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ニジェガロージェッツさんの記事が100件見つかりました

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[61826]2007年10月11日
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[49911]2006年3月18日
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[49847]2006年3月14日
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[49035]2006年2月7日
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[47900]2006年1月3日
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[47731]2005年12月30日
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[46825]2005年11月23日
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[44941]2005年9月17日
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[44857]2005年9月13日
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[44554]2005年8月30日
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[44482]2005年8月25日
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[44391]2005年8月21日
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[44198]2005年8月16日
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[44154]2005年8月15日
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[44146]2005年8月14日
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[43959]2005年8月8日
ニジェガロージェッツ
[43448]2005年7月25日
ニジェガロージェッツ
[43167]2005年7月21日
ニジェガロージェッツ
[43161]2005年7月21日
ニジェガロージェッツ
[43143]2005年7月20日
ニジェガロージェッツ
[43133]2005年7月19日
ニジェガロージェッツ
[43020]2005年7月15日
ニジェガロージェッツ

[61826] 2007年 10月 11日(木)03:12:01【2】ニジェガロージェッツ さん
スルーできませんでした
私は今回の一連の[61343]に始まる日本人人口の件で、初めて日本人さん、ドラえもんさんご両名とレスを交わしましたが、こちらがきちんと伝えたいことがまともに伝わらず、特にドラえもんさんには妙なところだけ変な形で引用されレスを付けられ戸惑いました。
いちいち反論するのも大人気ないこととスルーするつもりでおりましたが、やはり伝えておくべきだと考え、以下に記します。

[61501] ドラえもん さん
しかし、ニジェガロージェッツ さんは、「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」と書きながら、
日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人
を書かれているので、

この部分、文面からは私ニジェが「有効数字千人まで」としているところを、1人単位の数字まで書いているのに首を傾げているかのような印象を受けます。
ですが、「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」としているのは、[61343]に引用した2006年10月1日現在の推計人口であり、
「日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人」
としたのは、[61459]に引用した2005年10月1日現在の国勢調査人口に基づいての計算です。
まったく違うデータに関する備考をひっつけて、コメントするのは論外です。

そして、更に
このニジェガロージェッツ さんの算出された人口(国内)と自分の算出した、人口(国内)を比較してみると、約100万人の差が出来てしまいます。
と続きましたから、結局はドラえもんさんはご自身の導き出したデータと、[61459]にて私が導き出した126,206,595人との差についての謎を言いたかったことと読み取れます。
この謎については[61510]中島悟さんが的確にフォローしてくださったので、ここでは「謎の解明」を繰り返しませんが、この一件を見ても、また他の皆様へのレスを見ても、ドラえもんさんは他人の書いた記事の意味が理解出来ておらず、そのうえ、記事の引用の仕方も理解していないのではないかと感じました。

ですが、ドラえもんさんはまだ若年でおられることから、これからいろいろな事を学び経験していく中で、数年の時間は掛かるかもしれませんが、これらの間違いや行き違いはご成長とともに解消していくものと思われます。
ですから、他の皆様からのアドバイスにもあるように、レスを急がず、ドラえもんさんに対して書かれた記事をよく読んで理解をする習慣をつけていただきい。そして理解が出来ないのならば、記事のどの部分が分からないのかを率直に尋ねられると良いかと思います。


[61486] 2007 年 10 月 3 日 (水) 11:05:02 YSK さん
先ごろ、個人的に悲しい出来事がありまして、気持ちを察しますとかなりつらい気持ちになってしまいます・・・。今はゆっくりと休まれ、いつかまた復帰していただけることを願って止みません・・・。
大変お気の毒な内容ですが、どなた様のことをおっしゃっているのか分かりませんでした。
書き込みの時間も普通の社会人であれば勤務時間内のことでもあり、よほどの緊急事で、また「落書き帳」に書かれるからには、ここのメンバーなり関係者のことかとも思いましたが、どうやら「落書き帳」とは無関係の芸能界の方のようですね。
書き込みをするのであれば、何ゆえ誰のことかを明記されなかったのでしょうか。
誰のことかを触れたくないのであれば、そもそも書き込みをされる必要があったのでしょうか。
その一方で、[61822]らるふさんへのメッセージは「落書き帳」には投稿されず、[61825]にて言葉を濁したうえでご自身の掲示板へ誘導しようとなされる、私には理解が出来ません。
「落書き帳」に書けない内容ならば、また、メールでしか伝えられないような内容ならば、一層のこと何も書かないという選択は出来なかったのでしょうか。
ここでは「申し訳ありませんでした」としながらも、「場外」で自己弁明に終始するのは傍目に見ているだけで不愉快になります。
[61561] 2007年 10月 7日(日)19:50:12ニジェガロージェッツ さん
再決着
[61556] Issie さん
ドラえもんさん が「決着がついていない」と感じているなら,それはそれで悪いことだとは思いませんよ。

確かに、おっしゃる通りです。
ただ、例えば[61535]について、人口数についての問題だけであれば、その数値だけを書いて、出典へのリンクを添えておけばそれで済む事です。
ですが、[61535]を書くに当たっては数値そのものよりも、その数値の導き方(つまりネットでの見つけ方)と、その数値の背景(どのような性質の数値か。外務省はどうやって調査したか)に重点を置いて、ややしつこいほどの説明させていただいたつもりです。
それを、ドラえもんさんは[61537]にて、全体の数値にのみコメントなされ、さらに[61547]にて「まだ決着がついていない」とこられましたから、私としては、大人げないのですが、「いったい何が?」と感じた次第です。

ドラえもんさんへ
拙稿[61555]を受けて、訂正機能を利用して貴稿[61547]の引用部分
(まだ決着はついていないようですけど。)
を削除された上で、私へのレスを書かれておられますが、このような記事の訂正は混乱を招く恐れがあります。この場合には、Issieさんへのレスも含め、新たな記事として投稿されることをおすすめします。
なお、書き足された拙稿[61555]に対してのレスの趣旨については、了解です。
時間は掛かってもかまいませんから、急がずに、これからも頑張ってください。
[61555] 2007年 10月 7日(日)18:36:18ニジェガロージェッツ さん
まだ何か不足ですか?
[61547] ドラえもん さん
(まだ決着はついていないようですけど。)

これは人口についての話について言っていますか?
私としては、日本在住の外国人の人口については[61478]にて、海外在住の日本人人口および内外日本人総人口については[61535]にて決着をつけたつもりですが、「まだ決着がついていない」とは何についての決着がついていないのでしょうか。

それとも[61478][61535]については、大半の落書き帳のメンバーにはわかりきっていると思われる事を、できるだけ丁寧に述べたつもりですが、それでもご理解いただけないと解釈してよろしいでしょうか。

私としては、この件、これ以上の書き込みをする意志はありませんので、ご自身のご納得いく形で、ご決着をつけて頂ければと思います。
[61535] 2007年 10月 6日(土)22:26:35【1】ニジェガロージェッツ さん
内外日本人総人口
[61501] ドラえもん さん
外国在住の日本人の人口について、だいたいの結果が出たようですね。データの収集お疲れ様でした。
[61510] 中島悟 さん
適切なフォロー有難うございました。お手数をおかけしました。

小生からもこの辺りで、この件を「総括」と言うほど大袈裟ではありませんが、おさらいしておきたく存じます。

元々は拙稿[61343]に引用した「日本人人口」について、総務省統計局から公表されている平成18年10月1日現在推計人口のうち、日本人人口男女計総数 126,154千人をそのまま引用したことから、果たしてこの数値に外国に住んでいる日本人は含まれているのかどうかという疑問をドラえもんさんが持たれたことに始まりました。
そもそも「日本人人口」と言うからには、日本人は日本国内にのみ住んでいる訳ではなく、外国にも数多く住む日本人を含まないデータでは不正確ではないかと言うことでしょう。
地理好きであるならば当然の疑問で、ドラえもんさんの問いかけには敬意を表します。

で、確かにその通りなんですが、小生は[61343]を書くに当たって、それぞれの数値(人口)は一つの出典からのみのデータにしようと決めていました。
これは、国内のみを対象とした平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口と、外務省が各国に配置している大使館や領事館を通じて把握している在外邦人の人口数という、全く性質が異なると思われる2つのデータを合計したところで、これまた正確なデータとはいえないとの判断からでした。
*(本稿の最後に、この判断を覆します)

[61441] ドラえもん さん
その人口調査には日本人人口は外国にいる日本人の人口は含まれているんですか?
この人口調査は平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口ですから、外国にいる日本人の人口は含まれていません。
但し海外滞在期間が90日以内の出入国者は、外国に居る者とは見なさずに日本に常住していると見なされ、仮にその調査時点で外国に居住していても、日本国内の人口としてカウントされています。

このように、国内の日本人人口は前出の2005年10月1日現在のものは「平成17年国勢調査」、2006年10月1日現在のものは「平成18年10月1日現在推計人口」に出ています。但し平成17年国勢調査の日本人人口には[61459]にも書きましたが、年齢不詳人口が含まれていません。

では、外国に住む日本人の人口のデータはどこにあるのか。
[61501]にてドラえもんさんは外務省の平成12年の海外在留邦人数調査統計に行き着き、既にお気づきとは思いますが、外務省にデータがあります。

海外に3ヵ月以上滞在する場合は、その国にある日本外務省の出先機関である大使館や領事館に在留届を提出する義務があります。小生もロシアのニジニノヴゴロド市に住んでいたときは、そこを管轄するモスクワの在ロシア大使館に在留届を提出しておりました。
もちろん、在留届の存在を知らなかったり、届出を怠る人もいるでしょう。その人の場合は外務省の認知外のこととなってしまい、その国にその人が住んでいることは知られませんから、原則的には滞在者人口のデータには上がらないことでしょうが、外務省では調査に際して
在留届を提出していない邦人もいるので、日系進出企業、日本人会、邦人研究者・留学生が在籍する大学、研究機関、各種学校に調査票を配布し、協力を求めた。
とあり、世界各地に在留する邦人の実態について大部分を把握したと考えられています。

そのようにして推計された海外の日本人人口は、
外務省のHPから、
→「渡航関連情報」→「統計」→「海外在留邦人数統計」を辿って詳細なデータを入手することが出来ます。
それによると今現在の最新のデータは、2006年10月1日のデータで、
3ヵ月以上の長期滞在 735,378人、永住 328,317人、合計 1,063,695人と出ています。

さて、この 1,063,695人というデータは
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)3ヵ月以上の長期滞在と永住者のもので、3ヵ月未満の短期滞在者は含まれていない

ということは、日本国内の日本人人口として[61343]にて引用した 126,154,000人というデータも
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)海外滞在期間が90日以内の短期出入国者は、日本国内の人口

ですから、この2つのデータはその趣旨は全く異なるものの、性質としては概ね一致しており、この2つを合計してもそれほどの不都合があるようには感じられません。

ゆえに、2006年10月1日現在の内外日本人総人口は、推計人口の有効数字千人に合わせて、
国内 126,154千 + 海外 1,064千 = 127,218千人 と推測されます。


蛇足ですが、[61459]にて総務省統計局の概要を引用したように、日本の人口は
総人口は1億2777万人となっており,前年に比べ2千人(0.00%)の増加
日本人人口は1億2615万4千人で,前年に比べ5万1千人減少
とあることから、この1年前の2005年10月1日現在の内外日本人総人口は
国内 126,205千 + 海外 1,013千 = 127,218千人 と推測されます。

ということは、日本は2005年に人口減少社会に突入したと言われていますが、実際には2006年10月までの1年間では
・日本国の総人口は(国内日本人の減少があるものの外国人の増加により)2千人の増加
・内外日本人人口総数は(国内日本人の減少と海外在留者の増加が相殺され)±0
であると、ニジェ的には推測します。
[61483] 2007年 10月 3日(水)02:15:38【1】ニジェガロージェッツ さん
レス2題
[61467] 日本人 さん
外国人を含めたやつなので、日本人とは言えない人も入っているから認めていないわけですね。
どうも、解釈がずれています。
また、「外国人を含めたやつ」とか「日本人とは言えない人」という表現を外国の人が見ると、本当に気分を害されますよ。

私の言いたかったことは、[61442]Pachiさんが簡潔に仰っておられますが
統計としての性質が違うのに、軽軽しく100万人も人口が減っていますという事は宜しくないのです。
ということです。

本稿に対するレスは同じことの繰り返しになりますから、無用に願います。


[61456] ペーロケ さん
京津: 228,000 「京阪京津線」等
京津については、北京-天津を意味する場合が多い(昔は「平津 =北平-天津」の方が通りが良いかも)ですから、[61471]MasAkaさんに倣って、除外しておいた方が良いでしょう。
北京と天津を「含めない」キーワードに入れて検索すると、73,200件に激減しました。
[61478] 2007年 10月 3日(水)01:21:41ニジェガロージェッツ さん
外国人人口
[61468] ドラえもん さん
最新資料では197万人(2004年)だったので、今現在なら200万人を超えているかな?それと、ニジェガロージェッツ さんの人口とはかなりのずれが有るようですが、これは何故でしょう??

[61448]中島悟さんのアドバイスもあり、ドラえもんさんご自身でデータの収集にチャレンジされておられ、結果が出つつあります。それに横槍を入れる意図はありませんが、元々は拙稿[61437]へのレスに始まったこともあり、この点だけはフォローしておきます。
この人口データのずれは、趣旨の異なるデータを比べてはいけないことの好例でもありますから。

まず、[61468]にもリンクが出されている、外国人登録者数の推移の資料として、法務省「外国人登録者統計」と、出典が明記されていることに留意ください。
(外国人の出入国を管理しているのは、法務省入国管理局です)
法務省のHPの左欄のメニューに「白書・統計」があり、それを辿ると、
「出入国管理関係」→「関連統計」→「外国人登録者統計について」
があり、「平成18年末現在における外国人登録者統計について」と題されたファイルが閲覧できます。
平成18年末現在の外国人登録者数は 2,084,919人とのデータがあります。

一方、拙稿[61459]にも引用した、平成17年国勢調査における外国人人口は 1,555,505人です。
法務省入国管理局のデータで、この国勢調査に時期的に一番近いものは、平成17年末現在の外国人登録者数で 2,011,555人ですが、45万人ほどの開きがあります。

この差については、国勢調査の対象にあります。
国勢調査の対象としては、白桃さんの[58656]にもご紹介されているように、
平成17年国勢調査は,調査時において,本邦内に常住している者について行った。ここで「常住している者」とは,当該住居に3か月以上にわたって住んでいるか,又は住むことになっている者
詳しくはこのページに書かれていますが、3か月以内の短期滞在の外国人は調査の対象になっていないということです。
また、外国の領事機関の構成員や在日米軍兵士やその家族も調査から外されています。
この国勢調査を元に算出される推計人口においても、国内滞在期間90日以内の外国人は除かれています。

このように、外国人の出入国を管理している法務省入国管理局のデータと、統計目的の国勢調査や人口推計におけるデータとでは、その目的も算出方法も異なっています。
ご参考まで。
[61459] 2007年 10月 2日(火)02:40:36【1】ニジェガロージェッツ さん
日本人人口の減少数
[61440] hmt さん
[61442][61445] Pachi さん
[61451] Issie さん
適切なフォロー有難うございます。

元々は拙稿[61343]の、「ニックネームの人口圧力」と名付けた「おふざけ」ネタでしたが、そこに日本人の人口データと、その備考として「日本人人口(有効数字千人まで)」と書いたのが誤解の元でした。
備考欄には、もう少し丁寧に「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」と書いておけば、日本国総人口と日本人人口の違いが誰にでも判り、今回の百万人人口減という、とんでもない明らかに間違ったレスはつかなかったと思います。
出典を明記していた上、元々がちょっとした「おふざけ」のつもりの投稿であったために、小生の油断が生じた格好になり、その点は反省しております。

日本人さんの[61366]にて、百万人減ったというレスを見たとき、その間違いの性質は日本国総人口との混同によるものであるとの想像はついていました。
ですが、勝手に決め付けてしまうのも如何なものかとも考え、[61426]にて比較の対象となったデータの提示を求めたのですが、その間違いに気づかず[61435]にて堂々と切り返してこられましたので、[61437]の書き込みに至った次第です。

[61451] Issie さん
統計データは,ときどき人をだまします。…というよりも,統計データを利用する側がそのデータの性質をきちんと理解していないと,だまされてしまいます。

誠に的を射た、見事なご指摘です。

Issieさんと違い、小生はこの分野には学識がなく、単に趣味の範囲で人口統計を眺めているだけのことですが、できる限り複数の統計を入手し、その違いから統計の性質に注意するようにしています。

日本国総人口と、日本国内の日本人人口、外国人人口を収録した平成17年国勢調査の諸統計書では、
総人口は「第1表」「第3表」によれば 127,767,994人ですが、「第4表」では 127,285,653人となっています。
その差 482,341人。
しかし「第3表」を最後まで見ていると、年齢不詳人口として、この 482,341人が出ており、これで一つの謎が解決します。

さて、「第3表」によれば日本人人口は 125,730,148人。
「第37表」によれば外国人人口は 1,555,505人。
総人口=日本人人口+外国人人口、と思いきや、125,730,148+1,555,505=127,285,653人。
あれれ・・・、482,341人、少ない!
何のことはない、総人口=日本人人口+外国人人口+年齢不詳人口 だと判ります。

なお、利用上の注意によれば、
「年齢不詳」については,第1表,第2表及び第3表においては集計対象とし,他の表においては集計から除外した。
とあり、「謎の種明かし」がされています。

このように、「第3表」日本人と「第37表」外国人には、年齢不詳人口は含まれていませんから、不詳人口は日本人と外国人の割合で便宜上按分しましょう。そうすると、
日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人
外国人人口=1,555,505+482,341×1,555,505÷127,285,653=1,561,399人

ここまで下準備をした上で、拙稿[61343][61437]に提示した、平成18年10月1日の
総人口127,770千人と、日本人人口126,154千人
とを有効数字に合わせて比較してみましょう。
平成17年10月1日から平成18年10月1日までの人口増減は、
総人口 127,770千-127,768千=+2千人
日本人 126,154千-126,207千=-53千人

これで、すこし誤差は生じましたが、平成18年10月1日現在推計人口―概要にある、
総人口は1億2777万人となっており,前年に比べ2千人(0.00%)の増加
日本人人口は1億2615万4千人で,前年に比べ5万1千人減少
におおよそ符号します。

なお、これら統計書における「日本人」の定義は、「日本国籍を有する者」です。
ですから、大相撲で「モンゴル人力士」と総称されていても、日本国籍を取得している旭天鵬関は日本人であり、取得していない朝青龍関は外国人(モンゴル人)になります。
[61437] 2007年 10月 1日(月)09:58:14【1】ニジェガロージェッツ さん
データの取り扱いには、くれぐれもご注意下さい
[61435] 日本人 さん
データの取り扱いには、ご注意下さい。データの、それも増減の比較には、同じ趣旨で集計されたものを比較しないと、意味はありません。

2005年10月1日に実施した国勢調査(確定値)で,前年度から2万2000人割り込み、1億2776万人となりました。

それは日本の総人口です。
私が[61343]に提示したのは、日本の人口のうちの日本人の人口。当たり前のことですが日本には日本人だけが住んでいるわけではありません。
[61343]には、出典として総務省統計局による平成18年10月1日現在推計人口をリンクしておいたのですが、それをご覧になりましたか。
エクセルを装備していないPCでは閲覧できないので、その場合は仕方ありませんが、総人口127,770千人と、日本人人口126,154千人が併記されています。

安易に国勢調査における日本の総人口と、推計人口の日本人人口とを比べて
100万人以上減ってますね。
などと結論付けるのは、おやめ下さい!!!
[61426] 2007年 9月 30日(日)22:27:03【1】ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮
[61291] かぱぷう さん
福岡オフ会の幹事役、ご苦労さまです。まだひと月あまり先ですが、今からオフ会が楽しみです。メーリングリストで参加予定者を拝見していると、二年前の神戸オフ会にご参加くださった皆様が多く、嬉しい限りです。
「福博」についてのレス、有難うございます。
福岡と博多が合体した様子が良く分かる明治43年の福岡市地図を発見しました。この地図を見ていると、商人の街「博多」と、武家の街「福岡」の違いの名残がまだ残っていたように感じます。

これには爆笑しました!
爆笑していただいて、光栄です(爆)


[61366] 日本人 さん
2番目に多いのですね。
確かに一番は「地球人さん」に掛かる地球人人口ですが、「自分は地球人である」と意識して暮らしている人は少ないと思います。
一方、「自分は日本人である」との帰属意識を持ち、またそれを誇りにしている人は大勢おられ、そういう意味で「日本人さん」は「一番重いニックネーム」を背負っていることを肝に銘じて頂ければと思います。

私は短いとはいえ海外での在住経験があり、日本人であることを常に意識しておりました。
ですから、「日本人さん」がこの落書き帳で粗末な書き込みをされて、指摘を受けて謝罪を繰り返すのを見せられるのは、そのニックネームに対しても決して愉快なものではありません。
素直に謝罪するのは大変良いことですが、謝罪を必要とされるような書き込みは、投稿の際にご一考いただければと願います。

年の人口最高の時から1000000人も減ってしまったのですね
日本人の人口が百万人も減っているのですか!
比較の基になったデータの提示を、以下の観点から願います。
1)「年の人口最高の時」とは何年の何月のデータですか?
2)データの出所(出典)は何ですか?

この落書き帳は、ちょっとしたデータベースにもなっていると思います。
雑レスとはいえ、「落書き帳」を通じて意味不明のデータが発信されるのは看過できません。


[61370] スピカ さん
スピカ おそらく0 第12回国星調査? 全域が不可住地
いやぁ、これは完全に小生の見落としでした。一本とられました(笑)
[61363] 2007年 9月 29日(土)00:41:16ニジェガロージェッツ さん
「京」の意味する街は
[61297] 伊豆之国 さん
ところで関西在住・出身の皆さんにお伺いしたいのですが、

関西在住の皆様から、主に京都・奈良両都市の結びつきからの諸レスが続き、納得のいく説明がなされていると感じます。
同じ意見を繰り返しても面白みがないので、皆さんに続き「京奈」と言う呼称が定着していない現状について、別の側面からふと思いついたことがあります。
(ニックネームは遠くに置いていますが、一応、小生もどっぷり関西在住・出身なので)

一般に関西で「京」といえば即ち京都を指しますが、京都=平安京よりも古い歴史のある平城京を持つ奈良の人々にとって、「京」の文字が自分達の街を指すという意識は考えられないでしょうか。
三文字で「京阪奈」「京奈和」となれば(どちらも比較的新しい呼び名だと感じますが)、府県名の連名ということで奈良の人々にも受け入れられるとしても、京都との一対一で「京奈」と略されると、ちょっと心中穏やかではないところがあるのではないかとも感じます。

いずれも小生の雑感でしかありませんが、奈良に生まれ育った人は「京」の一字について何を連想するのかが気になるところです。
[61343] 2007年 9月 27日(木)23:44:27【1】ニジェガロージェッツ さん
ニックネームに掛かる人口圧力
落書き帳にメンバー登録されているニックネームに関しては、それぞれ色々な想い入れもあることと存じますが、今回は人口データから視点を当ててみたく思います。
2007年9月27日現在、登録208名のなかで、そのニックネームに関連して人口データが算出できそうなメンバーが、ざっと見たところ小生を含め約10名おられます。
人口が多いほど「大それたニックネーム」ということで、その「人口数を代表しての書き込みを心掛ける」ことを肝に銘じて・・・。(笑)

ニックネーム人口データの日付備考など
地球人さん6,628,429,9312007.09.27米国勢調査局、国連統計のデータから推計 出典
日本人さん126,154,0002006.10.01日本人人口(有効数字千人まで) 出典
花の東京都民さん12,787,9712007.09.01東京都推計人口 出典
ニジェガロージェッツ1,600,6092002.10.09露・ニジニノヴゴロド州の男性人口 出典
佐賀県さん859,0102007.08.01佐賀県推計人口 出典
ハンブルガーさん824,6861999独・ハンブルク市の男性人口 出典
伊豆之国さん426,1492007.09.01静岡県伊豆半島5市5町および三島市、函南町人口合計 出典
葵区さん262,7742007.08.31静岡市葵区住民基本台帳+外国人登録人口 出典
JOUTOUさん223,0562007.09.01東京都江東区のうち、旧城東区域の住民基本台帳人口 出典
太白さん220,7622007.09.01仙台市太白区推計人口 出典

各メンバーのニックネーム由来については精通しておらず、まだ漏れがあるかもしれません。その他、以下、ご容赦の程。

1)「ハンブルガー」さんに関しては、小生ドイツ語は分からないのですが、名詞に男女の区別があったと記憶しています。ニックネームは男性名詞と勝手に推測して男性人口のみのデータを探し、古い国連のデータにてお茶を濁しました。
なお、ハンブルク市の人口は2005年12月31日現在1,743,627人のデータがあります。 出典

2)「伊豆之国」さんについては「伊豆の国市」が存在しますが、ニックネームに敢えて「之」の字を充てておられることから、狭義の「伊豆の国市」ではなく、「伊豆国」のことと勝手ながら推察させていただきました。その「伊豆国」の範囲には、旧戸田村など現在の沼津市域を含みますが、人口データには沼津市域の人口を含んでいません。

3)12,787,971東京都民の中には、東京都に住んでいることを「花」だと思っていない人が居るかも知れません。

4)「足利人@伊勢原市民」さんについては、神奈川県伊勢原市民100,723人(2007.09.01 出典)のうち、栃木県足利市出身者の人口が該当するのでしょうか。さすがに公表外データのようで・・・

5)「三丁目」さんについては、全国津々浦々に存在する三丁目の人口を漏れなく摘出し、総合計することで人口データの算出は理論上可能ですが、どうかご容赦の程・・・・。
[61223] 2007年 9月 19日(水)16:59:02ニジェガロージェッツ さん
オフ会に行きたい^2
[61211] 2007 年 9 月 18 日 (火) 04:08:25 かぱぷう さん

ホークスが日本シリーズに出場した場合、タイガースほどではないにせよ「のぼせもん」が福博の街で大騒ぎすることが目に見えてます
福岡オフ会の幹事役ご苦労さまです。
「のぼせもん」とか「福博」とか、初めて目にする言葉が新鮮です。
こちら神戸でも「兵神」という言葉があるにはありますが、今では一部の企業名以外では完全に死語になっており、「福博」という言葉が生きている福岡・博多の歴史を感じます。

タイガース優勝には、大阪・道頓堀川への飛び込みが、恥ずかしいことですが恒例になってしまいました。福岡でも同様の「飛び込み」が発生するのでしょうか。ですが、福博の川底には投げ捨てられた使いきりのクラウンライターが堆積しているでしょうから、そのような所へ飛び込むのはいかがなものかと。

とはいえ、今から福博行きが楽しみです。
[61095] 2007年 9月 8日(土)22:19:47ニジェガロージェッツ さん
茨田
取り急ぎの事実関係のみ確認にて失礼します。

[61094] 伊豆之国 さん
この「茨田」は、「まつだ」と読むそうですが、
関西では比較的よく聞く地名ですが、読みは「まった」です。
[61016] 2007年 9月 3日(月)02:30:56ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮
数ヶ月前の記事へのレスもありますが、いつもながらの亀レス、まとめレスにて恐縮です。

[58258] 2007 年 5 月 3 日 (木) 00:11:22【2】 いっちゃん さん
中でもこれは感動モノです。70~80年代にそれなりの年齢だった関西人(関西系?)には堪りません
小生の名まで挙げていただいておきながら、反応出来ずにおりました。
自称「浪速のモーツァルト」ことキダ・タロー氏作曲のメドレーですが、キダ氏は今でも関西のメディアでは露出度が高く、ときどき曲を聞かされるので、特に「懐かしい」というよりは、「また相変わらず・・」というのが率直な感想でした。
70~80年代に関西に住み、その後関西を離れた方々には、確かに懐かしさがこみ上げてくるメドレーだとは思います。


[59382] 2007 年 6 月 23 日 (土) 22:26:22 雪の字 さん
ありました!「志の田うどん」が。それとは別に「きつねうどん」もありました。
(中略) 「きつね」と「しのだ」は、別物のようです。
[54256]むっくんさんのお話から、名古屋では「しのだ」はお揚げを短冊状に切って具にした饂飩、「きつね」はお揚げが一枚ものの状態で具にした饂飩のようですね。
ただ、
「このあたりは東西の中間という感じだから、店によっても差が激しいよ。二、三件のお店を見て、わかったような事を書いちゃダメだよ」
というご忠告からすると、これもお店によりけりでしょうか。(笑)
出汁の濃い淡いを含めて、名古屋では当たり外れが多いと覚悟しておかなければなりませんね。


[59578] 2007 年 7 月 1 日 (日) 22:49:53 小松原ラガー さん
北側を呼ぶ時には・・・恐らく「大池」、「唐櫃」、「花山」など、もっと細かい地名を使っているケースが多く、意外と「裏六甲」という言葉は使っていない状況です。
学生時代は六甲山系のハイキングを趣味としていて、いちいち距離を計算して付けていたのですが、二度の六甲全山縦走大会への参加を含めて4年間(昭和56~60年)の合計で1100kmほど六甲山系を歩きました。そういう経験から「裏六甲」という言葉についてですが、神戸電鉄沿線の住宅地には用いられていないと感じております。ですが、もちろん「死語」になっているとも思いません。
拙稿[42057]にも書きましたが、あくまで六甲山域(登山道関係や自動車道など)に限る、「六甲山脈の北斜面」としての意味合いのみです。
もちろん「表六甲」も同じで、山域のみの範囲で「六甲山脈の南斜面」との意味で、神戸旧市街地を表す言葉ではありません。
小生らは六甲山域を3分割して、「表六甲」「六甲山上」「裏六甲」と区分していました。あまり六甲登山に縁のない他人に説明する際には、「表六甲の油コブシ山」」とか「六甲山上の三国池」とか「裏六甲の地獄谷」といった具合に話をしていました。


[60913] 2007 年 8 月 30 日 (木) 10:06:43 稚拙 さん
ああ、「あのころの未来」っていうのは、そういうことなんだな、とわかりました。
「あのころの未来」ですか。確かに、あのころ(小生が中学生だった当時)から見た未来ですね。
しかし、そういうロマンチックな言葉は思い浮かびませんでした。稚拙さんのセンスに一本取られた感じです。


[58685] 2007 年 5 月 26 日 (土) 23:45:19 白桃 さん
[59385] 2007 年 6 月 23 日 (土) 23:55:08【1】 hmt さん
古い拙稿を思い出していただき感激しております。有難うございました。
今の小生は「書くことすべて書き尽くし」賞味期限の切れた状態を自覚しておりますが、当時はいろいろ変わったことを書いておりました。お恥ずかしい限りです。


[60942] 2007 年 8 月 31 日 (金) 20:30:39【1】 inakanomozart さん
そのほか街区符号の“渡辺”(久太郎町四丁目)とか“A・B・C”(上町)など、原則に必ずしもとらわれない大阪市の住居表示制度に対する柔軟な対応には、感心させられます。
確かに「渡辺」はユニークな回答と思います。
ですが、[7379]てへへさんの記事にもあり、まがみさんにはオフで地図を見せて教えてもらったのですが、同じ大阪市の鶴見区の焼野1丁目焼野2丁目浜5丁目諸口5丁目の街区番号の付け方は柔軟というより、奇怪です。
大阪市はどちらかと言えば、新住居表示実施に際して従来の町名を無視し、バッサリと纏めてしまったという印象があります。
神戸市は東灘区では随分派手にやりましたが(拙稿[15018]に関連記事)、旧市街地の他の区では、旧町名を出来るだけ尊重した形で柔軟に新住居表示を実施しています。


[60856] 2007 年 8 月 28 日 (火) 02:11:04 ペーロケ さん
最近は「過去ログにあることを書き込んではいけない」等、いい意味でも悪い意味でも敷居が高くなったような気がして
それは少し違うと思います。
過去ログにあることでも、別の視点からの書き込みであれば、大いに書いても良いのではないでしょうか。古い記事の投稿時点と今ではメンバーも違っていますから、全く新しい視点や別の解釈からの議論の展開も望めるかも知れません。
ただし、同じ話題であれば、過去にどのような記事のやり取りがあったかは「記事検索」で調べた上で、記事番号のリンクは最低限のマナーだと思います。その点、hmtさんなどの記事には過去ログへのタイトルまでつけてリンクしておられ、いつも感心させられます。

何につけても、書き込む場合には6万記事に及ぶ過去ログの中に「既に述べられている」と考えた方が良いと思います。最低限、キーワードとなる語句ぐらいは記事検索すべきと考えます。
記事検索には時々エラーが出る場合がありますが、うまくいくまで何度も繰り返せば良いだけのことで、記事の書き込みを急ぐ必要などはどこにも無いと思います。


[61001] 2007 年 9 月 2 日 (日) 19:12:00 グリグリ さん
第二回神戸開催でも地元のニジェガロージェッツさんに献身的な準備作業を行っていただきました。
いや、こればかりは、小生だけのことではありません。ご参加いただいた皆様のお力添えのお蔭です。第四回オフ会の成功を祈ります。


横レスになりますが、一言だけ。
[60971] 2007 年 9 月 2 日 (日) 01:17:21【1】 ペーロケ さん
そう、台湾を忘れていたんですよね。。。
台湾を忘れられると、「蛍の光」の4番が、歌えない。
[60910] 2007年 8月 30日(木)02:01:09【3】ニジェガロージェッツ さん
新住居表示実施前の大阪
いつもながら、レスが遅くなり申し訳ございません。

[60830] inakanomozart さん
また、大阪城の西に広がる東西の道沿いにつけられた町(道修町、平屋町など)も、現在の地図でみるかぎり、たしかに丁目区分は、3筋目ごとで250mほどになっていますね。
現在この辺りでは新住居表示が実施され(拙稿[7175]に関連記述あり)、以前は東区であったこのあたりの町丁目割がそれ以前のものとは違っているため、古い地図を見る必要があります。
小生の手元に昭和13年9月和樂路屋発行の「最新大大阪市街地圖」、および昭和48年1月昭文社発行の「エアリアマップ大阪区分地図」があります。昭和48年の地図も東区は新住居表示実施前で、拙稿[60826]もこれらの地図を計って書き込みしました。
東区については両地図に丁目区分の変化は無く、東横堀川の東(糸屋町、内本町、両替町など)では2筋ごとの丁目割で2丁目まで、東横堀川の西(道修町、平野町など)では1,3,4,5丁目は2筋ごとに、2丁目のみ3筋で丁目割が為されていました。なお、東横堀川は中央大通り(町名で言えば「船場中央」、但し昭和13年の地図では中央大通り開通前で「船場中央」という町名は存在せず)以南では1筋分東にずれており、唐物町より南の各町では1丁目が3筋分の長さになっています。つまり、
1丁目は東横堀川から堺筋の1つ東の筋まで。
2丁目は堺筋を跨ぎ、その1つ東の筋から2つ西の筋まで。
3丁目は堺筋の2つ西の筋から、堺筋の4つ西の筋まで。
4丁目は堺筋の4つ西の筋(=御堂筋の2つ東の筋)から御堂筋まで。
5丁目は御堂筋以西。但し西区との境界のブロックは南北に続く「横堀1~6丁目」という別の町。
となります。

なお、現在の新住居表示による町丁目割では、東横堀川の東では以前の町丁目割をおおよそ踏襲していますが、東横堀川の西ではinakanomozartさんの仰る様に、3筋ごとに改変されています。
地図を見れば東横堀川の西の丁目割を改変した理由として、
1丁目は東横堀川と堺筋の間とし、3筋(南本町以南は4筋)分に。
2・3丁目は堺筋と御堂筋の間の6筋分を2等分し、3筋ごとにする。
4丁目は御堂筋以西、西区との境界までとし、「横堀」は各町の4丁目に吸収。
と、「機械的」に「わかりやすく」したのでしょう。

この辺りの市街はこの1筋がおおよそ90mおきに通っていますから、長さの単位「町/丁=109.09m」から見れば、ちょっと短めで中途半端です。

[60843] Issie さん
これらの具体的な値は地方や時代によって違いがあるのが普通だと思います。今,私たちが知っている 1町=109.09m という値は,明治になって統一され,しかもメートル法と関連づけた値ですね。
のお話からすると、大阪ではこの90mというのが、昔の「大坂規格」だったのかも知れません。
となれば(推測の話から結論付ける、あくまでも小生の私見ですが)、大阪の丁目は距離の「1町/丁」とは関係なく付けられていると言えるかも知れません。
[60851] 2007年 8月 28日(火)00:34:09【1】ニジェガロージェッツ さん
デッドスペースには枝番を
[60824] ペーロケ さん
レスが一日遅れになり、申し訳ございません。昨夜[60826]を投稿した時点で貴稿[60824]には気付いてはおりましたが、時間と体力切れですでに限界でした。
小生は「落書き帳」レビューから5年を経ましたが、この5年間の流れをひと通り知っており、また最近の疎筆も手伝ってか、書き込みには非常に緊張します。書き込みをせずにROMしているここ数ヶ月の方が「落書き帳」とのお付き合いはずっと楽でした。そういう意味では、新しくメンバーになられた方々のほうが、良い意味でも悪い意味でも思いついたことを気軽に書いているなと感じます。

さて、本題。

ただし、街区方式による住居表示では区画整理された土地ということが必ずしも必要条件ではありませんが、この方式ではある程度区画が整理されていないと、通りに面していない「デットスペース」が発生するため、適用できる範囲はかなり限定されるでしょうが。
「街路方式」による住居表示でも、通りに面していない「デッドスペース」でも、基本的にナンバーを与えることは可能です。
極論になりますが、いかなる通りにも面していない「デッドスペース」になど、建物が存在するでしょうか。仮に建っていても、そこへどのようにして家財道具を運べば良いのでしょうか。
要するに、その建物に至るヒト一人は通れる路地なり通路が当然存在するわけで、その路地なり通路が、街路名を与えられた道路に出るところの番号を、路地なり通路に面する建物の共通番号にしたうえで、枝番を付していけば問題なしと考えます。
具体的に“うち”の近所(←神戸じゃないよ)の「実例」からご説明します。

上記「実例」にリンクした地図を見ていただければ、「デッドスペース」にも建物が建っているのが分かります。具体的には「77а」「83а」「83б」「85а」などです。このナンバーから読むと、「77а」の建物への(地図にも出ていない)通路は「77」の建物の脇にあると分かります。また「83а」「83б」への通路は共に「83」のところに入り口がある筈です。この街では、建物番号に「а(アー)」とか「б(ベー)」「в(ヴェー)」といったアルファビートの枝番を付して住居表示している訳です。
#「77」はパン屋さんでした。お菓子やインスタントラーメンまで売っていて、よく通ったものです。「79」は自動車のパーツ屋さんだったか。たまに道路地図なんか置いてあったり。う~ん、懐かしい。

なお、地図の上の方にある(南側に71~87,北側に54~68が面している)通りは「大ペチョールスカヤ通り」という、長さ1.8kmに及ぶ(一部に市電やバスが走る)大通りです。一方、下を通るのは「ノヴォソルダーツカヤ通り」という、長さ200mほどの「路地」と言ってもよいくらいの小さな通りです。
ですから、もしも「デッドスペース」内部を通る「路地」クラスの通路でも、枝番が数多く付けなければならないほどの棟数の建物が面しているのであれば、独立した「通り名」を付してやれば良いと言うことになります。
拙稿[60766]にて、ニジニの通り数をいちいち数えていったのも、そのあたりの雰囲気を表現したかったからです。

さて、これを日本に適応するとなると、日本の場合は道路と道路の間の路地に面して沢山の建物が建っています。もちろん、このクラスの路地にいちいち「通り名」を付していくのはさすがに論外です。ペーロケさんの仰る「デットスペース」とはこのことでしょう。これには、枝番の付け方に統一したルールを整備していけば、対応できると考えます。巧くいけば、碁盤の目状の街並でも、東西の通りにのみ「通り名」を与え、南北の通りには名を与えず、これに面する建物はすべて枝番で対応するなんてことも可能となり、命名の必要となる通り数の軽減につながることと思います。

神戸市役所:神戸市中央区フラワーロード八幡通上る加納町六丁目
この言い方、名状しがたい違和感があります。(笑)
というのは、「八幡通」という葺合の地名と、「加納町」という神戸の地名が混合しているからです。拙稿[54321]に書いていますが、今では同じ中央区に含まれながらも、元来は葺合と神戸は、その所属郡さえ違う全く別の区画です。
神戸市役所は居留地外に建っていますが、同じ神戸で隣接する居留地の通り名で、その延長が葺合の八幡通に通じる「北町通り」の名を借用し、「神戸市中央区フラワーロード北町通り上る加納町六丁目」とでもすれば、実情に近いと感じます。
[60826] 2007年 8月 27日(月)02:51:31ニジェガロージェッツ さん
丁目について
88さん、Issieさん、inakanomozartさん、拙稿[60790]へのレス、有難うございます。

[60791] 88 さん
「住所と地名の大研究」(今尾恵介著、新潮選書、新潮社、2004年3月20日発行)に、まさしく、そのとおりのことが書かれています。

これはこれは恐縮です。2004年発行とは比較的新しい書籍ですね。今尾氏の書籍は本屋さんで見つけたときには手にとって読むようにしているのですが、ネットに浸かって以来のここ数年は、書店で足を止めることがめっきり減りました。「住所と地名の大研究」は要チェックですね。

[60793] Issie さん
耕地での「条里制」、都城での「条坊制」から「町/丁」についての詳細なご解説ご教示、有難うございます。
「丁目」の元来の意味が、ここまで遡れるとは痛快です。

話は変わりますが、Issieさんのご説明にある、朱雀大路から始まる中国式都城の設計システムをお聞きしていると、福原遷都(1180年)における「和田京計画」を思い出しました。
今の神戸市営地下鉄山手線上沢駅から長田駅辺りにかけてが大内裏に想定され、山陽道を朱雀大路として、南西方向に都城計画がおかれていたそうです。
そうすると左京は五条で妙法寺川河口の須磨海岸に達し海に没し、右京は山谷相交わるという地形によりかなりの制約を受ける都城計画だったそうです。
「平家物語」にも
和田の松原の西の野を点じて、九城(条)の地をわ(割)られける。
一条よりしも(下)五条までは其所あって、五条よりしもはなかりけり
とあるそうです。
朱雀大路の伸びる方向こそ違いますが、和田京の復元図を現在の市街図に落として計ると1条の幅は約600mで、小路以下は不明ですが平安京と同じような構造を考えていたのかも知れません。
(参考文献 「ながたの歴史」、長田区役所、昭和52年3月発行)

[60801] inakanomozart さん
駿府城下における町割りについての具体的な例示とその後の変遷の詳細、興味深く拝読させていただきました。

駿府を例にとると、駿府城の南西面に碁盤の目状につくられた町は、正確に一丁四方(約110メートル四方)の街区でした。
小生の生まれ育った神戸市長田区の南部は碁盤の目状に街路が区切られ、丁目もそれに沿って区切られています。[60790]にて11丁目まである長さ1200mの「若松町」の例を挙げましたが、この一帯は
1200÷11=109.09
となり、正しく「1丁」の長さに一致します。
道を尋ねられた場合の会話にも、「2丁先の角を北へ1丁上がって・・・」という言い方が、言う方も聴く方も何の違和感もなく理解しています。
ところが同じ長田区でも山麓のほうへ行くとそんな尺度は全く通用せず、雅に言えば「和田京」の「左京」から「右京」へ引越し転校したときのことですが「この辺りの丁割りはインチキや!」と子供ながら思っていました。

駿府にかぎらず、江戸時代の人為的に町割れされた城下町の多くは、「字」のようなブロック単位の町ではなく、欧米の都市の住所表示方のごとく、通りに町名がつけられ、丁目は文字どおり一丁ごとだったのではないでしょうか?
江戸期の町割りが、通りに町名がつけられているのはおおよそ共通に思いますが、丁目=1町の図式は、やはり違うところもあるように感じています。
便宜上に長い通りを(1町=109mに拘らず)適当な長さに分けていると思われるのが、例えば大阪の谷町。現在の大阪市中央区谷町は新住居表示がなされていますが、新住居表示前とその町域はあまり変わりなく、丁目数も同じです。その長さ約2.6kmに9丁目ですから、1丁目平均289mになります。
谷町だけが例外と言うわけではなく、大阪の場合は新住居表示実施前の地図を見ると1丁目平均がだいたい200m前後のところが多いように感じます。
[60790] 2007年 8月 25日(土)23:11:55ニジェガロージェッツ さん
「丁目」とは元来、距離を示す単位?
[60756]だんなさんからの「とおりめい」に触れて、リンクを出して下さった国土交通省道路局の「通り名で道案内」にある、距離で住居番号を示すシステムに、これは目的地までの距離も把握できるところが便利だという書き込み[60766]をしましたが、それはそうと、「丁目」とは元来は長さを示す単位「丁」に由来するものではないかと、かなり以前より思っていました。

というのは、小生の住む神戸市の旧市街地部分、特に明治後期から昭和初期にかけて行われた耕地整理組合による市街化事業で誕生した区画の多くの「丁目」がだいたい100mで区切られています。神戸市の市街地図を見れば分かりますが、新住居表示を実施している現在でも、その多くは当時の「丁目」を踏襲しています。具体的には灘区、中央区東部(旧葺合区)、兵庫区、長田区の平野部、須磨区南東部の区域です。
現在のメートル法に換算して、1丁(町)=109.09m ですから、大体一致します。
ここで最も「丁目数」が多いのは長田区若松町で11丁目までありますから、若松町の長さを地図で計ると約1200mで、いい線が出ていると感じます。

神戸のお話は大体が明治末期から大正期に市街化していった地域ですが、[60759]千本桜さんに続き、[60787]今川焼さんのお話にある京都市東山区本町の場合は、もっと時代を遡ることが出来ると推察します。
東山区本町の場合は1丁目から22丁目まであり、その距離は約2800mで1丁平均127m。
だいたいにおいて、昔の人の感覚で「五丁目」と言えば、正に距離としての「5丁め」だったのではないかと推測できないだろうか。

しかし、一方で「丁目」とは広い(長い)「町」や「通」を距離には関係なく(便宜上)分割したもので、後の時代、特に現在の新住居表示においては、元来(?)の距離の概念としての「丁目」の性質が失われていった・・・。

ここ「落書き帳」において、「丁目」を距離の概念として述べたような記事があるか、アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」を流し読みですが一通り目を通しましたが、ちょっと見当たりませんでした。
#見落としていれば、ごめんなさい。
[60766] 2007年 8月 25日(土)02:32:12ニジェガロージェッツ さん
通りで表す住居表示
[60756] だんな さん
お久しぶりです。2年前の神戸オフ会には、お忙しいところわざわざ金沢より日帰りにてご参加され、昨年の金沢オフ会ではご事前準備にご協力くださったとのことで、だんなさんには随分お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

要は「街区方式」の住居表示だとどこにあるのかわかりづらいので、欧米でなじみのある「道路方式」を使って所在地を案内しようというものです。

これは興味深い取り組みですね。今のところ名所や店舗の場所を案内する試みとしての、ごく限られた市街での「社会実験」とのことですが、仮にこれが定着した場合、市街地では不動産登記に使われる「地番による住所表示」、一般に住所として用いられている「街区方式による住居表示」に加え、「第三の住所」になります。

産経新聞の記事にある図によると、この「道路方式」では住所の番号を道路の起点からのメートル距離(の10分の1)に合わせるとのことで、その道路のどこかに居れば目的地までの距離も把握できるところが便利に感じます。現在の新住居表示「街区方式」による住居番号「号」も、街区「番」の角地などの起点からのメートル距離(の10分の1)ですから、この点は踏襲していることになります。

個人的に馴染みのある「道路方式」による住居表示はロシアでの住居表示ですが、その概略は拙稿[10585]に書いていますが、あちらは距離(メートル)ではなく、建物そのものの個数による表示です。ゆえに
路の起点では「1番」の向かい側に「2番」があるのが多いのですが、順に3・5・7・・・、片や4・6・8・・・、と続くに従って、一方では大きな建物や広場あったり、片側は逆に小さな建物が続いていたりすると、番号がくい違い、「35番」の向かいに「36番」があるとは限りません、というより、そのように揃う方が希です。
という風に、道路の右側と左側に食い違いが生じます。それでもそのシステムを知っていれば道路の反対側の番号は基本的に無関係ですから、目的地探しには別段不都合はありませんでした。ですが距離が分かれば更に便利だったことは言うまでもありません。

「道路方式」になると面倒になると思われるのが、いちいち通りに名を、行政側は付けて、市民側は覚えておく必要があることで、そうなると凄い数の新地名が誕生することに他なりません。
以下、市街全域に通り名を付けるとして、夢想を暴走させます。

参考までに小生が暮らしたことのあるニジニ・ノヴゴロド市にはいくつの通り名があるかといえば、1310の通りがありました。(1996年に入手した市街区分地図帳から一つ一つ数えましたから、見落としや重複もあるでしょう。正確さの保障はしません)
人口と通り(住所)数の関係を計算しました。
(人口は2006年1月1日現在)
人口通り数1通り当たり人口
自動車工場区308,8401961,576
ソルモヴォ区174,517202864
カナヴィノ区157,261204771
ソビエト区151,411162935
レーニン区148,275160927
モスクワ区130,2301151,132
ニジニ・ノヴゴロド区120,343134898
沿オカ区92,676137676
ニジニ・ノヴゴロド市計1,283,5531,310980

一方、街区方式を採用している日本では、例えば神戸市旧市街地のように新住居表示実施前の古い町名を出来るだけ尊重した所と、大阪市のように大きくまとめたところでは地名数の大差(実際には丁目も地名の一部ですが、ここではこれを考えない)があります。
ニジニと同様の計算をすると
(人口は2007年8月1日現在)
人口町名数1町当たり人口
神戸市長田区102,947941,095
大阪市都島区102,334156,822
大阪市旭区94,403118,582

神戸市長田区(ごく一部に新住居表示未実施の所もあります)のように町名の多い(それも通りに沿った所が多い)場所では、現町名が通り名にも活用(転用)できるでしょうが、大阪のように新住居表示による町名改正を徹底させて様なところでは、膨大な新通り名を生じることになります。
[60672] 2007年 8月 19日(日)02:54:31【1】ニジェガロージェッツ さん
地下鉄の東部新都心(HAT神戸)への延伸
[60622] 小松原ラガー さん
「昭和76の神戸市」へのレス有難うございます。
地下鉄海岸線の東部延伸について、山麓線の神戸東部部分(神戸市バス2系統路線に相当)への独自延伸構想、楽しく拝読させていただきました。

確かにラッシュ時に3分おき、ラッシュ時以外でも6分おきに運行されている市バス2系統が地下鉄化されると、多くの神戸東部市民に恩恵を与えることと思います。
ただ、これを言ってしまえば元も子もないのですが、震災以来危機的な財政状況の神戸市が、ドル箱路線の市バス2系統を廃止してまで、大枚はたいてミニ地下鉄の建設に踏み切るかと言えば、少なくとも現状ではありえないことと思います。
その頃に私が生きているか怪しいのでしょうが・・・。^^;
仰るとおり、数世代後の時代に、沿線に何か大規模な再開発などが行われるようなことでもあれば、実現への道が開けるかも知れません。

地下鉄海岸線の延伸について、最も可能性があるとすれば、小松原ラガーさんのお話にあるように、
現在の三宮・花時計前駅からそのまま東進し、東部副都心、すなわちHAT神戸方面へのアクセス路線とする。
この路線でしょう。(実は小生も[49002]にて、こっそり書いています)

その前に、HAT神戸についての事実確認を少し。
小松原ラガーさんはHAT神戸を「東部副都心」とされていますが、神戸市のプランでは「東部新都心」です。
「東部副都心」はあくまでJR六甲道駅周辺です。

神戸市のマスタープランでは、都市核について都心、副都心、衛星都心・・としていますが、「新都心」という設定は従来は存在しませんでした。
東部新都心HAT神戸については震災復興の一環として、復興事業のシンボルプロジェクトとして各種都市機能の受け皿として整備するものでした。
従来のプランにある都市の核としての都心や副都心とは次元の違う震災復興構想により整備されている、との印象を受けます。
なお、[60613][60616]にてお話させていただいた「昭和76年」の神戸市を描いた巻末地図では、現在のHAT神戸の地域は「工業地」のままです。
神戸経済の一翼を担っていた、川崎製鉄の葺合工場と神戸製鋼所の脇浜・岩屋工場が、よもや閉鎖され、この地域が遊休化することなど想像だにしなかったことでしょう。

さて、そのHAT神戸への地下鉄海岸線の延伸については、この地域を「新都心」などと言う、分かりにくい分類ではなく、文字通り「神戸の新しい顔」として、都市の核として発展させるつもりかどうかに拠るところが大きいと思います。
HAT神戸への入居募集に際して、将来的には地下鉄海岸線延伸を仄めかすような説明が為されたとの噂(あくまで「噂」ですよ)を聞いたことがありますが、現状では、鉄道関連の整備としては
(2)周辺鉄道駅における大規模改良(鉄道駅総合改善事業)
・阪神春日野道駅(平成17年度完成予定) ・阪神岩屋駅(平成13年度完成)
で十分と判断していることと推察します。

仮に近い将来に神戸市内に鉄道新線なり延伸の建設があるとすれば(それでも相当厳しいけど)、この地下鉄海岸線のHAT神戸への延伸と、神戸新交通「ポートライナー」の新神戸延伸による新幹線―神戸空港間のアクセス改善ぐらいしかないでしょう。
[60616] 2007年 8月 16日(木)01:19:54ニジェガロージェッツ さん
昭和76年の神戸市 ― (2)
前稿[60613]の続編です。
31年前の冊子「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」についての雑感をお話したく、一気に書き綴るつもりでしたが、あれこれと書いているうちに話が長くなり、2稿に分割しました。
それにしても、[60613]を投稿した後で、書込ランキングで前稿の文字数を確認すると3752文字。こういうことがいちいち確認出来るグリグリさんの「落書き帳」の付加機能はホンマに凄い。楽しくなります。
但し、文字数の多さは過去の議論からオーナー様の望むところではないので注意しなければなりません。3752文字は多すぎです。個人的には、半年間に渡って[57177]「田井(ママ)して意味も無い」「紙面のムダとしか」思えない投稿や、「南濃(ママ)知的発展性も無いと」思われるような、調子に乗った雑談は控えてきたことに免じて、どうぞお赦し下さい。

さて、本題。

【鉄道】
件の冊子の巻末に収められている地図(以下[60613]と同じく、巻末地図と称します)には、[新幹線]、[国鉄]、[私鉄・その他]、[新しい交通システム]、の4種類の鉄道路線が描かれています。
そのうち、新幹線については当時と現況が変わることなく、国鉄線においても、現在のJR線(東海道本線、山陽本線、福知山線)と変わりはありません。実際に設置された甲南山手駅などJR新駅については、駅についての細かな図示がないため、ここではコメント出来ません。
ただ、現在においても廃線になることなく存続している兵庫―和田岬間の和田岬線が描かれていません。昭和76年においては廃線が見込まれていたのでしょうか。

「私鉄・その他」については、ちょっとした違いがあります。
巻末地図に描かれてれている私鉄路線は、阪急神戸線、阪神本線、山陽電鉄、神戸電鉄、神戸高速鉄道で、これらは現在神戸市内を走っている現況と(当時も含めて)同じです。
但し、実際に存在する新神戸―谷上間の北神急行電鉄(昭和63年4月1日開業)は描かれていません。
一方、神戸市営地下鉄線は現在存在する西神線(新長田―名谷:昭和52年3月13日開業)、山手線(新長田―新神戸:昭和58年6月17日部分開業、昭和60年6月18日全通)、西神延伸線(名谷―西神中央:昭和60年6月18日部分開業、昭和62年3月18日全通)に加え、実在しない東部線(布引―鶴甲)が描かれています。海岸線については、後述しますが別の記号で描かれています。
西神延伸線の山手線の新神戸駅以北、および西神中央駅以西には更なる延伸を思わせる矢印が付してあり、新神戸駅以北の矢印をそのまま延長させると谷上付近に達し、これが現在の北神急行電鉄に相当するとみなされますが、当初は山手線の一部として造るつもりだったのでしょうか。西神中央駅以西については、後に押部谷(西区)、西明石(明石市)、神野(加古川市)への延伸についての議論がありましたが、巻末地図には、いずれも図示されていません。

問題の東部線ですが、神戸市が海岸線などと一緒に当初プランしていた路線は山手線(プラン当初の終点は「布引駅」)の延長上にあり、布引―原田(現在の灘区王子公園あたり)間としていました。それが巻末地図では「原田」から更に東へ、篠原(灘区)を通り鶴甲団地(灘区)に達しています。かなり思い切ったプランですが、鶴甲の先、六甲山中へも矢印が書かれ、それをそのまま延長すると有馬方面へ抜けることになります。本当に造る気だったのでしょうか。

「新しい交通システム」については、3本の路線が引かれています。
新神戸とポートアイランドを結ぶ線、国鉄住吉と六甲アイランドを結ぶ線、および新長田―和田岬―三宮―脇浜―灘浜―住吉川口を結ぶ線の3本です。
ポートアイランドへは神戸新交通ポートアイランド線(三宮―市民広場―北埠頭―三宮:昭和56年2月5日開業)、六甲アイランドへは同六甲アイランド線(住吉―マリンパーク:平成2年2月21日開業)として現実に存在しています。
現在のポートアイランドでは、開業当初の環状運転のみではなく、神戸空港への延伸(市民広場―神戸空港:平成18年2月2日開業)がありますが、巻末地図では神戸空港はおろか、ポートアイランド2期(南公園以南の埋立地)さえ存在していません。
ただ、新神戸駅がポートアイランド線の起点になっているのは興味深いところです。
一方、六甲アイランド線の起点が住吉にある点では現行世界と同じですが、六甲アイランド内の路線がポートアイランドと同じく環状運転になっている点が違っています。

さて、「新しい交通システム」に分類された、現在の地下鉄海岸線に相当する路線ですが、実際の地下鉄海岸線(新長田―和田岬―三宮:平成13年7月7日開業)は従来の地下鉄とは規格の違う「ミニ地下鉄」だそうで、それを「新しい交通システムだ」と言うのであれば、強ち間違いではありません。昭和40年代に神戸市が描いた当初のプランでは西神線、山手線、東部線とともに「普通の」地下鉄としての構想でした。それにしても、住吉まで海岸線に沿っての建設とは、こちらも本当に造る気だったのでしょうか。

実際に開業した地下鉄路線は、都心の三宮からみて西に偏りすぎで、当初からそのように西へしか造らないつもりだったのを、それでは東部の市民が納得しないから、東部線とか海岸線の東への延伸とか、「リップサービス」のつもりで描いたのかと勘繰りたくもなります。


【埋立地】
前述しましたが、現在実際にある神戸空港やポートアイランド2期が描かれていません。南公園が海に面しているポートピア81当時のポートアイランドのままです。
そればかりか、神戸港では中突堤~メリケン波止場間の船溜りの水面を「メリケンパーク」として埋め立てたを筆頭に、摩耶埠頭、新港第五~第八突堤間、兵庫突堤の突堤間の水面を埋め立てられていますが、港内の埠頭に関しては昭和51年当時のまま埋め立てられることなく昭和76年を迎えています。
ただ、ポートアイランドと六甲アイランドの間、ちょうど摩耶埠頭の沖合いに小さいながらも現実には存在しない人工島が描かれています。また現実の六甲アイランドは東西非対称ですが、巻末地図では西側にも東側と同じように船舶のための水面が描かれています。
あと、西では垂水区の東垂水の浜に沖に突き出した「逆コの字」型の大きな埠頭が描かれています。


さて、まだまだ道路状況など(現実に存在する港島トンネルが計画されていない。兵庫・長田・須磨沖に高速道路が走っている。・・などなど)、書きたいことはいろいろあるのですが、キリがないのでこれくらいにしておきましょう。

最後に、今回話題にさせていただいた「新・神戸市総合基本計画」は昭和51年に21世紀に向けての神戸の都市としてのあり方を規定した「マスタープラン」と呼ばれるもので、このプランはその後も改正を重ね、現在のものは神戸市のサイトからも概略が閲覧できます。
震災後の平成7年10月に策定された「第4次神戸市基本計画」をみて見ると、目標年次2010年の設定人口を170万人にしていたり、「ちょっと」と感じるところはありますが、神戸市の考え方が書かれています。
[60613] 2007年 8月 15日(水)20:22:27ニジェガロージェッツ さん
昭和76年の神戸市 ― (1)
ご無沙汰を重ねております。半年振りの書き込みにもかかわらず、地元ネタにて恐縮です。

昨年、転宅した際にダンボール箱へ押し込んでいた雑誌類を今になって整理していると「新・神戸市総合基本計画のあらまし―2001」という懐かしい冊子が出てきました。
タイトルからは6年前の冊子のように感じられますが、実は31年前の1976(昭和51)年に当時の神戸市企画局総合調査課から発行されたものです。要するに、昭和50~51年当時に神戸市が夢見た21世紀初年の2001(昭和76)年の未来の神戸を、多くのイラストや地図を添えて描いたものです。
圧巻は巻末にある折込の地図で、ここには「えっ」と思うような所に地下鉄が通っていたりする一方、現実の21世紀の現在には存在するものが影も形も描かれていなかったり、今にしてみると随分面白い地図です。
昭和51年というと、既に高度経済成長時代は終わり、当時は「安定経済成長時代に入った」と言われていました。ご存知のようにその後の時代の流れは円高不況や造船不振、地価高騰やバブル経済などなど、特に神戸においては平成7年の震災による都市の破壊を経験し今日を迎えていますが、そ~んなことは一切関係なく2001(昭和76)年を迎えた神戸市の姿です。
当時小生は中学生でした。この冊子を見て25年後の昭和76年の神戸市を想像し、「ものすごい街」になると感動したのを覚えています。

この冊子は「緑と、心のふれあいと、生きがいのまち・こうべ」とサブタイトルが付けられており、都市空間のプランから福祉、市民生活など当時の神戸市の考え方などが書かれていますが、ここでは地理に関連しそうなものをいくつかつまみ出してみたく存じます。

【人口】
人口規模について、市域を北神地域(現在の北区)、西神地域(現在の西区)、既成市街地域(北区の西区を除く全て)の三つに分けて計画しています。
昭和50年 136万人(既成市街地域116万、北神地域13万、西神地域7万)
昭和60年 160万人(既成市街地域120万、北神地域23万、西神地域17万)
昭和76年 180万人(既成市街地域120万、北神地域30万、西神地域30万)

実際の人口の推移は
昭和50年 1,360,530人(既成市街地域1,156,620、北神地域135,697、西神地域68,213)
昭和60年 1,410,834人(既成市街地域1,122,839、北神地域177,221、西神地域110,774)
平成13年 1,503,480人(既成市街地域1,041,030、北神地域224,853、西神地域237,597)
平成19年 1,530,088人(既成市街地域1,056,038、北神地域226,287、西神地域247,763)
注】昭和50、60年は10月1日国勢調査人口、平成13年は10月1日の推計修正値、平成19年は7月1日推計人口

神戸市は昭和50年代前半は人口増加の停滞が生じ(拙稿[12405]にちょっと状況が分かるデータがあります)、昭和50年代後半からは再び増加に転じましたが、昭和50年代半ばには、さすがに昭和60年に「160万人」になる可能性は無いと断じ、昭和60年は146万、昭和76年は160万人に修正されました。
もともと、将来人口180万人というのも、「180万人を限度として・・・」とあり、あくまで上限値であり、それ以上の人口を市域に抱えてはいけない、という尺度ですが、現実の人口の推移を見ると・・・
論評は控えさせていただきます。


【行政区】
昭和40年代に計画された「行政区再編成」ですが、昭和51年の時点では六甲山上の灘区への移管(昭和47年6月1日)、兵庫区より北区の分区(昭和48年8月1日)は実現していましたが、垂水区名谷団地の須磨区への移管(昭和52年6月6日)以降の変更は実現していません。

昭和76年の神戸市は11の区が描かれています。(昭和51年以降の)プランとしては
1)生田区と葺合区の統合 (実現:昭和55年12月1日に中央区発足)
2)垂水区から西神地域の分区 (実現:昭和57年8月1日に西区発足)
3)北区の北部地区を分区 (実現せず)
4)須磨区・垂水本区の新規開発地を分離し新区の創設 (実現せず)

北区の北部については、1983(昭和58)年9月16日に開かれた市会本会議にて、当時の宮崎辰雄神戸市長の答弁で「今すぐではなくて、十年はかかる話」と断った上で、「北区は将来、二つに割るべきだ。山田町以南と以北で区を作りたい」と、構想を明かしていました。(1983年9月17日付、神戸新聞より)
ですが「十年」どころか、答弁から24年を経た現在においても、分区を考えていません
昭和76年の将来人口を30万人としている北区の人口は、2007(平成19)年7月1日現在 226,287人で、分区の境とされる本区(同、144,487人)と北部(同、81,800人)では、震災後は本区は緩やかな減少傾向、北部では緩やかな増加傾向にあり、区全体としては横ばいの状況が続いています。
注】本稿で北区の「北部」と表記した、当時の宮崎市長の言う山田町以北については、現在では「北区北神」と言われています。
本稿では昭和51年当時「北神」と呼ばれていたのは現在の北区全域であることから、混同を避けるために敢えて「北部」としました。

須磨区・垂水本区の新規開発地に新区を設ける話については、昭和51年当時は垂水区に属していた造成途上の名谷団地を1977(昭和52)年6月6日に須磨区に編入し、須磨区の北半分を須磨区役所北須磨支所として、須磨区は「本区・北須磨」に分けられました。
1985(昭和60)年2月1日には「垂水本区の新規開発地」の総合運動公園(緑台)、流通業務団地(弥栄台)を須磨区北須磨に編入し、その後も流通業務団地の西区へのはみ出し部分が須磨区弥栄台に統一されるなど、北須磨は拡張して現在に至っていますが、本格的な須磨区からの分区については、話題さえも存在していません。
なお、冊子に載っている区分地図には、現在の垂水区のうち、第二神明道路以北・神戸淡路鳴門自動車道以東が「北須磨区?」に入っています。


【地域中心核】
「地域中心核として、都心―副都心―衛星都心―生活都心―まち住区中心―近隣住区中心を設定し、商業・業務機能、ターミナル機能などを整備します」とあり、生活都心以上のものは、具体的に以下のように地名が列挙されています。
都心:三宮~神戸
副都心:六甲、大橋~板宿
衛星都心:二郎、西神ニュータウンの中心
生活都心:住吉、湊川、須磨、垂水、須磨ニュータウンの中心、鈴蘭台

都心については、おおよそ現在の神戸市においても大きな違いはありませんが、ただ都心の一角に含まれても良い、1992(平成4)年に神戸駅浜側に商業地としてオープンしたハーバーランド地区は巻末地図にも描かれておらず、この地域には「ウォーターフロント緑地」とされています。

副都心においては、昭和40年代ごろより「東の六甲道、西の新長田」と言われていましたが、それをちょっと拡大したようで、巻末地図を見れは「六甲」には阪神新在家~国鉄六甲道~阪急六甲周辺まで、「大橋~板宿」には国鉄新長田周辺一帯と山陽板宿駅付近が連なった商業核のように描かれています。
現在の状況を見ると、六甲道、新長田ともに平成7年の震災では壊滅的な被害を受け、それぞれ六甲道駅南地区新長田駅南地区において、震災復興市街地再開発事業が実施されており、復興途上にあります。
ただ、「六甲」においては新在家から阪急六甲に至る大規模商業核には成長しておらず、「新長田」においても地下鉄新長田駅から駒ヶ林駅にかけては再開発ビル群として復活した大正筋商店街などで一体性のある商業地にはなっていますが、板宿(須磨区)との連帯感はなく、新長田―板宿間は震災前は住工混在地域、震災後の焼け野原を経て、現在は住宅街として整備されています。

衛星都心として名が挙げられている北区の二郎については、「二郎いちご」として神戸では有名なイチゴの産地で、昭和51年当時は神戸電鉄二郎駅も人里離れた長閑な田園地帯にありました。
そうような二郎ですが、巻末地図では二郎駅より南は神鉄の東西両側に大規模な住宅街が形成され、北側には工業地帯が描かれています。そして駅の西側に商業核が計画されています。
現在の状況を見ると、実際に衛星都心として整備されているのは二郎ではなく、神鉄にして2駅南の岡場駅周辺です。岡場は藤原山を削りニュータウンとして開発された藤原台の中心駅となり、かつては地上にあった田舎駅でしたが高架駅となり、当時とは様変わりしています。

一方、「西神ニュータウンの中心」とは、現在の地下鉄西神中央駅の場所に一致しています。こちらは計画通りの実現です。

生活都心として名が挙げられている「須磨ニュータウンの中心」とは、現在の地下鉄名谷駅です。昭和51年当時は市営地下鉄開業前でした。(開業は昭和52年3月13日)
住吉、湊川、垂水、名谷、鈴蘭台は、確かに生活都心と言っても良いと思いますが、須磨だけはとても生活都心とは言えず、今日においても手付かずの状態に感じます。
[57118] 2007年 3月 2日(金)00:03:42ニジェガロージェッツ さん
海上渡橋歴など
3月に入りました。この冬、神戸(神戸海洋気象台)では最低気温の記録が2006年12月29日の0.0℃で、まだ一度も氷点下になっていません。恐ろしいほどの暖冬です。
さて、以下まとめレスにて恐縮です。

[57060] ペーロケ さん
日本が主張する領土とは裏腹に、実権を持って支配している範囲はどんどん狭くなっていますね。

そうですか? 小生など能天気なもので、横浜市内の米軍施設が返還されたりして、逆だと思っていました。

地球温暖化で沖ノ鳥島はいつまで持つのか気になります。
これは本当に怖いですね。あれは「岩だ」と言い出す国もあるようですから、領土保全のためにも何とかならないものかと思います。
ところで、「岩」と言えば、宗谷海峡にある「二丈岩」という、別名「危険岩」と呼ばれる岩があり、文字通り船舶の衝突事故が多発したために、灯台を建設したとか。
その灯台が気になって、稚内から宗谷海峡を横断した時に、その灯台を探したのですが、見当たりませんでした。

[57062] グリグリ さん
容量問題は現在はほぼないと考えていただいて結構です。時代が変わりました。(笑
有難うございます。2003年7月にあった18000番台の、あの時の議論はもう時効と考えて差し支えないですか?
とはいえ、やはり容量が無限になったわけではありませんので、書き込みの際にはあの時の議論をこころの片隅に留めおいて、望みたく思います。

[57094] まるちゃん さん
見島といえば、自衛隊とマグロです。
あの島はマグロの島でしたか。(←知らなさ過ぎ)
リンク頂いた写真は見事なマグロですね。
小生の島達度には、舳倉島や見島など、釣り好きかと思われるような島がありますが、釣り好きではないばかりか、釣りをしたこともありません。
学生時代に、夏休みには六甲登山仲間と「島へ篭る」という、変な企画を毎年やっていました。81年=友ヶ島、82年=舳倉島、83年=直島、と来て、84年に見島を選びました。

[57106] 星野彼方 さん
東二見橋は徒歩専用(現在車も渡れるように工事中)であそこを渡るのは地元民と釣り人以外では思い浮かばないような橋です。
あれは震災の前の年でしたが、自動二輪に乗って取引先へ機械の修理に行った際、予想外に早く仕事が終了し、余った時間に近辺の海岸巡りをやりました。
記憶違いでなければ、東二見橋を強引に自動二輪で突破し、南二見人工島に渡ったと思います。その後、二見大橋を通り南二見人工島を離れ、播磨大橋([57101]には「新島橋」と書きましたが、まちがい)を通り播磨町新島(人工島)に渡りました。

[57110] 小松原ラガー さん
走るたびに路面からカタカタ音がして「いかにも」という仮設の橋だったのを覚えています。
そうでした、そうでした。徒歩で歩いて仮設大橋を渡っていると、震災復旧工事の大型ダンプが通る度に橋全体が揺れ、落橋しそうなスリルがありました。
この時は、ポーアイの「バンドール」という大型商業施設(現在はありません)に旅支度に買出しに行った際に渡橋しました。今思い出したのですが、「バンドール」でスーツケースに目星を付け、後日にそのスーツケースを買いに車で再訪しました。従って[57101]の仮設大橋は○ではなく◎でした。
仮設橋を実際に歩いて渡ると、落橋のスリルも手伝ってか地図で見るよりもずっと長距離に感じました。再訪したときに写真に撮っておこうと思いましたが、その直後に神戸を離れて人口140万人の「Nという町」で暮らし、1年後神戸に帰ってきたときには既に仮設橋は撤去されており、果たせず仕舞いに終わりました。残念です。
[57101] 2007年 3月 1日(木)01:50:02【3】ニジェガロージェッツ さん
海上渡橋歴
[57062] グリグリ さん
交通整理は後回しにしてさらに加速してみましょうか。[57022]で書いた「海上架橋」です。

とりあえず地元中心ですが、思い出す限り海上渡橋歴を挙げてみます。但し、海上を通る高速道路に架かる架橋などは名称が分からないものもあり、結構適当です。
◎徒歩、交通機関利用とも渡橋歴あり、○徒歩のみ、●交通機関利用(車・自動二輪・電車)のみ

【兵庫県】 ●尼崎東海岸、●甲子園浜、●西宮港大橋、●南芦屋浜、●深江浜、●東神戸大橋、●六甲アイランド大橋(以上、阪神高速5号湾岸線)、●住吉浜渡り橋、◎六甲大橋、●六甲大橋(六甲ライナー橋)、●灘大橋、●灘浜大橋、●摩耶大橋、◎神戸大橋、●神戸大橋(ポートライナー橋)、●神戸空港連絡橋(ポートライナー橋)、○仮設大橋、●浜手バイパス、○モザイク北側、◎苅藻橋、◎明石海峡大橋、●東二見橋、●二見大橋、●新島橋(播磨町)、●高砂大橋
【兵庫県―大阪府】 ●中島川橋(阪神高速5号湾岸線)
【大阪府】 ●神崎川橋、●正連寺川大橋、●天保山大橋(以上、阪神高速5号湾岸線)、●港大橋、●南港大橋、●新浜寺大橋(以上、阪神高速4号湾岸線)、●関西国際空港連絡橋、●平林大橋
【三重県】 ●麻生の浦大橋、●的矢湾大橋(以上、パールロード)
【兵庫県―徳島県】 ●大鳴門橋
【徳島県】 ●小鳴門橋、●撫養橋
【岡山県】 ●片上大橋
【岡山県―香川県】 ●下津井瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道・JR線)
【香川県】 ●櫃石島橋、●岩黒島橋、●与島橋、●北備讃瀬戸大橋、●南備讃瀬戸大橋(以上、瀬戸中央自動車道・JR線)
【高知県】 ●浦戸大橋、●宇佐大橋
【広島県】 ●尾道大橋、●因島大橋
【長崎県】 ●平戸大橋
【樺太】 ●大泊港連絡橋

まだあるかも知れませんが、取り敢えず以上です。このうち、仮設大橋(9ページ写真6下 神戸新港第三突堤―第四突堤)のみ現存しません。


[57099] 小松原ラガー さん
私も上記3つは全てクリアですが、実は3つとも自分の足で、というか正確には「人力で」クリアしたことがあります。
小生も同じ体験をしております。小松原ラガーさんは更に仮設大橋の渡橋歴もお持ちなのでは・・?
[57051] 2007年 2月 26日(月)20:31:09【1】ニジェガロージェッツ さん
渡島歴
続々と続くことが予想され、容量問題からオーナーさんに遠慮して[56986]に「やめとけ」と書きましたが、[57022]グリグリさんご自身より「面白そうですね」とあるので、遠慮なく書き込みさせていただきます(笑)

島の基準は[57040]太白さんご紹介のサイトに準じました。
主要五島○樺太、○北海道、◎本州、○四国、○九州
石川県●舳倉島
三重県○答志島、●賢島
滋賀県●竹生島
和歌山県●沖ノ島(友ヶ島)
兵庫県○淡路島、●家島、●坊勢島
岡山県▲頭島、▲鴻島、●大多府島、△前島、●犬島
広島県○仙酔島、●向島、●因島、●生口島
山口県○見島、●青海島
徳島県▲大毛島
香川県○小豆島、○直島、●女木島、▲櫃石島、▲岩黒島、△与島、▲鍋島
長崎県○平戸島
宮崎県●青島

ついでに、番外になりますが人工島についてもやってみました。拙稿[24523]に挙げた埋立島+神戸空港より拾い集めました。
東京都▲新木場
大阪府●関西空港島、▲高砂、▲南港南、●南港北
兵庫県-神戸を除く▲甲子園浜、▲西宮浜、▲南芦屋浜、▲南二見、▲人工島
兵庫県神戸市●東部第四工区、▲東部第三工区、●東部第二工区、●六甲アイランド、
●ポートアイランド、●神戸空港、●苅藻島

こうしてみると、先の拙稿[56966]の「港歴」から(【6】回も修正を重ねたにもかかわらず)◎鞆の浦、◎田ノ浦(仙酔島)=ともに広島県福山市、が完全に漏れていました。
また、岡山県日生諸島の頭島港を◎としていましたが、この港は寄港のみで、実際には大多府島が◎でした。
また、[57018]まるちゃんさんをびっくりさせてしまった山口県の見島の上陸港は「本村」ではなく、山を隔てた北側の「宇津」でした。島内で探検と称して、南の本村まで山越えした経験があります。 宿は宇津の民宿に確保していましたが、この島には自衛隊の基地があり、最終日は自衛隊員の集団宿泊が急遽あり、宿主の別宅のようなところへ移された記憶があります。


[56988]いっちゃん さん
疑惑の航路
私の経港歴にも該当するものが有るような、無いような・・・。
道理で・・・分からなかった筈です(笑)

小生の場合、「疑惑」というほどではありませんが、「敦賀」の相手港は「浦塩」です。
また「長田」の相手港は淡路島の「浦港」でしたが、何分にも昭和40年代前半の幼少期の経港のため、記憶が確かではありません。長田港をフェリーで出港した記憶は鮮明にありますからカウントしましたが、どこか覚えていない港は挙げようがありません。

[56996]魚熊 さん
アンカレッジ経由のヨーロッパ便がなくなりました。そのため我々の世代が
アンカレッジを知る最後の世代といえるでしょう。
当時は1ドル=280円位でしたか。とても気軽に海外へ出かけるような時代ではなかったですね。そのあたりも、アンカレッジ経由の経験が少ない理由かも。
因みに小生の初海外は、円高になった1989年8月に稚内港からソ連統治下の樺太真岡港に渡った時でした。
(ワ! 樺太を海外と言ってしまった!)
[56986] 2007年 2月 23日(金)20:27:50ニジェガロージェッツ さん
港歴雑感
空港&港の話題、盛り上がっていますね。
こうして利用した空港や港を挙げていくと、物理的に「島歴」(←やめときなはれや!)が出てしまうところが面白いところです。もっとも架橋のある島は別ですが。

○出発のみ港と●到着のみ港との関係から旅程を推理したりしていると、一瞬「この人、この港からどこへいったん?」と思うような、港が書かれていたり(小生の「敦賀」も大概ですが)、興味が尽きません。


以下、いつもながらの遅れ遅れレスにつき、御免です。

[54534] かぱぷう さん
福岡県北九州地方ならびに福岡地方の現在の売り場の占有率は「(6枚切り)6:(5枚切り)4」くらいでしょうか。でも6枚切りの方が早く売れてます。私も6枚切り派です。

レスが遅くなり、誠に恐縮です。
こちらは逆で、5枚切りが先に売り切れます。遅めにスーパーへ行くと5枚切りは売り切れ、6枚切れが極わずか、ほとんど4枚切れしか売っていません。

[56595] ペーロケ さん
5駅は横浜市が該当します。
[56597] デスクトップ鉄 さん
横浜高速鉄道(みなとみらい線)もありますので6駅になります。そしてどの駅にも接頭語がつきません。

ご教示有難うございます。「横浜」は6駅ですか。もう9年も前のことですが、休日の朝にJRの横浜駅で下車して、海側へ出て歩いたところ、なんだか寂しい所だったとの印象があり、横浜の6駅(当時は5駅?)には気が付きませんでした。

[56985] 油天神山 さん
ウラジオストクって札幌よりも南だったんですねー。今まで全然気づいていなかったので、ビックリしました。

あまり日本地図にウラジオストクなんて載ってませんからね。たまに図端にちょこっと載っているのがあって、そういう日本地図をみると個人的に感動します。
札幌とはほとんど同緯度ですが、わずかにウラジオストクが南です。
ウラジオストクは苫小牧市の真西、山口県光市の真北ぐらいのところに位置しています。
[56966] 2007年 2月 22日(木)22:38:23【6】ニジェガロージェッツ さん
港歴
[56955] いっちゃん さん
[56933][56963]ただけんさん
[56958] Issie さん
[56965] 今川焼 さん

今度は「港歴」ですか。皆さんどこまでやる御積りですかっ!
と言いつつ、小生も反応させて頂きます。
とりあえず、地図とにらめっこで思い出す限り

1.その港の発着便を利用したことがある。◎=出発、到着とも利用、○=出発のみ利用、●到着のみ利用。
南から順に
日向宮崎県日向市清水高知県土佐清水市
三角熊本県宇城市島原長崎県島原市
大分大分県大分市高知高知県高知市
苅田福岡県京都郡苅田町松山観光愛媛県松山市
北九州北九州市小倉北区鳴門徳島県鳴門市
福良兵庫県南あわじ市友が島和歌山県和歌山市
加太和歌山県和歌山市深日大阪府泉南郡岬町
洲本兵庫県洲本市関西空港大阪府泉佐野市
広島県呉市瀬戸田広島県尾道市
三原広島県三原市高松香川県高松市
女木島香川県高松市洲本兵庫県洲本市
宮ノ浦香川県香川郡直島町仙崎山口県長門市
青海島山口県長門市山口県萩市
和具三重県志摩市賢島三重県志摩市
鳥羽三重県鳥羽市答志三重県鳥羽市
宇野岡山県玉野市福田香川県小豆島町
見島本村山口県萩市仮屋兵庫県淡路市
犬島岡山県岡山市朝日岡山県岡山市
岩屋兵庫県淡路市坊勢島兵庫県姫路市
網手兵庫県姫路市(家島)真浦兵庫県姫路市(家島)
明石兵庫県明石市頭島岡山県備前市
日生岡山県備前市大阪南港大阪市住之江区
大阪大阪市港区須磨神戸市須磨区
長田神戸市長田区神戸神戸市中央区
東神戸神戸市東灘区飾磨兵庫県姫路市
長浜滋賀県長浜市竹生島滋賀県長浜市
久美浜京都府京丹後市湊宮京都府京丹後市
敦賀福井県敦賀市輪島石川県輪島市
舳倉島石川県輪島市浦塩ウラジオストク市フルンゼ区
稚内北海道稚内市大泊サハリン州コルサコフ市
真岡サハリン州ホルムスク市リストヴャンカイルクーツク州リストヴャンカ町
イルクーツクイルクーツク市十月区

尾道水道やヴォルガ河の渡船、東条湖やアムール河やウラジオ金角湾の遊覧船、神戸港内の船舶移動(六甲アイランド―ハーバーランド)などは除いています。
港域に関しては、例えば須磨港、長田港、東神戸フェリー埠頭などはいずれも神戸港の内港ですが、[56955]いっちゃんさんが大阪港を南港と天保山に分けているように、別の港として扱いました。
[56956] 2007年 2月 22日(木)20:27:30【1】ニジェガロージェッツ さん
空港歴
[56953] 魚熊 さん
お久しぶりです。「両みみニ焼魚」以来ですね懐かしい限りです。

#他の方の書き込みを見て、アンカレッジの記述がほとんどないのは皆様がお若いからなのか、
我々の世代がそれを言ってしまえば、年配の世代に思われてしまいそうで...

「空港歴」久しぶりに簡単な話題にて、気楽にレスさせていただきます。
「言い出しっぺ」の佐賀県さん[56930]に準じて、小生の場合は以下の通りです。

1.その空港の発着便を利用したことがある。(到着・出発いずれか片方のみを含む。)
南から順に、
KIX大阪(関空)発着
ITM大阪(伊丹)発着
NGO名古屋
NRT東京(成田)発着
KIJ新潟発着
SDJ仙台
HNA花巻
AOJ青森
VVOウラジオストク(アルチョーム)
SPK札幌(千歳)発着
OKD札幌(丘珠)
WKJ稚内発着
UUS豊原(ユジノ=サハリンスク)発着
KHVハバロフスク発着
IKTイルクーツク発着
???オハ発着
???ブグリマ
DMEモスクワ(ドモジェドヴォ)
SVOモスクワ(シェレメーチェヴォ)発着

2.送迎や見学などで空港の建物の中に入ったことはあるが、発着便は利用したことがない。
 UKB 神戸

3.建物の中に入ったことはないが、送迎などで敷地内に入ったことがある。
 該当なし。

4.敷地内にすら入ったことがない。
 その他のすべての空港

変わったところと言えば北樺太のオハ空港と、ロシア・タタルスタン共和国東部のブグリマ空港ですか。
あと居住経験のある、神戸(UKB)とニジニ・ノヴゴロド(GOJ)のどちらも空港がありますが、一度も利用したことがありません。
昨年のオフ会は新潟か仙台かと勝手に予想して、ひそかに神戸空港利用を狙っていたのですが、金沢開催とあって期待外れ。
今年こそは!っと思っていたところ、新潟便、仙台便ともに廃止との由、残念。
[56593] 2007年 2月 3日(土)00:54:46ニジェガロージェッツ さん
一文字の駅
お久しぶりです。今年も落書き帳益々のご盛況、ご同慶の至りです。

[56579] ハンブルガー さん「呉市」呉、広
[56582] なると金時 さん「三好市」佃、辻
[56591] にまん さん「堺市」堺、湊、鳳

ハンブルガーさんから「呉市」を見たとき、「確かに!」と思ったのですが、なると金時さん、にまんさんの記事を見て、「結構あるけど珍しいな」と思っていたら、小生の地元市にも一文字の駅が2駅ありました。どちらも乗り降り経験があります。

「神戸市」 灘(JR)、栄(神戸電鉄)

ところで、駅で「一つの市を特定する条件」としては、神戸市の場合、同名の駅が4駅(表記のぶれを含めると5駅)あるのですが、他にもこれを上回る「市」はありふれていますか?

市営地下鉄「三宮」
阪神「三宮」
阪急「三宮」
ポートライナー「三宮」
JR「三ノ宮」
[54396] 2006年 10月 10日(火)02:29:06ニジェガロージェッツ さん
食パンの切厚戦略
[54367] eiji_t さん ,[54369] YSK さん ,[54373] inakanomozart さん ,[54374] かすみ さん ,[54376] オーナー グリグリ さん ,[54379] ワカメ さん
食パンの切り厚についてのレス有難うございます。
まだまだ関東では8枚切りが健在と知り、嬉しくなりました。オフ会か何かで東へ行くことがあれば、絶対8枚切りを買って帰ろうと思います。
そういえば、小生の通っていた神戸市立小学校の給食では食パンが低学年で2枚、高学年で3枚出た記憶があります。いずれも昭和40年代の話ですけれども、5枚切りを3枚も食べさせるというのはちょっと多すぎるのでは。今にして思えば、あれは8枚切りだったのではないか?
[54373]inakanomozartさんのおっしゃる様に、当時はこちらでも街中至るところに小さな駄菓子屋兼パン屋さんがあって、食パンを切ってもらっていましたが、給食パンの厚みに違和感を感じなかったことからすると、昔は案外こちらでも8枚切りが主流だったかも知れないですね。

[54376] オーナー グリグリ さん
特売などの場合、8枚切りがいつも先に売り切れてしまいます。私には、需要が6枚切りに移行したと言うよりも、市場を6枚切りに移行させようとしているように感じられます。
なるほど!大いに有り得る話ですね。そういえば今では結構見かける4枚切りは以前はなかったように思います。
8枚→6枚→5枚切りと食パンの厚みの変化には、冷徹なメーカーの販売戦略が絡んでいたとは、妙に納得です。
純粋に東西の食文化の差だと思っていたのですが、勿論そういった側面はあるでしょうが、それだけではないようですね。
[54366] 2006年 10月 8日(日)02:39:47ニジェガロージェッツ さん
先週の今ごろは・・・
金沢オフ会の四次会のカラオケボックスで叫んでいました。(笑)
もうあれから1週間。時間が経つのは早いものです。
オフ二次会では金沢は西日本か東日本かの話題が盛り上がり、地元出身のグリグリさんは「金沢は西だ!」と断定されていました。更に高岡は西、能登は東、富山は東、という線引きに、北陸に土地鑑のない小生には新鮮な驚きでした。
ということで、去年の神戸に続き2年連続でオフ会は西で開催されたことになります。では来年は東でしょうか。具体的には南東北などが候補に上がるかも??
そうなると、関西在住のメンバーは参加が難しいかも?

[54276] 今川焼 さん
いつか、関西プチオフやりましょう。
是非やりましょう。大賛成です。小生は下戸で、元来宴席は好きではありませんが、落書き帳メンバーだけは別です。過去のプチオフも含めて、本当に有意義で楽しいひと時でした。昨年の神戸オフ会のときよりも関西在住メンバーは増えていますから、楽しみ倍増です。
さて、来年の「第4回公式オフ会」の開催時期を外して、いつ頃やるかですが、・・で、誰が音頭取りを???

[54271] らるふ さん
オフ会の土産話を楽しみにしています。
個人的には誰よりもご一緒したかったのが貴兄でした。またの機会を楽しみにしております。

さて、明治初期の神戸についての投稿で力尽きて、今更ながらのレスで申し訳ありませんが・・・
その前に、食パンの切り厚についての拙稿[53851]
関東では8枚切がよく売られているそうですが
と書いていましたが、オフ会にて「今や関東でも6枚切が主流で、8枚切はあまり見かけない」とお聞きしました。「関東=8枚切」という小生の思い込みか、情報が古いのかですが、知識不足失礼致しました。8枚切はトーストにするとカリカリ感が楽しめそうで小生には魅力的に映ったのですが、関東で消え行くとなると絶滅かな? ちょっと残念。

[54256] むっくん さん
名古屋の『しのだうどん』とは、お揚げ(醤油で軽く味付けしてある)を短冊状に切ったものとねぎが入ったうどんのことで、関西での『きざみうどん』とほぼ同一のものだと思います。
やはり名古屋には「しのだ」が存在すると知って嬉しくなりました。ただ「きつねうどん」とは同義語ではないようで、奥が深いと感じました。

[54263] 油天神山 さん
消費量で言うと、濃口:淡口が8:2くらいかと思います(我が家の話ですよ)。
小生の家も同じくらいの割合でした。
恥ずかしい話ですが、日常生活では濃口醤油が普通なのでこれを濃口と認識せず、小生は数年前まで濃口醤油とはたまり醤油のことだと誤解していました。

[54317] 星野彼方 さん
家島町は宿泊経験があります。これは結構貴重かも。でも、ニジェガロージェッツさんの舳倉島がうらやましい(オフ会でそういう話題が出た)。
家島町には小生も渡った事があります。1998年ごろの話ですが、島内は原付自転車の「無法地帯」で、2人乗りやヘルメット非着用が当たり前の世界にはショックでした。
石川県最北端の舳倉島に渡ったのは1982年の夏でした。当時はまだ学生で、友人と図書館に集まって夏の旅行の計画を立てるのに地図帳を見ていて、たまたま中部地方のページが開いていたので、冗談で「ここへ行こう」と端っこに載っていた舳倉島を差したのが、本当に行ってしまったという嘘のような話です。絶海孤島の岩だけの島でしたが、それでも船着場があり、5軒ほどの建物がありました。夏季のみ人の住む、海士さんの島と聞きました。
[54365] 2006年 10月 8日(日)00:18:03ニジェガロージェッツ さん
湊東区は兵庫湊東・坂本・荒田より
[54363] ezekiel さん
幕末~明治初期の神戸についての詳細レス、引き続き有難うございます。
様々な角度からスポットを当て、神戸のルーツについてのご考察をお聞きし、こちらも大変勉強になりました。
ezekielさんより「湊東の興隆」という記事をいただき、此度は後に戦前の神戸市の中心となる湊東区を中心にこちらからもレスさせていただきます。

その前に、まず事実確認から
そして北前船で有名な高田屋嘉兵衛の拠点は、昔からの兵庫津ではなくて湊東の西出町でしたし

確かに江戸期の豪商・高田屋嘉兵衛の店や邸は西出町にありましたが、この西出町は東隣の東出町とともに「湊西」に含まれます。確かに兵庫津全体の中では、湊川河口に向かって東に突き出た部分に位置していますが、それゆえ「出町」と名付けられ、後に東出・西出に分かれたのでしょう。しかし、湊川を越えて東には出ておらず、実際、幕末期の兵庫津において湊川の東、つまり「湊東」に位置していたのは、東川崎町と相生町の2町だけです。
後に神戸区、更に神戸市と発展するにつれて、兵庫湊東の範囲も拡大していきました。
神戸市に区政が敷かれ湊東区が誕生するのは昭和6年9月1日ですが、明治期には既に「湊東区」という区域分けが為されています。
その範囲は前出の2町に加え、明治5年に兵庫津に編入された坂本村南部の仲町部、新福原、明治12年に神戸区となった坂本村残存部、明治22年に神戸市となった荒田村でした。
湊東区は神戸市一の「ミニ区」で、面積わずか2.04km2でした。(人口では湊区の方が少なかった。拙稿[3421]
町名を全部列挙してもしれているので、範囲の確認のために記しておきます。
湊東区の町名備考湊東区廃止後
東川崎町1~7丁目もと兵庫津の1町、1丁目は神戸停車場に生田区東川崎町1~7丁目
相生町1~5丁目もと兵庫津の1町生田区相生町1~5丁目
古湊通1~4丁目もと仲町部生田区古湊通1~2丁目、*兵庫区西古湊通1~2丁目
中町通1~6丁目もと仲町部生田区中町通1~4丁目、*兵庫区中町西通1~2丁目
多聞通1~8丁目もと仲町部生田区多聞通1~6丁目、兵庫区西多聞通1~2丁目
橘通1~6丁目もと仲町部生田区橘通1~4丁目、兵庫区西橘通1~2丁目
上橘通1~4丁目もと仲町部*生田区上橘通1~2丁目、兵庫区西上橘通1~2丁目
福原町新福原、旧福原が移転[5887]兵庫区福原町
楠町1~8丁目もと坂本村生田区楠町1~8丁目
荒田町1~4丁目もと荒田村兵庫区荒田町1~4丁目
*印は現存しない町名です。(昭和49~50年:新開地1~6丁目の新設、昭和55年:上橘通を橘通に統合)

私のイメージ(思い込み)では、西国街道の北側に、西から荒田村、坂本村、宇治野村、花隈村というような位置関係で捉えていました。

全くそのとおりで、まず間違いないでしょう。(花隈村の表記については、「花熊村」としている資料が多いようですが、これはどちらでも良かったのでしょう。)
ここで問題となるのは、元来の坂本村の範囲が海岸まで達していたかどうかですが、これは極めて疑問です。史料となる江戸期の地図を持ち合わせていないので断言は控えますが、小生は海岸には至っていないと思います。神戸に属する走水村についても海岸に接していたかどうか?
また、仲町部として整備された古湊通から上橘通までの区域のうち、その西部(荒田村の南方にあたり、現在は兵庫区内)も坂本村域ではなく、兵庫港地方に属していたかもしれません。

さて、ここからが本題ですが、ではなぜ兵庫の地をわざわざ湊川を境に「湊西」と「湊東」に2分する必要があったのでしょうか。
#ここから先の話は小生の主観が強く入るので、史実とは異なるかも知れません。「こう思っている人も居るんだ」という程度に聞き流して下さい。

結論から言えば、湊西を兵庫の街として残す(整備する)一方で、湊東は神戸の新都心として建設しようとしたのではないかと推察します。
湊東区のうち、元々の兵庫津の町は東川崎町と相生町の2町のみですが、両町とも神戸停車場の建設予定地に組み込まれ、坂本村南部の仲町部に新市街を整備し移転、福原遊廓も神戸停車場敷地より移転、神戸駅開業、仲町部多聞通・橘通に湊川神社を新設・・・などなど、自然拡大的な市街化ではなく、おおよそ大部分を計画的に「神戸の顔」強いては「日本の玄関の顔」として造っている印象を受けます。
小生は坂本の名の消滅について、旧坂本村が単に兵庫と神戸の「接着剤」としてではなく、まさに兵庫・神戸を統合した新しい神戸の都心として整備されたからこそ、旧村名を神戸市の町名として残さなかったのではないかと思っています。

今でこそ神戸の都心は三宮周辺となっていますが、これは戦後、特に昭和30年代のはじめ、所謂「三宮トリオ」(=神戸市役所、神戸国際会館、神戸新聞会館)が建設されたことにより加速しました。戦前の三宮地区は、神戸の「東のターミナル」という位置付けであり、都心は神戸駅前の旧仲町部周辺にあり、神戸最大の商業地は湊東区と湊西区の境、旧湊川河川敷を整備した新開地本通でした。

なお、前出の「三宮トリオ」は平成7年の大震災で揃って倒壊しましたが、神戸市役所は震災前に高層の新1号館が完成し、「トリオ」の建物2号館は、倒壊した上層階を撤去して使用、神戸国際会館は1999年に再建し、最後に残った神戸新聞会館はつい先日、10月4日に複合商業ビル「ミント神戸」として復活しました([54330]小松原ラガーさん)。

最後に、hmtさんの兵庫開港に至る日本史からのグローバルな視点、ezekielさんの神戸村と二ツ茶屋村の関係と庄屋・生島四郎の存在など、色々と新たな勉強になりました。重ねて深く御礼申し上げます。

「食パンの切り厚がどうだ」とか軽い話題の場合は別ですが、まじめに長文の投稿をする場合には、自分自身が以前より持っている知識が、実は「知識」ではなく単なる「思い込み」である場合も考えられ、出来る限り参考となる書籍などの資料の裏付を取るように心掛けています。それでもどうしても確証のもてないものは「思う」「推察する」「小生の主観」などの語句を添えるようにしています。
今回の一連の神戸に関する投稿に際し、裏付に使用した文献は角川書店「兵庫県地名大事典」、神戸新聞社「神戸の町名」、葺合区役所「葺合ものがたり」、神戸市中央区役所「中央区歴史物語」、兵庫区役所「由緒あるまち兵庫」、(財)日本地図センター「地図で見る神戸の変遷」などです。ご参考まで。
[54357] 2006年 10月 7日(土)01:17:39ニジェガロージェッツ さん
明治初期の坂本
[54322][54339] hmt さん、[54340] ezekiel さん、神戸黎明期ついてのレス諸々、有難うございます。
拙稿は神戸地元からの視点に終始しており、幕末の神戸を取り巻く情勢について日本史からの視点は大きなフォローとなります。深く御礼申し上げます。

さて、タイトルの「坂本」ですが、先般「落書き帳」で話題となった大津市の坂本のことではございません。
兵庫神戸ど真ん中の坂本のお話です。

明治初期の兵庫と神戸の統合期、両者の融合に大きな役割を果たすこととなった坂本ですが、残念ながらその地名は明治28年を最後に消滅してしまいました。
明治12年の郡区町村編制法による「神戸区」誕生について、「神戸町、兵庫津、坂本村が合併」とありますが、「坂本村ってどこ?」というのが第一の印象ではないでしょうか。
坂本村はまさに兵庫と神戸の中間に位置し、兵庫津岡方の1町「相生町」の北に接し、西は荒田村に、東は宇治川右岸(西岸)を境としていました。

[54340] ezekiel さん
とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。
(中略)
湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ~と。

ここで仰る「走水村」とは、実のところ「坂本村」ではないでしょうか。
走水村は宇治川左岸(東岸)までで湊川左岸一帯にまでは達しておらず、また兵庫津の市街が宇治川を越えて走水村を侵食したとも考え難いと思います。

兵庫津の最北東端の相生町は西国街道に面した街路町である様子が、明治5年の「兵庫神戸実測三千分箇之縮図」より伺えます。
明治7年の神戸駅の開業に先立つ明治3年6月、相生町一帯が神戸停車場敷地となることが決まり、この一帯の住民の代替土地を北に隣接する坂本村南部の田畑地帯に求め、新たに「仲町部」として市街造成が行われました。現在でも神戸駅北側(実際には西側)の街区に「中町通」という町名が残っています。
坂本村南部に整備された新市街「仲町部」には、兵庫と神戸の中間に位置するため、両者の統合を物語るように、新たな「神戸」の都心としての街並みが整備されていきました。
明治5年には楠木正成の墓地に湊川神社を造営し、同年、坂本村仲町部は兵庫津へ編入となり町名が付けられ、上橘通、橘通、多聞通、仲町通、古湊通となりました。このため、明治22年の神戸市成立以降はこれらの町名には「兵庫」を冠していました。

拙稿[54321]に提示した略図は、神戸市中央区役所発行「中央区歴史物語」(1990年12月)に収録されている図を参考に打ちましたが、坂本村の範囲については明治5年の仲町部の兵庫津への編入後のようにも見えます。幕末期の村々の位置図としては坂本村が小さいと言えるでしょう。明治5年以降の地図だとすると、明治元年には走水村、二ツ茶屋村、神戸村が統合し神戸町となっているので無理がありそうです。
[54321] 2006年 10月 3日(火)23:41:20ニジェガロージェッツ さん
明治初期の神戸
[54258] ezekiel さん、[54297] hmt さん、レス有難うございます。
特にhmtさんの「兵神市街之図」についてのお話は、大変面白く拝読させて頂きました。いつもながら的確なフォローに深く感謝致します。

[54258] ezekiel さんの神戸に関するご考察、生田への関連も含めて大変興味深いものがありますが、その前に確認までに少し。
兵庫港が神戸港に改称したのが明治25年。
これを「改称」と言えるかどうかですが、兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。明治25年に起こった事は両港の統合であり、神戸港内に含まれる兵庫港となったことです。

先の拙稿[54253]の書き込みの主旨は、2つの都市「兵庫」と「神戸」との勢力の逆転について、その逆転時期を考える上で、「神戸駅の開業」というイベントにスポットを当ててみたかったいうものでした。
[54297]hmtさんの仰るように、鉄道建設の経緯からして「神戸港」に隣接している駅名が「神戸」であるのは当然でしょう。
生田川河口から和田岬に至る海岸線は、湊川の河口を頂点に二つの扇が連なった形状をしています。
湊川河口「南側の扇」が兵庫港、「北側の扇」が神戸港と言うわけです。
ところが、兵庫の陸上での境界は「北側の扇」の中程にある宇治川です。この「陸海境界のずれ」が兵庫の地に在りながら「神戸駅」との名称になったとすれば、海岸線という地形の為せる悪戯でしょうか。

江戸期までは、どちらかというと「生田」の地名の方が通りが良かったのでは
ないかなあ~と思います。神社の名前は生田神社、その附近は生田の森で、
山手からの流れは生田川、神戸と生田では、生田の方が地名としては優勢の
ような気がします。

生田に関して言えば、「神戸」という地名が生田神社の「神封戸」を由来とするのであれば、古来は確かに「生田」のほうが格上の地名と言えるでしょう。
しかし、開港を迎えた幕末期では状況が違っていたはずです。
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。
江戸期には生田村は菟原郡、神社のある生田宮村は八部郡に所属しています。
この場合、「神戸」に対抗する「生田」と言えば、同じ八部郡に所属し隣接する「生田宮村」の方でしょうか?
しかし、この村は「社官と寺僧の家居ありて、村とは単に名のみ」と言われ、天明8(1788)年には家数3・人数18を数えるに過ぎず、幕末に至ってもこの様子は変わらなかったと言います。
一方、後の明治9年に合併して葺合村の一部となる「生田村」については、生田川を挟んだ反対側の菟原郡にあり、あくまで私見ですが開港場となった神戸村の名称とするには、無理があったのではと思います。

以下、明治初期に神戸村→神戸町→神戸区→神戸市と発展していく過程で、神戸に吸収されていった村々を簡単ではありますが略図で表してみます。
|===========△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾筒筒筒==原田=|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾尾筒筒筒====|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△滝尾尾尾尾筒筒筒====|
|=============△△△△△△△△△△△△△△滝滝滝滝滝尾村筒筒筒筒筒==|
|=============△△△△△△△△△△△北北北生熊熊熊熊村村村筒脇脇脇==|
|==============△△△△△△△△△△北北北生生熊熊熊村脇脇脇脇脇脇脇=|
|==============△△△△△△△△北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇脇脇―-|
|==============△△△△△△△中北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇――――|
|=============△△△△△△中中中北北北生生生生生生脇脇脇脇―――――-|
|=======奥平野===△△△宇中中中中中中北宮宮生生生小小脇脇脇―――――――|
|===============宇宇花花花中中中宮宮神生小小小小脇脇―――――――-|
|===石井==★=★=====宇宇花花花花花中神神神神小小小小小小――――――――|
|=======★★=荒==宇宇宇花花花花花神神神神神神神小小小小――――――――-|
|========★荒荒荒=坂宇宇宇花花走茶茶神神神神神神神小小小―――――――――|
|夢野=====地★荒荒坂坂坂坂宇宇走走茶茶茶神神神神神神神小――――――――――-|
|=======地★荒荒荒坂坂坂坂兵走走茶茶茶―――――――――――――――――――|
|====地地地地★荒荒荒兵坂坂兵兵兵茶茶――――――――――――――――――――-|
|====地地地地地★荒兵兵兵兵兵兵兵兵兵――神戸港――――――――――――――――|
|==地地地地地地地★★★★兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――-|
|===地地地地地地兵兵兵兵★★★★兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――|
|==地地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵★★★★兵兵――――――――――――――――――-|
|===地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★★兵兵―――――――――――――――――|
|===地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★―――――――――――――――――-|
|====地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|=====地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――-|
|=======兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|===========兵=兵兵兵兵――――兵庫港――――――――――――――――-|
|==============兵兵兵兵―――――――――――――――――――――――|
|==========御崎====兵兵――――――――――――――――――――――-|
|====東尻池==========兵兵兵―――――――――――――――――――――|
|============今和田=兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――-|
|========吉田========兵兵兵兵兵――――――――――――――――――|
|――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-|
|-――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――|
|△は山域、★は湊川を示します。

凡例および初代神戸市域(明治22年成立)の村々の統合経緯
略号村名明治元年明治5年明治9年明治12年明治20年明治22年
【菟原郡】
筒井村葺合村神戸市
中尾村葺合村神戸市
滝寺村葺合村神戸市
熊内村葺合村神戸市
生田村葺合村神戸市
中村葺合村神戸市
脇浜村葺合村神戸市
小野新田葺合村神戸市
【八部郡】
神戸村神戸町神戸区神戸市
二ツ茶屋村神戸町神戸区神戸市
走水村神戸町神戸区神戸市
生田宮村神戸町神戸区神戸市
北野村神戸町神戸区神戸市
中宮村神戸町神戸区神戸市
花熊村神戸町神戸区神戸市
宇治野村神戸町神戸区神戸市
坂本村神戸区神戸市
兵庫津神戸区神戸市
兵庫港地方神戸区神戸市
荒田村神戸市
[54284] 2006年 10月 1日(日)09:42:51ニジェガロージェッツ さん
オフ会御礼
オフ会にご出演された皆様。金沢で実りある一日を過ごすことが出来ました。推進役のいっちゃんさん、EMMさん、司会進行役のJOUTOUさん有難うございました。
そして、宿が取れずにサンダーバードの始発まで粘ることをを決め込んでいた小生に快く最後までお付き合いくださった、白桃さん、EMMさんのご両名には本当に申し訳なく感じております。
お疲れ様でした。小生、無事神戸に帰ってきました。

それでは、おやすみなさい。バタッ!
[54254] 2006年 9月 30日(土)00:45:00ニジェガロージェッツ さん
聞き流して下さい
いよいよ金沢オフ会デーに入りました。早くも気分は金沢に飛んでいますが、その前にたわごとを少々・・・。

[54210] 雪の字 さん
ですから、「しのだ」という呼び方は、まさにニジェガロージェッツ さんの地元から持ち込まれた、当家だけのものである可能性も高いのです。

レス有難うございます。そう言われてみると雪の字さんのおうちの「しのだ」はこちら神戸旧市街地西部発に間違いないようですね。
しかし、Yahoo!でキーワード「しのだ うどん」を検索すると、結構各地にヒットします。
名古屋にも、少なくともかつては「きつね」ではなく「しのだ」と呼ぶうどん屋があったのではないか、と思います。
確かに雪の字さんの地元名古屋でも「しのだ」は存在するようです。

[54250] たもっち さん
そのまま勢いで「柏原」の分布地図を作ってしまいました。
オフ会出発前に大きな仕事をされたようで感服です。こういう地図は大好きです(笑)
ですがもう一つ、北海道占守郡幌筵島の柏原[かしわばら]=サハリン州北クリル地区セヴェロ=クリリスク市(2005年1月1日人口2,522人)もお忘れなく。
[54253] 2006年 9月 30日(土)00:10:17ニジェガロージェッツ さん
兵庫の地にて神戸駅を開業
神戸市についての話題や地名「神戸」についての話題が続き、神戸市在住の一人として楽しんでおります。

[54186] ezekiel さん
書いた小生さえ忘れているような拙稿を発掘して頂いて恐縮です。
拙稿[18378]では全く異なる2つの都市「神戸」と「兵庫」の力関係について、その逆転の時期をぼかした表現をとっています。
1867(慶応3)年の開港時には、実際に開港したのは神戸港でありながら「兵庫港」として開港したことから、この時点では「兵庫」に軍配。
1879(明治12)年に郡区町村編制法施行に伴い、神戸と兵庫、その中間に位置する坂本村が合併して「神戸区」となったことから、この時点では既に「神戸」に軍配。

そして、もう一つ面白い尺度としては「神戸駅」の開業があると思います(拙稿[5887]に若干触れています)。
1874(明治7)年開業の初代神戸駅は、現在の神戸駅からハーバーランド(旧・湊川貨物駅)にかけての広大な領域を構内としていましたが、この場所は意外にも兵庫の領域です。
今でこそ神戸駅周辺を「神戸」ではなく「兵庫」の一部だと思っている人は少ないと思いますが、神戸駅のある現在の「中央区相生町」は神戸市誕生当初より1931(昭和6)年の区政施行までは「兵庫」を冠し「兵庫相生町」でした。(区設置以前の神戸市の冠称については拙稿[51105]に記述)
区設置後も神戸駅は神戸区ではなく湊東区でした。
つまり、兵庫の地に駅を作りながらも、その駅名を「神戸」としたことになります。
一方、本来の神戸の地にも駅を作りましたが、これを「三ノ宮駅」としました。初代の三ノ宮駅は今ある三ノ宮駅の場所ではなく、現在の元町駅の辺りにありました。

「神戸」と「兵庫」の力関係について、明治7年の時点の神戸駅の開業と結びつけるのは、ちょっと筋違いかもしれませんが、時代背景としては面白いと思っています。

なお、駅名を「神戸」と命名したことについては、こういった「陸上の論理」だけでは済まないかもしれません。
というのは、海上では神戸港と兵庫港が共存していた時代でもあり、両港の境界は湊川の河口としていました。「湊川」という河川は現在の神戸市には存在しておらず(あるのは「新湊川」です)、土地鑑のない他都市の皆さんには判り難いかもしれませんが、現在の町名で言えば中央区東川崎町(当時は兵庫東川崎町)の浜辺は神戸港域、兵庫区東出町(当時は兵庫東出町)の浜辺は兵庫港域となります。
ですから「海上の論理」では、神戸駅は正に神戸港に隣接していたことになります。
[54207] 2006年 9月 27日(水)01:18:07ニジェガロージェッツ さん
饂飩と醤油レス
[54156] 雪の字 さん
メンバーご登録、おめでとうございます。これからも宜しくお願い致します。
ところで読み方は「ユキノジ」さんで良かったですか? ここの住人は「字」を「アザ」と読みたがる人が結構多いような気がしますが、念のため。

地元愛知での小麦粉事情?について、一言寄せさせていただきます。

興味深いお話し有難うございます。雪の字さんのお話をお聞きすると、名古屋では饂飩は関東風、食パンの切り厚は関西風といったところでしょうか。日常生活において関東風、関西風のどちらにも接する機会のある名古屋圏が羨ましく思います。
特に饂飩については、神戸や大阪といったところでは、関東風を出すお店など全く聞きません。こちらにも関東出身者も多いと思うのですが、関東風をリクエストする客が少なく、商売にならないのかも知れないですね。
また「きつねうどん」を「しのだ」と呼ぶのについては、小生の地元、神戸旧市街地西部(←敢えて限定しておきます)だけではないと知り、何だか嬉しくなってきました。実際、こちらでも最近は「きつねうどん」派が幅を利かせ、メニューにも「しのだ」と書いている店が少ないのが現状です。

それは、醤油についてです。スーパー等で普通に売られている醤油は、濃口醤油なのです。
もちろん、薄口醤油も売られてはいますけれど、その数はとても少なく、何となく特別な調味料、という雰囲気があります。岐阜市内にいた時も、似たような印象を持ちました。

醤油については、こちらは兵庫県内に淡口醤油の本場・龍野が控えているので、淡口のイメージがあるかも知れませんが、実際にはどちらかといえば濃口醤油の方よく売られているのではないかと思います。
[53917] 2006年 9月 11日(月)23:25:40【1】ニジェガロージェッツ さん
六大都市
七番目の百万都市、北九州市が誕生するほんの少し前に生まれた小生(同級生の友人に北九州市誕生と同じ日に生まれたヤツもいます)ですが、白桃さんや稲生さんと同じく、六大都市派です。
しかし、小生の幼少期である昭和40年代前半は既に北九州市を加えた七大都市になっていたので、世間とずれていたのかもしれません。
これには、当時六大都市の六番目であった神戸市の住民だったという事情もあったのかもと最近では思っています。小学校3年生で「わたしたちのまち神戸」という社会科の教科書(←といってもよろしいかと)があり、神戸市の地理を学習しました。校外学習では学年全員でバスに分乗して神戸市内を巡りました。行った先は東部市場(東灘区)と、苅藻島にある最新悦と言われたゴミ処理場(長田区)の記憶があり、途中、架橋直後の神戸大橋を渡り、ようやく海上に僅かに陸地を出したばかりのポートアイランドに降りて感動したのを覚えています。
そして、その先々で「神戸市は六大都市のひとつで・・・」と説明を受けました。もっとも、聞く側の児童もそんなことは百も承知で、大人が子供に街を語る時は「神戸は六大都市」と必ずと言ってよいほど付け加え、まるで「神戸」に掛かる「枕詞」でした。
また、当時の大人の意識としては、昭和初期より六大都市と次の七番目の都市とは人口に大きな開きがあり、合併によって突如誕生した七番目の百万都市・北九州市がいまひとつピンと来なかったのかも知れません。

そして、六大都市の順番も頭の中では固定化されていました。
まず三大都市の1東京、2大阪、3名古屋の順。そして4横浜、5京都、6神戸でした。
[53899]白桃さんと同じですね。

昭和45年当時、家に学習百科事典があり、そのうちの地理事典には45都府県別の行政区画地図があり、特別区(濃桃)、市(赤)、町(黄)、村(緑)別に色分けされ、市には人口(万人)が併記されていました。(北海道は略図でした。沖縄はまだ返還前です。)
それによると、東京889、大阪306、名古屋201、横浜199、京都135、神戸125、北九州110、次に札幌88が続いていたと記憶しています。おそらく、昭和43年ごろのデータでしょう。(大阪、名古屋、横浜、京都、神戸以外はうろ覚え)
ところで、この「六大都市」は、雑談での話ですが、他国の都市にも用いていたのを聞いた覚えがあります。「シカゴはアメリカの六大都市」と言った具合にです。
知人(故人)に戦後シベリアへ抑留された人がいましたが、実際にはシベリアではなく、中央アジアのタシケントでした。その人が「タシケントはソ連の六大都市で・・・」と説明してくれたのを覚えています。

ちなみに、当時1970(昭和45)年の日米ソ「六大都市」はこうでした。太白さんのサイト拙サイトより人口データを集めました。
順位【日本】1970年人口【米国】1970年人口【ソ連】1970年人口
東京8,840,942ニューヨーク7,894,862モスクワ6,941,961
大阪2,980,487シカゴ3,366,957レニングラード3,512,974
横浜2,238,264ロサンゼルス2,816,061キエフ1,631,908
名古屋2,036,053フィラデルフィア1,948,609タシケント1,384,509
京都1,419,165デトロイト1,511,482ハリコフ1,222,852
神戸1,288,937ヒューストン1,232,802ゴーリキー1,170,133
(次点)
北九州1,042,321ボルチモア905,759ノヴォシビルスク1,160,963
札幌1,010,123ダラス844,401クイビシェフ1,044,849
川崎973,486ワシントン756,510スヴェルドロフスク1,025,045
福岡853,270クリーブランド750,903ミンスク907,104
(注)レニングラードは現在のサンクト=ペテルブルク、同様にゴーリキーはニジニ・ノヴゴロド、クイビシェフはサマーラ、スヴェルドロフスクはエカテリンブルクです。

そして、ここ神戸で「六大都市」という言葉をあまり使わなくなったのは、おそらく昭和50年代中頃のことではなかったでしょうか。
時期的には昭和54年に神戸市は人口で札幌市に抜かれ、実質「六大都市から陥落」しており、ちょっと出来すぎた話ではありますが・・・。
その後、神戸については人口で7・7・7と言っていた人もいました。
「世界人口第7位の日本の、第7位の兵庫県、第7位の神戸市」
現在では、「世界人口第10位の日本の、第8位の兵庫県、第6位の神戸市」ですから、これも崩れています。
[53906] 2006年 9月 11日(月)02:13:59ニジェガロージェッツ さん
食パンの部厚さ
長くなりそうなので、話題を分けました。

[53858] EMM さん
夫婦でコンビニを経営している従姉がいて、たまたま店に寄ったらいたので試しに聞いてみたら、5枚切りと6枚切りが置いてあるけど6枚切りの方が出ている、とのこと。

[53868] 般若堂そんぴん さん
米沢では6枚切と8枚切が多く,4枚切もあります.

レス有難うございます。
あと静岡では、6枚切:8枚切:5枚切:4枚切で、5:4:2:1(だったかな?)という面白い記事を拝見した記憶があるのですが、今あらためて見ると削除されていて、ちょっと残念。折角情報を頂いたのにレスをお返しするのが遅くなり、こちらに問題があったようで申し訳なく感じています。

小生は一人暮らしということもあって、賞味期限から4枚切を買うことが多いですが、それにしてもメーカーものの食パンにさえ、これほど地域差があるとは興味深いです。8枚切の売っていない地域と5枚切の売っていない地域があり、場所を変えれば他所では売っていないパン厚がよく売れていたりするのは、これも食文化のひとつでしょうか。

神戸、といっても住宅地の性格(単身世帯が多い地域とか、ファミリーが多い地域とかの意味で)にもよりますが、小生の地元(長田区の下町)では、6枚切:5枚切:4枚切の割合が4:5:1~2くらいではないかと思います。8枚切は滅多に売っていません。
[53904] 2006年 9月 11日(月)01:38:22ニジェガロージェッツ さん
饂飩(うどん)
[53858] EMM さん
石川は日清製粉の「どん兵衛」がWマークだったり、うどん屋にそばがあるのが普通だったり…と言う点では関西風ですし、うどんのつゆも関西風に分類されているようです。

やはり関西風でしたか。饂飩の出汁の関東風・関西風の境界については、よく東海道線を例にあげて検証しているものが多いようですが、はっきりと岐阜県(関東風)と滋賀県(関西風)の県境あたりと結論付けているものも目にします。
「落書き帳」でも、いなさんを中心に過去に話題が及んだこともあり、結構ポピュラーな話題なのでしょう。
(以下、引用が多くなり恐縮です)
[6751] いな さん
浜松・豊橋は関東系の黒い出汁だったが、三河安城駅にはうどん屋さんが無く
名古屋に行ってみたら、関西系の薄味風だった。
で、ふたたび三河安城に戻って、駅の近くのうどん屋さんに行って聞いてみたら、関東系と関西系と2種類を常備して使い分けていたという、出来たような話だった。
[6757] 飛騨守 さん
ど○兵衛は静岡地区で二種類の出汁(スープ)
を用意しているそうです。粉末スープの袋が「青」なら関東系で「赤」なら関西系と
いう話を聞いたことがあったのですが、先日関東で赤袋を発見したのでどうやらデマ
だったようです。
[6786] いな さん
それの北陸版でしょうか、富山県に2種類出荷しているんだと言っていましたね <色までは覚えていないけど。
[28353] かすみ さん
カップうどんの「どん兵衛」は関ヶ原を境に、西では「淡口醤油に鰹と昆布」、
東は「濃口醤油に鰹」と変えています。「赤いきつね」も確か東西で違うはず。

実は小生、まだ本格的関東風の饂飩を食したことがなく、ちょっとした憧れを持っています。
というのは、関西で関東風の饂飩を用意しているお店を聞いたことがありません。
仕方がないので、最近まで「どん兵衛」にわざわざ濃口醤油を足して、出汁を黒くして食べていました。
(高血圧になると言われていますので、真似をしないで下さい。)
以前、YSKさんにご案内していただいた両毛地域で、途中に日光の売店で饂飩を注文したのですが、あちらは全国的な観光地ということで、結構万人受けするようにマイルドな味(色)にしていました。
(ということで、拙稿[20992]は誇大表現です)

[53858] EMM さん
一番ポピュラーなメニューは「いなりうどん」ですかねぇ。
他の地方の方には「なんじゃそりゃ?」でしょうが、要はきつねうどんです。

神戸の下町では「きつねうどん」を「しのだ」と呼んでいます。
「しのだうどん」ではありません。単に「しのだ」です!
最近では他都市発のチェーン店なども多く、今では「きつねうどん」と呼ぶ人も多いようですが、小生はメニューに「きつねうどん」と書かれていても、「しのだ」と注文します。(笑)
この「しのだ」、大阪では全く聞かなかったので(あちらは「けつねうどん」)、神戸独特のものかと思っていたら、そうでもないようですね。
なんでも、きつねが油揚を好むということから、和泉国信太の森の狐の伝説によって命名されたとか。

ともあれ、金沢の饂飩が今から楽しみです。
[53851] 2006年 9月 7日(木)11:42:15ニジェガロージェッツ さん
食パンの切り厚
こんにちは。
またまたご無沙汰です。政令指定都市の話題など面白いお話しが続き、勉強になります。
いろいろレスしたいのですが、それはさておき、先日金沢行きの切符の手配を済ませました。

[53749] EMM さん
う~ん、金沢の町中でエンドレスで朝まで粘れる店ってのがきわめて少ないのです。

地元在住のEMMさんの有難いご忠告でしたが、やはりこちらの予算内で宿を取る事が叶わず、結局金沢駅5時40分始発のサンダーバードまで粘ることにしました。何が起こってもこれは自己責任ですから、なんとか時間をつぶします。

石川県には輪島市に宿泊の経験があり、また県最北端の舳倉島へも渡ったことがありますが、金沢市内はいつも通過ばかりで、今回は実質初めての金沢入りになります。市内の散策が今から楽しみですが、ちょっと食関連のことにも興味があり、例えば現地の饂飩の出汁が関東風か関西風かとか、あとこれも地域差があるらしいのですが、スーパーで売っている食パンの切り厚。
こちら神戸では、5枚切が一番よく売れているのではないでしょうか。関東では8枚切がよく売られているそうですが、神戸ではめったに目にしません。
そのあたり、関東でも関西でもない北陸の金沢ではどうなっているか興味があります。
#高尚な地理見聞よりも、どうもこういう俗な関心ばかりでお恥ずかしい限りですが・・・。
[53484] 2006年 8月 18日(金)21:56:48ニジェガロージェッツ さん
白桃さんへ
[53482] 白桃 さん
お喜びいただいて恐縮です。
総務省統計局のHPでは、既に13県で発表になっておりました。
確かにそのようです。(注)8月18日現在では、13県で発表です。後日ジャンプするともっと増えていることでしょう。)
総務省統計局のHPは小生もチェックしていませんでした。(統計局のHPは結構見ていますが、如何せん国籍が違う!)
こちらこそ、白桃さん有難うございました。

ところで、神戸市分の人口は
速報値 1,525,389
確定値 1,525,393
とその差わずか4人。ほんまかいな。
[53478] 2006年 8月 18日(金)14:57:07【1】ニジェガロージェッツ さん
兵庫県人口も減少へ向かう
神戸新聞の記事によると、兵庫県人口の2005年国勢調査確定値が5,590,601人となり、2000年の前回国調人口と比べた増加率はわずか0.7%にとどまったそうです。
県の推計予測では2010年の5,617,000人をピークに減少に転ずるとしていましたが、それよりも早期に確実に兵庫県も人口減少社会に近づいているもようです。

最近この落書き帳にて、兵庫県人口が北海道人口を追い越す可能性があるとの記事を目にしましたが、長期的には兎も角、近年のうちにとなるとちょっと難しいのではないかと思います。
[53363] 2006年 8月 14日(月)00:14:02【1】ニジェガロージェッツ さん
ご無沙汰お詫び
ご無沙汰しております。神戸のニジェガロージェッツです。
私事ですが、6月中頃に急遽住み慣れた長田区の高取山麓を離れ、転居することが決まりました。
震災以来、幾度もの転居を繰り返しましたが、いずれも仮設住宅や仮設店舗を設置、あるいは用意されていたりして、言わば「受け皿」があった転居でした。
ところが今回は新居などの「受け皿」は無く、今ある店舗の休憩室のような3畳ほどの空間に、すべてを押し込むような無茶な引越しを余儀なくされています。

当然、蔵書などは大量処分の対象です。(涙)
[51466]TN さん
資金を募り、空き店舗を借りる。そして、各人の蔵書を持ち寄り会員制の地図図書館を開く。
こんな図書館があれば本当に救われたのですが、小生の場合には間に合いませんでした。日本語で書かれていないような地図類はできるだけキープしていますが、古いマップルや和楽路屋の道路地図などは置き場所が無くて困っています。
とはいえ、今回はホームレスにならなかっただけ、良しとしましょう。

という訳で、以来今にいたるまで引越作業のドタバタの最中で、今までのネットへの接続環境も失われ、長らくネットからは遠ざかっておりました。先週ようやく転居先にネットが開通しましたが、まだあとひと月ほどはドタバタが続きそうです。

さて、遅くなりましたが、レスを少々。

[52031] TN さん
スナフキんさんが仰る様に、PCに向かって文字は打てているから大丈夫です。
安心致しました。ですが今は酷暑の真っ只中です。どうぞお身体ご自愛下さい。
ニジェガロージェッツさんは血圧が高めのご様子で、夜更かしにはお気をつけ下さい。
お気遣い有難うございます。
とはいえ、今回の強引な引越し作業の途中に心臓に変調を来たし、ぶっ倒れて救急車で運ばれました。一泊で退院出来たのですが、担当医に今後のことを尋ねると、知らないほうが身のためだと言われました。何か引っかかります。今後、本当に血圧だけは気をつけます。

[52998] EMM さん
編集スタッフのところにニジェガロージェッツさんを加えて下さい。
[53250] グリグリ さん
追加掲載が遅れてすみませんでした。対応しました。

ご対応有難うございます。折角デビューした「区コレクション」ですが、その後は前述の理由により、まったくフォロー出来ずにおります。事実上「幽霊スタッフ」ですが、暮らしに落ち着きが取り戻せた暁には、再度着手させて頂きたく存じます。
今しばらくのご無沙汰をお許しください。
[51716] 2006年 6月 11日(日)12:09:52【1】ニジェガロージェッツ さん
ドイツ開催都市の人口推移
[51715] YASU さん
ただいつのまにかケルンが100万都市になっていたとは、驚き!(なんか周辺部の田舎まで含んで水増ししているような・・)
小生は現地に行った事は勿論ないのですが、20年以上前より国連の人口統計を見るのが好きだったので、ケルンの人口は印象に残っています。それでも、いつも95万人前後で推移していたのを記憶しています。

以下、1987年5月25日、1995年12月31日、2003年12月31日現在のドイツ・ワールドカップサッカー開催都市の人口データを列挙します。但し1987年のデータのうち、ライプツィヒは東独の都市、ベルリンについても東独の東ベルリンを含むため、近似時期によるデータおよびその合成値であることが推測されます。
(人口データはCITY POPULATIONより得ました。ドイツのサイトですが、世界のあらゆる都市の人口が網羅されています。特に日本については、都道府県別に表示できる優れものです。)

都市1987年1995年2003年順位(2003)
ベルリン3,260,0003,471,4183,388,4771
ハンブルク1,592,7701,707,9011,734,0832
ミュンヘン1,185,4211,236,3701,247,8733
ケルン928,309965,697965,9544
フランクフルト(マイン)618,266650,055643,4325
ドルトムント584,089598,840589,6616
シュツットガルト551,904585,604589,1618
ハノーバー494,864523,147516,16011
ライプツィヒ550,641517,812497,53113
ニュルンベルク470,943492,425493,55314
ゲルゼンキルヘン287,508291,164272,44522
カイザースラウテルン97,326102,00299,09584

人口50万人以上で、開催都市から外れたのは、エッセン(589,499人―7位)、デュッセルドルフ(572,511人―9位)、ブレーメン(544,853人―10位)、デュースブルク(506,496人―12位)の4都市です。
このうち、エッセン、デュッセルドルフ、デュースブルクはいずれもルール大都市圏内にあり、同大都市圏よりドルトムント、ゲルセンキルヘンが開催都市に選ばているので、バランスでしょうか? ケルンもルール大都市圏の南に近いですね。(というより、ケルンもその一部か?)
[51679] 2006年 6月 7日(水)00:40:04ニジェガロージェッツ さん
uub 初書き込み
uub.jp の「落書き帳」には、初めての書き込みをさせていただきます。(笑)
久しぶりに自分の暗証コードをニックネーム欄に入力しました。
さて、短レスを二つばかり。

[51634]グリグリ さん
正式アナウンスしていませんが、glin.jp とまったく同じように uub.jp も使えます。

安心致しました。初めて uub.jp の「都道府県市区町村」に辿り着いたときは、あまりにも同一のサイトだったので、とんでもないパクリか、それともグリグリさんご自身による密かな企みかとびっくりしてしまいました。案外皆さんご存知だったようで、何か小生ひとりが小躍りしてしまったようで、お恥ずかしい限りです。
これからどのような形で発展していくのか、それとも glin.jp と uub.jp とが差別化されていくのか楽しみです。


[51675]小松原ラガー さん
というか、ちょっと軽率でした。

いえいえ、軽率だなんて本当にとんでもないです。小松原ラガーさんより[51652]記事で提示のあったデータへの素朴な疑問がなければ、小生とて[51652]を読んで、各駅の乗車人員を少ないまま鵜呑みにしてしまうところでした。こちらこそ、重ねて感謝申し上げます。
[51656] 2006年 6月 5日(月)00:30:52ニジェガロージェッツ さん
東灘区内JRおよび阪急各駅の乗車人員
[51653]小松原ラガー さん

神戸市内鉄道各駅の乗車人員のデータについては、ネットで公開されている最新のもので第82回神戸市統計書―平成17年度において、平成12年度~平成16年度のものが入手できます。
但し数値は年間で1000人単位となっています。従って、一日あたりに換算するには数値を千倍して365(または366)で割る必要があります。

以下、話題になっている東灘区内のJRおよび阪急の各駅の乗車人員は、平成16年度のもので以下のようになります。
駅名平成16年度(千人)一日あたりの平均(人)
住吉(JR)12,90335,351
摂津本山(JR)7,93221,732
甲南山手(JR)3,3849,271
御影(阪急)3,4709,506
岡本(阪急)6,71718,402

小松原ラガーさんご紹介の「データで見るJR西日本2005」による平成16年度の数値と、まず一致しています。

データの取り扱いには、まず期間と単位に注意する必要があります。ですから、
[51652]桜トンネル さん
岡本駅の乗員人数は平成9年の時点で6661人というデータがあります。
というデータは
「平成9年の時点で年間6661000人というデータがあります。」ということだと推察します。
[51602] 2006年 6月 2日(金)02:03:44ニジェガロージェッツ さん
謎?URL
お久しぶりです。
[51536]でるでるさん、お忍びで神戸にお越しだったとは!
確か2003年9月に神戸をご案内した時には、初めてのご来神だったと伺いましたが、昨年のオフ会に続き何度も神戸をリピートいただき、神戸っ子の一人として嬉しい限りです。
次に訪問する時にでもお会いする機会があれば嬉しいなあ、と思っております。
またのご来神、楽しみにしております。

さて、「区」コレクションの更新作業が全く手についておらず、申し訳ございません。今しばらくお時間を下さい。
ところで、調べ物をしているうちに謎?のホームページにたどり着きました!

http://uub.jp/

なんでしょう?
[51471] 2006年 5月 25日(木)00:58:11ニジェガロージェッツ さん
TNさん、どうぞご自愛ください
[51466] TN さん
ご健康を害されておられる様で心配です。お仕事ご家族のことなど、何かと気懸りでしょうが、どうぞしっかりと治療され、一日も早い全快をお祈りします。

前言は撤回しないとはいうものの、六甲行は何時の事になるやら・・・。

どうぞご無理の無いように。六甲の全縦大会は神戸市の不滅のイベントです。何十年先でも六甲が崩落しない限り、開催されることでしょう。(笑)
それより、先の拙稿でTNさんの古い「公約」をほじくり返してしまった形になり、変なプレッシャーをかけてしまったのではないかと反省しております。
小生は六甲全縦大会に83年と84年の2度参加し、いずれも宝塚まで完走しましたが、あれは半端ではなく、本当にきついです。
小生の完走経験とはいっても、今より20キロ以上体重が軽かった20年以上前の話で、今の体力と体型と血圧(ちなみに上190の下130です)では、とてもではありませんが完走など出来ません。本来ならTNさんとお供できれば宜しいのですが・・。

そんなことより、どうぞお身体をご自愛いただければと願います。

所蔵物の中に更にワラヂヤ関係の物がありました。「紀元二千六百年記念版 最近調査大日本分縣地図併地名総攬」発行所が国際地学協会で著作兼印刷発行者が日下伊兵衛、というものです。
いいですねえ!こういう書籍。何やら朝鮮や台湾の地名まで網羅していそうですね。当時の日下和楽路屋書店も結構この分野では大手だったのかと思うと、時代の流れとはいえ、ワラヂヤの破産は残念でなりません。

資金を募り、空き店舗を借りる。そして、各人の蔵書を持ち寄り会員制の地図図書館を開く。
落書き帳で募れば恐ろしい地図図書館が出来そうですね。
小生が提供できるとすれば、昭和50年代の和楽路屋の神戸市区分地図でしたら、ほぼ毎年のものが揃っています。
あとは、ロシアの第439中央実用軍事地図工場で出版された地図帳が幾冊かありますが、いらんですね。(笑)
[51417] 2006年 5月 21日(日)15:40:57ニジェガロージェッツ さん
Re:深草区、醍醐区、・・・
[51410] 稲生 さん
分区する計画はないのでしょうか?
[51415] 小松原ラガー さん
分区の話(というか噂?)は20年程度前から出ている模様です。

京都市伏見区の分区のお話ですが、以前に[1569]みゆりんさんに対して、地元の京都市伏見区民さんより詳細な書き込み[3419]がありました。ご参考までに。
[51376] 2006年 5月 18日(木)02:00:13ニジェガロージェッツ さん
ワラヂヤの地図は不滅で・・・あって欲しい。
いつもながらの遅れレスにて恐縮です。

[51327] 千本桜 さん
わかるなぁ、その気持。で、買ったばかりの分県地図を広げるとき、喜びで手がワナワナと震えませんでしたか?。
見事にお見通しのようで。
当時の自宅から書店まではわずか200m程しか離れていなかったのですが、書店で地図を受け取ると、家に着くまで待てないんですよ。ちょうど途中に公園がありまして、その公園ですぐに地図を広げて見入っていました。
親に地図を没収されたのが小学校3年生の秋頃の話で、翌年4年生になると社会科の教材で地図帳が配られます。おなじみの帝国書院の小学生用のものです。そうとは知らず、始業式の後で教科書の配布を受けた時に、面白くない教科書の中に地図帳が混じっていた時の感動というか興奮は、あまりのことで「手がワナワナ」どころの騒ぎではありませんでした。

同じです。ただし私は収集癖が無い代わりに空想地図を描くのが好きでした。
小生も地図を没収されてから、空想地図の世界に走ってしまいました。おおよそ不真面目な児童でしたから、授業中にノートの空白に勝手に地図を書いていたりして、抜き打ちのノートチェックがあったりすると悲劇でした。
千本桜さんのような地理知識を集大成させてのような空想地図ではなく、所詮子供の落書きですが。


[51339] 2006 年 5 月 15 日 (月) 13:01:48 スナフキん さん
ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。
スナフキんさんも持っておられる「ザ・マップ京阪神」は、小生もお気に入りの一品で、地図のデータとしては随分古くなってしまいましたが、今でも離せない大事な地図です。(因みに1993年版です)
個人的に好きだったのが、ワラヂヤの地図の中では後発でしたが、A0判の一枚物の道路地図でヨーロッパスタイルの折畳式の銘打った「マップ東西南北 1/10万・道路地図」。
地図上に見やすく情報が纏められていて、当初600円だったものが後に800円になりましたが、その分、紙質が破れ難にものに改良されたり、標高に応じて彩色が加えられたりして更に綺麗な仕上がりになっていました。
同じようにA0判の一枚物の「ヨーロッパスタイル」で縮尺1:18000の「京阪神広域アーバンスタイルシリーズ」も面白い地図でした。18枚の地図を揃えると和歌山から大津に至る京阪神都市圏をカバーできるのですが、こういう行政区画にとらわれない一枚物の市街地図というのも新鮮でした。
「西神・明石エリア」などというローカルな一枚物の市街地図を見たときは、嬉しかったのを思い出します。
この市街地図も町名は青文字、町丁界は緑の破線で描かれています。嬉しい色使いです。
「四丁目」をきちんと(四)と表記しているのも嬉しいところです。もともとどの地図もこの表記だったのですが、最近では(4)としたり、単に 4 とナンバーで書かれると、全く購買意欲を失います。
小生個人の単なるこだわりですが、「四丁目」は地名の一部であって、符合番号の類ではないので、こと地図に関しては算用数字で書かれるのは嫌いです。

[51350][51354] EMM さん
[51353] 般若堂そんぴん さん
ワラヂヤの地図を継承した株式会社デジタルマップスに関しての情報、有難うございました。

で、業務案内のところを見ると「ワラヂヤ」の地図を継承している旨はっきり書いてありました。
受注制作中心で営業範囲は主に近畿地方…ってのも当たってたみたいです。
通信販売の拡充に今後期待、と言うところでしょうか。
本当にワラヂヤの地図がこれからも生きていて欲しいと願うばかりです。
[9573] TN さん
注文しておいた六甲全縦のMAPが最近神戸市より届きました。
このMAPもワラヂヤ版ではなかったでしょうか?

[51356] 稲生 さん
やっぱり、ここに来られる皆さんの地図への憧れは相当なものだったのですね。
私は[24959]で示したように、小学校2年の時の日地出版の分県地図集めからスタートしました。
「和楽路屋」「日地出版」ともに、今はなくなってしまい寂しい限りですね。
いやいや、小生など稲生さんはじめ皆様の足元にも及びません。
ただ、まとまった金を手にすると地図に手を出してしまう思考回路は子供の頃から変わっておらず、日頃より金欠で夜にパートに出ないと生計が維持できないほど追い詰められているにもかかわらず、昨年末の交通事故に関連してちょっと慰謝料のようなものを手にするとこういうものを買ってしまうところが不治の病です。

それにしても、ニッチの地図まで無くなってしまったとは、残念でなりません。
ワラヂヤの市街地図も見事でしたが、日地出版のそれもある意味感動ものでした。
20000分の1の「TOWN MAP 神戸市」には、須磨区から東灘区に至る旧市街地の背後の山間部や山域の小字の境界線まで書かれています。例えば中央区葺合町と神戸港地方、兵庫区平野町と烏原町、須磨区妙法寺、車、多井畑、白川などにあるその下の細かな小字が網羅され、字界まで表記されています。
こんな地図、ニッチマップ以外では見たことがありません。
[51318] 2006年 5月 13日(土)22:54:46【2】ニジェガロージェッツ さん
ワラヂヤの地図
ワラヂヤの地図が話題になり、懐かしい限りです。
[51299] EMM さん
ワラヂヤがその後どうなったのかは上記の検索結果からは分かりませんでした。

兵庫県信用組合では毎年新年の「兵庫県地図カレンダー」を顧客に配布しています。縮尺25万分の1の兵庫県地図を使用していますが、この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
しかしこの地図、どう見てもワラヂヤの地図なんで、旧年の古い「兵庫県地図カレンダー」を調べてみると、2001年のものには地図の片隅に「ワラヂヤ」と書かれていました。
2002年のワラヂヤ出版の自己破産申請直前に製作されたと思われる2003年のものには社名は入っておらず、翌2004年版から「(株)デジタルマップス」となっています。
倒産した旧ワラヂヤ出版と現在のデジタルマップスの関係は分かりませんが、この兵庫県地図がその後の市町合併などの変更を反映し「生きている」ところから察すると、何らかの形で業務の引継ぎのようなものが存在しているのかも知れません。(部外者の邪推はよろしくありませんが・・・)

戦前の日下和楽路屋書店(日下伊兵衛)、戦後の和楽路屋商事、ワラヂヤ出版と言えば、関西では地図出版の老舗で、昭和40~50年代半ばにはどの書店でも道路地図や市街地図と言えば和楽路屋のものが多く置かれていました。書棚には他にナンバー出版のものや、大阪人文社が印象にあり、現在ほぼ独占の感がある昭文社はあまり記憶にありません。
和楽路屋の地図は一枚物の大判の都市地図にしても、冊子の大都市の区分地図にしても、見た目に派手ではないものの地図の表現が繊細で、ファンも多かったのではないでしょうか。
今でも古本屋で戦前の都市地図に出くわすことがありますが、和楽路屋のものも少なくありません。
神戸市では各区役所に転入者向けに区の市街地図を用意していましたが、それらもワラヂヤの地図でした。昨年の神戸オフ会の備後市ゲームの景品に、昭和50年代の「生田区あんない地図」「中央区あんない地図」が出ていましたが、それが正にワラヂヤのものです。(誰がゲットされたかは?)

小生はCMの効果もあって、子供の頃より「地図は和楽路屋」だと思っていました。
昭和46年当時、小学校3年生だった小生は毎週月曜日に貰う「一週間小遣い」150円を手にすると一目散に書店へ行き、130円~140円で売られていた和楽路屋の分県地図を買うのを楽しみにしていました。
結局20枚ほどの分県地図や市街地図を溜め込んだところで、地図ばかり眺めて全く勉強しない愚息を好ましく思っていない父に全ての地図を「大人になるまで預かっておく」といって没収されて、地図収集を厳禁にされてしまいました。
成人になり、「あのときの地図返さんかい!」と返還を求めたところ、僅か15年ほど前のことにもかかわらず「何のことや?」と全く覚えておらず、家中の押入れなどをひっくり返す「実力行使」にでたものの発見には至らず、それから10年後には家そのものが震災で倒壊して「万事休す」でした。あ~勿体な!
[51311] 2006年 5月 13日(土)15:05:16ニジェガロージェッツ さん
昔は三田市南区ってありました
[51216] じゃごたろ さん 伊那市の区
[51231] EMM さん 山代温泉の区
[51309] 牛山牛太郎 さん 多賀城市と東松島市の区

「区」コレクションへのメッセージ、ありがとうございます。
こうして情報をいただくと、今回の基にした郵便番号簿がコレクションの土台としては、かなり不十分ではないかと思えてきます。
とはいえ、全国一律に同一条件のもとに地名を手軽に閲覧できるものは郵便番号簿以外にはちょっと思い浮かばないので、今後どうしたものかと悩むところです。
住所一覧から地図を検索できるいつもガイド-ゼンリンの詳しい地図サイトを片っ端からあたっていくのも一案ですが、なにぶんにも時間が掛かりそうで・・・。

一つの案として、落書き帳の書き込みにてご提供いただいた「区」だけでも、別表のような形で、コレクションに反映したく考えております。この形だと、とても全国各地の「区」を網羅・発掘するものではありませんが、折角いただいた貴重な情報を過去ログに埋没させてしまうのはあまりにも勿体無く感じます。
[51204] 2006年 5月 7日(日)01:43:19【1】ニジェガロージェッツ さん
住所に無い区
[51185] EMM さん
「区」という名称については色々な性質のものが現地で入り乱れているようですので、今回のように調査元の資料を限定した上でその中から分類するのが一番まとめやすい形だろうと思います。

ご指南有難うございます。基にしたのは「平成17年度版・郵便番号簿」ですが、これに記載されている「区」の付く地名をあたっていくと、確かに、仰るように
たとえば本来自治組織名などだったものがいつの間にか小字的に使用されるようになり、郵便番号7ケタ化の際に1つ1つの「区」に番号が付与された、とかなんでしょうかね?
と推察される「区地名」が少なからずありました。
そこで一番示唆に富んだ実例が、[50978]にて88さんよりお話のあった高松市木太町にある区でした。実際の住所として現地の小学校の3通りの住所表記
正式高松市木太町1350番地1
「区」使用高松市木太町2区1350番地1(「二区」も可)
不動産登記簿高松市木太町字本村1350番1
には、考えさせられました。
この高松市木太町の区には個別の郵便番号の設定は為されていませんが、小生が『「区」コレクション』にて
(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区
に分類した各区は、それぞれ各地の事情はあるとは思いますが、その多くは同様の経緯で設けられた「区」ではないかと推察します。

では逆に、人口3万を擁する高松市木太町に何故区別の郵便番号が設けられなかったのかという疑問もありますが、それこそ「各地の事情」があってのことでしょう。言い換えれば、郵便番号の設定基準には、傍目に見て結構「ぶれ」の多いものだと感じずにはいられません。
一方、近年では「住所に無い区」に設けられた郵便番号が抹消されるケースがあります。
例えば、山口市に編入された旧・山口県吉敷郡阿知須町には「青畑区」はじめ49の区があり、それぞれに郵便番号の設定がありましたが、これらは抹消されています
また、現在は中津川市に編入されている旧・岐阜県恵那郡蛭川村は、「一色区」はじめ14の区がありましたが、こちらは中津川市編入前にすでに抹消されていますが、現在でも住所として「中津川市蛭川一色区」などとして、生きている可能性があります

こうなれば、郵便番号7桁化が実施された当時の郵便番号簿をもう一度洗いなおして、番号簿より「抹消された区」を収集する必要さえ感じます。

[51200] にまん さん
岩国市由宇町の北区と西区ですが、(中略)もともと由宇町の大字なしの地域ですので通称名として使われているというのが実態ではないでしょうか。

早速のご教示有難うございます。
岩国市由宇町の北区と西区については、正式な住所かどうか最後まで迷いましたが、北区がMapionにて確認できましたので、地名としての実体が存在すると判断しましたが、西区については確認が取れませんでした。Mapionでの記載漏れとも考え、独断で『(2)町・字名の区』に分類しました。
しかし、にまんさんのご指摘どおり、やはり『(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区』に分類すべきものでした。訂正を掛けておきます。

さて、今回の『「区」コレクション』を補完する上で、僭越ながら参考記事のアーカイブを提案したく存じます。
『政令市以外に存在する「行政区」の実態』と題して、地域自治区・合併特例区を中心に、最近の記事を集めてみました。
YSKさんご編集の既存アーカイブ『町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?』と重複する記事もありますが、一度ご検討いただければ幸いです。
[51161] 2006年 5月 4日(木)01:23:18【1】ニジェガロージェッツ さん
「区」コレクションを公開しました
とりあえずタイトル通り、「区」コレクションが形になりましたので先ほど公開しました。

[51003] EMM さん
最初のイメージから考えると、やはり正式な住所として使用される例のみを対象として集めて行くのが良いのではないでしょうか。

的確なフォロー有難うございます。
地名の出所としては郵便番号簿に限定しました。ただこれに記載されているものでも、実際の住所として用いられているのか疑わしいものも多々あり、説明文にも書いていますが、各地の「区」の性質上、
(1)合併に際し、旧市町村を「区」としたもの
(2)町・字名の「区」
(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区
の三種類に分類しました。但し(2)と(3)の分類につきましてはグレーゾーンに該当するものがあり、分類するのに悩みました。郵便番号簿だけでなく、各地の自治体のホームページも参考までに覗いて見ましたが、実際のところはどうなのかは、現地の方でないと分からないような気もします。

参考データとして、少し古いですが2000年国勢調査人口も書き添えています。出所は以前に白桃さん[7952]に教えて頂いた総務省の字別の2000年国勢調査人口、町丁・字等境界図から拾い集めました。
こういう思いつきはさておき、実際に人口データを収集してみると、姫路市の区などはいちいち字・丁目ごとの数値を全て拾い出し、合計する作業に発狂しそうになりました。(笑)

まだまだ不備な点はあろうかと思いますが、見つけ次第更新作業にて訂正を重ねたく存じます。

[51033] 88 さん
♪区っ区区っ区~ 区っ区区っ区~
これを歌っていた歌手、別の曲の冒頭で自身を「大阪市の一部」のように告白していましたね。
[51105] 2006年 5月 2日(火)00:47:02【2】ニジェガロージェッツ さん
旧神戸市街地に見られた「冠称」
[51090] hmt さん
面白いのは神戸市で、神戸海岸通一丁目以下「神戸」を冠する51町、兵庫多聞通一丁目以下「兵庫」を冠する79町、それに八部郡荒田村、菟原郡葺合村となっていました。前身として「神戸」と「兵庫」という2つの市街地が存在したことがはっきりと示されています。

過去の拙稿までリンク頂き、恐縮です。
少し補足させていただきます。
戦前の神戸市の住所表示において、町名に「神戸」とか「兵庫」とか「尻池」とかを冠していたのは、昭和6年9月1日の行政区設置までです。
例えば
区設置前昭和6年9月区設置後現在
神戸市神戸海岸通一丁目神戸市神戸区海岸通一丁目神戸市中央区海岸通一丁目
神戸市葺合生田町一丁目神戸市葺合区生田町一丁目神戸市中央区生田町一丁目
神戸市葺合二宮町一丁目神戸市葺合区二宮町一丁目神戸市中央区二宮町一丁目
神戸市神戸三宮町一丁目神戸市神戸区三宮町一丁目神戸市中央区三宮町一丁目
神戸市兵庫多聞通一丁目神戸市湊東区多聞通一丁目神戸市中央区多聞通一丁目
神戸市兵庫多聞通七丁目神戸市湊東区多聞通七丁目神戸市兵庫区西多聞通一丁目
神戸市兵庫東出町一丁目神戸市湊西区東出町一丁目神戸市兵庫区東出町一丁目
神戸市平野神田町神戸市湊区神田町神戸市兵庫区神田町
神戸市尻池菅原通一丁目神戸市林田区菅原通一丁目神戸市長田区菅原通一丁目

但し、当時の神戸市街地全域にこうした「冠称」が付いていたかと言えば、そうではありません。
以下、冠称の付かなかった例です。
区設置前昭和6年9月区設置後現在
神戸市海岸通神戸市神戸区海岸通神戸市中央区海岸通
神戸市熊内町一丁目神戸市葺合区熊内町一丁目神戸市中央区熊内町一丁目
神戸市東山町一丁目神戸市湊西区東山町一丁目神戸市兵庫区東山町一丁目
神戸市荒田町一丁目神戸市湊東区荒田町一丁目神戸市兵庫区荒田町一丁目
神戸市楠町一丁目神戸市湊東区楠町一丁目神戸市中央区楠町一丁目
神戸市菊水町一丁目神戸市湊区菊水町一丁目神戸市兵庫区菊水町一丁目
神戸市一番町一丁目神戸市林田区一番町一丁目神戸市長田区一番町一丁目

神戸のうち、旧外国人居留地の各町・通には、「神戸」を冠しません。「海岸通」の場合、旧居留地内の海岸通は冠称なし。一方、旧居留地外の「海岸通1~6丁目」には「神戸」を冠していました。区の設置で冠称である「神戸」が取れて元来異質の「海岸通」が二つになり、却って紛らわしくなった珍例です。
同じ「葺合」にあっても、上記の例「生田町」には葺合を冠しますが、「熊内町」には冠しませんでした。同様に「兵庫」にあっても「東山町」には兵庫を冠していませんでした。
さらに都心近くに位置しながら、元々神戸でも兵庫でもなかった旧坂本村の「楠町」や、旧荒田村の「荒田町」にも冠称は付いていません。
[51103] 2006年 5月 2日(火)00:10:28【1】ニジェガロージェッツ さん
祝☆落書き帳200万ヒット達成! 「区」コレクション。
オーナーグリグリさんはじめ、落書き帳の皆様。200万ヒット達成おめでとうございます。

さて、いつもながらの遅れレスにて恐縮です。
[51003] EMM さん
「区」コレクションについてのコメント、有難うございます。
実際に収集作業をはじめてみると、最初の北海道の段階で、あまりの「区」の多さに絶句です(笑)
先日郵便局で頂戴した郵便番号簿「ハートフルナンバーズ」より、「区」のついた地名を探し、地図をMapionで確認する作業を基本としていますが、実際に郵便番号の設定はあるものの、地図ではそのような地名では書かれていない場合があったり、頭を痛めています。
例えば、北海道足寄郡陸別町には新町一区・二区、東一条一区・二区があり、それぞれに郵便番号が付いています(089-4322,-4323,-4314,-4311)が、mapionではそのような地名は確認できず、陸別基線とか、陸別原野基線といった地名になっています。
以前[7952]で白桃さんにおしえていただいた字別の2000年国勢調査人口には、しっかりとこれらの区は存在するし、「どうしましょう」と悩みます。

暴論ですが「所詮、郵便番号など便宜上付けられているもの」だと割り切って考え、Mapionで確認できないものは、バッサバッサ切り捨ててやろうかとも思いますが、とはいえ、Mapionとてどこまで信用して良いものやら・・・。

などと、悩みながらの作業です。コレクション上程まで長めの時間を下さい。
[50986] 2006年 4月 23日(日)22:11:36ニジェガロージェッツ さん
とんでもないものに首を突っ込んだようで
[50978] 88 さん
高松市木太町に郵便配達上便宜的に設けられた「区」についての情報有難うございました。
このような実際の住所上には存在せず、何らかの事情により「区」を設けるケースは結構あると推察します。
高松市木太町の場合は88さんのご解説にあるように郵便配達の事情によるもののようですが、あるところではそれが財産区であったり、また自治会の名称だったり、という具合に含めていくと全国至るところに存在することでしょう。
神戸市には「住之江区」とか「山田区」があったりするのですが、これは神戸市東灘区本住吉神社地車のだんじり車庫に関連する「区」です。

いずれにせよ、これらのように実際の住所には表れないものを個人の作業で収集するのは非常に困難です。
高松市木太町1区~9区につきましての情報は「このようなものがある」と個人的には興味がありますが、「区」コレクションの対象外とさせて頂きたく思います。

小生が提案しEMMさんより登録いただいた「区」コレクションですが、現時点ではどのような形でまとめようかと、思案中でございます。まだ実際の収集作業にすら入っていません。
早速の情報ご提供は本当に有難いのですが、せめて公開に至るまでは、今のところ気長に放置いただけると幸いです。
[50906] 2006年 4月 19日(水)12:31:11ニジェガロージェッツ さん
結構遊べる地図サイト
ロシアの地名を検索しているうちに、面白い地図サイトに出くわしました。
Global Gazetteerというサイトですが、世界各地のかなり詳細な地形を示す地図が見られます。

神戸市街地であれ、ニジニ・ノヴゴロドであれ、カムチャツカの軍港であれ、北朝鮮の海岸であれ、無敵です!(笑)

お試しください。(既出でしたらごめんなさい)
[50845] 2006年 4月 16日(日)23:48:27ニジェガロージェッツ さん
コレクション登録有難うございます
[50775] EMM さん
結局そのまま「区」コレクションで登録しました。
(中略)
はい、じっくりと取り組んで見てください(^^)

「区」コレクションを早速にも登録いただき、有難うございます。
小生のような畑違いのものにどれだけのものが出来るか分かりませんが、時間が掛かってもやってみたく思います。
「平成の大合併」と呼ばれる近年の市町村合併に際し、合併特例区や地域自治区が設けられ、旧市町村の区域に「区」の名称を設けるケースが全国に散見できます。これらは落書き帳でも過去に話題になり、

[48751] 今川焼 さん「区」のある市町
[48756] ゆう さん Re:「区」のある市町
[48758] 今川焼 さん 地域自治区・合併特例区
[48771] hmt さん 市町村の区域内の「町」と「字」 (6)住居表示施行区域外では表示法に制約なし
[48775] suikotei さん 町・字・合併特例区・地域自治区
[48804] suikotei さん 地域自治区・合併特例区の名称と住居表示

などの記事が大きな参考になります。
ただ、合併特例区や地域自治区だけをコレクションするのではなく、あくまで住所としての「区」を対象にしたく考えております。したがって、たとえ合併特例区や地域自治区であっても、区の名称を採っていないのであれば、対象外としたく思います。あとはどのレベルの細かい地名までコレクションするかですが、出来れば人口データが得られるかどうかを一つの尺度としたく考えております。

小生が好きでやっている自分のホームページでさえ、「完成」と呼べるレベルのものに仕上げるまでに3年を要しました。今回もどれ位の時間を要するか推測不可能ですが、皆様の秀作を参考にさせて頂きながらじっくりと取り組みたく存じます。
[50746] 2006年 4月 13日(木)18:18:51【1】ニジェガロージェッツ さん
メッセージ有難うございました
[50675] オーナー グリグリ さん
拙ホームページ完成へのメッセージ、有難うございました。拙掲示板にまで心のこもったご感想を頂戴し、これまで3年間の積み重ねが報われた気持ちになりました。深く御礼申し上げます。
これからも一般には馴染みの少ない北の大国ロシアの行政区画、人口データなどを分かりやすく、最新のものを提示することに努めてまいります。

さて、拙ホームページも一応の完成に至り、これからは少し他のことにも時間が取れるかも知れません。
貴「都道府県市区町村」をいつも楽しく拝見させていただいている分、小生も何か一つでも出来ることがあれば、是非参加してみたく存じます。

秀作がずらり並ぶ「地名コレクション」ですが、いつも見ているだけでは申し訳なく、小生も一つだけチャレンジしてみたいコレクションがあります。
昨年の第二回オフ会にてハーバーランドから三宮へのタクシー移動の際、たまたま一緒に乗り合わせたEMM編集長さんにはお話しした記憶があるのですが、「区コレクション」をやってみたく思っております。
これは政令指定都市の設けている行政区ではなく、それ以外の例えば兵庫県で言えば姫路市広畑区とか、香美町小代区とか、多可町八千代区のようなものを集めたく考えております。どの小字のレベルまで収集するかとか、姫路市のように本来「飾磨区英賀」で一つの地名となるものもあり、編集方針に合致しないものが出るかも知れませんが、時間をいただけるのであれば、是非チャレンジしてみたく思います。
いかがでしょうか。
[49988] 2006年 3月 22日(水)00:24:40【1】ニジェガロージェッツ さん
いつもながらの遅れレス
拙稿[49847]斜行エレベーターについて、[49800]太白さんへのレスのつもりが
今では全国各地の急傾斜地の住宅地には結構あると思います。
と余計なことを書いたために、とんでもない方向へと走りかねない状況になってしまいました。
それにしても、
[10158]まがみさん、[49849]ぺとぺとさん、[49859]般若堂そんぴんさん 「コモアしおつ」
[49850]たもっちさん、 [49854]かすみさん、「ナシオン」
[49857]小松原ラガーさん 「須磨パークヒルズ」
[49862]YASUさん 「桂台BTM」
結構あるものですね。楽しませて頂きました。
ただし、[49870]たもっちさん、[49882]EMMさんの仰るように、地図上で確認が難しく、結局のところ「落書き帳」閲覧者からの情報提供に頼らざるを得ないのであれば、コレクションは不可でしょう。

[49928]あっちゃん さん
いやぁ、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。当時小学生だった貴君とレスを交わした3年前のことを昨日のように思い出します。個人的には地震に対して憂いを強くお持ちだったのが印象に残っています。
小生のような40を過ぎたオッちゃんと違って、あっちゃんさんのこの3年は中学生として色々な新しいご体験をされたことでしょう。次の3年間は、いよいよ4月からの高校生活ですね。うらやましい。

[49939]YSK さん
ホームページ完成とのことで、たいへんお疲れ様でした。今後ともホームページのコンテンツ拡大に努められるとのこと、心より期待しております。

メッセージ有難うございます。お蔭様で、ようやく肩の荷が下りました。[16077]にてkenさんの仰る
それが、体系的に積み上げられ、あるジャンルについて「データ悉皆網羅」
という状況に少し近づきました。それにしても3年がかりとは、ちと仕事が遅すぎですね。
ひとつの大きなテーマが終わりましたが、これからもHPの運営に励みます。
YSKさんとはホームページ運営の「同期」ですが、小生のような無機質なデータいじりではなく、味のある貴サイトを少しは見習わないといかんですね。

さて、いよいよ今日にも「落書き帳」50000書き込み達成が確実です。
少し気が早いですが、おめでとうございます。
[49911] 2006年 3月 18日(土)21:40:39ニジェガロージェッツ さん
ホームページ完成のお知らせ
「今更に何よ?」
ってツッコまれそうですが、2003年に沿海地方より始めたロシア連邦の構成主体(州、共和国など)ごとに地理概況と人口データを整理して纏め、拙ホームページで公開する作業が、ついに最後の1州となったロシア最西端の飛び地カリーニングラード州の公開に至りました。
これで全ロシア89連邦構成体の簡単な地理的概況と、1866地区、1098市、330区、1842都市型集落(2002年国勢調査時点での数)の2002年国勢調査と2005年推計による人口データが全て出揃いました
このうち、2000年人口データを基に落書き帳に投稿させていただいた拙稿、極東およびシベリア連邦管区の26連邦構成体分については、YSKさんより「ロシア・連邦管区ATLAS」として収録して下さりました。もう3年も前のことですが、あのときの経験が現在においてもHP運営の励みになりました。

皆様もご経験、あるいはご存知のように、ホームページの運営はとかくキリのない作業です。管理者の欲が続く限り、ホームページの「完成」には至らないわけですが、個人的にはいつまでも「未完成」で通すのは少し違うようにも思います。

拙稿[18907] 2003 年 8 月 7 日 (木) 22:30:14 「ホームページ開設のお知らせ」
以来3年近くが経ちましたが、これを期に拙HP『ロシア地理雑学・都市データサイトニジェガローツキー・ドヴォール』の完成を宣言します。(笑)
思えば3年前にグリグリさんやkenさんよりホームページの運営を勧められたときには、ネット初心者でものぐさな小生に出来るのだろうか?と危惧しつつも、落書き帳の皆様はじめ多くの励ましのお言葉を頂戴し今日に至りました。
本当に有難うございました。

「完成」に至りましたが、まだまだやりたいこともあり、新ページの公開を含め、運営は続けてまいります。
ロシアの地理人口データにご関心をお持ちの皆様、これからもどしどしお越し下さいませ。

自己HPの宣伝にて、お目汚し失礼致しました。
[49847] 2006年 3月 14日(火)23:13:47ニジェガロージェッツ さん
花山の斜行エレベーター
[49800] 太白 さん
それよりも、ちず丸の地図の左下に書かれている「スカイレーター」なるものが非常に気になりますが。

さすが太白さん。着眼点が細かいというか、鋭い!
花山東団地の「グリーンエレベーター」のことですね。志染川沿いの神戸電鉄花山駅から、その南の六甲山脈北麓の高台に開発された花山東団地(神戸市北区花山東町)にかけての地形は断崖となっています。
太白さんもリンクを張っておられる道行く路―歩道橋[花山]にも「スカイレーター」全体の画像がありますが、地図で見ると40m近くの高低差があるようです。ビル12階以上に相当するこの高さを、以前この団地の住民は階段で上り下りしていました。自宅団地の階段に辿り着く以前にひと運動でしたが、この斜行エレベーター「スカイレーター」の完成によって随分楽になりました。小生もハイキングで利用したことがあります。
完成当時(確か昭和60年より少し前)には随分と珍らしがられたようですが、今では全国各地の急傾斜地の住宅地には結構あると思います。

前出のページ「むらたけ橋」の写真に、「スカイレーター」の上部(台地側)が写っているますが、花山小学校のページにも上部の画像があります。ご参考までに。

なお、地図によってはグリーンエレべーターと表記されているものもあります。
[49035] 2006年 2月 7日(火)20:41:23ニジェガロージェッツ さん
大石川停留所
[49032] YSK さん
「堂谷池」へのお調べ、ご苦労様です。[49006]ぺとぺとさんからの詳細レスを頂き、狭義の地元(ある程度の広域を伴うものではなく、この場合、正に池に隣接している町内の意味)の方がそのように即答されるのであれば、「どうやいけ」の方が正しいようにも思いますが、一般の地元(須磨・長田区などを含む)では、「須磨の大池」としか呼ばないために、「本名」が霞んでしまった好例のような気がします。ぺとぺとさん、YSKさん、詳細レス有難うございました。

須磨区には逆の意味で「てっかいざん」という山がありますが、これを漢字で書く場合、「鉄カイ山」の「カイ」の部分に10種類の書き方があり(「手偏」に口と刀、「手偏」に口と力、「手偏」に別、「手偏」が「木偏」・・・などなどのバリエーション)、山中にあるハイキング用の標識や案内板でも統一されておらず、20年程前に神戸新聞でも話題になったと記憶しています。

さて、今度は灘区の「都賀川/大石川」についてですが、都賀川の下流域のみ、これを「大石川」と呼称することがあります。(「角川日本地名大辞典 28兵庫県」より)
なお、大石川バス停については、かつてここを走っていた路面電車「阪神電鉄阪神国道線」(昭和49年3月17日、上甲子園―西灘間廃線)の大石川停留所があったところで、阪神バスのバス停名はその名残と言えるでしょう。
#このあたりの経緯は、鉄分の濃い御仁のほうがうまく説明できると思います。
[49002] 2006年 2月 5日(日)19:15:23ニジェガロージェッツ さん
神戸ネタについて少々
お久しぶりでございます。そして、レスが遅くなって申し訳ございません。

[48473] らるふ さん
そう、今年は「あの1995年」と同じ曜日の廻り合せ。ところが、ハッピーマンデーのおかげで15・16日はただの日・月曜日になってしまいました。

一度は、あの「3連休」の後に平穏な火曜日の朝を迎えたい・・・という、一被災者のささやかな望みは、ハッピーマンデーのおかげで永遠に夢となりました(笑)

震災が無かったものとしての人口変動シミュレーション、面白く拝見しました。
確かに兵庫・長田などでは、2005年国勢調査結果人口と似たような数値になりましたが、実際には近年の傾向では、計算の基になった1985~1990年の人口変動率よりは変動幅が少なく、また一昔前までは人口増加の受け皿になっていたものの、80年代に家族揃って入居した新興住宅地(垂水区や須磨ニュータウン)において、核家族化(当時の子供たちが成人して街を離れるなど)が始まり、人口減少に転じたため、特に垂水区でのシミュレーションでは誤差幅が大きく感じられて面白いところです。

今回の国勢調査速報値では、それまで5年間の神戸市推計人口の積算結果との誤差がどの程度出るかが楽しみだったのですが、国際調査人口の方が2000人程度多かったでしょうか。
震災後の一時的な転居によって居所と住民票所在地が違った場合に、その後の移動による実態と異なった人口変動が起こり、推計人口の誤差が拡大する傾向があったのですが(拙稿[12405]に投稿)、これが今回は意外と小さかったことから、震災絡みの避難・転居による人口変動は少なくなったと言えるでしょう。


[48434] 夜鳴き寿司屋 さん
貨物専用機は普通の時刻表にのらないので、直接聞いてみないとわからないですね。そういえば関西国際空港の展望室でも貨物専用機は表示されませんし、でもフェデックスの貨物便はしっかりあるし。

航空貨物便についてのご回答有難うございます。
貨物専用便というのはかなり特殊な運用形態のようですね。神戸空港に就航する旅客便も比較的小型な機体が中心になるようで、そうなると神戸港と神戸空港とで物流を補完し合うというのは現況では難しいかも知れない・・・ということになり、神戸市も頭が痛いところかも知れません。

空港開港まであと11日に迫りましたが、先日はそのアクセスとなるポートライナーの神戸空港駅までの延伸(2月2日)がありました。
新交通システムを鉄道路線の一環と見なしてですが、これが神戸市内における最後の新線開通になるのではと思います。
以前あった構想としては市営地下鉄東部線の建設(中央区布引から灘区原田まで)、西神線の延伸(西神中央駅から神鉄押部谷駅まで)、新交通システムの新線建設(垂水区舞子から西区学園都市まで)がありました。もっと奇抜なものとしては地下鉄中央線の建設(新神戸―神戸空港―関西空港)などというとんでもない夢物語までありました。あと巷では地下鉄海岸線の東部新都心(HAT神戸)への延伸が言われていますが、実際にはどうでしょうか???


[48985] 2006 年 2 月 4 日 (土) 23:26:11 YSK さん
神戸市須磨区の「堂谷池」の読み方をお教えください。「どうやいけ」でよいのでしょうか?

最近の貴稿には意味“?”のタイトルが多いようですが、それはさておき、須磨区須磨寺町三丁目の「堂谷池」の読み方について、「どうたにいけ」だと思います。昭和5年7月に誕生した「須磨寺町」の旧字の一つに「堂ノ谷」というのがあり、もしかしたら「どうのたにいけ」かも知れません。
「思います」とか「知れません」と書いたのは、地元では専ら「大池」と認識さられており、「須磨の大池」とか「須磨寺大池」と呼ばれ、おそらく本名であろう「堂谷池」でこれを呼ぶ人を知人にいないからです。
ところで「谷」を「や」と呼ぶのは、神戸辺りでは少ないように感じます。
関東の方は多いですね。「世田谷」とか「保土ヶ谷」などを連想します。
[48367] 2006年 1月 14日(土)22:16:07【1】ニジェガロージェッツ さん
神戸空港 / けいたんち
昨年末の事故の件では、皆様にご心配お掛けしました。1ヶ月の休養を経て、お陰さまで今では商売・アルバイトともに現場復帰を果たしました。
遅くなりましたが、[47936] matsuさん、 [47997] 葵区さん、お気遣い有難うございました。

さて、神戸空港について
[47959] faith さん
150万都市の中心街(三宮)から16分という、まさに異様なほどのアクセスの良さに、これは貴重な存在になり得るのでは?

[48343] 小松原ラガー さん
地元の要請を受けてビジネスジェットに限り神戸空港の利用を認める方向になる模様です。

神戸空港開港は神戸市の悲願(神戸市民の悲願・・・とまでは、そう思っていない市民も多いようなので、念のために)ですから、段階的、長期的にいろいろな整備、運用策が展開されると思いますが、いよいよ、あとひと月あまり(2月16日)で開港という現時点で空港建設の空港島の用地売却がほとんど進んでいない現状では、財政面で前途多難のようです。
少し論点はずれますが、旅客便に対してよりも物流拠点としての神戸港を補完する意味での貨物便の運行に期待したいところです。とはいえ、そもそも貨物専用便などあるのでしょうか?
仮にあるとして、全航空便に占める便数の割合はどのくらいなのか見当もつきません。


話題を転じて、今はやりの「けいたんち」についてですが、緯度経度の数値重視では[48351]まがみさんの「経端値」、場所重視では[48357]くろちゃんさんの「経端地」といったところでしょうか。

小生もやってみました。但し、二重国境線の内側は含みます。

場所住所北緯東経
富内湖岸(ソ連統治下)樺太大泊郡富内村大字富内46度51分11秒143度10分18秒
西ザビエル記念聖堂長崎県平戸市鏡川町33度21分58秒129度33分06秒
青島熱帯植物園宮崎県宮崎市青島二丁目31度47分53秒131度28分21秒
樺太中央国境(露統治下)樺太敷香郡敷香町大字半田50度00分00秒142度45分46秒

東と北はサンフランシスコ講和条約で放棄した所属未定地域(二重国境線の内側)ですが、これを含めてはイカン!と言うのであれば、東・北ともに宗谷岬(北緯45度31分14秒、東経141度56分26秒)になります。通過は含みません。通過を入れると、JRの旭川駅とか名寄駅のほうが東のはずです。
[47900] 2006年 1月 3日(火)17:59:40ニジェガロージェッツ さん
遅れ馳せながら新年のご挨拶
今年の初書き込みになります。
遅くなりましたが、謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。

年末の寒波とはうってかわり、神戸は暖かな新春を迎えました。(また数日で寒波が来そうですが・・・)

[47780]EMM さん、[47782]なお さん、[47787]小松原ラガー さん
お気遣い恐縮です。
ここ数日は仕事も休みで安静に出来ているお陰で、怪我のほうは随分と楽になりました。昨日は学生時代の旧友に誘い出されて、大阪へ行ってきました。事故以来初めての外出でしたが、ちょっと足が突っ張っている以外は特に問題はありませんでした。本当にお騒がせして申し訳なく思います。

さて、今年の神戸は震災から11年目になりますが、2月16日に神戸空港が開港します
旅客機の就航予定路線は、新千歳、仙台、新潟、羽田、熊本、鹿児島、那覇の7路線です。

神戸空港の建設には、いろいろと賛否両論がありましたが、いよいよ開港まであと44日。
東アジア各国のハブ港湾の拡張による物流の変化や、震災によって大幅にダメージを受けた神戸港が、今ではまるで静かな公園のように綺麗になった一方で、往時の賑わいを失った現状を見ると、新空港が貨物空港として神戸港を補完する役割を担うことを期待したく思います。

生活に余裕があれば、経県値稼ぎに神戸空港からひとっ飛びしたいところですが(笑)
[47777] 2005年 12月 31日(土)21:39:42ニジェガロージェッツ さん
2005年を振り返って
最後に来てトンだ当たり年になってしまいましたが、今年も何とか一年乗り切ることが出来ました。
[47733]かすみ さん、[47734]佐賀県 さん、[47735]グリグリ さん、[47736]白桃 さん、[47738]88 さん、[47745]YSK さん、[47755]BEAN さん
重ね重ねご心配とお気遣い頂き、恐縮です。特にグリグリさんには、とんでもないご心配をお掛けしたようで誠に申し訳なく、失礼致しました。

さて、あと3時間を切った今年一年を振り返って、まず第一に思い浮かぶのは9月17日に神戸で開催された「第二回落書き帳オフ会」です。力不足ながらも幹事としてお手伝い出来たことを光栄に思うとともに、ご協力頂いた参加者皆さんに深く感謝致します。
また当日はフィールドワークでのお疲れということで、ご参加頂けなかったYSKさんからも心のこもった丁寧なイラスト入りの名札をご提供下さり、深く感謝申し上げます。

オフ会に際して、遠来よりご参加された皆様には「経県値」を稼ぐ舞台ともなりましたが、小生の今年1年の経験値はわずか8点でした。そういえば去年も「両みみニ焼魚」会にて大阪へ出た以外には兵庫県内に留まり、8点でした。
ま、小生の場合は独身時代にロシア相手にちょこまかとやっていますから、じっと地元から動かずいる近年も悪くないです。
来年は小生もオフ会絡みで「経県」を伸ばしたいですね。

地理の分野で特に印象が深かったのは、ロシアの連邦構成体再編の動きがあり、その第一弾として12月1日にウラル山脈西麓のペルミ州とコミ=ペルミャク自治管区が合体して「ペルミ地方」が創設されたこと。
同じく、東シベリアのクラスノヤルスク地方とタイミール自治管区、エヴェンキ自治管区とで合併に関しての賛否投票(4月)、極東のカムチャツカ州とコリャーク自治管区でも同様の住民投票(10月)があり、どちらも賛成圧倒的多数でいよいよロシアでも「平成の大合併」が始まった感があったこと。
特にクラスノヤルスク地方の場合は、実現すれば面積で日本の6.2倍の巨大地方自治体の誕生となります。

国内ではやはり国勢調査人口速報値の発表でしょうか。
日本も人口減少時代に突入とのことですが、10年以上も前の1993年ごろに人口減少が始まったロシアの毎年の人口データを見ると、結構興味深いものがあります。

それでは、また来年。皆様良いお年をお迎えください。
[47731] 2005年 12月 30日(金)02:47:28ニジェガロージェッツ さん
ご心配お掛けして申し訳ない・・
[47698]小松原ラガー さん、[47699]地名好き さん、[47701]グリグリ さん、[47706]たもっち さん、[47714]seifuhiro さん

ご丁寧なお見舞いのお言葉を頂戴し、有難く、また心強く感じる一方で、拙稿[47693]では大雑把な表現をしたために却って大袈裟な感じがして、皆様にご心配をお掛けする結果となり、申し訳なく感じているところです。

事故は北から南へ優先車線をオートバイで走行中、東から西へ向かう一方通行道路を走行する乗用車が一旦は停止したものの小生のオートバイに気付かず、突如交差点に進入して、こちらも避けきれず激突し、相手のボンネットの上で一回転した後、勢い余って10m先の路上に弾き飛ばされるというものでした。
本来なら骨折は免れない事故になるそうですが、運良く骨には異常が無く、打撲による下半身圧迫と両足靭帯の損傷程度のことで済み、入院の必要もありませんでした。

本当に事故は一瞬のことでした。毎日通行している見通しの良い交差点で、いつもと何ら変わらないロケーションでも、瞬間のタイミングで事故は発生します。頭では分かっていることですが、このような状況にこそ、油断と危険が潜んでいるということを身をもって体験することとなりました。
相手車両は「業務上過失傷害罪」になると署で聞きました。小生は事故被害者の立場ですが、加害側の立場にならなくて良かったと思っています。

当初は家の中でも松葉杖がなければ動けない状況でしたが、今では少しずつ傷が癒えてようやく松葉杖なしでゆっくりと歩くほどにまで快復しました。損傷した両足の靭帯の痛みは相変わらずですが、あとは時間をかけてリハビリを欠かさないようにとのことで、年末年始の休暇はリハビリに励む毎日となりそうです。
皆様にはご心配をお掛けしましたが、幸い快方に向かっております。どうぞお気遣いなきように。


[47723]小松原ラガー さん
 ○○・○○・○○
「武雄市武雄町大字武雄」というのがありました。
全国には他にも多々あるかと思います。(流石に今は過去ログ含めチェックする余裕ありません。過去に話題になっていたらごめんなさい。失礼します。)

太白さんご提案のアーカイブ邇摩郡仁摩町仁万町-同音地名連続の住所に数多くの例が纏められています。ご参考までに。
[47693] 2005年 12月 29日(木)00:14:55【1】ニジェガロージェッツ さん
痛い
こんばんは、ご無沙汰しておりますニジェガロージェッツです。

つい先日、長田・須磨2区の境の道路上で交通事故に遭い、20年間操っていたオートバイ“ホンダGB250クラブマン”大破の上、下半身の自由を失いました。
「ひやりとした瞬間」は何度かあったものの、20年間事故がなかったことから、「事故など起こりそうで起こらないもの」と無意識のうちに油断していたのかも知れません。全く一瞬の出来事です。
皆様も気をつけてくださいね。

国勢調査速報値の神戸市分も発表され、いろいろと書き込みたいことがあるのですが、また稿を改めます。ではでは。
[47189] 2005年 12月 6日(火)22:27:58ニジェガロージェッツ さん
北海道無宿泊経県あり
経県値関連の話題ですが、小生の場合北海道の無宿泊経県(経道?)が複数回あります。というより、北海道はあくまで通過地です。夜行の場合は宿泊経験に該当しないとのことで、いずれも古い話で恐縮ですが、
【事例1】1989年の場合
午前10時伊丹空港発
午後0時千歳空港着、以後タクシー移動
午後2時札幌・丘珠空港発
午後3時稚内空港着、以後タクシー移動
午後8時稚内港出港
翌午前3時樺太・真岡港入港
この場合、北海道の経県は稚内市内で夕食に市街を数歩歩いた以外はすべて乗り換えによるものでした。日付も跨いでいません。

【事例2】1990年の場合
午前10時伊丹空港発
午後0時千歳空港着
午後3時小樽市内散策
午後5時札幌市内散策
午後10時札幌駅発(急行利尻)
翌午前6時稚内駅着
翌午前10時稚内港出港
翌午後6時樺太・真岡港入港

【事例3】1994年の場合
午後0時伊丹空港発
午後2時新千歳空港着
午後3時札幌市内散策
午後10時札幌駅発(急行利尻)
翌午前6時稚内駅着
翌午前10時稚内港出港
翌午後5時樺太・大泊港入港

【事例4】1994年、事例3の帰路
午前5時樺太・大泊港出港
午後0時稚内港入港
午後10時稚内駅発(急行利尻)
翌午前6時札幌駅着
翌午後10時新千歳空港発
翌午後0時伊丹空港着

現在では函館空港または新千歳空港にて航空機の乗り換えにより樺太・豊原へ向う、北海道完全通過も実現可能ですが、小生はやった経県はありません。
[46956] 2005年 11月 28日(月)00:23:10ニジェガロージェッツ さん
レスをいくつか
ロシアでは12月1日にペルミ州コミ=ペルミャク自治管区が合併して「ペルミ地方」が創設されるようです。これに関連して拙ホームページでもいくつかのページや地図を再編集しなければならず、頭が痛いところです。
合併でのページの変更作業を常々こなされているグリグリさん、でるでるさんをはじめ編集者の皆様の日々の御苦労に敬意を表します。

さて、レスをいくつか。

[46905] 88 さん
こういう話を聞いたら、「是非、岡山-香川の県境をまたいでみたい」という魔力に弱い落書き帳メンバーは多いだろう
是非、落書き帳でメンバーを募ってオフ会アウトドア企画「いしま県境探訪」として訪れてみたいところですね。(笑)

兵庫県域の「備前福河」と「美作石井」について
[46914] hmt さん
[46937] 今川焼 さん
古い拙稿へのリンク恐縮です。それにしても今川焼さんの仰る「美作石井駅」という名称の可能性は面白いところです。そして、リンクを張って下さった兵庫県域の変遷図はわかり易くて勉強になりました。
特に、第一次兵庫県の県域にて、稲田騒動により淡路島が兵庫県に編入されたことが図示されていますが、全島編入ではなかったのは初めて知りました。

[46953] YSK さん
交換可能?な住所
市と区の違いはありますが、神戸からは
「兵庫区高松町」と「高松市兵庫町」があります。
#参考記事[44216]88さん、拙稿[43143]など。
[46825] 2005年 11月 23日(水)00:10:13ニジェガロージェッツ さん
まだあります!
[46824] たもっち さん
数年前、兵庫県三木市内を商用で通ったときに住宅地のど真ん中に忽然とロータリー交差点があったのを記憶していたのですが、場所が思い出せず仕舞いでした。それを先程ついに発見しました。

三木市志染町東自由が丘1丁目のここです。
五差路の交差点となっています。
[46297] 2005年 10月 30日(日)02:48:53ニジェガロージェッツ さん
幻の遷都案、再び
[46226] 烏川碧碧 さん
リンク下さった10月24日付韓国紙の記事。興味深く拝読しました。
また、関連記事として3年前の拙稿[4566]まで発掘して頂き、烏川さんの落書き帳への投稿に対する真摯なお人柄が覗えます。

これによると、今回明らかにされた遷都案は1940年代初頭の「中央計画素案」によるもので、候補地3箇所
龍仁 / 岡山 / 福岡

一方、拙稿[4566]にてご紹介した16年前に放送されたテレビ番組で知った遷都案は1920年代中頃のもので、
龍山 / 加古川 / 八王子
の3箇所でした。

中央日報の記事を、「1940年代の初め」=「(当時から)15年後」と読めば、ちょうど符合する話ですね。

これについては、小生は全く別物であると推測します。

確かに、第一候補地を朝鮮半島の京畿道に挙げている点、またその理由に地震災害がないことが述べられていますが、
1) 両遷都案に15年近くのタイムラグがあり、韓国紙の記事を「1940年代の初め」=「(当時から)15年後」と全く逆に読むのは、やはり無理がある。
2) 龍仁と龍山とでは、位置が異なっている点に加え、日本内地候補地も全く異なっている。
3) 遷都案立案の動因が、1920年代のものは関東大震災によるもの、1940年代のものは大東亜圏の成立を見越してのものと異なる。

韓国紙の記事には遷都案を盛り込んだ1940年代の「中央計画素案」立案の主体を「日本」とか「日帝」とだけしか書かれておらず、具体的な省庁についての説明がありません。
一方、1920年代の遷都案立案の主体は陸軍だったことが16年前に放送したテレビ番組「巨泉のこんなものいらない」にて述べられていました。

もちろん、極秘とはいえ1920年代の「陸軍案」が、後の「中央計画素案」作成に当たって何らかの形で参考にされたことは排除できませんが。

なお、龍仁と龍山の位置関係ですが、
龍仁京畿道の南部、ソウル中心部より南南東42キロに位置し、現在は京畿道龍仁市。
龍山ソウル市の中心部、中区の南に隣接し、現在のソウル特別市龍山区。

どちらも周辺に小高い丘陵地があり、特に龍仁の場合は地図や写真を見る限りでは周囲を丘陵に囲まれた盆地のような所ですね。「陸軍案」候補地選定の指針の一つにあった「防空上、高射砲の設置に適した丘陵地帯がある場所」に見事に符合しているのが面白いところです。
[46059] 2005年 10月 23日(日)13:43:35ニジェガロージェッツ さん
ロシアの二都市について
[45592] motorcat さん
世界の都市人口ランキング、大変面白く拝見させて頂きました。素晴らしいデータ有難うございます。

「都市人口」というよりは、「市」と呼ばれる、または日本語でそのように訳される行政区画の人口ランキングということで解釈して宜しいですか。

小生はロシア以外のことは(日本を含め)全く疎いのですが、貴ランキング表にあるロシアの二都市について、どちらも訂正が必要と思われる故、ご検討下さい。

まず、第10位モスクワについて、
首都、人口10,407,000、面積8,537km2 調査年2005
とありますが、面積データが間違っています。
人口については、ロシア連邦国家統計委員会発表の2005年1月1日現在の連邦構成体別人口によれば、10406.6千人となっており、異議はございません。要するにモスクワ都市圏の人口ではなく、ロシアにある89連邦構成体の一「モスクワ市」の人口です。そうであれば、その面積は約1,100km2(1,091km2とのデータもあり)です。
#敢えて括弧付きで「モスクワ市」としたのは、「モスクワ市」が2市3町から構成されていて、その中に狭義のモスクワ市が存在するためです。

モスクワはクレムリンを中心に円形状に発展した都市で、これを真円と仮定して単純計算すると面積8,537km2であれば半径約52キロになります。この中にはモスクワ市のみならず隣接するモスクワ州の衛星都市群が含まれ、人口10万人以上のものだけでもポドリスク、ムィチシ、リュベルツィ、バラシハ、エレクトロスタリ、コロリョフ、ヒムキ、オジンツォヴォ、ノギンスク、シチョールコヴォ、ジェレズノドロージヌイ、ジュコーフスキーの12市が入り、人口5万人以上が更に17市入ります。
8,537km2の具体的な境界が判らないため断言は控えますが、この領域では人口1400万人前後まで膨れ上がると推測します。

次に、第95位サンクトペテルブルクについて、
ロシア・レニングラード州、州都、人口4,700,000、調査年2005
とありますが、前出の国家統計委員会発表2005年1月1日人口によれば、4600千人となっています。
また、サンクト=ペテルブルク市は確かにレニングラード州の州都ではありますが、レニングラード州には属していない連邦直轄市です。
モスクワ市がモスクワ州に属していないのと同じです。
なお、連邦構成体サンクト=ペテルブルク市の面積は約1,400km2です。

均一の条件ではない、世界各国の都市人口データのランキング表を完成させるのは至難の業だと推察します。小生もロシア限定とはいえ同じ趣旨のランキング表を作った経験があり、データの収集には難儀しました。motorcatさんのご苦労お察し申し上げます。
[45136] 2005年 9月 25日(日)00:43:27ニジェガロージェッツ さん
兵庫区の町名
神戸市兵庫区に残る「幻の村」として拙稿[43133][43143]にてご紹介した東尻池村と御崎村について、先日神戸地方法務局へ行った際に地図を検索したのですが、結果は残念ながら確認できませんでした。

その帰路、兵庫区役所へ寄り、両村について何か資料がないか調べて貰いましたが、職員でさえ両村の存在を知らない状態でした。
いろいろと所内の資料を探していて頂いたところ、手書きのメモにて面白いものが出てきました。

以下、全文を引用します。
==========================
東尻池村JR高架下
兵庫運河掘り残し部分
御崎村和田宮神社 笠松交差点
吉田新田吉田3 海
川崎町中央区東川崎町との境界部分 道路・水路のみ
地名は存在する
==========================

とありました。
このことから、東尻池村はこのあたり、御崎村はこのあたりこのあたりかと推測します。

さて、兵庫区といえば古くからの市街地であった兵庫津地域に職業由来町名を多くかかえていました。
笠津前浜さんご編集の職業由来町名コレクションには、船大工町と鍛治屋町が収められています。
この2町以外にも多くの職業由来町名がありましたが、一様に新住居表示実施にあわせ整理統合され、1970年代に消滅してしまいました。
これら失われた兵庫区の町名につきましては、拙稿[14959]にまとめております。
その中で、職業由来町名としては、
魚棚町うおだなちょう小売業文字通り魚屋があったところ
小物屋町こものやちょう小売業雑貨屋や小間物類を売る店があったことから
鹿屋町しかやちょう小売業もとは「ししがやちょう」。商家の屋号「妻鹿屋」より
富屋町とみやちょう小売業もとは「とみがやちょう」。商家の屋号より
松屋町まつやちょう小売業もとは「まつがやちょう」。商家の屋号「松屋」より
匠町たくみちょう職人大工さんや指物師が多く住んでいたことから
関屋町せきやちょうその他兵庫関あるいは兵庫関料と記録される津料徴収関所があった
算所町さんじょちょうその他もと産所村。産婦が当地へ来て分娩する風習があったことから
が該当するでしょうか。
[45074] 2005年 9月 22日(木)01:28:19ニジェガロージェッツ さん
[44892] Issie さん
国についてのレス、有難うございました。オフ会関連でバタバタしていて、Issieさんからの詳細レスに対し御礼を申し上げるのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

「北海道11ヵ国」の場合には次の文章で始まる明治2年8月15日付の太政官布告(通番734)がその根拠になると思われます。
詳しくご説明いただき有難うございます。
樺太については、その太政官布告(通番734)ににはなく、その後も「樺太国」設置の布告がなされないまま、明治8年5月7日のサンクト=ペテルブルク条約によって樺太の領有権は放棄されたということですね。
何ゆえ、北方では樺太だけが令制国にならなかったのかは知る由もありませんが、ロシア帝国との雑居地だあったことが影を落としていたのかも知れません。
余談ですが、樺太において日本とロシアとの国境を画定させる作業については、アイヌ人居住地域を日本領土とし、それ以外はロシア領とする方向で検討されていたようです。
(具体的な資料は生憎持ち合わせていないため、断言は控えます。)
日露両国がその境を検分しようとしましたが、まずロシア側がクリミア戦争でお流れ、その後、今度は日本側が幕末の動乱でお流れとなり、結局は北緯50度線までの南半を要求する日本と、樺太南端の亜庭湾までに留めたいロシア側とが合意することなく、最終的にウルップ島以北の千島列島と引き換えに樺太は放棄されたという時代背景がありました。

拙稿[44857]にて参考リンクを出した樺太国楠渓海岸図という海図のタイトルに用いられたことは、(放棄までの短い間ですが)国のように認識されたことが偲ばれます。
[45012] 2005年 9月 19日(月)18:34:58【3】ニジェガロージェッツ さん
オフ会報告
神戸オフ会にご参加された皆様、本当にお疲れ様でした。もう二日も前のことですが、未だに夢見心地です。本当に夢に出てくるかもしれません。それほどの感動ものでした。
オフ会にご参加された皆様からは続々とご報告が寄せられています。今回、幹事役としてささやかながらお手伝いさせていただきましたが、皆様のご協力、本当に有難うございました。
また、今回残念ながらご参加いただけなかった皆様からも多くのメッセージをお寄せいただき、深く御礼申し上げます。

さて、一昨日、神戸市内で行われたオフ会について、時間を追って、おおよその流れをご報告いたします。
[45006]まがみさんとあわせて、当日の状況を振り返って見ましょう。

まず時間を一昨日(9/17)の16時30分ごろ中央区相生町三丁目JR神戸駅中央口改札前にて、メンバー一人ひとりのご到着を待っていたころに戻します。
当日、誰がどの順に現れたかは、記憶の定かではありませんが、一番乗りはでるでるさん、次に小生、三番目がまがみさんだったことは確かです。
その後は次々に強力メンバーが現れ、その度に歓声が沸き上がり、「あやしい一団」が形成されていきました。
#(後で知ったことでしたが、幹事役ニジェガロージェッツについて、落書き帳の書き込みから想像するニジェの印象と実物の小生とが乖離していたそうで、実物のらるふさんを仮想ニジェと見なしてご挨拶される方が多かったとのこと。らるふさんがもの凄く格好の良い、物静かな紳士然とされた方だったので、この時点で小生が3年間で培った「ニジェガロージェッツ」のイメージをぶち壊していたことが発覚)#
ともあれ、最終待ち合わせの17時10分には22名が揃い、これが列をなして中央区東川崎町一丁目ハーバーランド地区を行軍し、港の岸壁に隣接する「モザイク」3階にあるレストラン「ハーフェンブルク」へ向いました。
店の入り口の予約案内板には「落書き帳」の文字があり、一同爆笑。遅れて自力で会場入りされた3名も案内板を見て安堵されたことと思います(笑)

一次会場予約は17時30分から19時30分まで。らるふさんの軽快な司会進行のもと、自己紹介。
続いて、まがみさんから「落書き帳書き込み時間分析」、今川焼さんの市名ビンゴゲームで一同盛り上がり宴はたけなわを迎えました。
しかし、この時点で19時20分になっており、せめてあと30分あればと悔いを残す結果となりました。
ビンゴゲームの余韻に浸る間もなく慌しく店を後にする時間となりました。これは、会場予約をする際、だいたいどのお店も1時間半~2時間のスパンでの予約となることからくる制約ですが、もっと時間に融通のきく予約にすべきだったと反省しています。
結局のところ、会が盛り上がった分、食が進まず、結構食べ残しもあったように思います。
オフ会に於いては、料理内容はあまり考えなくてもよいかもしれません。

一次会を後にして、港の岸壁を歩きタクシー乗り場に向かい、6台(?)のタクシーに分乗して中央区加納町六丁目神戸市役所に向かいました。神戸市役所前で即日帰郷の倉田昆布さん、だんなさんとはお別れ。
二次会場は神戸市役所1号館24階の展望レストラン「CASA」に、19時50分から21時50分までの予約を入れてありました。
二次会ではスナフキんさんが大活躍。以前にあった不自然な構築物跡地を地図から見つけ出す解析法を伝授していただいき、その切れ味に感動しました。
会場設定のほうは、事前の予約でお店の中でも一番見晴らしが良い北西角の半個室を確保でき(その中でも最高のお席には当然、グリグリさんが)、神戸の夜景を満喫できたと思います。
予約では料理をおつまみ程度のもので済ませたため、飲み代も合わせて安く抑えることが出来ました。
こちらは申し分なく、大成功でした。

神戸市役所1号館を退出し、YASUさんは夜行バスの時間があり、一足先にお別れとなりましたが、残り22名は中央区加納町四丁目JR三ノ宮駅に向かい、22時10分ごろ駅の西改札口にてオフ会は解散となりました。
事前に「あとは成り行きに任せましょう」と、三次会以降の予定は立てておりませんでしたが、この三ノ宮駅にて帰路に就かれたのは、かすみさん、夜鳴き寿司屋さん、EMMさん、星野彼方さんの4名です。

つまり、(恐ろしいことに)18名が残りました。
しかし、18名もまとまって収容できるお店など、土曜日のこの時間帯で見つけるのは至難の業だと思われたのですが、中央区北長狭通一丁目あるお店に目星を付け、先発隊としてまがみさんと小生が探りを入れてみると、やはり収容可能人数が足らずに断念。しかし、いつも分析鋭いまがみさんは、このビルの4階にも同様の居酒屋があることに気付き、伺うと20人用の個室が空いており、奇跡の見つけ物でした。

さて、三次会の開催となり、ここでやっと落ち着いて談笑となりました。
あとば無礼講の世界でしたが、それぞれの方面(ご自宅または離れた宿泊先)へ向う終電の時間が近づくにつれ、今川焼さん、続いてらるふさんがご帰宅。23時50分にでるでるさん、スナフキんさん、音無鈴鹿さん、たもっちさんが会場を後にし、店は同じながらも三次会は一旦幕に、改めて四次会となりました。
以降は無礼講の度合いがますます高まり、もうここには書き込めないような際どいテーマの会話が続出。内容はご容赦の程。
さて25時を回り、楽しかった四次会も幕。ここで葵区さん、グリグリさん、小松原ラガーさん、淡水魚さん、地球人さんとはお別れ。

さて、二・三次会は飲み物中心で、そろそろ腹が減ったということで、ラーメンでも食べようと中央区中山手通一丁目の通称北野坂を歩くも、この時間どこも満杯。
やむなく比較的席の空いているお好み焼屋をみつけ、ここで五次会に。
お好み焼きの本場新長田出身の小生としては、お好み焼きとの相性抜群のアップル(黄色い色のついた砂糖水)があったので、皆さんにも勧めたのですが、これは好みの差があったかも。
この時点で「七人の侍」の感がありましたが、一時間ほどで退散。JOUTOUさん、BEANさん、ゆうさんが帰路に。

さて、始発電車まで時間があるということで、残り4名は中央区北長狭通一丁目の六次会カラオケ店へ。
ここで2時間「歌いたい放題」というか「叫びたい放題」というか、形容不可能。
さすがに喉が嗄れカラオケを後にし、白桃さんがタクシーに乗りお別れ。

白桃さんを欠いた3人が次に七次会として向ったのは、ネットカフェでした。しかし、立ち寄ったものの席は満席で断念。時刻は午前4時30分を回っており、なんでこの時間帯が満席なのだろうかと思うと、寧ろこの時間だからこそ、こういうところで仮眠宿舎代わりに一夜を明かす人が多く、もしかしたらJOUTOUさんがいるかも?と陰口をたたきながら、やむなく七次会は断念。

駅へ向うと阪急、JR共に改札が開いており、地名好きさんがホテルへ、まがみさんが阪急へ、小生はJRへと散々になり、ここに神戸オフ会は終焉しました。時刻は9月18日午前5時5分ごろのことです。
[44966] 2005年 9月 18日(日)06:31:55ニジェガロージェッツ さん
皆様お疲れ様でした
只今、六次会を終えて帰還しました。
今回のオフ会、遠来の皆様、地元の皆様ともに本当にお疲れ様でした。

慌しく時間が過ぎていく中、地元の幹事として大したお構いも出来ず、こころ苦しく思っております。

色々と皆様に御礼申し上げなければならないのですが、[44941]以来、一睡もしておりません。
オフ会には朝鮮人参ドリンク+まむしドリンク+頭痛薬ロキソニンを服用してラリった状態で望みましたが、もう限界です。風呂に入って寝ます。

また始末書ならぬ、オフ会報告は改めて・・・。

#六次会終了後、三ノ宮駅前から三ノ宮駅前のホテルへ向うべくタクシーに乗るという意味不明の行動により忽然と消えた浦安の長老は大丈夫だったのだろうか?
[44941] 2005年 9月 17日(土)08:18:19ニジェガロージェッツ さん
眠い
おはようございます。ニジェガロージェッツです。

いよいよ今夕オフ会を開催する運びとなりました。総勢25名のご参加の予定です。
皆様万難を排してのご参加には、頭が下がります。中には神戸がはじめての方もおられるようです。
どうぞ、存分に楽しんでいって下さい。

幹事という大役を預かりました小生ですが、大ポカをやらかしそうな気がしてなりません。
参加者の皆様には、ここ数日の小生からお送りしたメールの送信時刻を見ていただければわかると思いますが、いつも真夜中・未明・明方という時間帯になってしまいました。
という訳で、ここ数日の平均睡眠時間は3時間ほどです。
そして今日も意味も無く1時間ほど前に目が覚めてしまいました。

首都圏や九州などよりお越しの「遠来組み」さんに比べれば、交通費150円で出席できる小生ですが、慢性的な睡眠不足で、本番はボケている可能性大です。
もう、ぶっつけ本番で行くしかありませんが、皆様宜しくお願い致します。

#申し訳ありませんが、本番は転寝状態かもしれません。
#あきませんわ。企画倒れですわ。
[44867] 2005年 9月 13日(火)10:19:56【1】ニジェガロージェッツ さん
第二回落書き帳オフ会@神戸
いよいよ落書き帳オフ会まであと4日に迫りました。
現在のところ、ご参加確定22名、調整中1名のエントリーが寄せられました。
首都圏を離れての開催にもかかわらず、20名を超えるとは嬉しい誤算です。落書き帳恐るべし!!

一次会場は神戸駅浜側のハーバーランド地区、モザイクのレストランにて夕暮れの神戸港を眺めながら(実際には個室貸切だから景色は見れないかも・・)、二次会場は三宮方面へ移動して神戸の夜景を楽しみながらの談笑となりそうです。

ということで、
[44557] 白桃 さん
神戸の中心駅は神戸駅なのか、三宮駅なのか?
という疑問に決着をつけていただきましょう。(笑)

ところで、今回一次会場となるハーバーランド地区は、1980年代までは国鉄湊川貨物駅と神戸港高浜岸壁の三菱倉庫でした。
そういう経緯で「神戸駅前」といば、それは駅を挟んで反対側の神戸駅山側、ちょうど神戸駅と湊川神社の間あたりの街区を指します。ハーバーランドを「神戸駅前」とは、まず言いません。
お間違えのなきように・・・・。
#ここの皆様は「地理の達人」揃いですから、まず心配はありませんが。

さて、二次会の最終予約確認の期限が明日の午後までとなっており、申し訳ありませんが落書き帳トップからの案内は消去して頂きました。(一次会の最終予約確認はもう少し先です)
二次会へも20名のご参加が予定されております。楽しみです。

三次会以降は三宮駅方面へ繰り出しての暴走となりそうですが、幹事としての責任範囲は二次会までとさせて頂きたく・・・。
ひとつお手柔らかに <皆様

[44844] N-H さん
実は、神戸に行くのですよ、私。ただし明日日帰りで。
その後24日前後の連休にもまた神戸に行くのです。どちらも仕事で。
う~~!なんというめぐり合わせ。偶然にもオフ会と前後しての横浜からの2度のご来神とは。
家族とまともに過ごせる週末というのが17日から3日間しかないのです(泣)。
というわけで、ものすごく行きたいのですが、オフ会は欠席とさせていただきます。
本当に残念ですが、ご家族を第一に優先してあげて下さい。
神戸開催は今回だけかもしれませんが、オフ会は第三回、第四回・・・と継承されます。またのご参加を楽しみに。

【訂正】
N-Hさんへのレスを追加
[44857] 2005年 9月 13日(火)00:37:06ニジェガロージェッツ さん
樺太国(カラフトノクニ)
拙稿[44780]にて、樺太のことを敢えて「北蝦夷」と書きましたが、これと北海道11国との併記は歴史事実として正しくないことを知りつつ、お二方(或いはお三方)の反応が見たく、確信犯的に書きました。

期待通りのご意見を頂戴し、有難うございます。

[44803] 紅葉橋律乃介 さん
「北蝦夷(地)」を使ってしまうと、北海道は東西蝦夷地+松前地(和人地)になるのでは?
確かに、樺太「北蝦夷」に対する北海道は「東蝦夷」「西蝦夷」「松前」です。
それを承知の上で、経國で「北蝦夷」としたのは、「樺太」だと個人的に日露戦争で獲得した領土のイメージが強く、幕末・維新期のイメージが沸かないというのもありました。

少なくとも「北蝦夷」と道内11国の併用は考えられないと思うのですが…。
正にその通りです。(こういうつっこみを待ってました)

[44817] Issie さん
「カラフト」「サガレン」「北蝦夷」その他の呼称で呼ばれた“大きな島”にも「国」が設置されたことはありません。日露戦争後,ポーツマス条約によって“日本領”となった南半分の区域(「樺太」)には「郡」が設置されましたが「国」は設置されていません。
Issieさんがそこまではっきりと断言されるのであれば、間違いはないと思いますが、少し考察を深めていただければ幸いです。
確かに、100年前のポーツマス条約によって日本領に復した南樺太には「国」の設置はなかったようですが、19世紀の維新期に「日露両国の雑居地」としながらも日本領土であった“大きな島”については、北海道11ヵ国が設置された際に「樺太国(カラフトノクニ)」の設置は本当になかったのでしょうか?
例えば、「樺太国楠渓海岸図(カラフトノクニ ナンケイ カイガン ズ)」という明治7年の地図があります。
(参考までにこの場所は後の大泊郡大泊町の海岸にあたり、現在のコルサコフ市ヴァグザーリナヤ通になるのですが、地図の北端にある集落は江戸期には「九春古丹―クシュン・コタン」と呼ばれた集落です。 ―拙稿[9826]の「フヴォストフ事件」に既出)

もちろん、古地図に「樺太国」と書いてあるからといって、それが「樺太国」設置の確証になるものではありませんが、少なくとも一部では「樺太国」という認識があったかも知れないと推測できるのではないでしょうか?
[44780] 2005年 9月 9日(金)00:10:00ニジェガロージェッツ さん
御報國
[44741] かぱぷう さん
経國値。廃藩置県直前の旧国名をリストアップし、経県値と同様のルールで点数化します

「経國」ですか。中華民國の総統みたいですね。

「國」の基準が廃藩置県直前ならば、[2474]たけもとさんがリンクしてくださった情報によると、宿泊経験のある小豆島は元来備前だったのが、江戸期以降は讃岐になっており、「泊まった」 にカウントできず残念。
その代わり、この時代だと北蝦夷は使えるな。(ニヤリ)

という訳で、皆様に倣い

◎:住んだ(5点)×2=10点
摂津 播磨

○:泊まった(4点)×35=140点
北蝦夷 北見 石狩 陸奥 羽後 羽前 上野 信濃 美濃 下総
武蔵 志摩 越中 能登 若狭 山城 河内 但馬 因幡 伯耆
出雲 石見 美作 備後 長門 紀伊 淡路 讃岐 伊予 土佐
豊後 筑前 肥前 肥後 日向 

●:歩いた(3点)×24=72点
天塩 胆振 後志 陸中 陸前 下野 近江 越後 加賀 越前
尾張 伊勢 伊賀 大和 和泉 丹波 丹後 備前 備中 安芸
周防 阿波 豊前 筑後

△:降りた(2点)×1=2点
飛騨

▲:通過した(1点)×5=5点
相模 伊豆 駿河 遠江 三河

×:かすってない(0点)×19=0点
千島 根室 釧路 十勝 日高 渡島 磐城 岩代 常陸 上総 安房
甲斐 佐渡 隠岐 壱岐 対馬 薩摩 大隅 琉球

以上、合計229点でした。 まだまだ経國が足らん!
[44753] 2005年 9月 7日(水)15:47:07ニジェガロージェッツ さん
須磨のベルトコンベアーがついに・・・
落書き帳第二回公式オフ会@神戸開催まで、あと10日となりました。
現在のところ、21名のご参加エントリーが寄せられています。にわか幹事役として、深く御礼申し上げます。

その神戸からのニュースですが、
海面埋め立てによる神戸市域の拡大と、郊外の住宅団地用地の造成という、「山、海へ行く」と形容された都市経営を一手に支えた「須磨ベルトコンベアー」が、ついに9月12日に稼動が終了することになるそうです。

[4485] 2002 年 11 月 3 日 (日) 22:18:42 いな さん
もうず~っとず~っと前のことでしたが、国道2号線を走るとその上を、土砂運搬用のホッパーが
土を積んで、空中を鋼索線で海のほうへ引かれて行っていましたですねえ。
[4498] 2002 年 11 月 4 日 (月) 03:11:29 拙稿
須磨のベルトコンベア―のことでしょうか。今でも稼動していると思いますよ。神戸空港島の造成に活用していることと思います。
[4526] 2002 年 11 月 4 日 (月) 19:23:26 いな さん
須磨のベルトコンベア―

過去ログでも話題になったベルトコンベアーですが、1964年の始動以来41年の間に運んだ土砂は計五億七千八百万トン。
神戸の地図にポートアイランド、六甲アイランド、須磨ニュータウン、学園都市、西神ニュータウンなどの新市街を次々と生み出した原動力は、来年2月16日開港予定の神戸空港の埋め立て完成に向けて、12日14時に最後の船がベルトコンベアー先端の須磨海岸より神戸空港に向けて土砂を運ぶとのことです。
今後は、西区の神戸複合団地まで続く14.5キロに及ぶトンネルやベルトコンベアーの跡地利用が検討されるそうです。

山を削り海を埋め立てる神戸の都市経営については賛否がありますが、神戸っ子の一人としては、高度成長期以来の神戸の発展を支えた「名物」の退場に、寂しい思いです。
[44632] 2005年 9月 3日(土)00:39:45ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会 参加予定者の中間報告
こんばんは、グリグリさんのオフ会開催のアナウンス[44553]より多くの皆様よりご参加のエントリーを頂戴しました。
有難うございます。

現在のところ、合計15名の皆様のご参加です。
内訳は地区別に
関東地方4名
東海地方1名
北陸地方3名
中国地方1名
(遠来組)(計9名)
地元関西6名

となっており、関東より更に2名の方が、ご多忙の中、ご参加を検討しておられます。
今回は神戸での開催ということで、ご遠方の皆様には本当にご不自由をお掛けし、申し訳なく思っております。
対して、地元関西よりのご参加が少ないのが、やや残念です。
折角の機会です。今からでもご参加のエントリーをどしどし、お寄せください。
お待ちしております。
[44554] 2005年 8月 30日(火)02:46:43ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会 神戸開催
[44553]グリグリさんよりご連絡がありましたように、「第2回都道府県市区町村落書き帳公式オフ会」が来る9月17日(土)、神戸周辺で開催する運びとなりました。
ご都合のつく皆様は是非ご参加ください。

神戸での開催であればニジェが幹事役を引き受けてもいいよ・・という書き込みをしましたが、実のところ、最終的には関西=大阪にて、どなたかが幹事役で小生は末席にと「楽な図式」を、どこかで想定していた感がありました。
今回は神戸でと言うことで小生が畏れ多くも幹事役を仰せ付かりましたが、小生以外に幹事役をお申し出いただいた皆様には、本当に申し訳なく感じております。
[44147]地名好きさん、[44160]かすみさん、有難うございました。

と言うことで、まだ具体的な開催場所をはじめ、オフ会の内容については白紙の状態です。
あと3週間もありませんが、ご参加いただける人数に合わせて早急にオフ会のプランを練り、場所の確保をしたく存じます。
「宴会」の形式で考えてはおりますが、未成年の皆様のご参加も大歓迎です。
地元関西ご在住の皆様をはじめ、神戸には縁のない皆様にも震災十年の神戸を見ていただきたいとも思っております。是非のご来神を期待いたしております。

出来れば今週中にも、だいたいのご出席いただけるメンバーを把握出来れば有難いと考えております。

では☆ 皆様のご連絡をお待ちしております。
[44482] 2005年 8月 25日(木)02:40:59ニジェガロージェッツ さん
落書き帳「池田屋事件」
[44478] futsunoおじ さん
第1回落書き帳オフ会見聞録、拝読しました。
大河ドラマで「新撰組」やってましたので、「池田屋事件」もあっただろうとのことで、こんな文章になってしまいました。
こうして書いて頂くと、全く現場を知らない小生にも、その場が連想できます。有難うございました。

部屋の入口寄りの眼孔鋭い人物に名を告げ、銭を渡し、中に入る。
もうこの時点で凄みのある設定ですね。眼孔鋭い人物とは、人口統計にうるさい幹事さんだと勝手に推測しています。

初対面となる人物が多いためか、開始前は会話も少なく微妙な緊張感が漂う。
もし全員が全くの初対面であったなら、敢えて名を伏せて適当に喋らせておいて、「お前は○○だろう!」と、当て合いしたら面白かったかも。もっとも、ものすごく失礼な話ではありますが。(笑)
とはいえ、今度の第二回オフ会では、前回に顔を会わせておられるメンバーも多く、ちょっと違った雰囲気になるのでしょうか。
小生は第一回オフ会にこそ参加していませんが、「両みみニ焼魚」会にて、一部で面が割れていたりもします。

数名毎に間を置きながらの自己紹介に入るが、異様な名前の持ち主が呼び出されるたびに歓声と拍手が沸く。
出た!この雰囲気。
今までネット上だけでの、それぞれがいだく「○○氏感」と、現実のご本人の印象との乖離が面白そうですね。これだけでもオフ会に足を運ぶ値打ちがありそうです。

参加者には猫・馬を好む者かなりあり。
グリグリさんが猫好きだと言うのはご自身が仰っておられましたが、馬好きの方も多かったとは・・。
地理談義以外に思いがけずに盛り上がる雑談というのも、結構傍目に異常ですね。小生も両毛地域で4人の落書き帳メンバーとお会いしたときに、そのうちの一人と我々世代特有の話題で盛り上がってしまい、世代の違う他のお二方の失笑を買ってしまったのを思い出します。

その後、2次会場への移動となる。 我が輩は「逃げて帰った方が良い」との事前の忠告?に従い、無事帰路を辿ることとなる。
オフ会開始当初の緊張感が嘘みたいな雰囲気ですね。その2次会の終了も記録によれば23時近くとのこと。
小生も下戸ゆえに早々に退散した方が良さそう(涙)

今から第二回オフ会が楽しみです。京都~倉敷間での開催とならば、小生も万難を排して駆けつけたく。
[44391] 2005年 8月 21日(日)13:01:49ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会に向けて
[44380] グリグリ さん
いよいよ、第二回オフ会が現実味を帯びたようで、それも中間報告では関西方面での開催が有力視されているようで、今から楽しみです。

ところで、オフ会での企画のひとつ「クイズ」について
十番勝負に参加できない(敷居の高さを感じている)方々も少なくなく、そう言う方々はオフ会でまでクイズで盛り上がるのはどうかなと言うご意見。一方、クイズを含めた企画が好きな方、あるいは、見知らぬ同士がコミュニケーションを行うきっかけとして企画はあった方がよい、と言う方も多かったです。

拙稿[44146]においても十番勝負を念頭に、オフ会でまでクイズに興じるのは出来ればご遠慮したい旨の書き込みをしましたが、ちょうどクイズやる気満々の[44143]いっちゃんさんの書き込みの直後だったこともあり、ご本人からメールを頂戴しました。

要約すると、第一回オフ会でのクイズは10分足らずの座興色の強い、地理が好きならば泥酔していても分かる問題で、参加を強要するものではなかったとのこと。[44143]にてご提案しておられたクイズ企画についても、そのようにお考えの由でした。

確かに、落書き帳で「クイズ」と言えば、恒例の「十番勝負」を思い浮かべるのですが、十番勝負へ回答された皆様のご感想を拝見すると、相当の日時を掛けて回答を導き出されたのが分かります。
そのようなレベルの高い問題がオフ会企画にそぐわないのは自明の理で、拙稿[44146]での懸念は少々早とちりの感がありました。

見知らぬ同士がコミュニケーションを行うきっかけとして、場を盛り上げる企画としてクイズをするとしても、誰でも楽しむことが出来る面白い問題を数題も考案するとなると、結構骨の折れる作業になると思います。
そこで例えば、参加者それぞれがあらかじめ一問ずつ持ち寄って問題を出し合い、回答を楽しむというのは如何でしょうか。もちろん、強要しないことは大前提ですが。

実際の参加人数にもよりますが、クイズに限らずちょっとした企画はやはり必要にも思います。
小生は第一回オフ会に参加していませんので、オフ会記録のページのうち、非参加者が閲覧できる情報しか知る由もありませんが、参加メンバーの皆様のコメントより、面白い企画でも見えてくれば、新たな企画を練る手助けになるかとも考えます。
[44198] 2005年 8月 16日(火)10:37:44【2】ニジェガロージェッツ さん
新クイビシェフ市
[44174] 白桃 さん
なんとクイビシェフの人口が48,848人(2002年国勢調査)になっているではありませんか。私の知っているクイビシェフは100万人を超える大きな都会。いつの間にこんなに減少したのか!

いつものご愛顧ありがとうございます(笑)
全ロシア都市人口335位のクイビシェフと、6位のサマーラとを一瞬混同してしまったようですね。

そのクイビシェフは改称してサマーラになったのを失念していたのです。
確かにヴォルガ中流の百万都市クイビシェフ市と、これを州都とするクイビシェフ州は、1990年に共にサマーラ市、サマーラ州と改称されました。
しかし、蛇足のご説明を加えると、現地では「クイビシェフ地名」が一掃された訳ではありません。
例えば、ヴォルガ河のサマーラより上流、カザンあたりまでの水面はクイビシェフ貯水湖(人造湖)と呼ばれています。
行政地名としては、現在のサマーラ市は9つの行政区から成っていますが、その中に「クイビシェフ区」と「サマーラ区」が共存しています。
また、サマーラ市に隣接する衛星都市にノヴォクイビシェフスク(新クイビシェフ市の意)という十万都市がありましたが、ここも今でもそのままの名称です。仮にこれを改称するとすれば、「ノヴォサマルスク」が妥当かと思いますが、この都市は母都市サマーラがクイビシェフと呼ばれていた1946年に建設、1952年に市制が敷かれたということで、サマーラのように戻すべき旧名が無いのかも知れません。

ところで、このクイビシェフが一時期ソ連の首府だったのをご存知ですか?
独ソ戦のさ中、ドイツ軍が首都モスクワに肉薄した際、スターリン首相はモスクワを離れなかったものの、政府機関は1941年10月16日にモスクワを放棄、クイビシェフに「遷都」していたようです。

久しぶりの露国レスですが、地理雑学ネタの一つとして。
[44154] 2005年 8月 15日(月)11:36:18ニジェガロージェッツ さん
Re:全国横手調査
[44152] しゅばん さん
全国にある「横手」の地名を探しています。

ご存知だったら、申し訳ないのですが・・・
マピオンで一度検索して見られましたか?
マピオンのトップページにある「フリーワードで探す」欄の「住所」または「スポット」にチェックを入れ、下の「都道府県」欄はそのままにして住所の場合は「住所を入力」、スポットの場合は「スポット名を入力」に「横手」と入力し、「GO→」をクリックすると、「横手」地名のある都道府県の一覧が表示されます。
あとは表示された都道府県名をクリックして、「GO→」をクリックするとその県内の具体的な「横手」が表示されます。

あと、国土地理院の地図閲覧サービス・ウオッちずにも、「地名および公共施設名による検索」が出来ますから、こちらも参考になると思います。
[44146] 2005年 8月 14日(日)18:33:24ニジェガロージェッツ さん
Re:第二回オフ会について
[44136][44141]グリグリさん
第二回オフ会を関西での開催される御意向について、関西在住の一人として大変嬉しく感じているところです。

ここは一つ関西在住のどなたかに音頭をとっていただきましょう
白羽の矢を立てられた、かすみさんはご都合がつかないようで残念ですが、小生とて日頃「落書き帳」の皆様にお世話になっている恩返しをさせて頂く意味でも、もし開催地が大阪ではなく、神戸であれば小生が音頭取りを引き受けさせて頂いても、差し支えありません。
といいますのは、確かに大阪と神戸は近いのですが、日頃本業以外に夜間のアルバイトもしている関係で、どうしても場所の手配や調整のために大阪へ出向く時間がなく、神戸で以外ではフォローが出来ないと思うからです。

という訳で、

1.開催日時の希望
土曜日の夕方か日曜日であれば、今のところ時期に関係なく参加可能です。
但し、金曜日の夕方を含む平日は参加不可能です。

2.開催場所の希望
神戸(幹事役も可)、大阪、京都

3.オフ会スタイルについての希望
小生自身は下戸ですが、飲み会(宴会)が好ましいと思います。
一次会の幹事をお引き受けしたとても、二次会、三次会については、行き当たりばったりということであれば。

4.オフ会企画について
[44143]クイズをやる気満々のいっちゃんさんに水をさすつもりはありませんが、出来れば[44136]でグリグリさんからご提案があった、
オフ会の企画については、第一回は多少入れ込み気味で皆さんが語り合う時間が少なかったように思います。したがって、第二回は企画はなくても構わないと思っています。
に賛成です。
確かにクイズ好きの人には、それだけで場が盛り上がると思いますが、小生のように「十番勝負」に一切の回答を提出しない「落伍者」には、クイズと聞いただけで敷居が高く感じられます。
もちろん、日頃の「十番勝負」にしても、じっくりと時間を掛けて考えれば、小生にも楽しく勉強が出来る大変面白い企画だと思いますが、最初に申し上げましたように、本業の商売とアルバイトの掛け持ちをしている以上、せっかくの時間はネット上の本業?とも言えるロシアの地理データの整理に打ち込みたいので、これからも「十番勝負」には疎遠であり続けると思います。
オフ会に出席までしてクイズに興じるのは出来ればご遠慮したく、それよりも皆様の地理体験や見聞をお聞きする方が、少なくとも小生には居心地がよいですが、これはあくまでも小生の個人的なことで、全体としてクイズをやりたいという方向で行くのであれば、もちろん異を唱えるものではありませんので、聞き流しておいて下されば幸いです。

5.その他希望
特にありませんが、開催地が神戸でなくとも大阪か京都であれば、ぜひ末席の一人として参加させて頂きたく思います。
[43959] 2005年 8月 8日(月)00:36:26ニジェガロージェッツ さん
リンクに感謝
[43957] グリグリさん
トップページに落書き帳メンバーのホームページへのリンクの場を提供していただき、少なくとも「都道府県市区町村」には関係のない拙HPへのリンクまで張って頂き、深謝です。

登録メンバーの方のホームページがどんどん充実していますね。

こうして一覧にしてみると、本当に凄いですね。
落書き帳の皆さんのHPには、足跡は残してはいませんが時々ご訪問させていただいております。
自分自身がまがいなりにもホームページを運営していく上で非常に参考になり、また行き詰まったときには気分転換にもなり、本当にいつもお世話になっております。
思えば[16077]kenさん、[17815]グリグリさんから、ホームページの開設を強く推されたのがきっかけで、それまで考えたこともなかった小生がビルダーを購入して、皆さんの秀作HPを参考にしながら、説明書を片手にホームページを立ち上げ、[18907]にてご挨拶したのが丁度2年前のことでした。
当時は拙HPはわずか15ページでしたが、今では170ページに増幅しています。(笑)
(・・普通、数えないですね。自分のHPのページ数など・・)

これからも、料金未払いで電気が切断されたり、裁判所にPCが差し押さえられない限り、更なる充実を目指していきます。
そして、今回のリンク企画がきっかけにもなり、更に多くのメンバーがご自身のホームページで情報の発信を進められたら、素晴らしいですね。楽しみです。
[43448] 2005年 7月 25日(月)01:40:54ニジェガロージェッツ さん
やっとヴォルガが終わった
[43437] 小松原ラガー さん
阪神高速から清盛塚に伸びる南北の道があるかと思いますが、確かこの道には
両側に松の木が植えられていたと思います。街路樹といえばそれまでのような気がするのですが、なぜ松の木なのか。

確かにこの辺りは、もともとが古くから兵庫津の市街地にあたり、町外れから海岸一帯へと広がっていた「和田の松原」と、今ある街路樹とは直接関係がありませんが、あーばんとーく平成13年1月号より「歴史の道の調査」として兵庫区の都市計画に、インナーシティ問題とも絡めて「歴史の道」を整備し、その道路デザインにも和風のモチーフを提案した経緯が触れられています。

この道路整備によって、道幅も広げられ、歩道に和風な「松」が植樹されたのではと思います。

余談ですが2年前の残暑の中、この道もYSKさん、でるでるさん、愛比売命さんと徒労を組んで歩きました。[19537]のことです。この時は兵庫大仏から七宮神社に寄って、東出町からハーバーランドへ抜けました。懐かしい~。

==========

タイトルに書いた無関係な独り言は、2年前の冬に[8619]沿海地方に始めた、ロシアを東から順に追っていった地理概況・人口データの整理が、昨日のアストラハン州、今日のカルムイキア共和国を拙ホームページにアップして、ヴォルガ地域がやっと終わったことをお知らせするものです。
これから北カフカス。先(全ロシア制覇)はまだまだです。
[43167] 2005年 7月 21日(木)01:47:25ニジェガロージェッツ さん
恐縮です
[43145] EMM さん
#間違い・勘違いを指摘されるのは確かに気恥ずかしいのではありますが、一方で「知るは一時の恥・知らぬは一生の恥」ということで指摘を自分の知識の糧とすることも肝要だ、と思っとります、ハイ。

申し訳ございません。EMMさんへの初めてのレスにて、とんでもないツッコミを入れてしまい恐縮しております。
たまたま小生の地元のことで、土地鑑があるのでレスを差し上げたのですが、実のところ「落書き帳」では、神戸以外のことではとても皆様に太刀打ちできず、最近は専ら読む側に徹しております。

2年ほど前は毎日のように拙稿が顔を出しておりましたが、今に思えば随分とポカをやらかしたものです。
EMMさんの仰るように「知るは一時の恥・知らぬは一生の恥」で、間違いながらも「落書き帳」では随分と良い勉強させて頂きました。

ここ数日、神戸の話題が続きましたが、元はと言えば、[42833]たもっちさんが東灘区の「田辺村踏切」に「村コレクション」絡みでご関心をお示しになられたのが始まりでした。
それが一方では「踏切レス」へと話題沸騰し、また一方では「村コレクション」へ兵庫区の「幻の村」への情報提供から、「和田の松原」へと話題展開があり、地元として本当に楽しまさせて頂きました。

今回の話題が一先ず「幕」となれば、小生は元のROM専に戻りますが、また神戸の話題でもあれば、そのときはのこのこと顔を出させていただきます。


[43158] 星野彼方 さん
メンバー登録、ご同慶の至りです。
先日の西明石―新大阪間の踏切調査では、その行動力に脱帽致しました。そして東北までお出掛けとは・・。
これからのご活躍をお祈り申し上げます。
[43161] 2005年 7月 21日(木)00:08:57ニジェガロージェッツ さん
東出の過去
[43145] EMM さん
和田の松原レス、有難うございます。
残念ながら、採用は見送ります。
状況が状況だけに、致し方ありません。

ところで、貴稿[43142]にある
高度経済成長期に一気に都市化して
の部分のご推測の基になったHP兵庫区5コースをリンクくださり、有難うございました。
この中にある「吉田新田と遠矢の松跡」にある説明文
和田岬の景色は海内無双の名勝地といわれ四・五十年前までは、その景観美が保たれていたが、
今では工場と人家の町となった。
和田の松原は、兵庫の町はずれから和田山(現在の材木町 浜中町、高松町、金平町、)の
東端を廻って吉田新田に出る地域で、一帯に松の木が海岸に枝をはっていた。
を、この地域に土地鑑をお持ちでない方々が見れば、和田岬一帯が「工場と人家の町」となったのが、「4~50年前」との印象を持ってしまうのは無理のないことです。

まず、この部分の後半に描写される、「和田の松原は、(中略)一帯に松の木が海岸に枝をはっていた。」の風景は、大正期には既に市街化の波で失われています。

では、前半に謳われている「四・五十年前」に、つまり昭和30年代にここで何があったかといえば、それはずばり海面埋立です。
現在の和田岬の先端は、結構「鈍角」になっていますが、これは岬の南側の海面が埋め立てられた結果で、昭和30年代以前は、「和田岬砲台」から真っ直ぐ西に海岸線が伸びており、岬は「鋭角に」東へ突き出していました。
地図中、工場地域の中に不自然に「遠矢町」が残っていますが、これは旧海岸線の名残です。
今でも吉田町の海岸線は、概ね昔のままです。

また苅藻島町は、もともと明治時代に兵庫運河を掘削したときの土砂を埋めて出来た人工島ですが、それは島の北半分の1―2丁目のみで、南半分の3丁目は昭和30年代の海面埋立によって生じたものです。
これらは、西部海面第1、第2、第3工区の埋立工事として昭和32年に着工し、兵庫区和田岬以西、須磨区妙法寺川河口以東の海面が昭和40年の竣工までに埋め立てられています。(参考神戸港の歴史 神戸市みなと総局)

従って、先のHPにある説明文
「和田岬の景色は海内無双の名勝地といわれ四・五十年前までは、その景観美が保たれていた」
については、海面埋立以前の海岸線のみを謳ったものと解釈出来ます。

もしかしたら上記HPの参考資料が昭和30年代のものだったのかもしれません。
については、否定しておきますが、それより
(であれば明治40年代が50年ほど前、っちゅうことになっているかと)
の一文で、小生の生まれた昭和30年代が、明治40年代からわずか50年ほどしか経っていないということを改めて認識させられ、いささかショックでした。


さて、[43145] EMM さん
川崎重工や三菱重工業の工場に取り囲まれた地帯であることを考えれば激烈な空襲を受けているでしょうし
の部分を受けて、神戸空襲の不思議の一つをご紹介させていただきます。

兵庫区の兵庫突堤の北に東出町という所があります。
ここは、川崎重工業神戸工場に隣接した下町の工場街で、有事の際には真っ先にやられそうな場所なのですが、度重なる鬼畜ルメイの神戸空襲にもかかわらず、この東出一帯は焼け残り平成時代を迎えました。戦前より神戸に住んでおられた古老は口を揃えて、「何であそこが焼け残ったんや」と不思議がっておられました。

今では神戸ハーバーランドに隣接する地域として、区画整理事業が進行中で、古くからある町屋や長屋が撤去され、広い街路が新設されたりして、昔の面影が失われつつあります。丁度、2003年9月にYSKさん、でるでるさん、愛比売命さんを伴い、現地をご案内する機会もあり、お三方もご記憶のことと存じます。

小生は1978~80年ごろには、この東出の街の独特の雰囲気が好きで、毎日のように自転車で早朝から出掛けていました。古い市街地とはいえ、早朝の6時台に大衆食堂が賑わっていたりして、労働者の匂いの漂う街で、一種、異様な活気のある街でした。
もし、神戸空襲でやられていれば、恐らく、港湾に隣接する倉庫地帯に変わっていたはずです。
戦災を免れ、今に伝わる「古い神戸」が失われていくのは忍びないことですが、時代の変化と産業構造の変化を思うと、都市が生きている以上、仕方のないことかも知れません。
西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会という、地元の住民主体のまちづくり活動が、新しい東出の街をどう造っていくのかが楽しみです。
[43143] 2005年 7月 20日(水)03:13:27ニジェガロージェッツ さん
細かな地元レスにて恐縮です
[43136] 愛比売命 さん
お忙しい中「幻の村」の場所特定にお手間を取らせてしまい、恐縮です。
御崎村に関しては、小生も大体、同じようなところにあるものと推測しておりますが、東尻池村については、少し違うのではないかと思います。(「思います」を強調しておきます。根拠はありません。)

東尻池村の位置推測については、川崎重工の車両工場が明治39年に「運河分工場」として東尻池村に建設されたことに拠っておられるようですが、この「東尻池村」は町域を設定する前の旧村名のような気がしてなりません。
川崎重工の車両工場および、それに隣接する町名は、御所通1―4丁目と和田山通1―2丁目が明治33年、東尻池町1―10丁目が明治36年に誕生しており、実際には既に「東尻池村」ではなかったようですが、当時はまだ町名が定着していなかったのか、旧村名で呼んでいたのかも知れません。

いずれにしましても、取り敢えずは地図リンクを推測位置で表示しておいて、詳しいことが分かり次第、状況に応じて訂正していけばどうでしょうか?

今すぐというわけにはいきませんが、海岸通の神戸地方法務局に行く便でもあれば、是非地籍図を閲覧して調べてみようと思います。
神戸市区設置条例の兵庫区の部分に明記されており、間違いなく現存する地名ですから、確認できると思います。


[43142] EMM さん
「松原」コレクションのご収集、ご苦労様です。
ご関心をお示し頂きました「和田の松原」についてですが、残念ですが現地にその名残は残っていません。
往時には「東は兵庫の町の端より、西は東尻池村まで、一面の松原にて、南は蒼海渺茫(びょうぼう)と日を欲し、雲を洗うが如し」と摂津名所図会に記されたように、浜辺一帯に松林が広がっていたようです。
明治19年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、松林の記号が兵庫津市街地の南西側から、吉田新田を経て東尻池村の苅藻川河口一帯の海岸に続いており、これのことでしょう。
現在の町名で言えば、兵庫区和田山通1―2丁目、御崎町2丁目、吉田町1―3丁目、高松町、長田区東尻池町9―10丁目、浜添通6―8丁目、苅藻通7丁目、南駒栄町が相当します。
確かに兵庫区に松原通という町名がありますが、これは「兵庫港地方字松原口」から採ったもので、恐らく、このあたりが「和田の松原」への入り口だったのかも知れません。

ところで、
高度経済成長期に一気に都市化して
の部分ですが、現地はお考えのような後発の市街地ではございません。
この地域が都市化したのは、明治40年頃より大正期にかけてのことで、大正末年には下町の密集市街地と化していました。
また、昭和20年3月17日の神戸大空襲では、この地域一帯が被害を受けています。

ですから、
例えばどこかの公園なり神社や寺の境内なりに残っている、あるいは町内に街路樹としてぽつんと残っている、と言ったことはないのでしょうか。
については、本当に残念ですが否定せざるを得ません。
[43133] 2005年 7月 19日(火)03:27:40【1】ニジェガロージェッツ さん
地図に載っていない・・・
[42999] 愛比売命 さん
もちろん、採用です!ただし更新は週末。最近忙しいっす(^^;;)

「字名の“村”」コレクションに、拙稿[42980]でご紹介した神戸市兵庫区東尻池村と御崎村を採用内定、有難うございます。

但し、この2村は拙稿にも書いたように
地図にも載らない「幽霊住所地名」として存在
しており、ネット上はおろか、市販の紙の地図でもその存在を明記しているものを見たことがありません。
と、いうことで「どこにあんねん?」と聞かれても、「わからん!」としか答えようがなく、おそらく、法務局にある地籍地図のようなものでも持ち出さない限り、出てこないと思います。

参考までに、神戸新聞社編「神戸の町名」に収録されているのを一部引用すると、
==========
【東尻池村】(ひがししりいけむら)
神戸市内で残っている“村”は、御崎村と二つだけである。昔の村は、行政区画や町名改正によって数多くの町に分割され、村の名は一部の町名としていまもつづいているが、村名のまま残っているのは珍しい。
東尻池村はほとんどが長田区内で、由来についてはそこでふれているが、兵庫区では一部の国有地が人家や建て物もないまま、町名改正されなかったらしい。しかし、この“村”も近く消える運命にある。
==========

この本は昭和50年11月発行の古い版ですが、「近く消える運命にある」と紹介されていながら、今日でも存在しており、結構しぶといです。

御崎村については、
==========
【御崎町 御崎本町 御崎村】(みさきちょう みさきほんまち みさきむら)
旧御崎村からきた町名で、東尻池村と同様、村名を残している。
(中略)
御崎村は、古名と神社名から天明3年(1783)1月18日に村名となった。東尻池村と同じく、数多くの町名に分割されたが、一部の鉄道敷地が町名改正から取り残され、村名をいまに残している。
御崎町は大正15年1月に村名をそっくりいただいてつけられたが、実際は旧御崎村地内ではない。旧字名は東尻池村棟東、女郎塚・・・・(以下、省略)
==========

とあります。

戦前の神戸市市街地図を見ても、すでに両村は記載されていません。
もちろん、小生が昔から愛用している「ワラヂヤ」の地図にも載っていません。

 ♪地図は~ 和楽路屋~ 和楽路~屋~の~ 地~図~♪
  (↑メロディーを思い浮かべて、読んでいるそこのあなた! 相当、関西人度が高いです!)

地図リンクが出来ないとなると、コレクション登録は難しいかな?
[43020] 2005年 7月 15日(金)12:56:00【2】ニジェガロージェッツ さん
敢えて
YSKさん、いろいろお悩みの末、熟考を重ねた上での結論と察します。
小生も同じ気持ちになったことがあり、痛いほど分かりますが、今一度、ご自身がお書きになった[31401]に立ち戻って頂ければ、幸いです。


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