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[105165] 2022年 7月 30日(土)10:38:11YT さん
薩摩藩出身者と越後では村の規模に関する常識が異なった?
[105152] 未開人さん

ところで新潟県で1901年に大合併が行われたのはなぜなのでしょうか。岐阜県に比べると合併が不十分だった印象はないのですが、人口が多かったことが影響しているのでしょうか。

新潟県の明治から平成の合併に係る各市町村の系譜に掲載されている「第1章 新潟県における市町村合併の変遷」、および井戸庄三「明治22年 新町村名の研究」(地理学評論 49 (5), 285-299 (1976))によると、柏田盛文知事の独断だそうです。

当時、全国には江戸時代の自然発生的な町村の延長である町村が7万以上、新潟県には約4,500もあった。この小さな単位から、戸籍や小学校などの事務を処理できる300~500戸を標準として、全国一律の町村合併を進めることとした。計画が明らかになると県下全域は騒然となった。当時の町村は生活習慣、水利、産業など住民生活に密着しており、住民の意思を無視するようなケースには強硬な反対があった。それでも政府はこれを断行し、その結果、新潟県の市町村数は明治22年末には、5分の1以下の800余りに減少した。

これが明治の大合併である

しかし、新潟県下では規模が小さく財政的にも脆弱な町村がまだ多く残っていた。当時は全国の町村平均戸数が583戸に対し、新潟県は351戸に過ぎなかった。明治30年に伝染病予防に関する事務と費用負担が町村に義務づけられ、赤痢の大流行などによる衛生費の大膨張(明治31年には明治28年の13倍)や教育費の負担増などによって町村の財政は逼迫していく中で、明治34年2月、柏田新潟県知事は町村合併の実施を明らかにした。県の示した合併案に反対の町村会は80%にも達したが、県はこれを強行し、同年11月には町村数は816から456に減少した。

ただしこの第二次大合併を実施した柏田盛文知事は、外城制度を有する薩摩藩出身です。郷、外城規模で町村を制定し、1万人規模の村が当たり前に存在した鹿児島県の実情を知っている人からすると、新潟県の町村規模は許しがたいほど小さなものだったのでしょう。

明治34年8月28日付の新潟県知事柏田盛文より内務大臣内海忠勝あて「県下町村合 併之件禀請」によると

本県下町村の総数八百十有八、内戸数三百に満たざるもの実に四百五十余カ村の多を占む。其余の町村亦皆概して規模狭少、随って資力薄弱にして其為すべき事を挙ぐるに苦み殆んど独立の実を保つに堪え難しと認むるもの多し。
(中略)
惟くに県下今日の計は深く町村の実情に鑑み、断然小町村を合併し大に其資力を充実し、自治の根底を鞏固ならしめ、以って経営の完成を期す

なお柏田盛文知事は、翌明治35年に発覚した、教科書採択に関する全国規模の贈収賄事件「教科書疑獄事件」に関連して政治的にも失脚します。柏田盛文は新潟県の前に茨城県の知事でしたが、その元茨城県師範学校校長で教科書出版の「普及舎」社長でもあった山田禎三郎が、鉄道内に手帳を忘れたことにより事件が発覚します。摘発された関係者としては、新潟・宮城・栃木・島根・宮崎の各県知事や県会議長・府県書記官・視学官・視学、郡視学、師範学校長・同教諭や高等師範学校教諭、中学校長・女学校長などが含まれ、ほとんどの府県から逮捕者を出すという大疑獄となりました。予審に付された者は152名に上り、有罪者は100名を超え、追徴金も7万円に達しました。柏田盛文も有罪となり、以降政界に復帰することはありませんでした。

余談ですがこの事件発覚の原因となった山田禎三郎という人物、直後に仕事で英国に逃げていたため、逮捕を免れます。後に衆議院に出馬し当選しますが、事業失敗により辞職し、株券偽造で投獄されます。さらに1907年には中ノ鳥島を発見したと主張し、リン鉱石ネタで日本政府を騙すという、この落書き帳の別の話題もリンクするとんでもない詐欺師だったりします([65212])。
[104913] 2022年 7月 8日(金)13:54:23YT さん
「春狩国」の存在はかなり怪しい
[104908] 零参弐八さん

令制国時代に目黒にあったとされる春狩国のことを知ってる人はいませんか?

確かにネット上で検索すると、目黒にあったという「春狩国」に言及するサイトが複数ありますが、どれもここ10年以内に記述されたものばかりです。また自分はJapanKnowledge(『角川日本地名大辞典』、『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』などを含む)にアクセスして全文検索できるのですが、一つとして関東地方の地名としての「春狩」「はるかり」が引っ掛かりませんでした。国立国会図書館デジタルアーカイブで『東京府史』や『埼玉県史』の武蔵国の黎明期部分を読んでも、「知々夫」(チチブ)や「无邪志」 (ムサシ/ムザシ)、「 胸刺 」(ムサシ/ムネサシ)の考察はあっても、一つとして「春狩」(ハルカリ)に言及している文献は見つかりませんでした。『目黒町誌』/『郷土目黒』はオンラインでは閲覧できませんが、項目だけなら目黒資料のページで検索できます。「无邪志国造」という項目はあるのに「春狩」はないです。CiNiiの論文検索でも一つとして「春狩」「はるかり」が引っ掛かりませんでした。

さらに元ソースまでは未確認ですが、twitter検索で目黒出身のミュージシャンの作り話という情報も出てきたので、これ以上は調べる気になれませんでした。

そもそも「目黒」に関連して「春狩国」が言及されているようですが、「目黒」/「馬畔」/「めぐろ」/「めくろ」という地名自体、『吾妻鏡』や『承久軍物語』に登場する「目黒」という武家の姓より遡ることができません。よって「寺社などに伝わった中世以降の古文書に、何等かの形で目黒と春狩を結びつける文献が新発見された」とかじゃない限り、これまで一般的に出版されている学術書に話が全く出てこないことを説明できませんので、この時点でかなり怪しい話と考えるべきです。北奥県([79597] [79620]参照)のように中央に情報が残らない可能性も否定はできませんが、新発見の旧国名なら然るべき論文として発表されているはずであり、むしろ近年発表の日本語論文なら容易にCiNiiなどの検索に引っかかるはずであり、まあ現時点では信じない方がよいと思います。
[104836] 2022年 6月 17日(金)11:24:58【1】訂正年月日
【1】2022年 6月 17日(金)17:41:38
YT さん
明治22年の市区町村別人口まとめ(後半)
[103711]で書きましたように、総務省統計局図書館所蔵の『町村別戸口表』を使って明治22年12月31日付の市区町村別現住人口を再計算し、一応は作業が終わりましたが・・・色々検証するべき問題点が見つかりましたので、とりあえず公開の方は明治23年12月31日付のデータの方をまとめからにします。

まず[104158]の訂正

市区町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
北蒲原郡新発田町11,21310,89410,95611,22610,89410,875「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他郡市出寄留623、他郡市入寄留529を加除せず、また本籍人口11,213(男5,689、女5,524)が異なる; [出]陸海軍在営艦者19を修正

[104158]では陸軍第二師団歩兵第十六連隊1,520を北蒲原郡新発田町に加えてしまいましたが、その後『陸軍省第三回統計年報』(明治22年12月31日付の情報が載っている版はオンラインで公開されておらず、某大学某図書館のマイクロフイルム版で確認しました)を閲覧したところ、この時は北蒲原郡新発田本村に陸軍第二師団歩兵第十六連隊の兵営があったことが判明したので、日本帝国民籍戸口表基準での再計算した現住人口を12,395から10,875に訂正します。

続いて宮城県~宮崎県の残りです(宮城県、島根県、佐賀県などは前と重複しますが、説明文にも一部変更入れましたので再掲します)。

市区町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
仙台市66,35086,50590,23166,35086,50491,796「各地方郡市戸口表」、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は仙台市榴ヶ岡在営の陸軍第二師団歩兵第四連隊1,565を宮城郡に加算、また官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
牡鹿郡石巻町16,52816,94416,97416,52816,94416,920「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留150、他町村入寄留96を加除せず
西白河郡白河町10,06511,02410,91610,06511,02411,121「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留100、他町村入寄留305を加除せず
信夫郡福島町10,42316,96516,62910,42316,96516,939「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留126、他町村入寄留436を加除せず
北会津郡若松町27,45921,32521,58427,45921,32521,380「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留753、他町村入寄留549を加除せず
盛岡市32,11731,23931,15332,11731,23931,153
弘前市31,61530,56030,48731,61530,56030,487
東津軽郡青森町17,55320,00619,48417,55320,00620,280「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留100、他町村入寄留889、陸軍第二師団歩兵第五連隊1,055を加除せず、また残差7は計算間違いか(詳細不明)
三戸郡八戸町10,73210,63310,56810,73210,63310,602「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留172、他町村入寄留215、八戸監獄の囚人8を加除せず、また残差9は計算間違いか(詳細不明)
山形市26,70328,45529,01926,70328,45529,019
米沢市30,23429,62029,59130,23429,62029,591
最上郡新庄町11,56511,28911,27711,56511,28911,276「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
西田川郡鶴岡町20,41719,63019,56220,41719,63019,562
飽海郡酒田町20,41420,97320,91820,41420,97320,918
秋田市29,49329,06929,56829,49329,06929,568
南秋田郡土崎港町11,80611,70811,68811,80611,70811,699「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
山本郡能代港町11,14211,42711,26911,14211,42711,395「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留18、他町村入寄留144を加除せず
平鹿郡横手町11,23411,08810,96711,23410,96711,076「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留85、他町村入寄留193を加除せず、また残差1は計算間違いか(詳細不明)
福井市40,96140,63140,84940,96140,63140,849
坂井郡三国町10,15610,43210,40910,15610,43210,409
南条郡武生町13,41414,18814,17513,41414,18814,175
敦賀郡敦賀町14,24714,65914,60614,24714,65914,606
金沢市100,72994,40794,257100,72994,40795,812「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口94,257は金沢市在営の陸軍第三師団歩兵第七連隊1,555を加算せず
能美郡小松町12,03012,68312,70312,03012,68712,964「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留29、他町村入寄留290を加除せず、また官報掲載の現住人口は小松監獄の無籍在監人4を加算せず
鹿島郡七尾町10,36910,78710,54610,36910,78710,827「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留24、他町村入寄留305を加除せず
鳳至郡輪島町10,12610,12610,08610,12610,12610,113「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留18、他町村入寄留45を加除せず
富山市57,27757,85758,15957,27757,85758,159
高岡市28,57628,98628,92828,57628,98628,928
上新川郡滑川町10,50110,21410,19510,50110,21410,205「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留11、他町村入寄留21を加除せず
下新川郡魚津町13,10513,12313,03013,10513,12313,089「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留52、他町村入寄留111を加除せず
射水郡新湊町17,13517,06817,03417,13517,06817,041「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
射水郡氷見町11,47011,38111,38811,47011,38111,357「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
鳥取市29,39527,94228,39629,39527,94228,396
会見郡米子町12,05313,37313,30412,05313,37313,497「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留82、他町村入寄留275を加除せず
松江市35,65835,70135,93435,65835,70135,934
西北条郡津山町11,03611,62711,90311,03611,62711,870「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
岡山市33,56347,72448,33333,56347,72448,333
御調郡尾道町16,94218,13418,47316,94218,13418,427「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留480、他町村入寄留434を加除せず
深津郡福山町15,77415,10814,90015,77415,10815,040「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留480、他町村入寄留434を加除せず
広島市81,91783,89688,82081,91783,89688,820
安芸郡仁保島村14,98814,37014,28314,98814,37014,314「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留22、他町村入寄留53を加除せず
安芸郡江田島村10,30010,92510,86510,30010,92510,908「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留43を加算せず
安芸郡瀬戸島村10,48310,32510,34110,48310,32510,312「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留39、他町村入寄留10を加除せず
安芸郡倉橋島村13,20212,71812,69613,20212,71812,688「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留29、他町村入寄留21を加除せず
安芸郡蒲刈島村11,43811,22611,19511,43811,22611,204「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留1、他町村入寄留10を加除せず
賀茂郡広村13,36713,08913,06113,36713,08913,058「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留41を加除せず
大島郡家室西方村11,08910,71310,70311,08910,71310,703
都濃郡徳山村12,20012,10712,05512,20012,10712,055
佐波郡三田尻村9,98110,20910,1429,97510,20910,136「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は町村別戸籍表掲載の本籍人口と異なる本籍人口9,981(男5,068、女4,913)で算出
吉敷郡山口町11,42514,18313,65311,42514,18314,117「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留41を加除せず
阿武郡萩町23,38920,14619,80423,38920,14619,804
赤間関市26,55629,91429,91926,55629,91429,919
和歌山市56,07656,20256,71356,07656,20256,713
有田郡湯浅村10,55810,32410,28810,55810,32410,288
東牟婁郡新宮町10,25010,64810,62410,25010,64810,624
勝浦郡小松島村12,52612,72112,49212,52612,72112,665「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
板野郡撫養町18,57418,32918,25918,57418,32918,259
徳島市60,86160,14461,10760,86160,14461,107
香川郡[高松城下]32,18332,08132,63532,18332,877日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は高松城下60町のものと推定されるが、高松監獄の囚人及懲治人816を加算せず、また差分-20は計算間違いか(詳細不明)
阿野郡坂出村9,78910,17610,0669,78910,17610,154「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留13、他町村入寄留101を加除せず
那珂郡[丸亀城下]16,49618,29515,67216,49618,254日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は丸亀城下27町及び中府村・地方村のものと推定されるが、差分-41は計算間違いか(詳細不明)
豊田郡観音寺村11,53811,49311,41811,53811,49311,455「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留38、他町村入寄留75を加除せず
松山市30,09432,88232,73830,09432,88234,297「各地方郡市戸口表」「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は松山市堀内町在営の陸軍第五師団歩兵第二十二連隊1,559を温泉郡に加算
越智郡今治町13,19913,73413,16113,19913,73413,691「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留149、他町村入寄留679を加除せず
北宇和郡宇和島町12,64211,74211,96812,64211,74211,880「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留542、他町村入寄留454を加除せず
高知市26,72631,52932,24126,72631,52932,241
福岡市47,77051,05053,01447,77051,05053,014
三池郡大牟田町9,61211,1077,0299,61211,065「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は三池集治仮留監の無籍在監人42を加算せず
久留米市23,93724,70324,85923,93724,70324,859
企救郡小倉町13,58914,44916,09913,58914,44916,099
下毛郡中津町12,01312,58312,69212,01312,58312,692
大分郡大分町8,17410,80411,1688,17410,80411,383「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留28、他町村入寄留243を加除せず
北海部郡臼杵町10,73710,13910,10110,73710,13910,091「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
佐賀市25,50626,05526,40125,50626,05526,401
熊本市43,17648,58752,83343,17648,58753,172「各地方郡市戸口表」、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は熊本市宮内町在営の陸軍第六師団工兵第六大隊(または熊本市古京町在営の陸軍第六師団輜重兵第六大隊)339を託麻郡に加算
葦北郡水俣村12,36112,53812,51612,36112,53812,513「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
北諸県郡都城町11,22711,77611,58711,22711,77611,686「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留92、他町村入寄留191を加除せず
西諸県郡小林村10,10710,63910,63910,10710,63910,618「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留60、他町村入寄留39を加除せず

香川県の高松、丸亀の現住人口は『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」によりますが、これに記載されている人口の範囲がどこまでなのか、さっぱり不明なので、日本帝国民籍戸口表基準での再計算の範囲を出すにせよ、ある程度近い数字になるように想像で範囲を指定するしかありませんでした。

改めて現時点で解決できない問題点としては

1.東京府伊豆七島、小笠原島の町村別人口の情報が完全に欠落している(明治23年版に関しても、大島、三宅島、八丈島、小笠原島内の町村の情報は欠落している)。
2.千葉県印旛郡の入寄留の内、入寄留の陸海軍在営艦者1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できない(明治23年に関しては[103921]に示すように分配済)。
3.茨城県東茨城郡の出寄留の内、出寄留の囚人及懲治人に関する部分が虫食いのために判別できない箇所があり、一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の現住人口を正確に算出できない。
【4】.北海道庁釧路郡に所属する町村(真砂町、米町、洲崎町、幣舞町、浦見町、釧路村、桂恋村、鳥取村、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村)に関し、郡全体での他町村出寄留は4人となっているものの、町村別の他町村出寄留が空欄となっており、これらの町村のいくつかの現住人口を正確に算出できない。

この内、2に関連する入寄留の陸海軍在営艦者に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方人口出入表」の方に府県別の集計があり、最終的に『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方郡市戸口表」の現住人口との差分から郡市別の入寄留の陸海軍在営艦者にまではたどり着けます。ところが、この情報と『陸軍省第三回統計年報』と比較したところ、いろいろおかしい点が出てきます。

まず、明治23年版に関しては、[103921]に示すように陸軍・海軍の在営艦者が全て分配されていますが、明治22年版に関しては、色々比較したところ、そもそも海軍の在営艦者が全て通常の入寄留として処理されており、実際に入寄留の陸海軍在営艦者として扱われているのは陸軍分のみです。

改めて明治22年の入寄留の陸海軍在営艦者を郡市区別で分配すると以下のようになります。残念ながら『陸軍省第三回統計年報』には、各部隊の総人員や階級別人員の情報は載っていても、実際に兵営に住んでいる兵員の情報が載っていないので、人口を分割することができません。また新しく発足した憲兵隊の場所の情報など、一部必要な情報が欠落しています。

府県郡区市[入]陸海軍在営艦者推定町村備考
東京府東京市麹町区5,608東京市麹町区代官町陸軍近衛歩兵第一第二連隊
東京市麹町区代官町陸軍近衛歩兵砲兵連隊
東京市麹町区代官町陸軍近衛軍楽隊
東京市麹町区外桜田町陸軍近衛歩兵第三第四連隊
東京市麹町区八代洲町陸軍近衛騎兵大隊
東京市麹町区八代洲町陸軍第一師団騎兵第一大隊
東京市麹町区永楽町一丁目陸軍第一師団輜重兵第一大隊
東京市麹町区内山下町二丁目陸軍第一師団騎兵第一大隊第三中隊
東京市麹町区有楽町二丁目陸軍軍楽基本隊
東京府東京市芝区3?東京憲兵隊?
東京府東京市麻布区1,413東京市麻布区新竜土町陸軍第一師団歩兵第三連隊
東京府東京市赤坂区1,502東京市赤坂区赤坂檜町陸軍第一師団歩兵第一連隊
東京府東京市牛込区2,036東京市牛込区市谷本村町陸軍第一師団砲兵第一連隊
東京府東京市下谷区3東京市下谷区下谷車坂町?東京憲兵隊?
東京府北豊島郡512北豊島郡岩淵町陸軍近衛工兵中隊
北豊島郡岩淵町陸軍第一師団工兵第一大隊
京都府紀伊郡337紀伊郡伏見町陸軍第五師団工兵第四大隊
大阪府大阪市南区4?大阪憲兵隊?
大阪府大阪市東区4,020大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第廿連隊第三大隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第八連隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団歩兵第廿連隊
大阪市東区法円坂町陸軍第四師団砲兵第四連隊
大阪市東区大手前ノ町陸軍第四師団輜重兵第四大隊
大阪府西成郡112東成郡清堀村陸軍第四師団騎兵第四大隊
清堀村が東成郡に移管されたことを無視し、誤って西成郡に加算してしまったと思われる
神奈川県三浦郡156三浦郡浦賀町陸軍要塞砲兵幹部練習所
兵庫県飾東郡1,568姫路市姫路本町陸軍第四師団歩兵第十連隊
姫路市の発足を無視し、誤って飾東郡に加算してしまったと思われる
長崎県長崎市16長崎市大黒町陸軍第六師団長崎分遺砲兵隊
長崎県下県郡187下県郡厳原村陸軍第六師団対馬警備隊
新潟県北蒲原郡1,520北蒲原郡新発田本村陸軍第二師団歩兵第十六連隊
千葉県東葛飾郡1,301東葛飾郡市川町国府堂陸軍教導団
千葉県印旛郡1,713印旛郡佐倉町佐倉城陸軍第一師団歩兵第二連隊
印旛郡志津村下志津原陸軍砲兵射的学校
群馬県西群馬郡1,478西郡馬郡高崎町陸軍第一師団歩兵第十五連隊
愛知県名古屋市4,319名古屋市南外堀町陸軍第三師団歩兵第六連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団砲兵第十九連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団砲兵第三連隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団工兵第三大隊
名古屋市南外堀町陸軍第三師団輜重兵第三大隊
愛知県渥美郡1,543渥美郡豊橋町陸軍第三師団歩兵第七連隊
滋賀県滋賀郡1,507滋賀郡大津町別所村陸軍第四師団歩兵第九連隊
宮城県仙台市2,715仙台市榴ヶ岡陸軍第二師団歩兵第四連隊
仙台市川内陸軍第二師団歩兵第十七連隊
仙台市川内陸軍第二師団砲兵第二連隊
仙台市川内陸軍第五師団工兵第二大隊
仙台市川内陸軍第二師団輜重兵第二大隊
宮城県宮城郡1,565?仙台市榴ヶ岡の陸軍第二師団歩兵第四連隊を宮城郡に誤って加算か?
青森県東津軽郡1,055東津軽郡筒井村陸軍第二師団歩兵第五連隊
石川県金沢市1,555金沢市大手町陸軍第三師団歩兵第七連隊
広島県広島市4,346広島市基町陸軍第五師団歩兵第十一連隊
広島市基町陸軍第五師団歩兵第廿一連隊
広島市基町陸軍第五師団砲兵第五連隊
広島市基町陸軍第五師団輜重兵第五大隊
広島市白鳥北町陸軍第五師団工兵第五大隊
香川県那珂郡1,598那珂郡丸亀(丸亀一番丁~五番丁)陸軍第五師団歩兵第十二連隊
愛媛県松山市1,559松山市堀内町陸軍第五師団歩兵第廿二連隊
福岡県福岡市1,527福岡市福岡城陸軍第六師団歩兵第廿四連隊
福岡県企救郡1,503企救郡小倉町陸軍第六師団兵兵第十四連隊
熊本県熊本市3,665熊本市二之丸町陸軍第六師団歩兵第十三連隊
熊本市二之丸町陸軍第六師団砲兵第六連隊
熊本市山崎町陸軍第六師団歩兵第廿三連隊
熊本市山崎町陸軍第六師団歩兵第廿三連隊第三大隊
熊本市山崎町陸軍第六師団騎兵第六大隊第一中隊
熊本市宮内町陸軍第六師団工兵第六大隊
熊本市古京町陸軍第六師団輜重兵第六大隊
熊本県託麻郡339?熊本市内の宮内町の陸軍第六師団工兵第六大隊か古京町の輜重兵第六大隊を託麻郡に誤って加算か?
沖縄県首里120首里当蔵村陸軍第六師団沖縄分遺歩兵隊
北海道庁亀田郡520亀田郡亀田町陸軍第二師団歩兵第五連隊第三大隊

ここでなぜか仙台市、熊本市で一部の入寄留の陸海軍在営艦者が、わざわざ近隣の郡に分割されている理由が不明です。

仙台市に関しては、明治18年時点で宮城郡南目村(のちに宮城郡原町)と仙台区榴ヶ岡(のちに仙台市)に渡って兵営が造営されていたことが確認できる陸軍第二師団歩兵第四連隊の分の取り扱いの問題と推測されますが(参考:『陸軍省第十一年報』)、熊本市/熊本区分に関しては、託麻郡内には兵営官舎がなく、小銃射的場ぐらいしか確認できず(参考:『陸軍省第十一年報』、何をどう間違えたらこうなるのかさっぱり分かりません。

というわけで、千葉県印旛郡の入寄留の陸海軍在営艦者を含め、明治22年12月31日付の現住人口に関しては、もう少し調査する必要があります。

【訂正】釧路郡の町村の他町村出寄留が空欄となっており、いくつかの町村の現住人口が正確に算出できていない可能性があることを【4】として追記
[104158] 2022年 4月 16日(土)12:01:04【4】訂正年月日
【1】2022年 4月 16日(土)12:11:34
【2】2022年 4月 16日(土)12:23:19
【3】2022年 4月 16日(土)12:38:28
【4】2022年 4月 17日(日)15:39:42
YT さん
明治22年の市区町村別人口まとめ(前半を終えて)
[103711]で書きましたように、総務省統計局図書館所蔵の『町村別戸口表』を使って明治22年12月31日付の市区町村別現住人口を再計算しておりますが、4月に入って全く手が付けらないほど忙しい状況になってしまっています。

現時点で集計を終えたのは、当時の府県順でいうところの東京府から宮城県、沖縄県、北海道、および特殊な離島を含む県(島根県、鹿児島県)までで、宮城県を除く東北、新潟県を除く北陸、島根県を除く中国、南海、長崎県と鹿児島県を除く九州などがまだ残っております。現時点でどうしても解決できない問題として残っているのは、

1.東京府伊豆七島、小笠原島の町村別人口の情報が完全に欠落している。

逆に島根県隠岐、長崎県壱岐・対馬、鹿児島県吐噶喇・奄美、沖縄県、北海道庁に関してはすべて情報が揃い、「官報掲載の現住人口」に相当するものもすべて補うことができました。

2.千葉県印旛郡の入寄留の内、「[入]陸海軍在営艦者」1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できません(明治23年に関しては[103921]に示すように分配済)。


3.茨城県東茨城郡の出寄留の内、「[出]囚人及懲治人」に関する部分が虫食いのために判別できない箇所があり、一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の現住人口を正確に算出できません。

なお「官報掲載の現住人口」と『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」や「各地方郡市戸口表」などに掲載されいてる、「民籍戸口表掲載の現住人口」(仮称)との間には、以下の式が成立します。

・官報掲載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人

・民籍戸口表掲載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]陸海軍在営艦者-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

・民籍戸口表掲載の現住人口=官報掲載の現住人口-[出]陸海軍在営艦者-[出]囚人及懲治人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

『町村別戸口表』に載っているデータは、本籍人口、[出]外国行、[出]他府県出寄留、[出]他郡区出寄留、[出]他町村出寄留、[出]陸海軍在営艦者、[出]囚人及懲治人、[出]失踪、[入]他府県入寄留、[入]他郡区入寄留、[入]他町村入寄留です。

[入]無籍在監人、[入]有籍囚人及懲治人に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方在監有籍者及無籍者人口表」の方に監獄別集計があります。

[入]陸海軍在営艦者に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方人口出入表」の方に府県別の集計があるばかりで、最終的には『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方郡市戸口表」の現住人口との差分から郡市別の[入]有籍囚人及懲治人にまではたどり着けます。明治23年に関しては[103921]に示したようにリストが存在します。

官報掲載の現住人口に関しては、離島や沖縄県と北海道を除き、すべて官報に市町村別人口が掲載されており、そのため『町村別戸口表』掲載の[出]外国行、[出]他府県出寄留、[出]他郡区出寄留、[出]他町村出寄留、[出]失踪、[入]他府県入寄留、[入]他郡区入寄留、[入]他町村入寄留、[入]無籍在監人などに虫食いの判別不能箇所があっても、官報掲載の現住人口と郡別の各項目の集計を駆使することで、誤った箇所や虫食いの箇所を補うことができます。

一方民籍戸口表掲載の現住人口に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」や「各地方郡市戸口表」からわかるのは1万人以上の都市、郡市別人口までで、1万人未満の都市に関しては集計がありあませんので、[出]陸海軍在営艦者と[出]囚人及懲治人に関しては虫食いがあった場合、官報掲載の現住人口から復元することができません。

また[入]陸海軍在営艦者に関しては現時点で町村別人口への分配を記した史料を入手できていませんので、同一郡内に複数の軍の施設があり、いずれも現住人口1万人未満であれば、郡別人口からさらに町村別へ現住人口を分配することができません。


とりあえず、明治22年の現住人口として広く出回っている数値にかなりの計算間違いがあったので、本籍人口、官報掲載の現住人口、日本帝国民籍戸口表の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等(香川県、沖縄県、北海道に関しては『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」により数字を補った)に掲載の現住人口の3種類について、新たに『町村別戸口表』掲載の本籍人口、『町村別戸口表』から再計算した官報掲載基準の現住人口、日本帝国民籍戸口表基準で再計算した現住人口について、数値が正しかった分も含めて以下にまとめてみます。

【注意:まだ手を付けていない東北や西日本の府県の都市については再計算比較をしておりませんので、下の表はまだ完璧ではありません。】

市町村「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の本籍人口官報掲載の現住人口「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口町村別戸口表等掲載の本籍人口現住人口(官報基準での再計算)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準での再計算)備考
東京市817,2081,378,1321,389,684817,2081,378,1321,389,684
荏原郡品川町12,58617,22117,10812,58617,22117,166「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留102を加除せず
南足立郡千住町11,58414,02214,01011,58414,02214,010
京都市256,452279,165279,792256,452279,165279,792
紀伊郡伏見町16,34917,19717,50316,34917,19717,508「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留39、他町村入寄留44を加除せず
堺市42,95947,88348,16542,95947,88348,165
大阪市327,682473,417476,271327,682473,417476,271
西成郡難波村23,74125,70125,61723,74125,70125,617
西成郡曽根崎村10,55711,19111,16110,55711,19111,161
東成郡天王寺村13,52914,75414,69913,52914,75414,673「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留83、他町村入寄留57を加除せず
東成郡東平野町10,18612,28112,10210,18612,28112,249「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留28、他町村入寄留175を加除せず
三浦郡横須賀町17,08617,17124,3669,80617,17117,086「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は本来の現住人口を本籍人口17,086(男8,474、女8,612)として重複算出
三浦郡浦賀町13,01613,54613,62513,01613,54613,625
足柄下郡小田原町15,14813,85613,84515,14813,85613,845
横浜市65,372122,143121,98565,372122,143121,985
久良岐郡戸太村10,32310,33915,2536,15610,33911,086「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は本来の現住人口を本籍人口10,323(男5,238、女5,085)として重複算出
橘樹郡神奈川町13,50315,88215,38213,50315,88215,859「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
南多摩郡八王子町13,99821,72121,55513,99821,72121,754「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
神戸市89,363134,901135,63989,363134,901135,639
武庫郡西宮町11,60511,28611,22911,60511,28611,229
川辺郡尼ヶ崎町13,65613,62413,58013,65613,62413,592「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は修正前の他郡市出寄留86、他郡市入寄留102で算出
姫路市24,52925,54227,05524,52925,54227,055「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口25,487は姫路市姫路本町在営の陸軍第四師団歩兵第十連隊1,568を飾東郡に加算
明石郡明石町19,27019,79019,81919,27019,79019,819
長崎市39,03454,63555,06339,03454,63555,063
南高来郡西有家村10,54410,50110,45410,54410,50110,454
新潟市43,91145,86146,35343,91145,86446,353官報掲載の現住人口は新潟監獄の無籍在監人3を加算せず
北蒲原郡新発田町11,21310,89410,95611,22610,89412,395「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他郡市出寄留623、他郡市入寄留529、陸軍第二師団歩兵第十六連隊1,520を加除せず、また本籍人口11,213(男5,689、女5,524)が異なる
中頸城郡高田町20,20420,12220,19120,20420,12220,091「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
雑太郡相川町12,11313,21313,24912,11313,21313,234「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留38、他町村入寄留23を加除せず
入間郡川越町16,64818,65117,98816,64818,65118,766「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留258、他町村入寄留1,036を加除せず
大里郡熊谷町8,37810,71410,5718,37810,71410,780「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留213、他町村入寄留422を加除せず
千葉郡千葉町14,40821,59922,25914,40821,59922,259
東葛飾郡船橋町11,41911,63911,62611,41911,63911,626
香取郡佐原町10,39711,49511,48110,39711,49511,481
海上郡本銚子町16,98815,58715,55616,98815,58715,556
結城郡結城町9,24310,28310,2719,24310,28310,271
水戸市23,20325,08825,59123,20325,08825,591
那珂郡湊町10,64011,24110,57310,64011,24111,229「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
新治郡石岡町9,22510,49810,4809,22510,49810,480
新治郡土浦町8,78610,61010,7548,78610,61010,825「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留44、他町村入寄留115を加除せず
東群馬郡前橋町21,38727,51228,11521,38727,51228,115
西群馬郡高崎町17,93823,99324,18217,93823,99325,660「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は陸軍第一師団歩兵第十五連隊1,478を加算せず
山田郡桐生町12,56317,59317,50412,56317,59317,557「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留193、他町村入寄留246を加除せず
河内郡宇都宮町23,62929,42430,69823,62929,42430,060「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は修正前の他郡市出寄留383、他町村出寄留152、他郡市入寄留2225、他町村入寄留1138で算出
上都賀郡足尾町1,90111,86911,8151,90111,86911,862「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留47を加算せず
下都賀郡栃木町15,85119,07319,05515,85119,07319,055
安蘇郡田沼町10,68810,67710,66110,68810,67710,661
足利郡足利町12,16113,93513,92412,16113,93513,924
添上郡奈良町22,00524,27424,45922,00524,27424,459
添下郡郡山町13,33512,82812,80413,33512,82812,804
阿拝郡上野町12,53112,92012,94112,53112,92012,941
津市22,49523,51628,15622,49527,62928,156官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
桑名郡桑名町15,69317,91217,89015,69317,91217,890
三重郡四日市町13,77817,38417,53113,77817,38417,531
飯高郡松阪町11,04113,07013,04011,04113,07013,040
度会郡宇治山田町24,64827,12227,36524,64827,12227,365
名古屋市135,126157,505162,767135,126157,505162,767
愛知郡熱田町17,89718,31018,27617,89718,31018,276
中島郡一宮町10,56710,85510,84010,56710,85510,840
海東郡津島町11,34611,62011,59411,34611,62011,594
額田郡岡崎町12,92515,78516,03412,92515,78516,034
渥美郡豊橋町8,79412,37913,9118,79412,37913,911
敷知郡浜松町13,16313,63013,85713,16313,63013,857
静岡市39,26137,72437,66439,26137,72437,664
駿東郡沼津町11,26610,23010,30011,26610,23010,302「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
有渡郡長田村10,47210,24110,21810,47210,24110,218
甲府市22,62230,76331,13522,62230,76331,135
南巨摩郡増穂村10,10710,07510,06710,10710,07510,067
滋賀郡大津町24,44430,92029,94124,44430,92032,365「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留157、他町村入寄留1,074、陸軍第四師団歩兵第九連隊1,507を加除せず
犬上郡彦根町19,73717,92817,56819,73717,92817,973「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留446、他町村入寄留851を加除せず
岐阜市19,19026,23327,08919,19026,23327,089
安八郡大垣町19,32820,10321,64018,23420,10320,063「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口19,328(男10,281、女9,047)が異なる
大野郡高山町15,38515,42614,77516,02315,42615,426「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口15,385(男7,632、女7,753)が異なる
小県郡上田町14,31517,03317,24214,31517,03617,196「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留829、他町村入寄留783を加除せず、また官報掲載の現住人口は上田監獄の無籍在監人3を加算せず
下伊那郡飯田町11,45812,48512,54411,45812,48712,544官報掲載の現住人口は飯田監獄の無籍在監人2を加算せず
東筑摩郡松本町25,69125,77329,31922,27225,77425,958「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口25,691(男13,199、女12,492)が異なり、官報掲載の現住人口は松本監獄の無籍在監人1を加算せず
上水内郡長野町22,90126,34528,98018,57326,35226,810「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)、また本籍人口22,901(男10,565、女12,336)が異なり、官報掲載の現住人口は長野監獄の無籍在監人7を加算せず
仙台市66,35086,50590,23166,35086,50491,796「各地方郡市戸口表」掲載の現住人口は仙台市榴ヶ岡在営の陸軍第二師団歩兵第四連隊1,565を宮城郡に加算、また官報掲載の現住人口は計算間違いか(詳細不明)
牡鹿郡石巻町16,52816,94416,97416,52816,94416,920「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村出寄留150、他町村入寄留96を加除せず
松江市35,65835,70135,93435,65835,70135,934
佐賀市25,50626,05526,40125,50626,05526,401
南諸県郡志布志村16,64316,83916,76416,64316,83916,764
姶良郡加治木村11,08911,18311,10811,08911,18311,108
東囎唹郡末吉村10,44810,53610,52210,44810,53610,522
南大隅郡垂水村13,40713,28413,25213,40713,28413,252
熊毛郡北種子村10,26110,48610,52710,26110,48610,527
鹿児島市57,16257,75057,46557,16257,75057,465
鹿児島郡伊敷村15,32414,58614,51215,32414,58614,512
鹿児島郡吉野村10,62710,40110,30610,62710,40110,306
谿山郡谷山村24,87924,37724,24824,87924,37724,248
給黎郡知覧村14,79114,82414,79314,79114,82414,793
給黎郡喜入村10,1379,8409,78410,1379,8409,784
揖宿郡指宿村14,59514,54814,51714,59514,54814,517
頴娃郡頴娃村19,45419,52819,50019,45419,52819,500
川辺郡川辺村14,04613,71313,68214,04613,71313,682
川辺郡加世田村13,86413,56313,52613,86413,56313,526
川辺郡東加世田村11,65211,47311,44811,65211,47311,448
川辺郡西加世田村13,62813,57313,54713,62813,57313,547
川辺郡東南方村19,01519,05619,00719,01519,05619,007
川辺郡西南方村10,56710,50910,49910,56710,50910,499
日置郡串木野村18,12117,98417,94018,12117,98417,940
日置郡東市来村11,77511,54911,52211,77511,54911,522
阿多郡伊作村15,01714,54814,50715,01714,54814,507
高城郡水引村9,89910,07110,0919,89910,07110,126「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の現住人口は他町村入寄留35を加算せず
出水郡上出水村10,95711,64911,61810,95711,64911,618
出水郡阿久根村14,78414,85214,81414,78414,85214,814
那覇40,21235,94740,22040,212
首里26,20526,44926,10226,205
島尻小禄間切12,10811,85711,92012,108
島尻大里間切10,55210,65110,55210,552
中頭西原間切11,80411,99011,80611,804
中頭中城間切14,85715,08314,85914,857
中頭読谷山間切10,47310,55010,47610,473
中頭美里間切10,85410,86110,85410,854
中頭具志川間切11,22011,22411,22811,228日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は計算間違いか(出入を反転?)
国頭本部間切11,93911,88511,93911,939
国頭今歸仁間切10,49410,43410,49710,494
宮古島砂川間切13,79413,66613,79413,794
函館区33,82152,90933,82152,97952,909
松前郡[福山市街三十四箇町]12,03111,06312,04712,031
檜山郡[江差市街二十六箇町]13,7989,77213,89913,886日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は他町村出寄留109、他町村入寄留190、江差分署の囚人7を加除せず
小樽郡[小樽市街二十九箇町]12,6297,81912,61412,606日本帝国人口静態統計掲載の現住人口は他町村出寄留508、他町村入寄留485を加除せず
札幌区10,02916,87610,02916,87716,876

官報掲載の現住人口が基本間違いが少ないのですが、たまに無籍在監人の追加を忘れていることがあります。あと、府県別に担当者が違うみたいで、岐阜県に関しては例外的に計算間違いが多かったです。

一方の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」等掲載の現住人口は間違いだらけ!特に神奈川県横須賀町の計算間違いは意図的な水増しを疑ってしまいます。

【用語等を追加修正】
[104019] 2022年 2月 28日(月)04:04:19【1】訂正年月日
【1】2022年 2月 28日(月)11:26:53
YT さん
哀悼
hmtさんのご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。

土曜日の内に訃報に気付きましたが、土日なので子供が寝ている間に仕事をするという、個人的に超絶忙しい状況に追い込まれており、なかなか追悼文を書けずにおりました。

hmtさんとの話題の共有は様々ありましたが、とりわけ過去の人口情報の書き込みには頻繁に反応を頂きました。今取り掛かっている明治22年、23年の人口の入力作業も忙しくて滞っており、hmtさんに完成版を見せることができず残念です。

ところで私の本職は実のところ実験化学なのですが、ここに来てhmtさんの本職も化学(そういえば大阪の化学会社に就職したというのを書いていたような記憶が・・・[100051])ということで、とんでもない接点がありました。私はオフ会には一度も参加したことはありませが、専門が近かったとなると、是非ともお会いして話をしたかったです。

またhmtさんは2003年7月に70歳、亡くなった時には88歳だったということは、私の父の3歳上で、小学生の時に教育制度が新制に替わった世代ですね。私の父も専門は完全に理系ですが、とにかく教養を大事にする人で、今でもアマオケに参加して練習をする傍ら、歴史の本を読むという、専門に囚われない広い知識と教養を貪欲に求め続けています。私が専門で理系を選び、趣味で歴史関係にはまっているのは完全に両親の影響ですが、専門外のことまで妥協せずに色々調べ尽くす、hmtさんなどのこの世代の教養人の姿勢は、今後も見習いたいです。

【訂正】教育制度が変わったのは父が小学6年、hmtさんが中学3年の時で、私の父の場合は中学から新制度になりましたが、hmtさん自身は旧制中学で卒業した世代でしょうか?この辺数年の違いで差が出るので、リアルタイムに経験しないと分かりません。
[103922] 2022年 2月 4日(金)19:45:50【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 4日(金)20:23:30
【2】2022年 2月 4日(金)20:35:32
YT さん
自己解決と新たな現住人口算出処理の間違いの発見
[103921]の西成郡の兵営に関連して新たな知見が得られたのと共に、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」における現住人口算出処理の間違いを見つけてしまいました。

まず『日本民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」と『町村別戸口表』『戸籍表』を突き合わせることにより、大阪府における[入]陸海軍在営艦者の数値は以下の変遷としてまとめられます。

郡区明治22年明治23年明治23年当時の在営隊
大阪市東区4,0203,970歩兵第八連隊・歩兵第二十連隊・砲兵第四連隊・輜重兵第四大隊・軍楽隊・大阪憲兵隊
大阪市南区40
大阪市西区0173騎兵第四大隊
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年と明治23年で兵営人員に変化はほとんどありません。それ以前の明治20年の段階では、すべての兵営は大阪市東区法円坂、大阪市東区大手前にありましたが、この段階では大阪憲兵隊、騎兵大隊の兵営の記載がありません。調べたところ、大阪憲兵隊(それ以前は東京の憲兵隊の分遣隊扱い)と騎兵第四大隊が大阪府内に発足したのは明治22年。この内大阪憲兵隊に関しては、明治22年に大阪分遣憲兵大隊が大阪憲兵隊へと昇格したことによる名称変更で、その司令部が大阪市南区順慶町に置かれており、明治22年の南区の4人は大阪憲兵隊の在営人員そのものと思われます。

次に騎兵隊について改めて調べたところ、騎兵大隊自体が設置されたのは明治21年のことで(明治21年2月28日の官報)、発足当初は大阪に設置されませでした。第四師団配属となる騎兵第四大隊の場合は、まず東京で訓練され、その後明治22年11月28日にようやく大阪へ移転となったようです。そして遂に明治22年12月6日の官報に以下の文章を見つけました。

○騎兵中隊移転 第四師団騎兵第四大隊第一中隊ハ去月二十八日大阪府東成郡清堀村新築騎兵営ヘ移転セリ(陸軍省)

ん?西成郡ではなくて東成郡?これはどういうこと?

一応明治22年の西成郡と東成郡の出寄留情報は以下の通りです。西成郡川崎村には堀川監獄分署があり、無籍在監人13名と囚人及徴治人3,101人が居住していましたが、その分を除しても差分として112名の陸海軍在営艦者がいることが分かります。一方の東成郡の方は町村戸口表の出入寄留情報だけで現住人口が計算可能で、監獄も兵営地も所在者がゼロです。

出入寄留等西成郡東成郡
本籍人口139,21064,043
[出]外国行1713
[出]他府県出寄留2,406667
[出]他郡市出寄留3,0801,307
[出]他町村出寄留1,297414
[出]陸海軍在営艦者14668
[出]囚人及徴治人273158
[出]失踪2,2641,516
[入]他府県入寄留14,1035,514
[入]他郡市入寄留6,7073,408
[入]他町村入寄留1,297414
[入]無籍在監人130
[入]有籍囚人及徴治人3,1010
[入]陸海軍在営艦者1120
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)155,06069,236


調べたところ、町村制施行以前は、清堀村は西成郡所属でしたが、明治22年4月1日に清堀村単独で町村制を施行した際、西成郡から東成郡へと所属が変更されたことが判明しました。明治20年の『陸軍省統計年報』を調べたところ、この段階で「陸軍所用見込地」として西成郡清堀村字小橋山・宰相山12115坪を取得しており、この土地が2年後の騎兵営地となったわけです。

よって私の出した結論としては、明治22年12月31日時点で西成郡に加算された兵員112名は、陸軍第四師団騎兵第四大隊第一中隊であって、東成郡堀成村に兵営していたが、「各地方郡市戸口表」の担当者が堀成村は西成郡所轄のままと勘違いして、うっかり西成郡の現住人口に加算してしまったのだろうということです。

「各地方郡市戸口表」における東成郡/西成郡という誤りは、姫路市/飾東郡の誤りに続いて2つ目となります。

なお当初西成区の兵営地として自分が考えていた天保砲台ですが、明治21年には天保山砲台周辺の土地は民間の遊園地となっていますので、明治21年中に軍用地から民間の土地になったと思われます。

【追記】『大阪府全志』の記述により、清堀村内の小字名を「小構山」から「小橋山」に改訂。
[103921] 2022年 2月 3日(木)21:00:45【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 3日(木)23:20:55
【2】2022年 2月 4日(金)12:37:59
YT さん
明治23年の陸海軍在営艦者のまとめと、明治22年における陸海軍在営艦者の所在地の問題
[103852]
2.明治22年に関しては入寄留側の陸海軍在営艦者の統計が記載されていません(明治23年に関しては駐屯地毎の陸海軍の統計が存在する)。ただ府県別データは『日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」に掲載されていますので、郡市別データと監獄の統計からの加除により、ある程度は推測できます。
と書きましたが、実際には明治22年と明治23年で異なることが多く、大阪府と兵庫県で陸海軍在営艦者の所在地をはっきりとは断定できない問題が発生しました。そこで比較のためにまず以下に、明治23年の戸口表記載の情報から、明治23年末における「陸海軍在営者」62,494人の情報をまとめます。

府県区町村等人員区分
東京府麹町区代官町1,160陸軍近衛歩兵第一連隊
東京府麹町区代官町1,155陸軍近衛歩兵第二連隊
東京府麹町区代官町362陸軍近衛歩兵砲兵連隊
東京府麹町区代官町45陸軍近衛歩兵軍楽隊
東京府麹町区大手町10陸軍東京憲兵隊
東京府(下谷区下谷車坂町)
東京府麹町区元衛町62陸軍乗馬学校
東京府麹町区元衛町12陸軍蹄鉄学舎
東京府麹町区外桜田町999陸軍近衛歩兵第三連隊
東京府麹町区外桜田町997陸軍近衛歩兵第四連隊
東京府麹町区飯田町115陸軍砲兵工科学舎
東京府京橋区築地四丁目8海軍大学校
東京府京橋区築地四丁目33海軍主計学校
東京府芝区芝公園地6海軍水路部
東京府芝区芝赤羽町3海軍造兵廠
東京府芝区品川港354海軍高千穂
東京府芝区品川港333海軍扶桑
東京府芝区品川港307海軍浪速
東京府芝区品川港188海軍高雄
東京府芝区品川港210海軍葛城
東京府芝区品川港202海軍大和
東京府芝区品川港237海軍筑波
東京府芝区品川港54海軍鳳翔
東京府芝区品川港101海軍磐城
東京府麻布区新竜土町1,420陸軍第一師団歩兵第三連隊
東京府赤坂区赤坂檜町1,458陸軍第一師団歩兵第一連隊
東京府赤坂区溜池葵町1海軍参謀部
東京府四谷区千駄ヶ谷村328陸軍第一師団輜重兵第一大隊
東京府牛込区市谷本村町596陸軍第一師団砲兵第一連隊
東京府牛込区市谷本村町377陸軍士官学校
東京府牛込区市谷本村町246陸軍幼年学校
東京府牛込区下戸塚町917陸軍戸山学校
東京府荏原郡目黒村264陸軍近衛騎兵大隊
東京府荏原郡目黒村340陸軍第一師団騎兵第一大隊
東京府北豊島郡岩淵町160陸軍近衛工兵中隊
東京府北豊島郡岩淵町351陸軍第一師団工兵第一大隊
東京府南豊島郡大久保村24陸軍軍楽学舎
京都府紀伊郡伏見町350陸軍第五師団工兵第四大隊
大阪府大阪市西区173陸軍第四師団騎兵第四大隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第八連隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第二十連隊
大阪府大阪市東区612陸軍第四師団砲兵第四連隊
大阪府大阪市東区323陸軍第四師団輜重兵第四大隊
大阪府大阪市東区37陸軍第四師団軍楽隊
大阪府大阪市東区4陸軍大阪憲兵隊
神奈川県三浦郡浦郷村長浦159海軍横須賀水雷隊
神奈川県三浦郡横須賀町278海軍横須賀鎮守府
神奈川県三浦郡横須賀町1,399海軍横須賀鎮守府海兵団
神奈川県三浦郡横須賀町310海軍龍驤
神奈川県三浦郡横須賀町156海軍八重山
神奈川県三浦郡横須賀町382海軍武蔵
神奈川県三浦郡横須賀町200海軍迅鯨
神奈川県三浦郡横須賀町145海軍天城
神奈川県三浦郡横須賀町183海軍干珠
神奈川県三浦郡横須賀町130海軍愛宕
神奈川県三浦郡横須賀町21海軍筑紫
神奈川県三浦郡横須賀町105海軍赤城
神奈川県三浦郡横須賀町185海軍海門
神奈川県三浦郡浦賀町37陸軍要塞砲兵幹部練習所
神奈川県三浦郡浦賀町414陸軍要塞砲兵第一連隊
神奈川県橘樹郡神奈川町1陸軍神奈川砲台分遣
兵庫県神戸市90海軍麻耶
兵庫県姫路市1,423陸軍第四師団歩兵第十連隊
長崎県長崎市1陸軍長崎砲台分遣
長崎県長崎市88海軍満珠
長崎県長崎市94海軍鳥海
長崎県東彼杵郡佐世保村96海軍佐世保鎮守府
長崎県東彼杵郡佐世保村1,030海軍佐世保鎮守府海兵団
長崎県東彼杵郡佐世保村35海軍佐世保水雷隊
長崎県東彼杵郡佐世保村104海軍日進
長崎県下県郡厳原村201陸軍対馬警備隊
長崎県下県郡竹敷村152海軍春日
新潟県北蒲原郡新発田町1,481陸軍第二師団歩兵第十六連隊
千葉県東葛飾郡市川町1,259陸軍教導団
千葉県印旛郡佐倉町1,474陸軍第一師団歩兵第二連隊
千葉県印旛郡志津村150陸軍砲兵射的学校
群馬県西郡馬郡高崎町1,495陸軍第一師団歩兵第十五連隊
愛知県名古屋市1,463陸軍第三師団歩兵第六連隊
愛知県名古屋市1,479陸軍第三師団砲兵第十九連隊
愛知県名古屋市622陸軍第三師団砲兵第三連隊
愛知県名古屋市352陸軍第三師団工兵第三大隊
愛知県名古屋市321陸軍第三師団輜重兵第三大隊
愛知県名古屋市3陸軍愛知憲兵隊
愛知県渥美郡豊橋町1,464陸軍第三師団歩兵第七連隊
滋賀県滋賀郡大津町1,557陸軍第四師団歩兵第九連隊
宮城県仙台市榴ヶ岡1,487陸軍第二師団歩兵第四連隊
宮城県仙台市川内1,472陸軍第二師団歩兵第十七連隊
宮城県仙台市川内108陸軍第二師団騎兵第二大隊
宮城県仙台市川内597陸軍第二師団砲兵第二連隊
宮城県仙台市川内343陸軍第五師団工兵第五大隊
宮城県仙台市川内333陸軍第二師団輜重兵第二大隊
宮城県仙台市川内3陸軍宮城憲兵隊
青森県東津軽郡青森町1,023陸軍第二師団歩兵第五連隊
石川県金沢市1,471陸軍第三師団歩兵第七連隊
広島県広島市1,431陸軍第五師団歩兵第十一連隊
広島県広島市1,484陸軍第五師団歩兵第二十一連隊
広島県広島市106陸軍第五師団騎兵第五大隊
広島県広島市589陸軍第五師団砲兵第五連隊
広島県広島市344陸軍第五師団工兵第五大隊
広島県広島市330陸軍第五師団輜重兵第五大隊
広島県広島市3陸軍広島憲兵隊
広島県広島市宇品41海軍館山
広島県広島市宇品35海軍石川
広島県安芸郡江田島村120海軍兵学校
広島県安芸郡江田島村181海軍天龍
広島県安芸郡宮原村101海軍呉鎮守府
広島県(安芸郡和庄村)
広島県(安芸郡荘山田村)
広島県安芸郡宮原村1,443海軍呉鎮守府海兵団
山口県赤馬関市396陸軍要塞砲兵第四連隊
香川県那珂郡丸亀町1,456陸軍第五師団歩兵第十二連隊
愛媛県松山市1,494陸軍第五師団歩兵第二十二連隊
福岡県企救郡小倉町1,494陸軍第六師団歩兵第十四連隊
福岡県福岡市1,429陸軍第六師団歩兵第二十四連隊
熊本県熊本市1,480陸軍第六師団歩兵第十三連隊
熊本県熊本市1,162陸軍第六師団歩兵第二十三連隊
熊本県熊本市177陸軍第六師団騎兵第六大隊
熊本県熊本市615陸軍第六師団砲兵第六連隊
熊本県熊本市361陸軍第六師団工兵第六大隊
熊本県熊本市357陸軍第六師団輜重兵第六大隊
熊本県熊本市3熊本憲兵隊
沖縄県首里125陸軍第六師団歩兵第二十三連隊第八中隊
北海道庁函館区493陸軍第二師団歩兵第五連隊分遺隊
日本国内合計53,194陸軍
日本国内合計9,300海軍
外国行英国129海軍千代田
外国行外国航海中243海軍金剛
外国行外国航海中263海軍天龍
外国行合計635海軍

日清戦争前夜とはいえ、兵営・艦隊に居住する兵員が6万人って案外少ないように感じました。また東京湾の艦隊は「武蔵国品川」に停泊していますが、人口統計上はすべて東京府芝区として扱われています。また呉鎮守府101名の在営地として宮原村、和庄村、荘山田村、東京憲兵隊10名の在営地として麹町区大手町、下谷区車坂町の地名が列挙されていますが、統計上はそれぞれすべて宮原村、麹町区に集計されているようです。

それはさておき、明治22年末における「陸海軍在営者」の所在地を同定しようとして『町村別戸口表』の寄留情報と突き合わせたところ、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、明治22年末における兵庫県内の「陸海軍在営者」1568人はすべて飾東郡で計上されていることが分かりました。

本籍人口51,586
[出]外国行1
[出]他府県出寄留337
[出]他郡市出寄留855
[出]他町村出寄留108
[出]陸海軍在営艦者80
[出]囚人及徴治人59
[出]失踪1,093
[入]他府県入寄留82
[入]他郡市入寄留311
[入]他町村入寄留108
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者1,568
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)51,122

一方『町村別戸口表』には姫路市など一部市の情報が欠けておりますが、『兵庫県統計書』記載の出入寄留情報と官報掲載の現住人口の情報とを比較することで、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、監獄や兵営の人口が姫路市の現住人口に入っていないことが確認できます。

本籍人口24,529
[出]外国行・他府県郡市出寄留・失踪3,645
[出]陸海軍在営艦者・囚人及懲収人55
[入]他府県郡市入寄留4,653
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者0
官報掲載の現住人口25,542
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)25,487
現住人口(「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載)27,055

ところが同じ『日本帝国民籍戸口表』でも「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の方では姫路市の現住人口は27,055人となっており、あからさまに軍人1,568人が姫路市の方に計上されています。

なお明治23年の段階では、陸軍第四師団歩兵第十連隊1,423人はすべて姫路市となっております。一方陸軍省統計年報によると、明治20年の段階で大阪鎮台歩兵第十連隊の兵営所在地は「播磨国飾東郡姫路」となっています。一応飾東郡播磨津須賀(17331坪)にも砲台がありますが、ここに1000人規模の兵営を置いたとは思えず、考えられるのは、「各地方郡市戸口表」の作成者が明治22年成立の姫路市を無視し、うっかり「飾東郡姫路」として飾東郡に陸軍第四師団歩兵第十連隊の人口を加算してしまったということでしょう。そうなってくると現住人口算出の上で間違いだらけの「各地方郡市戸口表」([103852][103913]を参照)が、姫路市に関しては正しい処理をしたことになります。

次に明治22年末の大阪市内の現住人口から、[入]陸海軍在営艦者4,136の分布を割りだしたところ、明治23年末とは異なり、大阪市西区には兵員はおらず、大阪市南区と西成郡内に兵員がいることが判明しました【表修正】。

郡区明治22年明治23年
大阪市東区4,0203,970
大阪市南区40
大阪市西区0173
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年末当時、大阪府南区順慶町に大阪憲兵隊の屯所が置かれていたそうなので、南区の4人は大阪憲兵隊で間違いありません。一方問題なのが西成郡の112名です。大阪四区は10年以上郡から分離しており、明治22年発足の姫路市のように所属郡をそのまま間違えたとは思えません。とりあえず西成郡内で該当しそうなものを探すと、明治20年の段階では西成郡八幡屋新田に天保山砲台(22801坪)が存在します。明治22年当時、砲兵分遺隊として100名程度がこの地に在営していた可能性はあります。ただ明治19年の段階ですと、陸軍省年報によると目標山(=天保砲台)の砲兵分遺衛兵は10名にすぎません。それよりも前だと天王寺の茶臼山にも陸軍関連施設があったようですが、明治20年段階ではその施設は存在しません。海軍だと112名はちょっとした艦船の規模ですが、少なくとも明治22年前後に大阪府内に海軍施設があったようには見えませし、艦船が停泊する軍港もありません。それ以外に陸軍・海軍関連施設が見つからないので、とりあえず112名は大阪府西成郡の天保山砲台にいたと仮定します。

ただここで天保山砲台の所在地を、陸軍省年報や陸軍省統計年報は「西成郡天保町」とせずに「西成郡八幡屋新田」としている点が気になります。八幡屋新田は天保町に隣接する地区で、明治22年以降川南村の大字となります。よって現時点では112名を西成郡川南村の現住人口としてカウントすることにしておりますが、これが正しい見解なのかさっぱり分かりません。明治22年版の陸軍省統計年報を閲覧できたらなら、多少情報が増えるかも知れませんが、現時点ではすぐに閲覧できません。

【漢字色々修正】自分は別に軍隊に造詣が深いわけではないので、艦船の字にまだ間違っている箇所があるかも知れませんが御容赦下さい。
[103913] 2022年 2月 2日(水)00:02:15YT さん
130年以上前の計算間違い発覚
[103910] オーナー グリグリさん

明治初期の市区町村の人口データがある程度纏まったら、ぜひ当サイトにも掲載させてください。

ありがとうございます。そのつもりで頑張ります。

ところで[103852]で指摘した、『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の横須賀町と戸太村の本籍人口、現住人口がおかしい件ですが、あっさり解決しました。

まず横須賀町についてですが、戸籍表の本籍人口9,806人から正しく現住人口を計算すると、

9,806-(8+142+56+437+77+8+140)+(7,118+515+515)=17,086

ん? これは「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している横須賀町の本籍人口と等しい。つまり

本籍人口9,806→現住人口17,086 が正しい処理であり、それを再び本籍人口に代入して

本籍人口17,086→現住人口24,366

という二重処理をしてしまったという、とんでもない計算間違いを犯していたということになります。すでに明治22年の横須賀町の人口として24,366人(全国49位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には全国77位相当の17,086人。

戸太村についてですが、こちらも戸籍表などから正しく現住人口を計算すると

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37)=10,323

これに戸籍表に載っていない情報である、無籍在監人11人、有籍囚人及懲治人752人を加えることで、正しい現住人口が求まります。

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37+11+752+0)= 11,086

そう、見ればわかりますが、監獄の人員を加える前の現住人口は、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している戸太村の本籍人口と等しい。つまり


本籍人口9,806→現住人口11,086 が正しい処理であり、現住人口の計算の過程で出てくる10,323(監獄人口を加算する前)を再び本籍人口に代入して

本籍人口10,323→現住人口15,253

という二重処理をしてしまったという、こちらも同様の計算間違いを犯していたということになります。

こちらもすでに明治22年の戸太村の人口として15,253人(全国86位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には1万人強の村(全国147位相当)だったことになります。

このように、まさかの130年以上前の人口算出の計算間違いが明らかとなりました。これは表作成者のミスなのか、故意の改ざんなのかは分かりません。
[103887] 2022年 1月 22日(土)12:51:05【2】訂正年月日
【1】2022年 1月 22日(土)12:52:54
【2】2022年 1月 22日(土)14:29:11
YT さん
明治22年、明治23年の北海道の市街地の現住人口の計算結果の比較
[103852]に関連した記事です。

明治22年~明治30年の間の都市人口に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」(明治22年、明治23年に関しては、残念ながらオンラインで閲覧できない)が知られておりますが、掲載されているのは現住1万人以上の市町村のみです。また函館区と札幌区を除く北海道・沖縄・その他島嶼部の町村などは市制・町村制施行前ですので行政が細かく分かれたままでしたが、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)の方で現住人口1万人以上として一部集計されています。ただ、肝心の市街地の区分は行政上の連合戸長役場等を考慮せず、「~町」という呼称を持つものを適当に集めて計算されており、表に載るかどうかは編集した人の恣意に依存しています。1万人未満に関しては官報に現住人口が掲載されておりますが、こちらも北海道、沖縄、島嶼部の町村については現住人口が割愛されています。

一方総務省統計図書館には「戸籍表 北海道之部 明治19年~28年」という資料がありますが、この資料には明治22年~明治28年の間に関して北海道の各区町村別の本籍人口、出入寄留の詳細が載っておりますので、これを使えば北海道の区町村別現住人口を補完することができるはずです。そこでとりあえず北海道について『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)掲載の明治22年末と明治23年末の本籍人口・現住人口を比較してみました。

都市札幌区(M22)札幌区(M23)函館区(M22)函館区(M23)小樽(M22)小樽(M23)福山(M22)福山(M23)江差(M22)江差(M23)
本籍人口10,02911,70433,82135,1997,81912,53911,06310,7099,7729,810
[出]外国行12812010300
[出]他府県出寄留78434175471615278613681917
[出]他郡市区出寄留1,4256523,7763,945297823535795263272
[出]他町村出寄留00005081,6089497109154
[出]陸海軍在営艦者003230221012126
[出]囚人及懲治人11113834610121186
[出]失踪3181922913666710121715894133
[入]他府県入寄留7,28310,74521,64322,6064,2438,8081,3391,1083,6444,235
[入]他郡市区入寄留2,1033,0762,3442,4821,0911,822429450778886
[入]他町村入寄留00004851,54575167190277
[入]無籍在監人0000000000
[入]有籍囚人及懲治人0000006176
[入]陸海軍在営艦者000493000000
現住人口116,87624,32752,90955,67712,60621,38312,03111,29113,88614,626
現住人口216,87624,32752,90955,67712,62921,44612,05011,22113,80514,503
人口静態統計掲載の現住人口16,87624,32752,90955,67712,62921,38312,03111,29013,79814,620
現住人口3(官報掲載の現住人口に相当)16,88724,33852,97955,24812,61421,39512,04711,31313,89914,632


※小樽は明治22年末と明治23年末では市街地とされている範囲が異なる。明治22年末の小樽は小樽郡量徳町外二十八町のみで計算されており、高島郡内色内町外五町は含まれない。明治23年末の小樽は小樽郡量徳町外三十四町で計算されており、高島郡内色内町外五町を含むが、明治23年新設の小樽郡沙崎町は人口0人ということで戸籍表に記載なし。行政上は小樽郡と高島郡の町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であったが、市街地としては実務上の行政区部を無視して計算されている。
※明治22年末・23年末の福山は松前郡役場直轄町(河原町外三十三町)で計算されており、行政区分と一致している。
※明治22年末・23年末の江差は檜山郡中歌町外二十五町で計算されている。行政上は檜山郡五勝手村を含む檜山郡中歌町外二十六町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であり、市街地としては実務上の行政区分を無視して計算されている。
※現住人口1:他町村出入寄留(同一郡内の異なる町村間での転居)を含め、本籍人口から全ての出入寄留を考慮して計算。本来であれば町村別現住人口はこの方法で計算するのが妥当。
※現住人口2:他町村出入寄留を無視して計算。函館区、札幌区はこの計算で問題なし。
※現住人口3:囚人及懲治人(但し本籍人口に含まれない無籍在監人は考慮する)、陸海軍在営艦者に関する出入寄留を計算に入れない(外国行と失踪は考慮する)。官報掲載の現住人口に相当。

明治22年末は陸軍在営520人が亀田郡(おそらく五稜郭のある亀田村)で集計されているのに対し、明治23年末では陸軍在営493人(第二師団歩兵第五連隊函館分遣隊)がすべて函館区で集計されている点に関しては疑問が若干残りますが、とりあえず函館区・札幌区は同一区内に他町村が存在しないので、他町村出入寄留自体が0となっており、現住人口1=現住人口2=公式の現住人口が成立しています。

一方で小樽市街地は、明治22年末と明治23年末でその範囲が異なる点にも問題があることながら、明治22年末では他町村出入寄留を加除せずに計算、明治23年末では他町村出入寄留を含めて計算と、年度によって計算方法が異なります。

福山は明治22年末、明治23年末ともに他町村出入寄留を加除して計算しておりますが、明治23年末では福山分署(松前郡新荒町)の囚人1人を加えていません(明治22年は囚人6人を加えている)。

江差に関しては、明治22年末は他町村出入寄留の加除を行わなわなかったのに対し、明治23年末は他町村出入寄留の加除を行っています。しかしながらどちらも江差分署(檜山郡豊部内町)の囚人7人または6人を加えていません。

このように概ね明治23年末以降の郡市区未満の行政の現住人口は、同一郡内での他町村出入寄留を含めて計算する方法が確立したのに対し、明治22年末に関しては他町村出入寄留を入れたり入れなかったりといい加減です。さらにほぼ誤差範囲とはいえ、囚人等の人口の加算を忘れているケースがあったりします。

まあ北海道の市街地の現住人口に関しては20年後の再計算だから囚人のカウント忘れは仕方ないかも知れませんが、明治22年分に関しては『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の段階で、他町村出入寄留の加除の規則がいい加減という問題を抱えています。

【誤字修正】【~記載→~掲載】
[103852] 2022年 1月 17日(月)18:39:56【1】訂正年月日
【1】2022年 1月 17日(月)19:13:17
YT さん
明治22年(1889年)の現住人口の再計算、早くも頓挫
長文失礼します。ただ以下の情報は、何名かの方には非常に興味深い情報だと思いますので。

[103711]で明治22年の市区町村別人口を見直すと書きましたが、早々に『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区町戸口表」と「各地方郡市戸口表」、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)記載の甲種現住人口の数字が非常にいい加減な計算の上になりたっていることがわかり、行き詰っています。

見直そうと思ったきっかけは、総務省統計図書館所蔵の戸籍表に町村別の外国行、陸海軍在営艦者、囚人及懲治人、失踪等の統計が存在することを見出したからです。これにより、[82295]でも触れていた

さらに「官報による現住人口」を『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口に計算し直すためには、各市町村別で、【外国行・在監行・軍務行・失踪などの出寄留の統計】が必要ですが、自分が知る限りそのような統計は公表されていないので、現状では「官報による現住人口」から人口を修正する術がありません。

という問題が解決し、[68620][68621]のリストを増やすことが可能になるわけです!

しかしながら、いざ計算してみると・・・

1.京都市や神戸市、姫路市、金沢市、その他多くの市、伊豆・小笠原に関してはデータを欠いています。なお『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の「各地方現住一万人以上市区町戸口表」と「各地方郡市戸口表」とで、姫路市(27,055, 25,487)・金沢市(94,257, 95,812)の人口が異なる点が以前より気になってきましたが、両者の差は入寄留側の陸海軍在営艦者(兵庫県: 1,568; 石川県: 1,555)と一致することに改めて気付きました。しかしながら現住人口自体は、姫路市に関しては「各地方現住一万人以上市区町戸口表」の方が1568人多く、金沢市に関しては「各地方郡市戸口表」の方が1555人多い?この段階でなんかいい加減な処理をしている疑惑が出てきました。

2.明治22年に関しては入寄留側の陸海軍在営艦者の統計が記載されていません(明治23年に関しては駐屯地毎の陸海軍の統計が存在する)。ただ府県別データは『日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」に掲載されていますので、郡市別データと監獄の統計からの加除により、ある程度は推測できます。

3.町村の現住人口を計算するにあたり、他町村出入寄留の処理がいい加減!

とりあえず1万人以上の人口を有する東京府・京都府・大阪府・神奈川県の町村で検証しました。[入]無籍在監人、[入]有籍囚人及懲治人は『日本帝国民籍戸口表』「各地方在監有籍者及無籍者人口表」により、[入]陸海軍在営艦者は「各地方人口出入表」等からの推定値です。

その結果官報記載の現住人口は以下の計算式で計算していることがわかりました。

官報記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人

また明治23年以降の日本帝国民籍戸口表記載の現住人口は以下の計算式で計算していることがわかりました。

民籍戸口表記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]他町村出寄留-[出]囚人及懲治人-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]他町村入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

【外国行・失踪・無籍在監人】のデータは官報記載の現住人口に織り込み済みであることが判明し、あとは出ていく側の【有籍の囚人及懲治人と陸海軍在営艦者の人口】を減じ、これに各監獄の有籍囚人及懲治人と駐屯地等の陸海軍在営艦者を加えれば、現住人口が求まることになります。しかしながら実際に計算してみると、明治22年に関しては民籍戸口表記載の現】住人口の計算方法がいい加減で、とりあえず半数ぐらいは以下のように他町村出入寄留が計算から除外されているケースが混ざっていることがわかりました。

民籍戸口表記載の現住人口=本籍人口-[出]外国行-[出]他府県出寄留-[出]他郡区出寄留-[出]囚人及懲治人-[出]囚人及懲治人-[出]失踪+[入]他府県入寄留+[入]他郡区入寄留+[入]無籍在監人+[入]有籍囚人及懲治人+[入]陸海軍在営艦者

A. 他町村出入寄留の加除が行われているケース
町村千住町難波村曽根崎村浦賀町小田原町
本籍人口11,58423,74110,55713,01615,148
[出]外国行020210
[出]他府県出寄留1711,179170163876
[出]他郡区出寄留7381,292197640538
[出]他町村出寄留571563344181
[出]陸海軍在営艦者32086520
[出]囚人及懲治人96422127
[出]失踪1131,25914246170
[入]他府県入寄留1,9663,958872959196
[入]他郡区入寄留1,5091,579231542150
[入]他町村入寄留423117332137
[入]無籍在監人00000
[入]有籍囚人及懲治人000016
[入]陸海軍在営艦者0001560
官報記載の現住人口14,02225,70111,19113,54613,856
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口14,01025,61711,16113,62513,845

B. 他町村出入寄留の加除が行われていないケース
町村品川町伏見町東平野町天王寺村
本籍人口12,58616,34910,18613,529
[出]外国行3180
[出]他府県出寄留32325312991
[出]他郡区出寄留297343228202
[出]他町村出寄留44393883
[出]陸海軍在営艦者46121213
[出]囚人及懲治人9142068
[出]失踪212202350989
[入]他府県入寄留4,0487571,6141,441
[入]他郡区入寄留1,3648851,0491,092
[入]他町村入寄留1024417557
[入]無籍在監人0000
[入]有籍囚人及懲治人0000
[入]陸海軍在営艦者033700
官報記載の現住人口17,22117,19712,28114,754
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口17,10817,50312,10214,699

同じ府県でもこんな具合に異なる現住人口の計算方法が混在しています・・・

C. 他町村出入寄留の加除が行われているが、元となる本籍人口から異なるケース
町村横須賀町戸太村
本籍人口(日本帝国民籍戸口表)17,08610,323
本籍人口(戸籍表)9,8066,156
[出]外国行85
[出]他府県出寄留142102
[出]他郡区出寄留56232
[出]他町村出寄留43737
[出]陸海軍在営艦者774
[出]囚人及懲治人81
[出]失踪14089
[入]他府県入寄留7,1183,108
[入]他郡区入寄留5151,492
[入]他町村入寄留51537
[入]無籍在監人011
[入]有籍囚人及懲治人0752
[入]陸海軍在営艦者00
官報記載の現住人口17,17110,339
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口24,36615,253

官報による現住人口は戸籍表の本籍人口からの計算と一致します。『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区町戸口表」記載の現住人口は、『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区町戸口表」記載の本籍人口から戸籍表の出入寄留の加除を行うことで一応同じ数字が求まりますが・・・翌年の現住人口と比較する限り、「各地方現住一万人以上市区町戸口表」の本籍人口・現住人口の方がおかしい。

なお横須賀監獄は横須賀町ではなくて豊島村に存在することを確認しています(明治22年と明治23年のデータで検証済み)。逆に横浜監獄は横浜市ではなくて戸太村にありました。明治23年には横須賀町に3,494人の海軍関係者がいますが、明治22年は陸海軍併せて神奈川県内156人、すべて三浦郡内で、浦賀町の156人で計算が合いますので、明治22年の横須賀町内の[入]陸海軍在営艦者は0人と推測しました。

D. なんか知らないが数字が一致しない・・・
町村神奈川町八王子町
本籍人口13,50313,998
[出]外国行51
[出]他府県出寄留403160
[出]他郡区出寄留1,02996
[出]他町村出寄留152606
[出]陸海軍在営艦者131
[出]囚人及懲治人104
[出]失踪20362
[入]他府県入寄留2,6223,121
[入]他郡区入寄留1,3314,283
[入]他町村入寄留2181,243
[入]無籍在監人02
[入]有籍囚人及懲治人038
[入]陸海軍在営艦者00
官報記載の現住人口15,88221,721
日本帝国民籍戸口表記載の現住人口15,38221,555

八王子町に関しては、官報掲載の現住人口が1人(計算値は21,722人)ずれており、また現住人口が計算値(21,755)と200人ずれていますが、これらは印刷ミスがそのまま残ってしまったのではないかと推測します。神奈川町に関しては官報記載の現住人口は無問題ですが、『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口と計算値(15,859)ではそれなりに大きなずれが生じており、その原因は不明です。監獄や駐屯地があれば、むしろ現住人口は官報掲載の現住人口よりも増えるはずなのに減ってますので、監獄や駐屯地の見落としではありません。

このほか・・・『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)に示された北海道の人口の内、江差に関しては、他町村出入寄留の計算を除外したほか、江差分署の有籍囚人及懲治人7人を計算に入れていないが、福山では他町村出入寄留のみならず、ちゃんと福山分署の有籍囚人及懲治人6人を計算に入れている。函館区はちゃんと監獄、駐屯地の人口が加味されている。

というわけで、明治22年の統計は市制施行後の最初の人口統計として非常に重要なのですが、世間で知られている肝心の明治22年の現住人口の計算がいい加減という問題が様々見つかりました。数字自体はむしろ官報掲載の現住人口の方が計算方法が安定していてそれなりに信頼できます。すでに明治22年の現住人口は集計結果がいろいろ引用されており、今更現住人口の計算が結構間違っていたと指摘しても仕方ないし、正直計算し直す気力がなくなりつつあります。現状ではデータがよりしっかり残っていて、徴発物件一覧表に大字別人口まで残っている明治23年(1890年)ベースの方からまとめることになるかも知れません。

【】の部分の言い回しを微修正(有籍の囚人及懲治人の出入寄留は官報掲載の現住人口では無視)
[103711] 2022年 1月 10日(月)20:46:21YT さん
久々の投稿と今後の予定
何というか、色々なことが重なって、こちらのサイトから遠ざかってしまっているYTです。遠ざかってしまった原因としては

1.二人目の子供も生まれ、休日がすっかり子供のための時間になってしまったこと(これが一番大きい)
休日は朝から晩まで一緒に遊び、寝かせつけるとそのまま一緒に寝てしまう・・・ある意味休日を健康的に過ごすことになって、これはこれでいいのでしょうけど、調べものをする上では弊害となっています。

2.雑務の増加
自分は某大学で研究職を務めていますが、微妙に地位が中間管理職的なものとなり、雑務も増えてしまいました。拘束時間が増えることにより、勝手に専門外の調べものをする時間が減ってしまいました。

3.コロナの影響
某大学には豊富な古文書・図書があるのですが、コロナによって特に文系学部の図書室は事前予約を必要とするため、思い立った時に調べものというのができない状況となってしまいました。コロナが収束したと思いきや、この状況は3年目以降も続きそうです。

と、こういう状況が続いてしまっていますが、総務省統計図書館所蔵の戸籍表を元に、明治22年および明治23年の詳しい市区町村別本籍人口、現住人口(官報ベースと日本帝国民籍戸口表ベース)の再計算を今年中に行うことを目標に何とか頑張ります。
[99297] 2020年 3月 26日(木)02:16:20【6】YT さん
足柄郡
[99296] じゃごたろ さん

それは神奈川県の「足柄上郡」「足柄下郡」です。普通「上○○郡」「下○○郡」とか「北○○郡」「南○○郡」となるのが普通ですが、なぜここだけは「上足柄郡」「下足柄郡」とならずに、「足柄上郡」「足柄下郡」となったんでしょうかね?


明治維新の頃であれば、大和国には葛上(かつらぎのかみ→かつじょう)郡・葛下(かつらぎのしも→かつげ)郡、城上(しきのかみ→しきじょう)郡・城下(しきのしも→しきげ)郡、添上(そふのかみ→そえかみ)郡・添下(そふのしも→そえしも)郡、摂津国には島上郡(しまのかみ→しまかみ)、島下(しまのしも→しましも)郡、駿河国には長上(ながのかみ→ながかみ)郡・長下(ながのしも)郡(中世に消滅)があり、また古代には河内に堅上(かたかみ)郡・堅下(かたしも)郡(→大県郡)がありましたので、さほど珍しい名称ではないと思います(特に畿内と東海では一般的?)。ただ、足柄郡の例を除き、明治30年頃までに他はすべて合併等で消滅してしまったので、たまたま足柄上郡・足柄下郡の例が残ってしまったです。

一応『日本歴史地名体系』から解説を引用すると、奈良時代においては足上郡(あしのかみぐん)・足下郡(あしのしもぐん)が存在し、「足上郡」に関しては「続日本紀」霊亀元年(西暦715年)3月25日の条、「足下郡」に関しては正倉院文書の相模国封戸租交易帳(天平7年(西暦735年))にまで用例が遡るそうです。また倭名類聚抄では「足上」と書いて「足辛乃加美(あしがらのかみ)」と訓読させている例がみられることから、足柄上郡・足柄下郡の呼称も古代に遡り、郡名の起源は足下郡に属する郷の足柄「阿之加良(あしのがら)」に由来すると考えられます。「古事記」によると「足柄之坂本」でヤマトタケルが白い鹿に出会い、「常陸風土記」にも「足柄の岳坂」の記述があることから、「足柄」という地名は郡設置以前から存在し、「足柄郡」という呼称も地域名としては存在したが、郡としては最初から二分割されていたようです。

ただ様々な荘園の分割によりいつしか郡が意識されなくなり、平安後期の「更科日記」には「西富郡」という郡名が登場し、さらに後北条氏支配下の戦国時代の相模国は西郡(にしごおり=足柄上郡+足柄下郡に相当)・中郡・東郡・三浦郡・小坂郡(鎌倉郡)の五郡に再編され、「足柄(上・下)郡」は長らく記録から途絶えます。後に江戸時代の正保郷帳編纂の頃になって「足柄上郡」「足柄下郡」の古代に遡る(といっても完全には同じではない)地域区分が復活し、現在に至る、とのことだそうです。

【追記:江戸幕府による古代郡名の復活について】実のところ、郡というものは古代から脈々と伝わったわけではなく、荘園制度によって一度古代の郡域が乱され、そして幾つもの異なる郡へと再編されてしまっているケースが多いのです。江戸幕府は、郷帳・国絵図作成や朱印状の発給を通じて日本の国土を支配する過程で、国→郡→村という階層構造の把握と再編を行い、延喜式・倭名類聚抄に記された古代の郡名と郡域の復活を図りました。その修正の最大のものが寛文4年(1664年)の寛文印知で、正保郷帳記載の郡名や郡域がかなり訂正されています。しかしながら乱れた郡制を完全に正すことは不可能で、郡名を変えず領・庄名をもって郡名に変えざるを得なかったり、郡名を誤ったりと、色々なことが起こっています。例えば安芸国では寛文4年(1664年)古郡名復古の幕命により、安南郡を安芸郡、安北郡を高宮郡、佐東郡を沼田郡、佐西郡を佐伯郡と改めましたが、延喜式・倭名類聚抄や中世の郡域と異なり、豊田郡内の古沼田郡、高田郡内の古高宮郡とは全く違う地域となってしまい、民間ではなお従来の郡名も通用したという、古郡名復古の誤用が起こりました。

なお寛永17年~18年(1640年~1641年)の小田原領検地帳では「西郡」表記、正保年間(1645年~1648年)に作成された相模国の正保国絵図の写本とされる「慶安年間写 相模国国絵図」では「足柄上郡・足柄下郡」表記、万治元年~3年(1658年~1661年)の小田原領検地帳では「足柄上郡・足柄下郡」表記となっており、「足柄上郡・足柄下郡」の復古は正保の頃と思われます。ただし小田原藩領内の検地帳以外の行政文書では「小田原領西筋・中筋・東筋」という区分の方が一般的だったようです。
[99289] 2020年 3月 23日(月)13:29:08【1】YT さん
広島県 甲第137号布達はM.11.11.11.ではなくてM.11.11.1では?
[99259] むっくん さん
[99285] ekinenpyou さん

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)

戦後改訂された版の『広島県史』調べてみましたが、『広島県史 近代現代資料編I』(1974年)の393~394頁によると
八〇 郡区編制 明治一一・一一・一
               〔「広島県報」〕
 県甲第百三十七号
 今般第十七号公布ニ依り、従前之大小区ヲ廃シ別冊之通郡区編制所轄相定メ候条、此旨布達候事
  明治十一年十一月一日
    広島県令藤井勉三代理
           広島県少書記官 平山 靖彦

    郡区編制

|沼田郡 郡役所位置 沼田郡 南下安村
|高宮郡
  但元ト(二・七)大区ヲ所轄ス

 安芸郡 同     海田市
  但元ト三大区ヲ所轄ス

 佐伯郡 同     廿日市
  但元ト四大区並第一大区庚午新開ヲ所轄ス

 山県郡 同     加計村

 高田郡 同     吉田村

 賀茂郡 同     四日市

 豊田郡 同     忠海村

 御調郡 同     尾道

|深津郡 同     深津郡 福山
|沼隈郡

|安那郡
|品治郡 同     芦田郡 府中市村
|芦田郡

|甲奴郡
|世羅郡 同     世羅郡 甲山町
|三谿郡

|三次郡 同     三次郡 上里村
|恵蘇郡

|奴可郡 同     奴可郡 西城町
|三上郡

 神石郡 同     小畑村

 広島区 区役所位置 広島大手筋一丁目
  但元ト一大区(庚午新開ヲ除クノ外)ヲ所轄ス


また『広島県史年表(明治) 明治元年(1868)~明治45 年(1912)』(pdf)(24コマ目)

1878 明治11 戊寅

11- 1大区小区を廃し広島区と22 の郡を置き,15 の郡区役所を置く〔甲137〕。
11- 1広島県,新設の郡区庁の事務分課を庶務・勧業・租税・勧学・出納の5 掛と定める。177
11- 1町村戸長選挙規則制定〔甲138〕。
11- 1福山支庁廃止〔甲144〕。
11- 1区長・学区取締・医務取締・浦役人を廃止〔丙201〕。
11- 1広島左官町の瀬川浅吉,本覚寺の上隣りへ四階楼を新築し,飲食店を開店〔広島新聞10.5〕。

少なくとも『広島県史』(1972年~1984年版)の方では、明治11年11月11日絡みの法令や記述を確認できませんでした。『広島県史』の活字化の過程で元史料(「広島県報」)の記述を写し間違えた可能性は否定できませんが、[99285]でekinenpyouさんが見つけた戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。

【誤字訂正】
[99264] 2020年 3月 17日(火)16:48:20【6】YT さん
長野県のM12.1.4布達は乙第1号布達
[99259] むっくんさん
郡区町村編制法時の各府県布達の状況を詳しくまとめて頂き、ありがとうございます。
読んでいて所々「?」の箇所があったので、その辺についてこちらで調べさせて頂きました。

1.熊本県の郡区

熊本県 甲第5号布達? M12.1.20? M12.1.20?

熊本県 熊本区 甲第5号布達? M12.1.20?~M22.3.31


新熊本市史 史料編 第六巻 近代I』(1997年)の243~247頁収録の「39 〔郡区町村編成〕(抄) 明治12.1.20 布達便覧」により、甲第5号布達、M12.1.20共に間違いないと思います。以下、細かい町丁村名については(中略)と省略して引用しますと:

甲第五号
 今般太政官第十七号布告ニ拠り、従前ノ大小区画ヲ廃シ郡区トナシ、郡区ノ分割及郡区役所ノ位置別冊ノ通相定候条、此旨布達候事。
  明治十二年一月二十日    熊本県令 富岡敬明

熊本区
 役所ヲ飽田郡新町三丁目ニ置キ熊本区役所ト称ス。
  所轄町百十八 内丸印中二ヶ所当時陸軍省所轄、一ヶ所県庁敷地
 細工町一丁目 細工町二丁目 細工町三丁目
(中略)
 新屋敷町 白川町
飽田郡 詫摩郡
 役所ヲ飽田郡春日村ニ置キ飽田詫摩郡役所ト称ス。
  所轄町三 村百三十九(注:明治十二年一月二十五日甲第二十九号二つにより、「村百三十九」を「村百四十」と正誤。)
 上立田村 下立田村 弓削村
(中略)
以下詫摩郡
 本山村 平田村 高江村
(中略)
 鹿帰瀬村 戸島村
     <以下他郡は略>


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが、明治12年1月20日甲第5号布達には郡区の設置と郡区役場の設置がすべて含まれていたことがわかるかと思います。

2.茨城県の郡区

茨城県 丙第123号布達? M11.12.2 茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡


なぜ「?」を残したのか分かりませんが、リンク先の通りM11.12.2の丙第123号布達で間違いないと思います。一応『茨城県史料 = 近代政治社会編 II』(1976年)の76~77頁から「一八 郡役所設置位置」の「丙第百弐拾三号」を引用しますと:

 丙第百弐拾三号
本年太政官第拾七号公布ニ依リ従前ノ大小区画ヲ廃シ郡治分画及郡役所位置左ノ通相定候条此旨布達候事
  明治十一年十二月二日     茨城県令 野村維章
  郡治分画
 常陸国東茨城郡  東茨城郡役所  東茨城郡水戸
 常陸国西茨城郡  西茨城郡役所  西茨城郡笠間町
 常陸国那珂郡   那珂郡役所   那珂郡菅谷村
 常陸国久慈郡   久慈郡役所   久慈郡太田村
 常陸国多賀郡   多賀郡役所   多賀郡高萩村
 常陸国真壁郡   真壁郡役所   真壁郡下館
 常陸国鹿島郡   鹿島郡役所   鹿島郡鉾田村
 常陸国行方郡   行方郡役所   行方郡麻生村
 常陸国新治郡   新治郡役所   新治郡土浦町
 常陸国筑波郡   筑波郡役所   筑波郡谷田部町
 常陸国信太郡   信太
             郡役所  信太郡江戸崎村
 常陸国河内郡   河内
 下総国西葛飾郡  西葛飾
             郡役所  猿島郡境町
 下総国猿島郡   猿島
 下総国結城郡   結城
 下総国岡田郡   岡田郡役所   豊田郡本宗道村
 下総国豊田郡   豊田
 下総国北相馬郡  北相馬郡役所  北相馬郡取手宿
     〔茨城県布達〕


3.新潟県の郡区

新潟県 甲第42号布達? M12.4.28? 蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡

新潟県市町村合併誌 上巻』(1962年)の157頁収録の「甲第四十二號」により、甲第42号布達、M12.4.28共に間違いないと思います。以下、「甲第四十二號」と「甲第四十三號」を引用しますと:

 甲第四十二號
 昨十一年太政官第十七號公布ニ依リ従前ノ大小区ヲ廃シ郡区名称区域別冊之通相定候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝


 甲第四十三號
 今般郡区制定候ニ付郡区役所位置左ノ通リ相定候左番地並開庁日限等追テ相達候迄ハ旧大小区ノ事務従前ノ通都テ旧正副区長ニ於テ取扱候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝
    新潟区     新潟西堀通六番町
    北蒲原郡    新発田町
    中蒲原郡    新津町
    西蒲原郡    巻村
    南蒲原郡    三条町
    三島郡     与板町
    古志郡     長岡町
    北魚沼郡    小千谷町
    南魚沼郡    六日町村
    中魚沼郡    十日町村
    刈羽郡     柏崎町
    東頸城郡    安塚村
    中頸城郡    高田町
    西頸城郡    糸魚川町
    岩船郡     村上町
    雑太郡     
    加茂郡     相川町
    羽茂郡     


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。

1879  明治12.4.9  郡区改正によって、蒲原郡を4郡、魚沼・頸城郡を各3郡、岩船郡、刈羽郡、三島郡、佐渡3郡に分け、新潟に区制を敷く。これにより大区小区制廃止される((6)619)
1879  明治12.4.28  初代郡区長として16人が任命される((6)619)。


ここで「(6)619」というのは同じ新潟県史の通史編6巻の619頁を指しますが、通史編には叙述的な一般通史が記載されているだけで、詳しい日付や典拠までは示されていません。

さらに『新潟県のあゆみ : 概説』(1990年)の方の年表では:
1879  明治12.4.9  郡区改正、1区17郡となる。大区小区制廃止

新潟県百年史 下巻』(1969年)の方の年表では:
明治12(一八七九)  4-9  郡区改正、蒲原郡を四郡に、魚沼・頸城郡を各三郡に分け、新潟に区制を布く。これにより大区小区制廃止(新潟市史)。

ここでM12.4.9というのが古い方の『新潟市史 上下巻』(1934年;1973年に複製版)を典拠としていることが示されましたが(新しい方の『新潟市史』(1990年~)の方では新潟区の成立日を確認できなかった)、これ以上調べる気力が無くなったので放置します【追記2:調べました】。とりあえず『新潟県市町村合併誌』ではM12.4.9の出来事について何も触れていないので、何かしら間違った日付が残ってしまったと思われます。また元々新潟県の郡の区分の方は、あらかじめ事前に決められているものなので、その時の布告を誤って判断してしまった可能性もあります。

4.長野県の郡区


長野県 乙第4号布達? M12.1.4? 佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
 高井郡→上高井郡、下高井郡
 水内郡→上水内郡、下水内郡
 筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
 安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
 伊那郡→上伊那郡、下伊那郡


長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』(1982年)の27~29頁収録の「一四 明治十二年一月 県令十六郡名称並郡役所位置・所属・町村等制定達」により、「乙第4号布達」ではなくて「乙第1号布達」が正しいと思われます。以下山林反別の情報を(中略)と省略して引用しますと:

乙第一号
 明治十一年第十七号公布ニ依リ、郡町村ヲ編制シ、郡ノ名称及郡役所ノ位置、所属町村別冊ノ通相定候条、此是布達候事
 但 郡役所仮位置ノ箇所ハ、位置未定ノ義ト可相心得事
  明治十二年一月四日     長野県令 楢崎寛直

 (別冊)
 「明治十二年乙第壱号布達
  編制郡町村
     長野県」
南佐久郡     郡役所位置 臼田村
(中略)
北佐久郡     郡役所位置 岩村田町
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
諏訪郡     郡役所位置 上諏訪村
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
上伊那郡     郡役所位置 伊那村
(中略)
下伊那郡     郡役所位置 飯田町
(中略)
西筑摩郡     郡役所位置 福島村
(中略)
東筑摩郡     郡役所位置 北深志町
(中略)
南安曇郡     郡役所位置 豊科村
(中略)
北安曇郡     郡役所位置 大町村
(中略)
更級郡     郡役所位置 塩崎村ノ内篠ノ井駅
(中略)
埴科郡     郡役所位置 屋代町
(中略)
上高井郡     郡役所位置 須坂町
(中略)
下高井郡     郡役所位置 中野町
(中略)
上水内郡     郡役所位置 長野町
(中略)
下水内郡     郡役所位置 飯山町
(中略)
     (『乙号布達綴 明治十二年』 長野市 長野県庁所蔵)


【追記】なお長野県の場合、郡の分割の方は既に明治11年12月10日付で長野県令楢崎寛直が内務卿伊藤博文に宛てた『内務省宛県令十六郡設置認可伺』(庶第486号)の方に詳しい予定が示され、明治11年12月21日付で内務卿伊藤博文が「書面伺之通聞届候事」として印を押したとしています(『長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』に収録の史料で、典拠は(『公文編冊 官省指令 一 職務之部 知事官房外 明治十一年』長野市 長野県庁所蔵)としている)。つまりあらかじめ県の方で郡区の分割を決定して内務省に提出し、内務省から返事を貰い、改めて布達を出して郡区の分割を正式に公布するという手続きが存在したことになります。よって新潟県の場合は、郡の分割がこれらよりも前に実施されたと誤解するような文書の混入で、明治12年4月9日実施という誤った情報が一部で採択されたものと思われます。

【追記2】『新潟市史 上巻』の608頁に以下の文章があるのを確認しました。

 明治十二年四月九日、郡区改正あり、県下を新潟区・北・中・西・南蒲原郡・三島・古志郡・北・南・中魚沼郡・刈羽郡・東・中・西・頸城郡・岩船郡・佐渡三郡(雑太・加茂・羽茂)の一区十七郡に割ち新潟一円寄居・白山外新田を新潟区となし、新潟町会所を新潟区役所と改め、市中を二百四十一町一村と定めたり。


とあり、どこにも布達等の情報がありません。さらに612頁には

 明治十二年郡区改正に際し、西島屋野島を出来島新田に復帰せしめ、寄居白山外新田を合して、新潟区新潟町と称し、新潟町会所を新潟区役所と改め、四月三十日を以て、改正による処務を開始せり。


とあり、郡区が成立したとされるM12.4.9の日付も、布告のあったM.12.4.28の日付もなく、新潟区自体の都合による業務開始の日時が掲載されているだけです。よって、M12.4.9は根拠の乏しい数字ということで無視して良いでしょう。

【追記3~6】誤字修正、及び新潟県の甲第四十三號布告の文章修正
[99136] 2020年 1月 30日(木)10:47:26YT さん
99134の訂正
[99135] 白桃さん

ということから、「1947年国調時の境域に組み替えた1940年(昭和15年)国調時の小田原の人口」は55,005ということなのでしょうが、なぜ
昭和10年の国勢調査時の酒匂村の人口7,004人中、3,167人分(45.2%)
となっているのか、つまり、「昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口7,376人中・・・」になっていないのか?。
厚かましいお願いで恐縮ですが、この点、おわかりになれば教えてください。

すみません。内容を十分に検証せずに[99134]を投稿してしまいました。正しくは

「昭和15年(1940年)10月1日の国調時の酒匂村の人口7,376人中、3,167人分(42.9%)が小田原市に入った」

ということになります。
[99134] 2020年 1月 30日(木)04:08:59【1】YT さん
酒匂村の人口の約半分
[99133] 白桃さん

お願い
小田原が1940年(昭和15年)に市制施行した際に、【酒匂村の一部】がくっついていますが、それが何人だったかお判りになる方がおられましたらお教えください。


『昭和25年 国勢調査報告 都道府県編 第7巻 その14 神奈川県』収録の「第1表 面積、人口及び人口密度―市・町・村 (大正9年~昭和25年)」の脚注によると、【昭和10年→】昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口【7,004→】7,376人中、3,167人分(【45.2%→】42.9%)が小田原市に入ったようです。

105) 昭和15.2.11. 足柄下郡足柄村を足柄町とする。((15,188) 備考 昭和5 (13,580)、大正14 (12,868)、大正9 (11,945))
115) 昭和15.12.20. 足柄下郡小田原町 (27,860)、足柄町 (16,807)、大窪村 (4,688)、早川村 (2,483) 及び酒匂村の一部 (3,167) をもって小田原市 (計 55,005) を設置。


昭和10昭和5大正14大正9
(備考)小田原町27,74326,10225,33023,014
足柄町105) 参
大窪村4,4463,6443,6663,301
早川村2,4132,2012,2802,296

120) 昭和 17.4.1. 足柄下郡酒匂村を酒匂町とする。((7,376) 備考 昭和10 (7,004) 昭和5 (6,530)、大正14 (6,480)、大正9 (5,536))

【訂正】【】の部分を修正しました。
[99132] 2020年 1月 30日(木)00:33:10【1】YT さん
1944年2月22日人口調査における市部人口について新たな資料
日本占領関係資料の存在を [99122] ekinenpyou さんによって教えてもらいましたので、自分でも色々1944年人口調査の資料を漁ってみたところ、「米国戦略爆撃調査団文書(RG243」に分類されている「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」にまとめられている1944年2月22日現在の「市」の人口が、1977年出版の『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』記載の「市」の人口と異なることに気付きました。

『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』では、第2表に「都道府県、市町村及び男女別人口」がまとまっていますが(但し東京都に関しては集計後の原表が、1977年の出版までに何者かによって持ち去られてしまったため、1954年末~1955年始頃の境域で集計されてしまっている([98110]参照))、一部の市町村に関しては「報告もれ等を補正した人口」として、欄外に1,000人単位で修正人口が掲載されています。しかしながら「米国戦略爆撃調査団文書」に収録されていた「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」の人口は、大垣市を除き概ね『集計結果摘要』記載の人口を上回っていました。以下両者の人口と差分をまとめます。

A人口: 『集計結果摘要』記載人口
A'人口: 『集計結果摘要』記載の「報告もれ等を補正した人口」
B人口: 「米国戦略爆撃調査団文書」「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」記載人口

市区都府県庁A人口A'人口B人口差分(B-A)
札幌市北海道庁225,842225,981139
旭川市北海道庁92,12092,221101
小樽市北海道庁151,905152,148243
函館市北海道庁196,680197,351671
室蘭市北海道庁124,034124,04915
釧路市北海道庁58,92858,96234
帯広市北海道庁38,03938,06627
北見市北海道庁32,20432,2040
夕張市北海道庁75,01075,0100
岩見沢市北海道庁35,34835,3502
弘前市青森県51,03451,0395
青森市青森県100,077100,09316
八戸市青森県77,90977,9145
盛岡市岩手県90,38490,494110
釜石市岩手県41,25541,2550
宮古市岩手県34,73134,7310
仙台市宮城県261,117264,000264,2773,160
石巻市宮城県35,08735,0870
塩竈市宮城県32,12832,1280
秋田市秋田県97,36197,875514
能代市秋田県39,97539,9750
山形市山形県79,18479,20622
米沢市山形県46,82746,8314
鶴岡市山形県35,19235,1953
酒田市山形県39,18539,1905
福島市福島県47,45647,46610
若松市福島県46,74446,7495
郡山市福島県58,27958,2845
平市福島県28,73128,75625
水戸市茨城県66,08266,0820
日立市茨城県84,69984,6990
土浦市茨城県40,31245,00045,1604,848
宇都宮市栃木県90,14590,788643
足利市栃木県47,71547,7150
栃木市栃木県30,56930,854285
佐野市栃木県42,33442,3340
前橋市群馬県85,00885,386378
高崎市群馬県71,03071,04313
桐生市群馬県77,20577,2050
伊勢崎市群馬県40,45840,4580
川越市埼玉県38,45438,873419
熊谷市埼玉県52,20952,26657
川口市埼玉県99,45099,4500
浦和市埼玉県79,98780,161174
大宮市埼玉県69,93870,771833
千葉市千葉県110,130110,995865
銚子市千葉県62,90262,9020
市川市千葉県69,71169,7110
船橋市千葉県60,76260,7620
館山市千葉県31,07431,349275
木更津市千葉県31,55535,00035,2363,681
松戸市千葉県37,01137,0110
特別区東京都6,558,1616,577,62019,459
八王子市東京都77,47877,694216
立川市東京都51,62455,1443,520
横浜市神奈川県1,019,4661,035,0001,034,74015,274
横須賀市神奈川県298,132334,000333,50535,373
川崎市神奈川県380,919381,458539
平塚市神奈川県47,34650,00050,2192,873
鎌倉市神奈川県43,14843,1568
藤沢市神奈川県52,99254,6641,672
小田原市神奈川県57,51457,751237
新潟市新潟県177,289177,767478
長岡市新潟県67,12167,13918
高田市新潟県29,48229,4842
三条市新潟県36,45336,4530
柏崎市新潟県30,98230,9820
富山市富山県160,537160,58144
高岡市富山県112,818112,8257
金沢市石川県193,560193,812252
七尾市石川県31,26231,2653
小松市石川県52,20652,690484
福井市福井県99,47799,50629
敦賀市福井県30,54430,5440
甲府市山梨県105,001105,528527
長野市長野県77,66978,118449
松本市長野県70,24770,687440
上田市長野県34,52834,5379
岡谷市長野県34,08934,14556
飯田市長野県27,43727,4403
諏訪市長野県29,81629,8193
岐阜市岐阜県174,676175,655979
大垣市岐阜県56,99756,990-7
高山市岐阜県34,41334,4218
多治見市岐阜県30,67530,6750
静岡市静岡県211,666212,151485
浜松市静岡県162,754162,81662
沼津市静岡県57,33258,154822
清水市静岡県77,56577,5650
熱海市静岡県27,39827,40911
三島市静岡県35,83335,8330
富士宮市静岡県32,52532,5250
名古屋市愛知県1,344,1001,349,0001,349,2255,125
豊橋市愛知県141,220141,23515
岡崎市愛知県80,07380,443370
一宮市愛知県66,38066,3800
瀬戸市愛知県39,29239,461169
半田市愛知県60,72160,7210
春日井市愛知県38,40643,00043,2644,858
豊川市愛知県46,81675,00074,86928,053
津市三重県74,39375,6501,257
四日市市三重県114,250116,000116,3792,129
宇治山田市三重県64,79264,80715
松阪市三重県34,17534,1750
桑名市三重県42,92142,9210
上野市三重県31,32931,3290
鈴鹿市三重県55,05960,00059,5104,451
大津市滋賀県65,99566,662667
彦根市滋賀県39,69939,7034
長浜市滋賀県39,18639,1860
京都市京都府964,466965,399933
福知山市京都府30,67630,6760
舞鶴市京都府103,698121,000120,97517,277
大阪市大阪府2,833,3442,843,0002,842,9549,610
堺市大阪府217,939221,000220,8142,875
岸和田市大阪府77,71577,7150
豊中市大阪府43,98543,9850
布施市大阪府132,402132,537135
池田市大阪府36,07336,0730
吹田市大阪府63,92863,9280
泉大津市大阪府26,64126,6410
高槻市大阪府30,58430,5840
貝塚市大阪府40,96940,9690
神戸市兵庫県918,032919,1411,109
姫路市兵庫県102,359103,7331,374
尼崎市兵庫県270,073270,0730
明石市兵庫県78,58578,5850
西宮市兵庫県127,457127,4570
洲本市兵庫県27,59627,60711
飾磨市兵庫県36,68536,6850
芦屋市兵庫県37,76237,7620
伊丹市兵庫県40,70840,7080
相生市兵庫県33,52536,00036,0692,544
奈良市奈良県60,21560,727512
和歌山市和歌山県205,396205,505109
新宮市和歌山県29,71729,7170
海南市和歌山県27,16127,1610
田辺市和歌山県30,73530,78348
鳥取市鳥取県45,44945,4490
米子市鳥取県46,99447,03036
松江市島根県54,28254,791509
浜田市島根県31,48531,4927
出雲市島根県36,26936,2690
岡山市岡山県160,902162,0001,098
倉敷市岡山県38,63138,842211
津山市岡山県39,03739,05518
玉野市岡山県45,02045,134114
広島市広島県336,483343,000343,0346,551
呉市広島県293,632339,000339,27845,646
三原市広島県42,05242,0520
尾道市広島県48,36548,864499
福山市広島県57,49057,4900
下関市山口県206,961207,142181
宇部市山口県124,109124,309200
山口市山口県37,03737,11780
萩市山口県30,96030,9600
徳山市山口県42,16943,4521,283
防府市山口県59,20259,776574
下松市山口県38,16438,1640
岩国市山口県53,67255,1771,505
小野田市山口県51,27651,2760
光市山口県35,36250,00050,44615,084
徳島市徳島県116,734117,218484
高松市香川県107,202107,23735
丸亀市香川県25,67725,69114
坂出市香川県30,47530,4750
松山市愛媛県120,091120,636545
今治市愛媛県54,34154,3509
宇和島市愛媛県51,30651,32014
八幡浜市愛媛県30,69030,6900
新居浜市愛媛県51,60551,6050
西条市愛媛県35,13835,273135
高知市高知県136,699137,103404
福岡市福岡県324,499325,9251,426
若松市福岡県87,97689,7811,805
八幡市福岡県252,662252,6620
戸畑市福岡県82,73182,7310
直方市福岡県42,91942,9190
飯塚市福岡県44,76444,78521
久留米市福岡県92,02092,565545
大牟田市福岡県179,574179,5740
小倉市福岡県184,230192,000192,3688,138
門司市福岡県135,482135,4919
田川市福岡県67,48667,4860
佐賀市佐賀県49,17949,479300
唐津市佐賀県38,88338,8830
長崎市長崎県270,113272,000272,3122,199
佐世保市長崎県241,239265,000265,21823,979
島原市長崎県29,78529,7850
諫早市長崎県45,60748,00047,6432,036
大村市長崎県54,21866,00065,89111,673
熊本市熊本県211,011211,691680
八代市熊本県38,64538,6494
人吉市熊本県32,77232,7720
荒尾市熊本県44,31044,560250
大分市大分県80,00381,7871,784
別府市大分県67,26667,2693
中津市大分県41,09341,10411
日田市大分県36,33736,3370
佐伯市大分県32,96433,176212
宮崎市宮崎県79,32380,164841
都城市宮崎県59,57559,5750
延岡市宮崎県72,56672,5715
鹿児島市鹿児島県189,991190,925934
川内市鹿児島県33,85533,8550
鹿屋市鹿児島県52,14652,1460
那覇市沖縄県66,36366,3630
首里市沖縄県17,96417,9640
豊原市樺太庁42,15142,1510

【註】『集計結果摘要』には東京都武蔵野市(54,249)・三鷹市(36,943)・青梅市(26,927)・府中市(30,003)・昭島市(21,088)の人口の記載があるが、これらは1944年当時は存在しない。また豊原市の人口については[98110]を参照。

以上より「米国戦略爆撃調査団文書」でまとめられた市の人口は、『集計結果摘要』で「報告もれ等を補正した人口」とされているものに近く、調査をまとめた原表に1人単位でさらなる報告漏れ等の補正を加えたものが、「米国戦略爆撃調査団文書」のRG243 55a(4)(d)記載人口で、2000人以上の人口補正が合った場合のみ、「報告もれ等を補正した人口」として『集計結果摘要』の欄外に概数が記載されたと思われます(1977年段階で原表が失われた東京都を除く)。となると、『集計結果摘要』は補正人口に関する情報を大分切り捨てて活字化したことになります。

【追記】なお、日本全国での補正人口については[82202] にまとめた通りで、日本全国で+392,607人、都道府県別では広島県の+67,383人、神奈川県の+64,619人、長崎県の+46,344人、愛知県の+39,545人、東京都の+32,532人などの修正が加えられており、空襲等により一部集計結果が焼失してしまったことに対する補正と思われます。
[99130] 2020年 1月 28日(火)23:08:26YT さん
国勢調査報告書の情報の劣化?
DIDの集計を途中で放置して1年近く過ぎてしまい、ひさびさの書き込みです。

[99122] ekinenpyou さん

上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。

ご紹介ありがとうございます。ただ特別区部の問題は一部解決しても、以下のように多摩地区や島嶼部では分離できない人口情報が残ってしまっています(このほか人口異動を伴う境界変更が色々ありますが、練馬区が分離していなかったりするところから、多分そこまでは考慮されていません)。

集計調査摘要記載の市町村名1944.2.22銃後人口合併年月日1944.2.22当時の市町村
青梅市26,927(1951.4.1)西多摩郡青梅町・霞村・調布村
府中市30,003(1954.4.1)北多摩郡府中町・西府村・多磨村
昭島市21,088(1954.5.1)北多摩郡昭和町・拝島村
南多摩郡町田町19,481(1954.4.1)南多摩郡南村・町田町
三宅村2,615(1946.10.1)神着村・伊豆村・伊ヶ谷村
八丈村6,453(1954.10.1)三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???

題名から察するに、冊子体の『平成27年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方で、「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」(792頁~801頁)と「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」(802頁)のことだと思います。この内「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。

年月日移動地域
平成22.12.1神奈川県相模原市の一部(9世帯23人)を町田市に編入
平成22.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)
平成25.12.1神奈川県相模原市の一部(4世帯6人)を町田市に編入
平成26.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)

また、「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」の方は、熊本市の区の設置以外、基本的に人口の異動を伴う境界変更の情報が皆無です。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併の内容合併、市・町制施行後の状況市区町村コード
岩手県2014.1.1岩手郡滝沢村市制滝沢市03216
2011.9.26東磐井郡藤沢町一関市へ編入一関市(同郡消滅)03209
栃木県2014.4.5下都賀郡岩舟町栃木市へ編入栃木市09203
2011.10.1上都賀郡西方町栃木県へ編入栃木市(同郡消滅)09203
埼玉県2012.10.1南埼玉郡白岡町市制白岡市11246
2011.10.11鳩ケ谷市川口市へ編入川口市11203
千葉県2013.1.1山武郡大網白里町市制大網白里市12239
石川県2011.11.11石川郡野々市町市制野々市市(同郡消滅)17212
愛知県2012.1.4愛知郡長久手町市制長久手市23238
2011.4.1幡豆郡一色町・吉良町・幡豆町西尾市へ編入西尾市(同郡消滅)23213
島根県2011.10.1簸川郡斐川町出雲市へ編入出雲市(同郡消滅)32203
2011.8.1八東郡東出雲町松江市へ編入松江市(同郡消滅)32201
熊本県2012.4.1熊本市政令指定都市熊本市43100
2012.4.1中央区43101
2012.4.1東区43102
2012.4.1西区43103
2012.4.1南区43104
2012.4.1北区43105

総務省統計局の方針が変わったのでしょうか?どうみても境界変更の情報が足りていません!

念のため平成22年度版の「参考6 廃置分合・境界変更・名称一覧」の「(2) 市区町村の境界変更一覧 (平成17年10月2日~平成22年10月1日)」が印刷されている冊子体を確認したところ、『平成22年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方に収録されていました。しかしながら今回の平成27年度版では、市区町村の境界変更一覧は1巻に収録されていません。このほか、1巻の内には都道府県ごとに面積や人口集中地区の変更の情報はまとまっていますが、どこからどうみても境界変更の情報が、都道府県単位の場合しか掲載されていません。『人口等基本集計結果』で各都道府県の項目も調べましたが、やはり面積の変更とDIDの変更の情報は載っていても、稲沢市と清須市、貝塚市と泉南郡熊取町、高岡郡中土佐町と四万十町の間の人口異動を伴う境界変更についての情報は全く掲載されていませんでした。

これについては総務省統計局に問い合わせた方が良い案件かも知れません。
[98131] 2019年 7月 21日(日)15:49:46【1】YT さん
北海道の道名について
先日NHKで放送の「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を見ました。面白かったのですが、途中の時代描写が駆け足で、もう少し3回ぐらいに分割してじっくりとしたドラマ映像化をして欲しかったと思いました。一方で無駄にフィクション描写を増やすくらいなら、ドキュメンタリー番組として作り直して欲しい気もします。

[98123] hmt さん

この資料には、蝦夷地全体を指す「北加伊道」など6つの地名候補は示されていないようです。


いしかり市民カレッジの「第1回「明治維新と北海道~蝦夷地から北海道へ」」に詳しい経緯が載っていますが、北海道の6つの地名候補については、松浦武四郎が明治2年(1869年)旧暦7月17日付で上申した「蝦夷地道名之儀勘弁申上候書付」に掲載されているようです。残念ながら原本の写しは、北海学園大学が北駕文庫として所蔵しており、オンラインで全貌を閲覧できませんが、「北加伊道」部分の意見書については、いしかり市民カレッジのサイトで閲覧ができます。

・「北加伊道」の項には、江戸中期の尾張国の医師・伊藤信民が出版した『参考熱田大神縁起』(文化8年(1811)の「頭書」を引、「加伊」の字を使った理由を、「夷人自呼其国加伊。加伊蓋其地名。其地名加伊、其人鬚長故用蝦夷字。...」と、「夷人」が自らの「国」を「加伊」と呼んでいたから、と記している。
*文久2年(1862)に出版した『天塩日誌』安政4年(1857)6月27日の部分に、現在の音威子府の辺りでアイヌの長老アエトモから「カイとは此国に産れし者の事」という話を聞いた、という話題を紹介している。

⇒武四郎としては、「北加伊道」に、「北のアイヌ民族が暮らす大地」という意味を込めた、と考えられる。

この内、松浦武四郎著『天塩日誌』『参考熱田大神縁起』の該当箇所]は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。

『天塩日誌』には松浦武四郎が音威子府の地に住む長老アエトモから聞いた話として、以下の文章が確認できます。

北蝦夷にてアイノ(蝦夷人の通称)をカイナーと呼しが此山中に来り見るに同じくカイナーと呼けり。・・・右にて考る時は此国はカイと言やらん


ただ、いしかり市民カレッジの講座の解説によると

(1) 実は、「北海道」は既定路線であった?
・水戸藩主徳川斉昭著『北方未来考』に「松前蝦夷、西ハカラフト、東ハシコタン等、北ハ千島カンサツカ迄ヲ北海道と定、新二国名御附二相成」とある。
・新政府役人であった井上石見と三澤揆一郎が慶応4年(1868)に提出した意見書に「蝦夷二嶋の儀は...北海一道を置かせられて至当の御儀と存じ奉り候、是迄、五畿七道の内、北海道の名目がこれ無きは、祖宗の深意、今日を待たせられ候にもこれ有るべきか」とあって、武四郎の提案以前、政府内部では既に道名として「北海道」が候補に上がっていた。
⇒五畿七道に照らせば、「北海道」は、ある意味、自然な名付けとも言える。
(2)決定過程の資料が確認できない。


とあり、本当に松浦武四郎が「ほっかいどう」を決めたのか、単に空気を読んで「ほっかいどう」を提案した形にしたのかは、はっきりしないところがあるようです。いずれにせよ、旧国名や郡名はほぼ松浦武四郎が提案した通りに採用されたようです。

【誤字等の修正】
[98110] 2019年 7月 14日(日)00:23:50YT さん
昭和19年2月22日における、樺太庁の銃後の市町村別現在人口
[97521]を書き込んだ後、仕事が忙しくなって、DIDの再チェックの作業が止まってしまってもう5ヶ月ぐらい経ってしまいました。こういうのは勢いがないと難しいですね。

それはさておき2ヶ月ほど前、人口集中地区関係の調べものをするために新宿区にある総務省第二庁舎にある総務省統計図書館に行った際、長年懸念事案であった、昭和19年人口調査における東京都の人口問題[82202][82278][85612][85625][85700]に関し、「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化したものをDVD化したものが、総務省図書館にあることに気付き、閲覧しました。

その結果・・・全国の都道府県、市町村の男女別人口表が見事に収録されていることが分かったのですが、肝心の東京都の部分の3頁分が欠落していましました。表には判子で通し番号がなされているので、丁度東京都の市町村別人口の表だけ作成後に紛失してしまったと断定できます。つまり1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。

こちらの方は残念な結果でしたが、それとは別に樺太の市町村別人口の表が収録されていることを発見しました。

というわけで、10年前[70223]

樺太の昭和15年調国勢調査人口、昭和19年2月22日調人口調査人口について市町村・大字別人口を調べましたが、どうも総人口(昭和15年10月1日現在人口41万4891人、昭和19年2月22日調現在人口39万1825人)以外の統計は、これまで公表されないという結論に達しました。

と書きましたが、今回新たに昭和19年2月22日調人口調査人口の結果が存在することが分かりました。16年前にニジェガロージェッツさんが、1920年から1935年までの国勢調査時の樺太の大字別人口をまとめられましたが([10790][10885][11105][11247][11285][11305])、今回紹介する1944年2月22日人口調査における市町村別人口は、書籍で公開されていない新しい情報の追加となると思います。

ただ(1) 残念ながら大字別人口の表はない (2) 原表に読めない箇所がある、という問題があります。特に読めない問題は深刻です。多分マイクロフィルム化した際に白黒データとなってしまったため、原表の折れやかすれや汚れが全部一緒の濃淡となってしまったのでしょう。今の技術でならグレースケールで処理できそうなものですが、そこは残念です。特に好仁村と海馬村の部分が読解不能(丁度そこで原表が二つ折りになって保存されていたと推測される)なのですが、何とか総数からの減算で、表の人口を埋めました。

地域総数備考
樺太庁計206,764184,756391,520
(樺太庁計追記)3032305
(追記修正後の樺太庁計人口)207,067184,758391,825
市部計20,95820,90941,867
(市部計追記)2822284
(追記修正後の市部計人口)21,24020,91142,151
郡部計185,806163,847349,653
(郡部計追記)21021
(追記修正後の郡部計人口)185,827163,847349,674
豊原市20,95820,90941,867
(豊原市追記)2822284
(追記修正後の豊原市人口)21,24020,91142,151
豊原支庁48,89845,03393,931
 豊北村2,1081,7743,882
 川上村3,3512,6135,964
 落合町15,36213,38028,742
 栄浜村1,6231,8413,464
 白縫村2,5602,0374,597
 大泊町11,70011,35923,059
 千歳村1,1541,2052,359
 深海村7698091,578
 長浜村1,9791,6153,594
 遠淵村1,0531,0362,089
 知床村1,0971,1422,239
 富内村1,1611,0962,257
 留多加町3,2783,6356,913
 三郷村1,4001,1792,579
 能登呂村303312615
真岡支庁46,39744,58890,985
(真岡支庁追記)21021
(追記修正後の真岡支庁人口)46,41844,58891,006
 本斗町5,6135,67011,283
 内幌町6,1595,24911,408
 好仁村2,8532,3235,176女数読解不能、総数は51*0か51*6
 海馬村297320617男数と総数読解不能、女数320か325か326
 真岡町10,22410,39520,619
 (真岡町追記)21021
 (追記修正後の真岡町人口)10,24510,39520,640
 広地村2,3412,3994,740
 蘭泊村2,9893,0806,069
 清水村2,3811,9084,289
 小能登呂村1,8921,6873,579
 野田町3,4973,4966,993
 泊居町5,1445,23510,379
 名寄村1,4761,5353,011
 久春内村1,5311,2912,822
恵須取支庁55,86344,829100,692
 珍内町6,7555,66112,416
 鵜城村2,3071,8484,155
 恵須取町18,80917,15935,968
 塔路町15,44611,02526,471
 名好町9,0256,79315,818
 西柵丹村3,5212,3435,864
敷香支庁34,64829,39764,045
 元泊村2,6002,3664,966
 帆寄村9836921,675
 知取町7,5937,47715,070女数477→7477に訂正
 敷香村16,79313,81330,606
 内路村2,9252,4885,413
 泊岸村3,2032,0775,280
 散江村5514841,035

上で(追記)と書いたのは、原表に数字が追加で書き込まれている箇所です。おそらく刑務所等に収監された在監人の人数と思われますが(『昭和17年 樺太要覧』によると、豊原市と真岡町に刑務所があって、受刑者合計401人)、これを合計した数字を仮に(追記修正後の人口)として上にまとめました(原表にはこの数字は掲載されていない)。よって[82278]
もっとも豊原市の人口が

男 女 男女合計
20,958 20,909 41,867

となっており、[82202]の樺太市部の人口42,151人と矛盾します。
に関しては、疑問が解決しました。

なお国立公文書館の方には「昭和15年・国勢調査結果原表・第14表(三重県~樺太)」なるものが存在するので、もしかしたらこちらも請求すれば、昭和15年10月1日における樺太庁の市町村別、大字別人口の情報が得られるかも知れません。
[97583] 2019年 3月 22日(金)10:24:37YT さん
Googleマップとゼンリンの契約解除
1ヶ月ほど前から仕事が再び忙しくなり、DIDの再チェックの作業が止まってしまっています。

[97574][97577] ekinenpyou さん
遅ればせながら、分かり易い時系列地図を作成して頂きありがとうございます。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

手元の『平成27年 我が国の人口集中地区 人口集中地区別人口・境界図』のコピーでは、そもそも松本市DID1の人口は138,658人、面積は30.02 km2と印刷されています。よって国土数値情報ダウンロードサービスの誤入力が原因ですね。

「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・

[97521]に示すように、5万人/km2を超えるDIDは過去に10箇所程度しかありません。時間があれば全部検証しますが、例えば一番人口密度が高い、昭和40年の久留米町IのDIDの当時の人口集中地区について、地図から大雑把に面積を求めてみると、大体0.7 km × 0.2 kmの長方形で、総面積は0.14 km2と推定されます。よって、人口密度は8,705/0.14 ≒ 62,179前後となります。人口密度が5万人を切るには、面積が0.1741 km2以上あることが必用ですが、一応該当DIDは0.75 km × 0.22 km = 0.165 km2の長方形にすっぽり入る感じなので、実際に人口密度が5万人を超えたDIDは過去に存在したことは間違いないと思います。

それとは別に、気になったニュースがあります。

「Googleマップが劣化した」 不満の声が相次ぐ ゼンリンとの契約解除で日本地図データを自社製に変更か

なんでもGoogleマップとゼンリンの契約解除により、Googleマップのデータがカーナビの代用品とするには心もとないことになりそうとのこと。それよりも、ここのサイトでのGoogleマップの使用に多少なりとも影響が出るかも知れません。
[97521] 2019年 2月 9日(土)17:54:56【3】YT さん
人口密度5万人/km2以上の人口集中地区の共通点といえば…
[97508] 白桃さん

2.DID人口5,059人の方は、世界的に見ても人口密度が超高かったのです。また、DIDエリア内には世界遺産に登録されているものがあります。

該当人口集中地区は昭和35年において唯一人口密度が5万人/km2を超えていました。しかしながら昭和40年にはこれを上回る、人口密度87,050人/km2という人口集中地区が、現在の東京都東久留米市上の原1丁目~2丁目(東久留米団地)にありました(久留米町第1人口集中地区)。

人口密度5万人/km2を超えた人口集中地区をまとめますと、以下の通りです。

コード上位区分DIDs人口面積人口密度調査年
13-031東京都北多摩郡久留米町I8,7050.187,050昭和40年
22201静岡県静岡市II7,3940.173,940昭和55年
11329埼玉県入間郡日高町5,9230.159,230昭和50年
11219埼玉県上尾市VI5,6350.156,350昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,3260.153,260昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,2010.152,010昭和55年
11221埼玉県草加市II5,1350.151,350昭和50年
42-012長崎県西彼杵郡高島町II5,0590.150,590昭和35年
27207大阪府高槻市V5,0020.150,020昭和50年

【昭和35年と昭和40年は自治体コード導入前なので、国勢調査報告書記載の通し番号を仮に載せてます。】

これらの共通点といえば・・・要するに面積0.1 km2の人口集中地区です。人口集中地区は人口5,000人以上と定義されていますので、0.1 km2の人口集中地区は即人口密度5万人以上となります。また人口集中地区の面積が小数点以下第2位までとなって以降は人口密度5万人以上の人口集中地区はなくなりました。「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが、まあこういう結果となりました。
[97520] 2019年 2月 9日(土)17:32:26【1】YT さん
昭和60年人口集中地区の泉大津市の面積データ
[97507]で昭和55年の人口集中地区の面積データについて、表に記載されていない小数点以下第2位の数字までが人口密度、面積総計の算出に使われているケースをまとめましたが、同様に昭和60年の人口集中地区についても、該当する人口集中地区をまとめました。その結果、

(4)全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

に該当しない地域であるはずの、大阪府泉大津市についても、なぜか小数点以下第2位までの数字が使われていたことを見出しました。

まず、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和60年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に以下にまとめます。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は面積1で、記載されている人口密度は人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に実際に使われている数字は、小数点以下第2位までの数字です。

コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国73,344,12110,570.710,570.716,938.46,938.40.0
11000埼玉県4,204,944553.6553.577,595.67,596.0-0.4
11220与野市71,5978.38.288,626.18,647.0-20.9
11223蕨市70,4085.15.0913,805.513,832.6-27.1
11226鳩ヶ谷市55,4246.26.208,939.48,939.40.0
13000東京都11,483,075994.7994.7311,544.311,543.90.4
13100特別区部連合8,354,615597.9597.8913,973.313,973.5-0.2
13101千代田区50,49311.511.524,390.74,383.17.6
13102中央区79,97310.110.057,918.17,957.5-39.4
13103港区194,59120.019.999,729.69,734.4-4.8
13104新宿区332,72218.018.0418,484.618,443.641.0
13105文京区195,87611.411.4417,182.117,122.060.1
13106台東区176,80410.010.0017,680.417,680.40.0
13107墨田区229,98613.813.8216,665.716,641.524.2
13108江東区388,92736.936.8910,540.010,542.9-2.9
13109品川区357,73220.920.9117,116.417,108.28.2
13110目黒区269,16614.414.4118,692.118,679.113.0
13111大田区662,81449.449.4213,417.313,411.95.4
13112世田谷区811,30458.858.8113,797.713,795.32.4
13113渋谷区242,44215.115.1116,055.816,045.110.7
13114中野区335,93615.715.7321,397.221,356.440.8
13115杉並区539,84233.533.5416,114.716,095.519.2
13116豊島区278,45513.013.0121,419.621,403.216.4
13117北区367,57920.620.5517,843.617,887.1-43.5
13118荒川区190,06110.310.3418,452.518,381.171.4
13119板橋区505,55631.931.9015,848.215,848.20.0
13120練馬区587,88747.047.0012,508.212,508.20.0
13121足立区622,64053.353.2511,681.811,692.8-11.0
13122葛飾区419,01733.933.9012,360.412,360.40.0
13123江戸川区514,81248.348.2610,658.610,667.5-8.9
13203武蔵野市138,78311.011.0312,616.612,582.334.3
13204三鷹市166,25216.816.839,896.09,878.317.7
13208調布市191,07121.821.798,764.78,768.7-4.0
13210小金井市104,64211.411.359,179.19,219.6-40.5
13211小平市158,67320.920.857,592.07,610.2-18.2
13214国分寺市95,46711.411.408,374.38,374.30.0
13216田無市71,3316.96.8910,337.810,352.8-15.0
13217保谷市91,5688.88.7710,405.510,441.0-35.5
13219狛江市73,7846.26.1511,900.611,997.4-96.8
13222東久留米市110,07913.012.988,467.68,480.7-13.1
14000神奈川県6,622,947835.2835.187,929.87,930.0-0.2
14100横浜市連合2,673,495289.3289.269,241.39,242.5-1.2
14101鶴見区237,08332.632.567,272.57,281.4-8.9
14103西区78,8586.36.2712,517.112,577.0-59.9
14104中区118,27419.119.126,192.46,185.96.5
14105南区191,57812.512.5115,326.215,314.012.2
14130川崎市連合1,056,101117.1117.129,018.89,017.31.5
14131川崎区193,95432.932.945,895.35,888.17.2
14132幸区137,30610.110.0613,594.713,648.7-54.0
14133中原区183,45514.614.5812,565.412,582.6-17.2
14134高津区152,72616.116.149,486.19,462.623.5
23000愛知県4,336,549714.2714.186,071.96,072.1-0.2
23100名古屋市連合2,008,458253.5253.477,922.97,923.8-0.9
23101千種区163,76218.618.558,804.48,828.1-23.7
23102東区71,5067.77.709,286.59,286.50.0
23103北区175,82717.617.629,990.29,978.811.4
23104西区143,11717.117.108,369.48,369.40.0
23105中村区153,12616.316.319,394.29,388.55.7
23106中区67,2789.59.527,081.97,067.014.9
20107昭和区108,43410.910.929,948.19,929.918.2
23108瑞穂区115,12211.411.3610,098.410,134.0-35.6
23109熱田区65,0218.18.138,027.37,997.729.6
23112南区162,96818.618.568,761.78,780.6-18.9
23341西琵琶島町17,8623.23.215,581.95,564.517.4
26000京都府2,055,488231.6231.598,875.28,875.5-0.3
26100京都市連合1,332,038124.2124.1910,724.910,725.8-0.9
26102上京区92,8977.07.0113,271.013,252.118.9
26104中京区100,0157.27.2413,891.013,814.276.8
26106下京区78,7446.76.7411,752.811,683.169.7
27000大阪府8,127,754824.2824.219,861.49,861.30.1
27100大阪市連合2,635,604211.8211.8412,443.812,441.52.3
27101北区44,5015.55.548,091.18,032.758.4
27102都島区91,9255.95.8615,580.515,686.9-106.4
27103福島区57,4974.74.6812,233.412,285.7-52.3
27104此花区68,98711.111.086,215.06,226.3-11.3
27105東区27,5855.95.924,675.44,659.615.8
27106西区58,1575.35.2710,973.011,035.5-62.5
27107港区92,0338.38.2611,088.311,142.0-53.7
27108大正区82,3309.29.158,948.98,997.8-48.9
27109天王寺区55,9394.74.6811,901.911,952.8-50.9
27110南区34,8073.02.9611,602.311,759.1-156.8
27111浪速区49,0743.83.8312,914.212,813.1101.1
27112大淀区46,7844.54.5110,396.410,373.423.0
27113西淀川区92,41113.113.127,054.37,043.510.8
27114東淀川区170,83113.213.1512,941.712,991.0-49.3
27123淀川区159,98112.712.7112,596.912,587.09.9
27115東成区83,8974.54.5118,643.818,602.441.4
27116生野区162,0588.28.2419,763.219,667.296.0
27117旭区110,1476.16.1118,056.918,027.329.6
27118城東区157,4668.58.4718,525.418,591.0-65.6
27124鶴見区89,3368.18.1011,029.111,029.10.0
27119阿倍野区112,4346.16.0618,431.818,553.5-121.7
27120住吉区162,3529.29.1617,647.017,724.0-77.0
27125住之江区135,92319.319.277,042.67,053.6-11.0
27121東住吉区149,3319.79.6815,394.915,426.8-31.9
27122西成区144,2607.47.4219,494.619,442.052.6
27203豊中市413,21336.636.6011,290.011,290.00.0
27205吹田市348,94836.636.609,534.19,534.10.0
27206泉大津市67,72311.511.475,889.05,904.4-15.4
27209守口市159,40013.113.1312,167.912,140.127.8
27223門真市140,59012.212.2111,523.811,514.39.5
27226藤井寺市65,2528.78.707,500.27,500.20.0
27341忠岡町17,2233.63.564,784.24,837.9-53.7
28000兵庫県3,786,168478.9478.877,906.07,906.5-0.5
28202尼崎市509,11549.549.4710,285.210,291.4-6.2
34000広島県1,650,227269.3269.346,127.86,126.90.9
34100広島市連合781,291103.8103.847,526.97,524.02.9
34101中区135,88314.714.749,243.79,218.725.0
40000福岡県2,988,378478.3478.346,247.96,247.40.5
40130福岡市連合1,033,018127.9127.948,076.88,074.22.6
40133中央区140,70714.814.849,507.29,481.625.6

さて、問題となるのが泉大津市の人口集中地区ですが、[97502]でも書いたように、昭和55年の面積の数字が、昭和60年版でいつの間にか修正されてしまったという曰くつきの人口集中地区です。昭和60年版の『我が国の人口集中地区』に記載の数字をまとめると以下の通りです。

DID人口(S55)人口(S60)増減率(%)面積(S55)面積(S60)人口密度人口%(S55)人口%(S60)面積%(S55)面積%(S60)
206 泉大津市67,43567,7232880.411.011.55,904.499.9100.097.199.5

まず人口集中地区の人口密度5,904.4人/km2から人口集中地区の面積を計算すると、67,723÷5,904.4≒11.46992 km2、つまり面積としては11.47 km2が人口密度の算出に使われています。なお昭和60年の国勢調査報告書記載の泉大津市全域の人口と面積はそれぞれ67,723人、11.53 km2です。よって人口集中地区が占める割合は人口では67,723/67,755≒0.99953、面積では11.47/11.53≒0.99480、つまり%の小数点以下第2位で四捨五入すると100.0%、99.5%となり、『我が国の人口集中地区』の記載とも一致し、全域に占める人口集中地区の割合は、人口の方では全域ではないにも関わらず「100.0%」表記になってしまうのです。なお11.5km2で人口密度を小数点以下第1位まで算出すると5,889.0人/km2となるので、『我が国の人口集中地区』では泉大津市に限り、原則を破って少雨数点以下第2位までの数字を面積の算出に使ったという事実が判明しました。

なお平成2年版の『我が国の人口集中地区』をチェックすると・・・なぜか昭和60年における泉大津市の人口集中地区が全域に占める面積の割合が勝手に100.0%に修正されています。11.47 km2では99.5%、11.5 km2では99.7%となってしまうので、100.0%に該当するのは11.53 km2以外考えられません。ところが人口の方は67,723人のまま修正されていません。

DID人口(H02)人口(S60)増減率(%)面積(H02)面積(S60)人口密度人口%(H02)人口%(S60)面積%(H02)面積%(S60)
206 泉大津市67,03567,723-668.0-1.011.711.55729.5100.0100.0100.0100.0

仮に11.53 km2に後から修正されたとすると、面積が+0.06 km2となり、四捨五入後の大阪府の面積は824.3 km2となっていまいます・・・が、平成2年版以降に記載の昭和60年の大阪府の人口集中地区面積は824.2 km2のままです。よって平成2年版の『我が国の人口集中地区』が、昭和60年における泉大津市の人口集中地区の面積が全域に占める割合に関して誤植をしてしまったと考えるのが妥当です。

まあ泉大津市のケースは、人口集中地区の人口が全域に占める割合が四捨五入の結果100.0%になるという例外的な事態に至った結果、面積の方でも特殊な処理をしたのかも知れませんが、このような特殊例がほかにも出てくるかも知れません。
[97514] 2019年 2月 4日(月)23:22:58【1】YT さん
昭和40年の大阪市連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区について
[97513] ekinenpyou さん

[97511]での投稿に関し、色々誤った点を指摘して頂き、大変申し訳ありません。先週の土曜日の昼にまとめた際、その辺のチェックを怠っていました。

参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

これも昭和55年版で数値を入力していて、昭和45年・昭和50年版で数字が異なることを完全に見落としていました。今調べ直したら、昭和45年版、昭和50年版ともに昭和40年の大阪府のDID数が62、全国が1003となっており、昭和55年版で再修正が行われたようです。

改めて昭和35年と昭和40年のDID数をまとめると以下の通りです。

都道府県S40年版S45・S50年版S55年版以降
全国 (S35)970888891
全国 (S40)108610031002
東京都 (S35)492424
東京都 (S40)563333
神奈川県 (S35)443636
神奈川県 (S40)524343
愛知県 (S35)574646
愛知県 (S40)695656
京都府 (S35)211313
京都府 (S40)261818
大阪府 (S35)634242
大阪府 (S40)826261
兵庫県 (S35)403434
兵庫県 (S40)423636
福岡県 (S35)514851
福岡県 (S40)464242

今となっては大阪市内のどのDIDが、昭和45年、昭和50年版で想定された、昭和40年の連合人口集中地区から抜けてしまったのか不明です。昭和40年の人口集中地区地図を見ると、大阪市を構成する22区の第1となる人口集中地区(城東区I、東住吉区I、およびその他20区の人口集中地区)が明白に連担しており、連担していないのは城東区IIと東住吉区II(八尾市を介して実際には市外から連担している)、東住吉区III、東住吉区IVでした。よってDID数に関しては82-22+1=61となる、昭和55年版以降の数字が正しいです。

【題名等訂正】
[97511] 2019年 2月 2日(土)17:31:03【1】YT さん
昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
もう少しまとまってから投稿しようと思いましたが、[97510]で白桃さんが「連合人口集中地区」について投稿されたので、改めて表題の件について問題点等を投稿します。

昭和35年の国勢調査で人口集中地区が設置された際、当初同一政令都市(東京都特別区部を含む)で連担していても、区が異なれば異なる人口集中地区が設定されていました。しかしながら昭和45年の国勢調査で編纂された『わが国の人口集中地区』では、「連合人口集中地区」が新たに設置されました。その際、過去の人口集中地区の数についても、

連合人口集中地区は、1人口集中地区として数えた。


との修正が加わり、東京都・神奈川県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県の昭和35年と昭和40年度の人口集中地区数に変更が遡って加えられました。というわけで昭和35年版の『わが国の人口集中地区』、昭和40年度版の『わが国の人口集中地区』と、昭和45年度版以降の『わが国の人口集中地区』を比較すれば、過去の連合人口集中地区を構成する区の数が分かります。

都道府県S35(S35/S40版)S35(S40/S45版)S35(差)S35(S55-H27版)S40(S40版)S35(差)S40(S45-H27版)S40(差)
全国97088882891791086100284
東京都4924252425563323
神奈川県4436836852439
愛知県5746114611695613
京都府2113813826188
大阪府6342214221826121
兵庫県4034634642366
福岡県5148351046424

実のところ、昭和45年以降に再集計された、昭和35年と昭和40年の連合人口集中地区を構成する区の情報は、「わが国/我が国の人口集中地区」シリーズに記載されておりません。しかしながら、上の人口集中地区数の情報と、昭和35年、昭和40年の人口集中地区の地図を比べることにより、以下のように昭和35年、昭和40年の連合人口集中地区の構成が判明します。

昭和35年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,108,157466.617,377.126千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,足立区III,足立区IV,葛飾区,江戸川区
横浜市連合1,015,01087.611,586.99鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,磯子区,金沢区II,港北区I
名古屋市連合1,446,705128.711,240.912千種区,東区,北区,西区,中村区I,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区
京都市連合1,137,51578.314,527.79北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区,右京区,伏見区I
大阪市連合2,973,635186.515,944.422北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合944,39750.518,700.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区
(北九州市連合)696,13466.810,421.24八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市


昭和40年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,762,034507.717,258.324千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,341,258117.511,415.010鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区IV
名古屋市連合1,650,018146.211,286.014千種区I,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区,守山区
京都市連合1,157,39977.214,992.29北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区I,伏見区I
大阪市連合3,089,450191.216,158.222北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区I,西成区
神戸市連合992,08754.518,203.47東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合867,88795.69,078.35門司区,小倉区,若松区,八幡市I,戸畑区

さて、上で問題となるのが昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」です。昭和45年版の『わが国の人口集中地区』で過去に遡って人口集中地区が設置された際、北九州市に関しては、昭和35年の人口集中地区が設置された市町村数の項目に

昭和38年に北九州市となった若松市,八幡市,戸畑市,小倉市及び門司市はまとめて1市として数えた。


という脚注が入り、更に福岡県の人口集中地区数も51から48へと、3つ減っています。よって北九州市成立前にも関わらず、北九州市連合集中地区が過去に遡って設置され、集計されたことになります。具体的に当時の地図を見ると、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区が連担しており、若松市は分離していることから、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区に北九州市連合人口集中地区が設置されたことになるかと思います。ところが昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』以降では、上の脚注が消え、さらに福岡県の昭和35年の人口集中地区数が、再び51に戻っています。以上をまとめると

(1) 昭和35年の国勢調査時には、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区は連担していた。
(2) 昭和45年の国勢調査時に「連合集中地区」という概念が導入された際、昭和35年の八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区に関し、「北九州市連合人口集中地区」という集計がなされた。
(3) 昭和55年の国勢調査時になって、北九州市成立以前にまで「北九州市連合人口集中地区」を設置するのは変だという話になったのか、昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」はなかったことになった。

こういう流れがあったと思われます。よって現在において過去の連合人口集中地区を議論する場合、昭和35年の連合人口集中地区は、特別区部・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市のいわゆる六大都市にのみ、後から設置され、昭和40年の連合人口集中地区は北九州市を含めた七大都市に、後から設置されたとする解釈が正しいと思われます。

さて、昭和45年度から導入された『連合人口集中地区』ですが、昭和45年、昭和50年度版では連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区にはアスタリスク(*)がつけられたものの、連合人口集中地区としての人口、面積の集計がなされておらず、連合人口集中地区としての集計がなされたのは昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』からです。念のため昭和45年度、昭和50年度版の連合人口集中地区の集計を行ったところ、昭和50年の横浜市連合人口集中地区におかしな点を見出しました。

昭和45年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,793,123549.316,007.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,809,305192.09,423.513鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,瀬谷区
名古屋市連合1,771,396182.99,685.118千種区I,東区,北区,西区,中村区,中区,昭和区I,昭和区IV,瑞穂区,熱田区,中川区I,中川区II,港区I,港区II,港区III,南区,守山区,緑区I
京都市連合1,194,98490.013,277.69北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区,伏見区I
大阪市連合2,969,242202.914,634.022北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合972,76561.015,947.07東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合857,409110.17,787.55門司区,小倉区I,若松区,八幡市I,戸畑区

昭和50年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
札幌市連合966,057112.18,617.88中央区,北区I,東区I,白石区I,豊平区I,豊平区II,南区I.西区I
特別区部連合8,643,033576.914,981.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合(修正前)2,106,371227.09,279.214鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V
横浜市連合(修正後)2,195,811239.59,168.315鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V,瀬谷区
川崎市連合947,293102.89,214.95川崎区,幸区,中原区,高津区I,多摩区I
名古屋市連合1,903,057221.08,611.121千種区,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区I,港区II,南区,守山区I,守山区II,緑区,名東区I,名東区II,天白区I,天白区III
京都市連合1,194,276100.611,871.510北区,上京区,左京区,中京区,東山区II,下京区,南区I,南区II,右京区,伏見区I
大阪市連合2,778,268206.213,473.726北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区,淀川区,鶴見区,住之江区,平野区
神戸市連合908,74367.613,442.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区I
北九州市連合880,031127.76,891.47門司区,若松区,戸畑区,小倉北区,小倉南区I,八幡東区,八幡西区
福岡市連合852,862104.08,200.65東区,博多区,中央区,南区,西区I

上の表は基本的に*印のついた人口集中地区のみを合算して算出した値なのですが、これを人口集中地区の地図と比較すると、昭和50年の横浜市におかしな点がありました。

昭和50年(1975年)の横浜市瀬谷区周辺の人口集中地区地図(背景の地図は現在のもので、上に昭和50年の人口数中地区のShapeFileを張り付けたもの)をこちらにアップロードしましたが、昭和50年の横浜市瀬谷区の人口集中地区はどうみても隣接する旭区の人口集中地区と連担しているにも関わらず、『我が国の人口集中地区』の表では連合人口集中地区に含まれていません(アスタリスク(*)の表記がない)。瀬谷区は昭和45年の段階でがっつり長い接線を通じて旭区と連担しており(さらに前の昭和40年の戸塚区第4人口集中地区~保土ケ谷区の時代から連担している)、これが別個の人口集中地区されることが変なのです。

また昭和50年の神奈川県の人口集中地区の数の集計は52とあるのに対し、連合集中地区を構成する人口集中郁を全部別個の人口集中地区として数えた場合、その合計は70となります。川崎市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が5、横浜市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が14とすると、連合人口集中地区を1個として数えた場合の神奈川県人口集中地区の数は70-4-13=53となり、合計が合いません。この52という数字は平成27年度版の『我が国の人口集中地区』でも取り消されずに採用されている数字です。

以上から、昭和50年度版の『我が国の人口集中地区』において、「正誤表」からは記載が漏れてしまったものの、昭和50年の横浜市連合人口集中地区は実際には横浜市瀬谷区人口集中地区を含むものとして集計するのが正しく、瀬谷区の項目から誤ってアスタリスク(*)が欠落してしまったと判断しました。

なお、昭和35年~昭和45年の連合人口集中地区に関しては、wikipediaの「人口集中地区」の項目で誰かが(私ではありません)集計した結果が載っております。ここに記載の数値はほぼ私の集計と同じで、昭和35年の北九州市連合人口集中地区は設置しない点も同じですが、昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用しています。

【リンク等を修正】
[97507] 2019年 1月 29日(火)23:52:17【1】YT さん
昭和55年人口集中地区の面積データの、表に記載されていない小数点以下第2位の数字について
[97506] ekinenpyou さん

どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

御指摘ありがとうございます。手軽に直接リンクできるサイトで、まあ1ヶ月程度保存されていれば良いかぐらいの気持ちで使ったのですが、最後に作成したファイル以外全部消えてしまうとは思いませんでした。まあソフトの使い方の練習も兼ねていたので、重要な箇所に関してはいずれファイルを作成し直すと思います。

それはさておき[97502]で少し触れました、昭和55年の『我が国の人口集中地区』に記載の面積について検討した内容を以下まとめます。

人口集中地区の定義まわりは大体2回の調査ごとに細かい改訂が行われおり、昭和35年の回では1年前の調査で人口集中地区を設定していたのに対し、昭和45年の回からは1年前の調査で人口集中地区を設定することを止め([80928]参照)、準人口集中地区と連合人口集中地区の概念が導入され、さらに昭和55年の回からは面積に関して大きな改訂がなされました。

実のところ昭和55年の[『我が国の人口集中地区』]に記載されている面積の説明は、ほぼ昭和50年の『我が国の人口集中地区』に記載されている面積の説明と同じで:

2 面積
(1) 人口集中地区の面積は,原則として,人口集中地区境界原図に基づき,建設省国土地理院発行の5万分の1地形図を基図として作成した人口集中地区面積測定図によりプラニメーターを使用して測定した。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によった。
(2) 人口集中地区に含まれる河川の面積の中に含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。
(3) 全国,都道府県及び市区町村の全域面積は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によっている。同書では,各面積を小数点以下第2位まで掲載しているが,本書では小数点以下第2位を四捨五入した数値を用いているため,必ずしも個々の数値を合算して得た数値と総数とは一致しない。

これに対して昭和60年版の『我が国の人口集中地区』から、以下の定義が加わりました。

(4) 全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

つまり人口集中地区の面積は小数点以下第1位までしか示されないが、昭和60年版からは、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの数字が載っている「全国都道府県市区町村別面積調」を使うようになったということになります。

しかしながら昭和55年度版の人口密度の数字を詳しく見ると、既に昭和55年度版から、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの面積の数字を使って面積を算出していることが分かります。例えば昭和55年度の国勢調査で設定されている人口集中地区の人口と面積、人口密度は、それぞれ69,934,854人、10,014.7 km2、6,983.3人/km2(改訂後の数字、[97502]参照)と記載されていますが、69,934,854人を10,014.7 km2で割って得られる数字は6,983.22...人/km2となり、四捨五入しても6,083.3人/km2になりません。仮に計算に用いた面積が小数点以下第2位で離散したデータであると仮定するなら、10,014.66~10,014.74 km2の範囲では人口密度は6,083.2人/km2となり、人口密度に一致する面積は10,014.65 km2以外ありえないことになります。

以下、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和55年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に示します。なお小数点以下第2位の数字がゼロの場合、人口密度に差はなくなりますが、昭和55年当時全域が人口集中地区であると設定された行政地区を示すため、表に残します。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は、人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に使われた数字は、小数点以下第2位までであることが分かります。


コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国(改訂前)69,934,85410,015.610,015.556,982.66,982.60.0
00000全国(改訂後)69,934,85410,014.710,014.656,983.26,983.3-0.1
11000埼玉県3,781,440513.9513.877,358.37,358.7-0.4
11220与野市72,3268.38.288,714.08,735.0-21.0
11223蕨市70,8765.15.0913,897.313,924.6-27.3
11226鳩ヶ谷市55,9506.26.209,024.29,024.20.0
13000東京都(改訂前)11,294,147979.5979.4811,530.511,530.8-0.3
13000東京都(改訂後)11,294,147979.4979.3811,531.711,531.9-0.2
13100特別区部連合8,351,893591.9591.9414,110.314,109.40.9
13101千代田区54,80111.511.524,765.34,757.08.3
13102中央区82,70010.110.058,188.18,228.9-40.8
13103港区201,25719.519.4810,320.910,331.5-10.6
13104新宿区343,92818.018.0419,107.119,064.742.4
13105文京区202,35111.411.4417,750.117,688.062.1
13106台東区186,04810.010.0018,604.818,604.80.0
13107墨田区232,79613.813.8216,869.316,844.924.4
13108江東区362,27036.236.2410,007.59,996.411.1
13109品川区346,24720.520.5416,890.116,857.232.9
13110目黒区273,79114.414.4119,013.319,000.113.2
13111大田区661,14748.248.2013,716.713,716.70.0
13112世田谷区797,29258.858.8113,559.413,557.12.3
13113渋谷区247,03515.115.1116,359.916,349.110.8
13114中野区345,73315.715.7322,021.221,979.242.0
13115杉並区542,44933.533.5416,192.516,173.219.3
13116豊島区288,62613.013.0122,202.022,184.917.1
13117北区387,45820.620.5518,808.618,854.4-45.8
13118荒川区198,12610.310.3419,235.519,161.174.4
13119板橋区498,26631.931.9015,619.615,619.60.0
13120練馬区564,15647.047.0012,003.312,003.30.0
13121足立区619,96153.353.2511,631.511,642.5-11.0
13122葛飾区420,18733.933.9012,394.912,394.90.0
13123江戸川区495,23145.145.0610,980.710,990.5-9.8
13203武蔵野市136,91011.011.0312,446.412,412.533.9
13204三鷹市164,52616.816.839,793.29,775.817.4
13208調布市180,54821.821.798,282.08,285.8-3.8
13210小金井市102,45611.411.358,987.49,027.0-39.6
13211小平市154,61020.920.857,397.67,415.3-17.7
13214国分寺市91,01011.411.407,983.37,983.30.0
13216田無市66,9766.96.899,706.79,720.8-14.1
13217保谷市91,2598.88.7710,370.310,405.8-35.5
13219狛江市70,8366.26.1511,425.211,518.0-92.8
13222東久留米市106,55613.012.988,196.68,209.2-12.6
14000神奈川県6,109,371799.3799.297,643.47,643.5-0.1
14100横浜市連合2,419,231271.8271.808,900.88,900.80.0
14101鶴見区231,47731.531.507,348.57,348.50.0
14103西区80,5396.36.2712,784.012,845.1-61.1
14104中区121,47618.418.406,602.06,602.00.0
14105南区192,02012.512.5115,361.615,349.312.3
14130川崎市連合1,000,863113.8113.818,794.98,794.20.7
14131川崎区199,14832.532.476,127.66,133.3-5.7
14132幸区138,58510.110.0613,721.313,775.8-54.5
14133中原区185,28314.614.5812,690.612,708.0-17.4
23000愛知県4,146,376684.6684.596,056.66,056.7-0.1
23100名古屋市連合1,979,558247.4247.388,001.48,002.1-0.7
23101千種区166,83718.618.598,969.78,974.6-4.9
23102東区70,0467.77.689,096.99,120.6-23.7
23103北区179,26617.617.6110,185.610,179.85.8
23105中村区163,97816.316.3110,060.010,053.86.2
23106中区66,5629.59.527,006.56,991.814.7
20107昭和区112,91210.910.9210,358.910,339.919.0
23108瑞穂区120,67911.411.3610,585.910,623.2-37.3
23109熱田区65,5538.18.138,093.08,063.129.9
23112南区163,76818.618.568,804.78,823.7-19.0
23341西琵琶島町18,5333.23.215,791.65,773.518.1
26000京都府1,994,322224.2224.198,895.38,895.7-0.4
26100京都市連合1,347,797123.9123.8910,878.110,879.0-0.9
26102上京区99,2627.07.0114,180.314,160.120.2
26104中京区105,9217.27.2414,711.314,630.081.3
26106下京区86,8216.76.7412,958.412,881.576.9
27000大阪府(改訂前)7,957,380805.7805.709,876.49,876.40.0
27000大阪府(改訂後)7,957,380804.9804.909,886.29,886.20.0
27100大阪市連合2,647,484209.7209.7112,625.112,624.50.6
27101北区43,7415.55.547,952.97,895.557.4
27102都島区83,5845.95.8614,166.814,263.5-96.7
27103福島区60,1014.74.6812,787.412,842.1-54.7
27104此花区73,38611.010.976,671.56,689.7-18.2
27105東区27,1095.95.924,594.74,579.215.5
27106西区53,6955.35.2710,131.110,188.8-57.7
27107港区96,4168.38.2611,616.411,672.6-56.2
27108大正区84,0419.29.159,134.99,184.8-49.9
27109天王寺区55,2774.74.6811,761.111,811.3-50.2
27110南区36,9823.02.9612,327.312,493.9-166.6
27111浪速区50,1043.83.8313,185.313,082.0103.3
27112大淀区44,2284.54.519,828.49,806.721.7
27113西淀川区90,69113.113.126,923.06,912.410.6
27114東淀川区165,37013.213.1512,528.012,575.7-47.7
27123淀川区154,26912.712.7112,147.212,137.69.6
27115東成区89,1384.54.5119,808.419,764.543.9
27116生野区173,7838.28.2421,193.021,090.2102.8
27117旭区114,1826.16.1118,718.418,687.730.7
27118城東区157,1458.58.4718,487.618,553.1-65.5
27124鶴見区88,6878.18.1010,949.010,949.00.0
27119阿倍野区117,5276.16.0619,266.719,393.9-127.2
27120住吉区166,7989.29.1618,130.218,209.4-79.2
27125住之江区115,22717.317.256,660.56,679.8-19.3
27121東住吉区156,9999.79.6816,185.516,218.9-33.4
27122西成区150,8207.47.4220,381.120,326.155.0
27203豊中市403,17436.636.6011,015.711,015.70.0
27205吹田市332,41836.636.609,082.59,082.50.0
27209守口市165,63013.113.1312,643.512,614.628.9
27341忠岡町18,0533.63.565,014.75,071.1-56.4
28000兵庫県3,686,192460.7460.718,001.38,001.10.2
28202尼崎市523,65049.149.1110,665.010,662.82.2
28000広島県1,551,718245.7245.746,315.56,314.51.0
34100広島市連合698,84990.290.247,747.87,744.33.5
34101中区138,48614.714.749,420.89,395.325.5
40000福岡県2,857,791461.5461.486,192.46,192.7-0.3
40130福岡市連合966,247125.2125.187,717.67,718.9-1.3
40133中央区123,61413.113.089,436.29,450.6-14.4

注目するべき点は世田谷区のデータで、事実上人口最大の行政区である世田谷区の面積が、表の数字と計算に用いた数字が0.01 km2違うことにより、人口密度で2.3人/km2の差が出ています。つまり、小数点以下第1位まで示されている人口密度の数字で人口を割ることにより、人口密度の算出に用いた面積が仮に小数点以下第3位で離散したデータだったとしても正確な面積を算出することが可能ということになります。

実のところ平成12年以降の人口集中地区のデータはエクセル形式で既に入手済みなのですが、平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していないという問題を確認しており、これが何を意味しているのか、後々検討が必用となります。
[97502] 2019年 1月 27日(日)01:14:37【1】YT さん
昭和45年の国勢調査における人口集中地区面積の改訂について 追記
[97499] で疑問点として挙げた以下の点ですが、自己解決しました。

昭和45年の『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。


昭和50年の『わが国の人口集中地区』の方で、長崎県西彼杵郡高島町の昭和45年の人口集中地区の面積が、1.2 km2から1.0 km2に改訂されていました。よって改訂後の総面積は「6,444.1 km2」で正しいことになります。

昭和55年の『わが国の人口集中地区』に記載の、昭和55年の人口集中地区総面積と昭和60年の『わが国の人口集中地区』記載の昭和55年の人口集中地区総面積でも、0.9 km2の違いがあったのですが、こちらも昭和60年版でしれっと大阪府泉大津市の昭和55年の人口集中地区面積が11.8 km2から11.0 km2に改訂されていました。

もう一か所の0.1 km2の改訂は東京都東村山市です。昭和55年版では、東村山市人口集中地区人口が東村山市の総人口(123,798人)の99.4%に相当する118,679人なのに対し、東村山市人口集中地区面積は東村山市の総面積(16.58 km2)の100%に相当する16.6 km2となっていました。昭和55年以降、人口集中地区設定区域が行政全域と一致する場合、面積の情報は行政域面積として採用されている下二桁までの数字を使う(即ち118,679/16.58 ≒ 7,158.0 人/km2)とされていましたが、実際に表に載っていた人口密度は118,679/16.6 ≒ 7,149.3 人/km2の方でした。

まあこの時点で色々矛盾があってもやもやしていたのですが(何故人口集中地区設定の人口が行政域全域じゃないのに、面積の方は行政域全域以上になる?)、これが昭和60年版では遡って総面積の99.5%に相当する16.5 km2に改訂されていました。

いずれにせよ、「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。

【東村山市の詳細を追加】
[97499] 2019年 1月 25日(金)23:31:52【3】YT さん
初期の人口集中地区のデータの疑問点
[97021] 他 白桃さん
[97025] 他 千本桜さん
[97032] 他 ekinenpyou さん

数か月前から人口集中地区について話題になっていましたが、[97021][97032]で白桃さんやekinenpyouさんに国土数値情報ダウンロードサービスを紹介して頂いたことにより、自分は総ての人口集中地区のシェープファイルを入手することができました。ただ、シェープファイルを地図上に表示する方法が分からず、とりあえずフリーのSuperMap Viewer2008やQGIS3.44を導入しましたが、まだ使いこなすには至っていません。

それはさておき折角なので、改めて過去に調べた人口集中地区の連担について、人口・面積と変遷の情報をエクセルファイルにまとめ直すことにしました。とはいえ、過去の国勢調査のデータ自体は総務庁のサイトからダウンロードできますが、昭和や平成初期の報告書はpdf化された画像ファイルのままですので、数値を改めて入力し直す必要があります。現在、人口密度の計算で数値をチェックしながら1960年~1975年までの4回分を入力し終えましたが、結婚して子供が生まれてからというもの、深夜に作業するだけの気力が残らず、入力作業も相当時間がかかりそうです。今回は、[97037]でも指摘しました、

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。


について、昭和35年と昭和40年のケースで、問題点を指摘した地図画像ファイルを作成しましたので、それについて投稿します。また昭和45年以前のケースで国勢調査報告書自体に誤りがるという事例が複数見つかりましたので、それについてもまとめます。なお今日になってQGIS3.44で地図上にシェープファイルを表示させる方法が分かりましたが…SuperMap Viewerで作成したシェープファイル由来のみの画像を今回は用います。

昭和35年(1960年)の国勢調査で初めて人口集中地区が設置されましたが、同一自治体内で連続しているようにしか見えないのに、わざわざ別個の人口集中地区とされてしまっている例が全国で多数散見します。例えば『わが国の人口集中地区』収録の地図では、広島市Iと広島市IIはどうみても同一自治体内で連担してますが、人口集中地区としては別にされています。その同じ広島県の呉市Iと呉市IIまわりのシェープファイルをこちら(外部アップローダ)に示しますが、『わが国の人口集中地区』に表示された地図にせよ、今回のシェープファイルにせよ、一点で接しているように見えます。同様のことが福岡市Iと福岡市IIIの連担(外部アップローダ)でも言えます。

一方、昭和40年の松原市Iと羽曳野市IIIの方に関しては、『わが国の人口集中地区』収録の地図では、羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)に示すように、それぞれが一点で接しているようにみえます。ところがシェープファイルの方では、こちら(外部アップローダ)に示すように、接していません。(なお某所に投稿した昭和40年の阪神地区に取り込まれている「松原市I(河内天美)」は、「松原市II」の間違いであることが判明しました。)

『わが国の人口集中地区』収録の地図では、分かりにくいのですが、該当箇所は日本で5番目に大きい古墳である大塚山古墳(雄略天皇陵墓参考地)の北側で、近鉄南大阪線の北側の道路で接しているように見えます。先程地図を読み込ませることに成功したQGIS3.44で、該当する昭和40年の大阪府のファイルを読み込んだところ、どうも松原市Iのシェープファイルの座標が西方向にずれているのではないかという気がします。

【追記:QGIS3.44の使い方が分かって来たので、現在の地図に昭和40年の大阪府松原市I~羽曳野市III周辺の人口集中地区のシェープファイルを載せた画像を作成してみました(外部アップローダ)。『わが国の人口集中地区』収録の地図の羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)が正しいとすると、松原市Iから大塚山古墳の北側の方まで伸びているはずの人口集中地区が、シェープファイルを作成した際に誤ってカットされてしまったことになります。】

以上のほか、昭和40年の『国勢調査報告 第1巻 人口総数』では、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市I、昭和35年の北海道の美唄市I→昭和40年の美唄市II、となっているのに対し、昭和40年の『わが国の人口集中地区』では美唄市I→昭和40年の美唄市I、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市IIとなっています。地図等との比較から美唄市の人口集中地区は番号が入れ替わっていたとするのが正しいことが分かります。ならば『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』の方が正しいのかといえば、そんなことはなく、『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』では昭和35年の京都府宇治市II→昭和40根の宇治市II、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIIとなっているのに対し、『我が国の人口集中地区』の方では、昭和35年の宇治市II→昭和40年の宇治市III、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIとなっており、こちらに関しては『我が国の人口集中地区』の情報の方が正そうです。複数の図書館で昭和40年の『我が国の人口集中地区』の中身を確認しましたが、残念ながら正誤表の存在が確認できませんでした。

さらに昭和40年の『わが国の人口集中地区』では、関西のデータを中心に、昭和35年の人口集中地区が昭和40年になって分割されたのか、昭和35年の人口集中地区が昭和40年の人口集中地区Iに成長し、一方で別に昭和40年の人口集中地区IIが形成されたのか、表記法の統一が中途半端が故の曖昧表記が生じており、人口集中地区の地図の情報からの再チェックが必用そうです。

次の昭和45年の『わが国の人口集中地区』からは正誤表が存在し、割と重要な訂正がなされております。人口密度の訂正や面積・人口の割合と増加率の訂正を除くと、重要な訂正は以下の点です。

表側表頭
209 相模原市I面積 (km2) 昭和45年19.213.2
209 相模原市I面積 (km2) 昭和40年16) 8.317) 5.1
209 相模原市II面積 (km2) 昭和45年13.219.2
209 相模原市II面積 (km2) 昭和40年17) 5.116) 8.3
222 羽曳野市I人口 昭和40年12) 882114) 6823
222 羽曳野市I面積 (km2) 昭和40年12) 1.114) 0.7
222 羽曳野市II人口 昭和40年13) 337812) 8821
222 羽曳野市II面積 (km2) 昭和40年13) 0.712) 1.1
222 羽曳野市III人口 昭和40年14) 682313) 3378
222 羽曳野市III面積 (km2) 昭和40年14) 0.713) 0.7

また

東京都青梅市の人口集中地区面積および神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積は、再測定の結果、つぎのように訂正する。
・東京都青梅市の人口集中地区面積 ― (旧) 3.8 km2 (新) 5.8 km2
・神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積 ― (旧) 10.0 km2 (新) 15.3 km2

昭和45年の[『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の人口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。

なお昭和55年以降、全域が人口集中地区となった自治体に関しては小数点以下第2位までの面積(km2)が使われるようになりますし、平成17年以降だと、小数点以下第2位までの面積の数字を足しても合計が合わない(小数点以下第2位よりも細かい数字を用いている?)という状況となっています。

初期の連合人口集中地区の数値に関しては別の機会にまとめます。

【訂正1:後半の丸め誤差の説明を訂正】
【訂正2:松原市I~羽曳野市IIIの人口集中地区の分布示す画像ファイルを追加でアップロード】
【訂正3:その他誤字訂正】
[97046] 2018年 11月 28日(水)23:46:19【1】YT さん
DID上の隠れ大都市:明石と川越
すみません。[97027]で、

(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)
と書きましたが、リンク先に示すように2015年現在も、柳瀬川を境とするDIDの途切れは健在で、富士見市~ふじみ野市~川越市~狭山市~入間市~飯能市と続く、DID上の隠れ大都市川越は今なお健在のようでした。

明石~垂水と阪神を結ぶラインも、山の方の妙法寺付近で分離したままのようです。

【地理院地図へのリンクの方法を修正】
[97037] 2018年 11月 26日(月)18:18:24【1】YT さん
DIDが点で接している場合の判断
[97019] 白桃さん
[97025] 千本桜さん
[97032] ekinenpyou さん

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

先程図書館で歴代の「我が国の人口集中地区」収録の地図を閲覧してようやく意味がわかりました。平成27年度版の収録の地図の方では「鎌倉海浜公園」という文字の上の方にDIDが設置されているようですが、該当する箇所には公園はなく、道路そのものがDIDとして設置されているようですね。

ekinenpyou さんも分析されていますが、1960年(S35),1965年(S40)には、該当する道路周辺にはDIDはなく、1970年(S45)には腰越方面に向けて太い帯状のDIDが設置され、1975年(S50)~1990年(H2)は腰越と鎌倉中心部が太いDIDで接続されていたが、1995年(H7)から突然、鎌倉市内のDIDの設置が地形にそったきめ細かなものに変更となり、それと同時に坂ノ下は一本の道だけでDIDが繋がる状態となり、現在に至るようです。まあ理不尽といえば理不尽ですが、国勢調査の地区ごとの担当の裁量によるところが大きいのか、あるいは市街化調整区域の設置が絡んでいるのか、その辺の事情は分かりません。

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。単に地図の解像度が悪いだけで、別のローマ数字が降られているは、「本当は両者は接していないから」という解釈も成立しますが、そうなってくると、異なるDIDについて地図から「接している」と判断して加算した場合、それが本当に接しているの?という疑問も生じ得ることになります。手元にDIDのチェックをした時のメモがないので記憶が曖昧ですが、確か1960年~2005年までの間で、10箇所近く悩むようなシチュエーションがあったように記憶しています。

【追記】あと、「我が国の人口集中地区」付録の地図では、それぞれの地図でタイトルに示されるメインとなる市区町村について、DIDが実線と実線内の赤枠で囲われて示され、周辺のDIDは斜線の赤枠で示されることで、複数のDIDが接していたり、近くに存在することを察することができるのですが、確か周辺のDIDの記入漏れがそこそこあったと思います。
[97027] 2018年 11月 24日(土)17:51:15YT さん
DID人口の合算について
最近仕事と私生活がリアルに忙しくて、余りこちらに書き込む余裕がなかったのですが、DID人口の話題が出ているのでひさびさに書き込みます。

[97019]白桃 さん

[69204][80928]にも書きましたけど、その昔1960年~2000年の間について、地図の上で連続したDIDを足した人口を算出し、某所に投稿したことがあります。その後の2005年分を含め、図書館で『我が国の人口集中地区』の地図を確認しながら国勢調査報告書のコピーに連続の有無を総てメモっておりましたが。それらのメモは実家に置いて来てしまっており、現在すぐに確認はできません。今日白桃さんの投稿に気付き、そういえば『我が国の人口集中地区』では鎌倉周辺はどういう変遷となっているのかしらん?と思って昼間に仕事場から数分の距離にある某図書館に行きましたが、今日は休館日で確認できませんでした。

なお鎌倉に関して言えば、1970年以前は藤沢I~茅ヶ崎I~鎌倉II(腰越)と、鎌倉I~逗子~戸塚区II(笠間)~葉山が独立しており、藤沢や鎌倉まで京浜に飲み込まれたのは1975年以後のようです。その一方で、2000年の段階では阪神と京都、阪神と明石~垂水、京浜と川越などが分離するなど、色々合算に悩むところもあります(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)。2000年の例だと、定規を使って地図を測った結果、以下のDIDが分離しているとする自作のテキストファイルメモが手元に残っていました。

我孫子市I(京浜地区)~取手市I 約1.2 km (利根川対岸)
志木市(京浜地区)~富士見市I(富士見地区) 約50 m (接するのは時間の問題?)
大井町I(川越地区)~大井町II(富士見地区) 約30 m (接するのは時間の問題?)
鶴ヶ島市II(川越地区)~鶴ヶ島市I(坂戸地区) 約50 m (過去に接しているケースあり)
所沢市I(京浜地区)~所沢市II(川越地区) 約500 m
上尾市(京浜地区)~蓮田市 約300 m
袖ヶ浦市I(京浜地区)~木更津市I 約920 m
大磯町I(京浜地区)~大磯町II(小田原地区) 約80 m (接するのは時間の問題?)
岩倉市(名古屋地区)~一宮市I(岐阜地区) 約2.3 km
岩倉市(名古屋地区)~江南市 約860 m
扶桑町(犬山地区)~江南市 約110 m
春日井市I(名古屋地区)~春日井市II(高蔵寺地区) 約170 m
東海市(名古屋地区)~大府市I 約740 m
刈谷市I(刈谷地区)~大府市I 約900 m
安城市(安城地区)~知立市I(刈谷地区) 約120 m
大津市I~大津市II(草津地区) 約160 m (瀬田川対岸; 過去に接しているケースあり)
大津市VII(京都地区)~大津市I 約1.7 km
八幡市(阪神地区)~島本町(京都地区) 約640 m (淀川対岸)
高槻市I(阪神地区)~高槻市II(京都地区) 約280 m
堺市I(阪神地区)~堺市II(光明池地区) 約100 m (接するのは時間の問題?)
神戸市須磨区II(阪神地区)~神戸市垂水区I(明石地区) 約1.2 km
神戸市須磨区II(阪神地区)~須磨区I(妙法寺桃山台地区) 約50 m (崖あり)
神戸市垂水区I(明石地区)~垂水区II(妙法寺桃山台地区) 約60 m (第二神明道越し)
北九州市門司区~下関市I 約400 m (門司区側は関門橋の中途までDID設定)
北九州市小倉南区I(北九州地区)~北九州市小倉南区II 約30 m (過去に接しているケースあり)
北九州市小倉南区II~北九州市小倉南区III 約400 m
苅田町~北九州市小倉南区III 約50 m (過去に接しているケースあり)

[81009]にも書きましたが、一番の問題点は水面調査区を介して隣接している場合、その水面調査区の設置場所を調べる術が自分にはわからない点です。

例えば北九州市の場合、1960年と1965年は、若松地区と他の北九州市の諸地区は分離していましたが、1970年には橋を介して一個の巨大なDIDとなります。ところが1975年~1985年には橋の上のDIDの設置がなくなり、両者は再び分離します・・・が、「連合人口集中地区」として連結する扱いとなっています。

1960年
696,134人/66.8km2八幡市I/小倉市/門司市/戸畑市 (全国5位)
75,721人/7.5km2若松市I

1965年
787,849人/84.2km2北九州市[八幡区I/小倉区/門司区/戸畑区] (全国5位)
80,038人/11.4km2北九州市若松区

1970年
857,409人/110.1km2北九州市[八幡区I/小倉区I/門司区/戸畑区/若松区] (全国5位)

1975年
922,081人/134.3km2北九州地区 [福岡県] (全国7位)
【1】843,382人/121.5km2北九州市[小倉北区/八幡西区/門司区/八幡東区/戸畑区/小倉南区I]
/中間市/水巻町 [福岡県]
【2】78,699人/12.8km2北九州市若松区 [福岡県]

水面調査区や準人口集中地区を含め、その詳細を調べる方法が分からないのがもどかしいです。
[95701] 2018年 4月 20日(金)01:21:54【4】YT さん
明治19年末の都市人口について(2)
[95699]の続きです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
大津滋賀18,95023,16723,1679118,95023,167
彦根滋賀20,01018,57718,5779220,01018,577
岐阜岐阜1618,87523,37723,3775518,87523,377
大垣岐阜14,72516,33916,3394914,72516,339
高山岐阜15,53415,26715,267115,53415,267
船津岐阜110,19010,166
上田長野1414,17315,17215,172314,17315,172
飯田長野10,79611,67211,672210,79611,672
松本長野1114,53817,47817,478214,53817,478
長野長野1316,23818,22218,222416,23818,222
仙台宮城58,50362,1963258,47161,70961,70930258,47191,709
石巻宮城15,93216,61816,618415,93216,618
若松福島22,17718,00418,0048222,17718,004
盛岡岩手329,75130,16630,166629,75130,166
青森青森115,00714,92014,9201815,00714,920
弘前青森130,00028,17028,1708930,00028,170
八戸青森110,57610,52010,5204010,57610,520
山形山形725,49526,97126,9713125,49526,971
新庄山形10,73810,54610,546510,73810,546
酒田山形20,32621,00421,0046020,32621,004
鶴岡山形20,13219,66619,6664020,13219,666
米沢山形29,63829,20329,20312929,63829,203
秋田秋田829,29129,22529,22516329,29129,225
能代秋田10,81610,73710,7372510,81610,737
福井福井138,84037,37637,3768638,84037,376
武生福井12,31013,07413,0742512,31013,074
敦賀福井11,52011,87811,8782411,52011,878
金沢石川102,28196,727102,28197,65397,653535102,28197,653
小松石川811,45011,72111,7213111,45011,721
金石石川10,0529,1104110,0529,110
富山富山453,45153,55653,5569653,45153,556
魚津富山11,44511,54011,5403011,44511,540
高岡富山17,47417,97417,9747917,47417,974
氷見富山2310,65610,595
新湊富山15,77815,76215,762815,77815,762
鳥取鳥取1729,94128,27528,2757029,94128,275
米子鳥取911,61011,86011,8603311,61011,860
松江島根233,33633,38133,3813333,33633,381
岡山岡山33,11837,8541533,10332,98932,9898333,10332,989
玉島岡山414,25616,325
津山岡山314,32914,58214,5824214,32914,582
広島広島78,92986,4051278,91781,91481,91411178,91781,914
蒲刈広島111,21611,253
倉橋広島113,19312,781
瀬戸広島110,36410,271
広島310,67511,160
広島113,34713,377
仁保島広島114,64314,766
尾道広島16,16217,30717,307416,16217,307
福山広島15,67814,66314,6632915,67814,663
徳山山口111,56511,511
山口山口1810,97311,44711,4474110,97311,447
山口23,87721,20621,2063823,87721,206
赤間関山口29,10533,448529,10030,82530,8252629,10030,825
和歌山和歌山55,56256,490455,55854,86854,86840055,55854,868
徳島徳島1458,85357,45657,4563858,85357,456
撫養徳島17,64517,07517,0751117,64517,075
高松愛媛38,41437,69837,6986438,41437,698
松山愛媛1828,67529,48729,48710028,67529,487
宇和島愛媛112,10011,70511,7053312,10011,705
丸亀愛媛15,32416,14916,1492515,32416,149
観音寺愛媛10,84610,68510,685110,84610,685
今治愛媛13,13513,10113,101913,13513,101
高知高知1426,85030,98730,9874926,85030,987
福岡区福岡45,82148,4862243,11842,61742,61715543,11842,617
福岡福岡5419,60619,663
博多福岡10123,51222,954
久留米福岡320,61120,90720,9072920,61120,907
柳川福岡12,71412,35012,3502512,71411,594
小倉福岡710,17311,59411,5944510,17312,350
大分大分512,32114,31514,315412,32114,315
臼杵大分11,88711,37011,370511,88711,370
中津大分315,52615,51815,5186615,52615,518
佐賀佐賀724,28024,65724,6572424,28024,657
熊本熊本41,19746,6413841,15944,38444,38413841,15944,384
八代熊本419,72410,069
都城宮崎69,56410,118
延岡宮崎914,14613,578
鹿児島鹿児島548,77845,09745,0974848,77845,097
那覇沖縄35,63439,03123,79827,19327,193623,79827,193
首里沖縄25,75225,58725,75225,58725,5871525,75225,587
札幌北海道6,86016,4336,86015,04115,0411486,86015,041
小樽北海道15,882338,03415,807
函館北海道29,60943,55029,60945,47745,4774429,60945,477
江差北海道9,53711,61511,615269,53711,615
福山北海道11,06510,18710,1873411,06510,187

※資料1における東京十五区、京都二区、大阪四区の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における福岡区(福岡+博多)の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における高岡(本文で17,464)と佐賀(本文で24,180)の本籍人口に関しては巻末に数値の訂正あり。

本籍人口に関しては、資料2と資料4は全くの同一ですが、資料1とは微妙に異なります。これは資料1においては無籍在監人の人数を本籍人口に加えているのに対し、資料2と資料4は加えていないことによります。本籍人口の全国集計値としては、無籍在監人を在監の地にて有籍の本籍人口に加えるのが正しいはずですが、資料2・資料4の都市人口資料では加えていないことになります。

無籍在監人の補正を考慮しなくても、福岡区と那覇の本籍人口は、資料1と資料2・資料4では異なります。この内那覇に関しては明白な理由があり、資料1の那覇には、泊村を含む那覇のほか、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島が含まれるのに対し、資料2・資料4の那覇は、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島の本籍人口が除外されているせいで間違いないと思われます。一方で福岡に関しては、無籍在監人22人を考慮したとしても、資料1の福岡区の本籍人口は資料2・資料4の本籍人口よりも2681人、現住人口で5847人も多いと言う結果となっています。ここからは想像なのですが、現住人口はさておいて本籍人口の違いについては、おそらく行政上の「福岡区」に含まれる福岡荒戸村、福岡伊崎浦などの「村」の人口が、都市人口としての福岡の人口から除外されてしまったためと考えております。【と1時間前に投稿した時には考えましたが、以下徴発物件一覧表などとの比較により、単に福岡区の本籍・現住人口の算出に誤りが生じただけではないかと考えを改めました。】

【【以下追加情報】なお『明治二十年 徴発物件一覧表』では福岡区は154町1村で構成されているとあり、資料4の公称町村数155と比較するとこの解釈は微妙ではあります。

戸長役場所在地町数村数現住人口
天神町236,592
本町136,435
南湊町714,752
西町104,289
川口町275,839
櫛田前町277,013
下対馬小路246,651
大浜町二丁目236,153
福岡区全域154147,724
福岡地区53122,068
博多地区10125,656

『日本帝国民籍戸口表』の「第十四 各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例」では、区部人口を見る限り「各地方一万人以上市街戸口」に相当する本籍人口(つまり無籍在監人を本籍人口に含まない)・現住人口が採用されていますが、福岡県内の区としては町村数155、本籍人口45,799人、現住人口45,298人が採用されています。本籍人口・現住人口ともに「各地方一万人以上市街戸口」採用の人口よりも2681人多い数字となってるのに対し、町村数は同じままです。どうも「各地方一万人以上市街戸口」や『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』では、福岡地区に関し誤った集計をしてしまい、一部本籍人口を欠落させてしまった状態で寄留人口の加除を行ったのではないかと思われます。】

次に現住人口に関してですが、資料2・資料3・資料4ではほぼ同じ数字であり、同じ基準で現住人口が算出されたと考えられます。一方で資料1の現住人口とは大分数字が異なります。『自明治十七年至明治三十六年 道府県現住人口』の解説によると、明治18年1月1日調~明治19年12月31日調の現住人口は
但此の現住人口は道府県の本籍人口を本とし、之に出入寄留者を加除せしのみならず、更に逃亡失踪者を除きて算出したるものなり。
とあり、明治20年12月31日調以降は
道府県の本籍人人口に出入寄留者及逃亡失踪者を加除せしのみならず、陸外軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者及外国行の者を加除して算出したるものなり。
とありますが、これは道府県の現住人口算出に関する部分です。無籍在監人の件でもそうですが、資料1の方がより詳しく数字の訂正が行われているはずですが、その割には現住人口は資料1>資料2の傾向があります。これも自分の想像ですが、おそらく資料1の郡区レベルでは、無籍在監人の加算と逃亡失踪者の除外のほか、有籍在監人や兵員などの加除まで行っているため、都市部では人口が増える傾向にあるのに対し、資料2・資料3・資料4では、無籍有籍在監人を含め、これらの加除を行わず、出入寄留者の補正のみを行っているためではないかと考えております。

『明治二十年徴発物件一覧表』による戸長役場連合管轄域の人口との比較に関しては、時間がある時に改めてまとめたいと思います。
[95699] 2018年 4月 20日(金)00:48:25YT さん
明治19年末の都市人口について(1)
[88602]で『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の一部府県の大字別人口についてまとめましたが、家族が増えてからというものほとんど家で調べる時間がなくなり、北海道・沖縄県の調査を追加した時点で放置状態となってしまいました。今回白桃 さんが明治19年末の都邑人口ランキングを作成され、それについてekinenpyou さんがコメントされているのを見て、改めて明治19年末の都市人口についてまとめておこうと思います。

『日本帝国民籍戸口表』などでは明治19年末の版から現住人口1万人以上の都市の人口を『 各地方一万人以上市街戸口』としてまとめ、これが『日本帝国人口静態統計』へと引き継がれています。実は古厩忠夫著『裏日本 : 近代日本を問いなおす』の中で、明治19年末の現住人口が誤って「明治9年」の都市人口として取り上げられてしまったため、今でもこの明治19年末の現住人口が、明治9年の都市人口と誤解された情報がネット上に漂っています。

[95694] 白桃 さん

また、Aには1万人以上として記載されているが、Bには記載されていない都邑は以下の通りです。
難波(26,112)、玉島(16,325)、小樽(15,807)、延岡(13,578)
広 (13,377)、倉橋(12,781)、天王寺(12,304)、四日市(11,939)
徳山(11,511)、蒲刈(11,253)、呉 (11,160)、福島※(11,132)
豊橋(10,904)、村上(10,805)、平戸(10,775)、氷見(10,595)
熊谷(10,461)、土浦(10,295)、瀬戸※※(10,271)、船津(10,166)
都城(10,118)、八代(10,069)

実は「第三乙表」の方に、肥前国南高来郡西有家村(10,012)と安芸国安芸郡仁保島(14,766)が掲載されています。

こうやってみると、「記載なし」に何らかの意図が感じられるところもありますが、四日市、豊橋などは、単なる「記載モレ」のような気がします。

四日市と豊橋が記載漏れしてしまった理由は、本籍人口が1万人未満であったためと思われます。もちろんこれだけが原因ではありませんが。

さて、現時点で私が把握している明治19年12月調の都市人口資料としては、以下のものがあります。

●資料1 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第二 各地方庁及各郡区役所管内戸口表」
都市人口ではありませんが、「区」の本籍人口、現住人口が利用可能です。
●資料2 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第十五 各地方一万人以上市街戸口」
本籍人口と現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料3 『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「第十一表 人口一万以上ノ市町村現住人口(自明治十九年末至同四十一年末)」
現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料4 『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』
●資料5 『明治二十年徴発物件一覧表』(クレス出版『明治徴発物件表集成』収録)
こちらはオンラインで閲覧できませんが、[87941]でも紹介しましたように、戸長役場所在地別人口が掲載されています。今回こちらの数字は表にはまとめませんが、徴発物件一覧表記載の数字と比較することにより、どうも『民籍戸口表』・『日本帝国民籍戸口表』・『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』などが採用した都市人口では、行政上の戸長役場の領域を無視し、「~町」と称される町場のみを足した数字が優先されているらしいことが分かりました。ただし例外は沢山あり、一貫した規則はそこにはありません。

以下、4つの資料(『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』から2種類、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』)を基に、明治19年12月31日調の本籍人口・現住人口をまとめてみます。なお無籍在監人の人数は 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第五 各地方在監有籍者及無籍者人口表」により、公称町村数は資料4『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載のものです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
東京東京754,6961,227,49438754,6581,121,8831,121,8831,338754,6581,121,883
麹町区東京25,92358,9413
神田区東京87,270123,241
日本橋区東京74,408153,996
京橋区東京71,790173,03126
芝区東京69,749113,002
麻布区東京24,91940,814
赤坂区東京18,54728,237
四谷区東京20,37930,733
牛込区東京29,88146,7999
小石川区東京26,70040,841
本郷区東京46,25762,205
下谷区東京52,54478,464
浅草区東京96,473119,042
本所区東京61,51185,870
深川区東京48,34572,278
品川東京11,72515,87415,874611,72515,874
千住東京11,22312,50612,506711,22312,506
京都京都236,882254,5098236,874245,675245,6751,681236,874245,675
上京区京都105,734113,9298
下京区京都131,148140,580
伏見京都19,77119,83119,83121919,77119,831
大阪大阪299,162396,6208299,154361,694361,694518299,154361,694
西区大阪90,132112,419
南区大阪93,615124,707
東区大阪64,79794,607
北区大阪50,61864,8878
大阪43,18145,992143,18044,01544,01519543,18044,015
難波大阪118,40926,112
福島大阪210,21011,132
天王寺大阪112,00212,304
岸和田大阪13,08412,36612,3661013,08412,366
奈良大阪22,22022,66622,66615222,22022,666
郡山大阪13,25312,83412,8344513,25312,834
横浜神奈川60,573106,5441360,56089,54589,5458360,56089,545
神奈川神奈川10,45611,34511,345210,45611,345
八王子神奈川112,48515,77515,7751912,48515,775
横須賀神奈川106,94013,25113,251166,94013,251
小田原神奈川2514,41914,00914,009514,41914,009
神戸兵庫65,26697,140465,26280,44680,44612565,26280,446
西宮兵庫11,57311,93211,9322411,57311,932
尼ヶ崎兵庫13,06412,74212,742513,06412,742
明石兵庫18,56118,58718,5871418,56118,587
姫路兵庫622,80222,67722,6779622,80222,677
長崎長崎34,26144,044234,25938,22938,2298734,25938,229
島原長崎18,33717,59317,593318,33717,593
平戸長崎2210,23910,775
西有家長崎110,03510,012
新潟新潟41,05742,9781141,04640,77840,77823541,04640,778
新発田新潟10,87310,52710,527210,87310,527
長岡新潟17,09816,15216,1524217,09816,152
高田新潟524,99224,57124,5719524,99224,511
村上新潟211,73210,805
相川新潟11,64510,70410,7047411,64510,704
川越埼玉715,26614,18414,184615,26614,184
熊谷埼玉128,16010,461
千葉千葉1311,42318,20418,204311,42318,204
船橋千葉10,41110,41910,419310,41110,419
銚子千葉26,12425,76625,766626,12425,766
水戸茨城1618,62119,01019,010218,62119,010
土浦茨城118,74810,295
前橋群馬213,95516,58516,5853013,95516,585
高崎群馬618,26420,31220,3124318,26420,212
宇都宮栃木1917,17820,47520,4755717,17820,475
足利栃木12,50114,63214,632112,50114,632
桑名三重15,30715,20415,2045215,30715,204
四日市三重269,61711,939
三重1413,69415,88415,8845613,69415,884
松坂三重10,72911,95811,9581210,72911,958
山田三重420,32821,22321,2232220,32821,223
上野三重12,63512,78512,7853512,63512,785
名古屋愛知126,790143,56911126,779131,492131,492274126,779131,492
熱田愛知16,78716,39016,3901616,78716,390
岡崎愛知11,01212,74212,7422511,01212,742
豊橋愛知238,55910,904
浜松静岡1312,82312,14112,1413212,82312,141
静岡静岡1837,76736,83836,83812437,76736,838
沼津静岡11,67710,37110,371411,67710,371
甲府山梨2114,06418,41118,4113714,06418,411
[95377] 2018年 2月 3日(土)23:18:18【3】YT さん
寺山について追記
[95369] Takashi さん

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。


すみません、こちらが勘違いしておりました。寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。以下1995年当時の日生町に関して1995年の国勢調査報告書に登録されている町丁字までを示すと(大字大多府・大字寺山には下位区分なし)以下の通りで、取揚島の大字福浦については、人口調査の対象外となっています。【追記:国勢調査報告書では大字寒河の下の町丁も記載数が少ないので、追加で全部示すことにしました。「中日生」という地名が大字寒河と大字日生に跨っていますが、東山ハナという小字は掲載されていません。】

世帯数人口総数1995年当時の日生町の町丁字
2,9979,169総数
1,7044,965大字日生
74231 大字日生峠小路北部
59137 大字日生東小路北部
65197 大字日生四軒屋東部
141431 大字日生日陽奥南東部
152438 大字日生栄町西部
106309 大字日生宮奥北部
3389 大字日生中小路東部
65294 大字日生脇の上北部
78238 大字日生三軒屋東南部
119348 大字日生三軒屋北奥北部
223652 大字日生三軒屋西南東部
65174 大字日生後小路北部
50133 大字日生南の一
127358 大字日生南の二西部
571156 大字日生湾戸北部
102264 大字日生頭島西の谷南部,大西東部
91286 大字日生頭島,外輪,北浦
1545 大字日生鹿久居島
2051 大字日生鴻島
32134 大字日生中西生西部
1,2234,037大字寒河
171553 大字寒河中日生東部
39464 大字寒河梅灘南部
65171 大字寒河梶谷東部
123415 大字寒河西浜山北東部
109404 大字寒河西,西中,川内
99358 大字寒河大西西部
131458 大字寒河中,北,宮の下の一部
159547 大字寒河東,名切,宮の下の一部
73209 大字寒河東奥福浦峠
154458 大字寒河深谷西北部
62154大字大多府
813大字寺山

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?『日生町誌』96頁によると。

 この間、昭和三十五年度から同三十七年度にかけて、岡山県および日生町では、福浦地区住民の福祉向上のため、海岸堤防の改良、林道の開設、簡易水道の建設、診療所の新設など約一億三千万円(うち町費五千二百万円)にのぼる諸種の事業を進めて、いわば引きとめ工作を行なった。このため福浦地区の一部住民の間には、「日生町がこんなに力を入れてくれるのに、無理矢理に越県合併しなくてもよいではないのか」との声もあったといわれる。
 しかし、分町派では、消防団、婦人会、青年団などの組織を日生町から分離したり、町が建設した簡易水道に加入せず、私設水道をつくるなどの対抗策をとるなどして、分町実現への根強い運動をつづけた。


現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

一方鹿久居島の鵜ノ石鼻にある鵜石鼻灯台に関し、ネット上で「岡山県備前市日生町大字福浦字」となっております。少なくとも『日生町誌』が作成された1972年までには鹿久居島の全域が大字日生となってますので、「大字福浦」というのは多分灯台が初点灯された1964年3月30日当時の情報なのでしょう。鹿久居島を分割していた3つの大字が総て日生に統一された時期は、これ以上は絞り込めません。

最後に取揚島の件ですが、例えばwikipediaなんかだと

・1963年(昭和38年)9月1日 - 福浦地区(寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ越県分離となる。
 ・この越県分離に伴って、取揚島(日生諸島に属する無人島)の島内に岡山県・兵庫県の県境が設定された。


とありますが、これに関しては、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図の段階で取揚島の上に県境が描かれているので誤りです。既に過去に紹介されていますが、『日本歴史地名大系』の「日生諸島」の項目によると

古来より好漁場であるばかりでなく、海上交通の風待地にあたる。鹿久居島周辺では、近世初頭から漁業争論が起こっている。大多府島は岡山藩の船番所として島の歴史が始まった。頭島は一九世紀前半から日生村からの移住が進み、現在はくまなく開墾されている。取揚島は「撮要録」の元禄二年(一六八九)の記事によれば、島の西南部が、備前和気郡福浦(ふくうら)村(現赤穂市)構、北東部が播磨赤穂郡真木(まき)村(現同上)構となっていた。笹草が生えていたが、両村とも海上一里も離れていたため、草刈を行っていなかった。「古今見聞雑記」(正宗文庫)によると、正保三年(一六四六)岡山藩と赤穂藩双方の役人の立会いのもとに二分され、慶安二年(一六四九)には岡山藩の郡奉行河村平太兵衛、郡目付永田三郎左衛門が出張して、国境に塚が築造された。


何か肝心のところで『日本歴史地名大系』も、島の西南部を「現赤穂市」と書き間違えておりますが、江戸時代から備前国和気郡と播磨国赤穂郡、岡山藩と赤穂藩、続いて岡山県と兵庫県の県境となったわけです。

【追記】国立公文書館デジタルアーカイブの天保国絵図の備前国や、播磨国を見たところ、見事に「とりあけ嶋」に国境が描かれていますね。
[95367] 2018年 2月 2日(金)18:35:23【5】YT さん
大字福浦の所轄について
[95361] そらみつ さん
[95364] Takashi さん
[95365] N さん

横からすみません。そらみつさんが疑問に思われていることは、旧大字福浦の内、どのような経緯で寺山地区(字二本松、東山鼻、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥)が現在の地図において、大字寒河の所轄となり、鹿久居島の全域が大字日生の所轄となり、取揚島だけが大字福浦に残ったかということだと思います。一連の書き込みを見て、先程『日生町誌』(1972年)を閲覧して来ましたが、

・福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


数年にわたる漁業権問題や地域感情の対立など、詳しい編入の経緯についての記述はありますが、肝心の大字の変遷についての記述はありません。

・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


この点も後述するように、余り記載がありません。ただいくつか興味深い点が見つかりましたのでまとめます。

まず明治の大合併において

日生村=大字日生+大字大多府
福河村=大字寒河+大字福浦

となったわけですが、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図を見ればわかる様に、鹿久居島の中に村境があり、島全体の西の一部が日生町で、残りが福河村となっております。具体的には後述するように、島の総面積10 km2弱の内、約4 km2が昭和初期には日生町所轄で、残りの6 km2が福河村所轄です。『日生町誌』16頁の鹿久居島の記述によると

(3) 鹿久居島 日生本土から八百メートルの南にあって周囲二十八キロ、面積九八五・五ヘクタール、世帯数十五、人口六十人、岡山県下では最大の島で、国有林になっている。むかしは無人島で、日生、寒河、福浦の三村に属し鹿の野生地として有名で、旧藩時代の狩猟地であった。


一方25頁以降の「第二編 地誌」の解説では

 日生町は日生、大多府、寒河、福浦(寺山)の四つの大字から成っている。
(1) 大字日生 日生本土ど大多府を除く諸島を合わせた区域を総称して大字日生という。

つまり鹿久居島はもともと日生、寒河、福浦に分割されており、越境合併の1963年当時も鹿久居島の一部に大字福浦が設置されていた。ところが『日生町誌』が書かれた1972年までには鹿久居島の全域が大字日生の所属となっていたということになります。具体的に『昭和十年 全国市町村別面積調』や国勢調査時の面積の時系列をまとめると

西暦1935年1950年1955年1960年1965年1970年
日生町13.2512.8642.4142.4135.0135.01
福河村30.0030.00

日生町と福河村の面積の合計が合併後に0.45 km2ほど減るなど、若干数値が異なりますが、まあその辺は測定誤差の範囲でしょう。1963年に赤穂市へ異動となった土地は7.4 km2で、日生町に留まった旧福河村の土地は22.5 km2前後となります。

ところが『日生町誌』の3~4頁の大字別面積によると

大字面積(km2)
日生17.8
寒河16.1
大多府0.4
福浦(寺山)0.7

日生+大多府が18.2 km2、寒河+福浦が16. 8km2となり、6 km2弱の土地が旧日生町側に異動したことになります。10 km2の広さのある鹿久居島の東部分がいつの間にか大字日生の所轄となったことの証左となります。

次に寺山地区についてですが、『日生町誌』33頁によると

(4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者あg多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山鼻 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑


向ヒ田ノ奥が一つの字となっておりますが、昭和38年自治省告示第106号に登場する「字」が総て寺山地区のものだということが分かります。それよりも問題なのは、『日生町誌』は本土の方の字は事細かく書いておりますが、鹿久居島や取揚島に所属する小字についてはなんら記載がありません。

以上をまとめると

1963年以前、日生町大字福浦は取揚島の一部・鹿久居島の一部・本州側の地域を含んでいたが、越境合併の結果、取揚島の一部・鹿久居島の一部・内陸の寺山地区が日生町大字福浦に留まった。
1963年~1972年 いつの間にか、鹿久居島の内の大字福浦、大字寒河の所轄が大字日生の所轄へと変更になる。
1972年~現在 いつの間にか、寺山地区が大字寒河の所轄となるが、取揚島の西南部だけが大字福浦の所轄のまま留まる。

こんな感じでしょうか?

越境合併に関連する漁業権の設置された地域などに関しては『赤穂市史 第三巻』(1985年)の629頁に詳しい地図が掲載されています。

【追記】
[95366] Takashi さん

・福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
・福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?


これについては具体的な記載がありません。当時の住民、とりわけ漁業関係者の利益面と感情的な対立について詳しいことは書かれていますが、執筆者はある意味土地を赤穂市に奪われた側の住民ですし、越境合併からわずか10年程度に執筆されていますので。

【誤記修正】大字➡寒河
【リンク修正】
[93042] 2017年 7月 28日(金)12:50:26【3】YT さん
桶狭間村を巡る不幸な合併の歴史
『有松町史』(1956年)に、桶狭間村に関する詳しい合併の経緯が載っていましたので、以下紹介します。

「維新後の村政」
(中略)
 一方、桶狭間村では、戸数八四戸の小村であったために、共和村と合併することになった。明治一一年の町村制施行にさいして、愛知県では、独立して一村を組織運営する実力をもたない村を対象に、町村合併に努力したのである。桶狭間村は共和村との合併に強く反対の意向を示したが、拒否することはできなかった。しかし、合併はしてみても、遠隔地で地理的に不便であり、住民の人情もとかくおりあいが悪く、明治一四年には分村して独立してしまった。

「有松町と桶狭間村の合併」
 明治二一年四月には、市制および町村制が発布されて、ここに地方自治制度はまったく確立整備された。これによって市町村の法人格や条例制定権が法認されるとともに、その権限についても制度的に整備されたのである。同時に、この新法の適用をうける実力のない町村が整理されることになり、市町村の合併が強行された。桶狭間村はふたたび共和村と合併した。しかし、村では従来の経験からあくまでも反対の意向を示し、つぎの三カ条の理由をあげた。

 一、桶狭間は歴史上著名な村落で、いまこれを消滅し大字となるのは、村民一般のしのぶにたえざること
 二、本村は地価三三、一八〇円余、公民権者六〇名余あって、独立の経営をするのにさしつかえないこと
 三、さきに共和村と合併のさい、共和村より議員の多数を出し、しかも多数を誇って横暴をきわめ、自村の利益のみをはかり、本村はつねに多数に制せられていた。また共和村にいたる道路が遠く往復に不便であったから、すでに明治一一年に合併したが両村の間柄が悪く、同一四年に分離したような状態であり、たとえ今回合併してもとうてい将来の和合は望みえないこと、

 以上をもって再三県庁に嘆願したが、容易に許可とならなかった。そこで明治二二年一〇月に、隣村の有松村と町村制一一六条による組合組織設定を出願した。その理由はつぎの三カ条であった。

 一、桶狭間村と共和村と合併するときは道路が遠く不便であるが、有松村と組合組織を設定するときは道路の便がよいこと
 二、有松村は商業をもってその名をあらわし、桶狭間村は歴史上その名をあらわしているから、いずれもいまこれを大字とすることは、両村民とも希望しないところであり、両村とも独立して組合組織を設けたいこと
 三、有松村と桶狭間村は、むかしから氏神を同一にしていたから、いまなお祭礼は合祭しているので、自然に人情・習慣・生計の度を同一にしているが、共和村とはこれに反していること

 この嘆願もなかなかいれられず、桶狭間村の反対運動がつづいた。その間、村の財政は極度に疲弊していたが、また独立村としての資金を備える必要にもせまられた。同村の相羽家より二、〇〇〇円の公債寄附をうけ、全村民は頼母子報徳講をつくって救済を講じ、一方つてを求めて他村から借金し、かろうじて村を維持する状態をつづけていた。
 桶狭間村は、あくまでも共和村との合併に反対したが、やはり独立村として維持していくことには困難があり、また県庁の認めるところではなかった。そこで同村では、共和村よりも種々の点で関係の深い有松町(有松村は明治二五年九月に町制を施行した)との合併を望むにいたった。有松の側でも、しきりに桶狭間との合併を希望しており、たとえば明治二四年には、有松村臨時村会は共和村大字桶狭間との合併を、もっとも有益なこととして、満場一致で賛成した。共和村もついにこれに同意し、明治二六年五月に三者連名で町村組換嘆願書を提出した。これは県庁の認可を得て、同年一一月には知多郡長から合併許可の通達があった。
 有松町と桶狭間との合併は、むしろ自然の勢いであった。両者の由来においても、すでに述べたように、慶長年間に桶狭間村から分住して有松村を開発したのであり、当時は有松は桶狭間村の一支郷だったわけで、その根源を一にしている。したがって住民も慶事弔裁など社交上いっさいにおいて、あたかも同一町村の住民のような親密な関係にあった。ことに桶狭間の氏神である神明社は、かつて有松の氏神でもあったし、祭典も同じくしていたので、風俗習慣のうえで共通のものがあった。また、村民の生活上でも合併を希望する理由があった。桶狭間村民の大部分は、有松紋の下請仕事を不可欠の副業としており、有松紋の下職には多数の桶狭間村民が従事していた。また有松では耕地が少ないから、農業面では桶狭間に依存し、桶狭間の農業はその肥料に多数の藍粕を用いて、相互に助けあっていたのである。合併当時の有松町は、耕地面積は二五町歩に満たず、戸数三三〇戸、人口一、二五〇人であり、桶狭間は耕地面積八一町余で、戸数九七戸・人口四八〇人であった。桶狭間を合併した有松町は、ここに当時としてはほぼ適切な規模をもち得るにいたったのである。


以上の説明からは、明治22年~明治26年の間、桶狭間の住民は独立村として共和村とは異なる運営をしていたものの、愛知県や他の町村(有松町を含む)から公式に認められた立場は、「共和村大字桶狭間」に過ぎなかったことが読み取れます。また当事者の関わっている『有松町史』に、明治25年合併の記載がないので、1889年(明治22年)10月1日の再合併が正しく、明治1892年(明治25年)9月13日の合併は間違いでしょう。なお、1892年(明治25年)9月13日という日付は、有松町が町制を施行した日付と完全に一致します。つまり、有松町の施行日を誤って共和村と桶狭間村の合併日と勘違いして、種々の本が記載してしまった可能性が高いということになります。

というわけで、[93041]

あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。


は取り消します。実際には最後まで独立採算を通して共和村と対立していたようですし。


【訂正】:「共和村大字桶狭間村」から「共和村大字桶狭間」に修正
【訂正】:その他の誤字修正多数
[93041] 2017年 7月 28日(金)10:39:52【7】YT さん
愛知県の町村合併について補足
[93031]の捕捉です。『一色町誌』(1970年)によると

この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。

とありましたが、そもそも家屋税は住民が県に納める地方税であり、町村の財政とは関係がないはずです。そこで色々調べたところ『愛知県史 通史編7 近代2』(2017年)に郡役場の収入源として「各町村分賦税」というものがあったとの記載がありました。すなわち国は国税を、府県は府県税を、市町村は市町村税を徴収したのに対し、郡役場は独自の税収がなく、郡内の町村からの分賦金で予算を賄っていたのです。そして愛知県の場合、各町村における前年度の直接国税、府県税の徴収額を元に分賦金を算出し、所属する町村の予算から徴収していたのです。つまり、住民の国と県への納税額が少ないほど、郡役場に納めなければならない分賦金の額も減るので、少しでも郡役場に納める分賦税を減らすために、家屋税等の税率が下がる「村」になることを選択した・・・という世知辛い事情があったようです。

[93040] 通りすがり さん

[64769] で88 さんが触れられていますが、

(4)知多郡共和村(現在の大府市)について

(a) M22(1889).9.24付け愛知県令第47号によると、M22(1889).10.1付けで、従前の知多郡共和村,桶狭間村の2村が合併して知多郡共和村が発足(愛知県における市制町村制実施による村制施行)
(b) 「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」では、M22(1889).10.1付けで、従来の知多郡共和村,桶狭間村の2村がそれぞれ単独で市制町村制実施による村制施行、その後M25(1892).9.13にこの2村が合併して知多郡共和村が発足

愛知県令ではM22.10.1付となっているのに対し、他ではすべてM25.9.13付となっています。ただし、例えば官報による明治22年12月31日付の現住人口では、知多郡桶狭間村のエントリーはありませんので、どちらかというと愛知県令の方が正しいと思われます。

愛知県に関しては、明治の種々の合併の際に色々問題が起こったことが『愛知県史』に書かれており、例えば合併後も旧村がそれぞれ独自に役所を保持し、全く合併の実態とは程遠かったとか、地租の不平等感から旧町と旧村の間に対立が生じたりだとか、明治末の大合併後も全体の町村の2割に問題があったとのことです。

【追記】この掲示板でも過去に何度か触れられていますが、愛知県の場合、実際には町村合併が行われた訳でもないのに、大字レベルでの何かしらの統合が、種々の本に合併記載されてしまっているケースが多数あるようです。また愛知県幡豆郡のケースを調べた際、間違って知多郡横須賀町の『横須賀町史』(1969年)を調べたところ、町村合併後も個々の旧町村に「区長」が置かれ続けたことが記載されており、合併後も地域分立が続いた実体が伺えます。【あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。】【追記:M25(1892).9.13は有松村の町制施行の日付であり、しかも共和村大字桶狭間は有松町に編入するまで共和村の中で独立採算の運営を続けていたことも分かったので、左の文は誤りでした。】

参考までに『明治24年 徴発物件一覧表』では、愛知県知多郡共和村の明治23年(1890年)12月31日付の陸軍調査現住人口は以下のように記載されています。

市町村・大字名家屋 戸数人口 男人口 女
大字 共和318692694
大字 桶狭間125230269
共和村 計443922963

【追記2】共和村と桶狭間村の合併の経緯については『有松町史』(1956年)に詳しく載っていましたので、項を改めて記述します。いずれにせよ、M25(1892).9.13は間違いと思われます。
[93031] 2017年 7月 26日(水)21:11:42【1】YT さん
愛知県幡豆郡における町村大合併時の町→村への変更は、財政負担軽減のため
公私共に忙しく、中々書き込めない状況が続いていましたが、久々に投稿します。

[92993][92996] 通りすがり さん
[92995][93020] hmt さん
[93006] オーナー グリグリ さん

1906年5月1日付の愛知県幡豆郡における合併の際の町から村への「降格」についてですが、実際にこれら3町村の地方史を閲覧した方が事情が分かるのではないかと思い、以下の三冊の本に目を通しました。

『幡豆郡横須賀村誌』 (1924年)
『一色町誌』 (1970年)
『平坂町誌稿』 (1988年)

この内『平坂町誌稿』はほぼ地方史資料集のような感じで、この時期について全く触れられていません。また、『幡豆郡横須賀村誌』の方では、町制→村制という事実のみが触れられているのみです。一方、『一色町誌』においては、「第3編 行財政 第1章 地方自治の発展 第2節 町村制の施行 3 一色町の誕生」(231頁-232頁)に具体的な理由が書かれれていたので以下紹介します。

 前項にのべたように,憲法制定後の国家の行政指導は,短期間に全国の町村を約5分の1に減らすという大規模な町村合併を遂行した。一色地区においても,明治初年42か村が22か村になり,さらに6か村となった。その後,明治25年(1892)5月13日,一色村が単独で一色町を名乗り当地区は1町5か村となった。やがて日清,日露の両戦争を経て,日本の資本主義が益々発展の一途をたどる一方,地方財政は義務教育6年制の実施,地方産業施設の拡充,保健衛生行政の充実などで経費が膨張し,地方行政機関の財政負担はいっそう過重になった。そのため愛知県では,その負担軽減を町村合併による規模の拡大で,財政の基盤を固めようとして,明治38年(1905)訓令を発した。この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。
当時役場の記録では,
  第四八号
 本村ハ一色村トアルヲ一色町ト改メントス
     大正十二年二月二十八日提出
     幡豆郡一色村長徳倉廣吉
    大正十二年二月二十八日 可決ス
とあり,10月1日は町制施行の月日といえる。

というわけで、『一色町誌』の記述によると、町制か村制かで愛知県に納める地方税に差があり、税負担を軽減するためあえて村を名乗ったということになります。

町村制制定においては、町と村との間に制度上の差はなく、呼称は慣習に従う程度のことしか定められていなかったわけですが、愛知県においては少なくとも明治39年当時、地方税において町と村に差が設けられており、そのために少なくとも愛知県幡豆郡一色町では合併後に一色村への「降格」が行われたということとなります。

ただ、この「県が賦課する家屋税その他課税率」の具体的な内容というか、法的根拠の方ですが、国立国会図書館のデジタルコレクションで「現行愛知県令訓類集」等を見ましても、自分には見つけられませんでした。例えば明治28年の『愛知県々税課目課額並諸規則』では家屋税は市にのみかけられており、

家屋税 市 乗率個数百個ニ付 金拾六銭

とあります。

『愛知県史 第4巻』によると(以下一部新字体、現代仮名遣いに改訂)、

 独立県税として最初に述ぶべきは家屋税である。これは明治十五年の郡区部会規則に依り初めて設けられたもので、後二十三年の府県制制定の結果、府県は市部と郡部とを問わず、均しく戸数割に代え本税を賦課し得る事となった。然るに三十二年の改正府県制に於いて家屋税に関する規定が削除されると共に、同年勅令二七六号にて府県の全部又は一部の地に於ける家屋に対し、家屋税を賦課する事が許されたので、本県も三十五年度より郡部一部の町村に対し、十個に付三銭一厘の割合にてこれを賦課した。その後大正十年の勅令第四二二号府県税戸数割規則に於いて家屋税及びその附加税を戸数割及びその附加税の代替税たる事を明示したが、同十五年三月の法律第二十四号「地方税ニ関スル法律」により、家屋税及びその附加税を一般的地方税として創設する事となった。然し実施の円滑を期する為めにしばらく市町村に配賦してこれが徴収をなす事としたのである。


これだけ読んでも町と村の間に差を設けたことなどは読み取れませんが、『一色町誌』の記述が正しいのなら、愛知県幡豆郡における「郡部一部の町村」=「町制を敷いた地区のみ」ということになります。

なお余談ですが、地方史を調べる前に当時の新聞記事のデータベースを調べたことがあったのですが、1906年4月から7月にかけて、「愛知県下町村合併問題」に関する便宜を図ったことによる収賄事件が発生し、愛知県参事会員5人が逮捕され、有罪となる事件が発生しております。この収賄事件に対する報復として、村への降格が行われたのかと邪推したのですが、どうも違ったようです。

【誤字修正】
[91228] 2016年 8月 17日(水)18:49:09YT さん
私個人の受験事情2
[91218] ぺとぺと さん
[91222] みかちゅう さん
[91223] Takashi さん

最近忙しくて書き込んでおりませんでしたが、余りにも自分に身近だった話題が展開されているので、出張先の国外のホテルから書き込みます。

まず、私個人の特殊事情についてとして
・1973年生まれのいわゆる第2次ベビーブーム世代であること

私も同い年です。生まれは埼玉県浦和市ですが、すぐに神奈川県川崎市麻生区に引っ越しました。

私には兄がおりますが、普通に公立中学に通い、川崎市全域を学区とする公立高校に進学し、大学受験をしました。ところが私の場合は中学受験をした方が良いという話となりました。というのは、小学生の頃の私は誰がどうみても運動神経ゼロで、体育の成績も五段階評価で「一」か「二」で、それより上を取ったことはありません。なお当時の川崎市立小学校は完全な相対評価で、クラスに必ず「一」の評価の人と「五」の評価の人がそれぞれ2名ずついました。ですがこの方式は時代によっても異なるもののようで、若い学生に「自分は小学校の頃、体育の成績だけは五段階評価で一か二だった」と話題を振ると、「体育の授業中に何か問題行動を起こしていたんですか?」という返事が返って来たりするんですよね…。現在は問題行動を起こすとかでない限り、「一」の評価を得ることはないようです。しかしながら同い年の別の県出身者の人も、五段階評価で「一」を取るのはよほどのことだったと言っていましたから、地域によっても評価方法は異なるようです。

当時の神奈川県は、アテストなる試験が中学二年であり、それと内申点と入試で合否が判定されるのですが、川崎市内を学区とする某公立高校の場合、中学時代の体育の成績が2倍で計算されるので、体育が苦手な子供には不利でした。そこで私は中学受験した方が良いという話となり、都内の某国立大学附属と、都内の某私立中高一貫校を受験しました。某国立大学附属の方はくじ引きで落ち(当時は倍率50倍で、くじで1/7に減らし、受験で1/7に減らしていた)、中学から都内の私立中高一貫校へ通うということとなりました。結局中学以降の教育は総て都内で受け、仕事場も海外にいた時期を除きずっと都内という、神奈川都民の人生を歩んでおります。

なお自分の記憶では、自分が通っていた公立小学校のクラスメート40人弱の内、1/3の10数名が中学受験をし、実際に合格したのは自分を含めて5人でした(約13%)。現在の受験事情については全く知りませんが、[91226]を見る限り、思ったほど私立偏重が助長されて来たわけでもなさそうです。私立志向が強まって行く一方で少子化もあり、底辺の方の私立学校の経営が色々悪化しているという話も聞きます。自分も父親となったので他人事ではなくなりましたが、教育問題と経済問題、人口問題、学校経営などを絡めて色々と考察できそうですね。
[90107] 2016年 3月 25日(金)00:18:20【1】YT さん
西八代郡上九一色村の扱いについて 【追記あり】
[90077][90092]オーナー グリグリさん

作成されました表を見て、一点気になった点があります。それは2006年3月1日付で甲府市と南都留郡富士河口湖町に分割された、西八代郡上九一色村の扱いについてです。

自分もかつて[82005]の中で、

上九一色村については「市区町村の変更情報」として別項目で扱われ、「分村:梯・古関」が甲府市に編入、「分村:富士ケ峰・本栖・精進」が南都留郡富士河口湖町に編入と記載されておりました。

と書いてしまいましたが、2000年以前の国勢調査報告書に記載されている「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧」では、これらの情報は一括して同一の表で扱われており、上九一色村の一件も、人口異動を伴う境界変更データとして扱った方が良いと思います。

一応国勢調査報告書の方では、

参考6 廃置分合・境界変更・名称変更一覧(pdfファイル)

で閲覧可能です。内容は以下の3つを含み:

(1) 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成22年10月1日)
(2) 市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)
(3) 市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)

上九一色村の分割については(3)の「市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)」の項にまとめられています。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併等の内容合併,市・町制施行後の状況市区町村コード
山梨県2006.3.1東八代郡中道町,西八代郡上九一色村(分村:梯・古関)甲府市へ編入甲府市(コウフシ)19201
2006.3.1西八代郡上九一色村(分村:富士ケ峰・本栖・精進)南都留郡富士河口湖町へ編入富士河口湖町(フジカワグチコマチ)19430

2005年の国勢調査報告書以降、市区町村の変更情報一覧が独立し、これに関わる異動した人口の詳細が省かれるようになってしまったので、具体的な数字も国勢調査報告書と照らし合わせて計算する必要が出て来てしまいますが。

【追記】すみません。上九一色村については、国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替の方では言及がありましたね。

ただ上九一色村のような分割のケースに関しても、今回作成した人口異動を伴う境界変更一覧に追加した方が良いと思います。合併の場合は、過去のそれぞれの境界内の人口を単純に足せば、現在の境界内の人口との比較による人口増加率等の算出が可能ですが、分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要となり、その点で小規模な地域の移動による境界変更と同じとなります。
[90087] 2016年 3月 18日(金)03:28:43YT さん
柏崎市~柏崎町の間の境域変更
[90077] オーナー グリグリさん

久々に投稿します。

3.[81966] 柏崎市と柿崎町の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。ところが、平成3年面積調 p.81(pdf)によると、異動年月日が「平成3年(1991年)10月1日」となっています。告示は「1989.3.29自治省告示第58号」であり、この日付からは「1989.4.1」が妥当に見えます。また、平成2年(1990年)国勢調査にある昭和60年(1985年)組替人口と昭和60年(1985年)国勢調査確定人口に差があり、この境界変更による人口異動数と一致していますので、やはり「1989.4.1」が妥当に見えるのですが、面積調の異動年月日を単なる間違いだとするのも変です(平成3年の面積調に書かれていることから)。ちなみに、平成元年、平成2年の面積調にはこの境界変更の記述はありません。これはいったいどういうことでしょう。どなたかご教示いただければ。


一応国勢調査報告書の「付表5 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (昭和60年10月2日~平成2年10月1日)」では、以下のように記述されています。

年月日異動地域昭和60年人口
205 柏崎市86,198
1985.10.1旧柏崎市 (205)86,020
1989.4.1旧中頸城郡柿崎町の一部(541*)178

年月日異動地域昭和60年人口
541 中頸城郡柿崎町13,294
1985.10.1旧中頸城郡柿崎町 (541)13,472
1989.4.1旧柿崎町の一部が柏崎市へ (541* to 205)-178

また「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (平成2年10月2日~平成7年10月1日)」で1990年以降の境域変更を確認しましたが、人口の異動を問う/問わないに関係なく、1990.10.2~1995.10.1の間での柏崎市・柏崎町の境域変更の記載はありません。


4.[81966] 新発田市と加治川村の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。平成2年面積調 p.83(pdf)によると、異動年月日が「平成2年(1990年)9月21日」となっています。告示も「1990.8.23自治省告示第129号」となっており、異動年月日は9月21日が妥当な気がします。ちなみに、面積調の同じページに、異動年月日が1989.4.1の加治川村と紫雲寺町の境界変更の記述があり、こちらとの取り違えではないかと推察しますが、YTさん、いかがでしょうか。なお、国勢調査の組替人口には影響はありません。


すみません。「1990.4.1」が正しく、「新発田市」の方は人口や自治体コードから言っても「北蒲原郡紫雲寺町(15309)」との書き間違いです。25人の人口の異動は北蒲原郡紫雲寺町との間で起こったことです。
[88602] 2015年 8月 9日(日)21:21:13【2】YT さん
徴発物件一覧表記載の3府4県の明治22年、明治23年末の現住人口
2ヶ月ぶりに投稿します。

以前[87941]で徴発物件一覧表記載の明治22年(1889年)12月31日、明治23年(1890年)12月31日の現住人口を、日本帝国民籍戸口表記載の本籍・現住人口、官報記載の現住人口(明治22年末, 明治23年末)と共にまとめるすることにしたと書きましたが、東京府・京都府・大阪府・神奈川県・兵庫県・長崎県・新潟県とまとめている内に、行数が15,000を超えてしまいましたので、現時点での集計状況をまとめました。以下のサイトから、LHAで圧縮された「3fu4ken.lzh」をダウンロードできます。ファイルサイズは約1Mbで、中にエクセルファイル「3fu4ken.xls」(約3.6 Mb)が入っています。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/882/3fu4ken.LZH

また『明治二十四年 徴発物件一覧表』(データは明治23年末)の内、東京府を含む10ページを
こちら】
にアップロードしました(約7Mb,pdf形式)。ファイル名に日本語全角フォントを入れたところ、リンクのURLが長くなってしまいました。


前の投稿でも書きましたように、『明治二十四年 徴発物件一覧表』の特徴は、

(1) 大字別人口の記載がある。ただし、京都府・大阪府・神奈川県・長崎県・新潟県の場合は「(大字)~」と記載されているのに対し、東京府の場合は「(元)~」、兵庫県の場合は(大字)や(元)の記載なしにそのまま元町村名が記載されているようです。

(2) 北海道・沖縄・伊豆諸島・小笠原・隠岐・対馬・奄美・沖縄県の町村制未施行の町村別人口の記載がある。ただし小笠原の父島・母島内の村別人口の記載はなく、残念ながらトカラ列島の十村の人口の記載が欠落しているようです。

(3) 町村制施行前の連合戸長役場、町村制施行後の町村組合役場の所在地が分かる。ただし現状では他の史料との比較ができないため、役場移転の情報を他でチェックすることはできません。

明治22年末・明治23年末の府県別町村数に関しては、『県治事務 市町村及町村組合』の方に集計があります。今回「3fu4ken.xls」でまとめた町村数と比較したところ、京都府・大阪府・長崎県は町村数が一致しました。また兵庫県に関しては、油良村→幸世村の改称を明治22年中とカウントすることにより、「村制のまま改称」の数字が一致しました。ところが東京府と新潟県に関しては、微妙に町村数が異なる箇所があります。以下に数字をまとめますが、どうも東京府に関しては伊豆・小笠原の町村制施行前の町村数のカウントに問題があること、新潟県に関しては、石地町村・北大瀁村をめぐる問題([68959]のMIさんの調査結果参照)のほか、町村組合の解消等にからめて数字に問題が発生しているようです。

府県庁郡市町村制施行の町村役場数(M22)町村制未施行の役場数(M22)町村組合数(M22)町村制施行の町村数(M22)町村制未施行の町村数(M22)町村制施行の町村役場数(M23)町村制未施行の役場数(M23)町村組合数(M23)町村制施行の町村数(M23)町村制未施行の町村数(M23)町村増減町村役場増減町制施行村制のまま改称
東京府荏原郡19191919
東京府東多摩郡6666
東京府南豊島郡8888
東京府北豊島郡19191919
東京府南足立郡9999
東京府南葛飾郡242424241
東京府伊豆七島24242424
東京府小笠原島18584
東京府不一致0-20-70-60-7-40
東京府合計85238525852385251
新潟県北蒲原郡767676762
新潟県中蒲原郡666666661
新潟県西蒲原郡79797979
新潟県南蒲原郡543575535811
新潟県東蒲原郡12121212
新潟県三島郡43434343
新潟県古志郡51515151
新潟県北魚沼郡3213432134
新潟県南魚沼郡38547394471
新潟県中魚沼郡3535373722
新潟県刈羽郡68371692711
新潟県東頸城郡33333333
新潟県中頸城郡76767676
新潟県西頸城郡3713837138
新潟県岩船郡39393939
新潟県雑太郡20202020
新潟県加茂郡2112421124
新潟県羽茂郡14141414
新潟県不一致000-3200-311
新潟県合計79414815796148183214

なお「3fu4ken.xls」の市郡の配列は、『明治二十三年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の各地方郡市戸口表に従い、各郡内の町村・大字の配列は、『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従っています。大字名等はほぼ『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従い、漢字の方は問答無用で新字体に書き換えた箇所が多々あります。また「明治二十四年徴発物件一覧表サンプル.pdf」を見ていただければわかるように、印刷が悪い箇所が多いため、町村別人口から大字別人口を除して数字をチェックするなどの、「不一致」の項目を作っています。このほか人口のおかしな点をチェックするため、日本帝国民籍戸口表記載の現住人口(内務省調査現住人口)、官報記載の現住人口、徴発物件一覧表記載の現住人口(陸軍省調査現住人口)との差もチェックしています。

日本帝国民籍戸口表の現住人口の数字が合計と一致しないのは、[82296]で説明したようにデフォルトのことです。また、例えば『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の現住人口に関し合計と各大字別人口が一致しなかった場合、あるいは『明治二十三年 徴発物件一覧表』記載の現住人口と明治22年12月31日調の官報記載の現住人口との比較の結果、項目がずれていることが明らかな場合などには、一部人口を修正しています。とは言っても、大字と町村の人口のどちらかが間違っているか微妙な場合などは、そのまま修正せずに掲載しています。

官報と徴発物件一覧表の人口を比較した結果、明らかに数字にズレがあった場合、最小限の修正はしていますが、官報であっても、摂津国菟原郡の明治22年の町村別人口は明らかに間違っていますが(人口と町村の対応等)、修正しておりません。

また筑波大学村井研究室の歴史地理統計データとの比較もしておりますが、幾つか歴史地理統計データの入力間違いも見つけております。

総ての町村において大字別人口が記載されているわけではありませんが、最終的に表は大体7万行を超え、xlsx形式でないと対応できないことになるかも知れません。現在大体入力作業の20%~25%が終わったことになります。

【アップロードしたpdfファイルへのリンクURLが長くなり見難くなっていたので、テキストリンク機能で修正】
[87941] 2015年 6月 21日(日)17:30:32【1】YT さん
明治23年、明治24年の徴発物件一覧表について
久々に投稿します。

以前[81075]で「明治期の徴発物件一覧表」について少し紹介しましたが、改めて一橋大学経済研究所附属日本経済統計情報センター編『明治徴発物件表集成』を調べたところ、「明治二十四年 徴発物件一覧表」に凄まじい量の人口データが含まれていることを発見しました。

明治30年以前に陸軍省がまとめた一連の統計書は、近代デジタルライブラリーで閲覧可能な明治8年~明治14年の『共武政表』を含め、以下の通りです。

書誌実際の統計調査日時人口情報その他(郡・戸長役場連合等を構成する町村の名称を伺い知るもの)
明治八年共武政表(巻1-4巻5-8)明治5年~8年旧国郡別人口、人口一千名以上輻輳地人口
明治十一年共武政表明治12年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十二年共武政表()明治13年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十三年共武政表()明治14年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十六年徴発物件一覧表明治16年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十七年徴発物件一覧表明治17年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十八年徴発物件一覧表明治18年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十九年徴発物件一覧表明治19年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治二十年徴発物件一覧表明治19年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十一年徴発物件一覧表明治20年12月31日調人口データなし戸長役場所在地別戸数・戸坪数
明治二十二年徴発物件一覧表明治21年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十三年徴発物件一覧表明治22年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治二十四年徴発物件一覧表明治23年12月31日調市区町村大字別人口戸坪数
明治二十六年徴発物件一覧表明治25年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治三十年徴発物件一覧表明治29年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数

明治31年以降は『徴発物件表』と名前を替え、『明治三十四年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治三十六年徴発物件表』、『明治三十八年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治四十年徴発物件表』が出版されており、この内明治36年版以外は近代デジタルライブラリーで閲覧できるようです。また明治34年~大正元年には簡易版の『陸軍徴発物件表要覧』が出版されており、例えば近代デジタルライブラリーで閲覧可能なのは、明治34年版明治38年版明治44年版)のようです。

国勢調査開始前の人口データの内、最も標準的なのは内務省が出版し続けたもので、明治5年~明治9年調の『日本全国戸籍表』、明治10年~明治11年調の『日本全国戸口表』(ただしここまでは旧国・府藩県庁別人口のデータしか掲載されていない)、明治12年調の『日本全国郡区分人口表』、明治13年~明治19年始調の『日本全国民籍戸口表』(全部近代デジタルライブラリーで閲覧可能)、明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』(残念ながら明治20年~明治23年調版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないが、『国勢調査以前日本人口統計集成』に収録)、明治31年以降5年毎の『日本帝国人口静態統計』(明治31年版は『日本帝国人口統計』で、明治36年調版明治41年調版大正2年調版大正7年調版など総て近代デジタルライブラリーで閲覧可能)があります。明治12年1月1日調の『日本全国郡区分人口表』以降、郡区別人口が掲載され続け、明治31年以降は町村別人口(ただし明治31年、明治36年の沖縄・奄美・小笠原などは間切や連合戸長役場管轄毎の集計人口に限られたりする)が掲載されています。また明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』には、人口1万人以上の都市人口が掲載されています([68620][68621]参照)が、個々の町村別人口までは掲載されていません。

一方で官報には、明治22年末調以降、毎年現住人口が公表されています。こちらですと明治30年以前も町村別人口を揃えることができますが、残念ながら町村制が施行されていない北海道・沖縄・その他島嶼部(伊豆・小笠原・隠岐・対馬・トカラ列島・奄美群島)に関しては町村別人口のデータが掲載されていません(例外として、町村制の導入が翌年に遅れた香川県に関しては、明治22年調でも現住人口が掲載されてます)。また内務省公表の現住人口と官報掲載の現住人口は数値が完全には一致しませんが、これは官報掲載の人口が本籍人口に対して出入寄留者を加減して求めているのに対し、内務省公表の現住人口は、さらに逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者を加除して計算しているからです。ただし明治30年以前の内務省公表の現住人口の場合、郡区別人口を合算しても、府県別人口と一致しないという問題があり、同一府県内の人口移動に伴う出入寄留者の人口を、合計からわざわざ除外するという作業を行っていたせいのようです(この辺の事情については[82296]で詳しく考察しました)。

官報と内務省公表の人口データですら一致しないので、『徴発物件一覧表』のデータはそれほど価値がないと思っていました。ところが改めて明治23年版の徴発物件一覧表(データは明治22年12月31日調のもの)を閲覧し直したところ、なんと北海道、沖縄、対馬、隠岐、伊豆、小笠原、奄美に関して、人口データが掲載されていることに気付きました。人口データは組合や戸長役場連合を作っているところは、役場毎に集計されており、町村別人口は完璧にはなりませんが、逆に連合戸長役場・組合町村役場の所在地が分かります。さらに明治24年版(データは明治23年12月31日調のもの)では、組合や戸長役場連合を作っているところに関しても総て町村別人口が掲載されており、さらに町村に関しては大字別人口まで載っていました。『明治二十四年徴発物件一覧表』のデータに関しては以前[63483]でokiさんが紹介されていますが、筑波大学村井研究室の歴史地理統計データのサイトで入力されたデータの一部をダウンロードすることが可能です。しかしながらこちらのサイトに掲載されているデータは北海道、沖縄県、奄美などのデータを欠いており、入力が完成しておりません。さらにオリジナルのデータは大字別にまとめられていますが、その辺も省略されています。

というわけで現在、町村制が導入された頃である明治22年末・明治23年末調市町村・大字別現住人口の全体像を概観するため、現在この二年間の『日本全国民籍戸口表』、『官報』、『徴発物件一覧表』の本籍人口・現住人口をまとめているところです。ただ残念ながら明治23年版、明治24年版の『徴発物件一覧表』はともにトカラ列島の人口データが欠落しており、また幾つかの北海道の町村別人口の情報が抜けており、完全な表にはどうしてもならないようです。また市や大きい町の下の町丁は「大字」とは呼ばないのか、町丁別人口のデータもありません。

元々徴発物件一覧表のデータを閲覧し直すきっかけは、昭和10年より前の面積データを探すためでしたが、こちらの方は地租の対象となる総段別や町村別戸坪数の情報ぐらいしか入手できませんでした。その時点で存在した町村名のチェックには町村別戸坪数の情報が使えるかも知れませんが。

【訂正・追記:標題の数字を半角に修正。なお大字別人口ですが、多くの府県では「大字~」などという項目が作られていますが、残念ながら東京府などは「元~村」という項目が作られ、必ずしもすべての府県で大字別人口が揃っているわけでもなさそうです。】
[87464] 2015年 4月 12日(日)16:35:22【2】YT さん
昭和5年国勢調査時の面積にみられる丸め誤差
市町村別面積の最初の基礎となる資料が、『昭和十年 全国市町村別面積調』であることは言うまでもありません。ただし注意しなければならないのは、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積は昭和10年3月31日における面積であり、その後の6ヶ月間の合併・境域変更等により、国勢調査実施の昭和10年10月1日の面積とは異なる可能性があることです。ただ、幸いなことに『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』記載の郡市別面積の方は、面積がちゃんと組み替えられております。例えば岐阜市の面積は、『昭和十年 全国市町村別面積調』では37.8 km2、『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』では44.51 km2と、半年間の境域変更を配慮して修正されております。

一方昭和5年の国勢調査時の郡市別面積の方は、『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』の方に小数点以下第三位まで、km2単位で記載されております。大正9年~平成22年の郡部・市部の面積については、平成22年の国勢調査報告書の方にも記載がありますが、それによると。

調査の年西暦全国面積市部面積郡部面積
昭和10年1935年382,545.425,094.53377,450.89
昭和5年1930年382,264.912,950.65379,314.26
大正14年1925年381,810.062,181.50379,628.57
大正9年1920年381,808.041,375.36380,432.69

大正9年、大正14年の郡部別面積と市部面積を合計しても、全国面積と一致しません。これは一種の丸め誤差なのですが、これには複雑な事情がからみ、時間があれば別記事でまとめます。一方昭和5年の面積については丸め誤差が発生していないようにみえます。しかしながら昭和5年の都道府県別面積(エクセルファイル)で、都道府県別面積を合計すると382,264.93 km2になってしまいますが、全国の面積合計382,264.91 km2よりも0.02 km2多くなってしまっております。実際47都道府県で[87439]の計算をしてみると、予想される丸め誤差は0.01*√(47/6/π) ≒ 0.016 となり、予想通りの誤差が出ていることなります。このような誤差が生じてしまう原因は、小数点以下第三位と小数点以下第二位の間の四捨五入に伴う丸め誤差にあります。

以下三種類の資料(A) 『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第三位, km2), (B) 『昭和25年国勢調査報告 第七巻 都道府県編』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第二位, km2; 但し秋田県の郡部面積は昭和30年以降の国勢調査報告書で修正し、沖縄県の面積も昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加), (C) 『昭和25年国勢調査報告 第一巻 人口総数』「第9表 地方及び都道府県の10年毎面積及び人口密度―大正9年~昭和25年」記載の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2; 但し沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加)を比較し、それぞれの数字の差を記載すると以下の通りです。

都道府県A合計A市部A郡部B合計B市部B郡部C合計A-B合計A-B市部A-B郡部A-C合計B-C合計
全国382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.91-0.003-0.0050.002-0.0030.00
単純合計382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.93-0.003-0.0050.002-0.023-0.02
北海道88,775.036242.92088,532.11688,775.04242.9288,532.1288,775.04-0.0040.000-0.004-0.0040.00
青森県9,630.92473.7249,557.2009,630.9273.729,557.209,630.920.0040.0040.0000.0040.00
岩手県15,235.30649.72515,185.58115,235.3149.7315,185.5815,235.31-0.004-0.0050.001-0.0040.00
宮城県7,273.75453.1187,220.6367,273.7553.127,220.637,273.750.004-0.0020.0060.0040.00
秋田県11,663.86113.07911,650.78211,663.8613.0811,650.7811,663.860.001-0.0010.0020.0010.00
山形県9,325.75754.2759,271.4829,325.7654.289,271.489,325.76-0.003-0.0050.002-0.0030.00
福島県13,781.61334.19413,747.41913,781.6134.1913,747.4213,781.610.0030.004-0.0010.0030.00
茨城県6,092.2566.1696,086.0876,092.266.176,086.096,092.26-0.004-0.001-0.003-0.0040.00
栃木県6,436.58525.8506,410.7356,436.5925.856,410.746,436.59-0.0050.000-0.005-0.0050.00
群馬県6,335.82351.5926,284.2316,335.8251.596,284.236,335.820.0030.0020.0010.0030.00
埼玉県3,801.43913.3263,788.1133,801.4413.333,788.113,801.44-0.001-0.0040.003-0.0010.00
千葉県5,078.81012.3235,066.4875,078.8112.325,066.495,078.810.0000.003-0.0030.0000.00
東京都2,144.78788.5302,056.2572,144.7988.532,056.262,144.79-0.0030.000-0.003-0.0030.00
神奈川県2,353.484181.5812,171.9032,353.48181.582,171.902,353.480.0040.0010.0030.0040.00
新潟県12,578.64344.05012,534.59312,578.6444.0512,534.5912,578.640.0030.0000.0030.0030.00
富山県4,257.41927.5324,229.8874,257.4227.534,229.894,257.42-0.0010.002-0.003-0.0010.00
石川県4,197.51318.6164,178.8974,197.5118.624,178.894,197.510.003-0.0040.0070.0030.00
福井県4,017.9694.6734,013.2964,017.974.674,013.304,017.97-0.0010.003-0.004-0.0010.00
山梨県4,465.8668.2674,457.5994,465.878.274,457.604,465.87-0.004-0.003-0.001-0.0040.00
長野県13,604.18170.57813,533.60313,604.1870.5813,533.6013,604.180.001-0.0020.0030.0010.00
岐阜県10,494.70114.59110,480.11010,494.7014.5910,480.1110,494.700.0010.0010.0000.0010.00
静岡県7,769.91289.9037,680.0097,769.9189.907,680.017,769.910.0020.003-0.0010.0020.00
愛知県5,081.142250.7104,830.4325,081.14250.714,830.435,081.140.0020.0000.0020.0020.00
三重県5,765.34189.6115,675.7305,765.3489.615,675.735,765.340.0010.0010.0000.0010.00
滋賀県4,050.92921.9484,028.9814,050.9321.954,028.984,050.93-0.001-0.0020.001-0.0010.00
京都府4,623.19663.3134,559.8834,623.2063.314,559.894,623.20-0.0040.003-0.007-0.0040.00
大阪府1,812.631204.9321,607.6991,812.63204.931,607.701,812.630.0010.002-0.0010.0010.00
兵庫県8,321.875115.1678,206.7088,321.88115.178,206.718,321.88-0.005-0.003-0.002-0.0050.00
奈良県3,688.60029.7983,658.8023,688.6029.803,658.803,688.600.000-0.0020.0020.0000.00
和歌山県4,723.42317.6754,705.7484,723.4217.684,705.744,723.420.003-0.0050.0080.0030.00
鳥取県3,489.48113.8803,475.6013,489.4813.883,475.603,489.480.0010.0000.0010.0010.00
島根県6,618.0425.4916,612.5516,618.045.496,612.556,618.040.0020.0010.0010.0020.00
岡山県7,046.47582.3466,964.1297,046.4782.346,964.137,046.480.0050.006-0.001-0.005-0.01
広島県8,436.517128.1548,308.3638,436.52128.158,308.378,436.52-0.0030.004-0.007-0.0030.00
山口県6,082.10896.6905,985.4186,082.1196.695,985.426,082.11-0.0020.000-0.002-0.0020.00
徳島県4,143.22119.3104,123.9114,143.2219.314,123.914,143.220.0010.0000.0010.0010.00
香川県1,858.73022.0401,836.6901,858.7322.041,836.691,858.730.0000.0000.0000.0000.00
愛媛県5,667.10869.8375,597.2715,667.1169.845,597.275,667.11-0.002-0.0030.001-0.0020.00
高知県7,103.62029.0277,074.5937,103.6229.037,074.597,103.620.000-0.0030.0030.0000.00
福岡県4,939.646229.6264,710.0204,939.65229.634,710.024,939.65-0.004-0.0040.000-0.0040.00
佐賀県2,443.8979.1312,434.7662,443.909.132,434.772,443.90-0.0030.001-0.004-0.0030.00
長崎県4,075.77791.9023,983.8754,075.7891.903,983.884,075.78-0.0030.002-0.005-0.0030.00
熊本県7,437.72337.4487,400.2757,437.7237.457,400.277,437.720.003-0.0020.0050.0030.00
大分県6,333.88058.0856,275.7956,333.8758.086,275.796,333.880.0100.0050.0050.000-0.01
宮崎県7,738.29564.5787,673.7177,738.3064.587,673.727,738.30-0.005-0.002-0.003-0.0050.00
鹿児島県9,081.32313.7739,067.5509,081.3213.779,067.559,081.320.0030.0030.0000.0030.00
沖縄県2,386.2887.5572,378.7312,386.297.562,378.732,386.29-0.002-0.0030.001-0.0020.00

昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の都道府県別面積(資料(C))に関しては、単純に昭和5年の国勢調査時の面積(資料(A))を小数点以下第三位で四捨五入をしたため、合計と全国の間に丸め誤差が発生したことが判ります。ところが昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の郡部・市部別面積(資料(B))に関しては、昭和5年の国勢調査時の郡部・市部別面積(資料(A))を単純には四捨五入せずに、郡部面積、市部面積の合計が一致するように、端数を操作しており、結果、岡山県と大分県では都道府県別面積が却って四捨五入した値とずれるが、全国合計では一致するように数値が操作されております。大分県と岡山県に関し、異なる昭和5年の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2)を載せているのは昭和25年の国勢調査報告書だけではなく、その後も二種類の異なる面積が国勢調査報告書に記載され続けています。

そもそも昭和5年の国勢調査報告書記載の面積(資料(A))が、市部・郡部・合計ともに丸め誤差が全くない時点で数字上おかしいのですが、下三桁を下二桁に四捨五入する際、実際には四捨五入以外の恣意的な操作により、合計が一致するように調整していたことが判るかと思います。

【文章の一部を不自然なのでカットし修正】
[87463] 2015年 4月 12日(日)15:16:44【6】YT さん
戦前の国勢調査時の面積の記載について:大正9年、大正14年国勢調査時の面積の数字に関する重大な問題点
以前、戦前の国勢調査報告書における市区町村別面積について[84575]でまとめましたが、一部修正して改めて掲載します。

報告書都道庁府県別面積支庁・郡市別面積市区町村別面積記載の桁数原資料
大正9年国勢調査○【km2・方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査記述編』
○【方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』
△【方里】△【方里】×小数点以下第一位~第三桁『大正九年 国勢調査報告 府県の部』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』
大正14年国勢調査○【km2】××小数点以下第三位『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』
昭和5年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第三位『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』
昭和10年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第二位『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』
昭和15年国勢調査×××なし
昭和19年人口調査×××なし
昭和20年人口調査×××なし
昭和21年人口調査×××なし
昭和22年臨時国勢調査×××なし
昭和25年国勢調査○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』
昭和30年国勢調査報告○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』 ほか

以上のほか、大正9年~昭和22年の各都道府県の郡部合計、市部合計の面積は、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』や、それ以降の国勢調査報告書の府県の部などに、小数点以下第二位までkm2単位で記載されています。

[84575]で、
大正9年の国勢調査報告には、庁府県別の面積しかありません。
と書いてしまいましたが、その後、大正9年の国勢調査報告書の『府県の部』を手に取ってみましたところ、市郡別面積が方里単位でまとまっていたことに気付きました。しかしながら府県によっては、小数点以下第一位だったり、小数点以下第三位だったりと一定ではありませし、一部の府県では面積の記述が欠落しています。さらに『記述編』記載の都道府県別面積(方里)と、『府県の部』記載の面積(方里)が一致しない府県が多々存在するという問題が見受けられます。

その後、国立公文書館に『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』という資料があることを知り、喜んで閲覧しました。これにより大正9年国勢調査時の全国の郡市別面積(ただし北海道は支庁別)データが小数点以下第三位で揃いました。しかしながら困ったことに、国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』、『記述編』の三点の面積が全部異なる府県が存在することも明らかになりました。

更に『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致しますが、郡部合計・市部合計の面積は国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』とも異なり、国勢調査とその関連文献だけで3種類の異なるデータ(内、郡市別面積の詳細が記載されているのが2種類、合計だけ記載されているのが1種類)が存在することが明らかとなりました。

このほか、戦前の人口問題研究会がまとめた『日本人口密度図』(1934年)という本に大正9年、14年、昭和5年の郡市別面積がまとまっていますが、こちらは昭和5年の面積を大正9年、大正14年に遡及させて計算しており、大正9年、大正14年に関しては全く別系統の面積の数字となっております。

さらに石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』(1924年)という本があり、地方統計書や地図からの独自計算により、陸軍参謀本部公式の数字を訂正したりしているのですが、これも完全に別系統の面積の数字ということになります。

以上、大正9年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値?)
『大正九年 国勢調査報告 府県の部』不完全不完全系統1a' (上の速報値を極一部修正したもので、こちらの方が速報値の可能性あり)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;上の速報値を大幅に修正したもの)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)
『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統3 (独自集計)

大正14年の面積でも同様の問題があり、まず同じ国勢調査でも、『全国結果表』と『記述編』では数字が異なり、『全国結果表』記載の面積に1方里=(216/55)^2 方粁(km2)≒ 15.4234711 km2として変換しても、『記述編』の面積と一致しません。これについてこちらの『記述編』の説明によると
内地ノ面積ハ河川及湖沼ヲ含ム總面積ニシテ陸地測量部ノ調査ニ係ルモノナリ。而シテ此ノ面積ハ最新ノ改調又ハ修正測図ニ依リタルヲ以テ既ニ公表ノ第二巻全国結果表ニ掲ゲタルモノト必ズシモ符合セズ。
とあり、『全国結果表』の面積は速報値ということなります。

なお国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』記載の郡市別面積は、完全に『全国結果表』記載の郡市別面積と一致しました。一方で『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致するものの、郡部合計・市部合計の面積(それぞれ2,181.50km2, 379,628.57 km2;沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の数字で加算)は『記述編』(それぞれ 2,181.264 km2, 379,628.798 km2)と若干異なります。もっともその違いは0.23 km2~0.24 km2とごく僅かで、一府県の修正が入った程度ということになります。このことから大正14年の郡市別面積は、郡市別の詳細な数字の残っている1種類と、合計値だけ判明している修正された1種類の、合計2種類の系統があることになります。

これとは別に石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』にも大正14年の郡市別面積の記載がありますが、数字が異なります。

以上、大正14年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値)
『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (上に同じ)
『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』小数点以下第二位(km2)なし系統1b(上の速報値を修正したものだが、全国の郡部・市部面積合計値のみ記載)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;『記述編』記載の全国合計との差は微細)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)


さらに今や近代デジタルライブラリーで種々の地方統計書の閲覧が可能ですが、これらの数字が異なる郡市別面積について、地方統計書で数字を補正しようと試みました。しかしながら残念なことに地方統計書は府県によって数字に統一がなく、場合によっては税金の対象となる土地総段別の面積のみしか情報がないところが多いようです。地方統計書に関しては、府県によっては参考になる場合があるものの、上の表から除外しました。

というわけで、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積については、郡市別面積ですらまともに公式のデータ、すなわち陸軍参謀本部陸地測量部が公表したとされる面積すら揃えることができないという状況です。

【少数→小数に修正】【大正14年の国勢調査の『記述編』・『全国結果表』の説明が反転していたので大幅修正し、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積について資料系統の説明を一部修正】
[87449] 2015年 4月 3日(金)18:47:54【1】YT さん
正規分布とのズレについて
[87448] オーナー グリグリさん
都道府県別の面積の丸め誤差をまとめて頂きありがとうございます。

以上の結果によると、全国の合計値の誤差(n=1921)が、0.25km2 となっていますが、[87439]における誤差(n=2000)の平均値 0.10km2 から大きく外れています。どこかに落とし穴があるのでしょうかねぇ。


|m| = a√{n/(6π)} = 0.1009... ≒ 0.10 km2 (n = 1921, a = 0.01)

は、蓄積された丸め誤差の平均(期待値)の絶対値です。蓄積された丸め誤差の標準偏差自体は

σ = a√(n/12) = 0.1265... ≒ 0.13 km2 (n = 1921, a = 0.01)

です。連続一様分布(アーウィン・ホール分布)に関しては、英語版のwikipediaに分かりやすい図と式がありました。を見ればわかるように、n ~ 8ぐらいで十分正規分布近似が可能となります。また説明にはvariance (分散, σ^2) = n/12 とありますが、この場合0から1までの連続一様分布を足した場合の分散であり、0~1とは限らない範囲0 ~ a(n回足せば、0 ~ naの範囲となる)であれば、分散σ^2 = a^2*n/12となり、標準偏差σは分散σ^2の平方根となるσ = a√(n/12)と表現されることになります。

全国の市区町村等別面積の合計と全国の面積との差である+0.25 km2は、一応±2σの範囲に収まり(正確には+0.245~+0.255の範囲を考慮すると、1.936σ~2.015σとなりますが)、受験でおなじみの偏差値であらわすのなら、偏差値69.8に相当する(正確には偏差値69.36~70.15の範囲)ので、多少丸め誤差の蓄積が予想よりも多めですが、一応許容範囲ではあると思われます。

[87439]のモデル表で言えば、丸め誤差が全く生じない確率(±0.005以下)は3%に過ぎない。
しかしながら生じる丸め誤差で一番確率が高いのは、±0.01 km2で、約6%の確率。
±0.10 km2の誤差が生じる確率は約5%程度だが、±0.10 km2以内に誤差が収まる確率は58%。±0.10 km2よりも誤差が大きくなる可能性は42%。
±0.25 km2の誤差が生じる確率はわずか1%だが、±0.25km2よりも誤差が大きく出る確率も、まだ5%あるという感じです。

都道府県別の[87448]のデータを使って、それぞれの実際の丸め誤差を、標本数から予測される標準偏差で割り、ズレを計算してみると:

ズレ都道府数割合(%)正規分布から期待される割合(%)
±3σ以上00.00.3
±2~3σ714.94.3
±1~2σ1123.427.2
±1σ以内2961.768.3

2σから3σまでずれる県が7県と、若干多いようです。ただし±3σ以上ずれている県はありません。具体的には以下の7県です。

都道府県誤差m, km2標本数n予測される標準偏差σ, km2ズレ
群馬県+0.05350.0171+2.93σ
富山県+0.03150.0112+2.68σ
佐賀県+0.03200.0129+2.32σ
新潟県-0.04370.0176-2.28σ
沖縄県+0.04420.0187+2.14σ
鹿児島県-0.04450.0194-2.07σ
埼玉県+0.05720.0245+2.04σ

こうやって並べてみると、確かに群馬県の誤差は大きいと言えます。また二番目の富山県などは、市町村数がたった15なのに、+0.03 km2も誤差が出ています。これらはありえないほど大きい誤差が出ていると言うほどではないが、やはり何かしら恣意的な原因もあるという可能性も否定できませんし、これだけのデータだけでは何とも言えません。あるいは四捨五入の際に、切り捨てというプロセスが混入してしまっている可能性もあるかもしれません。

群馬県・埼玉県については、[87423]でhmt さんが、m2単位のデータがあったことを指摘されていますが、もしかしたら具体的にどの辺が四捨五入の処理で問題になっているのか、あるいは単なる偶然なのか指摘できるかもしれません。

【±3σ以上の正規分布における割合を0.3%に修正、その他文章の一部を修正】
[87439] 2015年 3月 31日(火)23:39:06【4】YT さん
四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差についての統計学的考察
最近面積の改訂の話題が出ているので、久々に投稿します。

本来であれば面積は連続値であり、四捨五入に伴う丸め誤差が蓄積される結果、個々の自治体の面積の合計と国土の面積はズレて当たり前です。しかしながら2013年以前の国勢調査記載の面積の数字や陸軍参謀本部の調査による面積の数字においては、そのような丸め誤差が全くなく、市区町村別の面積の合計と、市郡別、都道府県別、国土の面積が完全に一致します (合衆国統治の琉球・沖縄の面積や1945年・1947年の面積などは、公式の数字で色々ズレがあるのですが、まあこれは除外して考えます)。平成26年の面積の改訂により、むしろ正しい面積の表記になったわけですが、チェックがし辛いという別の問題も出たわけですね。

面積の合計に伴う丸め誤差について、以前自分も[85659]で大雑把に見積もりましたが、

小数点以下第3位で四捨五入しているとすると、本当の面積のデータは±0.005 km2の範囲に存在し、四捨五入後の値との誤差の絶対値の平均は0.0025 km2となります。

ここの部分でズボラな結論で誤差を見積もったのですが、数学的な誤りがありました。そこで改めて四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差について見積もり直してみました。一応高校卒業レベルの微積・確率統計の知識で理解できる内容だと思います。

今、平均値m = 0で、±a/2の間に収まる連続一様分布を仮定します。∫f1(x)dx = 1になるように確率密度関数f1(x)を規格化すると、

|x| ≦ a/2: f1(x) = 1/a
|x| > a/2: f1(x) = 0 ...(1)

と表現できます。確率密度関数f1(x)の分散(σ1)^2は、[85659]で示したように(a/4)^2では誤りであり、ちゃんと積分により計算すると、

(σ1)^2 = ∫(x - m)^2*f1(x)dx (但し -∞ < x < +∞)
= 1/a ∫x^2dx (式(1)を代入, 但し -a/2 ≦ x ≦ a/2)
= a^2/12 ...(2)

さて、f1(x)同士を2つ足し合わせた時の確率密度関数f2(x)は、

|x| ≦ a: f2(x) = (a - |x|)/a^2
|x| > a: f2(x) = 0 ...(3)

分散(σ2)^2は
(σ2)^2 = ∫(x - m)^2*f2(x)dx (但し -∞ <x < +∞)
= 2/a^2 ∫ -x^3 + ax^2 dx (式(3)を代入, 但し 0 ≦ x ≦ a)
= a^2/6 (= 2*(σ1)^2) ...(4)

さらに3個、4個、…n個と、この確率密度関数を足し合わせていくと、確率密度関数fn(x)は、パスカルの三角形の組み合わせで継ぎ合わさったような、カクカクの複雑な多次多項式となります(アーウィン=ホール Irwin-Hall 分布)。ただしnが十分大きければ、確率密度関数は正規分布に近似できます。ここで分散(σn)^2は、個々の分散(σ1)^2の和なので、

(σn)^2 = n*a^2/12 ...(5)

となるはずです。実際n = 2の時も成立することを、式(4)で確認しました。

2013年以前の市町村別面積も小数第三位で四捨五入されており、±0.005 km2の誤差を含むはずです。よってn = 約2000の市区町村等の面積の合計であれば、a = 0.01 km2なので、(5)式に代入することにより、真の面積との間の丸め誤差の標準偏差は

σn = √(2000 × 0.01^2/12) ≒ 0.12909944 (km2)

になり、また丸め誤差の誤差分布も、σ ≒ 0.129 km2の正規分布に近似できることになるはずです。2000の自治体を合計した結果、小数点以下第2位まで一致する確率、すなわち± 0.005 km2の間に面積が入る確率は、標準正規分布のZ ≒ ±0.038729833 (≒ 0.005/0.12909944)の間に入る確率です。この範囲に入る割合は、エクセルのNORM関数を使って計算すると約3.0894%と求められます。つまり、2010年頃の約2000の市町村別等の面積の合計が、日本全国の面積の合計に一致する確率はわずか3%程度で、本当に面積が純粋な四捨五入だけで求めているのであれば「ありえない」確率ということになります。

また実数からどの程度ずれが生じてしまうかですが、平均が0、標準偏差がσとなるような正規分布の確率密度関数f(x)は、次のように表現できます。

f(x) = 1/√(2πσ^2) * exp {-x^2/(2σ^2)}...(6)

よってズレの平均値mは 0 ≦ x < +∞ の範囲のみを考えると、

m+ = ∫xf(x)dx (但し 0 ≦ x < +∞)
= 1/√(2πσ^2) ∫ x exp {-x^2/(2σ^2)} dx (式(6)を代入) ...(7)

ここでt = x^2/(2σ^2), x dx = σ^2 dt ...(8)と置いて(7)式に代入すると

m+ = σ/√(2π) ∫exp(-t) dt
= σ/√(2π)[exp{-x^2/(2σ^2)}] (但し 0 ≦ x < +∞)
= σ/√(2π) ... (9)

同じように負側の平均を積分で求めると、m- = -σ/√(2π) となり、合計m = m+ + m- = 0で平均はゼロになってしまいます。元々平均がゼロになる確率密度関数を選んでますので当たり前のことです。しかしながら、我々にとって正にズレようが負にズレようが、ズレていることには変わりなく、重要なのはズレxの絶対値の平均|m| = |m+| + |m-|です。よって

|m| = |m+| + |m-| = σ√(2/π) ...(10)

ここでσ = σn とすると、式(5)より

|m| = a √{n/(6π)} ...(11)

n = 2000, a = 0.01とすると、

|m| ≒ 0.10300645

というわけで、2000の自治体の面積の合計した際に生じる丸め誤差の平均を見積もっても、せいぜい±0.10 km2程度という結論がでます。

エクセルのNORM関数を使って、もう少し詳しくモデル計算(n = 2000)をしますと以下の通りです。

面積のズレ(km2)実数との差(km2)割合(%)割合の累積(%)標準偏差の累積σ(面積のズレの絶対値)×(割合)の累積(km2)
±0.00±0.000~0.0053.0893.0890.03870.00000
±0.01±0.005~0.0156.1609.2500.11620.00062
±0.02±0.015~0.0256.10515.3550.19360.00184
±0.03±0.025~0.0356.01421.3690.27110.00364
±0.04±0.035~0.0455.88927.2590.34860.00600
±0.05±0.045~0.0555.73332.9910.42600.00886
±0.06±0.055~0.0655.54738.5380.50350.01219
±0.07±0.065~0.0755.33543.8720.58090.01593
±0.08±0.075~0.0855.10048.9720.65840.02001
±0.09±0.085~0.0954.84653.8190.73590.02437
±0.10±0.095~0.1054.57858.3970.81330.02895
±0.11±0.105~0.1154.29962.6960.89080.03367
±0.12±0.115~0.1254.01266.7080.96820.03849
±0.13±0.125~0.1353.72270.4301.04570.04333
±0.14±0.135~0.1453.43373.8631.12320.04813
±0.15±0.145~0.1553.14777.0101.20060.05285
±0.16±0.155~0.1652.86879.8781.27810.05744
±0.17±0.165~0.1752.59882.4761.35550.06186
±0.18±0.175~0.1852.33984.8141.43300.06607
±0.19±0.185~0.1952.09386.9071.51050.07005
±0.20±0.195~0.2051.86288.7701.58790.07377
±0.21±0.205~0.2151.64790.4161.66540.07723
±0.22±0.215~0.2251.44891.8641.74280.08041
±0.23±0.225~0.2351.26593.1291.82030.08332
±0.24±0.235~0.2451.09994.2271.89780.08596
±0.25±0.245~0.2550.94895.1761.97520.08833
±0.26±0.255~0.2650.81495.9902.05270.09045
±0.27±0.265~0.2750.69496.6842.13010.09232
±0.28±0.275~0.2850.58997.2732.20760.09397
±0.29±0.285~0.2950.49697.7692.28510.09541
±0.30±0.295~0.3050.41698.1852.36250.09666
±0.31±0.305~0.3150.34698.5312.44000.09773
±0.32±0.315~0.3250.28798.8182.51740.09865
±0.33±0.325~0.3350.23699.0542.59490.09943
±0.34±0.335~0.3450.19399.2472.67240.10008
±0.35±0.345~0.3550.15799.4042.74980.10063
±0.36±0.355~0.3650.12799.5312.82730.10109
±0.37±0.365~0.3750.10299.6322.90470.10146
±0.38±0.375~0.3850.08199.7142.98220.10177
±0.39±0.385~0.3950.06599.7783.05970.10203
±0.40±0.395~0.4050.05199.8293.13710.10223
±0.41±0.405~0.4150.04099.8693.21460.10239
±0.42±0.415~0.4250.03199.9013.29200.10252
±0.43±0.425~0.4350.02499.9253.36950.10263
±0.44±0.435~0.4450.01999.9433.44700.10271
±0.45±0.445~0.4550.01499.9583.52440.10277
±0.46±0.455~0.4650.01199.9683.60190.10282
±0.47±0.465~0.4750.00899.9773.67930.10286
±0.48±0.475~0.4850.00699.9833.75680.10289
±0.49±0.485~0.4950.00599.9873.83430.10291
±0.50±0.495~0.5050.00399.9913.91170.10293

ズレが±0.00の割合と±0.01の割合では後者の方が倍近くになりますが、これは四捨五入して±0.01になる範囲が四捨五入して±0.00になる範囲の倍存在するからで、ここから値が大きくなるほど割合自体は減ります。50%の確率でズレは約±0.6745σ ≒ ±0.087 km2の間に入り、標準偏差 ±1σ ≒ ±0.129 km2の範囲に収まる確率は約68.27%となりますが、ズレの値にそれぞれの予想される割合を乗じて合計することで求まる、ズレの絶対値の平均はσ√(2/π) ≒ 0.7979σ ≒ 0.103 km2に収束します。

このようにちゃんと計算すると、モデル(小数点以下第三位で四捨五入し、2000個合計した場合)における丸め誤差の標準偏差σ = a√(n/12)≒ 0.13 km2 と、絶対値のみを考慮した場合の丸め誤差の平均値|m| = σ√(2/π) ≒ 0.10 km2 は一致しません。まあ[85659]で見積もった

2000前後の自治体でこの誤差を合算すると、二項分布を考えれば全国の面積合計で√2000 × 0.0025 ≒ 0.11 km2程度の丸め誤差は出て当たり前のはずですが、

の数字ともそんなに違わない値となりましたが、より正しい議論をすると以上のようになります。

以上をまとめると、小数点以下第三位で四捨五入した面積を約2000ほど足した場合、真の値との間に0.01 km2の誤差すら生じない確率はほとんどありえない(約3%程度)が、実際のズレは平均すると±0.10 km2程度ということになります。市区町村とその他未確定地域が合計約1万2000あった昭和10年の国勢調査であれば、丸め誤差の絶対値は平均0.25 km2にまで拡大します。1950年から2010年までの国勢調査報告書に記載の面積においては、総ての市区町村と未確定地域の面積の合計が全国・都道府県・郡市別面積と小数点以下第二位まで完全に一致しており、いささかの丸め誤差も存在しません。つまり2013年以前の面積調では、合計が一致するように端数を適当に処理し、実数とは異なる面積を公表していたことになります。
【追加修正:表に色々数字を追記し、説明文を修正】
[86844] 2014年 12月 28日(日)23:22:42YT さん
メンバー紹介について
[86808] オーナーグリグルさん
[86815] かぱぷうさん

最近生活環境が大いに変わり、落書き帳に余り書き込めておりませんYTです。というか、プライベートの方で非常に目出度いことがあったのですが、その結果として深夜にネットを閲覧したり書き込んだりするようなことができなくなったのです。

というわけで、[86806]のじゃごたろさんの書き込みと同様、私のメンバー紹介のところの、
書き込みの時間は深夜帯が多く、
文章作成中に睡魔が襲ってこないかを心配する向きもあるが、
睡眠の誘惑に打ち勝っている模様。

という部分が事実とは異なる状況になりつつあるので(まあ、数字や長文、歴史系の話題が多い傾向は続くでしょうが)、できれば深夜の書き込み云々の部分は適当にカットして頂くようお願いします。再び深夜に書き込むようになっていたら、それはプライベートが元に戻った時でしょう…

というわけで、オーナーグリグリ様、今後は書き込み頻度や情報の更新速度が相当遅くなるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
[86490] 2014年 10月 26日(日)01:08:25【1】YT さん
アボガドロ数について
[86482] hmt さん

「N=6022垓1417京9千兆個の粒子を1モルとして纏めて扱う」


ちょっと地理の話題から脱線しますが、この手の基礎物理定数はCODATA (Committee on Data for Science and Technology; 科学技術データ委員会)が定期的(4年毎)に改訂するものです。hmt さんが書かれたアボガドロ数
NA = 6.02214179(30) × 10^23 mol^-1
は、2006年のCODATAの推奨値で、最新の2010年のCODATA推奨値によるアボガドロ数は、
NA = 6.02214129(27) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は4.4 × 10^-8)
となっております。

また2010 CODATAには間に合いませんでしたが、ケイ素の単結晶の解析(Andreas, B. et al. Phys. Rev. Lett. 2011, 106, 30801; Metrologia 2011, 48, S1)により、
NA = 6.02214082(18) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は3.0 × 10^-8; なおPRLの論文では NA = 6.02214078(18) × 10^23 mol^-1となっていた)
という実験結果が得られております。2014年のCODATAの第24回会議は来月11月上旬にニューデリーで開催される予定であり、その際にアボガドロ数の改訂が行われることになると思います。なおCODATAの会議は、1996年に日本の筑波で開催されたこともあるようです。

ところで上のアボガドロ数は、ケイ素の単結晶の解析実験により得ら得れた数字ですが、これはSI基本単位である「キログラム」や「モル」の再定義と直結する、極めて重要な問題を含んでおり、1ヶ月後には「定義値」になるかも知れません。

SI単位系といえば、長さがメートル(m)、質量がキログラム(kg)、時間が秒(s)、電流が(A)、温度が(K)、物質量がモル(mol)、光度がカンデラ(cd)ですが、この中で一番正確な定義がなされているのが、セシウム原子時計によって定義されている「秒」です。ただ原子時計に用いられるセシウム核種に混ざる不純物により、2.5 × 10^-11程度の相対的な誤差が出る可能性があり、将来的には定義に用いられる原子時計の核種が変わる可能性があります。

SI単位系ではおそらく一番馴染みが深いのが「メートル」でしょうが、現在はメートル原器ではなく、真空中の光速度による定義に変わっています。「真空中で「1秒」の299792458分の1の時間に光が進む行程の長さ」と定義文にあるように、長さの基本単位「メートル」は時間の基本単位である「秒」により定義されており、相対誤差(10^-10)も、時間の誤差よりも大きくなります。

「アンペア」と「カンデラ」の定義には「メートル」、「キログラム」(キログラムの定義については後述)、「秒」が、「モル」の定義にはアボガドロ数を介して「キログラム」が関わってきますので、これらの単位系の相対誤差は「メートル」、「キログラム」、「秒」よりも悪いものとなります。

温度の「ケルビン」は、「水の三重点の熱力学温度の 273.16分の1」という定義がなされていますが、そもそも温度というのは視覚的な測定が難しいため、建前上の定義と実用の間に大きな差があります。一応温度に関しては、測定温度範囲毎に膨張率の異なる金属を組み合わせるなどして測定するような、実用のための補正方法が別に決められていますが、室温付近でも10^-5程度の相対誤差は当たり前のように出ます。

さて、質量の単位である「キログラム」ですが、未だに「国際キログラム原器の質量」という、200年以上前の定義が使われています。各国に配られたキログラム原器を、0.1 μg単位(原器に対する誤差は10^-10)まで正確に計ることができる特殊な天秤で量ることで質量を校正するわけですが、キログラム原器とその複製品を比べると、200年間で±2σ ~ ±50μg程度 (相対誤差は10^-8のオーダー)のばらつきが出ていることが判っています。それにも関わらずキログラム原器が使われて来た理由は、これでも実用に問題無かったからですが、10年程前よりキログラム原器に替わる新しい定義として、(1) ワット天秤を用いたプランク定数による定義 と、(2) ケイ素単結晶を用いたアボガドロ数による定義 などが議論されるようになりました。現在プランク定数もアボガドロ数も、4.4 × 10^-8程度まで相対誤差が小さくなっており、これはキログラム原器に由来する質量の誤差が原因と考えられています。どちらをキログラムの定義に使うにせよ、プランク定数やアボガドロ数を定義値にすることにより、将来的に質量の潜在的な測定誤差が減ることが期待されるわけです。現状ではプランク定数による定義の方が優勢で、アボガドロ数はキログラムの定義には用いられない見通しになって来ましたが、モルの定義にはアボガドロ数が使われることになります。また電子素量により電流のアンペアの定義を、ボルツマン定数により温度のケルビンの定義を変えることも考えられており、来月11月の中旬にフランスのヴェルサイユ宮殿で開催される第25回国際度量衡総会により、「キログラム」、「モル」、「アンペア」、「ケルビン」の定義が変わるかも知れません。

なお国際度量衡総会の方は、フランスの外務大臣が議長を、フランスの科学アカデミー会長が司会進行を務め、必ずSI原器も保存されているセーヴル近辺で開催されることになっているようです。
[86370] 2014年 9月 10日(水)04:38:30YT さん
第一次府県統合と、それそれの府県での人口上位3位までの都市人口
[86367] アクアさん、初めまして。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県

おそらく旧領石高と城下町に比例関係があると仮定して都市規模を算出しているのでしょうが、大隈重信蔵書「府藩県石高人口表」を見てわかるように、石高と人口の相関は必ずしも良くありません。それに第一次府県統合では、各地に散らばっている各藩の飛び地を抹消しているので、単純に藩の石高で統合後の規模に順番を振るのもどうかと思います(旧高旧領取調帳で調べているのでしたらすみません)。

そこで明治6年頃の都市人口による各府県の人口上位3位までの都市と人口をまとめてみました。都市人口は『日本地誌提要』(明治6年1月1日調人口、[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]参照)を基礎とし、『明治八年 共武政表』(明治5年~8年の本籍人口)の人口を用いると各府県別での都市人口順位が上がる場合には『共武政表』の人口で補正しました(●印をつけた都市)。但し明らかに人口に誤りがある場合(『日本地誌提要』の鹿沼の人口と『共武政表』の気仙沼の人口など)はこの限りではありません。また県庁所在地が4位以下の場合は別途記載しました。

使府藩県M5人口1位人口2位人口3位人口4位以下人口
開拓使123,668箱館28,825小樽3,903札幌1,785
東京府779,361東京595,905千住11,368品川10,293
京都府567,334京都238,663伏水22,334亀岡7,029
大坂府530,885大坂271,992天王寺16,560難波8,128
琉球藩166,789首里44,984那覇14,610久米9,800
神奈川県492,714横浜64,602神奈川10,660八王子7,675
兵庫県198,559神戸・兵庫40,900尼ヶ崎12,404西之宮8,699
長崎県630,487長崎29,656島原18,682福江17,787
新潟県635,484新潟33,152新発田18,312村上17,647
埼玉県426,989成田(忍)7,224岩槻5,077幸手4,294浦和1,750
入間県410,952川越9,357熊谷4,171本庄3,573
足柄県339,582小田原12,710浦賀●7,081鎌倉6,420
木更津県574,652木更津4,381一之宮4,215鶴舞3,126
印旛県456,689船橋9,494古河9,343佐倉6,681流山●1,946
新治県470,509銚子17,688土浦7,788石岡6,938
茨城県366,505水戸19,010那珂湊8,254下館4,947
群馬県382,697前橋15,063高崎11,285沼田3,828
橡木県388,934館林9,007佐野4,960鹿沼●4,201栃木3,968
宇都宮県234,124宇都宮15,061烏山2,435大田原2,284
奈良県418,326奈良21,158郡山14,988御所町3,507
堺県446,85238,838岸和田8,852佐野5,388
安濃津県413,86522,080桑名18,064上野12,385
度会県363,732山田22,473松坂8,781鳥羽4,746
名古屋県604,116名古屋125,193熱田15,211一之宮7,399
額田県606,252岡崎12,969大浜8,885豊橋7,506
浜松県414,928浜松11,103新居6,438横須賀5,516
静岡県368,505静岡31,555沼津10,684島田●7,461
山梨県360,068甲府15,529市川4,095鰍沢3,562
大津県305,232五別所・大津17,924膳所6,371膳所6,371
長浜県271,332彦根24,368長浜5,369高宮●3,754
岐阜県660,896今泉・岐阜10,800大垣10,158八幡5,364
筑摩県550,841松本14,275高山13,081飯田8,944
長野県466,652松代7,976長野6,928小諸6,152
仙台県404,577仙台51,998石巻10,325馬場谷地●4,964
福島県268,576二本松10,435白河7,250福島5,813
平県242,906三春5,0864,241白石●3,313
若松県203,722若松20,588坂下2,972高田●1,987
一関県372,562水沢5,166気仙沼4,377一之関●4,365
盛岡県319,486盛岡21,306遠野●5,175花巻4,426
青森県473,244弘前32,886福山16,092青森10,965
山形県299,291山形17,631新庄8,361谷地6,587
置賜県130,293米沢24,945宮内2,858上小松●2,331
酒田県203,676鶴岡24,964酒田18,619大山3,430
秋田県582,297秋田38,118横手8,169本荘6,423
敦賀県199,819小浜19,271敦賀11,476武生9,416
福井県346,700福井39,784大野9,052坂井9,044
金沢県403,357金沢109,685小松9,970大聖寺9,416
七尾県397,511高岡23,724新湊18,904七尾8,216
新川県480,638富山44,682魚津10,098八尾5,981
柏崎県718,249高田27,460長岡24,067柏崎14,081
相川県103,098相川12,632夷町3,400小木2,602
豊岡県505,073宮津9,398舞鶴9,073出石6,796豊岡4,926
鳥取県385,531鳥取20,782米子10,237倉吉4,809
島根県340,042松江37,808杵築7,674広瀬3,877
浜田県259,611津和野7,088浜田3,943益田●2,503
飾磨県635,791姫路24,521明石14,410赤穂7,134
北条県215,602津山15,411真島(勝山)2,747久世1,749
岡山県387,459岡山32,372日生●3,511牛窓3,219
深津県546,430福山17,643鞆津●8,495笠岡6,415
広島県919,047広島74,305尾道9,722三原8,565
山口県827,53645,318赤間関18,500岩国11,684山口9,279
和歌山県556,919和歌山61,124新宮9,134田辺7,485
名東県750,985徳島48,861洲本7,267由良5,935
香川県559,712高松32,736丸亀13,875坂出6,465
松山県418,561松山26,141今治12,000川江5,860
宇和島県357,413宇和島12,209外海●6,280吉田5,042
高知県524,511高知39,757高岡5,827安芸4,479
福岡県441,175博多20,985福岡20,650秋月5,178
三潴県391,535久留米20,381柳河8,865瀬高3,860榎津2,555
小倉県304,574中津11,538小倉7,459長洲4,500
大分県562,318臼杵10,738大分6,8215,975
伊万里県506,667佐賀21,660厳原8,806唐津7,987伊万里4,005
熊本県513,593熊本44,620長洲5,706川尻4,712
八代県439,444八代9,021牛深7,590御領●6,017
都城県310,121国府17,144加治木9,386都城7,390
美々津県201,798宮崎11,929延岡6,861広瀬●3,884美々津1,881
鹿児島県670,864鹿児島●89,374加世田31,595鹿籠24,902


平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)

都市規模としては平は1位と大差のない2位、桜井(木更津内)は1位、高崎は1位と大差のない2位、岩槻は1位と大差のない2位、岡崎は1位、豊岡はやや1位と差のある5位(4位は篠山の5,931人)、大分はやや1位と差のある2位です。

1番、2番、3番、それ以下の差異をどの程度考慮するかにもよりますし、また明治22年の市制町村制施行までは「都市域」の定義が曖昧であるため、資料によって集計範囲が異なるという難点がありますが、一部の例外(浦和、流山、榎津、伊万里、美々津)を除き、当時の県庁所在地はその地域の中心となる都市が選ばれていることが判るかと思います。

この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?

これは多分中央にはまとまった資料がなくて、個々に地方史をあたらないとわからないと思います。宮武外骨の『[府藩県制史]』における賞罰的県名論も、細かいところで矛盾がありますし。
[86357] 2014年 9月 3日(水)21:20:39YT さん
蛇落地からの改名は江戸時代?
最近色々私的に忙しかったのですが、久々に投稿します。

先日広島の災害地について流れたニュースによると:

崩れ落ちて形が変わった山を眺める住民たちは「20年住んでいますが、こんなことはとても思わなかった」と話す一方で、山肌を指さしながら「あそこが水の通り道だと聞いていましたね」と語る。一帯は「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)とよばれていたという。

平野孝太郎さん(71)は「昔は蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷・悪谷と名がついたそうです。八木蛇落地悪谷が八木上楽地芦谷と改名され、さらにいまは八木だけが残ったようです」という。名前が変わるうちに「土砂崩れ」の教訓も忘れ去られたらしい。

130年つづく浄楽寺の住職によると、竜がいて、その首をはねたところから「蛇落地」とついたという。「竜は水の神で、水害を収めたということかもしれません。記録にはないが、語り継がれてきました」

近くの光廣神社に残る絵には、竜を討伐した武将のかたわらを激流が走る。こうした伝えは水害への警戒を促すと解釈できる。

これについて、日本歴史地名大系や角川地名辞典を調べましたが、蛇落地という地名を確認出来ませんでした。また地図資料編纂会『正式二万分一地形図集成』を閲覧したところ、明治31年測量、明治33年印刷・出版の地形図が収録されており、これが今回災害のあった地域の地形図の最古のものと思われます。[86330]でペーロケさんが指摘されておりますが、この段階で「山手」「上楽地」「小原」という地名が書かれており、改名はこれよりも古いものと推測されます。また『広島県史』によると浄楽寺は
由緒 元和五年創立、貞享五年寺号免許、もと仏護寺末。
とあり、130年どころか400年近く前の元和5年(1619年)の創立となっており、また角川地名辞典にも、130年前よりも前の明治7年に境内で小学校開校とあり、記事がちゃんと調べられずに書かれているように見受けられます。

さらに『佐東町史』を閲覧したところ、宝暦12年(1762年)の「沼田郡八木村地こぶり帳」という、芸藩時代の近世村としての八木村の検地帳が収録されており、そこに既に字名として本百姓8人の名前が記載されている「字 上楽寺」(上楽地・浄楽寺ではない)や本百姓1人の名前が記載されている「字 山ノ手」、本百姓36人の名前が記載されている「字 小原」などの記述があり、一方で「蛇落地」などという字名はなく、仮に蛇落地から上楽寺/地への改名が事実としても250年よりも前のこととなります。むしろ浄土真宗本願寺派である浄楽寺から上楽寺という字名となり、それが上楽地となったと考える方が素直です。

『佐東町史』には八木村の村会議員の選挙定員を決める明治13年の公文書が収録されており、それによると
一ノ部 議員一人 字鳴ル渡リ/十歩一
二ノ部 議員二人 字真蒲/上細野/中細野/下細野
三ノ部 議員一人 字代/一ツ矢
四ノ部 議員一人 字迫田/細田/田中
五ノ部 議員二人 字関城/柏谷/室屋/野地
六ノ部 議員一人 字上楽地/浄光院/小原
七ノ部 議員二人 字市/土居
となっており、明治13年の段階では既に「字 上楽地」の漢字が正式なものとなっております。なお宝暦12年の字の数は大小50個ほどですが、上の明治13年の段階では20個程に統合されており(これら字名はほぼ全てが宝暦12年の検地帳に記載されている)、おそらく大区小区制がらみの字の統廃合があったものと推測します。また「字 山手」が消えておりますが、こちらは明治13年~明治33年の間に復活したのでしょう。

宝暦12年と明治13年の間を補う地理書として、1820年代に完成した『芸藩通志』がありますが、こちらには近世村毎の地図が100枚前後収録されています。地図には字名が全て書かれているわけではありませんが、ヘツ所(別所)、浄楽寺、ムロヤ(室屋)、ノシ(野地)、コハラ(小原)などの地名を確認できます。芦谷という地名は確認できませんでしたが、別所古墳発掘調査報告書収録の地図に足谷遺跡というのがあり、宝暦の頃には字名としてはありませんでしたが、幕末にはアシヤと呼ばれる字名があり、明治の時に上楽地などに吸収されてしまった小字であると推測できます。何れにせよ『明治前期全国村名小字調査書』や角川地名辞典には旧八木村の明治初期の字名が漏れており、これ以上詳しく調べることはできませんでした。

最後に蛇の伝説ですが、これは江戸時代初期に書かれた『陰徳太平記』の「香川勝雄大蛇ヲ斬ル事」に詳しく載っており、天文元年(1532年)に香川勝雄が阿武山山中にて大蛇を倒したという話が既に17世紀には完成しておりました。物語によると香川勝雄は、阿武山の山頂に近い大きなカヤの木で眠っていた大蛇の首を切り落とし、落とした首が七八町飛んで「太刀ノブ」という湿地帯に落下し、さらにそれが飛び跳ねて一町先の「蛇王池」または「蛇王子」に落ちたとあります。『芸藩通志』附録の地図によると、阿武山(阿生山)の頂きの一つに「龍王」という地名があり、そこに大カヤと「竜王二社」があることになっています。「タチノフ」は麓の地名ということになっています。

『佐東町史』で「蛇落地」という地名に関して唯一触れているのが「蛇落地観世音像」ですが、これは弘化4年(1847年)に阿武山山頂にあった観音像を麓に移したとのことで、『芸藩通志』収録の八木村の地図では「龍王」の近くにある建物のマークの一つということになります。浄楽寺の住職によると蛇落地というのは蛇の首を切った場所と解説していますが、蛇の首を切った場所は阿武山山頂付近であり、蛇落地は山頂の地名といことになり、ますます上楽地との関係が不明となります。

結局のところ蛇落地が上楽地に改名されたというのは怪しく、仮に事実としても250年以上前のことです。また300年以上前にはすっかり地元の有力者が先祖の功績を讃える大蛇退治の物語として完成してしまっており、そこから土石流の伝承を読み説くことは不可能に近いといえます。大蛇退治の物語も、『陰徳太平記』の記述が『芸藩通志』や『広島県史』、『佐東町史』で繰り返し引用されており、『佐東町史』では地元なら誰でも知っている伝説とまで書かれています。そもそも今回土石流が発生した区域は「字 上楽地」だった地域でも「足谷遺跡」のある所でもなく、「字 小原」だった地域です。いくら地名が過去の教訓を示すと言っても、場所が微妙に異なります。そんなことよりハザードマップを周知徹底させたり、土砂災害警戒区域を設定するなど、最新の科学に頼った調査の方がはるかに重要で、信用出来ると言えます。
[85707] 2014年 6月 8日(日)17:42:58YT さん
今後の予定
これまでの人口や面積のデータは、この一つのファイルに集約されていると考えてよろしいでしょうか。

送ったファイルは作業のために列の順番が入れ替わっていますが、その通りです。

ただ、1950年~1970年の沖縄県、1950年の奄美の面積はまだ数字の入力が流動的ですし、1935年3月31日調の面積は入力が40%程度しか済んでいません。また1995年以降は統計局のデータベースから数字を流し込んだ結果、市区町村名と人口・面積のズレが発生している可能性があり、簡単な再チェックが必要です。中身をみて頂ければわかるように、送ったファイルはチェック用のSum関数が入ったままのシートだけですので、一回中身をテキストファイル経由で別のエクセルファイルにコピーしないと加工しにくいかと思いますが、所属未定地のみが残っている1980年以降の人口・面積の表はすぐに作れると思います。

自分の予定としては、1935年3月31日現在の面積を入力した後、1944年・1945年・1946年の人口調査、1948年の常住人口調査の人口を再チェックし、各種地方統計書のデータを元に1950年の面積の分割案を作った段階で次のまとめた結果をデータ(ver.0.2)として公表しようかと考えています。

その後、国勢調査報告書に載っている1920年~1930年の市・郡別面積を入力し、各種地方統計書のデータを元に1935年10月1日の面積合同分の分割案を出し、1935年10月1日~1948年の面積を独自調査で入力し、この段階でまとめた結果をデータとして公表(ver.0.3)。

これが終わったら、国勢調査以前の5回分の現住調査の人口を再チェック、明治22年~明治30年前の人口について、『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口と官報による現住人口を入力、明治22年以前について郡区別面積と、明治14年の郡区別面積を入力、などと予定を建てていますが、どうなるかは分かりません。
[85705] 2014年 6月 8日(日)13:09:10【1】YT さん
xlsよりもcsv
[85703] オーナー グリグリさん

すみません。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。

この部分を見落としていました。

とはいっても総ての情報をエクセルにするのは作業が煩雑になるので、例えばカラム数が8以上、または一部のセルが折り返し表示になってしまうケースについては別個のファイルとして公開ということでよろしいでしょうか?その場合ですと、別に計算式の入力も必要ないので、例えばCSV形式などのテキストファイルでの公開の方が安全かも知れません。

【追記】

すみません。

さきほどオーナー グリグリ さんに、現時点でまとめ終えた面積・人口の情報を送付しましたが、ファイルの圧縮を忘れたため、10 Mb越えのファイルを送ってしまいました。

メールが読めない場合には、あらためて圧縮したファイルを送り直します。
[85704] 2014年 6月 8日(日)12:55:06【1】YT さん
エクセルファイルの公開について
[85703] オーナー グリグリさん

そこで今回のご指摘を受けて、当面は次のようにしたいのですが、YTさん、如何でしょうか。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。
(2) エクセルファイルを当サイトのサーバの然るべき場所に格納する。
(3) 格納場所のリンク(URL)をYTさんに連絡する。
(4) そのリンクを利用してYTさんが書き込みを行う。
(5) ファイルの差替えなどもメールで行う。

御迷惑をおかけしてすみません。ただ、エクセルファイルの公開を暫時行うにはいろいろ問題があり、誠にすみませんが対応できません。

まず最近書き込んだ内容は、最終的にエクセルに纏める前の段階のものです。面積の情報は人口の情報以上に中途半端で、富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積([85587]参照)の例のように、所属不明以外の面積情報の問題も1975年まで続いています。そのため公開するにもこういった面積不明・所属不明の情報の纏め方もまだ統一した状態になっていません(そのための問題点を、[85559][85587][85604][85605][85609][85623][85624][85659][85673]にまとめたつもりです)。こういった「市町村の情報をまとめるための個別の情報」というだけで、面積に関するものだけでもすでに20個以上のシート(バックアップを含めると確実に100個以上)を作成しています。公開するとなるとそこに含まれるであろう膨大な数の情報の再チェックも必要となり、作業量が現状よりも大幅に増えてしまいます。

二点目は、エクセルファイルそれ自体のセキュリティの問題です。エクセルは別名でセーブする度に個人情報が追加されますし、なぜか同名のファイルで作業していてもいつの間にか個人情報が追加されることがあります。公開する際にはかならずセキュリティチェックをしており自分の個人情報を消しているつもりですが、適時修正となるとそのチェックに不安が残ります。将来的にはエクセル以外の形式を用いるというのも手ですが、現状では自分のパソコンで作業する際にはエクセルが一番便利です。

三点目はファイルのサイズが大きくなりすぎている点です。普段一番メインに修正しているファイルのサイズはすでに40 Mbに達成していますが、メインとなるシートだけで別名で保存したところ、それだけでファイルサイズが10 Mbを超えました。

というわけでエクセルファイル形式での公開は避けたいと思います。

なお面積の方の入力ですが、現在1950年から2010年までの国勢調査時の市区町村別面積と、1935年の『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積の内、大阪府以西分の入力は終わっています。ただ1950年の面積情報、そして1935年の面積情報についても、市区町村に分割されていないデータがあり、1935年~1950年の間の面積情報の拡張も可能かどうか現状では判りません。
[85702] 2014年 6月 8日(日)01:34:14【1】YT さん
面積調査の報告と東京都の昭和19年の人口について
[85701] ロム人 さん
YTさんがかなり積極的にご自身の調査内容を書き込んでいらっしゃるようですが、これはこれで有用な情報かもしれませんが、たしかかなり以前の過去ログを読んだ記憶では、このような(Wikipediaでいう)独自研究の書き込みは自身でサイトをたちあげて公表し、落書き帳でそのような発表をしないように促していたと思うのですが、その辺の立ち位置も変わってしまったのでしょうか?


すみません。私の方は普段の生活サイクルからしても、とても自分でホームページを立ち上げるほどの時間は取れません。

ただ、一応[84549]でアップした人口情報の内、抜けている情報(昭和19年の東京都の市区町村別人口)と、昭和10年以降の市町村別面積の遷移について、現時点での調査結果を報告しているのですが、これらの書き込みは迷惑でしょうか?

あと、(Wikipediaでいう)独自研究と言われておりますが、私は極力引用元を挙げて数字や元資料の客観性を保っているつもりなのですが、変遷情報や数字に恣意的なものが目立つのでしょうか?
[85700] 2014年 6月 8日(日)01:06:55【2】YT さん
昭和19年~昭和20年の東京都区部の人口
[85612][85625]で触れた、昭和19年人口調査における東京都の市区町村別人口ですが、残念ながら決定打となるデータが見つかりません。国立公文書館で、昭和19年人口調査関係書類綴、昭和20年人口調査関係書類綴に関連する、公開されているマイクロフィルムに一通り目を通しましたが、どこにも昭和19年人口調査における市区町村別人口が掲載されている書類が含まれておりません。なお昭和20年人口調査関係書類綴に含まれるものの中には「要審査」となっていて公開されていない文書が多数あるようですが、副題を見る限り昭和19年人口調査の市区町村別人口の情報は載っていないようにみえます。

一方『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)のまえがきによると、

 昭和19年人口調査は資源調査法に基づき当時の内閣統計局が実施したものであるが,当時調査結果は公表されず,昭和24年3月に刊行された「昭和15年国勢調査・昭和19年人口調査・昭和20年人口調査・昭和21年人口調査 結果報告摘要(総理庁統計局)」に,集計結果の一部が掲載されているのみである。
 現在,戦前戦後の人口に関する資料が不足しているので,統計局に保存されている集計結果原表のうち破損等のない原表をもとにして,できるだけ多くの情報が得られるよう留意し,原表を組み替えるなどして作成したのが本書である。
 本書が戦時中の人口の状況をは握するための資料として,各方面の方々の参考となれば幸いである。
 昭和52年3月
 総理府統計局 吉岡邦夫

とあり、昭和19年人口調査の原表は総理府統計局にあることになりますが、総理府統計局の図書館でこういった資料が公開されているようには見受けられません。。

なお東京都の歴史書等を調べたところ、『東京百年史 第5巻 復興から壊滅への東京(昭和期戦前)』(1972年)に昭和19年人口調査における区別人口が掲載されているのを見つけました・・・しかしながら、[85612]の朝日新聞の記事と同様、合計が一致しません。さらに本表の人口は、『東京都戦災誌』からの引用でした。このほか『都政十年史』などに『東京都防疫年鑑』記載の人口が、昭和19年と昭和20年の『警視庁統計書』に、昭和19年末と昭和20年末の現住人口が見つかりましたので、以下これらの人口をまとめます。

調査年月日S15.10.1S19.2.2S19.11.?S19.?S19.12.31S20.2.?S20.4.20S20.5.?S20.5.27S20.6.?S20.6.10S20.11.1S20.?S20.12.31
区部6,778,8046,658,1625,392,5945,063,5095,535,6874,986,6003,256,6493,286,0102,692,6592,537,8482,581,8292,777,0103,226,6502,882,747
麹町区58,52148,45739,41737,31840,24839,98037,31828,3374,50010,43510,43517,97617,95412,387
神田区128,178102,29169,62769,94978,26267,28719,15522,32222,32221,50621,50626,43631,88727,188
日本橋区101,77772,82357,78150,71956,71549,39117,00018,66715,66718,66718,66722,87626,86122,980
京橋区142,269115,04889,86980,12286,53178,62657,79957,79944,20044,70044,70053,34463,52953,041
芝区191,445163,396125,388114,745128,643113,706105,00080,00058,60061,00061,00067,11677,33964,641
麻布区89,16379,69960,93855,99160,80055,36855,36346,8067,67821,95021,95020,69724,79821,632
赤坂区55,70448,70240,72238,17441,86437,68732,85330,0781,0006,0126,0128,79111,2259,428
四谷区76,44067,82853,91250,42256,50549,58629,00026,6474,62614,83114,83111,24513,75911,797
牛込区128,888115,81694,08487,27795,91186,32862,00044,69713,18815,68715,68720,77124,46921,103
小石川区154,655141,307113,943106,877118,774105,664105,17096,44024,90139,35339,35343,44451,89147,802
本郷区146,146129,686105,85198,103108,88295,73455,42155,42138,15239,82039,82049,30455,27650,710
下谷区189,191169,426134,426125,366136,919123,30348,93749,80149,80147,48247,48259,98870,80764,939
浅草区271,063233,991185,818170,433190,139161,24122,34028,65021,88022,58322,58324,58131,43331,290
本所区273,407241,049186,109166,615186,693165,45310,30010,0078,9938,9938,99312,75317,15214,618
深川区226,754210,853168,873157,264167,437155,06116,00015,63813,55213,20113,20114,09420,67616,067
品川区231,303214,274166,376152,437171,729149,853126,937126,937103,0008,064108,06489,782105,94394,266
目黒区198,795202,533173,120165,424148,420164,329158,625138,605118,00073,575118,000121,333141,21053,126
荏原区188,100181,497146,736130,182247,252127,706114,87793,99375,00059,67359,67353,70863,214159,881
大森区278,985297,761241,070229,242207,576226,019220,000194,959183,697156,000156,000160,865186,60558,644
蒲田区252,799267,023203,448198,067291,989196,10470,44075,00069,04069,04069,04052,13565,286287,851
世田谷区281,804303,473277,510272,830180,579272,073212,463311,835227,173235,595172,500276,450311,753122,507
渋谷区256,706339,499197,563187,124202,434187,345180,000183,00096,66291,53791,53884,06798,06888,546
淀橋区189,152175,957143,156134,099144,386132,84196,61996,61967,03042,92042,92051,09063,03549,792
中野区214,117216,724183,955176,770193,337174,370166,982147,079139,950127,237126,793124,011141,226142,487
杉並区245,435259,746228,910214,962242,244211,455210,416207,776184,856184,896184,856211,229245,886215,412
豊島区312,209302,057250,952236,415260,805233,25468,02365,000106,502106,502106,50292,192109,48392,536
滝野川区130,705125,035100,48194,888103,87893,25825,30042,91635,50232,99632,99636,49441,89038,135
荒川区351,281334,380262,780248,707243,899244,69052,00079,74780,48076,43676,43684,010100,581237,712
王子区220,304216,517168,681159,539174,164157,704132,000110,000103,984105,143105,143101,807117,840102,049
板橋区233,115271,226163,656238,174272,896234,920164,334218,110131,000180,75298,752217,974245,32284,746
足立区231,246250,553222,530216,890254,664214,543184,124184,124158,700157,510157,510172,437198,856181,630
向島区206,402197,065157,121147,289163,932143,55573,72473,04656,00056,00356,00364,84277,70973,432
城東区192,400185,474143,043126,547164,887122,83513,0008,8258,8699,5769,57611,11414,792160,105
葛飾区153,041181,574166,652162,472142,549161,107170,000185,000150,614150,614150,614171,557196,28227,974
江戸川区177,304194,509173,636162,066169,744160,218143,129143,129126,945127,998127,598146,497162,613142,293
練馬支所82,50082,000
玉川支所63,09563,095
不一致91394,46010-5,994-11,000-5,00099,561

●S15.10.1:国勢調査による現在人口。
●S19.2.2:『東京都戦災誌』引用の昭和19年人口調査による銃後の現在人口で、合計に不一致があります。
●S19.11.?:『東京都戦災誌』引用の都民調査による人口で、合計に不一致があります。
●S19.?:『都政十年史』引用の東京都防疫年鑑による人口で、おそらく昭和20年末の数字で、合計に不一致があります。
●S19.12.31:『第五十四回 警視庁統計書』記載の現住人口。
●S20.2.?:『東京都戦災誌』引用の都民調査による人口で、合計に不一致があります。
●S20.4.20:『東京都戦災誌』引用の防衛局企画課防空通信係による人口。
●S20.5.?:『東京都戦災誌』引用の戦援調査による人口で、合計に不一致があります。
●S20.5.27:『東京都戦災誌』引用の防衛局企画課防空通信係による人口で、合計に不一致があります。
●S20.6.?:『東京都戦災誌』引用の民政局戦時援護課による人口で、合計に不一致があります。なお、以下の昭和20年6月10日の人口と同じなのかもしれませんが、細部に異なる点があるので別としました。
●S20.6.10:『東京都戦災誌』引用の帝都防空本部による推定人口。
●S20.11.1:昭和20年人口調査による軍人等を除いた現在人口。
●S20.?:『都政十年史』引用の東京都防疫年鑑による人口で、おそらく昭和20年末の数字。
●S20.12.31:『第五十五回 警視庁統計書』記載の現住人口。

現時点ではここからさらに元資料にたどり着くことはできておりません。

昭和19年頭には銃後人口だけで700万人近くいた東京35区の人口が、昭和19年末には500万人に減り、空襲開始と共に激減し、終戦時には250万人前後に減り、その後昭和20年末には300万人近くに復帰したようです。

【追記】上表で昭和20年末の警視庁調査の現住人口の入力に誤りがあったので訂正しました。警視庁による現住人口も、それほど実態とは離れてなかったようです。
[85673] 2014年 6月 1日(日)03:25:41YT さん
1950年~1965年の琉球の面積の問題点
[85624]でもまとめたように、1975年以降の国勢調査報告書では、1950年~1965年の沖縄の面積はほぼ一貫して2,388.22 km2であったとされております。しかしながら当時の琉球における国勢調査時の市町村別面積の内訳に関しては、色々問題があり、これが正解というものがありません。とりあえず複数の資料による当時の琉球の市町村別面積(単位:km2)をまとめると以下の通りです。なお1950年の奄美群島の市町村別面積については別の問題があり、これについては別個考察します。

資料S10面積調S15県統S25要覧(戦前)S25要覧(戦後)S25国勢S30琉統S35国勢S40国勢
全琉球(奄美を除く)2,388.242,388.242,388.222,388.222,388.22
沖縄県2,386.242,386.242,388.24
全琉球の補正面積-1.27
沖縄群島1,498.661,498.661,500.691,500.691,500.691,500.671,500.671,500.67
沖縄群島の補正面積-1.24
南部地区369.91369.90
那覇市5.115.115.116.2320.9734.4435.68
首里市2.452.452.452.45
島尻郡404.98404.98407.00361.23
島尻郡の補正面積6.70
小禄村12.2912.2912.29
真和志市13.47
真和志村14.5914.5913.47
南部地区335.46335.46
豊見城村18.1518.1518.1518.1518.1518.15
糸満町1.821.821.821.821.8245.34
兼城村10.1610.1610.1610.1610.16
三和村24.1224.1224.12
真壁村10.2910.29
喜屋武村6.186.18
摩文仁村7.657.65
高峰村9.249.249.249.249.24
東風平町15.0215.0215.0215.0215.0215.02
具志頭村12.5712.5712.5712.5712.5712.57
玉城村16.6716.9716.6716.6716.6716.67
知念村10.4110.4110.4210.4110.4110.41
佐敷村10.9010.9010.9010.9010.9010.90
与那原町4.894.894.894.89
大里村17.0117.0112.1212.1212.1212.12
南風原村11.1711.1711.1711.1711.1711.17
仲里村42.8342.8342.8342.8342.8342.83
具志川村25.8225.8227.8227.8227.8227.82
鳥島
渡嘉敷村26.4426.4426.4426.4426.4426.44
座間味村19.5712.5719.5719.5719.5719.57
粟国村9.799.799.799.799.799.79
渡名喜村5.815.815.815.815.815.81
大東島45.9645.96
南大東村25.9125.9125.9125.91
北大東村20.0520.0520.0520.05
伊平屋村44.6444.64
伊是名村
中部地区287.80287.79287.79287.79
石川市19.1419.1419.1419.14
中頭郡287.79287.79287.80268.66
美里村42.9942.9923.8523.8523.8523.85
与那城村24.8324.8324.8324.8324.8324.83
勝連村13.6313.6313.6313.6313.6313.63
具志川村32.8232.8232.8232.8232.8232.82
コザ市24.2924.29
越来村24.2924.2924.2924.29
読谷村37.1037.0937.0937.09
読谷山村37.0937.09
嘉手納村15.9515.9515.9515.95
北谷村29.1029.1013.1513.1513.1513.15
北中城村11.9211.9211.9211.92
中城村27.9227.9216.0016.0016.0016.00
宜野湾市18.48
宜野湾村18.5218.4818.4818.4818.48
西原村18.4818.5218.5218.5218.5218.52
浦添村18.1218.1218.1218.1218.1218.12
北部地区842.98842.98842.98842.98
国頭郡798.33798.33798.33842.98
国頭郡の補正面積-30.0162.58
国頭村196.03196.03196.03196.03196.03196.03
大宜味村63.9163.9163.9163.9163.9163.91
東村67.3597.3567.3567.3567.3567.35
羽地村68.8068.8062.9462.9462.9462.94
屋我地村5.865.865.865.86
今帰仁村41.5041.5041.5041.5041.5041.50
上本部村11.1611.1611.1511.16
本部町44.8144.8144.8144.81
本部村55.9755.97
屋部村20.3720.3720.3720.37
名護町66.8666.8646.4946.4946.4946.49
恩納村52.0452.0552.0552.0552.4852.05
久志村92.4892.4892.4892.4829.4892.48
宜野座村29.8829.8829.8829.88
金武村69.4169.4139.5339.5339.5339.53
伊是名村11.4111.4111.4111.41
伊平屋村33.2333.2333.2333.23
伊江村23.9823.9823.9823.9823.9823.98
宮古地区250.01250.01250.01250.01250.01250.02
宮古郡250.02250.02250.01
宮古郡の補正面積-0.01-0.01
平良市72.2972.2972.29
平良町72.2972.29
下地町・上野村48.6848.68
下地町48.6848.6825.65
上野村23.03
城辺町60.9260.9260.92
城辺村60.9260.92
伊良部村38.5338.5338.5338.5338.53
多良間村29.6029.6029.6029.6029.60
八重山地区637.54637.54637.54637.54637.54637.56
八重山郡637.56637.56637.54
八重山郡の補正面積-0.02-0.02
石垣市92.5792.57235.36
石垣町92.5792.57
大浜町142.79142.79
大浜村142.79142.79
竹富町372.42372.42372.42
竹富村372.42372.42
与那国町29.7829.7829.78
与那国村29.7829.78
奄美群島1,289.041,289.041,289.00
全琉球(奄美を含む)3,677.283,677.283,677.24

各資料は以下の通りです。

●S10面積調:『昭和十年 全国市町村別面積調』
島尻郡鳥島の面積は「?」となっています。

●S15県統:『昭和十五年 沖縄県統計書 第一編』
『昭和十四年 沖縄県統計書 第一編』が閲覧できませんでしたが、その変わりに『昭和十五年 沖縄県統計書 第一編』が閲覧できましたので、代わりに本表にまとめます。備考によると
備考 鳥島ハ未測量ノ為メ本表面積ニ包含セズ
とあり、鳥島の覧は空欄となっております。このほか、郡別面積と町村別面積の合計が一致しない箇所が多々あり、その幾つかの市町村別面積は誤植と判断可能ですが(島尻郡玉城村、島尻郡座間味村、国頭郡恩納村)、とりあえずそのまま載せます。注目するべき点は、昭和十年 全国市町村別面積調』に比べて中頭郡宜野湾村と西原村の面積が入れ替わり、国頭郡恩納村の面積が0.01km2増えている点です。

●S25要覧:『1950年版 沖縄群島要覧』
那覇市の面積を5.11km2とする戦前の面積の表と、那覇市の面積を6.23km2とする戦前の面積の表の二種類が掲載されております。前者については宮古地区、八重山地区、および奄美群島に関しては総面積のデータがあるものの、市町村別面積を掲載する後者の表は、沖縄群島の市町村別面積のみで、宮古地区、八重山地区、および奄美群島の市町村別面積のデータは掲載されておりません。また後者の表では、既に伊是名村、伊平屋村の面積が国頭郡の面積に含まれていることになっております。前者の表によると

イ,沖縄県総面積,戦前の分2,386.24平方粁は鳥島(硫黄)2方粁を含有せざりしに付,今回包含せしめたり。宮古,八重山の面積を控除した沖縄の分総面積1500.69粁中に鳥島の2方粁は含有せり。

戦前沖縄県総面積が154.718方里なりしも今回総面積が154.848方里(方粁,エーカー,坪等も之に順ず)となれるは鳥島(硫黄)の面積0.13方里が戦前の分に包含せざるを本表に包含せしめたるによる。

「鳥島の面積2.00 km2が増えたので、沖縄県の面積が2,386.24 km2から2,388.24 km2に増えた」と単純そうに見えますが、よく見ると『昭和十年 全国市町村別面積調』に比べて、沖縄群島が2.03 km2増え、宮古郡が0.01 km2減り、八重山郡の面積が0.02km2減っています。沖縄群島で増えた0.03 km2の内訳は、中頭郡読谷村が中頭郡読谷山村に比べて0.01 km2、島尻郡知念村が0.01 km2、そして前述の国頭郡恩納村が0.01 km2増え、中頭郡西原村と宜野湾村の面積が入れ替わっています。また島尻郡真和志村の内1.12 km2が那覇市に異動となっています。


●S25国勢:『琉球統計報告 1952年 第2巻 第5号』
昭和25年の琉球の国勢調査には、市町村別面積は掲載されておりませんが、地区別面積が掲載されており、その面積は上述の『1950年版 沖縄群島要覧』の面積と同一です(奄美群島を除く)。脚注によると
1、面積は参謀本部陸地測量部の5万分の1の地形上における1940年1月26日の調査を基礎にして算出したものである。
2、沖縄郡島の面積は、硫黄鳥島(2方粁)を含んだ数字である。
3、奄美群島の面積には、十島村(18.39方粁)を含む。
なお昭和30年の琉球の国勢調査報告書にも市町村別面積の記載はありません。

●S30琉統:『第1回 琉球統計年鑑 1955/56年』
沖縄で復活した地方統計書の最初の巻ですが、
面積は主として昭和14年沖縄県統計書(第1編, 内務)による1939年12月末現在の数字で、( )内の数字は沖縄郡島要覧(1950年版)による数字で、鳥島(硫黄)の面積0.13方里(2.00方粁)を含む。
とあります。主な相違点としては、中頭郡読谷村と島尻郡知念村の面積は『昭和十年 全国市町村別面積調』における面積が採用されているため、『1950年版 沖縄群島要覧』に比べて面積が0.02 km2減っています。また八重山地区・宮古地区は最初から合計が異なることが前提で、町村別面積合計の面積と地区別面積の双方が並べて示されています。

●S35国勢:『1960年国勢調査報告 人口編 第1巻 総括編 その1』
琉球の国勢調査報告書としては初めて市町村別面積の記載があります。
面積は1939年12月末(昭和14年沖縄県統計書第1編内務)による数字で()内の数字は沖縄郡島要覧(1950年版)による数字である。
とあり、八重山地区・宮古地区の面積は最初から合計が異なることが前提となっています。また北部地区の上本部村・恩納村・久志村の面積は誤植と思われますが、そのまま上表にまとめました。

●S40国調:『1965年臨時国勢調査報告』
昭和35年の国勢調査の面積と同じですが。
面積は主として、昭和14年沖縄県統計書(第1編, 内務)による1939年12月末現在の数字である。

沖縄総面積は1939年12月末現在(昭和14年沖縄県統計書第1編内務)による数字であって、那覇地区旧市村別面積は那覇市統計書1966年版による1965年7月16日現在の数字である。
とあり那覇市の面積は合計が合わなかろうが、1.24 km2増えています。また八重山地区と宮古地区の面積は、市町村別面積の合計通りとなっています。

と、こんな感じで琉球の国勢調査は誤植も多く、面積も細かいところで多々合計の不一致があります。昭和25年~昭和40年の面積として2,388.22 km2を採用するのであれば、『第1回 琉球統計年鑑 1955/56年』及び『1960年国勢調査報告 人口編 第1巻 総括編 その1』をベースとし、宮古・八重山については合計0.03 km2分を誤差として計上するしかないことになります。

昭和10年の面積調2,386.24 km2 + 硫黄鳥島 2.00 km2 = 2,388.24 km2をベースとするのなら、宮古・八重山の市町村別面積合計で増えた分0.03 km2 - 恩納村で増えた分 0.01 km2 = 0.02 km2 が2,286.22 km2との差として処理することも可能です。
[85659] 2014年 5月 29日(木)00:48:57【2】YT さん
国勢調査における昭和25年以降の市区町村に含まれない所属未定地の面積
[84549]でアップした中身について、
1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告書を使って順次チェック(2~3ヶ月前後か?)
(2) 1955年以降の国勢調査人口をチェック(1ヶ月前後か?)
(3) 1948,1946,1945,1944年の常住人口、人口調査人口をチェック(2ヶ月前後か?)
(4) 1920年よりも前の現住人口チェック(各1ヶ月、合計5ヶ月か?)
といった感じで、多分全部のチェックには1年掛かるかも知れませんが、とりあえず現時点で一応形にはなりました。
という計画を立てましたが、(1)については昭和25年国勢調査報告書掲載の面積を入力しつつ終えましたが、昭和30年以降については面積の入力と人口のチェックの両立が困難だったため、とりあえず面積だけの入力を平成22年度分まで終えました。現在は『昭和十年年 全国市町村別面積調』の数字を入力しているところです。

昭和25年以降の国勢調査報告書に記載の面積は、建設省地理調査所→建設省国土地理院→国土交通省国土地理院による全国都道府県市区町村別面積調ですが、一部の境界未定地域については
一部境界未定のため,総務庁統計局において推定した。
として、統計局の判断で各市町村に面積を統合しております。それでも分割・統合がされていない地域が、昭和25年の諸地域([85604][85604]参照)、昭和35年の福井県大野郡旧石徹白村から岐阜県郡上郡白鳥町へ異動した地域、昭和35年~昭和50年の富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積([85587]参照)、昭和40年の秋田県南秋田郡大潟村([85605]参照)です。そしてデータそのものにかなり問題があるのが、米国軍政下の琉球の国勢調査(これについては後で詳しく問題点をまとめる予定)です。また歯舞群島にからんで、過去の面積が修正されている問題と、竹島・北方領土の面積の取り扱いなどもあります([85623][85624])。

それはともかくとして、総務省統計局の方では、市町村に含まれない所属未定地の面積については、そのまま脚注に示し、市町村の面積には加えておらず、各郡別面積・市部面積・郡部面積・都道府県別面積・全国郡別面積・全国面積等で加算しております。オーナーグリグリさんが現時点での所属未定地を[85618]でまとめられていますが、それ以前の国勢調査における昭和25年以降の市区町村に含まれない所属未定地の面積を以下にまとめます(北方領土と竹島や、本土復帰前の小笠原・沖縄・奄美は除きます)。


都道府県支庁・郡等地域H22H17H12H7H2S60S55S50S45S40S35S30S25
北海道十勝総合振興局然別湖3.613.61
北海道(その他)風蓮湖57.7457.7457.5057.5057.50
北海道網走支庁サロマ湖150.35
青森県南津軽郡五郷村外錯雑地3.79
青森県(その他)小川原湖62.3062.3062.72
青森県上北郡小川原沼62.7262.26
青森県(郡部)十三湖20.5720.55
都道府県外(その他)十和田湖61.0261.0261.0261.0259.7759.7759.7759.7759.7759.7759.7759.86
宮城県玉造郡西大崎村外六ヶ村入会地5.57
秋田県(その他)八郎潟調整池の一部境界未定地域22.0222.0222.0222.0222.02
秋田県(その他)八郎潟の一部境界未定地域35.5935.59
秋田県(その他)八郎潟の一部境界未定の地域35.83
秋田県(その他)八郎潟36.36218.62219.23219.23
秋田県(郡部)八郎潟222.21
山形県東村山郡長崎町外三ヶ村入会地0.08
山形県東村山郡豊田村長崎町入会地0.36
山形県西置賜郡西根村平野村入会地105.96
福島県(その他)猪苗代湖103.32103.32103.87103.87103.87103.87103.96103.96103.96
福島県(郡部)猪苗代湖104.15
茨城県(その他)北浦35.1635.1635.16
茨城県(郡部)北浦35.16
茨城県(その他)霞ヶ浦167.63167.63167.63167.63
茨城県(郡部)霞ヶ浦の一部境界未定の地域19.7219.5419.5421.32
茨城県(郡部)霞ヶ浦の所属未定地21.3227.52
茨城県行方郡霞ヶ浦の所属不明地域67.28
茨城県行方郡霞ヶ浦30.97
茨城県真壁郡飛地0.08
千葉県(市部)市川市及び船橋市の境界地先の土地0.140.140.140.140.14
千葉県印旛郡印旛沼の所属不明地域5.49
千葉県印旛郡所属不明印旛沼15.19
千葉県君津郡秋元村三島村入会地0.25
東京都特別区部荒川河口の境界未定部1.151.151.151.151.15
東京都特別区部中央防波堤内側埋立地1.641.641.641.641.64
東京都特別区部中央防波堤外側廃棄物処理場2.012.012.012.012.01
東京都三宅島三宅村,阿古村及び坪田村の共有地5.52
東京都三宅島三ヶ村共有地5.48
東京都(郡部)鳥島4.794.794.794.794.794.414.414.414.414.414.65
東京都(郡部)ベヨネース列岩0.000.000.000.000.000.010.010.010.01
東京都(郡部)ベヨネイス列岩0.010.010.010.02
東京都(郡部)須美寿島0.020.020.020.020.020.030.030.030.030.030.030.030.05
東京都(郡部)嬬婦岩0.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.01
神奈川県足柄上郡南足柄町外隣接町村の組合地26.10
神奈川県足柄上郡北足柄村外九ヶ村組合地11.14
神奈川県足柄上郡南足柄村外九ヶ村組合地9.23
神奈川県足柄上郡岡本村外九ヶ村組合地5.44
神奈川県足柄下郡湯河町外一ヶ村入合地0.39
神奈川県足柄下郡宮城町村外隣接町村の入会地5.05
神奈川県足柄下郡宮城町村外七ヶ村組合地5.10
新潟県佐渡郡所属不明の加茂湖0.97
富山県下新川郡黒部国有林351.79
富山県東礪波郡庄川町外一村の入会地1.44
富山県東礪波郡庄川町外隣接町村の入会地1.44
富山県東礪波郡東山見村外一ヶ村入会地1.45
富山県西礪波郡石黒村吉江村入会地1.62
富山県西礪波郡西野尻村外隣接町村の入会地2.48
富山県西礪波郡東石黒村西野尻村入会地2.53
石川県(その他)河北潟21.2021.6421.7422.9023.0223.02
石川県珠洲郡河北潟22.85
石川県(その他)邑知潟3.963.96
石川県珠洲郡邑知潟3.964.74
石川県(その他)芝山潟の所属不明地域2.44
福井県大野郡西谷村外隣接町村の入会地2.52
福井県大野郡大野町外三ヶ村入会地2.47
山梨県東八代郡八代町及び石和町の入会地2.272.27
山梨県東八代郡花鳥村外隣接町村の入会地9.29
山梨県東八代郡花鳥村外五ヶ村入会地5.49
山梨県東八代郡旧岡村外二ヶ村入会地1.56
山梨県東八代郡増田村富士見村外二ヶ村入会地2.30
山梨県(郡部)本栖湖4.70
山梨県(その他)本栖湖4.70
山梨県西八代郡本栖湖4.704.704.70
山梨県北巨摩郡駒城村外二ヶ村入会地38.11
長野県(その他)諏訪湖14.0614.0614.0614.1614.1614.16
長野県諏訪郡諏訪湖14.45
長野県上伊那郡美篶村高遠町錯雑地0.11
都道府県外(郡部)岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部77.32
岐阜県安八郡旧北平野村3.76
岐阜県加茂郡旧富岡村10.23
静岡県賀茂郡天城御料地78.21
静岡県田方郡棚塩山御料地4.06
静岡県田方郡天城御料地73.61
静岡県駿東郡小山町外二ヶ村入会地0.66
静岡県富士郡富士御料地28.61
静岡県引佐郡猪鼻湖5.485.485.485.57
静岡県(その他)浜名湖及び猪鼻湖68.7968.8069.2769.33
静岡県(その他)浜名湖64.9764.9764.9764.9764.2664.89
静岡県(郡部)浜名湖64.8970.74
愛知県(その他)名古屋港口埋立地1.141.141.141.141.14
都道府県外(その他)三重県及び愛知県にまたがる木曽岬干拓地ほか4.524.52
三重県一志郡嬉野町外隣接町村の入会地5.83
三重県一志郡豊地村外三ヶ村入会地5.98
三重県北牟婁郡紀伊長島町と海山町の入会地0.180.180.180.180.160.160.160.16
三重県北牟婁郡長島町及び海山町の入会地0.160.160.16
三重県北牟婁郡長島町及び桂城村入会地0.14
滋賀県(その他)琵琶湖670.25670.25670.33670.49672.36673.77673.90685.49693.46694.50694.50
滋賀県(郡部)琵琶湖695.47
京都府(その他)阿蘇海4.814.814.914.914.915.005.005.00
京都府与謝郡阿蘇海5.215.215.215.215.19
京都府熊野郡久美浜湾7.137.137.137.30
大阪府(市部)和泉大津市及び高石市の境界部地先海面の埋立地0.53
大阪府南河内郡河内村及び白木村の錯雑地1.63
大阪府南河内郡河内村白木村錯雑地1.63
大阪府南河内郡中村及び河内村の錯雑地0.97
大阪府南河内郡中村及び河内村錯雑地0.93
奈良県北葛城郡陵西村外隣接町村の入会地1.01
奈良県北葛城郡陵西村外三村入会地0.93
和歌山県伊都郡妙寺町信太村入会地0.54
鳥取県東伯郡東郷池4.084.084.084.174.174.174.174.174.184.184.32
都道府県外(その他)境水道2.13
都道府県外(その他)中海86.7997.7198.4699.0199.12100.38101.67101.67
島根県簸川郡旧乙立村27.11
島根県(その他)中海内の堤防等0.47
島根県(その他)宍道湖79.0879.1679.6679.7079.7080.3681.0381.8181.8182.32
岡山県(市部)児島湖7.13
岡山県(その他)児島湖7.137.137.137.13
岡山県(その他)児島湾干拓第7区16.65
山口県(市部)宇部市及び小野田市境界部地先海面の埋立地0.000.00
山口県豊浦郡鷹の羽国有林3.89
鹿児島県(市部)鷹島0.04
鹿児島県(郡部)鷹島0.040.040.040.04
鹿児島県(市部)津倉瀬0.01
鹿児島県(郡部)津倉瀬0.010.010.010.01
鹿児島県川辺郡所属未定地1.611.611.61
鹿児島県大島郡横当島3.88
沖縄県(その他)うるま市及び国頭郡金武町の境界部地先海面の埋立地0.180.18
沖縄県(その他)石川市及び国頭郡金武町の境界部地先海面の埋立地0.180.180.18

「都道府県外」とは、都道府県の面積には加算はされていないが、全国の面積には加算されていることを意味します。
「(郡部)」とは、特定の郡・支庁に面積は加算されていないが、その都道府県の郡部面積には加算されていることを意味します。なお昭和35年の「岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部」の面積は、都道府県別面積には加算はされていませんが、全国の郡部面積には加算されています(よって[85587]の郡部合計は誤りです)。
「(市部)」とは、その都道府県の市部面積に加算されていることを意味します。
「(その他)」とは、その都道府県の市部・郡部面積には加算はされていないが、その都道府県の面積や、あるいは全国の面積には加算されてることを意味します。

【追記】面積の単位はkm2です。それにしても平成22年の国勢調査の面積でも丸め誤差が発生しておりませんね。小数点以下第3位で四捨五入しているとすると、本当の面積のデータは±0.005 km2の範囲に存在し、四捨五入後の値との誤差の絶対値の平均は0.0025 km2となります。2000前後の自治体でこの誤差を合算すると、二項分布を考えれば全国の面積合計で√2000 × 0.0025 ≒ 0.11 km2程度の丸め誤差は出て当たり前のはずですが、そのような誤差は見当たりません。

ということは、面積の処理では単純な四捨五入ではなく、合計に端数が出ないように微妙な調整をしているということになりますね。
[85625] 2014年 5月 18日(日)01:16:18【1】YT さん
昭和19年人口調査の東京都内人口について追記
[85612]について、昭和19年2月22日調の東京都の人口調査の結果が載っていないかと、昨日、立川の多摩都立図書館に行き、昭和19年から昭和21年までの東京都公報・警視庁公報のマイクロフィルムを閲覧しましたが、残念ながら人口に関する資料は全く載っておりませんでした。

改めて当時の新聞記事を確認すると、毎日新聞昭和20年10月14日東京朝刊1頁によると

わが国の実人口は去る昭和十五年十月一日施行による国勢調査の結果を「軍密」といふ深いヴェールの中に厳重に包んでしまひ、また昨年二月一日現在で行った人口調査も勿論未発表なので内務省は実人口の急速なる調査の必要に応ずるため内閣統計審議会の手で昨十九年二月一日施行された人口調査の数字を基準に各種資料を換算、なほ応召、入密軍人の復員完了を想定する等苦心調査の結果、こゝに本年八月末現在でわが国の人口が五年ぶりで明らかにされた
細かい日付が間違っていますが、どうやら昭和19年2月22日の人口調査の結果は、少なくとも終戦まで公表された事実はないようです。

一方読売新聞昭和20年11月22日の記事によると、「統計局」が昭和20年11月21日に、昭和20年11月1日調の人口調査の結果の速報を公表し、昭和19年の人口調査7247万3836人に対し、47万7359人減の7199万6477人だったと報告されています。

ここで昭和19年人口調査の人口とされている「7247万3836人」は、[82202]でまとめた補正後の人口総数7345万6141人から、樺太と沖縄県の人口を除いた数字に相当します。

一方昭和20年人口調査の速報値とされている「7199万6477人」は、官報で昭和20年11月26日付に公表された数字と一致しますが、官報の方には11月22日の朝日新聞の記事([85612])にあったような人口の増減は記載されておりません。[82196]にまとめたように、その後に公表された数字は一部改訂されています。

現時点で推測されることは、どうも昭和20年11月21日に、内閣統計局が昭和20年の人口調査の速報値の資料をマスメディアに公表したが、そこには少なくとも県・市・区レベルでの昭和19年人口調査と比べての人口増減が載っていたらしいということです。ただしこの段階で公表されているのはおそらく郡市区別人口までで、郡内の町村別人口の資料はおそらく公表されていません。

となると、国立公文書館で[82278]に書いたような昭和19年の人口調査資料を調べたのが間違いで、昭和20年の人口調査資料の方に、人口の増減が載っている可能性が残っており、調べるべきは昭和20年の人口調査資料ということになります。[76192]でむっくんさんに紹介して頂いた「昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区町村別人口」(pdf)には、残念ながら人口の増減は載っておりません。また「昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区別人口」(pdf)というのもオンラインで閲覧できますが、こちらにも人口の増減までは書かれておりません。
[85624] 2014年 5月 17日(土)01:57:36【4】YT さん
国勢調査における面積の遡及データの取り扱いの問題点:昭和60年の歯舞群島の面積改定の問題
沖縄県が復帰した後の昭和50年(pdf)と昭和55年(pdf)の国勢調査では、北方領土と竹島への意識が強く働いたのか、国勢調査の遡及データを含め、日本が実効支配していない地域の面積を含めて合計の数字を記載するようになります。その一方で人口密度を計算する際には、北方領土と竹島の面積を除いて計算するというルールが現在まで続いています。このほか、三島村・十島村は鹿児島県大島郡から鹿児島県鹿児島郡所属に変更、隠岐島穏地郡は隠岐郡となり、過去の遡及データも所属郡が変更されて再計算されています。

地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年昭和50年昭和55年
北海道88,775.0483,455.4383,481.8183,504.4283,507.3583,509.0383,512.8783,516.57
 得撫郡, 新知郡及び占守郡5,319.61
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.00
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.04
 色丹島 (色丹村)255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12
 根室市536.88536.88536.88504.81504.88518.52518.82518.91
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.59101.59101.59101.59101.59101.59101.59101.59
  その他の地域435.29435.29435.29403.22403.29416.93417.23417.32
 その他の地域78,024.3978,024.3978,050.7778,105.4578,108.3178,096.3578,099.8978,103.50
東京都2,144.802,148.492,137.262,133.032,135.112,141.112,145.382,156.35
 小笠原村102.94106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.14
 その他の地域2,041.862,042.352,031.122,026.892,028.972,034.972,039.242,050.21
島根県6,624.606,624.426,626.296,625.266,625.956,626.126,626.806,627.41
 隠岐郡348.03348.03347.84347.94347.94347.97348.15348.23
  五箇村51.8651.8651.6751.8051.8051.8051.9751.98
   竹島0.230.230.230.230.230.230.230.23
   その他の地域51.6351.6351.4451.5751.5751.5751.7451.75
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17296.18296.25
 その他の地域6,276.576,276.396,278.456,277.326,278.016,278.156,278.656,279.18
鹿児島県9,103.819,170.977,913.229,140.179,141.589,144.979,153.389,162.81
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,270.611,237.051,237.051,237.131,237.821,238.301,238.83
 鹿児島郡105.59206.31205.57205.61205.61205.61205.61205.61
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.6131.6131.6131.6131.6131.6131.61
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.5487.5487.5487.5487.54
  その他の地域87.1687.1686.4286.4686.4686.4686.4686.46
 その他の地域7,727.617,727.617,707.657,697.517,698.847,701.547,709.477,718.37
沖縄県2,386.242,388.223,625.272,388.222,388.222,239.222,245.872,249.91
その他42府県273,510.93273,510.44273,315.23273,359.98273,468.96273,648.23273,850.69273,995.04
全国382,545.42377,297.97377,099.08377,151.08377,267.17377,308.68377,534.99377,708.09

昭和50年、昭和55年の国勢調査の面積の遡及データを確認したことにより、実行支配していない地域の過去の面積については、実効支配に復帰した直後の面積で代用する(沖縄県を除く)という方針が定まっているのかと思いました。しかしならが昭和60年の国勢調査報告書を読んだ時(以下の面積の遡及データはオンラインでは確認できない)、この方針が破られていることに気づきました。


地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年昭和50年昭和55年昭和60年
北海道88,775.0483,455.4383,481.8183,504.4383,507.3683,509.0483,512.8783,516.5783,519.22
 得撫郡, 新知郡及び占守郡5,319.61
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.00
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.04
 色丹島 (色丹村)255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12
 根室市536.88536.88536.88504.82504.89518.53518.82518.91519.03
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60
  その他の地域435.28435.28435.28403.22403.29416.93417.22417.31417.43
 その他の地域78,024.3978,024.3978,050.7778,105.4578,108.3178,096.3578,099.8978,103.5078,106.03
東京都2,144.802,148.492,137.262,133.032,135.112,141.112,145.382,156.352,162.34
 小笠原村102.94106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.18
 その他の地域2,041.862,042.352,031.122,026.892,028.972,034.972,039.242,050.212,056.16
島根県6,624.606,624.426,626.296,625.266,625.956,626.126,626.806,627.416,628.42
 隠岐郡348.03348.03347.84347.94347.94347.97348.15348.23348.42
  五箇村/隠岐の島町51.8651.8651.6751.8051.8051.8051.9751.9851.98
   竹島0.230.230.230.230.230.230.230.230.23
   その他の地域51.6351.6351.4451.5751.5751.5751.7451.7551.75
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17296.18296.25296.44
 その他の地域6,276.576,276.396,278.456,277.326,278.016,278.156,278.656,279.186,280.00
鹿児島県9,103.819,170.977,913.229,140.179,141.589,144.979,153.389,162.819,165.03
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,270.611,237.051,237.051,237.131,237.821,238.301,238.831,239.38
 鹿児島郡105.59206.31205.57205.61205.61205.61205.61205.61205.63
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.6131.6131.6131.6131.6131.6131.6131.61
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.5487.5487.5487.5487.5487.54
  その他の地域87.1687.1686.4286.4686.4686.4686.4686.4686.48
 その他の地域7,727.617,727.617,707.657,697.517,698.847,701.547,709.477,718.377,720.02
沖縄県2,386.242,388.223,625.272,388.222,388.222,239.222,245.872,249.912,254.17
その他42府県273,510.93273,510.44273,315.23273,359.98273,468.96273,648.23273,850.69273,995.04274,071.96
全国382,545.42377,297.97377,099.08377,151.09377,267.18377,308.69377,534.99377,708.09377,801.14

昭和60年の国勢調査では、歯舞群島の面積が101.59 km2から101.60 km2に改定されています。それだけでなく、過去の歯舞群島の面積も101.60 km2に改定されています。その結果、まず昭和15年の現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされています。まあこれは『昭和十年 全国市町村別面積調』の面積が165.00 km2なので、そこから歯舞群島分の面積を引いたということで、トータルで±ゼロということでいいでしょう。

しかしながら、昭和25年の現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされています。これは昭和25年の国勢調査報告書の面積を、30年以上後になって改定した行為に相当します。一方で昭和30年~45年までの面積は、歯舞群島の面積のみに0.01 km2を加算した結果、総数も0.01 km2増えております。昭和50年以降は国勢調査自体が北方領土の面積を含める表記となったので、現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされていますが、根室市のトータルの面積は過去の国勢調査のままを保ちます。なぜ昭和60年の段階で、歯舞群島の面積を0.01 km2に改定しただけでなく、その過去の面積まで変えてしまったのか、しかも過去の国勢調査における実効支配内の市区町村の面積まで変えてしまうような改定を中途半端に行ったのか、たかが0.01 km2ですので丸め誤差の範疇ですが、その理由がわかりません。

なお平成2年以降の国勢調査の面積の遡及データは以下の通りですが、昭和60年以前の面積の遡及データを変更することなく現在まで続いています。竹島や北方領土の面積は頻繁に改定されているようですが、昭和60年の歯舞群島の面積改定とは異なり、過去の面積にまで修正がなされていません。

地域平成2年平成7年平成12年平成17年平成22年
北海道83,408.3583,451.5983,453.0483,455.7383,456.87
 得撫郡, 新知郡及び占守郡
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,184.043,184.043,184.043,184.04
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,498.831,498.831,498.831,498.83
 色丹島 (色丹村)255.12253.33253.33253.33253.33
 根室市514.21512.62512.64512.60512.72
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.6099.9499.9499.9499.94
  その他の地域412.61412.68412.70412.66412.78
 その他の地域77,999.9878,002.7778,004.2078,006.9378,007.95
東京都2,183.262,186.622,186.902,186.962,187.50
 小笠原村104.41104.41104.41104.41104.41
 その他の地域2,078.852,082.212,082.492,082.552,083.09
島根県6,626.246,706.706,707.296,707.566,707.95
 隠岐郡345.88345.97346.04346.19346.22
  五箇村/隠岐の島町52.3952.3952.39242.97242.95
   竹島0.230.230.230.230.21
   その他の地域52.1652.1652.16242.74242.74
  その他の地域293.49293.58293.65103.22103.27
 その他の地域6,280.366,360.736,361.256,361.376,361.73
鹿児島県9,183.269,185.999,186.719,187.699,188.78
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,238.661,239.791,240.021,240.231,240.39
 鹿児島郡219.69219.70219.70132.71132.71
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.3631.3631.3631.3631.36
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)101.35101.35101.35101.35101.35
  その他の地域86.9886.9986.99
 その他の地域7,724.917,726.507,726.997,814.757,815.68
沖縄県2,264.002,266.042,271.302,274.592,276.15
その他42府県274,072.00274,032.47274,067.82274,102.25274,132.85
全国377,737.11377,829.41377,873.06377,914.78377,950.10

この場合、昭和60年の国勢調査における歯舞群島の面積の改定に伴う、過去の面積の遡及データの改定は無かったものとして集計するべきなのでしょうか?

なお米軍占領下の琉球政府の国勢調査の面積については、追加修正で対応するしかない問題が見つかりましたが、これについては項を改めて後日まとめます。
[85623] 2014年 5月 17日(土)01:52:33【3】YT さん
国勢調査における面積の遡及データの取り扱いの問題点:遡及改定をどこまで考慮するべきか
国勢調査報告書に載っている面積を入力して行く内に、人口データでは余り意識を払わなかった問題が、面積データの場合にはそれなりに重要な問題と成り得ることが判りました。それは、国勢調査報告書に載っている面積が、その対象年度の国勢調査時における面積と、その後に出版された国勢調査に収録されている遡及データとしての過去の国勢調査時における面積とが一致しないケースが多々ある点です。特に問題となるのは、領土問題等で面積のデータが不足しているケースです。

まず『昭和25年 国勢調査報告 第8巻 最終報告書』記載の昭和25年の調査地域及び昭和15年以前の調査地域は以下の通りです。

地域昭和15年以前の調査地域昭和25年の調査地域
旧版図675,313.35368,284.15
 旧内地 (樺太を除く)382,470.03368,284.15
  沖縄県を除く46都道府県380,083.79368,284.15
   北海道88,801.4278,486.06
    根室支庁13,805.813,490.45
     泊村538.99
     留夜別村961.05
     色丹村255.12
     紗那村959.53
     留別村1,429.73
     蘂取村749.74
     得撫島1,468.68
     新知郡540.79
     占守郡3,310.14
     歯舞村165.0063.41
      水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
      その他の地域63.4163.41
     その他の地域3,427.043,427.04
    その他の地域74,995.6174,995.61
   東京都2,134.062,031.12
    八丈支庁82.3982.39
     宇津木村1.511.51
     島打村1.711.71
     青ヶ島5.295.29
     鳥島4.654.65
     その他の地域69.2369.23
    小笠原102.94
    その他の地域1,948.731,948.73
   島根県6,627.366,626.06
    穏地郡348.91347.61
     五箇村52.7451.44
      竹島1.30
      その他の地域51.4451.44
     その他の地域296.17296.17
    その他の地域6,278.456,278.45
   鹿児島県9,205.727,825.68
    大島郡1,411.6531.61
     十島村115.3931.61
      硫黄島, 竹島および黒島31.6131.61
      その他の地域83.78
     横当島3.88
     その他の地域1,292.38
    その他の地域7,794.077,794.07
   その他の42府県273,315.23273,315.23
  沖縄県2,386.24
 外地292,843.32
  樺太36,090.30
  朝鮮220,791.81
  台湾35,961.21
旧版図外5,611.25
 関東州3,462.45
 南洋群島2,148.80
合計680,924.60368,284.15

ここで「昭和15年以前の調査地域」とありますが、総面積の368,284.15 km2自体、京都府に関する面積改定
(A) 昭和28年9月に市町村面積の改測を行った結果第一巻に掲載の面積より市部(1.14方粁減)、郡部(3.09方粁増)、県計(1.95方粁増)がそれぞれ増減している。
が反映されておりますし、鹿児島県大島郡十島村の総面積である115.39 km2も、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の18.43 km2から改定されております(そもそも18.43 km2という面積が明らかに誤りですが)ので、これはあくまでも昭和25年国勢調査の結果をまとめた段階で、総理府統計局が把握していた最新の面積ということでしょう。

次に『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』の「調査の概要」(pdf)記載の昭和15年~昭和30年の面積と『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』記載の改定された昭和30年の面積をまとめると以下の通りになります。

調査地域昭和15年昭和20年昭和22年昭和25年昭和30年昭和30年改定
北海道88,775.0478,459.6878,459.6878,486.0678,664.4878,508.67
 根室支庁13,811.493,496.133,496.133,490.453,439.413,445.01
  得撫郡, 新知郡および占守郡5,319.61
  泊村, 留夜別村, 紗那村, 留別村および蘂取村4,639.04
  色丹村255.12
  歯舞村165.0063.4163.4163.4163.4063.40
   水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
   その他の地域63.4163.4163.4163.4163.4063.40
  その他の地域3,432.723,432.723,432.723,427.043,376.013,381.61
 その他の地域74,963.5574,963.5574,963.5574,995.6175,225.0775,063.66
東京都2,144.802,041.862,041.862,031.122,020.882,023.01
 小笠原村102.94
 その他の地域2,041.862,041.862,041.862,031.122,020.882,023.01
島根県6,624.606,623.306,623.306,626.066,625.046,625.04
 穏地郡348.03346.73346.73347.61347.71347.71
  五箇村51.8650.5650.5651.4451.5751.57
   竹島1.30
   その他の地域50.5650.5650.5651.4451.5751.57
  その他の地域296.17296.17296.17296.17296.14296.14
 その他の地域6,276.576,276.576,276.576,278.456,277.336,277.33
鹿児島県9,103.817,814.777,833.207,825.689,190.919,140.17
 大島郡および那瀬市1,289.0418.4331.611,411.531,356.20
  三島村 (硫黄島, 竹島および黒島)18.4331.6131.6131.61
  十島村および横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.54
  その他の地域 (奄美群島)1,270.611,292.381,237.05
 その他の地域7,814.777,814.777,814.777,794.077,779.387,783.97
その他の42府県273,510.93273,510.93273,510.93273,315.23273,264.58273,363.85
誤差0.890.89
380,159.18368,451.43368,469.86368,284.15369,765.89369,660.74
沖縄県2,386.24

●昭和15年の面積に沖縄県の面積を足した382,545.42 km2は『昭和十年 全国市町村別面積調』の総面積と完全に一致しています。なお昭和15年の鹿児島県大島郡十島村の面積18.43 kmは三島村(硫黄島, 竹島および黒島)を含んでの数字ですが、表記の都合上、上表では十島村にのみ18.43 km2を記入しております。
●昭和20年人口調査と昭和22年臨時国勢調査の誤差については
昭和15年の総面積から調査結果に含まれていない地域を除いた数値との間に0.89平方粁の誤差がある。
とありますが、そもそも昭和20年人口調査と昭和22年臨時国勢調査には市区町村別面積の情報が記載されておりませんので、今回ここでは検証しません。昭和22年の鹿児島県の面積には、なぜか大島郡十島村・三島村の総面積18.43 km2が加算されているのですが、これについては、三島村の項に追加しておきました。
●昭和25年の面積は、先の昭和25年国勢調査報告書のものと一致します。

このように『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』では、たとえ面積がおかしかろうが、「作成当時の」調査結果を尊重して表を作っていることが判ります。

一方昭和30年までに復帰した鹿児島県大島郡の面積1,411.53 km2は、昭和25年国勢調査報告書記載の1,411.65 km2に比べて0.12 km2減っておりますが、これは十島村の面積の減少(83.78 → 83.66 km2; 横当島の面積3.88 km2は変わらず)に相当します。なお昭和30年の国勢調査の面積は、最終的に『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』で一部改定されておりますが(オンラインでは閲覧できない)、このことが昭和35年(pdf)、昭和40年(pdf)、昭和45年(pdf)の国勢調査報告書記載の面積の遡及データにも影響を与えております。


調査地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年
北海道88,775.0478,459.6878,486.0678,508.6778,511.6078,513.28
 根室支庁および根室市13,811.493,496.133,490.453,445.013,445.083,458.71
  得撫郡, 新知郡および占守郡5,319.61
  泊村, 留夜別村, 紗那村, 留別村および蘂取村4,639.04
  色丹村255.12
  根室市536.88436.29436.29403.22403.29416.88
   水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
   その他の地域435.29436.29436.29403.22403.29416.88
  その他の地域3,060.843,059.843,054.163,041.793,041.793,041.83
 その他の地域74,963.5574,963.5574,995.6175,063.6675,066.5275,054.57
東京都2,144.802,041.862,031.122,026.892,027.372,141.11
 小笠原村102.94106.14
 その他の地域2,041.862,041.862,031.122,026.892,027.372,034.97
島根県6,624.606,623.306,626.066,625.036,625.726,625.89
 隠岐島348.03346.73347.61347.71347.71347.74
  五箇村53.1650.5651.4451.5751.5751.57
   竹島1.30
   その他の地域51.8650.5651.4451.5751.5751.57
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17
 その他の地域6,276.576,276.576,278.456,277.326,278.016,278.15
鹿児島県9,103.817,814.777,825.689,140.179,141.589,144.97
 大島郡および那瀬市1,289.0431.611,356.201,356.281,356.97
  三島村 (硫黄島, 竹島および黒島)31.6131.6131.6131.61
  十島村および横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.54
  その他の地域1,270.611,237.051,237.131,237.82
 その他の地域7,814.777,814.777,794.077,783.977,785.307,788.00
その他の42府県273,510.93273,510.93273,315.23273,359.98273,470.56273,648.23
誤差0.89
380,159.18368,451.43368,284.15369,660.74369,776.83370,073.48

昭和35年以降の国勢調査の面積の遡及データでは、奄美群島の昭和20年~25年の面積が、復帰直後の昭和30年の改定版面積に置き換わってしまっています。つまり昭和30年以降の統計局の方針は、国勢調査の対象外だった地域の過去の面積については、復帰直後の国勢調査時の面積に置き換えるというものになったように見えます。なお昭和35年まで、復帰した小笠原、奄美群島を含め、日本が実行支配していなかった時期の地域の面積は過去のデータも総計から除外していたようです。また歯舞村は根室市に合併され、過去の面積のデータも根室市で再計算されています。
[85612] 2014年 5月 13日(火)21:52:36【3】YT さん
昭和19年の人口調査における東京都の区部の人口
昭和19年2月22日に日本の内地では、配給制度への備えを目的として銃後人口の人口調査を実施しました。その時の市町村別人口の詳細は戦後に『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)として出版されておりますが、[82202]に示したように、東京都の人口に関しては、1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまっております。

これに関し今日、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞で、戦中・戦後の人口に関する記事を調べたところ、昭和20年11月22日の朝日新聞の東京版朝刊において、昭和20年11月1日の人口調査の結果(都道府県・市・区別のみ)とともに、昭和19年の人口調査に対する増減が記述されていることを見出しました。つまりこの朝日新聞の記事の数字を使えば、昭和19年2月22日の東京都の当時の区部別人口が一応計算できることになります。

朝日新聞の新聞記事の数字(S20人口、増減)と、この記事により算出可能な昭和19年人口(S19計算値)『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の数字(S19文献値)と市区名(対応する地区)、及び人口の一致の有無をまとめると以下の通りになります。

地区S20人口増減S19計算値S19文献値対応する地区一致
旧東京2,777,010-3,800,6106,577,6206,558,161特別区部×
八王子63,192-14,28677,47877,478八王子市
立川34,586-17,03851,62451,624立川市
麹町区17,976-30,48148,457150,748千代田区
神田区26,436-75,855102,291千代田区
日本橋区22,876-50,94773,823188,871中央区
京橋区53,344-61,704115,048中央区
芝区67,116-96,080163,196291,997港区×
麻布区20,697-59,00279,699港区×
赤坂区8,791-3,99212,783港区×
四谷区11,245-56,58367,828359,601新宿区
牛込区20,771-95,045115,816新宿区
小石川区43,444-97,863141,307270,993文京区
本郷区49,304-80,282129,586文京区
下谷区59,988-109,441169,429403,420台東区
浅草区24,581-209,410233,991台東区
本所区12,753-228,296241,049438,114墨田区
深川区14,094-196,759210,853396,337江東区
品川区89,782-124,492214,274395,770品川区×
目黒区121,333-81,200202,533202,533目黒区
荏原区53,708-127,789181,497品川区×
大森区160,865-136,896297,761564,784大田区
蒲田区52,135-214,888267,023大田区
世田谷区276,450-27,023303,473303,473世田谷区
渋谷区84,067-155,432239,499239,499渋谷区
淀橋区51,090-124,867175,957新宿区
中野区124,011-92,713216,724216,724中野区
杉並区211,229-48,517259,746259,746杉並区
豊島区92,192-209,865302,057302,057豊島区
滝野川区36,494-88,541125,035341,552北区
荒川区84,010-250,370334,380334,380荒川区
王子区101,807-114,710216,517北区
板橋区217,974-53,152271,126271,226板橋区+練馬区
足立区172,437-78,116250,553250,553足立区
向島区64,842-132,223197,065墨田区
城東区11,114-174,370185,484江東区
葛飾区171,557-10,017181,574181,574葛飾区
江戸川区146,497-47,712194,209194,209江戸川区
区部合計2,777,010-3,744,6336,521,6436,558,161特別区部×


八王子市と立川市、そして東京特別区部の大部分で、新聞記事から求められる数字と『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の人口が一致しますが、品川区+荏原区→品川区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも1人多く、麻布区+赤坂区+芝区→港区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも36,319人足りません。おそらく赤坂区の人口減少の数字が桁落ちして印刷されているのでしょう。実際各区の減少分を合計(3,744,633)しても、旧東京全体の減少分(3,800,610)と一致しません。なお新聞記事から求めることが可能な昭和19年の特別区部の人口(6,577,620または6,521,643)は、『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の昭和19年の特別区部の人口(6,558,161)とも微妙に異なります。

まあ一応は、麻布区、赤坂区、芝区以外の昭和19年人口調査における区別人口はほぼ確定しました。

官報の方では11月26日に、郡市区別人口が公表されておりますが、ここには人口の増減が載っておりません。11月23日に、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞が一斉に昭和20年11月1日付の人口調査の結果速報を発表しているということは、官報よりも先にメディアに公開された情報があり、そこに昭和19年の人口との比較が載っていたのでしょうか(毎日・読売の記事には昭和19年の人口との比較が載っていない)?それとも朝日新聞は独自に昭和19年の人口との比較をしたのでしょうか?

[82278]にも書いたように、国立公文書館で昭和19年人口調査関連の資料に一通り目を通しましたが、何れも市区町村別人口の情報が記載されていませんでした。また東京都公文書館の統計資料室に問い合わせた限りでは、該当するような資料は保管しておりませんでした。あと調べていないのは東京都公報ですが、こちらは立川にある都立多摩図書館にマイクロフィルムとして収められているのがほぼ唯一?の全閲覧可能な資料状態で、載っているかも分からない情報を端から端まで調べるのは大変そうです。
[85609] 2014年 5月 13日(火)01:23:24YT さん
北方領土・竹島の面積の扱い
余り政治的な話には立ち入りたくないのですが、国勢調査における北方領土・竹島の面積の扱いが時代とともに変化しているようです。

昭和25年から昭和45年の国勢調査までは、北方領土と竹島の面積は日本全国の面積に含んでおりません。しかしながら昭和50年以降の国勢調査からは、歯舞諸島を根室市に、他3島を北海道の郡部に、竹島を島根県隠岐郡五箇村の面積に加算するように変更がなされております(昭和50年国勢調査令(昭和50年4月10日政令第114号))。しかも厄介なことに、昭和50年以降の国勢調査では、面積の集計には含めるものの、人口密度の算出には面積に含めないという、面倒な計算方法が今日まで続いているようです。

北方領土・竹島の面積について、昭和25年~昭和40年の国勢調査においても遡って同様の修正をするべきなのか、面積の問題は人口問題以上に微妙な問題を含んでおります。
[85605] 2014年 5月 11日(日)00:49:48【2】YT さん
1965年、1970年の国勢調査の面積の問題点
[85587]に引き続き、1965年、1970年の国勢調査における面積を入力しましたが、現時点で最大の問題は、国勢調査報告書の面積に誤りが多すぎる点です。現在統計局のサイトから一通りの報告書をダウンロードできますが、総てをダウンロードできるわけではありません。例えば昭和40年の国勢調査の場合、ダウンロードできるのは1巻だけですが、こちらを使って市区町村別面積を入力したところ、合計が合わないという問題が発生しました。どうも東京都の面積に1.60 km2のズレが生じる問題があるようですが(これとは別に1巻では鳥島の面積の表中での扱いに誤りがある)、オンラインでは訂正をまとめたページも確認できないし、1巻のpdfだけでは問題が解決しませんでした。そこで昨日図書館で『昭和40年 勢調査全国都道府県市区町村人口総覧 都道府県の部 その13 東京都の人口』を閲覧し、結果23区の一部の面積等が改訂されていることを確認しました。ただ1巻の訂正をまとめた資料の存在を確認できませんでした。

それよりもひどいのが、昭和45年の国勢調査報告書です。pdfの質が悪いだけではなく、面積のデータでは、実際にフォント上で「5」と「6」の活字が30箇所以上間違っています。これは原稿を書いた人が悪筆だったせいなのでしょうか?あるいは人口はチェックしていても、面積の方までは再チェックがされなかったせいなのでしょうか?間違いの箇所の半分以上は人口密度を再計算することで正しい数字を見積もれますが(つまり原稿段階では正しい面積と人口密度が計算されていた)、小数点以下第二位の数字が間違っている場合は計算しても違いがでないことが多く、その場合は前後の年の国勢調査の面積を比較して正しそうな数字を選んでいますが、とにかく間違いが多過ぎです。

内容の方で昭和40年の国勢調査で問題になりそうなのが、秋田県南秋田郡大潟村の面積です。人口の方は16人と、郡別人口の方に集計されていますが、面積の方は、

2) 八郎潟の面積(218.62 km2)のなかに含まれている。

とあり、その八郎潟の面積の方は市郡別面積の方には加算されていません。正しい解釈としては昭和40年10月1日の時点で開拓が済んだ面積をどっから持ってくる必要がありますが、[85587]で示した、岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部(人口は岐阜県郡部に加算されているが、面積は都道府県別や郡部・市部から除外)、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域(人口は都道府県別や郡部・市部から除外されているが、面積は各県の郡別・市別に分割)と同じように、改訂すると郡市別・都道府県別面積の数字が変わってしまう問題を含んでいます。現時点でこれらのケースについては、国勢調査報告書の県別・市郡別のグルーピングを尊重し、面積の再分配は止めた方がいいのかも知れません。

また[85604]のケースや、[85587]で示した富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積(これは昭和40年・昭和45年の国勢調査でも継続して問題となる)については再分配するべきなのか、まだ意見がまとまっていません。

とりあえず面積というのは自分が予想していた以上にいい加減なデータのようです。地積を積み上げてビルドアップで計算するのではなく、全体の地図を作製して、そこからビルドダウンで計算するのが基本のようです。有効となる数字も小数点以下第二位なのか小数点以下第三位なのかよく分かりませんが、国土地理院の方法によると万5千分の1の地図を使用とあるので、0.01 km2 = 1 haは、4 mm×4 mm四方となり、小数点以下第三位まで見積もるのには適していませんね。少なくともビルドダウンで計算した結果、丸め誤差が発生しないように分配されてしまっているようです。まあそもそも水平面って何なのでしょう?満潮干潮はどこまで考慮するのか、測量ではブーゲー異常を考慮するのか、多分これを調べ出すと、それだけで一冊の本ができそうですね。
[85604] 2014年 5月 11日(日)00:14:47YT さん
昭和25年において市町村別面積が示されていない地域の面積の分割試算
[85559]で、東京都新島若郷村と新島本村の面積が『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その13 東京都』において合計となっている問題を指摘しましたが、改めて東京都統計年鑑を見たところ『第1回 東京都統計年鑑』(昭和27年、人口は昭和28年1月1日調)と『第2回 東京都統計年鑑』(昭和28年、人口は昭和28年1月1日調)において、人口密度が若郷村と新島本村とで異なることに気付きました。つまり東京都総務局統計部では、面積は合計で表しつつ、人口密度算出の際には独自に面積を決めていることになります。そこで人口密度から面積を逆算してみますと:

都道府県年月日人口人口密度面積最小値面積最大値下2桁有効と仮定した場合の面積
東京都新島若郷村1953.1.15873491.67951.68441.68
東京都新島本村1953.1.14,36016825.875426.029925.88~26.02
東京都新島若郷村1954.1.15633351.67811.68311.68
東京都新島本村1954.1.14,29116625.771825.927525.78~25.92

よって東京都統計年鑑からは、新島若郷村1.68 km2と新島本村25.90 km2 (合計27.58 km2より1.68 km2を除することで算出)が確定しました。

また石川県河北郡金津村・高松町について、『昭和26年 石川県統計書』によると

都道府県町村面積
石川県河北郡金津村8.00
石川県河北郡高松町13.20

面積の合計は21.20 km2であり、こちらも一応石川県統計書による面積が確定しました。

昭和25年において市町村別面積が示されていない地域([85559]参照)について、残りについても面積を分割算出しようと地方統計書の類と比較検討してみましたが、他は残念ながら重大な問題がありました。

まず埼玉県児玉郡阿久原村・渡瀬村について『昭和29年 埼玉県統計年鑑』によると

都道府県町村面積
埼玉県児玉郡阿久原村7.4
埼玉県児玉郡渡瀬村4.9

面積の合計は12.3 km2です。埼玉県統計年鑑の面積は下一桁までであり、桁落ちしておりますが、一応合計の数字は1950年国勢調査報告書の12.30 km2と一致します。

次に岐阜県加茂郡旧富岡村村の件ですが、『昭和23年 岐阜県統計書』、『昭和24年 岐阜県統計書』、『昭和25年 岐阜県統計書』、『昭和26年 岐阜県統計書』と『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』における、関連する市町村の面積を並べると以下の通りです。

都道府県町村県統S23県統S24県統S25県統S26面積S10国勢S25
岐阜県加茂郡富岡村10.2310.2310.23
岐阜県加茂郡富田村6.7610.4810.4810.486.766.76
岐阜県武儀郡関町28.9139.2710.78
岐阜県関市57.3265.832.40
岐阜県武儀郡瀬尻村8.20
岐阜県武儀郡倉知村9.93
岐阜県山県郡千疋村3.473.473.47
岐阜県加茂郡田原村18.4314.5818.4318.44
岐阜県武儀郡下有知村8.488.488.488.488.48
岐阜県上記合計76.2876.2876.2876.2876.2876.31


岐阜県統計書の方はこれらの地域で少なくとも昭和26年まで『昭和十年 全国市町村別面積調』の数字を使い続けており、昭和25年の国勢調査で一部改訂された面積の数字が使われておりません。実際昭和25年の国勢調査の面積は『昭和十年 全国市町村別面積調』の面積に比べ、加茂郡俵村・武儀郡旧関町・旧瀬尻村・倉知村の合計で0.03 km2増えています。しかしながら、旧富岡村と旧富田村の面積は、昭和25年の国勢調査でも同じであり、よって昭和25年国勢調査の旧富岡村の面積10.23 km2の内、3.72 km2が加茂郡富田村に入り(合計10.48 km2)、残りの6.51 km2が武儀郡関町に入った(合計38.91 km2)と、当てはめることが可能です。

なお昭和24年10月1日の加茂郡富岡村の廃止に先立ち、昭和23年12月10日に加茂郡田原村の一部(昭和22年臨時国勢調査で278人)が武儀郡田原村に編入されています。『昭和24年 岐阜県統計書』では田原村の面積が3.85 km2ほど減り、その分が昭和24年武儀郡関町に加算されておりますが、一方で『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』では、田原村の一部の編入が考慮されているようには見えず、国勢調査報告書の面積が明らかに間違っています。が、このような誤りは一々チェックしたら切りが無いので見なかったことにします。

一方問題となるのが岐阜県安八郡旧北平野村の件です。『昭和24年 岐阜県統計書』、『昭和25年 岐阜県統計書』、『昭和29年 岐阜県統計書』、『昭和30年 岐阜県統計書』と『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』、『昭和30年 国勢調査報告 第1巻 人口総数』における、関連する市町村の面積を並べると以下の通りです([85559]で安八郡本郷村・池田村と書いてしまった箇所がありますが、揖斐郡の間違いです)。

都道府県郡市町村県統S24県統S25県統S29県統S30面積S10国勢S25国勢S30
岐阜県安八郡北平野村3.783.783.76
岐阜県安八郡神戸町5.238.578.5718.155.235.2017.99
岐阜県安八郡南平野村4.924.924.924.924.89
岐阜県安八郡下宮村5.685.685.685.685.65
岐阜県不破郡赤坂町5.075.075.0715.625.075.0815.40
岐阜県不破郡青墓村9.539.539.539.539.55
岐阜県揖斐郡池田村4.034.03
岐阜県揖斐郡本郷村9.539.53
岐阜県揖斐郡温知村14.0014.0013.55
岐阜県揖斐郡八幡村12.0912.0912.0912.0912.08
岐阜県揖斐郡宮地村9.129.129.129.129.11
岐阜県揖斐郡池田町35.2135.54
岐阜県上記合計68.9868.9868.9868.9868.9868.8768.93

関連する境界異動は以下の通りです。

昭和25年4月1日安八郡北平野村を廃し、その区域を分割し一部を同郡神戸町に編入し、残部を揖斐郡池田村に編入
昭和25年8月1日揖斐郡本郷村と池田村を廃し、その区域をもって同郡温知村を設置
昭和29年4月1日安八郡南平野村、神戸町、及び下宮村を廃し、その区域を分割し、
南平野村の一部を不破郡赤坂町に編入し、残部をもって安八郡神戸町を設置
昭和29年5月1日揖斐郡温知村を廃し、その区域をもって同郡池田村を設置
昭和29年5月1日揖斐郡池田村を廃し、その区域をもって同郡池田町を設置
昭和29年9月1日不破郡赤坂町及び青墓村を廃し、その区域をもって同郡赤坂町を設置
昭和30年4月1日揖斐郡池田町、八幡村、及び宮地村を廃し、その区域をもって同郡池田町を設置

岐阜県統計書の方はこれらの地域で少なくとも昭和30年まで『昭和十年 全国市町村別面積調』の数字を使い続けているのに対し、国勢調査の方では昭和25年と昭和30年の直前に改訂作業が行われています。とりあえず昭和25年国勢調査と岐阜府県統計書の面積の違いを比較すると、旧北平野村・神戸町・池田村・本郷村の合計で0.06 km2、昭和25年国勢調査の方が面積が減っております。旧北平野村だけで0.02 km2、神戸町だけで0.01 km2、池田村・本郷村の合計で0.01 km2減っております。『昭和24年 岐阜県統計書』・『昭和25年 岐阜県統計書』だけで判断すると、旧北平野村3.78 km2の内、神戸町に異動した面積は3.34 km2、温知村に異動した面積は0.44 km2となりますが、ここから昭和25年国勢調査の面積に合わせるには、0.02 km2の面積を両者から除する必要があります。諦めて按分()で判断すると、0.02 km2分は総て神戸町側に異動した分(3.34 km2 × 3.76/3.78 ≒ 3.32 km2)となり、よって昭和25年の国勢調査における面積は、安八郡神戸町が8.52 km2、揖斐郡池田町が13.99 km2となります。

北海道に関しては『昭和25年刊 北海道市町村市勢要覧』、『昭和27年刊 北海道市町村市勢要覧』という資料を閲覧できましたが、それぞれ面積についてはkm2から下三桁までしめされており、項目のうち総面積民有地細別について

冊子基本法規出どころ調査年月日
昭和25年刊丑統第836号通牒による市町村報告昭和24年8.1
昭和27年刊26統第508号通牒による市町村報告昭和26年4.1

とあります。「市町村報告」がいかなる資料なのか、現時点で私には判断がつきません(わかる方がいらしたら教えてください)。

まず北海道常呂郡佐呂間村と同郡若佐村に関しては、下三桁で示されている『昭和25年刊 北海道市町村市勢要覧』の面積を四捨五入すれば、昭和25年国勢調査の面積と同じとなり、一応面積は以下のように求まります。

都道府県町村統S25国勢S25按分
北海道常呂郡若佐村151.409n.a.151.41
北海道常呂郡佐呂間村224.708376.12224.71
北海道常呂郡上記合計376.117376.12376.12

しかしながら、その他、北海道空知郡砂川町・上砂川町・歌志内町、上川郡朝日村・上士別村・上川郡、河西郡中札内村・更別村・大正村・中川郡幕別町・広尾郡忠類村・大樹村の三ケースでは、北海道市町村市勢要覧記載の面積と国勢調査記載の面積が異なります。あえて面積を出そうとするなら、以下のように按分する必要があります。

都道府県町村統S25国勢S25按分
北海道空知郡砂川町73.477116.1072.65
北海道空知郡上砂川町45.700n.a.45.19
北海道空知郡歌志内町57.29858.3956.65
北海道空知郡上記合計176.475174.49174.49

都道府県町村統S27国勢S25按分
北海道上川郡朝日村511.124n.a.511.13
北海道上川郡上士別村165.750676.88165.75
北海道上川郡上記合計676.874676.88676.88

都道府県町村統S27国勢S25按分
北海道河西郡中札内村290.184n.a.288.74
北海道河西郡更別村181.348n.a.180.44
北海道河西郡大正村120.394558.76119.79
北海道中川郡幕別町339.828364.20338.13
北海道広尾郡忠類村203.440n.a.202.43
北海道広尾郡大樹村627.237830.68624.11
北海道三郡上記合計1,762.4311,753.641,753.64


次に岡山県小田郡白石島村・神島外村に関して昭和25年から昭和30年までの『岡山県統計書』などをチェックしましたが、残念ながら昭和29年以前に関しては市町村別面積が記載されておらず、記載されてるのは民有地・官有地などの地目別面積(単位:町)のみです。この場合、固定資産税の対象となる地積のみの面積ですので、所有者の存在しない土地の面積が含まれません。『岡山県統計書』では昭和30年以降に町村別の面積が記載されるようになりますが、岡山県小田郡白石島村と神島外村は昭和30年4月1日に共に笠岡市に編入されており、『昭和30年 岡山県統計書』では既に両村の面積が記載されていません。そこで地積から無理矢理按分して面積を求めてみたところ、以下のようになります。

都道府県町村統計S25(町)km2換算国勢S25按分
岡山県小田郡神島内村446.54.42809910.608.38
岡山県小田郡白石島村118.01.170248n.a.2.22
岡山県小田郡上記合計564.55.59834710.6010.60

最後に島根県に関し、『昭和23年 島根県統計書』や『昭和28年 a島根県統計書』を閲覧しましたが郡別の地積の情報はあっても、町村別の面積・地積の情報は全くありません。島根県簸川郡朝山村は昭和30年3月22日に出雲市に編入されておりますが、それでも敢えて昭和30年の国勢調査の数字から逆算で計算しようとすると以下のようになります。

都道府県市郡町村国勢S25国勢S30S25年の面積へ按分
島根県簸川郡窪田村39.6948.6048.37
島根県簸川郡旧乙立村27.11
島根県簸川郡朝山村26.78
島根県出雲市57.56138.65137.98
島根県簸川郡稗原村21.41
島根県簸川郡上津村13.80
島根県1市1郡上記合計186.35187.25186.35

すなわち島根県簸川郡旧乙立村の面積27.11 km2の内、8.68 km2が窪田村(39.69 + 8.68 = 48.37 km2)に異動し、残りの18.43 km2が朝山村(26.78 + 18.43 = 45.21 km2)に異動したと、強引に推測できます。

このように、岐阜県の一部、北海道、岡山県、島根県に関しては、昭和25年の国勢調査で合計などでしか示されてない面積を無理に町村別に算出しようとすると、ある程度恣意性を排除することが出来ないことになります。
[85587] 2014年 5月 7日(水)02:04:44【2】YT さん
1960年の市区町村別面積の問題点
まず[85559]冒頭の備考の説明の番号が間違っているので訂正します。

(B) 十和田湖(59.86 km2)を含む。
に対応するのは全国計で、

(C) 十和田湖(59.86 km2)を含まない。
に対応するのは青森県・秋田県で、

(D) 宍道湖 (82.32 km2)は市部・郡部の面積に含まない
に対応するのは島根県です([85559]では(B)になっている)。

文章を書いている途中で後から十和田湖の面積の脚注を追加したので、番号がずれてしまいました。

現時点で昭和35年(1960年)の市区町村別人口を入力し終えたところですが、その面積にも3つほど問題となる箇所がありました。

1960年国勢調査における都道府県別・市郡別面積をまとめると以下のようになります。

都道府県合計市部郡部その他備考
全国369,660.7482,559.42285,577.661,446.34
北海道78,508.6710,207.5568,301.12
青森県9,612.652,225.917,324.0262.72小川原湖
岩手県15,274.463,987.0611,287.40
宮城県7,285.711,187.396,098.32
秋田県11,608.971,823.539,566.21219.23八郎潟
山形県9,325.152,983.136,342.02
福島県13,779.821,886.2011,789.66103.96猪苗代湖
茨城県6,087.921,562.884,525.04
栃木県6,419.441,959.634,459.81
群馬県6,349.961,033.975,315.99
埼玉県3,799.831,388.822,411.01
千葉県5,034.431,530.973,503.46
東京都2,026.891,030.55996.34
神奈川県2,361.371,277.991,083.38
新潟県12,575.333,452.659,122.68
富山県4,252.03970.733,281.30
石川県4,193.921,656.962,509.9826.98邑知潟 (3.96); 河北潟 (23.02)
福井県4,187.381,496.562,690.82
山梨県4,463.481,114.793,348.69
長野県13,581.562,591.6210,975.7814.16諏訪湖
岐阜県10,521.821,535.488,986.34
静岡県7,768.822,448.495,255.4464.89浜名湖
愛知県5,057.481,887.033,170.45
三重県5,765.811,866.703,899.11
滋賀県4,016.00443.722,877.78694.50琵琶湖
京都府4,612.072,026.012,586.06
大阪府1,831.471,312.94518.53
兵庫県8,329.922,371.515,958.41
奈良県3,692.15630.783,061.37
和歌山県4,714.99565.614,149.38
鳥取県3,488.39501.972,986.42
島根県6,625.031,490.855,052.3781.81宍道湖
岡山県7,059.931,685.705,357.5816.65児島湾干拓第7区
広島県8,431.231,525.256,905.98
山口県6,073.102,071.034,002.07
徳島県4,142.85541.243,601.61
香川県1,859.36391.331,468.03
愛媛県5,651.181,527.954,123.23
高知県7,104.241,990.385,113.86
福岡県4,900.771,491.323,409.45
佐賀県2,403.50888.911,514.59
長崎県4,086.381,121.752,964.63
熊本県7,371.411,373.215,998.20
大分県6,312.431,406.624,905.81
宮崎県7,732.511,786.535,945.98
鹿児島県9,140.172,308.226,831.95
十和田湖59.7759.77青森県・秋田県に含まず
中海101.67101.67鳥取県・島根県に含まず
岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部77.3277.32福井県・岐阜県に含まず

続いて3つの問題点を列挙しますと:

(1) 岐阜県郡上郡白鳥町へ異動した旧石徹白村の領域(住民あり)の取り扱い

まずは福井県大野郡旧石徹白村です。大野郡石徹白村は昭和30年の国勢調査によると人口1,402人、面積103.07 km2ですが、昭和33年10月14日に石徹白村の一部(105人、25.75 km2)が福井県大野郡和泉村(昭和35年の面積 332.26 km2 = 旧下穴馬村128.29 km2 + 旧上穴馬村 178.22 km2 + 旧白鳥町 25.75 km2)となります。そして翌日の昭和33年10月14日に、白鳥町の残りの地区(1,297人、77.32 km2)が岐阜県群上郡白鳥町(昭和35年の面積 118.78 km2)となっております。

これに関して昭和35年国勢調査報告によると、

3) 岐阜県郡上郡白鳥町の面積のうち,昭和33年10月15日同町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の面積は,全国の面積に含まれているが,境界不明のため,岐阜県および白鳥町の各面積には含まれていない。

とあり、人口1,297人が住んでいる77.32 km2の帰属をはっきりさせておりません。ただし昭和35年の国勢調査報告書の方では、13,658人中1,297人分が住んでいる土地を無視して、そのまま人口密度を計算しています(13,658人/118.78 km2 ≒ 115.0 人/km2)。

昭和40年(1965年)の国勢調査では、岐阜県郡上郡白鳥町の面積は196.24 km2(昭和35年より77.42 km2増加)、福井県大野郡和泉村の面積は332.26 km2(昭和35年と同一)となっており、77.32 km2の土地はそのまま岐阜県郡上郡白鳥町に加算されていることになります(残りのプラス0.10 km2は、昭和36年4月1日に大和村の一部が白鳥村へ人口異動なしに境界変更されたことに対応すると考えられます)。よって旧石徹白村の面積77.42 km2は、昭和35年の時点で岐阜県郡上郡白鳥町に加算して問題ないように思えるのですが、国勢調査の方を優先するべきか悩ましいところです。

(2) 岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の面積
御存じのように昭和35年の国勢調査の場合、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の人口79人が岐阜県と長野県の人口に加算されておりません。

2) 岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の人口 (79人) は,全国計に含まれているが,岐阜県および長穏県のいずれにも含まれていない。

ところがこの境界紛争地域の面積については何ら言及がなく、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間で分割されているように見えます。

(1)の場合は、人口を分割しているのに、面積の分割を完了していないことになりますが、(2)の場合は、逆に面積を分割しているのに、人口を分割していないケースということになります。

(3) 下新川郡宇奈月町・朝日町の面積

昭和30年の国勢調査では、富山県下新川郡宇奈月町の面積424.82 km2、富山県下新川郡朝日町の面積146.76 km2と分割されておりました(合計571.58 km2)。その後昭和34年1月1日に朝日町の一部(昭和30年の人口1355人)が下新川郡舟見町(昭和30年の面積12.20 km2)へ異動しておりますが、さらに舟見町は同日昭和34年1月1日に下新川郡入善町(昭和30年の面積56.33 km2)に吸収されております(昭和35年の入善町の面積71.58 km2で、15.25 km2の増加)。よて昭和34年1月1日に朝日町から入善町へ異動した面積は3.05 km2と推測されます。

ところが昭和35年の国勢調査では、下新川郡宇奈月町・朝日町の面積は示されず、人口密度も空欄となっております。脚注によると


2) 下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の境界未定。同町の各面積も測定不能。(両町の合計面積は 568.61 km2)。

とあります。昭和30年の国勢調査と比べて2.97 km2面積が減っており、朝日町から入善町への異動で面積が3.05 km2で減少したのほかに、0.08 km2の面積が増えたことになりますが、この辺は昭和30年の国勢調査において、

一部調査未了のため総理府統計局において推定した。

ことに伴う誤差と考えられます。

そこでより新しい国勢調査の面積を使って、下新川郡宇奈月町・朝日町の面積を推定できるのではないかと期待して、より新しい国勢調査の報告書をチェックしたところ、なんとこの面積の問題は昭和40年・昭和45年・昭和50年の国勢調査においても続いていることが分かりました。昭和40年の国勢調査報告書によると

2) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和45年の国勢調査報告書によると

3) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和50年の国勢調査報告書によると

2) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和35年・昭和40年・昭和45年・昭和50年の国勢調査では、何れも両町の面積と人口密度は空欄となっております。昭和55年の国勢調査でようやく宇奈月町341.20 km2、朝日町227.41 km2という数字に落ち着いています(合計568.61 km2)。奇しくもこの地区に関しては1980年まで1960年の合計面積を使いまわしていたことが判明しましたので、結果として1960年まで遡って宇奈月町341.20 km2、朝日町227.41 km2を適用することも可能に見えますが、その一方でわざわざ20年近くにわたり、国勢調査では宇奈月町と朝日町の面積を確定せずに放置し続けていたのも事実です。これも国勢調査表記を優先する場合にはどのようにまとめるべきなのか、悩ましいところです。

【追記:タイトルが『「1950年」の市区町村別面積の問題点』となっていたので、「1960年」に修正しました。また白鳥町の所属郡が一部間違っていたので訂正。】
[85568] 2014年 5月 5日(月)22:32:20YT さん
国勢調査報告の変遷情報等では、日野郡江尾町と西伯郡外江町の町制施行日を取り違えている?
[85566] 白桃 さん
[85567] MI さん
鳥取県告示第四百九十二号
日野郡江尾村を江尾町とし昭和二十二年十一月一日から及び西伯郡外江村を外江町とし同年十一月三日から施行することを夫々同年十月八日許可した。
  昭和二十二年十月三十一日
    鳥取県知事 西尾愛治
 手許で確認した限り、これに関する「正誤」は出ておりません。とすれば、江尾村から江尾町への町制施行日は1947年10月1日でも11月3日でもなく「11月1日」が正当ということになります。YT さんご確認の「国勢調査報告」や上記「鳥取県の市町村変遷」は、この告示文を読み誤ったということになるのでしょうか。


この件に関して『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』から[85558]で紹介した前後の文章を見ると、

28) 昭和22. 11. 1. 西伯外江村を外江町とする。((4 270―昭和22.10.1 人口、この項以下同じ。) 備考 昭和15 (3 186)、昭和10 (3 379)、昭和5 (3 552)、大正14 (3 429)、大正9 (3 015)
29) 昭和22. 11. 3. 日野郡江尾村を江尾町とする。((2 705) 備考 昭和15 (2 321)、昭和10 (2 388)、昭和5 (2 512)、大正14 (2 221)、大正9 (2 529))

となっております。変遷情報に関しては広報等を優先するべきで、MIさんが指摘されたように日野郡江尾町の町制施行は昭和22年11月1日(現在鳥取県の変遷情報#82では1947(S22).10.1となっている)、西伯郡外江町の町制施行は昭和22年11月3日(現在鳥取県の変遷情報#83では正しく1947(S22).11.3となっている)とするのが正しいでしょう。

『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』と『鳥取県の市町村変遷』は、共に日野郡江尾町と西伯郡外江町をセットで日付を取り違えてしまっているように見えます。おそらく鳥取県の市町村変遷』が、参考文献としての『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』の記述の誤りを引き継いでしまったのではないでしょうか。
[85563] 2014年 5月 5日(月)10:05:24【1】YT さん
昭和15年10月~昭和22年9月までの福岡市の変遷情報
[85561] 白桃 さん

「1955年の国勢調査人口の要修正箇所・および変遷情報の要修正箇所」について(まだ十分に拝見させて頂いたわけではありませんが)、少なくとも上記の部分は明らかに間違いだと思います。


ご指摘ありがとうございます。自分も国勢調査報告書が完全なものだとは思っていません。

330,377という数字は、1940年(昭和15年)の福岡市、箱崎町、壱岐村、残島村、今宿村の人口の合計ですが、福岡市はその後、1942年に今津村を編入しております。今津と彦山を取り違えたのではないでしょうか?


ご指摘の通り、330,377という数字は、1940年(昭和15年)の福岡市(306,763)、箱崎町(16,454)、壱岐村(3,585)、残島村(917)、今宿村(2,658)の合計に相当します。『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その40 福岡県』から昭和15年10月~昭和22年9月の変遷情報の内、福岡市がらみの数字を抜き出すと、以下のようになっています([85558]で田川郡彦山村の変遷情報を51番目と書いてしましましたが、正確には81番目です)。

75) 昭和15. 12. 26. 糟屋郡箱崎町 (16 454―昭和15. 10. 1 人口、この項以下同じ。) を廃し、その区域を福岡市 (306 763…計 323 217) に編入。(備考 箱崎町 昭和10 (14 635)、昭和5 (11 945)、大正14 (8 926)、大正9 (7 145))

80) 昭和16. 10. 15. 早良郡壱岐村 (3 585)、残島村 (917) 及び糸島郡今宿村 (2 658) を廃し、その区域を福岡市 (323 217…計 330 377) に編入。

(備考)昭和 10昭和 5大正 14大正 9
早良郡 壱岐村3 5663 2843 0682 940
早良郡 残島村956806805813
糸島郡 今宿村2 6832 5992 5432 593


81) 昭和17. 2. 11. 田川郡彦山村 (3 426) を廃し、その区域を福岡市 (330 377…計 333 803) に編入。(備考 昭和10 (3 058)、昭和5 (2 949)、大正14 (2 804)、大正9 (2 785))

82) 昭和17. 4. 1. 糸島郡今津村 (2 172) を廃し、その区域を福岡市 (333 803…計 335 975) に編入。(備考 昭和10 (2 123)、昭和5 (2 029)、大正14 (2 075)、大正9 (2 040))


『昭和22年 臨時国勢調査結果報告』の方には、昭和21年人口調査との人口の比較が掲載されていますが、昭和15年国勢調査との人口の比較が掲載されていません。昭和15年の国勢調査の結果が出版されたのは、昭和22年の臨時国勢調査や昭和25年の国勢調査の結果が出版されたのよりも後のことであり、人口比較による十分なチェックが行われなかったため、誤った記述が昭和25年の国勢調査結果報告書の方にも記載されてしまったのでしょう。
[85560] 2014年 5月 5日(月)00:43:17【1】YT さん
1950年の市区町村別面積の問題点 (2) 沖縄県の問題
なお統計局のサイトでは閲覧できませんが、昭和30年の国勢調査における面積は、『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』で大幅に改訂されております。

都道府県合計市部郡部その他備考
全国369,660.7467,761.23300,598.951,300.56
北海道78,508.677,662.0670,846.61
青森県9,612.651,728.187,884.47
岩手県15,274.463,626.3411,648.12
宮城県7,285.71792.206,493.51
秋田県11,608.971,797.309,592.44219.23八郎潟
山形県9,325.152,105.677,219.48
福島県13,779.821,597.1112,078.75103.96猪苗代湖
茨城県6,089.681,162.094,927.59
栃木県6,437.641,736.494,701.15
群馬県6,331.86841.105,490.76
埼玉県3,802.421,019.782,782.64
千葉県5,033.921,367.693,666.23
東京都2,023.01919.221,103.79
神奈川県2,361.371,176.841,184.53
新潟県12,575.333,046.979,528.36
富山県4,252.03916.413,335.62
石川県4,193.921,064.193,104.2725.46河北潟(23.02); 芝山潟(2.44)
福井県4,264.701,350.792,913.91
山梨県4,463.481,106.743,356.74
長野県13,624.031,863.1911,746.6814.16諏訪湖
岐阜県10,479.291,350.899,128.40
静岡県7,768.751,775.875,992.88
愛知県5,057.551,592.333,465.22
三重県5,765.851,734.624,031.23
滋賀県4,016.00422.342,899.16694.50琵琶湖
京都府4,633.611,806.972,826.64
大阪府1,809.93977.35832.58
兵庫県8,329.921,953.066,376.86
奈良県3,692.11250.433,441.68
和歌山県4,714.99368.604,346.39
鳥取県3,488.39475.403,012.99
島根県6,625.041,311.525,231.7181.81宍道湖
岡山県7,059.931,623.245,436.69
広島県8,431.221,101.867,329.36
山口県6,073.101,995.874,077.23
徳島県4,142.85248.173,894.68
香川県1,859.36238.701,620.66
愛媛県5,651.181,228.564,422.62
高知県7,104.241,523.595,580.65
福岡県4,900.771,425.103,475.67
佐賀県2,403.50878.271,525.23
長崎県4,086.381,057.793,028.59
熊本県7,371.41999.066,372.35
大分県6,312.431,381.454,930.98
宮崎県7,732.511,416.836,315.68
鹿児島県9,140.171,743.007,397.17
十和田湖59.7759.77青森・秋田に含まず
中海101.67101.67鳥取・島根に含まず

このほか、小笠原は本土復帰するまで国勢調査が行われていませんが、沖縄では米国政府が国勢調査を行っています。

沖縄県の国勢調査の場合、1950年、1955年、1960年と、個別の市町村別面積は示されておりませんが、(1950年は奄美群島を除く)面積合計の方は2,388.24 km2のまま採用されております。ところが1965年の国勢調査で初めて沖縄県の個別の市区町村別面積が示されているのですが、その面積は

地区面積備考
合計2,388.22
沖縄群島1,500.67
(1) 北部地区(842.98)沖縄群島要覧
(2) 中部地区287.79
(3.1) 那覇地区35.68那覇市統計書
(3.2) 南部地区335.46
宮古群島250.02
八重山群島637.56

となっており沖縄群島の面積が、各地区の面積合計と等しくありません。これは

1. 面積は首都して昭和14年沖縄県統計書(第1編内務)による1939年12月末現在の数字である。
2. ( )は沖縄群島要覧による。
3. 那覇地区の面積は那覇市統計書1966年版による1963年7月16日現在の数字である。

とあり、1963年の那覇市統計書の数字の扱いに問題があることになります。つまり那覇市拡大に伴う面積の増減がきっちり処理されていないことを意味します。

実際、『第一回琉球統計年鑑』から数字を持ってくると、1950年、1955年、1960年の沖縄群島の南部地区+那覇地区の合計の面積は369.90 km2となり、沖縄群島の面積の方は何ら問題のないものになります。

一方、[85559]に示すように1950年の国勢調査で採用されている宮古群島の面積250.01 km2、八重山群島の面積637.54 km2を用いると、合計の数字にも問題がないことになりますが、市区町村別面積を合計すると、宮古群島と八重山群島では上に示すように合計0.03 km2面積が増えてしまいます。『第一回琉球統計年鑑』でこれらの数字を検証すると、少ない方の数字は『沖縄群島要覧』、多い方の数字は『昭和14年 沖縄県統計書』の昭和15年末の面積によることが明示されております。そこで『昭和15年 沖縄県統計書』から昭和15年年末の数字を持ってくると

地区面積備考
合計2,386.24鳥島(面積不明)を含まず
沖縄群島1,498.66
(1) 国頭郡798.33
(2) 中頭郡287.79
(3.1) 那覇市5.11
(3.2) 首里市2.45
(3.3) 島尻郡404.98
宮古郡250.02
八重山郡637.56

つまり昭和15年末の時点では2386.24 km2、その後昭和25年の『沖縄群島要覧』の時点で、鳥島2.0 km2の面積ほか、北部地区や南部地区の面積が改訂され、さらに宮古郡と八重山郡で合計0.03 km2の改訂が行われた。ところが市区町村別面積の方は、なぜか昭和15年の数字を引き継いだ表記が『琉球統計年鑑』でなされ、さらに昭和40年の国勢調査那では那覇地区だけで面積改訂を行ったため、昭和40年の国勢調査の方では市区町村別面積の合計と一致しないという事態が深刻化してしまった、ということになります。

琉球地区に関しては奄美群島の面積を含め、色々要調査箇所があり、現状としては『沖縄群島要覧』を閲覧し、この誤差が丸め誤差や換算誤差によるものなのか、それとも別なのか、その原因をつかむ必要があることなります。昭和25年~40年の沖縄県の面積として2,388.22 km2(奄美群島を除く)を用いるのであれば、まず『沖縄群島要覧』の数字が優先されるべきでしょう。
[85559] 2014年 5月 4日(日)23:45:51【2】YT さん
1950年の市区町村別面積の問題点 (1) 一部の市町村別面積の数字が分割・吸収前のまま
現時点で私の手元で沖縄・奄美・小笠原・北方領土・竹島を除く地域について、1950年と1955年の国勢調査報告書に記載の面積を一応まとめましたが、幾つか重大な問題が発生しています。まず昭和25年国勢調査の最終報告書(第八巻)における日本全土の都道府県別面積と、『昭和十年 全国市町村別面積調』をまとめると以下の通りです。

都道府県合計(km2)市部(km2)郡部(km2)その他(km2)備考昭和10年(km2)
全国368,284.1519,815.28348,326.69142.18382,545.42
北海道78,486.064,272.3474,213.7288,775.04
青森県9,623.55127.829,495.739,630.92
岩手県15,230.47483.6114,746.8615,235.31
宮城県7,266.04228.917,037.137,273.75
秋田県11,614.59202.2211,412.3711,663.86
山形県9,331.74210.959,120.799,325.76
福島県13,772.74177.3213,595.4213,781.61
茨城県6,092.17120.845,971.336,090.99
栃木県6,438.89107.106,331.796,436.59
群馬県6,334.12137.756,196.376,335.87
埼玉県3,808.09216.153,591.943,802.68
千葉県5,032.16363.674,668.495,062.09
東京都2,031.12618.071,413.052,144.80
神奈川県2,361.13819.571,541.562,352.81
新潟県12,570.46193.3912,377.0712,578.05
富山県4,257.21181.484,075.734,257.42
石川県4,195.75285.613,910.144,192.42
福井県4,253.87111.374,142.504,264.48
山梨県4,463.5650.184,413.384,465.87
長野県13,630.96267.4813,363.4813,626.13
岐阜県10,491.69310.8310,180.8610,494.70
静岡県7,771.13546.577,224.567,769.91
愛知県5,049.06576.684,472.385,081.14
三重県5,762.38430.185,332.205,765.28
滋賀県4,025.36135.093,890.274,050.93
京都府4,632.421,034.003,598.42(A)4,621.20
大阪府1,814.63649.301,165.331,813.63
兵庫県8,332.32879.667,452.668,322.85
奈良県3,687.9749.423,638.553,688.60
和歌山県4,732.40125.674,606.734,723.48
鳥取県3,488.5074.623,413.883,489.48
島根県6,626.06218.346,325.4082.32(B)6,624.60
岡山県7,059.00213.716,845.297,046.48
広島県8,422.16291.538,130.638,436.52
山口県6,098.11977.825,120.296,082.11
徳島県4,141.6391.414,050.224,143.22
香川県1,862.3488.261,774.081,858.73
愛媛県5,663.15277.375,385.785,667.26
高知県7,104.93132.906,972.037,103.62
福岡県4,906.35772.004,134.354,939.70
佐賀県2,403.7455.632,348.112,449.03
長崎県4,069.97541.103,528.874,075.98
熊本県7,385.28495.846,889.447,437.75
大分県6,329.31447.305,882.016,333.87
宮崎県7,744.04642.877,101.177,738.85
鹿児島県7,825.68581.357,244.339,103.81
沖縄県2,386.24
十和田湖59.8659.86

備考:
(A) 一巻,四巻(全国368,302.94 km2、京都府4,630.47 km2,鹿児島県7846.42 km2)と七巻,八巻で面積が異なる。
昭和28年9月に市町村面積の改訂を行った結果第一巻に掲載の面積より市部(1.14方粁減)、郡部(3.09方粁増)、県計(1.95方粁増)がそれぞれ増減している。
鹿児島県における面積修正(-20.74 km2)の原因は不明
(B) 十和田湖(59.86 km2)を含む。
(C) 十和田湖(59.86 km2)を含まない。
(D) 宍道湖 (82.32 km2)は市部・郡部の面積に含まない。

面積については以下のように解説されています。

1) 旧内地の面積は昭和10年内閣統計局刊行「全国市町村別面積調」を基礎として、建設省調査所の史料より訂正したもの。
9) 昭和25年国勢調査第一巻第1表の昭和25年の面積368,302.94方キロを本数字に改訂。


つまり面積のデータは基本的には『昭和十年 全国市町村別面積調』からの増減で対応していることが分かります。ただし面積の出所は「昭和25年 全国市町村別面積調査(建設省地地理調査所)」とありますが、そもそもこの資料が閲覧可能な印刷された資料なのかどうかが分かりません。

また『琉球統計報告 第2巻第5号』 (1952年)によると、1950年の国勢調査面積は以下の通りとなっております。

群島土地面積(km2)
全琉球3,677.24
沖縄群島1,500.69
奄美群島1,239.00
宮古群島250.01
八重山群島637.54

1、面積は参謀本部陸地測量部の5万分の1の地形上における1940年1月26日の調査を基礎にして算出したものである。
2、沖縄群島の面積は、硫黄島島(2方粁)を含んだ数字である。
3、奄美群島の面積には、十島村(18.39方粁)を含んだ数字である。


なお『琉球統計報告』などの1950年国勢調査報告書には琉球の市区町村別の面積の情報が記載されておりませんが、『沖縄県統計書 昭和15年第1編』および『琉球統計年鑑 第1回(1955-1956年)』と照らし合わせることにより、市区町村別面積について一応算出することが可能です。ただし1950年国勢調査における奄美群島の市町村別面積の情報がまだ得られておらず、『沖縄群島要覧』 (1952年)の閲覧・比較検討を予定しております。


既に上の表でも十和田湖と宍道湖が特別扱いとなっておりますが、昭和25年の国勢調査については以下のように市区町村の面積に含まれない地域が存在します。もっともこれらは市区町村面積とは別に集計することで対応可能です。

都道府県地域面積
青森県南津軽郡五郷村外錯雑地3.79
青森県上北郡小川原沼62.26
青森県(郡部)十三湖20.55
宮城県玉造郡西大崎村外六ヶ村入会地5.57
秋田県(郡部)八郎潟湖222.21
山形県東村山郡長崎町外三ヶ村入会地0.08
山形県東村山郡豊田村長崎町入会地0.36
山形県西置賜郡西根村平野村入会地105.96
福島県(郡部)猪苗代湖104.15
茨城県行方郡霞ヶ浦30.97
茨城県真壁郡所属不明の飛地0.08
千葉県君津郡秋元村三島村入会地0.25
千葉県印旛郡印旛沼の所属不明地域15.19
東京都(三宅支庁)三宅島三宅村阿古村坪田村共有地5.48
東京都(八丈支庁)鳥島4.65
東京都(八丈支庁)ベヨネイス列岩0.02
東京都(八丈支庁)須美寿島0.05
東京都(八丈支庁)嬬婦岩0.01
神奈川県足柄上郡北足柄村外九ヶ村組合地11.14
神奈川県足柄上郡南足柄村外九ヶ村組合地9.23
神奈川県足柄上郡岡本村外九ヶ村組合地5.44
神奈川県足柄下郡湯河町外一ヶ村入合地0.39
神奈川県足柄下郡宮城町村外七ヶ村組合地5.10
新潟県佐渡郡加茂湖の所属不明地域0.97
富山県下新川郡黒部国有林351.79
富山県東礪波郡東山見村外一ヶ村入会地1.45
富山県西礪波郡石黒村吉江村入会地1.62
富山県西礪波郡東石黒村西野尻村入会地2.53
石川県珠洲郡河北潟22.85
石川県珠洲郡邑知潟4.74
福井県大野郡大野町外三ヶ村入会地2.47
山梨県東八代郡花鳥村外五ヶ村入会地5.49
山梨県東八代郡旧岡村外二ヶ村入会地1.56
山梨県東八代郡増田村富士見村外二ヶ村入会地2.30
山梨県北巨摩郡駒城村外二ヶ村入会地38.11
長野県諏訪郡諏訪湖14.45
長野県上伊那郡美篶村高遠町錯雑地0.11
静岡県賀茂郡天城御料地78.21
静岡県田方郡棚塩山御料地4.06
静岡県田方郡天城御料地73.61
静岡県駿東郡小山町外二ヶ村入会地0.66
静岡県富士郡富士山御料地28.61
静岡県引佐郡猪鼻湖5.57
静岡県(郡部)浜名湖70.74
三重県一志郡豊地村外三ヶ村入会地5.98
三重県北牟婁郡長島町桂城村入会地0.14
滋賀県(郡部)琵琶湖695.47
京都府与謝郡阿蘇海5.19
京都府熊野郡久美浜湾7.30
大阪府南河内郡河内村白木村錯雑地1.63
大阪府南河内郡中村河内村錯雑地0.93
奈良県北葛城郡陵西村外三ヶ村入会地0.93
和歌山県伊都郡妙寺町信太村入会地0.54
鳥取県東伯郡東郷池4.32
島根県(市部・郡部外)宍道湖82.32
(都道府県外)(市部・郡部外)十和田湖59.86


しかしながら、以下の地域については、分割・吸収前の市区町村の面積が調査未了により残ってしまっています。

都道府県市区町村面積備考
北海道空知郡上砂川町n.a.昭和24年4月1日砂川町の一部及び歌志内町の一部を以て新設、調査未了。
北海道空知郡砂川町116.10
北海道空知郡歌志内町58.39
北海道上川郡朝日村n.a.昭和24年8月20日上志別町の一部を以て新設、調査未了。
北海道上川郡上士別村676.88
北海道河西郡中札内村n.a.昭和22年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
北海道河西郡更別村n.a.昭和22年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
昭和23年4月1日幕別町との間に境界変更、調査未了。
北海道河西郡大正村558.76
北海道中川郡幕別町364.20
北海道広尾郡忠類村n.a.昭和24年8月20日大樹村の一部を以て新設、調査未了。
北海道広尾郡大樹村830.68
北海道常呂郡若佐村n.a.昭和23年4月1日佐呂間村の一部を以て新設、調査未了。
北海道常呂郡佐呂間村376.12
埼玉県児玉郡阿久原村n.a.昭和24年12月1日児玉郡若泉村を廃し、その区域をもって渡瀬村及び阿久原村を設置。
埼玉県児玉郡渡瀬村12.30
東京都(大島支庁)新島本村27.58新島本村・新島若郷村あわせて面積27.58 km2。
東京都(大島支庁)新島若郷村27.58
石川県河北郡金津村n.a.河北郡高松町の一部をもって金津村を設置。
石川県河北郡高松町21.20
岐阜県安八郡旧北平野村3.76昭和25年4月1日安八郡北平野村を廃し、その区分を分割し、一部を同郡神戸町に編入し、残部を揖斐郡池田村に編入。
岐阜県安八郡神戸町5.20
岐阜県揖斐郡温知村13.55昭和25年8月1日安八郡本郷村及び池田村を廃し、その区域をもって同郡温知村を設置。
岐阜県加茂郡旧富岡村10.23昭和24年10月1日加茂郡富岡村を廃し、その区分を分割し、一部を同郡富田村に編入し、残部を武儀郡関町に編入。
岐阜県加茂郡富田村6.76
岐阜県武儀郡関町32.40
島根県簸川郡旧乙立村27.11昭和25年5月3日簸川郡乙立村を廃し、その一部を同郡窪田村に、他の一部を同郡朝山村に編入。
島根県簸川郡朝山村26.78
島根県簸川郡窪田村39.69
岡山県小田郡白石島村n.a.昭和24年4月1日小田郡神島外村の一部をもって設置、調査未了
岡山県小田郡神島外村10.60

当初これらの面積も昭和30年の国勢調査の面積を参考に加減することで対応可能と考えておりました。しかしながら実際に面積を比較したところ、昭和25年と昭和30年の間で面積の基礎資料に断絶があることが分かりました。『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』によると

この報告書に掲げた昭和30年の都道府県市区郡町村別面積は,建設省地理調査所および総理府統計局が,終戦後修正を施した5万分の1地形図(応急修正版)上において新たに測定した昭和30年10月1日現在の境域による市区町村の平面面積である。したがって,この数値は従来の5万分の1の地形図による面積とは,地域に異動がない場合でも,かならずしも一致しない。

とあり、昭和30年の面積から逆算して修正しようとしても、恣意性を排除することは不可能です。

そこで例えば北海道について地方統計書の記述を調べてみようと、試しに『第64/65回北海道統計書 (昭和30/31年)』を閲覧してみましたが、既に面積の方は昭和30年国勢調査ベースの方法で計算したものと一致しており、より古い北海道統計書との比較が必要なことが分かりました。

また東京都の新島本村・新島若郷村に関しては、『昭和28年 東京都統計年鑑』の段階では一緒の面積が記載され、『昭和29年 東京都統計年鑑』では合併が完了してしまっており、公的に両者を分離した数字がないようです。一応『昭和13年 市町村概観.』によると、

官有地民有地合計メートル法換算値(m2の単位で四捨五入)
新島本村60町98畝1036町51畝1097町49畝10,884,198
新島若郷村2町82畝26歩102町23畝26歩105町06畝22歩1,041,990

とあり、メートル法で換算すると合計11.93 km2となりますが、これは国勢調査報告書の数字である27.58 km2を大幅に下回り、官有地・民有地の設置されていない地域が16 km2近くもあることになります。
[85558] 2014年 5月 4日(日)22:58:48【1】YT さん
1920~1950年の西日本・および1955年の国勢調査人口の要修正箇所・および変遷情報の要修正箇所
[84605][85243][85280]に続き、近畿以西の都道府県(沖縄県と三島村を除く奄美群島)の1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年、および1955年の国勢調査人口をチェックしたところ、[84549]でアップした中身について以下の箇所に間違いが見つかりました。

区町村名修正箇所修正前修正後
滋賀県坂田郡息長村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3354,331
滋賀県坂田郡坂田村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3314,335
京都府北桑田郡宮島村昭和10年国勢調査現在人口1,7991,520
京都府北桑田郡鶴ヶ岡村昭和10年国勢調査現在人口1,5201,799
京都府何鹿郡山家村大正9年国勢調査現在人口2,7073,548
京都府何鹿郡口上林村大正9年国勢調査現在人口3,5482,161
京都府何鹿郡中上林村大正9年国勢調査現在人口2,1614,145
京都府何鹿郡奥上林村大正9年国勢調査現在人口4,1452,707
大阪府南河内郡藤井寺村大正9年国勢調査現在人口4,2803,773
大阪府南河内郡道明寺村大正9年国勢調査現在人口3,7734,280
大阪府南河内郡藤井寺村大正14年国勢調査現在人口4,6644,324
大阪府南河内郡道明寺村大正14年国勢調査現在人口4,3244,664
兵庫県養父郡西谷村大正9年国勢調査現在人口3,4392,536
兵庫県養父郡南谷村大正9年国勢調査現在人口2,5363,439
鳥取県東伯郡下中山村昭和10年国勢調査現在人口1,5941,857
鳥取県東伯郡上中山村昭和10年国勢調査現在人口1,8571,594
鳥取県日野郡江尾村 (A)昭和22年国勢調査町村制鳥取県日野郡江尾町鳥取県日野郡江尾村
島根県那賀郡国府村 (B)漢字・分離島根県那賀郡国分村島根県那賀郡国府村
岡山県吉備郡薗村昭和10年国勢調査現在人口2,1822,078
岡山県吉備郡新本村昭和10年国勢調査現在人口2,0782,182
岡山県上房郡上水田村昭和5年国勢調査現在人口2,5692,434
岡山県上房郡呰部町昭和5年国勢調査現在人口2,4342,569
広島県御調郡宇津戸村漢字広島県御調郡宇都戸村広島県御調郡宇津戸村
徳島県麻植郡山瀬町 (C)大正14年国勢調査町村制徳島県麻植郡山瀬村徳島県麻植郡山瀬町
香川県三豊郡上高野村昭和5年国勢調査現在人口4,2712,144
香川県三豊郡上高瀬村昭和5年国勢調査現在人口2,1444,271
愛媛県新居郡大生院村昭和10年国勢調査現在人口3,3882,563
愛媛県新居郡大保木村昭和10年国勢調査現在人口2,5633,388
福岡県田川郡彦山村 (D)編入先田川郡添田町福岡市
福井県大野郡下穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,2992,860
福井県大野郡上穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,8602,299


(A): 鳥取県日野郡江尾村が江尾町になったのは昭和22年10月1日ではなく昭和22年11月3日。
(B): 国分村等が合併し、昭和16年8月1日~昭和26年3月31日の間、国府村が存在していたにも関わらず、国分村が続いたかのように記述してしまっていた。
(C): 徳島県麻植郡山瀬村が山瀬町になったのは大正15年5月5日ではなく大正12年5月5日。
(D): 福岡県田川郡彦山村の編入先は田川郡添田町ではなく福岡市。

上の(A), (C), (D)に絡み、以下の3箇所について変遷情報を修正する必要があると思われます。

(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)

『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の鳥取県の項目には全く書かれていませんが、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』によると
29) 昭和22. 11. 3. 日野郡江尾村を江尾町とする。((2 705) 備考 昭和15 (2 321)、昭和10 (2 388)、昭和5 (2 512)、大正14 (2 221)、大正9 (2 529))
とあり、以下のように修正する必要があると思われます。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前821947(S22).10.1町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細
修正後821947(S22).11.3町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細

同時に昭和22年10月1日時点での正しい自治体名は『昭和22年臨時国勢調査』の「全国都道府県郡市町村別人口」に記載通り、「江尾町」ではなく「江尾村」と思われます。

(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)

『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の「市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)」によると、
大正十二年五月五日 麻植郡山瀬村ヲ山瀬町ト改称
とあり、大正14年国勢調査の時点で既に改称済みであり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1926(T15).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細
修正後1923(T12).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細

(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その40 福岡県』によると(【追記:以下の変遷情報は51)ではなくて81)】)

51) 昭和17. 2. 11. 田川郡彦山村 (3 426)を廃し、その区域を福岡市 (330 377…計 333 803) に編入。(備考 昭和10 (3 058)、昭和5 (2 949)、大正14 (2 804)、大正9 (2 785))
とあり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1551942(S17).2.11編入田川郡添田町田川郡 添田町, 彦山村詳細
修正後1551942(S17).2.11編入福岡市福岡市, 田川郡 彦山村詳細

●以上の外、広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

また岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷について、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の岡山県の項目には
昭和23年 10月 20日 和気郡英保村を英保町とする。
としか書かれていませんが、同じ[『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その33 岡山県』]によると
59) 昭和23. 10. 20. 和気郡英保村を英保町とし、英保町を吉永町とする。(英保村(3 442) 備考 昭和15 (2 628)、昭和10 (2 548)、昭和5 (2 298)、大正14 (2 142)、大正9 (2 056))
とあり、町制即日改称というように記述がなされております。しかしながら本県については過去に[83609][83612][83613][83616]のような議論があったことを知り、上の要修正項目から削除しました。ただ、国勢調査報告書では最終的に即日改称を採用していることになっております。

また三重県飯南郡大石村と櫛田村の昭和15年国勢調査人口が、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その24 三重県』によると2691人、2380人となっておりましたが、『昭和15年 国勢調査報告 第一巻』の「世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村」に従い、2692人、2379人を採用したままにしました。本件の場合、郡別合計が一緒になってしまいますが、昭和25年国勢調査報告書よりも後に出版された昭和15年国勢調査報告書の方が男女別人口も載っており、より信頼できると判断しました。

市区町村昭和25年国勢調査報告書記載昭和15年国勢調査報告書記載
三重県飯南郡大石村2,6912,6921,3831,309
三重県飯南郡櫛田村2,3802,3791,1701,209
[85280] 2014年 4月 16日(水)21:54:58【2】YT さん
1920年~1950年の中部地方の国勢調査人口の要修正箇所
[85243] 白桃さん
[85247][85248] hmt さん
[85250] むっくんさん

色々フォローをありがとうございます。

正直申し上げますが、私の場合は「町制施行年月日がいつであったか」よりは、
「各国勢調査時点で町か村のどちらであったか」の方が大切なのです。(笑)

現在のところ、1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950
年の国勢調査報告書を使ってチェックしているので、自分も「各国勢調査時点で
町か村のどちらであったか」ことしかチェックしておりません。よって、白桃さ
んとほとんど立場が同じです。人口と面積の情報を入力し終わった暁には、改め
て個々の変遷情報の日付をチェックするかも知れませんが。

[84605][85243]に続き、中部地方の1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国
勢調査人口をチェックしたところ、[84549]でアップした中身について以下の箇
所に間違いが見つかりました。茨城県新治郡土浦町・真鍋町のように、人口の数
値自体を間違える誤りは見つかっておりません。

区町村名間違いの箇所修正前修正後
富山県婦負郡倉垣村昭和22年臨時国勢調査現在人口6,1221,978
富山県婦負郡八幡村昭和22年臨時国勢調査現在人口1,9786,122
富山県西礪波郡北蟹谷村昭和15年国勢調査現在人口1,6532,288
富山県西礪波郡東蟹谷村昭和15年国勢調査現在人口2,2881,653
山梨県北都留郡棡原村大正9年国勢調査現在人口1,8763,146
山梨県北都留郡西原村大正9年国勢調査現在人口3,1461,876
長野県上水内郡吉田町 (A)分離上水内郡吉田村上水内郡吉田町
長野県更級郡西寺尾村所属埴科郡で集計更級郡で集計
岐阜県本巣郡真桑村大正9年国勢調査現在人口1,8553,563
岐阜県本巣郡船木村大正9年国勢調査現在人口3,5631,855


(A): 大正3年4月1日~大正12年6月30日の期間、吉田町が存在していたにも関わ
らず(吉田村→吉田町→長野市に編入)、吉田村が直接長野市に編入したかのよう
に記述してしまっていた。

[85269] Shouta さん
というわけで現時点でも色々と要修正点が残っておりますが、[84549]でアップ
した圧縮ファイルをダウンロードして頂ければ、もっと包括的なデータが手に入
ります。

【オーナーグリグリ さんへ】

すみません

[85279]はパスワードを間違えて投稿してしましました。

削除をお願いします。
[85243] 2014年 4月 7日(月)03:06:18【4】YT さん
国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所
[84549]でアップした中身について
今後の修正スケジュールですが、
(1) 1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告書を使って順次チェック(2~3ヶ月前後か?)
(2) 1955年以降の国勢調査人口をチェック(1ヶ月前後か?)
(3) 1948,1946,1945,1944年の常住人口、人口調査人口をチェック(2ヶ月前後か?)
(4) 1920年よりも前の現住人口チェック(各1ヶ月、合計5ヶ月か?)
といった感じで、多分全部のチェックには1年掛かるかも知れませんが、とりあえず現時点で一応形にはなりました。
と修正計画を建てましたが、[84605]で北海道・東北地方について1920年、1925年、1930年、1935年、1940年、1947年、1950年の国勢調査人口と1950年の面積の情報を入力した後、某所で慶長国絵図・郷帳と正保国絵図・郷帳における郡別石高の整理の方に浮気をしてしまい、大幅に内容チェックが遅れてしまいました。先週よりようやく関東地方の修正に手を出した結果、以下のような入力間違いが見つかりました。昭和5年の茨城県新治郡土浦町・真鍋町の人口入力のミスは、昭和10年の町域に組み替えた人口を入力してしまったためであり、昭和5年の国勢調査の人口順位に関しても、【人口1万8186人~1万8338人の間の都市は1つ順位が上がり、人口5441人~5593人の間の都市は、1つ順位が下がるなど、該当する都市以外について】若干の修正が必要となりました。

市区町村名間違いの箇所修正前修正後
茨城県新治郡土浦町昭和5年国勢調査現在人口18,33918,186
茨城県新治郡真鍋町昭和5年国勢調査現在人口5,4415,594
群馬県北甘楽郡小幡町大正14年国勢調査町村制群馬県北甘楽郡小幡村群馬県北甘楽郡小幡町
埼玉県北足立郡志紀町【(A)】漢字・分離北足立郡志木町北足立郡志紀町
埼玉県北埼玉郡利島村大正14年国勢調査現在人口2,5653,442
埼玉県北埼玉郡川辺村大正14年国勢調査現在人口3,4422,565
東京府荏原郡平塚町【(B)】分離荏原郡平塚村荏原郡平塚町
神奈川県津久井郡小淵村大正14年国勢調査現在人口845822
神奈川県津久井郡沢井村大正14年国勢調査現在人口822845

【(A): 昭和19年2月11日~昭和23年3月31日の期間、志紀町が存在したのにも関わらず、昭和23年4月1日に分割・成立後の志紀町とまとめてしまっていた。】

【(B): 大正15年4月1日~昭和2年6月30日の期間、平塚町が存在していたにも関わらず(平塚村→平塚町→荏原町)、平塚村から直接荏原町に改称したかのように記述してしまっていた。】

また、以下の2箇所について変遷情報を修正する必要があると思われます。

(1) 群馬県北甘楽郡小幡町の町制実施の年月日 (群馬県#25)

『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)によると、大正14年5月10日の時点で既に北甘楽郡小幡村を北甘楽郡小幡町に改称しており、以下のように修正する必要があると思われます。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前251926(T15).5.10町制北甘楽郡小幡町北甘楽郡 小幡村詳細
修正後251925(T14).5.10町制北甘楽郡小幡町北甘楽郡 小幡村詳細

(2) 埼玉県大里郡久下村の分割編入 (埼玉県#64)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その11 埼玉県』によると
57) 昭和16.4.10 大里郡久下村(1 939)を廃し、その一部(1 772)を熊谷市に、残部(167)を北足立郡吹上町に編入。(備考久下村昭和10 (2 009)、昭和5 (2 009)、大正14 (2 019)、大正9 (1 940)
とあり、以下のように久下村の吹上町への編入を追加する必要があります。【主・微で表記するのであれば、熊谷市に編入される分が主、吹上町に編入される分が微です。】

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前641926(T16).4.10編入熊谷市熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村詳細
修正後641926(T16).4.10編入熊谷市熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村の一部詳細
修正後651926(T16).4.10編入北足立郡吹上町北足立郡 吹上町, 久下村の一部詳細

【一部文章を追加修正】
[84612] 2013年 12月 31日(火)01:02:50【3】YT さん
昭和30年の豊栄村への合併時には「てへん」の高擶村の方が正式?
[84609] 伊豆之国 さん

この地域にあるJR奥羽線の駅は、文字は「手へん」の「高擶」で、読みは「たかたま」と濁りません。


調べていただきありがとうございます。私も昭和58年頃に印刷された日本地図を見て、駅名が高擶駅、また天童市内に書かれいる地図上の大字名も「高擶」と、「てへん」になっていることを確認しました。高擶小学校のサイトを見ると、楡の木云々の謂れが載っておりますが、もはや「てへん」の「高擶」を正式に採用してしまっているようです。

で、[84605]を投稿した段階では、本当は「きへん」が正しくて、日本語入力システムの関係で仕方なく「てへん」の「高擶」に移行したものだと思っておりました。現に近代デジタルライブラリーで、「てへん」の「高擶村」で検索をかけても何も引っかかりませんが、「きへん」の「高ダマ」で検索を掛けると、『有栖川宮記念厚生資金選奨録』(【追記】中身を確認すると、昭和8年頃の段階で「きへん」の「高ダマ村社会事業協会」となっている)、『図書館叢書』(【追記】今中身を確認したら、左の文章中では昭和6年の段階で「てへん」の「高擶村青年団」になっていた)、『山形県史蹟名勝天然紀念物調査報告』(【追記】中身を確認すると、昭和2年頃の段階で「きへん」の「高ダマ城址」「高ダマ村」となっている)などの文献が引っかかることから、少なくとも当初は「きへん」の「高ダマ村」が正式とみなされていたと思われます。

一方官報では、「てへん」の「高擶」で2件引っかかりますが、実際に中身を見ると昭和5年9月5日の逓信省告示第二千百三十三号では「きへん」の「高ダマ」(逓信大臣 小泉又次郎って、小泉純一郎の祖父か)となっているのに対し、昭和8年8月4日の逓信省告示第千七百八十三号の方では、「てへん」の「高擶(タカタマ)」郵便局となっており、官報でも混乱が見られるだけかと思いました。

ところが官報で「きへん」の「高ダマ」で検索を掛けたところ、気になる情報が出てきました。昭和3年6月4日の逓信省告示第千四百六号によると、

●逓信省告示第千四百六号
昭和三年六月十一日ヨリ左記郵便局ヲ改称ス
 昭和三年六月四日
   逓信大臣 久原房之助
現名称 高ダマ(きへん)郵便局
改称 高擶(タカタマ)郵便局
位置 山形県東村山郡高擶村(てへん)


つまり昭和3年に郵便局の名称をわざわざ「きへん」から「てへん」に改称しているのです。となると、おそらくこの時期に、村の呼称も「きへん」から「てへん」に変える状況が発生したものと推測されます。

国立公文書館デジタルアーカイブで高擶村を検索すると、昭和30年1月1日の総理府告示第1084号として、「村の廃置分合(東村山郡干布村、高擶村を廃し豊栄村を置く)」という情報が出てきます。残念ながら昭和30年の官報に実際に印刷された画像を見ることはできませんが、「てへん」の方で情報は入力されています。

これらの情報を総合して判断すると

(1) 当初は「きへん」の「高ダマ村」が正式だった。
(2) ところがどういうわけか、昭和3年前後に、「てへん」の「高擶村」に改名するような事態があったらしい。
(3) 近代デジタルライブラリーで戦後に発行された地図を見ると、「高擶村」になっているが、国勢調査報告書の方は旧来の名称を引き摺って、「きへん」の「高ダマ村」と記述し続けた。
(4) 昭和27年に高擶駅ができた頃は既に「てへん」の「高擶」が正式と思われる。ただし戦前の文書は濁音に無頓着なので、「タカタマ」という振り仮名そのままに「たかたま」と命名してしまったのかもしれない。
(5) 合併して豊栄村になった時の官報の印刷原文は確認できないが、どうも合併時には「てへん」の「高擶村」である可能性が高い。
(6) JIS規格にには「てへん」の「擶」のみが採用され、また現在の大字名等も「てへん」の「擶」が正式。

といった感じかも知れません。

郵便局の名称変更の情報からすると、昭和3年頃に「きへん」から「てへん」の改名が行われたようですが、実際の村の呼称の方ではどういう形で改名が行われたのかは気になります。
[84605] 2013年 12月 30日(月)17:34:17【2】YT さん
山形県東村山郡たかだまむらは「てへん」の「高擶村」?「きへん」の「高だま村」 (機種依存文字)
現在[84549]でアップした中身について、1920年、1925年、1930年、1935年、1940年、1947年、1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告によりチェックしつつ、1950年の面積の情報を入力しており、北海道と東北地方が終わったところです(全体の1/6)。

現時点で以下のような入力間違いが見つかっており、多分国勢調査開始以降だけでも、200箇所以上の入力間違いがあると推測されますので、[84549]を使う時には注意して下さい。まあ郡別に人口は集計してチェックしておりますので、入力の際に同一郡内での似たような名前の町村や似たような人口の町村の人口を交換してしまうというのが、主たるミスです。

市区町村名間違いの箇所修正前修正後
福島県伊達郡立木山村漢字福島県伊達郡立木山村福島県伊達郡立子山村
福島県北会津郡門田村大正9年国勢調査現在人口3,0665,251
福島県北会津郡大戸村大正9年国勢調査現在人口5,2513,066
福島県大沼郡氷玉岡村大正9年国勢調査現在人口2,7231,465
福島県大沼郡永井野村大正9年国勢調査現在人口1,4652,723
島県石城郡箕輪村昭和22年臨時国勢調査現在人口1,8591,852
福島県石城郡沢渡村昭和22年臨時国勢調査現在人口1,8521,859
島県相馬郡磯部村大正9年国勢調査現在人口1,9911,881
福島県相馬郡日立木村大正9年国勢調査現在人口1,8811,991

それはさておき、山形県東村山郡高擶村ですが、日本歴史地名大系でも、自分が普段使っているMicrosoft Office IME 2010でも、「たかだまむら」は「てへん」の「高擶村」です。ところが昭和25年の国勢調査報告書(pdfファイル)では、どうみても「きへん」の「高ダマ村」となっております。

【と、投稿しようとして気づきましたが、ダマの字は機種依存文字なんですね】

昭和30年の国勢調査報告の「市区町村の廃置分合,境界変更,名称変更一覧表」pdfファイルでは、山形県東村山郡豊栄村に合併された「たかだまむら」は・・・・・・印刷が切れていますが、辛うじて「きへん」に見えます。

昭和22年臨時国勢調査報告pdfファイル昭和10年国勢調査報告昭和10年全国市町村別面積調昭和5年国勢調査報告大正14年国勢調査報告大正9年国勢調査報告も「きへん」に見えます。昭和15年pdfファイルの国勢調査(そもそも戦後出版されたもの)は、「てへん」か「きへん」か微妙ですが
ネット上の情報では、天童市の観光ガイドによると、

 このあたり一帯は室町時代には「高楡」と書かれていましたが、江戸時代には「高擶」と記されるようになりました。このことから、吉田東伍(よしだ・とうご)博士は次のような説を唱えています。

吉田東伍(よしだ・とうご)博士の説 このあたりでは楡(ニレ)をタモやタマと呼んでいたことから、タカタマを「高楡」と記していた。それがいつのまにか誤って「高擶」と記されるようになり、現在まで続いている。

 このあたり一帯は立谷川(たちやがわ)扇状地の先端部に位置するため湿地が広がっており、ヤチタモと呼ばれる樹木が生い茂っていたため「高楡」とつけられたと考えられています。

今や吉田東伍の『大日本地名辞典』もオンラインで閲覧できますが、

高楡(タカタマ) 方俗、楡をダマに誤る
(中略)
ダマ、諸字書之を載せず、楡の譌のみ。楡は、和名にれなり。而も、東方の方俗、ニレをタモ、またタマと呼ぶ、故に此に楡字を用ゐたり。

とあって、天童市のサイトとはことなり、吉田東伍の原文では「きへん」で解説されております。

ダマの字が機種依存文字という問題を抱えていることに今この文を投稿しようとしたことに気づきました。ウェブ上では「擶」で表示するしかないとして、このような背景を踏まえた上で、「たかだまむら」のたまの字は「てへん」の「擶」とするべきか、それとも「きへん」の「ダマ」とするべきなのか、むしろ「楡」にするべきなのか、皆さんのご意見をお願いします。

【追記】機種依存文字といえば、[84551]を投稿した際に、「宝塚市」がなぜか機種依存文字判定されていたのですが、どうやら[84549]のファイルでは宝塚市だけ「ひげあり」の塚で入力してしまっていたようです。私はこの辺の違いは漢字のゆらぎの問題と思っており、[84549]のファイルの宝塚市も、手元にある最新版では通常の塚に修正しております。

その一方で「きへん」と「てへん」では別の漢字だと思うのですが、ウェブ上では自治体を含めて「てへん」表記の「高擶」が標準的にすらなっているようです。

場合によっては変遷情報の高擶村方も脚注が必要かも知れません。
[84575] 2013年 12月 24日(火)18:33:01【8】YT さん
戦前の市区町村別面積をどうするか
[84568] オーナー グリグリ さん
[84573] NTJ会長 さん

まずは、国勢調査人口データ(および面積データ)について、調査年毎の基本となるページを整備し、

まず現時点で「面積」については全くまとめ終っておりませんし、「面積」もまた時間によって可変なデータです。

【追記:以下の文章は12月25日に図書館で改めて調べ直した結果を踏まえ、元の文より一部内容が訂正されております】

さらに印刷された国勢調査報告書を図書館で改めて調べた結果、面積のデータ自体必ずしも国勢調査で一貫したルールでまとめれらていないことがわかりました。自分が調べた限り、各国勢調査報告書における面積データは以下のように収録されていました(○は記載あり、×は記載なし)。

報告書都道庁府県別面積支庁・郡市別面積市区町村別面積備考リンク
大正9年国勢調査○【方里・km2】××小数点以下下三桁『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』
『大正九年 国勢調査記述編』
大正14年国勢調査○【方里・km2】○【方里】×小数点以下下三桁『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』
『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』
昭和5年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下下三桁『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』
昭和10年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下下二桁『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』
昭和15年国勢調査×××なし
昭和22年臨時国勢調査×××なし
昭和25年国勢調査○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下下二桁『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』
昭和30年国勢調査報告○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下下二桁『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』

大正9年の国勢調査報告には、庁府県別の面積しかありません。『大正九年 国勢調査記述編』では方粁(km2)単位で大日本帝国と庁府県別の面積が示されていますが、『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』では方里(1 方里 ≒ 15.4234711 km2)を単位として庁府県別面積が示されています。

大正14年国勢調査報告でも、『大正十四年 国勢調査報告』 第一巻 記述編』ではkm2単位で、『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』では方里単位で庁府県別面積が掲載されています。また後者には市郡別面積(北海道に関しては、支庁(郡部のみの集計))が記載されていますが、その面積は方里単位で記述されています。

昭和5年国勢調査報告では方里が排除され、庁府県、市郡別面積共にkm2単位で掲載されております。

昭和10年には『昭和十年 全国市町村別面積調』が存在しますが、少なくとも国勢調査報告には市町村別面積の記載がありません。ただし市郡別面積は下三桁から下二桁に変更となっており、おそらく『昭和十年 全国市町村別面積調』を基礎資料として面積を計算したものと思われます。

また[84566]によると、最近の国勢調査に掲載されている過去の都道府県別面積の内、昭和10年~22年の数字は昭和10年全国市町村別面積調によるとありますが、そもそも昭和15年と昭和22年の国勢調査報告書には面積の記載が全くありません。

以上より、せっかく昭和10年3月末の市区町村別面積調のデータがあっても、昭和25年よりも前までの国勢調査報告書には市区町村別面積の記載がないことになります。これらの間の数字について、独自に推計して埋めるべきなのか、そうするべきではないのか。あるいはそれ以前に関しては市と郡の面積は利用可能ですが、最初の大正9年の面積はそもそも都道府県別しか記載されておらず、大正14年の市郡別の面積をさかのぼって割りあてるべきなのか。等々、色々データ処理に問題があり、全ての年次について単純に面積と人口のデータをくくりつけることができません。

なお現在昭和25年の面積調を入力しているところですが、現時点で「丸め誤差」が全くありません。丸め誤差というのは、例えば小数点以下第3位で四捨五入することにより得た小数点以下第二位の数字を足して得られる合計の数字と、小数点以下第3位まで考慮して合計した数字を四捨五入して得られる数字との間に生じるずれのことです。面積は人口と違って連続的な数値であるため、ある桁で四捨五入した数字を大量に足せば、本来なら必ず丸め誤差が生じるはずです。ところが丸め誤差がないということは、この時代の市区町村の面積が、全体の面積にたいして分割を繰り返して計算したという、ある意味ややいい加減な数字であることを意味します。一方、まだ確認しておりませんが、ここ最近の面積の方はおそらく丸め誤差があり、その辺の端数処理もどうするべきか思案中です。また方里・方粁の換算による有効桁の問題も発生します。

また統計局のホームページでは昭和30年の国勢調査時の面積の閲覧が可能ですが、一部の面積については『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』(オンラインで閲覧できない)によって改訂されており、注意が必要です。
[84566] 2013年 12月 22日(日)17:42:06【1】YT さん
昭和25年の市町村別面積データ
[84565] hmt さん

昭和30年(1955)以降の国勢調査には、全国の市町村別面積が掲載されています。


オンラインで公表されているデータでは閲覧できませんが、沖縄等を除く市町村別面積は『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』の方に掲載されております。本書は大正9年、大正14年、昭和5年、昭和10年、昭和15年、昭和22年の人口(実は先日まで、この本に掲載されているこれらの過去の人口は昭和25年の市区町村に組み替えた値だとばっかり思っていたのですが、先日改めて読み返したところ、全部当時の市区町村別人口のままで、合併・町制施行等のために呼称が変更された市区町村に関しては、凡て脚注に数字をまとめてあり、予想よりもこれらの年の市区町村と人口の対応のチェック作業は早く終わりそうです)が載っており、大正9年~昭和25年の国勢調査人口のチェック作業と同時に、昭和25年の国勢調査報告書掲載の面積を打ち込んでいるところです。

なお、『平成22年国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方の「平成22年国勢調査の概要」に載っている面積の解説によると、

 本報告書に掲載した平成17年以前の各年の面積の出所については以下のとおりである。


大正9年大正9年国勢調査報告第1巻 (内閣統計局)
大正14年大正14年国勢調査報告第1巻 (内閣統計局)
昭和5年昭和5年国勢調査報告第1巻 (内閣統計局)
昭和10年~22年昭和10年全国市町村別面積調(内閣統計局)
昭和25年全国市町村別面積調査 (建設省地理調査所)
昭和30年昭和30年国勢調査報告第1巻及び昭和30年国勢調査全国都道府県
郡市区町村別面積改定表 (総理府統計局)
昭和35年以降各年の全国都道府県市区町村別面積調
(建設省国土地理院(平成12年以降は国土交通省国土地理院))

 これらのうち,大正9年の面積は当時の陸軍参謀本部の陸地測量部の測定によるものであり,大正14年及び昭和5年の面積は,大正9年測定当時の基本地図に改測又は修正を加えたものの面積である。
 昭和10年の面積は,陸地測量部と内閣統計局が共同で陸地測量部の指導の下に,同部発行の5万分の1地形図に基づいて,昭和10年3月末日現在により測定したものである。以後の昭和15年,20年,22年及び25年の面積は,昭和10年の面積を基礎とし,その後の調査地域の移動及び市町村の廃置分合, 境界変更等に伴う修正を行ったものである。
 ただし,昭和25年の面積は,再検討を要すると認められた市町村については,境界の移動の有無にかかわらず,その面積を改測し,また,昭和10年以降において海岸線が著しく変化した区域の市町村も改測した。
 昭和30年の面積は,建設省地理調査所(現国土交通省国土地理院)と総理府統計局(現総務省統計局)が終戦後修正を施した5万分の1地形図(応急修正版)上において新たに測定した昭和30年10月1日現在の境域による平面面積である。これ以降の昭和35年~60年の面積は,昭和30年の面積を基礎とし,その後の調査地域の廃置分合,境界変更等に伴う修正を逐次行ったものである。
 平成2年以降の面積は,国土地理院が昭和63年10月1日時点で,2万5千分の1地形図(国土地理院発行)上で新たに測定した昭和63年10月1日現在の境界である面積値を基礎とし,その後の異動を考慮した各回調査年10月1日現在の境域による面積である。


昭和5年以前の国勢調査には、道府県別面積は掲載されておりますが、市区町村別面積は掲載されていなかったはずです。

昭和10年の国勢調査では、支庁・郡市別面積は載っておりますが、市区町村別人口は載っておりません。ただし埼玉県が独自に出版している国勢調査報告には市町村別人口が掲載されています。ただ詳しい数字は、昭和10年4月1日~10月1日の間に実施された以下の変更に考慮しつつも、昭和10年3月末調の『昭和十年 全国市町村別面積調』で代用できます。

4.1富山県編入富山市富山市, 上新川郡 奥田村
福井県編入遠敷郡小浜町遠敷郡 小浜町, 雲浜村, 西津村
山梨県町制/改称北都留郡猿橋町北都留郡 大原村
静岡県編入田方郡三島町田方郡 三島町, 北上村
京都府編入久世郡淀町久世郡 淀町, 綴喜郡 美豆村
福岡県編入築上郡八屋町築上郡 八屋町, 宇島町
長崎県町制/改称壱岐郡勝本町壱岐郡 香椎村
熊本県編入天草郡本渡町天草郡 本渡町, 本戸村
町制/改称阿蘇郡小国町阿蘇郡 北小国村
鹿児島県町制日置郡串木野町日置郡 串木野村
4.3福井県町制吉田郡森田町吉田郡 森田村
4.15大阪府編入泉南郡貝塚町泉南郡 貝塚町, 木島村
4.29奈良県町制宇陀郡宇太町宇陀郡 宇太村
5.5栃木県町制塩谷郡藤原町塩谷郡 藤原村
6.1岐阜県編入大垣市大垣市, 安八郡 多芸島村
和歌山県町制東牟婁郡西向町東牟婁郡 西向村
6.15石川県編入江沼郡大聖寺町江沼郡 大聖寺町, 福田村
岐阜県編入岐阜市岐阜市, 稲葉郡 三里村, 鷺山村
7.1神奈川県町制/改称三浦郡大楠町三浦郡 西浦村
大阪府新設/町制泉南郡山直町泉南郡 山直上村, 山直下村
7.1鹿児島県改称姶良郡霧島村姶良郡 東襲山村
8.1福島県町制石川郡浅川町石川郡 浅川村
静岡県改称駿東郡愛鷹村駿東郡 鷹根村
8.1千葉県町制山武郡白里町山武郡 白里村
大阪府新設豊能郡池田町豊能郡 池田町, 細河村, 秦野村, 北豊島村
9.1高知県編入高知市高知市, 土佐郡 秦村, 初月村
佐賀県町制東松浦郡相知町東松浦郡 相知村
町制東松浦郡佐志町東松浦郡 佐志村
9.4大分県編入別府市別府市, 速見郡 石垣村, 朝日村, 亀川町
9.25鳥取県編入米子市米子市, 西伯郡 住吉村
10.1兵庫県編入姫路市姫路市, 飾磨郡 城南村, 高岡村

昭和15年の国勢調査報告の方ですが、おそらく戦後出版された報告書の方には市区町村別面積の情報は掲載されていなかったと思いますが、火曜日にでも図書館で確認してみます。

昭和22年の臨時国勢調査では、結果報告書の冊数自体が少なく、市区町村別面積は掲載されていなかったと思います。

というわけで、国勢調査報告書に初めて市区町村別面積の情報が掲載されたのは、昭和25年の国勢調査の時だと思います。資料とされる『全国市町村別面積調査』に関しては、そのような冊子の存在をnacsis webcat等で確認できないので、昭和25年の国勢調査報告書に掲載されている分が唯一のものかもしれません。

ただ報告書にも問題があります。上の解説によると

 ただし,昭和25年の面積は,再検討を要すると認められた市町村については,境界の移動の有無にかかわらず,その面積を改測し,また,昭和10年以降において海岸線が著しく変化した区域の市町村も改測した。

とあるのですが、少なくとも北海道に関しては、以下のような地域については面積の再計算が行われておらず、上砂川町、朝日村、中札内村、更別村、忠類村、若佐村の面積は空欄のままとなっており、砂川町、歌志内町、上志別村、大正村、幕別町、大樹村、佐呂間村等は変更前の面積のままとなっております。

1) 空知支庁 上砂川町 昭和24年4月1日砂川町の一部及び歌志内町の一部を以て新設、調査未了。
2) 上川支庁 朝日村 昭和24年8月20日上志別村の一部を以て新設、調査未了。
3) 十勝支庁 中札内村 昭和22年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
4) 十勝支庁 更別村 昭和23年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
        昭和23年4月1日幕別町との間に境域変更、調査未了。
5) 十勝支庁 忠類村 昭和24年8月20日、大樹村の一部を以て新設、調査未了。
6) 網走支庁 若佐村 昭和23年4月1日、佐呂間村の一部を以て新設、調査未了。


まだ詳しくは全部に目を通しておりませんが、本州以南に関しては昭和25年までの市区町村間の境域変更に伴う面積の変更は概ね修正されているようです。
[84560] 2013年 12月 20日(金)17:48:52YT さん
面積データ、現在の境域による過去の人口等
[84552] hmt さん
一応人口データの枠ができましたので、人口データのチェックと一緒に、以前[73992]でも言及しました面積の入力を行っていきたいと思っています。

[84554] MI さん
[84557] むっくん さん
その後官報第六〇五四号(明治三十六年九月四日)にて
○村改称
玖珂郡渋前村藤谷村を合併し坂上村と改称明治三十七年一月一日より施行す
明治三十六年九月 山口県
との訂正がありましたので、現状のままでよいものと考えられます。
調べて頂きありがとうございます。
となると、明治36年の渋前村、藤谷村の項目をn.a.とでもする必要があるのかもしれません。

[84555] オーナー グリグリ さん
[84558] 白桃 さん
人口データの内、戦中戦後の人口調査・常住人口調査・臨時国勢調査をどう扱うかにも方針が必要かも知れません。昭和19年の人口調査は、昭和20年と比較しての落差など、非常に面白いデータなのですが、東京都に関してはなぜか当時の市区町村境域による人口ではない、さらに都道府県別人口と市区町村別人口の間に無視できる量ではない補正が加わっており、どうにも困ったものです。昭和20年の人口調査も、官報に載った市区町村別人口と、その後に公表された都道府県別人口の間に若干の補正が加わっています。昭和22年の臨時国勢調査も、水害による補正が加わっています。昭和21年の人口調査にはそういう問題はありませんが、外地人や外国人の人口が除外されていたりします。

まあ[82404][82405]で放置されたままになっている、平成22年10月1日の境域における各回国勢調査時の市区町村別人口を絡めるのであれば、国勢調査と昭和22年の臨時国勢調査のみでデータベースを作るべきかも知れません。

[84559] NTJ会長 さん
あたしなら、「全ての合計」を記載しますねぇ多分。
で、当時の自治体名に構わず、「その領域の人口の遍歴」として表にしますね。
こちらに関しては計算結果をオーナーグリグリさん、白桃さん以外の方には見せておりませんが、例えば[81975]に示すように、一応過去に平成22年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口を計算したことがあります。ただその際に問題となるのは、人口異動を伴う境域変更があった場合、小地域集計データの実数をどこまで反映させるかです。

過去に『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』という本が出版されており、この場合は人口異動を伴う境域変更は直前の国勢調査における組替人口のみを考慮し、それ以前については人口比を保持したままの推計人口として扱っています。それをルール化すると例えば[82020]に示すようになます。実際には全てを計算するのは大変なので、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』を出発となる基礎資料とし、過去の国勢調査・臨時国勢調査に関して平成22年10月1日の境域による市町村別人口を計算してみました。

ただ、例えば2000年の上九一色村の小地域集計結果データを使って[84316]のような処理をしてしまうと、上記のルールは崩れてしまいます。国勢調査で小地域集計結果データが存在するのは1995年以降ですので([84321]参照)、「1995年以降の人口異動は小地域集計結果データを考慮し、1995年以降に人口異動を伴う境域変更があった地域のそれ以前の人口を推計する際は、1995年の人口比で計算する」といったルールを加えようかと思いましたが、残念ながら1995年の小地域集計データはオンライン、紙媒体で閲覧不可で、電子データを150万円程度で購入する必要があります。

何れにせよ、現在の境域による過去の人口に関してはまだコンセンサスができておらず、当時の境域による市区町村別人口の方がよほど扱い易いデータです。
[84551] 2013年 12月 19日(木)15:04:46YT さん
主要都市の各センサスにおける人口順位一覧(西日本編)
西暦19201925193019351940194419451946194719481950195519601965197019751980198519901995200020052010
津市5365765968759394949692949811212712713012912912713114377
四日市市88102897278434045434247454748636871737271707070
鈴鹿市10482889697104133130131130124121122118114114116112
神戸町37303316315434672842
伊勢市103117127144166178194206215229258194
宇治山田市70869483968886919898102
大津市10212313955708773767777859196106929791877877727166
京都市44544533333455555676777
舞鶴市190485958627475114115136160179198206218237242278304
舞鶴町526508505478
大阪市21122222222222223333333
鷺洲町64
豊崎町40
今宮町47
鶴橋町97
天王寺村90
堺市2221242524181619212121251514111212121414141515
岸和田市130137106114695261696666909490100103105105110110107110113
岸和田町109
豊中市116135135131848682714428272832343941424649
豊中町330185
豊中村1392558
吹田市749081809091891219557474948475253545658
吹田町570278195128
高槻市21417119620318118520714698623947484546525757
高槻町372327881792159181
守口市1301301271541099387101117125127131140158165
守口町525718221032547217227260238
枚方市182183183244145100695143414340414346
枚方町3018198016311235164188170178
茨木市235244233162114948484808183818082
茨木町16291162902730568597574578596
八尾市1081091089173656063677076777983
八尾町756656574404341332294290303
寝屋川市458314116736470748082869296
寝屋川町261248257263271284
寝屋川村81577794759068136201
東大阪市151618182121222628
布施市34373235363637423831
布施町48719692
布施村2522
神戸市35456666666666667767666
姫路市5558683842495317202022241918212325252726252725
尼崎市7489975425131920131312121212121517202224283337
小田村17613712280
明石市9611412710211067126121117118110798481747472727369687476
西宮市1211264043384647454542332722252730323443353231
西宮町114
加古川市15614013112912510894918880808285
加古川町963781394333258270285280291298
宝塚市20218414412411410210110010398102102
小浜村18091212952715605643573616579581603
奈良市6775867889947277758790838278726256514950475256
和歌山市2325251919222326252529312625283135384242434955
鳥取市1101191339910313110911411812112095106120135141143140142144144109116
松江市7999108849310610510410811296101105117132138139137141142139114120
岡山市1818182130314438343433282929261715151516161921
倉敷市162122168158143136145148143778689313031333738373032
倉敷町375339
広島市8777782721151411111011141111111010101111
呉市1015119121120222222303639435971839294981058795
福山市10812212973901011161131141141061357774504145454444454036
下関市2628342918211824232427293034495664717681847679
宇部市76694945395452464341495782110116113115115116117126136
宇部村76
山口市1471211541655050547191129133135151163162161160154153118117
山口町132143
防府市859688929799100105126141156164169171180186193211228
防府町164175194145
岩国市99109113112116120121117113123141154165182194206214244170
岩国町482462495449
周南市153161
徳山市13514171747983117142152157154162168178191202216
徳山町189200215130
徳島市2935373537425854515150435162677275757578798187
高松市5440494339467068525045563538415051525555575942
松山市4454454638413131323332323430343433302928262526
今治市1061121138592105165142131128123107114125137144153156170182192130144
宇和島市1081098697117154140129133129163176206238247262281311338372287319
宇和島町156
新居浜市1211161391281331321289385103126136142150161167174194215
新居浜町961799637321
高知市5045363441353332333234414650565554575760596260
北九州市7789101111111313
門司市27272931333641434446465568
小倉市91694032262628282728252725
若松市4973735351587572828576102104
八幡市16191412101521252823241617
戸畑市11191585661999595958010499
戸畑町92
大牟田市324235333627293030262835416090110120124134146155179213
福岡市1712888977777771010108888888
久留米市5739433750556660666762636683818688939292926972
飯塚市105113133169155148149140175210161207238237247259266281319189
飯塚町111126124
穂波町452632679704722750765771781845
穂波村81107134136141180222216215204211314
田川市81858185847899124182239293338350378404428495532
伊田町148182204144129
佐賀市9496102881011201081019910410874839611211911911811912012610798
長崎市7891111122518191916141416192124262833393738
佐世保市2126212016162223242726232836536574798588898888
大分市5862756861637773727370868842464540404037363433
別府市113118657782746257627397102107128132137146156166171187208
別府町112
熊本市2811151620201313121213131315171816161615152018
宮崎市92816272657871615658616364767666656765656848
宮崎町167
都城市13913511386959286919394128127121134146145151157160164175140
都城町131
延岡市76607697878688798292104123130136142155169178202191
延岡町35173065157
鹿児島市1417191822254334262918192326222019171719192223
鹿屋市114110100106113115136160193231255257266272281278312256
鹿屋町207219213179204
那覇市6070607585179873633405257596364666669
那覇区42

銚子市の前身は本銚子町だろだとか、田川市の前身は後藤寺町だろだとか、色々突っ込みはありそうですが、その辺は独断で取捨選択しました。

自分がまとめたファイルの方は、異なる各市区町村に別の人口を入れてしまったケースが大量にあるかも知れませんが、人口の総数の方はチェックしておりますので、人口の数値と順位の方には大幅な間違いはないと思います。
[84550] 2013年 12月 19日(木)14:59:49【1】YT さん
主要都市の各センサスにおける人口順位一覧(東日本編)
で、折角なので一度でもいいからやってみたかったことを実行します。
以下、1920年以降の各センサスで人口上位100位以内、特例市、北海道の旧支庁所在地の何れかに該当する都市の、前身となる町村を含めた各センサスにおける人口順位一覧です。ただし1945年~1948年は沖縄は対象外で、1950年~1970年は沖縄を含みます。また1944年の東京都の都市人口は1955年頃の境域によるもので、暫定的な人口順位です。そして東京都特別区部は1つに数えます。

西暦19201925193019351940194419451946194719481950195519601965197019751980198519901995200020052010
札幌市1313151517910101010999876555555
札幌区15
函館市9101317231214161719263137554750555966737381
函館区9
小樽市161724293324273131313945588599103116125133142168188
小樽区13
旭川市37443953544848474748474939374444444648515359
旭川区37
室蘭市7178614040455156555378737799117127145179199219256279
室蘭区41
釧路市9592777998112110110103728069688485929498107112124130
釧路区68
帯広市116142163156159151154151145111111121125124123121119118137142
帯広町260211173
夕張市746879766865921011552233824856499381121123312421211
夕張町45778710376
岩見沢市177151172168169163199208210227242243249263256260301296
岩見沢町141162166132159
網走市222226215300329356386437450474486498510587624
網走町121165179135163229193202
留萌市250259257429469407451521548582650708743821872
留萌町318374337268273266261227
稚内市245283266293299336379407454481505592644
稚内町368255265229247258253246255256
美唄市81120135220355490522553599647693784844
美唄町132111948983938981
沼貝町127
沼貝村100
根室市347343372418469515576623657754802
根室町287285274228254272366354440418403648
江差町8568639759261218116111091145119111991180119012491161115012071285136714471553157814191284
倶知安町265350398445528598536548547558552964987874896945986101710651124115311171069
浦河町11379858164947097548548147417306731110782789817891963102210741117113511311110
青森市5152523646509882675955404344575959626668676773
弘前市9911711598981199497103109111626787103113109111116115116131128
八戸市846663686367646357605363717980848789889197
八戸町209194
盛岡市6072675759563944484851596466808185869070717774
仙台市12141210131488888101113131414141212121212
秋田市8690957081533540414443384251586161616563636368
山形市5257665667664949535356484861758081828385828591
米沢市598710687105127106115121127135109123140168190207215226234237273299
福島市8710010493108123123125717271727970666967707172697575
会津若松市100116128143161163170177184191199205
若松市789711497109129101107115119124
郡山市91937988991049610010110111610746545860605856565865
郡山町128
いわき市324046464747495562
平市187231242234237241188143167191
平町179181191173
水戸市698096647386115111111110105887884919190909187878384
日立市58601701471391351326559658288969799108110112121
日立町171174124
日立村133
つくば市140135129111107
谷田部町26962583256423972180200721222020197920232260737847853844812670555
宇都宮市3334464252575755555454303332363738363534343527
足利市10511291107122118123136134146989788107115116119120124132145157
足利町93
日光市471511540619698807898972103510881106298
日光町232253263212219197232258265272286
足尾町981792031752392813183633914044369161117126015402302248525592636268927582036
前橋市3536424154596066686567445256616665666873756464
高崎市8282716365776163706974767669838387888991909054
桐生市94855055735157636469819099120131141153165180197184216
桐生町77
伊勢崎市128147144144157156161123138152170178176179182181172108108
伊勢崎町324241227190
太田市146157242195151155157155148148150148104106
太田町16201249123163912297122127140
さいたま市1010
浦和市1008364424649495258564742384142363024
浦和町436244188
大宮市79626465606457555244424243413532
大宮町191156164125131
川越市13214112013615912112613814014596103101937869636258586161
川越町135
熊谷市10813011210099105105112111120118131137135133132134135119110
熊谷町150148144
川口市8147523741424144685435353537373131302829
川口町320251222
所沢市1961861491189282686461606063
所沢町735585597535560192179177187189193
春日部市4894993841791421221171091051049399
春日部町500527559579618
粕壁町161413061218106810591049
上尾市42027013812111510910610099101104
上尾町35333749335825501587126210681031989929875434
草加市4271641291091011029794959693
草加町2020166314211174861760661649644627636503
越谷市2761721149386786967646567
越谷町280
越ヶ谷町53063292374930512905279021041949193619671984
千葉市98997449453839404040373224161313131313131414
千葉町95
銚子市9482919189929497122128143171196216230251269288338384
銚子町563465475
市川市9687806959606159696553454639393232333134
市川町677282236
船橋市100927675808087848145332521211920202322
船橋町303228218169
松戸市16614013412614114715313779513634282627292930
松戸町928641629256226
柏市2791911191118779696162614747
柏町1163899788647458448405389374
千代田村18821485
市原市1531069589857975767880
市原町19201382
八幡町35553411351431192969258624392320227124372463
特別区部111111111111111111
東京市12211
品川町636480
大井町835360
大崎町897883
目黒町8462
目黒村214
荏原町22
平塚村74038
世田谷町10956
世田谷村369
渋谷町242231
千駄谷町85104121
代々幡町1836859
淀橋町666674
中野町1584741
杉並町11551
杉並村1718
高田町12585100
西巣鴨町432326
滝野川町653232
南千住町465977
日暮里町625658
三河島町1595148
尾久町7955
尾久村950
王子町754839
千住町1036761
吾嬬町1055047
寺島町10698
寺島村188
亀戸町725564
八王子市7183887180728484889088646254524336312522212424
武蔵野市107100981109397117128134138149156156171180
武蔵野町306176125124108104
武蔵野村2257575
三鷹市16714712194108112118120123125122128126
三鷹町228196156137136137
三鷹村16731382970534
府中市2211831421029610099999695948990
府中町1592957836422355300289272276282
町田市166113776358545049464239
町田町2290184013431107667306396387386392386470
横浜市66665445555544332222222
鶴見町70
生見尾村283
川崎市61302397141111998889910999999
川崎町162
相模原市12611076393326222017172119
相模原町11180838789103
大野村2195207220481933714
横須賀市20242717211010991115172427303227293336383843
平塚市10711912416616115915714816110095959493898486838489
平塚町372186146
鎌倉市1261361201191237684115118108115111111114117121128135135
鎌倉町210195182155
藤沢市1401108990818286898967645755504845444545
藤沢町229188187148
小田原市1007985939293858791105104108104108106106113115
小田原町143155183163205
茅ヶ崎市166167168191177132122120112106101969697100
茅ヶ崎町208198217177191190158162
厚木市360307228180159129113105999799103
厚木町263722481604126011221037999963937918974
大和市380211146122114110107102100100101
大和町908387823687617488635
大和村27382841250120061790
新潟市1920232731281515181820212021242423232323231716
長岡市616372677183174145125115107677285981061061071121111099578
上越市140146154158162158105109
高田市115135156140186228186201201213232141159186211
富山市3643534435323637353535464040435352565657623940
高岡市8493907584443033373739658092102107110112114117120141134
金沢市1110162223241112141514182223292928273029313635
小松市1139098109111116138132145161174180192199203207231247
小松町300307324288294
福井市384965514851127118837963757075787778818284858686
甲府市394150454447555650524952607288969898103104108115114
長野市8044544762704753585761536171384849495151504850
松本市484657526478646974758354718697981001001021011019894
岡谷市127186203192212210236271255258262289319332360387411465509
平野村567482104
岐阜市3433383027292629293023222120232629353839404444
大垣市116124128909110311111610210295112108115119126131131136139145155149
静岡市2530201414191716171617151819202222242425271820
清水市8179696971877878787773744960707783869091
清水町551
浜松市3129282828305642393936201617181920191818181617
沼津市11011189951026565595860707580868997969597102106111
沼津町168
富士市331292244899095959393939492
富士町664466371390364341343348360
加島村860738
名古屋市53333354444333444444444
豊橋市3031332632343436383838343741485453535352485052
岡崎市7388634857626770737068515859707568646059555453
一宮市1201198266849510210710699505055687373767779785151
一宮町122
瀬戸市13195115152141165170173174167141154169153156158166164165176186
瀬戸町151134
半田市1049396105113117118158165174187203218217212210204213222
半田町220257319270
春日井市1601251371501551622111531101018276777474747271
勝川町844833805689644
豊田市302122796762585454534141
挙母市464
挙母町421412406395268251239240246249262
[84549] 2013年 12月 19日(木)14:32:26YT さん
明治31年以降の市区町村別人口変遷の変遷
[84256] オーナー グリグリさん

一応11月中に明治31年以降の市区町村別人口変遷の変遷が完成しました。その後、まず本サイトの市区町村変遷情報と見比べながら、市区町村の変遷情報をチェックしたところ、前にアップロードしたファイルの中に100以上の間違いを見つけました。

また当サイトの市区町村変遷情報に要修正箇所を改めて見つけましたので以下報告します。

(1) 鳥取県八頭郡山形村 (鳥取県#25)

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
251912(M45).4.1新設八頭郡山形村八頭郡大内村, 虫井村詳細

『自明治42年1月1日至大正2年12月31日 郡市町村廃置分合表』によると、明治45年4月は、八頭郡大内村と虫井村の間に組合が設置さえた日であり、両村が統合されておりません。『大正14年 国勢調査報告 第一巻 記述編』によると、
大正八年一月一日 八頭郡大内村、虫井村ヲ廃シ其ノ区域ヲ持テ山形村ヲ置ク
とあり、以下のように修正するべきでしょう。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
XX1919(T8).1.1新設八頭郡山形村八頭郡大内村, 虫井村詳細

(2) 山口県玖珂郡坂上村 (山口県#22)

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
221904(T37).1.1新設玖珂郡坂上村玖珂郡 渋前村, 藤谷村詳細

『自明治三十六年十二月三十一日至明治四十一年十二月三十一日 郡市町村廃置分合一覧表』に該当する情報がなく、『明治三十六年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』ではすでに統合済みとなっています。
『自明治三十一年十二月三十一日至明治三十六年十二月三十一日 郡市町村廃置分合一覧表』によると、明治36年5月9日に統合が許可とあり、実施日は書いてありませんが、明治36年中に統合が実施されたのではないでしょうか?

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
XX1903(T36)..新設玖珂郡坂上村玖珂郡 渋前村, 藤谷村詳細

というわけで、「市区町村別人口 Ver. 0.10」として
以下に47todofuken01.lzhをアップしました(LHA圧縮、約7.3 Mb)。
解凍すると25Mbにもなります。
http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/837/47todofuken01.lzh

Introductionシートには、簡単な解説
For Checkシートには、入力したデータとSUM関数による合計のチェック
Mainシートには、For Checkシートから関数を除去したもの
Rankシートには、国勢調査開始以降の各センサスの市町村別人口順位

が含まれます。

今後の修正スケジュールですが、
(1) 1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告書を使って順次チェック(2~3ヶ月前後か?)
(2) 1955年以降の国勢調査人口をチェック(1ヶ月前後か?)
(3) 1948,1946,1945,1944年の常住人口、人口調査人口をチェック(2ヶ月前後か?)
(4) 1920年よりも前の現住人口チェック(各1ヶ月、合計5ヶ月か?)
といった感じで、多分全部のチェックには1年掛かるかも知れませんが、とりあえず現時点で一応形にはなりました。
[84442] 2013年 11月 16日(土)18:12:59【2】YT さん
東北を除く日本の明治31年以降の市区町村別人口の変遷
[84256] オーナー グリグリさん

関東地方の人口変遷をまとめる過程で、当サイトの市区町村変遷情報に要修正箇所を見つけましたので以下報告します。なおどれも本質的には間違いと言うほどのものではありません。

(1) 千葉県平川町 (千葉県#220、#222)
君津郡平川町への根形村の一部、富岡村の一部の編入は同日です。法令上では別になっているのかも知れませんが、他のケースでも同様に別扱いとしているのでしょうか?本件に関しては、千葉県#220、#222を合わせ、#222を消して以下のように変更するべきではないでしょうか?

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
2201955(S30).3.31編入君津郡平川町君津郡 平川町, 根形村の一部, 富岡村の一部詳細


(2) 埼玉県入間郡毛呂村の編入先 (埼玉県#55, (埼玉県#56))
『昭和25年 国勢調査報告 第7巻その11埼玉県』によると
昭和13. 4. 1. 入間郡毛呂村及び山根村の各一部(人口異動なし)を同郡高麗川村に編入。
昭和13. 4. 1. 入間郡毛呂村(3 329)及び山円村(2 668)を廃し、その区域をもって毛呂山町(計5 997)を設置。
とあり、人口異動なしとはいえ入間郡毛呂村の一部は、同様に人口異動なしの山根村の一部と同じ日付で高麗川村に編入されています。よって埼玉県#55を以下のように変更する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
551939(S14).4.1編入入間郡高麗川村入間郡 高麗川村, 毛呂村の一部, 山根村の一部詳細

(3) 世良田村の編入について (群馬県#102, (群馬県#103)
変遷情報では1957年(昭和32年)11月1日付で尾島郡世良田村と新田郡尾島町の間で境界変更、同日に尾島郡世良田村が佐波郡境町に編入とありますが、昭和35年国勢調査報告の「付表2 市区町村の廃置分合, 境界変更, 名称変更一覧表」(pdfファイル)によると、
32.11. 1 新田郡世良田村の一部(4,905)が尾島町に編入
とあり、異動人口は佐波郡 境町に編入された旧新田郡世良田村の人口(4368人)よりも多いくらいです。よって群馬県#102, #103の双方を編入とし、以下のように変更するべきではないでしょか?

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
1021957(S32).11.1編入新田郡尾島町新田郡 尾島町, 世良田村の一部詳細
103編入佐波郡境町佐波郡 境町, 新田郡 世良田村の一部詳細


(4) 久慈郡染和田村について (茨城県#127, #129)
変遷情報では1955年(昭和30年)3月1日付で久慈郡河内村の一部が久慈郡染和田村に編入後、同日に久慈郡山田村と久慈郡染和田村が合併して久慈郡水府村となっています。法令上は別でしょうが、このようなケースについて他の変遷情報ではまとめて記載しているように見受けられますがどうでしょうか?よってこれも両者を合わせて、茨城県#129を削り、以下のようにまとめるべきではないでしょうか?

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
1271955(S30).3.1新設久慈郡水府村久慈郡 山田村, 染和田村, 内村の一部詳細


というわけで、[84253] でアップしたエクセルファイルに、神奈川県、東京都/府、千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県の情報を加えたものを以下にアップしました(LHA圧縮、約2.9Mb)。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/796/41todofuken.lzh


●新潟県岩船郡粟島浦村については公的な出版物である『新潟県市町村合併誌 下』の記載に従いました。

●東京府/東京都に関しては、北海道/北海道庁や米軍下の沖縄県と同様に、エントリーの区別はつけませんでした。

●明治31年の東京府小笠原島の人口は、『明治三十一年 日本帝国人口統計』では合計4519人の情報しかありませんが、『明治三十一年 東京府統計書』により、島別人口の情報を補いました。ただし村別人口は不明です。

●明治31年の東京府管下伊豆七島中八丈島附属青ヶ島の現住人口682人は明治35年年7月8日の『官報 第5702号』により追加しました。

●明治41年の東京府管下伊豆七島中八丈島附属青ヶ島の現住人口(544人)の追加と三重県員弁郡大泉村の現住人口の改訂(1495人→1584人)は、『明治44年9月6日の『官報 第8464号』』によります。なお官報には他の訂正も載っていますが、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』では東京府青ヶ島と三重県員弁郡大泉村の現住人口以外については修正・対応済みです。

●昭和22年臨時国勢調査における「町村に配分せられない水害地の調査洩れ数」については、「追加補正」という分類により、以下のエントリーで対応しました。
地域名人口
宮城県玉造郡全域の内町村に配分せられない水害地の調査もれ数21
宮城県栗原郡全域の内町村に配分せられない水害地の調査もれ数71
宮城県登米郡全域の内町村に配分せられない水害地の調査もれ数60
宮城県本吉郡全域の内町村に配分せられない水害地の調査もれ数55
下都賀郡の内生井村、部屋村の2カ村に配分せられない水害地の調査もれ数60
足利郡の内毛野村、山前村、小俣村、山辺町の4カ村に配分せられない水害地の調査もれ数207
北埼玉郡の内利島村、川辺村、東村、原道村、元和村、豊野村の6カ村に配分せられない水害地の調査もれ数53
南埼玉郡の内桜井村、新方村、増林村、八条村、八幡村、潮止村、須賀村、鷲宮村の8カ村に配分せられない水害地の調査もれ数84
北葛飾郡全域の内町村に配分せられない水害地の調査もれ数321

●昭和20年人口調査における「報告もれ等の人口」については、昭和22年の臨時国勢調査での水害地の調査もれとは違い、実際には集計の訂正よる人口減も含まれてしまっています。これらの修正は、昭和20年末に官報に公表された数字と、『昭和15年国勢調査 昭和19年人口調査 昭和20年人口調査 昭和21年人口調査 結果報告摘要』(1949年)の出版の間で行われており、市部・郡部での総計の修正しか詳細は判りません([82196]参照)。これらについては、「追加修正」という分類により、以下のエントリーで対応しました。
地域名人口
宮城県市部の地域別不詳の報告もれ等778
宮城県郡部の地域別不詳の報告もれ等160
秋田県郡部の地域別不詳の報告もれ等-91
茨城県郡部の地域別不詳の報告もれ等-229
埼玉県郡部の地域別不詳の報告もれ等171
千葉県郡部の地域別不詳の報告もれ等-11
長野県市部の地域別不詳の報告もれ等100
愛知県市部の地域別不詳の報告もれ等288
愛知県郡部の地域別不詳の報告もれ等225
京都府郡部の地域別不詳の報告もれ等-1
山口県市部の地域別不詳の報告もれ等-49
香川県郡部の地域別不詳の報告もれ等147
熊本県郡部の地域別不詳の報告もれ等139

●東京都の昭和19年人口調査に関しては、『昭和19年人口調査 集計結果摘要』に従い、1954年末頃の区町村別境域に従った人口をイタリックで掲載しました([82202]参照)。なお昭和20年の人口調査と昭和22年の臨時国勢調査に関しては、人口の不一致の解消を図りましたが、昭和19年の人口調査は全ての都道府県で市区町村別人口の合計と都道府県別人口が一致しません。官報等で人口が報告されている気配もなく、これらの人口修正が行われた時期も不明であり、現状では昭和19年の人口調査のみ、人口不一致が残ったままとなっています。

入力が済んでいない残りは東北のみで、ほぼ全体の90%が完成といったところです。既にエントリー数は2万を超え、最終的には2万3千くらいになるでしょうか。なお相当数の入力間違いが含まれており、再チェックはとりあえず全貌が完成してからです。

入力作業で問題となるのは、国勢調査報告書に間違いがある点です。特に昭和15年の国勢調査報告書は、町⇔村の間違いが多く、昭和25年の国勢調査報告書は数字の間違いが多いようです。
[84321] 2013年 10月 27日(日)22:44:29【4】YT さん
国勢調査小地域集計データ
[84316] オーナー グリグリさん

ところで、小地域集計データはいつ頃からネットで公開されるようになったんですかね。


国勢調査で町丁・字別の集計を行うようになったのは平成7年(1995年)以降です。

また平成7年(1995年)のデータは「国勢調査 平成7年以前の小地域集計結果データについて」(pdfファイル【リンク修正】)によると:

平成7年以前の小地域(町丁・字等別)集計結果については,以下のとおりです。
●平成7年
町丁・字等別の結果データは,専用のデータ表示ツールを用いて利用する形態となっています。
このため,e-Stat には掲載しておらず,表示ツールと結果データを収録したCD-R を,統計図書館
(URL:http://www.stat.go.jp/training/toshokan/4.htm)や,都道府県庁に配布しております。
ご利用に当たっては,お近くの各機関にお問い合わせください。
●平成2年以前
町丁・字等別の集計を行っておりません。


とあり、e-statで閲覧できるのは平成12年(2000年)以降となります。

一年ぐらい前にまとめた「2010年の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口」のデータでは直前の国勢調査の組み替えのみしか考慮しておりませんでしたので、2005年~2010年の間の境域変更に関しては、e-statの2000年のデータを使ってそれ以前の人口推計をすぐにでも修正することが可能ですが、1995年のデータは自分は未だ実物をみたことがありません。

いずれにせよ、1990年以前の小地域集計結果は国の国勢調査レベルでは存在しないので、「2010年の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口」を実データで修正するとしても、(1995年の国勢調査の小地域集計結果が入手できたとして)可能なのは[81967]の1995年以降の15件+2005年以降の境域変更の合計20件前後ということになります。

【追記】と思いましが、1995年~2000年の境域変更分については1995年の組み換え人口データで反映されているので、実データによる修正を改めて為し得る対象の境域変更は、2000年以降の10件程度だけですね。なお都道府県によっては公的な統計サイトで国勢調査時の町丁・字等別人口を公表しているはずです。

【追記の追記】肝心の以下の疑問に答えるのを忘れました。
ところで、小地域集計データはいつ頃からネットで公開されるようになったんですかね。
平成12年、平成17年の小地域集計データの閲覧方法の解説で2012年1月10日の日付が見えることから、多分平成22年の国勢調査の最終結果も揃い始めた2012年初頭のことだと思います。

【追記の追記の追記】なお[81927]でも言及した統計情報研究開発センターから「平成7年国勢調査<集計結果データ>」の小地域集計を購入しようとしますと…

例えば「総数・男,年齢(3区分)別人口及び世帯の種類(2区分)別世帯数の結果(一般提供に限る)」が入っている「平成7年国勢調査基本単位区別集計A(年齢3区分有り)」が都道府県編合計で1,554,000円(税込)、「町丁・字等別集計結果に対応する地域の境界線(レイヤ),町丁・字等の名称等」が入っている「平成7年国勢調査町丁・字等別地図(境域)データ 」が都道府県編合計で1,533,000円(税込)もするもので、ちょっと個人で買えるものではありません。
[84314] 2013年 10月 27日(日)16:02:23YT さん
境界変更に関して
[84310] むっくんさん

私にはYTさんが何を問題とされておられるのかよく分かりません。


説明不足で済みません。[84269]の文章はむっくさんに問いただした内容ではなく、境界変更に関する記載のルールをもっと明確にした方がよいという一般論として書いたものです。

人口の変遷を色々調べた過程で、現状の変遷情報でも人口異動がゼロでも掲載されていたり、逆に数百人単位での人口異動がある例でも抜けている例が多数あります。また(微)・(主)の使い分けにしても、実際には(微)と書かれておりながら(主)の倍近くの人口が異動していた例がありました(境界変更に関してはメモを取ってなかったので、どれがおかしいかは今は指摘できませんが)。人口異動がゼロのケースは大字単位での境界変更があった事例とは思えないので、多分、元にした府県毎の二次資料か何かに引きずられてそのまま情報が残ってしまったものだと思います。現状では「境界変更のみ」の情報が一定のルールに従って掲載されているとは思えないのです。

そこで「大字単位での境界変更があるもの」「人口異動があるもの」「人口異動がないもの」の区別をつけるかはどうかとして、境界変更のみに関しては「市区町村変遷履歴情報」から外し、改めて「市制町村制施行時の情報」・「市区町村変遷履歴情報」とは別の情報としてまとめたらどうかと思った次第です。あるいは現状のまま「「大字異動」・「人口異動」の何れかでも確認された場合」に限り、境界変更情報を掲載することにするのでしょうか?現在の人口入力作業が完成した後でしたら、国勢調査報告書に掲載されている国勢調査開始以降の境界変更の情報をまとめたりして協力することはできますが、この辺のルールが未だ中途半端のまま放置されているようにみえるので、もう少しルールを明確にした方が良いと思ったのです。[84269]に示したように、人口異動の無いすべての境界変更を載せるのなら、別にまとめる必要がありますし、人口異動のあるケースも現状の情報からかなり抜けています。
[84269] 2013年 10月 25日(金)20:44:04【1】YT さん
境界変更情報の扱いについて
[84265][84266] むっくんさん

色々調べて頂きありがとうございます。自分は官報の検索には未だ不慣れな状況です。

ところで

[84187]にてYTさんが問われておられる市区町村変遷情報の収録範囲(境界変更を含む)についてです。

についてですが、例えば『昭和25年 国勢調査報告 第7巻その23愛知県』収録の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更(大正9年10月~昭和25年9月)から、境界変更だけの情報を抜き出すと以下の通りです。【追記:漢字・日付等を色々修正】

9)大正12.9.1.名古屋市東区の一部(91)及び西区の一部(人口異動なし)を中区に編入。
17)大正14.4.1.海部郡佐織村の一部(561)を津島町に編入。
19)大正14.10.1.額田郡幸田村と幡豆郡豊坂村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
20)大正14.11.10.一宮市、中島郡大和村、同郡萩原町及び今伊勢村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
21)大正15.3.1.南設楽郡新城町と同郡千郷村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
24)昭和2.6.20.名古屋市中区の一部(人口異動なし)を南区に、南区の一部(50)を中区に編入。
25)昭和2.12.1.愛知郡天白村と名古屋市南区及び中区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
26)昭和3.4.1.渥美郡老津村と同郡高師村及び高豊村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
27)昭和3.4.1.名古屋市南区の一部(97)を同市中区に編入。
28)昭和3.4.1.一宮市と中島郡大和村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
33)昭和3.11.1.一宮市と葉栗郡葉栗村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
34)昭和3.12.20.海部郡弥富町と市江村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
36)昭和4.6.1.名古屋市東区の一部(78)を同市西区に編入。
40)昭和5.3.15.名古屋市南区の一部(64)を中区に、中区の一部(人口異動なし)を南区に編入。
41)昭和5.5.15.名古屋市西区と西春日井郡庄内町との間に境界変更(人口異動なし)あり。
42)昭和5.9.10.幡豆郡一色町と同郡福地町との間に境界変更(人口異動なし)あり。
43)昭和5.9.10.名古屋市中区の一部(37)を南区に、南区の一部(21)を中区に編入。
44)昭和5.12.1.名古屋市南区の一部(人口異動なし)を同市中区に編入。
45)昭和6.1.1.名古屋市南区の一部(7)を同市中区に編入。
46)昭和6.5.1.名古屋市南区と愛知郡下之一色町との間に境界変更(人口異動なし)あり。
47)昭和6.7.15.愛知郡下之一色町の一部(人口異動なし)を名古屋市南区に編入。
48)昭和6.10.1.名古屋市西区と同市中区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
52)昭和7.12.1.名古屋市東区と西春日郡萩野村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
53)昭和7.12.10.名古屋市東区の一部(1,342)を同市中区に編入。
54)昭和8.3.1.碧海郡旭村と同郡明治村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
56)昭和8.4.1.名古屋市南区の一部(人口異動なし)を同市中区に編入。
57)昭和8.6.10.豊橋市の一部(38)を宝飯郡豊川町に編入。
58)昭和9.3.1.海部郡弥富町と市江村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
59)昭和9.6.1.名古屋市西区と中区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
60)昭和9.7.1.額田郡幸田村と幡豆郡豊坂村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
61)昭和9.7.1.碧海郡六ツ美村と幡豆郡三和村及び室場村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
62)昭和9.8.23.愛知郡天白村と名古屋市中区及び東区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
63)昭和9.9.10.渥美郡田原町と赤羽根村及び神戸村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
64)昭和9.10.1.名古屋市東区と中区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
65)昭和9.11.20.海部郡津島町と佐織村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
66)昭和10.10.2.名古屋市東区の一部(18)を同市中区に編入。
67)昭和10.12.1.名古屋市西区と中区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
68)昭和11.1.1.名古屋市西区の一部(195)を同市西区に編入。
69)昭和11.5.1.一宮市と中島郡大和村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
70)昭和11.7.15.名古屋市中区の一部(人口異動なし)を東区へ、東区の一部(10)を中区に編入。
71)昭和11.12.10.海部郡八開村、津島村、佐屋村、市江村、立田村及び弥富町との間に境界変更(人口異動なし)あり。
72)昭和11.12.10.海部郡弥富村と市江村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
77)昭和13.1.25.名古屋市港区の一部(人口異動なし)を中川区に編入。
78)昭和13.8.1.東春日井郡篠木村と同郡鳥居松村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
79)昭和13.8.20.渥美郡田原町と同郡神戸村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
80)昭和13.9.1.名古屋市中村区と同市中川区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
82)昭和14.12.15.名古屋市中村区と中川区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
84)昭和15.3.10.渥美郡田原町と同郡杉山村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
86)昭和15.6.11.瀬戸市と愛知郡幡山村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
88)昭和15.8.15.名古屋市中村区の一部(人口異動なし)を中川区に編入。
90)昭和15.9.25.名古屋市西区と東春日井郡守山町との間に境界変更(人口異動なし)あり。
91)昭和15.10.5.名古屋市港区と熱田区との間に境界変更(人口異動なし)あり。
94)昭和18.1.1.海部郡甚目寺町の一部(817)を西春日井郡清洲町に編入。
95)昭和18.3.3.碧海郡上郷村と同郡高岡村との間に境界変更(人口異動なし)あり。
102)昭和22.8.1.名古屋市中区の一部(人口異動なし)を東区に編入。
107)昭和24.11.1.東加茂郡下山村の一部(168)を南設楽郡作手村に編入。
108)昭和24.11.15.幡豆郡福地村と同郡平坂町との間に境界変更(人口異動なし)あり。

境界変更及び名称変更に関する脚注は年代順に全部で109まであり、上に示すようにその半分を超える57個が境界変更のみの情報です。つまり新設や名称変更の情報を合わせた数を超える数の境界変更情報があるわけです。愛知県のみのたった30年間だけでもこれだけの数の境界変更があり、これを変遷情報に載せるとなると、肝心の新設・名称変更等の情報の方が圧迫されてしまいます。また人口異動の有無などは官報等では確認できないでしょうし、国勢調査開始以前では大字の名前ぐらいしか確認することはできないはずで、人口異動の有無は調べようがないと思います。

そうなってくると、わりかし大きい境界変更のみの情報を含めて削除するか、境界変更のみの情報だけで別項目を作る必要があるかと思いますがどうでしょうか?
[84260] 2013年 10月 24日(木)00:37:56YT さん
Re:愛知県碧海郡上青野村など
[84259] MI さん

とあることより「上青野村」は誤りで「青野村」が正当と思われます。


フォローありがとうございます。

[84253]の人口データ入力時には「上青野村」を「青野村」に修正しておりましたが、その際に修正内容を「上青野村」としか脇にメモっておかなかったため、[84253]の文章を書いた時には修正の内容をすっかり忘れていました。
[84254] 2013年 10月 23日(水)19:11:45YT さん
粟島浦/粟島浦村改称問題
このほか新潟県岩船郡粟島浦村 (新潟県#242)の改称時期に関しても色々調べました。今頃になって過去に[68959][69163][78806]などでMIさんが調査されていて、結局これに関しては結論が出てないことに気付きましたが、一応参考になる情報も提供できるかと思い、自分が調べた内容を以下まとめます。

変遷情報では明治42年(1909年)中に粟島浦から粟島浦村へ改称したことになっており、同様の記述を平凡社の『日本歴史地名大系』と新潟県総務部地方課編『新潟県市町村合併誌 下』(1962年)の1576頁で確認しましたが、『自明治42年1月1日至大正2年12月31日 郡市町村廃置分合表』には記載がありません。

1898年9月13日の官報の「明治30年12月31日市町村現住人口調」では「粟島浦」となっているのに対し、『明治31年日本帝国人口統計』『明治30-31年新潟県統計書』(人口は明治32年12月31日現在;ただし別のコマでは[69162]でむっくんさんが指摘されているように「粟島浦」)やそれ以降の官報、日本帝国人口静態統計等では「粟島浦村」となっていることから、実際には明治31年(1898年)中に改称されたものと推測しました。

しかしながら『新潟県市町村合併誌 上』の549頁以降収録の「市制・町村制施行から明治三十四年まで 町村分合及び町村名改称一覧表」(明治34年の新潟県の町村の大合併よりも前のもの)、及び843頁以降の「明治三十五年から明治四十五年まで 町村分合及び町村名改称一覧表」(明治34年の新潟県の町村の大合併よりも後のもの)には、粟島浦の改称に関する官報告示・県報告示が全く載っていません。本書は新潟県総務部地方課によって編集されたもので、
市町村制施行以前と違って町村数も少なく、かつ県の公示機関も整備されており、大きなミスはないはずである。
との断りがあることからも、記載漏れの可能性は低いと思われ、過去に[68959][69163][78806]でMIさんが示唆しているように、粟島浦の改称は官報や県報で告示されたことがないようです。となると町村の呼称に関する規則の改訂等で自動的に「~村」に変わったのでしょうか?現状では明治31年に関しては状況証拠だけ、明治42年に関しても法令等を確認できず、改称時期に関しては保留にするしかないようです。

なお『新潟県市町村合併誌』の方は『新潟県史』、『新潟県百年史』等から引用を辿っていくうちに存在を知りましたが、過去にむっくんさんが[80724][83139]で既に紹介されていました。
[84253] 2013年 10月 23日(水)19:00:29【1】YT さん
明治31年以降の北海道、中部・近畿・中国・四国・九州地方の市町村別人口の変遷
[84183] オーナー グリグリさん

新潟県以西の人口変遷をまとめる過程で、当サイトの市区町村変遷情報に要修正箇所を見つけましたので以下報告します。

(1) 愛知県碧海郡上青野村 (愛知県#31、#136)
渡村と同様に、『明治36年12月31日-41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』や明治24年以降の官報による現住人口表等で上青野村の存在を確認できません。
【追記:修正内容を間違えました。[84259]でMIさんが指摘されているように、「上青野村」→「青野村」に修正する必要があります。】

(2) 愛知県中島郡平和村内の井長谷村の記述 (愛知県#161)
中島島郡明治村・中島郡千代田村(#183、#184)へ分割合併された井長谷村は、『明治36年12月31日-41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』によると、中島郡明治村(大字儀長)・中島郡千代田村(大字井掘)・中島郡平和村(大字須ヶ谷)に三分割されており、よって中島郡平和村新設(#161)に「中島郡井長谷村の一部」を追加する必要があります。

なお『明治36年12月31日-41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』によると、中島郡平和村の新設(#161)は、明治39年(1906年)5月2日ではなくて明治39年(1906年)5月10日であり、「1906(M39).5.10」に修正する必要があるかもしれません。同様に中島郡平和村の新設を「1906(M39).5.10」に修正すると、中島郡内の他の町村の新設と同時となり、中島郡千代田村新設(#184)の際の三宅村の記述は「三宅村の一部」に修正する必要があるかも知れません。ただし『郡市町村廃置分合一覧表』の施行日の記述が誤っている可能性もあります。

(3) 岐阜県厚見郡鳥屋村、本荘村 (岐阜県#4、#197、#243)
明治23年(1890年)3月24日に厚見郡鳥屋村が厚見郡本荘村に改称し(#4)、昭和6年(1931年)4月1日に岐阜市に編入した(#243)とありますが、明治30年(1897年)4月1日の厚見郡から稲葉郡への郡変更情報(#197)では「鳥屋村」となっております。厚見郡から稲葉郡への郡変更情報(#197)の「鳥屋村」を「本荘村」に修正する必要があります。

(4) 新潟県岩船郡塩屋村 (新潟県#238)
明治34年(1901年)11月1日に平林村に吸収された岩船郡「塩谷村」は、岩船郡「塩屋村」の間違いと思われます(『明治31年12月31日-36年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』)。

というわけで、[84165]でアップしたエクセルファイルに、滋賀県、三重県、愛知県、静岡県、岐阜県、長野県、山梨県、福井県、石川県、富山県、新潟県の情報を加えたものを以下にアップしました(LHA圧縮、約2.5Mb)。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/782/34dofuken.LZH

沖縄県の変遷情報に修正を若干加えたほか、内訳が不明な島・村(戸長役場時代の鹿児島県大島郡、沖縄県の間切、国勢調査開始以降の北千島列島の郡)に関しては空欄にせず、「n.a.」 (not available)の文字を入れました。また、以前は明治31年以降に合併により郡名が変更した(岡山県、香川県など)の町村を同じエントリーに入れてまとめていましたが、整理のし易さを考えて、同じ町村でも郡名変更毎に全部別のエントリーにしました。

入力が済んでいないのは関東・東北で、ほぼ全体の70%が完成といったところです。ここ2ヶ月で全体の半分以上の入力が済んでおり、おそらく今年中には完成しそうです。ただ現在の作業では数字の入力を優先にし、漢字の間違い等のチェックは後回しにしておりますので、相当数の誤りがあるとは思いますので、注意して下さい。
[84187] 2013年 10月 5日(土)18:09:45【2】YT さん
境域変更情報を載せるガイドライン?
[84185] むっくんさん
[84186] MIさん

実は、近代デジタルライブラリ(国会図書館デジタル化資料)に収録されています。

私の把握している限りでは、市区町村変遷情報には愛知県の約100箇所の明白な誤りを筆頭に合計約300箇所の明白な誤りがあります。

情報ありがとうございます。平坂村から平坂町への改称は、福岡町と内海町の町制実施と同日の告示なのですね。

詳細は自宅に帰った月曜日以降ということになりますが、覚えている限りでは#92の分立は存在せず、#306と#315の境界変更は微小なものであり市区町村変遷情報の収録対象外であったと記憶しています。

#92の分立に関し、碧海郡渡村は、『明治36年12月31日調 日本帝国人口静態統計』でもその存在を確認できません。

なお昭和25年の国勢調査報告書の都道府県編に、1920年10月1日~1950年10月1日までの全ての境域変更の情報が掲載されておりますが(沖縄県等は対象外)、#306と#315の境域変更に関して、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻その23愛知県』(ネット上では現状閲覧できないと思われる)を調べると:

25) 昭和2.12.1. 愛知県天白村と名古屋市南区及び中区との間に境域変更(人口異動なし)あり。
41) 昭和5.5.15. 名古屋市西区と西春日井郡庄内町との間に境界変更(人口異動なし)あり。

となっており、どちらも人口の異動をともなっていませんね。

なお1919年1月1日~1925年10月1日までの境域変更・変遷情報は、『大正14年 国勢調査報告 第一巻』の「市町村の廃置分合境界変更及名称変更(大正八年一月一日及至大正一四年十月一日)」の方に掲載されています。
明治32年1月1日~大正7年12月31日の20年分は、近代デジタルライブラリーで閲覧可能な『郡市町村廃置分合一覧表』4冊に掲載されていますので、一応明治32年1月1日以降であれば、日本全国で二次的にある程度まとまった変遷情報があることになります(但し明治41年以前の沖縄県、北海道などの変遷情報は不完全だし、国勢調査時代になっても人口異動の有無の不明な境域変更があります)([81919]参照)。

ところで境域変更についてですが、結局のところ現状では全てを載せているわけでもなく、また人口異動の有るものに限っても大量の情報が抜け落ちています。ただ境域変更は膨大な数があり、そもそも境域変更の情報を変遷情報と同じ欄に入れてまとめるべきなのでしょうか?
[84183] 2013年 10月 5日(土)16:20:29【1】YT さん
愛知県幡豆郡平坂村→平坂町→平坂村→平坂町に関する市区町村変遷情報の要修正案件
[84171] オーナーグリグリさん

愛知県幡豆郡の人口変遷をまとめている途中で、当サイトの市区町村変遷情報において1893年(明治26年)中の平坂村から平坂町への町制実施が抜けており、また1906年(明治39年)5月1日付で、平坂町等の合併による平坂村の新設について、平坂村を平坂町と修正する必要があることに気付きました。

『明治36年12月31日-41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』によると、明治39年5月1日に、幡豆郡平坂町、中畑村、西野町村の一部、奥津村の統合が実施され、平坂町から平坂村へ「格下げ」しております。

実は同じ幡豆郡では、明治25年5月13日に町制となった一色町、横須賀町が、明治39年5月1日の町村整理の際に、同様に再び村へ「格下げ」になっており、平坂町も同様の措置の一環と思われます。官報による現住人口を比較すると、明治25年末の時点では一色町、横須賀町が町となっているのに対し、平坂村は村となっており、平坂村は一色村・横須賀村と同時に町制が実施されたわけではないことが分かります。一方明治26年末の時点では「平坂町」となっており、明治26年中に町制が実施されたと推測されます。

実際「西尾市・幡豆郡3町の沿革」(pdf)によると、明治26年に平坂村から平坂町への改名が実施されたことになっています。

ただ、近代デジタルライブラリの『愛知県令達類聚』には明治26年分が収録されていないので詳細が分かりません。とりあえず、自分がすぐに調べられる文献には、平坂村の最初の町制実施に関する日付は載っておりませんでした。

なお、幡豆郡 横須賀村はその後吉良町に吸収されますが、一色村は再び町となっているので、平坂・一色の両町村に関しては


平坂村→平坂町→平坂村→平坂町
一色村→一色町→一色村→一色町

という変遷が成立します。

上の間違いに気付いたのは、『明治31年 日本帝国人口統計』『明治36年12月31日調 日本帝国人口静態統計』等で、「平坂町」としてエントリーしていたからです。

[84165]の明治31年以降の市区町村別人口変遷をまとめる作業は、滋賀県、三重県を終えて西日本分がとりあえず完成し、愛知県の途中というところですが、愛知県を含め、岐阜県・新潟県と、明治時代の町村の数が600~1000という、町村数という点で巨大な県が控えています。

【追加情報】

『愛知県幡豆郡誌』によると、

明治二十五年五月一色村、横須賀村を一色町、横須賀町と改む。同二十六年十月大字徳永を寺津村より分離し奥津村に編入す。同十一月平坂村を平坂町と改む。

と、明治26年11月という情報がありましたが日付は不明です。現状では

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
XX1893(M26).11._町制幡豆郡平坂町幡豆郡 平坂村
YY1906(M39).5.1新設幡豆郡平坂村幡豆郡 幡豆郡 平坂町, 中畑村, 西野町村の一部, 奥津村の一部

のように修正する必要があると思われます。
[84182] 2013年 10月 5日(土)15:45:35YT さん
沖縄県令達類纂
[84168] むっくん さん
[84174] hmt さん

解説ありがとうございます。沖縄県のケースも、市制町村制施行に先行して行われた旧制度下の廃置分合の一種と考え、一日でも旧制度下での町村制が存在したと考えるべきだということですね。

69541]拙稿は愛知教育大学教授の青嶋敏氏の
愛知教育大学>『沖縄県町村諸規程』(横内家文書)とその収録令達について(PDF)
によりました。

リンク先を見ると、横内家文書のほかに『沖縄県令達類纂 明治44年版』にも県令第22号が収録されているようですね。ただ、沖縄県立図書館 調べ方案内No.3 「沖縄の令達・令規について調べる(戦前)」(pdfリンク)に所蔵状況についてまとめてありますが:

『沖縄県令達類纂 明治44年版』複製 6分冊(沖縄縣知事官房文書係[編・発行]、1911年)
本館所蔵本はハワイ大学宝玲文庫蔵書の複製
京都大学法学部図書室も原本所蔵
沖縄県立図書館
明治39年版の改訂増補版。明治44年4月時点の令達・令規849件を収録【K09/H45/374~383】

『沖縄県町村諸規定』(編者、出版者、出版年 不明)
那覇市歴史博物館所蔵横内家文書
明治41年施行の「沖縄県及島嶼町村制」に係る町村関係の令規51件を収録。

とのことで、どちらも国内で閲覧可能な図書館は限られており、横内家文書の方は原本以外に複製品がどこにもないようです。

もしかしたらと思い、『沖縄県史 第11, 12巻 資料編2, 3 沖縄県関係各省公文書』(1989年)を閲覧しましたが、県令第22号は収録されておりませんでした。収録されるとするのなら、現在編集中の『新沖縄県史』の資料編でしょうね。
[84165] 2013年 9月 29日(日)23:47:36【1】YT さん
明治31年以降の北海道、近畿5府県、中国・四国・九州地方の市町村別人口の変遷
[84154] オーナー グリグリさん
明治41年3月31日付での糸満町等の設置に関する法令根拠までは調べておりませんが、以下のように修正した方が妥当かもしれません。
この件ですが、変遷履歴情報についてはこれまで十分理解してフォローして来なかったこともあり、理解不足と不勉強で対応が遅れています。本件については、追記にあるように、明治41年(1908年)4月1日の沖縄県及島嶼町村制以前の情報がもう少し正確に判明するまでは保留としてよろしいでしょうか。

了解しました。

ただ以前にも紹介しました鈴江英一氏の報告書・著作を見る限り、どうも沖縄県は地上戦の影響で、特に沖縄本島の戸長役場時代の記録は官庁の建物と一緒にほぼ全部焼失・破壊されてしまっているらしく、多分県令の公的な記録も失われてしまったようですね。宮古郡・八重山郡の方は戦争の影響が少なく、戸長役場時代の書類もある程度残っているらしいですが。

また、[84113]の人口変遷データのダウンロードサイトの件、現在はダウンロードができないようです。ファイルを私宛にお送りいただければ、当サイトから直接ダウンロードできるように計りたいと思います。いかがでしょうか。

ありがとうございます。ただ現時点では内容も不完全ですし、全部が完成してから考えたいと思います。

とりあえず[84113]のエクセルファイルに、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県の情報を加えたものを、以下にアップしました。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/771/23dofuken.LZH

あと少しで全体の半分が完成といったところです。ここ1ヶ月で全体の25%ほどの入力が済んだことを考えると、このまま行くと今年中には入力作業が完了…

ただ来週末・再来週はしばらく忙しい日々が続くので、作業も停滞します。まあ来年の3月を目安に完了するつもりで作業を続けます。去年末の時点([82404][82405])で一応は完成している「平成22年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口」を含め、データベースの情報がより増えると思います。
[84154] 2013年 9月 28日(土)17:39:03【2】YT さん
沖縄県及島嶼町村制施行に関する疑問
市区町村別人口の変遷をまとめていく過程([84113])で、再び沖縄県の沖縄県及島嶼町村制の施行に関して疑問が出て来ました。

本サイトにおける沖縄県での沖縄県及島嶼町村制施行の情報は、[71746]で88さんが示されたように、

[69110] でご紹介いただいたように、M40.3.16付け勅令第45号沖縄県間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件が、M40(1907).10.12付け内務省令第24号によりM41(1908).1.1付けで施行され、この時点で、
間切を村(町村制未実施地域の村)とし、村(沖縄県に従来よりある間切の下位区分)を字とするものでした。
と、むっくんさんのご紹介を理解しました。従前の編集で「××村」を自治体扱いして羅列していましたが、勅令施行後は「○○村」は2種類あり、元「△△間切」の「△△村」が自治体に相当し、その下位区分である元々の「□□村」は「字の名称」ということですね。
これを踏まえ、
M41(1908).4.1付け沖縄県 沖縄県及当初町村制施行の情報を修正しました。

と、明治41年1月1日付で、間切・島→村のすげ替えが行われ、続いて明治41年4月1日付で沖縄県及島嶼町村制施行が施行されたと解釈し、明治41年4月1日付での市区町村変遷情報がまとめられています。

しかしながら、『明治36年12月31日―41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』によりますと、明治41年3月31日付けで島尻郡糸満町が兼城村より分立し、八重山郡では4村が合併し、また宮古郡ではやや複雑な大字のすげ替えが実施されています(『明治43年 沖縄県統計書』『明治39-40年 沖縄県統計書』を比較)。明治40年以前の島尻郡・中頭郡・国頭郡では、各間切・島に対して対応する戸長役場がそれぞれ置かれたようですが、宮古郡・八重山郡では郡に一箇所しか戸長役場が設定されておらず、そのことが宮古郡での町村の新設の際に、大字の間切からの所属変更を招いたようです([84113]では間切毎の人口は示しましたが、沖縄県の戸長役場管轄の記載はしませんでした)。

ここで明治41年3月31日から明治41年4月1日までの1日間だけ、沖縄県及島嶼町村制施行前の八重山村、糸満町等が存在したと考えるべきなのでしょうか?国勢調査報告書に付随されている市区町村廃置分合を見ると、なんか聞いたこともないような即日改称の市名・町名が結構存在することを私も確認しましたが、本事例の場合、施行された時間がそれぞれ3月末(3月31日24時0分)、4月頭(4月1日0時0分)であれば、同時に施行されたことになります。法令でのこういった日付の解釈はどうなのでしょうか?

明治41年3月31日付での糸満町等の設置に関する法令根拠までは調べておりませんが、以下のように修正した方が妥当かもしれません。

#変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
4村制島尻郡兼城村島尻郡 兼城村(一部)詳細
5町制島尻郡糸満町島尻郡 兼城村(一部)詳細
45村制宮古郡城辺村宮古郡 砂川村(一部), 平良村(微)詳細
46村制宮古郡伊良部村宮古郡 下地村(一部), 平良村(微)詳細
47村制宮古郡平良村宮古郡 平良村(一部), 砂川村(一部), 多良間村, 下地村(微)詳細
48村制八重山郡八重山村八重山郡 大浜村, 宮良村, 石垣村, 与那国村詳細
49村制宮古郡下地村宮古郡 下地村(一部), 砂川村(一部)詳細

なお人口変遷情報をまとめる作業の方は、昨日の時点で大阪府以西まで終了しました。

【追記】 [69541]でむっくん さんが本件について言及されてました。
県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)

(注)県令第22号(島尻郡兼城村ヲ分割シテ二箇町村ト為シ、宮古郡ニ四箇村ヲ置キ及八重山郡ノ全区域ヲ八重山村ト称スルノ件)(明41.3.28付)は那覇市歴史博物館に1993年に横内家より寄贈された文書の一つ『沖縄県町村諸規定』でしか現在はその本文を確認できないようです。なお、施行日は郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)の記載に従いました。沖縄県勢要略(著・出版:沖縄県内務部、明44.3.3)によれば明治41(1908)年3月中であることには間違いはないようですが。

となると、1日以上4日以下の期間、これらの町村施行前の町村が存在したと解釈するのが筋ということになるのでしょうか
[84113] 2013年 9月 21日(土)17:14:15【4】YT さん
明治31年以降の北海道、中国・四国・九州地方の市町村別人口の変遷
前の投稿[80480]から更に1年半経ってしましましたが、新たに鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の市区町村別人口の変遷の結果を加えたエクセルファイルをLHAで圧縮して以下のサイトにアップしました。これで北海道と、鳥取県以西の県に関し、明治31年以降の23回分の国勢調査・人口調査、国勢調査以前の5回分の人口静態統計の結果が入っているはずです。ファイルの中身は明治31年~平成22年の都道府県・支庁・市区郡別人口の変遷[82204]をベースとし、Sum関数によるチェックが加えられているシート(For Check)と、関数を外したシート(Shikuchoson)が含まれています。前回まで各都道府県毎にシートを作っていましたが、ファイルサイズがかさばること、チェックのし易さなどから、全部同一シートに含めました。

http://www1.axfc.net/uploader/so/3035127

戸長役場の管轄の呼称を以前は「~村外○○箇村連合」としておりましたが、統計書等で多く見られる「~村外○○村」と、より簡素化した呼称に変更しました。また「~市街」という呼称も廃止しました。例えば長崎県対馬の厳原市街などは『明治28年 島根県周吉穏地海士知夫郡統計表』でも『明治37年 島根県隠岐島統計書』でも「今屋敷町外十町村」が採用されています。

戸長役場の所在地に関しては、北海道については『北海道庁現行布令便覧 明治31年編 上巻』『北海道庁現行布令便覧』『新北海道史年表』(1989年)と平凡社の『日本歴史地名大系』などを活用して、現時点で把握できた戸長役場の変遷を再現しました。

島根県隠岐の戸長役場の位置については、『明治28年 島根県周吉穏地海士知夫郡統計表』『明治36年 島根県隠岐島統計書』『明治37年 島根県隠岐島統計書』などから判断しました。

長崎県対馬の戸長役場の位置については、『明治30年1月1日現在 長崎県職員録』第六師管徴発物件表(1901年)、『第十二師管徴発物件表』(1905年)、『明治36年12月31日―41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』などから判断しました。

鹿児島県大島郡の戸長役場の位置については、『明治26年 鹿児島県統計書』『明治32年 鹿児島県統計書』『明治36年 鹿児島県統計書』『明治36年12月31日―41年12月31日 郡市町村廃置分合一覧表』などから判断しました。なお藩政時代に使われていた鹿児島県大島郡内の方・間切は、明治時代の統廃合により戸長役場の管轄とかなり異なる地域があることから、併記を止めました。

沖縄県の間切と構成町村の変遷に関しては、伝統的な間切表記をそのまま採用しました。各間切の町村の変遷に関しては、『明治30-32年 沖縄県統計書』『明治39-40年 沖縄県統計書』『沖縄県史 第20巻 沖縄県統計集成』収録の「明治卅六年十二月卅一日 郡区間切島ノ戸数及建物」などから判断しました。

分類の呼称も、「連合村」・「/町(連合)/」・「/村(連合)/」などから、「/連合村/」・「/単独村/」・「町(旧制)」・「村(旧制)」などに変更しました。分類で「//」を示す区分統計は、それが一般的な市町村人口統計の最小基本単位ではないことを示します(政令指定都市等の区を除く)。北海道の戸長役場制度は国勢調査時代に突入しておりますが、連合戸長役場の有無が統計で区別されていないことから、連合戸長役場管轄内の町村が統計単位とみなせます。また鹿児島県大島郡・沖縄県に関しては戸長役場管轄や間切が人口統計の最小単位となっており、こちらでは、「連合村」・「間切」、「/町(旧制)/」・「/村(旧制)/」などと表記しました。鹿児島県大島郡・沖縄県の下位の町村の現住人口は情報が入手できない状況なので空欄のままです(戸数や本籍人口の情報は一部ありますが)。
また列として都道府県、上位区分などの項目を追加しました。

以前まで市区町村の順番(大正9年の国勢調査を基準とする)に拘っていましたが、変遷情報の見易さを優先する方針に変えました。変遷情報は、その市区町村名が生まれたり無くなったりした時のみ加え、細かい境域の変更は一々記載しませんし、人口異動を伴わない分割情報は外しました。

このほか参考史料は[73422][82204]にまとめた通りです。

郡毎に数字をチェックしていますが、同一郡内で人口を取り違えるようなミスがまだ多数残っていると思われます。全部完成すれば最終的に再チェックをしますが、何か間違いが見つかりましたら指摘して下さい。

一応これで1/3程が完成したのかな?ここ3週間ほど時間に余裕ができたので編集作業を再開したところ、特に中国地方5県の人口変遷はほぼ1週間で完成しました。何となく編集方法のコツが掴めてきたので、個人的には完成までのプランは見えて来たような感じはしつつ、何時頃までに完成するのかは明言できません…

【追記】
昭和19年の人口調査では、多くの都道府県別で総人口と各市区町村別人口の合計が一致しません([82202])。同様に昭和20年の人口調査でも、一部の都道府県で合計が一致しません([82196] )。

また[82202]で指摘したように、『昭和19年人口調査 集計結果摘要』では、東京都の武蔵野市、三鷹市、青梅市、府中市、昭島市や、様々な町村の人口に関し、1955年1月前後の境域によって1944年2月22日の人口が集計されてしまってしまっています。これに関し昨年の12月頃に国立公文書館所蔵の文書をいくつかチェックしましたが([82278])、結局追加調査分を含めて東京都内の昭和19年人口調査結果を得ることはできませんでした。数字的には『東京都統計年鑑』(過去の国勢調査・人口調査人口が載っている巻があるのを一度確認しましたが、今になってどの巻に掲載されていたのか分からなくなりました)に掲載されている市区町村別人口と一致することから、『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の情報は東京都側に保存されていた文書に基づくのかも知れません。しかしながら都立中央図書館等には該当するような閲覧可能な文書はありません。

また[82204]で投稿した都道府県・支庁・市区郡別人口の変遷の方は、現在明治22年まで遡ってまとめましたが、各行政単位での現住人口の合計がそれより上の行政単位での現住人口と一致しないという情況(明治30年以前は、現住人口算出の際にわざわざ各階層内での人口異動を除いている)があり、極めて煩雑なものとなっております。

【追記2】
ダウンロードのリンク先にいかがわしい広告が表示されますが申し訳ありません。ダウンロードリンクが複数表示されますが、[3035127.lzhをダウンロードします。]のボタンを押してください。

以前使っていたアップローダは閉鎖されてしまったので上のサイトを選びましたが、次回からは別のアップローダを探します。
[84098] 2013年 9月 18日(水)11:54:40YT さん
続 『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』
[84066] 紅葉橋律乃介 さん

[84060]で紹介した『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』ですが、実際に報告書を読んだところ、幾つかの特定の戸長役場、及び制度全般に関する著作・論文を執筆するための、法令文書と文献の収集がメインで、戸長役場の変遷等についての情報は得られませんでした。また文献リストには『北海道市町村沿革台帳』やその関連文献が挙げられておらず、総合的な戸長役場の変遷に関しては興味の対象外のようです。

幾つか孫引き文献の取り寄せ・閲覧を検討していますが、現状では直に閲覧できない『北海道市町村沿革台帳』、不完全ながら『新北海道史年表』以外にまとまった情報源には行き着いてはおりません。
[84060] 2013年 9月 7日(土)14:59:49YT さん
『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』
[84004][84058] 紅葉橋律乃介さん

「北海道立文書館」はよく行くので、「公文館」とはどこだろうと思いましたが、どうやらリンク先も「文書館」のようですね。

所蔵館の呼称を間違えて申し訳ありません。

また調査ありがとうございます。

『新北海道史年表』で事前に抜き出しておいて、それをこの「台帳」と照らし合わせる方が効率的?

この件に関してですが、北の住人さん([42811])、88さん([73500])などが触れられている『北海道町村制度史の研究』(北海道大学図書刊行会,1985年)をまとめられた鈴江英一氏が、以前科研費を貰った際に提出した報告書、『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』というものが存在することが分かりました。

北海道・沖縄などの町村制は、全国の市制町村制(1888年)とは、異なる特別町村制が施行された。沖縄県区制・北海道区制・北海道一級町村制・同二級町村制・沖縄県及島嶼町村制がこれである。これらの町村制は施行区域・施行時期を異にするが、いずれも辺境にあって中央政府の支配力が強力に貫徹した地域である。これまで北海道・沖縄県等両制は、それぞれ別個に発想されたものと考えられてきたが、本研究またこれに先立つ研究によって、政策的連関、制度的類似性が明らかとなった。とくに政策の前提となる制度制定者の基底的認識については、本土の市制町村制が土地所有に依拠した農村の地域支配・社会統合機能に立脚すべく構築されたのに対し、これらの地域では農業の比重がいまだ少なく土地所有に基盤を置いた地方名望家層を得難い、とするものであったことを論究することができた。

また、基礎的調査として、基礎的自治体行政の枠組みを明らかにするため、北海道を中心とした近代初頭の役場文書引継目録の収集を行った。この地域は、北海道のほか、岐阜県、山梨県、京都府、福井県などに及んでいる。さらに制度制定過程の年表作成資料の作成、基礎的自治体制度研究の関係著作・論文目録(全国・北海道)を作成した。これらの基礎資料の収集によって、具体的な自治体を対象とする研究について、今後の展望を得ることができた。

科研費を貰った場合、貰った科研費の種類に応じて研究者は研究成果報告書を作成し、提出する義務があります。ここ数年の間に色々報告書の形態も変わったのですが、昔は、例えば所蔵する研究機関の図書館、および国立国会図書館に収蔵するため、最低2部の冊子を作成する義務がありました。実は先週の段階でこの研究成果報告書の存在に気付き、最寄りの図書館を通じて借用手続きを済ませておりますが、まだ現物が届いておりません。鈴江英一氏は、元北海道教育大学教授で、北海道立文書館係長を務めたこともあるようです。単に元文献の提示で終わっている可能性もありますが、上記科研費報告書内で初期の戸長役場の変遷について表をまとめてくれているのではないかと期待しています。

戸長の配置と戸長「役場」の設置は違うものなのでしょうか。

自分も詳しくは知りませんが、戸長役場自体は結構移動しているようですので、その辺に関する違いが法令に表れているのではないでしょうか?またちょっと気になったのは、例えば『北海道庁現行布令便覧 明治31年編 上巻』によると、小樽は支庁直轄となっており、量徳町にあった小樽支庁役場が戸長役場の業務を兼ねていました。この場合連合戸長役場の管轄名として「量徳町外三十八箇町村連合」を採用するのは正しいのでしょうか?そして明治32年(1899年)10月1日には小樽区が成立しますが、高島郡高島村・祝津村は管轄外となり、『新北海道史年表』(1989年)によると明治33年(1900年)6月13日に高島郡祝津村に祝津村外一箇村戸長役場が設置されたとあります。ということは…すでに小樽区が設立された1899年10月1日から1900年6月13日までの約8ヵ月間、高島郡高島村・祝津村の戸長役場業務は小樽区量徳町の支庁役場が行っていたことになりますが、この間についても高島郡高島村・祝津村については、「祝津村外一箇村連合」の管轄だったとしてよいのでしょうか?

などと、新たな疑問が色々湧いているところです。
[83999] 2013年 8月 25日(日)18:12:17【1】YT さん
北海道市町村沿革台帳について
私的に色々忙しくて久々の投稿となります。

[81134] むっくん さん
M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。

『北海道庁現行布令便覧』等の情報ありがとうございます。

あれから色々調べたところ、戸長役場の変遷に関して平凡社の『日本歴史地名大系』に、「市町村沿革台帳」なる資料が引用されていることを見出しました。この文献の正体が分からず仕舞いでしたが、最近になって『新北海道史年表』(1989年)(内容は『新北海道史 第9巻 史料3』(1980年)の年表を一部修正して再録したもの)の「政治」の項目に、ある程度戸長役場時代の町村の変遷について載っており、そこで引用文献として「580 北海道市町村沿革台帳 (道地方課蔵)」が挙げられておりました。

「北海道市町村沿革台帳」は出版物ではなく、北海道庁の内部資料だということがわかりましたが、調べたところ、北海道史編集資料として北海道立公文館に以下の資料が収容されているようです。

請求記号請求記号(マイクロ資料)資料名
A7-1/4417F-1/1571北海道市町村沿革台帳 其の一 自明治二年七月 至大正四年三月
A7-1/4418F-1/1572北海道市町村沿革台帳 其の二 自大正四年四月 至昭和二年十二月
A7-1/4419F-1/1573北海道市町村沿革台帳 其の三 自昭和二年十二月 至昭和七年十二月
A7-1/4420F-1/1574北海道市町村沿革台帳 其の四 自昭和八年一月 至昭和十八年二月
A11-1/12928F-1/1575北海道市町村沿革台帳 其の五 自昭和十八年三月 至昭和三十年三月
A11-1/12929F-1/1576北海道市町村沿革台帳 其の六 自昭和三十年四月 至昭和三十三年十二月
A11-1/12924F-1/1577北海道市町村沿革台帳 7 自昭和三十四年一月 至昭和三十八年十二月
A11-1/12925F-1/1578北海道市町村沿革台帳 8 自昭和三十九年一月 至昭和四十一年六月
A11-1/12926F-1/1579北海道市町村沿革台帳 9 自昭和41・7・20 至昭和45・7・31
A11-1/12927F-1/1580北海道市町村沿革台帳 10 自昭和四十五年八月 至昭和四十七年十二月

残念ながら館外貸出は行っていないようなので、現地に足を運ばないと内容を確認できません。

『新北海道史年表』の方に転載されている内容を、以前むっくんさんが[79348][79349]でまとめられた「北海道での廃置分合(明治22年~市制町村制施行直前)」と比較すると・・・残念ながら情報に抜けが相当数あり、『新北海道史年表』だけでは完璧に戸長役場の設置等の情報を抑えられません。一方でむっくんさんがまとめられた表について、日付について一部情報を追加できそうです。

変更年月日変更種別郡区名自治体名告示・施行の別
1311893(M26).12.16新設札幌郡広島村告示
1471898(M31).9.6新設上川郡東旭川村告示

北海道庁布告全書』の明治26年版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないため、明治26年の廃置分合の日付まで決められなかったようですが、『新北海道史年表』は『北海道市町村沿革台帳』の引用として上の日付を挙げています。なお、#126~#130は情報が抜けています。

まだ明治36年以降に関しては、[79349]の表では占冠村の設立の情報が抜けてます。
変更年月日変更種別郡区名自治体名区制町村制施行前の町村名等告示・施行の別
01905(M38).5.31分立勇払郡占冠村勇払郡 辺富内村 (一部)告示
1741908(M41).3.28分立空知郡南富良野村空知郡 下富良野村(一部)告示
1908(M41).4.1開庁
1751914(T3).3.25分立雨竜郡上北竜村雨竜郡 北竜村(一部)告示
1914(T3).4.1開庁
1761915(T4).2.7分立有珠郡徳舜瞥村有珠郡 壮瞥村(一部)告示
177空知郡山部村空知郡 下富良野村(一部)
1781916(T5).3.26分立中川郡常盤村中川郡 中川村(一部)告示
1916(T5).4.1施行
1791918(T7).4.3分立雨竜郡幌加内村雨竜郡 上北竜村(一部)告示

ほとんどの町村の設置は告示の日付のみですが、明治40年頃からは告示日のほかに開庁・施行の日付が区別されて載っています。

というわけで、北海道の戸長役場についてはある程度まとまった情報を『新北海道史年表』から得ることができましたが、より包括的な情報については「北海道市町村沿革台帳」や、その内容をより正確に掲載している文献を当たる必要がありそうです。

【誤字修正】
[82929] 2013年 2月 24日(日)16:43:18YT さん
出羽国由利郡の天保郷帳石高のチェック
最後に出羽国由利郡です。ここでは石高を才(=10^-5石)の桁まで示します。
郷村石高郷村石高郷村石高郷村石高
小砂川村159.80520鹿爪村120.63400宮之内村280.92000中山村289.71900
大須郷村263.30700軽井沢村80.83300川西村563.41000八杉村299.82600
川袋村215.35300平岡村399.30400黒沢村467.05300指鍋村123.98400
大砂川村443.63350畑谷村489.06200川東村691.10500木在村216.70600
洗釜村120.02800柴野村370.92300屋舗村221.68400杉沢村494.38900
中野沢村242.25320川口村29.25000潟保村632.08000小坂村130.79500
関村188.62080中野目村237.54200川崎村364.74700下河内村537.18000
小滝村497.96500山田村269.01500沼田村542.04000伏見村185.22600
長岡村271.13770赤田村770.82400両前寺村71.84000上河内村1,027.56400
大飯郷村50.85180牛寺村169.49300琴浦村170.40700下笹子村560.60000
大野村751.22000女岡村172.99300室ヶ沢村294.91400上笹子村783.09600
神沢村88.10400中館村319.28800子吉村3,236.04900上直根村309.59500
芦川村141.64600漆畑村130.40000蟹沢村198.36100百宅村242.25100
親川村279.38900深沢村182.35000出戸村454.09800中直根村183.37700
大谷村205.42800院内村125.75000吉沢村150.62700前野沢村165.20400
米坂村56.67700黒瀬村408.14500山田村366.89200下直根村264.90800
下黒川村427.06400大浦村397.08300前郷村1,878.19300吉谷地村127.81500
上黒川村207.09600石脇村75.27800土蔵村236.13600猿倉村279.63000
下蛇田村205.15700川口村166.12300五十土村365.45900玉米村1,939.91500
上蛇田村391.47500町村642.01900窪田村301.95900下村1,782.92630
福俣村280.81800払川村128.71200川向村1,128.43200田代村847.90100
滝俣村454.34800増川村193.20100曲沢村354.98700黒渕村829.10050
赤寺村161.51700福田村305.34500芹田村853.50500本郷村248.34600
富田村527.95400道川村804.17000三森村436.49760横岡村536.14950
赤平村278.64600二古村300.99900黒川村684.98500寺田村78.24800
六呂田村208.70400君ヶ野村291.79000金浦村354.71800畑村250.22070
天鷺村82.00200勝手村262.28200飛村443.30700平沢村190.63400
中帳村288.20000新谷村345.24100赤石村353.14300長磯村121.46608
高尾村226.08200羽川村777.02300前川村489.94500鈴村79.36830
中野俣村290.98700長浜村491.60600塩越村974.36700田抓村339.56700
徳沢村302.98200桂根村81.88500大竹村495.26700院内村477.70320
大倉沢村216.38500名沢村265.27700百々目木村171.70900小国村532.37490
加賀沢村255.93700八田村590.60000樋口村152.79900石田村159.05440
葛葉見村267.63400繋村424.37800三日市村253.43500馬場村482.42460
及位村223.02700新波村449.09800中村103.51000水沢村31.90080
須山村98.87200神村676.57700立井地村141.76500麓村583.82000
長坂村328.41200碇田村448.83600中野村438.45200岩野目沢村202.39900
葛岡村534.47500萱沢村540.50900三十野村106.67300麓村638.73000
平岫村207.45500加津羅林村515.36100城内村581.15700伊勢井地村617.24780
中田代村633.56300福嶋村764.48200七日町村406.88600浜杉山村254.01992
小栗山村240.25000館前村1,027.20300荒沢村357.30800小羽広村62.75400
中向村72.68500滝ノ沢村787.04500新町村200.38500大羽広村183.78900
代内村65.07600鮎瀬村391.48400郷内村350.87500坂辺村278.36000
川倉村88.02200新輪村1,861.32200須郷田村203.77100横山新田43.40850
楢渕村19.84500沢村603.15000九日町村227.29400申開村222.61900
増沢村135.46000川口村368.49900小坂戸村63.92700由利郡合計72,674.44730
滝村103.21700横山村71.51600坂野下村260.40000
見岫村194.96300福田村188.21100平ヶ森村110.77300
芦渕村50.32200土屋村338.90300新庄村354.82300
『天保郷帳』記載の郡高は7万2670石3斗8升6合3勺でしたが、『解読篇』記載の村別石高合計は7万2674石4斗4升8合2才ですので、両者の間に4石6升1合7勺2才の差がありました。ところが改めて私がデジタルアーカイブの『出羽国郷帳 五』(125/130コマ目)で石高をチェックしたところ、長磯村の石高が『解読篇』記載の121石4斗6升6合8勺ではなく、121石4斗6升6合8才であることを見つけました([82913])。これにより7勺2才の違いは解消されましたが、まだ4石6升1合の違いが残っています。

以上出羽三郡について、天保郷帳に書かれた村高と石高の違いがあることを示しましたが、これらは全て同じ『出羽国郷帳 五』に収録されており、巻末に天保甲午五年十二月の作成年月、幕府の勘定奉行方役人の「明楽飛騨守・牧野中務・柑本兵五郎」の連名が記されています。天保郷帳の国郡別石高はそのまま天保国絵図の『出羽国秋田領』でも使われています。出羽国由利郡の内、4石余の違いはもしかしたら天保国絵図の村高を一生懸命読みとれば判明するのかも知れませんが、全ての村高が天保国絵図に載っているわけではなく、斗以下の端数が不明のままなので実行しませんでした。

久保田藩が幕府の役人に郷帳を提出する段階で間違えたのか、勘定奉行の秋田七郡担当役人が整理した際に間違えたのかは不明です。ただ少なくとも久保田藩の担当箇所だけで村数と石高を間違えていて、他地域では村数・石高の間違いが認められないことから、おそらく各地域の担当大名から提出を受けた石高を勘定奉行が全て再チェックして数字を修正したと思われ、秋田七郡担当の幕府役人がケアレスだったせいではないかと思います。それよりも全体として数字に誤りが少なかったことの方が驚きかも知れません。
[82928] 2013年 2月 24日(日)16:39:23【1】YT さん
出羽国仙北郡・平鹿郡の天保郷帳石高のチェック 【修正】
[82913]の続きです。

近世歴史資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 第3分冊 解読篇 (近世歴史資料集成)』(2009年)で再計算された村別石高の郡別小計と『天保郷帳』記載の郡別石高を比べた際、[76916][76917][76918][76919][76920][76921]に示したように一部の郡でズレが見られました。しかしながら石高が大幅にずれているケースでは、むっくんさんが示されたように、天保郷帳の冊子自体の綴じ方に間違いがあった結果と推測されます([79622][79623][82890][82891])。更に端数が違うケースでは、[82913]で示したように『解説篇』自体の転写間違いや、才の桁を落としてしまったことが原因と推測されます。ところが『出羽国郷帳 五』収録の出羽国仙北郡・平鹿郡・由利郡に関しては、デジタルアーカイブから直接私が読みとった情報と『解説篇』に纏められた数字の間に違いを認められず(最低五回は見直してます)、実際に原本の数字に誤りがあるものと思われます。以下三郡について郷村別石高をまとめます。

まずは出羽国仙北郡で、石高は合(=10^-3石)の桁まで示します。
郷村石高郷村石高郷村石高郷村石高
安本村300.346野中村426.492金沢寺田村806.119西明寺村469.175
飯詰村1,490.034椿村518.834岩野町村554.152鎌野川村246.926
佐野村414.701栗沢村249.325天神堂村471.086上荒井村729.835
六郷本館村732.114小沼村85.420二本柳村68.247西荒井村215.111
六郷高野村743.380白岩前郷村306.614上深井村333.492小渕野村582.010
六郷川内池村986.173卒田村465.287下深井村312.659熊野林村160.878
藤木村1,119.276梅沢村461.071六郷西根村663.689田中村204.619
鑓田村324.219刺巻村121.304川目村160.655米沢新田村473.799
中野村385.039生保内村713.176小貫高畑村773.717小館村91.274
畠屋村1,053.963田沢村423.473羽貫谷地村401.346角館東前郷村602.070
橋本村877.581小山田村690.125荻野目村112.633角館城面村366.317
戸蒔村327.112門屋村490.785野中村134.178山谷川崎村243.008
大曲村251.708院内村167.609六郷東根村1,682.792長戸呂村126.420
高梨村1,761.922国館村420.643大坂新田村165.373半道寺村736.608
土崎村865.809河原村607.618金沢東根村979.175刈和野村628.129
千屋村1,443.632勝楽村231.597宝門清水村96.982外小友村1,007.760
本堂城廻村1,060.001小勝田村297.425羽見内村108.927大曲西根村1,101.287
板見内村1,138.333雲然り村513.595東川村190.891蛭川村85.043
払田村904.295八割村220.323上野田村290.671宮林新田村758.950
戸地谷村793.539西長野村853.103安城寺村598.078金沢中野村2,159.768
四ツ谷村1,688.711稲沢村371.042小荒川村183.149飯田村603.950
鑓見内村1,130.816心像村628.850中里村258.393東長野村378.047
横堀村1,075.939今泉村354.849今宿村364.354上宮田村226.381
宮内村155.406小杉山村417.933堀見内村1,152.388神宮寺村1,742.343
駒場村793.030北楢岡村825.708高関下郷村1,614.897寺館尻引村305.072
沖野郷村1,107.736南楢岡村1,739.149高関上郷村1,260.204福部羅村25.884
野口村310.666内小友村1,619.041新谷地村389.062下淀川村641.940
横沢村473.112峯吉川村856.843大蔵村341.163中淀川村768.759
元本堂村560.925高城村32.749黒沢村186.976上淀川村465.763
川口村421.538九升田村135.343永代村107.512北野目村412.161
今泉村332.771金山沢村15.198大神成村278.187円行寺村446.395
大田村473.243強首村580.945金鐙村184.986木売沢村411.190
小神成村421.459小種村605.325長楽寺村140.898江原田1.748
斉内村750.280境村198.254館郷村412.330三条川原村61.236
谷地乙森村172.593荒川村542.104上鶯野村605.894玉川村36.230
村杉村371.233宿村970.718下鶯野村502.136大巻村32.113
黒土村652.329正手沢村81.216葛川村143.742松倉村51.716
長野村1,269.785寺村233.759白岩堂野口村59.347福田村299.607
袴田村261.270杉山田村67.604白岩広久内村298.931国見村1,026.479
野田村159.626金沢西根村2,465.510荒川尻村610.381八日市村117.968
下延村203.312金沢前郷村1,657.098上花園村156.517潟村69.260
八幡林村612.342境田村419.168下花園村386.817簗場新田村27.117
桜田村216.016逆高野村315.604上檜木内村335.989釣田新田村232.624
下桜田新田村355.282野荒町村218.354下檜木内村800.926仙北郡合計93,611.791
『天保郷帳』では9万3611石7斗9勺4合ですので、実際の村別石高合計との間に3合の差があります。おそらく五合と八合(五と八だと全然違うと思われるかも知れませんが、実際に使われている書体では、一見五は六や八と区別が付きにくい形になっています)をどこかで間違えたものと推測されます。

次に出羽国平鹿郡で、これも石高は合(=10^-3石)の桁まで示します。
郷村石高郷村石高郷村石高郷村石高
増田村1,464.023宮田村445.831下境村1,087.916猪岡村449.666
植田村1,473.869阿気村1,975.160角間川村298.449下吉田村485.645
今泉村1,346.832八柏村598.653新角間川村1,280.599下八町村573.309
別明村718.861八幡村682.132百万刈村302.792塚堀村429.840
今宿村629.171西野村324.112大松川村96.873中吉田村841.063
沼館村1,002.552真木村53.229小松川村37.522七日市村230.242
二井山村413.223下堀村168.797平野沢村122.939上樋口村657.137
大森村1,230.154柏木村373.223横手前郷村1,878.544三本柳村482.558
板井田村1,047.667道地村330.830三又村135.154上八町村401.864
黒川村1,657.536造山村202.261赤坂村620.512下河原村192.686
上境村1,139.143南形村275.628安田村317.149明永野村169.247
杉沢村684.294古内村185.175新藤柳田村582.850砂子田村241.563
黒沢村86.929新古内村306.563大屋新田村418.803客殿薊谷地村183.214
南郷村183.881梨木羽場村169.871大屋寺内村420.362小出村124.235
筏村187.759与作村470.500明沢村523.993常野村79.704
土渕村283.170新関村210.116腕越村241.523深井村415.315
大沢村333.077住吉荒田目村296.625亀田村1,211.690丹波村3.609
関根村494.966海蔵院村337.291縫殿村294.943源太左花馬村101.143
馬鞍村924.709越前村592.216静ヶ町村278.949赤川村148.037
石成村775.158志摩新田58.607杉野目村300.585東里村760.771
醍醐村876.269矢神村103.463二井田村516.051西石塚村370.334
上鍋倉村729.833田村899.101八木村257.244婦気大堤村296.908
樽見内村1,103.396門目村368.891下鍋倉村880.072見入新田村35.452
浅舞村2,997.892上溝村1,039.103木下村634.011根田谷地新田村54.579
深間内村288.899袴形村769.435平柳村111.483十五野新田村175.538
上吉田村1,093.553十日町村570.675下樋口村694.796平鹿郡合計59,949.662
大塚村475.377猿田村350.840外目村454.894
薄井村1,309.647八沢木村681.029桜森村254.108
『天保郷帳』では5万9950石2斗9勺2合ですので、実際の村別石高合計との間に6斗3合の差があります。おそらく七升と七斗の桁をどこかで間違えたものと推測されます。なお実際に郷帳に書かれた村の数は109で、集計されている107村と異なり、石高集計対象外の伊豆七島や蝦夷を除き唯一村数の集計が間違っています。

【訂正】 [82930] hmt さん

膨大なデータの転記には気を使っておられることと拝察しますが、たまたま誤記に気がついたので、お知らせします。

タイトルと柱書の部分は「平鹿郡」と正しく記されているのですが、データ部分の最初と最後の2ヶ所が「平群郡」となっております。

ご指摘ありがとうございます。郡名を修正しました。村名の漢字の方は『解読篇』の漢字表記をもとに一応2回はチェックしていますが、今回は一部の漢字(嶺と峰など)を除き新字体で統一しました。今回間違えた部分は記事投稿最後の段階で追加した部分で、うっかり大和国平群郡の方で変換してしまったような気がします。
[82923] 2013年 2月 23日(土)15:52:03【1】YT さん
1980年の幸手町の人口水増しの件について 【訂正あり】
1980年(昭和55年)11月11日火曜日の読売新聞朝刊23/30頁からの引用です。

国勢調査で人口水増し
「市」になりたい幸手町
“町民が熱心の余り…”

【久喜】市制施行を目前にした埼玉県北葛飾郡幸手町(田口勝美町長)で、人口五万人以上という“市制の条件”を満たそうと、一部町民が先月一日に実施された国勢調査の際、人口を水増しして調査表を提出していたことが、十日までに明らかになった。町当局では、「町民が熱心のあまりやったことで、町としては関知してない」として、確認された水増し分を差し引いた人口「五万六人」を県に報告したが、それでも十月の人口増加が極めて不自然な伸びをみせていることから、事態を重視した県では、改めて調査票の綿密なチェックを進める一方、場合によっては幸手町の国勢調査のやり直しも検討している。

“幽霊”315人引きスレスレ5万

 水増しが発覚したきっかけは調査票を回収中の十月初め、同町周辺の同郡杉戸町、草加市、茨城県 猿島郡五霞村などから、「うちの住民が幸手町の住民として、でたらめな調査票を提出している」と県統計課や同町に抗議が相次いだことから。
 同町で調べたころ、周辺の市町村に住んでいながら、世帯ぐるみで幸手町の勤め先や親類宅などに住んでいるよう調査票に書き込んでいたり、同町に寮を持つ民間企業の社員がそれぞれ自宅で住民登録、生活しているのにこの寮で長期間寝泊まりしているようにして、調査票の住所を同町にしているなど、計三百十五人の“水増し”が明らかになった。
 同町の話では、この不正工作は市制施行を熱望している一部町民が、熱心さのあまり、近隣に住む地元出身者を手分けして探し出し“協力”を呼びかけたものらしく、調査員も抱き込まれていた疑いもあるという。
 町では、確認されたこの水増し分を差し引き、町人口を五万六人として県国勢調査対策本部に報告したが、同本部では訂正して提出したこの調査票の中にも、まだかなりの水増し分が隠されているのではないかという疑いを捨て切っていない。
 これは地方自治法で規定されている市制施行の条件の“五万人”をうまいことに六人だけ上回ったという“間のよさ”もさることならが、十月の人口増加がそれまでの同町の人口動態とは明らかに違った推移を見せているため。
 九月一日現在の同町の推計人口(県統計課調べ)は四万八千九百五十五人。町の修正報告が正確だったとすれば、十月一日までのわずか一か月間に千五十一人も増えたことになる。ちなみに、八月から九月にかけての人口増加は六十六人だけ。いろいろな条件を考慮に入れても、極めて異常な伸びであることは確かだ。このため、同本部では改めて調査票の再審査を行う一方、この審査結果によっては町に調査報告の再修正を求め、さらにひどい場合は改めて同町の国勢調査のやり直しも検討している。
 幸手町では、商店主ら約四十人で市制施行推進協議会が結成され、「市制が施行されてば、町のイメージアップになる」などと熱心に運動する動きもあった。
 田口町長の話「町としては、去る七日に町村合併二十五周年の記念事業をやったばかりで、人口を水増ししてまで今、無理に市制施行する気など全くない。町民が熱心さのあまりやったことだと思う」

新聞記事のアーカイブに検索をかけた限りでは、この事件に関して後に逮捕者が出たという記事がなく、調査員レベルでの捏造ということで済んだようです。

人口水増しに関する統計法違反では、羽幌町に関する新聞記事が見つかっただけです。松本敏治町長ら町幹部四人が統計法違反、虚偽有印公文書作成、同行使事件に問われ、旭川地裁で1973年6月27日に判決が言い渡されています。

町長:懲役一年六月、執行猶予三年
元助役:同一年、執行猶予二年
前総務部長:同八月、執行猶予一年
前庶務部長:病欠のため9月3日に判決言い渡し

【訂正】[82925] にまんさん

引用部分なのですが
同町周辺の同郡松戸町、草加市、茨城県 猿島郡五霞村などから、
は、同郡杉戸町ですよね

すみません。ご指摘通り本文を松戸町から杉戸町に修正しました。


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