[93020]の末尾で予告した「高座渋谷」に着手できない間に、「町を母体とする村」スレッドの発端とも言える 明治39年愛知県幡豆郡での3町降格事件? について、興味深い記事が
[93031][93041] YT さん により紹介されました。
『一色町誌』 (1970年)に基づき、郡制施行時代における財政負担軽減という動機を示したものです。
府県と町村との間に 「地方自治体である郡」が存在した時代のこと。
地方行政に関する権限の所在は 現在と大きく異なっていました。20世紀初頭の 1906年と言えば、3段階
[51042]で整備されてきた郡制度の完成形と言える「新・郡制」が施行されていた時代です。
郡立の学校があったり、郡による干拓・埋立事業が行われたり。形骸化した 現在の郡とは大違いです。
実例1:大住・淘綾(ゆるき)・足柄上三郡共立学校
[4939] 神奈川県立秦野高校の前身です。
実例2:稗貫郡立(花巻)農学校
[51042] 宮沢賢治が教員をしていました。
実例3:熊本県八代郡 郡築新地→郡築村
[85117] 「郡築」という名称自体が印象的です。
その一方で、独自の「郡税」がなかった郡役場の収入源として存在した「町村分賦金」
[83665][93041]。
その負担を和らげる手段として使われたのが「合併を機会に、町という看板を降ろして村になること」。
なるほど。
本筋から外れていますが、参考までに 郡の末路を記しておきます。
わが国の産業構造・社会構造が大きく変ってゆき、地方行政機関としての郡制度は時代に合わなくなってゆきます。
「郡会廃止」により郡が地方自治体の地位を失ったのは 1923年でした。
郡長や郡役所は県の出先機関として残されましたが これも大正と共に終りを告げ、郡は単なる地域区分に戻りました。
明治時代の愛知県幡豆郡を離れて、昭和の神奈川県高座郡に移動し、変遷情報検索で渋谷を調べます。
結果
「高座渋谷」は小田急江ノ島線の駅名です。1929年江ノ島線開通当時の郡名を冠しています。現在は大和市。
東京の郊外電車なので、【東京の】渋谷駅と区別できる駅名にしたのは当然のことです。
余談ですが、1940年に小田急が帝都電鉄を合併し、その後 1942年大東急になり、1948年大東急解体。この間の江ノ島線は、東京の渋谷をターミナルとする井の頭線と同一会社内でした。
小田原・江ノ島・井の頭の3線が描かれている昔の地図式車内補充券。渋谷と高座渋谷が同居しています。
それはさておき、自治体名は 1889年の高座郡渋谷村から 1944年に渋谷町になっていました。
注目すべきは、昭和合併時代の動きです。
最終的には大字長後など南部地区の藤沢市編入(1955/4/5)と、大字福田など北部地区の大和町編入(1956/9/1)との2段階の手続で【実質的に】分割されるのですが、この間の5ヶ月弱、北部地区には「2度目の高座郡渋谷村」が存在することになりました。
変遷情報詳細 によると、「高座郡渋谷町の一部」を「分立」し、「渋谷村」とした となっていますが、その渋谷町は 同日に藤沢市に編入され、消滅しています。一部【北部】を分立した以上、藤沢市に編入されたのは南部だけの筈であり、これが
変遷情報詳細に「渋谷町(同日付けで分立した(新)渋谷村を除く渋谷町全部(大字長後, 大字高倉))を編入」と記した根拠になっています。
「分立」を前提とすれば、この記述はそれなりに筋が通っているようです。
しかし、「分立した(新)渋谷村を除く渋谷町全部を編入」という持って回った表現が少し気になります。
分立後もそのまま存続する筈の母体が編入によって消滅するのならば、そもそも「母子共に健在」を前提とする「分立」という変更種別を使ったのが不適当なのではないか?
余計なお世話かも知れませんが、「分立」でない可能性も考えてみました。
変遷情報には記録されていませんが、落書き帳内を「渋谷村」で検索すると、
[32478] 林檎侍[花笠カセ鳥]さん の記事「渋谷町から渋谷村へ」があり、昭和30年に出された2件の総理府告示が示されています。
総理府告示 S30-909 S30/3/30 市町村の廃置分合 Aを廃し、A1の区域を藤沢市に編入
総理府告示 S30-1112 S30/4/ 4 町村の廃置分合 Bを廃し、B1の区域をもって渋谷村を置く
告示日付は違いますが、効力発生は 共に S30/4/5 であり、前後関係はありません。
渋谷町関係分は A=渋谷町、B=渋谷町 であり、2つの告示の前半は同内容【渋谷町の全域廃止】です。
B1の区域は、先に【北部】と略記した区域です。告示 S30-1112 の廃置分合により(新)渋谷村設置。
ここで注目したいのは、この告示が「渋谷町のうちB1の区域を分けて」という言い方をしていないことです。
「分立」ならば、「分け」と記した筈ではないのか?
[55654] 88さん は、「分立」 or 「分割」を論じた記事の中で、戦時合併した栗橋町の分立告示を例示し、
「埼玉県北葛飾郡栗橋町のうち、○○を分け」というのが、「分立」の表現です。つまり、栗橋町そのものの法人格は存続する、ということです。
と説明し、「母体の一部が分かれ、母体の法人格も存続」が「分立」を裏付けているとしているようです。
「渋谷町を廃し」で始まる告示 S30-1112 の廃置分合は、「分立」ではないのかもしれない。
変更種別の詳細説明に記されている現在の定義には合っている。
しかし、分立した母体が廃止される 渋谷町のようなケースは 想定外 だったのではないか?
そもそも、母体の法人格が残るからこそ、「分かれる」のであり、渋谷町廃止なのに「分立」とは、言葉として違和感があるのではないか? 渋谷村の場合は、もちろん「分割」でもない。
総理府告示 S30-1112 に基づく(新)渋谷村のケースは「一廃一置」です。これに適用すべき変更種別は?
現在の変遷情報では「分立」となっていますが、変更種別の詳細説明の中から、他の候補を強いて選べば、「村制」になってしまいそうです。
「一廃一置」の代表例は 単独「市制」です。
法人格継承は別として、単独「町制」も これに近い。
渋谷町とは別法人の渋谷村を作るプロセスを「村制」と呼んでも、言葉としての違和感はなさそうです。
もっとも、既存自治体の廃止を伴わない「設置だけの村制」事例
[85102]とは、明らかに異なります。
別の変更種別を作るべきかもしれません。
…と、変更種別についての考えは迷走状態が続きます。
[1756][32467] Issie さん の考え方も、分立のような「継承関係」を否定し、たまたま同じ名前の「別個の存在」と理解しているようです。
以前この地域に存在した自治体の名を採って「渋谷村」としたけれども,形式上は昔の「渋谷町」をチャラにし上で,「全然関係のない」新自治体が編成された,ということになるのです。
もちろん,現実には旧渋谷町の組織を引き継いでいるのでしょうが。
新しく設けられた「渋谷村」はこの「渋谷町」を直接継承したものではなくて,これを分割して【引用者注】「新・渋谷村」と「藤沢市」のそれぞれに“引き取られた”と理解したらいいのだろう,と考えています。
【引用者注】もちろん制度としての自治体分割ではなく、実質的な分割という意味です。
取り留めのない状態ですが、これで渋谷村設置に関する問題点指摘?の長文を終え、失礼します。