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日本の 海と島

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記事数=47件/更新日:2020年12月9日

2013年から断続的に落書き帳に綴っている「海と島」シリーズ。その時の気分で話題が変るので、統一性に欠けるきらいはありますが、ある程度の記事数になりました。
この機会に hmtマガジンに まとめておきます。【2014/7/26(12)まで、2015/1/1(22)まで】

この特集の名は「日本の 海と島」にしました。
「日本の」の意味付は、既にテーマ「南の島」に収録した特集のように限定された地域の島を対象とするのでなく、四大島とその周辺海域とを含む日本全体を対象とする特集である。そのくらいに解釈しておいてください。
もっとも、これは後付の理屈であり、特集名には「全角4文字以上」が必要なので 水増しした−−というのが真意です。

全国の海域や島を対象とする今回の特集を収録するテーマ名は「水まわりの地理」にしました。
従来のテーマ「川と湖」を改名し、特集 湖沼の分割、利根川、渡良瀬遊水地と同居させます。

なお、海と陸とに関係する地理は、テーマ「境界」の中に既に2つの特集があります。
海岸線と海上境界ですが、これはそのままテーマ「境界」の中にしておきます。

2019/1/11 [82879]の誤記を発見 訂正文[97438]
2019/5/51 [97794]の末尾に、馬毛島買収問題[97420]のその後を補足

2020/11/20 領海の基線に関係する [100486] を追加収録する機会に、マガジン「日本の海と島」発足前の関係記事3件と、[98113]以降の記事3件も併せて収録しました。
(36)が重複するなど番号が混乱していますが、[98540]は (37)と読み替え、[98585]は(38)と理解してください。

★推奨します★(元祖いいね) 未開人 グリグリ

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[57480]2007年3月30日
hmt
[57494]2007年3月31日
hmt
[67184]2008年11月3日
hmt
[82870]2013年2月10日
hmt
[82879]2013年2月12日
hmt
[97438]2019年1月11日
hmt
[82882]2013年2月13日
hmt
[82886]2013年2月14日
hmt
[83592]2013年6月7日
hmt
[83595]2013年6月10日
hmt
[85734]2014年6月18日
hmt
[85748]2014年6月22日
hmt
[85767]2014年6月27日
hmt
[85769]2014年6月28日
hmt
[85798]2014年7月6日
hmt
[85802]2014年7月10日
hmt
[85822]2014年7月14日
hmt
[86062]2014年7月26日
hmt
[86161]2014年7月31日
hmt
[86201]2014年8月2日
hmt
[86234]2014年8月8日
hmt
[86248]2014年8月9日
hmt
[86275]2014年8月12日
hmt
[86311]2014年8月20日
hmt
[86400]2014年9月23日
hmt
[86421]2014年9月28日
hmt
[86425]2014年9月28日
hmt
[87262]2015年2月7日
hmt
[87273]2015年2月10日
hmt
[89357]2015年12月28日
hmt
[89994]2016年2月17日
hmt
[90688]2016年7月12日
hmt
[91213]2016年8月15日
hmt
[93667]2017年9月4日
hmt
[95530]2018年3月11日
hmt
[96402]2018年8月19日
hmt
[97420]2019年1月9日
hmt
[97534]2019年2月14日
hmt
[97535]2019年2月14日
hmt
[97794]2019年5月21日
hmt
[98113]2019年7月15日
hmt
[98540]2019年10月16日
hmt
[98585]2019年11月22日
hmt
[100846]2020年11月19日
hmt
[100875]2020年12月6日
hmt
[100882]2020年12月8日
ekinenpyou
[100886]2020年12月9日
hmt

[57480] 2007年 3月 30日(金)23:04:09【1】hmt さん
日本の国土面積増加は、1960~70年代には毎年35km2もあったが、近年の平均は10 km2弱
[57436] グリグリ さん
広義の海岸線の正確なデータはあるので確認はできるはずですが、どうやって調べるんでしょう。

河口両岸の先端を自然な形で直線で結んで陸海の境とした「広義の海岸線」については、「面積調」 に使われた手法なので、国土地理院には元データがあると思いますが、個別の事例につき確認する手段の有無は、私にもわかりません。

ところで、「面積調」は2万5千分1地形図による計測値とされていますが、近畿地方測量部 によれば、埋立地の面積については、県公報等により告示された異動面積値を用いています。
地形図の陸海の境(広義の海岸線)が根拠ではないのですね。

一例を挙げると、平成18年版大阪府市区町村別面積調 で、泉佐野市・田尻町・泉南市の面積が合計で2.42km2増加していますが、、この年に「新たに生じた土地」として3市町の区域に編入された区域は、新しいB 滑走路とその手前の平行誘導路、及びそこに通じる南側連絡誘導路の用地に限られていたようです[51768]
これに対して、地形図 では、将来設けられるエプロン用地を含めた関空2期の人工島全体が「空港施設建設中」と注記された陸地になっています。

ところで、近年のわが国の国土面積の推移は、リンク資料 のようであり、備考に特記された他は、殆んどが埋立や干拓による増加と思われます。

もっとも、上記資料には、八郎潟干拓地 170 km2が含まれていないようです。日本第2位の面積を持った八郎潟は、もともと秋田県の面積に含まれていたはずです。児島湾は「海」でしたから、その干拓地 54km2は、昭和40年に先立つ5年間の増加 116km2に含まれていると思います。

上記資料によると、国土面積増加が多かったのは 1970年(昭和55年)を中心とする 20年間で、臨海工業地帯の造成が盛んだった頃でしょう。この期間(1968年を除く)を合計すると 約660 km2で、奄美大島か淡路島クラスの島が一つ生まれた勘定です。年平均にして 35km2。

近年はほぼ年間 10km2以下ですが、面積増加市区町村 を見ると、海上空港関係が目立ちます。例示のリンクは、2005年10月1日までの1年間であり、常滑市(中部国際空港)と神戸市中央区(神戸空港)が上位にありますが、北九州市小倉南区(新北九州空港)はその前年、神戸空港・関西国際空港2期は翌年の増加があります。

国土面積の自然増加があったのは、昭和63年(1988)の西之島新島ですが、噴火による新島が海上に姿を現したのは1973年ですから[56162]、かなり長い間の様子を見て、永続的な陸地と認定してから正式に編入したものと思われます。

この1988年は、面積計測の基準が5万分の1地形図から2万5千分の1地形図に変った影響で、わが国の面積が 100km2以上も減少しています。5万分の1の時代には、細かい入り江を無視して陸地に取り込んでしまい、過大になる傾向があったものと思われます。

地図の縮尺が面積測定値に影響したと思われる極端な事例を[23575]で書いたことがあります。小縮尺の地図に基づいて判断すれば、佐世保から西彼杵半島・島原半島・天草を経て鹿児島県出水に至る“陸橋?”によって 東シナ海から隔てられた “内水面?”(大村湾・有明海・島原湾・八代海)は、九州本島の面積に含まれることになります。
[57494] 2007年 3月 31日(土)19:40:07hmt さん
10年前に拡大した日本の「領土」
[57480] hmt
1970年を中心とする 20年間…を合計すると 約660 km2で、奄美大島か淡路島クラスの島が一つ生まれた勘定

陸地面積の増加はこの程度ですが、海域も含めた日本の「領土」となると、10年前の1997年に大きな拡大がありました。
それは、「領海」12海里を定める「基線」の内側にある「内水」の拡大です。

内水氾濫、内水面漁業、内水面の埋立 といような使い方に示されているように、「内水」とは、「陸地内にある水」という理解であり、これまでに、[57407]
阿蘇海は…京都府の面積に入っている「内水」(本来なら市町村の面積にも含まれるべきもの)である
[57480]
“陸橋?”で東シナ海から隔てられた“内水面?”(大村湾・有明海・島原湾・八代海)
などという使い方をしてきました。

しかし、「内水」という言葉は、海洋法の分野では、「海域」の一部でもあることに、今頃になって気がつきました。

領海に関する用語 における、「内水」の説明(第一管区海上保安本部)
(内水とは、)領海の基線の陸地側の水域で,沿岸国の主権が及びます。(但し書き省略)

要するに、本来は「低潮線」である「領海の基線」の陸地側の海域、つまり、潮の干満によって海面から露出したり、海水に覆われたりする範囲が「内水」なのですね。
これだけなら、有明海のような広い干潟が出現する場所はあるにしても、陸地からさほど遠くない範囲に限られるのですが…

上記ページの冒頭には、次のように記されています。
平成9年1月1日から領海の基線に直線基線が採用になりました。

「直線基線」の説明文によると、“海岸に沿って至近距離に一連の島がある場所においては”、“適当な地点を結ぶ直線基線”を採用することができ、具体的には「政令で定めた経緯度を結んだ直線」を、「低潮線」に代る基線として採用しているとのことです。

その結果、我が国の直線基線 の濃青色で示された広い海域が「内水」になりました。
直線基線の具体例として、九州西岸 を示しておきます。草垣群島などの小島が有効に使われています。女島灯台[55114] eiji_t さん)のある男女群島までは伸びていませんが。

なお、日本の排他的経済水域 に描かれている断面図(領海基線等を示す模式図)は、各水域の関係を良く表しているのですが、なぜか直線基線については触れていません。

陸【岸線】内水【基線】領海【12海里線】接続水域を含む排他的経済水域【200海里線】公海

この説明図によると、岸線の内側が「陸地=国土」、基線の内側が「領土」、12海里線の内側が「領域」となっています。
この記事のタイトルは、これに従って“10年前に拡大した日本の「領土」”としました。

[57331]グリグリさんの“「日本の国土面積は海岸線で定義されている」という前提”に対して、[57405]においてコメントしましたが、かえって私の言葉の使い方が不正確だったようです。
満潮時海岸線の内側、すなわち 陸地(陸部と陸水部)が国土であり、グリグリさんの表現の方が正しかったと思います。
[67184] 2008年 11月 3日(月)17:31:06hmt さん
日本が広がる?  11月中にも大陸棚の認定範囲を国連に申請 (1)領海と排他的経済水域
「都道府県市区町村」の区域を越えた場所ですが、日本の主権的権利を行使することができる区域の拡張を図る動きが報道されています。

時事通信2008/10/31
政府は10月31日、沖ノ鳥島などの海域に広がる大陸棚について、国土の倍に当たる約74万km2を新たに日本の主権的権利が及ぶ範囲として認めるよう、11月中にも国連に申請することを決めた。

これまでにも境界線の話題などに関連して、海を自国の領域に取り込むことについて触れてきましたが、この機会にもう一度その歴史を振り返ります。

「地先の海」は沿岸国の領域であり、これから「領海」という概念ができました。
着弾距離である海岸から1リーグ(3海里)を領海とする説が 1702年に提唱され、多くの国に認められてきたようです。

これは海岸防備という観点に基づくものですが、例えば浦賀水道にあたってみると、最も狭い部分で4海里弱。両岸に砲台があれば3海里の射程でも十分に防ぐことができるわけです。
ペリーの黒船は、嘉永6年(1853)最初の来航時には湾外の浦賀沖に停泊し、久里浜に上陸しました。
当時の日本には、はっきしした国際法の意識はなかったかもしれませんが、たぶん黒船は領海に侵入しなかったのでしょう。
しかし、翌1854年に再来日した折には、領海内に入った9隻の大艦隊が江戸湾に集結して威嚇。武蔵国久良岐郡横浜村に上陸して日本國米利堅合衆國和親條約(日米和親条約)を締結しました。

明治になってからですが、1870年の普仏戦争に際しての局外中立に関する 太政官布告明治3年546号 において、着弾距離による領海3海里説を追認したものと考えられる“三里”が使われています。
港内及び内海は勿論に候へども外海之儀は凡三里(陸地より砲丸の達する距離)以内両国交戦に及び候儀は不相成

その後大砲の射程距離は伸び(現代のミサイルならば100km先の敵艦も狙えるかもしれません)、次第に 12海里が優勢になってきました。日本も 1977年の領海法で 12海里を採用しました。
この流れは国際的にも追認されており、海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約 1982)も 12海里になっています。

第2次大戦後は、海岸防備という観点以外に、大陸棚の鉱物資源や水産資源を確保するための動きが出始めました。1945年米国による大陸棚宣言。1952年チリ、ペルー、エクアドルによるサンチアゴ宣言。
いろいろな駆け引きを経て、現在は領海12海里と共に、排他的経済水域(EEZ)200海里が国際的に定着しています。

領海 12海里の起算となる基線は、もともとは海岸の低潮線、湾港若しくは湾内等に引かれる直線でしたが、国連海洋法条約の批准に伴ない整備された 「領海及び接続水域に関する法律」によって、1997年から「直線基線」が採用されています。[57494]
同じ法律により導入された排他的経済水域(Exclusive Economic Zone)の限界も、同じ基線から 200海里までです。日本の 200海里管轄海域の面積は 447万km2、これは国土面積の 11.8倍にあたり、世界第6位の広さです。

上記面積が出ている 日本の領海等概念図 を見ると、気になる箇所があります。それは沖ノ鳥島と本土との間に開いている穴。
実は、最初に紹介した報道で記した「大陸棚」 74万km2とは、この穴を埋め、更に小笠原諸島と南鳥島との間も埋めてしまって、日本の領域を一体化する区域なのです。
[82870] 2013年 2月 10日(日)15:36:10【1】hmt さん
海と島 (1)安芸灘
離島架橋一覧[82809] を拝見しています。人工島・トンネル等・町村も加わって178件。
十番勝負問四想定解70市[82800]に 大村・常滑・泉佐野(空港島)、木更津・川崎(アクアライン)、沼津[82788]の各市を加えて76市。
「離島」というと郡部のイメージが強かったのですが、今回のリストに登場したのは 16町(松島町 南伊勢町 串本町 大崎上島町 周防大島町 上関町 海陽町 上島町 大月町 新上五島町 長島町 本部町 久米島町 苅田町 知内町 今別町)と沖縄の4村(今帰仁村 大宜味村 座間味村 伊平屋村)に過ぎず、平成合併を経て 殆んど「市」で埋め尽された日本の姿が見えました。

このリストは 「架橋」という局所的なテーマに沿った視点で集められた結果です。
それ自体も地理的話題として発展させることができると思ったものの、私の頭の中で優先的な地位を占めたテーマは、これらの事例の背後にある「海と島」というワイドな視野からの地理でした。

離島架橋の代表例である、安芸灘大橋から岡村大橋まで7橋からなる安芸灘諸島連絡架橋(記事集)から始めましょう。リストの呉市にまとまって収録されています。

2005年に 原付で安芸灘の島々を走破された いっちゃん さん[47088]は、当時の未完成区間をフェリーで越えました。
2008年に上蒲刈島と豊島との間の豊島大橋【注1】が完成し、7つの離島架橋を含むルートに 「安芸灘とびしま海道」 の愛称が付けられました。旧称「安芸灘オレンジライン」は、大崎下島地区【注2】の部分的な愛称だったようです[46897]
【注1】愛称アビ大橋 アビ は広島県の鳥
【注2】島を覆う段々畑で栽培される 大長みかん。島外に畑を求めた出作や収穫物の運搬には農船が多用されていました。大長港みかん船[80971]

今回のリストには、本州四国架橋や天草架橋のような大規模架橋から、小規模な離島架橋まで含まれていますが、いずれにせよ架橋というテーマは、近接した島々が存在する「海域」、そして「島の間の狭い海」を抜きにして語ることはできません。

「島の間の狭い海」に関しては、地名コレクションでは既に3つのコレクション(瀬戸水道海峡 が作られています。
上記に該当する事例では、広島県大崎下島・愛媛県岡村島間の県境になる「御手洗瀬戸」が収録されています。岡村島を天然の防波堤とするこの地には、 御手洗・大長・小長の3港が位置しています。

海域を示す「安芸灘」が収録されている「灘」コレクションを見ると、鹿島灘から始まる 34事例の大部分は 島が少ない海域であり、多島海である安芸灘は、灘の中では異色の存在であることが知れます。

説明文に即して理解すれば、“地形的には風を遮る大きな半島や島がなく、ある広がりを持った海、または外洋に直接面した波の荒い海”には該当し難い海域であるが、“海・潮流の流れが速い所あるいは風浪が激しい所で航海が困難な海域”に該当するので、「安芸灘」と呼ばれるに至ったのでしょうか。

中世瀬戸内海の村上水軍。三家からなるこの一族の根拠地(能島・来島・因島)は、いずれも安芸灘の東口である島にあります。島々の間を流れる複雑な潮流の中での 巧みな操船により 瀬戸内海を支配した 水上軍団の姿が浮びます。
そして、近代になってからは、安芸灘の中心部に位置する呉が 大日本帝国海軍の軍港として 重要な地位を占めました。
日清戦争の 1894年には 東京と鉄道と結ばれ[61378] 宇品港を持つ兵站基地の広島に、明治天皇が戦争指揮をする「大本営」が設置されました。いわば日本の臨時首都です。

海上保安庁 海の相談室FAQ集 にある「灘ってなに?」によれば、安芸灘の東側は「三原瀬戸の諸島及び来島海峡」とされており、忠海と今治とを結ぶ東経133度に近い線です。南側は松山・忽那諸島・屋代島を結ぶ北緯33度50分台の線で、西は大畠瀬戸から広島湾、北は呉市から竹原市までの本州海岸線と、東西約70km、東側に多数の島がある海域です。南北は西側の広島と屋代島の間が最大で 50km。

海保の見方は これでわかったので、国土地理院の地勢図で確認してみます。手元にある広島図幅は生憎古いもの(1960)でしたが、意外にも安芸灘が見当たらず【追記:注】、大崎下島の南に斎灘と記されています。斎灘(いつきなだ)は海保の水路図誌掲載14灘の中にはなく、安芸灘の一部(四国に近い部分)と理解されますが、地図には昔から掲載されている海域です。
【追記:注】
平成元年に測量の日創設記念で発行された20万図集を見たら、甲島の南あたりに「安芸灘」と記されていました。つまり遅くとも平成以後ならば、国土地理院の地勢図でも安芸灘が確認できるようです。

そこで、市販の地図帳を見ました。平凡社にも帝国書院にも上蒲刈島の南、松山の北あたりに 安芸灘の記載がありました。
そして海保の見方では安芸灘に含まれていると思われる斎灘、広島湾も記されています。
国土地理院と海上保安庁との見方に食い違いがあり、市販の地図は双方を立てた結果、このようになったのでしょうか。
もっとも、「広島湾」の範囲が平凡社では広く、帝国書院では狭いなど出版社による相違もあります。

要するに、海保自身も認めているように、海域については区画整理が済んだ土地のようにハッキリとした境界線はなく、名称・範囲共にファジーなところがあるということのようです。
[82879] 2013年 2月 12日(火)19:17:59hmt さん
海と島 (2)瀬戸内海の海域 広島湾・燧灘・備後灘・備讃瀬戸
「海と島」シリーズの第2回。安芸灘[82870]に続いて瀬戸内海の海域を概観します。
瀬戸内海の海域区分については、第6管区海上保安本部のページ に次のように記されています。
瀬戸内海は、大きく分けて10区分され、東から(1)紀伊水道、(2)大阪湾、(3)播磨灘、(4)備讃瀬戸、(5)備後灘、(6)燧灘、(7)安芸灘、(8)伊予灘、(9)周防灘と呼ばれています。しかし、それぞれの海域の範囲は、 どこからどこまでとハッキリと線を引いて分けられているものではなく、ばく然とした海域です。(後略)

付属した図も(1)~(9)の9海域になっているのですが、“10区分”と書いてある理由は?
実は(後略)の部分に“広島湾は安芸灘の一部で…”という文があります。
(1)~(9)の9海域に広島湾【安芸灘の西部】も加えて、10区分としているのかもしれません。

広島湾再生プロジェクトに示された図によると、広島湾は 倉橋島の南西端から南の屋代島東端を結んだ線(東経約132度27分)以西、面積1043km2の海域であるとされています。北の広島県側には能美江田島や厳島があるので、海域面積は 島の少ない山口県沖と半々 というところでしょうか。この用法を、仮に「広い広島湾」と呼んでおきます。

ところが、学校で使われることの多い帝国書院の地図帳では、大きな島のない湾の最奥、広島市付近の狭い海域(厳島・似島間)に 小さな字で広島湾と記されています。
岩国付近は 広島湾と水温が違う安芸灘である とする[67534]ペーロケさんの用法は、この「狭い広島湾」です。
岩国も広島同様、西中国山地に接していますが、広島湾より安芸灘の方が水温が高いこともあり、かつ海が東側全体に広がっているためか、広島に比べ気候が温暖なのです。

区別して呼ばれたり、全体を安芸灘と一括されたりしますが、東経132度と133度との間にある広島湾・安芸灘・斎灘から来島海峡を東に回ると、島の少ない燧灘(ひうちなだ)です。地勢図(岡山及丸亀図幅)において魚島の北東に大きく記された「燧灘」の字は、この名が鞆の浦から新居浜へと続く広い海域に及んでいることをうかがわせます。

しかし、海保の区分では魚島を境界として、南の「燧灘」と北の「備後灘」との2海域に分れています。
備後灘は、水路図誌14灘 の一つであり、海保の瀬戸内海9区分の中では、東の(4)備讃瀬戸、南の(6)燧灘、西の(7)安芸灘と北の本州(笠岡-忠海間)に囲まれた海域ということになります。
一方、国土地理院の地勢図には、備後灘の名が記されておらず、角川の日本地名大辞典でも、燧灘への送り見出しだけと、軽い扱いです。

海保14灘の説明文によると、備後灘の西端は「三原瀬戸」となっています。
三原瀬戸は瀬戸コレクションで広島県,愛媛県の部に収録されているように、愛媛県最北の大三島が竹原市忠海と対する瀬戸で、毒ガス遺跡の大久野島もあり、南の来島海峡と共に東経133度に位置しています。
関門海峡が東経131度、明石海峡・友ヶ島水道が東経135度ですから、安芸灘・斎灘と備後灘・燧灘との境界であるこの付近は、まさに瀬戸内海の真ん中です。

燧灘の東は、香川県から北西の三崎に突出した荘内半島(荘内村→詫間町→三豊市)で限られています。
この線をそのまま北西に延長して、走島を経て本州に届いた先が 広島県沼隈半島の鞆の浦で、輯製図(明治)の水島灘は この付近に及んでいました。現在の地勢図にも水島灘は存在しますが、北東部のみに縮小しています。

海保9海域の中で (5)備後灘と(6)燧灘の東にある海域は (4)備讃瀬戸です。
この「備讃瀬戸」も、地勢図(1969)にはありませんでしたが、同じ国土地理院の出した 地名集日本(7/97コマ)に収録。
最新の地勢図は未確認。民間の地図帳においても、平凡社には掲載されているが、帝国書院なしと対応が分れていました。

本四連絡橋に 北備讃瀬戸大橋・南備讃瀬戸大橋の名が使われていますが、この名称は「備讃瀬戸」が「与島と四国との間の瀬戸」であるという誤解を与えかねません。よく考えれば、備前と讃岐との境界ではないことに気が付きますが…

当事者の考えを推測すれば、この付近から西の備讃瀬戸航路【注】は南北に分れているので、備讃瀬戸北航路・備讃瀬戸南航路に対応して本四架橋を命名したものであり、交通地名としては妥当です。
【注】
交通手引書 4/16コマの図参照。航路の写真は備讃海域の特徴

航路に限定されない備讃瀬戸海域の範囲を確認しておきます。
備讃瀬戸環境修復計画 掲載図を見ると、備讃瀬戸の西端は荘内半島の三崎からほぼ真北の北木島を経て笠岡方面への線が、東端はさぬき市の馬ヶ鼻から小豆島南端の釈迦ヶ鼻を経て蕪崎から牛窓付近のサカケノ鼻という線が引かれています。

東西約 60kmに対して本州と四国とが最も近接する大槌島【注】付近の海の幅が 約6km。
大槌島の香川県側は「槌戸瀬戸」の名がありますが、岡山県側の瀬戸は無名なのでしょうか?
【注】
国境(現在も県境)の島であることは、樽流しの話と共に[28633]で紹介されています。海のピラミッド[41633]
[97438] 2019年 1月 11日(金)18:30:37【1】hmt さん
海と島 (2.1)瀬戸内海の (10)番目の海域
hmtマガジン 海と島に新しい記事を追加した機会に見直したところ、瀬戸内海の海域を挙げた[82879]に、誤解に基づく記載を発見しました。
古い記事なので訂正はできませんが、下記の部分を削除し、補足記事を加えて修正したいと思います。

[82879]記載のうち、誤解しており削除する部分
付属した図も(1)~(9)の9海域になっているのですが、“10区分”と書いてある理由は?
実は(後略)の部分に“広島湾は安芸灘の一部で…”という文があります。
(1)~(9)の9海域に広島湾【安芸灘の西部】も加えて、10区分としているのかもしれません。

海保の付属図が(1)~(9)の9海域になっていたのが誤解の原因でしたが、領海法施行令と対照させてみたら、(1)~(9)の9海域は、南東の境界【紀伊水道の南】と南西の境界【豊予海峡】とを反映していますが、この他に関門海峡の西側に「北西の境界」が存在しました。
北西の境界:竹ノ子島台場鼻(ダイバハナ)から若松洞海(ドウカイ)湾口防波堤灯台まで引いた線となっています。(付図参照)

なるほど、
領海法では 彦島付近の台場鼻と若松の洞海湾口を結ぶ線の内側は、瀬戸内海の一部として扱われていたのでした。

前記削除部分に変えるべき、新しい記述です。
付属した図は(1)~(9)の9海域になっていますが、 (10)番目の海域は、台場鼻と洞海湾口とを結ぶ線を北西の境界とする「関門港西部」です。

瀬戸内海というと、自然地理的には 関門海峡を西端とする。これが私の常識でした。
しかし、領海法という法律で定めた瀬戸内海は、自然地理の考えとは違っていたのでした。
海保の付図には台場鼻と洞海湾口が示されていましたが、スペースの都合で、 (10)番目の海域範囲は図示されていません。
[82882] 2013年 2月 13日(水)17:42:14hmt さん
海と島 (番外)隠岐の島前
瀬戸内海から始めた「海と島」シリーズですが、珍しく隠岐の記事が出たので、ちょっと番外で外海に出てフォローします。

[82881] 桜通り十文字 さん
これが2つの島なのかはかなり微妙ですが……。

島根県隠岐の島前(どうぜん)西ノ島にあった黒木村【注】には美田湾があり、その北は地峡になっていました。船越という地名は、船を引いて地峡を越した名残です。
提示された水路は、大正4年(1915) この地峡に作られ、美田湾と日本海とを直結した 長さ3町の 船引運河 です。
1964年の改修で 12mに拡幅されているようです。
美田湾口にも西ノ島大橋(2005)が架けられていますが、もともと1つの島ですから、離島架橋ではないでしょう。
【注】
後醍醐天皇が幽閉された黒木御所跡に由来。「テンコウセンヲムナシュウスルナカレ」のお話[27015]は、ここを脱出した後。
黒木村は、1957年に浦郷町と合併して、西ノ島町 になっています。
[82886] 2013年 2月 14日(木)18:18:28【2】hmt さん
海と島 (3)地元の会話では 居住地名の「大島」 が使われるが、国土地理院の自然地名は 「屋代島」
[82880] ペーロケ さん
私は愛媛、山口、広島の居住経験がありますが、「屋代島」と呼んでいるのを一度も聞いたことがありません。

私は 大野瀬戸の沿岸に約4年間 住んでいました。対岸は「厳島」です。
眼前に臨むのは緑濃い原生林に包まれた島の南部で、島の北部にある厳島神社の朱塗りの鳥居や社殿は見えなかったのですが、「宮島」と呼んでいました。

「屋代島」からは 30km以上離れていましたが、ここでも お説のとおり「大島」と呼んでいたと思います。
地元としての実感は 付近の島々との比較において 「大島」(面積128km2)であり、それだけで十分に通じます。
これは、2004年に 周防大島町 が発足する前の実感ですが、「周防大島」の呼び名は、あまり聞かなかったように記憶します。
わざわざ国名を付けた新自治体名は、合併した4町の1つ大島郡大島町と同名になるのを回避するのが最大の理由でしょう。

もちろん、もともと相対的な言葉である“大島”は、小さな無人島に至るまで日本中に数多く存在します。
参照:「大島」コレクションアーカイブズ「大島」

最大の奄美大島(712km2)の他に、伊豆諸島の大島【伊豆大島】(91km2)も有名です。この3大島以外にも 1000人以上の人口がありそうな大島として、しまなみ海道の大島【伊予大島、(郡名から)越智大島】、炭鉱から造船への産業転換を果した西海市の大島【(これも大島町時代の郡名から)西彼大島】、宮城県の大島【気仙沼大島[15299] 】、遣明船の寄港地であった的山大島(あずちおおしま)[75121](2005年まで長崎県最後の村であった大島村)、♪ここは串本 向いは大島の【紀伊大島】などがあります。
日本最大の無人島も「大島」【渡島大島、松前大島】です[33529]

大島の名称について。
国土地理院の地名集日本島面積によると、奄美大島や的山大島のように冠称付きの大島は例外的存在で、大部分は単なる「大島」です。大島は、本来的にはローカルで通用すべく生れた冠称を必要としない地名であったのでしょう。
上記括弧内で示した【○○大島】は、本来はローカル地名であった「大島」の一部が、伊豆大島のように全国に知られる存在になり、他の地域の大島と区別する必要から生じた別名である と思われます。

本州、北海道を始めとして、「大きすぎる島」は大島とは呼ばれないようです。沖縄本島も「本島」。
近くの島と相対的に見比べた結果が「大島」なのでしょう。奄美には徳之島があり、屋代島も防予諸島の中で山口県の平郡島や長島、愛媛県の中島などと比べることができるから「(相対的な)大島」と呼ばれたのでしょう。
世界最大の大島は、面積約1万km2の Big Island(ハワイ島)?

地名には自然の地物(例えば島)に付けられた「自然地名」と、人々が社会生活を営む場所(例えば集落)に付けられた「居住地名」とがあるようです。[56419]参照

思うに、厳島・屋代島は「自然地名」なのですが、地元の人々が普通に会話に使っているのは、より身近な「居住地名」である宮島・大島なのだと思います。
厳島で居住者がいるのは北部だけですが、2005年に廿日市市と合併するまで 全島が広島県佐伯郡宮島町でした。日本三景「安芸の宮島」で知られる「宮島」の名が、自然地名の厳島に代って日常会話の島名として使われることに違和感はありません。

屋代島は 2004年の合併で周防大島町になる前は、山口県大島郡の4町でした。郡名そのものが島名「大島」の存在を示唆しており、これが屋代島に代り使われるのも自然なことと思われます。

このように理解しながらも、[82870]で敢えて「屋代島」と記した理由を書きます。
1つは、地元での会話と違う 落書き帳の記事では、全国的視野に立って、数多くある大島の中に埋もれやすい名称でなく、独自の識別性を発揮する島名 を記すのが好ましい と考えたからです。

更に重要な理由は、今回のテーマ「海と島」を、自然地名に関する記事として捉えたからです。
「屋代島」は、国土地理院が その各種出版物、すなわち『地勢図(松山図幅)』、前記の『地名集日本』(94/97コマ)、『島面積』(4/10コマ)などで使っている唯一の島名です。ウオッちず でも自然地名としての注記に使っています。但し、居住地名の周防大島町に比べてずっと小さな文字です。

山口県当局も、自然地名としては「屋代島」を使っています。海岸保全区域

確かに地図では大島(屋代島)と注記がありますが

上記のように、地勢図などでは「屋代島」単独で使われていました。『日本の島全図 Shima:zu』[82777]も同様です。市販アトラスでは平凡社が「屋代島(周防大島)」、帝国書院が「屋代島(大島)」となっていました。
「大島(屋代島)」は発見できませんでした。

屋代島・大島に関する議論から離れます。

実は、この付近の島の自然地名で最も気になるのは、2004年の4町合併で全島が「江田島市」になった島です。
『島面積』(3/10コマ)には“江田島・能美島 えたじま・のうみじま 91.54km2 江田島市”と記されていました。

古い地勢図(手元の1970年版)は、3箇所に江田島・西能美島・東能美島と書き分けていました。
しかし、『日本の島全図 Shima:zu』や平凡社のアトラスが“江田島・能美島”なっていることから、最近は能美島の東西は区別されていないのかもしれません(未確認)。
ウオッちずも江田島と能美島と書き分けていますが、居住地名の江田島市に比べて小さな文字であることは、屋代島の場合と同様でした。

大きな島なのに、『地名集日本』には収録されていません。国土地理院も割り切れずに苦慮している?のかもしれません。
外野席からの勝手な推測を記せば、居住地名が江田島市に統一されたので、時が経過すれば 自然地名も「江田島」に統一されてくる のではないか?

そんなことを考えながら過去記事を検索したら、さすがに 地元出身の ゆうさん が発言していました。
[30880] ゆう さん 島の名前と自治体の名前 ~江田島市官報告示に寄せて を御覧ください。
[83592] 2013年 6月 7日(金)17:05:35hmt さん
海と島 (4)2つ以上の名前がある島
[83576] ゆう さん
お久しぶりです。「能美島」に関する六管海保の報道発表をお知らせいただきありがとうございます。

国土地理院の報道発表は未発見ですが、平成19年まで 3連の島名「江田島・東能美島・西能美島」で記されていた面積が、平成20年(129コマ)から 「江田島・能美島」という2連の島名に改められていることを確認しました。

リンク記事[82886]を見て自覚したのは、もっと続けるつもりで始めた 海と島シリーズ が中断していたことです。
今回の記事は、一応その続編の形にします。

六管海保のプレスリリース「別図」について[83581][83582]のコメントがありました。
確かに「お役所仕事」の通念からすれば、能美島の島名変更を伝える発表にとり、必要な情報であるかどうかは疑問です。
しかし、私としては、このような「雑学的な情報」を提供してくれる 海上保安庁海洋情報部の姿勢に 好感を抱いており、それに便乗して今回の記事を書くことにしました。

第六管区の管内 は、瀬戸内海の大部分と宇和海です。その海域で一つの島に2以上の名前がある島【注】は、能美島・江田島の他に4組あるとのことなので、一応その様子を調べてみました。
【注】部分により異なる名を持つ島。屋代島と(周防)大島、厳島と宮島[82886]のような別名ではない。

能美島・江田島(91.54km2)に比べればずっと小さい島ですが、徳山港の前には 仙島・黒髪島(5.37km2)、その西には 大津島・馬島(4.73km2)と2組の「連称島名」があります。
[83553]の工場夜景でも紹介したコンビナートが南に広がる徳山港の西側が仙島。奥に重なって見える黒髪島との間は 干渡(ひと) と呼ばれる砂洲で繋がっています。
黒髪島産の花崗岩は高級品として知られ、国会議事堂の建築用石材として使われました。
現在は定住者はなく、石材会社が自社の船で運ぶ関係者だけが 立ち入ることができる島になっています。

黒髪島の西にある大津島も採石の島で、こちらは現在も 500人以上の住人が居る有人島です。南側の馬島部分にも集落があります。
江戸時代初期の大阪城再建用巨石が残っており、第二次大戦末期の人間魚雷回天の訓練基地跡なども存在。

愛媛県四阪島は今治市に属していますが、かつて日本最大の銅精錬所のあった地で、新居浜と関係の深い島です。
四阪島は5つ島の総称ですが、その中心をなす 家ノ島と美濃島との間は埋め立てられて 陸続き になっています。
四阪島の銅精錬所は 1976年に閉鎖され、住民のいない島になっていますが、現在も稼働している亜鉛回収工場には通勤者がいるそうです。

天然の砂洲にせよ埋立にせよ、これら3組の島はいかにも2島を連結した形であり、2つの名が生きているのは当然のことと思われます。満潮時に2島に分離する岡山県笠岡諸島の 大島と小島は、この仲間から除外した方がよさそうです。

能美島と江田島との間の 飛渡瀬は、他の事例に比べて 連結部分の陸地が かなり広いですね。
ゆう さん の調査結果 [18638] に記されているように、これでも昔は別の島であったが、潮流の堆積作用で次第に浅くなり、飛んで渡れる程度の浅瀬[3009]になったとのことです。

浦崎の事例[82821]で示したように、江戸時代には 浅瀬の埋立による新田開発が行なわれています。
伊能大図 167図 により、能美島・江田島の輪郭は現代とほぼ同じになっていることを確認することができます。
参照:地名“飛渡瀬(ひとのせ)”の由来

同じ自治体に属することになった 21世紀になっても、能美島と江田島という別々の島名は健在。
やはり「地名の重み」を感じさせる事例であると感じます。

その一方で、「文化遺産である地名」の扱いに関して 行政の姿勢に疑問を感じるような事例もあります。
半島振興法に基づく施策では、「江能倉橋島」という 半島名? が作られました。
2004年の合併では、江田島町にもあった「飛渡瀬」という地名が、「江南」に改称されてしまいました。

瀬戸内海から大きく離れて、南へ4000~5000km。世界第2の大きな島の名です。
最も一般的なのは ニューギニア島 ですが、「パプア ニューギニア独立国」という国名が示しているように、首都ポートモレスビーのある南部(独立前はオーストラリア領、その前はイギリス領)は「パプア」、第一次大戦までドイツ領だった北部は「ニューギニア」と呼ばれていました。
これらの名は、この島の西半分を占める旧オランダ領にも使われ、第二次大戦後に西パプアの国名で独立しましたが、インドネシアが 武力でこれを奪い取り、自国の東(イリアン)にあたるこの地を「イリアンジャヤ」と呼びました(現在はパプア州)。

イリアン島という言葉がどの程度使われたのかは知りませんが、パプア島・ニューギニア島と合せて2つ以上の名前がある島に該当することは確かでしょう。

世界第3位の島も2つの島名を持ちます。
ブルネイ・ダルサラーム国やマレーシア領のある北部は「ボルネオ島」。由来はブルネイが訛ったもの?
南部もオランダ領時代は ボルネオ島 でしたが、インドネシアになってからは「カリマンタン島」が使われています。

最後に、島が2つあるのに島名が1つ というタイトルと逆の事例です。
沖縄県八重山郡竹富町の 新城島(あらぐすくじま) を挙げておきます。
地形図を見るとわかるように、干潮時には珊瑚礁が顕れて「上地」と「下地」とが連結し、徒渉可能になります。
パナリ島という別名は、2つに離れた島という意味。
シマーズ[82777]には 2島共に有人島と記載されていますが、下地【注】は1963年に廃村?
【注】パイロット訓練用空港のある下地島(宮古島市伊良部島の隣)とは別の島です。
[83595] 2013年 6月 10日(月)18:53:30hmt さん
海と島 (5)能美島・江田島・倉橋島
「2つ以上の名前がある島」[83592]の続き です。

[13638] ゆう さん
「国郡志下調書出帳」によれば、江田島と能美島とはもともと別の島だったようです。
江田島市指定の文化財 によると、「国郡志御用ニ付下調書出帳」は、広島藩が藩内の地誌「芸藩通志」編纂に際して各村々に提出させた記録で、現在の市政要覧的なものと説明されており、江戸時代を通じて何度も行なわれた新開造成が記録されているようです。
文禄・慶長の昔から続く大柿町飛渡瀬の妙覚寺付近から西は昔からの能美島東であり、江田島町飛渡瀬から江田島町江南という町名に変更された部分が、埋め立てられた浅瀬の跡ということでしょうか。

能美島・江田島の地質図 も、能美島と江田島との間にあった飛渡瀬戸の姿を浮び上がらせてくれます。
一方、東西の能美島の間は 細々ですが花崗岩の山で連結されており、この地峡は、海峡→沖積地という過去がなさそうです。

[83592]でリンクした伊能大図167図が小さかったので、[82821]で使った 模写図 を探したが不成功。残念。

言うまでもないことですが、都道府県市区町村の視点からは、能美島に属する旧3町が佐伯郡で、旧江田島町だけが安芸郡でした。1954年に大柿町と合併した飛渡瀬村も佐伯郡だったのですね。

何故、違う郡だったのか。もちろん、島の開拓者の出身地が、広島湾の西側と東側とに分れていたからでしょう。
江田島の 矢ノ浦 は、安芸郡矢野町(1975年広島市に編入)[69019]から移住した 弓の名手・矢野玄鎮に由来すると伝えられ、江田島は本土の 矢野・坂・吉浦との間に深い交流があったようです。

1994~1997年に行なわれた住居表示により 江田島町「中央」という行政地名になってしまっていますが、矢ノ浦は 中郷・向側・山田と共に「本浦」という江田島の中心集落の一部でした。

東京の築地にあった海軍兵学校[1679]が、本浦の広い干拓地に移転してきたのは 明治21年(1888)でした。
現在は海上自衛隊第一術科学校ですが、ここは中央という町名でなく、「江田島町国有無番地」となっています。
「無番地」は時々見かけますが、「国有」が付いている地名は珍しいと思います。

本浦が面している江田島湾は、その入口を津久茂瀬戸で固めた天然の要塞という地形ですが、江田島の東海岸に出ると、呉・吉浦の対岸にあたる小用港があります。1970年頃この地を訪れた際に、深田サルベージが柱島沖から引き上げた 戦艦陸奥の主砲 が置いてありました。記念品として、砲身の中にこびりついていた牡蠣殻を持ち帰った記憶があります。

江田島の東海岸を南下すると 能美島になり、早瀬瀬戸を隔て 対する大きな島が 倉橋島(70km2)です。
現在は 全島が呉市に属していますが、2005年編入前の この島は 北部が音戸町、南部が倉橋町でした。
1889年の町村制施行時には、安芸郡瀬戸島村・渡子島村と倉橋島村で、その前は 「村」の付いていない「○○島」でした。

つまり、現在では 倉橋島という1つの島名で呼ばれているこの島は、明治時代には 音戸瀬戸のある北部東側が「瀬戸島」、江田島や早瀬瀬戸に近い北部西側が「渡子島」、そして大きな面積の南部が「倉橋島」と 3つの名でそれぞれ呼ばれていたことがわかります。

これまでは、能美島・江田島の場合、沖積地を除外して考えれば江田島は分離しており、東西能美島も地峡で隔てられていたので 3つの島名があったのだと納得していました。

しかし、瀬戸島・渡子島・倉橋島の事例を見ると、もともと居住地名としての「○○島」は、自然地名の「◎◎島」との間に1対1関係がある必要はなかったのではないかと思われてきました。

瀬戸島と渡子島との間には 地峡があるわけではないが、山で隔てられた別の「島」だった。
自然地名としての「島名」が使われるようになったのは 明治以後で、この場合、面積最大の倉橋島に落ち着いた。
所属する郡の違いなど、人文的な要素もあって 自然地名が統一されなかった事例が「能美島・江田島」だった。
これが 「2つ以上の名前がある島」の原因として 私が到達した結論です。

倉橋島と言えば、その南東端に突き出た半島の先端には 鹿老渡(かろうと)があります。最近も[83585]で言及されています。
ここは、御手洗・蒲刈方面[82870]から 周防灘入口の上関[75096]に向う 帆船のコースに位置しており、風向きにより南北の2港を使い分ける構造になっていました。
[85734] 2014年 6月 18日(水)19:18:37hmt さん
海と島 (6)国連海洋法条約による「大陸棚」の認定
これまで、主として瀬戸内海の島を話題にしていた 海と島シリーズ ですが、今回は視野を広げて、日本の周囲に広がる海域を取り上げました。 

最初に、海上保安庁の 日本の領海等概念図 を示しておきましょう。
38万km2の面積を持つ陸地の周囲には、黄色で図示された 43万km2もの 領海があります。
領海は海岸の 基線から 12海里幅 を基本としますが、陸地面積が高潮線基準であるのに対して 領海の基線は低潮線や湾口線ですから、領海の面積には 潮の干満により生じる干潟や湾内(内水)も含まれることになります。

ペリーが最初に来航した時は久里浜に上陸しました。
ここ浦賀水道は、現在では「東京湾」の一部(外湾)として扱われていますが、「江戸前」の魚介類の漁場であった「江戸湾」は、観音崎と富津岬とを結ぶ線よりも北側と認識されていたかもしれません。現在の東京湾「内湾」です。
国際条約が取り決められていない当時ですが、水深の深い浦賀水道はともかくとして、湾口を突破して勝手に内湾に進入するは、黒船にとっても冒険であり、敢えてこれを侵すことを ためらったものと思われます。

正確に言えば、基線よりも内側の海域である「内水」は、領海よりも更に領土に近い権利が認められています。
湾ではありませんが、瀬戸内海も 歴史的に我が国が有効に管轄権を行使している海域であり、昭和52年(1977)に制定された領海法では、特に“内水である瀬戸内海”という言葉を入れて、このことを明らかにしています。

そして、国連海洋法条約批准[67185]を受けた平成8年(1996)の法整備により、直線基線が採用されました。
2007年の記事 [57494] 10年前に拡大した日本の「領土」 で記したように、1997年から 直線基線一覧図 の濃青色部分が「内水」になり、12海里幅の「領海」や 200海里幅の「排他的経済水域」も直線基線に基づくことになりました。

[57494]で引用した 日本の排他的経済水域 という頁にも、外務省の頁 に掲載されている「各種海域の概念図」や 海上保安庁の 領域基線等模式図 と同様の断面説明図があり、最も理解し易いと思われます。

ここでは、基線の内側・内水と陸地(国土)とを合わせたものを「領土」としています。この範囲では、水面を含めてほぼ完全な主権を行使できます。
そして、これに 12海里幅の領海・その上空の領空・その海底を含めた領域にも主権が及びますが、外国船舶が領海内で無害通行する権利を認めなければなりません。

領海の外側で基線から200海里以内の海域。ここでは 船舶や航空機の航行、海底電線やパイプライン敷設についての自由は確保されていますが、水産資源・鉱物資源等の開発等に係る主権的権利は、沿岸国が持つ 排他的経済水域EEZ(Exclusive Economic Zone)です。

最初に示した 日本の領海等概念図を見ると、四国と沖ノ鳥島との間(四国海盆)にある EEZ空白海域 が気になります。
2008年にこれに関する動きがあり、[67184][67185]で国連への申請の動きがあることを記しました。

首相官邸ニュースサイト によると その後の動きは次の通りでした。
2008(平成20年)/11/12 国連大陸棚限界委員会CLCSに大陸棚延長を申請
2012/4/20(平成24年) 同委員会は第29会期会合で勧告を採択(4/27 受領)

…ということなので、遅まきながらフォロー記事を書くことにしました。

大陸棚に関する基本的な知識は、海洋政策研究財団 のサイトに紹介されています。
「大陸棚」は 元来は海岸から続く平坦な海底部分を意味する地形用語なのですが、国際政治の用語としては 「大陸棚を延ばす」という表現で、沿岸国の海底資源開発権を認める制度になっているようです。

国連CLCSのお墨付きが得られれば、わが国が四国海盆等の海底資源開発を独占できる。
これが国連に大陸棚延長を申請した目的です。
申請海域で期待されている海底資源は、レアメタルやメタンハイドレート。
しかし、申請海域はEEZ外の公海ですから海中、海上の漁業資源の独占はできません。
外国軍艦の軍事訓練も阻止できないでしょう。

2008年に日本が申請した 7海域 のうち、2012年4月に国連CLCSから認められたのは 四国海盆海域(沖ノ鳥島の北)、小笠原海台海域(小笠原と南鳥島との間)、南硫黄島海域の一部、沖大東海嶺南方海域の一部。4海域合計で31万km2。
却下は茂木海山海域と南鳥島海域で、条約の定義から外れるためと思われる。
パラオ共和国との重複申請になっている九州・パラオ海嶺南部海域は審査先送り。
日経2012/4/28大陸棚延長(岩田高明)

CLCS勧告の後の手続きは、勧告受入、限界線の設定、情報の寄託、政令公布などあるようですが、その進行状況は不明。

大陸棚保全・利用の動きに関連して、国境離島の保全、管理及び振興のあり方に関する有識者懇談会 が開かれており、その配布資料の中には、こちら地理サイトのメンバーにとっても関心を持てるものがあるようです。
ほんの一部しかみていませんが、例えば 第1回配布資料2-4 の 10/10コマには、「名称不明離島の名称決定・地図等への記載」という資料があり、EEZ外縁を根拠付ける 49離島が示されていました。
[85748] 2014年 6月 22日(日)23:35:50hmt さん
海と島 (7)長崎県の端っこ
[85739] グリグリさん
長崎県と鹿児島県が少し手間が掛かります。

グリグリさんが [85715]末尾に記された 47都道府県の地図 についての 余談には、「県域全体を表現した地図」というのは なかなか見当たらないことが指摘されています。そして、沖縄県全体図 については、島の形がわかる部分図を貼り合わせる手作業を行なって、わざわざ新たに作成されたとのことです。

従来から存在した「分県地図」は、その表現が陸上部に重点を置くあまり「島と島との間にある海域」が無視されがちであり、部分図の縮尺が不統一になる例もありました。

今回、島根県・沖縄県・東京都に登場し、おそらく長崎県と鹿児島県にも登場するであろう「全体図」は、「離島間の海域も含めた完全な県域」が「1枚の地図で表現した地図」として仕上げられ、部分図である「自治体図」と併用することで、必要な情報を補完し合うことに成功し、類のない地図に仕上がったものと評価します。

さて、久しぶりに長崎県の話題。ずっと前ですが、[34297] 佐賀県さんの記事に こんなのがありました。
長崎県の領土を線で囲むと、九州(本島?)と同じ広さがある。

なるほど。長崎県の端っこはここ! にも地図入りで同じような趣旨の説明があります。
 
参考までに、[85713]で求めたヨコA(緯度線)タテB(経度線)の長さを掛け合せ、長崎県の外枠面積を計算しました。
その結果は 約65000km2で、陸地面積 4106km2の 16倍近くになりました。16倍の中には外枠内に入った近県の陸地面積も含まれていますが、海面により面積が十数倍にも“水増し”されていることは、「海と島」とに深い関わりあいを持つ 長崎県の特色 を示していると感じました。

外枠面積(A*B)の上位は東京都がダントツで、北海道と沖縄県とがこれに次ぎ、以下 鹿児島県、長崎県、島根県、新潟県までが5万km2以上。
陸地面積に対する外枠面積の倍率を調べると、例外的に大きな値の東京都(1273倍)と沖縄県(157倍)、それに鹿児島県(17倍)と長崎県(16倍)との4県が上位を占め、遠距離離島を抱えるこの4県が、グリグリさんの地図作りにとり“手間が掛かる”県であることを裏付けていました。

海栗(うに)島は 長崎県北端に近い島ですが “壱世帯六拾弐名”という特異な人口で、落書き帳に登場しました[17003]
その実態は 自衛隊のレーダー基地であり、フォロー記事が [17864][17875]にあります。
地理院地図 で見るように、海栗島より更に北には 三ッ島や[85734]の末尾に言及した49離島の一部【ヒバン瀬・ジロウ殿瀬】など 無人の島や岩礁があります。

五島列島南東の男女群島にある女島(五島市)も 落書き帳の記事にもなりました[55114]
女島は国土地理院公認の 長崎県南端 ですが、更に南を探せば 鮫瀬がありました。

そして 長崎県西端となると、海栗島や女島よりも更に知名度が下りますが、これも五島市に属する「鳥島」があります。この島は、沖縄本島とほぼ同じ経度です。

鳥島という地名は東京都[22460]だけでなく各地にあり、沖縄県でも何度も話題になっている硫黄鳥島以外に久米島の近くの鳥島もあります[69110]。Wikipediaには、東シナ海の鳥島は「肥前鳥島」と俗称され、1970年に福江市「鳥ノ島」として登記されたが、【国土地理院と海保の間で?】2006年の呼称統一で「鳥島」になったと記されています。
しかし、現在の 地理院地図 には「肥前鳥島」と記されているので、これが正式名になったものと思われます。電子地形図25000の更新情報 H26.1.24に“肥前鳥島地名変更”とあるのは、南岩から南小島への変更【中小島、北小島も同様】が行なわれたためです。参考:広報ごとう2013-11 p.2

長崎県東端は島原港外の九十九(つくも)島[30000]の中の櫛形島なので、長崎県の東西南北端は すべて無人島ということになり、これは47都道府県の中で唯一の存在です。沖縄県・山口県も4端がすべてが離島ですが、いずれも3端が有人島です。

長々と「長崎県の端っこ」について記しましたが、「長崎県は島の数が47都道府県中でトップ」というアイテムは欠かせませんね。

各県の島嶼数については[29533]で海保四管をリンクしましたが、その後切れたので[84080]で書き込みました。
今回調べたら、海保五管に 同じデータがありました。山梨・長野の位置が普通のコード順と違うのでご注意ください。各県の合計値は 6855 になっていますが、これに四大島を加え、2県にまたがる7島の重複分を除くと、全国の島嶼数 6852 に合います。
各県島嶼数の上位は、長崎県 鹿児島県 北海道 島根県 沖縄県 東京都 で、いずれもグリグリさんにより特別図が付属された県です。

都道府県データランキングの地理・気象系には、既に海岸線 などが収録されています。
島嶼数データも収録されたらよいと思います。
[85767] 2014年 6月 27日(金)18:51:14hmt さん
海と島 (8)47都道府県の「島の数」
[85752] グリグリさん
島の数データランキングのリリース、有難うございます。島の存在が大いに関係している東西長・南北長ランキングも拝見しました。

今から10年前、地名コレクションがスタートした頃に「川」、「山」、「島」などの自然地名コレクションの提案がありました[29500]

落書き帳一年生だった hmtは、それまでに 島に関する記事 を多数投稿していたのですが、[29553]により コレクション対象としての「島」が抱える いくつかの問題点を指摘させてもらいました。
「島」の定義、数が多いこと(絞る場合の選定基準)、異名、包括関係などの問題があります。

日本の国土を構成する島の数 6852島 は、都道府県別内訳を示した 海保第五管区のページ にあるように、昭和61年3月海上保安庁水路部調査により 外周 0.1km以上の島を集計したもので、平成元年以降の 日本統計年鑑 で 公式に使われています。

出典として昭和62年9月『海上保安の現況』が記されていた四管のページ[32231][84080]は現在では切れており、この出版物(現物)へのアクセスを試みたこともないのですが、個別の島名・面積の詳細データは 公表されていないのではないかと推察します。

『日本統計年鑑』【戦前は日本帝国統計年鑑】では、6852島 に改められた平成元年の前年には 3922島 であった由です。
時代を遡ると 明治15年(1882年)の 第一統計年鑑 に掲載された島数は 1847島で、その脚注によると 伊能大図で 周囲1町【109m】以上のものを掲載しています[66996][66997]。この基準は 現在の 外周0.1km以上 に近い値ですが、島数は ずいぶん違います。さすがの忠敬先生も、離島の記錄までは 正確さが及んでいなかったようです。

ここで、島を数えるにも、測地技術の影響が大きいことに気付きました。
空撮技術のなかった時代、離島の大きさを知るには、舟で周囲を回って推測するしかなかったのですね。統計年鑑の記載[66997]
島嶼ハ周囲及一町以上ノ者ヲ載ス
は 空撮のない時代に作られた基準であり、これが現在の“周囲が0.1km以上のもの”に引き継がれていたのでした。

算入する基準や 数える対象の地図が変われば、島の数はいくらでも変ります。
翌年の第二統計年鑑では 基準値を 周囲1里 に変えたので 413島に激減[42798]。この数字は大正元年(1912)の 412島(他に4大島)になっても大きく変っていませんが[66993]、戦後になると 約4000【3922】島に増加しています[42798]。海図の整備や基準値の変更があったのでしょう。

都道府県別の「島数」について 1986年海上保安庁調査に基づく 6852島以降の進展は、現在まで ないようです。
その基準は、過去記事やデータランキングのページにも記されていますが、日本離島センターの 基本情報 をリンクしておきます。
参考までに、この団体は 落書き帳でも御馴染みの 日本の島ガイド『SHIMADAS(シマダス)』 や 日本の島全図シマーズ『Shima-zu』[82777]を発行しています。

「島数」だけでなく 島名やその面積も知りたいとなると、伊能図から海保の調査まで進んできたデータでは不足します。
そこで、空撮技術を取り入れた国土地理院の面積調データの登場になります。
対象は“面積1km2以上の島”に限定されていますが、それだけに 334島(2013年)【注】に絞られており、個別の島名、所在地、面積が公表され、毎年更新のメンテナンスがなされています。
【注】湖水の島(5)を含む。データランキングの数字は 332となっており、北海道、滋賀県、香川県が疑問。>グリグリさん

次回は、この国土地理院面積調データの利用について記します。
[85769] 2014年 6月 28日(土)23:49:49【1】hmt さん
海と島 (9)都道府県の面積に占める 島嶼部の割合
[34297] 佐賀県さん
【長崎県の】「しま」は県の面積の4割(以上)を占める。
[85731] グリグリさん
【東京都は】こうしてまとめてみると、島嶼部が意外に面積が広いことがよく分ります。

国土地理院>面積調>平成25年>島面積 は 面積1km2以上の島【湖水の島を含む】を収録対象としており、島名と共にその面積、所属市町村名等が、都道府県別の面積順で示されています。

都道府県の面積に占める 島嶼部の割合を近似的に求める際に 1km2未満の小島の面積を無視したら、どの程度の影響があるのか?

最初にこれを検証する目的で、長崎県を例にとります。
ここには 49島が収録されていますが、このうち対馬と壱岐島に島山島など付属4島を加えた 6島の合計面積は 840.31km2で、対馬市+壱岐市の合計面積 847.59km2の 99%以上になります。
同様の計算を 五島列島についても試みました。南の福江島【正確には黄島】から北の宇久島まで 24島の合計面積は 670.12km2。五島市+新上五島町+小値賀町の面積に、佐世保市編入前の宇久町の面積 26.40km2を加えた面積は 686.76km2ですから、その 97.6%ということになります。

もう一つ、東京都の島嶼部も 検証してみました。
伊豆諸島で1km2以上の島は 11島で、合計面積 299.88km2。大島・三宅・八丈の3支庁の面積は 301.37km2。これも 99%以上。
小笠原諸島は 13島の合計面積が 98.83km2で、小笠原村の面積 104.41km2の 95%を少し割りました。
小島の多い小笠原では これを無視した場合の影響が 他の3つのケースよりも大きそうです。
しかし 概して言えば、島嶼部の割合を近似的に求める際に 1km2未満の小島の面積を無視しても許されそうです。

長崎県に戻り、島嶼部面積を集計します。先に記したように対馬・壱岐の 6島で 840.31km2。五島列島の24島で 670.12km2。
残るは、佐賀県境の福島・鷹島[69998][75097]に始まり 的山大島(あづちおおしま)・平戸島を経て 佐世保市・西海市・長崎市に属する肥前本土に近い島々と さまざまな地理的条件にある19島 311.64km2です。
この19島中には 「最も島らしくない島」[7381][17741]であり 日本離島センターの『SHIMADAS』からも除外されている 針尾島を含んでいます。

長崎県の島3グループの中で 1km2以上の大きさをもつ 49島の合計面積は 1822.07km2です。
49島は、数からすれば 971もある周囲100m以上の島の 5%に過ぎませんが、面積では 長崎県総面積 4106km2の 44.4%にもなり、確かに4割以上を占めています。

外周100m以上の島330がある東京都では、1km2以上の島が24。その面積合計は 399km2。最大の大島でも 91km2ですが、島嶼部の自治体は 本土の区市町村に比べると結構広いのでした[85731]
そのために、東京都全体に占める24島嶼面積の割合は 18.2%にもなります。

こんな要領で、総面積に対する1km2以上の島嶼面積合計値の割合を求め、降順のリストを作りました。
沖縄県は、沖縄本島以外を島嶼部として算出しました。
海っぽい県の常連である沖縄県・長崎県・鹿児島県・東京都に続くのは、天草を擁する熊本県と小豆島のある香川県でした。
以下、瀬戸内海沿岸の4県と大きな離島のある新潟・島根の6県が4%以上で、12位までを占めています。
瀬戸内海にありながら意外に少なかったのが岡山県で、1km2以上の島の面積は県内の僅かに0.5%で、順位も16位でした。
江戸時代から続けられた大規模な干拓により本土化し、「島」でなくなった結果と理解されます。

下記リストの対象は、1km2以上の島がない20府県を除く 27都道県ですが、北海道だけは 北方四島を含む場合と 含まない場合とで結果が大きく変るので、両方を算出しました。

順位--都道府県総面積島嶼部面積割合%
147沖縄県2276.721051.2646.2
242長崎県4105.881822.0744.4
346鹿児島県9188.992596.9528.3
413東京都2188.67398.7118.2
543熊本県7404.89872.0511.8
637香川県1876.58212.6511.3
728兵庫県8396.47613.557.31
838愛媛県5678.51398.717.02
北海道83457.485463.106.55北方四島を含む
915新潟県12583.84864.316.87
1032島根県6707.98342.895.11
1134広島県8479.81425.185.01
1235山口県6114.14256.514.20
1317石川県4186.2146.691.12
1404宮城県7285.8040.390.55
1501北海道78421.34430.910.55実効支配地のみ
1633岡山県7113.2434.920.49
1736徳島県4146.8120.160.49
1841佐賀県2439.6711.210.46
1940福岡県4979.4220.900.42
2030和歌山県4726.3212.270.26
2144大分県6339.8215.020.24
2224三重県5777.3511.560.20
2339高知県7105.2012.330.17
2445宮崎県7736.084.920.06
2525滋賀県4017.361.520.04
2623愛知県5165.161.810.04
2706山形県9323.462.750.03
[85798] 2014年 7月 6日(日)11:33:22hmt さん
海と島 (10)池間島
今朝の NHK自然番組で 宮古島の北にある「池間島」が紹介されていました。地形図

意外なことに この島の中央部には 湿原があります。
汐入の湾から淡水湖に変化し、飛来する鳥の影響で植物が繁茂して数十年の間に湿原化したそうです。
古い時代には、東西2つの島に分かれていたのかもしれませんね。大自然の中で地形も生きていることを実感しました。

夏の大潮、日本最大級サイズの陸蟹の群れが さとうきび畑を抜け、海岸道路を横断して産卵のための波打際に大行進します。
コンクリートの壁をよじ登るのに利用されていたブロックは、地元の人がカニのために設置した心遣いか。
オーストラリア領クリスマス島(インド洋)[11909]と 似たような光景が 日本でも繰り広げられていたのでした。

そして大潮と言えば、池間島の北の海域に数日間だけ、時間限定で出現する幻の陸地「八重干瀬」(やびじ)。
[80979]では“宮古島の北 5~15kmの約 200km2 の海域”と書いていましたが、池間島の方が更に近くでした。
冒頭に示した地形図にも、「○○ビジ」という名の干瀬(低潮時に干上がる岩礁帯)が散在していました。
[85802] 2014年 7月 10日(木)18:56:07【3】hmt さん
海と島 (11)離島の人口
[85801] グリグリさん
【47都道府県の地図】 残りは、長崎県と鹿児島県です。

結びの一番で優勝を賭けて対決する。
そういう形ではありませんが、残ったのは、予想通り 広い海域に多数の島を擁する両雄でした。トリを取る真打ちはどちらか?

岡山県や山口県の地図を 以前にリリースされた広島県の地図と対比したところ、島名が多数記載されたニューバージョンになっています。長崎県・鹿児島県は、そのために特に手間がかかるのですね。

この両県の対決。島の数 では概ね長崎県が優位。
しかし、鹿児島県のサイト に記されているように、離島に住む人口や離島の面積【北方領土除外】では 鹿児島県が全国第一位です。

離島の面積については、既に [85769]を書きました。
国土地理院の表【1km2以上】を利用した集計の結果、島嶼部面積【これも北方領土除外】 1000km2以上は 鹿児島県>長崎県>沖縄県。次いで 500km2以上が 熊本県>新潟県>兵庫県。更に北海道>広島県>東京都>島根県>山口県>愛媛県>香川県までが 200km2以上。石川県以下はぐっと下がって 50km2未満。
【お詫び】
ここで、[85769]における 愛媛県の島嶼部面積の誤記 に気がつきました。正しい値は 220.55km2で、割合 3.88%、12位に下ります。

残された課題は、各都道府県に所属する 離島の人口 です。
シマーズを見ると、赤い文字で記された有人島の数は 全国で500程度 ですから、データ源さえあれば 処理可能な数です。
WEBで情報を調べると、日本の島へ行こう というサイトに 多数の島の人口が記されています。一例として 宮戸島 7.40km2を見ると、平成7年から平成17年まで3回の国勢調査結果がありました。平成22年については未集計または未刊行かもしれませんが、未発見です。

自力で 2010年国勢調査の小地域を集計を試みます。
国勢調査最新結果一覧から 小地域集計に進み、宮城県の男女別人口…町丁・字等というファイル002.csv内を「宮戸」で検索すると東松島市宮戸のデータが7件得られます。最初は この7件を合計すればよいのだろうと思ったのですが、違いました。大字宮戸の中で字欄が記入されている5つは大字宮戸の内訳なので、字欄が空白の2つだけを合計するだけで よかったのでした。
結果は950人で、先に示した3回の漸減傾向の延長として妥当な値です。

こんな手順でよいのならば、根性さえあれば 2010年の島人口を揃えられるかもしれない…と思ったら、まだ難関がありました。
今度は 青海島14.95km2 を例にします。H17国勢調査が「?人」となっているのは 未刊行だったゆえと推測。
青海島の住所は長門市仙崎と長門市通ですが、前者は本土に仙崎港があることからも知られるように、島だけでなく本土側の半島の地名でもあります。
つまり国勢調査小地域集計で長門市仙崎の人口を知っても、ここが島なのか本土なのか不明という状態です。
調べてみると、このような事例はかなり多く、町字名以外の手段による判別が必要ですが、私にはその方法がわかりません。
とりあえず、本土の一部と区別できない場合は 2010年国勢調査を諦めて、古いデータで代用しましょうか。

悲観的になってもいけないので、2010年の島人口を楽~に求められる事例を一つ挙げておきます。
ご存知 江田島・能美島 91.54km2。江田島の南西には 大黒神島[33529]がありますが、無人島です。
その手前には沖野島【架橋】があり シマーズによると有人島ですが 、「日本の島へ行こう」からも無視されている程度の付属島なので、独立に数える必要はないでしょう。
そのようなわけで、江田島市の人口【2010年国勢調査】27031人 が、そのまま「江田島・能美島の人口」になります。

江田島・能美島と隣接して「倉橋島」69.59km2があります。鹿老渡[85771]を介して倉橋島南端に隣接する鹿島 2.64km2は 沖野島よりは独立性の高い有人島ですが 主従関係は明らかであり、とりあえず一体で考えることにします。

倉橋島は呉市の一部ですが、平成合併前は音戸町・倉橋町の2町でした。
2010年国勢調査報告には、旧自治体区分の人口が示されているので、この2町を合計するだけで、12702+5250=18952人 が倉橋島【鹿島を含む】の人口になります。2000年については 倉橋島22222+鹿島455=22677 と分離された人口が公表されているので 2010年のデータも小地域集計から分離可能と思われますが、その方法がわかりません。

国土交通省には離島振興を取り扱う部門があり、その外郭団体と思われる日本離島センターという団体があります。
そこで発行された 日本の島ガイド『SHIMADAS(シマダス)』 にも人口が掲載されているのですが、平成20年(2008)に第2版が完売となり、“現在改訂中です” が続いています。
日本離島センターからは、 2011年12月に 日本の島全図『Shima-zu』(シマーズ)[82777]が発行され、赤字と藍字で「有人島」と「その他の島」とを区別していますが、人口そのものは掲載されていません。

日本離島センターは、離島統計年報 も発行しています。最新版には当然2010年国勢調査結果も反映されているはずなのですが、掲載対象になっている「離島」は「離島振興法」など関係4法で指定された合計305島に限られています。

四大島と沖縄本島は、当然のことながら離島振興政策の対象外であり、無人島も指定対象外です。
それはいいとして、最大の問題は 5大島との間が架橋で結ばれた島は すべて指定から除外されており、人口などデータの公表対象になっていないことです。
以前に国土交通省のサイト内で閲覧した『離島統計年報2010』には、まだ大崎下島のデータが残っていましたが、架橋が通じた[82870]後の現在は指定対象外になっています。
WEBでの閲覧自体も最近は不成功なので 離島統計年報の利用は制約されますが、何と言っても 重要な「架橋島」が掲載されていないのは、離島データベースとしの価値を損なっていると思います。

…というわけで、[85771] グリグリさん
いずれ、独自の島一覧表を作成したいと思っています。
という結論に行き着きます。

このような不満はありますが、4法で指定された合計305島のデータは それなりに有用であり、離島の人口をまとめる際にも役立ちます。

代表的な存在である離島振興法に基づく指定地域、島名、市町村名、面積、人口の一覧表は[26381][65109]などの過去記事で既に何回かリンクしましたが、最新版(2013/7/17現在、256島) をリンクしておきます。
その一部と重複しますが、冒頭でリンクした鹿児島県のサイトの末尾にも、鹿児島県に属する 離島振興法指定20島 の一覧表があります。

奄美群島は、奄美群島振興開発特別措置法という別の法律に基いて8島が指定れています。
小笠原諸島振興開発特別措置法の指定離島は、父島と母島の2島です。

沖縄県地域離島課資料第1章 には 沖縄振興特別措置法 の指定離島(39島)はもちろん、埋立・海中道路・架橋等により連結された島や面積0.01km2以上の島など 多くの島嶼のデータも示されています。
[85822] 2014年 7月 14日(月)19:13:54【1】hmt さん
海と島 (12)奇跡の島・春国岱(しゅんくにたい)
[82815] グリグリさん
春国岱は奇跡の島と呼ばれているんですね。【離島架橋一覧[82809]に】追加しました。

1年半も前の記事ですが、今頃になって この島の特異性に気がついたので、フォローします。

国後島を望む根室海峡。地図で最も目を引くのは野付半島の特異な形ですが、その南にある 風蓮湖を形成した南側の砂州が春国岱です。地形図 を見ると「しゅんくにたい」という振り仮名が付けられています。
島内の道路は細く描かれ、自然観察路と管理用道路のみと推察します。
それでも東端の水道には本土のネイチャーセンターとの間に春国岱橋があります。
これも「離島架橋」には相違ありませんが、住民の便宜を図る普通の離島架橋とは性格の違う橋です。

西端を見ると明らかですが、この島は3列の砂州が融合して形成された地形です。
奇跡の島である いわれ は、春国岱の自然 に説明されていました。北からの海流で運ばれた砂が 数千年をかけて堆積し、その間に干潟、湿地、草地、森林など7段階の自然環境が形成されたとのこと。
広さは約 600haと記されていました。

日本三景の天橋立、世界遺産になった三保松原。
これらと類似する自然の作用で作られ、それ以上に豊かな自然環境を保持する春国岱。
根室の市街地から 10kmほどの近さであるにもかかわらず 手付かずの自然が残されているのは、確かに「奇跡の島」なのでした。

私自身が最も驚いたのは、これだけの条件を具えた島であったことを知らず、今回初めてその情報に接したことです。

国土地理院の 島面積 には面積 1km2以上 の島が掲載されていますが、約 6km2 の春国岱は無視されていました。
シマーズには、根室港の防波堤の役目を果たしている弁天島(0.05km2)さえも収録されていましたが、こちらにも見当たりません。

面積約6km2の無人島というと、国内有数の大きさです。
hmt自身が [33529]で大きな無人島の記事を書いています。上位は渡島大島、馬毛島、兄島、大黒神島の順でした。
五島列島の野崎島7.1km2は、2010年国勢調査では人口 1名ながら有人島になっており、春国岱が5番目に大きな無人島になると思われます。

ついでに、6位は奄美の枝手久島。鹿児島県の地図 で見るように、奄美大島のすぐ西に隣接しています。以下、屈斜路湖中島、北硫黄島、弟島、洞爺湖中島と続きます。
洞爺湖中島 は 無人島ではありますが、遊覧船で行ける唯一の「大きな無人島」でしょう。

それはさておき、音読み・訓読みが混交した春国岱という地名。
タイ(ダイ)という言葉で表される地形で使われる最も普通の字は「台」で、八幡平など「平」もあります。
これらは高い土地が多いようですが、「岱」が使われた地名は山だけでなく 春国岱 のような低湿地も目立ち、秋田県の米代川流域に多数あるようです。
春国岱の北に隣接する別海町には、尾岱沼(おだいとう) という地名があります。もっとも、こちらは湿地とは異なる由来とのことです。[29767]でるでるさん

最後に、春国岱の特異性をもう一つ。
島名の末尾に「島」という字が使われていません。同類は四大島以外に 金華山・対馬・島後がありますが、対馬は「津の島」の意味があり、隠岐の島後も本土から島への遠近【つまり後島の倒置】です。
[86062] 2014年 7月 26日(土)20:42:05【1】hmt さん
海と島 (13)本土化した島
このシリーズの(8)で 47都道府県の「島の数」について こんなことを書きました。
算入する基準や 数える対象の地図が変われば、島の数はいくらでも変ります。

この文は、島の大きさや測定法を意識して書いたものですが、それ以前に人手の加わり方の問題があります。
一番わかりやすいのが人工島、例えば「関西空港島」を数えるかどうかです。
私としては、「関西空港島」は 人工であっても立派な島である と思っているのですが、何故か国土地理院の 島面積(H25) からも、シマーズのリストからも除外されています。

国連海洋法条約において 領海の基線となる島の定義から 人工島を排除した理由は理解できるのですが、このような国際的権利関係とは無縁の場において、人工島が島の仲間から排除されている現実には納得できません。

長崎空港は 大村湾にあった 面積90万m2=0.9km2の箕島に 人手を加えて 昭和50年(1975)にB滑走路の供用を開始した空港です。その面積は 174ha= 1.74km2です。
国土交通省の写真を見ると、対岸の本土に 大村空港(1950-1975)の頃から使っていた A滑走路が見えます。地形図では 2つの滑走路共に「長崎空港」と記され、本土側の滑走路付近には自衛隊であることが示されています。

つまり この「空港島」は 由来から分類すれば 自然島 です。関西空港のような純粋な人工島ではありません。
そして、埋立による人手が加わって拡張された面積ではあるが、現在は 1km2以上の面積を有しています。
しかし、国土地理院の島面積(H25)からは これも除外されています。昭和63年の基礎面積測定時には、自然島「箕島」が既に地形図から消えており、長崎空港は人工島であると判断されたのでしょう[82773]

地形図で認められる箕島の注記は「箕島大橋」だけですが、シマーズのリストには「箕島」が無人島して収録されています。

人工島問題はさておき、島を数え上げる際に問題になる可能性があるのは、開削による切り離しや、架橋・埋立等による一体化です。人手による工事に限らず自然作用による陸繋島などもあり、その一部は[57361]に記しました。

開削による切り離しは、既に取り上げられている 対馬の事例 のように、1つの島として扱われました。
多数ある架橋の事例。これも島であることに影響なし。

問題は長崎港入口の香焼島[57361]のように、埋立地で本土と一体化した島です。
常識的には「島でなくなった」ように思われるのですが、シマーズでは「香焼島」も対岸の「神ノ島」も共に「有人島」として収録されていました。

類似する著名な事例は、瀬戸大橋で四国本土に渡る入口に位置する番の州埋立地にもあります。

岡山オフ会2009の翌日に訪れた瀬戸大橋記念館[73151]。そのすぐそばにある 沙弥島。
そして 三菱化学のコークス工場などがある臨海工業地帯の先には 瀬居島。
この2つの島は、元々は讃岐国那珂郡>香川県仲多度郡の 塩飽諸島 に属する島でした。
1968年に行なわれた 番の州の埋立で 四国本土の一部として取り込まれましたが、シマーズでは「有人島」として収録。

島だった時代の面積は 沙弥島0.28km2と 瀬居島0.91km2で、現在の地名は 坂出市沙弥島と同瀬居町。
大昔にあった三味線形の島が地震で沈み、残った部分が三味島・線島になり、転じて沙弥島・瀬居島になったという説(角川)。
それは ともかくとして、本州と四国の間にあり、海に関する技術に卓越した人々の根拠地であった 塩飽の島々は、複雑な帰属の歴史を記錄しています。

地理的所属はずっと讃岐国でしたが、行政的所属は 江戸時代には 倉敷代官所の支配する幕府領でした。
明治以後も 倉敷県・高知県・丸亀県・香川県・名東県・愛媛県など 所属した県の多さでは有数の歴史があります。

町村制施行後の沙弥島・瀬居島は 香川県那珂郡(1899仲多度郡)与島村になりました。現在所属する坂出の阿野郡(1899綾歌郡)と郡が違います。
塩飽諸島の主島・本島などは もっと西側に位置するので、現在の所属も昔から同じ那珂郡であった丸亀になっています。

香川県で本土化した島と言えば、小豆島の「土渕海峡」南西側の通称「前島」も、かつては「鹿島(加島)」という独立島でした。
近代になってから土庄地区が 港湾改修、小豆(しょうず)郡役所など行政中心地としての整備がなされました。
これにより、地形的には狭い海峡【それも天然もの】を隔てながらも、架橋で一体化している前島地区を 小豆島とは別の独立島として認識する社会的意義は失なわれたと考えます[63537]

最後に
このシリーズの過去記事を hmtマガジン 日本の 海と島に まとめました。
[86161] 2014年 7月 31日(木)18:03:07hmt さん
海と島 (14) 「無人島」 なのに 人がいる !?
[86062] hmt
私としては、「関西空港島」は 人工であっても立派な島である と思っているのですが…
この【長崎】「空港島」は 由来から分類すれば 自然島 です。関西空港のような純粋な人工島ではありません。

生い立ちは違いますが、これらの「空港島」は「有人島」でしょうか?
# 長崎空港建設工事前の箕島は、人口66人の有人島でした。

旅行者の存在はさておき、この島を職場として働いている人たちは 昼夜の別なく相当な人数に及ぶはずです。
でも、空港島を住所にしている人は あまり居ないのではないでしょうか。
「生活の本拠」である住所【民法第22条参照】は空港島外にあり、その登録住所から通勤しているはずです。

では国勢調査は? こちらも 本邦内に常住している者を 対象にしています。但し学校の寄宿舎、長期入院先、自衛隊の営舎、刑務所など 常住とみなされる場所が調査場所になる点など、住民基本台帳の住所とは 異なる扱いがあります。国勢調査の対象

「有人島」であるか否かは、この2つの基準のいずれかに該当する人の有無で判定されるようです。
従って海上自衛隊員が常駐している 硫黄島や南鳥島[80521]は 「住民が居ない有人島」に該当しますが、民間空港島【注】は「人がいる無人島」になると思います。
【注】参考までに開港日付順に列挙しておきます。
長崎空港 1975/5/1、関西国際空港 1994/9/4、中部国際空港 2005/2/17、神戸空港 2006/2/16、北九州空港 2006/3/16

人があふれる空港島から一転して玄界灘の孤島・沖ノ島。
宗像大社沖津宮が この島に鎮座し、たった一人の神職が奉仕します(10日交代)。

徳山港の黒髪島も、江戸時代には神域の黒神島であったようですが、明治以降は最高級花崗岩の採石場になりました。
[83592]で記したように、現在は住民がいませんが 石材会社が採石場への通勤船を運行。

[83592]では 四阪島にも言及しました。これは新居浜市20km沖合の燧灘にあった5つの島の総称です。
日本最大の銅精錬所(操業期間1905年~1976年 )があった 家の島は、美濃島との間が埋立で一体化しており、現在は4島です。1.26km2という 面積は4島の合計。

住友金属鉱山が 銅製錬所を 四国本土から離れた 四阪島に移したのは、銅鉱石に含まれる硫黄による煙害を防ぐためでした。
しかし、結局は高い煙突も煙害問題の解決にはならず、被害を拡大させてしまいました。
硫黄対策として 1913年に住友肥料製造所を開設。ここで硫酸や過燐酸石灰を製造。硫黄を更に除くための中和工場ができたのが1939年で、四阪島の製錬所は 34年をかけて ようやく 煙害対策が完了したのでした。

元禄4(1691)年に開かれた別子銅山も 1973年に閉山。別子山中の焼鉱窯から運ばれた四阪島の火は 1971年の東予製錬所火入れに使われ、四阪島での銅精錬は 1976年にピリオドを打ちました。
大正末期には 5500人もの人口を抱えた四阪島で 現在操業している仕事は、製鋼煙灰に含まれる亜鉛回収だけです。
というわけで、無人島になったこの島の (株)四阪製錬所には 数十人が 新居浜から船で通勤。

余談
かつて有数の産銅国であった日本の銅鉱山については、三菱の尾去沢鉱山[67407]、藤田の小坂鉱山[67466]、久原の日立鉱山[76480]、古河の足尾銅山[43138]で言及してきました。今回の記事で、住友の別子にも触れたことになります。
海外の銅山については[77028]
住友と言えば、金で注目される 菱刈鉱山が あるのですが、落書き帳では まだ話題になっていません。
[86201] 2014年 8月 2日(土)23:49:47【1】hmt さん
海と島 (15)2010年国勢調査による 島の人口
[86178] グリグリさん
有人島の国勢調査人口によるまとめを前々から作業しようと思っていて、なかなか進捗しないのですが

海と島シリーズの(11) で記したように、hmtも同様の調査を試みました。
その結果 理解したこと。
(1)統計局は島単位では人口を集計していない。
(2)少数の旧自治体で1島を構成の島は、公表された旧自治体単位の人口から計算できる(例:倉橋島)。
(3)離島振興法などで指定された離島は、実施地域一覧表に 平成22年国調人口の集計結果が掲載されている。
(4)適用範囲が広く正統的な方法は国勢調査の小地域データの集計ある。しかし それを利用する上では問題もある(例:青海島)。

上記(4)に掲げた小地域データの集計については、青海島よりも前に [82888]グリグリさんが 鳴門海峡にある 島田島を例に挙げて、四国本土と島田島とにまたがる町名の人口を分別できない問題点を詳しく説明しています。
町字データでなく、基本単位区にまで分解して分別するためには、調査票閲覧による場所の確認[86178]など特別な手続きが必要なのでしょうか?

小地域データの集計については、分解して島単位に組み直せるか否かの問題の他に、内訳記載がされているデータを重複して数えるという過ちを犯さないようにする注意も必要です。大字の中の内訳として字の人口が重複記載されている多数の事例だけでなく、同じ大字名が列挙されているだけの例もあるので、注意が必要です。
例えば呉市豊浜町大字豊島【安芸灘諸島の豊島】の人口は町字小地域集計の表でセルL2003に記された 1373人だけでよく、その下の3つは内訳です。

隣接する大崎下島にある呉市豊浜町大字大浜についても 同様にセルL2007の 372人だけでOKです。
旧豊町の人口 2261人から指定離島である三角島の人口 61人を差し引いた 2200人に この 372人を加えた 2572人が 大崎下島の人口 ということになります。
上記 (2)(3)(4)の手法を組み合わせた計算です。

参考までに、日本の島へ行こう に記された 1995年以降5年毎の国勢調査人口と対比すると、3696(1995) 3233(2000) 2897(2005) 2572(2010) となり、妥当な数値と判断されます。

グリグリさんが指摘された本土との分別不能など、残された問題点はありますが、こんな要領の作業によって 2010年国勢調査による 島の人口の大半について できる範囲内の結果を得ています。

近々のうちに、エクセルファイルで お送りすることができると思いますが、いかがでしょうか。

【追記】
[86203]にてレスをいただき、ご期待に添えるようなデータを提供できるように仕上げの見直し作業中です。

ところで、hmtのリストでは空欄になっていた 島田島の人口 が気になり Google検索をしました。
その結果、なんと都道府県市区町村の中に既に 日本の島のページ ができており、これがヒットしたのには 驚きました。

島田島の人口は 372人【出典:自治体統計】と記載されていました。鳴門市市勢概要 などに基づく数値でしょうか。
いずれにせよ、島田島には高島や大毛島の一部のような市街地がなく、予想よりもずっと人口が少ないことを理解しました。
[86234] 2014年 8月 8日(金)15:00:53hmt さん
海と島 (16)日本全国で 6852島 その根拠と内訳
日本の国土を構成する島の数として 6852島 が使われていることは、[29533]以来 何度も記してきました。
この数字は 日本統計年鑑等にも使われた「公式の島数」ではあるが、ここで用いられた基準(島の定義)は、海上保安庁が自ら認めているように 絶対的なものではなく、あくまでも計数するための便宜的手段です。
海上保安庁水路部【現・海洋情報部】の調査から30年近く経過していることでもあり、6852島の問題点を再検討してみます。

だいたい「島」をどのように定義して どのように数えるのか? この前提を変えれば数えた結果は如何様にも変ります。
社会的な状況や測地技術の変化も考慮して、当時用いられた前提を再検討することは意義あることであると思います。

6852島を数えた際の前提は 概ね次のようなものと思われます[85767]

(1)自然島である
昭和61年当時にも人工島【例:第二海堡[26174]】は存在しました。もっとも、外周 0.1km以上の条件を満たしている第二海堡が 6852島に算入されていたか否かは不明です。
ただ、戦後にできた大きな人工島が島嶼リストから除外されていることから、自然島に限られているものと推測されます。
また、日本離島センター には 海上保安庁の数え方として「埋立地は除外」【出典:JODCニュース34号(S62)】と記されていました。これにより、埋立による人工島は除外されていると推測されます。
参考までに、関西空港島の面積は10km2以上になっており、ポートアイランド・六甲アイランドの人口は共に15000人を超えています。
人工島を除外して世の中を語ることはできない時代になっている現実を直視すれば、自然島に限る条件は疑問です。

(2)外周 0.1km以上である
言うまでもなく、島の大きさについては 何らかの形で原則的な下限値を定めることは必要です。明治15年(1882)の 第一統計年鑑では 伊能大図で 周囲1町【109m】以上のものを掲載するとして、1847島が選ばれました[66997]
外周 0.1km以上という基準はこれを引き継いだものと理解されますが、昭和63年には3922島になっており、その翌年平成元年の日本統計年鑑から、水路部が数えた6852島に改められました。
空撮を用いて作成された地図・海図による面積計算が可能になった現在の技術水準からすれば、外周よりも面積によって下限値を定めるのが適切と思われますが、実現していません。

(3)関係する最大縮尺海図と陸図(縮尺1/2.5万)を用いて数える
主として使ったのは海図でしょうが、地形図と同様にこれも年々改められており、約30年の変化は大きいと思います。

(4)橋、防波堤のような細い構造物でつながっている場合は島として扱い、それより幅が広くつながっていて本土と一体化しているようなものは除外
1968年の「番の州埋立」よりも後ですから、沙弥島と瀬居島[86062]は除外されている筈です。事実、主として瀬戸内海を管轄する第六管区海上保安本部が 管内の島をガイドする しまっぷ統合版【注】に含まれていません。
【注】
その中には 100m2未満の島?を含む 909島が収録されており、6852島の一端を示すものと推測します。

しかし、この基準を紹介している日本離島センターが発行する『シマーズ』には 何故か本土と一体化した沙弥島・瀬居島も収録されているというように、混乱があります。

6852島であることの妥当性はさておき、本土とされる5大島を除いた 6847島が広義の離島で、その内訳は有人離島 418、無人離島 6429(H24/4/1時点)と、数からすれば無人離島が圧倒的です。
[24470]で紹介された 1955年発行の本には、有人離島が全部で436と書いてあり、無人化が進行中と思われます。

2013/4/26の第1回 国境離島の保全、管理及び振興のあり方に関する有識者懇談会 資料2-2 離島の概要を見ると、有人離島のうち 305が4つの法律の対象離島として指定されています。

これらの内、離島振興法・奄美群島振興開発特別措置法・沖縄振興特別措置法については [85802]で言及しました。
その際に、小笠原諸島振興開発特別措置法の対象は父島・母島と記したのですが、上記資料によると「4」と記されていました。あと2つはどこ? 法令を調べてもよくわからなかったが、東京都の作成した 小笠原諸島振興開発計画 の 7コマに、「その他の島しょ」として硫黄島・沖ノ鳥島及び南鳥島が示されていました。沖ノ鳥島を除く2有人島が法対象離島として加わるのでしょう。
[86248] 2014年 8月 9日(土)23:11:02【2】hmt さん
海と島 (17)宇品島【広島市】・高島【鳴門】
前回紹介した瀬戸内海の 『しまっぷ』
「6852島」の詳細を窺わせる貴重なリストなのですが、あまりにも多数の小島・岩・碆などが列挙されています。
人間生活と関わりのありそうな情報は、その中に希釈・埋没されており、とても逐一検討する気にはなれません。
やはり、データは多いほど良いというものではなく、利用者の身の丈に合ったサイズが使い易いことを実感しました。

そこで、自分として好ましい島リストとはどのようなものか? 少し考えてみました。
国土地理院の島面積。 2013年10月1日現在の表には 341島が収録されています。
この程度ならば扱えるし、大きさの下限が面積であることも気に入りました。
でも 人口データがが入っていません。最新国勢調査人口[85802]を加えたいし、配列にも地理的位置関係を反映させたい。

人口というと、国土地理院のリストには入れなかった小さな島ながらも、無視できない人口を抱える島があります。
その代表が宇品島です。この島は近世までは広島湾にある自然島の一つでした。しかし、明治の築港事業が完成し、市政町村制が施行された1889年時点では、既に広大な埋立地(宇品新開>広島市宇品町)と地続き状態になりました。

1894年6月に日清戦争が始まると、同月に山陽鉄道が開通したばかりの広島は、5年前に完成した宇品港と相まって軍事拠点として注目されることになりました。8月には広島-宇品間に軍用鉄道が敷設され、広島は兵員・物資輸送の前進基地となりました。
更に9月には大本営が広島に移転し、明治天皇を迎えて 日本の臨時首都になったのでした[82870]

話が少しそれましたが、宇品島の住所地名は広島市南区元宇品町となっています。本来の宇品なのですが、気の毒なことに その地名を広島の新開地に奪われ、1904年の広島市編入以来「元」を冠した町名を使わされています。

そして宇品島自体も、明治の築港で一度は本土と地続きになり自然島消滅状態になりましたが、住民運動の結果 1893年には水路が復活して架橋島として復活しました。確認のために 地形図
この橋の名は、第二次大戦中に水路拡張した暁部隊【陸軍船舶司令部】にちなむ「暁橋」です[82809]

本題である元宇品町の人口。これは国勢調査の小地域人口で 1831人と知れます。面積は[86234]で紹介した海保の『しまっぷ』で0.51km2。公園地区ですが、市街地もあるので小さな島にしてはかなりの人口があります。

次は 宇品島よりは大きな 面積 2.59km2の「高島」について語ります。
でも この表記では どの島のことなのか 読者に伝わりません。「高島」という島は日本全国にたくさんあるからです。
最も有名なのは高島炭鉱があった「高島」でしょうか。平成合併前までは長崎県西彼杵郡高島町[71965]という自治体で、1960年国勢調査では人口2万【軍艦島こと端島を含む】を超える活況でした。
でも、ここで言及したいのは 徳島県島田島[82888]の隣にある 高島 です。

このような事情をふまえ、自分として好ましい島リストには、同名の島を区別する仕組みが必要だと思っています。
もちろんリストに記録する島の属性中には県名も加えますが、「長崎県の高島」と限定しても3島ある【長崎市、佐世保市、平戸市】ことを考えると、これだけでは不十分です。
私としては、高島【鳴門】・高島【長崎】・高島【九十九島】・高島【平戸】のように 県よりも狭い地域名 を付す方向で考えています。

ところで、何故「高島【鳴門】」を取り上げたのか? 
実は愛用(?)しているシマーズのリストから、この島が落ちていたことを発見したのです。
シマーズの 35図を確認してみると、有人島を示す赤い字の「大毛島」から出る指示線の先にあるのは 高島【鳴門】でした。
大毛島と高島の間は、地形図 が示すように 水道で隔てられているのですが、この2島が別々の島であることを明確に示すためには、かなり大縮尺にする必要があります。離島専門家の作ったシマーズでも、このような見落しがあるので、注意が必要です。

実際、水路の幅がどれだけあれば別々の島とするのかなど明確な基準はなく、大毛島と高島とは 昔からの慣習により 別々の島と認識されているのだと思います。鳴門市三ツ石の区域の一部が水路の西側に及んでいる事実からも、昔は2島の間にもっと広い水路があり、両側の島民による塩田開発を経て陸地化した結果、現在の狭い水路に変化したものと推察します。

高島には その名が示す山の部分もありますが、鳴門3島の中では面積最小ながら平地に恵まれた高島は かなり市街地化しています。人口 4095人。
[86275] 2014年 8月 12日(火)14:17:05hmt さん
海と島 (18)日本の島 約500島を選んでみた
[85771] グリグリさん
いずれ、独自の島一覧表を作成したいと思っています。境界線の島も参考あるいは注釈付きで。

この記事のタイトルに使われた 竹崎島は 佐賀県南端にある火山島由来の陸繋島です。

このような“境界線の島”の扱いについては まだまだ検討を要するのですが、hmtも「海と島」に関する記事を綴りながら、自分なりの「日本の島一覧表」を欲しいと思い、試作していました。
その際に考えていたことの一端を [86248]に記しています。
データは多いほど良いというものではなく、利用者の身の丈に合ったサイズが使い易い
自分として好ましい島リストとはどのようなものか?

[86248]では、これに続いて国土地理院の「島面積」・最新国勢調査の人口データ・地理的位置関係を反映させた配列・小さな有人島【例:宇品島】などの要素にも言及しています。

このようなプロセスにより hmtが到達した一応の結論です。

日本には手におえないほど多数の島がある。しかし、約500の島を選べば およそのことがわかる。
つまり「島list500」には、有人島のすべてが含まれるだけでなく、面積でも国土の 99.9%以上をカバーする。
「島」の定義は、現在の地理的環境や成因により一律に決めることは困難である。
しかし、人工島や本土と地続きになった島でも社会的に重要な地位を占める「島」はできるだけ対象に含めた。

今回「島」に含めることにしたポートアイランドの仲間について。
夜間人口でも15000人を超え、昼間は更に多くの人が働くビジネス島。「住民」は極めて少ないが旅行者を含めて人々が行き交う空港島。
大規模な架橋により本土から隔離されている このような存在は、現代の「島」を語る上で欠かせない存在です。
もちろん、この種の島の先輩としては大阪の「中之島」などがありますが、川の中洲や三角州は排除されます。
…ということは、「本土との間に存在する ある種の距離感」 が「島」に求められているのかもしれません。

選定の最後の段階で加えた桜島。噴出物により大隅半島との間が地続きになった大正3年(1914)の大噴火 100周年を迎えました。
鹿児島市街地との間を結ぶ定期航路は、災害復興から要望され 1934年に実現したものとか。大隅半島側からの連絡道路もありますが、主な交通手段を航路に依存する桜島は 実質的には島 の状態が続いているものと思われます。

なお、有人島の2010年国勢調査人口をグリグリさんに送ることを提案[86201]した時点では知らなかったのですが、グリグリさん自身による「日本の島」のページも既に作られており、その後フォロー記事[86243]がありました。

このような状況をふまえ、個々のデータを 都道府県市区町村サイト内で反映させる仕組みは グリグリさんにお任せします。
ここでは、hmtが整えた「島list500」の全体構成を 落書き帳読者のために 簡単に説明しておきます。

結果的に 選ばれたサイズは 約500島【正確には508島】でした。その内訳は次のとおりです。
(1)5大島、つまり 北海道・本州・四国・九州・沖縄島。
(2)国土地理院 H25年 島面積 (G-list)収録の島【面積1km2以上】、5大島以外の集計 336島。うち北方領土 10島。
(3)シマーズ[82777]のリスト(S-list)に収録された 1021島の一部。
 (3.1)有人島(red)として収録されたもの 433島【江田島と能美島を統合】 (2)との間には当然重複がある。
   現在は本土と陸続きになっている島も含まれる【例:かつて指定島であった瀬居島、香焼島など】。
   S-list有人島(かつ指定島)で 昨年無人化した 新島【鹿児島湾】[86249] のような例も含まれている。
 (3.2)シマーズで その他の島(blue)になっている中から収録した 7島
   沖ノ鳥島【太平洋】、竹島【日本海】、高島【石見 旧指定】、四阪島【燧灘[86161]】、沖ノ島【宗像市[86161]
   長崎空港【シマーズでは箕島になっている】、赤島【注】
  【注】
    北九十九島 “赤島などは有人島”との記載によるが、おそらく現在は無人
(4)G-list 及び S-list 以外から収録した 8島【竹崎島は選外】
  春国岱[85822]
  関西国際・中部国際・神戸・北九州の4空港[86161]【長崎空港島は シマーズに 箕島の名で収録 】
  ポートアイランド と 六甲アイランド[86161]
  桜島【鹿児島湾】
[86311] 2014年 8月 20日(水)16:09:40【1】hmt さん
海と島 (19)日本の島の面積・人口集計表【修正版】
少し前に 508島を選んだ 「島list500」 の面積・人口集計表 を発表しましたが、一部のデータに誤記を発見しました。
大きな表ですが、全体をこの修正版に差し替え、誤記を含む旧版記事[86277]は削除したいと思います。

【まえがき】
[86275]に記した趣旨で選定した 「島list500」 の集計表を、5大島・離島(47都道府県別)・北方領土の 順に示します。
項目は 面積(km2)・人口【原則:2010年国勢調査】のそれぞれにつき、各都道府県の総計値、収録島数、収録島についての合計値、収録した主な島が県全体の中で占める %です。
県面積は 人口に合わせて 平成22年面積調 の値を使いましたが、個別の島面積は H25年の値 であり、この点は不統一でした。
なお、北方領土総面積は 面積調で発見することができず、国土交通省データ を用いました。その面積は 付属島を含む区分値で集計されており、面積調における個別の島面積と少し違います。

【5大島】 本島人口は、便宜上 総人口から 島list500で収録した離島の人口を差し引いて求めた。
5大島(県)県総面積本島数本島面積対県面積%県総人口本島数本島人口対県人口%
北海道(01)78420.73177984.2799.44%55064191549401899.77%
本州(02-35)231219.111227972.1998.60%103976868110346162199.50%
四国(36-39)18806.54118300.7797.31%39772821389214097.86%
九州(40-46)42191.43136750.2787.10%1320396511268044596.04%
沖縄島(47)2276.1511207.9953.07%13928181125852390.36%
合計(01-47)372913.965362215.4997.13128057352512678674799.01%

【離島(北方領土を除く) 47都道府県別】 (石島/井島は岡山県と香川県とに分離)
北海道・東北総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
01北海道78420.7314447.900.57%55064197124010.23%
02青森県9644.54000%1373339000%
03岩手県15278.89000%1330147000%
04宮城県7285.761142.220.58%23481651157660.24%
05秋田県11636.25000%1085997000%
06山形県9323.4612.750.03%116892412280.02%
07福島県13782.76000%2029064000%
(01-07小計)145372.3926492.870.34%1484205519183060.12%

関東地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
08茨城県6095.72000%2969770000%
09栃木県6408.28000%2007683000%
10群馬県6362.33000%2008068000%
11埼玉県3798.13000%7194556000%
12千葉県5156.7010.030.00%621628910.00%
13東京都2187.5025398.7118.23%1315938813278150.21%
14神奈川県2415.8621.370.06%904833129310.01%
(08-14小計)32424.5228400.111.23%4260408516287460.07%

中部地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
15新潟県12583.812864.316.87%23744502630932.66%
16富山県4247.61000%1093247000%
17石川県4185.66247.241.13%1169788230860.26%
18福井県4189.83000%806314000%
19山梨県4465.37000%863075000%
20長野県13562.23000%2152449000%
21岐阜県10621.17000%2080773000%
22静岡県7780.4210.440.01%376500713160.01%
23愛知県5165.0449.310.18%7410719440860.06%
24三重県5777.27814.600.25%1854724844800.24%
(15-24小計)72578.4117935.91.29%2357054617750610.32%

近畿地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
25滋賀県4017.3611.520.04%141077713430.02%
26京都府4613.21000%2636092000%
27大阪府1898.47110.550.56%8865245110.00%
28兵庫県8396.139630.557.51%558813381827663.27%
29奈良県3691.09000%1400728000%
30和歌山県4726.29412.340.26%1002198211610.12%
(25-30小計)27342.5515654.962.40%20903173121842710.88%

中国地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%備考
31鳥取県3507.28000%588667000%
32島根県6707.958349.635.21%7173976257603.59%
33岡山県7113.211937.60.53%19452761944150.23%石島は部分
34広島県8479.5835430.465.08%2860750341305054.56%
35山口県6113.9532263.074.30%145133832605844.17%
(31-35小計)31921.97941080.763.39%7563428912212642.93%

四国地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%備考
36徳島県4146.67821.210.51%785491583371.06%
37香川県1876.5328219.8611.72%99584227382573.84%井島は部分
38愛媛県5678.1840230.014.05%143149337371962.60%
39高知県7105.16613.20.19%764456613520.18%
(36-39小計)18806.5482484.282.58%397728275851422.14%

九州・沖縄地方総面積島数島面積対県面積%総人口有人島数島人口対県人口%
40福岡県4977.241127.430.55%50719681047940.09%
41佐賀県2439.65913.680.56%849788824930.29%
42長崎県4105.33861835.8344.72%14267797619467113.64%
43熊本県7404.7321876.5411.84%1817426201286607.08%
44大分県6339.71917.670.28%1196529943160.36%
45宮崎県7735.9945.200.07%1135233410570.09%
46鹿児島県9188.78372675.0729.11%17062423218752910.99%
47沖縄県2276.15551054.4746.33%1392818491342959.64%
(40-47小計)44467.582326505.8914.63%145967832086578154.51%

離島合計(離島合計数は石島/井島の重複調整のため 小計の和より1つ少くなる)
離島合計総面積島数島面積対総面積%総人口有人島数島人口対県人口%
離島合計372913.9649310554.772.83%12805735243612706050.99%
参考:【3地域の離島集計値】(石島/井島は本州と四国に分離)
3地域離島県面積島数島面積対県面積%県人口有人島数島人口対県人口%
本州地域231219.111663116.701.35%1039768681465152470.50%
四国地域18806.5482484.282.58%397728275851422.14%
九州地域42191.431775451.4212.92%132039651595235203.96%

【北方領土】
北方領土総面積島数島面積対総面積%
北方領土5036.14105032.1999.92%

【日本全土】 北方領土は総面積と収録島面積に算入するが、有人島数及び人口には不算入扱いとする。
区分総面積収録島数収録島面積対総面積%総人口有人島数有人島人口対総人口%
47都道府県372913.96498372770.2699.96%128057352441128057352100%
北方領土5036.14105032.1999.92%
収録した島の合計377950.10508377802.4599.96%128057352441128057352100%
収録外の無人小島多数147.650.04%
(収録島面積合計/総面積)=99.96% が [86275]で記した“「島list500」は…面積でも国土の 99.9%以上をカバーする”の根拠です。

グリグリさん これでよろしければ、[86277]の削除をお願いします。
[86400] 2014年 9月 23日(火)15:28:04hmt さん
海と島 (20)島と架橋との関係
日本には多数の島があります。
海上保安庁が 1986年に外周0.1km2以上の島を数えた結果は 6852島でした[86234]
しまっぷ統合版 には 岡山・広島・山口【瀬戸内海のみ】・香川・愛媛各県に属する 909島が収録されています。
「九十九島の数調査研究会」による調査で確定した植物の生育が認められた島の数(2001)は208でした[29533]
最近では、総合海洋政策本部により 領海の外縁を根拠付ける離島の名称決定作業が行なわれており、「ソビエト」など 158島が命名されました[86180]

こんな具合に、無人の小さな島嶼のすべてを対象にすると「きりがない」ことになります。
「しまっぷ」には 夏目漱石『坊つちゃん』に登場するターナー島[67135]のモデルである 四十島も 面積315m2と出ていました。趣味的には面白いのですが、一般的にはこんな小さな無人島を詳細に調べる必要は少ないでしょう。

島と人々の暮らしとの直接的な結びつきを表すものに 有人島・無人島という区別があり、シマーズで有人島とされた島の数は、地続きになっている香焼島などを含めて 433島でした。

今回は、島に暮らす人々が その生活にとり必要なものとして作り出した架橋について考察します。

架橋は 費用対効果が検討されて実現するものなので、短い橋ならばちょっとした出作目的での無人島架橋も実現する反面、大型自動車の通れる長い橋が必要ということになると 有人島であってもなかなか実現しないケースもあります。

島を本土から隔離して島たらしめているものは、人々が日常利用している陸上交通を阻む海です。
架橋と直接関係はないのですが、[53818]EMMさんの 記事に使われた“金沢が陸の孤島”には注目しました。
現在の金沢港というのは、昭和38年のいわゆる「三八豪雪」の際に道路・鉄道が寸断されて金沢が陸の孤島となったことから、金沢へ直接海路補給するための拠点整備を求める声を受けて建設されたものです。

船を使えば海上輸送も可能である。しかし、それなりの設備を必要とし、小回りの効く点では自動車に及ばない。
離島振興法により指定される離島が、本土との間が架橋で結ばれていない有人島に限られているのは、このような見地からして「もっともなことである」と理解できます。

例を挙げると、2008年に豊島大橋[82870]で上蒲刈島と豊島との間が繋がった結果、広島県の豊島・大崎下島それに愛媛県の岡村島までが本州からの島伝いの陸上交通可能になり、3島は離島の指定から外れることになりました。

同じように「架橋島」と言っても、その道路が本土【5大島】にまで通じているか否かで、その経済的価値は大きく違うようです。
本土に通じていない架橋は 離島間を結びつけることで地域経済の規模を拡大し、港湾設備などの共用も可能にします。
しかし、その道路が本土まで通じることにより、「離島」を脱して 事実上の本土化が実現したと扱われているようです。

島への架橋については、グリグリさんによる集大成が[82809]で示されています。
この中にも短い橋が収録されているかもしれませんが、その後で[82820]k-ace さんにより示された 佐世保市小佐々町の 前島 と本土とを結ぶ道路橋は、拡大した地理院地図から僅か数mの長さと思われます。
僅か数mの橋ですが、[82820]にリンクされた写真によると前島と、それに隣接する鼕泊島(とうどまりじま)までが 自動車通行可能な状態になりました。2島合せて約1000人の住民の暮らしは、この短い架橋により支えられていることが推察できます。
余談ですが、九州本島の西端である 神崎鼻(こうざきはな) の付近には多数の島が散りばめられており、九十九島と呼ばれています。観光地としては佐世保に近い南側が有名で、『美しき天然』は ここをイメージした名曲[29533]とされています。
前島と鼕泊島とは北九十九島の中で数少ない有人島です。

[82823][82877]EMMさん、[82831]白桃さん、[82827]グリグリさんなどによるレスなど見ても、短い橋があったり、細い橋があったりして、その扱いは なかなか難しいようですね。
私としては、統一的に整理して結論をまとめることができていなくても、せっかく集めたデータをいろいろと展示してもらえば、それなりに楽しみ、利用することができます。

[82877]の線引で前島と対比された架橋は 坂井市三国町、岬の先端の無人島・雄島にある大湊神社への参道と思われる 長い歩道橋。こういう両極端が同居しているのも楽しいのではないでしょうか。

グリグリさんによる離島架橋一覧[82809]と言えば、その先頭を飾っている島が根室市の春国岱です。
hmtが国土地理院の島リストにも出ていなかった奇跡の島・春国岱[85822]に気がついたのは、離島架橋一覧がきっかけでした。

架橋と防波堤道路との関係
架橋についての私の基本的な考え方は、島の人々が利用する交通手段です。従って架橋と防波堤道路との区別は不要という立場です。
しかし、グリグリさんの離島架橋一覧は、最初の動機が第三十六回十番勝負問四に関連するもので、大竹市阿多田島と猪子島を結ぶ堤防道路の類は除外されています[82800]

この点に関して[82759]で発表された共通項を確認してみると、意外にも
■陸続きではない二地点(人工島を除く)をつなぐ海上架橋または湖上架橋がある市
となっていて、堤防道路排除についての明確な言及がありません。
他の方の記事中には すべて問四の共通項として
■本土と本土、本土と島、島と島をつなぐ橋が架かる市(堤防道路、桟橋、人工島は除く)
が明記されているので、こちらが正しかったのではないかと思いますが、どのような事情で不一致なのか不思議に思いました。

なお、[82809]を見れば、一部が橋になっている海中道路(うるま市)や中海堤防道路の橋ならば収録対象になることがわかります。
漁生浦島~有福島間は堤防道路…とあるのですが、よく見ると2ヶ所ほど堤防が切れていて橋になっているような…要精査
などの指摘[82877]も出ており、堤防道路排除は事態を徒に複雑にしているように見受けられます。

「島と橋との関係」を論ずるにあたり、堤防道路とを橋と峻別すること。
第三十六回十番勝負問四における扱いは別として、これは果して必要なのでしょうか?
[86421] 2014年 9月 28日(日)13:48:33【1】hmt さん
海と島 (21)日本で第2の島は?
日本最大の面積を持つ島【別格の5大島と北方領土を除く、以下同じ】は 佐渡島【注】854.53km2 です。
【注】
 この地の普通の呼び方[65109] は「佐渡」で十分であり、敢えて語尾に島を付けて呼ぶ必要はないと思っています。
 しかし、今回のようなケースでは 付属する無人島が皆無ではない(二ツ亀島)ことを考慮して、敢えて国土地理院の面積調による「佐渡島」の表記を使いました。国勢調査の「佐渡市」の面積 855.31km2と比較し、僅かに小さいことが確認できます。

日本最大の人口を持つ島は淡路島[24364]で、人口【2010年国勢調査、以下同じ】は 洲本市+南あわじ市+淡路市-沼島506人=143041人と計算されます。

では、「日本第2の島」は? 
面積については、このシリーズの(8) でもリンクした 海保第五管区のページ の下の方に 面積100km2以上の島のリストがあります。 1佐渡島、2奄美大島、3対馬、4淡路島、5天草下島、6屋久島、…12天草上島、…21屋代島

この中で注目したいには、天草下島と天草上島です。
大縮尺の地図でないと一つの島のように見える2島は、本渡瀬戸 により隔てられています。
この海峡は昔から有明海と八代海とを結ぶ航路でしたが、干潮時には歩いて渡ることができる浅い海でした。

現在では全国で15指定されている 開発保全航路 の1つですが、本格的な航路工事の歴史は、戦後になってからのようです。

本渡市が成立した1954年の翌年には 本渡築港が完成し、1958年には2つの島を結ぶ新瀬戸橋(跳開橋)が完成。
そして 1961年に 第1次瀬戸開削事業による 幅30m、水深3mの航路が完成しました。
現在は幅50m、水深4.5mになっており、航路と陸上交通を両立させる橋も、ループで路面を高くした天草瀬戸大橋だけでなく、歩行者や二輪車の利便を図り作られた赤い昇開橋(本渡瀬戸歩道橋)も架けられています。

結局のところ、自然島である天草下島・上島とはいうものの、その間にある海は 両島を隔てる存在ではなく、人の手による開削運河化と架橋によって 水陸両方の交通を両立させた 共有の航路である というのが実態なのでしょう。
元々あった自然の水路という意味では、大船越瀬戸や万関瀬戸の開削により分離された 対馬との違い があるわけですが、人工水路上の架橋で一体化した島であることでは共通です。
そして天草の上下2島の面積を合計すると約800km2で、約700km2の奄美大島や対馬を上回る日本第2の面積を持つ島になります。

天草については 本渡瀬戸が運河化された5年後に開通した天草五橋により 九州本島との一体化が実現しました。
宇土半島の先端から大矢野島【現在は上天草市役所所在地】へ、そこから永浦島・前島などを経て天草上島に至る5つの橋は、昭和41年(1966)に一般有料道路として供用を開始しました。
これにより鉄道と船との乗り継ぎで3時間20分かかっていた熊本-本渡間は 車で2時間20分に短縮され、観光客数は年間54万人から315万人に急増しました(熊本県天草広域本部)。
予想外の交通量増大により有料道路は9年で償還を済ませ無料開放されました。

このようにして、天草の主な島は本土(九州本島)と結ばれた一群の架橋島【以下、“連島”と呼びます】になりました。

3号橋と4号橋との接点になっている大池島など無人島は省略してありますが、分岐路Bを含めて架橋で連なった島名と面積(km2)とを列挙します。大矢野島19.98+B維和島6.40+B野釜島0.32+永浦島0.79+B樋合島0.79+前島0.43+天草上島225.38+B樋島3.46+天草下島574.25+B通詞島0.60+下須島4.52 = 846.92(km2)。佐渡島に匹敵する大きさです。

そして、人口はというと 天草下島78142+天草上島29596+大矢野島13275人の主要3島にB樋島とB維和島を加えて122726人。

天草上島の南側にある御所浦3島【注】を含めれば文句なしに“面積最大の島”になるのですが、この部分は中瀬戸橋があるだけで、本土に通じる 御所浦架橋は まだ実現していません。
【注】御所浦3島
 横浦島1.09+御所浦島12.41+牧島5.63=19.13km2、人口752+2054+357=3163人

「連島」を考慮した島のランキングは、[86425]に分割しました。
[86425] 2014年 9月 28日(日)22:17:18【2】hmt さん
海と島 (22)日本の島 「連島」を考慮した面積・人口の上位ランキング
[86421]では 天草を例に挙げて 島と架橋との関係 について考察しました。
すなわち、干潮時に歩いて渡れる浅い海であった本渡瀬戸は、戦後の土木工事によって有明海と八代海とを結ぶ運河に変りました(1961)。それは航路の整備というだけではなく、同時に 跳開橋やループ橋、昇開橋などの橋梁技術によって 2つの島を陸上交通路でも結びつけるものでした。
更に 1966年の天草五橋は 自動車道路で天草と九州本島との間を結びつけ、離島の地位を脱して 本土化する 結果をもたらしました。

これより先、1961年12月3日に 瀬戸内海の音戸瀬戸に音戸大橋が開通して 本格的な離島架橋がスタートしました。早瀬瀬戸の架橋により能美島江田島までの陸路が通じたのは1973年です。大畠瀬戸の架橋(大島大橋、屋代島)は1976年。
淡路島への大鳴門橋は1985年で、その後 瀬戸大橋(1988/4/10)、明石海峡大橋(1998/4/5)、しまなみ海道(1968年の尾道大橋に始まり 部分開通を重ね、全線開通は 1999/5/1)など島を中継地とする連絡架橋も次々と開通しています。
九州でも1977年に平戸瀬戸の架橋が実現。全国で多くの離島が本土からの自動車交通可能な状態になりました。

このようにして、架橋で結ばれた島々を <連島> として扱うと、日本の島のランキング上位がどのように変るか調べました。

以下の表において、<天草連島>のような <連島> の名称は hmtの独断による命名です。
<連島>を構成する島名のうち B維和島のように頭にBを付した島は、メインルート(例:天草五橋)からの分岐路架橋島です。

<淡路鳴門連島>=淡路島+大毛島+B島田島+高島【鳴門】
<しまなみ海道連島>=向島【尾道】+B岩子島+因島+生口島+B高根島+大三島+伯方島+大島【越智】+馬島【来島】
<江能倉橋連島>=江田島能美島+沖野島+倉橋島+鹿島
<屋代連島>=屋代島+沖家室島
<上五島連島>=中通島+若松島+漁生浦島+有福島
<平戸連島>=平戸島+生月島
<天草連島>=大矢野島+B維和島+B野釜島+永浦島+B樋合島+前島+天草上島+B樋島+天草下島+B通詞島+下須島
<宮古連島>=宮古島+池間島+来間島

ランキングは面積100km2以上かつ人口1万人以上という条件を満たす屋代島、屋久島より大きな島をカバーするようにしました。
ランキング外ですが、<安芸灘連島>=下蒲刈島+上蒲刈島+豊島【下大崎】+大崎下島+岡村島 を番外として加えてあります。

順位連島面積km2-------順位単純面積km2
1佐渡島854.531佐渡島854.53
2<天草連島>846.922奄美大島712.52
3奄美大島712.523対馬696.64
4対馬696.644淡路島592.30
5<淡路鳴門連島>607.875天草下島574.25
6屋久島504.896屋久島504.89
7種子島445.057種子島445.05
8福江島326.488福江島326.48
9西表島289.309西表島289.30
10徳之島247.7710徳之島247.77
11島後241.6411島後241.64
12<しまなみ海道連島>224.3112天草上島225.38
13石垣島222.6313石垣島222.63
14<上五島連島>203.0414利尻島182.16
15利尻島182.1615中通島168.42
16<平戸連島>180.2516平戸島163.68
17<宮古連島>164.9317宮古島159.26
18<江能倉橋連島>164.5218小豆島153.35
19小豆島153.3519奥尻島142.75
20奥尻島142.7520壱岐島133.93
21壱岐島133.9321屋代島128.43
22<屋代連島>128.43
<安芸灘連島>53.21

順位連島人口-------順位単純人口
1<淡路鳴門連島>1511171淡路島143041
2<天草連島>1227262天草下島78142
3<しまなみ海道連島>788553奄美大島64107
4奄美大島641074佐渡島62727
5佐渡島627275石垣島46922
6石垣島469226宮古島46001
7<宮古連島>468067福江島36979
8<江能倉橋連島>459838対馬34230
9福江島369799種子島31854
10対馬3423010小豆島30167
11種子島3185411天草上島29596
12小豆島3016712壱岐島28941
13壱岐島2894113江田島能美島27031
14<平戸連島>2652914徳之島25587
15徳之島2558715因島24660
16<上五島連島>2200216向島【尾道】23510
17<屋代連島>1873517平戸島20384
18島後1552118中通島20167
19沖永良部島1392019倉橋島18952
20屋久島1343720屋代島18589
<安芸灘連島>802121島後15521
22沖永良部島13920
23屋久島13437
【修正】
最初は連島の名称を 天草& のように記しましたが、据わりが悪いので <天草連島> のような表記に改めました。
[87262] 2015年 2月 7日(土)17:28:41hmt さん
海と島 (23)富山県・千葉県・神奈川県の島
[87259] グリグリさん
千葉県と富山県の地図にも島の表記を行いました。

富山県氷見市の 虻ガ島。初めて知った小さな無人島でしたが、それでも富山県最大なんですね。2島合計で0.1ha余。富山県指定名勝・天然記念物。能登半島国定公園特別保護地域。
いきなり深くなる富山湾で希少な島です。5万分の1地形図の図名では 「虻島」となっていた時もありました。

千葉県鴨川市の仁右衛門島。落書き帳では、早くも2003年に小さな有人島として登場[15942][16236]
面積は 2haとも 3haとも。平野仁右衛門を代々名乗る個人の所有で、自然島としては千葉県最大の島のようです。

人工島ですが、富津市の「第二海堡」[26174]。この島は 仁右衛門島よりも大きな島であるというだけでなく、千葉県の西端[83154]という重要な地位を占めています。是非とも 千葉県の地図に描いていただきたいと思います。神奈川県の地図にも。
少し立場が違いますが、千葉県と神奈川県とを結びつけている「海ほたる」も 地図に描かれる対象として考慮されてよいのではないでしょうか。>グリグリさん

海堡に戻ると、東京湾海堡の歴史では、品川台場にも言及しています。1914完成の第二海堡は 4.13ha。隣の第一海堡も富津市で、2.31ha 1890完成。参考までに第三海堡所在地は横須賀市でしたが、航路確保のため 2007年までに撤去されました。

神奈川県の地図に移ります。富津岬の西、第一海堡・第二海堡の対岸・横須賀に記されているのが吾妻島です。
この島は知らなかったのですが、横須賀市箱崎町の面積は82.5haで、海堡など数haの島よりも1桁以上大きな「島」です。
元々は「箱崎」という地名が示すように半島だった地形でした。1889年に付け根に開削された水路で切り離されたとのことですが、大正の地形図ではまだごく狭い水路で、「島らしい島」ではありません。
全島が米国海軍の倉庫地区になっており、一般人は立ち入ることができません。

吾妻島のすぐ北にあるのが「夏島」です。ここは元は風光明媚な金沢八景を望む天然の島でした。
海軍の軍用施設を作るための埋立で本土と地続きになりましたが、「夏島」という地名は残っています。
横須賀市夏島町の面積は288.8haもあるので 大きな島かと思ったのですが、古い地形図で確認すると 自然島の夏島は 一桁小さな島でした。現在の夏島町は大部分が埋立地であることがわかりました。

…というわけで、「神奈川県の地図」にその名を記してもらう資格はないのですが、調べてみると なかなか由緒のある島です。

夏島貝塚。その存在は戦前から知られていましたが、要塞地帯や米軍占領のために調査不能。しかし占領軍の将校の協力が得られ、明治大学による調査が実現。放射性炭素14による年代測定が日本で最初に使われ、縄文土器の年代が5000年前から9500年前まで倍近くに遡ることがわかり、考古学に大転換をもたらす。
写真の小山が本来の「夏島」で、その周囲に埋立で作られた平地が広がっていることがわかります。

落書き帳読者のみなさんは 明治22年(1889)と聞くと、反射的に「1889/4/1市制町村制施行」となると思いますが、その少し前 1889/2/11 大日本帝国憲法発布(施行1890/11/29) こそが 近代日本の統治制度を仕上げる重要なステップでした。

夏島は、その憲法発布の準備作業が行なわれた地として その名を残しているのです。
明治維新三傑亡き後の明治政府で力を持った伊藤博文は、明治15年(1882)に憲法調査の目的でヨーロッパで学んでいました。明治18年の内閣制度への移行に際しては、初代首相に就任し、ここでも憲法発布前の下準備。具体的な憲法草案の作成作業は、明治20年(1887/6)から夏島にあった伊藤の別荘で、伊東巳代治・井上毅・金子堅太郎らと共に行なわれた検討会で始まり、8月に一応の成果を得ました。この 夏島草案が 枢密院での審議を経て、明治22年の憲法発布に至ります。

ここまでは自然島だった夏島ですが、大正7年(1918)に横須賀海軍航空隊などの軍用施設を作るための埋立が行なわれた結果、島の様子は一変します。
大正10年修正の地形図では、島の西側に大きな埋立地が現れ、追浜飛行場と記されています。ここで追浜(おっぱま)という地名が現れましたが、相模国三浦郡と武蔵国久良岐郡との境界線がこの中を通っています。埋め立てた海の大部分が久良岐郡金沢村野島の地先だったからです。このことが、戦後飛行場跡地の帰属について横浜・横須賀両市間の係争の因になったとのことです。

敗戦後、追浜飛行場の後は、占領軍の巨大なスクラップヤードになり、南方の戦場で壊れたトラックやジープが大量に運び込まれ、その修理・解体・再利用が行なわれました。引き続き、1950年に始まった朝鮮戦争もスクラップ車両の供給源になりました。

このような過渡期を経て、現在の夏島で最大の面積を占めている施設は、日産自動車追浜工場です。
1961年操業開始 。工場が完成し、ブルーバード生産開始は 1962年3月(Wikipedia)。

夏島には、海洋研究開発機構JAMSTEC もあります。「しんかい6500」の母船は「よこすか」ですが、その前に運用されていた「しんかい2000」の母船は「なつしま」でした。現在は「ハイパードルフィン」の母船に改造され活躍しているとのことです。研究船
[87273] 2015年 2月 10日(火)23:02:54hmt さん
海と島(24)地方自治法の規定で青森県所属になった 久六島
[87270] グリグリさん
第二海堡、海ほたる等の追記ありがとうございます。

秋田県は山形県の飛島を記載

これを見て、久六島 を思い出しました。
青森県の西端・久六島は、舮作崎から西に 30 km沖の日本海にある岩礁群で、青森県西津軽郡深浦町の一部になっています。

惜しいところで秋田県の領域から外れてしまった島 ということでは 山形県の飛島と共通しているのですが、こちらはずっと小さな無人島で、灯台のある上ノ島が53m×13mで最大。

深浦町史によると、久六島は天正年間には発見されていたようですが、旧岩崎村の大屋家所蔵の記録によると、船問屋の大屋久六が天明6年発見となっています。

江戸時代から、深浦・艫作・岩崎など弘前藩領海岸の漁民だけでなく、秋田藩領の村(岩館・八森)からも入漁していましたが、「石高」に関係しない岩礁は所属未定のままだったようです。

明治時代は青森県・秋田県ですが、当時の新聞は両県の間での過当競争を報道。

この状態で、明治以来も どちらの県にも所属しない状態が持ち越されたものの、1953年10月13日の閣議により所属未定地域の青森県編入が決まり、昭和28年総理府告示第196号で 久六島が正式に青森県西端になりました。

参考までに記しておくと、この措置の根拠とされた地方自治法第七条の二は 前年の法改正 により追加されたもので、本事案がその適用第1号であったと思われます。
[89357] 2015年 12月 28日(月)13:14:23【2】hmt さん
海と島 (25)1世帯70人の海栗島(うにじま)
[89351] にしさん21号 さん
過去に世帯当たり41人もいた記録を私も知りませんでしたし

2003年の落書き帳記事[17003]には、海栗島【当時は 長崎県上対馬町】世帯数1、人口62と記されています。
この島は全部が航空自衛隊レーダー基地として利用されています[17864]
国勢調査における「世帯」の扱いについては てへへ さん の記事 [17875] があります。ご参照願います。

参考までに、長崎のしま紹介では 世帯数1、人口70人 となっており、これは 2010年国勢調査の確定値です。

本題の「世帯」から外れますが、「長崎県の島」の話題になった機会を利用し、[85748]の続編を記します。

[17003]では 1世帯の島が5つ示されていましたが、最近の資料によれば 自衛隊施設世帯の2島【対馬島の北側にある海栗島と 壱岐島の北側にある若宮島】を除けば、野崎島を残すのみです。

その野崎島は 新上五島町・中通島が北に長く伸びた半島の先にあります。地図で見ると五島列島の一部と思われるのですが、野崎島の本島とされるのは 小値賀島であり、ここは行政的には「五島列島」に含まれず[26554]、平戸地区に属しています。

野崎島は落書き帳では早くも[10913]【注】で登場します。
[10930]に記されているように、縄文時代からの歴史がある島で、江戸時代には隠れキリシタンが住んでいました。
禁教が解かれた明治時代に建造された赤煉瓦造りの 旧野首教会 も有名です。
しかし、キリスト教と神道とが混在[33529]した3つ集落(最盛期の人口648人)は、自給自足の生活が維持できなくなり[65125]、1971年の集団移住で廃村になりました。
無人島になった時代もあるかと思いますが、現在は宿泊施設の管理関係者がいるようです。

おしどり夫婦が守っていた壱岐の妻ヶ島も、西海市西彼町の 前ノ島も無人島になりました。

【注】
[10913]には【壱岐の】勝本町妻ヶ島が「世帯数が1なのに人口が24」と記されています。
しかし、これは勝本町若宮島の誤記と思われます。こちらは海上自衛隊基地で、2010年人口は14人です。
[89994] 2016年 2月 17日(水)17:15:24hmt さん
海と島 (26)長崎県小値賀町・野崎島
BS JAPANの『空から日本を…』で 「長崎県五島列島」が放送されました。
第1回 は、宇久島から中通島まで。

私としては 「自然地理的観点」からして、今回のタイトルに異議を唱える気は全くありません。
小値賀町プロフィールにも、「五島列島の北部に位置し」と書いてあります。

しかし「行政的観点」からすると、佐世保市の宇久島や、北松浦郡小値賀町の小値賀島・野崎島などは「平戸諸島」であり、「五島列島」とは別の指定地域として扱われています。離島振興対策実施地域一覧(H27/7/13) p.5参照。

広大な肥前国松浦郡が東西南北4郡に分割されたのは 郡区町村編制法に基づく 太政官布告明治13年第22号別冊 でした。この時に 宇久島・小値賀島は北松浦郡になり、南松浦郡の五島列島と分離しました。
しかし、藩政時代の小値賀島は平戸藩領でした。また 島の数から判断しても、宇久島・小値賀島は、中世以降ずっと「五島」に含まれていなかったのかもしれません[26554]

町の沿革の最後に記されているように、「小値賀町(おぢかちょう)」という仮名遣いを採用していますが、URLに使われた表記は「ojika」です。
2005年に石巻市と合併した宮城県牡鹿町は「おしかちょう」でした。

それはさておき、長い歴史を持ちながら現在の人口は施設管理人1人という野崎島は、落書き帳に何回も登場しています。最近では[89357]

今回 空から眺めて知ったことは、野崎島の中央部に 「ダム湖」が作られていることでした。
事実上の無人島であっても、この島の山に降る雨は貴重な水源として ダム湖 【mapionでは無視されている】に集められ、人口は多いが 水源に恵まれない 小値賀島に 送られているとのことです。野崎島水源の森

その小値賀島。火山島ですが 概ね平坦。ご多分に漏れずの高齢化ですが、それでも島外からの若い移住者もあり、子供も生まれて賑わっていたようなので、一安心しました。
野崎島の水が、この人達を支えているのですね。

野崎島の南に隣接するのは細長い中通島。新上五島町の主島です。
今回の番組動画には、集落ごとに26も作られた教会の分布図がありました。

次回2月23日の放送は 五島列島の第2回で、五島列島最大の 福江島が登場します。
亀の子模様の「三井楽の円畑」を 空から見ることができることを期待しています。
[82801] [82804] [82810] グリグリさん、hmt 参照。
[90688] 2016年 7月 12日(火)19:33:31hmt さん
海と島 (27)香川県の島
[90684] 白桃さん
香川県の有人島の人口(2010年国勢調査)です。結構、謂れのある島が多いです。
今では島ではなくなりましたが、屋島、瀬居島、沙弥島にも人は住んでいます。

今更なのですが、屋島も昔は「島」だったことを再認識しました。
正直なところ、日本の島 約500を選んだ時[86275]にも、全く念頭にありませんでした。
1968年の番の州埋立で 四国本土の一部に取り込まれた 沙弥島・瀬居島[86062]は hmtが選んだ「島list500」に含めています。人工島や本土と地続きになった島でも社会的に重要な地位を占める「島」はできるだけ対象に含めるという趣旨で桜島なども含めたのですが、屋島は考えていませんでした。
屋島を四国本土から隔てていた海。完全に陸地化した現在との間には、塩田時代もあるのでしょうか?

それはさておき、[86275]に記した趣旨で選定した 「島list500」 の集計表を、5大島・離島(47都道府県別)・北方領土の 順に示した集計表が作ってあるので、示しておきます。[86311]
香川県を見ると島の人口 38257 となっています。[90684]との差は 沙弥島96+瀬居島763。有人島数27は この2島の他に備考に記した井島の一部を算入していますが、石島の香川県部分【井島】は無人です。

データがあるので、香川県の島面積を島群別に集計しておきます。面積単位はkm2
小豆島と付属島:小豆島153.35+沖之島0.19+小豊島1.09+豊島14.50=169.13
直島諸島:井島1.82+直島7.82+向島0.74+屏風島0.12+牛ヶ首島0.33=10.83
高松市:大島(庵治大島)0.69+男木島1.38+女木島2.68=4.75
備讃瀬戸:櫃石島0.93+岩黒島0.17+与島1.10+小与島0.26+瀬居島0.91+沙弥島0.28=3.65
塩飽諸島:牛島0.84+本島6.77+広島11.66+手島3.41+小手島0.53+高見島2.33+佐柳島1.83+粟島3.68+志々島0.59=31.64
燧灘:伊吹島1.05
合計:28島 221.05km2【[86311]には算入していなかった元々の瀬居島・沙弥島面積を加えました。】

大部分の島は離島振興対策実施地域に指定されています。
具体的には、本土と地続きの瀬居島・沙弥島、無人の井島、近年無人になった牛ヶ首島の4島を除く24島で、自治体・面積・人口を含む一覧表になっています。
地域名は普通の用法と少し違う場合もあるようなのでご注意ください。

実は、離島指定基準は1964年以来約半世紀ぶりの 2013年に見直しが行なわれ、小豆島などが新指定されました。
国立療養所[90684]のある大島(庵治大島)も この際に検討されたのですが、船便や就業者数の多さから広島県厳島と共に指定が見送られたと伝えられ【出典】、[85202]でリンクした当時の最新版一覧表も そのようになっていました。
ところが今回確認したところリンクが切れており、再検索して得た上記平成27年7月13日現在の一覧表では大島が指定されていました。再見直しがあったようです。

…というわけで、離島振興法の有人離島数ランキングで、香川県は、堂々全国第3位の離島県でした。
長崎県51 愛媛県32 香川県24 山口県21 鹿児島県20 岡山県16 広島県13 宮城県9 東京都9 福岡県8

オヤ? 沖縄県がない… と思ったら、沖縄39島、奄美8島、小笠原2島は別の法律でした。[85802]

有人離島の数ではなく、都道府県の面積に占める 島嶼部の割合[85769]
沖縄県46.2% 長崎県44.4% 鹿児島県28.3% 東京都18.2% 熊本県11.8% 香川県11.3% 兵庫県7.3% 愛媛県7.0%

都道府県の人口に占める 島嶼部の割合[86311]
長崎県13.64% 鹿児島県10.99% 沖縄県9.64% 熊本県7.08% 広島県4.56% 山口県4.17% 香川県3.84% 島根県3.59% 兵庫県3.27% 新潟県2.66% 愛媛県2.60%

[90684]
男木島 高松市 162 かつては女木島とともに雌雄島村

昭和合併最終日[88364][73411][90105]に高松市に編入するまで存在したのですね。香川県香川郡雌雄島村
読み方が気になったので調べてみました。
しおじま メオシマ シヲジマ
昔は「雄」を「お」と読んだようです。

村の名を伝えている雌雄島海運のフェリーの名は「めおん2」 ですが、Wikipediaによると男木小学校の児童による命名だそうで、昔の村の呼び名に基づくものではないようです。
Wikipediaは しゆうじまむら となっています。

村が消えて60年も経てば、船会社の名を普通に読む「しゆうじま」が広く通用するようになってしまうのでしょう。
[91213] 2016年 8月 15日(月)12:39:47【3】hmt さん
海と島 (28)大きな無人島
[91212] 白桃さん
「面積1km2以上の無人島」ってあるのでしょうか?

過去記事[33529][85822]を参考に 上位と思われるものを列挙し、再検討してみました。
その結果によると、事情はそれぞれ異なるが、馬毛島や野崎島は 現在は再び有人島化したようです。

島名面積km2所在地コメント
渡島大島9.74北海道松前町[15328][23960]の29
馬毛島8.17鹿児島県西之表市島を手に入れた企業が有人島化 その狙いは?
兄島7.88東京都小笠原村世界遺産になる前は空港計画があった
大黒神島7.30広島県江田島市[29879][33494]黒い噂
野崎島7.11長崎県小値賀町[89994]他多数 現在は管理人が定住し宿泊できる有人島らしい
春国岱6   北海道根室市[85822]
屈斜路湖中島5.81北海道弟子屈町
枝手久島5.79鹿児島県宇検村奄美群島 開発計画
北硫黄島5.56東京都小笠原村[79266]
弟島5.20東京都小笠原村墓や小学校の門など定住遺跡あり
洞爺湖中島4.84北海道壮瞥町、洞爺湖町遊覧船で行ける
鳥島4.78東京都(市町村なし)[18943][22460]
南硫黄島3.54東京都小笠原村[74102]

なお、下記のようにまぎらわしい存在の島もあります。

硫黄島は 23.73km2もある大きな島で、戦前は1000人以上の人が暮らして賑わった島でしたが[56162]、現在は火山活動のために一般人が定住することはできません。
 # 火山と言えば、一時的な避難でしたが、三宅島 55.21km2も無人化した時がありました。
しかし、硫黄島には海上自衛隊員が常駐しています。つまり「住民がいない有人島」です。
南鳥島 1.52km2も 同様に海上自衛隊員が常駐しています。南鳥島には気象庁職員も常駐。

これに対して、「人がいる無人島」もあります。
広い意味では、住民基本台帳の住所を有する居住者も、国勢調査の常住者もいない島が「無人島」として扱われると思います。
しかし、居住者・常住者に限定して有人・無人を区別することにすると、「定住していない通勤者や旅行者」がいっぱい居るのに「無人島」という事例が たくさん出てしまいます。
その代表が「民間空港島」なのですが、その他の事例も含めて [86161]で例示しておきました。
[93667] 2017年 9月 4日(月)15:44:37【1】hmt さん
海と島(29)四国近海2題
1 岩礁 「碆(はえ)」地名
[93662] そらみつ さん
ハエは西日本に多く見られる型なので、それだけで一つのコレクションとする方が良さそうです。碆という漢字を使う地域が多いですが、カタカナのハエや礁の表記もあるようです。

「ハエ」地名については、[80231]で言及したことがあります。
Issieさんが PC画面上に表示できるのか? と危惧していましたが、JIS第二水準で表示可能。
会意文字を見ると、「波」頭(かしら)が「石」(岩礁)の上を越えています。

[92092]で言及した稀少地名漢字リストには、孀婦岩[19728]の「孀」のような漢字も収録されていました。
しかし「碆」は収録対象外であるようです。
「碆、ハエ」等の地名は それだけ数が多く、「稀少ではない」ということかもしれませんが、考え様によっては、かえって「やりがいがあるコレクション対象」なのかもしれません。【修正1】

地名に関心がある若い方に、ちょっとだけですが、過去の情報をお知らせしました。

2 日振島
「碆地名」に関連して、宇和島付近の地図を眺めていたら、日振島中央部の 架橋 が気になりました。
古い地勢図には「堺」という地名が記されて地続きのように見え、現在も単一の有人島として扱われています。

平安時代の藤原純友を扱った海音寺潮五郎『海と風と虹と』に記されているように、この「堺」は、かつて日振島にあった4港の一つでした。
現在、この港は放棄されているようですが、歴史的には、やはり単一の有人等として扱うのが正しいようです。

現在の地図では狭い海で2島に分かれているように見えます。
現地訪問記によると、橋の下に海水は全くなかったとのことですが、満潮になれば海水がくるのでしょう。
[95530] 2018年 3月 11日(日)12:23:10hmt さん
海と島(30)石狩湾挽歌
[95528] 白桃 さん 後志挽歌
この曲は「後志挽歌」とすべきではないか・・・
小樽の前にある海は石狩湾なので、それでいいじゃないの、幸せならば…。

ニシン漁で賑わった海…と言っても、作詞者・なかにし礼 の少年時代、小樽に住んだ頃よりも前の時代の海。
それを偲ぶ歌なのでしょう。

海がテーマなのだから、地理的な立場からすれば 「石狩湾挽歌」 が適切でしょう。

「石狩」という地名から連想するのは平野の中を蛇行する大河です。
松浦武四郎の命名した「後志」に至っては後方羊蹄山に由来する「陸の地名」です。

それはさておき、Webを探っていたら、歌詞にある「沖を通るは 笠戸丸」に着目した ページ がありました。

移民船や豪華客船としての笠戸丸の存在は、私も辛うじて知っていた程度。
偶々出会った今回のページで、帝政ロシア時代の病院船>旅順港で接収され呉軍港所属になる。
船名の由来は山口県の笠戸島。移民船・豪華客船・台湾航路などの時代を経て、昭和になってからは北方漁場に出漁。
第二次大戦末期にソ連軍に接収され爆沈。…数奇な一生の船でした。

なかにし礼が満州から小樽に引き揚げてきたのは8歳の時で、笠戸丸は既に存在せず。
それでも、成人していた兄が一攫千金を狙ったニシン漁が存在した時代でした。
大きな賭けが成功かと思われたが、輸送中に船が沈没。一家離散という結末でした。

歌のことなど知らないのですが、笠戸を含めて、地名にまつわる雑多なことを書き連ねてしまいました。
[96402] 2018年 8月 19日(日)11:26:02hmt さん
海と島(31)ユルリ島の馬
時折綴っている「海と島」シリーズです。島の人口とか無人島とか居住者の有無に関係したトピックスも多いのですが、今回の「居住者」は 人ではありません。

日曜日朝のNHK「さわやか自然百景」。今朝のテーマは、根室沖3kmに浮かぶ双子の無人島、ユルリ島とモユルリ島でした。

「鵜の島」を意味するアイヌ語と根室沖という場所から連想するのは歯舞群島ですが、歯舞群島の勇留島(ゆりとう)は根室半島の東にあります。
これに対して、ユルリ島【2km2】と より小さなサイズのモユルリ島【0.3km2】とは、根室半島の南にあり、いずれも周囲を断崖で囲まれた平坦な台地の島です。地理院地図

遠目には同じように見える平らな無人島ですが、上陸してみると草の丈が大違いです。
ユルリ島には、以前に昆布漁師が持ち込んだ馬が野生化して、背丈の高い草を食べるため充分な光を浴びた花々が草原に咲き乱れます。

昆布漁が盛んだった1950年代のユルリ島には人が住み込み、馬を使って昆布を引き上げた断崖上の平地を、昆布干場として使っていました。

時代が変わり干場としての利用が終わると、人々は島を去りました。
しかし、馬は食肉として売られることなく、積雪も少なく、水と草の豊富なユルリ島に残されました。山のない島ですが、ミズゴケによる貯水能力があり、雪の下で 馬の命を支える環境があったのですね。
最盛期には30頭にも増殖した馬。近親交配を防ぐためにオス馬の入れ替えも行われたそうです。

2006年、漁師の高齢化に伴い全てのオス馬を引き上げ、14頭のメス馬が残され、馬の数は少しずつ減少。
北海道ファンマガジンによると、2011年8月に12頭いたのが、2014年2月に6頭と2年半で半減。そして、2018年の今回取材時には3頭。

人間の都合で連れて来られ、野生化への道をたどった居住者の馬がゼロになるのは時間の問題でしょう。
そうなると 当然ですが、植生への影響があります。
海鳥たちとオジロワシとの攻防も、その行方は如何。
島という限定された世界でも、自然の姿は移り変わっているようです。
[97420] 2019年 1月 9日(水)22:45:54【1】hmt さん
海と島(32)馬毛島買収問題決着へ
馬毛島は種子島の西隣12kmの東シナ海にある島ですが、落書き帳では「大きな無人島」として登場していました。

2016年 [91213]の記載
馬毛島 面積 8.17km2 鹿児島県西之表市 島を手に入れた企業が有人島化 その狙いは? 

疑問符付きで記してありますが、その答えはリンクしたページに記されていました。
島を国有化して米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FOLP)に用いる計画関連。2008年から内々の打診が進行。
しかし、防衛省が提示した評価額は、高値での売却を狙う所有者の希望金額と一桁異なり、物別れの状態でした。

そこで所有者が利用したのが、地権者の言い値で国有化したという尖閣諸島と、中国企業の動きでした。
2012年になると、「中国の企業が何社か接触してきている。日本の対応次第では売ってもいい」という地権者発言。

日米両国政府による在日米軍再編合意(2006)をふまえ、厚木の艦載機部隊は2018年迄に岩国に移動しました。
日本側としても、近くなった馬毛島の整備は、待ったなしの状態に追い込まれた形です。

今朝の読売新聞は、「米軍機訓練 馬毛島を買収/安保重視 官邸主導」という見出しで決着を報じていました。

問題になっていた対価については、島としての単純な資産価値の45億円から滑走路用地や関連施設を加味した100億円に増加され、更に地権者の希望で60億円上積みした 160億円で仮契約に漕ぎ着けたと伝えられます。


【2019/1/10 追記】馬毛島の人口 産業利用の概要

渡島大島に次ぐ「日本で2番目に広い無人島」であった馬毛島。所有者の企業による土地に付加価値を付けるための工事で有人島化[91213]したが、最近の調査では 無人島に戻っているようです。日本の島へ行こうによる国勢調査人口。
0人(H27)・11人(H22)・15人(H17)・0人(H12)・0人(H7) 国勢調査

それ以前の産業利用の概略。種子島第一の西之表港の対岸にあり、種子島家が漁業基地として利用。
蛇足:種子島と言う地名からは 16世紀大航海時代「鉄砲伝来」の門倉岬や 種子島宇宙センターを連想します。
しかし、それらの地は 島の南端近い南種子町で、馬毛島からはずっと離れています。

馬毛島は、明治期の牧畜業を経て、戦時中は一時無人島にもなりました。
戦後の 1951年から馬毛島入植が再開され、1959年には 113世帯、528人を記録して小中学校も開校。
しかしその後は 旱魃・風害・食害などによる農業不振と製糖工場閉鎖で 1980年に全島民離島。無人島に。

その後は実質的な利用のないまま、土地投機の対象として翻弄される運命をたどりました。
[97534] 2019年 2月 14日(木)17:31:23【2】hmt さん
海と島(33)西彼杵炭田(1)総論と高島/端島炭鉱
約2週間前に白桃さんが出題した DIDなぞなぞ[97508] と かぱぷうさんの解答[97509]
ひょっとして ここ のことですか?

話題の本筋の DID から離れてきますが、この機会に長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡の島々にあった炭鉱の記事を書きました。石炭採掘が盛んだった頃には すべて西彼杵郡 でしたが、現在の所属は長崎市と西海市です。

長崎から南に伸びる長崎半島の沖にあった高島/端島などの炭鉱跡は 2005年に長崎市に編入されました。

かつて炭鉱で賑わった崎戸・大島などの町々や、石炭火力発電所に変身していた松島(大瀬戸町)も、同年の平成合併で、すべて西海市になりました。西海橋で知られる針尾瀬戸までの西彼杵半島北部と五島列島の近くの平島に及ぶ島々ですが、炭鉱があった島は本土に近い幾つかに限られています。

炭鉱の系譜で言えば松島や大島の後継である池島。地理的にも松島に近いのですが、池島は 本土側の合併前境界線を角力灘に延長した線の南側になるので、この島は外海町でした。従って平成合併では長崎市に編入されました。

広い範囲に存在する島々なので、1枚にすると端島などが見えにくなります。南北に分けた同縮尺(#12)の地理院地図。
西彼杵の島々(北部)
西彼杵の島々(南部)

さて、かぱぷうさんの解答[97509]にリンクされた地理院地図・中ノ島には、注記「史跡【記号】高島炭鉱跡 中ノ島炭坑跡」が付けられています。
この地図を#17から#16へと1段階縮小したスケールにすると、隣の端島(はしま)【通称・軍艦島】が現れ、こちらには、「史跡・高島炭鉱跡 端島炭抗跡」とあります。

高島炭鉱・中ノ島炭坑・端島炭抗と3種類の表記がありますが、端島炭抗は端島炭坑の誤記と思われます。

それはさておき、「炭鉱」は 山や海底など 採炭区域を示す名称です。
複数の炭鉱を含む 広い石炭埋蔵区域 を示す言葉として、「炭田」という用語もあります。

これに対して 「炭坑」は、炭鉱内に作られた 採炭用の坑道【竪坑、横坑、斜坑など】のことです。
石炭産業が衰退した現在、使われる機会も少なくなったので、用語について 一応の説明をしておきました。

中ノ島から 地図を北にスクロールすると、端島や中ノ島より大きい高島が現れ、その北部にも「史跡・高島炭鉱跡 高島北渓井坑(ほっけいせいこう)跡」があります。

3つの国指定史跡は 長崎市のページ で紹介されているように、幕末の佐賀藩・グラバー商会による外国資本・外国技術導入に始まり、明治・大正・昭和にかけて 近代日本の石炭産業が成立し、発展した跡を知る貴重な文化遺産です。

長崎市のページによると、中ノ島炭坑が稼働したのは 明治16年から明治26年まで(1883-1893)でした。
島嶼部に開発された近代海底炭坑の遺跡が残る島ですが、激しい出水で廃坑になったのは、僅かに10年後でした。

昭和35年国勢調査当時の西彼杵郡高島町の人口が、高島(DID人口15,879人)と端島(同5,059人)だけであり、「DID以外【中ノ島】には誰も住んでいなかった」[97508]状態になっていたのは、なんと 19世紀という昔に、廃坑→無人化されたという歴史があったからでした。

参考までに、この高島町は、DID制定5年前の 1955年に(旧)高島町【高島】と西彼杵郡高浜村大字端島名の区域との合併によって新設された自治体でした。[71965]
推測ですが、「大字端島名の区域」は、有人島の端島の他に 無人島の中ノ島を含んでいたのではないでしょうか。

冒頭に記したように、ここで 高島とその2属島を含む高島/端島炭鉱から 視点を広げて、「西彼杵郡に広がる炭鉱の島々」を対象にします。

Wikipediaを見ると、「西彼杵炭田」という言葉がありました。
初耳でしたが、「長崎県西部、西彼杵半島西部及に点在した海陸、島嶼の炭鉱群の通称である。代表的な炭鉱として高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などがあった。」と説明されています。

前記史跡関係の資料においては「高島炭鉱」の一部とされていた端島が、独立の「端島炭鉱」とされており、少し相違します。以下、早期に廃坑になった中ノ島は省いて、「高島/端島炭鉱」という総称を使います。

「西彼杵炭田」は 学術文献にも使われている用語のようで、長崎県の炭鉱のうち 北松炭田は別として、蛎浦島や大島より南の島々にあった炭鉱を指すようです。2枚に分けた地理院地図を冒頭に示しました。

広島大学HPの炭田には 鉱山探訪2011/5【リンク切れ】から引用した長崎県の鉱山分布の地図がありました。同じ地図(Google画像検索結果)で、石炭鉱山の印である■を拾うと 西彼杵半島以南には 前記5炭鉱を含む8炭鉱が存在していました。崎戸[75121] 大島 松島 池島 伊王島 香焼 高島 端島です。

なお、島群コレクションには西彼諸島があり、8島の名が記されています。
この名については、2004年に[30575]を書いて疑問を提示してありましたが、それは 15年も前のことでした。
その際に、かつて炭鉱で栄えた高島や端島(軍艦島)が選ばれていないことを記しましたが、今回 長崎のしま紹介【西彼】を再確認したところ、平島 江島 松島 池島 伊王島/沖之島 高島 が地図で示され、端島についての言及もあり、だいぶ改良されていました。

余談:半島南端の樺島や橘湾の牧島も対象外となっており、コレクション記載の島名修正が必要であると思います。
私の考えでは 松島の北に位置する大島と蛎浦島(かきのうらじま)も、「西彼諸島」に加えておきたいと思います。
九州本土との間が架橋で結ばれ、現在の行政では離島扱いされていない「架橋島」ですが、本来的には「島の炭鉱」であることを強調したいのです。
[97535] 2019年 2月 14日(木)17:41:15【1】hmt さん
海と島(34)西彼杵炭田(2)崎戸 松島 大島 池島
高島/端島炭鉱に続いて、同じ三菱の崎戸炭鉱に移ります。

蛎浦島(かきのうらしま)は昔は沿岸捕鯨、その後は崎戸炭鉱で栄えた島です。
[75121]には書いてありませんでしたが、「崎戸島」は炭鉱のある島の西隣にある別の島です。
廃墟検索地図崎戸炭鉱をスクロールすると、県道の終点が崎戸島。

廃墟賛歌から要約。
崎戸炭鉱は 1907年から九州炭鉱汽船により採掘が本格化。1940年三菱鉱業崎戸鉱業所。戦時中の1943年には100万トン以上を産出。従業員7500人の日本有数の炭鉱となった。しかしその裏には強制連行による中国人・朝鮮人を含む労働者に対する過酷な処遇。
「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼ヶ島」と恐れられた時期もあったとか。

落書き帳では 15年近く前の記事ですが、1960年代の崎戸炭鉱での貴重な居住体験が残されています。
[34246] 2004/10/16 地球人さん
私は40年ほど前、まだ、炭鉱が盛んだったころの崎戸町に住んでいたことがあります。長屋暮らしで、上水道がなかったのか、水瓶がありました。公衆浴場は炭鉱が設置し、無料だったこと。映画館があったことなどを思い出します。以前、猫使いさんにも書き込みましたが[32514]、当時のアパート群が廃墟となってしまっていて、郷愁を誘われます。

高島/端島炭鉱や崎戸炭鉱は三菱の経営でしたが、西彼杵炭田には三井系列の炭鉱もありました。

三井系列と言っても、九州本土に 田川炭鉱や三池炭鉱という大炭鉱を持っていた三井鉱山(株)ではなく、中小炭鉱出自の三井松島グループです。

三井が地場資本の松島炭鉱に経営参加したものの、1917年の坑内火災、1929年の海底陥没、1934年の坑内出水と事故に見舞われ、松島鉱山は閉山しました。
そのような経営難の中で大島坑【大島は崎戸炭鉱のある蛎浦島の本土側の島】を開き、その利益で戦後開発したのが池島坑でした。
このように、松島>大島>池島と場所を変えなが 2001年まで採炭事業を続けたこの会社が、九州での石炭採掘事業の最終ランナーになりました。

松島炭鉱沿革
松島炭鉱(株)大島鉱業所沿革
松島炭鉱(株)池島炭鉱沿革

このグループの創業の地・松島の炭鉱跡には 1977年に電源開発(Jパワー)が進出して火力発電所を建設し、1981年には出力100万KW(50万2基)が運転を始めました。
三井松島産業は 輸入炭供給を通じて、現在も石炭の仕事を続けています。

また、日本で培われた炭鉱技術を海外に広めるため、1997年に設立された三井松島リソーシスは、2002年度からは国の「炭鉱技術移転五カ年計画」を受け、アジア諸国研修生に技術を教える研修施設に特化し、技術移転を推進しています。

石炭や三井系資本とは無関係ですが、大島には造船所ができており、1974年操業開始。

最後に DIDに戻り、[96482] 白桃さん が締めくくり。 
あとは落ち目の三度笠。中でも、高島、大島、崎戸の石炭で潤ったところの凋落ぶりは目もあてられない・・・
[97794] 2019年 5月 21日(火)16:17:28【1】hmt さん
海と島(35)島が消えた? 北海道 猿払村沖
北海道北部の猿払村の沖合にあるはずの小島が見当たらなくなったとの情報が寄せられたことを受け、海上保安本部が 2019/5/20から 現地調査を始めました。

私が知ったのは 昨夜のテレビニュースですが、北海道北部・宗谷総合振興局管内の猿払村の沖合 約500mにあるはずの「エサンベ鼻北小島」の消失 が話題になったのは昨年秋で、各紙が一斉に報道しており、その一つを引用します。

第1管区海上保安本部(小樽)は、1987年の測量では 島の高さは平均海面から 1.4mあったが、「雨風や流氷の浸食で消失した可能性がある」と説明。
猿払村漁協によると、現在は海岸、海上のいずれからも目視で確認できない。

地元民にとっては船の通行障害物という認識で、積極的な利用価値のある島ではなかったようです。
三、四十年前の記憶では、数個の岩の列の先にあり、3人程度が上陸できた小さな陸地とか。

この「陸地の消失?」がニュースになるのは、領海やEEZに関係するからですが、領海問題がらみで「島」と評価されるようになって、地元では かえってビックリという印象。

政府は平成26年(2014)、領海の範囲を明確にしようと、名称のない 158の無人島に名前を付けました。
エサンベ鼻北小島はその一つでした。

昨年明らかにされた消失問題につき、1管の担当者は「測量の時期や手法を検討する」としていました。
昨夜のテレビニュースの内容は、これを受けた 海保の 新年度調査開始を伝えるものでした。

それで思い出したのが、[85734]海と島(6)で記した「名称不明離島の名称決定・地図等への記載」でした。
上記158離島は、同様な政策を拡張したものと思われ、内閣府のページ 領海の外縁を根拠付ける離島の地図及び海図に記載する名称の決定には、158離島のリストが示されていました。エサンベ鼻北小島は No.13。

別件:海と島(32)馬毛島買収問題[97420] その後

160億円で仮契約が結ばれ、馬毛島買収問題決着へ と書いたのですが、情勢が変りました。
2019/4/8東京地裁の仮処分決定により、島を所有するタストン社の実権が父親の 立石勲 氏に戻り、防衛省に対して交渉打ち切りを 2019/5/7付文書で通告したそうです。出典
[98113] 2019年 7月 15日(月)22:56:06【1】hmt さん
海と島(36)都道府県のデータ 海岸線
海の日ということで、都道府県別の 海岸線ランキング を覗いてみました。

海岸線の総延長では、北海道に僅かに及ばない長崎県。
面積比では群を抜く首位で、沖縄県さえも圧倒しており、3位香川県・4位東京都以下に大差をつけていました。
もっとも、面積比【海岸長/面積】はマイナス1次元であるため、小県が大県よりも優位になる傾向があります。

円周長比は 次元を揃えたランキングであり、長崎>沖縄>鹿児島>愛媛>山口>香川 という順位は、県の大小に関わらない海岸線の多寡を示すランキングとして評価することができます。
もっとも、7位の東京都となると、これは 本土と島嶼部という全く異なる自然条件を統合したもので、その無理までを解消することはできていません。

参考までに、「都道府県の面積に占める 島嶼部の割合」という記事[85769] も過去にありました。
長崎県の島嶼部面積は 44.4% であり、本島を除く「沖縄県島嶼部」の 46.2% に次ぐ高率でした。

海岸線ランキングに戻り、海岸線長の面積比上位はさておき、下位を見ます。

海なし8県【滋賀県を含む】に続き、福島県以下、面積の大きな県が並んでいますが、その中で 34位の鳥取県が目を引きます。
日本海岸から中国山地まで 僅かに 20-30kmしかない。
それにしても、隠岐の影響が大きいのでしょうが、11位の島根県と大違いです。

遠くから眺めていると、同じような地理的条件と思いがちですが、海岸線面積比のランキングは、両県の違いを明らかにしているようです。
[98540] 2019年 10月 16日(水)17:54:30hmt さん
海と島(36)歯舞群島
[98539]で記した国土面積は、もちろん国の機関である国土地理院が用いる公称面積です。
例えば根室市の面積は 506.25km2 と記されていますが、下記の注釈により、第二次大戦後に日本の実効支配が及ばなくなった「北方地域」(5003.05km2)との関係が示されています。
★歯舞群島の面積94.84km2を含む

…というわけで、歯舞という地名、歯舞村、群島の名。この3つについて記します。

「はぼまい」の語源は、アイヌ語の「アプ・オマ・イ」で、意味は“流氷のあるところ”という意味とか。日本の島へ行こう

本来の歯舞は 離島ではなく、 根室半島先端近くの漁港集落です。
昆布などの 海産物輸送を目的を目的として、昭和4年(1929)に、根室との間 約15kmに 根室拓殖鉄道【ナローの軌道>1945年鉄道に変更】が開通しました。自動車用の道路が整備されていない時代のことです。

歯舞駅は 日本最東端の駅でしたが、路線の環境は過酷でした。
1959/4/1 歯舞村が根室市に編入された約半年後、自動車輸送に敗れた鉄道は廃止されました。

次に「歯舞村」について… 
鉄道より前の時代に遡りますが、Wikipediaの歯舞村には 【もちろん町村制ではないが】1897年に発足し、1915年(大正4年)に5村を合併して二級町村になったと記されています。
変遷情報では、1915年の花咲郡歯舞村新設の記録が、「歯舞」のデビュー記事になります。

この時に合併した一員に「珸瑤瑁村」がありました。
「ごようまい」と読みますが、この村が 根室半島と色丹島との間に連なる離島【珸瑤瑁諸島】です。
歯舞村になった後に「歯舞諸島」が使われるようになり、国土地理院の地図にも使われていました。
そして、根室市からの変更要望により、歯舞群島に変更(2008/3/21)。

昭和十年全国市町村別面積調によると、1935/3/31 歯舞村面積は 165.00km2です。
歯舞群島の最新面積は前記のように94.84km2ですが、Webで遡れる1988年面積調には「歯舞諸島 101.60km2」と記されています。出典の8コマ

約100km2の離島部は、歯舞村役場のあった本体、つまり半島部(約65km2)よりも 明らかに面積が大きかったことがわかります。
[98585] 2019年 11月 22日(金)18:50:37hmt さん
埼玉県の島
[98583] グリグリさん
埼玉県に島発見!? 三郷市戸ヶ崎にある川中島

中川の支流・大場川【旧河道?の中洲】ですが、立派な「有人島」なんですね。
妙見島のような目立つ存在ではなかったので、その存在を全く知りませんでした。
しかし、大場川を少し遡った小合溜は、[82206]など過去記事で何度も話題にした地でした。

ところで、「埼玉県 島」でWebを検索すると、群馬県境にある下久保ダムによる人造湖にある「ひょうたん島」が出てきます。Mapionでは 半島の先端として描かれていますが、ダム湖の水位によっては島になることもあるようです。満水時は水没?
地理院地図では無視されています。

あと、水に囲まれた「島」ではないが、地名としての「〇〇島」。
新一万円札に登場を予定されている渋沢栄一ゆかりの 血洗島
…恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説と口碑(言い伝え)とが伝わっている。
「地荒れ」「地洗い」など諸説あるようですが、深谷市内には「〇〇島」という地名は、利根川沿いの自然堤防などの微高地に使われているようです。血洗島の由来
[100846] 2020年 11月 19日(木)19:07:27【2】hmt さん
海と島(39) 日本の領海等外縁の根拠となる島 と 低潮線の保全政策
47都道府県一覧表に記されている 全国面積は 377,975.24km2です。【北方領土と竹島を含む】
これは、陸部 つまり海岸線の内側で、47都道府県の一部である湖沼を含んでいます。

しかし、大村湾は佐世保湾を介して西海橋の架かる針尾瀬戸で外海と通じている内海であり、長崎県の面積に含まれていません。
[57480]では 極端な事例として[23575]を引用し、次のように書いたことさえあります。
小縮尺の地図に基づいて判断すれば、佐世保から西彼杵半島・島原半島・天草を経て鹿児島県出水に至る“陸橋?”によって 東シナ海から隔てられた “内水面?”(大村湾・有明海・島原湾・八代海)は、九州本島の面積に含まれることになります。

ここで「内水」という言葉を使っていたので、一言注意しておくと、海洋政策で用いられる「内水」という用語は、防災用語の「内水」とは 全く別の意味を持つことです。
参考: 内水氾濫の 内水=堤防で守られた内側の土地(人がすんでいる場所)にある水

海上保安庁>領海等に関する用語
◆領海・排他的経済水域等模式図 が示されていますが、この図には 「内水」の図示がなく、下記説明のみ。
海岸線と 低潮線=領海の基線 との間が「内水」であると思います。
内水
領海の基線の陸地側の水域で、沿岸国の主権が及びます。
ただし、直線基線の適用以前には内水とされていなかった水域を内水として取り込むこととなる場合には、すべての国の船舶は、無害通航権を有します。

[57494] hmt 10年前に拡大した日本の「領土」でも 同様の説明図について言及していました。
陸地面積の増加はこの程度ですが、海域も含めた日本の「領土」となると、10年前の 1997年に大きな拡大がありました。
それは、「領海」12海里を定める 「基線」=低潮線 の内側にある「内水」の拡大です。

【第一管区海上保安本部による「内水」の説明文以下を引用】
----------
(内水とは、)領海の基線の陸地側の水域で,沿岸国の主権が及びます。(但し書き省略)

要するに、本来は「低潮線」である「領海の基線」の陸地側の海域、つまり、潮の干満によって海面から露出したり、海水に覆われたりする範囲が「内水」なのですね。
これだけなら、有明海のような広い干潟が出現する場所はあるにしても、陸地からさほど遠くない範囲に限られるのですが…

上記ページの冒頭には、次のように記されています。
平成9年1月1日から領海の基線に直線基線が採用になりました。(中略)
その結果、我が国の直線基線 の濃青色で示された広い海域が「内水」になりました。
直線基線の具体例として、★九州西岸 を示しておきます。草垣群島などの小島が有効に使われています。
女島灯台 ([55114] eiji_t さん)のある男女群島までは伸びていませんが。
----------

陸地と公海との間を単純化して示せば、4つの境界線に基づいて、次のように理解することができると思います。
1陸【海岸線】 2内水【基線】 3領海【12海里線】4接続水域を含むEEZ【200海里線】 5公海
1陸地=国土   2領土     3領域      4排他的経済水域        5公海

[67184] hmt 日本が広がる? …(1)領海と排他的経済水域
領海 12海里の起算となる基線は、もともとは海岸の低潮線、湾港若しくは湾内等に引かれる直線でしたが、国連海洋法条約の批准に伴ない整備された 「領海及び接続水域に関する法律」によって、1997年から「直線基線」が採用されています。[57494]

[86180] hmt 「ソビエト」など 158の島名が決定 総合海洋政策本部の発表 (2014年)
[100789] ekinenpyouさん 国有財産台帳への登録を行った離島(273島)の詳細リスト(43&45)
かつて奇妙な島名に注目した[86180]ことがある #111「ソビエト」という島も、地理院地図に登場。海面から聳え立つ島?

海に囲まれ、広大な海域に離島が点在する日本が 領海やEEZの管轄区域を保全するためには、その根拠となる外縁離島の低潮線を波浪による侵食や掘削から守る政策が必要です。
南鳥島や沖ノ鳥島のような特定離島を対象とする対策はもちろんのことですが、「低潮線保全基本計画」は、内閣府の海洋政策として 日本全国を対象に策定されているようです。

全国の●低潮線保全区域は 185区域

一覧表を見出すことができなかったので、解読困難気味の小さい文字を読んで、どうにか総括表を作成しました。
1~5 北海道太平洋岸
6~17 本州東岸
18~63 伊豆諸島・小笠原諸島
64~68 西日本南岸
69~98 南西諸島
99~113 東シナ海
114~135 対馬海峡
136~142 本州日本海岸
143~157 北海道日本海岸
158~185 オホーツク海岸

この中で、地名探しに苦労したのが 139鳥屋鼻でしたが、今回の記事中で引用した★直線基線・九州の終点(ラ地点)でした。

岬地名:地名コレクション【47都道府県の】東西南北端では、有名な岬が予想外に少なかった。今回のリストでは如何?

【追記】【1】誤記訂正 【2】マガジン用 シリーズタイトルを追加
[100875] 2020年 12月 6日(日)13:10:12【3】hmt さん
海と島(40)土佐と伊予とに分断されていた 沖の島
東西南北端コレクションに 「愛媛県旧南端」として、備考の記載があります。
明治7年までは 沖の島【現在は全島高知県宿毛市】に県境があった

玄界灘の沖ノ島[86161]、西彼諸島の沖之島[30575]、琵琶湖の沖島[84080]、日本最南端の沖ノ鳥島[99957]
「沖の島」と書くと普通名称を連想する故か、地名として使用される例は少ないようです。

自治体名となると、居住者数なども問われるため、町村制施行時に誕生した 高知県幡多郡沖ノ島村 が唯一の例と思われます。
「沖ノ島村」は昭和合併の際に 宿毛市新設の一部として消滅し、現在の地名「沖の島」になりました。

現在の愛媛・高知県境から かなり離れた位置にある 面積約 10km2の離島。そんな島に県境が存在した理由は?

別名・妹背島の伝説はさておき、島の南西部にある 弘瀬部落の言い伝え によれば、鎌倉幕府の権力闘争に敗れた 三浦一族の開拓・統治の歴史がありました。これが土佐勢力支配の起源。
ところが室町時代になると 伊予宇和島勢力が 島の北部を支配し、文化の伝統が異なる土佐勢力との分断が定着。

江戸時代、宇和島藩領との国境争いは 幕府の裁定を仰ぐことになったが、土佐藩の主張(野中兼山)が優位。
明治4年7月の廃藩置県で、宇和島藩→宇和島県、高知藩→高知県となり、県名改称はありながらも、その後も県境が存在したようです。

日本にもあった分断統治の島 というページには、
沖の島の愛媛県管轄区域が高知県に移管されたのは、明治9年という記載がありました。
【追記】
太政官布告明治9年21号 M9/2/25 で確認
高知県管下伊予国宇和郡沖ノ島姫島鵜来島の儀 土佐国幡多郡へ編入候条此旨布告候事

昔のことはさておき、現代の沖の島が 高知県所属ということで 有利な立場を得たのは、高知県の漁業関係でしょうか。
大戦中は四国防衛の要衝として 沖の島区域の軍事基地化が進められ、島民への強制疎開命令も。
戦時中と言えば、沖ノ島村弘瀬を誕生地とする幼児。幼児期に 高知本土>堺に移住したが、後の 横山やすし です。

現在、孤島・沖の島の陸上では 過疎化が進行しています。
戦後の一時期に最大人口千数百人を数えた弘瀬部落は、2016年時点で 100人を切っているとか。Wikipedia
「島の宝 100景」で「石垣・石段とともにある暮らし」を選定するなど、観光事業に活を求めるも、苦しいところです。
[100882] 2020年 12月 8日(火)20:05:55ekinenpyou さん
Re:海と島(40)土佐と伊予とに分断されていた 沖の島、他
表題の島は過去ログにはあまり登場していなかったのでしょうか、(北部の母島は)複数回訪れたことがあるのでコメントします。
[100875]hmt さん
沖の島の愛媛県管轄区域が高知県に移管されたのは、明治9年という記載がありました。
そのように書かれている資料が多いようです。沖の島 (高知県) - Wikipedia
1876年(明治9年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属県と所属郡が、愛媛県宇和郡から高知県幡多郡に変更される。

とありますが、[100875]冒頭の
明治7年までは 沖の島【現在は全島高知県宿毛市】に県境があった
厳密にはこちらが正しいと思われます、M7.7.7達により(M9より先行すること2年前に)所属県が高知県となり、M9.2.25布告21号で
「高知県管下」の「伊予国宇和郡」沖ノ島外二島を「土佐国幡多郡」に編入しました、太政類典へのリンクなども下記に示します。
愛媛県下沖ノ島外二島高知県ニ属ス高知県下伊予国沖ノ島外二島ヲ土佐国ヘ編入
【参考】府県及北海道境域沿革一覧

現在、孤島・沖の島の陸上では 過疎化が進行しています。
戦後の一時期に最大人口千数百人を数えた弘瀬部落は、2016年時点で 100人を切っているとか。
仰る通りです、本年は宿毛市の沖の島中学校9年ぶり再開へ 地元で1人が進学(高知新聞)
というニュースもありましたが、(へき地学校の条件を満たす)小中学校は(最も高い)5級地に区分されます。

へき地等学校等を指定する規則の一部を改正する規則議案(5コマ・沖の島中学校の再開についてより)
へき地学校とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する小学校及び中学校等をいい、当該学校に勤務する教職員等には、へき手当支給を支給する。

【参考】へき地教育振興法施行規則(昭和三十四年文部省令第二十一号)
廃校・休校 ~山から人が消えてゆく~ 高知県(左フレームの宿毛市)

以下、地元の方から「ここは離島ですが、居ますよ」というお話を伺ったので、それを裏付けるデータ

高知県第二種特定鳥獣(イノシシ)管理計画(H27.5.29の8,9コマ)
宿毛市沖の島でも55頭のイノシシが捕獲されており、県内全域においてイノシシの生息と捕獲が確認できます。
同上(H29.4の7コマ、毎年度50頭程度捕獲されているらしい、メッシュを見ると沖の島北西の鵜来島にも生息している模様)

【参考】沖の島の動物(酒井明 説話集29)
(現在生息しているものは過去に捕獲しきれなかったものの生き残りなのか、近年移動してきたものなのか謎は残ります)

[100878]白桃 さん
「この頃(1995年3月31日頃)茂原から睦沢に編入された区域は無かった。」ということです。
編入された地域が無いのに32人(1990年国調)の人口異動があったというのは本当に不可解ですね。
同感です、本件については恐らく統計図書館の国調関連資料をあたっても解決に至れるかどうか自信がありません・・・
川島飛地については後日コメントする?かもしれません・・・
[100886] 2020年 12月 9日(水)13:21:42hmt さん
海と島(41)「沖の島」情報に感謝
[100882] ekinenpyou さん
(北部の母島は)複数回訪れたことがあるのでコメントします。

伊予国宇和郡のまま 明治7年に愛媛県から高知県に移管され、2年後に土佐国幡多郡になった「沖の島」北部の 母島部落。
その地を 何回も訪れた ekinenpyouさん から、思いがけず、貴重な情報をいただき有難うございます。

hmtマガジン 「府県」が「地名」に使われるようになった事情を探るで記したように、現代人は「広域地名としての県」を常用。
江戸時代の 土佐国(高知藩)・伊予国(宇和島藩)から、高知県・宇和島県→神山県→愛媛県へと変化した時期を区別して考えることに馴染まず、行政庁【県】の所管変更と、地名国郡の変更についての混乱が生じていました。

人口は減少したが、島に残っている子供たちも居ます。僻地教育問題は避けられません。
そしてイノシシなど特定鳥獣との付き合い。

過疎地の無人化問題とは違い、「人口が激減した有人島」特有の問題があることを 改めて実感しました。

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