものです。
[90057] 2016年 3月 9日(水)14:36:48hmt さん
地域自治区 合併特例区 (7)住所から名瀬が消える?
タイトルは、「Wikipedia名瀬市」で指摘されている問題です。
その要点を記すと、2006年の合併により 旧名瀬市が奄美市の地域自治区である「名瀬」になり、住所表記が地域自治区名を冠した「奄美市名瀬◯◯」に変更された。その地域自治区は、設置期限が2016年3月31日までとなっているので、本年4月以降の住所表記からは地域自治区名が除かれ「奄美市◯◯」となる予定。

ところが、奄美市サイト内を「住所」で検索してみても「名瀬消失」が問題にされている様子はありません。
疑問を抱いて調べてみたら、例規集に掲載されている 地域自治区設置協議書に記載された 設置期間が変更 されていました。
(地域自治区の設置期間)
第3条 地域自治区の設置期間は,合併の日から平成33年3月31日までとする。
一部改正〔平成27年条例26号〕

なるほど、昨年末の市議会で地域自治区【名瀬, 住用町, 笠利町】の存続期間が5年延長され、「名瀬消失」の問題点は、事前に回避されていたのでした。

このケースは、盛岡市や奥州市のような 地域自治区の名称に使われた「区」の存廃問題ではありません。
しかし、2016/3/31となっていた設置期限の延長により「名瀬」が住所地名に残ったことに 何故か 安堵。

同類として、設置期限を 2015/3/31から 2021/3/31まで 6年延長した 平戸市【生月町, 田平町,大島村】の例があります。
[90056] 2016年 3月 9日(水)13:35:39【1】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (6)奥州市 5地域自治区の設置期限2年延長
[90015] ピーくん さん  
盛岡市の玉山区は2016.4.1,廃止予定 です。
[90050] ニジェガロージェッツ さん  
期日が来ましたら区コレクションに反映させていただきます。

間近に迫った平成27年度末。盛岡市玉山区の他にも 設置期限が到来する地域自治区が多数あり、その動向をまとめるべく、記事を準備しております。

しかし、同じ岩手県内で 2016/3/31が設置期限となっていた 奥州市の動き が定かでなく、現状を纏めた記事を書きかねていました。
具体的には[87943]の後、昨年9月の市議会で 市長が 設置期限の1年延長を表明したこと までは掴んでいたのですが、その先が不明でした。

ところが、現在開会中の議会に 市長が求めた「1年延長案」に対して、最大会派議員から「2年延長案」が提出され、これが可決されたとの報道が昨夜入りました。IBC岩手放送

2年先には 地域自治区を廃止して 奥州市を一体のものとして進めようと考える市長。
【一般制度への変更も含めて?】地域自治区を存続させて分権体制の継続を図る議員たち。
両者の意見は割れたままのようですが、 『区』コレクションの修正に関しては、当面 それを考える必要がなくなった ということです。

なお、2年先に裁きを受けることになるのは、地域自治区だけでなく、市長も議員も同じです。2014年の選挙
[90043] 2016年 3月 5日(土)16:35:39hmt さん
本郷元町にあった吉祥寺 明暦の大火後 住民は武蔵野に、お寺は駒込に移る
[90037] 伊豆之国さん
その吉祥寺には実は「吉祥寺」というお寺がない、
地名の由来となった「吉祥寺」はここにあります。昔はこの辺りを「駒込吉祥寺町」といっていました)

「振袖火事」の名でも知られる明暦3年(1657)の大火は、3ヶ所から出火し、天守閣を始めとする江戸城、大名屋敷、市街地の大半を焼き、都市構造と景観とを一変させました[56610]
その被災地の一つが 本郷元町にあった曹洞宗諏訪山吉祥寺(きっしょうじ)でした。現在の地図では、小石川後楽園の東側になります。

この付近で焼け出された人達は 江戸から五里離れた武蔵野、五日市街道沿いの地に入植することになりました。この地は武蔵野台地の尾根筋にあたる高所で[75152]、水利が悪かった時代は未開発で残されていたのですが、少し前の承応2年(1653)に「玉川上水」が造られていました[58728]。もちろん主目的は飲用ですが、被災者による台地開拓のために灌漑用としての便宜も図られたことと思われます。
人々は この開拓村を 故地ゆかりの「吉祥寺村」と呼びました。

…で、吉祥寺自体は大火後どうなったのか? 文京区教育委員会の掲示によると、お寺も類焼して、現在地【駒込】に七堂伽藍を建立し移転したとあります。

住民は武蔵野に移されたが、太田道灌による江戸築城に遡る由緒あるお寺は 江戸に残留した結果、
その吉祥寺には実は「吉祥寺」というお寺がない
ということになりました。大きなお寺なので、明暦大火の際にも伽藍の一部が焼失を免れ、駒込の伽藍完成前には、本郷に残っていたのかもしれません。参考

武蔵野の吉祥寺村とは無関係の話ですが、西鶴の『好色五人女』のお話。天和の大火(1683)で焼け出された八百屋お七は、避難先の駒込吉祥寺で知った恋人と再会したいばかりに放火の罪を犯し、鈴ヶ森で火炙りになりました。モデルになったのは別のお寺のようですが、駒込吉祥寺はベストセラー小説の舞台に使われたくらい、江戸市内で有名なお寺だったということでしょう。

話は武蔵野の吉祥寺村に戻ります。明治13年郡区町村一覧 神奈川県北多摩郡で読みを確認すると、現在と同じ「キチジャウジ」になっています。
この地が大きく変貌するに至ったきっかけは鉄道でした。
明治22年(1889)3月31日、神奈川県北多摩郡境村、吉祥寺村などが合併して武蔵野村になり、翌4月1日には市制町村制施行。
その10日後の 1889/4/11 新宿-立川間に甲武鉄道が開業しました。

この鉄道、地図で見るように見事な直線路線です[34522]
そうなった理由につき、武蔵野市サイトでは、本文に「甲州街道や青梅街道の敷設案が反対運動によって頓挫したため」と記しながらも、「建設を委託された鉄道局が、最短のルートを採ったという説もあり」と注を加えています。

とにかく この直線ルートにより、甲州街道沿いの調布町や青梅街道沿いの田無町でなく、武蔵野村に停車場ができることになりました。もっとも、青木栄一氏によると、「甲州街道ルート案」などそもそも存在しなかったとのことです[58190]

開通当初の停車場は強い誘致のあった境【武蔵境】でしたが、東京府になった後の明治32年には、吉祥寺停車場も開設され、井の頭池と桜の小金井堤は観光客で賑わいました。1922年に国分寺までの電車化と複線化が完成。その翌年に関東大震災。東京からの移住者で人口は増大することになりました。

国勢調査人口  
北多摩郡武蔵野村 1920年  4931  1925年 10366
北多摩郡武蔵野町 1930年 17229  1935年 25221  1940年  41767  1947年 63479
武蔵野市  1950年 73149  1955年 94948  1960年 120337  以後省略
[90042] 2016年 3月 5日(土)14:31:56hmt さん
Re:自治体コード
[90041] グリグリさん
以前にも書いたと思いますが、データベース検索などで利用している自治体データには自治体コードは組み入れていません。国勢調査データは独自のデータベースを構築しおり、その際に自治体コードを入れるようにしました。

そうでしたか。[90033]に記した要望は、そのような事情を知らぬまま書いたものでした。
データベースの違いで、簡単に実現できない事情を説明していただき、了承しました。
[90033] 2016年 3月 2日(水)17:29:16【1】hmt さん
Re:国勢調査データをよろしく!
[90032] グリグリ さん
【リリース当初から自治体コードが表示されていたのは】国勢調査データです。

早速のお返事ありがとうございます。
発端となった[90023]の指摘【このサイトの中でコード自体の表示がなかった旨の発言】は、ご推察のとおり、国勢調査データ 全体が今回初めてリリースされたと勘違いしたことに基づくものでした。

確かに、面積データに関連して書いた[84563]の中で、「グリグリさんも、データベース検索や国勢調査データなど関連メニューの再編成を視野に入れる必要性に言及」と発言しているのですが、実はその5ヶ月前に「国勢調査データ」が現実に発足していたこと[83734]に気づかないまま、まだ計画中のメニューと思っての発言だったのです。

国勢調査そのものについては、落書き帳の中でかなり多くの発言を残している hmtですが、各回の個別データ比較となると関心度が薄いというのが正直なところです。
「国勢調査データ」発足の2013年夏には、頭が御母衣や松江の方に行っており、国勢調査から離れていたようです。

そのようなわけで、2013/7/28「国勢調査データ」のリリース当初から、自治体コードが表示されていた。
そのことを、今回初めて理解しました。
[90023]の指摘は勘違いであり、[90029]はそれを引きずった疑問でした。

それにしても、元のデータベースとしては自治体コードを含めて整備されているのに、市区町村プロフィールにはコードが表示されておらず、データベース検索の表示項目にもなっていない。
この現状は、宝の持ち腐れではないでしょうか。

「都道府県市区町村」サイト利用者全体のことを考え、国勢調査データ以外のページからも 自治体コードを探しだすことができるよう、ご一考いただけないかと思います。

リクエストを頂いていた振興局の表示を北海道の市に対しても入れてみました。

早速のご採用ありがとうございます。

例えば、人口順の表示では若干違和感がありますけど(北海道の市にだけ表示が追加されるという点で)

「(総合)振興局」という表示自体が「住所の表示」【郡を使用】と違うので、若干の違和感は当然です。
この表は、住所とは関係ない「行政的な所属区分」を表わしたものであると割りきって考えましょう。
そのように割り切れば、知事の権限の一部が支庁長【(総合)振興局長】に委ねられている北海道だけに、道と市町村との間に独自の区分ができていることが理解できるでしょう。北海道行政組織規則[71706]
[90029] 2016年 3月 1日(火)21:47:02hmt さん
自治体コードが表示されているのは どこでしょうか
[90026] グリグリさん
自治体コードはリリース当初から表示しており滝沢市誕生時にも更新対応しています。

自治体コードが表示されるページとして 真っ先に思い浮かぶのは 市区町村プロフィール です。
しかし、例えば “滝沢市誕生時に更新対応” されたという新設コード「03216」。
市区町村プロフィールには、コードを表示すべき 列 自体が存在していません。

市町村一覧表の下に設けられ、県旗をクリックすることにより開く「岩手県のデータ」。
その中にも、自治体コードに関する項目は見当たりません。

リリース当初から自治体コードが表示されていたのは どこでしょうか?
[90023] 2016年 2月 29日(月)21:58:08【1】hmt さん
国勢調査データ(比較ページ)
[90022] グリグリさん
公表された平成27年国勢調査の速報値を受け、平成合併前からの国勢調査人口との増減比較表を示していただきました。
膨大なデータにもかかわらず、見易い表を早々と作り上げていただいた処理能力に感心するばかりです。

さて、本筋の人口増減に関するコメントではないのですが、この表に接しての感想を少々記します。

1 市区町村コード
この「都道府県市区町村」サイトの中で、「市区町村プロフィール」を始めとする多くの表では、地方自治体コード順の配列が行なわれてていたものの、コード自体の表示がありませんでした。
例外はありますが、市コードの数字は県内で生まれた市の順番を示し、欠番は消滅した市への思いを誘います。町村のコードも、県内の位置や県庁所在都市からの遠近など、なかなか示唆的であり、単なる順番付け以上の役目を果たしています。
このサイトの表の中に地方自治体コードが登場したことは、歓迎すべきことだと思っています。

付言すると、市区町村コードを含む地方自治体コードは、1968年に自治省が導入した6桁の「全国地方公共団体コード」以来3種類がありますが、最も普通に使われているのは、今回の表にも使われている5桁の 「統計に用いる標準地域コード」 で、2009年に総務省統計局所管の現在の名称になりました。

上記のリンクで得られる最新のコード一覧表【2014年滝沢市】は、hmtマガジン 自治体コード の説明文からのリンクでも得ることができたのですが、今回提供された 人口比較表【市町村】により、このサイト内で直接に見ることができるようになりました。

2 北海道の(総合)振興局
上記の「人口比較表【市町村】」を見ると、市については「(総合)振興局/郡」の列が空欄になっています。
明治時代に制定された法律「市制」の時代に「郡」から独立した存在として発足した「市」ですが、こと北海道に関する限り「(総合)振興局」の列を空欄にしておくのが適切かどうか、問題があるように思われます。

北海道支庁設置条例によると、「市」は形式的には「支庁」に含まれず、これが現在の「(総合)振興局」にも持ち越されています。
しかし、条例の他に「北海道行政組織規則」が制定され、そこでは市の区域に係る事務であって支庁長において処理することとされているものが定められました。

(総合)振興局が所掌する事務は広範なものであり、これにより、実務上 では、北海道の市は(総合)振興局の管内と位置付けられています。

このような実態から考え、今回の人口比較表においても、北海道各市の所属する(総合)振興局が記載されることが望ましく、これは各市の地理的な位置を認識するのにも役に立つと思われます。
ご一考いただけないでしょうか。
[90008] 2016年 2月 25日(木)17:49:07【1】hmt さん
伊豆が「関東」だった頃
[90003] 伊豆之国さん 熱海は関東ではない
「伊豆」にルーツを持つ人として大いに違和感を抱かざるを得ません。第一、熱海が属する伊豆国は「関八州」の中には入りません。

ごもっともな意見ですが、せっかくの機会なので、伊豆と関東との昔の関係を少し考えてみました。

「関八州」という言葉は、江戸時代に広く使われていた言葉と思います。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、「関西38国」「関東28国」という日本60余州を二分する用例 建仁3年8月27日の記事がありました。歴史背景 
このような「広義の関東」の用例もあり、その場合、伊豆はもちろん関東の域内です。

江戸時代の「関八州」は、いざという時の江戸防衛を担うべき 箱根関・小仏関・碓氷関を意識した範囲です。
もっとも、戊辰戦争に際しての防衛線としては、全く機能しませんでした。
この地理意識では、防衛線西側の伊豆・駿河・甲斐・信濃は「関八州」の外であり、結果的には、これが 明治以降の「関東地方」に持ち越されていると思われます。

夏目漱石『坊っちゃん』(1906)の記述は、「箱根が境界」という江戸っ子の地理意識を裏付けています。
四国辺のある中学校の数学教師として東京を立つ 三日前に清(きよ)婆さんを見舞い、
おれの行く田舎は「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか 手前ですか」と問う。

しかし「都道府県」に関心をもつ私達としては、明治初期に導入された地理区分にも注目したいと思います。
明治4年11月14日の太政官布告第584号は、それを示しています。
今般関八州 群馬県を除くの外 並に伊豆国 従来の府県被廃 更に左の通 府県被置候事
足柄県 県庁 小田原
相模国 足柄上郡 足柄下郡 高座郡 大住郡 愛甲郡 陶綾郡 津久井郡 
伊豆国一円

この足柄県の後、神奈川県 東京府 入間県 埼玉県 木更津県 印旛県 新治県 茨城県 栃木県 宇都宮県と続きます。
余談:神奈川県,東京府,木更津県,栃木県,宇都宮県に県庁所在の都市名が記されていない理由がわかりますか?
都市名を名乗った府県では、県庁所在地が自明であるために、記す必要がなかったものと理解されます。
少し先立って出された 群馬県第559号を加えると、関東9ヶ国(伊豆を含む)は 1府11県[36047]になります。

高座郡が神奈川県でなく足柄県に記載され、淘綾(ゆるぎ)郡の表記にも疑問点があります。しかし明治4年11月の「3府72県体制」では、この布告により明らかなように、伊豆国は相模国の大部分と共に「足柄県」に編制されました。

[24127] Issie さん
伊豆国は相模国西半部(当初は境川以西。実際は相模川以西)とともに「足柄県」に編成され,県庁を相模国足柄下郡小田原に置きました。
ここでは,紛れもなく「伊豆は関東の一部」となりますね。

[24127]にも記されているように、「韮山代官」支配地は、江戸時代から関東と結びついていました。その一例:江川代官所経由で幕府に提出された相模国津久井県「青山村御林絵図」弘化4年[55523]
江川代官所支配地域は、伊豆だけでなく 武蔵・相模・駿河・甲斐の各国に及んでいました[59110]

代官である江川氏の本拠地・韮山の役所は 支配地の分布からすると 南西部に偏った場所ですが、韮山代官は通常は江戸役所【武蔵・相模・甲斐を担当】にて勤務し、冬だけは韮山代官所に入ったとされます。参考
江戸(本所)と韮山と2つの役所の他に、伊豆国三島、甲斐国郡内地方の谷村、駿河国富士郡の松岡【東海道の富士川東岸付近】にも陣屋が存在。
これら幕府直轄領には、版籍奉還よりも前に 韮山県 が設置されています。

ここで注意したいのは、韮山県が 明治4年11月に 足柄県に統合されたのではない ことです。
韮山を始め伊豆国内の管轄地は足柄県になりましたが、韮山県でも武蔵国多摩郡所在の村の多くは東京府に、一部は入間県にという具合に所在地に応じて異なる府県になります。旧田安家領など甲斐国にあった韮山県所属地も(甲府県経由で)山梨県になるなど、複雑な動きがあるようです。
明治4年11月の変更が、同年7月の廃藩置県 及びそれ以前に作られた県の「統合」ではなく、所在する郡を単位として県を再構成する整理(リセット)であったことは、[76179]で記した通りです。

もっとも、府県の整理作業はこれで完了したわけではありません。伊豆国だけを見ても、明治9年(1876)4月18日に静岡県に移管され、更に明治11年(1879)1月11日に伊豆七島が東京府に移されます。
伊豆半島の存在故に細長い足柄県は、好一対の能登半島を持つ石川県と違い、短命に終りました。
当時は関東地方、中部地方という区分は存在しなかったし、「関八州」に属していない伊豆七島を「関東」と呼ぶのにも少し抵抗を感じますが、伊豆の島々は 関東の足柄県から中部の静岡県へ、再び関東の東京府へ と流転することになりました。

時代は戻りますが、武家政権を樹立し、自らの支配地域を「関東」と呼び始めた東国武士団。
鎌倉政権の最有力武士として、政子の実家・北条氏がありました。北条とは、伊豆国田方郡にあった地名のようです。歴史的視点からすれば、伊豆は間違いなく「関東」であったと思われます。

そして室町幕府が設けた鎌倉府。その長官は「鎌倉公方」または「関東公方」と呼ばれ、関八州に伊豆国と甲斐国とを加えた10ヶ国を支配しました。鎌倉公方の当初の役職名は「関東管領」だったようですが、後には執事の上杉氏【足利尊氏の母の家系】が「関東管領」と呼ばれるようになりました。
扇谷上杉家の家宰・太田道灌が1457年に江戸城を築いた頃の関東。既に関東公方や関東管領が入り乱れた内戦が始まり、鎌倉公方は古河に逃げ出したので「古河公方」。公方の後任も鎌倉入りできず「堀越公方」。
結局のところ 堀越御所の支配地は伊豆国だけとなり、最後は「伊豆国討入り」をした北条早雲に滅ぼされました(1493)。
1495年に小田原城を奪取し、戦国時代の関東経営で知られた後北条氏の起点も、伊豆国だったのでした。
蛇足:江戸時代にも喜連川【栃木県さくら市】の藩主になっていたのは、古河公方の後裔のようです。

熱海を含む伊豆国が「関東地方」の域外扱いされるのは、現在の都道府県に基づく地方区分をとる限り、やむを得ないことでしょう。
しかし、歴史的観点からは どうも「伊豆と関東とは切っても切れぬ縁にある」と考えた方がよさそうです。

伊豆七島【現在は伊豆諸島】のことはさておき、伊豆国が「関東」であるか否かという問題は、結局のところ その時々の地方制度次第 と思われます。
それにしても、明治9年4月に「伊豆国は静岡県」という形になり、そのまま定着した真の理由は何だったのでしょうか?

明治9年(1876)、この年には4月18日と8月21日の2回に分けて所謂「第2次府県統合」が行なわれました。太平洋側では 4月に足柄県が分割され神奈川県と静岡県とに分れただけでなく、8月には浜松県も静岡県に統合されました。
そして日本海側でも、石川県が 4月に新川県を、8月に敦賀県の嶺北も統合して「大石川県」になりました。

足柄県が分県・消滅という貧乏くじを引いた直接原因は、府県を再編成する試行錯誤の一過程における「3府35県体制」でした。しかし、嶺北が石川県へ、嶺南が滋賀県へと分県・消滅の道をたどった敦賀県の方は、明治14年(1881)に「福井県」という名で復活しています。越中国も明治16年には富山県として分立再置。

これらの復活組と比べると、静岡県の一部として定着した伊豆国・遠江国はどこが違っていたのでしょうか。
伊豆/駿河について言えば、三島と沼津との関係が伊豆を静岡県に引き止めるように働いたのでしょうか?

現状の伊豆。これは「府県」とは別の枠組みである「伊豆・箱根」の方が 収まりがよいように感じます。

最後に、現代生活に欠かせない電力で使われた「関東」。
50Hz東京電力管内は、伊豆にとどまることなく、駿河国の一部に及んでいます。
戦時体制下では富士川の東・現在の東京電力管内に電気を供給していたのは、「関東配電」という会社でした。「関東電気保安協会」という名は、現在もこの地域で使われています。
[90002] 2016年 2月 20日(土)12:16:41hmt さん
都道府県と市町村の役割分担
[90001] ぺとぺとさん
これは、平成24年3月31日以前の旧法においては「知事」が告示することになっていたためです。

早速のご教示、ありがとうございます。

「地方分権一括法」と呼ばれる平成11年法律第87号は、平成大合併にも深く関係するものであり、落書き帳の記事でも何回か言及していました。最近では[82018]

しかし、都道府県から市町村への権限委譲政策はその後も進められているのですね。 内閣府
その代表的なものとして、平成23年に成立した「第2次一括法」。

この一括法が落書き帳に登場したのは初めてのことと思いますが、法律専門家でない者にとっては、700頁以上に及ぶ膨大な新旧対照表には 目を奪われるばかりです。
[90000] 2016年 2月 20日(土)08:43:56【1】hmt さん
愛西市平和町
地名変更情報
[89999] おっ、次は90000番だ。

では、折角与えられた機会を生かし、若干のフォローを。

愛知県中島郡平和町は 2005/4/1に その全域が稲沢市に編入されて消滅しました。

市区町村変遷情報の方は 1行で済んでいるのですが、郵便番号・住所での「愛西市平和町」が『自治体越えの地名』を裏付ける根拠として出され、話が複雑化しました。記事集

私は愛西市町名一覧を根拠に、【現状での】否定的結論に肩入れしただけだったのですが、その後の記事により、過去の一時期には愛西市平和町が実在したらしい情報が示されました。
そして、[89962]で正攻法と思われる公報により確認する道筋が示され、[89997]によって、愛西市平和町の誕生から消滅に至る経過の確認が示されたわけです。
すっきりと解決していただき、感謝します。

この機会に、市町村区域内の町字変更手続と、その効力発生公示に関する 地方自治法の条文を 改めて確認しておきます。
----------------
第二百六十条第1項 市町村長は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、市町村の区域内の町若しくは字の区域を新たに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て定めなければならない。
第2項 前項の規定による処分をしたときは、市町村長は、これを告示しなければならない。
第3項 第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
----------------
効力発生は、法律では「市町村長の告示」が原則になっています。
[89997]で紹介された愛知県知事告示に効力発生日が記されていることは、愛西市平和町の勝幡町編入の件が「政令(地方自治法施行令第百七十九条)で特別の定めをする場合」であったということでしょうか。

[89997] ぺとぺとさん
愛西市平和町誕生の記録はあるのに消滅の記録がなかったのは、個人的に少し疑問に感じています。

市や県の告示記録が存在するとしても、閲覧が容易でない情報も多いことです。国土地理協会情報には掲載してほしいですね。
郵便番号。こちらも地名廃止で実体を失ったゴミ番号は 廃棄処分してほしいと思います。

ところで、石川県の4自治体に東西南北が分散する事例[75173]から始まった『自治体越えの地名』。
1府3県5郡【誤記訂正】に及ぶ広域にまたがる「葛飾」[75350]まで 話を広げたこともあるのですが、今回の愛西市平和町では、ずいぶん細かい話になってきたと思っています。
それでも、市町村区域内の町字変更情報というものについて改めて考えさせられ、有益な経験を得ることになりました。
[89994] 2016年 2月 17日(水)17:15:24hmt さん
海と島 (26)長崎県小値賀町・野崎島
BS JAPANの『空から日本を…』で 「長崎県五島列島」が放送されました。
第1回 は、宇久島から中通島まで。

私としては 「自然地理的観点」からして、今回のタイトルに異議を唱える気は全くありません。
小値賀町プロフィールにも、「五島列島の北部に位置し」と書いてあります。

しかし「行政的観点」からすると、佐世保市の宇久島や、北松浦郡小値賀町の小値賀島・野崎島などは「平戸諸島」であり、「五島列島」とは別の指定地域として扱われています。離島振興対策実施地域一覧(H27/7/13) p.5参照。

広大な肥前国松浦郡が東西南北4郡に分割されたのは 郡区町村編制法に基づく 太政官布告明治13年第22号別冊 でした。この時に 宇久島・小値賀島は北松浦郡になり、南松浦郡の五島列島と分離しました。
しかし、藩政時代の小値賀島は平戸藩領でした。また 島の数から判断しても、宇久島・小値賀島は、中世以降ずっと「五島」に含まれていなかったのかもしれません[26554]

町の沿革の最後に記されているように、「小値賀町(おぢかちょう)」という仮名遣いを採用していますが、URLに使われた表記は「ojika」です。
2005年に石巻市と合併した宮城県牡鹿町は「おしかちょう」でした。

それはさておき、長い歴史を持ちながら現在の人口は施設管理人1人という野崎島は、落書き帳に何回も登場しています。最近では[89357]

今回 空から眺めて知ったことは、野崎島の中央部に 「ダム湖」が作られていることでした。
事実上の無人島であっても、この島の山に降る雨は貴重な水源として ダム湖 【mapionでは無視されている】に集められ、人口は多いが 水源に恵まれない 小値賀島に 送られているとのことです。野崎島水源の森

その小値賀島。火山島ですが 概ね平坦。ご多分に漏れずの高齢化ですが、それでも島外からの若い移住者もあり、子供も生まれて賑わっていたようなので、一安心しました。
野崎島の水が、この人達を支えているのですね。

野崎島の南に隣接するのは細長い中通島。新上五島町の主島です。
今回の番組動画には、集落ごとに26も作られた教会の分布図がありました。

次回2月23日の放送は 五島列島の第2回で、五島列島最大の 福江島が登場します。
亀の子模様の「三井楽の円畑」を 空から見ることができることを期待しています。
[82801] [82804] [82810] グリグリさん、hmt 参照。
[89991] 2016年 2月 15日(月)19:53:04【1】hmt さん
hmtマガジンの更新 と 利根川歴史地図の修正リンク先
[89986] まなちゃん さん
具体的には「uub.jp/hmt/hmt??.hmtl」→「uub.jp/hmt/hmt??.html」と直していただくようお願いします。

あらあら。ニックネームに紛らわしい略号を使ったのが原因で、誤記に誘導してしまったのですね。
ご迷惑をかけて ごめんなさい。
そして、hmtマガジンをご愛読いただき 有難うございます。

これだけでは単純すぎるので、hmtマガジンの更新を1件入れておきます。【2016/2/16再更新】

群馬埼玉県境の主要部は、昔で言えば「上武国境」をなす利根川に沿っていますが、現在の利根川本流と完全に一致しているわけではありません。

最近の投稿のいくつかは関東平野中央部に関係するものですが、話題が復活している 三県境を始めとして、この地域は 多くの河川による複雑な流れの影響を受けて形成された歴史を持っています。
hmtマガジンの 渡良瀬遊水地利根川と国境・県境との関係に収録された記事は、そのような歴史を理解するのに役立つものと思います。

現在は大河の面影を全く残していない「三県境」。
しかし、歴史を遡って調べると、利根川の分流の一つである「合の川」が「渡良瀬川」と合流していた時代があり、当時の流れに沿って上野国と武蔵国、上野国と下野国、下野国と武蔵国という三国の境界が定められた。
そして、川の流れが変り農地になってしまった現在でも、全国唯一の存在 「歩いて訪れることができる平地の三県境」 として珍重されている。

関連地図を引用しながら 利根川流路変遷図という記事 をまとめたのは、5年前でした。
その少し後、okiさん から『下総国之図』に関する解説記事[77106]をいただきました。
これに対するレスは、既に マガジン に収録していたのですが、okiさん の記事そのものは収録から洩れていました。
遅れ馳せながら今回追加更新しておきます。

マガジンのメンテナンス。これで 一応は済ませた つもりだったのですが、WEBの変化は激しく、見直したらリンク切れが続出していました。
とりあえず、主なリンク先の現在のURLを記しておきます。

URBAN KUBOTA 19号 特集「利根川」 大熊論文の図3はp.21、図4はp.22-23です。
利根川東遷概史
隅田川少考
「下総之国図」収録500年前の江戸川の流れ 変更なし


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