都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
スナフキんさんの記事が100件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51985]2006年7月4日
スナフキん
[51952]2006年7月2日
スナフキん
[51779]2006年6月16日
スナフキん
[51735]2006年6月12日
スナフキん
[51725]2006年6月12日
スナフキん
[51661]2006年6月5日
スナフキん
[51534]2006年5月29日
スナフキん
[51474]2006年5月25日
スナフキん
[51452]2006年5月23日
スナフキん
[51339]2006年5月15日
スナフキん
[51292]2006年5月12日
スナフキん
[51018]2006年4月26日
スナフキん
[50823]2006年4月15日
スナフキん
[50649]2006年4月10日
スナフキん
[50639]2006年4月10日
スナフキん
[50519]2006年4月7日
スナフキん
[50483]2006年4月6日
スナフキん
[50445]2006年4月5日
スナフキん
[50420]2006年4月4日
スナフキん
[50127]2006年3月28日
スナフキん
[50108]2006年3月27日
スナフキん
[49823]2006年3月13日
スナフキん
[49725]2006年3月7日
スナフキん
[49530]2006年2月28日
スナフキん
[49208]2006年2月15日
スナフキん
[48875]2006年2月1日
スナフキん
[48781]2006年1月27日
スナフキん
[48692]2006年1月24日
スナフキん
[48501]2006年1月18日
スナフキん
[48313]2006年1月13日
スナフキん
[48252]2006年1月11日
スナフキん
[48229]2006年1月10日
スナフキん
[47996]2006年1月6日
スナフキん
[47783]2005年12月31日
スナフキん
[47523]2005年12月19日
スナフキん
[47348]2005年12月13日
スナフキん
[47329]2005年12月12日
スナフキん
[47259]2005年12月9日
スナフキん
[47172]2005年12月6日
スナフキん
[46960]2005年11月28日
スナフキん
[46812]2005年11月22日
スナフキん
[46778]2005年11月20日
スナフキん
[46666]2005年11月15日
スナフキん
[46549]2005年11月8日
スナフキん
[46521]2005年11月6日
スナフキん
[46462]2005年11月4日
スナフキん
[46415]2005年11月2日
スナフキん
[46075]2005年10月23日
スナフキん
[45930]2005年10月21日
スナフキん
[45919]2005年10月21日
スナフキん
[45820]2005年10月18日
スナフキん
[45596]2005年10月12日
スナフキん
[45579]2005年10月11日
スナフキん
[45484]2005年10月7日
スナフキん
[45288]2005年10月1日
スナフキん
[45262]2005年9月30日
スナフキん
[45258]2005年9月30日
スナフキん
[45226]2005年9月29日
スナフキん
[45220]2005年9月29日
スナフキん
[45148]2005年9月25日
スナフキん
[44899]2005年9月15日
スナフキん
[44754]2005年9月7日
スナフキん
[44575]2005年8月31日
スナフキん
[44506]2005年8月26日
スナフキん
[44434]2005年8月23日
スナフキん
[44339]2005年8月20日
スナフキん
[44301]2005年8月19日
スナフキん
[44206]2005年8月16日
スナフキん
[43996]2005年8月9日
スナフキん
[43919]2005年8月7日
スナフキん
[43877]2005年8月5日
スナフキん
[43798]2005年8月1日
スナフキん
[43627]2005年7月27日
スナフキん
[43526]2005年7月26日
スナフキん
[43350]2005年7月23日
スナフキん
[42849]2005年7月6日
スナフキん
[42802]2005年7月4日
スナフキん
[42771]2005年7月3日
スナフキん
[42662]2005年6月29日
スナフキん
[42502]2005年6月21日
スナフキん
[42372]2005年6月15日
スナフキん
[42346]2005年6月14日
スナフキん
[42332]2005年6月13日
スナフキん
[42133]2005年6月9日
スナフキん
[42074]2005年6月8日
スナフキん
[42035]2005年6月7日
スナフキん
[41996]2005年6月6日
スナフキん
[41965]2005年6月5日
スナフキん
[41769]2005年5月31日
スナフキん
[41593]2005年5月25日
スナフキん
[41570]2005年5月24日
スナフキん
[41330]2005年5月18日
スナフキん
[41311]2005年5月18日
スナフキん
[41086]2005年5月12日
スナフキん
[40437]2005年5月1日
スナフキん
[40266]2005年4月25日
スナフキん
[40174]2005年4月22日
スナフキん
[39697]2005年4月12日
スナフキん
[39631]2005年4月11日
スナフキん
[39446]2005年4月6日
スナフキん

[51985] 2006年 7月 4日(火)10:10:58スナフキん さん
えびの市成立にかかる問題
[51968]白桃さん
私は人口にかかる話題があまり得意でないのでなかなか話についていけないのですが、えびの市成立時のすったもんだについて資料室長から入れ知恵をもらったので参考までに。

[51976]でsuikoteiさんがフォローされていますが、私が聞いた話によればえびの市成立の際には、1966.01.20に出てきた各町の国勢調査人口数値の合計33,101人でもって自治省を納得させたのだそうです。この時点はもちろん私は生まれていないので事情をよく知らないのですが、当時は新聞などでも「それはずるいのではないか」などとかなり叩かれたのだそうです。その証拠を示せと言われても、さすがにそこまで昔の新聞スクラップは保存していないので、あくまでも「伝聞」に過ぎない不確実な情報ですが…。

白桃さんの書かれた時系列年表を見ながら、あくまでも個人的な見方として考えますと多分、えびの市成立時点では、国勢調査がその2ヶ月前に実施されていた事実はあっても、そこで市となる人口要件3万人を割り込んでいたかどうかの結果が判明していなかったために、その5年前である昭和40年の国勢調査数値で3万人を越えているから、と納得させざるを得なかった、というえびの市の言い分が見えてくるような気がします。

勝手なこじつけですが、えびの町が誕生した1966年からえびの市へ昇格した1970年までの間に、1968年この地域に甚大な被害をもたらしたとされるえびの地震発生の記載が、勤務先の資料から見つかりました。要件云々以前に、震災復興のため財政基盤強化を計りたく市制施行を推し進めざるを得なかった、とか言う事情はあったのか、なかったのか…。
[51952] 2006年 7月 2日(日)20:29:53スナフキん さん
北埼玉ネタに、ちょっと便乗
私も今日、レンタカーを借りて北埼玉・行田まで行ってきましたのでちょっと話題に便乗。

ブログにもしたためた通り、知り合いに届け物をするのが主目的なのですがそれだけでは面白くないので、20年以上ぶり(小学生以来)にさきたま風土記の丘に行ってみました。もちろん行田名物古代蓮も気になったのですが、知り合いの「1時間前にもうだいぶ閉じてた」の言にスッパリアキラメ。早起き早寝なんですね、蓮って。以前に1度、行ったこともあるし…その時は屋外で「生ダークダックス」(大汗)に遭遇し、小林亜星氏を間近で見て感動したんですが(笑)。

古墳へ行ってびっくりしたのは、鉄剣出土で全国的に知られた稲荷山古墳、小学生の頃は円丘部分しか残っておらず学芸員にわざわざ「ここは前方後円墳だとされています」と説明されたはずなのに…何と前方後円墳になっていました! 当時あった環濠は埋められて玉砂利が敷き詰められており、資料館学芸員に尋ねると昨年度中に復原事業が完成したとのこと。他にも、当時は立ち入りができなかったはずの将軍塚古墳に、展示室を埋設構造で設置してあったりしていました。資料館内部の展示も、小学生だった頃には発見もされていなかった埋蔵物がガラスケースに入っていたりします。まったく、数千年の時の流れを研究する考古学に向き合って、たった20年ばかりのタイムラグをここまで実感させられるとは…文字通りの「浦島太郎」状態です(汗)。公園内の環濠に、「古代」かどうかは分からないけれど蓮が浮いていて花をつけていました。まぁ今日のところは行田の蓮ってことで、これでいいかなと。名物と言われる「ゼリーフライ」も食べたし(爆)。

武蔵水路を北上するルートは当時の社会科見学で利根大堰へ行ったのと同じ。学芸員さん曰く「今でもそのコースで回る団体はいますよ」とのこと。時代は変わっても、古墳群も武蔵水路も、重要度は少しも昔と変わっていないようで妙に安心します。武蔵水路の長野サイフォン・白鳥田サイフォンは今回も素通りしてしまいましたが、小学生の時分にこの設備に異常に執着して、しばし図書館に入り浸った(アヤシイ…)ことをちょっと思い出しました。埼玉の小学生は多分かなりの確率でこの武蔵水路を、重要な飲料水供給ルートとして教わるはずですが、同様に荒川から取水しているはずの東京都ではどうしているんでしょうねぇ?

帰りは、熊谷市内で整備中の環状道路の一部、荒川を渡る(沈下橋に代わる)久下永久橋が気になって遠回りしてでも通ってみました。いやぁ、部分的高速道路(笑)。高崎線をまたいでから荒川の橋本体まで、距離はわずかですが分岐・合流のランプウェイを有し、事情を知らない人ならまず対面通行の高速道路と思ってアクセル踏みまくるはず。かく言う私も、メータが80指しているのにしばらく気づかなかったりして(自爆)。

自宅に最も近いであろう広域農道をフル活用しての往復でしたが、帰りは道の駅いちごの里よしみに寄り道。ここ、吉見町民会館が必要以上に大きくて、逆に道の駅の施設群は実際よりもずっと小さく見えます。これらハコモノをジャカスカ作って税金使い込んで、財政状況が悪化したために東松山との合併で肘鉄を食らわされたのですから、猛省してもらわにゃいけませんね。

蒸し暑い一日でしたが、頭も体も動かした、健全な日曜日でした。
[51779] 2006年 6月 16日(金)00:08:56スナフキん さん
東京駅のこと
[51767]N-Hさん
すでに[51772]でsuikoteiさんが書き尽くしていますが、念のため私のお宝である1972年11月号(suikoteiさんのものより、8ヶ月あと)の時刻表でも当たってみました。ちなみに私のものは復刻版でなく、実物です。紙はすでに変色し、文字も潰れかかっているものが散見されて見にくいことこの上ありませんが、これで徹夜しろと言われたら、やり通す自信はあります(爆死)。

特急に関しては、suikoteiさんの記述から若干の変更が見られます。ただ、東北線方面の青森・盛岡・秋田・仙台へは変わらずに直通特急が走っていますし、高崎線方面でも新潟・長野・直江津へやはり直通便があります。熱海-前橋の普通便も見えました。この他定期便で県庁所在地に絡むところでは急行「日光」が宇都宮、といったところでしょうか。

まあこれらに関しては、今の社会情勢とはまったく異なる時代の状況だけに一概に良い悪いを判断するのは難しいと思いますが、ただ1つ、いまよりもはるかに時はゆっくり流れていたであろうことは確かだと思います。
[51735] 2006年 6月 12日(月)12:59:40スナフキん さん
超高層、フォローありがとうございます
[51727]YSKさん
ここまで書いてきて違う場所だったら恥ずかしい
大丈夫です、その公開生放送、モデルルームを見学後に見てきましたから(笑)。てっぺんから足元を(こわごわ)見ると、人だかりがしていたので何事かと思って急行したら、ラジオ局の腕章をつけた人たちが「撮影禁止」の札を持ってウロウロしていました。私、最上階からこの人だかりを撮ってしまったんですが(自爆)。ただ残念なことに、私の行った時間帯が中途半端だったために、最上階からのラジオ中継とは前後してしまって鉢合わせすることはありませんでした。

たくさんのショップともつながった
生活圏が近接しているので、自分と関係のない店舗を除いて全部の店を一通り利用していますが…一応モール形式にはなっていますけど、「たくさん」という感じはしないなぁ(苦笑)。

高崎市役所も24階建てですよ
ああっ、やっぱり…。高崎市内には超高層、あるかもしれないなと思いつつも、前橋よりもはるかに訪問回数の多い高崎駅周辺に飛び抜けて背の高いビルがあった印象がなく、つい県庁まで遠望してしまいました(苦笑)。住宅地図で調べたら、地上は21階のようですね。おっ、うちの超高層の方が高いぢゃん、と思いきや高さは102.5mで、約95mのこちらよりも高かったり。オフィスビルは天井高が異なるので、フロア数=建物高さにはなりません。では群馬県庁はと住宅地図を開くと…建設中(ガッカリ)。ホームページを見たら33階! そんなに高かったかなぁと感心してしまいました。
[51725] 2006年 6月 12日(月)00:10:36スナフキん さん
ちょっと超高層ビルを考える
先週から、自宅近くの駅前に完成した超高層賃貸住宅のモデルルーム公開が始まりました。オープンは来週末まで続きます。今や都心部では超高層ビルは当たり前であり、何をもって「超」なのかは意見が分かれそうですが、自分はおおむね20階建て以上なら超高層かな、とかあいまいに考えています。もっとも、昨今の高層化はこれを上回る規模で進んでいて、都心部ではもはや30階建てクラスも珍しくなくなってきており、20階では基準が甘いかもしれません。特に、今まではオフィスビルが圧倒的に多かった超高層ビルに、賃貸または分譲のマンションが次々と加わっていますね、時代は変わったものです。

私は、山登りの経験があるにもかかわらず高いところはあまり得意でないのですが、それでも飛行機搭乗中に上空から、超高層ビルの上層から、周りの景色を眺めるのは結構好きです。真下を見ちゃうともうダメですが、視線をなるべく水平にすれば、多少へっぴり腰(汗)でも長いこと眺めていられます。あるいは、地図屋たる職業がそうさせているのかもしれませんが、メンバーの中にもたぶん、そんな人がいるのでは?

しかも新しもの好きな私は、モデルルームオープン初日に最上階へ行って、新調したてのデジカメでもって手当りしだいに景色を撮りまくってきました。警備で巡回している人からは「なんじゃこいつ?」みたいな目で見られはしましたが、絶景なることこの上なかったです。ましてや、この建物は立ち上がる前から、私がほぼ1週間ごとにでき上がり高くなっていく様子を画像で記録し続けた建物。たぶん眺める景色は他の人とはまた違うように見えたことでしょう。

都心部では増殖した超高層ビルも、埼玉のこの辺りまでくるとさすがに相当まばらになります。まとまって背の高い構造物が望めたのは、さいたま新都心と大宮駅周辺、隣のふじみ野駅周辺と新所沢駅周辺くらいなもの。よく考えたらこの建物より北側には、ここ以上に高い建物ってないのかもしれません。さすがに新所沢変電所が立地する土地柄、高圧線の鉄塔はやたらに林立していますが、ビルとなると…ひょっとしたら沿線はおろか、終点の寄居を通り越してさらに北、群馬県庁くらいまで超高層ビルはないのではないか? というくらい、逆に北側の眺めは遮るものも少なく、すばらしいものでした。

間取りがまた、最上階の天井高を活かしたデュアルフロア構造で、ロフトがあったり床下収納があったり、中には風呂場に窓があって展望風呂だったり、それでいて四六時中得られるワイドビュー…競争率の激化は必至です、どの間取りもほとんど1部屋しかないですし…。ところで、住居の「ロフト」って考え方は日本固有のものではないように思うのですが、どうなのでしょうね? 「屋根裏部屋」と言ってしまえば確かにそう見えなくもないですけど…。部屋の中に数段の段差がある生活、毎日にメリハリがつくと捉えるか、いちいちの昇り降りは億劫と捉えるか…日本での住まい選びも多様化してきたようですね。ちなみに、私はこの最上階、家賃を払おうにも収入不足で、入居できません(号泣)。
[51661] 2006年 6月 5日(月)22:27:13スナフキん さん
環八全通、その後
[51543]音無鈴鹿さん
早速、開通区間を実走されたのですね。今回開通区間には事実上の自動車専用区間も含まれるため、マイカー所有が(収入の面で)ままならないスナフキんは、車を借りでもしない限りここを走ることはできそうにありません。

少し遅めのレスになってしまいましたが、自分自身で開通後の姿を見るまでは何かを書いたりするのは、こと環八に関しては控えようと思っていたためでした。で、日曜日に開通後の様子を初めて見に行ってきました。その他周辺の整備状況など詳しいことはブログにちまちま書きましたので、気になる方はそちらをご覧ください。もちろん私は道路の「走行」はできないので、トンネル上から眺めるだけです。根本的に自分がやっていることは開通前も開通後も変わらないのですが、足元ではすでに車が通っていて様相が一変しています。防音壁があり、設備も車の流れも高速道路のよう。週末の昼下がりとあって交通量はまずまず、信号は区間1ケ所のみで車も極端に多くないことから流れは順調そのものでした。

ただ、意外だったのは井荻トンネル。開通したのだから当然渋滞も解消するのかと思いきや、引き続き工事をしているらしく相変わらず朝の交通情報では「環八の井荻トンネルは工事のため~」のクダリが繰り返されています。北町若木区間の側道及び歩道整備工事と同じく、本線をとにかく通すことが最重要課題で、他が多少おろそかになっても全通を優先させたのでしょう。TNさんが指摘された、「超突貫工事」を裏付ける一つの現象と言えそうです。

ブログの繰り返しですが、私がここ環八の最後の開通区間をここまで気にしたのはたぶん、仕事がそうさせたのだと思います。でも、地図屋の仕事は道路を分かりやすくユーザに示すまで。そこから先、示された道路をいかに利用し、有効なものにしていくかは何も地図屋だけの仕事とは限りません。道路を通過する人はもちろん、沿道の住民もかかわりのあることのはず。ともあれ、私がこの区間に執着する必要はほぼなくなりました。トンネル出口直上から北側を眺めながら、鳥肌がたちそうだけど充足感、涙が出そうだけど拳を握りしめたくなる手ごたえ…なかなか言葉で表しにくい、複雑な心境になりました。それもたぶん、自分が地図を描くことを仕事にしているからなのかもしれませんが。
[51534] 2006年 5月 29日(月)00:51:40スナフキん さん
mixiのこと
どうも複数の方の書き込みを見る限り、落書き帳メンバーにもいく人かのmixi参加者がいらっしゃるようですね。かく言う私もそうだったりします(汗)。

ただ、あくまでも落書き帳は落書き帳。共通の参加者同士で交流するのはよいけれど、mixiに落書き帳コミュを立ち上げて「第二落書き帳」にするのは変だし、この場を提供して下さっているグリグリさんにも何だか悪いので、やめましょうね(笑)。

私の場合、ブログはmixi内でやっているわけではないですし、正直地理・地図の話題を仕事以外でやるのは当落書き帳だけでもうおなかいっぱい(大汗)なので、mixiでは地理的アクションも、鉄的アクションもしていません。埋没しそうですけど、かすみさん同様落書き帳でのハンドルネームと同じ名前を使っているので、見つけやすいかもしれません、興味のある参加者は詮索してみてください。
[51474] 2006年 5月 25日(木)13:48:47スナフキん さん
環八のこと
[51466]TNさん
タイトルの本題はともかく…
肺が菌に侵され
とてつもない難病に見えるのですが…心配です。でも、PCに向かって文字は打てているから、大丈夫なのかな?

線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。
実は私も21日、現地に出撃(汗)したのです。自分で地図帳に赤線を引いて訂正しておきながら、こんな大幹線の開通に知らんぷりはできません(笑)。ここにも直後にそのことを書き込もうかと思ったのですが、自分のブログで「これでもか!」というくらいにみっちり書き込んでしまったのでまあいいやと、サボってしまいました。

私が向かったのは練馬区北町~板橋区相生町区間であり、こちらでは残念ながら笹目通りとの分岐部にかかる資料を一緒に入手することはできませんでしたが、東武東上線交差部にかかる資料などはゴッソリ入手できました。それには、専門用語を連発して恐縮ですが「開削工法の応用で築造した」旨の記述が見えました。線路際までオープンカットで構築し、線路直下のみ現地で築造したボックストンネルをスライド挿入した、とあります。これには線路部分の地盤を支えるための補助工法が当然必要なはずですが、それについては記載がありません。日刊建設工業新聞にも南田中トンネルの詳細は掲載されましたが全体的に図面が少なく、そもそも北町若木区間の詳細は載っていませんでした。開通式がこれからなので、新聞記事をもう少し注意して見てみることにします。

あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。
当日も、注意深い人ならば突貫工事ぶりが足を踏み入れただけで分かったはずですね。ブログの記述と重なりますが、明かり部分は前日の豪雨で洗い流されていたとは言え、覆いのあった部分の舗装は歩いていてもまだべとつきが分かるほどでした。アスファルト舗装に「生乾き」という概念があるのかどうかは分かりませんが、たぶんそういう状態で日曜日の当日を迎えたんだろうと思います。

首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。
現状では首都高速中央環状線のうち王子区間が完成していますが、これも開通後の効果として大々的に報じられた渋滞の解消が思ったほどに現れていないのでは?と私も感じています。池袋線から中央環状線への流量よりも、東北道・常磐道方面から池袋線への流量の方が上回っている印象で、渋滞情報を聞いていても開通後はかえって竹橋を頭にした5号池袋線の渋滞が伸びてしまったように思います。従来はいくつものJCTを経なければ到達できなかった山の手エリアへよりスムーズに行けるようになったことが、かえって交通量のアンバランスを招いてしまったともとれ、道路建設計画の難しさを感じます。

余談ですが、私のブログのアクセス記録を見ると、環八をタイトルに据えて記述した記事だけが、他記事のアクセス数の6倍近くに達しています。一地図屋の書いている戯言にも関わらず、世間一般の関心は非常に高いようです。
[51452] 2006年 5月 23日(火)09:11:21スナフキん さん
やはりメガライナーは転用…
昨年8月に秋葉原~つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京~大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京~大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。
[51339] 2006年 5月 15日(月)13:01:48スナフキん さん
ワラヂヤ地図のこと
ワラヂヤ、自己破産の時は「え~っ?」と思ったのですが、それも数年前の話なのですね。神戸オフの際にも、実はワラヂヤの「ザ・マップ京阪神」を持っていったのはワケアリのつもりでした(汗)。ワラヂヤの、特に市街図に関してはとにかく見やすくて、土地勘のない私のような人間が地図編集する際にはとっても役に立ちました。ただ、最後の最後までデジタル化に乗り遅れてしまったのがつまづきの大きな要因だったのかなという気がしています。手元にオフの時に持ち出した道路地図を広げて見ていますが、阪急の三国駅が改築中で、アナログ作業でもって苦しい手直しをしているのがよく分かります。線の形はちょっとイビツだけど、決して見易さを犠牲にしてはいないのです、やはりワラヂヤの消滅は惜しまれます。それにしても、漢字だと「和楽路屋」だったんですね、そんなに昔のことは知らなかったので(勤務先保有の地図はみんな「ワラヂヤ」って書いてあります)驚きました(←知らなさ過ぎ)。

[51318]ニジェガロージェッツさん
この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
この会社については存じておりませんでした。ワラヂヤの資産はそれなりの価値があったはずですが、前述のようにほとんどが「アナログ資産」だったはずで、それが「デジタル」と名のつく会社に移ったのかなぁ…(?)という妙な感じもするのですが。でも、すべてが失われてしまうよりは何らかの形でモノが生かされる方が断然いいので、完全消滅したのではないことを知って少しホッとします。ネットを詮索すると、どうもあるんだかないんだか、正体が不明の会社ではあるようです(苦笑)。

とにかく、ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。こういう表現を用いた道路地図をリリースしている会社、今はないような気がします。やっぱり惜しまれる存在だったように思いますね。
[51292] 2006年 5月 12日(金)13:44:54スナフキん さん
宮地岳線も高架になるのですね
[51290]かぱぷうさん
西鉄香椎駅もいよいよ高架になるのですね。去年の晩秋、九州新幹線の帰りに通りかかったら高架構造がすでにできており、高架になったものだと早とちりしてその後西鉄本社に問い合わせてしまったのを思い出しました。電話口では「来春には切り替えの予定です」と知らされたのですが、すっかり忘れたまま季節は移ろって春になってしまっていました(汗)。

その時でさえ、南福岡駅が大きく改築されていたり、箱崎がやはり高架になっていたり、香椎操車場跡地にどっかり高架構造の新駅が、西鉄と同居する形でできていたりと、ここ数年の変化に目を丸くしたものです。その前というと、2001年の池島炭鉱閉山の時に遡りますけど、この時は往復ともブルートレインだったので福岡県内は暗いまま通過してしまいました。だとすれば、ずいぶん前から九州はご無沙汰していたことになります…。いけませんね、西日本はどうしてもスパンが長くあいてしまう傾向が強いです。それが経県値にも如実に現れているのですが(汗)。

末端廃止の情報が取り沙汰される一方で、残存区間は近代化を進めるのですね…はたから見ているとやるせない感じです。でも、車両はさほど以前と変わっていないみたいですが(爆)。

ちなみに、わが社の地図はそれほど詳細な図を扱っていないので、高架になる分には(線路の位置が大ずれしたり駅が動いたりしない限り)それほど影響は大きくありません。しかし逆に地下になるとこれは大変。実線を破線に、スミのアミを落としてネズにしないといけないほか、地下駅は原則駅名記載をしないルールにしているので、駅名は撤去することに。いま作成中の訂正用冊子には、東急目黒線がダウングレードするような指示書きをする羽目になってしまいました。個人的には何とかしたいのですが…。
[51018] 2006年 4月 26日(水)09:26:46【1】スナフキん さん
ちょっと違うけど面白いバス
先日、広島プチオフに私が参加したときと同様に日中12時間をバスに揺られる愚行を実行した知り合いが、ちょっと面白いバスの話をしていました。

彼はマツダミュージアムの見学ツアーに参加したらしいのですが、広大な工場敷地内で集合場所とされたのはJRの向洋駅近く。ところがミュージアム自体は宇品の方にあるため、集合場所からバス便乗になったそうです。このバス、何と工場内で従業員輸送用に使われているバスそのものだったとか。さすがに従業員輸送との混用はしていなかったとのことですが、随所にしっかりバス停まであって驚いた、と熱っぽく語ってくれました。車はいたってマツダ仕様なのですが、どうやら運転士は広島バスに委託しているみたいだ、とも。もっとびっくりしたのは、有名な企業専用橋「東洋大橋」を、何と渡ることができるらしいということ。これを聞いただけで広島を再訪したくなった私は、多分ビョーキなのでしょう。プチオフの際にこのことを知っておれば、アストラムラインもスカイレールも全無視して見学しただろうに…悔やまれます。

一般に敷地内に乗り入れる路線と異なり、敷地が広大であるがために従業員移動用として設定されているバスは、当然一般人が利用できるはずがないのですが、このケースでは例外的に「その車」には乗ることができるみたいなのでちょっと脱線気味とは思いますが紹介してみました。

*ちなみに、それを気にして勤務先の住宅地図を見てみましたが、当然マツダ敷地内にバス停の記載はありません、念のため。

#最後の一文を後から追加。
[50823] 2006年 4月 15日(土)22:56:00スナフキん さん
目黒競馬場跡を、期せずして訪問
今日は、本当なら新宿をかすめてはいけない日でしたが…やむなく山手線で通過・乗換。まるで線路が輻輳する駅構内とは思えないくらい作業員だらけになっていて、地を這う線路が見えないほど。もちろん何をどうする作業をしているのかなんて車内からでは分かりっこありません。週末なのに山手線は、埼京線も湘南新宿ラインも動かないためにラッシュ並み混雑でグッタリ。しかも、当初の目的だったゆりかもめ延伸区間の初乗りは、こともあろうに昨晩の脱輪・脱線で空振り三振。関係者の話を間接的に聞いたら、問題は単純ではなさそうで深刻であるらしいとか。

同行の知り合いと協議の結果、なぜか目黒区や品川区界隈をウロウロすることに(謎)。その途中、以前話題になった「元競馬場前」バス停を、2度も、しかも同じ方向に向かう形で素通り。うち1度は、ホンモノの競馬場跡地をバス路線が縦断してくれたのですが…当たり前ですが競馬場らしさなんてかけらも残っていません(笑)。総じて住宅地であり、感慨もへったくれもあったものではありませんでした。むしろ、その直前に目黒不動の門前までバスがヅカヅカ進入していったことのほうがインパクトが強く、2度目の「元競馬場前」通過時もやはり直前の祐天寺商店街を「そこどけそこどけ」状態でヅカヅカバスが走り抜けるダイナミックぶりに唖然としてしまって、競馬場跡がかすんでしまいました~ 

その後は江ノ電に乗ったり、小田急電鉄の検査列車に遭遇したり…

最後のクダリは駄文にて、突っ込みは無用です(苦笑)
[50649] 2006年 4月 10日(月)17:31:19スナフキん さん
無視できなくなってしまった「まなづる」
[50529]でhmtさんが指摘された事実、なるべくなら知らんぷりして(汗)通したかったのですが…索引の校正をしていて、知らぬ存ぜぬで通せなくなってしまいました(大汗)。でも、校正作業を中断して脱線すると集中力が切れるので、最後まで校正を終えて調べてみたんですが…この、何か心に引っかかったまま「ま」~「わ」の校正をするのって、実にイヤな感じです。

このテの話での多数決は、モノの本質を見極めるのに何の足しにもならないことは分かっているのですが、まあ比較対照する意味が全くないというわけでもないと思うので、ありったけの資料で調べてみました。

「まなづる」(濁る)派:
角川地名大辞典
わが社に近い(スミマセン、あからさまに示すと正体がばれます・汗)資料2種類
神奈川県百科事典
町役場ホームページ
町発行の印刷物(郷土誌・町勢要覧・パンフレットなど)
平成17年版市町村要覧

「まなつる」(濁らない)派:
国土行政区画総覧
日本行政区画便覧
平成16年版以前の市町村要覧
2005年10月1日国勢調査速報値
(三省堂コンサイス地名事典)

以前私のおバカで話題を撒いてしまった「いわき市」の時ほど混沌としておらず構造は単純ですが、数の上では拮抗しています。しかも、わずかに分が悪い方に「重い資料」がのっかっています。ちなみに、三省堂の地名事典にカッコが付してあるのは、参照資料を「市町村要覧と国土行政区画総覧」と断っており、マゴ引きとも考えられるためです。但し同時に、「別訓」として濁るまなづるを立てており、中立とも取れるスタンスです。

概して言えるのは、「アーカイブズ・呼称が複数ある地名 ~地名呼称の多様性~」でも指摘されている通り自治省~総務省における見解と地元が主張する見解が異なっているようだ、と言うことです。読みを変えるのでも、例えば和歌山県広川町がそうであったように告示の対象となるはずですが私も見覚えがなく、合併告示に埋もれてしまったとも思えません。

市町村要覧の冒頭、凡例部分には出所明示がしてありますが、ここには平成17年4月に各都道府県に照会したとあります。つまり問い合わせ先は国の機関たる総務省ではなく地方に直接問い合わせた、ということです。しかもこの内容を見る限り、市町村要覧の内容全般が総務省の監修を受けているという事実もどうもないようです。そもそも編者である市町村自治研究会なる団体がどれほど総務省との関わりがあるのかは私も分かりませんが、改めてこの方針を貫いたところ地元が主張する「まなづる」表記が表に出てしまった…そんな事情なのではないかと(あってほしいという希望も含めて、ですが)。

上記は、私の大したこともない知識で記述しています。間違いがありましたらフォローをいただければと思います。
[50639] 2006年 4月 10日(月)09:45:17スナフキん さん
東京の動脈がつながるらしい
新年度から「ブログ」なるものを始めてみているのですが、本人がモノグサなのでなかなか毎日続けるのが難しいです。不思議と、自筆で書く日記は10年以上続いているんですが…習慣になれば続くようになるのかな?

さて、週末をはさんでちょっとしたニュースが耳に入ってきました。東京を取り巻く環状道路のうち環八通りは、ここに出入りする皆さんならご存じかもしれませんが現在ブツ切れ状態で供用されています。それが、この5月28日にも1本につながるのだとか。時折耳にする渋滞情報でいつも聞こえてくる「井荻トンネルは工事のため…」のクダリは、実はこの延伸工事のためだったことを、今更ながらにして知りました。地図屋としては情報遅すぎですが(汗)。

で、スナフキんはその情報を知らないまま、健保スポーツクラブが近くにあるのをいいことに日曜日、現調に行ってしまいました。今年始め、スポーツクラブに行くようになった当初はまだまだこんなのできんな…と思っていたものが、照明や看板が立つなど驚くほどに工事が進捗していました。あとは整地して舗装する程度になってはいましたが、それでも開通総延長からしてあと数ヶ月でできるようなものかいな? と疑念を抱いていたんですが…ホントにできてしまうようです。現地工事看板によれば、本来なら平成17年度中には完成させるはずだったようですが、それが遅れて新年度にずれ込んだもののようです。個別に見ると、練馬北町商店街の分断はアクロバットな急勾配で何とか避けられました。東武東上線直下の北町若木トンネルは、線路に直接影響させることなく掘り抜いてしまいました。どういう工法でやったんだろう? 他方、線路をまたぐ自転車・歩行者・車椅子用跨線橋は別工程らしく、竣工予定はシール貼りして平成18年7月となっていました。既存の環八通りは随所に3車線区間が介在しますが、今回開通区間のうち練馬区~板橋区間に関しては遠望した限り、側道への分岐部を除き中央分離帯ありの原則片側2車線構造のようです。

開通道路のパイプが極太な分、開通後にどれほど交通流動が変化し、渋滞状況が変化するのかちょっと興味のあるところです。
[50519] 2006年 4月 7日(金)09:22:13スナフキん さん
少しフォロー
[50495]千本桜さん
私の記述が恣意的過ぎて気を遣わせてしまいました、ゴメンナサイ。

ただ、自分自身ちょっと気になる点があってあえてひっくり返したままの記述をしてしまいました。「らづつ」と書かれた地図、タイトルが「いわき市全図」とあるのです。つまり、いわき市として合併を果たして以降に調製された地図であり、奥付も昭和42年12月となっています。自分は、昭和40年代に入ってもなお右から左へ読んでいたんだろうか、これは何かの間違いでは? と思ってそのまんま記述をしたわけですが…1/5万地形図のバックナンバーを見たら、昭和44年発行の「平」図幅も逆読みのままです。44年と言えば私の生まれるわずか5年前(汗)であり、いくらなんでもこの頃は今と同じになっていたはずだろうと思うのですが、地形図ではその辺りの反映が著しく遅れていたんでしょうか。そんなことは自分で調べるべきでしょうが、自分としてはちょっと不思議です。
[50483] 2006年 4月 6日(木)13:22:54スナフキん さん
いわき市の情報、感謝転じて懺悔へ
皆さんにご協力いただいたお陰で真相の判明したいわき市の合併前自治体名称、実は私の調べ方が足りませんで、社内に保存してあった過去の地域資料の存在をすっかり忘れていました。これを引っ張り出して見ればすべての疑問は解決できたはずなのに…皆さんに余計な労力を使わせてしまいました、懺悔。

「観光 うちごう」とか「観光の常磐市」、そんなタイトルのパンフレットが出てきました、何だかとっても興奮。ものすごく古い全域管内図には、うちごうなんて駅名すらなくて「らづつ」と書かれていました。そうか、内郷市の中心集落の名前は内郷じゃなかったんですねぇ…。そう言えば昔、内郷機関区とかいう国鉄の機関車車庫もありましたっけ。石炭産出地域であってこその立地だったのでしょうか…。

いけませんね、過去の資料に見惚れ始めたら仕事に手がつかず、きりがありません(大汗)。
[50445] 2006年 4月 5日(水)09:28:42スナフキん さん
助け舟に感謝です
いわき市の合併に伴う不思議に関して、十番勝負の最中だというのに多くの皆さまから情報をいただきました。個々の引用は数が多くなるので省略しますが、私の個人的な仕事上でのつまづきにフォローを下さり、ありがとうございました。本業の地図屋が「お手上げバンザイ」しても、博学な方々からの意見が頂戴できるこの場は、どちらかというと知識の乏しい「バカ地図屋」にとっては本当に貴重です。

お寄せくださった情報より、好間は「村」であり久之浜は「町」であることが確定・判明できました。結果的には市町村要覧の情報(=多数決による決定)で正しかったことになります。ただ、それですべての問題が解決したわけではありません。国土行政区画総覧と地元新聞社の百科事典という有力な情報ソース上での誤植事実は動かないわけで、出版業という同業他社の立場で考えるとこの事例は肝に銘じておいたほうがよさそうです。

人間のやることですからミスはつきものです。それに甘えてはいけませんが、完全に排除することは難しいといえるでしょう。けれども、例えば「葛」の字を外字にし忘れたとか、「ヶ」の字を大きくしてしまったとかいうレベルのミスと、町・村を取り違えるミスとでは明らかに重大性が異なります。今回のケースはメジャーな事例でありながら、超のつく大規模合併で関係自治体の数が多かったことが混乱を助長したように思えます。翻って、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中、自分との因果が薄く土地勘もあまり働かない場所でも大規模な合併がいくつも興りました。登米市しかり、新潟市しかり、上越市しかり、高山市しかり、そして浜松市しかり、です。挙げておればきりがありません。今後10年20年が経過した後でも、上越市で「清里町」とか、浜松市で「龍山町」とか、自分で書いてしまわないようしないといけませんね。

最後は守りの姿勢で結んでしまったスナフキんでした。
[50420] 2006年 4月 4日(火)20:35:14スナフキん さん
ちょっと気になる昔の「いわき市」
十番勝負の最中に、どうせすぐ流れてしまうと分かっていながら書き込んでしまいます。

仕事で、昔の合併をほじくり返していてちょっと気になることがありました。皆さんよくご存じのいわき市は、「超」のつく規模の大きな合併を経て成立しています。その合併前の自治体名称を調べていたら、どうも資料によって記述がまちまちなのです。しかもそれは、誤字脱字とかいう単純なものではなく、町か村かを取り違えているという結構重要な違いでして、頭を抱えてしまいました。

具体的には、合併を詳細に記したものとしては最も身近と思われる「市町村要覧」。このいわき市の項には
合体 平市 磐城市 勿来市 常磐市 内郷市 四倉町 遠野町 小川町 好間村 三和村 田人村 川前村 久之浜町 大久村
とあります。何の疑いもなく、別資料で校正しようと国土行政区画総覧(これにも各自治体の末尾に行政変更の内容が記載されています)を出してきて、見てビックリ!
平市・磐城市・勿来市・常磐市・内郷市と、石城郡四倉町・遠野町・小川町・好間町・三和村・田人村・川前村、双葉郡久之浜村・大久村を廃し、いわき市を置く
とあったのです。上下をよ~く見比べてください。町村の違う箇所が2ヶ所もあるのです。この、公的色のきわめて強い書物の食い違いというのは厄介で、どちらを信用していいものか非常に困惑します。最終的には出典明示して逃げるしかないかな、と思うのですがそれではプロらしくない(汗)ので、他資料も総ざらいしてみました。

勤務先に最も縁が深い(?)事典をひもとくと
勿来市・磐城市・常磐市・内郷市・平市、石城郡田人村・遠野町・好間村・三和村・小川町・四倉町・川前村、双葉郡久之浜町・大久村が合併
とあります。順序こそ違えど、内容は市町村要覧と一致します。

では、角川の地名事典はどうでしょうか。
いわゆる常磐5市に好間村・遠野町・田人村・三和村・四倉町・川前村・久之浜町・大久村・小川町の4町5か村が合併
でした。省略はされていますが、これも市町村要覧の内容を裏付ける形になっています。なるほど、単純に国土行政区画総覧の誤植かと思ったのですが、福島民報社の発行する福島大百科には
平・磐城・勿来・常磐・内郷市と、四倉・遠野・小川・久之浜・好間町、三和・田人・川前・大久村
とあるのです。何と地元の新聞社は、冒頭に示した2つの有力公的文書のいずれでもない記述をしています…??? 決して、史実が風化してしまうほど昔ではないはずの事実が、どうしてここまでぐちゃぐちゃになってしまうのでしょう?

さらに追い討ち。アーカイブスにもなっている”「いわき市」について語ろう”の中で、何とこの混乱を裏付けるかのようにIssieさんのデータが誤植。三丁目さんが何気なく誤植を指摘されていますけど、この混乱はどうも根が深いような気がしてきました。

こうなったら地元の主張に頼るしかないッ、といわき市webの歴史コーナーを調べてみたら…
好間村→いわき市
久ノ浜町→いわき市
って言うか、参考になりません、町・村の違い以前に自治体名を間違ってるし(爆死)。

困ったなぁ。どなたか「これ!」という真相もしくは明示できる資料をご存じの方、いらっしゃいませんか?
[50127] 2006年 3月 28日(火)12:56:08スナフキん さん
ゆりかもめは…
[50119]みかちゅうさん
今回も落書き帳の中で行っている方がいるとすれば
実は私、延伸区間に乗りに行っていません。それどころか、ゆりかもめは一部区間しか乗ったことがなく、今回中間駅となった有明では乗降経験ゼロという有様です(汗)。先の書き込みで最後に記した通り仕事がかなりハードで、そのくせ体調を崩しかけておりこのまま人ごみに紛れ込んだら症状悪化は決定的で、怖くてしばらく行けそうにありません。体調の良し悪しにかかわらずもともと人ごみは大嫌いなので、よく考えたら鉄道の純粋な開業に当日立ち会ったのって、昭和60年9月30日の埼京線を最後に、一切ない気がします。電化したとか、貨物線を旅客列車が走るようになった、とかはちょこちょこ当日に行っているはずですが。逆に路線や列車・車両の消滅時はまめに行っていますね。こういう時は自分の好き嫌いそっちのけで体が動いてしまうのですが、例えば東急東横線の桜木町駅最終日に人ごみからインフルエンザをもらってきたりなど、しっぺ返しを食うこともあってちょっぴり反省材料です(汗)。

ベイエリアの交通手段では、値段の面でハンデはあっても利便性で勝るりんかい線・ゆりかもめに軍配が上がりそうです。日中の本数が少ないとは言え池袋・新宿・渋谷から、黙って乗ってしまえば時刻通りにベイエリアに達することができる直通メリットは大きいですし、ゆりかもめは全区間高架構造ですから眺望代だと思えば高値にもまだ納得がいくというもの。

対するバスは、一般利用客の多くが抱く「都内のバスに、ダイヤ・時刻表はあってないようなもの」という既成概念が重くのしかかって、なかなか利用者数を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。道路がみっちりで動かないのでは、いくら値段が安くてもガマンに限度があります。ベイエリアの道路はそれでも新しく築造されたものがほとんどで十分な幅員を確保してあるものも多いですが、やはり週末を中心にマイカーが押し寄せるとオーバーフロー気味になるのが、渋滞情報をラジオで聞いたりしていてよく分かります。

東京都の都合上なかなかできないのでしょう。
神戸空港では、ポートライナーをなるべく使ってほしいということなのか、神戸市内中心部各地からポートアイランド・空港までを結ぶ神戸市交通局のバスは設定されていないようです。片方を立てれば片方が引っ込む、いわゆるもぐら叩きき理論ですが、既得権益を守っているようにも見え、あまり露骨な措置もどうなのかなぁとか思ったりします。
[50108] 2006年 3月 27日(月)22:58:02スナフキん さん
街も鉄路も、あたらしくなった日
慌しくて自分の書き込み頻度が鈍っていた最中に、とうとう記事番号が50000を突破したのですね。サーバの占有スペースは雪だるま式に膨らんでいく一方なので一概に「おめでたい」と言えるのかなぁ、とオーナーを気遣って格好つけてみたりしますが、すごいことではあります、拍手。

今日は、最終日を除けば年度末最後の大安。ゆりかもめが豊洲まで延伸を果たす日でした。朝の通勤からこれを気にして、有楽町線の車両ドア上にある停車案内や路線図を気にしたりするなど、何ともいやらしい会社員ぶりですが、朝の段階ではいずれにもゆりかもめが伸びた記述は見えませんでした。なのにその隣にはゆりかもめ延伸を知らせる広告があり、何とも皮肉。これを見てニヤッとしたりするのですから、やっぱりいやらしい人間です(大汗)。ぢゃあ、今後有明・お台場界隈にはどう行ったら安くて時間もかからず経済的かを調べてみようと、夕方に大手の検索サービスでルートを探索したら…うわ、もう豊洲乗換えが表示される! ネットの情報はホントに早いなあと痛感しました。地図があらゆる手を尽くして追いかけようともとても追いつかない俊敏さで、もはやこのスピードには地図屋はお手上げです。夜の帰宅時には、勤務先最寄り駅の路線案内と出入口・階段案内はどうなったろうと見てみましたが、いずれも豊洲駅に「ゆりかもめ」の表示はありません。まだ直していないんだ、しょせんゆりかもめは地下鉄じゃないもんなと、ニヤリとしたのです。ところが、入ってきた列車は行き同様東京メトロの車、乗ってビックリ! 朝はそのままだったはずの路線図も停車案内も、フルリニューアルされていたのです。日中の閑散時間帯に広告を入れ替えることはよくあることなのですが、路線図はともかく、豊洲にちょろっと加筆すればいいだけの停車案内は、事実上の新品。使用フォントが総取替えになっていたほか、ラインカラーサークルに路線を示すアルファベットを入れた新サイン表示に統一されたスタイルに一新されていたのです。何にそんなに驚いたのかというと、実はここで新調してもこの案内は最長でもあと2年の命であることが今からハッキリしているわけです。13号線の名前が決まり、運行ダイヤも決まれば今のスタイルを維持するのは到底困難なはず。だから自分は今回のゆりかもめ延伸、絶対従来のようにシール貼りで対応するのだろうと思っていたのですが…東京メトロがここまでやる気と資金(汗)とを出すとは! ちなみに、(東武東上線)霞ヶ関も鶴ヶ島も、ひばりヶ丘も「ヶ」の字は小さいですが、市ケ谷だけ大きい「ケ」の字で表示されていました、ホントかなぁ…(影響され過ぎ?)

その驚きも束の間、自宅最寄り駅で下車すると今度は、やはり行きには何もなかった壁に、今月30日に駅前再開発施設がオープンする旨知らせるポスターがあちこちに貼られているではありませぬか! さらに、階段を下りて2度ビックリ。今まで施設の部分試験点灯は随時行われていましたが、今晩は駐車場棟・モール棟・クリニック棟すべての照明を点灯させる、事実上オープンと同様の全点灯試験が初めて行われていました。私が今の住まいに移って2年余り。この再開発の変貌を毎週・あるいは毎日のように見つめ続け、写真におさめ続けてきただけに、あぁ、やっとここまできたんだなぁの思いを強く抱きました。撮りためた画像は100ではきかぬほどになってしまい整理もままならない有様ですが、今後の激変は限定的なものに限られるはずで、自分がコツコツやり続けてきた日課がひとつなくなって肩の荷が下りたような、そんな気もしました。

大きなハコモノなどの開業は変に縁起を担いだりすることが多いのですが、なぜかこの「coconeかみふくおか」の場合は30日の仏滅オープン(大汗)だったりします。さすがに当日休みをとって、というほどいまは自分自身がヒマでないのでそこまでやりませんが、目立った娯楽施設のない、どちらかというと純粋な商業集積施設で沿線からどれほどのお客を呼び込めるのか、どれほどこの地域が活性化するのか、今後が見ものです。
[49823] 2006年 3月 13日(月)13:23:30スナフキん さん
別寒辺牛の由来、一説
[49725]で、私がほのめかした別寒辺牛の由来、その続きです。なお、前項では「由来の真相」と書きましたが、アイヌ時代の史実は確定していない事柄も数多く、以下に紹介する由来はあくまでも「一説」であると思ってください。他に見解があってもおかしくないと思うので…(アイヌ語地名の由来って、そういうことが往々にしてありますよね)。

ネイチャーウォッチングの際にいただいたウォーキングマップには、塘路湖の中に確かに「ペカンペ(ひしの実)」とあります。塘路湖がペカンペの産地であることは今も昔も変わらないようです。しかし、集落の名前も湖の名前にも「ペカンペ」は現れず、逆にはるか遠い厚岸の方には「ペカンペ」と関係がないのにその名前を付した地名が残っている…。この妙な状況を、同伴してくださった地元のネイチャーガイドの方は「アイヌ部族間の争いが引き起こした結果だ」と説明してくれました。

--
塘路アイヌは、その昔は純然たる内陸アイヌであり、日々の食糧は狩猟に頼らざるを得ない、どちらかといえば力の弱いアイヌ部族であったようです。伝説の内容はさすがに覚えていませんが、自然現象による啓示により塘路湖に実るひしの実が食材として有用なことを知った塘路アイヌは、これを機に食に飢えることなく、日々の生活を安定的に送ることのできる部族へと変わり身を遂げました。ひしの実は乾燥させることで長期保存が可能なので、多少の不作年があっても飢えに苦しむことは激減したようです。塘路湖には淡水魚(ハンドルネームが出てきてしまいました、ゴメンナサイ!)も生息しているため動物性たんぱく質にも事欠かず、塘路のアイヌは富める部族になったのです。

それをねたんだのが、どうも厚岸アイヌであったようです。厚岸は海べりであり、内陸はやせた根釧台地ですから、どうしても食材は海産物に重きを置かざるを得ないのですが、こればかりは自然が相手なので獲れる量は一定にはできません。年によっても多い少ないの波があり、生活は決して安定しているとは言えなかったようです。そういった環境にあって、毎年ほぼ一定量の保存食が確保できる塘路の地は、のどから手が出るほど欲しい立地だったことでしょう。こんなことから、厚岸アイヌはたびたび塘路アイヌとの間で対立していました。これは史実として裏づけされており、現に塘路湖を見下ろすサルボ展望台近くには、厚岸の方角を向いたチャシ跡が残されています。これは、厚岸からの攻撃に対する防御のために塘路アイヌが築いた砦であるとされています。

つまり、厚岸のアイヌはペカンペという自分たちの生活を安定させてくれる産物を求めて、塘路に攻め込む、まさにそのルートがこんにちの別寒辺牛川沿いだというのです。確かに、多少の回り道には思えますけど、厚岸から塘路を目指すルートとしてこんにちの別寒辺牛川及び主流上流をたどると塘路湖の東畔に達することができます。私はこの時、周りの地図ともにらめっこして比較的説得力があるなあと思ったのです。
[49725] 2006年 3月 7日(火)09:24:50スナフキん さん
プチオフから帰っています
スナフキんは広島で開催されたプチオフから日曜日に帰還しています。ただ、帰ってから本来週末にやらねばならないことが山とあったこと、それよりも実家にいる妹が予定日よりもかなり早くに産気づいて入院し、ドタバタしたことなどがあってすっかり帰還報告が遅くなってしまいました(そして、3人目の甥っ子が生まれました)。参加された皆さま、翌日もアグレッシヴに行動された皆さま、お疲れさまでした。そして手配等してくださった88さま、ありがとうございました。絶対私が最遠方からの参加と思っていたのですが…上には上がいました、いっちゃんさん、恐れ入りました(笑)。まがみさん、18きっぷはうまく使えましたか?(謎)

行きは結局、最長不倒と思われる(バスに詳しい方、間違っていたらフォローください)昼行高速バス「弥次喜多ライナー」で10時間以上揺られて広島へ。帰りはひかりレールスター~北野の異人館街を入館したり飲食したりせず歩くだけ歩いて(汗)、ポートライナー~神戸空港、スカイマーク便で羽田へ戻りました。行きもさることながら、帰りの行程だけでもかなりのハプニングや驚きがあり、神戸空港のコメントもしたいのですが、いまは仕事中なので(大汗)詳しい記述はやめます。

三角線やループ線、気になるけれどこれを気にしていると多分仕事にならなくなる(汗)ので、私から詮索したりコメントを入れたり、実際に探したりするのは、やはりやめておきます。

別寒辺牛のお話が出ていました。結論をここで端的に言ってしまうと、この地名の由来は[49684]で北の住人さんがおっしゃる通り、間接的ですがヒシの実から来ています。が、[49716]でhmtさんがおっしゃっているのも正論で、話はそう単純ではありません。数年前に塘路でガイドについてもらってネイチャーウォッチング&ウォーキングをした際、歴史上の話題から由来の真相を聞かされていますので、後ほど時間があるときにでも紹介します。
[49530] 2006年 2月 28日(火)12:53:32スナフキん さん
脱線気味のレス
[49519]Issieさん
有楽町線(8号線)の 小竹向原-和光市(→東上線方面) 間が実は「13号線」であることは“難易度”が若干高いとしても,池袋-小竹向原 間の「新線」が 13号線 であることは2002年当時,一応はアナウンスされているはずなんですけどねえ。
現在建設中の池袋~渋谷間が13号線であるのは相当の人が知っているようですが、そのほとんどがこれを完全に独立した新線だと思っている節があります(少なくとも私の身の回りにいる、鉄知識がほぼゼロの人たちは)。新線池袋で止まっている線路を伸ばすから、東武と西武とが乗り入れられるのだと説明すると、そうなのかと驚く(どうやって直通すると思っていたんだか…)、一般人の認識はその程度なのだろうと思います。勤務先にも、小竹向原から新線池袋に達する線路は現在千川・要町に止まる線路の真下にあって、さらにホームも既に作ってあってエレベータまでが達している話をして初めて、その事実を知る人もいるくらいです。そんな中、何だか妙な書物が出ているようですが間違った情報の刷り込みになりそうで、少し心配です。間違った情報ソースを元に地図の問い合わせが来るケースも少なくないのですよねぇ…。

ところで、「13号線」は建設路線名称であり、「供用時の路線名は公募する」という話を相当に公的な場で見聞きした覚えがあるのですが、開通まで1年余りとなった昨今でも動きはないようです。仕事上、あまり直前になってからドラ叩きされても直しが間に合わないので困ってしまいます。もっとも、実際には路線図の架け替えや駅の表示整備の都合もあるでしょうから年度が改まったあたりが公募の頃合でしょうか。勤務先でも先ごろその話になりまして、さしあたっては通過させている千川・要町の取り扱いがどうなるかが最大の関心事。個人的には、新設の急行は通過してしまってもいいから(恐らくは時間当たり片道4本程度なのでしょう)、駅構造物を再整備して普通便だけでも止めて欲しいなというのが、勤務先最寄り駅利用者としての思い。路線名は「明治通線」が無難な落としどころ、ひょっとすると使っていそうで実は鉄道路線名としては使っていなかった「渋谷線」(首都高速では使っていますが直接の干渉はないので問題ないでしょう)もありかなと。ただ、成立経緯はともかく名実共に最古の地下鉄たる銀座線が乗り入れている地名をぶん取ることが、東京メトロとしてどうなのかにこの名称の採用可否がかかっているような気が…。将来東急東横線との直通も目されており、その暁にはこの名称では面倒も起きるかも。JR山手線・埼京線の混雑緩和および旅客争奪戦への殴り込み(汗)を前面に出すなら「東京メトロ山手線」もありでしょとか、場所はぜんぜん違うし(大汗)開き直って「ハチ公線」、なんて無責任な名称候補も話の中から飛び出す始末。市町村合併時の名称決定の際もそうですが、公募の難しさって、こういうちゃらんぽらんな名前にも付き合わなければならないところにある気がします、はてさてどうなることやら。

さて、今週末は広島でのプチオフに参加します。帰りはひかりレールスター(それもサイレンスカー)を新神戸で捨てて、開港間もない神戸空港の離陸体験をする予定。でも、何だかポートライナーが順番待ちだとか、空港内入場制限だとか、ブームが加熱しすぎると一般利用者たる私が空港にたどり着けない不測の事態もあり得るんでしょうか。値段を下げる代わりにユーザサポートを縮小して合理化に努めるスカイマークの利用も初めてで、初物続きの締めくくりに一抹の不安を抱きます(しかも日曜日だし)。ちなみに往路は、帰りに利用する乗り物のいずれでもないモノで広島へ向かいます、さて何でしょうねぇ?
[49208] 2006年 2月 15日(水)13:12:13スナフキん さん
来月の改正のこと
[49197]まがみさん
長く慣れ親しんだ「準急浅草ゆき」「準急伊勢崎ゆき」などの行先表示がもう見られなくなる
あれ、まがみさんは伊勢崎沿線にお住まいだったことがあるのですか。かく言う私は居住経験はないくせに、沿線出没率は異常に高いのですが(汗)。やはり、鉄ごころがうずいてすごく気になるのですよ、毎日必ず見る車両が全然違う場所で全然違う使われ方をしてるのって。それこそ、複々線が今みたいに完結するはるか前、草加で止まっていた頃から足を伸ばしていましたっけ。松原団地や鐘ヶ淵で回送が回送を追い抜く下りのダイヤを見て、全部調べてやろうと病み付きになってしらみつぶしに定点調査をしたことも今は昔…(でも回送時刻表を記した大学ノートがいまだに残っている?)。下り列車もあの頃に比べると随分本数が増えました。第一、業平橋ではもう折り返したりしませんし、10両の列車はかなりの率で半蔵門線に入っていきますからねぇ…。今度の改正ではそれが主流になるとのこと、いやはや時代は変わりました。

そういう訳で、行先表示は相当の撮りためがあり、現在では半蔵門線直通用になってしまった車両の「準急 伊勢崎」や、宇都宮での「普通 栃木」(大汗)なども好んで撮っていたのですが、改正前までに1度はまた、私も足を運ぶのだろうと思います。どちらかと言うと、残りはするものの事実上腰砕けにされるのが確実な日光線系統の快速の方が気になっています。浅草~鬼怒川往復はパスネット残額から2000円ほどが能率よく消化できるので、温泉目当てと称して往復する回数が増えるかも…。何せ、来年には関東民鉄もICカード化が見えてきていますし、その時には定期券をICカード化したいので、この1年とちょっとの間で現在の磁気パスネットカード約5万円分(大汗)の処分を進めないといけません。折しも、先週JRの磁気イオカードが自動改札機に入らなくなり、券購入にしか使えなくなりました。パスネットもゆくゆくはこういう運命をたどるのかな、と思うと早めに消化しなきゃと気が急きます。昨秋から意図的に新規購入は取りやめていますが、1年で数万円分を使い切るのはなかなか大変です。こういう悩みを持っているのは私だけでしょうかねぇ…。
[48875] 2006年 2月 1日(水)09:48:42スナフキん さん
ちょこっとレス
明日まで(汗)の仕事を抱えていてあんまり進んでいないので、少うしだけレスを。
[48871]Hiro(&TOKO)さん
再論「ケ」と「ヶ」
非常に興味深い情報となりそうです。ニュアンスは微妙に異なりますが、「葛」の字をどうするかの話に通じるものがあり、地図作りとも関係大ありです。地元の見解は尊重すべきで、この結果をわが社製品にフィードバックすればいいのですが…他人の汗かき結果を横取りするようでいい感じじゃあないですね。

無難な落としどころとすればやはり、国土行政区画総覧や市町村要覧によったという判断基準に落ち着くのでしょう。でもこれら参考資料も、目次と扉・本文タイトルで「ケ」のサイズが揺れているところが、確かどこかにあったと思います。同じ資料内で統一がとれていないくらいですから、世間の認識(ケは大きいか、小さいか)はそれ以下かもしれません、「ケ」の大きさで問い合わせやクレームがわが社に舞い込んだ話は一度も聞きませんし。

鶴ヶ島はいまだ来ず、ですか。実家が市役所から車で数分のところにあるので、リタイアした母親に直接聞いて来いと言えなくもないのですが…こういう話って、聞く本人にある程度の意識がないと突っ込んだやり取りになった場合に面倒が起きるので、この選択肢はどうしても返事がなかったら、の最終手段としてとっておきます。あるいは、自分が実家まで出向いて行くか…でも有給休暇をとらないとだめだぁ(爆死)。

水曜どうでしょうDVDにはまっている
これ、大泉洋さんのサイコロ「何が出るかな、何が出るかな~」ですか?
このDVD、1月1日の午前1時頃、勤務先で見てました(爆)。年越しソバは、年が越す前に食べるんじゃないのかな…と思いつつもどん兵衛をすすりながら、知り合いと二人で腹を抱えて笑いました。文字通りの「初笑い」ネタだったわけです(苦笑)。初日の出列車までの時間つぶしということで、知り合いが持ってきてくれたもの。夜行高速バス全盛時代の番組なので、今改めて見るとなかなか興味深いです。その後、利用率の悪い路線は順次削減され、現在はその頃ほど夜行バスの元気はありません。ついこの前も、東京-伊良湖岬の「伊良湖ライナー」が廃止されるなど、衰退傾向はわずかながらも続いているようです。そういう視点で見ると、東京から東北各地へ向かう路線は、いずれも善戦しているなぁ…なんて思ったりします。
[48781] 2006年 1月 27日(金)18:48:22スナフキん さん
都県境のバス
前にも書いたことがあるような、ないような…。
[48780]ryoさん
埼玉南西部-東京(多摩地区・練馬)は県境を意識しにくい地域です。
この地域は私、たぶん異常に強いです(笑)。旧社屋は朝霞市だったし、板橋区というかつての居住地も実際には高島平で県境を強く意識する場所でしたから…。でも、清瀬とか東久留米とか、西武沿線の話になるとめっぽう弱いのです。普段から慣れ親しんでいたわけではない路線なもので。ピックアップしてくださった路線の中に、旧社屋への通勤で毎日のように使っていた路線も含まれています。

まだ挙がっていないかな?という路線に、成増~高島平操車場線「高01系統」があります。小さい頃は頻繁に利用していた路線で、しかも出身幼稚園のすぐ裏を路線が通っていたこともあって非常に今でも身近に感じています。成増は東京都ですが、途中、吹上・吹上新道・下新倉の3停留所だけ、埼玉県をかすめて再び東京都に戻って終点の操車場を目指すというもの。これとほぼ同ルートをとり、さらに笹目橋を渡って埼玉へ走る路線はさらに面倒。下新倉までは「高01」と一緒ですが、このあと再び都内に戻っての停留所は笹目橋1カ所のみ。すぐに新大宮バイパスで県境を越えて再び埼玉県へ入っていってしまいます。複雑に入り組んだ境界線をかいくぐり、4度も行ったり来たりする路線は全国的にも珍しい部類に入るのでは。
[48692] 2006年 1月 24日(火)15:34:52スナフキん さん
Re:『地名』がブーム
[48647]グリグリさま
当該記事、切り抜き待ちの新聞の山から引き抜いて読んでみました。ことの善し悪しはともかく、こういった形でメディアが地図・地名・地理的要素を積極的に取り上げる頻度は、合併の大嵐を機に確実に増えたと思います。ただ、何度も書いているように、だから地図が売れているという実感は私にはないのが率直なところ。自社商品もこのような社会情勢にあっても、飛ぶように売れていったということはないようですし。売れているのは一部の、それこそ書店に商品を平積みさせてもらえるほどの営業力を持つ一握りの出版社なのだろうと思うのですが、世間の認識とは必ずしも一致していないようで、「売れ行きはいいんでしょ?」みたいなことを周りから言われることはたびたびあります。

民俗学者谷川健一さんの「文化財として尊重を」というコラムもあります。
顔写真入りでのデラックス掲載(?)ですね。個人的な主張の好き嫌いはさておき、直接的な接点はなくとも勤務先とこの方とは決して無関係ではないので、フムフム…みたいなスタンスで眺めました。…早晩、正体がばれてしまいそうですね。ハンドルネームが無効となる日も近いかな(大汗)。
[48501] 2006年 1月 18日(水)09:38:45スナフキん さん
大字・字、問いかけの答えなど
[48349]北の住人さん
北海道にもそのような例があるでしょうか。面倒でなければ2、3教えてください。
とのことでしたので、国土行政区画総覧を調べてみました。
釧路市の項目中、
音別町中音別
 通称 チノミ台
 通称 北栄
というふうに独立して立てられている部分がありました。字や通称の表現方法は、中黒「・」で結んで列記していくのが普通なのですが、ここではどういうわけか個別になっています。これは単に郵便番号が独立しているからそうしているだけなのか、それとももっと別な理由があっての措置なのかは私にも分かりません。他にも帯広市に、
清川町
 通称 仲通
 通称 本通
があったほか、士別市には、
西士別町
 通称 東の沢・中の沢
 通称 学田
 通称 新学田
のようなケースも。留萌市には、
三泊村
 字 ヲムロ
 通称 三泊町
???なんていうのもありました。字と通称の並列例はここだけではないようです。同じ留萌市内には、
字留萌
 通称 大和田町
 通称 藤山町
もあり、留萌市内においてはどうも「字」の概念がひとくくりでまとめられないように、私には思えるわけです。例示としてはこの程度でよろしいでしょうか。

私のフォロー以降に突っ込んだ見解が様々示されていますが、あくまでも私のフォローはフィーリングによるものであり、地方自治法など具体的かつ個別の法律話になるともう私は手も足も出ませんので脱落します(汗)。私が思うのは、恐らく大字や字は公的にはきっちり決められているだろうということ、けれどもその上下関係や相互関係を全国的に纏め上げるのは地域ごとの格差が激しく難しかろうということです。そしてそのことを私は必ずしも否定的には捉えてはいません。

何だ、地図屋のくせにとんずらか? と思われるかもしれませんが、所詮餅は餅屋ですから仕方ありません。地図屋にとって多くの知識を吸収するのは仕事上プラスになることではありますが、やはり法律の条文を読み解くのはあまりにも実作業からかけ離れすぎていて手に負えないのが実情です。後の議論は有識者ならびに関心のある方々に、無責任ではありますがお任せします。
[48313] 2006年 1月 13日(金)10:14:15スナフキん さん
大字のこと、少し補足など
[48271]グリグリさま
この説明でホッとしています。長年の疑問に対する回答にようやく出逢えた気持ちです。スナフキんさん、ありがとうございました。
レス元冒頭にも書いたように、あの文言は私が地図を編集していて思うことをしたためたものなので絶対ではなく、安心するのは早いかもしれませんよ(苦笑)。私自身「多分無理だと思います」という大いなる婉曲表現をしてますし。

ただ言えることは、全国的に統一性のないこれらの居住地名についてまとめたものが国土行政区画総覧であり日本行政区画便覧であるということ、それらもまとめこそすれども上下関係を中心に体系的に整理するまでには至っていないということです。また、最近の相次ぐ合併に伴って誤植や事実誤認が散見されることもあり、やはりこれをバイブルとして100%信用してよいとまでは言い難いですね。私が確認したとんでもない誤植は、岩手県西和和町(目次では正しく書かれていますが、大見出しにはこう書かれていました)なんてのがありましたし、青森県外ヶ浜町では旧蟹田町内の記述が町役場ホームページで見られる新住所一覧とかなり異なっている、といった具体例がありました。

普段からこのぶ厚い資料に目を通すことは日常茶飯事なのですが、例えば大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)、「字」と同格で表示されている「通称」との混在はどう説明すればいいのか、北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されているのはどう考えればよいのか、理解に苦しむ記述も多くあります。こういった表記の揺れを見ると、やはり地域ごとに異なる地名の考え方を纏め上げるのは、資料の収集能力があるはずの機関が作ったこれだけの物量の書物をもってしても難しいのだなぁ、と私は考えるのです。この公的要素の強い書物がこうなのですから、自分のところを含めて地図会社がこれを全国的に熟知し、完全に理解して地図作りができているはずがなく、殊に地名の上下関係だけに的を絞って道路地図を眺めておれば、おかしな記述は恐らく山ほど出てくるのだろうと思います(もちろん、自分のところで作ったアトラスを含めて、の話ですが)。ですから、
字、小字の概念も同じように捉えてよろしいんですよね。
についても、やはり全国的にきっちりと上下関係を明らかにするのは難しかろうと思います。前述の「字○○」が、「大字なし」と書かれていないのにズラズラ並んでいるのなどは、大字の下にあるべき字・小字と同じものには見えません。昨今の合併に伴う住所変更の取り扱いでよく見られる「大字の語句を削除」という処置も、では新住所は大字ではなくなるのか、大字だけれども表現をしないように改めるのか、それとも全部が字や小字のランクになるのかなど、実際には全く分からないです。まあ、一般人には分からないでも何の不都合もないのでそれでよいのでしょうけれど、こだわりのある人、地名を研究したり論じたりする人には不親切ではあります。

ただ最後に一つ言いたいのは、私は「これではまずかろう」とは思っていない、ということです。地域によって考え方が異なる、こういう独自性・主体性があってもいいじゃあないですか。逆に日本全国を杓子定規に当てはめることができる地名体系だったとしたら、私はとてもつまらないと思いますし、そもそも「国土行政区画総覧」などという分厚い資料の存在意義もなかったことでしょう。そういうファジーな部分を楽しめるのが、日本の国民性というか日本気質というか、そんな気もします。これを失うのはもったいない、というのが私の気持ちですね。
[48252] 2006年 1月 11日(水)12:59:22スナフキん さん
駅名七・五調、新たな発見
[47275]でにまんさんがJR大和路線の「五・七・五・七・七」並びを取り上げていらっしゃいますが、昨日の残業帰りで何気なく地下鉄直通列車の停車駅案内を見ていて、ふとこの話題を思い出しました。乗っていた地下鉄の電車が地上に出てからの停車駅が、よくよく見ると「五・七・五・七・七」ほど整ってはいないものの、駅名読みが七・五調となって並んでいたんです。もう何年も利用しているのに灯台下暗し、これは気づきませんでした。

和光市・朝霞(7)
朝霞台(5)
志木・柳瀬川(7)
みずほ台(5)
鶴瀬・ふじみ野(7)
上福岡(字余り6)
新河岸・川越(字余り8)
川越市(5)

字余りが連続するので胸を張れませんが、きれいな並びであることは言えるかもしれませんね。

以上、十番勝負最中の下らない板汚しの話題でした(汗)。
[48229] 2006年 1月 10日(火)13:37:53スナフキん さん
大字のこと
フォローにならないかもしれませんが、地図を作る上でこんな感じなのかな…と思える部分をいくつか。
[48147]ひーさん
区名のあとに「○○町大字△△・・」となっていますが、「○○町」自体が大字だと思うんですが・・。
とのことですが、これは必ずしもそうだと言い切れない面があります。同様の例が名古屋市内に散見されます(北区楠町大字~、港区南陽町大字~、緑区有松町大字~など)から、何か名古屋市独特のルールがあるようにも思えます。最近見た例では、合併が絡みますが「青森市浪岡大字○○」というケースがありました。こういった例を見るとあたかも「大字」の上に相当する「何か」があるようにさえ見えてきて、名古屋市の例が飛び抜けて特殊というわけでもなさそうです。ぱっと見では、全国各地のいわゆる「広域大字」の類(愛知県では一宮市の「一宮市丹陽町」「一宮市千秋町」などがそれにあたります)ともとれます。

もともと大字の概念にはこれといった全国的な統一性があるわけではなく(以前にも挙げた岩手県独特の住所「第○地割」の存在もあります)、あいまいさが顕在していたところへ持ってきて、ここのところの合併に伴って生じた大字改変の取り扱いが各所でまちまちで、ますます混沌としてきているのは事実です。大字という概念を全国的に網羅し、統一した見解で纏め上げようというのは、多分無理だと思います。

ちなみに、住宅地図では「大字」付ですが、道路地図では大半が「大字」無です。
これは地図の用途及び目的の違いによるものですね。住宅地図は1つ1つの建築物が主人公ですから、それらの住所を正確に記していなければ都合の悪い事態もあり得ます。一方、道路地図で大字の有無はハッキリ言ってどうでもよく、大まかに住所・地名が読み取れればよいので、判読不能にならない程度の誇張や省略が行われます(多分、郵便物が「大字」を入れずとも届くために省略される傾向が強いのでしょう)。また、地図が表す縮尺も表記の省略化を大きく左右する要素で、住宅地図は超拡大図が基本であり住所を略さずとも記せる紙面であるのに対して、道路地図では住宅地図ほどに拡大した図はごくまれである割に情報量は多く、どうしても省略が避けて通れないという、地図特有の事情が表記の揺れには見え隠れしています。ですから、どの表記が正しいのかを判断するのも、市販の地図がこれだけ表記の統一ができていないのですから、意外と難しいのです。ちなみに例として挙げられた「歩道橋の表記」ですが、これはユーザの立場にしてみればそんな厳密な表記は要らないのですが、何分道路に建植された構築物は官公署である警察が管轄することが多いので、この絡みできっちり書かれている…漠然とそんな気がします。

うーむ、大した答えになっていない気もしますが…(汗)
[47996] 2006年 1月 6日(金)15:09:04スナフキん さん
仕事始めの、初コーヒーブレイク(?)
すっかり年が明けてしまいました。スロースタートな勤務先は今日が仕事始め。年末に一杯になったスタンプカードでブルーマウンテンのコーヒー豆200gをロハでゲットし、PCデスクの周りはいい香りがプンプンしています。

望み薄のつもりで元旦に向かった福島県いわき市勿来の日の出ポイント、雲が多く水平線からの日の出にはなりませんでしたが、雲の上から初日の出自体は拝むことができました。関東を始め全国的に天気がパッとしなかった元旦だっただけに、喜びもひとしおです \(≧▽≦)/ヤッター! で、いまは勤務先のWindowsマシンのデスクトップ壁紙にこの初日の出を設定してあります。こんなおてんとう様が拝めたのだから大満足です。母校の箱根駅伝での順位なんて、どうでもいいんです(謎)。

その後乗り継いだ特急では眠気に負けてまどろんでいたのですが、起きて気がつくと亘理。太平洋側とは思えないほどの積雪で一面の銀世界に面食らってしまいます。寝起きのせいもあって、まるで夢の中のような気分でした。仙台で放り出されたときの寒さといったら!参りました。仙山線電車が山形から山を越えて雪まみれで到着しています。太平洋側でここまで冬景色になっていたとは…散々メディアが取り上げている今季の記録的な大雪ぶりを、早くも仙台で痛感することになってしまいました。

臨時「こまち」でとんぼ返りした大宮では、百貨店がまだ店開きしていないあおりなのかとんでもない人出でごった返す「エキュート大宮」を、足の踏み場を探しつつ冷やかして、長野新幹線「あさま」へ転身。こちらは逆に軽井沢の雪の少なさに拍子抜けしましたが、上田を過ぎて五里ヶ峯を越えてからの雪の増え方にはオドロキ。上田と長野って、盆地続きに見えるけれど気候はかなり違っているのでしょうね、これほどの積雪差があるとは思いもしませんでした。天気は北関東を経てすっかりよくなり、浅間山はもちろん、姨捨越えに挑む特急「しなの」からは飯縄山も青空に映え、足元に臨む一面の銀世界共々、ここでも夢見心地にさせられます。

各地での町並みの変貌も年始から抜け目なく(?)チェック。長野市内の超一等地(元、そごう跡地?)では再開発事業が進捗し、信越放送の本社が郊外から移ってくるのだとか。松本駅は、合併特例債活用事業なのか線路をはさんでの自由通路築造工事がたけなわでした。年末最後の書き込みにもしたためましたが、合併の大嵐のあるなしにかかわらず、地表の変化は絶えることがありません。こうして、地図屋の仕事も量の増減こそあれども未来永劫続いていくのだなあと実感した次第です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
[47783] 2005年 12月 31日(土)23:08:39スナフキん さん
本年もお世話になりました
ただ今、調整睡眠から目覚めました(汗)。で、食事調整のために今はソーセージとミニトマト、コーヒーにチョコレートをつまんでいます。もちろん紅白歌合戦など関係のない生活で、大晦日にいったい何やってんだか…。

本年も、オフ会を始めいろいろと落書き帳にはお世話になりました。殊に、仕事をする上で合併情報にはどれほど助けられたことか、ここでは書き尽くせないほどに重宝させてもらいました。改めて感謝する次第です。来春をもって、一応合併の大嵐は収束が見込まれています。これで少し仕事が落ち着けばいいなあと思う反面、仕事が減っちゃうなあ、減税もなくなるから生活がくるしゅうなるなあ…とか、来年をちょびっと憂慮したりしています。ともあれ、合併が落ち着いたからと言って落書き帳でのおつき合いが終わってしまうわけではありません。来年もどうぞよろしくお願いいたします。そして、皆さまにとってよい1年でありますように。

さて、時間が来ました。これから一旦出社(?)して時間調整をして、大宮3:40発のお座敷電車「常磐初日の出号」で、望みの薄い初日の出にチャレンジしてきます(前段に書いた調整は、そのためです)。その後、JR東日本の乗り放題企画きっぷを駆使して、仙台~大宮~長野~松本~八王子~笠幡(汗)のグリーン車だらけの豪遊日帰り旅を楽しんできます。で、実家に戻って、たぶん撮りためることになるであろう電車の数々を甥っ子にせがまれてテレビ鑑賞することになろうかと…。また、エネルギーを使う長期休暇になってしまいそうです。
[47523] 2005年 12月 19日(月)13:15:26スナフキん さん
鉄道ネットワークの拡大 in東武
東武が先週末に、来春からのダイヤ改定を発表しました。ご存知の方も多いと思いますが、この目玉は報じられている通り「スペーシア」の都心(ここでは池袋・新宿とします)への乗り入れ!です。けれど、今回の発表ではそれ以外の重要な改定内容も表に出てきました。

あまり鉄ばなしをディープにするのもいかがなものかと思うので、鉄道ネットワークの拡大として着眼すべきポイントを2つに絞って言ってしまいます。沿線の方には不快な表現に見えるかもしれませんが、東武として北関東エリアを事実上切り離しにかかったということが1点。最優等列車を地下鉄へ直通させ、直通列車に既存路線のイニシアチブを握らせるということが1点、これに尽きます。特に後段のポイントは従来の常識を覆すかのような大改編であり、ここまで地下鉄直通列車を持ち上げる例は東京周辺では、全列車直通の東急田園都市線など一部の例外を除いては初めてのケースと思われます。列車種別の大幅な変更も行われ、従来は特別料金を取る種別だった「急行」が一般化されたり、新たな種別が生まれたりと変化の度合いはきわめて大きく、沿線利用者は頭の切り替えが大変そう…。

かねてより東武伊勢崎線は、日比谷線という直通相手を持ちながらも車両規格の都合上優等列車として運転できないジレンマを抱えていました。このことで何度メディアや利用者から突かれ続けたか分からないほどだったわけですが、今回ようやく大型車両の長大編成による優等列車の直通を手中におさめたと言えます。同時に、JRとの接続駅でありながら運転本数の点できわめて冷遇されていた久喜駅が、改良の甲斐あって直通列車を受け入れ、さらに特急も一部停車させることで倍近い本数増の恩恵を受けることになりました。以前は東武動物公園で分かれた日光線・南栗橋の方が本数が多かったため、ここでも立場の逆転が生じています。

これ以外にも来春にはゆりかもめの延伸が予定されているほか、その後には東京メトロ13号線(仮称)の開通も控えています。しかし東京における鉄道の網の目は、このような純然たる路線の新設・延伸がそれほどなくとも、確実に外へ外へと広がり続けていくようです。
[47348] 2005年 12月 13日(火)09:22:21スナフキん さん
ショックなので思わず即レス
[47341]紅葉橋律乃介さん
来春のダイヤ改正で、「利尻」と夜行の「オホーツク」は廃止されるようです。
ぐぁ~! ホントですか。どちらも全区間利用経験があるので、ある意味高千穂の存廃以上にショッキングな情報です。しかも週末、情報量の豊富な鉄仲間との忘年会の席でさえ、そんな話は微塵も出なかったのに。閑散時の需要減をピーク時の需要増で補うことができなくなったということなのか、それとも運行自体に人件費がかかりすぎるのか、はたまた車両がくたびれてきて現業が泣きを入れてきたのか…全部が理由にも思えますが、いずれにしても大変惜しまれます。同区間の夜行バスが恐らく残存するとは言え、鉄道輸送における夜行需要は、長らく安泰だった北海道においても冬の時代を迎えることになるのですね。今はなき快速ミッドナイトなどをフル活用し、北海道フリーきっぷ、その少し前は北海道ワイド周遊券で道内を縦横無尽に走り回ることのできていた時代が、もう懐かしく感じられるほどに…そんなに時が経ったようには思えないのですが、私の思いだけが当時のまま置いてけぼりになっているみたいです。
[47329] 2005年 12月 12日(月)13:15:59スナフキん さん
いろいろレスなど
週末はネットの集まりで忘年会がありました。ただ酒を飲みに都内へ出るのはつまらないので、千葉まで足を伸ばして空中散歩(?)を楽しんできました。一日乗車券を買い求めたら、まだ千葉ロッテマリーンズ日本一記念柄でした、一体いつまで引っ張るんだろう…(苦笑)。その後忘年会前なのに「酒々~」と云ふ地で電車を乗り換え、佐倉市内に生息していた「コアラ」を引退間近の我がデジカメで補足することに成功しました(謎)。この後都内へ戻ろうと駅で待っていたら、なかなか年期の入った車両が各駅停車としてやってきました。ブルーグレーの車体にとってつけたような行先表示を出しています。夕陽に向かって走るこの古兵にうっとりし、船橋の高架化をこの目で確認した後も抜いてく列車に移ることはせず、地下鉄直通列車を捕まえられる青砥まで延々と乗り通してしまいました。こういう、車体全体にしっかりと色を塗った車が活躍できるのは、あとどれほどなのでしょうね…。

さて、いろいろレスです。
[47265]N-Hさん
高架下にある電気街から上の高架を見上げても、高度がずいぶん高い割りに幅が狭く、かえってあまり気になりませんね。
そうですねぇ…。私が例として挙げた2ヶ所は、[47267]でYASUさんも指摘されている通り、狙ったわけではないのですがいずれも上を越す方が複々線で、日陰がド~ンとできてしまうのです。これは近所に住まう身になってみればとんでもない話。いろいろ考えてみると、新大阪も高架を跨いでるわけではないですけど、新幹線の存在感は物凄く大きいですね。

[47278]今川焼さん
近鉄のあおぞら号という修学旅行用の2階建て電車
私も高校の修学旅行では近鉄の団体列車を利用して奈良まで移動しました。この時、特別仕様車の登場を期待していたら、「鉄」的にはもっとびっくりな車が。本来は地下鉄烏丸線に乗り入れるはずの車が京都駅に姿を現したものですからもう、こちらは大興奮。一応近鉄カラーの車なのですがちょっとモダンな顔格好でした。残念ながら系列まではよく分かりませんが、3000なんぼ、だったかと思います。後から、修学旅行担当教諭が旅行会社をスルーして近鉄と直談判し、この時間帯なら車が余っているはずだからよこせと依頼したのだと、本人が豪語していました。この教諭も相当な鉄ヲタでして、まったく困ったものです(苦笑)。
[47259] 2005年 12月 9日(金)10:05:25スナフキん さん
奈良のお話
奈良の件、私は宿泊扱いですが多分6泊しています。うち2泊が高校の修学旅行。中学の時は奈良には行っていますが宿泊は大津でした。残り4泊のうち1泊は幼少の頃に泊まっているはずですが場所は定かでありません。2泊は奈良ユースホステルで、この時に訪れた天理教本部(私も信者ではありませんが)でモーレツなカルチャーショックを受けたのでした。そのインパクトは多分、大仏の訪問時以上のものだったと思います。往路で絡んだ天理教専用団体臨時列車「急行・東京おじば」号の存在、道中車内で紛失しかけた青春18きっぷの捜索にかかるすったもんだと合わせて、強烈な記憶として残っています。私は宗教系大学出身のせいか一時期宗教の本山巡りを(悪趣味と分かっていながら)好んでしていた時期があり、金光教本部も前後して訪れています。

最後の1泊は社員旅行でして、宿泊は奈良市内のビジネスホテルでしたが、案内役に大学教授をつけ、今井環濠集落、山の辺の道と点在する古墳群をレクチャーしてもらいながら巡る、「超」のつく研修旅行でした。今井は、すごいところですよ。近隣の富がすべて今井の集落に集まっていたと言っても過言でなかった時期があったということからしてすごいわけですが、その富を狙う勢力から身を守るための環濠構造、街路の見通しを意図的に悪くする家屋配置など、事実上の「自治集落」と呼べるほど強固な防衛力を誇っていたとも言われています。それが現代に至るまで、一部の環濠は埋められたとは言え景観を残しているというのは特筆すべきことでしょう。確か伝統的建造物美観保存地区にも指定されているはずです。

ちなみに…
[47252]EMMさん
何と言っても「修学旅行列車」が運行されるぐらいでしたし。今あるんだろうか?
存在は今でもしているようです。ただ昔と違って「修学旅行専用車両」を用意できるほど民営化したJRは余裕がないと見え、ごく普通の特急車両など(近場の場合はそれ以下のランクの車になることも…)を用いているのでパッと見はそれだと分かりにくいようですが。私も往復新幹線による修学旅行でしたが、中学の時は0系新幹線で3人がけの向きが固定されており、不平不満を漏らすクラスがあった(席割の都合で逆向きに座らされる人も…)のに対し、高校の時は100系2階建て連結の新幹線で3人がけも回転し、6人で道中「UNO」をやりまくって大盛り上がりしたのを覚えています。しかし、今となってはそれすらも過去のお話ですからねぇ…。車両は替わっても、300系車両を使った新幹線での修学旅行専用列車は今もあるようです。

私の経県値を振り返り始めるとべらぼうに長くなるのでやめておきます。最後にハミダシで。
[47255]matsuさん
現在モノレールが建設されていますが、
つい先日作図をした(汗)ので少しフォローを。これ、日暮里舎人線のことでしょうか。厳密には例えば羽田へ向かうようなモノレールではありませんで、いわゆる新交通システム、東京近郊ではゆりかもめのような乗り物であるようです。このテの乗り物は車両のサイズが小さいので急カーブはお手の物。現にゆりかもめは新橋のすぐ先、汐留の再開発エリア内に入った直後に直角カーブを描いています。
このモノレールの割と大きな橋脚だけで沿線の道路は既に以前より暗くなったように感じます。
荒川を渡る扇大橋前後では、すでに高架構造の首都高速道路中央環状線のさらに上を越えようとしているので物凄い高さになるそうですね。高架の上を高架で越えるというのは、地平から眺めるとどうしても仰々しい構造物になりがちです。新越谷や武蔵浦和の駅を見ていると、すごくその思いを強くします。景観上も好ましいとは言えませんね、仕方のないこととは言え困ったものです。
[47172] 2005年 12月 6日(火)09:29:36スナフキん さん
経県値登録
日曜夜に経県値を登録してみました。これを登録すると、メンバー紹介の更新デートスタンプが自動的に登録日になってしまいました。リンクや居住地・出身地など各項目は一切変更がないのに、あたかもどこか更新したように見えますが…ロジックの都合上、仕方ないのでしょうね>グリグリさま

リストや経県マップを眺めていると、どうあがいても現状ダントツ1位のU-4さんには「◎」のポイントで及ぶはずがなく、経県値の上積みを目指しても現状、自力で可能なのはあと11点、マキシマムは191点なのがビジュアルでハッキリ認識できました。当初、自分が白桃さんにしかられる(笑)と思っていた香川の「▲」は、「降り立った」の文言を少うし拡大解釈すると自分は高松駅で乗り換えのためにホームに立っているので、見方を甘くして得点をアップさせてしまいました(大汗)。

未訪問の沖縄は別にしても、経県マップで赤っぽくなっていない5県にはある共通項があります。駅から行きやすいユースホステルに恵まれていない(号泣)。以前もユースホステルを宿泊から除外してカウントしてみたことがありますが、やはり自分の経県値における宿泊の概念に、ユースホステルが大きく寄与していることを経県マップは教えてくれました。

今後、まず何とかなりそうなのは和歌山と高知。共に突端部を目的地に据えればどこかで宿泊せざるを得なくなる立地なので、あとは目的を探して資金と時間とを調達できれば(苦笑)早晩「○」に昇格は確実です。ところが、山形・香川・佐賀は近接して宿泊至便な地域が点在しており、利便性に甘えるとどうしてもこの3県はこのまま漏れ続けてしまいます。この3ヶ所だけは、経県値アップのためのおでかけをせざるを得ないかもしれません。

自分の経県値と経県マップを眺めての雑感でした。烏川碧碧さんのページの仕掛けはホントによくできているなあと感心しました。経県値という面白ネタを編み出した皆さんの柔軟な発想にも、感謝、感謝。
[46960] 2005年 11月 28日(月)16:35:21スナフキん さん
鉄道橋梁名は、どうして地図に載らないか?
[46891]デスクトップ鉄さん
・地図には、道路橋の名前は書かれているが、鉄道の橋梁名は載っていない。
仕事柄、普段から地図を見て、地図を作るのが当たり前になっているとこういった疑問点が自分の中で沸いてくることはまずなく、新鮮です。

結論から言えば、地図に掲載する必要がないから、の一言に尽きると思います。もう少し掘り下げて言うならば、読者にとっても編集者にとっても、鉄道の橋梁名はそれほど重要でないから、ということもできるでしょう。

地図上では同じ交通線なのに、なぜでしょうか。いろいろ思いを巡らせると、道路と線路の公共性の違いが根底にある気がしてきました。道路は、誰もが行き交うことができます。しかもほとんどの場合、徒歩・自転車・バイク・自家用車・バス・三輪車(汗)など、手段を問いません。一方、線路も誰もが通ることができるのですが、自走することは一切できません。車両を運転してくれる人に頼らないと通うことのできない交通路なのです。また、鉄道は一般的に決められたダイヤで動きますから、いつでも自由に行き交うこともできません。「鉄道は公共の交通機関」であるという認識は広く世間一般の常識になっていますが、地図における交通線という捉え方をした場合、同類項の道路と比較するとその公共性には枠がはめられていて、大きな差があるということができます。

翻って、地図の話に戻ります。誰もが自由に行き交うことのできる道路ですから、当然いろんな要求が出てきます。私は、そんな中の一つに「橋の名前を知りたい」というものも含まれる気がします。橋の実際の姿を思い起こしてみても、道路橋は大概両端部に金属製の橋梁名称プレートが埋め込まれています。幹線道路クラスになるとご丁寧に頭上に大きく看板を掲げるケースさえあります。ところが、鉄道橋はそういった名前を目にすることがありません。たまに、トラス構造の両端に白ペンキで名前が書いてあることはありますが、稀なケースです。それは多分、鉄道橋梁名は管理上は必要であっても、普通に鉄道を利用する乗客にはほとんど関係ないものだからだと思います。ですから、鉄道橋梁の名称は、ぶっきらぼうで面白みのかけらもないようなものが多いですね、「第○・△△川橋梁」とか。それが明示され、見られることをおおよそ意識していないかのような命名です。鉄道と道路の橋梁名、地図上での取り扱いに温度差が生じるのはこの辺に原因があると考えます。

他方、同じ鉄道の構造物でもトンネルは、地図への掲載はどちらかというと頻繁に行われることが多いです。地表に現れない分、むしろ一般人の関心は橋梁以上に薄いはずの隧道名は、いろんな地図を見ても比較的よく載っていると言えると思います。また、その名称も橋梁ほど規格化されてもいないようです。確かに、「線が線を横切る」構造物と「線が面を横切る」構造物で、その命名傾向に差異が生じるのはある意味必然かもしれませんが、地図にちょっと載せてみようか、と思える名称であることは確かです。あるいは、地図で見えていない部分を少しでも明らかにしようという意図が、どこかで編集者に働くのかもしれません。

上記は私がツラツラと思ったことを書いたもので、実際そうではないかもしれないことをご承知おきください。
[46812] 2005年 11月 22日(火)18:41:37スナフキん さん
世界と日本 大図解「新日本地図」の続編?
かつてここでも紹介されて話題を呼んだ「新日本地図」。その続編となる特集「路面電車」が北海道新聞の11月19日付け夕刊の「週刊フムフム」に掲載されていました。例によって見開き全面をフルカラーの贅沢な紙面構成となっていますが、「新日本地図」と決定的に違うのはほぼ札幌・函館両市電の紹介にとどまっていること。データ的にも前回とは比べものにならないほどお役立ち度は薄く、元気な路面電車として広電が別に紹介されているくらい。電車が動く仕組みを大きなイラストで紹介していますが、できればここに全国各地の路面電車概況を入れたりすればもっと面白い紙面になったろうなあと悔やまれます。内容的には道内ネタで完結しており、前回のように地方紙各紙で次々に掲載されるということは考えにくいもので、道新としての単発企画で終わりそうです。でもひょっとしたら、内容を差し替えて中日新聞や西日本新聞、中國新聞が地元の路面電車を特集したり…してくれると面白いんですが、そうならないかなぁ。
[46778] 2005年 11月 20日(日)08:40:06スナフキん さん
いま、鹿児島にいます
かすみさんは東進して甲斐は甲府へいるのだそうですが、私は逆に西進し、昨日飛行機(超割利用)で鹿児島入りしています。昨日は「中央駅」に改称以来初の鹿児島中央駅から観光列車を乗り継いで八代に達しました。終始天気に恵まれ、肥薩線のビューポイントからは桜島の遠景が見える大サービスがつきました。飛行機でも海岸線が見たい放題、久々にフライト中の富士山が拝め、ありがたかったです。地ビールや鹿児島の名産品盛り沢山の駅弁、いも焼酎やさつまあげも食べられて、大満足の旅です。いまは、鹿児島市内でも珍しい温泉つきビジネスホテルからアクセスしています。鹿児島はご存知のように桜島に抱かれた日本でも有数の温泉地帯に立地する都市でもあり、ハッキリ言って「湯釜の上に都市がある」と言っても過言でないほど源泉が集中しており、公衆浴場も大半が温泉。「泉都」の名をほしいままにしているのですが一方で、乱立するホテルのほとんどは温泉を引き湯していません。恵まれた地の利でお客さんをもてなすのは理にかなっていると思うのですが、なかなか温泉となるとメンテが大変なようで、このホテルもネットで調べてみないと見つからなかったかもしれません。

私事になりますが、今回の鹿児島入り最大の目的は1年以上返上したままになっていた「JR線全路線走破」のタイトルを、九州新幹線「つばめ」に乗ることで奪還することでした。残念ながら新幹線乗車時は完全に日没で景色を眺めることはできませんでしたが、まあトンネルだらけの路線なのでこれでもいいでしょう。今日はこれから、逆にJRから切り離されてしまった平行在来線「肥薩おれんじ鉄道」の快速列車で北上、そのままローカル列車を乗り継いで小倉まで向かい町歩きをしたあと、寝台特急で帰京、翌朝は昼から出社します(泣)。鹿児島の朝は、暖かいです。そして、日の出が遅いです。明日、寒い東京に帰るのがちょっぴり嫌です(苦笑)。
[46666] 2005年 11月 15日(火)13:08:32スナフキん さん
カントリーサイン、東北道のこと
そう言えば昨日まで、私も妹の結婚式で郡山・福島まで車による遠征をしていたのでした。ずーっと助手席に居座っていたにもかかわらず、あまり気にはしなかったのですが…「さくら市?どこじゃここは!」という運転中の親父の一声で講釈せざるを得なくなりました(汗)。氏家と言って分かってくれたからよかったですが、氏家も喜連川も分からない人に説明するのは大変ですねぇ。妙な名前だとブツブツ言っていたのを、そんなことを言ったら自分の新しい住所はもっと妙なんだから、我慢してやれとなだめるのに一苦労…。

直前に白河市と合併した大信村、どうだったかなぁ…。そもそも、大信村を東北道が走るのは矢吹インターの直近わずかな距離。しかも合併後は、両者の間には泉崎村が挟まる格好になっており、言ってみれば白河市に出たり入ったりすることになったのでした。確か「白河市」の看板は動いていなかったように感じたのですが、何分地図を見ながら同乗していたのではないので、さすがに職業が地図屋であっても新旧境界線に看板がちゃあんと立っているかをそらんじいて確認する、という離れ業はできませんでした。

今週土曜日には、鹿児島空港シャトルバスで九州道南端部を走ることになっているので、ちょっと気にしてみてみようと思います…。あ、でもほぼ1年が経つ鹿児島市の合併は、なんぼ何でも直しているでしょうね(苦笑)。あ、それよりも関越道の「大井町」がどうなったのか知りたい~。ついでに、関越道から見える「おおい」と書かれた浄水場タンクのその後も確認していません、どうなったのでしょうね?
[46549] 2005年 11月 8日(火)09:40:02スナフキん さん
ふじみ野市長選挙戦が始まりました
日曜にふじみ野市長選挙が告示され、選挙戦が始まり自宅近くはやかましくなりました。幸い、法定選挙運動時間帯と自分の在宅時間帯が抵触するのは朝の数分だけで、わずかな間の騒々しさなので我慢できますが、日中市内にとどまっている人たちは、この狭い地域で候補者4人というやや乱立っぽい選挙戦に閉口しているかもしれません。まる一日騒音に耐えねばならぬ週末も、私は投票当日を含め妹の結婚式で郡山遠征を控えているので、ほぼ避けられそうです。

政治色の強い書き込みなので少々気が引けますが、この市長選挙に限らず合併に伴う新自治体の首長選挙でいつも思うのは、合併前の旧市町村長が複数出馬してきて争うのって、新自治体にとってはどうなのだろうかということです。多かれ少なかれ、旧市町村長は旧自治体における利権および既得権益を背負って出てくることは想像がつきます。それらを一切断ち切って出馬するというのは、常識で考えてもまず無理でしょう。だとすれば、合併に伴って1枚岩になったはずの自治体を、再び選挙戦で地域間対立へと導いてしまうことはないのだろうか、と政治学に疎いスナフキんは考えてしまうのです。一方、事前の話し合いで出る出ないを旧市町村長間で決めるほうがよさそうにも思えますが、そうなると密室政治だ、決定経過が不透明で分かりにくいなどの批判にさらされることになり、こちらも単純に「是」と言い切れないものがあります。

いわゆる合併特例法では、新自治体の首長についての規定がどのようになっているのかよく分からないのですが、文言で「旧自治体の首長は新自治体において首長となることはできないものとする」みたいな表現を盛り込めなかったのかな、そうすれば結構、物事は公平に進むのではないかなと漠然と考えたりもします…あ、それをやったら旧自治体の首長による抵抗が強くなって、今ほど「平成の大合併」は進んでいなかったのかもしれませんね。政治というハタケ違いな分野を、選挙戦を見ながら雑感してしまうスナフキんです。
[46521] 2005年 11月 6日(日)23:17:42スナフキん さん
地域コードの話
[46519]Issieさん
ところで今最も関心があるのは,来年3月に有田町(まち) と 西有田町 とが合併して発足する「有田町(ちょう)」。
現・有田町の番号(41401)を引き継ぐのか,“新しい自治体”とみなして新番号(41403)が与えられるのか。
個人的な憶測ですが、恐らく「引き継ぎ」になるだろうと思います。根拠は、同じようなケースで引き継いだ前例があるからです。と言ってもまだ合併に至っていないのですが、コード自体はすでにリリースされています。青森県南部町がそれで、名川町・福地村と合併することにより従来の「まち」ではなく「ちょう」に読み替え、実質新設合併を示しているとも言えますが、ここでは従来の「なんぶまち」コードがそのまま新町に用いられることとなっています。

ただ、恐らく中央省庁が決めるであろうコード順はともかく合併にかかわる事象って、結構当該県の前例を重視するようなところがあり(殊に、県や市町村側における決定事項ではそういう方向性が顕著になりますね)、100パーセントの自信はありません。正解が判明するのがいつ頃かははっきりしませんが、そう遠くない時期に分かるのではないかと思います。今までLasdecのページを見ていて、それほど告示とコード判明のタイミングが大ずれしたことはないので…。
[46462] 2005年 11月 4日(金)13:44:08スナフキん さん
航空祭と、少しのレス
昨日は、けっこう以前から楽しみにしていた入間航空祭でした。昨年は知り合いのバス運転士の退職記念仕業に付き合ってしまい涙を呑んだイベントで、団地に引っ越してから眺めるのは初めてとなりましたが…天気がひどいものでした(泣)。雨こそ降らずにもったからいいようなもので、終始曇天。航空自衛隊入間基地は、スカッと晴れれば飛行機の離着陸が見えてもおかしくない距離のはずなのに、昨日は地表付近はモーレツにモヤっぽく、離着陸どころか低空飛行されると機影すらほとんど確認できないありさま。視界が片方向にしか開けていないので、飛行ルートも分からぬままに突然爆音が響いて飛行機が頭上を通過という不意打ちを何度も食らいました。ブルーインパルスの飛行はもっと悲惨で、なまじ昼過ぎて日が出たために雲が余計に白光りして煙幕と同色化し、「空のキャンバス」は台無しです。上半分がかろうじて見えただけ、ましでしたが。もちろん低空での曲芸飛行の様子など見えるはずもなく、今年は完全に「ハズレ年」だったようです、普段は晴れの当り日だからということで航空祭を例年この日にしているはずなのですが…。数年前からは騒音への配慮か、F系の戦闘機飛行展示も取りやめになって迫力がなくなっているのも、隠れ飛行機好きには惜しまれるところ。ここのところは週末に天気が崩れることが多く、中には紅葉を愛でるプランをだめにしてしまった方もいるのでは?

さて、少しレス。
[46444]futsunoおじさん
「寡占化」と「集中化」ってのは「衰退化」の始まりのような気がします。
物ごとはたぶん、地図の話や山登りに限らずそうなんだと思います。人間は独占状態になると必ず気が緩みます。何をしても大丈夫なような錯覚に陥ることもあります。そこで、落とし穴だ、「勝ってかぶとの緒を締めよ」って格言のごとく考えられる人は、たぶん大人物なんだろうなあと思うのです。有頂天になると、視野が思い切り狭くなりますからねぇ…自分も気をつけないといけません。

若年人口の減少が痛いです。
これは山登りのお話でしょうか。私も昨年、ハイキング程度のノリで低山へ何度か単独行を試みましたが、あるパーティーから「若いのに感心ねぇ…」なんて声をかけられた時がありました。若いって、あたしゃもう30代に突入したんですが大学生くらいに見えたんでしょうか、そのおばさまたちには(苦笑)。目上の人から若く見られるって言うのは、実に複雑な気持ちですが。

ところで、昨晩自宅裏の十字路で交通人身事故がありました。この交差点は登り坂の終わる地点にあり、十字路の先は急屈曲となるポイントで交差する道路からは右も左も見通しが非常に悪く、引越し当初からここはアブナい場所だな、いつか何かあるんじゃないかと危惧していた部分でしたが、予感が的中してしまった格好です。以前も触れたと思いますがこの十字路、実は市の境界線上にあり、警察署の管轄も異なります。こういう時ってどう処理されるんだろうと思っていたら、救急車は分署の位置がより遠い川越市側からやってきてしまい、上福岡方面に走ってゆきました。その後しばらくして埼玉県警の事故調査車が来ていたようですが、これがどちらの警察(川越?東入間?)から来たのかはずっと眺めていなかったので分かりません。都道府県・市区町村の境界と重なる道路上での事故はどう扱われるのでしょう。よく警察署の前には「本日・今月・今年の管内における事故発生数」とかいう数字が掲示されますが、あの数にも影響するのですよね…。
[46415] 2005年 11月 2日(水)09:42:26スナフキん さん
登山地図のこと
社員旅行から帰ってきました。いろんなことを学び、たくさんの海の幸と山の幸を味わい、すばらしい温泉宿に巡り合えた2泊3日でした。さて山と高原地図、仕事柄ほぼ全巻そろった環境に囲まれているスナフキんから補足を。
[46383]みやこ♂さん
今から30年ほど前には,むしろ後発組で,マイナーな印象だったような印象です。
そうですね、昔は日地出版が相当のシェアを占めていたはずですが、業界におけるデジタル化の波に乗り遅れたことで行き詰まりを見せ、会社ごとゼンリンに吸収されて現在に至っているのは周知の通りです。だからと言ってゼンリンにはデジタルネタが引き継がれたわけでもなく、デジタルに関する小縮尺のノウハウはもともと皆無に等しかったわけですから、今改まってゼンリンとして登山地図を出してメンテし続ける、ということはしていませんけれど(出すだけ出したことはあります)。いっときヤマケイが登山地図を手がけたこともありましたが、その後改訂される様子がないところを見るとこれも花火を一発打ち上げただけで終わってしまいそうです。

もともと登山地図は、市街図や道路図などと比較しても経年変化の量が圧倒的に少なく、毎年改訂するには需要とにらめっこしてもあまりに割に合わないという側面があるため、いきおいある程度の規模を有し資金をつぎ込める会社だけができる分野になりがちで、結果現在のような半ば寡占状態になっています。でも、どの出版社もそれに関して動こうとはしないのですよ、経営が苦しくて(苦笑)。

わたくしが「山と高原地図」に惹かれるのは様々な理由がありますが,その一つには絵柄の美しさ,があげられるでしょうか。むろんヨーロッパ諸国の地図や北海道地図の秀逸さには及ばないとも思います
北海道地図のものは確かに見ごたえがあります。現在は子会社に分割されたジオ発行ということになっていますが、その緻密な表現方法は変わるところがなく感心しています。ただですね、実際山登りをした経験もある私に言わせれば、実用的にはちょっと「凝り過ぎ」な感も否めません。ハッキリ言って山を歩くのに影付けはそれほど重要でなく、むしろ正確な等高線が見えないと意味がない。登山する人はそれなりに地形図を読む訓練もされるはずですから、付帯情報、例えば正確に山小屋や水場の位置が落とせているか、沢や岩の様子がどれほどよく描き込まれているかが登山地図には求められているはずなのですが、その点北海道地図のものは山歩き用と言うよりはむしろ「観賞用」に近いのではと思って見ています。

さすがに「日本アルプス総図」はねぇ・・・迷いますねぇ,実際。何か特典ないのかな?
ないです(汗)。そもそも縮尺的に広範囲をカバーし過ぎていて、とても実用に耐えるとは思えません。1/15万地図で山登りできる人は、ハッキリ言ってすごいです(笑)。当然注記類も相当に編集・整理されているはずで、仮にコレクションのネタにするのであれば明らかに向いていないということができます。強いて特典を挙げよと言われれば、ガイド冊子が同じ体裁でまるまる写真集ぽくなっていること、くらいでしょうか。登山ガイドはこの地図には掲載されていないです。

[46412]EMMさん
山と高原地図は巻数はずっと変わっていないのでしょうか?
2002年→2003年の改訂で、総冊数は大きく整理されましたね。この時に南北に分かれていたアルプス総図が統合されています。この時は特に西日本の各図が相当に統合されたため実質総冊数は減少しています。

「この辺は出ないのかなぁ」と思う場所は何か所かあるのですが、かぽっと開いているエリアは登山用、と言う観点からは需要が低い、と考えて良いのでしょうか。
同業他社の視点からですが、多分図取りは「日本百名山」やそれに準ずる名数山名に大きく左右されているものと思われます。それはやはり知名度の点、需要の点からもうなずける話で、また致し方ないことなのかなと思います。
[46075] 2005年 10月 23日(日)22:26:30スナフキん さん
メガライナー、若干の補足
[46044]YASUさん
関東鉄道運行便は10月いっぱいで廃止だそうです(転属先は不明)。
確認していただいたのですね、何だかお力になれずにすみません。この回答に、私はやっぱりなと思いました。いや、前から知っていたのではないのですが、うすうすそうなるんじゃなかろうかと漠然と思っていたのです。

その理由は、間接的にJRバス関東の方からこんな情報を得ていたためでした。
「メガライナーは全車JRバス関東の所有である」
というものです。関東鉄道のカラーリングで走っている車も、実は内外装共々全く共通の車で、単にJRバスが関東鉄道へリースしているだけだというのです。ですから、今回の減便が明らかになった時点で、ひょっとしたら関東鉄道側がリース契約を破棄し、リース元のJRバスに車を返却する可能性はあるな、と踏んでいたのです。どうもそれが現実のものとなりそうですね。

[45942]みかちゅうさん
わずか1年半で廃車にするとは考えにくいので、鹿島線転用説はある程度の根拠はあります。
確かに、採算ベースで考えると鹿島線への転属はありでしょうが、現在の路線は先にも私が述べた通り潮来ICから真っすぐ鹿嶋市を目指しているのではなく、途中神栖市にある「鹿島セントラルホテル」を経由しています。このホテルへの横付けが、恐らくメガライナー級の大型車体では難しかろうと思われます。仮に何とかここをクリアできたとしても、その後特に住友金属以降の鹿嶋市内部分は対面通行の幅員道路もルート中に含まれています。素人目にもメガライナーでは安全運行が厳しそうなコースです。もし、潮来ICからワールドカップ2002の際に改築された県道を経由し、同時期に架け替えた(旧道も残ってはいるはずですが)新神宮橋を通ればオール片側2車線道路のハズなのでメガライナーの運行は可能でしょうが、逆に現在はこのルート経由の路線設定がないため、新たに別免許を取得する必要があります。メガライナーを活かすためだけに、ここまで面倒な手順を踏むかなぁ…というのが私の考えです。
[45930] 2005年 10月 21日(金)13:40:07【1】スナフキん さん
また少しレス
[45922]YASUさん
つくば高速バスの話題は、直接鹿島の話とは関係ないので思い切りはしょってしまいました。バス路線の改廃って一見地理とは関係ないようにも思われがちですが、総合交通ネットワークとしての鉄道・バス網を論じるのも地理学として成り立つ命題なので私はそれほど問題ないのではと思うクチです。

で、本題ですが現在休日はつくば線は84往復、日中はほぼ東京発毎時00・10・30・40分発、時間当たり4本体制です。改正後は総本数が52往復となります。半減にまでは至りませんが、それでも相当な数の減り方です。日中パターンは毎時00・20・40発の20分間隔に改められます。さらに、南守谷線に至っては路線が完全廃止となります。ネットを詮索しても東海道系の夜行・昼行改正ネタは公式ページに掲載されていますが、常磐系統の話題はおおむね「後退改定」のためか公表されている様子が見えません。上記記述は東京駅に掲示してあったものなので、間違いなくこの内容で改正が実施されると思います。もちろんこれらはTX開業後の利用率大激減によるものですが、駅の掲示には「メガライナー」の注意書きは一切ありませんでした。「一切ない」=存続なのか、=全廃なのかは判断できません。個人的には、転用できない車両ですから何らかの形で引き続き運行されるとは思うのですが…。

[45929]matsuさん
村内に「鮫川」という川が流れているようですがそれからとったのであれば川の由来がよくわからないです。
鮫川村のいわれはご指摘の通り河川名「鮫川」からきていると思われますが、この川の由来について勤務先の地方資料を引っ掻き回して調べてみました。1968年の「明治100年さめがわ」によれば、

「一説に、鮫川の水源地を渡瀬字福原地内にある鮫池であるとし、太古海から鮫が上ってきて鮫池に住んだという伝説により鮫川の名が生まれたという」(抜粋)

とあります。「一説に」と断るくらいなので諸説があるようですが、逆にこの説を公的な文書でもって取り上げていることから、最有力な説なのではないかという推測はできます。

分かることと言えばこの程度ですが、お役に立てたでしょうか。
[45919] 2005年 10月 21日(金)09:23:29スナフキん さん
少しレス
[45822]YASUさん
ここが旅客営業を廃止する直前に乗車したことがある
このことの方がよほどうらやましいです。当時は廃止の情報など雑誌から得る以外に有効な方法がない時代でしたから…。翻って今や、今回の1日限定復活イベントもレールファン上でアナウンスされているくらいですから、ホント便利になったものだと思います。

旅客営業復活なんてことはありえない
ですねぇ(苦笑)。ご存知かもしれませんが、高速バス鹿島線は鹿嶋市内に入る前にまず神栖市に入り、鹿島でないのに鹿島を名乗る「セントラルホテル」を経由してから鹿嶋市内の各停留所へ向かっています。セントラルホテルまでの運転間隔は最短で10分、乗換えを必要とする鉄道アクセスがこれにかなうとはとても思えません。しかも、神栖駅のあった貨物ヤードは事実上グリーンベルトによって市街地から目隠しされています。およそ客扱いを考慮した構造ではなく、旅客列車を頻発させるにはハードルが高すぎますね。ちなみに、来月からTX開通を受けてつくば線が大減便されるため、鹿島線は東京発着の高速バス路線で最大本数・頻度となることがほぼ確定的です。

[45884]みかちゅうさん
あ、私も行ってました。
う~む、あれほどマニアックな場所ですから、落書き帳メンバーは私以外には誰も行かぬだろうと思っていたのですが…。しかも
スナフキんさんあたりがいらっしゃるかなという漠然とした予想
私の行動が読まれているし(苦笑)。

寒い中の豚汁はありがたいものです
天気がさっぱりだった上に、土地柄東からの海風をまともに受ける地方でもあるため、ますます寒さが身にしみました。豚汁やけんちん汁の露店にはチラホラ客が見られましたが、みな考えることは一緒なのでしょう。私も暖かいトルコスープの無料提供は大歓迎だったのです、けどもう少し味がまともならなおよかったのに、なんて(苦笑)。

「今度は鹿島港南まで運転してくださいね」
公式ページによれば、元鹿島港南駅は現在都市計画道路がぶち抜いていて踏切化しているそうです。連れ一同はとっくにそんなことを承知だったらしく、「今度やるときは奥野谷浜だろうっ!」と息巻いていました…。奥野谷浜なんて、レールファンでも知っている人はごく少数だろうに、とんでもない人たちと仲間になってしまったものだと思いました。そもそも、東京へ帰るのに水戸を回ろう、なんて言い出す人たちですから話題にさえついていくのも大変です。
[45820] 2005年 10月 18日(火)13:00:57スナフキん さん
週末のお祭りなど
十番勝負の最中ですが、長い文章を投下します(汗)。流れてしまってもいいような内容なので、まあいいでしょう。

週末日曜日は、夜の下り電車を降りたところで川越祭りだったことにようやく気づきました。普段なら休日夜の上り列車からワラワラ人が降りてくることはまずないのですが、この日は綿アメやフーセンを持った子供がたくさん降りてきて、地元の一番有名な祭りの存在を思い出したのです。

で、地元の秋祭りを忘却していた私は、神栖市へ行っていました(汗)。何でも、鹿島臨海鉄道のうち鹿島臨港線の一部(鹿島サッカースタジアム~神栖)が、大洗鹿島線開業20周年記念でこの1日限り営業運転を復活させるとの情報を聞きつけたためでした。結果的に以前あった駅ホームとはまったく違う方角にある車両検査場内の、洗浄設備をホームとして使っていただけでちょっと当てが外れましたがいい経験をしました。数年前に拡張を終えた鹿島港と、それに伴って廃道となった国道跡地も望めましたし、何よりも頻繁に貨物列車の入れ替えをする活気ある貨物駅を間近で見られたのがいい思い出になりました。場所は違えど臨港鉄道踏切(現在では「跡地」)目前が母の実家である自分の目には、元気な貨物駅はとても頼もしく映るのです。

もっとも、天気が終始パッとせず、雨降りの時間も長かったため展示車両を眺めたり写真を撮ったりするのには不向きな状況でしたし、3便あった往復列車のうち予定していた2便目が切符の手配が間に合わず見切り発車、自分はただそれを目の前で指をくわえて見ているだけ、というトラブルもありましたが…。こういうイベントで積み残しが出たりするとヲタの方々が(自分も人のことは言えませんが)騒ぎ出して乱闘っぽくなることもあるのですが、今回は天気があれだけ悪く、しかも今日1日限りだったにもかかわらず粛々と人員整理されていたのが、むしろ不思議なくらいでした。

積み残されたおかげで、隣接する鹿島サッカースタジアムで同時開催の鹿嶋祭りに出向くこともできました。市制施行10周年・第15回とあって、おやじダンサーズで名の知れたパパイヤ鈴木氏も現れるイベントもあったりして、天気の割にはにぎわっていたようです(生パフォーマンス、すっごく見たかったのですが時間が合いませんでした)…。んっっ?! ぢゃあ始めの1~5回は「鹿嶋」祭りじゃマズかったんではないのかな? など下らない疑問を思ったりもしました。どういうわけかトルコ料理の露店がいくつか出ており、「ドネルケバブ」なる不思議な料理を食べることができましたが…なぜに鹿島にトルコ料理が? 天気が悪いせいかどの露店も売り上げがサッパリのようで、陽気なトルコ人のオジサマはノリノリでトルコスープもサービスでつけてくれましたが、この味がまた何とも形容のしがたいもの。香辛料が強く、ビーンズベースのスープのはずなのにあまりそういう感じがしません。単に鉄ヲタイベントのためだけに遠征したはずの日曜日は、思わぬところでインターナショナルな体験もできた日になりました。期せずして、ここ数ヶ月でバタバタと市が増殖した地域を通り抜けることにもなりましたし(神栖市・鉾田市・かすみがうら市)。そうです、帰りは接続が悪いのを嫌い、わざわざ鹿島から水戸まで逆走・北上し、常磐線の特急を持ち出し増覚悟で利用するルートを同行者全員の一致で決めたのでした。最速ルートではありましたが、最もお金のかかるルートでもあり、週末の終わりという貴重な時間をお金で買ったような気分でした。

ここのところ週末になると天気がよくなくて不満を募らしている方も多いのでしょうね。このまま秋晴れが見られないうちに最低気温が一ケタになって冷えてきて…っていうのは何だか、季節を飛び越してしまったみたいで、イヤですねぇ…。

p.s.[45818]EMMさんのタイトル、私も知っています。神奈川の企業なんだそうですね。
[45596] 2005年 10月 12日(水)09:53:17スナフキん さん
岩内のこと
やはりレスがつきましたか(笑)
[45581]白桃さん
現在の推計人口では倶知安のほうが上位になっております。
やはりですか…。私は最新版(平成16年版)市町村要覧の人口で判断して書き込んだのですが、その差が600程度だったこと、今年実際に岩内を訪ねてみて、凋落傾向に歯止めがかからない現実を目の当たりにしたことから追い抜かれたかも、とは思っていたのです。

岩内の人口激減は気になります。
岩内市街にある、オムライスがおいしいことでちょっと名の通った洋食屋(道新地方版にも掲載されたことがあるようです)を紹介してもらっていろいろ話を聞くことができました(ちょっと宣伝モード)。半そでに短パンという、およそ旅行者とは思えない格好で入店したのですが、雰囲気ですぐオーナーには旅行者と分かられてしまったようです。紹介してもらったユースホステルの名前を告げると、超多忙にもかかわらず愛想良く話をしてくれ、サービスで海洋深層水で作ったコーヒーゼリーまで頂いてしまいました。隣には地元の常連さんもおり、3人で話をしたところ、どうも「フェリーが来なくなったのが大打撃」だそうです。

人口推移との相関関係まで調べていませんが、国鉄岩内線がまず切り離され、フェリールートも岩内を通らなくなることで、交通結節地としての利便性がことごとく失われてしまったのがここ10~20年の岩内がたどった道のりのようです。鉄道業にせよ海運業にせよ、多少性格は異なれどどちらも巨大な装置産業です。その産業自体を動かすのに必要な人手もさることながら、それらを支える関連産業における人口分布もそれなりにあったはずですが、それらすべてが根こそぎなくなったのですから人口がそのまま推移するはずがありません。鉄道を引き継いだバスは鉄道と同じ陸運業ですが、鉄道に比べると従事人口ははるかに少ないものです。一番人手のかかる「保線」なる業務が基本的にありませんし、駅管理業務も鉄道に比べれば微々たるものですね。地元の方がフェリーが失われたことを物凄く悔やんでいた口調が、とても印象に残っています。

などと岩内をずいぶんと落とす発言ですが、やはり市街の大きさは町域人口を如実に反映しているなあと思える広がりがありました。ただ勢いが衰えているのは明白で、たとえ地元の話が聞けなかったとしても、中心商店街の閉店ぶり(全国的な傾向ですが、ここはそれを上回る寂れ方でした)からそれは読み取れただろうと思います。倶知安の人口規模が今後も伸び続けるとは考えにくいですが、逆に岩内の衰退傾向が続くのはほぼ確実で、倶知安と岩内の差は、ここで逆転して以降もしばらくは離れ続けていくのだろうと思われます。

余市は、もともと歴史的にニシン漁に代表されるように海産物集散地としての人口立地があったと推測されますが、それに輪をかけたのは多分、大日本果汁(いわゆる「ニッカウヰスキー」)の立地だったのでしょう。人口動態と直接の関係はありませんが、現在では宇宙飛行士・毛利衛さんの出身地として賑わいを見せており、町自体に勢いが感じられました。

以前も書いたように、後志支庁には他にも「人工微増」が続くといわれるニセコ町の存在や、地名好きさんも挙げておられる、かつては鉄道も延びていてそれなりの地域核的性格を持っていたと推測できる寿都町もあり、なかなか面白いエリアではないかと思います。
[45579] 2005年 10月 11日(火)19:13:30スナフキん さん
私もちょいと口出しを…
[45511]白桃さん
白桃の名町16撰
なかなか面白そうなので、ちょいと口出しを。

北海道からは倶知安町が出ていますね。3つの条件をすべて満たす町を北海道から選び出すとそのほとんどが道南に固まってしまいますが、うち3町が市の乏しい後志支庁管内に分布するのが何とも面白いです。しかも、白桃さんの挙げた倶知安以外の2町は、倶知安の人口を上回っているのですねぇ。後志支庁所在地をさしおいて、さらに人口規模としてはそれを上回る町が存在するのです。どちらも倶知安に負けず劣らず町歩きが面白そうです、余市町と岩内町。前者はなるほどなあと思われるでしょうが、岩内の意外な大きさには自分自身も訪れてみてびっくりした経験があります。

道内から「クッ」とくるものを個人的にピックアップしてみると、道北・道東での健闘が光る美幌町、現人口では抜かれていてもやっぱり日高の中心浦河町あたりでしょうか。人口要件を満たさず残念ではありますが、歴史的観点からもぜひ「次点」をあげたいのは厚岸町、といったところです。

他の都府県をやっていると仕事に差し支えるので、この辺で(汗)。
[45484] 2005年 10月 7日(金)20:49:34スナフキん さん
歌のテーマ地詮索って面白いですね
木綿のハンカチーフネタで。

[45474]いっちゃんさん
今は無き「急行アルプス」の上りが夜行だったら「諏訪・松本説」も有力なのですが、夜行は下りだけだったような気がするし・・・。
気になるので、勤務先で保有する最も古い時刻表で調べてみました。すると、急行「アルプス8号」が南小谷発新宿行として、ちゃあんと走っています。それも1975年3月号、歌が流行していたまさにその頃のダイヤです。けど、とっくに中央本線は電化を果たしていて、この急行列車もグリーン車付の電車表示がされています。夜汽車には違いありませんが、あの歌にツートンカラーの電車急行は…イメージが合致するような、しないような。

歌の情景にあこがれて旅をするっていうのも、なかなか面白いものです。先般行われたオフでは、乗ったことがないという理由以外に、ある歌を思い起こしながらあえて阪神間の移動を阪急電車に委ねました。

「坂道の途中にある この小さな遮断機に駅はない…」
「この坂道登り切れば あなたへとやっと辿り着ける…」
「ここは開かずの踏切 必ず待たされるの…」

日本語としてちょっとおかしな部分もありますが、シンガーソングライターが神戸出身なのを知っていたので、この情景は恐らくは山の手を走る阪急沿線に違いないと勝手に思って、車窓をぼんやり眺めながらもこの歌を頭の中で流してみるのでした。私の乗る特急の直前、「小さな遮断機」をくぐってオバハンが横断して急ブレーキがかかったときにはドキッとさせられましたが(汗)。確か王子公園の手前辺りだったかな…。もっとも、阪急神戸線の電車は「開かずの踏切」になるほど頻発はしていないような気もしますが…。
[45288] 2005年 10月 1日(土)12:59:49スナフキん さん
住所が変わった市民から第一声(?)
明けて10月1日、都民の日です…ではなく、ふじみ野市ができました。先ほどブランチをと行き付けの喫茶店に向かう途中、開庁式目前の「ふじみ野市大井庁舎」前を通りかかりました。垂れ幕と紅白の横断幕が出ていましたが…一般市民からすれば役所の内輪祭りに見えなくもありません(汗)。普通の人が参加しているようには見えませんでした、やっぱりそんなに関心は高くないのでしょうか。私自身もこれに参加しようと思うほどの関心がないのが実情ですけど…。また居住地の名称が変わったので、本日付でメンバー紹介ページも(仕方なく)変更しました。

同時に今日は、国勢調査調査票の回収日。ですが私はこれから、オフの際にお出しした出版物の発行記念会に参加するため都内は青山に出なければならず、調査員とはすれ違いになってしまいます。記入は済ませましたが、明日夕方に回収してもらうことにしています。仕事をした時間という項目があるのですね、意識したわけではないですが普段から残業ばかりなので結構すごい数字になりました。何かこう大きな数字を書いていると、へっへっへ、こんな数字を書いちゃうゾ~みたいな、自虐的な気分になります(大汗)。
[45262] 2005年 9月 30日(金)23:00:58スナフキん さん
あとちょっとで住所が変わる市民から
というわけで、とうとうこの日がやってきました。あと1時間とちょっとで、私の居住地は上福岡市からふじみ野市へと変わります。残業しないで帰宅したら、駅名看板の所在地部分はすでに掛け替えられ、上福岡市がシール貼りされて変更準備が整っていました。早く帰ったとは言っても、このあと市役所のお名残り訪問をしたわけではなく、単に体調不良気味だっただけですが…(汗)。いい加減繰り返しでウンザリでしょうが、やっぱり私はこの新市名に疑念を抱きます。たぶん今後、家はどちらですかと尋ねられても「ふじみ野」と答えることは絶対ないでしょう。東上線の急行停車駅・ふじみ野と混同されるのは間違いないからです。「だけど最寄り駅は上福岡です」って言わなきゃいけない市名なんて、答えるだけ意味ありません、と私は考えているので。

このほか今日午後には、一応手続き上必要なので勤務先に「住所変更届」を提出しました。本来ならこの届けは引越しに伴って提出すべきもので、昨今の大合併による自治体名称の変更およびそれに伴う居住地名の微変更まで考慮に入っておらず、記載事項にチグハグさが目立ちましたが、仕方ありません。

しかし、合併に伴う手続きでしたことはただのこれだけ。様々な登録内容における住所変更など全く手付かずです。中でも郵便局や銀行のキャッシュカード、クレジットカードあたりは変更すべきものなのかの確認すらしていません。もっとも、実害と言えばお知らせの郵便物が旧住所で届いてしまうことくらいしか思い浮かばないのですが、もしすでに合併に伴って諸手続きをされた経験のある方がいらっしゃいましたら、少しでもご教授くだされば嬉しいです。手続き一覧もすでに全戸配布されていますが、前述の3項目辺りが大半の人にかかわるものでありながら「詳細はお問い合わせください」とグレーにされてしまっています。

最後にハミダシ。セ・リーグで阪神が優勝しました。オフの際、普通車ではありましたが阪神電車に一部区間でも乗っておいてよかったなと、少し思いました。それと、その場で使い果たしてしまいましたが星野監督のらくやんカード、今まで残しておいてよかったなとすごく思いました(謎)。
[45258] 2005年 9月 30日(金)16:37:57スナフキん さん
ちょっとびっくりしたこと
今日になって、勤務先にある雑誌「地理」を見ていてギョッとしました。特集のタイトルが「戦争遺跡と地域」ではありませんか! しかもその内容には「地形図に見る旧軍用飛行場の戦後」という論文まで掲載されています。これ、中を読むと事例は異なれど私が第2回オフで披露した企画内容ほとんどそのまんまで、非常にびっくりしています。我が勤務先と「地理」発行元の古今書院との間で仕事のやり取りはあるのですが、私が直接仕事を手がけたことはなく、もちろん「地理」10月号の特集内容までを知るはずもなく、まったくの偶然だったようです。

ちなみに、前述の論文を記されている松山薫先生とは私は何の親交も関係もなく、まったく別の人です。内容は酷似していますが、私が紹介した内容以上にもっと学術的に深く掘り下げて記述されており、頭が下がります。地図屋と言えば聞こえはいいけど、所詮は「さらりひまん」の分際でしかない私には到底真似のできない内容ですね…。私の紹介は、あくまでも「地図にはこんな見方もある」程度のものに過ぎませんでしたが、もう少し興味がある方は10月号の「地理」に目を通してみるといいかもしれません。

以上、だいぶ経ってからのオフのフォローでした。
[45226] 2005年 9月 29日(木)13:21:00スナフキん さん
国勢調査のこと
何だか、書き込み内容がただならぬ状態に…。

確かに、ここのメンバーの皆さんは世間一般の方々以上に国勢調査に関心があるだろうと思いますし、過去の書き込みでも示したように自分もそのうちの一人です。その方法や概念、そして出てくる結果とそこから導き出される様々な指標類…興味は尽きない方もいらっしゃって当然だと思います。中には「調査員」、あるいはそれを束ねることになるであろう自治体職員と思しき方々もいらっしゃるようです。

ただ、ですよ。ここは都道府県落書き帳であって国勢調査よろず相談所や苦情受付所ではありませんよね? もしどうしても分からないことがあるのであれば、仮にこの場に調査員や自治体職員の方がいらっしゃったとしても、当該市町村にまず問い合わせて疑問を晴らすのが先決だと考えますがいかがでしょうか。

仮に何らかの疑問が投げかけられたとして、受ける側としても、法で定められた調査ですから肩に力が入るのは分かりますが何か、もうちょっと目に見えていない相手の方を思った発言が欲しいかなと…。私の勝手な感想ではありますけど。
[45220] 2005年 9月 29日(木)09:16:37スナフキん さん
宣伝に感謝です
[45003]白桃さん
すっかり遅くなってしまいましたが、何だか差し上げた方から宣伝いただきまして、ありがとうございました。少し前から発売予定は分かっていたのですが、執筆者が不特定多数の方が訪れる場で紹介するのもどうかな…と思ったのと、私と違って高学歴な方々や大きな肩書きをお持ちの方々もかなり執筆されているので内容が(私が見ても)難解でして、宣伝するのに気が引けたこと、そして何よりも当初からオフへの景品として、最低でも執筆者割当分より1冊は供出しようと思っていて少しばかりナイショにしておく必要があったことから、黙っていたのでした。

オフで紹介した際に「アマゾンで買えるか」という趣旨の質問を頂戴していましたが、昨日になって調べたところ、「地図からの発想」と検索すると一応商品一覧の検索結果には出てきました。が、品物到着まで4~6週間とあり、随分かかってしまうようです。これなら版元の古今書院に直接注文された方がいいかも(アマゾンを利用することによる特典は得られませんが)。こんなことなら割引注文書をもう少しお配りすべきでしたか…(後悔)。
[45148] 2005年 9月 25日(日)17:07:51スナフキん さん
遅まきながら、つくばエクスプレス雑感
自宅にも24日、国調調査票が届きました。23日に調査員が届けに来たのですが、あいにく私はつくばエクスプレス(以下TX)に乗りに行ってしまって、留守でした。一人暮しで記入するのは初で、面白そうなのでスキャンしようかと思いましたが、コピーやとり込みに関する禁止事項は特にないですね、やっちゃっていいんでしょうか。って言うか、「記入のしかた」に内容はほぼすべて記されているから、そんなことしたって意味ないか…私は国調に浮かれ過ぎているようです(汗)。

完全に遅きに失していますが、TXに乗ってきました。すでに試乗を済ませて感想を記している方もいらっしゃいます。思えば、ちょうど開業1ヶ月が経過したのでした。ブームは落ち着いたろうと踏んでいましたが、実際は何本かの列車がまだ開業記念ヘッドマークを付けたまま走っていますし、連休も手伝って運転席背後のギャラリー数は快速・区間快速を中心に大変なもの。一部の駅ではまだ「開業」の文字入りパスネットを販売していました(当初の記念柄ではないようですが)。開業直前にも訪れていたつくばセンター周辺は、打って変わって人出が増え、随分賑わうようになったという印象を強く持ちました、「TX効果」と見て間違いないでしょう。

私の感想としては、快速・区快の速度は言わずもがな、北千住~守谷間では普通便もかなりキレた走りだなと。地図を眺めて予備知識を得ていたとは言え、この程度の駅間距離にして時速120キロまで出す区間があるとは、予想外の高速ぶりです。しかもTXは完全にコンピュータによる全自動プログラム運転ですから、乗務員によって出したり出さなかったり、といった当たりはずれが一切ありません。ちょっとひねた感想を漏らせば、ドア上の表示器に「ここのドアが開きます」と出るのが新鮮でした。既存路線では確か「このドア」って出すはずですが…。

フツーの人なら気にも止めないし、「鉄ヲタ」でさえこういう感想を持つ人はまれでしょうが、私は「よくこの施工条件でこれだけの構造物を作り上げたな」と思いました。たぶん地図屋の仕事柄そういうふうに感じてしまうのでしょう。中でもただでさえ多いトンネル構造物において、シールド工法による掘削が大半を占めていた現実を見て驚いたのでした。シールド工法とは砕いて言ってしまえば、筒形をしたモグラマシンを竪穴から底へ沈めて横方向へ掘り進んでいく工法で、一般的には山岳トンネルや大深度トンネルを掘削する際に用いるものです。ところが、土被りの浅いはずのつくば駅付近でもこの工法でトンネルが掘られています。お陰で、ホームにいると列車が地下に入ってくるたびに空気鉄砲の原理ですごい風圧がかかり、一瞬にして耳ツンが生じてしまうのですが。

しかし同様に浅い常磐道交差部分もこの工法が使われているのを見て、私はなるほどなと思いました。地図では、常磐道との交差はTXがトンネルで潜ることになっています。このトンネルはさして長いトンネルでもないのですが、かと言ってただ交差するにしては中途半端に長いなとずーっと思っていたのでした。しかしそれは、常磐道に影響しないよう地中を掘り進むシールド工法を採用するため、逆に多少の深さを確保しなければならずにトンネル長を大きくとった結果なのだと知って、納得しました。常磐道は陸上交通の動脈であり、準国策とは言え鉄道トンネルを掘るために常磐道に溝を掘ってトンネルを造るわけにはいかなかったのでしょう。その代わりでしょうか、十分な深さが確保できるわけでもないので、断面が小さく地表への影響も抑えられる単線用シールドを並べた構造にしてありました。つくば駅付近も同様で、こちらは高度な研究機関が集積する土地柄、地表から重機で溝をガッポガッポ掘るのには問題があったのかもしれません。占有面積が広くなるのを承知で採ったこの方法を、金のかけ過ぎととるか、細やかな配慮ととるかは人それぞれでしょうけれど、私はそれなりに感心したのでした。

この複線用トンネルを掘るモグラマシンは、図体がでかいため本来急曲線を掘り抜くのは苦手なはずですが、南千住近くでは日比谷線のトンネル構造物を地中で何としてでも避けるため、S字カーブに急勾配というすごい芸当をさせたようです。これは先頭や末端に居ずとも、編成がうねる様子がある程度見える混雑なら中間の車でもよく分かるはず。同様に、新御徒町前後ではこのドでかい怪物に、90度曲がるカーブを2ヶ所掘り抜かせています。地図を見ると、新御徒町がなければもっと緩いカーブでもよかったのでしょうが、TXとしては千代田線・日比谷線以外にもう1本、地下鉄へのアクセスがどうしても欲しかったのでしょう、大江戸線が通る新御徒町を無視できなかった結果かもしれません。

懸念もあります。沿線開発では次々と「未来予想図」が出てくるのですが、それに伴うはずの鉄道輸送力増強準備が、ほとんど見えません。確かに社会全体が人口減傾向にあるのは事実でしょうけど、沿線開発と一体化して作ったはずの鉄道が、沿線開発による多少の人口集積・利用者増を見抜けていないのなら、失策と言わざるを得ません。現に、今あるホームを伸ばして編成増大に対応するとか、ホームを増やして運転間隔を縮める準備をするとか、途中駅での折返しを設定してホームの少ない秋葉原の負担を軽くするとか、そんな様子は乗ってみて全く感じられませんでした。もっとも、TXが秋葉原~つくばで終結すると決まったわけでもないので、将来構想を含めると現有構造ではこうなるということかもしれませんが、ちょっと心配です。あるいは、北総鉄道やメトロ南北線のように過剰設備になることを懸念した結果なのでしょうか…。

また短区間運賃が割高のため、途中駅でふらっと降りてみるという芸当が一般利用客にはしずらいという現状があります。値下げは難しいでしょうから、今後新たな需要を掘り起こす意味で、運営が軌道に乗って落ち着いてからでもいいから、全線ないしは一部乗降フリー乗車券などの営業的新施策が待たれます。今回も、守谷駅構内に新たにショッピングモールができたことを知ったのですが、個人的にパスネット在庫が6万円以上あるとは言え漠然とした目的で守谷駅改札を抜ける勇気は起きませんでした。

個人的に気にしていたつくば周辺バス路線の推移ですが、長距離・高速バスに関しては別に記述があるので省くとして、一般路線バスはつくばセンターにおいてかなりの路線が系統分断、という大きな傾向が現れました。そのせいなのでしょう、以前にも増してつくばセンターバスターミナル内には多くの車両が滞留するようになりました。加えて、筑波山直行臨時便や新設循環バスなど純増した路線もあるため、鉄道が入ってきて勢いが鈍るかに思われたバスはかえって活気付いたようにさえ見えました。行きは試しに高速バスを利用しましたが、以前は通らなかった「えッ、こんな道路を通るの?」みたいなちょっと頼りなさげな道路を経由するようにルートが改められていました。TX利用のため、別に路線バスによる駅へのアクセスが必要になるエリアにとっては、1本で都心まで運んでくれる高速バスの経由は、時間が多少心もとないとは言え朗報だったことでしょう。高速バスも鉄道の開通をただ指をくわえて見ていたわけではないようです。

ざっと感想を思いつくままに記しましたが、相当な長文になってしまいました。思ったことを簡潔に伝えるのって、難しいです…。
[44899] 2005年 9月 15日(木)09:46:51スナフキん さん
久遠と書いて、「くどお」と読む…
[44896]紅葉橋律乃介さん
ここで皆さんにお聞きしたいのですが、この「要覧」の古い版でも、「くどうぐん」表記なのか否か。古い版を持っている方に調べて頂きたいのです。
我が社の地図帳では索引配列や市町村一覧などへ大きく影響するので、慌てて資料をあさって調べてみました。結論として、お尋ねのもので我が社が保有していた最も古いもの(それでも平成元年という最近のものが限界でした)の表記も「くどう」でした。実は我が社では「くどお」読みを採用しており、何か言い訳を探さないと正当性を主張できないので(汗)、他の資料もありったけ出して調べてみました。

「久遠」は郡名の他に集落名としても存在していますが、いずれの(最新)資料も郡名と集落名の読み表記は一致させています。すると、青表紙の国土行政区画総覧では「くどお」、赤表紙の日本行政区画便覧では「くどう」、市町村役場便覧では「くどう」としていました。これら、きわめて公的要素の強い資料同士、表現が揺れているのですから、
「くどおぐん」と思っていたのは妄想だったのでしょうか…?
とまで考え込まなくても大丈夫だと思います。また、根拠とするには弱いですが、国土地理院の1/20万地勢図「久遠」の読みは「くどお」にしています。最新のWindows XP搭載のIME変換では、「う」だろうが「お」だろうが「久遠」と変換が可能です。

有力資料の揺れが気に入らない(汗)ので、もっと突っ込んで調べてみると、角川の地名事典は「くどお」読みで項目が立っています。さらに、親会社の出す地名事典(バレバレ?)も「くどお」表記でした。我が社の地図帳表記はどうもこれに引っ張られた模様です。近世、「クドウ場所」表記もあったと記されていますが、「クトホ」の表記も見えるとあります。私も国語学に堪能ではありませんが、「ほ」→「う」への直接転訛はないような気がするので、あえて我が社は「くどお」の道を選んだ(汗)のでしょう。
行政機関においては、「くどうぐん」に統一しております。
という見解は確かに重んじるべきかもしれませんが一方で、地図においては1つの見解に凝り固まって表現をする必要もないです(過去に何度か書いたかもしれません)から、我が社では当面は「くどお」を貫くことになるだろうと思います。地図に掲載の地物は一様ではなく、その種類は多岐にわたるため判断基準も様々で、地図上で「正しいものをそのまま正確に記さなければならない」わけではないのです。そもそも、これも再三複数の方が書き込んでいらっしゃいますが、「何をもって正しいとするのか」から議論を始めなければならず、結果として編集元としては、よりどころとなる資料を読者に示して納得いただける表現であればよい、となります。

公的資料の表記ゆれはそれほど珍しいことではないので、思い悩まなくてもいいと思いますよ。
[44754] 2005年 9月 7日(水)16:10:15スナフキん さん
バス停の話と、地図を描くお話
[44609]みかちゅうさん
バス路線の扱い
意外に地図上での扱いは面倒なことがあります。もともと自治体の走らせている(委託されて民間のバス会社が走らせているものも含みます)バス路線はその大半が、地域をくまなく巡ることに重きを置いているため、およそ点と点を最短で結ぶには程遠いルート取りをしていることがよくあります。勢い、細い路地をマイクロに毛の生えたような小型バスがノソノソ走るようなスタイルになりがちなのですが、大通りやショートカットして最短ルートを通ったりすることもあります。しかしこの場合、既存の民間バス会社路線と重なっても、バス停の名称が同じになるとは限らないのが面倒なところ。コミュニティバス(とここでは称します)ではないですが、我が上福岡市には運営するバス会社によって、同じ道路を走っているのにバス停の位置が互い違いになったり、同じ場所なのに別名を名乗ったりしている箇所があります。どちらも全然別な方向に進む上、始発も終点も異なっており、本数も両者合わせて20本弱と、いずれの路線も利便性は高くないので問題はそんなに深刻でないのですが、利用者の立場に立っているとはお世辞にも言えませんね。両者が歩み寄るとか、もう少し解決策はなかったのかと首を傾げたくなります。

で、分県地図でのバス路線に関する解説は、担当者(汗)であるひげねこさんよりされていますし、私は逆にちょいと畑違いになるのでこれ以上の講釈はしません。ただ、上で厄介者扱いをしておきながら、バス停の存在は地図の編集においては結構重要になってくることがあるのも事実です。小字名を敏感に反映しがちであること、施設が失われても名称がそのまましばらく残されることが間々あること、路線を追うことで集落中心が明らかになること、などの効能があり、編集する際の手引きとなってくれることもしばしばです。さすがにドライブ中に小さなバス停を目標物として探すのは骨が折れそうですが、編集地図屋としてはたかがバス停と馬鹿にできない存在です。

話題変わって、地図を描くお話。
[44662]ひげねこさん
情報は集め方を知らないと集まらないことが分かってない会社でした。社長が「ベテランを一人切って、その金で新人を二人雇えば、地図が今の倍作れる」と公言していましたから。
地図作りは、お金がかかるのですよね。人件費もそうですが、なんだかんだ資料だってロハなものばかりではありません。地形図なんか、新刊を毎回揃えていたらたった1年ですごい値段になってしまいます。分県地図にしても、毎年改定ごとに全都道府県分を購入していたら…ひ~! ところが取引先はそんなことを説明したって聞き入れてくれません。文字通りの「価格破壊」を感じる瞬間です。仕事の単価は安く抑えられ、結局編集時間に小さな枠をはめることになり、それ相応の質のものしかリリースできなくなる。クライアントはそれで満足し、次回からはもっと安くなどと注文をつけてきてますます質が低下する…悪循環もいいところです。ですから私は、市販されている極端に安い地図はあまり信用しないことにしています。値段を切り詰められると、地図作りにおいては経営努力してもできることには限界があります。多分、そうやってお金と手間がかかる事業だからこそ、海外では国自らが美しい地図を採算度外視で作ったりしているのかなぁ、何て考えたりもします。日本の地図文化は、例えば文化の成熟度が高いスイスなどと比べても格段に劣っていると感じるのは多分、日本の地図文化は根底に「商業」というベースがあるからなのかな、とか。

[44695]千本桜さん
地図作りは作り手のイメージの具現化なれば、情報に対する関心と、情報を表現するための文字、線、色のセンスも必要。
うッッ…(スナフキんの急所に何かが直撃)。ここは私が経験をもっともっと積まねばならぬところ、未熟者には痛いお言葉でした。

私も似たようなエピソードがあります。取引しているデジタル地図データ管理会社が、以前は採算が取れないためかオペレータに編集をやらせていたのですが、物量が一気に増えて手に負えなくなった結果、うちに回ってきた最新データのカンプリを見てびっくり。交差点の角にプロットされたネームは「花屋」「本屋」「喫茶店」…。こんなもので、クライアントを満足させていたんでしょうか。いくらロハ地図とは言え、この程度のクォリティではあまりにも失礼なので、全部のネームについてもう一度ゼロから調べ直して赤入れし、戻しました。私はまだ「失礼」と感じるだけましなのかもしれませんが、こんな地図ばかりが氾濫するような地図文化は、ごめんです。

[44721]みかちゅうさん
バス路線のほかにもコンビニ・飲食店・ガソリンスタンドなどなど。
幸い、我が社ではここまで細かい地物の記述をする地図はあまり作らないので、その分救われています。昨今ではインターネットの普及および伝送速度の向上により、多くの情報をパソコンで居ながらにして得られることが格段に増えました。そういう意味では、地図作りは多少楽になっていると言えるかもしれません。

コピー機で拡大や縮小して印刷すれば終わり、なんていうほど簡単ではないですからね。見やすくするために転移や省略を行う際が製作者の腕の見せ所でしょう。
あぁ、この場にこの苦労を分かって下さる方がいらっしゃった…ここに出入りしていて、よかったですぅ(号泣)。
[44575] 2005年 8月 31日(水)13:20:42【1】スナフキん さん
川越の和菓子
[44561]かすみさん
おぉ、近所(それも元「庭」…)までいらしていたのですね。遠く尼崎から埼玉の中ほどまで、お疲れさまでした。坂戸にギャラリー…あったかなぁ? 何せ高校は坂戸市にありましたし、自転車通学だったので市内の地理はだいぶ強いつもりでいましたが、実家から離れてもう5年が経過しますし、知識がだんだん淀んでいきます(^_^;

越生の文字を見たときに「もしや、これって返読地名?」と
思ったのですが、公式HPの由来を見ると単にわたしの勘違いだったようです。(恥)
いえいえ、恥ずかしくないです。私などはいまだに「鳥取なんか逆読みだろうっ!」などと考えているくらいなので、そのくらい何てことないです。この付近は意外と難読地名が多いのです。すでに話題として出ていると思いますが、「越辺川」(越生町の山奥が源流です)も河川名としては日本有数の難読ぶりですし、「高麗川」も駅名を知らなければまず読めません。

川越は和菓子文化の栄えた地ですね。川越を本拠地とする和菓子のチェーンが2つほどありますが、いずれも埼玉県各地に出店していてそれなりの収益を上げているようです。郊外にはさつま芋づくし料理を出す店「いも膳」もあったりします。出店当初は本来の「城下町川越」から少し離れていたため知る人ぞ知る存在だったのですが、口コミの広がりやメディアでの取り上げが続いて今や全国的にも知られるように。その脇にあった売店「一の蔵」で、よく地方へのお土産として私は「芋パイ」を買っていました。ただ数量限定製造なので、朝のうちに個数を電話で申し出ておかないと、特に週末などは飛ぶように売れていたように記憶します。芋愛す(=イモアイス^_^;)も季節を選ぶ商品ですが、美味でした。また、川越を代表する和菓子としては「芋せんべい」と「芋納豆」があります。芋せんべいはそれこそ市内を探せばあちこちに中小の製造工場があり、製造直売ならではのヤレモノ投げ売りみたいなサービスもあったりします。市内中心部にはこれまた有名な「菓子屋横丁」がありますが、こちらは芋菓子以外にも駄菓子全般を扱っているので、芋菓子だけを探したい場合はちょっと不利かも。最近はレトロブームで川越を訪れる観光客にも若いカップルが見られるようになった、のだとばかり思っていましたが、どうもそうではないようで、女の子がスイーツ目当てに彼氏に無理を言って来ることもあるのだとか…ホントかな?(^_^;

※その後、言い回しを一部訂正
[44506] 2005年 8月 26日(金)10:07:02スナフキん さん
ためていたレス(長文)
えてして、旅に出て休みを取った後は多忙になるものです。が、今回は帰還を待っていたかのように台風が襲来したため、昨日はそれにかこつけてほぼ定時に帰宅し、シコシコと自宅で久々のホームページデータのメンテをしていました。何とか、合併ラッシュの10月までに1度は…と思っていたのですが、少し肩の荷が下りました。

駒大苫小牧の優勝、優勝当日の夜に浜松駅前で夜行高速バスを待っている間に連れ(この旅の、です)のケータイニュースでその事実を知りました。が、その後の顛末はまったくもって情けないというか、ふがいないというか…。いくら仏教系とはいえ、手を合わせて謝ったっていいことと悪いことがあります。しかも、ことの起こりが優勝決定後だったというのが胡散臭さを助長します、困ったものです。私とまったく関係のない学校とは言えないだけに、余計にやり切れなさを感じます。

分水嶺ネタで。ここは自分の旅行記を書く場ではないので最小限にしますが、今回の西日本汽車旅において、「最も低い太平洋側と日本海側の分水嶺」を通過しました。最寄り駅にはしっかりと案内塔も立っています。しかも脱線事故のあおりなのか、ここを通過した際に乗ってた電車はどういうわけか岡山の電車でした。どうも、運転再開のためになりふり構わずあちこちから車をかき集めているようで、すれ違う車両の色はちっとも揃っていません。福知山線沿線なのですが、皆さんならもう「最も低い太平洋側と日本海側の分水嶺」の場所はお分かりですよね?

改めてYASUさんへ。お互い連れがいる状況だったので、あまり長いことお話はできませんでしたが、充実した時間を過ごすことができました。残念ながら私自身にバスの知識がほとんど備わっていないので、貸切展望車両では「???」でしたが、それでも復路、白熱灯に照らされた車内で揺られていると何とも言えない心地よさを感じます。それにしても、まさか私の連れとYASUさんで共通項があって、あれほど話が合うとは予想だにしませんでした。世間って広いようで、実は狭いものなのですね。ちなみに、翌日は倒木があったとかで大井川鐵道、家山以北が不通だったとのこと。結果的にビール列車は、間一髪での実施だったのでした。

帰った翌日、自宅の住所が10月1日から本当に変更されることが正式に決まりました。前から述べているように、「ふ」と「み」の字は字形的にバランスをとるのが難しく、市の名称も長くなることから今後、郵便物に市の名前は書かないようにしようかと…。私自身この名前には賛同しかねますし、協議会にも何度も落胆させられているのでそれでもよかろうと思うのですが、これってマナー違反に当たるのでしょうか。市町村の名前を記さずに送られる郵便物って、よく考えたらあまり見かけない気がします。

[44427]88さん
恐らく、どこかですれ違っていると思います。21日は城崎温泉(情緒はあっても、湯質はよくないので日帰りはなるべくしたくなかったのですが)から臨時快速「あまるべロマン」なる、元特急「エーデル鳥取」車両を使用した特別列車に乗って餘部に向かいました。で、どうやらここ数年で架け替えに伴って景観が大変わりしそうな周辺を巡って、あちこち撮影してきました。慰霊碑にも、当然手を合わせました。

18きっぷの代行輸送について。日本海回りで秋田へ向かう際、笹川流れで土砂崩壊があって国道もろとも不通を食らい、米坂線へ逃げた経験があります。この時は特急「いなほ」号が村上までの区間運転すらサジナゲしたため、新潟からの普通列車ですでにラッシュ並みの大混雑。2両編成で冷房もない米坂線では、乗客同士で励ましあいながら、うちわや扇子であおぎ合いながらの苦難旅行でした。この年の夏は天候が不順でして、すでにこの段階で奥羽本線の山形・秋田県境(雄勝越え)が不通となっており、当時はまだ新幹線でなかった山形~新庄間においても特急「こまくさ」が全面運休し、代替の臨時快速を運転するという急場しのぎぶり。この、同時刻同所要時間で運転した代替快速は、一般普通列車同様長いすの3両編成電車でしたが、当然種別は快速なので18きっぷでもお咎めなし。新庄から先の鉄道不通区間バス代替では、「特急代替」と称する横堀直行便と各駅に寄る普通便が用意されていましたが、「横堀以北の鉄道はダイヤ通りに走るため、道路状況によっては普通便では間に合わない恐れがある、湯沢・十文字・横手・大曲まで行く客はなるべく直行便を」という案内が行われていました。つまり、所持している券種がどうこうなんて「二の次」なわけです。鉄路が断絶しているときは現場も利用者も混乱しがち。どういった場面においても非常事態には違いなく、弾力的な運用がされることも少なくないですね。その代わり、この旅の復路において東北線上で集中豪雨に遭遇し、乗っていた福島発黒磯行電車が須賀川で運転打ち切りになった時は、矢吹までの区間便でしのいだりせずに潔く郡山まで戻り、新幹線別払いで宇都宮までショートカットした記憶があります。栃木・福島県境は新幹線はトンネルで通過するため、影響を受けなかったのですね。

旅行貯金、連れは平日に休みとなる職業のため、すごい数をこなしています。今旅で4400に達したとか。のみならず、県庁所在地の中央郵便局と空港所在の郵便局を全部制圧したとのこと。私はそのたしなみがないので、そのことがどれほどすごいのかはあまり分からないのですが。

TXの話。今月初めに、ゴタゴタしないうちにとメガライナーに乗りに行ったばかりなので、私の試乗は当分先になりそう。今はまだ開業ラッシュで右も左も分かりませんが、時が経つにつれて本当の実力が見えてくるでしょうから、その頃にまでずらしてもいいかなと。
[44434] 2005年 8月 23日(火)07:42:43スナフキん さん
旅先です
ただ今、小郡の某ビジネスホテルからです。まもなく私の乗る下り列車が発車します。いろいろレスしたいのですが、これからJR九州の電車を厚狭まで迎えに行かねばなりません。取り急ぎ、YASUさんにはお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。これでいっそう、オフ会が楽しみになってきました。基本的に首都圏からアクセス難でなければ、なるべく参加するつもりです。連れ合いが郵便貯金ヲタなので、今日はこれから山陽線を東進し、駅前に近い郵便局を点々と訪ねながら広島空港を目指します。

以上、「新山口」からでした(汗)。
[44339] 2005年 8月 20日(土)08:51:35スナフキん さん
これから大旅行に出かけます
暑いさなか、しかも母校大学の直系付属高校が2年連続の甲子園決勝進出とあって落ち着きませんが、これから久々の西日本への大旅行に出かけます。まず今日は大井川鉄道のビール列車(YASUさんに遭遇する予定です)、その足で夜行バス利用、大阪~脱線現場を経由して城崎・餘部・出雲市と巡って松江宿泊。翌日は、戦時中の飛行機簡易離着陸場だった場所が市内、それも駅のすぐ裏に位置する浜田に立ち寄り、山口では「サビエル」の真偽をこの目で確かめ、湯田温泉に浸かって小郡(新山口)宿泊。さらに翌日は、この秋でなくなると明言された九州からの直通電車に乗り、山陽本線海回り(下松・柳井回り)を延々岩国まで(本来は広島まで)走り通す気動車ロングランにチャレンジ、最後は広島空港からJAL便で羽田帰着というプランニング。連れ合いがいるため宿泊費が比較的抑えられたのと、ほぼ全行程が18きっぷなのとで、距離の割には廉価な旅となる見込みです。今日はちょうど、川根温泉に入浴中あたりに甲子園決勝戦の結果が出そう。夏の連覇は50年ぶり以上なのだそうで、ここまできたら是非、頑張って偉業を成し遂げてもらいたいものです。

さて、自宅を出る時間10分前になりました。この週末も各地で花火大会があるようですね、みなさまよい週末を!
[44301] 2005年 8月 19日(金)09:26:57スナフキん さん
東京~富山の移動
Windowsマシンが95からxpにリプレースされて初の書き込みです。うまくいくかな、ドキドキ…。
[44260]futsunoおじさん
東京~富山方面を走行する人は、どちらを選ぶのか興味のあるところです。
上司に、奥様が富山の人という方がいます。以前は関越道・長岡回りもそれなりに使っていたようですが、最近ではもっぱら上信越道・長野回りが多いそう。やはり、長野回りの片側2車線化進捗により運転疲労が緩和されたのが大きいようです。殊に、八風山トンネルをはさむ区間は長大トンネルと急勾配の続く区間で、運転慣れした人でもしんどさを感じる区間と聞いています。私自身も同区間は何度か運転経験がありますが、磐越道や秋田道の対面通行に比べれば距離が短い分疲労感は少ないものの、それでも相当に交通量はあるので神経を使った覚えがあります。

他にも書き込みがあるように、自動車における対北陸ルートにはまだ選択の余地があるみたいですね。鉄道のそれは、もはや越後湯沢乗換え以外に道がないのとは対照的です(長岡を回るルートは圧倒的に本数が少ないです)。長野回りは長野以遠の速達サービスが安楽死状態に陥っていますし…。もっとも、北陸でも金沢・福井エリアになると東海道回りも選択肢に入ると思いますが、金沢・小松付近へ東京から向かう場合、一般利用者はどういう選択をしているのでしょうねぇ。開き直って、空路という手もあるにはありますが(苦笑)。
[44206] 2005年 8月 16日(火)13:34:41スナフキん さん
かなり恐怖を感じる揺れでした
昼前の大揺れ、さすがに今回はかなり恐怖を感じました。ここのところ頻繁に地震が起きているせいもありますが、何といっても揺動時間が異常に長く、いつもなら収束するはずの時間が経過してもなかなかおさまらないので、慌てました。[44204]でN-Hさんの書かれている
いやなゆれ方
という感想を私も強く持ちました。地震の強さを示す尺度にはマグニチュードと震度がありますが、今回の地震はそのものさしだけでは計れない被害が出ていそうです。現に、震度が4程度だったとされる埼玉県加須市でも木造家屋が一部倒壊しています。揺れの程度がさほどでなくとも、揺動時間が長引けば及ぼす影響が増大することを、テレビの映像からまざまざと見せつけられました。津波注意報は解除されたようですが、引き続き余震の心配は残るほか、何といってもお盆のUターンラッシュと地震による交通機関への影響が重なっており、混乱は避けられそうにありません、こちらも心配です。
[43996] 2005年 8月 9日(火)13:16:47スナフキん さん
約2週間後、つくばはどうなるのだろう?
日曜日、知り合いの元バス運転士さんとつくばへ行ってきました。つくばエクスプレス(以下、TX)が開業してワサワサしないうちにメガライナーに乗っとこうと意見が一致、はるばる出かけたのですが…予定の12:00便は整備の都合で一般車両に振り替え、デカバス目的だった我々は東京八重洲口で1時間持て余すことに(涙)。

首都高のアクセスが一般バスと異なっており、日本橋も渡ってくれるので事情を知らない人にはサービスに思えるかもしれません。三郷線に入るとほどなく、右手に白い帯が横たわっているのが見えてきます。もともと私自身がこの辺りとは縁が遠いので、三郷が近づくまでホンキでこれがTX線路だと信じ切っていましたが、何のことはない、今年度延伸予定の外環道でした。常磐道は自分の運転はもちろんのこと、他人の運転に乗せてもらったこともほとんどなく、しかも眺めは2階先頭部からのスーパービューとあって、新鮮そのものです。利根川を渡る部分は唯一、高速道がTXとバッチリ並ぶ見せ場区間ですが、タイミングよく下りの試運転列車と我がメガライナーが橋の手前で見事併走しました。が、あちらは時速100キロ超での高速走行中と見え、こちらも90キロ程度で走っているはずなのにどんどん置いていかれます。運賃・輸送量もさることながら、その速度差の大きさを痛感した瞬間でした。

つくば界隈では、当然駅の出入口はバスターミナル近くにも口を開けて開業を待っているのですが(シャッターは閉まってますが)、近隣を網羅しているバス路線の統廃合に関わる情報を探すことはできませんでした。多少の整理・統合はあっても、ぴたりとバス路線に並行して走ることになる鉄道ではないだけに、バス会社も様子見状態なのでしょうか。高速系統も、守谷線が半減との情報が流れていますが、それでも裏を返せば半分は生き残ることに。水海道や岩井線はかなりの部分で並行重複するにもかかわらず減便なし。出発地がTXの秋葉原と高速バスの東京八重洲とで微妙な差がある状況では、一概に大粛正とはいかないのでしょうね。まともにがっぷり四つとなるつくば線も、今のところ大波風が立つ話は出ていないようです。他方、つくばを始発とする県北方面線が数系統新設される話も聞こえてきており、つくばとその周辺をめぐる公共交通ネットワークの変貌がどのようになるのか、興味のあるところです。個人的には守谷で接続する関東鉄道の新ダイヤも気になるのですが、なかなか公表してくれません(汗)。

帰りは、直行と名の付く土浦行の、それでもなぜか中型で床が板張りのちぐはぐバス。トンネル途中のバス停に何だかゾクゾクッとします。これで高架道路・土浦ニューウェイを走ってくれれば万々歳だったのですが…かなわず。駅前界隈では「きらら祭り」開催のため交通規制がありましたが、満を持してJRがリリースしてきた最高時速130キロの特別快速には間に合いました。各駅に止まる区間でも駅間が長かったり直線が長かったりすると相当の速さで走ってくれます。車窓の流れは、かつて乗ったことのある「スーパーひたち」そのもの。柏でこれを捨て、東武線「流山おおたかの森」駅が気になって転身。当たり前ですが駅はもうできていました。列車は気持ち減速して通過しています。そうか、TXは全列車が6両編成なのか…駅の長さを見て、そう感じました。野田でも夏祭りが行われ、週末は各地の夏祭りを巡る結果になりました。
[43919] 2005年 8月 7日(日)00:45:28スナフキん さん
自宅近くでも七夕祭り
(日付が変わったので)昨日・今日は、我が自宅近くでも七夕祭りです。この週末は皆さんからも書き込みがあるように、各地で夏祭り盛りのようです。沿線では上福岡のほか朝霞でも夏祭りが行われ、板橋ではこれまた毎年恒例の対岸戸田市との合同(なのかな?)花火大会が行われたようです。今年の七夕は以前にも書いたように、上福岡市としての最後の開催となるお祭りです。門柱に書いてあった「後援 上福岡市」の字をしっかり入れて、写真におさめてきました。明日は、「埼玉県上福岡市」にある上福岡駅と駅の七夕飾りを合わせて撮影できる最後のチャンスなので、これも撮ってこようと思っています(つくばメガライナーのついでに…)。

一方、今年の春に我が団地の一角に竣工した大規模都市公園「西中央公園」が今年は、早くも七夕祭り西口メイン会場として使われました。その関係で団地内の一部道路が車両封鎖されて一息つけるかと思いきや…公園との距離が200m程度の自室では太鼓の音や盆踊りサウンドがまともに響いてきて、持ち帰った仕事が全くはかどりません(大汗)。途中からは仕事をサジナゲし、狭山市入間川での花火大会(30分、2000発と小規模ですが)の観覧に費やしました。今日も湿気が非常に多く、先週の上尾同様我が棟から見えるのですがどうもぼんやり気味で、再開発建物の築造で見えなくなった板橋の花火大会が恨めしかったです…。来週は、ゼッタイ、さいたま市花火!

ところで、上福岡七夕はもともと、地元商店会がお客への感謝を込めて竹飾りをこの時期に作るようになったのがはじまり。なので、七夕飾りを見る楽しみもさることながら、商店街での激安売りや掘り出し物市的イベントも祭りの楽しみのひとつであり、ふつうの七夕祭りとは少うし趣が異なるようです。今日も竹飾りをほとんど見て回りましたが、その途中でキズモノながら198円で洋服を売っていた店があり、目を疑ってしまいました。オバサマ方の品定めの目がすっごい真剣で、正直怖かったっす。竹飾りはかように、基本的には商店や自治会単位で飾りつけをするのが通例。毎回話題となる事象を飾り付けに折り込むところも多く、去年はスペースシャトルの事故を反映させてシャトルがついた飾りつけが目についた一方、今年はスターウォーズ絡みの飾りつけが目につきました。キャラモノの多さは例年並みですが、ふじみ野市が10月1日に誕生するノボリがそこかしこに立っていながら、これをモチーフにした飾り付けは皆無に等しく、あまり地域住民の関心事にはなっていないようです。あるいは来年、ふじみ野市として七夕祭りを開催する時に、ワーッとその話題で持ちきりになるのでしょうか? お祭りと合併と、少し混ぜこぜで考えた1日でした。
[43877] 2005年 8月 5日(金)02:24:33スナフキん さん
ちょいレス
すっごい時間に書き込みします。ただ今、半徹夜仕事中で、相当テンパってます(笑)。もう10数時間、ディスプレーとのにらめっこしっ放しです、目が、目が…。でもいいんです、もうじき目鼻がつきそうなので(そうじゃなかったら書き込んでなんかいません)。かように、地図作りは目を酷使するお仕事です。明日はこの分だと、特に午後は仕事にならないです、多分…。

[43859]うるうさん
思えばもう竿灯(この字では、だめなんだろうか?)の時期だったのですね。多忙で祭り歳時記など頭のどこかから脱落していました。私がまだ小さかった頃には最後の方になって、見物客にもやらせていたと記憶しますが、今はどうなのかな? 私自身も「小若」を持った経験がありますが、子供心にこりゃすごいわと思ったものです。直に持った経験があると、大人が腰を使ってバランスをとる場面などはまさにオドロキ、ハラハラモノです。どっこいしょ~どっこいしょ~…あぁ、ふるさとはいいですねぇ。今年も男鹿日本海花火・新男鹿市誕生記念に行きたかったのですが、さいたま市・岩槻市合併記念花火と日程がほぼ重なってしまい、涙を呑みました。

ちなみに「ババヘラ」って、そのものズバリの看板を出して売っているとこ、私は見たことがありませんねぇ…。大概お目にかかるのは、何の宣伝文句もなしに道ばたで(はたから見ればぶっきらぼうに)売っている、そんな姿ばかりです。でも、あれはやめられませんね。男鹿半島1周道路上で、何度お世話になったことか…。

だめです、状況が状況だけに文脈がめちゃくちゃです。そろそろ仕事に戻ってラストスパートをかけないと。
[43798] 2005年 8月 1日(月)10:20:34スナフキん さん
北海道中心に、レス
[43177]打吹さん
大体小学4年で県内の市町村を覚えるんですよねぇ
そうなんですか…。埼玉県は、いや、私はやらなかったですねぇ。と言うよりも、埼玉県は「できない」と言った方が適切かな。たぶん市の数だけでも小学生ではかなり「お手上げ」の物量なのに、それに町村を加えたら…ひ~(泣)。埼玉の町村では川本・川里・上里・大里・美里の区別が結構おぼつかないです(今でもそうかも)。そんな程度の人間でも、地図屋は務まります。地名がなかなか覚えられないと悩んでいる学生さん、安心してください(?)。

[43761]北の住人さん
細川たかしの出身地は、観光地ともなってます。
先日の訪道の際、話題作りにと「歌う銅像」に寄ってみました(実は、まっかり温泉が月曜定休だったことに対する、半ば腹いせ…)。近くにいた人によれば、歌声は最近になってボリュームダウンしたようです。真狩川の河原いっぱいに響いて、かえって近隣に迷惑だったのでしょうか。私は「銅像の口がパクパク」を期待していた(無理に決まってるか…)ので、手のひらを合わせるとスピーカから流れる歌にちょっと当てが外れました。

有名人は、毛利衛さんです
ここも行きました。たださすがに生家である温泉には行かず、道の駅でお茶を濁しました。それも、記念館には入らずに宇宙食2つを買うだけでとんずらというおいしいところどり。折しも、スペースシャトルの打ち上げ再開が迫っていたこと、裏でフリマをやっていたこともあり大にぎわいでした。

[43779]紅葉橋瑤知朗さん
大泉洋さんは、やはり北海道では有名人なのですね…。知り合いの測量地図屋さんがしきりに主張するので、何じゃその人は、みたいな反応ばかりをしていたのですが…ちょっと失礼だったかな。そう言えばこちらにお土産として買ってきた、サンクスでも当たり前に売られているレトルトの「スープカレー」にも、その彼が写真入りで掲載されていました。製造元が「札幌市」となるとついつい土産として手が出てしまいます。こういうのを「お人好しな観光客」と呼ぶのでしょうか(汗)。

[43785]北の住人さん
小樽市の朝里大橋。
ここも先日、知り合いの測量地図屋さんに同行してもらって通ってきました。当初思い描いていた景観とは異なり、道はきれいにループしていますが、純粋な「ループ橋」とは言えないですね。途中から完全に盛り土区間になっていて、これまた当てを外されてしまいました。名実共に立派なループ橋である「奥出雲おろち」や「河津七滝」、大阪湾岸の長大橋群やご指摘の「白鳥大橋」と同類項とするには、ちと無理のある構造です。ちなみに白鳥大橋はその先、室蘭新道とつなぐ予定があるため、構造が余計にややこしくなっています(ご存じかもしれませんが)。ここもかつて通った経験があるのでよく承知しています。
[43627] 2005年 7月 27日(水)13:26:22スナフキん さん
ロータリーが「○」なら「×」も…
ロータリーの話ついでに。

ロータリーは地上に現れた丸ですが、地上のペケ印はご存じですか。と言っても、そんじょそこいらにあるような道路の交差点ではありませんで、もっと規模の大きなものです。つい先頃合併して千葉県旭市となった場所にそれはあります。現在では工業団地に転用されたためきれいなペケには見えませんが、それでもテストコースと直交する「何か」はネット上の地図でも見て取れ、「×」が浮き上がって見えてくることでしょう。地形図のバックナンバーを繰っていけば一目瞭然。向学のためにあえてここでその場を示すことはしません、探してみてください。

実はこのペケ印、戦争という傷跡を現代の地表に色濃く残しているという意味で、地上に貼られた「バンソーコー」とも言えます。この「×」は、戦闘機の離発着用飛行場の残骸なのです。という観点からすれば、ここのペケ印は氷山の一角。完全な「×」にはなっていなくても、「T」の字型をした同様の施設痕跡は何と、島根県某市のど真ん中にも残っています。飛行場自体は巨大な施設であることは言うまでもないのですが、戦時中のそれは急場しのぎで作った仮設的設備しか有しないものも多かったようで、現代にいろんな形で痕跡が残っているのはその辺りに事情があるようです。中でも私が古い地形図と睨めっこしていて思わず声をあげてしまったのは、現在では大阪の市街地ど真ん中にあった飛行場。関西の方であれば、あるいはその場所や現況などをご存じかもしれませんね。

今年は終戦60年の、いわば節目の年。人の心の中だけではなく、戦争の傷跡は60年が経過した現在の地表にも残ってしまっていることを考えると、昨今の不穏当な世界情勢を憂慮せずにはいられません。
[43526] 2005年 7月 26日(火)09:30:55スナフキん さん
北海道でなくなりそうな道の駅と、人口の増える町の話
先週末になって、上福岡駅では七夕飾りが出現しました。今の規模が昔から脈々と続けられていたのではないにしても、単純に重ねた回数で言えば半世紀もの歴史を紡いできたこの行事も、上福岡市としての開催は今回の51回が最後になります。

今年2度目の訪道から、すでに2週間が経過しました。今回は珍しく小樽からのレンタカー、余市の道の駅で宇宙食2つ(大汗)を土産に買ったり、古平高校旧校舎を再利用した食塩泉掛け流しの良質な温泉を堪能したりして、積丹半島へ針路をとります。

途中、気になっていた「新」豊浜トンネルも通過しました。皆さんはこのトンネルのことを覚えていらっしゃるでしょうか。坑口で岩盤が崩落し、路線バスを直撃して犠牲者の出た、あの事故現場のトンネルです。トンネルは途中から山側に緩いカーブを描いて付け替えられており、崩落現場方向へは完全に埋められたように、走行中は見えました。新トンネルを出たところで予期せぬ交通規制、何と自分の目の前を御輿が横断中。古平町琴平神社例祭の日であり、誕生日にお祭りとはいい気分ですが、その一団に被災したトンネルの反対側出口で出会うとは…複雑な心境です。

この事故を教訓に、各危険地域の補修・改良が進んでいったのは周知の通りで、翌日岩内への途中にも同様にトンネルを内陸側に掘り直して延伸し、別トンネルと連結する大工事が行われている場所がありました。現場は、昨年秋の台風被害により落橋してしまった「大森大橋」を挟む区間で、現在は排気口のフタなどで用いられる格子状の部材でもって橋を仮復旧させている状態でした。これがいつまでも持つはずはなく、「ウエンチクナイ」・「大森」の両端トンネルをつないでいる最中で、その現場事務所となっていたのがこれまた台風で被災した「道の駅オスコイ!かもえない」跡地でした。道の駅の登録解除は過去に何例かあるようですが(以前話題になっていたような…)、災害による閉鎖は史上初ではないかと。しかもここ、道路工事の関係なのか地元の方によれば復旧のめどは全く立たないとのこと。積丹半島の先端近い、地理的には決して恵まれた位置にはないエリアだけに、気がかりです。

この日、YHで連れていってもらったニセコ昆布温泉の鯉川温泉旅館は日本秘湯を守る会の宿。昔からの温泉宿を随所で感じることのできるいい建物でした。露天風呂では霧雨の中、地元の方と話す機会があり、ニセコ町は人口は微増しているとおっしゃっていました。確かに、手元の市町村要覧の国調数値を見ると、周辺の後志管内においてはどの自治体も減少傾向一辺倒なのに、ニセコ町だけがちょっと異なる傾向を示していました。これは、内地からの移住者による人口流動がもたらしているのだと説明されましたが、本当なのでしょうか…。
[43350] 2005年 7月 23日(土)17:01:54スナフキん さん
寝耳に水ならぬ「揺れ」でした
16:35頃、実は私は睡魔に襲われてベッドでまどろんでいました。細かくゆれ始めたなと思ったら10秒経つか、経たないかのうちにふすまやらたんすやら本棚が音を立ててガタガタ揺れました。物の落下はありませんでしたが、その後もラジオの地震情報を聞きながらじっとしていたところ、37分、44分、52分と観葉植物が細かく揺れる体感余震が発生しています。幸いにして電気や水、ガスが止まる事態はありませんでしたが、交通機関はめちゃくちゃのようです。地震情報によれば我が上福岡は震度4の地域に相当するようですが、かなり恐怖を感じる揺れでした。同僚は揺れの激しかった震源近くの草加に住んでいます。建てて間もない一戸建てだったと思いますが、ちょっぴり心配です。
[42849] 2005年 7月 6日(水)10:01:45スナフキん さん
上野市駅は…
[42847]じゃごたろさん
近鉄の「上野市駅」。今は合併して伊賀市になってますね。
私の書いた[31729]をご覧ください。近鉄としては駅名を変更する気はちゃんちゃらないようです。電話では自分の会社名を名乗って問い合わせをし、しかるべき部署に回してもらったのでいい加減な返答ではまずないと思います。その後、紫魔法師さんより「近鉄には高田市駅もある」旨の指摘を受けています。案外近鉄という会社は自治体名称の変化に鈍感(?)なのかもしれません。ほとぼりの冷めたころ、それこそ阪神西大阪線が近鉄難波に延伸・接着して、ありとあらゆるものを変えねばならなくなるころ、エイ、ヤー! と一斉に駅名変更したりするのかも…(苦笑)。
[42802] 2005年 7月 4日(月)13:22:11スナフキん さん
日本のオンスケール鉄道地図レス
[42688]かぱぷうさん
[42699]YASUさん
[42719]星野彼方さん
私の新刊紹介が、何だか「買ってみたら?」の文言に見えてしまったかもしれませんね。[42662]で私が書いた「楽しめる内容」「一見の価値はある」「面白いかも」というクダリは、最大限の皮肉を込めたネガティブな表現のつもりでした。楽しいもの、一見の価値があるものがイコール「いい地図」ではありませんので…。中にはダメ地図を「ダメだダメだ」と楽しんでしまう私のようなひねくれ者もいますから(汗)。

ダメな部分は前述以外にも、例えば増刊号の巻末地図においては文字の重なりが多すぎる、図郭部分での文字追い込みが全く不完全である、ところどころに配置されている写真やコメントの位置が不適切である、文字の体裁や色使いも決して見やすく工夫されているとは言えない、などなど突っつけばいくらでもホコリが出てきます。無料のオマケならこの程度のクォリティでも…という言い分もあるのですが、奥付には地図の制作元名称までしっかり入っているわけで、それなりの責任を持ってほしいような…これ以上述べてしまうと地雷を踏みそうなので、以下訳あっての自主規制とさせてください。

地図のデータベースと言うと今ふうでトレンディーで格好よく、様々な図が生成できて便利な点がある反面、使いこなす側、メンテナンスする側、実作業に当たる側がそのベースに関する知識や特性を幅広く認知していないと、再利用してはみたものの全然おかしな図ができてしまうことがあります。カテゴリ分け一つとっても、高速道路と自動車専用道路、有料道路は分けた方がいいのか、分けるならばどのような基準で線引きをするのか、このあたりの認識をデータベースに向き合う人間が共有する必要があります。今回の増刊号オマケ図で言うなら、そこがしっかりしていないから、例えば米軍三沢基地への引き込み線が私鉄で表現されてしまったり、小坂製錬の末端部分だけが見えていたり、札幌の市電が地下鉄と同じ表現になって何が何だか分からなくなったり、そういうことが起きてしまいます。生成する図をベースから作ろうとする場合、ベースにあるデータをどのような表現にするのがふさわしいかを考える作業をはしょってしまうと、「あ~あ」な図になる傾向が強いですね。ホントは、ベースがあるから地図は早く安く作れるわけではないのです。ベースから作るにあたって新たに必要となる作業が発生するのですが…ほとんどの場合クライアントにそんなことなど分かってもらえません。だから、地図の制作代は安くなり、一定の努力をしても地図屋は儲からないのです(泣)。

返信が、最後は愚痴になってしまいました…スミマセン。

別件ですが、
[42685]まかいのさん
三芳町上富 県道56号のけやき並木

三富開拓地割も良く残っている地域であり、これぞ武蔵野って雰囲気が好きなのですが、こんな所知っている人少ないだろうなぁ。
私、非常によく知っています。自転車で10分ほどで辿り着くので、めちゃくちゃ近所です。hmtさんも当然ご存じでしょう(その後、関連レスがありますね)。主要地方道56号さいたま上福岡所沢線ですが、厳密には途中の上富交差点でケヤキ並木からはそれて所沢方向へ曲がってしまいますが、並木自体はそのまま道路が突き当たる南永井(所沢市境)まで延々と続いています。並木全体が三芳町域に含まれ、樹木の大半が町で保存の対象としている指定樹木のプラカードをぶら下げていますね。通りかかったら見てみるといいでしょう。道中ほどの旧島田家住宅では、資料を見ようと昨年のゴールデンウィークに立ち寄ったところ居着いた猫がじゃれついてきて、管理の方が名産のお茶を出して下さいました。何だかホッとする空間です。
[42771] 2005年 7月 3日(日)00:49:42スナフキん さん
同名回避、その後
[41936]で地名好きさんが挙げてくださった、合併予定の自治体内での同名回避例のうち自分のところにかかわりのある部分が今日になって、合併準備だよりによって処遇が判明しました。先程まで町田くんだりで知り合いと酒を酌み交わしていましたが、行きも帰りもロマンスカーに乗ったことだし、いい加減酔いも覚めていると思うので、ここで書き込んでしまいます。

●上福岡市中央   → ふじみ野市福岡中央
 入間郡大井町中央 → ふじみ野市大井中央

●上福岡市武蔵野     → ふじみ野市福岡武蔵野
 入間郡大井町大字武蔵野 → ふじみ野市大井武蔵野

まあ、処理の方法としてはこれしかないゾ、という感じですがそれにしても、長い住所になってしまいます。関係する人たちは大変そうです…って、自分も「ふじみ野市」って書くのを面倒くさがっているクチですけど。また、両市町に残る「大字」の文字は他でもよく見られるように削除とするそうです。

同名回避とは関係ありませんが、公共施設名称の変更内容も以下の通り決定した模様です。

●上福岡市役所 → ふじみ野市役所
●上福岡市役所 → ふじみ野市役所
 第2庁舎     第2庁舎
●上福岡市役所 → ふじみ野市役所
 第3庁舎     第3庁舎
●上福岡市役所 → ふじみ野市役所
 出張所      出張所
●大井町役場  → ふじみ野市
          大井総合支所
●大井町役場  → ふじみ野市
 第2庁舎     大井総合支所第2庁舎

但し、出張所に関しては合併時にはこのまま推移するとしても、現在上福岡駅前で行われている市街地再開発に伴う複合施設「Coconeかみふくおか」に来春にも移転入居することが確実視されており、もしそうなると名称の変更もひょっとしたら…という気がしなくもありません。また、名称変更がらみではふじみ野市内において、現在は呼称が異なっている「保育園」「保育所」を合併時に一律「保育所」へと、児童福祉法の表記にならって統一するとのことです。

地図屋が仕事柄気にする変更点は、こんなところでしょうか。住居表示の「の」を削除する、なんて調整方針も出ているようですが、直接私がタッチする地図には関係のない話で、私自身にも知識がないのでここでの深入りは避けます、必ずボロが出ますので(大汗)。
[42662] 2005年 6月 29日(水)13:47:39【1】スナフキん さん
夏休みのプランニングと日本地図
雨が多すぎたり少なすぎたりと天候不順な昨今ですが、それでも夏は少しずつ近づいてきています。皆さん今年の夏のプランはお決まりでしょうか。

その、旅のプランニングに欠かせない時刻表ですが、この7月号のうちJTB大型版が、「日本全国のりつぶし地図」なるオマケ付きで発行されています。私は過去にJTB時刻表で臨時列車の掲載モレによる失敗を旅先でしでかした経験上、以降ずっと大時刻表から模様替えして間もなかったJR編集時刻表派だったため、今回の付録の話は全然知らずにJR時刻表をさっさと入手、早まってしまいました。

このオマケ、ほぼデフォルメせずにJR全線全駅の位置が掲載されているシロモノでして、鉄道ファンのみならず地理好き・地図好きにも楽しめる内容ではないかと思います。さすがに混雑地は別拡大図を付してしのいではいるものの、そういう処理をしなかったガチンコプロット部分がなかなか見ものです。一番気の毒なのは富山港線で、富山湾に路線をドボンさせられての引き出し記述…。他にも青梅線や八戸線、仙石線などは拡大図なしで処理するには限界に近く引き出し線のオンパレード、飯田線などは神業に近い字割で駅名が表示されています。当然駅数が膨大なので使用フォントサイズが小さいの何の。もはや見やすさ云々の次元ではなく、如何に多くの文字を突っ込むか…に主眼が置かれた非常に極端な地図とも言え、一見の価値はあるかと。

「ほぼデフォルメせず」なので、日高本線や羽越本線・五能線など海際を走る路線は、露骨に海岸線にのっかってしまっているのが難点。また、デフォルメしないのは海岸線や湖岸線も含めて図全体なので、縮尺の割に全体的に神経質な印象を受けます。八郎潟干拓地の形状が何とも苦しげですし、瀬戸内海には(地図編集者の目から見て)汚れのようにしか見えない極小な島が点在するなど、「単純に元ネタを縮めるだけだとこんな図になる」のお手本みたいになってしまっています。極端にJRに拘った図のため、本来ならもう少し立派な表現にしてもよさそうなJRとの直通路線(例えばIGRいわて銀河鉄道とか、北越急行とか、北近畿タンゴ鉄道など)が弱くなりすぎて、もう一ひねり欲しかったな、とも思わせます。

もっとも、あくまでも「ほぼ」非デフォルメなので、若干の編集を加えているところもあります。見る人が見ればすぐにそれと分かるのでしょうが…。とにかく字が細かすぎて閉口する図ですが、この時刻表の臨時増刊として発行されている「青春18きっぷの旅2005夏」には、この図の別バージョンがやはりオマケでついています。こちらは駅の文字を大きくする代わり、取捨選択が行われています。この編集基準をほじくってみるのもまた面白いかも知れません。増刊号冊子本体には、同じネタを色版・拡大化したとおぼしき図が見開きの図取りをした上でバラ掲載もされています。併せて眺めて比較するといろんなことが見えてきます。

以上、どなたからも出ていなかったので簡単な新刊紹介(?)でした。

*その後、一部の誤字を訂正
[42502] 2005年 6月 21日(火)09:17:42スナフキん さん
「駅」なかま、もろもろ
[42489]hmtさん
まちの駅、実ははるか以前に[13434]で自分から話題を出しておきながら、謎解きをしようという方向には進まずに終わらせてしまっていました。この時は、十和田市内と八戸市内にその存在を確認しており、何らかの関連は感じていたのですが、やっぱり統一した「何か」があったのですね。それにしても、ご紹介のページに十和田市のものが掲載されていません。2年も前の話なので、その後なくなってしまったのかもしれませんね。私の中では2年なんてついこの前じゃあ…と思うのですが、情勢流動の早さはそういう私を置いてけぼりにするみたいです(汗)。

ちなみに、新聞記事のスクラップを見ると、ご指摘の
「道の駅」と誤認混同されるおそれはないのでしょうか?
という点で見れば、「海の駅」などというモノもあるようです。何でも駅を付すような風潮もいかがなものかと思いますが、利用者本位の施設であって欲しいですね。
[42372] 2005年 6月 15日(水)13:57:43スナフキん さん
母音のみの地名、ローマ字表記にすると…
[42358]YSKさん
交差点の「大」の表示の下、ローマ字で大きく「O」の文字が1つだけ書かれてましたよ。
おぉ(ギャグのつもりはありません)、これはなかなか面白いですね。そう言えば、私の以前の住まい近くにあった標識には、左矢印に「OI」と書いてありました。「おい」、見る人が見れば「マルイ」にも見えるか…。もちろん、「大井」のことです。

以前、[25075]にてありがたきさんが「おおお」の駅名ローマ字表記について言及されていましたが、意外に駅名の表記と道路・住所名の表記では、ローマ字にしてみると異なってくることがあります。いわゆる「○○式」というやつのイタズラなのでしょう(この方面に明るくないので、これ以上踏み込みませんが)。駅ではなくて、町中の「大岡山」や「上大岡」あるいは長野市に編入されてしまった「大岡村」などは、ローマ字併記でどんな表現をされていたのでしょうね。
[42346] 2005年 6月 14日(火)09:53:41スナフキん さん
国土地理協会のこと
[42334]梅8さん
ご指摘の上越市長岡ですが、日本加除出版発行の「日本行政区画便覧・関東北陸」編には「なおか」の読みで掲載されています。国土地理協会の「国土行政区画総覧」ともども、ネタは時刻表の倍以上あるような分厚い加除式の資料で、名称は似通っていますが全くの別物です。両者の表記及び読みが異なるのはよくあることで、まあどちらかの誤植ということになるのですが…

間違った読みを広める「国土地理協会データ」というのは、なんなんですか?
の表現は、いかがなものでしょうか。その問いをここに書き込む必然性は、私はそれほどないように思うのですが。YSKさんもおっしゃっていますが、その文言をそのまま国土地理協会に投げかければそれで済む話なのでは…。もっとも、「国土行政区画総覧」自体が相当に公的意味合いの強い資料であり、それが誤植しているのだとすればそれなりに問題ではありますけど、物ごとに100%を求めることはなかなかむつかしいですし、その一つ一つに目くじらを立てているというのはどうも…。

地元育ちが言っているのだから間違いありません。
それと、感情を逆なでしてしまうようなら申し訳ないのですが、ごくまれにではありますけど「地元の誤用」という事態も、実はあったりするのです。私は過去にその一例として[29294]にて「名古屋市千種区本山」のケースを挙げたことがあります。また、読み方に2通り以上の言い分があるというケースもあったように記憶しています(申し訳ありません、どこだったかは失念してしまいましたが)。

この問いかけをしたとして、国土地理協会がどんな見解を出すのかは興味のあるところですね。
[42332] 2005年 6月 13日(月)23:15:28スナフキん さん
鉄ネタ、だけどちょっと地理ネタ・重いネタ。
土曜日は鉄仲間とのオフ会で、新型ロマンスカーに乗ってきました。どうせならそのついでにと、もう少し足を伸ばして伊豆急を走り始めた東急電車の試乗にも行ってきました。さらに、そこまで行くならと急速に淘汰の始まっている湘南電車の平屋グリーン車を熱海まで乗り通してもみました。ズイブンと欲張りな鉄活動をしたわけです。

湘南電車の平屋グリーン車は終始すいていました。やはりグリーン券を持つ多くの人は2階建ての2階部分に行くのでしょう。2階のほうは重心が高いので少々揺れますけど、確かに眺めがいいし座席も改良されているし、自然な流れなのでしょう。他方、平屋のグリーン車は寄る年波には勝てないといったふうで、シートはもうボヨンボヨン、リクライニングも1段しかせずくたびれは否めませんが、狭めの窓がズラリと並ぶ空間は何とも言えない味わいがあります。この車の乗り心地が楽しめるのは、あとどれくらいなのでしょうね…。

伊豆急に、東急東横線や田園都市線からのお下がり電車が譲渡されて走り始めて、まだそれほど経ちません。かつてはグリーン車を連結したり、ビュッフェのような車を作ってみたり、リゾート21という鉄道史上に輝く素晴らしい車をリリースしたりもした、まさに地方私鉄の雄たる名声を欲しいままにした鉄道でしたが、時は流れて取り巻く環境は激変しました。伊豆への入れ込み客数が頭打ちになったばかりか、バブル崩壊後はリゾートに対する風当たりが一気に強まり、観光需要で持ってきた会社の経営を圧迫するようになりました。加えて、先だって置き換えを完了したはずの電車取替えが事実上の失敗に終わり、新たに投入したJRからのお下がり電車は薄命に終わろうとしています。経営的にもこの間に、上場を廃止して東急の100%子会社となるなど事態は急変、今回の東急電車投入へと繋がっていったようです。観光客にも人気の高かった「リゾート21」車両も置き換えの対象となるようで、東京駅への特急乗り入れが可能な一部の車両を除いて、ほぼ全車両が銀色の車両へと置き換えられる計画なのだそう。私の乗った元東急電車は伊豆高原始発の熱海ゆきで、しかも土曜の上りとあって混雑はありませんでしたが、終点熱海で折返し列車を待っていた山ほどの観光客に、元東急の銀色の電車はどのように映ったでしょうか。海側の座席は、昔の西武レッドアローをスクラップにする際にもいだシートを移植したものだそうですが、それでも「リゾート21」を期待していた観光客にはガッカリだったかもしれません。東急の電車は日本各地で第二の人生を歩んでいますが、ここほど観光色の強い場所は恐らく初めてのケース。青森の弘南鉄道でも、福島の福島交通でも、石川の北陸鉄道でもそれなりに地元にはなじんだ感のある(ように私には見えるのですが、実際はどうなのでしょうか)ステンレスカーですが、伊豆急ではどのような評価をされるのでしょう…。過去の栄華を知る者にとっては、やはり一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。

小田急の新型ロマンスカーには、感動しました。この車両で不満な方、たぶんいないのではないかと思います。外観はクリアホワイトに凹凸のほとんどない平滑な車体、凛としたイメージなのとは対称的に内装は、木の温もりを存分に感じさせる落ち着いた色調でまとめられ、内外のイメージ差が何とも心地よいです。私はいまだに乗っていませんが、恐らく九州新幹線「つばめ」のイメージが似るのかもしれません。それ以上に私が心を揺り動かされたのは、この車のコンセプト。関係者からパンフレットを見せてもらいましたが、冒頭の一文が頭から離れません。

「ロマンスカーは、ただ速く走るだけが使命ではありません…」

多少時間はかかっても、途中でスピードダウンすることがあっても、快適な空間さえあればお客さまは必ず納得してくださるはず…。私はそんなメッセージをこの一文から読み取りました。そうして生まれてきた新型ロマンスカーが走り始めて約1カ月、「速く走りすぎた」ことが最大の原因とされている脱線の大惨事が起きました。この差はいったい何なのでしょう。

確かにJRはカバーエリアも広く、所要時間短縮にナーバスになる気持ちは分からなくはありません。しかし、特別料金を取る特急列車の開発コンセプトでさえ「余裕・ゆとり」を念頭に置く民鉄とは、何か考え方の開きが大きすぎる気がします。いや、それは社会全体がそうさせているのかもしれません。日本の社会は、豊かになって多くのものを得た反面、時間がかかる・ロスになることを許容する・楽しむ、そんな心の余裕を失ってしまったのかもしれませんね。ロマンスカーのテーマソングを頭の中で流しながら、そんなことを考えたりもした試乗になりました。小田急の回し者みたいですが、機会があったらぜひ乗ってみるといいと思います。ひょっとしたら価値観が少し変わるかもしれません。あるいは、もう他のロマンスカー車両では乗っても満足できなくなるかもしれませんが…(汗)。
[42133] 2005年 6月 9日(木)13:32:24スナフキん さん
お酒の贈り物は失礼でない?!
[42085]YSKさん
新潟県にとっては米どころたる自らのせんべいが最高であり、贈り物にせんべいを送ることは失礼にあたるというのが理由でした。
[42129]で烏川碧碧さんも指摘されていますが、こういう「暗黙の了解」って県民の性分が出て、面白いですね。翻って、文章の「新潟県」を「秋田県」に、「せんべい」を「日本酒」にすると…う~む、多分そんなことはないなぁ(汗)。秋田県人は比類なき酒好きが多いですから、どこの酒だろうと贈られれば喜ぶような気がしますねぇ。自分とこの米が最高に旨い、とは思っていても、副産物たる酒ともなるとこのプライドも薄れるような…。これを「大らか」ととるか「無頓着」ととるか。

そう言えば、同じ米どころでありながら、「きりたんぽ」のような食材の存在は新潟県にあったでしょうか。酒という共通項は両者に存在するのですが、食文化の違いからなのか他の米どころで餅以外に「米をすりつぶして作る食材」って、考えれば出てきそうなものなのに、意外にないような…「だまこ餅」って、他の地域でも作って食べることはあるのかな? 実家にいた頃は大晦日の年中行事でした>だまこ餅づくり
[42074] 2005年 6月 8日(水)09:27:00スナフキん さん
高崎のおせんべい
まさかこのネタで反応があるとは…。
[42056]烏川碧碧さん
疑問符が付いているくらいだから、もっとせんべいっぽくないものだろうか……。
いえ、ちゃんとしたと言うか、ごくありふれた普通のしょうゆせんべいでした。ただ、袋に「上州銘菓」と書いてあり、あれ、高崎はせんべいが名物だったかな、と言う意味で「?」をうったのでした。高崎と言えば私はSL、だるま弁当、観音さま(謎)、カッパピア(激謎)と思っていたので…。

せんべいの袋は、まずいことに今日がごみの収集日で今頃は清掃車のおなかの中だと思われます(大汗)が、住所は「宮元町」となっていました。最近、週末に栃木や群馬を車で徘徊する性癖が身に付いてしまった上司からもたらされたおみやげだったのですが、彼曰く、お城のすぐ脇だったとのこと。どうも個人でやっているせんべい屋で求めたものだったようです。何でも、雨が降ってきたら「しける」からと焼くのをやめてしまったのだとか、せんべいってそんなに神経質なものなんでしょうかねぇ…。

群馬のお菓子と言えば、川原湯の湯かけまんじゅうが大好きでしたが、八ツ場ダム建設に伴う移転のあおりでお店が廃業してしまい、味わうことができなくなってしまいました。それより、以前YSKさんとご一緒する前に訪れた、上毛電鉄大胡駅前の酒まんじゅうはその素朴さが何とも素敵でした。勤務先におみやげとして持ち帰っても、評判はすこぶる良かったのが印象的でした。
[42035] 2005年 6月 7日(火)15:30:32スナフキん さん
同音異字の地名が連なる例
3時のコーヒータイム、なぜか高崎のせんべい(?)を食べてます。さすがに最近は気温が上がってきてアイスコーヒーが主流になってきました。けど、氷で冷やす分時間を余計にとられるので、仕事への影響は大きくなってしまいます。

同音異字の地名が連なると言えば、今手元にある修正中の地図帳に「宮城県色麻町四竈」というのがありました。加美町成立の際に蚊帳の外となってしまった絡みでよく覚えています。hmtさんが挙げて下さっている「かすかべ」とは、漢字の読みの切り方が異なる点で類似例と言えそうです。もっとも、こうなった経緯についてはハッキリしませんが…。

ここのところの多忙で、自分一人担当の仕事をこなすので精一杯なのが続いており、久しぶりに主力商品の修正原稿を眺めていますが…たたけばたたくほど、過去の直し漏れも含めて「ホコリ」が出るのなんの(大汗)。いちいち書くと素性がばれるのでやめますが、昨今の急激な合併ラッシュは誰もが認めるところとは言え、じゃあ多少の取りこぼしはしょうがない、というのはどうも自分のプライドが許さない(汗)ので、とにかくたたけるだけたたいてしまおうと思います。高額をはたいて地図帳を買って下さるお客さまに、申し訳が立ちませんものねぇ…。
[41996] 2005年 6月 6日(月)13:20:05スナフキん さん
道南はいいところだった!【長文】
つい1月ほど前に道南へ行ったというのに、すでに7月のバースデーフライトに伴う道央巡りの行程を考えている私は、大変なビョーキのようです(汗)。長文になる後ろめたさはありますが、いくつか問いかけのあった答えも含まれるのでご勘弁を。

朝市で、1週遅れの母の日ギフトにと実家へ山ほど海産物を直送。ここ、いかにも観光客向けの店と本来の市民の台所的店舗とに分かれていますが、前者はどうも余計に出費しそうでドーム屋根に無数の裸電球がぶら下がる「らしい」方へ。そもそも、汚らしいザックを背負った金のなさそうな身なりの旅行者には、観光客向けの店から余り声はかからないのですが(汗)。取引した海産物問屋の名刺は、本社・茅部郡森町。ところが「砂原○丁目」とあります、なるほど合併後に名刺も取り替えたのですね、感心しました。しかし帰ってから、「砂原○丁目」なんて町名はあったかなと調べたら…何と合併の際に旧砂原町域では町名の総取り替えが行われていたことが発覚! かくして私の朝市での買い物は、我が社の地図地名を修正する一助となったのでした(苦笑)。

床が板張りの市電で終点まで、道内初入浴となった谷地頭温泉では、早速タオルが激しく変色してへこみます。その後朝市に隣接してGW前にできたばかりのどんぶり横丁で、海鮮丼の朝食と大奮発。駅前の一等地ながら決して観光地価格でないのが嬉しいですね。函館駅は数年見ないうちに大変わりしてしまいました。駅前はすっかり広くきれいになってかつての名残はほとんど残っていません。朝市ってこんな駅に近かったかなということと、電停がやけに遠くなったなという印象が強く残りました。駅の脇にはすでにルートインが建設中、ホテル間の熾烈な客の奪い合いが始まりそうな雰囲気です。

途中の道の駅あっさぶで、ありそうだけど今まで食べたことのなかった「クリームチーズソフト」を食べる機会が。ワッフルコーン(パリパリカリカリ、アミ模様のやつです)と普通のコーンが選べ、ご機嫌です。しかし、冷たいものを食べるにはちと気温が低め、当時の気温は13度でした(冷汗)。

江差では開陽丸の入館料の高さ(700円…私には高いです)に閉口し、「ロハ」の鴎島へ。海縁から高台に上がると13時、折しも大きな汽笛が聞こえて奥尻フェリーが出航です。海の彼方に霞んで見える奥尻島へ、絶海の中を孤独に進んでいくフェリーの姿には何とも言えない感慨があります。手元の地図を開くと、奥尻島に「青苗」の字が目に飛び込んできます。そして瞼に焼き付く、北海道南西沖地震の津波と火災で大打撃を受けた、あのすさんだ光景も…。我が生まれ故郷でも、楽園の浜とまで呼ばれた美しい海辺で、日本海中部地震の津波によって小学生が亡くなる惨事が起きています。あの光景は、他人事ではありません…。入道崎灯台のように草地の中に立つ、小さな鴎島灯台から小さくなるフェリーを眺め、いろんな思いが頭をよぎりました。忙しい社会人にとって、こんな時間は貴重だよなぁ、とも。その後町に戻り、700円が高いと言っておきながら、道の文化財指定を受けた横山家で京のニシンそばのルーツとされる江差のニシンそばを、900円はたいて頂きました。資料館より食事、花より団子。よく言ったものだと思いました(苦笑)。これもGW直前に竣工した町並み復興「いにしえ街道」を歩き、江差追分会館の駐車場まで戻ってきました。町役場前に「檜山支庁の存続を」の看板があり、少なからずショック。そんなスローガンが出るくらいに、支庁の立場って弱いもの?と。

その後も少しずつ、湯あたりしない程度に温泉に浸かりながら沿岸を北上。熊石町・平田内温泉では、野趣満点の熊の湯入浴があまりに嬉しく、初めてデジカメのセルフタイマを使って自分の入浴シーンを撮ってしまいました(大汗)。直前まで利用していたライダーさんが湯温を調整してくれたようできわめて適温で入りやすく、何ともありがたい温泉でした。この日の宿は大成町・貝取澗温泉。町の第3セクターが運営する国民宿舎が1軒あるだけ。アワビ養殖施設が隣接し、信じられない値段で信じられないくらい鮮度のよいアワビが楽しめます。それより何より、元「貝取澗村」中心だった名残か、何とこの国民宿舎は簡易郵便局併業という珍しいもの。こういう場所は旅行貯金ファンにはたまらないのでしょうね。宿舎玄関にはちゃんと郵便局のロゴや看板が掲げられ、フロントの傍らには「貯金・保険」の看板が天井から吊られていて、笑ってしまいます。さすがにフロントの写真は撮るのをやめましたが、郵便局の看板は記念に撮ってきました。思えば、旅行貯金趣味って誰もが楽しめるものではないですねぇ…窓口は基本的に平日しか開いていないですし。

翌日も温泉三昧。鉛川温泉ではおぼこ荘の風呂へ。宿泊棟を改築中で、部屋の名前を公募していました。よほど合併郡名「二海」で応募しようかとも思ったのですが余りにもイヤミなので、やめました(汗)。地元の人でも由来の分からない「おぼこ」は、背後にある山名「雄鉾岳」からだと教えてあげられたのはいいとして、隣接する研修施設「小牧荘」には少なからず愛知県小牧市との因果が感じられます。料金割引対象になぜか「愛知県小牧市民」とありました。さて北海道八雲町との関連や如何に? ここでの入浴が効いて、ハーベスタ八雲(ケンタッキー農場の一角にある施設)では1割引にて飲食が可能に。地元産の食材を山ほど食べても1000円ちょっと、得した気分です。この脇では、恐らくはハイウェイオアシスとなるであろう道央自動車道・八雲PAが建設中。完成の暁にはハーベスタ八雲との相互乗り入れ施設となりそうです。ほとんどが地元の方で、しかも週末とあって大にぎわいでした。

最大の楽しみだった濁川カルデラ、期待かそれ以上のものを得られたような気がしました。地熱発電所の迫力って、すごいです。遠くから見ると凄い勢いで蒸気が上がっており、そそっかしい人ならスギ花粉以上に「山火事だぁ!」と思うのではないでしょうか。伸びるパイプの継ぎ目の所々からはシューシュー湯気が出ており、メカニカルさとワイルドさにアドレナリン出まくりです。盆地底には蒸気生産プラントがあり、ここから無数のビニルハウスへと熱が送り込まれる仕組みのよう。私の入った日帰り温泉には、豊富すぎる地熱を利用した床暖房が脱衣所に組み込まれていました。いくつもある浴槽のほとんどが温泉源泉をそのまま引湯しており、有り余った自然の恵みがオーバーフローしているような印象。そもそも、このカルデラ内においては温泉なんてそこいらを掘ればドボドボ出てくるようなものらしく、送熱パイプから少し離れている場所でもビニルハウスがあるのは、敷地の近くで温泉が湧いておりこれをそのまま熱源としているため。で、ビニルハウス内ではトマトとキュウリが作られていて、日帰り温泉施設では売店で売られてもいました。どちらも暖地性野菜、本来北海道の冷涼な気候では育てられるはずのない野菜です。この辺り一帯が地熱地帯であり、同様に鹿部町でも温泉利用によるビニルハウス栽培が行われており、地理学的には非常に興味深いです。

思えば、駒ヶ岳を正面に、左手に噴火湾を見ての移動は初。鉄道では駒ヶ岳を拝みながら進むことは基本的にできないですから…。こうしてみると、道南にとって駒ヶ岳の存在はとてつもなく大きいなあと感じるのでした。YHの計らいで流山温泉にも入浴でき、この日は1日6湯(貝取澗・見市・鉛川・銀婚湯・濁川・流山)の最高記録を樹立。成分の濃い温泉ばかりの道南にあって、よく湯あたりせずに行程をこなしたなと我ながら感心しました。

最終日は、珍しくきれいな乳白色をした大船温泉(函館市、旧南茅部町)に感動。雨は降っていましたがお構いなしに露天風呂を満喫しました。残念だったのは、この天候不順のため鹿部間歇泉の吹き出し高が天蓋により抑えられてしまっていたこと。迫力は十分あるのですが、物足りなさも感じました。すぐ近くの公衆浴場、源泉91度という非常識すぎる湯、大量の水で埋めても腰までが限界でした。水無海浜温泉では奇跡的に雨が上がりましたが、気温は低くて波は高く、落ち着いて入る気になれず足湯として入浴。最後は湯の川温泉の海岸に面したホテルでの奮発日帰り入浴で、温泉入り倒しツアーの締めくくりをしました。風呂場には榎本武揚のことがいろいろ書いてあって、歴史のお勉強を少しした気分になりました。道の駅なとわ・えさんで果たせなかったコンブソフトは、自分のお土産用に「恵山産がごめとろろコンブ」を買って埋め合わせをしました(泣)。

これほどまでに、道南の温泉が成分濃厚とは思ってもいませんでした。観光地が限られる分、各地に点在する温泉は俗化から取り残され、いずれも静かなたたずまいを残していて好印象だった場所が多かったです。北海道の温泉なら道央・道東だと思っている方、ちょっと視点を変えると道南はなかなかオツですよ。旧砂原町のこととか、小牧市との因果とか、檜山支庁の存続とか、地理的に考えさせる、参考になる事柄も多くありました。これだから北海道はやめられないのです…。
[41965] 2005年 6月 5日(日)19:41:14スナフキん さん
組曲「筑後川」を聴きながら
いま、私の居住地域には大雨洪水警報が出ているそうです。しかし、雲は怪しい色をしているものの雨はほとんど落ちてきていません。警戒してPCコンセントも抜いていたのですが、雷鳴もほとんど轟かないことから通電を再開させました。局地性・不安定性の雨は予報泣かせだそうですが、今日のところはこのまま杞憂で終わるでしょうか。

今朝、洗濯物をたたみながらラジオを聴いていたら、組曲「筑後川」の「河口」という曲が流れてきました。中学時代に聴いて、いたく感動した思い出のある曲なのですが、曲名を聞くまでメロディーはもちろんのこと、感動自体をすっかり忘れていました。子供ごころの感動には大小があるようです、このことよりもよほど大したことないことはハッキリ覚えていたりしますから…。人間の記憶って、ちょっと心もとないところがありますね(苦笑)。

確か音楽の鑑賞の時間だか、合唱祭のテーマ曲ノミネートとしてだかで聴いたはずなのですが、鉄道少年だった私はまだ写真でしか見たことのない「国鉄佐賀線筑後川昇降橋」を脳裏に思い起こしながら、イメージを合致させて聴いていたと思います。当時はまだ九州を訪れるだけの経済的・時間的余裕もなく、はるか西方の地に思いを馳せるだけのあこがれでしかなかった私の思いでしたが…。

いま、JRのほぼ全線を乗り尽くし、九州にも何度か足を運ぶようになってからも、残念ながら「筑後川昇降橋」との対面は果たせていません。多感な少年時代に写真で目にした、天空を指し示す2本の尖塔と左右に広がる力強い台座ガータ、私のイメージはそこで止まったままです。近くを走る西鉄には大橋~二日市しか乗っていませんし、瀬高は国鉄佐賀線が鹿児島本線から分岐していた駅でしたが、YHが近くにあるため2度下車していながら、やはり「筑後川昇降橋」にまで足を伸ばせていません。いずれも「JR全線」の行程を優先したためで、柳川にすら足を運ばなかった当時の自分が悔やまれます。そんなこんなしていたら、鉄橋は登録文化財となったりしています。曲のクライマックスで「筑後川」を2度繰り返す場面があります。あぁ、九州はホント最近行くことがなくなったなぁ、九州が呼んでいるなぁ、なんて考えながら洗濯物を干す手がいつの間にか止まってしまっていたのでした。

町名・字名の同名回避ですが、よく用いられる手法ではいわゆる「広域大字」を旧自治体全域に設定し、重複を避けるものが挙げられます。その際に設定される大字名は、以前にも書き込んだ通り「○○町」「○○」「○○村」のいずれかにほぼ当てはまります。平成の大合併が始まる前まで、この広域大字の存在率はおおむね「西高東低」の傾向を示していました。姫路市の区や、東広島市における旧自治体名称はこの落書き帳でも何度か話題になっていると思います。もちろんこれは全体の傾向でして、個々に見ていけば例外はたくさんあります。しかしこの合併ラッシュで多少なりとも傾向に変化が現れている気がします。東日本においても、広域大字スタイルを採用しないと重複が多くなりすぎて処理し切れないケースが出てきているためです。合併の規模が大きくなればなるほど、町名・字名の重複可能性は高くなります。加えて、旧自治体の名称をどこかに残しておきたいという心理が働くことによっても、広域大字が設定される可能性が出てきます。

一方、合併時に広域大字が設定された旧自治体とそうでない自治体とが混在する、いわば合併地域内で対応が分かれるケースも出現していますね。前橋市と合併した大胡・宮城・粕川の例がそれにあたります。町名・字名が重複するところのみに広域大字を付したのが真相なのかもしれませんが、端から見ると広域大字をふられなかった旧自治体を軽んじたようにも見え、なかなか対応は難しいようです。方や、同名回避のためかどうか不明ですが北海道森町のように、旧砂原町域の町名・字名を合併に伴ってほとんど総取替をしてしまった極端なケースもあります。もっとも、砂原町域で今まで使用していた町名・字名がすぐに捨て去れるはずもなく、先月レンタカーで通りかかったら国道沿いにはまだ旧町名・字名を示す看板が至るところに掲げられていました。「沼尻」とか「掛澗度杭崎」といったなくしてしまうには惜しい地名も、駅名で残るとは言え住民の生活に根ざしたものであるだけに、今後どんなふうに扱われるのか推移を見守る必要はありそうです。
[41769] 2005年 5月 31日(火)13:28:14スナフキん さん
「変わるまち 市町村再編地図」のことなど
[41680]でmikiさんが紹介下さった「変わるまち 市町村再編地図」、今日になって資料室から手元に届きました。貰ったものは中國新聞(が正しい表記なのかな?)のものですが、同じ柄で神戸新聞でも掲載があった模様です。

すでに話題に上っている「新日本地図」の2番煎じだと言えばそれまでになってしまいますが、合併の塗り分け区分は2種類(合併済・合併予定)に単純化されていて、色味はおとなしい感じです。関東地方を拡大表示するなどの工夫が見られる一方、図全体が「新日本地図」よりわずかに小さいこと、図中の使用フォントサイズがわずかに大きいことから凄い数の引き出し線が使われており、見やすさの点では「新日本地図」にかなわないかなと。ただ、引き出し線を使うに当たってのセオリーはきちっと守られていて好感が持てますね。文字の流し込み方向なども「新日本地図」以上の配慮が感じられます。

地図における「引き出し線」の効能は様々で、用途によってもあったほうがいいのか悪いのかは異なってきますが、今回のように大きな図において網羅的に大量の情報(線・面・文字)を掲載する場合には、一般的に地図表現を邪魔しないよう引き出しは最小限に止める方がよいとされています。ただしこれはあくまでも一般論であって、編集者の真意が他にあって引き出し線を意図的に使う場合も往々にしてあるので、今回の「変わるまち 市町村再編地図」においてその可否を論じるのはちょっと難しいですね。

かくして、私の机上には3枚もの「新聞折り畳み」が存在することになりました。きちっと整理しないといけませんねぇ…。

龍神村ですが、同類項は「日田市中津江村」が該当しますね。広域大字扱いとして旧自治体名称を残すところは決して少なくないのですが、意外に「村」をそのまま「○○村」で存続させるケースは少なく、ほとんどが「○○町」(村→町への置き換え)ないしは「○○」(村を削除)での対応となっています。少数派ではありますが、世間一般からはどんな評価をされるのでしょうか。地名に対する評価は一過性のものではないので、今後の事態推移を見守りたいと思います。
[41593] 2005年 5月 25日(水)09:29:10スナフキん さん
合併情報の追加など
[41507]オーナー グリグリさま
市町村合併情報のメニュー追加

★合併が破綻した合併情報一覧
非常に、ひっじょーに参考になります。この2日前に、この情報がどうしても欲しくなるような仕事が入ってきまして、正直勤務先の会話が盗聴されたかと(苦笑)。合併の成立を「光」とするなら、うまくいかずに破綻した「影」の部分もほじくってスポットを当てたくなるのがヒトの心情なのでしょうか。こうしてリストにすると、表現は適切でないかもしれませんが「合併劣等都道府県」がくっきり出てしまいますね。私の居住する県はフィーリングで破綻が多いとは思っていましたが、具体的にこれが実証されています。

[41495]オーナー グリグリさま
『データで見る平成の大合併』
これまた、今週に入って前回同様河北新報の折り込みを資料室から回してもらいました。地図を作る・修正する上での資料的価値は前回の「新日本地図」ほどではないと思いますが、関連する雑学データとしては秀逸ですね。地方自治関連の仕事をされている方々にもかなり興味・共感を呼ぶ部分が多いのではないかと考えます。名称の由来の話になってくると地理学・地名学ともオーバーラップしてきて、学問的・知的欲求もかなり満たしてくれます。机の上では折り畳んで必要なときにバッと広げられるようにしていますけど、保存の観点から言えばボール紙とかに全面貼り付けてしまい、表にフィルムを重ね貼りするなどコーティング処理すれば完璧です。が、そこまでしている余裕がない…(涙)。そうこうしているうちに、これからますます強くなる夏の日射しに紙が日に焼けてきて、色あせていってしまいそうです。
[41570] 2005年 5月 24日(火)09:40:33スナフキん さん
スタンプのことなど
東京メトロのスタンプラリー、あまり気になるので毎日使っている駅のものだけ自分のノートに押してみました。と言うのは、自分が利用している駅は東京メトロの駅の中でも「図柄ネタに困りそうな十傑」に入るくらい、周りにめぼしい名所がない所なのです。結果的に、図柄は「谷端川緑道」でした。これですぐに勤務先の最寄り駅が分かった方は、正直凄いと思います。でもまあ、うちの駅の柄としては妥当なのかなと駅周辺の地図を見ながら思いました。

JR全線を乗ることには頂点を極められた私ですが、スタンプを集めるという話は意外に食指が動きません。爆発的な人気を呼んだものでは当時国鉄の「私の旅スタンプ」がありましたが、それとて自分では設置駅一覧表まで作ったのに実際に押して回ったのも途中でくじけ、そのうちスタンプ自体が盗難や破壊の憂き目に遭うケースが増えて、今では継続する意欲も起きなくなってしまいました。そう言えば、北海道で毎年実施されている「道の駅スタンプラリー」、今年からは有料エントリーになるとかいうポスターをどこぞやの道の駅で見た記憶があります。関心がなかったのでまじまじとは眺めませんでしたが、これを「商売に走った」と毒づくか、イベント維持のためには「やむを得ない」と黙認するか、ある程度経費がかかって当然で「進んで支払う」か、意見が分かれるところです。

かように、モノの収集といった方面には興味が向かない私ですが、各駅のスタンプ柄には大変興味があります。参加しない側からの遠吠えですが、例えば「国会議事堂前駅」の図柄が「国会議事堂」だと何だか直球過ぎて面白くないような…。同様に、「浅草駅」が「浅草寺」も当たり前過ぎて押しても面白味に欠けます。どうせなら「花やしき」とかにすると面白いかなとか、別な何かを期待してしまう私はひねくれ者かもしれませんね。

その他、いくつか…。
[41433]かすみさん
前耳にした話ではこの名前は「天空の城ラピュタ」から取られたとか。
そんなビルがあるのですか。ちょっと行ってみたくなります。子供ごころに「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」は非常に強く訴える何かがありまして、恐らく今の自分の人格形成にも何らかの働きかけをしたのではないかと思えるほど、強烈に感動したのを覚えています。たぶん、自分が「どっぷり鉄」な方向から「地理・地図」へと舵を切っていま、生業とするに至った一つのきっかけでもあったのかなと。クライマックスで出てきたあのセリフは、地理学にしてみればとっても重いものだと今でも信じて疑いません、「ヒトは、土を離れては生きられない」。…ってことを頭の中で考えていると、そういうビルはやっぱり目にしておきたいかなと漠然と思うのです。

で、ちょろっと出した北海道ネタついでに。
[41559]かすみさん
もちろん、バラソフトクリームは食べましたよ。(笑)
「バラの味」って分からないけど(汗)、話題づくりとしてはもってこいですねぇ。一方、私は道南で目論んでいた「コンブソフト」、何とタイムアップで食べられずに終わりました(滝涙)。何でも、道の駅売店が月曜定休で、日曜日はそのためマシン洗浄に早くから入ってしまうとか…16時半と決して遅すぎる時間ではなかったのに、これなら水無海浜温泉になど入っていなければよかったと悔やまれます。ふらっと行ける場所でもないだけに、惜しいことをしました。道の駅がらみのソフトクリームで、タイムアップによる失敗はこれで3度目、何だか同じミステイクを繰り返しているような…。
[41330] 2005年 5月 18日(水)18:57:59スナフキん さん
忙しいので少しずつレス
あんまり忙しくてくたびれてきたので、息抜きのレスを。

[41233]みかちゅうさん
[41234]でるでるさん
検札のお話。でるでるさんが挙げて下さっている「A列車」(汗)、私は確か検札遭遇率100%です。いつ乗っても、動物公園を出た辺りで早速回ってきて、大概久喜を出た辺りでつかまります。もちろん不正乗車で、ではなくて順番が回ってきて、ということです。B列車にはそれほどの頻度で乗っていませんが、確かにこちらでは車内巡回に遭った記憶はほとんどありませんね。

同様に、遭遇率の高かったのは上越線・吾妻線の新前橋以北。Suica範囲外ではありますが、殊に青春18きっぷ有効期間内でなおかつスキーシーズンにはかなりの確率で検札に巡り合わせています。上越国境越えでもまめに回ってきますね、最近は一時期ほど頻繁には行われていないようですが。

[41259]むじながいりさん
[41261]でるでるさん
中間改札のお話。羽生駅は昨年10月に橋上駅化と同時に完全分離を果たしました、Hiro(&TOKO)さんがご指摘の通りです。これができるまで活躍した、人身事故をきっかけに私財をなげうって築造されたという夫妻のエピソードを持つ跨線橋も、この日でお役後免になった旨の看板がコンコース内に設置され、涙を誘います。分離されて以降も、東武の名物女性駅長さんはホームに立つところこそ見なかったものの有人改札でその姿を見ることができました。他方、東武任せだった秩父鉄道は自社社員を配置することになり、秩父への割引切符の販売に余念がありません。ダイヤも改められ、有料急行が羽生に乗り入れるようになって商売気が出てきたようです。と言うよりも、主力のセメント輸送がじり貧で今やこれを頼みの綱ともしていられない苦しい事情が垣間見えてくるようです。

そう言えば、久喜駅は東武とJRとの貨物収受がなくなって、操車場が不要になったことによる東武駅の拡張が行われている、のですよね?>でるでるさん その暁には、現在の連絡改札はどうするのでしょうね。

[41255]みかちゅうさん
線路がつながっているうえ需要もあるのに直通運転ができない路線があります。それは新木場~大崎のりんかい線です。
そうですね、ここは定期列車にはまったく開放されていない部分です。昨年末、イベント列車がここを通してくれるとの噂を聞きつけてお座敷の団体専用列車に乗ったときには、一同から歓声とどよめきが起きました、要はそういう人たちの集まりだったわけです(苦笑)。どういうわけか東京テレポート駅には必要もないのに強制的に停車させられ、ホームの人の視線がかなり恥ずかしかったです…。

[41280]special-weekさん
一番好きな路面電車は?
つい先日乗ってきた、函館市電には独特の情緒があってお気に入りです。が、やっぱり西日本の元気な路面電車もいいですね。広電とか、いよてつとか、とでん(笑)とか。路線も長いし、車両も多いし、規模の縮小されてしまった路面電車よりもずっと見ていて楽しいです。

[41283]トライランダーさん
ちなみに、この書籍はいつ発売されたのでしょうか?
今月の刊行、新刊本です。え、なぜ即答できたかって? それはですねぇ…ゴニョゴニョゴニョ(謎)
[41311] 2005年 5月 18日(水)09:24:18スナフキん さん
多忙につきショートレス
私が道南に出かけている最中に官報の告示が立て続けに出てしまいました。帰ってからの仕事がいっそう増えててんてこまいです。

秋田の方の参加が増えているようですね。ここのところは全然書き込みしていませんが、名乗るのにはばかりはあるものの、一応秋田県出身者としては何とはなしに心強いです。親からは「アンタは東京都板橋出身でいい」と言われたこともありましたが、自分としてはどうしてもそれを認めたくない何かがありまして…戸籍を見てもきちっと私は「秋田県男鹿市にて出生」と書いてあります。

(鉄的に)レスをつけたい書き込みはあるのですが、多忙にて少しだけ。
[41202]88さん
数時間後、ほんとに京橋で自動改札を出ようとしますと、「経過時間オーバー、駅係員へ」という風なメッセージでゲートが開きませんでした。係員のところへ行くと、「大阪からですね?」と確認され、無事、データを処理していただけました。どうも落ち着かなかったです。
ICカードでもこんなことがあるのですか。恐らくJR東日本のSuicaでも同じようなしかけはあるのでしょうね。実は私、首都圏のパスネットでは幾度となく同じ現象にぶち当たっています。自分のページで公開している、きわめてアヤしいデータ作成のため1駅間のきっぷ(ないしは入場記録のあるパスネット)で約6時間、同じ駅に居座って調査をしたことがあるのですが、いずれの時も自動改札の扉を閉ざされてしまいました。係員のいる改札で「何だか扉が閉まってしまう」と言って通れば今まではそれでスルーでしたが、4月の調査の際は鋭い係員に呼び止められまして、その際に「入場後3時間を経過した乗車券類は自動改札の扉が閉まる」旨の説明を受けました。もちろんこの時には不正乗車と勘ぐられるのは御免なので、自分のアヤしい調査を係員に示さざるを得ませんでしたが。この「3時間」というタイムラグはどのように決められたのでしょうね、ちょっと興味あるところです。中間改札なしで乗り継げる、パスネット有効範囲の最大とおぼしき西武秩父~新藤原では3時間の壁は越えてしまいそうですし…。

検札では、私も幾人かと同様に京阪神で大回り乗車中に遭遇して説明を強いられたことがあります。確かあの時は奈良~天理有効のきっぷで京都線の新快速車内で検札に遭ったような…。

もっといろいろあるのですが、仕事しないと…。
[41086] 2005年 5月 12日(木)12:52:43スナフキん さん
まもなく旅立ちです
北の台地へ旅立つ寝台特急の発車時刻が少しずつ近づいています。今日は勤務を定時までこなし、その足でそのまま上野駅へ向かって即旅立ちという、最近よくやるパターンです。そんな私を知人は「公私混同」と言います。確かに今日は中くらいのザックにウェストポーチ、黒いキャップ姿で出勤しました。けど、勤務への直接的影響を最小限にし、なおかつ現地での時間を有効に活用しようとするとこんなスタイルに落ち着いてしまいます。仕事のボリュームもここ1~2週間で膨れ上がって切迫してきているのですが、それ以前に旅のプランニングは1ヶ月近く前からのもの。優先順位は旅の方だと勝手に独り合点しています。う~む、こんなスタンスの私は地図屋としてならともかく、30過ぎの社会人としては落第なんでしょうか。

それにしても函館の最低気温予想、期間中はずっと5度を下回ったまま。少し前からそのことは分かっていたので冬物の準備もしてあるのですが、5月の訪道は何度かしていますけどこんなに「寒いだ、降雪だ」なんて言っているのは今回が初めてかもしれません。5月に道東へ行ったときでさえ重装備な防寒具までは必要なかったというのに、今回は最高気温予想も10度にやっと届くかどうか、とのこと。道の駅恵山での昆布ソフトを密かに楽しみにしていたのに、これではまだ発売すらされていないかも(汗)。
[40437] 2005年 5月 1日(日)00:21:07スナフキん さん
休みですけど仕事の話を少し。
[40403]ひげねこさん
190点ですか…この得点数はたぶん、メンバー登録者の中でも相当上位にランクインするのではないでしょうか、取り立ててまとめているわけではないのであくまでも私の直感、フィーリングですが。概して、「鉄」な方々には高得点者が多い傾向が強く出ますね。各地を乗り歩き、時には宿泊をもしなければならないとなれば自ずと得点は上昇してきます。私の場合は一旦集計した後に富山県への宿泊が発生して179点と1ポイント上がりましたが…。それにしても「サンカク」や「ペケ」がないのはすごい…。

仕事の話で少しだけ釣られます。
連休中は仕事です。出版社の連中はゆっくりお休みです。
その「連中」一味である私ですが、ゆっくりではないですけど一応、暦通りの休みです。で、ひげねこさん同様に外注さんに2点ほど、5月2日着で線版の書き足しと6日までで地形レリーフの書き足しを別々にお願いしたりしています。けど、自分で楽できる状況には到底ならず、2・6共たぶん自分自身がフル残業しないと仕事がこなせない見込みです(泣)。出版社間でもきついことを言われるのはよくある話で、金曜日の夕方に原稿が入って、「月曜でいいから」ってなことを言われる…。こっちの休みを何だと思ってるんだ、こらぁ! と言ってしまったらそこで終わりなので、渋々金曜日の夜遅くまで作業して目鼻つけて、月曜日に仕上げてバイク便…。地図の仕事って、出版作業の中では大概台割や割付などの体裁が決まって最後の最後に仕事が出てくるので、カツカツ仕事が多いです。時折、あまりに無茶な要求が出た場合には事情を丁寧に説明してクライアントに泣いてもらうこともありますが…。昨今の地図並びに地図の出版をめぐる情勢は、それが売れる売れないにかかわらず、厳しさが続いています。
[40266] 2005年 4月 25日(月)13:08:42【1】スナフキん さん
交通関係レス
[40208]般若堂そんぴんさん
ご近所同士や知人同士などでグループを作り,その中で高齢者のための運転手を確保する
これに似た事例として、「カーシェアリング」という考え方があります。通勤途上の沿線に志木ニュータウンという団地がありますが、ここでは実際に行われていてモデルケースとして各地からも視察が来るのだとか。NPO組織を立ち上げ、車の所有はこの団体とするものの、会費を納めた会員は使用料を支払えば自由に(但し取り合いになる可能性はあるでしょうが)利用することができるというもの、だったと思います。レンタカーのように不特定多数の利用にはならないので、利用する側もいい加減に使わないし、メンテナンスは所有者のNPOで行うので車検などの面倒な手続きもないので気軽だし、なかなか賢い方法ではありますが、確か何らかの法律が絡んでまだ本格的な導入は難しい…とか、ラジオでは聞きました。

そもそもこの考え方は、団地という居住者分の駐車スペースが十分に確保できない制約・条件の下で実践されているものであり、これを地方における交通政策の抜本的対策とするには議論しなければならない点はあるかもしれませんが、どのみちこれからは高齢者にとっても支給年金は確実に目減りするはずで、単にリスク管理の面のみならず、自家用車維持管理費の面からも考慮に入れられてもいい方法ではあるような気がします。公共交通機関による対策は、[40244]でYSKさんもおっしゃっているように大都市圏の事例をそのまま持ち込んだのでは必ずしもうまくいくとは限らないですし…。

自分で動くのが難儀な人が無理をして自動車を運転するより、公共交通機関で手厚く保護する方が進む方向としては妥当
と、自分自身は危険回避の意味合いから書いたはずなのですが、今日はその公共交通機関で大変に痛ましい事故が発生してしまい、揚げ足を取られたような気分です。JRのアーバンネットワークの立役者3人衆の1人、207系電車がマンションに突っ込み、編成がZ字形に折れ曲がっているのを見て、正直目を疑いました。あってはならない大事故と言うことができるかと思います。京都線・神戸線快速の邪魔をしないようにと付加された高速性能がもたらした…のでないことを祈りますが、レールファンならずとも目を覆いたくなる惨状です。事故に遭われた方々にはお悔やみ申し上げると共に、昨今「連鎖傾向」がなかなか断ち切ることのできない鉄道事故、徹底的な原因究明が望まれます。

#その後、誤字脱字訂正
[40174] 2005年 4月 22日(金)09:58:28スナフキん さん
道路の話
[40100]くはさん
実に詳しい記述に脱帽です。早速コピペしてテキスト保存させていただきました。さすがは落書き帳、JH関係者並の詳しさで、ここまで事情通の一般ユーザがいると道路地図会社の方々もうかうかしていられませんね(ちなみに、私は道路地図を手がけていません)。

ただ、道路地図でなくても「これはどうしよう…」的道路が昨今は増えてきて、道路地図でなくとも悩みの種となっているのは事実です。私もレンタカーで深川留萌道・旭川紋別道などを走っていますが、その印象から言うならば高速道路と一般有料道路と一般国道バイパスを足して3で割ったようなイメージです。どの表現をしても地図上は通じるように思えますが、裏を返せばどの表現をしてみてもしっくりこない…コマッタ、となるのです。

そう言えば深川留萌道の無料区間には、オムスビマークが道路端に立っていて、ある種の感動を覚えたのがはっきり記憶に残っています。それもこの春、とうとう沼田の先まで無料区間が伸びてしまいました。こうなると留萌本線の存続が危ぶまれる気がして、個人的にはどうなのかなぁと。「高速道路こそすべて」みたいな考え方はどうも好きになれませんね。採算がとれなそうなのでJHによる施工をあきらめ、税金をつぎ込んで無料にするなんて、何だか本来の整備趣旨とは違う方向に向かっているような気がしなくもありません。両毛人さんとは似たような話をしたのですが、クルマ社会の高齢化って結構怖くて、自分で動くのが難儀な人が無理をして自動車を運転するより、公共交通機関で手厚く保護する方が進む方向としては妥当なように思うのです。それを、高速作って自動車交通を便利にして、代わりに鉄道やバスの首を絞めるのでは交通弱者にはたまりませんよ、ホントに。でも、こうしないと自動車メーカーは潤わないし、土建業者もまたしかりなのでしょうね。どこかを立てればどこかが引っ込むようになっているんだなぁ…なんて思ったりもします。北海道の方々には少々耳の痛い話かも分かりませんが、札幌へ転勤した友人がこんなことをこぼしていました、北海道の主産業は農業でも工業でもない、公共事業である、と。

5月の連休明けに道南を巡る際にも、時間的余裕があるなら函館新道・函館江差道はお金を取られない高規格道路のようなのでちょっと走ってみたいと思うのですが、一方で並行する旧道も道百選・歴史国道に指定されていて走りたいごころをくすぐります。この区間、往復してしまおうか…などとおバカなことを考えたり。それ以上に、生まれて初めて目の当たりにすることになるであろう「地熱発電所」がどんなものであるのか、とても楽しみです。地形図を見ると、発電所からパイプみたいなのが伸びてきて、それがいくつもの無壁舎(恐らくビニルハウスではないかと思います)に繋がっている様子が描かれています、どんな景観なんだろう…。地図の良さってこんなところにもありますよね、現地がどんなだろうと想像してみるのは楽しいもので、時が経つのも忘れてしまいます…おっと、仕事に戻らねば(大汗)。
[39697] 2005年 4月 12日(火)13:09:10スナフキん さん
「新日本地図」のことなど
[39558]グリグリさん
[39661]右左府さん
ご指摘の「新日本地図」、勤務先で郵送による購読をしている中日新聞で目にしました。一時期に比べて経費削減のため、勤務先での地方紙の購読数は減少しましたが、局所的なニュースでは全国紙ではカバーし切れない地方紙の強みが出てくるので、なかなか侮れません。そんな中でのクリーンヒットですね、購読していて良かったです。

資料室長がとにかくベタ褒めしているこの地図、確かに色使いが非常にうまいですね。暖色系・寒色系の使い方が工夫されています。また、図中に自治体名を入れたりするのは普通面倒がって、今回のようにリスト併記の場合には参照数字で誤魔化すケースも多いのですが、これまた頑張って字割をしてくれています。特に、文字を入れるのが困難な部分における引き出し線の使い方は、私も絶妙だなと感じました。地図ごころ、絵ごころのない人がこういうスマートな体裁を作るのは多分無理ではないかと思います。編集がどこであるかの記述は見つけられませんでしたが(たった一人のデザイナーがやった程度の作品とは思えませんけど)、地図屋的視点から眺めても秀逸な図だと言えると思います。たぶん合併自体を追いかけるのであればこの図で十分にも思え、市販されている合併テーマ図は必要ないかも(苦笑)。

[39671]グリグリさん
河北新報、北海道新聞、新潟日報、神戸新聞、西日本新聞、中国新聞あたりも企画連携している可能性があります。
このうち、新潟日報以外の各紙はいずれも郵送購読しているので、ちょっと気にするように言っておきます(私自身は新聞チェック担当ではないもので…)。以前はそういう仕事もしていて、記事中から地図ネタになりそうなものをスクラップしたりしていたのですが、最近は専ら校正のみで実作業からは遠ざかっています。過去に地方紙を捲ってみた感想では、主として西日本各地の地方紙はきれいな図を作る傾向が強かったですね。中でも愛媛新聞のそれは解説・案内略図の点数の多さでは圧倒的だったと記憶しています。今では購読しなくなったのでどうなったんだか…。中国新聞や西日本新聞などでも、「○○がオープン」といった些細な記事に略図を入れてくれたりすることが多く、ややもすると土地勘の薄い私のような人間には重宝でした。

以上、ちょっとした新聞事情も絡めてのレスでした。
[39631] 2005年 4月 11日(月)13:22:34【1】スナフキん さん
地震と、超専門的話題
今朝の地震は不意をつかれた格好で、びっくりしました。食事を終えて食器を洗おうかな…という最中に、蛇口の水がユ~ラユラ。をぉ? と思って周りを見回すと、照明のスイッチやカーテンもユサユサ揺れているのです。立ってると気づかないかな、くらいの揺れでしたがそれでも、恐らくこの近辺では新潟県中越地震以来の揺れだったのではないかと思います。この程度だったので、部屋の中はもちろんのこと、いつもの通勤電車にも目立った影響は出ていませんでした。

その通勤電車から、沿線では比較的有名な柳瀬川堤の桜が見えました。昨日はお花見大盛況だった様子で、おびただしい量のゴミの山ができていましたが(汗)。週末は暖かかったものの風もあり、花の咲きっぷりは週末の満開からは一歩後退した感じです。今日の雨が事実上の花散らしになってしまうのでしょうね。これからきれいな桜を見たいと思ったら、桜前線と同様に標高の高いところ、緯度の高いところへ自分が移動しないといけません。

そう言えば、「週刊朝日」の4月22日号に「市町村合併のつぼ」と称したコラムが掲載されており、勤務先で目を通しました。詳しい記述の正誤はともかく、最近はこういった類のざっくばらんな話題がうらやましく思えます。本業で合併と向き合っているとどうしても「目が三角」になりがちです。しかも私の場合は居住地が合併問題で一波乱あった場所であり、現在手続きが進んでいる枠組みにはどうも納得しがたい何かが残っているクチなので、余計にそういう思いが募るのかもしれません。この文章を斜め読みしていると、M.K.さんの塗り絵が頭の片隅に浮かんできます。何のしがらみもない立場で市町村合併を論じられたらなぁ…という思いを抱きながら。

[39510]ひげねこさん
レスのタイミングが遅れましたが、S社ではないですけど、現役の地図屋です。

地図の校正は文章校正より何倍も難しいです。
後段に諸々の内容を書いて下さっていますので引用は省略しますが、まさにその通りですね。しかも、一般ユーザにはこのことはほとんど分かってもらえないです。そのくせ、間違いに関する指摘は手厳しい…割に合わないですね(汗)。ですから、[39579]で軒下提灯さんが「笑って許して」とおっしゃるその気持ち、私にもなくはないのですが…それに甘えたらプロじゃないですよね。できる限りの力を出し切ることが大事なんじゃないかなと、私は日頃思っています。

私が入社した当時も、アナログは風前の灯火でして、かろうじてまだ「ポジ検版」なる作業が残っていた、その程度です。そのうち写植屋さんがいなくなり、パソコンで打った文字をフィルム出力してしのいだ…なんていうのが晩年の状態でした。とうとうスクライブをいじらせてもらうチャンスはこないまま、その地図帳はつい先頃デジタルへと置き換えられて永遠にその機会は失われてしまいました、ちょっと惜しかったです。

現在はパソコンで作ってますので、校正紙は出すのかな?
軒下提灯さんからもレスがある通り、校正用のプリントは基本的に出力してデータに添付をするのが一般的なようです。自分たちがそうするまでもなく、クライアントからそう求められることもありますね。ただ、どこかアナログ時代の考え方が抜けきっていないところがあるのか、このプリントを見て「色味がおかしい」「単色が強すぎる」などのコメントが戻ってくることもよくあります。普通に市販されているプリンタで出したカンプでは、個々の機種の癖が強く出るきらいがあるため色味に関して校正することはできないのが実状なのですが、きちっと説明しないとなかなか分かってもらえません。これが特に印刷や出版とは縁のない業界からの依頼だったりすると、納得してもらうだけで一苦労です。実際に色を見るには色校をとる、実際に輪転機を回して刷ってみる、こういった方法が考えられますがいずれも手間がかかる作業ですね。校正作業は1回転や2回転で終わることはまずありません。これはアナログ時代と変わらないのではないでしょうか。

編集者も人の子ですので、優しく笑ってやってください。
ヒトっていやなもので、自分のことを棚に上げておきながら、他人のあらを探すといったことをよくしてしまいます。自分もそのうちの一人で、ホントは良くないのですよね…。

[39579]軒下提灯さん
これまた懐かしい。特にアイ焼き。
今でも時折アイ焼きは目にしますね。主にモノクロページの簡易校正で活躍しています。

大きなサイズの地図になればなるほど、画面上での校正が難しくなります。
逆に画面上でないとできない内容の校正もありますね。線が微妙に切れているとか、文字の段組が微妙にずれているといった微少なミスは、画面での拡大ツールが非常に効果を発揮します。アナログでは必死にルーペを覗いて色玉のアミ濃度を見たりして取っ組み合いをしたものですが…徐々に過去のものになりつつある手順ではあります。

うわぁ、とてつもなくマニアックな話題になってしまいました~

#その後、誤字訂正
[39446] 2005年 4月 6日(水)09:31:53スナフキん さん
クイズに飛びつくのは初めてかも
[39417]軒下提灯さん
他人事ではないですね、それにしても随分とひどい誤植のオンパレードです。ちゃんと校正の手順を踏んでいるのかなぁ…。これがもし、全部同じ会社の同じ出版物での誤植だとしたら、校正する力が弱すぎますね、困ったものです。

とか、偉そうなこと言っていますが、うちも校正で何とか防ぎ止めたものの、「富士地鉄」や「ガヤドーム」があわやネットに乗っかって全世界に流れる直前まで至ったこともありました。
さて、何でしょう?
妹が近くにいるから、というわけではないですが余りにも気になるし、自分も同じミスをやらかしては恥ずかしいので、勤務先の「福島県川俣町」の地域資料フォルダを引っぱり出して、答えを見つけてしまいました。ははぁ、糸車を展示しているのですね。面白くはないですが、出し惜しみはやめて直球勝負してしまいましょうか。これ、「おりもの」ですよね?!

全然別件で…

[39424]かすみさん
気候は決してまだ暖かくなりきったのでもないのに、どうしてそんなにソフトクリームを…(汗) いや、私自身が以前にも書いたと思うのですが「おかしなソフトクリーム」フリークなので、「サフランソフト」とか「かぼすソフト」がすごく気になるのです。中でも「蜂蜜ほうれん草ソフト」って一体…??? どんな味なんだろう。こうしてみると、一昨年夏に逃した岩手県は山田町の「わかめソフト」が非常に恨めしく思えます。今年、リベンジしてくるかな…。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示