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[90465]2016年5月1日
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[90465] 2016年 5月 1日(日)20:21:08【2】むっくん さん
若年で当選した首長PART6
>グリグリさん
以前[87632][87650][87777][87778][89255]で投稿した若年で当選した首長の一覧への続報です。

まずは若年で当選した首長の一覧に記載されている方々の追加情報です。

熊村昌一郎さん(静岡県磐田郡二俣町)ですが、町長になったのは、S31(1956).11.のことです。
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

吉田 巍さん(滋賀県栗太郡瀬田町)ですが、町長の後は滋賀県の県議会議員をされました。その県議会議員選挙の際には"吉田タカシ"として出馬されていました。ゆえに、読みはおそらく"よしだ たかし"であると推測されます。
参照:京都新聞S34

平田 一義さん(京都府南桑田郡東別院村)ですが、M42(1909).9.28生まれでした。ゆえに、村長となったのは、37歳6-7ヶ月の時でした。
また、後に京都府亀岡市長を1期61歳4ヶ月の時にS46(1971).1.30-S50(1975).1.29にされています。
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

好川 三郎さん(奈良県橿原市)の生年月日はT5(1916).10.11でした。ゆえに、市長となったのは、39歳5ヶ月の時です。
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

白川 修さん(兵庫県洲本市(旧))が市長であったのは、S22(1947).4.8-S34(1959).4.29でした。
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

志戸本 慶次郎さん(宮崎県小林市)の生年月日はT6(1917).1.15でした。よって小林市の市長になったのは、38歳3ヶ月と58歳3ヶ月の時になります。
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

次は、新規情報です。

荻原 克己さん
M44(1911).5.20生まれ
長野県下水内郡柳原村35歳10-11ヶ月1期
S22(1947).4.-S26(1951).4.
長野県飯山市47歳3ヶ月1期
S33(1958).9.15-S37(1962).9.14
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

長谷川 泰三さん
T12(1923).2.13生まれ
静岡県三島市37歳11ヶ月4期
S36(1961).2.7-S52(1977).2.6
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

赤松 照彦さん
M40(1907).11.22生まれ
静岡県磐田郡磐田町39歳4-5ヶ月1期
S22(1947).4.-S23(1948).3.31
静岡県磐田市40歳4ヶ月4期
S23(1948).4.1-S38(1963).4.30
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

山内 克巳さん
M44(1911).10.22生まれ
静岡県磐田郡長野村39歳?ヶ月1-2期
S25(1950).12.-S?
静岡県磐田市54歳10ヶ月5期
S41(1966).8.28-S61(1986)
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

榛村 虎之助さん
M43(1910).3.9生まれ
静岡県小笠郡東山口村37歳0-1ヶ月?期
S22(1947).4.-S?
静岡県掛川市59歳6ヶ月2期
S44(1969).10.8-S52(1977).8.5
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

深田 丈夫さん
T3(1914).4.3生まれ
大阪府三島郡味舌村33歳0ヶ月?1?期
S22(1947).4.-S25(1950).3.31
S21に官製村長となりました。S25.4.1の町制施行時も自治体の長でした。S22.4.の統一地方選挙で当選した可能性が極めて高いです。
大阪府三島郡味舌町35歳11ヶ月2?期
S25(1950).4.1-S31
大阪府三島郡三島町42歳?ヶ月2期
S31-S?(WikipediaではS31(1956).10.12-S41(1966).10.31で3期とあり、42歳6ヶ月の時に三島町長に就任。)
大阪府摂津市52歳6ヶ月1期
S41(1966).11.1-S43(1968).10.11
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)、Wikipedia(摂津市)

岡田 源吾さん
M40(1907).4.25生まれ
兵庫県相生市39歳11ヶ月3期
S22(1947).4.6-S32(1957).11.15
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

秋本 武さん
T10(1921).12.9生まれ
山口県吉敷郡小郡町37歳3-4ヶ月?期
S34(1959).4.-
山口県防府市42歳11ヶ月1期
S39(1964).11.27-S43(1968).11.26
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

澤田 紋(さわだ・あや)さん
M45(1912).4.14生まれ
徳島県那賀郡富岡町34-35歳3期?
S22(1947).4.-S33(1958)
徳島県阿南市46歳1ヶ月4期
S33(1958).5.27-S45(1970).5.17
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)、阿南市HP
#苗字は阿南市HP記載に従いました。日本の歴代市長(第三巻)では、"沢田"となっています。

星石 義治さん
M43(1910).11.24生まれ
高知県幡多郡平田村36-37歳2期?
S22(1947)-S29(1954)
高知県宿毛市46歳9ヶ月2期
S32(1957).9.5-S40(1965).9.4
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

下川 秀樹さん
M40(1907).10.10生まれ
福岡県八女郡水田村39歳5-6ヶ月2期
S22(1947).4.-S29?
福岡県筑後市46歳7ヶ月3期
S29(1954).5.16-S41(1966).5.15
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

古閑 一夫さん
T6(1917).3.3生まれ
熊本県鹿本郡川辺村35歳4ヶ月以前?期
現在の山鹿市の区域の大水害のあったS27(1952).7.では川辺村の村長。
熊本県山鹿市37歳2ヶ月6期
S29(1954).5.5-S53(1978).2.24
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

田代 捨己さん
T4(1915).8.26生まれ
熊本県宇土郡走潟村38歳11ヶ月以前1期
終戦後S29(1954).6.30以前
熊本県宇土市56歳8ヶ月2期
S57(1982).4.29-H2(1990).4.28
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)、Wikipedia(宇土市)

松山 賢太郎さん
T2(1913).10.25生まれ
鹿児島県川辺郡加世田町37-38歳1?期
S26(1951)-
鹿児島県加世田市40歳10ヶ月2期
S29(1954).8.10-S37(1962).8.9
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)
[89809] 2016年 1月 18日(月)23:05:13むっくん さん
昨日の大津市長選挙
>グリグリさん

昨日の大津市長選挙で、現職の越直美さんが再選されました。
若年で当選した首長の一覧と、女性首長の一覧の更新をよろしくお願いします。

参考:京都新聞
[89255] 2015年 12月 6日(日)13:18:32【3】むっくん さん
若年で当選した首長PART5
>グリグリさん
以前[87632][87650][87777][87778]で投稿した若年で当選した首長の一覧への続報です。

まずは若年で当選した首長の一覧に記載されている方々の追加情報です。
成田 佐太郎さん(青森県西津軽郡車力村)の読み方は"なりた・さたろう"です。
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和44年(PDF)160コマ

佐藤 憲一さん(秋田県本荘市)はT4(1915).9.29生まれで、任期はS30(1955).2.8-S58(1983).2.7でした。就任日の年齢は39歳4ヶ月となります。
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

川瀬 基治郎さん(宮城県塩竈市)の読み方は"かわせ・もとじろう"でした。
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

飯田 稔さん(茨城県稲敷郡桜川村)は、毎日新聞H7(1995).2.8によりますと、"茨城県稲敷郡桜川村の村長に1971年に初当選、1991年に二回目の当選、1995.2.8に59歳で三回目の当選"、とありました。これは、Wikipedia桜川村(茨城県)の歴代村長の記載とも整合的です。
以上の記載からは初当選はS46(1971)年に35-36歳で為されたと考えられ、現在の記載内容である"初当選はS42(1967)年でその時の年齢が31-32歳"とは異なります。

小島 弘一さん(群馬県高崎市)の読み方は"こじま・ひろかず"で生年月日はM45(1912).1.1でした。就任日の年齢は35歳3ヶ月となります。
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

宮原 栄吉さん(長野県小県郡青木村)の初当選は35歳の時でした。
参照:朝日新聞H元(1989).5.9

武村 正義さん(滋賀県八日市市)の任期は、S46(1971).4.30-S49(1974).10.15で、初当選は37歳8ヶ月の時です。
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

下村 博一さん(京都府与謝郡加悦町)の読み方は"しもむら・ひろかず"であり、生年月日はT13(1924).4.1で、初当選は27歳0ヶ月の時です。
参照:京都新聞S30(1955).4.23,S49(1974).12.9、課題(指導者用テキストN.o.11)(編:京都府選挙管理委員会)、S30.4.30執行京都府議会議員一般選挙記録(編:京都府選挙管理委員会)

菱田 稔さん(京都府綴喜郡都々城村)の読み方は"ひしだ・みのる"です。
参照:S34.4.28執行京都府議会議員一般選挙記録(編:京都府選挙管理委員会)

山下 誠一さん(山口県萩市)の任期はS30(1955).4.30-S34(1959).4.30でした。
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

白地 照彦さんの山口県玖珂郡日積村での任期開始日はS23(1948).3.で、年齢は31歳10-11ヶ月の時でした。[87778]拙稿と併せますと、おそらく任期は2期だと考えられます。又、山口県柳井市での任期開始日はS48(1973).2.22で、年齢は56歳10ヶ月の時でした。
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)

鎌田正光さん(香川県坂出市)の生年月日はT3(1914).11.16で、年齢は32歳4ヶ月の時でした。
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)
#日本の歴代市長(第三巻)では、任期はS22(1947).4.5-S24(1949).5.25とありましたが、第一回統一地方選挙の開票作業が、S22(1947).4.6から為されている為、任期開始日がS22(1947).4.5になる事はあり得ません。現在の記載内容が正しいものと考えられます。

山内 徳信さん(沖縄県中頭郡読谷村)の初当選は39歳の時でした。
参照:朝日新聞S60(1985).6.24

次は、新規情報です。

小比類巻 富雄(こひるいまき・とみお)さん
M44(1911).2.9生まれ
青森県上北郡大三沢町37歳1-2ヶ月2期
S23(1948).4.-S30(1955).3.
青森県三沢市48歳2ヶ月5期
S34(1959).5.1-S53.7.31
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和30年(PDF)26コマ

前田 豊作さん
T7(1918).12.1生まれ
青森県東津軽郡奥内村32歳4ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)88コマ

小倉 清善さん
T5(1916).10.31生まれ
青森県東津軽郡一本木村34歳5ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)88コマ

今 清?さん
T3(1914).5.21生まれ
青森県東津軽郡筒井村36歳11ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)88コマ
#参照資料より、私には名前の最後の一文字が読み取れませんでした。

船橋 茂さん
T9(1920).11.29生まれ
青森県東津軽郡東平内村30歳4ヶ月以前?期
S26(1951).4.23再選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)89コマ

中井 忠一さん
M44(1911).5.11生まれ
青森県西津軽郡十三村39歳11ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)89コマ

伴 一衛さん
T元(1912).12.18生まれ(注)
青森県中津軽郡東目屋村38歳4ヶ月以前?期
S26(1951).4.23再選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)91コマ
(注)青森県選挙管理委員会の報告書では生年月日はM45.12.18とあったが、その年月日はT元.12.18の誤りと考えました。

白鳥 善三さん
T10(1921).12.20生まれ
青森県南津軽郡石川町29歳4ヶ月?期
S26(1951).5.7決選投票にて当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)92コマ

伊藤 貞文さん
M44(1911).10.25生まれ
青森県南津軽郡山形村39歳5ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)93コマ

齋藤 正次さん
M45(1912).7.19生まれ
青森県北津軽郡板柳町38歳9ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)93コマ

花田 一さん
T8(1919).9.27生まれ
青森県北津軽郡金木町31歳6ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)93コマ

太田 金太郎さん
T元(1912).9.24生まれ
青森県上北郡四和村38歳6ヶ月?期
S26(1951).4.23当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和26年(PDF)95コマ

桑田 貞一さん
T6(1917).9.25生まれ
青森県南津軽郡石川町37歳7ヶ月?期
S30(1955).4.30当選
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和30年(PDF)127コマ

吉田 博彦さん
T11(1922).7.31生まれ
青森県上北郡六戸町36歳9ヶ月2期
S34(1959).4.30当選。任期はS34(1959).5.1から。S38(1963).4.30再選。S42(1967).4.28県議会議員選挙に出馬。
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和34年(PDF)99,104コマ昭和38年(PDF)76コマ昭和42年(PDF)20コマ

金沢 幹三さん
青森県下北郡大間町39歳?期
S38(1963).4.30当選。任期はS38(1963).5.1より。
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和38年(PDF)82コマ

松原 辰兵衛さん
青森県上北郡六戸町37歳?期
S46(1971).4.25当選。S50(1975).4.27再選。
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和46年(PDF)150コマ昭和50年(PDF)97コマ

正部家 佑介(しょうぶけ・ゆうすけ)さん
S19(1944).7.30生まれ
青森県三戸郡階上町38歳8-9ヶ月1期
S58(1983).4.-S62(1987).4.
青森県三戸郡階上町45歳4-5ヶ月3期
H元(1989).12.-H13(2001).12.
S58(1983).4.24当選。H元(1989).12.24当選。
参照:青森県選挙管理委員会青森県議会議員選挙の記録昭和58年(PDF)104コマ、青森県選挙管理委員会市町村選挙の結果平成元年8月から平成2年2月(PDF)11コマ、平成5年8月から平成7年7月(PDF)12コマ

藤田 万之助さん
T元(1912).11.12生まれ
岩手県稗貫郡太田村38歳5ヶ月1期
S26(1951).4.24-S29(1954).3.31(日付はWikipedia(太田村)による。日本の歴代市長では、太田村の村長になったとしか記載されていない。)
岩手県花巻市(旧)61歳4ヶ月3?期
S49.4.20-S58?59?
日本初?の請願駅である新花巻駅を作る過程で病に倒れ、開業日であるS60(1985).3.14を見ることなくS59(1984).7.永眠。
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、Wikipedia(太田村)

鈴木 八五平さん
M45(1912).2.19生まれ
岩手県気仙郡日頃市村35歳1ヶ月1期
S22(1947).4.6-S26(1951).4.5(日付はWikipedia(日頃市村)による。日本の歴代市長では、S22(1947).4.?-S26(1951)?)
岩手県大船渡市62歳11ヶ月1期
S50(1975).1.29-S51(1976).2.8
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、Wikipedia(日頃市村)

佐藤 俊雄(さとう・としお)さん
T9(1920).8.11生まれ
秋田県男鹿市37歳8ヶ月3期
S33(1958).4.30-S45(1970).4.29
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

国井 重典さん
T2(1913).3.12生まれ
山形県鶴岡市39歳6ヶ月1期
S27(1952).10.3-S28(1953).12.27
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

鬼沢 賢造さん
T13(1924).3.15生まれ
茨城県新治郡高浜町26歳10-11ヶ月1期
S26(1951).2.-S28(1953)?
茨城県石岡市47歳9ヶ月2期
S46(1971).12.19-S54(1979).12.18
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

遠崎 義夫さん
茨城県筑波郡伊奈村38歳?2期
S53(1978)-S60(1985).3.31
茨城県筑波郡伊奈町45歳?2期
S60(1985).4.1-H2(1990).7.22
連続3期12年。H2(1990).4.16で50歳。
参照:朝日新聞H2(1990).4.16

富田 孝(とみた・たかし)さん
埼玉県秩父郡横瀬村35歳? 4期
S46(1971).1.-S59(1984).9.30
埼玉県秩父郡横瀬町48-49歳 4期
S59(1984).10.1-H11(1999).1.
連続7期目当選(無投票)の1995.1.5で59歳、1999.1.11で63歳。1999.1.10の選挙で敗れる。
参照:毎日新聞H7(1995).1.5、朝日新聞H3(1991).1.9,H11(1999).1.11

貫井 清英(ぬくい・きよひで)さん
T11(1922).12.18生まれ
埼玉県児玉郡阿久原村27-28歳 1期?
S25(1950)-S28(1953)
埼玉県児玉郡神泉村59歳6期
S57(1982).10.-H17(2005)
参照:新訂現代日本人名鑑2002第3巻(編・発行:日外アソシエーツ、2002.1.28)

高橋 庄次郎(たかはし・しょうじろう)さん
M45(1912).7.23生まれ
埼玉県北足立郡蕨町34歳?3期
S22(1947)?-
埼玉県蕨市46歳9ヶ月?1期
S34(1959).4.-S34(1959).4.(日付は日本の歴代市長による。Wikipedia(蕨市)では、蕨市での市長の任期はS34(1959).4.-S34(1959).6.。)
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、三和町を語り継ぐ会のブログWikipedia(蕨市)

山口 宏さん
T2(1913).10.生まれ
埼玉県南埼玉郡春日部町38歳0-1ヶ月1期
S26(1951).11.-S29(1954)
埼玉県春日部市40歳7-8ヶ月3期
S29(1954).8.6-S41(1966).8.5
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

島村 平市郎さん(しまむら・へいいちろう)さん
T3(1914).6.29生まれ
埼玉県南埼玉郡大袋村39歳9-10ヶ月1期
S26(1951).4.-S29(1954)
埼玉県越谷市59歳4ヶ月1期
S45(1970).11.9-S48(1973).10.10
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

新村 勝男(しんむら・かつお)さん
T7(1918).5.3生まれ
千葉県東葛飾郡福田村33-34歳?期
S27(1952)-
(日付、期数、年齢は日本の歴代市長による。Wikipedia(新村勝男)では、S22(1947)から福田村の村長を3期務めたと記載されています。これに従うと、初当選は33-34歳ではなくて28-29歳となります。)
千葉県野田市43歳11ヶ月3期
S37(1962).4.30-S41(1976).6.4
衆議院議員58歳7ヶ月6期
S51(1976).12.5-H5(1993).7.17?
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、国会議員白書Wikipedia(新村勝男)

古谷 太郎さん
T10(1921).12.18生まれ
東京都南多摩郡日野町36歳2ヶ月2期
S33(1958).3.10-S38(1963).11.2
東京都日野市41歳10ヶ月1期
S38(1963).11.3-S40(1965).7.8
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)、福生新聞(昭和三十三年三月二十日)(PDF)1コマ

津田 進一郎(つだ・じんいちろう)さん
T4(1915).7.生まれ
神奈川県足柄上郡福沢村35歳8-9ヶ月1期
S26(1951).4.30-S30(1955).3.31
神奈川県足柄上郡南足柄町51歳8-9ヶ月2期
S42(1967).4.30-S47(1972).3.31
神奈川県南足柄市1期
S47(1972).4.1-S50(1975).4.29
参照:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58)

魚津 龍一(うおづ・りゅういち)さん
S22(1947).4.21生まれ
富山県下新川郡朝日町39歳1ヶ月 6期
S61(1986).6.13-H22(2010).6.12
参照:新訂現代日本人名鑑2002第1巻(編・発行:日外アソシエーツ、2002.1.28)、富山県市町村要覧(平成27年4月(PDF)111コマ

黒田 松次さん
M43(1910).3.16生まれ
富山県中新川郡西加積村37歳1期
S22(1947)-
富山県滑川市56歳1ヶ月3期
S41(1966).4.20-S53.4.19
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)

山本 治(やまもと・おさむ)さん
T5(1916)生まれ
福井県今立郡神明町34-35歳1期?
S26(1951)-S30(1955)
福井県鯖江市61-62歳2期
S53(1978).1.25-S61(1986).1.24
参照:日本の歴代市長(第二巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S59.11.10)、鯖江市HP(PDF)鯖江市HP(PDF)鯖江市HP(PDF)

井花 伊左雄さん
滋賀県高島郡西庄村33-34歳2期
S22(1947).4.23-S29(1954).12.31
滋賀県高島郡マキノ町44-45歳?期
S34(1959).2.8-S50.1.以前
S26(1951).4.14で37歳。
参照:京都新聞S26(1951).4.14、滋賀県市町村沿革史第四巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1960)

北川 佐十郎さん
M41(1908)生まれ
滋賀県高島郡広瀬村38歳2期
S22(1947).4.5-S29.11.2
滋賀県高島郡安曇川町45-46歳1期
S29(1954)-S33(1958)
S26(1951).4.14で42歳
参照:京都新聞S26(1951).4.14、滋賀県市町村沿革史第四巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1960)

中村 敏一さん
滋賀県東浅井郡上草野村37-38歳1期
S22(1947).4.6-S26(1951).4.5
S34(1959).4.17で50歳
参照:京都新聞S34(1959).4.17、滋賀県市町村沿革史第四巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1960)

柿田 仁敏さん
S28(1953).6.27生まれ
滋賀県愛知郡愛東町38歳4ヶ月1期
H3(1991).11.13?-H7
参照:滋賀県選挙管理委員会(xlsx形式)

海東 英和(かいとう・ひでかず)さん
S35(1960).1.24生まれ
滋賀県高島郡新旭町39歳0ヶ月2期
H11(1999).1.-H16(2004)
滋賀県高島市45歳0ヶ月1期
H17(2005).2.13-H21(2009).2.12
参照:滋賀県選挙管理委員会(xlsx形式)ザ・選挙海東秀和HP

村上 良一さん
S4(1929).3.2生まれ
滋賀県甲賀郡土山町37歳7ヶ月2期
S41(1966).10.-S49(1974).10.
参照:滋賀県選挙管理委員会(xlsx形式)

北村 正二(きたむら・しょうじ)さん
S29(1954).2.12生まれ
滋賀県滋賀郡志賀町37-38歳3期
H4(1992).2.-H15(2003).8.31
参照:滋賀県選挙管理委員会(xlsx形式)ARecoNote15大津市議会HP

浪江 正房(なみえ・まさふさ)さん
T5(1916).3.10生まれ
京都府与謝郡岩屋村35歳1ヶ月1期
S26(1951).4.23-S30(1955).2.
参照:京都新聞S26(1951).4.14,S30(1955).4.23、S30.4.30執行京都府議会議員一般選挙記録(編:京都府選挙管理委員会)、野田川町誌(編・発行:野田川町、S44.6.1)
♯前村長の任期がS26(1951).4.の上旬で終わっており、また、無投票当選でした。任期の初日は統一地方選挙の本来の投票日であるS26(1951).4.23と考えられます。

和田 伊一(わだ・いいち)さん
M40(1907).11.16生まれ
京都府乙訓郡向日町39歳5ヶ月2期
S22(1947).4.27-S30(1955).4.2
参照:京都新聞S22(1947).4.7,S26(1951).4.15、課題(指導者用テキストN.o.3)(編:京都府選挙管理委員会)、S34.4.28執行京都府議会議員一般選挙記録(編:京都府選挙管理委員会)、向日市史(下)(編:向日市史編さん委員会、発行:向日市、S60.2.28)

平田 一義さん
京都府南桑田郡東別院村36-37歳2期?
S22(1947).4.-
S26.4.25で41歳。1期目は無投票当選。2期目はS26.4.23の選挙で再選。
参照:京都新聞S22(1947).4.6,S26(1951).4.25

藤林 寛次さん
京都府船井郡五ヶ荘村38-39歳2期
S22(1947).4.-S30(1955).3.
再選報道のS26(1951).4.25で43歳。
参照:京都新聞S26(1951).4.25、日吉町誌(下巻)(編:日吉町誌編さん委員会、発行:日吉町、H2.11.1)
#名前は日吉町誌の記載に従いました。

松本 一さん(まつもと・はじめ)
T4(1915).1.2生まれ
岡山県上道郡幡多村36歳3ヶ月1期
S26(1951).4.-?
岡山県岡山市58歳3ヶ月2期
S58(1983).5.1-H3(1991).1.14
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)、岡山市HP

小野 博さん
M42(1909).12.10生まれ
岡山県小田郡笠岡町37歳3-4ヶ月2期
S22(1947).4.-S27(1952)3.
岡山県笠岡市42歳4ヶ月6期
S27(1952).4.29-S51(1976).4.23
参照:日本の歴代市長(第三巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S60)、笠岡市HP

結構見つけられるものです。補遺として、少なくとも後一回は投稿する予定です。
[89177] 2015年 11月 26日(木)12:02:41むっくん さん
オフ会クイズ回答
問B:おごと温泉(JR西日本、湖西線)
#[89173][89174]の問C、問D、問Eの回答にJR西日本を書くことを忘れていました。
[89174] 2015年 11月 26日(木)09:57:51むっくん さん
オフ会クイズ回答
連投で。

問D:高槻(東海道本線)
[89173] 2015年 11月 26日(木)09:47:29むっくん さん
オフ会クイズ回答
調べずに分かるものから答えます。

問C:草津(東海道本線)
問E:黒部宇奈月温泉(北陸新幹線)
[88932] 2015年 10月 26日(月)19:47:06むっくん さん
里川口町から花巻川口町への改称、若年で当選した首長
>グリグリさん

以前[83624]拙稿にて今後の課題とした岩手県での里川口町から花巻川口町への改称の記載についての続報です。

このことに付き、岩手県市町村課に対して以下の問い合わせをしました。
岩手県現行令達類聚(編:臼井左衛一、発行:山川活版所、M36.11.20)によりますと、M22.4.1の市制町村制施行に合わせた廃置分合である県令第12・13・15号(M22.2.16)で成立したのは里川口町であり、その後
岩手県告示第154号(M30.10.20)
管下稗貫郡里川口町を花巻川口町と改称す
にて花巻川口町へ改称されたとあります。

岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)でも、M22.4.1の市制町村制施行に合わせた廃置分合である県令第12・13・15号(M22.2.16)で成立したのは里川口町であると記載されています。

以上から、M22.4.1の市制町村制施行時に成立したのは里川口町であり、M30.10.30に花巻川口町と改称したのではないでしょうか。

このことにつき、岩手県市町村課から以下の回答をいただきました。
ご質問のありました「花巻川口町」については、これまで日本地名大辞典に下記のとおり記載されていたことから、花巻川口町としておりました。
【日本地名大辞典(岩手県)】
花巻川口町(明治22年~昭和4年の稗貫郡の自治体名。明治期には里川口町と称した。)
この度、当時の告示等を確認したところ、ご指摘のとおりであったことから、ホームページの掲載内容を訂正いたします。

ということで市区町村変遷情報(岩手県)に
1897(M30).10.30 改称 稗貫郡花巻川口町 稗貫郡 里川口町
の追加をお願いします。

そして、もう一点。
若年で当選した首長の一覧で記載されている吉田實さんは、富山県市町村要覧(平成27年4月)(PDF)115コマによると、S22.4.5に大島村の村長に就任、と記載されていました。
[88878] 2015年 10月 10日(土)14:52:04【2】むっくん さん
Re:改札口の数え方
[88876]MasAkaさん
原宿駅と同様な例は[88866]拙稿でも挙げた伏見稲荷駅(京阪;通常の改札2箇所と臨時の改札2箇所)と総合運動公園駅(神戸市交通局;通常の改札1箇所と臨時の改札5箇所)があります。但し、総合運動公園駅の臨時改札口が使われるのはイベント開催時に限られていますので、全国すべての駅での臨時改札口を数として勘定することには、私は躊躇します。

さて、私からも問題提起です。
[88866]拙稿であげた例で他に問題となるのは、本来は4箇所の改札があるのに現在1箇所が閉じている改札がある野田阪神駅(大阪市交通局)、一般の利用者が利用できない学生専用口1箇所(他に一般の利用者用の改札3箇所)を持つ雲雀丘花屋敷駅(阪急)です。この2駅は線引きにより、含まれるか否かが別れることになりそうです。

次に、梅田駅~神戸三宮駅以遠では、阪神電車と阪急電車の間で定期券の選択乗車が出来ます。その為阪神電車梅田駅(改札3箇所)と阪急電車梅田駅(改札3箇所)、そして阪神電車神戸三宮駅(改札2箇所)と阪急電車神戸三宮駅(改札2箇所)を一体としてみる考えも出来なくはありません。この場合、梅田駅及び神戸三宮駅の改札の数は4箇所以上となります。しかしながら、この考えには例えば普通の切符で利用できないなどの問題点がありますので、非該当とするのが適当ではないでしょうか。

最後に大阪市交通局の梅田駅/東梅田駅/西梅田駅を一つの駅とみなす考えはどうでしょうか。この3駅間では、乗り継ぎが出来ます。そもそも、梅田駅と東梅田駅と西梅田駅とに名称を分けた理由の一つとして、単に連絡通路を設けられなかったことがあり、その為にこの3駅間では乗り継ぎが出来るようになっています。とするならば、大阪市交通局の梅田駅/東梅田駅/西梅田駅は、連絡通路のある心斎橋駅/四ツ橋駅(大阪市交通局)と同様に一つの駅として扱うべきなのではないかという考えも成立するものと考えられます。但し、[88866]拙稿では、実際の1駅としての運用という考えではなく、分かりやすさを優先して3駅として数えましたが。
[88871] 2015年 10月 9日(金)12:56:18むっくん さん
三越前駅と新長田駅
[88868]いろずーさん
銀座線3つ+半蔵門2つ。ただし1つ連絡改札の三越前は入らないでしょうか?
東京メトロの三越前の構内図からは改札の状況が良く分からないので確認なのでが、三越前駅の改札は銀座線3つ+半蔵門2つで、但し各々1つは連絡改札をも兼ねる、ということでよろしいのでしょうか。
仮にそのようであるならば、改札は5箇所と数えるのが自然だと思います。これを3箇所と数えると、例えば神戸市交通局の新長田駅の改札の個数が0となり、さすがに不自然かと思います。
#神戸市交通局の新長田駅には西神・山手線と海岸線の2つの路線があります。改札は、西神・山手線のホームに近いところに一箇所、そして海岸線のホームに近いところに一箇所あります。乗り換えの際には改札の外に出ずに連絡通路を使う事も出来ます。又、西神・山手線のホームに近い改札から一旦外に出てから海岸線のホームに近い改札から中へ入る経路を使う事も出来ます(その逆も可)。
[88866] 2015年 10月 7日(水)19:33:44【7】むっくん さん
4箇所以上の改札を持つ駅
[88860]Nさん
[88864]グリグリさん
そもそも4か所も改札口がある駅自体が全国的にも珍しいのでは?と思ったのは私だけでしょうか。
(中略)
乗換改札を含まない場合、JRだと東京都区内以外では大宮、横浜、名古屋、京都、大阪、天王寺、和歌山、広島、博多程度でした。
(中略)
これに私鉄含めたところで100は行かないのでは、と思いました。
連絡改札を含めないという条件ですとかなり少なくなると思います。西日本の駅ではNさんが挙げられたもの以外では以下の駅ぐらいではないでしょうか。
大阪市交通局・・・梅田、本町、心斎橋/四ツ橋、なんば、動物園前、天王寺、あびこ、東梅田、南森町、谷町四丁目、谷町六丁目、四天王寺前夕陽ケ丘、堺筋本町、花園町、阿波座、(野田阪神)、今里
近鉄・・・大阪上本町
阪急・・・西宮北口、(雲雀丘花屋敷)、南方
京阪・・・淀屋橋、京橋、(伏見稲荷)
南海・・・堺東
神戸市交通局・・・(総合運動公園)
京都市交通局・・・京都
名古屋市交通局・・・名古屋、栄、八事
名鉄・・・名鉄名古屋
JR九州・・・折尾、熊本
連絡改札ありですと、JR西日本及び近鉄の鶴橋(通常の改札2箇所とJR近鉄間の連絡改札2箇所)や近鉄の近鉄名古屋(通常の改札2箇所と近鉄名鉄間の連絡改札1箇所と近鉄JR間の連絡改札1箇所)などが出てくるのですが。
また、近鉄の生駒(通常の改札2箇所と乗り換え改札3箇所)のように中間改札がある駅で、これをどのように数えるかが問題となります。

訂正
【1】[88868]いろずーさんのご指摘により、より適切な表現へと訂正。
連絡改札無し→連絡改札を含めない
上本町→大阪上本町
博多、(熊本)→熊本
鶴橋駅と近鉄名古屋駅に関してはその内訳も追加。
#三越前駅については私は構造が分かりませんので、コメントは差し控えさせていただきます。
【2】中間改札について追記
【3】南海を追記
【6】南方([88870]深夜特急さん)と雲雀丘花屋敷と伏見稲荷を追加
【7】神戸市交通局を追記
[88654] 2015年 8月 16日(日)00:57:15むっくん さん
地名コレクション「自治体の最高点」
[88650]futsunoおじさん
国土地理院の日本の主な山岳標高によりますと、H26三角点標高改訂(PDF)が87箇所で為されました。
地名コレクション「自治体の最高点」にも影響し、"都道府県別最高地点"に限っても、以下の4箇所で変更されています。
愛知県茶臼山・・・1416m(+1m)
京都府皆子山・・・971m(-1m)
岡山県後山・・・1344m(-1m)
高知県三嶺・・・1894m(+1m)
[87886] 2015年 6月 4日(木)19:18:34【2】むっくん さん
若年で当選した首長(訂正)&第一回統一地方選
[87882]グリグリさん

一通り私の方でも確認しました。

宮崎県小林市の志戸本慶次郎さんの生年月日ですが、後の市長である志戸本慶七郎さんの生年月日と、調べる過程で混同していました。

正しくは、読売新聞S34.5.2、京都新聞S50.4.28にあるように、生年月日は?で
志戸本 慶次郎さん(38) S30.5.1-S42.4.29 宮崎県小林市 3期
志戸本 慶次郎さん(58) S50.4.30-S54.3.2 宮崎県小林市 1期
ということでよろしくお願いします。

追記1
大石橋 與作さんの北海道幌別郡幌別町の町長の任期は1 です。


追記2
[87884]EMM さん
第1回統一選挙で当選した方でも就任日にばらつきがあるのか、あるいは誤植なのかは不明。
第一回統一地方選での就任日は、無投票の方は原則4/5で、投票が行われた方は4/6以降の数日のばらつき(大半は4/6-4/8の3日間)がある。決選投票を経て当選された方の就任日は、4/16以降の数日のばらつきがある。本来ならば決選投票が行われるはずが、決選投票の辞退により、4/15の決選投票以前に首長が決まったところもある。又、選挙後に公職追放で首長の地位を追われた方もおられ、公職追放者となった日時と選挙確定の日時の前後が微妙な場合も少ないながらもある。
私は当時の新聞各紙から上述のように読み取りました。

就任日にばらつきがあるのは、本来ならば選挙実施以前に確定させるはずの公職追放者に該当するか否かの審議が、選挙実施以前に間に合わずに、選挙後に審議したところが多かったからではないかと推測しています。
[87865] 2015年 5月 28日(木)19:24:06むっくん さん
淀川水系の定期船
[87863]デスクトップ鉄さん
1965年の定期船航路ですと、大津港(大津市)と山田港(草津市)の定期船(この3年後に廃止)もありました。

この頃が内航旅客海運の最盛期だったかもしれません。
近畿地方の淀川水系ですと、昭和30年代に大半の川の渡し船が廃止されました(滋賀県大津市と京都府宇治市を結んだ曽束の渡し、京都府大山崎町と八幡市の山崎の渡し、大阪府島本町と京都府八幡市での渡し船等)。
全国的にも同様であるならば、川の渡し船に限っては、最盛期はもう少し遡るかもしれません。
[87778] 2015年 5月 16日(土)19:15:24むっくん さん
若年で当選した首長PART4(西日本編)
続いて、西日本編です。

◎滋賀県
吉田 巍さん(36)
S22.4.5-S30.3.29 滋賀県栗太郡瀬田町 2期
参照:京都新聞S22.4.8、滋賀県市町村沿革史第2巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1967)

宮路 茂兵衛さん(38)
S22.4.?-S30.4.14 滋賀県甲賀郡伴谷村 2期
第一回統一地方選の前のS22.2.10より村長。
参照:京都新聞S22.4.8、滋賀県市町村沿革史第2巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1967)

松瀬 忠三郎さん(37)
S22.4.6-S24.5.31 滋賀県蒲生郡鏡山村 1期
参照:京都新聞S22.4.8、滋賀県市町村沿革史第3巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1964)

山田 信光さん(37)
S22.4.6-S25.3.2 滋賀県愛知郡豊国村 1期
参照:京都新聞S22.4.8、滋賀県市町村沿革史第3巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1964)

田中 又蔵さん(35)
S22.4.6-S24.12.14 滋賀県高島郡海津村 1期
参照:京都新聞S22.4.8、滋賀県市町村沿革史第4巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1960)

岡本 秀康さん(37)
S26.4.23-S29.3.31 滋賀県蒲生郡馬淵村 1期
参照:京都新聞S26.4.25、滋賀県市町村沿革史第3巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1964)

中江 忠右衛門さん(37)
S26.4.23-S27.7.30 滋賀県蒲生郡桐原村 1期
参照:京都新聞S26.4.27、滋賀県市町村沿革史第3巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1964)

中田 隆一さん(34?35?)
S28.7.16-S30.3.10 滋賀県伊香郡永原村 1期
中田 隆一さん(44)
S38.4.30-S42.4. 滋賀県伊香郡西浅井村 1期
参照:京都新聞S38.5.4、滋賀県市町村沿革史第4巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1960)

清水 鉄三郎(しみず てつさぶろう)さん(34)
S38.4.-S46.4. 滋賀県高島郡高島町 2期
S38.4.30の統一地方選で初当選。S42.4.28の統一地方選で38歳で2回目の当選を無投票で果たした。
参照:京都新聞S38.5.2

石山 義雄(いしやま よしお)さん(38)
S46.4.-S50.4. 滋賀県愛知郡愛知川町 1期
参照:京都新聞S46.4.26

◎京都府
樋口 一朗さん(38)(M42.5.29生まれ)
S22.4.5-S26.12.16 京都府天田郡菟原村 2期
参照:三和町史(下)(通史編)(編:三和町史編さん委員会、出版:三和町、H8)

菱田 稔さん(37)(M43.1.9生まれ)
S22.4.8-S26.4.2 京都府綴喜郡都々城村 1期
参照:八幡市誌(第3巻)(編:八幡市誌編纂委員協議会、出版:八幡市、S52)、田辺町近代誌(編:田辺町近代誌編さん委員会、出版:田辺町、S62)

吉岡 憲一さん(35?36?)
S22.4.-S27 京都府相楽郡笠置町 2期
S26.4.23再当選の時40歳、次回町長選挙が行われたのはS27.8.12。
参照:京都新聞S26.4.25、京都府百年の年表1(政治・行政編)(編:京都府立総合資料館、発行:京都府、1971)

下村 博一さん(27)
S26.4.-S26 京都府与謝郡加悦町 1期
S26.4.23初当選、次回町長選挙が行われたのはS26.11.5。
参照:京都新聞S26.4.25、京都府百年の年表1(政治・行政編)(編:京都府立総合資料館、発行:京都府、1971)

矢野 二郎(やのにろう)さん(36)(T11.1.19生まれ)
S33.7.3-S59.7.9 京都府宮津市 7期
参照:京都府人物・人材情報リスト2004な~わ(編・発行:日外アソシエーツ株式会社、2003.12)、読売新聞S33.6.22,S34.5.2

永井 信行さん(37)
S38.4.-S42.4. 京都府船井郡丹波町 1期
参照:京都新聞S38.5.2、京都府百年の年表1(政治・行政編)(編:京都府立総合資料館、発行:京都府、1971)

◎兵庫県
白川 修さん(37)
S22.4.-S34.4?. 兵庫県洲本市(旧) 3期
参照:朝日新聞大阪本社版S22.4.7、洲本市広報vol.541(PDF)6-7コマ

谷 洋一(たに よういち)さん(38)(T15.12.1生まれ)
S40.6.25-S46.2.18 兵庫県美方郡村岡町 2期
谷 洋一さん(50)
S51.12.-H15.11. 衆議院議員 9期
参照:香美町2013統計資料(PDF)18コマ、香美町観光案内所Wikipedia

◎奈良県
好川 三郎さん(38?39?)
S31.3.30-S47.2.13? 奈良県橿原市 4期
4期目途中のS47.2.13に辞表を提出。
参照:橿原市HP、読売新聞S34.5.2,S47.2.14

◎和歌山県
浦神 賢一(うらがみ けんいち)さん(37?38?)(M42生まれ)
S22.4.-S26? 和歌山県東牟婁郡下里町 1期
参照:和歌山県史人物編(編:和歌山県史編さん委員会、発行:和歌山県、1989)

◎島根県
小谷 茂雄さん(38?39?)(M45.4.29生まれ)
S26-? 島根県八束郡片江村 ?期
小谷 茂雄さん(42?43?)
S30.4.-S54 島根県八束郡美保関町 6期
参照:松江市HP

鳥谷 正さん(31歳以前)
S?-S? 島根県仁多郡温泉村 ?期
鳥谷 正さん(38?39?)
S38.3.28-S56.6.30 島根県大原郡木次町 ?期
H23.8.6に87歳で逝去。
参照:眞さんのつぶやき(島根県雲南市議会議員堀江眞さん)雲南市温泉公民館HP

◎広島県
神原 秀夫さん(38?39?)(T5生まれ)
S30.4.-S? 広島県沼隈郡沼隈町 ?期
参照:福山市HP

◎山口県
山下 誠一さん(37)
S30.4.-S34.4. 山口県萩市 1期
参照:京都新聞S30.5.2

白地 照彦(しらじ てるひこ)さん(37歳以前)(T5.4.8生まれ)
S?-S29.3. 山口県玖珂郡日積村 ?期
白地 照彦さん(56)
S48.2.-H5.2. 山口県柳井市 5期
参照:柳井市HP

◎香川県
鎌田 正光さん(34)
S22.4.8-S24.5.25 香川県坂出市 1期
参照:朝日新聞大阪本社版S22.4.7

井上 正八さん(36歳以前)
S?-S? 香川県綾歌郡坂本村 ?期
井上 正八さん(38?39?)
S31-S39? 香川県綾歌郡飯山町 ?期
参照:丸亀市HP

◎愛媛県
美藤 清文さん(38?)
S22.4.-S58.4. 愛媛県越智郡関前村 9期
参照:読売新聞S50.4.22

西田 司(にしだ まもる)さん(34?35?)(S3.5.13生まれ)
S38-49 愛媛県喜多郡長浜町 3期
西田 司さん(48)
S51.12.-S55 衆議院議員 2期
西田 司さん(55)
S58.12.-H15.10.10? 衆議院議員 6期
参照:大洲市HP

◎長崎県
坂井 孟一郎(さかい たけいちろう)さん(37?38?)
長崎県西彼杵郡香焼村
S22.4.-S36.11.2 4期
坂井 孟一郎さん(51?52?)
長崎県西彼杵郡香焼町 7期
S36.11.3-S62
通算10期。4期目の途中で町制。
1992.3. 82歳で逝去。
参照:読売新聞S58.4.29

◎宮崎県
志戸本 慶次郎さん(38)(T11.7.12生まれ)
S30.5.1-S42.4.29 宮崎県小林市 3期
志戸本 慶次郎さん(58)
S50.4.30-S54.3.2 宮崎県小林市 1期
参照:小林市勢要覧2005(PDF)13コマ、読売新聞S34.5.2、京都新聞S50.4.28

◎鹿児島県
重村 一郎さん(24?25?)(T11.11.6生まれ)
S22-S24 鹿児島県大島郡東天城村(米軍占領下)
参照:徳之島町HP

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最後に可能性のある方々の紹介です。私は、ここまでしか調べられませんでしたので、どなたか、調査をお願いいたします。

宮本 茂一郎(みやもと もいちろう)さん(39?40?)(M40生まれ)
S22.4.-S25.12. 和歌山県西牟婁郡稲成村 1期
参照:和歌山県史人物編(編:和歌山県史編さん委員会、発行:和歌山県、1989)

中前 勝(なかまえ まさる)さん(39?40?)(M40生まれ)
S22.4.-S26 和歌山県日高郡和田村 1期。
参照:和歌山県史人物編(編:和歌山県史編さん委員会、発行:和歌山県、1989)

中川 恭嗣?さん(?)(注)
S?-S? 福井県大飯郡佐分利村 ?期
S26.4.23再当選の時42歳。
参照:京都新聞S26.4.25
(注)文字が潰れていて氏名が正しくない可能性があり。

川口 主夫(かわぐち ぬしお)さん(39?40?)
S24.10.-S26.3. 京都府中郡奥大野村 1期
S54.11.3で70歳
参照:京都新聞S54.11.3

上林 甫夫(かんばやし としお)さん(?)
S?-S? 京都府与謝郡伊根村 ?期
上林 甫夫さん(44?45?)
S29.11.25-S37.11.24 京都府与謝郡伊根町 2期
S55.11.3で70歳
参照:京都新聞S55.11.3

奥山 治さん(?)
S?-S? 東京都青ヶ島村 ?期
奥山 治さん(45)
S38.6.-S? 東京都青ヶ島村 ?期
S38.6.19の選挙で当選した時、45歳で元職。通算5期。
参照:朝日新聞S38.6.20
[87777] 2015年 5月 16日(土)19:15:00むっくん さん
若年で当選した首長PART3(東日本編)
[87657]グリグリさん
大変貴重な情報です。しかし探せばまだまだ発掘できるんですね。調査能力のなさを痛感させられました。
北海道に限っては、道内の市町村長の資料を道が作成しているであろうと推測はしており、その推測が当たっただけです。それ以外の都府県の町村長はほとんど調べられてはいません。
例えば、比較的に調べやすい滋賀県の場合、首長の方々の氏名まではほぼ完全に把握しています。ただし、年齢に関しましては、第1回統一地方選の後の三年で51.9%の町村長が辞任(奈良県と並んで全国一位)したこともあり、統一地方選以外の時に当選された方々の年齢が調べられていません。
お隣の京都府ではもっと事態は深刻でして、統一地方選の時であっても新聞に記載されるのは市町の首長選の当選者及び市町村議会議員の当選者のみでした。その為、当選された村長の氏名さえほとんど把握できていません(昭和の大合併で存続した村は除く)。
全国的には特に昭和30年以前の場合、当選された町村長の方々の氏名が新聞に記載されていないことが多く、新聞に記載されていたとしても年齢が記載されていないこともまた多いです。

調査の方法ですが、市町村長を務めた方が名誉市民となることが多いので、Linkdou.comというサイトの名誉市町村民を探すと、更に発掘出来る可能性があるのではないかと思います。

他には、叙勲された方も少なくないので、4/29付と11/3付の新聞で探すのも一つの手だと思います。
もっとも、その後の調査でお手上げ状態になることも少なくないです。
例えば京都新聞S58.4.29によりますと、原田 光六(はらだ みつろく)さんはS58.4.29で84歳で、かつて京都府船井郡西本梅村の村長(S30に京都府船井郡園部町の一部となった)を務めた、とまでは分かっても、いつから村長をしていたのかが、全く分かりません。S22.4.からだと38?(37?)歳なのですが。

それと女性は1人もいないようです。島田薫さん、阿部重美さんはおそらく男性でしょう。
名前からだけでは男女のいずれかすぐに判断できない方もおられますね。市町村長を経験された方ですと、私がすぐに思いついたのが、栃木県宇都宮市で3期市長をされた小池嘉子(こいけ・よしたね)さんでしょうか。
私の母の知り合いには、夫婦共に同一の漢字の氏名で読みも同じという方がいました。

本論に入る前に、まずは拙稿[87650]の追加情報です。

登別市統計書H26年度(PDF)では、大石橋 與作さんの任期が、S22.4.7-S26.4.6とありました。

安井 吉典(やすい よしのり)さんはこの後、42歳から衆議院議員を11期(S33.5.23-H2.1.24)務められました。T4.10.30生まれとありましたので、首長就任時の年齢は32歳ではなく31歳となります。

それでは、東日本編です。

◎青森県
成田 佐太郎さん(37?38?)(S2.3.31生まれ)
青森県西津軽郡車力村 S40-H17.2. 10期
参照:つがる市HP、青森県選挙管理委員会

◎岩手県
和村 幸得(わむら こうとく)さん(38)(M42.2.21生まれ)
S22.4.-S62.4. 岩手県下閉伊郡普代村 10期
参照:岩手県立図書館HP

◎宮城県
木村 主税(きむら ちから)さん(36)
S22.4.- S58.5.4 宮城県牡鹿郡女川町 10期
10期目途中のS58.5.4に逝去。
参照:読売新聞S54.1.29,S58.5.5

川瀬 基治郎さん(39)(S2.12.24生まれ)
S42.5.1-S58.4.30 宮城県塩竈市 4期
参照:塩竈市統計書(H24)165歴代三役(Excel形式)、京都新聞S42.4.29

◎秋田県
佐藤 憲一さん(38?39?)
S30.2.-S58.1?. 秋田県本荘市 連続7期
S30.2.8初当選S58.1.30落選
参照:革新市政発展前史(PDF)19-29コマ、読売新聞S58.1.31

◎山形県
市川 清矩(いちかわ きよつね)さん(33?34?)(T2生まれ)
S22.4.-S29.9?. 山形県西村山郡谷地町 2期
市川 清矩さん(40?41?)
S29.10.-S49.10. 山形県西村山郡河北町 5期
S49.10.13の選挙で61歳で落選。S29だけ無投票当選。
参照:河北町HP、朝日新聞S49.10.14

◎茨城県
吉原 三郎さん(33)
S30.4.- S45.12. 茨城県猿島郡岩井町 5期
5期目途中で逝去。
参照:坂東市HP(Word形式)、読売新聞S44.3.15

◎埼玉県
松永 緑郎さん(27)
S22.4.-? 埼玉県北足立郡桶川町 ?期
参照:朝日新聞大阪本社版S22.4.8
2005年に83歳で逝去された元埼玉県副知事の松永緑郎(まつなが ろくろう)さんと別の人物か?

◎千葉県
飯田 義男さん(35歳以前?)
?-S29? 千葉県安房郡神戸村 ?期
S29の館山市との合併で尽力
2014年に95歳
参照:館山市HP

石橋 一彌(いしばし かずや)さん(29?30?)(T11.3.19生まれ)
S27-S28? 千葉県山武郡公平村 1期
石橋 一彌さん(46)
S43.10.30-S50.2.11 千葉県東金市 2期
石橋 一彌さん(54)
S51.12.10-H11.3.5 衆議院議員 8期
参照:東金市HP東金市HP

◎神奈川県
石井 忠重(いしい ただしげ)さん(38)(T9.5.25生まれ)
S34.2.23-S54.2.22 神奈川県厚木市 5期
参照:厚木市統計書>平成18年度付録>付録(Excel形式)広報あつぎ第1023号(PDF)、読売新聞S34.5.2

◎新潟県
伊藤 孝二郎さん(31)
S30-H15 新潟県北蒲原郡黒川村 12期
参照:胎内市HP(PDF)ザ・選挙

◎富山県
吉田 實(よしだ みのる)さん(37)(M43.3.19生まれ)
S22.4.-S31 富山県射水郡大島村 3期
吉田 實さん(46)
S31.10.1-S44.12.1 富山県知事 4期
吉田 實さん(59)
S44.12.27-S47.11.13? 衆議院議員 1?期
吉田 實さん(64)
S49.7.7-S57.11.16? 参議院議員 2期
参照:射水市HP(Word形式)国会議員白書国会議員白書衆議院HP

◎福井県
岩原 のぼる さん(37?)
S30-H7 福井県丹生郡宮崎村 10期40年 退任時77歳
参照:ザ・選挙

◎長野県
宮原 栄吉さん(34?)
S22.4.-H5 長野県小県郡青木村 12期46年 退任時80歳
参照:朝日新聞S53.2.1、ザ・選挙

永井 泰美さん(36?37?)
S30.4.-H11 長野県小県郡武石村 11期44年 退任時81歳
2009.2.14に91歳で逝去。
参照:ザ・選挙東信ジャーナル

久保 遠雄さん(35?36?)
S22.4.-? 長野県更級郡村上村 1期
久保 遠雄さん(44)
S30.4.-S35? 長野県更級郡村上村 2期
参照:朝日新聞S34.5.1

◎静岡県
熊村 昌一郎(くまむら まさいちろう)さん(38)(M42.11.28生まれ)
S22-30 静岡県磐田郡熊村 2期
熊村 昌一郎さん(47)
S31-33 静岡県磐田郡二俣町 1期
熊村 昌一郎さん(49)
S33.11.3-S55.11.7 静岡県天竜市 6期
参照:浜松市HP天竜市名誉市民浜松情報BOOK

◎愛知県
伊藤 一(いとうはじめ)さん(38)(M43.4.11生まれ)
S22.4.6-S46.4.30 愛知県一宮市 6期
参照:朝日新聞大阪本社版S22.4.7、一宮市HP

◎三重県
阿竹 仙之助さん(38?39?)
S31.5.-S35.5. 三重県伊勢市 1期
参照:読売新聞S31.5.14,S34.5.2
[87650] 2015年 5月 2日(土)18:10:54【2】むっくん さん
若年で当選した首長PART2
[87644]グリグリさん

若年で当選した首長の一覧を確認しました。
渡辺 栄一さんの就任日の年号の一箇所がまだ昭和に変更されずに残っています。

さて、これだけでは何ですので、40歳未満で当選された首長の方々で私が把握している方々についての情報を提供します。
まずは、北海道編です。

北越 栄三さん(32)
S22.4.-S24 北海道茅部郡臼尻村 1期

鈴木 慶一さん(39)
S24.12-S34.4. 北海道茅部郡臼尻村 3期
鈴木 慶一さん(49)
S34.5.-S38.4. 北海道茅部郡南茅部村 1期

村上 一郎さん(32)
S22.4.-S29.10.31 北海道上川郡神楽村 3期
村上 一郎さん(39?40?)
S29.11.1-S42.2. 北海道上川郡神楽町 3期
通算5期。3期目の途中(S29.11.1)に町制施行。

飛鷹 仁男さん(38)
S22.4.-S30.4. 北海道上川郡東鷹栖村 2期

小村 義馬さん(36)
S22.4.-S33 北海道阿寒郡阿寒村 3期

作田 政次さん(31)
S22.4.-S31.9. 北海道常呂郡相内村 3期

塚本 一郎さん(37)
S31.5.-S54.2.27 北海道空知郡北村 6期

岡田 久雄さん(32)
S22.4.-S29.6. 北海道紋別郡渚滑村 2期

山本 政平さん(38)
S22.4.-S29.7. 北海道中川郡智恵文村 2期

富樫 正神さん(38)
S26.4.-S32.7. 北海道根室郡根室町 2期

神部 俊郎さん(39)
S22.4.-S33.6.30 北海道空知郡滝川町 3期
神部 俊郎さん(50?51?)
S33.7.1-S34.4. 北海道空知郡滝川市(旧) 1期
通算3期。3期目の途中(S33.7.1)に市制施行。

藤谷 軍一さん(37)
S22.4.-S38.4. 北海道空知郡音江村 4期

前田 正三さん(38)
S22.4.-S31.9. 北海道空知郡東山村 3期

大石橋 與作さん(36)
S22.4.-S26.3.31 北海道幌別郡幌別村 1期
大石橋 與作さん(39?40?)
S26.4.1-S26.4. 北海道幌別郡幌別町 1期?
通算1期。1期目の途中(S26.4.1)に町制施行があったのか、それ以前に辞任されたのかが不明。

中下 武雄さん(38)
S22.4.-S34 北海道札幌郡広島村 4期

寺内 靖治さん(38)(S16.8.24生まれ)
S55.5.-H7 北海道石狩郡石狩町 4期

島田 薫(しまだかおる)さん(37)(M43生まれ)
S22.4.-S31.12.31 北海道樺戸郡新十津川村 3期
島田 薫さん(45?46?)
S32.1.1-S38.3?. 北海道樺戸郡新十津川町 2期
通算4期。3期目の途中(S32.1.1)に町制施行。

西崎 善雄さん(34)
S25.4.-S31.9. 北海道島牧郡東島牧村 2期

田中 好一さん(37)
S38.2.-S40 北海道寿都郡黒松内町 1期

浜田 作美さん(37)
S30.4.-S46.4. 北海道古宇郡泊村 4期

山路 泰治郎さん(38)
S22.4.-S30? 北海道積丹郡入舸村 2?期

門山 義男さん(35)
S22.4.-S28.3.31 北海道勇払郡鵡川村 2期
門山 義男さん(39?)
S28.4.1-S50.4. 北海道勇払郡鵡川町 6期
通算7期。2期目の途中(S28.4.1)に町制施行。

横山 正明さん(39)
S22.4.-S34.4. 北海道勇払郡穂別村 3期

濱口 光輝さん(38)(T4.9.9生まれ)
S28.12.-H元.11. 北海道浦河郡浦河町 9期

佐々木 豊さん(38)
S22.4.-S29.6. 北海道松前郡松前町(旧) 2期
佐々木 豊さん(45)
S29.7.-S38.4. 北海道松前郡松前町 3期

坂本 富雄さん(33)
S22.4.-S29.6. 北海道松前郡小島村 2期

深山 久三郎さん(36)
S22.4.-S29.12. 北海道松前郡吉岡村 2期
深山 久三郎さん(44)
S30.1.-S34.1. 北海道松前郡福島町 1期
深山 久三郎さん(52)
S38.1.-S62.1. 北海道松前郡福島町 6期

吉田 金次郎さん(30)
S22.4.-S28.2?. 北海道茅部郡鹿部町 2期

川村 留治さん(37)(T7.11.11生まれ)
S30.12.-S35.8?. 北海道山越郡長万部町 2期
川村 留治さん(47)
S41.2.-S60.10?. 北海道寿都郡寿都町 5期

吉田 角三さん(32)
S22.4.-S30.4?. 北海道久遠郡久遠村 2期

安井 吉典さん(32)
S22.4.-S34.4. 北海道上川郡東神楽村 3期

安達 利淳さん(39)
S22.4.-S33.3.31 北海道上川郡當麻村 3期
安達 利淳さん(50?)
S33.4.1-S46.4. 北海道上川郡当麻町 4期
通算6期。3期目の途中(S33.4.1)に改称/町制施行。

広井 彌平次さん(37)
S22.4.-S23 北海道上川郡上川村 1期

西尾 六七さん(37)
S22.4.-S32 北海道中川郡美深町 5期

斉藤 吉平さん(38)
S22.4.-S34.4. 北海道中川郡中川町 3期

渡部 賢次郎さん(39)
S22.4.-S34.4. 北海道苫前郡羽幌町 3期

山川 博さん(39)
S26.4.-S38.4. 北海道枝幸郡歌登町 3期

佐野 清さん(34)
S32.11.2-S36.11. 北海道利尻郡利尻町 2期

太田 新助さん(39)
S22.4.5-S31.9. 北海道利尻郡鬼脇村 3期

山内 正雄さん(37)
S30.4.-S54.4. 北海道網走郡美幌町 6期

阿部 重美さん(34)
S23.6.-S24.12.31 北海道常呂郡置戸村 1期
阿部 重美さん(35?36?)
S25.1.1-S43.5.29 北海道常呂郡置戸町 5期
通算5期。1期目の途中(S25.1.1)に町制施行。

桐山 修さん(38)
S23.4.-S24.4. 北海道常呂郡若佐村 1期

越前 修吉さん(34)
S30.4.-S57.4.20 北海道紋別郡丸瀬布町 7期

吉田 三伊さん(39)
S22.4.-S54.4. 北海道網走郡東藻琴村 8期

西尾 敏幸さん(38)(S27.12.31生まれ)
H3.5.-H13.2.2 北海道河東郡上士幌町 3期

加藤 利彦さん(35)
S22.4.-S26.4. 北海道河西郡御影村 1期

村上 琢夫さん(37)
S45.4.-S51.6. 北海道広尾郡広尾町 3期

小林 弘道さん(39)
S42.4.-S58.4. 北海道足寄郡足寄町 4期

本間 道男さん(38)
S46.4-S58.4. 北海道十勝郡浦幌町 3期

泉 重さん(31)
S22.4.-S29.12. 北海道釧路郡釧路村(旧) 2期
泉 重さん(39)
S30.2.1-S45.10.10 北海道釧路郡釧路村 4期

加藤 正一さん(35)
S22.4.5-S26.4. 北海道釧路郡昆布森村 1期

高橋 睦さん(33)(T6.12.30生まれ)
S26.4.-S29.12. 北海道釧路郡昆布森村 1期
高橋 睦さん(52)
S45.11.14-S55.3.31 北海道釧路郡釧路村 3期
高橋 睦さん(62)
S55.4.1-H2.11.13 北海道釧路郡釧路町 3期
通算5期。実の兄の泉重さんの後を継いで村長となり、3期目の途中(S55.4.1)に町制施行。

横田 俊夫さん(38)
S23.4.-S24.12.31 北海道標津郡中標津村 1期
横田 俊夫さん(39?40?)
S25.1.1-S31.4. 北海道標津郡中標津町 2期
通算2期。1期目の途中(S25.1.1)に町制施行。

尾崎 豊さん(37)(T8.1.31生まれ)
S31.4.-S45.6?. 北海道標津郡中標津町 4期

参照:北海道選挙管理委員会中のデータ(エクセルファイル)、新十津川町HP釧路町HP、自治タイムス社行政選挙情報
[87632] 2015年 5月 1日(金)18:59:56【1】むっくん さん
若年で当選した首長
[87624]白桃さん
行方八段と言えば、青森県出身の初の棋士として将棋ファンには知られています。
行方八段の師匠である大山康晴十五世名人は、青森県上北郡百石町(現在のおいらせ町)在住の中戸俊洋さんの将棋普及熱に押されて、たびたび同町に将棋普及に訪れました。この事が同町を動かし、S61には同町で全国将棋まつりが開催されました。
その時の青森県上北郡百石町の町長をされていたのが、三村 輝文(みむら きぶん)さん(この後S62.4.12に県議会議員となられる)で、この時、町長として最後の任期となる5期目でした。
現代日本人名鑑2002-4(な~わ)(編・発行:日外アソシエーツ株式会社、2002.1.28)によりますと、S42に初当選で5期、S5.5.5生まれとありますので、初当選は36歳もしくは37歳です。

その長男の三村 申吾(みむら しんご)さんは、S31.4.16生まれでH4.2.2の選挙にて、35歳で百石町の町長に初当選(1期4年)されました。後に衆議院議員を1期(H12.6.25の選挙にて初当選)、青森県知事を3期(H15.6.29の選挙にて初当選、現職)されています。
参照:三村申吾HP、青森県選挙管理委員会
このお二人は、若年で当選した首長の一覧に未記載です。

[87595]グリグリさん
更新された若年で当選した首長の一覧を見ていると、現職の方が一人記載されていないことに気づきました。
その方は、北海道余市郡仁木町の町長をされている佐藤 聖一郎さんで現在39歳です。S50.10.2生まれで、37歳でH25.4.に初当選され、現在1期目です。

続いて、記載されていることの追加情報です。
滋賀県滋賀郡下阪本村での山田 耕三郎さんの首長の就任日はS22.4.9でした。
参照:滋賀県市町村沿革史第2巻(編・出版:滋賀県市町村沿革史編さん委員会、1967)

京都府船井郡園部町での野中 廣務さん(正しくは旧字体のようです)の首長の就任日はS33.11.30でした。
参照:園部町町勢要覧資料編(発行:園部町、2000.6.)

渡辺 栄一さんの就任日の年号は平成ではなくて、昭和です。

山内 堯文さんの最初の首長は久慈市ではなくて、九戸郡久慈町ではないでしょうか。久慈市成立はS29です。

田平 藤一さんの鹿児島県鹿屋市の市長就任日はS22.4.2ではありません。
第一回統一地方選における全ての市町村と東京22区の首長選挙では、S22.4.5投票、翌日朝の8時から開票(鹿児島県の十島村のように一部町村では即日開票という例外はある)、S22.4.15決戦投票というスケジュールが決まっていました。鹿屋市の場合、最初の開票で首長が決まったので、就任日はS22.4.7?-S22.4.14の間の何れかの日となるはずです。
参照:朝日新聞大阪本社版S22.4.4-S22.4.8
[87287] 2015年 2月 13日(金)22:55:50むっくん さん
Re:戦国市盗り合戦
[87286]デスクトップ鉄さん

早速拝見させていただきました。
北九州市が高知県所属となっていますので、修正をお願いします。
[87118] 2015年 1月 14日(水)12:12:17むっくん さん
三重県、滋賀県、大阪府の地図
[87108]グリグリさん
京都府の地図を確認しました。
確認時に気付いたのですが、上京区役所の位置は京都府の地図のみならず、三重県の地図滋賀県の地図大阪府の地図にも載っているため、こちらの方の修正も必要となります。
[87101] 2015年 1月 13日(火)14:21:57むっくん さん
京都府の地図
[85725]グリグリさん
以前、[85723]で記載した上京区役所ですが、本日、仮庁舎から元の位置に出来た新庁舎に移転しました。京都府の地図でも再度の修正が必要となります。

参考:上京区役所
[86811] 2014年 12月 20日(土)13:59:59【1】むっくん さん
名古屋市の区の分割
[86793]倉田昆布 さん
[86796]N さん
[86798]伊豆之国 さん
[86801]ペーロケ さん
[86802]デスクトップ鉄さん
熊本市では小学校区に沿って行政区が分けられたとのことですが、それ以外の理由で行政区が定められたところがありました。
それは、昭和19年2月11日の名古屋市の区の分割です。

昭和19年当時、行政区と警察の管轄区域が異なっていました。ところが戦争遂行に不都合という理由で、警察の所轄の管轄区域を行政区の区域とする、ということで、区の分割が為されました。
[86687] 2014年 11月 17日(月)21:45:05【3】むっくん さん
問5の伏見市役所の位置
[86685]グリグリさん
私が図書館で調べた限りでは、伏見市役所の位置は京都府伏見市字 板橋二丁目五八七、六一〇番地、御駕籠九一、九五番地でした。
現在の住所では京都府京都市伏見区御駕籠町91で、京都市伏見板橋児童館があります。

当時の住所を追記。(11/18 13:14)
[86677] 2014年 11月 16日(日)12:38:10【2】むっくん さん
Re2:市区町村変遷履歴情報の更新について
[86631]ekinenpyouさん
[86602][86617]グリグリさん
ekinenpyouさん、初めまして。
私も市区町村変遷情報に対し多数の訂正すべき点を書いてきました。そして官報の広告についてもは一通り見てました。
ただ、基本的には官報広告は法的な根拠ではないため、これに基づいた指摘は今までしてきませんでした。
そこで今回のekinenpyouさんのご指摘に併せ、数点の気付いた所と、法的な根拠と官報広告の位置付けについて書いてみます。

まずは法的根拠について私の把握しているところを書き、その後、訂正すべきところを書きます。
#以下は私が調べた限りですが、不確かなところも多々あります。

----------------------------
最初は法的根拠についてです。
(A)内務省成立(M6.11.10)から郡区町村編成法交付以前(M11.7.21)まで
(1)各町村から府県知事に廃置分合や改称や境界変更の具申。
(2)府県知事が認めた場合に限り、内務省に理由書を添えて廃置分合や改称や境界変更の具申。
(3)内務省が具申を認めた時、内務省から府県知事宛に、許可した旨の文書を送付。
(4)府県知事がこれを実行し、後日に内務省布達に掲載される。

(B)郡区町村編成法交付(M11.7.22)から市制町村制施行以前(M22)
(1)各町村から府県知事に廃置分合や改称や境界変更の具申。
(2)府県知事が認めた場合に限り、内務省に理由書を添えて廃置分合や改称や境界変更の具申。
(3)内務省が具申を認めた時、内務省から府県知事宛に、許可した旨の文書を送付。
(4)府県知事が地方行政処分規定に基づき、この旨を記載した府県布達(後に府県令や府県告示に)を発布し、実行。
♯M12.10.8に地方行政処分規定(PDF)は改正されて、郡変更及び国変更は府県布達ではなくて国の布達に依るとされた。しかしながらM13.5.29の滋賀県の浅井郡の分割では適用されず(滋賀県甲第61号布達(M13.5.29))、初めて適用されたのはM16.6.4の宮崎県宮崎県諸県郡が鹿児島県南諸県郡、宮崎県北諸県郡へと分割された時である(太政官布告第19号(M16.6.4))。

(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
(1)各市町村が府県知事に廃置分合や改称や境界変更につき、議会で議決し、市町村長が府県知事に具申。
(2)府県知事が認めた場合に限り、府県知事より内務省に理由書を添えて廃置分合や改称や境界変更の具申。
(3)内務省が具申を認めた時、内務省から府県知事宛に、当該具申を許可した旨の文書を送付。
(4)府県知事が地方行政処分規定に基づき、この旨を記載した府県令(府県告示)を発布し、実行。但し、市の新設及び廃止に関係するもの、郡変更及び国変更は府県令(府県告示)ではなくて国の法律に依る。

(C-ア)廃置分合や改称や境界変更をした場合には、関係市町村は国の省庁に報告しなければならなかったが、陸軍省についてはM26より、司法省についてはM27より官報の広告欄に記載することでその代わりとすることが出来るようになる。しかしながら、実際にはあまり使われておらず、各道庁府県は積極的に用いることになったのは、M44とT元の内務省から通達が為された後ある。
[80557]拙稿も参照のこと。
♯(C-ウ)の権限移譲の後は、内務省も各道庁府県に対し、官報広告にて事後の報告することを求めるようになった(当然の事であるが、官報広告欄の記載はあくまでも報告であり、法的な根拠ではない)。
♯S22.5.3~S27.8.31において、法的効力を発生させない総理庁告示と総理府告示があるのは、この官報広告の趣旨と同じと考えられる。

(C-イ)市町村の廃置分合や改称に関しては期日を記すことにする旨の通達がM36に内務省から各府県に対して為される。(府県によって通達が為された日付に一月程度の差がある。)
#以下の通達は和歌山県宛のもの。
市町村ノ廃置分合改称等ノ件許可稟請ニ関スル件
明治三十六年十二月二十一日
内一第五百二十七号通牒
内務部長ヨリ〔各郡〕市長宛
市町村ノ廃置分合改称等ノ件許可稟請ノ際ハ其施行期日書中ニ記載セラレ度旨今般其筋ヨリ通牒有之候此段及通牒候也

(C-ウ)村が町になることの権限を内務大臣のみならず、道庁府県知事も所持することになる。
#T元に勅令で為されたと記憶していたが、該当する勅令を見つけられなかった。実は私の記憶に誤りがあり、勅令でなかった可能性もある。

(C-エ)村から町になった旨の公告が、府県告示でなくて、各村の告示でもよくなる。
#(C-ウ)との関連があると考えられるが詳細は不明。早くても市制町村制が全面改正されたM44.10.1以降であると推測。
#この一事例が奈良県の王寺村の町制施行
町制施行の件
大正14年11月3日王寺村会議決
大正14年12月25日奈良県指令庶第7128号奈良県知事許可
大正15年1月11日王寺村告示第2号
王寺村ヲ王寺町ト為シ大正15年2月11日ヨリ施行ス
右告示ス


(C-オ)自治体名を改称した時の公告が、府県告示でなくて、各市町村の条例になる。
#明治後半~昭和1ケタ台のどこかと推測。

(D)地方自治法施行(S22.5.3)~S27.8.31
(1)各市町村が府県知事に廃置分合や改称や境界変更につき、議会で議決し、市町村長が都道府県知事に具申。
(2)都道府県知事が認めた場合、都道府県知事より内務省(S23.1.1以降は総理庁、S24.6.1以降は総理府)に理由書を添えて廃置分合や改称や境界変更の具申。
(3)市の新設及び廃止に関係するものは内務省告示(S23.1.1以降は総理庁告示、S24.6.1以降は総理府告示)によって、町村の郡変更に関係するものはS23.1.1-S24.6.30は総理庁告示によってS24.6.1以降は総理府告示によって、自治体名の改称については条例によって、それ以外については各都道府県の告示(各都道府県公報に記載)によって、法的効力が生じるようになる。
♯村から町になった旨の公告が、府県告示に限定される。
♯(3)については従前は内部規定であったのが、地方自治法施行以後は立憲主義に基づく法律上の手続きの一環となる。
[83614]拙稿も参照のこと。

(E)S27.9.1~現在
(1)各市町村が府県知事に廃置分合や改称や境界変更につき、議会で議決し、市町村長が都道府県知事に具申。
(2)都道府県知事が認めた場合、都道府県知事より総理府(S35.7.1以降は自治省、H13.1.6以降は総務省)に理由書を添えて廃置分合や改称や境界変更の具申。
(3)廃置分合や境界変更、そして町村の郡変更において、国が官報に告示として掲載することで法的効力が生じるようになる。自治体名を改称した時場合については各市町村の条例で法的効力が生じる。

----------------------------
続いて、訂正すべき箇所についてです。

まずは、都道府県告示と官報広告の記載内容に差異がある箇所です。こちらにつきましては、私の把握している限りでは二箇所あります。
都道府県告示に関しましては廃置分合等に関して内部規定で定められているのに対し、官報広告に対しましては単に国等への報告等として用いられるに過ぎないため、両者に差異がある場合は、前者の記載を採用するのが適当であると考えられます。

差異がある所の一箇所目は三重県の
35 1912(T1).11.10 町制 三重郡富田町 三重郡 富田村
で、二箇所目は大阪府の
112 1937(S12).2.21 新設 泉南郡春木町 泉南郡 八木村, 春木町
です。

三重県の事例では
三重県公報(大正元年11月8日第28号)(PDF)1コマの
三重県告示第124号(T元.11.8)
大正元年十一月十日以後富田村を富田町と為すの件許可したり
大正元年十一月八日 三重県知事 久保田政周
官報第八六号(大正元年十一月十二日)
○町村変更
三重郡富田村を富田町と為すの件本月六日許可せり
大正元年十一月 三重県
とあり、三重県告示と官報広告で町制施行日が異なっています。
上述した通り三重県告示の記述を採用することが適当であると考えられ、現状のままで問題がありません。

大阪府の事例では
大阪府公報昭和12年2月9日号外p21
大阪府告示第164号の2
泉南郡春木町及八木村を廃し其の区域を以て春木町設置並に之に伴ふ財産及負債処分の件左の通定め昭和十二年二月十一日より之を施行す
昭和十二年二月九日 大阪府知事 安井英二
一、泉南郡春木町及八木村を廃し其の区域を以て春木町を設置す
(略)
官報第三〇四〇号(昭和十二年二月二十三日)
○町村廃置
泉南郡八木村及春木町を廃し其区域を以て春木町を設置し本月二十一日より施行せり
昭和十二年二月 大阪府
とあり、大阪府告示と官報広告で町制施行日が異なっています。
上述した通り大阪府告示の記述を採用することが適当であると考えられるために、
112 1937(S12).2.21 新設 泉南郡春木町 泉南郡 八木村, 春木町
の新設合併の期日を1937(S12).2.21より従前の1937(S12).2.11に戻す修正が必要になります。

次に宮崎県の
40 1948(S23).5.2 町制 北諸県郡三股町 北諸県郡 三股村
については、町制施行日はS23.5.3であったという訂正が官報にて後日に為されたことを88さんのみならず、私も以前確認しています。そのため、官報では
総理庁告示第112号(S23.6.2)
総理廳告示第百十二号
村を町とする処分
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年五月二日から、宮崎縣北諸県郡三股村を三股町とする旨、宮崎縣知事から届出があつた。
昭和二十三年六月二日 内閣総理大臣 芦田均
とありますが、三股町例規集では
総理庁告示第112号(S23.6.2)
村を町とする処分地方自治法第8条第3項の規定により昭和23年5月3日から宮崎県北諸県郡三股村を三股町とする旨宮崎県知事から届出があった。
となっています。
ゆえに、今回の訂正(町制施行日は1948(S23).5.2)を取り消して以前の記載(町制施行日は1948(S23).5.3)であるに戻す必要があるものと思われます。

次に岩手県の
#18 1928(S3).10.1 町制/改称 稗貫郡石鳥谷町 稗貫郡 好地村
ですが、リンク先を見る限りでは変更種別は町制/改称ではなく改称/町制の方が良いものと考えられます。

最後に別件です。
本稿を書いている際に見つけたのですが、愛媛県の
44 1922(T11).1.1 町制 東宇和郡野村町 東宇和郡 野村
の種別は町制ではなくて町制/改称となります。
参考:内務省地方局行政課が大正3年から昭和18年にかけて作成した市制町村制例規(一)(PDF)129-131コマ
[85795] 2014年 7月 5日(土)12:06:10むっくん さん
祇園祭
[85784]hmtさん
例年のパターンにより 7月1日頃の EMM さん から連想したのは、夏の行事1関連でした。
夏の行事1関連と言えば、祇園祭。
今年は1965年を最後に前祭(さきまつり)に統一されてしまっていた後祭(あとまつり)が49年ぶりに復活します。『後の祭り』の語源とされているものです。そして、1864年の蛤御門の変で焼失した大船鉾が150年ぶりに復活しますね。
参考:京都新聞
[85727] 2014年 6月 15日(日)12:18:03むっくん さん
沖大東島
[85717] hmt さん
沖大東島の所属について、以前[69564] 拙稿にて法的根拠について記載していますので再度紹介します。
-------------
沖縄民政府告示第4号の1
琉球列島米国軍政府の命に依り大東島を沖縄民政府行政区域に編入し左村を設置す
1946年6月12日 沖縄知事 志喜屋孝信
南大東村
北大東村(沖大東島を含む)
-------------
これによりますと、北大東村の発足時より、沖大東島も北大東村の一部であったことがわかります。
[85723] 2014年 6月 15日(日)00:08:30むっくん さん
京都府の地図と福岡県芦屋町
[85716] グリグリさん
京都府の地図を拝見しました。左京区役所は平成23年5月に松ヶ崎に移転しました。また、上京区役所は平成24年9月に西陣に仮移転しています。これらが反映されていないようです。


[85710] 白桃 さん
福岡県芦屋町の話題を出されたのはてっきり町制103周年を祝ってのことかと思いましたが、書き込みされた日付をよく見てみると町制103周年の一日前でした。
芦屋町町制はM24.6.10に福岡県告示第46号で為されましたので、この反映をよろしくお願い申し上げます。>グリグリさん
[85669] 2014年 5月 31日(土)12:31:13【2】むっくん さん
読みずらい自治体名
[85657]グリグリさん
私にとって読みずらいと思う自治体名を以下にあげます。

(1)読みが省略される自治体名
e.g. 鹿児島県の中種子町(なかたねちょう)及び南種子町(みなみたねちょう)
実際、私は読めませんでした。

(2)自身にとって既知の自治体名と読みが異なる自治体名
e.g. 富山県の滑川市(なめりかわし)と埼玉県の滑川町(なめがわまち)
私には滑川市の読みが既知であったがために、後者は読めませんでした。グリグリさんが挙げておられる中では北海道の松前町(まつまえちょう)と愛媛県の松前町(まさきちょう)もこれにあたります。[85662]にて白桃さんも書かれておられますが。

(3)濁点の有無で判断に迷う自治体名
e.g. 滋賀県の甲賀市(こうかし)及び米原市(まいばらし)
[85664]伊豆之国さんが書かれておられる、滋賀県の甲賀市や米原市などは多くの方が間違うところで、私も落書き帳に出会う以前は間違っていました。京都市の西京区(にしきょうく)([54884]たもっちさん)も多くの方が間違うと思います。

(4)合成地名や当て字などである自治体名
e.g. 茨城県の小美玉市(おみたまし)
予備知識なしでは、確証を持っては読めないと思います。グリグリさんが挙げておられる中では三重県の木曽岬町(きそさきちょう)もこの一例かもしれません。

余談ですが、私が東京都で読めなかった唯一の自治体名が昭島市(あきしまし)です。
[85294] 2014年 4月 19日(土)15:16:30むっくん さん
地名の読み(京都の場合)
[85293]みかちゅうさん

地名の読みというのは難しいもので、地名の読みとバス停等の読みが異なるところも少なくないです。

京都ですと、一番有名なのが「七条」の読み方です。
生粋の京都人は「ひっちょう」と読んでいますが、私のような一般的な関西の人は「ななじょう」と読んでいます。ところが関西の人間でも京阪電車沿線住民は「しちじょう」と読みます。

このことにつき、昨年2月に京都新聞で紹介されていた記事を以下に紹介します。

七条の読み方、「しちじょう」「ななじょう」どっち?
 京都市交通局は市バス停留所名の「七条」の読み方を、一般的な「しちじょう」ではなく「ななじょう」とする説明をホームページ(HP)に載せた。乗客が「四条」「一条」と間違わないように、車内放送は「ななじょう」を使っており、HPの読み仮名検索で時刻表を調べる際の混乱を防ぐためだが、文化人からは「『ななじょう』では風情がない」との異論も聞かれる。

 説明は、市交通局HPのトップページ最下部に昨年8月から掲載されている。車内放送は市電時代から「ななじょう」だが、バス停の読み仮名検索の利用者から「『しちじょう』で調べたが見つからない」と苦情が寄せられた。スマートフォン(多機能携帯電話)の普及で検索利用が一層増えると予想され、注意書きの説明を載せることにした。

 京阪電気鉄道の七条駅や七条小、昨年4月に廃止された七条署の読み方は、いずれも「しちじょう」。ただ、国立国語研究所(東京都)によると、地名の読み方に公的な定めはなく、「しちじょう」が正しいという訳ではないという。

 利便性は大事だが、情調がうせては「京都見物が台なし」-。

 作家の故丸谷才一さんは「丸谷才一の日本語相談」(朝日文芸文庫)で、市バスの車内放送について答えている。重要文化財・杉本家住宅(下京区)当主の杉本秀太郎さん(82)に聞いた話として、京言葉では七条を四条や一条と区別するために「ひっちょう」と言うと紹介した上で、車内放送への採用を提案し、「市バスに乗った旅行者は、ああ京都に来たなあと満足するでせう」と結ぶ。

 「ひっちょう」を教えた杉本さんも「丸谷さんに同感。旅人は、その土地に伝わる言葉に触れたいでしょう」と話す。

京都新聞では前述のように紹介していますが、実際のところ、京都市内でも中心部にあまり縁のない若い世代を中心に「ななじょう」が拡がりつつあります。
[85250] 2014年 4月 8日(火)18:26:03【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(群馬県と埼玉県)
[85243]YTさん

(1) 群馬県北甘楽郡小幡町の町制実施の年月日 (群馬県#25)
以前群馬県市町村課にメールで
官報第三八〇八号(大正十四年五月五日)では
○町村変更
北甘楽郡小幡村を小幡町と為すの件許可し本月十日より施行す
大正十四年五月 群馬県
とあることより、群馬県北甘楽郡小幡村の町制実施は1926(T15).5.10ではなくて1925(T14).5.10ではないか
と問い合わせをしたことがあります。その際に
「大正14年5月10日」が正しい
との回答を頂きました。市区町村変遷情報では
#25 1926(T15).5.10 町制 北甘楽郡小幡町 北甘楽郡 小幡村
とありますが、正しくは
#25 1925(T14).5.10 町制 北甘楽郡小幡町 北甘楽郡 小幡村
となります。


また、その際に碓氷郡川間村の改称された年月日についても尋ね、
明治23年県令第18号を確認したところ、
・碓氷郡臼井村を臼井町
・同  川間村を八幡村
・北甘楽郡坂牧村を小坂村
に改称するとされており、同年3月1日でなく3月11日発出でした。
 よって、八幡村への改称日は「明治23年3月11日」が正しい表記でした。
 また、併せて臼井町の町政施行、坂牧村・小坂村に係る改称の日付「明治23年3月1日」も「11日」が正しい表記と判明しました。
との回答を頂きました。
つまりは市区町村変遷情報では
#1 1889(M22).12.22 改称 碓氷郡八幡村 碓氷郡 川間村
#2 1890(M23).3.1 町制 碓氷郡臼井町 碓氷郡 臼井村
#3 1890(M23).3.1 改称 北甘楽郡小坂村 北甘楽郡 坂牧村
とあるところでの年月日がいずれも誤っており、正しくは
#1 1890(M23).3.11 改称 碓氷郡八幡村 碓氷郡 川間村
#2 1890(M23).3.11 町制 碓氷郡臼井町 碓氷郡 臼井村
#3 1890(M23).3.11 改称 北甘楽郡小坂村 北甘楽郡 坂牧村
となります。


(2) 埼玉県大里郡久下村の分割編入 (埼玉県#64)
この根拠は埼玉県告示第253号(熊谷市並ニ吹上町ニ編入スル町村区域ノ件)(S16.4.8)で
市制第4条第1項、町村制第3条第1項ニ依リ昭和16年4月10日ヨリ大里郡玉井村、大麻生村、久下村ヲ廃シ玉井村、大麻生村ノ区域及久下村ノ区域中大字新川ノ区域及大字久下字熊久、字古城、字鎮守、字上分、字下分、字横柳、字大曲ノ区域及字内荊原ノ区域ノ内左ノ土地及之ニ介在スル道路、水路、河川、堤塘ヲ含ム区域ヲ熊谷市ニ久下村大字久下字外荊原ノ区域及字内荊原ノ区域ノ内左ノ土地及之ニ介在スル道路、水路、河川、堤塘ヲ含ム区域ヲ北足立郡吹上町ニ編入ス
昭和16年4月8日

大字 字   地番  地目 地積
              反
久下 内荊原 86ノ1 田  、307
同  同   87ノ1 田  、210
同  同   88ノ1 田  、223
同  同   89ノ1 畑  、3
同  同   90ノ1 畑  、13
同  同   90ノ2 田  、21
同  同   91   田  、824
同  同   92   田  、913
同  同   94ノ1 畑  、109
同  同   95ノ1 田  、218
同  同   96   田  、929
同  同   97ノ1 畑  、110
同  同   97ノ2 田  、23
同  同   98   田  、818
同  同   99ノ1 畑  、225
同  同   99ノ2 田  、112
同  同   100ノ1 田  、411
同  同   101ノ1 田  、512

同区域内ニ介在セル道路、水路、堤塘、河川
上記埼玉県熊谷市ニ編入ス

大字 字   地番 地目 地積
             反
久下 内荊原 1ノ1 田  、418
他 112件 省略

同区域内ニ介在セル道路、水路、河川、堤塘
上記北足立郡吹上町ニ編入ス
とあります。

省略されてしまったところの詳細に付きましては、官報第四二七九号(昭和十六年四月十五日)に記載があります。
○村廃止町区域変更
市制第四条及町村制第三条に依り本月一日より本月十日より大里郡玉井村、大麻生村、久下村を廃し、玉井村、大麻生村の区域及久下村の区域中大字新川の区域及久下村大字久下字熊久、字古城、字鎮守、字上分、字下分、字横柳、字大曲の区域及字内荊原の区域の内左の土地に介在する道路、水路、河川、堤塘を含む区域を熊谷市に、久下村大字久下字荊原の区域及字内荊原の区域の内左の土地及之に介在する道路、水路、河川、堤塘を含む区域を北足立郡吹上町に編入せり
昭和十六年四月 埼玉県
(後略)
現在、市区町村変遷情報では
#64 1941(S16).4.10 編入 熊谷市 熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村
とありますが、正しくは
# 1941(S16).4.10 編入 熊谷市 熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村(本)
# 1941(S16).4.10 編入 北足立郡吹上町 北足立郡 吹上町, 大里郡 久下村(微)
とすべきものであると考えられます。
[85145] 2014年 3月 1日(土)14:04:07【2】むっくん さん
JR西日本の路線の愛称、電車の行先の案内方法
[85142]hmt さん
しかし、米原よりも西側では 乗客への案内に「東海道本線」が使われていない としたら、かなりの大問題だと思います。
(中略)
これでは、若い世代は「東海道本線? 知らない。」ということにならないでしょうか?
[85143]ペーロケ さん
鉄な方には大問題と思われるでしょうが、関西地区は路線名が地域の実態を必ずしも反映していないと感じていましたので、一般市民には大した問題とは思いません。
(中略)
ただ、愛称は公募で決められたのでしょうが、京都線、神戸線、宝塚線は阪急とかぶっており、紛らわしいですね。
愛称が定められた当時、一般の人が大阪から京都、神戸、宝塚へ向かうために利用する手段としては、筆頭に阪急、場所によっては阪神と京阪が考えられ、国鉄から民営化されたばかりのJR西日本はあまり選択肢として考えられていませんでした。

その主たる理由としては三つ考えられます。
一つ目としては、大手私鉄の方がJR西日本よりも値段が安く、かつ高頻度で運行が為されていることです。
二つ目としては、JR西日本(国鉄)は長距離移動するための手段でしかないという考えです。
三つ目は行き先が明示的な大手私鉄とは異なり、JR西日本の通勤電車は行き先が非明示的で、どこに向かって走っているのかが多くの人に知られていないということです。

最後の理由とされていることを解消する一環として愛称が定められたのですが、JR京都線、JR神戸線、JR宝塚線に関しては阪急と同じにすることで、一般の人にもどこにむかって通勤電車が走るのかが分かるようになるという効果をもたらしました(おそらく意図的に阪急の路線名と同じにしたものであると思います)。
このことは現在でも相当に意識されており、21世紀に入ってからでも電車の行先案内が改善され、『神戸方面網干行』とか『京都方面長浜行』等として電車の案内がなされています。
#万人に知られている地名は、せいぜい京都、大阪、神戸程度でして、現に私自身も『この電車は姫路に行きますか』と駅員に尋ねている人に出くわしていたりします。
#愛称により路線名が死語化したのは片町線ぐらいでしょう。
[85122] 2014年 2月 21日(金)12:32:33むっくん さん
市区町村変遷情報(高知県)(続編)
[84199]グリグリさん

以前[84181]拙稿にて
高知県での町村廃置分合を記載した県令第30号(M22.3.4)の実物を参照できないので確たることは言えないのですが、高知県においても、市制町村制施行のM22(1889).4.1に先立つM22(1889).3.31に廃置分合が行われたと考えられるのではないでしょうか。
と書きました。

今回県令第30号(M22.3.4)を見付けました。そこでは確かに
高知県令第三十号 明治廿二年三月四日
本園三月三十一日ヨリ県下各町村ノ内分合名称別紙之通相定ム

(別紙)
土佐郡高知
 追手筋
(後略)
とありました。

高知県においても、市制町村制施行のM22(1889).4.1に先立つM22(1889).3.31に廃置分合が行われたことが明白となりましたので、市区町村変遷情報(市制町村制施行時の情報)(高知県)への反映、そして市区町村変遷情報での説明文
市制町村制施行時の情報には、市制町村制施行直前に行われた、1889年(明治22年)3月1日の静岡県での廃置分合等、並びに、1889年(明治22年)3月31日の宮城県、茨城県、千葉県および神奈川県4県での廃置分合等についても、市制町村制施行と不可分の情報であることから、一覧に加えています(落書き帳記事[78760]参照)。
の更新をよろしくお願いします。

ただし、高知市に限りましては[84184]hmtさんにありますように
静岡市に関する彙報を参照して読めば、前日の合併で形成されたのは「高知市(となるべき)区域」であり、「高知市」そのものではないのでしょう。水戸上市・水戸下市から市制前日に作られた「水戸」のように、「市」を付けずに呼んだ方が間違いないと思います。
として置くのがよいものと考えられます。

#この県令第30号は、掲載されている高知県処務提要(上巻)(編・出版:桧垣直枝、M35.5.__)の序文によりますと、明治34年10月1日までの廃置分合が反映されているとのことです。また、県令第30号の後半部は欠落しています。
[85102] 2014年 2月 16日(日)15:43:11【7】むっくん さん
小笠原村、大潟村、郡築村、 藤田村、南大東村、北大東村
[85087]hmtさん
両者は、地方制度の観点からして、同一視して論じるべき対象ではないでしょう。
確かに姫路市と同一視することは適当ではありませんでした。
hmtさんの考えでは小笠原村(と大潟村)は地方自治法の例外を定めた特別法に基づくために特殊であるとされています。しかしながら特殊であることの本質としては、単に、新に自治制度が始まったからと言えるのではないでしょうか。

私はそもそも現在、小笠原村(東京都)大潟村(秋田県)の2村、そしてhmtさんのあげられなかった郡築村(熊本県)藤田村(岡山県)南大東村(沖縄県)北大東村(沖縄県)の4村、合計6村が市区町村変遷履歴情報の都道府県別一覧の方に記載されていることが問題であると考えます。
これら6村は新に自治制度が始まったのですから、例えば郡築村(熊本県)は市区町村変遷履歴情報の都道府県別一覧(熊本県)ではなくて市区町村変遷履歴情報の市制町村制施行時(熊本県)へと、藤田村(岡山県)は市区町村変遷履歴情報の都道府県別一覧(岡山県)から市区町村変遷履歴情報の市制町村制施行時(岡山県)へと、そして後の4村(小笠原村、大潟村、南大東村、北大東村)も同様に記載する箇所を変更すべきなのではないでしょうか。

記載する箇所がおかしいことが、小笠原村のような特殊な場合において、もっと血の通った変遷情報を、と考えさせる最大の要因であるのでしょう。

訂正
【4】姫路市がらみの書き込みを全面訂正(2/16 16:39)
【5】追記(2/16 16:52)
【6】最初と最後の段落の全面訂正(2/17)
【7】特殊であることの本質を追記(2/17)
[85084] 2014年 2月 11日(火)14:08:11【1】むっくん さん
1968年の小笠原村の記載について
[85081]hmtさん
返還に伴う 1968年の 小笠原村設置は、既に 変遷情報 に記録されています。
そこでは、変更種別: 村制 となっているのですが、村長も村議会もない設置当初の小笠原村には、「村制」つまり「村の自治制度」に値するものは 存在しなかった と考えます。「村制」に代えて単なる「設置」にとどめておくのは、いかがでしょうか。
(中略)
そして、村長と村議会議員との選挙が行なわれ、本当の「変更種別 村制」が実現した 1979年4月22日。
現在は、1968年の記録 詳細欄の末尾に書き加えられているだけですが、これは独立の変遷履歴として記録すべきではないでしょうか。
hmtさんが書かれておられることはまさしくその通りだと思いますが、果たして小笠原村が稀有な事例なのでしょうか。
例えば姫路市は明治22年4月1日に成立しました。[85081]hmtさんの記載をまねて記しまと、以下のようになります。
--------------------------
そこでは、変更種別: 新設/市制 となっているのですが、市長も市議会もない設置当初の姫路市には、「市制」つまり「市の自治制度」に値するものは 存在しなかった と考えます。「新設/市制」に代えて単に「新設/市設置」にとどめておくのは、いかがでしょうか。
そして、市会議員の選挙があったのが明治22年6月14日で、初代市長である有留清氏が就任したのは明治22年7月2日。本当の「変更種別 新設/市制」が実現した 明治22年7月2日。
現在は、明治22年4月1日の記録のみが書かれているだけですが、本当の「変更種別 新設/市制」が実現した 明治22年7月2日も独立の変遷履歴として記録すべきではないでしょうか。
--------------------------
市制町村制が施行された当初では、姫路市のような事例はまさしく普通の存在です。
仮に小笠原村の事例をhmtさん御提案のように記載するならば、市制町村制が施行された当初の各市町村(e.g.姫路市)についても詳細な記載が必要となることになりますが、現実的には無理であると思います。

【追記】
1968年の記録では、「変更対象自治体名/変更内容」が父島, 母島, 硫黄島となっている点にも疑問があります[79266]
この3島は 既存の自治体ではないので、島名【というよりも列島名】を列挙して小笠原村が設置された地域を示したものと理解されます。しかし、それならば、聟島列島,南鳥島,沖ノ鳥島が記されていないのは片手落ちと思います。
「小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律」(昭和43年6月1日法律第83号)([53386]88さん)では
第四章 村の設置
(村の設置)
第十八条 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第五条第一項及び第七条第一項の規定にかかわらず、この法律の施行の日に、東京都に属する小笠原諸島の区域をもつて小笠原村を置く。
とあります。現在の記載は
158 1968(S43).6.26 村制 小笠原村 父島, 母島, 硫黄島
となっていますが、1896(M29).4.1の沖縄県5郡設置 の記載に倣い
158 1968(S43).6.26 村制 小笠原村 小笠原諸島 の区域をもって小笠原村を設置
とでも記載する方がより適切であるものと考えられます。
[85068] 2014年 2月 6日(木)18:32:12むっくん さん
府県を変更した町村 における根拠法令
[85062]hmtさん
埼玉県 1891(M24).6.15 府県変更 新座郡榑橋村 県境合併で東京府北豊島郡大泉村を新設 [62334]
現在の市区町村変遷情報での記載でも東京府北豊島郡大泉村の新設は1891(M24).6.15とありますが、正しくは1891(M24).6.9です。

東京市史稿(市街篇)第八十一(編・出版:東京都、H2.3.26)663頁によりますと、
東京府令第五十七号
東京府北豊島郡石神井村ノ内大字上土支田ト埼玉県新座郡榑橋村トヲ合併シ、大泉村ト称併シ、東京府北豊島郡ニ編入ス
右町村制第四条ニ依リ処分ス。
明治二十四年六月九日 東京府知事 侯爵 蜂須賀茂韶
とあります。
#これに対応する埼玉県側の法令は、埼玉県告示第38号(新座郡榑橋村東京府編入ノ件)(M24.6.9)です。

茨城県 1930(S5).7.1 府県変更 猿島郡新郷村 伊賀袋の大部分と立崎の一部が埼玉県北埼玉郡川辺村に編入される [78789]
これに対応する法令は、埼玉県告示第361号(茨城県猿島郡新郷村北埼玉郡川辺村ノ境界変更認可)(S5.6.25)です。
官報第一〇五五号(昭和五年七月七日)においても
○村界変更
町村制第三条に依り茨城縣猿島郡新郷村と埼玉縣北埼玉郡川邊村の境界を左の通変更し本月一日より施行せり
昭和五年七月 埼玉県
(略)
以上各筆の外渡良瀬川の中央より以西に於て茨城県猿島郡新郷村に属する地域の全部
右埼玉縣北埼玉郡川邊村に編入
とあります。
[85037] 2014年 1月 31日(金)18:34:55【2】むっくん さん
Re:新たな変更種別
[84986]グリグリさん
変遷情報における変更種別の新たな追加と表示形式を定義する必要があると考えています。
[85031]hmtさん
いっそのこと、法律用語から離れた、「郡転入」と「村転入」が、府県間移動を示すのに適しているかと思いました。
私もアイデアを出してみます。

本来の「郡変更」は、岩手県内で 二戸郡から岩手郡に移った安代町のようなケースだと思いますが、三多摩の場合、各町村の所属郡は変更されていません。([85031]hmtさん)
三多摩の場合、変わったのは所属郡ではなくて所属府県です。
そこで、「府県変更」(もしくは「県変更」)という言葉はどうでしょうか。

三多摩の一つである南多摩郡の場合での東京府の記載は
4 1893(M26).4.1 府県変更 南多摩郡 ○○町 神奈川県南多摩郡○○町
5 1893(M26).4.1 府県変更 南多摩郡が神奈川県から東京府に移管されたことに伴い 南多摩郡 八王子町, 由井村, 横山村, 浅川村, 元八王子村, 恩方村, 川口村, 加住村, 小宮村, 桑田村, 七生村, 由木村, 多摩村, 稲城村, 鶴川村, 南村, 忠生村, 町田村, 堺村, 日野宿 を東京府所属とする
となり、神奈川県の記載は
4 1893(M26).4.1 府県変更 東京府南多摩郡 ○○町 南多摩郡○○町
5 1893(M26).4.1 府県変更 南多摩郡が神奈川県から東京府に移管されたことに伴い 南多摩郡 八王子町, 由井村, 横山村, 浅川村, 元八王子村, 恩方村, 川口村, 加住村, 小宮村, 桑田村, 七生村, 由木村, 多摩村, 稲城村, 鶴川村, 南村, 忠生村, 町田村, 堺村, 日野宿 を東京府所属とする
となります。

北足立郡保谷村の場合での東京府の記載は
14 1907(M40).4.1 府県変更/郡変更 北多摩郡 保谷村 埼玉県 北足立郡 保谷村
となり、埼玉県の記載は
24 1907(M40).4.1 府県変更/郡変更 東京府北多摩郡 保谷村 北足立郡 保谷村
となります。
[84741] 2014年 1月 8日(水)18:25:40【2】むっくん さん
Re:変遷情報における対応漏れ対応(その1~その4)
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

[84595][84684][84685][84698]グリグリさん
なお、[78468]の後半から[78469]の東京市以外については対応済みと考えてよろしいですね。
これはご推察の通りです。
また、私の指摘箇所に付き、対応していただき有難うございました。ざっと一通り当方でも確認しました。

まず、対応漏れ及び誤修正は3箇所見つかりました。
M22.4.1京都市
●上京区第7組
笹屋町二丁目→笹屋町二丁目, 笹屋町三丁目
との修正が必要です。

M22.5.1東京市
●四谷区
元鮫河橋南町→元鮫ヶ橋南町
との修正が必要です。
●牛込区
市谷佐砂土原町二丁目→市谷佐土原町二丁目
との修正が必要です。

次に、[84570]グリグリさんにて表記の揺らぎに関する方針が定まりましたので、関連する箇所については本稿で記載することとします。

M22.5.1東京市
●下谷区
坂本村(本)→阪本村(本)
●浅草区
坂本村(微)→阪本村(微)
との修正が必要となります。
参考:府令第25号(PDF)(M22.4.11)3コマ、読売新聞に記載の府令第25号(このことに関するところはM22.4.12の1頁に記載)

これに関しましては[78466]拙稿の
(1)が一番信頼できるのではないかと考えられますので、(1)を最優先に採用しました。
を翻すこととなりました。


最後に馬込領桐ヶ谷村の表記の件です。
[78466]拙稿の(4)で紹介した、東京府に郡区町村編成法を施行するにあたった際の甲第49号布達(東京府大小区画ヲ廃シ区郡名称ヲ定ム附合併改称)(PDF)(M11.11.2)(1~41コマ)を改めて見てみますと、32コマに馬込領桐ヶ谷村とありました。
次に市制町村制施行時の廃置分合を見てみます。
[78468]拙稿で紹介した府令第25号(PDF)(M22.4.11)7コマでは「馬込領」は桐ヶ谷村の右肩に小さく記されていますが、読売新聞に記載の東京府令第25号(このことに関するところはM22.4.14の別冊1頁に記載)では、馬込領桐ヶ谷村と同一の文字の大きさで記載されています。

続いて法令面を見てみます。
郡区町村編成法施行下の東京府において、町村の合併もしくは改称が行われる際には、布達(M19.4.5までは甲号布達、M19.7.26までは布達)及び府令(M19.7.27以降)で公告されているようです。そして市制町村制施行時までに、東京府より馬込領桐ヶ谷村を桐ヶ谷村へと改称する旨の布達や府令は出されていないようです。
以上からは、確たることは言えないため、現状のままで保留としておくのが無難であると思います。
[84615] 2013年 12月 31日(火)12:56:02むっくん さん
山形県東村山郡高擶村など
[84612]YT さん
(1) 当初は「きへん」の「高ダマ村」が正式だった。
(2) ところがどういうわけか、昭和3年前後に、「てへん」の「高擶村」に改名するような事態があったらしい。
(3) 近代デジタルライブラリーで戦後に発行された地図を見ると、「高擶村」になっているが、国勢調査報告書の方は旧来の名称を引き摺って、「きへん」の「高ダマ村」と記述し続けた。
(4) 昭和27年に高擶駅ができた頃は既に「てへん」の「高擶」が正式と思われる。ただし戦前の文書は濁音に無頓着なので、「タカタマ」という振り仮名そのままに「たかたま」と命名してしまったのかもしれない。
(5) 合併して豊栄村になった時の官報の印刷原文は確認できないが、どうも合併時には「てへん」の「高擶村」である可能性が高い。
県令第18号(M22.3.18)によりますと、M22.4.1の成立時では「きへん」の「高タマ村」でした。

#以前話題にした滋賀県滋賀郡下阪本村でも、国勢調査報告書を見てみますと、第2回(T14)と第3回(S5)の間に下坂本村から下阪本村に改称されたこととなっています。
[84593] 2013年 12月 27日(金)16:43:40むっくん さん
変遷情報における対応漏れなど
[84570]グリグリさん
変遷情報への修正追加情報のご指摘で、対応漏れなどありましたらお知らせください。
[83624][83646][84181]拙稿(ただし[83624]はこれまでの課題をまとめたもの)と[83625]MIさんへの対応がなされていません。
[83631][83648][84199]にてグリグリさんが対応されると書かれておられますが。

[83624]の(8)については特に対応する必要は現時点ではないものと考えます。
[83624]の(1)(2)(3)(4)と[83646]拙稿に関しましては、今後の課題ですので先送りでも良いと考えます。ただ、将来への方向性を何らかのコメントを頂けたら、とは思います。
[83624]の(16)については何らかの対応をすべきところだとは思いますが、この対応をすると、おそらく(1)(イ)の対応をも必然的にせまられることとなりそうです。


次はM22.10.1に名古屋市を構成することとなった町についてです。[84266]拙稿では
M22.10.1#1で、成立前の町村のところに、西柳町が一つしかありませんので、もう一つ西柳町の追加をお願いします。
一つ目の西柳町は愛知県甲第206号布達(M11.12.28)にて、愛知郡廣井村之内 中廣井町が澤井町、小鳥町、花車町、東柳町、西柳町の4町に分かれて成立した町で、もう一つの西柳町は愛知県令第31号(M22.6.18)にて新たに愛知郡廣井村の一部から分立した町となります。
と書きましたが、未反映のままです。


最後は名古屋市への編入についての記載についてです。
これについては修正を保留しました。というのも、#320は名古屋市南区への編入、#321は名古屋市西区への編入と、編入先の区が異なることから情報を分けてあります。
編入先の区が異なる箇所をざっと見てみました。

編入先の区が異なる箇所は以下の通りですが、いずれも情報を分けていません。

#3001921(T10).8.22編入名古屋市名古屋市, 愛知郡 中村, (略)
#4141955(S30).4.5編入名古屋市名古屋市, 愛知郡 天白村, 猪高村
#4201955(S30).10.1編入名古屋市名古屋市, 海部郡 南陽町, (略)
#211918(T7).4.1編入京都市京都市, 愛宕郡 野口村, (略)
#411931(S6).4.1編入京都市京都市, 葛野郡 京極村, (略)
#1221957(S32).4.1編入/境界変更京都市京都市, 久世郡 淀町, (略)
#171897(M30).4.1編入大阪市大阪市, 西成郡 三軒家村, (略)
#2031955(S30).4.3編入大阪市大阪市, 中河内郡 長吉村, (略)
#1351947(S22).3.1編入神戸市神戸市, 武庫郡 山田村, (略)

また、編入で複数の区が新たに設立され、そのため複数の区へ編入されたところは次の通りですが、こちらでも情報を分けていません。
#82 1932(S7).10.1 編入 東京市 東京市, 荏原郡 品川町, (略)
#73 1925(T14).4.1 編入 大阪市 大阪市, 西成郡 伝法町, (略)

また上記二者の複合形態である場合として以下の箇所がありますが、こちらにおいても情報を分けていません。
#81 1939(S14).4.1 編入 横浜市 横浜市, 都筑郡 川和町, (略)

以上との整合性をとるためにも、少なくとも現時点では#320と#321(現在は#328と#329)において情報をまとめた方が良いと考えます。
[84557] 2013年 12月 20日(金)12:41:26むっくん さん
山口県玖珂郡坂上村
[84549]YTさん
[84554]MIさん
[84555]グリグリさん
(2) 山口県玖珂郡坂上村 (山口県#22)
確かに官報第五九七一号(明治三十六年五月三十日)では
○村廃置
本年十月一日より玖珂郡渋前村藤谷村を廃し其区域を以て坂上(さかうえ)村を置く
明治三十六年五月 山口県
とありますが、その後官報第六〇五四号(明治三十六年九月四日)にて
○村改称
玖珂郡渋前村藤谷村を合併し坂上村と改称明治三十七年一月一日より施行す
明治三十六年九月 山口県
との訂正がありましたので、現状のままでよいものと考えられます。
[84310] 2013年 10月 27日(日)13:22:37【1】むっくん さん
Re:境界変更情報の扱いについて
[84269]YTさん
境界変更及び名称変更に関する脚注は年代順に全部で109まであり、上に示すようにその半分を超える57個が境界変更のみの情報です。つまり新設や名称変更の情報を合わせた数を超える数の境界変更情報があるわけです。愛知県のみのたった30年間だけでもこれだけの数の境界変更があり、これを変遷情報に載せるとなると、肝心の新設・名称変更等の情報の方が圧迫されてしまいます。また人口異動の有無などは官報等では確認できないでしょうし、国勢調査開始以前では大字の名前ぐらいしか確認することはできないはずで、人口異動の有無は調べようがないと思います。
そうなってくると、わりかし大きい境界変更のみの情報を含めて削除するか、境界変更のみの情報だけで別項目を作る必要があるかと思いますがどうでしょうか?
私にはYTさんが何を問題とされておられるのかよく分かりません。現在、境界変更(大)(近世村(藩政村)(≒大字)単位での境界変更)の記載がされていますが、他の廃置分合や名称変更の記載を埋没させているということはなく、特段何の問題もないと私は考えています。
単にYTさんが[82233]88さん[82262]グリグリさんの書き込みを読まれておられないだけなのではないか、と私には思えてなりません。
[84265]拙稿を書いたときはまさか読まれておられないということはないだろうと思い、あえて書き込みから外していたのですが。。。
【1】#以下を追記(10/27 13:33)。
[84266] 2013年 10月 25日(金)13:00:41むっくん さん
市区町村変遷情報(愛知県)その2
[84265]の続きです。

#161 1906(M39).5.2 新設 中島郡平和村 中島郡 六輪村, 左右川村, 三宅村の一部
日付を1906(M39).5.2→1906(M39).5.10へと修正し、変更対象自治体名/変更内容に、井長谷村の一部(大字井堀, 儀長を除く)を追加することになります。
参考:愛知県告示第99号(M39.5.2)

#184 1906(M39).5.10 新設 中島郡千代田村 中島郡 井長谷村の一部, 三宅村, 実田村, 吉田村, 豊田村, 大江村の一部
変更対象自治体名/変更内容にて、三宅村→三宅村の一部(大字板葺)と修正することになります。
参考:愛知県告示第99号(M39.5.2)

#197 1906(M39).7.1 新設 海東郡蟹江町 海東郡 蟹江町, 西ノ森村, 須成村, 新蟹江村
変更対象自治体名/変更内容にて、西ノ森村→西之森村と修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)
後述の(注4)も参照。

#208 1906(M39).7.1 新設 海西郡市江村 海西郡 市腋村の一部, 東市江村
変更対象自治体名/変更内容に、十四山村の一部(大字六条新田, 坂中地新田, 鮫ヶ地新田, 馬ヶ地新田, 鎌倉新田, 子宝新田, 西蜆, 東蜆, 四郎兵衛新田, 竹田新田, 海屋新田, 下押萩, 上押萩, 亀ヶ地新田を除く)を追加することとなります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#209 1906(M39).7.1 編入 海西郡十四山村 海西郡 十四山村, 宝地村の一部
#210 1906(M39).7.1 編入 海西郡飛島村 海西郡 飛島村, 宝地村の一部
変更種別は共に編入→新設へと修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#190 1906(M39).6.16 新設 知多郡小鈴谷村 知多郡 小鈴谷村, 大谷村, 坂井村, 上野間村
日付を1906(M39).6.16→1906(M39).7.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#133 1906(M39).5.1 新設 碧海郡旭村 碧海郡 志貴崎村, 伏見屋村, 鷲塚村
日付を1906(M39).5.1→1906(M39).7.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#218 1906(M39).7.1 新設 西加茂郡挙母町 西加茂郡 挙母町, 梅ヶ坪村, 根川村, 宮口村, 逢妻村
梅ヶ坪村→梅坪村へと修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#105 1906(M39).4.1 新設 西加茂郡藤岡村 西加茂郡 高岡村, 藤河村, 富貴下村の一部
#221 1906(M39).7.1 編入 西加茂郡藤岡村 西加茂郡 藤岡村, 富貴下村の一部

# 1906(M39).7.1 新設 西加茂郡藤岡村 西加茂郡 藤河村, 高岡村, 富貴下村の一部(大字上川口, 下川口, 御作)
へと修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#220 1906(M39).7.1 新設 西加茂郡石野村 西加茂郡 七重村, 石下瀬村, 中野村, 富貴下村の一部
変更対象自治体名/変更内容に、四谷村の一部(大字岩滝, 矢並, 池田を除く)を追加することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#219 1906(M39).7.1 新設 西加茂郡高橋村 西加茂郡 益富村, 野見村, 寺部村, 渋川村, 上野山村, 市木村, 平井村, 四谷村
変更対象自治体名/変更内容にて、四谷村→四谷村の一部(大字岩滝, 矢並, 池田)と修正することになります。
参考:愛知県告示第164号(M39.6.16)

#191 1906(M39).6.25 新設 宝飯郡八幡村 宝飯郡 穂原村, 平幡村
日付を1906(M39).6.25→1906(M39).7.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第177号(M39.6.25)

#108 1906(M39).4.30 新設 宝飯郡蒲郡町 宝飯郡 豊岡村, 蒲郡町, 静里村, 神之郷村
日付を1906(M39).4.30→1906(M39).7.1へと修正することになります。また変更対象自治体名/変更内容にて、神之郷村→神ノ郷村と修正することになります。
参考:愛知県告示第177号(M39.6.25)
後述の(注5)も参照。

#241 1906(M39).7.15 編入 渥美郡豊橋町 渥美郡 豊橋町, 豊岡村, 花田村
日付を1906(M39).7.15→1906(M39).7.16へと、変更種別を編入→新設へと修正することになります。
参考:愛知県告示第187号(M39.7.4)

#232 1906(M39).7.1 新設 渥美郡牟呂吉田村 渥美郡 吉田方村, 牟呂村
#233 1906(M39).7.1 新設 渥美郡二川町 渥美郡 大川町, 谷川村, 細谷村, 小沢村
日付を1906(M39).7.1→1906(M39).7.16へと修正することになります。
参考:愛知県告示第187号(M39.7.4)

#247 1906(M39).7.16 新設 東春日井郡坂下村 東春日井郡 神坂村, 内津村
変更対象自治体名/変更内容にて、神坂村→神阪村と修正することになります。
参考:愛知県告示第198号(M39.7.11)

#256 1906(M39).7.16 新設 西春日井郡春日村 西春日井郡 下之郷村, 落合村
変更対象自治体名/変更内容にて、下之郷村→下ノ郷村と修正することになります。
参考:愛知県告示第200号(M39.7.11)
後述の(注1)も参照。

#257 1906(M39).7.16 新設 西春日井郡西春村 西春日井郡 九「之」坪村, 下拾「箇」村, 上拾「箇」村

#257 1906(M39).7.16 新設 西春日井郡西春村 西春日井郡 九「ノ」坪村, 下拾「個」村, 上拾「個」村
へと修正することになります。
参考:愛知県告示第200号(M39.7.11)
後述の(注2)も参照。

#258 1906(M39).7.16 新設 西春日井郡師勝村 西春日井郡 訓原村, 鹿田村, 六ツ師村, 熊之庄村
変更対象自治体名/変更内容にて、六ツ師村→六師村と修正することになります。
参考:愛知県告示第200号(M39.7.11)
後述の(注3)も参照。

#239 1906(M39).7.11 新設 西春日井郡山田村 西春日井郡 平田村, 大野木村, 比良村, 上小田井村, 中小田井村
#240 1906(M39).7.11 新設 西春日井郡楠村 西春日井郡 如意村, 味鋺村
日付を1906(M39).7.11→1906(M39).7.16へと修正することになります。
参考:愛知県告示第200号(M39.7.11)

#271 1906(M39).9.12 新設 宝飯郡小坂井村 宝飯郡 豊秋村, 伊奈村
日付を1906(M39).9.12→1906(M39).9.10へと修正することになります。
参考:愛知県告示第265号(M39.8.31)

#266 1906(M39).8.31 新設 渥美郡高豊村 渥美郡 高根村, 豊南村
#267 1906(M39).8.31 新設 渥美郡高師村 渥美郡 磯辺村, 福岡村, 高師村, 野依村, 植田村, 大崎村
日付を1906(M39).8.31→1906(M39).9.10へと修正することになります。
参考:愛知県告示第267号(M39.8.31)

# 1907(M40).7.16 境界変更 名古屋市 名古屋市, 愛知郡 小碓村の一部(大字熱田新田東組, 千年, 熱田前新田の一部, 稲永新田)
を追加することになります。
参考:愛知県告示号外(M40.7.1)

#278 1908(M41).4.30 改称 中島郡大和村 中島郡 苅安賀村
日付を1908(M41).4.30→1908(M41).5.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第175号(M41.4.30)

#279 1908(M41).7.28 改称 額田郡幸田村 額田郡 広田村
日付を1908(M41).7.28→1908(M41).11.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第370号(M41.10.28)

#281 1910(M43).2.10 改称 葉栗郡木曽川町 葉栗郡 黒田町
日付を1910(M43).2.10→1910(M43).2.11へと修正することになります。
参考:愛知県告示第52号(M43.2.10)

# 1913(T2).4.1 境界変更 幡豆郡寺津村 幡豆郡 寺津村, 平坂村の一部(大字徳永)
を追加することになります。
参考:愛知県告示号外(T2.3.31)

#290 1917(T6).7.6 町制 愛知郡下之一色町 愛知郡 下之一色村
日付を1917(T6).7.6→1917(T6).8.1へと修正することになります。
参考:官報第一四七九号(大正六年七月六日)
○町村変更
愛知郡下之一色村を来る八月一日より下之一色町と為すの件許可せり
大正六年七月 愛知県

# 1925(T14).4.1 境界変更 海部郡津島町 海部郡 津島町, 佐織村の一部(大字古川)
を追加することになります。
参考:官報第三七八四号(大正十四年四月七日)
○町村境界変更
海部郡佐織村大字古川を同郡津島町に編入し本月一日より施行せり
大正十四年四月 愛知県

#303 1925(T14).8.25 新設 東春日井郡瀬戸町 東春日井郡 赤津村, 瀬戸町, 旭村の一部
日付を1925(T14).8.25→1925(T14).8.26へと、変更種別を新設→編入へと修正することになります。
参考:愛知県告示第462号(T14.8.25)

#313 1930(S5).1.11 町制 東春日井郡高蔵寺町 東春日井郡 高蔵寺村
日付を1930(S5).1.11→1930(S5).1.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第1024号(S4.12.24)

# 1933(S8).6.10 境界変更 宝飯郡豊川町 宝飯郡 豊川町, 豊橋市の一部(院之子町)
を追加することになります。
参考:愛知県告示第663号(S8.6.9)
#院之子町とは、近世村の八名郡犬ノ子村の区域です。

#320 1937(S12).3.1 編入 名古屋市 名古屋市, 愛知郡 下之一色町
#321 1937(S12).3.1 編入 名古屋市 名古屋市, 西春日井郡 庄内町, 萩野村

# 1937(S12).3.1 編入 名古屋市 名古屋市, 愛知郡 下之一色町, 西春日井郡 庄内町, 萩野村
と、一つにまとめることになります。
参考:愛知県告示第172号(S12.2.17)

#325 1937(S12).10.1 区設置 名古屋市 南区から熱田区が分区

#325 1937(S12).10.1 区設置 名古屋市 南区,「中区」から熱田区が分区
へと修正することになります。
参考:名古屋市告示第552号(S12.9.17)
官報第三二七七号(昭和十二年十二月三日)
○区設置並区域変更
名古屋市内区の区域変更並に増区の件本年十月一日より左の通施行せり
昭和十二年十二月 愛知県
千種区(新設)
 東区池下町、(略)の区域を以て千種区を設置
東区(区域変更)
 西区辻町字流、(略)の区域を東区に編入
西区(区域変更)
 東区新堀町、(略)の区域を西区に編入
中村区(新設)
 西区稲葉地町、(略)、中区米野町、(略)の区域を以て中村区を設置
中区(区域変更)
 東区西裏町二丁目、(略)西区西柳町二丁目一、(略)の区域を中区に編入
昭和区(新設)
 中区池端町、南区石川町、中区狭間町、隼人町(略)の区域を以て昭和区を設置
熱田区(新設)
 南区熱田市場町、(略)、中区御器所町字高搦手、南区東町の区域を以て熱田区を設置
中川区(新設)
 中区岩塚町、南区石場町、中区花池町、(略)の区域を以て中川区を設置
港区(新設)
 南区入舟町、(略)の区域を以て港区を設置
  (備考)変更なき地域は従前通とす

#334 1941(S16).3.10 町制 中島郡今伊勢町 中島郡 今伊勢村
日付を1941(S16).3.10→1941(S16).5.10へと修正することになります。
参考:愛知県告示第851号(S16.5.10)

現在の
#20 1891(M24).4.1 新設 知多郡生浜村 知多郡 石浜村, 生路村
#41 1892(M25).5.__ 分割 知多郡石浜村 知多郡 生浜村の一部
#42 1892(M25).5.__ 分割 知多郡生路村 知多郡 生浜村の一部
#92 1901(M34).4.4 分立 碧海郡渡村 碧海郡 本郷村の一部
は存在しないものですので削除することになります。又、
#306 1928(S3).3.15 境界変更 名古屋市 名古屋市, 愛知郡 天白村の一部
#315 1930(S5).6.15 境界変更 名古屋市 名古屋市, 西春日井郡 庄内町の一部
は微小な境界変更であるため、市区町村変遷情報の収録対象外の為に削除することになります。

また、M22.10.1で成立した村を以下のように修正することになります。
#77で成立したのは東春日井郡神「阪」村。
#112で成立したのは西春日井郡下「ノ」郷村。下記の(注1)も参照。
#115で成立したのは西春日井郡下拾「個」村。
#116で成立したのは西春日井郡上拾「個」村。
#118で成立したのは西春日井郡九「ノ」坪村。下記の(注2)も参照。
#121で成立したのは西春日井郡六師村。下記の(注3)も参照。
#247で成立したのは海東郡西「之」森村。下記の(注4)も参照。
#332で成立したのは知多郡西「之」口村。
#482で成立したのは西加茂郡梅坪村。(M22.10.1に梅ヶ坪村から改称したことになります。)
#594で成立したのは宝飯郡神「ノ」郷村。下記の(注5)も参照。

なお、成立時(M22.10.1)と消滅時で名称が異なる村が5村ありました。これは表記の揺らぎに属する問題とも考えられるため、本稿では従前の市区町村変遷情報の表記のままとすることも考えました。しかしながら、「後法は前法に優位する」という法律の原則に従い、消滅時の愛知県告示の通りに修正しました。
(注1)M22.10.1で成立したのは西春日井郡下「之」郷村(M22.10.1#112)で消滅時(#256)は西春日井郡下「ノ」郷村でした。
(注2)M22.10.1で成立したのは西春日井郡九「之」坪村(M22.10.1#118)で消滅時(#257)は西春日井郡九「ノ」坪村でした。
(注3)M22.10.1で成立したのは西春日井郡六「ツ」師村(M22.10.1#121)で消滅時(#258)は西春日井郡六師村でした。
(注4)M22.10.1で成立したのは海東郡西「ノ」森村(M22.10.1#247)で消滅時(#197)は海東郡西「之」森村でした。
(注5)M22.10.1で成立したのは宝飯郡神「之」郷村(M22.10.1#594)で消滅時(#108)は宝飯郡神「ノ」郷村でした。

同じ愛知県ということで、M22.10.1の箇所で以下の訂正もお願いします。
M22.10.1#594で、成立前は宝飯郡「神」之郷村ではなくて「上」之郷村です。
M22.10.1#1で、成立前の町村のところに、西柳町が一つしかありませんので、もう一つ西柳町の追加をお願いします。
一つ目の西柳町は愛知県甲第206号布達(M11.12.28)にて、愛知郡廣井村之内 中廣井町が澤井町、小鳥町、花車町、東柳町、西柳町の4町に分かれて成立した町で、もう一つの西柳町は愛知県令第31号(M22.6.18)にて新たに愛知郡廣井村の一部から分立した町となります。

以上多数になりましたが、よろしくお願いします。
[84265] 2013年 10月 25日(金)12:59:57むっくん さん
市区町村変遷情報(愛知県)その1
[84256]グリグリさん
[84183][84187][84253]YTさん
[84186][84189][84259]MIさん

[84185]拙稿で予告し、現在の市区町村変遷情報の愛知県の正誤は以下のようになります。#[84203]拙稿で一部は触れたところについても簡易に紹介しています。

本論に入る前に。
[84187]にてYTさんが問われておられる市区町村変遷情報の収録範囲(境界変更を含む)についてです。私は当時は読み流していた立場ですので詳細は知らないのですが、[82233]88さんに
市区町村変遷情報においては、元々、平成の大合併から遡って随時編集作業を行ったこともあり、境界変更は対象外でした。合併(新設・編入)、改称などが対象でした。時代を遡るにに連れ、近世村(≒大字)単位以上での、地図でもはっきりわかる規模の境界変更を対象に含めるニーズも高まりました(もちろん私も編集対象にしたとの願望もあったのですが)。境界変更自体は小規模なものがあまりに多く、これらをすべて網羅すると、合併や改称が目立たなくなる。しかし、「境界変更」という法的手続きに関しては、人口移動の有無、面積の多寡は全く関係なく、法手続きは同じである。これらを考慮し、検討を重ねた上で、[63303]で、近世村(藩政村)(≒大字)単位での境界変更に限り、対象としたのです。
(このあたりのこと(編集基準の明確化を含む)については、(1)の議論でもありますし、また、[56488][56489] でるでる さん [56539] 88でも触れています。一連の記事)
とあります。

それでは本論です。
#1 1890(M23).10.6 分立 丹羽郡池野村 丹羽郡 今井村の一部
変更種別を分立→分割と変更することとなります。そして
# 1890(M23).10.6 分割 丹羽郡今井村 丹羽郡 今井村の一部(大字今井)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第117号(M23.10.6)

#4 1890(M23).10.20 分立 碧海郡榎前村 碧海郡 高棚村の一部
変更種別を分立→分割と変更することとなります。そして
# 1890(M23).10.20 分割 碧海郡高棚村 碧海郡 高棚村の一部(大字高棚)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第123号(M23.10.20)

#5 1890(M23).10.20 分立 八名郡名号村 八名郡 大野村の一部
#6 1890(M23).10.20 分立 八名郡名越村 八名郡 大野村の一部
#7 1890(M23).10.20 分立 八名郡能登瀬村 八名郡 大野村の一部
#8 1890(M23).10.20 分立 八名郡井代村 八名郡 大野村の一部
#9 1890(M23).10.20 分立 八名郡睦平村 八名郡 大野村の一部
#10 1890(M23).10.20 分立 八名郡細川村 八名郡 大野村の一部
変更種別をすべて分立→分割と変更することとなります。そして
# 1890(M23).10.20 分割 八名郡大野村 八名郡 大野村の一部(大字大野)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第123号(M23.10.20)

#11 1890(M23).11.7 分立 渥美郡堀切村 渥美郡 伊良湖村の一部
変更種別を分立→分割と変更することとなります。そして
# 1890(M23).11.7 分割 渥美郡伊良湖村 渥美郡 伊良湖村の一部(大字伊良湖, 日出)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第128号(M23.11.7)

#21 1891(M24).4.15 分立 渥美郡大久保村 渥美郡 野田村の一部
変更種別を分立→分割と変更することとなります。そして
# 1891(M24).4.15 分割 渥美郡野田村 渥美郡 野田村の一部(大字野田, 芦村, 仁崎)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第53号(M24.4.15)

#22 1891(M24).8.8 分立 碧海郡伏見屋村 碧海郡 志貴崎村の一部
日付を1891(M24).8.8→1891(M24).9.8へと修正することになります。
参考:愛知県告示第119号(M24.9.8)

#23 1891(M24).8.8 分立 碧海郡志賀須香村 碧海郡 藤野村の一部
日付を1891(M24).8.8→1891(M24).9.8へと修正することになります。
参考:愛知県告示第120号(M24.9.8)

#24 1891(M24).8.14 分立 碧海郡東境村 碧海郡 境村の一部
日付を1891(M24).8.14→1891(M24).9.14へと修正することになります。
参考:愛知県告示第122号(M24.9.14)

#27 1891(M24).10.6 町制 宝飯郡牛久保町 宝飯郡 牛久保村
#28 1891(M24).10.6 町制 宝飯郡蒲郡町 宝飯郡 蒲郡村
日付を1891(M24).10.6→1891(M24).10.16へと修正することになります。
参考:愛知県告示第145号(M24.10.16)

#31 1891(M24).11.10 分割 碧海郡上青野村 碧海郡 阿乎美村の一部
成立した村の名称を上青野村→青野村へと修正することになります。
参考:愛知県告示第161号(M24.11.10)

#25 1891(M24).8.14 分割 碧海郡半高村 碧海郡 下重原村の一部
#26 1891(M24).8.14 分割 碧海郡重原村 碧海郡 下重原村の一部
日付を1891(M24).8.14→1891(M24).11.28へと修正することになります。
参考:愛知県告示第173号(M24.11.28)

#43 1892(M25).8.1 町制/改称 碧海郡新川町 碧海郡 北大浜村
日付を1892(M25).8.1→1892(M25).8.3へと修正することになります。
参考:愛知県告示第81号(M25.8.3)

#49 1893(M26).2.2 分立 東加茂郡大和村 東加茂郡 賀茂村の一部
日付を1893(M26).2.2→1893(M26).2.3へと修正することになります。
参考:愛知県告示第36号(M26.2.3)

#61 1894(M27).6.23 町制 宝飯郡国府町 宝飯郡 国府村
日付を1894(M27).6.23→1893(M26).3.13へと修正することになります。
参考:愛知県告示第54号(M26.3.13)

# 1893(M26).10.9 境界変更 幡豆郡奥津村 幡豆郡 奥津村, 寺津村の一部(大字徳永)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第130号(M26.10.9)

# 1893(M26).11.8 町制 幡豆郡平坂町 幡豆郡 平坂村
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第142号(M26.11.8)

#12 1890(M23).11.30 境界変更 丹羽郡東野村 丹羽郡 東野村, 豊原村の一部
日付を1890(M23).11.30→1893(M26).11.18へと修正することになります。
参考:愛知県告示第147号(M26.11.18)

#54 1893(M26).11.1 新設 知多郡有松町 知多郡 有松町, 共和村の一部
日付を1893(M26).11.1→1893(M26).12.4へと修正することになります。
参考:愛知県告示第154号(M26.12.4)

#50 1893(M26).2.19 町制 碧海郡矢作町 碧海郡 矢作村
日付を1893(M26).2.19→1894(M27).2.19へと修正することになります。
参考:愛知県告示第30号(M27.2.19)

# 1894(M27).4.18 境界変更 東春日井郡境村 東春日井郡 境村, 和多里村の一部(大字西之島)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第48号(M27.4.18)

#59 1894(M27).6.4 分立 東加茂郡瑞穂村 東加茂郡 阿摺村の一部
変更種別を分立→分割と変更することとなります。そして
# 1894(M27).6.4 分割 東加茂郡阿摺村 東加茂郡 阿摺村の一部(大字広岡, 月原)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第61号(M27.6.4)

#67 1894(M27).12.27 町制 葉栗郡黒田町 葉栗郡 黒田村
日付を1894(M27).12.27→1894(M27).12.24へと修正することになります。
参考:愛知県告示第147号(M27.12.24)

#80 1896(M29).3.23 境界変更 名古屋市 名古屋市, 愛知郡 御器所村の一部(大字前津小林)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第26号(M29.3.23)

#74 1896(M29).4.29 町制 中島郡萩原町 中島郡 萩原村
日付を1896(M29).4.29→1896(M29).4.20へと修正することになります。
参考:愛知県告示第50号(M29.4.20)

#75 1896(M29).6.11 分立 碧海郡中井村 碧海郡 糟海村の一部
日付を1896(M29).6.11→1896(M29).6.22へと修正することになります。
参考:愛知県告示第74号(M29.6.22)

#78 1896(M29).11.18 改称 丹羽郡瀬部村 丹羽郡 豊原村
日付を1896(M29).11.18→1896(M29).11.30へと修正することになります。
参考:愛知県告示第146号(M29.11.30)

#90 1900(M33).9.26 新設/町制 西春日井郡桃栄町 西春日井郡 西堀江村, 須ヶ口村
日付を1900(M33).9.26→1900(M33).9.28へと修正することになります。
参考:愛知県告示第210号(M33.9.28)

#91 1900(M33).10.10 町制 北設楽郡田口町 北設楽郡 田口村
日付を1900(M33).10.10→1900(M33).11.14へと修正することになります。
参考:愛知県告示第239号(M33.11.14)

# 1901(M34).2.22 境界変更 愛知郡御厨村 愛知郡 御厨村, 一柳村の一部(大字中須, 大蟷螂)
を追加することとなります。
参考:愛知県告示第23号(M34.2.22)

#98 1902(M35).10.12 新設 中島郡光郷村 中島郡 光堂村, 四郷村
日付を1902(M35).10.12→1901(M34).10.12へと修正することになります。
参考:愛知県告示第193号(M34.10.12)

#94 1902(M35).2.13 町制 愛知郡千種町 愛知郡 千種村
日付を1902(M35).2.13→1902(M35).2.12へと修正することになります。
参考:愛知県告示第25号(M35.2.12)

#95 1902(M35).4.15 新設 中島郡大江村 中島郡 五郷村, 大塚村, 梅代村の一部
#96 1902(M35).4.15 編入 中島郡豊田村 中島郡 豊田村, 梅代村の一部
日付を1902(M35).4.15→1902(M35).4.23へと修正することになります。
参考:愛知県告示第95号(M35.4.23)

#97 1902(M35).9.23 境界変更 額田郡岡崎町 額田郡 岡崎町, 男川村の一部
日付を1902(M35).9.23→1903(M36).1.14へと修正することになります。
参考:愛知県告示第3号(M36.1.14)

#106 1906(M39).4.10 新設 知多郡旭村 知多郡 日長村, 金沢村
#107 1906(M39).4.13 新設 知多郡八幡村 知多郡 八幡村, 新知村, 佐布里村
#214 1906(M39).7.1 新設 知多郡師崎町 知多郡 大井村, 師崎町
#215 1906(M39).7.1 新設 知多郡内海町 知多郡 山海村, 内海町
#268 1906(M39).9.1 新設 知多郡上野村 知多郡 名和村, 荒尾村, 富木島村
日付をすべて1906(M39).5.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#120 1906(M39).5.1 新設 知多郡鬼崎村 知多郡 西ノ口村, 榎戸村, 多屋村
変更対象自治体名/変更内容にて、西ノ口村→西之口村と修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#130 1906(M39).5.1 新設 碧海郡依佐美村 碧海郡 高棚村, 小垣江村, 野田村, 半高村
変更対象自治体名/変更内容に、長崎村(微)(大字井杭山)を追加することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)
#大字井杭山とは明治34年8月の愛知県告示第152号で大字篠目の一部に新たに設置された大字です。

#136 1906(M39).5.1 新設 碧海郡六ツ美村 碧海郡 占部村, 糟海村, 中井村, 中島村, 合歓木村, 上青野村
変更対象自治体名/変更内容にて、上青野村→青野村と修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#137 1906(M39).5.1 新設 碧海郡矢作町 碧海郡 中郷村, 矢作町, 本郷村, 渡村, 長瀬村, 志貴村, 志賀須香村
変更対象自治体名/変更内容にて、渡村を削除することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#140 1906(M39).5.1 「新設」 幡豆郡平坂村 幡豆郡 平坂「村」, 中畑村, 西野町村の一部, 奥津村の一部

#140 1906(M39).5.1 「新設/村制」 幡豆郡平坂村 幡豆郡 平坂「町」, 中畑村, 西野町村の一部, 奥津村の一部
と修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#148 1906(M39).5.1 編入 額田郡岡崎町 額田郡 岡崎町, 三島村, 乙見村の一部
#151 1906(M39).5.1 編入 額田郡宮崎村 額田郡 宮崎村, 栄枝村の一部
変更種別は共に編入→新設へと修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#154 1906(M39).5.1 新設 東加茂郡盛岡村 東加茂郡 金沢村の一部, 盛岡村, 穂積村の一部
変更対象自治体名/変更内容に、豊栄村の一部(大字岩谷, 下平)を追加することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#155 1906(M39).5.1 新設 東加茂郡松平村 東加茂郡 穂積村の一部, 豊栄村, 松平村, 小川村, 志賀村
変更対象自治体名/変更内容にて、豊栄村→豊栄村の一部と修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#216 1906(M39).7.1 新設 額田郡常磐村 額田郡 乙見村, 常磐村
日付を1906(M39).7.1→1906(M39).5.1と、そして変更対象自治体名/変更内容にて、乙見村→乙見村の一部と修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#217 1906(M39).7.1 新設 額田郡岩津村 額田郡 大樹寺村, 岩津村, 細川村, 奥殿村
日付を1906(M39).7.1→1906(M39).5.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#226 1906(M39).7.1 新設 南設楽郡鳳来寺村 南設楽郡 只持村, 塩瀬村, 布里村, 一色村, 愛郷村, 鳳来寺村
日付を1906(M39).7.1→1906(M39).5.1へと修正することになります。
参考:愛知県告示第80号(M39.4.13)

#110 1906(M39).5.1 編入 丹羽郡布袋町 丹羽郡 布袋町, 秋津村の一部, 栄村の一部
変更種別を編入→新設へと修正することになります。
参考:愛知県告示第87号(M39.4.24)

#113 1906(M39).5.1 新設 葉栗郡葉栗村 葉栗郡 大田島村, 光明寺村, 佐千原村
#114 1906(M39).5.1 新設 葉栗郡宮田村 葉栗郡 飛保村, 宮田村
#115 1906(M39).5.1 新設 葉栗郡草井村 葉栗郡 草井村, 小鹿村, 村久野村
#116 1906(M39).5.1 新設 葉栗郡浅井町 葉栗郡 瑞穂村, 浅井町
日付を1906(M39).5.1→1906(M39).5.10へと修正することになります。
参考:愛知県告示第95号(M39.4.30)

#189 1906(M39).5.10 編入 愛知郡呼続町 愛知郡 呼続町, 瑞穂村, 弥富村の一部
変更種別を編入→新設へと修正することになります。
参考:愛知県告示第95号(M39.4.30)

次稿へ続く。
[84227] 2013年 10月 15日(火)17:56:13むっくん さん
メールを送りました
[84204]グリグリさん
変遷情報への貴重な情報提供とアドバイスをありがとうございます。折り入ってご相談したいことがありますが、もし差し支えなければメールでご連絡いただけないでしょうか。
先ほど下記のメールをグリグリさん宛に送りました。
-------------------
相談と言われましても私には具体的には、何を指すのかが良く分かりませんが。。。
おそらく、グリグリさんが市区町村変遷情報を編集するにあたり、現在の編集基準、編集基準に合致しない箇所等を知りたい、ということだと愚考しました。これらにつきましては当然ですが、一投稿者である私も分かる範囲内でお教え出来ることと思います。
-------------------
[84203] 2013年 10月 9日(水)18:34:10むっくん さん
渡村と全国市町村名変遷総覧
[84189]MIさん
これらからすると、渡村の存在は極めて疑わしいと思うのですが、そうであれば『市町村名変遷辞典』や『全国市町村名変遷総覧』の記述は何に拠るものだったのでしょうか?
『市町村名変遷辞典』については中身をよく知りませんので、市区町村変遷情報がベースとしている『全国市町村名変遷総覧』([79130]拙稿、[79288]88さん)について書きます。

まず渡村が分立したとするのは、M34愛知県告示第52号を誤読したためと思われます。これは廃置分合でも境界変更でもなかったので、当時コピーは取りませんでした。このことにつき、官報第五三三六號(明治三十四年四月九日)でも
○大字改称
碧海郡本郷村大字渡リを渡村と改称せり
とあります。これは碧海郡本郷村大字渡リが碧海郡本郷村大字渡村と改称しただけであり、公報における分立の告示の文言を知らないと誤読してしまいます。
#余談ですが明治22年の市制町村制施行に伴う町村合併で、以前の町村を大字として残しました。この際、市制町村制施行以前の村であった◎★村を、大字◎★とした府県(e.g.愛知県)と、大字◎★村(e.g.群馬県)とした県が存在します。後者の県においても、大正年間に大字◎★村から大字◎★とされているようです。

次に、市区町村変遷情報がベースとしている『全国市町村名変遷総覧』についての情報源ですが、私がほぼ確信しているところは以下のところです。
まず愛知県の情報源はおそらく『市町村沿革史 愛知の百年』(編・出版:愛知県総務部地方課/愛知県市長会、1968)だと考えられます。この後2回改訂版が出ており、2006年のものでは、以前[83568]拙稿で書いたような
市区町村変遷情報には愛知県の約100箇所の明白な誤り
というものは存在せず、数か所の誤りに留まります。
大阪府の情報源はおそらく『大阪府市町村の沿革』(編・出版:大阪府地方課、1961)で、和歌山県の情報源はおそらく『和歌山県政史』(編:和歌山県政史編さん委員会、出版:和歌山県、1971)でしょう。
広島県の情報源はおそらく昭和31年頃の広島県統計書だと思います。
また各府県での、明治20年代の不可解な成立年月日は、官報附録に各府県が広報として出した日付、もしくは広報が載った官報の日付であると考えられます。
[84185] 2013年 10月 5日(土)17:11:07むっくん さん
愛知県の廃置分合について
[84183]YTさん
以前愛知県図書館にて愛知県公報を、発行された明治20年以降、総理府告示にとってかわる昭和27年8月末日([83614])に至るまでの間、愛知県の廃置分合(主要な境界変更を含む)についての総ての県令、及び県告示を確認し、そのコピーを所持しています。
このことに関連して、以前[83568]拙稿で
私の把握している限りでは、市区町村変遷情報には愛知県の約100箇所の明白な誤りを筆頭に合計約300箇所の明白な誤りがあります。
と書いています。

詳細は自宅に帰った月曜日以降ということになりますが、覚えている限りでは#92の分立は存在せず、#306と#315の境界変更は微小なものであり市区町村変遷情報の収録対象外であったと記憶しています。
[84181] 2013年 10月 4日(金)18:29:37むっくん さん
市区町村変遷情報(高知県)
[84174]hmtさん
本土における市制町村制施行に際しても、いくつかの県では、それに先行する「旧制度下の廃置分合」が多数行なわれました。 [78760] 88 さん の記事をご覧ください。

[78760]88さんでは、
県名廃置分合等施行日市制町村制施行日備考
宮城県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
茨城県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
千葉県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
神奈川県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
静岡県M22(1889).3.1M22(1889).4.1市はM22(1889).4.1付けで廃置分合
とあり、
各情報を鑑みた結果、やはり当該5県とも市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行して行った、と判断いたします。
とあります。

私もこれら5県(宮城県、茨城県、千葉県、神奈川県、静岡県)だけが、市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行していたと考えていました。しかしながら、市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行したのは、おそらく、これら5県に加えて高知県も含めた6県であるものと考えられます。

官報第一七〇七号(明治二十二年三月十二日)では
○彙報
○官庁事項
○市町村制施行
●高知県に於ては各郡町村の内四十九箇町を一市に九百五町村を百五十八町村に来る三十一日より合併し及高知市へ市制、其他の町村へ町村制を来る四月一日より施行する旨去る四日発令せり
とあります。

市制町村制施行のM22(1889).4.1に先立つM22(1889).3.31に廃置分合が行われた茨城県での官報の記載を見てみますと、
官報第一七一三号(明治二十二年三月十九日)
○彙報
○官庁事項
○市町村制施行
●茨城県に於ては従来の町村を分合し更に区域名称を定め来る三月三十一日より施行及四月一日より水戸に市制、其他の町村に町村制施行の旨を発令し又町村制施行手続並に戸長より市町村長へ事務引渡方等の件を郡戸長に示達せり
とあり、高知県での記載と酷似しています。

それでは、比較のために市制町村制施行と同時に廃置分合を行ったところを見てみますと、例えば青森県では
官報第一六九九号(明治二十二年三月二日)
○彙報
○官庁事項
○市町村制施行
●青森県に於ては来る四月一日より市制、町村制を実施す又町村の内を分合改称して七百七十一箇町村と為す
とあり、例えば長崎県では
官報第一七〇九号(明治二十二年三月十四日)
○彙報
○官庁事項
○市町村制施行
●長崎県に於ては去る五日県令第十八号及第十九号を以て来る四月一日以降の長崎区々域並に管下各村分合及名称を定め尚ほ同日県令第二十一号及第二十二号を以て来る四月一日より長崎区に市制其他の各町村へ町村制を来る四月一日より施行する旨を発令せり
とあり、高知県や茨城県とは明らかに記載内容が異なります。

以上より、高知県での町村廃置分合を記載した県令第30号(M22.3.4)の実物を参照できないので確たることは言えないのですが、高知県においても、市制町村制施行のM22(1889).4.1に先立つM22(1889).3.31に廃置分合が行われたと考えられるのではないでしょうか。>グリグリさん
[84168] 2013年 9月 30日(月)18:34:24むっくん さん
沖縄県での県令等についての補足
[84165]YTさん

[69541]拙稿での
県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)

(注)県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)は那覇市歴史博物館に1993年に横内家より寄贈された文書の一つ『沖縄県町村諸規定』でしか現在はその本文を確認できないようです。なお、施行日は郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)の記載に従いました。沖縄県勢要略(著・出版:沖縄県内務部、明44.3.3)によれば明治41(1908)年3月中であることには間違いはないようですが。
を補足しておきます。

[69541]拙稿は愛知教育大学教授の青嶋敏氏の
愛知教育大学『沖縄県町村諸規程』(横内家文書)とその収録令達について(PDF)
によりました。

どうも沖縄県は地上戦の影響で、特に沖縄本島の戸長役場時代の記録は官庁の建物と一緒にほぼ全部焼失・破壊されてしまっているらしく、多分県令の公的な記録も失われてしまったようですね
また、青嶋敏氏は
愛知教育大学戦前期沖縄県令達令規目録 ―令達集・令規集収録編(暫定版)―(PDF)
にて、現存している戦前の県令等をまとめておられます。
#これは、沖縄近代法の形成と展開-沖縄の特殊性と普遍性-という科研費でのプロジェクトの一環として行われたようです。
[83646] 2013年 6月 28日(金)17:43:52【1】むっくん さん
市区町村変遷情報での、町村制や島嶼町村制や地方自治法等の法的根拠の記載について
[83631]グリグリさん

[83624]拙稿の補足をします。

(1)(ア)で
1919(T8).4.1 大正8年(1919年) 4月1日 対馬国13村 島嶼町村制廃止し町村制施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 鹿児島県大島郡16村 島嶼町村制廃止し町村制施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 沖縄県1町52村 沖縄県及島嶼町村制廃止し町村制施行
1940(S15).4.1 昭和15年(1940年) 4月1日 東京府大島6村八丈島5村伊豆諸島10村 島嶼町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道一級町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道二級町村制を廃止し指定町村制(内務大臣の指定町村)を施行
1946(S21).10.5 昭和21年(1946年) 10月5日 北海道○○町,○○村 指定町村制(内務大臣の指定町村)を廃止し町村制を施行
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 ○○県(都道府)のすべての市町村 市制町村制を廃止し地方自治法を施行
と書きましたが、これは不十分でした。

かつで議論されたところでしたが、失念していました。以下、かつての議論を簡潔に振り返ります。
#かつての議論で取り上げられていないところに付いては、少し詳しく記載します。

市制町村制(M21.4.25)での町村制第132条では
此法律北海道、沖縄縣其他勅令ヲ以テ指定スル島嶼ニ之ヲ施行セス別ニ勅令ヲ以テ其制ヲ定ム
とあります。
後の改正法法律第69号(町村制)(M44.4.7)第157条では
本法ハ北海道沖縄縣其ノ他勅令ヲ以テ指定スル島嶼ニ之ヲ施行セス
2 前項ノ地域ニ付テハ勅令ヲ以テ本法ニ代ハルヘキ制ヲ定ルコトヲ得
とあり、同じく改正法である法律第68号(市制)(M44.4.7)第177条では
本法ハ町村制第百五十七條ノ施行ノ地域ニ之ヲ施行セス
とあります。
本稿では全国に市制町村制という“法律”が施行される経緯を見ていきます。

M22.4.1~ 45府県に市制町村制が順次施行。北海道、沖縄県、小笠原島、伊豆七島、隠岐、対馬、大島郡(M29.4.1に大島郡編入された薩摩国川辺郡の十島を含む)において、市制町村制は施行されなかった。
法律第1号(市制町村制)(M21.4.25)、勅令第1号(町村制ヲ施行セサル島嶼指定ノ件)(M22.1.17)

M29.4.1 沖縄県に沖縄県区制が施行。
勅令第19号(沖縄県区制)(M29.3.7)、内務省令第2号(M29.3.10)

M32.10.1~ 北海道に北海道区制が順次施行。
勅令第158号(北海道区制)(M30.5.29)、内務省令第46号(M32.9.4)
#後に内務省告示第14号(T3.3.30)、内務省告示第100号(T6.12.25)、内務省告示第52号(T9.6.24)

M33.7.1~ 北海道に北海道一級町村制が順次施行。
勅令第159号(北海道一級町村制)(M30.5.29)、勅令第51号(北海道一級町村制中改正)(M33.3.23)、内務省令第19号(M33.5.19)
#後に内務省令や内務省告示([67007][67008][67053]

M35.4.1~ 北海道に北海道二級町村制が順次施行
勅令第37号(北海道二級町村制)(M35.2.22)、内務省令第7号(M35.3.13)
#後に内務省令や内務省告示([67007][67022]

M37.5.1 隠岐に町村制度に関する勅令を適用。
勅令第63号(島根縣隠岐国ニ於ケル町村制度ニ関スル件)(M37.3.12)、内務省令第6号(M37.4.13)

M41.4.1 沖縄県と伊豆大島と対馬と大島郡に沖縄県及島嶼町村制施行。
勅令第46号(沖縄縣及島嶼町村制)(M40.3.16)、内務省令第25号(M40.10.12)、内務省令第30号(M40.12.28)、内務省令第1号(M41.2.3)

M41.4.1 沖縄県に(新)沖縄県区制が施行。
勅令第43号(沖縄県区制)(M41.3.17)

M41.10.1 八丈島に沖縄県及島嶼町村制施行。
勅令第46号(沖縄縣及島嶼町村制)(M40.3.16)、内務省令第30号(M40.12.28)

M44.10.1 市制町村制が施行されている45府県の地域に(新)市制と(新)町村制が施行。
法律第68号(市制)(M44.4.7)、法律第69号(町村制)(M44.4.7)、勅令第238号(市制及町村制施行期日)(M44.9.22)

T8.4.1 対馬で沖縄県及島嶼町村制が廃止されて、町村制度に関する勅令を施行。
勅令第335号(明治三十七年勅令第六十三号島根縣隠岐国ニ於ケル町村制度ニ関スル件改正ノ件)(T7.8.30)

T9.4.1 大島郡及び沖縄県で沖縄県及島嶼町村制が廃止されて、町村制度に関する勅令を施行。
勅令第45号(大正七年勅令第三百三十五号長崎県対馬国等ニ於ケル町村制度ニ関スル件中改正)(T9.3.24)

T9.6.25 沖縄県及島嶼町村制の名称が島嶼町村制となる。
勅令第193号(沖繩縣及島嶼町村制中改正)(T9.6.25)

T10.5.20 沖縄県に正式に市制町村制施行。
法律第59号(T10.4.11)、勅令第189号(T10.5.3)によって法律第69号(町村制)(M44.4.7)第157条が改正。この結果、沖縄県に町村制施行。
又、法律第69号(町村制)(M44.4.7)第157条改正で法律第68号(市制)(M44.4.7)第177条も改正。この結果、同日に内務省告示第88号(T10.5.20)によって那覇首里に市制を施行することができた。

T10.5.20 隠岐、対馬、大島郡に正式に町村制施行。
勅令第190号(町村制ヲ施行セサル島嶼指定ノ件)(T10.5.3)が実施され、勅令第1号(町村制ヲ施行セサル島嶼指定ノ件)(M22.1.17)と勅令第335号(明治三十七年勅令第六十三号島根縣隠岐国ニ於ケル町村制度ニ関スル件改正ノ件)(T7.8.30)が廃止される。この結果、隠岐、対馬、大島郡に町村制が施行されることとなる。

T11.5.15 北海道においても市制施行がすることが出来るようになる。
法律第56号(T11.4.20)、勅令第255号(T11.5.13)

T11.8.1 北海道に初めて市が誕生する(札幌市、釧路市、室蘭市、旭川市、小樽市、函館市)。
内務省告示第182号(T11.7.26)

T12.1.22 北海道区制は廃止。
勅令第20号(T12.1.22)

T12.10.1 利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島に島嶼町村制が施行。
内務省令第19号(T12.7.7)

S2.10.1 北海道に(新)北海道一級町村制と(新)北海道二級町村制が施行。
勅令第269号(北海道一級町村制)(S2.8.27)、勅令第270号(北海道二級町村制)(S2.8.27)

S15.4.1 伊豆七島(八丈小島、鳥島を除く)において島嶼町村制が廃止されて町村制施行。小笠原島(北硫黄島、南硫黄島、南鳥島、中ノ鳥島、沖ノ鳥島を除く)において島嶼指定から外れて町村制施行。
勅令第238号(大正十年勅令第百九十号(町村制ヲ施行セサル島嶼指定)中改正島嶼町村制廃止ノ件)

S18.6.1 北海道一級町村制を廃止し町村制を施行。
勅令第443号(S18.5.25)

S18.6.1 北海道二級町村制を廃止し指定町村制を施行。
勅令第444号(S18.5.25)

S18.6.1 島嶼指定箇所はS15.4.1の箇所に北海道庁占守郡、新知郡及得撫郡の島嶼が加わる。
勅令第446号(S18.5.25)

S21.10.5 北海道の指定町村制が廃止され、町村制へ移行。
勅令第467号(S21.10.4)

S22.5.3 市制、町村制、東京都制、道府県制を廃止し地方自治法を施行。
法律第67号(地方自治法)(S22.4.17)

以上をまとめますと、
1904(M37).5.1 明治37年(1904年) 5月1日 島根県隠岐国 町村制度に関する勅令を施行 1町11村設置
1919(T8).4.1 大正8年(1919年) 4月1日 長崎県対馬国1町12村 沖縄県及島嶼町村制を廃止し町村制度に関する勅令を施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 鹿児島県大島郡19村 沖縄県及島嶼町村制を廃止し町村制度に関する勅令を施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 沖縄県1町56村 沖縄県及島嶼町村制を廃止し町村制度に関する勅令を施行
1920(T9).6.25 大正9年(1920年) 6月25日 東京府大島6村八丈島5村 沖縄県及島嶼町村制の名称を島嶼町村制に変更
1921(T10).5.20 大正10年(1921年) 5月20日 島根県隠岐国1町11村 町村制施行
1921(T10).5.20 大正10年(1921年) 5月20日 長崎県対馬国1町12村 町村制施行
1921(T10).5.20 大正10年(1921年) 5月20日 鹿児島県大島郡16村 町村制施行
1921(T10).5.20 大正10年(1921年) 5月20日 沖縄県2市1町56村 市制町村制施行
1922(T11).5.15 大正11年(1922年) 5月15日 北海道に市制施行が可能となる
1940(S15).4.1 昭和15年(1940年) 4月1日 東京府大島6村八丈島5村伊豆諸島10村 島嶼町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道一級町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道二級町村制を廃止し町村制(内務大臣の指定町村)を施行
1946(S21).10.5 昭和21年(1946年) 10月5日 北海道○○町,○○村 町村制(内務大臣の指定町村)を廃止し町村制を施行
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 ○○県(都道府)のすべての市町村 市制町村制を廃止し地方自治法を施行
の方が適切であると考えられます。ここに訂正します。
[83624] 2013年 6月 21日(金)18:30:37【4】むっくん さん
市区町村変遷情報の今後の課題、及び未修整・未反映のままの箇所について
[83572]グリグリさん

現段階で市区町村変遷情報の今後の課題や未修整・未反映のまま等の箇所をまとめてみました。

◎今後の課題について
(1)市区町村について
「区」も「町」「村」も、言葉は同じですが、時代により根拠法令もその権能も異なります。([55731]88さん)

そこで[65018]拙稿にて、
(ア)市区町村変遷情報に、町村制や島嶼町村制や地方自治法等の法的根拠の記載
を提案しました。具体的には
1919(T8).4.1 大正8年(1919年) 4月1日 対馬国13村 島嶼町村制廃止し町村制施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 鹿児島県大島郡16村 島嶼町村制廃止し町村制施行
1920(T9).4.1 大正9年(1920年) 4月1日 沖縄県1町52村 沖縄県及島嶼町村制廃止し町村制施行
1940(S15).4.1 昭和15年(1940年) 4月1日 東京府大島6村八丈島5村伊豆諸島10村 島嶼町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道一級町村制を廃止し町村制を施行
1943(S18).6.1 昭和18年(1943年) 6月1日 北海道○○町,○○村 北海道二級町村制を廃止し町村制(内務大臣の指定町村)を施行
1946(S21).10.5 昭和21年(1946年) 10月5日 北海道○○町,○○村 町村制(内務大臣の指定町村)を廃止し町村制を施行
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 ○○県(都道府)のすべての市町村 市制町村制を廃止し地方自治法を施行
の記載を求めたものでした。
#“町村制(内務大臣の指定町村)”は“指定町村制”との記載の方が分かりやすいかもしれませんが。。。

(1)の(ア)の記載をすると、
(イ)
●奄美群島や沖縄などが日本政府の統治から離れたり復帰したりの動き([65198]88さん)
●伊豆諸島の動き([24269]hmtさん)
●トカラ列島の動き([56242]hmtさんほか)
●小笠原での北硫黄島等が島嶼町村制等を施行することなく地方自治法施行となったこと
という4点についても、市区町村変遷情報に何らかの記載をする必要が出てくるものと考えられます。この点に付き[65198]88さんでは“後日取り扱う予定”とされて現在に至っています。

また(1)の(ア)の記載をすると、[74320][78867]hmtさんでの提案
(ウ)
明治31年(1898年)10月1日 東京府東京市 三市特例法が廃止され東京市が実質的に誕生する
明治31年(1898年)10月1日 京都府京都市 三市特例法が廃止され京都市が実質的に誕生する
明治31年(1898年)10月1日 大阪府大阪市 三市特例法が廃止され大阪市が実質的に誕生する
という“三大都市の実質的な誕生”を市区町村変遷情報に記すことも考えなければならないでしょう。
#(1)の(ア)(イ)(ウ)については現状では何もなされていませんが、記載されるとより市区町村変遷情報が充実することになります。

(2)北海道の町村制の町村と一級町村と二級町村と指定町村の区別
現状では[78854]88さんにあるように
「二級村」から「一級村」への変更や、「一級町」から「町村制の町」への切り換え、「二級村」から「指定村」への切り換えは、「市制町村制施行後の情報」に相当するものと考え、廃置分合等を伴わないものは、何も表示していません。
ですが、[78867]hmtさんから、
開拓時代の変則的な制度である 北海道二級町村制から、府県における町村制に準じた制度である 北海道一級町村制への「昇格」も、実質的な「自治体の誕生」に近いもので、変遷情報に記録する価値があるのではないでしょうか。
と北海道の一級町村と二級町村の区別の提案がありました。この提案には[78869]紅葉橋律乃介さんも同意されています。
具体的には
#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
251901(M34).5.11町制【一級】宗谷郡稚内町【一級】宗谷郡 稚内村【一級】
341907(M40).4.1新設/町制【一級】石狩郡石狩町【一級】石狩郡 石狩町【二級】, 花川村【二級】
#1907(M40).4.1町制【一級】古平郡古平町【一級】古平郡 古平町【二級】
#1932(S7).6.1村制【一級】札幌郡白石村【一級】札幌郡 白石村【二級】
とのような記述に変更されます。ただ、単純に上記のような表記にしますと、二級町が一級町になったのか、一級村が一級町となったのかが分からなくなるという問題も生じ、表記に一工夫をする必要があるかもしれません。
#現状では何もなされていません。(2)を実行する前には、現実問題として(1)の(ア)の記載を行う必要があります。

(3)記載範囲について
現状では市制町村制施行以降に限定されていますが、[78869]紅葉橋律乃介さんの
この時代の道内の町村は、道外での「町」「村」の2種類ではなく、「一級町」「一級村」「二級町」「二級村」(それと「未施行の村」)の4~5種類あったと認識しています
との書き込みにありますように、市制町村制施行(北海道一級町村制・二級町村制)以降の町村以外の町村も併存していました。当然のことですが、制度に依らず同時期の町村の異動はすべて記される方が適切です。そこで、[79348]拙稿にて
私は47府県すべてで一律に明治22年の時点までに遡らせるのが適当である
との意見を表明しましたが、これは将来的な理想に過ぎず、沖縄県及島嶼町村制施行と不可分の情報とも言える[78766]拙稿の反映が現実的なところだと考えられます。
#沖縄県に付いては[69541]拙稿と[69542]88さんを基に明治22年の時点までに遡らせることは出来ます(詳細は将来に別稿で記載予定???)。北海道に付いては[79348][79349]を2箇所訂正した上で記載し、さらに1箇所を記せば明治22年の時点までに遡らせることは出来ます。その他では[78766]拙稿を記したうえで、愛知県で4箇所、鹿児島県で1箇所を記すことで47道府県全部で明治22年の時点までに遡らせることは出来ます。

(4)変更種別の記載方法
[70814][70815]88さん
[70905]拙稿
(1)A→B
(2)A・B
(3)A/B
(4)A:A
の4案。
#現状では何もなされていません。ただ、これを実行するのは各都道府県の公報等にあたる必要があります。ゆえに実行するのは現実的には無理である、と私は考えます。


◎未修整・未反映のまま等の箇所
(5)1918(T7).2.1の北海道室蘭区の成立の記載方法
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
北海道室蘭区は内務省告示第100号(T6.12.25)
内務省告示第百号
明治三十年五月勅令第百五十八号北海道区制第三条ニ依リ大正七年二月一日ヨリ室蘭郡室蘭町輪西村元室蘭村及千舞鼈村ヲ室蘭区ト為ス
大正六年十二月二十五日 内務大臣 男爵 後藤新平
にて成立しました。
室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。市区町村変遷情報を市制町村制施行時の情報とそれ以外の情報に分離して記載した現在、どのようにして表記するのが適切なのかが問題となります。([67215][78865]拙稿、[67671]88さん、[78869]紅葉橋律乃介さん、[79760]中島悟さん)
#現状では何もなされていません。[79760]中島悟さんの町村制未施行3村を削除する案もありますが、一応、町村制未施行とは雖も3村は自治体であるのでこの提案は現実的には難しそうです。
私見ですが、色で区別したり、詳細欄で対応するというのが現実的なところでしょうか。もしくは(2)を実行して
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町【一級】, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
の形で市制町村制施行時の情報の方に記載すれば、意外と問題がないのかもしれません。

(6)郡について
まず[70820]hmtさんにて
郡が単なる地域呼称にすぎない存在になっている現在でさえも、「郡変更」は入力されています。例:安代町、稲武町。
これとのバランスを考えれば、「郡制」が施行されていた時代の町村についての所属郡変更は、「郡設置」との情報の重複など気にせずに、すべて入力しておくのが順当でしょう。
との提言がありました。
これに対して、[70905]拙稿にて
「郡変更」についてすべて入力するのは現実的には難しい。ただし何らかの記載が必要で、選択肢として、
(A)市制町村制施行時のように別途ページに独立させる
(B)詳細欄において対処をする
(C)重要度が低いことより、M22.4.1の他県の市制町村制施行時の情報入力を優先させる
(D)入力しない(つまりは無視)
の4通りが考えられ、現実的には(C)もしくは(D)の2択である。
と案を出しました。これに対し[71813]88さんの
(B)が現実的な案
との評価があり、その後[70905]拙稿を受けた[71814][71815]hmtさんでの
(E)変遷情報一覧表に、廃置分合を伴なわずに行なわれた「郡変更」も記載する
を新たな提案がありました。そして最終的に[72058]88さんにて
(E)が現実的な案
と方向性が定まりました。ただし、当時は
当面は市制町村制施行時の情報の充実に努めることを優先
とされ、この時に、大正時代以降、そしてhmtさんから指摘のあった岐阜県での試験的な記述が行われた、と私は記憶しています。
(E)の具体的な事例としては岐阜県の
199 1897(M30).4.1 郡変更 養老郡 郡廃置 に伴い 多芸郡 下多度村, 小畑村, 日吉村, 上石津郡 多良村, 一之瀬村 を 養老郡 所属とする
や愛知県の
286 1913(T2).7.1 郡変更 海部郡 海東郡 及び 海西郡 の区域をもって 海部郡 を置くことに伴い 海東郡 津島町, 蟹江町, 佐屋村, 永和村, 神守村, 美和村, 七宝村, 南陽村, 富田村, 大治村, 甚目寺村, 佐織村, 海西郡 八開村, 立田村, 市江村, 弥富町, 十四山村, 飛島村, 鍋田村 を 海部郡 所属とする
の記載です。
現在、未反映であるのは以下のところです。
1893(M26).4.1…東京府
1896(M29).4.1…福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、東京府、神奈川県、新潟県、富山県、静岡県、三重県、大阪府、兵庫県、和歌山県、鳥取県、島根県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県
1897(M30).4.1…岩手県、千葉県、滋賀県、奈良県、愛媛県、鹿児島県
1898(M31).10.1…広島県
1899(M32).4.1…香川県
1900(M33).4.1…岡山県

(7)沖縄県の伊平屋村と伊是名村の所属郡に付いて
戦前には島尻郡所属でしたが、本土復帰する頃にはいつの間にか島尻郡所属へと変更されています。([69095]YTさん、[69110]拙稿、[69111]hmtさん、[69117]YTさん、[69126]グリグリさん)
これを受けて[69542]88さんで検討されましたが
当面の編集作業として、そのまま郡変更はなかったものとして取扱わせていただきます。
とされています。
#この結論はおそらく出ないものと考えられます。

(8)大阪市の区の記載
[74517]拙稿での
1925(T14).3.31 大阪市の区の境界変更
1925(T14).4.1 大阪市の区設置
1932(S7).10.1 大阪市の区設置
1943(S18).3.31 大阪市の区の境界変更
1943(S18).4.1 大阪市の区の区設置
が未反映のままです。
#区の境界変更については、現在の編集方針からすると編集の範囲外であり、現段階で反映させる必要性はないことを付記しておきます。

(9)1889(M22).5.1市区町村変遷情報(東京府)の東京市の箇所
[78466][78467][78468]拙稿での1889(M22).5.1東京市の箇所が未修正のままです。

(10)1889(M22).4.1市区町村変遷情報(京都府)の京都市の箇所
[78650][78651][78652][78653]拙稿での1889(M22).4.1京都市の箇所が未修正のままです。
#数は多いですが、(9)の東京市に比べると悩むところはあまり無いと思います。

(11)1899(M32).10.1市区町村変遷情報(北海道)の札幌区と函館区の表記
[78865]拙稿での1899(M32).10.1札幌区と函館区の表記が未反映のままです。
ただしこのうち函館区については[78865]に記載したものに加えて、[79349]拙稿記載の新浜町, 台場町, 仲町, 帆影町, 小舟町の5町を追加する必要があります。

(12)明治22年(1889年) 4月1日 新潟県 市制町村制施行での設置市町村数
設置市町村数は1市47町768村ではなくて1市48町767村です。

(13)明治41年(1908年) 4月1日 対馬国 沖縄県及島嶼町村制での設置町村数
設置町村数は13村ではなく、1町12村です。([79760]中島悟さん)

(14)新潟県中蒲原郡鳥屋王村から鳥屋野村への改称年月日について
9 1890(M23).12.17 改称 中蒲原郡 鳥屋野村 中蒲原郡 鳥屋王村
[68520]拙稿で指摘し[69558]88さんにてM23(1890).12.17からM24(1891).2.__へと修正されたのですが、なぜか、M23(1890).12.17へと戻っています。遅くとも2011年の7月の時点でM23(1890).12.17へと戻っています。
#これは88さんが再度変更されたわけではないと考えられます。これに関する88さんからの書き込みが2011年の7月頃までもそれ以降もありませんから。
#本件の事例は書き込みをしていないなら、おそらく誰にも気づかれていないと考えられます。実際に[83613]白桃さんでの御指摘での出口町の所属した郡などは、書いた当人もすっかり忘れていましたし。。。

(15)都府県の越境事例(岐阜県三濃村など)での記載での提案
[79782]中島悟さん
変更元の府県に記載がないので恵那郡のほか香取郡、足利郡、新座郡、北足立郡、入間郡、福井県大野郡、木曽郡、南桑田郡、岡山県吉野郡でもいつのまにか村が減少しています。
越境を含む項は三多摩を含めても29件しかないので、双方に記載しても良いのでは、とは思います。

(16)小笠原5村(大村、扇村袋沢村、北村、硫黄島村、沖村)の廃止の記載をすること
[79760]中島悟さん
[79266][79773]hmtさん
サンフランシスコ条約第3条が発効した昭和27年4月28日

(17)北海道の上川郡・中川郡に石狩国・天塩国・十勝国の区別を付けることの提案
[79772]中島悟さん

(18)岩手県での里川口町から花巻川口町への改称の記載について
[80268]中島悟さん
[80274][80320]拙稿
[80285]MIさん
[80322]hmtさん
[80346]右左府さん
[80347]YTさん
#これは新資料が出てくるまで保留で良いのではないでしょうか。

(19)その他の未修整の箇所
[79385]拙稿(滋賀県の事例4箇所と福井県の事例1箇所)
#すぐに修正可能な所です。今後、滋賀県と福井県の誤りの箇所の指摘をする予定ですので、その時の方が二度手間にはならないかもしれません。

以上が私の把握している限りで、抜けているところもあるかもしれません。

訂正
【1】誤字訂正
【2】(3)~(7)の順番を入れ替えしました。
【3】【4】(3)の表現を訂正しました。
[83614] 2013年 6月 19日(水)18:28:13むっくん さん
昭和26年の奈良市への3村編入
以前[74359]拙稿で、
市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、昭和27年9月1日からと考えられます。
と書きました。これは地方自治法の一部を改正する法律(S27.8.15法律第306号)地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(S27.8.15政令第344号)(PDF)によって施行されたのがS27.9.1であるから、ということでした。

[74359]を書いた時は、書いた当人も半信半疑でしたが、地方自治法の一部を改正する法律(S27.8.15法律第306号)地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(S27.8.15政令第344号)(PDF)の改正に尽力された方々が書かれた『改正地方自治法逐條解説-第十三国会改正部分-』(著:長野士郎、発行:港出版合作社、S27)の47頁に
三 第七項の新設により、第一項の規定による市町村の廃置分合、境界変更等についての内閣総理大臣の告示の意義が変つて来た。市町村の廃置分合、境界変更等も一の行政行為であり、行政行為は一般的にその対手方となるものへの通知行為によつて効力を生ずるものとされている。従前市町村の廃置分合、境界変更等は議会の議決を経て知事が決定するとともにその通知行為も知事が行うとされていたため市町村の廃置分合、境界変更等は都道府県公報への告示登載等の方法による知事の通知行為によつてその効力を生じ、内閣総理大臣の告示は単に周知のための事実の告知たるに過ぎなかつたのであるが、今回の改正により、この通知行為は告示の方法によつて内閣総理大臣が行い、市町村の廃置分合、境界変更等の処分は、知事の決定とこれに基く内閣総理大臣の告示という二つの行為の合体によつてその効力が生ずることになつたものである。
(1)都道府県知事の取扱としては、従前の形式で行われて差し支えないと考える。
(2)廃置分合の処分の実施期日又はそれ以前に内閣総理大臣の告示(官報登載)が行い得るよう手続上必要な期日を見込んで処理しなければならないので取扱上注意を要する。若し、例えば、十一月三日から市を設置する都道府県知事の処分が十一月五日に告示された場合には、十一月五日に市の設置があつたものと解せざるを得ないこととなると思われる。
と記載があることを見つけました。

よって、市の新設・廃止を伴わない場合においても、市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、この法改正が為された昭和27年9月1日以降と言えます。

#『改正地方自治法逐條解説-第十三国会改正部分-』の序文には
今回の地方自治法の一部改正においても、立案に当つたわれわれは、渾身の努力を傾倒し、立法上の技術においても多くの独創的方法を用いたつもりであるが、しかも、なお、限りある身の無限の世界にいどむ敢果ない企てであるにすぎず、よく事態に適合しないものではないかを懼れる。
(略)
 この解説書は、第十三国会において成立した地方自治法の一部を改正する法律(昭二七、法律第三〇六号)及び地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(昭二七、政令第三四四号)の立案について終始苦労を共にした自治庁行政部行政課の宮元義雄、潮田康夫、本江滋二の諸君の努力によるのであつて、実質的にはこれらの諸君と著者の共著と称すべきものである。
とあり、この本がこの地方自治法改正の法律作成にかかわった方々によって作成されたと判断しました。


このことで、問題となるのは奈良県での
#55 1951(S26).4.1 編入 奈良市 奈良市, 添上郡 大安寺村, 東市村, 生駒郡 平城村
です。
----------------------------
●総理府告示第百八十三号
市村の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、奈良県添上郡大安寺村、東市村及び生駒郡平城村を廃し、その区域を奈良市に編入する旨、奈良県知事から届出があつた。
昭和二十六年五月二十八日 内閣総理大臣 吉田茂

●奈良県告示第九十七号
村の廃止編入について
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七條第一項の規定により添上郡大安寺村を廃し、その区域を奈良市の区域に編入し昭和二十六年三月十五日から施行する。
昭和二十六年三月十五日
奈良県知事 野村萬作

●奈良県告示第九十八号
村の廃止編入について
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七條第一項の規定により添上郡東市村を廃しその区域を奈良市の区域に編入し昭和二十六年三月十五日から施行する。
昭和二十六年三月十五日
奈良県知事 野村萬作

●奈良県告示第九十九号
村の廃止編入について
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七條第一項の規定により生駒郡平城村を廃し、その区域を奈良市の区域に編入し昭和二十六年三月十五日から施行する。
昭和二十六年三月十五日
奈良県知事 野村萬作

総理府告示は官報1951年05月28日第7312号に、奈良県告示は奈良縣報号外昭和二十六年三月十五日によりました。
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総理府告示第183号(S26.5.28)ではS26.4.1に編入されたとあり、奈良県告示第97号(S26.3.15)、奈良県告示第98号(S26.3.15)、奈良県告示第99号(S26.3.15)ではS26.3.15に編入されたとあり、両者で食い違いが生じます。

ただ、上述のとおり、市町村の廃置分合の法的根拠は総理府告示ではなくて奈良県告示です。そこで、奈良市への編入の年月日を1951(S26).4.1から1951(S26).3.15へと変更していただきますようお願いします。>グリグリさん

#余談ですが、これは以前[65628]拙稿で指摘し、[65812]88さんで【総理府告示が根拠である】として否定されたものでした。

#さらに余談ですが、e-statの統計書一覧での昭和30年国勢調査>人口総数>付表2 市区町村の廃置分合,境界変更,名称変更一覧表-昭和25年10月2日~昭和30年10月1日>13東京都~30和歌山県(PDF)33コマにおいてもS26.4.1編入との記載がありました。
そこで、本件の奈良市の事例を総務省へメールで問い合わせをしましたところ、
(1)本件の奈良市の事例は確認できました。
(2)確認に時間を要するが、奈良市の事例以外に付いても調べます。
(3)その上で、正誤表の掲載もしくは「官報の日付を掲載しており、実際の合併日と異なる場合がある」との旨の注記をするなどの対応をします。
とのことでした。


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以下は地方自治法の市町村の廃置分合及び改称に関するところの関連条文です。
#特別市のみに関連する箇所は除いています。

当初の地方自治法(S22.4.17法律第67号)
第三條 地方公共團体の名称は、従来の名称による。
3 都道府縣及び特別市以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別に定のあるものを除く外、條例でこれを定めなければならない。
第七條 市の廃置分合又はこれに伴う町村の廃置分合若しくは市町村の境界変更をしようとするときは、関係市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
2 町村の廃置分合又は市町村の境界変更をしようとするときは、都道府縣知事は、関係市町村の議決を経、内務大臣の許可を得てこれを定める。所属未定地を市町村の区域に編入しようとするときも、また、同様とする。
3 都道府縣の境界にわたつて市町村の境界の変更をしようとするときは、関係普通地方公共團体の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
4 前三項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、第一項及び第二項の場合においては都道府縣知事、前項の場合においては内務大臣がこれを定める。
5 前項の協議については、関係市町村の議会の議決を経なければならない。
第八條 2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村は、その議会の議決を経て、都道府縣知事の許可を受けなけなければならない。
附則
第一條 この法律は、日本國憲法施行の日から、これを施行する。(略)
第二條 東京都制、道府縣制、市制及び町村制はこれを廃止する。(略)

地方自治法の一部を改正する法律(S22.12.12法律第169号)での改正
第三條 地方公共團体の名称は、従来の名称による。
3 都道府縣及び特別市以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別に定のあるものを除く外、條例でこれを定め、都道府縣知事の許可を得なければならない。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
第八條 3 町村を市とし若しくは市を町村とする処分又は村を町とし若しくは町を村とする処分は、前條第一項、第四項及び第五項の例によりこれを行うものとする。
附則
第一條 この法律は、昭和二十三年一月一日から、これを施行する。

地方自治法の一部を改正する法律(S27.8.15法律第306号)での改正
第三條 地方公共團体の名称は、従来の名称による。
3 都道府縣及び特別市以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別に定のあるものを除く外、條例でこれを定め、都道府縣知事の許可を得なければならない。
4 都道府県知事は、前項の規定により許可をしたときは、直ちにその旨を内閣総理大臣に報告しなければならない。
5 前項の規定による報告があつたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、予め内閣総理大臣に協議しなければならない。
3 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
4 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
5 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
6 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
7 第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
第八條 3 町村を市とし又は市を町村とする処分は第七条第一項、第二項及び第五項乃至第七項の例により、村を町とし又は町を村とする処分は同条第一項及び第五項乃至第七項の例により、これを行うものとする。
附則
1 この法律は、公布の日から起算して三月をこえない期間内において政令で定める日から施行する。

地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(S27.8.15政令第344号)(PDF)
内閣は地方自治法の一部を改正する法律(昭和27年法律第306号)附則第一項の規定に基き、この政令を制定する。
地方自治法の一部を改正する法律は、昭和27年9月1日より施行する
内閣総理大臣 吉田茂
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[83584] 2013年 6月 4日(火)18:41:26【1】むっくん さん
北蒲原郡新発田町の市制施行
>hmtさん

e-statで提供している国勢調査での
昭和22年臨時国勢調査>全国都道府県郡市区町村別人口(確定数)>3 全国都道府県郡市区町村別人口>15新潟県~18福井県(PDF)の3/9コマには
22.1.1 北蒲原郡新発田町(32,768)市となる
とあります。

現在のhmtマガジン市と町の違いに記載されている記事のみでは、S22.1.1に北蒲原郡新発田町が32,768人で市となることが説明できません。
そこで[83139]拙稿を[75438]の後に追加していただきますようお願いします。
[83568] 2013年 5月 31日(金)18:45:26【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(福岡県)
[83564]グリグリさん

[83563]白桃さんの
市区町村変遷情報の愛知県で
明治22年(1889年)10月1日 愛知県市制町村制施行 1市21町626村設置
となっておりますが、「1市23町624村」が正しいはずです。
を見ていて思い出しましたが、福岡県も
明治22年(1889年) 4月1日 福岡県 市制町村制施行 2市20町364村設置
ではなくて、「2市20町362村」が正しいはずです。1889(M22).4.1の市制町村制施行時の#108~#111で4村成立が誤りで実際は2村しか成立しておらず、この後分立で新たに2村が成立します。

当サイトの情報はできる限り正確で美しくしたいと思っています。どんな細かなことでも構いませんので、ご指摘頂けるとありがたいです。
私の把握している限りでは、市区町村変遷情報には愛知県の約100箇所の明白な誤りを筆頭に合計約300箇所の明白な誤りがあります。

私を含めて落書き帳のメンバーは今後、市区町村変遷情報での1990年以前の誤りの箇所をどなた宛で指摘していけばよろしいのでしょうか。。。


前述の福岡県の事例をここで一応書いておきますと、1889(M22).4.1の市制町村制施行時の
#108 新設/村制 下座郡 金川村 下座郡 屋永村, 桑原村, 田島村, 中島田村, 牛鶴村
#109 新設/村制 下座郡 蜷城村 下座郡 林田村, 上畑村, 鎌崎村, 金丸村, 鵜木村, 片延村, 長田村, 八重津村, 中村, 徳淵村, 福光村
#110 新設/村制 下座郡 福田村 下座郡 小田村, 平塚村, 小隈村, 白鳥村, 中寒水村, 倉吉村
#111 新設/村制 下座郡 立石村 下座郡 一木村, 来春村, 頓田村, 古賀村, 柿原村, 堤村, 相窪村
は誤りで、正しくは
#108 新設/村制 下座郡 蜷城村 下座郡 屋永村, 桑原村, 田島村, 中島田村, 牛鶴村, 相窪村, 林田村, 上畑村, 鎌崎村, 金丸村, 鵜木村, 片延村, 長田村, 八重津村, 中村, 徳淵村, 福光村
#109 新設/村制 下座郡 福田村 下座郡 小田村, 平塚村, 小隈村, 白鳥村, 中寒水村, 倉吉村, 一木村, 来春村, 頓田村, 古賀村, 柿原村, 堤村
となります。
参考:県令第43号(M22.3.13)

そして
# 1889(M22).__.__ 分立 下座郡金川村 下座郡 蜷城村の一部
# 1889(M22).__.__ 分立 下座郡立石村 下座郡 福田村の一部, 蜷城村の一部
を追加することになります。
参考:官報第一八七八号彙報(明治二十二年十月一日)
○雑事
○分村改称 福岡県に於ては筑前国下座郡蜷城福田の両村を分割して金川(こがねがは)、立石(たていし)の両村を新設し其区域及役場位置を定めたり即ち金川村の区域は元蜷城村大字屋永、桑原、田島、中島田、牛鶴、村役場位置は大字屋永、立石村の区域は元福田村大字一木、来春頓田、古賀、柿原、堤、元蜷城村大字相窪、村役場位置は大字堤とす(福岡県)
[83562] 2013年 5月 30日(木)17:31:37【1】むっくん さん
市区町村変遷情報と特例市の一覧
>グリグリさん

市区町村変遷情報に2箇所記載漏れがありましたのでお知らせします。

1箇所目は市区町村変遷情報(山口県)での
# 2005(H17).2.13 特例市 下関市 特例市に指定
です。
根拠は政令第12号(H17.2.2)です。下関市が豊浦郡 菊川町, 豊田町, 豊浦町, 豊北町との新設合併をしたことにより一旦特例市の指定が解除されました。そして新設合併と同日付で再度下関市が特例市に指定されたものです。
これにあわせて特例市の一覧での下関市の欄を
山口県下関市2002.4.12005.2.13 豊浦郡 菊川町, 豊田町, 豊浦町, 豊北町との新設合併により、一旦指定解除
下関市2005.2.132005.10.1 中核市へ移行
と修正することになります。

2箇所目は市区町村変遷情報(熊本県)での
# 2012(H24).4.1 区設置 熊本市 中央区, 東区, 西区, 南区, 北区
です。
根拠は熊本市条例第61号(熊本市区の設置等に関する条例)(H23.12.19)です。
#区の順番は条例の順に倣いました。
[83139] 2013年 4月 19日(金)12:25:54むっくん さん
市制施行の要件(vol.2)
かつて[75438]拙稿で市となるための要件(人口要件)をまとめました。

[75438]においては、
S18 内務省での市制施行の内規改正
人口5万人以上(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による
と書きましたが、これを

S18.4.17 内務省発地第36号(市制施行詮議内規)
人口5万人以上で都市的形態を具備するものと認められること

S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)
人口3万人以上で都市的形態を具備するものと認められること
へと追記・修正します。


なお、
S18.4.17 内務省発地第36号(市制施行詮議内規)
S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)
の詳細は以下の通りです。
#S21.12.2 内務省発地第291号(市制施行詮議内規改正)につきましては、新潟県市町村合併誌(上巻)(編:新潟県総務部地方課、発行:新潟県、S37.12.27)1021頁の記載によりました。

S18.4.17 内務省発地第三六號
市制施行詮議内規
一、市制の施行は其の豫定地域に於ける現住人口五萬以上なることを要すること
二、市制の施行は其の豫定地域に於ける住民の業態、市街地の形成、都市的施設其の他各般の事項に付概ね都市的形態を具備するものと認められることを要すること
(備考)
(1)住民の業態に付ては商工業的業態の戸数が全戸数の六割以上を占むるものなること
(2)市街地の形成に付ては中心市街地に於ける連たん戸数全戸数の六割以上を占むるものなること
三、前二項の基準に該当せざるも特に大工場の設置等に依り近く前二項の基準に達する見込確実にして且新興都市として都市計画的見地等より都市的建設を圖るの要あるものは特に之を詮議することを得ること


S21.12.2 内務省発地第二九一號
市制施行詮議内規
一、市制の施行は、その豫定地域における、現住人口が三萬以上であることを必要とすること
二、市制の施行は、その豫定地域における住民の業態、市街地の形成、都市的施設その他各般の事情について、概ね、都市的形態を具えるものと認められることを必要とすること
(備考)
(1)住民の業態については、商工業その他都市的業態の戸数が全戸数の六割以上を占めるものであること。
(2)市街地の形成については、中心市街地における連たん戸数が全戸数の六割以上を占めるものであること。
[83023] 2013年 3月 24日(日)18:20:29むっくん さん
鹿児島(2題)
[83018]グリグリさん
A. 郡名由来と思われるもの(誕生時に存在した郡名と完全一致)
鹿児島市(鹿児島郡 山下町, 他計50町村…)★
鹿児島市は郡よりも郷の方がより適切ではないでしょうか。少なくとも明治時代前半では鹿児島県においては郷という考えが生きており、郡はあまり存在感がありませんでした。

[83021]白桃さん
本日の選抜高校野球大会で、鹿児島県志布志市の尚志館高校が、大和広陵高校に見事な逆転勝ちをしましたが、アナウンサーがしきりに「大隅半島から初の甲子園出場、しかも初勝利」などと何度も言っていたのが気になりました。
(中略)
何故「大隅地方から初の甲子園出場」と言わなかったのでしょうか。
これは、志布志のある南諸県郡が大隅国ではなくて、日向国所属であったからではないでしょうか。
[82890] 2013年 2月 15日(金)18:32:24むっくん さん
続・天保郷帳での記載について
以前YTさんが[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて天保郷帳の複製本(編:史籍研究會、1984)(YTさんはこの本のことを『原本』と表記されています)とその『解読篇』についての詳細をまとめられていました。

そして[79622]拙稿にて村数の差異について推測を述べ、[79623]YTさんにおいて確認をして頂きました。その続きです。

[76919]YTさん
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
和泉國泉郡8938,432.6906008931,077.9622007,354.728400
和泉國南郡6730,120.0766006737,289.234600-7,169.158000
和泉國日根郡7656,414.3006007656,599.871000-185.570400
---------
この三ヶ所についてもおそらく天保郷帳の編集の際のミスであろうと以前から推測していました。
そこで天保郷帳(和泉国)及び天保国絵図(和泉国)とを比較し、以下に、誤りと考えられるところを挙げます。

泉郡となっているが、南郡と考えられるところ(天保郷帳の21コマ左側~24コマ右側の合計24村)
土生村、尾生村、上松村、下松村、額原村、小松里村、下池田村、中井村、福田村、鳥羽村、新井村、小瀬村、永吉村、久保村、半田村、作才村、西之内村、別所村、沼間村、岸和田村、津田村、堀村、嶋村、貝塚村

南郡となっているが、泉郡と考えられるところ(天保郷帳の26コマ左側~29コマ右側の合計24村)
春木川村、大沢村、父鬼村、大野村、坪井村、佛並村、下宮村、小野田村、鍛冶屋村、唐國村、内田村、春木村、松ノ尾寺村、久井村、若樫村、内畑村、観音寺村、寺門村、和気村、和気郷庄、小田村、今福村、寺田村、箕形村

南郡となっているが、日根郡と考えられるところ(天保郷帳の29コマ左側~31コマ右側側の合計16村)
五門村、紺屋村、野田村、小垣内村、小谷村、久保村、土丸村、大木村、畠中村、石才村、橋本村、堤村、地蔵堂村、王子村、七山村、大久保村

日根郡となっているが、南郡と考えられるところ(天保郷帳の35コマ左側~37コマ右側の合計16村)
三田村、包近村、中村、稲葉村、積川村、河合村、相川村、塔原村、箕土路村、両大路村、大町村、池尻村、今木村、田治米村、新在家村、摩湯村

おそらく、上記の箇所を修正することで和泉国の箇所における、『解読篇』と『原本』の石高差がなくなるものと考えられます。
[82836] 2013年 2月 1日(金)12:32:27むっくん さん
滋賀県ホームページ
本年の初書き込みです。本年もよろしくお願いします。

>Hiro_as_Fillerさん

滋賀県の公式ホームページのURLアドレスが本日より以下に変更されましたのでお知らせします。

http://www.pref.shiga.lg.jp/
[81945] 2012年 10月 12日(金)18:15:10【1】むっくん さん
境界変更での人口異動(その2)
前稿[81944]の続きです。
[81944]及び本稿の目的は境界変更(小)における人口異動の有無です。そこで(I)~(VI)の各法令の下で、境界変更にて人口異動がどのように公告されてきたかを具体的事例と共に見ることとします。

まずは(I)の具体的事例ですが、これは法令の本文からも分かるように、人口異動について公告されてはいません。


次に(II)の具体的事例です。
# 1902(M35).7.31境界変更 大阪府北河内郡諸堤村, 中河内郡北江村(微)→北河内郡諸堤村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報明治35年7月31日第1808号(PDF)2コマの大阪府告示第157号(M35.7.31)です。
大阪府告示第百五十七号
町村制第四條に依り中河内郡北江村の内寝屋川北岸以北大字鴻池二千八十八番地ノ一、二千八十八番地、千三百二十五番地、千三百二十六番地、千三百二十七番地、千三百二十八番地及千三百二十九番地以西の部分を北河内郡諸堤村に編入す
明治三十五年七月三十一日 大阪府知事 高崎親章

又、この境界変更による人口が大阪府公報明治35年9月25日第1824号(PDF)9コマの大阪府告示第199号(M35.9.25)に記載されています。
大阪府告示第百九十九号
明治三十五年七月三十一日府下中河内郡北江村の一部を北河内郡諸堤村に編入し両郡の境界変更の処分を為したる日の現住人口左の通
明治三十五年九月二十五日 大阪府知事 高崎親章
中河内郡___十万五千二十四人
仝郡北江村__二千二百三十六人
北河内郡___七万九千九百二十五人
仝郡諸堤村__千六百七十人


次に(III)の具体的事例です。
# 1908(M41).11.1境界変更 大阪府泉南郡樽井村, 日根野村(微)→泉南郡樽井村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報明治41年12月17日号外(PDF)7コマの大阪府告示第625号(M41.12.17)です。
大阪府告示第六百二十五号
明治四十一年十一月一日泉南郡日根野村より仝郡樽井村に飛地せる土地全部を仝郡樽井村に編入せり
明治四十一年十二月十七日 大阪府知事 高崎親章

又、この境界変更による人口が大阪府公報明治42年1月18日第2440号(PDF)7コマの大阪府告示第17号(M42.1.18)に記載されています。
大阪府告示第十七号
明治四十一年十一月一日府下泉南郡日根野村は樽井村境界変更の処分を為したる日の現住人口左の通
明治四十二年一月十八日 大阪府知事 高崎親章
泉南郡
日根野村__弐千九百弐人
樽井村___千八百八十壱人


次に(IV)の具体的事例です。
#44 1924(T13).4.1 境界変更 三重県飯南郡松阪町, 港村の一部→飯南郡松阪町
を見てみます。

廃置分合規定は三重県公報(大正13年2月12日第1150号)(PDF)3コマの三重県告示第69号(T13.2.12)です。
三重県告示第六十九号
町村制第三條に依り大正十三年四月一日より飯南郡港村の区域中大字鎌田、松阪、石津、荒木、郷津、高町屋、大口の七大字を飯南郡松阪町に編入す
大正十三年二月十二日 三重県知事 田子一民

又、この廃置分合による人口が三重県公報(大正13年5月23日第1178号)(PDF)4-5コマの三重県告示第266号(T13.5.23)に記載されています。
三重県告示第二百六十六号
大正十年八月二十七日内閣告示第五号及び大正十年十月二十一日三重県告示第三百四十三号告示の人口は大正十三年四月一日飯南郡松阪町及同郡港村の境界変更に依り左の通異動せり
大正十三年五月二十三日 三重県知事 千葉了
三重県総計__一、〇七三、一一四人
_______(二、二五一)
飯南郡合計__八七、九〇七
飯南郡松阪町_二五、二二四
同郡港村___二、七五六
備考 本表括弧内の数字は総現在人口中部隊艦船又監獄内に在りたる人員を示す


次に(V)の具体的事例です。
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府布施市, 中河内郡加美村(微)→布施市
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡加美村, 布施市(微)→中河内郡加美村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡巽村, 加美村(微)→中河内郡巽村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡加美村, 巽村(微)→中河内郡加美村
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府布施市, 中河内郡巽村(微)→布施市
# 1937(S12).10.1境界変更 大阪府中河内郡巽村, 布施市(微)→中河内郡巽村
を見てみます。

廃置分合規定は大阪府公報昭和12年9月27日第1393号(PDF)1-5コマの大阪府告示第1062号(S12.9.27)です。
大阪府告示第千六十二号
昭和十二年十月一日より布施市、中河内郡加美村及同郡巽村市村界を左の通変更す
昭和十二年九月二十七日 大阪府知事 池田清
(略)

又、この境界変更による人口が大阪府公報昭和12年10月8日第1398号(PDF)1コマの大阪府告示第1092号(S12.10.8)に記載されています。
大阪府告示第千九十二号
昭和十二年十月一日より実施の布施市、中河内郡加美村及同郡巽村市村境界変更に係る市制町村制施行規則第一條の規定に依る布施市及中河内郡加美村の人口左の如し
昭和十二年十月八日 大阪府知事 池田清
布施市_____九五、八九八人
中河内郡加美村_七、一〇九人

#人口異動が布施市と中河内郡加美村の間でのみしか行われなかったため、布施市と中河内郡加美村のみの記載となっています。


最後に(VI)の具体的事例です。
# 1957(S32).4.1 境界変更 大阪府箕面市, 茨木市(微)→箕面市
を見てみます。

廃置分合の根拠規定は総理府告示第161号(S32.3.30)です。
地方自治法第7条第1項の規定により、大阪府茨木市大字粟生間谷1の1から174まで、701から859までの区域を箕面市に編入する旨、大阪府知事から届出があつた。
上記の境界変更は、昭和32年4月1日からその効力を生ずるものとする。

又、この境界変更による人口が大阪府公報昭和32年4月22日第4395号(PDF)2コマの大阪府告示第294号(S32.4.22)に記載されています。
大阪府告示第二百九十四号
昭和三十二年四月一日から茨木市大字粟生間谷の区域の一部を箕面市に編入したので、地方自治法施行令(昭和二十二年政令第十六号)第百七十七条第一項第二号の規定による茨木市及び箕面市の人口は、次のとおりである。
昭和三十二年四月二十二日 大阪府知事代理 山村庄之助
茨木市 五九、一三七人
箕面市 二九、二五九人


さて、以上の事例から私が思いつく問題点は3つです。

一つ目は人口の記載された都道府県の告示より、どのようにして厳密な人口異動数を算出されるのでしょうか。少なくとも私にはその方法が思いつきません。

二つ目は(II)の内務省令第五十八号(M32.12.26)が施行される以前は人口異動の有無について知る手段が無いということです。仮に私の挙げた一つ目の問題点が解決できたとしても、境界変更(小)の記載に際して(3-a)人口異動ありと(3-b)人口異動なしを判別出来る資料がそもそも無い、という年代が存在します。

三つ目は、境界変更(小)の記載に際して(3-a)人口異動ありのものに限定する場合ですと、どのように記載するか判断できないこともあるということです
一例として今回の(V)の具体的事例が挙げられます。この事例において、市区町村変遷情報に記載するにあたって

1937(S12).10.1境界変更布施市布施市, 中河内郡 加美村(微)
1937(S12).10.1境界変更中河内郡加美村中河内郡 加美村, 布施市(微)

と書くのが適切か、それとも

1937(S12).10.1 境界変更 布施市 布施市, 中河内郡 加美村(微)

と書くのが適切か、それとも

1937(S12).10.1 境界変更 中河内郡加美村 中河内郡 加美村, 布施市(微)

と書くのが適切かが分かりません。
[81944] 2012年 10月 12日(金)18:08:42むっくん さん
境界変更での人口異動(その1)
[81919]グリグリさん
(3-a)(3-b)の人口異動数を変遷情報に記録したいと考えています。
果たして、グリグリさんの野望は実現可能なものなのでしょうか。取りあえず法令を調べてみました。

最初に人口についての法令の沿革です。

初めて人口について触れたのが
(I)内務省令第三号(M23.7.14)
市町村の人口は毎年十二月末日調査の現在数に依り翌年官報を以て告示し之を市制町村制に記載する最終調査の人口とす 但告示の後市町村を廃置分合し又は其境界を変更するときは次回の告示を為す迄の間其処分を為したる当時の調査に依るものとす
です。

これは
(II)内務省令第五十八号(M32.12.26)
明治二十三年内務省令第三号左の通改正す
市制第百三十條及町村制第百三十五條に規定せる市町村の人口は内閣統計局に於て調査し官報を以て報告する最近の人口に依る 但該報告ありたる後市町村を廃置分合し又は其の境界を変更したるときは次回の報告あるまでの間其の処分を為したるときの現在に依り其の人口は府県知事に於て之を調査し管内に告示すべし
と改正されます。

次に
(III)内務省令第二十二号(M40.8.31)
府県郡市町村の人口及府県制第五條第三項郡制第五條第四項議員配当の件左の通定む
第一條 府県制市制町村制に規定せる府県市町村の人口は内閣統計局に於て官報を以て報告する最近の人口に依る
2 前項人口調査の期日以後市(府県制第四條第二項但書の区とも以下同じ)町村を廃置分合し又は其の境界を変更したるときは関係市町村の人口は府県知事に於て之を調査し管内に告示すべし 此の場合に於て其の処分市町村全部の区域に係るものゝ人口は内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したるものに依る 其の分割を為し新たに市町村を置きたるとき及市町村の一部を割きて他の市町村に併合し又は境界変更を為したるときは其の分割したる各部の人口は処分を為したる当時の現在に依る
第二條 前條第二項の場合に於て二箇以上の府県郡の境界を渉るときは其の府県郡の人口も之を告示すべし其の人口は前條第二項告示の市町村人口と内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したる郡市町村の人口とを集計したるものに依る
第三條 町村を変じて市と為したるときは府県知事に於て其の市及郡の人口を告示しべし 其の人口は内閣統計局に於て官報を以て報告し若は府県知事に於て最近に告示したる旧町村の人口を以て市の人口とし其の他の町村人口を集計したるものを以て郡の人口とす
第四條 府県郡を廃置分合し若は其の境界を変更したるときは前三條の例に依る
(中略)
附則
第七條 本令は公布の日より之を施行す
と改正されます。
このとき分かるのが廃置分合に関係した市町村の人口です。

次に
(IV)内務省令第九号(T3.6.23)
府県郡島嶼市区町村の人口及び府県制第五條第三項郡制第五條第四項議員配当の件左の通定む
第一條 府県制市制町村制明治四十四年勅令第二百四十四号及本令に規定せる府県郡島嶼市区町村の人口は内閣統計局に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て市区町村の廃置分合、境界変更を為し又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは関係市区町村の人口は左の区別に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の区域に現住者なきときは此の限に在らず
一 市区町村の廃置分合にして市区町村全部の区域に係るときは内閣統計局に於て官報を以て公示し又は本令の規定に依り府県知事の告示したる関係市区町村の最近の人口を集計したるもの仍市区町村の廃置分合前の日に属する最近の人口を内閣統計局に於て官報を以て公示ありたるときは更に其の公示に係る関係市区町村の人口を集計したるもの
二 前号以外の場合に於ては府県知事の調査したる市区町村の廃置分合、境界変更又は所属未定地編入を為したる日の現在人口
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる為関係市区町村の人口に異動ある場合に之を準用す
第二條 前條第二項第二号及び第三項の告示を為すときは府県知事は同時に府県郡島嶼の人口を告示すべし其の人口は郡島嶼に在りては町村の人口を集計したるものとし府県に在りては郡島嶼市区の人口を集計したるものとす
第三條 府県島嶼を廃置分合し若は其の境界を変更したるときは前二條の例に依る
(中略)
附則
本令は大正三年七月一日より之を施行す
と改正されます。
このとき分かるのが廃置分合に関係した市町村の人口です。

次に
(V)内務省令第18号(府県制施行規則)(T15.6.24)
第一條 府県制第五條及び本令第三條に規定する人口は内閣に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て府県、市、区、従前郡長又は島司の管轄したる区域の境界に渉りて市区町村の廃置分合、境界変更を為したるとき又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは府県、従前郡長又は島司の管轄したる区域の人口は左の区別に依り、市区の人口は市制町村制施行規則第一條第二項乃至第四項の規定に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の区域に現住者なきときは此の限に在らず
一 従前郡長又は島司の管轄したる区域に於ては市制町村制施行規則第一條の規定に依る町村の人口を集計したるもの
二 府県に在りては市制町村制施行規則第一條の規定に依る市区町村の人口を集計したるもの
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる場合に之を準用す
4 前三項の人口中には部隊艦船又は監獄内に在りたる人員を含まず。
第二條 府県の廃置分合又は境界変更ありたるときは前條第二項及び第四項の例に依る
(中略)
附則
本令中議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行し其の他の規定は大正十六年度より之を施行す
内務省令第19号(市制町村制施行規則)(T15.6.24)
第一條 市制町村制に規定せる市区町村の人口は内閣に於て官報を以て公示したる最近の人口に依る
2 前項公示の人口現在の日以後に於て市区町村の廃置分合、境界変更を為し又は所属未定地を市区町村の区域に編入したるときは関係市区町村の人口は左の区別に依り府県知事の告示したる人口に依る。但し市区町村の境界変更又は所属未定地編入の地域に現住者なきときは此の限に在らず
一 一市区町村又は数市区町村の全部の区域を以て一市町村を置きたる場合又は一市区町村若は数市区町村の全部の区域を他の市区町村の区域に編入したる場合に於ては関係市区町村の人口又は之を集計したもの
二 前号以外の場合においては、当該市区町村の人口を廃置分合、境界変更ありたる日の現在に依り府県知事の調査したる人口に按分して算出したる当該地域の人口又は其の人口を関係市区町村の人口より控除したるもの
三 所属未定地を市区町村に編入したるときは編入の日の現在に依り府県知事の調査したる其の地域の人口を関係市区町村の人口に加算したるもの
四 前三号の規定に依る人口の告示ありたる日以後に於て市区町村の廃置分合若は境界変更又は所属未定地編入前の日に属する最近の人口を内閣に於て官報を以て公示ありたるときは更に其の告示に係る人口を基礎とし前三号の規定に依り算出したるもの
3 前項の規定は市区町村の境界確定したる場合に之を準用す
4 前三項の人口中には部隊艦船又は監獄内に在りたる人員を含まず。
(中略)
附則
本令中議員選挙に関する規定は次の総選挙より、財務に関する規定は大正十六年度より、其の他の規定は大正十五年七月一日より之を施行す
と改正されます。
#内務省令第九号(T3.6.23)を廃止させた法令は内務省令第19号(市制町村制施行規則)(T15.6.24)の方です。

次に(V)の二つの法令は内務省令第二十九号(地方自治法施行規則)にて廃止され、人口に関する法令は新たに
(VI)政令第十六号(地方自治法施行令)(S22.5.3)
第百七十六條
地方自治法第二百五十四條公示の人口の調査期日以後において、都道府県又は郡(北海道にあつては支庁長の管轄区域本省中以下これに同じ)の境界にわたつて市町村の廃置分合若しくは境界変更があつた場合、都道府県又は郡の境界にわたつて所属未定地を市町村の区域に編入した場合若しくは市町村の境界が確定した場合、郡の区域内において市の設置があつた場合若しくは町村が市となつた場合においては当該区域に現住者がいない場合を除く外、都道府県又は郡の区域の人口は左の区分により都道府県知事の告示した人口による。
一 郡にあつては、地方自治法第二百五十四條又はこの政令第百七十七條の規定による町村の人口を集計したもの
二 都道府県にあつては、地方自治法第二百五十四條又はこの政令第百七十七條の規定による市町村の人口を集計したもの
2 前項第一号の規定は、郡の区域をあらたに画し又はこれを変更した場合に、同項第二号の規定は、都道府県の廃置分合又は境界変更があつた場合にこれを準用する。
第百七十七條 地方自治法第二百五十四條の公示の人口の調査期日以後において、市町村の廃置分合若しくは境界変更があつた場合、所属未定地を市町村の区域に編入した場合、又は市町村の境界が確定した場合においては、当該区域に現住者がない場合を除く外、関係市町村の人口は、左の区分により都道府県知事の告示した人口による。
一 数市町村の全部の区域を以て一市町村を設置した場合又は一市町村若しくは数市町村の全部の区域を他の市町村の区域に編入した場合においては、関係市町村の官報公示の人口を集計したもの
二 前号以外の場合においては、当該市町村の官報公示の人口を廃置分合、境界変更又は境界確定のあつた日の現在により都道府県知事の調査した人口に比例して算出した当該区域の官報公示の人口若しくはその人口を集計したもの又はその人口を関係市町村の官報公示の人口に加え若しくは関係市町村の官報公示の人口から差し引いたもの
三 所属未定地を市町村に編入したときは、編入の日の現在により都道府県知事の調査した当該区域の人口を関係市町村の官報公示の人口調査の結果による人口に加えたもの
2 前項の規定は、地方自治法第百五十五條第二項の市の区をあらたに画し、又はその区域を変更した場合にこれを準用する。
(中略)
附則
第一條 この政令は地方自治法施行の日から、これを施行す
と制定されます。

その後政令第十六号(地方自治法施行令)は幾度の改正を経て、現在に至っています。

次稿で(I)~(VI)の具体的事例を見てみることとします。
[81931] 2012年 10月 9日(火)12:59:55むっくん さん
境界変更(小)での市区町村変遷情報への記載方法
[81919][81928]グリグリさん
[81919]の(3-a)までの境界変更データを変遷情報に追加しました。2005年10月2日以降2010年10月1日までの2005年から2012年の間の人口異動を伴う組替え要因と人口組替にリストされている7件(総務省告示単位では8件)と、それ以降2011年10月1日までの境界変更データで人口異動が有りそうなものを抽出しました。
さっそく市区町村変遷情報で確認してみました。
今回追加された事例は、従前は「近世村の範囲未満の部分」であるからこそ記載されていなかったものと思われます。そこで、従前の編集方針([75399]88さん)に従いますと“○○村(市,町)の一部”は“○○村(市,町)(微)”と記載する方が適切であると考えます。

一例として青森県の
141 2007(H19).9.1 境界変更 南津軽郡藤崎町 藤崎町, 青森市の一部
を挙げますと、これは
141 2007(H19).9.1 境界変更 南津軽郡藤崎町 藤崎町, 青森市(微)
と修正することとなります。
[81910] 2012年 10月 6日(土)11:55:58むっくん さん
Re:Re:境界変更情報
[81908]88さん
私もいまいちグリグリさんの真意が分かりませんが、[56539]での88さんの記述を参考にしてグリグリさんの考えておられるところを推測しました。

現状で市区町村変遷情報がどこまでを対象にするかに対しての案は大きく言って4つくらいあります。即ち
(1)廃置分合まで市町村の増減を主とし、あわせて改称、郡・区設置等を記載
(2)境界変更(大)まで実質的に「藩政村」の変遷を記載
(3)境界変更(小)まで地方自治法第7条にいう「境界変更」すべてに対応
(4)所属未定地の編入・埋立まで自治体の範囲が変わるものはすべて網羅
の4つです。
市区町村変遷情報の収録対象は、現在は(2)です。

今回のグリグリさんの提案は(3)を
(3-a)境界変更(小)までで人口異動を伴うもの
(3-b)境界変更(小)までで人口異動を伴わないもの
に分けて市区町村変遷情報の収録対象を現在の(2)から(3-a)に変更しようとするものであるというものではないでしょうか。
[81869] 2012年 9月 19日(水)18:32:53【1】むっくん さん
Re:瞬間の市
[81866]グリグリさん
[81862]hmtさんのリストに記載があり、瞬間の市に記載が無い6市(岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市、大和高田市、泉佐野市)の法的根拠を官報等で調べました。

まずは地方自治法が施行される以前の市制町村制の時の4市(岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市)を見ます。
(1) 1936(S11).4.1市制/改称 長野県諏訪郡平野村→岡谷市
この市制の法的根拠は内務省告示第82号(S11.3.7)で
内務省告示第八十二号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ長野県諏訪郡平野村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ岡谷市ヲ置ク
昭和十一年三月七日 内務大臣 後藤文夫
とあります。

(2) 1940(S15).11.10市制/改称 兵庫県武庫郡精道村→芦屋市
この市制の法的根拠は内務省告示第580号(1940(S15).11.6)で
内務省告示第五百八十号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十五年十一月十日ヨリ兵庫県武庫郡精道村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ芦屋市ヲ置ク
昭和十五年十一月六日 内務大臣 安井英二
とあります。

(3) 1942(S17).4.1市制/改称 大阪府泉北郡大津町→泉大津市
この市制の法的根拠は内務省告示第158号(1942(S17).3.20)で
内務省告示第百五十八号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年四月一日ヨリ大阪府泉北郡大津町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ泉大津市ヲ置ク
昭和十七年三月二十日 内務大臣 湯澤三千男
とあります。

(4) 1942(S17).6.10市制/改称 北海道常呂郡野付牛町→北見市
この市制の法的根拠は内務省告示第374号(1942(S17).5.27)で
内務省告示第三百七十四号
市制第三条、北海道一級町村制第一条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年六月十日ヨリ北海道常呂郡野付牛町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北見市ヲ置ク
昭和十七年五月二十七日 内務大臣 湯澤三千男
とあります。

これら4市を成立させることとした内務省告示を見ますと、名称変更の条文(市制第七條、町村制第五條、北海道一級町村制第一條で町村制第五條を準用)を使用せずに廃置分合の条文(市制第三條、町村制第三條、北海道一級町村制第一條で町村制第三條を準用)を使用しています。
市町村会議員必携(実例判例市制町村制逐条示解)(著:河本速夫、出版:自治正調協会、S12.12.18)での解説“名称ノ変更トハ”に依りますと、
村を町と為し、町を村となすも町と村とは元より町村制と云ふ同一の制度の下に置かれたものでありますから法律上其の性質を変更するものではありません只其の名称を変更するに過ぎませんが町を市と為し市を町とする場合は名称の変更ではありません。其の市又は其の町である自治団体は消滅して更に市又は町なるものが存在するものでありますから此の場合は廃置分合の手続きによらねばなりません。
とあり、上記(1)~(4)の4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。内務省告示の文章中でも
ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク
とあることより(1)~(4)の4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。
さて、変更種別が新設/市制となりますと、「市制施行日にのみ存在した市」、「市制施行日に先行して町名を改称した市」のいずれにも該当することはありえません。


続いて市制町村制等が廃止され地方自治法が施行された後のものを見ます(大和高田市、泉佐野市)。

地方自治法詳解(編・発行:内務大臣官房文書課、S22.7.15)によりますと
三 市の基準
(略)
従来町村は町村制を基礎法規としていたから町を村とし、村を町とすることは単なる名称の変更に類似し、人格の生減を伴わなかつたが、地方自治法においては、市と町村を通じて同一法律に基く地方公共団体となった結果単一の町村がそのまま市となる場合又は市が町村となる場合には、人格の生減を伴わないこととなるわけである
とあることより、従前の市制町村制の時に使用された廃置分合の規定が用いられずに、地方自治法(S22.4.17法律第67号)
第三条
3 都道府県及び特別市以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定のあるものを除く外、条例でこれを定めなければならない。
第八条
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
の規定が用いられるようになりました。
#第八条第二項は地方自治法の一部を改正する法律(S22.12.12法律第169号)によりS23.1.1以降は第八条第三項と変更されました。


(5) 1948(S23).1.1市制/改称 奈良県北葛城郡高田町→大和高田市
この市制の法的根拠の一つ目は内務省告示第395号(1947(S22).12.27)で
内務省告示第三百九十五号
地方自治法第八条の規定により、昭和二十三年一月一日から、奈良県北葛城郡高田町を大和高田市とする。
昭和二十二年十二月二十七日 内務大臣 木村小左衛門
とあります。
そして地方自治法の第三条第三項の規定により、法的根拠の二つ目として条例の存在が推認できます。また、地方自治法詳解では
五 告示
条例及び規則は必ず一定の公告式によつてこれを告示しなければならない。法規は、これを遵守すべきものに終始せしめたうえでなければその効力を生ぜず、且つ執行しないこととすることが立憲主義上当然の要請であるからである。告示の様式には別に制限はないが、従前の府県公報、市町村公報等によるべきである。
とあります。官報及び奈良県報(奈良県の公報)で名称変更の条例の存在が確認できないことより、おそらく高田町公報に名称変更の条例があるものと考えられます。
そして名称変更の条例があるならば、大和高田市は「市制施行日にのみ存在した市」もしくは「市制施行日に先行して町名を改称した市」のいずれかに該当することとなるのでしょう。

(6) 1948(S23).4.1市制/改称 大阪府泉南郡佐野町→泉佐野市
この市制の法的根拠の一つ目は総理廳告示第五十六号(1948(S23).4.9)で
総理廳告示第五十六号
町を市とする処分
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年四月一日から、大阪府泉南郡佐野町を泉(いずみ)佐(さ)野(の)市とする旨、大阪府知事から届出があつた。
昭和二十三年四月九日 内閣総理大臣 芦田均
とあります。
そして法的根拠の二つ目として名称変更の条例があり
佐野町条例第27号(佐野町を佐野市とされた場合における新市の名称変更についての条例)(S23.3.24)
昭和23年3月24日
佐野市を泉佐野市に変更する。
付則
この条例は、佐野町を佐野市とされた日から、これを施行する。
とあります。
#参考までに大阪府公報昭和23年3月29日第2999号(PDF)p1では
大阪府告示第百八十七号
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年四月一日から、泉南郡佐野町を、佐野市とし、同法第三條第三項の規定により、同日から市の名称を、泉佐野市に変更する條例を許可した。
昭和二十三年三月二十九日 大阪府知事 赤間文三
とあります。
総理廳告示からは分かりませんが、佐野町条例と大阪府告示より、大阪府泉佐野市は「市制施行日に先行して町名を改称した市」として付け加えることになるものと思われます。

訂正
【1】地方自治法(S22.4.17法律第67号)と地方自治法の一部を改正する法律(S22.12.12法律第169号)のリンク先を変更
[81839] 2012年 9月 14日(金)18:16:52むっくん さん
北埼玉郡埼玉村の読み方
[81832]グリグリさん
近代デジタルライブラリーの文献(計4件)を確認してみたところ、すべて「さいたま」でした。
埼玉県の町村制施行に際して行われた町村の廃置分合の法的根拠は、埼玉県の県令第七号(M22.3.23)です。これを、埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、発行:埼玉県、S35.4.1)により確認してみますと、276頁の武蔵国北埼玉郡のところで
名称区域/旧町村名
(略)
埼(サイ)玉(タマ)村埼玉村 利田村 渡柳村 野村
(略)
と記載されていました。
ということで、少なくとも法的には埼玉村は「さいたま」村と読んだものと考えられます。
[81177] 2012年 7月 24日(火)17:07:14【1】むっくん さん
旧高旧領取調帳では川北村が最多
[81149][81150][81151]グリグリさん
明治の大合併及びそれ以降の新設合併で成立したのは川西村が多いようですが、それ以前だとどの町村が多いのでしょうか。
明治2年頃の村を表した旧高旧領取調帳では

川東 10村(川東上村、川東下村を含む)
川西 17村(川西新村新田、新川西村、奥津川西村を含む)
川南 4村
川北 20村(川北村上組、川北村下組を含む)

河東 6村(上河東村、下河東村を含む)
河西 3村
河南 5村(丸河南村を含む)
河北 4村(上河北村、下河北村を含む)

江東 0村
江西 1村
江南 1村
江北 1村

となっていました。この時点では川北村が最多でした。
具体的にリストアップすると

国名郡名村名読み備考
美濃国中島郡川東村かわひがしM8.11.24に石津郡馬飼村との新設合併で岐阜県中島郡馬飼村
の一部となり消滅。(M20.7.13に愛知県所属となる)
伊賀国阿拝郡川東村かわひがし天保郷帳では河東村。
M22.4.1に新設合併で三重県阿拝郡壬生野村の一部となり消滅。
備後国奴可郡川東村かわひがしM22.4.1に新設合併で広島県奴可郡東城村の一部となり消滅。
安芸国山県郡川東村かわひがしM22.4.1に新設合併で広島県山県郡壬生村の一部となり消滅。
讃岐国香川郡川東上村かわひがしかみ天保郷帳では川東村で川東上村と川東下村とは分かれていない。
M23.2.15に新設合併で香川県香川郡川東村の一部となり消滅。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
讃岐国香川郡川東下村かわひがししも天保郷帳では川東村で川東上村と川東下村とは分かれていない。
M23.2.15に新設合併で香川県香川郡川東村の一部となり消滅。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
讃岐国大内郡川東村かわひがしM23.2.15に新設合併で香川県大内郡誉水村の一部となり消滅。
讃岐国阿野郡川東村かわひがしM23.2.15に新設合併で香川県鵜足郡美合村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡川東村かわひがし天保郷帳では柏原村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川東村かわひがしM22.5.1に新設合併で宮崎県北諸県郡沖水村の一部となり消滅。
相模国足柄上郡川西村かわにし神奈川県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
美濃国安八郡川西村かわにしM22.7.1に新設合併で岐阜県安八郡神戸村の一部となり消滅。
越後国三島郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で新潟県三島郡中越村の一部となり消滅。
大和国高市郡川西村かわにし天保郷帳では河西村。
M22.4.1に新設合併で奈良県高市郡新沢村の一部となり消滅。
伊賀国阿拝郡川西村かわにし天保郷帳では河西村。
M22.4.1に新設合併で三重県阿拝郡壬生野村の一部となり消滅。
播磨国飾西郡川西新村新田かわにししんむM5頃川西新村と改称。川西新村はM22.4.1に新設合併で
らしんでん兵庫県飾西郡余部村の一部となり消滅。
美作国吉野郡川西村かわにし承応2(1653)年尾崎村から分村して成立。
M14に合併で岡山県吉野郡古町村の一部となり消滅。
美作国西々条郡奥津川西村おくつかわにしM22.6.1に新設合併で岡山県西西条郡奥津村の一部となり消滅。
備後国奴可郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県奴可郡東城村の一部となり消滅。
備後国三上郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県三上郡高村の一部となり消滅。
安芸国山県郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県山県郡壬生村の一部となり消滅。
周防国玖珂郡川西村かわにし天保郷帳では岩国村の一部。
M22.4.1に新設合併で山口県玖珂郡横山村の一部となり消滅。
周防国熊毛郡川西村かわにし天保郷帳では宿井村の一部。
M22.4.1に新設合併で山口県熊毛郡城南村の一部となり消滅。
肥前国松浦郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で佐賀県西松浦郡大川村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡新川西村しんかわにし天保郷帳では中別府村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡川西村かわにし天保郷帳では未記載。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
大隅国桑原郡川西村かわにし天保郷帳では吉松村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県桑原郡吉松村の一部となり消滅。
備後国安那郡川南村かわみなみ広島県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
大隅国菱刈郡川南村かわみなみ天保郷帳では湯之尾村の一部。
M22.4.1に新設合併でで鹿児島県菱刈郡太良村の一部となり消滅。
大隅国大隅郡川南村かわみなみ天保郷帳では小根占村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県南大隅郡小根占村の一部となり消滅。
日向国児湯郡川南村かわみなみM5に大池村と猪窪村の合併で成立。
M22.5.1に新設合併で宮崎県児湯郡川南村の一部となり消滅。
尾張国海西郡川北村かわきたM22.10.1に新設合併で愛知県海西郡開治村の一部となり消滅。
伊賀国山田郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県山田郡布引村の一部となり消滅。
伊勢国朝明郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県朝明郡大矢知村の一部となり消滅。
伊勢国三重郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で三重県三重郡鵜川原村の一部となり消滅。
伊勢国奄芸郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で三重県奄芸郡大里村の一部となり消滅。(注)
伊勢国一志郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県一志郡豊田村の一部となり消滅。
丹波国天田郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で京都府天田郡雀部村の一部となり消滅。
丹波国多紀郡川北村かわぎたM5頃に川北新田村を分離。M22.4.1に新設合併で共に
兵庫県多紀郡南河内村の一部となり消滅。
美作国英田郡川北村かわきたM5に峠村を合併。
M22.6.1に新設合併で岡山県英田郡江見村の一部となり消滅。
備後国恵蘇郡川北村上組かわぎたむら旧高旧領取調帳以外の資料では川北村上組と川北村下組とは
かみぐみ分かれておらず川北村として記載されている。川北村はM22.4.1
に新設合併で広島県恵蘇郡山内北村の一部となり消滅。
備後国恵蘇郡川北村下組かわぎたむら備後国恵蘇郡川北村上組(上述)を参照のこと。
しもぐみ
備後国安那郡川北村かわきた広島県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
土佐国安芸郡川北村かわきた高知県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
豊後国大野郡川北村かわきたM8に新設合併で大分県大野郡田代村の一部となり消滅。
大隅国菱刈郡川北村かわきた天保郷帳では湯之尾村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県菱刈郡菱刈村の一部となり消滅。
大隅国大隅郡川北村かわきた天保郷帳では小根占村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県南大隅郡小根占村の一部となり消滅。
大隅国囎唹郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で鹿児島県西囎唹郡東襲山村の一部となり消滅。
日向国児湯郡川北村かわきたM5に寺迫・征矢原・長野・岩山・瓜生・篠別府の6村が合併して成立。
M22.5.1に新設合併で宮崎県児湯郡都農村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川北村かわきた天保郷帳では西村。後に東川北村と改称。東川北村は
M22.5.1に新設合併で宮崎県西諸県郡加久藤村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川北村かわきた天保郷帳では東村。後に西川北村と改称。西川北村は
M22.5.1に新設合併で宮崎県西諸県郡真幸村の一部となり消滅。
遠江国城東郡河東村かとうM22.3.1に新設合併で静岡県城東郡南山村の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡上河東村かみがとうM8に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)常永村の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡下河東村しもがとうM8に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)畷村の一部となり消滅。
筑前国宗像郡河東村かとうM7に多礼村を分村。
M22.4.1に新設合併で福岡県宗像郡河東村の一部となり法的には
一度消滅。この後は[81150]グリグリさんの表を参照のこと。
肥後国飽田郡河東村かわひがし川東村はM7.11.8に新設合併で白川県(現:熊本県)飽田郡和泉村
の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡河西村かさいM8.1.19に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)常永村の一部
となり消滅。
能登国鳳至郡河西村かわにし川西村はM22.4.1に新設合併で石川県鳳至郡西町村の一部となり消滅。
大和国十市郡河西村かわにし天保郷帳では存在せず、天保国絵図では桜井村之内・河西村との記載。
M22.4.1に新設合併で桜井村の一部となり消滅。
加賀国江沼郡河南村かわみなみM22.4.1に新設合併で石川県江沼郡河南村の一部となり法的には
一度消滅。この後は[81150]グリグリさんの表を参照のこと。
近江国神崎郡河南村かわみなみ川南村はM22.4.1に新設合併で滋賀県神崎郡八幡村の一部となり消滅。
備後国御調郡河南村かなん天保郷帳では浦辺村の一部。
M22.4.1に新設合併で広島県御調郡下川辺村の一部となり消滅。
備後国御調郡丸河南村まるかなんM22.4.1に新設合併で広島県御調郡河内村の一部となり消滅。
豊後国大野郡河南村かわみなみM8に新設合併で大分県大野郡田代村の一部となり消滅。
尾張国丹羽郡河北村こぎたM22.10.1に新設合併で愛知県丹羽郡富成村の一部となり消滅。
越前国足羽郡下河北村しもこぎたM22.4.1に新設合併で福井県足羽郡下文殊村の一部となり消滅。
越前国足羽郡上河北村かみこぎたM22.4.1に新設合併で福井県足羽郡下文殊村の一部となり消滅。
河内国讃良郡河北村かわきたM22.4.1に新設合併で大阪府讃良郡寝屋川村の一部となり消滅。
尾張国海西郡江西村えにしM22.10.1に新設合併で愛知県海西郡八輪村の一部となり消滅。
紀伊国名草郡江南村えなM22.4.1に新設合併で和歌山県名草郡安原村の一部となり消滅。
伯耆国久米郡江北村えきたM22.10.1に新設合併で鳥取県久米郡中北条村の一部となり消滅。

となりました。
(注)旧高旧領取調帳では河曲郡となっていましたが、これは奄芸郡の誤記と考えられることより訂正。

旧高旧領取調帳以降に成立し市制町村制施行直前まで存在したところとしては、

●岡山県吉野郡川東村(M5に美作国吉野郡東尾崎村上分、東尾崎村下分が合併して成立。)
●山口県美祢郡厚保川東村(M初期に長門国美祢郡厚保村が3村に分かれて成立。)
●秋田県由利郡川西村(M9に出羽国由利郡米山村、新屋敷村、奉行免村が合併して成立。)
●岐阜県益田郡川西村(M8.1.に飛騨国益田郡西上田村、跡津村、羽根村、野上村、尾崎村、四美村、三原村、少ヶ野村が合併して成立。)
●三重県安濃郡川西村(M8.4.に伊勢国安濃郡岡南村、村主村、井上村の合併で成立。)
●大分県速見郡川西村(M8に豊後国速見郡津々良村、内徳野村、山浦村、前徳野村の合併で成立。)
●岡山県久米北条郡久米川南村(天保郷帳でも美作国久米北条郡久米川南村だが、旧高旧領取調帳では久米上村、久米中村、足山村、大久保村に分かれて、M5に前述の4村が合併して成立。)
●大分県速見郡川南村(M8に豊後国速見郡石松村、山崎村、平村の合併で成立。)
●大分県速見郡川北村(M8に豊後国速見郡石武村、荒木村、光永村の合併で成立。)
●福岡県生葉郡江南村(M9に筑後国生葉郡夏梅村、高田村、今竹村の合併で成立。)(M22以降の福岡県生葉郡江南村については[81151]グリグリさんの表を参照のこと。)

があります。
[81135] 2012年 7月 18日(水)18:47:27【2】むっくん さん
指宿&吉崎&戸長役場
[81134]88さん
S8.5.1付けでの町制施行の根拠を資料を私は確認できていません。
この時代の名称変更を伴わない町制施行の法的根拠は府県により異なり、県の公報に県告示として周知しているところ(e.g.京都府)と官報の広告欄に掲載して周知しているところ(e.g.鳥取県)があります。
当時の鹿児島県の公布式及び条例を見ていないので、鹿児島県がいずれにあたるかは分かりませんが、官報第一八八一号(昭和八年四月十一日)では
○町村変更
揖宿郡指宿村ヲ指宿町ト為シ来ル五月一日ヨリ施行ノ件本月六日許可セリ
昭和八年四月 鹿児島県
とあります。

追記
鹿児島県統計書(明治22-23年)(編:鹿児島県内務部第一課、発行:鹿児島県庁、M25.11.30)では市制町村制施行で成立したのは揖宿郡指宿村とあります。

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[81132]hmt さん
現在は 石川県加賀市吉崎町も 吉崎御坊跡(福井県あわら市)と同じく 大聖寺川左岸になっていますが、川の位置が変ったのが 門前町の賑わった頃よりも前なのか否かは、新聞社のレポートを読んでも判然とはしませんでした。
これは資料がないため、確たることが言えず、意図的に並列で文章を書いているのだと思います。私の理解している範囲で時系列で書きますと、

(1)814年、大聖寺川を境に越前と加賀が分国。
(2)その後、大聖寺川上流からの川砂が若干たい積する。
(3)1471年に吉崎御坊が建立。寺内町として発展し始める。
#おそらく814年当時とは地形的に大差なし。吉崎御坊の北は大聖寺川の入り江(三角江)で西及び南も入り江(後の北潟湖)。
(4)1475年蓮如が吉崎を退去。
(5)1506年朝倉氏が吉崎の坊舎を破却し、以後廃坊となる。
(6)1644年大聖寺藩が大聖寺川河口で新田開発開始。
(7)1713年鹿島と陸続きとなる。
#この頃、北側は大聖寺川の三角江から狭まり現状とほぼ同じ川幅になったか。
(8)1746,1747年吉崎に西本願寺と東本願寺が別院の建立。
(9)1867年堰堤・開田橋と水門の建設。北潟湖が汽水から淡水に変わり始める。
#吉崎の南側の埋め立ては幾多の私人が随時行ったようです。

となるのではないでしょうか。確証はありませんが。

参考HP:河口の変遷とカキの養殖福井県河川事業13浄土真宗のひろがり(2)(図説福井県史)絵図

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[74083]YTさん
さらに問題となるのが北海道です。『日本帝国静態人口統計』(明治31年)では北海道に限り、連合戸長役場の有無が掲載されておりません。一方明治36年以降の連合村の状況はかなり複雑で、『日本帝国人口静態統計』(明治36年、明治41年、大正2年、大正7年)によると、以下のような変遷を辿っており(他は単独の戸長役場を持つ町・村)、明治31年の連合戸長役場の状況を明治36年以降の状況から逆算で推定するのは危険のようです。
(略)
現在北海道の連合戸長役場の変遷の資料を探しています。
遅レスですが。
M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。又、M31.7.31現在からM31.12.31の間に上川郡東旭川村が成立していますが([79348])、官報第四五九六号附録(明治三十一年十月二十四日)の庁府県公報によりますと、
○新村設置
石狩国上川郡永山村ノ内字 ウシシユベツ ヲ割キ東旭川村ヲ置キ永山村戸長役場ノ所轄ト為セリ
明治三十一年十月 北海道庁
とあり、永山村戸長役場の傘下となったことが分かります。M31.12.31現在の連合戸長役場についてはM31.7.31現在と大差ないはずで、この間については官報の附録の庁府県公報の欄にある戸長役場の記述をM31.8.1~M32.2.28の間ぐらいを探せば良いのではないかと考えます。
#あくまでもM31.12.31現在の連合戸長役場についての資料が見つからなかった際の次善の策ですが。。。


訂正・追記
【1】三角江との表記を追記
【2】鹿児島県統計書についての記述を追記
[81086] 2012年 7月 13日(金)18:17:53むっくん さん
町であるか村であるかの判断基準
[81073]白桃さん
2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。
まず、全国的な町村の一覧表というのはおそらく
(1)「各府県村名調査報告」(明治7年現在)([81075]YTさん)
(2)「郡区町村一覧」(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12~13年現在)
(3)「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」(明治14年現在)([81075]YTさん)
(4)「地方行政区画便覧」(著・出版:内務省地理局、M20.10)(明治19年1月現在)
の4つだけではないかと思われます。

次はどこが町で、どこが村かという基準についてです。
(1)においては各府県が町村を独自に分けて数えています。種別として出てくるのは基本的には「町」「村」の2つですが、一部の府県では「町」「村」の2つのみならず「駅」と「宿」をも分けて数えているところがあります。
(2)と(4)においては、内務省は町村を「町」「村」に分けて数えています。

各府県が出している統計書では、当初は(1)と同様に基本的には「町」「村」の2つですが、一部の府県では「町」「村」の2つのみならず「駅」と「宿」をも分けて数えているところがありました。その後明治10年代後半になると内務省乙第36号達(府県統計書様式)(M17.9.3)に従い、「町」もしくは「村」の2つのいずれかとして集計しています。
#各府県の統計書は郡区町村編制法が施行された明治11年に政府が様式を定めて各府県に出すことを求めたものです。ただし、当初は統計書を出すこと自体が困難を極めることより、定められた様式を守ることよりも、とりあえず発行することを優先的に政府は求めました。明治10年代後半になると各府県の統計書を見る限り様式は一様であり、その一項目としてすべての自治体・行政区画を郡・区・町・村として集計しています。

郡区町村編制法の時代の各府県が出している統計書(但し内務省乙第36号達(府県統計書様式)(M17.9.3)以降のもの)、(2)、(4)を比較してみます。
神奈川県の統計書(e.g.神奈川県県治一斑(明治21年)(編・出版:神奈川県、M25.3.1)M21.12.31現在)では「宿」を「村」として集計しているのに、埼玉県の統計書(e.g.埼玉県統計書(明治20年)(編:埼玉県第一部庶務課、出版:埼玉県、M23.5.))では「宿」を「町」として集計しています。(2)及び(4)ではいずれの県の「宿」をも「町」として集計しています。
#(2)の例としての神奈川県南多摩郡及び埼玉県北足立郡、(4)の例としての神奈川県南多摩郡及び埼玉県北足立郡
兵庫県の統計書(e.g.兵庫県統計書(明治19_20年)(編・出版:兵庫県、M22.8.28))では武庫郡の西宮鷲林寺新田と西宮柏堂新田を「村」ではなく「町」として集計しているのに対して、(2)及び(4)では「村」として集計しています。

次に(2)郡区町村一覧の例言では
宿 駅 里 郷 荘 組 通 小路 新田 出作 受所 島 浦 浜 等と称する類は其名に拘らず其実に従ふ
とあります。そして(4)地方行政区画便覧の例言では
町村と並立したる地名にして町村と称せず何宿、駅、通、湊、小路、新田、出作、分、受、島、浦、浜、山、里、竈、捌、搦等と称するもの及単に名張(伊賀国名張郡)新鼻、別行(越後国北蒲原郡)等と称するものの如きは町村の文字なきが故に町村の区別判然せず。由て町の性質あるものは特に*を標し村の性質あるものと混淆せさをしむ。但一市街中(三重県伊勢国安濃郡津の内 榎ノ下、新道、丸ノ内の類)にあるもの並宿、駅は之を略す。
とあります。
郡区町村編制法(M11.7.22)でも条文上特に「町」と「村」を分けた規定は見あたりません。

以上から考えられる合理的結論としては、市制町村制以前においては、集計の都合上便宜的に「町」と「村」に分けていたという程度のものであり、“どこが町で、どこが村かという基準”は存在しなかった、というものではないでしょうか。

この点は市制町村制施行以後では異なり、「市」でない各自治体は「町」と「村」のいずれかとなったようです。
以前にも話題となった神奈川県南多摩郡日野宿を一例として見てみることにします。
市制町村制施行以前においては、国の下部組織である神奈川県は日野宿を「村」として、内務省は(2)や(4)において日野宿を「町」として集計していました。
市制町村制施行以後においては、実務を担う神奈川県に合わせたためでしょうか、国の下部組織である県は従前どおり日野宿を「村」として集計し([78794])、国も日野宿を「村」として取り扱ったようです。
明治二十三年 日野宿・桑田村・七生村衆議院選挙人名簿(『日野市史史料集近代2社会・文化編(編・発行:日野市史編さん委員会、S54.3.31)』pp.117-119)では、
神奈川県第三区
 衆議院選挙人名簿 
  南多摩郡 北多摩郡 西多摩郡

日野宿
 村長 中嶋傅之助

伊藤庄七     岩渡吉蔵
(略)
とあり、日野宿の首長の名称は村長とあります。
[81050] 2012年 7月 8日(日)15:13:42【1】むっくん さん
Re^2:通勤高速バス
[81040]オーナーグリグリさん
[81045]にまんさん
関西ですと、他にも京阪バスの
京都駅(八条口)-なんば(OCAT)
京都駅(八条口)-松井山手駅
中書島駅-立命館大学(びわこ・くさつキャンパス)
京都駅(八条口)-醍醐寺・京都橘大学
も通勤・通学高速バスですね。

終電が出た後の深夜バスですと、他にもまだまだありそうですが。
[80889] 2012年 5月 24日(木)18:31:54むっくん さん
大津町と熊之庄村
[80887]白桃さん
個人的には、熊本県大津町が、大津市がまだ大津町だった頃の最高人口を上回っているのではないか
呼ばれたような気がしましたので、調べてみました。

市区町村プロフィール(熊本県)によると、熊本県大津町の人口は31,234人でした。

一方、大津市の人口(及び面積)は次のような変遷をたどっています。

年月日人口(/人)面積(/?2)備考
1898(M31).10.132,44614.20市制施行
1932(S7).5.1042,36428.39滋賀村合併
1933(S8).4.169,11662.48膳所町・石山町合併
1951(S26).4.1102,860154.50雄琴村・坂本村・下阪本村・大石村・田上村合併
1967(S42).4.1159,442303.68瀬田町・堅田町合併
2006(H18).3.20327,479374.06志賀町合併
2007(H19).10.1331,842464.10琵琶湖の境界設定による市域拡張
#上記データは統計データ 統計おおつ《平成22年概要版》大津のまち(PDF)によります。

二者を比較しますと、熊本県大津町の人口の方が少ないようです。


次は別件です。

[80876]グリグリさん
★の小牧市は想定解ではありませんが、熊之庄村の一部が五条村になり、五条村が北里村を経て師勝町と小牧市になったため、変遷情報だけでは、熊之庄村の一部が小牧市に含まれている可能性が残ります。しかしながら、熊之庄村の現在の地域を確認することにより、小牧市に移った部分には熊之庄村が含まれていないことが分ります。
蛇足とは思いますが、法的根拠を紹介します。

まず、五条村成立の法的根拠は愛知県告示第153号(M33.7.16)で
告示第百五十三號
縣下西春日井郡小木村の内大字藤島及同郡熊之庄村の内大字薬師寺を分割して五條村を置く
右町村制第四條に依り之を處分せり
 明治三十三年七月十六日 愛知県知事 男爵 沖 守固
となります。

次に北里村成立の法的根拠は愛知県告示第200号(M39.7.11)で
告示第二百號
縣下西春日井郡訓原村、鹿田村、六師村、熊之庄村を廃し其区域を以て新に師勝村を置く
仝郡尾張村、小木村、多気村、五條村を廃し其区域を以て新に北里村を置く
(略)
右町村制第四條に依り之を處分し明治三十九年七月十六日より施行す
 明治三十九年七月十一日 愛知県知事 男爵 深野 一三
となります。

最後に北里村の小牧市及び師勝町へ分割編入の法的根拠は自治省告示第116号(S38.7.30)で
自治省告示第百十六号
市町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、愛知県西春日井郡北里村を廃し、その区域のうち大字市之久田、小針入鹿新田、小針、小針巳新田、多気、小木及び藤島の区域を小牧市に、大字薬師寺の区域を西春日井郡師勝町に編入する旨、愛知県知事から届出があった。
右の廃置分合は、昭和三十八年九月一日からその効力を生ずるものとする。
となります。

引用者注:愛知県告示第153号(M33.7.16)及び愛知県告示第200号(M39.7.11)は片仮名を平仮名に改めています。
[80557] 2012年 4月 27日(金)18:31:04【2】むっくん さん
市区町村の廃置分合の官報掲載について
[80444]88さん
上述の3件以外にもまだ官報の「広告」欄に搭載された例があるかとは思いますが、そこまで調査が至ってません。
官報に市区町村の廃置分合を搭載した歴史ですが、当初は「彙報」欄の「雑事」にて、明治24年頃からは官報「附録」の「庁府県公報」欄にて、明治33年頃からは官報の「広告」欄にて、昭和23年4月からは官報の本文にて搭載されているものである、と私は認識しています。
#間違いがあるかもしれませんが。

次に記すのががそれらの一例です。旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに引用者が置換えています。
------------
官報の「彙報」欄の「雑事」にて搭載されたもの
官報第一一四〇号(明治二十年四月二十一日)
○彙報
○雑事
○合村改称及編入
静岡県に於ては遠江国榛原郡神谷村、城東郡西深谷村の両村を合併して榛原郡神谷城村と改称し同郡金谷宿外四箇村戸長役場区域内に編入せり(静岡県)

官報「附録」の「庁府県公報」欄にて搭載されたもの
官報第二八九三号附録(明治二十六年二月二十三日)
○庁府県公報
○分合村
新潟県に於ては町村制第四条に依り内務大臣の許可を受け加茂郡内浦村大字北五十里を分割して同郡羽吉村へ合併せり此段公告す
明治二十六年二月三日 新潟県

官報の「広告」欄にて搭載されたもの
官報第五六七一号(明治三十五年六月二日)
○広告
○村合併並役場位置
入間郡山口村、上山口村、勝楽寺村を合併して山口村を置き其役場位置を大字山口に定めたり
明治三十五年六月 埼玉県

官報の本文にて搭載されたもの
官報第6363号(昭和23年4月2日)
総理庁告示第二十六号
市町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十三年四月一日から、岩手県西磐井郡一関町、山目町、中里村及び真滝村を廃し、その区域を以て一関(いちのせき)市を置く旨、岩手県知事から届出があつた。
昭和二十三年四月二日 内閣総理大臣 芦田均
------------

そして市制町村制が改正された明治44年頃から市区町村の廃置分合改称境界変更等は概ね官報の「広告」欄に記載されるようになったようです。(それ以前は不明)
#ただし法律に定めたもの(町や村や区から市となるもの、市から町や村となるもの、新たに区(北海道区制による区)となるもの、新たに町村(北海道一級町村制及び北海道二級町村制による町村)となるもの等)は、「広告」欄ではなく従前どおりに法律や勅令や内務省令や内務省告示で示されています。
そして大正元年からは廃置分合改称境界変更等を官報の「広告」欄に記載するにあたり、その施行日も記載されるようになったようです。

内務省地方局行政課が大正3年から昭和18年にかけて作成した市制町村制例規(一)(PDF)32コマによりますと、
発乙第一三六号ノ内
郡町村名の変更等の際は其都度報告方の義去る明治二十六年七月送甲第二一七二号を以て陸軍省より通牒相成居候処郡市区町村の廃置分合及改称等の場合は法律を以てするものを除き官報を以て広告相成候に付該報告方廃止の儀同省へ交渉の結果自今報告を要せざることと相成候條右に御了知の上先般及通牒置候通其都度無漏遠に広告相成候様幾度此段及通牒候也
明治四十四年八月二十一日 地方局長
各地方長官宛

地第四一一六号
一 市区町村の廃置分合、境界変更、改称及市区町村の大字小字の区域名称の変更等官報に搭載する広告は自今施行の期日を明記し且其の期日を以て広告することに御取扱相成度又其の広告は明確を欠くが如きことなき様特に御注意相候度
一 明治二十七年司法省訓令第一号を以て郡市区町村の廃置分合改称等届出方訓令相成居候処右は法律を以てするものを除き道庁府県に於て官報広告するを以て自今右届出を為さざるも差支なき旨司法省より回答有之候に付右様御了知相候度
大正元年九月四日 地方局長
とあります。
#旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに引用者が置換えています。
市制町村制例規(一)(PDF)国立公文書館デジタルアーカイブにて公開されているものです。

最後に
これ以前は、上述のように、府県告示?であり、官報という「公報」に掲載されたようです。
もちろん、府県の公報に掲載されたものもあるでしょう。
についてです。
官報の「広告」欄に掲載されたものは府県告示とは同一のものではありません。
ここでは1925(T14).12.1新設合併で成立した京都府竹野郡豊栄村の事例を挙げておきます。ただし、旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに引用者が置換えています。

まずは京都府告示です。
京都府告示第六百十九号
村廃置並財産処分の件町村制第三条に依り府参事会の議決を経内務大臣の許可を得て左の通定む
大正十四年十一月三十日
京都府知事 池田宏
大正十四年十二月一日より竹野郡八木村及徳光村を廃し其区域を以て豊栄村を置き同時に八木村及徳光村所有財産は全部之を豊栄村の所有に移すものとす

次に官報の「広告」欄に掲載されたものです。
官報第三九八三号(大正十四年十二月三日)
○村廃置並村役場位置
竹野郡徳光村及八木村を廃し其区域を以て豊栄村を置くの件府参事会の議決を経内務大臣の許可を得たるに付本月一日より施行し豊栄村役場位置を大字成願寺小字内坪一二〇八番地、一二〇九番地に定めたり
大正十四年十二月 京都府



#以下は余談です。
官報の明治16(1883)年7月2日~昭和27(1952)年4月30日にかけての分は国立国会図書館(デジタル化資料)にて公開されています。今年の5月7日からは近代デジタルライブラリー国立国会図書館(デジタル化資料)に統合されることになっています。

【訂正】
【1】すべての→大半の
【2】“大半の”市区町村の廃置分合改称境界変更等は→市区町村の廃置分合改称境界変更等は“概ね”
[80451] 2012年 3月 29日(木)13:16:04むっくん さん
自治体の名称の揺らぎ
[80375][80428]グリグリさん
変遷情報検索等の改良、お疲れ様です。

変遷情報検索で、現在は「の・ノ・之・乃・野」を区別する仕様となっており、現状ではこれで特に問題がないと思います。
しかし、将来、市区町村変遷情報が明治前期(特に明治10年以前)に遡ると、問題が生じるものと考えます。
明治前期に発行された各種文献の自治体の名称を見てみますと、「ノ」と「之」と「埜」が混用されています。

将来を見越すならば、現状の「の・ノ・之・乃・野」を区別する仕様から、「の・ノ・之・埜・乃・野」を区別する仕様へと変えたほうが良いのではないでしょうか。
[80320] 2012年 2月 22日(水)18:19:15むっくん さん
Re:里川口町から花巻川口町への改称
[80285]MIさん

返信遅れましてすみません。

私が里川口町から花巻川口町への改称の日付を探したのがかなり前のことであり、詳細なところまで記録としては残していませんので確かなことは言えませんが、確認手順は以下の通りだったと記憶しています。

まずは岩手県統計書(明治22年)(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)に記載の県令第12・13・15号にて市制町村制施行時のM22.4.1は里川口町であることを確認しました。
次に明治30(1897)年中の廃置分合を文末に記した内務省告示第92号(M31.9.13)に里川口町から花巻川口町への改称があることを見つけました。内務省告示第63号(M30.10.16)よりM29.12.31の時点では里川口町であり、内務省告示第92号(M31.9.13)299コマよりM30.12.31の時点では花巻川口町となっており、この間に改称されたことを確認しました。
ここまではMIさんと同じです。

次に岩手県町村合併誌(編・出版:岩手県総務部地方課、1957)を見ましたが、この改称が記載されていせんでした。そこで次善の策として、当時、里川口町に住んでいた人の記したものを探しました。
当時、里川口町に住んでいた著名人として宮澤賢治氏がおり、その全集の中でM30.10.30に改称が行われたとの記載があったと記憶しています。Web上にも同様なことが記載されているHPもありました。

さてこれを市区町村変遷情報にどのように記載するかです。改称が行われた明治30(1897)年はともかく日付の10月30日は確度のある情報とは言い難く、あくまでも参考情報としておいた方がよさそうです。


-------------------------
以下は88さん宛です。
[80274]拙稿で書いた1897(M30).10.30改称ではなくて、日付を外した
1897(M30).__.__ 改称 稗貫郡花巻川口町 稗貫郡 里川口町
の方を市区町村変遷情報(岩手県)に付け加えていただきますようお願いします。
[80274] 2012年 2月 11日(土)14:02:48むっくん さん
表記の揺れ
[80262]ぺとぺとさん
「井ノ口村」or「井之口村」というようなものは基本的には表記の揺れで、依拠する資料が異なれば表記も異なってしまうといったものであると思います。市区町村変遷情報中にはこのようなものはおそらく数多くあるでしょうから、地道に探して表記をどちらかに統一する必要があろうかと思われます。

以下は88さん宛ての情報提供です。
私が表記が異なるものとしてすぐに思いつくのは滋賀県滋賀郡の下「阪」本村or下「坂」本村です。成立時(M22.4.1)の下「坂」本村と消滅時(S26.4.1)の下「阪」本村で表記が異なっています。これは消滅時(S26.4.1)の表記に統一するのが適当なのでしょう。
次に[80267]中島悟さんが指摘されておられる新潟県中蒲原郡松島村の件ですが、新潟県市町村合併誌(上巻)(編・出版:新潟県、S37)によりますと、この分割がなされた県告示の抜粋では「松島村ヲ廃シ」との文言がありましたことを補足させていただきます。

最後に[80268]中島悟さんが指摘されておられる岩手県稗貫郡の「里」川口町or「花巻」川口町です。これはM30.10.30に行われた里川口町から花巻川口町への改称が市区町村変遷情報(岩手県)の記載から抜け落ちているために生じたものです。
[79734] 2011年 12月 13日(火)17:55:14むっくん さん
第8回落書き帳公式オフ会「ミニ十番勝負」
[79728]グリグリさん
第8回落書き帳公式オフ会記録を拝見しました。

第8回落書き帳公式オフ会「ミニ十番勝負」の問二の解説での
※ 例えば、番号91・92・93は隣接していることから、(略)

※ 例えば、番号89・90・91は隣接していることから、(略)
の誤りではないでしょうか。

次に
*4 番号131 中+野木村(M7に野木村を分割して上野木村・中野木村・下野木村になった。)
との解説は誤りなのではないでしょうか。

まず、天保郷帳(若狭国)23コマでの記載では上野木村と下野木村の2村が書かれています。
次に、明治2年頃の旧高旧領取調帳では上野木村と中野木村と下野木村の3村となっています。天保郷帳(若狭国)との石高の比較より、中野木村の大部分は元が下野木村で、一部が元が上野木村であることが推定できます。
また、若狭遠敷郡誌(編:遠敷郡教育会、出版:帝国地方行政学会、T11.12.5)によりますと、明治6年の段階で敦賀県第七大区第二小区に中野木村があることになっています。第四大区の箇所を見てみますと、明治7年に行われた小浜の各町の合併がなされる以前の町名が記載されており、明治6年の敦賀県の大区小区町村名の記述としては信憑性に特段問題がなさそうです。
#後年に書かれた郡誌は信憑性を若干落として評価するのが妥当なことが多いのですが、本件についてはあてはまらないようです。

以上を踏まえて、この件については、
*4 番号131 中+野木村(幕末~M4の頃に上野木村の一部と下野木村の一部が分割されて中野木村になったことと想像される。)
とでも書いたほうが良いものと考えます。
[79693] 2011年 12月 2日(金)18:22:28【2】むっくん さん
郡制施行前後の「郡再編」の経緯
[79688]hmtさん
京都府も「郡再編」がなかったが、明治23年(旧)郡制は施行されないまま、明治32年改正法の施行を迎えます。
(略)
東京府の場合は、3年前に三多摩移管があったばかりで、明治29年は豊多摩郡設置だけでした。
[79692]88さん
中野市
この2つの書き込みを読んで、明治29年4月1日付けで中野郡が京都府に成立しかけたことがあったことを思い出しました。以下にまずは東京府の「郡再編」とともにその経緯を紹介します。

明治29年3月4日に内閣において後述の二つの法律案を帝国議会に提出することを決定し、同月13日に帝国議会に同時に提出されました。
一 東京府下郡廃置法律案
一 京都府下郡廃置法律案

その中身とは次の通りでした。
------------
東京府下郡廃置法律案
東京府武蔵国南豊島郡及東多摩郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南豊島郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

東京府下郡廃置法律案理由書
南豊島東多摩ノ二郡ハ従来一郡治ノ下ニ属シ且地形民情トモ一郡ヲ成スニ適セリ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク
新郡ヲ南豊島郡ト称スルハ旧南豊島郡ノ大ナルニ依ル

新郡名旧郡名町村数人口(人)戸数(戸)国税(円)地方税(円)町村税(円)
南豊島郡南豊島郡35,2717,55822,3449,8767,597
東多摩郡22,1433,58425,0609,5075,307
1457,41411,14247,40419,38312,904
------------
京都府下郡廃置法律案
京都府山城国愛宕郡及葛野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北葛野郡ヲ置ク
京都府山城国乙訓郡及紀伊郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ南葛野郡ヲ置ク
京都府山城国宇治郡及久世郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ宇治郡ヲ置ク
京都府丹後国中郡、竹野郡及熊野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ中野郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

京都府下郡廃置法律案理由書
一 愛宕葛野ノ二郡ハ各独立スルニ便ナラス其ノ地域ヲ合シ始メテ適当ノ一郡ヲ得ヘシ依テ此ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク 新郡ヲ北葛野郡ト称スルハ旧愛宕葛野二郡ノ地方ハ往古葛野ト称シ且其ノ北部ニ位スルニ依ル
一 乙訓紀伊ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ南葛野郡ト称スルハ旧乙訓紀伊二郡ノ地方モ亦往古葛野ト称シ且其ノ南部ニ位スルニ依ル
一 宇治久世ノ二郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ宇治郡ト称スルハ宇治ノ名顕著ナルニ依ル
一 中竹野熊野ノ三郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ一郡ヲ置ク理由前項ニ同シ 新郡ヲ中野郡ト称スルハ旧三郡名ヲ参互折衷セシニ依ル

新郡名旧郡名町村数人口(人)戸数(戸)国税(円)地方税(円)町村税(円)
北葛野郡愛宕郡1828,9745,03037,40611,24511,641
葛野郡1732,1875,52453,34521,14014,998
3561,16110,55490,75132,38526,639
南葛野郡乙訓郡1120,5593,51238,56110,60712,706
紀伊郡1244,1628,554125,35621,00215,982
2364,72112,066163,91731,60928,688
宇治郡宇治郡15,0202,56223,4926,9215,822
久世郡1022,9224,25038,35110,38512,830
1437,9436,81261,84317,30618,652
中野郡中郡1318,6664,13134,3438,83214,403
竹野郡1628,5765,59733,8968,68218,880
熊野郡17,4743,50322,8406,0039,766
3864,71613,23291,07923,51743,049
(注)原文のまま。数値が合わない箇所がある。
------------
この内、東京府の郡廃置法律案は、明治29年3月19日に衆議院で新郡名を南豊島郡より豊多摩郡へ変更する旨の修正がなされて貴族院に送られ、明治29年3月26日に貴族院でも修正案が可決されました。政府の主務官庁においても異議なしとされたので、法律第37号(M29.3.30)として公布され、明治29年4月1日に豊多摩郡が成立しました。
ところが、京都府の郡廃置法律案は明治29年3月21日に衆議院で否決され、成立しませんでした。


さて、話を東京府・京都府の「郡再編」の過程より全国の「郡再編」の過程へと拡げます。
多くの県での郡の廃置分合においては、郡廃置法律案が複数回、内閣より帝国議会に提出されました。そして、帝国議会の審議を経て内閣が再度法案を新たに提出する過程で様々な箇所が修正されていたようです。

郡廃置法律案のどのような箇所が修正されたのかを、他の県で見ることにします。

例えば兵庫県の場合ですと、明治28年末に次回の帝国議会に提出する新たな郡廃置法律案として考えていたものが現にそのまま法律第39号(M29.3.30)として成立することとなりました。
前回の法律案と比較すると訂正箇所は次の通りでした。
・赤穂郡と佐用郡が合併して赤穂郡となる合併をなくした。
・神崎郡を構成するのが神東郡及び神西郡の区域から, 神東郡及び神西郡の多可郡 越知谷村の区域へと替えた。
・川辺郡高平村が川辺郡から有馬郡に郡変更という事例を付け加えた。

郡の合併箇所の削減、郡の区域の微調整があったことが分かります。


また、三重県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
三重県下郡廃置法律案

三重県伊賀国阿拝郡及山田郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ阿山郡ヲ置ク
三重県伊賀国名張郡及伊賀郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ伊名郡ヲ置ク
三重県伊勢国三重郡及朝明郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ三重郡ヲ置ク
三重県伊勢国奄芸郡及河曲郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ河芸郡ヲ置ク
三重県伊勢国飯高郡及飯野郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ以比郡ヲ置ク
三重県志摩国答志郡及英虞郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ志摩郡ヲ置ク
附則
此ノ法律ハ明治二十九年四月一日ヨリ施行ス

これを実際に行われた郡廃置分合の法律第46号(M29.3.29)と比較しますと、郡廃置法律案での新郡名の伊名郡及び以比郡が、後にそれぞれ名賀郡及び飯南郡に修正されたことが分かります。


また、千葉県のある時点での郡廃置法律案は以下の通りでした。
千葉県下郡廃置法律案

千葉県安房国安房郡、平郡及朝夷郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ安房郡ヲ置ク
千葉県上総国望陀郡、周准郡及天羽郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ君津郡ヲ置ク
千葉県上総国長柄郡及上埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ長生郡ヲ置ク
千葉県上総国山辺郡及武射郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ山武郡ヲ置ク
千葉県下総国東葛飾郡及南相馬郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ東葛飾郡ヲ置ク
千葉県下総国印旛郡及下埴生郡ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ印旛郡ヲ置ク

これを実際に行われた郡廃置分合の法律第42号(M29.3.30)と比較しますと、法律においては長狭郡が新たに(新)安房郡の一部として郡の廃置分合に付け加わりました。


多くの事例は名称変更、郡の区域の微調整、そして後ろ向き(?)といえる郡の合併箇所の削減でしたが、前述の千葉県のように例外的に前向き(?)ともいえる事例もありました。

参照:公文類聚収録の東京府下郡ヲ廃置ス附京都府下郡廃置法律案衆議院ニ於テ否決ス(PDF)及び神奈川、長崎、新潟、山口、和歌山、福岡、佐賀、宮崎、大阪、... (PDF)
[79665] 2011年 11月 24日(木)17:32:39むっくん さん
郡変更の事例(東海地方&近畿地方)
[79662]hmtさん
もっと前になると、木曽川沿いの松山中島村が1887年に愛知県から岐阜県に移された事例[79347]もあるし、江戸時代の初めには 木曽川の新流路が濃尾国境になったことにより羽栗/葉栗・中島・海西3郡が 美濃と尾張に分割されたという歴史[39454]もある
明治期の木曽川周辺での郡・県変更の事例は松山中島村だけではありませんので、補足します。

まず、明治13年に三重県(伊勢国)桑名郡の五明村、福原新田、小島新田、川原欠新田、加稻九郎治新田、加稻新田、加稻次新田、三好新田、富島新田、富島付新田、加稻山新田、稲荷崎新田、稲荷崎付新田、富崎新田、境新田が愛知県(尾張国)海西郡に編入されました。
参考:三重県甲第67号布達(M13.5.10)、愛知県甲第62号布達(M13.5.12)

そして明治16年には三重県(伊勢国)桑名郡の金廻村・江内村・油島新田の3村が岐阜県(美濃国)下石津郡に編入されました。
参考:岐阜県甲第90号布達(M16.12.27)

明治20年には岐阜県(美濃国)中島郡東加賀野井村・三拾町村・野村・馬飼村の4村が愛知県(尾張国)中島郡へ、愛知県(尾張国)海西郡松山中島村が岐阜県(美濃国)海西郡へ編入されています。
参考:勅令第34号(M20.7.13)


次に、近畿地方での郡変更の事例も紹介します。
1704年の大和川の付け替えにより、摂津国住吉郡の中を大和川が流れることになり、大和川によって村が川の北側と南側に分断されたところもありました。
参照:天保国絵図・和泉国天保国絵図・摂津国

また、堺と言えば泉州の一都市であると現在の多くの関西人は連想しますが、堺の地名の由来と境界について書いた堺県無号達(M元.10.30)では
堺とは摂津和泉両国の堺にある故の名に候、摂泉の堺は大小路にして、大小路より北を摂津国住吉郡とし、南を和泉国大鳥郡とす、北庄村と新田とは摂津にて候、戎島は和泉国にて候、右国境之儀心得違申間敷候、仍而此段及触達候もの也
十月
右之通町々不洩様可触知者也
辰十月晦日 宿老
と記載されており、明治の初めの段階では堺の町の真ん中を摂津・和泉の国境が通っていました。

しかしながらM4.9.30付けの堺県無号達で摂泉国境は大和川中央と定まり、摂津国住吉郡でも大和川以南の村々は、和泉国大鳥郡に国替えとなり、堺の町もすべて和泉国大鳥郡所属となりました。
[47315]逆太郎さんが御指摘のように、大和川以南に現在も所々に大阪市のエリアが残っているということは、この時の国替えは村単位であったと考えられます。
[79622] 2011年 11月 11日(金)17:05:44むっくん さん
天保郷帳での記載について
遅レスで申し訳ありません。

以前YTさんが[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて天保郷帳の複製本(編:史籍研究會、1984)(YTさんはこの本のことを『原本』と表記されています)とその『解読篇』についての詳細をまとめられていました。
そこで指摘された差異のうちの4箇所については説明がつくところですので、以下に記します。

まずは出雲國神門郡と同國飯石郡です。
---------
旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
出雲國神門郡9375,195.4700008567,525.4080007,670.062000
出雲國飯石郡5323,725.5180006131,395.580000-7,670.062000
---------
私もかつて天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)と天保国絵図(出雲國)旧高旧領取調帳データベース鳥取県管内郡村名(編・出版:不明、M5.12.以降M6.10.以前)、改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)などを比較したことがあります。
この差異は中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村だと考えられます。

天保郷帳(複製本)においては中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村は神門郡と記載されており、神門郡85村、飯石郡61村と記載されています。しかしながら実際に数えると神門郡93村、飯石郡53村です。
ところが天保国絵図(出雲國)と明治期各資料では中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村は飯石郡となっています。
#和泉村は天保国絵図(出雲國)に載っていませんが、明治初期に頓原村の一部となっていることからすると飯石郡と判断するのが妥当であると考えます。

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

上述のことが、YTさんの記載されている『解読篇』の村数と『原本』の村数で差を生じた原因と考えられます。


同様のことが土佐國や武藏國でも言えると考えます。
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旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
土佐國吾川郡5318,768.1700006926,222.405000-7,454.235000
土佐國高岡郡23680,438.92700022072,984.6920007,454.235000
武藏國 上入間郡277104,576.753770261100,250.5712204,326.182550
武藏國 上高麗郡8923,159.29989010527,485.482440-4,326.182550
---------
天保国絵図(土佐國)に従うならば、吾川郡69村高岡郡220村であり、天保郷帳(複製本)の時点で吾川郡の16村の記載されている4頁分が高岡郡の箇所に紛れ込んでいるようです。
また、天保国絵図(武藏國)に従うならば、入間郡261村高麗郡105村であり、天保郷帳(複製本)の時点で高麗郡の16村の記載されている4頁分が入間郡の箇所に紛れ込んでいるようです。


最後に信濃國伊那郡です。
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旧國旧郡村数『解読篇』石高村数『原本』石高石高差
信濃國伊那郡276133,302.630760284134,043.131760-740.501000
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長野県市町村合併誌(上巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)pp.28-119(注)には、元禄15年(元禄郷帳)及び天保5年(天保郷帳)及び明治1~7年及び明治8・9年及び明治11年及び明治18年及び明治22年の村名の変遷が記載されています。
具体的には、
元禄15年(元禄郷帳)・・・村名及び当該村の石高
天保5年(天保郷帳)・・・村名及び当該村の石高
明治1~7年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区、旧区
明治8・9年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区
明治11年・・・町村名及び当該町村の戸数、人口、大小区
明治18年・・・町村名及び連合戸長管轄区域
明治22年・・・市制町村制施行の直前と直後の町村名
が記載されています。
ここで天保5年の伊那郡の村数を数えたところ284ありましたが、『解読篇』では伊那郡の村数は276しかありません。こちらは天保郷帳より天保郷帳(複製本)を作成する過程で伊那郡の8村の記載されている2頁分を抜け落としたのではないかと推察します。

(注)長野県市町村合併誌(上巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)としていますが、長野県市町村合併誌(下巻)(編:長野県総務部地方課、出版:長野県、1965)であるかもしれません。
[79560] 2011年 10月 25日(火)18:30:35【2】むっくん さん
市区町村変遷情報(番外編)
[79559]hmtさんの安蘇郡田沼町の一部の事例を見て、富山県の
1917(T6).4.1 境界変更 富山市 富山市, 婦負郡 桜谷村の一部
も番外編として市区町村変遷情報に追加する余地はないものかと思いましたので、以下にその詳細を書きます。。

婦負郡桜谷村は、富山県令第37号(M22.3.19)によりますと、10村(その内2村は一部領域)の合併で明治22(1889)年4月1日に成立しました。
その後明治42(1909)年4月1日と大正6(1917)年4月1日の2回に渡り一部区域を富山市に編入した後、大正9(1920)年4月1日に全領域を富山市に編入されて消滅しました。
以前富山市HP>富山市統計書にあった、富山市統計書(平成14年度版)>1土地及び気象>富山市市域の変遷(現在はリンク切れで、同種の別の年度のものがGoogleキャッシュにある。)では
------------------------
1. 市域の変遷
(単位:km2)
編入合併年月日編入合併地域編入面積総面積
明治22.4.1市制施行1.91
明治34.11.1上新川郡奥田村の内東田地方の一部元遊園地を編入0.472.38
明治42.4.1上新川郡堀川村の内大泉、磯部、安野屋、西田地方、0.703.08
山室村の内清水、奥田村の内東田地方及び婦負郡桜谷
村の内畑中、愛宕、舟橋今町、牛島、東呉羽村の内鵯
島の一部を編入
大正6.4.1婦負郡桜谷村の内牛島及び畑中、愛宕、駒見、四ツ屋の2.225.30
一部を編入
大正9.4.1婦負郡桜谷村を編入2.017.31
大正15.7.1婦負郡東呉羽村を編入5.9713.28
昭和10.4.1上新川郡奥田村を編入5.8219.10
昭和11.2.1神通川廃川地域を編入1.4920.59
昭和12.4.5上新川郡山室村の内清水、館出、西公文名、石金、中1.6622.25
市、長江、西長江を編入
昭和15.9.1上新川郡東岩瀬町、新庄町、豊田村、広田村、大広田47.4069.65
村、浜黒崎村、針原村、島村及び婦負郡神明村を編入
昭和17.5.20上新川郡堀川町、蜷川村、太田村、山室村を編入34.02103.67
昭和25.10.1国勢調査時、国土地理院の修正により増加0.45104.12
昭和30.10.1国勢調査時、国土地理院の修正により増加0.60104.72
昭和35.10.1婦負郡和合町及び上新川郡富南村を編入44.05148.77
昭和35.10.1国勢調査時、国土地理院の修正により減少△ 0.72148.05
昭和40.4.1婦負郡呉羽町を編入37.38185.43
昭和41.5.1中新川郡水橋町を編入23.63209.06
昭和62.6.22新たに生じた土地(埋立)により増加0.02209.08
昭和63.10.1国土地理院の修正により減少△ 0.31208.77
平成元.10.1新たに生じた土地(埋立)により増加0.01208.78
平成5.10.1新たに生じた土地(埋立)により増加0.01208.79
平成9.3.10新たに生じた土地(埋立)により増加0.02208.81
資料:企画管理部情報統計課
------------------------
と富山市の廃置分合とそれに伴う面積の変遷が記載されていました。
この記載に依りますと、桜谷村は大正9年に富山市に合併される以前に、明治22年に成立した桜谷村の半分以上の部分は境界変更で既に富山市に移ってしまっています。果たして現状の大正9(1920)年4月1日の合併のみを記載するのみでよいのでしょうか。
個人的には当時の村の面積4.23km2のうち2.21km2と半分以上を境界変更で失った、大正6(1917)年4月1日の境界変更も記載した方がよいのではないか、と思います。おそらく各大字での富山市に隣接している部分のみが削られたと推測されることより、現在の「概ね大字単位」という原則にはおそらく合致しないものと考えられます。

しかしながら、村の半分強もの区域を失うような大きな境界変更ではありますので、市区町村変遷情報に追加できないものなのでしょうか。どうぞご検討願います。>88さん
[79553] 2011年 10月 22日(土)17:50:01むっくん さん
駅名に関連して
[79548]デスクトップ鉄さん
大阪市 1889/04/01 土佐堀通一丁目ほか 1874/05/11 大阪
大阪府に市制町村制が施行されたとき、大阪駅は西成郡曽根崎村にありました。大阪駅が大阪市となったのは1897/4/1のことです。

岡崎市 1889/10/01 岡崎町←岡崎康生町ほか 1888/09/01 岡崎
愛知県に市制町村制が施行されたとき、岡崎駅は額田郡岡崎村にありました。岡崎町と岡崎村が合併したのは1928/9/1のことです。


[79550]EMMさん
[79385]拙稿での私の真意はEMMさんの御推察の通りです。
ちなみに[79385]拙稿のリストを私が「駅名も由来の一つである自治体名」か否かを分類するのであるならば、額田郡岡崎村のみが採用となる可能性があると言えるのでしょうか。実際にはこれも調べてみないと分かりませんが。
[79385] 2011年 9月 26日(月)18:31:39むっくん さん
「交通由来町名」コレクション
[79379]星野彼方さん

[79369]デスクトップ鉄さんや[79374]Issieさんの挙げられたものを採用される方針をとられるとのこと。それでしたら、以下のものも「駅名も由来の一つである自治体名」となるものと考えられます。

市区町村名市町村誕生日旧市町村名駅名駅名誕生日備考
橘樹郡川崎町1889/03/31橘樹郡 小土呂町など川崎駅1872/07/10現在は川崎市。
横浜区1878/11/18久良岐郡 本町など横浜駅1872/06/12現在は横浜市。1915/08/15に
(初代)桜木町駅と改称。
大住郡平塚町1889/03/31大住郡 平塚新宿など平塚駅1887/07/11現在は平塚市。
淘綾郡大磯町1889/03/31淘綾郡 大磯駅など大磯駅1887/07/11現在は中郡大磯町。
足柄上郡松田村1889/03/31足柄上郡 松田総領など松田駅1889/02/01現在は足柄上郡松田町。
敦賀郡敦賀町1889/04/01敦賀郡 松栄町など敦賀駅1882/03/10現在は敦賀市。
岐阜市1889/07/01厚見郡 岐阜米屋町など岐阜駅1888/12/151887/01/21に加納駅として成立。
1889年に現在位置に移転。
安八郡大垣町1889/07/01安八郡 大垣郭町など大垣駅1884/05/25現在は大垣市。
駿東郡沼津町1889/03/01駿東郡 沼津上ヶ土町など沼津駅1889/02/01現在は沼津市。
敷知郡浜松町1889/03/01敷知郡 浜松旅籠町など浜松駅1888/09/01現在は浜松市。
額田郡岡崎村1889/10/01額田郡 柱村など岡崎駅1888/09/01現在は岡崎市の一部。
滋賀郡大津町1889/04/01滋賀郡 馬場村など大津駅1880/07/15現在は大津市。
(初代)1913/06/01に浜大津駅(注)と改称。
坂田郡長浜町1889/04/01坂田郡 御堂前町など長浜駅1882/03/10現在は長浜市。
京都市1889/04/01上京区, 上京区867町京都駅1877/02/06京都駅は下京区と葛野郡
, 下京区, 下京区823町東塩小路村に跨っていた。
宇治郡山科村1889/04/01宇治郡 安朱村など山科駅1879/08/18現在は京都市山科区。1921/08/01
(初代)に山科駅は現在位置に移設。
武庫郡西宮町1889/04/01武庫郡 西宮鞍掛町など西ノ宮駅1874/05/11現在は西宮市。2007/03/18に
西ノ宮駅より西宮駅と改称。
神戸区1879/01/08八部郡 海岸通一丁目など神戸駅1874/05/11現在は神戸市。
八部郡須磨村1889/04/01八部郡 東須磨村など須磨駅1888/11/01現在は神戸市須磨区の一部。
明石郡垂水村1889/04/01明石郡 東垂水村など垂水駅1888/11/01現在は神戸市の一部。
明石郡明石町1889/04/01明石郡 明石西本町など明石駅1888/11/01現在は明石市。
姫路市1889/04/01飾東郡 姫路小利木町など姫路駅1888/12/23
(注):官鉄は1889/07/01馬場(現:膳所)~大津(現:浜大津)間の旅客取扱いを中止。浜大津駅の名称は大津電車(後の京阪)及び官鉄(後の国鉄)双方とも。


#上記の内、岐阜駅及び浜松駅は、当時はそれぞれ岐阜市内及び浜松町内にない可能性が有ります。検証不足ですが、一応挙げておきます。


以下は88さん宛での、本稿との関連ある市区町村変遷情報の訂正箇所の情報提供です。
◎滋賀県
#3滋賀郡大津町…総称の「大津」を有→無。馬場「町」→馬場「村」。
参考:県令第13号(M22.2.19)741コマ

#153坂田郡長浜町…総称の「長浜」を有→無。「西」片町→「南」片町。
県令第13号(M22.2.19)747コマ…「西」片町
新旧対照市町村一覧、滋賀県年表(編:滋賀県史編さん室、発行:滋賀県、S60.12.)236頁、大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)(明治19年1月現在)…「南」片町

総称に関しては次の2箇所も訂正の必要あるのでここでついでに挙げておきます。
#69蒲生郡八幡町での総称の「八幡」を有→無。
参考:県令第13号(M22.2.19)744コマ
#118犬上郡彦根町での総称の「彦根」を有→無。
参考:県令第13号(M22.2.19)746コマ

◎福井県
#139敦賀郡敦賀町…津内「町」→津内「村」
参考:県令第19号(M22.2.16)
#津内村は津内町、弓矢町、末吉町の3町がM14.2.1に合併して成立しました。
[79349] 2011年 9月 16日(金)16:13:12【2】むっくん さん
北海道での廃置分合(明治22年~市制町村制施行直前)PART2
[79348]の続きです。
変更年月日変更種別郡区名自治体名区制町村制施行前の町村名等根拠法令
1551899(M32).7.19新設函館区新浜町函館区 旧砲台地(一部)M32北海道庁告示第187号
, 海岸埋立地(一部)
156新設函館区台場町函館区 旧砲台地(一部)同上
, 海岸埋立地(一部)
157新設函館区中町函館区 旧砲台地(一部)同上
, 海岸埋立地(一部)
158新設函館区帆影町函館区 旧砲台地(一部)同上
, 海岸埋立地(一部)
159新設函館区小舟町函館区 旧砲台地(一部)同上
, 海岸埋立地(一部)
1601900(M33).6.1新設空知郡芦別村M33北海道庁告示第191号
161新設上川郡美瑛村同上
162新設勇払郡安平村同上
1631900(M33).6.7新設上川郡當麻村M33北海道庁告示第201号
164新設苫前郡初山別村同上
1651900(M33).7.1分立空知郡北村空知郡 岩見沢村(一部)M33北海道庁告示第207号
1661900(M33).8.31町制上川郡旭川町上川郡 旭川村M33北海道庁告示第346号
1671901(M34).10.__新設雨竜郡一已村M34北海道庁告示第431号
168新設雨竜郡秩父別村同上
169新設雨竜郡狩太村同上
1701902(M35).2.__新設瀬棚郡東瀬棚村M35北海道庁告示第56号
1711903(M36).7.8分立空知郡下富良野村空知郡 富良野村(一部)M36北海道庁告示第464号
172改称空知郡上富良野村空知郡 富良野村同上
1731906(M39).4.29新設中川郡中川村不明
1741908(M41).4.1分立空知郡南富良野村空知郡 下富良野村(一部)不明
1751914(T3).5.__分立雨竜郡上北竜村雨竜郡 北竜村(一部)不明
1761915(T4).4.1分立有珠郡徳舜瞥村有珠郡 壮瞥村(一部)不明
177分立空知郡山部村空知郡 下富良野村(一部)不明
1781916(T5).4.1分立中川郡常盤村中川郡 中川村(一部)不明
1791918(T7).4.3分立雨竜郡幌加内村雨竜郡 上北竜村(一部)不明
1801919(T8).4.__分立沙流郡右左府村沙流郡 幌去村(一部)不明

おそらく以上で全部だと思いますが、漏れがあれば御指摘をよろしくお願いします。


#1~#3及び#5~#16及び#119~#170は明治期に北海道庁が発行した各種資料によりました。
#4は当時の各種資料より明治22年と推定しましたが、それよりも前に新設された可能性も完全には否定できません。
#17~#118は公文類聚(当時の政府が作成した公文書)により、その根拠法令の名称である北海道庁令第67号と北海道庁令第68号は新札幌市史第7巻(編:札幌市教育委員会、出版:札幌市、1986)240-241頁によりました。
#171,#172は上富良野町HPかみふらのの郷土をさぐる会機関誌上富良野百年史>第3章明治時代の上富良野>第3節明治期の村政>2戸長役場の移設と上富良野村の設置によりました。
#173,#174は郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)によりました。
#175~#179は郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(著・出版:内閣統計局、T9.3.31)によりました。
#180は平取町HP及び北海道HP内市町村の沿革等(エクセルファイル)の記述によりました。

#132,#133での変更種別を編入/分割としていますが、北海道庁告示第11号(M27.2.3)
天塩国苫前郡白志泊村を廃し苫前村を分割し更に左の二村を置く
羽幌村 区域 東は天塩郡及石狩国雨竜郡に接す 西は海に接す 南は苫前郡ヒライトコマイ川中央 北は天塩郡遠別村に接す
苫前村 区域 東は石狩国雨竜郡に接す 西は海に接す 南は苫前郡力昼(画かも?)村に接す 北は苫前郡ヒライトコマイ川中央
との文言からすると、これで良いのかいまいち自信がありません。

また、告示の文言には村の境界線しか書かれていないため告示の文言だけからは判断できませんが、私が調べた限りでは、#131,148,149,150,152,160,161,162,163,164,167,168の合計12村は
変更年月日変更種別郡区名自治体名区制町村制施行前の町村名等
1311893(M26).12.__分立札幌郡広島村札幌郡 月寒村(一部)
1481899(M32).5.27分立空知郡音江村空知郡 滝川村(一部)
149分立雨竜郡北竜村雨竜郡 雨竜村(一部)
150分立樺戸郡浦臼村樺戸郡 月形村(一部)
152分立有珠郡壮瞥村有珠郡 有珠村(一部), 西紋鼈村(一部), 長流村(一部)
1601900(M33).6.1分立空知郡芦別村空知郡 歌志内村(一部)
161分立上川郡美瑛村上川郡 神居村(一部)
162分立勇払郡安平村勇払郡 勇払村(一部), 植苗村(一部)
1631900(M33).6.7分立上川郡當麻村上川郡 永山村(一部)
164分立苫前郡初山別村苫前郡 羽幌村(一部)
1671901(M34).10.__分立雨竜郡一已村雨竜郡 深川村(一部)
168分立雨竜郡秩父別村雨竜郡 深川村(一部)
とのように以前から存在する村の区域の一部を以て成立したとする文献もあります。
しかしながら1895(M28).6.11に成立した国後郡大滝村では、北海道庁告示第72号(M28.6.11)において
千島国国後郡秩苅別村を割き左の村を置く
大瀧(オホタキ)村 区域 西北は海 東は留夜別村 南は「ニキシヨロ」塘に沿ふ自然の道路を以て秩苅別村に接す
と書かれていることより、前述の12村は新設ではなく分立とは出来ないと考えられます。

それでは、むっくんは#153南尻別村及び#154北尻別村では新設とせずに尻別村が分割して成立したと修正していることはどのように説明するのか、との質問がきそうです。

このことに対しては、
『本州においても市制町村制施行に合わせて山間部の町村境界を定めたところもある。開拓で村を新たに設置した北海道では例えば札幌県丁第107号布達(M17.10.6)で成立した石狩国空知郡岩見沢村のように、村の新設時には村界を定めていなかったところもある。またM30北海道庁告示第94号で境界が定まった常呂郡野付牛村のように、M8.5.24のノツケウシ村から野付牛村への改称があって数十年してから決まった事例もある。おそらく尻別村も村の境界が一切定まっておらず分割時に初めて#153南尻別村及び#154北尻別村として村の境界が定まったのであろう。ここで#153南尻別村及び#154北尻別村を新設とするのは尻別村が消滅したこととの関係上明らかに不適当であるから、分割とした。
前述の12村はおそらく既存の村の村界が定まっておらず、そこに新しい集落を以てして新村が出来たのだから、前述の12村は分立ではなく新設とするのが適当なのであろう。』
とのように答えるのでしょうね。


追記
本稿を投稿後に、[78865]拙稿では#155~#159の5町(新濱町, 台場町, 中町, 帆影町, 小舟町)を函館区の町名に記載しておらず、本稿と矛盾していることに気付きました。
そこでさらに後に出版された書物を見てみることとします。
M38の区町村名が載っている北海道郡区町村案内(編:広瀬清澄、出版:小島大盛堂、M38.1.)、M40.7.1現在の支庁区域及び町村名が載っている北海道行政区割(編:氏家菊治、発行:村上金彦、M40.12.28)、T15の区町村名が載っている現行北海道庁令規全集(改版)(編:帝国地方行政学会、出版:帝国地方行政学会、T15.6.12)、S2.5.30の市町村名が載っている北海道行政区画昭和2年5月30日現在(編・発行:北海道自治協会、S2.6.25)ではいずれも新濱町, 台場町, 中町, 帆影町, 小舟町の5町は掲載されていました(中町ではなくて仲町となっていますが)。
以上から、M36.3.31現在の区町村名を記した北海道庁現行布令便覧(編:北海道、出版:富貴堂、M36.9.)では新濱町, 台場町, 中町, 帆影町, 小舟町の5町を書き漏らしていたものと推察します。

以下は88さん宛です。
[78865]拙稿を反映させる時は、函館区の町名に新浜町, 台場町, 仲町, 帆影町, 小舟町の5町を追加していただきますようよろしくお願いします。
[79348] 2011年 9月 16日(金)16:10:46【2】むっくん さん
北海道での廃置分合(明治22年~区制町村制施行直前)PART1
現在、市区町村変遷情報は北海道と沖縄県を除く45府県(長崎県対馬国、島根県隠岐国、鹿児島県大島郡及び東京府伊豆・小笠原諸島を除く)で明治22年頃まで遡っています。

私は47府県すべてで一律に明治22年の時点までに遡らせるのが適当であると考えています。
そこで、まずは北海道の区制町村制施行前の廃置分合で明治22年以降の分を調査しましたので、以下に報告します。

変更年月日変更種別郡区名自治体名区制町村制施行前の町村名等根拠法令
11889(M22).5.28新設空知郡幾春別村M22北海道庁令第37号
21889(M22).7.30新設高島郡南浜町M22北海道庁令第49号
3新設高島郡北浜町同上
41889(M22).__.__新設札幌区南四条東四丁目不明
51890(M23).1.15新設空知郡滝川村M23北海道庁令第1号
6新設樺戸郡新十津川村同上
71890(M23).3.29新設厚岸郡太田村M23北海道庁令第12号
81890(M23).5.8新設夕張郡角田村M23北海道庁令第25号
91890(M23).5.15改称室蘭郡元室蘭村室蘭郡 室蘭村M23北海道庁令第27号
101890(M23).8.7新設空知郡奈江村M23北海道庁令第46号
11新設夕張郡登川村同上
121890(M23).8.23新設小樽郡沙崎町M23北海道庁令第51号
131890(M23).9.20新設空知郡沼貝村M23北海道庁令第61号
14新設上川郡神居村同上
15新設上川郡旭川村同上
16新設上川郡永山村同上
171890(M23).11.12新設札幌区大通西九丁目M23北海道庁令第67号(PDF)
18新設札幌区大通西十丁目同上
19新設札幌区大通西十一丁目同上
20新設札幌区大通西十二丁目同上
21新設札幌区大通西十三丁目同上
22新設札幌区大通西十四丁目同上
23新設札幌区大通西十五丁目同上
24新設札幌区大通西十六丁目同上
25新設札幌区大通西十七丁目同上
26新設札幌区大通西十八丁目同上
27新設札幌区大通西十九丁目同上
28新設札幌区大通西二十丁目同上
29新設札幌区南一条西十二丁目同上
30新設札幌区南一条西十三丁目同上
31新設札幌区南一条西十四丁目同上
32新設札幌区南一条西十五丁目同上
33新設札幌区南一条西十六丁目同上
34新設札幌区南一条西十七丁目同上
35新設札幌区南一条西十八丁目同上
36新設札幌区南一条西十九丁目同上
37新設札幌区南二条西十二丁目同上
38新設札幌区南二条西十三丁目同上
39新設札幌区南二条西十四丁目同上
40新設札幌区南二条西十五丁目同上
41新設札幌区南二条西十六丁目同上
42新設札幌区南二条西十七丁目同上
43新設札幌区南二条西十八丁目同上
44新設札幌区南二条西十九丁目同上
45新設札幌区北一条西九丁目同上
46新設札幌区北一条西十丁目同上
47新設札幌区北一条西十一丁目同上
48新設札幌区北一条西十二丁目同上
49新設札幌区北一条西十三丁目同上
50新設札幌区北一条西十四丁目同上
51新設札幌区北一条西十五丁目同上
52新設札幌区北一条西十六丁目同上
53新設札幌区北一条西十七丁目同上
54新設札幌区北一条西十八丁目同上
55新設札幌区北一条西十九丁目同上
56新設札幌区北一条西二十丁目同上
57新設札幌区北二条西九丁目同上
58新設札幌区北二条西十丁目同上
59新設札幌区北二条西十一丁目同上
60新設札幌区北二条西十二丁目同上
61新設札幌区北二条西十三丁目同上
62新設札幌区北二条西十四丁目同上
63新設札幌区北二条西十五丁目同上
64新設札幌区北二条西十六丁目同上
65新設札幌区北二条西十七丁目同上
66新設札幌区北二条西十八丁目同上
67新設札幌区北二条西十九丁目同上
68新設札幌区北二条西二十丁目同上
69新設札幌区北三条西九丁目同上
70新設札幌区北三条西十丁目同上
71新設札幌区北三条西十一丁目同上
72新設札幌区北三条西十二丁目同上
73新設札幌区北三条西十三丁目同上
74新設札幌区北三条西十四丁目同上
75新設札幌区北三条西十五丁目同上
76新設札幌区北三条西十六丁目同上
77新設札幌区北三条西十七丁目同上
78新設札幌区北三条西十八丁目同上
79新設札幌区北三条西十九丁目同上
80新設札幌区北三条西二十丁目同上
81新設札幌区北四条西九丁目同上
82新設札幌区北四条西十丁目同上
83新設札幌区北四条西十一丁目同上
84新設札幌区北四条西十二丁目同上
85新設札幌区北四条西十三丁目同上
86新設札幌区北四条西十四丁目同上
87新設札幌区北四条西十五丁目同上
88新設札幌区北四条西十六丁目同上
89新設札幌区北四条西十七丁目同上
90新設札幌区北四条西十八丁目同上
91新設札幌区北四条西十九丁目同上
92新設札幌区北四条西二十丁目同上
93新設札幌区北五条西九丁目同上
94新設札幌区北五条西十丁目同上
95新設札幌区北五条西十一丁目同上
96新設札幌区北五条西十二丁目同上
97新設札幌区北五条西十三丁目同上
98新設札幌区北五条西十四丁目同上
99新設札幌区北五条西十五丁目同上
100新設札幌区北五条西十六丁目同上
101新設札幌区北五条西十七丁目同上
102新設札幌区北五条西十八丁目同上
103新設札幌区北五条西十九丁目同上
104新設札幌区北五条西二十丁目同上
105新設札幌区北八条西一丁目同上
106新設札幌区北八条西二丁目同上
107新設札幌区北八条西三丁目同上
108新設札幌区北八条西四丁目同上
109新設札幌区北八条西五丁目同上
110新設札幌区北八条西六丁目同上
111新設札幌区南一条東五丁目同上
112新設札幌区南一条東六丁目同上
113新設札幌区南二条東五丁目同上
114新設札幌区南二条東六丁目同上
115新設札幌区南三条東五丁目同上
116新設札幌区南四条東五丁目同上
117分割札幌区北八条東一丁目札幌区 篠路通(一部)M23北海道庁令第67号(PDF)
, M23北海道庁令第68号(PDF)
118分割札幌区北八条東二丁目札幌区 篠路通(一部)同上
1191892(M25).2.4新設上川郡神楽村M25北海道庁令第5号
120新設上川郡鷹栖村同上
121新設雨竜郡雨竜村同上
122新設雨竜郡深川村同上
123新設空知郡栗澤村同上
124新設夕張郡長沼村同上
125新設夕張郡由仁村同上
1261893(M26).6.__新設室蘭郡千年町M26北海道庁令第28号
127新設室蘭郡海岸町同上
128改称/町制余市郡大川町余市郡 川村M26北海道庁告示第47号
1291893(M26).7.__分立岩内郡鷹台町岩内郡 御鉾内町(一部)M26北海道庁令第32号
1301893(M26).12.16新設虻田郡倶知安村M26北海道庁令第44号
1311893(M26).12.__新設札幌郡広島村M26北海道庁令第45号
1321894(M27).2.3編入/分割苫前郡苫前村苫前郡 白志泊村(一部)M27北海道庁告示第11号
, 苫前村(一部)
133編入/分割苫前郡羽幌村苫前郡 白志泊村(一部)同上
, 苫前村(一部)
1341895(M28).6.11分立国後郡大滝村国後郡 秩苅別村(一部)M28北海道庁告示第72号
1351896(M29).2.16新設石狩郡新篠津村M29北海道庁告示第22号
1361897(M30).6.13新設瀬棚郡利別村M30北海道庁告示第126号
137新設虻田郡真狩村同上
1381897(M30).6.30新設上川郡剣淵村M30北海道庁告示第140号
139新設上川郡士別村同上
140新設上川郡多寄村同上
141新設上川郡上名寄村同上
142新設中川郡下名寄村同上
1431897(M30).7.1新設空知郡歌志内村M30北海道庁告示第142号
144新設空知郡富良野村同上
145新設上川郡愛別村同上
1461897(M30).12.7新設上川郡東川村M30北海道庁告示第260号
1471898(M31).9.__新設上川郡東旭川村M31北海道庁告示第183号
1481899(M32).5.27新設空知郡音江村M32北海道庁告示第142号
149新設雨竜郡北竜村同上
150新設樺戸郡浦臼村同上
151新設余市郡赤井川村同上
152新設有珠郡壮瞥村同上
153分割磯谷郡南尻別村磯谷郡 尻別村(一部)同上
154分割磯谷郡北尻別村磯谷郡 尻別村(一部)同上

次稿へ続きます。
[79286] 2011年 8月 30日(火)18:31:43【1】むっくん さん
市制施行の要件など
以前[75438]拙稿で市制施行の要件を記しました。

このうち
S18 内務省での市制施行の内規改正
人口5万人以上(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による
の詳細が見つかりましたので報告します。

北海道自治例規集(編・発行:北海道自治協会、S19.5.30)では、
市制施行詮議内規(S18.4.17内務省発地第36号地方局長)
一、市制の施行は其の予定地域に於ける現住人口五萬以上なることを要すること
二、市制の施行は其の予定地域に於ける住民の業態、市街地の形成、都市的施設其の他各般の事項に付概ね都市的形態を具備するものと認められることを要すること
(備考)
(1)住民の業態に付ては商工業的業態の戸数が全戸数の六割以上を占むるものなること
(2)市街地の形成に付ては中心市街地に於ける連たん戸数全戸数の六割以上を占むるものなること
三、前二項の基準に該当せざるも特に大工場の設置等に依り近く前二項の基準に達する見込確実にして且新興都市として都市計画的見地等より都市的建設を◆るの要あるものは特に之を詮議することを得ること
とありました。これが[79058]88さんで地方自治法の制定にあたる帝国議会の委員会での審議の中で、政府委員である内務事務官鈴木俊一氏が地方自治法第8条に関して
第八条は新たに規定した分でありまして、「市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。」是が新たな規定であります、是は従来内務省が市制を施行致します基準と致しまして内規的に用意をして居つた点であります、是は今回は之を法律上明かに致しまして、人口は必ず三万以上なければならぬ、「都市的形態」と申しますのは、中心市街を成して居ります戸数が全体の戸数の六割なければならぬ、都市的な形態の戸数が全体の戸数の六割なくてはならない、斯う云うことを従来条件と致して居りましたが、それを抽象的に「都市的形態」と、斯様に規定致したのであります、其の他は従来と同様であります
と説明したところの“従来内務省が市制を施行致します基準と致しまして内規的に用意をして居つた点”です。


上述のことを探していた時に、町村制について興味深い記述を少々見つけましたのでこちらも以下に紹介します。

[78998][79058]88さん
M44.4.7付け法律第69号町村制による全面改正後の町村制でも、第5条
-----
第五条 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 町村役場ノ位置ヲ定メ又ハ之ヲ変更セムトスルトキハ町村ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
-----
と、従前の「市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件」を上書きするような規定があります。
もっとも、[78998]でも述べたようにS29.5.1法律第82号自治庁関係法令の整理に関する法律によりS29.5.1付けで廃止されるまでは理論上は残っていたようです。廃止手続きが行われていなかったため、形式上残存していただけであり、「効力が残っていた」と[78998]で述べたのは誤りかもしれません。
改正市制町村制釈義(著:中川健蔵・宮内国太郎・阿部寿準・立花俊吉、発行:帝国地方行政学会、M44.9.1)の343コマ346コマで旧法との対照表が記載されています。343コマでの新市制第7条に対応する旧法の欄に明治23年法律第77号との記載があることからすると、「効力が残っていた」とは言い難いようです。
余談ですが、この本の18コマ26コマに掛けて、市制町村制の改正の詳細が記載されています。ここで注目するのは18コマでの二での
又旧法には市の廃置分合に関し規定を欠くを以て、例えば二町村以上の区域を一市と為さむとする場合の如きは、一旦町村の併合を行ひ、而して後に市制を施行する等煩雑迂遠なる手続を経ざるべからず。是を以て改正法に於ては市の廃置分合を為す場合の規定を設け、(略)
です。具体的にはT5.4.1の
川辺郡尼ヶ崎町,立花村(一部:大字東難波村及び西難波村)→尼崎市
は、この改正があったために
内務省令第15号(T5.3.29)
明治44年法律第68号市制第3条及同年法律第69号町村制第3条に依り大正5年4月1日より兵庫県川辺郡尼ヶ崎町を廃し其の区域と同郡立花村の内大字東難波村及西難波村の区域とを以て尼崎市を置く
との一つの法令で成立することが出来ました。

さらに余談をもう一つ。
市制町村制実務詳解(編:自治研究会、出版:松華堂書店、S2.10.16)のp.19の11行目で
名称を変更すると云ふことは(中略)、文字は替へないで呼び方だけを改むること秋田県山本郡森岳「ヲカ」村を森岳「タケ」村と改めた例、(中略)の様なものを云ふのである。
とあります。この改称があったのは山本郡森岳村の成立後の1902(M35).10.10以降、この本の発行されるS2.10.16以前のいつかなのでしょうが、現段階では市区町村変遷情報には記載されていません。
[79192] 2011年 8月 21日(日)14:41:45むっくん さん
十番勝負
問四:北九州市
[79164] 2011年 8月 19日(金)11:34:36むっくん さん
十番勝負
問一:淡路市
問二:加西市
問三:松山市
問四:東かがわ市
問五:阿南市
問六:函館市
問七:根室市
問八:柏市
問九:沖縄市
問十:佐賀市
[79130] 2011年 8月 17日(水)18:18:28【4】むっくん さん
仙台区の町について
[79092]千本桜さん
後に88さんからコメントがあると思いますが、とりあえず私が把握していることをコメントします。

まず、88さんの編集方針です。
・市制町村制施行以降については原則「全訂 全国市町村名変遷総覧」(1991年8月)(監修:自治省行政局振興課、出版:日本加除出版)の記載内容に基いているが、戦後のある時期以降は根本資料である官報で修正した上で市区町村変遷情報に記入する。
・市制町村制施行時については原則は「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1・2)」(2000年9月)(監修:西川治、編著:太田孝、出版:東洋書林)の記載内容に基いているが、市制町村制施行時に出された各府県の県(府)令で修正した上で市区町村変遷情報に記入する。
以上のような方針だと私は理解しています。

今回の宮城県仙台区(仙台市)については廃置分合規定の県令第8号(M22.2.9)には仙台区とあるだけで各町名がないため、当初は原則である「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1)」の記載内容をそのまま記載し、その後[78767]千本桜さんの書き込みの後、初めて「新旧対照市町村一覧」(編:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)を参照されたものであると推測しています。

「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)は何を資料にして編纂された物なのか。
凡例では
第二 新旧市町村名並其傍訓及役所役場の位置を府県庁第一部より警察区画を警察本部に郵便局電信局の位置に逓信省総務局に依頼して調査せり
とあります。
おそらく基本的には廃置分合規定である県(府)令及び新市町村の役場位置について記載した県(府)令を各府県から得たのでしょう。ただし、いずれの府県においても、県(府)令には○△区としか書かれていないため県(府)令によれません。区の傘下にあった町の名称については、凡例から考えるに、当時各府県で把握していた町の名称リストによるものと推察します。

ちなみに私の「新旧対照市町村一覧」に対する考えですが、以前[78871]拙稿で
かなり信頼できる資料であることには同意します。しかしながら廃置分合の県令が存在する府県について新旧対照市町村一覧と県令とを比較しますと、○○新田「村」or○○新田での「村」の有無というような細かな箇所については、一県あたり約3~7箇所の誤りと判断できる箇所がありました。(略)複数ある資料のうちの一つとして扱うのが適切である、というのが私の新旧対照市町村一覧の位置づけであります。
と書いたように、「町」or「丁」のような微妙である箇所を判別する資料としては単独では使えないものと考えています。


仙台区は郡区町村編成法により誕生し、明治11年から同22年まで存在しました。その間、仙台区に属した町、つまり88さんがまとめられた市制町村制施行前の町村名等に列記された町々はそれぞれが明治22年まで独立した自治町でありえたのか。
郡区町村編制法(明治11年太政官布告第17号)(M11.7.22)では
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第二条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニ依ル
第五条 毎郡ニ郡長各一員ヲ置キ毎区ニ区長各一員ヲ置ク郡ノ狭少ナルモノハ数郡ニ一員ヲ置クコトヲ得
第六条 毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク又数町村ニ一員ヲ置クコトヲ得
 但、区内ノ町村ハ、区長ヲ以テ戸長ノ事務ヲ兼ムルコトヲ得
と規定しています。そして宮城県では宮城県甲第225号布達(M11.10.21)(※本稿最後に記載)で郡区町村編制法が施行されました。
この時、宮城県全域では郡区町村編制法
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第二条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニ依ル
及び三新法施行規則(M11.7.22太政官達)に基づき、大区小区が廃止され、郡町村が復活し、宮城郡・名取郡の一部区域は仙台区という区域となりました。宮城県仙台区では他の府県とは異なり郡区町村編制法第6条第2項
但、区内ノ町村ハ、区長ヲ以テ戸長ノ事務ヲ兼ムルコトヲ得
にあるように区長が戸長を兼任したため、仙台区においては戸長役場数は1となりました。このことを、戦後に編集された宮城県史3(編:宮城県史編纂委員会、著:宮城県、出版:財団法人宮城県史刊行会、S39.3.31)では郡区町村編制法第6条第1項前段
毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク
によるものと誤認し、宮城県史3の92頁([78879]千本桜さんが示された資料)では仙台区においての町村数を1と書いたものと思われます。

当時の宮城県発行の統計書を見てみますと。
M11M15M17.12.31M20.12.31M21.12.31
郡区名町数村数町数村数町数村数町数村数町数村数
仙台区25603060306030203020
柴田郡・刈田郡068069068068068
伊具郡・亘理郡062062062062062
名取郡060060060060060
宮城郡079079079079079
黒川郡・加美郡089087088088088
志田郡・玉造郡079079077077077
遠田郡058056057056056
栗原郡051050050050050
登米郡018023023023023
桃生郡066064065065065
牡鹿郡060060060060060
本吉郡018019019019019
256708306708306708302707302707
#M11現在の町村数・・・宮城県統計表(明治11年度)(編・発行:宮城県、M14.2.)による。町数及び村数の合計は他の年度との比較のため、むっくんが集計した。
#M15現在の町村数・・・宮城県統計書(明治15年度)(上)(編・発行:宮城県、M18.3.)による。
#M17.12.31現在の町村数・・・宮城県統計書(明治16-17年度)(編・発行:宮城県、M19.2.)による。
#M20.12.31現在の町村数・・・宮城県統計書(明治20年度)(編・発行:宮城県、M22.6.15)による。
#M21.12.31現在の町村数・・・宮城県統計書(明治21年度)(編:宮城県第一部文書課、発行:宮城県、M23.1.7)による。

となっており、仙台区の町村数が1でないことが分かり、
仙台市街の約300におよぶ町々は明治22年3月30日まで自治体として存続した
ものと考えられます。
【追記】
宮城県史3(編:宮城県史編纂委員会、著:宮城県、出版:財団法人宮城県史刊行会、S39.3.31)134頁においても
名取・宮城両郡に跨る仙台は「市井一円を以て一区として統治」することになるのである(このなかに自治団体たり行政区画たる町村があつた。もつとも区内の町村には戸長を置かず区長に兼ねしめた)
と記載されています。
【追記終わり】

#後に地方官官制(勅令第54号)(M19.7.20)で
第三十七条 毎郡若クハ数郡ニ郡長一人毎区ニ区長一人及書記若干人ヲ置ク
と定められたことにより、他の府県の区でも戸長役場が廃止されました。


別の視点から見てみます。
総務省HP内の市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴では
市数町村数
明治21年71,31471,314
明治22年3915,82015,859
と一般に言われている明治の大合併での町村数の変遷が紹介されています。

まず、この数値は大日本帝国内務省統計報告(編:内務省総務局報告課、発行:内務省)によるものです。
#当時、明治15年より日本帝国統計年鑑(編・出版:内閣統計局)が、そして明治19年より大日本帝国内務省統計報告(編:内務省総務局報告課、発行:内務省)が毎年発行され、町村数も集計されていました。ここでの数値は前者とは一致せず後者と一致します。

明治21年の詳細を大日本帝国内務省第四回統計報告(編:内務省総務局報告課、発行:内務省、M22.12.)12-15頁から、明治22年の詳細を大日本帝国内務省第五回統計報告(編:内務省総務局報告課、発行:内務省、M23.12.)14-17頁から見てみますと、ここでの町村数には区の傘下にあった町村(もちろん仙台区傘下の各町)も含まれています。
これからも、仙台区に属した町も一応は独立した自治町であったと見做して差し支えないものと考えられます。


---------------------
(※)
甲第二百二十五号
本年第十七号布告ニ拠リ、左之通郡区編制候条、此旨布達候事 十月二十一日
陸前国宮城郡仙台区
 右一区ニ区長壱員ヲ置キ、区役所ヲ仙台ニ設ク
磐城国刈田郡
陸前国柴田郡
 右ニ郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ柴田郡大河原駅ニ設ク
磐城国伊具郡
同国亘理郡
 右ニ郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ伊具郡角田駅ニ設ク
陸前国名取郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡長町駅ニ設ク
陸前国宮城郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡原町駅ニ設ク
陸前国黒川郡
同国加美郡
 右ニ郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ黒川郡吉岡駅ニ設ク
陸前国志田郡
同国玉造郡
 右ニ郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ志田郡古川駅ニ設ク
陸前国遠田郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡涌谷駅ニ設ク
陸前国栗原郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡築館駅ニ設ク
陸前国登米郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡佐沼駅ニ設ク
陸前国桃生郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡広淵駅ニ設ク
陸前国牡鹿郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡石巻駅ニ設ク
陸前国本吉郡
 右一郡ニ郡長壱員ヲ置キ、郡役所ヲ該郡志津川駅ニ設ク
出典:「仙台市史資料編8近代現在4」(編:仙台市史編さん委員会、出版:仙台市、2006.9.)45頁

<訂正>
【1】【2】誤字脱字修正
【3】宮城県史3 p.134の記述を追記
【4】“三新法施行規則(M11.7.22太政官達)”との文言を追記
[79017] 2011年 8月 9日(火)12:42:13【1】むっくん さん
“Re:「日野宿」か「日野村」か” の補足
[78871]拙稿を改めて読むと、廃置分合の日がM22.3.31で市制町村制施行日がM22.4.1と年月日が異なることに意識を置きすぎて書いていたために、違った意味でとられかねない箇所がありました。
ゆえに以下で[78871]拙稿の主要部分につき改めて時系列で簡潔に書き、一部追加記述で補足しておきます。

神奈川県では郡区町村編制法に基づき、県令第9号(M22.3.11)でM22.3.31に廃置分合がなされた。廃置分合を伴わない町村名は県令に記載されなかった。[78871]拙稿ではおそらく自明のこととして省略しましたが、県令第9号(M22.3.11)が「日野宿」か「日野村」かの法的根拠である。([78871]での(2))
神奈川県では県令第10号(M22.3.11)([78873]MIさん)により、M22.4.1に横浜に市制が、その他の町村に町村制が施行された。([78871]での(1))
神奈川県でも市制町村制の際、各市町村の役場位置を定める必要があり、何らかの県令(県告示)が出された。そしてここではすべての市町村の名称が書かれているために、廃置分合を伴わなかった市町村名も分かる。後世の人間としては、市制町村制施行時の市町村名のリストとしても活用できる。神奈川県で言えば鵠沼村(高座郡)、最近の話題となったところでは塵浜村(石川県羽咋郡)([78835]EMMさん)のように、江戸時代の天保郷帳以降市制町村制施行まで一切廃置分合に関わらなかった町村名を知る意味では重要である。([78871]での(3))
最後に、神奈川県では市制町村制施行に伴う郡界改定はなかった。([78871]での(4))

[78871]拙稿は以上のようになります。

『地方自治法が施行されたM22.5.3に、和歌山県にあったのが本当に田辺市という市であったのか、本当は田辺町(西牟婁郡)という町ではなかったのか』という争いがあったと仮定しますと、これに関しては地方自治法が施行される以前の市制町村制時代での、M22.5.3に一番近い法令である
内務省告示第346号(S17.5.18)
市制第3条及町村制第3条に依り昭和17年5月20日より和歌山県西牟婁郡田辺町及下芳養村を廃し其の区域を以て田辺市を置く。
を示せば、地方自治法が施行されたM22.5.3に和歌山県にあったのが本当に田辺市という市であったと言えます。
これと同じことが今回の「日野宿」か「日野村」かの法的根拠についても言えますので、(3)ではなくて(2)の県令第9号(M22.3.11)が法的根拠となります。
[78871] 2011年 8月 4日(木)18:19:53むっくん さん
Re:「日野宿」か「日野村」か
[78812]hmtさん
「日野宿」か「日野村」かの議論に入る前にまずは一般論を述べ、その後具体的に見ていくこととします。

まずは一般論です。
以前45府県での市制町村制施行時の根拠規定を調べた際([76873][76874])の経験より、市制町村制が施行される時に各府県では、以下の4つの主要な県令(県告示)が共通して出されたと推測しています。
(1)市制町村制の根拠について
(2)区町村の廃置分合・境界変更・改称について
(3)新市町村の役場位置について
(4)郡界改定について

(1)の典型例として愛知県の県令第48号(M22.9.24)を挙げます。
県令第四十八号 明治二十二年九月二十四日
本年十月一日ヨリ名古屋区ニ市制各郡ニ町村制ヲ施行ス
ここで記載されていることは、市制を施行するところにはその区域を明示したこと、いつに市制町村制を施行するのかということ、の2点です。

(2)は以下の3つに分かれます。
(2-1)府県を跨ぐ境界変更については、一府県内で完結する廃置分合・境界変更・改称についてとは別に県令を出しています。この例として兵庫県の県令第34号(M22.3.5)を挙げます。
県令第三十四号 明治廿二年三月五日
本県川辺郡横路村ヨリ大阪府能勢郡吉川村ヘノ飛地ハ本年四月一日ヨリ右吉川村ヘ編入ス
(2-2)区町村の廃置分合・境界変更・改称について、市制施行区域と町村制施行区域とを分けて出している県もあります。また、改称について廃置分合・境界変更とは別個の県令を出している県もあります。この例として島根県の県令第20号・県令第21号・県令第22号を挙げます。
市制施行区域の廃置分合・境界変更について・・・島根県の県令第20号(M22.3.9)
町村制施行区域の廃置分合・境界変更について・・・島根県の県令第21号(M22.3.9)
改称について・・・島根県の県令第22号(M22.3.9)
(2-3)区町村の廃置分合(・境界変更・改称)の根拠となる県令を各県は出したわけですが、これは以下の2つに分類されます。
(A)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけでなく廃置分合を伴わない町村名をも県令に記載した府県(e.g.山口県の県令第15号(M22.3.3))
(B)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけを県令に記載し、廃置分合を伴わない町村名は県令に記載しなかった府県(e.g.熊本県の県令第10号(M22.3.4))
#神奈川県は(B)です。

(3)では新市町村の成立に伴い役場位置について定める必要がありました。そのため各府県はすべての市町村名と、その役場の所在地を記した県(府)令を出しました。町村組合を形成することになった町村については、この県(府)令にて複数の町村で一つの役場を設ける旨が公示されました。(e.g.和歌山県の県令第20号(M22.2.27))
この県令があることで、(2-3)での(B)タイプの府県においても、市制町村制施行時のすべての市町村名が判ることとなります。

(4)の区町村の廃置分合・境界変更・改称に伴い郡の変更がある場合は、区町村の廃置分合・境界変更・改称とは別途郡界改定の県令が出されました。(e.g.岐阜県の県令第38号(M22.6.27))


さて上記の(1)~(4)について神奈川県について見ていきます。

まずは(1)です。
現在の神奈川県の条例、規則などについては神奈川県公報に記載されていることが分かります。では神奈川県公報がいつから発行されているかですが、横浜沿革誌によると、M20.3.1より
神奈川県公報ヲ発刊シ県令告示等ヲ登載公布式トセラレタリ
とあります。
ということは市制町村制が施行される根拠についても、神奈川県公報に記載されているものと考えられます。
おそらく、廃置分合の規定である県令第9号(M22.3.11)と同日、もしくはその前後数日を探せば(1)についての県令は見つかるものと考えられます。そしてその内容は
「本年四月一日ヨリ横浜区ニ市制各郡ニ町村制ヲ施行ス」という趣旨のことのみが記載されているものと推察します。
神奈川県の市制町村制施行は、その翌日の 明治22年4月1日[78760] とされますが、むっくん さん による 市制町村制の根拠県令 集大成記事[76874] において 「?」 と記されているように、出典は未確認であると思われます。
それとも、この日付について、?県令以外の根拠があるのでしょうか?
(1)の原文は未確認です。また、市制町村制の施行日の日付に関しては神奈川県史別編3年表(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、S57.3.25)314頁の
1889(明治22)年 政治・行政
4.1 市制・町村制施行(横浜市誕生、1市26町294村)
との記述に従いました。

次は(2)です。これは「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)」pp.83-108によると県令第9号(M22.3.11)で、同書記載の日野宿の部分は次の通りです。
--------------
県令第九号
各町村ノ内内務大臣認可得明治二十二年三月三十一日以別冊通分合改称
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖 守固
(別冊)町村分合改称表
久良岐郡
新町村名旧町村名
戸太村戸部町 平沼新田 尾張屋新田 太田村 吉田新田
(中略)
南多摩郡
(中略)
日野宿日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 粟須村飛地
(中略)
--------------
しかしながら、「神奈川県町村合併誌上巻」に記載されているM22県令第9号は明らかな誤りを複数含んでいることもあり、これだけでは信憑性が若干薄れます。そのため、ここで結論を出すことは避けます。

次は(3)です。他府県と同様であるならば、廃置分合の規定である県令第9号(M22.3.11)と同日、もしくはその前後数日を探せば県令(もしくは県告示)はおそらく見つかるものと考えられます。仮に見つからなければ、神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」であるものと考えられます。
[75043]によると、“市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載され”とのことなので、“県令が公布され【1市320町村】に統合”と直結させた「合併誌」の記載は、やや短絡的なのではないでしょうか。

この?県令未確認は、日付だけでなく、新制度における「市町村」の確認をも困難にしている可能性があります。
先の一般論の段で述べたとおり、市町村名に関しては(1)ではなくて(3)の県令(もしくは県告示)を見れば確認できます。
○町△村が出来たということに関しては、他府県においては(3)の県令(もしくは県告示)において未記載です。これは他府県においては町村数については自明であるからであり、神奈川県においては書かれた可能性はあるでしょう。
仮に○町△村が出来たということに関して未記載であるならば、当時の神奈川県の統計書を参照することになります。当時の神奈川県は国からその地方における自治権を獲得した自治体ではなく、国の下部組織である単なる行政区域です([58745][59148][62662]88さん)。そのため神奈川県の統計書に書かれていることは、事実上国が発行した統計書と同義と見なせるものと考えられます。
次は
つまり、県令第九号に記された 242町村の内訳には 「町として集計される日野宿」 があったが、市制町村制施行後の 320町村の内訳【その確実な根拠資料が「?県令」か】として存在したのは「日野村」だったために、上記の“微妙な関係”を生んだのではないか? という疑いです。
についてです。これは
「(2)においては日野“宿”、(3)においては日野“村”とのように、(2)と(3)での記述が異なった疑い」があるのではないか
と言い換えられますので、言い換えた文章を基に論を進めます。
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
ゆえに少なくても県令が発行された当初に関して言えば、(2)においては日野“宿”(3)においては日野“村”とのように、(2)と(3)での記述が異なった可能性はある、ただし記述が異なったのであるならば、(2)もしくは(3)のいずれかが誤記として後に訂正されたものと私は考えます。
正確なことを述べるには信憑性の一番置ける資料である神奈川県公報を参照することが必要です。次善の策としては、当事者である当時の神奈川県が作成した統計書を見ることとなります。

新旧対照市町村一覧における、日野宿から「日野村」への改称も紹介されています。著作者の和泉橋警察署は、内務省そのものではありませんが、当時の警察は、かなり地方行政に関わっていたと思われ、かなり信頼できる資料と思われます。
かなり信頼できる資料であることには同意します。しかしながら廃置分合の県令が存在する府県について新旧対照市町村一覧と県令とを比較しますと、○○新田「村」or○○新田での「村」の有無というような細かな箇所については、一県あたり約3~7箇所の誤りと判断できる箇所がありました。今回の日野「宿」or日野「村」についても同様の誤りである可能性も高く、複数ある資料のうちの一つとして扱うのが適切である、というのが私の新旧対照市町村一覧の位置づけであります。
実際、神奈川県において新旧対照市町村一覧を見てみますと、例えば#86北多摩郡多磨村と#94北多摩郡小金井村の箇所では上石原「駅」飛地となっているのに対し、#87北多摩郡調布町の箇所では上石原「宿」となっており、これは「神奈川県町村合併誌上巻」記載の県令第9号(M22.3.11)と同一の明らかな誤りです。
#正しくは上石原「宿」です。
このような状況下で新旧対照市町村一覧の記載のみを以てして
日野宿から「日野村」への改称がなされた
と判断するのは適当ではないものと私は考えています。

次は(4)ですが今回の話とは関係が薄いので割愛します。


最後に、当時の神奈川県が発行した統計書を見て判断してみます。
#京都府在住の私としては次善の策しかとれません。

ただし以前[78794]で紹介した神奈川県県治一斑(明治22-23年)(編・発行:神奈川県、M26.11.10)以外の資料をここでは紹介します。

神奈川県警察統計書(明治22年)(編・発行:神奈川県警察部、M25)【M22は211~282コマ】を見てみますと、M22(市制町村制施行後)は南多摩郡“日野宿”となっています。また南多摩郡で町となる候補は八王子町と日野宿のみであり、221コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村とあります。八王子町は町であることは明白ですので、日野宿は村となります。

神奈川県警察統計書(明治23年)(編・発行:神奈川県警察部、M25)【M23は283~354コマ】を見てみますと、M23も南多摩郡“日野宿”となっています。292コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

神奈川県警察統計書(明治24年)(編・発行:神奈川県警察部、M25.12.20)【M24は355~426コマ】を見てみますと、M24も南多摩郡“日野宿”となっています。364コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

神奈川県警察統計書(明治25年)(編・発行:神奈川県警察部、M27.6.8)【M25は1~90コマ】を見てみますと、M25も南多摩郡“日野宿”となっています。10コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

以上、当時の神奈川県が発行した統計書から、当時の神奈川県では“日野宿”であり村であったととらえていたと考えられます。

これは以前、別の当時の神奈川県の統計書を参照して私が主張した
--------------
M21.12.31の時点で、国の下部組織である神奈川県は日野宿を村と見なしていました([78808])。その後M22.3.31に日野宿は廃置分合されますが、実質的に境界変更であったこともあり日野宿は村として存続しました。そしてM22.4.1の市制町村制施行でも当然日野宿は村のままです。([78794]拙稿)
--------------
とのことと矛盾点は全くないものです。

最後に余談ですが、明治26(1893)年中の廃置分合が内務省告示第95号(M27.7.25)の最後に記載されており、ここでは
東京府南多摩郡日野宿→日野町
と記載されています。
[78865] 2011年 8月 3日(水)12:30:25【2】むっくん さん
Re:北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について
[78854]88さん
[78845]グリグリさん

北海道の市制町村制施行時の情報に相当する情報の追加作業お疲れさまでした。

私からは修正したほうが良い箇所を2点指摘させていただきます。

◎1点目
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
での輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村は市制町村制施行時の情報(北海道)に対応されないのでしょうか。以前[67215]拙稿にて
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。
とコメントし、[67671]88さんで
まさしく、心配していただいたとおりで悩ましいのですが、これはそのときまでにじっくり考えることとしたいと思います
とのコメントを頂戴しています。


◎2点目
北海道区制(勅令第158号)(M30.5.29)とは[78854]88さんによると
本州以南の「市制町村制施行」に相当するもの
とのことです。
本州以南で区から市へ移行したところでは、区の名称のみならず、その傘下である町村名も同時に記載しています。しかしながらM32.10.1に北海道に北海道区制が施行されたときの記載は
1 区制 札幌区 札幌区
2 新設/区制 函館区 函館区, 亀田郡 亀田村の一部
と区の傘下である町村名は記載されていません。整合性を取る為には、札幌区及び函館区に属していた町名も同時に記載することが適切であると考えます。

北海道区制が施行されたM32.10.1直前の札幌区と函館区の町名は、M31.7.31現在の区町村名を記した明治三十一年八月編纂北海道庁現行布令便覧(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)及びM36.3.31現在の区町村名を記した北海道庁現行布令便覧(編:北海道、出版:富貴堂、M36.9.)での両区の町名を見ることで類推することが出来ます。

まずは札幌区です。
郡区町村編制法施行下の札幌区に属していた町は以下の通りです。

大通東一丁目, 大通東二丁目, 大通東三丁目, 大通東四丁目, 大通西一丁目, 大通西二丁目, 大通西三丁目, 大通西四丁目, 大通西五丁目, 大通西六丁目, 大通西七丁目, 大通西八丁目, 大通西九丁目, 大通西十丁目, 大通西十一丁目, 大通西十二丁目, 大通西十三丁目, 大通西十四丁目, 大通西十五丁目, 大通西十六丁目, 大通西十七丁目, 大通西十八丁目, 大通西十九丁目, 大通西二十丁目, 南一条東一丁目, 南一条東二丁目, 南一条東三丁目, 南一条東四丁目, 南一条東五丁目, 南一条東六丁目, 南一条西一丁目, 南一条西二丁目, 南一条西三丁目, 南一条西四丁目, 南一条西五丁目, 南一条西六丁目, 南一条西七丁目, 南一条西八丁目, 南一条西九丁目, 南一条西十丁目, 南一条西十一丁目, 南一条西十二丁目, 南一条西十三丁目, 南一条西十四丁目, 南一条西十五丁目, 南一条西十六丁目, 南一条西十七丁目, 南一条西十八丁目, 南一条西十九丁目, 南二条東一丁目, 南二条東二丁目, 南二条東三丁目, 南二条東四丁目, 南二条東五丁目, 南二条東六丁目, 南二条西一丁目, 南二条西二丁目, 南二条西三丁目, 南二条西四丁目, 南二条西五丁目, 南二条西六丁目, 南二条西七丁目, 南二条西八丁目, 南二条西九丁目, 南二条西十丁目, 南二条西十一丁目, 南二条西十二丁目, 南二条西十三丁目, 南二条西十四丁目, 南二条西十五丁目, 南二条西十六丁目, 南二条西十七丁目, 南二条西十八丁目, 南二条西十九丁目, 南三条東一丁目, 南三条東二丁目, 南三条東三丁目, 南三条東四丁目, 南三条東五丁目, 南三条西一丁目, 南三条西二丁目, 南三条西三丁目, 南三条西四丁目, 南三条西五丁目, 南三条西六丁目, 南三条西七丁目, 南三条西八丁目, 南三条西九丁目, 南四条東一丁目, 南四条東二丁目, 南四条東三丁目, 南四条東四丁目, 南四条東五丁目, 南四条西一丁目, 南四条西二丁目, 南四条西三丁目, 南四条西四丁目, 南四条西五丁目, 南四条西六丁目, 南四条西七丁目, 南四条西八丁目, 南四条西九丁目, 南五条東一丁目, 南五条東二丁目, 南五条東三丁目, 南五条西一丁目, 南五条西二丁目, 南五条西三丁目, 南五条西四丁目, 南五条西五丁目, 南五条西六丁目, 南五条西七丁目, 南五条西八丁目, 南五条西九丁目, 南六条東一丁目, 南六条東二丁目, 南六条東三丁目, 南六条西一丁目, 南六条西二丁目, 南六条西三丁目, 南六条西四丁目, 南六条西五丁目, 南六条西六丁目, 南六条西七丁目, 南六条西八丁目, 南六条西九丁目, 南七条西一丁目, 南七条西二丁目, 南七条西三丁目, 南七条西四丁目, 南七条西五丁目, 南七条西六丁目, 南七条西七丁目, 北一条東一丁目, 北一条東二丁目, 北一条東三丁目, 北一条西一丁目, 北一条西二丁目, 北一条西三丁目, 北一条西四丁目, 北一条西五丁目, 北一条西六丁目, 北一条西七丁目, 北一条西八丁目, 北一条西九丁目, 北一条西十丁目, 北一条西十一丁目, 北一条西十二丁目, 北一条西十三丁目, 北一条西十四丁目, 北一条西十五丁目, 北一条西十六丁目, 北一条西十七丁目, 北一条西十八丁目, 北一条西十九丁目, 北一条西二十丁目, 北二条東一丁目, 北二条東二丁目, 北二条東三丁目, 北二条西一丁目, 北二条西二丁目, 北二条西三丁目, 北二条西四丁目, 北二条西五丁目, 北二条西六丁目, 北二条西七丁目, 北二条西八丁目, 北二条西九丁目, 北二条西十丁目, 北二条西十一丁目, 北二条西十二丁目, 北二条西十三丁目, 北二条西十四丁目, 北二条西十五丁目, 北二条西十六丁目, 北二条西十七丁目, 北二条西十八丁目, 北二条西十九丁目, 北二条西二十丁目, 北三条東一丁目, 北三条東二丁目, 北三条東三丁目, 北三条西一丁目, 北三条西二丁目, 北三条西三丁目, 北三条西四丁目, 北三条西五丁目, 北三条西七丁目, 北三条西八丁目, 北三条西九丁目, 北三条西十丁目, 北三条西十一丁目, 北三条西十二丁目, 北三条西十三丁目, 北三条西十四丁目, 北三条西十五丁目, 北三条西十六丁目, 北三条西十七丁目, 北三条西十八丁目, 北三条西十九丁目, 北三条西二十丁目, 北四条東一丁目, 北四条東二丁目, 北四条西一丁目, 北四条西二丁目, 北四条西三丁目, 北四条西四丁目, 北四条西五丁目, 北四条西六丁目, 北四条西七丁目, 北四条西八丁目, 北四条西九丁目, 北四条西十丁目, 北四条西十一丁目, 北四条西十二丁目, 北四条西十三丁目, 北四条西十四丁目, 北四条西十五丁目, 北四条西十六丁目, 北四条西十七丁目, 北四条西十八丁目, 北四条西十九丁目, 北四条西二十丁目, 北五条東一丁目, 北五条東二丁目, 北五条西一丁目, 北五条西二丁目, 北五条西三丁目, 北五条西四丁目, 北五条西五丁目, 北五条西六丁目, 北五条西七丁目, 北五条西八丁目, 北五条西九丁目, 北五条西十丁目, 北五条西十一丁目, 北五条西十二丁目, 北五条西十三丁目, 北五条西十四丁目, 北五条西十五丁目, 北五条西十六丁目, 北五条西十七丁目, 北五条西十八丁目, 北五条西十九丁目, 北五条西二十丁目, 北六条東一丁目, 北六条東二丁目, 北六条東三丁目, 北六条西一丁目, 北六条西二丁目, 北六条西三丁目, 北六条西四丁目, 北六条西五丁目, 北六条西六丁目, 北六条西七丁目, 北六条西八丁目, 北七条西一丁目, 北七条西二丁目, 北七条西三丁目, 北七条西四丁目, 北七条西五丁目, 北七条西六丁目, 北七条西七丁目, 北八条東一丁目, 北八条東二丁目, 北八条西一丁目, 北八条西二丁目, 北八条西三丁目, 北八条西四丁目, 北八条西五丁目, 北八条西六丁目

#北九条西1~5丁目、北十条西1~5丁目、北十一条西1~5丁目、北十二条西1~5丁目、北十三条西1~5丁目、北十四条西1~5丁目、北十五条西1~5丁目は、札幌区に北海道区制が成立したM32.10.1の後の北海道庁告示第474号(M33.11.28)に札幌区字北八条西1丁目の一部を分割することで成立したため、M31.7.31の区町村名では存在せずM36.7.31の区町村名では存在しています。


次に函館区です。
郡区町村編制法施行下の函館区に属していた町は以下の通りです。

大町, 仲浜町, 弁天町, 西浜町, 幸町, 大黒町, ●(魚+盍)澗町, 富岡町, 鍛冶町, 旅町, 天神町, 駒止町, 船見町, 台町, 山背泊町, 元町, 会所町, 相生町, 寿町, 曙町, 汐見町, 青柳町, 春日町, 谷地頭町, 住吉町, 末広町, 東浜町, 船場町, 恵比須町, 蓬莱町, 地蔵町, 汐留町, 豊川町, 西川町, 宝町, 東川町, 大森町, 鶴岡町, 若松町, 音羽町, 高砂町, 海岸町, 大縄町, 真砂町

●(魚+盍)を数値文字参照で表すと『鰪』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
[78864] 2011年 8月 3日(水)12:27:57【3】むっくん さん
能美郡小松町など
[78835][78861]EMMさん
[78860]88さん
結局は、「M22.3.8付け石川県令第23号の41コマ」に「能美郡 小松町」との記載がなく、つまりは従前の 能美郡 小松町 がそのまま単独で市制町村制の町制施行した、と判断したわけです。従前の31町村が、M22.4.1までのいずれかの時期で合併して能美郡小松町になったのではないか、と思うのですが・・・。
#69能美郡小松町ですが、以前[70710]拙稿で触れたように県令第28号(M22.3.8)にて小松31町が合併して成立したと考えるのが自然なのではないでしょうか。
これは#25江沼郡大聖寺町で大聖寺60町が合併して成立、#114石川県石川郡松任町で松任23町が合併して成立、#254石川県鳳至郡輪島町で輪島4町が合併して成立、にても同じであると考えます([70710])。
そして、EMMさんが触れられている#202鹿島郡七尾町については旧の七尾24町のみならず周辺の4つの村の一部をも合併したために県令第23号(M22.3.8)で書いてあるものと考えます。

さて#69能美郡小松町での小松31町ですが、石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)153頁によると
小松龍松町, 小松八日市町, 小松三日市町, 小松東町, 小松八日市町地方, 小松三日市町地方, 小松本折町, 小松上本折町, 小松西町, 小松大文字町, 小松寺町, 小松本鍛冶町, 小松塗師屋町, 小松本大工町, 小松土居原町, 小松京町, 小松地子町, 小松新大工町, 中町地方, 小松浜田町, 浜田地方, 向野地方, 小松小馬出町, 小松松任町, 小松細工町, 小松新町, 小松茶屋町, 小松泥町, 小松中町, 小松材木町, 小松新鍛冶町
となっています。

次に#114石川県石川郡松任町での松任23町です。
松任23町は石川県統計書(明治21年)(著・出版:石川県、M23.2.15)での第十一 郡区区画&第十二 裁判所区画、もしくは石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)155頁によると
松任茶屋町, 松任安田町, 松任中町, 松任八日市町, 松任四日市町, 松任東一番町, 松任東二番町, 松任東三番町, 松任八ツ矢町, 松任新田町, 松任北町, 松任布市町, 松任石同町, 松任石同新町, 松任辰巳町, 松任鍛冶町, 松任博労町, 松任馬場町, 松任横町, 松任西新町, 松任東新町, 松任殿町, 松任古城町
となっています。

そして#254石川県鳳至郡輪島町での輪島4町です。
輪島4町は石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)165頁によると
輪島河井町, 輪島海士町, 輪島崎町, 輪島鳳至町
となっています。

最後に[78835]EMMさんの触れられた#128河北郡小原谷村での「切山村」or「桐山村」です。
天保国絵図旧国旧高取調帳石川県下町村名集(編・出版:小沢重三郎、M10.6.)(第9大区小3区)、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)明治19年1月現在、県令第23号(M22.3.8)といずれも「切山村」でした。
[78834] 2011年 7月 27日(水)18:30:33【1】むっくん さん
御礼&情報提供
[78807]MIさん
神奈川県の「駅」「宿」、新潟県の「浦」以外にも「新田」がありました。
私も確認しましたが、神奈川県4駅1宿、新潟県1浦以外にはMIさんの挙げられているところ(新潟県2新田、岐阜県17新田)で全部だと思われます。MIさん、フォローありがとうございました。[78796]グリグリさんにおかれましては、不十分な情報で失礼しました。

これだけの書込みだけでは何ですので、今回の確認時に同時にチェックした「不要なスペースのあるところ」及び「自治体名と変更種別の相違があるところ」、「正確に表示されていないところ」、そして1箇所だけ気付いた「後の記載と違うところ」を以下に記載します。確認をよろしくお願いします。>88さん

◎「不要なスペースのあるところ」
宮城県(M22.3.31)
#10刈田郡白石町での「郡 山村」
#32亘理郡逢隈村での「下郡 村」及び「上郡 村」
#46名取郡茂ヶ崎村での「郡 山村」
#93遠田郡元涌谷村での「上郡 村」及び「下郡 村」
#129登米郡錦織村での「西郡 村」

茨城県(M22.3.31)
#88久慈郡郡戸村での「郡 戸村」
#252筑波郡田井村での「神郡 村」
#284真壁郡新治村での「古郡 村」

千葉県(M22.3.31)
#176香取郡米沢村での「郡 村」
#211香取郡橘村での「今郡 村」
#254望陀郡馬来田村での「下郡 村(微)」
#259望陀郡富岡村での「下郡 村(本)」
#261望陀郡鎌足村での「下郡 村(微)」
#270周准郡貞元村での「郡 村」

福井県(M22.4.1)
#15吉田郡西藤島村での「郡 村」
#77大野郡勝山町での「勝山郡 町」
#78大野郡村岡村での「郡 村」
#117丹生郡朝日村での「内郡 村」

静岡県(M22.3.1)
#127志太郡藤枝町での「郡 村(微)」
#269敷知郡篠原村での「馬郡 村(本)」
#270敷知郡舞阪町での「馬郡 村(微)」

三重県(M22.4.1)
#95奄芸郡栄村での「郡 山村」
#278伊賀郡神戸村での「古郡 村」
#281伊賀郡依那古村での「上郡 村」及び「下郡 村」

和歌山県(M22.4.1)
#167西牟婁郡栗栖川村での「北郡 村」


◎「自治体名と変更種別の相違があるところ」
宮城県(M22.4.1)
#10刈田郡白石町 「村制」(誤)→「町制」(正)

福島県(M22.4.1)
#285石川郡石川村 「町制」(誤)→「村制」(正)

新潟県(M22.4.1)
#145西蒲原郡地蔵堂村(新設/町制) 地蔵堂「村」(誤)→地蔵堂「町」(正)。新設/町制は正しい。
(参考:新潟県改正市町村名簿
#537刈羽郡宮川町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)

三重県(M22.4.1)
#91奄芸郡白子町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)

滋賀県(M22.4.1)
#118犬上郡彦根町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)


◎「正確に表示されていないところ」
岩手県(M22.4.1)
#167西閉伊郡綾織村での「_崎村」
表示されていない漢字は「●(身+鳥)」です。数値文字参照ですと『鵢』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

宮城県(M22.3.31)
#1仙台区での「霊屋下●(_+尤(こぶ))田町」
表示されていない漢字は「●(やまいだれ+尤)」です。数値文字参照ですと『疣』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

山形県(M22.4.1)
#66北村山郡大倉村での「_山村」
表示されていない漢字は「●(木+箭)」です。数値文字参照ですと『櫤』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#138東田川郡黒川村での「_代村」
表示されていない漢字は「●(木+荒)」です。

福島県(M22.4.1)
#132南会津郡二川村での「高_村」
表示されていない漢字は「●(こざとへん+寿)」です。数値文字参照ですと『陦』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#325田村郡文珠村での「_田村」
表示されていない漢字は「●(米+共)」です。数値文字参照ですと『粠』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

群馬県(M22.4.1)
#2東群馬郡上川淵村での「_島村」
表示されていない漢字は「●(木+勝)」です。数値文字参照ですと『橳』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

新潟県(M22.4.1)
#191西蒲原郡矢作村での「_穴村」
表示されていない漢字は「●(魚+分)」です。数値文字参照ですと『魵』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#418北魚沼郡_生村での「_生村」(2箇所)
これについては消滅時には数値文字参照を用いて正確に表示されています。

石川県(M22.4.1)
#168羽咋郡上甘田村での「_谷村」
表示されていない漢字は「●(けものへん+丸)」です。数値文字参照ですと『犱』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#214鹿島郡東島村での「_目村」
表示されていない漢字は「●(魚+爰)」です。数値文字参照ですと『鰀』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

福井県(M22.4.1)
#84大野郡遅羽村での「_崎村」
表示されていない漢字は「●(山+旁)」です。数値文字参照ですと『嵭』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

京都府(M22.4.1)
#114南桑田郡_田野村での「_田野村」(これは[78653]拙稿で書いていますが念のため記載しています)
これについては消滅時には数値文字参照を用いて正確に表示されています。


◎「後の記載と違うところ」
石川県
#181(M22(1889).4.1)及び#89(S23(1948).4.1)では「釶」打村。
しかし後の#103(S29(1954).3.31)では「馳」打村。
これはS29.3.31の方が間違いであると思われます。
[78808] 2011年 7月 22日(金)18:34:40むっくん さん
Re^4:「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」
[78796]グリグリさん
日野宿を村と推定した根拠である南多摩郡の町村数のように、日野宿以外の4駅が町である証拠となるデータはないのでしょうか。
これも神奈川県県治一斑(明治22-23年)(編・発行:神奈川県、M26.11.10)を見ると説明できます。
同書では北多摩郡は3町36村とあり、町は田無町、調布町、府中駅としか考えられません。
次に、足柄下郡は2町30村とあり、町は小田原町、箱根駅としか考えられません。
そして、津久井郡は3町21村とあり、町は小原町、与瀬駅、吉野駅としか考えられません。
ゆえに、日野宿以外の4駅が町であったと考えられます。

「町と村のいずれと見做されていたかは…」と言われている町と村というのは、当然、郡区町村編成法における町と村という意味ですよね。この法の内容をよく理解していないのですが、町と村に大きな違いや区別することに大きな意味があるのでしょうか。
郡区町村編制法(M11.7.22)では
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
とあるだけで、町と村の権能に特段の差異はないものと考えられ、大きな意味はないものと思います。
しかし市区町村変遷情報に記載する際に、○○町もしくは△△村以外の自治体名であっても変更種別の欄に「町制」もしくは「村制」を書かなければならないという点では、大きな意味があります。日野宿の例で言いますと、
97 「町制」 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿
もしくは
97 「村制」 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿
のいずれかを採用するという、町か村かという実体の「仕分け」作業を強いられます。

さて、幸いにも市制町村制施行時での最大の問題であった神奈川県については「神奈川県1市26町294村」と書けば問題はないようです。しかしながら明治22年以前に遡る場合については次のような対処が必要であると考えられます。

例えば、明らかに村から町となった事例であっても
1887(M19).10.5 町制 下埴生郡成田町 下埴生郡 成田村
と記載せずに
1887(M19).10.5 改称 下埴生郡成田町 下埴生郡 成田村
と記載しておくという対処です。この対処には、町か村かという実体の「仕分け」作業をせずに済み、さらに郡区町村編制法が施行された時には「□区○駅☆宿△町◇村設置」のようにも表記が可能になるという利点があります。


[78798]hmtさん
郡区町村編制法時代の2つの資料では「町」扱いをされていた日野宿ですが、[78794] によれば、町村制の時代になると「村」扱いになっています。日野宿「宿長?」の公式職名は、町長から村長に変わったのでしょうか?【町村制52条では「町村長」なので、区別することは無意味かもしれませんが。】
南多摩郡日野宿に関して、市制町村制施行直前の法的性質を見てみます。神奈川県県治一斑(明治21年)(編・発行:神奈川県、M25.3.1)ではM21.12.31現在の南多摩郡の町村数は19町116村とあります。19町となる可能性のあるのは八王子19町及び日野宿(M21.12.31現在の南多摩郡の町村名は神奈川県警察統計書(明治21年)(編:神奈川県警察部警務課、発行:神奈川県警察本部、M25)を参照のこと)ですが、八王子19町はすべては○△町との形態をとっていることより、日野宿は村であったと考えられます。

神奈川県県治一斑(明治21年)(編・発行:神奈川県、M25.3.1)ではM21.12.31現在の町村数「177町1177村」とあり、これは以前[75043][78794]拙稿で紹介した神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83での
かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
との記述と一致し、信憑性もあります。

以上より、市制町村制が施行される直前のM21.12.31(郡区町村編制法時代)でも南多摩郡日野宿は村であったものと考えられます。市制町村制の施行があっても、日野宿は村であり続けたと言えます。
[78794] 2011年 7月 18日(月)17:29:39【2】むっくん さん
Re:「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」
[78790]グリグリさん
大正2年まで「駅」が残っていた状況を考えると、神奈川県の市制町村制施行時の注記として「1市27町293村設置」とするのではなく、「1市22町1宿4駅293村設置」とした方がよいのではないでしょうか。それとも88さん原案通り、宿も駅も町と扱ってしまった方が分り易いでしょうか。今後の検索機能の設計などにも多少影響しますので、皆さんのご意見があればお願いいたします。
市制町村制の事例とは異なりますが、郡区町村編成法施行下では町や村以外に宿や駅や山や浦などがありました。そしてこれらが町と村のいずれと見做されていたかは全国一律ではなくて道府県によって異なります。
【追記】
#宿や駅や山や浦などが町と村のいずれに分類されるかという点につき、道府県と国とで異なっていたところもあります。例えば兵庫県武庫郡の西宮鷲林寺新田, 西宮柏堂新田を兵庫県は町として、国は村として分類していたものと推測されます。
#郡区町村編成法が施行された当初では区町村以外に宿と駅という区分があった県(e.g.静岡県)もありましたが、遅くても明治10年代末には区町村という区分に全国的に統一されています。
【追記終わり】

今回の神奈川県の場合においても、当時の神奈川県の資料にあたるしか確認する方法はないものと思われます。
当時の資料である神奈川県県治一斑(明治22-23年)(編・発行:神奈川県、M26.11.10)での町村数は「26町294村」と記載されています。
【追記】
この記述は以前[75043]拙稿でも紹介した神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83での、
かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
との記述と一致します。
よって、神奈川県の市制町村制施行時の注記としては「1市27町293村設置」でも「1市22町1宿4駅293村設置」でもなく、「1市26町294村設置」とするのが適切であるものと考えます。

次に「1市26町294村」と「1市27町293村」との差の原因を考えます。
まず○○町と△△村はそれぞれ町、村として明らかです。差異の原因としては日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅の1宿4駅のうちのいずれか1自治体が村として取り扱われていると考えることが出来ます。
神奈川県県治一斑(明治22-23年)を見てみますと南多摩郡の町村数が1町19村とあります。郡市役所々在地名として書かれている八王子町は町であることが明らかであることより、日野宿が村として取り扱われていたものと考えられます。
【追記終わり】

そこで
97 町制 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿

97 村制 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿
と変更することになるのではないでしょうか。>88さん

ところで、区以外では神奈川県の事例以外はないのですよね。これは確認です。
神奈川県以外の事例として、新潟県岩船郡の粟島浦も挙げられます。

(訂正)
【1】一部文章修正、大幅追記
【2】一文追加
[78770] 2011年 7月 15日(金)13:01:40むっくん さん
本吉郡新月村について
[78768]千本桜さん
本吉郡新月村についてですが、明治8年に合併してその後分離して明治22年に再度合併した可能性はないのでしょうか。

まず明治8年頃に日本全国で行われた町村合併は、地租改正による負担増を出来る限り避けるために行われたといっても過言はないものです。
#当時の町村の多くでは、飛地などが入り混じっていて町村の境界が複雑でした。そのような町村で地租改正が行われた後に合併しないという選択をすると、負担が激増しました。

その後、「別に合併しなくてもよかった、合併前の村に戻りたい」「この村の規模では大きすぎるので2つに分かれたい」などと県当局に申し出をした村も多数ありましたが、「町村の合併や分離においては内務省との調整もあり、県当局側の負担も多大である。そのため、安易には村の分離は認められない。」としてほとんどが却下されています。
とは言え、分離が認められた村も少数ながらあります。ただ、そういった村も結局は明治の大合併で合併していたりします。

この例として長野県小県郡の平井村と高梨村、同県埴科郡の小島村, 寂蒔村, 鋳物師屋村, 打沢村, 桜堂村を挙げます。

(事例1)
M9.8.__平井村, 高梨村→西内村
M14.5.18西内村→平井村, 西内村旧・平井村の区域が平井村として分離
M22.4.1平井村, 西内村→西内村

(事例2)
M9.5.30小島村, 寂蒔村, 鋳物師屋村, 打沢村, 桜堂村→東船山村
M14.5.23東船山村→小島村, 寂蒔村, 鋳物師屋村, 打沢村, 桜堂村
M22.4.1小島村, 寂蒔村, 鋳物師屋村, 打沢村, 桜堂村→埴科村

このような2例があるのですから、本吉郡新月村についてももう少し他の文献も調べられてから結論づけても良いのではないか、というのが個人的な意見です。
#私見ですが、角川地名大辞典にしても平凡社日本歴史地名大系にしても明治22年以前はそれ以降に比べますと、まだまだ調査不足の印象を受けます。例えば、静岡県遠江国榛原郡にはかつて永里村という村がありました。永里村は明治9年に4村合併で成立し、静岡県甲第73号布達(M11.6.3)で元の4村に分割されて消滅しました。上述の事例2の長野県埴科郡東船山村と同じです。ところが、角川地名大辞典にも平凡社日本歴史地名大系にも永里村は記載されていません。
[78766] 2011年 7月 13日(水)18:17:09【1】むっくん さん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時の情報) 完成
[78755][78761]88さん
市区町村変遷情報(1990年から明治の大合併である市制町村制施行時まで)を5年がかりで遡られたとのこと、本当にお疲れ様でした。言葉に言い尽くせない苦労もあったことと推察します。


さて[78756]hmtさんでのご提案
市制町村制施行に少し先んじて 廃置分合が実施された 5県[77581]における 旧町村からの合併情報
(略)
実質的には 市制町村制施行と不可分の情報なので、ぜひとも早期に補足していただきたと思います。
[78761]88さんにて採用されたようですので、私からは以下の7点の追加をも取り急ぎ提案します。
[78756]hmtさんのご提案ほどの重要性はないと思われますので取り扱いは88さんに一任します。

(1)大分県でM22.4.1の市制町村制施行に少し先んじて県令甲第11号(M22.3.2)で行われた郡変更([76873]参照)
1889(M22).3.2 郡変更 下毛郡長尾野村 日田郡から下毛郡に

(2)栃木県でM22.4.1の市制町村制施行に少し先んじて勅令第32号(M22.3.13)で行われた郡の廃止([76873]参照)
1889(M22).3.13 編入 下都賀郡 寒川郡, 下都賀郡

(3)島根県でM37.5.1の隠岐国町村制施行に少し先んじて島根県告示第2号(M37.1.9)(「新修島根県史史料編(近代上)」(編・出版:島根県、1966)pp.697-698に記載)で行われた廃置分合
島根県告示第二号
郡区町村編制法ニ依リ隠岐国町村ノ内左ノ通区域名称ヲ変更シ明治三十七年四月一日ヨリ施行ス
明治三十七年一月九日 島根県知事 井原 昂
周吉郡
 西郷町 合
   西郷中町 西郷東町 西郷西町
(以下略)

1904(M37).4.1新設周吉郡西郷町周吉郡 西郷中町, 西郷東町, 西郷西町
1904(M37).4.1新設周吉郡東郷村周吉郡 飯田村, 東郷村, 犬来村, 釜村, 大久村
1904(M37).4.1新設周吉郡布施村周吉郡 卯敷村, 布施村, 飯美村
1904(M37).4.1新設周吉郡中村周吉郡 元屋村, 中村, 湊村, 西村, 穏地郡 伊後村
1904(M37).4.1新設周吉郡中条村周吉郡 原田村, 上西村, 池田村, 有木村, 平村, 八田村
1904(M37).4.1新設周吉郡磯村周吉郡 西田村, 下西村, 今津村, 加茂村
1904(M37).4.1新設穏地郡都万村穏地郡 都万村, 津戸村, 那久村, 油井村, 周吉郡 蛸木村, 穏地郡 南方村(微)
1904(M37).4.1新設穏地郡五箇村穏地郡 郡村, 山田村, 那久路村, 小路村, 北方村, 代村, 苗代田村, 久見村, 南方村(本)
1904(M37).4.1新設海士郡海士村海士郡 海士村, 宇受賀村, 豊田村, 福井村, 布施村, 知々井村, 太井村, 崎村
1904(M37).4.1新設知夫郡黒木村知夫郡 別府村, 宇賀村, 美田村

(4)東京府大島での1908(M41).4.1島嶼町村制施行に少し先んじて、勅令第45号(沖縄縣間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件)(M40.3.16)が内務省令第29号(M40.12.28)で適用されたことにより行われた改称
1908(M41).2.1 改称 波浮港村 波浮港

(5)東京府八丈島での1908(M41).10.1島嶼町村制施行に少し先んじて、勅令第45号(沖縄縣間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件)(M40.3.16)が内務省令第29号(M40.12.28)で適用されたことにより行われた改称
1908(M41).2.1改称大賀郷村大賀郷
1908(M41).2.1改称中ノ郷村中ノ郷

(6)東京府大島での1908(M41).4.1島嶼町村制施行に少し先んじて行われた改称
(実施日は郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)による。)
1908(M41).3.1 改称 元村 新島村

(7)東京府利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島での1923(T12).10.1島嶼町村制施行に少し先んじて、勅令第45号(沖縄縣間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件)(M40.3.16)が内務省令第18号(T12.7.7)
明治四十年勅令第四十五号ハ大正十二年八月一日ヨリ之ヲ東京府利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島ニ施行ス
大正十二年七月七日 内務大臣 水野錬太郎
で適用されたことにより行われた改称
1923(T12).8.1改称利島村利島
1923(T12).8.1改称神津島村神津島
1923(T12).8.1改称御蔵島村御蔵島

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最後に。

市区町村変遷情報の今後の課題・方針については、[74238][78755]88さんでほぼ挙げられていると思いますので、私からは
さらなる変遷情報の遡り
について具体的なところを1点だけ書きます。
私見ですが、現在のように全国均一に遡ることはやめ、各府県ごとに遡るようにした方が良いのではないかと思っています。
理由としては各府県ごとに残っている史料について多寡がある為です。さらにその条件下で市区町村変遷情報の信憑性を落とさないようにしなければなりません。
具体的な法的根拠が見つかるところは良いのですが、見つからないことも多々あります。そのような時は、各町村について個々の文献でどのように記されているかを時系列で並べ、その変遷を各府県ごとに作成する必要性に迫られるのではないでしょうか。私は前述の方法で現在の20府県の範囲について調べ、残っている史料が多い複数の府県においては、天保郷帳・天保国絵図まで遡ることにほぼ成功しています。
[78711] 2011年 7月 5日(火)18:32:40むっくん さん
確認
[78674]実那川蒼さん
2点ほどあなた御自身の過去の発言との整合性について確認したいことがあります。

1点目。
[31242]地名好きさんの発言に対してあなたは[31398]にて
要約すると「私はもうこの掲示板には書き込みません」ということですよね。そのような書き込みは、その掲示板の管理人(ここではグリグリさん)にとって浴びせかける、最もひどい言葉であり、管理人にとっては、最もつらく、投稿者に最も発言してもらいたくない言葉だと私は考えています。たとえ、100%発言通りの行動がなされるつもりなのだとしても。ですから、管理人のことを思うのならば、このようなことは決して発言してもらいたくないのです。
(中略)
最後にもう一度書きます。
もし、この記事を読んでいるあなたが様々な理由で不満があってこの掲示板を去る場合、決して「私はもうこの掲示板には書き込みません」とは書かないでください。去る場合は無言のまま静かに去ることを徹底してください。
と書かれておられます。
この言葉に従うのなら、あなたは
今夏に行われることが予定されている第三十二回・全国の市十番勝負ですが、誠に失礼ながら、私は当分の間、十番勝負への参加を見送ることを表明いたします。
などと書き込まずに、当分の間、無言のまま静かに十番勝負への参加を見送ればよかったのではないでしょうか。落書き帳のメンバーには、十番勝負に必ず参加しなければならない義務はないのですから。
いかなる苦境にあっても万難を排して十番勝負に参加する方もおられれば、多忙のために涙を呑んで参加できない方もおられますし、私のように難易度が高すぎるために参加できない時がある人間もいます。あなたも[42311]にて
私は十番勝負への参加は参加者の自由意志に任されていると考えたい
と書かれておられますので、この点はご承知のはず。

2点目。
私に対して
読んでいて退屈な記事
と書かれておられます。人の興味はそれぞれなのであなたが私の書込みを読んで退屈であると思われることには特段何の問題もありません。
しかしながらここでわざわざ“退屈な”などという悪意のある言葉を使う必要があるのでしょうか。そもそも私の書込みを引き合いに出して貶めなければならない必要性があるのでしょうか。
何らかの必要性があるのならば仕方がないのかもしれませんが、特段その必要性が見つかりません。単に別の言葉を用いて自分の考えを主張すれば良いだけです。
代替手段があるのにもかかわらず、あえて“退屈な”という悪意のある言葉を他者に用いることは、落書き帳ガイドライン
(5) 誹謗中傷は絶対厳禁、相手を尊重する
に違反する行為です。ガイドライン遵守をグリグリさんは呼び掛けられておられ、あなたも[34761]にて
やはり、掲示板においては管理者の意思を最大限に尊重すべきであると考えます。
と書かれておられます。それではなぜあなたはグリグリさんの意思を最大限に尊重しようとされないのでしょうか。なぜ故意にグリグリさんの意思を踏みにじられるのでしょうか。

以上、2点の返答をよろしくお願いします。
[78653] 2011年 6月 27日(月)15:53:29むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府(その4)
[78652]の続きです。

下京区第22組
月見町, 毘沙門町, (中略), 下河原町, 鷲尾町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第23組
元日町, 住吉町, (中略), 艮町, 夷之町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第24組
東錺屋町, 西錺屋町, (中略), 福島町, 和泉町
は現在下京区として最後より四番目に記載されている「上諏訪町」も下京区第24組であることを併せて
東錺屋町, 西錺屋町, (中略), 福島町, 和泉町, 「上諏訪町」
ではないでしょうか。
「上諏訪町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
参考:(3)

下京区第25組
大津町, 堺町, (中略), 栄町, 本塩竃町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第26組
八ツ柳町, 波止土濃町, (中略), 南京極町, 都市町
は現在下京区として最後より三番目に記載されている「御影堂町」も下京区第26組であることを併せて
八ツ柳町, 波止土濃町, (中略), 南京極町, 都市町, 「御影堂町」
ではないでしょうか。
「御影堂町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
参考:(3)

下京区第27組
東橋詰町, 本町一丁目, (中略), 豊浦町, 大「坂」町, 鞘町一丁目, (中略), 鍵屋町, 西「ノ」門町, 大和大路一丁目, 大和大路二丁目, 茶屋町, 塗師屋町

東橋詰町, 本町一丁目, (中略), 豊浦町, 大「阪」町, 鞘町一丁目, (中略), 鍵屋町, 西「之」門町, 大和大路一丁目, 大和大路二丁目, 茶屋町, 塗師屋町
ではないでしょうか。
大「坂」町, 西「ノ」門町or大「阪」町, 西「之」門町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区大阪町東山区西之門町であることより(3)を採用しました。

下京区第28組
五条橋東二丁目, 石垣町西側, (中略), 北棟梁町, 「下新町」, 「上新町」, 鐘鋳町, (中略), 上馬町, 「庵町」, 東音羽町, 西棟梁町
は現在下京区として最後より二番目に記載されている「下梅屋町」も下京区第28組であることを併せて
五条橋東二丁目, 石垣町西側, (中略), 北棟梁町, 「下新シ町」, 「上新シ町」, 鐘鋳町, (中略), 上馬町, 「慈法院庵町」, 東音羽町, 西棟梁町, 「下梅屋町」
ではないでしょうか。
「下梅屋町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
「下新町」, 「上新町」, 「庵町」or「下新シ町」, 「上新シ町」, 「慈法院庵町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区下新シ町東山区上新シ町東山区慈法院庵町であることより(3)を採用しました。

下京区第29組
大宮三丁目, 御器屋町, (中略), 南油小路町, 松明町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第30組
西玉水町, 東玉水町, 「榎町」, 打越町, (中略), 常葉町, 「新町」, 西境町, (中略), 紺屋町, 納屋町

西玉水町, 東玉水町, 「榎木町」, 打越町, (中略), 常葉町, 「新シ町」, 西境町, (中略), 紺屋町, 納屋町
ではないでしょうか。
「榎町」or「榎木町」については総ての資料で「榎木町」でした。
「新町」or「新シ町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区新シ町であることより(3)を採用しました。

下京区第31組
本町六丁目, 本町七丁目, (中略), 南瓦町, 本池田町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第32組
境内町, 石橋町, (中略), 塩屋町, 金「替」町
は現在下京区として最後に記載されている「東寺町」も下京区第32組であることを併せて
境内町, 石橋町, (中略), 塩屋町, 金「換」町, 「東寺町」
となります。
金「替」町or金「換」町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区金換町であることより(3)を採用しました。
「東寺町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
#「東寺町」とは府布達第418号(M12.11.1)で葛野郡八條村の一部が京都市街地へ編入されて東寺町(下京区第32組)と称したものです。

下京区第33組
清閑寺町, 「新熊野村」, 「泉涌寺門前」, 「上諏訪町」, 「御影堂町」, 「下梅屋町」, 「東寺町」
は「上諏訪町」が下京区第24組の町であり、「御影堂町」が下京区第26組の町であり、「下梅屋町」が下京区第28組の町であり、「東寺町」が下京区第32組の町であることも併せて
清閑寺町, 「今熊野町」
ではないでしょうか。
愛宕郡 新熊野村と泉涌寺門前はM4.4.民部省許可(PDF)で合併して今熊野村となりました。
今熊野村は府令第72号(M21.6.25)で下京区に編入され下京区第33組の「今熊野町」となりました。
参考:(2)


◎京都市以外
97 新設/村制 相楽郡加茂村 相楽郡 里村, 高田村, 大野村, 観音寺村, 「法華寺村」, 北村, 兎並村, 美浪村, 銭司村

97 新設/村制 相楽郡加茂村 相楽郡 里村, 高田村, 大野村, 観音寺村, 「法華寺野村」, 北村, 兎並村, 美浪村, 銭司村
ではないでしょうか。
確かに府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「法華寺村」となっています。
しかし京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1418頁では「法華寺野村」となっています。
また天保国絵図&旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)&(3)(明治19年1月現在)の総ての資料で一貫して法華寺野村となっています。
現在は木津川市加茂町法花寺野です。

125 新設/村制 北桑田郡宇津村 北桑田郡 中地村, 「栢」原村, 弓槻村, 栃本村, 下宇津村, 明石村

125 新設/村制 北桑田郡宇津村 北桑田郡 中地村, 「柏」原村, 弓槻村, 栃本村, 下宇津村, 明石村
ではないでしょうか。
確かに府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「栢」原村となっています。
しかし京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1428頁では「柏」原村となっています。
また、天保国絵図では宇津柏原村でした。明治になってからの資料では旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)&(3)(明治19年1月現在)と総ての資料で一貫して「柏」原村となっています。
現在は京都市右京区京北柏原町です。

185 新設/村制 何鹿郡以久田村 何鹿郡 栗村, 位田村, 大畠村, 今田村, 「館村」, 福垣村, 三宅村, 長砂村, 小崎新田

185 新設/村制 何鹿郡以久田村 何鹿郡 栗村, 位田村, 大畠村, 今田村, 「舘村」, 福垣村, 三宅村, 長砂村, 小崎新田
ではないでしょうか。
確かに京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1441頁及び(3)(明治19年1月現在)では 「館村」となっています。
しかし府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「舘村」となっています。
また、天保国絵図では栗村之内・舘村、旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)では舘村となっています。

224 新設/村制 与謝郡栗田村 与謝郡 新宮村, 脇村, 中村, 小寺村, 上司「村」, 中津村, 小田宿野村, 島陰村, 田井村, 矢原村, 獅子村

224 新設/村制 与謝郡栗田村 与謝郡 新宮村, 脇村, 中村, 小寺村, 上司「町」, 中津村, 小田宿野村, 島陰村, 田井村, 矢原村, 獅子村
ではないでしょうか。
参考:府令第26号

237 新設/村制 与謝郡朝妻村 与謝郡 大原村, 新井村, 井室村, 六万部村, 泊村, 津母村, 峠村, 畑谷村

237 新設/村制 与謝郡朝妻村 与謝郡 大原村, 新井村, 井室村, 六万部村, 泊「リ」村, 津母村, 峠村, 畑谷村
ではないでしょうか。
参考:府令第26号

254 新設/町制 中郡峰山町 中郡 峰山吉原町, 峰山四軒町, 峰山不断町, 峰山上町, 峰山織元町, 峰山室町, 峰山呉服町, 峰山浪花町, 峰山白銀町, 峰山泉町, 「峰山光明寺町」, 杉谷村(微), 峰山御旅町, 峰山富貴屋町, 峰山堺町, 峰山古殿町

254 新設/町制 中郡峰山町 中郡 峰山吉原町, 峰山四軒町, 峰山不断町, 峰山上町, 峰山織元町, 峰山室町, 峰山呉服町, 峰山浪花町, 峰山白銀町, 峰山泉町, 杉谷村(微), 峰山御旅町, 峰山富貴屋町, 峰山堺町, 峰山古殿町
ではないでしょうか。
府令第26号でも京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1457頁でも「峰山光明寺町」とは即ち杉谷村字奥谷ノ内・峰山光明寺町である旨の記載があります。

#114の村名が正しく表示されていません。
府令第26号に記載されている村名は、消滅時の1955.1.1亀岡市成立で記されている村名と同じです。

以上、多数になりましたがよろしくお願いします。
[78652] 2011年 6月 27日(月)15:51:56むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府(その3)
[78651]の続きです。

下京区第2組
塩屋町, 柳水町, (中略), 山田町, 藤「元」町, 藤西町, 三文字町, 錦堀川町, 橋東詰町

塩屋町, 柳水町, (中略), 山田町, 藤「本」町, 藤西町, 三文字町, 錦堀川町, 橋東詰町
ではないでしょうか。
参考:(3)

下京区第3組
百足屋町, 釜座町, (中略), 手洗水町, 笋町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第4組
梅忠町, 菱屋町, (中略), 元竹田町, 「坂」東屋町, 元法然寺町

梅忠町, 菱屋町, (中略), 元竹田町, 「阪」東屋町, 元法然寺町
ではないでしょうか。
「坂」or「阪」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が中京区阪東屋町であることより(3)を採用しました。

下京区第5組
中之町, 弁慶石町, (中略), 高宮町, 大文字町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第6組
石橋町, 大黒町, (中略), 裏寺町, 中之町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第7組
梅本町, 松原町, 石橋町, 古西町, 三吉町, 元町, 若松町, 若竹町, 「天辺村」

「大橋町」, 「二町目」, 「三町目」, 「大黒町」, 「五軒町」, 「新五軒町」, 「西之町」, 「中之町」, 梅本町, 松原町, 石橋町, 古西町, 三吉町, 元町, 若松町, 若竹町, 「巽町」
ではないでしょうか。愛宕郡天辺村はM4.10.に下京に巽町, 教業町, 長光町の3町として編入され、M12.3.14の郡区町村編制法施行時には巽町は下京区第7組に、教業町及び長光町は下京区第8組に所属することになりました。
(2)では「二町目」, 「三町目」のところで「三條大橋二町目」, 「三條大橋三町目」となっていますが、(3)では「二町目」, 「三町目」、そして現在の町名が東山区二町目東山区三町目であることより(3)を採用しました。

下京区第8組
西海子町, 分木町, (中略), 高畑町, 七軒町

「教業町」, 「長光町」, 西海子町, 分木町, (中略), 高畑町, 七軒町
ではないでしょうか。
#教業町, 長光町の詳細は下京区第7組の所にて既に記載しています。
参考:(3)

下京区第9組
四条大宮町, 綾大宮町, (中略), 坊門町, 徳屋町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第10組
柏屋町, 藤本寄町, (中略), 綾西洞院町, 本柳水町, 「月鉾町」, 高辻西洞院町
は「月鉾町」が下京区第11組の町であることより
柏屋町, 藤本寄町, (中略), 綾西洞院町, 本柳水町, 高辻西洞院町
となります。
参考:(3)

下京区第11組
郭巨山町, 函谷鉾町, (中略), 小島町, 骨屋町
は下京区第10組の所に書かれている「月鉾町」も含めて
「月鉾町」, 郭巨山町, 函谷鉾町, (中略), 小島町, 骨屋町
となります。
参考:(3)

下京区第12組
長刀鉾町, 吉文字町, 立売西町, 泉正寺町, 立売中「ノ」町, 稲荷町, (中略), 万里小路町, 「灯」籠町, 高橋町, (中略), 仏光寺西町, 竹屋町

長刀鉾町, 吉文字町, 立売西町, 泉正寺町, 立売中「之」町, 稲荷町, (中略), 万里小路町, 「燈」籠町, 高橋町, (中略), 仏光寺西町, 竹屋町
ではないでしょうか。
立売中「ノ」町, 「灯」籠町or立売中「之」町, 「燈」籠町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区立売中之町下京区燈籠町であることより(3)を採用しました。

下京区第13組
奈良物町, 貞安前之町, (中略), 恵美須屋町, 丸屋町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第14組
「宮本町」, 御旅町, (中略), 下材木町, 稲荷町

「御旅宮本町」, 御旅町, (中略), 下材木町, 稲荷町
ではないでしょうか。
「宮本町」or「御旅宮本町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区御旅宮本町であることより(3)を採用しました。

下京区第15組
祇園町南側, 祇園町北側, (中略), 南畑町, 円山町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第16組
下之町, 揚屋町, (中略), 大宮二丁目, 「櫛笥町」

下之町, 揚屋町, (中略), 大宮二丁目
ではないでしょうか。
(2),(6),(7)では櫛笥町の記載があり、(3),(8)では櫛笥町の記載がありませんでした。現在の下京区中堂寺櫛笥町に当たると推測できるところですが、当時存在したか否かは分かりません。
そこで過去の地籍図にあたってみました。
復刻版京都地籍図第1巻(出版:不二出版、2008.10.30)にある「第弐編下京之部(1912.8.31発行)」60コマでは元下京区第16組の所には櫛笥町が存在せず、復刻版京都地籍図第1巻(出版:不二出版、2008.10.30)の「第参編接続町村之部(1912.10.31発行)」47コマでは葛野郡大内村大字中堂寺字櫛笥として存在しました。
地籍図より(3)の「櫛笥町」の記載なしを採用しました。

下京区第17組
橋橘町, 橘町, (中略), 柿本町, 上金仏町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第18組
藪下町, 中野之町, (中略), 高砂町, 「烏丸町」, 悪王子町, (中略), 大江町, 深草町

藪下町, 中野之町, (中略), 高砂町, 「五条烏丸町」, 悪王子町, (中略), 大江町, 深草町
「烏丸町」or「五条烏丸町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区五条烏丸町であることより(3)を採用しました。

下京区第19組
本「灯」籠町, 杉屋町, (中略), 須浜町, 安「槌」町, 御影堂前町, 植松町, 西橋詰町

本「燈」籠町, 杉屋町, (中略), 須浜町, 安「土」町, 御影堂前町, 植松町, 西橋詰町
ではないでしょうか。
安「槌」町or安「土」町については総ての資料で安「土」町でした。
本「灯」籠町or本「燈」籠町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区本燈籠町であることより(3)を採用しました。

下京区第20組
大和町, 亀井町, (中略), 六軒町, 宮川「町」一丁目, 宮川「町」二丁目, 宮川「町」三丁目, 宮川「町」四丁目, 宮川「町」五丁目, 宮川「町」六丁目, 宮川「町」七丁目, 宮川「町」八丁目, 西御門町, (中略), 森下町, 東河原町

大和町, 亀井町, (中略), 六軒町, 宮川「筋」一丁目, 宮川「筋」二丁目, 宮川「筋」三丁目, 宮川「筋」四丁目, 宮川「筋」五丁目, 宮川「筋」六丁目, 宮川「筋」七丁目, 宮川「筋」八丁目, 西御門町, (中略), 森下町, 東河原町
ではないでしょうか。
宮川「町」●丁目or宮川「筋」●丁目については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区宮川筋一丁目東山区宮川筋二丁目東山区宮川筋三丁目東山区宮川筋四丁目東山区宮川筋五丁目東山区宮川筋六丁目東山区宮川筋七丁目東山区宮川筋八丁目であることより(3)を採用しました。

下京区第21組
「新町」, 轆轤町, (中略), 門脇町, 池殿町

「新シ町」, 轆轤町, (中略), 門脇町, 池殿町
ではないでしょうか。
「新町」or「新シ町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区新シ町であることより(3)を採用しました。

次稿へ続きます。
[78651] 2011年 6月 27日(月)15:51:46むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府(その2)
[78650]の続きです。

上京区第17組
橋本町, 東橋詰町, 主計町, 「弐丁目」, 元浄華院町, (中略), 薬屋町, 三丁「目」, 広橋殿町, (中略), 仕丁町, 「壱丁目」, 西日野殿町, (中略), 突抜町, 龍前町
は現在上京区として最後より三番目に記載されている「松之下町」も上京区第17組ですので
橋本町, 東橋詰町, 主計町, 「二町目」, 元浄華院町, (中略), 薬屋町, 三丁「町」, 広橋殿町, (中略), 仕丁町, 「一町目」, 西日野殿町, (中略), 突抜町, 龍前町, 「松之下町」
ではないでしょうか。
「松之下町」については(2)では記載がありませんがそれ以外の資料では総て記載があります。
三丁「目」or三丁「町」については総ての資料で三丁「町」です。
「弐丁目」, 「壱丁目」or「二町目」, 「一町目」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が「上京区二町目(東堀川上長者町下ル、など)」, 「上京区一町目(東堀川通中立売通下ル、など)」であるため、(3)を採用しました。

上京区第18組
金馬場町, 分銅町, (中略), 南清水町, 白銀町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第19組
桝屋町, 四町目, (中略), 菱屋町, 一「丁」目

桝屋町, 四町目, (中略), 菱屋町, 一「町」目
ではないでしょうか。
一「丁」目or一「町」目については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が「上京区一町目(大宮椹木町下ル、など)」であるため、(3)を採用しました。

上京区第20組
紹巴町, 四「丁」目, 大黒屋町, 三「丁」目, 藪之内町, (中略), 東魚屋町, 上鍛冶「屋」町, 夷川町, 米屋町

紹巴町, 四「町」目, 大黒屋町, 三「町」目, 藪之内町, (中略), 東魚屋町, 上鍛冶町, 夷川町, 米屋町
ではないでしょうか。
上鍛冶「屋」町or上鍛冶町については総ての資料で上鍛冶町です。
四「丁」目, 三「丁」目or四「町」目, 三「町」目については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が上京区四町目(東堀川出水下ル、など)上京区三町目(東堀川下長者町下ル、など)であるため、(3)を採用しました。

上京区第21組
西鷹司町, 鷹司町, (中略), 常泉院町, 五丁目, 東立売町, (中略), 堀松町, 桜鶴円町

西鷹司町, 鷹司町, (中略), 常泉院町, 五丁目「町」, 東立売町, (中略), 堀松町, 桜鶴円町
ではないでしょうか。
(2)では五丁目「町」、(3)は記載無し、(6)では五町目町、(7)では五丁目「町」、(8)では五町目となっています。
現在の町名が上京区五町目町であることより(2)(7)を採用しました。

上京区第22組
東桜町, 宮垣町, (中略), 亀屋町, 上生「州」町, 出水町, (中略), 上之町, 袋町

東桜町, 宮垣町, (中略), 亀屋町, 上生「洲」町, 出水町, (中略), 上之町, 袋町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第23組
花立町, 玉植町, (中略), 丸太町, 七「丁」目, 八「丁」目, 九「丁」目, 大文字町, (中略), 中之町, 東竹屋町

花立町, 玉植町, (中略), 丸太町, 七「町」目, 八「町」目, 九「町」目, 大文字町, (中略), 中之町, 東竹屋町
ではないでしょうか。
「丁」or「町」に関しては(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が中京区七町目中京区八町目中京区九町目であることより(3)を採用しました。

上京区第24組
道場町, 鏡屋町, (中略), 砂金町, 光堂町, 三本木町, (中略), 福屋町, 天守町

道場町, 鏡屋町, (中略), 砂金町, 光「リ」堂町, 三本木町, (中略), 福屋町, 天守町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第25組
下御霊前町, 甘露町, (中略), 橘町, 鍵屋町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

上京区第26組
神泉苑町, 姉西町, (中略), 最上町, 池「本」町, 上巴町, 樽屋町, 上八文字町, 姉西堀川町
は上京区第27組の所に書かれている「西三坊堀川町」も含めて
神泉苑町, 姉西町, (中略), 最上町, 池「元」町, 上巴町, 樽屋町, 上八文字町, 姉西堀川町, 「西三坊堀川町」
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第27組
二条油小路町, 押油小路町, (中略), 壷屋町, 「西三坊堀川町」, 西堂町, (中略), 鍛冶町, 宮木町
は「西三坊堀川町」が上京区第26組の町であることも併せて
二条油小路町, 押油小路町, (中略), 壷屋町, 西堂町, (中略), 鍛冶町, 宮木町
ではないでしょうか。
参考:(2)

上京区第28組
頭町, 中之町, (中略), 虎屋町, 場之町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第29組
仁王門町, 松屋町, (中略), 丸木材木町, 大「坂」材木町
は現在上京区として最後より二番目に記載されている「竹屋町」も上京区第29組であることを併せて
仁王門町, 松屋町, (中略), 丸木材木町, 大「阪」材木町, 「竹屋町」
ではないでしょうか。
「竹屋町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
「坂」or「阪」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が中京区大阪材木町であることより(3)を採用しました。

上京区第30組
天性寺前町, 下本能寺前町, (中略), 丁子屋町, 晴明町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第31組
行願寺門前町, 東椹木町, (中略), 樋ノ口町, 西生「州」町, 東生「州」町, 上樵木町, 上大「坂」町, 恵比須町, 下丸屋町, 一之船入町

行願寺門前町, 東椹木町, (中略), 樋ノ口町, 西生「洲」町, 東生「洲」町, 上樵木町, 上大「阪」町, 恵比須町, 下丸屋町, 一之船入町
ではないでしょうか。
「州」or「洲」については総ての資料で「洲」です。
「坂」or「阪」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が中京区上大阪町であることより(3)を採用しました。


上京区第32組
東丸太町, 東竹屋町, 下堤町, 「新生州村」, 中川町, (中略), 吉永町, 石原町

東丸太町, 東竹屋町, 下堤町, 「新生洲町」, 中川町, (中略), 吉永町, 石原町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第33組
孫橋町, 法林寺門前町, (中略), 頭町, 東門前町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第34組
浄土寺町, 鹿ヶ谷町, (中略), 聖護院町, 粟田口「村」, 南禅寺町, 「松之下町」, 「竹屋町」, 「常盤井図子町」
は「松之下町」が上京区第17組の町であり、「竹屋町」が上京区第29組の町であり、「常盤井図子町」が上京区第9組の町であることも併せて
浄土寺町, 鹿ヶ谷町, (中略), 聖護院町, 粟田口「町」, 南禅寺町
ではないでしょうか。粟田口「村」は府令第72号(M21.6.25)で上京区に編入され上京区第34組の粟田口「町」となりました。
参考:(2)

下京区第1組
今新在家西町, 今新在家東町, (中略), 因幡町, 六角猪熊町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

次稿へ続きます。
[78650] 2011年 6月 27日(月)15:51:36むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)府令第26号(M22.2.23)(京都府府令達要約(第十編上巻)(編・出版:京都府内務部第一課、M24.2.20)に記載)
#市制町村制施行時の廃置分合を記載。
(2)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(3)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(4)京都府町村名(京都府)
#明治7年5月現在の町村名を記載、京都府が内務省宛に提出した文献
(5)京都府管下郡区町村名録(町名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)明治14年6月時点での京都上京下京区の各町が記載されている。
(6)改正京都区組分插画町名録(編:片岡賢三、出版:風月堂、M20.3.5)京都上京下京区の各組が記載されている
(7)京都町名録(編:吉村千太郎、出版:下村書舗、M20.9.16)京都上京下京区の各町が記載されている
(8)京都市町名録(著:村上善輔、出版:村上勘兵衛、M22.7.31)小学校区別に上京下京区の各町が記されている
(9)豊岡県管内各区並村名調(豊岡県)#明治7年5月現在の町村名を記載、豊岡県が内務省宛に提出した文献
#(4)と(9)は共に明治前期全国村名小字調査書第三巻(著:内務省地理局編纂物刊、出版:ゆまに書房、昭和61年)に収録
(10)京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)

京都市については(2)(3)を京都市以外については(1)~(3)を総てにおいて参照し、(4)~(10)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として京都市では(3)(一部箇所では(2))を、京都市以外の地域では(1)のみを記載しました。
それでは紹介です。

◎京都市
ここでは、現在市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府#1京都市に記載されている町村名(A)と(2)と(3)と比較しました。相違が生じた時は現在の町名と比較し、現在の町名と一致したものを採用しました。
しかしながら、当時の資料である(2)と(3)については、書き落としがあることもあり、その時はさらに(4)~(8)とも適宜比較して判断しています。

京都市となる直前では上京区は第1組~第34組に下京区は第1組~第33組に分かれており、現在の記載順も同様の順にならんでいますので、各組ごとに見ていきます。

上京区第1組
寺之内竪町, 下天神町, (中略), 中社町, 「中之町」, 「北中之町」, 筋違橋町, 新町

寺之内竪町, 下天神町, (中略), 中社町, 「仲之町」, 「北仲之町」, 筋違橋町, 新町
ではないでしょうか。
「中之町」, 「北中之町」or「仲之町」, 「北仲之町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が上京区仲之町, 上京区北仲之町であるため、現在の町名と一致した(3)を採用しました。

上京区第2組
竹園町, 玄蕃町, (中略), 長乗東町, 小山町, 上御霊竪町, 上御霊「仲」町, 森之木町, 上御霊前町

竹園町, 玄蕃町, (中略), 長乗東町, 小山町, 「上御霊上町」, 「新御霊口町」, 「天寧寺門前町」, 「鞍馬口町」, 「上善寺門前町」, 「高徳寺町」, 「上御霊馬場町」, 「内構町」, 上御霊竪町, 上御霊「中」町, 森之木町, 上御霊前町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第3組
閻魔前町, 北玄蕃町, (中略), 杉若町, 井田町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第4組
聖天町, 大猪熊町, (中略), 山名町, 北船橋町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第5組
上木下町, 上柳原町, (中略), 柳図子町, 妙「願」寺前町, 安楽小路町, (中略), 下柳原北半町, 裏風呂町

上木下町, 上柳原町, (中略), 柳図子町, 妙「顕」寺前町, 安楽小路町, (中略), 下柳原北半町, 裏風呂町
ではないでしょうか。
妙「願」寺前町or妙「顕」寺前町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が上京区妙顕寺前町であるため、(3)を採用しました。

上京区第6組
一観音町, 西今出川町, (中略), 玉屋町, 笹屋「町」四「丁」目, 笹屋「町」五「丁」目, 大文字町, (中略), 東柳町, 真盛「村」, 社家長屋町, (中略), 滝ヶ鼻町, 末「ノ」口町, 西今小路町, (中略), 老松町, 西柳町

一観音町, 西今出川町, (中略), 玉屋町, 笹屋四「町」目, 笹屋五「町」目, 大文字町, (中略), 東柳町, 真盛「町」, 社家長屋町, (中略), 滝ヶ鼻町, 末「之」口町, 西今小路町, (中略), 老松町, 西柳町
ではないでしょうか。
真盛「村」or真盛「町」については明治7年5月の時点(4)で既に真盛「町」となっており、それ以降の総ての資料で真盛「町」でした。
末「ノ」口町or末「之」口町に関しては、(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が上京区末之口町であるため、(3)を採用しました。
笹屋「町」四「丁」目, 笹屋「町」五「丁」目or笹屋四「町」目, 笹屋五「町」目or笹屋四「丁」目, 笹屋五「丁」目に関しては、
(A),(2)・・・笹屋「町」四「丁」目, 笹屋「町」五「丁」目
(3)・・・笹屋四「町」目, 笹屋五「町」目
現在の町名・・・上京区笹屋四「丁」目, 上京区笹屋五「丁」目
となっています。
他の資料(4)~(8)を見てみますと、(4)と(6)は(A),(2)と同じで、(5)は笹屋「町」四「町」目, 笹屋「町」五「丁」目で、(7)は笹屋「丁」四「丁」目, 笹屋「丁」五「丁」目で(8)は笹屋四「丁」目, 笹屋五「丁」目でした。
比較してもよくわからなかったので、おそらく市制施行直前には笹屋「町」●丁目から笹屋●丁目になったと推測し、現在の町名と同じ(8)を採用しました。

上京区第7組
一色町, 西五辻東町, (中略), 有馬町, 北小路中「ノ」町, 竪亀屋町, (中略), 今出川町, 元中「ノ」町, 笹屋町一丁目, 笹屋町二丁目, 泰童片原町, 北伊勢殿構町

一色町, 西五辻東町, (中略), 有馬町, 北小路中「之」町, 竪亀屋町, (中略), 今出川町, 元中「之」町, 笹屋町一丁目, 笹屋町二丁目, 「笹屋町三丁目」, 泰童片原町, 北伊勢殿構町
ではないでしょうか。
北小路中「ノ」町, 元中「ノ」町or北小路中「之」町, 元中「之」町に関しては、(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が上京区北小路中之町上京区元中之町であるため、(3)を採用しました。
「笹屋町三丁目」の有無に関して他の資料(4)~(8)を見てみますと、明治7年5月の時点(4)以降の他の資料すべてでありました(ただし、(4)(5)(7)は「笹屋町三丁目」ではなくて「笹屋三丁目」)。現在の町名である上京区笹屋町三丁目とも一致した(3)を採用しました。

上京区第8組
芝大宮町, 五辻町, (中略), 横神明町, 晴明町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第9組
御三軒町, 西大路町, (中略), 中小川町, 南兼康町
は現在上京区として最後に記載されている「常盤井図子町」も上京区第9組ですので
御三軒町, 西大路町, (中略), 中小川町, 南兼康町, 「常盤井図子町」
となります。
参考:(3)
#「常盤井図子町」については(2)では記載がありませんがそれ以外の資料では総て記載があります。

上京区第10組
上立売東町, 御所八幡町, (中略), 中御霊図子町, 蒔鳥屋「地」, 瓢箪図子町, 上立売町, 裏築地町, 玄武町

上立売東町, 御所八幡町, (中略), 中御霊図子町, 蒔鳥屋「町」, 瓢箪図子町, 上立売町, 裏築地町, 玄武町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第11組
真如堂前町, 染殿町, (中略), 本満寺前町, 上「御」輿町, 上片原町, (中略), 常盤井殿町, 立本寺前町
は次の上京区第12組の所に書かれている「毘沙門横町」も含めて
真如堂前町, 染殿町, (中略), 本満寺前町, 上「神」輿町, 上片原町, (中略), 常盤井殿町, 立本寺前町, 「毘沙門横町」
ではないでしょうか。
参考:(3)
#「毘沙門横町」については(2)では記載がありませんがそれ以外の資料では総て記載があります。

上京区第12組
鶴山町, 表町, (中略), 二神町, 「毘沙門横町」, 一真町, (中略), 大猪熊町, 「扇屋町」, 中御霊町, (中略), 九軒町, 梶井町
は「毘沙門横町」が上京区第11組の町であることも併せて
鶴山町, 表町, (中略), 二神町, 一真町, (中略), 大猪熊町, 「扇町」, 中御霊町, (中略), 九軒町, 梶井町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第13組
西町, 大上之町, (中略), 川瀬町, 三助町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第14組
一番町, 二番町, (中略), 稲葉町, 白竹町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

上京区第15組
東石橋町, 菱丸町, (中略), 下山里町, 須「摩」池町, 泰童町, (中略), 山里町, 高台院竪町

東石橋町, 「西中筋町」, 「玉屋町」, 「亀屋町」, 「仲御霊町」, 「百萬遍町」, 「革堂前之町」, 「福本町」, 「東西俵屋町」, 菱丸町, (中略), 下山里町, 須「浜」池町, 泰童町, (中略), 山里町, 高台院竪町
ではないでしょうか。
参考:(3)

上京区第16組
堀川下之町, 鏡石町, (中略), 皀莢町, 奈良「本」町, 菊屋町, (中略), 猪熊一丁目, 猪熊二丁目

堀川下之町, 鏡石町, (中略), 皀莢町, 奈良「物」町, 菊屋町, (中略), 猪熊一丁目, 猪熊二丁目
ではないでしょうか。
参考:(3)

次稿へ続きます。
[78605] 2011年 6月 21日(火)12:18:26【1】むっくん さん
都道府県を代表する山
[78597]futsunoおじさん
滋賀県 伊吹山 1377m 身近な存在では武奈ヶ岳?
滋賀県の山で考えますと、一番は伊吹山で、僅差で比叡山が追う展開になるのではないでしょうか。
#比叡山延暦寺の建造物が現在すべて滋賀県側に建っていることもあり、「比叡山はどちらかと言えば滋賀県の山である」と少なくない滋賀県人が心に秘めていることでもあります。

ちなみに比良山系で一番知られているのはびわ湖バレイスキー場のある蓬莱山(1174m)であると思います。武奈ヶ岳は旧・比良山スキー場の近くにありますが、登山者以外には知名度は今一つであると思います。

福井県 荒島岳 1523m 無難に百名山から選ぶが。
明治初期に書かれた、とある書物には「白山は越前の山ではなくなってしまったが、福井に住む者が思い浮かべる山は白山であることには誰にも異存はない。福井は元より福井より北の街道沿いでは白山がくっきりと見える。」といった主旨のことを断定的に書かれていました。
当時は信仰と密接に人々は生きていたこともあり、山岳信仰で知られた白山を第一に挙げたのでしょうが、現在はどうなのでしょうか。
#白山が越前の山ではなくなったのは、明治5年11月17日付けで「白山麓十八ヶ村」が加賀国所属となったことによるものです(太政類典足羽県下白山社并牛首村外十七ケ村加賀国能見郡ヘ併セ石川県ニ属ス(PDF)[68512])。


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