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[108825] 2023年 9月 29日(金)22:19:08むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(富山県・和歌山県)
[108804]拙稿に引き続いての市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第四弾です。

富山県
3 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡堀川村 上新川郡 上堀村, 下堀村, 大町村, 本郷下新村, 今泉村, 太郎丸村, 二口村, 根塚村, 布瀬村, 下黒瀬村, 上掛尾村, 下掛尾村の一部, 上新保村, 大泉村の一部, 西田地方村の一部, 「磯部安野屋村の一部」, 上本郷村, 西中野村の一部, 小泉村の一部
磯部安野屋村の一部を追加。
参考:県令第37号(M22.3.19)
#県令第37号での磯部安野屋村の記載方法について
明治初期は磯部村と安野屋村という二つの独立した村でしたが、この時期には法的には一つの村(結村といいます)でした。
#落書き帳では連称自治体名として、かつて話題があり、その時の結論から磯部安野屋村と記載する方がよいと思います。
#結村との用語は広島県史(第1編)(編:広島県、出版:帝国地方行政学会、T10.11.28)での
口田村
もとは結村にて矢口 小口村なりしが、後に分て小田・矢口の二村とし、
からです。
#市制町村制施行直前の結村としては、富山県以外では
滋賀県
坂田郡入江村の一部となった朝妻 筑摩村
高島郡水尾村の一部となった武曽 横山村
広島県
高宮郡三川村の一部となった中筋 古市村
賀茂郡上黒瀬村の一部となった宗近 柳国村
賀茂郡板城村の一部となった国近 森近村
賀茂郡西志和村の一部となった七条 椛坂村
宮崎県
東臼杵郡東郷村の一部となった八重原 迫之内村
などが既に市区町村変遷情報に記載されています。

6 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡大久保村 上新川郡 神通村の一部, 下大久保村, 「上熊野村の一部」, 「辰尾新村の一部」, 合田村, 「上大久保村の一部」, 「坪井村の一部」, 東大久保村, 中大久保村, 塩村, 安養寺村の一部, 辰尾村の一部
上熊野村の一部、辰尾新村の一部、上大久保村の一部、坪井村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)
#県令第37号での上熊野村 辰尾新村の記載方法について
上述の#3の堀川村の一部となった磯部安野屋村とは異なり、県が法的には上熊野村と辰尾新村の2つの村を便宜上1つの村のように扱っていただけと考えられます。そのため、上熊野村と辰尾新村を別個の村として記載しています。

7 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡大沢野村 上新川郡 上二杉村, 長附村, 西塩野村, 加納村, 岩木村, 八木山村, 高内村, 西大沢村, 稲代村, 岩木新村, 春日村, 下タ林村, 長走村, 笹津村, 「上大久保村の一部」, 「坪井村の一部」
上大久保村の一部、坪井村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)

11 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡熊野村 上新川郡 島田村, 小中村, 下熊野村の一部, 安養寺村の一部, 宮保村, 辰尾村の一部, 「上熊野村の一部」, 「辰尾新村の一部」, 杉瀬村, 下千俵村, 陀羅尼寺村, 金屋村, 吉岡村, 経力村, 森田村, 悪王寺村, 上石田村, 古上野村, 林崎村, 青柳新村, 牧田村, 江本村
上熊野村の一部、辰尾新村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)

25 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡豊田村 上新川郡 城川原村, 犬島村, 米田村, 水落村, 下「富」居村, 豊田村, 粟島村, 広田上野新村, 広田牧村
下普居村→下富居村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

26 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡広田村 上新川郡 東上赤江村, 上「富」居村, 東下赤江村, 鍋田村, 中「富」居村, 広田新屋村, 飯野村, 田中蓑浦村の一部
上普居村→上富居村、中普居村→中富居村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

28 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡西三郷村 上新川郡 田添村, 高野開発村, 常願寺村, 入江村, 橋場新村, 入部町村, 二杉村, 柴草村, 沖村, 小路村, 市田袋村, 「市田袋新村」, 肘崎村, 一田中村, 伊勢屋村
市田袋新村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

38 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡布倉村 上新川郡 蘆峅寺村, 千垣村, 横江村, 横江野開, 東中野新村, 栃津村, 座主坊新村, 宮路岩峅村, 岩峅寺村, 下田村, 伊豆林村, 吉「峰」野開
吉峯野開→吉峰野開に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在732頁1行目に吉峰野開があります。

71 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡朝日村 婦負郡 安田村, 安田新村, 「小泉村(本)」, 下条村の一部, 笹倉新村, 友坂村
小泉村→小泉村(本)に変更する。
県令第37号(M22.3.19)からは小泉村はすべて朝日村の一部となったように見えますが、県令第37号冒頭には飛地及び一村分割の境域は別で告示することが書かれており、その記載は県告示第28号(M22.3.28)で、そこからは小泉村の大部分が朝日村の一部となったことが分かります。

73 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡神明村 婦負郡 有沢村, 下野村の一部, 庄高田村, 上新川郡 羽根村, 「高田高田新村」, 婦負郡 寺町村の一部, 鵯島村の一部
高田高田新村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
#3上新川郡堀川村で記載した磯部安野屋村と同様の結村ですが、磯部安野屋村とは異なり果たして記載方法がこれで良いかは少し悩ましいところです。

74 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡速星村 婦負郡 御門村, 笹倉村, 坪野村, 板倉村, 砂子田村, 袋村, 麦島村, 海川原村, 上新川郡 増田村, 「婦負郡」下条村の一部, 「小泉村(微)」
婦負郡、小泉村(微)を追加する。
県令第37号(M22.3.19)からは小泉村はすべて朝日村の一部となったように見えますが、県告示第28号(M22.3.28)からは小泉村の微小区域が速星村の一部となったことが分かります。

78 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡保内村 婦負郡 下高善寺村, 上高善寺村, 福島村の一部, 妙川寺村, 水谷村, 奥田新村, 百山村, 高日附山村, 平林村, 新山村, 三田村, 千坊寺村, 奥田三俣村, 翠尾村, 田中村, 館本郷村, 石戸村の一部, 「八尾東町の一部」, 「八尾西町の一部」, 「八尾下新町の一部」, 「八尾諏訪町の一部」, 「八尾西新町の一部」, 「八尾東新町の一部」, 「八尾今町の一部」, 「八尾鏡町の一部」, 「八尾上新町の一部」, 井田村の一部
八尾各町の一部→八尾東町の一部, 八尾西町の一部, 八尾下新町の一部, 八尾諏訪町の一部, 八尾西新町の一部, 八尾東新町の一部, 八尾今町の一部, 八尾鏡町の一部, 八尾上新町の一部
に変更する。
参考:県令第37号郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)18頁10,11行目
#「八尾〇〇町(微)」かもしれませんが、無難に「八尾〇〇町の一部」との表記にしています。

90 1889(M22).4.1 新設/町制 婦負郡八尾町 婦負郡 八尾東町「の一部」, 八尾西町「の一部」, 八尾下新町「の一部」, 八尾諏訪町「の一部」, 八尾西新町「の一部」, 八尾東新町「の一部」, 八尾今町「の一部」, 八尾鏡町「の一部」, 八尾上新町「の一部」, 小長谷村の一部, 下笹原村の一部
#78との対応上、
八尾東町→八尾東町の一部、八尾西町→八尾西町の一部、八尾下新町→八尾下新町の一部、八尾諏訪町→八尾諏訪町の一部、八尾西新町→八尾西新町の一部、八尾東新町→八尾東新町の一部、八尾今町→八尾今町の一部、八尾鏡町→八尾鏡町の一部、八尾上新町→八尾上新町の一部
に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)18頁12行目から19頁1行目
#「八尾〇〇町(本)」かもしれませんが、無難に「八尾〇〇町の一部」との表記にしています。

155 1889(M22).4.1 新設/村制 射水郡塚原村 射水郡 寺塚原村, 沖塚原村, 松木村, 東朴木村, 「川口村宮袋村入会地」
川口村宮袋村入会地を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)32頁7行目
角川地名辞典によりますと、川口村と宮袋村は江戸時代より村ではなくて入会地となっていた、とあります。市区町村変遷情報では、入会地を記載しない方針となっていますが、射水郡に「川口村」と「宮袋村」という独立村が存在しない以上、例外的に記載するしかありません。
富山県令第33号(M20.3.5)82頁8行目ではM20に川口村と宮袋村の記載があり、M21までの富山県統計書の郡の区画での町村数の記載からは川口村と宮袋村が1つの独立した村として計上されていましたが、市制町村制施行時に際し、実情に合わせて入会地との表記にしたものと推測しています。

170 1889(M22).4.1 新設/町制 射水郡氷見町 射水郡 氷見御座町, 氷見南上町, 氷見南中町, 氷見南下町, 氷見川原町, 氷見仕切町, 氷見下伊勢町, 氷見上伊勢町, 氷見地蔵新町, 「氷見岩上村」, 氷見高町, 氷見中町, 氷見本川町, 氷見浜町, 氷見湊町, 氷見朝日新町, 氷見今町, 氷見北新町, 朝日村, 加納村の一部, 鞍川村の一部, 池田新村
氷見岩上村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
氷見各町村とあるのに氷見〇〇村がありません。地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在748頁後ろから3行目に氷見岩上村があります。
県令第37号の氷見町 外畑入会地は、氷見18町村の入会地と考えられるため、#155塚原村での川口村宮袋村入会地とは異なり、原則通り市区町村変遷情報の記載からは外れることとしています。

192 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡宮島村 礪波郡 二ノ滝村, 北屋敷村, 下屋敷村, 宮中村, 嶺村, 屋波牧村, 矢波村, 糠子島村, 岩崎村, 了輪村, 名ヶ「滝」村, 清原村, 原牧村, 別所滝村, 高坂村, 森屋村, 菅ヶ原村, 久利須村, 原牧新村
名ヶ原村→名ヶ滝村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在752頁後ろから2行目に名ヶ滝村があります。

218 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡利賀村 礪波郡 水無村, 大勘場村, 阿別当村, 坂上村, 上畠村, 東細島村, 北島村, 岩淵村, 下利賀村, 東下島村, 南「大」豆谷村, 北「大」豆谷村, 押場村, 上百瀬川村, 下百瀬川村, 草嶺倉村, 高沼村, 九里ヶ当村, 仙納原村, 北原村, 長崎村, 重倉村, 大牧村, 新山村, 栃原村, 下原村
南豆谷村→南大豆谷村、北豆谷村→北大豆谷村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

252 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡高波村 礪波郡 南高木村, 北高木村, 坪北新村, 高儀出村, 荒屋新村, 荒屋村, 「江波村」, 東宮森村, 西宮森村
江波村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

263 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡大滝村 礪波郡 木舟村, 柳川村, 開「馞」村, 本領八百村, 大滝村の一部, 荒屋敷村の一部
開発村→開馞村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

269 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡石堤村 礪波郡 石堤村の一部, 麻生谷村, 柴野村, 西広谷村, 山川村, 勝木原村, 「内島村の一部」
内島村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)


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和歌山県
1 1889(M22).4.1 市制 和歌山区, 和歌山区 一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁, 五番丁, 六番丁, 七番丁, 八番丁, 九番丁, 十番丁, 十一番丁, 十二番丁, 十三番丁, 大手筋, 東紺屋町, 「和歌町」, 西紺屋町一丁目, 西紺屋町二丁目, 南細工町, 北細工町, 三木町南ノ丁, 三木町堀詰, 「船場丁」, 屋形町一丁目, 屋形町二丁目, 屋形町三丁目, 屋形町四丁目, 屋形町五丁目, 「広瀬通リ丁一丁目」, 「広瀬通リ丁二丁目」, 「広瀬通リ丁三丁目」, 南片原一丁目, 南片原二丁目, 元町奉行丁一丁目, 元町奉行丁二丁目, 広瀬中ノ丁一丁目, 広瀬中ノ丁二丁目, 三木町台所町, 三木町中ノ丁, 「山蔭丁」, 「弁財天丁」, 谷町, 蘆辺丁, 下鷹匠町, 上鷹匠町, 大井戸丁, 藪ノ丁, 岡山丁, 片岡町一丁目, 片岡町二丁目, 雑賀道, 福町, 卜半町, 寄合町, 西ノ店, 板屋町, 「橘丁」, 東鍛冶屋町, 西鍛冶屋町, 船大工町, 「六軒丁」, 元博労町, 北大工町, 南大工町, 西大工町, 万町, 駿河町, 本町一丁目, 本町二丁目, 本町三丁目, 本町四丁目, 米屋町, 匠町, 南桶屋町, 「中ノ店南之丁」, 中ノ店中ノ丁, 中ノ店北ノ丁, 元寺町一丁目, 元寺町二丁目, 元寺町三丁目, 雑賀町, 住吉町, 北桶屋町, 北町, 新魚町, 源蔵馬場一丁目, 源蔵馬場二丁目, 北釘貫「丁」, 畳屋町, 元寺町四丁目, 元寺町五丁目, 西旅籠町, 元寺町南ノ丁, 元寺町東ノ丁, 元寺町西ノ丁, 元寺町北ノ丁, 鍋屋町, 本町五丁目, 本町六丁目, 本町七丁目, 本町八丁目, 本町九丁目, 東釘貫丁一丁目, 東釘貫丁二丁目, 東釘貫丁三丁目, 西釘貫丁一丁目, 西釘貫丁二丁目, 西釘貫丁三丁目, 山吹丁, 宇治袋町, 東布経丁一丁目, 東布経丁二丁目, 東布経丁三丁目, 東布経丁四丁目, 東布経丁五丁目, 東布経丁六丁目, 東旅籠町, 一筋目, 二筋目, 三筋目, 四筋目, 五筋目, 六筋目, 西布経丁一丁目, 西布経丁二丁目, 西布経丁三丁目, 西布経丁四丁目, 西布経丁五丁目, 西布経丁六丁目, 杉ノ馬場一丁目, 杉ノ馬場二丁目, 杉ノ馬場三丁目, 杉ノ馬場四丁目, 杉ノ馬場五丁目, 徳田木丁, 石橋丁, 屏風丁, 「東蔵前丁」, 「西蔵前丁」, 九家ノ丁, 鷺ノ森, 鷺ノ森堂前丁, 「鷺ノ森南丁」, 鷺ノ森中ノ丁, 鷺ノ森西ノ丁, 鷺ノ森東ノ丁, 鷺ノ森明神丁, 鷺ノ森片町, 鷺ノ森新道, 曲尺丁, 専光寺門前町, 北新一丁目, 北新二丁目, 北新三丁目, 北新四丁目, 北新五丁目, 北新七軒丁, 北新博労町, 北新戎ノ丁, 北新中ノ丁, 北新桶屋町, 西仲間町一丁目, 西仲間町二丁目, 東仲間町一丁目, 東仲間町二丁目, 北新元金屋丁, 北新金屋丁, 嘉家作リ丁, 鈴丸丁, 「畑屋敷松枝丁」, 「畑屋敷兵庫之丁」, 畑屋敷千体仏丁, 畑屋敷端ノ丁, 畑屋敷西ノ丁, 畑屋敷中ノ丁, 畑屋敷東ノ丁, 畑屋敷榎丁, 畑屋敷葛屋丁, 畑屋敷雁木丁, 新八百屋町, 新「堺」丁, 畑屋敷袋町, 新大工町, 「木挽丁」, 岡袋町, 岡円福院西ノ丁, 岡円福院東ノ丁, 岡北ノ丁, 岡織屋小路, 畑屋敷円福院西ノ丁, 畑屋敷円福院東ノ丁, 畑屋敷新道丁, 新雑賀町, 岡林泉寺丁, 「南雑賀町」, 新通七丁目, 「新通六丁目」, 新中通六丁目, 「新中通五丁目」, 南休賀町, 北休賀町, 「坊主丁」, 数寄屋丁, 「岡南ノ丁」, 北之新地分銅丁, 北之新地裏田町, 北之新地榎丁, 北之新地上六軒丁, 北之新地中六軒丁, 北之新地下六軒丁, 北之新地東ノ丁, 北之新地一丁目, 北之新地二丁目, 北之新地「田町」, 楠右衛門小路, 蔵小路, 柳丁, 毛革屋丁, 餌差町一丁目, 餌差町二丁目, 新中通一丁目, 新中通二丁目, 新中通三丁目, 新中通四丁目, 新通一丁目, 新通二丁目, 新通三丁目, 新通四丁目, 新通五丁目, 南材木丁一丁目, 南材木丁二丁目, 南材木丁三丁目, 茶屋町, 橋向丁, 西田中町, 東田中町, 西瓦町, 東瓦町, 同心町, 中筋丁, 「南壱里山丁」, 新留丁, 「北壱里山丁」, 裏町, 吹屋丁, 伝法橋南之丁, 湊紺屋町一丁目, 湊紺屋町二丁目, 湊紺屋町三丁目, 湊本町一丁目, 湊本町二丁目, 湊本町三丁目, 湊北町一丁目, 湊北町二丁目, 湊北町三丁目, 小野町一丁目, 小野町二丁目, 小野町三丁目, 久保丁一丁目, 久保丁二丁目, 久保丁三丁目, 久保丁四丁目, 小人町, 小人町南ノ丁, 道場町, 男野芝丁, 北汀丁, 西汀丁, 南汀丁, 東坂ノ上丁, 北坂ノ上丁, 西坂ノ上丁, 東長町一丁目, 東長町二丁目, 「材木丁」, 網屋町, 上町, 下町, 雑賀屋町, 「雑賀屋町東之丁」, 有田屋町西ノ丁, 有田屋町南ノ丁, 有田屋町, 上野町一丁目, 上野町二丁目, 上野町三丁目, 小松原通一丁目, 湊通丁北一丁目, 湊通丁北二丁目, 湊通丁北三丁目, 湊通丁北四丁目, 徒町, 広道, 久右衛門丁, 東長町四丁目, 東長町五丁目, 東長町六丁目, 北甚五兵衛丁, 南甚五兵衛丁, 駕町, 北中間町, 南中間町, 七曲り, 植松丁, 西河岸丁, 北牛町, 西長町一丁目, 西長町二丁目, 西長町三丁目, 西長町四丁目, 北土佐丁, 南土佐丁, 北田辺丁, 南田辺丁, 加納町, 北相生丁, 東長町三丁目, 湊通丁南一丁目, 湊通丁南二丁目, 湊通丁南三丁目, 湊通丁南四丁目, 南牛町, 茶屋ノ丁, 芝ノ丁, 湊桶屋丁, 東長町中ノ丁, 東長町七丁目, 東長町八丁目, 東長町九丁目, 東長町十丁目, 東長町十一丁目, 尾崎丁, 南相生丁, 出口甲賀丁, 「出口中ノ丁」, 「出口端ノ丁」, 「出口新端ノ丁」, 金龍寺丁, 小貝丁, 作事丁, 洲崎丁, 小松原通二丁目, 小松原通三丁目, 小松原通四丁目, 小松原通五丁目, 小松原通六丁目, 小松原通七丁目, 小松原通八丁目, 小松原通九丁目, 真砂丁一丁目, 真砂丁二丁目, 寺町, 「車坂南ノ丁」, 撞木丁, 「車坂西之丁」, 「溝ノ丁」, 大泉寺丁, 中橋筋, 苫屋丁一丁目, 苫屋丁二丁目, 苫屋丁三丁目, 「車坂丁一丁目」, 「車坂丁二丁目」, 「豊原丁一丁目」, 「豊原丁二丁目」, 「豊原丁三丁目」, 「豊原丁四丁目」, 「玉藻丁一丁」目, 「玉藻丁二丁目」, 北河岸一丁目, 北河岸二丁目, 北河岸三丁目, 北河岸四丁目, 北河岸五丁目, 磯山丁一丁目, 磯山丁二丁目, 磯山丁三丁目, 磯山丁四丁目, 島崎丁, 新堀一丁目, 新堀二丁目, 新堀三丁目, 新堀四丁目, 新堀五丁目, 新堀六丁目, 新堀七丁目, 新堀八丁目, 新堀井戸ノ丁, 新堀南ノ丁一丁目, 新堀南ノ丁二丁目, 東徒町, 中徒町, 西徒町, 新堀北ノ丁一丁目, 新堀北ノ丁二丁目, 新堀北ノ丁三丁目, 新堀二十軒丁, 新堀七軒丁, 塩木丁, 浜見丁, 名草郡 宇治村, 鷺ノ森村, 海部郡 湊村(微)
和歌村→和歌町、船場町→船場丁、広瀬通り町一丁目→広瀬通リ丁一丁目、広瀬通り町二丁目→広瀬通リ丁二丁目、広瀬通り町三丁目→広瀬通リ丁三丁目、山蔭町→山蔭丁、弁財天町→弁財天丁、橋丁→橘丁、六軒町→六軒丁、中ノ店南ノ丁, →中ノ店南之丁、北釘貫町→北釘貫丁、東蔵前ノ丁→東蔵前丁、西蔵前ノ丁→西蔵前丁、鷺ノ森南ノ丁→鷺ノ森南丁、畑屋敷松ヶ枝丁→畑屋敷松枝丁、畑屋敷兵庫ノ丁→畑屋敷兵庫之丁、新界丁→新堺丁、木挽町→木挽丁、南雑賀町六丁目→南雑賀町、新通五丁目→新通六丁目、新中通→新中通五丁目、坊主町→坊主丁、岡南ノ町田町→岡南ノ丁、北之新地→北之新地田町、南壱里山丁→南一里山丁、北壱里山丁→北一里山丁、材木町→材木丁、雑賀屋町東ノ丁→雑賀屋町東之丁、中ノ丁→出口中之丁、端ノ丁→出口端之丁、新端ノ丁→出口新端之丁、車坂南之丁→車坂南ノ丁、玉藻町一丁目→玉藻丁一丁目、玉藻町二丁目→玉藻丁二丁目と訂正する。
車坂西之丁、溝ノ丁、車坂丁一丁目、車坂丁二丁目、豊原丁一丁目、豊原丁二丁目、豊原丁三丁目、豊原丁四丁目を追加する。

参考:和歌山県乙第6号布達(M12.1.20)
#和歌山県史近現代史料1(編:和歌山県史編さん委員会、出版:和歌山県、1976)pp.10-25、M12.1.20現在の和歌山区の400町名が掲載。和歌山区の400町は郡区町村編成法の間、名称は同じでした。各種資料に表記の揺らぎがありましたが、明らかに誤りがある3箇所を除き和歌山県乙第6号布達で統一しました。
#3箇所とは和歌山県乙第6号布達(M12.1.20)では湊本町一丁目、湊本町二丁目、湊本町三丁目となっていましたが、和歌山県甲第127号布達(M13.7.23)や和歌山市統計書明治34年(編:和歌山県和歌山市参事会、出版:和歌山市、M36.9.1)や地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)(M19.1.現在、864頁1-2行目)では湊本丁一丁目、湊本丁二丁目、湊本丁三丁目となっていました。

14 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/村制」 名草郡宮前村 名草郡 杭ノ瀬村, 手平村, 手平出島村, 南出嶋村, 中嶋村, 新中島村, 海部郡 小雑賀村
77 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/村制」 那賀郡鞆淵村 那賀郡 中番村, 下番村, 伊都郡 上番村
共に新設/村制→郡変更/新設/村制と変更する。
参考:県令第14号(M22.2.22)

47 1889(M22).4.1 「新設/村制」 那賀郡名手村 那賀郡 名手市場村, 「穴伏村」
村制→新設/村制と変更し、穴伏村を追加する。
参考:県令第15号(M22.2.22)

117 1889(M22).4.1 新設/村制 有田郡五西月村 有田郡 青田村, 有原村, 大西村, 大薗村, 小原村, 冬村, 延坂村(本), 沼田村, 本堂村, 中嶺村, 中村, 瀬井村, 彦ヶ瀬村, 尾上村, 西ヶ「嶺」村
西ヶ峯村→西ヶ嶺村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.22)

126 1889(M22).4.1 新設/村制 日高郡志賀村 日高郡 志賀村, 小池村, 方杭浦(微)
127 1889(M22).4.1 新設/村制 日高郡「比井浦」, 「産湯浦」, 「小浦」,比井崎村 日高郡 津久野浦, 小阪村, 阿尾浦, 方杭浦(本)
比井浦, 産湯浦, 小浦を#126志賀村ではなくて#127比井崎村の構成町村へ変更する。
県令第15号(M22.2.22)では比井浦, 産湯浦, 小浦は#126志賀村の一部へとあります。しかしながら、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)146頁右から4行目、市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では#127比井崎村の一部へとあり、県令第15号(M22.2.22)の誤記と判断しました。


以上、よろしくお願いします。
[108824] 2023年 9月 29日(金)21:32:25むっくん さん
Re2:市区町村変遷情報(市制町村制施行時以外)など
[108814]MIさん
神奈川県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 横浜市 (以下略)
「小田原町との記載は、正しくは小原田町」は「小原田町との記載は、正しくは小田原町」の誤記です
はその通りです。
現状の市区町村変遷情報での記載は正しいままです。>グリグリさん


[108812]グリグリさん
和歌山県
3 1896(M29).7.7 町制 海草郡日方町 「海草郡」 日方村
名草郡ではなくて海草郡です。

静岡県
1916(T5).5.1 境界変更 浜松市 浜松市, 浜名郡 曳馬村の一部(大字船越一色、野口、八幡、下池川、中澤、上池川)
の記載が抜けています。
大字〇〇との記載は、今までの編集方針([56539]88さん)
(2) 境界変更(大)まで 実質的に「藩政村」の変遷を記載
に合致していることを言っていまして、
1916(T5).5.1 境界変更 浜松市 浜松市, 浜名郡 曳馬村の一部
とした上で詳細情報に
年月日協議状況・経過等
静岡県告示第155号(1916.4.29)
1916.5.1浜名郡曳馬村大字船越一色、野口、八幡、下池川、中澤、上池川の区域、高林飛地の区域、同郡天神町村大字馬込の一部の区域を浜松市に編入
更新履歴 [108810]参照
とでも記載される方が以前のグリグリさん([95589](2)[95603][95613])の記述と整合性がとれると思います。


[108823]グリグリさん
[78766]拙稿の追加について確認しました。
東京府(東京都)
明治41年(1908年) 2月1日 大島 「沖縄県及島嶼町村制直前の改称」
明治41年(1908年) 2月1日 八丈島 「沖縄県及島嶼町村制直前の改称」
明治41年(1908年) 3月1日 大島 「沖縄県及島嶼町村制直前の改称」
この三か所いずれも、
島嶼町村制直前の改称→沖縄県及島嶼町村制直前の改称
との訂正が必要です。

[83624]の(1)ですが、関連する都道府県の「市制町村制施行時以降」の一覧表に追記する形式について確認させてください。法的根拠に関する記述を追記するという形式でよろしいでしょうか。確認用の北海道のページサンプルです。文字を緑字にして区別しました。
(本件、再度検討中で見直す予定です)
私の想定しているものと同じですが、再検討でどうなるのかを楽しみに待つことにします。
[83624]拙稿の(1)(ア)ですが、修正版を[83646]拙稿で記しています。
[108810] 2023年 9月 24日(日)18:24:02【3】訂正年月日
【1】2023年 9月 24日(日)19:28:05
【2】2023年 9月 24日(日)19:37:12
【3】2023年 9月 24日(日)20:03:39
むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時以外)
[108808]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(秋田、宮城、岩手、青森、島根(隠岐国))
グリグリさんの対応について確認しました。
[108803] サヌカイトさん記事の河東郡音更村の修正は必要でしょうか?
これは
65 1906(M39).4.1 新設/村制 河東郡音更村 河東郡 音更村, 然別村, 東士狩村, 中川郡 凋寒村の一部, 「蝶多村の一部」
蝶多村の一部を追加する。
との修正が必要です(拙稿[67007](4)内務省令第1号(M39.2.22))。それでは[108804]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時以外の稿です。

◎青森県
29 1927(S2).4.1 境界変更 青森市 青森市, 東津軽郡 滝内村の一部(大字古川、沖館、新田)
30 1927(S2).4.1 境界変更 青森市 青森市, 東津軽郡 造道村の一部(大字造道、八重田)
となっていますが、
29 1927(S2).4.1 境界変更 青森市 青森市, 東津軽郡 滝内村の一部(大字古川、沖館、新田), 造道村の一部(大字造道、八重田)
とまとめた方がよいと思います。
参考:県告示第141号(S2.3.29)

1928(S3).4.1 境界変更 弘前市 弘前市, 中津軽郡 清水村の一部(大字紙漉町)
を追加することになります。
参考:県告示第百三十五號
中津軽郡清水村大字富田字吉田野富野名屋場所高田野ノ澤ノ全部及清水村大字富田字富山桔梗野童子森寺田清水ノ一部(別紙ノ通)竝大字紙漉町ヲ弘前市ニ編入シ清水村及弘前市ノ境界ヲ變更ス但シ昭和三年四月一日ヨリ施行ス
別紙
(略)


◎茨城県
1939(S14).6.1 境界変更 真壁郡下妻町 真壁郡 下妻町, 上妻村の一部(大字長塚)
を追加することになります。
参考:官報第三七二四号(昭和十四年六月七日)
○町村境界変更
真壁郡上妻村大字長塚の区域全部を同郡下妻町に、下妻町大字新田字砂崎(自十七番ノ一至十七番ノ百四)を上妻村に編入し本月一日より施行せり
昭和十四年六月 茨城県

◎千葉県
1913(T2).7.10 境界変更 香取郡佐原町 香取郡 佐原町, 香西村の一部(大字牧野)
を追加することになります。
参考:
千葉縣告示第二百六十六號
香取郡香西村大字牧野ヲ佐原町ニ編入シ其ノ境界ヲ変更シ大正二年七月十日ヨリ施行ス
大正二年七月八日 千葉縣知事 池松 時和

1963(S38).4.20 境界変更 山武郡土気町 山武郡 土気町, 市原郡 市津町の一部(大字板倉)
を追加することになります。
参考:自治省告示第82号
町の境界変更
地方自治法第7条第1項の規定により、千葉県市原郡市津町大字板倉(字堂辺田691、692、字車田1,072、字御手洗1,073から1,078まで、1,079の1及び1,079の2を除く。)の区域を山武郡土気町に編入する旨、千葉県知事から届出があつた。
右の境界変更は、昭和38年4月20日からその効力を生ずるものとする。
昭和38年4月9日 自治大臣 篠田弘作

◎岐阜県
227 1922(T11).4.1 「分割」 揖斐郡藤橋村 揖斐郡 久瀬村の一部
分立→分割と訂正した上で
228 1922(T11).4.1 分割 揖斐郡久瀬村 揖斐郡 久瀬村の一部
を追加することになります。
参考:
岐阜縣告示第百四號
明治四十四年法律第六十九號町村制第三條ニ依リ大正十一年四月一日ヨリ揖斐郡久瀬村ヲ廢シ大字乙原同三倉同東津汲同西津汲同外津汲同日坂同小津同樫原ノ區域ヲ以テ久瀬村ヲ大字東横山同西横山同東杉原同鶴見ノ區域ヲ以テ藤橋村ヲ置ク
大正十一年三月三十一日 岐阜縣知事 上田萬平

◎静岡県
1905(M38).3.31 境界変更 浜名郡新居町 浜名郡 新居町, 吉津村の一部(大字中之郷)
を追加することになります。
参考:
靜岡縣告示第百五十六號
町村制第四條ニ依リ濱名郡吉津村ノ内大字中之郷全部ノ土地ヲ同郡新居町ニ編入ノ件同郡參事会ノ議決ニ依リ虞分シタリ
明治三十八年三月卅一日 靜岡縣知事 龜井英三郎

1908(M41).10.1 境界変更 浜名郡浜松町 浜名郡 浜松町, 浅場村の一部(大字浅田、海老塚、伊場、東鴨江)
を追加することになります。
参考:
靜岡縣告示第五百二號
濱名郡淺場村大字淺田、海老塚、伊場、東鴨江ノ地籍ヲ濱松町ヘ編入シ境界變更ノ件町村制第四條ニ依リ明治四十一年九月十二日濱名郡參事会ニ於テ議決シタリ
明治四十一年十月九日 靜岡縣知事 李家隆介
県告示第68号(M26.12.16)同様に県告示に1908(M41).10.1に境界変更をした旨の記載はありませんので1908(M41).10.9に境界変更をしたと考えられるところです。
しかしながら、静岡県浜名郡誌(上巻)56頁によれば浜名郡告示第1号(M41.9.24)を法的根拠とした上で1908(M41).10.1に境界変更をしたとあります。また、浜松市統計書(平成24年版)1土地・気象(PDF)1コマ、日本都市年鑑第1(昭和6年用)(28頁浜松市)からは1908(M41).10.1境界変更とあります。
ゆえに1908(M41).10.1に境界変更をしたと判断しました。

1909(M42).1.15 境界変更 浜名郡富塚村 浜名郡 富塚村, 吉野村の一部(大字段子川)
を追加することになります。
参考:
靜岡縣告示第五號
濱名郡吉野村段子川ノ左記地籍ヲ富塚村ヘ編入シ境界變更ノ件町村制第四條ニ依リ明治四十一年十二月二十二日濱名郡參事会ニ於テ議決シタリ
明治四十二年一月十五日 靜岡縣知事 李家隆介
左記
田反別   四町七反五畝歩
畑反別   七町九反八畝廿七歩
宅地反別  壹町八反九畝捨參歩
山林反別  捨五町參反八畝五歩
雑種地反別 壹反九畝捨八歩
計參捨町貳反壹畝參歩
右ノ他御料地、墓地、寺院境内、掲示場
合計反別參百貳捨四町貳反八畝四歩

1910(M43).3.28 境界変更 浜名郡浅場村 浜名郡 浅場村, 入野村の一部(大字高塚)
を追加することになります。
参考:
靜岡縣告示第九十八號
濱名郡入野村大字高塚ヲ割キ同郡淺塲村ヘ編入シ其ノ境界ヲ變更スルノ本年三月二十八日虞分ヲ爲シタリ其ノ虞分ヲ爲シタル當時ノ人口左ノ如シ
明治四十三年四月十五日 靜岡縣知事 李家隆介
一、大字高塚 九百五十六人

1912(T元).10.1 境界変更 浜松市 浜松市, 浜名郡 富塚村の一部(大字両追分、和知山、浜松澤)
を追加することになります。
浜松市統計書(平成24年版)1土地・気象(PDF)1コマ、浜松市勢要覧昭和18年版(1頁下から3行目にT元.10.実施と記載)、日本都市年鑑第1(昭和6年用)(28頁浜松市)から上述の境界変更が為されたと考えられます。これは静岡県から浜松市及び富塚村に対して県達第55号(T元.9.18)として出されたものと考えられます。
また、静岡県統計書大正10年第1編ではT10に富塚村には大字両追分、和知山、浜松澤が存在しなくなっているのと整合的です。

1916(T5).5.1 境界変更 浜松市 浜松市, 浜名郡 曳馬村の一部(大字船越一色、野口、八幡、下池川、中澤、上池川)
を追加することになります。
参考:
靜岡縣告示第百五十五號
濱名郡曳馬村及天神町村ノ地籍ニ属スル左記土地ヲ濱松市ニ編入シ市村ノ境界ヲ變更シ大正五年五月一日ヨリ之ヲ施行ス
大正五年四月二十九日 靜岡縣知事 安河内麻吉
一 曳馬村大字船越一色、同野口、同八幡、同下池川ノ全部
一 同村大字中澤但シ大字高林ヘ突出セル部分(左記)ヲ除ク
(略)
一 曳馬村大字上池川但シ大字高林ヘ突出セル部分(左記)ヲ除ク
(略)
一 曳馬村大字高林ヨリ上池川ヘノ飛地全部(左記)
(略)
一 天神町村大字馬込ノ内馬込川以西全部(但シ馬込川中心ヲ以テ市村ノ境界トス)
(略)

◎滋賀県
4 「1890(M23).3.15」 改称 坂田郡息郷村 坂田郡 南箕浦村
1891(M24).4.1→1890(M23).3.15と訂正することになります。
参考:
滋賀縣令第二十六號
神崎郡東五個荘村外二ヶ村々名左ノ通改稱ス
明治二十三年三月十五日 滋賀縣知事 中井弘
郡名現村名改稱名
神崎郡東五個荘村旭(アサヒ)村
阪田郡南箕浦村息(オキ)郷(サト)村
東浅井郡南福村大(オホ)郷(サト)村

5 1891(M24).5.6 「分割」 犬上郡松原村 犬上郡 北青柳村の一部
分立→分割と訂正した上で
6 1891(M24).5.6 分割 犬上郡北青柳村 犬上郡 北青柳村の一部
を追加することになります。
参考:
滋賀縣告示第三十七號
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ管下犬上郡北青柳村ヲ左ノ通分割ス
明治二十四年五月六日 滋賀縣知事 沖守固
新村名大字名
松(マツ)原(ハラ)村松原
北(キタ)青(アヲ)柳(ヤギ)村長曾根、中藪

10 「1894(M27).6.20」 分割 神崎郡能登川村 神崎郡 八条村の一部
11 「1894(M27).6.20」 分割 神崎郡伊庭村 神崎郡 八条村の一部
12 「1894(M27).6.20」 分割 神崎郡五峰村 神崎郡 八条村の一部
いずれも1894(M27).6.5→1894(M27).6.20と訂正することになります。
参考:
滋賀縣告示第三十九號
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ受ケ明治二十七年六月二十日ヨリ神崎郡八條村ヲ分割シ大字能登川、北須田、南須田ヲ以テ能登川村(ノトガハムラ)ヲ置キ大字伊庭ヲ以テ伊庭村(イバムラ)ヲ置キ大字佐生、佐野、猪子、山路、林ヲ以テ五峯村(ゴホウムラ)ヲ置ク
明治二十七年六月二日 滋賀縣知事 大越亨

28 「1904(M37).2.11」 町制 野洲郡守山町 野洲郡 守山村
1904(M37).2.1→1904(M37).2.11と訂正することになります。
参考:
滋賀縣告示第十八號
明治二十三年法律第七十七號第一條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ經テ本年二月十一日ヨリ野洲郡守山村ヲ守山町トス
明治三十七年二月六日 滋賀縣知事 鈴木定直

◎大阪府
122 1937(S12).4.1 「新設」 泉南郡佐野町 泉南郡 佐野町, 北中通村
編入→新設と訂正することになります。
参考:大阪府公報昭和12年3月24日第1313号
大阪府告示第346号
泉南郡佐野町及北中通村を廃し其の区域を以て佐野町設置並に之に伴ふ財産及負債処分の件左の通定め昭和十二年四月一日より之を施行す
昭和十二年三月二十四日 大阪府知事 安井英二
一、泉南郡佐野町及北中通村を廃し其の区域を以て佐野町を設置す
(略)

◎和歌山県
現在、市区町村変遷情報では
5 1896(M29).4.1 郡変更 海草郡 名草郡, 海部郡 の区域をもって 海草郡 を設置することに伴い 名草郡 楠見村, 野崎村, 貴志村, 山口村, 紀伊村, 川永村, 有功村, 宮村, 岡町村, 中之島村, 岡崎村, 三田村, 宮前村, 西和佐村, 四箇郷村, 和佐村, 安原村, 紀三井寺村, 日方「町」, 内海村, 大野村, 亀川村, 黒江村, 巽村, 西山東村, 東山東村, 松江村, 直川村, 鳴神村, 海部郡 木本村, 西脇野村, 加太村, 雑賀村, 和歌村, 雑賀崎村, 湊村, 加茂村, 大崎村, 塩津村, 浜中村, 椒村, 仁義村 を 海草郡 所属とする
3 「1896(M29).4.1」 「町制/郡変更」 海草郡日方町 名草郡 日方村
11 「1899(M32).3.16」 町制/改称 海草郡和歌浦町 海草郡 和歌村
12 「1899(M32).4.1」 町制 海草郡加太町 海草郡 加太村
とあります。しかしながら和歌山県海草郡誌(編・出版:和歌山県海草郡役所、T15)350頁では
一、黒江町及日方町は村なりしを、明治二十九年七月七日町に改稱
一、和歌浦町は和歌村なりしを、明治三十二年三月十四日町に改稱
一、加太町は村なりしを、明治三十二年六月二十日町に改稱
とあります。
他書を見てみますと、和歌山県統計書明治28-29年(編・出版:和歌山県、M30.10.31)には
有田郡湯浅村は明治29年6月に海草郡黒江日方の2村は同年7月に各々町と改称せられたる
とあります。

郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M39.2.8)には
海草郡 加太村→加太町M32.6.17許可
海草郡 和歌村→和歌浦町M32.3.9許可
とあります。
#市区町村変遷情報の編集に関し、郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M39.2.8)、郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)、郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編・出版:内閣統計局、T4.3.9)、郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編・出版:内閣統計局、T9.3.31)のみは、現在出版されている書物よりもかなり信憑性が高いとして、4書の記述は採用されています。

明治三十二年六月二十二日の紀伊毎日新聞では
明治二十三年法律第七十七號第一條に依り縣参事會に於て之を議決し内務大臣の許可を得海草郡加太村を加太町となす旨縣告示第四十八號を以て達せられる
とあります。おそらくですが、加太村町制施行直後に記載されたものと考えられます。

基本的には郡誌における信憑性はあまりないと考えていますが、和歌山県海草郡誌に関しましては他書の記述と整合的ですので、こちらを採用して
5 1896(M29).4.1 郡変更 海草郡 名草郡, 海部郡 の区域をもって 海草郡 を設置することに伴い 名草郡 楠見村, 野崎村, 貴志村, 山口村, 紀伊村, 川永村, 有功村, 宮村, 岡町村, 中之島村, 岡崎村, 三田村, 宮前村, 西和佐村, 四箇郷村, 和佐村, 安原村, 紀三井寺村, 日方「村」, 内海村, 大野村, 亀川村, 黒江村, 巽村, 西山東村, 東山東村, 松江村, 直川村, 鳴神村, 海部郡 木本村, 西脇野村, 加太村, 雑賀村, 和歌村, 雑賀崎村, 湊村, 加茂村, 大崎村, 塩津村, 浜中村, 椒村, 仁義村 を 海草郡 所属とする
3 「1896(M29).7.7」 「町制」 海草郡日方町 海草郡 日方村
11 「1899(M32).3.14」 町制/改称 海草郡和歌浦町 海草郡 和歌村
12 「1899(M32).6.20」 町制 海草郡加太町 海草郡 加太村
日方町→日方村、1896(M29).4.1→1896(M29).7.7、町制/郡変更→町制、1899(M32).3.16→1899(M32).3.14、1899(M32).4.1→1899(M32).6.20と訂正する
との変更をした方が良いと思います。

45 1940(S15).2.1 編入 和歌山市 和歌山市, 海草郡 湊村, 野崎村, 三田村
47 1940(S15).4.1 編入 和歌山市 和歌山市, 海草郡 紀三井寺町
とありますが、正しくは
47 1940(S15).4.1 編入 和歌山市 和歌山市, 海草郡 湊村, 野崎村, 三田村, 紀三井寺町
となります。
参考:現時点での#45の和歌山県告示は
和歌山縣告示第八二號
海草郡湊村、野崎村、三田村ヲ廢シ其ノ區域ヲ和歌山市ノ區域ニ編入シ昭和十五年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和十五年二月十一日 和歌山縣知事 清水重夫
とあり、官報第三九三二号(昭和十五年二月十六日)では
○村廃止市区域変更
海草郡湊村、野崎村、三田村を廃し其区域を和歌山市の区域に編入し本月一日より施行せり
昭和十五年二月 和歌山県
とあります。そして#46の和歌山県告示は
和歌山縣告示第二一〇號
海草郡紀三井寺町ヲ廢シ其ノ區域ヲ和歌山市ノ區域ニ編入シ昭和十五年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和十五年三月二十八日 和歌山縣知事 清水重夫
とあり、官報第三九七〇号(昭和十五年四月二日)
○町廃止市境界変更
海草郡紀三井寺町を廃し其区域を和歌山市の区域に編入し本月一日より施行せり
昭和十五年四月 和歌山県
とあります。
#45の方で県告示と官報で食い違いがありますが、法的効力を生ずるのは県告示ですので、前述のように訂正することになります。

◎鳥取県
1 「1891(M24).6.1」 分立 河村郡宇野村 河村郡 橋津村の一部
1891(M24).10.23→1891(M24).6.1と訂正することになります。
参考:
鳥取縣告示第六十一號
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ受ケ河村郡橋津村ヲ分割シ宇野村ヲ設置ス
但其區域ハ大字宇野トス
明治二十四年六月一日 鳥取縣知事 西村亮吉

15 「1899(M32).3.18」 町制 気高郡鹿野町 気高郡 鹿野村
16 「1899(M32).3.18」 町制 東伯郡八橋町 東伯郡 八橋村
1899(M32).3.20→1899(M32).3.18、1899(M32).5.17→1899(M32).3.18町制と共に1899(M32).3.18町制に訂正することになります。
参考:
鳥取縣告示第四十八號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ気高郡鹿野村ヲ鹿野町、東伯郡八橋村ヲ八橋町、西伯郡御来屋村ヲ御来屋町ト爲ス
明治三十二年三月十八日 鳥取縣知事 荒川 義太郎

20 「1905(M38).4.1」 新設 八頭郡丹比村 八頭郡 登米村, 逢郷村
1905(M38).3.15→1905(M38).4.1と訂正することになります。
参考:
鳥取縣告示第三百九號
町村制第四條ニ依リ明治三十八年四月一日ヲ以テ八頭郡登米村逢郷村ヲ合併シ其區域ヲ以テ丹比村ヲ置キ登米村逢郷村ノ財産ハ丹比村ノ所有トス
明治三十七年十一月二十九日 鳥取縣知事 寺田祐之

65 1926(T15).9.10 境界変更 西伯郡淀江町 西伯郡 淀江町, 高麗村の一部(大字今津)
133 1955(S30).9.1 新設 西伯郡淀江町 西伯郡 大和村, 淀江町, 宇田川村, 高麗村の一部(大字今津)

133 1955(S30).9.1 新設 西伯郡淀江町 西伯郡 大和村, 淀江町, 宇田川村, 高麗村の一部(大字今津)
のみ、と#65を消去することになります。
現時点での市区町村変遷情報では#65と#133で、高麗村の一部(大字今津)が二度にわたって西伯郡淀江町の一部になったとあります。大正15年には境界変更の鳥取県告示が存在せず、昭和30年の鳥取県公報第2646号昭和30年8月30日2-3コマでは
鳥取県告示第四百九号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、昭和三十年九月一日から、西伯郡大和村、淀江町及び宇田川村を廃し、その区域及び高麗村大字今津の区域をもつて淀江(よどえ)町を置く。
昭和三十年八月三十日 鳥取県知事 遠藤茂
とあることより、#133のみが存在すると考えられます。

◎島根県
1900(M33).__.__ 境界変更 簸川郡高松村 簸川郡 高松村, 遥堪村の一部(大字濱村)
を追加することになります。
参考:官報第五二〇〇号(明治三十三年十月三十日)
○町村名並市役所町村役場位置変更
美濃郡豊川村眞砂村匹見下村匹見上村組合役場位置を大字廣瀬に定め簸川郡遥堪村大字濱村を割き同郡高松村に編入、同郡西田村役場位置を大字奥宇賀二十三番地の第一に、那賀郡下松山村役場位置を大字下河戸七十九番地に孰れも変更せり
明治三十三年十月 島根県

47 1935(S10).2.11 「新設」 鹿足郡日原村 鹿足郡 日原村, 須川村
編入→新設と訂正することになります。
参考:
島根縣告示第六十三號
昭和十年二月十一日ヨリ鹿足郡日原村及須川村ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ日原村ヲ置ク
昭和十年二月六日 島根縣知事 福邑正樹

58 1941(S16).8.1 「新設」 邇摩郡温泉津町 邇摩郡 温泉津町, 大浜村
編入→新設と訂正することになります。
参考:
島根縣告示第五百八十一號
昭和十六年八月一日ヨリ邇摩郡温泉津町及大濱村ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ温泉津町ヲ置ク
昭和十六年七月十一日 島根縣知事 大坪保雄

61 1941(S16).11.3 「新設」 飯石郡三刀屋町 飯石郡三刀屋町, 一宮村「(本)」
編入→新設、一宮村→一宮村(本)と訂正した上で
62 1941(S16).11.3 編入 簸川郡上津村 簸川郡上津村, 飯石郡一宮村(微)
を追加することになります。
参考:官報第四四四七号(昭和十六年十一月四日)
○町村廃置並区域変更
本月三日より飯石郡三刀屋町及一宮村を廃し飯石郡三刀屋町の区域並一宮村の区域中大字西谷を除く区域を以て三刀屋町を置き一宮村大字西谷の区域を簸川郡上津村に編入せり
昭和十六年十一月 島根県

◎岡山県
2 1890(M23).6.17 「分割」 英田郡福山村 英田郡 豊田村の一部
分立→分割と訂正した上で
3 1890(M23).6.17 分割 英田郡豊田村 英田郡 豊田村の一部
を追加することになります。
参考:
岡山縣令第三捨八號
英田郡豐田村分村ノ件町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ經テ其區域名稱及役塲位置左ノ通相定ム
現在村名分割新村名區域役塲位置
豐田村福(フク)山(ヤマ)村大字萬善 國貞 柿ヶ原 鈴家大字 萬善
田淵
豊(トヨ)田(タ)村大字北原 友野 山口 山外野大字 北原
大原 猪臥 海内 平田
明治廿三年六月十七日 岡山縣知事 千阪高雅

73 「1902(M35).10.1」 新設 浅口郡玉島町 浅口郡 玉島町, 乙島村, 柏崎村
74 「1902(M35).10.1」 新設 浅口郡河内村 浅口郡 甲内村, 西阿知村
共に1902(M35).9.30→1902(M35).10.1と訂正することになります。
参考:
岡山縣告示第三百九十一號
町村制第四條ニ依リ左ノ通リ町村ヲ廢合シ來ル十月一日ヨリ施行ス
但シ廢止ニ係ル乙島村ハ大字トシテ之ヲ存ス
明治三十五年九月三十日 岡山縣知事 檜垣直右
一 淺口郡玉島町、乙島村、柏崎村ヲ廢シ其區域ヲ以テ玉島町ヲ置ク
一 同郡甲内村、西阿知村ヲ廢シ其區域ヲ以テ河内村ヲ置ク

81 1904(M37).6.1 「新設」 真庭郡久世町 真庭郡 久世町, 川南村
編入→新設と訂正することになります。
参考:
岡山縣告示第三百五十一號
町村制第四條ニ依リ左ノ通町村ヲ廢合シ來ル六月一日ヨリ施行ス
但シ廢止ニ係ル乙島村ハ大字トシテ之ヲ存ス
明治三十七年五月廿九日 岡山縣知事 檜垣直右
一 眞庭郡久世町、川南村ヲ廢シ其區域ヲ以テ久世町ヲ置ク
一 同郡落合町、瀬田河村、天津村ヲ廢シ其區域ヲ以テ落合町ヲ置ク
一 同郡船津村、上田村ヲ廢シ其區域ヲ以テ津田村ヲ置ク
一 同郡美原村、關川村ヲ廢シ其區域ヲ以テ美川村ヲ置ク
一 同郡八幡村、神湯村ヲ廢シ其區域ヲ以テ湯原村ヲ置ク
一 久米郡豊岡村、稲岡北村ヲ廢シ其區域ヲ以テ加美村ヲ置ク

◎沖縄県
18 「1946(S21).5.21」 分立 国頭郡屋我地村 国頭郡 羽地村の一部
1946(S21).5.16→1946(S21).5.21と訂正することになります。
参考:
1946年5月行政月報(83コマ)、および英文の111コマ

以上、よろしくお願いします。

訂正
【2】【3】和歌山県海草郡日方町がらみの#3#5を訂正
[108804] 2023年 9月 24日(日)15:02:51むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(秋田、宮城、岩手、青森、島根(隠岐国))
[108798]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第三弾です。

秋田県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 秋田市 南秋田郡 秋田東根小屋町, 秋田西根小屋上町, 秋田西根小屋中町, 秋田西根小屋末町, 秋田長野町, 秋田上中城町, 秋田下中城町, 秋田土手谷地町, 秋田中谷地町, 秋田上長町, 秋田中長町, 秋田下長町, 秋田土手長町上丁, 秋田土手長町中丁, 秋田土手長町中横丁, 秋田土手長町末丁, 秋田古川堀端町, 秋田亀ノ丁堀反町, 秋田亀ノ丁東土手町, 秋田中亀ノ丁上町, 秋田中亀ノ丁末町, 秋田亀ノ丁南土手町, 秋田亀ノ丁西土手町, 秋田亀ノ丁虎口, 秋田亀ノ丁西土手町末「丁」, 秋田亀ノ丁虎口堀端新町, 秋田手形本新町, 秋田手形谷地町上丁, 秋田手形谷地町下丁, 秋田手形新町上丁, 秋田手形新町下丁, 秋田手形堀端町, 秋田手形休下町, 秋田手形東新町, 秋田手形西新町, 秋田手形上町, 秋田保戸野愛宕町, 秋田保戸野愛宕町西「丁」, 秋田保戸野八丁新町上丁, 秋田保戸野八丁新町下丁, 秋田保戸野川端町, 秋田保戸野本町, 秋田保戸野中町, 秋田保戸野川端後町, 秋田保戸野表諏訪町上丁, 秋田保戸野表諏訪町下丁, 秋田保戸野諏訪町, 秋田保戸野新町, 秋田保戸野新橋町, 秋田保戸野金砂町, 秋田保戸野表鉄砲町, 秋田保戸野南鉄砲町, 秋田保戸野北鉄砲町, 秋田花館町, 秋田上中島本町, 秋田上中島中町, 秋田上中島土手町, 秋田新中島本町, 秋田新中島末町, 秋田新中島土手町, 秋田鷹匠町, 秋田北ノ丸新町, 秋田台所町, 秋田亀ノ丁新町, 秋田亀ノ丁本新町, 秋田亀ノ丁堀端新町, 秋田田町, 秋田長野下堀端町, 秋田長野下新町南丁, 秋田長野下新町, 秋田長野下新町東丁, 秋田長野下新町南横町, 秋田長野下新町末南丁, 秋田築地東上丁, 秋田築地北町, 秋田築地窪町, 秋田築地四ツ辻, 秋田築地南横町, 秋田築地上本町, 秋田築地下本町, 秋田築地中町, 秋田築地西町, 秋田築地下東町, 秋田楢山上本町, 秋田楢山中丁, 秋田楢山本町下丁, 秋田楢山本新町上丁, 秋田楢山本新町下丁, 秋田楢山虎口新町, 秋田楢山虎口外張新町, 秋田楢山本横町, 秋田楢山古川新町, 秋田楢山南新町上丁, 秋田楢山南新町下丁, 秋田楢山升取町, 秋田楢山登町, 秋田楢山三枚橋, 秋田楢山末無町, 秋田楢山笊町, 秋田楢山医王院前町, 秋田楢山牛島橋通町, 秋田楢山下浜町, 秋田新大工町, 秋田寺町, 秋田本町四丁目, 秋田川端四丁目, 秋田本町五丁目, 秋田本町六丁目, 秋田川端上五丁目, 秋田川端下五丁目, 秋田横町, 秋田船大工町, 秋田豊島町, 秋田十人衆町, 秋田八日町, 秋田下肴町, 秋田鉄砲町, 秋田誓願寺門前町, 秋田四拾間堀町, 秋田馬喰町, 秋田上鍛冶町, 秋田下鍛冶町, 秋田城町, 秋田新城町, 秋田室町, 秋田四拾間堀川端町, 秋田鍛冶町上川端町, 秋田鍛冶町下川端町, 秋田楢山餌刺町, 秋田楢山九郎兵衛殿町, 秋田楢山入川橋通登町, 秋田十間町, 秋田米沢町, 秋田追回町, 秋田大町一丁目, 秋田大町二丁目, 秋田大町三丁目, 秋田川端一丁目, 秋田川端二丁目, 秋田川端三丁目, 秋田上通町, 秋田中通町, 秋田上肴町, 秋田茶町菊ノ丁, 秋田茶町扇ノ丁, 秋田茶町梅ノ丁, 秋田田中町, 秋田柳町, 秋田上亀ノ丁, 秋田下亀ノ丁, 秋田大工町, 秋田上米町一丁目, 秋田上米町二丁目, 秋田下米町一丁目, 秋田下米町二丁目, 秋田亀ノ丁外張南新町, 秋田上川口, 秋田中川口, 秋田川口新町, 秋田本渡町, 秋田川口上裏町, 秋田川口下裏町, 秋田酒田町
秋田亀ノ丁西土手町末町→秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西町→秋田保戸野愛宕町西丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)139頁4行目17行目
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)656頁6行目9行目でもM19.1.現在秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西丁

67 1889(M22).4.1 新設/村制 北秋田郡阿仁銅山村 北秋田郡 小様村, 小淵村, 水無村, 銀山「町」, 真木沢鉱山, 一ノ又鉱山, 三枚鉱山, 小沢鉱山, 萱草鉱山, 二ノ又鉱山, 吉田村, 荒瀬村(微)
銀山村→銀山町と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

119 1889(M22).4.1 新設/町制 由利郡矢島町 由利郡 矢島矢島町, 矢島田中町, 矢島館町, 城内村, 川辺村, 七日町「村」, 荒沢村, 元町村, 立石村, 新庄村, 坂ノ下村, 木在村
七日町→七日町村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

166 1889(M22).4.1 新設/村制 仙北郡白岩村 仙北郡 白岩村, 白岩広久内村, 「薗田村」
花園村→薗田村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
wikipediaではM10に釣田新田村, 上花園村, 下花園村→薗田村の合併が為されたとあります。

178 1889(M22).4.1 新設/町制 平鹿郡横手町 平鹿郡 横手大町上丁, 横手大町中丁, 横手大町下丁, 横手四日「町」上丁, 横手四日「町」中丁, 横手四日「町」下丁, 横手栄通町, 横手鍛冶町, 横手本町, 横手根岸下町, 横手横町, 横手馬場崎町, 横手裏町, 横手新町, 横手新町下丁, 横手古川町, 横手下タ町, 横手羽黒上町, 横手羽黒中町, 横手羽黒末町, 横手上根岸町, 横手下根岸町, 横手上野台町, 横手島崎町, 横手上島崎町, 横手羽黒新町, 横手御免町, 横手野御扶持町, 横手沼田町, 横手山ノ手新町, 横手横手町, 横手前郷村
横手四日市上丁, 横手四日市中丁, 横手四日市下丁→横手四日町上丁, 横手四日町中丁, 横手四日町下丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

222 1889(M22).4.1 新設/村制 雄勝郡西馬音内村 雄勝郡 西馬音内村, 大戸村, 床舞村, 田沢村, 鹿内村
二条道村を消去する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
羽後町HPでは二条道村はM9に床舞村に合併とあります。


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宮城県
51 1889(M22).3.31 新設 宮城郡「泉岳村」 宮城郡 根白石村, 福岡村, 西田中村, 朴沢村, 小角村, 実沢村
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番9行目で泉岳村、仙台市泉区HP仙台市HP1コマ
これに伴い、
16 1897(M30).9.7 改称 宮城郡根白石村 宮城郡 「泉岳村」
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
明治30(1897)年中の廃置分合を現した内務省告示第92号(M31.9.13)657頁上段では泉岳村となっており、内務省告示第63号(M30.10.16)593頁最上段一番左でもM29.12.31現在は泉岳村となっています。

58 1889(M22).3.31 新設 宮城郡松島村 宮城郡 松島村, 高城本郷, 磯崎村, 桜渡戸村, 初原村, 根廻村, 幡谷村, 竹谷村, 「北」小泉村, 手樽村
小泉村→北小泉村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番右の行で北小泉、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)581頁右から14行目M19.1.北小泉村


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岩手県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 盛岡市 南岩手郡 内丸, 仁王村, 志家村, 仙北町「村」の一部, 東中野村の一部, 新庄村の一部, 加賀野村の一部, 山岸村の一部, 三ツ割村の一部, 上田村の一部
8 1889(M22).4.1 新設/村制 南岩手郡本宮村 南岩手郡 仙北町「村」の一部, 本宮村, 向中野村, 下鹿妻村
共に仙北町の一部→仙北町村の一部と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)県令第12号(M22.2.16)市の区域、県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
#岩手県統計書明治二十二年の記載と岩手県史第8巻近代編での記述の中身が一致しています。
#旧村名とあります。
#郡区町村編成法施行時、岩手県には村しかありませんでした。
岩手県統計書明治十五年(編・出版:岩手県、M18.12.)、岩手県統計書明治十六年(編:岩手県第一部文書課、出版:M20.4.)では岩手県には村しかないことが分かります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)612頁右から7行目M19.1.仙北町村。全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)461頁右から2行目M21仙北町村。

36 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡煙山村 紫波郡 広宮沢村, 煙山村, 赤林村, 「又兵衛新田」, 南矢「幅」村, 北矢「幅」村, 上矢次村, 下矢次村
又兵衛新田村→又兵衛新田、南矢巾村→南矢幅村、北矢巾村→北矢幅村と訂正する。
現:矢巾町南矢幅
現:矢巾町北矢幅
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
又兵衛新田村or又兵衛新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から4行目で又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

37 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡飯岡村 紫波郡 上飯岡村, 下飯岡村, 「飯岡新田」, 湯沢村, 永井村, 羽場村
飯岡新田村→飯岡新田と訂正する。二か所ある羽場村の内、一つを消去する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
飯岡新田村or飯岡新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から7行目で飯岡新田(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

64 1889(M22).4.1 新設/町制 東和賀郡黒沢尻町 東和賀郡 黒沢尻「村」町分, 黒沢尻「村」里分
黒沢尻町分→黒沢尻村町分、黒沢尻里分→黒沢尻村里分と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
黒沢尻町分or黒沢尻村町分、黒沢尻里分or黒沢尻村里分のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)615頁東和賀郡の最初の行で黒沢尻村町分、黒沢尻村里分(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

167 1889(M22).4.1 新設/村制 西閉伊郡綾織村 西閉伊郡 上綾織村, 下綾織村, 新里村, ●(身+鳥)崎村
釜石村を消去する。
#角川地名辞典では釜石村はM9に新里村に合併したとあります。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合

177 1889(M22).4.1 新設/町制 南閉伊郡大槌町 南閉伊郡 大槌村, 小槌村, 吉里「々々」村
吉里吉里村→吉里々々村と訂正する。
現:大槌町吉里々々
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)619頁南閉伊郡の最後の行で吉里々々村(M19.1.現在)


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青森県
47 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡清水村 中津軽郡 富田村, 紙漉「町」, 小沢村, 坂本村, 常盤坂村, 悪戸村, 下湯口村
紙漉村→紙漉町と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)301頁左から3行目では紙漉町
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)626頁右から5行目紙漉町(M19.1.現在)で中津軽郡は89町、青森県統計書(明治21年)でM21.12.31に中津軽郡は89町
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では紙漉村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

52 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡駒越村 中津軽郡 駒越村, 真土村, 「龍」ノ口村, 鳥井野村, 如来瀬村, 一町田村, 兼平村
滝ノ口村→龍ノ口村と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では龍ノ口村。郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)302頁右から5行目龍ノ口
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)627頁右から2行目龍ノ口村(M19.1.現在)
天保郷帳では龍口村で現在は弘前市龍ノ口。
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)では瀧ノ口村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

76 1889(M22).4.1 新設/村制 南津軽郡田舎館村 南津軽郡 垂柳村, 諏訪堂村, 大曲村, 畑中村, 八反田村, 田舎館村, 高樋村, 十二川原村, 枝川村, 大根子村, 豊巻村
堀切村と狐淵村と二屋村を消去する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)
#角川地名辞典では明治7年に堀切村は大曲村へ、狐淵村は田舎館村へ、二屋村は豊蒔村(豊巻村)へ合併とあります。


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島根県(隠岐国)
9 1904(M37).5.1 村制 知夫郡浦郷村 知夫郡 「浦郷村」
浦之郷村→浦郷村と訂正することになります。

[78766]拙稿で記した
(3)島根県でM37.5.1の隠岐国町村制施行に少し先んじて島根県告示第2号(M37.1.9)(「新修島根県史史料編(近代上)」(編・出版:島根県、1966)pp.697-698に記載)で行われた廃置分合
に浦之郷村→浦郷村への改称の記載がありません。また、
鳥取県管内郡村名(編・出版・出版年:不明)第108區 浦郷
#区制であることより、大区小区制(明治6年12月~)の開始以前の町村が記載されているものと考えられる。鳥取県史近代1(編・出版:鳥取県、S44.9.30)813頁では、「鳥取町郭内・境村などの新しい町名を記していないので、六年十月以前に刊行されたものと思われる」と推測。
島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M11.6.)43頁 一小区 浦郷村
改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)43頁 一小区 浦郷村
#M11.6.出版の町村名を根拠としてその後の変更を訂正して出版したもの
島根県一覧概表(明治12年)(編・出版:島根県、M13.12.)22頁の町村リストの最終行 浦郷村(M13.1.1現在)
島根県統計書(明治18年)(編:島根県第一部、出版:島根県、M21.2.)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M18.12.31現在)
島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M19.12.31現在)
と一貫して浦郷村です。

以上、よろしくお願いします。

#市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の修正依頼で残すところは和歌山県と富山県ですが、その前に市制町村制施行時以外の稿をはさむこととします。
[108793] 2023年 9月 22日(金)22:08:53【1】訂正年月日
【1】2023年 9月 23日(土)11:22:46
むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
[108790]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(広島、滋賀、栃木、福島、山形)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第二弾です。

高知県
1 1889(M22).3.31 「新設」 「高知市」 土佐郡 高知追手筋, 高知西唐人町, 高知片町, 高知南与力町, 高知八軒町, 高知鷹匠町, 高知中島町, 高知金子橋, 高知舛形, 高知本町, 高知帯屋町, 高知西弘小路, 高知北門筋, 高知永国寺町, 高知北与力町, 高知本与力町, 高知廿代筋, 高知材木町, 高知種崎町, 高知細工町, 高知新市町, 高知紺屋町, 高知蓮池町, 高知山田町, 高知廿代町, 高知新町田淵, 高知南新町, 高知北新町, 高知鉄砲町, 高知中新町, 高知朝倉町, 高知浦戸町, 高知八百屋町, 高知堺町, 高知要法寺町, 高知掛川町, 高知東唐人町, 高知広岡町, 高知囃喉場, 高知九反田, 高知農人町, 高知田淵, 高知菜園場町, 高知北奉公人町, 高知築屋式, 高知南奉公人町, 高知通町筋, 高知水通町, 高知本町筋
1 1889(M22).4.1 市制 高知市 「高知市」
新設/市制→新設、土佐郡 高知→高知市と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
本年三月三十一日ヨリ縣下各町村ノ内分合名稱別紙之通相定ム
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
(土佐郡高知)追手筋○(仝)西唐人町○(仝)片町○(仝)南與力町○(仝)八軒町○(仝)鷹匠町○(仝)中嶋町○(仝)金子橋○(仝)舛形○(仝)本町○(仝)帯屋町○(仝)西弘小路○(仝)北門筋○(仝)永國寺町○(仝)北與力町○(仝)本與力町○(仝)廿代筋○(仝)材木町○(仝)種崎町○(仝)細工町○(仝)新市町○(仝)紺屋町○(仝)蓮池町○(仝)山田町○(仝)廿代町○(仝)新町田淵○(仝)南新町○(仝)北新町○(仝)鉄砲町○(仝)中新町○(仝)朝倉町○(仝)浦戸町○(仝)八百屋町○(仝)堺町○(仝)要法寺町○(仝)掛川町○(仝)東唐人町○(仝)廣岡町○(仝)囃喉塲○(仝)九反田○(仝)農人町○(仝)田淵○(仝)菜園塲町○(仝)北奉公人町○(仝)築屋式○(仝)南奉公人町○(仝)通町筋○(仝)水通町○(仝)本町筋
右合併高知市ト稱ス
(略)

高知縣令第三十一号
来ル四月一日ヨリ縣下高知市ニ市制其他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
とあります。
他県と同様に、土佐郡高知から市制が施行されたとするならば、高知県令の市制町村制施行の文言が
来ル四月一日ヨリ縣下土佐郡高知ニ市制
もしくは
来ル四月一日ヨリ縣下高知ニ市制
と市制施行地の名称となるはずです。しかしながら、高知県の文言では
来ル四月一日ヨリ縣下高知「市」ニ市制
となっていますので、廃置分合が為された1889(M22).3.31に、郡区町村編成法下で高知市という名称の自治体が成立し、1889(M22).4.1に市制が成立したものと考えられます。
#例えば兵庫県の場合
兵庫縣令第二十五號
本年四月一日ヨリ神戸區並ニ飾東郡姫路ニ市制其ノ他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治廿二年二月廿二日
と、飾東郡姫路ニ市制となっています。

9 1889(M22).3.31 新設 土佐郡土佐山村 土佐郡 土佐山村, 高川村, 桑尾村, 弘瀬村, 東川村, 中切村, 梶谷村, 西川村, 菖蒲村, 「都網」村
とその詳細
土佐山村,高川村,桑尾村,弘瀬村,東川村,中切村,梶谷村,西川村,菖蒲村,「都網」村は「土佐山郷」
都積村→都網村、土佐郷→土佐山郷と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
土佐郡
(略)
(土佐山鄕)土佐山村○(仝)高川村○(仝)桑尾村○(仝)弘瀬村○(仝)東川村○(仝)中切村○(仝)梶谷村○(仝)西川村○(仝)菖蒲村○(仝)都網村
右合併土佐山村ト稱ス
(略)
とあります。
都網村は丑甲第20号(M10.3.23)で土佐郡都積村, 網川村→都網村となって成立した村です。

24 1889(M22).3.31 新設 幡多郡山中村 幡多郡 大用村, 住次郎村, 片魚村, 大屋敷村, 常六村, 三ツ又村, 小西ノ川村, 大西ノ川村, 竹屋敷村, 古尾村
詳細
大用村,住次郎村,片魚村,大屋敷村,常六村,三ツ又村,小西ノ川村,大西ノ川村,竹屋敷村,古尾村は「上山郷中山」
上山郷中山→上山郷山中と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
(上山鄕山中)大用村○(仝)住次郎村○(仝)片魚村○(仝)大屋敷村○(仝)常六村○(仝)三ツ又村○(仝)小西ノ川村○(仝)大西ノ川村○(仝)竹屋敷村○(仝)古尾村
右合併山中村ト稱ス
(略)
とあります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在幡多郡の右から4行目上山郷山中
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)は上山郷中山ですが、高知縣令第30号及び市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では上山郷山中となっています。

72 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 高岡郡高石村 高岡郡 用石村, 塚地村, 吾川郡 中島村
88 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 吾川郡横畠村 吾川郡 横畠村, 高岡郡 今成村
新設→郡変更/新設と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞では
高知縣令第三十七號
本年三月高知縣令第三十號ヲ以テ高岡郡今成村ハ吾川郡横畠村ト吾川郡中島村ハ高岡郡用石村塚地村ト合併候ニ付右村々ニ属スル高岡郡吾川郡ノ郡界ハ本年三月三十一日ヨリ仁淀川ノ中心ト改定ス
明治廿二年三月十二日 高知縣知事時任爲基
とあります。


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神奈川県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 横浜市 横浜区, 横浜区 本町, 北仲通, 元浜町, 海岸通, 南仲通, 弁天通, 境町, 太田町, 相生町, 住吉町, 常盤町, 尾上町, 真砂町, 港町, 元町, 諏訪町, 上野町, 千代崎町, 山元町, 松影町, 長者町, 万代町, 不老町, 翁町, 扇町, 寿町, 吉浜町, 三吉町, 千歳町, 山田町, 富士見町, 山吹町, 永楽町, 真金町, 石川町, 石川仲町, 吉田町, 柳町, 福富町, 末吉町, 伊勢佐木町, 姿見町, 羽衣町, 浪花町, 蓬莱町, 若竹町, 松ヶ枝町, 梅ヶ枝町, 若葉町, 賑町, 久方町, 足曳町, 雲井町, 長島町, 吉岡町, 駿河町, 日ノ出町, 黄金町, 三春町, 初音町, 英町, 霞町, 清水町, 戸部町, 桜木町, 花咲町, 野毛町, 月岡町, 老松町, 宮川町, 福島町, 宮崎町, 伊勢町, 平沼町, 仲町, 材木町, 内田町, 長住町, 緑町, 橘町, 高島町, 裏高島町, 日本大通, 花園町, 薩摩町, 越後町, 前橋町, 小田原町, 豊後町, 堀川町, 上田町, 九洲町, 富士山町, 加賀町, 函館町, 武蔵町, 本町通, 長崎町, 神戸町, 阿波町, 京町, 琵琶町, 本村通, 大坂町, 蝦夷町, 尾張町, 駿河町, 「武蔵横町」, 角町, 二子町, 水町通, 「海岸通」, 谷戸坂「通」, 山手本町通, 「富士見町」, 内台坂, 西坂町, 地蔵坂, 小坂町, 大丸町, 撞木町, 環町, 公園坂, 西ノ坂, 汐汲坂, 高田坂, 三輪坂, 稲荷町, 南坂, 貝殻坂, 宮脇坂, 陣屋町, 諏訪町通, 弓町, 畑町, 矢ノ根町, 泉町, 林町
谷戸坂→谷戸坂通と訂正する。武蔵横町と海岸通と富士見町を追加する。福長町を削除する。
参考:新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#新旧対照市町村一覧での小田原町との記載は、他書の様々な記述から正しくは小原田町と判断しました。
#神奈川県統計書(明治21年)13コマ14コマ神奈川県統計書(明治22,23年)の警察区画によると横浜区82町、横浜外国人居留地(山下居留地)30町(194頁左から3行目)、山手居留地26町(212頁9行目)。
#角川地名辞典によると、M20に福長町は長住町に合併(218頁左から4行目)。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)M19.1.現在
横浜沿革誌(著・出版:太田久好、N25.7.11)、横浜開港五十年史(下)(著:肥塚竜、出版:横浜商業会議所、M42.5.10)24頁8行目から26頁にかけて横浜の町名の出来た年代が記載されています。


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群馬県
1 1889(M22).4.1 新設/町制 東群馬郡前橋町 東群馬郡 前橋曲輪町, 前橋北曲輪町, 前橋南曲輪町, 前橋神明町, 前橋柳町, 前橋石川町, 前橋堀川町, 前橋田中町, 前橋横山町, 前橋本町, 前橋竪町, 前橋桑町, 前橋萱町, 前橋榎町, 前橋田町, 前橋立川町, 前橋紺屋町, 前橋連雀町, 前橋相生町, 前橋中川町, 前橋片貝町, 前橋新町, 前橋芳町, 前橋百軒町, 前橋大塚町, 天川村, 紅雲分村(微), 前代田村(微), 宗甫分村(微), 天川原村(微), 南勢多郡 前橋小柳町, 前橋細ヶ沢「町」, 前橋諏訪町, 前橋向町, 前橋神明町, 才川村, 清王寺村, 岩神村, 一毛村, 国領村, 萩村
前橋細ヶ沢村→前橋細ヶ沢町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

18 1889(M22).4.1 新設/村制 南勢多郡東村 南勢多郡 花輪村, 座間村, 荻原村, 小夜戸村, 小中村, 「神戸」村, 草木村, 沢入村
強戸村→神戸村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

31 1889(M22).4.1 新設/村制 西群馬郡長野村 西群馬郡 行力村, 楽間村, 菊地村, 我「峯」村, 浜川村, 北新波村, 南新波村, 西新波村
我峰村→我峯村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

41 1889(M22).4.1 新設/町制 西群馬郡総社町 西群馬郡 「総」社町, 高井村, 植野村
惣社町→総社町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)354頁右から9行目でもM19.1.総社町

68 1889(M22).4.1 新設/町制 多胡郡吉井町 多胡郡 吉井町, 矢田村, 池村, 塩川村, 「長根村」, 下長根村, 片山村, 本郷村, 小棚村
上長根村→長根村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

76 1889(M22).4.1 新設/町制 北甘楽郡富岡町 北甘楽郡 富岡町, 七日市「町」, 曽木村
七日市村→七日市町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

130 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡利南村 利根郡 沼須村, 上沼須村, 上久屋村, 下久屋村, 横塚村, 戸鹿野村, 戸鹿野新「町」
戸鹿野新田→戸鹿野新町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
#M11.2.23に戸鹿野村→戸鹿野村, 戸鹿野新町

139 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡桃野村 利根郡 月夜野「町」, 小川村, 上津村, 下津村, 石倉村
月夜野村→月夜野町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)362頁右から7行目でも月夜野町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)だけが月夜野村となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

147 1889(M22).4.1 新設/村制 佐位郡赤堀村 佐位郡 今井村, 下触村, 五目牛村, 堀下村, 市場村, 野村, 西久保村, 曲沢村, 間野谷村, 香林村, 西野村, 南勢多郡 磯村
間野村を消去する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)209コマ210コマ(M22.3.4)
M10.5.30に佐位郡間野谷村, 新田郡間野村→佐位郡間野谷村の合併が為されました。

157 1889(M22).4.1 新設/村制 那波郡名和村 那波郡 戸谷塚村, 中町, 「芝」町, 北今井村, 山王堂村, 韮塚村, 八斗島村, 阿弥大寺村, 堀口村, 下福島村
柴町→芝町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)367頁左から2行目でも芝町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)では柴町となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

166 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡世良田村 新田郡 世良田村, 三ツ木村, 女塚村, 米岡村, 上矢島村, 西今井村, 小角田村, 平塚村, 徳川「郷」, 出塚村, 粕川村, 境村(本)
徳川村→徳川郷と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

168 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡宝泉村 新田郡 西野谷村, 由良村(本), 別所村, 沖野村, 上田島村, 下田島村, 中根村, 藤阿久村, 脇屋村「(本)」, 小金井村(微)
脇屋村(微)→脇屋村(本)と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

175 1889(M22).4.1 新設/町制 山田郡桐生町 山田郡 桐生新町, 「安楽土村」, 下久方村, 新宿村, 上久方村(微)
今安楽土村→安楽土村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)


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茨城県
17 1889(M22).3.31 新設 東茨城郡竹原村 東茨城郡 竹原村, 「竹原新田」, 竹原中郷, 中野谷村, 花ノ井村, 中台村, 小曽納村, 大谷村, 羽鳥村, 上馬場村
竹原新田村→竹原新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

294 1889(M22).3.31 新設 岡田郡安静村 岡田郡 蕗田村, 東蕗田村, 大間木村, 芦ヶ谷村, 芦ヶ谷新田, 逆谷新田, 佐兵衛新田, 磯村, 村貫村, 新地村, 新地新田, 村岡新田, 尾崎「村」, 栗山村
尾崎新田→尾崎村と訂正する。
参考:県令甲第12号40コマ41コマ(M22.3.15)

330 1889(M22).3.31 新設 猿島郡飯島村 猿島郡 大「馬」新田, 平八新田, 勘助新田, 幸田新田, 猫実新田, 神田山新田, 大口新田, 庄右衛門新田
大浜新田→大馬新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)1089頁上段では
大浜新田、馬立新田→大馬新田M19.4.5許可とあります。

336 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡小絹村 北相馬郡 寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村
御出子村を消去する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
県令甲第12号(M22.3.15)では#335菅生村(菅生村, 大塚戸村の合併で成立)と#336小絹村(寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村の合併で成立)が一緒に書かれてしまっていますが、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)や市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では#335菅生村#336小絹村が別々に記載されています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)396頁左から6行目でも筒戸村はありますが、御出子村はありません。
wikipediaではM18に御出子村は筒戸村に合併で消滅とあります。

354 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡東文間村 北相馬郡 中谷村, 羽中村, 福木村, 立崎村, 加納新田, 総新田, 「東」奥山新田
奥山新田→東奥山新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

以上、よろしくおねがいします。
[108787] 2023年 9月 21日(木)12:04:26むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(広島、滋賀、栃木、福島、山形)
[108784]グリグリさん
グリグリさんの対応について確認しました。
これで、[108606](小笠原関連)の対応が残り、さらに、[108783]
(略)
の検討と対応、および、[108759]
(略)
が残っているということでよろしいでしょうか。
これはその通りです。ただ、[108759]拙稿では14県としていましたが、高知県が抜けていましたので15県になります。
#市区町村変遷情報・沖縄県(市制町村制施行直前の廃置分合等)としての58件増える件は、[78766]拙稿を対応された場合にのみ新規に投稿します。

それでは、[108759]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第一弾です。

広島県
212 1889(M22).4.1 村制 豊田郡南方村 豊田郡 「南方」村
南村→南方村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
南方村 南方村
とあります。

245 1889(M22).4.1 新設/村制 御調郡八幡村 御調郡 宮内村, 垣内村, 屋中村, 野串村, 篝村, 美生村, 「本庄」村
八幡村→本庄村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
八幡村 宮内村, 垣内村, 屋中村, 野串村, 篝村, 美生村, 本庄村 字宮内
と、旧町村名の八幡村を本庄村と訂正してあります。

247 1889(M22).4.1 新設/町制 御調郡三原町 御調郡 三原町, 宮「野」浦村
宮ノ浦村→宮野浦村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
三原町 三原町, 宮野浦村 字三原
宮浦村を宮野浦村と訂正してあります。
広島県史(第1編)(編:広島県、出版:帝国地方行政学会、T10.11.28)で、595頁に大字宮野浦、次の596頁の西野村の項で
明治の初、宮沖は分離して宮野浦村となり、
とあります。


---------------------
滋賀県
21 1889(M22).4.1 新設/村制 栗太郡葉山村 栗太郡 伊勢落村, 林村, 六地蔵村, 小野村, 手原村, 大橋村, 出庭村, 辻村, 「高野」村
今里村→高野村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M7.5.2に今里村、小坂村、土村→高野村の合併が為されました。

50 1889(M22).4.1 新設/村制 甲賀郡大野村 甲賀郡 大野村, 今「郷」村, 徳原村, 前野村, 頓宮村, 市場村
今宿村→今郷村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M12.3.14に小里村、今在家村→今郷村の合併が為されました。

82 1889(M22).4.1 新設/村制 蒲生郡市原村 蒲生郡 甲津畑村, 池之脇村, 上二俣村, 高木村, 市「原野」村, 新出村, 一式村, 石谷村
市野原村→市原野村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

86 1889(M22).4.1 新設/町制 蒲生郡日野町 蒲生郡 日野大窪町, 日野村井町, 日野松尾「町」, 大谷村, 上野田村, 日田村, 木津村, 日野河原村, 小井口村, 寺尻村
日野松尾村→日野松尾町と訂正する。
滋賀県庁で閲覧したM22.2.19発行の滋賀県公報搭載の滋賀県令第13号では日野松尾町となっています。
#他の資料である新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)でも日野松尾町と記載されています。また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)523頁右から1行目でも日野松尾町(M19.1.現在)です。
#現行滋賀県布令類纂第5編記載の滋賀県令第13号(M22.2.19)では日野松尾村となっていますが、これは誤記と判断しました。

104 1889(M22).4.1 新設/村制 神崎郡葉枝見村 神崎郡 服部村, 上稲葉村, 下稲葉村, 本庄村, 田附村, 新海村, 三ツ「谷」村, 普光寺村
三ツ矢村→三ツ谷村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

106 1889(M22).4.1 新設/村制 愛知郡西小椋村 愛知郡 「外村, 小倉村, 青山村, 曽根村, 妹村, 中戸村, 鯰江村, 上岸本村, 梅林村」
107 1889(M22).4.1 新設/村制 愛知郡角井村 愛知郡 「平尾村, 園村, 大林村, 市ヶ原村, 上中野村, 下中野村, 池之尻村, 百済寺村, 大覚寺村」
西小椋村の旧町村を外村, 小倉村, 青山村, 曽根村, 妹村, 中戸村, 鯰江村, 上岸本村, 梅林村と訂正する。
角井村の旧町村を平尾村, 園村, 大林村, 市ヶ原村, 上中野村, 下中野村, 池之尻村, 百済寺村, 大覚寺村と訂正する。
つまりは、#106西小椋村と#107角井村の旧町村を入れ替えます。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

161 1889(M22).4.1 新設/村制 東浅井郡虎姫村 東浅井郡 中野村, 大寺村, 三川村, 宮部村, 大井村, 五村, 「小桜村」, 酢村, 田村, 月ヶ瀬村, 唐国村
小桜村を追加する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

186 1889(M22).4.1 新設/村制 高島郡朽木村 高島郡 荒川村, 野尻村, 市場村, 宮前坊村, 岩瀬村, 雲洞谷村, 地子原村, 麻生村, 「柏」村, 古川村, 大野村, 村井村, 栃生村, 小川村, 平良村, 桑原村, 生杉村, 中牧村, 古屋村, 小入谷村, 能家村
栢村→柏村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M12.3.14に下柏村、上柏村→柏村の合併が為されました。


---------------------
栃木県
34 1889(M22).4.1 新設/村制 上都賀郡加蘇村 上都賀郡 「加園村」, 上久我村, 下久我村, 野尻村
上加園村, 下加園村→加園村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表
#角川地名辞典によるとM9に上加園村, 下加園村→加園村の合併が為されました。

115 1889(M22).4.1 新設/村制 那須郡野崎村 那須郡 沢村, 成田村, 「豊」田村, 薄葉村, 平沢村, 上石上村, 下石上村
稗田村→豊田村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表

141 1889(M22).4.1 村制 那須郡西那須野村 那須郡 「那須野村」
西那須野村→那須野村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)413頁右から10行目M19.1.那須野村


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福島県
136 1889(M22).4.1 新設/村制 南会津郡荒海村 南会津郡 川島村, 中荒井村, 関本村, 藤生村, 糸沢村, 「滝原村」
滝原村を追加する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)

155 1889(M22).4.1 新設/村制 北会津郡川南村 北会津郡 古館村, 上米塚村, 上「荒」井新田村, 宮木村, 麻島村, 柏原村, 下米塚村
上新井新田村→上荒井新田村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上新井新田村となっていますが、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)や、市制町村制施行時の廃置分合に明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させた大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)でも上荒井新田村となっています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)596頁左から8行目でも上荒井新田村

159 1889(M22).4.1 町制 耶麻郡喜多方町 耶麻郡 喜多方町「の一部」
172 1889(M22).4.1 新設/村制 耶麻郡岩月村 耶麻郡 橿野村, 宮津村, 入田付村, 大都村, 喜多方町「の一部」
喜多方町(本)→喜多方町の一部、喜多方町(微)→喜多方町の一部と修正する。
参考:県令甲第21号56コマ57コマ(M22.3.25)
#喜多方町はM8.8.12に小田付村, 小荒井村, 清次袋村, 塚原村, 稲村の5村が合併して成立しました。よって#159の喜多方町(字稲村を除く)は喜多方町(本)ではなくて喜多方町の一部、#172の喜多方町(字稲村)は喜多方町(微)ではなくて喜多方町の一部となります。

183 1889(M22).4.1 新設/村制 耶麻郡姥堂村 耶麻郡 新江木村, 新井田谷地「村」, 源太屋敷村, 小符根村, 三吉村
新井田谷地→新井田谷地村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)

265 1889(M22).4.1 新設/村制 東白川郡宮本村 東白川郡 「松川村」, 大久田村, 山上村, 論田村
上松川村, 下松川村→松川村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#M6.3.20に上松川村, 下松川村が合併して松川村が成立しました。

280 1889(M22).4.1 新設/村制 西白河郡三神村 西白河郡 三城目村, 須乗村, 神田村, 堤村, 中野目村, 明新村
三城目新田村と須乗新田を削除する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#M9.6.に三城目村, 三城目新田村→三城目村、須乗村, 須乗新田→須乗村の合併が為されました。

304 1889(M22).4.1 新設/村制 田村郡巖江村 田村郡 白岩村, 下白岩村, 上舞木村, 下舞木村, 根「木」屋村, 芹沢村, 南小泉村, 北小泉村, 阿久津村, 安原村, 横川村, 山田村
根小屋村→根木屋村と訂正する。
県令甲第21号(M22.3.25)では根小屋村とも根木屋村とも読めなくはありませんが、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)や市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では明らかに根木屋村となっており、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)154頁右から6行目では大字根木屋となっています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)605頁右から9行目でも根木屋村

331 1889(M22).4.1 新設/村制 菊多郡泉村 菊多郡 泉村, 本谷村, 滝尻村, 下川村, 黒須野村, 「玉露村」
玉露村を追加する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#県令甲第21号ではM29の菊多郡, 磐前郡→石城郡が反映されてしまっていますが。

山形県
42 1889(M22).4.1 新設/村制 東村山郡大曽根村 東村山郡 古館村, 上反田村, 下反田村, 滝ノ平村, 常明寺村, 「芳」沢村
深沢村→芳沢村と訂正する。
参考:県令第18号(M22.3.18)
#M6.2.20に深沢村→芳沢村と改称

68 1889(M22).4.1 新設/村制 北村山郡東根村 北村山郡 東根村, 六田村, 神町村, 板垣新田, 中島新田, 「大林新田」
大林新田を追加する。
県令第18号(M22.3.18)では、他の町村(例えば東郷村)の記述と比較すると、24頁最後の行が切れていて何らかの町村の記載がある可能性があると推測できます。新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)と市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)ととwikipediaでは大林新田あります。県令第18号の記入方法からすると、頁が切れていて読めないと判断でき、記入漏れかが妥当な判断だと考えます。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)641頁右から7行目でも(M19.1.現在)大林新田あり。

93 1889(M22).4.1 新設/村制 最上郡戸沢村 最上郡 岩清水村, 名高村, 津谷村, 神田村, 松坂村
角川村を消去する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

116 1889(M22).4.1 新設/村制 飽海郡観音寺村 飽海郡 「常」禅寺村, 観音寺村, 麓村, 小泉村, 北仁田村, 芹田村, 大久保村, 塚淵村
定禅寺村→常禅寺村と訂正する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

134 1889(M22).4.1 新設/村制 東田川郡山添村 東田川郡 板井川村, 西片屋村, 西荒屋村, 「東荒屋村」, 常盤木村, 備前村, 丸岡村, 中田村, 桂荒俣村, 上山添村, 下山添村, 鳥飼島村, 寿村(微)
東荒屋村を追加する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

146 1889(M22).4.1 新設/村制 東田川郡藤島村 東田川郡 須走村, 三和村, 藤岡村, 古郡村, 大川渡村, 下中野目村の一部, 野田目村, 越後京田村, 谷地興屋村, 藤島村
西荒屋村を削除する。
参考:県令第18号(M22.3.18)
#西荒屋村はM9.4.15に藤岡村に改称しました。

以上、よろしくおねがいします。
[108783] 2023年 9月 19日(火)23:07:48むっくん さん
市区町村変遷情報に関して未対応である記事番号
[108782]グリグリさん
以下は変遷情報に関して未対応で今後フォローする必要があると私が認識している記事番号になります。
むっくんさん記事 :[102161][102179][102330][104111][104730][108606][108758][108759]
グリグリさんに挙げていただいたもので、今後フォローしていただきたいと私が考えているものは[102161][108606][108758][108759]のみです。

[102179]拙稿は、明治22~44年の市制での法的な答え(「新設」or「新設/市制」)を見いだせればよいのですが、結論が出ない限りは、いくら議論をしても現状の保留から前には進まないと考えています。

[104111]拙稿に関しては、かつてhmtさん「市制」「町村制」と88さん「市制」「町制」「村制」で議論をしたところです。仮にhmtさん側の立場に立つとすると、地方自治法施行以降の表記が分かりにくくなりますので、現状のまま(88さん側の立場)に立つしかないのではないか、と思っています。
#hmtさん側の立場に立つことにして、変更種別の見直しにつなげるには、少なくても最低限[83624]拙稿(1)(2)(5)(16)への対処が必須になると考えています。

※100000番未満の記事については引き続き確認を行なっていますがご指摘いただけますと助かります。
[78766]拙稿は今後対応される予定がありますでしょうか。仮にあるのでしたら、これに加えて市区町村変遷情報・沖縄県(市制町村制施行直前の廃置分合等)として58件増えることになります。
他には、変更種別の見直し問題につながりますが、[83624]拙稿の(5)室蘭区は対応していただきたいです。
#室蘭区については[90660]hmtさんのまとめ記事もあります。
[83624]拙稿については(1)(2)も実現すると、市区町村変遷情報がさらに充実することになります。

以上が今後フォローしていただきたいと私が考えているものです。
[108759] 2023年 9月 15日(金)19:35:35むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の投稿方針など
[108728]グリグリさん
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#11年前に市区町村変遷情報の記載が明治22年まで完成した([78755]88さん)際に、その記載に誤りがある箇所(100箇所超)に対しての記事も当方で作成しましたが、投稿のタイミングがないまま今に至ります。[104730]拙稿
----------------------
(#付きコメントへの返信で恐れ入ります)この件、現行システムで編集可能の範囲であれば(新たな変更種別が必要になるなどの影響がない)並行して作業を進めますので、お知らせいただければと思います。
まずは市制町村制施行時での14県(広島、和歌山、滋賀、富山、神奈川、北関東3県、東北6県)から準備が出来次第、順次投稿していきます。よろしくお願いいたします。



以下は、グリグリさん宛ての[108751]サヌカイトさんの投稿に対応するものですが、当方の今後の投稿と重複を避けるために、コメントをさせていただきます。

④施行時の情報において「一部」「本」「微」がつく場合に対応する複数の項の間で表記が異なるものがあります。
東京府南豊島郡内藤新宿町では「内藤新宿一町目(本)」ですが、東京府東京市では「内藤新宿一丁目(微)」となっています。
内藤新宿一町目の方が正しいので、東京府東京市では「内藤新宿一町目(微)」となります。

愛媛県松山市では「松山一万町(本)」ですが、愛媛県温泉郡道後村では「一万町(微)」となっています。
松山一万町の方が正しいので、愛媛県温泉郡道後村では「松山一万町(微)」となります。

●愛媛県上浮穴郡久万町村では「久万町村(本)」ですが、愛媛県上浮穴郡明神村では「久万町(微)」となっています。
久万町村の方が正しいので、愛媛県上浮穴郡明神村では「久万町村(微)」となります。

⑤「一部」「本」「微」に対応する相方のないものがあります。
まず、
北海道中川郡蝶多村 中川郡凋寒村において「の一部」がつくが対応するものがない
これに対しては、河東郡音更村にて対応しています。

千葉県印旛郡中村新田 印旛郡白井村において「(微)」がつくが香取郡中村には「(本)」がない
おそらくですが、印旛郡中村新田ノ内・手賀沼村と中村新田ノ内・片山村がM7に合併して印旛郡中村(M22.3.31に印旛郡白井村の一部)となり、中村新田ノ内・名内がM22.3.31に印旛郡白井村の一部となったものと考えています。
ということで、正しくは、
93 新設 印旛郡白井村 印旛郡 白井橋本村, 神々廻村, 復村, 根村の一部, 木村, 名内村, 富塚村, 中村, 折立村, 今井新田, 「中村新田ノ内 名内」, 白幡村(微), 平塚村(微)
とするのが適当だと思います。
三重県安濃郡新町の古河村刑部村ノ内 八町と同種の記載方法)

東京府南足立郡大谷田村 南足立郡東淵江村において「(本)」がつくが対応するものがない
これは
63 新設/村制 南足立郡花畑村 南足立郡 内匠新田, 花又村(本), 久右衛門新田(本), 長左衛門新田(本), 辰沼新田(本), 久左衛門新田, 六ツ木村(微), 嘉兵衛新田(本), 竹塚村(微), 保木間村(微), 佐野新田(微), 「大谷田村(微)」
です。

富山県上新川郡磯部安野屋村 富山市において「の一部」がつくが対応するものがない
別稿で投稿予定です。

静岡県有渡郡川辺村 静岡市において「(微)」がつくが有渡郡大里村には「(本)」がない☆
☆をつけた静岡県有渡郡川辺村は、合併した後に再び一部合併というおかしな状況になっています。
これについては、
110 新設 有渡郡大里村 有渡郡 高松三ヶ村, 川辺村「(本)」, 西島村, 中田村, 安倍川村, 中野新田, 中村, 石田村(本), 西脇村, 馬淵村, 下島村, 中島村, 稲川村, 見瀬村, 中原村, 弥勒町
とすることは確かですが、静岡市側をどのように表記するのが適切か分かりません。


他の部分に関してはサヌカイトさんのご指摘の通りではないかと思います。。
[108758] 2023年 9月 15日(金)19:28:18むっくん さん
Re2:市区町村変遷情報(長野県&福井県&石川県&千葉県)
[108749]MIさん
[108729]グリグリさん
[108751]サヌカイトさん

長野県
230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村, 「筑摩村の一部」
(略)
と記されたうち、「塩尻村」の部分は「松本町」の誤りではないのでしょうか。(長野県現行令達類聚 上 p.1401)
 そうであれば、現在の変遷情報で東筑摩郡松本町の末尾にある「筑摩村(微)」を「筑摩村の一部」に改めたうえ、同郡塩尻村の「筑摩村の一部」を削除することになると思います。
ご指摘の通り、私の誤記です。正しくは
230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村
200 新設/町制 東筑摩郡松本町 東筑摩郡 松本南深志町, 松本北深志町, 渚村, 白板村, 宮淵村, 桐村, 蟻ヶ崎村, 筑摩村の一部
でした。

千葉県
117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村「(微)」, 幸治村(微)
ご指摘の通り、私の誤記です。正しくは
117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村(本), 幸治村(微)
でした。



福井県四箇浦村or四ヶ浦村
MIさんご紹介の福井県告示と拙稿[99923]での県令第19号(M22.2.16)からは
M22.4.1町村制施行時は四箇浦村
M40.8.1新設合併前は四箇浦村で、新設合併後も四箇浦村
S21.8.1町制施行前は四ヶ浦村で、町制施行後は四ヶ浦町
と読み取れます。

私の立場は、以前、[84266]拙稿で示したように、
成立時と消滅時で名称が異なる(表記の揺らぎのように見える)自治体の場合、「後法は前法に優位する」という法律の原則に従い、消滅時の法令の記載の通りにする
、というものです。
この立場では、
M22.4.1-M40.7.31四箇浦村
M40.8.1-S21.7.31四ヶ浦村
S21.8.1-S29.2.28四ヶ浦町
となります。
利点としては、すべての自治体名の表記の揺らぎに画一的に対応することができます。逆に欠点としては、消滅する自治体の名称の表記(1889年の市制町村制施行時において)に適用するのは不適当と考えられる場合もあることです。
一例としては滋賀県滋賀郡坂本村は、市制町村制施行時の滋賀県公報に従うと、
5 1889(M22).4.1 新設/村制 滋賀郡坂本村 滋賀郡 坂本村, 穴生村
ではなくて、
5 1889(M22).4.1 新設/村制 滋賀郡坂本村 滋賀郡 阪本村, 穴生村
として記載することになります。
阪本と表記するのが一般的であったのは、「坂」の字が忌み嫌われていた明治10年代だけで、歴史的には一貫して坂本村でした。このような場合は例外的に坂本村と解釈して、市区町村変遷情報の訂正依頼はしていません。

例えばウィキペディアでは「ヶ」の説明として、
助数詞や連体助詞「が」の用途として使用される場合の「ヶ(ケ)」は、片仮名の「ケ」とは由来を別にし、「箇」または「个」の略字とされる。
とあることから、当方のデータベースでは「箇」と「ヶ」は同じものであると判断しました。したがって1889(明22).04.01市制町村制施行時に「四ヶ浦村」が成立し、1907(明40).08.01も「四ヶ浦村」と「上岬村」が合併して「四ヶ浦村」を新設、1946(昭21).08.01には「四ヶ浦村」が町制施行して「四ヶ浦町」となったと解釈しております。
とのMIさんの方針を採るのも一つの考えだと思います。
どちらの立場を採るにせよ、自治体名表記の揺らぎに対しては頭を悩ませることに変わりはないと考えます。
[108757] 2023年 9月 15日(金)19:23:24むっくん さん
Re:久万玉村について
[108728]グリグリさん
1951(S26).4.1の香川県久万玉村の「新設/改称」情報
こちらの件ですが、[102330]では改称の根拠が見つからないことから変更種別を「新設」に戻すべきとのご意見でした。その後、[107626]で正式に正誤情報が見つかったことから、「久栄村」は存在しなかったということで「新設/改称」を「新設」に戻すのがより正しいということでよろしいでしょうか。
「新設/改称」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久栄村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
(2)久栄村において、久栄村を久万玉村に改称する久栄村条例の作成(法的効力を有する)
(3)久栄村を久万玉村に改称する旨の香川県告示(があることが大多数)(法的効力を有しない)
との工程を経ます。
「新設」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久万玉村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
との工程を経ます。

内部事情が綾歌町史([102282])に書かれてあった通りであるとしても、法的には「新設」でしかない、と[102330]拙稿では書きましたし、それが結論です。

[107626]拙稿についてですが、こちらはあくまでも参考情報です。
#ある県で市町村の合併改称等を行うと、他の都道府県の公報にも記載されることが昭和12年ころから行われ始め、昭和16年からはそれが本格化します。そして昭和27年上半期ころまでは記載され続けていました。
#兵庫県報の記載からは、一度は久栄村が新設合併で成立したと香川県から通知されて、その後に成立したのは久万玉村の誤りであったと再度香川県から通知されたものと推測されます。

他の都道府県の公報である兵庫県報([107626])、綾歌町史([102282])、そして香川県の公報である香川縣報([102330])からは以下のように考えられます。

本来的には、[102282]サヌカイトさんが記載されたように、暫定的に久栄村が新設合併で成立し、その後の新村名協議で暫定的に決めれれた久栄村が久万玉村への改称、との二段階で香川県から公告されるはずでした。
ところが、[102330]で記載したように香川県は久栄村ではなくて久万玉村が新設合併で成立したと誤って公告してしまいました。
#兵庫県報からの推測。

法的根拠が誤りであると当然訂正をしなければならないのですが、訂正をする前に、新村名として久万玉村として決まったために、香川県としては何の訂正もすることなくそのままとなったのでしょう。
[107611]サヌカイトさん推察にあるように、久万玉村となるのが既定路線だったために、先走って久万玉村と公告したと見るのが自然かもしれません。
[108694] 2023年 8月 28日(月)17:53:52むっくん さん
長久手市長
愛知県長久手市長選(任期満了(9月17日))が8月27日に行われ、元市議の佐藤有美氏(45)が初当選しました。
選挙公報によると、1978.1.24生まれの45歳とのことです。

参考:YouTube選挙ドットコム毎日新聞
[108606] 2023年 8月 9日(水)22:46:54むっくん さん
扇村袋沢村
[108601]グリグリさん
短い読み・長い読みの市区町村にて六浦荘村の記載を確認しました。

さて、短い読み・長い読みの市区町村の長い読みの市町村【10文字】にある
1 東京府 父島 扇村袋沢村 おうぎむらふくろざわ・むら 1940(S15).4.1 1968(S43).6.26 小笠原村
との記載には少々問題があります。

法律第83号(小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)(S43.6.1)
(旧村の権利義務の帰属)
第十九条 旧大村、旧扇村袋沢村、旧沖村、旧北村又は旧硫黄島村に属していた権利義務は、小笠原村に帰属する。
とあるように、昭和43年6月1日の時点では既に扇村袋沢村は存在していません。通常は、昭和26年9月8日に締結され昭和27年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約(昭和27年条約第5号)(S27.4.28)
第三条
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
により、法律上は1952(S27).4.28に廃止され、当該区域はアメリカ合衆国の信託統治制度下に置かれたと考えるのが妥当だと思います。

#かつて、小笠原5村の記載については[83624][83646][85084][95729]拙稿でも触れました。

またグリグリさんとhmtさんでも下記のようなやりとりがありました。
[85063]グリグリさん
【小笠原5村廃止】の変更種別については「廃止」が妥当でしょうか。
[85081]hmtさん
市区町村変遷履歴情報 東京都一覧の各項目に、次のように「廃止」と記録することに賛成します。
変更年月日:1952(S27).4.28  変更種別:廃止  自治体名:大村

1940年に大村と同時に設置された扇村袋沢村、北村、沖村、硫黄島村についても同様です。
(中略)
1968年の記録では、「変更対象自治体名/変更内容」が父島, 母島, 硫黄島となっている点にも疑問があります[79266]
この3島は 既存の自治体ではないので、島名【というよりも列島名】を列挙して小笠原村が設置された地域を示したものと理解されます。しかし、それならば、聟島列島,南鳥島,沖ノ鳥島が記されていないのは片手落ちと思います。
[108600] 2023年 8月 9日(水)13:28:05むっくん さん
六浦荘村
[108587]スカンデルベクの鷲さん
[108591]グリグリさん
神奈川県久良岐郡六浦荘村も悩ましいですね。
当サイト むつうらのしょう・むら
コトバンク むつらのしょう・むら
wikipedia むつうらしょう・むら

六浦荘村が存在していた時は各書籍にどのように記載されていたかを調べてみました。

新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)むつらのしょう
大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)むつのうらしょう
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)むつのうらしょう
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、M36.6.13)むつらのしょー
最近市町村明覧(編著:共盟館編輯所、出版:いろは書房等、M45.2.1)むつうらしょー
改正新旧対照市町村一覧(編著・出版:鍾美堂、T2.4.20)むつらのしょう
帝国市町村便覧(編:大西林五郎、出版:尚栄堂、T4.2.3)むつうらのしょう
市町村便覧(編・出版:帝国地方行政学会、T14.6.19)むつらのしょう
改正帝国市町村便覧(編:駸々堂旅行案内部、出版:駸々堂、T14.8.5)むつうらのしょう
改正市町村便覧 附・全国尋常高等小学校名簿(編:文明堂編輯部、出版:立川文明堂、T14.8.15)むつらのしょう
全国市町村便覧(三府四十三県北海道朝鮮台湾樺太関東洲其他)(編・出版:藤谷崇文館、T15.2.10)むつらのしょう
帝国市町村総覧(行政区劃通信交通)(編:帝国通信交通協会、出版:帝国通信交通協会出版部、S4.8.10)むつらのしょう
改正市町村便覧(編:文明堂編輯部、出版:立川文明堂、S6.7.10)むつらのしょう

むつらのしょう としている書物の方が多いです。

このうち、明治後期から昭和戦前期まで、各府県の行政法令を一手に取り扱っていた帝国地方行政学会が編集・出版しているものが格段に信憑性が高いと思います。
それに従えば、むつらのしょう ということになります。
[108150] 2023年 7月 4日(火)22:52:10むっくん さん
『合成地名』コレクション、『崎・埼・碕』コレクション、幸田町
[108049]EMMさん

『合成地名』コレクションへの福井県の村の追加を確認しました。と同時に他の記載されている箇所を確認しますと、滋賀県に合成地名ではない村の記載がありましたのでご報告いたします。

金田村 かねだ 金剛寺 上田,長田 現・近江八幡市[33977]
滋賀県史(第5巻)(編・出版:滋賀県、S3)によりますと
金田荘名に拠る
とあり、荘名由来と記載されています。

鏡山村 かがみやま 鏡 山面 現・竜王町[33977]
滋賀県史(第5巻)(編・出版:滋賀県、S3)によりますと
所在の鏡の山の名に拠る
とあり、山名由来と記載されています。

これだけでは何ですので『崎・埼・碕』コレクションへの追加情報です。

東京都小笠原村の南鳥島にある三つの崎です。
黒井崎
笠置崎
坂本崎 日本最東端
参照:ウオッちず国土交通省(PDF)9/20コマ


[108114]グリグリさん
ところで、むっくんさんはどのようにしてこの事実を見つけられたのでしょうか。きっかけは?
今回は完全に偶然です。
鉄道系のYouTubeを見ていて、米原市と同様のことが幸田町にてもあったと感じ、Wikipedia(幸田町)を見たら、記載がありました。

自治体の名称とは例えば幸田町の場合ですと“幸田(こうた)”の部分だけである、とそもそも考えていましたので、“町”の読みを“ちょう”とするのか“まち”とするのかについては、気にも留めていませんでした。
[108105] 2023年 7月 1日(土)12:38:54【1】訂正年月日
【1】2023年 7月 1日(土)12:42:23
むっくん さん
愛知県額田郡幸田町
本HPの47都道府県の市区町村愛知県の市区町村では
幸田町 こうた「ちょう」
となっています。

初めに幸田町が成立したのは、法的根拠の愛知県告示によりますと、
告示第百九十三号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定に基き、額田郡幸(こう)田(だ)村(むら)を幸(こう)田(だ)町(ちょう)とし、昭和二十七年四月一日から施行する。
昭和二十七年三月二十日 愛知県知事 桑原幹根
とありますから1952(S27).4.1です。市区町村変遷情報では
363 1952(S27).4.1 町制 額田郡幸田町 額田郡 幸田村
とあります。

その後、幸田町は豊坂村と合体し
379 1954(S29).8.1 新設 額田郡幸田町 額田郡 幸田町, 幡豆郡 豊坂村
と幸田町が新たに成立しました。。
法的根拠の総理府告示は次の通りです。
総理府告示第六百五十八号
町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十九年八月一日から、愛知県額田郡幸田町及び幡豆郡豊坂村を廃し、その区域をもつて幸(こう)田(た)町(まち)を置く旨、愛知県知事から届出があつた。
昭和二十九年七月二十八日 内閣総理大臣 吉田茂

総理府告示第六百五十九号
町の属すべき郡の区域を定める処分
地方自治法第二百五十九条第三項の規定により、昭和二十九年八月一日から、あらたに設置される幸田町の属すべき郡の区域を額田郡とする旨、愛知県知事から届出があつた。
昭和二十九年七月二十八日 内閣総理大臣 吉田茂

後の官報にて、こうた「ちょう」へ訂正がなされたのでなければ、法律上はこうた「まち」であるはずなのですが、こうた「ちょう」と通常は呼ばれているようです。
[108087] 2023年 6月 26日(月)13:20:18むっくん さん
ロータリーとラウンドアバウト
[108083]あきごんさん
福島県いわき市平6丁目と同時期のネットニュースに載っていたのが、群馬県北群馬郡吉岡町の「ジョイホンパーク吉岡」の駐車場内を通る町道のロータリーとラウンドアバウトです。画像を確認すると、ラウンドアバウトの標識も確認できました。
[108018] 2023年 6月 14日(水)22:32:58むっくん さん
野外教育施設
[107991]ただけんさん
伺ってみたいことは2点ありまして、
(1)義務教育+高校(中等教育学校)までの段階で、この種の野外教育施設に学年単位、もしくは部活等の団体で宿泊したことがあるか。また、差し支えなければ学校の位置(〇〇市立、〇〇県立など)や該当の施設名・市町村名などもコメントいただければと思います。
(2)その施設は今も存続しているか、またその施設の設置主体と、公設公営(設置自治体(事務組合含む)の出資法人/第三セクターによる指定管理は公に含む)か、民間の指定管理者の管理(公設民営)となっているか、など
私の事例を簡潔に書きます。

小5(大津市立):フローティングスクール。滋賀県内の小学生が、学校行事で、学習船「うみのこ」で一泊して琵琶湖について学びます。必ず他の小学校と合同で行います。
中1(大津市立):葛川少年自然の家(大津市)。学校行事で、4月に一泊しました。おそらく、複数の小学校から来た生徒の融和が目的ではないかと思います。人数が多かったために、2回に分けて行っていました。現在は大津市内の小4も学校単位で自然体験活動で利用しているようです。

2018(平成30)年度に2代目の学習船「うみのこ」が就航して、今年の8月でフローティングスクールが40周年となります。
[107856] 2023年 5月 24日(水)19:18:30【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 24日(水)19:19:21
むっくん さん
Re:プリムタウン
[107836]メークインさん
今月、南草津プリムタウンという外来語由来町名が出来ました。
草津市HPの南草津プリムタウン土地区画整理事業の換地処分公告についてにて
令和5年5月19日(金曜)に換地処分公告(滋賀県告示)が行われました。
とあるように5/20から南草津プリムタウン一丁目~四丁目が出来ました。
電車内からは、今から約6年前から3年前に田んぼを住宅地にする工事が行われていたのが見えていたことを覚えています。先日の日曜日に、最終の第4期住宅分譲がなされているのを横目に眺めながら、当地のラウンドアバウトも見てきました。

手がかりとなる「広報くさつ」は、国会図書館(東京)には保管されておらず、手詰まりです。
草津市内でバックナンバーを探さないと、見えてこないものと思われます。
滋賀県立図書館でバックナンバーを見てきましたが、あまりの量の多さに探すことを断念しました。前述の草津市HPのお問い合わせに記載されている草津市都市計画部都市計画課計画係に由来を尋ねるのが良いと思います。

ロータリーコレクションにおいても
草津市野路町→草津市南草津プリムタウン二丁目
草津市南笠町→草津市南草津プリムタウン四丁目
とラウンドアバウトの所在地が変わります。>あきごんさん

参考:草津市HP南草津プリムタウン土地区画整理事業の換地処分公告について新地番図(換地処分公告の翌日の地番図)(PDF)
[107796] 2023年 5月 9日(火)16:07:52むっくん さん
合成地名コレクション
[107758]未開人さん
[107787]EMMさん
「合成地名」「合併数地名」はyamadaさんがかなりがっつり集めてありまして、自治体名としてできた地名はおそらくほぼ漏れはないと思われます。

合成地名コレクションの昭和以前に消滅した市区郡町村名では以下の二つがあります。

吉川村(福井県丹生郡、現在の鯖江市) 吉田村+下川去村
北新庄村(福井県今立郡、現在の越前市, 今立郡粟田部町)北村+中新庄村
参考:福井県史第3冊
[107670] 2023年 4月 21日(金)19:01:45むっくん さん
若年で当選した首長PART23
[107429]グリグリさん
菅原 利男さん
江見 晴則さん
青山 茂さん
いずれもその通りです。

これだけでは何ですので若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○静岡県
情報源は靜岡縣首長議員人名鑑昭和廿六年五月一日現在(監修:靜岡縣勢調査會、発行:靜岡縣ジャーナル社、S26.5.10)です。

まずは新規情報です。

渡邊 正二さん
田方郡下大見村
1951(S26).5.1現在37歳、新。
“新”との表記より1951(S26).4.23の選挙で36-37歳で初当選と推測できます。
下大見村は1958(S33).1.1に中伊豆町の一部となることより任期数は1-2期と推測します。


佐藤 一郎さん
庵原郡蒲原町
1951(S26).5.1現在39歳、再。
蒲原町史(編:蒲原町史編纂委員会、発行:蒲原町、S43.11.3)では1947(S22).4.5の選挙で当選、1951(S26).4.23の選挙で再選、1955(S30).4.2辞職。任期数は2期とあります。
静岡市HPでは
平成元年9月3日、78歳で永眠されました。
とありました。
よって、35歳で1947(S22).4.に当選、生年月日は1911(M44).5.2-1911(M44).9.3の間。


岡部 文平さん
安倍郡玉川村
1951(S26).5.1現在39歳、現。
他の方の“新”や“再”とは異なり、“現”の記載があります。
よって1951(S26).4.23の統一地方選以前の選挙で、39歳以前に当選したと推測します。任期数は不明です。


武田 千春さん
榛原郡吉田村/町
1951(S26).5.1現在43歳、再。
静岡県吉田町史(編・発行:静岡県吉田町史編纂委員会、蒲原町、H9.3.28)では任期は1947(S22).4.5-1955(S30).4.29、任期数は2期。
当選したとき、年齢は38-39歳。
参考:吉田町統計要覧令和元年度(PDF)55コマ



鈴木 宗一郎さん
榛原郡中川根村
1951(S26).5.1現在43歳、再。
川根本町HPでは徳山村を編入合併後の1956(S31).11.2にも無投票当選とあります。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく38-39歳で1947(S22).4.に初当選、任期数は3期以上と推測します。


杉本 秀さん
小笠郡日坂村
1951(S26).5.1現在41歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく36-37歳で1947(S22).4.に初当選、日坂村は1955(S30).4.1に掛川市に編入されているので、任期数は2期と推測。


永田 哲堂さん
小笠郡千浜村
1951(S26).5.1現在33歳、新。
“新”との表記より1951(S26).4.23の選挙で32-33歳で初当選、千浜村は1956(S31).8.1に大浜町の一部となるので、任期数は1-2期と推測。


福代 正雄さん
小笠郡新野村
1951(S26).5.1現在43歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく38-39歳で1947(S22).4.に初当選、新野村は1955(S30).3.31に浜岡町の一部となるので、任期数は2期と推測。


北井 三子夫(きたい さこお)さん
磐田郡佐久間村
1951(S26).5.1現在39歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく34-35歳で1947(S22).4.に初当選、佐久間村は1956(S31).9.30に佐久間町の一部となるので、任期数は2-3期と推測。
磐田郡佐久間町
1956(S31).11.1-1963(S38).3.31 任期は2期、44-45歳
1971(S46).4.30-1979(S54).4.29 任期は2期、59歳
参考:浜松情報BOOK


長谷 喜代五郎さん
浜名郡吉野村
1951(S26).5.1現在42歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく37-38歳で1947(S22).4.に初当選、吉野村は1954(S29).7.1に浜松市に編入されているので、任期数は2期と推測。


河合 多三さん
浜名郡中瀬村
1951(S26).5.1現在42歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく37-38歳で1947(S22).4.に初当選、中瀬村は1956(S31).4.1に浜北町の一部となるので、任期数は2-3期と推測。
浜松情報昭和50年1月1日号(PDF)8コマでは昭和49年12月20日現在で64歳ともあります。。

杉浦 卓朗(すぎうら たくろう)さん
引佐郡気賀町
1951(S26).5.1現在38歳、?。
森博図書館実践とその思想(PDF)3コマでは
町長は、1948年から1955年まで、杉浦卓朗。杉浦は、合併後の1955年には初代の細江町町長。1971年静岡県議会議員に当選し、1977年まで県議を務めた
とありますので、気賀町長としての任期数は2期、初当選時に33-35歳と推測。
引佐郡細江町
1955(S30).4.15-1959(S34).4.14 任期数は1期、41-42歳
参考:浜松情報BOOK
浜松情報昭和50年1月1日号(PDF)9コマでは昭和49年12月20日現在で62歳。


追加情報で
榛葉 虎之助さん(小笠郡東山口村)
1951(S26).5.1現在40歳、再。
東山口村は1954(S29).3.31に掛川市の一部となるので、任期数は2期と推測。


○三重県

まずは新規情報です。

吉田 為也さん
度会郡紀勢町
1958(S33).3.18初当選。1962(S37).2.22当選、1966(S41).2.23当選、1967(S42).4.28落選。任期は3期。
1967(S42).4.28に41歳。
1957(S32).3.1当選の前町長の任期中であるはずの1958(S33).3.18の選挙と考えられることより、就任日も1958(S33).3.18と推測されます。
参考:選挙の記録昭和42年4月28日発行(編・発行:三重県選挙管理委員会、S42)、三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

追加情報です。

東 智さん(北牟婁郡長島町/紀伊長島町)
生年月日は1922(T11).8.14
就任日年齢は32歳6ヶ月
参考:三重県人名録1970年版(発行:伊勢新聞社、S45.10.15)

梶川 忠男さん(飯南郡櫛田村)
1955(S30).4.30初当選、任期は1期。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

細淵 直男さん(多気郡大杉谷村)
1951(S26).4.23初当選、1955(S30).4.30再選、任期は2期。
生年月日は1922(T11).11.20。
就任日は1951(S26).4.23もしくはその翌日と考えられることより、就任日年齢は28歳5ヶ月
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

小倉 信次さん(飯南郡森村)
1955(S30).4.30初当選、任期は1期。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

神谷 長一さん(員弁郡石榑村)
1948(S23).11.25初当選。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)


○石川県
松井 吉太さん(羽咋郡志雄町)
任期満了(1959(S34).11.19)に伴う1959(S34).11.1の選挙で現職で43歳で当選。
参考:選挙の記録12集(昭和35年)(編・発行:石川県選挙管理委員会、S35)、Wikipedia(志雄町)では任期は1951(S26).11.20-1965(S40).12.31とあります。
初当選時には35-36歳と推測。任期数は4期


○岩手県
追加情報です。

八重樫 長兵衛さん(和賀郡飯豊村/北上市)
読みは、やえがし ちょうべえ です。
参考:日本人物レファレンス事典(編・発行:日外アソシエーツ株式会社)

岩持 静麻さん(岩手郡御明神村)
前村長逝去による1954(S29).3.31の選挙で当選。就任日も同日と推定。
参考:選挙の記録昭和30年(編・発行:岩手県選挙管理委員会、S30.8.1)


○兵庫県
追加情報です。

白川 修さん(洲本市)
生年月日は1911(M44).9.13です。
参考:選挙の記録昭和33年・34年(編・発行:兵庫県選挙管理委員会、S34)


○愛媛県
追加情報です。

原田 改三さん(温泉郡浅海村)
就任日は1947(S22).4.6
参考:北条市誌(編・発行:北条市誌編纂委員会、S56.3.27)


村上 勅夫さん(越智郡伯方町)
就任日は1959(S34).1.26
参考:愛媛県町村自治名鑑(編・発行:愛媛県町村議会議長会、S62.1.20)


末永 芳朗さん(喜多郡長浜町)
就任日は1955(S30).2.3
参考:愛媛県町村自治名鑑(編・発行:愛媛県町村議会議長会、S62.1.20)
#以前に投稿した愛媛年鑑による就任年月日は当選日でした。

以上、多数になりますがよろしくお願いします。
[107626] 2023年 4月 16日(日)15:36:41むっくん さん
香川県綾歌郡久万玉村と鹿児島県薩摩郡入来町
[107174]YTさん
[107611]サヌカイトさん

53 1951(S26).4.1 新設 綾歌郡久万玉村 綾歌郡 栗熊村, 富熊村
兵庫縣報第二千八百號昭和二十六年四月六日p13雑報では
二○ 香川縣綾歌郡栗熊村及び富熊村を廢し、その區域をもつて新たに久榮村を置き、昭和二十六年四月一日から施行された。
とありますが、兵庫縣報第二千八百十六號昭和二十六年五月二十四日p8正誤
昭和二十六年雑報欄搭載の内、市町村の廃置分合並びに境界變更についての二○「久榮村」は「久万玉村」の誤り。
とあります。

兵庫県報の記述からも、S26.4.1に成立するのは久栄村だったがいつの間にか久万玉村に変更されたのは間違いないと思います。


別件で。
117 1948(S23).10.1 町制 薩摩郡入来町 薩摩郡 入来村
兵庫縣報第2509號昭和23年10月6日彙報では
S23.10.1鹿児島縣薩摩郡入來村を廢し、その區域を以て、十月一日から、薩摩郡入來町とすることとなつた
とあり、町制施行に際し、一度自治体の廃止を伴ったようです。
[107123] 2023年 3月 21日(火)16:39:17【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 21日(火)16:40:16
むっくん さん
丸亀五番町
[107114]YTさん
明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。
(中略)
『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、
----------------------
明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。
----------------------
とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。
当時の資料を見てみます。

地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

府県管轄区域郡区町村名集覧(編:樋口文治郎、出版:赤志忠七、M21.4.13)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

香川県令第84号(M22.12.28)
M23.2.15に丸亀町を構成することになる町村として丸亀一番町~丸亀十番町が存在。

郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M26.1.27)
M25.4.1に丸亀町大字一番~十番が存在。

これらからすると明治7年に、おそらく、住民の数が0人となった自治体としての丸亀一番町~四番町が無くなり、登記簿上のみに丸亀一番町~四番町が残った。その後、明治23年の市制町村制施行に伴う丸亀町の成立に伴い、他の町村の管轄区域ではない丸亀一番町~四番町(土地の登記簿上のみ存在)が自治体として一瞬だけ復活していることとしていたものと考えます。
#丸亀一番町~四番町のような事例としては、現在の京都市上京区の京都御苑に存在していた西殿町(M19.5.13廃止、M22.4.1に上京区の一部)が挙げられます。

当時の丸亀営所は丸亀五番町にあり、丸亀五番町は丸亀通町外二十二箇町連合を形成する一つの町ではないでしょうか。おそらく、何らかの手違いで丸亀五番町が抜け落ち、その為に丸亀通町外二十一箇町連合となったのでしょう。
[107100] 2023年 3月 18日(土)22:27:37【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 19日(日)01:28:53
むっくん さん
若年で当選した首長PART22
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○岡山県
情報源は退職町村長名簿(地方自治法30周年記念発行)(編・出版:岡山県町村会、S52.8.)です。S52.8.現在で岡山県在住の方のみが記載されています。当時の町村数から推測しますと、網羅されているのは全体のおよそ1/3程度だと思います。

まずは新規情報です。

松島 賢さん
上道郡御休村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1948(S23).3.は34-35歳。

三崎 嘉明さん
児島郡藤田村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

星島 睦雄さん
児島郡藤戸町
任期は1947(S22).4.-1947(S22).10.、期間は6-7ヶ月(注1)
1977(S52).8.現在で64歳
閨閥学(星島家(衆議院議長・星島二郎・星島和一郎の家系図))では1913年誕生とありますので、
就任時の1947(S22).4.は33歳7ヶ月-34歳3ヶ月。
生年月日は1913(T2).1.-1913(T2).8.
#(注1)退職町村長名簿では、1947(S22).4.-1948(S23).11.、期間は1年8ヶ月とされていましたが、wikipedia(藤戸町)の1947(S22).4.-1947(S22).10.の方がおそらく正しいと考えられます。

中村 純雄さん
児島郡味野町
任期は1947(S22).4.-1948(S23).3.、期間は1年
1977(S52).8.現在で61歳
Wikipedia(中村純雄)では1916年(大正5年)1月6日生まれとあります。
就任時の1947(S22).4.は31歳2-3ヶ月。

安原 増夫さん
都窪郡茶屋町
任期は1947(S22).4.6-1951(S26).4.5(注2)、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.6は34-35歳。
#(注2)Wikipedia(茶屋町地区)での1947(S22).4.6-1951(S26).4.5による。退職町村長名簿では任期は1947(S22).4.-1951(S26).4.

高木 正志さん
小田郡新山村
任期は1949(S24).8.-1953(S28).9.、期間は4年2ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1949(S24).8.は34-35歳。

太田 秀郎さん
吉備郡日近村
任期は1947(S22).4.-1956(S31).3.、期間は9年
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

小西 伊三雄さん
吉備郡神在村
任期は1947(S22).4.(注3)-1951(S26).3.、期間は4年(注4)
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
#(注3)退職町村長名簿では、任期は第一回統一地方選前の1946(S21).11.から1951(S26).3.とされていましたので、収録基準に合わせました。
#(注4)注3の修正に伴い、情報源で記されていた期間4年5ヶ月を4年に変更

赤木 正一さん
吉備郡富山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1947(S22).4.は30-31歳。

藤原 正男さん
御津郡宇垣村
任期は1949(S24).5.-1953(S28).3.、期間は3年11ヶ月
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1949(S24).5.は32-33歳。

入江 卯一郎さん
御津郡牧山村
任期は1951(S26).8.-1953(S28).3.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1951(S26).8.は37-38歳。

菅原 利男さん
御津郡建部村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は7年2ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
御津郡建部町(旧)
任期は1959(S34).2.-1967(S42).1.、期間は8年
就任時の1967(S42).1.は44-45歳。

香山 義加さん
御津郡豊岡村
任期は1950(S25).4.-1955(S30).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).4.は35-36歳。

実山 稔さん
赤磐郡布都美村
任期は1947(S22).12.-1950(S25).2.、期間は2年3ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).12.は37-38歳。

福島 敏太さん
赤磐郡布都美村
任期は1950(S25).3.-1953(S28).2.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).3.は35-36歳。

伊永 貞さん
和気郡熊山村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).12.、期間は6年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

中川 菅男さん
和気郡神根村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).2.、期間は6年11ヶ月
1977(S52).8.現在で70歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

長代 武一さん
小田郡美川村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).4.、期間は3年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1951(S26).4.は38-39歳。

仁熊 八郎さん
上房郡豊野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1947(S22).4.は33-34歳。
賀陽町の地名と歴史によると著者の仁熊八郎さんは1913年生まれ。

平松 幹章さん
川上郡成羽町(旧)
任期は1949(S24).4.-1955(S30).2.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1949(S24).4.は39-40歳。
川上郡成羽町
任期は1955(S30).3.-1959(S34).1.、期間は3年11ヶ月
就任時の1955(S30).3.は45-46歳。

長谷川 与一さん
阿哲郡新郷村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).4.、期間は8年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
阿哲郡神郷町
任期は1955(S30).5.-1959(S34).4.、期間は8年
就任時の1955(S30).3.は44-45歳。

太毛 貞治さん
阿哲郡新見町
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は5年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

田辺 万寿治さん
阿哲郡千屋村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

太田 博道さん
阿哲郡豊永村
任期は1954(S29).5.-1954(S29).5.、期間は1ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

妹尾 太郎さん
苫田郡一宮村
任期は1948(S23).1.-1948(S23).7.、1951(S26).5.-1954(S29).6.、期間は合計で3年9ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1948(S23).1.は33-34歳、1951(S26).5.は36-37歳。

片岡 元武さん
苫田郡高田村
任期は1952(S27).6.-1954(S29).6.、期間は2年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1952(S27).6.は39-40歳。

牧野 松寿さん
苫田郡上齋原村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

松本 正義さん
苫田郡上齋原村
任期は1961(S36).7.-1973(S48).7.、期間は12年
1977(S52).8.現在で51歳、就任時の1961(S36).7.は34-35歳。

伊丹 哲男さん
苫田郡羽出村
任期は1947(S22).4.-1959(S34).3.、期間は12年
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
苫田郡奥津町
任期は1963(S38).4.-1971(S46).4.、期間は8年
就任時の1963(S38).4.は51-52歳。

神崎 一二さん
勝田郡大崎村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).6.、期間は7年3ヶ月
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

山本 万之助さん
勝田郡河辺村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).2.、期間は3年11ヶ月(注5)
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
#(注5)退職町村長名簿では、期間は1年11ヶ月とあったが3年11ヶ月と修正。

内藤 五郎さん
勝田郡勝加茂村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).2.、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1948(S23).3.は35-36歳。

森元 次男さん
勝田郡勝田町(旧)
任期は1949(S24).8.-1953(S28).8.、期間は4年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1949(S24).8.は38-39歳。

竹久 皎さん
勝田郡植月村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).3.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1951(S26).4.は36-37歳。
勝田郡勝央町
任期は1970(S45).4.-1974(S49).4.、期間は4年
就任時の1970(S45).4.は55-56歳。

芦田 卓三さん
勝田郡北吉野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.(注6)、期間は7年10ヶ月(注7)
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
勝田郡奈義町
任期は1955(S30).2.-1959(S34).2.、期間は4年
就任時の1955(S30).2.は44-45歳。
#(注6)退職町村長名簿ではS30.2.までとあったが、北吉野村は1955(S30).2.1に合体で奈義町となり消滅したことより、1955(S30).1.までと修正した。
#(注7)注6より、期間を7年11ヶ月から7年10ヶ月へと修正した。

山本 太熊さん
英田郡粟井村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で59歳、就任時の1947(S22).4.は28-29歳。

長瀬 時夫さん
英田郡福山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).7.、期間は5年4ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.は34-35歳。

江見 晴則さん
英田郡土居町
任期は1953(S28).2.-1953(S28).8.、期間は7ヶ月
1977(S52).8.現在で53歳、就任時の1953(S28).2.は38-39歳。
また、作東の文化No.40(PDF)14コマ,16コマで
昭和53年9月江見晴則 作東町長に就任。
平成10年9月春名宏 作東町長に就任。
岡山県市町村年報平成7年度-1(PDF)10コマで
作東町長江見晴則
任期H10.09.21
より
英田郡作東町
任期は1978(S53).9.22-1998(H10).9.21と推測。
就任時の1978(S53).9.22は56-57歳。

国司 武夫さん
英田郡福本村
任期は1947(S22).4.-1950(S25).2.、期間は2年11ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

青山 茂さん
英田郡河会村(注8)
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
英田郡英田町
任期は1959(S34).2.-1971(S46).2.、期間は12年
就任時の1959(S34).2.は45-46歳。
#(注8)情報源では河合村とあったが、正しくは河会村。

草地 保さん
久米郡垪和村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).3.、期間は6年
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

重近 久保さん
久米郡神目村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は26-27歳。

黒田 義夫さん
久米郡久米村
任期は1947(S22).12.-1953(S28).10.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は27-28歳。

続いて追加情報です。

柴田 健治さん(久米郡倭文村)
任期は1948(S23).3.-1951(S26).8.、期間は2年8ヶ月
就任日年齢は31歳3-4ヶ月

藤原 香さん(赤磐郡仁堀村)
任期は1955(S30).5.-1951(S31).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で60歳
[103295]拙稿と合わせますと、就任日は1955(S30).5.1or1955(S30).5.2
生年月日は1916.8-1917.5。

春名 明さん
1975(S30).4.30ではなくて1975(S50).4.30
[107023] 2023年 3月 4日(土)20:09:18むっくん さん
自治体越えの小学校
自治体越えの地名関連の話題に便乗です。

それは、自治体越えの小学校です。同一名称の小学校が隣接する市に存在します。
井田川小学校(亀山市)/井田川小学校(鈴鹿市)
[107005] 2023年 3月 1日(水)13:50:21むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

HTB北海道ニュース(YouTube)によりますと、3/1午前10時より北海道北広島市にラウンドアバウトが出来ました。
[106915] 2023年 2月 10日(金)22:57:25【1】訂正年月日
【1】2023年 2月 10日(金)23:23:12
むっくん さん
仙台市が1988年3月1日に泉市と秋保町を編入した件
[106912]白桃さん
仙台市は1988年3月1日に泉市と秋保町を編入していますが、当落書き帳の「変遷情報」や「市の変遷」では別々(項目が二段に分かれて)に書かれています。
官報公示日が異なるため、そういう風になっているのでしょうか?それとも、別々の合併協議だったからでしょうか?
当時のことはよく分かりませんが、過去ログを見る限りでは[49915]にて88 さんが
1990年以前のデータについて、お手伝いさせていただくことになりました。
とあり、[52105]にて
既入力済み分でも、「官報告示日」や「協議状況・経過等」欄での、さらなる情報については追加・充実予定です。
とあるように、法的根拠(官報、都道府県公報)や合併協議で分けていたようです。
ところが、記載が年度を遡るにつれ、これが守られていません。

例えば兵庫県の
158 1951(S26).4.1 編入 西宮市 西宮市, 武庫郡 鳴尾村, 有馬郡 山口村, 塩瀬村
の法的根拠は
兵庫縣告示第百八十三號
 昭和二十六年四月一日から武庫郡鳴尾村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄

兵庫縣告示第百八十五號
 昭和二十六年四月一日から有馬郡山口村及び同郡鹽瀬村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄
であるのに、一つにまとまって記載されています。

また、島根県の
84 1951(S26).4.1 編入 松江市 松江市, 八束郡 忌部村, 大庭村の一部
の法的根拠は
島根縣告示第二百三十號
昭和二十六年四月一日から八束郡忌部村を廢し、その区域を松江市に編入する。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎

島根縣告示第二百三十一號
昭和二十六年四月一日から八束郡大庭村を廢し、大字大庭、佐草、大草及び大字山代の区域を松江市に編入し、大字平原の区域を昭和二十六年四月一日から施行する同郡八雲村(昭和二十六年島根県告示第九十三号)の区域に加え、その区域をもつて八雲村とする。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎
であるのに、一つにまとまって記載されています。

法的根拠が別のものは、基本的には合併協議は別のものであるはずです。

現状で、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、法的根拠(官報、都道府県公報)が別のもの、合併協議が別のものはともに複数あります。
#戦前ですと、編入合併においては合併協議が別であるものはかなり多いはずです。

逆に、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、「市区町村変遷情報」にて別々に記載されているのは、この仙台市の事例ぐらいであるはずなので、統一的記載を考える立場からは
144 1988(S63).3.1 編入 仙台市 仙台市, 泉市, 名取郡 秋保町
と、まとめて記載した方がいいのではないか、とは思います。
[106275] 2022年 12月 19日(月)21:44:10むっくん さん
Re:経県値ページリニューアル!
[106263]海辺を飛ぶ鳥さん
鉄道で通過している途中で、乗り換えの為ではなく、満員電車などで数秒程度(?)駅のホームに降り立ち、すぐに乗った場合は「接地」なのでしょうか。
これと関連してですが、バイクですと、信号待ちで足をつく必要があり、これで「接地」としたところがあります。
他に、変わったところとしては、
十津川村・・・北山川を船で「通過」した(陸上はかすってもいません)
くらいでしょうか。

そして、本題です。

[106266]グリグリさん
まずは、リニューアルありがとうございます。

[106263]海辺を飛ぶ鳥さんが書かれた書き込みで鉄道で乗り換えの為に降りたところは「接地」ということに初めて気付きました。
そこで私の兵庫県のところを更新しようとして、落書き帳メンバー入口からメンバー名と暗証コードを入力し兵庫県を選択して、某自治体を変更して【経験値を再計算する】をクリックしたところ、
指定されたURLが正しくありません。
とのメッセージが出て更新できませんでした。
[106096] 2022年 11月 11日(金)14:15:31むっくん さん
経県値(市区町村版)京都府
[106091]グリグリさん
経県値(市区町村版)リリースありがとうございます。

一点だけ気付きましたのでご報告です。
京都府の経県値の京都市と大山崎町の区域が誤っています。
正しくは都道府県市区町村の京都府の地図だと思いますのでよろしくお願いいたします。
[106025] 2022年 10月 29日(土)17:04:22むっくん さん
市制町村制施行時で町となり、その後に市となった大津
[105934]未開人さん
「生まれながらの市」はどのようにして決められたのでしょうか。概ね人口2万5000人だったということは[85273]でわかりましたが、前橋や宇都宮、大津などはなぜ含まれなかったのでしょうか。
大津市誌によりますと、大津が市制施行を選ばなかった詳細な経緯は残っていないようですが、概ねの経緯は以下の通りのようです。

大津は基準を満たしていましたが、市になることになるのに賛成している方が少数派であったことから、滋賀郡長が市制町村制施行時には大津町でいくと勝手に国に報告を挙げました。町となることより市となる事の方が行政経費がかさむ事が想定されていたことより、住民からの反対行動がほとんどありませんでした。
この結果、明治22年の市制町村制施行時には大津町となったようです。

その後、翌年から市となる方向で町民が動き始めました。明治30年にはこれを阻止すべく、滋賀郡長が大津町の内の旧・藤尾村などの区域は滋賀郡に残す形を取る上申書を内務省に提出し、人口要件の点で市制施行を阻止しようとします。ところが、分離されることとなる旧・藤尾村などの区域の住民の反対運動で、分離することが出来ませんでした。その為、明治31年に無事に大津の市制施行となりました。([63923]拙稿)
[105788] 2022年 9月 23日(金)21:31:51むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問八:大田市
[105787] 2022年 9月 23日(金)21:26:41むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問三:霧島市
[105785] 2022年 9月 23日(金)21:20:54むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問五:松江市
[105777] 2022年 9月 23日(金)17:38:59むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
[105776]海辺を飛ぶ鳥さん
ありがとうございました。

問十:大竹市(既解答市のため再答)
[105774] 2022年 9月 23日(金)14:04:46むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問一:名古屋市
問二:福井市
問三:野洲市
問四:北茨城市
問五:京田辺市
問六:うきは市
問七:松浦市
問八:安来市
問九:赤穂市
問十:有田市
[105350] 2022年 8月 27日(土)10:57:35【3】訂正年月日
【1】2022年 8月 27日(土)11:06:49
【2】2022年 8月 27日(土)11:09:04
【3】2022年 8月 27日(土)23:45:37
むっくん さん
Re2:飾西郡高浜村と飾東郡高浜村
[105348]サヌカイトさん
「同一郡に同一村(町)名をつけてはいけない」というルール(マナー?)があったのだろうか
明治4年の廃藩置県までは、各藩は複数の村をまとめた○○組(○○郷、○○庄など)という単位で統治していたので、同一郡に同一村名があってもしっかり区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

その後、明治5年に大区小区制が施行され、例えば△△県(□□郡)第一大区第三小区●●村もしくは△△県□□郡第三区●●村というような形で表記されることになりました。この時も同一郡に同一村名があっても基本的には区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

ところがその後、郡区町村編成法(M11.7.22)が各府県に施行されたことで、大区小区制が廃止されました。この時、今と同じように△△県□□郡●●村という形で表記されることになったのですが、同一郡に同一村名があると区別できなくなり各地で統治に支障が出るようになりました。
そのため、全国的に明治12年から明治17年にかけて、同一郡の同一名称の村は、地域の総称や、東西南北や、上中下などが村の名称に付け加えられる形で村の名前の改称が行われました。

一例として和歌山県乙第238号布達(M12.10.31)で行われた村の名前の改称は以下の通りです。
名草郡 西村→名草郡 山口西村
名草郡 別所村→名草郡 北別所村
名草郡 中村→名草郡 和佐中村
名草郡 中村→名草郡 山東中村
名草郡 黒谷村→名草郡 上黒谷村
名草郡 中ノ村→名草郡 楠見中村
那賀郡 中村→那賀郡 野上中村
那賀郡 中村→那賀郡 猿川中村
那賀郡 中村→那賀郡 毛原中村
那賀郡 中村→那賀郡 麻生津中村
那賀郡 市場村→那賀郡 神野市場村
那賀郡 市場村→那賀郡 名手市場村
那賀郡 宮村→那賀郡 岸宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 毛原宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 真国宮村
那賀郡 馬場村→那賀郡 田中馬場村
那賀郡 小野村→那賀郡 小川小野村
那賀郡 小野村→那賀郡 岸小野村
那賀郡 上村→那賀郡 名手上村
那賀郡 上村→那賀郡 毛原上村
那賀郡 西野村→那賀郡 名手西野村
那賀郡 西野村→那賀郡 志賀西野村
那賀郡 中畑村→那賀郡 細野中畑村
那賀郡 東野村→那賀郡 志賀野東野村
那賀郡 上野村→那賀郡 最上村
那賀郡 新在家村→那賀郡 風市村
那賀郡 新村→那賀郡 野上新村
那賀郡 新村→那賀郡 池田新村
那賀郡 下村→那賀郡 名手下村
那賀郡 下村→那賀郡 毛原下村
伊都郡 馬場村→伊都郡 北馬場村
伊都郡 馬場村→伊都郡 南馬場村
有田郡 中村→有田郡 東中村
有田郡 中村→有田郡 尾中村
有田郡 大谷村→有田郡 東大谷村
有田郡 中野村→有田郡 上中野村
有田郡 中野村→有田郡 植野村
有田郡 中島村→有田郡 上中島村
有田郡 中島村→有田郡 下中島村
有田郡 金屋村→有田郡 南金屋村
日高郡 神ノ川村→日高郡 西神ノ川村
日高郡 神ノ川村→日高郡 東神ノ川村
日高郡 吉田村→日高郡 東吉田村
西牟婁郡 大谷村→西牟婁郡 西大谷村
西牟婁郡 長瀬村→西牟婁郡 上長瀬村
西牟婁郡 伏菟野村→西牟婁郡 東伏菟野村
東牟婁郡 中村→東牟婁郡 下中村
東牟婁郡 大居村→東牟婁郡 南大居村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 東和田村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 下和田村
東牟婁郡 長井村→東牟婁郡 上長井村
東牟婁郡 中野川村→東牟婁郡 西中野川村
東牟婁郡 赤木村→東牟婁郡 西赤木村
東牟婁郡 平野村→東牟婁郡 南平野村
東牟婁郡 大野村→東牟婁郡 上大野村

よって、
兵庫県が市制町村制施行した際、飾西郡と飾東郡両方に高浜村が誕生しました。そして飾西郡と飾東郡は1896/04/01に合わさって飾磨郡となるのですが、それに先立ち飾西郡高浜村は(中略)広村へと改称しています。僕はこれを、郡が合わさることで同じ郡に高浜村が2つできてしまうために、改称せざるを得なかったのではないかとにらんでいますが、いかがでしょうか?
とのサヌカイトさんの推測は正しいと思います。


飾西郡高浜村は1か月ほど前の1896/03/03に広村へと改称
兵庫縣告示第六十九號(1コマ2コマ)では
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ飾西郡高濱村ヲ廣村ト改稱ス
明治二十九年三月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1896(M29).3.3改称→1896(M29).3.5改称です。>グリグリさん

(余談)広村はのちに八幡村と合併し広畑町となっています
ちなみにこちらは
兵庫縣告示第三百六十號
町村制第三條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡八幡村ヲ廢シ其ノ區域ヲ同郡廣村ニ編入ス
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
---------------------------
兵庫縣告示第三百六十二號
昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡廣村ヲ廣畑町ト改稱ノ件許可セリ
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
とあります。

以下はグリグリさん宛てで
#7 1894(M27).4.1 分立 飾東郡下中島村 飾東郡 高浜村の一部
兵庫縣告示第八十一號では
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得飾東郡高濱村ノ内下中島村ヲ分割シ下中島(シモナカシマ)村ヲ新設ス
明治二十七年四月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1894(M27).4.1分立→1894(M27).4.5分立です。
[105248] 2022年 8月 7日(日)22:10:21むっくん さん
若年で当選した首長PART21
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて山口県になります。

情報源は山口県選挙史(編・発行:山口県選挙管理委員会、S56.3.31)です。

まずは新規情報です。

高橋 一雄さん
都濃郡中須村
1949(S24).5.28の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1949(S24).5.28-1954(S29)
任期は2期。
都濃郡都濃町(旧)
1954(S29).12.15の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).12.15-1955(S30)
任期は1期。
都濃郡都濃町(新)
1955(S30).8.12の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).8.12-1963(S38)?
任期は2期。

津穐 孝彦さん
佐波郡富海村
1947(S22).4.5の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.6-1950(S25)?
任期は1期。

内富 弘さん
都濃郡米川村
1951(S26).4.23の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.-1954(S29).10.31
任期は2期。

沖 正歌さん
玖珂郡新庄村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1954(S29).3.30
任期は2期。

中本 武夫さん
玖珂郡余田村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
任期は1期。

松田 勲さん
大島郡平郡村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1954(S29).4.30
任期は2期。

山本 真太郎さん
熊毛郡伊保庄村
1953(S28).12.20の選挙で、31歳で当選。
首長の就任期間は1953(S28).12.20-1956(S31).9.29
任期は1期。

牛尾 美鶴さん
美祢郡大嶺町
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1954(S29)
任期は2期。
美祢市(旧)
1954(S29).5.9の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).5.9-1966(S41).5.8
任期は3期。

安元 作十さん
大島郡大島町(旧)
1952(S27).10.16の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.16-1955(S30)?
任期は1期。
大島郡大島町(新)
1955(S30).1.31の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.31-1967(S42).1.30
任期は3期。
大島郡大島町(新)
1971(S46).1.17の選挙で55歳で当選。
首長の就任期間は1971(S46).1.31-1977(S52)?
任期は2期。

柳居 宏俊さん
大島郡白木村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で27歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1951(S26).4.14
任期は1期。

中原 健夫さん
大島郡橘町
1959(S34).1.18の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).1?.-1967(S42).1?.
任期は2期。

原田 正直さん
玖珂郡玖珂町
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

富士原 景樹さん
玖珂郡秋中村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。

吉永 茂さん
熊毛郡平生町(旧)
1947(S22).4.5の選挙で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。
熊毛郡平生町(新)
1955(S30).1.30の選挙で40歳で当選。そして1958(S33).12.11の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.30-1962(S37).12.10
任期は2期。
参考:平生町HP2005町勢要覧(資料編)行政・議会(PDF)

山部 信夫さん
熊毛郡高水村
1955(S30).10.15の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).10.15-1956(S31)
任期は1期。

藤生 仕郎さん
吉敷郡秋穂町
1959(S34).4.30の選挙で39歳で当選。その後、1963(S38).4.30、1967(S42).4.28の選挙でもそれぞれ43歳、47歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).5.7-1971(S46).5.6
任期は3期。
#首長の就任期間は3期とも任期満了したこと、そして2代前の町長が辞任した後、次の町長が1955(S30).5.7の選挙で当選して任期を全うしていることからの推測です。

紀藤 信義さん
厚狭郡船木町
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1948(S23)
任期は1期。

山本 静男さん
厚狭郡船木町
1948(S23).9.9の選挙で37歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).9.9-1952(S27).9.8
任期は1期。

竹中 典久さん
豊浦郡角島村
1951(S26).4.23の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.23-1955(S30).3.31
任期は1期。

永田 泰郎さん
佐波郡出雲村
1952(S27).10.5の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.5-1955(S30).3.31
任期は1期。

白松 寛さん
阿武郡篠生村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

松井 剛さん
阿武郡弥富村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

次に追加情報です。
白地 照彦さん
玖珂郡日積村
前任者辞職による1948(S23).3.1の選挙で当選。
よって就任日は1948(S23).3.1で、就任日年齢は31歳10ヶ月


これで、山口県も大阪府([104722]拙稿)についで、若年で当選した首長をほぼ網羅できたものと考えられます。
[104941] 2022年 7月 17日(日)17:05:08むっくん さん
Re:町制施行時の改称
[104935]グリグリさん

88さんの編集方針は、まずは市制町村制施行時を、現実的には明治初年まで、可能ならば近世村までを目指し、昭和、大正、明治へと遡って一つでも多くの変遷を入力すること、であったはずです([66349][67517][74238])。そして誤りがあれば、適宜修正されておられました。
明治の大合併以前は(1)「全訂 全国市町村名変遷総覧」(監修:自治省行政局振興課、編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1991.8.1)の記載の通りです。明治の大合併は(2)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)(別冊)」(監修:西川治、編・著:太田孝、出版:東洋書林、2000.9.)の記載の通りで、途中からは根拠たる府令、県令をも適宜参照されておられたようです。
他に使用されておられたのは(3)「旧市町村名便覧」(編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1999.4.)、(4)「市町村名変遷辞典 三訂版」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2003.8.(3版))、(5)「消えた市町村名辞典」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2000.9.)であり、将来的に(6)「地名研究必携」(監修:谷川健一、編・著:滝澤主税、出版:日本地名研究所、2003.5.)を使用される予定でした。
このうち参考情報に載っているのは(1)、版が異なるものが載っているのが(3)(4)です。(2)(5)が掲載されていないのは問題であると思います。

さて、埼玉県秩父郡下吉田村、及び福島県相馬郡原町村ですが、(1)の記載のまま、もしくは単なる入力の誤りのいずれかだと考えています。これら2件及び山形県東置賜郡高畠村は、町制/改称へと「改称」を入れればいいのではないかと考えています
#落書き帳での「どこまでを町村の名称とすべきか」ということの初出は、[104939]サヌカイトさんにあるように、[86677]拙稿(野村→野村町)ではないかと思います。

ちなみに官報第四二八七号附録(明治三十年十月十四日)では
○廳府縣公報
○町村名稱及合併等
相馬郡原町村ヲ原町ト改稱セリ
明治三十年十月 福島縣
とありました。
[104860] 2022年 6月 25日(土)15:20:20むっくん さん
若年で当選した首長PART20
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて兵庫県になります。

情報源は(1)兵庫縣選擧大鑑(編:兵庫県選挙管理委員会、1952)、(2)兵庫県市町村合併史(上)(下)(編:兵庫県総務部地方課、出版:兵庫県、1962)です。(1)に40歳未満で当選と記載されていた方を見つけた後、(2)で就任期間を調べました。

まずは新規情報です。

澤井 利一さん
明石郡奥吉川村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.23-1955(S30).6.30
任期は3期。

上中 一郎さん
有馬郡高平村
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-。
1956(S31).9.30に三田町の一部となって消滅したことより任期は1-3期。

横山 孜さん
揖保郡赤松村
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1949(S24).6.13
任期は1期。

能勢 村次さん
氷上郡吉見村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.7-1951(S26).3.31
任期は1期。

土井 正義さん
津名郡野島村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1951(S26).4.4
任期は1期。

岩本 郁二さん
加西郡下里村
1947(S22).9.10の選挙で32歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).9.10-1951(S26).9.9
任期は1期。

高木 悦郎さん
養父郡宿南村
1947(S22).10.31の選挙で34歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).10.31-1949(S24).5.31
任期は1期。

山本 貫一さん
赤穂郡船坂村
1948(S23).1.10の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).1.13-1948(S23).4.26
任期は1期。

仲野 一郎さん
津名郡阿那賀村
1950(S25).5.12の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1950(S25).5.12-1957(S32).6.30
任期は2期。

増田 卓爾さん
津名郡灘村
1950(S25).6.10の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1950(S25).6.10-1955(S30).4.6
任期は2期。

次に追加情報です。

山上 晶さん(三原郡伊加利村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間はS23.4.5からとあったが、(1)のS22.4.7の新聞で当選とあることより、S22.4.に修正した。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によるとS22.4.5の選挙で無投票当選であったため、単に(2)兵庫県市町村合併史(下)の誤植と判断でき、就任期間はS22.4.5からとなります。

鈴木 啓二さん(津名郡仁井村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間は-1951(S26).4.12とあるが、任期は当時は4年までで延長が無かったので1951(S26).4.7までと推測される。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によると1949(S24).12.15に再選していますので、
就任期間は1947(S22).4.8-1951(S26).4.12
任期は2期
となります。

石古 勲さん(加東郡社町)
就任日は1970(S45).3.19
就任日年齢は39歳1ヶ月です。
参考:兵庫県自治名鑑創立三十周年記念(編・出版:兵庫県町村議会議長会、1979)

最後に、以前の[97678]拙稿(神戸新聞)と今回の調査での兵庫縣選擧大鑑での年齢の明らかな食い違いが3人の方でありました。
昭和22年の統一地方選挙のデータの年齢には、確たる裏付けをとる必要性があるようです。

氏名神戸新聞([97678]拙稿)兵庫縣選擧大鑑
立花 唯一さん(三原郡広田村)35歳65歳
西山 謙三さん(氷上郡竹田村)39歳59歳
奥田 武夫さん(城崎郡清滝村)34歳41歳
#他の方でも年齢の食い違いはありましたが、すべて40歳未満で収録の可否に影響を及ばさないのでここには記載しませんでした。
[104803] 2022年 6月 7日(火)18:12:29むっくん さん
徳島県名東郡北井上村祖母ヶ島、岡山県和気郡英保町から吉永町への改称
[104794]サヌカイトさん
徳島県阿波郡柿島村
柿原と知恵島の合成ですが、明らかに吉野川をまたいでいるんですよね。幅が広い川として有名な吉野川を。つかんぼやとの四方山話で例示されるほどの吉野川を!さすがに不便だったのか1957年に廃止される際、吉野町と鴨島町に分割されています。
このお話からも分かりますが、郡も吉野川を跨いでいました。
名東郡は吉野川の南側にあると思いがちですが、近世村単位で見ますと、祖母ヶ島(うばがしま)村は名東郡のうち唯一、吉野川(かつては別宮川と呼ばれていました)の北にある村でした。
参考:天保国絵図(阿波国)
その後、明治二十二年の市制町村制施行時には、吉野川以南の村々と合併し名東郡北井上村の一部となりましたが、現在は板野郡藍住町東中富の一部となっており、いつの間にか吉野川の北側の板野郡所属になってしまっています。
参考:四国社会資本アーカイブス2コマ

兵庫県の公報である兵庫縣報第二千四百五十五號昭和二十三年四月二十四日p6彙報では
村境界變更について
徳島縣名東郡新居村北新居字名田及び同郡北井上村東黒田字小塚、同村祖母ヶ島の全地域を、昭和二十三年四月一日から板野郡藍園村の區域に編入せられた旨の通知があつた。
とあります。
Wikipedia公益財団法人徳島県市町村振興協会発行の徳島県市町村要覧令和3年度版(PDF)45コマでも
昭和23年4月1日名東郡新居村名田,北井上村小塚,北井上村祖母ヶ島,藍園村に編入合併
との記載があります。現状で、徳島市に吉野川の北にあるまとまった区域は存在しません。そこで市区町村変遷情報に
# 1948(S23).4.1 境界変更 板野郡藍園村 板野郡 藍園村, 北井上村の一部(大字祖母ヶ島)
を追加することになります。>グリグリさん


兵庫縣報がらみでもう一つ紹介します。

以前岡山県和気郡英保町から吉永町への改称が話題となりました。

兵庫縣報第二千五百二十三號昭和二十三年十一月十八日p3彙報では
町の名稱變更について
岡山縣和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、十一月一日から施行せられた。
とありました。

それでは岡山県公報記載の岡山県告示ではどうかといいますと、
岡山縣告示第五百七十七號
和氣郡英保村を英保町とし、昭和二十三年十月二十日から、これを施行する。
昭和二十三年十月八日 岡山縣知事 西岡廣吉

岡山縣告示第六百四十七號
和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、昭和二十三年十一月一日から、これを施行することを許可した。
昭和二十三年十月二十五日 岡山縣知事 西岡廣吉
とあり、市区町村変遷情報の
#177 1948(S23).10.20 町制 和気郡英保町 和気郡 英保村
#178 1948(S23).11.1 改称 和気郡吉永町 和気郡 英保町
は正確で、英保町は12日間だけ存在しました。
[104776] 2022年 5月 30日(月)21:10:09むっくん さん
女流棋士
木村朱里さんが6月から女流棋士2級に

関西研修会B2クラス所属の木村朱里さん(13歳)から、女流棋士資格申請書が提出されました。2022年6月1日付で、関西本部所属の女流棋士2級になります。女流棋士番号は79です。
木村さんは滋賀県高島市出身だそうです。

棋士・女流棋士の滋賀県出身者は初です。
[104730] 2022年 5月 19日(木)13:00:00【2】訂正年月日
【1】2022年 5月 19日(木)15:08:27
【2】2022年 5月 19日(木)15:23:44
むっくん さん
Re:情報提供関連
[104729]Nさん
和田 康臣さん(泉北郡南池田村)
就任期間は1947(S22).4.-1956(S31).8.31
こちら誤植で就任期間は1951(S26).4-ですかね。
これは確かに誤植です。ただ、[104722]拙稿は30時間以上の時間が経過して訂正できません。
若年首長の登録の際、就任期間は1951(S26).4-でよろしくお願いします。>グリグリさん

[104728]グリグリさん
抜けている情報提供対応がありましたらお知らせください。
把握されておられるのなら申し訳ありませんが、
[99923]拙稿([99930]でグリグリさんが対応中)
[102330]拙稿
[104111]拙稿([104113]でグリグリさんが対応中)
がありました。

#11年前に市区町村変遷情報の記載が明治22年まで完成した([78755]88さん)際に、その記載に誤りがある箇所(100箇所超)に対しての記事も当方で作成しましたが、投稿のタイミングがないまま今に至ります。

【追記】
若年で当選した首長の参考文献の情報提供です。
各都道府県選挙管理委員会は、国政選挙(衆議院議員、参議院議員)及び県政選挙(県知事、県議会議員)の記録を取りまとめて書籍化しますが、県下の市町村の首長選挙の記録を取りまとめて書籍化している所もあります。
大阪府や愛知県のように、一覧としてまとめている所は少ないかもしれませんが、若年首長が比較的多い昭和26年と昭和30年の統一地方選挙の市町村長選挙の記録は、見つかる可能性が高いと思います。
[104722] 2022年 5月 17日(火)13:11:02【1】訂正年月日
【1】2022年 5月 17日(火)13:14:34
むっくん さん
若年で当選した首長PART19
グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

◎岐阜県
辻 善治郎さん(加茂郡福地村)
選挙立候補者締め切り日の1955(S30).5.2に他の誰もが現れなかったため無投票当選。
1955(S30).5.2?3?の時点で36歳。
選挙日及び村長就任日は1955(S30).5.3以降と考えられます。
福地村は1956(S31).9.30に八百津町へ編入されましたが、1955(S30).5.以前も村長をしていた可能性があるため、任期は1-3期と考えられます。
#生年月日は1918(T7).5.3-1919(T8).5.3の間と考えられます。
参考:S30.5.3中日新聞

◎岐阜県の追加情報
楠 紀章さん(郡上郡牛道村)
[103295]拙稿とは年齢が異なりS30.5.2岐阜タイムスによると35歳とありました。

◎三重県
水谷 直弘さん(員弁郡西藤原村)
1951(S26).4.23の選挙で当選(無投票当選か投票が行われての当選かの記載はありませんでした)。
1951(S26).4.23の選挙日年齢は25歳
1955(S30).4.3に新設合併で藤原村となりましたので、任期は1期と考えられます。
#生年月日は1925(T14).4.24-1926(T15).4.23の間。
参考:S26.4.26東海夕刊新聞

◎熊本県
遠山 久八さん(球磨郡五木村)
1983(S58).4.24の選挙で当選。
就任期間は1983(S58).4.-1985(S60).11.16以前
1983(S58).4.24の選挙日年齢は39歳。
任期は1期
#生年月日は1943(S18).4.25-1944(S19).4.24の間。
参考:熊本県選挙の歩み追録(昭和53年~昭和62年)(著:熊本県選挙管理委員会、1988.3.)

◎愛知県
小田(おだ) 悦男(えつお)さん(幡豆郡幡豆町)
1933(S8).1.23生まれ
1967(S42).2.4の選挙で当選。
就任期間は1967(S42).2.-
就任日年齢は34歳0-1ヶ月
任期は1期
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)
#参考資料は以前[94749]拙稿で紹介した愛知の選挙二十年. 地方選挙篇(愛知県選挙管理委員会, 1966)の続編で、S42-S61年末まで網羅したものになります。

◎愛知県の追加情報
村瀬 輝二さん(海部郡弥富町)
就任期間は1967(S42).2.までなので任期は3期となります。
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)

林 建伸さん(西春日井郡清洲町)
1973(S48).4.22の選挙に立候補せず引退とのことなので、1965(S40).5.4の再任後の任期は2期となります。
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)

◎大阪府
参考資料は原則として、大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)です。
#様々な方の選挙日年齢を見る限り。昭和22年4月5日選挙の年齢の信憑性が他の年度の選挙に比して劣ります。

西野 米治さん(南河内郡日置荘村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1947(S22).6.4以前
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

赤坂 喜一郎さん(泉北郡山滝村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1948(S23).3.31
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

箕林 信雄さん(三島郡山田村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。1955(S30).8.21の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1955(S30).4.22、1955(S30).8.-1955(S30).10.14
1947(S22).4.5の選挙日年齢は39歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は42歳。(上述の通り昭和22年4月5日選挙の年齢の信憑性が低いことより初当選は38歳とした方がよいと思います。)
任期は2期と1期で通算3期。
#生年月日は1908(M41).4.24-1909(M42).4.23の間。
#1955(S30).8.21の選挙で当選とは大阪府年鑑昭和32年版(編・出版:新大阪新聞社、1957)による。

岸田 悦男さん(三島郡阿武野村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1947(S22).12.31
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

松村 清一さん(南河内郡東条村)
1952(S27).2.3の選挙で当選。1956(S31).2.1の選挙で無投票当選。
就任期間は1952(S27).2.3-1957(S32).1.14
1952(S27).2.3の選挙日年齢は39歳で、1956(S31).2.1の選挙日年齢は43歳。
任期は2期
#生年月日は1912(M45).2.4-1913(T2).2.1の間。

和田 康臣さん(泉北郡南池田村)
1951(S26).4.23の選挙で当選。1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.-1956(S31).8.31
1951(S26).4.23の選挙日年齢は31歳で、1955(S30).4.30の選挙日年齢は35歳。
任期は2期
#生年月日は1919(T8).5.1-1920(T9).4.23の間。

仲辻 正巳さん(南河内郡埴生村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1948(S23).12.7以前
1947(S22).4.5の選挙日年齢は34歳
任期は1期
#生年月日は1912(M45).4.6-1913(T2).4.5の間。
埴生村 (大阪府) - Wikipediaでは後の南大阪町長をも務めたとありますが、これはWikipediaの誤りの可能性が高いです。

田中 寿雄さん(北河内郡大和田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1953(S28).4.16の選挙で当選(無投票当選か投票が行われての当選かは不明)。
就任期間は1947(S22).4.5-1948(S23).6.7以前、1953(S28).4.16-1956(S31).9.29
1947(S22).4.5の選挙日年齢は36歳で、1953(S28).4.16の選挙日年齢は42歳。
任期は1期と1期で通算2期
#生年月日は1910(M43).4.17-1911(M44).4.5の間。

清水 正三さん(中河内郡英田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).1.14
1947(S22).4.5の選挙日年齢は34歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は38歳。
任期は2期
清水 正三さん(河内市)
1955(S30).2.20の選挙で当選。1959(S34).2.1の選挙で無投票当選。1964(S39).3.15の選挙で当選。
就任期間は1955(S30).2.20-1960(S35).2.29、1964(S39).3.18-1967(S42).1.31
1955(S30).2.20の選挙日年齢は42歳で、1959(S34).2.1の選挙日年齢は46歳で、1964(S39).3.15の選挙日年齢は51歳。
任期は2期と1期で通算3期
#生年月日は1912(M45).4.24-1913(T2).2.1の間。

中 克人さん(泉南郡熊取町)
1956(S31).7.22の選挙で当選。
就任期間は1956(S31).7.22-1958(S33).12.31
1956(S31).7.22の選挙日年齢は38歳。
任期は1期
#生年月日は1917(T6).7.23-1918(T7).7.22の間。
#就任期間は熊取町HPでは1956(S31).7.23-1958(S33).12.31でした。しかし選挙日の前日時点で既に町長が居られないため、大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)の方が法的には正しいと判断しました。

田中 武さん(泉南郡岬町)
1960(S35).6.5の選挙で当選。
就任期間は1960(S35).6.5-1958(S33).12.31
1960(S35).6.5の選挙日年齢は37歳。
任期は1期
#生年月日は1922(T11).6.6-1923(T12).6.5の間。

梅川 政治さん(南河内郡山田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).4.22
1947(S22).4.5の選挙日年齢は36歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は40歳。
任期は2期
#生年月日は1910(M43).4.24-1911(M44).4.5の間。

山田 朗さん(南河内郡河内村)
1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1951(S26).4.23-1956(S31).9.29
1951(S26).4.23の選挙日年齢は35歳で、1955(S30).4.30の選挙日年齢は39歳。
任期は2期
#生年月日は1915(T4).5.1-1916(T5).4.23の間。

土井 一郎さん(南河内郡中村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).4.22
1947(S22).4.5の選挙日年齢は33歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は37歳。
任期は2期
#生年月日は1913(T2).4.24-1914(T3).4.5の間。

光田 源一さん(南河内郡丹南村)
1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1955(S30).4.30-1955(S30).5.31以前
1955(S30).4.30の選挙日年齢は29歳。
任期は1期
#生年月日は1925(T14).5.1-1926(T15).4.30の間。

佐野 浩さん(泉北郡和泉町)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
1947(S22).4.5の選挙日年齢は39歳11ケ月
任期は1期
#大阪府議会史第5編(編:大阪府議会史編さん委員会、出版:大阪府議会、1980.3.)では生年月日は1909(M42).4.6

◎大阪府での追加情報
深田 丈夫さん(三島郡味舌村/味舌町)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選より、就任日は1947(S22).4.5。
参考:大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)

村主 好啓さん(南河内郡黒山村)
生年月日は1907(M40).8.28より就任日年齢は39歳7-8ケ月です。
#大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)によりますと、1947(S22).4.5の選挙で当選し、1947(S22).4.5の選挙日年齢は41歳とありました。しかし、選挙結果調昭和30年執行(著:大阪府選挙管理委員会、1955)及び大阪府議会史第5編(編:大阪府議会史編さん委員会、出版:大阪府議会、1980.3.)によりますと、1955(S30).4.30の府議会議員選挙の当選者資料にはM40.8.28生まれとありました。


これにて北海道(昭和23年以降)、青森県(昭和26年以降)に加えて愛知県(昭和23年-61年)、大阪府(昭和22年-平成元年)がほぼ網羅できました。
特に大阪府は、若年で当選した首長が一番多いと考えられる昭和22年(おそらく40%弱になると推測しています)を初めて網羅できた都道府県になりました。
[104721] 2022年 5月 17日(火)13:04:15むっくん さん
第60回十番勝負感想文
今回は解けないから見送りだろう、と思っていたのですが・・・

問二:正答で「か」ばかりが並んだので気付きました。
ということで、取り敢えず一問を答えました。その後、他の問題もヒントを待ちつつ、考えることになり、

問四:若年で当選した首長の新規調査をする過程での大阪府羽曳野市より、新設合併で市の名称が変更になったところならば正答である、と考えました。
若年で当選した首長は別稿で投稿します。

問一:想定解数が60市となったことより、何かのランキングであるというところより分かりました。
問三、問五:人口があれば面積、人口密度もあるであろうことより分かりました。
問六:第二ヒントのアナグラムが解けたことより分かりました。
問八:第三ヒントのストリートビューより千畳敷スキー場が辺りにあったことより地名コレクションだと分かりました。
問七:第四ヒントで線引きが分かりました。これを気付けないとは、自分にがっくりです。
問九:想定解数が62市と60市と異なったことよりランキング上位と気付けませんでした。第四ヒントで共通項に気付きました。
問十:第四ヒントより、なぜか日本遺産と考えました。Google検索で日本遺産を調べたら、世界遺産のサイトが上位に出てきて共通項に気付きました。

、と気付いたら、十問完答していました。十番勝負を幾度も完答したことがあると、
【注意事項】
(6)ゴールデンウィークの大切な時間を損なう恐れと勉学や仕事への重大な影響が考えられます。また、十番勝負への依存が生じる場合があります。個人の責任において参加されることをご了解願います。
とあるように、十番勝負には、一問答えてしまうと完答したくなってしまう中毒性があるようです。
[104627] 2022年 5月 8日(日)22:13:42むっくん さん
十番勝負
問十:奈良市
[104623] 2022年 5月 8日(日)21:28:09むっくん さん
十番勝負
問九:富士吉田市
[104622] 2022年 5月 8日(日)21:21:40むっくん さん
十番勝負
問七:水戸市
[104612] 2022年 5月 8日(日)13:50:09むっくん さん
十番勝負
問八:沼田市
[104603] 2022年 5月 8日(日)00:08:00むっくん さん
十番勝負
問六:刈谷市
[104506] 2022年 5月 5日(木)14:45:21むっくん さん
十番勝負
問五:明石市
[104505] 2022年 5月 5日(木)14:42:36むっくん さん
十番勝負
問三:下呂市
[104503] 2022年 5月 5日(木)14:21:39むっくん さん
十番勝負
問一:東大阪市
[104459] 2022年 5月 4日(水)00:51:20むっくん さん
十番勝負
問四:東近江市
[104413] 2022年 5月 3日(火)19:23:45むっくん さん
十番勝負
問二:鹿屋市
[104111] 2022年 3月 26日(土)16:25:46【2】訂正年月日
【1】2022年 3月 26日(土)18:38:56
【2】2022年 3月 26日(土)23:04:38
むっくん さん
市区町村変遷情報の変更種別について
[104078]白桃さん
「村」が「町」になるというのは、法的には、「町制」ではなく単なる「名称変更」であったのではないか、これが私の推測です。
しかし、そうなると、三本松村→三本松町のような「一日限りの『町』」ではない場合もすべて「名称変更」になりますね。
それはそれでいろいろ問題が出て来るとは思いますが、少なくとも、地方自治法施行前の「町制/改称」の表示は「改称&(村→町)」あるいは「改称&(町制)」にすべきではないかと考えます。
市制町村制の時代の法律書では
〇〇村→〇〇町・・・町村変更
〇〇村→●●村・・・改称(名称変更)
〇〇町→●●町・・・改称(名称変更)
とする事例が多いようです。

[104079]グリグリさん
あまり詳しくなく検証も不十分ですが、単純に考えると、1947年の地方自治法施行以前の「町制」「村制」をすべて「町村制」に変更し、「◯◯村 → ◯◯町」は「改称」と整理すると分かりやすいのかなと思いました。

以前の編集長であった88さんは[78998] にて
「法律」が「市制」「町村制」の2つの法律、「制度」が「市」「町」「村」の3制度、です。
「町村制」は、「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称です。
このため、「町村制」という制度ではありません。
とされました。そのため「◯◯村 → ◯◯町」の変更種別を町制という表現をされました。
現在の「地方自治制」も「『市』という制度」及び「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称ですので、現在も「市制」、「町制」、「村制」という表現をされています。

しかしながら「町制」と「村制」とをあえて区別して記載しない立場
[79006]hmtさん
普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
もあると考えられます。今回のグリグリさんではこちらの立場を採られたということと推察します。
こちらの立場では例えば秋田県の
160 1964(S39).10.1 村制 南秋田郡大潟村 八郎潟干拓地

160 1964(S39).10.1 地方自治法 南秋田郡大潟村 八郎潟干拓地
と書くことになりますし、沖縄県の
21 1946(S21).6.12 村制 島尻郡南大東村 南大東島

21 1946(S21).6.12 地方行政緊急措置要綱準用の村政の組織 島尻郡南大東村 南大東島
と書くことになります。
#地方行政緊急措置要綱は米軍政府回状第208号(1945.9.12)、村政の組織は米海軍政府指令第58号(1945.12.4)です。

そして市制町村制の時代の「◯◯村 → ◯◯町」の変更種別は「町に変更」([79006]hmtさん)もしくは「町村変更」にするのが妥当だと考えます。
又、市制施行に関しましては、例えば滋賀県の
44 1937(S12).2.11 新設/市制 彦根市 犬上郡 彦根町, 松原村, 青波村, 北青柳村, 福満村, 千本村

44 1937(S12).2.11 新設/市制 彦根市 犬上郡 彦根町, 松原村, 青波村, 北青柳村, 福満村, 千本村
のままです。

ただ、問題となるのが、地方自治法施行以降の記述です。地方自治法下では「市制」、「町制」、「村制」という制度はありません(市となる手続き、町となる手続き、村となる手続きがあるに過ぎない)ので、「市制」、「町制」、「村制」という表現を使えないことになります。
例えば、岩手県の
109 1972(S47).4.1 新設/市制 二戸市 二戸郡 福岡町, 金田一村

109 1972(S47).4.1 新設/市に変更 二戸市 二戸郡 福岡町, 金田一村
となり、沖縄県の
35 1953(S28).10.1 市制 真和志市 島尻郡 真和志村

35 1953(S28).10.1 市に変更 真和志市 島尻郡 真和志村
とした上で琉球政府市町村自治法によるという脚注を入れることになるのでしょうか。

【追記】
地方自治法施行以降のみならず市制町村制の時代でも「町制」という表現を使えないため、例えば茨城県の
47 1940(S15).4.29 新設/町制 那珂郡勝田町 那珂郡 中野村, 勝田村, 川田村
では
47 1940(S15).4.29 新設/町に変更 那珂郡勝田町 那珂郡 中野村, 勝田村, 川田村
と書くことになります。
[104104] 2022年 3月 24日(木)15:23:09むっくん さん
hmtさん
hmtさんの訃報に際し、心から哀悼の意を表します。
直接お会いしたことはありませんでしたが、落書き帳では私の初書き込み[48851]に対する[48995]のhmtさんの書き込みが、初めての絡みでした。それ以降も、香川県の渇水、法令全書、十島村、大野郡、日本の自治制度(とりわけ明治期から昭和22年までの自治制度)などで、様々な遣り取りをしたことを思い出します。

[95633]を初めとして温かみのある記事、そしてhmtマガジンでも一部採用された多彩な連載記事を書かれておられ、おそらく現在も天国で新たな連載記事の構想を練られておられることと思います。

あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。
[104103] 2022年 3月 24日(木)14:10:40【1】訂正年月日
【1】2022年 3月 24日(木)14:13:51
むっくん さん
ロータリーコレクション
[103267]あきごんさん

ロータリーコレクションで挙げられている岐阜県岐阜市薮田南のロータリーが3/14午前10時よりラウンドアバウトになりました。
[103800] 2022年 1月 14日(金)15:56:43むっくん さん
十番勝負
問五:竹原市
[103792] 2022年 1月 13日(木)23:38:32むっくん さん
十番勝負
問四:室蘭市
問五:砂川市
問七:大和郡山市
[103780] 2022年 1月 13日(木)13:00:49むっくん さん
十番勝負
問一:米原市
問二:草津市
問三:湖南市
問四:阿南市
問五:稚内市
問七:近江八幡市
問八:池田市
問九:京丹後市
[103421] 2022年 1月 2日(日)15:33:17むっくん さん
十番勝負
問六:北九州市
[103420] 2022年 1月 2日(日)14:38:29むっくん さん
十番勝負
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

問十:湖南市
[103327] 2021年 12月 30日(木)22:21:21むっくん さん
Re2:若年で当選した首長PART18
[103311]グリグリさん

高田肇さん(岐阜県本巣郡本巣村(1950(S25).6.1新設合併で成立))
当時ですと新設合併で成立した市町村長が決まるのは半月から一か月半かかるのが通例ですので、就任日に新設合併日との注を入れた方が良いと思います。
[103298]Nさんによりますと、本巣町長も務められていたようです。

吉岡信一さん(奈良県吉野郡丹生村)
1955(S30).4.30が任期満了による選挙とすると、その前の選挙は1951(S26).4.23であり、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)に記載がないことより、就任日は選挙の行われた1951(S26).4.23で任期は2としておいた方が良いと思います。

広川茂男さん(広島県深安郡引野村)
前職で当選ですので就任日は1955(S30).4.30以前(任期満了による選挙とすると、その前の選挙は1951(S26).4.23)です。

中園喜久男さん(福岡県三潴郡城島町)
無投票当選ですと就任日は1947(S22).4.5となりますが、実際に投票が為されて当選したとすると開票日が1947(S22).4.6以降となりますので、就任日は1947(S22).4.?とした良いと思います。

宇都宮光明さん(愛媛県北宇和郡近永町)
無投票当選ですと就任日は1947(S22).4.5となりますが、実際に投票が為されて当選したとすると開票日が1947(S22).4.6以降となりますので、就任日は1947(S22).4.?とした良いと思います。

追加情報で
[102133]Nさん提供の梅野茂芳さん(福岡県山門郡東山村)は初代公選村長とのことなので、就任日は1947(S22).4.?として良いと思います。
[103295] 2021年 12月 18日(土)22:53:16【1】訂正年月日
【1】2021年 12月 19日(日)09:35:30
むっくん さん
若年で当選した首長PART18
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
#特に断りのない限り、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)にて1947(S22).4.時点での首長か否かを判断して、首長任期の絞り込みをしています。

鈴木文夫さん
茨城県北相馬郡内守谷村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.1において31歳。
1956(S31).4.1に水海道市に編入されて消滅したことより任期は1期と推測。
参考:1955(S30).5.1朝日新聞

村田義雄さん
埼玉県比企郡玉川村
1959(S34).5.1の選挙で前職で当選。
1959(S34).5.2において42歳。初当選時の年齢は38歳。
任期は3期(1955(S30).5.1-1967(S42).4.30)
参考:S34.5.2朝日新聞、埼玉県町村会創立100周年(PDF)30コマ

加藤博康さん
埼玉県秩父郡両神村
1959(S34).5.1の選挙で前職で当選。
1959(S34).5.2において43歳。初当選時の年齢は35歳。
任期は3期(1951(S26).4.30-1963(S38).4.1)
参考:S34.5.2朝日新聞、埼玉県町村会創立100周年(PDF)31コマ

勝俣正男さん
神奈川県足柄下郡宮城野村
1951(S26).4.23の選挙で初当選。
1951(S26).4.25において36歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は1-2期と推測。
参考:S26.4.25朝日新聞

関一雄さん
富山県婦負郡山田村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において35歳。
任期は1期(1955(S30).4.30-1958(S33).11.22)
参考:1955(S30).5.2朝日新聞、wikipedia

浅井長一郎さん
石川県能美郡粟生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において35歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は2期と推測。
参考:1955(S30).5.2朝日新聞

楠紀章さん
岐阜県郡上郡牛道村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.1において36歳。
1956(S31).4.1に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測。
参考:1955(S30).5.1朝日新聞

田中栄一さん
岐阜県揖斐郡坂内村
1959(S34).5.2現在当選4回目で現職47歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長よりおそらく1947(S22).4.に34-35歳で初当選したと推測される。
任期は4期以上
参考:S34.5.2朝日新聞

仲井正夫さん
岐阜県揖斐郡横蔵村
1959(S34).5.2現在1期目で現職39歳。
任期は1期以上。
参考:S34.5.2朝日新聞

高田肇さん
岐阜県本巣郡文殊村
1912年生まれ
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも本巣郡文殊村(S25.6.1に新設合併で本巣村となる)の村長よりおそらく1947(S22).4.に34-35歳で初当選したと推測される。
任期は1期。
岐阜県本巣郡本巣村
1959(S34).5.2現在4期目で現職47歳。4期目とは文殊村の村長を含めて通算4期目と考えられる。
任期は3期以上。
参考:S34.5.2朝日新聞、我執を超えて(著:高田肇)

上ヶ島増雄さん
岐阜県郡上郡高鷲村
1959(S34).5.2現在3期目で現職49歳。
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長。
岐阜年鑑1949年版(編・出版:岐阜タイムス社、S23)でも1948(S23).8.現在村長で、岐阜年鑑1953年版(編・出版:岐阜タイムス社、S27.10.1)でも岐阜年鑑1955年版(編・出版:岐阜タイムス社、S29)でも村長。
わが村たかすの歴史を訪ねてでは1947年に上ヶ島増雄村長になり1959年に蓑島政一村長になるとあります。1959年は何らかの理由で統一地方選とずれていた可能性があります。おそらく立候補者が出なかった村長選があったのではないかと推測します。
よって任期は3期(1947(S22).4.-)と推測します。
就任年齢は36-37歳。
参考:S34.5.2朝日新聞

小倉信次さん
三重県飯南郡森村
1955(S30).5.2現在村長で35歳。
1956(S31).8.1新設合併で森村は飯高町となり消滅したことより任期は1-3期。
三重県飯南郡飯高町
任期は4期(1968(S43).10.20-1984(S59).10.19)。
就任年齢は68-69歳。
参考:S30.5.2朝日新聞、松阪市(xlsx形式)気楽にバイクライフ高見トンネル開通記念碑。

広田饒世さん
岐阜県大野郡清見村
1959(S34).5.2現在3回目で現職で47歳。
岐阜年鑑1953年版(編・出版:岐阜タイムス社、S27.10.1)でも岐阜年鑑1955年版(編・出版:岐阜タイムス社、S29)でも村長。岐阜年鑑1949年版(編・出版:岐阜タイムス社、S23)ではS23.8.現在村長ではない。おそらく1951(S26).4.23の選挙で39歳で初当選したものと考えられる。
参考:S34.5.2朝日新聞

梶川忠男さん
三重県飯南郡櫛田村
1955(S30).5.2現在村長で30歳。
1957(S32).10.1櫛田村は松阪市に編入され消滅したことより任期は1-3期。
参考:S30.5.2朝日新聞

細淵直男さん
三重県多気郡大杉谷村
1955(S30).5.2現在村長で32歳。
1959(S34).1.10新設合併で森村は宮川村となり消滅したことより任期は1-3期。
参考:S30.5.2朝日新聞

吉岡信一さん
奈良県吉野郡丹生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において36歳。
1956(S31).9.30に丹生村は下市町に編入されたので任期は2-3期と推測されます。
参考:1955(S30).5.2朝日新聞、第16回参議院人事委員会第21号昭和28年8月8日(PDF)20コマ第一七八三号

長島克己(ながしまかつみ)さん
1916(T5).2.18生まれ
島根県八束郡岩坂村
31歳1-2ケ月
任期は1期(1947(S22).4.-)
島根県八束郡八雲村
65歳1-2ケ月
八雲村での首長の期間が首長・議員名鑑より1981(S56)からとあり、1985(S60).4.無投票当選で、1989(H1).4.で別の方が村長となっているので、任期は2期(1981(S56).4.-1989(H1).4.)と推測される。
参考:首長・議員名鑑(編・出版:山陰中央新報社、S59.4.30)、松江市HP

藤原香さん
岡山県赤磐郡仁堀村
1955(S30).4.30の選挙で当選。
1955(S30).5.2において38歳。村長となったのは38歳以前。
1956(S31).9.30に吉井町に編入され消滅したことより任期は1-2期。
参考:S30.5.2朝日新聞

広川茂男さん
広島県深安郡引野村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において32歳。村長となったのは32歳以前。
1956(S31).9.30に福山市に編入され消滅したことより任期は1-2期。
参考:S30.5.2朝日新聞

柏原竜寿さん
広島県芦品郡藤尾村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において43歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で34-35歳で初当選したと考えられる。
1959(S34).7.1に三和町と新市町に編入され消滅したことより任期は3-4期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

横山明義さん
高知県香美郡上韮生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において36歳。村長となったのは36歳以前。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は2期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

大崎昌広さん
高知県高岡郡下半山村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において37歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で28-29歳で初当選したと考えられる。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は3期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

矢野景郎さん
高知県吾川郡仁西村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において30歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

三石重行さん
高知県幡多郡津大村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において39歳。
1958(S33).4.1に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

末吉静雄さん
福岡県嘉穂郡大分村
1947(S22).4.5の選挙で初当選。1951(S26).4.23の選挙で再選。
1947(S22).4.8において31歳、1951(S26).4.25において33歳。初当選時の年齢は29歳もしくは31歳。
1955(S30).3.31に筑穂町と穂波村の一部となり消滅したことより任期は2期と推測される。
参考:1947(S22).4.8朝日新聞、1951(S26).4.25朝日新聞

中園喜久男さん
福岡県三潴郡城島町
1951(S26).4.23の選挙で前職で当選。
1951(S26).4.25において42歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも町長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で37-38歳で初当選したと考えられる。
任期は2期以上。
参考:S26.4.25朝日新聞

追加情報

西内徹さん
香川県綾歌郡美合村
1951(S26).4.23の選挙で初当選。
1951(S26).4.25において26歳。
参考:S26.4.25朝日新聞

宇都宮光明さん
愛媛県北宇和郡近永町
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)に記載があり、50頁
日本国憲法の施行を前にし、昭和二十二年四月一斉に行われた都道府県市区町村の長及び議会の議員の選挙結果は、地方自治団体の機関を全く一新せしめた。その調査に基いた調査集計は左の通りである。
とあることよりおそらく1947(S22).4.5の選挙で初当選したと考えられ、1947(S22).4.に37歳3ヶ月。

洲浜正敏さん
島根県邑智郡瑞穂町でも町長をしていました。
1984(S59)現在、町長3期目中でした。いつから町長か、任期が何期かは不明。
参考:首長・議員名鑑(編・出版:山陰中央新報社、S59.4.30)


#何故か、一か所テキストリンクが出来ませんでした。
#テキストリンク仕様を見直し、リンクできなかった問題を改善の上、記事本文を訂正しました。(オーナー グリグリ)
[103238] 2021年 11月 27日(土)19:53:01むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

一歩前進でビフォーアフター、このような機能があることを初めて知りました。視覚的にも素晴らしいと思います。

さて、新規ロータリーの紹介です。
東海道本線を挟んでロータリーが2箇所あります。
東側のロータリーが愛知県大府市追分町6丁目、西側のロータリーが愛知県大府市一屋町2丁目です。
とあるYouTubeでも紹介されていました。
[102330] 2021年 9月 12日(日)14:00:47【1】むっくん さん
Re2:茶番第17回 自由研究 ー久栄村ー
先日高松を訪れた際立ち寄った、四国の名産品が一堂に集まる四国ショップ88。そこで香川県の「県の石」であるサヌカイトが紹介されていました。

その時、つい最近、サヌカイトさんによる自由研究「久栄村」([102282])があったな、と思い出しました。(その時までの記事の流れ

さて、法的根拠となる香川県告示(香川縣報昭和二十六年三月二十日)では以下のように記載されていました。
香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則
とだけあり、村名変更の県告示は見当たりませんでした。

同日付の香川郡安原上西村から香川郡上西村への改称は
香川縣告示第百四十八号
 昭和二十六年一月二十二日香川郡安原上西村から許可申請のあつた村名変更(安原上西村を上西村と変更し昭和二十六年四月一日から実施する。)の件はこれを許可した。
昭和二十六年三月三十一日 香川縣知事 金子正則
とこちらは記載されているので、仮に村名変更の条例が出来たのであるならば、上西村への改称と同様に香川県報に搭載されているはずです。

ということで、変更種別を新設/改称から新設に戻す必要がありそうです。
[102267] 2021年 8月 23日(月)23:36:46むっくん さん
蘓原町&市区町村変遷情報(岐阜県)
かなり前の話ですが。。。

[101383]MIさん
[101396]hmtさん
[101397]ekinenpyouさん
町制施行についても
1943(昭和18)年0430 岐阜県告示第198号
稲葉郡蘓原村を町となし、昭和18年4月1日より施行する。
とあることから、単純な誤植では片付けられないことが分かってきました。ただこの例規集は稻を稲、漢数字をアラビア数字に改めており、原文通りかどうか疑わしくもあります。県立図書館で昭和18年や38年の県告示を確かめなかったのが悔やまれるところです。
昭和18年の県告示につきましては、以前岐阜県図書館で確認していました。
岐阜縣告示第百九十八號
稻葉郡蘓原村ヲ町ト爲シ昭和十八年四月一日ヨリ施行ス
昭和十八年三月三十日 岐阜縣知事 中野善敦
とあり、「蘓原町」でした。

現在の市区町村変遷情報の記載の
187 1897(M30).4.1 新設/郡変更 稲葉郡蘇原村 各務郡 伊飛島村, 大宮村, 和合村, 古市場村, 持田村, 三柿野村
259 1943(S18).4.1 町制 稲葉郡蘇原町 稲葉郡 蘇原村
416 1963(S38).4.1 新設/市制 各務原市 稲葉郡 那加町, 稲羽町, 鵜沼町, 蘇原町
において、「蘇原」→「蘓原」と異体字による訂正をするか否かはグレーゾーンになりますので、迷ったらそのままということになりそうです。
#市区町村変遷情報の記載基準は[56275]88 さんにある通りです。


さて、岐阜県の話題が出ましたので、市区町村変遷情報(岐阜県)で訂正する箇所をも記しておきます。

18 1896(M29).2.24 分立 土岐郡市之倉村 土岐郡 多治見町の一部
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二十二號
町村制第四條ニ依リ土岐郡多治見町ノ内市之倉組ヲ分割シ市之倉村ヲ設置ス
明治二十九年二月十四日 岐阜縣知事 樺山資雄
とありますので、正しくは1896(M29).2.24→1896(M29).2.14です。

205 1898(M31).9.1 改称 稲葉郡黒野村 稲葉郡 鵜飼村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二百八十八號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ益田郡鵜飼村ヲ黒野村ト改稱ス
明治三十一年九月二十一日 岐阜縣知事 安楽兼道
とありますので、正しくは1898(M31).9.1→1898(M31).9.21です。

208 1900(M33).7.19 町制 可児郡今渡町 可児郡 今渡村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二百一號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ可児郡今渡村ヲ今渡町トス
明治三十二年七月十九日 岐阜縣知事 野村政明
とありますので、正しくは1900(M33).7.19→1899(M32).7.19です。
#これは岐阜県公報第二百二十號(明治三十二年七月十九日発行)の本文で明治二十三年七月十九日とあるのを明治三十二年七月十九日と訂正してありました。

209 1901(M34).5.24 町制 不破郡赤坂町 不破郡 赤坂村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第百十三號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ不破郡赤坂村ヲ赤坂町トス
明治三十四年五月二十二日 岐阜縣知事 川路利恭
とありますので、正しくは1901(M34).5.24→1901(M34).5.22です。

210 1901(M34).6.10 町制 可児郡豊岡町 可児郡 豊岡村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第百四十一號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ可児郡豊岡村ヲ豊岡町トス
明治三十四年六月廿六日 岐阜縣知事 川路利恭
とありますので、正しくは1901(M34).6.10→1901(M34).6.26です。

257 1940(S15).6.1 編入 岐阜市 岐阜市, 稲葉郡 南長森村, 北長森村, 木田村, 常磐村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第五百七十號
昭和十五年七月一日ヨリ稲葉郡南長森村、北長森村、木田村及常磐村ヲ廢シ其ノ區域ヲ岐阜市ノ區域ニ編入シ稲葉郡南長森村、北長森村、木田村及常磐村ノ財産ハ之ヲ岐阜市ニ歸属セシム
昭和十五年六月二十六日 岐阜縣知事 宮野省三
とありますので、正しくは1940(S15).6.1→1940(S15).7.1です。
[102179] 2021年 7月 14日(水)18:12:46【1】むっくん さん
市制町村制時代の「市制施行」事例
[102162]グリグリさん
或いは逆に、市制町村制時代の「市制施行」事例をすべて「新設」として捉えるべきとも……?
こちらの考え方について、むっくんさんはどうお考えでしょうか。
市制(明治21年法律第1号)町村制(明治21年法律第1号)の時代は法律上「新設」として捉えるべきかがよく分かりません。
#恐らく「新設」なのでしょうが、法律書に記載がないので。

ただ、少なくても市制(明治44年法律第68号)に基づいた市と、町村制(明治44年法律第69号)に基づいた町村では、自治体が依拠する法律が異なるため、この時期に「市制施行」した事例はすべて「新設」として捉えるべきだと考えています。

具体的には以下の市制施行の種別が「市制」から「新設/市制」へ変わることになります。
1911.7.1静岡県浜松市
1911.9.1新潟県高田市
1914.4.1福岡県若松市
1916.7.1愛知県岡崎市
1916.7.1広島県福山市
1917.3.1福岡県大牟田市
1917.3.1福岡県八幡市
1917.9.1東京府八王子市
1918.4.1岐阜県大垣市
1919.5.1長野県上田市
1919.11.1兵庫県明石市
1921.1.1栃木県足利市
1921.1.1千葉県千葉市
1921.3.1群馬県桐生市
1921.5.20沖縄県那覇市
1921.5.20沖縄県首里市
1921.9.1愛知県一宮市
1921.11.1山口県宇部市
1922.8.1北海道札幌市
1922.8.1北海道函館市
1922.8.1北海道小樽市
1922.8.1北海道室蘭市
1922.8.1北海道旭川市
1922.8.1北海道釧路市
1922.11.1大阪府岸和田市
1924.4.1宮崎県都城市
1924.4.1大分県別府市
1924.9.1福岡県戸畑市
1924.10.1山形県鶴岡市
1925.4.1兵庫県西宮市
1927.4.1鳥取県米子市
1928.4.1岡山県倉敷市
1929.4.20大分県中津市
1929.5.1京都府伏見市
1929.10.1愛知県瀬戸市
1931.1.1福岡県直方市
1932.1.1佐賀県唐津市
1932.1.20福岡県飯塚市
1932.4.1神奈川県平塚市
1932.7.1山口県萩市
1933.2.1三重県松阪市
1933.2.11宮崎県延岡市
1933.4.1北海道帯広市
1933.4.1山形県酒田市
1933.4.1埼玉県熊谷市
1933.4.1宮城県石巻市
1934.1.1新潟県三条市
1934.2.11埼玉県浦和市
1935.10.15山口県徳山市
1936.4.1長野県岡谷市
1937.4.1栃木県栃木市
1937.4.1京都府福知山市
1937.4.1三重県桑名市
1937.5.5岩手県釜石市
1938.8.1京都府舞鶴市
1939.4.29大阪府池田市
1940.2.11鹿児島県川内市
1940.2.11兵庫県洲本市
1940.2.11兵庫県飾磨市
1940.7.1新潟県柏崎市
1940.8.1岐阜県多治見市
1940.10.1神奈川県藤沢市
1940.11.10兵庫県芦屋市
1940.12.1東京府立川市
1941.11.3島根県出雲市
1941.11.23宮城県塩竃市
1942.4.1大阪府泉大津市
1942.6.10北海道北見市
1942.10.1兵庫県相生市
1943.1.1大阪府高槻市
1943.4.1北海道夕張市
1943.4.1北海道岩見沢市
1943.5.1大阪府貝塚市
1947.1.1新潟県新発田市
1947.3.1愛知県津島市

ここに、現在は市制/改称として記載されている岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市を含めています。
------------------------------------
岡谷市成立の根拠は
内務省告示第八十二号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ長野県諏訪郡平野村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ岡谷市ヲ置ク
昭和十一年三月七日 内務大臣 後藤文夫
です。

芦屋市成立の根拠は
内務省告示第五百八十号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十五年十一月十日ヨリ兵庫県武庫郡精道村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ芦屋市ヲ置ク
昭和十五年十一月六日 内務大臣 安井英二
です。

泉大津市成立の根拠は
内務省告示第百五十八号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年四月一日ヨリ大阪府泉北郡大津町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ泉大津市ヲ置ク
昭和十七年三月二十日 内務大臣 湯澤三千男
です。

北見市成立の根拠は
内務省告示第三百七十四号
市制第三条、北海道一級町村制第一条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年六月十日ヨリ北海道常呂郡野付牛町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北見市ヲ置ク
昭和十七年五月二十七日 内務大臣 湯澤三千男
です。
------------------------------------

これら4市に関しましても、成立根拠の内務省告示を見ますと、名称変更の条文(市制第七條町村制第五條北海道一級町村制第一條で町村制第五條を準用)を使用せずに廃置分合の条文(市制第三條町村制第三條北海道一級町村制第一條で町村制第三條を準用)を使用しています。

市町村会議員必携(実例判例市制町村制逐条示解)(著:河本速夫、出版:自治正調協会、S12.12.18)での解説“名称ノ変更トハ”に依りますと、
村を町と為し、町を村となすも町と村とは元より町村制と云ふ同一の制度の下に置かれたものでありますから法律上其の性質を変更するものではありません只其の名称を変更するに過ぎませんが町を市と為し市を町とする場合は名称の変更ではありません。其の市又は其の町である自治団体は消滅して更に市又は町なるものが存在するものでありますから此の場合は廃置分合の手続きによらねばなりません。
とあり、これら4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。内務省告示の文章中でも
ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク
とあることよりこれら4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。


ただ、この対応をすると合体を伴う場合も伴わない場合も同じ表記になる問題が生じます。例えば大阪府の池田市と吹田市の事例です。

129 1939(S14).4.29 新設/市制 池田市 豊能郡 池田町
139 1940(S15).4.1 新設/市制 吹田市 三島郡 吹田町, 千里村, 岸部村, 豊能郡 豊津村


#これを解消するには、[95729]拙稿で書いたように、変更種別の「新設」を「新設」と「合体」に分ける、というのが一案となります。
[102161] 2021年 7月 7日(水)19:20:03【3】むっくん さん
Re2:尼崎市の市制施行と変遷情報の表示順序について
[102141]グリグリさん
[102145]白桃さん
[102156]MIさん
48 1916(T5).4.1 新設/市制 尼崎市 川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部

改正市制町村制釈義(著:中川健蔵、出版:帝国地方行政学会、M45)p54の9行目からp55の最後の2行目によりますと、
市町村の廃置分合とは、既存のものを消滅せしめ、若しくは之を新設しまたは分割し併合する等市町村の区域に関し、団体の存廃に影響する処分を云い、境界変更とは、市町村の存廃に何ら関係することなくして、唯其の相互の間に区域の変更を為すことを云う。
(略)
単に事実上の言葉として議論するときは、境界変更と廃置分合とは同一事実に付き、観察の方面を異にしたるに過ぎたる場合多し。
(略)
故に廃置分合は常に市町村の存廃の事実を伴い、境界変更は全く之と相関連することなし。
とあります。

市制町村制実務詳解(編:自治研究会、出版:松華堂書店、S2)11頁3行目からでも
町村の境界変更と云ふのは廃置分合の様に町村の廃止とか設置とこを伴ふことなく只単に町村の区域の境界が変更するだけの場合を云ふのであつて例へば人間が肥満したとか痩せたとかの場合である。岩手県盛岡市の区域に岩手郡厨川村の一部を編入したのがそれである。若し境界の変更と共に廃置分合を生ずる場合例へば前の(一)の例の場合はそれは境界変更ではなくて廃置分合である。
とあります。


市区町村変遷情報に記載している変更種別とは法律用語です。私も実質としては境界変更だとは思いますが、尼ヶ崎町の廃止を伴う以上、新設/市制とせざるを得ないと思います。


[102114] 右左府さん
なお、上記の例よりももっと前、明治期の事例について告示文をあたると、「市制施行地に指定し」「市制を施行す」というまた別の表現が用いられていました。
明治44年4月7日の法改正 [62504] を境に変わったものと思われますが、具体的にどういった改正があったのかまでは突き詰められておりません。
(但し、法改正直後の市制施行第1号である浜松市は改正前のものと同じ表現となっています。)
この点に関しましては、改正市制町村制釈義の61頁最終段落より記載されている通り、前法の不備です。そのため、町村制第三条第三項の規定
第一項の場合に於て市の廃置分合を伴ふときは市制第三条の規定に依る
ができました。


[102159]グリグリさん
北海道
62 1915(T4).11.1 改称 常呂郡佐呂間村 常呂郡 鐺沸村
63 1915(T4).11.1 境界変更 常呂郡常呂村 常呂郡 常呂村, 鐺沸村の一部
鐺沸村は天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分 モンベツ持塲之内トウブツとして記載され、開拓使根室支庁第19号(M8.5.24)でトウフツ村より鐺沸村と改称され、その後内務省告示第11号(T4.3.16)で1915(T4).4.1より北海道二級村となり、1915(T4).11.1に佐呂間(さろま)村と改称されました。
この間、鐺沸村に近世村の編入はなく大字は一つのままです。佐呂間村と改称された1926(T15)年でも、現行北海道庁令規全集(改版)(編:帝国地方行政学会、出版:帝国地方行政学会、T15.6.12)によりますと大字は一つのままです。
ということで、#63の境界変更は少なくとも近世村単位ではないので、削除することになります。


あと、以下のところも変更する必要があります。
北海道
89 1920(T9).7.1 区制 釧路区 釧路郡 釧路町「の一部」
90 1920(T9).7.1 分立 釧路郡 釧路村 釧路郡 釧路町の一部

89 1920(T9).7.1 分立 釧路郡 釧路村 釧路郡 釧路町の一部
90 1920(T9).7.1 区制 釧路区 釧路郡 釧路町
へと、変更対象自治体名/変更内容も順番も変更した方が良いでしょう。
北海道庁告示第447号
釧路郡釧路町ヲ分割シ2級町村トシテ釧路村ヲ置キ大正9年7月1日ヨリ施行ス
其ノ境界左ノ如シ但シ区域図ハ関係町村役場ニ置ク
大正9年6月27日 北海道庁長官 佐上信一
釧路郡昆布森村村界ト昆布森道路トノ接合点ヨリ分水嶺ヲ西北ニ別保原野東10号南26線ニ至リ東10号ヲ北進シ別保川ニ達シ同川ヲ下リ釧路川ニ出テアシセチリ川ヲ遡リテ釧路郡鳥取村界ニ至ル
内務省告示第五十二号
明治三十年五月勅令第百五十八号北海道区制第三条ニ依リ大正九年七月一日ヨリ釧路郡釧路町ヲ釧路区ト為ス
大正九年六月二十四日 内務大臣 床次竹二郎

埼玉県
50 1932(S7).4.1 編入 北足立郡 浦和町 北足立郡 浦和町, 谷田村, 木崎村の一部
52 1932(S7).4.1 編入 北足立郡 大宮町 北足立郡 大宮町, 木崎村の一部
は番号が連続していないと誤解を招きます。

長崎県
8 1902(M35).4.1 市制 佐世保市 東彼杵郡 佐世保村
9 1902(M35).4.1 分立 東彼杵郡佐世村 東彼杵郡 佐世保村の一部
は順番変更が望ましいです。
長崎県告示第四十四号
東彼杵郡佐世保村ヲ裂キ佐世村ヲ置クノ件町村制第四条ニ依リ県参事会ニ於テ左ノ通議決シ内務大臣ノ許可ヲ受ケ来ル四月一日ヨリ施行ス
明治三十五年三月十八日 長崎県知事 荒川義太郎
一 東彼杵郡佐世保村ノ内横尾免山中免熊ヶ倉免及折橋免ノ内字山ノ田ヲ裂キ佐世村ヲ新設ス
(後略)
内務省告示第十五号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ依リ長崎県東彼杵郡佐世保村ヲ市制施行地ニ指定シ明治三十五年四月一日ヨリ市制ヲ施行ス
明治三十五年三月十九日 内務大臣男爵 内野忠勝

10 1912(M45).4.1 分割 下県郡 豆酘村 下県郡 与良村の一部
11 1912(M45).4.1 分割/新設 下県郡 久田村 下県郡 与良村, 厳原町の一部

10 1912(M45).4.1 分割 下県郡 豆酘村 下県郡 与良村の一部
11 1912(M45).4.1 分割/新設 下県郡 久田村 下県郡 与良村「の一部」, 厳原町の一部
への変更をお願いします。これは以前の修正願いのミスです。お手数をかけてすみません。
長崎県告示第百二十四号
下県郡厳原町の内大字久田を分割し且つ同郡与良村を廃し久田村及豆酘村を置くの件沖縄県及島嶼町村制第三条に依り内務大臣の許可を得て明治四十五年四月一日より其名称区域を左の通定む
明治四十五年三月二日 長崎県知事 安藤謙介
町村名区域
厳原町(いづはらまち)桟原、宮谷、日吉、天道茂、中村、今屋敷、田淵、
大手橋、国分、久田道、厳原、南室、小浦、曲
久田村(くたむら)久田、尾浦、安神、久和、与良内院、豆酸内院、
豆酸瀬、佐須瀬、内山
豆酸村(つつむら)豆酸
[99923] 2020年 6月 20日(土)19:47:33むっくん さん
市区町村変遷情報(長野県&福井県&石川県&千葉県)
>グリグリさん

市区町村変遷情報(市制町村制施行時)M22.4.1(千葉県はM22.3.31)の訂正依頼を以下に記します。多数ですがお願いします。

長野県
16 新設/村制 南佐久郡田口村 南佐久郡 田口村, 下越村, 三分村, 常和村「の一部」
17 新設/村制 南佐久郡平賀村 南佐久郡 平賀村, 常和村「の一部」, 太田部村
常和村(微)→常和村の一部、常和村(本)→常和村の一部に変更。
参考:県令第18号742コマ743コマ
#田口村の一部となったのは常和村(清川組)、平賀村の一部となったのは常和村(清川組を除く)とあり、常和村はM9.8.2に山田村、北沢村、清川村が合併して成立した村です。

24 新設/村制 北佐久郡東長倉村 北佐久郡 長倉村「の一部」, 軽井沢村, 峠町
25 新設/村制 北佐久郡西長倉村 北佐久郡 追分村, 発地村, 長倉村「の一部」
長倉村(本)→長倉村の一部、長倉村(微)→長倉村の一部に変更。
参考:県令第18号
#東長倉村の一部となったのは長倉村(借宿・油井・鳥居原組を除く)、西長倉村の一部となったのは長倉村(借宿・油井・鳥居原組)とあり、長倉村はM9.8.2に沓掛村、借宿村、塩沢新田、油井村が合併してできた村。鳥居原組とあるのは油井村の一部。

28 新設/村制 北佐久郡三井村 北佐久郡 香坂村, 安原村, 新子田村
香坂新田を削除。
参考:県令第18号
#香坂村と香坂新田村がM9.8.2に合併して香坂村が成立。

32 新設/村制 北佐久郡中佐都村 北佐久郡 塚原村, 平塚村, 常田村, 「根々井村」
根々井村を追加。
参考:県令第18号

62 新設/村制 小県郡神科村 小県郡 古里村, 住吉村, 上野村, 上田町「の一部」
63 新設/町制 小県郡上田町 小県郡 上田町「の一部」, 常盤城村, 常入村
上田町(微)→上田町の一部、上田町(本)→上田町の一部に変更。
参考:県令第18号
#神科村の一部となったのは上田町(山口・金井・蛇沢組)、上田町の一部となったのは上田町(山口・金井・蛇沢組を除く)とあり、上田町はM9.5.に山口村、房山村、上田27町が合併して成立。

80 新設/村制 小県郡浦里村 小県郡 浦野「町」, 岡村, 仁古田村, 越戸村, 当郷
浦野村→浦野町に変更。
参考:県令第18号
#M15.10.20に浦野村から浦野町になっている。

230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村, 「筑摩村の一部」
237 新設/村制 東筑摩郡松本村 東筑摩郡 出川町村, 笹部村, 両島村, 高宮村, 並柳村, 筑摩村「の一部」
#230塩尻村に筑摩村の一部を追加、#237松本村で筑摩村(微)→筑摩村の一部に変更。
#塩尻村の一部となったのは筑摩村(庄内,埋橋,筑摩,三才,中林,小島の内田川東の部落)、松本村の一部となったのは筑摩村(鎌田,征矢野,小島の内田川西の部落)とあり、筑摩村はM8.1.23に庄内村、埋橋村、中林村、筑摩村、三才村、小島村が合併して成立した村です。
参考:県令第18号758コマ759コマ

278 新設/村制 更級郡牧郷村 更級郡 中牧村, 弘崎村, 牧田中村, 牧「野」之島村, 下市場村, 竹房村
牧之島村→牧野島村
県令第18号

319 新設/村制 上高井郡小山村 上高井郡 「小山村(本)」, 坂田村, 園里村
320 新設/町制 上高井郡須坂町 上高井郡 須坂町, 「小山村(微)」
豊丘村(本)→小山村(本)、豊丘村(微)→小山村(微)
参考:新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)117頁1行目、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
県令第18号では後年の小山村→豊丘村が反映されてしまっています。

331 新設/村制 下高井郡日野村 下高井郡 間山村, 新野村, 更科村, 小田中村
高遠村を削除。
参考:県令第18号
#M8に新野村、高遠村が合併して新野村となった。

340 新設/村制 下高井郡木島村 下高井郡 「木島村」, 下木島村, 野坂田村, 天神堂村, 坂井村, 其綿村, 吉村, 山岸村
安田村→木島村。
参考:県令第18号
#M9に山根村、安田村、上新田村が合併して木島村となった。

348 新設/町制 上水内郡長野町 上水内郡 長野町, 南長野町, 西長野町, 鶴賀町「の一部」, 茂菅村
349 新設/村制 上水内郡芹田村 上水内郡 稲葉村, 若里村, 中御所村, 栗田村, 鶴賀町「の一部」, 川合新田村
鶴賀町(本)→鶴賀町の一部、鶴賀町(微)→鶴賀町の一部。
参考:県令第18号
#長野町の一部となったのは鶴賀町(七瀬、居町組を除く)、芹田村の一部となったのは鶴賀町(七瀬、居町組)。M9.5.30に七瀬村、問御所村、権堂村が合併して鶴賀村(M18.2.19に鶴賀町)。


福井県
33 新設/村制 坂井郡芦原村 坂井郡 二面村, 舟津村, 布目村, 「堀江」十楽村, 田中中村, 番田村, 重義村, 国影村, 井江葭村, 横垣村, 牛山村
十楽村→堀江十楽村
参考:県令第19号

41 新設/村制 坂井郡長畝村 坂井郡 宇田村, 玄女村, 千田村, 山久保村, 女形谷村, 長畝村, 三本木村, 赤坂村, 伏屋村, 田屋村, 畑中村, 与河村, 篠岡村, 里丸岡村, 猪爪村「の一部」, 小黒村, 升田村, 内田村, 曽々木村, 豊原村, 丸岡松川町「の一部」, 丸「岡」八幡町「の一部」
猪爪村(微)→猪爪村の一部、丸岡松川町(微)→丸岡松川町の一部、丸川八幡町(微)→丸岡八幡町の一部
参考:県令第19号

42 新設/町制 坂井郡丸岡町 坂井郡 丸岡富田町, 丸岡谷町, 丸岡八幡町「の一部」, 丸岡石城戸町, 丸岡巽町, 丸岡松川町「の一部」, 丸岡本町, 丸岡乾町「の一部」, 丸岡上田町, 丸岡下田町「の一部」, 丸岡霞町, 西瓜屋村「の一部」, 猪爪村「の一部」, 一本田村「の一部」, 一本田中村「の一部」, 西里丸岡村「の一部」
丸岡八幡町(本)→丸岡八幡町の一部、丸岡松川町(本)→丸岡松川町の一部、丸岡乾町(本)→丸岡乾町の一部、丸岡下田町(本)→丸岡下田町の一部、西瓜屋村(微)→西瓜屋村の一部、猪爪村(微)→猪爪村の一部、一本田村(微)→一本田村の一部、一本田中村(微)→一本田中村の一部、西里丸岡村(微)→西里丸岡村の一部
参考:県令第19号

44 新設/村制 坂井郡高椋村 坂井郡 一本田福所村, 一本田中村「の一部」, 西里丸岡村「の一部」, 一本田村「の一部」, 笹和田村, 舟寄村, 長崎村, 枯木高柳村, 吉政村, 八ツ口村, 今福村, 寅国村, 西瓜屋村「の一部」, 新間村, 儀間村, 牛ヶ島村, 長崎高瀬村, 豊原高瀬村, 四ツ柳村, 筑後清水村, 末政村, 山崎三ヶ村, 大森村, 野中山王村, 板倉村, 池為頭村, 高田村, 丸岡乾町「の一部」, 丸岡八幡町「の一部」, 丸岡下田町「の一部」
一本田中村(微)→一本田中村の一部、西里丸岡村(微)→西里丸岡村の一部、一本田村(微)→一本田村の一部、西瓜屋村(微)→西瓜屋村の一部、丸岡乾町(微)→丸岡乾町の一部、丸岡八幡町(微)→丸岡八幡町の一部、丸岡下田町(微)→丸岡下田町の一部
参考:県令第19号

100 新設/村制 今立郡北新庄村 今立郡 杉崎村, 下真柄村, 北村, 「西」樫尾村, 戸谷村, 三ツ屋村, 長尾村, 中新庄村
樫尾村→西樫尾村
参考:県令第19号

126 新設/村制 丹生郡四「箇」浦村 丹生郡 梅浦村, 宿浦, 新保浦, 小樟浦, 大樟浦
四ヶ浦村→四箇浦村
参考:県令第19号
消滅時のM40.8.1も官報第七二二六号(明治四十年七月三十一日)によりますと、
○村合併並役場位置
来る八月一日より丹生郡四箇浦村及上岬村を合併して四箇浦村を置き役場位置を丹生郡四箇浦村大字宿第一号八番地に、三方郡田井村及西浦村を合併して西田村を置き役場位置を三方郡西田村大字田井第九十三号四番地に定む
明治四十年七月 福井県
とあり、成立時より消滅時まで四ヶ浦村ではなくて四箇浦村でした。

154 新設/村制 遠敷郡雲浜村 遠敷郡 西津村, 竹原村, 上竹原村「の一部」
上竹原村(本)→上竹原村の一部
参考:県令第19号

155 新設/村制 遠敷郡西津村 遠敷郡 湊村「の一部」, 堀屋敷村, 北塩屋村, 福谷村, 新小松原村, 下竹原村, 小松原村
湊村(本)→湊村の一部
参考:県令第19号

164 新設/村制 遠敷郡国富村 遠敷郡 太良庄村, 高塚村, 栗田村, 次吉村, 羽賀村, 奈胡村, 熊野村, 上竹原村「の一部」, 湊村「の一部」
上竹原村(微)→上竹原村の一部、湊村(微)→湊村の一部
参考:県令第19号

172 新設/村制 大飯郡青郷村 大飯郡 上津村, 六路谷村, 蒜畠村, 今寺村, 高野村, 中山村, 高屋村, 小和田村, 関屋村, 横津海村, 青村, 日置村, 東三松村, 西三松村
広野村を削除。
参考:県令第19号
#角川地名辞典ではM5に広野村は高野村に合併とあります。


石川県
82 新設/村制 石川郡郷村 石川郡 堀内村, 田尻村, 蓮花寺村, 専福寺村, 柳町村, 徳用村, 田中村, 番匠「垣」内村, 三日市村, 二日市村, 横江村, 長池村
番匠河内村→番匠垣内村
参考:県令第23号

107 新設/村制 石川郡戸板村 石川郡 大豆田村, 二口村, 北村, 若宮出村, 二ツ屋村, 「二口六丁」, 薬師堂村, 若宮村, 淵上村, 桜田村, 示野中村, 示野村, 北広岡村, 南広岡村, 長田村, 西念新保村, 中村(微), 増泉村(微)
二口六丁村→二口六丁
参考:県令第23号

193 新設/村制 鹿島郡鳥屋村 鹿島郡 良川村, 一青村, 黒氏村, 新庄村, 春木村, 川田村, 大槻村, 末坂村, 羽坂村, 今羽坂村, 廿九日村
深沢村を削除。
参考:県令第23号

232 新設/村制 鳳至郡南志見村 鳳至郡 里村, 小田屋村, 白米村, 野田村, 名舟村, 尊利地村, 忍村, 西山村, 西「院」内村, 東印内村, 東山村, 渋田村
西印内村→西院内村
参考:県令第23号

236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村
参考:県令第23号

256 新設/村制 珠洲郡小木村 珠洲郡 小木村, 市「ノ」瀬村, 越坂村
市之瀬村→市ノ瀬村
参考:県令第23号


千葉県
23 新設 市原郡八幡町 市原郡 八幡宿「(本)」, 五所金杉村, 山木村, 君塚村(微)
八幡宿→八幡宿(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年145コマ)

57 新設 東葛飾郡高木村 東葛飾郡 金ヶ作村, 八ヶ崎村, 中和倉村(本), 「初富村(微)」, 千駄堀村, 日暮村, 栗ヶ沢村, 五香六実村
初富村(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年148コマ)

64 新設 東葛飾郡田中村 東葛飾郡 若柴村, 花野井村, 大室村, 正蓮寺村, 小青田村, 船戸村, 大青田村(本), 青田新田(微), 下三ヶ尾村「(微)」, 上三ヶ尾村「(微)」, 西三ヶ尾村「(微)」
下三ヶ尾村→下三ヶ尾村(微)、上三ヶ尾村→上三ヶ尾村(微)、西三ヶ尾村→西三ヶ尾村(微)
#67との関係より
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年149コマ)

95 郡変更/新設 印旛郡大杜村 印旛郡 大森村, 鹿黒村, 発作村, 亀成村, 南相馬郡 浅間前新田(微), 相「島」新田(微)
相馬新田(微)→相島新田(微)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年151コマ)

99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年151コマ)

108 郡変更/新設 南相馬郡布佐町 南相馬郡 布佐町, 江蔵地村, 布佐下新田, 浅間前新田(本), 大作新田, 相「島」新田(本), 三河屋新田
印旛郡を削除、相馬新田(本)→相島新田(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年152コマ)

117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村「(微)」, 幸治村(微)
一ツ松村→一ツ松村(微)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年152コマ)

144 郡変更/新設 山辺郡土気本郷町 山辺郡 土気町「(本)」, 大椎村, 大木戸村, 小山村, 越智村, 高津戸村, 上大和田村, 下大和田村, 小食土村, 千葉郡 平川村(微), 市原郡 板倉村(微)
土気町→土気町(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年154コマ)

234 新設 匝瑳郡福岡町 匝瑳郡 八日市場村, 富谷村, 籠部田村, 米倉村, 下富谷村
籠部田村が二か所書かれているので一か所を消去。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年160コマ)

278 新設 天羽郡環村 天羽郡 中郷村, 寺尾村, 恩田村, 東大和田村, 田倉村, 高溝村, 宇藤原村, 大森村, 六野村, 田原村, 小志駒村
押切村を削除。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年164コマ)
#県甲第58号布達(M10.4.24)で上総国天羽郡六野村、押切村→六野村の合併が為された。

292 新設 夷隅郡上瀑村 夷隅郡 横山村(本), 大多喜久保町(微), 「大多喜猿稲町(微)」, 小土呂村, 下大多喜村
大多喜猿稲町(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年165コマ)

331 新設 朝夷郡健田村 朝夷郡 川戸村, 瀬戸村, 大貫村, 宇田村, 牧田村, 「北朝夷村(微)」
北朝夷村(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年167コマ)

332 新設 朝夷郡千歳村 朝夷郡 白子村, 川合村, 「峯」村, 安馬谷村, 久保村
峰村→峯村
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年167コマ)
[99903] 2020年 6月 12日(金)01:21:26むっくん さん
市区町村変遷情報(三重県&新潟県)
[99891]グリグリさん
------------------------
#113 1889(M22).4.1 新設/町制 安濃郡新町 安濃郡 古賀村, 刑部村, 「古賀村刑部村ノ内 八町 」, 神納村, 南河路村
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)9コマ
------------------------
「古賀村」は「古河村」が正しいと思いますが、いかがでしょうか。
これは私の記載ミスです。失礼しました。


これだけでは何ですので、新潟県(市制町村制施行時)M22.4.1の訂正依頼を以下に記します。

1 新設/市制 新潟市 新潟区, 新潟区 上大川前通一番町, 上大川前通二番町, 上大川前通三番町, 上大川前通四番町, 上大川前通五番町, 上大川前通六番町, 上大川前通七番町, 上大川前通八番町, 上大川前通九番町, 上大川前通十番町, 上大川前通十一番町, 上大川前通十二番町, 本町通一番町, 本町通二番町, 本町通三番町, 本町通四番町, 本町通五番町, 本町通六番町, 本町通七番町, 本町通八番町, 本町通九番町, 本町通十番町, 本町通十一番町, 本町通十二番町, 本町通十三番町, 本町通十四番町, 東堀前通一番町, 東堀前通二番町, 東堀前通三番町, 東堀前通四番町, 東堀前通五番町, 東堀前通六番町, 東堀前通七番町, 東堀前通八番町, 東堀前通九番町, 東堀前通十番町, 東堀前通十一番町, 東堀通一番町, 東堀通二番町, 東堀通三番町, 東堀通四番町, 東堀通五番町, 東堀通六番町, 東堀通七番町, 東堀通八番町, 東堀通九番町, 東堀通十番町, 東堀通十一番町, 東堀通十二番町, 東堀通十三番町, 古町通一番町, 古町通二番町, 古町通三番町, 古町通四番町, 古町通五番町, 古町通六番町, 古町通七番町, 古町通八番町, 古町通九番町, 古町通十番町, 古町通十一番町, 古町通十二番町, 古町通十三番町, 西堀前通一番町, 西堀前通二番町, 西堀前通三番町, 西堀前通四番町, 西堀前通五番町, 西堀前通六番町, 西堀前通七番町, 西堀前通八番町, 西堀前通九番町, 西堀前通十番町, 西堀前通十一番町, 西堀通一番町, 西堀通二番町, 西堀通三番町, 西堀通四番町, 西堀通五番町, 西堀通六番町, 西堀通七番町, 西堀通八番町, 西堀通九番町, 西堀通十番町, 西堀通十一番町, 学校町通一番町, 学校町通二番町, 学校裏町, 医学町通一番町, 医学町通二番町, 寺裏通一番町, 寺裏通二番町, 南横堀町, 東中通一番町, 東中通二番町, 旭町通一番町, 旭町通二番町, 下旭町, 西中町, 営所通一番町, 営所通二番町, 南大畑町, 北大畑町, 西大畑町, 東大畑通一番町, 東大畑通二番町, 中大畑町, 南浜通一番町, 南浜通二番町, 北浜通一番町, 北浜通二番町, 田中町, 曙町, 四ツ屋町一丁目, 四ツ屋町二丁目, 四ツ屋町三丁目, 烏帽子町, 寄付町, 翁町一丁目, 翁町二丁目, 夕栄町, 横七番町通一丁目, 横七番町通二丁目, 横七番町通三丁目, 横七番町通四丁目, 横七番町通五丁目, 東受地町, 西受地町, 寄合町, 菅根町, 栄町一丁目, 栄町二丁目, 栄町三丁目, 寿町一丁目, 寿町二丁目, 浮洲町, 元祝町, 祝町, 寺山町, 下大川前通一ノ町, 下大川前通二ノ町, 下大川前通三ノ町, 下大川前通四ノ町, 下大川前通五ノ町, 下大川前通六ノ町, 下大川前通七ノ町, 礎町通上一ノ町, 礎町通一ノ町, 礎町通二ノ町, 礎町通三ノ町, 礎町通四ノ町, 礎町通五ノ町, 礎町通六ノ町, 花町, 月町, 雪町, 新島町通一ノ町, 新島町通二ノ町, 新島町通三ノ町, 新島町通四ノ町, 新島町通五ノ町, 秣川岸通一ノ町, 秣川岸通二ノ町, 東厩島町, 西厩島町, 南多門町, 北多門町, 住吉町, 並木町, 相生町, 芳町, 南毘沙門町, 北毘沙門町, 船場町一丁目, 船場町二丁目, 魁町, 緑町, 豊照町, 東湊町通一ノ町, 東湊町通二ノ町, 東湊町通三ノ町, 東湊町通四ノ町, 湊町通一ノ町, 湊町通二ノ町, 湊町通三ノ町, 湊町通四ノ町, 赤坂町一ノ町, 赤坂町二ノ町, 赤坂町三ノ町, 見片町, 浮洲町, 稲荷町, 田町一丁目, 田町二丁目, 田町三丁目, 本間町一丁目, 本間町二丁目, 本間町三丁目, 早川町一丁目, 早川町二丁目, 早川町三丁目, 西湊町通一ノ町, 西湊町通二ノ町, 西湊町通三ノ町, 西湊町通四ノ町, 入船町一丁目, 入船町二丁目, 入船町三丁目, 入船町四丁目, 入船町五丁目, 入船町六丁目, 松岡町, 窪田町, 忠蔵町, 船見町一町目, 船見町二町目, 西船見町, 室町一丁目, 室町二丁目, 海辺町一番町, 海辺町二番町, 附船町一丁目, 附船町二丁目, 附船町三丁目, 寄居町, 艀川岸町, 元下島町, 山田町一丁目, 山田町二丁目, 東入船町, 横一番町, 一番堀通町, 横六番町, 西蒲原郡 関「屋」村古新田
横七番町通六丁目, 横七番町通七丁目を消去。
関「谷」村古新田→関「屋」村古新田に変更。
参考:県令甲第22号
#M20.12.26に「横七番町通一丁目」, 「横七番町通二丁目」が消滅して
「横七番町通三丁目」→「横七番町通一丁目」
「横七番町通四丁目」→「横七番町通二丁目」
「横七番町通五丁目」→「横七番町通三丁目」
「横七番町通六丁目」→「横七番町通四丁目」
「横七番町通七丁目」→「横七番町通五丁目」
となりました。
#これは新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では反映されていませんが、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)や、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では反映されています。

12 新設/村制 北蒲原郡出湯村 北蒲原郡 出湯村, 今板村, 大宮新田, 勝屋村, 上一分村, 下一分村, 堤新村新田, 小栗山新村新田, 折居村, 上西「山」新村新田, 沢口新村新田, 湯沢新村新田, 女堂村
上西野新村新田→上西山新村新田に変更。
参考:県令甲第22号

13 新設/村制 北蒲原郡天神塚村 北蒲原郡 天神堂村, 泉新村新田, 千原新村新田, 下福岡村, 「沖館」村, 船居村, 荻島新村新田, 榎船渡村, 本明新村新田, 島田新村, 沖村, 高田村の一部, 「榎」, 上高田村, 上飯塚村
沖ノ館村→沖館村に変更し、榎を追加。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧では高田村の一部(227頁右から6行目), 榎(227頁右から7行目)とあります。「沖ノ館」村となっているのは地方行政区画便覧(227頁右から8行目)のみで、天保郷帳などでは沖舘村となっています。

79 新設/村制 中蒲原郡松島村 中蒲原郡 津島屋村, 松崎村, 河渡新田, 海老ヶ瀬村, 逢谷内「新田」, 寺山新田, 山下新田(本)
逢谷内村→逢谷内新田に変更。
参考:県令甲第22号

116 新設/村制 中蒲原郡小梅村 中蒲原郡 小戸新田の一部, 「子成場村」, 梅之木村, 出戸村, 四ツ興野村, 蕨曽根新田
子成場村を追加。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧234頁右から4行目にも「子成場村」はあります。

119 新設/町制 中蒲原郡白根町 中蒲原郡 白根町, 「上諏訪木」, 「下諏訪木」, 能登村, 助次右衛門組
上諏訪木村→上諏訪木、下諏訪木村→下諏訪木に変更。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧233頁左から6,7行目でも上諏訪木, 下諏訪木となっています。

180 新設/村制 西蒲原郡三針村 西蒲原郡 針ヶ曽根村, 三ツ門新「村」
三ツ門新田→三ツ門新村に変更。
参考:県令甲第22号

188 新設/村制 西蒲原郡弥彦村 西蒲原郡 「上」泉村, 弥彦村, 走出村, 井田村, 山岸村
泉村→上泉村に変更。
参考:県令甲第22号

250 新設/村制 南蒲原郡福多村 南蒲原郡 猪子場新田, 一ツ屋敷新田, 若宮新田, 東光寺村, 新堀村, 福島新田「村」
福島新田→福島新田村に変更。
参考:県令甲第22号
#M15.11.30に福島新田, 大和田村→福島新田村、M19.3.12に福島新田村, 東高山新田→福島新田村の合併が為されました。

254 新設/村制 南蒲原郡坂井村 南蒲原郡 「上」坂井村, 坂井新田, 田之尻村, 釈迦塚新田
坂井村→上坂井村に変更。
参考:県令甲第22号

262 新設/村制 南蒲原郡中之島村 南蒲原郡 中ノ島村, 灰島新田, 中興野, 猫興野, 野口村, 真弓村
野口新田を消去。
参考:県令甲第22号
#M19.4.21に野口村, 野口新田→野口村の合併が為されました。

266 新設/村制 南蒲原郡信条村 南蒲原郡 真野代新田, 中条新田, 下沼新田, 西野「村」
西田新田→西野村に変更。
参考:県令甲第22号
#M19に西田新田→西野村と改称

270 新設/村制 南蒲原郡大浦村 南蒲原郡 上大浦村, 下大浦村, 「馬場村」
馬場村を追加。
参考:県令甲第22号

283 新設/村制 東蒲原郡東川村 東蒲原郡 東山村, 三方村, 小手茂村, 七名村, 三宝分村, 「大倉村」
大倉村を追加。
参考:県令甲第22号

285 新設/村制 東蒲原郡揚川村 東蒲原郡 「西」村, 谷花村, 清川村
白西村→西村に変更。
参考:県令甲第22号

303 新設/村制 三島郡王寺川村 三島郡 王番田村, 河根川村, 「古志郡」 寺宝村, 能下古新田
古志郡を追加。
参考:県令甲第22号

338 新設/町制 古志郡草生津町 古志郡 草生津「村」, 古川村, 麻野村, 久七村, 中島町, 寺島村(微)
草生津町→草生津村に変更。
参考:県令甲第22号
#M20.1.29に草生津村, 赤川村→草生津村の合併が為されました。

347 新設/村制 古志郡川西村 古志郡 小沢村, 寺島村(本), 蓮潟村, 鼠島村, 宮関村, 下柳村, 荻野村, 藤沢村, 三ツ郷屋村, 田屋村, 槇山村所右衛門五兵衛組「の一部」
349 新設/村制 古志郡四箇村 古志郡 槇下村, 槇山村, 巻島村, 槇山村所右衛門五兵衛組「の一部」
槇山村所右衛門五兵衛組(微)→槇山村所右衛門五兵衛組の一部に変更(#347#349の二か所とも)。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧250頁右から7行目にも「槇山村所右衛門五兵衛組」が一つの村としてあります。

480 新設/村制 中魚沼郡川治村 中魚沼郡 川治村, 北新「田」, 高山村(微)
北新村→北新田に変更。
参考:県令甲第22号

577 新設/村制 東頸城郡末広村 東頸城郡 印内村, 「大蒲生田村」, 山印内新田, 飯室村, 石神村, 石神新田, 塔ヶ崎村, 猿俣村, 石神古川新田, 大印内新田, 飯室新田, 横川新田, 山本村, 今熊村
大蒲生田村を消去。
参考:県令甲第22号
#大蒲生田村は#617中頸城郡明治村の一部となると記載済みです。

585 新設/村制 東頸城郡布川村 東頸城郡 東川村, 藤倉村, 中尾村, 上鰕池村, 下鰕池村, 坪野村, 五十子平村, 赤倉村, 東山村「の一部」
587 新設/村制 東頸城郡伊沢村 東頸城郡 犬伏村, 孟地村, 片桐山村, 滝沢村, 中子村, 苧島村, 海老村, 東山村「の一部」
東山村(微)→東山村の一部に変更(#585#587の二か所とも)。
参考:県令甲第22号
#東山村はM15.4.22に坂下村→坂下村, 東山村の分割で成立しました。

591 新設/村制 東頸城郡大島村 東頸城郡 大島村, 「棚」岡村, 中野村
楯岡村→棚岡村に変更。
参考:県令甲第22号

622 新設/村制 中頸城郡上吉川村 中頸城郡 「東田中村」, 「河沢村」, 「道之下村」, 「長坂村」, 「福平村」, 「国田村」, 「岩沢村」, 「大賀村」, 「山直海村」, 「入河沢村」, 山中村, 米山村
東田中村, 河沢村, 道之下村, 長坂村, 福平村, 国田村, 岩沢村, 大賀村, 山直海村, 入河沢村を追加。
参考:県令甲第22号

626 新設/村制 中頸城郡高城村 中頸城郡 高田外馬塚町, 高田内馬塚町, 高田蓮池横町, 高田鷹部屋町, 高田紀伊国仲町, 高田紀伊国町, 高田南出丸町, 高田北出丸町, 高田馬場先町, 高田南会所町, 高田枡形町, 高田尾張町, 高田木築町, 高田作事町, 高田西会所町, 高田岡島町, 高田西会所通町, 高田川原町, 高田四ノ辻通町, 高田主水町, 高田裏川原町, 高田表川原町, 高田六軒町, 高田新川原町, 高田中中殿町, 高田中殿町通町, 高田新中殿町, 高田中殿町, 高田南土橋町, 高田新土橋町, 高田馬出町, 高田市ノ橋町, 高田東二ノ辻町, 高田西二ノ辻町, 高田三ノ辻町, 高田四ノ辻町, 高田新四ノ辻町, 高田幸橋町, 高田南五ノ辻町, 高田北五ノ辻町, 高田六ノ辻町, 高田五分一一町, 高田五分一二町, 高田五分一三町, 高田五分一四町, 高田五分一五町, 高田五分一六町, 字高田城, 高土村(微), 「馬塚」新田
高田馬塚新田→馬塚新田に変更。
参考:県令甲第22号

633 新設/村制 中頸城郡原通村 中頸城郡 小原新田, 大原新田村, 北田屋新田, 坂下新田村, 寺尾村, 今府村, 窪田新田, 西田屋新田村, 中原新田, 大沢新田村, 上大塚新田, 中島新田村, 東田屋新田村, 橋本新田, 岡新田村, 田中村新田, 米島新田, 花房村, 東福田新田村, 東四ツ屋新田, 葎生村, 「上中村新田村」, 「坂口新田」
上中村新田村, 坂口新田を追加。
参考:県令甲第22号

706 新設/村制 西頸城郡上根知村 西頸城郡 大久保村, 梶山村, 別所村, 大神堂村, 山寺村, 山口村, 上横村, 「和泉村(微)」
和泉村(微)を追加。
参考:県令甲第22号

735 新設/町制 岩船郡瀬波町 岩船郡 瀬波町, 羽下ヶ淵村, 「下渡村」, 「浜新田村」, 「松山村」
下渡村, 浜新田村, 松山村を追加。
参考:県令甲第22号

740 新設/村制 岩船郡新屋村 岩船郡 新屋村, 堀野村, 上中島村, 石住村, 中「新」保村, 石栗新田, 岩崩村, 茎太村, 三面村
中神保村→中新保村に変更。
参考:県令甲第22号

750 新設/村制 岩船郡下海府村 岩船郡 「浜」新保村, 桑川村, 笹川村, 板貝村, 今川村, 脇川村, 寒川村, 越沢村, 芦谷村
新保村→浜新保村に変更。
参考:県令甲第22号
#M9の時点で既に浜新保村と改称しています。

799 町制 加茂郡湊町 加茂郡 湊「町」
湊村→湊町に変更。
参考:県令甲第22号

以上、多数になりましたがよろしくお願いします。
[99830] 2020年 5月 22日(金)22:14:04むっくん さん
Re5:若年首長
[99824]グリグリさん
[97031]女性首長についてはすぐに情報反映しています([97035][97098])。
女性首長についてはこちらの確認不足でお手数おかけしました。失礼しました。
また、[95735]市区町村変遷情報の静岡市では郡名を重複しているところがありました。記載するとすれば以下の通りです。よろしくお願いします。

# 1 1889(M22).4.1 新設/市制 静岡市 安倍郡 静岡追手町, 「有渡郡」静岡鷹匠町一丁目, 静岡鷹匠町二丁目, 静岡鷹匠町三丁目, 静岡東鷹匠町, 「安倍郡/有渡郡」静岡横内町, 「安倍郡」静岡水落町一丁目, 静岡水落町二丁目, 静岡水落町三丁目, 静岡東草深町一丁目, 静岡東草深町二丁目, 静岡東草深町三丁目, 静岡西草深町, 静岡通研屋町, 静岡草深町代地, 静岡屋形町, 静岡裏一番町, 静岡一番町, 静岡二番町, 静岡三番町, 静岡四番町, 静岡五番町, 静岡六番町, 静岡七番町, 静岡八番町, 静岡通車町, 静岡本通裏町, 静岡北番町, 「有渡郡」静岡誉田町, 静岡静岡宿, 静岡台所町, 静岡鋳物師町, 静岡下八幡町, 静岡下横田町, 静岡院内町, 静岡上横田町, 静岡栄町, 静岡上八幡町, 静岡猿屋町, 静岡中八幡町, 「安倍郡」静岡材木町, 静岡片羽町, 静岡安倍町, 静岡御器屋町, 静岡宮ヶ崎町, 静岡馬場町, 静岡車町, 静岡四ツ足町, 「安倍郡/有渡郡」静岡本通一丁目, 静岡本通二丁目, 静岡本通三丁目, 静岡本通四丁目, 静岡本通五丁目, 静岡本通六丁目, 静岡本通七丁目, 静岡本通八丁目, 静岡本通九丁目, 「安倍郡」静岡研屋町, 静岡上魚町, 静岡茶町一丁目, 静岡茶町二丁目, 静岡上桶屋町, 静岡土太夫町, 静岡柚木町, 静岡安西一丁目, 静岡安西二丁目, 静岡安西三丁目, 静岡安西四丁目, 静岡安西五丁目, 静岡安西一丁目南裏町, 「安倍郡/有渡郡」静岡呉服町一丁目, 静岡呉服町二丁目, 静岡呉服町三丁目, 静岡呉服町四丁目, 静岡呉服町五丁目, 静岡呉服町六丁目, 静岡江川町, 静岡新谷町, 「有渡郡」静岡札ノ辻町, 静岡七間町一丁目, 静岡七間町二丁目, 静岡七間町三丁目, 静岡両替町一丁目, 静岡両替町二丁目, 静岡両替町三丁目, 静岡両替町四丁目, 静岡両替町五丁目, 静岡両替町六丁目, 静岡紺屋町, 静岡上石町一丁目, 静岡上石町二丁目, 静岡梅屋町, 静岡人宿町一丁目, 静岡人宿町二丁目, 静岡人宿町三丁目, 静岡寺町一丁目, 静岡寺町二丁目, 静岡寺町三丁目, 静岡寺町四丁目, 静岡下石町一丁目, 静岡下石町二丁目, 静岡下石町三丁目, 静岡常慶町, 「静岡藤右衛門町」, 静岡下魚町, 静岡江尻町, 静岡平屋町, 静岡下桶屋町, 静岡鍛冶町, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通川越町, 静岡堤添川越町, 「安倍郡」静岡西寺町, 静岡大鋸町, 静岡上大工町, 「有渡郡」静岡新通一丁目, 静岡新通大工町, 静岡新通三丁目, 静岡新通四丁目, 静岡新通五丁目, 静岡新通六丁目, 静岡新通七丁目, 静岡新通川越町, 静岡安倍川町, 静岡白山町, 川辺村(微)
[99822] 2020年 5月 21日(木)19:39:54むっくん さん
Re2:若年首長
[99819]グリグリさん
福井県丹生郡宮崎村の岩原昇村長に関しましては1913.6.20生まれで就任日年齢が41歳10ケ月ですので収録対象外としてもらっています。([95445]拙稿)
また、以前、私が記載したものの内
[95735]市区町村変遷情報・・・埼玉県、富山県、静岡県、三重県、愛媛県(愛媛県は境界変更の2件のみ)の箇所
[97031]女性首長
[97678]若年首長
は未反映で残されたままですね。
[99336] 2020年 4月 4日(土)20:11:18【3】むっくん さん
市区町村変遷情報
>グリグリさん
市区町村変遷情報で、以下の箇所の修正・追加をお願いします。

山形県
#192 1889(M22).4.1 新設/村制 東置賜郡高畑村 東置賜郡 高畠村, 安久津村, 小郡山村, 高安村, 泉岡村, 塩森村, 金原村
#21 1895(M28).12.12 町制 東置賜郡高畑町 東置賜郡 高畑村
#32 1905(M38).1.__ 改称 東置賜郡高畠町 東置賜郡 高畑町
市政町村制施行時の廃置分合の県令第18号(M22.3.18)を見ると、市町村分合区域便覧(編:丸田習蔵、出版:米沢活版所、M22.4.)でも山形県市町村区域便覧(編著・出版:飯島喜六、M22.4.14)でも、山形県郡市町村便覧(編:須田庶成、出版:佩玉堂、M22.4.25)でも、現行山形県県令類編上巻(編・出版:山形県、M25.8.6)でも1889(M22).4.1で高畠村とあります。
そして山形県統計書(明治32年)でも山形県統計書(明治36年)でも山形県統計書(明治38年)でも山形県統計書(明治41年)でもM28.12.12に高畠村→高畠町となったとあります。
よって、1889(M22).4.1で高畠村、1895(M28).12.12に高畠村に町制施行で高畠町だと考えられます。

埼玉県
#18 1896(M29).12.10 町制 入間郡坂戸町 入間郡 坂戸村
坂戸市史近代史料編(編:坂戸市教育委員会、発行:坂戸市、H2.2.28)113頁記載の埼玉県告示第88号(入間郡坂戸村ヲ坂戸町ト為ス件)(M29.12.15)では
入間郡坂戸村ヲ坂戸町ト為ス
明治二十九年十二月十五日 知事
とあるので1896(M29).12.10→1896(M29).12.15です。

#27 1913(T2).4.1 編入 北足立郡原市町 北足立郡 原市町, 瓦葺村
官報第一九九号(大正二年四月一日)では
○町村廃置合併
北足立郡原市町、瓦葺村を廃し其区域を以て原市(はらいち)町を、北足立郡膝子村、東宮下村、大谷村、猿ヶ谷戸村、風渡野村、東門前村、新堤村を廃し其区域を以て七里(ななさと)村を、大里郡妻沼村、弥藤吾村を廃し其区域を以て妻沼(めぬま)町を置くの件内務大臣の許可を受け本月一日より施行す
大正二年四月 埼玉県
とあるので、正しくは編入→新設です。

官報第一六二一号(大正六年十二月二十五日)では
○村境界変更
北葛飾郡桜井村、吉田村の境界を左の通変更し大正七年一月一日より施行す
大正六年十二月 埼玉県
桜井村大字細野を吉田村に編入
とあるので
# 1918(T7).1.1 境界変更 北葛飾郡吉田村 北葛飾郡吉田村, 桜井村の一部(大字細野)
を追加することになります。

#41 1932(S7).4.1 新設 北足立郡浦和町 北足立郡 浦和町, 谷田村, 木崎村の一部
官報第一五七六号(昭和七年四月四日)では
○村廃止町区域変更
町村制第三条第一項に依り本月一日より北足立郡谷田村、木崎村を廃し谷田村の区域全部及木崎村の区域中大字上木崎、大字下木崎、大字領家、大字瀬ヶ崎、大字駒場、大字本太、大字針ヶ谷を同郡浦和町に、同村大字北袋を同郡大宮町に編入せり
昭和七年四月 埼玉県
とあるので、正しくは新設→編入です。

千葉県
#114 1937(S12).4.1 編入 君津郡大貫町 君津郡 大貫町, 吉野村
#115 1937(S12).4.1 編入 君津郡環村 君津郡 環村, 駒山村
官報第三〇七一号(昭和十二年三月三十一日)では
○町村廃置
来る四月一日より君津郡大貫町及吉野村を廃し其区域を以て大貫町を、同郡環村及駒山村を廃し其区域を以て環村を孰れも置く
昭和十二年三月 千葉県
とあるので、正しくは共に編入→新設です。

神奈川県
#151 1955(S30).4.5 分立 高座郡渋谷村 高座郡 渋谷町の一部
総理府告示第909号(S30.3.30)
市町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、神奈川県高座郡小出村、御所見村及び渋谷町を廃し、小出村大字遠藤、御所見村及び渋谷町の区域を藤沢市に編入する旨、神奈川県知事から届出があつた。
右の廃置分合は、昭和30年4月5日からその効力を生ずるものとする。
昭和30年3月30日
[32478]花笠カセ鳥さん)
総理府告示第1112号(S30.4.4)
町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、神奈川県高座郡渋谷町を廃し、渋谷町大字福田、上和田、下和田及び本蓼川の区域をもつて渋谷村を置く旨、神奈川県知事から届出かあつた。
右の廃置分合は、昭和30年4月5日からその効力を生ずるものとする。
昭和30年4月4日
とあるので、正しくは分立→分割/村制です。

長野県
長野県達第81号(S18.3.22)では
東筑摩郡中山村大字神田を松本市に編入し、中山村及び松本市の境界を変更する。ただし昭和18年4月1日より之を施行する。
昭和18年3月22日
とあるので、
# 1943(S18).4.1 境界変更 松本市 松本市, 東筑摩郡 中山村の一部(大字神田)
を追加することになる。
#大字神田は藩政村。中山村は埴原村、和泉村、神田村がM7.10.23に合併して成立。

滋賀県
官報第五七七六号(明治三十五年十月三日)では
○境界変更
犬上郡磯田村、北青柳村の境界を変更し本月一日より磯田村大字大藪を北青柳村に編入せり
明治三十五年十月 滋賀県
とあるので、
# 1902(M35).10.1 境界変更 犬上郡北青柳村 犬上郡北青柳村, 磯田村の一部(大字大藪)
を追加することになる。

兵庫県
官報第八六三四号(明治四十五年四月四日)では
○村廃置並市区域変更
本月一日より左記飾磨郡国衙村、市殿村の区域を姫路市に編入し及国衙村、市殿村を廃し其区域を以て城南(じゅようなむ)村を置く
明治四十五年四月 兵庫県
(略)
とあるので、
# 1912(M45).4.1 境界変更 姫路市 姫路市, 飾磨郡市殿村の一部(大字神屋村, 大字国府寺村)
を追加することになる。

#116 1941(S16).4.1 新設/町制 飾磨郡広畑町 飾磨郡 広村, 八幡村
官報第四二七〇号(昭和十六年四月四日)では
○町村改称
飾磨郡広村を広畑町と改称し本月一日より施行せり
昭和十六年四月 兵庫県
--------------------------------
○村廃止市村区域編入
本月一日より飾磨郡八幡村を廃し其区域を広村に編入せり
昭和十六年四月 兵庫県
とあるので、正しくは新設/町制→編入/町制/改称である。

鳥取県
#3 1894(M27).3.30 改称 八橋郡勝田村 八橋郡 豊定村
#9 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 勝田村, 保永村
とあるが、正しくはM31鳥取県告示第183号(豊定村保永村合併ノ件)より
#9 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 豊定村, 保永村
である。

#72 1935(S10).2.20 編入 八頭郡智頭町 八頭郡 智頭町, 山形村, 那岐村, 土師村
鳥取県告示第八十号
昭和十年二月二十日より八頭郡智頭町、山形村、那岐村、土師村を廃し其の区域を以て智頭町(ちづちょう)を置く
廃置の際に於ける其の町村の財産は左記により処分す
昭和十年二月十四日 鳥取縣知事 中谷秀
(略)
とあるので、正しくは編入→新設である。

岡山県
#157 1941(S16).2.11 編入 児島郡味野町 児島郡 味野町, 赤崎町
官報第四二二二号(昭和十六年二月四日)では
○町廃置
本月十一日より児島郡味野町及赤崎町を廃止し其区域を以て味野町を置く
昭和十六年二月 岡山県
とあるので、正しくは編入→新設である。

山口県
官報第五八二八号(明治三十五年十二月五日)では
○大字編入替
本月一日より玖珂郡北河内村大字明見谷を同郡高森村に編入せり
明治三十五年十二月 山口県
とあるので、
# 1902(M35).12.1 境界変更 玖珂郡高森村 玖珂郡高森村, 北河内村の一部(大字明見谷)
を追加することになる。

官報第八二八九号(明治四十四年二月十日)では
○町村境界変更
那珂郡河波村大字波野を本月一日より本郷村に編入せり
明治四十四年二月 山口県
とあるので、
# 1911(M44).2.1 境界変更 那珂郡本郷村 那珂郡本郷村, 河波村の一部(大字波野)
を追加することになる。

#51 1923(T12).4.1 編入 阿武郡萩町 阿武郡 萩町, 椿東村, 椿村, 山田村
官報第三一九三号(大正十二年三月二十六日)では
○町村廃置
阿武郡萩町、椿東村、椿村、山田村を廃し其区域を以て萩(はぎ)町を置き来る四月一日より施行す
大正十二年三月 山口県
とあるので、正しくは編入→新設である。

徳島県
# 1911(M44).10.1 境界変更 海部郡奥木頭村 海部郡奥木頭村, 上木頭村の一部
官報第八四八七号(明治四十四年十月三日)では
○村廃置並役場位置
海部郡上木頭村を廃し大字海川村、大字助村を以て更に上木頭村を置き、大字出原村、大字和無田村を奥木頭村に分属せしめ本月一日より施行せり
明治四十四年十月 徳島県
とあるので、正しくは
# 1911(M44).10.1 分割 海部郡上木頭村 海部郡上木頭村の一部
# 1911(M44).10.1 分割/編入 海部郡奥木頭村 海部郡奥木頭村, 上木頭村の一部
である。

高知県
#55 1941(S16).7.1 新設 吾川郡池川町 吾川郡 富岡村, 池川町
官報第四三五一号(昭和十六年七月十日)では
○村廃止町区域変更
吾川郡富岡村を廃し其区域を同郡池川町に編入し富岡村に属する財産は全部池川町に引継ぐものとし本月一日より施行せり
昭和十六年七月 高知県
とあるので、正しくは新設→編入である。

福岡県
官報第一一七七号(大正五年七月四日)では
○町境界変更等
本月一日遠賀郡黒崎町大字前田の全部を分割して同郡八幡町に編入せり
右境界変更の際黒崎町大字前田に現存する黒崎町有土地、建物及学校動産に限り八幡町に割譲するものとし右境界変更の際現存する黒崎町大字前田の所有する財産は八幡町大字前田の所有財産とす
大正五年七月 福岡県
とあるので、
# 1916(T5).7.1 境界変更 遠賀郡八幡町 遠賀郡 八幡町, 黒崎村の一部(大字前田)
を追加することになる。

長崎県
#10 1912(M45).4.1 分立 下県郡豆酘村 下県郡 与良村の一部
#11 1912(M45).4.1 境界変更/改称 下県郡久田村 下県郡 与良村, 厳原町の一部
長崎県告示第124号(M45.3.2)はリンク切れですが
官報第八六三八号(明治四十五年四月九日)では
○町村廃置分合
下県郡厳原町の内大字久田を分割し且つ同郡与良村を廃し久田村及豆酘村を置き其区域を左の通定めたり
明治四十五年四月 長崎県
町村名区域
厳原町(いづはらまち)桟原、宮谷、日吉、天道茂、中村、今屋敷、田淵、大手橋、国分、久田道、厳原、南室、小浦、曲
久田村(くたむら)久田、尾浦、安神、久和、与良内院、豆酸内院、豆酸瀬
豆酸村(つつむら)豆酸
とあるので、正しくは分立→分割、境界変更/改称→分割/新設である。

#29 1927(S2).4.1 編入 東彼杵郡早岐町 東彼杵郡 早岐町, 広田村
長崎県告示第141号(S2.4.1)より、正しくは編入→新設である。

熊本県
#46 1933(S8).4.1 編入 球磨郡人吉町 球磨郡 人吉町, 大村
官報第一八七四号(昭和八年四月一日)では
○町村廃置
球磨郡人吉町及同郡大村を廃し其区域を以て人吉町を設置し本月一日より施行す
昭和八年四月 熊本県
とあるので、正しくは編入→新設である。

#47 1935(S10).4.1 編入 天草郡本渡町 天草郡 本渡町, 本戸村
官報第二三四五号(昭和九年十月二十四日)では
○町村廃置
天草郡本渡町及同郡本戸村を廃止し其区域を以て本渡町を設置し昭和十年四月一日より施行す
昭和九年十月 熊本県
とあるので、正しくは編入→新設である。

大分県
官報第二八四〇号附録(明治二十五年十二月十四日)では
○庁府県公報
○分合村
大分県北海部郡下南津留村大字前田の内字門前を分離し同郡市浜村へ合併せり此段公告す
明治二十五年十一月十九日 大分県
--------------------------------
大分県町村沿革誌(著:佐藤蔵太郎、出版:甲斐書店、M42.3.25)でも
二十五年十一月十九日下南津留村一部大字前田ノ内字門前を分割し市濱村に合併す
とあるので、
# 1892(M25).11.19 境界変更 北海部郡市浜村 北海部郡 市浜村, 下南津留村の一部(大字前田字門前)
を追加することになる。
#北海部郡下南津留村大字前田字門前は門前村という藩政村。

#19 1901(M34).4.1 新設 東国東郡国東町 東国東郡 国東町, 小原村
官報第五三一四号(明治三十四年三月二十五日)では
○町村境界変更
東国東郡豊崎村大字原を同郡国東町に編入し其境界を変更し来る四月一日より施行す
明治三十四年三月 大分県
とあるので、
#19 1901(M34).4.1 新設/境界変更 東国東郡国東町 東国東郡 国東町, 小原村, 豊崎村の一部(大字原)
へと変更することになる。

#46 1922(T11).9.1 分立 南海部郡中浦村 南海部郡東中浦村の一部
官報第三〇一八号(大正十一年八月二十二日)では
○村廃置
南海部郡東中浦村を廃し大字羽出浦、同中越浦の区域を以て中(なか)浦(うら)村を、大字丹賀浦、同梶寄浦、同大島の区域を以て東(ひがん)中(なか)浦(うら)村を置き来る九月一日より施行す
大正十一年八月 大分県
とあるので、正しくは分立→分割である。

#75 1940(S15).12.23 編入 東国東郡伊美村 東国東郡 伊美村, 上伊美村
官報第四一九三号(昭和十五年十二月二十七日)では
○村廃置
東国東郡伊美村、上伊美村を廃し其区域を以て伊美村を置き本月二十三日より施行せり
昭和十五年十二月 大分県
とあるので、正しくは編入→新設である。

宮崎県
#32 1938(S13).10.1 編入 児湯郡高鍋町 児湯郡 高鍋町, 上江村
官報第三五二五号(昭和十三年十月一日)では
○町村廃置
町村制第三条に依り本月一日より児湯郡高鍋町及上江村を廃し其区域を以て新に高鍋町を置く
昭和十三年十月 宮崎県
とあるので、正しくは編入→新設である。

鹿児島県
#39 1916(T5).5.20 分立 大島郡西方村 大島郡 焼内村の一部
#40 1916(T5).5.20 分立 大島郡実久村 大島郡 鎮西村の一部
#41 1916(T5).5.20 分立 大島郡東天城村 大島郡 天城村の一部
官報第一一四一号(大正五年五月二十三日)では
○村廃置
大島郡天城村を廃し天城村、東天城村を、同郡鎮西村を廃し鎮西村、実久村を、同郡焼内村を廃し焼内村、西方村を置き其区域を左の通定め本月二十日より施行せり
大正五年五月 鹿児島県
村名区域大字名
天城村与名間、松原、岡前、浅間、阿布木名、兼久、当部、大津川、瀬滝、西阿木名
東天城村母間、花徳、轟木、山、金見、手々
鎮西村押角、勝能、諸数、生間、渡連、諸鈍、野見山、秋徳、於斉、伊子茂、花富、与路、池地、請阿室
実久村西阿室、嘉入、須子茂、阿多地、実久、芝、薩川、瀬武、木慈、武名、三浦、瀬相、俵
焼内村宇検、久志、生勝、芦検、田検、湯湾、須古、部連、名柄、佐志、平田、阿室、屋鈍
西方村西古見、管鈍、花天、久慈、古志、篠川、阿室釜
とあるので、いずれも正しくは分立→分割である。

#45 1919(T8).4.1 分立 大島郡早町村 大島郡喜界村の一部
官報第二三七六号(大正九年七月三日)では
○村廃置
大島郡喜界村を廃し喜界村、早町村を置き其区域を左の通定め昨八年四月一日より施行せり
大正九年七月 鹿児島県
村名区域大字名
喜界村湾、赤連、中里、荒木、手久津久、上嘉鉄、浦原、川嶺、羽里、山田、城久、滝川、島中、中間、大朝戸、西目、中熊、坂嶺、伊砂
早町村伊実久、小野津、志戸樋、佐手久、塩道、長嶺、早町、白水、嘉鈍、阿伝、花良治
とあるので、正しくは分立→分割である。

#49 1922(T11).4.1 分立 分立 薩摩郡求名村 薩摩郡 宮之城町の一部
官報第二八四〇号(大正十一年一月二十三日)では
○町村廃置
薩摩郡宮之城町を廃し大字屋地、船木、虎居、時吉、湯田、柊野及平川の区域を以て宮之城町を、大字求名の区域を以て求名村を置き、本年四月一日より施行す
大正十一年一月 鹿児島県
とあるので、正しくは
#49 1922(T11).4.1 分割 薩摩郡宮之城町 薩摩郡 宮之城町の一部
#50 1922(T11).4.1 分割/村制 薩摩郡求名村 薩摩郡 宮之城町の一部
である。

#51 1922(T11).10.1 町制 大島郡名瀬町 大島郡 名瀬村
#52 1922(T11).10.1 分立 大島郡三方村 大島郡 名瀬村の一部
官報第三〇五四号(大正十一年十月四日)では
○町村廃止
大島郡名瀬村を廃し大字金久、伊津部の区域を以て名瀬町を、大字芦花部、有良、大熊、浦上、有屋、仲勝、朝仁、小宿、知名瀬、根瀬部、朝戸、伊津部勝、西仲勝、小湊、名瀬勝の区域を以て三方村を置き本月一日より施行せり
大正十一年十月 鹿児島県
とあるので、正しくは
#51 1922(T11).10.1 分割/町制 大島郡名瀬町 大島郡 名瀬村の一部
#52 1922(T11).10.1 分割 大島郡三方村 大島郡 名瀬村の一部
である。

沖縄県
#12 1939(S14).7.1 分立 島尻郡伊是名村 島尻郡 伊平屋村の一部
官報第三七四四号(昭和十四年六月三十日)では
○村廃置
島尻郡伊平屋村を廃し七月一日より字伊是名、字仲田、字諸見、字勢理客の区域を以て伊是名村を、字野甫、字島尻、字我喜屋、字前泊、字田名の区域を以て伊平屋村を置く
昭和十四年六月 沖縄県
とあるので、正しくは分立→分割である。
[99334] 2020年 4月 4日(土)18:53:52むっくん さん
Re5:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)
[99264][99289]YT さん
[99279][99282][99285][99290]ekinenpyou さん
遅くなりましたが、郡区町村編成法の広島県、長野県、茨城県などの補足説明ありがとうございました。

[99270]白桃 さん
ご指摘ありがとうございました。確かに、和歌山区が抜けていました。[99285]にてekinenpyouさんが書かれておられる通り、M12.1.20-M22.3.31まで和歌山区が存在しました。

[99300]MI さん
北諸県郡三股村の町制施行についてなのですが、既に当時のメモを処分したので、官報のどこに訂正情報が記載されていたかが分かりません。
[99259] 2020年 3月 16日(月)17:49:00【1】むっくん さん
郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)
[99252]MI さん
上記リンクについては hmt さんが [99248] で書かれているとおり、そのままでは通らなくなっています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/」の部分を「http://dl.ndl.go.jp/」に置換していただけると助かります。(以前 [99173] でオーナー グリグリ さんに対応していただいたのと同様です。)
既に30時間以上経過していますので私から修正ができないために、[76875]拙稿(郡区町村編制法時の各府県布達(ver.3))のリンク修正版を投稿します。
#愛知県の法的根拠を新たに付け加えました。

郡区町村編制法施行根拠、郡区町村編制法施行により成立した区の法的根拠の一覧、郡区町村編制法施行に伴い郡を分割した法的根拠、さらには郡区町村編制法施行後市制町村制施行以前に分割された郡とその法的根拠の一覧を紹介します。


(1)郡区町村編制法施行根拠
郡区町村編制法は全国同一時期に施行されたわけではありませんでした。郡区町村編制法をいつ施行するかは、各府県の布達に委ねられていました。まとめますと下記のようになります。

府県名郡区町村編制法施行根拠左記公布日郡区町村編制法施行日
開拓使乙第4号布達M12.7.23M12.7.23
青森県甲第14号布達M11.10.30M11.10.30
岩手県坤第1号布達M12.1.4M12.1.4
宮城県甲第225号布達M11.10.21M11.10.21
秋田県第379番布達M11.12.23M11.12.23
山形県乙第112号布達M11.11.1M11.11.1
福島県甲第8号布達M12.1.27M12.1.27
茨城県丙第123号布達M11.12.2M11.12.2
栃木県乙第274号布達M11.11.8M11.11.8
群馬県甲第93号布達M11.12.7M11.12.7
埼玉県甲第19号布達M12.3.17M12.3.17
千葉県甲第65号布達(PDF2-3コマ)M11.11.2M11.11.2
東京府(※)甲第49号布達M11.11.2M11.11.2
神奈川県甲第145号布達M11.11.18M11.11.18
新潟県甲第42号布達M12.4.28M12.4.28
石川県甲第143号布達M11.12.17M11.12.17
山梨県甲第267号布達M11.12.19M11.12.19
長野県乙第1号布達M12.1.4M12.1.4
岐阜県甲第10号布達M12.2.18M12.2.18
静岡県甲第36号布達M12.3.12M12.3.12
愛知県甲第190号布達M11.12.20M11.12.20
三重県甲第1号布達M12.2.5M12.2.5
滋賀県甲第32号布達M12.5.16M12.5.16
京都府第70号布達M12.3.14M12.3.14
大阪府天第22号達M12.2.10M12.2.10
堺県甲第36号布達M13.4.15M13.4.15
兵庫県甲第1号布達M12.1.8M12.1.8
和歌山県乙第6号布達M12.1.20M12.1.20
島根県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
岡山県甲第110号布達M11.9.20M11.9.20
広島県甲第137号布達M11.11.11M11.11.11
山口県甲第1号布達M12.1.6M12.1.6
愛媛県甲第139号布達M11.12.16M11.12.16
高知県甲第267号布達M11.12.6M12.1.1
福岡県甲第199号布達M11.10.12M11.10.12
長崎県甲第121号布達M11.10.28M11.10.28
熊本県甲第5号布達M12.1.20M12.1.20
大分県改第1号布達M11.11.1M11.11.1
鹿児島県甲第9号布達M12.2.17M12.2.17
(大島郡)太政官布告第15号M12.4.8M12.4.8
沖縄県郡区町村編制法未実施
(※)伊豆七島、太政官布告第44号(M13.10.8)で東京府管轄となった小笠原諸島には郡区町村編制法を施行せず。


(2)郡区町村編制法の施行に伴い設置された区の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い区も設置されました。郡区町村編制法による区の一覧を以下にまとめました。下記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。

府県名区名成立根拠存在期間
開拓使札幌区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
函館区乙第4号布達M12.7.23~M31.9.30
宮城県仙台区甲第225号布達M11.10.21~M22.3.31
東京府麹町区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
神田区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
日本橋区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
京橋区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
芝区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
麻布区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
赤坂区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
四谷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
牛込区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
小石川区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
本郷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
下谷区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
浅草区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
本所区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
深川区甲第49号布達M11.11.2~M22.4.30
神奈川県横浜区甲第145号布達M11.11.18~M22.3.31
新潟県新潟区甲第42号布達M12.4.28~M22.3.31
石川県金沢区甲第143号布達M11.12.17~M22.3.31
愛知県名古屋区甲第190号布達M11.12.20~M22.9.30
京都府上京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
下京区第70号布達M12.3.14~M22.3.31
伏見区第135号布達M12.4.11~M14.1.9
大阪府東区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
南区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
西区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
北区天第22号達M12.2.10~M22.3.31
堺県堺区甲第36号布達M13.4.15~M22.3.31
兵庫県神戸区甲第1号布達M12.1.8~M22.3.31
岡山県岡山区甲第110号布達M11.9.20~M22.5.31
広島県広島区甲第137号布達M11.11.11~M22.3.31
山口県赤間関区甲第1号布達M12.1.6~M22.3.31
福岡県福岡区甲第199号布達M11.10.12~M22.3.31
長崎県長崎区甲第121号布達M11.10.28~M22.3.31
熊本県熊本区甲第5号布達M12.1.20~M22.3.31
(注)上記表での存在期間とは、郡区町村編制法による区であった期間を意味します。


(3)郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡の一覧
郡区町村編制法の施行に伴い分割・改称された郡もありました。郡区町村編制法施行時のみならずその後明治13年末までに分割・改称された郡の一覧を以下にまとめました。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
青森県甲第14号布達M11.10.30津軽郡→東津軽郡、西津軽郡、中津軽郡、南津軽郡、北津軽郡
北郡→上北郡、下北郡
岩手県坤第1号布達M12.1.4岩手郡→南岩手郡、北岩手郡
和賀郡→東和賀郡、西和賀郡
磐井郡→西磐井郡、東磐井郡
閉伊郡→西閉伊郡、南閉伊郡、東閉伊郡、中閉伊郡、北閉伊郡
九戸郡→南九戸郡、北九戸郡
秋田県第378番布達M11.12.23秋田郡→南秋田郡、北秋田郡
山形県乙第112号布達M11.11.1村山郡→南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡
田川郡→東田川郡、西田川郡
置賜郡→西置賜郡、東置賜郡、南置賜郡
福島県甲第7号布達M12.1.27会津郡→南会津郡、北会津郡
白川郡→東白川郡
白河郡→西白河郡
蒲原郡(福島県管下)→東蒲原郡
茨城県丙第123号布達M11.12.2茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡
栃木県乙第274号布達M11.11.8都賀郡→上都賀郡、下都賀郡
群馬県甲第93号布達M11.12.7群馬郡→東群馬郡、西群馬郡
勢多郡→南勢多郡、北勢多郡
甘楽郡→南甘楽郡、北甘楽郡
埼玉県甲第19号布達M12.3.17足立郡(埼玉県管下)→北足立郡
埼玉郡→北埼玉郡、南埼玉郡
葛飾郡(埼玉県管下)→北葛飾郡、中葛飾郡
千葉県甲第64号布達(PDF1コマ)M11.11.2相馬郡(千葉県管下)→南相馬郡
葛飾郡(千葉県管下)→東葛飾郡
甲第81号布達(PDF18コマ)M11.11.18埴生郡(下総国)→下埴生郡
埴生郡(上総国)→上埴生郡
東京府甲第49号布達M11.11.2多摩郡(東京府管下)→東多摩郡
豊島郡→南豊島郡、北豊島郡
足立郡(東京府管下)→南足立郡
葛飾郡(東京府管下)→南葛飾郡
神奈川県甲第145号布達M11.11.18多摩郡(神奈川県管下)→西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡
新潟県甲第42号布達M12.4.28蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡
石川県甲第143号布達M11.12.17新川郡→上新川郡、下新川郡
山梨県甲第267号布達M11.12.19山梨郡→東山梨郡、西山梨郡
八代郡→東八代郡、西八代郡
巨摩郡→南巨摩郡、中巨摩郡、北巨摩郡
都留郡→南都留郡、北都留郡
長野県乙第1号布達M12.1.4佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
高井郡→上高井郡、下高井郡
水内郡→上水内郡、下水内郡
筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
伊那郡→上伊那郡、下伊那郡
岐阜県甲第10号布達M12.2.18石津郡→上石津郡、下石津郡
愛知県甲第190号布達M11.12.20設楽郡→北設楽郡、南設楽郡
加茂郡→東加茂郡、西加茂郡
甲第16号布達M13.2.5春日井郡→東春日井郡、西春日井郡
三重県甲第1号布達M12.2.5牟婁郡→北牟婁郡、南牟婁郡
滋賀県甲第61号布達M13.5.29浅井郡→東浅井郡、西浅井郡
京都府第70号布達M12.3.14桑田郡→南桑田郡、北桑田郡
和歌山県乙第6号布達M12.1.20牟婁郡→東牟婁郡、西牟婁郡
乙第9号布達M12.1.20牟婁郡が東牟婁郡, 西牟婁郡に分かれたのは行政上のみ
乙第96号布達M12.5.6牟婁郡が地理上においても東牟婁郡、西牟婁郡に分かれる
愛媛県甲第139号布達M11.12.16浮穴郡→上浮穴郡、下浮穴郡
宇和郡→西宇和郡、東宇和郡、北宇和郡、南宇和郡
長崎県甲第121号布達M11.10.28彼杵郡→西彼杵郡、東彼杵郡
高来郡→北高来郡、南高来郡
松浦郡→北松浦郡、南松浦郡、東松浦郡、西松浦郡
大分県改第1号布達M11.11.1国東郡→西国東郡、東国東郡
海部郡→北海部郡、南海部郡


(4)郡区町村編制法が施行されている時に分割された郡
郡区町村編制法が施行された後、市制町村制が施行されるまでに分割された郡の一覧を以下にまとめました。ただし(3)との重複を避けるため、明治14年以降のみに限定しています。

府県名成立根拠公布・施行日郡の分割・改称
宮崎県太政官布告第19号M16.6.4宮崎県諸県郡→鹿児島県南諸県郡、宮崎県北諸県郡
鹿児島県勅令第7号M20.4.2伊佐郡→南伊佐郡、北伊佐郡
大隅郡→南大隅郡、北大隅郡
囎唹郡→東囎唹郡、西囎唹郡
栃木県勅令第32号M22.3.13寒川郡、下都賀郡→下都賀郡(編入合併)

【1】訂正[99264]YTさんの指摘を受けて訂正。
[99247] 2020年 3月 10日(火)18:41:02【2】むっくん さん
Re:郡の変遷
[99246]MI さん
郡の変遷を拝見しました。郡区町村編制法が施行された年月日が違うと思います。
#この施行された年月日が郡の成立年月日です。

北海道
開拓使に1879(M12).7.23に郡区町村編制法が施行されていますので開拓使時代の1879(M12).7.23に郡の成立としておいていいのではないでしょうか。

青森県
1878.7.1ではなくて1878(M11).10.30に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

岩手県
1878.10.1ではなくて1879(M12).1.4に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

宮城県
1878.4.1ではなくて1878(M11).10.21に郡区町村編制法が施行されました。

秋田県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.23に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

山形県
1878.5.1ではなくて1878(M11).11.1に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

福島県
1878.4.1ではなくて1879(M12).1.27に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

茨城県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.2に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

栃木県
1878.4.1ではなくて1878(M11).11.8に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。
寒川郡、下都賀郡→下都賀郡となってのは1889.3.12ではなくて1889.3.13です。

群馬県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.7に郡区町村編制法が施行されました。

埼玉県
1878.10.1ではなくて1879(M12).3.17に郡区町村編制法が施行されました。

千葉県
1878.5.1ではなくて1878(M11).11.2に郡区町村編制法が施行されました。
1878(M11).11.18に埴生郡(下総国)→下埴生郡、埴生郡(上総国)→上埴生郡となりました。

東京府
1878.3.31ではなくて1878(M11).11.2に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

神奈川県
1878.9.1ではなくて1878(M11).11.18に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

新潟県
1878.5.1ではなくて1879(M12).4.28に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

石川県
1878.6.1、1878.9.15ではなくて1878(M11).12.17に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

山梨県
1878.2.11ではなくて1878(M11).12.19に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

長野県
1878.3.1ではなくて1879(M12).1.4に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

岐阜県
1878.5.1ではなくて1879(M12).2.18に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

静岡県
1878.9.1ではなくて1879(M12).3.12に郡区町村編制法が施行されました。

愛知県
1878.5.1ではなくて1878(M11).12.20に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。
その後1880(M13).2.5に春日井郡→東春日井郡、西春日井郡の分割がされました。

三重県
1878.6.1ではなくて1879(M12).2.5に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

滋賀県
1878.1.15ではなくて1879(M12).5.16に郡区町村編制法が施行されました。
1880(M13).5.29に浅井郡→東浅井郡、西浅井郡が分割されました。

京都府
1878.2.11ではなくて1879(M12).3.14に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

大阪府
1878.11.3ではなくて1879(M12).2.10に郡区町村編制法が施行されました。

堺県
1878.11.3ではなくて1880(M13).4.15に郡区町村編制法が施行されました。

兵庫県
1878.9.30ではなくて1879(M12).1.8に郡区町村編制法が施行されました。

和歌山県
1878.1.1ではなくて1879(M12).1.20に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

島根県
1878.11.1ではなくて1879(M12).1.6に郡区町村編制法が施行されました。

岡山県
1878.8.1ではなくて1878(M11).9.20に郡区町村編制法が施行されました。

広島県
1878.10.1ではなくて1878(M11).11.11に郡区町村編制法が施行されました。

山口県
1878.4.1ではなくて1879(M12).1.6に郡区町村編制法が施行されました。

愛媛県
1878.4.1ではなくて1878(M11).12.16に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

高知県
1878.1.1ではなくて1879(M12).1.1に郡区町村編制法が施行されました。

福岡県
1878.9.30ではなくて1878(M11).10.12に郡区町村編制法が施行されました。

長崎県
1878.4.1、1878.5.9ではなくて1878(M11).10.28に郡区町村編制法が施行されて郡の分割がされました。

熊本県
1878.6.1ではなくて1879(M12).1.20に郡区町村編制法が施行されました。

鹿児島県
1878.3.25、1878.2.1ではなくて1879(M12).2.17に郡区町村編制法が施行されました。
1887.4.1ではなくて1887(M20).4.2に
伊佐郡→南伊佐郡、北伊佐郡、
大隅郡→南大隅郡、北大隅郡
囎唹郡→東囎唹郡、西囎唹郡
の分割がされました。

参考:[76875]拙稿
[99229] 2020年 2月 27日(木)16:03:50むっくん さん
Re2: 1946年10月5日の変更について
[99226]MIさん
ここに13村が挙げられていますが、まず上平蘂村は小平蘂村の誤りではないでしょうか。また実際の官報によるとそれに加えて、
膽振支廰管内 幌別村
日高支廰管内 平取村、様似村
十勝支廰管内 浦幌村、廣尾村、大樹村
釧路支廰管内(ママ) 標茶村
根室支廰管内 別海村、標津村
も掲載されており、合計22村が一般の村になったのだと思います。
[67008]拙稿で記載した内務省告示第49号(S21.5.1)について訂正していただきありがとうございます。これら9村については、おそらく私の書き落としであると思います。
[67008]拙稿は法令全書の記載によったものでして、上平蘂村は小平蘂村の誤りであると当時も認識していました([67008]拙稿でも、記載しています)。
[99219] 2020年 2月 25日(火)16:23:42【3】むっくん さん
1946年10月5日の変更について
[99218]グリグリさん
6 1946 10 5 +112村 -112村 ?
MIさんから解説があると思いますが、これは、北海道の指定町村(旧 二級町村)に町村制が施行されたことを示しているのだと思います。
参考:[67008]拙稿
勅令第467号(S21.10.4)で市制町村制施行令が改正され、S21.10.5から施行されるました。S21.10.5に指定町村という制度が廃止されてようやく北海道の総ての自治体が本州などの自治体と同一の制度に属することになりました。(勅令第468号(S21.10.4)によれば、公民権及び議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行されました)。
勅令第四百六十七號 市制町村制施行令を次のやうに改正する。
(中略)
第七十三條 3 第十章乃至第十二章を削る
附則
(中略)
その他の規定は、昭和二十一年十月五日から、之を施行する。
(略)

#私のデータベースでは、広尾町が唯一の町としての指定町村となっているのですが。。。
[99189] 2020年 2月 19日(水)16:26:08【2】むっくん さん
Re2:北海道の市区町村数推移の照合(1922年8月17日まで)
[99185]MIさん
[99186]グリグリさん

公文式(M19.2.26)第十条では
凡そ法律命令は官報を以て布告し官報各府県庁到達日数の後七日を以て施行の期限と為す
とありますので、法律と勅令は裁可され、その後に官報に記載されて初めて公布されたことになります。
01北海道
・1903年12月22日。変遷履歴情報ではこの日に松前支庁と紗那支庁をそれぞれ函館支庁と根室支庁へ編入としていますが、明治36年12月21日 勅令284号(官報掲載は22日)の日付12月21日を当方では採っているところです。これも保留とします。
1903(M36).12.21は裁可日で、1903(M36).12.22が公布日ですので、1903.12.22を採用することになります。

・1914年9月6日。変遷履歴情報ではこの日に増毛支庁を留萌支庁に改称したとしていますが、大正3年9月6日 勅令184号(官報掲載は7日)の日付9月6日を当方では採っており、保留します。
1914(T3).9.6は裁可日で、1914(T3).9.7が公布日ですので、1914.3.7を採用することになります。

・1922年8月17日。変遷履歴情報ではこの日に札幌、函館、室蘭、釧路各支庁を石狩、渡島、胆振、釧路国に改称したとしていますが、大正11年8月16日 勅令380号(官報掲載は17日)は 「北海道廳札幌支廳」ヲ「北海道廳石狩支廳」ニ、「北海道廳函館支廳」ヲ「北海道廳渡島支廳」ニ、「北海道廳室蘭支廳」ヲ「北海道廳膽振支廳」ニ、「北海道廳釧路支廳」ヲ「北海道廳釧路國支廳」ニ改ム。本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス」 ですから、8月16日が実施日であると思います。
1922(T11).8.16は裁可日で、1922(T11).8.17は公布日ですので、1922.8.17を採用することになります。

そして、道庁告示(県告示)の法的位置付けとしては、道庁が決めた事を道民(県民)に知らせるというものです。
よって施行期日が記載されていない場合は、道庁(県)公報が発行された年月日では無くて、道庁(県)告示に記載された年月日を採用するのが原則だと思います。最も、施行が遅れて施行されたケースも少ないながらあるようで、実質的ではなくて法的に「いつに改称したのか」「いつに町制が施行したのか」という事を確認するのは現在からは不可能になってしまっています。
よって
空知郡奈江村から砂川村への改称
空知郡滝川村から滝川町への町制
は、MIさんが採用されておられるように、告示の年月日を採用する以外の方法は無いのではないかと思います。
#道庁令(県令)についても道庁(県)告示と同様に、道庁令(県令)に記載している年月日が公布日であると思うのですが、道庁(県)公報の発行年月日が公布日である可能性を否定しきれていません。
[99048] 2020年 1月 12日(日)17:17:10むっくん さん
第五十三回十番勝負
問二:庄原市
問三:滝沢市
問五:宿毛市
問六:玉野市
問九:奄美市
問十:京都市
[99014] 2020年 1月 10日(金)22:54:51むっくん さん
第五十三回十番勝負
問八:蕨市
[99010] 2020年 1月 10日(金)13:02:36むっくん さん
第五十三回十番勝負
問四:燕市(問題市を答えたために、再解答します)

[99008]Takashi さん、ありがとうございました。
[99005] 2020年 1月 10日(金)00:38:36むっくん さん
第五十三回十番勝負
問四:松阪市
[98986] 2020年 1月 8日(水)21:12:17むっくん さん
十番勝負
問一:守山市
[98848] 2020年 1月 2日(木)13:50:01むっくん さん
第五十三回十番勝負
明けましておめでとうございます。
昨日は太宰府天満宮に初めて行きましたが、すごい人の数でした。帰途はスターバックスでゆっくりし過ぎたために、最終みずほに乗り遅れるところでした・・・。
本年もよろしくお願いします。

問七:福岡市
[98747] 2019年 12月 15日(日)20:00:49むっくん さん
町制施行要件
[98607]白桃さん
鹿児島県の自治体は、どうして町になったり市になったりするのが遅くなるのか、いまだに不思議です。
市になったのが遅い理由は分かりませんが、町になったのが遅い理由は、町制施行要件ではないでしょうか。
町制施行要件としては、各都道府県で別途定められています。主なものとしては、人口要件(20000人以上、8000人以上、5000人以上など)、主要な公的施設の存在(e.g.税務署などが1箇所以上あること)、娯楽施設の存在(e.g.映画館が1箇所以上あること)などがあります。
とある県の、とある村は、人口要件が8000人以上から5000人以上に引き下げられたおかげで、人口が減少しているにもかかわらず、町制施行することができました。
[98579] 2019年 11月 21日(木)15:55:23むっくん さん
Re: 町村合併官報広告について
[98573]みうらさん

初めまして。
戦前の町村合併の法的根拠については、少々不確かな所もありますが、以前[86677]拙稿で記しています。

昭和14郡の境界変更に関する法律案・境界変更を強制する勅令案が廃案
この資料ですが、[79693]拙稿で紹介した公文類聚に記載されているかもしれません。公文類聚の一部は国立公文書館デジタルアーカイブにて閲覧できます。
[97678] 2019年 5月 5日(日)17:49:58むっくん さん
若年で当選した首長PART17
令和初の書き込みになります。よろしくお願いします。

>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。
すべて、兵庫県になります。
参考にしたのは、(1)神戸新聞、(2)兵庫県市町村合併史(上)(下)(編:兵庫県総務部地方課、出版:兵庫県、1962)、(3)兵庫県名士録(編・発行:神港新聞社、S33.11.1)、(4)三原郡史(編:三原郡史編纂委員会、発行:兵庫県三原郡町村会、S54.3.10)です。(1)に40歳未満で当選と記載されていた方を見つけました。その後、(2)で就任期間を、(3)で生年月日を調べて修正し、さらに(4)やその他資料で補足しました。

まずは新規情報です。

伊賀 定盛(いが さだもり)さん
1921(T10).2.28生まれ
城崎郡余部村
就任期間は1947(S22).4.10-1948(S23).4.27
就任日年齢は27歳1ヶ月
任期は1期
衆議院議員
就任期間は1967(S42).1.29-1983(S58).11.28
就任日年齢は46歳11ヶ月
任期は4期。
Wikipedia

山上 晶さん
三原郡伊加利村
就任期間は1947(S22).4.-1949(S24).11.18
就任日年齢は27歳
任期は1期
#(2)では就任期間はS23.4.5からとあったが、(1)のS22.4.7の新聞で当選とあることより、S22.4.に修正した。

小林 善郎さん
宍粟郡富梄村
就任期間は1947(S22).4.6-1947(S22).9.30
就任日年齢は27歳
任期は1期

米田 悦郎さん
三原郡北阿万村
就任期間は1947(S22).4.23-1955(S30).4.6
就任日年齢は37歳。
任期は2期
#(1)のS22.4.では28歳で当選とあり、S26.4.では41歳で再選とあった。S22.4.の記載の年齢は他書の記載と食い違う事が多いためS26.4.の記載を採用。

中井 譲さん
美方郡照来村
就任期間は1947(S22).4.6-1954(S29).9.30
就任日年齢は29歳
任期は2期

藤井 寛三さん
1919(T8).3.30生まれ
朝来郡梁瀬町
就任期間は1947(S22).4.15-1951(S26).4.14
就任日年齢は28歳0ヶ月
任期は1期

渡海 元三郎(とかい もとさぶろう)さん
1915(T4).3.13生まれ
印南郡曽根町
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).3.27
就任日年齢は32歳0ヶ月
任期は1期
衆議院議員
就任期間は1955(S30).2.28-1983(S58).11.28
就任日年齢は39歳11ヶ月
任期は6期。
#曽根町の就任期間は高砂市史6巻による。
Wikipedia

近藤 次(こんどう やどる)さん
1909(M42).4.26生まれ
加東郡市場村
就任期間は1947(S22).4.8-1951(S26).3.17
就任日年齢は37歳11ヶ月
任期は1期
#読みは、地域の礎による。

松本 賢一さん
揖保郡誉田村
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).3.31
就任日年齢は34歳
任期は1期

立花 唯一さん
三原郡広田村
就任期間は1947(S22).4.6-1951(S26).4.4
就任日年齢は35歳
任期は1期

宮野 徳次郎さん
三原郡堺村
就任期間は1947(S22).4.20-1951(S26).4.6
就任日年齢は29歳
任期は1期

畑中 重次さん
1912(M45).3.24生まれ
多紀郡村雲村
就任期間は1947(S22).4.6-1955(S30).4.14
就任日年齢は35歳0ヶ月
任期は1期
多紀郡多紀村/多紀町
就任期間は1955(S30).5.20-1967(S42)?
就任日年齢は43歳1ヶ月
任期は3期
#職員録昭和42年(下)(編・発行:大蔵省印刷局、1966)では1966(S41).7.1に町長で職員録昭和43年(下)(編・発行:大蔵省印刷局、1967)では1967(S42).7.1に町長ではない。

奥田 武夫さん
城崎郡清滝村
就任期間は1947(S22).4.-1955(S30).3.24
就任日年齢は34歳
任期は2期
#1946(S21).3.5より村長で、1947(S22).4.5の統一地方選でも当選。

田村 一郎さん
養父郡南谷村
就任期間は1947(S22).4.8-1947(S22).10.17
就任日年齢は35歳
任期は1期

西山 謙三さん
氷上郡竹田村
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
就任日年齢は39歳
任期は1期

栄羽 挺三さん
美方郡兎塚村
就任期間は1947(S22).4.10-1951(S26).4.9
就任日年齢は35歳
任期は1期
#(2)では就任期間は-1951(S26).4.12とあるが、任期は当時は4年までで延長が無かったので1951(S26).4.9までと推測される。

新阜 貞二さん
1912(T元).11.22生まれ
津名郡浦村
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
就任日年齢は34歳4ヶ月
任期は1期
津名郡東浦町
就任期間は1965(S40).7.17-1985(S60).7.16
就任日年齢は52歳7ヶ月
任期は5期
#浦村の就任期間は東浦町誌による。
Wikipedia

鈴木 啓二さん
1910(M43).10.28生まれ
津名郡仁井村
就任期間は1947(S22).4.8-1951(S26).4.7
就任日年齢は36歳5ヶ月
任期は1期
#(2)では就任期間は-1951(S26).4.12とあるが、任期は当時は4年までで延長が無かったので1951(S26).4.7までと推測される。

中尾 正己さん
養父郡西谷村
就任期間は1947(S22).4.25-1955(S30).3.30
就任日年齢は38歳
任期は2期
#S26.4.再選時に42歳より、就任日年齢を推測。

高瀬 栄一(たかせ えいいち)さん
1916(T5).10.20生まれ
加東郡上福田村
就任期間は1951(S26).5.1-1955(S30).3.30
就任日年齢は34歳6ヶ月
任期は1期
加東郡社町
就任期間は1955(S30).4.30-1963(S38)
就任年齢は38歳6ヶ月
任期は2期

中沢 昴さん
1914(T3).3.29生まれ
城崎郡国府村
就任期間は1947(S22).4.-1955(S30).3.24
就任日年齢は33歳0-1ヶ月
任期は2期
#就任期間は(2)では1947(S22).4.2からとあったが、1947(S22).4.5の統一地方選で初当選より、1947(S22).4.とした。

小牧 茂(こまき しげる)さん
出石郡資母村
就任期間は1951(S26).4.24-1955(S30).4.23
就任日年齢は38歳
任期は1期
#(2)では、就任期間は1955(S30).4.30までとあるが、当時の法律では任期の数日の延長が無いので、正しくは1955(S30).4.23と推測。

藤岡 彌三郎さん
津名郡佐野町
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).3.31
就任日年齢は39歳
任期は2期

大西 正さん
1918(T7).5.11生まれ
朝来郡梁瀬町
就任期間は1951(S26).4.-1954(S29).3.30
就任日年齢は32歳11ヶ月
任期は1期
朝来郡山東町
就任期間は1954(S29).4.21-1963(S38).9.13
就任日年齢は36歳11ヶ月
任期は3期
#山東町誌下巻II(編:山東町誌編纂委員会、発行:山東町、H4.12.)では、就任期間は(2)によるとして、1951(S26).4.15からとあったが、1951(S26).4.23の統一地方選で初当選より、1951(S26).4.とした。

川口 治義さん
1914(T3).1.4生まれ
三原郡津井村
就任期間は1947(S22).4.-1957(S32).6.30
就任日年齢は33歳0ヶ月
任期は3期
三原郡西淡町
就任期間は1957(S32).7.12-1961(S36).6.30
就任日年齢は43歳7ヶ月
任期は1期
#1947(S22).4.5の統一地方選で初当選より、就任日年齢は33歳0ヶ月。

片山 秋津(かたやま あきつ)さん
1916(T5).6.23生まれ
三原郡倭文村
就任期間は1955(S30).5.5-1957(S32).7.9
就任日年齢は38歳10ヶ月
任期は1期

最後に、追加情報です。

門脇 政夫さん
1911(M44).8.7生まれ
多可郡野間谷村
就任期間は1947(S22).4.23-1954(S29).3.24
就任日年齢は35歳7ヶ月
任期は2期
多可郡八千代村/八千代町
就任期間は1954(S29).4.6-1967(S42)or1968(S43)
就任日年齢は42歳7ヶ月
任期は4期
#職員録昭和43年(下)(編・発行:大蔵省印刷局、1967)では1967(S42).7.1に町長で、職員録昭和44年(下)(編・発行:大蔵省印刷局、1968)では1968(S43).7.1に町長ではない。
[97553] 2019年 2月 26日(火)23:02:46【1】むっくん さん
さいたま市
グリグリさん

市区町村名の画数でのさいたま市の”さ”の画数は3画ではなくて2画との事です。

参考:「さいたま市の『さ』は、2画目と3画目を繋げて書くという決まりがある。」って本当? 市役所に聞いた
[97031] 2018年 11月 25日(日)18:14:40【1】むっくん さん
Re:女性首長 情報追加
[97016]グリグリさん
女性首長への情報追加提供です。

信太 ヒサ(しだ ひさ)さん(秋田県山本郡金岡村)
秋田魁年鑑(1955年版)(編・出版:秋田魁新報社, 1955)によると、M22(1889).1.23生まれとありました。
そして、職員録(昭和30年)(編・出版:大蔵省印刷局、1955)ではS29.11.15現在で村長、職員録(昭和31年)(下)(編・出版:大蔵省印刷局、1956)ではS30.11.15現在で村長ではありません。これより、任期は1期と考えられます。

田中 彌壽さん(千葉県夷隅郡東村)
職員録(昭和30年)(編・出版:大蔵省印刷局、1955)ではS29.11.15現在で村長、職員録(昭和31年)(下)(編・出版:大蔵省印刷局、1956)ではS30.11.15現在で村長ではありません。これより、任期は1期と考えられます。

伊藤 美津さん(岐阜県恵那郡福岡村(町))
福岡町史通史編下巻(編・出版:福岡町、1992)p246では、首長在任期間はS40.8.20-S43.2.28とあり、任期は1期と考えられます。

岡田 幾さん(兵庫県武庫郡良元村)
宝塚市史第6巻(編:宝塚市史編集専門委員、出版:宝塚市、1979)p602では、首長在任期間はS26.7.10-S29.3.31とありました。

(訂正)岡田幾さんの首長在任最終日をS30.3.31→S29.3.31と訂正。
[97004] 2018年 11月 18日(日)16:12:35むっくん さん
貝塚市
[96956]グリグリさん
市区町村名の画数一覧での貝塚市の「塚」も宝塚市と同様に「丶」のある旧字であると考えられるため、塚を13画とするのが妥当ではないでしょうか。
内務省告示第238号(S18.4.30)では当然に旧字体です。また、現在の刊行物、例えば統計かいづか平成29年度版(PDF)でも「丶」のある旧字体で貝塚市と記載されています。
[96345] 2018年 7月 31日(火)14:35:32むっくん さん
久方
地名コレクション(小倉百人一首)では、百人一首に出て来る地名が収録されています。その逆で、百人一首から地名になったところがあります。

元になった歌は小倉百人一首33番の
久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ(紀友則)
です。

ここで出て来る「久方」が元になって、愛知県名古屋市天白区久方一丁目~三丁目となっています。区を跨いだ名古屋市緑区久方三丁目の地名の由来もおそらく同じであると思います。

参考:名古屋市天白区HP
[96120] 2018年 5月 26日(土)01:17:16むっくん さん
十番勝負
問二:魚沼市
[96076] 2018年 5月 22日(火)23:32:57むっくん さん
十番勝負
問十:美作市
[96075] 2018年 5月 22日(火)23:26:59むっくん さん
十番勝負
問三:小松市
[96074] 2018年 5月 22日(火)23:22:08むっくん さん
十番勝負
問四:洲本市
[96051] 2018年 5月 21日(月)04:32:26むっくん さん
十番勝負
問八:長浜市
[96041] 2018年 5月 20日(日)22:22:30むっくん さん
十番勝負
問九:八代市
[96036] 2018年 5月 20日(日)21:13:18むっくん さん
十番勝負
問五:鶴岡市
[96011] 2018年 5月 19日(土)16:37:07むっくん さん
十番勝負
問七:山口市


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