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[51417] 2006年 5月 21日(日)15:40:57ニジェガロージェッツ さん
Re:深草区、醍醐区、・・・
[51410] 稲生 さん
分区する計画はないのでしょうか?
[51415] 小松原ラガー さん
分区の話(というか噂?)は20年程度前から出ている模様です。

京都市伏見区の分区のお話ですが、以前に[1569]みゆりんさんに対して、地元の京都市伏見区民さんより詳細な書き込み[3419]がありました。ご参考までに。
[51376] 2006年 5月 18日(木)02:00:13ニジェガロージェッツ さん
ワラヂヤの地図は不滅で・・・あって欲しい。
いつもながらの遅れレスにて恐縮です。

[51327] 千本桜 さん
わかるなぁ、その気持。で、買ったばかりの分県地図を広げるとき、喜びで手がワナワナと震えませんでしたか?。
見事にお見通しのようで。
当時の自宅から書店まではわずか200m程しか離れていなかったのですが、書店で地図を受け取ると、家に着くまで待てないんですよ。ちょうど途中に公園がありまして、その公園ですぐに地図を広げて見入っていました。
親に地図を没収されたのが小学校3年生の秋頃の話で、翌年4年生になると社会科の教材で地図帳が配られます。おなじみの帝国書院の小学生用のものです。そうとは知らず、始業式の後で教科書の配布を受けた時に、面白くない教科書の中に地図帳が混じっていた時の感動というか興奮は、あまりのことで「手がワナワナ」どころの騒ぎではありませんでした。

同じです。ただし私は収集癖が無い代わりに空想地図を描くのが好きでした。
小生も地図を没収されてから、空想地図の世界に走ってしまいました。おおよそ不真面目な児童でしたから、授業中にノートの空白に勝手に地図を書いていたりして、抜き打ちのノートチェックがあったりすると悲劇でした。
千本桜さんのような地理知識を集大成させてのような空想地図ではなく、所詮子供の落書きですが。


[51339] 2006 年 5 月 15 日 (月) 13:01:48 スナフキん さん
ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。
スナフキんさんも持っておられる「ザ・マップ京阪神」は、小生もお気に入りの一品で、地図のデータとしては随分古くなってしまいましたが、今でも離せない大事な地図です。(因みに1993年版です)
個人的に好きだったのが、ワラヂヤの地図の中では後発でしたが、A0判の一枚物の道路地図でヨーロッパスタイルの折畳式の銘打った「マップ東西南北 1/10万・道路地図」。
地図上に見やすく情報が纏められていて、当初600円だったものが後に800円になりましたが、その分、紙質が破れ難にものに改良されたり、標高に応じて彩色が加えられたりして更に綺麗な仕上がりになっていました。
同じようにA0判の一枚物の「ヨーロッパスタイル」で縮尺1:18000の「京阪神広域アーバンスタイルシリーズ」も面白い地図でした。18枚の地図を揃えると和歌山から大津に至る京阪神都市圏をカバーできるのですが、こういう行政区画にとらわれない一枚物の市街地図というのも新鮮でした。
「西神・明石エリア」などというローカルな一枚物の市街地図を見たときは、嬉しかったのを思い出します。
この市街地図も町名は青文字、町丁界は緑の破線で描かれています。嬉しい色使いです。
「四丁目」をきちんと(四)と表記しているのも嬉しいところです。もともとどの地図もこの表記だったのですが、最近では(4)としたり、単に 4 とナンバーで書かれると、全く購買意欲を失います。
小生個人の単なるこだわりですが、「四丁目」は地名の一部であって、符合番号の類ではないので、こと地図に関しては算用数字で書かれるのは嫌いです。

[51350][51354] EMM さん
[51353] 般若堂そんぴん さん
ワラヂヤの地図を継承した株式会社デジタルマップスに関しての情報、有難うございました。

で、業務案内のところを見ると「ワラヂヤ」の地図を継承している旨はっきり書いてありました。
受注制作中心で営業範囲は主に近畿地方…ってのも当たってたみたいです。
通信販売の拡充に今後期待、と言うところでしょうか。
本当にワラヂヤの地図がこれからも生きていて欲しいと願うばかりです。
[9573] TN さん
注文しておいた六甲全縦のMAPが最近神戸市より届きました。
このMAPもワラヂヤ版ではなかったでしょうか?

[51356] 稲生 さん
やっぱり、ここに来られる皆さんの地図への憧れは相当なものだったのですね。
私は[24959]で示したように、小学校2年の時の日地出版の分県地図集めからスタートしました。
「和楽路屋」「日地出版」ともに、今はなくなってしまい寂しい限りですね。
いやいや、小生など稲生さんはじめ皆様の足元にも及びません。
ただ、まとまった金を手にすると地図に手を出してしまう思考回路は子供の頃から変わっておらず、日頃より金欠で夜にパートに出ないと生計が維持できないほど追い詰められているにもかかわらず、昨年末の交通事故に関連してちょっと慰謝料のようなものを手にするとこういうものを買ってしまうところが不治の病です。

それにしても、ニッチの地図まで無くなってしまったとは、残念でなりません。
ワラヂヤの市街地図も見事でしたが、日地出版のそれもある意味感動ものでした。
20000分の1の「TOWN MAP 神戸市」には、須磨区から東灘区に至る旧市街地の背後の山間部や山域の小字の境界線まで書かれています。例えば中央区葺合町と神戸港地方、兵庫区平野町と烏原町、須磨区妙法寺、車、多井畑、白川などにあるその下の細かな小字が網羅され、字界まで表記されています。
こんな地図、ニッチマップ以外では見たことがありません。
[51318] 2006年 5月 13日(土)22:54:46【2】ニジェガロージェッツ さん
ワラヂヤの地図
ワラヂヤの地図が話題になり、懐かしい限りです。
[51299] EMM さん
ワラヂヤがその後どうなったのかは上記の検索結果からは分かりませんでした。

兵庫県信用組合では毎年新年の「兵庫県地図カレンダー」を顧客に配布しています。縮尺25万分の1の兵庫県地図を使用していますが、この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
しかしこの地図、どう見てもワラヂヤの地図なんで、旧年の古い「兵庫県地図カレンダー」を調べてみると、2001年のものには地図の片隅に「ワラヂヤ」と書かれていました。
2002年のワラヂヤ出版の自己破産申請直前に製作されたと思われる2003年のものには社名は入っておらず、翌2004年版から「(株)デジタルマップス」となっています。
倒産した旧ワラヂヤ出版と現在のデジタルマップスの関係は分かりませんが、この兵庫県地図がその後の市町合併などの変更を反映し「生きている」ところから察すると、何らかの形で業務の引継ぎのようなものが存在しているのかも知れません。(部外者の邪推はよろしくありませんが・・・)

戦前の日下和楽路屋書店(日下伊兵衛)、戦後の和楽路屋商事、ワラヂヤ出版と言えば、関西では地図出版の老舗で、昭和40~50年代半ばにはどの書店でも道路地図や市街地図と言えば和楽路屋のものが多く置かれていました。書棚には他にナンバー出版のものや、大阪人文社が印象にあり、現在ほぼ独占の感がある昭文社はあまり記憶にありません。
和楽路屋の地図は一枚物の大判の都市地図にしても、冊子の大都市の区分地図にしても、見た目に派手ではないものの地図の表現が繊細で、ファンも多かったのではないでしょうか。
今でも古本屋で戦前の都市地図に出くわすことがありますが、和楽路屋のものも少なくありません。
神戸市では各区役所に転入者向けに区の市街地図を用意していましたが、それらもワラヂヤの地図でした。昨年の神戸オフ会の備後市ゲームの景品に、昭和50年代の「生田区あんない地図」「中央区あんない地図」が出ていましたが、それが正にワラヂヤのものです。(誰がゲットされたかは?)

小生はCMの効果もあって、子供の頃より「地図は和楽路屋」だと思っていました。
昭和46年当時、小学校3年生だった小生は毎週月曜日に貰う「一週間小遣い」150円を手にすると一目散に書店へ行き、130円~140円で売られていた和楽路屋の分県地図を買うのを楽しみにしていました。
結局20枚ほどの分県地図や市街地図を溜め込んだところで、地図ばかり眺めて全く勉強しない愚息を好ましく思っていない父に全ての地図を「大人になるまで預かっておく」といって没収されて、地図収集を厳禁にされてしまいました。
成人になり、「あのときの地図返さんかい!」と返還を求めたところ、僅か15年ほど前のことにもかかわらず「何のことや?」と全く覚えておらず、家中の押入れなどをひっくり返す「実力行使」にでたものの発見には至らず、それから10年後には家そのものが震災で倒壊して「万事休す」でした。あ~勿体な!
[51311] 2006年 5月 13日(土)15:05:16ニジェガロージェッツ さん
昔は三田市南区ってありました
[51216] じゃごたろ さん 伊那市の区
[51231] EMM さん 山代温泉の区
[51309] 牛山牛太郎 さん 多賀城市と東松島市の区

「区」コレクションへのメッセージ、ありがとうございます。
こうして情報をいただくと、今回の基にした郵便番号簿がコレクションの土台としては、かなり不十分ではないかと思えてきます。
とはいえ、全国一律に同一条件のもとに地名を手軽に閲覧できるものは郵便番号簿以外にはちょっと思い浮かばないので、今後どうしたものかと悩むところです。
住所一覧から地図を検索できるいつもガイド-ゼンリンの詳しい地図サイトを片っ端からあたっていくのも一案ですが、なにぶんにも時間が掛かりそうで・・・。

一つの案として、落書き帳の書き込みにてご提供いただいた「区」だけでも、別表のような形で、コレクションに反映したく考えております。この形だと、とても全国各地の「区」を網羅・発掘するものではありませんが、折角いただいた貴重な情報を過去ログに埋没させてしまうのはあまりにも勿体無く感じます。
[51204] 2006年 5月 7日(日)01:43:19【1】ニジェガロージェッツ さん
住所に無い区
[51185] EMM さん
「区」という名称については色々な性質のものが現地で入り乱れているようですので、今回のように調査元の資料を限定した上でその中から分類するのが一番まとめやすい形だろうと思います。

ご指南有難うございます。基にしたのは「平成17年度版・郵便番号簿」ですが、これに記載されている「区」の付く地名をあたっていくと、確かに、仰るように
たとえば本来自治組織名などだったものがいつの間にか小字的に使用されるようになり、郵便番号7ケタ化の際に1つ1つの「区」に番号が付与された、とかなんでしょうかね?
と推察される「区地名」が少なからずありました。
そこで一番示唆に富んだ実例が、[50978]にて88さんよりお話のあった高松市木太町にある区でした。実際の住所として現地の小学校の3通りの住所表記
正式高松市木太町1350番地1
「区」使用高松市木太町2区1350番地1(「二区」も可)
不動産登記簿高松市木太町字本村1350番1
には、考えさせられました。
この高松市木太町の区には個別の郵便番号の設定は為されていませんが、小生が『「区」コレクション』にて
(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区
に分類した各区は、それぞれ各地の事情はあるとは思いますが、その多くは同様の経緯で設けられた「区」ではないかと推察します。

では逆に、人口3万を擁する高松市木太町に何故区別の郵便番号が設けられなかったのかという疑問もありますが、それこそ「各地の事情」があってのことでしょう。言い換えれば、郵便番号の設定基準には、傍目に見て結構「ぶれ」の多いものだと感じずにはいられません。
一方、近年では「住所に無い区」に設けられた郵便番号が抹消されるケースがあります。
例えば、山口市に編入された旧・山口県吉敷郡阿知須町には「青畑区」はじめ49の区があり、それぞれに郵便番号の設定がありましたが、これらは抹消されています
また、現在は中津川市に編入されている旧・岐阜県恵那郡蛭川村は、「一色区」はじめ14の区がありましたが、こちらは中津川市編入前にすでに抹消されていますが、現在でも住所として「中津川市蛭川一色区」などとして、生きている可能性があります

こうなれば、郵便番号7桁化が実施された当時の郵便番号簿をもう一度洗いなおして、番号簿より「抹消された区」を収集する必要さえ感じます。

[51200] にまん さん
岩国市由宇町の北区と西区ですが、(中略)もともと由宇町の大字なしの地域ですので通称名として使われているというのが実態ではないでしょうか。

早速のご教示有難うございます。
岩国市由宇町の北区と西区については、正式な住所かどうか最後まで迷いましたが、北区がMapionにて確認できましたので、地名としての実体が存在すると判断しましたが、西区については確認が取れませんでした。Mapionでの記載漏れとも考え、独断で『(2)町・字名の区』に分類しました。
しかし、にまんさんのご指摘どおり、やはり『(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区』に分類すべきものでした。訂正を掛けておきます。

さて、今回の『「区」コレクション』を補完する上で、僭越ながら参考記事のアーカイブを提案したく存じます。
『政令市以外に存在する「行政区」の実態』と題して、地域自治区・合併特例区を中心に、最近の記事を集めてみました。
YSKさんご編集の既存アーカイブ『町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?』と重複する記事もありますが、一度ご検討いただければ幸いです。
[51161] 2006年 5月 4日(木)01:23:18【1】ニジェガロージェッツ さん
「区」コレクションを公開しました
とりあえずタイトル通り、「区」コレクションが形になりましたので先ほど公開しました。

[51003] EMM さん
最初のイメージから考えると、やはり正式な住所として使用される例のみを対象として集めて行くのが良いのではないでしょうか。

的確なフォロー有難うございます。
地名の出所としては郵便番号簿に限定しました。ただこれに記載されているものでも、実際の住所として用いられているのか疑わしいものも多々あり、説明文にも書いていますが、各地の「区」の性質上、
(1)合併に際し、旧市町村を「区」としたもの
(2)町・字名の「区」
(3)町・字名としては疑わしいものの、郵便番号簿に記載のある区
の三種類に分類しました。但し(2)と(3)の分類につきましてはグレーゾーンに該当するものがあり、分類するのに悩みました。郵便番号簿だけでなく、各地の自治体のホームページも参考までに覗いて見ましたが、実際のところはどうなのかは、現地の方でないと分からないような気もします。

参考データとして、少し古いですが2000年国勢調査人口も書き添えています。出所は以前に白桃さん[7952]に教えて頂いた総務省の字別の2000年国勢調査人口、町丁・字等境界図から拾い集めました。
こういう思いつきはさておき、実際に人口データを収集してみると、姫路市の区などはいちいち字・丁目ごとの数値を全て拾い出し、合計する作業に発狂しそうになりました。(笑)

まだまだ不備な点はあろうかと思いますが、見つけ次第更新作業にて訂正を重ねたく存じます。

[51033] 88 さん
♪区っ区区っ区~ 区っ区区っ区~
これを歌っていた歌手、別の曲の冒頭で自身を「大阪市の一部」のように告白していましたね。
[51105] 2006年 5月 2日(火)00:47:02【2】ニジェガロージェッツ さん
旧神戸市街地に見られた「冠称」
[51090] hmt さん
面白いのは神戸市で、神戸海岸通一丁目以下「神戸」を冠する51町、兵庫多聞通一丁目以下「兵庫」を冠する79町、それに八部郡荒田村、菟原郡葺合村となっていました。前身として「神戸」と「兵庫」という2つの市街地が存在したことがはっきりと示されています。

過去の拙稿までリンク頂き、恐縮です。
少し補足させていただきます。
戦前の神戸市の住所表示において、町名に「神戸」とか「兵庫」とか「尻池」とかを冠していたのは、昭和6年9月1日の行政区設置までです。
例えば
区設置前昭和6年9月区設置後現在
神戸市神戸海岸通一丁目神戸市神戸区海岸通一丁目神戸市中央区海岸通一丁目
神戸市葺合生田町一丁目神戸市葺合区生田町一丁目神戸市中央区生田町一丁目
神戸市葺合二宮町一丁目神戸市葺合区二宮町一丁目神戸市中央区二宮町一丁目
神戸市神戸三宮町一丁目神戸市神戸区三宮町一丁目神戸市中央区三宮町一丁目
神戸市兵庫多聞通一丁目神戸市湊東区多聞通一丁目神戸市中央区多聞通一丁目
神戸市兵庫多聞通七丁目神戸市湊東区多聞通七丁目神戸市兵庫区西多聞通一丁目
神戸市兵庫東出町一丁目神戸市湊西区東出町一丁目神戸市兵庫区東出町一丁目
神戸市平野神田町神戸市湊区神田町神戸市兵庫区神田町
神戸市尻池菅原通一丁目神戸市林田区菅原通一丁目神戸市長田区菅原通一丁目

但し、当時の神戸市街地全域にこうした「冠称」が付いていたかと言えば、そうではありません。
以下、冠称の付かなかった例です。
区設置前昭和6年9月区設置後現在
神戸市海岸通神戸市神戸区海岸通神戸市中央区海岸通
神戸市熊内町一丁目神戸市葺合区熊内町一丁目神戸市中央区熊内町一丁目
神戸市東山町一丁目神戸市湊西区東山町一丁目神戸市兵庫区東山町一丁目
神戸市荒田町一丁目神戸市湊東区荒田町一丁目神戸市兵庫区荒田町一丁目
神戸市楠町一丁目神戸市湊東区楠町一丁目神戸市中央区楠町一丁目
神戸市菊水町一丁目神戸市湊区菊水町一丁目神戸市兵庫区菊水町一丁目
神戸市一番町一丁目神戸市林田区一番町一丁目神戸市長田区一番町一丁目

神戸のうち、旧外国人居留地の各町・通には、「神戸」を冠しません。「海岸通」の場合、旧居留地内の海岸通は冠称なし。一方、旧居留地外の「海岸通1~6丁目」には「神戸」を冠していました。区の設置で冠称である「神戸」が取れて元来異質の「海岸通」が二つになり、却って紛らわしくなった珍例です。
同じ「葺合」にあっても、上記の例「生田町」には葺合を冠しますが、「熊内町」には冠しませんでした。同様に「兵庫」にあっても「東山町」には兵庫を冠していませんでした。
さらに都心近くに位置しながら、元々神戸でも兵庫でもなかった旧坂本村の「楠町」や、旧荒田村の「荒田町」にも冠称は付いていません。
[51103] 2006年 5月 2日(火)00:10:28【1】ニジェガロージェッツ さん
祝☆落書き帳200万ヒット達成! 「区」コレクション。
オーナーグリグリさんはじめ、落書き帳の皆様。200万ヒット達成おめでとうございます。

さて、いつもながらの遅れレスにて恐縮です。
[51003] EMM さん
「区」コレクションについてのコメント、有難うございます。
実際に収集作業をはじめてみると、最初の北海道の段階で、あまりの「区」の多さに絶句です(笑)
先日郵便局で頂戴した郵便番号簿「ハートフルナンバーズ」より、「区」のついた地名を探し、地図をMapionで確認する作業を基本としていますが、実際に郵便番号の設定はあるものの、地図ではそのような地名では書かれていない場合があったり、頭を痛めています。
例えば、北海道足寄郡陸別町には新町一区・二区、東一条一区・二区があり、それぞれに郵便番号が付いています(089-4322,-4323,-4314,-4311)が、mapionではそのような地名は確認できず、陸別基線とか、陸別原野基線といった地名になっています。
以前[7952]で白桃さんにおしえていただいた字別の2000年国勢調査人口には、しっかりとこれらの区は存在するし、「どうしましょう」と悩みます。

暴論ですが「所詮、郵便番号など便宜上付けられているもの」だと割り切って考え、Mapionで確認できないものは、バッサバッサ切り捨ててやろうかとも思いますが、とはいえ、Mapionとてどこまで信用して良いものやら・・・。

などと、悩みながらの作業です。コレクション上程まで長めの時間を下さい。
[50986] 2006年 4月 23日(日)22:11:36ニジェガロージェッツ さん
とんでもないものに首を突っ込んだようで
[50978] 88 さん
高松市木太町に郵便配達上便宜的に設けられた「区」についての情報有難うございました。
このような実際の住所上には存在せず、何らかの事情により「区」を設けるケースは結構あると推察します。
高松市木太町の場合は88さんのご解説にあるように郵便配達の事情によるもののようですが、あるところではそれが財産区であったり、また自治会の名称だったり、という具合に含めていくと全国至るところに存在することでしょう。
神戸市には「住之江区」とか「山田区」があったりするのですが、これは神戸市東灘区本住吉神社地車のだんじり車庫に関連する「区」です。

いずれにせよ、これらのように実際の住所には表れないものを個人の作業で収集するのは非常に困難です。
高松市木太町1区~9区につきましての情報は「このようなものがある」と個人的には興味がありますが、「区」コレクションの対象外とさせて頂きたく思います。

小生が提案しEMMさんより登録いただいた「区」コレクションですが、現時点ではどのような形でまとめようかと、思案中でございます。まだ実際の収集作業にすら入っていません。
早速の情報ご提供は本当に有難いのですが、せめて公開に至るまでは、今のところ気長に放置いただけると幸いです。
[50906] 2006年 4月 19日(水)12:31:11ニジェガロージェッツ さん
結構遊べる地図サイト
ロシアの地名を検索しているうちに、面白い地図サイトに出くわしました。
Global Gazetteerというサイトですが、世界各地のかなり詳細な地形を示す地図が見られます。

神戸市街地であれ、ニジニ・ノヴゴロドであれ、カムチャツカの軍港であれ、北朝鮮の海岸であれ、無敵です!(笑)

お試しください。(既出でしたらごめんなさい)
[50845] 2006年 4月 16日(日)23:48:27ニジェガロージェッツ さん
コレクション登録有難うございます
[50775] EMM さん
結局そのまま「区」コレクションで登録しました。
(中略)
はい、じっくりと取り組んで見てください(^^)

「区」コレクションを早速にも登録いただき、有難うございます。
小生のような畑違いのものにどれだけのものが出来るか分かりませんが、時間が掛かってもやってみたく思います。
「平成の大合併」と呼ばれる近年の市町村合併に際し、合併特例区や地域自治区が設けられ、旧市町村の区域に「区」の名称を設けるケースが全国に散見できます。これらは落書き帳でも過去に話題になり、

[48751] 今川焼 さん「区」のある市町
[48756] ゆう さん Re:「区」のある市町
[48758] 今川焼 さん 地域自治区・合併特例区
[48771] hmt さん 市町村の区域内の「町」と「字」 (6)住居表示施行区域外では表示法に制約なし
[48775] suikotei さん 町・字・合併特例区・地域自治区
[48804] suikotei さん 地域自治区・合併特例区の名称と住居表示

などの記事が大きな参考になります。
ただ、合併特例区や地域自治区だけをコレクションするのではなく、あくまで住所としての「区」を対象にしたく考えております。したがって、たとえ合併特例区や地域自治区であっても、区の名称を採っていないのであれば、対象外としたく思います。あとはどのレベルの細かい地名までコレクションするかですが、出来れば人口データが得られるかどうかを一つの尺度としたく考えております。

小生が好きでやっている自分のホームページでさえ、「完成」と呼べるレベルのものに仕上げるまでに3年を要しました。今回もどれ位の時間を要するか推測不可能ですが、皆様の秀作を参考にさせて頂きながらじっくりと取り組みたく存じます。
[50746] 2006年 4月 13日(木)18:18:51【1】ニジェガロージェッツ さん
メッセージ有難うございました
[50675] オーナー グリグリ さん
拙ホームページ完成へのメッセージ、有難うございました。拙掲示板にまで心のこもったご感想を頂戴し、これまで3年間の積み重ねが報われた気持ちになりました。深く御礼申し上げます。
これからも一般には馴染みの少ない北の大国ロシアの行政区画、人口データなどを分かりやすく、最新のものを提示することに努めてまいります。

さて、拙ホームページも一応の完成に至り、これからは少し他のことにも時間が取れるかも知れません。
貴「都道府県市区町村」をいつも楽しく拝見させていただいている分、小生も何か一つでも出来ることがあれば、是非参加してみたく存じます。

秀作がずらり並ぶ「地名コレクション」ですが、いつも見ているだけでは申し訳なく、小生も一つだけチャレンジしてみたいコレクションがあります。
昨年の第二回オフ会にてハーバーランドから三宮へのタクシー移動の際、たまたま一緒に乗り合わせたEMM編集長さんにはお話しした記憶があるのですが、「区コレクション」をやってみたく思っております。
これは政令指定都市の設けている行政区ではなく、それ以外の例えば兵庫県で言えば姫路市広畑区とか、香美町小代区とか、多可町八千代区のようなものを集めたく考えております。どの小字のレベルまで収集するかとか、姫路市のように本来「飾磨区英賀」で一つの地名となるものもあり、編集方針に合致しないものが出るかも知れませんが、時間をいただけるのであれば、是非チャレンジしてみたく思います。
いかがでしょうか。
[49988] 2006年 3月 22日(水)00:24:40【1】ニジェガロージェッツ さん
いつもながらの遅れレス
拙稿[49847]斜行エレベーターについて、[49800]太白さんへのレスのつもりが
今では全国各地の急傾斜地の住宅地には結構あると思います。
と余計なことを書いたために、とんでもない方向へと走りかねない状況になってしまいました。
それにしても、
[10158]まがみさん、[49849]ぺとぺとさん、[49859]般若堂そんぴんさん 「コモアしおつ」
[49850]たもっちさん、 [49854]かすみさん、「ナシオン」
[49857]小松原ラガーさん 「須磨パークヒルズ」
[49862]YASUさん 「桂台BTM」
結構あるものですね。楽しませて頂きました。
ただし、[49870]たもっちさん、[49882]EMMさんの仰るように、地図上で確認が難しく、結局のところ「落書き帳」閲覧者からの情報提供に頼らざるを得ないのであれば、コレクションは不可でしょう。

[49928]あっちゃん さん
いやぁ、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。当時小学生だった貴君とレスを交わした3年前のことを昨日のように思い出します。個人的には地震に対して憂いを強くお持ちだったのが印象に残っています。
小生のような40を過ぎたオッちゃんと違って、あっちゃんさんのこの3年は中学生として色々な新しいご体験をされたことでしょう。次の3年間は、いよいよ4月からの高校生活ですね。うらやましい。

[49939]YSK さん
ホームページ完成とのことで、たいへんお疲れ様でした。今後ともホームページのコンテンツ拡大に努められるとのこと、心より期待しております。

メッセージ有難うございます。お蔭様で、ようやく肩の荷が下りました。[16077]にてkenさんの仰る
それが、体系的に積み上げられ、あるジャンルについて「データ悉皆網羅」
という状況に少し近づきました。それにしても3年がかりとは、ちと仕事が遅すぎですね。
ひとつの大きなテーマが終わりましたが、これからもHPの運営に励みます。
YSKさんとはホームページ運営の「同期」ですが、小生のような無機質なデータいじりではなく、味のある貴サイトを少しは見習わないといかんですね。

さて、いよいよ今日にも「落書き帳」50000書き込み達成が確実です。
少し気が早いですが、おめでとうございます。
[49911] 2006年 3月 18日(土)21:40:39ニジェガロージェッツ さん
ホームページ完成のお知らせ
「今更に何よ?」
ってツッコまれそうですが、2003年に沿海地方より始めたロシア連邦の構成主体(州、共和国など)ごとに地理概況と人口データを整理して纏め、拙ホームページで公開する作業が、ついに最後の1州となったロシア最西端の飛び地カリーニングラード州の公開に至りました。
これで全ロシア89連邦構成体の簡単な地理的概況と、1866地区、1098市、330区、1842都市型集落(2002年国勢調査時点での数)の2002年国勢調査と2005年推計による人口データが全て出揃いました
このうち、2000年人口データを基に落書き帳に投稿させていただいた拙稿、極東およびシベリア連邦管区の26連邦構成体分については、YSKさんより「ロシア・連邦管区ATLAS」として収録して下さりました。もう3年も前のことですが、あのときの経験が現在においてもHP運営の励みになりました。

皆様もご経験、あるいはご存知のように、ホームページの運営はとかくキリのない作業です。管理者の欲が続く限り、ホームページの「完成」には至らないわけですが、個人的にはいつまでも「未完成」で通すのは少し違うようにも思います。

拙稿[18907] 2003 年 8 月 7 日 (木) 22:30:14 「ホームページ開設のお知らせ」
以来3年近くが経ちましたが、これを期に拙HP『ロシア地理雑学・都市データサイトニジェガローツキー・ドヴォール』の完成を宣言します。(笑)
思えば3年前にグリグリさんやkenさんよりホームページの運営を勧められたときには、ネット初心者でものぐさな小生に出来るのだろうか?と危惧しつつも、落書き帳の皆様はじめ多くの励ましのお言葉を頂戴し今日に至りました。
本当に有難うございました。

「完成」に至りましたが、まだまだやりたいこともあり、新ページの公開を含め、運営は続けてまいります。
ロシアの地理人口データにご関心をお持ちの皆様、これからもどしどしお越し下さいませ。

自己HPの宣伝にて、お目汚し失礼致しました。
[49847] 2006年 3月 14日(火)23:13:47ニジェガロージェッツ さん
花山の斜行エレベーター
[49800] 太白 さん
それよりも、ちず丸の地図の左下に書かれている「スカイレーター」なるものが非常に気になりますが。

さすが太白さん。着眼点が細かいというか、鋭い!
花山東団地の「グリーンエレベーター」のことですね。志染川沿いの神戸電鉄花山駅から、その南の六甲山脈北麓の高台に開発された花山東団地(神戸市北区花山東町)にかけての地形は断崖となっています。
太白さんもリンクを張っておられる道行く路―歩道橋[花山]にも「スカイレーター」全体の画像がありますが、地図で見ると40m近くの高低差があるようです。ビル12階以上に相当するこの高さを、以前この団地の住民は階段で上り下りしていました。自宅団地の階段に辿り着く以前にひと運動でしたが、この斜行エレベーター「スカイレーター」の完成によって随分楽になりました。小生もハイキングで利用したことがあります。
完成当時(確か昭和60年より少し前)には随分と珍らしがられたようですが、今では全国各地の急傾斜地の住宅地には結構あると思います。

前出のページ「むらたけ橋」の写真に、「スカイレーター」の上部(台地側)が写っているますが、花山小学校のページにも上部の画像があります。ご参考までに。

なお、地図によってはグリーンエレべーターと表記されているものもあります。
[49035] 2006年 2月 7日(火)20:41:23ニジェガロージェッツ さん
大石川停留所
[49032] YSK さん
「堂谷池」へのお調べ、ご苦労様です。[49006]ぺとぺとさんからの詳細レスを頂き、狭義の地元(ある程度の広域を伴うものではなく、この場合、正に池に隣接している町内の意味)の方がそのように即答されるのであれば、「どうやいけ」の方が正しいようにも思いますが、一般の地元(須磨・長田区などを含む)では、「須磨の大池」としか呼ばないために、「本名」が霞んでしまった好例のような気がします。ぺとぺとさん、YSKさん、詳細レス有難うございました。

須磨区には逆の意味で「てっかいざん」という山がありますが、これを漢字で書く場合、「鉄カイ山」の「カイ」の部分に10種類の書き方があり(「手偏」に口と刀、「手偏」に口と力、「手偏」に別、「手偏」が「木偏」・・・などなどのバリエーション)、山中にあるハイキング用の標識や案内板でも統一されておらず、20年程前に神戸新聞でも話題になったと記憶しています。

さて、今度は灘区の「都賀川/大石川」についてですが、都賀川の下流域のみ、これを「大石川」と呼称することがあります。(「角川日本地名大辞典 28兵庫県」より)
なお、大石川バス停については、かつてここを走っていた路面電車「阪神電鉄阪神国道線」(昭和49年3月17日、上甲子園―西灘間廃線)の大石川停留所があったところで、阪神バスのバス停名はその名残と言えるでしょう。
#このあたりの経緯は、鉄分の濃い御仁のほうがうまく説明できると思います。
[49002] 2006年 2月 5日(日)19:15:23ニジェガロージェッツ さん
神戸ネタについて少々
お久しぶりでございます。そして、レスが遅くなって申し訳ございません。

[48473] らるふ さん
そう、今年は「あの1995年」と同じ曜日の廻り合せ。ところが、ハッピーマンデーのおかげで15・16日はただの日・月曜日になってしまいました。

一度は、あの「3連休」の後に平穏な火曜日の朝を迎えたい・・・という、一被災者のささやかな望みは、ハッピーマンデーのおかげで永遠に夢となりました(笑)

震災が無かったものとしての人口変動シミュレーション、面白く拝見しました。
確かに兵庫・長田などでは、2005年国勢調査結果人口と似たような数値になりましたが、実際には近年の傾向では、計算の基になった1985~1990年の人口変動率よりは変動幅が少なく、また一昔前までは人口増加の受け皿になっていたものの、80年代に家族揃って入居した新興住宅地(垂水区や須磨ニュータウン)において、核家族化(当時の子供たちが成人して街を離れるなど)が始まり、人口減少に転じたため、特に垂水区でのシミュレーションでは誤差幅が大きく感じられて面白いところです。

今回の国勢調査速報値では、それまで5年間の神戸市推計人口の積算結果との誤差がどの程度出るかが楽しみだったのですが、国際調査人口の方が2000人程度多かったでしょうか。
震災後の一時的な転居によって居所と住民票所在地が違った場合に、その後の移動による実態と異なった人口変動が起こり、推計人口の誤差が拡大する傾向があったのですが(拙稿[12405]に投稿)、これが今回は意外と小さかったことから、震災絡みの避難・転居による人口変動は少なくなったと言えるでしょう。


[48434] 夜鳴き寿司屋 さん
貨物専用機は普通の時刻表にのらないので、直接聞いてみないとわからないですね。そういえば関西国際空港の展望室でも貨物専用機は表示されませんし、でもフェデックスの貨物便はしっかりあるし。

航空貨物便についてのご回答有難うございます。
貨物専用便というのはかなり特殊な運用形態のようですね。神戸空港に就航する旅客便も比較的小型な機体が中心になるようで、そうなると神戸港と神戸空港とで物流を補完し合うというのは現況では難しいかも知れない・・・ということになり、神戸市も頭が痛いところかも知れません。

空港開港まであと11日に迫りましたが、先日はそのアクセスとなるポートライナーの神戸空港駅までの延伸(2月2日)がありました。
新交通システムを鉄道路線の一環と見なしてですが、これが神戸市内における最後の新線開通になるのではと思います。
以前あった構想としては市営地下鉄東部線の建設(中央区布引から灘区原田まで)、西神線の延伸(西神中央駅から神鉄押部谷駅まで)、新交通システムの新線建設(垂水区舞子から西区学園都市まで)がありました。もっと奇抜なものとしては地下鉄中央線の建設(新神戸―神戸空港―関西空港)などというとんでもない夢物語までありました。あと巷では地下鉄海岸線の東部新都心(HAT神戸)への延伸が言われていますが、実際にはどうでしょうか???


[48985] 2006 年 2 月 4 日 (土) 23:26:11 YSK さん
神戸市須磨区の「堂谷池」の読み方をお教えください。「どうやいけ」でよいのでしょうか?

最近の貴稿には意味“?”のタイトルが多いようですが、それはさておき、須磨区須磨寺町三丁目の「堂谷池」の読み方について、「どうたにいけ」だと思います。昭和5年7月に誕生した「須磨寺町」の旧字の一つに「堂ノ谷」というのがあり、もしかしたら「どうのたにいけ」かも知れません。
「思います」とか「知れません」と書いたのは、地元では専ら「大池」と認識さられており、「須磨の大池」とか「須磨寺大池」と呼ばれ、おそらく本名であろう「堂谷池」でこれを呼ぶ人を知人にいないからです。
ところで「谷」を「や」と呼ぶのは、神戸辺りでは少ないように感じます。
関東の方は多いですね。「世田谷」とか「保土ヶ谷」などを連想します。
[48367] 2006年 1月 14日(土)22:16:07【1】ニジェガロージェッツ さん
神戸空港 / けいたんち
昨年末の事故の件では、皆様にご心配お掛けしました。1ヶ月の休養を経て、お陰さまで今では商売・アルバイトともに現場復帰を果たしました。
遅くなりましたが、[47936] matsuさん、 [47997] 葵区さん、お気遣い有難うございました。

さて、神戸空港について
[47959] faith さん
150万都市の中心街(三宮)から16分という、まさに異様なほどのアクセスの良さに、これは貴重な存在になり得るのでは?

[48343] 小松原ラガー さん
地元の要請を受けてビジネスジェットに限り神戸空港の利用を認める方向になる模様です。

神戸空港開港は神戸市の悲願(神戸市民の悲願・・・とまでは、そう思っていない市民も多いようなので、念のために)ですから、段階的、長期的にいろいろな整備、運用策が展開されると思いますが、いよいよ、あとひと月あまり(2月16日)で開港という現時点で空港建設の空港島の用地売却がほとんど進んでいない現状では、財政面で前途多難のようです。
少し論点はずれますが、旅客便に対してよりも物流拠点としての神戸港を補完する意味での貨物便の運行に期待したいところです。とはいえ、そもそも貨物専用便などあるのでしょうか?
仮にあるとして、全航空便に占める便数の割合はどのくらいなのか見当もつきません。


話題を転じて、今はやりの「けいたんち」についてですが、緯度経度の数値重視では[48351]まがみさんの「経端値」、場所重視では[48357]くろちゃんさんの「経端地」といったところでしょうか。

小生もやってみました。但し、二重国境線の内側は含みます。

場所住所北緯東経
富内湖岸(ソ連統治下)樺太大泊郡富内村大字富内46度51分11秒143度10分18秒
西ザビエル記念聖堂長崎県平戸市鏡川町33度21分58秒129度33分06秒
青島熱帯植物園宮崎県宮崎市青島二丁目31度47分53秒131度28分21秒
樺太中央国境(露統治下)樺太敷香郡敷香町大字半田50度00分00秒142度45分46秒

東と北はサンフランシスコ講和条約で放棄した所属未定地域(二重国境線の内側)ですが、これを含めてはイカン!と言うのであれば、東・北ともに宗谷岬(北緯45度31分14秒、東経141度56分26秒)になります。通過は含みません。通過を入れると、JRの旭川駅とか名寄駅のほうが東のはずです。
[47900] 2006年 1月 3日(火)17:59:40ニジェガロージェッツ さん
遅れ馳せながら新年のご挨拶
今年の初書き込みになります。
遅くなりましたが、謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。

年末の寒波とはうってかわり、神戸は暖かな新春を迎えました。(また数日で寒波が来そうですが・・・)

[47780]EMM さん、[47782]なお さん、[47787]小松原ラガー さん
お気遣い恐縮です。
ここ数日は仕事も休みで安静に出来ているお陰で、怪我のほうは随分と楽になりました。昨日は学生時代の旧友に誘い出されて、大阪へ行ってきました。事故以来初めての外出でしたが、ちょっと足が突っ張っている以外は特に問題はありませんでした。本当にお騒がせして申し訳なく思います。

さて、今年の神戸は震災から11年目になりますが、2月16日に神戸空港が開港します
旅客機の就航予定路線は、新千歳、仙台、新潟、羽田、熊本、鹿児島、那覇の7路線です。

神戸空港の建設には、いろいろと賛否両論がありましたが、いよいよ開港まであと44日。
東アジア各国のハブ港湾の拡張による物流の変化や、震災によって大幅にダメージを受けた神戸港が、今ではまるで静かな公園のように綺麗になった一方で、往時の賑わいを失った現状を見ると、新空港が貨物空港として神戸港を補完する役割を担うことを期待したく思います。

生活に余裕があれば、経県値稼ぎに神戸空港からひとっ飛びしたいところですが(笑)
[47777] 2005年 12月 31日(土)21:39:42ニジェガロージェッツ さん
2005年を振り返って
最後に来てトンだ当たり年になってしまいましたが、今年も何とか一年乗り切ることが出来ました。
[47733]かすみ さん、[47734]佐賀県 さん、[47735]グリグリ さん、[47736]白桃 さん、[47738]88 さん、[47745]YSK さん、[47755]BEAN さん
重ね重ねご心配とお気遣い頂き、恐縮です。特にグリグリさんには、とんでもないご心配をお掛けしたようで誠に申し訳なく、失礼致しました。

さて、あと3時間を切った今年一年を振り返って、まず第一に思い浮かぶのは9月17日に神戸で開催された「第二回落書き帳オフ会」です。力不足ながらも幹事としてお手伝い出来たことを光栄に思うとともに、ご協力頂いた参加者皆さんに深く感謝致します。
また当日はフィールドワークでのお疲れということで、ご参加頂けなかったYSKさんからも心のこもった丁寧なイラスト入りの名札をご提供下さり、深く感謝申し上げます。

オフ会に際して、遠来よりご参加された皆様には「経県値」を稼ぐ舞台ともなりましたが、小生の今年1年の経験値はわずか8点でした。そういえば去年も「両みみニ焼魚」会にて大阪へ出た以外には兵庫県内に留まり、8点でした。
ま、小生の場合は独身時代にロシア相手にちょこまかとやっていますから、じっと地元から動かずいる近年も悪くないです。
来年は小生もオフ会絡みで「経県」を伸ばしたいですね。

地理の分野で特に印象が深かったのは、ロシアの連邦構成体再編の動きがあり、その第一弾として12月1日にウラル山脈西麓のペルミ州とコミ=ペルミャク自治管区が合体して「ペルミ地方」が創設されたこと。
同じく、東シベリアのクラスノヤルスク地方とタイミール自治管区、エヴェンキ自治管区とで合併に関しての賛否投票(4月)、極東のカムチャツカ州とコリャーク自治管区でも同様の住民投票(10月)があり、どちらも賛成圧倒的多数でいよいよロシアでも「平成の大合併」が始まった感があったこと。
特にクラスノヤルスク地方の場合は、実現すれば面積で日本の6.2倍の巨大地方自治体の誕生となります。

国内ではやはり国勢調査人口速報値の発表でしょうか。
日本も人口減少時代に突入とのことですが、10年以上も前の1993年ごろに人口減少が始まったロシアの毎年の人口データを見ると、結構興味深いものがあります。

それでは、また来年。皆様良いお年をお迎えください。
[47731] 2005年 12月 30日(金)02:47:28ニジェガロージェッツ さん
ご心配お掛けして申し訳ない・・
[47698]小松原ラガー さん、[47699]地名好き さん、[47701]グリグリ さん、[47706]たもっち さん、[47714]seifuhiro さん

ご丁寧なお見舞いのお言葉を頂戴し、有難く、また心強く感じる一方で、拙稿[47693]では大雑把な表現をしたために却って大袈裟な感じがして、皆様にご心配をお掛けする結果となり、申し訳なく感じているところです。

事故は北から南へ優先車線をオートバイで走行中、東から西へ向かう一方通行道路を走行する乗用車が一旦は停止したものの小生のオートバイに気付かず、突如交差点に進入して、こちらも避けきれず激突し、相手のボンネットの上で一回転した後、勢い余って10m先の路上に弾き飛ばされるというものでした。
本来なら骨折は免れない事故になるそうですが、運良く骨には異常が無く、打撲による下半身圧迫と両足靭帯の損傷程度のことで済み、入院の必要もありませんでした。

本当に事故は一瞬のことでした。毎日通行している見通しの良い交差点で、いつもと何ら変わらないロケーションでも、瞬間のタイミングで事故は発生します。頭では分かっていることですが、このような状況にこそ、油断と危険が潜んでいるということを身をもって体験することとなりました。
相手車両は「業務上過失傷害罪」になると署で聞きました。小生は事故被害者の立場ですが、加害側の立場にならなくて良かったと思っています。

当初は家の中でも松葉杖がなければ動けない状況でしたが、今では少しずつ傷が癒えてようやく松葉杖なしでゆっくりと歩くほどにまで快復しました。損傷した両足の靭帯の痛みは相変わらずですが、あとは時間をかけてリハビリを欠かさないようにとのことで、年末年始の休暇はリハビリに励む毎日となりそうです。
皆様にはご心配をお掛けしましたが、幸い快方に向かっております。どうぞお気遣いなきように。


[47723]小松原ラガー さん
 ○○・○○・○○
「武雄市武雄町大字武雄」というのがありました。
全国には他にも多々あるかと思います。(流石に今は過去ログ含めチェックする余裕ありません。過去に話題になっていたらごめんなさい。失礼します。)

太白さんご提案のアーカイブ邇摩郡仁摩町仁万町-同音地名連続の住所に数多くの例が纏められています。ご参考までに。
[47693] 2005年 12月 29日(木)00:14:55【1】ニジェガロージェッツ さん
痛い
こんばんは、ご無沙汰しておりますニジェガロージェッツです。

つい先日、長田・須磨2区の境の道路上で交通事故に遭い、20年間操っていたオートバイ“ホンダGB250クラブマン”大破の上、下半身の自由を失いました。
「ひやりとした瞬間」は何度かあったものの、20年間事故がなかったことから、「事故など起こりそうで起こらないもの」と無意識のうちに油断していたのかも知れません。全く一瞬の出来事です。
皆様も気をつけてくださいね。

国勢調査速報値の神戸市分も発表され、いろいろと書き込みたいことがあるのですが、また稿を改めます。ではでは。
[47189] 2005年 12月 6日(火)22:27:58ニジェガロージェッツ さん
北海道無宿泊経県あり
経県値関連の話題ですが、小生の場合北海道の無宿泊経県(経道?)が複数回あります。というより、北海道はあくまで通過地です。夜行の場合は宿泊経験に該当しないとのことで、いずれも古い話で恐縮ですが、
【事例1】1989年の場合
午前10時伊丹空港発
午後0時千歳空港着、以後タクシー移動
午後2時札幌・丘珠空港発
午後3時稚内空港着、以後タクシー移動
午後8時稚内港出港
翌午前3時樺太・真岡港入港
この場合、北海道の経県は稚内市内で夕食に市街を数歩歩いた以外はすべて乗り換えによるものでした。日付も跨いでいません。

【事例2】1990年の場合
午前10時伊丹空港発
午後0時千歳空港着
午後3時小樽市内散策
午後5時札幌市内散策
午後10時札幌駅発(急行利尻)
翌午前6時稚内駅着
翌午前10時稚内港出港
翌午後6時樺太・真岡港入港

【事例3】1994年の場合
午後0時伊丹空港発
午後2時新千歳空港着
午後3時札幌市内散策
午後10時札幌駅発(急行利尻)
翌午前6時稚内駅着
翌午前10時稚内港出港
翌午後5時樺太・大泊港入港

【事例4】1994年、事例3の帰路
午前5時樺太・大泊港出港
午後0時稚内港入港
午後10時稚内駅発(急行利尻)
翌午前6時札幌駅着
翌午後10時新千歳空港発
翌午後0時伊丹空港着

現在では函館空港または新千歳空港にて航空機の乗り換えにより樺太・豊原へ向う、北海道完全通過も実現可能ですが、小生はやった経県はありません。
[46956] 2005年 11月 28日(月)00:23:10ニジェガロージェッツ さん
レスをいくつか
ロシアでは12月1日にペルミ州コミ=ペルミャク自治管区が合併して「ペルミ地方」が創設されるようです。これに関連して拙ホームページでもいくつかのページや地図を再編集しなければならず、頭が痛いところです。
合併でのページの変更作業を常々こなされているグリグリさん、でるでるさんをはじめ編集者の皆様の日々の御苦労に敬意を表します。

さて、レスをいくつか。

[46905] 88 さん
こういう話を聞いたら、「是非、岡山-香川の県境をまたいでみたい」という魔力に弱い落書き帳メンバーは多いだろう
是非、落書き帳でメンバーを募ってオフ会アウトドア企画「いしま県境探訪」として訪れてみたいところですね。(笑)

兵庫県域の「備前福河」と「美作石井」について
[46914] hmt さん
[46937] 今川焼 さん
古い拙稿へのリンク恐縮です。それにしても今川焼さんの仰る「美作石井駅」という名称の可能性は面白いところです。そして、リンクを張って下さった兵庫県域の変遷図はわかり易くて勉強になりました。
特に、第一次兵庫県の県域にて、稲田騒動により淡路島が兵庫県に編入されたことが図示されていますが、全島編入ではなかったのは初めて知りました。

[46953] YSK さん
交換可能?な住所
市と区の違いはありますが、神戸からは
「兵庫区高松町」と「高松市兵庫町」があります。
#参考記事[44216]88さん、拙稿[43143]など。
[46825] 2005年 11月 23日(水)00:10:13ニジェガロージェッツ さん
まだあります!
[46824] たもっち さん
数年前、兵庫県三木市内を商用で通ったときに住宅地のど真ん中に忽然とロータリー交差点があったのを記憶していたのですが、場所が思い出せず仕舞いでした。それを先程ついに発見しました。

三木市志染町東自由が丘1丁目のここです。
五差路の交差点となっています。
[46297] 2005年 10月 30日(日)02:48:53ニジェガロージェッツ さん
幻の遷都案、再び
[46226] 烏川碧碧 さん
リンク下さった10月24日付韓国紙の記事。興味深く拝読しました。
また、関連記事として3年前の拙稿[4566]まで発掘して頂き、烏川さんの落書き帳への投稿に対する真摯なお人柄が覗えます。

これによると、今回明らかにされた遷都案は1940年代初頭の「中央計画素案」によるもので、候補地3箇所
龍仁 / 岡山 / 福岡

一方、拙稿[4566]にてご紹介した16年前に放送されたテレビ番組で知った遷都案は1920年代中頃のもので、
龍山 / 加古川 / 八王子
の3箇所でした。

中央日報の記事を、「1940年代の初め」=「(当時から)15年後」と読めば、ちょうど符合する話ですね。

これについては、小生は全く別物であると推測します。

確かに、第一候補地を朝鮮半島の京畿道に挙げている点、またその理由に地震災害がないことが述べられていますが、
1) 両遷都案に15年近くのタイムラグがあり、韓国紙の記事を「1940年代の初め」=「(当時から)15年後」と全く逆に読むのは、やはり無理がある。
2) 龍仁と龍山とでは、位置が異なっている点に加え、日本内地候補地も全く異なっている。
3) 遷都案立案の動因が、1920年代のものは関東大震災によるもの、1940年代のものは大東亜圏の成立を見越してのものと異なる。

韓国紙の記事には遷都案を盛り込んだ1940年代の「中央計画素案」立案の主体を「日本」とか「日帝」とだけしか書かれておらず、具体的な省庁についての説明がありません。
一方、1920年代の遷都案立案の主体は陸軍だったことが16年前に放送したテレビ番組「巨泉のこんなものいらない」にて述べられていました。

もちろん、極秘とはいえ1920年代の「陸軍案」が、後の「中央計画素案」作成に当たって何らかの形で参考にされたことは排除できませんが。

なお、龍仁と龍山の位置関係ですが、
龍仁京畿道の南部、ソウル中心部より南南東42キロに位置し、現在は京畿道龍仁市。
龍山ソウル市の中心部、中区の南に隣接し、現在のソウル特別市龍山区。

どちらも周辺に小高い丘陵地があり、特に龍仁の場合は地図や写真を見る限りでは周囲を丘陵に囲まれた盆地のような所ですね。「陸軍案」候補地選定の指針の一つにあった「防空上、高射砲の設置に適した丘陵地帯がある場所」に見事に符合しているのが面白いところです。
[46059] 2005年 10月 23日(日)13:43:35ニジェガロージェッツ さん
ロシアの二都市について
[45592] motorcat さん
世界の都市人口ランキング、大変面白く拝見させて頂きました。素晴らしいデータ有難うございます。

「都市人口」というよりは、「市」と呼ばれる、または日本語でそのように訳される行政区画の人口ランキングということで解釈して宜しいですか。

小生はロシア以外のことは(日本を含め)全く疎いのですが、貴ランキング表にあるロシアの二都市について、どちらも訂正が必要と思われる故、ご検討下さい。

まず、第10位モスクワについて、
首都、人口10,407,000、面積8,537km2 調査年2005
とありますが、面積データが間違っています。
人口については、ロシア連邦国家統計委員会発表の2005年1月1日現在の連邦構成体別人口によれば、10406.6千人となっており、異議はございません。要するにモスクワ都市圏の人口ではなく、ロシアにある89連邦構成体の一「モスクワ市」の人口です。そうであれば、その面積は約1,100km2(1,091km2とのデータもあり)です。
#敢えて括弧付きで「モスクワ市」としたのは、「モスクワ市」が2市3町から構成されていて、その中に狭義のモスクワ市が存在するためです。

モスクワはクレムリンを中心に円形状に発展した都市で、これを真円と仮定して単純計算すると面積8,537km2であれば半径約52キロになります。この中にはモスクワ市のみならず隣接するモスクワ州の衛星都市群が含まれ、人口10万人以上のものだけでもポドリスク、ムィチシ、リュベルツィ、バラシハ、エレクトロスタリ、コロリョフ、ヒムキ、オジンツォヴォ、ノギンスク、シチョールコヴォ、ジェレズノドロージヌイ、ジュコーフスキーの12市が入り、人口5万人以上が更に17市入ります。
8,537km2の具体的な境界が判らないため断言は控えますが、この領域では人口1400万人前後まで膨れ上がると推測します。

次に、第95位サンクトペテルブルクについて、
ロシア・レニングラード州、州都、人口4,700,000、調査年2005
とありますが、前出の国家統計委員会発表2005年1月1日人口によれば、4600千人となっています。
また、サンクト=ペテルブルク市は確かにレニングラード州の州都ではありますが、レニングラード州には属していない連邦直轄市です。
モスクワ市がモスクワ州に属していないのと同じです。
なお、連邦構成体サンクト=ペテルブルク市の面積は約1,400km2です。

均一の条件ではない、世界各国の都市人口データのランキング表を完成させるのは至難の業だと推察します。小生もロシア限定とはいえ同じ趣旨のランキング表を作った経験があり、データの収集には難儀しました。motorcatさんのご苦労お察し申し上げます。
[45136] 2005年 9月 25日(日)00:43:27ニジェガロージェッツ さん
兵庫区の町名
神戸市兵庫区に残る「幻の村」として拙稿[43133][43143]にてご紹介した東尻池村と御崎村について、先日神戸地方法務局へ行った際に地図を検索したのですが、結果は残念ながら確認できませんでした。

その帰路、兵庫区役所へ寄り、両村について何か資料がないか調べて貰いましたが、職員でさえ両村の存在を知らない状態でした。
いろいろと所内の資料を探していて頂いたところ、手書きのメモにて面白いものが出てきました。

以下、全文を引用します。
==========================
東尻池村JR高架下
兵庫運河掘り残し部分
御崎村和田宮神社 笠松交差点
吉田新田吉田3 海
川崎町中央区東川崎町との境界部分 道路・水路のみ
地名は存在する
==========================

とありました。
このことから、東尻池村はこのあたり、御崎村はこのあたりこのあたりかと推測します。

さて、兵庫区といえば古くからの市街地であった兵庫津地域に職業由来町名を多くかかえていました。
笠津前浜さんご編集の職業由来町名コレクションには、船大工町と鍛治屋町が収められています。
この2町以外にも多くの職業由来町名がありましたが、一様に新住居表示実施にあわせ整理統合され、1970年代に消滅してしまいました。
これら失われた兵庫区の町名につきましては、拙稿[14959]にまとめております。
その中で、職業由来町名としては、
魚棚町うおだなちょう小売業文字通り魚屋があったところ
小物屋町こものやちょう小売業雑貨屋や小間物類を売る店があったことから
鹿屋町しかやちょう小売業もとは「ししがやちょう」。商家の屋号「妻鹿屋」より
富屋町とみやちょう小売業もとは「とみがやちょう」。商家の屋号より
松屋町まつやちょう小売業もとは「まつがやちょう」。商家の屋号「松屋」より
匠町たくみちょう職人大工さんや指物師が多く住んでいたことから
関屋町せきやちょうその他兵庫関あるいは兵庫関料と記録される津料徴収関所があった
算所町さんじょちょうその他もと産所村。産婦が当地へ来て分娩する風習があったことから
が該当するでしょうか。
[45074] 2005年 9月 22日(木)01:28:19ニジェガロージェッツ さん
[44892] Issie さん
国についてのレス、有難うございました。オフ会関連でバタバタしていて、Issieさんからの詳細レスに対し御礼を申し上げるのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

「北海道11ヵ国」の場合には次の文章で始まる明治2年8月15日付の太政官布告(通番734)がその根拠になると思われます。
詳しくご説明いただき有難うございます。
樺太については、その太政官布告(通番734)ににはなく、その後も「樺太国」設置の布告がなされないまま、明治8年5月7日のサンクト=ペテルブルク条約によって樺太の領有権は放棄されたということですね。
何ゆえ、北方では樺太だけが令制国にならなかったのかは知る由もありませんが、ロシア帝国との雑居地だあったことが影を落としていたのかも知れません。
余談ですが、樺太において日本とロシアとの国境を画定させる作業については、アイヌ人居住地域を日本領土とし、それ以外はロシア領とする方向で検討されていたようです。
(具体的な資料は生憎持ち合わせていないため、断言は控えます。)
日露両国がその境を検分しようとしましたが、まずロシア側がクリミア戦争でお流れ、その後、今度は日本側が幕末の動乱でお流れとなり、結局は北緯50度線までの南半を要求する日本と、樺太南端の亜庭湾までに留めたいロシア側とが合意することなく、最終的にウルップ島以北の千島列島と引き換えに樺太は放棄されたという時代背景がありました。

拙稿[44857]にて参考リンクを出した樺太国楠渓海岸図という海図のタイトルに用いられたことは、(放棄までの短い間ですが)国のように認識されたことが偲ばれます。
[45012] 2005年 9月 19日(月)18:34:58【3】ニジェガロージェッツ さん
オフ会報告
神戸オフ会にご参加された皆様、本当にお疲れ様でした。もう二日も前のことですが、未だに夢見心地です。本当に夢に出てくるかもしれません。それほどの感動ものでした。
オフ会にご参加された皆様からは続々とご報告が寄せられています。今回、幹事役としてささやかながらお手伝いさせていただきましたが、皆様のご協力、本当に有難うございました。
また、今回残念ながらご参加いただけなかった皆様からも多くのメッセージをお寄せいただき、深く御礼申し上げます。

さて、一昨日、神戸市内で行われたオフ会について、時間を追って、おおよその流れをご報告いたします。
[45006]まがみさんとあわせて、当日の状況を振り返って見ましょう。

まず時間を一昨日(9/17)の16時30分ごろ中央区相生町三丁目JR神戸駅中央口改札前にて、メンバー一人ひとりのご到着を待っていたころに戻します。
当日、誰がどの順に現れたかは、記憶の定かではありませんが、一番乗りはでるでるさん、次に小生、三番目がまがみさんだったことは確かです。
その後は次々に強力メンバーが現れ、その度に歓声が沸き上がり、「あやしい一団」が形成されていきました。
#(後で知ったことでしたが、幹事役ニジェガロージェッツについて、落書き帳の書き込みから想像するニジェの印象と実物の小生とが乖離していたそうで、実物のらるふさんを仮想ニジェと見なしてご挨拶される方が多かったとのこと。らるふさんがもの凄く格好の良い、物静かな紳士然とされた方だったので、この時点で小生が3年間で培った「ニジェガロージェッツ」のイメージをぶち壊していたことが発覚)#
ともあれ、最終待ち合わせの17時10分には22名が揃い、これが列をなして中央区東川崎町一丁目ハーバーランド地区を行軍し、港の岸壁に隣接する「モザイク」3階にあるレストラン「ハーフェンブルク」へ向いました。
店の入り口の予約案内板には「落書き帳」の文字があり、一同爆笑。遅れて自力で会場入りされた3名も案内板を見て安堵されたことと思います(笑)

一次会場予約は17時30分から19時30分まで。らるふさんの軽快な司会進行のもと、自己紹介。
続いて、まがみさんから「落書き帳書き込み時間分析」、今川焼さんの市名ビンゴゲームで一同盛り上がり宴はたけなわを迎えました。
しかし、この時点で19時20分になっており、せめてあと30分あればと悔いを残す結果となりました。
ビンゴゲームの余韻に浸る間もなく慌しく店を後にする時間となりました。これは、会場予約をする際、だいたいどのお店も1時間半~2時間のスパンでの予約となることからくる制約ですが、もっと時間に融通のきく予約にすべきだったと反省しています。
結局のところ、会が盛り上がった分、食が進まず、結構食べ残しもあったように思います。
オフ会に於いては、料理内容はあまり考えなくてもよいかもしれません。

一次会を後にして、港の岸壁を歩きタクシー乗り場に向かい、6台(?)のタクシーに分乗して中央区加納町六丁目神戸市役所に向かいました。神戸市役所前で即日帰郷の倉田昆布さん、だんなさんとはお別れ。
二次会場は神戸市役所1号館24階の展望レストラン「CASA」に、19時50分から21時50分までの予約を入れてありました。
二次会ではスナフキんさんが大活躍。以前にあった不自然な構築物跡地を地図から見つけ出す解析法を伝授していただいき、その切れ味に感動しました。
会場設定のほうは、事前の予約でお店の中でも一番見晴らしが良い北西角の半個室を確保でき(その中でも最高のお席には当然、グリグリさんが)、神戸の夜景を満喫できたと思います。
予約では料理をおつまみ程度のもので済ませたため、飲み代も合わせて安く抑えることが出来ました。
こちらは申し分なく、大成功でした。

神戸市役所1号館を退出し、YASUさんは夜行バスの時間があり、一足先にお別れとなりましたが、残り22名は中央区加納町四丁目JR三ノ宮駅に向かい、22時10分ごろ駅の西改札口にてオフ会は解散となりました。
事前に「あとは成り行きに任せましょう」と、三次会以降の予定は立てておりませんでしたが、この三ノ宮駅にて帰路に就かれたのは、かすみさん、夜鳴き寿司屋さん、EMMさん、星野彼方さんの4名です。

つまり、(恐ろしいことに)18名が残りました。
しかし、18名もまとまって収容できるお店など、土曜日のこの時間帯で見つけるのは至難の業だと思われたのですが、中央区北長狭通一丁目あるお店に目星を付け、先発隊としてまがみさんと小生が探りを入れてみると、やはり収容可能人数が足らずに断念。しかし、いつも分析鋭いまがみさんは、このビルの4階にも同様の居酒屋があることに気付き、伺うと20人用の個室が空いており、奇跡の見つけ物でした。

さて、三次会の開催となり、ここでやっと落ち着いて談笑となりました。
あとば無礼講の世界でしたが、それぞれの方面(ご自宅または離れた宿泊先)へ向う終電の時間が近づくにつれ、今川焼さん、続いてらるふさんがご帰宅。23時50分にでるでるさん、スナフキんさん、音無鈴鹿さん、たもっちさんが会場を後にし、店は同じながらも三次会は一旦幕に、改めて四次会となりました。
以降は無礼講の度合いがますます高まり、もうここには書き込めないような際どいテーマの会話が続出。内容はご容赦の程。
さて25時を回り、楽しかった四次会も幕。ここで葵区さん、グリグリさん、小松原ラガーさん、淡水魚さん、地球人さんとはお別れ。

さて、二・三次会は飲み物中心で、そろそろ腹が減ったということで、ラーメンでも食べようと中央区中山手通一丁目の通称北野坂を歩くも、この時間どこも満杯。
やむなく比較的席の空いているお好み焼屋をみつけ、ここで五次会に。
お好み焼きの本場新長田出身の小生としては、お好み焼きとの相性抜群のアップル(黄色い色のついた砂糖水)があったので、皆さんにも勧めたのですが、これは好みの差があったかも。
この時点で「七人の侍」の感がありましたが、一時間ほどで退散。JOUTOUさん、BEANさん、ゆうさんが帰路に。

さて、始発電車まで時間があるということで、残り4名は中央区北長狭通一丁目の六次会カラオケ店へ。
ここで2時間「歌いたい放題」というか「叫びたい放題」というか、形容不可能。
さすがに喉が嗄れカラオケを後にし、白桃さんがタクシーに乗りお別れ。

白桃さんを欠いた3人が次に七次会として向ったのは、ネットカフェでした。しかし、立ち寄ったものの席は満席で断念。時刻は午前4時30分を回っており、なんでこの時間帯が満席なのだろうかと思うと、寧ろこの時間だからこそ、こういうところで仮眠宿舎代わりに一夜を明かす人が多く、もしかしたらJOUTOUさんがいるかも?と陰口をたたきながら、やむなく七次会は断念。

駅へ向うと阪急、JR共に改札が開いており、地名好きさんがホテルへ、まがみさんが阪急へ、小生はJRへと散々になり、ここに神戸オフ会は終焉しました。時刻は9月18日午前5時5分ごろのことです。
[44966] 2005年 9月 18日(日)06:31:55ニジェガロージェッツ さん
皆様お疲れ様でした
只今、六次会を終えて帰還しました。
今回のオフ会、遠来の皆様、地元の皆様ともに本当にお疲れ様でした。

慌しく時間が過ぎていく中、地元の幹事として大したお構いも出来ず、こころ苦しく思っております。

色々と皆様に御礼申し上げなければならないのですが、[44941]以来、一睡もしておりません。
オフ会には朝鮮人参ドリンク+まむしドリンク+頭痛薬ロキソニンを服用してラリった状態で望みましたが、もう限界です。風呂に入って寝ます。

また始末書ならぬ、オフ会報告は改めて・・・。

#六次会終了後、三ノ宮駅前から三ノ宮駅前のホテルへ向うべくタクシーに乗るという意味不明の行動により忽然と消えた浦安の長老は大丈夫だったのだろうか?
[44941] 2005年 9月 17日(土)08:18:19ニジェガロージェッツ さん
眠い
おはようございます。ニジェガロージェッツです。

いよいよ今夕オフ会を開催する運びとなりました。総勢25名のご参加の予定です。
皆様万難を排してのご参加には、頭が下がります。中には神戸がはじめての方もおられるようです。
どうぞ、存分に楽しんでいって下さい。

幹事という大役を預かりました小生ですが、大ポカをやらかしそうな気がしてなりません。
参加者の皆様には、ここ数日の小生からお送りしたメールの送信時刻を見ていただければわかると思いますが、いつも真夜中・未明・明方という時間帯になってしまいました。
という訳で、ここ数日の平均睡眠時間は3時間ほどです。
そして今日も意味も無く1時間ほど前に目が覚めてしまいました。

首都圏や九州などよりお越しの「遠来組み」さんに比べれば、交通費150円で出席できる小生ですが、慢性的な睡眠不足で、本番はボケている可能性大です。
もう、ぶっつけ本番で行くしかありませんが、皆様宜しくお願い致します。

#申し訳ありませんが、本番は転寝状態かもしれません。
#あきませんわ。企画倒れですわ。
[44867] 2005年 9月 13日(火)10:19:56【1】ニジェガロージェッツ さん
第二回落書き帳オフ会@神戸
いよいよ落書き帳オフ会まであと4日に迫りました。
現在のところ、ご参加確定22名、調整中1名のエントリーが寄せられました。
首都圏を離れての開催にもかかわらず、20名を超えるとは嬉しい誤算です。落書き帳恐るべし!!

一次会場は神戸駅浜側のハーバーランド地区、モザイクのレストランにて夕暮れの神戸港を眺めながら(実際には個室貸切だから景色は見れないかも・・)、二次会場は三宮方面へ移動して神戸の夜景を楽しみながらの談笑となりそうです。

ということで、
[44557] 白桃 さん
神戸の中心駅は神戸駅なのか、三宮駅なのか?
という疑問に決着をつけていただきましょう。(笑)

ところで、今回一次会場となるハーバーランド地区は、1980年代までは国鉄湊川貨物駅と神戸港高浜岸壁の三菱倉庫でした。
そういう経緯で「神戸駅前」といば、それは駅を挟んで反対側の神戸駅山側、ちょうど神戸駅と湊川神社の間あたりの街区を指します。ハーバーランドを「神戸駅前」とは、まず言いません。
お間違えのなきように・・・・。
#ここの皆様は「地理の達人」揃いですから、まず心配はありませんが。

さて、二次会の最終予約確認の期限が明日の午後までとなっており、申し訳ありませんが落書き帳トップからの案内は消去して頂きました。(一次会の最終予約確認はもう少し先です)
二次会へも20名のご参加が予定されております。楽しみです。

三次会以降は三宮駅方面へ繰り出しての暴走となりそうですが、幹事としての責任範囲は二次会までとさせて頂きたく・・・。
ひとつお手柔らかに <皆様

[44844] N-H さん
実は、神戸に行くのですよ、私。ただし明日日帰りで。
その後24日前後の連休にもまた神戸に行くのです。どちらも仕事で。
う~~!なんというめぐり合わせ。偶然にもオフ会と前後しての横浜からの2度のご来神とは。
家族とまともに過ごせる週末というのが17日から3日間しかないのです(泣)。
というわけで、ものすごく行きたいのですが、オフ会は欠席とさせていただきます。
本当に残念ですが、ご家族を第一に優先してあげて下さい。
神戸開催は今回だけかもしれませんが、オフ会は第三回、第四回・・・と継承されます。またのご参加を楽しみに。

【訂正】
N-Hさんへのレスを追加
[44857] 2005年 9月 13日(火)00:37:06ニジェガロージェッツ さん
樺太国(カラフトノクニ)
拙稿[44780]にて、樺太のことを敢えて「北蝦夷」と書きましたが、これと北海道11国との併記は歴史事実として正しくないことを知りつつ、お二方(或いはお三方)の反応が見たく、確信犯的に書きました。

期待通りのご意見を頂戴し、有難うございます。

[44803] 紅葉橋律乃介 さん
「北蝦夷(地)」を使ってしまうと、北海道は東西蝦夷地+松前地(和人地)になるのでは?
確かに、樺太「北蝦夷」に対する北海道は「東蝦夷」「西蝦夷」「松前」です。
それを承知の上で、経國で「北蝦夷」としたのは、「樺太」だと個人的に日露戦争で獲得した領土のイメージが強く、幕末・維新期のイメージが沸かないというのもありました。

少なくとも「北蝦夷」と道内11国の併用は考えられないと思うのですが…。
正にその通りです。(こういうつっこみを待ってました)

[44817] Issie さん
「カラフト」「サガレン」「北蝦夷」その他の呼称で呼ばれた“大きな島”にも「国」が設置されたことはありません。日露戦争後,ポーツマス条約によって“日本領”となった南半分の区域(「樺太」)には「郡」が設置されましたが「国」は設置されていません。
Issieさんがそこまではっきりと断言されるのであれば、間違いはないと思いますが、少し考察を深めていただければ幸いです。
確かに、100年前のポーツマス条約によって日本領に復した南樺太には「国」の設置はなかったようですが、19世紀の維新期に「日露両国の雑居地」としながらも日本領土であった“大きな島”については、北海道11ヵ国が設置された際に「樺太国(カラフトノクニ)」の設置は本当になかったのでしょうか?
例えば、「樺太国楠渓海岸図(カラフトノクニ ナンケイ カイガン ズ)」という明治7年の地図があります。
(参考までにこの場所は後の大泊郡大泊町の海岸にあたり、現在のコルサコフ市ヴァグザーリナヤ通になるのですが、地図の北端にある集落は江戸期には「九春古丹―クシュン・コタン」と呼ばれた集落です。 ―拙稿[9826]の「フヴォストフ事件」に既出)

もちろん、古地図に「樺太国」と書いてあるからといって、それが「樺太国」設置の確証になるものではありませんが、少なくとも一部では「樺太国」という認識があったかも知れないと推測できるのではないでしょうか?
[44780] 2005年 9月 9日(金)00:10:00ニジェガロージェッツ さん
御報國
[44741] かぱぷう さん
経國値。廃藩置県直前の旧国名をリストアップし、経県値と同様のルールで点数化します

「経國」ですか。中華民國の総統みたいですね。

「國」の基準が廃藩置県直前ならば、[2474]たけもとさんがリンクしてくださった情報によると、宿泊経験のある小豆島は元来備前だったのが、江戸期以降は讃岐になっており、「泊まった」 にカウントできず残念。
その代わり、この時代だと北蝦夷は使えるな。(ニヤリ)

という訳で、皆様に倣い

◎:住んだ(5点)×2=10点
摂津 播磨

○:泊まった(4点)×35=140点
北蝦夷 北見 石狩 陸奥 羽後 羽前 上野 信濃 美濃 下総
武蔵 志摩 越中 能登 若狭 山城 河内 但馬 因幡 伯耆
出雲 石見 美作 備後 長門 紀伊 淡路 讃岐 伊予 土佐
豊後 筑前 肥前 肥後 日向 

●:歩いた(3点)×24=72点
天塩 胆振 後志 陸中 陸前 下野 近江 越後 加賀 越前
尾張 伊勢 伊賀 大和 和泉 丹波 丹後 備前 備中 安芸
周防 阿波 豊前 筑後

△:降りた(2点)×1=2点
飛騨

▲:通過した(1点)×5=5点
相模 伊豆 駿河 遠江 三河

×:かすってない(0点)×19=0点
千島 根室 釧路 十勝 日高 渡島 磐城 岩代 常陸 上総 安房
甲斐 佐渡 隠岐 壱岐 対馬 薩摩 大隅 琉球

以上、合計229点でした。 まだまだ経國が足らん!
[44753] 2005年 9月 7日(水)15:47:07ニジェガロージェッツ さん
須磨のベルトコンベアーがついに・・・
落書き帳第二回公式オフ会@神戸開催まで、あと10日となりました。
現在のところ、21名のご参加エントリーが寄せられています。にわか幹事役として、深く御礼申し上げます。

その神戸からのニュースですが、
海面埋め立てによる神戸市域の拡大と、郊外の住宅団地用地の造成という、「山、海へ行く」と形容された都市経営を一手に支えた「須磨ベルトコンベアー」が、ついに9月12日に稼動が終了することになるそうです。

[4485] 2002 年 11 月 3 日 (日) 22:18:42 いな さん
もうず~っとず~っと前のことでしたが、国道2号線を走るとその上を、土砂運搬用のホッパーが
土を積んで、空中を鋼索線で海のほうへ引かれて行っていましたですねえ。
[4498] 2002 年 11 月 4 日 (月) 03:11:29 拙稿
須磨のベルトコンベア―のことでしょうか。今でも稼動していると思いますよ。神戸空港島の造成に活用していることと思います。
[4526] 2002 年 11 月 4 日 (月) 19:23:26 いな さん
須磨のベルトコンベア―

過去ログでも話題になったベルトコンベアーですが、1964年の始動以来41年の間に運んだ土砂は計五億七千八百万トン。
神戸の地図にポートアイランド、六甲アイランド、須磨ニュータウン、学園都市、西神ニュータウンなどの新市街を次々と生み出した原動力は、来年2月16日開港予定の神戸空港の埋め立て完成に向けて、12日14時に最後の船がベルトコンベアー先端の須磨海岸より神戸空港に向けて土砂を運ぶとのことです。
今後は、西区の神戸複合団地まで続く14.5キロに及ぶトンネルやベルトコンベアーの跡地利用が検討されるそうです。

山を削り海を埋め立てる神戸の都市経営については賛否がありますが、神戸っ子の一人としては、高度成長期以来の神戸の発展を支えた「名物」の退場に、寂しい思いです。
[44632] 2005年 9月 3日(土)00:39:45ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会 参加予定者の中間報告
こんばんは、グリグリさんのオフ会開催のアナウンス[44553]より多くの皆様よりご参加のエントリーを頂戴しました。
有難うございます。

現在のところ、合計15名の皆様のご参加です。
内訳は地区別に
関東地方4名
東海地方1名
北陸地方3名
中国地方1名
(遠来組)(計9名)
地元関西6名

となっており、関東より更に2名の方が、ご多忙の中、ご参加を検討しておられます。
今回は神戸での開催ということで、ご遠方の皆様には本当にご不自由をお掛けし、申し訳なく思っております。
対して、地元関西よりのご参加が少ないのが、やや残念です。
折角の機会です。今からでもご参加のエントリーをどしどし、お寄せください。
お待ちしております。
[44554] 2005年 8月 30日(火)02:46:43ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会 神戸開催
[44553]グリグリさんよりご連絡がありましたように、「第2回都道府県市区町村落書き帳公式オフ会」が来る9月17日(土)、神戸周辺で開催する運びとなりました。
ご都合のつく皆様は是非ご参加ください。

神戸での開催であればニジェが幹事役を引き受けてもいいよ・・という書き込みをしましたが、実のところ、最終的には関西=大阪にて、どなたかが幹事役で小生は末席にと「楽な図式」を、どこかで想定していた感がありました。
今回は神戸でと言うことで小生が畏れ多くも幹事役を仰せ付かりましたが、小生以外に幹事役をお申し出いただいた皆様には、本当に申し訳なく感じております。
[44147]地名好きさん、[44160]かすみさん、有難うございました。

と言うことで、まだ具体的な開催場所をはじめ、オフ会の内容については白紙の状態です。
あと3週間もありませんが、ご参加いただける人数に合わせて早急にオフ会のプランを練り、場所の確保をしたく存じます。
「宴会」の形式で考えてはおりますが、未成年の皆様のご参加も大歓迎です。
地元関西ご在住の皆様をはじめ、神戸には縁のない皆様にも震災十年の神戸を見ていただきたいとも思っております。是非のご来神を期待いたしております。

出来れば今週中にも、だいたいのご出席いただけるメンバーを把握出来れば有難いと考えております。

では☆ 皆様のご連絡をお待ちしております。
[44482] 2005年 8月 25日(木)02:40:59ニジェガロージェッツ さん
落書き帳「池田屋事件」
[44478] futsunoおじ さん
第1回落書き帳オフ会見聞録、拝読しました。
大河ドラマで「新撰組」やってましたので、「池田屋事件」もあっただろうとのことで、こんな文章になってしまいました。
こうして書いて頂くと、全く現場を知らない小生にも、その場が連想できます。有難うございました。

部屋の入口寄りの眼孔鋭い人物に名を告げ、銭を渡し、中に入る。
もうこの時点で凄みのある設定ですね。眼孔鋭い人物とは、人口統計にうるさい幹事さんだと勝手に推測しています。

初対面となる人物が多いためか、開始前は会話も少なく微妙な緊張感が漂う。
もし全員が全くの初対面であったなら、敢えて名を伏せて適当に喋らせておいて、「お前は○○だろう!」と、当て合いしたら面白かったかも。もっとも、ものすごく失礼な話ではありますが。(笑)
とはいえ、今度の第二回オフ会では、前回に顔を会わせておられるメンバーも多く、ちょっと違った雰囲気になるのでしょうか。
小生は第一回オフ会にこそ参加していませんが、「両みみニ焼魚」会にて、一部で面が割れていたりもします。

数名毎に間を置きながらの自己紹介に入るが、異様な名前の持ち主が呼び出されるたびに歓声と拍手が沸く。
出た!この雰囲気。
今までネット上だけでの、それぞれがいだく「○○氏感」と、現実のご本人の印象との乖離が面白そうですね。これだけでもオフ会に足を運ぶ値打ちがありそうです。

参加者には猫・馬を好む者かなりあり。
グリグリさんが猫好きだと言うのはご自身が仰っておられましたが、馬好きの方も多かったとは・・。
地理談義以外に思いがけずに盛り上がる雑談というのも、結構傍目に異常ですね。小生も両毛地域で4人の落書き帳メンバーとお会いしたときに、そのうちの一人と我々世代特有の話題で盛り上がってしまい、世代の違う他のお二方の失笑を買ってしまったのを思い出します。

その後、2次会場への移動となる。 我が輩は「逃げて帰った方が良い」との事前の忠告?に従い、無事帰路を辿ることとなる。
オフ会開始当初の緊張感が嘘みたいな雰囲気ですね。その2次会の終了も記録によれば23時近くとのこと。
小生も下戸ゆえに早々に退散した方が良さそう(涙)

今から第二回オフ会が楽しみです。京都~倉敷間での開催とならば、小生も万難を排して駆けつけたく。
[44391] 2005年 8月 21日(日)13:01:49ニジェガロージェッツ さん
第二回オフ会に向けて
[44380] グリグリ さん
いよいよ、第二回オフ会が現実味を帯びたようで、それも中間報告では関西方面での開催が有力視されているようで、今から楽しみです。

ところで、オフ会での企画のひとつ「クイズ」について
十番勝負に参加できない(敷居の高さを感じている)方々も少なくなく、そう言う方々はオフ会でまでクイズで盛り上がるのはどうかなと言うご意見。一方、クイズを含めた企画が好きな方、あるいは、見知らぬ同士がコミュニケーションを行うきっかけとして企画はあった方がよい、と言う方も多かったです。

拙稿[44146]においても十番勝負を念頭に、オフ会でまでクイズに興じるのは出来ればご遠慮したい旨の書き込みをしましたが、ちょうどクイズやる気満々の[44143]いっちゃんさんの書き込みの直後だったこともあり、ご本人からメールを頂戴しました。

要約すると、第一回オフ会でのクイズは10分足らずの座興色の強い、地理が好きならば泥酔していても分かる問題で、参加を強要するものではなかったとのこと。[44143]にてご提案しておられたクイズ企画についても、そのようにお考えの由でした。

確かに、落書き帳で「クイズ」と言えば、恒例の「十番勝負」を思い浮かべるのですが、十番勝負へ回答された皆様のご感想を拝見すると、相当の日時を掛けて回答を導き出されたのが分かります。
そのようなレベルの高い問題がオフ会企画にそぐわないのは自明の理で、拙稿[44146]での懸念は少々早とちりの感がありました。

見知らぬ同士がコミュニケーションを行うきっかけとして、場を盛り上げる企画としてクイズをするとしても、誰でも楽しむことが出来る面白い問題を数題も考案するとなると、結構骨の折れる作業になると思います。
そこで例えば、参加者それぞれがあらかじめ一問ずつ持ち寄って問題を出し合い、回答を楽しむというのは如何でしょうか。もちろん、強要しないことは大前提ですが。

実際の参加人数にもよりますが、クイズに限らずちょっとした企画はやはり必要にも思います。
小生は第一回オフ会に参加していませんので、オフ会記録のページのうち、非参加者が閲覧できる情報しか知る由もありませんが、参加メンバーの皆様のコメントより、面白い企画でも見えてくれば、新たな企画を練る手助けになるかとも考えます。
[44198] 2005年 8月 16日(火)10:37:44【2】ニジェガロージェッツ さん
新クイビシェフ市
[44174] 白桃 さん
なんとクイビシェフの人口が48,848人(2002年国勢調査)になっているではありませんか。私の知っているクイビシェフは100万人を超える大きな都会。いつの間にこんなに減少したのか!

いつものご愛顧ありがとうございます(笑)
全ロシア都市人口335位のクイビシェフと、6位のサマーラとを一瞬混同してしまったようですね。

そのクイビシェフは改称してサマーラになったのを失念していたのです。
確かにヴォルガ中流の百万都市クイビシェフ市と、これを州都とするクイビシェフ州は、1990年に共にサマーラ市、サマーラ州と改称されました。
しかし、蛇足のご説明を加えると、現地では「クイビシェフ地名」が一掃された訳ではありません。
例えば、ヴォルガ河のサマーラより上流、カザンあたりまでの水面はクイビシェフ貯水湖(人造湖)と呼ばれています。
行政地名としては、現在のサマーラ市は9つの行政区から成っていますが、その中に「クイビシェフ区」と「サマーラ区」が共存しています。
また、サマーラ市に隣接する衛星都市にノヴォクイビシェフスク(新クイビシェフ市の意)という十万都市がありましたが、ここも今でもそのままの名称です。仮にこれを改称するとすれば、「ノヴォサマルスク」が妥当かと思いますが、この都市は母都市サマーラがクイビシェフと呼ばれていた1946年に建設、1952年に市制が敷かれたということで、サマーラのように戻すべき旧名が無いのかも知れません。

ところで、このクイビシェフが一時期ソ連の首府だったのをご存知ですか?
独ソ戦のさ中、ドイツ軍が首都モスクワに肉薄した際、スターリン首相はモスクワを離れなかったものの、政府機関は1941年10月16日にモスクワを放棄、クイビシェフに「遷都」していたようです。

久しぶりの露国レスですが、地理雑学ネタの一つとして。
[44154] 2005年 8月 15日(月)11:36:18ニジェガロージェッツ さん
Re:全国横手調査
[44152] しゅばん さん
全国にある「横手」の地名を探しています。

ご存知だったら、申し訳ないのですが・・・
マピオンで一度検索して見られましたか?
マピオンのトップページにある「フリーワードで探す」欄の「住所」または「スポット」にチェックを入れ、下の「都道府県」欄はそのままにして住所の場合は「住所を入力」、スポットの場合は「スポット名を入力」に「横手」と入力し、「GO→」をクリックすると、「横手」地名のある都道府県の一覧が表示されます。
あとは表示された都道府県名をクリックして、「GO→」をクリックするとその県内の具体的な「横手」が表示されます。

あと、国土地理院の地図閲覧サービス・ウオッちずにも、「地名および公共施設名による検索」が出来ますから、こちらも参考になると思います。
[44146] 2005年 8月 14日(日)18:33:24ニジェガロージェッツ さん
Re:第二回オフ会について
[44136][44141]グリグリさん
第二回オフ会を関西での開催される御意向について、関西在住の一人として大変嬉しく感じているところです。

ここは一つ関西在住のどなたかに音頭をとっていただきましょう
白羽の矢を立てられた、かすみさんはご都合がつかないようで残念ですが、小生とて日頃「落書き帳」の皆様にお世話になっている恩返しをさせて頂く意味でも、もし開催地が大阪ではなく、神戸であれば小生が音頭取りを引き受けさせて頂いても、差し支えありません。
といいますのは、確かに大阪と神戸は近いのですが、日頃本業以外に夜間のアルバイトもしている関係で、どうしても場所の手配や調整のために大阪へ出向く時間がなく、神戸で以外ではフォローが出来ないと思うからです。

という訳で、

1.開催日時の希望
土曜日の夕方か日曜日であれば、今のところ時期に関係なく参加可能です。
但し、金曜日の夕方を含む平日は参加不可能です。

2.開催場所の希望
神戸(幹事役も可)、大阪、京都

3.オフ会スタイルについての希望
小生自身は下戸ですが、飲み会(宴会)が好ましいと思います。
一次会の幹事をお引き受けしたとても、二次会、三次会については、行き当たりばったりということであれば。

4.オフ会企画について
[44143]クイズをやる気満々のいっちゃんさんに水をさすつもりはありませんが、出来れば[44136]でグリグリさんからご提案があった、
オフ会の企画については、第一回は多少入れ込み気味で皆さんが語り合う時間が少なかったように思います。したがって、第二回は企画はなくても構わないと思っています。
に賛成です。
確かにクイズ好きの人には、それだけで場が盛り上がると思いますが、小生のように「十番勝負」に一切の回答を提出しない「落伍者」には、クイズと聞いただけで敷居が高く感じられます。
もちろん、日頃の「十番勝負」にしても、じっくりと時間を掛けて考えれば、小生にも楽しく勉強が出来る大変面白い企画だと思いますが、最初に申し上げましたように、本業の商売とアルバイトの掛け持ちをしている以上、せっかくの時間はネット上の本業?とも言えるロシアの地理データの整理に打ち込みたいので、これからも「十番勝負」には疎遠であり続けると思います。
オフ会に出席までしてクイズに興じるのは出来ればご遠慮したく、それよりも皆様の地理体験や見聞をお聞きする方が、少なくとも小生には居心地がよいですが、これはあくまでも小生の個人的なことで、全体としてクイズをやりたいという方向で行くのであれば、もちろん異を唱えるものではありませんので、聞き流しておいて下されば幸いです。

5.その他希望
特にありませんが、開催地が神戸でなくとも大阪か京都であれば、ぜひ末席の一人として参加させて頂きたく思います。
[43959] 2005年 8月 8日(月)00:36:26ニジェガロージェッツ さん
リンクに感謝
[43957] グリグリさん
トップページに落書き帳メンバーのホームページへのリンクの場を提供していただき、少なくとも「都道府県市区町村」には関係のない拙HPへのリンクまで張って頂き、深謝です。

登録メンバーの方のホームページがどんどん充実していますね。

こうして一覧にしてみると、本当に凄いですね。
落書き帳の皆さんのHPには、足跡は残してはいませんが時々ご訪問させていただいております。
自分自身がまがいなりにもホームページを運営していく上で非常に参考になり、また行き詰まったときには気分転換にもなり、本当にいつもお世話になっております。
思えば[16077]kenさん、[17815]グリグリさんから、ホームページの開設を強く推されたのがきっかけで、それまで考えたこともなかった小生がビルダーを購入して、皆さんの秀作HPを参考にしながら、説明書を片手にホームページを立ち上げ、[18907]にてご挨拶したのが丁度2年前のことでした。
当時は拙HPはわずか15ページでしたが、今では170ページに増幅しています。(笑)
(・・普通、数えないですね。自分のHPのページ数など・・)

これからも、料金未払いで電気が切断されたり、裁判所にPCが差し押さえられない限り、更なる充実を目指していきます。
そして、今回のリンク企画がきっかけにもなり、更に多くのメンバーがご自身のホームページで情報の発信を進められたら、素晴らしいですね。楽しみです。
[43448] 2005年 7月 25日(月)01:40:54ニジェガロージェッツ さん
やっとヴォルガが終わった
[43437] 小松原ラガー さん
阪神高速から清盛塚に伸びる南北の道があるかと思いますが、確かこの道には
両側に松の木が植えられていたと思います。街路樹といえばそれまでのような気がするのですが、なぜ松の木なのか。

確かにこの辺りは、もともとが古くから兵庫津の市街地にあたり、町外れから海岸一帯へと広がっていた「和田の松原」と、今ある街路樹とは直接関係がありませんが、あーばんとーく平成13年1月号より「歴史の道の調査」として兵庫区の都市計画に、インナーシティ問題とも絡めて「歴史の道」を整備し、その道路デザインにも和風のモチーフを提案した経緯が触れられています。

この道路整備によって、道幅も広げられ、歩道に和風な「松」が植樹されたのではと思います。

余談ですが2年前の残暑の中、この道もYSKさん、でるでるさん、愛比売命さんと徒労を組んで歩きました。[19537]のことです。この時は兵庫大仏から七宮神社に寄って、東出町からハーバーランドへ抜けました。懐かしい~。

==========

タイトルに書いた無関係な独り言は、2年前の冬に[8619]沿海地方に始めた、ロシアを東から順に追っていった地理概況・人口データの整理が、昨日のアストラハン州、今日のカルムイキア共和国を拙ホームページにアップして、ヴォルガ地域がやっと終わったことをお知らせするものです。
これから北カフカス。先(全ロシア制覇)はまだまだです。
[43167] 2005年 7月 21日(木)01:47:25ニジェガロージェッツ さん
恐縮です
[43145] EMM さん
#間違い・勘違いを指摘されるのは確かに気恥ずかしいのではありますが、一方で「知るは一時の恥・知らぬは一生の恥」ということで指摘を自分の知識の糧とすることも肝要だ、と思っとります、ハイ。

申し訳ございません。EMMさんへの初めてのレスにて、とんでもないツッコミを入れてしまい恐縮しております。
たまたま小生の地元のことで、土地鑑があるのでレスを差し上げたのですが、実のところ「落書き帳」では、神戸以外のことではとても皆様に太刀打ちできず、最近は専ら読む側に徹しております。

2年ほど前は毎日のように拙稿が顔を出しておりましたが、今に思えば随分とポカをやらかしたものです。
EMMさんの仰るように「知るは一時の恥・知らぬは一生の恥」で、間違いながらも「落書き帳」では随分と良い勉強させて頂きました。

ここ数日、神戸の話題が続きましたが、元はと言えば、[42833]たもっちさんが東灘区の「田辺村踏切」に「村コレクション」絡みでご関心をお示しになられたのが始まりでした。
それが一方では「踏切レス」へと話題沸騰し、また一方では「村コレクション」へ兵庫区の「幻の村」への情報提供から、「和田の松原」へと話題展開があり、地元として本当に楽しまさせて頂きました。

今回の話題が一先ず「幕」となれば、小生は元のROM専に戻りますが、また神戸の話題でもあれば、そのときはのこのこと顔を出させていただきます。


[43158] 星野彼方 さん
メンバー登録、ご同慶の至りです。
先日の西明石―新大阪間の踏切調査では、その行動力に脱帽致しました。そして東北までお出掛けとは・・。
これからのご活躍をお祈り申し上げます。
[43161] 2005年 7月 21日(木)00:08:57ニジェガロージェッツ さん
東出の過去
[43145] EMM さん
和田の松原レス、有難うございます。
残念ながら、採用は見送ります。
状況が状況だけに、致し方ありません。

ところで、貴稿[43142]にある
高度経済成長期に一気に都市化して
の部分のご推測の基になったHP兵庫区5コースをリンクくださり、有難うございました。
この中にある「吉田新田と遠矢の松跡」にある説明文
和田岬の景色は海内無双の名勝地といわれ四・五十年前までは、その景観美が保たれていたが、
今では工場と人家の町となった。
和田の松原は、兵庫の町はずれから和田山(現在の材木町 浜中町、高松町、金平町、)の
東端を廻って吉田新田に出る地域で、一帯に松の木が海岸に枝をはっていた。
を、この地域に土地鑑をお持ちでない方々が見れば、和田岬一帯が「工場と人家の町」となったのが、「4~50年前」との印象を持ってしまうのは無理のないことです。

まず、この部分の後半に描写される、「和田の松原は、(中略)一帯に松の木が海岸に枝をはっていた。」の風景は、大正期には既に市街化の波で失われています。

では、前半に謳われている「四・五十年前」に、つまり昭和30年代にここで何があったかといえば、それはずばり海面埋立です。
現在の和田岬の先端は、結構「鈍角」になっていますが、これは岬の南側の海面が埋め立てられた結果で、昭和30年代以前は、「和田岬砲台」から真っ直ぐ西に海岸線が伸びており、岬は「鋭角に」東へ突き出していました。
地図中、工場地域の中に不自然に「遠矢町」が残っていますが、これは旧海岸線の名残です。
今でも吉田町の海岸線は、概ね昔のままです。

また苅藻島町は、もともと明治時代に兵庫運河を掘削したときの土砂を埋めて出来た人工島ですが、それは島の北半分の1―2丁目のみで、南半分の3丁目は昭和30年代の海面埋立によって生じたものです。
これらは、西部海面第1、第2、第3工区の埋立工事として昭和32年に着工し、兵庫区和田岬以西、須磨区妙法寺川河口以東の海面が昭和40年の竣工までに埋め立てられています。(参考神戸港の歴史 神戸市みなと総局)

従って、先のHPにある説明文
「和田岬の景色は海内無双の名勝地といわれ四・五十年前までは、その景観美が保たれていた」
については、海面埋立以前の海岸線のみを謳ったものと解釈出来ます。

もしかしたら上記HPの参考資料が昭和30年代のものだったのかもしれません。
については、否定しておきますが、それより
(であれば明治40年代が50年ほど前、っちゅうことになっているかと)
の一文で、小生の生まれた昭和30年代が、明治40年代からわずか50年ほどしか経っていないということを改めて認識させられ、いささかショックでした。


さて、[43145] EMM さん
川崎重工や三菱重工業の工場に取り囲まれた地帯であることを考えれば激烈な空襲を受けているでしょうし
の部分を受けて、神戸空襲の不思議の一つをご紹介させていただきます。

兵庫区の兵庫突堤の北に東出町という所があります。
ここは、川崎重工業神戸工場に隣接した下町の工場街で、有事の際には真っ先にやられそうな場所なのですが、度重なる鬼畜ルメイの神戸空襲にもかかわらず、この東出一帯は焼け残り平成時代を迎えました。戦前より神戸に住んでおられた古老は口を揃えて、「何であそこが焼け残ったんや」と不思議がっておられました。

今では神戸ハーバーランドに隣接する地域として、区画整理事業が進行中で、古くからある町屋や長屋が撤去され、広い街路が新設されたりして、昔の面影が失われつつあります。丁度、2003年9月にYSKさん、でるでるさん、愛比売命さんを伴い、現地をご案内する機会もあり、お三方もご記憶のことと存じます。

小生は1978~80年ごろには、この東出の街の独特の雰囲気が好きで、毎日のように自転車で早朝から出掛けていました。古い市街地とはいえ、早朝の6時台に大衆食堂が賑わっていたりして、労働者の匂いの漂う街で、一種、異様な活気のある街でした。
もし、神戸空襲でやられていれば、恐らく、港湾に隣接する倉庫地帯に変わっていたはずです。
戦災を免れ、今に伝わる「古い神戸」が失われていくのは忍びないことですが、時代の変化と産業構造の変化を思うと、都市が生きている以上、仕方のないことかも知れません。
西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会という、地元の住民主体のまちづくり活動が、新しい東出の街をどう造っていくのかが楽しみです。
[43143] 2005年 7月 20日(水)03:13:27ニジェガロージェッツ さん
細かな地元レスにて恐縮です
[43136] 愛比売命 さん
お忙しい中「幻の村」の場所特定にお手間を取らせてしまい、恐縮です。
御崎村に関しては、小生も大体、同じようなところにあるものと推測しておりますが、東尻池村については、少し違うのではないかと思います。(「思います」を強調しておきます。根拠はありません。)

東尻池村の位置推測については、川崎重工の車両工場が明治39年に「運河分工場」として東尻池村に建設されたことに拠っておられるようですが、この「東尻池村」は町域を設定する前の旧村名のような気がしてなりません。
川崎重工の車両工場および、それに隣接する町名は、御所通1―4丁目と和田山通1―2丁目が明治33年、東尻池町1―10丁目が明治36年に誕生しており、実際には既に「東尻池村」ではなかったようですが、当時はまだ町名が定着していなかったのか、旧村名で呼んでいたのかも知れません。

いずれにしましても、取り敢えずは地図リンクを推測位置で表示しておいて、詳しいことが分かり次第、状況に応じて訂正していけばどうでしょうか?

今すぐというわけにはいきませんが、海岸通の神戸地方法務局に行く便でもあれば、是非地籍図を閲覧して調べてみようと思います。
神戸市区設置条例の兵庫区の部分に明記されており、間違いなく現存する地名ですから、確認できると思います。


[43142] EMM さん
「松原」コレクションのご収集、ご苦労様です。
ご関心をお示し頂きました「和田の松原」についてですが、残念ですが現地にその名残は残っていません。
往時には「東は兵庫の町の端より、西は東尻池村まで、一面の松原にて、南は蒼海渺茫(びょうぼう)と日を欲し、雲を洗うが如し」と摂津名所図会に記されたように、浜辺一帯に松林が広がっていたようです。
明治19年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、松林の記号が兵庫津市街地の南西側から、吉田新田を経て東尻池村の苅藻川河口一帯の海岸に続いており、これのことでしょう。
現在の町名で言えば、兵庫区和田山通1―2丁目、御崎町2丁目、吉田町1―3丁目、高松町、長田区東尻池町9―10丁目、浜添通6―8丁目、苅藻通7丁目、南駒栄町が相当します。
確かに兵庫区に松原通という町名がありますが、これは「兵庫港地方字松原口」から採ったもので、恐らく、このあたりが「和田の松原」への入り口だったのかも知れません。

ところで、
高度経済成長期に一気に都市化して
の部分ですが、現地はお考えのような後発の市街地ではございません。
この地域が都市化したのは、明治40年頃より大正期にかけてのことで、大正末年には下町の密集市街地と化していました。
また、昭和20年3月17日の神戸大空襲では、この地域一帯が被害を受けています。

ですから、
例えばどこかの公園なり神社や寺の境内なりに残っている、あるいは町内に街路樹としてぽつんと残っている、と言ったことはないのでしょうか。
については、本当に残念ですが否定せざるを得ません。
[43133] 2005年 7月 19日(火)03:27:40【1】ニジェガロージェッツ さん
地図に載っていない・・・
[42999] 愛比売命 さん
もちろん、採用です!ただし更新は週末。最近忙しいっす(^^;;)

「字名の“村”」コレクションに、拙稿[42980]でご紹介した神戸市兵庫区東尻池村と御崎村を採用内定、有難うございます。

但し、この2村は拙稿にも書いたように
地図にも載らない「幽霊住所地名」として存在
しており、ネット上はおろか、市販の紙の地図でもその存在を明記しているものを見たことがありません。
と、いうことで「どこにあんねん?」と聞かれても、「わからん!」としか答えようがなく、おそらく、法務局にある地籍地図のようなものでも持ち出さない限り、出てこないと思います。

参考までに、神戸新聞社編「神戸の町名」に収録されているのを一部引用すると、
==========
【東尻池村】(ひがししりいけむら)
神戸市内で残っている“村”は、御崎村と二つだけである。昔の村は、行政区画や町名改正によって数多くの町に分割され、村の名は一部の町名としていまもつづいているが、村名のまま残っているのは珍しい。
東尻池村はほとんどが長田区内で、由来についてはそこでふれているが、兵庫区では一部の国有地が人家や建て物もないまま、町名改正されなかったらしい。しかし、この“村”も近く消える運命にある。
==========

この本は昭和50年11月発行の古い版ですが、「近く消える運命にある」と紹介されていながら、今日でも存在しており、結構しぶといです。

御崎村については、
==========
【御崎町 御崎本町 御崎村】(みさきちょう みさきほんまち みさきむら)
旧御崎村からきた町名で、東尻池村と同様、村名を残している。
(中略)
御崎村は、古名と神社名から天明3年(1783)1月18日に村名となった。東尻池村と同じく、数多くの町名に分割されたが、一部の鉄道敷地が町名改正から取り残され、村名をいまに残している。
御崎町は大正15年1月に村名をそっくりいただいてつけられたが、実際は旧御崎村地内ではない。旧字名は東尻池村棟東、女郎塚・・・・(以下、省略)
==========

とあります。

戦前の神戸市市街地図を見ても、すでに両村は記載されていません。
もちろん、小生が昔から愛用している「ワラヂヤ」の地図にも載っていません。

 ♪地図は~ 和楽路屋~ 和楽路~屋~の~ 地~図~♪
  (↑メロディーを思い浮かべて、読んでいるそこのあなた! 相当、関西人度が高いです!)

地図リンクが出来ないとなると、コレクション登録は難しいかな?
[43020] 2005年 7月 15日(金)12:56:00【2】ニジェガロージェッツ さん
敢えて
YSKさん、いろいろお悩みの末、熟考を重ねた上での結論と察します。
小生も同じ気持ちになったことがあり、痛いほど分かりますが、今一度、ご自身がお書きになった[31401]に立ち戻って頂ければ、幸いです。
[42980] 2005年 7月 13日(水)00:01:48ニジェガロージェッツ さん
神戸市兵庫区に残る「幽霊村」
[42975] 星野彼方 さん
宣言通り、土曜日に踏切の確認をしました。久しぶりに西明石~新大阪間で快速電車前面かぶりつきを堪能いたしました。

確認作業お疲れ様でした。大変な作業だったようで頭が下がります。
実は小生も、この日曜日に「山ヶ坪第一踏切」の現場を確認して参りました。[42899]を投稿した際に、旧知の場所であるにも拘らず、
地図上で松風町4丁目と5丁目の境にあるここだと思います。
と、敢えて確証を持っていない様に表現を濁していましたが、これは現地周辺ではJR鷹取工場の廃止や、新駅設置計画などの影響で、若干状況が変わっているかも知れないと思ったからです。
改めて実際に見てみると、踏切には「山ヶ坪一」と書かれており、昔と同じ歩行者用の踏切ですが、以前はこの踏切を横断する長さ(踏切の反対側までの距離)は、山陽本線だけでなく鷹取工場への引込線も跨いでいたので、かなり長く、実際には二段構えの踏切になっていました。
今ではこの「二段構え」のうち、北側(鷹取工場への引込線)の踏切は撤去されており、今の踏切名が「山ヶ坪第一」となっていることから、もしかしたら撤去された北半分の踏切は「山ヶ坪第二」だったかも知れないです。あくまで小生の推測ですが。

田辺村、森村に続いて打出村も登場し、村踏切三兄弟というかんじです。
踏切名では今でも「村」が残っているのは面白いですね。
話をたもっちさんの[42833]「字名の“村”」コレクションに戻しますが、Yahooの郵便番号検索を見ると神戸市の旧市街地の兵庫区には、「東尻池村」と「御崎村」が大字名として残っています。どちらも旧林田区の範囲ですが、一部の国有地や鉄道敷地の一角が、昔のまま町名改正されずに残ってしまったようです。
「村」は付きませんが、同様の例として同じ兵庫区に「吉田新田」と「兵庫運河」が地図にも載らない「幽霊住所地名」として存在しており、地元の「神戸の町名」にうるさい人々の間では結構有名な話です。

神戸市兵庫区東尻池村と御崎村。愛比売命さん、どないですか??
[42913] 2005年 7月 9日(土)00:39:32ニジェガロージェッツ さん
「市区町村プロフィール」にある「施行日」欄より神戸市の区
「市区町村プロフィール」にある「施行日」についてのそれぞれの見解が話題になっていますが、小生もこのページの存在を知った3年前より気になっていることがあります。

それは地元神戸市の区の「施行日欄」にある日付ですが、ここに問題の箇所を引用すると

兵庫区1931.9.1
長田区1931.9.1
となっています。
これは、はっきり言ってしまえば「間違い」です。

神戸市に区政が実施され、当時の市域に区を設けたのは1931(昭和6)年9月1日ですが、当時の区は東から順に、灘区、葺合区、神戸区、湊東区、湊区、湊西区、林田区、須磨区の8区です。

つまり、この時点では兵庫区も長田区も存在していません。

神戸市に兵庫区が出来たのは、1933(昭和8)年1月1日。これは、当時の湊西区を単純に改名しただけでした。
一方、長田区の成立は1945(昭和20)年5月1日。林田区の大部分(一部が兵庫区と須磨区に移管)と須磨区の一部(おおよそ旧西代村の範囲)を合せての誕生でした。

但し、この「間違い」に気付きながらも、敢えて今日まで黙殺していたのは、小生なりに作成者であるグリグリさんの見解を尊重したからに他なりません。

つまり、グリグリさんほどしっかりとした考察をお持ちのお方が、敢えてこのような「間違い」を犯したのではなく、現在ある兵庫区と長田区の基となる行政組織は、1931年9月1日にそれぞれ湊西区と林田区という形で存在したとご理解なされた上で、両区の「施行日」欄に1931.9.1と打ったのだと小生は感じたからです。

ホームページの運営、特にデータを網羅的に並べるのには、データを解釈する上で、管理人の統一された見解というものが不可欠だと思います。
一方で、市町村制度が始まって以来、明治から平成の今日まで全国津々浦々で行われた合併などの行政組織の再編は、それぞれ複雑な地元の諸事情が絡み合い、それらを個人ホームページのデータに反映するには、実際問題として不可能です。
例えば、クリちゃんさんから[42876]にて静岡市の場合についての疑問を提示されていますが、ではIssieさんよりご紹介のあった[1346]姫路の場合、1946年に周辺の飾磨市・広畑町・網干町・大津村・勝原村・余部村・白浜町と対等合併した旧・姫路市の場合も施行日が1889.4.1では「間違い」となります。

このようなケースは静岡と姫路の場合だけではなく、それこそ全国各地にあります。
それを全国の行政組織の施行日データを網羅する際に、「間違い」なく反映出来るかと問えば、先ほど「実際問題として不可能です」と申し上げましたが、仮に出来るとしても、検証作業だけでも膨大となり、また解釈の尺度を考えても各地の複雑な事象を、A市の場合は「吸収合併」、B市の場合は「対等合併」などと個人の立場で判断せざるを得ず、実際問題として小生はそこまで管理人さんに負担を掛けるべきではないと考えます。

本当に好きでなければ出来ないでしょうが、全国の諸データを網羅するホームページの運営の難しさは、理屈抜きでやってみないと分からないですよ。
[42899] 2005年 7月 8日(金)02:16:30ニジェガロージェッツ さん
踏切レス
[42859][42882] 星野彼方 さん
田辺村踏切の位置の確認有難うございます。

拙稿[42841]にある
明治18(1885)年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、東海道本線の北に位置する田辺村集落より南へ伸びるかなりはっきりとした街路が、東海道本線を横切っています。
という箇所と、お教え頂いた踏切の位置を住吉川との距離で比べたところ、ほぼ一致しました。

[42855] 2005 年 7 月 6 日 (水) 12:59:05 たもっち さん
田辺村の中心部へ向かう道との交点だから田辺村踏切というのだと考えれば、これ以上ない明快な説明になると思います。
との仮説が、裏付けられた格好ですね。


[42883] 小松原ラガー さん
ただそこから先は三宮はおろか恐らく鷹取~須磨間(須磨駅の手前)までなかったかと思います。
JR線で三ノ宮以西で初めての踏切、言い換えれば(和田岬線を除く)山陽本線最東の踏切は、 鷹取~須磨間のほぼ中間、須磨区松風町にあります。地図上で松風町4丁目と5丁目の境にあるここだと思います。(近いうちに現地確認しておきます)

東西に細長い神戸の旧市街地を貫く東海道・山陽本線には、もともと至る所に踏切があり、事故も日常茶飯事だったと聞きます。神戸市民の悲願だった高架工事は大正15年8月に始まり、東海道本線灘駅から山陽本線鷹取駅までの高架が完成したのは昭和6年10月のことで、ようやく当時の神戸市街地部分から踏切が無くなりました。余談ですが、高架化以前の三ノ宮駅は現在の元町駅のところにありました。

#小松原ラガーさん、星野彼方さんと「神戸組」が増えましたね。喜ばしい限りです。これからも宜しくお願い致します。
遅くなりましたがご挨拶まで。
[42841] 2005年 7月 6日(水)00:01:29【1】ニジェガロージェッツ さん
東灘区本山町田辺
[42833] たもっち さん
神戸市東灘区本山にあった田辺村についてですが、明治22(1889)年まで存在した村名です。
東灘区役所が昭和51年に発行した「東灘区25年」という冊子によれば、昭和46(1971)年6月1日と昭和48(1973)年6月1日に田辺の市街地部分に新住居表示が実施され、現在「本山町田辺」という地名は山域のみに残存していますが、もともとは現在の本山中町4丁目、本山北町3丁目と6丁目、岡本1丁目と5丁目のそれぞれ各一部に跨っていました。丁度、JR摂津本山駅、阪急岡本駅の東側に隣接する南北に細長い地域です。
市町村制度が始まった明治22年に周辺の田中、野寄、岡本、小路、北畑、中野、森を合せた8か村で菟原郡本山村を形成し、明治29(1896)年の菟原郡廃止で武庫郡本山村となり、昭和25(1950)年10月の本山・本庄2村の東灘区編入まで「本山村大字田辺」でした。

JR神戸線田辺村踏切
東海道本線の大阪―神戸間の旅客営業運転開始が明治7(1874)年のことで、まぎれもなく「田辺村」を鉄道が走っていました。
当時この場所での踏切の有無は存じませんが、明治18(1885)年測量の2万分の1仮製地形図の復刻版を見ると、東海道本線の北に位置する田辺村集落より南へ伸びるかなりはっきりとした街路が、東海道本線を横切っています。
おそらくその名残が今でも踏切名として残っているのでしょう。

本題から逸れますが、本山町田辺の国勢調査人口データを提示しておきます。
言うまでもありませんが、1975年以降は人口が激減しているのは、新住居表示実施に伴い市街地部分が除外されたためです。
世帯数人口
19504461,934
19554571,941
19605552,187
19655762,087
19706282,024
19751336
19801762
19851965
19901760
19952173
20002163

【訂正】人口データを追加
[42682] 2005年 6月 30日(木)01:07:37ニジェガロージェッツ さん
非常にどうでも良い地名推理
[42667] 白桃さん 備中高松と四国高松
[42673] 打吹さん 仙台と川内

地名を利用した面白いトラベルミステリーのお話、有難うございます。
私が印象に残っている・・というか忘れられないものに、テレビドラマの「十津川警部シリーズ」の一つ、「シベリア鉄道殺人事件」があります。
東京・新宿での殺人事件の背景に、日本の商社の裏組織が関与するロシアの核兵器技術の中東某国への密輸計画があるとにらんだ十津川警部は、組織を追ってウラジオストク発のシベリア鉄道に乗り、沿線各地で様々な攻防を繰り広げ、ロシア人核技術者グループの密出国を阻止しようとする物語でした。

西村京太郎氏の原作では、物語が完結するのは旧ソ連・ポーランド国境にあるベラルーシのブレスト駅でしたが、テレビドラマでは、ソ連解体と時代の変化もあって、結末のロケーションが全く異なっていました。

テレビ版では、犯行グループは偽造パスポートでモスクワ近郊の目立たない空港から第三国に出国するものと断定し、犯行グループの一人に揺さぶりを掛けてその出国日時を聞き出そうとしたところ、事前に裏切りを察知したロシアン・マフィアに狙撃されて、ターゲットは「22日2時に・・・」とだけ言い残して絶命。

しかし、2時に出国する飛行機はどこにも無く、時間が解っていながらも場所が特定できずに苛立つ捜査陣は、やがてターゲットが言い残したのは「22日2時に・・・」ではなく、「22日、ニジニ・・・」言ったのではと気付き、犯行グループが全員、ニジニ・ノヴゴロドの飛行場で御用となる結末でした。
[42057] 2005年 6月 8日(水)00:11:00【1】ニジェガロージェッツ さん
裏富士、裏六甲、子供
「裏日本」という呼称についての見解が話題になっていますが、YSKさんが[42038]にて主張された一般論
(1)「裏日本」はマイナーな地域ではないのはもちろんのこと、そもそもマイナスイメージによって命名されたものではないこと。
(2)「裏」ということば自体がそもそもマイナスイメージを内包するものではなかったこと。
に賛同します。

この議論から思い出したことがひとつ。

[27622]愛比売命 さん
富士山なども気になるところですって書いたら、山梨の人に怒られそうですが。「甲斐から見る富士山が一番だ」と、某大河ドラマでも出たような気がします。

はい、間違いなく出ていました。
1988年放送のNHK大河ドラマ「武田信玄」でのひとコマでした。
今川義元治下の駿河国にて、今川義元、北条氏康、武田信玄が会合し、「三国同盟」が結ばれる場面でしたが、駿河からの富士の眺めを自慢する義元に対し、氏康は「近すぎていかん」と言い、更に義元が信玄に対して、「甲斐から眺める裏富士もさぞ美しかろう・・・」などと話題を振ったところ、
「わが甲斐では誰一人として『裏富士』などと呼ぶものは居らん。それもそのはず、駿河から見る富士は尻丸出しでござる。」
と言って反論し、一同大笑いとなるシーンでした。

これは、おそらく現代の感覚で「裏」がマイナスのイメージを前提としての脚本でしょうか。


ところで、[27622]愛比売命さんの記事にもありますが、神戸の六甲山では南斜面(神戸市街地側斜面)を「表六甲」、北斜面(北区側斜面)を「裏六甲」と呼んでいます。
実際に六甲有料道路にて、「表六甲ドライブウエイ」「裏六甲ドライブウエイ」が存在します。もちろん、この場合「裏」にネガティブな意味合いは全くありません。
但し、私見ながらこの「裏六甲」については、六甲山域の範囲で呼ばれていることで、それ以外の、例えば北区の住宅地について「裏六甲に住んでいる」とは一般には言われていないと思います。

[31428]みやこ♂[みやこ] さん
兵庫県 地獄谷 じごくだに 「裏六甲」でいいのかしらん?
はい、まさしく裏六甲です。上級者向けコースですが、地獄谷西尾根、地獄谷(沢登り)、地獄谷東尾根ともにハイキングコースです。小生も学生時代(20年以上前)にはよく歩いたコースです。


[42053]愛比売命 さん
あからさまに差別を助長することや誰が見ても卑猥な言葉などは絶対にしてはいけませんが、それに少しでもつながる可能性のある言葉までもを「全否定」って、なんだか腫れ物でも触るかのようで味気ないですね。この過剰なバッシングのおかげで、話せる語彙が少なくなって、日本語が薄っぺらな言葉になってしまわないか心配です。

全く同感です。
極端な例に当たるかも知れませんが、「子供」という表記さえ、差別的な表現として教育現場では用いることが問題視されるようです。
「子供」の「供」の字は、「お供」の字で、神仏のお供えや大人の付属物のような印象を与えることから、子供への人権侵害にあたるという解釈から、「子ども」と表記することが望ましいのだそうです。
しかし、これこそ的外れな解釈で、「子ども」という訳のわからないかな混じり表記の強制こそ「過剰なバッシング」以外の何物でもないと思います。
#「供」の字は小学校の高学年で習う漢字だそうで、この字を習うまでは「子ども」と書かざるを得ないのは仕方ないことかもしれませんが・・・。


【記事訂正】
記事検索すると「子ども」と表記されている皆様が意外に多く、「落書き帳」にて無用の議論を起こすことを避けるため、一部文章を変更しました。
[41818] 2005年 6月 1日(水)23:32:18ニジェガロージェッツ さん
旧淡路町の飛び地と再合併
[41812] ケン(地理好き) さん
昭和の大合併により一度は一緒になり、後に分町し、平成の大合併で再度合流した例として、兵庫県には淡路市の例があります。

[5211]拙稿、[39331]逆太郎 さん、[39392]EMMさんからの記事に、旧淡路町からの東浦町の分町に際し生じた淡路町の飛び地問題も含めて詳述されています。ご参考まで。

ところで、旧飛び地の郵便番号は

大字本体(東浦町)飛び地(淡路町)現在(淡路市)
釜口656-2334656-2371656-2334
仮屋656-2331656-2361656-2331
楠本656-2301656-2341656-2301
久留麻656-2311656-2351656-2311

となっていました。旧淡路町は656-2400がベース、旧東浦町656-2300がベースとなっていたので、東浦町内に点在した飛び地はいずれも東浦町の656-23ですが、末尾二桁で本体と区別されていたのが興味深いところです。
再合併による淡路市(旧淡路、東浦、津名、一宮、北淡の5町)の成立により飛び地は解消され、結果旧飛び地の郵便番号も無くなったようです。
[41681] 2005年 5月 28日(土)11:05:48ニジェガロージェッツ さん
Re:遠距離恋愛の経験もありますが
[41674] いっちゃん さん
ちなみにタイトルの距離は直線で約885キロでした。
この計測は、市役所経度緯度情報 都市間直線距離・方位角自動計算 いちごねっとを利用しました。結構面白いですよ。

これは結構使えます! 面白い情報ありがとうございました。

注意として、「北緯東経地域に使用できます 楕円回転体定義を除いた都市間の直線距離計算です」とありますが、この計算法は、地球を全周40000キロの球体として仮定しているようですね。(地球の裏側との距離を測ると計算結果が20000キロと出ました)
実際の地球では赤道の全周が40075.161キロ、子午線の全周が40008.006キロですから、地球の裏側との距離を計測したとしても、この程度であれば誤差の範囲でしょう。
なお、南緯や西経の地域でも、マイナスで入力すると計算可能のようです。

ちなみに小生のタイトルの距離は直線で約6932キロでした。
[41649] 2005年 5月 27日(金)01:43:41ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎、再び
[41633] hmt さん
岡山県が、漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から取揚島を除外させた
という趣旨の記事は、既に県境の島であった取揚島の「岡山県部分」に関することです。

拙稿[41400]への詳細かつ丁寧なフォロー有難うございます。
少々言葉足らずで、でるでるさん[41610]に若干の誤解を生じたかも知れなかったのですが、仰るとおり、昭和38年の岡山県日生町福浦地区の兵庫県移管に際して取揚島が除外されたのは、島の「岡山県部分」に関してのことを述べたに過ぎません。

[41400]のタイトルに「取揚島の謎」とした「謎」については、そもそもこの島に「兵庫県部分」が存在するか否かの1点に尽きます。
もともと、播磨・備前2国の海上の境界として、本土側の岬である綱崎突端(福浦地区東端)と取揚島とが目印にされていたのは容易に想像がつきます。そして両国の国境がそのまま兵庫・岡山2県の県境として引き継がれた・・・。
この島が県境である以上、島は両県により折半されたと見るのがごく自然ですが、果たして如何なのか?
仮に海上の境界線は取揚島の中心線を通るとしても、島そのものは面積0.01km2の無人島です。
このような「境界石」としての目印以外の役割がありそうも無い島を、敢えて両国(両県)で折半する必要が生じたのか否か。
もしかしたら、県境上の島として地図上でもそのように描かれているのだけれども、島そのものの帰属は岡山県として認識されていたのかも知れない。

そこで気になるのが、第四管区海上保安本部の一覧表にて2県にまたがる島に数えられなかったことや、角川書店「日本地名大辞典」の兵庫県版(地名編、地誌編)に取揚島に関する記事が無いことです。
海上保安本部の一覧表からこの島が欠落しているのについては、小生もhmtさんと同じく、単なる数え落しだとも感じましたが、「日本地名大辞典」の岡山県版のみに記載があることが興味深いところです。
実は小生も同様の角川書店「兵庫県地名大辞典」を持っています。「落書き帳」に兵庫県についての記事を投稿する際には、必ず裏づけのためにこれを参照しています。
(#冷蔵庫の裏に子猫が入らないように障害物としてのみ、この分厚い大辞典を利用している訳ではありません・・・笑)
[41400]を投稿した際に調べましたが、やはりこれにも取揚島に関する記事が無く、この島に「兵庫県部分」の存在の確証が得られなかったものですから、「兵庫県部分」をぼかした記事として投稿しました。

角川:日本地名大辞典の岡山県を見ると、(中略)地誌編には、行政区域としての岡山県日生町福浦が、“兵庫県赤穂市の南方海上にある取揚島の一部に残り、県境をなす。”と記されて

はっきりと「一部」と書かれているところから見ると、「兵庫県部分」の存在が疑うべくも無いようですが・・・。
[41400] 2005年 5月 20日(金)01:50:50ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎
[41370] hmt さん
表自体に含まれていない赤穂付近の「取揚島」(兵庫・岡山県境)を含めて、「2県にまたがる島」は8つということになります。

[15470] KMKZ さん
取揚島は、兵庫・岡山の県境になりますから、海上保安庁の島の一覧表で、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっているのは記載漏れでしょうか。これでは7島という数も信用していいのか悩みます。本当は6島しかないのかも。

[41356]でるでるさんよりアナウンスのありました、地名コレクション「2県にまたがる島」拝見致しました。
兵庫県赤穂市の沖合いに浮かぶ小さな無人島「取揚島」ですが、地図上では確かに兵庫・岡山県境が赤穂市福浦地区の海面で大きく東に迫り出し、取揚島を分断しており、「2県にまたがる島」と言えます。
このことは、でるでるさんが[15406]にて『日本の島ガイド~シマダス』(財)日本離島センター刊、より調べられた結果にも反映されています。
一方で、KMKZさんが[15470]にて海上保安庁の島の一覧表より調べられた結果、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっていることについては、この島が岡山県にのみ属していると解釈できます。

この島はもともと岡山県に属していた福浦地区のもので、この地区(旧・岡山県和気郡福河村)が一旦は1955年に岡山県日生町に編入されたものの、生活圏の関係から、後の1963年に兵庫県赤穂市に編入された際に、その編入区域からは除外されています

原因は、この地区の兵庫県への越境編入を岡山県側が容易には認めず、結果的には陸上部分は渋々兵庫県への移管に同意するものの、漁業権の絡む海上部分の移管は頑として認めず、兵庫県側がそれで妥協したことによるものです。

このことは、2002年10月に奈良県桜井市での第3回市町村合併講演会「兵庫県の事例に見る市町村合併の課題」にて、「昭和の大合併の遺恨」として、詳しく経緯が述べられています。
これによれば、このイレギュラーな妥協の結果、取揚島の鼻先に赤穂火力発電所を建設した際、その排水を目の前の海に流せず、わざわざ6キロも先までパイプラインを敷設して、赤穂御崎の東まで迂回した排水設備を造るなどの苦労話として語られています。


【追記】でるでるさんへ
Поздравляю Дэрудэру-сан с 28-ым днём рождения !!!
[41231] 2005年 5月 16日(月)01:09:16ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮です
[40391] 太白 さん
[40341] 愛比売命さん発掘の神戸市北区山田町下谷上の西端に点在する、須磨区白川の飛び地群について
これは、[19771] ニジェガロージェッツ さんが
地元の詳細図ぐらいしか図示している地図を存知ません。
とされていた飛び地ですね
はい、間違いなくそれです。
この地域はもともとが山林地帯ですが、谷間に点在する耕作地が須磨区白川の集落住民の土地だからということで、須磨区白川の一部としたようです。愛比売命さん発掘の地図と比べて80年代に見た「地元の詳細図」には、さらに多くの細かな飛び地が点在していた記憶があります。当時はハイキング好きの小生も白川から北区藍那へ抜けるコースとして良く歩いたものです。
現在では阪神高速7号北神戸線が走り、付近の環境は一変していますが、飛び地(耕作地)の大部分は健在だと思います。


[40441] 白桃 さん
国勢調査人口学部 ふぁいん博士 東京都豊島区 ニジェガロージェッツ客員教授特講あり
ぎゃ!御指名が。以前に[20184]で「国務大臣(大規模災害等担当)」に指名されて以来ですが、今度は国勢調査人口学部ですか。
小生がこだわっている国勢調査とは、2002年10月9日に某国で行われたものです。その様なものであれば何時でも東京都豊島区まで出向きたいのはやまやまなのですが、あいにく慢性的に貧乏で、神戸市長田区からの交通費の支給お願い出来ますでしょうか?
恐らく、そのような経費は出ないと推測します故、参考資料として都市人口ランキングと、行政区画別人口をお送りしますので、あとは学部で適当にやって下さい。(笑)


[41200] YSK さん
2003年の両毛オフ会時に、古河にちょっと入ったときのことですね。
あの時はお世話になりました。拙稿[41184]にて茨城県にかすったことだけを「感謝!」と書きましたが、それまで空白県だった群馬県に宿泊したのも、足尾町をはじめ栃木県を歩いたのも、みなYSKさんのご案内の下でした。
多謝!
#ところで、あの時写した写真フィルムはまだカメラの中です。そろそろ現像しないと色褪せそう(汗)


[41218] hmt さん
この記事を見て、約10年間東京府民であったことを思い出しました。
そこで、[41180]を、“東京都(東京府)”と修正いたします(笑)。
やはりそうでしたか!
いつも深い歴史考察とご体験に裏づけされたのhmtさんの記事の数々、楽しみに拝読しております。
特に大東京についての貴稿は、以前に「落書き帳」のとあるメンバーより頂戴した「東京都35区区分地図帳」と見比べながら楽しんでおりました。
小生も戦前の神戸など、昔の都市景観について興味があるのですが、所詮知識としての戦前でしかありません。
知識の乏しい小生からレスをお付けすることは畏れ多くて出来ないとは思いますが、それでも、またの拝読の機会を楽しみにしております。
[41191] 2005年 5月 14日(土)23:04:10ニジェガロージェッツ さん
じゃごたろさんへ
じゃごたろさん、貴殿への初めて(恐らく?)のレスにて訂正依頼で恐縮ですが

[41124] じゃごたろ さん
※ がんす横丁ままさん[41136]、更級14さん[41146]、紅葉橋瑤知朗[41152]、音無鈴鹿さん[41165]さん、中島悟さん[41174]、たもっちさん[41177]、てへへさん[41178]、hmtさん[41180]、ニジェガロージェッツさん[41184]の修正済み。

早速の修正ご苦労様です。
但し、小生の項目が155点 (1,31,8,0,2,4)とありますが、これは修正前の拙稿[41184]にて、愛知県が「泊った」と「歩いた」の双方に重複していたのを受けて再計算して頂いたようですが、愛知県への宿泊経験はなく、京都府の間違いでした。申し訳ありません。
正しくは158点(1,31,9,0,2,4)です。
[41184] 2005年 5月 14日(土)21:11:34【3】ニジェガロージェッツ さん
遅れ馳せながら経県値
2002年当時の過去ログ7300番台で、「行ったことがある都道府県の数」、続いて「宿泊経験のある都道府県の数」が話題になった際、小生も詳細レスしたのですが、思うに詳細過ぎたために個人情報の公開に繋がってしまったのではないかと感じ、その後もどうしても気になって、今年になってから、もう時効だからいいかと、グリグリさんに当該拙稿を削除をお煩わせした経緯がありました。
経県値という話題の中で、同様のレスについては、実のところ他人のを見ているだけで自らの公表をためらっていました。

しかし、ここに来て予想以上に多くのメンバーが積極的に経県値を公表される中、ひとり意地を張って話題の中に入らないのもメンバーとして大人げがないようにも感じるようになり、お遊びのひとつと割り切るのであれば問題はないとの結論から、遅れ馳せながら経県値なるものの算出をしてみました。

◎ 住んだ・・兵庫
○ 泊った・・北海道、青森、秋田、山形、群馬、埼玉、千葉、東京、長野、石川、富山、福井、岐阜、京都、三重、和歌山、大阪、岡山、鳥取、島根、広島、山口、香川、高知、愛媛、福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎
● 歩いた・・・ 岩手、宮城、栃木、神奈川、新潟、愛知、滋賀、奈良、徳島
△ 降りた・・・ 「降りただけ」というのは該当なし
▲ 通過した・・・ 静岡、茨城(YSKさんに感謝!)
× かすったことも無い・・・ 福島、山梨、鹿児島、沖縄

以上、5×1 + 4×31 + 3×9 + 2×0 + 1×2 = 158点でした。

ところで採点方法については色々と議論あるようですが、小生もこの採点方法がシンプルで宜しいと考えます。
但し、別の見地から敢えて提案をいくつか述べさせていただければ、

【提案1】
現在のところ、理論上の最高点は 5×47=235点 となりますが、例えば戦前の樺太に住んだことのある方はどうなるのでしょうか?
そこで、旧大日本帝国をリアルタイムで経験したことのある人には、樺太庁や黄海道や新竹州や南洋庁など、当時の帝国行政区画をすべて含め、理論上の最高点を 5×71=355点 とする。但し、東京府と東京都は同一のものとして扱う。

#因みに小生は帝国の解体の十数年後に生まれているので、該当しません。

【提案2】
更に過去を遡り、明治時代をリアルタイムで経験した人には、廃藩置県後の一時期に存在した旧県も文字通り「経県」したと認める。
つまり現在では存在しない、堺県や筑摩県や根室県などの経県を認めるというものです。最高点は???

【提案3】
国境の概念を取り除き、他国の行政区画のうち、日本の都道府県に等しいと思われる州や道などをいちいち数える。これは各国の地方自治行政により、例えば中華人民共和国については、それを省単位にするか、省の下部組織にあたる県や地区にするかは難しいですが、遊びと割り切って省単位とする。

#因みに小生は
◎ 住んだ・・ニジニノヴゴロド州
○ 泊った・・サハリン州、ハバロフスク地方、沿海地方、イルクーツク州、タタルスタン共和国、サマーラ州、ヤロスラヴリ州、モスクワ市
△ 降りた・・モスクワ州
▲ 通過した・・ウラジーミル州、イヴァノヴォ州、チュヴァシ共和国、ウドムルト共和国、キーロフ州
が加わり、5×1 + 4×8 + 3×0 + 2×1 + 1×5 = 44点の加点となり、合計202点
[40497] 2005年 5月 2日(月)01:49:00ニジェガロージェッツ さん
スバールバル諸島
[40347] hmt さん
スバールバル諸島についての詳細レス有難うございます。本当に勉強になります。
また、スバルバール(スピッツベルゲン)旅行記のウエブサイトをお教え頂き感謝です。
拙稿[40324]にリンクした英文のページと同じウエブサイトでしたが、小生恥ずかしながら日本語がメインのサイトとは気付きませんでした。
作者はきちんと日の丸付で Japanese version と書いて下さっていたにも関わらずです。(滝汗)
ロシア語の検索サイトから辿り着いたので、日本発とは思いも寄りませんでした。話題になったドメイン国名コードからして[jp]にもかかわらず・・・です。

ところでこの旅行記にある、ロシア人居留地バレンツブルク訪問のコーナーに、1950~1990年にかけての現地説明パネルを紹介しておられるページがあるのですが、その中で「中央下部左の説明文」(港湾設備)にあるロシア文のみ邦訳されていませんが、こういうのを見ると訳したくなります。
以下に訳しておきます。

「鉱山は大陸との定期連絡航路を有しています。
航行は5月から10月(を含む)まで運行されています。1981年の航行の初めまでに貨物旅客用桟橋は改築されました。」

#本文で唯一不明なのが“С БОЛЬШОЙ ЗЕМЛЕЙ”の部分。一般に「СООБЩЕНИЕ С +名詞(地名)の造格形」で、「~との連絡」の意味になり、“БОЛЬШАЯ ЗЕМЛЯ”が文字どおり「ボリシャヤ ゼムリャ」という地名の可能性もありますが、小生個人の独断で「大陸」としましたことをお含み下さい。
また、本文には“ВКЛЮЧИТЕЛЬЮ”とありますが、これは“ВКЛЮЧИТЕЛЬНО”の間違いでしょう。
数や期間を示す語の後ろに置いて用いる副詞で、「~を含めて」という意味です。
[40324] 2005年 4月 27日(水)23:45:55ニジェガロージェッツ さん
スピッツ・ベルゲン島のロシア人居留地
[40317] hmtさん
スバールバル諸島は、これまで話題にした島々とは異なり、とても大きな島です。
(中略)
とはいうものの、かつて盛んだった炭鉱がさびれて、総人口は3000人を切っています。

sjドメインから、スバールバル諸島についてのご紹介、興味深く拝読しました。
ドメインネタとの関連はありませんが、ここはノルウェー領にもかかわらず、ロシアとの一種の共同統治領と化しているところがあります。
スバールバル諸島の主島、スピッツ・ベルゲンにあるバレンツブルクという炭鉱の街ですが、ここの住民の多くはロシア人です。
このことは、随分前のことですが日本のテレビでも紹介されており、ご記憶の方も居られると察します。北方領土問題に触れて、仮に主権を日本に返還しても、バレンツブルクをモデルに、街ごとロシア人の自治を認めてみてはどうかというテーマでの取材でした。

1990~98年のスバールバル人口統計によれば、1990年には全人口3,544人のうち、実に2,407人がロシア(ソ連)人が占めていました。
それが、1998年にはロシア人人口は半減し1,149人にまで減少し、それが島全体の人口減少に繋がっているようです。
[40321] 2005年 4月 27日(水)23:20:48ニジェガロージェッツ さん
感謝レス 2題
それぞれ別件ですが
[39681] ふぁいんさん、[40239] グリグリさん、[40282] hmtさん、 お喜びいただけて光栄です。

拙稿[40083]にて、古いメンバー紹介文をリンクしたのですが、今ではお目にかかれないメンバーの紹介もあったりして、ご都合が悪かったかも知れないと、若干ですが後で気になっていました。[40239]グリグリさんより、レスが頂けてホッとしているところです。(汗

ご紹介頂いた「都道府県のデータ」のリンク先に全国の市 人口ランキングというのがありますが、初めてこのサイトに出会ったときの感動が蘇ってきました。本当に懐かしいです。


[40278] なきらさん

小生のことまでご心配いただいて恐縮です。今では小生自身は全く乗る機会のない路線でしたので、無事です。
ただ、新卒の頃に勤めていた会社が国鉄伊丹駅のすぐ近くだったので、当時の同僚や知人が乗合わせていないのかが心配です。
小生がいた頃は、国鉄(当時)の福知山線は電化されておらず、北伊丹駅から通勤していた同僚は1時間に1本しか列車が運行していないなどと言って、退社時間を伊丹駅の時刻表に合わしていたように記憶しております。
それが今では数分に1本の割合で走行しているとか、詳しいことは解りませんが、無理があるのも当然のような気がしてなりません。
無念にも事故に犠牲になられました皆様に、深い哀悼の意を表したく存じます。
[40230] 2005年 4月 24日(日)15:29:28ニジェガロージェッツ さん
国名コード [su]
[40207] hmt さん
「su」を見ると、旧ソビエト連合(中略)
使い続けていれば、ソ連時代のドメインもまだ生き残っているのですかね。

結構お目にかかります。
例えば
ケメロヴォ州の公式サイト とか、
ノヴォシビルスク市の雇用センターのサイト
などがそれです。

変わったところでは、モスクワ州ドレズナ市のサイト は、[sk]となっており、何かな? と思えば、スロバキアの国名コード。
どうしてでしょうか??
[40083] 2005年 4月 19日(火)22:25:23ニジェガロージェッツ さん
祝☆ 40000書き込み突破
ついに「落書き帳」40000書き込み突破が現実のものとなりました。遅れ馳せながら謹んでお祝い申し上げます。

小生はと言えば、最近では拝読ばかりでご無沙汰をかさねております。その間、続々と個性豊かな新メンバーが加わり、更なる活況を呈している現状はご同慶の至りです。

続々と誕生するメンバーご紹介を、一流のペンさばきで2年近くも執筆されているまがみさんと太白さんのお二方には、ご紹介いただいた一人としても深く感謝申し上げます。既にUPされている方々の原稿まで、細かな更新を成されているご様子で、本当に頭が下がります。

地理ネタ以外で恐縮ですが、40000書き込みを節目に少し過去を振り返ると、このメンバー紹介という面白い企画が突如出現したのは、2002年10月27日[4187]のことです。
当初はオーナーグリグリさんによるメンバー紹介文でしたが、2003年1月20日より雑魚さんのご担当になり[7967]、その後、8月17日よりまがみさん[19093]のご執筆になり、更に11月3日より太白さん[21688]が加わり、現在に至っています。

新たにメンバーになられた皆様には、過去のグリグリさんや雑魚(後の深海魚)さんによるメンバー紹介はご覧になられなかったと思います。
それぞれ切り口が全く違い、今になって読み返すと結構面白いのですが、実はNPOによるWebアーカイブサイトには、過去の記録が残っていたりします。[19242]を見るとグリグリさんはこのサイトがあまりお好きではないようですが、過去のメンバー紹介文に興味のある人はご一読の程。

グリグリさん御執筆の紹介文 2002年12月1日現在

雑魚さん御執筆の紹介文 2003年4月12日現在
[39667] 2005年 4月 11日(月)22:48:19ニジェガロージェッツ さん
江戸期の国別人口
[39658] ふぁいん さん
この都市は昔はどうだったんだろうか?って更なる欲望が延々と駆り立てられるのです。
現在私は、明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口が一番知りたいのです・・・・

外国のサイトで有効数字100人単位ではありますが、世界各国の過去人口を扱っているPOPULATION STATISTICSというサイトがあります。
この中でJAPANの項目を見ると、過去の都市人口では、ごく一部ですが1872-明治5年、1877-明治10年のものがあります。
#ふぁいんさんは恐らくご存知かと推察するのですが、まだご存知でない人々には何かのご参考までに

個人的に興味深いのは、江戸期の国別人口
ここには、1721-享保6年、1846-弘化3年、1872-明治5年の3つの国別人口が出ています。
資料の信憑性については、私自身はこれを確かめるには至らないので、皆様の卓越した視点でご賢察頂ければと思いますが、面白いデータだと思います。
[37398] 2005年 2月 2日(水)22:13:38ニジェガロージェッツ さん
能美市とシェレホフ市は姉妹都市か?
昨日合併で誕生した石川県能美市についてですが、旧・根上町が1976年9月28日にロシア(当時はソ連)イルクーツク州シャレホフ市との間で調印された姉妹都市(ロシア語では“Города - побратимы”「兄弟都市」)がどうなったのか、実際に市役所に電話をかけて聴いてみました。
議会では能美市がシェレホフ市との姉妹都市関係を継続するとの決定がなされているとの由。但し、まだ両市の間での調印はなされていないとのことでした。

人口ではシェレホフ市が47,520人(2002年10月9日、全ロシア国勢調査により)に対し、旧根上町が15,845人(2004年10月1日推計)と約3分の1だったのが、能美市になると46,614人(同)とほぼ互角になります。
[36808] 2005年 1月 16日(日)21:55:04ニジェガロージェッツ さん
10年目の1・17を前に
地元で阪神淡路大震災に被災した一人として被災直後に写した写真を基に、今から2年前、再び復興途上にある神戸市長田区の新長田界隈を、同じカメラアングルで写して廻りました。
そのことを「震災から8年の神戸・新長田界隈」と題して4回に渡り、こちらの「落書き帳」に投稿させて頂きましたが、その後の2年の間に現地では再開発の進捗に伴い、街並みも変わってきました。
2年前の2003年初旬当時の街の様子は、現地をご案内する機会があった両毛人さんのwebサイトに詳しく紹介されています

その後2年間の再開発と復興による人口の変化については、今年の国勢調査を待たなければなりませんが、10年目の1・17を迎えるにあたり、一足早く住民基本台帳人口のデータをご紹介させて頂きます。
#1990年と1995年の人口データは国勢調査結果。以外のものは住民基本台帳人口(含、外国人登録人口)より算出。但し、国勢調査と住民基本台帳とでは人口の捉え方が違うため、単純比較は出来ませんが、人口の流れの様子は垣間見ることは出来ると考えます。
復興率%は
(最新2004年末人口-被災後1995年人口)÷(被災前1990年人口-被災後1995年人口)×100 
で計算しています。単純な人口データからのみの算出で、実際の復興状況とは異なります。

【新長田駅南地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7642]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計3,7971,6962,9563,53587.5
日吉町1~2丁目209155410417485.2
若松町3~4丁目56337743785142.2
若松町6~7丁目168843519-77.4
大橋町3~7丁目1,105741537735-1.6
腕塚町5~6丁目1351690703523.9
久保町5~6丁目6912398330514.6
二葉町5~6丁目92643945857127.1
2年前(2003年1月当時)と比べ、震災で全焼した大正筋商店街(腕塚、久保、二葉の各町5・6丁目)の再開発、復興に見られるように、国道2号線以南で再開発ビルの完成が成りました。
現在は、国道2号線北側の大橋町5~7丁目で再開発ビル群の新築工事が進められています。
若松町6~7丁目では人口が減り続けていますが、これは再開発の立ち退きによるもので、ここでは未だ再開発ビルの着工には至っていません。

【鷹取東地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7653]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計2,2744111,5851,59163.3
日吉町5~6丁目6758149150070.5
若松町10~11丁目65711649047366.0
大橋町10丁目122538110068.1
野田町4丁目23210412513927.3
海運町2~3丁目5885739837960.6
震災で一面が焼け野原となった地区ですが、2年前も時点で既に住宅の再建がほぼ建ち揃っており、その後は大きな変化はありません。この地区は土地区画整理による低層住宅の建設が主で、前出の「新長田駅南」の一部の町に見られるような、高層再開発ビルへの入居による劇的な人口増は見られません。

【新長田駅北地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7675]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計7,7573,1594,9885,67854.8
川西通1~5丁目1,15337962060228.8
細田町1~7丁目94247171570549.7
神楽町1~6丁目81841469270973.0
松野通1~4丁目1,6259019709466.2
水笠通1~6丁目2,0446021,1141,61370.1
御屋敷通1~2丁目48412639343486.0
御屋敷通4~6丁目69126648467896.9
2年前には空き地が目立っていた地区ですが、その後、土地区画の整備が成り、新築住宅が建設されつつあり、空き地も当時に比べると少なくなりました。それでもまだ、地区全体としては建ち揃っていません。

【御蔵菅原地区】 神戸市長田区 (関連過去記事[7803]
町名\人口・復興率1990.10.11995.10.12002.11.302004.12.31復興率
地区合計2,6107621,3391,37233.0
菅原通3~4丁目67018326326416.6
御蔵通3~4丁目69812828428828.1
菅原通5~7丁目41829229630711.9
御蔵通5~7丁目82415949651353.2
2年前の時点で建築を終えた所が多く、街の様子は見た目には大きな変化はありません。

取り敢えずの過去ログの補足を兼ねた現地からの報告ということで、長文書込み失礼しました。>グリグリさん
[35132] 2004年 11月 16日(火)22:17:25ニジェガロージェッツ さん
11月1日の神戸市の推計人口が震災前人口推計値を越える
拙稿[34879]の冒頭に若干触れておりましたが、11月1日の神戸市推計人口が震災前の推計人口最高値(1995年1月1日、1,520,365人)をはじめて上回りました。
1995年1月17日発生の震災により激減に見回れた神戸市人口が、推計人口で最低を記録したのが1996年4月1日の1,415,720人でした。
(1998年10月の被災地人口調査結果により、1995年10月の国勢調査人口まで遡っての修正値によれば同日の人口は1,423,096人ですが、この人口値も修正値の中では最低。なお本稿では、96年4月という時点が、前年の国勢調査に近いことから、修正前のデータで話を進めます。)
回復まで「10年はかかる話」と言われた神戸市人口は、予想通り9年10か月を要したことになります。

以下に区別人口データを提示します。

1995年1月1996年4月人口差2004年11月人口差(95.1との)人口差(96.4との)
東灘区191,716155,605-36,111203,55011,83447,945
灘区124,53895,253-29,285127,0392,50131,786
中央区111,195102,153-9,042114,7363,54112,583
兵庫区117,55897,313-20,245107,414-10,14410,101
長田区129,97893,413-36,565104,077-25,90110,664
須磨区188,949174,532-14,417172,115-16,834-2,417
(6区計)863,934718,269-145,665828,931-35,003110,662
垂水区237,735239,0311,296223,584-14,151-15,447
北区217,166232,24015,074225,6448,478-6,596
西区201,530226,18024,650242,42240,89216,242
(3区計)656,431697,45141,020691,65035,219-5,801
神戸市1,520,3651,415,720-104,6451,520,581216104,861

震災直前の95年1月と、震災後の96年4月推計人口を比べると、震災により六甲山脈南麓の旧市街地6区(東灘区から須磨区)では、合計145,665人の人口減を記録する一方、被害の比較的軽かった郊外3区では、仮設住宅の建設などにより41,020人の人口増となっており、神戸市域がはっきりと2分されることを示しています。
更に04年11月人口を見ると、その後の復興過程では、一様に被災した6区でも東部3区(東灘、灘、中央)で確実な復興を歩んでいる一方で、西部3区(兵庫、長田、須磨)では復興の遅れが人口データにはっきりと出てきました。
須磨区では96年4月人口より更に人口が減少していますが、これは被災した須磨区南部の本区での復興の遅れと共に、被災を免れた区北部の北須磨ニュータウンでの―言葉は悪いですが―「オールドタウン化」による人口流出の結果によるものです。
この「オールドタウン化」の現象は、垂水区、北区でも見られます。
復興の過程で、仮設住宅の解散撤去(1999年まで)により、西区や北区での人口減少要因はありましたが、新規開発による住宅建設が進む西区では、依然(衰えたとはいえ)人口増加が進んでいます。

なお、近年の神戸市の人口動向では、郊外住宅地での人口増加は低迷、または減少し転じ、特に垂水区や北須磨での人口減少が目立ちます。一方でマンション建設が好調な都心から東(東部3区)での人口増加が目立っています。
但し、市全体では自然増加および社会増加ともに縮小傾向にあり、近い将来、人口減少都市になるのではと思います。個人的には3~4年後の153万人~154万人あたりがピークではないかと感じています。

その後は(災害が無いにも拘らず人口144万人から13年間で131万人にまで減少した)ニジニノヴゴロド市と同じ道を辿りそうに思えてなりません。
[35082] 2004年 11月 14日(日)15:20:30ニジェガロージェッツ さん
記事訂正 アーカイブ「樺太(サハリン)・千島列島ATLAS」収録分
前稿[34902]での訂正箇所ユジノ=サハリンスク市の拡大(1995年)を中心としたもので、重複するテーマになりますが、元記事が別稿ということもあり、個別に訂正を出させて頂きます。

[2593] 【樺太の市町、戦後の推移】
ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は地図記号によればそれぞれ5千人以上の人口を有しているようですが、独立町ではなくユジノサハリンスク市に付随する町として、ユ市の人口に含まれていると考えられます。

補足: ノヴォアレクサンドロフスク町、ルコヴォエ町は1995年にユジノ=サハリンスク市に編入されました。

[2683] 【戦後、樺太・千島に成立した「市」】
レソゴルスク市については1990年代に一挙に「村」まで降格となり、レソゴルスコエと改称されています。

補足: ウグレゴルスク地区レソグルスク市の村組織「レソゴルスコエ村」への改組は1993年です。

[2714] 【樺太、千島、北方四島のロシアにおける行政区画】
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村のうち川上線沿線
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)豊北村(川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)、ベレズニャキ(富岡)

訂正:
1)ユジノサハリンスク市  人口187.0千人(都市人口181.9千人)
豊原市東部(鈴谷川より東)、川上村、豊北村
ユジノサハリンスク市(豊原)、シネゴルスク(川上)、ノヴォアレクサンドロフスク(小沼)、ルゴヴォエ(草野)、ベレズニャキ(富岡)

2)アニワ地区  人口15.6千人(都市人口8.6千人)  中心都市アニワ市
留多加郡、豊原市西部(鈴谷川より西、但し川上線沿線は除く)
アニワ市(留多加)、キリロヴォ(雨龍浜)

[10885] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 豊原支庁編】
(豊原郡豊北村の項目)
富岡 ベレズニャキ アニワ地区
深雪 スタロルースコエ アニワ地区

訂正:
富岡 ベレズニャキ ユジノ=サハリンスク市
深雪 スタロルースコエ ユジノ=サハリンスク市

[11247] 【国勢調査にみる樺太の人口推移 1920-1935 大字別人口 本斗支庁・真岡支庁編】
(本斗郡本斗町の項目)
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク市?

訂正:
阿幸 ヤスノモルスキー ネヴェリスク地区

#なお拙ホームページにサハリン州の都市人口データおよび2002年全露国勢調査によるサハリン州の行政区画別人口を設けておりますので、ご興味をお持ちの方はご参照いただければ幸いです。
[34902] 2004年 11月 7日(日)17:03:19ニジェガロージェッツ さん
記事訂正 アーカイブ「ロシア極東地方ATLAS」収録分
拙稿[33555]にて触れておりましたが、アーカイブに採用していただいた記事のうち、当時は資料不足から憶測で書いていた部分の中で、修正の必要のある箇所の訂正を順次させて頂きたく存じます。
(アーカイブに採用されていない過去ログに埋もれている拙稿の修正については、申し訳ありませんが略させて頂きます)

訂正箇所の多くは、都市(ロシアでは市および町-都市型集落)を地図上から拾う作業にて、地図上に明記されているものの都市人口データのない都市集落について、村行政組織への改組(「村への降格」では、言葉が不適切)によるものか、単なるデータ漏れによるものかの判断が付かず、表に列挙したことによるものでしたが、今では詳細が解りましたので、訂正させて頂きます。

[8619] 【日本海の対岸 ロシア・沿海地方 】
ボリショイ・カーメニ市 1992年(市制施行年)
訂正: ボリショイ・カーメニ市 1989年(市制施行年)

[8720] 【日本の2倍の広さ ロシア・ハバロフスク地方】
都市・集落 7市、28町
訂正: 都市・集落 7市、24町
次の4町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。(括弧内)は改組年。
ヴェルフネブレインスキー地区スレードヌイ・ウルガル町、ソグダ町、 コムソモリスク地区ピヴァニ町(1996年)
アムールスク地区ボロニ町(1999年)

[9125] 【日本と同じ面積に北九州市の人口が住む アムール州】
都市・集落 9市、27町
訂正: 都市・集落 9市、24町(2000年1月1日現在)

次の3町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。
トゥインダ地区ソロヴィヨフスク町、十月地区ヴァルヴァロフカ町(1996年)
マザノフスキー地区マイスキー町(1997年)

*更に2001年には、スコヴォロジノ地区タフタムィグダ町、ネヴェル町、タルダン町が村組織に改組され、2002年10月国勢調査時点では、アムール州の都市数は9市21町となっています。

[9178] 【樺太・千島・北方四島を含む サハリン州】
1990年代中頃までウグレゴルスク地区にレソゴルスク市(旧・名好町北名好、1947年市制。1992年人口1,400人)が存在していましたが、現在は「レソゴルスコエ村」に格下げされています。
補足: ウグレゴルスク地区レソグルスク市の村組織「レソゴルスコエ村」への改組は1993年です。

ユジノサハリンスク市の北にルゴヴォエ町(旧・豊北村草野)、ノヴォアレクサンドロフスク町(旧・豊北村小沼)が、ネヴェリスク市の北にヤスノモルスキー町(旧・本斗町阿幸)の3町が確認できますが、州の公表する30町には見当たらず人口データもないため、それぞれ両市域の一部に含まれると推測します。
訂正: アニワ地区ルゴヴォエ町、ノヴォアレクサンドロフスク町は1995年にユジノサハリンスク市に編入されました。また、ネヴェリスク地区ヤスノモルスキー町は、1998年に村組織に改組されました。

[9299] 【秘密のベールに包まれていた カムチャツカ州】
都市・集落 4市、9町
訂正: 都市・集落 4市、8町(2000年1月1日現在、コリャーク自治管区を含む)
ミリコヴォ地区アトラソヴォ町は1997年に村組織に改組されました。
*更に2000年には、ペトロパヴロフスク=カムチャツキー市行政区内のモホヴァヤ町が廃止され、2002年10月国勢調査時点では、カムチャツカ州の都市数は4市7町となっています。

[9430] 【恐怖の収容所街道「コリマ」 マガダン州】
都市・集落 2市、31町
訂正: 都市・集落 2市、28町
次の3町は2000年1月時点では村組織に改組されていました。
ハスィンスキー地区ミャキト町(1994年)
ススマン地区ネクシカン町、ブルカンジヤ町(1997年)

なお、拙稿[9430]では、マガダン州の行政区画を6地区(ラヨン)+3地区(オークルク)としており、これについて憶測で若干補足説明を加えておりますが、2002年10月国勢調査では同州の行政区画は8地区(ラヨン)およびマガダン市となっています。
これについての沿革は1999年までは、「8地区(ラヨン)およびマガダン市」であったものの、2000年にオラ地区、及びハスィンスキー地区が廃止され、それに代わりマガダン市を拡大しアラミル、オラ、ハスィンスキーの3地区(オークルク)が創設されたものの、2002年にはこのマガダン市3地区(オークルク)が廃止され、元のオラ地区、ハスィンスキー地区(ラヨン)を復活させています。
#何とも結果的に無意味な行政区画変遷

[9493] 【ロシア最東端 チュコト自治管区】
都市・集落 3市、15町
訂正: 都市・集落 3市、14町(2000年1月1日現在)
アナディリ地区マルコヴォ町は1998年に村組織に改組されていました。

*更に、ベリンゴフスキー地区ナゴールヌイ町は2000年に隣接するベリンゴフスキー町に編入され、2002年10月国勢調査時点では、チュコト自治管区の都市数は3市13町となっています。

[9740] 【ロシア最大のサハ共和国 (1)】
都市・集落 13市、65町
訂正: 都市・集落 13市、60町(2000年1月1日現在)
[9741]の町一覧のうち、次の5町は2000年1月時点では村組織に改組または廃止されていました。
ヤナ川口地区クラル町、ヴラソヴォ町、テンケリ町(1998年廃止)
ブルンスキー地区ブイコフスキー町、ハンガラススキー地区ベスチャフ町(1999年村組織に改組)

*更に2001年には、アルダン地区チャグダ町、オイミャコン地区サルィラフ町、オリチャン町が村組織に改組、ヴェルホヤンスク地区ラゾ町およびアルダン地区カンクンスキー町が廃止され、2002年10月国勢調査時点では、サハ共和国の都市数は13市55町となっています。
[34879] 2004年 11月 7日(日)00:28:53ニジェガロージェッツ さん
地図を描く楽しさ
昨日の産経新聞によると、11月1日の神戸市推計人口が震災直前の最高値である1995年1月1日推計、1,520,365人を初めて200人ほど上回る見通しだとか。約10年で、ようやく震災前人口を回復した形になりました。
とはいえ、現神戸市民の4人に1人は、震災後に生まれた子供達や、被災地外からの転入による、「神戸の震災を知らない神戸市民」という結果も出ているそうです。

[34857] M.K. さん
1ピクセルずつの作業だったですか! どうりで、細部にまでこだわりの美しさが行き渡っているはずです。冗談ごとではなく、なんだか涙が出てきそうです。

勿体無いお言葉、身が縮む思いです。1ピクセルずつの作業といっても、海岸線と州界線だけの地図で、大したことはないのですが、その後、同じ要領で今の2倍の縮尺のロシア地図を東西2面で作成を始めましたが、これが結構辛気臭い作業で、なかなか捗りません。
今年春頃に東端のカムチャツカから初めて、今はまだイルクーツク辺りをごちゃごちゃやっています。
メインテーマの人口データ整理の合間の作業とはいえ、これではいつ完成することやら、先は長いです。

[34794]でGさんが紹介下さっている、稚拙さんの図解!市町村合併も、見ていて解り易くて飽きが来ない大作ですね。

趣味の地図造り、孤独で辛気臭い作業ですが、(本職の軒下提灯さんには遠く及びませんが)出来上がったときの達成感は何とも言えません。
[34818] 2004年 11月 4日(木)23:59:59【1】ニジェガロージェッツ さん
レス2題 (久しぶりのアーカイブ推奨、斉斉哈爾)
両毛人さんがアーカイブにお纏めになった、むじながいりさん、M.K.さん御作成の秀作地図の数々、早速推奨させて頂きました。
私もロシア連邦の地図を1ピクセルずつ打って作成した経緯があるだけに、両先生のご苦労が解ります。本当に面白い貴重な地図の数々、有難うございます。これからも勉強させて頂きます。

[34786]般若堂そんぴん さん
ウェード式ローマ字とキリル文字表記との対応が記してあります.それによれば「…n」は「…нь」,「…ng」は「…н」です.

レス有難うございます。
道理で中国の都市で「…нь」で終わる都市名が多いとおもっていました。これで納得しました。

おや?……と思ったのが斉斉哈爾です.ピンインでは Qiqiha'er(通常は Qiqihar)チチハルですが,キリル文字では Чицикар チツィカル(?).漢民族の言葉ではなく満州語由来なのでしょうね.

斉斉哈爾について、ЧицикарをЯndexで検索しましたが、ヒットしませんでした。改めてソ連製の世界地図帳で見ると、Цицикар と表記されていました。
ロシア語の発音辞典にも載っており、それによると「ツィツィカーる」(「る」は巻き舌音)と書かれていました。
このあたりのぶれは、結局ロシア文字では正確に原音を再現できない事を物語っているのでしょうね。
[34769] 2004年 11月 3日(水)17:18:41ニジェガロージェッツ さん
お詫び
オーナーグリグリさんの[34745]記事削除について、掲示板オーナーからのちょっとした対応への疑問から出した拙稿[34746]がもとで、結果的に掲示板の雰囲気を乱したことを率直にお詫び申し上げます。

[34764]軒下提灯さん、[34765]般若堂そんぴんさん、お気遣い有難うごさいました。また、あんどれさんにも無内容な個人攻撃の書き込みがあり、お気分害されたことと察します。

一連の騒動は、事情を知らずに書き込んだ拙稿[34746]が元になったことは否めません。
私としてはこれら拙稿を自己削除する意思はありませんが、オーナーとして、グリグリさんが削除妥当とご判断されるのであれば、それでも結構でございます。

これ以上「板汚し」が続くのは本意ではありませんので、私からはこれで幕とさせて頂きたく思います。
お目汚し、失礼致しました。
[34767] 2004年 11月 3日(水)16:43:35ニジェガロージェッツ さん
日本地名のロシア語表記
[34742] 般若堂そんぴん さん
ロシア語のように「軟音」という要素が加わるとまた異なるようです

日本の地名や人名のような固有名詞で、例えば「新板橋」や「健一さん」の場合、それをそのままロシア文字に転字すると、
Синитабаси、Кэнити-сан、となりますが、これでは「シニタバシ」「ケニチさん」と読まれてしまいます。
ところがロシア文字33のうちには、ь は軟音記号(ミャーフキー・ズナーク)、ъ は硬音記号(トヴョールドゥイ・ズナーク) と呼ばれるもので、文字というより記号と言っても差し支えのないものが2文字あります。(よく似た文字なので、文字が小さいと区別がつき難く混同しそうですが、もしご興味ある方は、拙HPにロシア文字の一覧表を設けておりますので、ご参照下さい)
前者は子音を発音する際、舌の後部を上に持ち上げて発音するロシア語(だけではないかも知れませんが)独特のもので、日本語のカナ表記にする場合には「ィ」に近いことから、前の子音と合せて「キ、シ、チ、ニ、・・・」等と表記することが多いようです。
一方、硬音記号の ъ は、別名「分離記号」とも呼ばれるもので、子音の後に続く母音との間に挿入して、子音と母音が同時に発音されないことを表すものです。
このことから、「新板橋」を正確に表記するには、Синъитабаси 、また「健一さん」の場合はКэнъити-сан とすれば、「シンイタバシ」「ケンイチさん」と読んでくれる筈です。

ところで、話は変わりますが、「ン」が n か m かの議論がありますが、ロシア語の場合、ヘボン式と同じように、「しんこうべ(新神戸)」の「ん」と、「なんば(難波)」の「ん」は明確に н と м で区別されています。
新神戸の「ん」場合は、上唇と下唇は離れた「н」つまり n の音、一方の難波の「ん」の場合は唇をしっかりと一文字に閉じた「м」とまり m の音だからです。ロシア滞在中に日本語クラスのお手伝いのようなことをしましたが、そのときロシアの学生に聞くと、やはり二つの「ん」は全く違った音に聞こえるようでした。
[34756] 2004年 11月 3日(水)11:06:48ニジェガロージェッツ さん
Re:^4:記事削除のお知らせ
[34749] 佐賀県 さん
私は関連書き込みの内容を削除前に見たのですが、書き込みの中で複数のニックネームを用いて書き込んでいることを公言していましたので、誰が見ても「いつもと違うニックネームで書き込んでいる」と分かる内容でしたよ。

[34750] N-H さん
複数ハンドル使用もそうですが、削除された書き込みは内容的にも本落書き帳、あるいは地理の話題に直接関係のない事項(他のサイトへの書き込み誘導など)でしたので、はたからみておりますと「楽屋落ち」的な印象を持ちました。

フォロー有難うございます。削除前の記事を読めなかったので、事情がわかりませんでしたが、これで34711,34712,34714の削除については納得しました。
ただ[34746]で私の申し上げたかった事は、関連記事34713の削除について、他に対処の仕方があったのではと感じたものですが、元記事に複数のニックネームを用いて書き込んでいることを公言していたというのであれば、明らかに削除対象であり、これに対する34713も、それを知ってレスを付けたということで、削除止む無しといったところでしょうか。

私としては、事情を知らずによこから口を挟むのは自分でも無作法なことと思いましたが、最近の「落書き帳」では、問題記事への言及や引用があったばかりに「とばっちりで削除される記事」が多いようにも感じています。特に[34749]で佐賀県さんがご体験を述べられたような
ただ、無関係の部分まで一括削除だったので、書き込み内容を保存していない私は、再度無関係の部分を書き込むのに手間取りましたが
というような悲劇は、オーナーさんにその気があれば発生しないことだと感じました。例えばオーナーさんご自身が[4171]で述べられているような、「無敵機能」は今では機能しないのでしょうか。
また、何か問題があった時にはオーナーさんから確認の私信メールが送られてきますが、メールでレス記事を書かれた方に引用部分の自己削除なりを依頼できないものでしょうか。

もちろん、こういった細かなフォローは、ご多忙なグリグリさんには負担の多いことであることは存じております。
ただ、レス記事を書かれた方も貴重な時間を割き、内容を吟味した上で面白い記事を投稿されていると察しますので、傍目に分らないような同一投稿者によるニックネームの複数使用記事の削除に関連して「とばっちりで削除される」記事については、今でも「無敵機能」が生きている事を願うばかりです。
[34746] 2004年 11月 3日(水)03:24:09ニジェガロージェッツ さん
Re: 記事削除のお知らせ
[34745] オーナー グリグリ さん
また、34713 についても 34711 を直接引用する書き込みのため合わせて削除いたしました

該当記事に何が書いてあったかは、削除済みのため、私には経緯を窺い知ることはできません。
ただ、貴掲示板の運営について口を挟むつもりはありませんが、これはいかがなものでしょうか。
社会通念上許容されないような語句や、他人に対する誹謗中傷などの文言は、読者にも明らかに削除対象となるのは必至のことで、投稿者としてレスをつける際、そういった記事を引用する書き込みを控えることは可能です。

しかし、複数のニックネームを用いている書き込みであるか否かは、掲示板管理者でしか解る事ではなく、一読者としてはそこまで留意することは現実には不可能です。

レスをつける際に、こういったことで削除のとばっちりを喰らわせるのは、オーナーさんとして、他の対処の仕方はありえないのでしょうか?
[34468] 2004年 10月 25日(月)00:00:20ニジェガロージェッツ さん
私も運が悪かったのでしょうか?
昨日の中越地震、再び大地の揺れが尊い人命を奪いました。言葉もありません。
現地では混乱を極め、これから長く続く「生きる戦い」が始まったさ中だというのに、違和感のある書き込みがあり、読者として一言、言わせて下さい。

[34462]
それから、中越地震でもうすぐ「魚沼市」「南魚沼市」になるという所がこの有様。
よっぽど運が悪かったみたいですね。
ちなみに広島では何の揺れも感じませんでした。

町村合併と地震とは無関係です。瓦礫の下で助けを呼ぶ住民とも無関係です。
「有様」とはどういう状況をさしての形容ですか?
「よっぽど運が悪かった」のは誰に対しての言葉ですか?

単純に地理(というより町村合併)だけの関心から、このような書き込みになったとは推測しますが、いくら悪気がないからといっても、少しは被災された住民や自治体に対して、配慮なり気遣いがあればと願います。

グリグリさんのお願い[32319]もあったのですが、本当に地震の恐ろしさを知っているものの一人として、自治体職員を含めて被災された皆様が[34462]を読めば、どういう気持ちになるかを考えると、だまってはいられませんでした。
[33872] 2004年 10月 6日(水)22:38:00ニジェガロージェッツ さん
神戸タワーは東洋一を誇った・・・
…ということらしいのですが、真偽の程はさておき。神戸タワーと聞いて、あまりの懐かしさからのこのこ出てきました。

[33854] スナフキん さん
神戸タワーは湊川新開地にあった別物(現存せず)であって、「神戸タワー」の呼称では混同されて通じることはないそうです。

その通りです。神戸港中突堤に建つ「ポートタワー」を地元では決して「神戸タワー」とは言いません。
「神戸タワー」は新開地の湊川公園の高台に大正13年に建設された高さ90m(海抜100m)のタワーで、昭和43年に解体されましたが、その間の44年間は神戸のランドマークでした。
昭和9年には、電飾を取り付けてビオフェルミンやベルベット石鹸、阪神電車の広告文字が夜空に輝いていたそうです。
上った記憶はありませんが、隣の区にあったタワーですので、市電の車窓から眺めた外観は今でもなんとなく覚えています。

「神戸タワー」を検索サイトで探すと結構あるのですが、そのほとんどが「ポートタワー」のことでした。地元神戸の人は決して混同しないのですが、他からは「ポートタワー」を「神戸タワー」として認識されているのでしょうか。

本物の「神戸タワー」を美しく描いたイラストを見つけました。昔の神戸の絵地図にもはっきりと描かれています。

神戸の“二代目タワー”こと「ポートタワー(高さ108m)」の開業は昭和38年のことで、その間の5年間は両タワー並存状態でした。
もっとも、今の神戸ではポートタワーより高い高層建築が林立していて、港の突堤に建っているからこそ絵になりますが、市街地に建っていたのではビルの谷間に埋もれてしまいますがね。
[33555] 2004年 9月 29日(水)01:25:46ニジェガロージェッツ さん
ご無沙汰にて失礼
お久しぶりです。(読む方では毎日欠かさず楽しませて頂いておりました)
グリグリさんに於かれましては、URLの引越し作業、記事検索のパワーアップなど等、お疲れ様です。
「落書き帳」益々のご繁栄、ご同慶の至りです。

さて、拙稿[16075]
2002年ロシア国調人口ですが、人口10万人以下の都市データはまだ入手出来ていません。
と書きましたが、あれから丸1年以上が過ぎ、最近、ロシア連邦国家統計委員会(通称、ゴスコムスタット)から次々と2002年全露国勢調査結果が発表されるに至りました。

[15375]に、速報値による人口50万人以上の33市のランキングを書かせて頂きましたが、ようやく確定値によるロシア全1098市の人口ランキング表が拙HPに完成しましたので、お知らせ致します。

#Excelが無いので、この表の作成には苦労しましたが・・・

過去のロシア関連の書き込みでは、当時は資料不足から憶測で書いた部分については、大半は修正の必要の無いものでしたが、一部に誤った推測もあったかと思います。
それらの多くをアーカイブに採用していただいた手前、訂正の必要のあるものが分り次第、またご報告に上がります。
では、また。
[31571] 2004年 8月 8日(日)23:48:50【1】ニジェガロージェッツ さん
Re:URLを変更する予定
お久しぶりです。皆様お変わりございませんか?
93年の冷夏に昨年の冷夏。94年の猛暑に今年の猛暑。どうも気象関連の現象が十年周期で動いているようで、95年の悲劇の再来だけは免れてほしいと想う今日この頃です。さて、

[31546] グリグリさん
以前話題にしていた容量問題が実は現在逼迫しております(空き容量1MBあまり)。しかしながら、私の予想通り、現在ホスティング契約をしているサービスが劇的なプライスダウンを行い、一挙に容量問題は解消しました。

これは吉報です。
実は1年以上前に貴兄が過去ログ[18277]に書かれた
現在のサーバ容量は最大の150MBの契約ですが、落書き帳だけですでに35MBに達しており、GLinGLinの他の企画の必要容量を考えると限界です。
を非常に重く受け止めていました。

もちろん容量問題が解決に向かった今でも、根本的に「都道府県市区町村」から逸脱した長文書込みは慎まなければならないことは当然の心構えですが、自分としては以前に「落書き帳」にロシアネタを延々と書き込んだ過ちを深く恥じておりました。
そこで、近い将来グリグリさんから容量逼迫の警鐘があった場合には、グリグリさんや皆様のご気分を害することになるかも知れないですが、勝手ながら拙稿のすべてを削除していただくことで、しばらくの猶予期間が得られるのではと真剣に考えていました。
(文字数では50万文字ほどですが、簡易表機能を多用していたので見かけの文字数の3~10倍の容量は消費しており、拙稿が消えると2~3ヶ月分の書き込み容量は確保できるのでは?)

その時に備えて、ロシア関連の拙稿過去ログのうち、データ系の書き込みは拙ニジェガローツキー・ドヴォールに、新データ等を添えて再編集しながら移植する作業を進めていました。(グリグリさんには、去年のことですが私信で許可をいただきました)

「一挙に容量問題は解消」とのことで、当面は勝手なお願いをする必要はないと考えても宜しいでしょうか?正直な所、胸を撫で下ろしています。

これからも「落書き帳」の益々のご発展、蔭ながら祈念致します。
[29977] 2004年 7月 2日(金)00:40:16ニジェガロージェッツ さん
伊能大図ついに出揃う
拙稿[28560]
何でも、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」は大図(縮尺1/36000)214枚、中図(同1/216000)8枚、小図(同1/432000)3枚からなるそうです。しかし、これらの正本は明治6年の皇居炎上により焼失、副図も大正12年の関東大震災により焼失してしまい、中図、小図については伊能家や大名家に複写したものが伝存していすが、残念な事に根幹をなす大図は、214枚のうち国内に確認されているのは60枚のみだったそうです。
ところが2001年に、米国の議会図書館地図部で大図の明治時代の写し207枚が発見され、この出現により214枚のうち欠図は4枚のみとなり、大図のほぼ全容が示されることが可能となったそうです。

伊能忠敬の大図のうち最後まで未発見だった4枚が、ついに発見されたようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040701-00000112-yom-soci

先日、神戸市立博物館では「伊能忠敬の日本地図展」で、ロビーの床面一面に貼られていたコピーにも、丁度京都周辺の部分がなく、「この部分は未発見です」というような注釈があり残念におもっておりました。

伊能忠敬の偉大な功績の全容が解明され、嬉しい限りです。
[29354] 2004年 6月 16日(水)00:54:28ニジェガロージェッツ さん
ニジニ・レス No.399
こんばんは、6月ももう後半にはいりました。月日の経つのは早いものです。

さて、「林田区」の住居表示板を写した拙画像に対し、多くのメッセージを頂戴しました。有難うございました。
撮影したものは、「区」が剥げ落ちていますので、拙稿[28921]に書いたものをもう一度探しました。結果、完全なものが見つかりましたが、この住居表示板の上に雨水排水縦管が重なっており、画像に残すのを止めました。

以下、亀レスの上、まとめレスで恐縮ですが・・・


[29228] LuckyStrike さん
はじめまして。住居表示板についての京都のお話、羨ましい限りです。
今でも町名表示のブリキ板が市内のあちこちにあります。色は濃い青ですね。

拙画像にもあるように、神戸の場合も色は濃い青です。この時代の共通のものでしょうか。区名は右からの横書き、町名以下は縦書きです。
震災前には、神戸にもこういった住居表示板がまだ所々にありました。その殆どは戦災での焼け残りの多かった長田区内でした。他の区では見た記憶がありません。面白かったのは「須磨区戸崎通町三丁目○番屋敷」(現在の長田区戸崎通三丁目)というのがありました。普通、「通」の後に「町」は付けないのですが、当時はこれが正式名称だったのかな?
そうすると、画像に出した「濱添通り三丁目」との整合性がつかないですが。

[29276] 夜鳴き寿司屋 さん
今から30年前に合併によりなくなった「駅家町水道局」の表示や、半世紀以上前に消滅した住所で「岡山縣後月郡○○村大字××神代△番地」

「林田区」もそうですが、合併などで消滅し、今では知る人も少ないような行政区画名を示した表示板を見ると、宝物に出会ったような気分になります。

[29281] 愛比売命 さん
このまま都市化の波に埋もれてしまうのは勿体無い、ぜひ自治体やNPOなどの力を借りて保存・展示して欲しいと思うのは私だけでしょうか?

私も同じ意見ですが、実際のところ、こういった物品をどれだけの人が有難く感じるのかを考えると、難しいかもしれません。残念ですが。
個人的には、各長屋の玄関口近くに必ずあった、コンクリート製のゴミ箱を懐かしく思います。私らの年代が最後かな?

[29192] Issie さん
ところで,現在のロシアでは「旅順」を何と呼んでいるのだろう。

スターリン時代のソ連のことは存じませんが、現在のロシアでは“Люйшунь”[リュイシューン]と呼んでいます。
これを“Порт-Артур”[ポルタルトゥール]と呼ぶの場合は、例えば“Оборона Порт-Артура”[アバローナ ポルタルトゥーラ](ポルト・アルトゥール防衛戦)といったような、日露戦当時の歴史名称で用いられています。
このあたりの感覚は、現在の日本がシンガポールのことを「昭南港」とは言わないのと同じかも知れません。
[29219] 2004年 6月 11日(金)22:52:48ニジェガロージェッツ さん
林田区の住居表示板
[29122]愛比売命 さん
その住居表示板は戦争を体験しているのかもしれませんね?

はい、神戸市林田区は昭和20年5月に廃止されましたので、戦争も震災も体験した上で現存しています。こういった住居表示板が現存するのは、神戸の事情を鑑みると奇跡です。

ところで、拙稿[28921]に述べた住居表示板をもう一度探しましたが、見つかりませんでした。
変わりに別の住居表示板を撮影しましたが、残念ながら「区」(旧字体です)の文字が錆落ちています。

今となっては遺跡と言ってもいいくらいの非常に貴重なもの、是非とも見てみたいものです。
というリクエストにお答えして、拙HPに隠しページを設けて写真を貼りました。御覧下さい。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/hayashida-ku.htm
[28921] 2004年 6月 3日(木)01:06:57ニジェガロージェッツ さん
神戸で見かけた古い住居表示板
[28896]愛比売命 さん
昨年神戸市を訪れた際、「生田区」という文字の上からシールで上塗りして「中央区」と書いてあった看板を見つけ、なんだか嬉しかったのを記憶しています。

探せばもっと凄い物が見つかるかもしれません。
先日通った長田区南部の下町にある、いまにも崩れそうな長屋に古い住居表示板を見つけました。
驚く事なかれ、なんと

区田林

と書かれていました。勿論、「区」は旧字体です。

近い将来、ここにも再開発の波は襲い掛かるでしょうから、今のうちに写真を撮って、自分のホームページに貼り付けてやろうかと思っています。
[28913] 2004年 6月 2日(水)21:26:29ニジェガロージェッツ さん
テチューヘの謎
[28909]N-H さん、 [28910]hmt さん、レス有難うございます。
気象通報の地点番号は、NHK独自のものでしょう。国際通報式では、全世界の観測地点を5桁の地点番号で呼んでいますが、ここでは激しく無関係なので割愛させて頂きます。(笑)

[28909]N-H さん
子供のころ、気象情報を聞いていて、この「テチューヘ」というなんとなくロシア的雰囲気の地名にあこがれたものです。どこにあるのかよく知らなかったのですが、いつのまにか消えてしまってます。
ちょっと調べてみると、ニジェガロージェッツさんの[4738]によると現在のダリネゴルスクが旧テチューヘのことらしいのですが、同じく[16283]では
呼び名の変更もあり、旧34番(国際地点番号31959)「テチューヘ」が新33番「ルドナヤプリスタニ」に
とあって、ルドナヤプリスタニが旧テチューヘと読めるのですが、真相やいかに?

「ヘ」の表記に誤りがあったのもかかわらず、よくぞ検索でお探し下さりました。感動しております。

テチューヘについての御尤もな疑問、実のところ小生も真相を知ったのは、比較的最近のことでした。
先に結論を言ってしまうと、地理で言うところの「テチューヘ」と、気象でいうところの「テチューヘ」は全く別の都市(集落)だと言うことです。
拙稿[4738]は地理ネタとしての「テチューヘ」で、現在のダリネゴルスク。そして、もう一方の
拙稿[16283]は気象通報関連ネタでの「テチューヘ」で、現在のルドナヤプリスタニです。

これだけでは、何のことか訳が判らないので、やや詳しく述べさせていただくと・・・
以前、ウラジオストクから東北東に350キロほどの所に、「テチューヘ」という町がありました。ここは日本海に近いものの、それでも海岸線までは30キロほど離れた山中に位置しています。
この町を中心とした、かなり広い範囲を「テチューヘ地区」と言っていましたが、日本風に言えば「テチューヘ郡」と言っても差し支えないと思います。
そして、この郡内の海岸沿いに別個「テチューヘプリスタニ」という町が存在していました。
「プリスタニ」とは、ロシア語で「波止場」とか「桟橋」といった、「船着場」の意味です。
要するにこの「テチューヘプリスタニ」は「テチューヘ本町」の外港としての存在だったのでしょう。

ラジオ気象通報で永年「テチューヘ」と呼ばれていたのは、この「テチューヘプリスタニ」のことでした。気象通報で「テチューヘ」と略したのは、ウラジオストクを「ウラジオ」と略したのと同じ感覚かとも邪推できそうです。

N-Hさんも「ロシア的雰囲気の地名」と感じておられますが、ロシア語を語源とする地名ではなく、恐らく土着民族の呼び名だったかも知れません。
そして町の発展とともに、ここにも完全なロシア語地名が与えられました。「テチューヘ」が「ダリネゴルスク」と改名されたのは1973年のことで、拙稿[4738]にもありますが、同時期に近くの「イマン」とか「スーチャン」といった「歴史的地名」も姿を消しています。
恐らく、この時に「テチューヘプリスタニ」も「ルドナヤプリスタニ」と改称された筈です。
「ルドナヤ」とはロシア語で「鉱石の」といった意味の形容詞です。
日本の気象通報では、それ以降も2001年12月まで30年近くも「テチューヘ」という幽霊地名が踊っていたことになります。

ソ連ではその後、1989年にダリネゴルスクが市に昇格しましたが、その市域は旧ダリネゴルスク郡全域としています。
ですからルドナヤプリスタニは、行政的には「ダリネゴルスク市ルドナヤプリスタニ町」となっています。
拙稿[8619][10420]に関連する記述があります、ご参考まで。

参考ついでに、地図も出しておきましょう。
(うちの掲示板「ヤールマルカ」で、最近ちょっと話題になったロシアの軍事用地図で恐縮ですが・・・)

ダリネゴルスク
http://green.bdk.com.ru/map/primorye/063.jpg
(画面下辺の右端近くに ДАЛЬНЕГОРСК とあるのがダリネゴルスクの集落です。)
写真も探してみました
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/GEOGR/dalneg.htm

ルドナヤプリスタニ
http://green.bdk.com.ru/map/primorye/076.jpg
(画面左辺の海岸線沿いにある РУДНАЯ ПРИСТАНЬ とあるのがそうです。)

この2枚の地図は、ダリネゴルスク図(63)とルドナヤプリスタニ図(76)が左上―右下の対角に位置しています。
地図の目録はこちら
http://green.bdk.com.ru/map/primorye/index.htm
[28888] 2004年 6月 1日(火)23:54:56【1】ニジェガロージェッツ さん
NHKラジオ気象通報の変遷
本日6月1日は「気象記念日」ということで、マニアックな脱線ネタご容赦のほど。

[28871] hmt さん
気象通報でおなじみになった地名も多いですね。南大東島、浦河、小名浜、浦塩(ラヂオだから漢字が出てきたわけではありませんが)…。

「気象記念日」に因んで、NHK気象通報での通報地点の通報についてまとめて見ました。
地点番号に*の付いている物は副通報地点(本地点の観測値が得られなかった場合の代用地点)です。

地点番号昭和60年代ぐらいまで平成13年12月3日まで現在
1石垣島石垣島石垣島
2那覇那覇那覇
3南大東島南大東島南大東島
4名瀬名瀬名瀬
5鹿児島鹿児島鹿児島
6福江福江福江
7厳原厳原厳原
8足摺岬足摺岬足摺岬
9室戸岬室戸岬室戸岬
10広島松山松山
11浜田浜田浜田
12西郷西郷西郷
13大阪大阪大阪
14潮岬潮岬潮岬
15八丈島八丈島八丈島
16大島大島大島
17御前崎御前崎御前崎
18銚子銚子銚子
19前橋前橋前橋
20小名浜小名浜小名浜
21輪島輪島輪島
22相川相川相川
23石巻仙台仙台
24宮古宮古宮古
25秋田秋田秋田
26函館函館函館
27浦河浦河浦河
28根室根室根室
29稚内稚内稚内
30シスカポロナイスクポロナイスク
(30*)エストルエストルアレクサンドロフスク
31ウルップ島ウルップ島セベロクリリスク
(31*)シムシル島シムシル島オゼルナヤ
32松輪島(まつわじま)松輪島(まつわじま)ハバロフスク
(32*)パラムシル島パラムシル島
33ハバロフスクハバロフスクルドナヤプリスタニ
34テチューヘテチューヘウラジオストク
35ウラジオウラジオソウル
36ソウルソウルウルルン島
(36*)仁川(じんせん)インチョンインチョン
37ウツリョウ島ウルルン島プサン
(37*)浦項(ほこう)ポハンポハン
38釜山(ふざん)プサンモッポ
39モッポモッポチェジュ島
40済州島(さいしゅうとう)チェジュ島台北
41台北台北恒春
(41*)台中
42恒春恒春長春
(42*)台中台中
43長春長春北京
44北京北京大連
45大連大連青島
46青島青島上海
47上海上海武漢
48漢口漢口アモイ
49アモイアモイ香港
50香港香港バスコ
(50*)ラワーグ
51バスコバスコマニラ
(51*)ラワーグラワーグ
52マニラマニラ父島
53父島父島南鳥島
54富士山富士山富士山

殆ど変化がない通報地点ですが、時代とともに呼び名(特に韓国の各地点)を変わっているのが分ります。観測地点以外でも、高気圧や低気圧の場所を言うのに「樺太の北緯*度、東経*度には、・・」と言っていたのが「サハリンの・・・」と変わっていました。

平成に入るかどうかといった頃に、広島が松山に、石巻が仙台に変更になっていますが、特に広島の場合、天気図上で浜田と接近しすぎて、データを書き込むのに苦労した覚えがあります。
1990年代後半からは、地震の影響かどうかは存じませんが、千島列島各地点からの通報が途絶え、2001年12月の通報地点見直しになりました。

ラジオ気象通報は昭和2年4月に開始された「漁業気象」に始まりますが、これはラジオ放送開始(大正14年3月)の2年後のことです。
戦前のラジオ用天気図用紙には、通報地点として那覇、潮岬、銚子、八丈島、小笠原島、石巻、函館の7地点がかかれています。
更にこの7地点以外にも、図上には次の各点に丸印が付され、天気記号の書き込みが出来るようになっていますが、すべて常時通報されていたのかどうかは存じません。
石垣島、南大東島、名瀬、鹿児島、宮崎、長崎、福江、厳原、清水(足摺岬)、室戸岬、下関、米子、大阪、長津呂、布良、福井、輪島、直江津(高田?)、相川、宮古、秋田、札幌、羽幌?、釧路、根室、紗那、大泊、羅津(雄基?)、城津、元山、仁川、釜山、木浦、済州島、台北、恒春、新京、営口、旅順(大連?)、青島、上海

訂正2点
「観測地」を「観測値」に。
「松輪島」を「松輪島(まつわじま)」にそれぞれ訂正。
[28661] 2004年 5月 27日(木)01:41:04ニジェガロージェッツ さん
Re:樽流しで決まった?備讃国境
[28633] 今川焼 さん

備讃国境の画定と「樽流し伝説」の子細のご紹介、有難うございました。

参考
http://village.infoweb.ne.jp/~sophia/sakanahanashi/osakana2.html

こちらのページに紹介されている樽流しのエピソードで、勝ち誇った讃岐の者が備前側に言う

「貴殿は潮流のことをご存知ない。潮流は時間によってたいそう違う。もう小半刻遅かったら、貴
殿の思うとおりに流れたであろうに、約束だからご異存はあるまい。」

この一言に、たとえ作り話にしても備前下津井側の無念を感じずにはおられません。
そして、この国境確定が元で今でも下津井の漁民は香川県との入漁協定を毎年行っているのには、正直驚きました。
[28630] 2004年 5月 26日(水)00:39:58ニジェガロージェッツ さん
備前国児島郡小豆島
[28589]たっくんのパパ さん
記憶にある伝承では、讃岐と備前の間で瀬戸内海の領有を決定するのに、
備前が事前に樽を流して讃岐側を流れたので、樽を海に流してところを
境界にしようと話し合って、実際に流してみたら、潮が変わっていて岡山側に
流れてしまったというものです。

如何にも瀬戸内らしいのどかなエピソードですね。面白いお話有難うございました。

[2474]たけもとさんにご紹介頂いたページには、もともと古代の小豆島は備前国児島郡の属島だったようですが、これが明らかに讃岐国となったのは、1708年頃、備前国倉敷代官所の所管の幕府天領だったのを一時的に高松藩の預かりとした時のように書かれています。

ところで、現在市販されている地図帳等に書かれている「旧国界」は、陸奥・出羽2国が陸前など7国に分割されているあたり、だいたい明治初期の境界線だと思いますが、そもそも、この「国界」なるものは、かなり流動的ではなかったでしょうか。
例えば、武蔵と下総の境は、中世のそれと比べるとかなり東に寄っているようです。時代により、その時々の歴史背景の変化などに結構左右されるような印象を持ちます。
[28560] 2004年 5月 24日(月)00:31:59ニジェガロージェッツ さん
伊能忠敬の日本地図展
日付が変わりましたが、昨日(5/23)、神戸市立博物館では「伊能忠敬の日本地図展」の最終日でした。伊能図にお目にかかる又とないチャンスでしたので、行ってまいりました。

何でも、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」は大図(縮尺1/36000)214枚、中図(同1/216000)8枚、小図(同1/432000)3枚からなるそうです。しかし、これらの正本は明治6年の皇居炎上により焼失、副図も大正12年の関東大震災により焼失してしまい、中図、小図については伊能家や大名家に複写したものが伝存していすが、残念な事に根幹をなす大図は、214枚のうち国内に確認されているのは60枚のみだったそうです。
ところが2001年に、米国の議会図書館地図部で大図の明治時代の写し207枚が発見され、この出現により214枚のうち欠図は4枚のみとなり、大図のほぼ全容が示されることが可能となったそうです。

今回の「伊能忠敬の日本地図展」では、中図8枚や小図、伊能図に前後する様々な日本古地図や世界図に加え、米国から「里帰り」の大図8枚が展示され、また当時の測量機器のレプリカも見ることが出来ました。

圧巻は、博物館ホールの床一面に近畿地方を中心とした中部地方西部から中国四国地方東部にかけての数十枚の大図のコピーが敷き詰められ、拝観者が一様に地図の上に立ち尽くして、描かれたそれぞれの場所の江戸期の姿を見入っていました。
個人的に面白かったのは、1786年の「三国通覧図説」では極端に北に長細い「蝦夷地」の北西に大陸から突き出した半島に「カラフト嶋」と書かれ、更に北方の黒龍江と思しき大河の河口の先に「サガレイン」という島が描かれ、樺太とサハリンが全く別個の存在として記されており、大河の北方一帯は赤色で着色され、「これ以北はカムチャツカに至るまでムスコウビア国の領」とはっきり書かれていたり、知識としては知っていましたが、現物に出会えて感動ものでした。

また、以前に[2474]たけもとさんに教えて頂いた小豆島の所属が、伊能大図でははっきりと「讃岐国」と書かれていました。伊能図のデータは大体1810年代のものですが、このときには既に備前から讃岐への所属変えがあったことを伺われます。
関連図として参考出典のあった、1669年の「皇圀道度図」は国別に色分けが為されており、ここでは小豆島は備前国の色が塗られていました。

全般的なテーマでの展示にもかかわらず、かなり偏った見方で楽しませて頂きました。

「伊能忠敬の日本地図展」は神戸の後は、6月4日から7月19日まで仙台市博物館でも開催されるようです。
[28083] 2004年 5月 9日(日)02:09:38【1】ニジェガロージェッツ さん
要望には敬意が必要と考えます
[28072]みかちゅう さん
他人が表や資料を提示された際に個人的関心からもっと詳しい資料が欲しくなることは私にだってあります。そういう時は本来なら自分で調べるべきなのですが、「それだけ調査しているのなら詳しい資料を持っているだろう→だから教えていただこう」あるいは「こうすればもっといいデータになるのに」という発想から「要望」が出てきたものだと思います。特に後者の場合に「よりよい資料=落書き帳閲覧者の共有しうる満足」を目指すべきという考えを持って自分から「要望」を出すべきなのか、そんなことは図々しいことだと考えて必要なら自分で資料を加工すべきなのかは私にも決めかねます

冒頭から引用部分が長くなり申し訳ございません。
みかちゅうさんの状況仮定が、コメントさせて頂く上で非常に重要なテーマを含んでいますので、外せませんでした。ご諒解下さい。

もちろん、地理好き故の関心の高さから、相手に敬意を表した上でより詳しいデータの提示を要望するのであれば、更なる論議の向上にもつながり、[28036]でみかちゅうさんが仰られた
この掲示板の情報は単なる「雑談」の一環として片付けるにはあまりに惜しい情報
へと昇華することでしょう。
これに関しては小生は全く異論がありません。現に過去に小生宛てに問い掛けられた数々の要望に対しては、「落書き帳」デビュー以来の2年間に渡りその都度、誠心誠意お答えしてきたという自負も持っています。また、これからも従来通り喜んで最後までお付き合いさせて頂く所存です。
ですから一般論として、冒頭に引用した状況仮定においては、小生は質問・要望は大いに結構とのスタンスを取ります。

ですが、その「要望」の形が、元記事を書いた相手に対して、あたかも記事に不備があるかのようなニュアンスを持って為されたり、他人に完璧を求めたりするのは、あってはならない事と考えます。
仮にその人に悪意が無く、コミュニケーション能力の未熟さ故に、そういった文体になってしまうということを認識していても、「要望」で名指しされた側にすれば、常に肯定的に解釈するには割り切れないところもあるでしょう。
拙稿[28033]
粛々と無視するのが当然のこと
とか、[28040]
「悪役」へ駆り立てる危険性についても少しはお考え頂きたい
と評したのは、こういった配慮の足りない「要望」に対してのことで、一般に為されるような、みかちゅうさんが[28072]で仮定されたような要望に対して申し上げているのではありません。

最初にわざわざ「相手に敬意を表した上で」としたのは、見えない相手に対しての最低限の心構えであり、コミュニケーショントラブルの発生を最低限に抑える有用な手段だとの考えからです。

少なくとも小生は、見えない相手、それも今までレスを交わしたことの無いような相手に対して、「あなた」と呼びかけるようなことは慎みます。みかちゅうさんは小生に対しそのような代名詞を用いたのには、拙稿[28033][28040]等に対して違和感があった上でのことと察しますが、こういった呼びかけは多分に詰問調に聞こえます。
私はたとえリアルの世界でも、初対面に近い人や目上の人に対していきなり「あなた」と呼ばないように心掛けております。
ネットはリアルの世界と違い正確にコミュニケーションすることが格段に難しく、誤解やトラブルが発生しやすいので、実際の実年齢にかかわらず、相手は皆「目上の人」とみなして接して間違いはないと小生は考えています。

以上、地理ネタ以外のことで、長々と申し訳ございません。
私なりに掲示板に接する上で、大変重要だとの考えから、一投稿者の視点から踏み込んで自分の意見を述べさせていただきましたが、もちろん、他人のご意見を否定する意図はありませんし、押し付ける積りもありません。もし、そのように思われる方がおられましたら、私にとって不本意であり、また表現等に不備があったものとして、平に謝罪致します。

今稿でもって、自分の意見の総てを述べさせて頂きましたので、これ以上この件に対しては何も申し上げることはありません。こちらもこれで終わりとさせて下さい。

数稿に渡るお目汚し、大変失礼致しました。
なお末筆ながら、今回最後まで自分の率直な意見を述べさせて頂く機会を与えて下さった、みかちゅうさんには素直に感謝をしております。
どうぞ御気を悪く為さらないで下さい。
[28040] 2004年 5月 8日(土)01:28:25ニジェガロージェッツ さん
Re: mikiさんの問題について
[28039]グリグリさんの仰ること、誠にごもっともです。

誤解があってはいけませんので、小生の言いたかった事を敢えて補足させて頂きます。

[28036]みかちゅう さん
私はmikiさんをそこまで責めるかのような雰囲気には疑問を感じました。

拙稿[28033]には、言葉足らずのところがあり、小生としては直接mikiさんを責める意図はありません。
もちろん、背景には彼女から繰り返されていた(希望を込めて過去形で書きます)この種の「質問」に対してはっきりとした不快感があり、拙稿[28033]にはそういった意味で彼女に対して批判的な感情が節々に滲み出ていることは、否定しません。

しかし、この一連の「質問」にはmikiさんの悪意は全く無く、単純に彼女の拘りから「気になって仕方がない」から発せられたものだと感じております。
実は多くの方が言及されているように、この「問題」の発生は一度や二度のことではなく、常に、ある意味「定期的」に繰り返されていることで、喧嘩両成敗だか何だか知りませんが、投稿自粛に追い込まれた常連さんも現におられます。

そして、問題を指摘されたときには、今回もそうですが、素直にご自分の非をお認めになり、以降暫くは、このような質問を発する事はなくなります。

ですが、いつの間にか同じ問題が繰り返されます。

小生もいろいろと考えてみましたが、彼女にとって悪気が無い以上、それを改めさせるのは無理な話で、ではそれをエスカレートさせる要因は何かと突き詰めれば、やはりこの場の持つ雰囲気、つまり皆さんが大抵の場合、彼女の好奇心を満たす事に応じてしまうこの雰囲気にも責任があるのではと思いました。

もちろん、彼女のこういった拘りは、ここの多くの常連さんの拘りと一致するところもあり、こういった行為を積極的にご評価される向きもあるでしょう。しかし、だからといって、結果的に彼女を「質問役」に仕立て上げ、今回のように歯止めがきかなくなった彼女一人を「悪役」にしてしまうのはあまりにも酷だと私は考えます。

mikiさんの「要望」を受けて、快く加筆修整されるのは、もちろん各自の自由でしょう。
しかし、一方ではそれが彼女を「悪役」へ駆り立てる危険性についても少しはお考え頂きたいと申し上げているだけです。
[28033] 2004年 5月 7日(金)21:50:03ニジェガロージェッツ さん
Re:分かれば日まで...。(>2494)
[2495] 2002 年 8 月 11 日 (日) 08:48:27 miki さん
...一体何日にできたのでしょうか?
もし分かれば日までお願いします。

拙稿[2494]に対するmikiさんからのご質問に答える形で、[2497]を書きましたが、宿題として残っていたのが
1943年6月設置の京城府中区、鐘路区、西大門区、東大門区、城東区、龍山区、永登浦区
1944年10月設置の京城府麻浦区
の詳しい日付でした。

遅くなりましたが、お答えします。
前者は1943年6月1日。後者は1944年10月3日です。

さて、mikiさんのこの手の質問に対しての回答は、これで最後とします。
拙稿[2494]にしても、日付を書く書かないの議論がその直前に交わされていた事は知っていましたが、やはり、記事の内容からして、日付まで書くとどうしてもしつこくなると判断して、敢えて書きませんでした。

最近に至るまで、目に余るこの手の指摘の数々ですが、その殆どが指摘された側が、彼女の期待通りに加筆訂正されています。
私には、こういった背景が、更に彼女の行為をエスカレートさせているとしか、思えません。
仮にも、ご自分が言葉を吟味して投稿した記事です。その信念に基づき、「必要なし」と判断すれば、粛々と無視するのが当然のことと、私は思います。
[27990] 2004年 5月 6日(木)22:38:21ニジェガロージェッツ さん
私が元主犯です
グリグリさんのお願い[27926][27928]を受けて、
[27927][27958][27961]にて地名好きさんと愛比売命さんから「私が主犯」いや「私が・・・」となっているようですが、傍目に見てもグリグリさんがご両人のことを想定したものとは感じられず、あくまで一般論としての「お願い」であると確信します。

というのは1年ほど前、少し内容は違いますがグリグリさんからのお願い[15449]が、どう考えても小生のことを言っているようにしか考えられず、「冷や水を浴びせられ、大衆の前で大恥をかかされた」と感じていました。

[15449]に書かれていることは、今でも活きている事なので、論点を若干整理してみると、
1)誰もが興味を持てないような長文書込みはウンザリで、これが嫌で離れていった常連も多い。
2)マニアックな書き込みが増え、それらはアーカイブ化狙いもあって、初心者には参入障壁。
・・・だから謹んで下さい。ということでしょう。

当時の小生は、積極的にロシアネタを断続的に投稿し続け、外国の、それもロシアという特殊な地域柄、「誰もが興味を持てるもの」ではなく、しかも中途半端なことをしたくない故にどうしても「長文書込み」になり、またそれらが続々とアーカイブ化して頂いたこともあり、傍目には「アーカイブ狙い」と思われても仕方がなく、この当り前の管理者としてのお願いが、自分を「招かざる客」として標的にしたものだと考えざるを得ませんでした。

自分としては、少しは気を遣いながら、あれでも遠慮がちに1週間1度ぐらいのペースで、ロシア追求ネタを投稿していた積りでしたが、それだけにグリグリさんの[15449]に敏感に反応してしまいました。

ところが、今年になってグリグリさんと私信を交わしている中で、率直に「あの時の『お願い』には肝をつぶしました」と打ち明けたところ、グリグリさんは全面否定され、「あれには二ジェは該当せず。そのような気持ちをニジェに一度たりとも持ったことはない。」とのことで、全くの小生の思い込みによる誤解と判明しました。

前置きが長くなりましたが、小生の場合こういった実体験があるが故に、今回のグリグリさんの「お願い」も、グリグリさんのお人柄からして、一片の疑いもなく特定の個人を想定してのものではなく、あくまで一般論としての確認である、と確信出来ます。

ですから
[27961]地名好き さん
皆様にご迷惑をお掛けしたくないので投稿は当分の間、自粛したいと思います。
と仰られる必要は、皆無だと思います。

たとえ「落書き帳」の上での「自粛」はされたとしても、ご自分のサイト上で、面白い地名ネタ論議を積極的に展開し、「こんなページをUPしましたよ」とこちらにご発表されることでも、貴殿の面白さは全く損なうことはないでしょう。貴サイト「行政区画変遷一覧表」はそういった無限の可能性を十分に兼ね備えたものだと思います。


ということで、一つ宣伝を兼ねて・・・
拙「ニジェガローツキー・ドヴォール」において、この度「ロシア市名 日本語カナ索引」が堂々と完成しました!
ロシアの地名にご興味をお持ちの方、是非、お立ち寄り下さい。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/index.htm
[27824] 2004年 5月 2日(日)04:00:34ニジェガロージェッツ さん
「両みみニ焼魚」の怪しい一団
の中で、一番怪しいオッサンは小生でした。(恥)

かすみさん、無事ご帰宅の由、何よりです。近畿北部からはるばる来られた今川焼さんも無事かな?
両毛人さん、あすも箕面をはじめ大阪探訪の旅、第二幕。お気を付けて下さい。

そしてニジニ・ノヴゴロドにお知り合いがおられる魚熊さん、奇遇でした。まさかこの6人中3人が今は無きソビエト連邦の土を踏んでいたとは。

ということで、[27798]
今回は「聞き役」ということで参加させて頂きます。
といっておきながら、小生大はしゃぎしてしまいました。失礼致しました。

最後に、今回の「両みみニ焼魚」会を取り仕切って下さった、まがみ代表幹事さん。連絡係から場所の手配など、色々と有難うございました。大変お世話になりました。

鉄分濃いまがみさんへロシア全土の駅名の載った「鉄道地図帳」をお持ちしたのですが、1冊しかないためにお見せするだけで失礼しました。本来なら幹事役の労に感謝して差し上げるべきでしたが、この場を借りて、更に見易いロシア鉄道地図をご紹介することで、代わりとさせて下さい。
http://www.rzd.ru/museum/index.html?he_id_sh=820&he_id_sh=373&he_id=373
(ロシア語ですが、見易い地図ばかりなので、あえて言語は不要と思います)
[27798] 2004年 5月 1日(土)00:54:27ニジェガロージェッツ さん
ニジニ・レス No.385
こんばんは、久しぶりの書き込みの上、まとめレスで恐縮ですが・・・。

[27692]両毛人 さん
昭和村を含む沼田盆地周辺は、りんご栽培が盛んな地域です。
お懐かしい。名産のりんごは「あかぎ」という銘柄でしたね。実はあの時立ち寄った果樹園から年賀状が送られてきました。また注文しようかな。

[27785]地名好き さん
相互リンクのお申し出、有難うございました。
これからもHPの更新作業に精を出す所存ですので、これからも宜しく。

私は元来、地名を差別していないのです。ロシア地理と私のHPがつながって、とても嬉しいと思っていますよ。
畏れ多いお言葉です。ロシアと日本の地名の繋がりということで、少し。
というのは、ロシアの地名の中には、日本語起源ではないかと思うようなものがあります。

樺太真岡郡清水村に「清水」という集落がありましたが、ここの現在のロシア名は「チストヴォードノエ」(拙稿[11247]に人口データあり)と言いますが、ロシア語で“Чистоводное”と表記されますが、このうち“Чисто”「チスト」(実際の発音は「チースタ」)は「清らかな」、“водное”「ヴォードノエ」は「水」の形容詞中性形で、この場合「水の村」という意味です。要するに「清水村」そのまま。

他に樺太豊栄郡豊北村に「草野」という集落があり、こちらはロシア名で「ルゴヴォエ」(拙稿[10885]に人口データあり)と言い、現在ではユジノ=サハリンスク市に編入されていますが、ロシア語表記“Луговое”は「草地の」という形容詞の中性形。

#なぜ形容詞が中性形になるかといえば、「村」を表すロシア語「セロー」“село”が中性名詞で、これに係る形容詞は中性形を要求するからです。(拙稿[15912]に関連記事あり)

あと、極端な荒唐無稽な話として、所謂「源義経=チンギスハン」説に基づいて、古くはモンゴルの版図にあった東シベリアの都市「チタ」が、義経に縁のある愛知県の「知多」に由来するとの「推理」まで何かで読んだ記憶があります。


[27794]まがみ さん
オフ会の幹事役、ご苦労様です。
いよいよ今日ですね。楽しみにしております。
最近は「落書き帳」ではすっかりご無沙汰を重ねており、お話についていく自信がありませんが、今回は「聞き役」ということで参加させて頂きます。
[27327] 2004年 4月 15日(木)00:58:58ニジェガロージェッツ さん
長らくのご無沙汰、ご容赦を
こんばんは、ひと月半振りの書き込みです。

「落書き帳」をお留守にしていた間、かねてから整理しておきたかったロシアの都市の人口ランキングを、ロシア帝国からソビエト連邦を経て、現在のロシア連邦に至る流れの中での変動について、資料を集めながら、拙HPにて纏める作業に没頭しておりました。
人口センサスデータを中心に、1866年、1897年、1911年、1920年、1926年、1939年、1959年、1970年、1979年、1989年、1994年、1995年、1999年のデータをランキング表にまとめています。
若干の時代背景のようなものを、書添えていますが、ご興味がおありでしたら、覗いてみて下さい。

「都市別人口の推移 と 過去の都市人口ランキング」
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/nizhniy-kobe/cities_history.htm


さて、「落書き帳」では、続々と個性豊かな有力メンバーの参入もあり、益々のご盛況!お喜び申し上げます。新しく自分色をご登録を成された方々、遅れ馳せながら、お祝い申し上げます。

以下、時期を逸した亀レスの上、まとめレスの形で恐縮ですが、少し・・・。

[26268]琉球の風 さん
ご無沙汰しております。いよいよホームページ開設に向けての作業が着々と進行している由。
何やら職人的なこだわりをもって、初版から充実した大サイトを計画されているようで、楽しみにしております。
ただ、ご無理だけは為されない様に、どうぞマイペースで。

[27023]地名好き さん
はじめまして。これまた凄いサイトですね。これだけの資料を収集され、全国を網羅されるとは、並大抵のご苦労ではなかったと推測します。
小生は地元神戸のことしか詳しくありませんが、神戸市の区の変遷について若干補足して置きたい箇所もありますので、いずれ貴掲示板に書き込みをさせていただきたく思っております。

[27163]Issie さん
「ブ:B」と「ヴ:V」を無理に書き分けるのと同様,不合理極まりないものです。
本筋に関係の薄い横レスで恐縮ですが、
小生は、ことロシアの地名をカタカナ化する場合、不合理極まりない「ブ:B」と「ヴ:V」を無理に書き分けることに努めています。
(もちろん、既に日本語化された「ソビエト」を「ソヴェート」とは絶対に書きませんが。)
これは、英字やロシア語で書かれた地図で地名を探す場合に、カタカナを元に綴り字を推測する際に結構手間がかかった経験が多く、少しでも分り易くするため意識してやっています。
実際には「L」と「R」も「ラ」「ら」のように断った上で使い分けたいぐらいですが、さすがに表記上の好みとして、「美しくない」と思っていますから、実際にはやりません。

実際の会話では、発音としては「ブ」「ヴ」の言い分けは出来ますが、小生には聴き分けは出来ません。


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