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[97578]2019年3月16日
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[94731]2017年12月19日
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[94724]2017年12月18日
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[94696]2017年12月11日
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[94623]2017年11月29日
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[94622]2017年11月29日
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[94606]2017年11月27日
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[94467]2017年11月17日
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[94188]2017年11月11日
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[94174]2017年11月10日
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[94107]2017年10月30日
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[94096]2017年10月28日
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[94065]2017年10月23日
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[94063]2017年10月23日
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[94000]2017年10月14日
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[93971]2017年10月9日
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[93945]2017年10月4日
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[93942]2017年10月3日
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[93936]2017年10月2日
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[90128]2016年3月28日
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[90096]2016年3月22日
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[90053]2016年3月8日
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[86751]2014年12月5日
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[86631]2014年11月7日
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[97578] 2019年 3月 16日(土)19:18:11ekinenpyou さん
Re:国勢調査データ 改め 国勢調査人口増減ランキング ほか
[97576]グリグリさん
メンバー紹介編集の件、早速のご対応ありがとうございました。

ところで、以前、当サイトの参考情報に掲載させていただいていた「鉄道旅客輸送統計【懐古編】」のURLがリンク切れになっていましたのでリストから削除しましたが、新しいURLを教えていただければあらためて掲載したいと思います。ご検討をよろしくお願いいたします。
お気遣いありがとうございます、当方作成のサイトはサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズなどに伴い
更新&公開を停止しております。(ネットアーカイブで一部見られるようですが・・・)

現状HTMLファイルなどの保存はローカルPCに行っており、それらを1つの圧縮ファイルにして
(googleドライブなどの)オンラインストレージにアップロードしたものを提供することは可能です、
必要な方に対してはメールで対応したいと思いますのでご申請ください。
(共有ファイルのURLをお教えしますので、各自ダウンロードしてローカルPCで閲覧していただく形になります)
[97577] 2019年 3月 16日(土)18:44:59ekinenpyou さん
長崎県 西彼杵の島々について
hmtさんの少し前の投稿([97534][97554])関連ですが、当方からもコメントしておきます。

長崎市のページによると、中ノ島炭坑が稼働したのは 明治16年から明治26年まで(1883-1893)でした。
当時の※長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数から中ノ島・端島の人口を推測できます。
(両島とも1戸あたりの平均人員が非常に多いのが特徴)

(後年の明治期統計書に島嶼人口データが無く)いつごろまで中ノ島に常住者がいたかは定かではありませんが、
だいぶ時代が進んで長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは確かに無人島になっています。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→高浜村→中の島0.033km2)

※端島を高島村所属としているが恐らく高浜村が正当、町村制施行前の長崎県統計書(M20&21)での誤り?を
引継いだものと思われますが、端島 (長崎県) - Wikipedia(行政区域の変遷)に

江戸時代は幕府領の彼杵郡高浜村に属していた。ただし前述のように境界をめぐる争論があり、1773年(安永2年)に「幕府領・佐賀領とも端島に干渉しない」とされ、帰属先は定められていない。1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により西彼杵郡高浜村端島名となる。

ともあったので、町村制施行前の所属村名については若干ながら不確定要素あり
(中ノ島は高浜村で間違いないので端島も位置的に同村所属が妥当と思われますが・・・)

推測ですが、「大字端島名の区域」は、有人島の端島の他に 無人島の中ノ島を含んでいたのではないでしょうか。
「大字端島名」がいつ頃成立し、どのような区域だったのかまでは調べていませんが、両島が所属していた
高浜村は単独での町村制施行ですから、中ノ島・端島は従来は(大字ではなく)別々の字だったようです。
【参考】
郵便区画町村便覧(M25.4)(左側に高浜村字中ノ島・字端島がある)

西彼杵郡現勢一班(T15)(右上の高浜村大字及び郷には明記なし、島嶼部の地名掲載省略?)

横島(長崎市香焼)

香焼島南西の同島と反対方向(北東)には蔭ノ尾島という小島もありました。([57361]hmtさんで少し言及あり)
【参考】消えた島 ~ 長崎市 蔭ノ尾島 アトリエ隼 仕事日記

こちらも中ノ島と同様に前述の長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数では有人島だったようですが、
長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは無人島として区分されているようです。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→香焼村→陰(原典は蔭?)之尾島0.112km2)

なお香焼島は町村制施行前に香焼村→M22.4.1深堀村(合併)M31.7.1香焼村(分立)以下略という所属村名ですが
蔭ノ尾島は長崎県統計書(M20&21)で香焼島と同じ香焼村ではなく、所属は深堀村で異なっており
後の香焼村深堀村の領域から推測すると香焼村所属の誤りなのかもしれませんが、町村制施行前の所属村名に
不確定要素がある点は端島と似通っています。

【おまけ蛇足】
[97521]YTさん
「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・
[97574] 2019年 3月 15日(金)18:46:24【1】ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示(全国版)公開
タイトルの件、とりあえず作成完了したので公開します。

北海道 【1】【2】【3】

青森 【1】【2】【3】・岩手 【1】【2】【3】・宮城 【1】【2】【3】
秋田 【1】【2】【3】・山形 【1】【2】【3】・福島 【1】【2】【3】

茨城 【1】【2】【3】・栃木 【1】【2】【3】・群馬 【1】【2】【3】・埼玉 【1】【2】【3】
千葉 【1】【2】【3】・東京 【1】【2】【3】・神奈川 【1】【2】【3】

新潟 【1】【2】【3】・富山 【1】【2】【3】・石川 【1】【2】【3】・福井 【1】【2】【3】
山梨 【1】【2】【3】・長野 【1】【2】【3】・岐阜 【1】【2】【3】
静岡 【1】【2】【3】・愛知 【1】【2】【3】・三重 【1】【2】【3】

滋賀 【1】【2】【3】・京都 【1】【2】【3】・大阪 【1】【2】【3】・兵庫 【1】【2】【3】
奈良 【1】【2】【3】・和歌山 【1】【2】【3】

鳥取 【1】【2】【3】・島根 【1】【2】【3】
岡山 【1】【2】【3】・広島 【1】【2】【3】・山口 【1】【2】【3】

徳島 【1】【2】【3】・香川 【1】【2】【3】・愛媛 【1】【2】【3】・高知 【1】【2】【3】

福岡 【1】【2】【3】・佐賀 【1】【2】【3】・長崎 【1】【2】【3】・熊本 【1】【2】【3】
大分 【1】【2】【3】・宮崎 【1】【2】【3】・鹿児島 【1】【2】【3】・沖縄 【1】【2】【3】

各都道府県【】内の年代は【1】S35(沖縄45)~50【2】S55~H7【3】H12~27です※
地図の見方については従来通り、拙稿[97545]をご覧ください

東京都特別区部の所属未定地域など元データ(国土数値情報)に存在しない人口集中地区がごく稀にあります。
(上記ケースでは連合人口集中地区の人口・面積に計算相違が生じたものあり)

なお、元データの誤りについては(明白なもの※でも)現状未訂正なので、
[97499]YTさん他の指摘事項などについても当然ながら未反映です。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

以上のように把握済みの問題点も残されているため、今後は必要に応じ修正可否を検討し、
可能であれば対応するかもしれません、本件に関するご指摘については随時受け付けますが、
掲示板投稿を見落とすおそれもあるので、可能であればメンバー紹介欄のメールアドレスへもご連絡ください。

(メンバー紹介編集でメールアドレスを入力しようとしたのですが、「不正なアクセスです」と
表示されてしまい編集画面に進めませんので、編集できるようになり次第後日対応します・・・)
[97545] 2019年 2月 23日(土)07:58:59ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示について
少し間が空いてしまいましたが、拙稿[97512]の続きです、
国土数値情報人口集中地区データから作成したサンプルを示します。
北海道の人口集中地区時系列表示・その1【S35~50】その2【S55~H7】その3【H12~27】

※S35~H27の12年代を全て1つの地図にすると非常に重く見づらいので3分割としました。
(S35~50・S55~H7では最新H27の領域を参考として黒枠で表示)

初期状態では1つの年代のみ表示状態なので(非表示の)別の年代をご覧になりたい場合は
必要に応じ左側メニューのチェックボックスをクリックしてオンにしてください
(複数の年代を同時に多数表示させると描画が重く見づらくなるかもしれません、ご注意ください)

だいたいは見ただけで理解できるはずですが、一部国土数値情報に無い項目などが含まれますので
一応下記に簡単な補足説明をしておきます。

・タイトル番号(通番)のカッコ内は連合人口集中地区ではない人口集中地区を親番号のみ、
連合人口集中地区では親番号-子番号として順に付番したものです。
・項目末尾の(*)は人口密度など国土数値情報から計算したもので、国調データと若干異なる可能性があります。
・面積右側カッコ内の数値はGISソフト(MANDARA ver9.41使用)で測定した面積との差分です。
例)H27の札幌市中央区1 22.97km2(-0.20)とある場合、22.97km2はH27国調データなどと同じ値の面積で、
GISソフトでの測定面積は22.7665km2(約-0.20の22.77km2)です。※

地図で見る統計(統計GIS)の境界データではGISソフトでの測定面積が22.78558km2(約22.79km2)と
なります、国土数値情報と似通っているように思われますが全く同じものではありません。
(下記部分引用記載の内容が関係しているかもしれませんが断定はできず)

国土数値情報人口集中地区データの作成方法
総務省統計局発行の「我が国の人口集中地区」もしくは「国勢調査の統計地理情報」を基に、地域境界線については、国土数値情報行政区域データに合わせて修正を行った。属性は、「我が国の人口集中地区」より取得した。

人口集中地区境界図について
人口集中地区境界図は国土地理院発行の5万分の1の地形図を基図とし、その上に人口集中地区の境界データを重ね合わせて作成したものです。

人口集中地区の境界データの基になった地図は、各種の縮尺で作成された平成27年国勢調査調査区地図です。これら地図と5万分の1地形図とでは図法、精度等に差異があるため、人口集中地区境界図上の人口集中地区境界は、必ずしも調査区地図による同境界の位置を正確に反映しているとは限りません。また、人口集中地区境界は、国土地理院発行の地形図に合わせて都道府県・市区町村境界、河川、海岸線の一部を修正しています。


地図などの作成&公開にあたっては、事前に国土情報提供サイト運営事務局へメールで【参考サイト様】※を
例示した上で、同趣旨の内容を趣味的な非商用利用でネット公開することが可能かどうかお伺いしたところ
「出典を明記するなどした上であれば公開することが可能」と回答を得ております。
(データの使用許諾条件についてS35~H2の部分は明示がありませんが当面非商用利用に該当するとのことでした)

以上の内容で特段の支障が無ければ全国47都道府県の分も作成&公開する予定です。(目標はH30年度内公開ですが、
あくまで目安)仕様に関する要望・不明点などもしあれば(実現可否などはともかくとして)お伺いしたいと思います。

※H22・27については上記サイト様でも確認できますが、提供されたデータだけをそのまま表示するのではなく
参考・付加情報などを随時反映したり、色々とカスタマイズできる地図にしたいので当方でも別途作成します。
[97513] 2019年 2月 4日(月)19:02:51ekinenpyou さん
Re:昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
[97511]YTさん
資料価値の高い投稿ですね、拝見して気がついた部分を(補足もかねて)取り急ぎ以下に記しておきます。
(恐らくYTさんご自身ではおおむね正しい内容で理解されていらっしゃると推察しますが・・・)

投稿上の方、比較表タイトル行
都道府県 S35(S35/S40版) S35(S40/S45版) S35(差) S35(S55-H27版) S40(S40版) S35(差) S40(S45-H27版) S40(差)
正しくは表6・7列目のS40(S40版)とS35(差)が入れ替りS35(差) → S40(S40版)の順
また8列目のS40(S45-H27版)は恐らくS40(S55-H27版)が正当(S45 → S55)
参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

投稿最下部
昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用
冒頭は昭和55年ではなく、昭和50年(S55横浜市連合DIDには同市瀬谷区DIDも含まれている)

※DIDの時系列推移(S35~H17)は[271]satoさん作成のエクセルファイルで確認すると非常にわかりやすいですね。
(ネットアーカイブ最終収集は2015/4/17付、現状ダウンロード可能なファイルは[96973]MIさん参照のこと)
[97512] 2019年 2月 2日(土)18:35:00ekinenpyou さん
Re2:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
以下、追加で補足など記しておきます。
[97499][97507]他、YTさん
シェープファイルを地図上に表示する方法


上記件、人口集中地区の境域などを地図サイト上に表示させた当方作成のサンプルを2例示しておきます。
(H27・H22国勢調査の北海道における人口集中地区境界データなどをGoogleマップに表示)
※サンプルの閲覧期限などはありませんが予告なく削除することがあります、ご了承ください

【1】地図で見る統計(統計GIS)で配布されているKML(KMZ)形式をそのまま使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要5分程度)

非常に簡単な方法ですが、元データの構造上以下のような問題点もあります
・同じDID領域でも※複数に分断されているように見えると(左側一覧リストに)別々の項目として表示される、
例ではH27(苫小牧市DID1)が5項目の重複表示 ※地理院地図での表示状態も同様
・面積に小数点2桁より細かな数値が含まれている
前述例の地図でH27苫小牧市DIDの(赤色エリア)をクリックして左側に表示される面積が「33.159999800000001」
・H17より古いデータが未提供(地理院地図も同じ)

など諸々の問題があるので、(QGISなどの)GISソフトをお使いであれば次に示す方法が良いかもしれません。

【2】Shape形式で配布されているものを(GISソフトなどで)KML形式に加工して使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要15分程度、GISソフトMANDARAで少々カスタマイズしてKML形式で出力※)

GISソフトに関する知識が若干必要ですが前例で生じていた問題をまとめて解消可能、
国土数値情報人口集中地区データも上記と同じような方法で(Googleマップに)表示できると思います。
(もし必要でしたら当方でサンプル作成要検討)

※作成したKMLファイルは地理院地図でも(描画が少々重いですが)表示可能です。(詳細はマニュアル25コマなど参照)

【その他参考】Googleマップでマイマップを作成して共有する方法
DID(人口集中地区)の平成27年度版をGoogleマップで表示させる方法があれば教えてください

平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していない

上記は確かにおっしゃる通りです、なお当方で把握している点を1つ挙げておくと、(各都道府県の)
人口集中地区の面積はどの項目を選んで合計するかによって異なっており、そのあたりが関係しているの
かもしれませんが真相は不明です。(以下に実例を示します、元データはH27国勢調査の北海道)

795.73 北海道 人口集中地区(全体)の値(最終報告書も同じ)
795.75 市・町の人口集中地区面積を合計した値(札幌市235.5・小樽市23.42などを使用)
795.77 同上、ただし札幌市は区ごとの面積を合計した値(北区35.58などを使用)
795.79 個別面積を合計した値(札幌市北区29.05+5.4+1.12=35.57・小樽市19.44+1.72+2.27=23.43などを使用)

【おまけ蛇足】例年通り?平成30年全国都道府県市区町村別面積調(平成30年10月1日時点)が公表(H31.1.31付)
[97506] 2019年 1月 29日(火)18:48:48ekinenpyou さん
Re:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
[97499][97502]YTさん
「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。
こうした情報は貴重なもので(通常気が付かないので)、大いに参考になります。

あと、タイトル(人口集中地区)とあまり関係が無く恐縮ですが・・・
どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

【参考】(Yahoo!知恵袋)
どっとうpろだ.orgは自動削除機能はありますか?
無料の画像置き場サーバを借りたいのですが良いサービスはご存知ないでしょうか?
[97500] 2019年 1月 26日(土)09:00:33ekinenpyou さん
国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報の差分リストについて
以下、地理とは関連の薄い小ネタで失礼いたします。

下記2時点における国立国会図書館デジタルコレクションの書誌情報をもとに
資料種別が図書でインターネット公開となっている&いたものという条件で差分リストをExcelで作成しました。
平成30年7月1日時点(約35.5万件)と平成31年1月9日時点(約35.3万件)

※H30.7.1→31.1.9で削除されたインターネット公開資料(図書)は3,062件・追加は1,596件でした

差分リストについては知識のある方なら恐らく容易に作れますが、もし必要としている方がいらっしゃるようでしたら
配布も検討いたします、(どのような形で配布すれば適切かなど)本件についてのご意見をお伺いできれば幸いです。

【参考】2sc1815jの日記(国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲変動)

国立国会図書館(公式)や上記ブログの方などから具体的な差分情報が発信されていれば
そちらを紹介するだけで良かったのですが、最近のものはまだ見つからないようなので当方で差分を作成しました。
[97137] 2018年 12月 17日(月)18:58:57ekinenpyou さん
和田(玖須美)と川奈など
タイトルの件についても調べる時間があったので(あまり役に立たないかもしれませんが)一応ログに残します。
まず現在の伊東市域沿革ですが、下記サイトの解説が非常にわかりやすいです。

伊東市史だより第10号(町村合併の経緯)・伊東市史だより第11号(江戸時代初期の伊東)

以上を参考に和田(玖須美)と川奈近傍の地形図を今昔マップで確認すると、
いずれも明治期の集落中心は主に海沿いだったと推測

※伊能図も同様、アメリカ大図pdf一覧101熱海・三島(右下)
玖須美元和田という地名表記は戦前の地図に無く、明治の大合併以降しばらくは(大字)玖須美だったのかもしれません

次に伊東市のDID(人口集中地区符号2)人口(7,639人)の内訳は下記の通りです。
(出典は平成27年国勢調査小地域集計22静岡県)

大字・町名人口比率(%)
玖須美元和田253833.2
911.2
川奈501065.6

川奈駅周辺の空中写真比較(赤色はDID)(左側が2017年7月~8月撮影で右側が1961~69年)
約半世紀の間で特に駅南部の宅地化が顕著でS36に伊豆急が開通し駅ができた影響が大きかったと推測
(江戸・明治期からある和田&川奈の海沿い集落が拡大してこのDIDを形成したとは考えにくい)

【おまけ】
伊豆箱根鉄道(駿豆線)の駅所在地や開業日などはおおむね鉄道停車場一覧(T15)(右下)に記載の通りです

※田京・大仁は当時の資料鉄道局年報明治32年度(左上)でM32.7.17開業としており、
会社の沿革などもそれに倣っているが、官報の記述(左上中ほど)は17日開業免許状下付→19日営業開始
[97122] 2018年 12月 15日(土)18:49:32ekinenpyou さん
国勢調査の基本単位区・調査区など【補足追記】
連日の投稿で失礼いたします、拙稿[97106]の補足として少々変わり種の基本単位区(調査区)を紹介しておきます。

【滋賀県大津市の琵琶湖(基本単位区番号は156000990)】
H7国勢調査では名称が(水面調査区)になっていたが、H12国勢調査から名称が琵琶湖(当時の調査区番号は85.2.)
となり、(適切な分類かどうかはともかくとして)以降現在まで特別調査区(後置番号2)に分類されている模様

※調査区番号のうち後置番号のつけ方(番号自体が示す意味)はH7・H12で変更なし、出典はこちらのPDF3コマより
1980年から2010年まで、後置番号のつけ方は変わっておらず


以上を踏まえ、[97076]白桃さんにある
同じ大津市内でありながら、大津と瀬田のDIDが瀬田川によって分断されているのです。川がDIDを分断しているかどうかは、必ずしも川幅には関係しないようなので、それは仕方ないのですが、疑問に思うのは、1960年・1965年にDIDを有していた瀬田町が、1967年に大津市と合併をした後、1970年~1990年は同一DIDとなっていたという事実です。それが、1995年になぜ分離したのか。


上記の疑問に対する当方の推測を示すと・・・

H7国勢調査より従来の(調査区ベースの)DID画定方法から基本単位区等(調査区含む)をベースとして画定する方法に
変更したが、琵琶湖の基本単位区領域が広大で瀬田川の領域まで含んでおり、単一の基本単位区なのでこれ以上細分化
できず、かつ丸ごとDIDにするわけにもいかないので(やむを得ず?東西に)分離することにした。

※H2国勢調査以前のDID画定方法などについてはこちらのPDF11コマより一部抜粋
画定方法については、昭和35年国勢調査当時は調査区地図から方眼法といって縮尺の異なるトレシーングペーパーの方眼紙を用いて個々の調査区面積を測定、人口密度を推定し調査区を組み合わせて人口集中地区を画定していたが、平成7年国勢調査から地理情報システムを利用して人口集中地区を画定している。


【おまけ】大津市玉野浦(南部)地理院地図写真&DID領域(2008年4月~5月撮影とあり)とGoogleマップの写真
比較すると違いが明瞭です、H25.12.11に24時間営業のスーパーも開業したそうで、次回(2020年)の国勢調査では
(玉野浦南部の全域も)DIDに含まれるのでしょうか???
[97115] 2018年 12月 14日(金)19:01:26ekinenpyou さん
中郷と函南
村名になったのはいずれも明治の大合併(M22)より後ですが、伊豆之国さんと千本桜さんの間で関連する話題が
盛り上がっているので、いつごろからこの名称(地名?)が使われていたのか、簡単ですが少し調べてみました。

【その1・中郷】
大日本地名辞書 中巻 二版(右下中ほどの「中郷」)
現在(M40頃)は村名で三島駅(恐らく現在の三島田町駅)の南、狩野川に至る諸村を指す(指していた?)とのこと

※辞書読みはナカゴウだが明治大合併での村名はナカザト(右端)
伊豆国那賀郡(後の賀茂郡)にも中郷(左下)があり、区別のため読み変更?
(こちらの村名はナカノゴウM24.6.12告示で中川村へ改称)

三島市立中郷小学校の概要より(所在地は梅名453)
本校は、明治6年、八反畑村に中郷学校として開校しました。明治10年には梅名の現在地に移転し、成徳学校と称しました。昭和29年3月には三島市と合併し、三島市立中郷小学校となりました。


とのこと、田方郡中郷村誌(11コマ中ほど)中郷学校でもM6.5設立の記述確認
※12~13コマではM10.7梅名村に成徳学校を新築し中郷を分校とし、M19.3合併との記述があったので中郷小学校は
M10設立&開校と解釈しても良さそうです、学校幼稚園書籍館博物館一覧表. 明治14年(左端、成徳学校の設立年参照)

【その2・函南】
函南町立函南小学校の学校沿革より(所在地は仁田148)
明治6年6月20日
「第二大学区第一番中学区第八小学校函南学校」として大土肥妙高寺に開校
明治8年12月
現在地に伊豆地方最初の本格的学校校舎新築・落成


とのこと、大土肥妙高寺は現所在地より北の妙高寺付近と推測
学校幼稚園書籍館博物館一覧表. 明治14年(真ん中)函南学校設立年もM6なのでこちらは移転扱いらしい
田方郡函南村誌(36コマ~)でも同趣旨の記述確認(役場も当初学校内敷地にあった模様)

以上、(維新前の資料は詳細未調査ですが)明治の大合併よりも前に中郷・函南という名称が使われていた
具体例を紹介しておきます。(DID名称についてはどのあたりかわかれば便利だと思う程度なので、
個人的にはそれほどこだわりはありません)

[97107]伊豆之国さん
大場駅を含む旧中郷村の地域と、当時の函南村に属していた仁田・間宮などの地域がその当時から連続した集落を形成していたのかどうか


[97109]千本桜さんで
明治27年測量の地形図では、間宮、大場、中島、梅名の集落が繋がっているように見えます。

上記の通り説明されていますが、今昔マップで見ると時系列変化などがわかりやすいです。

※現在は大場・中島・梅名が三島市で間宮が函南町ですが、
大場と間宮は同じ(君沢郡)25学区だった時期があったようです。
(間宮は田方郡でM29郡再編まで学区が郡や村を跨いでいた)
その頃学校は大場村にあった(右中ほど)ようですが、前述函南村誌(39コマ)には
「M41.4中郷村大場尋常小学校にM14.5より通学していた間宮児童の委託解除、同時に函南小学校に収容」とあり、
中郷村誌(16コマ)によると「尋常小学校1村2校から1校に改めた」(大場は中郷に統合?)とありました。

【蛇足】巷で話題のネーミング先行例???
道の駅では「ゲートウェイ」って比較的名称に使われていそうだと思ったのですが、ここだけでしょうか?
※法律上はこちらも立派な鉄道駅ですが・・・
[97106] 2018年 12月 12日(水)19:08:21ekinenpyou さん
国勢調査の基本単位区・調査区など【多分初心者向け】
平成17年国勢調査小地域集計結果(鳥取県公式サイト)の用語の説明(PDFファイル)に
基本単位区番号や調査区番号をどのように決めているかについての解説が掲載されています。
(恐らく平成27年国勢調査でも全国的に同じようなルールだと思われる)

以上を踏まえ、平成27年国勢調査(小地域集計14神奈川県)の人口等基本集計に関する集計→男女別人口及び世帯数
基本単位区(14118横浜市都筑区~14204鎌倉市)をダウンロードし(実際のデータで)確認してみます。

今回は平塚市の久領堤という住居表示実施地域を選定、集計結果(一部抜粋)は下記の通りです。

基本単位区番号調査区番号人口集中地区符号総数(男女別)
11500010811.1. 11---
11500020811.1. 211394
11500030811.1. 31407367
11500040813.1. 11755322
11500051813.1. 21---
11500052811.1. 41---
11500060811.1. 5119109
11500070813.1. 311587
11500080812.8. 14848-

当該地域の(地図サイトで確認できる)街区数は7ですが、基本単位区の数は9(+2)存在しています。
前述PDFによると基本単位区番号の下5桁は基本単位区コードとなっており説明を一部抜粋すると

百位及び十位のけたは、各基本単位区に付す番号であり、街区が設定されている場合はその街区番号、それ以外の場合は万位及び千位のけたが示す地域ごとの一連番号となっている。

とあるので
基本単位区番号「11500010」(基本単位区コード「00010」)→街区番号1の領域
基本単位区番号「11500020」(基本単位区コード「00020」)→街区番号2の領域
以下略・・・といった具合に基本単位区の領域が設定されているものと思われます。

なお、基本単位区コードが「00051」および「00052」になっている箇所がありますが前述PDFによると

一位のけたは、通常「0」であるが、街区を分割して基本単位区を区画した場合、土地の区画形質等の変更により基本単位区を分割する必要が生じた場合などに、その分割番号として使用しており、「1」から「9」までの数字となっている。

とあり、街区番号5の領域(競輪場のある5街区)は2つの基本単位区に分割されていると推測されます。

また、集計結果一番下の基本単位区コード「00080」ですが、対応する調査区番号が「812.8.」となっており
前述PDFによると「.8」の部分は(調査区番号のうち)後置番号というもので

一般調査区、特別調査区及び水面調査区の種類を表す番号である。

とあり、後置番号「2~8」は特別調査区で「.8」は

8 おおむね50人以上の単身者が居住している寄宿舎・寮等のある区域

ともあるので、恐らく(街区番号8という意味ではなく)2街区北方にある独身寮の領域と推測されます。

以上より、住居表示実施地域では(調査区地図が無くても)基本単位区の領域をおおむね推定できることがありますが、
確証を得たければ調査区地図もあわせて閲覧した方が良いと思われます。

【参考】国勢調査における小地域統計の整備過程とその利用可能性
(PDF7コマに千代田区の一部地域の調査区地図がサンプルで示されています)

【以下、蛇足ですが実は本題かもしれない?】
久領堤の中で基本単位区コード「00030」(3街区)だけ人口集中地区符号がない(DIDではない)のは何故でしょうか?

Googleマップの赤線内のエリアは比較的狭い領域の住宅街でこの基本単位区だけで(久領堤の)
人口の半分近くが集計されているのですが・・・地図上でもDIDではないので統計データのミスではありません
[97099]ぺとぺとさんでも紹介されていますがこのあたり(人口統計ラボサイト内)がヒントになっているかも???

※恐らく水面調査区は無関係だと思われます、余談になりますが人口統計ラボで使われている地図の境界データは
地図で見る統計(統計GIS)の境界データだと思われますので水面調査区も領域表示などが可能です。
例・東京都中央区の水面調査区(町丁・字等名称が明記されていない場合でも分類コードが8154なら水面調査区)

以上、もう少し詳しく説明しておきたい点もありますが、不備などあれば必要に応じてコメントします。
[97086] 2018年 12月 8日(土)10:10:41ekinenpyou さん
Re:改称した自治体の例規集調査など
[97023]グリグリさん
ネットで得難い読み応えのあるリストで(しばらくの間眺めて)楽しめました、作成お疲れ様でした。
投稿後しばらく経ってからの指摘となり恐縮ですが以下、要訂正箇所(1個だけ)などコメントしておきます。

17 1955(S30).4.1 新設/改称 茨城県 稲敷郡 美浦村 新設/改称の記載なし
18 1955(S30).4.14 改称 福岡県 豊前市 改称:条例第10号

上記の市区町村変遷情報 詳細情報(稲敷郡美浦村への改称)の部分ですが
協議会名称・関連情報等に☆条例第10号:宇島市名称変更条例(昭和30年4月14日)へのリンクが
表示されているようです、正しくはこちら(宇島市から豊前市への改称)に表示されるべきかと思われます。

また、別の(個人的に)興味深い事例としては

9 1954(S29).1.1 改称/市制 奈良県 大和郡山市 改称/(市制):条例第30号

上記リンク先にある条例を一部引用すると

大和郡山町条例第30号
地方自治法(昭和22年4月法律第67号)第3条第3項の規定により、本町の名称を、大和郡山市と変更する。


ですが、これは恐らく【1】「大和郡山町を大和郡山市とする」条例で【2】「郡山町を大和郡山町とする」条例も
別途存在していた可能性があると思われます。(総理府の告示は【1】第267号・【2】第266号となり別々)

恐らく法律の解釈としては【1】のような(地方自治法第8条第3項の規定により手続きがなされる)場合でも、
同法第3条第3項の規定によると思われる条例も制定する必要がある(あった?)と推測
(市区町村名に変更が無い町村→市・村→町のような単なる市制・町制も名称変更との解釈?)

[97023]グリグリさんで示していただいたリストは市町村名に変更が伴う改称の例ですが、
単なる市制・町制の際に条例を制定し例規集に示しているものがあるかどうか探してみたところ、
宮城県の自治体で下記2件が見つかりましたので参考としてログに残します。

色麻村の名称を変更する条例(昭和53年3月10日条例第8号、色麻町例規集より)
富谷村の名称を変更する条例(昭和37年12月23日条例第11号、富谷市例規集より、町→市の名称変更条例は記載なし)

なおこうしたケースで条例を例規集に示しているものはあまり見かけないような気もしますので、解釈次第では
条例を制定する必要は無いのかもしれません、従って個別に例規集を確認する必要性は(面倒ですし)無いと考えます。

例規集への条例や告示の記載が自治体によってばらついています
拙稿[96995]でも類似の見解を述べましたが、おっしゃる通りかと思われます。

実態として、[97029]グリグリさん・[97040]にまんさんで言及されている読み替え(改正)条例については
ごく最近でも例規集に載っている(載せてしまった?)ものがあります。
例・那珂川町を那珂川市とすることに伴う関係条例の整理に関する条例

(条例や告示などの)例規集掲載基準は自治体ごと何らか存在するのかもしれませんが、実は明確な基準は無く
(周辺自治体の例規集を参考にするなどして)何となく載せても良さそうだと思ったものを掲載しているだけ
というのが事実なのかもしれませんね。

【以下蛇足】
即座に考え直すべき珍名「高輪ゲートウェイ駅」(JBpress)より引用
「高輪」と「ゲートウェイ」という、全く隔絶した2概念を合体させた名称が、たかだか6万の母集団の中で36通もあったというのは驚きです。


学術機関の専門の?方からも厳しいご意見がありますが、確かに統計(集計)結果は違和感があるかもしれせんね。
もっとも「高輪ゲートウェイ」という固有名(あるいはそれと非常に似通ったもの)が駅名公募前に
(既に誰かが考案していたなどで)ネット検索で表示されていたとかいう場合は
当然「全く隔絶した2概念」にあてはまらず、上記の説についても考え方が変わってきますが・・・

どうでもいいですが、(馬車鉄道などを含めると他にもあるかもしれませんけど)
純粋にカタカナだけの駅名元祖って釧路鉄道(M25開通)のカタカナ表記駅あたりでしょうか?
実は官報(左ページ真ん中上段)の駅名表記は前述資料などと比べると微妙に違っておりまして、
こうしたケースで駅名を一つに絞って確定するのは(専門の方でも見解が異なるので)難しい状況です・・・
[97032] 2018年 11月 25日(日)18:28:10ekinenpyou さん
人口集中地区などについて【初心者向け補足】
以下、分割投稿にて失礼します。
基本的な事柄の説明も含みますが、おさらいとして要点をまとめておきます。
まず、統計局ホームページ-平成22年国勢調査 地域区分に関する用語より引用

人口集中地区より
平成2年調査までは,国勢調査の調査員が担当する地域である調査区を基に設定してきましたが,平成7年調査からは基本単位区(リンク)を基にしています。


基本単位区より
通常,一つの基本単位区か,又は二つ以上の基本単位区を組み合わせて一つの調査区を設定します。ただし,世帯数の多い基本単位区については,これを分割して調査区を設定する場合があり,この場合は,基本単位区別の集計に加えて,各調査区についての集計も行っています。


【人口集中地区の領域・人口・面積などをおおまかな地図で確認する方法】

[97021]白桃さんでも紹介されていますが、
国土数値情報の人口集中地区データは一部(平成27年のものはまだ無いらしい)が
国土情報ウェブマッピングシステムにも登録されています。
(表示まで少々時間がかかる場合がありますが、しばらく待つと多分表示される)

サイトがブラウザに表示されたら左のツリーメニューから(基本地図の下にある)
表示地図→指定地域→人口集中地区→平成(22/17/12/7/2)年をチェックして設定反映をクリック(複数同時選択可能)
右側の地図画面をある程度拡大すると、設定反映した年の人口集中地区の領域が地図に着色表示されます。
(地図上で人口集中地区内をクリックすると人口集中地区符合・人口・面積なども確認することができる)

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

なお、都市計画区域内であれば参考ながら過去ログでも時折登場している市街化区域(H23/18)の領域表示も
可能ですので、地図で比較して大幅に領域が異なる箇所について小地域やメッシュ統計(地図で見る統計など)で
人口を調べてみると人口集中地区の領域設定に反映が漏れているのではないか?という疑問が生ずる
ケースが少々あるかもしれません。(準人口集中地区になっている領域もあると思いますが・・・)

【参考】市街化区域・市街化調整区域とはなにかわかりやすくまとめた
[97030] 2018年 11月 25日(日)12:24:28ekinenpyou さん
若年・女性首長
タイトルの件について記された資料を少し見つけましたのでログに残します。

毎日年鑑. 1947(昭和22年版)右上【知事・市町村長の異色】
茨城県真壁郡上野村長 赤城 ヒサ(原文は「ひさ」)さんの年齢43とあり
(当該資料は松野 友さんの年齢を36としており、数え年などが併用?されている可能性あり)

同上の左下、公選市長
三重県鈴鹿市長 杉本 龍造さんの年齢35とあり、新国会選挙大観も同様)
(リンク先Wikipediaに生年月日明記、長期間市長を務め地元では有名な方だと思われる)

また、[97012]hmtさん
この表では 千葉県安房郡神戸村早川村長の初当選が 1947年となっていますが、これはグリグリさんの 女性首長の一覧・冒頭説明にあるように、1948年が正しいようです


については上記が事実であるが、婦人年鑑(S24)の左下に婦人村長(S23.9末現在)として記載された4名をもとに
(=S22.4の選挙で当選した方という)憶測?によってリンク先にあるような

1947年、戦後最初の選挙で日本初の女性村長となった4人

という、(疑問の余地がある)解釈を表作成の参考とした可能性があるのではないかと考察

[97014]グリグリさんでも引用されていますが
当時の資料には性別が記載されていない
とありながら

1947年の町村長選挙で女性の当選者は5人

としている点が少々気になりました。
(女性当選者5人とする資料については具体的な名前が示されていないので確認できず)
[97013] 2018年 11月 20日(火)18:55:55ekinenpyou さん
Re:地名ではなく、温泉名だった「宝塚」など
以下、小ネタを投稿しておきます。

[97002]hmtさん
自治体名としての「宝塚」が出現したのは、宝塚市成立の約3年前、1951/3/15の町制/改称でした。
兵庫県川辺郡小浜村→宝塚町。
変遷情報を明治合併の 1889年まで遡っても、「宝塚」という旧村名は見当たりません。
「宝塚」が地名になったのは何時からか?


(察するに過去ログに言及が無いかもしれないので)自治体名ではなく、大字地名としての
「宝塚」のルーツを少し調べてみました。

宝塚温泉|宝塚温泉物語 第2章 宝塚温泉 その誕生より

大正4年11月には行政区画として宝塚町が誕生

とありましたので(原文は「ヽ」のある「塚」)、当時の官報をあたり
T4.11.13広告(右ページ真ん中下、大字新設)で

武庫郡良元村大字伊孑志村の一部を分離してT4.11.10より(大字)宝塚町を設置とありました。
(官報の大字に括弧がついておりますので、「大字宝塚町」ではなく「宝塚町」?)

改正新旧対照市町村一覧(T2)(右3段目)→最近検定市町村名鑑(T7)(右下)
比較により、良元村に「宝塚」が追加されている点も確認

なお、良元村のその他の大字が「村」まで地名表記に含めていた関係で?単なる「宝塚」ではなく
「宝塚町」が公称地名だったようです。
【参考】武庫郡誌(良元村)(左上)・付近の甲東村(左上)との双方の区画表記の違いに注目

[97012]hmtさん
岡田幾さんの年齢


[97002]でご紹介いただいたリンク先には生年月日1890(M23).2.22とありますから当選時の年齢はわかります。
(就任日は明記が無いですが、恐らく現職の宝塚市長と同じ年齢で就任??)
[97005] 2018年 11月 18日(日)16:39:12ekinenpyou さん
Re:地方公共団体の名称変更についてなど
[97003]ぺとぺとさんの投稿を受けて、地方自治法第三条と第七条・第八条の条文推移を対比再確認し
下記の点に気がつきましたので訂正を兼ねて投稿しておきます。

都道府県以外の地方公共団体の名称変更に関する法的根拠(法的効力が生じる根拠となるもの)についてですが
地方自治法第三条第3項の規定に基づく条例ではなく、第三条第7項の規定に基づく告示であると甚だ大胆な?
勘違い(誤解)をしておりました(=第七条8項・第八条3項と同じように解釈していた)、正しくは

[86677]むっくんさんより

(E)S27.9.1~現在

(3)廃置分合や境界変更、そして町村の郡変更において、国が官報に告示として掲載することで法的効力が生じるようになる。自治体名を改称した時場合については各市町村の条例で法的効力が生じる。

以上の通りと思われます。

したがって、拙稿[96993][96995]は前述の誤解を前提にした不適切な説明が部分的に多く含まれており、
例えば[96995]の 【少し長い補足】を(大幅に訂正し)差替えると下記の通りです。

【A】国の告示と【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例について

[83614]むっくんさんなどにもある通り、S27.9.1法改正施行以降は自治体名の名称変更(改称)についても
(地方自治法第三条7項により)国の告示が行われることとなったため【B】に対応する【A】が存在するが
法的根拠は従来通り【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例である。

なお、S27.9.1法改正施行前の鳴南市から鳴門市へ改称(S22.5.15)については、その旨
官報広告には(徳島県の名前で)掲載(4段目右側)されており、
同県の告示【A´】は別途存在している可能性があるが、同様に法的根拠は【B】条例になる。

上記に対し、※合併・編入などの廃置分合、町村→市・村→町などの処分については
地方自治法第七条7項または第八条3項の規定に基づく【A】国の告示がS27.9.1法改正施行以降は
(告示によりその効力を生ずる旨が明記され)法的根拠となっている。

※S23.1.1法改正施行以降、国の告示は存在していたが法的効力が生じるものではなかった。

また、[81869]むっくんさんなどにもある瞬間の市のような事例では、
町→市・名称変更が同日に実施されるが法的根拠は(国の告示と条例で)別々である。

大阪府三島郡三島町を三島市とする→地方自治法第8条第3項の規定による
町を市とする処分(例規集には【A】【A´】を記載、法的根拠は【A】自治省告示第145号)

同府三島市を摂津市に変更(改称)する→地方自治法第3条第3項の規定による
市の名称変更(例規集には【B】【A´】【A】を記載、法的根拠は【B】条例第26号)

以上のような解釈ですが、まだおかしな点などあるかもしれませんので、
ご指摘いただければ(修正コメントなどで)適宜対応いたします。
[96995] 2018年 11月 12日(月)18:52:01ekinenpyou さん
Re:市町村の漢字表記【その2】他
[96994]グリグリさんへのコメントを追加したため長文にて失礼します、拙稿[96993]の続きです。

【宝塚市の「塚」、なぜ「ヽ」があるの?】2015年11月28日朝日新聞デジタルより(以下、複数引用箇所の出典同じ)

市長印など公印のほか、市が発行する住民票などの証明書、市の広報誌を含め、公文書はすべて正式名

とのこと、調べてみると自治体例規集には公印や公文書に関する規則などがあり、公印については画像で
多数見られるので、いくつかリンクを示しておきます。(画像はおおむねページ真ん中より下の方)

葛城市公印規則葛飾区公印規則塩竈市公印規則四條畷市公印規則龍ケ崎市公印規則
袖ケ浦市公印規則茅ヶ崎市例規集(五十音の「こ」から茅ヶ崎市公印規則)・蓮田市公印規則五條市公印規程

[96969]スカンデルベクの鷲さんより
飛騨市例規集(第3編執行機関/第1章市長部局/第3節文書・公印→飛騨市公印規程)・逗子市公印規則蓬田村公印規程

[96972]右左府さんより
須恵町公印規程

以上より、公印使用の字体はおおむね予想の範囲内ですが、※飛騨市は「驒」を使っているとか、蓬田村は
1点しんにょう(JIS X 0213:2004における例示字形の変更非対応アプリで作成?)など少々変わり種もあるようです。
(宝塚市・梼原町は未確認、他にも面白いものがあるかもしれませんが未調査)

合併協定書も「驒」(3コマ、告示本文は未確認、22コマに合併した町村長の公印と思われるものあり)

なお上記リンク先画像の大半は恐らくどのような字体を用いて公印が作成されているかを参考程度に示したもの
(広義のひな型)であると思われます。(実物そのものだと字体がわかりにくいとか、偽造などを防止するため?)
実物は※曾爾村公印規程で示された画像のようなものと推測(こちらは実際の印影をスキャン作成?)

※例規集は曾爾村ですが正式名は曽爾村、公印の大きさによっては曽尓村長(画像14番)など「尓」という「爾」の
異体字を使用することもある模様、役場印(画像4番)は奈良「県」ではなく「縣」(かなり古くに作られたもの?)

また

法務局の場合、不動産や商業・法人の登記には、正式名を記載する決まりです。

 神戸地方法務局によると、提出書類の中には、宝塚市の塚の字に「ヽ」がない表記が多く見られるそうです。この場合、局側で「ヽ」のある字に置き換えて登記している

上記より住民票の住所表記や土地の不動産登記などに記される自治体名(市区町村までの部分)は
(当然ながら)同一字体に統一されているのが原則(好ましい)と思われます。
【参考】住所・本籍・土地・建物の所在の表し方(横浜市)

しかしながらやはり例外もあるらしく、[96982]グリグリさんによると※梼原町は現状住民票・戸籍は
「梼」であるのに対し、村を町とした告示や例規集の檮原町文書規程で示された
(町長署名欄がある)原本と思われる書式文例には「檮」が使用されています。

高知地方法務局でも檮原町とあり、不動産登記などは現状どちらの字体で行われているのでしょう??

最後に

市は国や県、他市町に対し、「ヽ」のつく正式な市名の使用を求めていません。このため他自治体が発行し、市に届く公文書は、常用漢字で「宝塚市」と表記されています。

上記のような運用・見解にしておくと、自治体成立時の法的根拠である国や都道府県の告示などが
仮に「塚」とあっても旧字の「塚」であると主張したい場合などに都合が良いような?気もするので

[96985]グリグリさんにある
正字体、旧字体、異字体、略字などの字体の揺らぎについては必ずしも明文化されないまま慣用的(暗黙的)に定着しているケースが多い


恐らく上記が(公印などの字体も表記揺れが見られますので)現状の実態をうまく表現していると思われます。

【少し長い補足】
【A】国の(自治体成立時)告示(いわゆる法的根拠)と【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例の違い

上記について妙高市例規類集より、具体例(と思われるもの)を以下に示すと
【A】市の名称変更(平成16年10月26日総務省告示第818号)
【B】市の名称変更に関する条例(平成16年7月1日条例第27号)

以上を踏まえ、[96994]グリグリさんで示された残りの例規集記載内容を分類すると・・・

【A】会津若松市・習志野市・みよし市(みよし町)【B】蓮田市・南幌町・日之影町・鳴門市
(何を典拠としているかは、国の告示か自治体の条例とおおむね本文他に書かれているので容易に判別できる)

[83614]むっくんさんにもある通り、法的根拠が国の告示になってからは【B】に対応する【A】が存在する。
(地方自治法第三条7項による)
例・日之影町(S31総理府告示第800号)、南幌町(S43自治省告示第34号)、蓮田市(H23総務省告示第1号)

上記の他、都道府県の告示【A´】も別途存在しているケースがある、
地方自治法の改正前は一部の廃置分合はこちらが法的根拠だった。
(鳴南市から鳴門市へ改称の場合も新設ではないので恐らく法的根拠は徳島県告示)

例規集では【A】【A´】【B】などをどの程度の範囲で掲載するかは自治体によって様々である。
(檮原町例規集のように何も掲載しないもの、蓮田市例規集などのように【A】を掲載しないものもあるが、
その場合でも当然唯一の法的根拠【A】または【A´】が別途存在する)

自治体において正式名の典拠を示す場合、(【A】【A´】とほとんど似たような条例の内容であっても)
【B】ではなく法的根拠【A】【A´】を示すことが主流であるように思われる。
(ただし【A】【A´】で自治体の主張する正式名と相違があるものが示されている場合は典拠として
【B】の原本などを示す可能性もある)

以上、少々長くなりましたが補足とします。
[96993] 2018年 11月 10日(土)14:51:25ekinenpyou さん
Re:市町村の漢字表記【その1】
本題の前に少々補足をします。

[96970]グリグリさん
「逗」「蓬」は1点しんにょうも2点しんにょうも文字コードが同じと思われ、表示環境(OS、ブラウザ、アプリなど)によってどちらの文字が表示されるかわかりません(私の場合、ブラウザでは1点しんにょう、エディタでは2点しんにょうの文字が表示されます)。「騨」「葛」「塚」については、表示環境によるぶれはなさそうです(古いパソコン環境では葛が葛城市のヒの表記になる場合はあると思います)。


例えば葛・逗・蓬・祁はこちらで示された168文字(JIS X 0213:2004における例示字形の変更)に含まれており、
対応環境では全てページ下部画像矢印右側の字体で表示されると考えていたのですが、
「葛」のみなど一部だけの対応になっている環境があるという点は把握しておりませんでした。
(なるべく字体が画像で表示されたページを示すなど、少し説明の仕方を工夫しなければなりませんね)

なお、自治体が正式名とする字体の根拠としては[96966][96977]グリグリさんにある
3 都道府県以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定めのあるものを除くほか、条例でこれを定める。

自治体の「正式名称」は条例で定められている


上記の(自治体が定めた)条例本文の内容を根拠として説明に用いているケースは見あたらず、
国なり都道府県の(自治体成立時)告示で記された字体が根拠であるとしているケースが多いように思われます。
(以下[96956]グリグリさんで示されたリンクより一部抜粋)

葛城市(※総務省告示)・葛飾区(法的に見た「区名」の根拠、東京府告示)・龍ケ崎市(総理府告示)

以上を踏まえると、仮に自治体が定めた条例で告示と異なる字体が記載されていても、
やはり法的根拠である告示に記載されたものが有効(最優先)であるという解釈が主流と推測されます。
(ただし古くに法的根拠が示されただけの自治体は旧字体などをどの範囲で同一視して
新字体などに置き換えるか判断に迷うケースもあると思われる)

※當麻町を当麻町としているのは拙稿[96971]で告示文改変の疑いありとしたが、告示には確かに
当麻町とあり(適切なのかどうかはともかくとして)事実としては忠実に写しただけの模様
余談ですが、北葛城郡の「葛」は葛城市とは別の「葛」で葛飾区と同じらしい
【参考】新庄町・當麻町合併協議会(「葛」だけあえて画像で示されている)

【おまけ、旧字体の定義とは?】
[96976] 鳴子こけしさん
例えば砺波市・南砺市の「砺」の場合、常用漢字ではないため(常用漢字である「励」と同じ略し方でありながら)「砺」は「礪」の俗字・異体字という扱いとされています(拡張新字体といいます)。


上記はおっしゃる通りで、何でも安易に旧字体として良いかというとそういうわけではありません。

「壽」は「寿」の旧字体という表現は(恐らくおおむね)異議なし、
「檮」は「梼」の旧字体という表現は(人によっては)違和感ありといった具合でしょうか
(俗字・異体字あたりの表現が無難)

※ただし新旧字体表で示されたように漢和辞典等では常用漢字表外の漢字でも広義の旧字体と定義(区分)して
収録されている場合があり、もしかすると「檮」を「梼」の旧字体としている資料等があるかもしれません。

少し長くなったので、書き足りなかった残りは別途投稿します。
[96971] 2018年 11月 3日(土)10:21:12ekinenpyou さん
Re:テーマ型経県値についてなど
本題の投稿は後日としてひとまず別途コメントしておきます。
[96963][96965]グリグリさん

3.テーマについて
観光地、温泉、公園、遊園地、寺社、鉄道駅、建造物、テーマパーク、美術館・博物館、絶景、夜景、地酒、銘菓、名物等、都道府県ごとに抽出選定できるテーマを選ぶ。


できるだけ文句の出ない選定を目指すための拠り所として、著名サイトや書籍を許諾を得て引用する方法がありますが


観光地(テーマ)の定義があいまいですが、上記に該当する資料の一例としては観光資源台帳というものがあり、
国土数値情報の観光資源データにも一部が含まれています。(以下、内容の引用)

(財)日本交通公社が設置した「観光資源評価委員会」が検討・選定し作成した「観光資源台帳」に掲載されている観光資源のうち評価ランクがA級以上のもの、及び観光庁が保有する各都道府県の観光地点等に関する情報を整備した「観光地点等名簿」に記載されるものを統合したものである。


しかしながら、格付け云々の評価手法に関する疑問など、その他色々あると思いますので、
(繰り返しますが)あくまでも参考資料(観光地リスト)の一例ということでお考えください。
(本件において万人から異議の出ない選定というものはあり得ないと考えます)

【参考】観光資源の評価に関する研究
交通公社の新日本ガイド/観光資源評価台帳

[96966]グリグリさん
都祁村については奈良市に編入されて消滅したため、書体変更に関する公式HPなどでの確認ができません。


書体変更に言及したページがあったかどうかまでは不明ですがネットアーカイブでは
テキストの箇所は(示偏)で、画像の箇所は(ネ偏)でした。
(市区町村名の画数では過去の自治体構成も選択表示できるので、例示しました)
【参考】奈良市・月ヶ瀬村・都祁村合併協議会

梼原町の条例や宝塚市の条例では正式名の表記が使われていますが、葛城市の条例では「葛」のフォントが使われています。これは、Web上の表記の問題で、原本では正しく異字体の正式名が使われているのだと思いますが、このような認識で正しいのでしょうか。


どういったものが「原本」に該当するかは当方存じませんが(電子データ以外の手書き紙面媒体なども別途ある?)
下記のように當麻町を当麻町としているものなど、少々告示本文の字体を改変している?と思われるものも
それなりにあるというのが恐らく実態なのかもしれません。

奈良県北葛城郡新庄町及び同郡当麻町を廃し、その区域をもって葛城市を設置する
[96962] 2018年 10月 30日(火)18:56:17ekinenpyou さん
Re:新規雑学「市区町村名の画数」リリース
連続投稿にて失礼いたします、以下おまけの小ネタです。

[96956]グリグリさん
梼原町以外で同様の事例はあるでしょうか。


多くの方はご存知だと思いますが、字体を少し変えただけでわざわざ改称告示が出たのは珍しい?ので
類似例?を下記に示します。

埼玉県蓮田市
奈良県都祁村

なお「蓮」は康煕字典(右端)だと画数が更に・・・
【参考】表外漢字字体表
[96961] 2018年 10月 30日(火)18:49:50ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について【続編その1】
拙稿[96941]の続きです。

【有人島の面積・国調人口などを調べる方法】
統計局ホームページ-統計FAQ 01A-Q04 日本の島の面積[85802]hmtさんでも紹介されていますが、
離島統計年報というものがあります。(国土交通省の資料出典にも採用)

なお、[85802]hmtさんで
最新版には当然2010年国勢調査結果も反映されているはずなのですが、掲載対象になっている「離島」は「離島振興法」など関係4法で指定された合計305島に限られています。


とありますが、2016離島統計年報利用の手引き(19コマ)を見てみると、実は法対象外離島のうち未指定離島や
指定を解除された有人島についても(附表という別の表に)面積・国調人口は掲載されておりますので、
(データが全く無い)未掲載の有人島はおおよそ30程度になります。(2015離島統計年報など過去のものも同じ)

【離島統計年報掲載の面積データに関する注意点】
前述2016離島統計年報利用の手引き(11&19コマ)には
面積は,国土交通省国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調(平成27年10月1日)等に基づく数値である。


とあるのですが、例えば網地島(宮城県石巻市)はH27.10.1面積調(105コマ)が6.49km2であるのに対し
前述国土交通省の資料(2016離島統計年報準拠)では6.80km2で、これはH25.10.1面積調(127コマ)と同じです。
[87373]hmtさんにあるH26.10.1の面積データリセットなど、
新しいデータが反映されていないと思われる?箇所があるようです。

以上を踏まえますと、(面積調に無い)1km2以下の島面積についても同様の傾向があると思われますので
[96946]グリグリさんで示された下記データは少し古い年代の?面積なのかもしれません。
・大飛島(岡山県笠岡市)86人/1.05km2
・六島(岡山県笠岡市)80人/1.02km2
・小宝島(鹿児島県十島村)54人/1.00km2


少し追跡調査をしてみたところ、
小宝島はH25.10.1面積調(134コマ)では1.00km2、H26.10.1面積調(109コマ)未掲載
【参考】十島村役場公式サイト(小宝島概要)では0.98km2(2017年12月9日時点のページでは1.00km2だった)

大飛島・六島はH16.10.1面積調(184コマ)で既に未掲載
【参考】しまっぷ岡山県では

※面積は、六管区本部が独自に計算した、あくまでも参考値です。

とありますが、大飛島0.97km2・六島0.91km2でした。

以上、長くなってしまったので人口データに関する補足説明などは後日続編その2を別途投稿したいと思います。
(実は謎々の答えがまだ残されており面積関連の解説も兼ねます)
[96944] 2018年 10月 21日(日)18:56:19ekinenpyou さん
Re:永田町の富士見坂など
同日複数分割投稿にて失礼いたします。
[96931][96934]hmtさん・[96933]MIさん
あまり詳しくありませんが、少しだけ・・・

千代田区の坂(3)~平河町・麹町方面 には 地図リンク もつけられていますが、説明文を見ると【標識なし】と記されています。

都区内坂道の標識設置状況については区によって対応に差があるようです。(下記参考)
はまだより・坂道
東京における坂道の標識

話を永田町の富士見坂に戻すと、この坂は 赤坂見附と三宅坂との間に位置するわけですが、明治16-17年の五千分一図には、まだ姿を見せていません。

東京の坂道に関する参考文献から明治20年代前半の資料東京地理沿革誌(M23.4)を見てみると
(現在のものと同じ坂かどうかはわかりませんが)ページ左側にそれらしき坂名の記載・解説がありました。
[96941] 2018年 10月 21日(日)12:19:14ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について
[96929]拙稿にて離島航路について記しましたので、過去ログと重複する部分も多々ありますが、
あらためて日本の島(有人島)について簡単にまとめておきます。

【主要な有人島への交通手段などをまとめたサイト(少々情報が古いですが)】
日本の島 主な有人島について 交通 アクセス 案内
(上記サイト様の案内ではWeb公開は2019.3末までとのこと)

【有人島の数・一覧を調べる方法】
どのような基準で島とするか、有人・無人の判定については
日本の海と島(hmtマガジン)などでも過去にしばしば取り上げられていますが
一応、島の数は毎年度ごと?分類された内訳が国土交通省から公表されています。
(少し古いですが)新たな指定基準に基づく離島振興対策実施地域の見直しについて(2コマ)
H25.4.1現在(有人島418・無人島6,429の計6,847・本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除く)

このうち、[96903]hmtさんで紹介されている離島振興対策実施地域の254島に加え、
法対象外離島113島のうち未指定離島22島の一覧については
指定離島・未指定離島一覧(PDF)と同一と思われます。
※未指定離島一覧に23島ありますが沖島(滋賀県近江八幡市)が追加されている(22+1島)

なお、(法対象外離島113島のうち)架橋等91島の一覧を国土交通省で示した資料は
残念ながら見つからなかったのですが
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々が前述254島&22+1島と恐らく共通しており、
(沖島を除くと)ちょうど418島あるようなので、(残りの)架橋等91島についてもほぼ把握可能と思われます。

※島名をクリックするとH22国調人口と面積もおおむね記載、ただし(架橋等91島については)
国土交通省で示されたものと全く同一内容であるという保証は無いのでご了承ください。

一例として、[86248]hmtさんで示された高島(徳島県鳴門市)の記載が無く、
沖縄県の離島関係資料(各年)の島しょ一覧(面積0.01km2以上、PDF9コマ)などに記載が無いと思われる
瀬長島(豊見城市)が含まれており、恐らくこの手の分野でメジャーな日本離島センターの各種出版物などを
参考に推測しているのかもしれません。

H25.4.1以降現在までの(有人島・無人島数の)変化は恐らくごくわずかで下記の通り(無人島が3増加)
H30.4.1現在(有人島416・無人島6,832)
※(離島振興対策実施地域追加で)沖島を有人島数に含めるので415+1島(ただし離島合計には含めず6,847のまま)

【恒例?蛇足の謎々】
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々のうち
平成29年全国都道府県市区町村別面積調付録・島面積(面積1km2以上)に記載が無いと思われる島があるが、
はたしてどの島でしょう?(当然ですが答えは面積1km2以上に限る、答えは多分後日投稿にて示します)
[96929] 2018年 10月 12日(金)19:04:22ekinenpyou さん
Re:突然の航路休止に驚く中通島など
[96903]hmtさん・[96904]Takashiさん
続報の一部は既にご存知の方も多いかもしれませんが
五島産業汽船の一部航路、九州商船が再開検討 (日本経済新聞10/9)
五島産業汽船元従業員が新会社設立(NCC長崎文化放送10/11)
とのことです。

(五島産業汽船の)長崎~鯛ノ浦航路は年間12万人の利用があり、黒字を確保していたようですが、
経営破綻の主要因になってしまった佐世保~有川航路は過去に美咲海送という別事業者もH25.5末限りで休止、
(競合のため赤字に対する補助などが無かった?と思われますので)色々と運営が難しい性格の航路のようです。

【参考】
九州離島航路経営改善ガイド(国土交通省 九州運輸局、少し古いですが要点は理解可能)
美咲海送「第三十八フェリー美咲」に乗船してみる(H25.5末限り休止間際の貴重な?乗船リポート)

[96926]グリグリさんの投稿がございましたので、
十番勝負前に予告していた投稿保留分は次週あたりから(状況に応じ)再開を予定しておりますが、
(気が変わって)別の新規内容で投稿するかもしれません、くどいのは承知の上ですが最後に以下やや長めの蛇足

[96916]伊豆之国さん
…ところで「重箱の隅」ですが、[96879] オーナー グリグリさん
28 中央市 昭和町(常永駅/JR身延線) 市川山郷町(甲斐上野駅/JR身延線)
「市川三郷町」ですね…。


上記の類は他にも気がついた方がいらっしゃると思いますのでそのままスルーでも全く問題ないと思いましたが、
一応記事の正確性を高める?という目的で(別の例も)ログに残しておきます。

まず、下記をどのように訂正すべきかは(こちらの皆様であれば容易にわかると思うので)説明を省略します。
20 成田市 酒々井町(酒々井駅/JR成田線) 神埼町(下総神崎駅/JR成田線)
21 香取市 神埼町(下総神崎駅/JR成田線) 東庄町(笹川駅/JR成田線)


46 伊予市 松崎町(伊予横田駅/JR予讃線) 内子町(伊予立川駅/JR予讃線)


また、下記も厳密には不適切です
4 青森市 七戸町(七戸十和田駅/東北新幹線) 今別町(奥津軽いまべつ駅/東北新幹線)


奥津軽いまべつ駅の所属路線は東北新幹線ではない
(時刻表などで用いられる東北・北海道新幹線などであれば許容範囲?)

[96879] の42で海田市駅をJR呉線としているがこの点は許容範囲とした
(ただし45では多度津駅をJR土讃線ではなく予讃線と記載しているので所属路線の考慮はしていると推測)

(誤表記の)原因については出典元のデータ?がそのように記されているのか、定かではありませんが
とりわけ自治体名の記載については(地理系サイトなので)なるべく正確を期したいところです。
([96880]にもあるように単に当日ご多忙だっただけと推測されますが・・・)
[96923] 2018年 10月 9日(火)19:18:30ekinenpyou さん
Re:第四十九回 災害復興祈念 全国の市十番勝負(問十:想定解一覧)など
本来の十番勝負の楽しみ方とは異なり恐縮ですが、[96879]グリグリさんの作成されたリスト
■ある町の駅からその市の駅(1駅以上)だけを通り別の町の駅への各駅停車の直通列車がある市
(想定解数:62市?)

調査確認した想定解のリストです。該当する市の駅(1駅以上)は省略しています。最初の「町(駅名/路線名)」欄には、直通列車の一例として乗換案内リンクを付けました。網走市は「上り」、八戸市は「平日」、田辺市は「下り」、鳥取市山陰本線ルートは「上り」にのみ直通列車があります。「▲」は災害により十番勝負開始日には運休中で、「◆」は同一町の例です。大崎市、長井市、成田市、半田市、鳥取市、丸亀市、直方市、飯塚市には、ルートが2つあります。
を今一度確認し、(不足分を)補完してみました。(駅名クリックで時刻表表示)

1.JR因美線
鳥取市 智頭町(智頭)と八頭町(河原)

【備考】平成30年7月豪雨で全線不通になったが8月中に復旧

2.▲平成筑豊鉄道田川伊田
田川市(田川伊田を経由) 香春町(勾金)と福智町(上金田)

【備考】平成30年7月豪雨で田川線が一部不通となっている

3.◆近鉄京都線
木津川市(木津川台) 両隣駅が精華町(新祝園山田川)

【おまけ】偶然かH27以降の比較的最近の廃線区間に下記の例(◆含む)が存在していた
留萌本線、H28.12.5一部廃線(留萌~増毛)
留萌市 沼田町(恵比島)と増毛町(阿分)

三江線、H30.4.1廃線
広島県三次市(伊賀和志) 両隣駅が島根県邑南町(宇都井と口羽)

(古くは苫小牧市なども条件を満たしており)過去の分を挙げると(色々な面で)きりがないので
これ以上は省略させていただきます。

※◆は[96913]k_itoさんで既に示された樽見鉄道の本巣市(神海) 両隣駅が揖斐川町(谷汲口と高科)を除く

平日・土休日の運転列車相違や災害による不通区間についてはチェックに
不備があるかもしれない点ご容赦ください。
(本稿は比較的短時間で作成したためおかしな点などあるかもしれません、
ご指摘いただければ後日訂正コメントなどで対応します)
[96486] 2018年 9月 16日(日)19:00:05【1】ekinenpyou さん
Re:気象庁が名称を定めた地震など
十番勝負(開始直前予告)以降の投稿となってしまい恐縮ですが・・・以下の件、少し補足しておきます。

[96471]グリグリさん
顕著な災害を起こした自然現象の名称の付け方基準等については、こちらのページに説明があり

Wikipediaでも言及されていますが、リンク先には
平成30年7月9日
とあることから、最近公表(変更)されたもののようで従来はこちらの内容(基準)だったようです。
(平成30年7月1日時点アーカイブより)

従来の気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象一覧には人的被害が大きかった
平成26年の御嶽山噴火平成25年の台風第26号による暴風・大雨※などが
含まれないケースがあり、命名基準の見直し(改訂?)を行ったものと推測されます。

※当然ながら例示したもの以外にも含まれなかったものが多数あります、詳細は下記などをご確認ください
災害をもたらした気象事例
日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降)過去の地震津波災害過去に発生した火山災害
(従来の基準も平成16年3月15日に示されたもので、それ以前は異なっていたと思われる。)

以上、予定していた投稿が他にも数件ありますがそちらに関しましては日を改めて行います。

【以下、追記】
気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象の一覧について、恐らく1956(S31).7.1の
気象庁昇格後に命名したものという解釈になっていると思われます。

洞爺丸台風(Wikipedia)より
気象庁は1958年9月26日に東日本に上陸して伊豆半島狩野川流域に大水害を起こした昭和33年台風第22号を同年11月に「狩野川台風」と命名したことに伴い、1954年の台風第15号についても遡って「洞爺丸台風」と命名した。


デジタル台風(資料室)
「平成27年9月関東・東北豪雨」現在の命名基準は平成16年に相次いだ災害の直前から(饒村曜)(Yahoo!ニュース)
にも同様の記述あり
[96452] 2018年 9月 2日(日)10:19:44ekinenpyou さん
Re:台東区はお台場の東?など
以下、先週投稿予定でしたが諸事情により遅れました。

[96430]hmtさん

台東区の由来については東京の地名の由来 東京23区辞典では以下のように記されておりました。
(引用箇所・台東の由来は落書き帳で使用できない文字を置き換えるなど、一部変更してあります)

東京新聞が募集した区名案には上野・下町・太平・隅田・浅谷などなどあったが、これといったものがなく、『康煕字典』にある「台東(たいとう)」という熟語に「日出る処、衆人が集まって栄える場所」の語義があり、また「台」に"悦ぶ"の意があり、上野山つまり下谷区に当て、「東」には"春"の義があって浅草区を指すと解釈、これを区名に選定した。区名にこれほど理屈を踏まえた名前はない。

以上を踏まえ「台」と「臺」について、戦前(大正末期)の漢和辞典での掲載箇所を以下に示します。
「台」(右側)・「臺」(右側)

「臺」は高台、「台」は先述の引用箇所通りの意味も含まれている点がわかりますので、
台東区の「台」は双方の字(「台」と「臺」)を由来とすると解釈しても良さそうです。
(なお康煕字典で瑞祥地名とありますが、その掲載については
中国語の理解力が乏しく、どの箇所かは特定できませんでした)

台東区について言うと、既に当用漢字表は1946/11/26に公布されているのですが、これが新字体になる「当用漢字字体表」の告示は1949/4/28ですから、「臺東区」で告示されていると推察します。
昭和22年東京都告示第127号の本文(原文)は未確認ですが、参考として官報広告(S22.4.2)(右上)が確認できました。

大正末期の漢和辞典で既に「台」を「臺」の略字として用いるとの記載があるのと
当用漢字字体表を告示する前の当用漢字表(左中段の左端)でも
同様の扱い(至部の「臺」に簡易字体として記載)なので恐らく誤りではありませんが、
多くの字は旧字体なのでちょっと違和感があります。

[96414]白桃さん

自治体人口推移のまとめは非常にわかりやすく参考になります。いわき市の郷土資料については
いわき市立図書館 郷土資料のページに色々とネット閲覧可能なものが存在していますね。

余談ですが、S28.10.10に小名浜町(のちの磐城市)へ編入された鹿島村のうち
3大字(三沢・松久須根・上矢田)はS29.3.29に湯本町(のちの常磐市)へ編入されて
常磐を冠した町名になっているようです。(地図はこちら、上矢田と下矢田は元々は同一村内)

※当時の新聞いわき民報 昭和29年 3月・3月31日第2411号(PDF2~3コマ)などに磐城・常磐市誕生時の記事あり

同市(S41合併前含む)の長期時系列人口推移について、(あまり役に立つかはわかりませんが)
当方でも少し調べてみましたので別投稿で示したいと思います、少々お待ちください。
[96437] 2018年 8月 25日(土)12:21:39ekinenpyou さん
Re: 中国語の読みと台東区など
今週はコメントを差し上げたい投稿が多いため、分割投稿を予定しております。

[96424]シノレパシクソさん
拙稿[96423]は当方も先日同じようなミスをしてしまったという点(自身の反省など)を述べたまでで
シノレパシクソさんは特に気にする必要は無いと思います。

[96394]の夏休み旅行記クイズは面白かったです。
(自身で[96354]のような投稿をしていたこともあり、[96403]伊豆之国さんと同様の対応をしました)
福井県内の鉄道廃線跡などについては鉄道友の会福井支部サイト内(県内廃線跡探訪)が詳しいですね。

なお、[96424]で※あわら市のDID人口(平成27年国勢調査)をお答えになられていますが、
金津は古くからの市街で[95544]白桃さん・[53714]千本桜さんの投稿中にも登場します。
DID人口数(5,038人)は確率的に極めてまれな事象が発生した数字だったので驚きました。

地理院地図で確認すると前回調査時と若干領域が異なるようです。(従って、人口密度は異なります)

[96425]鳴子こけしさん
詳細な解説ありがとうございました、段階的にきちんと理解できているか少しおさらいしてみます。
「北京」「釜山」はどちらも「ぱ行」で始まりますが、ラテン文字ではそれぞれ「Beijing」「Busan」とBで始まるのは、こういう事情に依るものなのですね。


上記は無気→有声の転写例だと思うのですが、有気→無声の転写例としては
四川省巴中市の平昌(Píngchāng)県があてはまる。
韓国の江原道平昌(Pyeongchang)郡も同じ?(韓国語の知識はほぼ皆無なので自信なし、間違っていたらすみません)

[96427]faithさん
台の発音ですが、Jigen.netでは3種類示されており、
[96417]伊豆之国さんで
「台」と「臺」は、本来はそれぞれ別の字で、どちらも中国に古くからある漢字です。
とありましたので、(懲りずに?)少し追跡調査をしてみたところ、
こちらのサイト様(ブログ)で興味深い解説を見つけました。

参考・藤堂明保(Wikipedia)
※研究者によって(漢字の)解釈が異なる点もあるのでご注意ください(詳細下記サイト様も参照)
【基本?】漢和辞典アレコレ 辞典によって何が違うのか

以上、詳しい方にとってはあまり役に立つ投稿内容ではないかもしれませんが、もう少し続きます(多分)・・・
[96423] 2018年 8月 22日(水)19:20:37ekinenpyou さん
Re^3:台東区の読み方など
[96413]faithさん
ということで、解説できるような学殖は持ち合わせませんが、手元にあった「新字源」(最近出た改訂新版)を見ても、漢音、呉音とも「タイ」であり、「ダイ」は慣用音(多くは日本で誤読等で発生したもの)とされています。
実際、「台」の後漢時代(1-2世紀)の発音は[tʰə]のようなものだったとのことで(Schuessler, "ABC Etymological Dictionary of Old Chinese") 「ダイ」を中国音に求めるのは難しそうです。
色々と参考になります、確かに台地台本などおっしゃる通りですね。

[96417]伊豆之国 さん
「北[石番]磨」の文字については、6年余り前にも話題になったことがありましたね。
フォローありがとうございます、その付近の過去ログを参照して
無事[80204]紅葉橋律乃介さんのご名答にたどりつきました、疑問解決です。
[80408]グリグリさんのご対応以降は恐らく「北磻磨」と書いても問題無いようです。

[96416]シノレパシクソさん
なお、人口はサイト内のデータランキング(2018.4.1)を基準にします。
[96419]白桃さんでは
2018.4.1の人口って本サイト内にありますか?
とありますが、当方は別の疑問も抱きました、この場合の人口とは
【市】人口ランキング(推計人口と国勢調査人口)の「2015年10月1日の国勢調査人口」だと考えていましたが
【市】人口・面積・人口密度ランキングの「2017年10月1日の推計人口」だったのですね。
(ランキングデータに人口のランキングが複数箇所あり迷いました)

当方もつい先日似たようなミスをしてしまいましたが、書いた本人は正しく伝わっていると思い込んでいるので、
詳しい方に(誤解を招く表現である旨)ご指摘を受けるまで全然気が付かないことがあります・・・
[96411] 2018年 8月 20日(月)19:15:20ekinenpyou さん
Re:大相撲幕内優勝力士都道府県ランキングなど
連続で失礼いたします、以下長くなったため投稿を分けました。

[96404] うっかりじゅうべえ さん

出身地については[96398]紅葉橋律乃介さんでも
現在でもあくまでも各力士がそこを届け出れば“出身地”とされています。自分だけではなく、親や祖父母のいる場所でも良いわけです。
以上のようにコメントをいただいている通り、不確定要素が多く琉王関のような例もありますね。
(沖縄出身とはせず、奄美出身で届け出ることもできた?)
いずれにしても拙稿[96397]ほど不適切ではないと思いますし、
[96408]グリグリさんにあるコメント(示されたご提案)を当方も支持します。

[96398]紅葉橋律乃介さん

まだ出身地を記載した表は作っていないんですが、今後優勝者の出身地も載せる予定です。その際は、ぜひご来場くだされば幸いです。

お言葉をいただきありがとうございます、実は(大相撲星取表の掲示板)で拝見した際、
難解な問い合わせに対してもすらすらと見事にお答えになっていたので(一般の方と比べて)
知識レベルの「格が違う」と感じましたので言及してみた次第です。
大相撲星取表のリンク集にも相応のコメントがありますね)
コンテンツの作成内容云々に関しましてはご自身のやりたい事を最優先でよいと思います。
(時折拝見させていただきます)

=以下、素人の素朴な疑問=(前述の内容とは全く関係ありません)
稀勢の里関と同い年の※北はり磨関の「はり」は何故「こちら」の字を使っているのでしょう???
役に立つかは不明ですが康煕字典でのリンクはこちら(右側中ほど)です。

※注・北播磨地域のご出身ではありません
(今週は中国語や大相撲に関する当方の知識の無さを見事に露呈してしまいました・・・)
[96410] 2018年 8月 20日(月)18:49:24ekinenpyou さん
Re:台東区の読み方
[96405] faith さん
「ピンイン」というのは、アルファベットと声調記号を用いて中国語の発音を表記する方法のこと
上記の点はだいたい理解できていたはずだったのですが、
「ピンインではこう表記する」とは言えても、「ピンインではこう発音する」は表現としては奇妙に聞こえてしまいますし、「ダァィ」ではもちろんピンインの表記になっていません。
ご指摘の件はおっしゃる通りです、当方の投稿内容は明らかに
「ピンイン(発音記号)ではダァィと発音する」という摩訶不思議な表現で書かれており、非常に不適切でした。

拙稿[96397]
中国語(ピンイン)では呆という字を「ダァィ」と発音するらしいです。
は、ご指摘いただいた通りの内容
中国語(普通話)では・・・
もしくは
中国語では呆という字を「ダァィ」と発音するらしいです。(カタカナ読みは目安、ピンインではdāiと表記)
などに置き換えれば良いでしょうか(普通話では・・・ということも明示した方が尚良い?)

呆は「保」の古字としての使用例があるようです。
「呆」の音読みは「保」と関連があるのではないかと推測されます。
ご教授いただきありがとうございます、そのように推測しても良いかもしれませんね、
参考資料として康煕字典でのリンクも示しておきます。
(左真ん中)・(右真ん中付近)

と、ここまで書いておきながら恐縮ですが、言及されている、呆(や保、某)の中国語発音が、台東区の「台」(ちなみに、ピンイン表記ではtái)の清濁にどう関係しているのか、実は私には読み取れませんでした。何か見落としているのかも知れませんが、教えて頂いてよいでしょうか。
上記については全く無関係です、faithさんの見落としは一切ありません。
(蛇足とはいえ推敲不足で)理解しがたい文章を書いてしまった点、申し訳ございませんでした。

」・・・国内の地名では「ダイ」と読むものが非常に多い(特に地名の最初の字にある場合はほぼ「ダイ」)が
中国語の発音(目安)はカタカナ読みで「タァィ」
対して
」・・・国内では「タイ」という音読みだが、中国語の発音(目安)はカタカナ読みで「ダァィ」
(国内で主流として使われている音読みホウ・ボウは発音上では関連性が乏しい)

※発音のカタカナ読みはあくまで目安なので、リンク先で音声を再生して各自ご確認ください
(中国語を公用語として使用している地域全てで同様の発音かどうかは未確認のため不明)

上記のようなことを(蛇足で)書こうとしたのですが、脈絡の無いおかしな文章になってしまいました、
(関連知識が乏しく)まだ不自然な点などあるかもしれません、(もしあれば)遠慮なくご指摘ください。
[96397] 2018年 8月 18日(土)12:45:14【1】ekinenpyou さん
Re:大相撲幕内優勝力士都道府県ランキングなど
[96392]うっかりじゅうべえさん・[96393]hmtさん

出身地という言葉の意味に幅があるので解釈が難しいですね。
例えば稀勢の里関の来歴・入門まで(Wikipedia)では
出身地が牛久市とされているのは、部屋入門時の住所地が牛久市であったことによるものである。
とあります。

朝潮関(3代)について
[87226]JOUTOUさんでは、hmtさんと同じく徳之島出身というご見解のようです。
(Wikipediaの横綱一覧も同様、現在の薩摩川内市出身の横綱は16代横綱の初代西ノ海嘉治郎
この手(角界)の話題はメンバー紅葉橋律乃介さんのサイトが大変お詳しいでしょうか、
銀河大角力協会の資料群は圧巻ですね。

純粋な地理に関する書込みが少々乏しくなってしまったので下記余談を、
東京都の台東区の読み方についてYahoo!知恵袋によると
上野の高台の「台」と、上野の東側にある下谷と浅草の下町を連想する「東」を組合わせ、「台東」という地名となり、それを区名とするようになったそうですが、それを考えると「だいとう」でいいはずなのですが、なぜか「たいとう」 と読みます。


とのことですが、台東区(Wikipediaの名称由来)も見てみると
読み方は都、区で発行する出版物のふりがな等で見られるように公式には「たいとうく」だが初期はそれほど強く統一されておらず現在でも昭和初期生まれくらいの高齢者は地元の台東区民も含め多くの場合「だいとうく」と読んでいる。
とも書かれていたので、当時の資料国勢調査(昭和25年)を見てみると
15都道府県郡市区町村別人口(12千葉県~16富山県)の4コマで
「Daito-ku」と書かれているのは、単なる誤表記ではなかったのかもしれないと思いました。
(S30以降のものは当方の知る限りでは「Taito-ku」となっています)

=以下蛇足=
※台東区の読みについては台湾の台東県台東市などの影響があるのかどうかは定かではありませんが、
中国語(ピンイン)ではという字を「ダァィ」と発音するらしいです。(「パァォ」「モォゥ」

Yahoo!知恵袋にも「呆」は発音上では音読み「ボウ」との関連性は乏しいとありました、
「タイ」という音読みもあるようですが、あまり使用例として見かけないような気もします。

※以下、見落としのため追記訂正
台東区の読みについて補足(出典は前述の台東区Wikipediaの名称由来)
都知事の案により下谷区台東小学校にて既に採用されていた「台東」の語を用い「台東区」を区名とした。
下谷区史(左端)に同校のものと思われる沿革が記されており
明治期に「私立渡辺尋常小学校」が買収され「台東尋常小学校」へ改称された事実は確認できたものの、
「台東」の由来については明記されていませんでした。(同校は平成17年度末で廃校?・台東区サイト内)
[96378] 2018年 8月 11日(土)09:39:55ekinenpyou さん
Re:茨城県の編入合併など
連続で失礼いたします、以下も予定していた投稿ですが、長くなったので分けました。

[96351]白桃さん
どうして茨城県はこうまでも編入合併が多いのか
上記はおっしゃる通りかもしれません、市の変遷(茨城県)を見ると戦前から市だった
水戸・日立・土浦では戦後(地方自治法の下では)一貫して編入合併のみを行っております。
(日立・土浦の最初の市制は旧法下の手続き上、新設合併という形になったと思われます。)

少し(というかかなり)話題が変わりますが、このうち日立市関連について

[81186]白桃さん
「共武政表」に関して言えば、貴重な人口統計資料であることには違いないのですが、正確性や統一性に欠けております。男と女を合計しても総計に合致しない邑もかなりあり、人口統計だけは几帳面な白桃は、この“アバウト感”に酔いしれております。
ま、正確性を期待すること自体、無理な話なのでしょうが・・・
上記の御見解が示されておりますが、ちょうど良い具体例がありますので
各資料から人口を(多賀郡内にあったもののうち一部)抜粋したものを年代順に示します。
(空欄はデータなし、若干入力ミスや漏れなどがあるかもしれません)

【旧・日立&助川町のグループ】
村名(M22村名)M6頃M8M12M13M14M19.12.31
宮田村(日立村)9841421421731,135
滑川村(〃)832113139161
助川村(高鈴村)1,3341,3146966991,4441,461
会瀬村(〃)1,7031,0521,0251,1861,189

【旧・多賀町のグループ】
村名(M22町村名)M6頃M8M12M13M14M19.12.31
諏訪村(鮎川村)503240
油縄子村(〃)362247249261
成沢村(〃)476
河原子村(河原子町)1,7164401,6674421,928
金沢村(国分村)755
大久保村(〃)1,1641,279
下孫村(〃)390151373152
水木村(坂上村)9358241,0311,0311,098
森山村(〃)196200213214
大沼村(〃)382327383384

出典はM6頃常陸多賀郡史・M8共武政表・M12共武政表・M13共武政表・M14共武政表
M19.12.31市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第二乙表)(第三乙表)(本籍人口)

【参考】官報のM22年末現住人口(左上)は
日立村2,291・高鈴村2,874・鮎川村1,908・河原子町2,057・国分村2,844・坂上村1,776

※共武政表は何らか疑問と思われる数値や掲載漏れと思われる箇所が多数あり、
新しいものほど実態に近いデータかというと、そうとも言えないので要注意
(人口輻輳地を示しただけで、村全体の人口ではないという注記は見当たらず)
常陸多賀郡史の会瀬村(1,703人)も疑問(戸数241などから推測すると1,000人程度が妥当?)

なお日立市の沿革については[45357][45394][45417]eiji_tさんで解説がなされており大変参考になります、
(多賀町のような人口の多い自治体も含め法的手続きは編入で済ませていますが)
実際すんなり合併とはいかなかったようですね。
[96377] 2018年 8月 11日(土)09:22:45ekinenpyou さん
Re:越前下関
[96362]MIさん
越前下関
正解です、Wikipediaでは北陸本線(年表・廃駅)にも記載があるのと、
設置などが官報に告示された国有鉄道の駅だったのでヒントは特に出しませんでした。

難易度は少し高めでしたが[96145]伊豆之国さん・[73231]hmtさんの温泉駅に関する
投稿内容などは専門家レベルですから、相応の謎々を用意してみました。
しかしながら、わずか数日で全回答が揃ってしまい、
あらためてこちらの皆様の知識レベルの高さを実感した次第です。

読み方は「しものせき」でも「しもせき」でもなく、「しもぜき」でした。
良い点に注目していただきました、以下本筋として投稿予定だった(かなり地味な?)余談を少々・・・
この駅が存在したとされる坂井郡大関村(大字下関)=現在の坂井市坂井町下関近傍?ですが
「関」は「ぜき」と濁る読み方で現在は定着しているようです。
(少し西にあるえちぜん鉄道三国芦原線の駅も「おおぜき」)

M22福井県令19号(M22.2.16)などを見ると
読みについては(法的には)成立時から「おおぜき」だったようですが、
市町村大字読方名彙(左上2段目)日本地名大辞典(右下)では「せき」と濁りません
(いずれも書き間違いではないような気がします)

そこで、坂井郡誌(左端)を見てみると中世の頃は関郷(上関・下関の2村)という郷で、
郡区町村一覧(左下)も「しもせき」と書いてあるようにも見えるので、
かつては「せき」と濁らず読む方が一般的だったのかもしれないと推測してみました。

合併により偶然?「大関」(由来は大味・関から、坂井郡誌(右端)参照)という村の名前になって
「おおぜき」という読みが主流となり、大字の読み方へも影響を及ぼしたのかもしれませんね。

実は「おおせき」と読むのが正しかったが、県令で読みを誤記され?
それが定着した可能性も・・・(恐らく読み改称の告示などは出ていないでしょう)
一方、現役駅の越後下関(岩船郡関川村大字下関)は明治の大合併で関村→関谷村→現村名という経過を
たどった影響か読みも「しもせき」です。(駅の開業時は関谷村大字下関、偶然か双方で上関も隣接区域にある)
[96358] 2018年 8月 5日(日)12:38:07ekinenpyou さん
Re:道中記クイズなど
予定投稿は少し先延ばしにして、簡単にコメントしておきます。

[96355] 伊豆之国 さん

当方の投稿から短時間で「番外編」クイズの一部をお考えになったのでしょうか?
さすがとしか言いようが無いので珍しく?【Q2】に挑戦してみましょう。

【Q2】S25・30は国勢調査人口が1万5千人を越えていましたね、町の所属郡名も・・・以下略

拙稿[96354]の謎々は先日のYahoo!ニュースなどを見て適当に思いついたものです、
経過については都道府県市区町村サイト内のこちらにも随時まとめられています、
同ニュースサイトでは言及がありませんが市名変更についての最終報告・PDF6コマの3では

JR篠山口駅、舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICは、市の玄関口として重要な施設であり、市の名称と一致させ「丹波篠山駅」「丹波篠山インター」に改称するよう取り組んでいく。

とありました。

意外にも?[96355] 伊豆之国 さん・[96356]白桃 さん・[96357]千本桜 さんから正解を投稿していただき
あっという間に残り回答が1つになってしまいました(回答を投稿していただいたお三方、ありがとうございます)、
ただし3つの回答が先に出てくることは想定の通りでして(回答が)3つだけだったという出題ミスではありません。
(=越前大野は当然カウントしません)
ということで、残り回答1件については(正解の方がいらっしゃらなければ)次回の投稿で示したいと思います。
[96354] 2018年 8月 4日(土)10:08:19ekinenpyou さん
Re:暑いぞ 江川崎・ニックネーム変更など
[96333]hmtさん

四万十川の中流域、旧幡多郡西土佐村・江川崎は 内陸の盆地で、涼しい海風が届きにくい地形のようです。
気温とは別の暑さ指数という指標では(熊谷で41.1度を記録した)7/23の14:00現在ランキング
偶然トップが江川崎でした。
指標の正確性については11地点の実測値と829地点の実況推定値とあるので、
参考程度にお考えいただければと思いますが、こうした数値が高い状態で継続する地点は
かなり蒸し暑いのかもしれません。

アメダス設置環境
上記に関してはAMeDAS探しの旅というサイト様があり、探訪記録がまとめられておりました。
気象台等も含めますと、恐らく国内では南鳥島気象観測所以外は自力で到達できるのでしょうか???

[96337]駿河の民[特急とりあたま]さん

古来よりの国名を新しいニックネームに採用されたとのこと、例えば
鉄道の駅名が改称されレトロな?国名を新たに冠したものとしては武生新→越前武生(福井県越前市)、
船小屋→筑後船小屋(福岡県筑後市)あたりをご存知の方も多いでしょう。

こうした駅は、国名を除いた部分が知名度の高い地名も多いので
所在地となっている都道府県以外で市名になっている(いた)ものも結構あります。

例えば駿河や伊豆の場合は
駿河小山→栃木県小山市、駿河徳山→山口県徳山市(現・周南市)
伊豆大川→福岡県大川市、伊豆長岡→新潟県長岡市

といった感じです、そこで上記を踏まえ簡単な謎々のようなものを考えてみます。

武生市のあった「越前」を冠した駅(改称前・廃駅など過去にあったもの含む)で
国名を除くと市名になっている(いた)ものを4つ(福井県内の市は除く)お答えください

※漢字が同じであれば読み方は異なっていても構いません、
回答例については回答者の有無に関わらず後日予定の投稿に簡単に記しますのでご安心ください。
(4つ全部答えられる方がもしいらっしゃった場合省略するかもしれませんが・・・)
[96297] 2018年 7月 14日(土)09:47:50ekinenpyou さん
Re:~寺町(後藤寺、一時埋もれた大字相当の地名)など
下記の件、他の詳しい方からも別途コメントがあるかもしれませんが当方からも補足しておきます。

[96284] 白桃さん
[96292] 伊豆之国 さん
後藤寺 ? 1907年 1943年 30,640 (1940年) 田川市
これだけはどうにも手がかりが見つけられませんでした。現在、田川市内には「後藤寺」という寺院も、また現在の町名・大字にもなく、「後藤寺町」成立以前の旧町村名にもないので、田川市のHPからも、市内を通っている平成筑豊鉄道のHPを見ても、「後藤寺」の名がどこから出てきたのか調べ切れず、「お手上げ」状態でした。

「後藤寺」という寺院まで存在していたかどうかは定かではありませんが
後藤寺町という町名の由来については比較的容易に調査可能です。

Wikipedia(田川郡)にもありますが
町村制施行約2年前の※明治20年に宮尾村・後藤寺村が合併し奈良村となり
これが町村制施行時に弓削田村(後の後藤寺町)の大字奈良になっています。
(すなわち奈良村という名称では約2年ほどしか存在しなかったということになります)

福岡県史資料. 第3輯(右上の2)ではM20.8合併、
官報雑事(M20.7.14)(右側真ん中付近)にもそれを裏付ける記述があります。
(官報雑事(M20.11.12)左上にも同趣旨の記載あり、近隣の弓削田&川宮の両村も同時期に合併と推測)

なお、鉄道の後藤寺駅は(M40.4.1後藤寺町への改称前)路線開通と同時にM29.2.5開業(右下)で
当時の所在は弓削田村(大字)奈良(左側下中ほど)でした。

また、その他参考として後藤寺町革新之実蹟(T5)より藩政村の頃の後藤寺村?に関する記述を一部抜粋要約すると
「家屋わずか十数戸」といった意味あいの記述(意味がちょっと違うかもしれませんが・・・)が
あるのでこれも実態通りだったかどうか別資料で裏付けを取ってみました。

福岡県史資料第2輯(明治11年戸数・人口)(左下)戸数34・人口207
同上(明治17年戸数・人口)(左上)戸数37・人口191
共武政表・明治十三年(下)「人口一百以上輻輳地」(右上)
地名(後藤寺村ノ内、字町)戸数26・人口142(いずれも本籍?)とあります。
(余談ですが寺院は空欄なのでもしかすると無かった???)

共武政表は恐らく同村内一部字の人口を抽出したものと推測されるので、
明治10年代の後藤寺村の人口はだいたい200人程度で横ばい状態だったのではないかと思われます。
(町村制施行後の弓削田村→後藤寺町の人口推移については[88705]白桃さんで
解説があるので説明を省略します)
[96225] 2018年 6月 22日(金)22:21:07ekinenpyou さん
Re:地図情報の更新など
少し前の話題になりますが相模鉄道(現在のJR相模線)の件など、コメントしておきます。

[96192]hmtさん
1955年発行の 76-11-4-4「資修」で処理された可能性もあるのではないか?


「資修」とあるので断言はできませんが、1931(S6)年に延伸開業した厚木~橋本の
2.5万地形図への反映時期については恐らくご推察の通りかと思われます。
今昔マップ on the web(1944~1954年)を見るとS29修正の「原町田」には相模線が描かれております。
(西隣図郭はS24資修「上溝」)

5万地形図「八王子」にはもう少し早い時期から描かれていたかもしれません。
地形図ではありませんが、S7発行・7万5千分の1地質図「八王子」で既に橋本から南下する鉄路が確認できます。
(ラスターデータの左をクリックすると拡大画像確認可能)

[96190]稚拙さん
2018年6月6日現在、以下のネット地図にはまだ三江線が掲載されております。


2018.4.1実施からまだ2ヶ月半ほど経過という時点では各地図サイトで実態反映が
完了していない部分があるのはやむを得ないのでしょう、線路ではありませんが
とある新幹線の駅付近の住所表記は例えば以下の通りでした。

地理院地図マピオン

なお駅の住所を記した事業者サイト様のページでは稀に下記のような少々懐かしい?
住所表記もまだ見られます。

静和駅の所在地・下都賀郡岩舟町大字静和2143
直江駅の現住所・島根県簸川郡斐川町大字上直江1100番地

また、[8505]まがみさん・[12723]ゆうさんにて紹介され『交通由来町名』地名コレクションにも記載されている
御所市の国鉄御所駅前通りですが、最近はJR御所駅前通りとした方が良いらしく?
最近郵便番号の住所も変更されました。
(通称地名ですから、国鉄御所駅前通りでも支障は無いかもしれませんが・・・)

参考
郵便番号変更-2018年4月(最下段の住所変更)
(旧)国鉄御所駅前通り
[95747] 2018年 5月 6日(日)12:57:09ekinenpyou さん
Re:駅名に合わせて自治体名を変えた?(静岡県の場合)
例によって長くなったので投稿を分けました。
[95739]伊豆之国さん

少々補足しますと駅開業時の読みは気賀(国有鉄道)が「きが」鉄道省告示第54号(真ん中下段)(S13.3.24官報)、
気賀(後の遠鉄)は「けが」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T4.1.12官報)
富士根も「ふじね」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T2.7.26官報)で恐らく間違いないでしょう。

鉄道停車場一覧大正6年3月31日現在「けが(Kega)」「ふじね(Fujine)」

気賀については町名読み改称と国有鉄道の駅開業時期が近いのは偶然かもしれませんが、
富士根の場合、村名が「フジネ」という読みに変わってしまったのは
駅名の影響が少なからずあったと考えても不自然ではありません。
(開業時読みが「フジモト」にならなかったのは名前のつけ間違いという説も推理通り?)

なお、[44059][87304]hmtさんなどでも少し取り上げられていますが、
郵便局の改称履歴には関連していると思われる告示があるので示しておきます。

気賀郵便局の読み改称(ケガ→キガ)
逓信省告示第2884号(右下最下段)(S12.9.21実施、同年7.8の町名読み改称に連動と推測)

富士根郵便局の読み改称(フジモト→フジネ)
郵政省告示第72号(真ん中最上段)(S26.4.1実施、この頃「フジネ」という読み方が定着してきたため改称?)

正規の読み方と地元で通っている読み方が違っていて

例えば[44059]hmtさんで触れられている南毛利「なんもうり」郵便局やしばしば過去ログに登場する
勢多郡北橘村「Hokkitu」は、恐らく告示などで示された正規の?読み方があまり馴染まなかったなどの理由から
地元で通っている読みが表記された例だと思われます。
(告示などで示された読み方で表記しなければならないというルールは無いので訂正の必要も無かった?)

参考・南毛利郵便局の読み方について、逓信省告示第752号(右下)(S3.4.1設置)では
[80315]MIさんにもあるM22県令の村名読みと同じ「ミナミモリ」でした。(その後は恐らく変化なし?)
また、北橘村はM22県令で「キタタチバナ」とあり、その影響で?設置当初は地元で通っている読み方を
参考に命名されたと思われる郵便取扱所の読み方がS12に改称されています。
北橘郵便取扱所の読み改称(ホクキツ→キタタチバナ)
逓信省告示第315号(右下付近)(S12.2.11実施)

以上のように、郵便局名の改称については単なる名前のつけ間違いなどを訂正する目的で改称したと思われる
例もあるのですが、※読み方の(極めて軽微な)変化も改称として多数告示されており、中には自治体名改称の
告示がなされたケースで未知のものが若干あるかもしれません。(実際になされたかどうかは断定できませんが)

※一例を示すと、越後上田郵便局の読み改称(ウヘダ→ウエダ)
逓信省告示第1120号(真ん中最上段)(S9.5.11実施)、現代仮名遣いやローマ字表記だと同じだが改称扱い
[95746] 2018年 5月 6日(日)12:15:10ekinenpyou さん
明治10年代の人口や名邑を示した地図類についてなど
本件は拙稿[95706]で投稿を検討していたものです、
あまり過去ログでは登場していないものを2系統に分け紹介しておきます。

その1・内務省地理局の刊行物

大日本府県分轄図(M14)
[77578]中島悟さんで少しだけ紹介あり
監修の塚本 明毅日本地誌提要の著者の一人です。
地図の符号中に「名邑」とあり、おおむね郡区役所ごとの町村・戸口数などが記載されています。

同図の前身として大日本府県管轄図(M12)もあります(記載内容は上記と類似)
参考・内務省地理局『東京実測全図』について(2コマ)

その2・陸軍参謀局の刊行物
大日本全図(M10)

都邑を人口の大小に応じて階級記号で表現した地図です、この方式に似た表現は
M12に参謀本部で作成された軍管図でも継承されています。

参考・明治12年の郡別経済地図作成について(9コマ)
※人口データはPDF10コマ(右下)にもあるように戸長役場や郡役所で所持していた
資料を元にしているようです。(冊子としては共武政表に一部データが掲載)

なお、拙稿からのリンクで示したものはいずれも少し見づらい点がありますが、
M12作成の軍管図以外は国立公文書館でカラー高精細画像も入手できるようです。
(地図名でネット検索すると許諾を取って一部画像転載されているものがいくつかありました)

[95743]白桃さん、[95744]hmtさん

お問い合わせの件、グリグリさんも類似の回答を示すと思いますが
まず東茨城郡大貫村は廃置分合を行っていません→県令甲第十二号(左端)

また同郡常磐村はM22.3.31廃止→新設ではないという解釈で記載を省略したということなのだと思います。
つまり、常磐村(微)はあっても(本)は明記されておりません。
(これでよいかは議論の余地あり、詳細欄に記載しておくなどすれば尚良い?)

以下、似たような例
千葉県望陀郡神納村
町村制施行時の領域は厳密には神納村(曽根村・高柳村への飛地を除く)です。
神納村(微)は中郷村巖根村の変更対象自治体名/変更内容には明記されています。

参考・新旧対照市町村一覧の東茨城郡および望陀郡(両村とも旧町村名明記なし)
[95737] 2018年 4月 30日(月)23:07:00ekinenpyou さん
Re:変遷情報関連の課題についてなど
例によって少し長いのですが連日投稿にて失礼します、
過去ログを読んでのコメントをいくつか付け足しておきます。

[95721]グリグリさん
私は、市制町村制施行前の町村にまで分割の概念を適用する必要はないと考えています。例えば、北海道の岩見沢村が1900(M33).7.1に村制施行した際には、それまでの行政村である岩見沢村の一部が対象になっています。残りについては岩見沢村から分離し行政村の北村として存続し、北村は1919(T8).4.1に北村として村制施行しています。この流れで前者を「分割/村制」とするのは少し違和感があります(町村制施行後であれば「分立」に相当します)。

本件は[79349]むっくんさんでM33北海道庁告示第207号へのリンクが示されており、
告示内容(下部の真ん中付近)から岩見沢村の廃止は伴っていないと思われますので、
分割にはあたらず分立という認識は当方も同じです。

[95715]グリグリさん
なお、紹介記事では「市レベルでも東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ全国第5位の大都市」と書かれており、金沢が名古屋を上回っていた時期もあったと思うのですが、私の記憶違いかもしれません。
こちらは[67091]YTさんで詳細な解説がなされていました。

現在の国勢調査データのように領域を正規化した視点からの人口変遷

1873(M6)年の府県別人口(T9.10.1境域組替)データが一応存在するので
2017(H29)年との対比もかねて下記に人口密度・順位も併記して示します。
(統計手法などが異なるため単純に比較するのは本来適切ではありません、ご注意ください)

都道府県H29人口順位人口密度順位M6人口(組替)順位人口密度順位
北海道5,320,523867.8547122,684471.3947
青森県1,278,45031132.5441437,0714145.3845
岩手県1,254,8073282.1546556,1863436.5146
宮城県2,322,02414318.8619575,2253078.9436
秋田県995,3803885.5345580,2862949.4943
山形県1,101,45235118.1442640,3222568.8140
福島県1,882,66621136.5840726,6552152.7342
再掲小計(北海道・東北)14,155,30297.383,638,42923.41
茨城県2,896,67511475.0812825,75816135.3721
栃木県1,961,96318306.1722510,4543979.1635
群馬県1,958,40919307.8221526,9323783.4433
埼玉県7,307,57951,924.194862,86013226.866
千葉県6,255,87661,212.9461,034,7366203.748
東京都(府)13,742,90616,263.9711,086,7185507.242
神奈川県9,161,13923,791.603533,54135226.885
再掲小計(関東)43,284,5471,334.585,380,999166.90
新潟県2,266,12115180.08341,444,5551114.8427
富山県1,055,89337248.5925621,36227145.9514
石川県1,147,44734274.1123666,75024158.8412
福井県778,32943185.7431528,68436131.5823
山梨県823,58042184.4432363,4004381.5834
長野県2,076,01716153.0838925,6711168.2841
岐阜県2,010,69817189.3130763,1382072.9438
静岡県3,673,40110472.3213900,25512115.8626
愛知県7,526,91141,455.0651,215,9133240.534
再掲小計(中部)21,358,397319.707,429,728111.98
三重県1,798,88622311.5320780,97418136.9617
滋賀県1,412,95626351.7115574,01331141.7016
京都府2,599,31313563.5710787,07117172.6610
大阪府8,831,64234,635.6921,008,4158556.021
兵庫県5,502,9877655.0481,310,5052155.5113
奈良県1,348,25730365.2914422,71842113.3328
和歌山県944,32040199.8729558,64333118.0425
再掲小計(近畿)22,438,361677.375,442,339164.84
鳥取県565,23347161.1737356,34245102.1230
島根県684,66846102.0643630,4372695.2631
岡山県1,908,44720268.2524950,64010135.4420
広島県2,830,06912333.75171,131,1394134.0822
山口県1,381,58427226.0228829,62014136.4019
徳島県743,35644179.2635589,02328142.4415
香川県967,64039515.5911565,16032306.253
愛媛県1,363,90728240.2826780,23419136.9118
高知県713,46545100.4344526,1603874.2337
再掲小計(中国・四国)11,158,369219.986,358,755126.13
福岡県5,110,33891,024.8371,028,1557208.137
佐賀県823,62041337.4616479,34640196.169
長崎県1,353,55029327.6718667,19923162.0911
熊本県1,765,51823238.2827951,4609127.9224
大分県1,151,85333181.6633684,82622110.0129
宮崎県1,088,13636140.6739359,5214446.4644
鹿児島県1,624,80124176.8636826,7881591.0432
沖縄県1,443,80225632.979166,7894669.8739
再掲小計(九州・沖縄)14,361,618322.655,164,084116.39

H29人口&人口密度の出典は【都道府県】人口・面積・人口密度ランキングです。
(したがって北海道の面積には北方地域5,003.05km2が含まれていません)

M6人口(組替)は過去の都道府県の人口一覧(Wikipedia)
1920(大正9)年10月1日の庁府県境域による庁府県別人口・M6.1.1現住人口(甲種)を活用させていただきました。
※沖縄県の人口については実態とは恐らく倍近く差があるのですが、そのまま掲載しております(参考[72124]YTさん)

また、M6人口(組替)の人口密度については
1920年(大正9年)の国勢調査の際に陸軍省参謀本部陸地測量部によって公表された都道府県別面積(Wikipedia)
用いて計算しています。このため北海道については北方地域に加えて得撫・新知・占守郡の5,319.61km2も含まれます。(参考[67073]hmtさん)

上記面積についてはM6当時の実態値とは当然ながら異なりますが、
[87405]hmtさんにもありますように信頼に足るデータが示されるようになったのが
国勢調査記述編大正9年の府県別面積(前述出典はこの面積データ)あたりからになっておりますので
止むを得ずこのような対応とさせていただきました。

なお面積データについては明治期初頭から一応統計などに示されているのですが
その取扱いについては注意を要する点が多々あります、
詳細は国土の面積(hmtマガジン)にておおむね解説されている通りですが、
必要があれば別途補足させていただくかもしれません。
[95733] 2018年 4月 29日(日)22:34:05ekinenpyou さん
Re:変遷情報の変更種別についてなど
[95731]グリグリさんで
「新設」の法的意味に基づく見直しが必要というご意見など、私も掘り下げてみたいところでしたので、変更種別についてはこの際、徹底的に整理してみたいと思います。


とありますので、当方からも少し長くなりますが補足コメントしておきます。
(分割の定義見直し提案に関する内容も含む)

まず廃置分合とは?というPDFでは(廃置分合を)4形態「分割」「分立」「合体」「編入」に分類しています。

なお
「廃置分合」は、地方公共団体の法人格の発生、消滅を伴った市町村の区域の変更
ともありますので、[95729]むっくんさんで挙げられている
新設:一の市町村を廃止しその区域をもって新たな一の市町村を置く、もしくは新たに一の自治体を置く
も該当するものと思われます(「合体」とは定義が異なり別のものです)

[95732]むっくんさんなどにもある通り地方自治法施行後は
新たに一の自治体を置く
のみに限られており該当例が極稀なため?PDFでは明記されていません、
また旧法でも「一の市町村を廃止 → 一の町村を置く」という実例は皆無だったと思われますので

新設:一の町村を廃止しその区域をもって新たな一の市を置く、もしくは新たに一の自治体を置く
などと定義してもそれほど支障は無いように思われます。

また、法人格が新たに生じたところですが恐らく鹿児島県大島郡十島村も該当し
静岡県敷知郡三方原村M22.3.1付で三方原から三方原村へ改称と思われる県令がある一方で

三方原に村名を付したのが明治十三年

とする資料もあるので(県令の内容が正しかったかどうかなどは)議論の余地があるかもしれません。
出典・浜松市史静岡県浜名郡誌. 上巻
地方行政区画便覧(M19.1現在)では1村として計上(真ん中付近)

次にPDFで「分割」の定義を見てみると、[95730]むっくんさん(1)分割で示されている3例のうち
(a)A町を廃して大字Bを以てB町を置き、大字Cを以てC町を置く。
上記のみが定義と完全一致していることがわかります、市区町村変遷情報 変遷種別での定義も同様に
分割 ある市町村を廃止し、その区域を分けて二以上の市町村を置くこと

ですから

○分合村及村役場位置変更
新潟県北魚沼郡高根村を廃し大字横根を入広瀬村へ合併し大字高倉を以て更に高倉(たかくら)村を新設せり此段公告す
明治二十六年四月 新潟県

上記のような例は(新設村が一つのみとの解釈で)「分割」を使わず
1893(M26).4.7 分立 北魚沼郡 高倉村 北魚沼郡 高根村の一部(大字高倉)
1893(M26).4.7 編入 北魚沼郡 入広瀬村 北魚沼郡 入広瀬村, 高根村の一部(大字横根)
と表現することになったのではないかと思われます。

以下余談
上記の他「合併」という表現で「合体(新設)」「編入」の判断に迷うケースもあると思うので、
ある程度の種別相違は(調査が不可能であれば)やむを得ない(許容範囲)とも考えます。
例:八戸町と長者村の合併
○町村合併
三戸郡八戸町に同郡長者村を合併し来る四月一日より施行す
明治三十四年三月 青森県
「合体(新設)」としているが「編入」だった可能性もゼロではない?
[95727] 2018年 4月 27日(金)22:53:37ekinenpyou さん
Re:読み仮名を変えた市町村
[95707]MIさん

リストにあるものは市区町村変遷情報にも収録されていますが、
広島県佐伯郡佐伯町の「さえきちょう」から「さいきちょう」への改称が示されていたので
ついでに別の疑わしい類似例を一件示しておきます。

Wikipediaの佐伯市(近現代の沿革)
大正5.7に佐伯町が読みを「さえき」から「さいき」へ変更(出典「佐伯市史」)とあります。

また、引佐郡気賀町の「けがちょう」から「きがちょう」への改称(S12.7.8)について、
静岡県市町村の変遷(ページ中ほどのPDF:3,570KB)の廃置分合一覧(9コマ)では記載が無く、
(同PDF64コマに一応改称の旨、書かれていますが)県告示番号は不明です。

上記のように読みを改称したものは資料によって詳細が省かれるケースがあるので注意を要します、
例えばWikipediaの富士郡富士根村(ふじねむら)は同PDF30コマで実は「フジネ」ではなく
「フジモト」村と記載されています、参考として年代ごと資料での読みをいくつか示しておきます。

静岡県自治区便覧 : 一名・新市町村区域名称及戸長役場位置改正表(M22.3) → フジ子(ネ)
新旧対照市町村一覧一五版(M28) → ふじもと(左記はいわゆる難読の類でありM22.3のフジ子(ネ)は誤りだった?)
現行静岡県令規全集第1綴(M45) → フジモト(町は村の誤り)
市町村大字読方名彙(T14) → フジモト
日本地名大辞典第1巻(S12~13) → Huzimoto・同左第6巻 → フジモト
全國市町村便攬(S24) → フジモト
都道府県郡市区町村別人口-昭和25年(国勢調査)(ページ下部、22静岡県~27大阪府のPDF) → Fujine

告示されずひっそりと変わったとか(それで良かったのかどうかは?ですが)、
実は読み方が変わっていないのが事実という可能性もありますが、
(読み改称が)告示されていれば収録漏れとなります。

こうした読み方がいつの間にか変わった(定まらない?)ものは
[80314]hmtさん・[80315]MIさんなどでも挙げられていますが
他にもそれなりに存在していますので、ログに残す必要がもしあれば今後も投稿したいと思います。
[95706] 2018年 4月 21日(土)22:34:01【1】ekinenpyou さん
Re:明治19年末の都市人口について
少し長くなったので投稿を分けます。

[95699][95701]YTさん
見ごたえのある分析投稿ありがとうございます、このうち福岡区(福岡・博多)の現住人口ですが
当方の個人的な見解(推測など)を述べておきます。
まず、[95699]YTさんで示された資料二点

資料1・日本帝国民籍戸口表M19.12.31調各地方庁及各郡区役所管内戸口表(1-a)
各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例(1-b)、各地方一万人以上市街戸口表(1-c)
資料2・市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第一乙表)

上記に加えて
資料3・福岡県統計書M19の裁判区画(現住戸数・人口)(3-a)、郡区の戸数再掲市街(3-b)
資料4・福岡市誌(現住戸数・人員)

以上の資料群におけるM19.12.31調の現住人口や戸数などを下記に示します。
()内は資料の略号で、明らかな誤記や簡単な計算で訂正・補完できる部分などで若干変更した箇所あり。

資料公称町村数現住人口現住戸数戸数1あたり
略号1福岡区(計)2福岡3博多1福岡区(計)2福岡3博多1福岡区2福岡3博多
1-a48,4868,3905.78
1-b15545,298
1-c42,6178,3905.08
15542,61719,66322,9548,3903,8264,5645.085.145.03
3-a15548,9908,3905.84
3-b48,99221,73627,2568,3903,8264,5645.845.685.97
48,9908,3903,8264,5645.84

戸数の示されているものは全て8,390とあるので恐らく同じ戸籍表を原典として使っているような気もしますが、
現住人口は異なっており計算過程で(人口出入表の記載事項をどう解釈するかなどで?)相違があったようです。
(特定のエリア人口が欠落した可能性もあり市制施行後ほどない町村別人口も見てみたのですが、はっきりとした原因は
良くわかりませんでした。)

なお、現住人口については資料(1-b)を除くと4万人台前半・後半に大別されますが
資料4の時系列推移を見ると何となくどちらの信憑性が高いか想像がつきそうです。
(4万人台前半だとM18~20の間で少々違和感あり)

※本稿では細かく触れていませんが福岡市誌には本籍人口なども掲載されておりますので
必要に応じて参照してください。
明治前半の都邑・人口などについては、もう少し補足したいので後日別内容を投稿するかもしれません・・・
【表のレイアウトなどを微修正しました(4/22)】
[95705] 2018年 4月 21日(土)21:41:14ekinenpyou さん
Re:市制・町村制施行前の都邑人口ランキング(その7)など
[95692]MIさん

度々のフォローありがとうございます、都道府県の過去の告示を全て把握するのは困難でして、
例えば読み仮名を変えただけのものなどは官報に掲載されていないものも多いと思うので
未知の事実がまだ隠されていそうですね。

素朴な疑問ですが「山本郡森岳村」は本当に藩政村の頃から一貫して「森岳」という表記だったのでしょうか?
以下のような資料もあるのですが・・・
秋田県学事年報(M19年)(左側十三秋田県達132号)
地方行政区画便覧(右側)
郵便区画町村便覧M25.4現在
大日本地名辞書

[95694]白桃さん
「記載なし」に何らかの意図が感じられるところもありますが、四日市、豊橋などは、単なる「記載モレ」のような気がします。


同感です、統計年鑑の人口千人以上の都邑数では現住人口一万人以上の市街の表に「記載なし」の都邑も
人口一万人以上として把握されているようなのですが、恐らく市街名邑及町村二百戸以上戸口表(第一乙表)に倣って
「市街ノ体裁ヲナシタル名邑」だが「市街」とは異なるという解釈にしているのでしょうか。

また、「市街」の定義は当然ながら資料によって様々で各人見解の相違も生じやすかったと思われます、
例えば内務省令第3号戸籍表改正(M19.5.6)の左上で市街は「現住人口一万人以上の地」という記載があり、
秋田県統計書(M19)(左側)では「再掲の市街は名称の如何を問わず人口五千以上群居の地」とあります。
人口再掲もその基準に倣っています)

※統計年鑑の現住人口一万人以上の市街の表
[95699]YTさんで資料2として示された各地方一万人以上市街戸口表から
金石(9,110人)を除外したものになっています。
[95691] 2018年 4月 16日(月)21:23:22ekinenpyou さん
Re:変遷情報更新関連など
[95674]白桃さん

拙稿[95661]タイトルに関するご指摘の件は全くもってその通りであり例として下のように記すべきでした、
申し訳ございません。
市制・町村制施行以前(M21年以前)の市街(都邑)人口


なお「市制・町村制施行前の都邑人口ランキング」一連投稿の初回([95536]白桃さん)冒頭で
名称 現住人口 --- 市制・町村制施行後の自治体名変遷
仙台 91,709 仙台市
としていますが、現住戸数は14,093で1戸あたりの現住人口が人口1万人以上の市街としてはかなり大きな値に
なりますので、(現住人口か戸数のいずれかに)不自然なデータが記載されている点が疑われます。
拙稿[95661]からのリンク先資料の他、帝国第七統計年鑑にもデータが示されておりますので、
それらも踏まえて数値が妥当かどうかの考察が加わるとデータの資料価値や説得力がより高まるかと思います。

[95673]MIさん、[95675]むっくんさん
フォロー&回答ありがとうございます、大変参考になりました。
地方自治法施行以降で、S27.8.31までに改称が為されたものは、官報に掲載されていません。
そのようですね、例えば1923(T12).4.1新設の新冠郡 新冠村告示(左下)は二級町村制施行地指定を
周知するための単なる事実告知で、法的根拠として村名改称などの道告示が存在していたのでしょう。
国勢調査報告(T14)(左下)には告示で把握できない(高江村)→新冠村も記載されています。

[95676]グリグリさん
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【岡山県】では日付が1948(S23).11.__のまま
上記の修正確認しました、ご対応ありがとうございます。
変更自治体名欄への経過名追記の件についてはほぼメンバーの方で把握している限りの情報が示されており、
あとはグリグリさんのご判断で方針を決めていただく、ということになりそうですね。

[95663]MIさんで示された一覧はとりわけ資料価値が高いと思いますので、
市区町村変遷情報への反映可否に関わらず何らかの形で有効活用されることを期待したいと思います。

また、[95666]の分割定義見直しについて当方からは特段意見は無いのですがあえて申し上げますと、
新設、編入において、市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法として、「~の一部」の表記ではなく、「(本)・(微)」の表記を使っている場合があります。

上記を分割とする場合(とりわけ市制町村制施行の際の廃置分合で)対象数が膨大になるので、作業負荷がかなり
大きくなりそうなので少々心配です、無理のない範囲で方針を決めて作業を進めていただければと思います。
[95669] 2018年 4月 9日(月)22:32:02ekinenpyou さん
廃置分合の当日のみ存在した自治体名について、など
度々連日の投稿になりますが、[95665]グリグリさんで
私の考え方はこれまでも繰り返し表明していますが、一部の確定ができない(=全部を統一できない)という理由で、貴重なデータを放棄したり全部を諦めるというのは間違っていると考えてます。不明な部分は「不明」とすることも重要です(不明も情報です)。その上で、少しずつ情報の精度を上げていくというアプローチが大事だと考えています。


ということですので、今後は当方からもできる限り関連情報などを書き込んでログに残しておきたいと思います。
タイトルの件についての一覧はおおむね[95663]MIさんで示されていますが、
ついでに官報告示・掲載が無かったと思われるものなどを参考として挙げておきます。

1.1947(S22).10.15 町制/改称 肝属郡 吾平町 肝属郡 姶良村
官報告示・掲載なし?国勢調査報告は姶良村→吾平町、(吾平村)についての明記典拠を示す必要あり?

2.1952(S27).6.1 町制/改称 安芸郡 倉橋町 安芸郡 倉橋島村
官報で村を町とする処分(広島県安芸郡倉橋島村を倉橋町とする)と告示されたが
国勢調査報告は詳細欄(経過等)の通り倉橋島村→(倉橋島町)→倉橋町

3.1962(S37).1.1 改称/町制 安芸郡 下蒲刈町 安芸郡 下蒲刈島村
官報で村の名称変更(安芸郡下蒲刈島村を下蒲刈村)村を町とする処分(安芸郡下蒲刈村を下蒲刈町)と告示
国勢調査報告も詳細欄(経過等)の通り下蒲刈島村→(下蒲刈村)→下蒲刈町

4.1948(S23).10.20 町制 和気郡 英保町 和気郡 英保村1948(S23).11.1 改称 和気郡 吉永町 和気郡 英保町
リンク先関連記事集にもある通り国勢調査報告の町制即日改称と備前市例規にある10.20町制→11.1改称で相違あり、
英保町→吉永町は官報告示・掲載なし?(岡山県告示がわかれば)明記典拠として示すべき?

[95664]グリグリさんにて改称日設定の対応が行われていますが
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【岡山県】では日付が1948(S23).11.__のまま

5.1951(S26).4.1 町制 栗原郡 藤里町 栗原郡 藤里村1951(S26).4.2 改称 栗原郡 瀬峰町 栗原郡 藤里町
実施から1年ほど経って村を町とする処分(宮城県栗原郡藤里町)と告示(真ん中付近の84号)、藤里町→瀬峰町の改称は
官報告示・掲載なし?国勢調査報告ではS26.4.1同日改称で藤里村→(藤里町)→瀬峰町としている。

以上のような感じですが、まだ漏れ・抜けなどあると思いますので必要に応じて(足りない分などを)
補足・追記していただければと思います。

[95666]グリグリさん
おっしゃることはだいたい理解できました、要は廃止された自治体の領域が複数に分かれた場合に
分割という表記に揃えたいということでよろしいですか?

1893(M26).4.7 分立 北魚沼郡 高倉村 北魚沼郡 高根村の一部→(分立を分割に)
1893(M26).4.7 編入 北魚沼郡 入広瀬村 北魚沼郡 入広瀬村, 高根村の一部→(編入を分割/編入に)

[95667]山野さん
「植木村」は、何時から「入間郡」になったんですか?
鋭いご指摘です、自治体名が空欄なので郡変更の履歴は検索結果から漏れていますが
[90582]でその理由が書かれています、現状の仕様とのことです。
[95661] 2018年 4月 8日(日)09:01:10ekinenpyou さん
市制・町村制施行(M21年)以前の市街(都邑)人口
連日の投稿にて失礼します。

M19.12.31調の人口は※市街名邑及町村二百戸以上戸口表に詳しく掲載されていますが、
これ以降の現住人口一万人以上の一部市街人口推移も日本帝国人口静態統計(M41.12.31調)に記載されています。

※一応巻末に正誤表がありますが、これ以外にも活字のミスがある模様(表合計値が無いようなので検算不可)、
また[67796]YTさんで
明治21年以前の統計を見て困るのは、どこからどこまでが単一の都市とみなされるのかでしょう。

とある通り、念の為当該データを人口数として示す際には(可能な範囲で)
後年のデータと比較確認した方が良いかもしれません。

なお上記の他、M10年代の市街人口は文部省年報にも掲載されていますが
[81192]YTさんで
これらが本籍人口なのか、現住人口なのか、あるいは年始/年末調のいずれかなのか、等々、色々データに問題があるので、公式の人口データとみなしていいのか微妙な状況です。せめて一言どこかに人口データの典拠や方法論についての言及があればいいのすが・・・

以上のような疑問が記されておりますので、少し長くなりますがどのような性格のデータかについて
補足しておきます。(人口推移は[81875][81876]YTさんで既に示されています、過去ログでは[81883]YTさんが
関連投稿としては最後?)

レファ協に明治14年の1月以降の明治14年の都道府県人口統計が見たい。という質疑応答があり、
リンク先のPDF(明治期を中心にみた日本の人口統計資料について・7コマ最下部以降)で
推論が示されていました、その通りかどうか当時の別資料でも調べてみます。

第三大学区滋賀県第五年報. 明治10年
左端に学齢人口に関する解説が記されています、断言はできませんがM10から似通ったルールだったと思われます。
(出入寄留者をどう差引しているとかまではわかりませんが、
三重県学事表簿取調心得註釈(M19)の左端から次ページにも詳しい記述あり)

また、文部省年報での都邑人口掲載は明治18年までですがこれ以降も
地方レベルの統計では人口数が記載されているものがあります。

参考・※三重県学事年報明治21年度明治22年度
(市制・町村制施行前後で右側表の内容が変化しているがおおむね同じ)

※同年報明治19年のデータ内務省の統計で示された現住人口とは一致せず別のものらしい
帝国第五統計年鑑(M17)にも同様の表があり、表の末尾に学区区割の変遷により都邑人口が増加した
箇所がある旨記載あり。(市街境域は文部省独自解釈?)

以上のように、こちらも一貫性が保たれていないと思われる箇所があるので、
(とりわけ明治21年以前については)人口推移の実態把握は困難だと感じております。
[95659] 2018年 4月 7日(土)12:07:53ekinenpyou さん
Re:変更自治体名欄への経過名追記についてなど
[95649]グリグリさん
瞬間の市

上記の類似例は官報に国レベルで告示された範囲内であれば抽出が比較的容易であることは確かです、
しかし[81869]むっくんさん(6)で示されている佐野町→(佐野市)→泉佐野市などのように
国レベルの告示で確認が不可能なものもあります。

境界変更掲載基準の際にも議論になりましたが、厳密に全てを網羅するのは不可能に近いので考え方によっては
全国的な、明治期に至るまでの統一的な基準による資料収集の見込みはおそらくない

ということになるかもしれません・・・もっとも境界変更とは性質の異なるものなので、[95638]で提案されている
官報に国レベルで告示され(呉町のように)明記された場合に限り(当日のみ存在した)自治体名として
認めるという考え方もありますので、他の方のご意見なども総合して方針を決定していただければと思います。

[95656]うっかりじゅうべえさん
当方の疑問に対し、丁寧な回答ありがとうございました。
今でいう「境界変更」に該当するものだったようです。

おっしゃる通りです、告示は市の境界変更(小倉市の一部を八幡市に編入)
市区町村変遷情報では恐らく境界変更(非表示)になります。

また[95609]下記ご対応ですが履歴などが把握できるので非常に優れた案だと思います。
過去にお寄せいただいた情報の中で、住居表示等の実施により、
現在は地図上確認できなくなっているデータが何件か存在しています。
消してしまうのはもったいないと思い、参考情報として最下部に移動させていただくことにしました。


例えば[86792]倉田昆布さんで報告のあった
■宮城県

宮内 みやうち 多賀城市宮内/仙台市宮城野区宮内 1丁目を市境が分断
町前,☆,☆,☆ まちまえ 多賀城市町前/仙台市宮城野区町前 1丁目を市境が分断
中野,☆,☆,☆ なかの 仙台市宮城野区中野/多賀城市中野


上記3か所は2013年7月1日の境界変更によるもの。

仙台市宮城野区町前一丁目・宮内一丁目などかなり短期間だけ存在したものもあるようですね、
一応関連する条例の改正や告示などを一部示します。
参考
仙台市条例第二十七号(H25.7.1施行)(町前一丁目・宮内一丁目成立)

仙台市条例第五十五号(H26.11.1施行)(同消滅)

仙台市告示第438号(H26.10.16)仙台市告示第461号(H26.11.1実施)
[95625] 2018年 3月 31日(土)21:52:23ekinenpyou さん
境界変更の分類についてなど
大字領域の解釈や変遷については北海道も特殊ですが、藩政村から大字へ変わった地域でも伝統を軽視した?結果
(大字自体が)消滅したり、領域が形骸化してしまう点については皆様ご存知の通りです。

上記の端的な一例はメンバー千本桜さんのホームページ(地理と地域)
大河原町の住所と大字の考察で詳しい解説がなされております。

境界変更の分類については議論が尽きないと思いますので、大まかに掲載・非掲載を分けてデータを
作成しておくという案で取りあえず良いのではないかと思います。
(できる限りデータ化しておきたいということですが、例えば[93900]むっくんさんの
大阪市の区設置に関するご意見も将来的には漏らさず忠実にデータ化するという認識で良いのでしょうか?)

別件で、[94787]むっくんさんの「若年首長の判明率想定(都道府県別)」などを拝見して、
類似の調査?をされている方がいらっしゃるようでレファ協に下記のような質疑応答がありました。

過去に行われた市町村長選挙の日付全てを調べたい
昭和40-50年代の地方選挙の候補者名・年齢などを調べたい

都道府県の「年鑑」「議会史」などで判明しなかった分を「選挙の記録」などで調べるという方法については
[94695]むっくんさん・[92936]Nさんなどで示されているので、ネットで見られるものはかなり広範囲に確認が
終えていると思いますが、紙ベースの資料にまで調査対象を広げるのは大変そうですね。
(当選者の氏名&年齢だけでも全国規模でわかるものがあれば良いですが期待は薄いかも・・・)

以下、少し長い余談

[95609]うっかりじゅうべえさんの
現:北九州市小倉南区大字田代・八幡東区大字田代について、素朴な疑問を1点

藩政村の頃、筑前国遠賀郡大蔵村(字?田代)は豊前国企救郡田代村と
別の地域であったという点はおっしゃる通りかもしれないのですが、
企救郡田代村の町村制施行以降の沿革を一部要約すると

M22.4.1企救郡西谷村大字?田代→S16.4.1小倉市→S29.4.1田代の一部を八幡に分割(以下略)

以上の通りで、この例はルールにもありますが
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
ということにもなるのではないかと思われるのですが、いかがでしょう?
(八幡市側に編入された場所の地名が田代だったかは未確認ですが)

参考・企救郡誌(S6)の町村大字略誌名所旧跡(西谷村)大日本郡分地図(福岡県)
S29.4.1の部分編入前は小倉(右中ほど)八幡(右下隅)双方の市に田代があったらしい。
(恐らく小倉は大字田代・右上だったと思いますが、八幡は大字大蔵字田代・左下)
[95621] 2018年 3月 30日(金)21:18:22ekinenpyou さん
可住地面積・メンバー紹介記事お礼について
しばしば過去ログにも登場している可住地面積について
e-Statの大幅リニューアルでサイトが重くなった?とかいう愚痴はともかくとして
こちらから市区町村別データ(Excel)をダウンロードできます。

こちらで任意の市区町村を選択し、次に表示項目選択のデータ種別で指標データを選ぶと
可住地面積1km2当たり人口密度も簡単に見られる。

データの中からごく一部を抜粋してみます(左が総面積で右が可住地面積)
静岡市葵区 1,073.76→145.37・浜松市天竜区 943.84→90.44・札幌市南区 657.48→113.48

上記のようなケースでは当然ながら人口密度が大幅に上昇し
同一市内の区ごとの比較などに参考として役立つことでしょう。
(住もうと思えば、林野にも住めないこともないという考えはとりあえずさておき)

しかしながら、ルール上は林野・湖沼に分類されなければ可住地ということになりますから、
そのまま人口密度を計算すると稀に他の区域との比較に適さないケースもあります(以下のような例)
北九州市戸畑区 16.61→16.05

その理由については過去ログに鋭い考察がなされた書込みがありますので、一部を再掲させていただきます。

[88737]かぱぷうさん
戸畑区の人口は現在5万8千人と大きく減らしましが、それでも面積が16.61km2と狭いので3537人/km2の人口密度を有します。そして、その狭い区面積の半分近くは製鉄所の敷地が占めているのでその分を除くと7000人/km2近い人口密度を有することとなるのです。


こうした市域で人口密度比較などを行う際には注意を要します。
(迂闊にデータの取り扱いを誤れば、地域に詳しい識者の方には地域のことをよく理解していない旨お見通し)

以上、少し遅れましたが、かぱぷうさんへの当方メンバー紹介文の
お礼もかねて投稿させていただきます、年度末のお忙しい中ご対応ありがとうございました。
初心者の方にとっては何だか古臭くてとっつきにくい・詳しい方にとっては既知の内容ばかりと
イマイチな投稿が目立ちますが、その点はご容赦ください。
[95606] 2018年 3月 26日(月)22:11:36ekinenpyou さん
Re:松蔭神社(←ココにも誤字があります。)など
[95599]伊豆之国さん

当方の簡単なクイズ?にお付き合いいただきありがとうございます、
タイトルもさることながら見事な模範回答です。(確かに佐賀県にも・・・)
答については皆様おわかりだと思うので今回は省略としてクイズを終了します。
(万一わからないという方はコメントいただければ対応しますが)

話がかなり飛びますが、上記だけですと少々書込みの資料価値が乏しいので1件小ネタを追記しておきます、
色丹島(北方領土)の読みですが古くから「シコタン」ということでよろしいようです。

色丹はアイヌ語で「大ナル」「最モ良キ」「真ノ」村または場所の意味
古くは志古丹・支古丹とも書かれた(訛りで「シセコタン」島としている資料もあるらしい)
一方で斜古丹「シャコタン」は島北東部の地名(同名の集落や近隣に斜古丹崎・斜古丹山などがある)で
これが島(近隣小島含む)の村名になりS8.10.1に色丹村へ改称(左側上部の村名変更)

参考・色丹村勢一斑 昭和12年版 (画像2枚目島内全図、3枚目右端沿革)
大日本地名辞書 続編(色丹、左下から次ページへ続く、同書のM19千島国ヘ編入はM18の誤記と思われる)
太政官布告 第1号根室県下「シコタン」島千島国ヘ編入

※Wikipediaにおける下記箇所は事実かどうか少々疑問
色丹島
古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。
島の名称で「斜古丹」は疑問

色丹村
M17.7.11から斜古丹村が存在していたように記述されているが成立はM20.5.23と思われる
(M18.1.6色丹郡成立の段階でもまだ村ではない)
北海道庁布令全書. 明治20年1-6月(左端)・M20.6.7官報(雑事欄)(左上の新村設置)
[95597] 2018年 3月 25日(日)17:46:52ekinenpyou さん
地名などの誤記誤植について
特急マガジン5期5色(誤記誤植)のお話を読んだついでに
正誤字新辞典(S5)という辞典を元ネタとして1件投稿しておきます。

※当然ながら文言で古いものがありますが、中高生以上の方はある程度理解できると推測
誤用とされている例でも現在は定着しているものもあり(例・慣用読みなど)、
年代による(判断)基準の違いとか共通点が見られる部分などをご覧になっていただければ一興

その1・PCなどの普及で(近年は)あまり見られなくなった誤記
飛騨国(弾ではない)新潟県(瀉ではない)

飛弾さんという名字の方はそれなりにいらっしゃるらしい(出典名字由来net)

その2・誤記だった可能性があるが現在では正誤の判断が難しいもの
鍛冶と鍜治
本来は上記の組み合わせだったようだが、双方とも良く似て紛らわしい字だった影響か
「鍛治」という地名表記もそれなりに見られる。

参考・鍛治町(Wikipedia)

※文字が見づらい方は適宜漢字拡大表示ツールなどを活用してみてください。

以下余談(簡単すぎるクイズなので答えなくても全く問題なし)
実は拙稿[95491]で示した都内地形図の説明ページにも誤記が含まれていましたが、それはどの部分でしょうか?
一応ヒントを記しておきます。
「誤記の方は漢字単独で市名になる」
[95590] 2018年 3月 24日(土)14:44:41ekinenpyou さん
Re:槐戸・市区町村変遷情報の境界変更について
[95579]グリグリさん
お忙しい所、拙稿[95569]の掲載対応ありがとうございました。
(現地名が具体的に示せなかったので参考程度という意味あいで投稿しましたが、十分満足のゆく内容だと思います)

[95577]むっくんさん・[95583]グリグリさん
回答ありがとうございます、収録基準ついての説明(見解)についてはおおむね理解できました。

以下、少し長くなりますが当方の所感などを述べます。
境界変更についてはある程度(規模の大小などによって)分類され、
それを選択表示させることができれば閲覧者にとっても有益なのですが
(2) 境界変更(大)まで 実質的に「藩政村」の変遷を記載

上記を満たしているか分類(判別)する過程において少々手間がかかるケースがあり、
各人により見解(解釈)が異なる可能性もあると感じております、
具体例として[93775][93776]むっくんさんの投稿から2件を選んで例に示します。

1.新潟県
# 1921(T10).11.20 境界変更 南蒲原郡三条町 南蒲原郡 三条町, 大島村の一部(大字島田)

上記が抜けているというご意見について
大島村(※大字島田)は既存7大字とは少々異なるもの(新設大字?)である可能性があり
これを実質的に「藩政村」の変遷と解釈してよいのかどうかについては
各人により見解が異なる可能性があると考えます。
※後年の地形図だと川の対岸、三条町側に「島田」とあるのでその付近?

参考
新潟県市町村名全書. 明治42年12月改正(右端の大島村)・南蒲原郡史(T4)(右ページ中ほど大島村)
南蒲原郡全図(M29.5)(左上付近)・5万地形図(三条・S6修正)(スタンフォード大学サイト内、地図右上)

2.北海道
#67 1916(T5).4.1 新設/町制 常呂郡野付牛町 常呂郡野付牛村, 「常呂村の一部」
「」の箇所は境界変更により編入されており、かつ大字単位ではないので掲載除外すべきであるというご意見について

町制同日の境界変更は常呂村大字少牛村・手師学村の各々一部を編入したもので、
編入前後の地図を比較すると、編入後は町の北東部で境界が大きく拡張しているように思われる。
(常呂村大字太茶苗村のあたりに達している)
実態として※大字少牛村の領域の大半は野付牛に編入された可能性があり、
これを概ね大字単位の境界変更ではないと解釈してよいかについても判断が分かれる可能性があると考えます。

※常呂村に残った大字少牛村についてはかなり領域が狭かった可能性があり、翌月T5.5に早くも廃止されている模様(大字手師学村は残った)

参考
野付牛町勢一斑 大正5年(画像3枚目右下・6・7枚目)・網走支庁管内明細図(T7)(画像3枚目の真ん中付近)
北海道行政区画. 昭和2年5月30日現在(右端の常呂村)
[95570] 2018年 3月 21日(水)10:06:21ekinenpyou さん
Re:自治体越えの地名(板橋区舟渡/川口市舟戸町)
本件少し長くなるので、別投稿としました

[95554]特急とりあたまさん
東京都板橋区舟渡/埼玉県川口市舟渡町


[95556]hmtさんで既にコメントがありますが、
川口市の方は舟戸町(ふなとちょう・渡→戸)で住居表示実施による新しい町名なので
板橋区舟渡(ふなど)とは「たまたま読み方が似ているだけの地名」ということになるのかもしれません。

※Wikipediaの舟戸町 (川口市)にも同様記載あり、面積は広いですが人口はゼロらしいです。

また板橋区舟渡の由来ですが
Wikipediaの舟渡 (板橋区)に地名の由来が記載されており似たような記述が他所にもあるので
恐らくだいたいあっていると思いますが、一応古い資料も確かめてみました。
北豊島郡誌の左ページ(蓮沼村の小名)に確かに「舟渡」の記載があります。

次に、変遷情報への境界変更の収録基準については
[95557]むっくんさんにて細かな説明がなされておりますので、
当方からは2件の境界変更について官報掲載内容へのリンクを示しておきます。

1926(T15).10.1 横曽根村の一部(大字浮間)→岩淵町(町村境界変更・左下から次ページへ続く)
1950(S25).4.1 戸田町の一部(大字上戸田の一部)→板橋区(総理府告示第58号・左ページ中央上部)

なお、以下は個人的な見解ですが(変遷情報の)収録から漏れる境界変更の中には
(自治体なり地域の)沿革を要約したレベルの資料でも掲載されるものがあり、
例えば板橋区の区勢概要にはS25.4.1に戸田町の一部を編入し舟渡3丁目とした旨が記載されています。
(リンク先からダウンロードできるPDF15コマ参照)

ですので、例えば市の変遷が現状変遷情報とは別コンテンツに分かれているので、
そちら側にのみ掲載対象としてみるとか※国分寺市と府中市の境界変更などのように
何らかの形で埋没させず活用されることを期待したいと思います。

※告示は府中市例規参照

当方メンバー登録からまだ日が浅く細かなやり取りまでは把握していませんが、
現状は変遷情報に「(3-a) 境界変更(小)まで(人口異動あり)」に該当するものが残っていたら表示されているが、
本来は収録(表示)対象にすべきではないという認識で良いのでしょうか?
[95569] 2018年 3月 21日(水)10:02:05【1】ekinenpyou さん
現在の東京23区内に存在した「槐」(さいかち)
「槐」の字を使って(さいかち)と読む地名ですが、
現在の都区内エリアには少なくとも3箇所存在していたようです、
1つは[95551]伊豆之国さんで既に示されていますが、残り2つを示します。

2.千束村字槐戸(現:台東区)
Wikipediaの台東区の町名にも記載あり
読み典拠は官報(M16.11.9)右ページ中ほど、布達・東京府甲第61号・北豊島郡千束村槐戸浅草区ヘ編入

3.志村大字西台字槐戸(現:板橋区)
北豊島郡誌の右ページ、大字西台に属する小字より
読み典拠は同上の右ページ西台村の小名より
(年代が異なるため、槐土など多少の表記ゆれがありますがサイカチは共通の読みと推測)

以上のような例があることから、他にも都区内にあるかもしれません
収録については既に消滅していると思いますのでご自由にどうぞ。
(ログに残っていれば十分というレベル)

※官報日付誤記訂正(M16.1.9→11.9)
[95529] 2018年 3月 11日(日)10:09:13ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その3)など
[95517]むっくんさん
詳細なまとめ報告ありがとうございます、ネットでは得難い知識を得られる貴重な書き込みです。
本件はあまり知られていない部分であり、もしかすると地方自治百年史などの
専門書でも細かくは書かれていないかもしれません。

[95525]hmtさん
自治年鑑1948のデータは有用な情報が含まれている反面、国勢調査や変遷情報と矛盾する点もあるようです。
まるごと信用することはできない。そのように評価しました。

同感です、組合町村については各資料の記述に少々頼りないところがあるようですね。

例えばWikipedia(町村組合)にある
三重県 雲林院村・河内村組合(1889年~1956年)共同で組合役場を設置

ですが、終了年1956(S31)については[95517]むっくんさんの書込みの他
伊勢年鑑(S17)という資料でも村長・役場とも別々であることがわかりますから再考の必要があろうかと思われます。

※古くは役場を統合し組合村だった点は正しいようです
参考・新旧対照市町村一覧(M28)(左中ほど)
改正新旧対照市町村一覧(T2)(右上)では既に役場が別々なのでかなり早い段階で組合解消?

本件はそもそも若年で当選した首長の一覧から派生した話題なので
(最後まで残った役場事務組合については)具体的にどの町村であるか示す資料が見つかり
それが想定の範囲外であった場合にこちらへ報告するという形でよろしいのではないかと思われます。
[95514] 2018年 3月 5日(月)21:37:26ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その2)
少々遅れてしまいましたが、本件コメントします

[95493]むっくんさん
役場事務組合についての解説ありがとうございます、S18の法改正で確かに132条に但書が追加されておりますね。
129条で一部・全部の事務組合区別があるという点は把握できていたのですが
132条についてはあまり詳しく見ていませんでした。
拙稿[95492]
旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭
は少々不適切な説明だったかもしれません・・・

最後まで残った役場事務組合が後免町・野田村ではないという点も了解です、ひっかけ問題?に誤答したようです。
一応高知県統計書(S34年の市町村職員数)でも確認

以下に、少々長文ですが役場事務組合について特徴などを簡単にまとめておきます。
(不確実な箇所が含まれていると思うので間違いなどがあればご指摘ください)

1.対象となっていた自治体や組織の仕組みなどについて

対象自治体は(一部事務組合と異なり)町村のみだったと思われます。(市は対象外)
出典:広域行政のあり方4コマ・参議院会議録情報地方行政委員会第8号(S28.7.13)にも下記記述あり

役場事務組合につきましては、地方自治法に組合というところの規定がございまして、その中の二百八十四条の第三項というところに、町村にのみ認められる組合として規定がございます。


2.Wikipedia(町村組合)以外でネット公開されている組合町村名や数などがわかる資料について

組合町村名については自治年鑑(1948年版)(町村長の氏名)
組合町村名が少々わかりづらい箇所があり(福島県など)補完としてこちらなども参照のこと
※旧法施行期間のものはこちら(S16)など(組合町村を明示)

数がわかる資料は例えばこちらにS27.11.10現在?の組合町村数が掲載されていることを確認

旧法施行期間刊行の内務省統計報告では町村会・組合会などの数(S17.12.15現在?)も記載されていますが
右側中央解説に組合会は町村制129条2項に拠って町村全部の事務を共同処理するため設置したものとあるので、
表に計上されているものは全部事務組合における組合会の数を示しているように思われる。
(一部事務組合の組合会もあるはずだが未計上?)

※町村会・組合会の数は実態と異なる可能性あり(和歌山・福井など)過去の同じ表とも比較してみた方が良い。
町村・役場数も誤りがある可能性があって、両者で集計日付が異なるため厳密な比較はやや難しいかもしれません。

上記資料を総合的に参照するとある程度は役場事務組合だった町村名を絞り込めると思うのですが、
肝心の「最後の一つは?」という答えはS34.10.1以前に消滅している町村がほとんどでよくわかりませんでした。
(従来から存在していたものでは無く新しく作られた組合だった可能性もあり?)
[95492] 2018年 2月 26日(月)21:42:25ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史
本件、それほど詳しくありませんが少し調べてみたので手短にコメントしておきます。

[95477]むっくんさんで紹介されていた参考資料に記載のある
第29次地方制度調査会答申ですがポイントをまとめたPDFがあって2コマ左上に
現行事務の共同処理の仕組みと運用についての概要が図でわかりやすくまとめられておりました。
これによるとかつての全部事務組合・役場事務組合は特別地方公共団体の一種だったようです。

その首長職はどのような形(肩書きなど)になるのかは
[95469]むっくんさんで既に解説があるのですが高知県誌で組合町村だった後免町・野田村を見てみると
人物の箇所(左端)には町長1名のみが記載されておりました。

※細かいですが地方自治法は日本国憲法施行のS22.5.3施行のはずなので[95458]むっくんさんで記載のある
蓑田 高さんがS22.4.-就任で正しければ恐らくぎりぎり旧法施行期間内にも中田・碇石村組合の村長?を
務めていたと推測、旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭ですが旧法人の首長職消滅というルールは
地方自治法とだいたい同じだった模様

[95484]hmtさん
1959年まで残った役場事務組合の名は不明
むっくんさんから別途コメントがあるかもしれませんが
前述の後免町・野田村がS31.10.15の時点では唯一残った全部事務組合ということなので
(裏付けは取っていませんが)両町村が最終的には役場事務組合になって?
S34.10.1の合併で南国市となり全組合町村が消滅したのかもしれません。
[95491] 2018年 2月 26日(月)21:18:59ekinenpyou さん
Re:特急マガジン寄稿への感謝
[95485]特急とりあたまさん

拙稿をマガジン登録していただきありがとうございます、テーマに沿った書込みが少ないということですが、
例えば特急とりあたまさんご自身でテーマに沿った書込みを投稿し
そちらをマガジン登録してみてもよろしいかと思います。
(毎回とは限りませんが、[95486]伊豆之国さんのような追加のレスがある場合もあります)

地名表記のズレについては既存のコンテンツ
(例えばアーカイブスの呼称が複数ある地名~地名呼称の多様性~)などとの共通点もあるかもしれませんが
全てが同一内容というわけではありませんから、テーマに沿った書込みについては
(必要以上に短期間で沢山投稿するとかでなければ)差し支えは無いものと思われます。

[92797]山野さんで模範的な例が示されていますが、
例えば駅名と近隣地名が微妙に異なるものを掲示板過去ログなどから参照すると
JRの三ノ宮(三宮)・智頭(駅名は「ちず」町名は「ちづ」)
ネットの住所データや地図類を探せば他にも阿佐ケ谷(阿佐谷)など
色々と見つかると思いますのでお時間のある時にでも探してみてください。

以下、余談
表記ゆれでしばしば登場する「ヶ」の字ですが昔の地形図を見ると
何かの地図記号と勘違いするくらい文字が非常に小さく控えめに書かれているものがありました。
(そのように書くよう決められていた???)
四谷(地図左下の千駄ヶ谷)荻窪(地図真ん中下の阿佐ヶ谷)
出典:外邦図デジタルアーカイブ(東北大学附属図書館/理学部地理学教室)
「千駄谷」「阿佐谷」と見間違えてしまいそうですね・・・
[95483] 2018年 2月 25日(日)14:52:22ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その2)
その1の続きですが、やや長文なので投稿を分けます。
拙稿[95482]末で述べた例で代表的なものとしては
[89901]hmtさんでも触れられていた大阪「Osaka」があります。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、国土地理院が作成する地図などにおける地名のローマ字表記には
S29内閣告示1号におおむね従ったルール(H16施行)が存在しています。

その内容は[91476]MasAkaさんの書込みでも紹介されている「地名のローマ字表記」という
PDF9~11コマでおおむね確認できますが、注目すべき点は11コマの左下(4)で「Osaka」を例示する際に
「のばす音(長音)を表す記号は省略することを原則とする」という
S29内閣告示1号に明記の無いルールを追加している点です。

上記ルールの前身となるものが20年ほど前のS59から既に存在しており、
こちらも「地図におけるローマ字表記の問題点」というPDF6~11コマで内容をおおむね確認可能です、
H16施行のものとルールは似通っていますが、9コマ下部(4)に長音記号省略のルールが無いので
(S29内閣告示1号に忠実に従った)「O^(文字上に長音符号)saka」「OOSAKA」という表記が例示されています。

前述箇所における新旧ルールの主な相違点は長音省略を原則とした結果「Osaka」を許容範囲内とした点であるとも
考えられますが、ルールに従っていた「OOSAKA」の例示も無くなっており
こちらはかなり見慣れない表現だったので「Osaka」へ差替えたかったという意図も隠されているかもしれません。

なお、もう一つのルール範囲内表記である長音符号つきの「O^saka」は
PCでの入力方法があまり知られていない影響かネット上のテキスト文書としてはそれほど多く見かけませんが
S29内閣告示1号の前身だった「国語ノローマ字綴方統一ノ件」(S12.9.21内閣訓令第3号)
(現代仮名遣いの本文はこちら参照)で例示されている(ただし長音符号はマクロン:文字上に横棒)他、
AMS(旧米国陸軍地図局)の作成した地図の(L775 Southern Honshu 5万図・Osaka Ko)
テキサス大学図書館のデジタルアーカイブ(日本地図)内などにもこの表記が採用されており、
長音を表示する必要があるときの例に引続き示されたままになっています。
(Unicodeも一応設定されいるので、国際的にもそれなりに認知度があり
滅多に見かけない表記というわけではないという解釈?らしい)
[95482] 2018年 2月 25日(日)14:44:12ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その1)
特急マガジンに関連トピック(地名表記のズレ)がありますので、
(初歩的な内容で恐縮ですが)当方からも少し書き込んでおきます。

今日では日本国内での東京の(ローマ字)表記は「Tokyo」で定着していますが、
かつてはドイツ語などと同じ「Tokio」という表記が長期に渡り国刊行の統計資料でも用いられていました。
(大日本)帝国統計摘要、第2回(M21)53回(S14)など参照
京都(現:kyoto)はkioto・兵庫(現:hyogo)はhiogo

現在のローマ字のつづり方に関するルールについては
[89901]hmtさんにて解説されていらっしゃるので省略しますが
「Tokio」という表記は現在では(ルールに従っていないため?)あまり
(日本国内では)見かける機会は多くないと思われます。

しかしながら現在でも「Tokio」が日本国内で用いられている例があり、
その理由が日本語ローマ字表記における外国人への「配慮」についてというPDF8コマに記されていました、
明治前半の英字書籍?でも「Tokio」としているものがあります。
The Japan Directory 1884(M17)

以上の点はWikipedia(ローマ字表記の例外)にも一部解説がありますが、ルールに従っていないと思われる表記が
従っているものより定着している例もあるので、次の投稿で例示したいと思います。
[95394] 2018年 2月 5日(月)21:14:55ekinenpyou さん
岡山県備前市福浦について(補足)
連日投稿になりますが肝心の現:備前市福浦について拙稿[95384]ではあまり書かなかったので補足しておきます。

岡山県では字区域の名称変更について告示を行っているらしく、
同市成立時期のH17年告示214号(2コマ下段)にて備前市(大字)福浦の存在が確認できました、
ただし単なる「福浦」ではなく他と足並みをそろえる形で「日生町福浦」になっています。
(これが正式名称のような気もしますが、公報誤りなどの可能性もあり)
合併時の案内には一切無いので、限られた領域にのみ残る特殊な大字であることは間違いないでしょうか。

したがって、大字福浦の残部再編については岡山県公報に該当する告示があれば詳細がわかるかもしれません、
昭和期など過去のものについては岡山県立図書館に所蔵があるようです。

[95386]Takashiさん
素早いご指摘ありがとうございます、日生町寒河・寺山が異なる地番区域である点、了解しました。
当方の迂闊な推測で誤りを書き込んでしまい申し訳ございません
※地図サイトで地番が網羅されていない点は(サイトに)明記されており当然ながら理解しています。

余談ですが重複地番が例外的に付番されたケースもあるようです。(いわゆる「山地番・耕地番」
近年、不都合が生じるケースが多くなったため(約150年の時を経て?)解消を行っているとのこと
実施地域の詳細はこちらをご覧ください。
[95384] 2018年 2月 4日(日)10:50:24ekinenpyou さん
日生町大字福浦の境界変更について
[95311]そらみつさん・[95312]Takashiさん・[95314]hmtさん
などから始まった、一連のやり取りにおける当方の推測などをコメントしておきます。

そもそも旧:日生町(福河村)大字福浦の寺山地区にあった字「東山ハナ」が
現在は備前市日生町寒河に存在しているというリンク先記載の典拠は何によっているのでしょう?
ネットの地図サイトなどでは容易に事実確認ができないような気がします。

明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・

という疑問はさておき、取りあえず日生町寒河にあるという前提で考えると、
日生町大字福浦のうち岡山県側へ残った箇所の再編(鹿久居島東部の大字日生への編入や大字寺山の新設?)は
S38の境界変更後、比較的早期に実施されているような気もします。

なお、日生町寒河寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
再編時に?地番整理なども実施した結果、
寺山地区の大字福浦字「東山ハナ」が大字寒河の字になったのかもしれませんね。

また、この地域の沿革については福河村(Wikipedia)などにも記述がありますが、
若干事実と異なると思われる点もあるので
参考として和気郡誌(M42)での記述箇所について、下記にリンクを示しておきます。

島嶼(日生諸島についての解説・取揚島の分属についても記載あり)
町村沿革(日生村・福河村)
[94766] 2017年 12月 25日(月)20:40:47ekinenpyou さん
Re:東京35区時代の地形図事情
分割連続投稿ですが本件別途補足しておきます。

[94736]hmtさん
2.5万図については、需要の中心であることを考慮し、既に編集作業の終っていた合併前の原図を利用した「二色刷り」を採用し、35区発足から1ヶ月というスピード作業により発行することを実現した。

1万図については、正規の編集作業により、時期としては遅れた。それでも戦時中に発行できた。

5万図をどうするか? とにかく2.5万図の作業を優先させてから考えた。
既に時代遅れということもあり、未修正のまま約2年遅れの1934年に発行した。
上記は恐らくおっしゃる通りだと思われます、なお東京西南部(5万地形図)については拙稿[94765]で紹介した
第二次大戦前後の日本の地図事情の第二次大戦直後の地形図(4~5コマ)に76-7-9(S23.10.30発行)
で加刷修正されている点が記されていました。(それまではS7測量の旧版を流用したようです)

東京西南部(2.5万地形図)については戦後初の76-7-1-4(S22.7.30発行)から既に(右上地図枠外に)
大田区・世田谷区などの記載があります。

なお、余談になりますが1万図は戦災復興都市計画図というものがあります。
S22.5月(3月15日の35→22区再編後・練馬区発足は8月)発行とありますが※S12測量地形図をベースとして
S20.8・9撮影の空中写真から地物を反映し戦後間もない東京35区時代末期の実態を示しており、
こちらも都市計画図のため?地理院図歴には載っていません

この地域で戦後S30年代まで新しい1万図が作られていないのはこうしたものが存在していた影響でしょうか?

※世田谷(part42)を見ると代田連絡線と思われるものがはっきり描かれており
鉄道などは結構厳密に補入されている模様
[94765] 2017年 12月 25日(月)20:38:37ekinenpyou さん
昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況など
長文の書込みで恐縮ですが拙稿[94731]で予告していた投稿です、
既にご存知の方も多いと思いますが、おさらいということで要点をまとめておきます。

タイトル年代の地形図発行状況ですが太平洋戦争開戦の少し前までは※秘図とされた地域を除くと
特に制限なく販売されていました。
参考:陸地測量部発行地図目録S6.9現在発行・発売について

※秘図地域とは?
例えば発行地図区域一覧図で北海道北端(宗谷岬周辺)は海岸線が点線表示になっており、
地図の存在が明示されていないがこちらのサイト一覧表(北海道地方)を見ると、
上から3番目のリンク声問近傍(軍事極秘)に実在していることがわかる。

一覧図の詳しい見方は備考(下部)参照(ただし秘図地域は恐らくS19.10のものでS6.9現在と同じではない点注意)

なお、※スタンフォード大学のサイトで公開されているものは秘図地域も一部含まれており、
宗谷岬の地図は右上に軍事極秘と明記
(この地図にも「一般の需要に供する為め」云々という表記がありますが、仮製版の
各地図共通でテンプレート化された文章が残っているだけ?と推測されます)

※5万図以外にもオンラインで閲覧できる地図が多数ありますので、関心のある方は各自検索してご覧ください。
参考:国立国会図書館サイト
米・スタンフォード大学図書館、デジタル化した地図へのリンク機能を持つ索引図をオンラインで公開
検索結果(日本地図)同左(陸地測量部)1:25,000地形図(5万図に無いエリアを一部補完可能)

秘図地域についての見直しなどは随時あったと思いますが、
とりわけ大きな制約がかかったのはS16.10.15官報広告(左上)で示された「発行地図中一部発売停止」です。
(1万&2.5万図全部と5万図の一部について特別な場合を除き一般販売停止)

しかし太平洋戦争開戦後も(太平洋)沿岸の一部地域などで修正測量が秘密裏に行われ
終戦のS20には(当該地域の)集成1:50,000地形図(欠が多い)も作成されています。
(これらは公式刊行図という扱いではない影響か地理院図歴には載っていません)

以上、下記に前掲サイト以外で参考としたPDFで(比較的短めの)主なものをいくつか示しておきます。
(部分的に内容重複するものあり)

地図一覧図について―陸地測量部~地理調査所発行地図の索引類―
陸地測量部発行地図を中心として見た昭和前期の地図事情とその地図見本
幻の昭和19年地図一覧図―陸地測量部内邦地図成果の総大成としの総大成として―
第二次世界大戦中に日本が作った地図第二次大戦前後の日本の地図事情

国土地理院サイト
企画展「戦後復興を支えた地図と測量」で公開されているPDF(データ1データ2データ3など)
[94731] 2017年 12月 19日(火)20:54:00ekinenpyou さん
Re:陸地測量部1万分の1地形図
[94730]hmtさん
戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されている


[94724]拙稿で「地理院サイトでは見れません」と書きましたが、これは説明が不適切で
旧1万分1地形図を選ぶと画像はやや不鮮明ですが外邦図デジタルアーカイブと同じものなどが一応閲覧可能です。

昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況などについては
より具体的に実態が解説された資料(PDF)がありますので、そちらの紹介などもかねて後日再度コメントします、
今しばらくお待ちください。
[94724] 2017年 12月 18日(月)20:57:39ekinenpyou さん
Re:Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94719]hmtさん
[94720]Takashiさん
本件、補足コメントします。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?
地理院サイトでは見れませんが陸地測量部作成の1:10,000地図を外邦図デジタルアーカイブで閲覧できます。

→インデクス・マップ検索(左から2番目)→エリア(日本)&縮尺系統(1:10,000)で表示ボタンを押せば
リストが出てきます。(S7.10東京市編入区域はおおむね見れるはず)

例えば世田谷の地図(S12修正測量)はこちらです(拡大可能でかなり鮮明に見れます)
※S11.10の砧・千歳両村の世田谷区編入も反映済みの模様(二子の地図などを参照のこと)

軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。
これは当方も同感です、S12修正測量地図右上には「一般の需要に供する為め」と記載があり、
なおかつ二子の地図(左下)にはS14.5.30発行(定価金13銭)とあります。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたかを
具体的に示さないようにしている※のはS9.4.30発行の1:25,000地形図も同じため、
昭和一桁の後半から意図的な情報統制が行われたと考えられなくもないですが・・・

※詳しくは今昔マップなどでご確認ください、
S6.6.30発行の1:25,000地形図・東京西南部にはちゃんと書かれています。
[94696] 2017年 12月 11日(月)21:04:43ekinenpyou さん
Re:新潟市の住居表示
[94691]敷守ほむらさん
当分は市が主導して住居表示することはないだろうなと思いました。仕事が増えるのが面倒なんでしょうね(笑)
「仕事」を「コスト」に置き換えるとより導入に消極的な理由が鮮明に・・・以下少々本題からそれますが

最近、公益財団法人・国土地理協会というところが地名変更情報を掲載しているのを見つけたのですが
こちらは比較的有名なので過去ログでも、時折登場しているようです。
ただし、少々の漏れがある点も留意しておいた方が良いと思います。(下記のような事例です)

1)岡山市南区灘崎地域の住所表記変更
→2010(H22).3.22住所表示から灘崎町がなくなる2010年3月の変更に明示なし
2)盛岡市玉山区の住所表記の変更について
→2016(H28).4.1住所表示から玉山区がなくなり
玉山区永井、玉山区馬場は玉山永井、玉山馬場へ大字名が変更となるが2016年4月の変更に明示なし

※念の為いずれも前後の数か月分もチェックしたが掲載は無い模様

こうした漏れ・抜けなどが生じ得る可能性を考慮しているかどうかは?ですが、
国土地理協会ではあわせて郵便番号の変更についても履歴を掲載しています。

岡山市の例は2010年3月分、盛岡市の例は2016年2月分で郵便番号の地名変更があった点だけは
把握できるようになっています。

なお、過去ログ(キーワード検索結果)の[89997]ぺとぺとさん[90000]hmtさんで
触れられている愛西市平和町の成立→消滅ような例はかなり特異で、
郵便番号の変更履歴を調べてもその変遷を的確に把握することができません。

愛西市平和町の郵便番号496-8020は2007(H19).1に後追いで新設された状態で現在もそのまま残っているためです。
(新設が後追いになった関係で削除も漏れているのかもしれませんが正確な理由はよくわかりません)

いずれにしても、新しい地名へ変更された経緯や詳細は自治体のサイトなどを見なければなりませんが、
その都度チェックするのは限界があるので、横断的に住所変更情報をまとめた
住所データ・郵便番号データの日本基盤データベースなどもあわせて見ています(例えば新潟県で抽出も可能)、
ただし、(住所変更実施から)掲載されるまで(おおよそ1年半程度の)タイムラグがあるので、
もし他にも良さそうな地名変更情報掲載サイトなどがあればお教えいただければ幸いです。
[94623] 2017年 11月 29日(水)20:48:35ekinenpyou さん
地図サイトに新しい地名が反映されるタイミングは?
分割連続投稿になりますが、素人っぽい疑問を一つ書き込みます。
(回答についてはもし詳しい方がいらっしゃればということで構いません、
過去ログに似た質問があるかもしれませんが・・・)

地図サイトによって表現にバラエティがある点が話題になっていますが、
従来の地名が変更されるなどして新しい地名になった場合はどういったタイミングで反映されるのでしょう?

例えば東京都新宿区の本塩町は今年の9.19から四谷本塩町になりましたが
この書込みをしている時点ではまだ新しい町名を反映している地図サイトはほぼ皆無のように思われます。

翌年実施予定の千代田区三崎町、猿楽町の町名変更などと一緒にしてある時点(年度末など)で
まとめて地図サイトが一斉に足並みを揃えて更新しているのでしょうか?

なお、郵便番号検索では既に四谷本塩町平成28年度版郵便番号簿の変更案内(5コマ)にも
変更した旨が記載されています。
(単なる表記ゆれっぽいものも変更されており、正しいものは厳密には一つだけという考え方らしい?)
[94622] 2017年 11月 29日(水)20:38:18ekinenpyou さん
Re:飛び地
[94608]そらみつさん
国勢調査の小地域集計を見ようとしたんですが、スマホだと文字化け
マップDe統計(ページ下の方)というアプリも用意されているようです(小地域集計のデータも見れそうですが)。

以下、余談です

拙稿[94606]で書いた砺波市花島の構成元になった村は3つあったらしくその成立時には村の境界変更が
行われたということになるようです。(種田村大字高儀新村字花島が主な構成要素)
変遷情報に似た形式で書くと以下のような感じでしょうか

T2 境界変更 東礪波郡 五鹿屋村 ← 同郡 種田村の一部, 野尻村の一部

他村の地域を一部編入した結果、大字に相当するものが新設増加しており(既存の大字が別の自治体へ
丸ごと移動したわけではないのですが)大字単位に準じる規模の境界変更であったと考えられます。

本件は実施月日が不詳で官報広告にも掲載がみあたらず、そらみつさんの書込みが無ければ
調べなかったと思うので思わぬ収穫でした、個人的には廃置分合履歴の一つとして記憶しておきたいと思います。
[94606] 2017年 11月 27日(月)21:23:28ekinenpyou さん
Re:気になる住所(砺波市の飛地)
[94567]そらみつさん
気になる住所を見つけました。
富山県砺波市高堀
上記について少し調べてみたのでコメントします
まず、落書き帳メンバー倉田昆布さんのサイト内の富山県ではmapion表記に倣っています。
また、こちらのブログ(ケース136)では「南砺市高堀にある砺波市花島の飛び地」とありました。

さて、ここから本題です
[94568]Takashiさん
砺波市高堀という住所はおそらくない

[94589]にまんさん
南砺市のGISでは、そもそも、飛び地が存在していない形で市境が書かれています。
お二人のコメント他も踏まえると、当方も飛び地とは言い難い(花島の一部)という説を有力視しています。
平成の大合併前の旧砺波市史資料編5(集落)の273~275コマ「花島」を見てみましたが、
274コマ下部「現況」の図で砺波市側の花島と福野町(南砺市)側の(mapionでの)飛び地は同じ区画として描かれており
(極めて軽微な分断なので同じにしているだけかもしれませんが)
275コマ「小字と小地名」でも「高堀」という字名・地名について言及がありません。
高堀は明治の町村制施行以前から存在していた歴とした村名(大字)で
そうした字名が花島にあれば何かしら説明があってもおかしくない気がします。

しかしながら、[94591]EMMさんで
それぞれのデータ制作者は何らかの根拠があってそのように表現しているはずなんですよね
とあるので、大正初期に当時の五鹿屋村(後の砺波町→市)に花島が成立した際に未整理の飛び地が
残りそこに「高堀」という字名がつけられた可能性も否定できませんので
真相の究明には花島成立当時の字名一覧や現状のブルーマップなどを調べてみる必要がありそうです。
[94467] 2017年 11月 17日(金)20:24:45ekinenpyou さん
Re:変遷情報について
[94407]グリグリさん
お忙しい所コメントありがとうございます。

一応Excelファイルは当方HPでダウンロードできるようになっており、
改変・再配布などについて特に制約はありません。
ただし変遷情報とは当然ながら作りが異なっており、理解しにくい点が少なからずあると思われます。
(もしご覧になりたい方がいらっしゃればご自由にどうぞ、ファイルの置き場所がわからないという
書込みがもしあれば別途リンクを追記します)

なお、私事で恐縮ですが最近「国有鉄道・JRの駅所在地変遷履歴」という
当方HPコンテンツ作成の過程で上記の廃置分合関係ファイルを参照したのですが、
(誤りなどが明白で)差替えたい箇所がいくつか見つかったので、
(最終更新から3年ほど経っていることもあり)この機会に少しリメイクをしても良いかなと考えています。

その際にはこちらの掲示板過去ログなどの一部内容も再度まとめて拝見し、
(以前作成した際にも参考になる箇所がいくつかあったので)
必要に応じて反映できればなおよいと思い、お知らせもかねて書き込ませていただきました。

本件は特に急いでいるというわけではないので、時間をかけてゆっくり取り組む予定です。
メンバー間で共有・更新に値するクオリティの成果物ができればベストですが、
関心のある方に(必要に応じて)参照してもらうという程度の物でも十分だと思います。
[94188] 2017年 11月 11日(土)17:54:00ekinenpyou さん
Re:沖縄県での明治合併
昨日の続きを投稿します。

[94126]hmtさん
下記の5県で市制町村制施行に先立って行なわれた統合[78760]。これは例外的な事例と思っていました。
宮城県(区への境界変更を含む)、茨城県、千葉県、神奈川県 明治22年3月31日(新制度施行の前日)
静岡県(町村) 明治22年3月1日(新制度施行の1ヶ月前)
上記の他、高知県も同様の措置が行われたはずです。(参考:[85122]むっくんさん)

また、[84174][84179]にて記載のある
糸満町を設置した明治41年沖縄県令第22号
ですが、明治三十五年・三十六年の村の分合配置区域字名について(4コマ左下)
原文の写しと思われるものが掲載されており、それによると確かに
M41.3.31施行で旧村の名称は全て字で統一されています。

沖縄県についても、宮城・茨城・千葉・神奈川・静岡各県について示されている「市制町村制施行直前の廃置分合等」と同様の「一面真っ赤リスト」が作成されるのが理想だろうと思います。
将来的には変遷履歴情報に反映されれば好ましいのでしょうが、
現状はお一人で更新対応されていらっしゃるようなので限界はあるものと思われます。

なお、廃置分合関係の履歴情報については当方自身で簡単にまとめたものを(Excelファイルで)別途作ってあり、
疑問点などが生じた際には変遷履歴情報の記述などと都度比較しています。
これにより変遷履歴情報で未反映だったり事実と異なっている箇所なども比較的容易に確認が可能となっています。

以下は希望するメンバーの方がもし複数いらっしゃればという前提での仮の案になりますが、
廃置分合関係の履歴情報を電子データで(変遷履歴情報とは別に)作成&共有しておき、
当面はそちらも(メンバー有志で)更新してゆくという形を検討してみてはいかがでしょうか?

本格的な検索などを備えたシステムを構築するのは少々手間がかかりますが
単一Excelファイル程度のものであればそれほど作成&更新は煩わしくないはずです。
(やる気があれば)明治の市制・町村制施行前に遡って(部分的に分かる範囲で)作っても良いでしょう。
[94174] 2017年 11月 10日(金)21:27:19ekinenpyou さん
Re:明治18年 葱畑?に作られた 大阪ミナミの鉄道ターミナル
予定していたコメントを投稿します

[94082]hmtさん
西成郡難波村の大阪市編入は明治30年。変遷情報を見ると「西区に編入」となっています。難波新地の南区とは異なる区になったのでしょうか?
本件はWikipediaの西成郡もそのような記述ですが、当時の官報の記述とは明らかに矛盾しています、
[65293]むっくんさんにて模範解答が示されているようです。

「大阪駅」の所在地であった曽根崎村
クイズの補足ありがとうございます、こちらも[79553]むっくんさんで記載がありますが仰る通りです。

なお当時の地図(内務省発行)がこちらのサイト様に掲載されており
停車場敷地(右上付近)はおおむね同村内に含まれていたと思われます。
(大阪府統計書の記載とも合致)

上記地図に難波駅は描かれていません(左上隅が六番町と難波村付近)ので、
M18末頃の大阪(右下にM19.1地理局とあり)と推測されます、
ちょうど地方行政区画便覧(M19.1現在)と足並みを揃える形で地図も作られた※ようです。
PDF(3コマ右側の大阪実測全図)参照

難波駅開業後10年ほどたった第一次市域拡張前の大阪市明細地図(M28)では
湊町(現在のJR難波)駅※との対比も(大雑把ではありますが)拡大すると確認できます。

※市制施行後ほどなくM22.5.14開業、こちらはM32.2.28官報で所在地が大阪市南区難波(右側2段目の大阪鉄道)
なので恐らく市域拡張前は西成郡難波村が所在地だったと推測していますが未確認
(市内の湊町も若干含まれている?)

以上、[94126]についてのコメントもまとめて投稿しようか迷いましたが
例によって長くなりそうなので後日投稿いたします。
[94107] 2017年 10月 30日(月)20:15:48ekinenpyou さん
Re:沖縄県島尻郡伊平屋村の分村
[94036]hmtさん
コメントをいただいた件、いくつか回答します。

町村制施行時の変遷情報には旧村名が記されていません。
神奈川県などいくつかの県で行なわれたのと同様に、制度変更に先んじて直前の合併を行ない、その後で 新制度を施行するという2段階の処置が行なわれたのでしょうか?
従来は旧村名が記されていたようですが[69110][69541]むっくんさんの記事などを参考とした上で、
「旧村はM41.1.1に従来の間切・島が村へ名称を変えた際に字となり消滅しているため、
M41.4.1に合併は行われず」という認識のもと記載しない形で修正が行われたようです。

また、伊平屋村分村についての詳細な解説ありがとうございます。
「伊是名村が伊平屋村から分立(分離)した」という表現は実態にそぐわないという点が良く理解できました。

伊是名村(Wikipedia)を見てみると、変遷情報と同様の記述になっており
恐らく出典元資料の書き方に依拠していると思われます。

それにしても、1908年の沖縄県及島嶼町村制施行で名乗ったのが、何故「伊平屋村」だったのか? など疑問は残ります。歴史的価値から伊平屋が上位だったのでしょうか。
M29の郡設置で伊平屋(諸島)だったので、(伊平屋が)そのまま村名になったということだと推測されます。
(沖縄県土地整理法(第二十五条・右側中央)でも間切に準ずるものとして伊平屋島と記載あり)

伊平屋村と伊是名村との違いの問題でなくて共通の問題ですが、沖縄県の北部にありながら「島尻郡」に帰属している
沖縄案内(島尻郡)によると地理的に他郡に近い離島の村も島尻郡に含めた理由として
那覇港を中心とする交通(舟運)の関係で郡役所が那覇にあった点を挙げています。

なお、現在の伊平屋・伊是名両村は北部広域市町村圏事務組合に所属しており、
例えば※小選挙区(区割)は名護市や国頭郡と同一区で、
学校で使う教科書も島尻採択地区と同じだったものが近年国頭採択地区に変更されました、
実態は国頭郡の近隣自治体と同様の扱いになっているようです。

※落書き帳メンバーIssieさんのサイト内に詳細な記述あり

少し長くなりましたので[94082]に関するコメントは後日投稿します。
[94096] 2017年 10月 28日(土)18:13:38ekinenpyou さん
掲示板の使い方や敬語表現について
私自身もあまり良くできた人間ではないのでコメントできる立場ではないかもしれませんが、
予定していた投稿の前に[94071]特急とりあたまさんの書込に関して少し所感を述べます。

「万人ウケする」ネタが少ないと感じました。クイズももうすぐ店じまいをして、「みんながわかる」記事を書くことに気をつけたいと思います。
ネガティブな内容で恐縮ですが、「万人ウケする・みんながわかる」記事を書いたとしても
掲示板で多くの方から反応(レス)を得るのは恐らく簡単ではありません、
一方でローカル・マニア向けの記事でもそれなりにレスがつくものもあります。

レスを返すかどうかは書込内容や個人の考え方・都合などにより様々です、
例えば特急とりあたまさんが別の方の書込みにどのように対応しているかなどの
過去発言もレスを返すのが妥当かどうかを判断する要素の一つになっているでしょう。

書込へのレスに関する考え方は[94073]山野さんとおおむね同じ考えの方が多いのではないかと思われます、
(当方は自身の書込にレスがあればなるべく返すようにしていますが)特に返答を期待しているわけではありません。

以下、余談ですが・・・[94066]グリグリさんで指摘があったご拝読くださいをGoogleなどで検索すると
[94033]で特急とりあたまさんが誤用してしまった原因の一端を垣間見ることができます、
敬語表現について必要以上にとがめるのは少々気が引けますので、このあたりで所感を終えたいと思います。
[94065] 2017年 10月 23日(月)21:18:43ekinenpyou さん
Re:一文字地名あいうえお
[94018]グリグリさん
コンテンツ拝見しました、「小字にも対象拡大」ということですが一音地名の一音小字でも
該当が無いので残りの部分を埋めるのはちょっと難しいかもしれませんね。

地図サイトに記載されない小字を探してこちらのサイト様で
(地名データブック→高知県内の字一覧)を少しだけ見てみたのですが・・・以下略

余談ですが長野県小諸市丁のようなものは現在も大字?で残っているものは珍しいのかもしれませんが、
高知県吾川郡いの町上八川丁下八川丁などと同じ類のものと考えられなくも無さそうです。

[93959]うっかりじゅうべえさん
なるべく同じ漢字、同じ読みがない地名
ということでしたら、福井県敦賀市手(一音地名の一音大字に記載あり)あたりでも良いかもしませんね、ただし
なるべく読みが長い地名
ではなくなってしまいますが・・・

なお漢字・読みともに一文字の地名(落書き帳アーカイブズ)を見てみると甲乙丙などの「十干小字」や
石川県などの「かな(カナ)小字」は小字レベルだと多数存在していると思われるので、
どうしても無い場合は仕方ないですが、町名・大字・字の全てでユニークそうな地名という点も優先考慮して
選定してみるというのは如何でしょうか?もしくは小字から選定したものはその点を明示しておくとか・・・
[94063] 2017年 10月 23日(月)20:14:50ekinenpyou さん
鉄道国有法で買収されなかった南海鉄道、クイズの答え
予定していた投稿が諸事情で少々遅れまして恐れ入ります。
[93949]hmtさん
マガジン(鉄道特集号)を拝読しました、その中で
[61109]hmtさん
新聞記事によると、原案は 17社買収 だったものが、提出直前に 32社 に改められたとか。
既に記したとおり、貴族院の修正で 15社 が削除されて 17社 に戻り、南海鉄道は買収を免れました。
上記経緯について当方で少し補足させていただきます、貴族院における32→17社買収の修正過程は
帝国議会会議録検索システム鉄道国有法案外一件特別委員会(M39.3.20~26)で流れを把握することが可能です。

全部読むと長いので要点をまとめると、まず政府側は8コマ左上隅あたりの質疑応答で鉄道国有法第一条の
但シ一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道ハ此ノ限ニ在ラス
にあてはまるものとして10社を示しましたが、この時点では川越・東武・中越・南海・中国(5社)は
含まれていませんでした。

ところが後日示された修正案は(10社に5社を加えた)17社買収案に回帰しており、この点について先日質問を行った
曾我 祐準は「従来10社を地方の鉄道としていたはずだが、それより多くなっている」という点を
政府側に確認しています(4コマ下部付近)
10社を削る中途半端な修正が煩わしく元の案に戻しただけなのかもしれませんが、
法案が反対否決されるのを防ぎたかったという政府側の譲歩があったのかもしれません。

その後貴族院→衆議院で順次修正案が可決され法案が成立に至っています。
(本会議M39.3.27などに詳細な記載がありますが非常に長いので省略、要約はこちらなどを参照してください)

なお、当初は南海鉄道が紀和鉄道(同社を吸収した関西鉄道は後に鉄道国有法で買収された)を
買収予定だったという話は(wikipediaにも記載があり)比較的知られていますが
開通五十年(南海鉄道)わが社の国有問題によると大正期にも国有買収計画があったそうで、
度重なる買収の可能性があったがその都度幸運にも?免れたという事になるようです。

以上、前置きが長くなりましたが拙稿[93971]のクイズの答えについては
【A】(明治)22【B】(南海)難波駅ということになります。
(当時の地図などを調べると他にもあるのかもしれませんが細かくは見ていません)

[83142]hmtさんによると、難波村はM30.4.1市域拡張まで市外である旨記載がありますが、
開通五十年(南海鉄道)当時の難波界隈によると難波駅構内予定地として六番町と難波村の土地が買収されたらしく、
M22.4.1市制施行の時点で所在地に大阪市内(難波新地六番町)が含まれていると判断しました。

※参考:難波駅の所在地はM32.2.28官報大阪市南区難波新地六番町(右下の南海鉄道)
難波新地六番町は地方行政区画便覧(M19.1現在、真ん中付近)で大阪南区

地理関係と異なる分野の長文失礼しました。
[94036]hmtさんの書込みに関しては、日を改めて補足コメントいたします。
[94000] 2017年 10月 14日(土)14:13:52ekinenpyou さん
Re:分属・分裂の使用事例 そして トカラのこと など
予定していた投稿の前に拙稿[93971]の件、少々補足します。

[93977]hmtさん
「地所幾分を裂き」の使用例として示していただいた富山県の事例は、「一部を分けて」という程度の意味で使われており、「分裂」が「分割」を意味することまでは示していないと思われます。
コメントありがとうございました、当方も同一見解です。

拙稿[93971]
「裂」は「割」と類似の意味だったのかもしれません。
ですが、「裂キ」「割キ」双方が「一部を分けて」という意味で併用されているという事実を
書いたつもりだったのですが、説明不足でうまく伝わらなかったようで恐縮です。

大村町や富山県の事例が「分立」である点や「分割」との違いについては理解しているはずです。(多分・・・)
例えば、福島県の事例(上段真ん中からやや左)では(文面は「分割」という表記で統一されていますが)
伊達郡 立木村を「分割」し※立子山村・青木村を新設、
小手村の一部から小島村が「分立」・・・以下略と解釈しています。

※原文は立子山村を立木村としているが誤記?官報の二十六年末市町村現住人口表(真ん中付近)は立子山村

なお「分割」ですが、新設自治体名に従来と同じものが継続して使用された場合
「分立」と区別し難く混同されるケースがあるので注意を要します、
例えば、1939(S14).7.1 分立 島尻郡 伊是名村 島尻郡 伊平屋村の一部
官報広告(左下隅)の記載通りならば「分立」よりも「分割」が妥当でしょうか、
類似例は他にもあると思われますから慌てて修正する必要は全くありませんが・・・
[93971] 2017年 10月 9日(月)22:12:39【1】ekinenpyou さん
簡単なクイズ、明治時代の変遷記録についてなど
あまり問題を作るのは得意ではないのですが、ご挨拶を返していただいた
お礼という事で今回のみ若い方向け?で簡単なクイズを1問だけ出題しておきます。
([93748]白桃さん他のご指摘もあるため、以後クイズ投稿は慎みたいと思いますが)

問題:【A】【B】にあてはまる適当な語句をお考えください
===============================================
現在の大阪市内には多くの鉄道駅がありますが※、市制が施行された
明治【A】年4月1日時点で、市内に存在していた(開業済みの)駅は【B】だった。
===============================================

※若干古いですが、近年どの程度の駅数があるかなどはこちらが参考になります。

ヒントはありませんが掲示板の過去ログをご覧になられている方でしたら解答は比較的容易に出せると思います。
【B】の駅は大阪市に市制が施行された当時のエリア(境域)内でお答えください。
[93849]むっくんさんで示していただいた境界付近にあったもの(自治体越えの鉄道駅)でも可とします。

なお、関連する内容(クイズではありません)で後日次回の投稿を予定しておりますので
解答者無しでも全く問題ありません。

以下、書き込みへのコメントです。
[93947]hmtさん
早速のコメントありがとうございました。

「分属」とは、実質的に複数の「編入」を意味しているものと理解することができます。
中略
私の関心がそそられたのは、「分裂」という言葉が使われていたことでした。

「分属」「分裂」ともにあまり見かけない表現ですが確認してみたところ、明治期に少し使用例が見つかりました。

「分属」(上段真ん中:茨城県那珂郡 六箇新田を廃止して中根村外四箇村に編入)
「分裂」(3コマ右側:長崎県東彼杵郡 大村の一部から大村町を新設)

この他、右上隅の雑事:合村及改称
地所幾分ヲ裂キ
とありますので「裂」は「割」と類似の意味だったのかもしれません。

また縮小再置ではないのですが、実態として従来の境域を縮小し分立したものに
戦後の三島村・十島村(鹿児島県)の例がありますが、特殊な経緯※のため
廃置分合も慣用的な手続きとはならず、境界変更などで一村が成立するという特異なものでした。

1952(S27).2.10
境界変更/改称 大島郡 三島村 大島郡 十島村の一部
村制 大島郡 十島村 大島郡 十島村の一部

※ご存知の方も多いと思いますが詳細は
トカラ・十島村の「格差」と地域の政治(15コマ下部あたり)をご参照ください

少し話が逸れるのですが、三島村は地方選挙への関心が高く投票率が極めて高いということでした。

※URLを直接記載せずテキストリンクへ訂正、以後原則テキストリンクを使用するようにします。
[93945] 2017年 10月 4日(水)21:13:53ekinenpyou さん
【続】地理関連サイトの紹介など
度々連投で恐縮です
本日も冒頭で地理関連サイトの紹介を1件させていただきます。

Geoshapeリポジトリ:サイト内に歴史的行政区域データセットというページ(今年できた模様)があって
市区町村境界の歴史的変遷を地理院地図に表示させるなどが可能です。
(ベータ版とありますが特に支障なく使えました)

続きまして、掲示板書込みへのコメントです。

[93887]山野さん
JR北海道の駅廃止、3年連続ですね。(またもや、根室線です)
来年度のダイヤ改正を以って、羽帯駅の廃止が決まりました。
拝見しました、地元の同意もあってのことだと思いますのでやむを得ないのでしょうね。

余談になりますが北海道旅客鉄道・極端にご利用の少ない駅(平成28年3月26日現在)
路線図上で赤丸の駅のいくつかは既に旅客営業を終えていますが
ある意味有名な?室蘭線の小幌駅は緑丸の駅になっていました。

下記のような観光事業などを行って良好な結果が出ているということなのでしょうか、
http://www.town.toyoura.hokkaido.jp/hotnews/detail/00002331.html
その将来について明るい兆しが見えてきたということなのかもしれませんね。

[93925][93933]Takashiさん
市内における位置や方角にちなんだ区名(東、西、南、北、中央、中)が多くの市で使われており
参考になります、六大都市(東京を含む横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)で
全共通の区名が無い点に気が付きました。
(北区の5つが最大?横浜は北が含まれるのは港北区のみ)

複数の市で用いられている区名を使用されている都市の多い順に並べますと
区名でのリストをTakashiさんが作って下さったので、漢字1字ずつでも調べてみました。
http://uub.jp/zat/shichosonmoji.cgi?SEKU=1&B=%8D%C5%90V

似たような結果になるのは当然として、市区町村名の文字頻度分析の上位にある「田」「大」「山」あたりは
「見」「緑」などよりも下位になるようです。
なお漢字の「緑」が使われている市町村は現在は無く政令区のみです
(政令区は)比較的近年の設置のものが多いですが「ひらがな」を使った区名はまだありません。

[93944]グリグリさん
歴史地理学会ですが、有名な日本地理学会さんと似た名前なのですが別のもののようです。
http://hist-geo.jp/histricalgeo/enkaku.htm
人によって嗜好は様々なので関心があるものを選んで読んでみるという形で十分かと思います。

熊本県の市町村合併史はかなり「通好み」な内容になっていますね、
今後も見ごたえのあるサイトなどを見つけたらこちらで時々紹介してみます。
(メンバーの方の中には、既に知っているという方もいらっしゃると
思いますがその点はご容赦ください)

以上、長くなってしまいましたが一連のコメントをご挨拶も兼ねて書き込ませていただきます、
地理関連の知識については浅学ゆえお役にたてるかどうかはわかりませんが、
今後も(必要に応じて)書込みを行いたいと思います。
[93942] 2017年 10月 3日(火)21:30:12【1】ekinenpyou さん
地理関連サイトの紹介など
連日の投稿で恐縮です
本日は1件地理関連サイトの紹介をさせていただきます。
こちらの参考情報や近年の掲示板過去ログは
事前に簡単に確認していますが、万一重複の際はご容赦ください。

歴史地理学会のサイト内にアーカイブ事業というページがあり
地理関連の過去の出版物が多岐ジャンルに渡ってPDFで公開されています。
高度な知識が必要とされるものも多いかもしれませんが、
資料価値が高く読みごたえのあるものも含まれているようです。

以下、掲示板書込みへのコメントの続きです。

[93802]hmtさん
告示文を探したのですが、1903/10/3の官報には見出すことができませんでした。
青森県サイト探索も不成功。
1903(M36).10.3青森県告示第308号ですが下記(右下)にて確認できます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788180/114
官報は同月8日に掲載(右上隅)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949390/8

確かに従来の木造町はいったん廃止されているようです。

[93859]hmtさん
郡区町村一覧には「フリガナ」がありましたが不明瞭でした。河陽は カヤウ? 河陰は カミナミ?
[93862]グリグリさん
[93863]hmtさん
上記一連の書込みで補足を1点させていただきます、熊本県市町村合併史PDFの200ページ(コマ)で
「下野村の分村」についての記述がありますが、河陽村「カワキタ」とルビが振られています。
(このような読み方は珍しく、恐らく原典に近い形で写したものと思われます)

上記は難読なため、現在に至るまでに「キタ→ヨウ」「ミナミ→イン」という
一般的な読み方に変化したのかもしれません。

※過去ログと重複する内容があり若干削除・訂正させていただきました
[93936] 2017年 10月 2日(月)21:25:01ekinenpyou さん
メンバー登録のご挨拶など
都道府県市区町村
落書き帳 メンバーの皆様

はじめまして、ekinenpyou(駅年表:えきねんぴょう)と申します、
鉄道・地理関連の調査研究などを趣味としております。
このたび管理人のグリグリさんより事前にご承諾をいただきメンバー登録をさせていただきました、
以後よろしくお願いいたします。

早速なのですが掲示板の書込に関してコメントさせていただきます。

[93819]むっくんさん
「市区町村変遷情報」修正案としての書込みですが当方も関連分野の調査に少々関心があり、
時折参考にさせていただいております。

ご指摘の「千駄谷→千駄ヶ谷」ですが、確かに鉄道の駅名などは「千駄ヶ谷」で
町村の名称も正しくは「千駄ヶ谷」だったのかもしれないと感じました。

しかしながら、例えば地元の小学校は「千駄谷」と現在称すようで(同校HPなど参照)、
明治10年ころの資料では「千駄谷」「千駄ヶ谷」「千田谷?」と学校名表記は様々です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809837/5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809838/5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764082/23

「千駄ヶ谷」と「千駄谷」という表記はかなり古くから共存していて
どちらでも良いという考え方だったのかもしれませんね。
自治体名についても町村制施行から数年たった明治20年代後半の資料によって表記が分かれています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937070/25
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762146/4

また、関連して少し古い書込みになるのですが
[92894]白桃さん
今日検索していて気が付いたことがあります。
「千駄ヶ谷町」が出てきません。それもそのはず、「千駄谷町」になっているのです。


検索の使い方についてそれほど詳しいわけではありませんが
自治体名称「千駄ヶ谷」で検索する際に、揺らぎ文字
「ヶ ケ が」を区別する →「ヶ ケ」を区別しない に変更して検索すると
「千駄谷」としてですが変遷推移は追えるようです。

自治体名称は年代や資料によって表記に一貫性が欠けるケースも
少なくないのでどれが妥当なのか判断に迷うこともしばしばですが、
変遷情報検索ではこうしたケースでも融通が利くようにした機能を備えており、
折角なので色々試してみるのも良いかなと感じました。

以上、他にもコメントさせていただきたいのですが、一度に全て書くと大変長くなってしまうので
近日中に何回かに分けて(連投になってしまい恐縮ですが)書き込ませていただきます。
[90128] 2016年 3月 28日(月)18:31:36ekinenpyou さん
人口異動を伴う境界変更一覧など(追記)
度々で恐縮ですが下記コメントさせていただきます

[90104]オーナー グリグリ様
組替人口が確定報告で変わるとも思えないので、「ほぼ確定版」

組替人口は確定でしょうね、差異はこちらに書かれたように稲沢市と清須市の人口異動が相互かどうか、
差引異動人口無しの境界変更が存在するか否かという点ぐらいでしょうか

国勢調査の最終報告ですが、ごく稀に下記の通り事実と相違もあるので
今回はどのように書かれるのでしょう?

稀な例)H21.4.1仙台市と多賀城市の境界変更
多賀城市の一部(28人)を仙台市泉区に編入
多賀城市に隣接しない泉区?!組替人口は宮城野区が正しく増えているのですが・・・

なお今後も「サイトを更新したのでご覧ください」といった周知目的の書込は
国勢調査確定値反映時など、不定期にこの場をお借りして行いたいと思いますが、
今回のように説明が長く、読む方が限られる内容は関心のあるオーナー様と1対1
もしくは他に見たい方がいればその方も加え、少数名のメールでのやりとりが適切かと考えています。

こちらはスレッド表示タイプの掲示板ではないので閲覧する方の邪魔にならぬよう
使い分けたいと思いますが、いかがでしょうか?ご意見をお聞かせください。
(他にもいくつか疑問にお答えできるのですが、長くなるので書込は控えています)

[90107]YT様
分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要

小地域データは1995(H07)年までネットでデータ公開されているようなので、
当方サイトの上九一色村分割編入先(甲府市&富士河口湖町)組替人口は
1990年以前の人口で按分推計を使っています。

同様の問題が区設置組替でもありますが、例えば按分推計による組替人口と
札幌市統計書の小地域データの合計値による信憑性の高い組替人口を比べると
当然ですが相違が非常に大きな箇所が(古い年代は特に)出てしまうので、
当方サイトでのデータ公開は見合わせました。

組替人口の正確さを厳密に追求するのは個人の趣味レベルだと
どこかで妥協点を見出さなければならないと感じております。

こちらの表で空欄となっている2000年組替人口を完璧に埋めるのは
小地域データありきで当該市の地域名に詳しくてもそれなりの労力が必要でしょうし、
より古い年代(1990年以前)に遡ると、恐らく紙媒体の複写などに加えて
膨大なデータの電子化&分析も必要となりますので・・・

長文失礼いたしました
[90096] 2016年 3月 22日(火)18:13:53ekinenpyou さん
人口異動を伴う境界変更一覧など
[90077]オーナー グリグリ様

改めて当サイトをご紹介いただきありがとうございます、
無料HPなので広告表示がうっとおしいとか、表示が重いなど見づらい点もあるのですが、
[90053]の書込は事前に許可を得ており有害サイトへの誘導などの意図は全くないので、
(その点を気にしていた方もいると思いますが)安心してご覧いただければと思います。

まだまだ改善余地がありますので、より多くの方からコメントをいただければ幸いです。
(H27時点の地図に北陸新幹線が金沢まで表示されてないとか、一行程度の些細な内容で構いません)

[90092]人口異動を伴う境界変更一覧について、コメントします。

柏崎市と柿崎町の境界変更について
[90087]でYT様が既に見解を述べていらっしゃいますが
柏崎市例規集の自治省告示本文(写し)より法的にはH1.4.1実施と考えて支障無いと思われます。

また稲沢市と清須市のように、異動人口についての県告示が何度か変化したり
最終的に国勢調査の組替人口と一致しないまま(告示されず?)という例も結構あるような気がします。

正確な異動人口明細は国勢調査の最終報告まで待たされることも多いようですから
先日メールでお送りしたものは、「ほぼ確定版」という程度にお考えください。

例1)H22.12.1町田市と相模原市の境界変更
H23東京都告示473号
↓その後再告示
H23東京都告示1659号

例2)H24.4.1熊本市の区の設置に伴う人口
H24熊本県告示621号(p2下方)
その後再告示なし?

国勢調査速報値の組替人口は
熊本市統計書(H24)の区別、校区別、年齢階級別人口(平成22年)記載データなどと同じ

長文失礼いたしました
[90053] 2016年 3月 8日(火)20:11:48ekinenpyou さん
平成27(2015)年国勢調査の人口速報集計公表について
鉄道旅客輸送統計【懐古編】サイト管理人のekinenpyouと申します。

当方サイトは零細で発信力が乏しく、ほとんどご存知の方はいらっしゃらないと思いますので
非常に多くの方が閲覧されているこの場をお借りして下記のご案内させていただきます。
書込みにあたり、管理人様へ確認を取りましてHP紹介(周知)であれば問題なしとの
お答えをいただいておりますが、不快に思われるようでしたら適宜読み飛ばしていただければと思います。

タイトルの件ですが、当方サイトコンテンツにも公表値を反映させましたので、
もし興味を持っていただけるようでしたらご覧ください。
日本の市区町村人口推移グラフ(1920~2015現境域組替)

同上・日本地図

レスポンスやデザインなどで見づらい点もあると思いますが、何かのお役にたてれば幸いです。
ご意見・ご感想などございましたらレスをいただければと思います(今後の参考といたします。)

なお先日2010.10.2~2015.10.1までの境界変更における人口異動明細をサイト管理人(グリグリ)様宛
メールでご提供させていただいたのですが、ご希望の方が別途いらっしゃればエクセルファイルを
提供しますので(可能であれば当方宛メールにて)お知らせください。
[86751] 2014年 12月 5日(金)18:31:21ekinenpyou さん
Re4:市区町村変遷履歴情報の更新について
[86677][86724]
むっくん様・グリグリ様

色々とご教示いただきましてありがとうございます。

少し内容が重複しますが、[86677]にて例示していただいた市制町村制施行以降の(C)(D)年代の廃置分合に関する
官報の広告・告示についてはこちらのような経過をたどっている影響か都道府県告示などと比べてみると
掲載されていないものや齟齬があるものもかなりありますね。

なお、S12の春木町の新設についてですがこれは官報の誤植(右下部正誤参照)でした。
(確認漏れで気が付かず失礼しました、これを探すのに手間取り、リプライが遅れてしまい恐れ入ります)

上記のような懸念点があったため、当初は訂正リストをまず提示してから指摘事項の有無を確認し、
その後修正を行っていただくという段取りも提案させていただいていたのですが、今回は修正が先になりました。
結果として指摘はごく少数に留まりましたが、都道府県告示などと比較チェックできた部分はあまり多くないと思われるので、
この他にも若干修正すべきでないものを変えてしまったものがあるかもしれませんね。
当然ですが、[86724]の再修正については適切で支障はありません。

本件に関心のある方はあまりいらっしゃらないと思いますので、質疑応答は以上で完了とさせていただきます。
以降、掲示板の都度確認は行いませんが、廃置分合関連などで気になる点がございましたら、
メール(Twitter)などで当方宛へお問い合わせいただければ、分かる範囲で回答致します。

短い間ではありましたが、ありがとうございました。
[86631] 2014年 11月 7日(金)08:07:55ekinenpyou さん
Re:市区町村変遷履歴情報の更新について
こちらでの書き込みは初めてになりますが、市区町村変遷履歴情報訂正リストの提供者です。

[86602] [86617] グリグリ様

修正内容を確認いたしました、特に問題はございません。
お忙しい中、ご対応いただき誠にありがとうございました。

なお、法的根拠のやや乏しい部分に関しては不確定要素があるため
いましばらくの間は関連するご意見などが無いかどうか、掲示板の方を確認させていただきます。

この間、訂正内容などに関する疑問・不明点があるようでしたら、当方でも回答を行います。
(初心者ゆえ、あまり詳しくないのでわかる範囲での回答となりますが・・・)

以上、短い間ではありますが、よろしくお願いいたします。


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